観測者たる光翼

 

序、異変

 

陽菜乃が叩き起こされたのは、真夜中の二時半のこと。緊急事態を告げる電話が鳴り響いたのである。

色々あってぎくしゃくしている能力者達だけれど。

今は散々争いを経た上で。

古細菌の勢力。

エンドセラスの勢力。

それに陽菜乃の勢力が、どうにか和解を果たし。何とか世界を裏側から動かす事に成功している。

大きな犠牲を払った戦いから六年。

陽菜乃もいい年だけれど。

能力者の特性上、見かけは若いままだ。

だけれども、心はどうしても変わってくる。若いままの見かけに、老成した心。そして両親は、既に老境に入っていた。

両親とは、出来るだけ会わないようにしているし。

会うときには、能力者に力を借りて、老けた姿になっている。

人間の世界で能力者が生きて行くには。

どれだけ圧倒的な力を持っていても。

気を遣わなければならないのだ。

電話は、幾つか持っている携帯の一つ。田奈を一とする、ごく一部の相手にしか教えていない、緊急ホットラインだ。

着メロも独特のものに変えているから。

どうしても一発で目が覚める。

起きだして、電話に出ると。

電話先は田奈だった。

「余程のことが起きたみたいだね」

田奈は六年前の出来事で。

色々と大きな犠牲を払った。今では非常に寡黙で、現実主義者としての性質が極めて強くなっている。

昔の穏やかで可愛らしかった田奈はもうおらず。

重力使いとして、世界屈指の能力者の田奈が。今では、裏側の世界で、大きな力を持っていた。

大体の問題は、わざわざ連絡無しでも、彼女が解決してしまうほどで。

三勢力がいずれも、田奈の手腕には敬意を払っているほどだ。

その彼女が、わざわざ連絡してきた。

つまりは、それだけの大事だと言う事だ。

「日本政府が乗っ取られました」

「は?」

いきなりである。

慌ててテレビをつけてみるが、クーデターとかその類のことは一切ニュースになっていない。

ネットのSNSもチェックしてみるが。

異常事態を知らせるニュースは無い。

「ちょっとまって、何の話!?」

「どうやら、桁外れの能力者が登場した様子です。 まったく無自覚のままに、言う事を強制的に聞かせることが出来るようで。 しかもその能力強度は、多分古細菌サイドの能力者より数段上でしょう」

「……」

唖然としてしまう。

それに気付いた田奈も凄いが。

それ以上に、言う事を強制的に聞かせる。それはいったい、どういうことなのか。

田奈はこれから、エンドセラスと、ユリアーキオータに連絡を取るという。

どちらも会合に参加して貰う予定だそうだ。

つまり、それだけの緊急事態と言う事で。其処で詳しい話をする、ということなのだろう。

初動が遅れれば手遅れになる。

確かに、田奈の判断は正しい。

「分かった、此方からも側近に連絡しておくよ」

「よろしくお願いします」

田奈が電話を切る。

にしてもだ。その能力者が何者か知らないが、此方が色々警戒しているし、何より政府関係者にしても能力者の存在を知っている現状で。

一瞬にして政府を乗っ取るとか、一体何者だ。

どれだけ老獪な怪物なのか。

それとも桁外れすぎるのか。

両方だとすると面倒くさすぎる。

いそいそと着替えて、外に。あくびをしながら、軽くゼリー飲料を口にして、最低限の栄養を補給しておく。

それにしても、日本政府は無能なように見せて、世界的に見れば高水準なほうだ。

これは世界彼方此方廻って来ているわたしだから断言できる。

ひょっとして。

事態は、これくらいでは済まないかも知れない。もしも米国政府辺りが乗っ取られでもしたら。

大変なことになるだろう。

一体何が起きるのか、想像もできない。

それから十分後には、タクシーが到着。わたしは一応VIP扱いなので。タクシー会社は速攻で対応してくる。

ただし、住んでいる一軒家は郊外だ。

これは襲撃を受けたとき、被害を減らすための処置。

実際、一軒家の周囲数軒は、空き屋である。

全てわたしの持ち物だが。

これらも、被害を減らすためだ。

タクシーに乗って、会合の場所に移動。というよりも、場所を変えて、テレビ会議を行う。

実家ですると、万が一の事態が考えられる。

力量が高いハッカーなどに嗅ぎつけられると、面倒な事になるかも知れないので。こういう措置を執っているのだ。

タクシーは二十分ほど、深夜の街を疾走。

流石に首都圏だ。

深夜でも車はそれなりにいる。遠くに瞬いているネオンはいつも通り。田奈がこんな所で嘘をつくとも思えない。

本当に大事が起きているとみるべきだろう。

ある小さな雑居アパートにタクシーはつけると、すぐに去って行った。後はわたしが、個室の一つに入ると。

既にテレビ会議のシステムが準備されていた。

この辺りは、いざという時を想定して、田奈が事前に準備をしてくれているのである。だから、即座に対応出来る。

テレビ会議を起動。

流石に不機嫌そうなエンドセラスの強面が映る。

元々エンドセラスは、女マフィアの親分という風情の顔だ。

造形が整っているが。

それが故に、怒ると凄まじい形相になる。

側には側近のギガントピテクスだけがいる。

恐らく、他の幹部は間に合わなかったのだろう。

ユリアーキオータは。

パジャマのままだ。

余程慌てて出てきたのだろう。

古細菌サイドの能力者は、人数が少ない。

一人ずつがつよいのと反比例して。

他勢力に比べて、兎に角数が足りないのだ。

だから問題が発生した場合。

大事になりやすいのである。

田奈が最後に映る。

そして、映像を転送してきた。

これは。

あまりにも自然に、それが行われている。

何処かの学校の教室だろう。文字通り、皆殺しの憂き目にあっている。全員が首を引きちぎられていて。

床が鮮血に塗れていた。

教壇には、教師の残骸らしきもの。

八つ裂きにされたらしく。

既に何もかもが、見分けがつかなかった。顔面でさえ、四分割以上に引き裂かれているようである。

しかも驚くべき事に。

死体の配置を見る限り。

誰も彼もが、逃げようともせず。一方的に殺戮されたようなのだ。

もっと驚くことがある。

清掃業者が、それら死体を、まるでゴミでも扱うようにして、処理している、ということである。

あり得ない話だ。

これだけの大量殺人が起きれば、警察が動く。

流石にこの国でも、実際にスナッフムービーなどは撮られることはほぼない。別の国ならあるという噂もあるが。この国では警察幹部と癒着していても、殺人だけはもみ消しが極めて難しいのだ。

他の国では、面白半分に多数を殺しても、裁判を買収して無罪になるようなケースも実例があるが。

小学校で。

この人数が惨殺されて。

何の問題も起きず。

そればかりか、処理に当たっている人間さえもが、疑問にさえ感じていないなどと言う事は。

あり得ない。

しかも、此処だけではないという。

同市内。

中華系マフィアの事務所が、わずか二分で全滅した。中には武装したマフィア構成員二十七人と。関係者十六人がいたが。

その全てが、一瞬にして殺された。

しかも皆殺しにされる間。

殺人を何とも思っていない残虐なマフィアの構成員達は、抵抗する様子も無く。ただ殺されるに任されていたらしい。

監視カメラの映像に関しても。

わたしは、一瞬ぼんやりと見てしまった。

コレが何だというのだと、思ってしまったのである。

それぞれの首が吹っ飛び。

体がねじ千切られ。

そして、バラバラに引き裂かれる。

それらを見ている子供。

どうしてだろう。

とんでも無い事が起きていることは分かるのに。子供のことは、どうしても直視できなかった。

更に、である。

隣の市。

其処でも、惨劇が発生していた。

繁華街にあるホストクラブ。

其処に出入りしていた客十五人と、ホスト七人が、同じようにして殺されている。

それだけではない。

皆殺しの直後。

虚ろな目をした市民達がホストクラブに入ってくると。

車から抜き出したらしいガソリンをホストクラブに撒き。

死体を、シャベルを使って念入りに叩き潰して、肉塊にし。

そして、子供が持ってきた大きな袋に。

ホストクラブの売り上げを、全て詰め込んで。運ぶのを手伝っていた。

全てが終わった後、着火。

爆発したホストクラブは。

文字通り灰燼と帰した。

おかしなことに、一切敷地外に延焼はせず。

ホストクラブだけが、それこそ死体の欠片も残さず、灰と化したのである。

中華系マフィアの事務所に関しても。

あろうことか、同じマフィアの関係者が、虚ろな目をして死体を処理していく様子が映っていた。

これだけのことがあったのだ。

絶対に報復行動に出るはずなのに。

そもそもどいつも此奴もが。

自分たちがしていることを、認識さえしていない様子なのである。

本当に一体。

何が起きているのだ。

能力によるものだとすれば。

これは一体何だ。

寄生虫か何かか。

寄生虫の一種には、宿主の頭を操作して、自分に有利な行動をさせるものが存在している。

有名なのはカマキリなどに寄生するハリガネムシ。

これは宿主を水場に連れて行って。

其処で腹を突き破って、宿主の体とおさらばする。

勿論宿主は死ぬ。

脳を操作されているので。その間、宿主は自分がしていることを、何の疑問も持たない事だろう。

蝸牛に寄生するものにいたっては。

目を非常にカラフルかつ目立つ見かけにし。

なおかつ、蝸牛が鳥に見つかりやすい場所に出るように誘導する。

蝸牛が鳥の餌になる事で。

寄生虫は、宿主を移動することが出来るのだ。

繁殖の一環である。

何度も、意識を持って行かれそうになった。ティランノサウルスの能力者であり。圧倒的な身体能力を持つ陽菜乃でこれだ。

生半可な能力者では。

どうにもならず、その場で何が起きていても、不思議にさえ思わないだろう。

エンドセラスが、しばしして口を開いた。

「で、此奴は何処の勢力の能力者だ。 ユリアーキオータ、貴様か」

「あいにくだが儂じゃない」

「ティランノサウルスということもなさそうだな。 それで、此奴が政府を乗っ取ったというわけか」

「そうなります」

田奈が、映像を切り替える。

国会議事堂に、真正面から入っていく、先ほどの子供。

後ろ姿だったら、どうにか見える。

髪が長い子供だけれど。

その髪は、手入れされているとは言い難く。

随分と小柄だった。

7歳か8歳くらいだろうか。

だが、10歳だという。

聞いて驚かされる。

この年頃の子供は発育が早い。日本で此処まで小柄な子供は、今時滅多に見かけることが無い。

発展途上国などで、栄養状態が悪いと、子供は発育が悪くなるケースがある。

日本も昔はそうだった。

平均身長が、大人でも百四十センチ代だった時期もあるのだ。栄養状態というのは、それだけ子供に影響を与えるのである。

つまりこの子は。

恐らくは、実の両親にネグレクトされていたか。或いは育ての親に虐待されていたか。どちらかだろう。

そう、即座に陽菜乃は判断した。

田奈が、苦労して割り出したプロフィールを説明する。

「都内の小学校の生徒、田原坂麒麟です」

「麒麟?」

「いえ、ジラフと読むとか」

「いわゆるDQNネームか」

エンドセラスが呆れたように言う。

自分の子供をアクセサリ代わりにしか考えられない親が実在するのは事実だ。しかもそれを育児雑誌が煽った結果。

一時期、読むことも出来ないような、異常な名前の子供が大量発生した事がある。

最近はかなり落ち着いてきているけれど。

このおかげで、改名ブームが起きて。

一時期は、それがかなりの巨大ビジネスになったほどだ。

この子の年齢が10歳だとすると。

丁度DQNネームがブームになっていた時期を外れる。つまり、それだけ親が桁外れの阿呆だったということだ。

ちなみにDQNというのは、いわゆるスラングで、人間の屑の事をさす。

人間のクズが、無計画に作った子供をアクセサリ代わりに考えて。このような名前をつけることから、DQNネームというスラングが出来た。

そして一番の被害者は子供だ。

幼い頃から髪を染められたり。

ネグレクトや家庭内暴力の餌食になったり。

成長した頃には、親と縁を切って。

名前を変えるケースが多発した。

実際問題、学校の授業参観で。自分の名前が異常であることを涙ながらに訴えた子供や。子供に異常な名前をつける親を非難する子供は、数が多かったという実例もある。

平和になりすぎた国の。

大きな歪みが、発露した形だとも言えるだろう。

田奈の説明が続く。

調べた経歴によると、この麒麟ちゃんは。

両親によるネグレクトを受け。祖母が殺すと面倒だからと言う理由でかろうじて食事を与えていたおかげで生き延びられたが。

敏感に家庭環境の悪さを感じ取った学校で壮絶なイジメにあっていた。

最悪だったのは。街を牛耳っている市議の息子がクラスにいたことで。

文字通り殺人以外は何でももみ消せる権力者の息子、それも何をしても小学生だから許されると勘違いしているそいつによって。あらゆるこの世の暴虐が、麒麟ちゃんに加えられたという。

だが。

麒麟ちゃんには、どうしてか、不思議な力が、突然宿った。

それ自体は陽菜乃達と同じだ。

覚醒の時期には個人差があるからである。

そして麒麟ちゃんは。

両親を殺害。両親の周囲にいたクズも殺害。そしてクラスのカス共も皆殺しにし。教師も殺した。

他のクラスの生徒にも被害が出ている。

いずれも、イジメに荷担していた生徒だ。

一連の連続殺人での被害者は、百三十六人に達しているが。

何事も無かったかのように、ニュースにさえならず。

そればかりか。一仕事終えた麒麟ちゃんは。

国会議事堂に正面から乗り込み。

審議中の国会に入り込むと。

その場にいる議員を全員掌握。

更に、議員を操作。

主要な官僚を悉く呼び出したあげく。

全てを支配下に収めたという。

人形のように操るのでは無い。

「私が調べたところに寄ると、どうやら物理的干渉さえ可能にする、命令能力のようですね。 しかも、言葉を発する必要や、目を見る事さえ必要ない様子です。 念じるだけでいい。 更に、本人の姿を見るだけで、敵意や害意を根こそぎ奪い取られ、普通の人間の場合は、一瞬にして全てをありのまま受け入れ、したがってしまう様子です。 弱めの能力者も、同じ目に会う様子です」

「既に実例があると?」

「政府の関係者から情報が行ったのか、分かりませんが。 既に二十人近くが、彼女の手に落ちています」

「何てこった」

会議に参加している一人が呻く。

恐らくコレは、史上最悪の事態になる。

「可能な限りの能力者に声を掛けてください。 恐らく彼女は、覚醒したてとはいえ、史上最強クラスの能力者です。 それも、我々よりも次元が一つか二つ違う相手と考えた方が良いでしょう」

田奈の声は淡々としていて。

もはや彼女も。

精神は人間では無い事を、よく示していた。

会議終了。

すぐに連絡を開始。

そして思い知らされる。

敵の動きが、想像以上に早いという事を。

テレビ会議の時点で二十人という話だったが。能力者が多いこの日本でも、すでに六十人近くが音信不通になっている。その中には、そこそこに強い能力者も、少なからず混じっていたのである。

何よりだ。

10歳児が、いきなり国会に乗り込んで、国を掌握しようなどと考えるはずがない。

何かしらの高次の意識にでも乗っ取られているか。

それとも、異常な知能覚醒を果たしているか。

どちらかだ。

何にしても、相手を子供と侮る事は死を意味するだろう。

どうにか連絡を取れたメンバーを、エンドセラスとユリアーキオータと共有する。既に戦いは始まり。

それも、始まった今でさえ。

圧倒的に不利な状態になりはじめていた。

 

1、支配者動く

 

誰一人疑問を抱かない。

総理大臣さえ、最上座に座っている子供に。

田原坂麒麟。

私の名前だ。

ジラフとかいう呼び名を、親がつけた。それがDQNネームだと言う事を、麒麟も知っている。

親はそれに反発して、キラキラネームなどと言っていたが。

愚かすぎる親は。

それが却って滑稽で愚かである事を、理解さえ出来ていなかった。

だから私はきりんと名乗る。

それでさえDQNネームとしかいいようがないが。

麒麟は瑞兆を司る霊獣だ。

親はアフリカにいる首が長い奴を想像していたようだけれど。まああれはどちらも人間のカスだったので、仕方が無い。

能力が異常向上したことで。

国会は全て掌握したどころか。

今、残像が残るほどの速度で、書類処理をしている。

総理大臣が、処理をした書類を受け取り、官僚達に渡し。

百倍近く効率が上がっている国政が。

私の手で進められていた。

あらゆる問題が、解決していく。

それはそうだ。

何の役にも立っていない無能野党も。

野党が無能すぎるから人気を得ているだけの与党も。

全部掌握。

実際に国を動かしている官僚さえも全て掌握しているのだ。

そして今の私の能力は。

ジラフなどでは無く、霊獣としての麒麟そのもの。人智を越えた次元を、更に二つ三つ超越している。

唯一違うのは。

麒麟は決して他者を殺さないという伝承があるのに対し。

私は邪魔者は皆殺しにする、ということだろうか。

今の時点では。

両親と、イジメに荷担していたカス共を皆殺しにして。生活のための基盤を整えたくらいだ。

国会に乗り込む際も。

私を見るだけで、全ての人間が道を譲った。

総理も同じ。

私を見るだけで。

何もかもの認識が書き換わるのだ。

「国会終了。 次の国会まで、自宅で待機せよ」

「リョウカイシマシタ」

これでも東大を出ているだろうに。

まるでマリオネットのような動きで、国会議員達が、議事堂を出て行く。警備の連中も、それをガラス玉のような目で見守っていた。

声がする。

「首尾は上々だ」

「この国の問題は大体片付けた。 他の国も、順次制圧して行くのか」

「いや、その前に形態を変えておこう」

「形態を変える?」

流石に一瞬では理解できなかったけれど。

そうか、そういうことか。

私の能力を、私自身に向ければ良いだけの事だ。

そうすれば、己の姿を変えるくらい、何の苦労もない。

指を鳴らすと、警備員が来る。

国会議事堂の貴賓室に、ありったけの栄養を持ってくるように指示。

野菜から肉まで、何もかも。

料理は不要。

栄養はそのまま摂取してしまえば良い。今なら、大型動物の骨もかみ砕けるほどに顎が強くなっている。

寄生虫なんか。

口に入れた瞬間、消化してしまう。

即座に、トラックで食糧が運ばれて来た。

体を変化させるには。

相応の食糧が必要だ。

届き次第、すぐに食べ始める。

同年代の女子と比べても小さな体だけれど。食べ始め、大量に食糧を口に入れたことで。すぐに変化が始まった。

既に同年代の平均身長を六センチ上回るほどに成長している。

それを、更に加速させる。

勿論太ってなどいない。

食べたものは、脂肪になど変えず。すぐに全て体そのものにしているからだ。

消化吸収の速度も異常だ。

今の私の胃の中は、王水か何かにでも満たされているのか。

それとも超強力な酵素にでも。

いずれにしても、腹に入れれば、すぐに消化される。それは、病原菌や、ウイルスでさえ例外では無い。

その内、食糧さえ必要なくなる。

それを私は、実感していた。

国会議事堂では、極限まで効率化が進んだためか。

非常に規則正しく人間が行き交っている。

全員目がガラス玉のようだが。

それはどうでもいい。

私が洗脳して動かした方が。

むしろ人間は、その能力をより高い次元で発揮する事が出来る。例えば、今国会をうろついている警備員は。

それぞれが握力二百キロ近くまで上昇し。垂直跳びで、三メートルは軽く飛ぶ事が出来るようになっている。

私がそうしたのだ。

料理を食べ終えた。

流石に腹が膨れた。

また声がする。

「変態するべきだな」

「栄養素を使って、体を少しずつ変えるのでは無いのか」

「そうだ。 昆虫類がそうするように、一度体を完全再構成して、一気に作り替える方が早い」

「なるほど、理にかなっている」

問題は、再構成のタイミングで攻撃を仕掛けられることだが。

それについても、問題ない。

既に在日米軍は全て掌握済み。

基地の一つにすぐに出向くと。

大量の核兵器が格納されている倉庫に出向く。

一応表向き、在日米軍は日本に核兵器を持ち込んでいないという話になっているのだけれど。

そんなものは嘘だと、小学生でも知っている。

もし何かがあれば、ロシアにも中国にもアメリカ本土にもICBMが叩き込まれるように設定。

その後で少し考え直して、核を使われた場合以外は、私が対処する事にした。実際問題、バンカーバスター程度なら痛くもかゆくも無い。

更に言うと。

既に私は。世界中のネットワークに、監視BOTを潜り込ませていた。既存のハッカーが使っているようなBOTよりも、三世代ほど進んでいる強力なものだ。その気になれば、即座にトロイにも変わる。

基地に到着。

入り口の検問で。

私を見た米兵が、敬礼して通してくれる。

倉庫に入ると、丁度良い広さが確保されていた。

これは良い感じだ。問題が一つ生じているが。

麾下に押さえ込めと指示されていた三勢力。

ティランノサウルス。エンドセラス。そして古細菌が。

そろって反攻作戦の準備を開始しているのだ。

まあどうでもいい。

全部まとめて、支配下に収めるだけだ。

今の私にとって、既存の能力者は、全て次元が下の存在に過ぎない。例えば、どんなに強力な漫画のヒーローが設定されていても。

漫画を破くことは子供にだって出来る。

燃やしてしまうことだってそうだ。

それと同じ事。

文字通り、勝負がまともなやり方では成立しないのである。

広い倉庫に入ると。

基地内の人間、およそ六千人を全て倉庫周辺の警備に廻す。その中には、事務や、そればかりか総司令官も含まれていた。

倉庫内の物資も、全て運び出させる。

総司令官も、その作業に加わっていた。

誰も疑問にさえ思わない。

大統領命令でさえ、嫌な顔をするだろうに。

それが、今の私の力だ。

ちなみに能力は洗脳では無いのだけれど。

まあそれは把握しているのでどうでもいい。反攻作戦を考えている連中には、精々誤認させておけば良いのだ。

完全武装した兵士達が倉庫を固めると。

がらんとした、一辺七百メートルほどの倉庫の中で。

私は服を脱ぎ捨てた。

そして、糸を周囲に張り巡らせ始める。

口から吐くのでは無い。

発生させるのだ。

やがて、倉庫そのものが、膨大で強力な糸によって、ガチガチに固められていく。その糸は金色で。

しかも、下品すぎない良い色だった。

全身を包む繭が出来ると。

今度は脳を残して、一瞬で全身が溶解する。

その脳も。

膨大な栄養の中で。

見る間に変化していった。

いい加減な人間の脳から。

神を受け入れうる事が可能な。

つまるところ、更に多くの意識の渦を受け入れる事が可能な。人間よりも、高次の物理的存在へ、だ。

 

夢を見る。

この世界には、古い古い時代から生き残り、繁栄してきた種族がいる。勿論人間などでは無い。

鮫もその一つ。

海中の動物で言えば。

頭足類もそうだ。

頭足類は、どうして今まで地上に進出しなかったのかが不思議なほどの多様性と可能性を持つ種族で。

様々な亜種も含めて。

現在も、海中で最も繁栄している種族の一つである。エンドセラスのように滅びてしまった種族もいるが。

それは鮫も同じ。

強大に進化した種族は。

それはそれでまた脆いものなのだ。

陸上では、なんといっても昆虫だろう。

全ての生物の七割を占めるとさえ言われる昆虫。

その圧倒的な繁栄は、他の追随を許さない。昆虫の場合は、小さくて世代のサイクルが短く、進化が早いというのを武器にしている。

環境の変化にも素早く対応出来るだけではなく。

様々な状況で、多くの新しい試験的個体を生み出せるのだ。

彼らは、期待している。

始めてこの星を出て。星の海に進出できる可能性を持った種族、人間に。例え、歴史があまりにも浅い生物だとしても。

それだけの可能性を持つ存在として。

だが、

彼らは一度。

己に驕り、世界を滅ぼした。

故に今は。

新しい世界で、厳重な監視下にある。

そして監視している限り。

滅びる前と今で、人間はそれほど劇的に変わっていないのである。

何故に。

それは、人間をあまりにも変えると。滅亡前のノウハウを生かすことが出来ないから。

それならば。

ノウハウを生かして、これから徹底的にやるべきだ。

それについては、理解できた。

既に先行して、人類の中に生まれ出でている能力者達。それぞれ、時代の覇者となったり、代表的な生物となった種族達の力を持つ者。

だけれども。

私は、その種族の。

更にその上の段階の存在。

鮫という存在そのもの。

その干渉力と影響力は。

鮫の一品種である能力者では、及びもつかないものだ。

圧倒的過ぎるその実力に対して、更に追い風もある。

状況に応じて。

追加で繁栄している種族の力が、私に送り込まれてくる、というのだ。

脳が如何に適切だとしても。

それでは耐えきれない。

だから繭になって、そこから耐えきれる肉体に変化する。脳さえも、強靱に、強大に、強く強く。

そうして誕生する私は。

文字通りの。

人類から登場した。

歴史上初めての。本物の神。

古代王朝が称していた神や、神の代理人などとは違う。勿論、人間とは種族からして根本的に違う。

というよりも、種族という概念からさえ外れている。

楽しみだ。

審判の日を引き起こすのが。

まずは、三勢力の長達を、実力で屈服させるところから始めよう。それが終わり次第。この世界を、完全に支配する。

暴力など使う必要はない。

私の能力を持ってすれば。

無血で、完全なる制圧が可能なのだから。

 

繭の中で急速に構築されていく肉体。

同年代の小学生よりも、一回り以上も小さかった体は、親のネグレクトが主要な原因で、食事もロクに取れなかったからだ。

奴らの脳を喰って、知識を得た今だったら分かる。

あの二人は。

子供を面白半分に作った後は。

もてあましていた。

どうして避妊しなかったんだよ。

母が叫ぶ。

その時薬やってて、どっちも何が何だか分かってなかったじゃねえか。

父も叫ぶ。

どうして堕ろさなかった。

そんな金も無かっただろうが。

ヒステリーを起こし合っている二人。私はそもそも、生まれる事さえ、望まれていなかったのである。

毎日のように続く喧嘩。

勢いとノリで結婚したのは良いけれど。

元々エゴの塊のような二人だ。父親にしても、暴力で他人を痛めつけて、いわゆる半グレと呼ばれる連中とつるみ、弱者を痛めつける事を生活の種にしているようなクズ。母親にしても、金のためならそれこそ誰とでも寝るような股の緩い女で。中学の時から、それは有名だった。

ある意味お似合いの夫婦だったのだろう。

そしてそれがくっついたとき。

望まれない子供が出来。

そして望まれない子供は。

当然のように虐待され。

そして虐待されている子供を見て。

周囲は哀れみなど覚えなかった。

弱い奴はたたきのめしていい。

というか、自分も一緒にたたきのめしたい。

楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。

イジメを行った連中の脳を喰らったから、知っている。奴らはイジメを行っているとき。人生で最高の快楽を覚えていた。

人間は地位確認を兼ねてイジメを行うが。

楽しいからそれを肯定したがる。

弱いから虐められる。

虐められる方により大きな責任がある。

楽しいからイジメを行う。

それら、自己肯定にもなっていない言葉が、彼らの全てを表していた。

報復して皆殺しにした今。脳を喰って連中の考えている事を全て理解した今だからこそ、分かる。

支配に容赦はいらない。

少しずつ、意識が覚醒してきた。

体が出来てきたのだ。

後半日もあれば、完全体として覚醒することが出来るだろう。

完全体と言っても、それ以上進化しないという訳では無い。受け入れる準備ができた、という事である。

更にこれから。

世界を支配してきた、種族そのものが、私に力を送り込んでくる。

流石に今すぐではなく、力が馴染んでから。恐らく一月以上後になるが。続いて力を送り込んでくるのは、頭足類。

魚類と同じく。

ずっと海の覇者であった種族。

多数の滅びてしまった種族と。繁栄してきた種族を産みだし。現在でも、海の生態系の中で、大きな力を得ている。

いっそのこと、頭足類は別の存在に力を与えても良いかと思ったのだが。

それは止めようという結論に到った。

私ほど、適切な状態になっている脳の持ち主はそういないし。

何よりも、現在経験値といい戦闘力といい、完成形に近い三人が世界に存在しているのだ。

これらを支配するには。

絶対的超絶的な実力が必要だ。

そして、最終的には。

節足動物の意識を入れる。

これぞ、この世界の、完全なる支配者。

地上に出現してから、昆虫も含む節足動物は、この星の主要な生物として、ずっと君臨し続けてきた。

生態系での上下は関係無い。

圧倒的なその繁栄が。

節足動物という種族の、絶対的な強靱さを物語っている。

節足動物の意識が入りきったときには。

もはやこの宇宙の摂理さえ変化させる事が可能な力が、手に入ることだろう。

楽しみだ。

手が動く。

どうやら、間もなく繭を出られるらしい。

まず繭を出たら。

能力を使って、完全掌握した日本を足がかりに。

全世界の政府を。

確実に支配下に収めていくことにする。

政府を全て掌握した後は。私の能力を用いて、その全てを管理態勢におくことにする。その結果人類は。

ようやく世界を滅ぼす寄生虫から。

統制された生物へと、変化するのだ。

気付く。

近づきつつある気配。

どうやら、例の三人であるらしい。

面白い。

顔見せもしておきたい所だ。

一度の接触で、支配下に屈するとは思わない。

この混迷した世界で、しのぎを削ってきた連中だ。調査したところ、戦闘力は圧倒的で。私が負ける可能性のある、唯一の存在だそうだ。

ただし、確率は天文学的な小ささだが。

足も動く。

体も、もう固まった。

さあ、出るとするか。

この世界は、昔と違う。

三日ももう生きられなかった世界では無い。私がどれだけ好き勝手に振る舞っても。何をしても構わない。

むしろ、私が全てのルールを決める。

そういう世界へと、変わったのだから。

 

2、神

 

日本政府は、異常なほど静かだった。

接触してみて驚いたのは。今までとはまるで違う状況になっている、という事である。

まず無能な人間がいない。

全員が己の職務を完璧に果たし。だらけることも怠ける事もなく。

歯車どころか、複雑な精密機械の如き連携で、完璧な動きを見せ続けている、という事だ。

愕然とした。

この国の政府は、世界的にはマシな方だが。

政治家の腐敗はひどいし。

官僚だって、全員がまともとは言い難い。

あまりにも仕事が効率化しているので。

殆どブラック企業同然だった省庁さえ、官僚がみんな定時で帰っているほどである。警察などのどうしても二十四時間態勢で動かなければならないところでさえ。連携と連絡を緊密にして。シフト以上の負担は掛けず。そのシフトも、恐ろしいほどに考え抜かれたスケジュールで廻されていた。

資料がどんどん来る。

田奈が調査して、わたしに廻してきているのだけれど。

見れば見るほど驚かされる。

コレを一人がやっているのだとすると。

本当に人間業だとはとても思えない。

例えば、わたしもそうだし、田奈もそう。エンドセラスに到っては言うまでも無い事だし。

何より古細菌達に到っては、それと同格レベル。

だけれども。

それらをもってしても、此処まで完璧に、巨大な政府という組織を動かすことなど出来ないだろう。

官僚も政治家も、みんな目が死んだ魚みたいになっているが。

かといって体力の限界までこき使われているのでは無く。

普通に休憩もして。

家にも戻って休んでいる。

あの死んだ魚のような目は。

恐らく政府を乗っ取った奴による、洗脳か、それに類する能力の影響。

だが、見ていて小首をかしげてしまう。

これだったら、むしろ。

支配させておいた方が良いのではないのか。

実際公共サービスは、驚くほどの改善を一日で見せていて。あっという間に様々な問題が解決した。

犯罪率はわずか一日で半減。

今まで警察と癒着して摘発を免れていたような後ろ暗い組織や集団も、瞬く間に摘発の手が入っている。

此方とは違う、いわゆるヤクザなどの裏側社会もパニックになっている様子だ。実際、あの手の連中は法の隙間でしか生きられない寄生虫だ。法が機能するようになれば、一網打尽にされるだけ。

弱い者いじめしか能が無い。

それがヤクザというゴミクズである。

犯罪組織にしてもそれは同じ。

一瞬にして摘発されていく犯罪組織群。過激派の集団についても、それはまったく同じ状況だ。

それだけではない。

いわゆる内政も、劇的な改善を見せている。

何処の市役所からも。

いわゆるお役所仕事がなくなり。

迅速かつ的確な作業が行われていると、報告も来ている。

これは、人間を知り尽くした存在が。

完璧に人間を使いこなしている。

そう見るべきなのだろう。

困った。これだと、戦う理由が無い。

少なくとも、妥当すべき悪であると、断言はできない。実際国がこれほど効率的に周りはじめた例は。

わたしが知っている中では。

存在していないのだ。

不意に、気付く。

これは従うのも有りかも知れないと、一瞬思ってしまっていた。頭を振って、思考を引き戻す。

まずい。

恐らくは、既に洗脳か何かの能力が効果を及ぼし始めている。

わたしにさえだ。

他の能力者に到っては、更に強烈に効果を浴びていることだろう。このままでは、何もできないまま、相手の世界征服を許すことになる。

そもそも、相手は一体何者なのか。

何の生物が宿った。

それもしっかり確認しておきたい。

だが、動きさえ掴めない。

国会議事堂を制圧して。日本政府を乗っ取る様子は監視カメラにばっちり映し出されていたのだけれど。

それ以降、何をしているのかが分からない。

ガバガバだったセキュリティが、一夜にして鉄壁の要塞と化しているため、ハッカーも入りようがない。

昨日のうちに、田奈が世界的なハッカーに声を掛けて、日本政府に侵入させようとしたのだけれど。

その全員が跳ね返され。

しかも一瞬にして個人情報まで特定されたあげく。

現地の警察に踏み込まれ、逮捕されるという事態に陥っている。

ハッカー達もパニックに陥っているらしい。

日本政府のセキュリティなんて、世界的に見れば甘いも甘い、大甘という認識だったのに。

米国政府以上の鉄壁の要塞と化したのである。

一体どんな化け物が手を貸したのか。

さっそくSNSなどでは、噂になっているようだった。

だがそれも、表には出てこない。

動きたいところだけれど。

自分自身では軽々しく行動には出られない。

色々と、面倒な立場になったのだ。

それにエンドセラスや古細菌サイドとも、動くときには調整をしなければならないわけで。

この辺りは、三頭政治の弊害だ。

エンドセラスから連絡が来る。

「米国政府には事態を伝えた。 非常に切迫した状況だと言う事は理解した様子だ」

「流石。 それで大統領は」

「迂闊に仕掛けられる相手では無いからな。 しばらくは情報収集に努めるつもりだそうだ」

「それが無難か……」

ロシアや中国、EUでも似たような対応が行われ始めているという。

だが。

古細菌サイドから、おかしな情報が入ってくる。

「潜入していたうちの若いのが、妙な動きを察知したよ」

「妙、とは」

「ああ、エンドセラスも聞いてるのか。 丁度良いから話しておくかな。 在日米軍の基地の一つに、例のキリンちゃんが入ったって話。 それも倉庫から物資を全部出して、空っぽの倉庫に立てこもったとか」

「トマホークでもぶち込みたいところだが……」

過激なことをエンドセラスが言うが。

実はわたしも同意見だ。

弾道ミサイルを叩き込む事によって、様子を見てみたい。

人間を洗脳する能力だけなのか。

それとも、能力の一端だけを使っているのであって。実際には、もっととんでもない存在なのか。

攻撃をする事が出来れば、見極められるはずだ。

「私から米軍に話を通す」

「……」

エンドセラスが、通話を切る。

上手く行くと良いのだけれど。

まあ、米軍基地への攻撃だ。

米軍以外が動いたら、それこそ世界大戦の引き金になってしまう。洗脳された米軍には。米軍自身が対処をするべきだろう。

すぐに近隣の海域から、B2が飛び立った様子だ。

搭載している大型爆弾を、ピンポイントで投下するまで、十五分ほど。わたし自身は、その間に話にあった基地から、六キロの位置まで、徒歩で移動。

徒歩と言っても、時速280キロほどで、ビルの合間を飛び回って、の話であって。普通の人間の徒歩とは概念が違うが。

「さて、どうかな」

手をかざして、見る。

米軍基地は、非常に穏やかだ。

静かすぎるくらいである。

防衛機構が働いているようにも見えない。それどころか、むしろ精力的に、平和的に動いているようにさえ見える。

口を引き結ぶ。

これも洗脳の結果か。

だとすると、洒落にならない。

相手の能力は、どれほどか。

そして、相手の能力を見極めようと、目をこらす。

そうすると、流石に分かり始めてきた。

田奈が危険視するはずだ。

何というか。

近づいたら、死ぬ。

そうとさえ思えるほどの、圧倒的な力を感じる。それこそ、田奈が言うとおり、次元違いの相手だ。

監視カメラの映像から見ても。小学生のはずのキリンちゃんは、とてもそうだとは思えない立ち振る舞いをしていた。

それに、少し前に情報が上がって来たが。

キリンちゃんは、殺戮した周辺の人間の脳を喰らった形跡があると言う。

もう体の方も、人間では無くなっているのか。

それとも、能力者特有の代償行為なのか。

それは分からない。

だが、はっきりしているのは。

彼女がどれだけ人を殺しても、周囲がそれをおかしなことだとは、認識すらすることが出来ないという事実。

上空。

B2が来た。

米軍同士だ。

対空迎撃システムは稼働していないようだが。

B2の方は。

問題の倉庫に、躊躇無く大型爆弾を投下した。

一撃で地盤を貫通し。

地下に作られている危地を、一瞬にして粉砕する超強力な爆弾だ。相手が怪獣でも、致命的なダメージを与えられるだろう。

そういう爆弾なのだが。

わたしは、愕然とする。

倉庫の至近。

爆弾が、空中で止まったのである。

そして、爆発さえせずに。

解体され。

そして、圧縮されて。

ゴミを投げ捨てるようにして、その辺に転がった。

泡を食ったのだろう。

B2もUターンして引き返していく。

続けて、トマホークが飛来。今度は米軍基地も、異常事態を悟ったらしく。(というのも妙な話ではあるが)対空迎撃システムが動き始める。

だが、トマホークのが早い。

瞬時に倉庫に達するが。

これも横殴りに倉庫に突き刺さる寸前。

動きがぴたりととまり。

そればかりか。

地面に、柔らかくおくようにして、落ちた。ロケットの噴射も、止まっている。更に、トマホークは、職人が手作業で解体したかのように。とても丁寧にバラされて。その場に散らばった。

何だアレは。

田奈には、今の映像を、録画して送っている。

エンドセラスや古細菌サイドにもだ。

すぐに解析させる必要があるだろう。

いずれにしてもはっきりしたことがある。

これはテレパシーなんて脆弱な能力じゃ無い。

もっととんでもない能力だ。

幾つか仮説は立てる。

物質を自在に操作する能力か。

それを使って、洗脳を可能にした。

だが、それだとすると、あまりにも可用性が高すぎる。地球上の全人類を、一瞬で洗脳しかねない勢いだ。

事象をねじ曲げる能力か。

その可能性も低くは無いけれど。

だったら、B2からの爆撃なんて、そのまま無かった事にでもしてしまえばいいのである。

最大クラスのサイコキネシスの可能性は。

いずれも可能性がある。

そして、今のわたしには。

特定は不可能だった。

一旦距離を取る。

多分六キロ程度では、攻撃射程に入る可能性がある。

B2の大型爆弾や、トマホーク巡航ミサイルをものともしないあの能力だ。下手をすると、わたしを片手間に捻るかも知れない。

いずれにしても。

今は、撤退しなければならなかった。

 

すぐに画像の解析班に連絡を入れる。

田奈自身も、何名かの能力者を集めて。分析を開始しているようだった。

他の能力者が、手を貸している可能性は。

それは無いと、わたしが断言。

倉庫には気配は一つしか無かったし。

何より、使用された能力については、一つだけだったと断言できる。

解析には時間が掛かると田奈が言う。

わたしは、流石に冷や汗が止まらなかった。

「あれはまずい」

「確かに、周囲の人間を一瞬にして洗脳する能力に加えて、近代兵器をオモチャのように解体する能力。 好ましくはありませんね」

「何か手立てはありそう?」

「思考中です」

通話が切られる。

機嫌が悪いと言うより。

田奈も、全力で思考回路を動かしているのだろう。

もどかしい時間が続く。

本当に、これほどもどかしい時間は久方ぶりだ。エンドセラスと、古細菌たちと、決戦をしたときくらいだろうか。

不意に、通信が入る。

田奈からだ。

「米軍基地を監視していた能力者から通信途絶」

「やられた?」

「いや、恐らくは。 相手に取り込まれたものかと」

「……」

舌打ちしたくなる。

いずれにしても、厄介にもほどがある。

そして、である。

衛星画像で、恐ろしいものがでてきた。

倉庫から、誰かが出てくる。

それはどうみても。小学生ではなかった。

それが何者かは分からないが。

いずれにしても、現在的な、少なくとも実用的では無い服を身に纏った、成人女性に見えた。

背丈は高く、多分平均的な男性より高いだろう。

衛星画像からも分かる美貌の持ち主だが。

その一方で、冷徹なほどに色気は感じない。

というよりも、見ていて分かった。

隙が無いのだ。

色気は、基本的に作る物だ。子供相手なら兎も角、大人がマネキンに色気を感じないのと同じ原理である。

あの存在は。

どうにも、その隙が全く無い。

テレビ会議で、映像は中継されているのだけれど。

エンドセラスが呻く。

「あの栄養状態が最悪だっただろう子供が、たったの数日でこうなったのか」

「寿命を一気に食い尽くされた、と言うことは無さそうじゃな」

ユリアーキオータが腕組みしている。

わたしも、これはそのような生やさしい話ではないように思える。

そして、女の背中には。

翼らしきものがあった。

人間が考える、天使の翼。つまり鳥の翼ではない。

どちらかと言えばあれは、昆虫の翼。

蜻蛉や蝉などの。

透き通った背中が、該当するように思えた。

本当に生えているのかと思ったが、違う。

陽菜乃の視力で分かったが。

あれは背中から少し離れて浮いている。

つまるところ、何かしらの能力で、具現化させている、ということだ。

近代兵器を一瞬で分解。

それも、音速以上で飛んできていた奴を、である。

更に背中に羽を生やし。

日本政府を一晩で掌握。

ついでに在日米軍も全部支配下に置き。

なおかつ、餓死寸前から、一気に彼処まで成長しきる。

本当に一体。

あれは何者だ。

もしも、たとえる言葉があるのなら。

衛星画像で見える。

基地のごつい軍人達が、それこそ降臨した神の子を前にしたかのようにして、傅いている。

米国人の全てがキリスト教徒ではないが。

それでも、傅く様子に例外は無い。

中には、涙を流している者までいるようだった。あまりの存在を前にして、感動で我を忘れているのだろう。

気味が悪い。

エンドセラスが呻く。

現実主義者の彼女には、あまり心地よい光景ではないのだろう。彼女には圧倒的な力で組織をまとめてきたという自負がある。

身から放つカリスマで。

全てを掌握するにしても。

あのようなやり方では無く、実績で見せたいのが、彼女の本音なのだろうから。

「いずれにしても、あれはもう人では無く、神域の存在じゃな」

ユリアーキオータが呻く。

彼女ら古細菌能力者は、数百年生きている者も珍しくない。そしてその実力は、古代生物能力者の中でも図抜けている。

だが、それを持ってしても。

相手は神域だと呟くほどの相手。

わたしは、今。

本物にしても偽物にしても。

神と呼んで差し支えない存在を前にしているのだと、理解できていた。

 

3、動き出すもの

 

米軍基地を出たそれの監視を続ける。能力者達には、細心の注意を払うように、何度も言い聞かせた。

実際、監視に当たっているものが、毒気に当てられたかのように、ふらふらと消えてしまうケースが目立つ。

最初に大量虐殺をした一方。

それ以降は、一切人間を傷つけていないキリンちゃんだが。

それもいつまでになるか。

意外な事に。

キリンちゃんが最初に向かったのは、市役所であった。

視察でもするのかと思ったら。

いきなり手続き窓口に行く。

そして、始めたのは。

改名手続きだ。

一時期、馬鹿親がDQNネームを子供につけることが増えて。その子供が大人になった頃。

改名ブームが起きた。

まあ当然だろう。

いつまでも子供は、親のアクセサリでは無いし。

読めもしない当て字の名前や。

明らかにおかしい名前。

ひどい場合には車やゲームの名前などをつけられて、気分が良いものではない。

馬鹿親はDQNネームと呼ばれるのを嫌ってキラキラネームなる滑稽なる呼び方を新しく作ったそうだが。

それも、その愚かさを更に助長するだけだった。

キリンちゃんも、それを感じていたのだろう。

実際、キリンと書いてジラフと読む何て名前、素面で許容できるものではない。彼女の立場がイジメを誘発したのは事実だろうが。この名前もその理由の一つだったはずだ。もっとも、イジメは行う方が全面的に悪いので、彼女自身に責任は無い。それにイジメを行った連中は、全員が自業自得の末路を遂げているし。まあその辺りは、今は考えなくても良いだろう。

市役所で改名。

麟、とだけ名前を変えた。

呼び方も「りん」である。

なるほど。これはただしい。

そうわたしがいうと。

エンドセラスは、小首をかしげる。

「どういうことだ」

「中華の霊獣である麒麟は、中央の守護神である黄龍と同一視される事がある存在でもあるのですが、雌雄をあわせて麒麟と呼びます。 つまり麒がオスで麟がメスです」

「なるほど、そういうことか」

「親はそれさえ知らなかったんでしょうね。 子供にジラフなんて名前をつける時点で知れていますが」

まあ、いわゆる半グレとつるんで弱い者いじめを趣味にしていたようなクズと。それと遊び感覚でつきあって子供を作ったあげく、ネグレクトしてホスト遊びに全財産を突っ込んでいたような馬鹿だ。

そんな逸話なんか、知らなくて当然か。

ひょっとして、知っている動物が麒麟くらいだったのかも知れない。

くすりと笑いが漏れる。

ただ、これで麟ちゃんは、自分の手で。

正式にクズ親と縁を切ったわけだ。

物理的な意味だけではなく。

社会的な意味でも、である。

意外に律儀な子供だなと、わたしは思った。まあこの場合、殺された親が桁外れにアホだっただけともいえるが。

市役所を離れた麟ちゃん。いや、見かけは既に成人女性だ。それも、相当な美貌の持ち主である。

ちゃんづけは止めた方が良いだろう。

麟は、今度は国会議事堂に向かう。

エンドセラスが携帯に出る。

どうやら、米国政府から、らしかった。

しばし話していたが。

米国政府は、相当に慌てているらしい。

日本側からのホットラインは既に切っているが。

それでも、おかしな動きをする官僚が出始めているそうなのだ。

何かしらの方法で、麟を見てしまったのか。

それとも、太平洋を通して、力が伝わっているのか。

いずれにしても、並大抵の相手じゃ無い。

「米国政府はなんと」

「どこか、人がいない場所に彼奴をおびき出して欲しいと」

「飽和攻撃で仕留めるつもりですか」

「その通りだ。 無駄だろうにな」

下手をすると、国会議事堂にいる間に始めかねない。

現在、急を聞いて米軍の空母打撃群が三つ、日本の近海に展開している。もしその気になれば、凄まじい数の戦闘機が、一機に麟を襲うことだろう。

そして、返り討ちにされる。

ミサイルにしてもそうだ。

ミサイルを放っている空母の護衛艦隊が、逆にやられかねない。

米軍も焦っているのだろう。

総司令官が、第七艦隊に移動したという話もある。勿論、第七艦隊は、いま展開している空母打撃群の一つだ。

「わたしから連絡を入れておきましょうか」

「いや、無駄だからやめておけと言っておいた」

「……」

「かといって、アレに仕掛けて勝てる気がしないのも事実だ。 我等三人が同時に仕掛けても、軽く捻られる未来しか見えん」

エンドセラスの能力と。

わたしの力。

そして、古細菌サイドの、反則に近い能力の数々。

全部あわせてぶつけても。

今の麟には通じる気がしない。

何か、打開策は無いか。

国会議事堂に、麟が入る。

与党も野党も警備員も自衛隊員も関係無く。

彼らは、平伏して。

麟が理想的なフォームで歩いて行くのを、崇拝するようにして送っていた。

 

状況開始から一晩。

麟は国会議事堂から動かない。

中で政務を片付けているようなのだけれど。その動きが尋常では無い様子で、次々と膨大な資料が決済され。

それも、まったくミスが生じていない様子だ。

人間はどれだけ優秀でも絶対ミスをする。

かのアインシュタインでさえ、若い頃に相対論を思いついたとき、単純な計算ミスをして、相対論は間違っているのでは無いかとずっと悩み続けていた、ということがあるらしい。

普通の人間に到っては、数%の誤字を出すのが普通。

にもかかわらず、麟は。

むしろ凄まじい速度で事務を処理し続けながら。

他人の誤字脱字ミスまで指摘しつつ。

作業を超高速で進めているようだった。

時々、たくさんの筆記用具が運び込まれて行っている。替えのキーボードも。

書類は未だに紙ベースだし。

マクロだけでは処理できない案件もあるのだろう。

それにしても凄まじすぎる。

米軍の特殊部隊が、何個か上陸。

いずれもが、実績のある部隊の様子だが。

かれらは国会議事堂に近づけもしなかった。

周囲の警備が、生半可ではないのだ。

平和ボケした国家の自衛隊とはとても思えない。わたしからみても、完璧な布陣と、まるで隙の無い警備である。

世界一戦い慣れている米軍が、仕掛ける隙を見いだせないのだ。

麟がこの布陣をさせたのだとすると。

その実力は、戦略や戦術にさえ及ぶと言う事だろう。

「どうする」

エンドセラスが苛立った様子で言う。

このままだと。

何もできないまま、相手に世界征服を許すことになる。そう、世界征服が、まるで絵空事ではないのである。

もし麟が米国に乗り込んだら。

それこそ、二三日で米国は完全陥落するだろう。

軍を繰り出すだけ無駄。

むしろ、軍は繰り出せば繰り出すほど、敵の手に落ちてしまう。

世界中を回るだけで。

全てがまるでドミノ倒しのように。

平伏していくのは、間違いない。

仕掛けるなら。むしろ、今しか無いのかもしれない。

テレビでニュースを見ると。

今まで、散々偏った思想でいい加減な発言をしていたニュースキャスターが。別人のように、公正な。

だが機械的な口調で。

淡々と事実だけを告げていた。

どのような法案が通ったか。

国会で何が行われたか。

何処でどのような事故が起きて、どう対処されたのか。

それらが分かり易くニュースとして説明されていく。拍手したいほどだ。この国のマスコミはゴミと言われるレベルにまで堕落していたのに。

あっという間にマスコミと呼べるレベルにまで回復した。

しかもわずか二三日の間で、である。

それが健全なことでは無い事は分かっている。洗脳の結果によるものなのだから、当たり前だ。

だが、頭がくらくらする。

これは、本当に。

手を出すべきでは無いのかも知れない。

携帯電話が鳴る。

知りもしない番号だ。

今、もう一度携帯電話を見るが。

これは、田奈を一とするごく少数にしか教えていない電話で。しかも、複雑な行程を経ないと電話をかける事さえ出来ない。

つまり、相手は。

しばし躊躇した後。

電話に出る。

「はじめまして」

「田原坂麟さん?」

「ご名答」

声はとても落ち着いている。

そして、危険すぎる。

声を聞いているだけで、ころっと落ちそうだ。わたしが。ティランノサウルスの能力者であり。古細菌達にまったく引けを取らないレベルにまで実力を磨き上げたわたしが、である。

気をしっかり持て。

声を聞いただけでこれでは。

戦う事なんて、とてもできない。

それにしても、数日前まで餓死寸前だった子供の声だとは、とても思えない。無理矢理大人になったのは分かっているが。

それでも、この落ち着き。

外側だけ大人になっても。

中身が子供だと。

どうしても言葉にでるものなのだが。

「良くこの電話番号が分かったね」

「何人か掌握した能力者の中に、知っている者がいたので」

「……!?」

おかしい。

田奈が落とされたとは思えない。

そうなると、此奴は。

例えば、田奈が行っていた複雑な行程を、横目で見ていただけの記憶を。鮮明に引っ張り出すとか。

そういう桁外れの能力を使ったとしか思えない。

此奴。

一体能力は何だ。

複数の能力を持っているのか。

いや、そうとはとても思えない。

凶悪すぎる能力になると、おそらくオリジンは一つだ。その一つを、巧妙に使い込んでいるとみるべきだろう。

わたしには、正体が分からない。

数限りない能力者とやりあってきたわたしにでさえ、である。

戦闘経験の数だけで言えば。

数百年生きている古細菌達にも劣らないと自負している。数限りない、訳が分からない能力も見てきて。

それでも分からないのだ。

「それで、何の用事?」

「麾下に入りなさい」

「! 直球で来たね」

「無駄話をしている時間はありません。 今も、側にいる総理大臣に携帯を持たせて、事務作業をしている状態です」

そうかそうか。

総理大臣が小間使いか。

まあ、此奴一人がいれば、日本という決して小さくない国が、動いてしまうという事は数日で分かった。

それも、億を超える人間がああだこうだと動かすよりも。

遙かに効率的に、である。

遺憾と言うよりも。

呆れてしまう。

「悪いが断る」

「ふむ。 ならばある程度の実力行使が必要ですね」

「どうするつもり?」

「簡単な事。 会いに行くだけですよ」

戦うとは言わなかった。

つまり、わたしに会うだけで。

屈服させる自信がある、という事だ。

通話を切る。

そして田奈に連絡。

田奈は、いつものように声が完全に冷え切っていたけれど。

その声には、疲弊が混じっていた。

「どうやら其方にも麟からの電話があったようですね」

「会いに来るって」

「おそらく、直接接触したら終わりです。 攻略法を考え出すまで、逃げ回るしか無いでしょう」

「まいったな」

その策謀で、自らのあらゆる全てを犠牲にしつつも、三勢力の争いを終わらせた田奈がそう言うのだ。

アースロプレウラの能力者であり。

最古にて最強のヤスデの能力を持つ者の言葉である。

すぐにエンドセラスからも連絡が来る。

其方にも、麟が連絡をしたという。

相変わらず、どういう能力の持ち主だ。

だが、エンドセラスは。

それについては聞くされたという。

「お前が私に電話をする際の、指の動きを見ていた部下の記憶を利用したそうだ」

「其処まで来ると、もう生物の領域では無いですね」

「本物の化け物だな。 いずれにしても、私は誰にも知られていない場所に一旦身を隠す」

エンドセラスも、田奈と同じ判断か。

わたしも、頷くと。

外に出た。

まずは、一旦反撃の機会を窺うべきだろう。

外に出て、ユリアーキオータに連絡。

あちらも、一度距離を取って、様子を窺うつもりのようだ。

無理もない。

今の時点では、相手はとてもではないが、攻略できる相手では無い。

マジノ線に歩兵一人で挑むようなものだ。

攻め寄せた宇宙人を単独で撃退できる英雄でも無い限り、出来るはずもない。そして、今回その例えで言うと。攻め寄せて来ている宇宙人が銀河系を単独支配しているレベルの相手なのだ。

少なくとも、わたしはその領域に無い。

誰にも知らせていないセーフハウスに移動。

勿論、移動中。

監視カメラは愚か。

他の誰にも、姿は見せなかった。

 

セーフハウスには、保存食も蓄えてある。

しばしそれを口にしながら、状況の整理。ネットでも情報を検索するが、恐ろしいほど静かだ。

米国政府は事態を把握しているはずだけれど。

静かで、何も知らないように振る舞っているし。

日本政府は。

チンパンジーより無能な野党と、それよりはマシな程度の与党が馬鹿騒ぎをしていた数日前とは打って変わり。

生前と秩序を持って国会を動かし。

解決した問題は更に増え。

どんどん様々な出来事が改善されていた。

だが、それをやっているのは。

たった一人だ。

独裁制の問題点は、独裁者がその気になれば、一気に全てが叩き潰されてしまう、という点にある。

今、麟はどういうわけか、史上類を見ない善政を敷いているが。

それも気分次第でどうなることか。

田奈から、連絡が来る。

市役所などで早速実施された改善プログラムを見たが。

これはすごい。

確かにコレを実施すれば、お役所仕事なんか一切なくなる。無駄な待ち時間も消え去り、圧倒的な効率で、市民は大満足だろう。

裁判も凄まじい効率で周りはじめていて。

個人の思想や意思が一切入り込まなくなり。

判決は、前なら一年かかっていたものが、一日で終わっている。それも、誰もが納得する形で、である。

警察は元々、世界有数のレベルで有能だったが。

そこに更にターボが掛かり。

わたしの居場所さえ嗅ぎつけられそうな雰囲気だ。

さて、困った。

田奈からの情報を見れば見るほど。

麟に好きかってやらせている方が、良いように思えてならない。

だが、麟を放置しておけば。

やがて全てが独裁に慣れ。

人類は家畜と化すだろう。

それも、既得権益階級では無い。

パワーエリートでも。欧州のスーパーリッチな資本家共でも無い。

ただ一人の。

人間を超越した、神域にまで到達している化け物の手によって、だ。

一度日本を離れるか。

そうとさえ思わされる。

だけれども、今はまだそうはいかない。必死に田奈と一緒に動いてくれている部下達のためにも。

わたし自身が、司令塔となって。

この状況に対する打開策を、少しでも考えなければならないのだ。

田奈が連絡を入れてくる。

「国会議事堂の近くのビルを、麟が買い取ったようです」

「それで?」

「中に最新鋭の最高品質サーバを大量に搬入しています。 データセンターでも作るつもりでしょう。 規模から言って、恐らく世界最大レベルのものになるでしょうね」

「そんなものを作って何になるのさ」

田奈は、しばし悩んだ後、言う。

同時に。

心身を崩して、仕事を辞めていたIT関係の技術者や。

彼方此方で技術はあるがビジネスコミュニケーション能力が不足していることから、不遇を託っていた者達が。

かき集められているという。

専任のITチームでも作るつもりなのか。

そう思ったのだが。

田奈が、目録を送ってくる。

なるほど。

どうやら、並列して巨大化サーバを作り上げるつもりらしい。複数のサーバを接続して、一台のサーバに見せかける仕組みは、前々からあるが。それにスパコン並みの処理能力を持たせて、何かをするつもりのようだ。

問題は、その何か、だが。

「敵に隙は」

「上陸した米国の特殊部隊さえ、手を出せずにいる状況です。 古細菌の何人かが攻撃のチャンスを窺っていますが、近づくのを躊躇しています」

「最精鋭で総攻撃をかけた場合の勝率は」

「0」

田奈の言葉は躊躇無い。

そして、0である以上。

確かに勝ち目は無い。

これが0.1パーセントとかなら、まだどうにかなるのだが。

あの田奈が0と言い切るのだ。

現状では、攻略できる要素が見当たらないのだろう。

「あり得ない速度でデータセンターが構成されていますね。 スタッフも、能力を極限まで引き出されて、使われているようです」

「まったく、一体何の能力何だか」

「……恐らく、まだ仮説ですが。 サイコキネシスや、テレパシーなどとは違うと……」

田奈の通信が切れる。

何かあったな。

わたしはそれを悟ると。

すぐに、セーフハウスを出る事を決めた。

 

4、光臨

 

すぐに部下達を退避させる。

田奈は悟った。

此処を嗅ぎつけられた。

ずっと一番危ない橋を渡って、監視を続けていたのだ。嗅ぎつけられるのも、時間の問題である事は分かっていたのだ。

さて、少しでも戦って。

相手の能力を見極めなければならない。

これでも田奈は、現時点では世界最高峰の能力者の一人。相手の能力を見極めて、逃げるだけならどうにかなるはずだ。

能力の正体さえ掴めれば。

0の勝率を。

小数点以下であっても。

無から有に切り替えることが出来る。

あれだけのことがあって。

それで三勢力をどうにかまとめて。

私の心は、死に絶えて。

それでやっと六年。

たった六年。

その平穏を打ち砕いてくれた相手は、神にも等しい化け物。そして、私がビルを出ると。

周囲の人間が平伏している中。

その存在は、あまりにも堂々と。此方に歩いてきている。

田原坂麟。

いや、正確には、ジラフだったもの。

麒麟という名前を捨てて。

麟という、女性にふさわしいものに変えた存在。

元は十歳児で。年齢の平均よりも遙かにやせこけていて。数日もすれば、餓死していた悲しい運命に足首を掴まれていた子。

その子が。

今は絶対にあがなえない悪霊の神となって。

世界でも最強レベルの実力者である田奈の前に。

歩みを進めてきている。

両者、二十歩ほどの距離を置いて止まる。

完璧すぎる肉体だ。

田奈はどちらかと言えば、今でもそれほど長身では無い。髪の毛だって、落ち着いたジャギーにしたまま。

服装も、スーツだけれども。

それも動く事を想定した、落ち着いたデザインだ。

それに対して麟は。

プロポーションからして、スーパーモデルが裸足で逃げ出すレベルである。少女漫画に出てくる美形が、唖然とするほどの美貌だ。髪の毛は黒いが、驚くほどの艶を帯びていて。全身には、完璧なプロポーションを更に引き立てるように。白いトーガを纏っている。ギリシャ神話のアフロディテか。いや、アフロディテは淫売としかいいようのない性質の持ち主だが。

この存在からは、圧倒的な神々しさとカリスマは感じても。

性欲を想起させるような要素は一切なかった。

完璧すぎて、性欲云々の対象外になってしまう印象だ。

勿論そう作ったのだろう。

元の田原坂麒麟(ジラフ)が成長しても、こうはならなかったはずで。

これはもう、田原坂麟(りん)という別の生物とみるべきだった。人間とは、カウントしづらい。

「篠崎田奈さんですね」

「いかにもそうですが」

「田原坂麟です。 以下お見知りおきを」

「知っています」

律儀に、法的手続きを経て、DQNネームを捨てて、まともな名前に切り替えるという真面目さも持つ独裁者。

いや、真面目だからこそ。

独裁者として有能なのかも知れない。

最初に自分の身を脅かす周辺のクズ共を鏖殺したが。

それ以外では一人も殺していない。

不思議な暴力の権化。

そして、近くで見て分かった。

なるほど、これは弱めの能力者では、ひとたまりも無い。

姿を見ただけで、膝を屈してしまうだろう。

本能にびりびりと訴えかけてくるのだ。

勝てないと。

多分能力を使うまでも無かったのだ。圧倒的な実力を見せつけるだけで。人間よりも強いからこそ。

従うしかないと、確信させる。

「従って貰いましょう。 貴方が三勢力を調停して、能力者同士の全面戦争を止めたことは既に調べがついています。 貴方ほどの人材は是非欲しい」

「そして世界征服をすると」

「その通り」

はっきり言い切ったか。

だが、野心のためとは思えない。

それに、此奴の能力。

何の動物だ。

「貴方には、何が宿っているんですか」

「鮫ですよ」

「品種は」

「鮫という種族そのもの」

ぞくりと来た。

まさか。

四億年以上前から海に存在している鮫という全種族の意識が、この完璧すぎる美の女神の化身がごとき肉体に、力を与えているのか。

海で最も繁栄してきた種族の一つ、鮫。

頭足類も繁栄してきた種族だが。

それに匹敵するレベルで、何度もの大絶滅を乗り越えて、発展してきた種族である。

能力が桁外れな訳だ。

いきなり。

全力で、重力を叩き込む。

麟を中心とした半径十メートルに。

中性子星並の重力場を、瞬間的に展開。

普通だったらこれで勝負がつく。

勿論勝てるとは、田奈も思っていないが。対応をどうするか、見てみる必要があるからだ。

そして、対応は。

相手は何もしない。

超絶どころか。

光が歪み。

物質が圧縮される異次元重力の中で。

平然と、田原坂麟は立っている。

違う。

いかなる強度を誇る物質であっても、中性子星になるような重力の中では、形状など保てない。もし保てるとすれば、能力を無効化している、という事だ。だが、どうやって無効化している。

攻撃を解除し、跳び離れる。

奴の周囲のアスファルトは、滅茶苦茶に歪んでいるが。

麟自身は。着込んでいる、ギリシャ神話の女神が如きトーガさえ、乱れてもいなかった。

「流石。 大した能力ですね」

「……」

できる限りの情報を収集する。

続いて、周囲の物質を浮かせる。重力操作によって。誰も乗っていない車や、郵便ポスト。街路樹などを、である。

破壊活動になってしまうが。

これは、正直な話。

核を即座にぶち込んででも、逃げたいレベルの相手だ。というか、核なんかそよ風ほどにも効かないだろう。

一斉に。

重力操作を利用して、マッハ60以上の速度で、浮かせた全てで飽和攻撃を仕掛ける。他の誰にも見せていない切り札の一つ。

此奴を浴びせれば、生半可な相手は一瞬で木っ端みじん。

あの陽菜乃でさえ、無事ではすまない切り札の一つだが。

その攻撃の全てが。

麟の手前で止まった。

衝撃波さえ起きない。

なるほど。

少しだけ、見えてきた。

例えば、先ほどの重力攻撃にしても。

今の超高速ミサイルにしても。

普通だったら、周囲に尋常ならざる。というよりも、激甚というレベルでのダメージが入る。

だが麟は、それさえ生じさせていない。

つまりこれは。

世界そのものに干渉している、という事だ。

「それで終わりですか?」

無言のまま、近くのアスファルトに手を突く。

畳返しのように。

アスファルトがめくれ上がって、麟を包む。

そして重力を利用して。

自身は、その場を超高速で離れた。

追っては来ない。

呼吸を整えながら、分析を終える。

今まで、どうしてこのような能力が使えるかは、大体理解できていたつもりだ。

時代の覇者となった生物たちの観測によって。

世界のルールに変化を生じさせる。

それが古代生物能力者が使う能力の正体。

麟は見せてきたのだ。

自分が使っているのが、他の能力者が使うそれとは、次元違いのものだと。あれは、恐らく。

他とは違って。

「特定の何かをする」ではない。

そして、それを悟らせるために。田奈と敢えて戦い、そして逃がした。暴力的すぎる力の差を見せつけて。

降伏を促すためにだ。

陽菜乃に連絡を入れる。

今まで一度も使っていない、とっておきの秘密回線だ。

これならば、割り込みも盗聴も無理だろう。

「田奈、大丈夫!?」

「わざと逃がされたという感触です。 それよりも、大体相手の能力の詳細が分かりましたよ」

「……一体何?」

「観測です」

それが、どれだけ絶望的な意味を持つか。

陽菜乃には、分かったはずだ。

絶句する陽菜乃に。

更に言う。

「相手は鮫という種族全ての意識を取り込んでいます。 そして恐らくですが、今後歴史的に繁栄してきた種族の意識を、更に取り込んでいくことでしょうね。 頭足類や節足動物でも取り込まれたら、もはや宇宙そのもののルールにさえ干渉しかねないです」

「絶対神かなにか?」

「それに最も近い存在になるでしょうね。 どういうわけか分かりませんけれど、私達に力を与えた古代生物たちの意識の渦は、もっとも過激な方法を採るつもりになったようです」

まずい。

まだ鮫だけが相手の意識の内にいるだけで、あれだ。鮫は確かに最も繁栄してきた軟骨魚類で、その全てが力を与えているというのなら、圧倒的なのも当然だ。

だが、大人にわざわざ成長したのは。

更に能力を伸ばすつもりだとしか思えない。

それに、複数生物の意識を、あの意識の渦が与えたとしたら。

頭足類や昆虫、節足動物全部でも取り込まれでもしたら。

それこそ、瞬く間に地球全部の人間が洗脳されかねない。実際、田奈だって。近くで相手を見るだけで。

膝の震えを殺すのに、必死になるほどだった。

今の段階でさえ、である。

「近々、総力戦を挑みましょう」

「ちょっと、勝てるの?」

「難しいですが、何とか考えます」

通話を切る。

さて、どうやってあの能力を攻略する。

あれはもう、本物の神が舌を巻くレベルだ。

そして、事態は更に動く。

田奈の部下から、連絡が入る。

「例のデータセンターが稼働し始めました」

「早すぎる!」

「しかし事実です」

普通、あの手のサーバの構築には、数ヶ月が掛かる。欠点が多い反面構築の手間を著しく減らせるクラウドが普及した今だって、設計やら構築やらで、相当な時間が掛かるはずなのだ。

例えば、それらを全て麟が一瞬でくみ上げて。

パッケージ化したシステムを導入し。

更に数百人のエンジニアが、それこそファランクスを組んだ戦列歩兵のごとき秩序で動いたとしても。

まだ一日しか経っていないのに、どうしてデータセンターが。それも世界最大規模のデータセンターが立ち上がるのか。

それだけじゃあない。

「ネットでもニュースになっています。 とんでも無い事になっています」

「待ってください。 確認します」

珍しく、声が上擦っている。

本物の絶望に、心臓を捕まれているのを、田奈も理解していた。

そして、見る。

悪夢の如き現実を。

データセンターが送り出したのは、麟の洗脳能力。それは一瞬にしてアジア全域を掌握。全てを支配下に収めた。

狙っていたのは、米国では無い。

人口が多いアジアだ。

そして、その後の狙いも、読めた。

「もしも、自分の思い通りに動かせる人間を増やしたとして。 現在の世界の覇者である人間を観測者に仕立てた場合……」

「篠崎様?」

「まずい……!」

もしも、世界の過半の人間が洗脳された場合。

恐らく、この世界は。

完全に。

麟という神を玉座に据えた、超独裁体制が敷かれることになる。

現在日本で行われている善政だって、いつまで続くか分からない。何よりも、恐らくは、だが。

もはや能力者達も、逆らう事さえ考える事が出来なくなるだろう。

焦るが、対策が思い浮かばない。

あんな桁外れの能力、どうすればいいのか。

そしてこれから更に強くなって行くのが確実だ。

田奈は唇を噛む。

たったの六年。

心がぼろぼろになって。あらゆる策謀を凝らした末の平穏は、たった六年で終わってしまった。

虚無が心を掴む。

どうしても、何とかしなければならない。

そうしなければ、あの全てが無駄になる。

絶対に、いやだ。

頭を振る。

あくまで冷静に動け。

最善策をとれ。

今ならまだ、不完全な部分があるかも知れない。

最強の存在を相手に。

戦える手段は。

まだ残されているかも知れないのだ。

 

(続)