石の殿様
序、おやまのお城
むかしむかし、あるおやまには、とても立派なお城が建っておった。お城はとてもきらびやかで、太陽も霞むほど。虹も天女もその美しさの前には、ついつい襟を正して身繕いをしてしまうほどのものであったそうな。
そのお城には、とても強いお殿様がいたのだが。
このお殿様は、酷く乱暴。
民草の事など、何とも思っていない、残忍酷薄なお殿様であったのだとか。
お殿様は、お城のことが何よりも大事。
瓦に金箔を貼るためなら税を上げ。
働く人間を手に入れるためには、他国に戦を仕掛ける。
そして、手に入れた人間は、死ぬまで使い潰す。
そんな、残忍非道な殿様なのだったという。
だから、なのだろうか。
とても美しいお城とは正反対に、城下町は寂れていて、閑古鳥も鳴かない有様。お城だけがとにかく美しく、そのほかの全ては灰色に霞んでしまう。それが、そのお城の、周りの光景だったそうだ。
やがて、どんなに美しいお城にも、終わりが来るのが世の常。それが因果応報、この世の習い。
ある日、遠くの国から、とても強い敵が攻めてきた。
おやまのお城のお殿様は、兵士達を集めて戦おうとしたのだが。これが日頃の悪事の報い、年貢の納め時が来てしまった。
何しろ、敵の兵士達は、野を埋め尽くすほどの大軍勢。
兵士達は、勝ち目がないと、みな逃げ散ってしまった。
残るのは、美しいお城と、殿様ばかり。
殿様の一族までも、形勢不利とみると、さっさと逃げてしまったのだ。息子や娘でさえも。
どんなに強くても、一人では戦えないものなのだ。
敵は易々と、殿様のお城に攻めこんできた。
どんなに美しいお城も、敵を防ぐことは、出来なかった。
どれだけ大事にして来た石垣も瓦も。守る兵士がいないのならば、何の役にもたたないのだ。
堀が深くても。
塀が厚くても。
殿様一人では、意味が何もなかったのだ。
どれだけの軍勢がいても落とせないと、自慢していたお城は。
綺麗なだけの、お墓となってしまった。
やがて敵に捕らえられたお殿様は、首を刎ねられて、戦場の露と消えたのだそうな。
だが、それだけでは、終わらなかったのが、不思議なところ。
ようやくまともに暮らせるようになった民草の間に、ある噂が流れ出した。それは、あのお殿様が、姿を見せるというものであった。
恐ろしや。
化けて出たに違いない。
裏切った兵士達を、食い殺して廻っているそうだ。
恐ろしい形相で、一人一人家臣の名を呼んでいるそうではないか。
身を寄せて怯える民草を見下ろすように。
今でも、美しいおやまのお城は。
そのきらびやかであでやかな姿を、民に見せびらかしているのだった。
1、石の声
お殿様が亡くなってから、随分と時が経った頃。
お城を見上げることが出来る村に、与助という大変に力の強い若者が住んでおった。
与助は喧嘩っぱやい無鉄砲な性格で、何も考えずにいつも暴れるので、村人からは煙たがられておった。
与助は与助で、どう思われようと知ったことではないと、いつも周りに言い散らしていたので。
集まってくるのは、悪い友達ばかりだった。
毎日お酒を飲んでは、農作業もろくにしないで。先祖から受け継いだ田畑は、荒れ放題。与助のおとうもおかあもとうに亡くなっていたけれど。与助の姿を見たら、きっと嘆き悲しんだに違いない。
しかも、与助は、本当に強かった。
背丈は七尺近く、まるで天をつくよう。体も巌のようで、一つ殴れば、岩にひびが入るほどだった。
その与助が。
ある晩、殿様がさまよっているという噂を聞いた。
殿様は亡霊になり、自分を裏切った兵士達を探しているという。
そして、見つけると。
頭から、ばくんと喰ってしまうと言うのだ。
殿様はもはや、巨大な蟒蛇になっているのだとか。いやいや、金棒を担いだ、とても恐ろしい鬼になっているのだとか。中には、天をつく一つ目の大入道になっていて、人間をひとつまみにして、ぽんと呑んでしまうとか。
様々な噂が、尾ひれにはひれを付けて、際限なくふくれあがっていた。
与助には、怖がる人々が、滑稽で仕方が無い。
酒も入っていた与助は一笑。そのような亡霊、俺が退治してくれると。その場にあった大きな酒入りの瓢箪を持つと、仲間が止めるのも聞こうとせず、亡霊が出るという石の原に、真夜中だというのに向かったのだ。
りんりんと、鈴虫が鳴いている。
与助には、なにも怖いものなどない。
喧嘩では負けなしだったし、何より生まれてこの方、怖いものなど見た事も無かったからだ。
幽霊なんて、笑止千万。そんなもの、全部出会い次第に、放り投げてくれる。そう、与助はうそぶく。
道祖神など、何の役にも立たない。そう言って、小便を引っかけ、嘲笑う。
お供え物は、かすめて食べる。
文句をいう老人なんて、怒鳴り散らしてやれば、すぐに怖がって逃げていく。女子供には、拳骨だ。
そんな罰当たりが、与助だった。
勿論、仏様も怖くない。
やがて、殿様の亡霊が出るという、荒野に出た。
噂では、此処で、殿様が処刑されたのだという。
罰当たりで乱暴者の与助だって、知っている。
殿様はとても強くて、一人で何人もの武芸者を、千切っては投げ千切っては投げていたのだとか。
それも、与助は鼻で笑っている。
この世で、俺より強い奴なんて、いるものか。
どんな道場の主だって、やっとう以外に取り柄がない。実際、道場で武芸を教えている男だって、与助には勝てたためしがない。
そう、与助は、鼻で笑っていた。
「殿様よおい。 この世で一番強い俺様がぁ、来てやったぞお」
酒の勢い。
真っ赤に染まった顔で、与助はけらけらと笑った。
元々怖い者なんてない与助。お酒が入ってしまえば、その傍若無人さは、正に天にも昇るようだ。
「鬼でも蟒蛇でも、大入道でも、蛸入道でもかまわねえ。 いいからでてこいよお。 ぶっつぶしてやるよお」
へらへらと笑いながら、闇夜に笑いかける。
だけれども、殿様の幽霊は、とんと姿を見せなかった。ぎゃははははと笑うと、与助はその場に腰を下ろす。
そして、瓢箪を開けて、酒を更にがぶがぶと飲んだのだそうだ。
与助は、誰よりもお酒が強いと、自負していた。
だから、お酒は、いつも際限なく飲むのだった。
「なっさけねえなあ。 俺が怖くて、逃げていきやがったあ。 殿様ぁ、あんたがそんなに情けない奴だなんて、思わなかったよぉ」
鈴虫が鳴いているので、五月蠅いと、与助は辺りの岩を、手当たり次第に放り投げた。
がつん、どすんと凄い音がして。
潰されたり、追われたりした鈴虫たちは、逃げていったのだった。
酷い事ばかりしていても、与助は何も悪いとは思わない。
いいや、きっと与助だけじゃない。
人間は、おかしな力を持ってしまうと、きっとこのようになってしまうのだ。与助は、生まれついて、とても大きな力を持っていた。それを咎める事を、両親さえしなかった。だから、化け物のように、育ってしまったのだ。
やがて気分が良くなった与助は。
殿様の悪口を、思いつく限り言い始めたのだった。
「へたれ、やくたたず、どれだけお城が綺麗でも、なんのいみもなかった。 結局くびをはねられて、そのごみみたいな人生もおわった。 いぬやねこでも、もっと価値がある、そんなくずの殿様、いてもいなくても、おんなじだあ」
そんな酷い歌を、がなりたてる。
それでも、殿様は、姿を見せなかったので。
やがて飽きてしまった与助は、殿様を罵りながら、腰を上げた。
これで俺は、みんなが怖れる殿様の幽霊をも馬鹿にした、屈強のものだと、与助は自分を褒めるのだった。
意気揚々、与助はひょうたんを担いで帰る。
丁度酒もきれてきた。
帰ったら、自分よりも弱くて情けない殿様を肴に、酒を飲むつもりだった。
その、帰り道。
与助が、つまづいた。
気がついた足下には、星明かりに照らされて、頭蓋骨が一つ。結構大きな頭蓋骨だから、大男のものだろう。
今時、骨なんて、珍しくもない。
村人は、行き倒れを見たら、その悲しい最後を悲しむようにといっておったのだが。与助には、のたれ死んだ馬鹿で雑魚としか、見えなかった。
頭蓋骨を蹴飛ばして、けらけらと笑う。
「おらあ、どうしたあ! 与助様のお通りだあ! 鬼でも幽霊でも、出てきやがれってんだあ!」
「与助とは、何者ぞ」
周りには誰もいないのに、返事があった。
ようやくおでましかと、与助はほくそ笑む。幽霊だろうが物の怪だろうが。与助の前には怖いものなどありはしない。
「でてこい! 天下無敵の与助様とは、この俺のことだぁ」
「私なら、お前の目の前にいる」
ふと、与助が顔を上げると。
そこには、今までなかったのに。山のように、大きな石が転がっていたのだった。
「なんだあ! 石がある!」
「お前が、与助かあ!」
「そうだ、この石っころ!」
「私は、お前が散々馬鹿にしていた殿様である! お前がそれほど強いというのであれば、私にその力を見せてみるがいい!」
それを、与助は不敵な挑戦だと、受け取ったのだった。
元々無法者。
役人が来ても顔も見せず、畑仕事なんてしないから、年貢なんて納めもしない。畑仕事もいとこ達に押しつけて、自分は昼からお酒を飲んでいる。
そんな荒くれで無能な与助にとって、偉いのは天下で自分だけ。
殿様だって、自分よりは偉くない。
そう、与助は考えているのだ。
「良い度胸だああ! この与助様の力、見せてやるう!」
無法者でも、その力は本物。
目の前の大岩に飛びつくと、投げ飛ばそうとする与助。
だけれども。
大岩は、四抱えもあるとんでもなく大きなものだ。
どれだけ唸ろうと、びくともしなかった。嘲笑うような声が、聞こえてくる。
「どうした、与助とやら」
「五月蠅えっ!」
馬鹿にされて、与助は相手を許したことがない。死ぬ寸前まで殴り倒すのが、いつものことだった。
子供だろうと、女だろうと、関係無い。
陰口を言ったという女の家に乗り込んで、一家全員を半殺しにしてきた事さえあるのだ。そんな与助が、たかが石に、たかが「殿様」に、馬鹿にされたくらいで、相手を許すはずがなかった。
石に唾を吐きかけると、何度も蹴りつける与助。
だけれども。
やはり、石はびくともしない。
喚きながら、与助は何度も何度も石を蹴り、殴り、飛びついた。
いつのまにか、夜が明けていた。
「語るに値せぬ」
「ふざけんな、石っころお! てめえなんか、てこで転がして、泥沼に落としてやるからなあ!」
鼻で笑う声。
与助が気がつくと。
あの大岩は、嘘のように、消えて無くなっていた。
「てめえ、卑怯だぞ! でてきやがれ!」
わめいて、大暴れする与助。
だが、大岩はその与助を徹底的に馬鹿にするように、もはや姿を見せないのだった。
家に帰って、その辺に寝転がっていた悪友達を蹴飛ばすと。与助は、どっかと座って、また酒を飲み始めた。
「なんだ、機嫌が悪いなあ」
「殺すぞ。 失せろ」
ぴたりと、悪友達が黙る。
知っているのだ。
その声が出たとき、与助は何をしでかすか、分からないと。そそくさと、家から出て行く悪友達。
いとこの家に集って、買わせた酒は、もう残り少ない。
しかし、酒でも飲まないと、やっていられないと、与助は思うのだった。
俺は、こんなに強いのに。
たかが岩くらいに馬鹿にされていて、そのままですませてなるものか。
与助は横になって転がると、絶対にあの岩に仕返しすると誓うのだった。
一眠りして、それから。
準備をして、出る。
いとこの家から奪った大八車に、色々積み込むと、村を出る。村の者達は、誰かが与助を馬鹿にしたらしいと聞いて、震え上がっていた。そうなると、与助は女子供でも殴り殺しかねないと、知っていたからだ。
路を急ぐと、大岩がいつのまにか、前にあった。
「なんだ、弱虫の与助ではないか」
「出てきやがったなあ、化け物岩あ! 今日は準備をしてきたからなあ!」
「面白い。 やってみろ」
鬼のような形相で歯を剥いていた与助は。
さっそく、岩の周りに、薪を積み始めたのだそうだ。
そして、油を掛けると、火を付ける。
まず岩を焼くことで脆くしようというわけだ。
そして、大八車から、槌をとりだす。それは、都会の衆が、火事の時に使う、家を倒すための槌だ。
とても頑丈で、与助も気に入っている武器なのだ。
適当に岩が焼けてきたところで、与助は槌を振るう。
岩に、何度も叩き付ける。
がつん、ごつん。
どすん、ばきん。
すごい音が、周囲に轟いた。与助は喚きながら、何度も槌を振るう。
だが。
焼けて脆くなっている筈の岩は、罅の一つも入らない。やはり、与助を馬鹿にしきった声が聞こえてきた。
「力だけではなく、頭も弱いか。 お前は猿か」
「猿だと! この与助様を、猿だというか!」
「猿でもお前よりはましであろう。 その程度の知恵しかない分際で、猿を馬鹿にするとは、笑止千万」
跳び上がった与助は、大岩に飛びつく。
そして、悲鳴を上げて飛び離れた。
岩は、真っ赤に焼けているのを、忘れていたのだ。
高笑いが響く。
そして、与助が気付いたときには。
もう。大岩は、其処には存在していなかった。
大暴れする与助。
大八車を其処に置き去りにして、近くの山に登ると、猿を見つけては片っ端から殺した。猿より頭が悪いと言われたのが、本当に気に入らなかったからだ。
手当たり次第に猿を殺して回った後、殺した猿を引きちぎって、そのまま頭から囓る。何頭か食べてしまってから、与助はこぶしを、地面に叩き付けた。こんな貧弱な生き物より劣ると言われたことが、与助の怒りを沸騰させていたのだった。
2、暴れる与助
翌日。
朝から、真っ赤に酔っ払った与助は、いきなり麓の材木屋に押し込んだ。材木屋の主人は、鬼のような形相の与助を見て、腰を抜かしたそうじゃ。
しかも与助は、猿を食べた後、顔も洗っていない。
顔中、血だらけ肉片だらけで、この世の形相ではなかったのだという。
「てこところを寄越せ」
「そんなもの、どうするんじゃ」
「石を転がすにきまっとるだろうが! 早く出せ!」
勿論、お金など払う訳がない。
いとこの家につけておけと吐き捨てると、与助は略奪同然、てこところに使う材木を、大八車に乗せてもっていったそうな。
街の衆は、与助を見ると、さっと逃げる。
噂は、風のように広がる。
どうやら与助が大暴れしているという噂は、とっくの昔に、街にも広がっているらしいのじゃ。
与助は相手にしない。
雑魚など踏みつぶしても、面白くもない。
今は、あの石を、叩き潰すことだけだ。
途中、肩が触れただけの不注意な男を、容赦なく殴って半殺しにすると、唾を吐きかける。
与助にして見れば、ぶつかってきた方が悪いのだ。
途中で、酒屋に押し込んで、酒樽も奪う。
勿論、いとこの家につけるようにと、与助はわめき散らすのだった。
与助の目は血走って、鬼灯のよう。
その背丈も相まって、もはや鬼となにもかわりがない。
もともと暴れ者として嫌われていた与助だが。いつのまにか、完全に鬼になってしまったようだった。
あの憎らしい大岩が現れる場所に腰掛ける与助。
遠くから、与助を見ている者達がいる。
酒に酔っていても、声が聞こえてくる。
とうとう狂ったらしい。
鬼に魅入られたのか。
いや、あれはもう、鬼そのものだ。
与助は喚くと、跳び上がって、騒いでいる連中の所へ、角材を振り回しながら近づいていった。
わっと逃げ散るごみども。
与助にとっては、もう人間はごみにしかみえなくなっていたのじゃ。
逃げ遅れた奴の尻を、思い切り角材で殴り飛ばす。
そいつは、六尺もふっとんで、他の奴に引きずられていった。
酒を飲んで、時間を待つ。
役人が来たら、その時は皆殺しにしてやろうと、与助は角材を持ったまま、待っていた。だけれども。
結局、もめごとがいやなのか。
それとも、与助を怖れたのか。
役人は、こなかった。
「腑抜けどもが」
勝ち誇って、与助は酒を呷る。
奪ってきた樽の中には、もう酒が殆ど残っていない。それを手酌で、がばがばと呑む。どれだけ酔っても、与助は我慢が出来なかった。
あの大岩に、馬鹿にされていることが。
俺は、誰よりも強くて偉いのに。
街にいる人間なんて、どれも虫も同じ。
村にいる奴らなんて、ゴミ以下の雑魚。
動物なんて、どれだけ集めても、与助の命の前には、何の価値も無い。実際、猿など、散々殺して、食い散らかしてやったではないか。
俺は、どんな歴史上の英雄よりも強いのだ。
そう、与助は、もはや酒そのものの息を吐きながら、ぶつぶつと呟いていたそうじゃ。まるで、その姿は。
いや、もはや、その姿は。
完全に、鬼。
与助は、とっくの昔に、人ではなくなっていたのかも知れぬ。いつの間にか与助の頭には、角まで生えていたのだとか。
「ほう、良い姿になってきたなあ」
「現れたなあっ!」
いつの間にか、与助の眼前に、あのこ憎らしい、生意気な大岩が姿を見せていたのだ。
文字通り跳び上がった与助は、髪の毛を逆立てて、鬼灯のように酔いと赤に染まった目から、怒りのあまり血まで流していた。
そのまま、角材で、大岩に殴りかかる与助。
だが、角材がへし折れるのは当然のこと。
与助の剛力を持ってしても、角材で岩を砕ける訳がない。そんな道理が、頭に血の上った与助には分からぬ。
大岩は、けたけたと笑う。
「猿以下だのう」
「おのれっ!」
与助は、てこところを使うことにした。
丸太を並べる。
視点にする大きな石を、大岩の前に。
そして、地面に丸太を突き込むと、呻きながら、力を込めて押しはじめた。
だけれども。
大岩は、びくともしない。
「どうした、ようやく道具を使うようになったというのに。 猿以下の頭では、それが関の山か?」
「殺すっ!」
「殺してみい、ほれ」
ばきんと、てこに使っていた丸太が、へし折れた。
与助が無理な力をかけたからだ。
尻餅をついた与助。
猿と、岩が言う。与助は、更に憤った。あまりにも怒りすぎて、額からも血が流れはじめたほどじゃ。
真っ赤になった与助が、別の丸太を突っ込むと、力任せに押し込む。だけれども。やはり、丸太が、びくともしない。
ぎゃっとわめいたのは、与助の掌の皮が、ずるずるにむけてしまったから。力任せすぎて、手の皮どころか、肉までえぐれてしまったのだ。
それに、無理をしたせいで、与助の腕の骨も、折れてしまった。
もう、理解も解読も出来ないわめき声を上げながら、与助は大岩に、頭突きをした。使えるのが頭だけなら、そうするしかない。
何度も頭突きをしている内に。
とうとう、与助の頭は、砕けてしまったのだった。
気がつくと、与助は。
大岩になっていた。
身動きできない。
周りにいるのは、あの忌々しい雑魚どもだ。
人間とか言う、ごみくずども。
何の意味も価値も無い、周りにいるだけで鬱陶しい奴ら。与助は喚く。とっとと散れ。だけれども。声が届かないようで、人間共は、反応しない。普段だったら、ぱっと逃げるのに。
与助は、見る間に、頭に血が上るのを感じたそうじゃ。
「邪魔な大岩だ。 どっからでてきたんだろ」
「さあ。 どっちにしても、邪魔っ気だしなあ。 焼いて砕いて、捨てるべえ」
貴様ら。
俺が邪魔だと。
跳び上がりたくなって、気付く。
手も足もないから、動けない。
やがて、与助の周りで、火が焚かれはじめた。それは、容赦なく、与助の体を、焼いていくのだった。
与助がどれだけ焼いても岩は平気だったのに。
或いは、焼き方には、コツがあるのかも知れない。いや、違う。与助にも、分かってきた。火力を保ったまま、じっくり焼くのがコツだったのだ。そんなことも、与助は知らなかった。
だからなんだ。
強くて偉い俺は、人間を使うことだけを、知っていれば良い。そう、与助は強がるが、しかし。
全身に響き渡る痛みは、与助の強がりを、徐々に踏みにじっていったのだ。
痛い痛い熱い熱い。
悲鳴を上げる。
だが、人間共は止めない。
不意に聞こえてくるのは、あの声。
「まだ分からぬか、与助」
「てめえ、どこにいやがる!」
「これは、お前が受ける報いなのだ」
「巫山戯るな! 世界で一番強くて偉い俺が、報いなど受ける訳がない! 俺は最強だし、死にもしない! 俺は、仏よりも神よりも偉いんだよ! 俺が、俺が!」
熱さに、与助が悲鳴を上げた。
それ以上、言葉が続かない。
全身が、裂けた。
焼かれ続けて、ついに岩が砕けたのだ。高笑いが聞こえてくる。与助は、もう感覚がなくなるほどの痛みに、全身をむしばまれていた。
「かって、お前と同じ事を言っていた者がいた」
「うあ、ぎ、うううううう」
「あの無駄にきらびやかな城の主だ。 そいつはお前と同じように、喋りもしない大岩に叫び、吼え掛かって、そして死んだ。 戦で死んだのでは無くて、奴はお前と同じように、勝手に道理に戦いを挑んで、勝手に死んだのだ。 首を刎ねられたのは、戦の結果ではなくて、自分自身の愚かさに負けたのだ」
何を言っている。
体が、更に砕かれた。
与助は悲鳴を上げた。助けてくれ。叫ぶが、勿論誰も、手心など加えてくれない。容赦なく焼かれていく全身。
まるでも、ものを見るようにして、与助を見る人間共。
「お前が他にして来たのと、同じ事が、今されている」
「この俺と、対等な存在など、いるものか! 俺が、人間共をごみだと思って何が悪いって言うんだ! 俺は人間共より偉い! 人間共が、俺を敬わないのは、許さない! 絶対にだ!」
「まだ分からぬか。 それならば、さらなる地獄を味わうがよい」
巫山戯るな。
こんなのは、理不尽だ。どうして誰よりも強くて偉い俺が、天国ではなくて地獄にいかなければならないのだ。
周りに集まってきた人間共の中に、いとこ一家がいた。
あいつら。
俺が、散々世話してやったのに。俺を焼く中に、加わっている。許せない。絶対にだ。殺してやる。
だが。
どんなに与助が叫んでも、声など届くわけもないのだ。
だって、与助は、岩なのだから。
3、岩の転音
全身が焼き砕かれて。
その破片が崩れ落ちる度に、与助は全身に走る激痛に、悲鳴を上げたそうじゃ。
だが、勿論、そんな声は、誰にも届かない。
おのれ。おのれ。おのれ。
こんなのは理不尽だ。
殺してやる。
みんな殺してやる。
与助は喚く。かって与助が喚くと、誰もが怖れて逃げ惑ったというのに。今では、与助を砕きながら、誰もが逃げようともしない。
悲鳴を上げながら、与助はもがく。
だけれども。
当然のことながら、いわなのだ。誰も、与助の声には気付かない。いや、気付いていたとしても、助けたかどうか。
やがて、与助は完全にばらばらにされて、ただの石になりはてたという。
しかし。
与助はそれでも、その全ての石に、痛みが残っていたのだ。
踏まれる。
埋められる。
運ばれて、河に捨てられる。
その全てが、与助の全身に、酷い痛みを与えていった。
ひたすら喚き散らしていた与助だが。もはや、悲鳴を上げる気力も無くなってしまった。どれだけ、時間が過ぎ去っただろう。
気がつくと。
与助は、大きな岩になっていた。
土に埋まった、大きな岩に。
それでいながら、何故か分かるのだ。
自分が、掘り出されていると。
光が見えた。
「おお、出てきたぞう」
「新しい城の礎石にぴったりじゃあ」
「新しい、城だと……!」
与助は、気がつく。
いつも目にしていた、あの威張り腐ったきんきらのお城が、山の上になくなっているではないか。
どういうことだ。
自分は、ひょっとして、昔に戻ったというのか。
運ばれていく。抵抗する力もなくなっていた与助は、なすがままにされていた。自分の前に来たのは、一目で分かる。
自分ではないか。
きんきらの服を着て、髷を結って、腰に大小を差してはいるが。
これは、自分だ。
大きな体。筋肉で盛り上がった腕。そして何より、自分勝手で、わがままな目。自分が世界一偉いと、信じ切っている様子。
自分は、こう、よそから見えていたのか。
「殿。 新しき城の、礎石が見つかりましてございまする」
「さっそく使え」
「分かりました」
運ばれていく。
待て。俺、助けろ。お前が俺なら、俺を助けろ!
喚く与助。
だが、自分は。あのきんきらのお城の殿様は、振り向きもしない。いや、声など、最初から、聞こえてはいないのだ。
また、埋められる。
そして、巨大な柱を、乗せられた。
とんでも無く重くて、痛くて、与助は気付く。これこそが、本当の責め苦。本当の地獄に違いないと。
だが、それでも。
与助は、許してもらう事が出来なかった。
気がつくと、与助は、真っ暗な中にいたそうじゃ。
城の礎石にされてから、どれだけ時が過ぎたのだろう。ふと、外の様子が聞こえてくる。見えなくても、音だけは、聞こえるのだ。
自分が暴れている。
そうか、この声は。
自分のものか。
「与助よ」
声が聞こえてくる。
これは、きっと、あの声。
「このままだと、お前はまた過ちを犯す。 あの城の主のように。 そして、お前自身のように」
「どうすればいい」
「お前を、外に出してやろう。 お前を止める事が出来たのなら、お前は解放される」
気がつくと。
目の前には、与助がいた。
そうだ。
殿様の幽霊をたたきのめしてやろうと思って、酒を飲んでやってきた自分。なんとおぞましい、狂った目をしているのか。
やっと与助は気付いた。
自分が、どれだけ卑しい存在だったのか。
どれだけ、おぞましいものだったのか。
「なんだあ、石がある!」
思い出してきた。
そうだ、これこそ、俺の声だ。
いつも酒によって、誰も彼もをごみだと思い、自分がこの世で一番偉いと思い込み続けた、愚か者。
神や仏でさえ、自分には劣ると思っていた。
だが、現実は。
ただの石だ。
いうならば、石の殿様。
「お前が、与助か」
「そうだ! 俺こそが、与助様だ! 物の怪風情が、この俺を、呼び捨てにするとは、良い度胸じゃねえか」
「聞け、与助。 俺はお前だ」
「ああん? 舐めたこと言ってるんじゃねえぞ、この石ッころぉ!」
いきなり殴りかかってくる。
だが、そんな拳は。
痛くもかゆくもない。
焼かれたとき。砕かれたときに比べれば、何でもない。自分は、こんなに弱かったのか。笑いが零れてきた。
「ならば、俺がお前である証を示してやろう」
痛がる自分に。与助は、己がおかしてきた罪を、一つずつ、唱えていった。最初は真っ赤になって荒れ狂っていた自分だったが。
やがて、ある一点で、不意に静かになった。
「本当に、俺なのか」
「そうだ、俺はお前だ」
「そんな馬鹿な」
「お前は、自分の力を過信して、岩に頭をぶつけて死ぬ。 そしていつの間にか岩になり、あのきんきらの城の礎石にされて。 そして、またお前の前に戻ってくるのだ」
思い出してきた。
与助は。
もう何十回も、同じ事を繰り返してきたのだ。そうなると、あの声の主は、与助自身と言うことか。
死んでも直らない馬鹿だから。
こんなに、苦しい責め苦を受け続けていた、ということなのか。
座れというと、自分は案外素直に座った。
「このような姿になりたくはあるまい。 粉々に砕かれて焼かれて、ばらばらにされたくはあるまい」
「ど、どうすればいい」
「酒をやめろ。 真面目に働け。 いとこたちに金を返せ。 悪いことはするな」
分かってはいたのだ。
自分でも、悪いことをしているという事くらいは。
それでも、自分は偉いと言い聞かせて。酒を毎日飲んでいて。それで、押し殺していたのだ。
仏よりも神よりもえらい。
だから、どんな悪いことをしてもいい。
そんな寝言が、嘘だって言うことも、本当は分かっていた。それなのに、どうしてこうなってしまったのだろう。
「す、すぐには」
「分かっている。 すぐには無理だろう。 だから、少しずつ、頑張って行け」
「分かった。 お、俺も、岩になんて、なりたくねえ」
「俺だって、こうなると分かっていたら、お前のように愚かな真似を続けてはいなかった」
行け。
そういうと、自分は。
酒も何も全部おいて、帰って行った。
気がつくと、与助は。
光の中にいた。
なんとなく、わかる。
これで、やっと自分は助かるのだと。
あの不思議な声。
いや、違う。
同じように、石になってしまった、いろいろな自分の声が聞こえてきた。
嗚呼、良かった。
これで、俺はようやく、まっとうになれる。
良くやったな、俺。
与助は、ようやく理解できた。きっと与助は、あまりにも罪深かったから、こうして石になる罰を受けたのだと。
ふと、与助が気付くと。
また、城の礎石に戻っていた。
それでいい。
城がなくなるまで。この苦しみを受け続けるのが、与助には相応しい罰なのだ。そう、自分の愚かさを目の当たりにした今は。
与助も、理解する事が、出来ていた。
4、責め苦の終わり
与助が気がつくと、いつのまにか掘り出されていた。
あの威張り腐ったきんきらのおしろがなくなっている。だから、たまたま、掘り出されたのだろう。
城の周りは。
驚いた。
なんと、美しくなったことか。
人々の話し声が、聞こえてくる。
乱暴者だった与助という男が、必死に働いたことで。この辺りの街は、とても綺麗に発展したのだという。
元はどうしようもない暴れ者だったのに。
ある時から、急に心を入れ替えて、働き始めて。
その剛力を利して、この辺りを発展させる、大活躍をしたとか。
与助はようやく悟る。
ああ、そうか。
あの、改心できた俺は、成し遂げることが出来たのか。
また、石になることもなく。ようやく、どうしようもない暴れ者から、抜け出すことが、できたのか。
いつのまにか、与助は割れていた。
痛いとは思わない。
やっと、この時が来たと、悟った。
いつのまにか、与助の心は、光に解けていた。
今でも、その街には、二つに割れた大岩が置かれている。
その岩は、与助岩と言われている。
どうしようもない暴れ者が、天狗によって岩にされ、城の礎石にされるという責め苦を受けて。
掘り出された後、長年の責め苦に耐えきれずに、割れてしまったという伝説を持つ、不思議な岩だそうじゃ。
綺麗に真ん中から割れてしまっている岩は、酒を好むとかで。
今でも、酒を備えてやると。
いつのまにか、無くなっているという伝説が、辺りの民には残っているらしいぞ。
(終)
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