糸繭の島

 

序、白い巨怪

 

島に上陸して、最初に見たものは、巨大な白い塊だった。それが何かわからず困惑したけれど。

そもそも島に上陸できたこと自体が奇蹟に近い。

船が転覆した。

それも、嵐の中でだ。

どうやってこの島に辿り着いたのかもよく分からない。青黒い空からは、まだ雨が降り注いで。

海は荒れ狂っている。

船に乗っていた人達は、九割方助からなかっただろう。

自分が助かったのは、奇蹟に近く。

そして何故助かったのかさえも分からない。

濡れ鼠のまま、ぼんやりと白いものを見上げる。それは多分高さだけで十メートル以上はある。

楕円形で。

周囲には糸が張り巡らされていて。

雷に照らされて。

その異様な白さが際立った。

とりあえず、このままだと凍死する。寒い。海から上がった時点で、手足が凍りそうなくらいなのだ。

他の人の支援は期待出来ない。

それに持ち出せたものもない。

着の身着のまま。

それでこの状況。

死ねと言われている様なものだ。

だが、島にたどり着けた幸運はある。今死なない方法を模索すれば或いは生き残ることが出来るかもしれない。

まずは、暖を取りたい。

何処か、雨をしのげる場所は無いか。

少し考えた後。

島の中を、重い足を引きずって歩く。

森の中。

危険だけれど、木の側なら。

ああ、大丈夫だ。

雨に濡れずとも何とかなる。後は、しばらく身を縮めて、耐えるしかない。苦しいけれど。今は火を熾すどころじゃあ無い。

ぼんやりとしているうちに。

いつの間にか、眠りに落ちていた。

 

何か聞こえる。

これは、太鼓の音。

船を漕げと言われる合図。

必死に漕ぐ。

逆らえば、鞭が飛んでくるからだ。

私は必死に漕いで。

それでいながら、嵐に遭遇した。

そもそも奴隷として生まれて育って。生まれてこの方、良い思いをしたこと何て一度だって無い。

ローマの属州でも特に評判が悪い其処では。

私のような少数民族の子供は、長男で無ければ売り払われるだけだ。そしてこうやって、消耗されて死んでいく。

ローマは斜陽を迎えているけれど。

それも当然だろう。

これだけ呪われた国も他に無い。

多くの蛮族と呼ばれた民が、ローマを呪っている。そして今私も、その一人に加わっているのだから。

ぼんやりとしていると。

目が覚めてきた。

体はすっかり冷えて身動きしづらいけれど。

だけれども、陽は差してきている。

これならば、少しすれば、動けるようになるだろう。もっとも、猛獣がいた場合。そいつらも動き出すかも知れないが。

しばらくすると、動けるようになってきて。

体が彼方此方傷ついている事にも気付く。

それはそうだろう。

あの荒波に揉まれて、助かったのだけでも奇蹟なのだ。今此処でいるだけでも。手足を失っていてもおかしくない。

褐色の肌は、血に塗れていたが。

これは多分、数日もすれば回復するだろう。

問題はその後。

食べ物と水をどうにかしなければならない。

水は、何とかなる。

というのも、上陸した直後に見たからだ。あの白い巨大なのの側に、泉があった。あれは私一人くらいなら生き残るに充分な真水だ。

後は火を熾すことだけれど。

それくらいなら何とかなる。

火打ち石はないけれど。

私のいた辺りでは、火くらい熾せなければ、生きていけなかった。当然私も、それくらいはできる。

一緒に船を漕いでいた奴隷達は、

まず全員助からなかっただろう。

あの阿漕な監督官達も。

だけれど、あの船から下りられたところで。次でまた、ゴミのように浪費されて死んだことは疑いない。

さっさとローマなんて滅んでしまえば良いのに。

そう思ったことは一再では無いけれど。

実際問題、ローマは今、ゲルマンに引っかき回されて、さんざんなことになっているらしい。

いい気味である。

しばらく歩いていると。

木の実を発見。

口に入れてみると、案外悪くない。

食糧も見つかる。

後は少しずつ体力を回復して。

この島で暮らすか。脱出するか。考えなければならないだろう。

脱出したとして。

エウロピアに戻ってどうするか。

戻ったところでまた奴隷になるだけだ。そして私の体には、消せない焼き印が押されている。

奴隷の証。

である以上、この島で暮らす方がむしろ現実的かも知れない。

だけれども、気になるのは、あの白い巨大な何かだ。

少し元気が出てきたので、様子を見に行く。

晴れているから。

その白い巨大さは、嫌と言うほど目の前を侵略する。そして、気付く。これはある種の蛾の繭に似ていると。

中身は何だ。

本当に蛾なのだろうか。

だとすると、こんなサイズの奴は見たことが無い。蛾が出てくるかも分からないし、何がいるのだろう。

肉食だったら、ひとたまりも無い。

神話には、天を突くような人食いの巨人が出てくるそうだけれど。

そんなのが入っていたらと思うと、ぞっとする。何しろ相手は神話の巨人だ。どれだけ常識離れしていても、おかしくは無いだろう。

やはり、島を逃げ出す方法も考えておくべきだろう。

幾つか思惑を巡らせながら、ゆっくり島を廻っていく。

海岸線に沿って歩いて行くと。

やがて、また繭が見えてきた。

小さな島だ。

だけれども、故に分かったこともある。

この島に多分猛獣はいない。

エサを維持できないからだ。

小さな動物くらいしか、養うことは出来ないだろう。いたとしても、鈍重な筈である。外敵に遭遇したことが無いだろうから。

私は外敵。

動物にとっては、天敵に等しい。人間という存在だ。

しばし歩き回って、島の地形を把握する。

そうしているうちに日が暮れた。

この島は想像よりずっと暖かいので、その辺りで寝ていても大丈夫だ。それだけはありがたい。

ガレー船を漕いでいるとき。

誰とも知らない他の人と身を寄せ合っていないと。

凍えそうだった。

死んだらそれだけ補充すれば良い。

そういう考えの連中に飼われていたし、病気になったり役立たずと見なされたら、容赦なく船から放り出された。

まだ働けると懇願する老人が、船から落とされて、サメの餌になるのをニヤニヤしながら見ていたような連中が飼い主だったのだ。

これが奴隷の現実。

飼い主達は、仕事があるだけ奴隷は幸せだろうなどとほざいていたけれど。それはああいう風に、使い捨てに自分がされてから言うべき事だろう。

ぼんやりと星を見つめる。

あまり変わらない。

あの星々は、神々が遊びで作ったと聞いているけれど。

本当だろうか。

分からない。

 

目が覚めると、再び島を探る。

兎の一種がいた。

蛇も。

頂点捕食者は早めに確認しておいた方が良いだろう。最初に始末しておくか、それとも一緒にやっていけるか。

確認はするべきだ。

注意深く周囲を探る。

やはり大型動物の糞やマーキング跡は無い。

いないとみるべきだろう。

火を熾すと、鼠を焼いて食べる。捕まえるのはそれほど難しくも無かったし。焼いて食べるだけでだいぶ違う。

前は生で食べなければならない事も多かったし。

それで腹を下すような柔さでは、生きていけなかった。

焼いた鼠くらいなら大丈夫だ。

故郷には帰りたいとも思わない。

生きるため。

それだけが、行動の基準だ。

島を出るか、此処で過ごすか。

少しずつ、考えて行かなければならないだろう。

あの繭は巨大だ。

そうでなくても、蛾の繭は羽化するまで、かなり時間を要する。一冬掛かるものもいるとか聞いた事もある。

それならば、焦らなくても大丈夫だ。

むしろ焦って海に出たところで。

なすすべ無くサメの餌食になるだけだ。

少しずつ、傷が回復していくのが分かる。

体を鍛えておこうとも思った。

ガレーで働いているときは、悲惨な食生活だったから、過酷な労働をしても肉がつく気がしなかったけれど。

今は違う。

捕食した動物が、それだけ肉になってくる。

島に生えている木を物色。

幾つか斬り倒してつなげれば、丸木舟にする事が出来るだろう。筏にすれば更に安定するはずだ。

だけれども。

それをするのは今では無い。

少しずつ確実に準備をしていって。

最終的に脱出するべきと判断したら、そうすればいい。

はて。

ふと此処で私は疑問に思う。

私は。

此処まで冷静にものを考えられる頭をしていたか。

そういえば妙だ。

故郷にいた頃からグズだった。ガレーでも、海に捨てられなかったのが不思議なくらいだった。

周囲からも、冷たい目で見られていたし。

尻を狙われて、必死に隠れたことだってあった。

それでも、なすすべ無く。

がくがくと震えている事しか出来なかったはずだ。

どうして私は。

此処まで冷静に行動できている。

私は一体、どうなってしまったのか。

だけれども、冷静に考えられるのは、良い事だ。むしろそうであれば、出来る事も多くなるだろう。

この島に来てからか。

いや、生き延びてからだろう。

どうしてか、体が軽いし。

頭だってよく働く。

それに、色々前より器用に出来る。

私は一体、どうなっているのだろう。

また朝が来る。

何だか、時間が止まったようなこの島だけれど。私は気付く。異常が起き始めているのだ。

島が揺れている。

繭が孵ろうとしているのだと、何となく分かった。

見に行く。

もしも蛾なら。飛び立つのを見守るだけでいいだろう。その後は、私が島の王者として君臨できる。

だけれども、化け物だったら。

その時は、逃げる事を考えなければならない。

それにしてもこれほど早いとは。

まずは身を隠すことが第一だろう。幾つかの場所は確保してある。それらに逃げ込めば、時間くらいは稼げるはず。

あの巨大な繭だ。

中から出てくる奴が大食いだったら、すぐにこんな小さな島ではやっていけなくなる。島を出て行くのを待てば良いのだ。

そこまで、生き延びれば良い。

冷静に考えている私は。繭の側に来た。

そして見た。

それは、繭などではなかった。

そのものが、巨大で。意思を持つ。生き物だったのだ。

縦に裂けると。

中から無数の触手が湧き出してくる。

やがてそれらは私を見つけ。

触手の端に突いている目が、私をじっと見た。

「人か」

「言葉が分かるのか」

「そうだ。 この知恵の島に辿り着いたと言うことは。 私が言っていることくらいは理解できるようになっているだろう」

「確かにその通りだ」

敵意は無いのか。

確かに、その気になれば、一瞬で私など捕食できるはずなのに、そうしない。

ということは、敵意は無いと判断して良さそうだ。

だが、だとすると、一体。

この存在は、何がしたいのだろう。

「その様子だと、意図的にここに来たわけでは無いな。 近くで船が座礁でもしたのか」

「そうだ」

「他に生き残りは」

「いない」

しばし言葉を無くすと。

得体が知れないそれは。言う。

気の毒なことになったな、と。

私は同情などいらない。

ただ生き延びたい。

そう告げると。触手の群れは、告げてくる。

「この島には長居しない方が良いだろう」

「何故か。 どうせ本土に戻っても、奴隷として使い潰されるだけだ」

「それは前のお前が無力だったからだ。 今は違うと理解できるはずだが」

「確かに……そうだな」

その言葉には説得力がある。むしろ今まで私を使い潰してきた連中と比べて、ぐっと理性的だ。

周囲の奴隷達と比べても同じ。

里の古老など、この存在と比べれば子供も同然である事を、私は悟る。コレは本当に、神なのではあるまいか。

「本土に戻りたければ送り届けてやろう。 そうそう、これだけは持っていけ」

触手の一つが、肉を分離。

地面に落ちたそれは。

卵のように見えた。

「私の分身だ。 お前の助けになるだろう」

「どうしてそこまでしてくれる」

「何、ここに来た幸運をな、我なりに祝ってやっているだけの事だ。 そもそも此処は、時空間の狭間にある場所。 普通に船が座礁しても絶対にたどり着けぬ。 億に一つの確率でここに来たものだ。 少しくらい祝福してやっても、罰は当たらぬだろう?」

気付くと。

全く違う場所にいた。

手に抱えているのは、一抱えもある卵。

これを守り抜かなければならない。

私は、そう確信していた。

 

1、侵食

 

なんと弱々しいことか。

それに頭も悪い。

人間がみな、ゴミのように思えた。私はあの島から戻ってきて、気付いた。体は二回りも大きくなり。筋肉質になって。全体的にたくましくなっている。どうやら私は、本格的に何か超常の存在に出会ったらしい。

島が何処にあるのか何て、どうでも良い。

分かっているのは、此処が陥落寸前のローマの属州だと言う事。アッティラ王によって追われたゲルマン民族が移動を始め。

それによって滅茶苦茶になったローマの属州の一つだ。

既に軍は壊滅状態。

連日続くゲルマンの民との戦いで疲弊しきっており、街とも言えない集落には破落戸がうろつき廻っている。

それらに私は。

最初に目をつけた。

此奴らは分かり易い。

数人を殴り倒す。

あまりにも容易かった。そして怖れるそいつらに、首領の所に案内するようにと告げる。そして、首領を見つけるやいなや。

殺して首を切りおとした。

恐怖する周囲に告げる。

これから、お前達は、私の部下だと。

逆らえばこうなるとも。

首を放り投げ。

空中で四つに分解してみせると、破落戸共は完全に小便を漏らして、頷くだけになった。これでいい。

暴力は手に入れた。

女はどうでもいい。

というよりも、性欲そのものが無くなっている印象だ。

前は相応に性欲もあったし、それで苦労もしていたのだけれど。多分知恵と力を手に入れた代償なのだろう。

破落戸共のボスにすげかわると。

隠しておいた卵を持ってきて、アジトに据える。

試してみたのだけれど。

これは恐ろしく堅くて、とてもではないけれど簡単に壊れるようなものではない。更に不思議な事に。

破落戸どもの誰もが、持ち上げることさえ出来なかった。

つまり、大体何をされても平気だと言うことだ。

半年ほど掛けて。

この腐りきった属州を支配していく。

少しずつ、確実に。

その過程で、ローマの軍が如何に弱体化しているか。ゲルマンの戦士が如何に凶猛かは、何度も目にした。

今後エウロピアを支配するのは、ローマでは無い。

ゲルマンだ。

それも確信できた。

ならば、ゲルマンを支配するべきだろう。

アッティラ王は既に亡くなり、その王国はあっという間に瓦解したと聞いている。ゲルマンよりも強いアッティラがいない今。

ゲルマンさえ支配すれば。

この地を自由自在に動かす事が出来る。

ほくそ笑む私を。

周囲は恐れの目で見ていたが。

逆らわなければそこそこ面倒を見てやるようにすれば。致命的な激発には到らないのは、なんとなく理解できていた。

あの島が。超常の存在だったという事は。

今、自分が一番よく理解できている。

昔の自分だったら、此処にいる破落戸共の一人にだって勝てなかっただろう。今は片手で十人をまとめて相手に出来る。

それはすなわち。

神々の力を得たという事だ。

ヘラクレスが実在したのなら。

これくらいは強かったのだろうか。

いや。流石に本物の神と自分を比べる勇気は無い。

もしもあるとしたら。

アッティラに比べて、自分は強いか。

それだけでいい。

そしてゲルマンを従えるには。アッティラくらいの強さはないといけない。それもよく分かる。

結局の所、暴力が一番必要なのだ。

島から戻ってきて、一年が過ぎた頃には。

私は既に部下千人を従え。

この属州を、影から支配するまでになっていた。

だけれども。

卵は孵る気配もない。

二度、不心得な部下が、卵を盗み出そうとした。

だけれども、そいつらを見せしめに、可能な限り残虐に殺してからは。同じ事をしようとするものはいなくなった。

女にも男にも興味を見せないことを周囲は気味悪がり。

いつしか私は。

卵の怪と呼ばれていた。

 

ローマの属州には、兵が駐屯しているものだけれども。その兵はすっかり疲弊し弱体化し。

奇襲すればどうにでもなる事はわかりきっていた。

叩き潰さなかったのは、その後維持できないことを理解していたから。

だけれども、今は違う。

この地で暴れているゲルマンの長老達に会いに行った。

彼らは分かり易い。

力を示してみせれば良いのだ。

彼らの中で最も強い戦士を、赤子を捻るように倒してみせると。それだけで頭を下げて従ってくる。

強さこそ正義。

分かり易くて大好きだ。

十三の部族が属州に入り込んでいたが。

それもローマは把握していなかった。というよりも、それさえできない有様になっていたのだ。

奴隷商人も、既にここには来ないという。

危険すぎて、生還できる見込みが無いからだ。

情けない連中だと。

昔はあれほど怖れていた奴隷商人を、私は嘲笑うことが出来るようになっていた。

そして、ゲルマンの長老達を従えた翌日。

属州の政庁に。

攻撃を仕掛けた。

兵は多く無くても良い。ただ、真正面から、ゲルマンを従えた男が攻めこんでくると言う事実を突きつけてやるだけでいいのだ。

兵士達はそれを見るだけで、怖れて逃げ散り。

その先頭にいたのは、なんとこの属州の執政官だった。

笑いが止まらない。

執政官が真っ先に逃げ出した政庁など、誰が守ろうとするだろうか。すぐに空っぽになった其処を、私は制圧。

燃やそうと息巻くゲルマンの戦士達に釘を刺した。

「燃やすな」

「何故だ! ローマのクソ野郎どもの住処だぞ!」

「燃やすなと言っている。 ここは使い路がある」

「……」

強き者には従う。

それがゲルマンだ。

故に私が燃やすなといえば燃やさない。

扱い安くて実に良い。

政庁はそのまま保存。逃げ遅れたものは、奴隷にする。街の連中は、逆らいさえしなければ、そのままにしておく。

これでも、部下共をかき集めている間に。

ローマの法は調べておいた。

穴だらけで、既に形骸化している法だが。

使える部分も多い。

税収の仕組みなどは、見ているとなるほどと思わされる。集めたゲルマンの長老に、それは話しておく。

長老の一人が言う。

「ローマには恨みがある。 奴らは許せない」

「そうだな。 私にもある。 というよりも、私は奴らに奴隷として売られ、ガレー船で死ぬまでこき使われる予定だった。 今は奴らを殺してやりたい気持ちしか無い」

「ならばなぜ、ローマのものを使う」

「ローマを作った人間は殺せば良い。 だが、ローマの作ったものは、使えば良い」

なるほどと、長老達は頷く。

それにこの地にいる民にも、ローマ人などいない。支配者階級はそうだったけれど、そいつらは真っ先に尻に帆を立て逃げ出した。

ならば、今は。

この地こそが、私の王国だ。

すぐに卵を持ってくる。

長老達が、それは何かと聞いてくる。

だから応えてやる。

神の卵だと。

「私はある場所でコレを得た。 それで情けなく使い潰されるだけだった私は、いにしえの英雄に近い力を得ることが出来たのだ」

「おお……」

「だが、これは私にしか扱えぬ。 誰か、力自慢のものよ出ろ。 持ち上げてみるがいい」

そう言われて、全身が巌のような、ゲルマンの戦士が出てくるが。

彼でも卵を持ち上げることは出来なかった。

ほくそ笑む。

それでいい。

私は英雄でも何でもない。

神でもなければ、勇者でも無い。

ただ生存したいと願うだけのものだ。そしてその生存には、この卵が絶対に不可欠なのだ。

納得して帰った長老達。

それでいい。

ローマは彼方此方で頻発する反乱に手を焼いていて、こんな辺境の属州に兵を派遣する余裕など無い。

昔だったら数個軍団があっという間に駆けつけてきたかも知れないけれど。

それは昔だ。

今のローマは、暴政と無能、腐敗と怠惰によって、完全に死に体。

もはや昔の栄光を取り戻す事は無いだろうとも言われている。

後は、この属州を、私の終の棲家に変えていけば良いだけだ。野心などは無い。ただ安らかに過ごせれば、それで良い。

そのためには。

努力を惜しむつもりもないが。

気付く。

卵に罅が入っている。

これは、ひょっとすると。

私は、思わず高笑いしていた。

卵が孵るのか。

何が出てくるのだろう。あの繭から出てきたような、超常の存在だろうか。だとすれば、なお素晴らしい。

神が直接降臨するのであれば。

それは私が目にしたい。

そして私は、あの地獄から生還し。

神をも目撃したことになる。

英雄でもなければ、勇者でも無い。野心も無ければ、百年の展望も持ち合わせていない。そんな私が。

これほどの運命の皮肉は、あるだろうか。

高笑いしている私の前で、卵の罅が拡大していく。

そしてやがて。

頂点から、卵は砕けた。

中から這い出してきたのは。

黒くて、とげとげしていて、純白の卵とは、何もかもが真逆の芋虫。それはまずは生まれ出ると。おもむろに卵を食べ始めた、

そういえば、蛾の幼虫もそうすると聞いた事がある。

巨大な芋虫は。

誰が砕く事も出来なかったあの卵を。

平然とかみ砕き、咀嚼し。

体の中に取り込んでいく。

それだけで、この芋虫が。超常の存在だと言う事が、よく分かるのだった。

 

すぐに部下達に、様々な葉を用意させる。

芋虫を地下室に移した私は。

自分の手で、芋虫に甲斐甲斐しく葉を与えた。だが、芋虫は、どの葉にも見向きもしないのだった。

ひょっとすると、葉では駄目なのかも知れない。

肉も見せてみる。

やはり見向きもしない。

水は飲む。

そして、私だけが抱え上げることが出来た。

卵の時よりも、更に重くなっている気がするが。それは別にどうでも良い。ただ、この芋虫に死なれては困る。

正直な話、他の誰などどうでもいいのだが。

この芋虫だけは別だ。

巨大な芋虫は、既に私よりも大きいけれど。

これ以上大きくなる気配はない。

やはりエサが必要なのだろう。

あらゆる動物も順番に見せていく。

その中には、奴隷市場から買ってきた子供もあった。ローマの奴隷商と仕組みは違うけれど。

結局貧しければ人間は子供を売る。

そういうものだ。

更に貧しくなってくると、子供を交換して食べたり。口減らしのために殺したりもするのだけれど。

まあそれはいい。

私もそうやって売られた子供だ。

今更どうとも思わない。

芋虫は子供を見ていたが、それでもエサにしようとはしなかった。あの卵をかみ砕いた顎だ。

人間なんてひとたまりも無いだろうに。

怖れる者達に。

この芋虫こそ、神だと告げてある。

実際このように巨大な芋虫など、見たことが無いからだろう。何より、私の言葉であるから。

誰も異議は唱えなかった。

しかし困った。

腹を減らしている様子はないけれど。

その一方で、大きくなる様子も無い。

育つためにはやはりエサが必要なのだ。

まて。

あの奴隷の子供を見た時、じっと見て、それから視線をそらしたような気がする。ひょっとして、人間の中にも、エサとして好みのものと、そうでないものがいるのか。つまり、エサが人間という事は、間違っていないのか。

腕組みする。

いつも此処に出入りさせているゲルマンは、少なくとも興味を見せない。あの奴隷の子供はスラブだった。

だとしたら。

ひょっとしたら、ローマ人なら喰うかも知れない。

すぐに捕まえてこさせる。

ゲルマンにとって、ローマ人は復讐の対象だ。既に支配者が入れ替わっているこの土地で、ローマ人が生きていける場所など無い。

牢にいたのはもうみんな処刑したから。

新しく得るためには、よそから捕まえてくるしか無い。

別の属州にわざわざ行かせて。適当なローマ人を捕まえてこさせる。まだ若い女だったが、どうでもいい。

性欲そのものが失せているのだ。

女は、芋虫を見て、金切り声を上げたが。

芋虫は別に何とも思わなかったようだ。

そして、喰うことも無かった。

舌打ち。

此奴がローマ人を喰らうようだったら、さぞや面白い事になっただろうに。気絶した女を運ばせようとした、その時だった。

芋虫が。

口から、粘液を吐いた。

それは女の体にひっつくと。

一瞬で、女が芋虫の中に吸い込まれた。

喰ったという感じでは無い。

吸い込んだ。

そんな雰囲気だった。

まて。

ひょっとして、だが。

今の私の憎悪に、芋虫は反応したのか。

怖れている連中を一瞥すると、行かせる。

ひょっとして此奴。

私が憎んでいる相手しか。

エサとして、認識しないのか。

ローマ人の女という点では、どうでも良かった。だが、自分たちが奴隷にしてきたことも忘れて、哀れっぽく悲鳴を上げたとき、苛立ちを覚えた。

それならば、或いは。

手を叩いて、部下を呼ぶ。

そして、ローマ人を何でも良いからもっと連れてくるように告げた。

勿論エサだ。

エサさえ喰わせれば、この芋虫はもっと大きくなる。

 

案の定と言うべきか。

女を喰った翌日、芋虫は脱皮して、一回り大きくなった。そして最初に、自分の脱いだ皮を貪り喰った。

これも蛾の習性だと聞いている。

いとおしい。

撫でていると、部下が来る。

政務をして欲しいと言うことだった。

適当にこなして、すぐに芋虫の所に戻る。今の私の頭であれば、このくらいの政務は簡単だ。

そして皮肉な事に。

私に権力を一本化したことで。

この属州は、前よりずっと発展している。

私が此処を征服してから一年が経とうとしているが。

前とは街が比べものにならないほど清潔で。

破落戸もいない。

私が言い聞かせているからだ。

好き勝手をしたら殺すと。

その代わり給金は与えているし。良い食い物だって与えている。求めるだけでは無く、与えているのだ。

だから破落戸共は、私を怖れても、逃げようとはしない。

それでいい。

連中には、それ以上の事は、何も求めてはいないのだから。

仕事を片付けて、地下へ。

前に買ってきた奴隷の子供が、芋虫の周囲を掃除していた。怖くないのかと聞いてみるが、首を横に振る。

まあ良い。

神だと言って、納得しているのは私だけで良いのだけれど。

そうするものがもう一人くらいいてもいいだろう。

芋虫も、周囲が清潔になって嬉しそうだ。

だが、奴隷は言う。

此処がじきに狭くなるのでは無いかと。

確かにそれもそうだ。

次にどれくらい大きくなるか、だが。

それ次第では、この地下倉庫からだしてやらなければならないだろう。

まあ、地下倉庫そのものをこわしてしまうと言う手もある。

滅多な事で、この芋虫は死なない。

周囲で多少乱暴な工事はしても大丈夫だ。

それにしても、意外に気がつく子供だ。

成長したら側近にしてやっても良いだろう。

周囲には脳筋しかいない。

少しは、頭が良い奴がいても、失敗はしない筈だ。いずれにしても、はっきりしているのは。

此奴にはエサが必要で。

そのエサを得るためには。

ローマを潰さなければならない、という事だ。

 

2、膨張

 

隣のローマ属州も混乱していて、完全に私に制圧された此方に対して、明らかに浮き足立っていた。

同じように敵の手に落ちる属州も増えているのだろうに。

ローマは有効な手を打てていない。

それもそうだろう。

もう出せる兵力がないと言う事なのだから。

ローマから逃げてきた奴隷が、次々に属州に集まって来ている。私を頼ってのことだ。ローマを潰すつもりで兵を集めているとも。一芸があれば迎えてくれるとも。何より、ローマ市民で無くても厚遇してくれるとも噂を流しているのだから、当然だ。

兵は次々に増える。

そしてその間。

私はローマ人をさらわせて、芋虫の餌にし続けた。

やはり食べるというのでは無くて。吸い込んでいる。

老若男女関係無し。

私が憎しみを向けた相手には、容赦しない。

すっと吸い込まれていく様子は、見ていて小気味が良いけれど。だけれども、もっと断末魔とか、恐怖とか。

そういうのを浮かべて喰われていく様子も見たかった。

そうこうするうちに、芋虫は脱皮。

二十人くらい喰わせただろうか。

脱皮すると、今度はまた二回りも大きくなり。やはり地下の倉庫では、手狭になって来た。

芋虫はきれい好きだけれど。

家畜と違って糞をするわけでも無く、掃除の手間はそれほど多く無い。掃除は奴隷の子供にずっとやらせている。隅々まで丁寧にするし、芋虫を綺麗にすることも手を抜かないので重宝していた。

いずれにしても、このままだと地下倉庫では芋虫を養いきれなくなる。

外に出すしか無いだろう。

政庁だった建物の一角に、大きな小屋を作る。

そして夜の内に。

神である芋虫を、其方へ移動させた。

勿論移動は私がやる。私以外では持ち上げられない。何より芋虫が、移動させることに抵抗する。

今の芋虫のパワーは、もう牛や馬と同じ。

本気で暴れられると死人が出る。

そういう状況だ。

実に好ましい。

このまま巨大に成長していったら、やがて天突く巨大な姿になるかも知れない。そうなったら、もはや金食い虫の軍などいらない。

ローマに放って。

根こそぎ捕食させて終わりだ。

この芋虫が、あのローマの軍勢を蹂躙していく様子を思うと、本当に心地よい。考えるだけで喜びに震える。

神として、私が怪物を飼っているという噂は周囲に流れているようだが。

そんなものはどうでもいい。

それに、むしろ私としては、この世界そのものを呪いたいのだ。

呪うには、暴力と残虐性に富んだ民族が、世界を支配すること自体が好ましい。戦闘民族であるゲルマンがこの世界を支配すれば。

この世はもっと残忍で。

面白いものになるだろう。

最終的には、人間など全て芋虫に喰わせてしまっても良い。

その時には、一体どうなるのだろう。

くつくつと、笑いが漏れる。

芋虫に背中を預けて。

私は嗤い続ける。

芋虫は、そんな私を。

じっと黙ったまま、見つめているのだった。

「お館様」

奴隷の子供が来た。

顔を上げると、書類を手にしている。

頷いて、受け取り、目を通す。

隣のローマ属州に略奪に行っていた部隊が戻ってきた。略奪と言っても、ローマ人を狙ったものだ。

だから属州でも、此方の軍勢を歓迎している。

今日も、十匹以上を捉えてきたそうだ。

ローマ人など、匹でいい。

早速連れてこさせる。

どいつもこいつも太っていて。

弱者の血肉を啜って太ったのが見え見えだ。実に不愉快で。殺意が心の奥底から湧いてくる。

すぐに、芋虫のエサにしてしまう。

最後に幼い兄弟が残ったが。

それも関係無い。

お互い抱き合って震えあがっている子供達。

残念だが。

神はそんな祈りなど、聞くことはない。

実際私がどれだけ願っても。

神は助けなど寄越さなかったのだから。

愚かしい子供達め。

そう思うと、一瞬で子供らは、芋虫に吸い込まれていた。舌なめずり。自分で喰らったかのように、楽しかった。

いっそ本当にローマ人共を殺して喰ってみるのもありか。

ふと、気付く。

私の嗜好は、ひょっとして。

どんどん暴走していないか。

 

属州を支配してから二年。

隣の属州への略奪攻撃もそろそろ飽きてきた。本格的に軍を動かすべきだろうとも思い始めていた。

ローマでは、私は。

神の悪意と呼ばれているらしい。

それは大いに結構だ。

実際、ローマ人への悪意で形成された私だ。

そう呼んでくれるのは、むしろ光栄でさえある。

「お館様」

そう呼ばれることも珍しくなくなった。

軍は訓練も編成も終わった。

ローマ式とゲルマン式の良い所を取り込んだ編成で。訓練は私がしっかり見た。昔の、全盛期のローマ軍なら兎も角。弱体化した今のローマ軍など、それこそゴミのように蹴散らすことが出来るだろう。

アッティラの軍と戦って勝てるかは分からないが。

それでも属州の軍など圧勝だ。

芋虫は、まだ。

既に牛をひとのみにするほどのサイズになっているが。

私が憎悪した相手しか喰らわない事に代わりは無い。

矢も剣も受け付けないが。

それでもこの程度のサイズで軍を蹴散らすのはムリだ。もっともっと強くしていかなければならない。

それには、エサがいる。

隣の属州には、まだ数百匹ほどローマ人がいる。

此奴らを逃がさず捉えれば。

芋虫は更に大きくなり、強くなるだろう。

それは素晴らしい事だ。

私が崇める神が更に強くなり。

そして世界はもっと美しくなる。

ローマは滅ぶ。

なんと良い事なのだろう。

その後の混乱など知ったことではない。私はローマが滅ぼせれば、ただそれだけでいいのだから。

最近、キリスト教徒とか言う連中も、接触してきている。

何でもローマを潰すために協力して欲しいとかで。中には知識を持ったりスキルを得ていたりするものもいて。

私としては使い路があるので側に置いていた。

利害も一致している。

ローマさえ潰せればそれでいい。

そう思うと、正直な話、悪魔だろうが何だろうが、利用する事に代わりは無い。ただし、此奴らは、芋虫を見せると拒否反応を示す。

神は一つしかおらず。

これは悪魔だというのだ。

そういった瞬間、そのキリスト教徒は芋虫に吸い込まれて消えた。

やはり私の憎悪が、相手をエサとして判別するのだと、これでよく分かった。

まあ、正直な話、それ以降キリスト教徒に、芋虫は見せていない。出来るだけ殺すのはローマ人だけにしたいのだ。

もっとも、ローマ人でもキリスト教徒はいるようなので、よく分からない。

まあどんな連中も、一枚岩ではないのだろう。

酒を飲んでいて舌打ち。

味覚がおかしくなってきている。

味がしない、ということはないのだけれど。

何というか、明らかに美酒と呼ばれるものが、口に合わなくなってきているのだ。それだけではない。

性欲が無くなった影響だろうか。

自分の後についても興味が無い。

時々、部下が結婚だの愛人を作れだのと進めてくるけれど。

そんな気にはとてもなれない。

というよりも、正直どうでも良いというのが本音だ。

いずれにしても、軍は整った。

属州の一つに侵攻させる。

指揮は別に部下に執らせても大丈夫だろう。私がわざわざ出て行くまでもない。出るとなると、芋虫が心配だ。

連れていくとなると、巨大な馬車が必要になる。

それはそれで手間だ。

どうせローマから軍が出てくることも無いだろう。

放置したまま、しばし様子を見る。

そして、二ヶ月後。

勝報が届いた。

頷くと、私はローマ人の捕虜をどれだけ得られたか確認。そうすると、指揮官は、申し訳なさそうに頭を掻いた。

「それが、敵の指揮官が、自分たちを盾にして、ローマ人を逃がしやがりまして」

「ほう」

「本当でさ! それで、一人も……」

指揮官とやらにも逃げられたという。

一端様子を見に行く。

事前に言いくるめたとおり、ローマ人以外への暴行略奪は禁止。それもあって、ローマ人が放棄した館などは焼かれていたが。そもそも奪う物資など無かった様子だ。しかも政庁の地下にも、宝物の類は存在しなかった。

全て、事前に移していた、という事だろう。

考えられない事だ。

愕然として、しばし立ち尽くす。

これでは軍を動かしただけ損をした、と言うことでは無いか。

いずれにしても、この土地はよりローマに近い。本拠は此方に移すとして、金食い虫の軍をどうするかが問題だ。

無能と責めるわけには行かないだろう。

複数の兵から話を聞いたが。

確かに敵には勇将と呼ばれる存在がいて。

最後尾に立って味方の撤退を支援し。

此方の攻撃を防ぎ続け。

そして悠々と脱出に成功したという。

強さを崇拝するゲルマンの戦士達は、戦士たるものかくありたいとまで絶賛していたほどで。

はっきり言って。

ハラワタが煮えくりかえる。

優秀なローマ人などあってはならない。

そんな存在は。

許してはいけないのだ。

大きな馬車を用意させて、芋虫を此方に移動させる。

そして、政庁に入った私は。

鏡を見て、気付く。

非常に深い皺が、きざまれていた。

どうやら私は。

怒りによって、何もかもが許せなくなりつつあるらしい。こうなると、芋虫に誰かを見せるのは危険だ。

あの奴隷の子供以外は、芋虫に近づけない方が良いかもしれない。

まあいい。

政庁の様子を見るが、例の将軍以外は、非常に無能な連中ばかりだったようで。何もかもが滞っていた。

それを立て直してやる。

三ヶ月もすると、民とやらは、私の事を歓迎するようになっていた。

別にどうでも良い。

いつのまにか。

私はローマ人だけでは無く。

人間そのものを、何もかもという観点からさえ、軽蔑するようになりはじめていた。もう、芋虫の餌は。

ローマ人だけでなくても良いかもしれない。

 

翌日から。

奴隷を買いあさらせる。

そして使えそうなものは軍や畑に回し。使えそうにないのは。どんどん芋虫のエサにしていった。

奴隷の子供は、驚いた様子で、聞いてくる。

「お館様、ローマに復讐するのでは無かったのですか」

「そのつもりだが」

「しかし、今日神様に捧げた生け贄は、ローマ人ではありませんでした」

「黙れ。 役立たずには、相応の報いをくれてやっただけだ」

不安そうにする奴隷の子供。

いっそ此奴もエサにするか。

いや、此奴は芋虫を怖がらず、きちんと世話もする。それなら、生かしておいた方がいいだろう。

勿論ローマ人は捕まえ次第芋虫の餌にする。

それは変わらない。

そしてそうこうするうちに。

二つの属州を制圧した私の側にいる芋虫は、四度目の脱皮を迎えていた。

たしか芋虫は、四度か五度の脱皮で、蛹になる筈だが。

この芋虫は、更に大きくはなったけれど。

蛹になる気配はまだない。

それにしても、下手をすると、牛馬を踏みにじるサイズだ。

このサイズになってくると、小規模な軍なら蹴散らせるかも知れない。

小屋を拡張させる。

多分次の脱皮の時には。

政庁を丸ごと使わないと、養えないサイズになるだろう。

まあそれはいい。

大きくなればなるほどいいのだから。

そして更に半年が経過。

ローマの衰退は明確になり。

私の側には。

ローマを嫌った人間が、以前以上に集まってくるようになった。

彼らは求めてくる。

ローマを打ち倒すために、フン族が蹂躙したガリアを制圧するべきだと。そして今の私にしか、それはできないと。

アッティラの王国は、既にいずれもが瓦解しているが。

その跡目を巡って、ガリアはカオスと化している。

まあまずは其方に行くのも良いだろう。

兵を進めさせる。

そして軍の指揮をとった私は。

散発的に抵抗してくるゲルマンの小部族を。

それこそゴミでも蹴散らすようにひねり潰し。そして配下に加えていった。

いずれも容易い。

エウロピア全土を支配してしまうのも、これなら難しくは無いだろう。

だが、一つはっきりしているのは。

その前に、ローマを潰さなければならないと言うことだ。

奴らを滅ぼすことだけが。

私のアイデンティティだ。

アッティラ滅亡後の混乱でガリアは右往左往していたこともあり。面白いように勝ち進んで、領土を拡げた。

だけれども、そんなのはどうでも良い。

そこにいたローマ人を探し出してきて。

芋虫の餌にすること。

それだけが私の狙いだ。

そして案の定。

ついに願いは叶った。

ローマ人が数百人単位で逃げ込んでいた集落を発見したのだ。勿論容赦なくその場で捕まえて、全部芋虫のエサにした。

素晴らしい。

これぞ戦果。

笑いが止まらないとはこのことだ。

これほどの戦果は、初めてである。

戦争はもっと下品にやっても良いかもしれない。見かけ次第殺し、奪いつくしていく。しかし、そうすると、部下が離れても行く。そうなると、流石に私がどれだけ能力が上がっていても勝てないだろう。

だが。

そろそろ、考えるべき時かも知れない。

既にローマの属州十個分に相当する領土を得た。

ここに住んでいる人間共は、既に十万を遙かに超えている。

つまり、である。

これを全部エサにしてしまえば。

芋虫は大人になるまで成長できるのでは無いのか。

あの芋虫は、明らかに超常の存在である。そして超常の存在であると言う事は、大人になったからと言って、蛾になって飛び去るとは限らない。

むしろ、神が。

それも、ローマ人が崇めているような神が、中から出てくる可能性も高い。

ただ大きくなって。

私の指示で、ローマを食い尽くしていく化け物へと変わっていく可能性もある。

いずれにしても、楽しみすぎて。

よだれを拭うほどだった。

久々に、戻る。

芋虫は元気そうにしていた。

捕獲してきたローマ人は、全部エサにしているのだが。

やはり私が見ているところで無いと、絶対にエサを口にしないという。奴隷の子供も、いつの間にか相応に年を重ねて。

もう子供が産めそうな背格好になっていた。

「お前はよくやってくれているな」

「有難うございます」

「奴隷のままというのも気の毒だ。 夫でも紹介してやろう」

「いいえ。 私はこのままで結構ですので」

意外だ。

だが、欲があったら、こんな所で、芋虫の世話をしていないか。

まあそれでいい。

今はただ。

芋虫に餌を与えて。

肥え太らせることが、第一だ。

 

3、暴虐

 

軍を整えた私は。

まっすぐローマの属州に攻めこむ。更にそれらを突き抜けるようにして、ローマそのものへ兵を進めた。

狙うはローマ人だ。

既に敵には、此方を食い止める力など無い。

ローマの軍勢とやらが出てきたが、まるで相手にならない。文字通り蹴散らして、ゴミクズのように叩き潰した。

そして捕虜にした。

驚いたのは、その軍の大半が、ローマ人では無い事。

ローマ人共は、何処で何をしているのか。

本国で奴隷を使って、豚のように肥え太っているのか。

いずれにしても。

許せる事では無い。

攻勢の終末点だと判断した私は、一旦兵を引かせる。膨大な捕虜を得たが、ローマ人は数百人程度。

またしてもこの程度か。

許しがたい。

不快感に苛立っている私を。

戦勝に奢っている将軍達は、不可思議そうに見ているのだった。

「王、どうして左様に不愉快そうなのです」

「私はローマ人共を殺したかったのだ」

「それならば、このまま勢力を拡げていけば大丈夫でありましょう。 今回の戦いで、ローマの軍勢が如何に貧弱かはよく分かられたかと思います。 次はローマの本国を蹂躙することも出来るかと」

「……そうだな」

分かっていない。

私の目的は征服などでは無い。

ローマ人を皆殺しにすること。

ただそれだけだ。

連中を殺しつくすことは、私にとっての使命。

ローマという文明は別に滅ぼさなくても良いだろう。だがローマを構成しているローマ人どもは、一匹残らず芋虫のエサにしてやらなければ気が済まない。

政庁に戻ると。

早速芋虫の餌にする。

数珠繋ぎにしたローマ人共を、順番に喰らって行く芋虫。恐怖で失禁したり、逃げようとしたりする奴もいるが、関係無い。

全部まとめてエサだ。

そしてそいつらを全て喰わせると。

芋虫は、ついに脱皮を始めた。

素晴らしい。

今度は二回りも大きくなる。

そして、ついに。

政庁よりも、芋虫は巨大になった。

これならば、もはや良いだろう。このまま、ローマに進撃して、ローマ市に住み着く、人の姿をした豚共を、全てエサにしてくれる。

高笑いを続ける私の耳に。

どこからか、声が聞こえてきた。

「もうそろそろ良い頃だろう。 お前はこの卵に充分な栄養を与えてくれた。 知識という栄養をな」

「……?」

「此方だ」

声がする方を見ると。

奴隷の女。

どういうことだ。その身から立ち上っている青い光は何だ。私には、その声が、聞き覚えが。

そうか。

あの繭から現れた何者か。

此奴の口を介して、喋っているのか。

「どういうことだ!」

「私は時の狭間に封じられしもの。 アカイアではクロノスと呼ばれた存在だ」

「クロノス……」

「私の目的は復讐。 私の目的は、文明の崩壊する時に現れて、その失われるべき知識を収集すること。 そうして力をつけ、私は私を追い落としたあの愚息を、叩き潰す」

そうか。

私も目的は同じ。

利害は一致していたのだ。

此処までは。

だが、此処からは違うと、芋虫は言っている。

「私に力を与えたのは、どういうことだ」

「力だけを与えたと思っているのか」

「何……」

「ローマへの復讐心を異常なまでに滾らせ。 そしてこの体に知識を与えることを、最優先に考えるようになった。 おかしいとは思わなかったか。 性欲も邪魔だから切った」

そうだ。

おかしいとは思っていた。

だが、何もかもが。

神の掌の上だった、という事か。

笑いがこみ上げてくる。

でも、構わないと思ったのだ。

高笑いをする私を見て、芋虫。いや、その声を代弁している奴隷の女は、不思議そうに眉をひそめた。

「何だ。 何故笑っている」

「これほど楽しい事が他にあるか。 私にしてみれば、ローマに復讐できれば何でも良かった。 その力さえ得られれば、例え洗脳されていてもだ。 私は操られていても、それでも構わない!」

絶叫した私の目は。

自分では見えないが。

恐らくは、狂気に満たされていたことだろう。

そして私は叫ぶ。

「神よ! いやその代理でもなんでもいい! すぐに私を喰らえ! そしてそのローマへの復讐心を、その身に取り込め! 私はローマさえ滅ぼせればどうでもいい! いや、この世界に、恐怖と絶望を、徹底的にまき散らしたい! 奴隷として生まれるだけの運命をたどり! 何もかもに怯えるだけの私だった! だからこそに、今こそ世界に対して復讐したいのだ!」

「面白い……!」

吸い込まれるのが分かる。

そして、もう一つ。

芋虫は、羽化しようとしている。

私は、もはや喉がかれるほど嗤いながら。巨大な繭が形成されていく様子を。どうしてか、中から見る事が出来ていた。

奴隷の女も、一緒に取り込まれた。

神が完全となったのなら。

もはや巫女など不要。

そういうことなのだろう。

私にとっても、神が完全となったのであれば。

あの奴隷女は、もういらない。

だから、どうでも良かった。

 

政庁に来た者達は驚く。

巨大な白い塊が、突然にして、政庁を覆っていたのだ。そして今まで偉大な支配者として君臨してきた、残忍ながらも強大な王もいない。

大混乱が起きた。

ここぞとばかりに、ローマの軍勢が反撃してくる。

そしてまとまりを欠いた軍は、あっという間に瓦解。

しかしローマ軍が来たところで、秩序の回復は難しい。もはやそこまで、ローマ軍は弱体化していたからだ。

彼らも、政庁を見て、愕然とする。

何だこの巨大な白い塊は。

学者でさえ、訳が分からないと叫んだが。

次の瞬間。

白い塊から無数の糸が伸び。

その場にいたローマ人を掴むと。一瞬にして、白い塊に取り込んでしまった。

悲鳴を上げて逃げ散る者達。

それだけではない。

白い塊は、ゆっくりと揺れ出す。

大地が揺らぎ。

地面にひびが入る。

恐怖が、具現化しようとしていた。

私は、その恐怖と。

完全に一体化して。

歓喜の声を爆発させながら登場した。

いや、ばらまいたと言うべきかも知れない。

白い繭が開くと。

其処からは、見えないほど小さな無数の毒が出現する。それは、全てが私の悪意の塊。憎悪の神エリスの権化。

誰にも見えないそれが。

これからこの大地で。

もっとも人間を殺していくのだ。

けらけら。

笑い声が漏れる。

いつの間にか、私の声は、子供のそれに戻っていた。

そうだ。

そもそも、ガレー船から放り出されたとき、私は子供だった。それがどうしてか、戻ってきたときには、大人に。それも屈強で、英雄を思わせるほどのそれになっていた。そも其処に疑問を抱かなかったところから、私は。神の掌の上で踊らさせていたのだろう。だけれども、それでもいい。

私は悪意をばらまきたい。

悪意で世界を満たしたい。

邪悪の権化になってもいい。

殺されるために産み出され。

殺されるためだけに行使され。

そして、尊厳も何も知らぬまま、死ぬ運命だけが待っていた。その運命をはじき返した今。

私がするべき事は。

全てに対する復讐だ。

それにはコレが一番。

神の知識と一体化した私には、よく分かる。これは恐らく、エウロピア全土を覆い尽くし。

あらゆるものを殺しに殺す。

最終的には無力化されるかも知れない。

だけれども、エウロピアの人間を、これ以上ないほど無差別殺戮して。

その歩みを止めるはずだ。

あはははは。

どうだ。神よ。

クロノスは言葉も無い様子だ。

人間の悪意を知らなかったのか。

それとも、侮っていたのか。

私は悪意の中で生まれ育った。それならば、悪意をこれ以上も無いほど巧みに使えるのは当たり前だ。

あの島に辿り着くまでは、駄目だった。

人間に対して、復讐しようとは考えられなかった。弱かったからだ。優しかったからだ。

でも今は違う。

知恵を得た今は。

人間は、報復の対象でしかない。

おかしな話だ。

人は強くなるとおかしくもなるらしい。知恵をつけると、残虐にもなるらしい。獣よりも凶暴にもなるのだとすれば。

知識は何のためにあるのだろう。

「知識だったらくれてやる、クロノスよ。 私には復讐だけさせろ」

「まあいいだろう。 お前はこれよりエリスの子。 そうさな、ペストとでも名乗るが良いだろう」

「良い名だ!」

繭から飛び出した私は。

翼を持ち。

神々しく完璧な肉体を得て。

そして、人々を見下した。

見えるものとそうで無いものがいるらしい。

だけれども、そいつらはひれ伏す。

私はほくそ笑む。

これから、私がまき散らす禍がどのようなものかも知れず。神々しい存在と言うだけでひれ伏す愚か者共を見て、面白くないはずもない。

此奴らは、全てエサだ。

私の悪意が世界にばらまかれ。

やがてエウロピアは地獄に変わる。

ローマが滅びた後も、それは変わらないだろう。

ローマ人もゲルマンも関係無く、皆殺しにしていく恐怖の憎悪。それこそが、私なのだから。

巨大な芋虫は、知識をくらい。

私はその対価として、力を得た。

そしてその対価の使い路は。

この世界に対しての復讐意外にあり得ないのだ。

空を舞う。

なんと面白い。

これほど翼を保つと言うことは楽しいのか。

翼からは、際限なくまき散らされる悪意。それらは人間に取り憑くと、体内から破壊していくのだ。

それも、感染する。

このエウロピアを壊滅させるには充分な量がまき散らされる。

そして、この文明は。

死ぬ。

どうせ一度死ぬ文明だ。

クロノスが来たと言うことは、そういうこと。

だったら、とどめを刺すのは、私でも良いはずだ。むしろ私にこそ、その権利があるのだ。

舞い降りた先はローマ。

不思議な事に。

私が見える者は、殆どいないようだった。

さあ、此処も地獄に変えてやろう。

其処まで思い。

ふと気付く。

荒れ果てている。

何もかもが、枯れ果てた土地だ。

街は巨大。

だが、それだけ。

生気はなく。

殆ど真面目に働いている奴もいない。

そればかりか、私を散々虐待してきたような奴らも、存在していないでは無いか。何だこれは。

どういうことだ。

「現実を見たか」

クロノスの声。

それで、悟らされる。

そうか、文明が終わるときだ。まさに終焉の時代。それなのに、無事で済んでいるはずもない。

ましてやローマは、全ての路が通じるとまで言われた土地だ。

それが、腐りきったのだ。

このようになるのは自明の理。

何だこれは。

繁栄しているところを焼き払ってやりたかったのに。

「昔は二百万の民がいた時期もあった。 だがそれも、今は昔の話だ。 腐敗に次ぐ腐敗、戦乱と混乱。 その果てがこれだ。 だから私は言っただろう。 文明の果ての時代だとな」

「私が酷使されていたのもそうなのか」

「簡単に説明するとそうなるな。 極限まで進展した文明の腐敗の結果とも言える」

「そんな理由で……」

巫山戯た事を。

だが、怒ったところでどうにもならない。私は既に人ならぬもの。ペストという新しい名前を得て。

この文明を滅ぼす存在と化した。

いや、違う。

この文明は放置していても、その内滅びたのだ。

私はただとどめを刺すだけのもの。

この時の神によって力を与えられた。

ただ、滅びの最後の一押しをするだけの存在。

そうかそうか。

私はただ。

このためだけに、利用されて。

そして今。

いい気になっていたという訳か。

愚かしい話だ。

呪ったやりたいと思っていた。実際どうあっても滅ぼさなければ気が済まなかった。だが、私が知らぬ内に。

呪いの対象は、もはや勝手に滅びていた、と言う訳か。

「この後すぐに滅びるのか」

「いや、これから時間を掛けて分裂と混乱の時代に突入し、その過程でローマという文明は消えていく」

「そうか……」

「お前の願いは叶う」

それも、私がじわじわとこの世界を苦しめることも出来るというわけだ。

それなのにどうしてだ。

どうして私は、こうも嬉しくない。

何故に。

こうも心が渇いて仕方が無いのか。

「クロノス神よ」

「何か」

「このような文明の最果ては、今後も訪れるのか」

「何度も訪れる」

そうか。

ならば、私のように、此奴のいる島に辿り着いて。それから世界に対して復讐する心を利用される者も現れると言うことか。

それならば、それでも別に良い。

「逆に聞くが、前にもあったのか」

「あったとも。 その時その時でお前のような者が現れて。 そして私の武器となって、文明にとどめを刺していったよ」

「ならば、その後は」

「満足して消えていったり、或いは星になったり、様々だ」

星になる。

それも良いかもしれない。

ならば私は。全てを果たした後、星になりたい。

そう告げると。

クロノスは、そうかとだけ、寂しげに呟くのだった。

 

4、終わりの時

 

街を洪水が襲った。

アレは津波だったのだろうか。

いずれにしても、よく分からないうちに流された。勿論ネットなんて通じない。スマホも役立たず。

電気も全滅。

何年ぶりかで部屋から出てみると。

其処は、よく分からない島だった。

辺りは黒々と濁った海。

とても泳いでわたれるとは思えない。

ましてや、小学校からずっと苛烈なイジメを受け続けた私だ。ひ弱で、根性だってない。こんな所、数日だって生き残れるとは思えなかった。

ぼんやりと見上げる先にあるのは。

白い巨大なナニカ。

図鑑か何かで見た蛾の蛹にそっくりだけれど。

あんな巨大な蛾。怪獣でしかあり得ない。

だけれども、もはや。

逃げる気力さえない。

どうせ逃げても死ぬだけだ。

そう思っていたとき。

頭に直接声が響く。

「いいのか、諦めて」

「何だよ……」

お前はクズだ。

何をするのも無駄になるから止めろ。

学校にくんなブス。

くせーんだよ。

周囲から言われた言葉だ。

教師さえ、それを見て笑っていた。

確かに私は、美人じゃ無い。

でも、一生懸命作った図画工作の象を、その場で潰されて、大笑いされたり。テストで良い点を取って見せたら、調子に乗っているんじゃ無いと殴られて、その場で裸にひんむかれて、よってたかって蹴りを入れられた。

教師でさえ。

態度が悪いからと言う理由で、テストの点を半分にした事がある。

親はそれを見て何も言わず。

私は恐怖から、部屋に閉じこもるようになった。

小学校の頃は具体的な暴力だけで済んだけれど。

中学以降は、レイプの恐怖がつきまとうようになったからだ。

彼奴には何をしても良い。

学校中の人間が、そう考えるようになっていた。

だから毎日暴力を受けたし。

それで顔を毎日腫らすことになった。

絶望の中。

もはや家に閉じこもる意外には路が無かった。

何しろ、虐められる方にも原因があるとか学校が主張して。それを児童相談所が鵜呑みにしたほどなのである。

最後の手段と思って電話した児童相談所が。

お前に原因があるのだから努力しろと説教してきた。その時点で、希望というものは木っ端みじんに打ち砕かれた。

廻り全員が、彼奴はおかしいと言っている。

だから彼奴がおかしい。

そんな理屈が。

まともに受け入れられたのだ

私が生きていく事など出来るはずもなかった。

「努力、しなかったとでも思ってるのか……」

「いや、そういう意味じゃ無い。 復讐をさせてやると言っている」

「……へえ?」

巨大な繭が割れる。

其処から見えてきたのは、無数の触手。

その一つが、先端部分を切りおとして、渡してきた。

卵だと。

一目で分かった。

「今は、文明の終焉の時だ。 コレを守り通せば、お前は幾らでも、文明に復讐を自在に行える」

「本当だな。 皆殺しに出来るんだな」

「思うがままにな」

「……良いだろう」

分からないけれど。

力が溢れてくる。

全身から、みなぎってくる。

気がつくと、私は。

何処かの避難施設にいた。

そして其処には、私を虐めて、毎日せせら笑っていたのを始め、数人が。疲弊しきっている連中は。卵を抱えて現れた私を見て、醜悪な笑みを浮かべた。

何か食い物持ってるんだろ。

寄越せよ。

私は嗤うと。

そいつの顎を蹴り砕き、即死させた。

ざわりと、恐怖の声が上がる。

此処にいるのは、皆怨念積み重なる相手ばかり。

皆殺しにしてしまうとしようか。

どうせあの様子では、世界規模の破滅が起きた状況だ。それだったら、警察なんて機能しているはずも無い。

何より、力が溢れているのが分かる。

今の私だったら。

此奴らを皆殺しにする事なんて、何の造作も無い。

そして実際。

造作も無かった。

私は笑った。

生まれて始めて。

復讐の味とは、こうも甘美なのか。

スイカのように割り砕いた頭から、こぼれ落ちた脳みそを踏みにじりながら、私は。これから何百人殺してやろうかと思い。

更に高笑いするのだった。

卵にひびが入る。

おや、もう卵が。

孵ろうとしている。

 

(終)