飛翔の苦しみ

 

序、空を飛ぶこと

 

無数の鳥が、空を東から西へと横切っていく。恐らく鷺の仲間だろう。長い首と優美な白い翼が、空を華麗にはばたく。優雅ではあるが、何処か猛々しいのは、鷺が鋭いくちばしをもつ肉食の鳥だからだろう。

空を住処にしている動物は多い。

昆虫類の多くは、成虫になると飛ぶことが出来る。蜘蛛の中にも、糸を使って遠くへ飛んでいく者がいる。

鳥は言うまでも無い。ほ乳類には蝙蝠がいるし、爬虫類の中にも、滑空限定でなら飛ぶ者がいる。

空は、決してたどり着けない場所では無いのだ。

だが、人間は。

21世紀の半ばとなった今でも、空を一部の者だけの世界にしている。万物の霊長を自称しながら、空を駆ける事が出来るのは、ごくごく一部の有資格者のみ。それも、企業のバックアップが無ければ、不可能だ。

ハンググライダーや気球というものもあるが、それでも相当な金が掛かる。免許も必要になる。

結局の所、一部の人間のみが、空を独占している現状に、変わりは無いのだった。

理由ははっきりしている。

危険だからだ。

鳥も虫もそうだが、空を飛ぶのには、あまりにも難しい制御が必要になる。鳥は飛ぶために、身体構造の多くを犠牲にしている。昆虫が自在に飛ぶことが出来るのは、とにかく体が軽いからだ。

「此方においででしたか、マスター」

「ん」

呼ばれた声に、振り返る。

此処は、学校の屋上。振り返った先にいるのは、ロボット。

数年前までは円筒形が基本だったパーソナルロボットだが、今では二足歩行の問題をクリアし、人型が作られるようになっている。

この日本では、既に普及台数が一千万台を突破。値段の低下もあって、各家庭に一台の時代も来つつあった。

学校に本来パーソナルロボットを持ち込むのは御法度だが、今は放課後。しかも、此奴は特別チューンのもので、対電子戦をこなせるスペック持ちだ。

ただし、改造したのは、自分では無いのだが。此奴は監視役を兼ねているのである。

平坂黄泉子は、あかね色に染まりつつある空を見て思う。

ついに家庭用のパーソナルロボットが実現した現在においても。空はまだなお遠い場所なのだと。

宇宙にコロニーが作られ始めた今でも、それに変わりは無いのだと。

「帰る。 どうせ呼びに来たんでしょ?」

「お荷物はまとめておきました」

「余計な事を」

無表情なロボットに毒づくと、黄泉子は歩き出す。

同学年ではどうにか平均だと、強く言い張れば通るか通らないかの背丈しか無い黄泉子にとって、ロボットは見上げる対象であり、威圧感がある。せかせか歩いても、ゆっくり歩いて追いつかれる所も、あまり好きでは無かった。

世の中では、豊かそうな感情を実現しているロボットもあるが、うちのものにはついていない。

必要ないと、作り手が判断したからだ。

家に着く。

家族は誰もいない。一人暮らしの家だ。

現在ではスタンダードになりつつあるスタイルだが、別に新しいと感じたことも無い。パーソナルロボットは爆発的な勢いで普及しつつあり、今後もわざわざストレスを感じてまで他人と暮らしたいという酔狂な人間を除いて、家族が集まって暮らすケースは減るだろうと予想されている。子供を作ることも育てることも昔よりずっと簡単になっている現状、そのうち一人暮らしの方がスタンダードになる未来は代わらないだろう。

生活習慣は、様々な変化を生じている。

だが、西暦21世紀半ばになっても、人類社会は多くの問題を抱えたままでいる。

宗教はいまだ存在感を強くするばかりであり、最貧国や紛争地帯も多い。かって、夢に見られた希望の未来は、未だに到来していない。唯一人口の爆発だけは食い止めることが出来たが、その代わり未開地域から到来した多くの奇病は、世界各地で猛威を振るい続けていた。

世界大戦だけは起きていない。

しかし、貧富の格差も解消されていなければ、政治の矛盾もまたしかり。

世界は平和とはとても言いがたい。それでも、世界史上、もっとも戦争が無い時代が、今である事は、どの歴史学者も認めていた。

一世紀前の戦争以来、紛争での派兵以外に戦争をしていないこの日本でも、平和を実感している人間はあまり多くない。

学校での深刻化する虐め、政治のシステム劣化。技術だけが、今でも奇形的に進歩を続けている。

その一つが、パーソナルロボットだ。

既に先進国では、日本ほどでは無いが、相当数が出回り始めている。そしてそれは、家事の補助だけでは無く。

たとえば、黄泉子の家にあるように。

軍からの監視を仰せつかって、家に配備されている例もあるのだった。

帰宅した黄泉子は、早速個人PCを立ち上げる。

今の時代、学校教育には、能力測定が義務づけられている。優秀な人材を育てるための政府の方針であり、かっては「普通では無い」事で迫害の対象だった人間達が、これにより社会の重要なキーパーソンに躍り出るようになりはじめていた。

黄泉子も、その一人。

ただし、本人はあまり嬉しくは無いのだが。

メールに目を通し終えた後、表計算ソフトを叩く。一時間ほど作業をしている間、側に無言で監視用のパーソナルロボット、R115が立ち尽くしている。彼女の目は当然カメラになっていて、黄泉子の一挙一動を記録しているのだ。

黄泉子は、決して総合的な能力は高くない。運動神経は並で、背丈の割にはマシ、という程度だ。

語学系も全く駄目。数学もさほど強くない。

現在高校二年生の黄泉子は、PCに関しても、カスタマイズするほどの知識は無い。このPCも、市販のものだ。ただし、内部は後から勝手に軍の人間が手を入れているようだが、それは知らない。

黄泉子が秀でているのは、武器を作成するセンスである。正確には、殺傷力が高い武器を構築するのに、天性の勘をもっていた。

だから、こうして様々な最新兵器の作成に、設計レベルで関わっている。どのようにすれば、如何に効率よく人間を殺し、装甲を貫き、相手を無力化できるか。それを、誰よりも精確に把握できるからだ。

表計算ソフトを落として、メールで転送。

今日分の作業は終了だ。

現在では、一社の寡占は終了しており、使いやすい表計算ソフトがそれこそちまたにいくらでも転がっている。

「はい、終了。 いちご、何も怪しいことはしていないよ」

「今、お茶をお持ちします」

「ん」

いちごとよんだのは、R115から付けたあだ名だ。

こう見えても、ずっと黄泉子の方が年上である。軍の最新モデルのR115は、まだ三年しか稼働していないからだ。

今ではもっと性能の高い派生型が研究されているが、流石にそれは此処には配置されていない。

R115は黄泉子の監視役兼護衛でもある。テロリストの一個小隊くらいなら、片手でたためる性能の持ち主だ。だから、最初の方は怖かった。人間の形をしていても中身はそうではないし、相手がもし暴走したらひとたまりも無く挽肉にされてしまうからだ。

虎やライオンとも素手で勝負できるようなロボット。黄泉子も、幼い頃は別に怖くも何ともなかった。

だが実際にすぐ隣に監視役として配置されると、不意に怖くなったのだ。

此奴の気まぐれ次第で殺されるかと思うと、恐怖は募った。

だが、それもあまり長くは続かなかった。

考えて見れば、身近にある車などの機械類だって、人間とは比較にならないほどの力を備えているのだ。

AIの暴走事故なんて、最近は聞いたことも無い。

軍が命令でもしない限り、黄泉子に危害を加えることも無い。そう思えば、別に怖くはなくなった。

今ではただのロボットとして、側に置いている。友達として接しようとかは思わない。知能のある機械くらいと考えている。

茶をR115が持ってきた。以前は酷い手際だったが、最近は後片付けまで自分でこなすので、放っておいても大丈夫だ。口に入れてみるが、温度的にも問題は無い。作業を済ませると、友達に何通かメールを送った。監視されていることを想定して、当たり障りが無い内容ばかりだ。

それも終わってしまうと、する事が無くなった。

今、やってみたいと思っている事は、ある。

だが、それを軍が許可してくれるかどうか。

側にたたずんでいるR115に、いやその向こうで監視している相手に語りかける。

「前から申請していたあれ、着手してみたいんだけど、いい?」

「しばらくお待ちください」

恐らく高速でやりとりを続けているのだろう。R115は押し黙り、それから数分間、何の反応も見せなかった。

だが、さすがは機械である。高速で様々な処理をこなしてくれたのだろう。

「結論が出ました。 仕事に影響が出ない程度であれば、という事です」

「はいはい、分かってます」

かったるい事だと思いながら、席を立つ。

そして、部屋の隅に片付けてある外付けHDDをPCにつないで、中に格納してあるデータを開いた。

それは、空への挑戦の情報。

今だ身近とは言えない空の世界へ、人が行くための道具を作るためのデータベース。まだ趣味の段階だが、趣味で終わらせる気は無い。

昔から、人の夢だった、空の世界への旅立ち。

それを身近にしてみたい。それが、ずっと抱いていた、黄泉子の夢だったからだ。歴史に名を残したいのでは無い。

単に個人の欲望からである。

自分でやってみたいのだ。要するに。

所属しているソーシャルネットワークに接続。チャットを開いて、情報交換を始める。

空を自由に飛んでみたい。

それこそが、夢の形であった。

 

1、青空の向こう

 

何かしら秀でたものがあると、現在では高校生でも大学生でもお金には困らない。黄泉子もそれは同じで、親と別暮らしをしていても、軍に雇われている以上、貯金は潤沢に持っていた。

通販のHPに行き、必要な道具類を買いあさる。

現時点で、足りないものは全てこれでそろう。加工の技術など備えていないが、それは側にいるR115にでもやらせればいい。

「1から始めたにしては手慣れていますね」

「ん? どういうことよ」

「マスターを見ていると、器用な人間には思えません。 その割に、手際が良いように思えますから」

「おじいちゃんの遺産だよ」

少し不快だ。機械はこういうとき、平気で心を見透かしてくる。

頭を掻きながら、黄泉子は答える。道具類が届くのは次の休日だ。それまでに準備は終わることだろう。

空を飛ぶために。

集めたデータはそれなりに多い。ネットサーフィンをしていて集めたものもあるが、半分以上のデータは、ただスキャナーに掛けただけだ。

おじいちゃんの遺産。

物置で埃を被っていた、半生を賭けた無数の書類。いずれもが、航空力学関連の書物だった。本人による研究も多数に登り、その精度の高さは専門家を唸らせたほどである。

だが、この価値を理解していなかった存在がいた。

黄泉子の両親である。

じゃまだから廃品回収に出そうとか、燃やそうとか言っていた書類を黄泉子が引き取ったのだ。大好きだったおじいちゃんを老人ホームに閉じ込めたばかりか、お金になる遺産の分配の話ばかりしていた両親を、黄泉子は大嫌いだった。

それだけではない。半生を賭けた研究を、「邪魔だから」という理由だけで全否定し、無かったことにしようとしたあの連中を、黄泉子は親だと思っていない。否、人間と思うことさえ嫌だった。

一人暮らしがパーソナルスタイルになる現在ではなくても、家を飛び出していた可能性は高いだろう。

こういった研究のやり方さえ、おじいちゃんのやり方を横目で見ていて、それを思い出しながら身につけていったものなのだ。

有形無形の遺産が、周囲には溢れている。

スキャナーに膨大な資料を掛けるのは少し大変だったが。それでも、このデータは黄泉子にとって命の次に大事なものだった。

最近では、スキャナーで取り込んだ文字をそのままデータ化する事も容易になってきている。

ワープロソフトに落とし込んだ資料は、原稿用紙換算で50万枚に達している。如何におじいちゃんが、半生を賭けて研究を続けていたか、これだけでも明らかだ。

「合点がいきました。 貴方はどちらかといえば欲望に忠実な人間に見えました。 それでも、空を飛ぶのに対する執着は、度が過ぎていると思えましたから」

「ふん、あんたにはどうでもいいでしょ?」

「そうですね。 その通りです」

資料を一通りまとめ終えると、夜中になっていた。

明日の授業があるから、今日はここまでにする。明日は金曜だから、それが終わったら、いよいよ着手だ。

とはいっても、今回が初めてでは無い。

トライアンドエラーを繰り返し、許可をもらいながら、少しずつ様々なパターンを試してきた。

今回も上手く行かないかも知れない。

だが、おじいちゃんの研究を、無駄にだけはしたくなかった。

布団に入って、眠る。

空を飛ぶための知識は、色々とある。実際、航空関連の免許を取ることを、何度も勧められた。

将来は軍に入るようにも言われている。軍人になるのでは無く、関連研究者だが。それならば、いっそ空軍に入って、戦闘機に乗ってはどうかとさえも言われたほどだ。

だが、それらを全て黄泉子は断ってきた。

おじいちゃんの夢は、人間が空に行けるようにすること。

それには、個人が空に行くのでは、意味が無いのである。

「おやすみ」

「はい。 マスター」

R115が電気を消して、部屋を出て行く。

PCを使うと頭は覚醒するから、眠くなくなる事が多い。ぼんやりしていると、時間がどんどん過ぎていく。

学校は憂鬱だ。部活にも入っていない。

一度航空部に入らないかと誘われたが、それも断った。

同じ思想を持つ同士では無いからだ。誰もが簡単に空に行けるようにすることと、自分が空に行くことは、全く別の話。

自分だけが空に行くのなら、今はそう難しくないのである。

そんなことに、黄泉子は興味が無かった。

気がつくと、朝。

覚醒に、多分黄泉子よりも早く気付くのだろう。下に行くと、既にR115が学校へ行く準備を整えていた。

朝食を口に入れると、学校へ。

歩いて十七分と少し遠いが、家で寝ているよりは有益だと考えて、足を運ぶ。軍の仕事は滞納させずにこなしているし、文句を言われる筋合いも無いのだが、それでも自堕落にはなりたくなかった。

だって。

見ているからだ。

あいつらに人生の道しるべを奪われて、おじいちゃんがどうなったかを。

世の中には悪意が充ち満ちている。

そして、黄泉子は、それが大嫌いだった。

 

空虚な授業が終わると、家に直行する。友達とのつきあいもあるのだが、今日はパスだ。

時々黄泉子が自宅に直行することを、一時期友達に勘ぐられたことがある。彼氏が出来たのでは無いのかとか、同棲しているのでは無いかとか。実際若いうちは、同棲するカップルも多いのだ。性欲をもてあますからである。

残念ながら、黄泉子に今のところ、特定の相手もいない。ある程度の年を取ったら、子供を作ろうとも思っているが、別に今時性交しなくても子供くらい作れるし、結婚しなくても家庭は支えられる。

むしろ誤解されるのがいやだった。

だから、無言で家に呼んでやって、絶句させた。

どうやら黄泉子の家は、普通の環境とはだいぶ違うらしい。パーソナルロボットを使うことで一人暮らししている人間は今時いくらでもいるが、あまりにも殺風景すぎて、人が住んでいるとは思えないのだそうだ。

飛行機好きと思っている友人もいた。

だが、その手の模型は一つも無い。基本的に全てが電子データだし、試作品はみんな軍が持って行ってしまう。

だから、家の中は無個性だ。邪魔なものは殆ど無い。奥の方の部屋には段ボールがたくさん置かれているが、その中はみんなおじいちゃんの論文である。

更に言えば、仕事が仕事だからか、家の中に余計なものは置かないように指導されている。それだけではなく、酷い場合はR115が持って行ってしまうのだ。どう処分されているのかまでは分からないが。

だから、一度友達を招待してからは、家に来たがる者はいなくなった。

夕方少し前には、帰宅。

届いていた荷物は、既に梱包を解除して、奥の部屋に積まれていた。金属部品も多いが、その中の一つに視線が行く。

「その小型エンジンが肝ですか」

「そうよ」

性能が良いエンジンは、今の時代いくらでもある。電気式でもガソリン式でも、それは同じ事だ。

ただし、軽さと性能を兼ね備え、なおかつ安いものとなってくると、それは限られてくる。

重さを量ってみる。

二キロはない。これなら恐らく、充分だろう。

日進月歩の科学技術である。これと駆動系を組み合わせて、設計をアレンジして。

組み立ては、早速始めた。

力が必要な場所に関しては、R115に手伝ってもらう。具体的には、パイプを曲げたりとか、だ。

自身は装甲を塗装する。

昔は、設計を見てため息をつくばかりだった。空を飛ぶための道具は、基本的に芸術的な造りになっているものなのだ。

まだ、自力で設計をすることは難しい。

だが、設計を見て、良いか悪いか位は判断が出来るようにはなっていた。

ボルトを締めながら、R115がいう。金属製では無くセラミック製で、弾力と強度を兼ね備えた素材だ。当然軽い。

「今回は球体状ですね」

「そうだよ。 この形が味噌なんだよ」

「やはり危険を緩和するため、ですか」

「それ以外に何があるのさ」

垂直離着陸は、とても高い技術が必要になる上に、相当なパワーが必要になる。

実際、最初の飛行機は滑走路を走って加速を付け、それで空に行く形態のものだった。実用的なヘリコプターができはじめたのは、20世紀の事。更にVTOL機に至っては、それ以降の話だ。

だから、長い間それは高度な技術と、職人芸による操作を必要としてきた。

滑走路を必要としない飛翔体は構築も大変難しい。

そしてもう一つ、おじいちゃんがクリアするべくもくろんでいたことがある。

それは、絶対的な安全性だ。

「飛翔速度を抑える。 機体の重量を抑える。 高度をコントロールしやすくする」

口に出しながら、順番に確認していく。

まず飛翔速度だが、これは上げるよりも押さえる方が難しい。昆虫の中でも、ホバリングが出来るのは、特化した一部のものだけだ。鳥もそれは同じで、可能としているハチドリは、非常に燃費が悪い生物である事が知られている。ある種のハチドリに至っては、ひっきりなしに餌を採らないと、餓死してしまうのだとか。

「ローターを使えば、簡単なのでは」

「駄目。 事故ったときに死人が簡単に出るし、燃費が悪すぎる」

「本来、人間は飛べるようには出来ていません。 それならば、相応のリスクは仕方が無い事なのではありませんか」

「リスクに目をつぶっていたら、進歩なんか無いよ」

受け売りだが、好きな言葉だ。

おじいちゃんの行動を見て笑う連中に、良くその言葉が返されていた。誰でも空に行けるようにする事を夢にしていたおじいちゃんは、最後まで周囲からは異常者扱いされていたが。

黄泉子はそんなことはしない。許さない。

一通りフレームが出来る。フレームの重さを、秤に掛けて計測。だいたい予定通りだが、少し重いかも知れない。

飛翔体の場合、数グラムの差が致命的な結果を生みやすい。

それはそれだけ、飛翔という行為がハイリスクだからだ。R115の言うとおりなのである。

だが、黄泉子はそれをクリアしようとしている身である。そんなリスク如きに、屈する訳にはいかなかった。

搭載するPCには、エンジンの操作を司るプログラムを入れてある。これはおじいちゃんの遺産であるプログラムの、バージョンを上げたものだ。プログラムも四苦八苦しながら研究して、バグを取り除きつつ使っている。

PCを弄っていると、隣の敷地が騒がしくなってきた。

少し前にヤク中の男が警察に連れて行かれてから、無人になっていた家だ。誰かが買ったことは知っていたが、越してきたのだろう。

興味が無いので、放っておく。

「プログラムの一部にバグがあるようです」

「リストアップしておいて。 後でみておくから」

バグがあっても、動くのなら構わない。最終的にはネットにコードをアップロードして、有志の力を借りようとも思ってはいるが、出来るところまでは自分でやりたい。

今回はロータリーでは無く、ブースターを使う。

出力は充分だが、問題は燃料だ。搭載する場所と、事故が起きたときの危険性が問題になってくる。

今までにいろいろな燃料を試してきた。電気式はパワーが足りない。ガソリン系の液化燃料は事故の時に危険が大きい。色々試した上で、現在は電気式を使うことにしている。今回取り寄せた小型エンジンは、搭載する小型バッテリーがフル充電されていれば、十七分稼働する。

ただし、これは人間を乗せていない場合である。

人間を乗せた場合は、十分を切るだろう。

四つ目の、重要案件が、此処に絡んでくる。

誰でも、簡単に乗れること。

つまりそれは、お金が掛からない、という事を意味している。素材だけでは無い。燃料も、それは重要な要素になってくるのだ。

たとえば、機体価格がサラリーマンの月収程度だとする。これはどうにかクリアできる趣味の機体が、現時点でもあるかも知れない。実際、個人向けの小型ヘリコプターは、既に発売が開始されている。

問題は、十分間飛ばすだけで、機体価格と同じくらいのお金が飛んでしまうとしたら。

それでは、意味が無い。そんな機体を買う人間は、どこにもいないだろう。

今はまだ趣味の段階だとは言え、おじいちゃんが目指していた理想は、その先にある。勿論それは黄泉子も同じだ。

しばらく機体をなで回して、不備が無いかを確認したあと、エンジンをセット。

試運転はまだ先だ。細かい部分での調整が必要になってくる。そして、仕事をしなければ、作業も許されない。煩わしいが、社会人でもある黄泉子は、その悲しさを知っていた。社会人である以上、働かなければ食べる事は出来ない。

「今日はここまで。 機体は物置に。 部品は部屋に」

「かしこまりました」

「んー、機体はまだ結構重いなあ」

このままだと、速度を考えると、ぶつかった相手に大けがをさせてしまう。勿論、人が乗っている場合の話だが。

ぶつかっても怪我をさせず、なおかつ飛翔力を維持する。墜落した場合も、搭乗者への被害を最小限に抑える。

これらはクリアすべき必須項目だ。

そして、今まで一度も、一つたりとも、実現できていない項目であった。

フレームについては、用意しておいた別の素材も試す。そのために、通販で色々と取り寄せたのだから。

 

夜になると、隣は静かになった。

前回の住人はいきなり夜中に大音量でハードロックだかデスメタルだかを掛け、引っ越し初日に警察沙汰になったあげく、警察にたれ込んだのは誰だとか、近所中に怒鳴り込んで廻っていた。

あのようなクズで無い事はありがたい事である。

軍の仕事を進めていると、R115が夕食を持ってきた。好物を作ってくれと言っても、栄養のバランスがとか言い出して、殆ど許可をしてくれない。お菓子の棚に至っては、いつも鍵を掛けられている有様だ。

案の定、夕食は無個性で殺風景な代物だった。この家のようである。

かといって、自炊をするには意欲がわかない。料理をする気力を割く気にはなれないというのが、正しいかも知れない。

「いちご、味付けをもっと濃くしてくれないかなあ。 栄養は立派かも知れないけど、味がうっすいよこれ」

「味付けを濃くしすぎると、塩分の過剰摂取につながります」

「えー。 それは分かるけどさあ」

「一度太ると、体重の維持が大変になります。 ましてやマスターは、太りやすい体質なのですから」

そこまで言われると、むくれるしかない。

デザートもついていない。素のままのヨーグルトだけだ。サラダもあったし、栄養的には文句の付けようが無い料理なのは認めるが。しかし、どうも満腹感を感じないのである。

かといって、育ち盛りを口にするには、もう年を取りすぎた。高校二年生になると、背はあまり伸びない。

体型や雰囲気はこれからも変わるが、背や体重には、これといった変化はもう出てこないものなのだ。

不平満々のまま、作業を片付ける。

今日は飛翔機体の作成には時間を作る事が出来たし、集中も出来た。だがどうも仕事は手こずり、ノルマ分を仕上げるまで随分手間が掛かってしまった。

もやが掛かった頭を無理矢理動かして、仕事を終わらせる。

誤字や脱字のチェックを行い、ミスを取り去って、メールを転送。終わった後には、ため息が漏れていた。

「甘いのー。 いちごー」

「駄目です」

「鬼! 悪魔!」

「ロボットです」

何を言っても、蛙の面に小便である。諦めて、もう寝ることにする。明日からは休日なのだ。

朝から、本格的に作業に取りかかれるだろう。

幸い、布団は干してあったからか、暖かくてお日様の臭いがした。ただ、それをやってくれたのはR115だと思うと、最後まで複雑だった。

人間は、いずれ。

ロボットの補佐が無ければ、一人暮らしも出来なくなるのかも知れない。

 

2、夜空のかなた

 

両親には、嫌な思い出しか無い。

物心ついた頃には、喧嘩をしている姿しか見た事が無かった。近所でも珍しい夫婦で暮らしている二人だったのだが。それはどうしてなのだろう。今になっても、理解できない。

喧嘩を始めると、何を言っても聞かなかった。

両方から殴られることもあった。

だから、物音が納まるまで、物置に隠れて、膝を抱えていた。そのまま眠ってしまうこともあった。

父は、いつも酔っ払っていて、赤い顔で酒瓶を直に呷っていた。

母は何かをいつも恨んでいるようで、どうして私だけ、私だけと、いつも叫び続けていた。

顔を合わせれば、何かを投げ合ったり、殴ったり。

やがて、父はいなくなった。かといって、母が優しくなったわけでもなかった。何か落ち度があると、その場で暴力を振るわれた。父が乗り移ったように、酒も飲んで暴れるようになった。

テストで満点を全教科取れなかったという理由で、二時間近く殴られたとき。

ついに、我慢が限界を迎えた。

床に転がっていた酒瓶で母をぶん殴って、そのまま逃げた。泡を吹いていたような気がしたが、知ったことではない。

気がつくと、裸足のまま街を歩いていて。お巡りさんに保護された。

何があったのか全て話すと、体を調べられた。当然虐待の跡が残っていた。やがて来た母が、警官の話を聞くと、真っ青になっていくのが見えた。

がなり立てる母が連れて行かれて。

黄泉子は、おじいちゃんの所に、預けられた。

 

目が覚める。

日の光は暖かい。そういえば、お酒の臭いがしない部屋に入ったのは、おじいちゃんの家が最初だった気がする。

起きたのにもう気付いているらしく、下では料理の音。

またあの味気ないのを食べさせられるかと思うとうんざりだが。R115には、これでも感謝しているのだ。

一つ気に入らないことがあるから、全部否定するような阿呆と。黄泉子は一緒になりたくなかった。

一階に下りると、殺風景なダイイングに朝食が並べられていた。

それだけで、光景に彩りが出るのだから不思議な話である。

箸を付ける。やはり味付けは極薄で、水でも飲んでいるのかと錯覚してしまう。たまに外で買い食いする食べ物が、如何に濃い味付けなのか、よく分かる。

「味付けについては、考慮していません。 栄養価のみが重要です」

「……」

先手を打たれて、勝手な事を言われる。ロボットと時々思えないほど高等な真理攻撃をしてくるのは、此奴が積んでいるAIの性能が高いからだろう。此奴は軍用ロボット。三原則とは最初から無縁なのかも知れない。

文句を言わず、食べ終える。

鏡を見て、髪の毛をセット。家にいるからとは言え、休日だとは言え。最低限の身だしなみは整えたい。

身繕いしてから、着替える。ジャージが一番なのだろうが、流石にそれは嫌だ。中庭で作業をするとは言え、よそから見える位置にある。制服で作業をするか、それともジーパンか。そのどちらかである。

結局無難なジーパンとTシャツに着替えて、髪の毛をポニーにまとめる。

もうかなり涼しくなってきているし、直射日光を防ぐ帽子はいらないだろう。高校に入って、随分体も丈夫になってきた。今更、日光を浴びたくらいで倒れることは無い筈だ。

中庭で、作業を始める。

そして、何気なく視線をそらしたとき、目が合った。

隣の家から、小柄な子供が此方を見ていた。目が合ったことに気付いて慌てて隠れたようだが。

何故隠れるのかはよく分からないが、無害な分、前回の隣人よりましらしい。

そう、黄泉子は思った。

まず最初に、設計図を広げて、昨日の状態を確認。ボルトの数や、パーツの状態も間違っていない。

力仕事は、全てR115に任せてしまえるのが楽だ。

「この機械は、あまりにも多くの条件を抱えてしまっていますね」

「ん? ああ、そうだよ。 でもそれが、お……私の夢だからさ」

「夢というのは、将来かなえたい事という意味でよろしいでしょうか。 既に経済的には自立している貴方が、不思議な事を言う物です」

「ほっとけ。 いくつになっても、夢を追って行くのが理想なんだよ」

これを否定する奴だけは許さない。

エンジンの配置を始める。リクライニング式の座席の下が一番だろう。問題は事故が起きたときの安全性を考慮した場合、乗っている人間の命を守るためには、座席とエンジンの間に、分厚い安全地帯を作る必要がある、ということだ。

単なるクッション程度では駄目だ。

エンジンの出力を考えた場合、爆発が起こったら、上にいる人間は確実に死ぬ。爆発をそらすための工夫をしなければならない。

「理想をかなえるためには、一つずつ問題をクリアしていくしかないのではありませんか?」

「単品のクリアだったら、難しくないんだよ」

実際、個人所有のヘリコプターでも買えば、今黄泉子が抱えている問題の大半はクリアできる。

しかし、最も重要な幾つかの部分は、どうしてもクリアが不可能だ。

エンジンとは少し離して、制御用のPCを配置。

機体重量、搭乗者の体重、風の強さや向き、それらに併せて、エンジンの出力を調整する、重要なものだ。

更に言えば、エンジンが爆発した場合でも、此奴は搭乗者の命を守るために、最後まで動き続けなければならない。

予備のバッテリーも必要になる。

おじいちゃんが、基礎的な設計構想を組んでくれていなければ、とても黄泉子が手を付けられる機械では無かっただろう。

人生を捧げたおじいちゃんでさえ、完成させることは出来なかったのだ。これから完成させるまでには、何十年も掛かるかも知れない。

だが、それでは遅い。

技術が進んでいる現在、もたついていれば、誰かに先を越されてしまうだろう。

「企業か何かのバックアップを得ることは出来ませんか?」

「駄目だね」

実はおじいちゃんも、既にそれは試している。

だが、企画を持ち込んでも門前払いされるか、或いは特許権だけ取り上げられそうになったりと、碌な事は無かった。

実際、企業側でも、似たような事を試そうとしている人間はいるはずだ。以前空飛ぶ車というものが開発されたとき、予約が殺到したという話も聞いている。これ自体はとても庶民が趣味で所有できる代物では無かったのだが、それでも需要自体は充分にあるという事だ。

逆に言えば。

それだけ、魑魅魍魎が集まっている業界だ、という事も意味している。

わずかに浮きながら、移動できる乗り物ならば実現はされている。リニアモーターカーがそれだ。

だがリニアモーターカーの場合、磁力を緻密にコントロールする必要性がある上に、大規模なバックアップシステムが必要になってくる。更に言えば、移動できる範囲に、かなり限られてくるものがある。

黄泉子が作ろうとしているものと、理想がかけ離れてしまっているのだ。

「欲を掻き過ぎなのではありませんか」

「いいや、こういうのは欲張りで良いんだよ」

「どういうことでしょうか」

「妥協すればするだけ、駄目になっていくって事。 最初に道を作るのには、職人の技が絶対不可欠で、それは妥協とは両立しないんだよ」

おじいちゃんの受け売りだが、納得できている言葉だ。

パーツを受け取ると、重さを量る。

眉をひそめたのは、事前に指定したよりも、だいぶ重量が異なっていることだ。有り体に言えば、重い。

二割近くも重さが違うのでは、話にならない。ましてやこのパーツ、ジョイントの駆動をコントロールする重要なものなのだ。

乗ってくる人間の重量に関してはアバウトで良い。だが、機体のバランスを考えると、重さのバランスが崩れることは致命的だ。

頭に来た黄泉子は、構築に関してR115に指示を出すと、パーツを作った会社に抗議の電話を掛けることにした。

電話を掛けてみて、相手が外資系だと悟る。質が低いのはそれが原因か。いや、違うだろう。

単に外れを引かされただけか。

設計書と、実物の重さが違うことを、相手の担当者に話す。電話先の相手はせせら笑っていた。多分此方を女子高生と侮っているのだろう。休日に対応しただけでもマシだと思え、という理論か。

完全に此方を舐めている事を悟ると、黄泉子は堪忍袋の緒を切る。

「巫山戯るなっ!」

怒号をたたきつけて、電話を切った。

頭に来たので、クレームを入れることにした。

この会社自体にクレームを入れても仕方が無いので、公正取引委員会に、広告と違う商品を出しているという旨のクレームを入れておく。

後はもうパーツを返品して、再注文。

こういうトラブルは日常茶飯事だ。今まで使っていたメーカーが、規格にあうパーツを作っていなかったから、変えたらこれだ。

しばらく頭がカッカして、まともにものを考えられなかった。

「マスター、次の指示は」

「……」

中庭を見ると、既にフレーム部分は出来ていた。

流石に軍用ロボットである。仕事が早い。

今回のタイプは、少し前から普及している、一人乗りの自動車をモデルにしている。丸っこいボディで、中には座席と運転をするスペースだけ。荷物を格納するスペースについては、考えていない。

妥協しているのでは無く、用途と関係が無いからだ。

「しばらく休憩」

「分かりました。 食事と茶を用意します」

言われて気付く。

既に、時刻は昼近かった。

 

夕方まで作業して、一部を除いて一通り予定通りに進んだ。

結局あれからネットを検索して、別の会社からパーツを取り寄せた。だが、届くのは数日後である。

それまで、構築は後回しにするしか無い。

設計図を見て、今後の作業計画について検討しておく。今までに、何回となくやってきた事だ。

力仕事はR115にやらせているとは言え、それでも疲れる。如何に高性能とはいえ、ファジーな作業はR115にはさせられないからである。

しばらくお茶を飲んで、ゆっくり過ごす。

「気分転換に、買い出しに行きましょう」

「んー」

行ってきてとは言えない。

R115は備品だ。それに可能性が極小とはいえ、軍関係者である黄泉子は、何かしらのテロや犯罪に巻き込まれる事もありえる。

自転車を出して、跨がる。近くのスーパーまでは、さほど時間も掛からない。食事の材料と、それに茶葉、お菓子類を買って帰る。とはいっても、お菓子類はその場で没収されてしまったが。

ふと、隣の家を見ると、明かりはついている。

だが、妙なほどに静まりかえっているのだ。玄関先を民間用のパーソナルロボットが掃除している。

軍用はR系と呼ばれる型式だが、彼女らはA系と呼ばれている。あまり詳しくは無いが、確か番号が増えるほど後の型番になるはずで、性能も上がるはずだ。

現在では三桁の型番が普通だが、メイド服を着て掃除をしている黒髪おかっぱの彼女は、若干動きもぎこちない。此方を見ると、にこりとステキな笑顔を返してくる。背丈は黄泉子より少し高いが、R115と違って圧迫感は無い。

その時に、額に刻まれているナンバーが見えたのだが、なんと90番台である。そうなると、10年近く前のもののはずだ。型落ち品を使う家もあるが、AIのバージョンを変えるとそれだけでナンバーの更新を義務づけられる。そうなると、AIのバージョンアップさえしていないという事だ。

「お隣の平坂様ですね」

「うん、そうだけど」

「昨日越してきました。 私はハルカと呼ばれています。 以後お見知りおきを」

一礼されたので、思わず返事をしてしまった。

それにしても新しい隣人は、ロボットに名前を与えているのか。驚きだ。黄泉子もあだ名でR115を呼んでいるが、当然それは本名では無い。

たまにロボットに固有の名前を与えて、家族同様に扱う所有者がいると、黄泉子は聞いたことがある。

だがそれは一部のマニアで、相当な変わり者だ。

実際に接してみると分かるが、ロボットは所詮ロボットで、人間では無い。最初は夢を持つ者も多いのだが、やがて幻滅して現実的に対処する場合が殆どだ。

だが、それでも、マニアはロボットに名前を与えて、かわいがると聞いている。なるほど、それで合点がいった。

AIがバージョンアップすると、希に疑似人格に影響があるらしい。

それを危惧しているのだろう。

軽く話してみる。どうやらこの家も、一人暮らしだそうだ。となると、あのとき見かけた小さな子が、家主と言う事か。

今時は珍しくも無い。確か親との関係に問題があり、パーソナルロボットをつれて小学生で自立している子供もいるはずだ。そうでなくても、独立志向の強い子は、パーソナルロボットと一緒に自立してしまうことが多い。

家が余っている上に安い現在、それは決して珍しいことでは無いのだ。

「マスターは寂しがりやです。 出来れば仲良くしてあげてくださると、嬉しいのですが」

「検討しておくよ」

以前は、引っ越したときに周辺に挨拶回りをするとか言う、妙ちきりんなルールがあったとか。

今はそんな訳の分からない風習は無いが、その代わりによそとの関係は基本的にドライだ。だが、それがむしろ、黄泉子には心地よかった。

表札を見ると、確かに名前は一つだけ。

伊沢奈義と書かれていた。

既にだいぶ良い時間だ。材料をさっさとR115に料理させて、自身は宿題の処理に取りかかる。

家庭科の授業で、珍しく宿題が出たのだ。簡単な縫い物だが、機械系の操作にはある程度知識はあっても、針も糸もろくに扱ったことが無い黄泉子には少しばかり面倒な作業だった。

しばらく四苦八苦しながら、縫い物をする。

指に針を刺すことさえ無かったが、随分神経をすり減らした。宿題が終わった頃には、疲れ果てていた。

一階に下りると、料理が出来ている。

こういうときは、パーソナルロボットの存在がありがたい。それがたとえ、監視役であったとしても。

「隣のハルカと先ほどネットワーク回線を通じてやりとりをしました。 奈義様のパーソナルデータをいただいたので、提示します」

「いいの?」

「個人情報法にふれるデータはありません。 確認済みです」

ダイニングテーブルの立体映像投影装置をR115が操作すると、おとなしそうな女の子の映像が浮かび上がった。

小柄で、幼い。かろうじて平均という黄泉子から見ても、頭半分は小さい相手だ。胸も薄くて、見ていて気の毒になってくる。

ただ、それよりも。一番驚いたのは、このタッパで同級生だと言う事だ。

「発育が悪いね。 本当に高二!?」

「年齢的にはマスターより二ヶ月ほど年上です」

「はー。 そんなもんかあ」

決して、黄泉子も発育が良い方では無い。両親によるネグレクトもあって、幼い頃に栄養をあまりおおく摂取できなかったのが原因の一つだろう。

成績はさほど悪くないという記述を見て、多分黄泉子と同じように、どこか特化したものがあるのだろうかと思った。ただし、それは多分軍では無いだろう。軍だったら、民間用のパーソナルロボットを置いているはずが無い。

色々と考えながら、宿題を鞄に放り込む。

作ったハンカチは、どうにか合格点というレベルの品質だった。他人に見せるのは少し恥ずかしいが、それでも今から作り直す気力は沸かないし、これで提出してしまうつもりである。

ダイニングを出ると、うしろでR115が片付けをしている音。

意に介さずに、自室に籠もる。

そしてPCを立ち上げて、現在の進捗と、問題になっている事象をまとめておいた。今回のバージョンは、恐らく一週間以内に出来るだろう。

問題は其処からだ。

いつもと同じように。

PCを落として、そろそろ寝ようかと思った矢先のことである。

玄関の、チャイムが鳴った。

 

日曜は、朝から困り果てることになった。

昨晩、隣の家に越してきた奈義とやらが、持ってきたケーキが山積みになっていたからである。

確かにハルカというパーソナルロボットが提示してきた個人データ通りの姿をしていた。どういうわけか休日なのに、黒いセーラー服を着込んでいて、しかもハルカの後ろに半ば隠れるようにして、此方をうかがう様子はいらだちを感じさせたが。しかし、いつもはR115が買うことさえ許してくれないケーキをたんまり持ってきてくれたので、機嫌は直った。

冷蔵庫にケーキを入れて、その時はご機嫌だった。

しかし、今朝になってみて、ケーキがちょっとばかり多すぎることに、気付いてしまったのである。

ホールケーキが実にまるごと二つである。しかもスタンダードスタイルの白いクリームのケーキと、腹に強烈に持たれるチョコレートケーキである。どちらも造りは見事で、市販品と言われても疑わないほどの出来だ。

ハルカの提示してきたデータの中に、確かにお菓子作りが得意というものはあった。だがいくら何でも、作りすぎだろう。

しかも食べてみると、とてもオイシイ。

「あの子、ひょっとしてお菓子やさんにでも雇われてるのかな」

「それは個人情報の侵害になりますが」

「あー、そういう意味で聞いてるんじゃ無いよ。 さて、この大量のケーキ、どうしたもんかな」

捨てるのも忍びない。というよりも、あの臆病そうな子が、小さな体でせかせか動き回って、一生懸命作ったケーキなのだと思うと、捨てるなどとんでも無いと思えてくる。

かといってこのホールケーキふたつという量、痛む前に食べきることを考えると、毎日ケーキだけで過ごすことになるだろう。

それは流石に胸焼けを起こす。

近所にお裾分けという手も使えない。なぜなら、この様子では、今頃近所中でケーキの処理に頭を抱えているはずだからだ。

近所づきあいが比較的浅い黄泉子が持っていって、ケーキを受け取ってくれる家など、どこにも無いだろう。

しばらく考え込んだ後に、黄泉子はR115を見る。

ロボットは当然お菓子など食べない。しかし、その裏にいる連中はどうだ。

「いちご、軍の人達呼んでくれる? 機械の方でアドバイスも欲しいからさ」

「ケーキの処理が主目的では?」

「それもあるけどね」

作っていて、手応えを感じないのも事実なのだ。

別にメールなど使う必要も無い。R115が頷いてすぐに軍へ連絡が行ったらしい。彼女がダイニングのテーブルを操作すると、取引先である国軍の真田中尉が立体映像に現れた。

真田はおっかない軍人そのものだが、甘党である事を前に何処かで聞いたことがあった。ごつい筋肉質のおっさんである真田は殆ど何も喋らないので苦手な相手だが、今回ばかりはありがたい。

「おはよう。 休日に呼び出してどうした。 甘いものがたくさんあると聞いたが、何があった」

「おはようございます、真田さん。 隣に越してきた子が、お裾分けだって、ケーキをたくさん持ってきたんです」

「ふん、食べきれず、捨てるのも忍びないという訳か。 行くから待っていろ」

機嫌が悪そうな真田さんだが、来てくれるだけマシだ。

それにこの人は、確か今時珍しい家族で暮らしている人間である。家に持ち帰れば、処理方法はいくらでもあるだろう。

二時間ほどで、真田さんが来た。

その間手持ち無沙汰にしているのも何だから、作業の続きをやっておく。全体の重量を量り、それが少し予定より重いことを確認した頃に、真田さんがケーキを引き取りに来た。

相変わらず気むずかしそうなおじさんである。

機体を一瞥すると、しばらく触ったり揺らしたりしていたが。その上で、言う。

「これは軍事兵器として開発したのか?」

「いいえ。 夢を叶えるための道具として」

「ふん、嗜好品か。 それならばこの強度でも良いのでは無いのか」

「やはり強度が足りないでしょうか」

R115が、やはりなどと言う。

この機体は、全体的には一人乗りの自動車に近い、丸っこいボディの持ち主である。まだ塗装していないからメタル色がむき出しだが、最終的にはクリームホワイトに塗装する予定だ。

「墜落した場合、フレームが持たないな。 即死する」

「高度は十メートル程度を想定していますけど」

「その場合は、よほど上手なダメージコントロールをしないと、やはり保たないだろうな」

「……」

ぶつかったとき、それに下にいる人の安全を考えて、フレームの強度を落としすぎたか。

確かに落下する際の対応策は幾つか考えているが、エアバッグだけでは足りないだろう。そうなると、落下する際に、補助エンジンを使って、的確に速度を落とさなければならない。

構想自体は、間違っていないのだ。

真田さんは一通り話すと、ケーキを持って帰って行った。残ったのはホール半分程度である。これなら処理は容易だろう。

中庭に機体を出して、調整を行う。

まだ塗装をするには早い。力仕事は全部R115に任せながら、細かい部分の確認をしていく。

やはり、フレームの素材が少し重いらしい。

エンジンの試運転もしてみる。

昔は、ロケットブースターを背負って飛ぶ競技があったそうだが、今回それは使用しない。

下にいる人間の安全も考慮して、通常のガスを利用して、上昇する仕組みを用いる。ローターは事故を起こしたとき、死人が出る可能性が跳ね上がるので、利用はしない。

昔だったら巨大な機構が必要だっただろうが、現在は電気式のエンジンで可能だ。バッテリーも比較的小さくてすむ。

エンジンからの噴出口は、機体の対角に四つ用いる。

これの角度や噴出速度などは、PCに搭載したツールで調整。可能な飛行時間は現在十分を見込んでいる。

逆に言うと、そのスペックでも、今までは成功した例が無いという事だ。

風力の測定装置、揚力の測定装置を使い、実験を開始。

更に、PCをモニタとつないで、どれだけ調整が出来ているかを確認。R115が、結果の推移を記録し続けている横で、無心に黄泉子はキーボードを叩き続けた。

結果は、まだまだだ。

出力が、七割程度しか出ていない。パワー不足が原因かと思ったが、モニタを見ると、どうもおかしいのである。

電力は充分に出ている。エンジンの出力も、さほど問題ない様子だ。

しかし、実際に、ガスを噴出する機構を調べてみると、随分と出力が落ちてしまっているのだ。

現在では、環境アセスメントの研究が進んで、大気中に放出しても問題ないガスが開発されている。今使っているものも、液体から気体化すると爆発的に質量を増やし、しかも沸点が低いので安定性が高いという素材だ。これをエンジンで調整しつつ、適量をふかして機体を浮かせる。

それ自体は構わないのだが。

どうして出力が出ていないのか、調べないと、そもそも浮かないだろう。

今まで浮く試作品はいくらでも作ってきた。

自在に動くものも、である。

しかし、最初に指定している要件を満たしていないため、破棄してきた。今回はそれ以前の問題である。

「前回のように、ジェット系のエンジンを用いては」

「駄目。 アレは安全性の問題があるって言ったでしょ」

垂直離着陸の仕組みは、案外簡単に作る事が出来た。

しかしジェットエンジン系の方式を用いる場合、燃費が尋常では無く、とてもコスト面での要件を満たせないのだ。

今まで廃棄した奴は、それらが主要原因となっていた。

しばらく腕組みして考え込む。幾つかの実験データを重ねて、検証していくしか無いだろう。

マニュアルにも目を通すが、これといって解決になりそうなことは書かれていない。ネットでも調べたが、そもそもこれは相当にマニアックな機械類であるためか、あまり類例は無い様子だった。

頭を掻き回す。

「休憩するのがよろしいかと」

「あーもう、仕方が無いなあ。 問題山積みだよ」

「ケーキを一つ食べてもよろしいですよ。 私が今切り分けます」

多分、頭を使いすぎたことを、認めてくれてはいるのだろう。オツムがオーバーヒートして煙が出そうなので、此処で甘いものは確かに効果的だ。

ふとみると、隣の家から、また奈義が覗いていた。

視線が合ったことに気付くと、すぐに隠れる。あれで同級生とは。非常に恐がりなのだろうか。

庇護意欲より、むしろ嗜虐心を刺激される。

ケーキを口に入れると、気分転換に二時間ほど昼寝。

日曜日は、瞬く間に過ぎていく。

 

3、朝空の曇り

 

学校に行く途中、気付く。

着慣れない制服を着込んで、そわそわ歩いている奈義。周囲の何もかもが怖くて仕方が無い様子だった。

まるで小動物だが。

しかし、昔は自分もそうだったことを思い出す。両親の所から解放されて2年くらいは、笑顔の一つも浮かべなかったと、おじいちゃんは言っていた。

あまり自覚は無いのだが、そうかも知れない。

そういえば、当時の学校の先生に、一度も黄泉子は笑ったことが無いとか言われたことがあった。

笑い方も、長い間忘れていたらしい。

そう思うと、何だか複雑である。

見ていると、相当にデリケートな状態に思える。ならば、嗜虐心を刺激されるとは言え、具体的な行動は避けた方が良いだろう。

「おはよう」

「ひっ! あ、ええと……」

挨拶をしただけで、身をすくめる奈義。

これは、打ち解けるまで、時間が掛かりそうだ。見たところ、殴られた跡とかはないようだが、ひょっとして。

家庭では無くて、学校で虐められていたのだろうか。

あり得ることだ。

リンチに喝上げ、なんでもござれだった昔の学校と違って、今はそれなりに法整備が進んでいる。

しかし、それでもいじめは無くならない。女子校などでは熾烈な派閥抗争などが発生し続けているし、陰湿な精神攻撃は跡を絶たない。

実の家族でさえ、人間は排斥を行う生物だ。

他の生き物はどうかという理論はあるが、それは愚かしい後付けの理屈に過ぎない。そんな理屈を正当化するという事は、人間は他の動物と全く同じレベルの生物であり、家畜同然に監視すべきと言う理論が成り立ってしまうからだ。

「クラスはもう決まったの?」

「……」

無言のまま、首を横に振られた。

なるほど、行ってみるまでは、知らされていないと言う事だ。勿論学校では既に決めているのだろうが、多分プライバシーに配慮しての事だろう。

一時期、学校教育が崩壊寸前だった時期が合ったらしい。

その時に比べれば、今はまだマシなはずだ。だが、社会全体に蓄積している歪みに関しては、今も昔も変わりが無い。

パーソナルロボットの普及が始まった途端、一人暮らしが一気に流行し始めたのも、それを示しているだろう。

わざわざストレスをためてまで、誰かと暮らしたいとは思わない。それが、大半の人間の本音なのだ。

子育てさえロボットに任せられる今の時代、他人と密接に関わり合うこと自体が、変人のやることだと思われがちなのである。

「ケーキ有り難う。 美味しかったよ」

「……!」

顔を上げた奈義は、此方の表情をうかがうように、視線を泳がせた。

やはり此方を相当に怖がっている。というよりも、周りの人間全部を、というべきなのだろうか。

ひょっとすると。

よほどのことがあって、精神病院からやっと出てきたところなのかも知れない。

「どっちが、その、美味しかった、ですか」

「んー、どっちも美味しかったけど。 お店で売ってるケーキと比べても、遜色なかったと思うよ」

「本当?」

顔立ちはかわいらしい。

でも、笑うことは無さそうだし、むりに笑顔を作るのも難しそうだ。

今は、少しずつでも、話が出来ればそれでいい。あまり無理矢理話そうとしたり、相手の心に踏み込んだりしたら、壁を作られてしまうだろう。

クラスは別々だった。

ただ、隣のクラスに来た転校生については、黄泉子の周囲でも噂になっていた。

男子は可愛いとか小さいとか話をしていたし、女子は違う方向でゴシップをかき混ぜているようだった。

エンジンの不備について、机についているPCを使って検証している黄泉子の周囲に、女子の「仲良しグループ」が集まってくる。

クラスの女子のリーダー格である一人を中心にした連中で、陰湿で攻撃的な奴らだ。今まで何人も女子を陰湿ないじめのターゲットにしてきている。ただ、黄泉子はターゲットにされたことが無い。

黄泉子のように、成績が特化型で、経済的に独立しているタイプは、いじめをしてもすぐ転校してしまうことが多いからだ。

彼女ら風に言えば、面白くないのだろう。

下劣きわまりないが、人間なんてこんなものだ。

「ねえねえ平坂さん。 隣の転校生の事なのだけれど」

「ああ、あの子。 隣の家に越してきたんだけど」

「まあ。 それでどんな子なの?」

質問の文言が違うだろうと、内心で毒づく。

此奴らは、グループ外の女子を人間だと認めていない。如何に痛めつけて、如何に楽しむかしか考えていないのだ。

他のクラスにも、此奴らの配下はいる。

喝上げはしていないが、かって虐め倒したあげくに、屈服させた相手もかなりグループ内にはいるらしい。しかも此奴らは、「可哀想だからグループに入れてあげた」と喧伝している有様だ。

「お菓子作りが得意な、可愛い子かな」

「今時お菓子作りぃ?」

あざける声。失敗したかと思ったが、これはすぐに知られるだろう。今言っても同じ事だ。

まあ、確かに料理を作る人間は、それだけで変わり者扱いされる時代である。

買ってきても今では相当に安くつくし、パーソナルロボットに作らせれば一流のシェフ顔負けのものが仕上がってくる。

そんな中で料理を趣味にしている人間は、バカか異常者。それが、世間一般での認識なのだ。誰も口にはしないが。

黄泉子はそうは思わないが。勿論「常識的で平均的な」この女どもは、そう思っている事だろう。

嘆息すると、忙しいからとグループの女共を追い払う。

面白くも無い授業を終えて、家庭科の宿題を提出。酷い出来だと我ながら思っていたのだが、周囲も似たようなものだったので、少しは溜飲が下がった。

昼休み、隣のクラスを覗いてみる。

いじめは行われていないようだが、奈義の姿はない。

何だか、嫌な予感がした。

 

帰り道。

どうせ部活も無いのだし、隣のクラスを覗いてみると、机に突っ伏した奈義を見つけた。凄く疲れた様子でぼんやりとしている。

肩を揺すって起こす。

触ってみてつくづく思うが、とにかく小さい。下手をすると小学生と思われるほどだ。

「授業終わったよ」

無言で頷くと、奈義はもたもたと帰る準備を始めようとする。

黄泉子から距離を取ろうとしているのが分かるので、大きくため息をついた。

「何もしないってば」

「……」

まあ、信用してくれるはずも無いか。

子猫を手なづけるとでも思って、慎重にゆっくり接していくしか無い。幸いにも、料理という突破口がある。

既に外は、火が落ち始めていた。

二つの影が、徐々に伸び始めている。帰り道、それとなく聞いてみる。

「ハルカに迎えに来てもらったら?」

「え……?」

「パーソナルロボットを使っている家庭だと、珍しくないよ。 荷物持ちをさせたり、防犯用の目的だったり」

ロボットは当然見たものを電子データとして記録できるので、勿論裁判の証拠として提出が可能になる。

いじめを防ぐためにこれは有効だ。

また、ロボット自身の身体能力も高く、攻撃を受けた場合、相手を怪我させずに容易に制圧することが出来る。鉄パイプで殴ったくらいでは平気なので、充分以上な抑止力として、機能してくれるのだ。

「怖いんでしょ、虐められるの。 だったら出来るだけパーソナルロボットを近くにおいておけば、それだけで良くなるよ」

うつむいて話を聞いていた奈義。

隣の家に住んでいたので、必然的に帰路は同じになる。

途中で殆ど店などに興味を見せなかったので、そのまま家まで直帰することになった。その間、殆ど奈義は顔を上げない。

警戒されているのは、仕方が無い。

だが、此方の家を見ていたり、興味を持ってくれてはいるらしいのだ。何とかして、少しは関係を改善したいと思う。

どうして、そんな風に思うのかは、よく分からない。

そういえば、どうしてなのだろう。

家に着く。

そそくさと家に逃げ込む奈義。今日は少し話が出来ただけで、良しとするべきだろう。家に入ると、もうR115が夕食を準備してくれていた。

「ねえ、いちご。 相談があるんだけど」

「今日の仕事を終わらせてからです。 今日は少し多めですよ」

「ちぇー」

幸い、今日は宿題も無い。

相変わらず全く味がしない夕食をさっさと平らげると、残っていたケーキをデザートに、さっさと仕事を片付けた。

それから、学校の作業の続きである、エンジンの不調について調べる。

スキャンデータを確認するが、材料の劣化などは見受けられない。そうなると、考えられる可能性は、一つだ。

プログラムに不備がある。

しかし、おじいちゃんが基礎部分を組んだプログラムなのだ。其処に問題があるとは思えない。このプログラムに関しては、おじいちゃんが四苦八苦の末に、10年も掛けて作ったのだ。しかも専門知識があったのだから、ミスがあったとは考えにくい。

もしも問題があるとすれば、黄泉子が作った部分だろう。

R115がお茶を運んできてくれた。プログラムの更新ツールを立ち上げ、フラグや内容を確認していく。

プログラムを一から作る知識は無いから、サポートツールの力を借りるしか無い。もしもそれが原因だったら、もうお手上げだ。

「プログラムに問題があるとお考えですか?」

「そうだよ。 そうじゃないと、説明がつかない。 エンジンは前から信頼があるタイプだし、ブースターだって調べてみておかしいところは無かったでしょ」

「論理的な判断だと思います」

「はあ。 そうだといいんだけどさ」

プログラムのデバッグは、大変に時間が掛かる。

最初に着手したときは、悲鳴を上げそうになったほどだ。今はそれなりにノウハウを積んだとはいえ、それでも簡単では無い。

昔はコードを手作業でデバッグしていたらしいが、今ではある程度自動化してくれるツールがある。

しかしその一方で、プログラムの巨大化、複雑化も進む一方だ。結局の所、人間がある程度手を入れるしか無い。今でも職人技で、コードを一から組む達人的なプログラマーもいると聞いているが、黄泉子は違うし、周囲にそんな人間はいない。

しばらく自動診断ツールを走らせるが、異常は無い。

そうなると、バグでは無く、フラグ管理がおかしいと言うことになる。つまり、緻密な計測を重ねて、おかしくなっている箇所を見つけ出さなければならないという事だ。

計画を前倒しどころか、大幅に遅らせる必要があるだろう。

椅子にもたれると、頭の中で計画を練り直す。

もっとも、今までもトラブルづくしだったのだ。試作品を裏庭で飛ばしていたら、墜落したこともあった。

R115に乗ってもらっていたから問題の一つも無かったが、もしも黄泉子が乗っていたら大けがしていたよう事故も何度か起きた。

それでも、黄泉子は諦めていない。

今回も、諦めることは、選択肢には無かった。

既に夜になっているが、関係ない。ブースター関係のパーツを外に出して、試運転をしてみる。

幾つかの問題点の可能性となり得る実験を、こなしていく。

近所迷惑にならないように、遮音フィールドを張ってもらう。とはいっても、エアコンのように空気を上に噴き出すだけの簡単なものだから、大して音は緩和できない。あまり派手な実験は出来ない。

夜中まで動かしてみるが、結局問題は洗い出せず。

鬱々とした気分のまま、結局ベットに潜り込むことになった。

しばらく眠れない。睡眠導入剤を持ってこようかというR115に、見当違いの返事をしてみる。

「ねえ、私のしてる事って、無意味なのかな」

「どうしてそう思われますか」

「どうせ誰かが作るんじゃ無いのかなって、時々思うこともあるんだよ」

実際、ライト兄弟が初フライトを成功させたとき、相当なレベルまで飛行機の研究を進めていた人間はいくらでもいたと、黄泉子は聞いている。その中には、日本人も混じっていたという。

発明は、決して超絶的な思いつきから出来るものではない。

下地があって、初めてなしえるものだ。石器時代に飛行機が出来る事は無い。飛行機を作れる技術力があって、初めてそれが完成しうるのである。

黄泉子も、素人としては、かなりマニアックな探求と研究を続けている方だと、自負はしている。

だが時々自信がなくなるのだ。

経済的に自立しているとは言え、所詮黄泉子はまだ女子高生。精神的な自立にはほど遠い。時々R115に頼ってしまっている自分に気付くことも多く、それで一人で落ち込むこともある。

「個人で空に行くというのであれば、とっくにそれは開かれた道です。 しかしマスターのやっている事は、より簡易にと言う意味で、大きな価値があるかと思われますが」

「そうなのかな」

「家庭に普及した道具類は、どれもが簡易という条件をクリアしたからです。 値段も操作法も、いずれもが個人の手に届くという条件をクリアしたからこそ、爆発的な普及を見せました。 我々パーソナルロボットも、それは同じでありましょう」

そんなことは、言われるまでも無く分かっている。

分かっているのに。

時々分からなくなる。いつもだったら、わかりきっていることが。

それは自分の弱さだと理解しているのに。どうしても、時々他人に確認したくなる。それが弱さだと、わかりきっているのに、である。

やはり自分は弱いなと、黄泉子は思う。

睡眠導入剤を持ってきて貰って、強引に寝る。どちらにしても、そのままでは悶々とするばかりで、眠れそうにも無かった。

 

翌朝。

準備を整えて外に出ると、ばったりと言う感じで奈義と出くわした。

挨拶をするが、相手の腰が引けているのが、露骨に分かる。

「おはよう。 昨日はよく眠れた?」

「……」

何度か頷くが、やはり此方が危害を加えることを警戒しているようだ。

ただ、話は聞いてくれたらしい。ハルカが一緒に出る準備をしていたからだ。

ハルカは相当な旧式モデルだが、それだけではない。

少し調べたのだが、彼女の型式は、独身男性向けに作られたタイプである。つまりセクサロイドとしての機能も有している。

何故、女性である奈義が、そんなタイプのパーソナルロボットを所有しているのか。しかも、かなり古いタイプの、を。

よく分からないが、ハルカに対しては、奈義も心を許しているのが見て取れる。だから、あれこれ言う気は無かった。

それに、多少旧式でも、暴漢くらいなら片手で捻る程度の力は有しているのが普通である。

奈義が危険にさらされることは無いだろう。

「おはようございます、黄泉子様」

「おはよ。 奈義さんの護衛に?」

「アドバイス通り、しばらくは一緒に行った方が良いと判断いたしました」

奈義が、ハルカの服の袖を引く。

あまり余計な事は喋らないで欲しいと言う意思表示かも知れない。まあ、無理も無い事だ。

しばらく、並んで歩く。

ハルカは二歩ほど後ろからついてきている。以前R115に聞いたのだが、これはマニュアル通りだ。後方からの攻撃に素早く対処できるし、前に何があるか見据えることが出来るから、である。

もしも奈義が何かしらの悲劇に遭い、児童福祉団体などに保護されて今の状況にあるのなら、ハルカが護衛用のプログラムを入れられていてもおかしくは無い。多少古い型式でも、これくらいの基本は当然守ることが出来るだろう。

学校への道で、同級生と会うことは少ない。

今の時代、高校と同地区に暮らしている高校生の方が珍しい。高校自体の数も減らしているし、電車などを使っての通学の方が普通になってきているからだ。学校の至近で同級生と出くわすことは多くても、周辺にある住宅地から来ている黄泉子や奈義は、学校至近までは同級生の姿を滅多に見ない。駅がある方に向かえば、話は別だが。

やはり話しかけない限り、奈義は一言も喋らない。

「ケーキって、自分で作り方覚えたの?」

「うん……」

「へー。 独学」

料理自体が廃れつつある今、自分から興味を持って料理を始める人間は珍しい。ただし、それは茨の道でもあるが。

レシピなんぞ、今時ネットを漁ればいくらでも転がっている。

だが、それを実際に作るのとロボットに作らせるのでは、全く意味が違う。レシピの中には、人間とは比較にならない精度で動けるロボットで作る事が大前提になっているものが、多々あるのだ。

独学であれだけ作れれば、充分に凄い。趣味の領域を超えているとも言える。

若干、親近感も沸く。

同じように、「おかしな趣味」で周囲に白眼視されているという点では、黄泉子も同じだからだ。

中学生の頃は、露骨に言われたものだ。

「そんな事」に夢中になって、バカみたいだとか、頭がおかしいんじゃ無いの、だとか。

頭がおかしいから、親に虐待されたんだろうとか、笑いながら陰口をたたいている輩も、実際に見た事があった。

「平均的な人間」を、だから黄泉子は信頼していない。

今後も、それが代わることは無いだろう。何が普通だ。世間一般では普通を何より大事にして、それからはみ出そうとするものを必死に排除しようとしているが、逆に言えば「普通で無い存在」が世間一般を排除する権利もあるのでは無いのか。

高校に入ると、そういう風潮は若干減った。

だが、時々それでも、強烈な横当たりはある。特に、「常識的で大人な」人間ほど、そういう傾向を示すことが多いので、黄泉子はますますげんなりさせられるのであった。

今ではそれほど社会への敵意は感じない。

だが、不快なことに変わりは無かった。明確な敵だとは考えてはいないにしても、味方だとは断じて思っていない。

「私もさ。 趣味があるから、迫害されてきたから」

「……」

「私は独学じゃ無いんだけどね。 おじいちゃんの受け売りで、単に新しい技術が出てきたから、その跡を継ごうとしているだけ。 それでも、随分言われてきたよ」

じっと、此方をうかがうように、奈義は見ている。

見極めようとしているのか、或いは。

それ以上、会話は無かった。

学校に着くと、無言で奈義は自分の教室に行ってしまう。きっと、まだ仲良くなるには、時間が掛かるはずだった。

 

相変わらず空虚な学校。

授業は面白くもつまらなくも無い。航空力学を学ぶ高校など存在しないのは仕方が無い。物理だけはある程度興味があるが、それも「ある程度」である。落第点を取らなければ、それで良いとさえ、時々思う。

一応、友人づきあいもする。

だが、親友と呼べる人間はいるのだろうか。男女では友情のあり方がだいぶ違うと聞いたこともある。

今更少年漫画に出てくるような男子の友情に憧れることも無いが、幻滅する事も無かった。

適当に昼飯を済ませると、PCに向かって、計算を進めておく。

五時間目の授業で、どうにかようやく問題点が見えてきた。プログラム上の問題では無く、どうやらフラグ管理に問題があるらしい。その可能性は考えていたが、ほぼ場所は特定できた。

あとは家に戻った後、ツールを使って修正するだけだ。

「黄泉子さん、隣の転校生の事だけど」

「なに?」

例のグループが来たので、表面的には敵意を込めずに返す。

相変わらず、相手を品定めする嫌らしい目つきで、奴らは此方をうかがっていた。

「聞いた? クッキー焼いてきたんですって」

「しかも手作りだって! 今時、ばっかじゃないの?」

「多分パーソナルロボットが旧式すぎて、クッキーも焼けないんじゃ無いの。 あはははは」

げたげた笑っている此奴らを、咎める人間は誰もいない。

クラスの権力者に逆らって、いじめのターゲットにされることを怖がっている者もいるだろう。

だが多くは無関心なのだ。

パーソナルロボットの普及によって、高校生でも一人暮らしすることが珍しくない今、好きこのんでトラブルに関わり合いたいと思う人間は、むしろ少ない。

それに此奴らは、奈義の事を踏み台にして、黄泉子にちょっかいを掛けに来ているのである。自分に関係ないことである以上、何万人死のうが知ったことでは無いと考えるのが、「平均的な」人間だ。

それが、下劣で卑劣な事が行われていようが、他人である以上興味を示すだろうか。

「それで、そのクッキー、どうしたの?」

「焼却炉にポイしたにきまってるじゃん」

「燃やしたら甘ったるい臭いがして、最悪だったって」

「ふーん」

余計なことを言って、音声加工をされても面倒くさいので、最低限の返事しかしない。

いずれにしても、此奴らが死のうがどうしようが知ったことでは無い。良くいじめを受けるのは、弱い方が悪いなどと言う理屈があるが。

こういう連中を見ていると、そんな理屈が如何に卑劣で邪悪だか、よく分かるというものだ。

そんな理屈を野放しにしている社会も、である。

チャイムが鳴ったので、連中はそそくさと自席に戻る。

そういえば、此奴らの成績は平均以下だと、何処かで聞いた。まあ、そんなものだろう。そしてこういう連中ほど、知らないことに対して「本でかじった知識だ」とか、したり顔でいうのである。

あほらしい話であった。おじいちゃんがどれだけの苦労の末、膨大な本を読み、それから知識を抽出し、空に手が届く寸前まで行ったのか。その苦労と尊さを、こういう連中に説いても、時間の無駄だろう。

胸くそばかり悪くなったので、授業が終わると、さっさと帰る。

奈義の教室を覗いたが。

早退したとかで、先に家に帰ったようだった。

 

プログラムに手を入れる。

予定通りとはなかなか行かなかったが、どうやら修正は出来たようだった。真夜中には、作業は終了。

しかし、これだけで問題は片付かないだろう。

咳払いが聞こえたので、振り返る。

R115だった。

「睡眠導入剤を用意しました。 早めに床にお入りください」

「分かってるよ」

今まで黙っていてくれただけでも、この冷酷なロボットにしては気が利いている、というべきなのだろう。

学校の友人から、メールが何通か来ていた。

奈義のクッキーについてだが、評判自体は悪くないらしい。ただ、面と向かっておいしいと言う人もいないようだ。

それはそうだろう。あのゲス共に目をつけられたくないのだろうから。

おかしなもので、この国では昔から本音は口に出来ない。何かが好きだと言えば、その時点で異常者呼ばわりされる風潮がある。

文化が好きだと言えばオタクと言われ、子供が好きだと言えばロリコンだショタコンだと言われ。いずれもが攻撃の材料になる。

平凡である事を強要する風潮は、そんな異様な歪みを作り出し、それを誰も不思議だと思わない。ある意味平凡が生み出した異常だ。そしてその異常に逆らおうとすれば子供とか言われるのだから始末に負えない。

だから、自浄作用だとかに、黄泉子も最初から期待はしていない。

問題は奈義自身だ。あまり強くないだろう奈義は、ひとりぼっちで孤独に耐えられるのか。

ロボットの中にはカウンセリングの機能を持つものもある。

だが、ハルカにそんな機能はついていないだろう。

布団に入ってからも、そんなことを黄泉子は考えていた。やはり他人事では無いから、気になるのだろう。

翌朝、早くに目を覚ます。

R115は黄泉子の覚醒と共に起動するので、朝早くも無い。朝食を作る彼女を横目に、機材を引っ張り出す。

試運転をしてみるが、予想は外れなかった。

やはり、まだおかしいところがあるらしい。

フラグの異常は修正できた自信がある。そうなると、まだ何処かにまずい箇所があると言うのが事実だろう。

しかし、恐らくバグの類は無い。

コンパイルも上手く行っているはずで、デバイスの互換性もクリアは出来ているはずだ。

やはり、エラーでは無い、何処かに足を引っ張っている箇所があるのだ。フラグの異常では無いとすると、何だろう。

出力が足りない。

エンジン出力を上げるという荒技もあるが、それはあまり気が乗らない。それだけコストが掛かるという事を意味しているし、無駄を放置すると、いざというときに大事故につながりかねないからだ。

「あまりこういうことは言いたくないのですが」

後ろのテーブルに食事を並べながら、R115が衣着せぬ物言いをする。

分かってはいるのだ。その可能性がある事は。

「ベースのプログラムは、かなり古いものと聞いています。 最新の素材やエンジンにマッチしない部分があるのでは」

「そういうのは、個別に追加してる」

「それにも限界があると推察されます」

「……」

分かってはいる。

R115には、こだわりというものがない。だから、黄泉子が考えたくないと思って意図的に思考から排除していることにも、容赦なく踏み込んでくる。

「これを言うと、マスターは気分を害されるかも知れませんが」

「なによ」

「貴方のお爺さまが此処にいた場合、プログラムの不備を認めずに、いたずらに無意味な試行錯誤を繰り返したでしょうか」

「そ、そういう言い方は卑怯でしょっ!?」

思わず立ち上がる黄泉子だが、全く意に介さない様子で、R115は食事を並べ終えた。

当然だ。

此奴は、ロボットなのだから。

黄泉子があの暴力親から救われたのは、おじいちゃんの所に住むようになってからだ。自分でも分かっている。

尊敬では無く、それは崇拝に近いことを。

しかも、それは客観的では無く、盲目的であることも。

「そろそろ時間です。 食事にしてください」

此奴に当たり散らしても仕方が無い。

それに、分かってはいるのだ。黄泉子も、それが正しいことは。

 

通学路で、奈義に会わなかった。

不安になったが、通学はしているらしい。教室まで覗きに行くのも何だし、そのまま放置しておく。

心配だが、それでもあまりにも構い過ぎるのも良くないだろう。

教室で、持ってきたプログラムを開いてみる。

だが、指が震える。

おじいちゃんが作った部分に、変に手を入れたくない。

調べるのは、以前から時々やってはいる。追加プログラムをセットしたり、或いはバージョンを上げたり。そういったときには、嫌でも覗かなければならないからだ。

おじいちゃんは、どちらかと言えば天才肌では無かった。

こつこつと積み上げていく、秀才肌だった。だから、生き甲斐を彼奴らに奪われるまでは、ずっとプログラムの改良を続けていた。

このプログラムも、おじいちゃんの資料と一緒に燃やされる所だったのだ。

それと同じ事を、自分はしようとしているのでは無いのか。

そう思うと、やはり罪悪感で、胸が押しつぶされそうだった。

「どうしたのー? いつも無表情で、プログラム弄ってるのに」

不覚である。

気付くと、虐めグループが、側で此方の作業を覗き込んでいた。立ち上げていたツールを全部落とす。

どうせ、此奴らにプログラムなんか理解できない。それは分かってはいるが、それでも嫌だった。

或いは、この手の連中は、まるで雨上がりに落ちている紙に群がってくるナメクジがごとく、弱みをかぎつける嗅覚を有している。今の様子から、黄泉子の弱みを握れると思ったのかも知れない。

「何か用?」

「ええ。 隣のクラスの転校生が、泣きながら帰ってたらしいわよ」

此方の様子をうかがう視線。

完全に、鉄面皮を作る。それにしても誰かが悲しんでいるのを楽しむとは。良く出来た「クラスの中心人物」である。

もっとも、昔からゴシップ記事と言えば、他人の不幸を舌なめずりしながら楽しむものと相場は決まっている。

昔から、人間なんぞこんなものだということだ。最初から何も期待していないので、今更何も思わない。

「何があったのかしらね。 可哀想に」

「あまり詳しくは知らないけど」

「あのくっそまずいクッキー、誰かがまずいって面と向かっていっちゃったんだったりして」

黄色い声で笑いながら、連中は自席に戻る。

多分、此奴らがそう言ったのだろう。

授業が始まる。

奈義の事も心配だが、プログラムをどうするべきか。それで頭がいっぱいだ。それに、可能性は低いが、エンジンや他の部品に問題がある可能性もまだ残っているのだ。そちらも検討しなければならない。

授業を受けていても、頭に入ってこない。

ため息ばかりが漏れた。

休み時間、メールが入る。

R115からだった。

 

急いで帰宅する。

色々と言いたいことはあったのだが、R115のやったことは間違っていない。一礼する彼女の顔を殴りたい心がある一方で、自分には出来なかったことをしてくれた感謝の気持ちもある。

「リストアップしました。 どうぞ」

「……」

パソコンを立ち上げると、幾つかのファイルがデスクトップスペースに貼り付けられていた。

一つずつ開いて、確認する。

おじいちゃんのプログラムに見つかった、脆弱性。

正確には違う。

おじいちゃんの時代には問題は無かったが、今は問題が生じうる仕様の一覧だ。ネットで検索した上で、おじいちゃんのプログラムを精査し、ヒットした箇所を洗い出してくれた、というわけだ。

自分にも技術的な面だけで言えば、出来た。

だが、精神的な面が問題になって、出来なかった。

唇を噛む。

確かにある。いくつも。

今使われているデバイスドライバに対する脆弱性が出てきている。

当然の話だ。

時代が違うのだ。時代が変わればプログラムも代わる。以前問題なかったプログラムでも、新しいものには対応できなくなってくる。

「納得していただけましたか」

言われなくても、納得は最初からしている。

というよりも、無意識では分かっていたのだ。ずっと前から。

「その該当部分を直せば、おそらくは正常に稼働するかと思います」

「そう、だね」

「まだ何か、問題が?」

「心の問題かな」

多分、今回指摘された箇所を直すだけなら、一晩で出来る。

そうして、全てが上手く行ったら。

きっとおじいちゃんも、喜んでくれるはずだ。天国にいるか地獄にいるかは分からないが。

それでも、喜んでくれるだろう。

研究が完成せずに、死蔵されるよりはずっとマシなはずだ。

それなのに、どうして悲しいのだろう。

「理解できません。 崇拝の対象が、崩れたからですか?」

「あまりそうやって、理屈で責めないでくれる?」

「……」

一礼すると、R115は出て行った。

理屈で分かっていても、正しいと知っていても、納得できないことはある。

しばらく、涙をこする。

どうしても、涙が溢れるのが、止まらなかった。

なんだかんだいっていても、社会的に経済的に自立していても、自分がガキなのだとよく分かる。

きっと、この涙は、その証左だった。

仕事を終わらせたのは夜半。

その前には、問題点の洗い出しと修正は終わっていた。

そしてエンジンを動かすと、冗談のように予定の出力が出たのだった。

 

孤独な中、エンジン音が響く。

後は、これを組み立てて。実機を飛ばすだけだった。

 

4、夕焼けの空

 

流石に、飛行実験は中庭でやるわけにはいかない。

多少浮かせるくらいなら、パーソナルロボットの立ち会いで出来る。だが、実機を飛ばすとなると、法にも触れるので、別の場所を用意しなければならない。

早朝から、二台のレンタカーを借りて、外に出る。晴れの日曜日。朝から空気は澄んでいて、実験には最適の陽気だ。

陰湿な虐めに晒され続けている奈義は、ずっと家に閉じこもっていると聞いている。

学校には出るが、それ以外では一切外出しないそうだ。

ハルカもどうにか外出するように促しているそうだが、首を横に振るばかりだという。

だから、黄泉子が一緒に来るか申し出ると、むしろ嬉しそうに快諾してくれた。勿論ロボットだから、それが「ふり」なのは分かっている。

朝から、動きやすいラフな格好に身を包んでいる黄泉子に対して。

真っ青な顔色のまま家から出てきた奈義は、よそ行きのかわいらしいスカート姿だった。もっとも力仕事はさせないから、それでいいのだが。

小型のトラックの荷台に、R115が軽々と人間大の球体を積み込んでいるのを見て、奈義は動きを止める。

真っ青だった顔色が、土気色になるのが分かった。

端から見ても分かるほど、がたがた震えている。

「わ、私、何をされるんですか? これから、どこにいくんですか?」

「あれを飛ばすの」

「え……」

「大丈夫、危険は一切無いよ」

そもそも、球体、飛翔装置V型は重量20.4キログラム。確かに大きいが、それは中に人が入る事を想定している造りのためで、フレーム自体はとても軽い。その気になれば、黄泉子でさえ荷台に積み込める重さだ。

危険が一切無いという事については、本当はこれから検証する。だが、ただでさえ不安になっている奈義を、これ以上怖がらせるわけにはいかない。

予備のバッテリーを、せかせかとR115が積み込んでいる。

組み立てた後の浮上試験は成功している。稼働実験も。

後は、残る幾つかの試験をクリアできれば。

「私が運転しましょうか」

「あ、それ助かる。 お願い」

ハルカが申し出てくれたので、車の運転を任せる。

といっても、今時はどの車もAIを搭載しているのが普通だ。パーソナルロボットがやるのは、乗る人間の好みに合わせての運転である。速度を上げたり抑えたり、酔いにくいように運転したり。

長年連れ添っているパーソナルロボットだからこそ、出来る事だ。

荷物の積み込みが終わると、R115が運転してトラックが出る。

都会には、リニアモーターレールが敷き詰められた道路もあるが、この辺り、特に目的地にしている山にはない。だからタイヤ式のトラックで問題ない。

もう片方は、格安でレンタルした軽自動車だ。こっちをハルカが運転して、黄泉子と奈義が乗る。

奈義に助手席を進めたが、首を横に振る。

ハルカが目配せをしてきたので、黄泉子が助手席を使うことにした。

車が出ると、メールが入る。

運転しながらでも、メールを出すくらいは、パーソナルロボットにはたやすい。

「マスターは助手席に悲しい思い出をお持ちです。 気を利かせていただき、有り難うございます」

「そう。 それはごめんなさい」

R115がコースを指定したのだろう。ハルカは問題なく運転を続けてくれた。

昔は、レンタカーは非常に高かったと聞いたことがある。今は二台でかっての一台分の値段だ。人間が運転することが減り、AIとパーソナルロボットが安全かつ確実に操作するようになったので、ランニングコストが減った関係だそうである。

市街地を抜けると、昔ながらのアスファルトの道路に出る。

中には、土がむき出しになっている場所もある。だからこそに、トラックを借りてきたのだ。

遠くの空を、鳶が舞っている。

今からそこに行くのだと思うと、感慨も深かった。

ぎゅっと身を縮めて、不安そうにしている奈義。後部座席になんどかハルカが話しかけたが、放っておいてととりつく島も無い。

坂道の勾配がきつくなってくる。

同時に、車間距離を多めにハルカが取る。恐らく、荷台の飛翔装置V型が落ちたときの事を考えて、だろう。

うねる坂道は、かってだったらスキール音を響かせて、走り屋と呼ばれる連中が我が物顔に独占していたかも知れない。

今は、もう絶滅してしまったのだが。

木立の天蓋が途切れる。

青空の下、キャンプ場の駐車場に出た。事前に予約はしてあるので、使用するのはなんら問題が無い。

というよりも、今のご時世だと、キャンプ場自体を使う人間自体が殆どいない。

ここで実験を行う理由だ。今日もがらがらで、全く危険は無かった。

空は、抜けるようだ。

まさに、絶好の実験日和だった。

念のために、キャンプスペースから離れて、坂道になっている当たりに出る。周囲は青々と雑草が茂る草原であり、とても緑の香りが心地よい。

機材類をセッティングする。

その間、飛翔装置V型の準備は、R115が進めてくれていた。

「ハルカ、私、何をすればいいの?」

「実験が終わったら、皆でおかしにしましょう」

「でも、私の焼いたお菓子、まずいって……」

「おいしいよ。 私も楽しみだし」

あんなバカ共の言う事を気にする必要など無い。

それが「世間一般の客観的意見」だったとしても、だ。実際に奈義の焼いたクッキーは、この間食べたが美味しかった。味付けは少し甘みが強いが、それだけだ。「平均的人間」が酷評しているのは「今時」「料理などと言う異常な趣味を持つ」「奈義が作ったクッキーだから」、である。味などなんら関係ない。単に弱者をなぶり者にしたいからそういう評価を出しているだけだ。

実際問題、本音を聞くと、美味しいという意見はいくらでも出てくる。

「実験のスケジュールです。 最終確認を」

「分かった」

レポートをめくる。

まずは、無人での飛翔実験。それから、有人での飛翔実験。

そして、最後に。

有人での、事故に対する対策実験を、行わなければならなかった。

いずれにも、万全の安全対策を期する。軍用パーソナルロボットのR115がいるから、大概の状況には対応できるだろう。

PCを立ち上げて、遠隔操作用のツールを起動する。

まずは機器類の状態を確認。状態確認用のツールに表示されるコンディションは、いずれもがグリーンだ。

起動した飛翔装置V型は、バッテリー容量も、気体容量も十分と表示されている。搭乗者がエンプティになっているが、それだけだ。

「それじゃあ、動かすよ」

見ていて、おじいちゃん。

呟くと、起動するべく、最初のコマンドを打ち込む。正確には幾つかのバッチファイルを操作する起点のマクロを動かすのだが、あまり細かいことを言っても仕方が無い。

轟と、風が草原に吹き荒れる。

殺傷能力は無いが、かなり風の勢いは強い。

草はばたばたとその身を揺らし、虫が飛んでいくのが見えた。

浮き上がる飛翔体V型。

此処までは、今までに何度も成功した。ただ、問題は、この先だ。

球体の四つの対角線上に付けられた、ガスを噴き出すためのフレキシブルノズルが、的確に稼働しながら機体を浮かせている。

操作を行い、機体を傾け、左右に動かす。

若干、動きは鈍い。ただし、それはこれから調整すれば良い部分だ。今までの機体によるノウハウや失敗が詰め込まれたV型である。実際にはV型といいながらも、この機体の前にあった失敗作は数限りない。

五分ほどのフライトの過程で、風に対する耐久実験も行うことが出来た。風が吹いても、充分に姿勢制御は出来る。

第一段階は、成功だ。

一旦機体を下ろして、エンジンを止める。

バッテリーを充電済みのものと交換。エンジンの状態を確認。

数千時間の耐久試験に合格しているエンジンだが、念のためである。実際に動かしてみると、初期不良が判明するケースも多い。

しばらく調査して、結論。

問題は無し。

いよいよ、自身が乗っての実験だ。

今までは、二十キロ程度の重量だったから、余裕があった。

だが今度は六十キロを超える重量を浮かさなければならない。勿論余裕がある設計にはしているが、それでも今までとは負荷が段違いだ。勿論、その段階でも飛行実験に成功したバージョンもある。

だが、今回は、安全性を考慮した機体で、今までとは設計のコンセプトからしてが違うのだ。

乗り込んで、ドアを閉める。

奈義が此方を見ているのが分かったので、軽く手を振る。そうすると、ハルカの後ろに隠れてしまった。まだ怖がられていると思うと、少し悲しいが、まあこれは仕方が無いだろう。

実際に乗ってみると、安物のリクライニングが少し背中にいたい。もう少し品質が良い椅子を使うべきだったかも知れない。今後の改良点として、記憶に残しておくべき事だろう。

また、密閉空間に入ってみて分かったが、思った以上に狭く感じる。

元々限られた重量のフレームである。アクリルで視界は確保しているが、それでも独特の閉塞感がある。

エアコンを付けると重量は更に上がってしまうだろう。かといって、窓を開けることは、今の時点ではまだ推奨できない。どれくらい飛行に影響が出るか、分からないからだ。

これらも、改良点に挙げておくべきだと、黄泉子は思った。

実際問題、今回の飛翔装置V型が、完成形では無いのだ。

エンジンを起動。

自動で、ガスがふかされはじめる。ぐっと強烈な圧力が、全身に掛かった。耳がきーんとするのは、気圧が変わったからか。

浮き上がる。

同時に、不思議な浮遊感が生じた。

以前はずっしりした印象だったのだが、今回はとても軽い。以前バーナー式の浮遊装置を使ったときは、上から押しつけるような感触だったのに。

今回は、一緒に浮いているような柔らかさだ。

PCを見て、状態の移行を確認。

先ほども確認はしていたが、風や重心の変化に、スラスターはしっかり対応している。フレキシブルノズルの稼働も問題は無い。

少し、傾けてみる。

いきなり落ちるようなことは無い。むしろしっかり補正を行い、傾いたままホバリングを維持していた。

ただし、ガスの減りが早い。

バッテリーの減りも。

やっと、周囲を見る余裕が出始めてきた。

観覧車に乗って、高い所から下を見下ろす経験は、今までもあった。

だが、コレは違う。低速度で、十メートルほどの高度を維持したまま、それを自由に操ることが出来る。

しかも、速度が飛行機と違って現実的だ。歩行速度に近い事もあって、周囲の光景に溶け込むかのようである。

これほど、自分で空を飛んでいる感触を味わうことが出来るとは、思わなかった。

背中の痛みで、現実に引き戻される。

これはまだまだ試作品。クリアしなければならない問題は、山のように残っている。それに何より、まだこなしていない実験も、いくらでもあるのだ。

携帯から、素早くR115にメールを送る。

「地上から、何か問題点は見える?」

「順調に推移しているように見えます」

「そう、じゃあ落下実験をするよ」

携帯を切ると、シートベルトを確認。

ここからが、肝だ。

エンジンの機動キーに手を伸ばす。何度もためらう。冷や汗が流れているのが分かる。

安全である事。

それが、この機体の至上命題。下に人が落ちても、命を奪うことが無い。それは事故において、犠牲者を出さない事を最大の要件とする事を意味している。

それは勿論、中の人間も死なせないことを意味しているのだ。

柔なフレームは、衝撃のダメージを殺す意味もある。

だが、最大の肝は、機械の制御にある。

機動キーを、切った。

エンジンが停止する。同時に、体が空中に投げ出されたかのような衝撃が来た。

此処からだ。

非常用電源に切り替え。

OSの緊急機動。予備スラスターの稼働。エンジンの再稼働。

落下中に、全てをこなし、地面への激突までに動かなければならない。冷や汗が、体から離れて、天井につくのでは無いかとさえ思う。

まるで、ゼリーの中を落ちていくかのような、ゆっくりとした浮遊感。

最悪の場合も、下にR115がいる。

だが。

衝撃は、来なかった。

 

地面に落ちる寸前だった。

完全に停止していたエンジンが再起動し、再び強烈な風が全身を打つ。

そして、柔らかく着地する空飛ぶ球体。

無言でそれを見つめていた奈義の肩に、R115が手を置いた。

「どう思われましたか」

「……すごい」

「マスターは世間を憎んでいます。 怖れている貴方と、少し似ているかも知れませんね」

奈義も、好きな料理を学校で散々貶されてきた。

前時代的だ。

異常な趣味だ。

まずい。

どの学校でも、それは同じだった。料理が好きだと言う事は、レッテル貼りをその場でされると言う事と、同義だった。

どんなに頑張って作っても、理論的に美味しい料理にしても。誰もが鼻で笑った。中には食べると病気になるとか、病気がうつるとか言う者までいた。

うすうすは、気付いていた。

そんな世間の評価など、真実には遠いのだと。

世間の評価が、必ずしも客観と同義では無いのだと。

だが、周囲の全てが言うと、どうしても心は弱る。

「わ、わたしも」

黄泉子が、球体から出てくる。

手で顔を仰いでいるのは、暑いからだろうか。あの実験の時に、冷や汗を掻いたからだろうか。

飛んでいるときに、聞かされた。

理論的には、全てが上手く行っていると。

だが、黄泉子も。その心の支えになっている祖父の理論を、周囲の全員から否定されて育ったという。

だから、最後まで不安そうにしていたという。

「貴方も、料理に自信を持つべきでしょう。 貴方の料理の完成度が高いことは、客観的に証明されているではありませんか」

「……」

再び、黄泉子が実験を始める。

この実験が上手く行けば、大きな一歩になるという。

誰もが手軽に利用できる上、空が今までに無く近くなる、画期的な機械の完成。誰もがやりたいと思っていながら、ついに達成できなかったものの完成。

最初は娯楽用になるだろうことは、容易に奈義にも推察できる。

だがいずれ、これは世界中の人間が足として利用できる、第二の自転車でありキックボードになるという。

鳥が独占してきた中空の世界の道を、人間も、誰もが、歩めるようになる。

その時、笑われるのはどちらか。

むしろ、黄泉子と、その祖父を嘲笑ってきた者達なのでは無いのか。

そういったとき、笑ってきた者達は、きっとこう言うのだろう。

自分は最初から認めていたと。

「呆れるほど卑劣な話ですが、人類の歴史はそれが人類だと証明しています。 貴方は平均的な人間とは違うかも知れませんが、それを悲しい事だと思わずに、むしろ誇りだと思うべきなのでは」

「ハルカ……」

「大丈夫。 マスターの料理が美味しいことは、私が保証します。 まずいとか言っている人達の方が、舌がおかしくなっているだけです」

その日。

実験を全てクリアした黄泉子は、行きに比べてずっとすがすがしい顔をしていた。

やり遂げた顔。

受け継いだ遺産を、全て形に出来た顔。

軍が既に話を聞きつけて、商品化についての動き始めているという。

数年以内に、黄泉子の作った飛翔装置は商品化され、世界の空を席巻するだろう事は間違いないとも。

疲れ果てて隣の席で眠っている黄泉子を見て、奈義は思う。

きっと、私も。

いずれ。

今、空には何もいない。雨が降りそうだから、かも知れない。電線が既に過去の存在となった空は、虫と鳥と人工物だけの楽園だ。

それも、まもなく終わりになる日が来る。

「何か、すごい料理を作ってみたい。 そうしたら、何か、かわるかな」

奈義は呟くと、もう一度空を見た。

今、其処には。

やはり何もいなかった。

 

(終)