死ぬためだけの命
序、大きな亀
世界は巨大な亀の上に乗っていて。
その上には巨大な象がいて。
大地はその象によって支えられている。
そんな話が、古い古い時代にはあった。いわゆる神話という奴だ。私は、今、遺伝子改良の実験で、最大級にまで成長したリクガメを前にしている。リクガメはガラパゴスゾウガメの遺伝子から造り出したもので。現時点で陸上で移動出来る最大級のサイズまで成長し、更にまだ大きくなるそぶりを見せていた。
動きは流石に遅いけれど。
長大な首を伸ばして、ゆっくり餌を食べる様子は。
何だか非常に迫力がある。
エサは基本的に、あまりたくさんはいらないのだけれど。
当然食べれば食べるほど大きくなる速度も増す。
この個体は、まだ二歳だけれど。
既に甲長は三メートル二十センチ。
体重は1.5トン。
最大級のオサガメをも上回るサイズに成長している。
歴史上、これより大きなリクガメは存在していない。海の方に行くと、アーケロンという更に巨大な品種が存在していたのだけれど。リクガメは甲長二メートル五十センチのものが最大級だから、これは既に一回り以上大きい。
何処まで大きくなるのか分からない。
エサはあるとき、あるだけ食べる性質で。
逆に言うと、一年くらいは食べずにも生きていける。
どうしてこのような生物が開発されたのか。
それは簡単な話だ。
栄養を効率よくため込む生物が、必要だと考えられたからである。
大航海時代。
ガラパゴスゾウガメは、西洋から来た船乗り達に、片っ端から狩られた。それは簡単な理由で、餌を与えずとも簡単には死ななかったからだ。体が大きい上にちょっとのことでは死なないガラパゴスゾウガメは、格好の保存食だった。こうして彼らは人間によって狩られ、絶滅寸前にまで追いやられた。
現在は保護活動の甲斐あって、絶滅してしまった種以外はどうにか個体数も持ち直しているが。
皮肉な事に。
彼らの遺伝子から作り上げられた子孫が。
今こうして、同じような目的のために、育成されているのだ。
このケージの個体は大丈夫。
他のものを見に行く。
様々な条件下で、餌を与えて成長の様子を見る。病気に対する耐性も確認する。
この亀には、ワニの遺伝子から抽出した、強力な病気に対する抵抗力も持たせている。ワニの凶暴性を得てしまったら大変だから、その辺りは念入りに調整したのだけれど。幸い、凶暴な個体は今のところ出ていない。
ただ、あまりにも巨大なので、じゃれつかれただけで怪我をするのは問題か。
餌を与えないでいると。
亀は大きくならないし。
ケージ(といっても猛獣の檻ほどはあるが)の隅で、じっと大人しくしている。ケージに入っても、此方には興味もなさそうで、じっとしているだけだ。
エサを与えると緩慢に動き出す。
良くしたもので。
このエサも、遺伝子操作で造り出した、低栄養からでも大きく成長する覇王樹の一種だ。発育速度も凄まじい。
此処には自然の生物など一切いない。
人間もある意味、自然とは乖離した存在なのだから。
お似合いかも知れなかった。
全てのケージを確認。
実験のデータをまとめると。
レポートを書く。
今の時代は、レポートは大まかな部分だけ書けば、後はAIが全て整えてくれる。この辺り、手間が無くて良い。
苛烈な労働時間に苦しめられていた研究者達も。
今では、すっかり余暇を楽しむ事が出来るようになっている。
その一方で、世界には問題も山積みだ。
レポートを出すと、外に。
まだ夕方の四時だが、定時である。今日の仕事は終了したので、問題なく帰る事が出来る。
空を見上げると。
赤々と輝いている星。
太陽では無い。
ずっといつ爆発してもおかしくないと言われていたベテルギウスが、ついに超新星となったのである。
昼間でも見えるほどの明るさで。
しかも、これから発生したX線ビームが、太陽系の至近を掠めることが確実視されていた。
もし地球に直撃したら、一瞬で全生物が死滅する。
それほど強力なX線なのである。
この出来事は、宇宙進出が紆余曲折の末にやっと始まったこの世界でも、問題視された。
事実四光年程度の距離には、恒星がごろごろしている。その中には安定していない恒星がいくらでもある。むしろ安定している恒星の方が珍しい。
二重星だったり白色矮星だったり。
そういった恒星が、いつ事故を起こすかも分からないのだ。
だから、世界中で、宇宙開発がブームになった。
急ピッチで進む、人類の宇宙進出。
まずは月にコロニーを作り。次に火星。金星はテラフォーミングそのものが無理なので、作るとしてもコロニーを周回軌道上に浮かべる計画だ。
出来れば、百年以内に。
火星のテラフォーミング完成と、アステロイドベルトへの進出を果たしたい。
そのためには。
食糧の開発が必要だった。
保存食も勿論必要だ。だけれど、長期間の大規模移民船の航行となってくると、どうしても新しい食糧を産み出す必要が生じてくる。自給自足では限界があるからだ。
また、保存食としても、すぐには痛まない食糧も必要になる。
そのため、着目されたのが。
彼ら亀だ。
実際問題、ガラパゴスゾウガメは、保存食として大航海時代に大きな実績を作っている。彼らには迷惑極まりない話だが。
その実績もあって。
この研究には、多くの金がつぎ込まれていた。色々注文が多くてうんざりだけれど。それでもやるしかない。
いずれにしても、今日の仕事はおしまい。
さっさと家に帰ることにする。
自家用車というものは、既に二十年も前に世界から消滅した。車は、車道で手を上げれば止まる。
そして目的地を告げると、連れて行ってくれる。一定金額の燃料税が生じる代わり、基本的に何処にでも連れて行ってくれるし。
乗るのはただだ。
最初は自家用車が欲しいとだだをこねる者もいたけれど。
それも、この便利すぎる公用車が世界中で普及するようになってからは、誰も文句を言わなくなった。
駐車場にしても自動車税にしても。
一切払わなくて良くなったからだ。
個人識別機能もついていて。
例えば、私が自宅へと言うと。
それだけで。自宅へと、まっすぐ連れて行ってくれる。
この辺りはAI様々である。
本当に助かる。
交通事故というものが無くなった道路を、ぼんやりと進む。今のAIは超反応を可能としていて。子供が飛び出そうが猫が飛び出そうが、即座に判断する事が出来る。これは道にチップが埋め込まれていて。周辺にいる生物などの動向を、完璧に把握しているからだ。
トラックなどの特殊車両についても。
この技術は生かされている。
例えば、何時までに何台の6トントラック、というような指定をすると。それに沿って車を派遣してくれるのだ。
昔は、全部ヒトが運転していたと聞いているが。
色々な反発はあった。だが今ではすっかりAI制御の自動車の方が、満足度が高くなっている状態だ。
「ご自宅に着きました」
「んー」
車を降りる。
特に見栄えもしない小さな家。
ただし、一軒家だ。
別に裕福でもない私に、一軒家が与えられているのだから、マシなのだろう。少なくとも今の時代、ホームレスという存在は絶滅種だ。
それもそうかも知れない。
此処は地球では無い。
見下ろす足下に、地球が浮かんでいる。
重力の関係上、地球は上に行ったりしたに行ったりするけれど。今は足下だ。
いずれ、完成後は移民船になる大型コロニー、ヒノカグツチ。
それが、このコロニーの名前。
私、イザナギは。
その研究者だ。
研究者としては下っ端だけれど。
保存用の長期間安定して生きる生物の研究については。
担当範囲内に関しては、全てを任されている。
とはいっても。
殆どの部下はロボットとAI。
私自身は、研究の大まかなプランを立てて。
その結果を確認するだけだ。
同じようなポジションの科学者は何人かいるが、皆同じような状況である。
自室に入ると、早速AIから、状況報告のメールが来た。
現時点で、250を超えるサンプルに問題なし。
サンプル数が少ないように思えるけれど。
私の担当分野は、大型動物だ。この数は妥当である。
しかも、全てが亀である。
サンプルの詳細なレポートを大量に送りつけられて、何かしらの嫌がらせかとも一瞬思ったけれど。
実際には、ガチガチに人事が査察される今の時代。
嫌がらせなんか出来る奴はいない。
人事も営業も。
等しくAIが管理している状況だ。
無茶をすれば、社長でさえ放逐される。
それが今の時代の会社なのである。
誰にも文句は言えない。
よく分からないけれど、AIが適宜必要だと判断して、私をこの部署に配置しているのだろう。
AIが何を考えているのかはよく分からないけれど。
私としてみれば。
金が手に入って。
休日はゆっくり出来れば。
それでいい。
何より、いわゆるブラック企業労働と違って。此処では定時は四時。それで、私としては充分だ。
あくびをしながら、シャワーを浴びて。
その間、キッチンで、丸形のメイドロボットに食事を作らせる。
美少女型なんて気が利いたものは流石にないが。
虫型ではありながら、丸を基調としているその姿は、実に可愛らしい。少なくとも、虫型という事で拒絶反応を示す者は、今はもう存在していない。
風呂から出ると。
既に温まった食事が準備されていた。
これでいい。
適当に夕食をとりながら、AIに指示。
テレビをつけて、ニュースを確認。
バラエティなんかは無視。
ニュース番組をピックアップして、複数社の内容をざっと見る。
どれもこれもが。
同じ事件に全く違う意見を載せている。
大量殺人犯を庇うようなニュースがあったので、さっさと削除。次。
そうやって順番に処理していくと。
百を超えていたニュースは、数件しか残らない。
呆れてものが言えない。
客観的に事件を説明することが、それほど難しいというのか。
ようやく社会が平和に上向いていて。失業者も殆ど存在しない時代が来ているというのに。
今の時代に対する恨み言を偉そうに述べている社説もあって。
流石に私はうんざりした。
テレビを切ると。
後は睡眠導入剤を飲んで、ベッドに。
特に疲れてはいないけれど。
忙しいのは、ここからなのだ。
休める内に休んでおかなければならない。
それは、別に誰に言われるでもなく。
私だって、わかりきっていることだった。
夢を見る。
巨大な、とげとげしく武装した亀の王。
巨体故に目立つけれど。その圧倒的な強度を持つ甲殻の強さは尋常ではなく、生半可な捕食者など寄せ付けもしなかった。
首を伸ばして、餌を探す。
植物は逃げない。
植物を見つけると、まずは巨体で押し掛かって、倒してしまう。
そして食べやすくなった葉をまずはむしゃむしゃと食べていき。
やがて幹にも口をつける。
ばりばりと、凄い音が響く中。
此方を見ている捕食者達。
此方が大きすぎて、手が出せないのだ。
悠々と食事を終えると。
ゆっくり移動しながら、寝床に戻る。
途中、同族が力尽きて、骨になって死んでいた。
何しろ、図体が図体だ。
体を支えられなくなってくると、その内身動きが取れなくなってしまう。
それだけではない。
やがて這いずって動く事さえ出来なくなり。
目の前のえささえ取れなくなる。
大型動物の宿命だ。
堅くて強くて、天敵などいないけれど。
動けなくなってくると、もはやどうにもなくなるのだ。
私も年老いた。
最近、動くのが兎に角大変になって来ている。
周囲に捕食者の姿も目立つようになって来た。
恐らくは、きっと。
数年以来には。
あの骨となった同胞と、同じ運命をたどることだろう。
いつの間にか、眠っていた。
そして、目が覚めていた。
頭に手をやる。
人間の頭だ。
手を見る。
人間のものだ。
最近、良く同じ夢を見る。亀になって、黙々と、悠々と、過ごす夢だ。だけれども、先はもう短くて。
いつ死んでもおかしくは無い。
不思議な話だ。
私は人間だというのに。
夢の中の大きな亀に、強い親近感を得ている。
私自身は。
亀が好きだけれど。
それはそれ。実際には、亀を如何に効率の良い保存食にするかばかりを考えているのだから。
あの亀。
天寿を全うできたのかな。
ぼんやりと、私はそう思った。
1、地の晩餐
状況が整った。
サンプルとして育成している亀の一匹が、食べるのに適する状態になったと、判断されたのである。
可哀想だけれど。
そもそもこの亀たちは、食用として育てられているのだ。
屠殺には立ち会う。
責任があるからだ。
隅っこでじっとしている亀も。流石に嫌な予感がしたのか。身をかがめるようにして、ずっとじっとしている。
でも、もう遅い。
エサには既に、仕込んであるのだ。
身動きが取れなくなる薬が。
その内、目を閉じた亀は。
身動きしなくなった。
其処へ、更に筋弛緩剤をうち込んでおく。
こうすることで、暴れる事を避けるのである。
身動きしなくなった大型亀。
此処で育成しているのでは、中くらいのサイズだ。早速、開発済みの専用屠殺装置へ運ぶ。
ベルトコンベアに乗せると。
後は自動で全て処理してくれる。
残酷だけれど。
こればかりは仕方が無い。
ぼんやりと見ている内に。
亀の体は、見る間に原型を失っていった。
昔から、亀は料理の素材としても使われてきている。
私の故郷でも、スッポンを料理する習慣があったし。それは精力がつく料理として、珍重もされていた。
実際に効くかはどうでもいいのだ。
解体は着々と進み。
綺麗に骨だけを残して、肉と内臓が分別された。
その内に消化器系は捨てられ。
実際に調理するための準備、つまり下ごしらえも行われる。
ごめんね。
思わず呟く。
血の海の中。黙々と機械は取り出した肉を並べていき。食べるための処理をしていく。
ほどなく。
食べられる状態に、仕上がった。
「屠殺、完了しました。 続けて調理に入ります」
「続けて」
「ラジャ」
人工知能が。
何もかもを、黙々と進め。
そして、命あった肉は。
やがて完全に料理されて、出てきた。
幾つものメニューが並んでいる。
今回は、視察に来たメンバーに振る舞われる。だから、本来は貴重な香辛料なども用いて、そこそこ豪華に仕上げている。
私も口にするが。
悪くない味だ。
複雑な気分だけれど。
子亀の頃から世話をして。
毎日大きくなる様子を、丹念に確認したのだ。
肉になって、それを食べるというのは、どうしても慣れない。
ある程度割り切らなければならないのは分かっているのだけれども。しかし、それはそれなのだ。
しばし黙々と肉を食べる。
やはり、何というか。
堅い。
元々、巨大な体を支えるために。亀は筋肉が非常に発達している。動きは鈍いけれど、力はとても強いものなのだ。
この亀たちだって同じ。
正直な話、食肉用として作られてはいるのだけれど。
それはそれ。
固い肉は、調理で誤魔化すしか無い。
勿論その辺りは、AIがやってくれているけれど。
それでも堅い部分はどうしようもないのである。
しばし、黙々と。
食事の時間が続く。
「堅いね」
「味は悪くは無いのですが……」
「しかし、これは保存食だ。 贅沢ばかり言ってはいられまい」
口々に、視察の人間達が言う。
好き勝手言いやがってと私は思うけれど。ただ黙っていた。
やがて、アンケートを入れて、視察の連中は去る。
肉を柔らかく出来ないか、というのが殆どのアンケートに書かれていた。しかしながら、保存食にすることを考えれば、こんなものだろうとも。
五月蠅いのが帰ったので。
後は、自分の仕事に戻る。
空になったケージに、保存しておいた卵を入れる。子亀の内は、五匹から六匹、一緒に育てて。
大きくなってからは、それぞれ別のケージに入れる。
別にケージはありあまっているから、それで問題ない。
とにかく体調を崩しやすい子亀の内は、綿密な面倒が必要なので、専門のAIがそれに対応する。
私は一切触ることが無い。
勿論、たまにケージに入って、状態を確認したりもするけれど。
それはあくまでそれであって。
やはり、結局の所。
亀たちの面倒を見ているのは、AIなのだ。
実際問題、亀たちは私がエサを持ち込んでも、それほど嬉しそうにはしない。AIにはそれこそ大喜びでのそのそ近づいていくが。
そのAIが。
奥の部屋から来る。
正確には、AI投入型ロボットと言うべきなのだろうか。
今の時点で、此奴らが人間に反逆することは無いが。まったく人間と同じ姿をしているのは、あまり評判も良くない。
此奴らが仕事を奪うのでは無いかと不安がった人々が、一時期排斥運動も起こしたりしたのだけれど。
今ではそれも落ち着いて。
街でAIは自然に受け入れられている。
「現状で問題はありません」
「端末にデータは入れておいた」
「分かりました。 すぐに対応いたします」
会話も最小限で済む。
場合によっては、会話さえしなくても良い。
それが此奴らの利点。
会話はストレスにしかならないケースも多い。特に一部の国では、その会話がビジネスコミュニケーションなどと言う珍妙な代物に発展し。それが出来る出来ないで人間そのものを判断するケースが目立った。
今は、仕事では。
人間は、AIに指示をする立場、になっている。
現状、人間同士でやれ細かい言葉遣いが出来ないから彼奴は首だとか、仕事の能力なんてどうでもいいから、コミュニケーションだけが必要だとか。そんな会話をすることもなくなり。
人材の無駄遣いをしなくなっても良くなった。
もっとも、その割りには。
この世界は、どうにも生き急いでいるように思えるが。
AIが来る。
幼い女の子の姿をしている。
AIは人間と言っても、老人から子供まで、様々な姿に分けられている。人間に逆らえないようにも何重にブロックが掛けられていて。今まで、世界中でAIが人間に反逆したケースは無い。
ただ、やはりなんというか。
逆らえない姿をしている方が、人間は落ち着くらしい。
子供の姿をしているAIの方が。
あらゆる用途で、人気があるようだった。
「申し訳ありません。 112ケージの個体に異常が見られます」
「分かった。 すぐに行く」
言われたまま、ケージを見に行く。
やはり、遺伝子操作のたまものだ。
どうしても不具合は出る。
既に目を閉じて、苦しそうにしている亀には、治療が始められているけれど。どうにも思わしくないという。
「恐らくは、助からないかと思います」
「可能な限りデータを収集」
「分かりました」
即座に数人のAIが、瀕死の亀を調査していく。
それにしても、こんな短時間で、これほど体調が悪化するなんて。
何だか嫌な予感がする。
何かしらのトリガーが。
元々無理をしている巨体に、致命的なダメージを与えるのだろうか。
確かに、大型生物だからといって、体が丈夫とは限らない。
この亀は、一度に数百食分の食糧を得ることが出来るけれど。
それも、死なずに新鮮な状態をずっと保てるから、という理由が大きいのだ。簡単に死なれては困る。
しばし見ていると。
亀は目を閉じたまま、口をだらんと開けた。
死んだのだ。
溜息が漏れる。
AI達が、すぐに巨大な亀の死骸に群がって、解体作業を始める。
検死という奴である。
非破壊検査も勿論行うが。
それではどうにも病状が確認できなかったら、こういう作業をしているのだ。
亀は五月蠅くないように、という注文もあったので、鳴かない。
つまり、苦しくても、それをアピールできなかった、ということである。
手際よく、一トンを遙かに超える巨体を解体していくAI達だが。
ほどなく彼らは。
おかしな部分を見つけていた。
どうにも内臓が、みっちりと詰まりすぎているのだ。
「これはおそらく、内臓が圧迫された事による死です」
「自重で潰れたと?」
「ほぼ間違いなくそうなります」
おかしい。
自重で潰れないように、様々な工夫はしてあったのだし。何より、その程度で死ぬほど、あまっちょろい体では無い筈だ。
散々設計もした。
実際問題、遺伝子に手を加えるとき。
その辺りも考慮した上で、デザインを行ったのである。
それなのに。
どうして自重で潰れ死んだ。
「遺伝子データを研究室に廻して。 ひょっとしてこれは、非常に面倒な事になるかも知れない」
「直ちに」
これは、今日は定時では帰れないかも知れないな。
ぼやくと、私は。研究室に向かう。
研究室といっても、いるのは私だけ。
サポート用のAIが数名いて。そのほかには、スパコンが林立しているだけだ。
すぐにデータは送られてきて。
AI達が解析を開始する。
私は腕組みしてその様子を見ていたけれど。
私自身も、幾つかのデータを入力。
X線の図も分析して。
思わず唸っていた。
どうも内臓を支える筋肉が、機能していないのかも知れない。
例えば無重力空間だったらこのままでもいいけれど。
今後宇宙船、特に星系間航行宇宙船に到っては、基本的に有重力が当たり前になってくる。最新鋭では無いこのヒノカグツチでさえそうなのだ。
それを考えると。
このままでは、あまりよろしくない。
腕組みして考え込んだ後。
私は、遺伝子のデータを精査するように、AIに指示。
同時に、食生活に問題が無かったか。
他の亀たちはどうなっているかも、確認させる。
一種の病気か。
或いは、何かしら他の原因があるのか。
どちらかも知れないと思ったからだ。
すぐに調査を開始するAI達を尻目に。
私はスパコンに向かうと、レポートを記述。
すぐに体裁を整えてくれたので、それをそのまま提出した。
さて、此処からだ。
今まで順調にいっていたのだけれど。
不具合が出ると色々と面倒だ。
頭を掻き回すと。
私は、あらゆる手を想定して。
順番に、調査のプログラムを組んでいった。
帰宅したのは、夕方。
今時はどの過程でもメイドAIを導入している。着込んでいた白衣を預けると。適切な温度になっている風呂に浸かって、ぼんやりとした。
何もかもAI任せ。
AIの暴走が、一番怖れられた時代もあったのだけれど。
それも幾つかの予防措置が講じられ。
結局、暴走は起こらないようになった。
日々進化しているAIだけれども。
暴走を防ぐ機構だけは絶対に盛り込むようにという指示が有り。ネットワークにつないだ際には、この暴走を封じる機構が働いていないと、即座にショートさせられる。それだけ危険なのだ。
もしもAIが人間に反逆した場合。
もはや人間には、抵抗する手段が無い。
奴隷としてこき使われるか。
それとも皆殺しにされるか。
暗い未来しか、その先には無いのだ。
そんな事は分かっているけれど。それでも、AIに頼らざるを得ない。それが悲しいところである。
実は、現在建設中の新型恒星間航行船に到っては、AIを搭載しない方向で進めよう、という考えまである様子だ。
もっともそうなると、不便さが著しい。
何かしらの方法で、工夫していかなければならないだろう。
幸い、私が関わっているヒノカグツチには、そんな計画は関係無いが。
風呂から上がる。
タオルを受け取ると。
空調が体を乾かす中、さっさと体を拭き。パジャマに着替える。
多少残業したとは言え、まだ六時。
昔はこの時間に家に着いているサラリーマンやら研究職などいなかっただろう。残業した上で、である。
「夕食を準備しました」
「了解」
席に着くと。
栄養バランスを完璧に考えられた食事が並んでいる。
今や料理でも。
AIは人間を遙かに凌いでいる。
コックは基本的に、AIに何をするかを指示するだけでいい。
或いは要所で手を入れるか。
AIに仕事を奪われるのでは無いかと危惧したヒトも昔は多かったのだけれど。AIを導入したからといって、人間を首にしてはいけないという法律が出来た事もある。
現時点では、すでにAIは受け入れられていたが。
同様に、仕事で堂々とさぼっている人間も、かなり見受けられるようになっていた。
AIの反乱を防ぐ仕組みを作る事が出来なかったら。
この世界はとうに。
AIに制圧されていたかも知れない。
「味は如何ですか」
「まあまあ。 悪くないよ」
「有難うございます」
ぺこりとAIが頭を下げ。食べ終えた皿を下げていく。
小さくあくびをすると、ネットにつないで情報収集開始。オープンにされている研究だから、別に見る事は構わない。
というよりも。
AIがいなければ何も出来ないこの時代。
AIの目を盗んで、違法研究なんてまず出来ない。
したとしても、本来の研究よりも、ぐっと出遅れるだけだ。
人間だけで研究を行っても。
とてもAIを交えた研究にはかなわないのである。しかもそのAIも、スタンドアロンでは真価を発揮できないのだ。
さて、研究成果の内。
参考になりそうなものは覚えた。
後は読書でも適当にやって過ごす。
眠気が来た頃には。
既に十一時をまわっていた。
翌日。
空になったケージは、既に片付けられ。解体された亀は、骨まで残さず、別の研究チームに引き渡されていた。
代わりに孵卵器がおかれ。
五つの卵が温められている。
これについては、今手を出す必要も理由もない。
遺伝子を弄った結果、100パーセントに近い確率で孵化してくることも分かっているのだけれど。
何だか気になる。
どうしてあの亀は死んだのだ。
一番不可解なのは、より大きな亀も生きていて。それも健在だと言う事である。自重で潰れるなんて事は起きていない。
ましてや死んだ亀は。
甲長にしても、二メートル程度。
これより巨大な亀は、歴史上存在している。
それなのに、どうして。
自重で潰れる、などと言う事になったのか。
研究室に、分析結果を見に行く。
どれも分析がパッとしない。
いずれも矛盾をはらんでいるのだ。
例えば、筋肉が弱っていた、というもの。
亀の仲間は基本的に、動きが遅い上に、必要がなければずっとじっとしている事も多いのである。
特にリクガメの仲間。
ガラパゴスゾウガメなどは、その傾向が強い。
ガラパゴスゾウガメに到っては、エサになる植物の下でずっと待ち続け。エサになる葉が落ちてきたらそれを食べるというとても気が長い生活をしている。つまり、筋肉も何もないのである。
今此処で育成している亀は、ガラパゴスゾウガメの遺伝子を多分に引き継いでいる。
これは安全性を高めるための処置である。
この巨体で暴れられると、大変に危険だからだ。
だからこそ。
どうして自重で潰れたのかが分からない。
他のデータも見る。
餌を豊富に採りすぎて、内臓が肥大化しすぎて、それが潰れる原因になったのでは無いか、というものだ。
だが、他の亀のデータと照合してみると。
もっと内臓が大きくなっているのに、ぴんぴんしている個体が目立つ。
勿論、大きさと内臓のサイズの比率も、きちんと考えた末での結論だ。
これから導き出される応えは。
早い話が、自重で潰れるのに、何か未知の理由があるとしか思えない、ということだ。
「病気の線は」
「ウイルス、プリオン、細菌、いずれも検出無し」
「遺伝子異常は」
「他と同じで、代わりありません。 遺伝子は全て解析されており、異常があれば即座に特定出来ます」
腕組みして考え込む。
他にも幾つものデータが出てくるが。
どれも現実味が無い。
AIの方でも。
小首をかしげているようだった。
そんな中。
新人として入ってきた。最新型のモデルであるAIが、挙手した。
最新型と言う事もあって、出力は大人並みで。頭の出来も悪くない。職場のマスコットになる事を期待して、入れた機体なのだが。
思った以上に動きが良くて、重宝していた。
「博士、ひょっとすると、亀は自殺したのでは無いでしょうか」
「自殺!?」
その考えは思い当たらなかった。
私はしばし考え込むと。
面白いと思った。
「仮説としては面白い。 裏付けるデータを取れ」
亀が自殺か。
人間くらいしか、自殺する生物などいないとおもっていたのだけれど。
もしも、今後自分がたどる運命を悟っていて。
それを悲観して自殺した、というのであれば。
それはそれで。
非常に興味深い事かも知れなかった。
古い時代、レミングが集団自殺するというデマが流れた事がある。だけれども、あれはやらせだった。
今回の事件は違う。
自殺かはまだ分からないけれど。
本当に何が起きているかは分からないし。
もし判明すれば。
それは大きな進歩へとつながる筈だった。
2、死の連鎖
二匹目の亀が死んだ。
前に死んだ亀よりも小柄だけれど。死因はやはり同じだった。これは、一体どういうことなのか。
すぐに対策会議が行われる。
私はデータを全て提出。
責められることは無かったけれど。
現状の分析データを見て、どの科学者達も、小首を捻っていた。どうにも原因が掴めないのである。
特に、自殺したという結論。
これについては、だれも笑い飛ばすことが出来ず。
唸るばかりだった。
「亀が自殺、ねえ……」
「類例はありますか」
「ストレスに曝された動物が異常行動をとるケースは珍しくも無いけれど、自殺をするまで行く事は中々ないなあ」
そう言ったのは、私より二十も年上の、生物学の権威だ。
私だってそれくらいは知っている。
これでもそこそこ有名な大学を出て。
俊英としてならしたから。
今此処で、研究をしているのだ。
宇宙開発の現場は、国どころか世界中からエリート科学者が集まる場所。AIも最新鋭のものがどんどん投入されている。このヒノカグツチも、最新のセンターでこそないけれど、それに代わりは無い。
機械類もしかり。
だからこそ、おかしな結論が出れば、すぐに妙だと、務めているスペシャリスト達が気付くし。
AIが、過去から事例を引っ張っても来る。
だが今回の件は。
それらの全てが通じないのだ。
「二匹目も、自重で潰れるにしては、あまりにも軽すぎたって?」
「はい。 このサイズになると、最大級のオサガメよりも小さいくらいです。 言うまでもありませんが、オサガメは陸上で産卵します。 自重で潰れることはありません」
「……妙な話だな」
「亀の知能検査は」
勿論やっている。
一応それなりに知能はあるのだけれど。
所詮亀だ。
数字を分析したりとか。
道具を使ったりとか。
そんな真似は出来ない。
だからといって、侮るつもりは無い。
亀には必要な分の知能を。
必要なだけきちんと備えているからだ。
「兎に角、分析を続けてくれたまえ。 長時間世話をせずとも生きている保存食は、今後どれだけ重要な存在になるか、分かっているだろう」
それだけいうと。皆、テレビ会議から消えた。
ため息をつくと、研究室に戻る。
AI達は不眠不休で働いている。
未だに、新しいデータは出てこない。あの、自殺では無いかと言う説を出したAIも、あれから行き詰まっているようだった。
研究を進める傍ら。
冷凍保存した、死んだ亀の肉も分析してみる。
亀の強力な免疫機構もあって、殺してすぐの肉は基本的に安全なのだけれど。流石に傷む速度は普通だ。
生きている内は大丈夫。
環境からいっても、寄生虫が住み着く可能性も無い。
恒星間航行宇宙船では、自給自足のための仕組みが幾つも作られるけれど。
亀はその一部として。
保存食と同時に、大きな役割を果たすことになる。
そういう意味では、このプロジェクトは、歯車を作る、という観点でもとても大きな意味を持つのだ。
例えば亀の糞は、分解者達にとって重要なエサになるし。
加工次第で肥料にも変えられるのである。
何しろ巨大な宇宙船だ。
中にはある程度の生態系が必要になってくる。
その生態系の中でも。
捕食せず捕食されず。
必要に応じて、非常食になり得る亀は、とても重要な存在なのである。
だからこそ、期待されているし。
私だって期待している。
「縁宮司博士」
「どうした」
AIの一人が、急いだ様子で声を掛けてきた。ちなみに縁宮司は私の名字だ。今は名字が漢字で、名前はカタカナという形式が流行っている。私もそういう流行りの中親に名前を授けられた。ちなみに神の名前をつけるのも、流行りの一つ。イザナギという名前は、ヒノカグツチで仕事をするには色々できすぎな気もするが。流行りがあったので、まああり得ない事では無いのだ。
AIの話によると、死んだ二匹目の亀の分析が終わったのだという。
色々と調べたところ。
どうやら、強烈なストレスが掛かっていることが分かったそうだ。
それも、尋常なストレスではない。
「自殺の線はやはり濃いかと思います」
「ストレスで自殺? でもどうやって」
「分かりませんが、研究所の土もなく、植物も生えていない環境では、やはり負担が掛かるのではないでしょうか」
「だが、そもそも何処でも生きていけるのが亀の利点なのだけれど」
もし今のでストレスを感じるのなら。
遺伝子を組み合わせ直す必要があるかも知れない。
しばし考え込んだ後。
現在実験的に構築しているビオトープの使用申請を出す。
長期間の恒星間航行において、様々な用途が期待されるビオトープである。勿論人間に危害を加えられる猛獣を放すわけにはいかない。
亀は、一応猛獣扱いだ。
動きは遅いし草食だけれども。
何しろパワーがパワーである。
もしもちょっとじゃれついただけでも、人間は簡単に潰れてしまうし。
何より亀には。
人間を見分けて、手加減をするなんて知能は備えていないのだ。
案の場だが。
ビオトープの使用許可は下りない。
色々と交渉はしてみたのだけれど。
これはあくまで、植物を育てて。更に言うならば、リラクゼーションの場として開発されているものだ、というのだ。
自然に近い環境を造り、其処で自給自足のための生物を育てるためには、別のシステムが用意されているが。
其方は文字通り弱肉強食。
亀を入れたりしたら。
囓られたり、病気をうつされたりするだろう。
申請は却下された。
腕組みして、考え込む。
本来の生息環境に近い場所を再現すれば、少しはストレスが軽減できるかと思ったのだけれども。
しかしながら、問題はサイズだ。
長期用の保存食として考えられている亀は。
牛や大型の豚と同じレベルか、それ以上のサイズであり。
なおかつ、ストレスに強くなければならない。
宇宙船に乗せるときには。
専門のケージに入れて。
エサだけを食べて、生体維持だけして行く事になる。
ブロイラーやフォアグラのガチョウと同じだ。
それで耐えられないようなら。
そも商品として失格と言う事になる。
亀を見る。
黙々と餌を食べている。
不満を感じているようには見えない。
ストレスを感じると、動物は食欲が無くなったり、異常行動を始めたりするものだ。これは類例がいくらでもある。
しかし亀たちに到っては。
そういった行動が見られないのだ。
一体何が不満なのだ。
それとも、本当に自殺なのか。
困り果てている私は。
もう一度、データを精査し直す事にした。
そうこうしているうちに。
三匹目が、死んだ。
呼び出しを受けて、更に大目玉を食らった。
流石に三匹目である。
原因不明では済まされないと、研究所のトップ達は頭に角を生やしていた。
何しろ恒星間航行である。
様々なライフライン維持のためのシステムが必要になってくる。こういった、枝葉の部分であっても。
絶対に手は抜けないのだ。
ましてや、亀たちは、最後の生命線。
成長も早い。
一トン近い肉を取る事が出来る亀は。
それこそ、数百食分の肉を取る事も出来るのだ。
最悪の場合、培養している肉や、植物などよりも、効率よく栄養に切り替えることが出来るかも知れない。
だから、しっかり完成させろ。
そう怒鳴られて、私は戻った。
溜息が漏れる。
そう言われても、どうして死ぬのかが分からない。
三体の解剖結果が手元に来るが、やはりストレスを過剰に感じている事だけは確かなのだが。
それ以外に、異常は見受けられないのだ。
毒なんかもってのほか。
胃に覇王樹の針が刺さっているようなこともないし。
寄生虫の類に、体内が滅茶苦茶にされていることもない。
至って健康なのだ。
ちなみに肉も、普通に食べる事が出来た。まあそこまでは美味しくないけれど、栄養価は立派。
調理次第では。
充分に名物料理に変わるだろう。
AIの一人が提案してくる。
「いっそのこと、生存能力を上げて、植民惑星で生態系の一翼を担うようにしてみてはどうでしょうか」
「今からバージョンアップしろと」
「バージョンアップはどのみち必要だと思われます」
「……」
確かにそうだ。
そもそも、今回の一件ではっきりしたが、現状ではバージョンを変えない限り、正式採用には結びつかない。
勿論最終的に失敗しても、研究の成果はきっと何かの役に立つ。
環境がズタズタになっている幾つかのガラパゴス諸島に導入することも決まっている。元々、その計画が転じたものなのだから、当然だろう。
「分かった。 そうなると、やはり非常に生活サイクルを長くするべきだろうな」
「同意ですが、そうなると成長も遅くなります」
「死んだ個体は、個体のサイズ差はあるにしても、いずれも性成熟までこぎ着けたものばかりだ。 其処まで一気に成長させて、後は緩やかに成長していくようにすれば問題はないだろう」
「……分かりました」
調整を開始する。
一トンオーバーまで成長するのに、一年程度で、というのは少しばかり無理があるのだけれど。
同じように超高速で巨大化する生物としては、頭足類がいる。
いわゆるダイオウイカなどの仲間は、一年足らずで全長十メートルを超える巨体にまで成長するのだ。
頭足類と亀はあまりにも体の構造が違うけれど。
しかし、イヌなどの仲間も、一年程度で性成熟する。
理論的には。
不可能ではないだろう。
さっそく、遺伝子データの組み替えを検討させる。
AI達が動き出す中。
私は、もう一度。
死んだ亀たちの分析を開始。
何かおかしなことがないか。
見落としていないか。
しっかり確認しておかないと。とんでもない足下で、躓くことにつながり兼ねないからである。
不意に電話。
上役の一人からだ。
「縁宮司博士。 其処にいるかね」
「はい。 如何なさいましたか」
「アルゴル計画が早まったという報告が来ている。 四年後を計画していた出発のタイミングが、三年後になるそうだ」
「!」
それはまた。
アルゴルは、現在大気圏外に建造されている恒星間航行船だ。人類としては初の恒星間航行船になる。ヒノカグツチの兄弟機になる存在だ。
月と、キャプチャした小惑星から資源を取り出して、作成している宇宙船で。
人類が作ったものとしては、初の。99パーセント以上の部材を、宇宙由来の物資で補った船となる。
現在、軌道衛星上にはアルゴルとヒノカグツチを含めて、五カ所のステーションが存在しているが。
それらで急ピッチの作業が行われていて。
相当な過剰労働になっている筈。
どうして、更に前倒しにするのか。
「理由は聞けませんか」
「残念ながら、教えられない」
「しかし、此方としても、研究にはまだ時間が掛かります」
「無理をしてでも速度を上げてくれ。 兎に角、三年後に出発すると言う事は、君の研究の納期は最低でも二年半後と言う事だ」
通話が切れる。
勝手な事ばかり言ってくれる。
流石に腹が立ったけれど。
こればかりはどうしようもない。
幸い、今の時代は。
代わりは幾らでもいるという狂った精神によって、全てが運営されている時代とは違っている。
私の代わりはいない。
だから、急げとせっつかれることはあっても。
気に入らないから首、などという事をする上司はいない。
嘆息する。
AI達が、話を聞いていたらしく。
此方に来た。
「如何なさいますか」
「ストレスに強くなるように、遺伝子を極限まで強化」
「しかしそれでは、成長速度に影響が出ます」
「かまわん」
もうはっきりいって。
知るかというのが本音だ。
こういったことは、時間を掛けてしっかりやっていかなければならないのに。無理矢理に進めて、後で何が起きても知るものか。
三年半の納期だって短かすぎるくらいだというのに。
それを更に一年短縮しろというのか。
突然の仕様変更は、別に珍しくもない事だが。
コレはいくら何でもひどすぎる。
とにかく、今は。
ストレス耐性を上げるしか無い。
実験的に遺伝子を組み換えたのを造り出すのに、二週間。すぐに孵化した子亀達には、豊富に栄養を与えて、すぐに大きくさせる。
だが、その間にも。
亀は死んでいく。
ついに七匹目の亀が死んだ。
その亀は、最年長の亀だった。
私が丁寧に世話をしていた亀だ。それなのに、どうしてこのような。口を開けて、首をだらんと地面に伸ばして死んでいる亀を見て。
私も、悲しかった。
何故死んだ。
勿論、殺すために産み出された生命だ。
非常食として作られ。
宇宙船の中では、狭いケージの中に押し込められ。
そして最低限のエサだけを与えられ。
場合によっては、エサ無しで耐えるように仕向けられ。
いざという時には、船員の食糧となる事を運命づけられている。
そんなひどい亀だけれど。
亀自身に、そんな運命が分かるわけも無い。どうしてストレスを感じて、死んでいったのか。
それだけが重要だ。
人間らしい感傷など、亀が持つはずがない。
爬虫類の中でも、それほど知能が高い方では無い生物なのだ。自殺なんて、どうしてするのか分からない。
困り果てている私に。
AIの一人が挙手。
「あの、一つ提案が」
「何だ」
「亀の一体を、実験的に、自然に近い環境に入れましょう。 ビオトープがだめでも、環境再現くらいは出来るはずです」
「それでは意味がない。 宇宙船では、ブロイラーのように、狭いケージの中で窮屈に過ごすことになる。 ストレス耐性が無いと話にならないんだぞ」
其処で、AIが面白い事を言い出した。
VRを使ってはどうかというのである。
盲点だ。
それは考えていなかった。
人間用のVR、つまりバーチャルリアリティは、発展が著しい分野だ。しかし、亀に対してそれを用いるのは、ある意味斬新である。
確かにそれなら。
狭いケージに閉じ込められている負担を小さくすることが出来る。
感覚を誤魔化すことも、そう難しくは無いだろう。
「なるほど、良いだろう。 早速試してくれるか」
「分かりました。 直ちに開始します」
さて、此処からだ。
どうして亀は自殺する。
対処方法を少しでも良いから、見つけ出していかなければならない。今後、人類が宇宙進出するためにも。
これは、解決しなければならない問題なのだ。
そして解決できれば。
大きな進歩につながるのである。
3、連鎖する悪夢
緊急招集が掛けられたので。私は研究をそこそこに、後をAIに任せて、すぐに会議室に出向く。
私と同じような研究をしている科学者は、このヒノカグツチだけでも六人。
プロジェクトは同じ数だけ存在しているのだが。
私とは違う科学者が、青ざめた顔をしていた。
奴は江戸川。
私と同じ日本出身者の中では、恐らく最高の俊英である。
私はこの国最高の学府の出だけれど。
江戸川に到っては、世界最高の学府の出だ。
だからということもあって、実際には亀よりも、此奴の研究の方が、採用が有望視されていたのだが。
この有様では、何か大きなトラブルがあったのだろう。
だけれども。
あまり良い気分はしない。
私は知っている。
今は正直、足の引っ張り合いをしている場合では無い。データは可能な限り共有していくべきだと。
ちなみに江戸川の研究は、長時間餌を食べずとも平気な牛の研究だ。
牛ということもあって、肉も美味しいし。
何よりもエサを食いだめして、何もしなくても一月は死なないというのが斬新なのである。
ほ乳類を一とする恒温動物は、どうしても燃費が悪い。
爬虫類などの変温動物は。恒温動物に比べると、とにかく小食だ。人間でいうならば、一週間に一食程度で充分に体を維持していくことが出来る。大型の爬虫類に到っては、これが一月になったりさえする。
ほ乳類なのに、超燃費が良い生物を作るというのは、斬新なのだが。
逆に気になる。
此奴ほどの俊英が、何故失敗したのか。
レポートが配られて。
そして愕然とした。
亀と同じ事が起きているのだ。
「牛が自殺同然に死んでいる!?」
「それも、暴れて首を折ったりしているのではなくて、かね」
「そうだとしかおもえない」
江戸川が、悔しそうに言う。
私を一瞥したのは。
此奴程度と同じミスが、どうして起きているのか分からないと。プライドを傷つけられたからだろう。
まあそんな風に考えているからミスるんだろうけれど。
どっちにしても。
私にしてみればメシウマである。
古いスラングだが。
「実は……」
挙手したのは、別の科学者。
彼が研究しているのは、なまこの一種だ。
言うまでも無くなまこは食べる事が出来る。このなまこは、陸上でも生活できる上に、高い再生能力を持っているため、食糧としては非常に有用だ。エサもいわゆるデトリタスだけで充分である。
肉を切り出しても、半分くらい残しておけば、適当に再生する。
しかも糞尿からデトリタスに切り替えてエサとして与えておけば、勝手にそれを再利用もしてくれる。
勿論食べる人間には抵抗もあるだろうけれど。
それはそれ。
宇宙船で長期間航行するには、これ以上優れた生物もいない。
だが、である。
ここしばらく。
このなまこたちさえもが、体調を崩しているのだという。
「まだ死んだ個体は出ていませんが、このままでは時間の問題です」
「何が起きている!」
吼えたのは。
研究所の所長だ。
だけれども、吼えられたって、どうにもならない。
此方としても、最新鋭の設備と。世界を代表する俊英を集めて、研究に研究を重ねているのだ。
病気の可能性は。
あり得ない。
これについては断言できる。
というか、爬虫類とほ乳類となまこに同時に感染する病気なんて聞いた事もない。んなものが存在するはずが無い。
しかし、同時に似たような事が起きているのも事実なのだ。
AIはあらゆる方向から調査を進めているが。
それも上手く行っていない。
ちなみにVRで、のびのびとした空間を見せるという試みもしているが。
まだ結果待ちだ。
他の研究者にも、このアイデアは提供しているけれど。
それでも、成果が出るには、まだ時間が掛かるだろう。
「一刻も早く解決したまえ!」
「難しいかと思いますが」
「黙れっ!」
江戸川に、所長が叫ぶ。
天下りで、実際には科学の知識なんて殆ど無い所長は、知能なんて代物は持ち合わせていない。
人間の悪知恵は、AIさえも凌ぐ。どうしてもこの時代であっても、この悪習はなくならない。
流石にレポートにけちはつけてこないが。
AIの裏を掻いて、どうしてもこの手の輩が入ってくるのだ。研究者にはなれないのが救いだが。上司になられることは頻繁にあって、それがまた面倒くさい事この上なかった。
裏口入学で良い大学に入って。
大学でも遊びほうけて。
親の金と、親が作った地盤で選挙に当選して。
今では、いっぱしの国会議員を終えて、そして天下りで悠々自適の生活である。それだけ好き勝手をしておきながら、此処では給料が安いとかほざいている阿呆である。いっそ亀の餌にでもしてやりたいくらいだが。
此奴をどうこうする権利は、残念ながら私には無い。
昔、天下りと言えば、日本の悪習として知られていたが。
今では世界中に拡がってしまい。
アマクダリという単語は、英語にまで存在しているほどだ。
世界中で通用する、不名誉な言葉である。
所長は知性のかけらも無いわめき声を上げると、何だか知らないがぎゃあぎゃあ叫んで、それで会議室を出て行った。
溜息が漏れる。
ここに来てから、溜息ばかりだ。
江戸川が挙手。
「データを共有したいのだけれど、よろしいか」
「賛成」
私は言葉短く言う。
というのも、このままでは皆共倒れだ。
他三人の科学者も、口にはしていないけれど。
不安が生じるような研究結果が出始めているのだろう。一も二もなく、提案に乗って来た。
AIを呼ぶと。
情報を全員で共有させる。
それを私も確認。
そして、愕然とした。
これは似ているどころでは無い。
状況は、全員同じでは無いか。
ただ私の所だけ、先行してたくさん死んでいただけ。他の研究チームの状況も、似たり寄ったりである。
「これは。 此処までひどいとは」
「病気や寄生虫という可能性はあり得ないな。 ケージは別々だし、エサだってそれぞれ別なのに」
「自殺するにしても、どうして。 ブロイラーだって異常行動をすることはあっても、自殺なんてしないのに」
「……もしかして」
私が発言すると。
皆の注意が、集まる。
「未来が無いのを、悟ってる?」
「はあ?」
「意味が分からない。 詳しく説明してくれないか、縁宮司博士」
「普通家畜というのは、量産化されて、人間に面倒を見られて、食肉にされます。 その代わり、生半可な野生動物では比較にならないほどの繁栄をして、種族としては大変に安定しています」
これは、事実だ。
確かに家畜のたどる運命は過酷だが。
その代わり種族としては極めて安定していて。
滅びに瀕することはまずあり得ない。
それくらい、人間による庇護の効果は絶大だと言う事だ。
だが、今研究している動物たちはどうだ。
恒星間航行の間だけ、生存が許されて。
必要に応じて殺されるばかりか。
恒星間航行が成功した暁には処分される。
つまり。
種族として作り上げられたけれども。
繁殖も出来ず。
未来も無いのだ。
そんな生物が、もしも自分たちの運命を悟っているとしたら。
鼻で笑ったのは江戸川だ。
私だって、おかしな結論だとは思うけれど。しかしながら、他に考えつくものが存在しない。
「そんなオカルト、真面目に論じられるか」
「私だってオカルトだと思うさ。 だがな……」
「病気の可能性も、寄生虫の可能性も無い。 普段だったら知性そのものが無いなまこでさえ、おかしな動きをしている。 これは既存の科学では解明できるとは思えないのだけれど」
別の科学者が、助け船を出してくれる。
しばし考えた後。
私は挙手。
「それならば、こういうのはどうだろう」
「何だね」
「恒星間航行が終わった後、テラフォーミングした星に根付けるように、遺伝子改良するのはどうか」
「何を馬鹿な」
真っ先に反発したのは江戸川だが。
他の皆は、顔を見合わせている。
例えば、江戸川が開発している牛だが。狭いケージでも死なない上に、長期間餌を与えずとも生きていける。
そういう特殊な生物である。
新しい星に降りた後、家畜として育成すれば。
それはとても有益な存在になるのではあるまいか。
提案してみると。
我ながら、悪くないアイデアだ。
そして、である。
ここからが重要なのだが。
テラフォーミングするということは、元の生物がゼロ、ということになる。
生態系を安定させる生物としても有用だとすれば。
改造の価値は充分にある。
勿論、地球上に放たれないように、細心の注意を払う必要があるが。
「いずれにしても手詰まりだ。 しかも二年半に研究期間が縮小されている。 ぐだぐだ言っている間に、試してみる価値はあると思うが」
「……私は賛成する」
なまこを担当している科学者が賛成してくれた。
他の科学者も、悪くない反応だ。
江戸川は不快そうだったが。
あの無能な天下り所長に好き勝手言われるのは、もっと気に入らないのだろう。
やがて、折れた。
4、希望
まず最初にやったのは。
亀の遺伝子調整。
長期間の食糧用だけではなくて。テラフォーミング後に、牧場で育成して、そして家畜として人間と長らくやっていくための調整を行った。
それまでは、ケージの中でエサだけ与えておいて、保存食にすることだけを考えていたのだけれど。
これで、恒星間航行が終わった後、殺処分しなくても良くなる。
今までの研究では、新しい恒星に着いた後は、既存の家畜にバトンタッチして、全て殺処分する予定だったのだけれど。
今後は、そうしなくても良くなる。
これで、希望が出てきたはずだ。
VRの方も、同時に試しているが。
此方は正直な話、あまり効果が上がっているとは言い難い。
しばらく様子を見て。
結論が出る。
これは、時間の無駄だ。
恐らく人間とは五感の違いもあって、あまりリアリティを感じ取ることが出来ないのだろう。
ならば、可能性がある方に全力投球する。
当然の話である。
しばし、AI達に遺伝子組み換えの作業を実施させ。
自身は、新しい世代の亀たちの様子を見る。
その間も。
古い世代の亀たちは、ばたばたと死んでいった。
可哀想だけれど。
こればかりは、仕方が無い。
人間も同じだ。
一切希望が無い状況に叩き込まれると、まずは精神を病む。そして、体そのものが死んでいく。
健全な肉体に健全な精神が宿るという言葉があるが、逆だ。
精神的な負担を掛けすぎると。
肉体が壊れる。
もしも、亀たちが。
何かしらの理由で、自分たちには一切未来がない事を理解していて。それがストレスになって。死につながっていたとしたら。
今回の話は、頷ける結果ではある。
遺伝子改良完了。
新しい卵が出来たので、早速孵卵器に掛ける。
成長速度を上げているから、生まれ出てくるのも早い。
勿論、条件次第で生まれるのを遅らせることだって出来る。
生まれた小亀は、すぐにすくすくと成長する。
さて、今度は上手く行ってくれよ。
そう思っていると。
AIが連絡をしてきた。
「縁宮司博士」
「ん」
「なまこを担当している有栖川博士から通信です」
「つないでくれ」
覇王樹を旺盛な食欲で食べる亀を横目に、ハンドヘルドコンピュータを操作して、通信を入れる。
浮き上がった立体映像。
気弱そうな、眼鏡を掛けた痩身の中年男性が映る。
「其方の様子はどうかね」
「小亀が孵化したところです。 これから様子見ですね」
「そうか。 実は此方では、今までに比べて寿命がぐっと伸びている」
「!」
なるほど。
生活サイクルが短い生物の方が、当然結果が早く出る。そして、なまこで効果があったという事は。
今後此方も。
どうなるか分からない。
ひょっとしたら。
上手く行くかも知れない。
「飛騨博士の方も上手く行っているそうだ」
「それは朗報ですね」
「流石に生物の種類が違いすぎるから、全てで上手く行くかは分からないけれども。 試してみる価値はあるだろう」
その通りだ。
そして、今。
亀たちは、順調に育っている。
少しだけ、希望が出てきた。
前の世代の亀たちが、もう悉く命を落としてしまった今。一部遺伝子を受け継いでいるこの亀たちが。
私にとっても。
人類にとっても。
大事な希望だ。
甲長3メートルを超えた頃には、亀の堅牢さがはっきりし始めていた。性質は大人しいけれど、体重1.5トンを超える巨体の迫力は凄まじい。ゆっくり食事をするとは言え。その口で噛まれたら、人間の指どころか。腕ごとなくなってしまうだろう。
亀は、黙々と。
与えられた覇王樹を口にしている。
メモを取りながら、育成の様子を確認。
今の時点で。
自殺者は出ていない。
AIが、レポートをまとめて持ってきた。
さっと目を通すけれど。
これならば問題は無いだろう。
「このまま進めてくれ。 遺伝子の精査についても、もう一度念入りにチェックを」
「分かりました」
さて、と。
此処からだ。
硝子越しに、亀はじっと此方を見ている。
少し前に決まったのだが。
もしも全てが上手く行った場合。六種類の保存食動物は、全てを恒星間航行に連れて行く事になる。
それぞれ全てが。
家畜になったり、或いは自然に放たれて、植物を管理する役割を担ったり。
いずれにしても、新しい恒星系で未来があるという事だ。
もっとも、まず最初は、火星のテラフォーミング時に実証実験が行われることだろう。恒星間航行船が完成しても。出発まではかなり時間がある。内部で循環系を確立して。火星でのテラフォーミング技術をフィードバックした後、発進するのだ。
期限が設定されているのは。
この火星での実験をまず行うためである。
「お前達には今後苦労を掛けることになる」
亀に話しかける。
亀は、ガラパゴスゾウガメ特有の長い首を伸ばして、じっと此方を見ていた。目には感情云々ではなく。
私の顔が映っている。
見ているのだ。
私を。
恐らくは、敵意の対象として。
親愛の対象であるはずが無い。まあ、この辺りは当たり前だ。
殺されるために産み出され。
未来も希望も無い。
そういう概念が亀にあるかは分からないが。
はっきりしているのは。
この亀には。
恐らく子孫を残す事さえ出来ない、という事だろう。
それは恨む。
そして私は、恨まれて当然の非道をしているのだ。恨みを受けるのは当然だし、甘んじて受け入れるつもりでもあった。
遺伝子を調整したプロトタイプを数体育て上げて。
問題があったら、調整を繰り返す。
遺伝子データは全てスパコンに収めてあるし。
受精卵を利用して、遺伝子の書き換えも出来る。
一度駄目出しさえ喰らったが。
もう、成功の目は、見えて来始めていた。
火星へは、人類は比較的容易にいけるようになって来ている。まだテラフォーミングは途上で、幾つかのコロニーが点在している一方、まだ呼吸が出来る大気は存在していない。
それに、火星はテラフォーミングが成功しても。
アフリカ大陸くらいの広さの居住区間しか確保できない。
あくまでさらなる外宇宙へ進出するための中継基地という役割が強くなってくる場所である。
ただし。
ベテルギウスの超新星化が発生した今。
地球にX線の殺戮光が直撃するケースも、今後は想定していかなければならない。それを考えると。
火星のテラフォーミングには、大きな意味がある。
地球が全滅しても。
火星に人類がいれば、立て直しは決して不可能では無いからだ。
その内、金星や、木星の周回軌道にもコロニーを作る。
特に木星の衛星の幾つかは。
テラフォーミングが上手く行けば、相応の広さの土地が確保できるのでは無いかと見なされていて。
火星のテラフォーミング技術が完成したら。
今度は此方に技術導入が行われる予定だ。
宇宙船は、既に衛星軌道上に待機。
どうにか完成した亀や、他の科学者が作り上げた動物たちと一緒に、シャトルで宇宙船に乗り込む。
地球の研究施設にも、まだ残っているけれど。
今回連れていくのは二十匹だ。
無重力空間での生存については、何度も検証したけれど。
少なくとも、今まで。
無重力が原因で死んだ亀はいない。
続々と乗り込んでくる他の科学者達。
一週間と少しの火星の旅だが。
コストは膨大に掛かる。
今回の件だって。
二年半をフルに使って。
それでどうにか成果を見せて。
ようやく許可が下りたのだ。
苦難が続いたけれど。
それでも、実験が成功したのは事実である。
亀は自殺しなくなった。
他の動物たちも。
繁殖を前提として。
新しい新天地でも、その数を増やすことが可能になった。
その途端、どの動物たちも、死ぬ事を止めた。
それではっきりしたのだけれど。やはりあれは、動物たちの自殺だったのだろう。あくまで状況証拠しか出せないのが苦しいが。
「動物たちの様子は!」
「体調を崩している様子はありません!」
「よし!」
怒号が飛び交っている。
私は自分の担当のゾウガメの前にいて。彼らが餌を食べているのを、じっと見ていた。
既に大きさはマキシマムサイズ。
性質も大人しく。
一度間違えて檻に入ってしまった飼育員も。
おそわれる事なく、無事に出てくる事が出来たほどである。
心優しい、と言うのとは違うだろうけれど。
いずれにしても、いたずらに人間に被害を与えるクリーチャーでは無い、ということが判明して。
それで充分だった。
江戸川博士が来る。
嫌みたっぷりだった。
「どうだね、其方の亀は」
「順調ですよ」
「まあ、何かあっても、まずいその亀の出番はないだろうがね」
「……」
無い方が良い。
それに、生態系の植物捕食者の頂点に立つ存在として、この亀たちは必要だ。遺伝子操作によって作られたから、今までは学名も無かったけれど。
もしも火星に根付いたら。
学名を作るつもりだ。
全ての準備が終わる。
円筒形をしている火星への船は、核融合を動力としていて、燃料という点ではほとんど気にする必要がない。
更に現在では、地球の周回軌道上に大型のマスドライバ装置が設置されていて、周回軌道で加速する宇宙船を、磁場による反発で一気に飛ばすことが出来る。コレを利用して、一週間ほどで火星に到着できるのだ。
また、宇宙船そのものも、円筒形の機体を回転させ続けていて。
疑似的な重力を造り出してもいる。ヒノカグツチにも採用されている、疑似重力発生システムだ。
昔、宇宙船に乗ると、一月で立って歩けないほどの衰弱した時代も存在したのだけれど。
今では、擬似的な重力を発生させることによって。
その弊害も無くなっていた。
発進シークエンスが始まる。
嫌みをいうだけいって、江戸川は去る。
何がしたかったんだと思いながら。
私は自室に戻ると。
自席のシートベルトをオンにした。
昔は手動が主体だったが。
今ではオートで、体にあわせたシートベルトが装着されるのである。
発進までのカウントダウンが始まると。
原子炉の影響か。
きーんと耳鳴りがした。
いや、多分原子炉は関係無いだろう。
私も、火星には今まで四回足を運んでいる。
今更緊張することも無い。
もし核融合炉が爆発した場合、それはもはや助かる見込みがゼロという事も意味しているのだから。
今更じたばたしても仕方が無い。
宇宙船が動き出した。
スイングバイを利用して加速した後。
マスドライバ装置を更に利用して、一気に大加速するのだ。
最終的に、今までのロケットが実現できなかった速度で、火星へと急ぐのだけれども。
その割りには。
加速による不快感は、殆ど無いのが嬉しい。
シートベルトが外れる。
後は動き回って良いと言うことだ。
さて、亀を見に行こう。
今後、非常食になるにしても。
彼らは、生態系を担う重要な存在としても機能する。
だから。
彼らをないがしろにするわけにはいかなかった。
5、理由
火星には、ドーム型のコロニーが、複数できはじめている。その中の幾つかはとてつもなく巨大で。
火星の重力を高めるための装置や。
せっかくできた湖を保護するために。
湖を丸ごと覆い尽くしているものもあった。
今の時点ではっきりしているのだが。
火星に、先住の住民はいない。
これは大気が存在しないため、宇宙線をもろに浴び続けたという事も理由の一つなのだけれど。
結局、火星に文明があったのでは無いかと言う説が。
人間が入って見て、それっぽいものが、全てただの自然物だという事が判明してしまっているため。
なにもかもが、今はテラフォーミングへと邁進する結果に終わっている。
五度目の火星に降り立つと。
私は、まずは自然定着センターに向かう。
宇宙港から、専門のシャトル電車を用いて移動するのだけれど。
流石に火星はまだ未発達地域だ。
電車は一時間に一本程度しか出ない上に。全ての電車が、同じルートで運行している。ただし、操縦はAIだ。
これによって、完璧なダイヤ維持が行われている。
電車の中身は、それほど乗り心地がよくもなく。
座っていると、少し尻が痛い。
他の科学者と談笑しながら、今後どうするかについて話すけれど。
江戸川だけは少し離れた位置に座って。
会話に参加しようとは思わなかった。
知っている。
彼の牛が、体調を崩しているのだ。
宇宙酔いかどうかは分からないが。
自分のが最高だと信じてやまない江戸川にとって。彼の造り出した牛だけがだめ、というのは、相応にこたえる結果だろう。
まあ、同情の余地は無いが。
散々今まで馬鹿にされた上。
研究そのものも邪魔されたのだ。
だったら、此奴に同情してやる言われも無いだろう。
勿論今は、協力して事に当たるべきだという意見もあるだろう事は理解している。わかりきっている。
だけれど私は。
其処まで人間が出来ていないのだ。
到着。
電車そのものも、二時間も掛かるのだけれど。
これは仕方が無い事だ。
狭いといっても、最終的にはアフリカ大陸くらいの広さになるのである。むしろ二時間で着くのは上出来だろう。
電車を降りると。
連れてきた亀たちを降ろす。
まだ若干弱い重力に、亀たちは困惑しているようだけれども。
檻が運ばれた先は。
今まで彼らが入れられていたケージとは、根本的に違う、広い空間だ。二酸化炭素を酸素に変えるための設備。
つまり植物プラントである。
ここでしばらくは、亀たちは余った植物を食べて、数をコントロールしてもらうことになる。
また、身を隠すスペースもある。
かなり背が高い覇王樹もある。
どうやら植物は、火星では非常に巨大に育つらしい。重力が地球より小さいから、というのもあるのだろう。
のしのしと、亀たちが農場に入る。
そしてめいめいのスピードで、巨大な覇王樹に接近。
そして皆で、ぼんやりと覇王樹を見上げた。
これは習性によるものだろう。
ガラパゴスゾウガメも。
木の下で待機して。
葉が落ちてくるのを待つという性質を持っているからだ。
しばらく様子を見てから、健康診断を開始。
かなり健康状態が改善している。
やはりブロイラー式にするよりも。
こういう広い場所でくらせた方が、亀にとっても心が安らかでいられるのだろう。
まずは、成功だ。
後は、此処で数を増やして。
生態系の維持のために動いて貰いながら。
最悪の事態が来たら。
食糧にもなってもらう。
だけれど、私は。
そんな事態が来なければ良いなと、思っていた。
覇王樹を見上げる亀たちは。今までのいつよりも、穏やかな雰囲気だったから、である。
必ずしも、テラフォーミングは上手く行っていない。
この亀たちが。
少しでも役に立つのなら嬉しい。
私は、そう思うのだった。
数日は、何の問題も無く過ぎた。
問題は、その後である。
亀のデータを取っていた研究員が、慌ただしく私の部屋に飛び込んできた。
「大変です」
「どうしたの?」
「か、亀が。 更に巨大化する兆候を見せています!」
「!」
それは、本当か。
低重力化では、動物は巨大化する傾向がある。
だかれでも、連れてきて数日だ。
いきなり巨大化するはずもないし。
何より、巨大化したところで、それほど害があるとは思えない。
江戸川博士も来た。
此方も相当に慌てているようだった。
そして此方に気付くと。
話しかけてくる。
「そちらもか」
「牛が大型化しているんですか?」
「その通りだ。 しかも、気性が非常に激しくなっている」
「……」
腕組みして、考え込む。
今回は、確かに最高位草食動物としての仕事を期待して、火星のファームに連れて来た。だが、これでは。
実際に様子を見に行く。
なんと後ろ足だけで立ち上がった亀は、前足を巨木に掛け。その葉をむしゃりむしゃりと、丸坊主にする勢いで食べ続けていた。
そして此方を見ると。
今まで聞いたことも無い、鋭い威嚇音を出してきた。鳴かないように調整したはずなのに、である。
その上、亀は牛と一緒に、群れをなしている。
それぞれが死角をカバーする位置に立ち。
簡単には攻撃されないようにしているのが良く分かった。
「どういうことだこれは。 あの牛には群れを作る習性などない」
「牛だけでは無いな」
「何だと……!?」
他の動物も。
火星に連れてこられた非常食動物は、此奴も此奴もが、群れを成している。そして、人間に最大限の警戒を見せていた。
これは、殺すしか無いだろう。
可哀想だけれど、他に方法も無い。
今までは上手く行っていたのに、どうして。
それに動物同士で、連絡を取り合うような事はさせていない。どうして、このような。
しばしぼんやりとしていると。
入植者の兵士が、銃を持ってやっていた。
大型のベアバスターだ。
図体が大きくても、流石にこれにはひとたまりも無い。
次々に倒れていく。
遺伝子のデータはある。その気になれば、宇宙船の研究施設で翌日には子供を作り出して、すぐに農場に送り込める。
だが、同じ事をしても、だめだろう。
計画は失敗なのか、それとも。
影が一番薄い学者が、挙手する。
「あ、あのう」
「何だ」
江戸川が苛立ち紛れに言う。
彼の前では。
ご自慢の牛が、全て殺処分されて。これから食肉にするべく、運ばれて行くところだった。まあ機嫌が悪くなるのも無理はない。
「動物たちは、我々のしらない所でやりとりをしていて。そればかりかこの計画の概要を知っていたのでは」
「馬鹿な。 テレパシーでも使っている、というのか」
「相手は遺伝子操作された生物です、 何が起きても、不思議ではないとみるべきかと」
「……」
もしそうだとすると。
亀たちが、自分の運命を悟っていたのも頷ける。
私の脳を覗いていたなら。
将来どうなるかは分かっていたのだろう。
ぞくりとくる。
遺伝子操作された生物が、如何に危険かはわかりきっていたのだけれど。
此処まで強力な生物に仕上がっているというのは、想定外だ。
しかし、根本的に計画を見直している余裕も無い。
どうすればいい。
流石の江戸川博士も、混乱しているようだった。殺した動物たちのデータを分析すると息巻いている。
私は、無言で亀の死骸を見上げる。
流石にベアバスターの巨弾で頭を撃ち抜かれてしまうとひとたまりも無い。
だが、何だろう。
亀から感じるのは。
むしろ安堵だ。
死ぬ事を、やはり望んでいたのか。
それは、どうして。
所詮、殺されるために生まれてくることを、悟っていたからなのか。
もしそうなのだとすれば。
やはり、あの不可解な自殺も。
説明がつくというものなのだろう。
私の前では。
更に大型化した亀が、黙々と覇王樹の葉を食べている。
火星から地球に戻った後。レポートを提出した。
だが。
上層部は、むしろその結果を歓迎した。高い生命力を持っていて、恒星間航行で非常食にするには丁度良いというのである。
そればかりか。
更に巨大化させろ、とまで言い出した。
だから今私の前にいるのは。
火星で殺処分した個体より、更に一回り大きい。
私を無視して覇王樹を食べているが。
もしも此奴も、テレパシーの能力を持っているとしたら。
身を翻すと。
ケージの前を後にする。
未来予知を可能にする、人間よりずっと巨大で、力も強い生物。そんなものが反逆を始めたら。
人間は、本当に勝てるのだろうか。
一瞬だけ。
亀が此方を見た気がした。
その目には。
感情が宿っているようには。思えなかった。
(終)
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