輝きの裏側

 

序、再起の一歩

 

まばゆい輝きが満ちた時代。

十代。

多くの人間にとって。

特にこの国の人々にとっては。

十代は、それこそ可能性の時代だろう。

だけれども、私にとっては、十代は暗黒の時代。

私にとって十代は、可能性を信じて、そして裏切られた時代だ。だから、若返りたいかと言われたら、絶対に拒否するだろう。

十六の時には。

既に自分に可能性が無い事を悟っていた。

色々な分野での才能はあった。しかし、決定的な部分での才能がなかった。

ダンスに関しても。歌唱技術に関しても。現在、この世界でもっとも可能性がある職業であるアイドルに必要とされる実技に関しては。誰にも負けない自信があった。

しかし。

私には、人を引きつけるカリスマが、決定的に不足していた。

根本的な見かけの悪さ。

細かい造作の崩れ。

何より、人の感心を集める要素。

あらゆる努力を続けたけれど。計画的に努力を続けても、これだけはどうにもならなかった。

学業は良く出来たから。

この国でも最高峰に位置する大学に入って。其処をトップクラスの成績で出る事が出来た。

高校を出たときには。

私は、自身が夢を掴む事を、諦めていた。

散々資料を見て。何より多くの実践を通して。自分には徹底的に適性が無い事を、思い知らされたからである。

ただ、私は。

自分のスキルを生かすことを思いつくことが出来た。

そして、自分の夢を諦める代わりに。

別の子達の夢を叶えるという事に、価値を見いだすことが出来た。

それは、とても幸運なことなのかも知れない。

腐っていじけて、何もかも放り出して、焼けばちな人生を送る可能性もあったのだから。今、私は。

大学を卒業して。

そして、ある芸能事務所への内定を獲得。

何、それほど大きな事務所じゃない。逆に、だからこそに。これから、仕事がやりがいを持つというものだ。

すんなり決まった内定。面接も、一発で通った。まさかT大の出身者が、プロデューサーとして来てくれるとは、向こうも思わなかったのだろう。

私、飯島桜花は。

今日から、社会人となる。

 

その事務所は、面接の際にも訪れたけれど。お世辞にも大きいとはとても言えず。現在、取締役もただの一人だけ。

それも、小さな事務所ビルの二階のみ。

人員も、事務の女の子が一人。女の子とは言っても、私よりだいぶ年上だ。敬語で接しなければならないだろう。

実際には、取締役社長が、プロデューサーも兼ねているという、零細企業だ。

所属しているアイドルは、現在十三人。

実は、この会社では無く。

所属しているアイドル達を見て、此処への就職を決めた。

あらゆるデータを確認する限り、この子らは伸びる。私はまだ社会人としての経験はないし。プロデューサーも初経験だけれども。

しかし、アイドルについては。

誰よりも知っているつもりだ。

ネクタイを締め直す。

私はいわゆる女性社員だが。スーツをしっかり着こなすことで、仕事状態に自分を置く訓練をしてきたし。

今も既に仕事モードに入っている。

ドアを開けると、奥で何人かが談笑している。全員が事務所にいるわけでもなくて。何人かは外で下積みの仕事。

たとえば、キグルミに入ってパンフを配ったり。

何かの宣伝にかり出されて、ティッシュを配ったり。

デパートの屋上とかで歌ったり。

そういった、売れないアイドルが、誰でも最初はやるような仕事を、しに行っているのだろう。

一人と一瞬だけ目があったので、軽く黙礼。

社長室に直行。

まずは社長に挨拶してから、軽く説明を受けた。

社長は気さくな人だ。

放任主義で、アイドル達にも好きなようにさせていると聞いているけれど。それでは実際問題としてやっていけない。

現在地下アイドルもいれると二十万といわれるアイドルがいる時代だけれども。それでも、競争は存在するし、適当にやっていて企業は動くかと言われれば、それはノーだ。だから、私が雇われた。

もっとも、この状況。

本当だったら、ベテランを何処かから引き抜くべきなのだろうけれど。そんな資金もないのだろう。

一人、眼鏡を掛けた女の子が、事務に加わっている。

見覚えがある。所属アイドルの一人だ。つまり、それくらい、事務の手が足りていないと言う事だ。

社長に紹介される。

皆が仕事の手を止めたり。遊んだりするのを止めて、此方を見た。

今事務所にいるアイドルは七人。

全員の名前と顔は、把握済みだ。

「あー、ゴホン。 アイドル諸君、今日からプロデューサーとしてこの765プロに入ってくれたのが彼女だ。 飯島桜花くん、挨拶してくれるかな」

「飯島です。 よろしく」

「よろしくお願いしますっ!」

一番元気よく挨拶したのは、皆の真ん中にいる、一番普通そうな子。まあ、あくまでアイドルとしては、だ。

ルックスは平均よりはるかに整っているし、体をしっかり調整しているのも分かる。私には無いもの、見る人を引きつけるカリスマも、確実に存在している。

天海春香。

既に彼女の経歴は調査済みだ。

アイドル達にも自己紹介して貰うけれど。やはり、間違っていなかった。実際には、今からメモを取りたいくらいなのだ。

まあ、そればかりは仕方が無い。

仕方が無いので、頭の中にメモをしておく。頭の中にホワイトボードを作る技術は、高校の時代には学んだ。広さは三百平方メートルほどで、此処に書いておいた事をそのまま引っ張り出すことが出来る。

昔、コンピューター学の基礎を作った天才は、更に広いホワイトボードを頭の中に作っていたらしいけれど。

私は流石に其処までの事は出来ない。

事務の音無小鳥は、少し抜けているが、感じが良い子だ。見た雰囲気からして、一般人では無いだろう。

恐らくアイドル経験者だ。

記憶にはないが、多分間違いない。頭の中にあるデータの中で、何人かが親候補としてヒットする。

軽く仕事を教えて貰う。

非効率的なことをやっているなと思ったけれど。今は何も言わない。まずは渡されたデータを貰って、それを表計算ソフトに入力するところからだ。

面倒なので、即座にその場でマクロを組んで、入力を自動化。

PCの性能がしょっぱいので、限界はあるけれど。

それでも、一気に作業を効率化する。重くなくて効率の良いマクロくらい、大学で自主研究して、その場で組めるようにしてある。

「終わりました」

「えっ!?」

音無が驚く。

此方を見に来た後、マクロについて説明しておく。表を二人でチェック。問題ない事を確認。

愕然としている彼女だが。

こちらは、日本最高の学府から来ているのだ。これくらいは出来ないと、雇って貰った甲斐がない。

「これは律子ちゃんに手伝って貰わなくてももう良いかも知れないですね」

「恐らく、事務仕事はもっと効率化できるでしょうね。 他の事務作業も見せて貰えますか? 最適化して更に効率化します」

「あ、はい」

ちょっと初日から調子に乗りすぎたか。

少し、音無が引き気味だ。

彼女の存在は必要だ。実際、どんな事務所だって、裏方の仕事が出来る人間がいなければ回らない。

そして私としても。アイドルの経験を持っている裏方がいるというのは、大変有利なことだとも考えているからだ。

翌日からは、社長に連れられて、挨拶回りを実施。

ビジネスマナーについては、全て心得ている。これでも、一応在学中に自主勉強はしているのだ。

相手側の営業も、驚いていた。

「いやはや、これは素晴らしい。 これなら私が外に出る必要もなくなりそうだ」

「有り難うございます、高木社長。 ただ、皆が稼げるようになったら、プロデューサーは増やした方が良いでしょうね」

「うんうん、分かっているよ」

「アイドル達への教育については、任せて貰っても良いですか?」

勿論最初は、付き添って貰うけれども。

社長の許可も得る。

まあ、これで及第点だろう。

私は、夢を一度失った人間だ。

音無を見てシンパシィを何処かで感じたのは、それが理由の一つ。そして二十万からなる人間が所属し。史上空前規模のアイドル業界が花開いているこの世界に関わり続けるチャンスを掴んだ以上。

失った夢を違う形であっても再構成して。

また、芽吹かせたいと願うのも、事実だった。

研修は、一週間ほどで終わり。

あまりにも早いけれど。零細事務所で、もたもたやっている余裕も無い。アイドル達も、いつまでも下積みをしていたら、だれてしまうだろう。

マクロについては、作った分をすぐに音無に渡す。

それにしても、ひどい性能のPCだ。

ある程度マシな仕事をとる事が出来たら、まずは事務所の環境改善が急務だろう。見ていると、アイドル達もまだ殆ど仕事がない。

ホワイトボードは真っ白。

彼女らは人材。

宝だ。

腐らせておくのは、あまりにも惜しい。此処からは私の努力で。皆を夢に導いて。私自身も。新しい夢に向かって進むのだ。

それには、一歩ずつ、順番にやっていかなければならない。

 

1、肥料と水

 

高木社長が見ている中。

765プロに所属する13人のアイドル全員を集めた私は。少しばかり手狭な会議室で、プロジェクタを起動した。

最初は座学だ。

眠そうにしている星井美希。とにかく抜群のルックスと才覚を持つ娘だが、一方で本人のやる気が非常に制御しづらい。

良く言えば奔放。悪く言えばむらっ気が多い。

手綱をどう取るかが、この娘をアイドルとして鍛え上げるかの、焦点となるだろう。

小難しい事は抜き。

プロジェクタには、最初から分かり易いことだけを映す。

「まず、アイドルにとって大事なものは、最終的には一つだ」

片手間にプロジェクタを操作しつつ説明。

アイドルにとって、最大限の基礎となる能力。

それは、人を引きつける魅力、である。

よその業界はどうかしらない。或いは、このアイドル業界も、違った進化を遂げていたら、コネと金がものをいう世界になっていたかも知れない。社会のリソースが余っていない世界とかなら、その傾向が更に強くなっただろう。

だが少なくとも。

私が今足を踏み入れているアイドル達のステージは。実力がモノをいう、大変に恵まれた世界だ。

努力すればするだけ成果が上がる。

そう言う世界にいる以上。

私のする仕事は、如何に効率よく努力をさせて。彼女らを、しっかり一人前に、更にその先に鍛えるか、である。

「魅力については、今此処にいる全員に備わっている事を私が保証する」

「……」

顔を見合わせる何人か。

皆、それぞれに荒削りだが、素質のある子らだ。一番年下の双子、双海亜美、真美姉妹は十代前半。一番年上の三浦あずさは二十代になったばかり。

全員が、それぞれに伸びしろを抱えている。

「続いて必要なのは体力。 体力はあればあるほど有利だ。 これからアイドルとしての地歩が固まれば、過酷なスケジュールをこなしながら、しっかりスキルを伸ばしていかなければならない。 今まだ暇な内に、可能な限り体力はつけておく。 その上で、各自が得意な分野について、鍛えていく」

非常に簡単だけれど。

今後の方針については、全員がこれで共通している。

その後は、徒歩で全員近場にある運動公園に移動。今日は平日と言う事もあって、閑散としている。

近場にこういう場所があったのは、ラッキーだった。

「まずは皆の基礎体力を測定する。 勘違いしなくて良いが、最初は体力がなくてもいっこうに構わない。 鍛えて体力をつけていくのも皆の仕事だ。 無理などする必要は一切ない。 どれだけの体力があるか、ありのままを見せてくれればそれでいい。 体力がなくても怒ったりはしない。 安心してくれ」

「……ええと、良いですか」

挙手したのは、如月千早。

普段非常に寡黙な娘で。怜悧な美貌と、高い歌唱力の持ち主だ。調べはついているが、親からして有名歌手というサラブレッド。

それが零細事務所にいるのには理由があるのだけれども。

まあ、それはいい。

「今後のトレーニングについては、まさか全員が同じものをこなす、ということはない、ですよね」

「もちろんだ。 全員分のスケジュールを、それぞれの能力に応じて、私が組む」

「……大丈夫、ですか?」

「大丈夫だ」

実は、既に皆の能力は、ある程度予想をつけて。大まかなスケジュールは作ってある。

一応私は、これでもこの国最高の学府を出たという強みがある。その強みを、最大限に生かして、この仕事に向き合っていくつもりだ。

二百メートルのトラックがあるので、其処でまずは走って貰う。

これが、体力測定には丁度良い。

ちなみに、私も隙を見て、ジャージに着替えてきている。

スピードを誰かが出しすぎると、消耗にムラが出てくる。だから牽引役として、私自身が動く。

「良いか、無理と思ったら、その場で脱落して構わない。 私が見たいのは、繰り返すが、現時点での体力だ。 こんな所で無理をする意味は一切ない。 心配しなくても、体力は後から幾らでも伸ばせる。 分かったか」

「はい!」

「よし。 では、皆私を追い越さず、ペースを保ったまま走るように」

ホイッスルを咥えると。

私はさっそく、トラックに出た。

ジャージを着込んだ十三人を牽引して、ペースを保ったまま走り始める。ちなみに受験勉強でも、最終的にものをいうのは体力。

そして私も。

素質がないとはっきり悟るまでは、体を鍛えていた。

ホイッスルを吹きながら、走る。

数少ない親子連れや通行人が、此方を見ている。

妙にルックスが整った十三人と。それを牽引するちみっこい何者か。妙な組み合わせなのだから、当然だろう。

脱落者が出始めたのは、十周くらいから。

右手に持っているボードに書き加えながら、そのままペースを維持して、走り続ける。最初に脱落したのは萩原雪歩。儚げな容姿の娘で、庇護意欲を刺激しそうな後ろ向きな性格だが。

まあ、体力は見た目通りという事だ。

続けて年少組の一人である高槻やよいも脱落。元気が取り柄の、実年齢より随分幼く見える娘だ。元気が取り柄でも、体力があるかはまた別の話。

それからも、どんどん脱落していって。

五十周を超えた後は、二人だけしか残っていなかった。

「此処からはペースを上げるぞ。 ついてこい」

「はい!」

二人。

菊地真と我那覇響。

菊地はボーイッシュなルックスの持ち主で、経歴を見る限り、格闘技経験がある。アイドルの重要な要素であるダンスは全身運動で、身体制御が非常に重要になってくるので、それに関しては大きな強みになるだろう。珍しい、リアルで一人称が僕の娘だ。この辺りは、教育が何か関係しているのかも知れないが。まあ、それはおいおい調べていけばいい。

我那覇は沖縄から来た健康的な娘であり。此方は特に格闘技などの経験はなさそうだが、体力は見るからに有り余っている。肌を良く焼いていて、言動などを見る限り、典型的な体育会系だ。この手の子はルックスを整える事に興味が無かったりするパターンがあるのだが。我那覇は磨けばそれだけ光るタイプである。髪の毛も長くて綺麗だ。手入れを欠かしていないのだろう。

現時点では。

この二人が、体力という点ではトップだ。

だが。ペースを私が意図的に乱しながら走り始めると、二人も流石に音を上げた。ペースを乱すと、それだけで体力はごっそり削られるものなのだ。

八十五周で、二人ほぼ同時に脱落。

私は軽く呼吸を整えながら、既に待っていた皆の所に戻る。

「これで皆の体力については、大まかに測定できた」

「……」

目を回している菊地と我那覇。二人とも完全に無言である。

体力測定で、少しばかり大人げなかったか。

それでも、震えながら、菊地が挙手。

「あ、あの、プロデューサー」

「どうした」

「な、何か、スポーツ、やってたんです、か」

「私も皆と同じアイドル志望だった時期がある。 その時に必要と判断して、体力をつけていた。 それだけだ」

全員の注目が、一気に集まった。

咳払い。

まだ、これを話すのは、少しばかり早かったかも知れない。

全員に、スポーツドリンクを配ってくれている三浦。この辺りの気配りが出来るのは、やはり年長者だから、だろう。

最初の方に脱落した萩原や高槻は、もう元気を取り戻している。

しかし食いついてきていた菊地と我那覇は、なまじ体力があるだけに。中々、体調を戻せないようだった。

まあ、私も少しばかり疲れた。

皆が元気になるまで。

少しばかり、休むのも良いだろう。

高木社長は、満足そうに此方を見ている。或いは、良い拾いものをしたと思ってくれているのかも知れない。だとすれば、有り難いのだが。

 

続けて、歌唱力を見るべく、スクールに向かう。

アイドルや、その卵をレッスンするためのスクールと呼ばれる教育施設は、国中に存在している。勿論和製英語だが、それは今はどうでもいい。

何しろ、現役アイドルが二十万という時代だ。

熱心に努力を続けるアイドルも多いし、その卵も多い。この手のスクールは、それこそ引く手あまた。

現役を引退したアイドルにとっての仕事の受け皿になったりする場合もある。

もっとも、とてもではないが、金を取れるようなスキルのない講師がいるスクールも存在するし。

仕事に関しては、見極めも必要だが。

今回は、高木社長が紹介してくれたスクールだ。経歴も自分で確認してあるが、まあ問題は無いだろう。

しかも、事務所から徒歩で向かえるのがいい。

同じように、演技指導やダンスの訓練をしてくれるスクールもある。これに関しては、今日はやらない。

超回復を考慮して、明後日行く予定だ。

此処でのレッスンは、講師に任せる。

私自身は後ろからレッスンの様子を見て、現時点での能力を判定。今後はどうやって延ばしていくか。更に仕事をどう取っていくかだけを考える。

それが本来の仕事だ。

ついでに、だが。

移動中に、誰が誰と話しているか。孤立している子がいないか。それもしっかり見ておく。

女子が集まると、どうしても陰湿なグループや、それに伴う排除やイジメが発生する事もある。

これに関しては、学生時代、私も経験済みだ。

実力社会であるこの業界でも、やはりそれはある。ただ、見ている限り、この会社には無い様子だ。

ひょっとすると。金とコネで動くような場所に、アイドル業界が進化していたら。悲惨な人間関係で、苦しむ者も多かったかも知れないけれど。

幸い、アイドル業界は、社会の余力がつぎ込まれても、実力社会であり続けている。

故に、彼女らも。

ある意味気楽に過ごせているのかも知れない。

努力がしただけ報われるというのは。

それだけ、健全な業界であると言う証拠なのだ。

面白い事に、目だった特徴がない天海が、皆の接着剤として機能している。如月などは、非常に寡黙で尖った雰囲気だけれど。時々天海がフォローを入れている事で、皆の中で浮かないでいられている様子だ。

この辺りは、私が口出しする必要もない。

本来、人間関係の調整も、プロデューサーの仕事だけれど。

これに関してはラッキーだった。

実は調べていく間に、如月辺りはかなり人間関係で苦労するかも知れないと覚悟していたのだけれど。

今の時点で、心配は無さそうだ。

天海は見ていると、他の子とも普通に接している。多分十三人の中心にいるのはあの子だろう。

アイドルとしての素質は凡庸な様子だけれど。

ひょっとすると、この事務所の中心になれるかもしれない。まあ、あくまで今の時点では、そう見えるだけかも知れないが。

スクールに到着。

また、動きやすいように、ジャージに替えて貰う。

「歌唱力はアイドルを評価する重要な要素の一つだ。 しかも、手を抜くとあっという間に衰える。 分かっていると思うが、継続的に努力を続けるように」

今回は、私が出張る必要もないし。

出張っていたら、わざわざスクールのトレーナーがいる意味がない。しばらく様子を見ているが。

やはり如月の歌唱力はずば抜けている。

現時点で、中堅所くらいのプロとは勝負が出来るだろう。これは下地があるからだ。サラブレットとして育った意味は大きい。元から練習をする習慣がある上に素質があるのだから、実力があるのは当然だ。

ちなみに彼女は最終的には歌手志望だそうだけれど。

歌手オンリーでやる必要もないだろう。

現時点では、色々やっていけばいい。

メモを取っていく。

特に歌唱力がひどい子は何人かピックアップしておく。もっとも、皆若いし、音痴を直す方法なんていくらでもある。

バケツを被るのがメジャーなやり方だが。

その辺りは、プロのトレーナーに任せておけば良いだろう。

一通りトレーニングが終わった後。

トレーナーに話を聞く。

温厚そうなトレーナーは。アイドル達が帰った後。ピアノに座ったまま、此方の質問に答えてくれる。

「一人ずつ、順番に感想を聞かせてくれますか」

「随分と丁寧ですね」

「私の目標は、全員をトップアイドルまで育てることですので」

「まあ」

冗談だと思ったのか、くすくすと笑うトレーナー。

勿論、私は本気だ。

一人ずつきちんと話を聞いていく。現時点では、だいたい私の分析は、ほぼトレーナーのと一致している。

しかし、相違点が出た。

天海だ。

「あの子は、歌が好きなようですけれど、才能には恵まれていないようですね。 歌手を主体にアイドルをさせると、壁にぶつかるかも知れないですよ」

「……ふむ、そうでしょうか」

「あくまで私の印象です。 ただ前向きに頑張る子なので、伸びしろは大きいとは思いますけれど」

「分かりました。 参考にさせていただきます」

一礼して、スクールを出る。

アイドル達は、既に解散させて帰らせてある。全員帰っただろうと思ったのだけれど。スクールを出たところで、件の天海が待っていた。

「どうした」

「あの、皆がお礼にって」

手渡されたのは、のど飴だ。袋入りの。

天海が言うには。

皆をしっかり見てくれているのが分かるという。いきなり耐久レースをやらされたのには驚いたそうだけれど。

無言のまま私は、のど飴を受け取る。

「あの、本当なんですか、アイドル志望だったって」

「ああ、そうだな」

「……ごめんなさい。 何だか聞いたらいけない事を聞いてしまったような気がして」

「気にするな。 それに、今はプロデューサーとして私はやっている。 まだ始まったばかりだし、迷惑も掛けると思うが、頼むぞ」

駅まで送っていく。

もっとも、私はこれから、会社に戻って、事務仕事だ。夕方だが、多分深夜までには終わるだろう。

今までの時点で。

全員の能力評価数値を頭の中にまとめてあるけれど。それを表計算ソフトに移して、データ化しておきたい。

それにしても、個性的で優秀な面子だ。

まだ皆荒削りだけれど。しっかりトップアイドルになれる素質の持ち主ばかり。高木社長は、この業界では長い経歴の保ち主だと言うことだけれど。一体どこからこんな良い子達を見つけてきたのか。

事務所に戻ると。ぼんやりと空を見上げていた音無が。私を見て我に返る。

咳払いすると、赤面して作業に戻った。

そういえばこの人、空想癖があるとかで、色々とアイドル達が噂していた。自分たちを脳内でカップリングして遊んでいるとか。

まあ、想像するまでなら、それは各人の自由。

私も気持ち悪いから規制するとか、そういう脳に蛆が湧いた連中と同じような事をいうつもりはない。

「どうですか、みんなは」

「非常に優秀な子達ですね。 このまましっかり成長していけば、皆トップアイドルになれますよ」

「本当ですか?」

「私も、アイドルになる事は諦めた身ですが。 此処だけは他の人よりも恵まれましたからね。 今のうちにしっかり鍛えて、プロとして本格的に活動するようになってから、勝負できるように下地を作っておきますよ。 あくまで科学的論理的にね」

ざっと資料を確認。

宣材を取り直した方が良いかもしれない。幾つか、ちょっと魅力を取り切れているとは思えない写真がある。

キングファイルを全て見ていく私を見て。

音無は、少し恥ずかしそうに言う。

「私も、その」

「アイドルだったんでしょう」

「知っていたんですか?」

「見れば分かりますよ。 私としても、業界を知っている人が後方支援をしてくれるのは有り難い。 これから頼りにさせて貰います」

これは本音だ。

一通り資料を確認し終えて、今日の作業は終了。

少し予定より早いが、その分休む時間を増やすだけだ。時計を確認してから、事務所を出る。

どうせそのうち。

寝る暇も無いほどに、忙しくなる。

 

超回復を考慮して、一日おいてから、ダンスレッスンのスクールに。レッスンそのものは、やはりトレーナーに任せてしまう。

ダンスは全身運動だ。

この世界では、アイドルの数が多く、しのぎを削っていることから。ダンスの技量は、そのまま評価点になる。これは歌唱力と同じ。実際、ダンスの技量だけでトップに上り詰めたアイドルもいる。

そしてダンスは、一種のスポーツだ。才能と、練習が成果として出てくる。勘違いされやすいが、スポーツというものは、才能がないと始まらないが。一線級にいる連中は、皆才能があった上で、血がにじむような努力をしているのだ。つまり、天才でも、努力がないとどうにもならないのである。これに関しては、世界の一線級にいる選手が、それを証明している。

技量が露骨にこれほど出るものもない。

体力もインナーマッスルも必要になってくる。

全員が揃って動くのもかなり難しい。十人以上での合同ダンスとなってくると、こなすには相当な技量が必要だ。まあ、距離を取ってだらだら動くようなダンスならともかく。現状で求められているのは、全員の息と動きがぴったりあっているものだ。

私は全員をチェック。

動きを見ながら、全身の筋肉の能力をそれぞれメモ。使用するのは速記の一種だけれども。

大量の紙を使うものは経済的にも良くないので、自分で独自に工夫したやり方を使用している。

手元を覗きに来たのは双子の双海姉妹だ。

「ねーちゃん、何それ書いてるの?」

「暗号?」

「違う。 皆の能力をメモしている」

今ダンスをしているのは萩原だが。予想通り、インナーマッスルの能力が、著しく足りていない。

足が上がらない。

途中でへばる。

一連の作業をこなせない。

まあ、最初はこんなものだ。見たところ、蝶よ花よと育てられたタイプだ。基礎体力がないのだから仕方が無い。

しかし、それでも。

鍛え方次第では、取り戻す事も出来る。

一方、技量はあっても体力がないのが、秋月律子だ。見ていると、ダンスを良く知っているが、インナーマッスルの能力が追いついていない。

いつも表情が険しいのは。

多分、頭でっかちな自分に、色々と思うところがあるのだろう。

自分の世界を作っているのは、四条貴音。

長身で日本人離れしたルックスの持ち主で、何処かのお嬢のような間延びしたしゃべり方をする。

ダンスの際も、完全に自分の世界を作っていて、トレーナーも困っている様子だが。技量に劣る様子も無い。

多分日舞か、それに類するダンスの経験者だろう。

独自の世界を作るのは別に構わない。問題は集団でのダンスパフォーマンスの時だ。他のメンバーに併せることが出来るかが課題になる。

菊地と我那覇は問題ない。

二人とも、筋力については充分。ダンスについても素質はしっかりある。まあ、勢いに任せて踊る雑なところさえどうにかすれば大丈夫だろう。

トレーナーが皆に対して、良くないところと、良いところを順番に説明している。それが終わってから。

私は、一人ずつ呼ぶ。

明らかに凹んでいた萩原は。呼ばれると、涙目で此方に来た。

「分かっていると思うし、トレーナーにも言われていたが、単純に体力がたりないな」

「ごめんなさい……」

「謝ることは無い。 これからこのメニューをこなせ」

にしても嗜虐と庇護意欲を誘う行動だ。一動作ずつ全てが。これは恐らく、仕事次第であっという間にファンがつくだろう。

問題は、そのファンが増える時期を乗り越えた後になる。

周囲からおだてられて、気がついたら何も無いままベテランになっていた。そんな事態だけは、絶対に避けなければならない。そうやって腐っているベテランアイドルを何人も知っている身としては、なおさらだ。

まず、基礎体力をつけて。

足りないインナーマッスルをつける。

レシピも作ってきた。

インナーマッスルを成長させるために、必要な栄養素をピックアップして。それを含む素材を利用したものだ。

味の方は二の次。

横からレシピを見た天海が、青ざめているのが分かる。

多分、味を想像できるから、だろう。

話は聞いているが、菓子作りが趣味らしい。つまり料理にレシピがどれだけ重要かを知り。レシピを見れば大体味が想像できる、という事だ。

「トレーニングメニューは、家で自主的にやるように。 毎日一時間ほどでこなせる量にしてある。 最初はこれ以上のメニューをしなくていい。 必要なメニューだけこなして、このレシピを摂取しろ」

「うわ、何だか機械みたい」

ぼそりと言って、慌てて口を閉じたのは、星井だ。

別に構わない。

機械で良いのだ。

「人の体は、ある程度数字でコントロール出来る。 一方心はそうはいかない。 数字でコントロール出来る部分はそうする。 そして、コントロールしておけば、後で必ず成果が上がる」

理論と数字。

私はそれを、大学で学んできた。

まずは、これは第一歩だ。

一通り、皆の能力は現時点で分かった。後は少しずつ。全員の能力を、確実に延ばしていけば良い。

挙手したのは、水瀬伊織。

何処かの財閥のお嬢。そう言う意味では四条と同じだが。こっちのは、現代的な雰囲気だ。四条は何というか、十二単でも着ていそうな浮き世離れをした感じだからである。

ちなみに水瀬は、多分育ちが、だからだろう。

とにかく物言いが遠慮無い。

「一つ聞きたいんだけれど」

「何だ」

「本当に大丈夫なの? そんなに数字ばかり管理して、現実でつまずいたりしないのかしらね」

「それについては、今後の成果を見てもらうしかないな」

一応、相応の自信はある。

そして、信頼は。

実績で勝ち取っていくしかない。それが、私の持論だ。

 

2、黎明

 

朝、一番最初に事務所に来るのが私になりはじめた。早めに事務所に出て、アイドルのデータを確認。

更に社長が調べてくれた仕事情報から、アイドルに仕事を割り振るのだ。

スケジュール管理も表計算ソフトに組み込んでいる。ダブルブッキングだけは絶対に避けなければならないからだ。

もっとも、現時点では。

皆、それほど忙しくは無いのだが。

まだ、トレーニングの方が多い。

最初は赤字になるのは、どの業界でも同じ。サラリーマンも、三年働いてやっと利益を出せるようになると言われる業界だ。

幸い零細でも、765プロはある程度の貯蓄がある。

だが、現時点では、まだ赤字から上向くことは出来ていない。トレーニングに関しても、私が直に見る事も多かった。いちいちスクールに連れて行くと、どうしても金が掛かるからだ。

全ては、科学的トレーニングをする。

いわゆる根性論は敵だ。私は精神力は重要だと思っているが、根性論ほど努力をドブに捨てる行為もないと考えている。

だから全員に、それぞれ細かく指導して。

能力が改善していくのを見ながら。少しずつレッスンも増やし。仕事も割り振っていった。

その過程で私の仕事も増えてきているが。

これは、皆を一人前にして。稼ぎが出るようになって。それでプロデューサーが増えれば改善するはずだ。

それに、仕事の効率化も進めている。

データも、しっかり頭に入れているから。不測の事態にも対処できる。こういうとき、学生時代に作って置いた体力が有り難いと感じるし。全ては体力だという持論にもつながる。

私が入社してから二ヶ月目。

ダンスレッスンに、萩原を連れて行く。

どうも自分の実力向上が目に見えていないのか、自信がついていないように思えたからだ。

元々臆病なのだろう。

男に近づかれると、強烈な拒否反応を示すことも多い。今時珍しいほどにウブだ。犬も苦手な様子である。

一通り、初歩のダンスをやらせた後、うつむいている荻原を呼ぶ。

荻原と仲が良い菊地が、何か言いたそうにするが。

ここしばらくのレッスンで、皆は私の実力を少しずつ信頼し始めてくれているのだろうか。だから、何も言わなかった。

いや、違う。まだ信頼と言うよりも。むしろ感じるのは、ほのかな畏怖だ。

「自信が持てないか?」

「はい。 私なんて、私なんて」

辺りを見回しているのは、スコップを探しているのだろう。

何だか知らないが、パニックになるとスコップで辺りを掘り返して地面に潜りたがるのだ。

謎の習性だが、腕力だけは妙に強いので、危ないからスコップはこっそり取り上げてある。

スコップが無いと気付くと。萩原は泣きそうな顔になった。

「穴を掘って、埋まって……埋まって……」

「やむを得ん。 少しばかり見せてやるか」

スーツの上着を脱ぐと、シャツのボタンを幾つか外す。用意しておいたダンスシューズに変える。

何をするのだろうとみている皆の前で。

私は先に言っておく。

「これが二ヶ月前。 最初に此処に連れてきた時のお前のダンスだ」

再現してみせる。

足は上がらない。

途中でへばる。

最後までこなせない。忠実に、完璧にやってみせる。

これでも、しっかりデータは取っているのだ。これくらいは朝飯前である。再現も難しくない。

「そして、今日。 さっきのお前のダンスだ」

もう一度、同じ事をしてみせる。ただし、今度は、先ほど萩原がこなしたダンスだ。

確かにまだまだ下手だが。

それでも足は上がっているし、体力も確実についてきている。ミスもしているけれど、最後までしっかりこなしている。

完璧に再現するのは、難しくも無い。

私の技量の範囲内だからだ。

ダンスが終わると。

皆が、愕然としているのが分かった。

「嘘……」

呆然と呟いたのは菊地だ。いわゆるどん引きをしている。他の皆も、言葉が無い様子だ。ひょっとして私がダンスをできないとでも思っていたのか。

あいにくだが、私は。

アイドルになれないと分かるまで、多分この国のアイドルの誰よりも努力をこなした。これくらいのダンスは練習なしでもどうということもない。一発でこなせる。下手なダンスを再現だって出来る。

日舞に始まりブレイクダンスやカポエイラ、変わったところではいわゆる暗黒舞踏についても練習し習得した。

私には。

アイドルになる才能がない。

だけれども、緻密にものを記憶する知性や。体を動かすことに対する才能に関しては恵まれたのだ。

自分を客観的に見る事が出来ているから、今の自分があるし。

アイドルになれないことを、受け入れる事も出来ている。

現実とは、そういう残酷なものだ。

「どうだ、雲泥の差だと思わないか? お前は確実に進歩している」

こくこくと頷く萩原。

手を取って立たせる。

それから、皆と同じように唖然としているダンスのトレーナーに、細かく幾つかの注文をつけた。

「開始三十七秒のステップで躓いている。 それは以前からの練習で、妙な癖がついているからだろう。 見ていると、同じ躓きを71%の確率でしている。 同じように、開始二分十二秒のターンもキレが悪い。 インナーマッスルは真面目に鍛えているようだから、後は練習次第だ。 しっかり仕込んでやってほしい」

「あ、貴方、本当にプロデューサー?」

「ああ」

このトレーナーの技量は相当だし、教える事に関しては、多分私より経験値も多いはずだ。

だから、任せる。

この日から。

周囲の、私を見る目が、露骨に変わった。

 

「化け物よ、あいつ。 何もかもが桁外れだわ」

水瀬がそう言ったのは、決して悪口雑言では無い。勿論私に対しての事だ。ちなみに私がいることに、水瀬は気付いていない。

声には、嫌悪では無く。

畏怖が籠もっていた。

多分周囲には、それも伝わっているのだろう。

咎める者もいない。

「この間、僕のダンスも再現して見せたよ。 寸分の狂いもなく。 千早さんに聞いたけど、歌唱力もプロ級、それもトッププロ級だってさ。 声質が決定的に歌手には向いていないらしいんだけれど、ね。 何処のスクールでも教えられるレベルだって話だよ」

「本当に一体どれだけの練習したんだろう。 それにあの記憶力、まるでコンピューターみたい。 ビデオに録画していたわけでもないのに、練習の内容、全員分完璧に暗記してるなんて、人間業じゃないよ」

萩原が声まで青ざめさせている。

これだ。

私が学生時代、どれだけ修練していたかを聞くと、大概の人間がこういう反応を示す。そして、私が結局アイドルにはなれないし、なったとしても大成できない理由も此処にある。

素質がある人間だったら、基本的に畏怖では無く尊敬につながる。

ある意味、早い内に気付けたのは幸運だったのかも知れない。早い内に気付けなかったら、挫折の大きさも比では無かっただろう。新しい路に行こうと考える事さえ、出来たかどうか。

「ちょっと、みんな」

冷え切った声。

天海だ。

「プロデューサーさんが、みんなのために毎晩遅くまで残ってスケジュール組んで、それでも朝早くから来てること知ってる? 私も最近は自主練で始発に乗って朝早くから来てるけど、プロデューサーさんより早く来たこと、一度もないよ」

「そういえば、私も見たことが無いわ」

今度は如月だ。

そうか。

意外だ。私の行動を、否定的に見ない奴もいるのか。

とにかく私は反感を買いやすい性質なのだと言う事は、動かしようがない現実だ。実際、水瀬にしても菊地にしても、みな良い子だ。

それがこれだけ畏怖を声に込める。

嫌われる。

そういう生来の性質があるのは、どうしようもない。

「私は普段からの緻密なスケジューリングとトレーニング指示で、力がついてきているのを実感できているし、仕事だってどんどんステップアップしてくれているのも分かってるよ。 だからプロデューサーさんを信頼する。 見かけが取っつきにくい事なんて、関係無い」

「そうね。 私もそうするわ。 歌手としての仕事、あまりメジャーな歌番組じゃないけれど、きちんと取ってくれたし。 それに知ってる? 美希が最近、不満を口にしないのよ」

「え?」

驚いたのは水瀬だ。

元々水瀬と星井は天敵同士で。普段から特に水瀬が、星井に辛辣な態度を取ることが多い。ただそれは、ライバルとして認めているから、というのもあるのだろう。

「あの気分屋の美希が、何の文句も言わないで仕事をするようになったのは、プロデューサーの実力を認めているからよ。 そもそも新人で、此処までしっかり仕事を取ってきてくれて、みなのプライベートの時間まで考えて行動してくれる人、いないわよ」

「それは分かるけれど。 はっきり言うと……怖いの」

ぼそりと、萩原が言う。

それは、素直な気持ちなんだろう。

私としても、それは分かっている。だから、私の人格は、正直評価を期待していないし。理解も求めていない。

ただ、この子達が私が果たせなかった夢を果たせる人材で。

私の指導があれば、トップアイドルになれるのも事実だ。

トイレを出る。

皆が、注目するのが分かった。

露骨に生唾を飲み込んでいる荻原と、無意識に庇おうとしている菊地。二人とも、天海の発言を理解は出来ていても、納得はしていない顔だ。

「立ち聞きのような真似をしてすまなかったな。 その上で、皆に聞いて貰いたい事がある」

「なん、でしょうか」

「私の事を信頼する必要はない。 ただし、私の指示そのものは信頼してくれれば、それでいい。 私はお前達をトップアイドルにするのが仕事だ。 お前達は、私を利用すればいい」

「……!」

どうしてだろう。

その時、天海が、始めて本気で怒ったようだった。

だけれども。

その怒りの理由が、私にはよく分からなかったが。

「早速だが、萩原」

「は、はい」

「モデルとしての仕事が入っている。 宣材にもなる良い写真を撮る業者だ。 業者の実績については、過去10年を遡って確認してある。 今回のカメラマンも、実績がある人物であることは確認済みだ。 お前の経歴の染みになるような事はないだろう。 準備してくれ」

「すぐに!」

ぱたぱたと、準備に走る萩原。

他の皆も、さっさと仕事に戻るように指示。

不満そうにしている水瀬。

他の皆がいなくなると、彼女は。多分我慢できなくなったのだろう。口を開いた。

「どうして怒らないのよ!」

「私が嫌われるのは昔からだ。 だから、私の事は装置とでも考えろ。 それで私も構わない」

「違う! 今回悪いのはどう考えても私達よ。 あんたには怒る権利があるわ。 今はその権利を使うべきよ!」

「そう言われてもな」

意外だった。

水瀬はプライドが高い反面フェアな所があるが。そんな事で怒っていたのか。ひょっとして、天海もそうなのか。

「あんたの実力は認める。 知識も記憶力も、アイドルにとって必要な経験値も、プロデューサーとしての技術だって。 でも」

「伊織」

戻ってきたのだろう。

天海が、水瀬を制止する。

黙った水瀬が。私を一瞥だけすると、指示しておいた仕事に出て行った。まだ下積みだ。ちょっとしたプロとしての仕事もあるけれど。殆どの場合は、地道な作業をする事が基本になる。

稼いだ小銭は、スキルアップに投入することになるし。

まだ、黒字にはならない。

他の事務所だったら。既に黒字を出している如月辺りを残して、他を切ることを考え始めるかも知れない。

天海だって、まだ頭角を現していない。

「本当に、怒ってないんですか?」

「怒る理由がない。 そもそも、私を周囲が畏怖するのは昔からだ」

「それが、理由なんですね」

「そうだ。 今更傷ついても仕方が無い」

これから、萩原を仕事場に連れて行く。今回は重要な取引先だ。ちなみに天海も一緒に連れていく。

メンタル面が弱い萩原のサポート役だ。普段は仲が良い菊地を連れて行くことが多いのだけれども。今日は、彼女には別の仕事が入っている。

天海はラジオのDJから歌番組まで何でもこなせる。技量自体はまだまだなのだけれども、そう言う意味で将来稼ぎ頭になれるかも知れないマルチな素材だ。今のうちから、しっかり経験を積ませるのは悪くない。

準備を終えた萩原が来たので、天海と一緒に事務所を出る。

まだ荻原はこっちを気にしていたけれど。

私は、一切気にしていない。

其処もまた、溝の原因になる。メンタルケアには気を配っているはずなのだが。どうにも上手く行かないものだ。

電車を使って、仕事場に移動。

皆がもう少し稼げるようになったら、タクシーやレンタカーでもつかえるようになるのだけれど。

今はこれが現実だ。

今は移動の代金さえ、節約しなければならない。

現場に到着。

名刺交換を行った後、軽く打ち合わせをする。内容について此方が完璧に把握していることを示すと、相手は驚いていた。

「すぐにでも出来ますか」

「ただちに。 二人とも、着替えてきてくれ」

「分かりました!」

天海が萩原を促して、楽屋に行く。

スケジュールが押しているので、助かるという。

「飯島さんは、事前の段取りが完璧で助かります。 ベテランでもなかなかこうはいかないので」

「私はともかく、あの子らの事を大事にしてあげてください。 天海も逸材ですが、萩原は恐らく、被写体として非常に人気が出ます。 男子の人気を集めるでしょうね」

「確かに可愛いですよね」

違う。

にじみ出る雰囲気、つまりカリスマの問題だ。

準備を整えた二人が戻ってきて、すぐに写真撮影が始まる。私は時計を見ながら、他のメンバーと連絡を取る。

社長が見てくれている双子と四条の方で、ちょっとしたトラブル。

撮影時間が押しているという。此方とは真逆の状況、というわけだ。

まあ、現場でのトラブルは日常茶飯事だ。だけれども、私は備えてある。何処に何があるかを社長に連絡。つつながく対応してくれた。

此方でも、時間が押した分の調整を実施。

後は事務所にいる音無に任せれば大丈夫だろう。どうしても手が足りない場合は秋月にヘルプに入って貰うけれど、その機会も減ってきていた。

撮影はつつがなく完了。

口を出す必要はない。

あまりにもひどい仕事だった場合は、次から断ることになるけれど。今回は、良く出来ていたので、問題ない。

握手を交わして、仕事完了。

後は解散となる。

既に夜になっていたので、二人は駅まで送っていく。此方を伺っている萩原に。天海が言う。

「ほら、雪歩」

「うん……」

仲睦まじくて何より。

この二人、一緒に仕事をする仲と言うこともあって、互いに呼び捨てにすると決めているらしい。

「あの、プロデューサー」

「何だ。 今日の撮影、良く出来ていたぞ。 私としては、特に言う事も無いと思ったがな」

「その、そうじゃなくて、うう……」

周囲をしきりに気にしているのは。

苦手な男性が、群れを成しているからだろう。

その点は、私はラッキーだった。同性だから、少なくとも、生理的な恐怖を覚えられることもない。

「ごめんなさい、プロデューサー」

「……よく分からないのだが。 私は、謝られるようなことをしたのか」

どうにもこの辺りが、理解できない。

だが、此処ではねのけると、多分更に追い詰めることになる。そう素早く計算することは出来た。

「謝罪したい意思は分かった。 だから気にするな」

「……」

「天海、私もお前に謝らないといけないな。 お前は本気で私のために怒ってくれたのに、その意思を汲む事が出来なかった」

どうにもこういうのは苦手だが。

しかし、やっておかなければならないことだ。

とにかく。

今日の仕事は無事に終わる。

そして、次は。

今日の実績を生かして、もっと良い仕事を取ってこなければならない。ただ見かけ上旨みの多い仕事を取れば良いわけではない。

身の丈にあった仕事を取らないと、却って害になる。

二人を送った後、事務所に。

音無一人だけが残っていた。もうかなり夜も遅いので、先に上がって貰う。私は、今日は泊まり込みだろう。

職場の近くに銭湯があるのが救いだ。それも、かなり夜遅くまで営業してくれている。

銭湯で汗を流した後。

皆のスケジュールを確認。

練習する時間もとる。

もう少し、皆が成長してきたら。大きめの会場を取って、ライブをすることも可能になるだろうか。

この世界でのアイドルは。

ライブをすることが、一種のステータスになる。

少しずつ知名度を上げ始めているこの子らにとっては、大きな試金石になる筈だ。

軽く計算してみる。

このままだと、後三ヶ月程度で、業績が黒字に転換する。最善の予想と最悪の予想は、敢えて省く。

業績が黒字になった後なら。

ライブ会場を抑えることも、出来るだろう。

メールが飛んできている。仕事先かと思ったら、天海だった。

「プロデューサーさん、ちょっと良いですか?」

「電車の中からか?」

「そういうプロデューサーさんは、お仕事ですか?」

「そうだ。 今日は泊まり込みになる」

既にフロは済ませて、入り口はロックした。

警備会社には連絡も入れてある。入り口のロックは、これから朝まで外れない。日にちが変わったら、仮眠を取って、朝からまた仕事再開の予定。

スケジュールは粛々と。

確実に進める。

「みんな、プロデューサーさんのもっと人間味がある所を知りたいんだと思います」

「人間味、か」

「はい。 雪歩や真の気持ちも分かるんです。 勿論伊織も。 正直、プロデューサーさんの能力、人間離れしすぎていて。 現実感がなくて、その場にいる人って風に受け取れないんだと思います。 私は、その。 プロデューサーさんが、朝目を擦りながらお仕事したりしている所とか。 栄養ドリンク飲んだりしてる所とか。 見た事がありますから、知ってますけれど」

「私は超人でも機械でもない。 もしそうだったら、スキルだけで芸能界になぐりこみを掛けていただろう。 それに……」

メールを打ちかけて、止める。

ため息が零れた。

私だって、もっと才能があれば。

ほんのひとかけらでも良い。

私には。

人を引きつける才能が、なかった。アイドルになるには、必須のその才能が。

なれたとしても、精々三流止まり。

それが、私が自分でアイドルをやらなかった理由。どれだけ理屈があっても。才能がなければ、どうにもならない事もある。

エジソンの言葉を引用するまでもない。

元になるものが零だったら、どれだけ努力しても、意味がない。私の場合は、それを悟ってしまった。

「わざわざ心配してくれてすまないな」

「もっと感情を見せてください。 その方が、みんな安心すると思いますから」

「安心、か」

「正直な所、怖がっているのは事実だと思います」

それは仕方が無い。

天海の言葉は、とても参考になった。

あくびをすると、マクロを動かす。そして、順番に、一つずつ。残件を処理していった。この子らが育てば、後進のプロデューサーをいれる余裕も出てくる。そうなれば、私も。もう少し、余裕を持って作業をすることが、出来る筈だ。

それに、皆に怖れられるのは結構だが。

この業界では、信頼関係が重要なのも一つ。

年齢的に難しい所のある子らだ。

少しは、弱みの一つも見せてやった方が良いだろう。

幾つか、案を考えておく。

 

気がつくと、朝になっていた。少し仮眠をとってはあるけれど。此処数日ばかり、似たようなスケジュールでの作業が続いている。如何に鍛え方が違うと言っても、限界がある。

食事を済ませた後、身繕い。

軽く外でジョギングした後、ストレッチをしていると。天海が来る。

「早いな。 始発で来たのか」

「はい。 五時半の始発に乗っても、プロデューサーさんの方が早くに仕事をしていますね」

「お前の場合、実家が此処から遠いからな。 仕方が無い」

軽く一緒に走る。

天海も基礎体力は、最初にあった時とは比較にならないほどについている。指示通り、こまめにトレーニングしている証拠だ。

元々からだが柔らかいこともあって、ダンスに関しても技量はめきめきと上昇している。

それでいながら、時々こけるのはなぜだかよく分からないが。

「凄く疲れてますか?」

「当たり前だ。 私の体力だって無限じゃない」

「私が事務所にいるから、少し仮眠していても良いですよ」

「……そうだな。 少しばかりその言葉に甘えるか」

普段だったら、聞くことが無かっただろうその意見。

だけれども。

今日の私は、どうしてか聞こうと思う気分になっていた。

 

3、煌天

 

事務所の収支が、黒字に転じた。

13人全員が、稼げるようになって来たのだ。かなり進歩が遅かったメンバーも、着実に頭角を現してきている。

だからこそ。

このタイミングで、やっておくことがある。

時間を作って、全員を会議室に集める。

今日は座学だと、全員に話しはしてある。仕事に関してのスケジュールも、この時のために調整してある。

社長も座学に出たいようだったので、出て貰う。

これは、誰にとっても。

少なくとも、この業界にいる人間で。これからも喰っていこうと思っている者にとっては。

知っておかなければならないことだ。

映像を流す。

この世界における、トップアイドル。

二十万からなるアイドル達の中でも。上位五百人。収益や技量などで明確にランク分けされているアイドルの中でも、最上層に位置する者達。

その中でも。

特に技量が高いメンバーを、私が厳選した。

ライブパフォーマンスにしても、その裏方にしても、超一流のスタッフだ。このクラスになってくると、私も即座にやったことを再現できないレベルの奴が出てくる。ダンスにしても、歌唱にしても、超一流。

バックダンサーでさえ、実に見事な動きを見せているほど。私でさえ、唸らされる奴が何人もいる。

まずは、実力が重要。

そうやって構築されたのが、この世界のアイドル業界。技量の高いアイドルには、ファンも惜しみない称賛を送る。それが確立されているのが、この世界。

多分、とても貴重な偶然だったのだと思う。

様々な偶然が重なった結果。

このような世界で、奇蹟のようなパフォーマンスが出来ている。

断言しても良いが。

同じような世界が他にあったとしても。こんな風なアイドル業界なんて、まず存在し得ないだろう。

「みな、覚えておいて欲しい。 彼女らが、お前達が越えるべき壁だ」

映像を切り替える。

今度は、本職のオペラ歌手にも通用する歌唱力を披露するアイドル。

まだ二十三歳という若さで、世界的な大絶賛を受けている。

このクラスになると。

流石にこの国の二十万からなるアイドルから見ても、本当に一握りだ。

「見て分かったと思うが。 此処にいるメンバーの、得意分野をかき集めても、まだ彼女らの一人一人にも及ばない。 今のお前達は、まだ地力で稼げるようになっただけの存在で、壁は高いと認識して欲しい」

「はいっ!」

元気の良い返事。

これでいい。

もっと前だったら。

皆、敗北感を叩き込まれていただろう。

少しずつ、確実に成長してきた今だからこそ、この映像を見せられる。勿論この業界にいるから、知ってはいるだろう。

しかし現物の、更に全盛期の映像を。実力がついてから見るのと。ファンとして見るのでは。まったく別の話だ。

そして、この映像は。

トップを見せる事で、調子に乗るのを防ぐ意味もある。

地力で稼げるようになって来たからこそ。

実際にトップに君臨する実力者達を見ておくことに、大きな意味があるのだ。

膨大な仕事を突っ込んで、ストレスでアイドルを潰してしまうようなことをしても意味がない。むしろ技術向上が重要だ。

皆を会議室から出してから、社長が聞いてくる。

「うむ、それで君は、彼女らがトップアイドルになれると思うかね?」

「なれますよ」

「断言か。 頼もしい」

「私がこの会社を選んだのは、それだけ良い原石が揃っているからです」

そういう所は変わらないな。

社長は苦笑い。

だけれども、と。社長は敢えて、少しためてから言った。

「うちのアイドル諸君が、君を信頼してきてくれているのに、気付いているかね」

「そうですね。 前はさぼることがあった子も、ちゃんとトレーニングをしっかりするようになってきています」

「何だ、そんな事まで察していたのか」

「能力の伸びを見れば判断出来ますよ」

ルーチンワークは、どうしても苦手な子は苦手だ。

たとえば双子。

あの子らはまだ遊びたがりの年頃だし、どうしてもトレーニングをさぼることもある。だから、そういうときは。

気付いていないフリをして、さぼった分を取り戻せるように、トレーニングを追加している。

あの双子達は。

それに気付いているだろうか。

だが、気付いていないにしても。

最近はほぼさぼることがなくなった。

多分だけれども。自分の実力がついてきたことを、実感しているのだろう。そういえば、この間。

対戦ゲームをして欲しいとせがまれた。

これも、或いは。

信頼の証なのかも知れない。

会議室を出ると、もう殆ど誰も残っていなかった。重要な仕事は私が付き添うけれど。今日の仕事は、皆自己判断でいけるようなものばかりだ。

今後は、更にきめ細かく仕事をしたいけれど。

そうするには、プロデューサーを増やさないと行けないだろう。私の場合、物理的に分身でもしない限り、全員に付き添うことは出来ない。全員の状態を確認することは、今でも出来ているが。

パソコンに向かうと、データを引っ張り出す。

そして、判断。

恐らく、事務所をあげての総力ライブを、近々実施できる。

 

とる事が出来たライブ会場は、決して広い場所ではない。

色々なミュージシャンとかが集まって実力を披露するフェス会場の方が、なんぼか広い位だ。

ここしばらくの黒字が、それでも。

全部消し飛んだが。

何しろ、この手のライブには、相当な人数がいる。そして、手慣れていなかったり、悪徳だったりする業者も絡んでくる。

昔は、役者一匹なんて言葉もあったけれど。

それは、芸能関係者が、人間扱いされていなかったことを示している。

その時代からの悪しき名残は、ある。

だが、少なくともこの世界では。

実力が評価される結果。健全で、努力が報われる世界が作られている。それだけは、救いだ。

何人かを伴って、会場に出向く。

八千人ほどを収容可能な会場。

背後で動くスタッフは二百人ほど。

収益見込みは。

最近は、ようやくテレビに映るようになって来た程度の知名度のアイドルだ。あまり多くは見積もれないだろう。

だが。宣伝はしっかりしていくし。

何より、今回は。将来を見通しての、先行投資だ。

その場で稼げなければ用なし、などというような世界では無い。私が今いるのは、先を見越して、アイドルを育てられる場所。

社長にもそれは話してある。

そして、アイドル達にもだ。

今回連れてきたアイドル達を見回す。皆、既に持ち歌も渡している。ただし、テレビでそれを披露できたメンバーはまだ半分もいない。

他の事務所のアイドルも、尻に火がついたような努力を続けているのだ。

私が如何に効率化して、最大限に力を伸ばせるように調整しても。この子らが規格外の才覚を持っていても。

それでも、一気に最上層までは上がれない。

そう言う世界なのだ。

「皆、今回、此処が一杯になる可能性は、決して高くないだろう。 それだけは、自覚しておいてくれるか」

「はい。 でも、此処が第一歩、ですね」

「そうだ。 勿論客を呼べるように、最大限の宣伝はしていく。 そして此処で客を満足させることが出来れば、次につながる」

大失敗だったとしても、会社が消し飛ぶようなことは無い。

それを判断した上で、ライブに踏み切っている。

前向きな天海の返答にも、力づけられる。

驚く。

私が、力づけられるという事も、あるのか。

「プロジェクトは私が組んだ。 トラブルが多少起きたくらいではびくともしないようにしてあるから心配するな。 背後は気にしなくて良い。 力を発揮する事だけを考えて動け」

皆、不安は抱えていない。

どうにか、間に合ったという所か。

社長も言っていたように。

皆が、私を怖れずに、信頼してくれるようになって来た成果だろう。正直な話。私は、怖れられていても良いと思っていた。

だが、この状況を見る限り。

それは、私の方が、認識を違えていたのかも知れない。

まだ、私も、伸びしろがあったのかも知れない。

そう思うと。

少しばかり、おかしかった。

空は嫌みなまでに晴れている。そして、ライブの日までは。この天候が続くと、予想はされていた。

しかし、予想は、最悪の形で外れた。

歴史に残るレベルの大型台風が、直撃したのである。

 

ライブ会場は、予想の七割も入っていない。

当然だ。

外は風神がかんしゃくを起こして、雷神と大げんかをしているような有様である。交通機関は全滅状態。所々では、洪水警報も起きていた。

ドーム式の会場だったのが幸いだ。もしそうでなければ、恐らくライブを中止しなければならなかっただろう。

しかも、である。

つかみが悪ければ、客は飽きる。辛辣な反応も返してくるだろう。

実力主義の世界は、そういうものだ。

逆に言うと。

稼げなくても、此処でしっかり客の心を掴んでおけば、先につなげていくことが出来る。元から、今回は大規模収益なんて、見込んでいないのだ。

不安そうにしているアイドル達。

観客席を見た美希が、露骨な不満を口にした。

「お客さん、少ないね」

「少なくても、こんな日に来てくれている客だ」

中には、前日から会場に泊まり込んでいる客もいる。本来はマナー違反だが、この状況。追い出すわけにも行かない。

更に言うと。

実は、予想の七割でも、多すぎるくらいだ。

ここのところ、如何にこの子らが頑張って、知名度を上げてきたかが、よく分かる。

こっちに来たのはスタッフの一人だ。

耳打ちされて、頷く。

ちなみに私は、年齢通りに見られていないらしい。10歳も年上の相手が、平然と敬語を使ってくるのを何度か見た。

貫禄があるとか、そういうのだろうか。

よく分からないが。

いずれにしても、高圧的に相手が来ないのだけは幸いだ。

「どうしたんですか?」

「開始を遅らせることは難しいそうだ。 当初の予定通り、ライブを開始するぞ」

「大丈夫かな……外、凄い風だぞ」

我那覇が窓から外を見てぼやく。

窓には、ひっきりなしに膨大な雨粒が叩き付けられていて。窓を割らんばかりの勢いだった。

だが、私は、心配していない。

「この間、ライブの映像を見せたトップアイドルの一人。 最初のライブでは、三百人も客が入らなかったそうだ。 だがそのライブの映像は、今でも伝説として語り継がれていて、ネットでも動画の再生数が伸び続けている」

ましてや。

今、会場には三千人ほどは入っている。更に言えば。この台風は足が速い。ライブが長引いた場合。

ネットでの口コミで、客が追加で入ってくる可能性も、否定出来ないのだ。

「今の時代は、ネットで情報が瞬く間に拡散する。 此処で行うライブは決して無駄にならない。 皆、心配しないで、全力で行け。 私が背後は守ってやる」

「はいっ!」

「よし。 最初のプログラムだ。 行ってこい!」

赤字覚悟は想定内。

アイドル達が、実力を発揮できるようにするのが、プロデューサーの仕事。彼女らで稼ぐのでは無い。

ましてや、彼女らを食い物にするのでもない。

少なくとも、私がいるこの世界では。

そんな腐った世界とは、無縁だ。

ライブが、始まる。

最初にライブを始めたのは、比較的テレビに露出が多い三人。水瀬と、双海妹、それに三浦の三人組。

水瀬は猫を被るのが非常に上手で、だけれども時々漏れる本性が逆にファンに受けているそうだ。

事務所ではあれだけ不遜な態度なのも。

或いは、お見通しなのかも知れない。

双海妹は姉と交代で仕事をしていたのだけれど、最近は独立して仕事をとるようになっている。

珍しい双子という特性を生かして知名度を上げていたのだけれど。

最近は実力もついてきて、しっかり姉妹でそれぞれ別のファンもつき始めている様子なのが心強い。

三浦はその落ち着いた物腰が妙に人気らしく、年長者のファンがとても多いそうだ。会場を見ると、後ろの方に、年長者らしいファンが固まってきている。安心して見られるから、かも知れない。

この三人で、ユニットを組むのもありだろう。

会場で振られているサイリウムも。

徐々に、息が合い始めた。

熱気も高まる。

最高潮まで熱気が高まったライブは、空調が追いつかなくなることもある。それは実例として、幾つか見ている。

今回は、其処までは無理だろう。

だが、分かる。

見ていると、確実に会場の熱気は、少しずつ上がって来ている。外が、これだけ問題だらけの状況なのに。

これは、行ける。

私はそう判断した。

プログラムは変えない。

場合によっては、赤字圧縮のためにプログラムを幾つか削ることも考えたのだけれど。

必要ない。

この子らに、全てを任せる。

最初のプログラム終了。

次に行く。

二番手は、如月だ。歌手として少しずつ名前が売れ始めてきていて。広い界隈にファンがいる。

女性のファンも少なくない。

一人で歌わせると、かなり力がこもったステージを作る。歌が誰よりも好きだから、だろう。

観客席には社長も行っている。

自分の見込んだアイドル達が晴れ舞台に立っているのを、誰よりも良い席で見たいから、だろうだ。

前々からこういう人らしい。

気持ちは。

どういう理由だか知らないが、私にも少し分かる気がする。

隣で、嬉しそうに笑みを浮かべている天海。

「千早ちゃん、輝いてるなあ」

そういえば。

天海は、確かかなり親しい子だけを、ちゃん付けで呼んでいる。事務所内でも、確か如月くらいだ。

色々ナイーブな如月と、非常に周囲に気を遣う天海は、相性が良いのかも知れないが。私には、今は。

いや、重要か。

二番目のプログラムが終わる。

着実に。

全員が。

一丸となって、ライブが続いていく。

手は足りている。スタッフは全部どう動いているか確認しているし、ライブ会場も逐次モニター済み。

物資も私が適宜補給。

冷やしたタオルも、水分も、途切れさせない。

トイレにはタイミングを見てきちんと行っているか。

興奮状態にあると、体の変調に気付きにくい。だから、外部からしっかり動きを見て、状況によって軽く手当もする。

十三人分をこなすのは大変だが。

それでも、どうにかする。

プロデューサーだからだ。

そして、彼女らをバックアップしつつも。会社のこともある程度は考える。それは、二の次で問題ない。

何より、社長が、会社を優先させたら怒るだろう。

あの人は、そう言う人だ。

私は携帯を弄って、台風の状態を確認。この様子だと、プログラムを追加するのもありかも知れない。

ネットの状況も並行で調査。

評判は上々だ。周辺にいるアイドルファンの中には、チケットが入り口で入手できると聞くと、台風の状態次第で来ると言っている者もいた。

喚声が大きくなってきている。

これは、確実に盛り上がっていると見て良いだろう。

台風は足が速く、会場の真上に来ている今が一番危ない。私はスタッフに連絡して、トラブルに備える。

停電や、もっと大きなトラブル。

多少の音くらいなら、ライブに盛り上がっている現状なら、どうにでもごまかせる。今は、アイドル達を、ライブに集中させてやりたい。

昼少し前。六人がかりでの、大型プログラムに入る。最近ようやく提供された曲を使っての、初お披露目だ。

センターに天海がいる。

まだそれほど知名度がない天海だが。此処で、一気に名を知らしめる。元々、それだけの潜在力があるのだ。

このプログラムで、一旦昼休憩。

だからこそに。

此処は重要だ。

ステージを一瞬だけ見る。

振り付けもダンスも、みなよくやっている。最初にスクールに連れて行ったときとは、雲泥の差だ。ダンスが苦手だった高槻や萩原も頑張っている。殆どミスも見られない。歌唱力も、既に相応になって来ている。

プログラム終了。

全員分の冷えたタオルを配る。

「どうだ、ステージの熱気は」

「すごいです!」

高槻が目を輝かせる。

他の皆も、概ね満足しているようだった。

「今のうちに水分を取っておけ。 塩分もだ」

「プロデューサーさんは、少しは……」

「大丈夫だ。 鍛え方が違う」

とはいっても、昨日からかなり過酷なスケジュールでやっている。正直ダメージは相応に体に来ているが。

まだ行ける。

「次のプログラムまで、一時間休憩を取ってある。 今のうちに食事と仮眠もすませておくんだ。 急げ」

「はい!」

「起きるのは意図的に少し早く。 化粧が崩れている者が何人かいる。 プログラム前に、しっかり化粧を直しておけ」

一旦控え室を出ると。

自分の額の汗を拭う。

栄養ドリンクをすぐに飲み干して、口をハンカチで拭う。外を見ると、まだ台風の勢いは衰えていない。

天気図を見る限り、かなり足が速い台風だ。

二時前後には、この辺りを通り過ぎる。そして、その後には、うまくいってくれれば、一気に晴れるはず。

ネットの情報を見る限り、かなりライブの評判は良い。

星井が来る。

「大丈夫、プロデューサー」

「ああ。 今、少し緻密な計算をしているところだ」

「そう? 何だかプロデューサー、いつもと比べると何だか雑な雰囲気するの」

「……そうだな。 かなりタヌキの皮算用をしているところもある」

流石に此奴の目はごまかせないか。

星井は、周囲を引きつけるルックスだけではなくて、普段使っていないだけで頭そのものも回る。

頭の回転が速いから、他人の嘘を見抜くのが非常にうまい。体調なども、見ただけで察知することが多い。

どんどん良い仕事を紹介しているからか。

星井は私を信頼してくれている。

だから、なのだろう。

「午後一番はお前だ。 せっかく温まったステージを冷やすなよ」

「うん、分かってる」

私は。

まだ、やる事がある。

音楽担当のスタッフの方で、少し乱れがあった。今のうちに手を回して、しっかり引き締める必要がある。

恐らく、休憩を取れるのは。

明日になってからだ。

 

台風が通り過ぎても、しばらくは風雨が収まる気配はなく。午後三時を過ぎて、ようやく雨が止む。

風は、相変わらず凄まじかったが。

入り口の様子を確認。

どうやら、こんな状況でも。

話を聞きつけて、来てくれた近隣のファンが、手続きをしている。数はそれほど多くは無いけれど。

二十万の現職を支えているのは、実力主義でアイドルを評価してきたファンだ。

少なくとも、この業界のファンは、目も肥えているし紳士的。今も、追い風に、乗って来てくれている。

携帯が鳴る。

社長からだ。

「飯島君、大丈夫かね」

「問題ありません。 何か気になることが?」

「いやいや、今音無君から連絡があったんだけれどね、まだライブをやれるかって問い合わせがそれなりの数着ているらしくてね」

「……!」

よし。

少しばかり遅れてはいるが、どうにかなりそうだ。

赤字は覚悟の上だったけれど。

ひょっとすると、トイトイくらいまで持って行けるかも知れない。もっとも、欲を掻くと碌な事にはならない。

社長には、最初から赤字は覚悟の上だと話してある。

最初から、その前提で動く。

「今は、ただ盛り上がったステージを冷やさないように、此方で最大限バックアップしていきます」

「そうかね。 少しは休憩してくれているといいのだが」

「大丈夫、問題ありません」

通話を切る。

社長にまで見抜かれているようではまだまだだ。

体力は、学生時代に嫌と言うほど鍛えてつけたはずなのだが。

時刻が四時を回る。

残るプログラムも三つ。

最後の、全員でのステージに、アンコールが掛かるかが、分水嶺になるだろう。ステージの様子を一瞥。

サイリウムを振っているファンの反応は悪くない。

今のあの子らの実力を考えると、少しできすぎなくらい。客は喜んでくれている。私のバックアップの成果ではない。

あの子らの努力の成果だ。

 

結果として。

最後にアンコールは掛かったけれど。

このライブは、黒字にはならなかった。

アイドル達と帰路についた頃には、夜半を過ぎていて。

社長と二手に分かれて、レンタカーを運転して、各自の家の近くまで皆を送って。

事務所に着いたときには、既に夜中の二時を回っていた。

「大変だったね」

「社長こそ。 最後まで有り難うございます」

「いやいや、とんでもない。 君と違って、私はアイドル諸君をステージから応援していただけだからね。 君も、あのステージを、しっかり見たかったんじゃないのかね」

「こればかりは、仕事ですから。 後で見ます」

一応映像は撮ってある。

今後の事務所の宣伝に必要だからだ。

後で、余裕があったら、見る事になる。とはいっても、余裕が出来るのは、いつのことになるか。

「今日は休みをいれるから、しっかり寝ておくんだよ」

「休み、ですか」

「大丈夫、今日のスケジュールくらいは、私が何とかするから。 君は少しは休む事を覚えなさい」

「はい。 では、手続きをお願いします」

今は、もう。

反論する気にもなれない。

それに、社長は、私が来る前は、プロデューサーも兼ねていたのだ。一日くらいは、どうにでもなるだろう。

レンタカーを返すと、後は帰路につく。

タクシーを呼んで乗り込むと、すぐに落ちてしまう。我ながら、情けない。それだけ、疲れが溜まっていたのだ。

家について、気付く。

天海からメールが来ていた。

「ライブ、大成功でしたね。 きっと社長が休みをくれると思いますから、今日くらいはゆっくり休んでくださいね」

それで、察する。

社長に色々言ったのは此奴か。

苦笑いである。

恐らく、星井も気付いていた。他の何人かも、私がオーバーワークになっている事には、気付いていたのだろう。

或いは全員かも知れない。

だから天海が、皆を代表して、社長に言ってくれたのだろう。此処は怒るべき所では無い。

大成功、か。

業績的にはぎりぎり赤字だったけれど。ただ、今回の件で、一気に皆は躍進できるはずだ。

家に入る。

一軒家だ。

私がこの国最高の学府に入った頃。両親は複雑な顔だった。誰よりもアイドル志望だったことを、知っていたからだ。

だから、告げた。

今度は、努力を無駄にしないためにも、此処に行くのだと。

今は、二人とも。私の現在の夢を、理解してくれている。積み重ねた努力を無駄にせず、若い子達に引き継ぐ。

それが、今の私の夢なのだ。

今日は休みだ。

そう思うと、気も楽だ。

シャワーを浴びて、自室に。

何だか、自室で寝るのは、随分久しぶりな気がする。倒れ込むようにして眠って、それから先のことは、もう覚えていなかった。

 

4、臥竜雲を獲る

 

いつぶりの休みだろう。

最近は土日も仕事で出ていた。トレーニングが遅れているアイドルには、それぞれ細かく指導をしていたし。

仕事が入るようなら、そうしてもいた。

だから、自室でぼんやりなのは久しぶりだ。

今日はアイドル達も休みだと、メールが来た。それについては、言われなくても知っている。

スケジュールを組んでいるのは、私だから。

ライブでの消耗が激しいだろうと想定して組んだ休日だ。少しは活用して、力を回復して貰わないと困る。

昼少し前に起きた私は。

自室で横になったまま、メールをチェックする。

一人一人から、感謝のメールが来ていた。

ライブが成功した。

皆、そう信じて疑わないようだった。

赤字だったと言ったら、どんな風に思うだろう。だから、それは言わないことにする。言わぬが華。そう言うこともある。

何をする気力も湧かない。

そういえば。

全てが無駄だと理解できて。

お前にはアイドルの才能がないと、はっきりも言われた、あの日。

私は泣きはらした後。

感情が冷え込んだのを、感じていた。

昔は、もっと色々泣いたり笑ったりする性格だった。今となっては、朧の向こうのような記憶だけれども。

表情を作るのだって、散々練習してきたし。

いつのまにか、それも本物になっていた。

あの時は、恨みもしたけれど。

考えてみれば、自分でも知っていたのだ。

アイドル志望だと言う事は、最初から周囲にはふせていた。どうせ笑いものにされるのが目に見えていたからだ。流石に習い事の関係上、親にはばれていたけれど。親は誰よりも好成績をあげることで、黙らせることに成功していた。

だから、だろう。

必死に自主練を続けて。時にはプロにも見てもらって。

高い技量を実現して。

場合によっては、プロの実演が、子供の遊びにしか見えないようになった事もあった。才能があったから、歌もダンスも、同年代のアイドルどころか、トップアイドルにすら並んだ。そして追い越した。

しかし、初っぱなから躓かされたのだ。

お前には、アイドルとして必要なカリスマが、決定的に欠けている、と。およそ会うアイドル関係者全員に、そう言われた。

そして、事務所での採用は。

トレーナーなら受けても良いと言われることはあっても。

アイドルとして私を雇う会社は、一つも無かった。

事実をはっきり認識出来たとき。

私は、心が粉みじんになるのを感じた。

その時以降だ。

笑うことも泣くことも出来なくなったし。感情も、異常に冷え込んで、まるで真冬のようになった。

機械的に接するので怖いと、周囲にも言われるようになった。

首を、括ろうとしたこともある。

その時は未遂に終わったけれど。

私は、ショックで大泣きする両親を前に。ただ、どうして泣いているんだろうと、ぼんやり見ていた。

やがて学業成績の良さがものを言い、順調すぎるほど順調に大学受験には成功。ほっとする両親を見て。

私は何となく。

二人も知っているのだなと、事実に気付くことになったのだった。

あれ以来だ。

何一つやる気が起きず、言葉一つ発する事も無く。昼近くまで、寝ているなんて不行状は。

しばらくして。

一人ずつに、順番に返信していく。

まずは、天海からだ。

「ライブは楽しかったか」

「はい! 観客の人達、みんな喜んでくれて。 本当に幸せでした!」

天海の反応は素直だ。

だが。

続けて、メールが来る。

「プロデューサーさんの事を、みんな褒めてました。 裏方を完璧にこなしてくれたから、後は何も考えずにライブに集中できたって。 楽屋でも、皆のサポートでするする動いているのを私見てました。 それに……ライブの前の三日くらいは、徹夜していたことだって、知っています」

「些細な事だ。 今日だって、本当は事後処理があったのだがな」

「その、もうみんなプロデューサーを信頼してくれていると思います。 だって、こんなに大事なライブを準備して。 台風だっていうのに、お客さんもあんなに集まって。 私、大きな会場でライブして、お客さんに喜んで貰うのが夢でした。 奥の人まで見えてるって叫ぶのが、夢でした」

そういえば。天海は。最初マイクパフォーマンスで、観客席に叫んでいた。

一番奥の席の人まで、しっかり見えていると。

あれだけは、脚本になかった。

あの時の天海は。

本当に嬉しそうだった。

「プロデューサーさんは、私達を信頼してくれていますか?」

「無論だ。 お前達は、最初は色々さぼったり反抗したりもしたが。 今は概ね想定通りの結果を出してくれている」

「そうじゃなくて……」

「よく分からない。 はっきり言ってくれるか」

感情が凍ったとき。

人間の感情を、数値で分析する事は、むしろ得意になった。メンタルケアの重要性や、ある程度の洞察力だって、現時点では働く。

だけれども、天海には随分助けられている。話を聞いてみようという気分になったのも、それが理由かも知れない。

「そうだ。 私達のこと、名前で呼んでみませんか」

「それにどういう意味がある」

「きっと、もっとプロデューサーがみんなを信頼してくれたというのが、伝わると思いますから」

「……考えておく」

メールのやりとりを終える。

他のメンバーからも、それぞれメールが来ていた。

如月はとにかく丁寧なメールだ。

一人でのステージを二回用意した。特に二回目は、締めの手前。非常に重要になるポジションだった。

如月の歌唱力は、面と向かって言ってはいないが、既にトッププロに通じる。

耳が肥えている客も多く。

彼らも、如月の歌唱力には、喜んでいるのが目に見えて分かった。

今も並行でネットのチェックをしているが。

ライブの感想を見る限り、如月の歌唱力を褒めている者も多かった。

他の皆も、それぞれ誠意がこもったメールを送ってきている。中にはついさっき送ってきた者もいた。高槻と双子だ。高槻は、メールの操作が苦手だと言っていたから、仕方が無いのかも知れない。

皆に、返信をする。

これから、皆を名字では無く名前で呼びたいと。

拒否されるかなと思った。

天海はああ言っていたけれど。

ボーイッシュで運動神経は優れているけれど、反面臆病なところがある菊地や。とにかく人見知りが激しい萩原は。私に対して、まだ強烈な苦手意識を持っているのではないかと、思っていたからだ。

でも、驚いた。

全員が、好意的な返事をよこしてきたのだ。

とにかく私を警戒していた水瀬は、あんただったら構わないわよと、いつものように尊大なんだかよく分からない返事だった。

三浦は物腰柔らかく、今後ともよろしくお願いしますねとだけ。

四条は、嫁にでも来るつもりか、ふつつかものですが、よろしくお願いいたしますと、丁寧すぎるほどの返事だった。

そうか。

何だろう。これは、もっと最初からやっておくべきだったのかも知れない。そして、メールを通じてでも、分かるのだ。

皆が、喜んでいることが。

「そうか。 みな、私に人間としての姿を、見せて欲しかったのだな……」

その程度の事も、忘れていた。

昔は、自分だってそうだったのに。

人間としてのアイドルに、ああも憧れて。親達が心配するほど、凄まじい修練を積み上げたのに。

全てのやりとりが終わると。

昼少し前。

私は起き出す。

流石に平日だから、両親は仕事に出ている。両親は、オーディションに出る度に、笑顔が消えていく私を随分心配していた。私と違って、平均的なスペックの人間だからこそ、哀しみは良く理解できたのかも知れない。

久しぶりの、何もない日。

もう少しすれば、もっとしっかりした休日を作れると予定していたのだけれど。今日は、特に何も考えず、休む事にする。

ライブの映像でも見ることにするか。

社長が、帰り際に渡してくれたのだ。撮りたてのほやほやだと。無編集だとも。

ぼんやりと、見ていると。

皆の頑張りが分かってくる。後ろからだけでは分からない努力の成果が。相当にプレッシャーがきついだろうに、みんな必死に笑顔を作って。トラブルは何度も起きているのに、しっかり自分を保ってステージを作っている。

最初の頃だったら、考えられない事だ。

全て見るのは不可能だ。重要な所だけ見る。

普段だったら、何処の動きがどうだとか、全て事務的に見てしまっただろうけれど。今は、純粋に。

彼女らのプロデューサーとして。

その晴れ姿を。楽しむ事が出来ていた。

 

事務所に出る。戸を開けると、いきなり頭にバケツが直撃した。

こっそり此方を見ていた双子が。

わっと喚声を挙げる。

「やったー!」

「ねーちゃんをやっつけた!」

「ふむ……」

今のは良い不意打ちだった。私が表情を変えていないのを見て、青ざめてさっと離れる荻原。

多分分かっているのだろう。私が結構怒っているのを。

「亜美、真美、少しばかりゲームでもするか」

「えっ!? いいの?」

双子が悪戯を仕掛けてくるようになったのは、最近の事だ。ごく親しい相手にしか仕掛けないと聞いていたから、これでいいのだと思っている。

ただし、仕置きはする。

二人が好きなゲームで、コテンパンにして。

魂が口から抜けている二人がソファに転がってるのを横目に、手を叩く。今日は、皆に連絡がある。

私が事務所に入ってから1年。

既に皆は中堅所から、トップ手前のアイドルにまで成長した。実力がそれだけついてきたのだ。

だから、そろそろ。

温めていた計画を、実行に移す。

社長を含めた主要メンバーに、会議室に集まって貰う。既に765プロはかなり裕福になっている。

皆が稼げているからだ。

ライブで出した些細な赤字なんて、とっくに回収できている。

だから、此処で打って出る。

「そろそろ、皆の事を、よりきめ細やかにプロデュースしたい。 というわけで、プロデューサーとして新人を三人ほどいれる」

「待ってください、プロデューサーが増えるんですか? せっかく稼げるようになって来たタイミングで? しかも同時に三人も!? あまり賛成できません」

さっそく、反応したのは律子だ。

名前で呼ぶようになってから、容赦のない意見を口にするようになって来た。多分、口にしても大丈夫だと思ったからだろう。

私としても、大歓迎である。

もっとも、時々そのせいで会議が大紛糾して、つかみ合いの喧嘩になりかける事もあるが。

「前からそれは考えていた。 本当だったら、私が全ての仕事についていきたいくらいなのだがな。 現状、皆が忙しくなってきた今、プロデューサーが一人というのは、どうにも物理的に厳しい。 其処で社長と話して、他で業務経験があるプロデューサーを二人、新人を一人いれることにした。 今面接をしているが、女性プロデューサーも入るかも知れない」

「其処まで考えているのなら、多くは言いませんけれど。 面接は厳密にお願いいたします」

「分かっている」

律子はアイドルとしての才能は凡庸だが、努力でカバーしてきた。最近では私が渡すトレーニングメニューを上乗せしたいと言ってくることも多い。

状況を見て許可をする。トレーニングで体を壊しては意味がないから、調整はしっかりする必要がある。

元々頭の出来には自信があるのだろう。だから、私に何でも指示されるのが、気にくわない部分があるのかも知れない。

或いは律子をプロデューサーにする手もあるが。

彼女はアイドルとしての実力をまだ伸ばせる。トップアイドルになってから、その後の事を考えれば良い。

それが私の考えで。本人にも伝えてある。

「いい人が来てくれるかな……」

「大丈夫だよ、雪歩」

雪歩を真が励ましている。この光景も、前は見られなかった。私の前で、もっと親密な様子を見せてくれるようになったのは。

やはり、あのライブの後。

春香の提案通り、皆を名前で呼ぶようにしてから、だろう。

「しばらくは一人ずつを担当して貰って、様子を見ながら三人から四人を担当して貰う予定にしている。 何か問題がある場合は、遠慮無く私に言ってくるように。 新人が入るのは四月からだ」

それでは、解散。

手を叩いて、会議を終える。

丁度時間通り。

会議をしっかり時間通り終わらせるのは、大事なことだ。無駄な時間を減らすことも出来る。

時計を確認した後、声を掛ける。

「春香」

「はい!」

「千早と美希もだ。 これからオーディションに行くぞ。 三人で大きめの仕事に出て貰う事になる。 ほぼ内定は出ているが、相手との顔合わせの意味もある。 気を抜くなよ」

今度のは、半年番組だ。

今までは深夜帯の番組や、ローカルの番組が多かったのだけれども。今回出て貰うのは、ゴールデンタイムの歌番組である。

三人には司会をやってもらうことになる。

春香はラジオのリスナー経験がある上、美希は元からこういうのが大の得意だ。千早は苦手だが、歌のコーナーを設ければ、それが強みになる。

この番組は、好評なら延長の声もあるし。

或いは、他の765プロ所属アイドルを呼び込むかも知れない。いずれにしても、充分な視聴率を稼げる企画だ。

トップは、もう見えてきている。

上位五百人の席取りゲームは過酷だが。

この子らなら。当初のもくろみ通り。いや、それ以上のアイドルになれるかも知れない。

最近は、資金に余裕が出てきて、タクシーを使えるようになった。

三人が来た時には、もうタクシーは来ている。タクシーの中で軽く打ち合わせ。もっとも、私が全部内容を把握しているから、伝達するだけだが。

三人とも、笑顔が絶えない。

目的地について。

美希と千早が行った後。最後にタクシーから出た春香は言う。

「そうだ、プロデューサーさん」

「何だ、問題があるなら早めにな」

「最近、プロデューサさん、少し笑うようになりましたね」

「……そうか。 自覚はなかったが」

気付いてはいなかったが。

春香が言うなら、そうなのだろう。

三人を引率して、テレビ局の中を急ぐ。もう此処では、戦いは始まっている。今回は綿密に打ち合わせをしたり企画を出したりしてほぼ内定を取っているとは言え。此処で落ちる事があるのも、事実なのだ。同じ企画でも、更に的確な人材がいたら、取りたくなるだろうから。

だから、オーディションは手を抜けない。

春香達がオーディションに出るのを見届けながら、私は幾つか、軽く計算を済ませておく。

彼女らの背後を守り。

彼女らの努力が無駄にならないようにするのが。

私の、仕事だ。

オーディションは合格。

まだまだ、頂点へは、先も長い。

 

(終)