星を飲む者

 

序、惑星コンピューター

 

宇宙空間を、巨大な戦艦が疾走していた。全長千三百五十メートルに達するそれは、小さな要塞と言っても良いほどの巨体であり、周囲を強力なバリアが覆っている。十五あるエンジンはそれぞれ大きさにふさわしい出力を周囲に示しつつ、彼らの体である戦艦を押し、宇宙空間を進行する手伝いをしていた。周囲に突きだした、或いは巧妙に偽装された無数の兵器軍は、別に誰かに狙われているわけでもないのに、彼らの体である戦艦を傷つけようとする者は即座にバラバラにしてやろうと牙を研いで辺りの空間を威圧していた。

情報収集機器群も稼働している。彼らの体である戦艦を守るべく、耳となり目となって、辺りの空間を、星間物質一分子も見逃さないようなとげとげしさで監視していた。そして、働く機械達の体である戦艦自身は、ただ悠然と、何をも恐れず、ただ宇宙を行く。その偉容、大海原を行く一匹の巨鮫と言うにふさわしかったであろう。

戦艦の艦橋には人が少なく、代わりに膨大な数量の機器があった。いずれも稼働しており、様々に難しい計算をしているのか、時々小さな、だが神経質な音を立てている。それに囲まれるように、椅子に座って男が居た。

「……ふむ。 そろそろ約束の時間だな。 進路を177星系第二惑星へ向けろ」

「了解しました、マスター」

マスターと呼ばれた男の命令に、周囲は即座に動いた。静かだった艦橋に活気が生まれ、様々な指示が激しく飛び交う。まもなく超光速航行へ戦艦はシフトし、一挙に空間を渡る。殆ど一瞬にて、無数の星々のある空間を飛び越え、巨艦は指定された星域へと移動していた。

「ここへ来るのは標準単位で1200ぶりだな」

(マスター)はそう言い、メインスクリーンを占拠した惑星の姿を見やった。赤黒い惑星で、余り見栄えが良いとは言えない。衛星は二つで、一つはほぼ正円形をしていたが、いま一つは小さく側面を囓り取った西洋梨のような形をしていた。

「降りるぞ。 標準単位で0.01、自由待機時間とする。 いつものシフトに従って交代で休息しろ」

「了解しました」

側にいた男の返事に頷くと、(マスター)の姿はかき消えた。メインスクリーンに映った、惑星へと移動したのであった。機械など使わず、自分の力だけで。

 

(マスター)の居なくなった戦艦の艦橋は、若干リラックスした雰囲気に包まれていた。休息のシフトに入った者達は順次艦橋を出て戦艦内にある休息施設や自室に向かい、その中の二人、仲の良さそうな男女が、食堂に向かいながらサブスクリーンの一つを見た。其処は、相変わらず余り見栄えがよいとは言えないあの惑星が映っていた。

「なあ、あの星って何だ?」

「ああ、あれね。 ちょっと待ってて、データ照合……と」

男の問いに、女が携帯端末を取りだし、惑星をそれに映した。数秒の照合の後、コンピューターはデータをはじき出した。

「ええと、惑星カルファウス」

現在宇宙の何処でも、少なくとも銀河統合連合加盟地域では、惑星は其処に住む有知性住民達が呼ぶ名で統一呼称される。有知性住民が居なかった星は、単純に数字が振られる。即ち、それはその惑星に有知性住民が居ることを示していた。同時に、恒星系にも同じ法則が適応される。つまりそれらから、その惑星に住む有知性住民は、自分達が恒星系に住んでいるという知識がないか、それを認識出来る文明がない事も意味した。だが、それらの事実からは全く想像出来ない、不思議なデータをコンピューターがはじき出したのを見て、女は小首を傾げた。

「えっ? 有知性生物数1……総合生物数1」

「なんだそりゃ? データがおかしいんじゃないのか?」

「ううん……違う。 ええとね、惑星カルファウス、現在確認されている中でも、唯一の生体惑星コンピューター。 惑星自体が一つの生物であり、無数の意識を統合した生体コンピューターである。 かっては有知性住民が十七億ほど、他にも生物が水準に比してやや貧弱な程度にいたが、ある事件をきっかけ惑星コンピューターになる。 詳細は不明だが、標準時間で60000〜80000単位ほど前の事件であることは確実だと分かっている……らしいわ」

二人は歩きながらしばらくその惑星について様々に憶測を話し合ったが、やがて食堂で美味しい料理にありつくと、すっかりそれを忘れてしまった。

第一に、(マスター)の事は彼らも良く知っている。深入りしても益はないし、大体あの(マスター)が事情を話してくれるはずもないからである。

休息に入る巨大戦艦の側で、惑星は音もなく生きていた。生きているが故に、それは本当に脈打っているようにも見えたのだった。

 

1,突然の変転

 

私の名はテイマ=アロート。(しがない三流学者)の娘で、あのとき十六才だった。十六年も下らない世界で無駄に生きていた、って言うべきかな。年齢的にはもう充分大人だったけど、まだ結婚はしていなかった。適当な縁談が無いというのと、数年いつもにもまして酷い飢饉が続いて、そんな余裕がなかったってのが原因ね。本来だったら、とっくに子供の二人や三人いる年だったけど、それに関しては却って煩わしくなくて良かった思い出がある。

私が住んでいたのは、リッテシュタット王国って小さな国の、辺境部に当たる小さな村だ。人口は百三十、一応周囲に交通路は延びていて、その気になれば首都に行くことだってできた。閉鎖社会でない分だけましはましかな。だけど、貧しいこの国で、貴族や王族だって贅沢なんぞとは無縁なこの世界で、マシな場所なんてあったなんて思えないけど。心の豊かさ何てもんは、物質的な豊かさの上に生まれる物だ。余程強い心を持った特殊な一部を除けば、貧しい場所に暮らせば心だって貧しくなる。物質的に豊かな場所に暮らせば、少なくても豊かな心を持ちうる可能性が生まれる。どっちが良いかは言うまでもないね。優しさなんて物は、ほんの一部の例外を除けば、余裕が生み出す副産物だ。

兎に角、私はそのとき十六才だった。だから、十六才のあの頃に戻って見ようと思う。丁度良い機会だ、下らない自分を見つめ直すのも、たまには必要かも知れないからね。ばかばかしい作業だけど、多分無駄にはならないだろうし。

運命の歯車が回り始めた、いや悪意の大河が流れ始めたあの日のことは、今だって詳細に思い出せる。いつものように下らない始まりをするかと思っていて、更にその上を行く下らない始まりに出くわした日だった……

 

……今日もどうせ嫌な一日だ、そう決まり切ってる。私はいつもそう確信してた。そして、それはいつも事実だった。事実だから、処理しないといけないし、その中で生きなきゃいけない。生物として生まれた以上当たり前のことだ。私は自殺したりするような趣味はないし、全てを投げ出して逃げる気もない。卑小な人間らしく、私は卑小に起きようとした。

だが、今日はいつもと違った。いつもより更に輪を掛けて悪かったのだ。まず、目を開けても暗いままだ。目の前に何かあって、視界を塞いでいたのだ。私はそれを取ろうと思ったけど、それもできなかった。手が動かない。……違う、後ろ手に縛られている?挙げ句、足も足首の辺りで縛られてた。幸い猿ぐつわを噛まされてはいないようで、口は動いた。私は息を吸い込むと、こんな下らないことをした阿呆をかみ砕くような勢いで叫んだ。それほど、私は頭に来ていた。元々低血圧だし、こんな事されて黙ってられるほど温厚な性格じゃない。

「ちょっと! 何の冗談よっ! さっさとほどかないとぶっ殺すわよ!」

返事はない。これはますます犯人を許しておけない。私は一端口を閉じると、周囲の状況を分析することにした。

まず音だ。……遠くから水滴の音がする。匂いは今気付いたけど、酷い物だ。下水のような匂い……いや下水そのものか?体に当たる感触も冷たい……おそらく石の上だな、これは。そして悪いのが体の不調だった。一秒ごとに頭は冴えてくるけど、肝心の体が思うように動いてくれない。

私はゆっくりと心を整理し、記憶の引き出しから乱暴に情報を引っ張り出した。どうせ下らない脳味噌なんだから、こんな時くらいきちんと働いてくれないと困る。でも、イライラすると却って効率は落ちる。それを知っている私は、二度深呼吸すると、昨晩の記憶をゆっくり辿っていった。……普通に寝た記憶がない。……そう言えば、喉が渇いて居間に降りて……そこからだ。何があった?

……今までの情報を整理すると、恐らく私は下水道かそれに類する所に転がされてる。そして、昨日の夜、居間に降りた所で何かの方法で捕まって、目隠しされて縛られて、此処に連れてこられた。体が動かないことからして、即効性の眠り薬でも嗅がされたかな?そして現在、周囲に人間は居ない。

誰だか知らないけど、私を何かの目的でさらったらしい。……ウチの親父はしがない学者で、国から援助されてるって言っても生活費だけだ。身代金なんか出しようがない。となると、学者は金がないって知らないよそ者か?或いは売り飛ばすためにかっさらったって可能性もあるけど、私は生憎わざわざさらうほどの上玉じゃないし、どっちも推測の域を出ない。もし単純にまわすのが目的だったら、もうとっくに犯ってるはず。体の調子は悪いけど、その手のことをされた形跡はない。つまり、判断材料が少なすぎて、結論は出ない。

無意味な思考を私は閉じ、大きくため息をついた。現状で私は身動きもできないし、事態を理解し対応するべく戦略練るには状態が悪すぎる。好むと好まざるに関わらず、ふてくされて黙って待つしかない。くそっ、忌々しいっ!体が動いたらその辺けっ飛ばしてやる所だ。

暫く私をさらったバカを待っていると、案の定足音がし始めた。数はおそらく十人、いやそれ以上か。私は普通の人間より運動神経が(遙かに)少ないから、こんな人数から逃げるなんて余程策を練らないと無理だ。連中は私の口に布を噛ませて(むかつくことに手慣れていて、噛みつくこともできなかった)口を塞ぐと、なにやら耳元でほざいた。

「ご無礼をお許し下さい、もうすぐ終わりますから」

無礼だと思うんなら今すぐ縄ほどけ。そしたら、全員目玉えぐり出すぐらいで勘弁してやる。これ以上連れ回すようなら全員警備兵駐屯所に付きだして膾切りにたたっきってもらうからなっ!バカ野郎ッ!

私が相当怒っていることを連中も気付いているのか、意外に丁寧に扱われた。不意に地面から体が離れて、ごつごつした男の肩に乗せられる。体に当たっている部分からして、相当に大きな男だな。こりゃあ、ますます逃げるのは難しそうだ。それにしても、肩に担いだまま連れて行くって事は、此処は恐らく本当に下水道の中だ。しかし、一晩で移動出来る範囲内で下水道というと……一体何処だ?

私の住んでる村に下水道なんて豪華な物あるわけないし、王都には馬を飛ばしたって十日はかかる。王都には大規模な下水道があるとか聞くけど、これは一体……或いは眠り薬で数日間寝ていたのかな?いや、それにしてはお腹が減ってないな……。

私の困惑をよそに、私をさらったと思われる連中は、どんどん進んでいった。歩くたびにずんかずんか揺れるかと思ったけど、案外揺れない。道場のアル中ジジイが言ってたけど、剣術の達人は移動の際に殆ど上下に揺れないとか。て言うことは、此奴は剣術の達人?

それにしても分からないのは、さっきの丁寧口調。あの様子からして、私を誰かと勘違いしている可能性もあるな……もし違うとばれたら、即座に殺されるか。まあ、そのときは仕方がない。適当に口を合わせて、逃げる機会を探さないと。

揺られて待っていると、そのうち連中は止まった。周囲の人の気配が増えてる。所々から水音もするけど、案外臭くない。ひょっとすると、水は殆ど流れていないのかも。とすると、此処は恐らく首都の下水道じゃない。だとすると一体何処だ?

乾いた音がして、さび付いた金具が動く音が続いた。私は意外に丁寧に床におろされ、猿ぐつわを外された。尻の下は案外柔らかい、何か石の上に敷物があるみたいだ。目隠しも、そのとき外された。私の目が、周囲になれるまで数秒。やがて隠され続けていた瞳に映ったのは、数人のこ汚い連中だった。……そいつらの目に、私の視線が釘付けになる。此奴ら……赤の民か。さ、最悪だ……今日は人生最悪の日だ。

「乱暴して申し訳ございませんでした。 百拝してお詫びいたします」

そう言って、一番年長の奴が頭を下げた。結構いい年したジジイだ。私はその言葉を半分以上聞いていなかった。こんな、考えられる限り最低最悪の情況で、どうやって脱出するか、それしか考えてなかったから。

「……」

「テイマ=アロート様ですね?」

「だったら何?」

「私の名は、アーヴェルン=カイネルといいます。 この者達全員の、長を務めている者です。 貴方に、一つして頂きたいことがあります」

私はどうしても情況がつかめなかった。こんな丁寧に、私に接する理由なんぞ此奴らには無いはず。生憎私の家は昔っからしがない社会学者で、貴族やら王族やらの血なんて入ったこともないし、赤の民に好かれるような理由だってない。都会に知人がいるという話は聞くけど、それはせいぜい学者仲間だ。私の困惑を敏感に見て取ったか、意外に紳士的な……村の連中何かよりも遙かに紳士的な態度で、目の前のアーヴェルンとかいうジジイは、小さく咳払いして続けた。

「私たちに、神を下さい。 望みはそれだけです」

全く予想だにしない言葉。私の思考を凍結させるに、それは充分だった。

 

2,神の形

 

私の住んでいる世界は貧しい。余所はどうだか知らないけれど、お腹はいつも満ちたことがないし、豊作なんて殆どない。昔はこうじゃなかったらしいけど、世界は徐々に、だが確実に貧しくなっているらしかった。王族や貴族だって、今の時代は贅沢ができない。私がまだ洟垂れだったころは、昔の王族の暮らしを記録した本が大好きで、親父にせがんで良く読んで貰った。まあ、私は草から作ったシュルツ紙の書類が嫌で、数少ない綺麗に製本された本がどれも好きだった、て事情もあった。そういえば、子供の時に、一度だけ豊作になったときがあって、生まれて初めてお腹一杯食べることができた。あのときは幸せで、同時に豊かな物質があって初めて心が豊かになりうるって知った。

緑は一年ごとに減っていく。大地が乾き、畑がやせて、川が細くなっていく。誰の目にもその事実は明らかだった。何でも私たちの前に世界を支配していた文明がやらかした過ちとやらが、世界を蝕んでいるって話だけど、実際に見た訳じゃあないから何とも言えない。ともあれ事実なのは、私たちみたいな知識階級や特権階級だって生活が苦しいんだから、貧困層はとんでもなく苦しい生活をしてるって事だ。

こんな辛い世界で、人が生きるのには拠り所が必要なのは言うまでもないこと。豊かな食料があって戦争もない世界じゃあ、そんな物は必要ないかも知れないけど、苦しい貧しい世界にはそうじゃない。神様はいる。良いことをしていれば、今は苦しい生活でも、きっと天国に行くことができる。悪いことをしている奴らは、地獄で裁きを受け、苦しみ続けることになる。宗教の基幹となるそれがどれだけ人の心を救い、明日の糧になるか、多分平和な世界しか知らない満腹な連中には一生分からないだろうし、分かって貰おうとも思わない。そんな連中に限って、机の上でこねくり回した下らない屁理屈で他人の理念を否定して悦に入るしか能がない。そんな奴らに、(拠り所が無くてもいきられるほどに強くなれ)とか、(誤り矛盾した物はただされるべきだ)とか、自分の土俵でしか通じない寝言をさも正しいことのように説教されてたまるか。寝言は寝てからほざけばいい。世の中の大半は強い人間じゃないし、満たされてもいない。そう言う言葉は、(拠り所がなければいきられないようなクズは死ね)、(矛盾ある理論にすがるしかできないバカはさっさとくたばれ)と言っているのと同じだって、何で気付かないのか私には不思議だ。思想や宗教ってのは、精神的な家だ。家が無くても生きていける奴もいるけど、多くはそうじゃないんだ。他人の家にケチをつけるなら、それに代わる家を建ててみせるのが最低条件だ。昔、私はそれを、身をもって思い知った。

まあもっとも、私は生まれた家が家だから宗教を好意的にばかり見れない。宗教なんて物は、十歳の子供でも分かっていることだけど矛盾の固まりだ。そりゃあ、絶対存在を私たち人間の矛盾まみれの理屈で勝手に作り上げたのだから当たり前だ。それでも信じないとやってられないと言うのが悲惨な現実なんだけど。まあ、人間の作った理屈に矛盾があるのなんて当たり前のことで、それは当然負にも作用する。その一つが、赤の民に関する問題だった。

赤の民って言うのは、今私の目の前にいる奴らみたいな、赤い目を持った奴らだ。此奴らは私たちの信じるラシント神教では、(最も不浄なる者)とされていて、悪魔の末裔だとされてる。(慈悲深い)神は彼らも許すけど、救いの前に(悪魔の血を浄化するため)想像を絶する苦痛を地獄で味あわなければならないのだとか。それが事実かどうかは別として、彼らが差別されるに至った経緯は、私の考え得る中では二つある。

寺院と神が信仰を受ける理由の一つが、魔法の存在にある。死者を復活させるのは無理だけど、神を純粋に信じるほど強力な魔法が使えるようになって、それには貧乏人だろうと僧侶だろうと差別がないのは確かな事実だ。実際、私の家の隣に住んでた寺院籍の小さな子なんて、大人が束になっても叶わないぐらい凄い魔法を使いこなしたし。そう、子供でさえ、信仰心があれば魔法を使えるのに、どういう訳か赤の民は魔法が一切使えない。それが、悪魔の末裔だと彼らが言われる一因だ。

もう一つの理由は、赤の民の血は赤の民しか産まないという事だ。青、黒、灰、そして赤。世の中には色々な目の色があって、血が交わるとどんな子が生まれるかは分からないけど、赤の目の連中だけは違う。赤の目の血がはいると、例え何人子供を作っても子供はみんな赤い目になる。その強力な(伝染性)が、彼らを敵視させる要因の一つだ。

これらが原因で、赤の民は社会の中でも最も酷い差別を受けていた。私の父はそれを客観的に分析していて、時々私に研究成果を披露していたことがあった。だから私は彼らにできるだけ偏見を持たないように努力をしたこともあったけど、無理だった。何しろ、彼らはまともな手段では生きていくことができない。生活が生活だから、性格も最低限までひねくれてるし、盗みは日常茶飯事、時々人を殺して肉を喰うこともあるとかないとか。私も何度か酷い目にあったことがある。警戒するなって言う方が無理だ。まして、(神をくれ)なんていきなり言われても、どうして良いというのだ。

「……此方へおいで下さい。 順番にお話しいたします」

私は左右に立った奴らに促されて、何処とも分からない場所を歩き出した。周囲に目が慣れてきたけど、前にいる奴が持った光苔の付いた棒が無ければ、何も見えないだろう。左右は、このジジイの部下らしい奴らに囲まれてる。今逃げても、絶対に逃げ切ることはできないだろう。

「ところで、此処は何処よ」

「貴方の村の側ですよ」

「……」

「……まあ良いでしょう。レテルア峡谷の最奥部です。 ここはもう埋もれてしまった、先代文明の遺跡なんですよ」

そういえば、そんな噂はあったな、まさか本当とは思ってなかったけど。村のすぐそばにある峡谷に古代の遺跡があるってのは、私も知ってる噂だったけど、都市伝説かと思っていた。まあ、情況から言って、此奴らの言ってることは本当なんだろう。兎に角、今は少しでも多い情報を得るのが先決だ。

「貴方達は、全部で何人くらいいるわけ?」

「そうですね、五十人を超えるくらいでしょうか」

「何を食べて生きてるわけ?」

「アレですよ」

ジジイがそういって、光苔の付いた棒をかざした。通路の奥に、何か大きなモノがいる。私は目を細めて、一瞬後に後悔していた。其処には、体の彼方此方を削られた蚯蚓がいて、もそもそと動いていたのだ。まるで塩か何かでできているかのような白さで、どうみても五メートルはある。ただ、私たちには全く関心がないみたいだったけど。

「ホワイトクロウラーです。 肉をむしったときに少し暴れますが、動き自体は鈍いので余程のことがない限り安全です。 ちょっとやそっとでは死にませんし、味も悪くありませんよ。 まあ、私たちの感覚では、ですけどね。 同じものが、此処には三十匹ほどいて、家畜として管理されています。 他には、時々地上に出て雑草を取ってきて、料理に混ぜます」

「……酷いもん喰ってるのね」

「地上に残った者達ほどではありませんよ」

ジジイはそう言って、また歩き出した。ホワイトクロウラーとやらからは、ドブそのものの匂いがして、美味しいとはとても思えない。それにこんなのがいるようじゃ、他に何がいるか知れたものじゃないし、とても今逃げる気にはならない。逃げるにしても、まだ機会をうかがわないと駄目だ。ますます憂鬱になりつつ、私はジジイの後を追いかけた。通路は延々と続いていて、何度か曲がったり登ったり下ったりした後、広い所に出た。

そこは、不思議な雰囲気の場所だった。寺院とは違うんだけど、よく似てる。光が差し込んでいる所からして、地上に近いのかも知れない。でも天井は高くて、少なくとも私の貧弱な運動神経ではあそこから脱出出来ない。残念。

ジジイは奥に歩いていって、其処にあった長机の埃を払った。意外に綺麗に磨かれた机だ。その上には、一冊の本があった。

「お目をお通しいただけますか?」

「……論文?」

「ええ。 この遺跡にあった本を、ある学者が回収して写本した物だそうです。 オリジナルは、残念ながらもう失われてしまいました」

私は本のタイトルに目を惹かれ、周囲を見回してから表紙を開いた。本なんて高価な物、彼らが手に入れるのは大変だっただろう。大事にされているのは、一目見れば分かった。分厚い論文だったけど、読むのにそう時間はかからなかった。

論文の名は、(客観的考察におけるラシント神教と赤の民)。要約すると、大体以下のような感じだった。

 

「……現在信仰されているラシント神教の、最も暗き側面が赤の民にたいする差別である。以下はそれに対する考察である。

この世界は極めて貧しく、しかもそれは年を追うごとに更に深刻になっている。それが故に、心の拠り所となる宗教及び思想はこの世界に絶対必要な物である。どうしようもない貧しさに直面したとき、人間は頼るべき物を必要とするからである。それには(清潔に見える倫理観に後押しされた宗教)が最も優れた候補の一つとして上がる。個人主義や能力主義や現実主義では、信じることのできる人間に限りがある。民族主義や国家主義では、それ自体が排他性と戦争の引き金となる。現在、戦争などを行える余力のある国は無いため、それは好ましくない。宗教も民族主義や国家主義と同質であるが、ラシント神教は(全ての民族の平等(赤の民除く))を立ち上げることで其処をカバーした。ラシント神教の性質が極めて単純で基礎的な道徳、(奪うなかれ、殺すなかれ、欺くなかれ)を基本にして至高にしているのは、それが原因である。ラシント神教は単純であり、陳腐であり、それが故に大きな力を持つことに成功した宗教なのである。

しかし、現実問題として、それだけで鬱屈する不満を晴らすことは不可能である。人間が不満を効率的に解消するには、公認された、見下せる或いは悪意をぶつけられる相手が存在する必要がある。そして不幸なことに、この世界には人間の対抗馬になりうるべき存在と、目立った天敵がいない。しかも人間の目が届かない場所が少なく、そう言った場所にタブーを設定することもできない。従って、必然的に人間の中にタブーが必要となる。赤の民は、そう言った事情で被差別民として位置づけられた。

また、赤の民をタブーとして設定することで、副次的な効果もある。政策の失敗や疫病の発生を、赤の民に押しつけることができる。また、単純であるが故に目立ちやすいラシント神教のミスを、赤の民がいるせいで不完全が生じると正当化することもできる。赤の民は、ラシント神教を形作る負の要素の一つであり、外し得ない存在である……」

 

読み終えた後、私はため息をついた。凄まじいまでに客観的に書かれた論文で、正直親父には此処までのは書けないと思う。途中に挿入されている資料も精度が高く、取り合えずこの論文に対して反論は浮かばない。そして、私は連中が言った言葉の意味が分かった。

「……そうか、ラシント神教を知ることで、それを捨てることができたんだ」

「そうです。 私たちを犠牲にして成り立つラシント神などを、何故あがめなければならないのでしょう。 私たちを見下し、侮蔑することで成り立つ考えなどに、何故従わねばならないのでしょう。 その証拠に」

ジジイは小さく何かを呟き、右掌を空に向けた。空気が圧搾するような音と共に、掌の上に小さな光の球が生まれ、鈍い音を立てながら浮いた。光を生み出す魔法だ。

「私たちは魔法を使えないと、幼い頃から叩き込まれてきました。 しかし、現実はこの通りです。 思考的な束縛を捨てた今、私たちは何の問題もなく技術論に基づいて魔法を使いこなすことができるのです」

そういえば親父が言ってたことがあった。仮説で、「魔法は信仰心ではなく、(神を信じれば魔法を使える)という純粋な思いこみが原動力になる」って物があるって。今赤の民が魔法を使っているのを見ると、それに考えが揺らぐ。となると、(信仰心)よりも、むしろ(純粋さ)の方が魔法には必要だったのかもしれない。此奴は今、(魔法を使える)という部分だけで魔法を発動して見せたのかも知れないな。興味深く、もう少し事例を集めてみたい現象だ。

「此方へおいで下さい」

言われるままに、私は席を立った。今は取り合えず従うしかない。いや、それがいいわけにしか過ぎないのは、私自身が一番よく分かってる!くっそ、ばかばかしいのは分かってるのに、自分の中の好奇心が私の背中をぐいぐい押してる。私、結局学者むきなんだ。あんなに親父は嫌いなのに、今、こういう情況で嫌って言うほどそれを思い知らされる。

移動しながら、ジジイは言う。再び薄暗い通路が続いて、でも今度は綺麗に整備されてた。ここから先が、此奴らにとって聖域に等しい場所だと分かった。

「神を捨てて、初めて気付きました。 やはり、信じるべき物は必要なのだと。 強き者は、自分の力を信じれば良いのかも知れません。 しかし、弱き者はそうではないのです」

その通りだ。自分の力を信じて生きていける奴は確かにいるけど、それは残念ながら絶対的少数者だ。そんな極少数の連中を基本に物を考えても仕方がない。なるほど、此奴らは同胞全員のために、新しい神を欲しているのか。私は、無意識的に歩調を早めていた。

「ラシント神は、どうやって誕生したか知っておられますか?」

「誰かが口裏を合わせて作ったんじゃないの?」

「いいえ、違います。 ラシント神教を整えたのは人間ですが、原型は違います。 世界に魔法の力をもたらしたのは、いうならば真っ白な、単純なる力です」

「意味が分からない」

私の疑問には応えず、ジジイは奥にあった戸を開いた。そこには、巨大な魔法陣があった。何か、不意に話が胡散臭くなった気がするけど、今までの事もあるし、私は黙ってた。

「神は、人間が思っているのとは違う意味で、存在しているのですよ」

「具体的に言って」

「……神は、いや現存している神は、昔人が呼び、形を与えた物なのです。 それは人が与えたとおりの形をとり、世界に魔法の力をもたらしました」

「証拠は?」

無言で、ジジイは奥を指し示した。そこには、無数の本が無造作に積み重ねられていて、タイトルだけで私が面白そうだと思う本が何冊もあった。

「それらの本に目をお通し下さい。 私たちの願いを聞いて頂くのは、その後で結構です」

「分かったわよ。 ……此処じゃ何だし、さっきの部屋かしてくれる?」

本を可能な限りたくさん抱きかかえた私を見て、ジジイの表情がゆるんだ。まあ、弱みが見えれば、人に対して親近感を覚えるのは事実だ。私の子供っぽい所を見て、少し安心したのだろう。悪かったな、どうせガキだ。

 

考えてみれば、私は今の世に特別未練があるわけでもない。親父はどうしても尊敬出来ないし、大好きだった母さんはもうこの世にいない。上辺だけの友達は何人かいるけど、結局そんなのは単なる上辺だけのつきあいだ。私がいなくなった所で、連中は何とも思わないだろうし、私だって連中がいなくなっても何も思わない。冷酷だとか薄情だとかではなく、それが単なる現実だ。

でも、どこだか分からない場所にいるのは確かに不安だ。今私の心を保っているのは、予想もできなかった知識と、膨大な真実の存在にある。正直な話、生活さえできれば幾らでも此処に籠もっていたいくらいだ。

赤の民は余り好きじゃあないけど、考えてみれば好きな奴なんているのかな、私。私自身、特に最近は気が短くて、コミュニケーションスキルが高い方じゃない。あの(客観的考察におけるラシント神教と赤の民)を読んでからは、連中に対する偏見は(やったことは今でも頭に来るけど)無くなった。もっとも、今は貸して貰った本を読むので忙しいから、彼らと心を通わす暇はないけど。

積まれていた本は、いずれも興味深い物だった。どれもいわゆる(禁書)って奴で、親父がそれに類する本を時々こっそり手に入れてたけど、私自身はなかなか見る機会がなかったのだ。(魔法の存在とその技術的評論)(ラシント神の存在・1〜4)(神を呼び出す方法)(客観的視点による、神と魔法の関係証明)などなど。いずれも私の好奇心を満たすには充分な濃い内容で、同時にどうして製本出来たのか不思議だった。はっきり言って、内容的にやばすぎる。私にとっては面白いだけの本だけど、教会関係者や聖職者が見たら泡吹いてひっくり返るだろうな、これ。

大まかに要約すると、神とは(パワー)そのものであり、自分は形を持っていない。これは原初の宇宙が生み出した海であり、スープだ。古代世界では、これを(カオス)と読んで、技術レベルでの活用を行い、最終的に便利すぎるそれのせいで身を滅ぼしたようだ。(カオス)は慢性的に自らの定義を欲し、特定の儀式を使って中核部分にアクセスすると、定義を儀式実行者に求めてくる。そしてそれに満足のいく答えを返すと、世界そのものに変革が訪れるそうだ。以前この儀式が行使されたときラシント神と魔法が生まれ、結果それは爆発的に世界に広まっていった。ジジイが魔法を使えたのは、自分の事を「赤の民」だと心の中で定義しなかったからだそうだ。実際、神とは人間の与えた定義で形作られるため、根元的には粗雑であり、幾らでも網の目は潜る事が出来るらしい。なかなかに興味深い話だ。定義を理解した後は技術論だ。こっちは多少退屈だけど、興味深い知識である事は疑いがない。

古代文明ではこの(神)を技術レベルで理解し、非常に広範囲に利用していたらしい。それらの資料の殆どは、教会に握りつぶされたわけだけど、今此処に生き残りが存在している。まあ、教会側のやった事も分からないでもない。嘘と平安、真実と殺戮を伴った混乱のどちらを取るかと言われたら、一部の学者バカを除いて大概の(善良)な人間は前者を選ぶだろう。まあ、実際には自分の地位だとか保身だとかもはいるだろう。本当の意味で(善良)な人間なんて実在しないんだから。少なくとも、私の周囲にはいない。

私は時々差し入れられるクソ不味い食べ物を取りながら、それらの本をむさぼるように読みあさった。時間感覚がよく分からない此処じゃあ、さらわれてから何日経ったのかもよく分からなかったけど、そんなことはどうでも良かった。私は、無数の知識に囲まれて、幸せだったからだ。ひょっとすると、母さんがいた頃や、豊作だったあの年以来の、幸せな時間だったかも知れない。

 

3,そは誰が為に

 

私がその子に気付いたのは、本を殆ど読み終えた頃だった。具体的には、奥の部屋に置いてある本を、或いは書類を引っ張り出しては読んで、元の本棚にしまって、それを何十回も繰り返した頃だったかな。

私はやっぱり、骨の髄から学者なんだって、ここ数日思い知った。兎に角面白い本に当たると、周りが全く見えなくなってしまうのだ。生活リズムも狂いまくるし、体拭くのもつい怠ってしまう。だから、時々差し出される布も、殆ど無意識的に受け取っていて、差し出してくる奴の事なんて考えても見なかった。

めぼしい本を大体読み終えると、ようやく周囲が見えてきた。大きな部屋の入り口に、図体の大きな歩哨が二人立っていて、長槍を持ち、油断無く見張りをしている。どうみても、あいつらは私より二百倍くらい強いだろう。しかも私は素手で、武器になりそうなのは分厚い本くらいしかない。魔法陣が書かれた奥の部屋は、閉鎖空間になっていて、この部屋に通じるドア以外出口はない。奥の部屋とこの部屋をつなぐ通路の途中には小さな部屋があるけど、窓の外は土がみっちりで、しかも鉄格子がはまっている。従って脱出はまず無理だけど、今の私にはそれどころじゃなかった。得た情報を練り上げること、それを元に今までの認識を崩し、再構築することの方が遙かに重要だったのだ。

考え込む私に、濡れた布が差し出された。歩哨のどっちかが差し出したのだろうと思って、鬱陶しそうにそっちに視線をやると、それは小さな子供だった。恐らく年は私の半分くらい、どちらかというと小柄で、大きな目をした可愛い子供だ。痩せた子だけど、今時太った子供なんてまずいないし、村の子供達と殆ど体形的には差がないかな。赤の民でなければ、村でも人気者になったかもしれないね。

私も一応女の子だから、子供は結構好きだ。でも、女の子は私の視線に露骨におびえて、二歩下がった。そして、首を振ると、小走りで駆け去ってしまった。……子供に逃げられるのは初めてじゃあないし、まあいいけど。

それからしばらくはまた本の事、理論のくみ上げに熱中していたから、その子の事を忘れていた。

 

「テイマ様」

「うん?」

「大体書物には目をお通し頂けたようですね」

私が顔を上げると、ジジイがいた。まあ、此奴としても私に無意味に本を見せている訳じゃあないだろうし、私がきちんと「仕事」をしているのか確認したい気持ちは分かる。まあ、彼らとしても時間が無限にあるわけでもないだろうし、無理もない行動だろう。

「大体ね。 後は情報を練るだけだけど」

「何か問題でも?」

「……何で私な訳?」

ジジイは無言だった。こんな事を聞いたのは、断る口実を見つけるためだ。それには、理由が二つある。

まず第一に、私としては、出来ればやりたくないというのが本音だ。一応神を作るノウハウは資料を読んで理解した。でも、それをやったら、世界の安定が間違いなく崩れる。ラシント神教のお陰で、貧しいながらも一応この世界は安定していたのに、それも終わるときが来るだろう。

例えば、私が赤の民が虐げられない神の定義を作るとする。それが例え他の人間も含んで平等な思想であったとしても、それは意味がない。ラシント神教に対抗する思想の発生と、赤の民が自身の価値を理解し精神的に独立するというのが問題なのだ。それはラシント神教に対しての強烈な反発と、猛烈な弾圧を生み出す事は疑いない。赤の民は私の国だけで数万人もいる。一端精神的にラシント教から独立し、(天国へいける)事を彼らが確信したら、確実に大規模な戦争が起こるだろう。不平等な今の平和か、平等な混乱か、どちらを選べと言われても、私には責任が重すぎる。

もう一つの理由は、実際問題何で私が選ばれたのかよく分からないと言う事だ。例えば目の前にいるジジイは、今までの経緯から言っても私が目を通した本の内容を理解している可能性が非常に高い。はっきり言って、此奴が新しい思想をくみ上げる方が、遙かに赤の民に浸透しやすい気がする。それにしても、地獄の貧しさを生きる赤の民に、誰が読み書きや高度な宗教概念を教えたのかは気になる。

何にしても、この二つの理由で、私は出来るだけ決断をしたくなかった。もしジジイが巫山戯た事を言ったら、言う事を聞く振りをして、隙を見て逃げるつもりだ。じっと私に見つめられて、ジジイはしばし考え込んだ。やがて、奴は意外な言葉を吐いた。

「隠しても仕方がありませんな。 理由は二つあります。 一つは、貴方が丁度良い人材だと言う事です」

「どの辺が? 私より頭がいい奴も、善良な奴も、幾らでもいるんじゃないの?」

「でも、中立的な観点を取りうる知性、柔軟な思考を出来る若さを持つ者となると限られてきます。 貴方は首都近辺も含めて、三十五万人ほどの調査をした中で、最良の人材でした。 私や、私の下にいる者達では、結局我らに有利な世界を作るだけ、即ち今と世界を逆にするだけです。 それでは、何の意味もありません。 しかし、貴方が作る世界は、違うはずです」

「買いかぶってくれたものね」

白けた調子で私が言ったので、ジジイは苦笑した。……考えてみれば、私は赤の民が好きではないけど、でもまともに話が出来る此奴らには別に嫌悪を感じない。まあ、私を必要以上に高く買っているのは少し困るけど。それに、神を作った後、用済みになって消されても困る。今のうちに、何か考えておかないといけないかな。

「もう一つの理由ですが、実は推薦があったのです」

「推薦? 何処のバカが?」

「……そのお方は、私たちに読み書きを教え、地下組織の作り方や権力との戦い方を教えて下さった方です。 そのお方のお陰で、今は赤の民だけではなく、我々の協力者は広く多くいます」

「……誰よそれ」

実際問題、私はしがない社会学者のうだつが上がらない娘に過ぎない。社会的影響力なんて大それたものはないし、親子揃って変わり者のせいで交友関係も狭い。ジジイが吐いた言葉を聞くまでは、そう信じていた。

「貴方の父君ですよ」

親父の事は嫌いだったけど、それは嫌悪に過ぎなかった。しかし、このときそれは殺意に代わった。母さんだけでなく、私をも徹底的に裏切った事が分かったからだ。

 

小さな子供の頃は、私は素直だった。優しくはなかったけど、根は不純だったけど、それでも素直で真面目だった。私が致命的にひねくれ始めたのは、母さんが流行病で死んだころからだ。

親父の本棚には、いろんな本が置かれていた。奴の元を訪れる客人も、良くそれについて議論している事があって、私はそれを聞いて理論をくみ上げるのが何より楽しかった。それが一変したのは、私が十一になった時だ。母さんが流行病にかかって、他にも無数の人が倒れていった。致死率が非常に高い病で、かかった奴はみんなできものまみれの膿まみれになって、苦しみながら死んでいった。親父はこんな大事なときに限って出かけていて、私は必死に皆を救えないか考えた。だけど、山積みにされた本も、親父の友達が嬉々として話していた理論も、何の役にも立たなかった。

ラシント神教を見直したのは、このときだった。神を信じる奴らは、寺院の坊主共の言葉で天国の存在を確信したとき、実に安らかな顔で死んでいった。そんな物ありはしないと私は知っていたけど、流行病でもがき苦しんでいた奴らが、死の瞬間救われた顔をしているのを見たとき、真実を告げる気にはなれなかった。母さんも、その一人だったのだ。私自身は神を信じようとかは一切考えなかったけど。母さんをせめて楽に死なせてくれた事は事実だったから、神とやらを恨む気にはなれなかった。母さんはできものと膿まみれになって、でも安らかに死ぬ事が出来たのだ。私は泣くに泣けなかった。

そして、親父が戻ってきた。奴は知人だという(そういえば何度か顔を見た事があった)医者を連れていて、流行病は休息に沈静化していった。無数の哲学書や理論書なんかより、結局薬の方が遙かに役に立った。苦しむ人達を救えたのは、結局愚かで下らない宗教だった。私の中で、このとき価値観が大きく揺らいだ。

私は結局物質が世界を動かす事、人間は思想的な拠り所があって安らぎを得る事を、このとき身をもって学習した。ラシント神教をその内包する矛盾から否定するのは簡単だが、それはあの人達や、苦しむ母さんに(天国なんか無いからさっさと絶望の中に死ね)というのと同じことだった。将来、社会が発達してラシント神教を滅ぼす際も、別の拠り所が絶対に必要になる事も悟った。私が今まで楽しんでいたのは、所詮(知者のゲーム)に過ぎないモノであり、現実の前には徹底的なまでに無力だと言う事も知った。それでも私が知識と理論から離れられなかったのは、やはり筋金入りの学者人間だったからだろう。神などという物が如何に下らないかを元々知っていた私は、そんな物を信じる気にもなれず、結果精神的な拠り所を全て失い、歪み始めた……少しずつ、だけど確実に。

私は間に合わなかった親父を憎んだ。それで、せめて心を慰めようとした。そして、今に至っている。

 

憮然としている私の前で、ジジイはただ無言で突っ立っていた。恐らく先ほどの口調からして、此奴は親父を尊敬している。その親父を、私が決して好いていない事を悟ったから、何を言って良いのか分からないのだろう。

私は親父を憎んでいたけど、それが矛盾に満ちた事だとも知っていた。でも今、親父が私たちを騙していた事があらゆる状況証拠から明らかになった以上、(憎みきれない)状態を維持する事は不可能だ。親父を殴るなと言われたら、それを言った奴を私は殴る。親父を悪く言う名って言う奴がいたら、私がそいつの首を締め上げる。私を騙していた事よりも、母さんに黙って下らないことをしていたことが許せない。次に親父に再会した時、おそらく私の自制心は火山みたいに水蒸気爆発して吹き飛ぶだろう。今、こうして考えているだけでも、はらわたが煮えくりかえりそうだ。親父が私をどう思っているかなど、一切関係無いっ!

ふと私が顔を上げると、例の女の子がおどおどと見上げていた。ジジイは女の子の頭に手を置き、頬杖をついて白けた目で見やる私に言った。

「これは私の孫娘です。 ナルナ=カイネルです」

「……ひょっとして、巫女にでも使えって事?」

「その通りです。 現時点で、我らの中で最強の魔法能力を持つ子です。 必ず役に立つと思います」

「私が神を作るとして、そいつが生け贄を要求するような奴だったらどうするつもり?」

私は今、非常に機嫌が悪かった。それに今のところ、私には此奴らにとって至宝である事も分かっている。だから、欲しいままの怒りをぶつけさせて貰う事にした。その結果、流石にジジイは黙り込み、女の子は青ざめてその袖にすがりついた。こんな覚悟で、良くもまあ私の前に顔を出せたもんだ。

「……悪いけど、今日はこの辺で休ませて貰うわ」

私は読みかけだった本に栞をつっこむと、乱暴に閉じた。おびえきった女の子の表情が痛くて、ますます不愉快になったからだ。私はみんな嫌いだ、自分自身も含めて。

 

4,純粋な心

 

私はそれから数日、一言も誰とも口を利かなかった。実際、私は自分の心を整理するので精一杯で、他人なんぞに構っている暇がなかったのだ。

まあ、それとは関係なく、研究は続けた。本はもう九割方読破して、その中身も頭の中に入ってる。幾つかの矛盾点を引っこ抜いて内容を整理し、無駄な知識を片づけていく。でこぼこを整地して、畑にしやすいようにする作業とそれはよく似ていた。

もう引っさらわれてから何日経つかも覚えていない。そもそも時間感覚が完全に麻痺しているから、それも仕方がないかも知れないけど。何にしろ、私はもう故郷の村なんてどうでも良い。今行っている作業を詰めるのが楽しくて、それに現実逃避していた。

実際、最後の段階で実行はしたくない。でも、実行する術は知りたい。それが私の正直な気持ちだった。こういう思考をする所が、そもそも連中に選ばれてしまった原因かも知れない。ともかく私は仕事を続けて、最後の詰めに入っていた。私は相当に殺気立っているらしく、屈強な歩哨でさえそれを向けるとたじろいだ。まあ、私にはどうでも良い事だけど。

何度か思考が詰まった結果、私は気分転換がしたくなった。ふと視線を周囲に向けると、あの女の子、ナルナって子供の顔が視界に入った。私の視線を受けて露骨におびえるナルナ。この性格だと、人によっては嗜虐性を刺激されるかも知れない。

私が近づくと、ナルナは文字通りすくみ上がった。周囲には隠れる物も頼るジジイもいない。私は震えるばかりのナルナの顎を掴むと、顔をのぞき込んだ。

「そんなにおびえなくても、何もしないわよ」

「あ……う……」

掌から、ナルナの恐怖が、ふるえという形で直に伝わってくる。少しこの間脅かしすぎたかな?どうでもいいけど、これではコミュニケーションがとれない。咳払いして、私は手を離した。

「私はテイマ。 ……この間は脅かしてごめんね」

目に涙を一杯ためたナルナは、かすれるような小さな声で応えた。私はそれを聞いて、ため息をつかざるを得なかった。ナルナは、ぶたないでください、といったのだ。相手に悪意がある事を確信している口調だった。赤の民は、こんな可愛い子まで、地獄の生活をしているのか。

「その子は、あんたらに何度もおもしろ半分に腕を折られたり、額に火を押しつけられたりしたんだ。 最近はようやく口が利けるようになったけど、一時期は他人の目を見る事だってできなかったんだ」

「ごめんなさい。 愚かな奴らに代わって、私が詫びさせて貰うわ」

「……まさか、謝罪が聞けるとはな。 あんたとあいつらは確かに違うようだ。 ……長老の言葉、聞いてくれ。 頼む」

歩哨の一人が頭を下げたので、私は頭を掻いて嘆息した。ますますこれで逃げるのが辛くなる。話せば話すほど、環境によって人間が大きく代わる事が確信出来て。村の周囲にいた連中とは正直今でも話したくはないけど、私を浚った此奴らを、もう憎むのは無理かも知れない。

ラシント神教を徹底的に客観的視点から見た後も、私はその理念が理解出来ない訳じゃあない。これに限らず、実社会を動かす作業は、人間という生物が下らない進歩のない愚劣な生き物っていう現実と理想を比べて妥協する作業以外の何者でもないのだ。多分、ラシント神に定義を与えた人間も、様々に試行錯誤して、苦労の末に決断したんだろう。少なくとも、人類のためを思って全てを背負った決断を、あざ笑う権利は私にはない。渡された資料を見れば見るほど、その気持ちは強くなる。でも、こうやってその負の側面を受けている子を見ると、同情せざるを得ないのも事実だ。

私はいつもは首の後ろまでずり下げているフードを上げて、額の少し下までを隠した。この子が、目の色が原因で私を恐れるなら、それを隠してやればいい。何、多少視界は隠れるけど、たいして不便なわけでもない。こんな程度の不便なら易い物だ。……このフード、母さんが縫ってくれた奴を、後でサイズを調整したんだった。親父がクソの役にも立たないのに、死んだ後まで母さんはいろいろしてくれるな。

「これで目を見なくてもすむわ。 怖がらせてごめんね」

多分私は、普段を知る奴が見たら確実にこけるであろう表情を浮かべていただろう。ナルナは、まだ震えていたけど、小さく静かに、首を横に振った。額には小さな火傷の後が確かにあった。全く、酷い話だ。

 

このときを境に、ナルナと私は心を交わせるようになった。ナルナは兎に角敏感で、私が心を乱すとすぐ反応した。如何に今まで酷い境遇にいたのか、これだけでも明らかだ。少しずつ私は彼女とのコミュニケーションを試み、何とか距離を縮めていった。積極的に話しかけ、困っているときは助けてあげ、話も聞いてあげた。私は前にも言ったとおり、子供が嫌いな訳じゃあない。それに、この子には無条件に優しくしてあげたかった。多分、そもそも優しくしてくれる人自体がいなかったんだろう。それほど長い時間を掛けずに、彼女は私を信頼してくれた。……正直、どんな難しい理論を理解したときより嬉しかった。

社会の秩序を取るか、個人の自由を取るか。こういう事例を見ると、私の心は本当に揺らぐ。世の中に正しい物なんて無いけど、貧しい社会を支えるには仕方がないのかも知れないけど。この子達は誰が救えばいいんだ。

一応、もう神と契約する方法は技術レベルで分かっている。後は細かいトラブルシューティングだけど、これも多分残りの資料で片が付く。でも、私はやはり悩んでいた。理由は先とはまた違う。先の事も確かに悩みにあるけど、今ひとつの悩みが、今私の心を浸食していた。

こんな愚かな生き物に、どうやったら平和と安寧をもたらす事が出来る?

 

ナルナは私の隣で、机にもたれかかって寝ている。どうも私を信頼してくれたようで、実に嬉しい。こうして寝顔を見ていると、本当に純粋な子だ。まあ、私になついてくれた子供自体が少ないから、余計に嬉しいのかも知れない。多分、それによって生じた欲目もある事だろう。

今、私は自室で残った本の一つを読み進めていた。私はこれでも記憶力と理解力には自信があるから、どんな難解な哲学も、どんな複雑な理論も、訳が分からないと言う事はなかった。でも、何度理論をくみ上げても、これだけはどうにも出来なかった。私は妥協したくない。妥協すれば、どうせまたこういう愚劣な過ちが繰り返される。

しかし、現実を加味すると、どんな理想も破綻する。人間の真性は悪だ。手を抜けると分かれば幾らでも手を抜くし、殺して良いなら容赦なく殺す。奪って良いなら好きなだけ奪うし、犯して良いなら平気で犯す。無論全部がそうじゃないけど、絶対的大多数がそうだ。物資が足りない今の世界では、特にそうなのだ。言いたくはないけども、人間なんぞそんな程度の生物なのだ。ありとあらゆる証拠が、冷厳にそれを裏付けている。こんな連中は、綺麗すぎる川には住めない。綺麗すぎる理想を立ち上げた所で、一体誰がそれに従う?誰も従わぬ理想なんて、ただの笊にも存在価値が劣る。

私と同じ苦悩を、ラシント神と契約した奴は抱いた事は間違いない。だけど、私はそうはならない。そうなってはならないのだ。そうなれば、今私の側で寝息を立てているこの子と同じ犠牲者を幾らでも量産する。ラシント神を作った奴をバカにする訳じゃあないけど、私は一緒にはなれないのだ。実際問題、ラシント神を作った顔も知らない奴は、大した物だと思う。苦渋の末のその決断は、純粋に尊敬できる。でも、尊敬と行動は別の事だ。

人間は過ちを繰りかえしつつ成長するとか言う説もある。でも、今の世界がどうしようもなく貧しく苦しいのは、その結実ではないのか?種族レベルでのミスが無限に許されるなどと考えている事自体、人間の傲慢だ。私は、少なくともそれから脱却したい。これ以上人間を野放しにして、犠牲者を増やしたくないのだ。

隣を見ると、ナルナは起きていた。私は相当に怖い顔をしていたみたいで、ふるえが隠せないようだった。表面だけ笑顔を作っても、この子はすぐに見破る。多分、見破るんじゃなくて、相手の真意を体で感じてしまうんだろう。あまりにも、多くの悪意を浴び続けたから。ぼろみたいな服を一度目繰り上げて、酷い跡が残っている腕も見た事がある。額だけじゃなくて、お腹や背中にも火傷の後や打撲の跡があった。この子達を犠牲に人間共は心を満たし、安寧を保った証拠だ。私は一端思考を閉じると、笑顔をつくって、何とか心も静かに整えた。それでようやくナルナは安心してくれて、私は心底ほっとした。

この子の言葉は兎に角小さくて、聞き取りづらい。ナルナは胸に手を当てると、ぼそぼそと言った。お姉ちゃん、時々凄く怖いお顔してる、って。まあ、事実以外の何者でもないから、私としては苦笑せざるを得なかった。

……実際、もうさらわれた事は恨んでいない。というよりも、正直そんな事はどうでも良くなった。私は元々世界のあり方が許せなかった。それを是正する選択権を与えられ、責任を背負う可能性を与えられた。ただそれだけだ。それを放棄するにしても、行使するにしても、私は絶対に手を抜かない。世界のためなんかより、むしろこの子のためにも。

ナルナを自室まで連れて行く。流石にこんな所で寝たら風邪を引くからだ。自室と言っても、それは数人で雑魚寝する、しかも小さな部屋だ。流石に男性と女性で別れていたが、お世辞にも環境はよいとは言えない。歩哨に聞いたけど、医療魔法が聞かない病気にかかれば、(廃棄)されるそうだ。その具体的な方法については、口をつぐんで言わなかった。(苦しい生活)なんて、この環境に比べれば天国だ。

「……あの」

ナルナを寝かしつけると、その部屋にいる女の一人が声を掛けてきた。中年の痩せた女で、栄養状態がどう見てもよいとは言えない。ナルナと一緒にいるのを何度か見た事があり、二三事なら話した事もある。何より、私以外の前で唯一ナルナが笑顔を見せていた相手だ。多分ジジイから命じられて、彼女の世話係か何かをしているのだろう。名前はアイナとかいったけど、私にはどうでも良いことだった。

「何?」

「……新しい神様は、その子をどうするんですか?」

「何もしない。 この子に、未来を約束するだけ」

「そうですか……」

女が心の底から安心しきった表情で胸をなで下ろしたので、私は胸を締め付けられるようだった。……そんな物、どうやったら出来るのか、私の方が聞きたいくらいだ。

神と契約する儀式の際、その媒体となる(巫女)が必要になる。実は巫女は生死を問わず、死体でも別に構わない。要は優れた魔力を持っていれば良いのであって、それは無論持っていた、という状態でも構わない。あくまで巫女は媒体で、別に神の餌にするわけではないのだ。神の餌は、私だ。正確には、私がくみ上げた理論だけど。

本格的に眠りについたナルナの頬をなでると、私は心が安らぐのを感じた。何とかこの子を救いたいと、このとき思った。私の心は、神を作る方へと大きく傾いていた。……この子のために。

 

5,破滅への足跡

 

私は最後の一冊を読み終えた。これで、私の頭の中には膨大なマニュアルが完成されて、技術論をそらで暗唱出来る。トラブルシューティングも、私の思いつく範囲内では完璧に整備した。まあ、私も愚劣で卑小な人間の一匹だから、完璧でないのは百億も承知だけど。それでも、私に出来る限りの完璧さは満たした。

問題は、神の定義のほうだ。私はラシント神教の概念も含めて、古今東西のあらゆる思想を照らし合わせて、百三十ほどの案を出し、その全てを廃棄した。いずれにしても、差別を受けうる存在が出るのは避けられないのだ。一番有望だった案を廃棄すると、私は頬杖をついて嘆息した。何とかしたいのに、何ともならない。現実を嫌と言うほど見て育った私には、無責任な理想論は敵だった。きれい事って言葉があるけど、それとは少し違う。きれい事って言うのは、過度に理想的な事を言うのであって、それは努力次第では実現が可能な物も多い。怠惰と手抜きに迎合する事を(大人の行動)と思ってる連中には想像出来ないかも知れないけど、そんな連中は一生泥沼の底を這いずっていれば良いだけの事だ、私には関係ないね。今私が悩んでいるのは、総合的に将来に影響を及ぼす理論だ。実現が可能かも知れない、では駄目なのだ。

幾つか強硬案も考えてみたが、いずれも駄目だった。私はもう一度本の中身を思い出し、面白い記述を幾つか拾い出した。それによると、神に代案を示させる事も可能なのだ。人間以外の理屈であれば、案外活路が開けるかも知れない。しかし、それは出来れば最後の手段にしたい。究極の他力本願の上に、(カオス)とやらがまともな受け答えを出来る保証はない。そんな確率の低い賭は絶対に避けたい。やはり、何とか試行錯誤してくみ上げるしかない。(カオス)とやらに代案を示させる方式は、最後の手段に取っておく事にしよう。

時間が、実はこの時点で殆ど残っていなかった。砂時計は、私の悪戦苦闘を横目に淡々と砂を落とし続けていたのだ。ふと気がつくと、落ちる砂さえまばらになっていた。

 

私はそのとき、百三十七つ目の理論を考えていた。それも破綻し、机を叩いて突っ伏した直後だった。遠くから炸裂音が響き、歩哨達の顔に緊張が走る。奥の部屋から不安そうなナルナが駆けてきて、私の袖にすがりついた。私はその怯えの表情で怒りを刺激され、歩哨の一人に噛みついた。

「ちょっと、どうしたの?」

「わからねえ。 俺が聞きたい!」

「緊急事態だ、皆を集めてくれ」

私たちの会話に割り込んできたのはジジイだった。そして、その後ろにいたのは……。

「きっさま!」

私は思わず罵り、飛びかかっていた。最低の、人類最悪のクソ親父が其処にいたからだ。奴は腹に怪我をしているようで、ジジイに肩を借りていたけど、そんな事は関係ない。私は拳を固め、奴の顔面に一撃を見舞っていた。更に蹴りを入れてやろうかと思ったけど、それは叶わなかった。歩哨が私を後ろから押さえつけたのだ。やっぱり私より二百倍くらいは強い。暴れても、その腕はびくともしなかった。

「離せ、離せバカ野郎っ!」

「……テイマ様、父君は、クルトア様は我らに危険を知らせるため、命がけで首都から此処まで来てくれたんですよ。 それに、命を捨ててまで敵の兵力を探ってきてくださったのです。 お願いですから、もうおやめ下さい」

「いや、いいんだ」

落ち着き払った声、母さんが死んだ事を知ったときも、此奴はこんな調子だった。許せない、絶対に許すものかっ!

ふと気付くと、ナルナが私の袖を蒼白な顔で掴んでいた。そして、小さな声で言った。多分、それは私にしか聞き取れなかったと思う。ナルナは、おじさまをいじめないで、といったのだ。

「ナルナは、クルトア様が助けて連れてきてくれたのです。 クルトア様に暴力を振るえば、ナルナが悲しみます」

その言葉は、何より効いた。くっそ、卑怯者が、卑劣漢がっ!力を失った私を歩哨が離し、私は床に崩れ落ちた。悔しくて涙が出そうだったけど、そんな事をしている暇はなかった。ジジイは親父ととんでもない会話を始めたのだ。

「それで、クルトア様。 奴らの戦力は?」

「最低でも千。 しかも、奴らは首都での掃討戦闘で、入り組んだ場所での戦闘を経験している」

「我らの二十倍……」

緊迫した空気を感じ取ったか、ナルナが袖を掴む力が心なしか強くなった。

「奥に行く?」

私の言葉に、ナルナは首を横に振り、嬉しい言葉を言ってくれた。怖くても、お姉ちゃんと一緒が良い、って言ってくれたのだ。ならば、私もこの子と共にいる事にしよう。心を落ち着けると、私はジジイに聞いた。

「どういう事なの?」

「……貴方には知らせていませんでしたが、首都では先頃大虐殺が行われました。 我らの仲間の一部が飢えに耐えかねて激発し、食料庫を襲ったからです。 僅かな食料を奪い取る事は出来ましたが、待っていたのは凄まじい報復攻撃でした。 首都の地下下水道に籠もった者達は、(聖光騎士団)に皆殺しにされたと聞きます。 襲撃に参加せず、生き残った者達も順次狩り立てられ、火あぶりにされたそうです」

首都には二千人くらいの赤の民がいるって聞いていたけど、それが皆殺しか……あんまりだ。(聖光騎士団)ってのは、この国で数少ない実戦経験がある部隊だと聞いていたけど、虐殺に手を貸すとはね。しかし、考えてみるとそれも致し方がないのかも知れない。実際問題、上官の命令に逆らえる奴なんて、しかも偏見無く赤の民に接する事が出来る奴なんて、一体どれだけいるだろうか。連中も、普通の人間なんだな。だからこそ、私は許せないけど。

「で、そのクズ共が攻めてきたの? どうしてわざわざ此処に?」

「我らの仲間は首都にもいました。 捕らえられ、おそらく拷問に掛けられたのでしょう」

「……逃げ道は?」

「先手を取られ、陸上の退路は全てふさがれました。 しかも、奴らの行動は素早く、もう近くまで迫ってきています。 逃げる事は不可能です」

絶望するわけには行かない。ナルナを悲しませたくない。私はまだ諦めるわけには行かなかった。

「地下通路を伝って、どこかに出られない?」

「敵は、地上に通じる通路を全て知り尽くし、封鎖しています。 長い通路は殆ど埋まっていて、抜けられるような物はありません」

「……一点突破に掛けるしかない」

「無理だ、危険が大きすぎる。 奴らは無能じゃない、包囲されて全滅するのが落ちだ」

戦闘の専門家じゃない私の言葉を、歩哨が否定した。そうこうする間にも、戦闘の音は少しずつ近づいてくる。ジジイは、決意した目を私に向けた。

「テイマ様、お願いいたします。 私たちは此処で死んでも構いません。 しかし、同胞のために、未来のために、神を下さい」

「……」

「この少し先に、狭い通路がある。 其処を通らねば、此処には辿り着けない」

親父が腹を押さえて立ち上がった。歩哨二人についてくるように促し、バリケードを築き始める。憎しみを込めた目で奴を見つめる私に、振り向くと奴は言った。

「少し時間を稼ぐ。 その間に、どうするか考えなさい」

「……死ぬよ」

「構わないさ、お前のためなら」

うだつの上がらない顔はフェイクだったのか。凄く頼りがいのある顔をしてる。そうか、家族にさえ見せなかった顔を、自分の本当の仕事のためにはしていたのか。此奴の事は、絶対に好きになれない。……最低だ、私は。

「あんたなんか、大っ嫌いだ」

「……すまなかったな、テイマ」

それだけ言い捨てると、私は奥へと走った。謝罪なんか聞き飽きてる、なのに何故涙が出る!不愉快だ、徹底的に不愉快だっ!

地下遺跡の彼方此方にいる赤の民達が、徐々に集まってくる。怪我をしている者も多くて、苦痛の声を上げながら事切れてしまう者もいた。後方では激しい爆発音が響いていて、それは今のところ近づいてこない。親父の奴、アレで強かったんだ。……本当に、家族にさえ自分の真の姿を見せていなかったんだな。でも、それにも限界がある。あの強い歩哨が一緒にいたのに、やっぱり数に物を言わせた相手には勝てないのか。再び、爆発音や断末魔の悲鳴が近づき始めた。親父は、死んだ。……せめて、母さんと一緒の所に行ってくれると、少しだけ嬉しい。

「お急ぎ下さい、テイマ様」

「分かってる」

ジジイの言葉に、見られないように涙を拭うと私は走る。次の瞬間、風を切って矢が飛来した。それは剰りにも簡単に、剰りにもたやすく。ナルナを後ろから貫いていた。私の中で、この瞬間、何かが壊れた。

 

6,カオス

 

最新部にたどり着いた。何十回も往復した、本がたくさんある、床に魔法陣が書かれた部屋だ。入り口は一つ、其処の扉は内側からふさがれ、生き残った男達が必死の形相で守っている。ジジイも既にいない。ここと広間をつなぐ通路に立ち、一人でも多く仲間を助けるために敵と戦った。そして親父と同じくらいの時間持った後、敵の死体に囲まれて、針鼠のようになって息絶えた。

私は自分で言うのも何だが、放心状態だった。まだ息があるナルナを抱きかかえ、床にへたり込んでいた。涙が流れるのを止められなかった。自分がこんなに軟弱だったなんて、正直知らなかった。ナルナの体温が見る間に奪われ、脈が弱くなっていく。この小さな体の何処にこんなに血が沢山入っていたのか分からない、それほど沢山の朱が流れ落ちていた。

ナルナが唇を動かし、私はその口元に耳を近づけた。ナルナは、いつもよりも更に小さな声で言った。私は天国へいけるか、と。みんなは天国へいけるか、と。

「いける……よ」

そうとしか私は応えられなかった。周囲は血肉の展示場で、体の一部を失った人間達が芋虫のように床で蠢いていた。私は、声を大きくして、叫ぶように言った。そうする事しか、私には出来なかった。

「行けるよっ! みんな、天国へ! 赤の民を差別しない、新しい天国へ!」

「おお……」

それは瀕死の一人が上げた声だった。そしてそいつは、安らかな顔で息を引き取った。涙を流し、私に感謝しながら。ナルナの体温は更に低くなっていって、最後の言葉がはき出された。

彼女は私に、有り難う、と言った。

 

……やってやる。ああ、やってやる。理論は完全じゃないけど、確実に行く保証はないけど。もう、もうたくさんだ!これが必要な犠牲だ、必要な犠牲の真実だ!そして人間は今までこれを何億回繰り返した!こんな奴らには、もう理屈は無駄だっ!絶対に、絶対にこの子の死を無駄にしてたまるかぁっ!

脱力したため、少し重くなったように感じるナルナを抱き上げると、私は魔法陣の中心に向かった。そしてナルナを優しく降ろして、小さく呪文を呟き始めた。

「我此処に神を呼ぶ。 そは力、純粋なる力、暖かい力、優しき力」

両手を広げた私の周りを、無数の光が飛び始める。ドアを激しく叩く音がするけど、関係ない。私は、新しい神を作る。

「破壊の力、殺戮の力、海の力、大地の力、炎の力、凍れる力、生の力、死の力!」

呪文の一節ごとに、周囲を飛び回る魔力が高まっていく。これは、ナルナの力だ。私は単に彼女の亡骸から力を引っ張り出しているに過ぎない。

呪文が終わると、私の頭の中に膨大な情報が流れ込んできた。さあ、ここからが本番だ。必要な情報を選択し、それを引きずり出す。あくまでイメージのレベルで良い。目を開けると、無数の光の棒が出現していた。私はそれに次々に触れ、作業を続けていった。棒は一瞬ごとに長くなったり短くなったりして、複雑な音も響き続ける。周囲で私を見上げ仰ぐ赤の民の姿が、一秒ごとに見えなくなっていった。この作業を一手順でも間違えれば、全て最初からやり直しだ。それだけは、絶対に避けなくてはならない。

魔法陣が光り、それが恐ろしい勢いで回転し始める。棒もそれに合わせて回転し、轟音を立て、膨大な光を発した。部屋を圧倒的な光が侵略し、それは激しく色を変えながら、最終的に白となり、辺りの全てを漂白する。……手順は全て成功した。私は、最後の鍵となる言葉を、吐き捨てるように叫んだ。

「カオス、我を招き賜え!」

その瞬間、私が世界から消えた。

 

暗い世界だった。星空のように周囲には小さな光が満ち、上も下も分からない。酔いそうだったけど、まあ何とか耐えられた。そして、周囲を見回して、ある一点に視点が自然と固定された。

漆黒の、大きな大きな球体だった。おそらく、私の村全てよりも大きいだろう。周囲は生き物のように波打っていて、時々触手のようなものが延びて辺りをまさぐり、本体に戻っていく。しばし呆然とそれを見ていた私に、誰かが声を掛けてきた。

「ほう、あの星からここへ来る者が出るのは久方ぶりだな。 確か、327単位ぶりか」

無言のまま、私は声の主に視線を向けて、その存在を確認した。親父と同年代、いやもう少し年上のおっさんだ。何というか超客観的とでも言うべき雰囲気で、何もかもを達観している様子がある。

「誰よあんた」

「カオスの管理人、とでも言う所かな。 アレがカオスだ。 あれはこの世界の根元を為す力でな、暫く前にとある奴がアレを利用して世界全てを終わらせようとした。 それで、それ以来ワシが厳重に管理している。 お前にも神を作らせてはやるが、その力が及ぶのはお前の星だけだ。 それ以上の力は使わせん」

おっさんはしれっといい、後ろ手で無様な球体を指さした。勝手な台詞にも聞こえるけど、分からないわけでもない。それにしても、現実なんてこんなものか。この気持ち悪いボールが神。予想はしていたけど、いやそれ以上に酷い姿だ。

「で、何をカオスに求める。 創造か? 破壊か?」

「……皆が平等で、平和な世界」

「人が人である限り、それは無理だな」

即答するおっさんは、笑っても怒ってもいなかった。私が此奴と同じ立場なら、同じ事場を吐いただろう。だから、怒る事も出来ない。

「人間がそう言った理想社会を作るには、精神的な種族レベルでの進化が不可欠だ。 そしてそれは、人の営みの中では数百万年後に(誕生しうる)程度の物でしかない。 まあ、何かしらの圧力を加えない限り、かってに滅ぶのが落ちの生き物だ、人は」

「分かってる、そんな事」

ああ、分かっているんだそんなことは!不完全な人間なりに、私は徹底的に自問自答した。そして、これ以外の結論は出なかった。此処に来ても、こういわれる事は分かり切っていたのだ。なのに……どこか悲しい。

「前に来た奴は、お前さんと同じ事を言った。 では、ワシも同じ問いかけをするとしよう。 ……選べ」

おっさんの言葉に私が顔を上げると、奴は不意に背が伸びたような感じだった。圧迫感というか、威圧感というか、そういったものの最大級の感覚が備わったような感触だ。息をのむ私に、奴は冷厳な選択肢を示した。

「人が人であり、努力し僅かな未来を選ぶ世界か。 一端人という概念を捨て、理想世界を作るか」

以前の私なら、前者を選んでいただろう。だけど今は、正直もう沢山だった。人間はもう充分にそれを行ったからだ。無意味で下劣な犠牲を、海も埋まるほどに積んだからだ。ためらいなく、私は後者を選んだ。

「ふむ、そうか。 では、幾つかの案がある。 どれが良い?」

おっさんが指を宙に走らせると、私の世界の言葉で無数の文字が浮かび上がった。案とやらは二十三個。いずれも、かっての私なら絶対に放棄していた物だった。

「これにするわ」

私は案に目を通すと、しばしの思考の後、一番過激な物を選んだ。おっさんは目を細めると、静かに息を吐き出す。浮かんだ表情は悲しみ。おっさんは、私を哀れむのでなく、そう決断せざるを得なかった事を悲しんでいたようだった。

「その決断は、人から見れば絶対に許せぬ物だ。 それでも良いのだな?」

「構わない。 殺って」

おっさんが手を振ると、私の体を、カオスの圧倒的な力が包み込んでいった。……心地良い。

 

終、人からの旅立ち

 

私が目を開けると、そこは例の部屋だった。周囲には、勝ち誇って喚声を上げる騎士共と、床に散らばる無数の肉片。どうやら扉を破った後、此処に逃げ込んでいた者達を皆殺しにしたらしい。勝ち誇っていた奴らは、私が現れたのを見て硬直した。そして、誰かが引きつるような声を上げた。

「バ、バケモノ……!?」

化け物?悪いが貴様らにそれを言う権利はない。貴様ら人間こそが、世界で最も醜く愚かな化け物だ。貴様らに比べたら、私など可愛い物だ。

私は自分の手を見た、別に怪物化しているわけでもなく、以前の通りの手だ。代わっているのは、私の周囲に物質化したオーラが半透明の巨体を形作っている事だろう。外から見ると、巨大なクラゲの中、私が浮いているように見えるかも知れない。私はゆっくり、だが確実に感覚を新しい体へと張り巡らせていく。大きい……大きいよ。実に大きな体だ。脈打つ私の体は、無数の触手を波打たせる。そしてそのうちの一本が、蟒蛇のように大きく口を開き、鎌首をもたげて虐殺者の一人にかぶりついた。

無様な悲鳴が轟く、そして私の中に何とも言えない味が入り込んできた。触手は二三回クズを噛み、砕き潰すと、そのまま飲み込んだ。

……へえ、人間って、こんなに美味しかったんだ。まあ、食用としてなら存在価値があるかな……あははははは、あはははははははははははははは!そっか、こんな奴らにも存在意義があったのか!あは、あははははははは!意外だなあ、本当に意外だ!

おおっと、いけないいけない。肉体なんてどうでも良い。大事なのは精神だ。吸収した肉体を消化すると、精神を抽出し、調整して自分の支配下に置く。それとほぼ同時に、奴らのリーダーらしい奴が、狂気じみた悲鳴を上げた。

「撃て、撃て撃て撃てっ!」

何も起こらない。当たり前だ、ラシント神は死んだ、私が喰った。此処に実体化する前、私が最初にやったのは、以前カオスと接触した奴が作り出したラシント神、つまりカオスの一部をフォーマットして取り込む事だった。魔法が撃てない事に気付いた奴らは、慌ててボウガンを構え、一斉に放つけど……私にそんな物が効くとでも本気で思っているのか?いずれの矢も、私の体に当たる前に粉々に砕け散る。岸壁に卵をぶつけるような物で、当然の結果だ。鬱陶しいけど、まあいい、クズ共が、貴様らも平等に新しい世界へ招待してやる。そう、ラシント神教ではない、新しい家に住まわせてやる。さあ死ね!

触手が一斉に鎌首をもたげ、部屋にいた奴らを片っ端から食らいつくしていった。ああ、美味しい、美味しいよ。人肉って、本当に美味しいッ!悲鳴も良い、何とも素晴らしいデザートだっ!あははははははははははははは、あっははははははははははは!

私はそのまま、床に散らばる赤の民達の亡骸も体内に取り込んでいった。そして意識を取りだし、自分の統制下に置く。無論、ナルナの死体は他より大事に取り込んだ。彼女の意識は、私に溶けるように一つになった。ああ……この子は特別だ……。

無数の肉体を喰い、私の体はどんどん膨張していく。触手は凄まじいスピードで伸び、何事かと慌てるナントカ騎士団の連中を片っ端から食らいつくしていった。ああ、おいし。今まで食べたどんな物よりも美味しい。人肉って、最高だわ。

私は地面や壁の同化吸収も開始した。私は加速度的に大きくなっていく。全ての生き物を食らいつくしながら、全ての物質を取り込みながら。ジジイの死体も、親父の死体も取り込みながら、私が生活していた場所の全てを取り込みながら!

遺跡を全て食らいつくした私は、周囲のありとあらゆる物を取り込みながら巨大化していく。触手だけでなく、私の体の全てが周囲にある物を取り込み、消化して作り替えていく。そして私は精神を制御下に置き、丁寧に整理していった。さあ、全部食い尽くしてやる。全部、全部だ。一匹残らず、全て喰らい尽くしてくれる!私の本体は、徐々に地下へと沈降していく。目指すは、この星の最も大きなエネルギー、核だ。私は、星を丸ごと飲み込んでいった。あははははははは、あはははははははははは、あはははははははははははははははははは!

 

私が星を完全に飲み込むまで、一月もかからなかった。

 

私は取り込んだ全ての意識を制御下に置き、流動する意識だけの世界を作り上げた。私という中核の元、全ての意識が一つの肉体を共有する、完全に平等な世界が此処に訪れた。私の制御は完璧だ。もう私は人間ではないのだから、当然と言えば当然だ。それに基づいて誰もが他者の全てを知るが故、偏見は生まれない。至福が皆を満たし、情報を共有して全てを知る事が出来る。当然、もう宗教などいらない。意識だけの楽園、それが(私)だ。個性など無いが、人間は自らの愚行により、個性を持つ権利を捨てた。である以上、これは来るべくしてきた世界だ。自業自得と言っても良いだろう。最も、私は奴らに同情などしない。今後永久に、生まれ落ちる新しい意識も含めて管理していく。

星そのものになった私は、どうも余所の世界で言う(コンピューター)とか言う物に近いらしい。余所の星から来た奴が、時々私を調査していった。別にそいつらに利害関係はないから、余程無礼な事をしない限り取引には応じ、ちゃんと帰してやった。それが暫く続いた頃、奴が現れた。カオスの所にいた、彼奴だった。

 

昔の事を思い出していた私は、彼奴の接近に気付いた。別に拒む理由もないから、私は本体まで辿り着ける通路を造ってやる。相変わらず無茶苦茶な力を感じる。あのおっさん、多分実力は今の私より数段上だろう。

奴はゆっくり降りてきた。現在、私本体はかって星のコアがあった所にいる。膝を抱えてぼんやりしている私の前に奴は降りてきて、片手を上げて挨拶をした。

「よう、元気そうだな」

「……まあね」

「例のデータは出来ているか? 早速貰おうか」

無言のまま、私は以前貰ったデータ保管装置を帰した。おっさんはそれを確かめると、満足げに頷き、別のデータをよこした。まあ、私にはこの程度の計算は軽い物だ。

「素晴らしいな。 ハイパーコンピューターでも6000単位はかかる計算なんだが」

「軽い物よ。 またいつでもいらっしゃい」

ひらひらと手を振る私におっさんは頷き、そして去り際にふと振り向いた。

「後悔は、していないか?」

「していない。 人間は、こうされて当然の事をした」

「自分たちの愚行が永遠に許され続けると勘違いしたのが、この星に住む人間の最大の失敗だったな。 世界は人間だけの物ではないのに、とうとうそれに気付かなかった」

私は静かに頷くと、無数に流れる意識の海に視線をやる。本当は、此奴らを自由にしてやっても良いかも知れないと考えた事もあった。でも、同じ事が繰り返されるのは目に見えている。私が滅びるまで、此奴らは自由にしてやらない。恒星が爆発すれば流石に死ぬから、恒星の周りを五十億周位した後か。まあ、自業自得だから知った事ではないけど。

「そんなに自分を責めるな」

おっさんが言う。……そうだね、私は本当のところ、少しだけ後悔しているのかも知れないね。

「全てを背負ったお前の決断だ。 それに、人は充分以上に罪を犯した。 お前を責める事が出来る奴は、少なくとも人間にはいない。 だから、もう少し、自分の心だけでも自由になった方がいい」

……ふふ、そう言われると、私も言わざるを得ないじゃないか。

「有り難う」

私の言葉を背に、おっさんは自分の船に戻っていった。私は人間止めたけど、あのおっさんは私よりも遙か昔に人間を止めた存在なのかも知れない。

私の周囲を、私に制御された無数の意識が流れていく。悠久の普遍の中、私は静かにそいつらを管理している。

私が最も深みにいる、永劫の牢獄の中で。

(終)