歴史のif

 

序、どうすれば良かったのか

 

会長が唸っている。

と言っても、所詮部活のボス。本当なら部長と言うべきだろうけれど。同好会だから、会長。

会社の一番偉い人じゃあない。

三人しかいない部活の会長は、伸びをして考え込んでいた。

ずっとあんな様子だ。

三年生の生山晶(あきら)が会長を務める此処は。

何でもサークルだが。

基本的に訳が分からないことばかり知っている会長が、よく分からない事で悩んで、それにつきあわされるサークルである。

ちなみに元々は不良のたまり場だったのだけれど。

どうやったのか、会長が追い出したらしく。

今では不良が面白がってバットで割ったりした窓の残骸とかも綺麗に片付いて。こぎれいな部屋に一杯資料が並んでいる。

ある時は漫画の研究をしていた。

元々人間の歴史は絵画と斬っても斬ることが出来ず。それこそ石器時代から絵画は存在していた。

中にはかなり信憑性が伺わしいものもあるが。

きちんと研究されている古い絵画から、会長は漫画を研究していたし。

その情熱に、一時期は圧倒されたものだ。

茶を配膳すると、まだうんうんと唸っている会長。

三年だが背は152センチしかなく。

平均よりだいぶちっさい。

高校三年でこれは致命的で。

今後背が伸びる可能性は殆ど期待出来ない。

二年の私と、一年の後輩はどっちも10センチ以上会長より背が高いが。

恐ろしい事に。

あらゆる全てで会長に勝てない。

唯一勝てそうなのが持久走くらいだが。

会長は高三で企業の現役プログラマーが度肝を抜くようなプログラムを組み、大企業に売りつけて高級車を買えそうな資産を持っている。

親の言うまま金を預けられて資産運用しているようなアホとは違う。

本当に自力で稼いでいるのだ。

そんな会長は、頭の働く効率が普通の人間とは全然違っているらしく。

うんうんと数時間も机の前で唸っていたと思ったら。

取り憑かれたようにPCに向かってキーボードを残像作る程の速度でタイピングしだしたり。

またテストで最後の五分までずっと考え込んでいたと思ったら。

そこからいきなり答案を埋め始めて、満点を取ったりと。

へんなエピソードが満載である。

この元野球部。

もう野球をやれるほど生徒がおらず。

今では何でも同好会の会長となっている晶先輩は。

いろんな意味で未来があるように思えて羨ましい。

高二になると現在の世界のさんさんたる有様が分かってくるから。

こっちは色々と気が気じゃないのだが。

「お茶淹れましょうか」

「んー」

会長が唸っている。

これは聞いていないように見えるが、ちゃんと聞いている。

その証拠に、せまい部室の中でうろうろしだして。いつの間にか机の上にミルクやら砂糖やら揃えている。

ティーセットは私が家から持ってきたものだが。

会長はそれを何の躊躇も無く使う。

なお本職の家政婦もいるのだが。

はっきり言って会長の方が百倍美味しい茶を淹れる。

しかしながら、茶を会長が入れるケースは滅多にない。

このバケモノみたいなスペックの会長が、なんでこんな普通の進学校にいるかというと。

単に親が裕福で無かったから。

今では親より稼いでいるらしく。

この国の数少ない、自力で未来を開けそうな若者の一人になっている。

会長が会社を作るんなら、就職したいと以前言った事があるのだけれど。

いいよと言われたので。

うちの傾いている会社を考えると。

そっちに行った方が良いかも知れない。

お茶を淹れていると。

会長が自分でテーブルに紙を広げて、さらさらと書き始めた。

中華の図だ。

そして、拠点とかを書いていく。

最近はゲームとかでもよく見るから、わかる人は一目で分かるかも知れない。

そう、三国志の時代である。

ただ会長の場合は、都市を書くと後は駒だけを並べて。

可変性を図上に持たせているのが流石だ。

「なー、志野」

「はい?」

「三国志の時代の後は五胡十六国時代だって説明はしたよなあ」

「はあ、まあ」

会長は三国志に正史から入ったというドマニアだ。

三国志は、詳しい人間はそれほど上限を知らないレベルで詳しい世界だけれど、会長は多分専門研究をしている人間に並べるだろう。

ネットなんかにいる、正史に書かれている事を鵜呑みにしているだけのにわかとは違っていて。

当時の状況から、どんな風に誰が動いていたのかまで考えているタイプだ。

会長の説明によると、魏が晋に乗っ取られた時点で三国時代は詰んでいたそうである。

まあそれは私も八王の乱を自分で調べたから分かる。

中華史上、最悪レベルの一族が司馬氏である。

八王の乱は身内の争いでは歴史上最悪の一つとも言える代物で、三国志ファンが晋時代について触れたがらないのも自分で調べて見てよく分かった。呉の末路も酷いが、それよりも更に酷い。

西晋が瓦解した後の東晋でも醜悪さは変わらず、最終的に劉氏(※漢の皇族との血のつながりは無い)に滅ぼされるという何とも言えない末路を遂げている。

会長は最近三国志をどうすれば良い結末に終わらせられるかを考えていて。

色々と案を練っているようだった。

私も何度か説明を受けたので、大まかな内容については分かるが。

それにしても会長は、こんな事に何を無駄にその優秀な頭を使っているのだろうとも思ってしまう。

「あの時代って、本当に酷かったみたいですね」

「後世からのバイアスもあるだろうが、まあ概ねそうだ。 純粋な漢民族の文明がそもそも消滅し、三百年にわたって統一国家がでなかった。 やっと統一した隋も二代で滅びた」

隋といえば煬帝か。

普通は「てい」と呼ぶところを「だい」と呼ばれる、中華史上最も嫌われている皇帝の一人である。

実際には若い頃は意欲もあり、大事業を構想する頭脳もあった人物なのだが。

名君が暴君に落ちる例はいくらでもあり。

煬帝はその例だ。

やっと来た平和をぶちこわしにしたから、徹底的に嫌われているというのもあるのだろう。

まあ、その後に長命政権である唐が出現したことにより。

中華は安定期を取り戻す。

この辺りは、三国志が終わった後の混乱を調べている内に、覚えてしまった。

更に言えば、これくらいは知っていて当然。

マニアが果てしなく深い世界である事を、今はネットを見て知っているからである。

歴史に詳しいなんて、口が裂けても言えない時代だ。

それに自称歴史ガチ勢が、如何に自称に過ぎないかは。

同じくネットを見ていて、彼らの醜態を良く知っているから。

絶対にそんな風には言えない。

「五胡十六国時代は、まあ百%司馬一族の招いた破滅ではあるんだが。 どうも最近曹操にも原因があるとか言うトンチキな論説が出て来ていてなあ」

「はあ」

「呆れた話だ」

茶にドバドバ砂糖を入れ始める会長。

ちゃんと美味しいお茶を淹れるのに。

自分で飲むときはこうである。

よく分からない人だ。

自分と他人の好みが違う事はきちんと分かっていて。

それで淹れ分けているのだろうが。

それはそれとして、また器用なことだなとも思う。

「三国志の時代、中華周辺の遊牧騎馬民族をはじめとした「異民族」を傭兵として雇うことが流行したからな」

「曹操がそれで精鋭部隊を作ったんですよね」

「精鋭というか、まあそうだな。 当時はロクな馬具も無かったから、馬を乗りこなせるだけで凄かった」

三国志演義の英雄達は、色々複雑な武器を持っている。

最強と名高い呂布の方天画戟を例に出すまでも無い。有名な張飛も、蛇矛という刃がうねった不思議な形状の矛を得物にしている。

しかしながらこれらの武器は、三国志の時代の冶金技術では作る事が出来なかった事も分かっている。

当時の製鉄技術は、後の製鉄技術の基礎となった貴重なものではあるのだが。

それでも文明は段階を踏んで進んでいくものだ。

残念ながら、戦争が起きるからと行って急速に進歩する訳でも無く。

方天画戟やら蛇矛やらは、ずっと後世に実現することになる。

もっとも、実用性については察しではあるのだが。

武器がそんな有様だ。

当時は乗りこなせることだけでステータスになった馬という動物。

その乗るための馬具。

それが未発達だったのも、当然だろう。

馬上でしっかり踏み込めるようになるためには、鐙の出現を待たなければならなかったのだが。

これが出現するのは、三国志の時代の後。

290年頃であろうと言われている。

このため、三国志の時代に希にあった馬上での一騎打ちは、相手の背後に回ることを前提とした動きをしたらしく。

武士の恥となる背中からの傷というのは。

当時は当たり前に受けるものであったらしい。

とはいっても、それらも現在の定説に過ぎず。

今後一次資料が何かしら出てくれば、容易にひっくり返す事だろうが。

「アホらしい話だな。 曹操の頃は、異民族をしっかりねじ伏せて戦力に組み込んでいたんだ。 それを制御不能になるまで取り込んでいったのは後の時代の為政者達だ。 特に司馬一族は見境無く異民族を取り込んで、内輪もめを始めた。 それが壊滅的な事態を招いたのは文字通り火を見るよりも明らかなのにな」

「司馬一族に命でも救って貰ったんじゃないんですか?」

「東晋でとっくに滅亡した連中に?」

「前世か何かで」

会長が砂糖まみれの茶を口に運ぶ。

どんな味がするのかは分からないけれど、まあ本人には美味しいのだろう。

私も向かい合って座ると、茶にする。

後輩は今日は追試だ。

多分部室には来ないだろう。

同好会だから、別に無理に来なくても良いと会長は言っている。

そもそもこの同好会も、子供が減って部活が殆どまともに機能しなくなってしまった時代だからこそ。存在を許されているのであって。

昔だったら、存在さえ許されなかっただろうが。

「三国時代と言えば馬鈞とかいうインチキ野郎がいてなあ」

「ああ、知っています。 水車の能力を百倍にしたとか、諸葛亮の連弩を自分なら五倍の能力で作れるとかほざいた」

「そうだ。 どういうわけか、自称歴史ガチ勢にあいつが詐欺師だって事を指摘している奴はいないんだよな」

「そういえばそれも不思議ですね」

実を言うと、日本に三国志を広めた偉大なる先達、吉川英治は作中で名前こそ出さないものの、馬鈞を痛烈に批判しているのだが。

あまりこれは知られてはいない。

吉川英治の三国志は非常に読みやすく。若干雑な部分もあるものの、短くまとまっていて最初に手を出す三国志としては最適の作品だ。

これか横山光輝の漫画三国志が、一番最初に読むには良い三国志だろう。

私もそれは会長の影響で読んで知っている。

確かにどちらもずば抜けて読みやすい。

他にも三国志を書いている作者は漫画小説問わず幾らでもいるのだが。

漫画や小説としては、この二つが確実に筆頭だろう。

現在ではおかしな表現などもあるものの。

そんなものは、今連載している漫画が一世代後にはどう見られるかを考えれば、別に問題でもなんでもない。

会長も、吉川英治の三国志は「読み物として」評価しているが。

こういう大作家らしい観察眼については、あまり褒めることはしていない。今回も吉川三国志の描写は知っている筈なのにしなかった。

茶を飲み干すと。

あっちこっちに移動していた話を、不意に会長は引き戻した。

私は別になれているので気にしない。

会長は兎に角頭が奔放なので。

他人と話していると言うよりも。

自分と話して、頭の中を整理しているか。

ただ漠然と、愚痴を口にしているだけにも思える。

会長はとんとんと、机の上を叩いた。

三国志の時代の図である。

「最初の契機は黄巾の乱だ」

「はい」

黄巾の乱。

三国志の時代を始めるというよりも。漢王朝を事実上潰した大規模反乱だ。

農民反乱と勘違いしている者も多いかも知れないが。

実際には当時にはそんなものは存在せず。

要するに、宦官と外戚の勢力争いで極限まで疲弊していた漢王朝による圧政が。

黄巾の乱の指導者が始めたもう我慢ならないという声によって一気に表に出て。

そして食えない奴がみんな騒ぎ出した。

それが全土に拡がる大混乱につながった。

そんな事件である。

この黄巾の乱自体は、漢王朝の腐敗を如実に示しているとも言える。

まず当時の宦官達は、儒教的な思想に縛られるのを嫌い、黄巾党と内通までしていた有様である。

そしてそんな宦官達を、当時の皇帝である霊帝は、罰することも出来なかった。

これはどういうことかというと、罰しようとすれば殺される事が確定。

つまりそれだけ宦官の権力が圧倒的だったことを意味している。

下手をすれば、黄巾の乱によって新しい国が出現していたかも知れない。

この時代の漢は、三千万からなる人口を抱える、ユーラシアでもトップクラスの大国家だったのだ。

上手く黄巾党が天下を取っていれば。

いや、難しいか。

「黄巾の乱はまず上手くいかん。 理由は分かるか?」

「指導者の張角がすぐに亡くなったからですよね」

「そうだ。 寿命の問題だ」

黄巾の乱が始まって、すぐに張角は死んでしまった。

これが本当に不運な事態になった。

結局指導者を失った黄巾党は、各地で各個撃破され。

鎮圧されることになった。

宦官はこの後もやりたい放題を続ける事になるが。

やがて外戚である何進と対立。

何進と共倒れになるような形で、殆ど全滅することになる。

そして、この大混乱の中で一気に勢力を伸ばしたのが。

悪名高い董卓である。

黄巾党の駒をどける会長。

会長は更に、宦官と外戚もどけてしまう。

皮肉な話だが、宦官と外戚は、どちらも後宮。今の時代、何か勘違いされて楽園か何かと思われている後宮の関係者である。

宦官は後宮の女官達の世話をする人間であり、直接皇帝に話をする事が出来る人物達だった。

このため彼らは秦王朝を潰した趙高のように、皇帝を操り人形にすることが出来た。

また去勢しているために体内のホルモンバランスなどが崩れやすく。

欲求のバランスが崩れて、異常な権力欲に取り憑かれることも多かった。

宦官の中には、まともな業績を残した人物も実在はしているのだが。

歴史の闇の存在として、やはりその悪しき面を追求しなければならないだろう。

外戚も同じく問題だ。

後宮にいる女性というのは、基本的に全部紐付きである。

「各地の美女を集めた」何ていうのは大嘘。

基本的には、皇帝に権力を通したい有力者が、自分の一族を送り込んできているのが後宮という場だ。

だから皇妃が醜い事なんて当たり前。

洋の東西を問わず、皇帝に相当する最高指導者の中には、後宮を嫌がったり、或いは女性嫌いになるケースもあったそうだが。

それはまあ、当然だろう。

女は全部紐付き。

更には、彼女らは陰湿な陰謀合戦を繰り返していて、その背後には宦官と外戚がいる。

美女を見つけたと思ったら、権力とのパイプが強い者に虐め殺されるような事は珍しくもない。

後宮にしてもハーレムにしてもそうだが。

其所は楽園などでは無い。

修羅の場だ。

そしてそんな修羅の場が、一瞬にしてかき消え。

皮肉な事に、その修羅の場によって支えられていた皇帝の権力も。

一瞬にして失われてしまったのである。

董卓の登場というのは。

そういう意味で、とても象徴的だった。

鐘がなる。

この学校では、部活はかろうじて存在していると言う状況だ。だから近年他の学校で問題になっているような、部活に何もかも吸い取られて過労死寸前になっているような教師はいない。

良い事なのだろうと思う。

とりあえず、さっさと地図とティーセットを片付けると、帰宅することにする。

会長とは途中まで一緒だから、歩きながら話をするが。

帰路で三国志の話はしなかった。

会長はスクールカーストにもまるで興味が無いらしく、一方でそれが如何に醜いものかも知っている。

私が「歴史マニア」だとか思われて、周囲の女子から孤立することを防いでくれているのだろう。

そういう意味では助かる。

会長と別れると、もう結構遅い時間になっていた。

家は大きい。でも、既に冷めてしまっている家だ。

ベッドに転がると、私は小さくあくびをした。

毎日こつこつ勉強はしているから、試験に関しては不安は無いけれど。

ああいう風にもう自立同然の状況にまでいきながら。

好きな事を出来ている会長は、とても羨ましいと思った。

 

1、会長の話

 

私の家は元々裕福で、家政婦がいるくらいだが。

残念ながら斜陽である。

家政婦がいるのも後何年だろう。

会社は傾いているし。

両親の仲は冷え切っている。

こんな時代だから、リスクを考えて浮気はしていないようだが。

そもそも今は、四十代の半分が結婚していないとか、交際さえしていないという時代である。

浮気なんてリスクしかない行為。

誰もしたがらないのかも知れない。

それに会社は傾きっぱなしで激務。

父は娘が高校生とは思えない程老け込んでおり。

既に六十を超えているように見える。

元々有能とも言い難い父は、会社では穀潰しと重役達に影で囁かれているらしく。

私もはっきりいって、そんな会社の次代当主になりたいとは思わない。

そもそも会社自体が、既に技術も何もなくしてしまっている。

昔はそれなりの名門だったらしいが。

一時期はやった派遣労働制度で「コスト削減」をした所。

人材は育たないわ。

技術は流出するわ。

挙げ句の果てに、気がつけばいわゆる体育会系の脳みそスカスカな連中だけが生き残るわで。

滅亡する企業の見本のような有様になっていたとか。

私がまだ幼い頃は、父はまだ普通に年相応に見えたし。

無能と言われても、それでも流せるだけの器量があったようにも思えた。

無能であっても害が無かったのだろう。

だが今は違う。

毎日疲弊しきって帰ってきている父は。

会議で重役達と、解決するはずもない問題を毎日遅くまで話し合っているらしく。

そういう話を聞くと。

会長が話している、三国志の黎明となった、漢王朝末期のごたごたを思い出してしまうのだった。

昔だったら、私も許嫁とかと結婚させられていたかも知れないが。

勿論今はそんな状況じゃあない。

そもそもこんな駄目企業。

許嫁なんて、頭下げても来ないだろう。

だいたい私も美人でも何でも無いし。

母も母で。

私に一応の「教養」とやらは叩き込んだし。自身は浮気を一切しないという美点だけはあったが。

それ以外は無能そのものである。

毎日父の愚痴を言っているし。

私を味方に抱き込もうとして必死である。

ただ、そもそも傾いているとは言え会社は父のものなので。

もし離婚となったら、年老いたまま放り出されることになる。

それは嫌なのだろう。

だから、次期当主の私に、必死にすり寄っているというわけだ。

情けない事この上ない。

最近は、朝食を一緒にすることも殆ど無く。

家政婦が手抜きした朝食を適当に食べると、さっさと家を出る。

リムジンやらで送り届けて貰うとか、そういう事もない。

家はそこそこに大きいが。

幸い周囲の治安はいい。

こんな状態になっても。

治安は他の国より何十倍もマシというのは、うちの国の利点かも知れないが。

それでも腐っている事には代わりは無いのだ。

適当に学校に着くと、

授業を受ける。

周囲との関係には殆どなんの興味も無い。

昔は会社令嬢と知って近付いてくる奴もいたのだけれども。そういうのが嫌だった私が意図的に遠ざけるようになってからは。殆ど男は寄ってこなくなった。

女子も女子で同じ。

私は何か高嶺の花か何かに見えているらしく。

恐れ多いらしくて近付いてこない。

それで私としては有り難い。

スクールカーストの醜悪さは嫌と言うほど見て知っているからである。

会長にたまたまスカウトされなかったら、今も灰色の人生を送っていただろう。

今は、同好会に顔を出している時間だけが楽しい。

授業が終わったので、やっと解放されたと思って、会長の所に出向く。

今日は会長は、ノートPCを開いてダカダカとキーボードを叩いていた。

勿論ブラインドタッチである。

その速度たるや、文字通り音速状態。

指が分裂して見える程。いわゆる残像状態である。

これでタイプミスをしないのだから、凄い。

「志野ー。 ちょっと待ってろー」

「幾らでも」

「んー」

ダカダカキーボードを叩いていた会長だが。

やがてタンと鋭い音と共に、エンターキーを打っていた。

何でも自分の預金を増やしているらしい。

今は新しいプログラムを開発しているとかで。

いわゆるオープンソースのプログラムを企業用に改良して、売りつけているそうだ。

この手のオープンソースを企業用に開発したプログラムというのはかなり古くからあるそうで。そもそもOSからしてUNIXと呼ばれる一群のものがそれだそうだが。

会長が現在触っているのはクラウドのプログラムらしい。

このクラウド、現在大流行のアレだが。

実際に会長に言わせると、単にデカイケーキを切り分けてみんなで食い合っているようなもので。

ケーキを作る際に有毒物が入っていればみんな食中毒になるし。

ケーキそのものをつまみ食いするのも難しく無いし。

そもそもケーキがまずかったら、みんなまずいケーキで渋面になるだけだとかで。

別に革新的でも何でも無いそうだ。

それどころか大手IT企業が使っているクラウドでも、カスみたいな代物がたくさんあるとかで。

会長は頼まれて、そういうもののデバッグとか改良とか、色々やっているのだとか。

私にはついて行けない世界だが。

まあ会長のスペックなら難しくは無いのだろう。

一段落したらしく、会長は自分で茶を淹れ始める。

手際は良くて、私が何かする暇も無かった。

私の分も淹れてくれる。

そして私が、茶の美味さに絶句している隙に。

ノートPCの電源を落とし。

昨日の地図をもう拡げ終えている有様である。

全くこの人は。

どういうスペックで動いているのか。

そして、考え始める。

昨日は董卓まで、だったか。

董卓はいわゆる文明の接触地点で顔役をしていた人物で。

黄巾の乱にも参加しているが、大きな成果は上げられていない。

実際には異民族にも顔が利く顔役だったようなのだが。

その割りには、強力な軍を有していた様子も無い。

この時代は、例え破滅寸前であったとしてもまだまだ漢は周辺国と比べて相対的に見て強力であり。

異民族の軍隊を大々的に引き入れるとか、そういう事は出来なかった、と言う話なのだろう。

また黄巾の乱で、ロクに訓練も受けていない反乱軍に袋だたきにされていた事からも考えて。

董卓には残念ながら軍司令官としての能力も不足していた。

董卓が飛躍するのは、混乱に乗じて漢王朝の中枢を乗っ取ってから。

宦官と外戚を一気に駆除し。

そして宦官や外戚に不満を持っていた連中を抱き込んでから、である。

それからは、反発する連中を力で押しのけて、或いは一時期は皇帝になる事すら考えたかも知れないが。

いずれにしても董卓は知っての通り、周囲に総スカンを食らい。

その総スカンの象徴である反董卓連合軍が勝手に自壊したから良かったものの。

そうでなければ、普通に破滅していただろう。

近年では、董卓に関しては見直しが進んでおり。

漫画「蒼天航路」では冷厳で有能な董卓が描写されたりしているが。

それはあくまでそれ。

そもそも無理筋な改革を行おうとし。

失敗した人物である、という事実に代わりは無い。

どれだけ高い評価をしても、その事実だけは曲がらないのだ。

なお董卓の麾下で、若い頃の曹操を破ったのは徐栄という将軍だが。

この人物はその後のゴタゴタで戦死しており。

残念ながら、歴史を動かすことは出来なかった。

「董卓はなあ……」

「仮に董卓が上手く行っていたら、どうなったと思います?」

「短命政権に終わるだけだ」

「ですよねえ」

私としても同意見。

董卓はそもそも、漢民族よりは周辺の異民族寄りの思考をしていた様子で。

それで改革が上手く行かなかった。

実際問題、漢民族が主権を手放した五胡十六国時代が地獄になったのと同じである。違う思想の者達が混じり合えば、其所には地獄しか生じない。

話し合いで解決なんて事が出来れば苦労はない。

実際に話し合いで解決なんて言っている場合。

裏で利権が動いている事が殆どで。

言葉によって相手の心を動かしたりとか。

そういう例はまずない。

董卓の場合は、恐らくはもっと強力な軍事力を最初から有していたりとか。

或いは周辺の有力者と上手にやれていれば、話は別だったのかも知れないが。

根本的な思考回路が違うのである。

それも土台無理だっただろう。

まあ、董卓による長期政権は確かに無理筋だ。

私もそれは同意する。

会長は一刀両断したが。

まあある程度知識のある人間だったら、だいたい同意するだろうとも思う。

何かしら、確信的な一次資料でもでてこない限りは、である。

一次資料で、学会の流れが一変すること何ていくらでもある。

近年では、日本における関ヶ原の戦いの一次資料が発見され。

東軍が苦戦していたどころか、実際には瞬殺マッチだったことが分かってしまったのだが。

一次資料にはそれくらいの破壊力があるのだ。

とはいっても、流石に三国志の時代は1800年も前である。

この状況下で。

革新的な一次資料が新たに見つかる可能性は、あまり高くは無いが。

「董卓は結局内輪もめで自滅しましたが、その後の最有力候補はやっぱり袁紹ですかね」

「袁紹は駄目だな」

「駄目ですか」

「幾つか駄目な条件があるが、まずは河北を統一するのに時間が掛かりすぎた」

とんとんと、地図上の駒をどけていく。

董卓がいなくなる。

呂布と王允に殺されたのである。

とはいっても、漢王朝中枢を掌握した後の董卓は、特にこれと言って優れた施政を行った訳でも無い。

不満は鬱屈していたし。

部下も統率できていたとは言えなかった。

潰れるのは当然だっただろう。

その後に董卓の残党とも言える、多数の軍勢が幾つもの軍閥に別れて揉めに揉め。

曹操が蹂躙して制圧するまで漢王朝の中枢だった洛陽や長安は恐怖のどん底に落とされる事になるのだが。

まあそれはそれ。

別の話である。

この混乱を避けて、多くの民が別の地方に流れていき。

また、地方の有力者も権力を蓄えていった。

その筆頭格が袁家。

中でも袁紹と袁術である。

実際には、曹操は袁紹の子分。孫堅は袁術の子分程度の存在に過ぎず。

どちらも混乱に乗じて独立し、それぞれ勝手に動いている内に元親分と対決していった状態である。

三国志の初期は、董卓と袁紹と袁術がそれぞれ最大勢力を率いており。

ある意味で、別の三勢力によるにらみ合いが起きていたとも言える。

董卓は早々に滅びた。

袁術は残念ながら戦争がそれほど得意ではなく、地盤はそこそこに強力だったが兎に角勝てなかった。

そんな中、それなりに注目されたのが。

戦争も三国志演義で言われている程下手では無く。少なくとも若い頃は優れた判断力を有していた人物。

袁紹だったのである。

実際、曹操と袁紹の決戦となった官都の戦いでは、袁紹の方がだいぶ軍が多かったのも事実で。

曹操が勝ったのは本当に奇跡的な事なのだと分かる。

三国志序盤の山場は官都の戦いだが。

この戦いで、袁紹が勝つ可能性は、決して低くなかったのだ。

会長は、まず河北。

黄河より北の地域を、袁紹が統一するのに時間が掛かりすぎたことを挙げた。

それについては私も同意だ。

袁紹は若い頃は有能だったが、混乱に乗じて河北を制圧している内に、年を取ってしまった。

何より防御戦退却戦に関して極めて巧みな人物だった、公孫サンが河北にはいた。

袁紹としのぎを削ったこの人物は、あの劉備の兄弟子であり。また異民族対策の専門家としても知られていたが。

周囲の群雄を制圧して、結局袁紹と激突。

長年の激戦の末に、袁紹に破れた。

だが、袁紹が支払った代償は小さくなく。

結局この戦いを終えるまでに曹操に完全に独立され。

董卓の旧勢力や。

それにもっとも中華で当時大事だった地域。

黄河と長江の間にあったいわゆる「中原」を、殆ど抑えられてしまったのである。

そしてこの頃には。

曹操は、後に不世出の英傑と呼ばれる全盛期の切れを保っていたのに対し。

袁紹は、見栄えだけ良い三男と、後継者であるべき長男の、どちらを後継にするか迷い。

挙げ句の果てに、部下達の派閥争いを止める事も出来ず。

若い頃には優れていた優秀な頭脳と決断力も、全て失ってしまっていた。

強力な経済力と軍事力だけは有していたが。

それだけであった。

「袁紹は多くの人材と好機を取りこぼした。 もう十年若かったら、或いは天下を取れていたかも知れないけどなあ。 いや、それでも駄目だろうな」

「その場合も駄目ですか?」

「駄目だ。 人間年を取ってからが正念場だ。 袁紹の場合、年を取ってから一気に駄目だった部分がでた。 恐らくだが、仮に曹操に勝ったとしても、結末は大して変わらなかっただろう。 袁紹の器量では十年で後の領地を取り尽くすのは厳しい。 後継者争いが始まって、官都の戦い以降で勝ってむしった領土も含めて内輪もめ開始だ。 結果としては、混乱の時代が長引いただけだっただろうな」

一刀両断。

流石である。

袁紹に関しては、寿命というものが最大のネックになってしまった。

ずっと後の日本ですら、人間五十年なんて言葉があったくらいである。

袁紹だって、それでも頑張った方だったのだろうが。

それでもやはり、衰えには勝てなかった。

だが、なおもその地盤は強力。

袁紹が死んだ後、袁家は分裂することになるが。その袁家を滅ぼすのに、曹操は七年もの年を費やしている。

河北が如何に頑強に曹操に抵抗したか、と言う話である。

そして曹操は、赤壁の戦いに臨むことになる。

赤壁か。

会長は駄目だと一刀両断した袁紹を、図から取り除く。

気の毒な話ではあるが。

確かに会長が言う通り、袁紹が仮に官都の戦いに勝っていても、寿命はどうにも出来なかった。

却って戦乱を長引かせるか。

或いはもっと早く、異民族の乱入を招いたかも知れない。

どっちにしても見えるのはバッドエンドだけだ。

会長の言葉は鋭いが。

間違っていない。

「それでは、次は赤壁の戦いですかね」

「んー」

会長はあまり乗り気では無さそうである。

今度は私が茶を淹れる。

会長は茶にまたドバドバ砂糖を入れる。

さっきプログラミングをしていて、相当頭を使ったからだろう。

噂に聞くけれども。頭を滅茶苦茶使う競技によっては、試合後に糖分を大量摂取するという。

脳細胞というのは、糖分でだけ動くのだ。

会長の脳細胞は、今糖分を欲しているという訳である。

砂糖をそのまま囓るのもありなのだろうが。

流石にその辺りは、会長もやりたくないのだろう。

「後輩ちゃん、来ないなあ」

「数学Uに苦戦してるらしいです」

「なんなら私が教えてやってもいいんだが」

「もう追試ですし」

ため息をつく会長。

三人で話した方が面白いとでもいうのだろうか。

私には正直。

よく分からない。

河北を制した曹操が、南に向かう図を作る会長。

知り尽くしている様子で、ぱぱっと駒を並べていく。

なお、後に呉を作る孫一族には殆ど触れていない。

まあそれもそうだろう。

三国志が好きな人間はいる。呉が好きな人間も多い。

だが、呉が天下統一出来る可能性について考える人間はまずいない。いるとしたら、余程だ。

それくらい、呉は天下統一から遠かった勢力なのである。

理由としては、そもそも呉が地元の有力者の寄り合い所帯だったという事情が大きく。

そもそも天下を取る気なんか無いのが大きいだろう。

さて、此処からだ。

曹操が河北の袁家を潰した頃。

混乱を逃れてきた知識階層を根こそぎ吸収し。長江の中流に強大な勢力を作っていた劉表が死んだ。

この劉表は、平和ボケしただけの無能と勘違いされているが、そんな事は一切無く。

三国志の時代においても、後の時代においても、非常に重要な戦略上の拠点であった荊州を有し。

最前線には勇将黄祖を配置して呉の侵攻を寄せ付けず。

国内で反乱が起きても、自力で制圧して揺るぎもしないという、強大な勢力だった。

なお呉史では黄祖を無能の極みのように描写しているが、実際には呉は何度攻めても黄祖のいた江夏を陥落させることが出来ず。史書に陥落させたとか二回も記載しておきながら、翌年にはまた江夏を攻めるという奇行に出ている。

要するに実態は、江夏を守る黄祖には手も足も出ず。

毎回叩き返されていた、と言うだけの事である。

小覇王と言われた勇将、孫策の時代からそうであって。

戦下手で知られた孫権の時代には、更に状況は絶望的だった。

最終的に黄祖は呉に「討ち取られた」事になっているが。

その後も江夏は陥落していないことから。

この辺りは嘘である可能性が極めて高い。

まあ単に老衰死かそれとも流れ矢にでも当たったのだろう。

江夏がびくともしていないことや、そもそも黄祖を討ち取る大手柄を立てたらしい人物がその後出世を一切していないこと。

更に呉史が嘘塗れであることを当初から指摘されている事などからも。

この辺りは明らかだ。

要は絶対に勝てなかった鉄壁である黄祖を、史書で貶めることにより復讐するというさもしいことを呉はやっていたわけで。

そんな事をしている時点で、まあ統一からは縁遠かったのも事実だろう。

さて、劉表に戻る。

この劉表は、強力な支配体制を敷き、戦乱を嫌って逃れてきた有力者を皆取り込んで強大な勢力を構築し。

また袁紹と結んで曹操を南からも圧迫していた。

その先鋒になっていたのがあの劉備である。

官都の戦いの前後で、曹操に破れた劉備が頼ったのが劉表で。

劉表の前衛として、事実曹操軍を劉備は破っている。

ただ劉表が死んでしまうとそれも厳しい。

曹操は好機と一気に軍勢を進めるが。

此処で赤壁の戦いになる。

問題は、この赤壁の戦いが、よく分かっていないことなのだ。

まず史書によって描写が全く違う。特に景気よく勝利したことが描写されているのは、信頼性が極めて低い呉書だという事だ。

そしてはっきりしているのは。

曹操軍の主要な指揮官に。

戦死者が一人も出ていない、という事である。

「赤壁は駄目だな」

「確実に曹操は負けていたと」

「……あらゆる事例を総合する限り、曹操の軍には疫病が流行ったと見て良い」

これは魏書による記述だ。

荊州を瞬く間に併呑した曹操は、一気に周辺勢力を潰す事に注力を開始したのだが。

主力部隊に疫病が流行ってしまった。

異国の地で発生する疫病ほど恐ろしいものはない。

あのアレキサンダー大王ですら、疫病には勝てなかった。

他にも大遠征をしていて、疫病に倒れた王は幾らでもいる。

曹操軍も例外では無かったのだ。

中華はあまりにも広すぎる。

河北の軍を中心につれてきていたとなると。

長江の南とは、まるで気候が異なる。

疫病で軍が大きなダメージを受けたのも、無理はないだろう。

そうなると、どれほど巧みな戦術を駆使しても。

曹操軍が勝つのは厳しかった、という事になる。

それにだ。

そもそも、官都以降も七年も戦い続けていた曹操軍である。

軍を再編成したのは一年程度。

やはり、曹操ほどの人物でも、軍に無理をさせていたと言う事なのだろう。

劉表が最悪のタイミングで死んだ。

それは曹操にとっても、或いは不幸だったのかも知れない。

「それならば、次はどこでしょう」

「そうだな。 赤壁の後、曹操は涼州、漢中に戦力を向けている。 これについては、荊州が大混乱に陥ったのだから、下手に介入するのもまずいと考えたのだろう。 涼州では例の馬超が大暴れして、曹操はかなり苦労する事になる。 その間になんだかんだで荊州の東は孫権が、西は劉備が、北は曹操が制圧する事になる。 劉備は益州に入り、更に曹操を破って漢中を制圧した」

この辺りが、一番三国志では面白いところである。

今まで曹操にコテンパンにやられていた花形、劉備が飛躍していく場面だからだ。

そして全盛期の劉備は、呉と殆ど同じ国力を有するにまで至っていた。

だが、此処で呉が最大の失策を犯す。

それが、後々にまで響くのだ。

荊州に、強襲を仕掛けたのである。

呂蒙による荊州の奇襲は、呉書などでは絶賛されているが。

長期的な戦略から見れば、愚策も愚策。下も下と、会長は斬って捨てていた。

「恐らくは、最大の転換点は此処だな」

会長が、荊州での関羽の敗死について、とんとんと駒を動かす。

同時に、チャイムが鳴った。

 

2、大転換点

 

私は起きると、あくびをかみ殺して寝間着から着替える。

流石にこれは自分でやる。

幼い頃は過保護な親が、家政婦にやらせていたりもしたのだけれども。

会社は私が幼い頃には傾き始めていたし。

家政婦はどんどん減って行っていた。

これは或いは良かったのかも知れない。

もしも、過保護なままいたら。

私は多分そのままスポイルされていただろうから。

金持ちは優秀だとか、近年馬鹿な言説が流行っているが。

実態はこれだ。

あのエリート教育の総本山である米国ですら、近年は裏口入学が問題になっているくらいである。

どれだけ金を掛けて教育しても駄目な奴は駄目だし。

それを誤魔化すために更に金を無駄にする。

そして阿呆が国家の上層部にぞろぞろ入り込み。

国を駄目にしていく。

どんな国でも、当たり前に起きていったこと。

長期安定政権では、この辺りをある程度上手に処理出来たりもするのだけれども。

会長いわく、基本的に人間という生物は、ルールを如何に破るかを考える事に最大のパフォーマンスを発揮する存在らしく。

国家そのものを人間に任せるのは無理だという。

勿論宗教は論外。

宗教の仕組みを知っている人間が圧政を敷くだけだ。

そうなってくるとAIだが。

絶対にAIに細工する阿呆が出てくる。

要するに現状では、人間にはまともな国家運営は当面期待出来ない、と言う事であるらしかった。

年を一切取らず。

能力も落ちない、不死身の統治者が、独裁を敷けば或いはなんて話もしていたけれど。

前提からしてあり得ないので。

まあ無理だと言う事だろう。

私もまあそれは。

老舗だった筈の私の家の会社が。

音を立てて傾いていく様子を幼い頃から見ているので。

良くそれは分かっている。

驕れる平家も久しからずという奴で。

結局人間には、理想国家なんて作れないと言う事だ。

制度なんて関係無い。

実際問題、民主主義制度をしいている国が無条件で良い国かというとそれはノーだ。

民主主義政権を悪用する奴が絶対いるし。

その手の輩がウヨウヨ蠢いている。

結局の所人間はクズだという結論を会長は出していたが。

私もそれは思う。

朝食を取る。

これだけは家政婦が作ってくれるけれど。

ただそれだけだ。

別においしくもない。

プロの家政婦だけれども、所詮は家政婦。

何か昔メイドがサブカルチャーでブームになったりしたけれど。

実際に家事のプロなんて家政婦は今はほぼいない。

そういえば、アジアでも最貧国から来た人達を、家政婦として実質上の奴隷としてこき使っていて。

それが社会問題になっていたっけ。

夢がない話である。

食事も済ませた私は、さっさと学校にである。

朝から両親が口論していたので、見るに堪えない。

浮気はしないだけの父。

何でもかんでも求めすぎる母。

母は不幸だ不幸だ喚いているが。

これだけ楽な生活をしておいて、何を勝手な事を抜かしているのかと、私はげんなりする。

私はフェミニストとやらがSNSでバカ丸出しの大暴れをしているのを直接見ている世代だから。

母のような事を言う人間には全く同意できない。

馬鹿馬鹿しい親を持ったものだな。

そう考えながら。

学校に淡々と向かう。

授業を適当に受ける。

灰色の時間だ。

勉強はそこそこ出来る。

会長が異常過ぎるだけであって。私も別に、勉強がまったく出来ない訳では無いのである。

後輩のように、勉強が出来ないとなると、もっと家は揉めていただろうが。

私は要求されるくらいの学力はあった。

この後国立の適当な大学に行くことを求められているが。

どうしようか今悩んでいる。

会長は高校を出たらさっさと会社を立ち上げるらしいし。

その会社は既に技術者として実績を上げまくっている会長の名前で周囲に知られている。

会長は雇ってくれると言っている。

大学に行って、四年間時間をドブに捨てるくらいなら。

さっさと会長の会社に行くのもありかも知れない。

だが、名選手名監督ならずという言葉もある。

会長は凄い技術者だけれども。

社長としてやっていくのは厳しいかも知れない。

それを考えると。

国立大学に通って学歴を作っておき。

それである程度、滑り止めにしておくのも手かも知れない。

結婚制度が崩壊しつつある今。

高校生くらいから、色々な選択肢を作っておくのは必須だ。

終身雇用なんて、とっくの昔に瓦解したし。

今後の私達の未来はとても暗い。

そんな事は、私にも分かっている。

授業が終わる。

周囲の生徒とは全く関わらずに、部室に出る。

会長はいなかったが。

どうやら「バイト」に関して、職員室で話をしているらしい。私は先に部屋に入ると、後は静かにしていた。

茶でも淹れるか。

そう思って、ティーセットやらを会長の倍時間を掛けながら準備し始めると。

丁度会長が来た。

不機嫌そうである。

童顔の会長だから、余計その不機嫌そうな様子は目立った。

「全く、石頭が」

「また先生とやりあったんですか?」

「別にこんな学校辞めても良いんだけれどと言ったら、慌てて引き留めてきたよ面倒くさい」

「……」

会長は恐らく、辞めるとなったら本気で辞めるだろう。

というか、辞めたところで何の問題も無いのである。

今の時点で膨大な貯金もあるし。

起業の準備は着実に進めていると聞いている。

大学なんて時間の無駄だから行かないとか。

まあそれもそうだろう。

高学歴を誇るこの国の政治家や官僚達、更にはマスコミ関係者の醜態を見れば。大学に行くだけ無駄という結論が出るのも、無理はないのかも知れない。

ただ、そんな事を言えるのは会長くらい頭が良い場合だけ。

普通の人間は、私みたいに四苦八苦しなければならないが。

茶を淹れると、やはり砂糖をドバドバ入れ始める会長。

飲んだ後、容赦ない事を言われる。

「相変わらず進歩しないなあ」

「ごめんなさい」

「まあお前、ある程度までいくと其所から上達しないもんな。 そこそこ何でも器用にこなせるのにな」

「さいですか」

褒められているのか貶されているのか。

恐らく、会長にはそう言った意図は全くないだろう。

ただ普通に意見を述べただけ。

まあこの様子から見ても。

余程心が広くないと、会長についていくのは難しいかも知れない。

それこそ、歴史的な英雄ほどの能力は会長にはないだろう。

そして恐らくだが。

会長もそれは、自分で理解はしている。

前に会長は、色々な歴史的な英雄の名前を挙げて。自分は誰にも及ばないと、はっきり言っていた。

今は及ばないでは無くて、今後もという意図も付け加えた。

要するに自分に英雄の素質はないと、会長ははっきり見極めていると言う事だ。

プログラムの納品は終わったらしく、また何百万か稼いだらしい。あくびをしながら、会長は茶を前にそんな事を言う。

そして、砂糖まみれの茶を飲み干していた。

本当に、糖分を取りすぎである。

それなのに太る気配もないのは。

やっぱり全部、脳細胞が消費しているからなのだろう。

ずっとフルパワーで頭を使っているらしいから。

まあ砂糖の消費も早い。

それだけの話と言う事だ。

地図を拡げる会長。

ティーセットを使って、茶をてきぱきと淹れる。

これがまた、本当に悔しくなるほどの手際だ。

もしも会長の事業が失敗したら。

うちのやる気がない家政婦に代わって、うちで雇いたいくらいである。

会長に好き勝手にやらせれば。

うちの一家が食っていくくらいの稼ぎは、簡単に作ってくれるだろう。

それくらいは出来る。

信頼出来る程の能力を、会長は見せてくれている。

「関羽の敗死の所までだったな」

「はあ、まあ」

実際には何度も、三国志の流れを会長は話してくれている。

関羽が敗死する前後、劉備と孫権の関係は最悪になっていた。

元々荊州がほしくてほしくて仕方が無い孫権は、「劉備に荊州を貸してやったのに返さないから奪う権利がある」という謎の理論を展開。

劉備麾下で荊州を守っていた関羽に対して攻撃を再三仕掛ける愚挙を続けていた。

魏は荊州においては小競り合いに終始。

漢中で負けた事もあり、涼州が安定しないこともある。

国力は圧倒的でも、今は守るべき時だと判断していたのだろう。

或いは、孫権が放っておけば自滅に向かう事。

それに、曹操自身の寿命がかなり近いのを悟っていた事、等が理由としてあったのかも知れない。

いずれにしても、三国志における最も豊かで、人員も豊富だった荊州を巡る争いで。

最初に動いたのは関羽だった。

関羽は曹操を相手に優勢に戦いを進め。

「魏における最強の五人」とまで言われた武将の一人、于禁を破り。曹操麾下で無敗を誇った曹仁を破る寸前にまで追い込んでいる。

この時の関羽は既に確定で六十を超えており。

年齢的な焦りがあったのかも知れない。

三国志の初期に、まばゆいばかりの光を放っていた英傑達も。

既に寿命を迎えようとしていたのだ。

どんな豪傑だって、それは六十を超えてしまえば頭だって鈍るし、武勇だって衰える。

軍事訓練を受けていた老人が、若い強盗を素手でぶちのめしたというような話がたまに流れてくるが。

それにも限界がある。

いずれにしても、曹操を荊州から追い落とす勢いで攻勢に出ていた関羽に対し。

孫権は背後から攻撃を仕掛けた。

この辺り、呉将でも有名な呂蒙と陸遜が暗躍した結果ではあるが。

いずれにしても、最悪の愚行だと会長は駒をとんとんと動かしながら言った。

「まず曹操の勢力は、この時点で劉備と孫権を併せたよりも遙かに大きい。 此処で劉備と孫権がやるべきは、互いに戦力を消耗することではなく、共同して曹操を攻める事だったな」

「会長が前に話していましたけれど、関羽の北伐はそのままだと上手く行かないんでしたっけ」

「まあ無理だろう」

会長が駒を置く。

徐晃、と書かれていた。

魏最強の五人の一人。

近年では不敗の名が知られている、堅実無比の用兵をした武将である。

実際には不敗では無いという説明も受けている。

元々徐晃は、董卓の残党の一人楊奉の配下だった人物で、曹操に見いだされて部下になったのだという。

この楊奉、そもそも董卓残党軍の内輪もめに敗れ、曹操の所に逃げ込んだ人物であり。

その楊奉の軍を徐晃はかなり主体的に動かしていた事も分かっている。

要するに、曹操の配下に移ってから無敗と呼ばれるようになったのであって。

最初から徐晃は無敗ではなかったのだ。

ただ、そんな徐晃を見いだし。

無敗と言われるまで、様々な軍権を預けた曹操はまた凄いという話でもあるのだが。

この徐晃が、名将于禁を破った関羽の前に立ちはだかった。

ただ、それでも。

孫権が馬鹿な事をしなければ、その後の勝負がどうなったかは分からないと会長は言う。

「孫権、まあ呉だな。 呉には長期的な戦略というものが存在しなかった。 その場その場で場当たり的に動き、自分の領地を守る事だけしか考えていなかった。 もしも劉備が決定的に弱体化したら、その時は曹操が喜ぶだけだと言う事を、最後まで理解出来ていなかった」

「政治家としては優秀だと聞きますが」

「そうだな、政治家としては優秀だ。 だが軍略家としては三流以下だな」

駒を幾つか並べ始める会長。

会長が順番に説明していく。

「関羽は名将だ。 若い頃から劉備と共にあり、各地で血を吐くような戦いを続け、その戦歴は曹操軍の名将達に全く劣らなかった。 経歴は色々謎が多く、恐らく偽名だろうとも言われているが、まあそれはいい。 関羽は勝ち得た。 そしてもし関羽が勝っていた場合、曹操と劉備、孫権の勢力は拮抗した可能性がある」

地図を動かす会長。

関羽が当時曹操の本拠地であった許昌辺りまで制圧した図だ。

この図を見ると、長安が陥落し。涼州も劉備の手に落ちている。

また徐州の南部まで、孫権が進出している。

これでようやく互角か。

まあ、それもそうだろう。

そもそも当時は完全に安全地帯だった黄河の北は、膨大な生産能力を有しており、此処から曹操は無尽蔵の戦力を前線に送り出すことが出来たのである。それまでは兵糧の心配もあったのだが。河北の生産力はそれも過去の話へと変えた。

「勢力が拮抗すれば、後は戦い方次第で幾らでも状況が変わる。 この後寿命で曹操が死ぬ。 後継の曹丕は政治家としては非常に優秀だが、孫権同様軍略家としては三流以下の人間だった。 劉備も正直な話寿命が心配だが……」

「ええと、此処まで上手く行きます?」

「条件が幾つもある」

駒を並べる会長。

まず、劉備が関羽と連携を取り、漢中から長安を攻める。

この時劉備の麾下にはあの馬超がいて。

馬超は涼州に絶大な影響力を持っていた。

別働隊として馬超が涼州に出ていれば、涼州は一気に劉備の麾下に入った可能性も高い。

もっとも馬超は史実では非常にえげつない野心家だ。

旧領土を取り戻した途端、劉備に反旗を翻した可能性もあるが。

それはそれだ。

今は考えない方向で行く。

続けて第二の条件は、言う間でも無く孫権だ。

孫権が血迷って関羽の背後を襲うという暴挙に出なければ、三国の勢力は拮抗していた可能性がある。

呉は長期的に見れば、戦力差から言っても押し潰されるしかなかった国家だ。

此処でやる事は、目先の利益に食いつく事では無い。

関羽と一緒に徐晃を攻める。

或いは「あの」張遼が守りについている合肥を避けて徐州を攻める。

徐州に関しては、孫策の時代に攻撃を仕掛けて、コテンパンに負けたという過去があるので、攻めにくかったのかも知れないが。

その辺りは混乱に乗じて今度こそ攻める他無かっただろう。

馬鹿の一つ覚えに孫権は以降合肥に攻めこんでは叩き潰されて逃げ帰ることを繰り返すのだが。

荊州の一部を目先の利益に釣られてむしり取っていなければ。

後々こんな無様を晒すことは無かっただろう。

幾つかの条件が揃えば、劉備は更に勢力を拡大。

呉も多少は勢力を拡大し。

一気に三国の勢力は拮抗した可能性がある。

そうなれば、先は分からないと会長は言う。

「曹丕は政治家としては優れていたが、軍略家としては駄目だ。 それに何より、曹丕も寿命が短かった。 これに対して、劉備の麾下では、諸葛亮がもうこの時期には頭角を現していた。 関羽の敗死から続く夷陵の戦いで、劉備が盛大に人材を消耗していなければ、充分に勝ち目はある」

「歴史のifですね」

「そうだ。 そしてはっきり言って、袁紹が勝っていたifよりも、このifの方が恐らく未来の展望が明るい」

だが、その先に。

会長は駒を動かしはしなかった。

この時点で、相当にifが嵩んでいるからである。

先に言っていたように、馬超が独立するかも知れない。その場合、馬超に手を焼かされる事になるのは劉備だ。

許昌に対して、曹操が河北の総力を挙げて逆襲に出るかも知れない。

関羽だけでそれを守りきれるだろうか。

曹操の寿命は近付いていた。

だが関羽も、戦死したから寿命がどれくらいかは分からないが。戦死した時既に六十過ぎ。

関羽の後継の人材がいたかは甚だ疑問である。

いたとしたら張飛だろうが、張飛は部下に人材がおらず、許昌を守って上手く行ったかは分からない。

そして何よりだ。

曹操は人材を大変に積極的に集めた。

もしも勢力が三国で拮抗することがあっても。

総合的な人材の質で言えば、やはり曹操が一枚上手である。

この状況から曹操に勝つのは。

やはりまだ難しい、といえるのだろう。

「それじゃあ、仮にですよ」

「うん?」

「晋にならず、魏がそのまま天下統一したらどうなります?」

「……そうだな」

会長が考え始める。

そして、駒を一気に動かした。

もしそれを考えるなら、司馬一族を排除しなければならない。

曹操の時代には、司馬一族は権力にそれほど食い込んでいなかった。

更に晋で「武帝」にされている司馬仲達は、別にこの時点では軍の最高権力者でもなんでもなかった。

曹操が何らかの理由で、司馬一族を誅殺していた場合。

歴史はどう動いたか。

ふむと、会長は唸る。

盤面を一気に動かした。

これは諸葛亮が北伐を開始する辺りか。

歴史はこの辺りまで動かすとして。

曹丕が魏を作り。

劉備が対抗して漢を復興させている。蜀というのは後に伝わった名で、実際には漢という国号を使っていた可能性が極めて高いのだ。

この辺りはだいたい同じ。

そして魏の人材は豊富で厚い。

はっきりいって、司馬仲達なんかいてもいなくても同じである。

他の司馬一族に至っては、それこそ植木に集る害虫と同じ。

いない方が魏にとっては良かっただろう。

北伐を防げるか。

三国志のマニアの間では、諸葛亮の第一次北伐は成功する可能性があった、等という論があるようだが。

会長は無理と、一刀両断した。

「そもそも戦力差がありすぎる。 それに諸葛亮の北伐を退けたのは、仲達ではない」

「確か張コウですよね」

「そうだ。 この頃には、昔劉備に叩きのめされ黄忠に遊ばれていた時とは別物の、魏の柱石になっていた人物だ。 確かに馬謖が諸葛亮の指示通りに動かなかったという大きな失敗はあったが。 それでも結局北伐は上手く行かなかっただろう。 仮に長安を制圧出来たとしても、長期間の維持は出来なかっただろうな」

「なるほど」

別に仲達なんかいらないと、会長は断言する。

実際、その後も諸葛亮の北伐を防ぎ続けたのは曹真である。

仲達が諸葛亮を防ぎ続けたかのように三国志演義では書かれているが違う。

そして仮に北伐が上手く行っても、伸びきった補給線、国力の圧倒的な差から言っても。

蜀が魏を打倒するのは不可能だと、会長は言い切った。

そうなると、後は如何に穏当に魏が勝つか、だが。

問題は此処で、河という強力な守りが出てくる事である。

具体的には長江だが。

この長江が、巨大な城となって。決して戦上手ではない孫権を守ったのだ。

魏は呉と何度か戦っているが、いずれも水軍絡みで負けている。

そして残念ながら、軍事に明るい君主が登場するには、曹丕の子である曹叡の出現を待たなければならなかった。

「諸葛亮が長安を落とすのは無理だろう。 諸葛亮の実力は、当時の魏の将軍の誰よりも上だと断言できる。 だがその一方で、国力差をひっくり返す程の実力差があった訳では無いとも断言できる」

「魏が諸葛亮を打倒するのも無理ですか」

「無理だ。 諸葛亮が最も得意なのは内政で、国力を瞬く間に回復させる事を何度もやっている。 軍略に関しても一部の有識者が言うような無能では無く、当時最高峰の司令官の一人だ。 漢中に何度攻めこんでも、屍をさらすだけだろうな」

ならば、どうすればいいのか。

会長は少し考え込んでから、言う。

「曹丕が呉への攻撃を控える」

「え」

「どうせ諸葛亮は漢中から出てくるしか無い。 其方方面の守りは曹真で大丈夫だろうから、兵だけ送って放置。 むしろ、主力級の武将を荊州方面に送り、水軍の訓練を徹底的にさせる」

仮に、そんな事が出来るとしたら誰だろう。

私は小首をかしげたけれど。

会長はだからifだという。

とはいっても、そのifには、あの戦下手の曹丕を抑える事が出来る人材が必要になってくる。

そんなのがいるとは、私には思えなかった。

そして呉には陸遜、その子である陸抗がいる。

どちらも守戦に関しては名将で、正直な話此奴らがいる限り呉を落とすのは難しいようにも思えるが。

会長は、ずっと図面を見つめて考え続ける。

司馬一族を排除した場合のif。

それでも、なおも三国志の時代を早期決着できるかは、厳しいようだった。

 

3、意外な一手

 

中間試験が始まった。

まあ普段から勉強はしているので、それほど難しくは無い。さくさくと終わらせて終了だ。

家では相変わらず両親が喧嘩している。

テストの結果について聞かれたが、そこそこの成績だった事を答えると。もっと成績を上げろと怒鳴られた。

まあ何も考えていないのは分かっているので、無視。

自室に戻る。

会長はあれから、ずっと司馬一族をまとめて排除した場合のifについて考えているようだった。

確かにそのまま順当に行けば、魏は勝つ。

これについては確定だろう。

国力差がありすぎる。

そもそも、晋になってから、かなり大きな反乱が頻発したように。

司馬一族による無理な政権奪取には、反発する人間も多かったのである。

それで蜀も呉も好機と攻勢に出たが。

いずれも跳ね返された。

別に司馬一族が優秀だったわけでも何でも無い。

国力差がありすぎた。

それだけの話だ。

つまるところ。

三国志の時代に、司馬一族はいらない。

晋の時代にも八王の乱を引き起こして中華そのものをクラッシュさせ。

挙げ句の果てに東晋の時代にも問題行動ばかりを引き起こしていた連中である。

根こそぎ排除してしまうのは、一番いい手に思えるけれど。

逆に言うと、あんないてもいなくてもいない連中。

排除した所で、別に大きく戦局が代わることはないのである。

更に言えば、そんなどうでもいい連中が政権を握っても、魏、更には後継国家である晋が勝てるくらいの戦力差があったという事である。

試験が終わった後、ぼんやりする。

国立大学に行くべきか。

まだ私は悩んでいる。

会長のつくる会社に行けば、それなりのポストは貰える。

その代わり、今とは比較にならない程厳しくしごかれるだろうとも思う。

会長はあれでかなり自分にも厳しい。

集中力も凄まじい。

プログラムやっている時は、あまりにも集中しすぎて、爆音で街宣カーが近くを通っても無反応だし。

一旦考え始めると、揺らしても一切反応しない。

私にも、会社に入れば相応の成果を求めてくるだろうし。

成果を出せるように徹底的に鍛えても来るだろう。

それを考えると、私としては正直バラ色の未来には思えない。

だが、今のまま、国立に行って実家を継ぐのは、更にあり得ない。

それだけは、絶対に選んではいけない未来だった。

ため息をつくと、ベッドに転がる。

会長はまたなんか大きな仕事を受けているとかで、今度は二千万くらいの稼ぎが出そうだと喜んでいた。

卒業までに一億貯めるとか言っていたが。

本当に実行できそうである。

勿論税金関係もぬかりなくやっているらしい。

まあハイスペックで羨ましいが。

それはそれ。

そんな人でも、三国志の時代をどうにかするのは難しいと言う事か。

あくびを一つ。

私が思うに。

もっと早い段階から、どうにかするべきだったのでは無いかなと思う。

例えば、官都の戦いが起きる前に曹操がもっと勢力を拡げていたら。

或いは黄祖との戦いで、孫堅だけではなく、孫家が全滅していたら。

そういうifがあれば、統一はもっと早まったかも知れない。

会長が言っていたのだが。

実際には呉は、土着の豪族による寄り合い所帯の傾向が強く。孫権はあまり権力を強く行使できなかった側面もあると言う。

そのため跡継ぎ関連の大問題である二宮事件を引き起こしたし。

何より国を陸遜に実際には牛耳られてもいた。

陸遜がたまたま佞臣でなかったから良かったが。

もしも陸遜が、後の時代の黄晧のような佞臣だったら。

呉は早々にクラッシュしていた可能性が高いし。

そもそも、人材を無能にしてしまうのは歴史のifには反するか。

はあとため息をつく。

良い所までいっているとは思うのだ。

何か面白い展開になる可能性はないのか。

例えば、董卓に曹操が破れたとき、戦死していたら。

董卓の武将徐栄に曹操が破れた時には、相当に派手に負けたという。

もしこの段階で曹操が死んでいたら。

後の歴史は、それこそどうなったかまったく分からないだろう。

董卓が勝ち残ると言う事はおそらく無かった。

董卓は自滅に近かったからだ。

だが、袁紹が圧倒的な勢いで中原にまず進出して。寿命までに天下統一を。

いや、厳しいか。

中原の制圧は出来たかも知れないが、袁紹の能力は明らかに曹操に劣るし、加齢した時の判断力低下も酷い。

それに後継者争いが更に加速する事は確定である。

袁紹には無理だ。

では、袁紹が逆に何かしらの理由で死んでいたら。

袁紹は公孫サンと相当な激戦を繰り返しており、その時にもしも死んでいたら。

ちょっとこれは、面白いifかもしれない。

曹操が袁紹の陣営から独立するのがかなり早くなる。

公孫サンは戦争こそ上手いが、正直それ以外には良いところがない人物で。

特に人材に関しては極めて無頓着だったことが、様々な資料から裏付けられている。

本人が如何に強くても、物量で押してくる袁紹に勝てなかったのはそれが理由である。

ふむと考える。

むしろ、これの方が正解ではないのだろうか。

小さくあくびをすると、寝る事にする。

明日は会長も部室にいるだろう。

ちょっと話してみるか。

早い段階で、歴史が動いたら。

司馬一族のような害虫が歴史に入り込む事も無く。

また、後の五胡十六国時代のような、地獄が引き起こされる事もなかったかも知れない。

 

「袁紹が戦死する場合?」

後輩は今日も来ていない。

会長は、私がそれを指摘すると、ちょっと面白そうに小首をかしげた。

そして、地図をささっと動かす。

すぐに、袁紹が戦死して、河北が混乱状態のままの地図が出来た。

この辺りは流石だ。

頭の中で、すぐにシミュレーションできるのだろう。

オツムの出来が違うと羨ましいなあと、私は茶を淹れながら思う。

茶を淹れるのにも色々コツがあるのだが。

私はどうしても会長が言う通り、ある程度以上上達しない。

今回も、茶に砂糖をどばどば入れながら、会長は特に茶の味については何も言わなかった。

「ついでに、黄祖に破れた孫堅と一緒に、孫策も戦死させてしまいましょうよ」

「……そうだな。 それくらい孫堅の敗死は壊滅的だった」

元々孫堅は、袁術の子分その一くらいの立場だった人物だが。

孫堅の敗死以降、その一族は袁術に養われて、随分と辛い思いをした様子である。

また、孫堅の配下には。袁術の麾下に移って、そのまま後々に戦死してしまった者もいたようだ。

それだけ打撃が大きい負け戦だったのである。

孫策が戦死していても、何もおかしくなかっただろう。

「袁紹が公孫サンとの戦闘で横死。 ついでに孫策も死ぬ、か。 そうなると、こんな感じになるな」

更に図を動かす会長。

荊州の劉表が、圧倒的な盤石勢力となって割拠。

江東は何が何やらのゴミのような勢力が右往左往し。

そして曹操が、かなり早い段階から河北に進出している。

袁紹が死んだ後、若年の後継者達の争いを利用して、冀州を早々に奪取。

劉備もこれには抵抗できず、かなり早い段階から曹操の麾下に加わざるを得なくなっている。

これなら、どうだろう。

会長はぼやく。

「孫策が戦死していた可能性は普通にある。 袁術の子分程度の存在だった孫堅が死に、更にその一族が袁術の食客にまで落ちぶれた負け戦だ。 孫堅は歴戦を重ねた武将だったが、黄祖はその上を行っていた。 一歩間違えれば、普通に孫策が死んでいた可能性はあったし、孫権だけだったら江東の統一などとても無理だっただろう。 孫策にしても、そもそも実は格上の相手には一度でも勝てた試しが無い」

「そうでしょうね」

「袁紹の戦死は、まあ可能性はあるにはある」

だが、と、腕組みした会長はいう。

この状況は、流石にifを積み過ぎていると。

だが頭も掻く。

これくらいのifがあれば、と思ったのだろう。

それに関羽の北伐が上手く行くにも、同じくらいのifが重なる必要がある。

それを考えれば。

現実的な条件を重ねたこの話なら。

まだあるかも知れない。

中華を曹操が統一していれば、少なくとも司馬一族如きに好き勝手はさせなかっただろうし。

その後に来る五胡十六国時代も防げていた可能性が高い。

曹丕の寿命が短い事が少し懸念事項ではあるのだが。

その後には、曹叡が控えている。

三代目としては有能すぎるほどの指導者だ。

曹叡がしっかり地固めさえしておけば。

確かに魏は、三百年くらいの平和の時代を甘受できる可能性はある。

曹叡は晩年、無駄な建設事業で国力を疲弊させたとされているが。

それは諸葛亮という難敵が死んだ事で油断し気が抜けたからか。或いは、後の晋王朝を立てるために悪く書かれている可能性が高い。

史書とはそういうものだ。

祖父ほどではないにしても、内政も戦闘も出来た曹叡は三代目としては充分過ぎる人材である。

早期の統一が為されていれば。

大いに名君としての名を残した可能性が高いのである。

「この図だと、200年頃には恐らく曹操は河北を制圧し、江東も制圧出来ている可能性が高いだろうな」

「其所までいけますか?」

「理想的な図だからだ。 問題は荊州と益州だが……」

荊州に関しては、劉表がくせ者だ。

劉表は生前、孫策も孫権も全く寄せ付けなかった。

呉書では毎回負けていたように書かれているが、実際には領土を全く削られていなかった事からも嘘八百である事は明白である。

曹操も、劉表が死ぬまでは荊州には手を出せないか。

また、手を出しても疫病にやられる可能性もある。

難しい。

益州に関しても厄介だ。

北から攻める場合、当時最悪の無法地帯だった涼州をどうにかしなければならないし。山だらけの堅固な要害漢中をどうにか抜かなければならない。漢中から更に益州に攻めこむのは大変だ。

劉備の前に益州にいた劉璋は、無能無能と言われているが、実際にはあの劉備の攻撃にかなりの時間耐えている。

それだけ益州が堅固だという事でもあり。

曹操の寿命がかなり心配ではある。

「曹操の寿命は西暦220だ。 それを考えると、200年前後に河北を制圧していた場合、恐らく数年後には荊州に攻撃を掛けることが出来ていただろう」

「数年も準備期間がいりますか?」

「劉表の守りは鉄壁だった。 劉表が生きている間は、荊州は小揺るぎもせず、知識人が多数移籍していたほどだ。 後の時代に荊州を奪い合う事態になったのも、劉表がしっかり内政をして国力を上げていたからだ」

「……」

そういえば。

呉が異常に荊州を欲しがったのも。他の領土全部併せたよりも、荊州の方が国力が上だったからだ。

とはいっても荊州はまだまだこの当時はそれほどまでに豊かだった訳では無く。

河北を抑えていた曹操に圧倒的な優位があったのだが。

「私が曹操の立場だったら、兵力を揃えて威圧するな。 そして戦わずして降伏に追い込むだろう。 劉表の子孫や家臣が演義では殺されている一方、史実ではそこそこ出世していることを考えると、劉表政権を丸ごと取り込めれば非常に大きい」

「後は益州ですが」

「ここまでくれば、後は使者を飛ばすだけだ。 戦力差は恐らく一対七から八くらいにはなっている」

幾ら要害の地でも。

曹操が健在な状態で、更に益州以外の中華が全て曹操の手に落ちているとなると。

あまり英明とは言えなかった劉璋では、とても抵抗の意思はもてなかっただろう。

仮に戦いになっても、まだ曹操の寿命が尽きるまで十年以上はある。

「統一は早ければ208年前後と見て良い。 ついでに当時は中華の支配下にあった交州も手に入るだろう」

「赤壁の戦いの年ですね」

「その赤壁の戦いそのものが怪しいが、まあそうなる」

「統一が七十年早まった」

頷く会長。

もしも七十年、不毛な消耗戦を避けていれば、中華が破滅的な五胡十六国時代になる事はなかっただろう。

人材はいればいるほどいい。

だが司馬一族みたいな害虫は存在しない方が良いし。

何人かの面倒な群雄は、いない方が統一が早まった、というのもまた事実だったのかも知れない。

私にはその辺りはちょっと何とも言えない。

勿論これはIfだ。

ただ会長が言う事も分かる。

孫策が奇跡的に江東に進出し。

混乱していた江東の豪族達から歓迎され。

結果として、江東に孫家の政権が飾りとは言え作られたことを考えると。

それが無かった場合、江東は恐らく多数の豪族が揉めている状態が続いただろう。

袁術が進出した可能性もあるが。

残念ながら袁術では、とてもではないが統治する事は出来なかった。

それを考えると、曹操が来れば江東の豪族はなびいただろう。

なにしろ、赤壁の戦いは起きたかどうかは分からないが。

曹操が南下の姿勢を見せた途端。

江東の豪族は割れたのだ。

孫権の麾下でも一二を争う実力者だった張昭ですら、降伏に傾いたという話であったのだから。

もしも孫一族が江東に進出していなければ。

曹操が来ると言うだけで、雪崩を打って雑多な勢力は降伏しただろう事は想像に難くない。

腕組みしてしまう。

そうなれば、たくさんの人が死なずに済んでいた。

何より。三百年の地獄の動乱が来る事もなかった。

ハッピーエンドだ。

諸葛亮は或いは曹操の麾下として辣腕を振るい。劉備とは接点が生じなかったかも知れない。

それもまた不可思議な話だが。

確かにこれはある。

だが、会長は腕組みをしている。

もっとスマートな手があるのでは無いか。

そう思っているのだろうか。

「まだ満足出来ませんか?」

「……元々、これらの混乱は後漢末の混乱が原因だ。 誰か一人か二人、まともな皇帝が出ていればと思ってな」

「霊帝はそれなりに改革を志したようですが」

「遅すぎる」

「さいですか」

無能皇帝として宦官に好きかってされたイメージのある霊帝だが。

力を無くしていた官軍を立て直すために、精鋭を組織している。

曹操や袁紹などもこの精鋭に組み込まれているが。

残念ながら、このいわゆる西園八校尉は、まともに機能しなかったようである。

会長が言う通り、あらゆる意味で遅すぎたのだ。

一度漢が滅び。

後漢として立て直した光武帝の後。

後漢はずっと腐敗した政治が続いた。

その結果の総決算が宦官と外戚による泥沼の争いであり。

それに嫌気が差した者達による離反であり。

更には黄巾の乱である。

黄巾の乱が発生した時点で、既に詰んでいたとも言え。

その膿出しには、最低でも数十年がかかる事は確定だというわけだ。

会長は駒をたくさん並べていたが。

やがてため息をついた。

「駄目だな。 やはりどうしても大きなIfを幾つも組み込まない限り、状況を打開する事は出来ない」

「せめて晋王朝による天下統一だけでも防げませんか」

「それだったら簡単だ。 曹操の時代に司馬一族を処分すれば良い」

「……はあ」

まあ、身も蓋も無いが。

そうなるだろうな。

私から見ても、あの連中は国家に巣くう害虫でしかない。

仲達だけはかろうじて一線級の能力があったが、その息子達はどうひいき目に見ても二線級でしかなく。

更にその一族に至っては、完全に害悪でしかない連中だ。

私も多分、今の実家においてはそうなんだろうなと思う。

会長は、多分これだけ出来れば、戦国時代だろうが何だろうがやっていけたのだと思うけれど。

私は違う。

私は多少小賢しいだけくらいだし。

とてもではないけれど、こんな風に緻密に長期戦略を練ることは出来ない。

会長は地図を片付け始める。

ああ、これは飽きたなと判断。

もうこれ以上は考えても無駄だと思ったのだろう。

晋王朝は、結局の所呉が自滅したから天下を統一出来たに過ぎず。

別に魏に比べて優れていたわけでも何でも無い。

そして、逆に言えば。

それだけ全ての地域で全ての国家が疲弊しきっていた訳で。

結局統一が十年くらい早まっても、周辺の騎馬民族に蹂躙される未来は避けられなかっただろう。

ましてやあの司馬一族が実権を握っていた状態では、文字通りどうにもならなかっただろうし。

私としては、お手上げだとしか言えない。

私が出した案にしても、かなりの幸運が曹操に重ならないと実現しないし。

何より曹操だって、晩年は衰えているのだ。

あの曹操が、後継者問題で苦悩するなんて。

若い頃の曹操の活躍を見た人間からすれば、考えられない話だろう。

まあ、跡継ぎ候補の曹丕も曹植も大差が無かったから、というのが実情なのだけれども。

それにしても、曹操がそんな事で悩むなんて。

加齢による能力の衰えの残酷さを思い知らされてしまう。

「会長、もう三国心の考察はやめるんですか?」

「いや、ちょっと考えを根本的に変えてみる」

「はい?」

「例えば、董卓が出なかった場合」

董卓は、涼州の顔役だが。

この涼州は、元から騎馬民族との争いがずっと続いている地域で。

董卓も騎馬民族の血が入っている人間である。

そして血みどろの争いにずっと身を置いていた者だ。

実の所馬超も似たようなものであり。

考え方が根本的に漢民族とは異なっている。

故に漢民族から見ると狂人としか思えないような行動をしているわけで。

血で血を洗う争いの中に生きていた者だからこそ。

色々と何もかもが違ったのだ。

「董卓が身内の争いで戦死していた場合」

「その場合、涼州が致命的な事になりませんか?」

「元々なっている。 どうせ馬騰や韓遂が割拠しただけだ」

ちなみに演義では漢王朝の忠臣みたいに書かれている馬騰だが。

実際には殆ど董卓と同じ穴の狢である。

漢王朝に対して反乱を何度も起こし。

その度に鎮圧されている。

董卓が死のうが死ぬまいが、状況は大して変わらないと会長は言い切った。

まあそうかも知れない。

「何進が宦官と共倒れになった時が好機だ。 もしも、その時に曹操が上手に状況を操って、一気に漢王朝の中枢を抑えていたら」

「その場合は、董卓の代わりに曹操が来るだけになりませんか?」

「董卓と曹操では器量が違う……地盤もある」

曹操は大宦官の孫だ。

宦官は子孫を作れないから、優秀な養子を取ることが多く。

それが曹操の父だった。

つまり強力な地盤があるにはあった。

上手くそれを利用して立ち回っていたら。

腕組みする会長。

しかしながら、やはり反発は必至だという。

「袁紹や袁術が黙っていない。 それにもう、漢王朝の中枢には力がそれほど残されていない」

「曹操でも厳しいと」

「厳しい」

「……」

じゃあ、結局駄目じゃ無いか。

やはり、もっと早い段階からどうにかしないと駄目だったのだろう。

そもそも黄巾の乱だって、宦官が後方から支援していた、という現実がある。そうでなければ、こうも乱が拡大しなかった。

儒教ではない新しい価値観を欲して、堂々と権力を握りたかった宦官にとって、新しい価値観は喉から手が出るほどほしいものだったのだ。

なおもう少し待てば仏教が入ってきたのだが。

それも宦官にどうせ利用されていただろう可能性が高い。

つまり、詰んでいると言う事だ。

「はあ。 私はただ、司馬炎による統一という最悪を避けたいだけなんだけれどな」

「正確には五胡十六国時代を避けたいのでは」

「まあそうだが、それは晋による天下統一を避けるのと同義だ」

「せめてもう少し、Ifがあれば」

会長は地図も駒もしまいながらぼやく。

もう頭の中には全部入っているんだろうし。

今更なのだろう。

「もう一度同じ歴史を繰り返したら、Ifなんて幾らでも起きる。 曹操が早い段階で戦死していたかも知れないし、袁紹の勢力拡大がもっと凄まじかったかも知れない。 史実よりに進んでも、官都の戦いで曹操が勝てる確率は低いし、曹操が焦らなければ荊州を完全制圧して、疫病で撤退する事も無く曹丕に更に盤石な状態で国を引き継げたかも知れない」

「三国志のゲームみたいですね」

「そうだな」

てきぱきと片付けてしまった会長は。

頬杖をついて、もう殆ど興味を無くしてしまったように呟く。

三国志のゲームでも、いろんなifシナリオが出ているようだけれども。

やはり曹操が早期に天下統一を果たしてしまうようなものもあるようだ。

だが、それはむしろ現実より遙かにマシなifだと思う。

目を覆うばかりの悲惨な状態になった五胡十六国の時代を思うと。

曹操がさっと天下を統一して。

その後に安定政権を作っていれば。

後の歴史は大きく変わっていただろう。

そうとしか言えないのだ。

会長がノートPCを出す。

これはもう飽きたな。

前はメソポタミアの話をしていたし。

その前はアレキサンドロス大王の話をしていた。

いずれもどんなifが絡んでくるかで、歴史は大きく変わってきたが。

それでもやはり、ifはifに過ぎない。

会長が時間を巻き戻す能力があって。

歴史を変えられるのなら。

どう変えるのだろう。

ちょっとだけ興味があるけれど。

それこそif中のifだ。

あり得なさすぎる話である。

会長がプログラミングを始める。

私が茶を淹れると。

打鍵しながら、器用に砂糖やらを用意しはじめた。手際が良すぎて、もう人間業ではない。

興味を持って、聞いてみる。

「会長、次は何を考えるんですか?」

「いんや、もうやめた」

「え?」

「どうしたって歴史のifはifだ。 近年の歴史だって、ifが介在する余地はいくらでもあったのに、結局世の中はこんなになっている。 それを考えると、もうifで遊ぶのも馬鹿馬鹿しくなってな。 最悪の時代が三国志の後に来たのは事実で、それ以外にどうしようもない」

随分会長にしては投げ槍だなあと思ったけれど。

まあこれは仕方が無い。

会長はずっと色々この話に取り組んできていて。

それで無理だと判断したのである。

だったらやむを得ないだろうこの結論も。

私は茶を淹れて。

会長は打鍵しながら、それを器用に飲んだ。

「そういや志野」

「はい」

「お前、国立の何だか言う大学行くんだろ。 大学出たら雇ってやるよ。 大学だけは行っとけ」

「おやどうして」

会長が資料を出してくる。

何でも近年は大学にとても簡単に入れるようになっているらしくて。

私もそこまで苦労しないだろう、と言う事だった。

それよりも大事な事があると言う。

「その大学、官僚やらの出来損ないの子供らが行く大学だ。 カス共の現状をしっかり見てくるといい」

「えっ……」

「近年トップ大学出身の官僚とかが不祥事ばっかり起こしてるだろ。 大学のブランドが低下しているんだよ。 それでその大学が目をつけられたしくてな。 上手く行けば巻き返しが出来るかもしれないって、出来損ないの官僚の子息どもがこぞって入学して、学閥を作ろうとしているらしい。 親の指示でな」

「どこからそんな話聞いてきたんですか」

呆れる私だが。

会長は打鍵しながら、そのまま答えてくる。

「この手の馬鹿は、そういうサロンを作って話をしているもんなんだよ。 良くフェミだのリベラルだの反ワクチンだのが、同調圧力で広まっていくだろ。 それと同じだ。 昔は井戸端会議で同調圧力が生じていたが、今はSNSが取って代わった。 そういうのを探し出すのはそれほど難しく無い。 連中は本当に脳みそが腐ってるからな。 自分が見られてるって自覚もないんだよ」

痛烈な会長の言葉だが。

一応金持ちの名家である筈の両親の様子を見る限り。

私も反論は出来なかった。

いずれにしても、意見は聞いておく事にする。

両親を表向き喜ばせてやれば。

一応家もある程度は静かになるだろう。

それでいいとも思うし。

まあ、確かに有用なアドバイスだ。

それに。

腐りきったこの国のいわゆる「上級国民」の現実を見ておくのも良いだろう。

その後で、会長の会社に入るのも良い。

「分かりました。 前向きに検討しておきます」

「んー。 大学出た後、また連絡を取るよ。 その時には色よい返事を頼む」

「分かっています」

タン、と大きな音を立てて、会長がエンターキーを打った。

どうやら作業が終わったらしい。

私は会長も忙しそうだなと思いながら。

飲み干した茶を、片付けていた。

 

4、その後のお話

 

大学を出た後。

私は会長の作った会社に就職した。

人員は五名ほどだが。

会長が中心になって、精鋭を集めた企業である。人員が五百名を超える企業よりも遙かに稼いでいる。

とはいってもその稼ぎは会長が殆どたたき出していて。

残りの四人は支援要因だが。

父母の所からは出て来た。

最初、父母が言う大学に行くことを話したら、涙を流して喜んでいたが。

大学に通っている間に父はボケ。

母は毎日愚痴しか言わないようになったので。

もううんざりして家を出たのだ。

今では母が会社を経営しているらしいが。

上手く行くはずも無く。

この間も匿名掲示板で、名指しでブラック企業として上げられていた。

まあそうだろうなと私は思う。

母は悪い意味で頭が古い人間だったし。

絞り取るだけ絞り取れとか、本気で口にするような存在だった。

そんな事を口にする奴が。

まともな経営をできる訳も無い。

ましてや私が家を出て行ってから、相当に荒れているらしく。

離職者を多発させているらしい。

この間ハローワークをちらっとみたが。

母の会社は求人募集の常連企業となっていた。

要するにそれだけ離職が日常的になっていて。

毎日応募しても追いつかないという事である。

一人雇用するのに二百万かかると言う話がある。

それだけ無駄に金を放り出しているわけで。

まあこれは、会長の言葉は正しかったなと言う他無い。

母の会社は、多分近い内に潰れるだろう。

なお、既に相続放棄の手続きは済ませてある。

倒産に巻き込まれたらたまったものではないからだ。

会長が呼んでいるので、出向く。

小さなオフィスだから、電話もいらない。

本物の会長になった会長は言う。

「お前の母親の会社な、いよいよヤバイ」

「知ってます」

「そこで、うちで乗っ取る」

「え」

会長が、株のチャートを見せてくる。

どうやら大手株主が会社を見捨てたらしく。一気に株価が下がっていた。

それを、会長が根こそぎ買い取ったらしい。

「これで会社の株の51パーセントを取得した。 名義は三分割しているがな。 実質上の乗っ取り成功だ」

「鮮やかですね」

「そうともよ。 それで、人員を整理した後、錯乱した「おかあさま」には隠居して貰おう」

これで一気に会社の規模を大きく出来る。

会長はけたけたと、悪い顔で笑っていた。

私としては苦笑いするしかない。

ただ、母の会社は古い会社だ。

有用な特許とか、色々持っている。

なお中華系の資本がもう少しで乗っ取る寸前だったらしいのだが。

会長がそれを阻止したそうだ。

文字通りタッチの差だったらしいが。

会長は立ち上がる。

この人は文字通りのスペシャルだ。

そして血縁だけでもう他人に等しい両親よりも。

こっちについていく方が遙かに良い。

恩知らずと言われるかも知れないが。

悪いけれど、元々権力闘争の道具として「帝王教育」とやらを押しつけられた記憶はあっても。

恩なんて受けた記憶は無い。

だからこれでいい。

血縁なんて何の意味もない。

実際問題、八王の乱を調べてから、それは強く想うようになった。

家族の絆なんてのは大嘘だ。

親兄弟で殺し合うのが人間の普通。

後で歴史を調べれば調べるほど、その考えは強くなった。

さて、会社の乗っ取りに手を貸すか。

人員五名でも稼げていた会社だ。会長が主導して回せば更に稼ぐ事が出来るだろう。

私は勝ち組につく。

そして、この勝ち組はまだ若く。

ガタガタになっている既得権益にも与していない。

私は少しでも。

可能性がある方に賭けたい。

それだけだった。

 

                                (終)