打ち砕く二つの槌
序、風の邪神王
俗に四大と呼ばれる四つの要素がある。
地水火風。いにしえの時代から、世界を構成する存在だと信じられてきたものだ。科学が発展すると同時に否定されたが、魔術的にはむしろ根本的な原理として、東洋の五行と並んで重視されるようになっていった。
いつからだろうか。
異星の邪神の中でも、特に強大な四体に、この属性が割り振られるようになった。
水のクトゥルフ。土のニャルラトホテプ。風のハスター。火のクトゥグア。そして今、そのうち二つが致命傷なり大打撃を受けて、存在を隠すに至っている。
今までの時代においても、これらの強力な異星の邪神を破った例はあった。だが、二体同時というのは、あまりにも大きな事態である。
このため、世界にも揺らぎが生じ始めていた。
目覚めた。
この星は、強者の坩堝。たとえ宇宙を股に掛けて暴れ回った彼らでも、必ずしも勝てるとは限らない者達がひしめく、恐怖の土地。
同時に、あまりにも美味なる狂気が蠢く場所でもある。
だから随分前に来て以来、この星に腰を据えている。そして、機会を読むべく、ずっと眠っていたのだが。少し前に妻が目覚めて、そして倒されたことを悟り。面倒くさいと思いながらも、起き出したのである。
妻は現象に近い存在で、それがしっかりした思考を持つ事は滅多になかった。
それをわざわざ神として固定し、葬った奴がいるだけで、目覚めるには充分な、興味をかき立てる事態であった。
しばらくぼんやりとしていた。
だが、せっかくだから食事をしようと思った。
心地よい寒冷の島で目を覚ましたそのもの。四大の風を司る邪神ハスターは、手始めにその島を丸ごと凍り付けにして、住んでいた人間をまとめてアイスキャンディーにした。抵抗できるほどの奴がいれば面白かったのだが、そんなものはおらず、ちょっと拍子抜けであったが。
いずれ現れるだろう。以前も少し暴れたら、すぐに危険な相手が現れた。撃退することが難しく、逃れて眠るのが精一杯な場合もあった。そんなスリルが今回も楽しめるのなら、素晴らしい事だ。
それはともかく、腹が減った。
そう思いながら、ハスターは周囲の様子を探ろうと、触手を伸ばす。
最初に接触してきたのは、人間では無かった。
触手を動かして、自分にとっての宮殿を作るハスター。闇の中、こつりこつりと音がする。人間のもののような足音だ。
だが、気配が違う。
「ハスター」
忌々しい声だ。
無数にある目を見開く。邪神の中でも特に巨大な体格を持つハスターは、そいつを複数の目でとらえ、せせら笑った。
「おや、ニャルラトホテプか」
「随分長いこと眠っていたな。 それで、どうして今頃起きてきた」
「妻のがんばりに応えようと思ってなあ。 だが、その妻を殺した奴がいるようではないか」
「最近噂の神殺し……といっても、お前は寝ていたのだな。 知るわけが無いか」
けたけたと、そいつ。ニャルラトホテプは笑った。
無数の姿を使い分ける、最も性格が悪いと言われる邪神。それが奴だ。狂気を喰らうだけでは無く、人間の破滅していく姿を見ることを、無二の喜びとしている。そのため積極的に無数の姿を使い分け、暗躍することをひたすらに好む。
その残虐性に関しては、人間並みだ。
「それにしても、神殺しだと?」
「まだ具体的には調査中だが、この間クトゥグアの奴の中核部分が潰されてな。 シュブ=ニグラスを倒したのもそいつらしい」
「この星の能力者は侮れんが、そんな奴まで現れたか。 ふむ……」
ハスターの存在は、恐らく邪神達の中でも最も耐久力に優れている。尋常な攻撃では、びくともしないだろう。
だが、それはクトゥグアに関しても、相当なものがあった。
一体何が起きた。何を持ってして、奴を倒したのか。
「それでは、私は一度戻る」
「またお遊びか」
「そうだ。 食事が出来るから、危険を冒してここにいるのだ。 それはお前も、同じだろう?」
けたけたと笑うと、ニャルラトホテプの分身は闇に消えた。
奴は信用できない。人間だけでは無く、同胞の邪神族まで手玉にとって遊んでいる節があるからだ。
ただし、それを差し引いても、今の情報は有用だった。確かにこの星の人間の能力者になら、そういう厄介な力の持ち主がいてもおかしくはない。
しばらく考えた後、ハスターは闇に潜む己の眷属を呼び出すことにした。
いきなり自分が戦うのでは無く、様子見をする。
まだ本調子ではないのだし、それが一番だ。
氷付けになった島から、二キロほど離れた地点に、国連軍の巡洋艦が停泊していた。あらゆる機器類を総動員して、新しく生じたフィールドの調査を実施している。青ざめている艦長は、まだ若い男だ。筋肉質で四角い、いかにも厳つい軍人らしい軍人だが、それでも恐怖は押し殺せていない。
「生存者はやはり絶望的です。 島の平均気温は、−140℃に達しています」
「-140℃か……」
「あの島には、340人ほどが生活していたのですが……」
「未曾有のフィールド災害だな。 クレイジーランド以来の損害か……」
しかも遊興施設では無く、実際に人間が暮らしていた生活圏が、一つ丸ごと消えたのである。
これは、Mに出て貰うしか無いだろう。
ここのところMは相当に多忙だった様子だが、どうにかして時間を空けて貰うしか無い。アトランティス攻略以来の大規模動員が必要になってくる可能性もある。これだけの異変、もしも異星の邪神が絡んでいるとしたら、とんでもない大物である事は疑いないからだ。
「フィールドの拡大は確認できるか」
「今の時点では、安定している様子です。 ただし、此方を見てください」
「何か」
調査員が、衛星写真を出してくる。
それによると、猛吹雪の中を、何かが跳び回っているのが分かった。人間大で、形はよく分からない。
或いは、邪神の眷属だろうか。
今はまだ判断するには早い。専門家による分析を待つしか無いだろう。
「一度距離を取る。 本部に連絡して、一刻も早く熟練のフィールド探索者の出馬を仰げ」
「分かりました」
これが、もしも人口密度の高い島で起きていたら、文字通りの大災害になる所だった。島に住んでいた三百人ほどには気の毒だが、この程度の損害ですんで、実は幸運だったのかも知れない。勿論、口に出してはいけないことだが。
とにかく、今は救助隊どころの話では無い。
生存者は絶望。一刻も早くフィールドの発生源を叩き潰し、全てはそれからだ。もしも生存者がいるとしても、現在の状況で救出するのは不可能だ。
旋回して、巡洋艦は撤退に掛かる。
追撃は掛からなかったが、最新鋭の巡洋艦が、まるでこそこそと逃げるかのようだと、艦長は思った。
屈辱に歯がみする艦長は、気付かない。
撤退に掛かってからも、妙に計器類が活発に動いていた、その事実に。
1、続かない平穏
アトランティスの自宅に帰宅して、わずか数日。
目が覚めたと思ったら、もうその手紙が来た。シュブ=ニグラス相手にブラスターを使った直後だから、全身がだるい。ぼんやりする頭で、手紙を読みながら、スペランカーはどうしたものだろうと思った。
人口三百人ほどの小さな島が、丸ごと滅んだという。
しかも全てが凍り付けになったとか言う事で、即座にフィールド認定。暮らしていた人達は絶望的だと言う事であった。
酷い話だ。
当然、出なければならないだろう。
少しはコットンと一緒にいてあげたいのだが、そうも行かない。いつも以上に体が重いが、ベットから這い出して、すぐに出かける準備をする。
着替えを済まして、部屋を出ると、思わず足を止めていた。
心配そうな顔をして、其処に川背がいたからだ。もっとも信頼出来る戦友であり、自分を慕ってくれる後輩である川背が、今回意識が無いスペランカーを此処まで運んでくれたのだ。
「先輩、すぐに出るつもりですか」
「うん。 こんな酷いことになっているなら、出ないと駄目だよ」
「分かっています。 しかし、今回はM氏が出るようです」
世界最強のフィールド探索者、M。彼は無数の能力を使いこなす圧倒的な実力者であり、並の邪神程度ならまとめて一ひねりにするほどである。今回は被害の規模から言って、彼だけでは無く、上位のフィールド探索者が何名も出馬することになるだろう。場所が、北米大陸に近いという事情もあって、恐らく出陣は迅速に行われること疑いない。
そう川背が言う。
何となく、言いたいことは分かった。スペランカーは頭が悪いが、人の気持ちを何となく感じ取ることは出来る。
「でも、出ないと駄目だよ」
「何故ですか」
「この間の件と、無縁だとは思えないから」
だとすれば、責任の一端は、スペランカーにもある。川背は髪の毛を掻き回すと、天井を仰いで嘆息した。
「そういう所が、先輩の好きな所なんですけど。 本音を言うと、少しは休んで欲しいです」
「大丈夫、これが終わったら、きっと休めるよ」
そんな保証など、どこにも無い。
スペランカーにも、それくらいは分かっていた。どうも世の中が、加速度的におかしくなりつつある今、誰にも未来など保証できないことくらいは。
それに、もう一つ。
どうも嫌な予感がするのだ。
「今のうちに、どうにかして未来を切り開かないと」
「え?」
「この間、ジョーさんに聞いたの。 未来、酷い有様だったって」
文字通りの地獄だったと、ジョーは言っていた。
宇宙にまでどうにか人類は進出することが出来た。だが、フィールド探索者に相当する存在はおらず、圧倒的な暴力で君臨する者に、世界は好きなようにされていた。
未来に残った男達が、世界を変えられたのかは分からない。
だが、大きな異変が起こったのは間違いない。世界中から、フィールド探索者が消えて無くなるほどの、だ。
「きっと、このまま世界が進むと、そんなことが再現される。 そうしたら、きっとコットンだって死んじゃうよ。 このアトランティスだって、無事だとは思えない」
スペランカーは、自分を受け入れてくれたこの小さな大陸が好きだ。自分を慕ってくれる人達には応えたいと思うし、居場所が無い人達を招きたいとも考えている。
きっと自分が母親にさえ存在を望まれず、飢餓地獄の中で生きてきたからだろう。
「先輩……」
「これは、多分私のエゴなんだと思う。 おかしな話だよね。 コットンに幸せになって欲しいから、却って孤独にしてるんだから」
「……っ」
声を詰まらせた川背が、顔を背ける。
「分かりました。 できる限り早く終わらせて、また此処に帰ってきましょう」
川背が、乱暴に涙をぬぐう。
自分のために泣いてくれるこの後輩が、スペランカーにはとても頼もしい相棒だった。
アトランティスを飛行機で発ち、オーストラリアを経由して北に。途中、戦闘機の護衛を受けながら、更に北上。J国にも給油のために一度寄ったが、それだけだ。J国は故国だが、今は家が別にある。
途中、空港で、国連軍からの中間報告をメールで何度か受けた。
「やはり、M氏が来るようですね」
「頼もしいよ」
「あの人と共闘するのは初めてです。 見かけ通りの荒々しい人だと聞きましたが」
「ううん、そうだね。 ティランノサウルスみたいな人かな」
ずばりその通りの指摘をすると、川背はくすくすと笑った。
実際、Mは雰囲気からして人間離れしている。圧倒的な戦闘力よりもまずその雰囲気に、圧倒されるものだ。
北米大陸に到着。まずはA国に入ったが、更に北上して、C国に。其処の小さな街にある軍ベースが、第一の集結地点となった。今回はほぼ間違いなく異星の邪神、それも相当に強力な存在である事は確実であることから、かなり距離を取って準備をするというのだ。
飛行機が基地に着陸。
外は真っ白で、何もかもが雪化粧されている。ひんやりと寒い空気が、飛行機を包み込んでいるのが分かった。
今乗っているのはセスナだが、それでも雪の深さが、翼の上から見通せないほどである。これは雪に埋もれたら、春まで出てこられないかも知れない。ちょっといやだなあと、スペランカーは思いながら、川背と一緒に提供された毛皮のコートを着込んだ。
タラップを降りながら、セスナを出る。
寒いと言うよりも、まず痛い。空気を思い切り吸い込むと、ロシアなどでは肺が凍るという話だが、嘘では無いと実感できる。
雪は降っていないのに、この寒さだ。吹雪になったときの体感温度の凄まじさは、想像も出来ない。
なれていない人間は、瞬く間に凍死してしまうのでは無いか。
「寒いね……」
「先輩、寒いの苦手ですか?」
「川背ちゃんは平気なの?」
「僕は修業時代、散々ひもじい思いをしましたから。 流石にこんなに寒いところで野宿はしたことありませんが」
まつげが凍るから、もっと毛皮のコートを深く被った方が良いとアドバイスされる。確かに、いくら最悪の場合がスペランカーには無いとは言っても、嫌な事態は出来るだけ避けたい。
軍のベースは色々見てきたが、今回のは急造では無く、ずっと前からあるものらしい。滑走路にはかっこいい戦闘機が何機も止まっているし、輸送用らしい幌がついたトラックもかなりの数を見かける。ミサイルを積んでいるらしい車も、彼方此方に止まっているのが見えた。
C国は北米大陸の国家としては、A国に次ぐ大きさを持ち、一応白人系の先進国として知られている。
だが流石に圧倒的な力を持つA国には対抗できず、国民は随分と反感を抱いているという話だ。
基地の中に入ると、流石に少し暖かい。それでも、毛皮のコートを脱ぎたくは無い。外の寒さが、却って際立ってしまうかのようだ。コンクリの建物だからか、外の音が、まるで吹雪のように聞こえて、思わず首をすくめた。
川背はと言うと、なれたもので、もうコートを脱いでいる。
普段は短パンで出歩くことが多い彼女だが、流石に此処ではジーパンをはいて、足下までしっかりガードしている。ただ、ダメージ付きのジーパンなのは、機動力を最重視する彼女にとって、パツパツなのは却って邪魔になるからだろうか。
元々スペランカーは運動神経も鈍いし何よりとろいので、あまり動きについては気にしなくて良い。
いざというとき、必要なだけ動ければ、それでいい。
途中で、エレベーターに乗って、地下に。
護衛についていた国連軍の軍人さん達も、やっと毛皮のコートをやらフードやらを取り始めた。厳つい大男が多いが、中に目が覚めるくらい綺麗な女性の軍人さんがいた。モデルでもやれそうな美貌である。ただし、ちょっと背が高すぎるかも知れない。
「あら、キュートな戦士さんね」
「ありがとうございます」
「先輩」
素直に喜んでいるところを、川背に袖を引かれる。
馬鹿にされているのだと、J国語で言われて、ちょっと驚く。キュートというのは、動物に対する愛情表現らしい。つまり、子犬のようなかわいらしさとか、そんなニュアンスなのだとか。
確かにそう言われると、大人の女性に対する褒め言葉では無い。猿とか言われるのと、あまり差はない。実際問題、アジア人を人間と見なしていない白人は多いと聞いているが、その延長線上の、罪の意識さえ無い差別なのだろう。
そういえば、童顔なスペランカーは、西欧系の国では小学生に間違われることもある。まあ、そんなものだろうか。
川背は怒っているようだが、スペランカーは気にしない。
「貴方はとても綺麗ですね。 やっぱり美貌を維持するのは大変ですか?」
「あら、それはもう。 エクササイズにダイエットに、とても大変よ」
切実なんだろうなあと、スペランカーは思った。
というのも。白人系の女性は、容姿が大人っぽい反面老けるのがとても早い事を知っているからだ。
特にこういう寒いところで暮らしている人は、体の負担が大きいせいか、老ける速度が尋常では無いと言う。スペランカーは、正直な話、羨ましい。老ける事さえ許されない体であるからか、悪い意味でも育つことが出来ないのだ。
川背も笑顔を崩していないし、口調もそのままだ。
だが、やっぱり相当内心は頭に来たままのようだが。
「いいんですか」
「まず怒っても、きっと誤解は解けないよ。 それより戦士だって言ってくれてるんだから、誰にも恥ずかしくない戦いをしてみせれば、認めてくれるんじゃ無いかな」
「先輩……」
「川背ちゃんはきっと凄く分かり易いから、大丈夫だと思う。 問題は私だね」
今回も異星の邪神が相手だとすると、一体何回死ねば良いのだろう。
もしも真っ正面からぶつかり合うと、最低でも一万回という所か。耐えられることは耐えられるが、しんどい。
だが、それでもやらなければならない。
コットンが笑顔で大人になれる世界が欲しい。そのためには、そもそも世界が無くなっては困るのだから。
エレベーターが止まり、長い通路に出る。
地下だからか気温は安定していて、もうエアコンも掛かっていない様子だ。吸排気の音が、何処か他人事のように、ゴーッと聞こえてくる。
「此方です。 転ばないように」
川背が流石にむっとした様子だったが、スペランカーは気にしなかった。動物扱いの次は子供呼ばわりか。だが、それは人間として認めているという事だとも思う。
兵士達は仲間と合流して、何か喋りはじめた。
「行こう」
「はい。 通訳は、しなくても良いですよね」
「うん。 川背ちゃん、もしも怒ることがあるんだったら、この事態そのものにぶつけよう」
「分かっています。 先輩は、そういう所、僕よりずっと大人ですね」
そう言われると嬉しい。
既に、中間合流地点では、何名かのフィールド探索者が姿を見せていた。
最上座には、やはり最強の名も高いMが。
そのほかにも、かなりの使い手が揃っている。しかし、C社のメンツは殆どが顔を見せていない。M氏は基本的にスペランカーには冷たいので、かばってくれるアーサーにはいて欲しかったのだが。
だが、今回は川背がいる。彼女は、アーサーと同じくらい信頼出来る。
「ほう、スペランカーさんは重役出勤ですかな」
「ごめんなさい、飛行機が遅れて」
「ふん、まあすわりなさい」
Mが馬鹿丁寧に言う。
どうもMは以前からスペランカーに妙な対抗意識を持っているらしく、かなり露骨な嫌がらせをしてくることが多い。
この辺り、世界最強の存在にもコンプレックスがあるのだと分かって、ちょっとおかしい。
「それより、今回はC社の人は」
「俺が来ている」
後ろから声。
振り向くと、ジョーだった。以前何度か共同戦線を取ったことがある。能力は貧弱だが、その圧倒的な戦闘経験でワンマンザアーミーの異称を誇る、歴戦の武人だ。スーパージョーと呼ばれるほどの人である。
Mは鼻を鳴らすと姿勢を正し、ジョーに対して敬意を見せる。
あのMでさえ、武人としてのジョーの経験には敬意を払っているのである。それほどの人物だ、という事だ。
「これでだいたい揃ったか」
「此処に集結したのは二十名ですか。 相当な大規模チームですね」
「一流どころとされる奴だけで六人だ。 以前のアトランティス戦以来の陣容だな」
無理も無い。
島一つを瞬時に凍らせるほどの相手である。異星の邪神で無いとしても、本腰を入れないと危険な存在だ。
ここに来ている兵士達にさえ、危険があると言えるかも知れない。
見たところ、スペランカーも知っている人物ばかりである。隅っこの方にいる、小柄な二人組は、確かイヌイットのポポとナナか。以前はしっかりもののナナとお調子者のポポという印象を受けたのだが。
どうしたのだろうか。今日は二人とも表情が硬く、無言で顔を強ばらせていた。
咳払い。
司会をはじめたのは、初々しい白と赤の、巫女装束の女性だ。おかっぱに髪を切りそろえている丸顔の彼女は、何度か仕事の時に見たことがある。確か神道系の戦闘スキルを持つ女性で、東洋西洋問わずに妖怪がらみのフィールドを何度となく潰してきているベテランの筈である。噂では一族でこの仕事をしているらしく、その時代で一番の使い手が、同じ名前を名乗っているとか。だから、同じ名前でも、随分と使う技や容姿が違っているのだそうだ。
「ええと、会議を始めてもよろしいでしょうか」
「ああ。 はじめてくれ」
「はい。 それでは、今回のフィールドの状況について」
プロジェクターが降りてくる。
何度も咳払いしている巫女さんは、とてもかわいらしい。最初はベテランかと思ったが、これは違うかも知れない。襲名したばかりなのだろうか。或いはこの戦いが、初陣なのかも知れない。
だとすると、気の毒だ。
生きて帰れるか、かなり微妙なところだからである。だが、フィールド探索者ならそれくらい覚悟しているのは当然で、危険なことは理解していなければならない。スペランカーも気を掛ける事は出来ても、かばう余裕は無いだろう。
「今回氷付けにされたのは、このC国に所属するシオレマイナ島。 六キロ四方ほどの小さな島で、イヌイット系の原住民が六割、白人系三割、混血の住人が一割ほどの、三百人と少しの人が住んでいました」
島の全景が、何度か写真として映し出された。
地形はごく平坦で、山と呼べるようなものもない。写真の殆どは、農業や漁業をしている素朴な人達の、静かな生活を映し出していた。
故に、今回の戦いは急務だ。
こんな平和な島を蹂躙した悲劇を、一刻も早く終わらせなければならない。
「現在、島の気温は−140℃。 全域が吹雪で、海まで凍り付いています。 元々寒い島なのですが、生態系は確実に全滅。 耐寒装備でも長時間は保たない状況が続いています」
「フィールドの拡大縮小は」
「今の時点では安定しています。 ただ、内部からは、考えられないほどの強い力の波動が」
十中八九、異星の邪神でしょうと、巫女さんは締めくくった。
Mが挙手する。
筋肉の塊である腕は、丸太のように太い。一応これだけを見れば人類の範疇ではあるが、この男の場合頭も良いし、何より能力の凄まじさが段違いである。結果、敵を叩き潰すために存在しているような男となっているのだ。
「それで、そいつが何者かは分かっているのか」
「いえ、まだ何とも。 何しろ、異星の邪神は情報が少なく」
もしかして、シュブ=ニグラスと名乗った邪神の、夫では無いだろうかと、スペランカーは口にしようとしたが。
だが、先に挙手した者がいる。
隣にいる川背では無い。挙手していたのは、奥にいるイヌイットの二人の内の女性の方。ナナだった。
「一つよろしいですか」
「何か」
「あの島に、生存者がいる可能性がある、といったら」
「え……?」
流石にそれは、想定していなかった。
どんな素人でも、あの状況で生きている人間がいるわけが無いと思う。何しろ−140℃である。
ビバークの達人だって、どうにもならないだろう。しかも確か、あの温度になってから、既に一週間が経過しているはずだ。
雪山での遭難でも絶望視される状況である。
ましてや今やあの島はフィールド。もしそんなところで生き残ることが出来るとすれば。
「冷気を操作するフィールド探索者?」
「あ、そうか」
川背の言葉に、スペランカーは納得してしまった。
確かに、それならば生き残ることが出来る可能性がある。だが、それにしても食料や水はどうするのか。何より、フィールド化している状態だと、どんな危険な生物がうろついているか、分かったものではない。
たとえば、冷気を完全にシャットアウトできる能力を持ったフィールド探索者がいたとしても。生存率は、あまり高いとは言えない。
だが、もしそんな人がいれば。
地獄と化した島で、住民を何人か、救い出せているかも知れないのだ。
「そんな奴に心当たりがあるのか」
「俺たちのじいさまだ」
ポポが、Mにため口を聞いたので、見ているスペランカーの方が心配になった。
Mは平然としているが、本当にそうだろうか。
ナナが、ポポの頭を掴むと、机にたたきつけた。ポポは抵抗しない。きっと、ナナが正しいと思っているからだ。
「すみません。 話を進めても良いですか」
「ああ、好きにしろ」
「私の祖父が、かってはアイスクライマーと呼ばれるフィールド探索者だったことは、ご存じですか」
「ああ、どんな氷壁でも越えるって噂の。 引退したと聞いていたが、そうか、お前達が孫か」
ナナが頷いた。
確か、その名前はスペランカーも聞いたことがある。
寒冷地限定のフィールド攻略をする人物で、相当な凄腕だったという。フィールド探索以外では、遭難者の救助もやっていたそうだ。此方も、伝説的な腕前で知られていたらしい。
「正確には、父方の叔父です。 一族の間では、鼻つまみ者として扱われていて、一人で引退後はこの島にいたんです」
「ほう?」
「世俗に関わるような奴は、一族の恥。 そんな考えが、まだ一部にあったんです。 お爺さまの時代は」
「そうか。 まあ、それは良い。 生存者がいる可能性があるとすると、あまり悠長にも構えてはいられんな」
Mが腰を上げる。
周囲に一気に緊張が走るのが分かった。
「第二陣を待たず、出撃する。 威力偵察を行い、生存者がいるようなら救助」
「戦力が整わない内に出るんですか」
「此処には何しろ神殺しの異名を誇るスペランカーさんがいるからなあ」
Mの笑顔は、まるで魔王か何かが浮かべているも同然で、スペランカーは背筋に寒気が走った。
いずれぶっ殺してやる。そう、笑顔は言っているも同じであったからだ。
だが、Mは非論理的な殺しをしたりはしないはずである。凶暴なところは確かにあるかも知れないが、それは戦士としての一面。実際にMが暴力事件を起こしたりと言った話は、聞いたことが無い。
Mはてきぱきと、人員の配置を決めていった。
「今、何台か北極でも探査に使っている耐寒式のスノーモービルを用意させている。 要救助者がいる場合を考慮して、乗るスペースには空きを作る。 これを運転する者、外で護衛する者、支援をする者に分ける」
「ならば俺が運転を」
「僕も運転します」
ジョーと川背が挙手。川背は免許を持っていたはずだが、スノーモービルなんか運転できるのか。ちょっと凄い。スペランカーはどっちにしても、外に出たらすぐに凍死してしまうだろうから、支援組だ。他にも何名かが挙手した。
外での護衛には、Mが当たる。無数の能力を持つMである。寒さくらい、どうにでもなるのだろう。或いはそのままでも、寒さに耐えきれるのかも知れないが。Mならそれでも不思議では無い。
それから、耐寒用の装備が配られる。
毛皮のコートでは無い。宇宙服のような、耐寒スーツだ。
「−140℃などという環境は、地球上には存在しない。 もしこれを破られた場合、耐寒能力が無い人間は、その場で死ぬと思え」
「思った以上にハードだな」
「動きづらい」
彼方此方から、文句が上がる。
だが、Mはそれをひと睨みだけで黙らせた。
「よし、これから輸送ヘリに乗り込んで、現地に向かう。 到着は六時間後の予定だ」
外にばらばらと向かうと、件の輸送ヘリが待っていた。良く国連軍が使っている、複数のロータリーがついた大きなものだ。
しばらく耐寒スーツの感触を確かめていたスペランカーだが、川背がしっかり着こなしているのを見て、凄いなと思った。
だが、彼女は非常に微細なコントロールを重視して、機動戦を行うタイプの戦闘スタイルだ。こんな重そうな服を着て大丈夫なのだろうか。
不安にはなる。
だが、今はやるしか無い。
輸送ヘリの中で、スノーモービルでの割り振りが決められる。川背が運転するモービルにスペランカーが乗ることになったので、ちょっと安心した。同じスノーモービルには、さっき司会をしていた巫女さんのサヤさんが乗り込んでくる事にもなった。
「よろしくお願いします、スペランカーさん」
「此方こそ、よろしくお願いします」
「ええと、間近で見るとその呪い、もの凄いですね」
苦笑いを返す。多分巫女さんと言う事もあって、見えているのだろう。
スペランカーの体を覆う、邪神の凄まじい呪い。神道はどちらかというと、自身の力を使うのでは無く、よそから力を借りてきて行使するタイプの戦闘を行うのだと、サヤさんが説明してくれる。
そのため、見えるのだそうだ。
確かにそれは、巫女さんだからと言うよりも、説得力がある。そんなものなのかと思いながら、ヘリの発進で、がくりと揺さぶられる。
もしも一機落とされても全滅しないように、二機のヘリに分散して搭乗。
フィールド近くの海上で、降りることとなった。
大きな軍用ヘリだからか、動きは非常に緩慢で、だが動き出すと凄い推進力を感じる。これは何度も乗り込んだから、知っている。
隣に座っている川背が、小声で言う。
「先輩、ここのところ、少しおかしな事が続いていると思いませんか」
「うん。 漠然と何がおかしいのかは、はっきり言えないんだけど」
「僕は、ひょっとすると何かおかしな事を企んでいる人達が、国連軍やフィールド探索社に潜り込んでいるんじゃ無いか、そう感じています」
それは、ちょっと酷な話だ。
確かに少し前、南米でシュブ=ニグラスと戦ったとき。影という忍者と組んだが、彼は途中で味方であるはずのハリーと交戦、最後まで結果を見届けずにフィールドを去った。少なくとも、スペランカーに姿を見せることは無かった。それに関して、スペランカーは何か仕方が無い理由があったのだろうとは思っているが、周囲はそう考えないだろう。
実際、彼が何かしらの存在のスパイをしていた、と思う方がしっくり来るのだ。何しろ、諜報活動の専門家なのだから。
それに、その前の戦いでも、おかしな事はいくつもあった。
「でも、それだったら、どうすればいいんだろう」
「背中にも気をつけて行動するしかありません。 先輩は僕が守りますけど、此処で誰かが裏切ったら危ない、という場面で、気をつけていくしか」
「何だか、おっかない話ですね。 私も備えておきます」
サヤさんがお札を取り出すと、その表面を白い指で撫でる。
不意に、周囲の空気が冷えた。
半透明の、着物を着た女性が、虚空に浮き上がる。美しい黒髪を持つ女性だが、雰囲気は冷え冷えとしていた。
「ええと、いわゆる式の、雪女です。 今回、彼女に外で護衛任務に当たって貰います」
本当は、戦闘開始まで出す気は無かったのだがと、サヤさんは言う。
だが、そうも言っていられないだろう。
二機のヘリが、フィールド至近の海上で停泊。
側面を開けると、既にぶわっともの凄い冷気がヘリに流れ込んできた。耐寒スーツは宇宙服のような作りだが、視界の右下隅の温度計が、見る間に氷点下を遙か下回っていくのが分かった。
Mが最初に飛び降りる。
彼は、耐寒スーツさえ着けていない。見ると体の周囲を、赤い何かが跳び回っている。多分能力の一つなのだろう。どういうものなのかは分からないが。
下の海面は既に凍り付いていて、Mが飛び降りても、罅一つはいらなかった。
「ヘリ、着陸しろ。 この様子なら、その方が早い」
「ラジャ」
勿論、完全に着陸してしまう訳では無い。凍った海面すれすれに、ホバリングするのだ。川背に手を貸してもらって、降りる。ジョーは無言で、スノーモービルを海上に下ろす手伝いをしていた。
回収時の話も、Mははじめている。
「氷が溶けるようなら、重巡洋艦を派遣して回収に来い。 フィールドが解除されているなら島まで、そうでないなら、スノーモービルに据え付けてあるゴムボートで脱出する」
「分かりました」
ヘリが遠ざかっていく。
十五名の内、十名が四機のスノーモービルに分乗。既にこの辺りで、温度は−30℃に達しているようだが、外での護衛を担当することになったポポとナナは涼しそうな顔をしている。
だが、流石に内部に入れば、かなり危ないだろう。
「もしも相当に危なそうになったら、私が周囲の温度を緩和する。 全員耐寒スーツを捨てて外に出てこい」
「そんなことが出来るのか」
「短時間ならな」
Mが平然と応え、ジョーが呆れたように、スノーモービルに乗り込む。
あまりにも非常識すぎるMである。何が出来ても、確かに不思議では無かった。
2、止まった世界
フィールドの中に入った途端、流石にこれはじいちゃんも死んだなと、ポポは思った。
幼い頃、じいちゃんは不死身だと、半ば本気で考えていた時期がある。実際問題、巨大な北極グマを、旧式のライフル一丁で仕留めてくる姿を見て、この人に勝てる存在はいるのだろうかと、兄妹同然に育ったナナと、話し合ったものである。じいちゃんの本来の能力は冷気を操作するものらしいのだが、それ以外にも経験の蓄積が尋常では無く、何をさせても超一流だった。
フィールド探索者になってから、上には上がいるのだと思い知らされたが。たとえば、今平然とスノーモービルの先頭の一機の天井で胡座を掻き、遠くを見据えているMのような存在だ。
いずれにしても、この環境は異常すぎる。
特別製の毛皮を二重に着込み、露出を完全にガードしてなお、とても耐えきれない寒気が周囲に渦巻いている。風が非常に強く、常時吹雪いているため、全く視界も確保できない。体感温度も、この様子では−140℃を遙かに下回っているだろう。
「ねえ、ポポ」
「なにさ」
「お爺さま、生きていると思う?」
「ああは言ったが、難しいだろうな。 だけどひょっとしたらって思っちまうな」
足を揃えて、同じスノーモービルの上に座っていたナナに、ポポは応える。昔は生まれた時間が殆ど違わないこともあって、何をするにも似たようなものだったのに。最近はこういう細かい動作にも、男女の違いが現れてきている。
だが、変わらないものもある。じいちゃんを慕っていたことについては、変わっていないはずだ。
もじもじいちゃんが生きているとしたら、どうするか。
此方にしか分からない目印を立てて、ビバークしているだろう。それを発見できたら、生存者を救出できる可能性もある。
物資は、積み込んできてある。
軍用のスノーモービルは、装甲車のような堅牢さだ。いざとなったら、かなりの人数を詰め込んで、脱出できるだろう。
後ろの方のスノーモービルの上には、川背という女が仁王立ちして、手からはゴム紐をぶら下げている。よほどの特殊素材なのか、ゴム紐が凍る気配は無い。
彼奴は、最近一流どころと認められるようになったと聞いているが、確かに戦場での平常心が尋常では無い。
スノーモービル内から声。イヤホンに、無線の形で来る。
「斜面に入ります」
「ああ、分かった」
鷹揚に応える。
突入前、地図を見て、斜面がある事は確認していた。だが、実際にさしかかってみると、かなり強烈だ。吹雪によって、かなり傾斜が変わっているのかも知れない。
突入前にナナと話し合って、じいちゃんがビバークするならどこだろうと、見当はつけてある。四ヶ所にまで絞り込み、それをこれから順番に見て廻る。行くルートについては、ポポとナナが提案したものが、そのまま受け入れられた。
それにしても、凄まじい吹雪だ。ゴーグルは表面が凍らないような素材で作られているのだが、それでも時々雪を払わないといけない。この様子だと、どんな細菌でも、この環境では長時間いきられないだろう。
文字通り、死の世界だ。
「むかし、じいちゃんが言ってたね」
「ああ」
北極は、誰かを拒む世界では無い。
人間だけに厳しい訳でもない。
只ひたすらに、孤高なのだと。孤高であるが故に、周囲など見えていない。それが故に、死の世界なのだと。
北極よりも更に過酷なこの状況は、だがその言葉に通じるものがある。
Mは、ジョーが運転する先頭のスノーモービルの上で胡座を掻いたまま、黙り込んでいた。その体には雪の一片も積もっていない。ふと、その姿は、冷気を操る能力を持っていた、祖父に通じるものがあった。
ポポとナナは、辺境の小さな村で育ったいとこ同士である。とても寒い村で、冬には流氷が流れ着き、吹雪ばかりで、夏はとても短くてあっという間に通り過ぎてしまう。
これといった産業は無く、村のために外に出てお金を稼いでくる者達と、ほそぼそとイヌイットとしての生活を守る者達に、別れて生活をしていた。
西洋風の家も建ち並んでいるが、昔ながらの雪を防ぐための丸い土まんじゅうみたいな家もたくさんある。そんな、時が止まったような、小さな村。それが、色々と複雑な感情がある故郷だった。
そして珍しくも無い事だが、将来の結婚が既に決まっていた。両親が決めた許嫁という奴だ。
幼い頃は、良かった。
そんなことは考えず、仲良くしていれば良かったのだから。
過酷な環境だから、幼いからと言って遊ぶことは許されなかった。小さな頃から、家事の手伝いを叩き込まれ、簡単なものから順番にこなすように求められた。一通り家事が出来るようになると、今度は外での仕事を手伝わされるようになった。
狩猟用のライフルを持たされたのは、ポポとナナがそれぞれ七歳の時。
まずは扱い方から。どういうことをする道具なのか、撃てばどんな結果が待っているか、そして何のために使うのか。
散弾を渡されて、どういう風に獲物をこれが殺すのか、何度も教えられた。獲物によって、どんな弾を使うのかも、仕込まれた。
ホッキョクグマを倒すためには、特殊な弾が必要なのだとも言われた。ベアバスターと呼ばれる大形の銃で、強力な弾を使う。これを喰らってしまうと、体重1トンに達するホッキョクグマでも、ひとたまりも無い。よく熊はライフル弾さえはじくと言うが、それでも人間の文明の前には、無力に等しいのだった。
最初の講師は村一番の漁師と言われる老いた祖母だった。確かに祖母の腕前は凄まじく、三百メートル以内の的だったら、アザラシだろうがホッキョクグマだろうが、必殺必中だった。祖母は枯れ木のように肌がしわだらけで、腰も曲がっていた。だが銃を手にしたときの目つきは凄まじく、幼心に何度も怖いと思ったものである。
一通りの修行が終わって、自分用の銃を持たせて貰ったのは、ポポが十歳の頃。ナナも同じ年で、銃を貰った。
それぞれに技を競い合った。この頃には、既に同じ年で、しかも同じ能力を持っている事が分かったポポとナナは、対抗意識を燃やしていたのだった。だが、不思議と相性が良いのか、一緒にいても不快では無かったが。
この頃だろうか。
たまに、じいちゃんが村に戻ってくるようになったのは。
じいちゃんは、外貨を稼いでくる大人の一人で、村ではあまり好まれていないようだった。だが、静かな雰囲気と、村の大人達とは違う何処か達観したところが、ポポの好きな理由だった。ナナも同じようにじいちゃんが好きだったらしくて、こういう所でも、変な対抗意識が沸いた。
他の小柄な村の大人に比べて、じいちゃんは背も高かった。白い髭を長く伸ばしていて、いつも遠くを見つめていた。あまり多くのことを語ることは無かったが、側にいて不思議と心地が良いのだった。たまに狩も教えてくれた。狩の腕前自体は祖母に劣ったが、じいちゃんの場合は、素手でホッキョクグマに襲われても何ともない圧倒的な強さがあり、安心感が段違いだった。
だから、大好きだった。
ポポはナナと一緒に、じいちゃんが帰ってきたら、何を話すか。いつも決めていたのである。
そして、忘れもしないあの日が来た。
じいちゃんが買ってきたのは、お揃いの木槌。手にしてみると、恐ろしいほど馴染んだ。どれだけ振り回しても疲れそうに無かったし、何より自分の分身と言われれば、なるほどと納得せざるを得ないほどだった。
そして、契約書にサインするように言われた。
ナナと一緒に、並んで自分の名前を、契約書に書いた。
それが、何を意味するのかも知らずに。むしろうきうきして、これからどんな地獄に挑むのかも、分からなかった。
十二歳のその日。
ポポとナナは、晴れてフィールド探索者になったのである。それは社会人になる事と同意だった。正式に大人としても認められたのだと分かって、ポポは驚喜した。ナナはというと、静かに喜んでいた。
この頃には、性格の差がかなり出始めていた。ナナは静かだが、怒り方が怖い。どこかで逆らえないと分かっているのか、手を出されても黙っていることが増えた。というよりも、本能的に悟っていたのだろう。ナナが怒っているときは、ポポが間違っている事の方が多いと。
じいちゃんはその世界でも最大手のN社に所属しているという事で、外貨の稼ぎ手としても村でもトップだった。
両親は、表面上はとても喜んでいた。
だが、すれた子供であるポポは気付いていた。特に祖母は、じいちゃんの事を快く思っておらず、裏では舌打ちしていることを。
恐らく、狩人として、村を支えてきた自負があるからだろう。外で「ちょっと働く」だけで、自分の何百倍も稼ぐじいちゃんのことを、妬ましく思っているのだ。この頃には、何となく気付いていた。外に対する、大人達のねたみとやっかみを。だが、それがどうしてなのかは、実際に外に出てみないと分からなかった。
フィールド探索者になって、最初の仕事は、じいちゃんとナナと一緒にこなした。
酷い仕事だった。
狩をしていて、命が簡単に消えることは知っていた。巨大なホッキョクグマでも、急所にライフルの弾を一発でも貰えば即死することは、連れられていった狩で、何度も見て肌で分かっていた。
それでも、間近で人間が死ぬのは、その日初めて見た。
ベテランのフィールド探索者だったのだが、雲を突くような巨大な人型の怪物と相対して、不意を打たれたのだ。首を一撃でへし折られて、即死だった。じいちゃんがその怪物を打ち倒したときには、既にその人は冷たくなっていた。鼻からも耳からも血が出て、酷い臭いがしていた。
ナナが吐いていた。
ポポも、少し遅れて、それにつられて吐いた。
じいちゃんは、冷たい目をして、言った。
これが、お前達の仕事だ。少しでも油断すれば、お前達もこうなる。そして、化け物どもの餌になる。
それはきっと、生きたままホッキョクグマの餌にされるよりも、とてもつらいことだろう。幼心に、ポポはそう思った。
ごうごうと吹き荒れる吹雪は、更に酷くなる一方だ。Mが能力で多少は寒気を緩和しているようだが、スノーモービルもいつまで動けるか分からない。
毛皮のコートの内側で、イヤホンをしているが。それで直接、ジョーがMと話している内容が聞こえる。
「そろそろ、第一目標点だ」
「了解」
「何とも遭遇しないが、早期警戒は怠るなよ」
「誰に物を言っている」
Mは傲然とさえしていた。その圧倒的な安定感は、さすがは最強の男である。斜面を抜けたスノーモービル四機は、編隊を崩さないまま、更に激しくなってきた吹雪の中、進む。
ふと、温度計を見た。
−80℃程度まで温度が上がっている。Mが緩和を強めているのか。それにしても、北極でも最も寒い地点に匹敵するほどの寒さだが。
「ナナ、何かあるかも知れない」
「分かってる。 もしあるとしたら、何だと思う」
「奇襲だろ。 こんな吹雪だ」
「そうだろうね。 でもこの寒さじゃ、どんな生き物だって生存は無理だよ。 いったいどんな風に奇襲してくるのか、見当も付かない」
こんな所でも、ナナは冷静だ。それが羨ましくさえ思える。
スノーモービルが止まった。
「M、周囲を警戒しろ」
「何か見つけたか」
「島に三つしか無い集落に着いた。 その中でも、一番可能性が高い場所だ。 ポポ、ナナ、聞こえているか」
「感度良好」
ナナが応えた。ポポは巫山戯て返事しようと思ったが、此処で殴られるのはちょっといやだ。
それに、じいちゃんは、仕事場で巫山戯ることを何より嫌った。人が死ぬかも知れない場所は、じいちゃんにとって聖域だったからだ。不思議な話だが、敵に対しても、それは同じであったらしい。茶化すと、本気で怒ったものだ。じいちゃんがいるかも知れない場所で、それは避けたかった。
誰よりも、大好きな人だから。
「聞こえています」
「もし生存者がいるとしたら、家の地下だったな。 お前達の能力なら、氷を砕いて中に入ることも可能だろう。 最初に、いそうな家から調べて見ろ。 生存者を発見できるような能力の持ち主は」
「私が出来ます!」
可愛い声がした。たしかサヤとかいう、あの司会をしていた女の子だ。
どちらかと言えば小柄なイヌイットのポポは、外では女の子に見下ろされることが多かった。それもあって、外の女はあまり好きでは無かったのだが。あの子は小さいこともあって、あまり嫌いじゃ無い。むしろあの巫女装束とかいう服装はとても魅惑的だ。
不意に肘鉄を貰う。
「行くよ」
「分かってるって」
スノーモービルの屋根から降りる。
Mが能力を更に強く展開しているのか、温度計の温度は、−60℃まで上昇していた。これはおそらく、巫女装束とか言うオリエンタルな格好の彼女とか、寒さに強くないフィールド探索者に配慮しての事だろう。
Mは相変わらず、不動の姿勢のまま、遠くを見据えている。スノーモービルに設置された、魔神か何かの像のように。
おっかない奴だが、こんな時だけは、とても頼もしかった。
家々は完全に凍り付いてしまっている。この辺りは北極近いこともあって、非常に寒さに強い建築が採用されているのだが。それでも、全くというほどに無力だったようだ。デッドエアを利用した防寒の仕組みや、大量の雪にも耐える屋根の構造。いずれもを嘲笑うように、どの家も潰されてしまっている。
これでは、中にいた人は、もう氷付けだろう。
サヤという子が、何かオリエンタルな呪文を唱えて、紙切れを飛ばしていた。
だが、しばらくして、彼女は首を横に振る。
「駄目です。 生存者は、いません」
「そうか」
流石のMも、無駄足だったなとか、冷酷なことは言わない。
すぐに次の、可能性がありそうな場所へ行く事になった。スノーモービルの屋根に移るナナを尻目に、ポポはサヤに聞いてみる。
「なあ、あの家だけど。 俺のじいちゃんが住んでたんだ。 その……」
「あの家ですか? ええと、亡骸はないようですけれど」
「え! 本当か?」
わずかながら、希望が出てきた。
不意を打たれたのでなければ、じいちゃんの能力によって、生きている人がいる可能性は否定できない。
何より、じいちゃんは歴戦の猛者だった。
家で寝ていたり、休んでいるところを襲われたので無ければ。
四機のスノーモービルが、菱形の陣形を保ったまま、村を抜けようとした。だが、その行く手に、巨大な影が複数、立ちふさがってきた。
吹雪の中、無数の影が地響きを立てながら、歩いて来る。
こんな環境で、生きていける生物などいるはずが無い。間違いなく、この事態を引き起こした奴か、その眷属だろう。
「ジョー、振り切れそうか」
「やってみよう。 はぐれるなよ」
Mが相手にするなと指示。そのままスノーモービルは旋回して、迫り来る影を無視して、迂回コースで次の村に向かう。
影もこの吹雪で此方を捕捉できないのか、しばらくは定距離を保っていたようだが、降り斜面に此方が入ると一気に引き離された。菱形の陣形を保って、四機のスノーモービルは、島の西側に向かう。
二番目に、じいちゃんがいた可能性が高く、生存者がいるかも知れない場所だ。
集落だが、この島としては珍しくお店の類がある。ナナはいやがるだろうが、確か歓楽街もあった。島に来る観光客を見込んでの場所だったらしいのだが、わざわざこんなへんぴな島に来る人間はあまり多くなく、かなり寂れてはいたが。当然、風俗店もあったようだが、仕事をしていたのはあまり若い女性では無かったようだ。
この辺りは、ナナに隠れて調べた情報である。じいちゃんの所に遊びに来るときに、こっそりパソコンで検索したのだ。
昔は何をするにも一緒だった。
だが、今は、こういう所でも差異が出始めている。
そういえば、最初に男女の差を意識し始めたのは、いつのことだっただろう。
「追いついてきた!」
ジョーの警告に、振り返る。
後ろを見ると、迫り来る影が、いつのまにか速度を上げていた。あまりにも静かだったから、全く気づけなかった。
流石に、この辺りはジョーだ。背中にも目をつけているとしか思えない。
「ちっ。 振り切れそうに無いな」
Mが立ち上がる。
旋回したスノーモービルが停止。ばらばらと、戦闘要員が降りてきた。巨大な人影は、まるで何も気にしていないかのように、むしろ速度を上げてくる。近づいてくると、それが相当に毛むくじゃらで、体型もずんぐりしていることが分かってきた。
やがて、白い吹雪のカーテンを割るようにして、そいつが姿を見せた。
「イタカ!」
誰かが叫ぶ。
身長は五メートルはあるだろうか。人型をしているが、あまり人間に似ていない。大量の毛に隠れている顔は、造形が崩れていて、不気味だった。人によっては、吐き気を催すかも知れない。
目は真っ赤で、どういうわけか足に水かきがある。これほどの寒さだというのに、まったく凍る様子は無い。
ほぼ間違いなく、この事態を引き起こした奴の僕だろう。
数は相当で、十、二十、更に増える。
四方八方から迫ってきているらしく、彼方此方から足音がした。愛用の木槌を構えるナナ。ポポも、それに習った。
「なあ、じいちゃんと最後に行ったフィールドのこと、覚えてるか」
「懐かしいね」
ナナは、たしなめなかった。
きっと、同じ気持ちだったからだろう。
その日も、こんな大吹雪だった。そして、その日。
じいちゃんは大けがをして、現役を引退する事になったのだ。
川背がスノーモービルを止めて、ばらばらと外に出る。スペランカーは一番最後に出た。
どうやら既に周囲は包囲されてしまっている。それだけではない。此処の邪神は、自分の存在を隠そうともしない。よほどの自信家なのか、周囲からは嫌な気配がにじみ出るかのようだった。
雄叫びを上げる、白い巨体。
吹雪の中、赤い目玉が無数に輝いている。近くにいる奴が、巨大な腕を振り下ろしてきた。だが、それをあっさりMが受け止める。見る間に巨大化していくMに、流石に巨大な人影もおののく。
振るわれたMの豪拳が、人型の顔面を爆砕していた。炎を上げながら回転しつつ吹っ飛んでいく人型。吹雪の遙か向こうで、大爆発が起こったらしい。文字通り木っ端みじんだろう。
「叩き潰せっ!」
Mの怒号が、開戦の合図となった。
川背がルアー付きのゴム紐を投擲し、跳躍。迫り来た白い人影の顔面にドロップキックを叩き込む。耐寒スーツを着込んでいることで不安だったのだが、ある程度スピードは落ちているにしても、機動力は充分維持しているようだ。流石である。
スペランカーは辺りを見回して、気付く。
サヤが呪文詠唱をしている所に、音も無くちょっと小さめの一体が、近づいてきている。拳を固めたそいつが、振り下ろしに掛かる。
割って入った。
手を広げて、相手を見る。ぴたりと、拳を止めた相手が、後ずさった。
「オ、オマエ、ハ。 オ、オオオオオオ、オオオオオオオオオ!」
奇怪な叫び声が上がった。
動きを止めたその人型の顔面に、ミサイルが炸裂。吹き飛ばした。頭を失って倒れる人型。後ろで、ジョーが打ち終わったロケットランチャーを捨てていた。
跳躍したポポが、相手の頭に木槌を振り下ろす。同時に、足下を、ナナの木槌が粉砕する。息が合ったコンビネーションである。普段は憎まれ口ばかり叩いているポポと、それに突っ込みとは思えないほど激しい暴力を入れてたしなめるナナという図式があるが。相当に互いを理解していることは、何となく分かる。
サヤが、術式を発動。
辺りを、光の弾が飛び交いはじめる。
吹雪で薄暗かった周囲が、それで戦いやすいくらいに明るくなった。だがそれが故に、分かってしまう。
周囲の人影が、五十を軽く超えている、という事を。
Mが中空に飛び上がり、周囲に火球をばらまく。炸裂した火球が、数体の人型を瞬時に吹き飛ばす。
だが、人型も、黙ってやられてばかりではなかった。恐らく今までは、此方の能力を測っていたのだろう。
反撃が開始される。
人型が手を振ると、もの凄い風が巻き起こった。瞬時にMが展開していた暖気が押し戻される。猛吹雪が更に加速する中、巨体が空に舞う。凄まじい身体能力を生かして、中空に跳躍したのだ。
そのまま、影が飛びかかってくる。
スノーモービルが一機、殺到され、粉砕された。誰かが掴み上げられたらしく、悲鳴が上がる。
大乱戦の中、怒号と断末魔が交錯。更に、敵の数が増えていくのが分かった。
「ふん、流石に大物邪神の膝元か」
「た、助けてくれっ!」
悲鳴を上げるフィールド探索者を掴む人型を、Mが拳一発で粉砕した。Mの拳は巨大なだけでは無く炎まで纏っていて、人型を瞬時に文字通り爆砕してしまう。だが、雪上に投げ出されたフィールド探索者の耐寒服は破損している。無事だったスノーモービルに彼を押し込めながら、ジョーが突撃銃をぶっ放す。だが、ロケットランチャーならともかく、突撃銃で、敵を仕留めるには至らないようだ。
一人が、拳をもろに喰らって吹っ飛んだ。
舌打ちしたMが、更に巨大化して、周囲に大火力での火球をばらまきはじめた。凄まじい轟音の中、仁義なき殲滅戦が続く。また、サヤに敵が迫っていた。踏みつぶそうとする人影。
突き飛ばして、サヤを逃れさせる。
視界が、闇に染まった。
どうやら、踏みつぶされたらしい。気付くと、戦いは終わっていた。辺りは消し炭になり、また凍り始めた死体の山である。味方も何名か負傷し、スノーモービル一機が大破した様子だ。
川背がのぞき込んでいた。
服が替わっている。そして、スノーモービルの中だった。周囲は呻いている負傷者が何名かいた。いずれもが、名の知れたフィールド探索者ばかりだ。何が起こったのかは、ほぼ精確に把握できた。
「先輩、大丈夫ですか」
「うん。 耐寒服が駄目になっちゃった。 意識が戻るの遅かったのは」
「凍死と蘇生を繰り返していたようです。 此処に運び込んで、どうにか」
スノーモービルの中も寒いが、それでも外よりはマシだ。Mとジョーが話しているのが、聞こえてくる。
「負傷者七名。 このまま行くと、苦戦はまぬがれんぞ。 今の奴らは、恐らく待ち伏せをしている場所に、此方を誘い込んできたんだろう」
「スノーモービルも一機潰されたしな。 二手に分かれるのは、この状態では得策ではないし、一度補給に戻るか。 そろそろ第二陣も来る頃だろう」
この間のクトゥグアの時もそうだったが、今回も相性は最悪だ。大物の邪神は、スペランカーが見たところ、現象そのものだったり、自然そのものであったりするらしい。以前ダゴンがとんでもない術式を使ってくるのを見た時、或いは世界そのものを相手にしているのでは無いかと思ったのだが。どうやら、その予想は、外れていなかったようだ。
今度は冷気を操る相手だろうか。それとも風か。
いずれにしても、生半可な苦戦ではすまないだろう。
「待ってください!」
「なんだ、小娘」
「今は一刻を争う状態です。 私とポポだけでも、行かせて貰えませんか」
「駄目だ。 許可できない」
Mがぴしゃりと言い切る。不遜なポポの発言にも黙っていたこの世界最強の男は、いざ駄目だと言い出すと、鉄の壁も同然の存在感を放っていた。
ジョーも、好意的では無い。
「今の敵の戦力を見なかったのか。 しかも、Mが冷気を緩和してこの状態だ。 二重遭難になるだけだぞ」
「助けを待っている人達は、今にも死んでいるかも知れません」
「そんなことは分かっている。 だが、周囲の状態を見ろ」
「おいナナ、俺たちだけで行こうぜ」
がつんと、何かを殴る音がした。
Mがポポを殴ったのかと思ったが、どうやら違うらしい。ゆっくり体を起こして外を見ると、ジョーの方だった。
「頭を冷やせ。 M、無線は」
「今やっているが、駄目だな。 一度辺縁まで戻る。 第二陣と合流する」
「畜生……」
ポポが、血を吐くような嘆きを漏らした。
帰り道、此方を嘲笑うように、敵の戦力は姿を見せなかった。大物の邪神は、いずれも自信の塊で、不遜な存在だったようにスペランカーは思う。逃げる獲物など追わず、挑戦してくる相手だけを求めているのかも知れない。
フィールドの辺縁に出ると、少しは暖かくなったように思った。
既に来ていた戦力と合流。アーサーがいないかと思ったが、頼りになる騎士の姿は無い。いずれも一流どころと呼ばれるフィールド探索者と、更に四機のスノーモービル。だが、どうしてか、スペランカーには不安だった。
Mの弟のLがいるのが救いか。彼の戦闘力は、そうそうMに劣らないと聞いている。だが、若干精神面に不安があり、よくMに怒鳴られているのを見る。今も、Mに恫喝的に接されていた。
「Rの奴は?」
「それがな、兄貴。 今回C社と調整が上手く行っていないらしくて」
「フン、無能な営業が。 第三陣の予定は?」
「しばらくはこないな。 この戦力でどうにかするしかない」
Lから視線をそらすと、Mが胴間声を張り上げる。
負傷者を戻すと、すぐに進撃だ、と。負傷者の中には、凍傷が酷い者もいるようで、流石にすぐにはつれていけない。回復系の能力を持つフィールド探索者もいるが、その力だって無限では無いのだ。
幸い、大形のスノーモービルが一機、輸送されてきている。装甲も厚い。これを指揮車両として、負傷者を中にかばう形にするのがいいだろう。そう、ジョーが提案し、Mが受け入れた。
七機のスノーモービルの先頭車両の上に、Mが傲然と座り込む。むすっとしているポポが、隣に座らされていた。
「川背ちゃん」
「空気が悪いですね。 M氏は戦士としては優秀ですが、リーダーとしては微妙なところがあります」
「聞こえてるぞ」
「おっと」
会話にMが割り込んできた。盗聴とかでは無く、多分テレパシーとか、そういう能力だろう。
Mは不機嫌そうだったが、川背には怒っていないようだ。多分自分でも、欠点は自覚しているのだろう。
「ジョー、指揮を執れ。 いっそお前に任せる」
「分かった。 お前は一戦士として豪腕を振るえ、M」
「それが私にはあっているな」
鼻を鳴らしたMが黙り込む。川背は勘違いしていたようだが、スペランカーが心配しているのは、むしろポポとナナだ。無茶をしないか、見ていて不安になってくる。
四苦八苦しながら、新しく貰った耐寒服の機能を利用して、ポポに通信を送ってみる。二回無視されたが、三回目にナナから返事があった。
「すみません、心配させて」
「うん。 ポポ君は?」
「ふさぎ込んでいます。 こういうとき、あいつって意固地になるので、気にしないでください」
「無茶はしないで。 ナナちゃんも、心配だよ」
スノーモービルの編隊が、凍り付いた森に入り込む。
元は森だったのかも知れないが、完全に凍結している今、それは構造物に近い。というよりも、寒さに強い植物なのだろうが、こんな寒さの中では流石にどうにもならなかったのだろう。
スノーモービルが側を通り過ぎると、衝撃で粉々に砕けている木もあった。割れ砕けて散らばる様子は、恐怖さえ感じるほどである。
軍用のスノーモービルとは言え、木が倒れかかってきたら危ないだろう。護衛についている能力者が、火球で森を薙ぎ払った。吹き飛ぶ森の木々を見て、酷いと思ったが、間違っているとは感じない。
今回の邪神は、何を考えて、こんな残酷なことをしたのだろう。
或いは、何も考えていないのか。だとしたら、悲しい話だ。
人間だって、同じだ。
歩いているとき、何も知らないまま、蟻を踏みつぶしていることがある。あとからそれを指摘されて、酷いことをしたと思う人間がどれだけいるだろう。むしろ気持ち悪いとか考えて、反省さえしない人間の方が多いはずだ。
人間より存在がずっと大きい邪神も、同じように考えるのでは無いのか。
不意に、ポポから通信が入った。
「無視して悪かったな」
「ううん。 それよりも、大丈夫? 傷は痛まない?」
「痛かったよ。 ジョーの野郎、手加減しないんだもんな」
「愛の鞭だよ。 ジョーさん、不器用だけど、悪い人じゃ無いからね」
鼻を鳴らす音。
ジョーのようなタイプは、ポポにとっては最も嫌な相手なのかも知れない。ポポは思春期という事もあって、親のような年の相手には最も反発を覚える時期の筈だ。多分学校にはいっていないだろうが、それでも同じだろう。
外で仕事をしていても、すぐに大人になるわけでは無い事を、スペランカーは知っている。立派な社会人のふりをしているサラリーマンが、オツムは子供同然である事など、珍しくも無い。
ジョーは円熟した大人の筈だが、それでも不器用なところは子供みたいだと思うこともある。そういう悪い所は、ポポのような思春期の子には、受け入れがたく見える事だろう。
村に着く。
吹雪の中、立ち尽くしている人影がいくつもある。
生きている訳が無い事は、一目でわかった。ナナが走り寄るが、触ろうとするだけで、粉々に砕けてしまった。
どんな凍らせ方をしたら、こんな事になるのだろう。
酷いと思う。
既に準備をしていたらしく、サヤが外に出ると、すぐに呪文を唱えて、お札をばらまいた。
その間、Mは中空に浮き、周囲を見据えている。
もたついていると、さっき以上の戦力に襲撃されかねない。此方も兵力は五割増しになっているが、敵だってどれだけの兵力を控えさせているか分からないのだ。
「駄目です、此処にも生存者は……」
「そうか、すぐに次に行く」
すぐにスノーモービルを出すように、ジョーが言う。
冷徹なようだが、今は一刻を争うのだ。陣形を保ったまま、七機の雪上戦闘車両が動き始める。
三つ目の集落は、上陸地点とは逆の海岸沿いだという。
「ええと、アイスクライマーさんって人の話を教えてくれる?」
「気むずかしい爺だったよ」
「ポポッ!」
「ナナ、お前まだあの爺が生きてるって思ってるのか?」
通信に割り込んできたナナに、ポポが冷徹に応える。
だが、それがおそらくは、照れ隠しか、本人でも信じていないのに大人ぶっているのだと、スペランカーは看破していた。
頭があまり良くないスペランカーだが、これでもそれなりに人生経験は積んでいるのだ。
「大好きなおじいちゃんなんでしょ。 そんなこと、いっちゃ駄目だよ」
「ふん、知ったようなことをいうんじゃねーよ」
「先輩、お話の所悪いですが。 どうやら、またお出迎えのようです」
スノーモービルが止まる。
前方に、さっき以上に大きな影が、無数に群れているのが見えた。
「相手にしている暇が惜しいな。 L、突破口を開いてくれ」
「え? 俺がか」
「能力面ではMに匹敵する貴様を信頼してのことだ。 出来ないか」
「ふ、ふん。 やってやろうじゃねえか」
まばゆい光が、空に向かって跳ぶのが、スノーモービルの中からも見えた。
乗せられたLだが、その実力は本物である。降り注いだ火球が、敵の群れを吹き飛ばす。掃射するように放たれる火球の群れが、敵を容赦なく掃討していった。
敵の壁に穴が空く。
其処に、七機のスノーモービルが割り込んだ。追撃を駆けようとする敵を、振り返ったMが、特大の火球を投擲して、文字通り蹴散らした。
何事も無かったかのように、再び七機のスノーモービルが進み始める。
うしろでは、ちかちかと光が瞬いていた。凄まじい火力で、Lが敵を蹂躙しているのだ。L一人で大丈夫かと、ふとスペランカーは不安になる。
あれはおとりの戦力に過ぎず、本命が控えているかも知れない。
だが、ジョーはその考えを見越したかのように、通信を入れてきた。
「アイスクライマーは、俺が駆け出しの頃に、一回一緒に戦ったことがある。 武人らしい老爺で、頼りになる同僚だった」
「え……」
「生きている可能性はある。 まだ諦めるな」
あとは、無言が続いた。
吹雪の音が、更に酷くなってくる。
最後の集落に到着した頃、時刻は六時を回っていた。既に、この島に上陸してから、半日以上が過ぎていた。
3、氷の巨塔
村があった場所には、巨大な氷の塔があった。
高さは、見当も付かない。吹雪で見えないから、あまり高くないのかも知れないが、少なくとも今の状態で見ることは出来ない。
歯ぎしりするポポの肩を、ナナが叩いた。
「ポポ」
「うるせえ……」
こんな事をするのは、多分此処を作った奴だ。
じいちゃんの気配は、今までの村には無かった。戦闘中、じいちゃんが暮らしていた家も除いたが、死体も無かったのである。もしいるなら此処だろうと、ポポは見当を付けていた。
だが、これでは。
スノーモービルで円陣を組む。Mが見張っている中、ジョーが突入班を集め始めた。追いついてきたLが、塔の壁に穴を開ける。炎を叩き込んでも埒があかなかったが、L自身が巨大な熱量の塊になり、何度か体当たりしている内に壁に穴が開き始めた。
やがて、轟音と共に、壁の一角が崩れた。
直径十メートルはあろうかという大穴が開いたのに、塔は小揺るぎもしない。よほどに巨大な塔だという事だ。
「よし、俺とスペランカー、ポポ、それにナナ。 あとはLが内部に入る。 他のメンバーは、外で探索を続けてくれ」
「おい、兄貴じゃ無いのかよ」
「一旦探索をする。 威力偵察を兼ねるから、お前を連れて行く」
Lは不満そうに眉をしかめたが、Mが指揮権を譲渡すると告げたジョーには逆らう気もないらしい。
Mはというと、弟の不満など知ったことかと言わんばかりの態度で、腕組みして辺りを見据えていた。
「先輩、僕は外で後続を断ちます。 中に何があるか分かりませんから、気をつけてください」
「うん。 川背ちゃんも、気をつけてね」
スペランカーが脳天気な会話をしている。
この女には、本当に苛つかされる。悪い意味では、ない。此奴が精神面で非常にタフで、運動神経が鈍くて頭が悪い割に頼りになる事は、ポポだって認める。
だが、どうも気に入らないのだ。
以前、オーストラリアの近くで、蜘蛛の邪神と戦った頃からそうだった。不思議と頼りにしている自分に気付けば気付くほど、そのいらだちは強くなるのも分かった。どうしてかは、よく分からないが。
恐らく、本能的に知っているのだ。此奴は、物理的な戦闘力という意味では無く、精神面で自分より上を行っていると。
塔に入ると、風がぴたりと止んだ。辺りは氷の石畳とでもよぶようなもので舗装され、壁も煉瓦を組んだようにぴっちりしている。
そして、充満している、静かな殺気。
恐らく、侵入者を歓迎していないことは間違いない。
いずれにしても、はっきりしていることがある。
じいちゃんは、多分もう生きていない。
それならば、変な夢を見るのはやめだ。このくだらない騒動を起こした奴をぶっつぶして、さっさと帰る。
帰るって、どこにだろう。
自分の村については、ずっと前からムカついていた。勝手にナナとの婚約を決めて、じいちゃんをよそ者呼ばわりして。そして、外貨を稼いでくるナナとポポのことを、便利な道具ぐらいに思って。
田舎が暮らしやすいなどと言うのは大嘘だと、ポポはよく知っている。
特にポポの村のような場所は、閉鎖的で人間関係がどろどろで、碌なものじゃない。さっさと出て行きたいと、ずっとポポは思っていた。ナナがどう考えているかは、よく分からないのだが。
しかし、最近気付いたのだ。
或いはじいちゃんも、そう思って、村を出たのでは無いかと。しかし、都会で暮らすことも出来ず、こんなちいさな島に落ち着いたのでは無いのだろうかと。
だとすると、じいちゃんは、どうして。時々島に帰ってきて、自分とナナに外の話をしてくれたのだろう。
あの大きなしわだらけの手で、頭を撫でてくれたのだろう。
中に入って、しばらくして。
不意に、ジョーが耐寒服を脱いだ。ヘルメットだけだが。
「お、おい」
「気温は6℃程度まで上昇している。 かなり寒いが、耐寒服を脱いだ方が戦闘面では有利だ。 ヘルメットだけでも脱いでおけ」
「しかしよお」
「ポポ」
ナナに言われて、渋々自分も耐寒服を脱ぐ。確かにこれを着ていると、動きづらくて仕方が無い。
外で化け物にやられた連中だって、普段だったら屁でも無かっただろう。
耐寒服を置いておくわけにも行かないので、Lがしぶしぶ能力の一つを使った。荷物類を浮遊させる能力らしく、火球などの制御に用いているそうだ。
「これ使うと注意力が落ちるからな。 周囲の警戒を怠るなよ」
「案ずるな」
スペランカーがもたもた耐寒服を脱いでいたが、やがて先頭に出てくる。何かあったら、此奴の場合奇襲を受けても死なないだろうし、まあ妥当なところか。
会話が、減る。
多分、誰もが感じ取っているのだろう。嫌な気配がある事を。
塔を少しずつ登る。階段のようなものはないので、天井に穴を開けたり、壁にロープを掛けたり。本当にどこまで続いているのか、全く分からないほど高い。
ジョーがロープを投げ、最初にスペランカーが登っていく。その間、上に突撃銃を向けて警戒しているジョーが、此方を見ないまま言う。
「後ろにも警戒しておけ。 これだけ広い建物だと、後ろに回り込まれる可能性も低くない」
「はい」
ナナが素直に言う事を聞いて、ポポの服の袖を引っ張る。
分かっている。
分かってはいるが、腹が立つ。
愛用の木槌を構えたまま、ポポは言う。
「何だよ、腹が立つなあ」
「相手の方が正しいよ」
「そんなことは分かってる」
「それより、いいの。 どうやら、来たみたい」
Lが、舌打ちするのが見えた。最悪の形で、挟み撃ちを受けた様子である。
後ろから、無数の人型が迫ってくる。アザラシのように見える者もいる。ペンギンのように見える者もいる。
それなのに、側で見ると、とんでもなく醜悪だ。まるで元の原型が見えないほどに体が崩れ、或いは凍傷で全身が焼けただれている。目は白濁し、体の中から内臓がはみ出し、口からはよだれが垂れ流されて凍っていた。
ジョーが発砲をはじめる。
「後方は相手にするな。 適当にあしらいながら、上に上がれ」
「分かりました!」
ナナが叫び、近くにいたアザラシもどきに、木槌を振り下ろした。
ポポも、舌打ちしながら、つかみかかってきたペンギンに向けて、フルスイングする。直撃した木槌が、相手の内臓を更にぶちまけながら、吹き飛ばした。
ナナとポポの能力は同じ。
自然ならぬものを固定し、破砕する事である。
外ではなんら役に立たないことも多いが、こういう相手に対しては絶大な破壊力を見せる。
頭を砕かれたアザラシは、のたうち回ってすぐに動かなくなった。ペンギンは壁で汚い染みになって、その場で動きを止める。無数に群がる相手を殴り飛ばしながら、少しずつ下がる。
ロープを伝って上に上がったジョーが、叫ぶ。
「来い! 急げ!」
「ふん……」
鼻を鳴らしたLが、不満そうに近寄ってきたアザラシもどきを蹴り上げた。天井に直撃し、吹っ飛ぶ。
凄いパワーなのは認めるが、何だか此奴にも腹が立つ。
腹が立つベクトルが、何処か違うのだが。
「おい、小僧共。 急げよ」
ひょいとひと飛びするするだけで、Lは上の階層に。まだつり下がっているロープに、まずナナが飛びついた。
シロクマみたいなのが来る。
全身が膿み崩れて、もはやゾンビ映画に出演できそうな容姿になり果てていた。頭を叩き潰すが、巨大な前足を振るってくる。下がった途端にロープが大きく揺れた。
「ポポッ!」
「こんな所で、やられるかよっ!」
飛びかかってきたペンギンを、フルスイングで吹き飛ばす。だが、右からも左からも、無数の敵が殺到してきた。木槌を振り回しても、ひるみもしないし怯えもしない。
頭上。
天井の穴から、氷の塊が墜ちてきた。
ペンギンの魔物が、それに潰されてぺしゃんこになる。一瞬の隙を突いて、ロープに掴まると、ナナが一気に引き上げてくれた。
もはや人外の土地となった階下で、無数の化け物がうめき声を上げている。
見ると、氷の塊を落としてくれたのは、スペランカーだった。
「無事だった?」
「ええ、ありがとうございます」
しらけきった口調で言う。
だが、スペランカーは気を悪くした雰囲気も無い。それが、余計に腹立たしい。
ジョーがロープを回収すると、上を見据える。
「スペランカー。 まだ先か」
「分かりません。 強い邪神になると、気配を消す事が出来るようですから。 でも、一つはっきりしていることがあります。 どうも、複数の邪神がいるみたいです」
「ちっ、ぞっとしねえ」
Lが不満げに吐き捨てた。
「知っての通り、スペランカーは燃費が悪い。 一番強い奴だけしか向かわせられないな」
「分かってるよ。 俺が頑張れば良いんだろう?」
「一度戻る選択肢もあるが?」
「冗談。 ただ、兄貴には救援要請を出しておくよ」
しかし、あれだけの数の追撃があったのだ。下も無事かどうかは分からない。それを前提に戦略を組むわけにはいかないだろう。
Lが、氷の塊に、情報を刻み込む。
そして、塔の壁をぶち抜いて、真下に放り投げた。これならば、気づきさえすれば伝わるだろう。
念のために、同じような氷塊を三つ落とす。その後、Lが氷の塊で、壁の穴を塞いだ。不思議な話だが、壁の穴から全く冷気が吹き込んでこない。
足音。
振り返ると、無数の人型だ。どうやら、ゆっくり休んでいる暇は無いらしい。人型は、彼方此方から歩み寄ってくる。天井がさほど高くないので、身をかがめている個体もいた。
「イア、イア」
「捧げ物を、ささげ、ものを」
「イア、イア! イア、イア!」
「あの辺りに穴を」
敵の数は三十を超えている。どれも身長五メートルはある巨体ばかりだ。外にいた奴もいるが、毛むくじゃらだったり、体中に目があったり、無数の触手が生えている奴もいた。いずれ劣らぬ異形だらけだ。
だが、ジョーは全く動じず、冷静にポポに指示を出してくる。時間を稼ぐから、その間に穴を開けろというわけだ。
この塔自体が、理不尽の塊みたいな存在である。
「ナナ!」
「うん!」
木槌を、まず高々と持ち上げ、遠心力を付けながら、地面に向けて振るう。
そして、地面をこする摩擦による加速を用いて、振り上げる。
その瞬間、木槌にナナが乗る。
高々とナナが天井に向けて跳び、木槌をふるって天井を打ち抜いた。
膨大な氷の欠片が降り注ぐ。ジョーは無言でロープを投げて、引っかけた。最初にスペランカーが登りはじめるのを見届けながら、グレネードランチャーを取り出す。
そして、手を伸ばしてきた大きい人型の顔面に、容赦なく叩き込んだ。
ハスターは、玉座で戦闘の様子を見ていた。玉座といっても、人間とは似ても似つかない姿のハスターにとって、椅子とは違う形を取らせている。全体的には円盤に近く、中央に盛り上がった場所があって、それに体を乗せているのだ。
急あしらえだが、悪くないよっかかり心地だ。
人間共がこの島に入ってきてから作り上げたこの城である。礎石にはあるものを使ったが、それ以外は全て自分の力で仕上げた。それにしても、礎石を見たら、人間共はどんな反応を示すだろう。
人間の狂気は大好物だ。さぞや面白い反応をするだろうと思うと、今からよだれが止まらなかった。
よだれをぬぐいながら、部下に命じる。部下達は、いずれもがこの星に来ていたり、或いはこの星系の別の星に来てそこで眠っていたのが、ハスターの目覚めに伴って駆けつけてきた。
現在、神と呼んで良い存在は三柱が側に控えている。もっとも、いずれもがハスターにとっては駒に過ぎなかったが。
戦略については、決まっている。
ハスターは風を司る邪神だ。ニャルラトホテプに余計なことを言われるまでも無く、情報収集くらいはしている。この世界の能力者が、案外侮れないことも、既にしっかりと理解していた。
今、もっとも警戒すべきは四名。
Mと、その弟のL。Rなるロボット。そして、神殺しスペランカー。
そのうち二人が、先鋒にいることも、捨て駒として使った雑魚どもを通して、確認済みである。
まずは、今来ている先鋒隊と後続を分断したい。特に、後続には大きな戦力がいるようなので、足止めしておきたかった。
Mとやらも、多分後続だろう。そうなると、メインディッシュとして取っておきたい。
「ハスター様」
「どうした、ミ=ゴよ」
外に出ていた、配下の一柱が、搭最上階に姿を見せた。
ミ=ゴは冥王星に派遣していた部下で、人間に対しては姿を隠し、ずっと鉱物資源の採集をしていた。
姿はカニに似ているが、言うまでも無く力は遙かに強大だ。体には無数の触手が生えていて、魔術にも長けている。
恭しくミ=ゴが差し出したのは、水晶球である。それを受け取り、術式を起動。
映り込んだのは、人間の姿だった。禿頭で、なにやらハスター好みな、狂気に満ちたまなざしをしていた。
「風の王と名高きハスター陛下でありますな」
「ほう。 私に直接通信をしてくるとは。 面白い人間だ」
勿論、通信をしている間に、脆い精神の持ち主なら発狂するようなエネルギーをさんざん送り込んでいる。
だが、この世界の人間は、以前邪神達が大挙して暴れ回っていた世界の人間に比べて著しく頑丈だ。強い奴になると邪神を単独で倒すこともあるようだし、此方の姿を見たくらいで発狂などまずしない。
此奴も例に漏れず、それでハスターは満足した。
むしろ、発狂などされたら興ざめである。まがりなりにも、直接アクセスを試みてきたほどの剛の者なのだから。
「陛下にご提案がございます」
「言って見よ。 私は今、とても機嫌が良い」
「はは。 それでは、単刀直入に申し上げます。 Mを倒すための同盟を、我らと組んでいただきたい」
「ほう……?」
Mは確か、世界最強の名も高い、此奴ら人間にとっては希望の星であったはずだが。
それを自ら切り捨てようとは。さすがは人間。いつもハスターが想像する斜め下を行ってくれる。其処にしびれるが、憧れることは無い。とても見ていて面白くて、小躍りしそうにはなるが。
或いは、ニャルラトホテプが何か策動した結果なのかも知れない。
それはそれで、また面白い。奴は不快きわまりないが、ハスターとしては絶滅しない程度に人間を痛めつけて、その狂気を味わえればそれで良いのだから。
幾つか、話を聞く。
いずれも、ハスターには損が無い。此処でMと戦えなくはなるが、それは構わない。いずれにしても、Mとは戦う事になるのだから。
ただし、一つ気をつけなければならないことがある。
「神殺しについては、戦闘を避けてください」
「ふむ、確かに話を聞く限り、そうした方が良さそうだな。 妻を殺してくれたことに対して、いずれ復讐はしようと思っているが、何も私が直接手を下さなくても良いか」
「御賢断にございます」
「必要以上にへりくだるな。 却って不快だ」
話を打ち切る。
周囲に控えている部下共は、いずれもハスターに絶対服従を誓う面々だ。だから、これのどれかを今回は使うことにする。
「ロイガー。 ツアール」
「ははっ」
左右から、全く同じ声。
ハスターが作った形無き天井からぶら下がっている触手の塊が、その声の主だ。
珍しい双子の神である。
「この場はお前達に任せる。 神殺しとやらの戦力を見極め、私の元に情報を持ち帰るのだ」
「お任せください」
「今までの連中とは違うことを、見せてやりましょう」
何を馬鹿な。
クトゥグアでさえ倒した奴だ。ニャルラトホテプの奴はいっていなかったが、どうやらクトゥルフの滅亡にも関わっている形跡がある。此奴らでは多分勝てない事くらいは、ハスターも理解している。
今は、情報収集の時だ。だから、此奴らくらいは捨て駒として用いても何ら通弊は感じない。新しい部下など、適当に作れば良いのだから。
その冷酷さこそが、ハスターの真骨頂。
陰湿なクトゥルフや、正面決戦しか考えないクトゥグアとは違う。勿論奔放なニャルラトホテプとも、また異なる。
故に、ハスターは不滅なのだ。
「期待しているぞ」
「ははっ。 我らが主の仰せのままに」
ハスターは、眷属を連れて、この場を一旦離れる。
まず、Mを倒すための同盟とやらに、場所を提供させる。裏切るようならば、その場で滅ぼす。
全ては、それからだ。
危険である事を承知でここに来るのは、人間共の狂気が美味だからである。
食事を楽しむためには、部下を使い捨てにするくらい、ハスターにはなんら躊躇せぬ事柄だった。
なぜなら、ハスターは美食家だからである。
人型の頭を握りつぶし、放り捨てながら、Mは感じ取る。
一番強い気配が消えた。
吹雪も、途端に弱まりはじめる。しかしながら、周囲から現れる雑魚どもの数は、むしろ倍加しはじめたようにさえ思えた。
側で戦っていた戦士が、巨大なエネルギーライフルを振り回しながら言う。彼は別の会社のかなりの古参の戦士で、派手な武勲には恵まれなかったが、頼りになる。
「M、スペランカーがやったか」
「いや、これは違うな」
近くにいる敵を千切っては投げ千切っては投げつつ、Mはめまぐるしく思考を回転させる。
どうも今回は様子がおかしい。
様子見としてLを行かせたが、ひょっとすると荷が重いかも知れない。
吹雪がどんどん弱まってくる。温度も急上昇をはじめた。此処を何らかの理由で主が放棄した、という事だろう。
気温が−40℃程度まで上昇。
これならば、Mが緩和すれば、もう耐寒スーツは必要あるまい。
「攻勢に出ろ! 川背、貴様はスペランカーを追え。 何名か同行しろ」
「どういうことですか」
「罠の臭いがする。 こっちは私がどうにかする」
川背に躍りかかった人型だが、残像を掴んで蹈鞴を踏む。その首にゴム紐が巻き付き、瞬時にへし折られていた。
中々にやる。
地味だが強い戦士は確かにいる。そういえば、Mも若い頃は、少ない能力で工夫して戦っていた気がする。しかし、色々と通じない局面が出てきて、大幅に能力を改造したのだ。修行だの鍛錬だのと世の中では簡単に言うが、そんな生やさしいものではなかった。
思えば、Kという強敵がいたからこそ、成し遂げられたのかも知れない。
熱量を放ち、周囲の気温を緩和。
既に、耐寒服は、必要ない。Mが調整した結果、−6℃まで温度は上昇していた。肌寒いが、これなら充分に防寒着だけで戦える。
吹雪も、止まる。
歴戦のフィールド探索者達の士気が、俄然上がった。
「よし、全面攻勢に出るぞ!」
「おおっ!」
耐寒服を脱ぎ捨てたフィールド探索者達が、群がる敵に躍りかかる。今まで動きが鈍かった近接戦闘タイプが、特に凄まじい活躍で、大形の相手もまとめて薙ぎ払っていく。こうなってしまえば、もうこっちのものだ。敵の数が数千程度である以上、フィールド探索者の精鋭を集めたこのメンバーで負けることはあり得ない。
川背と何名かを割いたが、それでも充分だ。
形勢が逆転する中、Mは塔の、果てしない高き頂上を見上げた。今は、Mも手の内を見せない方が良い。
また、無数の人型が迫ってきた。これでは戻るどころでは無い。
かなり疲れたが、スペランカーも足を止めるわけにはいかなかった。相手の動きを良く見ながら、ポポを誘導。
天井に穴を開けるポポ。穴を開けるのは、ナナと交代で行っている。能力の消費を避けるためだ。
ジョーが冷静に辺りに弾をばらまき、敵の接近を防ぐが、それでも殆ど時間が無い。
「ジョーさん」
「懸念は解る。 誘導されているようだな」
「何だ鬱陶しい。 後続を蹴散らすか」
「消耗したところで襲われるぞ」
Lの提案を、ジョーが一蹴。眉根を下げたスペランカーが、まあまあと二人をなだめる。突撃銃をぶっ放す音が響く中、無言でナナが、上からロープを下ろしてきた。
二人の息はあっているのだが、どうも妙な関係だ。
恋人と言うには遠いし、兄妹というには近い。田舎の村にありがちな許嫁の関係らしいのだが、それにしては妙な点も目立つ。
天井に這い上がる。
気配が、強くなってきた。これは、かなり近いかも知れない。
最後に下の階に残ったLが、両手に出現させた炎の帯で、周囲の敵を薙ぎ払い、一掃する。だが、すぐに代わりの敵が現れて、迫ってくる。舌打ちしたLが、ひと飛びで上の階層に来た。このままだと、まずい。
複数の邪神が、多分上で待っている。
Lの消耗は、スペランカーから見ても明らかだ。完全に、敵の術中に陥ってしまっている。
この辺りは、ジョーとの経験差がものをいっているのだろう。
ジョーとLとでは、本来天地の実力差があるはずなのに。ジョーの方が遙かに頼りになる。
Lが運んでいる荷物に手を伸ばし、ジョーが大きな銃を取り出す。さっきからそうやって、何度か銃を取り替えている。銃身が熱くなるのを防ぐためかも知れない。
「スペランカー、邪神は何柱だ」
「多分、二柱だと思います。 ただ……」
「ただ、何だ」
「気配がとても近いんです。 かなり特殊な体をしているのかも」
どんな力を持っていても不思議では無い相手だ。もし風を司る神様なのだとしたら、空気自体が意思を持っているかも知れない。
そんな相手をどうすれば良いか、見当が付かない。
でも、そもそもスペランカーは、まず相手のことを知りたい。どうしてこんな事をしたのか、対話は無理なのか。
実際に、対話が出来た相手だっていたのだ。
膝に手を突いて呼吸を整えていたLが、顔を上げる。銃の点検をしていたジョーが、ポポに指示を出していた。ポポはしばらく口を引き結んでいたが、不意に言う。
「なあ、あんたさあ。 どうしていつもそんなに冷静なんだよ」
「ポポ!」
「黙ってろっ!」
大声に、ポポの方が驚いた様子だ。ばつが悪そうに、顔をしかめる。ナナはというと、無表情のまま、立ち尽くしてポポを見つめていた。
これは、相当に鬱屈が溜まっていたのだろう。ポポに対して、ジョーは諭すようにでも無く、ただ淡々と応える。
「何が気に入らない」
「全部、全部だよっ! 後続は来ないし、すぐ先に訳がわからねえ神様だとかがいるんだろ!? そのうえ、爺はいねえしよ! 他の人間がどうなったのかもわかんねえ! それなのに、なんで」
「訓練によって身につけた冷静もある。 だが、一番大きいのは、やはり憧れていた軍人の現実を見て、絶望を味わったからだろうな」
「……何でも、経験がある自分が上だってツラだな」
吐き捨てるポポ。
何となく、解ってきた。この子は、自分自身が許せないのだ。
戦士として、さほど優れた能力があるわけでも無いのに。経験とそのタフな精神で、ワンマンザアーミー、スーパージョーと呼ばれるほどの男。彼を前にしていると、自分の未熟が露呈して仕方が無い。
だから、思春期特有の、大人への反発心もあって。不快で仕方が無い。
気持ちをもてあます、こういう熱情を。スペランカーは羨ましいと思う。
スペランカーは、体の成長が止まってしまった。
それ以上に、もっと幼い頃に。
父の死と、それに母によるネグレクトで。心が死んでしまった。それから少しずつ取り戻して、今は普通に喋れるようにはなっている。だが、それでも。普通に育ってきた子供達とは、やっぱり心の作りが違う。
「お前は子供だ」
「……っ」
「ならば、伸びしろが大きいという事だ。 お前の祖父は非常に優れた戦士だ。 だが、お前がそうなれるわけではない。 祖父になろうとせずに、自分の長所を見極め、強くなろうとあればいい」
ジョーが装備の点検を終えた。
歯ぎしりしていたポポは、目を乱暴にこすると、視線をジョーから外した。
ナナが、大きく嘆息した。
「馬鹿な奴」
「馬鹿でいいじゃない」
「スペランカーさん?」
「いいんだよ、子供の時はそれで。 私はそんな時間が無かったから、すごく羨ましいって、思うよ」
気配が、周囲に充満する。
だが、既に上の気配も至近だった。仕掛けてくる気配は無いが。
天井を破れば、対面することになる。
ジョーが、何か不思議な弾を、銃に装填しているのが見えた。思い出す。確かアトランティスで一緒に戦ったときに、戦友だったダーナから受け取っていたものだ。多分、切り札だろう。
気付いただろうか。
ジョーは、ポポの祖父のことを、過去形で呼ばなかった。
天井を、ナナが打ち破る。じんわりした寒気が流れ込んでくる。素早くロープを投げて、引っかかりを確認して。
最初に、スペランカーが上に。
もたもたと、穴から這い上がると、其処には満天の星空が広がっていた。既に、塔の最上部まで来ていたのである。それは予想していたが、まさか上に天井が無いとは思わなかった。あの吹雪の中で、平然と過ごしていたのだろうか。よく分からないが、風か何かでバリアを作って、吹雪をその外で吹かせていたのか。
それだけではない。
空を舞う、二体の何者か。
鳥のように見える、赤と蒼の影。だが、よく見ると、その体は無数の触手で構成されていることが解る。
下で発砲音。
ポポが、無言で上がって来た。続けてナナも。Lが遅れて、来た。そして、見上げて目を剥いた。
「何だありゃあ……」
「見て!」
ナナが、悲痛な声を上げた。
空にその姿があった。中空に漂う、氷付けの体。虚ろな目をした、人間の老人。小柄だが、もの凄い力を発揮しているのが、遠目にも解る。
おそらくは、あれが。
アイスクライマー。
二世代前の、最強のフィールド探索者の一人。寒冷地では無敵を誇ったという、歴戦の勇者。
ジョーが上がって来た。そして、目を剥いた。
「おのれ……」
「ほう。 どうやらこの人間と、因縁浅からぬ者達のようだな」
「我ら、双子の星が相手しよう。 我はロイガー、そちらはツアール」
赤い方が言った。つまり、青い方がツアールか。触手の塊で出来た鳥は、氷付けのアイスクライマーを中心に、ゆっくり円周上を廻るようにして飛んでいる。時々馬鹿にするように羽ばたいているのは、多分そんなことをしなくても空くらい飛べるというアピールだろう。
不意に、ジョーが突撃銃を腰だめして浴びせかけた。
ロイガーの方に弾が集中するが、だが着弾した様子は無い。けらけらと笑う声だけが響いた。
ジョーは相当に怒っているように見えて冷静だ。まずは通常攻撃が通用しないことを、皆に見せてくれた。問題は、物理的にこの世界に現れている以上、どうしてそれが通用していないか、見極める事だ。
ツアールの方も、ジョーの射撃を受けてもびくともしない。
スペランカーの仕事は、とにかく接近することだ。だが、それも、どうも妙だ。Lが青ざめている。何か、見えているのかも知れない。
「どうした、そんな豆鉄砲しか、手が無いのか」
無言で、口を利いた方、ロイガーに、グレネードランチャーをぶっ放すジョー。炸裂する爆風の中、全く傷つくどころか、ダメージさえ受けていない邪神鳥が姿を見せる。これは、おかしい。
今、爆風が、そのまますり抜けるのが見えた。
邪神達が、反撃を開始した。
豪と、風の音だけが聞こえて。
気付いたときには、ポポが、中空に投げ出されていた。
下手をすると、地上から、千メートルは離れているかも知れない、塔の外側に、である。
ナナが、手を伸ばすが、届かない。
この時、スペランカーは、思い知る。今回の相手は、今までと違って、人間に対して対等な条件で戦おうとしていない。
完全に、潰しに来ている。
今、スペランカーは、敵のホームグラウンドにいる。
4、邪神双舞
あ、と思ったときには、既にポポの足は床から離れていた。
スローモーションで、全てが見える。
ナナが、遠い。
手を伸ばしているナナ。手を伸ばすが、とても遠くて。そして、既に吹雪が止んでいる嫌みのように美しい星空と、それにずっと遠くの地面、それにけたけた笑っている、鳥のような形をした邪神が見える。
風が、ポポの体を、吹き飛ばしたのだ。
しかもこれは、理不尽な現象では無いと、体で解る。そうでなければ、ハンマーを振り回して、ある程度制御が出来たかも知れない。理不尽な、不自然なものを固定して打ち砕く。それが、ポポとナナの能力であるが故に。
自然そのものが相手という戦慄すべき現実を、思い知らされる。
絶望が、全身を支配する。じいちゃんがいっていた事がある。祖母も、その点だけは、じいちゃんと同じ意見だった。
自然こそは、最強。ホッキョクグマも、人間も、自然には勝てない。体重1トンはあるホッキョクグマも、小さめの流氷に押しつぶされてしまえばひとたまりも無い。どんな凄い文明の利器だって、吹雪に閉じ込められてしまえば、力を発揮など出来ない。
墜ちる。
どんどん加速していく。ああ、死ぬなと、ポポは思った。
不意に、手を掴まれる。
ぐっと、体が引き戻された。
「乱暴に戻るから、歯を食いしばって」
壁にたたきつけられた。
死なない程度に、である。気付くと、床に蛙のように這いつくばっていた。床。壁では無かった。塔のかなり前の方だろうか。
上をにらんでいる姿。
海原川背。
あのスペランカーの、小生意気な盟友だ。周囲には、何名か手練れのフィールド探索者がいる。
「立てる?」
「当たり前だ」
「じゃあ、自力で上まで戻れるね」
返事を聞くか聞かないかの間に、川背は塔の穴から外に出る。そして、あのゴム紐を使って、外壁を垂直に上がっていった。
全身に、震えが来る。
そうだ、行かなければならない。肩を叩かれた。
「小僧、やれるか」
顔を上げる。
ジョーと同年代らしい、ベテランだ。ポポも知っている。何度も難関フィールドを潰している、英雄。
そして、自分は小僧。
何だか、すっと気負っていたものが、消えていく気がした。
負けた、と思ったからだろうか。
ジョーも言っていたでは無いか。これから、強くなっていけばいいのだ。
そして今は、まずは屋上に戻る。
「体勢を低くしろ! 空に投げ出される!」
ジョーの怒号を受けて、ナナは慌てて身を伏せた。ポポが。ポポが、死んだ。いや、違う。
解る。ずっと一緒にいたから。
彼奴は、死んでない。だけど、体の震えが止まらない。あれだけ憎まれ口を叩きあっている間なのに。
Lが空に浮き上がり、邪神に拳を叩き込む。
だが、やはりLの体は通り抜けてしまう。実体が無いのか。そう思ったが、どうも違うようだ。
鳥の体から分離した触手が、Lを打ち据える。
塔の屋上に、Lが墜ちてきた。
「ぐわっ!」
「ひっ!」
側に墜ちてきた巨体。スペランカーが、無言でかばってくれた。
ひ弱なはずのスペランカーは、じっと鳥を見つめている。何か、気付いたことが、あるのだろうか。
幻覚とか、そういうものではないはずだ。
ならば、何故攻撃が通らない。
「やりたくは無いが、仕方が無いか」
ジョーが、閃光手榴弾を懐から取り出す。耳を塞ぐスペランカー。それに、慌てて習う。
どうした。
初陣の子供じゃ無いのに、何でこんなに慌てている。ポポが、死んだと思ったからか。今までも、散々実戦であった事なのに。
ああ、おじいちゃん。
私はどうしたんだろう。
ジョーが中空に投擲。炸裂する、閃光と爆音。
その時、見える。一瞬だけ、閃光が影を映し出す。それは、今見えている鳥とは、似ても似つかない姿。
おぞましい形をして、そして眼鏡のように真ん中でつながっている、巨大な触手の塊。
それが、閃光の中、ありありと浮かび上がっていた。
「な、なんだありゃあっ!」
「空気の密度を変えたりして、本来の姿を此方から隠している、という所か。 L。 広域に攻撃をしろ」
「指図するなっ! だが畜生、それが正しそうだな!」
数十の火球を出現させ、それを空中にばらまくL。大量の火球が不規則に動き、それの幾つかが炸裂する。着弾したと見て良いだろう。
問題は、相手が屁とも思っていない様子だという事だ。
「ふむ、その程度ですか」
膨大な火球が、炸裂する度に影を乱舞させている。
それが、一秒ごとに形を変え、まるで生き物のように蠢いている。
これは尋常な相手ではない。
冷静に、ジョーが指示を出してくる。
「相手の動きを固定する必要がある。 それは解るな」
「あ、え、ええと」
「惚けるな。 俺とLとで、奴の大まかな姿を現し続ける。 最終的に、スペランカーがブラスターを叩き込めば、奴らの力は四半減できるし、一気に倒せる可能性もある」
まだ敵が遊んでいることを、ナナは理解できる。
つまり、たたみかけるのは、今だ。
不意に、体が浮き上がりかける。
悲鳴を上げそうになった。ポポと、同じように死んでしまう。ああ、嫌だ。怖い。
ジョーが腕を掴んだ。そのまま踏ん張り、閃光手榴弾を投擲。中空で炸裂した手榴弾が、またおぞましく形を変える触手の塊を現し出す。
其処へ、Lが飛ぶ。
全身を発光させ、熱の塊となって。
直撃。
うめき声が上がった。多分、初めて有効打が入った。だが、それにしても、かすり傷程度か。あまり効いているようには聞こえない。
空中を跳び回りながら、Lが打撃を与えていくのが解った。だが、敵が、いよいよ反撃に出る。
風が、吹き荒れる。
身を伏せるスペランカーが、ようやく伏せることが出来たナナの頭を下げさせる。
敵は、ただこうやって風を吹かせているだけで、此方の体力を削り取ることが出来る。Lが、巨大な触手の一撃を受けたらしく、遙か遠くに吹き飛ばされるのが見えた。
能力が同じでも、Mにはほど遠いか。
震えが、納まらない。
「ナナちゃん、良く聞いて」
呼吸の乱れが、納まらない。
スペランカーが、静かに告げてくる。
「一つ、気付いたことがあるの」
「な、なに……」
「あの真ん中の、アイスクライマーさんの亡骸。 あれを中心にして、さっきから邪神達の影が、動いているみたい」
ついに、言われてしまった。
解ってはいたのだ。
祖父が既に生きていないことも。それに何より、あの恨みに満ちた目も。
祖父は、ナナとポポと一緒にいるときは、優しそうだった。だが、一度だけ見たことがある。
まるで別人のように、周囲を寄せ付けない雰囲気の祖父を。
引退したあとの祖父は、ひょっとして。村に居場所が無かっただけでは無い。この島にも、どこにも居場所がなかったのではないのか。
世界屈指のフィールド探索者として、後進の育成に当たっているときは、良かったかも知れない。
だがそれ以外の時、人々は祖父にどんな視線を向けていた。
故郷の人間でさえ、祖父を理解しようとはしなかった。
「楽に、してあげて」
風が、ますます強くなってくる。
けたけたと笑う邪神達。Lは猛攻を仕掛け続けているが、消費が激しいのが、目に見えて解る。
だが、Lが邪神の気を引いてくれている、此処が好機なのだ。
不意に、ロープが。いや、ゴム紐が、祖父が封じ込まれている氷に絡みついた。
見た。
増援が、来たのだ。
川背。それに、ポポもいる。
涙が溢れそうになった。
「ナナ! 行くぞ!」
「……うんっ!」
声をかき消すように、ジョーが投擲した閃光手榴弾が、空で炸裂した。
邪神の影が、Lに向けて無数の触手を伸ばしている。凄まじい風の刃が、Lを襲っているのが解る。
だが、それが故に、今は好機。
ポポとナナは、息を合わせて、ゴム紐に飛び乗った。タイミングは完璧。川背が反発力を駆使して、中空に跳ね上げてくれる。
ああ、おじいちゃん。
今、楽にしてあげるからね。
呟きながら、ナナは、脳裏に飛来する、祖父の思い出を振り払う。
最後に、孫達の頭を撫でながら、笑みを浮かべている祖父の顔が、浮かんだ。
氷の塊の両側から、自然ならざるものを固定し、粉砕する槌をたたきつける。
凄まじい反発。
もしも邪神が、此方に注意を引きつけていたら、どうにもならなかっただろう。だが、奴は、今。Lが放った特大の火球に掛かりっきりだ。
「しまった! おのれ、こざかしい真似を!」
氷の塊に、ひびが入っていく。
そして、祖父の体が、千万に砕け、虚空に消えていった。
スペランカーは、顔を上げた。
風のバリアが消え、双の邪神が、姿を見せようとしている。
既に、絶叫した邪神は、今までの余裕がかき消され、本気になっているのがありありと見て取れた。
双の邪神が、巨大な鳥のような形へと、融合しながら姿を変えていく。だが、それは触手で構成され、元の生物とはよく見ると似ても似つかないのだった。
見ているだけで頭がおかしくなりそうである。
これが、本気の邪神のプレッシャーだ。だが、今までに何度も見てきた。もっと強い邪神と、相対したこともある。
Lが、全力で光を纏い、正面から拳をたたきつけた。
だが、悠々とはじかれ、吹き飛ばされる。増援として来てくれた何人かが、同時にそれぞれの武器を、魔術だったりエネルギービームだったりをたたきつけたが、それも正面から防ぎ抜かれた。
翼を広げた邪神。
「先輩、「打ち上げ」ます。 彼処へ走ってください」
「うん!」
川背が、既に塔の端に、ゴム紐を引っかけていた。
そして、スペランカーは、言われるまま、塔の端に走る。
ジョーが、突撃銃で、敵の顔面を精確に撃ち抜いた。足を止める。
まだ、早い。
ジョーの一撃は、今までまったく通らず、サポートに徹していた。だが、今の一撃は、どういうわけか痛打になっていた。
多分、あのときの銃弾だ。
更にジョーがたたみかける。
彼の連射は、固まりつつある邪神の体を、片っ端から打ち抜いていく。そのたびに血しぶきが噴き出し、邪神が絶叫した。
「き、貴様、その弾は何だっ!」
「俺にも良くは解らんが、聖遺物だのを粉末状にして、中に入れているらしいな」
だが、説明を終えた途端、弾がはじき返される。
邪神が、触手を固めて作った鳥の顔で、にやりと笑うのが解った。
だが、その瞬間、横っ面をポポのハンマーが直撃する。今までに無い衝撃が入り、邪神はその形さえ崩して、横に大きく倒れかかった。更に逆方向から、タイミングを合わせてナナが一撃を叩き込む。
シールドが、完全に粉砕されたのが、スペランカーの目からも解る。
あの二人の能力は、そういうものだ。堅かろうが柔らかろうが、関係ない。邪神が、触手の塊に戻りかける。
真下から打ちかけられた巨大な火球が、その全身を、炎に包む。
まだだ。
まだ、邪神は力を出し切っていない。
「てあああああっ!」
ポポが、跳躍する。既に、さっきまでとは別人のようだった。完全に戦士の顔である。
だが、一閃した触手が、ポポを中空に吹き飛ばす。
同時に、多分圧搾空気の塊だろう。辺りを滅多に打ち据えて、絶叫と悲鳴が轟いた。ジョーも至近に一発浴びて、受け身を取ったがなお塔の端の方まで転がされている。
煙の中から、邪神が姿を見せる。
それは、鳥としてはあまりにも巨大すぎて、なおかつ禍々しすぎる姿だった。触手が彼方此方に生えてはいるが、もうあまり目立っていない。それよりも、真っ黒に塗れたような羽毛や、湾曲した牙、赤く濡れた爪が、とにかくおぞましい。
「かって存在した究極のコンドル、アルゲンタビスを模したこの姿、空の王者と呼ぶに相応しい。 我ら兄弟神の全力、見せてくれようぞ!」
「先輩、まだですか」
「……もう少し、待って」
まだだ。
この邪神は、ようやく全力を見せた。ここからが、本番だ。
そしてここにいる皆なら、絶対に道を開いてくれる。
空中でポポを受け止めたLは、驚いた。
少年が、驚くほど落ち着いているのだ。
「下ろしてくれ」
「あ、ああ」
その視線は、さっきまでの子供らしい反発心に満ちたものでもないし、戦士としての未熟さを、熱意だけで補っていたものでもない。
完全に、大人の戦士のものだった。
どうした。何があった。ちょっとしたきっかけで、人間はこうも変わるものなのか。
昔、兄貴は、そういえばLとあまり変わらなかった。卑怯な手でも平気で使ったし、能力が少ない内は、フィールドから逃げ帰ることだって多かったのだ。
それなのに、いつのまにか、Lは兄貴とは、天地の差を感じるようになっていた。
兄貴は性格が悪い。スペランカーにはいつもつらく当たっているし、同僚の戦士達に敬意を払われていても、好かれることは滅多に無い。
だが、強い。とてつもなく。
ばかでかい、翼長八メートルは軽くあるだろう巨大な鳥に変形した邪神は、Lに対して、圧搾空気の塊をたたきつけてきた。はじき返そうとして、失敗する。そのまま押しに押されて、百メートルは下がることになった。
既に息が上がりきっている。
ジョーが、手榴弾を投げつけた。爆発をそのまま煙幕代わりに使い、ポポが突貫を掛ける。羽ばたきながら邪神が下がるが、その後ろ。
フィールド探索者達の一人が、ナナを空に跳ね上げていた。
無言のまま、空から蛇を強襲する鷲のように、ナナがハンマーを振り下ろした。
直撃。
悲鳴を上げる邪神。
邪神が羽ばたく。辺り中に圧搾空気の弾丸をばらまき、鼓膜がちぎれるような音波を辺りに放つ。塔の屋上にひびが入る。
だが、それを、相殺したのは、ジョーの音響手榴弾だった。
わずかに生じた無音の中、フィールド探索者達が、即興の連携でたたみかける。
何だ。この連携は。Lと違い、能力も殆ど無いくせに、此奴らは邪神と互角に近い戦いを繰り広げている。
どうして、俺は。
此奴らのように、なれない。
血がしぶき、肉が避ける。床が砕け、羽が舞い散らされ、誰かが大けがをして倒れる。だが、誰も諦めようとはしない。
邪神が、大技に訴えようとする。ナナの一撃で鮮血を吹き上げながらも、高度を上げ、そして口を大きく開いた。
とんでもない魔力が、其処に収束していく。
塔ごと、吹き飛ばしかねない破壊力の打撃が、打ち込まれようとしている。
Lは、動けない。あれがもし此方に向けられたらと思うと、すくんでしまった。
「川背ちゃん!」
「はいっ!」
その時。
見た。
むしろ柔らかく、暴風の中、打ち上げられた奴がいる。
スペランカーだ。奴は、大口を開けた邪神に、まるで恐れる事もなく、真っ正面から飛んでいった。
「神殺し……!」
邪神が、吠える。
だが、その口から禍々しき破滅が放たれるより先に、スペランカーのブラスターが光を放つ。
邪神が、全身を絞り上げられるような絶叫を上げた。
その力が、半減していくのが解る。
無言で墜ちていくスペランカーを、川背が受け止めた。
「おお、兄者! 兄者あああああっ!」
「双子の兄だけ……」
川背が、歯ぎしりする。奴の力は半減したとは言え、それでも邪神。そして怒りに満ちた分だけ、その攻撃も猛威を増す。
だが。
拳を胸の前で合わせたLは、決める。
このままでは、終わらない。終わらせなどは、しない。
命を賭ける行為は、決して常に尊いわけでは無い。ただの自己満足である事も多い。
だが、今この戦場で行われているそれは、違う。いずれもが、先の勝利を見ての、命を捨てての攻撃だ。
そして今、奴の力が半減したこの時こそが勝機。
Lは己の力を、全て熱量に変える。兄しか成功していない、通称超新星撃。兄ほどの破壊力では無いにしても、此処で、成功させる。
全身の力が、全て吸われていくかのようだ。
意識が、何度も遠のきかける。だが、強引に引っ張り戻す。
鳥が、此方に気付く。
だが、その体に、ゴム紐が巻き付く。更に、無数の火球や、エネルギー弾が打ち据える。更に、ジョーの乱射が、全身を貫く。
「がっ! おあああああああっ!」
悲鳴を上げる鳥。
だが、その全身から放たれた風の刃が、周囲のフィールド探索者達をはね飛ばす。一人だけ難を逃れた川背が、ジグザグに走りながら、跳躍。
鳥の意識がずれた瞬間。
力を高めていたLが、目を見開いた。
「こおおおおおおおおおおっ!」
全身の力を、一機に爆発させる。そして、一筋の星となって、鳥へと落ちかかる。鳥が、気付く。シールドを展開して、防ぎに掛かる。
激突。
「その程度で、このツアールの防壁、破れるものか! 身の程を知れ、人間!」
「破れるさ……」
Lは、どうしてか確信していた。
鳥が、不遜と思ったか、更にシールドの強度を上げようと、大口を開けた。
その横を、川背が抜ける。虚空に閃く、一本の何か。それが、鳥の首に掛かる。川背が、墜ちていく。
何が起こったか、鳥は解らなかっただろう。
川背は、鳥の体に、ゴム紐を引っかけ、落下のパワーで一機に引き上げたのだ。滑車の原理である。中空に不自然に浮いている巨鳥の体自体を、滑車として活用したのである。そして、引き上げられたのは。
ゴム紐の、その先にいた、ポポとナナ。
「ああああああああああっ!」
「せいああああああっ!」
双子以上の連携で、二人が左右から、同時に槌を振り下ろす。
それが、鳥の頭を、完全に打ち砕く。
シールドが、かき消える。
そうか、これが。命を賭ける事の意味か。決して美しくも無い。だが、先の勝ちのためには、尊くもなる。
断末魔の絶叫が上がる中、鳥の体の中心を、Lが貫いていた。
爆散する邪神を背に、Lは何か、ようやく足りないものを得たような気がしていた。
Mはほくそ笑むと、黒焦げの死体だらけの周囲を見回した。
味方は全員が無事である。へばっている奴も負傷者もいるが、死人はいない。完全勝利だ。
更に言えば、邪神に手の内を見せずに済んだ。
さすがはスペランカーだ。大嫌いな奴だが、それでも期待には応えてくれる。Lだけでは、こうはいかなかっただろう。
完全に伸びているサヤを、式らしい妖怪達が起こそうと四苦八苦している。周囲のけが人を助けようと回復の術を使いすぎたのだ。
無線を取り出すと、Mはまずは救援を呼ぶことにした。
邪神の気配が消えて解った。どうも生存者がいるらしい。その理由も、何となく分かる。アイスクライマーめ。たいした奴だなと、無線に向けて話しながら、Mは思った。
まもなく、軍のヘリが来る。
此処からは、フィールド探索者では無く、普通の人間達の仕事だ。
5、残したかったもの
元に戻った氷の島では、わずかな喜びがあった。
生存が絶望視されていた村人達の内、三十名ほどが救出されたのである。いずれもが、邪神が作り上げた氷の巨塔の地下に、半冬眠状態でいたのが見つかった。しかし、これには理由があった。
明らかに、周囲に比べて、温度が高かったのである。
生存者の一人、まだ若い娘は、救助キャンプで川背にこう応えた。
「昔、凄い戦士だったって言うおじいさんが、助けてくれたんです。 おぞましい怪物達を相手に戦って、その親玉が出てきて。 その親玉に、私達を助けるのなら、降伏するって言って……」
なるほど、そういうことだったのか。
川背は、スペランカーから、邪神達が言うほどに酷い連中では無いと聞いていた。その意味が、何となく分かった。きちんと約束を守っていた辺り、多くの人間よりもよっぽど紳士的だ。
スペランカーが目を覚ました。
あの双子の邪神は、それほど強力では無かった、という事なのだろうか。かなりだるそうにしていたが、半眼でスペランカーは手を伸ばす。川背は側に腰を下ろすと、伸ばした手を掴んだ。
「どうしました、先輩」
「あ……川背、ちゃん?」
「まだ寝ていてください。 先輩のブラスターが、今回も突破口になりました」
「えへへ。 どういたしまして」
横たえられたスペランカーは、まだぼーっとしているようだが、ぽつり、ぽつりと話し始める。
「あのね、多分死んでるときに、アイスクライマーさんにあったんだ」
「え?」
「悔しがってたよ。 アイスクライマーさん、隠居してから、孤立してたんだって。 でも、やっぱりそれでも世界を憎みきれなくて、静かに暮らす道を選んでいたんだけれど、最後の最後で心の闇を利用されて、悔しかったって」
悲しい最後だ。
その気になれば、アイスクライマーほどの戦士なら、小さな村くらい簡単に滅ぼすことが出来ただろうに。それでも、そうしなかっただけでも、彼が如何に高潔な心を持っていたのか、よく分かる。
だが、英雄でも聖人でも、心には闇がある。
ずっと救い続けた民に、彼は排斥され続けた。見返りを求めたら善行では無いなどと言うのは、勝手な理屈だ。聖人でも英雄でも、人間であると言う事を忘れている。
世界を救った戦士が、体を休めようとしていたら、ニートだの穀潰しだのと罵る。そんな連中は、ただの恩知らずで恥知らずでは無いのか。
だが、最後まで、アイスクライマーは復讐しようとはしなかった。
「川背ちゃん、そんな怖い顔しないで。 私、大丈夫だよ。 痛いのにも、悲しいのにも、なれてるから」
「僕は、先輩のためなら……」
「まずは美味しい料理を作って欲しいな。 コットンにも」
かなわないなと、川背は思う。
だからこそ、この人のためなら。
川背は、どんな手を使ってでも。この人を苦しめようとする奴を、潰す。
ポポとナナを、祖母が待っていた。
厳しい表情の彼女は、二人を村の奥のほこらに案内してくれた。其処には、二つセットらしい、弓矢があった。丁度並べておくと、双子のようである。
「これは……」
「二人とも、一人前になったようだから見せておくよ。 これは彼奴とあたしの、昔使っていた武器さ」
「あいつ……?」
じいちゃんの名前を、祖母は口にした。
息を呑む。
噂には、聞いたことがあった。祖母は昔、フィールド探索者だったとか。もしそうだとすると。
「そう、その予想の通りだ。 昔はね、この村のしきたりは絶対だった。 あたしは彼奴と一緒になりたかったが、婚約者がいてね。 それで、結婚と同時にコンビを解消したのさ」
「おばあさま」
「今はもう、そんなしきたりもさほど強くは無い。 本当はね、お前達も別々の子と婚約させる予定だったんだよ。 だが、あたしが、横から力を入れたのさ。 余計なことだと、思われていたかも知れないけどね」
ポポは、うつむいた。
そんなことがあったとは。ナナのことは、好きなのか、よく分からない。だが、今回の件で、よく分かった。
ナナほど、息が合ったコンビは、他にいない気がする。
じいちゃんが、村で煙たがられていた理由も、祖母が避けていた本当の原因も、何となく分かった。仕方が無い事だったのだろう。
手を、握られた。
ナナだった。側で、強い意志の目で、見つめられる。
「未来は、お前達がきめな。 どんなに落ちても、あたし達みたいには、なるんじゃないよ。 それだけ守れれば、どうなろうと良いさ」
二人、その場に残される。
ポポは、まだどうして良いか、よく分からない。
だが、一つ決めている事がある。
「ナナ、俺じいちゃんみたいな凄い戦士になるよ。 でも、じいちゃんの生き方だけは、まねしない」
「私も……」
二人で、弓矢を取る。
大事にしよう。そう、ポポは思った。
(終)
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