拡張の世界

 

序、消える不便

 

眼鏡という発明がある。

言うまでもなく、視力が落ちた人を救ったものだ。

古くには、視力が落ちることは絶望的だったが。

この発明によってどれだけの人が救われたか分からない。

実はこの眼鏡、普及するまでには多くの困難が存在していたし。かけているだけで迫害された時代も存在した。

だけれども、それもやがて無くなり。使う事が当たり前になっていった。

利便性が段違いだったからだ。

補聴器というものもある。

同じく聴力を補助するためのものだ。

これに関しては、眼鏡よりも更に発明が遅く。

そして多くの人を助けた点は同じだ。

他にも色々、人間が障害を持ったときに、補助する目的で作られたものが存在しているのだが。

一つだけ。

決定的に、存在しなかったものがある。

それが、今日届いたものだ。

私はモニターとして、それを使う事を決めた。

補助金が出るからである。

届いたそれは段ボールに入っていて、分厚い説明書も同梱されていた。

それはヘルメットに近いもので。

既に国で配布することを喧伝している。

私はそのモニターの第一陣。

これこそが。

コミュニケーション能力とやらを補助する、世界最初の装置である。

ヘルメットを被る。

私は無言のまま、かぶり心地を確認。

この手のものは、基本的に蒸れたりするのだが。最高テクノロジーの塊であるこの白いヘルメットみたいな機械は、重くもないし、耳に不快感もない。相当丁寧に設計されている事が分かる。

視界は全周を確保出来ているし。

耳もしっかり聞こえる。

目はバイザーで塞がれるが。

視界がそれで阻害されるかというとノーだ。

きちんと向こうは見えている。此方の目が、相手に見えなくなると言うだけである。

口元にはインカム。

これも実際には、此方の言葉を伝えるものではない。

相手に、単に意思をストレートに伝えるためのものだ。

コミュニケーション能力という言葉が存在する。

それは長い長い時間、人間を苦しめ続けてきた。

やれ容姿が気に入らない。

やれしゃべり方が気に入らない。

そういった理由で、人間は簡単に他人を「下」に見る。

そして「下」に見たらそれで最後だ。

相手が言う事は全て馬鹿にして掛かるし。

何か問題が起きたら、全て相手のせいにする。

人間とはそういう生物である。

その問題は長い長い間人間という種族を苦しめ続けてきた。宇宙に出た後も、ずっと同じである。

今、火星に住んでいる私は。

国、つまり人類統合政府の指示で、これをつける事になった。

なお、こうやってモニタが開始されたのには理由がある。

二百年ほど前、太陽系外に出て最初に到達した別星系であるシリウスで無茶苦茶をやらかした人類を、銀河連邦という宇宙人の連合大国家が滅茶苦茶に叩きのめしたからである。

外宇宙の資源を荒らしまくろうとしていた地球人類に、ついに堪忍袋の緒を切ったのだ。

まあ前々から宇宙人の活動は確認されていたし。

あらゆる方法でコンタクトを取ろうとしてきた宇宙人に対して、地球人は尊大で相手を見下した態度で接し続け。

相手の資源を如何に奪い取るかばかりを考えてきたから、こういうことになった。

地球人が銀河連邦の立場だったら。とっくに滅ぼされて、文明ごと消滅させられていただろうけれど。

銀河連邦は残念ながら地球人よりも遙かに紳士的だったし、理知的だった。

故にこういう風に、軍を解体した後。

地球人が、他の宇宙人とやっていけるようにプログラムを開始したのである。

なお政府も既に銀河連邦が提供した超高高度AIによって代替されている。

前の政府が論外レベルの代物だったからである。

当然抵抗はあったが、現在では既に沈黙している。

昔地球で大流行したテロが、銀河連邦が持ち込んだ高性能警備ロボットの前には何の意味もなかった事が原因である。

こんな獰猛な生物のいる星系。

彼らが直接踏み込まなかったのは、色々な意味で正解だったのだろう。

今でも銀河連邦に反発しているものもいるにはいるが。

戦争から二百年が経過して。

生活が劇的に向上した今は。

そういった不満の声も低下。

それはそうだ。

貧富の無意味な格差はなくなり。

努力すれば報われるようになり。

ホームレスも今では存在しない。

豊かな生活を誰もが享受している。

医療も昔と比べてとんでもなく楽になっているし。何より技術も問題ない水準になっている。

地球人が抱えていた問題は、二百年で殆ど全て解決してしまった。

まだ反発しているのは、余程捻くれている者達ばかりで。

それですら、具体的な暴力によって抵抗しようとはしていない。

テロという言葉は既に死語になった。

やっても意味がないし、そもそもやる意味もないからだ。

カルトも既に終わった。

ああいうものは人間の心の弱さにつけ込むものであって。その手口を銀河連邦は調べ尽くして、根絶してしまったからだ。

私のように、モニターを積極的に受ける者も増えてきている。

さて、早速試運転と行くか。

地球人の最大の問題点として銀河連邦から指摘されていたのが、コミュニケーション能力と称する、地球人でも説明が出来ない代物。

意思を伝えるのに、どうして容姿が必要なのか。

同じ言語を使っているのに、どうして聞く耳を持たない「気になる」のか。

挙げ句、相手の社会的地位を自分より下と思い始めると、どうして一切話を聞こうとしなくなるのか。

人間はあまりにも問題がある意思伝達を行っている。

だから、運良く宇宙に出られても。生物としては全く進歩しなかった。

それが銀河連邦の結論。

故に、眼鏡以来の拡張機器である。このヘルメットみたいなものを発明するように指示されて。地球人の科学者達が一生懸命作ったのである。

私は自室のモニタを起動する。

昔はPCが別々にあったのだけれど。近年は殆どモニタだけしか触らない。立体映像に触れる事でだいたい操作できるからだ。

電気が無くなったときの補助策も何重にも施されている。

指定のキーコードをつなぐ。

モニタに、他の人が映った。

ちょっと、他人と直接顔を合わせるのは苦手だ。

私はこんな世界でも、苦労している人間の一人である。

元々私は容姿に問題があった。

ルックスが整っているいないの問題ではなくて。

左側の目の瞳孔が二つあったのである。

これが相手に対して良くない印象を常に与えていたらしい。

両親は露骨に気味悪がった。

母親に至ってはバケモノと直接呼んだし。

父親は私に言葉も掛けなかった。

すぐに私は両親から引き離されて。

そして直接人間と接触するのも禁じられた。

他にも幾つも問題があった。

私は滑舌がどうも他の人間からすると良くなかったらしく。

それで「コミュニケーション」の際には大幅に損をしていると、分析を既に受けていた。

だから現在では、基本的に他の人間とは直接接触を避けて生活しているし。

今も、人間と直接接触するのは怖い。

こんな平和な時代でも。

人間は他の弱者に対してマウントを取ろうとするし、それで自分が偉いと思い込もうとする。

そういうものなのだ。

こんな有様を見て、銀河連邦で地球人を危険視したのなら。

それは当然だろうなと、私も思う。

バイザーを通じて見えるモニタの向こうにいる相手は、デフォルメしたアニメか何かのキャラに見える。

特徴は捉えているのだろうが。

おかしな所は一切見られない。

このバイザー、高性能だな。

そう思いながら、私は相手の問いかけを聞いた。

「こんにちわ。 聞こえていますか?」

「はい」

「返事をしてくれてありがとう。 前は殆どこっちを見てもくれなかったからね」

相手は、私の主治医だ。

親から引き離されて、精神に大きなダメージを受けた私は。

それで治療を受ける事になった。

だけれども、なんだかんだで幼い内に両親に全否定された心のダメージはとても大きかったようで。

あらゆる理由から、私は人間と接することが出来なくなっていた。

悪意がないと分かりきっているロボットと接するようになり。

生活も結局、ロボットの支援を受けながら、今は一人で暮らしている。

幸い知能は低くなかったので。

地球人類が活動を許されている外縁であるオールト雲での資源採集作業を、リモートで実行しているが。

それでも時々SNSなどを使って他人とやりとりしなければならず。

とても辛いことはあった。

私の場合、人間が嫌いなのでは無くて。

人間が私に対する迫害者なのだ。

だから関わり合いになりたくないし。

出来れば喋りたくもない。

それが事実なのである。

医者も、私が返事をしただけで、満足した様子である。

そのまま、話を続ける。

「その補助器具に、不満なところは? 耳が蒸れるとか、周囲が見づらいとか、重いとか、そういう簡単なのでかまわない」

「ありません」

「そうか、言葉もかなり聞き取りやすくなっているよ」

「ありがとうございます」

長い言葉を喋るのは正直嫌なのだけれども。

それでも、相手がアニメ調にデフォルメされていて。

更には、此方からしてもとても言葉が聞き取りやすくなっている。

すぐに分かったのだが、耳に入ってくる言葉をリアルタイムで聞き取りやすく変換しているらしい。

更に相手の表情などに対して、色々な工夫をしている様子だ。

この最先端AIは凄いな。

そう素直に思った。

地球の科学者達が作り出した、にしては出来が良すぎる。

多分中枢部分は提供されたテクノロジーで。

ブラックボックス化されているのだろう。

技術の全ては地球産ではなさそうだ。

私はそう思いながら、診察を続ける。

「これから一月ほどは、私と話をしてみて、ストレスが掛からないかを確認していく予定だけれども。 うーむ、普段ほどでは無いけれど、ストレスが微増しているね」

「すみません」

「喋る、という行為自体がストレスになっているようだね。 分かった、最初の試運転だし、そろそろ切り上げよう。 これから、少しずつ話をして、他人と話せるようになっていこう」

通話が切れた。

私はストレスモニタを確認して。

確かに微増しているのを見た。

医者の方でも、リアルタイムでこの情報が届いていたのだろう。

超光速での通信は、今は当然の技術として普及している。

火星にいる私だけれども。

確かこの医者は、彼方此方を飛び回っていて。今日は冥王星にいるんだったっけ。

それでほぼラグ無く通信が出来るのだから。

まあ技術の進歩様々である。

私はヘルメットみたいな装置を外すと。

ふうと息をついた。

蒸れたり重かったりはない。

話していて、「話す」という行為以外にはストレスを感じなかった。

今まで接した人間は、両親も含めて私の異形をまず貶めに掛かったし。

それにしゃべり方を笑った。

そして自分より下の存在と見なして。

以降は何をしても笑うようになり。

私がどれだけ勉強して色々な技術を身につけても、それを馬鹿にし。挙げ句の果てに生意気だと言い出す始末だった。

医療は焼け石に水。

完全に人間との接触を断つことを医師に提案されたときに。

一も二も無く受けた。

昔は、私のような人間はどう周囲から対応されていたのだろう。

勿論差別されにされ、何をしても否定され。

挙げ句の果てに全ての悪事を押しつけられ。

そしてそれも全部お前が努力をしていないのが悪いとか、頓珍漢な寝言を周囲は揃って言っただろう。

銀河連邦に指摘された文書が残されていたので、私は読んだことがある。

地球人類(以下略して人間)は社会が間違っているときに、絶対にそれを認めようとしない。認める事が出来る人間はごく少数だ。

基本的に社会によって犯罪が起こされた場合。

むしろ被害者の方を犯罪者に仕立てる傾向まである。

これは人間が知能だけ肥大化した、いびつで問題のある生物であることを意味している。

故に自分達の社会から見て劣っているように見える存在には、あらゆる暴力を嬉々として振るうし。

気に入らない相手には社会ぐるみでリンチを行う。

法律は不公正なまま放置し。

社会的なリソースを自分で潰し。

むしろ適性では無い人材を、自分が気に入る気に入らないというどうしようもない理由で社会の上層部に歓喜と共に迎え入れる。

これらの病理があるからこそ、シリウスでの無差別虐殺に対して、裁判でも実行者達は一切非を認めようとしなかったし。

自分達と対等な生命体などいないと居丈高に騒ぎ。

裁判を行うAIに対してポンコツロボットと暴言を吐き散らし。

遺族に対してもステーキにして喰ってやると、自分達が殺したシリウスに移民していた様々な種族に対してやった事を再度実施する意思を見せた。

人間に自浄作用は存在しない。

故に軍事力を全て取りあげ。

当面は監督下に置かざるを得ない。

この文章を見た時、溜息が漏れたものだ。

昔の資料を見たことがある。

学校などで、虐めが行われた場合。

糾弾されたのは、虐めを行った人間では無い。

虐めを受けた側の人間だ。

何もかも虐めを受ける側が悪いという事にされた。

たまに、虐めがエスカレートして、死者が出た場合は犯罪として裁かれたこともあったが。

それも殺人事件として扱われるのでは無く、

ごくごく軽い罪で済まされるのが当たり前だった。

昔から。人間は変わっていない。

それを知ったときに。

私はさもありなんと、大きくため息をついたのだ。

シリウス戦役で、地球軍が捕虜になった一部を除いて壊滅した後。地球人が何をしたか、具体的なデータが公開されたが。

資料で見る限り、それを見てむしろ失笑している人間の方が多い。

気持ち悪い宇宙人共を殺したんだから、それでいいじゃないかと、堂々と公言している人間の画像も残っている。

これらの画像は、全て既に銀河連邦が乗っ取っていたネットワークによって記録されたものである。

人間は自分に都合が悪い歴史を隠蔽してきた過去があるが。

銀河連邦は、それをさせなかったのだ。

その結果がこれである。

おぞましすぎる本性は。

隠されることも無く、表に晒されたのだ。

私はヘルメットを見つめる。

これを被れば、人間と上手くやっていけるのだろうか。

地球人類は、この二百年も技術以外はまったく進歩していない。

シリウスで蛮行の限りを尽くし、殺戮と略奪の限りを尽くしまくった結果、銀河連邦の想像を絶する大軍にゴミのように蹴散らされた頃から、まるで変わっていない。

人間である事は、私自身恥ずかしくさえ感じる。

だが、まだいるのだ。

未だに、現状の人類は極めて不当な支配に置かれている。

シリウスの戦いに負けた無能な軍の連中がいなければ、今頃植民地を増やしてもっと良い生活を出来ていたはずだと宣う連中が。

実際にあったこともある。

テロまでやる輩は流石にいないが。

銀河連邦としては、こんな危険生物。

当面野放しには出来ないだろう。

アラームが鳴る。

仕事の時間だ。

生活をするためには、仕事をしなければならない。

貯金はある程度あるから、休暇を取ることも出来るのだけれど。

私は今後、体にどんなハンデが出るか分からない。

それが怖い。

今でさえ、散々な目にあって来た過去がある。

両親が今何をしているのは分からないし。知りたくもない。

だから、何もできないほど体が弱ったときのためにも。

貯金は増やしておきたいのだ。

今回、コミュニケーション能力の補助ツールのモニタになったのもそれが理由。

私は、こんな時代でも。

未来に希望は、全く持っていなかった。

 

1、ハードルを上げていく

 

通話をしている相手は、今回は主治医では無い。

同じようにハンデを持っている相手だ。

滑舌が悪いというのは、人間にとって色々致命的らしいのだけれども。

相手もそのタイプ。

体に障害を持っているか良く分からないが。

ともかく、滑舌が問題で、周囲から迫害を受け。

それで医療を受けるようになった、私と同じ患者だ。

今回のこのコミュニケーション補助装置のモニタになったのも、何とか出来ないかと思ったから、だろう。

私には痛いほど気持ちが良く分かる。

このヘルメットみたいな装置を被った者同士だ。

今モニタ越しに接している相手は、特徴がデフォルメされているから、殆ど人相が分からない。

それはそうだ。

ヘルメットにバイザーである。

更にそれをデフォルメしたら、それはどうしようもない。

「ええと、おはようございます」

「おはようございます」

「良かった。 通じますね」

「通じています」

少し喋る。

滑舌の問題は、クリアされているらしい。

少なくとも私の耳に、問題があるようには伝わらない。

良い感触だ。

そのまま、話を続けていく。

「このヘルメットみたいな機械、凄いですね。 重さも殆ど感じないですし、邪魔にもならないですし」

「よっぽどお金が掛かってるんでしょうね」

「何か私の言葉聞き取りづらくありませんか」

「いえ、まったく」

そうかそうか。

それは有り難い。

向こうもありがたいと思っているだろう。

こういうのは、正直な話どうしようも出来ないのである。

滑舌だけなら、或いは改善が出来るのかも知れない。

何かしらの技術で、どうにか出来るかも知れない。

だが人間が相手を見る時。

基準は基本的に「自分より上か下」か、だ。

その基準からすれば、相手が何かハンデを持っている場合は、自分の方が上となるし。上なのだから相手は自分の言う事を全て聞かなければならない。

聞かないなら生意気だ。

言っていることが自分と違うのなら、それは全て間違っている。

それが平均的な人間である。

私は随分そういうのに、両親も含めて遭遇してきたから。

苦悩を共有できる相手の存在は、とても有り難い。

もっとも、互いに滑舌に問題がある。

この装置が無ければ、やりとりは本当に大変だったのだろうが。

軽く話す。

仕事についてとか。

相手もリモートで、地球における仕事をしているらしい。

銀河連邦との戦争末期、地球ではそれこそ地球全部を掘り崩す勢いで資源を取りだしていた。

一部マントル層まで抉り取る勢いだったという。

その後始末を、ずっと今の世代はしている。

役にも立たない宇宙戦艦にした資源を全て還元し。

滅茶苦茶になった生態系を少しでも元に戻す。

今では、地球は多少は元に戻ってきているが。

まだまだ今話している人のような、地球復元に従事している人は珍しくもないのである。

攻めてきた宇宙人が、悪辣なだけの侵略者だったらどれだけ良かったか。

人間の方が悪辣な侵略者だったのだから、文字通り溜息も出ない。

考えてみれば、人間が他文明と接触したとき、何をしてきたか。

歴史が全て示していた。

それなのに、人間は一切学習出来なかった。

宇宙まで出て来ていて、何を今までしていたのか。

銀河連邦が呆れるのも当然だろう。

挙げ句の果てに、平和的接触を試みたシリウスに先住していた人達を無差別殺戮までしたのだ。

本当に、良くも今生きていられるものだと思う。

これで宇宙人に飼われているとか不満をぶちまけているのがいるらしいのだから。

私としてはもう言葉も無い。

互いの仕事の内容を話していると。

ある程度はわかり合える気がする。

だが、忘れてはならない。

そもそも私の滑舌が悪いように。相手もしゃべり方に何か問題とかがあるのかも知れない。

もしその場合、こんなに上手く意思の疎通は出来ていない筈だ。

この機械があるから、意思疎通できている。

それは現実として忘れてはならない。

しばらく話した後。

通話を切る。

規定の時間、通話したからだ。

幸い、この通話で信じられない金が掛かるというような事はないようだけれども。

モニタで会話している以上。

その全ては記録され。

そして今後のデータの再構築に生かされるのだろう。

バイザーに表示されているデータを見る。

ストレスは殆ど溜まっていない。

主治医と話しているとき、ストレスは相応に溜まるのだが。

多分、このヘルメットみたいな装置が、互いにストレスを緩和するように色々仕掛けをしてくれているのだろう。

有り難い話だ。

会話が苦痛でしかなかったが。

今後は、少しずつマシになって行くかも知れない。

ヘルメットを外すと、ため息をつく。

モニタに、自分の顔が映る。

片目の瞳孔が二つある。

それだけで、バケモノ呼ばわりされ。

気持ち悪いから近付くなと言われた事もある。

そしてそう言った連中は。

基本的に平均的で普通の人間として扱われ。

そいつらのほうが数が多いから、正しいのだとして扱われてもいる。

それは、銀河連邦が危惧するのも当然だろう。

私は、もしも銀河連邦が人員を募集するなら。

面接を受けたいくらいである。

少なくともこの装置は。

銀河連邦が働きかけなければ。

作ろうという事を、地球人類は試みさえしなかったのだろうから。

コミュニケーション能力は自分で磨くことが出来る。

相手と上手にコミュニケーション出来ないのは努力が足りていない証拠だ。

そんな言葉が幾らでも昔は飛び交っていたらしい。

では、何故に地球人は。

そもそも周囲の人間と、そのコミュニケーションとやらが出来ていなかったのか。

結局立場的に強い人間が、弱い人間に言う事を聞かせていただけだし。

それ以上でも以下でもないのが現実では無いか。

ヘルメットを見つめる。

最初に眼鏡を使った人は。

本当に助かったと感じただろう。

補聴器をつけた人や。

義手や義足を使った人も。

それなのに、どうしてかそれらと同等に解決されなければならないコミュニケーションとやらの問題は。

本人に問題として押しつけられたのか。

私にはそれが分からない。

結局人間は、自分より立場が下の存在を用意しなければ、怖くて生きていけなかっただけなのではないかとも感じたが。

それもよく分からない。

いずれにしてもはっきりしているのは。

私に取っては、この装置が生命線だということだ。

SNSに通知が来る。

主治医からだった。

スケジュールの通達である。

今後やはりだが、どんどんハードルを上げていくらしい。

最初はモニタ越しだが。

やがて、外で直に人間と話すようなことをするという。

この装置の性能を試すためだ。

仕方が無いと言えば仕方が無い。

また、ヘルメットには様々なバージョンがあるらしく。バイザーで顔全部を覆うようなものまであるらしい。

理由については聞かなくても分かるので聞かない。

それは、大変だろうな。

そう思うだけである。

私は、容姿を貶められて育ったからか。

他人の容姿には、まるで興味が無い。

美人とされるアイドルやらタレントやらの映像は、今でもたくさんある。

現役のも、何百年も前の人のも。

それらを見ても、まるでぴんと来ないのだ。

私に取って、容姿というのは。

相手より上か下か。

それだけを判定する基準という認識しかないから、というのが理由であるのだろう。

これは恐らくだが、「平均的な」、ドングリの背比べ程度の違いしか他と代わらない人間には分からない感覚だろうし。

言っても嘲笑するだけだろうから、誰にも言わない。

私のこの考えは、決して被害妄想でも何でも無い。

それは、実際に。

私が身で味わって来たからだ。

外で直に人間と話すのか。

嫌だなあ。

そう私は思う。

だけれども。それを補助するためのこのヘルメットみたいな装置だ。

これがあるから、私は少しはやれるはずだ。

だけれども、それが本当に何処まで通用するのか。

ストレスが上がっていると、部屋の中から警告の音声がした。

分かっている。

考えるのをやめる。

不安しかないのだ。

考えていれば、ストレスが激増するのも当然である。

私は、このままヘルメットがあれば生きていける状態になるのだろうか。今は、その可能性を上げるべく。

少しでもモニタに協力して。

このヘルメットの性能を上げられるように、務めるしか無かった。

 

似たような立場の人と、ヘルメットみたいな装置を使って話をする。

兎に角、今まで話してきた人達とは比べものにならないほど話しやすいし、言っていることも聞き取りやすい。

勿論ヘルメットの補助のおかげだ。

また、相手が不愉快そうな言葉を発した場合は、その場で即座に変換もしているのかも知れない。

いずれにしても、スムーズに喋る事が出来る。

私が言葉に詰まった場合ですら、補助をしてくれる。

滑舌が悪いのは分かっていたが。

言葉を補ってくれているらしい。

勿論、周囲にある装置が、会話などのデータを全て取って、データとして研究室に回しているのだろう。

モニタが他にどれくらいいるのか。

ちょっと私は気になったが。

それを聞く意味はないので、主治医と話すことはしなかった。

今日で、室内での会話は終わりだ。

次は久しぶりに外に出る事になる。

私が親から引き離されたのは五歳の時だったか。

両親による虐待が正式に認められたのである。

両親がそれからどうなったのか分からない。

いずれにしても、私を最後まで罵っていたことは事実だ。母が私に叩き付けたバケモノという言葉は、今でも耳に焼き付いている。

ストレスの警告がまた出る。

思考を閉じると、私はベッドに横になった。

基本的に殆ど部屋の片付けはしない。

ロボットが全部やってくれるからだ。

むしろロボットにやらせておくと。

何が何処にあるのか、すぐに答えてくれる。

放っておくとすぐに埃とかが溜まるものなのだけれども。

それもなく。

きちんと綺麗にしてくれるので、私としては重宝している。

古い時代の創作だと、人間は自分の力で生きてこそだ、的な意見をよく見たらしいのだけれども。

眼鏡や補聴器がどれだけの人を助けたか分からないし。

足りない部分を、どうしても自分の力や努力で補えない人はいる。

それを補えるようになったのなら。

それは進歩と言うはずだ。

目を閉じて、思考を閉じる。

ストレスが上がるだけだ。

仕事はまだ始まるまで時間がある。

リラクゼーションの音楽を流す。

私はクラシックとかはあんまり好きでは無くて、波の音を聞くのが好きだ。

地球が滅茶苦茶になって、殆どの砂場は今復興途上らしく。

今聞いている波の音は、何十年も前に録音されたものらしいが。

それはそれとして、とても落ち着く。

しばらく波の音を聞いていると。

仕事の時間が来た。

デスクにつくと。

仕事場と接続。

そのまま、仕事を開始する。

何をすれば良いかは全て記載されている。AIが指示した内容だ。

そのまま作業をすればいい。

こういう仕事形態を、昔はAIに使われていると嫌った人もいたらしいけれど。

そもそも昔の地球では、ブラック企業というものが世界中に根を張っていて。

人間をすり潰しながら金に換えていたという。

今のAIは、人間の体調を管理し、無理はさせないし。

ブラック企業を好き勝手にしていたような連中と違って、セクハラもパワハラもモラハラもしない。

それを考えると。

少なくとも、私にはこっちのAI上司の方が何倍もマシだった。

仕事の出来によってきちんと報酬もくれる。

そういう相手なのだ。

だから、特に問題だとは思っていない。

やっぱり初期にはAIによって仕事を管理されることに反発する人もいたらしいのだけれども。

それらの人も、結局パワハラもされず凡人が普通に仕事して普通に食べていけるシステムだとわかると。

みんな黙ったそうである。

仕事を終える。

振り込まれた給金を見て、生活費と比べて見る。

問題なし。

貯金もちゃんと増えている。

ヘルメットみたいな装置のモニタ料金と含めて、それなりに安泰な貯金は出来ているから。

もしも何かあったとしても、当面はやっていけるだろう。

良かったというのと同時に。

それでも拭いきれぬ不安もある。

私は結局の所。

後々どうなるのだろう。

このヘルメットみたいな装置のモニタが終わった後。

何十年だか、このオールト雲での仕事をして。

貯金が充分に出来たら、後はゆっくり余生を送るのだろうか。

その頃には、世界はまた変わっているのだろうか。

分からない。

伸びをして、それから考える。

私は今。

何をしているのだろうかと。

分からない。

ただ日々を生きている。

それ以上でも以下でもない気がした。

 

外に出たのは久しぶりだ。

護衛のロボットを連れていこうかと思ったが。今住んでいる火星のコロニーには、警備用のロボットが常時詰めている。

一時期テロリストの標的にされたが、自爆テロだろうがハッキングだろうが一切合切通用せず。

束になって捕まえようとしても簡単に鎮圧され。

また犯罪者が此奴から逃げ切る事も不可能だった。

形状は色々あるが。

基本的に人間に威圧感を与えないデザインとして、球体が選択されている。

つまりロボットはボールそのもので。

ころころ転がって、彼方此方を移動して回ると言う事だ。

これなら簡単に犯罪者に対処されそうに見えるが。

いざという時には周囲のロボットと連携して動き。

また多脚を不意に展開。

人間が使える程度の兵器だったら、どんだけ喰らってもびくともしない装甲で、攻撃してくる相手を制圧する。

噂によると、地球軍が使っていた宇宙戦艦の主砲くらいなら余裕で耐え抜くらしく。

テロなんか一切通用しないのもまあ当然である。

現在では、警察などの仕事は九割型この警備ロボットが行っていて。

それで問題は一切生じていない。

私が外に出ると。

何かしらの理由で、私の事を知っているのだろう。

すぐに警備ロボットが来て、私の護衛に当たってくれる。

側を鈍色の球体が転がっているのはちょっと不思議な光景だけれども。

こいつの強さを知っているので。

むしろ心強い。

しばらく歩くと、主治医が来た。彼方此方飛び回っている忙しい人だが、火星のこのコロニーに直接来てくれた訳だ。

前は病院で話す事もあったが。

今回はこのヘルメットみたいな装置のモニタだからだろう。

直接本人が出て来ていた。

この先生と直接話すのも久しぶりだな。

そう思う。

モニタ越しには話してはきたのだけれど。

親から引き離された後も、私は色々酷い目にあったから。

いつの間にか、人間と向かい合って立つことさえ、怖くて出来なくなっていた。

バケモノと罵られたのも、親にだけではない。

瞳孔が二つあると言うのは変わった症状らしいが。

私を罵る、醜く歪んだ顔を。私は一生忘れないだろう。

勿論罵った側は、自分が悪い事をしたなんて一切合切思っていないし。

或いは頭から綺麗に消えているかも知れない。

そういうものだ。

人間は。

軽く主治医と話す。

その後、ヘルメットを就けていない人間が来た。

どうも学者らしい。

このヘルメットみたいな装置を開発した人間かも知れない。

握手を求められたので、反射的に身を引いてしまう。

私に浴びせられたのは暴言だけでは無い。

今でも体がどうしても覚えている。

「教授、前にも話しましたが」

「おっとすまない。 悪かった、許してほしい」

「いえ……」

私は二人と一緒に公園に出ると、其所で席に着いて、軽く話をする。

科学者はバイザー越しにはひげ面のおじさんらしい。

私とは何もかも真逆な相手だ。

科学者らしいが、屈強な肉体の持ち主でもある。

これらはデフォルメされてバイザーに表示されているが。私は背もそれほど高くないし細いので、怖い。

ストレス値が上がっていることを主治医が告げて、科学者が少し距離を取る。

個人的には、外に出ていることも、ストレスの要因になっているのだと思う。

とりあえず話をする。

使い心地などについて聞いてくるが。普段とは違う話ばかりをされる。

多分、今までの会話のログは全て見ているのだろう。

私を興味深そうに見ているのは分かったけれど。

やっぱり不安だ。

「うーむ、私は君に何もできないのだけれども。 それが分かっていてもなおもストレスを感じるかい?」

「ごめんなさい」

「分かった。 もう少し距離を取ろう」

学者が口元にインカムをつける。

これで、大声を出さずとも声がこっちに通じるというわけだ。

少しだけほっとしたが。

逆に言えば、まだ会話が続くと言う事である。

嫌だなあと思うが。

それもまた、仕方が無い。

兎も角、言われるままに答える。

やはり普段は外しているのかと言われて、はいと答えると。

科学者は何かメモを取っていた。

「実は、そのヘルメットは常時つけていても大丈夫な構造になっている。 そのままつけていても平気なように最終的にはしたい」

「流石にずっとつけているのは……」

「ああ、勿論外に出ているときは、の話だよ。 家の中にいるときは気にしなくていい」

だが、今後は試験的に、家にいるときもずっとつけて貰うかも知れないと学者が言い出したので。

私はちょっとうんざりした。

何というか、ずかずか人のパーソナルスペースに入り込んでくるなあと思ったからである。

ストレスが警告値に達したので。

主治医が学者に耳打ち。

学者はデフォルメ絵のままだが。

多分舌打ちしたなと、私は思った。

ただの勘だが。

「では、名残惜しいが今日はこの辺りで切り上げよう

「はい」

「次はもう少し有意義なデータを取りたい」

科学者が、主治医に何か耳打ちしている。

此方からは聞こえない。

他人の会話もまた、聞こえないようになっている。

人間という生物は、基本的に他人の悪口を言う事が大好きだ。そしてそれを聞くことはストレスにもなる。

何より悪口は、その人物に対して、自分が如何に優越しているかを示すマウントにもなる。

猿とやっている事は同じだ。

だから、その習性をこうやってシャットアウトする。

仮に悪口ではないとしても。

シャットアウトされていると言う事は、恐らく私に取って良い内容ではないのだろう。ならば聞く必要もない。

帰る事にする。

主治医は此方を一度だけ見たが。

それだけだった。

 

2、やはり壁は厚い

 

軽く外で話しただけだったのに。

ストレス値が中々下がらなくなった。

何度か、幼い頃に自分の目をえぐり出そうとしたことがある。

この瞳孔があるから。

そう思って、短絡的な行動に走りかけた。

その度に、ロボットに阻止されて。

そして結局、今は専門の治療を受けている。

それが良い事なのかどうかは分からない。

昔人間は、都合が良いときだけ自分を動物とし。弱肉強食は世界の理などとほざいておいて。

都合が悪くなると病院に行ったり、法律を持ち出して弱肉強食の理を否定した。

弱肉強食だというのなら、病院など行かず、法律にも守られなければいい。

都合の良いときだけ弱肉強食の理屈を持ち出す人間には、銀河連邦はとにかく呆れたようだが。

今では、それら身勝手な理屈を振り回す習性も課題として。

人間に解消するように、要求されているようだった。

まあ当面太陽系から出る事は許して貰えないだろうな。

私はそう思いながら。

下がらないストレス値を見る。

何となく分かっていた。

あの科学者が、私を見下しまくっていたことは。

自分は優れていると信じて疑わず。

クズが自立するために、優れた知能を使ってやっている。

不愉快なことに、自分のために使いたい知能を。宇宙人共に強制されて使わされている。馬鹿馬鹿しい仕事だ。

私は別にエスパーでも何でも無いが。

何となく、相手が此方を見下している事は分かる。

私を人間扱いしなかった両親と、同じ気配があったからだ。

見下すとしたら。

だいたいそんな理由だろうと、推察しただけである。

まあどうでもいい。

あの科学者は、銀河連邦に指示されてものを作っている。

完成品の質が悪ければ。

相応のペナルティを受けるだけだ。

昔の人類じゃあるまいし、即時で首だとか、或いは刑に掛けられて牢に入れられるというような事は無いだろうが。

研究の自由はかなり奪われるのではないだろうか。

まあ私としてはどうでもいい。

相手が私をどうでもいいと思っているように。

お互い様だ。

私が科学者様の下にいて。

そして科学者様は私を好き勝手にする権利がある。

そんな風に、知能指数が高くて優秀な科学者様が考えているというのなら。

人間という生き物そのものに欠陥があると考える、銀河連邦は正しいのだなとしか思えない。

部屋で膝を抱えていると。

連絡が来た。

主治医からだった。

ストレスが下がらない事で、話をしたいという。

ヘルメットみたいな装置はどうしようかと思ったけれども。

被ってほしい、と言う事だった。

モニタ越しに話をする。

主治医は幾つか質問をしてきたけれども。

やがて、割とずばりと踏み込んできた。

「この間、外で話した科学者。 彼が何か失礼をしたのかね?」

「どうしてそう思うんですか?」

「いや、そのストレスがずっと下がる様子がないからね」

「……結論から言えばそうです」

強者が弱者に暴力を振るっても、すぐに忘れる。

恐らくあの科学者は気付いてもいないかも知れないが。

こっちは気付いていた。

主治医は、しばらく考え込んでいたが。

話をより具体的にしてくる。

「彼は君の事を、あまり良いモニターでは無いと私に話していた。 それを君は感じ取っていたんだね」

「はい」

「分かった。 私としても、この件は銀河連邦から指示を受けて仕事をしているから、あまりそういった事は見過ごせない。 上に報告をしておくよ」

「お願いします」

通話を切る。

ヘルメットを外す。

ヘルメットそのものに不快感はない。

だがこれを作った科学者は、やはり人間だった、と言う事だ。

クズ共が少しでも動けるように、偉大な頭脳を貸してやっている。

だからひれ伏して感謝しろ、というわけか。

冗談じゃあない。

エリート様だから、そう考えて当然とでもいうのだろうか。

昔、地球が銀河連邦にコテンパンに負けたときに。

指揮を執っていたのは、みんなエリート様だった。

容姿も優れているとし(整形込み)。

金も持っていて。

そして代々社会的地位の上層にいた連中だった。

そういう連中は必死に自分達のプロパガンダをしていた。

金持ちは基本的に優れている。

だから金持ちが社会の前面に立てば良い。

貧乏人は無能だから貧乏人なのである。

だから奴隷であればいい。

そういって彼らは、シリウスで歴史的な蛮行を働き。そして人類が宇宙に進出する機会を数十世紀は伸ばした。

もっとも、此奴らが行った蛮行が無くても。

いずれ人間は、太陽系に叩き帰されていただろうけれど。

ストレスが少し緩和されたかも知れない。

嘆息すると、仕事を始める。

人間に関わる事がない仕事だから、多少は気分も楽だ。

指示通りに淡々と作業を進めていく。

守秘義務とかで、他のモニタが上手く行っているかは分からない。

いずれにしても、そもそもコミュニケーションとやらを補助して円滑にする装置なのだから。

より難しい条件をクリア出来なければ意味がないだろう。

私は恐らく、その難しいケースだ。

とはいっても、別にこのヘルメットみたいなもの自体は気に入っている。

確かにつけていて不便さは殆ど感じないし。

良く出来ていると思うからだ。

ただ、これは人間の悪意までは遮断できない。

それは、正直な感想だ。

主治医がまた連絡してきた。

軽くアンケートを書いて欲しい、と言うのである。

別にそれくらいならかまわない。

仕事を終えた後に、アンケートをつらつらと埋めていく。

勿論、悪意を遮断できていないという話は書いた。

かなり作り手は工夫しているのだろうけれども。

それでも出来ていないものは出来ていない。

はっきり書いておいたが。

さて、何か改良でもされるのだろうか。

アンケートを送った後、軽く休む。

栄養価の高い食事を取って、後は眠る。

ストレスが酷い日は殆ど眠れない事もあるのだけれども。

今日は、ストレスが減少傾向に入ったからか。

眠る事が出来ていた。

有り難い話である。

とはいっても、一時期ストレスのせいで全く眠れなくなった事があった。

だからたまに睡眠導入剤を処方して貰っている。

眠れなくなると、薬無しでは一切合切眠る事が出来なくなり。限界が来ると気絶してしまう。

これについては前から経験があるので。

家事を補助してくれているロボットが、私のバイタルを常に確認して、状況に応じて処方はしてくれていた。

私が難しい患者だと言う事は。

主治医も理解してくれているようではあるが。

しかし、理解してくれていても。

どうにもならないものは、世の中にいくらでもある。

それもまた、事実だった。

 

ヘルメットみたいな装置に、アップデートが入る。

恐らく私以外のモニタの意見も確認し。

多数のデータを取って。

それで改良をしたのだろう。

ちなみにハードウェアの修正は入らなかった。

アップデートが終わった後、またテストから始める。

モニタ越しに話をして。

それでストレスが溜まるかどうか、等の実験をしていく事になる。

最終的には思想に問題がある人間などと話して、ストレスが溜まらないかの実験もするらしいが。

それは私もモニタになった時に同意しているので、覚悟の上である。

ただ、この間の科学者と話したとき。

相手は無自覚に此方をみくだしているのが、はっきり分かるレベルだったので。

現時点でその実験をするのは御免被りたい。

正直な所、ストレスが限界に達して、倒れてしまう可能性が高いからである。

ストレスはどういうわけか、銀河連邦に叩きのめされるまで、人間の間ではとても軽視されていたらしい。

ストレス起因の病気はいくらでもあったのに。

それを精神論で否定し。

場合によっては甘えだなどと称して。

病気になっている人間を迫害するケースまであったそうだ。

今でも、私のような立場を露骨に見下す人間がいる事から考えて。

昔の迫害がどれほど凄まじかったのかは、想像もしたくない。

多数の迷信も横行していたらしく。

例えば筋トレで全てが解決するだとか。

気の持ちようでどうにでもなるだとか。

極めて勝手な理屈で、却って病気の人間を追い込むことがあったらしい。

だが別にそんな事はどうでもいい。

今の時点では、このヘルメットみたいな装置が上手く行くとは私も考えていない。

人間は対等以上の知的生命体と接して、その馬脚を現した。

今の時点で、人間は保護観察つきで、ようやく生活させて貰っているようなものであって。

その立場は、完全に自業自得である。

だから私は、別におかしな話だとも思わない。

そんな生物に産まれたことを、不幸だなとも思わない。

やむを得ないとしか感じない。

それだけだ。

ストレス値を確認。

現時点で動く事は出来そうだ。

さっそく主治医と話をする。

少しずつまたデータを取るそうだ。

私は指摘する。

今までの相手は、恐らくだが今回の実験について知っていて、極めて慎重に悪意が漏れないように気を付けていたのだろうと。

主治医は少しだけ迷った後。

私の指摘を認めた。

「君は鋭いな」

「そうですか」

「ああ。 それが逆に不幸なのかもな」

そうか。

何も気付かずにいれば、むしろ楽になるという理屈か。

別にそういう理屈もありといえばありなのだろう。

私ははっきり言って反吐が出ると思うが。

周囲が此方をみくだしている事に気付かず。

ただ滑稽な猿と思われながら生きていく。

それもまた、生き方なのだろう。

別にプライドの問題では無い。

頭が悪い方が、むしろ楽に生きられる場合もあると言う事だ。

だけれども、そういう人は格好のカモになる。

人間の世界には大量の悪意が満ちていて。弱っている人間を狙っている。

昔はそういう悪意が、フェミだの反ワクチンだのカルトだのとして、多くの人間の人生を滅茶苦茶にして。

滅茶苦茶にした側は高笑いして金を奪いまくっていた。

今の時代は、監査が徹底的に入ってそういう事は出来なくなっているが。

SNSなんかをたまに見ると。

如何に銀河連邦を出し抜けないか、議論している連中をたまに見かける。

好き勝手に悪意を振るい。

悪意に気付けない人間から搾取したい。

そういう本音がダダ漏れだ。

人間の自主性がどうとかそういう問題じゃあない。

単に欲望のままに暴力を振るって回りたい。

それだけの話である。

「他のモニタにも、実は同じ指摘をされている」

「誰でも気付くと思います」

「そうかも知れないな。 いずれにしても、モニタを続けてくれると助かる」

「続けます」

そうかと主治医は言うと。

これからのスケジュールを伝えてきた。

数日おきに、また他人と話をして、データを取る。

そして最終的には、また外に出て、直接人間と接触する。

一回や二回のアップデートで、全ての問題が解決するとは私にはとても思えない。だが、人間が百回や二百回の失敗程度で進歩する訳がない。

古くは眼鏡などの補助装置をつけている人間を、惰弱だと罵って暴力を振るう輩も普通にいたと聞いている。

醜悪極まりないが。

やっている側は、「善意」のつもりだったのである。

そう、都合の良い善意だ。

自分がやっている事は常に正しいと信じて疑わないから。

そういう行動に出られるのである。

やはり、私は。

この手の補助装置がない限り。

人間と接触するのは難しいだろうなと、ヘルメットみたいな装置を見て、思い直すのだった。

 

それから何度かモニタ越しに話をして。

少しずつ、ストレスの蓄積について確認していく。

そうこうしている内に、マイナーアップデートが何度か装置に入る。

ハードウェアの修正は入らないが。

ソフトウェアはかなり細かく修正が行われているようだった。

これは作っている側は、相当苦労しているだろうな。

そう思ったけれど、アンケートなどには書かない。

多分、銀河連邦側が相当に頭に来ているのでは無いのだろうか。

元々コミュニケーションという言葉を悪用して、相手に媚を売る事が上手い輩だけが社会で幅を利かせ。

そういう連中が法も何も無視してやりたい放題していた。

それを改善しようともせず。

自己責任論を持ち出して、立場が弱い存在に責任を押しつけ。

そしてすり潰しながら、平然と悦に至っていた。

そんな事だったから、シリウスで別の文明に接触したとき、何の躊躇も無く「醜いエイリアンだから皆殺しにして良い」なんて理屈で歴史的な蛮行を行ったし。

現時点でそれを悪かったと思ってすらいない。

これらの事は、SNSなどを見ていればすぐに分かる。

シリウスは地球の植民地。

宇宙の全ては人間のもの。

そう主張している奴は、未だにいる。

主張するだけなら自由だが。

シリウスで大量虐殺したことを、正当化する意見も大量に出てくる。

うんざりしながら、人間の本音を見ている私だが。

うんざりしたところで、何も変わらない。

銀河連邦はだから尻を叩く。

とっとと改善しろと。

コミュニケーション能力とやらの補助システムはその一環。

後は最終的には、人間の全体的な意識改革もするように求めてくるのだろうけれども。

私としては、それもまた大変な作業になるだろうなと。

SNSで人間を万物の霊長とか未だに抜かしている連中を見て、思うのだった。

何度かモニタ越しに人間とやりとりをする。

ヘルメットをつけている相手も、いない相手もいた。

勿論このプロジェクトの参加者なのだろうけれども。

だんだん相手の条件を悪くしていくのは、主治医側も慎重に状況を見ながらやっているのだろう。

最終的には露骨な差別主義者も出してくるかも知れない。

そういう連中の悪意を全てシャットアウトし。

意思疎通を平和的に行えるようになれば。

この装置はまず及第点なのではないだろうか。

モニタの向こうにいる相手は、此方を露骨に侮っているのが分かるが。

これはまだ悪意を上手にカットできていないのだろう。

話を終えた後。

アンケートに書いておく。

会話が成立していない、と。

相手が此方を侮っているから、此方の話をそもそもまともに聞いていないように思えた。

この装置は、そういった相手とも、意思疎通をきちんと出来るようにするものではないのだろうか。

対応をお願いします。

アンケートを送った後、うんざりする。

相手を自分より下だと認識したら。

以降はもう話もまともに聞かないし、何よりも全てを馬鹿にして良いと考える。

こんな生き物。

根本的に遺伝子から弄った方が良いのではないかと私は思う。

でも、銀河連邦は、それでも人間の自主性を尊重した。

シリウスで人間が虐殺した宇宙人達は、六十億人にも達したのに、である。

やはり、立場が逆だったら。

人間はとっくに滅ぼされていただろうな。

何度か、このヘルメットみたいな装置ですらどうにもならない相手と話してみて。

私はそう結論せざるを得なかった。

最初に外で話したあの科学者。

今頃何をしているのだろう。

このプロジェクトから外されて、悪態をついているのだろうか。

だとしたら、まあ自業自得だな。

私はそう思った。

 

3、苦悩に苦悩を重ねて

 

現在、犯罪の発生率は極めて低い。

知能犯も含めて、ロボットの治安維持機構が根こそぎ対応してしまうからだ。

暴力なんてもっての他。

これを監視社会だと糾弾する人間もいるが。

私は外を歩いていて、襲われる怖れも攻撃される怖れもないから。

多少はストレスが緩和される。

ただ、ヘルメットを被っていても分かる。

何だあれ。

変な格好。

そうやって笑っている人間がいる。勿論直接そう情報は伝わってはこないけれども。どうしても分かるものは分かる。

バカになってしまえばそれも大丈夫とでもいうのだろうか。

だとしたら。

人間は知的生命体とは言えないだろうなと、私は思う。

外の公園に出て。主治医と会う。

主治医は相当に忙しい様子で。疲れが見て取れた。

軽く話をする。

これもテストの一環だ。

明らかに此方を見て嘲笑している人間がいる事を伝えておくと。

主治医は大きくため息をついた。

「いずれ人間は、皆この装置をつけて生活する事になる」

「銀河連邦の指示ですか」

「そうだ。 そもそも個人差が大きすぎるコミュニケーション能力と称される定義も曖昧なふわふわした才能に依存するものが、関係無い分野にまで影響を及ぼしすぎている」

「……」

何を今更。

実際問題、それを問題視したから銀河連邦がこれを作るように指示したのだろうし。

私はそれが正しいと思ったから、こうしてモニタを受けている。

主治医は、精神関係が専門だから。

人間の愚かしさをもっとも間近でみる立場でもある。

その点は私も同じだ。

私は、如何に私を貶め、そして自分より下にして。相手が自分より下だから、何をしてもいいと考える人間と。

嫌になる程接してきた。

人間の駄目な部分を最も見るという意味では。

この主治医と私は同じ立場だろう。

「やはりもっと根本的な改良が必要だな。 いずれにしても、今日は一人だけ、話をして戻ってほしい」

「分かりました」

そうして、人が来る。

私と同年代の女性に見えた。

ただ、私ははっきりいって同性。女性が苦手だ。

実は昔からそうだったらしいのだが。

とにかく閉鎖的なコミュニティを作って、群れの秩序を重視するのはむしろ男性より女性の方が傾向が強かったらしい。

そういったコミュニティでは、同調圧力で危険思想や危険なものが広まり、強制される傾向も強く。

社会的に大きな害をもたらし続けて来たという。

実際問題、私をバケモノと呼んだのは母だった。

瞳孔が二つある私を、同じ人間と思いたくなかったのだろう。

そして自分を悲劇のヒロインだと思い込んでいた。

バケモノを産んでしまったから、今後もそのせいで迫害される。

悪いのは全てバケモノであって。

自分は完全なる被害者だ。

母の思想はそれだった。

うんざりするので、もう思い出したくも無い。どうせ今でも、精神病院で被害者を自称して喚き散らしているのだろうし。或いは記憶を消されて、自分がやったことを何もかも忘れて、自身を善人だと信じて疑っていないのだろうか。

警戒している私に気付いているのかどうか。

デフォルメされた人に見える相手は、挨拶をしてくる。

それに答えて、軽く話す。

ヘルメットを取ってくれないかとか言い出したので、主治医が止める。

此奴、今回のプロジェクトを理解していないのか。

何か話しているが、内容と相手の口の動きにラグがある。聞こえてくる言葉はそれほど問題は無い。だが、このラグ。変換に苦労している筈だ。

これは余程ろくでもない事を喋っているなと思ったが、あえて口にはしない。

まあ、問題がある相手と話をするようにどんどんプロジェクトを進めていく。

そう言っていたのだ。

今、その段階にいるのだろう。

「それでは失礼します」

「失礼します」

ぺこりと一礼。

何か相手が口を動かしたが、聞こえなかった。

遮断されたと言う事は、罵倒か。

まあどうでもいい。

私も相手に何の興味も無かったから。

医者がため息をついていた。

「耳障りの良い言葉が聞こえてきてましたけれど、余程無茶な事を話していたのではありませんか?」

「君は鋭いな」

「それはラグがあれだけ出れば」

「分かった、改良しよう」

主治医は、あの女性が何を喋っていたかは話さなかったが。

私にはだいたい見当がついていた。

ヘルメットを外して、顔を見せて欲しいとか。

きっと友達になれるとか。

ラグの後に言葉が流れてきていた。

恐らく、相当好意的に解釈してそれだったと言う事は。

監視中のカルトか何かの信者で。

立場が弱いことを見抜いて引き込もうとでもしていたのではないのだろうか。

私は特に当たり障りがない返事しかしていないが。

インカムから出ていた言葉については恐らく別だ。

最後にあの女性は何か吐き捨てていたが。

多分不信心者めとか。

悪魔の手先とか。

そういう罵倒だったのだろう。

私には相手の表情もデフォルメしてバイザー越しに見えていたし。そもそも言葉が聞こえなかったが。

好意的に聞こえる言葉が、訳しきれなかったと言う事は。

もっと酷い内容の言葉だったのかも知れない。

「帰っても良いですか」

「ああ、済まなかった。 本当に、どこからあんなのを連れてくるんだか……」

主治医の嘆きからして、まあ私の予想は当たっているはずだ。

バカになれば何もかも気付かず平和に暮らせる。

或いはそれも真理かも知れない。

カルトに入るような人達はそういう理屈に生きている。

あまりにも過酷な人間社会から逃避した先がカルトだ。

其所では何も考えなくて良い。

教祖が言う事を全て丸呑みに信じていれば良いのだから。

そして外のコミュニティは全て敵だと考えていれば良い。或いは真実を知らない可哀想な人、だろうか。

思考を放棄すれば楽になれる。

その結末が、アレだ。

私は帰る途中も、私を指さして笑っているだろう人間を見たが。

デフォルメされていて、直接そうだとバイザーには映らなかったし。

罵詈雑言の類も聞こえなかった。

人間はいずれ、全員がこれを装備する、か。

それもまた、ありかも知れない。

人間はそもそもあまりにも知的生命体というには無能すぎるのかも知れない。

自分を正義と思い込み。

主観で他人を殺す事を何とも思わないのが平均的な思考なのだ。

歴史がそれを裏付けているし。

最も最近の例では、シリウスでそれをやってのけた。惑星単位で、である。

家に着く。

ヘルメットを取る。

ヘルメット自体には殆ど負荷はない。

蒸れることも無かったし。

頭が重いとも感じなかった。

だが、一つだけ思った。

人間は完成品のこのヘルメットみたいな装置をつけて、やっと知的生命体としての第一歩を踏み出せるのでは無いのだろうかと。

私も人間だ。

そして今は、人間に対して壁を作らないと生きていけない。

昔だったら、それはお前が弱いのが悪いとか、とんでもない言葉が飛んできたかも知れない。

弱いのが悪いのだったら、病院に行くな。社会にも所属するな。

銀河連邦の外交官が、弱肉強食論を聞いて、そう発言したと聞いている。

まあ真理だなと。

私は思った。

 

それからアップデートが何度か行われた。

ついにハードウェアのアップデートは行われなかったが。これは恐らく、人間に負荷を掛けない設計そのものが最初に完成したから、なのだろう。

技術的には、これは出来る段階だ。

問題は、ソフトウェア。

意思疎通を正確に行い。

無意味な悪意を遮断する。

それが出来るほどのソフトウェアは、まだ人間には作れないと言う事なのだろう。少なくとも、簡単には。

古い時代のネットでは、悪意を遮断すると称して、気に入らないコンテンツを片っ端から排斥するような愚行をしていたらしいが。

そんな事をやっているようだから、人間は宇宙に出ても進歩しなかったのだとしか言えない。

ストレスの値を確認。

今、丁度知らない相手とモニタ越しで話したのだが。

やはりストレスを感じている。

相手は此方に対して色々な言葉を掛けてきていて。それには当然フィルタリングがされていたのだが。

恐らく私を口説いている節があって。

よくもまあ、ろくでもないのばかり集めてくるなあと、話を聞きながら感心していた。

丁重にお断りしたが。

コミュニケーション能力とは何なんだろうと、ヘルメットを外して思った。

相手に意思を伝える。

これは結構。

だが、相手の意思を理解した上で負担にならないようにする。

これがとても厳しい。

実際問題、発狂して喚き散らしているような輩の場合、意思は明確とも言える。

だがそれらは言葉すら伴っていない。

攻撃したい。

相手を排除したい。

そういう意思表示なら、別に言葉なんか必要ないのである。

更に言えば、さっき話したような。

自分の欲望を一方的に押しつけたがっているような輩の場合も同じ。

言葉とは何なんだろう。

無力極まりない存在だ。

私は、大きなため息をついていた。

アンケートに答える。

勿論会話も、全てモニタリングされ。分析されていたはずだが。

私はそれでも、アンケートに答えなければならない。

私は頭が良い方じゃあない。

だけれども、それでも気付くのだ。

鋭い奴は、もっと敏感に感じ取るだろう。

どれだけ誤魔化しても。

悪意は貫通してくる。

そこに言葉なんて本来必要ない。

私には、それが嫌と言うほど分かってくるようになった。

鏡を見る。

何度見たって同じ。

瞳孔が二つ。

これを手術で治すことは出来るらしいのだが。

直したところで、何も変わらないだろう。

私の中に根付いている、実の親から向けられた強烈な悪意は、多分一生消えることがないだろう。

そういうものだ。

それでいながら、「いつまでも昔の事を引きずっている」だとか。「しつこい」だとか。そういう暴言で、悪意を向けた過去をなかった事に出来ると思っているのが平均的な人間である。

此奴らとコミュニケーションとやらを取るのは。

無理では無いのだろうかと、思えてくる。

だが、それでもだ。

銀河連邦が尻を叩いてくれているのである。

今まで、この問題を一切解決しようとしなかった人間の。

これは好機なのだ。

だから、私はやってみる。

努力をした末に、報われなかったのなら。

それを糾弾して、世界に対して怒りを叩き付ける権利はあると私は思う。

しかしながら、私はまだ努力をする余地がある。

だったら、努力はしてみる。

それだけの話だ。

全ての努力が無駄だとは私は思わない。私に取っては、このヘルメットみたいな装置の完成に協力する事が努力だ。

そしてその努力が報われなかったら。

人間という生き物が駄目な生物であると糾弾する。

それだけである。

私も当然人間だが。

まあその時は自死でも選ぶ事にする。

アンケートを送り終えると、仕事をする。

今の時代は、仕事はかなりフレキシブルに出来るようにはなっているのだが。やっぱりそれでも辛いときはある。

私は三つほど今まで仕事をしてきたが。

上司がAIで快適とはいっても。

それでも、つらくなって仕事を移った経験はある。

昔は転職が恐ろしく大変だったらしいが。

今はそれも無くなっている。

仕事を黙々と終わらせて。

丁度それを見計らったかのように。主治医から、連絡が来ていた。

内容を確認する。

また、近々外での会話をやるという。

準備してほしいという事だった。

外に出るのは、かなり勇気がいる。今でも直接人間と接触するのはかなり負担が大きいのだ。

それに、どうせろくでもない相手に決まっている。

改良がどこまで進んでいるかは分からないが。まだ、目立って良くなってはいない。

この装置は。

まるで人間の限界を示しているみたいだな。

私は、ヘルメットみたいな装置を見て、そう何となく思った。

仕事を終えて休む。

人間は結局の所、地球から出るべきでは無かったのかも知れない。

人間が色々な作品で書いていた邪悪な侵略宇宙人そのものの存在に、人間はなってしまった。

その結果がこれだ。

むしろ相手が優しくて良かったまである。

それに、どうして人間は言語とか言う不便なツールでずっと意思疎通を続けて。

それが増え続けて不便になっても文句を言わなかったのだろう。

不思議で仕方が無い。

確かに銀河連邦の指摘通り。

人間にとって、ずっと足枷になって来たコミュニケーションとやらは。

解決しなければならない問題ではある。

だけれど、私は何処かであきらめを感じ始めている。

どうせ上手く行かないのではないか、と。

鏡を見る。

瞳孔は二つあるままだ。

手術をすれば治せるらしい。それなりにお金は掛かるけれど。

だけれども、治したところで。

人間が一度相手に貼ったレッテルを撤回することは無い。

母は私を見ればまたバケモノ呼ばわりするだろうし。

私自身も、そうされたことを許すつもりは無い。

ため息をつく。

私に取っての努力を続ける。

次が不毛になるのは何となくわかっていたけれども。

それでも私に出来る事は。

これくらいしかないのだから。

 

私が次に外で会ったのは、このプロジェクトに参加しているかなり偉い人だったようである。

まあ偉かろうがどうでもいい。

今の地球の文明は、基本的に人間に決定権がない。

古くから、思考を放棄すれば楽になるという話はあったらしいけれど。

そういう意味ではもっとも幸福度が高い文明なのかも知れない。

これで、だが。

兎も角、その偉い人は何をやっても上手く行かないと相当苛立っているようで。

ヘルメットのバイザー越しにも、どうやっても言動を誤魔化せていなかった。

粗い言葉を話しているのは分かる。

多分今出来損ないとか言ったなと思ったけれど、放っておく。

暴言は聞き慣れているからだ。

主治医がたまりかねて話しかけたが、怒鳴っているようだ。

勿論バイザーにはそうは映っていない。

暴言そのものも聞こえていない。

だが、周囲の奇異の視線はどうしてもごまかしきれていない。

まあこれでは。

銀河連邦がそろそろ堪忍袋の緒を切りそうだな。

そんな風に、ちょっと私は意地悪く考えていた。

いずれにしても、随分乱暴な言葉を浴びせられたっぽい。

私は随分ストレスを感じたが。

慣れてきたからか、多少はストレス値は減ったようだ。

話をしていた偉い人が去ってから、主治医が頭を下げてくる。

私の知った事じゃ無いけど。

「本当に済まない」

「……」

「君は勘が鋭い。 大体相手が何を言っていたか分かっているんだろう?」

「はい」

もう帰って良いかと聞くが。

主治医は周囲を見回してから、もう少し残ってほしいという。

また誰か来た。

連戦か。

嫌だなあと思う。

人間と近くで接する事自体が負担になるのだ。さっきのも、分かりきっていたからストレスを減らせただけで。

別に楽にいなせたわけでもない。

もう一人来たのは、今度はバイザーに妙なノイズとして映っている。

格好があんまりにも変なのだろうか。

話しかけてくるが。

翻訳が随分遅れた。

「個性的なヘルメットですね」

「これのモニタをしています」

「興味深い」

「ありがとう」

機械的に返事をするが。

何となく分かる。

これは開口一番に馬鹿にされたな、と。

勿論そうは聞こえない。

そもそも相手の姿が良く分からないのである。デフォルメしきれていない。AIの処理能力を超えるくらい、妙な格好をしていると言う事だろうか。

小首をかしげたくなるが。

まあいい。

話をする。

「私はお金を貰って話をしに来ています」

「私もです」

「……」

あれ。

ノイズが入った。

AIの処理が遅れている。主治医が思わず立ち上がった様子からして、大体何を言われたのかは分かったが。

別にどうでも良い。

それにしても、本当にろくでもないのばかり用意してくるなあと感心してしまう。

このヘルメットみたいな装置は、そもそもこう言う相手と問題なく意思疎通するための道具なので、当然とは言えるのだが。

それにしてもまあ。

こういう連中がシリウスで大量虐殺をしたんだろうなと思うと。

もう苦笑も漏れない。

主治医と話をしている、モザイク。

相手の性別も分からないので、此方としては側にいる警備ロボットに頼るしかない。

やがて口論が終わったらしく。

相手は帰って行った。

何となく、相当な荒い言葉が飛び交っていたらしいことは分かるが。

内容には興味が失せてきていた。

そして私は判断する。

此奴はまだまだ未完成品どころか、失敗作に近いと。

作ってる人達が余程手を抜いているのか。

それとも意図的にサボタージュをしているのか。

或いは人間が普段やっているコミュニケーションとやらが、AIではどうにも出来ない程に複雑なのか。

最後は無いだろう。

人間なんぞ比較にならない程文明が進歩している銀河連邦が、主要部分を提供しているんだから。

そうなると、作っている連中がアホなのか。

まあ、私には分からない。

主治医が気まずそうにしている。

勿論バイザーにはそうは映らないが。

それでも、何となく分かる。

私は帰って良いかともう一度確認。

許可が出たので、帰る事にした。

不毛極まりない時間だった。

予想していた通りだった。

いや、それ以上だろうか。

バイザーの機能は充実していて、火星コロニー内で家に帰る道を的確にサポートしてくれる。

周囲を彷徨いている警備ロボットのおかげで危険もない。

最近は犯罪が発生すると即時でニュースになる程だ。

それほどロボットの性能が高くて、人間が犯罪をする隙を見せないという事である。

私は家に到着すると。

ヘルメットを脱いだ。

放り捨てたくなったが、我慢する。

被っていてストレスは一切感じない。

ヘルメットそのものに罪は無いのだ。

昔だったら。

そう、自己責任論が最大限暴走していた時代だったら。全部私が悪いという事にされていただろうなと。

私は、ベッドに転がりながら思う。

溜息が漏れたが。

もう、どうでも良くなっていた。

またアップデートが入る。

これで何度目だろう。

そもそも、実用化出来ると思ってこれを現場に送り出したのが色々な意味で信じられないのだが。

やっぱり、余程アレな連中が作成に関わっているのか。

或いはサボタージュでもしているのではないのかと勘ぐってしまう。

まあいい。

私は小さくあくびをすると。

SNSを開いて、ニュースを確認する。

火星に幾つかあるコロニーの一つで、犯罪が久々に起きていた。

内容はひったくりで。

即座にロボットに取り押さえられていた。

犯人は何でも、盗みをしてしまう病気らしく。

何度も逮捕歴があるらしい。

細かいデータが色々出ているが。

閲覧数は少ない。

犯罪に対する興味が薄いのだ。今は、人間が一番繁栄していた時代とは比べものにならないほど平和で治安が良いからである。

だから、誰かが困っていると言う事さえ想像できないし。

私も色々酷い目にあってきた。

他にもニュースを探す。

地球の修復作業についての進捗が出ているが、これもちょくちょくという所だ。まだまだずっと時間が掛かるだろう。

オールト雲で作業をしていると、たまに巡回中の銀河連邦の軍艦に出くわしたり。破壊された地球艦隊の残骸を見つけたりもするのだけれど。

あの辺りは誰も人が住んでいないので、そういう異物がある。

冥王星の内側くらいになると、人が普通に住んでいるので、銀河連邦の艦隊が徹底的に掃除を済ませており。

何と地球を取り巻きまくっていた人工衛星の残骸まで、綺麗に片付け終わっている程である。

私はどうもニュースに興味がある方らしい。

昔はマスコミと言えば諸悪の根元みたいな時代もあったらしいが。

今では金が絡まなくなっているので、すっかり浄化が済んでいる。

ただ悪の権化だった時代の悪いイメージがまだ残っているらしい。

二百年も経っているのに、難儀な話である。

一通りニュースを見たが。

このヘルメットについては、新しい進捗は出ていなかった。まあ開発側も、それに実験も苦戦しているんだろうな。

そう私は思い。

自分の手を見た。

じっと見つめた。

そして、何も得られないなと思って、それをやめた。

後何回、外でストレスを溜めなければならないのだろう。

処方された栄養剤を飲んで、ストレスを多少緩和する。ストレス緩和のための薬も入っているのだ。

それからしばしぼんやりする。

この薬を入れると、頭の働きが悪くなる。

だけれども、その代わりストレスは消えてくれる。

昔は、ストレスはそれぞれの工夫でどうにか発散していかなければならなかったらしく。それを上手に出来ない人は簡単に壊れてしまったらしいが。

今は薬がこうやって開発されて。

副作用も少ない。

私はぼんやりと、夢うつつの合間を漂う。

私が働く事で。少しでも良い方向に動けば。

その思いはある。

だけれども、やっぱりどうにもならないのかな。そういう風にも考えてしまう。

ぼんやりしているから、思考は支離滅裂になりがちだが。

そんな思考の中で。

たまに現実に対する悲観的な思考がわき上がってきては、消える。

気がつくと、二時間ほど経過していた。

夕食にする。

それぞれの家にあるAIが献立から、非常においしいものを作ってくれる。

夕食は基本的にもう誰も手では作らない。

味についても、昔の最高級レストランで出てくるようなものばかりである。

メシについては不満は無い。

黙々と食事を終えて。それで後は寝ることにする。

今日は何か、あの不毛な会話でヘルメットみたいな装置の開発に進展があったのだろうか。

会話内容は全てモニタリングされている。下手をすると、進捗が遅れている事に腹を立てた銀河連邦の関係者が見るかも知れない。

彼らは人間よりは紳士的だから、関係者を死刑にするようなことはない。

ただ、仕事から外すだけだ。

或いはそれも正解かも知れない。

かなり偉い立場にいる人間があの有様だ。

余程現場は混乱しているのは確定である。

指導者は無能で良く、徳さえあればいいというのは古代中華の思想だったか。

だが実際にはその場合は、あっと言う間の政治は腐敗する。

確か儒教思想から来た思想だったが。

実際に徳の人と後に思われている歴史的な英雄は、大体人を見る目が確かだったり。言われているより戦争がずっと上手だったり。政治手腕が優れていて国内の混乱を鎮めたりと。

徳だけでは無かった筈だ。

ましてやあの偉い人。

そんな徳すら備わっているようにすら見えなかった。

いずれにしても、もう駄目かなと、私は諦め始めている。

机を漁る。

自殺用の薬を確保してあるのだ。

違法なものではない。

幾つかの条件をクリアした後。

医者などに許可を認可して貰った場合、服用することを許される。

一種の安楽死制度であり。

私は状況から考えて、生きている方が辛いとなった場合。服用することを考えて、取り寄せてあるのだ。

薬は其所にある。

勿論、今は服用できない。

服用しようとしたら、即座に家事をしているAIに止められる。

だが、今参加しているヘルメットみたいな装置の開発計画が頓挫した場合は。

これの世話になろう。

私は、改めて。

そう決意していた。

 

4、結末

 

また、不毛極まりない外での会合が終わって。

うんざりしながら家に戻った。

どうやら今度の相手は、私を珍獣か何かのように思っていたようで。終始失礼な言動を私に投げかけていたようだ。

この手の輩は古くから大勢いる。

そして昔の最大メディアだったテレビでは。

この手の輩を喜ばせるために。

少し周囲とずれていたり変わっている人間をテレビに出して、嬲り者にしていたのである。

証拠画像は残っていて、私も見たことがあるが。

本当に胸くそが悪くなる内容だった。

「儲かるから」「視聴率が稼げるから」そうやっていたらしいのだが。

金が稼げるなら何をしても良いという思考が普通に出てくる辺り。

当時のテレビとやらが本当に根本から腐りきっている事がよく分かる。

そして、自分が常識人で、だから正義であると考える人間が如何に醜悪かもよくよく思い知らされた。

それから数日、うんざりした時を過ごす。

何度か装置にアップデートが入るが。

その頻度が明らかに増えていた。

そして、アップデートの時間も長くなっていた。

今の時代、余程巨大なパッチでもでない限り、アップデートなんて一瞬で終わるのだけれども。

この日は何と三十分も掛かった。

どれだけ巨大なパッチを当てたのか。

或いは今までのプログラムをまるっと白紙化して、根本的な改修を掛けたのかも知れない。

まあいい。

いずれにしても、現場が迷走しているのはよく分かった。

そして、ニュースを見ると。

ついに、関連の情報が出ていた。

コミュニケーション補助装置について。

開発の著しい遅れに対して、銀河連邦の査察が入った結果。やはり現場ではサボタージュが行われており。

進捗が意図的に遅れている事が判明した。

これに関して数名の責任者が左遷され、また解雇もされた。

サボタージュの理由として、コミュニケーションは人間力を図るものであって、それを自力で出来ないような輩に生きる資格は無いという独自の思想を示したらしく。

以降、過激思想の持ち主として、監視がつくことも決定したとか。

想像通りだった訳だ。

私の主治医の名前は無かった。

と言う事は。私を心配しているのはフリでは無かった、ということなのだろう。

いずれにしても、監査が入ったという事は。

あのアップデートの連続は、本腰を入れて修正に掛かったと言う事で。

今度こそ期待して良いと言う事なのだろうか。

あまり期待は出来ないが。

私は大きくため息をつく。

最後の一回だけ。

信じてみるか。

そう、決めた。

程なくして、またモニタの仕事を頼まれる。

主治医と最初に話すが。殆ど今まで感じていたような、実際にはどう考えているかというような雰囲気が消えていた。

本当にアップデートが入ったらしい。

そのまま何人かと話すが。

やはり此方を露骨にみくだしている雰囲気とかは感じ取れない。

実験の主旨からして。

頭が古くて腐っている連中を、実験から外したとは思えない。

そうなると。

勘が鋭いと評された私でも、わからない程度に誤魔化せるように、このヘルメットみたいな装置が進歩した。

いや、真のポテンシャルを発揮できるようになった。

そういう事なのだろう。

複雑な気分である。

そのまま、私は外に出て、直接人間と話す。

ストレス値はじわじわ上がっているが。

これは今までのろくでもない経験が重なったからである。

また公園に向かうが。

途中、奇異の視線は殆ど感じなかった。

これは明らかに嘘だと分かる。

そもそも、今までもずっと、私に対しては奇異の視線が向けられていて。ヘルメットみたいな装置をつけていてもそれは分かったほどである。

中には露骨に嘲弄の言葉を掛けてくる奴もいたし。

近づいて来て、ロボットに取り押さえられ。その場で連行されていった奴もいた。

現実として、まだまだそういうドぐされは存在しているのである。

それらがいきなりいなくなったとは考えにくい。

やはり本気で改修作業を行ったというのが正しいのだろう。

公園に到着。

デフォルメされた姿の主治医と話をする。バイザーごしの姿は殆ど変わっていないが、相手の意思はほぼ感じ取れない。

話の内容そのものも、以前とは比較にならない程穏当になっていた。

これはやはり、相当に根本的な所から改修を掛けたのだろう。素人である私にも分かる程だ。

軽く話した後。

今回の会合相手が来る。

やはりろくでもない輩のようだが、相手から投げかけられる言葉にAIが翻訳を苦労する事もなく。

また悪意も一切感じ取れなくなっていた。

主治医は無言で黙々とメモを取っているが。

以前はあまりに非礼な相手には、相当に憤慨している様子なのが見て取れたのに。

今はそれも感じ取れない。

ストレス値もちらっと見たが、殆ど上昇していなかった。

これは、凄い。

相当に失礼な事を見下されながら言われているだろうに。

文字通り糠に釘である。

私が全く平然としている様子に、相手が怒り出した様子だが。多分そうなんだろうなとしか感じ取れなかった。

この手の輩は、自分が上だと信じ込んでいるから。相手に上手にマウントをとれないと怒り出す。

しかしながら、何となくそうなんだろうなとしか分からず。勘が働かない。

いずれにしても、今までは結構露骨に分かっていたのに。

今ではそうなのかも知れない、としか感じられない。

文字通り長足の進歩だ。

相手が去ってから、主治医に色々聞かれたので答える。

素直な本音を口にした。

「今までは露骨に悪意を感じられましたが、今回は届きませんでした」

「……そうか。 分かった」

「帰ります」

主治医は何も言わなかった。

どう考えているのだろうかと、私は一瞬考えてしまった。

はっきりした事がある。

宇宙に出て、さっそく大量虐殺をやらかし。

それでも自分達は全てに置いて全面的に正しいと考える人間は、何も変わることがなかった。

二百年掛かっても人間の本質はまったく変わることがなく。

とうとう業を煮やした銀河連邦は、補助装置の作成に取りかかった。

だが人間は。自分が正しいと考える故に、真面目に補助装置を作ろうともしなかった。

眼鏡や補聴器と同じようなものだろうに。

やっと、補助装置が完成しようとしているが。

それは人間の手によるものではおそらく無い、と見て良いだろう。

今後の歴史は明るいものになるだろうか。

このヘルメットみたいな装置が普及するまで、一世代以上は掛かるはず。普及した後も、悪さをする奴は絶対に出る。

そうなると、人間が太陽系から出られるようになるまでは、もっともっと。私が老衰死した後になるだろう。

何だか情けない話だな。

私は、そう思った。

 

(終)