伝説と影の演舞

 

序、忍者VS忍者

 

普通の人間が立ち入れない超危険地帯が、この世界にはある。

中には怪物が闊歩し、場合によっては物理法則さえねじ曲げられたその場所のことを、フィールドと呼称する。

そして、そのフィールドを専門に攻略、撃破する者達のことを、フィールド探索者と呼ぶのだ。

闇の中を、そのフィールド探索者の一人が走る。

黒装束に身を包んだ彼は、常人とはかけ離れた速度で、草原を駆けていた。風を切り裂くようにして、跳ぶ。

闇夜に浮かび上がる影に、追いついてきた複数のもの。振り返りつつ、剣を抜いて切り払う。

地面に落ちた手裏剣が、月の光を浴びて輝いていた。

いわゆる忍び装束に身を包んだ男は、そのままずばり影と呼ばれている。当然本名では無い。

彼の一族が、代々襲名してきた、仕事上の名前だ。

中肉中背の、目立たない姿は、違和感なく溶け込むためのもの。顔立ちも平凡で、見られても殆どの場合相手は覚えていない。

再び飛来する手裏剣を切り払いながら、影は走る。森が見えてきた。彼処に逃げ込めば。だが、彼の足を止めるように、至近で轟音。

稲妻が、空に走った。

雨が降り出す。大粒の雨は、見る間に草原を泥のぬかるみに変えていく。追っ手の手練れから考えると、非常にまずい。

一瞬の躊躇。

それが、傷を作る事になった。

複数の手裏剣が、体に突き刺さる。呻くと、影は跳躍。森に飛び込み、そして気配を消した。

雨が、血痕を洗い流してはくれる。

だが、それくらいで見逃すほど、追っ手は甘くないだろう。

相手も影と同じく忍者。

それも先輩格で、この業界では知られに知られている大忍者だからだ。

近くに雷が落ちた。

草原の中、立ち尽くす相手が見えた。同じように闇色の装束に身を包んだ、忍者。じゃじゃ丸と呼ばれる男だ。

忍者同士の追撃戦は、極めて殺気を強く含んだ寡黙の中で行われる。

今回、影はある情報を、どうしても届けなければならない。それはダーティなラインから上がってきた情報であり、これを得るために多くの犠牲が出た。正義とも言いがたい情報である。

元から影はダークサイドに属するフィールド探索者で、この運びが、ついにフィールド探索者を束ねる上層部の逆鱗に触れた。

故に追撃が出た。影にしてみれば、最低最悪の追撃が、である。

森の中で、息を潜める。

じゃじゃ丸は動かない。何かしらのカモフラージュで、本人は既に別の位置にいる可能性もある。

元々、忍者は正面切って戦う存在では無い。常に闇に潜み、影から敵を討つことを生業にしている。そもそも殆どの場合、戦う事さえ無い。元々の忍者は、商人や僧侶に変装して、情報を得たり流したりするのが仕事なのだ。

故に、忍者が戦う場合は、幻惑とだましが中心になる。

この森を越えたところに、指定されているフィールドがある。

そこで、影の依頼主が待っている。フィールド内で待っているというのもおかしな話なのだが、それが指定の依頼内容なのだ。

影にとって、依頼は絶対。一族の信頼を失わせないためにも、である。

上に殺気。

気付くと、草原の忍者が消えている。いつのまに、これほど移動していたのか。全力で飛び退き、飛来した手裏剣をかわす。そのまま低い体勢で走り出した。

夜の森の中は、常人では走ることさえ出来ない。

ましてや今は大雨だ。手練れの忍者である影でさえ、かなり危ない。その上今は怪我をしていて、追っ手まで迫っているのだ。

じゃじゃ丸は、確実に影を追い詰めに来ている。

焦ることもなく、楽しむでも無く。まるで機械のように。さすがは先輩格の忍者だと、何度も舌を巻く。

足を止めたのは、回り込まれたからだ。

木の陰に入り、様子をうかがう。着地したじゃじゃ丸は、自分の姿を見せびらかしながら、ゆっくり歩み寄ってきていた。

何も、両者の間に言葉は無い。

雷が、至近に落ちる。轟音が、耳を痛めつける。

次の瞬間、じゃじゃ丸は、既に影の目と鼻の先にまで来ていた。影も、そう来るだろうとは読めていたのだが、手を打つ暇も無かった。

切り結ぶ。

肩から血をしぶいた影は、無言で煙玉を投げ、辺りを煙幕で包む。

そして、身一つで逃げ出す。元々交戦しても勝ち目が薄い相手だ。このまま戦い続けても、死以外の結末は無い。

忍者の仕事は、闇そのもの。だが、本人が生き残ることも、重大な任務としてカウントされる。

鉄の掟と血の結束で、仕事をなすのが忍者だ。

だが、血と技を残す事も、また忍者の仕事なのである。

じゃじゃ丸が、至近にまで迫っていた。また、切り結ぶ。大粒の雨が降り注ぐ中、三度、刃を交えた。

その度に傷が増える。

このままでは、追い詰められ、疲弊しきったところを倒されるだろう。

地味かつ堅実に、自分を追い詰めに来るじゃじゃ丸。だからこそに、逆転の好機が見えてこない。

それは、思いも寄らぬ方向から来た。

両者、飛び退く。

地面に突き刺さったのは、巨大な甲羅。それも、亀のであった。

雷の白光を浴びながら、甲羅から手足が出る。巨大な亀。首を伸ばして、じゃじゃ丸を見据えながら、亀は言う。

「ボスがお待ちだ。 先にいけ」

「感謝する」

「貴様、確かKの配下の……」

「ノコノコだ。 確か貴様と顔を合わせるのは初めてであったな」

巨大な亀が、じゃじゃ丸に向き直る。

影も聞いたことがある。闇の世界の帝王と言われるKの腹心の配下、ノコノコ。普段は巨大な亀の姿をしていて、その正体は誰も知らない。当然のように能力者で、凄まじい防御能力を誇り、生半可な攻撃ではびくともしないとか。しかも、亀の割に、とても素早く動くのだという。

見た目の雰囲気は、カミツキガメに近い。

じゃじゃ丸が、慎重に間合いを計っている。それだけの相手と言うことだ。影としても、これ以上ここにいる意味は無い。

闇の森の中を、走る。

目的地は、まもなくだった。

後方から、激烈なる闘争の気配が伝わってくる。いずれが勝とうと、もはや追っ手に追いつかれることは、無かった。

 

1、闇の城と邪神

 

J国では数少ない、未攻略フィールド。それが、今影の前にそびえ立つ蠱毒城だ。

場所はY県の山奥。文字通り鳥でも近づけない深奥であり、地元の人間でさえ行くことは無い秘境だ。

だが、それでも通常なら、フィールドである以上は攻略される。

此処が残されているのは、ある理由からだ。

城の周囲には堀があり、時代がかった石垣で守られている。城壁には狙撃用の穴が無数に空いているだけではなく、城の中には人の気配もあった。

否、それは人では無い。

巨大な天守閣が城の中枢にはそびえ立ち、瓦は黒光りして、雨の中存在感を主張している。時々走る稲光が、威圧的な天守閣の姿を、闇の中に浮き上がらせるのだった。

周囲には、忍びを遠ざける仕掛けがいくつもある。下手な場所を踏めば、その場で命がなくなると、覚悟しなければならない。

城門に廻る。

かって此処は、影の先祖が攻略したフィールドだ。だが、その特異性が災いして、今でも存在を続けている。

城門の前に立つと、吊り橋が降りてきた。入ってこいと言うのだろう。

足を進める。

吊り橋を踏むとき、かなり大きな音がした。木が朽ちているようだ。だがそもそも、この城そのものが現の存在では無い。木が朽ちていようと、釣り天井があろうと、不思議では無かった。

城の中に入ると、ひんやりした空気が出迎える。

さっきまであった人の気配は、無い。代わりに、足音が近づいてくる。人のものとは思えない、とても重苦しいものだ。

姿を見せる。

木の床を踏み抜きそうな巨体である。それは丸みを帯びて、黒光りしている、巨大な亀だった。形状からすると、現実に存在するどんな亀にも似ていない。足回りはゾウガメに似ているが、首はさほど長くないようで、全体的に球体の中の一部分という印象を受ける。

「影だな。 ボスがお待ちだ」

「貴様は」

「クカカカカ、鉄の盾、メットとは俺のことだ」

此奴も、著名な存在だ。ノコノコに比べて動きが鈍重だが、更にそれを超える防御能力を誇るという、Kの側近の一人。

やはり亀に似た姿を普段からしていて、本当はどのような存在なのか、誰も知らないのだという。

メットについて、城の中を歩く。小さな階段でも、メットは器用に登っていたが、時々天井に頭をぶつけているのがほほえましい。

「ちっ。 芸術的な出来だってのは俺も認めるが、この国の建物は狭苦しくていけねえや」

「お前が大きすぎるのだろう」

「あん? ……ああ、まあそうかもしんねえな。 じゃあしょうがねえ」

メットはすんなり受け入れる。根は素直で気のいい奴なのかも知れない。ただ、この男はフィールド探索者殺しとして知られ、全世界で賞金を掛けられている、筋金入りの危険な存在だ。

最上階まで上がると、闇がひときわ濃い部屋があった。

其処では、腕組みした女が見張っていた。女の周囲には、鉄さびのような不可思議な臭いがある。

そして、ずるずると、何かを引きずるような音。

植物の蔓だ。それが、床も壁も這いずり回っている。

「パックンフラワー、様子は?」

「その名前で呼ぶの、止めて」

女はまだ高校生くらいだろうか。二つ名で呼ばれることを、一番恥ずかしがる年頃だ。Kの部下も、いずれもが本名ではなく、通り名を使っていると聞く。この女も、父か母か、或いは別の家族からか、通り名を受け継いだのだろう。

人間の姿をさらしているという事は、戦闘形態を取るのも恥ずかしいのかも知れない。見ると、硬質な雰囲気の、気むずかしそうな女だ。スーツを着て眼鏡でも掛ければ、似合うかも知れない。

「まだ侵入者は無し。 ノコノコ先輩は三十分ほど戦った後、引き分けたみたい。 そろそろ戻ってくるかな」

「ふん、あの野郎、相変わらずだな。 敵は一撃必殺で確実にぶっ殺せって何度も言ってるのによ……」

また別の声が割り込んでくる。

背中にロケットブースターを背負ったパンクファッションの男だ。面白い事に、触れてもいないのに、複数の物体が周囲に浮いている。非常に長身なので、まるでイカみたいに見える。

「ゲッソー、おめえいつもやり過ぎて、ボスに怒鳴られるじゃねーか」

「うるせ。 戦闘の経過自体で怒られたことはねーよ」

「そろそろ、そのボスの所に案内して貰えるか?」

不毛なやりとりを続けるKの部下に、影は咳払いした。

最初に我に返ったのはパックンフラワーである。来るように促すと、てくてくと歩いて行く。

元々小柄な女だが、色気の見せ方とかを分かっていないらしい。歩き方は子供みたいであった。

そういえば、少し前に仕事を一緒にしたスペランカーも、こんな様子だったか。もったいないことだと、影は思った。

「何よ、私の背中に何か付いてる?」

「別に。 仕事を終えたらすぐにでも帰るから、急いで欲しいのだが」

「ふん」

此方に好意を抱いていないのは明白である。女は影を見ようとさえしなかった。

彼女ら幹部が控えていた部屋の奥は湿気が強く、床が破れていたり、天井からしずくが伝っていた。

妖怪がいつ出てもおかしく無さそうな雰囲気である。

この城には、かって無数の妖怪や、人外の存在達が住んでいた。今では、ある理由から定期的に駆除が続けられ、沸く度に潰されている。

今、此処に住み着いているKとその配下達も、その作業を続けていることだろう。つまり、彼らには、造作もないという事だ。

元々Kは社会の裏側にいるとは言え、能力者。

つまり、フィールド探索者と、根本的には同じなのである。

勿論、社会の裏側にいる大物の中には、非能力者もいる。Dr、Wなどが典型例だろう。だが、KはあのMさえ一目置くほどの戦士として、フィールド探索者の間では、知らぬ者などいない存在でもあるのだ。Mには及ばないだろうと、本人も認めてはいるが。

そのため、KはMと戦うときは、必ず知恵を働かせるようにしている、らしい。

「妖怪だったら、ボスが定期的に潰して廻ってるよ」

「それで、今は休憩中か」

「いや、食事中」

一番奥、障子で区切られた部屋。小さな茶室であるらしい。中からは、むしゃむしゃと凄い音がした。

他の部下達同様、Kも姿を変えるタイプの能力者だ。普段は葉巻を咥えた、いかにも裏社会の帝王という風情の中年男性である。実際、此方が真の姿なのだろう。Kも能力者だが、重異形化フィールドで生まれ育ったとは聞いたことが無いからだ。

だが、戦闘形態になると、Kはその身を一変させる。

障子を開けると、その凄まじい姿が、露わになった。

全体の姿は、ドラゴンに近い、だろうか。否、背中の巨大な棘だらけの甲羅が、違うことを告げている。

強いて言うならば、巨大な肉食の亀。

そして彼が喰らっているのは、今仕留めたらしい妖怪だった。このフィールドに跋扈していた、異形の者達を、頭からかじっているのだ。

「なんだ、影か。 例のブツは」

「此処にある」

懐から出したのは、デジタルデータが納まったUSBメモリである。

中身は、ある場所に侵入し、小型のデジカメで撮影してきた書類の内容だ。書類自体は、既に元の場所に戻してある。

Kは巨大な鱗だらけの手で、メモリを受け取る。

すぐに解析するように、側に控えていたパックンフラワーに渡す。不平が多そうな年頃の彼女も、Kの言うことには、素直に従うようだった。

「少し待っていろ。 中身を確認する」

「悠長にしていていいのか」

「どういう意味だ」

「俺の追っ手は、あのじゃじゃ丸だった。 撃退には成功したかも知れないが、奴ほどの手練れが来ている以上、此処も割れているとみた方がいいだろう」

つまり、時間を掛けると、あのMが来る。

Mにとって見れば、Kは最大のライバルであると同時に、必ず滅ぼすと心に決めている存在でもあるはずだ。

書類の内容は、知っている。

今、Kにとって最も大事な情報であると同時に、Mにとっても重要なものだ。だが、それについては触れない。

あくまで影は忍びだ。忍びの仕事は、影働きであるからだ。

「だが、お前は残れ。 Mをお前が呼び寄せた可能性もある」

「ふん、分かった。 好きにしろ」

「好きにするさ」

人間のような手を、Kが食いちぎり、咀嚼して飲み込む。

妖怪を喰らっていると分かっていても、あまりにも凄惨な光景である。あの娘、ひょっとしてこれを見たくなくて、逃げ出したのかも知れない。

ほどなくKは満腹したらしく、腹をさすりながら向き直る。

口の中に並んだ無数の牙は、訳が分からない血で濡れていた。舌なめずりするKだが、その舌そのものが、人間の頭ほどもある。

影は、怖いと思ったことは無い。何度か死を間近に感じたことはあるが、それでも恐怖は無かった。

「お前は、思ったよりは面白そうな奴だな」

「それで?」

「待っていろ。 彼奴らはあれでもスペシャリストだ。 すぐに情報を持って来るだろうよ」

Kの言葉通り、三十分も経たないうちに、女が戻ってくる。

恭しく彼女が書類を差し出した頃には、Kは既に食事を終え、人間の姿に戻っていた。人間の姿でも、充分な威厳と迫力がある。

血だらけの茶室の中、座布団を引いて、胡座を掻いたKが、書類に目を通していく。

その間、ずっと女は傅いたままだ。現在のJ国で育っただろうこの女が、此処までしつけられているという事は。Kの組織がそれだけ恐ろしいという事なのだろう。普通だったら、此処までは出来ないはずである。

「此処まで汚染が進んでいたか。 予想はしていたが、酷い有様だな」

「如何なさいますか」

「Wに至急連絡を取れ。 不快だが、奴に渡を付けて貰おう。 これは、俺とMが争っている場合では無くなってきたぞ」

「それが、ほんの少し前から、通信が出来なくなっています。 ジャミングかと」

舌打ちすると、Kは立ち上がった。

影も伴われて、城の最上階に出る。其処からは、フィールドの端までを、無駄なく見回すことが出来るのだ。

影が呻いたのは、予想していたMやフィールド探索者がいたから、ではない。

空を覆うようにして、あまりにもおぞましい存在が、無数に現れ始めていたから、である。

同時に、このフィールドの温度が、急激に低下し始めた様子だった。

「どうやら、おいでなすったようだな。 ノコノコは戻っているか!」

「はい、此処に」

後ろに、傅く気配。

そこにいたのは、若いようにも年老いているようにも見える、不思議な雰囲気の男性だった。灰色の髪をオールバックになでつけた、背の低い痩せた男である。

此奴が、ノコノコの正体か。

「迎撃の準備だ。 この俺を舐めて掛かっているようだからな。 ぶっ潰す」

「分かりました。 直ちに。 しかしあれは異星の神と思われます。 いざというときに備え、脱出の準備はなさってください」

慎重なノコノコの言葉に、Kは頷く。古くからの側近であるからか、傲岸なKでさえ、この部下の言葉は良く聞くようだった。

いつの間にか書いたのか、Kが手渡してくる。

書類。それも、手書きの封筒である。

「これを、Wに届けろ。 報酬は、Wが払うようにしたためてある」

「問題ないか」

「奴とは、長いつきあいだ。 まさかこの程度の報酬を渋るようなことは無いから、安心しろ」

激しい衝撃音。

空から舞い降り始めた、無数の異形達が、城にとりつき始めたのである。

怪物達の中央には、巨大な影が見えた。それは蟹のようにも見えたが、触手が無数に生えている事が違っていた。

あれが、首魁か。

見る間に、フィールドが、重異形化フィールドに書き換えられていくのが分かる。

地面が凍り、風が吹き始めた。辺りの温度が、秒刻みで下がっていく。とんでもなく高性能なクーラーが、空間全体を冷やしているかのような雰囲気だ。

「もたもたしていると、脱出できなくなる。 急げよ」

Kに頷くと、影は階下に身を躍らせる。

既に下では、Kの部下と怪物達の死闘が、始まっているようだった。

 

J国に足を踏み入れるのは、久しぶりだった。

フィールド探索者であるスペランカーは、国連軍の要請で、住処としているアトランティスから来て、すぐに軍用のトラックに乗せられた。空港から道路を行くこと数時間。少なくとも、強力なフィールドが出現した事による混乱は感じられなかった。

この国は経済的にも軍事的にも安定している。クーデターが起こることもないし、内乱が発生することも無い。物資が豊かで、誰も内乱を起こさなければならないほど困っていないからだ。

近年は貧困国で、フィールドでの戦闘を繰り返していたからか。J国の平和が、身にしみてよく分かる。

今回は、現地近くで集合だ。護衛が付くことも無いという事が、この国の現状をよく示していた。

ハイウェイから降りて、通常道路に移ったのが分かった。

道は驚くほど安定していて、トラックは殆ど揺れない。今回、トラックにはスペランカーだけが乗っていたので、雑談する相手もおらず、少し暇だった。暇なので、装備を確認しておく。

アトランティスで持たされた装備類は、しっかり持っている。

服も靴も、出る前にきちんとならした。服は駄目になってしまう可能性も高いので、少しばかりもったいないが、それは仕方が無い事だ。

缶詰類は、J国に来てから買い込んだ。かに缶があるのがとても嬉しい。最近は仕事の料金がうなぎ登りに上がっていて、かに缶をたくさん買い込めるのもまた、スペランカーにはささやかな幸せになっていた。

リュックに装備をしまい直すと、トラックが山道に入るのが分かった。

しばらく揺られて、やがて到着する。

自衛隊のキャンプには、既に何台かのトラックが到着していた。今回の件に対応するため、集められたフィールド探索者達だろう。

今回、スペランカーが最も頼りにしている盟友、川背は他で仕事が入ってしまっているため、出られない。その代わり、同じくらい頼りにしている勇者が、顔を見せてくれていた。

E国最強のフィールド探索者、騎士アーサーである。

時代錯誤的なプレートメイルを着込んだひげ面の騎士は、スペランカーを見つけると、満面の笑みで歩み寄ってきた。相変わらず豪放という言葉がそのまま人間になったような雰囲気であった。

「おお、スペランカーどの! 息災無いか」

「大丈夫です。 アーサーさんは」

「我が輩もすこぶる元気だ」

わははははと、豪快に笑うアーサー。そして握手をシェイクされる。いつも磊落すぎて困ることもあるのだが、戦闘ではこれ以上頼れる人もそうそうはいない。

他にも何名か、見知った顔がある。

今回は、異星の邪神がらみである事が、ほぼ確定だ。それもあって、世界でも上位に入るフィールド探索者であるアーサーを主力に、かなりの腕利きが集められている。だが、Mの姿は無い。

手を振って近づいてくる、巫女装束の女の子。確か、サヤであったか。軽く挨拶を交わすと、アーサーに言われて、近くのプレハブに入る。すぐに会議を行うようだった。

ここに来るまでに資料は一応渡されている。

六名のフィールド探索者が会議室に入ると、プロジェクターで、フィールドの説明が始められる。

説明をしているのは、師団長か、それに準ずる地位の人らしい。かなり年配の、強面の男性だった。自衛隊の制服を、計算しているのか、妙に威圧的に着込んでいる。

「今回、重異形化フィールドと化したのは、この蠱毒城。 百七十年前に発生したフィールドである」

しゃべり方もかなり偉そうだ。フィールド探索者に何か対抗意識のようなものがあるのかも知れない。珍しくも無い事だ。軍人にとって、自分たちがどうにも出来ないフィールドを撃破する能力を持つフィールド探索者は、壁も同然だと、スペランカーは聞いたことがある。

彼の説明によると、蠱毒城は、ある理由から攻略を放置されていたという。その理由とは、新人フィールド探索者の訓練と、フィールドそのものが持つ特性、だそうだ。

その特性とは、回帰性、だという。

「回帰性、ですか?」

「再生能力と言っても良い。 このフィールドは、そのものが強い再生能力を備えていて、コアさえ無事なら、どれだけ破壊しても元に戻るのだ」

現在でも、妖怪が現れるらしいのだが、実力はそれほどでもないため、新人フィールド探索者の訓練用に用いられていたという。

しかし、ここ数ヶ月は、どうも様子がおかしかった、というのだ。

「どうもこのフィールドは、Kの一派に占拠されていたらしい。 法的にも問題なく、別にも新人訓練用のフィールドは存在していたから、発覚が遅れたそうだ。 しかも、どういうわけか、此処に異星の邪神が降臨してしまった」

「で、私が呼ばれた、ということだ」

会議室に、のそりと入ってくる巨体。

全身を分厚く筋肉で覆った巨漢。この業界にいなくても、誰でも知っているほどの有名人。

世界最強を誇るフィールド探索者、Mであった。

Mは鷹のような眼光で既に集っている面々を見回す。スペランカーを見た時、威圧的に目を細めたのは。彼が、スペランカーを嫌っているからだろう。

それは知っているが、苦笑いしてしまう。

「Kはいうまでもなく、闇世界の頭領と言っても良い存在だ。 奴が邪神と交戦している理由は分からないが」

「待った。 邪神とKが手を組んでいるのでは無く、交戦しているのか」

「それは確認できている。 フィールドを外から観察した結果、かなりの手練れが、邪神と戦っているようだ。 しかも複数。 Kとその一派以外にあるまい。 話を続けるが、いいか騎士殿」

皮肉たっぷりにアーサーに言うと、Mは説明をしていた士官からマイクをむしり取る。屈辱に顔を歪める士官を追い払うと、傲慢に話を続け始めた。

「今回は、Kと邪神を共に叩き潰すのが目的となる。 Kの方は、私に任せろ。 奴の配下の手練れも何名かいるが、いずれも私が対処する。 騎士殿とそのほかは、邪神とその配下を潰して廻って欲しい」

「フィールドは、どうするんですか?」

「邪神に汚染される可能性もあるからな。 潰してしまうとするか」

サヤの質問に、Mはこともなげに答えた。まるで虫を潰す、とでも言うような口調である。実際Mほどの実力であれば、この規模のフィールドなど、それこそ朝飯を食べ終える前に滅ぼせてしまう存在なのかも知れないが。

スペランカーはしばらく黙って話を聞いていた。

今回は邪神が来てからまだ時間も無いようだし、更にはMもいる。この人数で、迎撃は不可能では無いかも知れない。

サヤが不満そうに唇を噛んでうつむいている。理由は分からないが、このフィールドに何か思い入れがあるのかも知れない。

会議は程なく終わる。

外には、この国の総理大臣が来ているようだった。まさか邪神がこの国のフィールドに出るとは思わなかった、からだろう。しきりに、Mに一刻も早く退治して欲しいと、願っているようだった。

Mは傲岸に頷くと、スペランカーを一瞥だけする。

「邪神の退治は彼女の方が専門家です。 何しろ神殺しの異名を誇るほどですからな」

「そ、そうなのかね。 君、頼むよ」

「できる限りのことはします」

総理大臣の卑屈な態度に、スペランカーは少し困った。だが、アーサーが助け船を出してくれる。

「彼女の力は、周囲の支援により最大となる。 我が輩達が支える故、心配はなさらずに、総理大臣殿」

「そうか、ならば安心できそうだ」

長身で、見るからに強そうなアーサーがそう言ったからか、やっと総理大臣が安心した様子で、護衛達と一緒に下がる。

其処からは、国連軍と自衛隊の装甲車が混ざった状態で、現地へ向かう。装甲車の中は冷房が効いていて、ようやく人心地が付いた。

「有り難うございました、アーサーさん」

「何、安い用だ。 それにしても、国家元首なのだから、もっと堂々としていればよいものを」

やはりさっきの態度には、アーサーも思うところがあったらしい。

後三十分ほどで到着すると言われたので、装備の最終点検を行っておく。リュックを背負い直した後、アーサーと一緒に地図を見る。

フィールドの広さは三キロ四方ほど。非常に狭いものだ。

その中に、蠱毒城と呼ばれる、J国の城そのもののフィールド本体がある。堀と城壁で守られ、天守閣がきちんとある、立派なものだという。

以前に攻略はされたらしいのだが、このフィールドそのもののコアは無事で、それが故に先ほど説明された回帰性で復活。以降は危険度も低いという事で、新人フィールド探索者の訓練用に、残されているのだとか。

「中に出るのは、危険度が低い妖怪ばかりだったという事だが、邪神が侵攻した以上、どうなっているかはわからん。 気を抜かずに掛かろう」

「はい」

話している内に、現地に到着。

装甲車から降りてみると、あまりにも違和感が酷くて、スペランカーは思わず呻いていた。

周囲は夏なのに、いきなり雪が積もっているのである。山深い地域であるからか、その違和感はあまりにも異常だった。何かタチが悪い悪夢でも見ているかのようである。

囂々と、凄い音がする。

どうやら、今度の邪神は。少し前に交戦した双子の神と、同類か、或いは同族であるらしかった。

空には分厚く雲がかかっており、内部は吹雪になっている。城が見えると言うことだったが、それさえ無理だ。天守閣がある立派な城らしいのだが、これでは数十メートル先も、視認は不可能だろう。

幸い、状況を見て、国連軍がスノーモービルを用意してくれている。戦闘を考慮した装甲の分厚いものだ。これが三両。

話し合った結果、一両は予備として牽引。二両に分乗することとなった。Mは一両の上に座り込み、耐冷気のバリアを展開するという。

そういえば、以前もこんな事になった気がする。

少し怖いが、話はしておかなければならないだろう。

「Mさん」

「何でしょうかな」

Mは、スペランカーを徹底的に嫌っている。だから、意図的に敬語で接してくる。それが逆に、威圧感を高める効果をもたらしている。

咳払いして、心を落ち着けてから、言う。

「さっきの会議では戦力を分けるという話でしたが、やっぱりみんなで先に邪神をどうにかした方がいいと思います」

「我が輩も賛成だ」

アーサーが同意してくれる。

実際問題、フィールドを短期間で侵食した邪神の力の凄まじさは、外から見ていてもびりびりと感じる。このフィールド内にいる邪神は強い。基本的に、邪神はどれも強いが、更に図抜けているとみて良い。

「ほう? 神殺しの異名を誇るスペランカーさんでさえ、手に余ると?」

「確実に勝てるとは断言できません」

Mは鼻を鳴らすと、不満そうに視線をそらした。

一応会話の時は、視線を合わせてはくれるのだが。それでも、目の奥にある光は、スペランカーに対する敵意で塗りつぶされている。

他のフィールド探索者達も、おおむね同意してくれる。特に前回一緒に戦ったサヤは、この光景を見て思うところもあるらしい。何度もこくこくかわいらしく頷いていた。ベテランのフィールド探索者である、Mと同じ会社のSも、同意してくれた。

「M、今回は優先順位を変えた方がいいはずだが」

「ちっ……分かった分かった。 そうだな、そうかも知れんな」

Mも本当に渋々だが、同意してくれた。

分かっているはずなのだ。今はKよりも、先に倒すべき相手がいるのだと。確かに社会の裏側で暗躍していた存在で、Mにとって宿敵かも知れない。この世界で、散々悪さをして来た人達なのかも知れない。

だが、邪神は別格だ。放置していたら、この世界そのものが滅ぼされたり、或いは食い尽くされたりしかねないのである。

これで、多少は勝率が上がる。

だが、相手は邪神だ。たとえMがいてくれたとしても、確実に勝てるとは限らない。

気を引き締めて掛からなければ、危ないだろう。

「よし、行こうか」

アーサーに肩を叩かれる。

頷くと、スペランカーは耐寒服を着込み、スノーモービルに乗り込んだのだった。

 

2、疾駆

 

猛吹雪の中から抜け出すと、影は舌打ちしていた。忍者装束がぐしゃぐしゃに濡れてしまっている。

ファッションとか、不快感とかの問題では無い。これでは、大変に動きにくくて仕方が無い。依頼人の封筒は油紙に包んであるから平気だが、しばらくは体を休めなければならないだろう。

しかも、フィールドから出た途端、吹雪が消える。

温度差が凄まじく、これだけで体を壊しそうだった。既にフィールド内部は、氷点下にまで温度が下がっていることだろう。

Kの部下達は、城に入り込んできた化け物共を相手に五分以上に戦っていたが、それでもいつまで保つかどうか。

Kは確かに強い。

だが、邪神に確実に勝てるかと言われれば、影は小首をかしげざるを得ない。小物には勝てるだろうが、大物になってくるとどうか。歴史上、Mが最強のフィールド探索者という訳でもない以上、Mより劣るKでは更に勝率が下がる。それが現実というものである。

一旦森の中に、身を躍らせる。

追撃を駆けてきていたじゃじゃ丸は、一度ノコノコと引き分けたと聞いている。Kの側近とやり合ったのだから、どちらも無事では済まなかっただろう。多少の時間は稼げているとみて良い。

高い木に登り、周囲を確認。

動きが速い国連軍が、既にフィールド探索者を呼び集めるべく、行動を開始しているのが分かった。この様子だと、半日以内に、手練れが来ることだろう。その中には、高確率でMが含まれるはずだ。

Kが何を考えているのか、影にはよく分からない。さっきの発言からも、具体的に裏に何があるのか、解析しきれない部分が大きい。

奴は元々、知略を武器に、武力で勝るMと渡り合ってきた。世界の闇で蠢き、膨大な利潤を手にし、何度失敗してもめげずにMを倒そうとしてきた。

だが、今回の作戦は何だ。

どうにも目的が読めない。更には、異星の邪神の襲来である。一体これは、どういう事態の中に、自分がいるのか。

幸いにも、影はこの国で生まれ育った。隠れ潜むことは造作も無い。

更に言えば、影はこの国にまだ存在している、忍びの郷の出身者だ。といっても山奥にある原始的な集落では無い。現代社会の中に誰にも気付かれずに存在している、コミュニティの事である。

こういったコミュニティは便利だ。身を隠すことも出来るし、マネーロンダリングの真似事も出来る。

影はコミュニティ内で技を磨き、一人前になってから、フィールド探索者になった。だがその本業は忍び働きである。フィールド探索においても、あくまで支援と情報収集を行うのが、忍びの役割だと思っている。

森の中を走り、そして抜ける。

山深い土地だが、都会もある。それがJ国の凄いところだ。

Y県の中心であるY市を見下ろしながら、影は道路に出た。闇夜で動くための黒装束を脱ぎ、すぐに一般人の姿に着替える。

どこにでもいる、特徴の無い青年に、影は変わっていた。

この姿の時、影は石川次郎と名乗っている。特徴が無く、それでいて覚えやすい名前だからだ。勿論実名では無い。

途中、タクシーを見かけて拾う。

この近くにも、コミュニティの一端はある。昔は、風魔と呼ばれていた集団の、成れの果てである。本来の縄張りはもっとずっと東なのだが、此処まで末裔は流れてきていたのだ。

遙か昔は、地元の忍びの末裔と争いもあったと聞いている。

今では、互いに不干渉を貫いている。勿論、戦いになったら、血は流れることになるが、多くの場合忍術合戦では無く、拳銃やナイフがものをいう原始的な戦いになる事が多いのだ。昔ながらの忍術を修めていたり、ましてや特殊能力を持っている者など、忍者の末裔にもそうそう多くは無いのである。

だから、影は一族から大事にされている。

おそらくは、じゃじゃ丸も同じだろう。

携帯から、三度間違い電話を掛ける。

そうすることで、目的の番号につながるように、仕掛けがしてあるのだ。ジャミング対策も、軍用のレシーバー並である。

「影か、どうした」

「羽田に行く。 準備を手伝って欲しい」

「厳しいぞ」

電話の先にいるのは、長と呼ばれる人間である。現在コミュニティを取り仕切っている、七十代後半の老人だ。

腰は曲がっているが、とにかく彼方此方につてを保っていて、それが武器になっている。当然、情報筋から、長は聞いているはずだ。影が現在、じゃじゃ丸と交戦していることを。じゃじゃ丸は、このコミュニティとは違う忍者の末裔だ。当然、非常にまずい事になっている。

仕事上での戦いであれば、仕方が無い。

しかし、コミュニティがそれに関わった場合、全面戦争に発展する可能性が高い。コミュニティとしては、じゃじゃ丸と、その背後にいるコミュニティを敵に回すか、影を諦めるか、判断しなければならない。

その判断を、長に押しつけようとしている。

しばし待てと、長は電話を切った。

数分して、Y市の市街地に到着。此処から幾つかタクシーを乗り継ぎ、駅に出た。其処から、新幹線に乗るべく、電車を乗り継ぐ。

そろそろ、じゃじゃ丸も、此方を捕捉してくるはずだ。

かっても今も、忍び働きというものは、情報戦が主体になってくる。それこそあらゆるデータから、相手は影を狙ってくると見て良いだろう。

問題は、忍者というものは、フィールド探索者としては知られていても、社会では受け入れられていないと言うことだ。特に一部のコミュニティは、事件性のある行動を極端に嫌う傾向がある。

つまり、こういう電車などは、むしろ安全になってくる。危険なのは、人気が無い地下鉄などの場合だ。

電話にメールが着信。暗号で組まれていたが、長からのものだ。

「悪いが、助けは出来ん」

「どういうことだ」

「今回は、お前が想像していたよりも、山が大きいようだ。 KとMの争いだけかと思っていたが、裏にもう一枚、かなり大きな勢力が噛んでいる」

その勢力について、長はメールを出してこなかった。つまりそれだけ危険な相手だと言うことだ。

実のところ、Kの組織は大規模だが、さほど「暴力的」では無い。

世界征服を本気で目指しているといっても、テロリストを暴れさせたり、市街地で人を殺して廻っているわけでは無いのだ。もっと巨大な利潤を得るため、凄まじい規模で動くのが、Kの組織である。街のヤクザなどとは、格が違う存在なのだ。だが、それが逆にアキレス腱となってもいる。周辺で動く事は、さほど危険では無いのである。象に蟻が見えないのと同じ事だ。勿論、少しドジを踏めば、象に踏みつぶされる蟻になってしまうのだが。

しかし、そうでは無い組織もある。

今回の報酬は大きい。コミュニティに、大きな貢献をすることも出来るだろう。

だが、長は言っている。

失敗したら、お前を切り捨てると。

長も或いは、責任を取る形で、追い腹を斬るかも知れない。だがそれは、影をかばうことと何ら関係が無い。

助けは来ない。失敗したら、トカゲの尻尾切りで処分される。

それが分かれば、充分であった。

携帯を閉じると、隣の駅で降りる。自分が連れている姫、つまり郵便封筒は、命綱でもあり、災厄の塊でもある。

これを奪われれば死ぬ事になる。Kの組織の怒りを買うからだ。

持っていても、命を狙われる。

Kの組織が何と敵対しているかは分からないが、どちらにしても長が交戦を諦めるような相手だ。影一人で、どうにかなる敵では無い。

喫煙コーナーでたばこを吸う。

さて、どこまでじゃじゃ丸は迫っているか。ロータリーでタクシーを見つけたので、次の駅まで送って貰う。

足取りを掴ませるような情報は残していない。だが、途中で敢えて目的地を変えるのも、追撃を防ぐには効果的な作戦であった。

Kが指定した、Wとのアクセスポイントは、国外になる。

まずは、この国を脱出しなければならない。

 

猛吹雪が、更に酷くなってくる。

そのなか、ちかちかと瞬いている光。アーサーが平然とスノーモービルから身を乗り出して、手をかざして遠くを見ていた。

「Mではないなあ」

「見えるんですか?」

「我が輩ほど鍛えていれば、造作も無い事だ」

からからと笑うアーサー。窓を開けているのに、雪は吹き込んでこない。結界という魔術的な技術を使っているそうだ。

以前同行したサヤも、此処まで強力な術式は使えなかった。アーサーの術者としての凄い技量が、これだけでもよく分かる。

アーサーがブレーキを踏み、後続車も止まる。

ドアを開けて、ばらばらと皆が外に出た。誰が言うまでも無く、わかりきっている。敵だ。

「支援班は内側に! スペランカー殿、邪神の気配は?」

「凄い数です! ただ、それほど強い気配は……」

「よし……!」

アーサーが攻撃開始を指示しようとした瞬間に、上空を飛んでいたらしいMが降りてくる。同時に、周囲の吹雪が、消し飛ぶように静かになった。

全身から凄まじい湯気を出しているMの目からは、燃えるような殺気が放たれていた。吹雪がかき消された白い大地に、踏み込んでくる無数の巨影。

あるものは巨大な人型そのものに、無数の白い毛が生えていた。

また別のものは、ウミウシの様な姿をしていて、全身から白い触手を伸ばしていた。

魚のような異形もいた。だがそれは全身がねじくれ、体の下部に多数の触手を持ち、その触手の全てに目と口を備えていた。

いずれにも共通しているのは、海棲生物の特徴を、体の何処かに持っている、という事である。

数は十、二十、もっと増える。周囲を完全に包囲して、一秒ごとに包囲網を縮めてきていた。

Mがにやりと笑った。

「スペランカーさん。 以前感じたほどの気配はないですね?」

「はい。 でも、隠蔽している可能性もあります。 油断は出来ません」

あまりにもわざとらしい敬語に、スペランカーは怖気を感じた。だが、それが寒気にすぐに変わった。

Mが全身に炎を纏ったまま、敵に突貫したからである。ノータイムでの、戦闘モードへの変貌。Mの本領発揮である。

そして、千切っては投げ千切っては投げと、手当たり次第に殺戮の暴力を振るい始めた。Mの豪腕に掛かっては、無数の触手を持つ怪物も、紙細工のように砕かれ、或いは切り裂かれてしまう。

だが、怪物達は。

Mを相手にする気は、最初から無いようだった。

怪物達はMを一切相手にせず、攻撃に対しては雪崩を打って下がり、或いは他のものが倒されている間に逃げる。

代わりに、他の方向からは、怒濤のように攻め寄せてきた。

Mが目を細めて、手近な一匹を掴み、握りつぶす。いつの間にかMは身長五メートルほどにまで巨大化していた。噴水のように真っ青な血が噴き出して、だがMが気合いを入れると同時に蒸発、青い霧になった。

乱戦が始まる。

Sがスノーモービルに飛び乗ると、周囲にエネルギービームを乱射し始める。見晴らしのいい場所からの乱射に、次々怪物が打ち抜かれるが、数が多すぎる。

Mが周囲に、無数の斧を展開。回転させながら、敵の群れに叩き込んだ。

「GO! Fire!」

吹っ飛ぶ肉塊。飛び散る鮮血。

相手の数が多いが、そもそも回転しながら迫る巨大な斧は、大人数を相手にするのに最適な武器だ。巨体に突き刺さって止まっても、すぐに次の斧が出現し、アーサーの周囲から連射される。

迫り来る者は、容赦無くSがエネルギービームで薙ぎ払った。

スペランカーが、無言でサヤを突き飛ばす。無数の触手が、スペランカーの全身を貫いていた。意識が飛ぶ、

意識が戻ったときには、痙攣する肉塊が、周囲に散らばっていた。

スペランカーの特性である。その体を覆っている呪いは、不老不死。死んだ場合は、他者からの攻撃である場合は攻撃者から、そうでは無い場合は周囲から、欠損部分を補って復活する。

ある種の攻勢防御である。ずっと昔、幼い頃。狂気を帯びていた父が邪神を呼び出し、そして得させられた能力だ。これが、肉体的に大変貧弱なスペランカーが、超危険地帯であるフィールドを攻略できる要因なのだ。

復活するときには、電気ショックに似た痛みが走る。体を起こしながら、スペランカーは呻く。

「いたた……」

「スペランカーさん!」

「大丈夫だから、周囲に気を配って」

今の攻撃、敵は、下から来た。

元々サヤは、戦闘力が高い方では無い。神道系の術式や、式神というものを使って戦っているようだが、攻防共にさほど能力は高くない。

だが、此処に来ていると言うことは、当然理由があるはずだ。以前彼女が呼ばれたのは、その探査能力からだった。今回も、それが求められている可能性が高い。

また、別の人の前に触手が迫る。

立ちはだかると、触手が一瞬だけ動きを止めた。今度はサヤが印を組み、札を撫でて、何かを唱える。射出された風の刃が、触手を寸断し、辺りにばらまいていた。スペランカーは汗を拭いながら、戦場を走り回る。

誰かに攻撃が届こうとする度に盾になり、或いは代わりに八つ裂きにされる。スペランカーが殺される度に、殺した相手も死ぬ。いつもの光景だ。そうすることで、可能な限り皆を守る。だが、今回は相手の数が多すぎる。それでも防ぎきれない。蘇生する度に、痛みもある。だが、休んではいられない。

後ろで、スノーモービルが、蛸のような触手に締め潰された。けが人も増えてきている。サヤが可愛い悲鳴を上げて転んだ。足を触手に掴まれ、つり上げられそうになる。アーサーが一瞬速く触手を切り裂き、更にその主に無数の短剣をたたきつけた。文字通り蜂の巣になり、倒れる巨大な白い人影。

サヤを助け起こす。

「大丈夫?」

「どうにか。 でも、数が、多すぎます。 退路を開くべきでは……」

「もう少し頑張って」

Mが、仁王立ちになって周囲を見回している。その手には、もがく怪物がいた。こともなげに握りつぶしながら、Mはまるでドラゴンのように、巨大な口を開けて呵々大笑した。

「ふん、羽虫共がぞろぞろと……好都合だ。 そろそろ本気を出せ、騎士殿ォ」

「言われんでも!」

アーサーの全身が、光に包まれる。

鎧が、見る間に金色に染まっていった。彼の切り札である、能力を数段上げるモードだ。

天から降り注ぐ炎の塊が、周囲の怪物達を、薙ぎ払い、吹き飛ばす。

剣を振るう度に光の帯が周囲を焼き払い、圧倒的な火力の前に、怪物達がついに尻尾を巻いて逃げ出した。だが、アーサーの鎧がすぐに光を失う。消耗を抑えるために、フルパワー状態を解除したのだ。

呼吸を整えながら、アーサーは額の汗を拭う。

今の消耗は、小さくなかったはずだ。だがアーサーは、この先の戦いのために、切り札を出すことを選んだ。

理由は分からない。だが、後で聞いてみようと、スペランカーは思った。

「此方にこれだけ来ていると言うことは、Kは相当苦戦しているな」

「私としては、既に死んでいてくれると嬉しいんだがなあ」

凶暴な笑みを浮かべながら、Mが死んだ敵の頭を踏みつぶした。得体が知れない臓物や体液が、雪の上に飛び散る。

「ざっと百三十は潰したね。 けが人は」

「二人負傷した!」

「私が手当てします!」

サヤが飛び出そうとして、また転ぶ。

かわいらしいが、今は状況を悪化させるだけだ。スペランカーは、服がぼろぼろになってしまったことを嘆きながら、コートをもう一枚羽織る。サヤは雪まみれになりながらも、何とかけが人の側に行き、回復の術式を使い始めていた。やはりこれも、式神を使って行うらしい。札を取り出して、ごにょごにょやっていた。

これだけの戦力での攻撃である。

アーサーも、いつまでも冷気を緩和する術を使い続けられないだろう。国連軍が第二陣を用意してくれていれば良いのだが、そう都合良く行くかどうか。

吹雪は、衰える様子が無い。敵の戦力がいささかも減じていない証拠だ。

しばらく、無事だった二台のスノーモービルを対角線上に配置して、円陣を作り、休憩をする。

Mが、不意に周囲に呼びかけた。

「前、このフィールドで訓練をした奴はいるか」

おずおずと挙手をしたのは、サヤである。皆の視線が、必然的にサヤに集中した。

「ほう……」

「な、何でしょうか」

「確か城があるんだったな」

「はい。 もう、すぐ近くの筈です」

もしもKが立てこもっているとすれば、其処だろう。Mはそう言う。誰でもそう考えるだろうが、確かにその通りである。

現状、戦力が足りていない。一度Kの様子を見に行く、という手は確かにある。

だが、Mがそんな殊勝なことを、考えているのだろうか。

アーサーもやはりスペランカーと同じ疑念を抱いたらしい。猜疑心に満ちた目で、Mをにらんだ。

「まさか貴殿、この重大事に、Kを殺すつもりではあるまいな」

「さてな」

「我が輩からも言っておくが、今はまず邪神を撃退するのが先だ。 このフィールドの有様を見ても分かるだろうに」

Mはにやにやしている。アーサーだけではスタミナ切れすることがわかりきっているだろうに。或いは、場合によっては、単独で邪神もKも叩き潰すつもりなのか。

吹雪の中から、気配。

歩み来たのは、オールバックに髪をなでつけている、小柄な男性だった。Mを見ると、男性は恭しく礼をする。

「久しぶりでありますな、M」

「ふん、ノコノコか。 ブチ殺してやるか、或いは拷問してKのいる所を聞き出してやりたいが……」

「今はそれどころではないと、分かっておりましょう?」

ノコノコと言えば、スペランカーでも知っている、Kの側近中の側近だ。スペランカーが、火花を散らすMの側に行くと、服の袖を引く。

鬱陶しそうにMが、スペランカーを見た。

「何だ。 いや、なんですかな」

「今はそんなことをいっている状況では無い筈です」

「……っ」

Mの目に、灼熱の殺気が浮き上がるのが見えた。

わざとやっているんだよと、その視線は雄弁に語っていた。Mの怒りに満ちた視線は、並の邪神が放つ殺気よりも凄まじい。普通の人間だったら、この殺気を浴びただけで、失禁するか、或いは心臓麻痺を起こして死んでいたかも知れない。だが、スペランカーは平気だ。

恐怖にも、死にも慣れている。

それに、後ろには、Mに決して対抗できるわけでは無い人達もいる。ならば、スペランカーが盾にならなければならない。そうすることで、皆を守れるのなら、いくらでも盾にでも壁にでもなる。

咳払いしたのは、アーサーだった。

「我が輩も同感だ。 今は一時的にでも、手を組むべきではないのかな」

「分かっている!」

「話が早くて助かります。 Mだけでは、こうはいかなかったでしょうなあ」

「もう、要件に入って」

呆れ気味のスペランカーに、ノコノコは咳払いすると、言う。

皮肉屋である事はうかがえるのだが、視線には感謝の光もあった。そうして貰えると、スペランカーとしても嬉しい。

「主君は先ほど、蠱毒城に入り込んできた敵の先鋒を迎撃、撃破。 敵は第二陣の準備を整えています」

「ほう、それで」

「戦闘中、敵の首魁の位置を、ほぼ特定しました」

それを叩いて欲しいと言う訳か。

Kの方が、どうやらMより幾分か打つ手が速いようだ。それは何となく、スペランカーにも分かった。

だから、力で劣るにもかかわらず、Mと互角に戦い続けてこられたのだろう。

場所について、指定されたのは、フィールドの境界線あたりである。サヤが、挙手した。

「この辺りは、フィールドの中核です」

「え? お城じゃ無いの?」

「お城の中には、実は中核はありません」

意外なことを、サヤは言う。しかし、此処で訓練したことがあると言うのなら、その言葉には信憑性がある。

詳しく聞こうかと、アーサーが言った。

攻略の糸口になる情報だ。誰もが、真剣にその言葉に聞き入った。

 

3、繰り返される逃走

 

Y市の港まで出ると、船が用意されていた。と言っても、小さなモーターボートだが。外洋を渡るほどのパワーは無い小舟だ。近海でも、嵐が来たら転覆しかねない程度の船である。

これを使って海岸線に沿って進み、海流に乗って東アジアに出て、適当な国で飛行機に乗る。それしか、影が生き残る路は無い。モーターボートで海を越えるのは至難の業だが、どうにかやるしかない。

小舟を用意してくれただけでも、長は健闘してくれた方だろう。

船に乗り込む。既に後方に追っ手の気配がある以上、もたついてはいられなかった。すぐにエンジンを掛け、海に出た。

夜の海は、恐ろしいほど静かで、そして真っ暗だ。

エンジン音を出来るだけ消して、隠密のまま行く。沖に出たら、軽く仮眠を取ろうと思っていた影は、ふと空を見上げて凍り付いた。

巨大な目が、見下ろしている。

あまりにも非常識すぎる光景だが、確かにそれは、充血して、見開いた何者かの目だった。

「見つけたぞ……!」

声が、脳裏に轟くようにして響く。

思わず全力でハンドルを切ったため、船が転覆しかけた。しかも、目はどの方向に船を向けても、変わらず空にある。

それほど大きいのか。否、これは幻術か何かの類か。

どちらにしても、あの目が此方を捕捉していることは間違いない。一瞬、追っ手の仕業かと思ったが、違う。

今追ってきているじゃじゃ丸は、あくまで堂々の勝負を好む忍者らしからぬ男である。勿論細かい戦術などでは忍者らしいえげつない策を用いもするが、こんな精神攻撃のようなまねはしないだろう。

速度を落とす。逃げられはしない。

それならば、相手の出方を見た方がいい。イヤホンを付けるが、声は全く関係なく、脳に届く。

或いは、テレパシーの類か。

「影ぇ……! 私にあのような仕打ちをした、邪悪なる、卑劣なる忍びぃいいい! 人さらい! 悪鬼! 姫殺し!」

「な、何者だ!」

「私から奪い去ったいのちを、返せ! この外道!」

意味が分からない。

影はKから書簡を受け取って此処まで逃げてきたが、女など連れ出した覚えは無い。もっと古くに恨みを買った関係だろうか。だが、影は人身売買関係の仕事に手を出したことは無いし、無惨な殺し方もしていない。敵として交戦した女を殺した事はあるが、それはそれだ。影働きをしている人間なら、あっても不思議では無い。まして相手は、姫と呼ばれるような存在では無かった。

目は、更に大きくなる。

充血してい様子や、それが恐らくむき出しになった人間の眼球なのだろうと、この距離からは判別できた。

「貴様を追い続けて、百年以上を掛けたが、ついに捕らえたぞ! 必ずや、殺してやる!」

声が途切れると、目玉も今まで存在していなかったかのように消えていた。

全身に寒気が走る。

一体今のはなんだ。数多のフィールドに挑んできた影だから、人ならぬ者や、闇そのものの存在も一度ならず見てきた。

だが、今見た者は、それらともまた、根本的に次元が違うように思えた。

あれは、怨念と、執念の塊。

それが、影一人に、全ての悪意を向けてきている。

逃げ切れるのだろうか。ただでさえ、背後に追っ手を抱えている状態なのである。それなのに、これ以上非常識な存在の追撃を受けていたら、命がいくつあっても足りやしない。

勿論、中堅どころのフィールド探索者である影は能力持ちで、切り札も持っている。だが、それでも。

先の巨大な目玉には、勝てる気がしなかった。

無言で、船を飛ばす。

仮眠どころでは無い。眠ったら最後、あの巨大な何者かに追いつかれ、頭から喰われてしまうような気がした。

こうなったら、当初の目的を、変えるしか無いかも知れない。

精神が、締め上げられるかのようである。影は何度も、我知らず爪を噛んでいた。

 

蠱毒の城は、成立を江戸時代にまでさかのぼれるフィールドである。

かって此処には、反政府組織とでも言うべきものが存在した。元は隠れキリシタンが中心となって組織されたものであったらしく、近隣では観音像に似せたマリア像が見つかったりもするそうだ。

しかしやがて隠れキリシタンは表向きのものとなっていく。そもそもキリシタン自体が禁止されてから時が経ったこともあり、信仰は仏教や神道と混じり合って独自のものとなり、閉鎖的なコミュニティ内で理想も歪んでいった。やがて不平を抱える者達が、過激派として組織を牛耳るようになっていった。組織員にも犯罪者や浪人が増え、各地で乱暴狼藉の限りを尽くし、その実体は盗賊団も同然になっていったという。

だが、こういった組織は、一部の例外を除けば長続きしない。やがて幕府による調査の手が伸び、一族郎党に至るまで殺し尽くされた。

江戸時代が終了するまで生き延びた隠れキリシタン達もいた。だが、こうやって内紛を起こして自滅したり、盗賊化したり、殺し尽くされた者達の方が、遙かに多かったのである。

これらは、地元の人間や、何よりフィールドに住んでいた妖怪達に聞いた話なのだと、サヤは言った。

「サヤちゃん、妖怪と会話が出来るの?」

「私は、未熟ですが、式神を使う専門家です。 そして元々この国の神々は、妖怪と区別が付かない場合も多いです。 妖怪と呼ばれる者の中にも、何々の神、という名を持つ存在がかなり多いことからも、それは察していただけるかと思います」

おとなしい性格のサヤは、皆の視線を浴びて恐縮しながらも、話を進めてくれた。

スノーモービルは、吹雪の中を粛々と進み続けている。サヤの話は、二台あるスノーモービルの両方に流れるように、回線を通じて届けられていた。

やがて、皆殺しにされた者達の憎悪。それに何より、人間の業に押しつぶされた隠れキリシタン達の怨念が中心となって、この地にフィールドが誕生した。

それが、蠱毒城である。

しかし、江戸幕府が差し向けたフィールド探索者の手によって、ひとたまりも無く潰されてしまった。

この規模のフィールドは、江戸時代にも既に攻略技術が確立されていたから、である。

問題は、此処からであった。

「このフィールドは、永遠の信仰を願った人達の怨念から出来ているからか、何度壊しても再生してしまうんです」

「ほう?」

Mが面白そうに呟いた。

というよりも、M位の男なら、この程度の事情は当然知っていそうである。スペランカーでさえ、新人用の訓練に使われるフィールドだと言うことは知っていたほどなのだ。

「元々フィールドの難易度がさほど高くなかったこともあって、此処は幕府の手によって意図的に残されました。 無理矢理攻略しようとすれば、出来たのでしょうが。 しかし、訓練用として最適だと言うことで、今も残されています」

「むごい話だな」

アーサーが、ハンドルを握りながら、静かな怒りを込めて言う。

彼がキリスト教徒だから、というだけではないだろう。アーサーは元々騎士と呼ぶに相応しい心の持ち主だ。

信仰を保とうとした人々が、邪悪な暴力的意思に組織を乗っ取られ、更には幕府に弾圧され。死した後もその意思を良いようにされている。

そんな事実を、残酷だと、アーサーは糾弾しているのだ。

その上、このフィールドは今や、異星の邪神に乗っ取られてしまっている。このフィールドの基礎になった隠れキリシタンの人達の無念は、如何ほどだろうか。

吹雪は強くなったり、弱くなったり、先ほどから安定しない。

城の方では、まだ激しい戦いが続いているようで、ちかちかと光が瞬いている。今の時点で、敵の主力はそちらに集まっている様子だ。

「空き巣狙いのようで面白くは無いが、一気にぶっ潰すか。 私がおとりになるから、他の連中で首魁をつぶせ。 騎士殿ォ、それくらいは余裕だよなあ」

「貴殿の狙いは、返す刀で消耗したKをつぶすことであろう」

「そう邪推しなくてもいいだろう。 事実その通りだがな」

Mが暴虐そのものの笑いを、吹雪の中に轟かせた。

アーサーがハンドルを乱暴に切る。

どうやら、敵の防衛線に、接触したらしい。全員が、スノーモービルからばらばらと降りる。

吹雪は止んでいる。

恐らく、このフィールドを乗っ取った邪神が、Mに気付いたからだろう。全力で戦うために、力を自分に集めているのだ。

巨大化したMが、拳を鳴らす。

スペランカーは見る。さっきとは違う者達が、森の中から、姿を見せるのを。

それは、忍者のように見えた。或いは虚無僧のようにも見えた。

派手な格好の、分かり易い忍者である。色とりどりの装束を着け、分かり易い刀を腰からぶら下げている。

海外の人間がイメージするような、和製ファンタジーの産物である「忍者」だ。NINJAと言うべきだろうか。

虚無僧についても、本来の者とは随分かけ離れているように感じる。全身から禍々しい妖気を放っていて、手には分かり易い尺八を持っていた。ぼろぼろの袈裟は、見ているだけで異臭が漂ってきそうである。

それらが数十人。いや、もっと多いかも知れない。

「おや? あんな連中が、此処のフィールドの雑魚だったか? 巫女殿ぉ?」

「いえ、違います。 此処は妖怪達が基本的には住んでいるはずなのですが……」

「そうなると、怨念が邪神の力と合わさって作り出した、力の象徴であろうな」

「アーサーさん?」

スペランカーの疑念に、アーサーは答えてくれる。

かってこの国で、フィールド探索者と言えば、忍者に侍、それに虚無僧などが中心だったという。希に無頼の盗賊などがなる事もあったようだが、基本的にこれらの存在が、フィールドに対処する力を持っていた。

つまり、あれは。

フィールドを蹂躙した存在を力の象徴として、歪んだ意識の元作り出した防衛装置。

「まずは彼らを突破しなければならんな」

この悲しい戦いは、一刻も早く終わらせなければならない。

スペランカーは、アーサーに頷いていた。

 

モーターボートを乗り捨てて、最短距離で空港に向かうことにした。

海上では、袋の鼠も同然だ。あの目玉の主が何者かはさっぱり分からないが、いくら何でもモーターボートに乗り込んでこられたら分が悪すぎる。あの大きさから言って、モーターボートを即座に転覆させるくらいの攻撃能力もありそうだ。

元々海上の乗り物は速度に問題がある。その上、身動きが取りづらい上に、居場所を見失ったら死亡確定の海上で、あのようなものに追い回されたら、命がいくつあってもたりないだろう。

逃げ場所が無いと言う点では飛行機も同じだが、かかる時間が短い分、まだマシである。

全身の冷や汗が止まらない。これほど危険な敵と相対したのは、一体いつぶりになのだろうか。

冷静になれ。

自分に言い聞かせる。だが、恐怖は中々消えなかった。

今でこそ皮肉屋の影だが、幼い頃は恐がりだった。怪談話などを聞かされると、夜中にトイレに一人で行けないことなどザラだった。

忍者の末裔として訓練を受け始めてからも、それは変わらなかった。

臆病は恥じるべき事では無いと、師匠達は口を揃えていった。恐怖をコントロールすることで、強い敵を見極めることが出来ると。そうすれば効率的に危険を避けることにもなると。

影は、師匠達の言うことを良く聞いて、恐怖と友達になるべく、努力した。

長年の血がにじむような努力の末に、ある程度は恐怖をコントロール出来るようにはなった。

だが、あるラインを超える相手を見てしまうと、恐怖が吹き出してしまうのだ。

不思議な事に、集団でいるとき、この悪癖は出ない。

影は孤独に弱い。

一人でいるときは、どうしても、恐怖に負けてしまうことがある。

タクシーを乗り継いで、空港に向かう。追っ手の気配をはっきり感じ取ったのは、首都圏に入った頃だ。

人が大勢いる場所では、仕掛けてこない。

相手もプロだ。都会にあるエアポケットのような、誰もいない場所で、初めて攻撃を試みてくる。

そしてその攻撃は、交戦を目的としたものではない。

仕留めるためだけのものだ。

エアポケットは、夜になればなるほど拡大する。昼間は、どうにかして身を潜めなければならない。

そして恐らく、相手は忍びとしては、影より格上だ。尋常な知恵比べては、多分勝てないとみて良いだろう。

後ろのタクシーに、恐らくじゃじゃ丸は乗っている。

タクシーを止めると、電車に。予想通り、この時間は満員だ。駅でもどっと人が降りてくる。

その人の荒波をすり抜けるようにして、影は行く。

後ろから、相手も追ってくる。

階段を上り終えた。駅のホームを進む。徐々に、降りてきた人が少なくなってきた。すし詰めになっている電車の様子に、乾いた笑いが漏れる。相手がじゃじゃ丸だから良いようなものの、手段を選ばないタイプだったら、即死確定の逃げ場所だ。

途中加速して、ギリギリで乗り込んだ。じゃじゃ丸は隣の車両に乗り込んだようだった。電車が動き出す。

凄まじい圧迫で、電車の外にはじき出されそうだ。この人間の密度だと、流石にじゃじゃ丸も追ってこられないだろう。

呼吸を整えようとした、その瞬間だった。

「逃がすものか」

あの、巨大な目玉の声。

息を呑むと、気配は消える。これだけの人数がいると、どうやら仕掛けることは出来ないらしい。

再びせり上がってくる恐怖を、落ち着ける。飲まれたら死ぬ。

携帯を弄って、情報を入手していく。

乗る飛行機は決めた。一端乗ってしまえば、ある程度は安全になる。ただし、同じ飛行機に、じゃじゃ丸が乗り込めないことが、最低条件になるが。

問題は、あの巨大な目だ。

目をシンボルにしている妖怪は、多数検索にヒットする。元々洋の東西を問わず、目には魔なる力が宿ると信じられていた。

隣の駅に到着。どちらかといえば通過地点となる駅で、複数の電車が乗り入れている。此処で降りる客は、大体が別の電車に向かう。

つまり、一度気配を断っておけば、相手をまける可能性が高いのだ。

どっと押し出される客に紛れて、影は気配を消す。この辺りで、再び相手をまいておきたかった。

だが、恐らく、じゃじゃ丸は動きを読んでいたのだろう。

改札を抜け、駅を出たときには、既に至近に迫られていた。

振り向きざまに、ハイキックを浴びせる。残像を抉っただけだった。わずかにかがんだだけで蹴りをかわしたじゃじゃ丸は、そのまま流れるように足払いを掛けてくる。バランスを崩して地面に倒れ込みつつも、廻って受け身をとり、飛び退く。

まずい。

近接戦をわずかにやっただけでも、分かる。力量差は歴然だ。反応速度などでは、相手に近いものがある。

だが技の切れが違いすぎる。くぐってきた修羅場の数と密度が別物なのだ。

格闘戦をやってもこれだ。能力を使っての勝負となると、全く相手にならないのは、目に見えていた。

間近で見ると、じゃじゃ丸は若干影よりも背が高い。顔立ちも精悍だが、さほど目立つような容姿でも無い。だが、退魔忍者としての頂点とも言える名を襲名しているだけあり、存在感は圧倒的だった。

「その程度で、良く俺から此処まで逃げ切ったな」

「ハ、この先も逃げ切って見せるぜ」

「無駄だ。 というよりも、状況が変わった」

じゃじゃ丸は、何かを投げてよこす。周囲の通行人は、驚くほど此方に目を向けてこない。元々移動中間点としての駅で、此処で降りる客は少ないと言っても、だ。何か特殊な技術を使っているのかも知れない。

警戒しながら、拾ってみる。

それは、手紙だった。勿論、紙に書いたものではない。携帯端末を、そのままよこされたのだ。

「雇い主からだ。 お前への攻撃を一端中止、だそうだ」

「何……!?」

「お前がKの情報屋をしていたことは分かっていた。 だから俺は阻止するべく動いていたのだが。 雇い主はどういう情報を掴んだのか、お前と共同して、任務を遂行させろと言ってきた」

まだ、警戒は解けない。

殺さないから逃げなくて良いと、大鷲に言われた鳩のように、自分が思えてきた。

「皮肉な話で、今、MとKが共同戦線を張っている。 俺はまだ見たことが無いが、異星の邪神とやらは、それほど強力で凶悪な敵であるらしいな」

まさか、あのMとKが。しかし、それならば、命がけで影が運んでいる書状は、意味をなさないのでは無いのか。いや、これには何か、大きな意味があるのか。

いずれにしても、確かめておかなければ危ない。

長老に、連絡を入れてみる。

どうやら、嘘では無いらしい。ある程度の協力について、打診があった。

影のコミュニティごと潰しに掛かっている可能性も否定は出来ない。だが、其処までする意味は、流石に無いだろう。

いずれにしても、もう八方ふさがりだった。

分かってはいたのだ。このようにふらふら逃げても、どうせいつかは捕捉されると。空港まで逃げ切ることさえ、諦めかけていた。

影は、自分の力不足に、唇を噛む。

その肩を、じゃじゃ丸が叩いた。

「行くぞ。 まずはお前に目をつけている、訳が分からん奴を、叩いておいた方が良さそうだな」

「気付いていたのか」

「俺は忍者である以上に、妖怪退治の専門家だ。 任せておけとは言えないが、多少の知識はある」

悔しいが、心強かった。

 

Mが先頭に立ち、豪腕をふるって敵を蹴散らし始める。

当然のように横投げで手裏剣を投げてくる忍者達。虚無僧は、あろう事か、それぞれが炎を吐いてきた。編み笠を被っているから、炎を吐けば引火しそうなものなのだが。その辺りは、特殊な術を使っているのかも知れない。

札を投げたサヤが、今まで吹雪いていたことをお返しするように、冷気の壁を作り出す。虚無僧達の炎が、吹き散らされた。

Mが拳を振るう度に、忍者や虚無僧が吹き飛ぶ。

確実に前進していくMだが、それを阻むように、後から後から忍者が沸いてくる。動きはどれも遅く、J国外の映画に出てくる何故か空手を使うやられ役の忍者のようだった。スペランカーは、それぞれ能力を乱射しながら森へ踏み込む皆の真ん中で、妙だなと思う。いくら何でも、弱すぎる。

「アーサーさん、おかしくありませんか?」

「我が輩もおかしいと感じていたところだ」

ここにいる邪神が、力を温存するために自分に力を集めている事は、既にはっきりしている。吹雪が極端に弱まっていることからも、それは明らかだ。

弱々しく飛んでくる手裏剣を、アーサーが盾ではじき返す。Sも軽く回避しながら、手元の銃から極太のエネルギービームを放ち、数体の忍者を薙ぎ払っていた。

森の中に入っても、抵抗はあまり変わらなかった。

忍者達は木々の間を飛び交って襲いかかってくるが、根本的な動きも遅い。何より、投げてくる手裏剣が致命的にまで勢いが無く、弱々しかった。刀の使い方も変で、それこそMが進む妨げにもなっていない。

やはり変だ。

スペランカーが、皆に叫ぼうとした、その瞬間だった。

ぐにゃりと、世界が歪んだ。

色彩が無くなり、平衡感覚が狂う。吐き気さえ感じる、異常な変化。世界が歪み、ゆっくり回転していき。

そして気がつくと、全員が森の外に立っていたのである。それだけではない。眼前には、全く戦っていないかのような、忍者と虚無僧達が、勢揃いしていた。

「ほう……」

Mが心底から楽しそうに声を出した。

アーサーが皆を見回して、叫ぶ。

「おそらくはまやかしの類だ! 各自温存しながら戦え!」

「どうやらその方がよさそうだね」

Sも銃の出力を絞ったようだ。

スペランカーは、やはり妙だと感じる。というよりも、その違和感が、ますます大きくなり始めていた。

「サヤちゃん」

「どうしましたか、スペランカーさん?」

「偵察って出来る? ええと、式神?で」

「出来ます。 でも、みんな恐がりなので、邪神にあってしまったらどんな悲しい事になるか……」

そういって、本当に悲しそうに、サヤは眉をひそめた。

前では、相変わらずMが大暴れしていて、忍者や虚無僧が吹き飛ばされていた。いい加減面倒になってきたらしく、Mは手から巨大な火球を作り出しては、投擲して辺りを薙ぎ払っていた。

消耗している様子は無いが、この様子ではいずれじり貧となる。本命の邪神が現れたとき、対抗できるのだろうか。

勿論、言うまでも無く、Mはスペランカーとは比較にもならないほどの戦歴の持ち主だ。その程度の事は、分かっているはず。だが、どうにも不安がぬぐえない。

不意に、後ろに殺気。

地面の中からわき出すようにして、二刀流の剣士が姿を見せていた。

髪の毛を乱暴に髷にまとめ、月代はぼうぼうで、目にはらんらんと狂気が宿っている。そして、忍者とは比較にもならないほど、動きが速かった。

サヤが振り返るより速く、剣士が動く。

右手の剣を、繰り出す。

スペランカーが飛び込み、串刺しにされるのと、アーサーが剣を振り下ろすのは同時。アーサーに斬り倒された剣士の姿がかき消える。

だが、スペランカーに突き刺さった剣は、消えなかった。

大量の血を吐く。肺を抜かれたらしい。

まだ薄く雪が積もっている地面に、倒れる。辺りには、同じような剣士がたくさん出現しているようだった。

酷い痛みの中、スペランカーは気付く。

周囲の戦況が、一変していることに。

それだけではない。どういうわけか、再生能力が働かない。否、働いていないのでは無く、非常に治癒が遅くなっている。

血だまりが、雪の中に広がっていくのが分かる。

痛みは、どうにかなる。だが、これは初めての事態だった。

 

先祖が攻略したフィールドなどには興味は無かったが、それでも今は命が掛かっている。影はじゃじゃ丸の話を聞きながら、空港に向かっていた。

今は、じゃじゃ丸の車の中である。足として、幾つか車を持っているらしい。4WDの特注車両で、当然のように防弾硝子で守りを固めている。内部には武器も多数搭載しているようだ。

じゃじゃ丸は、話を一つずつ進めて行く。

江戸時代の中期に、蠱毒城が出現したこと。

蠱毒城が成立した理由。

それらを聞いても、別に心は動かなかった。悲劇には慣れている。

社会の裏側で仕事をしてきたのだ。吐き気を催すような人間の本性は、嫌と言うほど見てきた。

人道を口にしながら、それを都合よく利用している人間が、どれだけ世の中にいる事か。特にJ国では、一見良いことをすると思考停止するという国民性から、その邪悪さは言語を絶するほどである。

「で、あの巨大な目玉が、どうそれに関係しているんだ?」

「天草四郎時貞を知っているか」

「何だ急に……知っているに決まっているだろう」

天草四郎。いわゆる島原の乱の首謀者とされる人物である。

九州で江戸時代初期に、圧政に耐えかねた民衆がキリスト教徒と結びついて発生した、大規模な一揆。それが島原の乱、とされている。

実際には、戦国時代の生き残り達ともいえる浪人が、乱世を求め、天草四郎という現地で人気があった人物を旗頭として担ぎ出したに過ぎない。幕府側も多少の被害を出したには出したが、結局は圧勝に終わり、首謀者以下乱の参加者は皆殺しにされた。内通者がただ一人だけ生き残ったが、それだけである。

まだ少年であったらしい事、隠れキリシタンであった事などから、信仰を求めての反乱などと美化される傾向が強いこの事件だが、実際には徳川の天下(と、武士には立身の妨げになる平和)に反発して、不平を持つ者達が起こした乱に過ぎない。ただし、この地方で圧政が敷かれていたことは事実であり、だがこの乱の収束をもって江戸時代が安定したこともまた事実だ。

「天草四郎は島原の乱で死んだが、その子孫が逃れたと言う説は、昔からあった。 妻帯していたという噂はあったのだが、どうもその子らしいな」

「それは、初耳だな」

「貴様は確か風魔系だったな。 俺の一族は幕府寄りの忍び一派だから、こういう情報も持っている」

風魔一族は、幕府によって滅ぼされた忍びの一族だ。

正確には、関八州に覇を唱えた北条家のお抱え忍軍だったのだ。北条家が滅びた後、風魔の一族は首領を中心に盗賊団になり、徳川家康に叩き潰された。ただし、その末裔達は各地に散り、一部は花街などで用心棒をしていたという伝説もある。

勿論、影のように、忍者としての形を残していた一族も存在したのだ。

「貴様を見つけるまでに情報収集をして分かったのだが、どうやら蠱毒城の件は、公式発表よりもずっと根が深いものであったそうだ」

「根が深い?」

「考えても見ろ。 現地で命脈を細々と保っていた風魔の一族に、どうして討伐依頼が来た? 幕府側の勢力が関与すると、面倒な事象でもあったと判断できないか?」

少し考えて、影もその可能性に思い当たる。

そうか。

まさかとは思ったが。

江戸時代、世界史的に見ても極めて平和な時代とは言え、幕府が抱えている火種はいくつかあった。

その一つが、後継問題である。

徳川家康はこの辺り抜かりが無く、主家がつぶれても替えが効くように、多くのスペアを用意していた。いわゆる御三家がそれである。

「幕府の内部の問題が噛んでいたのか」

「そうだ。 どうやら紀伊家の息女が、天草の子孫と通じて、密かにキリシタンになっていたようでな」

それは、まずい。

紀伊家は名君で知られる徳川吉宗を輩出した名門である。だからこそ余計に、このようなスキャンダルが発覚していたら、ただではすまなかっただろう。

空港に着いた。

あまりにも簡単に到着したので、拍子抜けしたほどである。

実のところ、先祖がしたことを、影はあまり詳しく知らない。ただ、フィールドから、姫を救い出した、という事だけは聞いている。

だが、それがもし、言葉通りの意味では無いとすると。

まさか。

救い出したというのは、実際は嘘で。全てを闇に葬ったのでは無いのか。そしてにっくき天草の一族を延々と苦しめるために、わざとフィールドを残し、それからも訓練用と称して、永遠に殺され続ける環境を作った。

身震いがする。

影は、色々と世界の闇を見てきたつもりだった。だが、これは本当に、人間が行ったことなのだろうか。

影が見てきたことなど、ほんの表面に過ぎないのでは無いのか。

本当は、人間を心の何処かで信じるという、愚行に走っていたのでは無いのか。

皮肉屋のつもりが、実際にはただの拗ね者に過ぎなかったのではないのか。

「お、俺は……」

「まだ貴様は若い。 ならば、忍びとして、これから腕を磨いていけばいい。 心を鍛えていけばいい」

「……」

情けない。ただ、それだけを影は思った。風魔の一族であった先祖の影は、一体どのように思って、何も分からず陰謀に巻き込まれた姫を殺したのだろう。救い出したはずもない。

自分が同じ命令をうけたら、出来るだろうか。

今までは、何も考えず、仕事をしてきた。勿論闇に触れる機会はあったが、これほど酷いものは初めてだ。

能力者の忍びは重宝されると聞いたことがある。こういうダーティワークを行えるから、なのか。

抑えていた感情が、せり上がってくる。なんと、自分は未熟であったのか。

強烈な殺気を感じる。

辺りが、異空間になってしまったかのようだった。当然、空港のロビーなどは周囲に無い。墨色を容赦なく辺りにぶちまけ、物理法則までねじ曲げたような、異常な空間だけがあった。

「おのれ、逃がさぬ……!」

妄執が凝り固まった声。

見上げると、巨大な目玉があった。だが、分かる。それは顔の一部であると言うことに。

手紙を取り出す。

そして、じゃじゃ丸に渡した。

「悪いが、持っていて貰えないだろうか」

「どういう風の吹き回しか」

「俺は、どうやら此奴からは逃げられそうに無い。 決着を付けなければ、どのみち国外には出られないだろう。 俺が敗れたときには、あんたが代わりに仕事を果たして欲しい」

「受け取れないな」

必ず生き残れという激励。

それは、忍びとしては、あまり正しいとは思えない行動だ。だが、それは短時間で、この男に感化されつつある自分も同じなのでは無いか。

「分かった。 ならば、此奴を必ずや倒そう」

「それでいいのか?」

「……ああ」

本当は、救いたい。

だが、今の技量では、出来そうにないことだった。

 

4、邪神の嘲弄

 

蟹のような姿をしたハスター配下の邪神ミ=ゴは、定時連絡を主君に入れていた。彼ほどの邪神となると、通信装置など必要ない。テレパシーで、苦も無く主君と会話することが出来る。

ミ=ゴは参謀格としてハスターを支え続けてきた存在で、その麾下としていくつもの星を任されてもいる大物だ。ハスターが復活する前から宇宙で暗躍を続け、この星についても主君より詳しい自負がある。

だからこそに、知っているのだ。

もしも優れた力を持つ風の四大、邪神ハスターであっても、この星の能力者どもを相手にすると、分が悪いことを。

勿論主君の前では、そんな姿を見せない。意見も提示しない。

主君は風を司るだけあり、残忍で気まぐれだ。長く使えてきているミ=ゴでも、気分を損ねたらゴミのように殺されてしまう。

「ほう、それでMとやらを、幻惑の陣に誘い込んだか」

「はい。 懸念されていた神殺しに関しては、相殺の呪術を掛けました」

「例の呪いを無力化する呪術か」

種は、大規模だが、実のところたいしたものではない。

このフィールドは、既に一つの生命とかしている。無数の怨念が凝り固まった結果、天草の一族の怨念と一体化し、これそのものが「幕府に迫害された天草一族」と化しているのだ。

それを、まんま全て、神殺しにぶつけた。

後はクトゥヴァを倒した時にアシストを努めたサー・ロードアーサーだが、これについては物量で押しきればいい。Mほどの火力はないし、油断さえしなければ充分に倒しきれるはずだ。

ミ=ゴは戦略的に、相手の長所を潰して掛かっている。

後は籠城しているKを始末すれば終わりだ。

それをアピールして報告を終えると、満足そうにハスターは言った。

「それにしても、クトゥルフもクトゥヴァも知恵が足らんなあ。 こんな連中を相手に、随分と手こずりおって、あげくに倒されるとは」

「クトゥルフ様に関しては、不意を打たれた、というのが一番大きいようにございます」

「ふん、それにしても、不意を突かれた程度で人間に負ける程度であった、ということであろうよ」

これは、主君がMか神殺しと戦ったら負けるな。

そう、ミ=ゴは思った。

主君は強いのだが、相手を侮って掛かる悪癖がある。並の相手だったらそれでも全く問題は無いのだが、この星の連中は格が違う。

此方を見ただけで発狂するような柔な奴は存在しないし、何より基礎的な力が桁違いだ。

最悪の事態を、ミ=ゴは想定してしまう。それは、勿論主君が負ける、などというような生やさしいものではない。

「私はKを葬ったら引き上げます。 もしも勝てない場合は、その時には情報を持ち帰ります」

「Mは倒さぬのか? 知恵多き部下よ」

「奴は危険性が高く、私の手に余ります。 是非主君の力をお見せください」

「ふん、まあ良いだろう」

通信を切る。

この時既に、ミ=ゴは、ハスターの勝利を諦めていた。

あの様子では、主君はMによって、容赦なく叩き潰されてしまうだろう。ここのところMの能力値について分析を続けていたのだが、奴の実力は計り知れない。主君とニャルラトホテプが一体になっても、勝てるかどうか分からないという次元だ。

宇宙で、主君は最強の存在に近かった。

今までは敵らしい敵もいなかった。傷つけられる存在など、同格の神くらいしかいなかったのだ。

だからこそ、主君は慢心した。

通信を入れる。今度は、ニャルラトホテプにだ。

ニャルラトホテプでさえ、この星ではおおっぴらな活動を控えている。その意味を、主君は理解してくれない。

「ほう、ハスター配下の賢者では無いか。 私に何用かな」

「はい。 「来るべき日」を避けなければならないと、思いまして」

それを告げると、ニャルラトホテプは流石に黙り込む。

もしも、このまま四大がこの星で破れるようなことがあれば、その日は来てしまう。

そして、ハスターは、このままだとそうなる可能性が極めて高い。居場所を突き止められでもしたら、即座にMは殴り込みを掛けてくるだろう。神殺しも一緒に来たら、敗北する確率は更に上がり、ほぼ絶対になるとみて良い。

そして厄介なことに、人間共の一部勢力は、どうやらそれを狙っているらしいのだ。ハスターは気付いていない。人間を侮蔑しているが故に。奴らは、ハスターが思っているより遙かに狡猾で邪悪なのだ。

「Mは強大だと私も思ってはいたが、それほどか」

「現在、この星にいる我らが総力を挙げても、相手は難しいでしょう。 もしも四大が全て破れるようなことになれば……」

「あの中心の座が、この星に来るか」

ニャルラトホテプは、自身の産みの親であり、全ての邪神の作り手である存在を、そう呼び捨てた。

そうなれば、Mだってかなわないだろう。勝てるかも知れないが、代償は果てしなく高く付くはずだ。

たとえば、この星から、魔術も能力も消え失せるとか。勝てなければ、この星は滅亡確定だ。木っ端みじんに吹き飛ぶくらいなら、それはむしろ幸せな終わり方かも知れない。

ただ、滅びるよりはマシだとして、能力と魔術を犠牲にしようと動くかも知れない。人間とは、時によく分からない行動をする。どう人間が動くかは、ミ=ゴにも断言は出来なかった。

「そこで、ニャルラトホテプ様には、一度、この星を離れる事をお勧めいたします」

「何?」

「このままだと、我が主君は、Mに敗れるでしょう」

冷然と、事実を主張する。

もはやミ=ゴは、ハスターがMを倒せるとは、思っていなかった。

そうなれば、残るのはニャルラトホテプだけだ。ニャルラトホテプは様々な特性を持つ、とても「倒しにくい」神だが。何しろ、相手はあのMである。何をやらかすかしれたものではない。

しばらく考え込んだニャルラトホテプは、からからと笑う。

「それならば、それでもよい」

「ニャルラトホテプ様?」

「もとよりあの中心の座には、無理が来ていたのだ。 あの腐った塊をたたきつぶせるのなら、私の命など安い捧げ物かも知れぬしなあ」

「な、なりません!」

たとえ、知性を持たない肉の塊であったとしても。

存在そのものが、宇宙に広く分布している神々の母体なのだ。ニャルラトホテプが憎しみを持っている事は知っていたが、もしもそれによってあの中心の座が滅びてしまったら、全ては。

少なくとも、神々は、この世から消滅しかねない。

「だったら、滅びてしまえ」

虚無を司るとさえ言われるニャルラトホテプは、笑いながら通信を切る。

どうやら、絶望が前には立ちはだかっているらしい。ミ=ゴは無言で控えている部下達に、振り返った。

「全戦力を投入。 Mを足止めしろ」

「我らの命を捨て駒にしろと仰せですか」

「幻惑に奴が囚われている今であれば、或いは殺せるかも知れん。 私はこれから、Kの首を取りに行く」

永く生きてきた。

破滅的で怠惰な神々は、あまりにも強いが故に、宇宙中で好き勝手をしてきた。ミ=ゴもその一柱だ。

だが、永く生きてきたが故に、死は怖い。

この星に来たのは、美味なる狂気を食すため。リスクを怖れないのは、退屈に飽きているため。

勿論違う動機の神々もいるだろう。

ミ=ゴは違う。たとえどのようにいびつであっても、生き延びたいと願う。神々であっても、生きた存在なのだ。

ニャルラトホテプのような変わり者を除いて、積極的に死にたいと願うだろうか。少なくともそんな結末、ミ=ゴには耐えられなかった。

 

スペランカーが立ち上がると、周囲の戦況は悪化の一途をたどっていた。

アーサーが作り出した盾に隠れて、皆が応戦している状態である。Sが撃ち放つエネルギービームは次々に敵を貫いているが、とてもではないが、全滅には結びつかない。サヤは完全にへばってしまっていて、目を回している様子だ。

「スペランカー殿、随分と再生に時間が掛かったな。 苦しくは無いか」

「苦しくは、ありません」

この程度の痛み、文字通り何でも無い。苦しいし痛かったが、幼い頃、ネグレクトされて味わった飢餓地獄に比べれば。

ふらつく足を叱咤して、前に出る。

感情無き剣士の群れが、アーサーやSに次々打ち倒されている。他の戦士達は、既に盾の中にかくまわれて、体力の回復を図っている途上だ。

アーサーは斬りかかってきた一人を剣でいなしつつ、頭上に出現させたハンマーで叩き潰す。内臓が飛び散るようなことも無く、死ぬと霞のように消えてしまう。

そういえば、Mは。

「Mは先に行くと言って、それきりだ。 しかし、妙なことになっていてな」

そういえば。

吹雪が、無くなっている。周囲はひんやりとして冷たいが、それだけだ。

他にもおかしな事はある。後ろに、呼びかけてみる。

「通信機は、使えますか!?」

「何!? あ、使えるぞ!」

戦士の一人が、通信機で、救援を求めているようだ。この状況である。増援を求めるのも、無理は無い話だ。

それに何より、剣士達の動きが、妙に鈍くなっているように思える。

サヤをかばったとき、もっと彼らの動きは速かったような気がするのだ。

Sが、下がりながら横殴りに掃射し、数人を瞬時になぎ倒した。だが、死角に潜り込んでいた一人が、袈裟に斬りかかる。

だが、余裕を持ってSは対応。剣を避けつつ、顔面にビームを叩き込んだ。吹っ飛んだ剣士は、霧散して消えていく。

スペランカーは、考える。

何となく。さっきより、邪神の気配が濃くなっている気がする。それに対して、フィールド由来らしい剣士達は、とても弱くなっている。

邪神がフィールドを乗っ取ったことは、今まで何度もあった。此処だってその一例だ。だが、今回は妙なことがいくつもある。

サヤを揺り起こす。

目を回していた彼女は、しばらくぼんやりとしていたが、飛び起きた。慌てて辺りを見回している様子がほほえましい。

「起きた?」

「ね、寝てません! 寝てませんでした!」

「いいから。 それより、聞きたいの。 このフィールド、すごく気配が弱くなってきていない?」

「……!」

サヤはしばらく辺りを見回し、そして頷いた。

どうやら、感じた気配は、間違いでは無かったらしい。そうなると、もうこのフィールドには、力が残っていない、と見て良いだろう。

ふと見ると、雪原は、もう雪さえ積もっていない。むき出しになった地面に上に、只一人だけ。

剣を八相に構えた剣士が、立ち尽くしていた。

どちらかといえば端正な顔立ちなのだが、一つ異様な点がある。首から十字架を掛けているのだ。

この人が、隠れキリシタンなのだろうか。

「間違いありません。 あの人が、コアです。 そして、もうフィールドとコアは、一体化している様子です」

「幕府のイヌ共が……! 最後の信仰の聖域を、我らが願いの土地を、どれだけ汚そうとすれば気が済むのだ……!」

憎悪が、剣士の口から、言葉の形を取ってほとばしりでる。

思わず耳を塞ぐサヤをかばうようにして、スペランカーは前に出た。

「もう、このフィールドは消えます。 貴方が、私を斬ったからです。 フィールドそのものが、致命的な打撃を受けたからです」

「黙れ! 消えぬ! 私の願いは! でうす様への信心は!」

アーサーが出ようとするが、止める。

スペランカーは二歩、三歩と歩み出る。コアからスペランカーを傷つけようとするとは思わなかった。

自滅に等しい。

だが、この人達は、それで良かったのかも知れない。

きっとこの人は、ずっと死にたいと思っていたのだ。

あまりJ国の歴史に、スペランカーは詳しくない。隠れキリシタンの迫害の歴史も、又聞きくらいでしか知らない。

だが、知っている事はある。

「サヤちゃん、出来るだけ楽にこの人を死なせてあげられないかな?」

「私は神道系です。 仏教系の方なら、或いは……」

「そう。 ごめんね、無理言って」

痛いが、仕方が無い。スペランカーが一番簡単に相手を倒せる方法は、決まっている。

顔を上げて、相手の間合いにまで入り込む。

そうすると、見えてきた。やはりこの人は、虚無に囚われている。ぼさぼさの髪も、端正な顔も、絶望に歪んでいるのが分かった。

既に死んでいるこの人を楽にする方法は、一つしか無い。このフィールドから、解き放ってあげること。それは死を意味する。

「今までの憎悪、憎しみ、全てを私に向けてください。 何もかも、後腐れが無いように」

「おのれええええっ!」

神に帰依したとは思えない、憎悪と狂気の表情を、剣士が向けた。

その全てを、スペランカーは受け止める。受け止めなければならない。

スペランカーがブラスターを向けるのと、剣士が斬りかかってくるのは、ほぼ同時。

引いても当たるかは分からなかったが。

スペランカーは、最後の瞬間、敢えて引き金を、引かなかった。

 

スペランカーが目を覚ましたとき、既に戦いは終わっていた。

周囲は鬱蒼とした森に変わっており、転々と人骨が散らばっていた。いずれも相当に古いもののようで、変色していて、元の形を保っているものは殆ど無かった。

フィールドである期間は長かった。その間、多くの人が、此処で死んだという事だ。

城は影も形も残っていない。

アーサーに背負われて、そのまま戦場に急行したらしい。下ろして貰って、話を聞く。既に戦いは終わっていたそうだ。

そして、しばらく歩くと、その場に遭遇した。

巨大な怪物の死骸を踏みにじりながら、Mが数人の男女とにらみ合っている。

視線の先にいるのは、マフィアのボスのような姿をした、俗悪な中年男性だ。口には葉巻を咥えていて、凄まじい威圧感を全身から放っていた。

間違いない。

恐らくアレが、裏社会の顔役にして、世界の敵。大魔王K。

その周囲にいるのは、いずれもがKの側近達だろう。無傷では無い様子だ。無理も無い。あれだけの数の邪神の攻撃を受けたのだから。

「久しぶりだなあ、K」

「ああ。 早速決着を付けたいところだが、あいにくそうも行かなくてな。 今回は引き上げさせて貰うぞ」

「どうした、貴様ともあろうものが、随分と弱気では無いか」

「少々看過し得ぬ情報を入手してな。 極めて不快だが、近々貴様と協力しての戦闘態勢を作らなければならんかもしれん」

MとKの間の空気が、瞬時に帯電する。

拳を鳴らしながら、Mは猛禽そのものの視線を、Kに叩き込んでいた。

「私が、貴様を逃がすと思うか?」

「悪いが、計算が出来なくなったとは聞いていない。 引き上げるぞ、お前達」

Kの部下達も、流石にMの戦闘モードを前にして緊張を隠せない様子だったが。それでも、主君がきびすを返して引き上げていくと、唯々諾々とそれに従った。

流石に、Mと戦って勝てる見込みは無いのだろう。

やがて、Kは姿を消した。

Mは大きく舌打ちすると、指を鳴らす。彼の足下にあった怪物の死骸が、瞬時に燃え尽きていった。炎の中にいても、Mは全く動じない。服さえも、焦げる様子が無かった。

燃え尽きていく怪物の中立ち尽くすMは、まるで魔神か何かのように見えた。人間であっても、あまりにも強くなりすぎると、ストレートに恐怖を煽るものらしい。

アーサーが臆せず歩み寄り、咳払いしてから言う。

「邪神は?」

「ふん、騎士殿か。 あのカニなら逃げおったわ。 Kとは五分にやりあっていたようだが、私が姿を見せると、時間切れだと抜かしてな。 これは時間稼ぎ代わりに置いていった雑魚だ」

Mはよほど不快だったらしく、帰ると言い残すと空中に浮き上がり、もの凄い風だけを残して消えていった。

音速くらいは出ていたかも知れない。本気を出したら、もっと凄まじそうであるが。

嘆息すると、アーサーは首をこきこき鳴らす。

今回は強敵との戦いが少なかった代わりに、ひたすら長期戦になったこともあって、それなりに疲れたようだ。

「この戦い、作為的なものを強く感じたな」

「あんたもかい? 何だか嫌な予感がする」

Sもそれに応じていた。

アーサーとSは、ほぼ同格の戦歴と戦闘力を持つ戦士だ。二人が言うことは、それなりに信頼出来るとみて良いだろう。

Sはヘルメットのまま振り向く。全身を頑強なスーツで覆っているSだが、どうしてかスペランカーには、この人が絶世の美女なのでは無いかと思えた。

「神殺し、もしも異星の邪神が何か企んでるとすると、焦点になるのはあんただろう。 気をつけるんだね」

Sの言葉はもっともだ。

気をつけると返事すると、スペランカーは、強烈すぎるMの気に当てられてまだ震えているサヤをなだめながら、帰路につく。

今回は、それほど厳しい戦いでは無かった。

だが、あの隠れキリシタンの剣士の鬼気迫る表情は、忘れがたい。いつも戦いでは、スペランカーは世界の業を見せつけられる。きっとこれからも、それは変わらない。

それに、異星の邪神の目的も気になる。MとKの言葉の意味も。

何か、大きな異変が近づいている。そう思えてならなかった。

「何だか怖いです」

「大丈夫。 みんながいれば、きっと何とかなるよ」

スペランカー自身も、怖くないと言えば嘘になる。

だが、そう言って相手を慰めていくことで、きっといつか世界は良くなる。そう信じていた。

 

Wは、気むずかしそうな老人だった。

傷だらけの影を見ても、鼻を鳴らすだけで、手紙を受け取ると、犬でも追い払うようにして、外に出された。

報酬についての話をすると、忌々しげに言う。

「分かっている。 この手紙にしたためられている通りの場所に入金しておく」

「またのご利用を」

影の前で、戸は閉じられた。

こういうとき、料金を払わない奴は、闇社会からも締め上げられる。ましてやWは相当な資産家と聞いている。実際に金を払わないという事は無いだろう。

此処は米国の片隅。比較的高級な住宅が建ち並ぶ、ハイソな場所だ。

帰路の途中で、じゃじゃ丸の車が待っていた。そのまま乗せて貰う。

「Wはなんと?」

「イヌでも追い払うように、手紙を取られた」

「それでいい」

じゃじゃ丸は感情を声に込めず言う。

情報が露出した忍びは三流だ。基本的に忍びは影に生きる存在であり、それは今も昔も変わらない。

派手な忍び装束で自己主張するような忍者は、ただの阿呆だ。

忍者は影の存在。戦闘でも前に出ることは無く裏役に徹し、情報収集を主体に活動し、そしてアシストを努められればよしとする。

今回も、追撃してきた妖怪を、誰にも知られず葬った。

アレは恐らく、歴史の影に葬られた紀伊家の姫の成れの果てだろう。あの憎悪は、当分消えないだろうと、じゃじゃ丸は言う。

それでよいのだ。

あれは影一人で受け止めれば良い。やがて、影と一緒に地獄に落ちれば、それで万々歳だ。

表に出してはいけない歴史は、確かにある。

それを闇にて受け止めなければならない存在は、必要なのだ。

「だいぶ、一人前の顔になってきたな」

「そうか」

「次も味方でありたいものだ」

「そうだな。 まだあんたには勝てそうに無い」

空港で、じゃじゃ丸と別れる。

じゃじゃ丸と二人で打ち倒したとき、あの妖怪は、誰かの名を叫んでいた。きっと、彼女を隠れキリシタンにした、天草一族の末裔の名だったのだろう。

ニュースを確認すると、既に蠱毒城は滅ぼされたことが分かる。すでに妄執は、闇から解放されたのだ。

じっと天を見る。

きっと恋仲だっただろう天草一族の末裔と姫は、永遠に結ばれることは無かった。

影の先祖が、幕府の命のままに仲を引き裂いた。だが、それによって、江戸時代の平和は保たれた。

影の仕事は、闇の仕事。

忍者は、歴史の闇とともにある。

それを再認識できれば、それでよい。

これからも影は、己が闇である事に、誇りを持って動ける。

忍びのあり方を知った今なら、それがきっと可能だった。

 

(終)