泥沼
序、入口
魔王バロールが咆吼する。彼の体には、既に容赦ない攻撃によって多数の傷が付けられており、表情に余裕はない。対戦者であるペルソナ使いと悪魔にも余裕は微塵も無く、次の攻防が最終的な決着を生むのは誰の目にも明らかだった。
ペルソナ使いは名を南条圭、悪魔は名をナナミという。二人は息のあった連係攻撃を繰り返していて、行動には互いに対する絶大な信頼がある。二人は頷きあうと、同時に別の方向に地を蹴った。
高名な〈魔眼〉は既につぶされており、残った目で必死に魔王は敵の姿を追った。狙いは南条、動きが遅い方。バロールは手にした剛剣を振りかぶるが、どうしても片目では追い切れなかったナナミに、死角に潜り込まれる。
収束した魔力が雷へと変貌し、それは光の矢となって、少女の姿をした悪魔の手から放たれた。
「必殺! ジオダイン!」
閃光が周囲を漂白し、極限まで圧縮された熱がはじける。光の蛇のように電撃が魔王の表皮を這い、内蔵に絡みつき、焼き、焦がした。のどの奥から声を絞り出し、、バロールは絶叫した。
「ぐがああああああっ! おのれ、おのれおのれ! たかが人間と、その使い魔如きに、この私が!」
「この地を去れ、魔王バロール。 ……今なら、見逃してやろう」
逞しい体躯を雷撃に蹂躙され、膝を屈した魔王に、南条は冷静に瞳を向けた。
新世塾の残党が、魔王を召還しようとしている。その情報を聞きつけた彼は、ナナミとともに現場に向かった。そして無惨な生け贄の山と、力半ばでありながら召還された魔王と相対する事になった。現在の状況は、その戦いの結果であった。
既に召還士は自業自得の最期を遂げており、激しい死闘の末に魔王も倒れた。だが、魔王はいわば人間の都合で強引に召還されたのであり、何も無為に殺す必要もないと南条は考えたのである。ナナミと接し、悪魔が人間と全く変わりない事を知っている彼は、こういう柔軟な対応をとる事を学習していたのである。しかし、相手は人間と変わらぬ思考を持つ存在。それを快と感じる者もいれば、不快に憤激する者もいる。バロールは後者だった。不意に片手を上げると、魔王は南条に向け魔力の固まりを放った。
「ダーリン!」
パートナーが攻撃をかわしきれない。それを悟ったナナミは、南条にタックルした。結果、黒い魔力の固まりが、南条ではなく、ナナミの小さな体を直撃した。それは対象に直接打撃を与える魔法ではなく、それ以上にたちの悪い魔法だった。空間に穴があき、ナナミが飲み込まれる。南条がパートナーの名を呼び、手を伸ばすが、わずかに届かない。南条の手の先で、ほんのわずかな先で、空間のゆがみが閉じ、ナナミの姿が消えた。バロールが嬌笑した。
「異界で朽ち果てるが良い! くはーっはっはっはっはっはっはっはっは……ぐがっ!」
南条がバロールの首をはねとばした。無念の声を上げ、消滅していく魔王の前で、南条は地面に拳を叩き付けた。
「不覚! 俺とした事が、なんと言う事だ!」
必死に心を落ち着けようとするが、どうしても巧くいかない。その場でいつも意見を交換できる相手が存在しない。それがこれほどまでにつらい事だと、心乱す事だと、南条は今更ながらに思い知った。
「異界……と言っていたな……という事は、彼奴は死んでいない……はずだ。 俺が弱気になってどうする! しっかりしろ、南条圭! 俺がここであきらめたら、彼奴は、彼奴はどうやって帰ってくるというのだ!」
外で掃討戦を行っていた南条の仲間、黛ゆきのと稲葉正男が広場に駆け込んできた。そして事情を知ると、打ちひしがれる南条を困惑しながら見た。山岡を失ったときの南条は、いつもの高慢さが欠片も感じられない弱々しさであったが、今の彼はそれに等しい物に思えた。
「南条……」
「黛か。 俺は……」
「しっかりしろよ、あのナイトメアが、こんな事でくたばると思うか?」
「確かに、それはもっともだ。 あの子がこんな事で死ぬとは思えないね」
稲葉の言葉に、黛が相づちを打った。やがてゆっくり顔を上げると、南条は決然と声を絞り出した。
「桐島に連絡を取ってくれ。 なんとしても彼奴を、異界から救い出す算段を練ろう!」
ワームホールの中を、ナナミは静かに落ちていった。彼女は冷静に魔力探査の触手を伸ばし、周囲を探ると、空間自体を調べていく。時空の流れを調べる事で、帰るときの役に立てようと言うのである。実際、魔界の魔法には空間に穴をあける魔法も存在しており、帰るのは決して無理な事ではなかった。
ただし、ナナミの魔力がいつもの状態であったら、の話である。ナナミはその魔法を知ってはいるが、使用に習熟しているわけではなく、実際、思い通りに発動するには相当な魔力を必要とするだろう。
ナナミは先ほどの戦いで、相当な魔力を消耗した。現在の魔力は、フルチャージした状態の四割強ほどであろう。奥義であるディザスターシスルを使用した時ほどではないが、消耗は大きく、疲労も激しい。肉体的なダメージも大きく、まずは休息しなければいけない。
ゆっくりワームホールを落ちていくナナミに、南条を恨む気持ちなど無い。確かに南条の失敗で今時空の穴を落ちてはいるが、自分だって致命的な失敗をした事もあるし、気にしてはいない。今回の失敗など全く問題にならないほどに、南条は今まで成果を上げてきたし、共にある事が今では自然な事となっている。
だからこそ、南条の元に帰らなくてはならない。そのためにはここで焦るわけには行かない。ナナミはゆっくり周囲を探り、落ちる経路を覚えながら落ちていく。やがて落ち行く先に、光が見えた。ワームホールの出口であった。
ナナミが放り出されたのは、荒野だった。とりあえず大気成分が魔界や人間世界とほぼ同じ事を確認し、ナナミは安堵の息をついた。だが、その表情が引きつるのに時間はかからなかった。この世界の魔力素、いわゆる〈マナ〉は、元の世界とは根本的に異なっていたのである。
上位種にクラスチェンジしたナナミは、普段なら大気中のマナを吸収し、ゆっくり回復行動をとる事が出来る。だがこの異質なマナでは、まず吸収してみなければどうなるか分からないし、それによって拒絶反応が出たりむしろ体に害になってしまう事すら考えられる。最低でも、少しずつ吸収して体を慣らすくらいの事はしないと危険であろう。
バックパックを探ってナナミは自分の装備を確かめた。死闘であった先ほどの戦いで、対悪魔用の炸裂弾は使い切り、通常弾のストックも激減している。特殊装備の類は残っておらず、状況はきわめて悪い。唯一の希望は遠くから響きくる獣の遠吠えで、この世界に命が皆無と言うわけではない事だ。ナナミは地面を蹴りつけ、その感触を確かめると、ゆっくり歩き始めた。遠くに見えるのは森で、ここが荒野だけの世界ではないと分かった。
この世界、ファルガイアと呼ばれる星の上を、ナナミはパートナーが待つ地へ帰るため、静かに進み始めた。そしてこの一歩は、彼女が底のない泥沼へとはまりこむ、最初の一歩でもあった。
1,荒野広がる土地
「だから、何でそうなるんだよ! クソッ!」
神経質そうな少年の声が、荒野に響き渡った。そばには無精ひげを生やして眼鏡をかけた、若いのに妙に落ち着いた男性と、過激なファッションと濃い容姿の男性がいて、少年とリーダーである少女とのやりとりを見守っている。落ち着いた男性はのほほんとしていたが、濃い男性は明らかに巻き込まれたくないという表情をしていた。
少年と焚き火を挟んで向こう側にいる少女は、年の頃にして十七〜八。仕立てのいい服を着てはいるが、瞳には逞しさと信念があり、燃えるような熱い意志が灯っていた。彼女が腰にぶら下げている二丁の拳銃は、よく手入れされており、几帳面な性格を伺わせる。
少年の名はジェット=エンデューロ。落ち着いた男性の名はクライヴ=ウィンスレット。濃い男の名はギャロウズ=キャラダイン。そして少女の名はヴァージニア=マックスウェルと言う。彼らは決まった根城を持たず、賞金首を捕まえたり遺跡を発掘して各地を回る、いわゆる〈渡り鳥〉であり、世界でも有数の腕利きだった。彼らは四人とも、アームと呼ばれる銃に酷似した武器の使い手であり、それぞれに常識外の腕前を持つ達人たちだった。(余談になるが、アームの原型は銃である。銃の遠い子孫がアームであり、未だに〈銃声〉などの単語は健在である。両者の相違は、弾丸を発射するのに火薬を使うか精神力を使うかで、一般人でも達人でも命中精度を無視し威力だけを考えれば同じ銃に比べ、アームは使い手を選ぶが、その代わり達人の放つ弾丸の威力はすさまじい)
魔族ジークフリードや、夢魔ベアトリーチェを倒し、人類がこのファルガイアと呼ばれる世界の危機をはねのけられたのは、彼らの戦いの結果であり、功績であった。だがそれに名誉や金銭が報いられる事はなく、そればかりか誤解から賞金さえかけられた。結果、現在は悠々自適、だが同時に背中にも目をつけなければ生存できない状況に置かれている。
少年の暴発は、そういう状況に耐えられなくなったから、ではない。元々夢見がちで暴走しがちなヴァージニアと、この一見つっけんどんだが実は極めて常識人である少年は、よく喧嘩をした。
「どうして困ってる人を助けたらいけないのよ!」
「何の金にもならない仕事を受けて、しかも命を張るんだぞ! 報酬を貰うのが筋ってもんで、それを払えない奴を助ける理由はないってんだよ!」
「どうしても払えないんだから仕方ないでしょう? それとも、あなたにとってお金は何よりも大事な物なの? 絶対に違うわ! 世の中には人の命って言う、感謝っていう、お金より大事な物があるんだから!」
「どうしてそうなるんだよ!」
ジェットが憤激した。彼の言い分ももっともである。
ヴァージニアの言った仕事とは、アークウォームと呼ばれる大型の魔獣を退治する物で、しかもそれの襲撃によって壊滅的な被害を受けていた村は報酬を用意できなかったのである。だが、ヴァージニアは半ば強引に仲間達を説き伏せ、魔獣で溢れかえる洞窟に突入し、死闘の末にアークウォームを倒した。
村人達は涙を流して感謝したが、ただそれだけであった。そして今、ヴァージニアはまたこういう仕事があったら躊躇無く受けようね、と言ったのである。現実主義者のジェットが噴火したのも当然であった。アークウォームは、この腕利き達をもってしても、そう簡単に倒せる相手では無かったからである。現に、後一歩で挽肉にされるような場面が、戦闘の際に何度もあったのである。
ヴァージニアは、いわゆる〈よい子ちゃん〉ではない。荒野でいろいろと厳しい現実を見続けてきたし、心の中に強さも持っている。だがその心はどうしても理想主義に傾きがちで、元々持つ強烈な信念と融合して、それは時に暴走を引き起こす。そして根が生真面目なジェットは、それに本気で腹を立てて喧嘩になるのである。そして今日も、いつものように彼は席を立った。
「うんざりだぜ。 俺はもう出ていくからな!」
「ちょっと、ジェット!」
「朝ご飯は用意しておきますよ、ジェット君」
クライヴに笑顔を向けられて、ジェットは更に頭に血を上らせ、森に向けて大股で歩き去っていった。
「ジェット! まだ話は終わってないわよ!」
「あー、ほっとけほっとけ。 どーせいつもみてーに、朝になったら帰ってくんだろ」
ようやく終わったと顔で言いながら、ギャロウズが揶揄する。その言葉は、ジェット少年には無惨な事実ながら、見事に正鵠を射ていた。一度だけジェットは、本気で離脱するつもりでヴァージニア達の元を離れようとした事があったが、それ以降彼はそういう素振りを見せていない。喧嘩して出ていった事は数回あったが、朝になると何事もなかったかのように戻ってきているのが常だった。そして必死に考えたらしい言い訳が、いつも男性陣の涙を誘うのであった。ぶつぶつ文句を言いながら、ヴァージニアはシチュー鍋をかき回し、クライヴが苦笑した。
「彼の言う事にも一理ありますよ、リーダー」
「そんな事分かってる、クライヴ。 でも、私が言った事は」
「人として大事な事でしょう? 彼も、それはきちんと分かっていますよ」
唯一家庭を持つ彼らしく、クライヴの言葉には、納得を産む重みがあった。
「ただ、ね。 僕が思うに、彼はとてもまじめで恥ずかしがり屋さんなんですよ。 冷酷で残酷だから、ああいう事をいっているんじゃないと思えますよ」
「……そう……だよね」
ヴァージニアは立ち上がった。そして埃を払うと、ジェットが去っていった森の方を見た。そこはジェットの実力ではさほど問題がないが、魔獣が住み着いている危険な森であり、いざとなったらすぐ助けに行こうと少女は思ったのであった。そしてその決意は、意外なほど早く、試され実行される事になる。
憤慨し、ぶつぶつ言いながらジェットは森の奥へ奥へと入り込んでいった。いらだつ彼は、時々周囲を通りかかる魔物に目を向ける事もなく、喧嘩を売ってきた場合は容赦なく返り討ちにしていた。総合的な戦闘力で判断した場合、おそらく彼がヴァージニアのチームの中で最強である。経験と肉体能力のバランスがとれ、防御力以外の欠点はない。頭も決して悪くないし、戦闘時はそれなりに冷静である。
これらは彼がもっとも単独行動を好み、激しい冒険をこなしてきた事を意味している。しかし、チームを組むようになってからは、その優位は何一つ役になど立ちはしなかった。根本的な面で、彼は他人に自慢できる長所を一つも持ってはいなかったのである。短所が無く、同時に長所もない。それこそが、彼の持ち味であり、同時に致命的な欠点だった。クライヴはあえて指摘しなかったが、ジェットがヴァージニアに突っかかる理由の一つは、間違いなくそれだった。深淵から湧きくる、青く暗い嫉妬。
「クソッ!」
苛立ち、ジェットは拳を木に叩き付けた。緑少ないこの星で、それは決してほめられた行動ではないが、今の彼にそこまでの事は考えられない。頭に上った血を少しでも冷まそうと、ジェットは今拳を叩き付けた木に寄りかかり、静かに呼吸を整えようとした。彼の耳に銃声が届いたのは、まさにそのときだった。同時に悲鳴が響く。それは魔物の悲鳴だった。
「何だ、誰かいるのか!?」
左右を見回し、ジェットがつぶやく。銃声は連続して響き、その都度魔物が悲鳴を上げ、断末魔の声が轟く。アーム使いがかなりの腕であるのか、あるいは魔物がよほど多いのか。何にせよ、この距離からその判断は付かない。口元を覆う布を引き上げると、ジェットは気配を消し、音のする方に向かった。これは彼が一人で行動していたときの名残である。もしアーム使いが苦戦していれば、助ければ報酬が期待できるのである。二十メートルほど間を詰めると、彼の目にも状況が分かってきた。
「ガキ……?」
自分もまだ社会的にはガキと呼ばれる年齢である事を棚に上げ、ジェットは眼前の光景を凝視した。その目に油断はない。死闘を演じた相手である、夢魔ベアトリーチェも、少女の姿をしていたからである。
その少女は強かった。物理的に強いのではなく、速く、動作に無駄が無く、とにかく攻撃が鋭い。周囲には三体のオークが倒れており、現在交戦している四体のオークも逃げ腰になっている。それでも一体は奇声を上げながら、汗をぬぐった少女に向け突進していった。
少女の姿がかき消えた。ジェットの目は、何とかその動きを追う事に成功していた。少女は突進してきた敵と接触する寸前に、地面をけって跳躍、空中で半回転してオークの後ろをとったのである。そしてオークの後頭部に向け、至近距離から容赦なく連続して弾丸をたたき込んだ。電気に打たれたようにオークが竿立ちになり、数度痙攣したかと思うと、白目をむいて地面に倒れ込んだ。口からは泡と一緒に鮮血が流れ出ていた。それを見て慌てた生き残りのオーク達は、脱兎の如く逃げ出していった。
計七体のオークを撃退したにもかかわらず、少女は全くうれしそうではない。その額には汗の玉が浮かび、表情にも余裕がない。やはり先ほどの戦いが応えたのか、あるいは疲弊したところをオークに攻撃されたのか、ジェットには判断は付かなかった。だが、いずれにしろ少女があまり余裕のない状況である事は間違いがなかった。ジェットは慎重に気配を消している事を確認し、再び様子をうかがった。そして、恐ろしい光景を見る事になった。
2,強さの形
森の中に入り込んだナナミは、突然に土着の魔獣に襲われる事になった。彼女がいた世界の隣の世界〈魔界〉に生息する下級獣人〈オーク〉によく似た、豚のような魔獣だった。通常時の彼女なら、そして故郷の世界であれば、逃げる振りをして敵をまとめ、その真ん中に得意とするジオダインをたたき込んで一瞬でけりをつけていただろう。しかし今の彼女は魔力の過半を喪失し、しかもマナと波長が合わず回復行動に難儀している。何が起こるか分からない以上、少しでも力を温存せねばならない。オークは手頃なえさを見つけたとばかりに、ナナミにつっこんできたが、相手が悪すぎた。決着が付くまでちょうど六分。四体の死体を残し、オークは逃走していった。
息が上がっている事を実感し、ナナミは慄然とした。いくら疲弊しているとはいえ、いくら七体いたとはいえ、この程度の相手に苦戦した事が彼女を苛立たせていた。陰でこちらを伺っている相手がいるが、現時点では敵意はないようだし、接触する理由もない。ナナミは愛銃ワルサーをしまうと、ゆっくり倒した相手に歩み寄っていった。急所を貫かれ、それらはいずれも死んだりあるいは抵抗力を失っており、既に即死している一匹にナナミは手を触れ、生命力を啜り尽くした。見る間に獣人はミイラと化してゆき、少女の姿をした悪魔の中へ、生体エネルギーが流れ込んできた。
「……ごほっ!」
生体エネルギーは刺激が強かった。マナが異質であった事から、生体エネルギーもそうではないかとナナミは危惧してはいたが、その予測が最悪の形で的中した事となる。大気中のマナよりはマシだが、拒絶反応が起こる事はさけられないだろう。それでも後々の事を考えて、体を慣らさなくてはいけないのがつらいところだ。彼女は何とか咳き込む体を落ち着かせると、ゆっくり残りのオークへ歩み寄っていった。四匹目はまだ生きており、ナナミが近づくとおびえきった声を上げた。躊躇無くその額に手を触れ、ナナミは冷徹な声を絞り出した。拒絶反応が強烈になるのは分かり切っている。しかし、彼女は一刻も早く帰らなければならないのだ。向こうとこの世界の時間の流れは当然違う、それが理由だ。ここでの十日が、向こうの百年だったら文字通り洒落にならない。
「死ね」
「ブギィ! ギーッ! キィイイイイイイイイイ!」
無惨な悲鳴が響く。それもすぐにか細くなり、見る間に犠牲者はミイラになっていった。額の汗をぬぐい、ナナミが顔を上げたのには訳がある。陰から伺っていた相手が、露骨な敵意を放出したからである。戦いはさけたい所であったが、背後より奇襲されるよりも、機先を制す方がいい。少なくとも、精神的には。
「ところで、そこの。 いつまで陰から伺ってるんですかぁ?」
鋭い視線を、正確にその相手のいる場所に鋳込む。隠れていた者が、暴発したのはその瞬間だった。
ジェットが引きつった顔を上げた。とうの昔に居場所を察知されていた事に気づき、しかも敵意を気づかれたからである。目の前の光景は、彼を畏怖させるに充分だった。叫び声を上げると、彼は愛用のアーム〈アガートラーム〉を子供(に見える何か)に向け、引き金を引いた。
彼のアームは、複数の弾丸を極めて近い地点にたたき込む事が出来、性能は高い。貫通力はクライヴの〈ガングニール〉に次ぎ、命中精度は若干劣るものの破壊力は高い。だが、発射のタイミングを洞察されてはその威力も宝の持ち腐れだった。激しく鋭い音が響いた。弾丸が木の幹をえぐったのだ。かわされた事をジェットが悟るのと、相手が反撃に出たのは、ほぼ同時だった。
(子供に見える何か)、ナナミが地を蹴るのは、隠れている相手が引き金を引くよりも速かった。発射された六発の弾丸の一つが、彼女の右足をかすめたが、致命傷にはならない。舌打ちすると、ナナミは連続して地を蹴り、残像を残しながら相手に接近していく。そしてワルサーを引き抜くと、連続して引き金を引き絞った。次の瞬間、敵(といわざるを得ない)の姿がかき消え、鋭く風がなった。
「へえ? やるじゃないですかぁ」
いつもの軽口にも余裕はない。ナナミは地面を蹴ると、翼を広げ、木の幹を連続して蹴って枝の上に上がった。こういう遮蔽物の多い場所での戦略を彼女は知っている。正確に相手の位置をつかみ、こちらは高速で移動しながら、攻撃を死角から加える。ただそれだけであるが、実行できれば勝ったも同然である。動揺している相手に比べ、彼女は疲弊しながらも冷静で、さっき敵の使った能力を分析しながら、斜め上から迫った。
膝に手をつき、肩で息をついていた相手が、斜め上から猛禽のごとく強襲してきたナナミに気づき、引きつった顔を上げた。爆発したような髪型の、銀髪の少年で、一目でかなりの使い手だと分かる。ここで反射的に迫りくるナナミに武器を向けようとしなかったのは流石であろう。自分と敵の間合いを、この少年は悟っているのだ。
「くっ、クソッ!」
地面が鋭い弾丸の着弾に悲鳴を上げたのは、少年が先ほどの能力でかわしたからである。ナナミは新しい弾倉をワルサーに装填し、地面を蹴ると、素早く位置を移す。攻撃は飛んでこない、ナナミは相手の能力の正体を悟った。
先ほどから少年が使っているのは、一種の加速能力で、一時的に肉体能力、特にスピードを増すものだろう。だがそれがいつもの肉体能力よりも遙かに強力すぎるため、使用中使用後はおそらく簡単な行動しかとれないに違いない。しかもそれなりに体力を消耗し、高速移動中は柔軟な動きもおそらく出来まい。以上のナナミの洞察は、完璧に事実を突いていた。たった二回の相手の行動で、それを悟ったのは百戦錬磨のナナミならではであった。それにしても、少年が吐いた悪態は英語だった。何故異国の地で英語が使われているかは分からないが、ナナミも言語中枢を英語に、頭を切り替える。
動揺する敵の位置を察し、ナナミが鋭い視線を向ける。同時にあの少年もこちらの位置に気づいたようで、発砲してきた。六発の弾丸が、ナナミの隠れている木のすぐ脇に炸裂し、回避行動をとった彼女は右に飛び、地面に右手をつき、はじかれるように跳躍して位置を移す。再び少年が発砲したようで、連続して弾丸がナナミに迫ってくるが、巧妙に遮蔽物を利して彼女はそれらをかわしていった。一発が至近に炸裂し、はじけた木の欠片がナナミの右腕を切り、傷口から鮮血が吹き出すが、彼女は表情を変えない。致命傷ではないし、気にしている余裕もないからだ。
どうも先ほどからの観察で、少年の武器は発射にかなりの踏ん張りが必要なようである。その証拠に、ほとんど彼は先ほどから位置を移していない。ナナミは翼を利し、ジグザグに木の幹を蹴りながら、立体的な動きで、徐々にだが確実に相手と間を詰めていった。そして、最適な地点に居場所を移すと、連続してワルサーの引き金を引き絞った。弾倉を交換していた少年が彼女の瞳に映った。
「畜生、はええっ!」
ジェットが舌打ちし、目で追うのがやっとの相手に何度もアガートラームを撃ち放つ。だがそれらはいずれも有効打にならず、しかも悪い事に、ついに弾が切れた。殺気に悪寒を覚えたジェットが顔を上げると、再び斜め上から強襲してきた敵が、連続して武器から弾丸を発射してきた。慌てた彼は、自身の特殊能力である〈アクセレイター〉を発動し、何とか弾をかわす事に成功したが、敵の策は狡猾を極めていた。彼がよける方向には木があったのである。
〈子供のような何か〉ナナミは、既に〈アクセレイター〉の弱点をつかんでいた。移動中は複雑な動作が出来ず、しかも一直線にしか動けないのだ。木がある事にジェットが気づいたときには既に遅い。背中を強打し、少年はくぐもった声を漏らした。それでも敵から視線を逸らさないのは流石であろう。
ジェットは精神を集中し、〈ミーディアム〉に思念をこらした。これは精霊と交信する媒体のような物で、これを使って彼は魔法を発動する事が出来る。ジェットは魔力が低く、故に魔法を使う際は魔力に関係ない補助系を使う事が多かったが、一応攻撃系も扱う事が出来た。踏ん張りが利かない今の状況で、アガートラームは発射できない、何とか牽制を行い、敵と距離をとらなくてはならない。
「来い、フェンガロン!」
ジェットの頭上に、白い虎の姿が浮き上がった。そして全身の毛を逆立て、雄叫びとともに雷撃の束を敵へ投擲する。それは光の槍となり、〈子供のような何か〉を直撃した。それは大きくはじかれ、木の幹に叩き付けられる。小さな苦痛の声が上がった。
ジェットが有効打に目を細め、アガートラームを放とうとした瞬間、反撃が来た。瞳に冷気の嵐を宿した敵が、掌に魔力をためると、お返しとばかりに打ち返してきたのである。
「必殺、ジオダイン!」
「……っ! ぐああああああああああっ!」
自分が放った物より数段上の雷撃を貰い、ジェットは絶叫した。それは物理的な圧力さえ伴い、彼ははじき飛ばされて再び同じ木に背中を強打し、先以上の打撃に脳内が閃光に満たされるのを感じた。ミーディアムの守護と恵まれた体力により、何とか致命傷は免れた。だが今の一撃でアガートラームを不覚にも取り落とし、彼は投げ出されたそれに、飛びつくように手を伸ばした。殺気が真上から迫ってきている事に気づいた時には、既に遅かった。跳躍した敵が、翼を使って空中で一回転し、一気に加速、スパイク付きの靴で全体重を乗せ、アームにのばされたジェットの手を踏みつけたのである。鈍い音が、肉にスパイクが突き刺さる音が、骨がきしむ音が、いやに大きく少年の耳に届いた。同時に、雷火のような激痛がジェットの体を蹂躙した。
一瞬の虚脱の後、絶叫を上げる少年を冷徹に見やると、ナナミは翼を広げ、後方に一歩だけバックステップした。そして、顔を上げてこちらを見る少年の顔面に、翼で加速して威力を増した後ろ回し蹴りを叩き付けた。普段なら有効打になったかは疑問だが、少年は屈んでいる上に、全く無防備である。頬に無惨な赤い傷を残して、敵は横に吹っ飛んだ。ナナミはワルサーを少年に向ける。相手がまだ交戦の意志を捨てていなかったからである。
ナナミに余裕はない。軽めとはいえ攻撃魔法を貰い、更にそれによって物理ダメージまで併発したからである。彼女は物理攻撃に耐性が無く、見ため以上に先の一撃は利いている。しかも悪い事に、先ほど吸収した生体エネルギーの拒絶反応が、そろそろ我慢できないレベルになって来始めていた。
元々彼女は苛烈で容赦ない攻撃をするが、今回はそれに余裕のない精神状態が追い討ちをかけた。ブーメランを取り出そうとする敵の太股を、ナナミは容赦なく撃ち抜いた。そして顔を上げた少年の脇腹にも、弾丸がめり込んだ。致命傷にはならなかったが、大ダメージは免れない。それは計算尽くである。一撃目は逃げ道をふさぎ、二発目は確実なダメージを与える。これはナナミが少年の力を過小評価していないからで、より確実な勝利をねらったからであった。
蒼白な顔を少年が上げる。その表情を、ナナミは知っていた。至近で死の臭いを感じた強者が、今際の際に見せる表情だった。額の汗をぬぐうと、ナナミは言った。
「何か、言い残す事はあるですかぁ?」
「畜生……死んでたまるか……よっ!」
急速に体から抜けていく力、全身に広がる悪寒。ジェットはかってない程の至近で、死の臭いを感じていた。減らず口にも精彩を欠き、そして視界がぶれ始める。腹と足から流れ落ちる多量の血は、手当がなければ命が助からない事を彼に悟らせていた。
銃口が彼の額に向く。今交戦している相手は、体力と防御力に欠けるようではあるが、スピードは他の追随を許さず、それ以上に精密な射撃を得意としており、魔力は非常に高い。ヴァージニアがちょうどそういう相手であり、ラッシュ攻撃の凄まじさは及ばない物の、目の前のこの〈子供のような何か〉は充分に強かった。そしてこのとき、彼は自分の弱さを思い知っていた。
ヴァージニアは他に冠絶したスピードと高い魔力を持ち、精密な射撃と早撃ちは定評がある。特に彼女の必殺技となっているのが、ラッシュ攻撃である。一度に両手の拳銃から二十発もの弾丸を、しかも精密にたたき込む奥義〈ガトリング・ラッシュダウン〉と、脚力を生かし連続して上段下段に蹴りをたたき込む〈ファイネストアーツ〉は、見ていて怖気が走る程の威力がある。
またギャロウズはメンバー中最強の魔力を誇り、その力は圧倒的である。ミーディアムの力を自在に引き出し、魔法の威力なら、さっきジェットがもろに食らった〈ジオダイン〉という魔法にも劣るまい。多少頭は足りないが、頑強な体と、見かけによらず優れた精神力が、それをカバーし、補ってあまりあっていた。
そしてクライヴは、一撃必殺のアーム〈ガングニール〉を自在に扱うスナイパーである。その整理された緻密な頭脳と、精密無比な攻撃は恐怖すら呼ぶ。頭脳ばかりの頭でっかちかというとそうでもなく、必要とあれば率先して体を泥に浸す事が出来、それが彼の好感を呼ぶ要因の一つになっていた。
彼らに比べて自分はどうか。薄れゆく意識の中で、ジェットはそう思った。総合的に彼は優れているが、ただ総合的に優れているだけである。何一つ自慢できる所など無く、〈アクセレイター〉も奥義と呼ぶ程の威力はない。もしヴァージニアなら、スピードと精密射撃を生かして五分に戦えただろう。ギャロウズだったら、その魔力と体力を生かし、正面から敵の攻勢を受け止め得ただろう。クライヴであれば、冷静で緻密な戦略を立て、淡々と戦術レベルでそれを実行して五分に渡り合えたに違いない。何でも出来る、故に一番弱い。それが自分だと、ジェットは悟っていた。
銃口が、いやに大きく見えた。引き絞られる引き金も見えた。ジェットは薄れゆく意識の中で、自らの弱さを悟り、愚考を悔いていた。
彼の意識が落ちるのと、増援が割ってはいるのは同時だった。乾いた銃声が一発、そして弾丸が肉を切り裂く音が一発、森の中に響いた。
3,果てしない深みへ
ナナミがワルサーを撃ち放つのと、場に飛び込んできた影が少年を押し倒すのは同時だった。銃口から飛んだ弾丸は、その影の主、十七八くらいの少女の肩を貫き、鮮血をばらまいた。貫いたと言っても骨をかすった程度で、弾は抜けている。そして、ナナミの背後で、静かな声がした。
「武器を捨ててください」
ナナミの背後をとった声は、静かで、それでいて沈着だった。ナナミは言われるままにワルサーを地面に放り、両手を上げてみせる。それと同時に、そばの茂みから、がさがさと音を立てて、大きな男が現れた。
「クライヴ、間に合ったか?」
「ええ、何とか。 リーダー、ジェット君は大丈夫ですか?」
「うん……なんと……か。 つうっ!」
肩を押さえ、少女がナナミの後ろにいるクライヴと呼ばれた男に笑ってみせる。肩を抜かれた痛みで青ざめていて、それでも無理に作った痛みが痛々しい。唇が分厚い大男が、ナナミに殺気を向けた。だが、それを冷静な男が制した。舌打ちすると、大男は腰をかがめてワルサーを拾い、そして怪訝そうな顔をした。
「リーダー、あなたは大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫よ。 シトゥルダークで回復すれば、すぐに良くなると思う」
「好き放題にやってくれたなぁ、ガキぃ!」
傷ついた仲間の様子を見て、大男が吐き捨てた。彼は熱い魂の持ち主であり、仲間が怪我した時にはいつもと人格が豹変するタイプのようだった。ナナミの知人で言えば、稲葉正男に似ている。だが、殺気を叩き付けられても、ナナミは動じない。無言のまま、両手を上げている。
「ちっ、かわいげのないガキだぜ。 あの夢魔の仲間か何かか?」
「何にしろ、ジェット君をこうまで徹底的にたたいたって事は、ただ者ではありませんね」
「ギャロ! 無駄口たたいてないで、治療お願い! ジェットが、ジェットが死んじゃうよっ!」
「お、おう、すまねえ、今そっちに行く!」
大股でギャロと呼ばれた大男が歩き出し、そして何かに躓いた。後ろのクライヴが怪訝そうに視線をそちらに向け、その次の瞬間ナナミが行動に出た。跳躍し、翼を使って空中で反転したのである。真下に、一瞬の隙をつかれて動揺する男の姿が見えた。ナナミは自然にその後ろに降りると、首筋に触れ、魔力を解放した。
「よくも勝手な事を言ってくれたもんですぅ! 必殺、ジオダイン!」
「しまっ……!」
強烈な電撃を浴びたクライヴが竿立ちになる。彼は物理攻撃能力はメンバー内で最強だが、同時に魔法関係の能力はジェットにすら劣る。何とかミーディアムの加護で致命傷はさけたが、大ダメージはさけられない。数瞬の沈黙の後、彼は全身から煙を上げながら、前のめりに倒れた。ギャロウズがそれを見て、アームを〈子供のような何か〉に向けるが、引き金を引く事を躊躇した。彼は魔法戦闘能力こそ高いが、アームの腕は怪しげで、しかもアームを〈カッコよく〉改造した結果性能を落としてしまっているため、弾がどこに飛んでいくか分からない。今の状況で撃てば、クライヴに当たりかねないのだ。
「ひょっとして、自分の腕に自信がないんですかぁ? へっ、間抜けが」
「ガ、ガキィッ!」
ギャロウズがミーディアムの力を解放しようとするが、一瞬遅い。〈子供のような何か〉は残像を残して跳躍、ワルサーをギャロウズの左手から奪い返すと、連続して引き金を引きぼった。慌ててギャロウズが腕を交差させ、ミーディアムの魔力を利した防御壁を作る。弾丸が連続してそれに炸裂し、ギャロウズはその正確さに戦慄した。〈子供のような何か〉は素早く再び地を蹴り、ギャロウズの右側から鋭く回り込んでいく。その手に魔力の光が宿るのを見た巨漢は、自らももっとも得意とする魔法を唱え始めた。だが、それが発動する事はなかった。
「ギャロ、だめ。」
怪訝そうな顔をする〈子供のような何か〉の前で、沈痛な顔をしてヴァージニアが立ち上がった。そしてアームを地面に投げ捨てた。
「降伏する。 ギャロ、あなたもアームを捨てて」
「お、おいっ!」
「降伏する! その子、あなたと私が二人がかりでも、クライヴと三人がかりでも、簡単に勝てる相手じゃない! 倒せるかもしれないけど、その間にジェットは……! だから降伏して!」
ヴァージニアの顔を見て、ギャロウズは声を詰まらせた。油断無く銃を構える〈子供のような何か〉に、ヴァージニアは無理に笑顔を作って語りかけた。ギャロウズはそれを見ると渋々アームを捨て、両手を上げる。
「このままじゃあ、ジェットが死んじゃう。 だから……回復だけでもさせて。」
ナナミは少女の目を見た。その目には、彼女のパートナーと同じ物があった。背信は犯さない目。強い意志力に満ち、そして自らの道を行く事を望む目。やがてナナミは、静かに銃をおろした。
「武器、そして魔法を使うのに必要な媒体をすべて捨てる。 そっちも!」
「クライヴ、捨てて。 お願いだから……」
「リーダー……分かりました」
なんとか意識を取り戻したらしいクライヴは、ギャロの援護をすべく、ふるえる手でガングニールを構えていたが、諦めたように肩の力を落とした。ナナミはそれらをヴァージニアに拾わせながら、ギャロが回復魔法を発動するのを許した。青い光がジェット少年を包む間に、ナナミは少女にアームと呼ばれる武器や、魔法媒体を集めさせ、そしてリュックに詰め込んで縛らせた。
「もし……ジェットが死んだら、てめえ、絶対にゆるさねえからな!」
「人の食事中に、いきなり理由もなく攻撃してきた阿呆を返り討ちにして何が悪い! それとも、この地では気に入らない相手は好きに殺戮して良いとでも? ほら、行くですよぉ!」
思いもかけなかった返事に唖然とするギャロと呼ばれる男と、クライヴを残して、ナナミは銃を少女の背中に押しつけ、闇に消えた。やがて、その気配は周囲から失せ、静寂のみが残った。
暗い森の中、焚き火を挟んで、少女とナナミは座っていた。武具を詰め込んだリュックは、ナナミの側にあり、ナナミ自身はワルサーを手に持ち、少女から注意を逸らさない。しばらくは暗い無言が続いた。気まずい雰囲気であり、やがてそれに耐えきれなくなった少女が口を開いた。
「あの……ちょっといい?」
ナナミは応えず、視線だけを向けた。その額には汗が浮かび、顔色も悪い。拒絶反応が体の中で絶大な存在感を主張しており、精神には一片の余裕もないのである。しかし、それにしても普段の彼女ならへでもない程の事だ。それがこれほどまでに効いているのは、パートナーがいない事が大きいのだろう。
「大丈夫? すごくつらそうよ?」
「だから?」
突き放されて、少女は言葉を詰まらせた。再び言葉を彼女が発するまで、少し時間がかかった。
「私、ヴァージニア。 ヴァージニア=マックスウェルよ。 あなたの名前は?」
「……ナイトメア」
「そう。 ……あの、ナイトメアちゃん。 何でジェットにあんな事したの? さっき言った事は本当なの?」
「うそをついて、ナイトメアに何か良い事があるとでも?」
ナナミは基本的に冷たい娘だが、今は精神的に余裕が無い事が、それに追い討ちをかけている。胃の中はほとんど混沌の坩堝と化しており、常人ならとうの昔に昏倒している程の苦痛が彼女をむしばんでいた。青ざめ、額に手をやる彼女を、ヴァージニアが心配そうな目で見ている。
「ナイトメアちゃん。 状況を整理しても良い?」
「勝手にしろ。 ただし、不振な動きを見せたら撃ち殺すですよぉ」
ナナミがその言葉を実行する事は、ヴァージニアの目から見ても確かだったから、彼女は息をのみ、そして心を落ち着けて言葉を吐く。
「あなたがさっき、食事をしていると、ジェットが急に襲って来た。 だからあなたは全力でジェットを撃退した。 そう?」
ナナミは応えず、静かに頷いただけだった。調子がおかしいのは、焚き火を挟んだヴァージニアから見ても明らかである。
「だったら悪いのはジェットよ。 みんなを私が説得するから、武器を返してくれないかな」
「その手は食わない。 どうせ武器を返したら、全員で袋だたきにするつもりだろうが」
ヴァージニアは口をつぐんだ。ナナミの目が、追いつめられた者特有の、自暴自棄になりかけている独特の光を放っているのを確認したからである。この状態になると、どんなに頭が良くても、どんなに力が強くても、突発的に暴発する可能性があるので、非常に危険である。理屈や理性は通用せず、とにかく落ち着かせないと命が危ない。これ以上の説得は、現時点では無理だとヴァージニアは悟り、膝を抱えて口をつぐんだ。
「それにしても、ジェットには後できついお仕置きが必要だわ」
心中でそうつぶやくと、ヴァージニアはナナミに断って、木に背中を預けて眠り始めた。流石に長期間渡り鳥をしているだけあり、適応力はある。どこでも眠れるし、激戦粗食にも平気で耐える事が出来た。
話しかけてきていた相手が眠るのを確認すると、ナナミは緊張が解けるのを覚え、同時に激しい吐き気を感じた。拒絶反応が臨界点に達したのだ。
「ぐっ、ごほっ! げほっ!」
地面に手を突き、彼女は吐いた。ただし、戻したのは胃液だけだった。拒絶反応が起ころうと起こるまいと、せっかく入手した貴重な生体エネルギーを、ここで浪費するわけには行かないからだ。
先ほどの戦闘での消耗もあわせ、彼女の魔力はフルパワー時の二割程までに落ち込んでいる。再び空間に穴をあけ、帰還するには八割程の魔力を消耗すると計算は済んでいるため、とにかく今は力を蓄えるのが急務である。そして普段なら極めて容易なその行動が、ありとあらゆる悪条件のせいで、極めて困難なものになっているのだ。それはナナミを追いつめていた。本来なら信頼できる相手を疑っている事、相手に弱みを見せている事、それらがいかにナナミが精神的に追いつめられているかを如実に示していた。
ナナミはバックパックを探り、残っている装備を確認する。弾倉は二つしか残っておらず、両方とも通常弾である。リュックを開いて使えそうな武器を探してもみたが、そこに入っていたのは銃に似て銃ではない異界の武器であった。この状況でそれを使うのは危険すぎるし、弾丸は火薬でとばす仕組みにはなっていないため、ワルサーに適合しない。体がねじ切られるような苦痛の中、ナナミは空を仰ぐと、南条の事を思った。
「ダーリン……」
その声は、空に溶けて消えた。誰の耳にも届かず、虚しい響きとなって流れてしまった。
「くっ……」
「起きましたか、ジェット君」
「……俺は……いきてる……のか……? あいつは……ガキはどうした……?」
森の中、小さなジェットの声がした。ゆっくり目を開いた彼が見たのは、武装解除されたクライヴと、シトゥルダークのミーディアム以外の武装を解除されたギャロウズだった。癒しの力を持つシトゥルダークの力を注ぎ込んだため、ジェットの傷はきれいに消えていた。焚き火に薪を放り込みながら、クライヴは疑問に応えた。
「君は生きています。 そしてあの子は、リーダーを人質に、森の中に消えましたよ」
「あのバケモノ……」
「まだ動くな。 後一秒ヴァージニアが遅かったら死んでたんだぞ」
ギャロウズの言葉を聞くと、ジェットは舌打ちして視線を逸らしてしまった。彼がヴァージニアの熱くまっすぐな行動に助けられたのは、これがいったい何度目か、数えるのが不可能な程だった。不快でありながら、どこか嬉しく、恥ずかしかった。だからジェットは、自分の表情を見られないように、顔を皆から背けたのだ。無論そんな青臭さなど、クライヴはとうにお見通しである。しかし、今日はからかうよりも先に言うべき事がある。
「ところで、ジェット君。 君に聞きたい事があります。 いいですか?」
「……なんだよ」
「何で、あの女の子と戦いになったんですか?」
「……オークをミイラにしてた。 バケモンだって分かった。 だから撃った」
一瞬の静寂は、少年の言葉が理解できる物ではなかったからである。説明を促され、ジェットはクライヴに肩を貸して貰い、現場へと歩いていった。
そこには、無惨なオークの死体があった。ジェットは自分が見た事を語り、クライヴはゆっくり頷きながらそれを聞いた。そして、ギャロウズに言う。
「ギャロウズ君、どう思いますか?」
「力を根こそぎ啜られてやがるぜ。 たぶん、そいつはオークを食ったんだ。 十中八九人間じゃねえな」
「しかも、そいつは物陰にいた俺に気づいた。 だから……」
「ちょっと待った。 相手に敵意はあったんですか?」
笑顔のままクライヴが言い、怪訝そうにジェットが眉をひそめる。
「気色悪い事してたバケモンだぞ? 撃って何が悪い!」
「つまり、敵意を見せていないのに撃ったんですね?」
「ああ、そうだよ。 アームもおろしてたし、敵意はなかったんじゃないか?」
「要するに君は、相手が不審だからと言って、敵意も見せてないのに喧嘩を売り、実弾を放ち、しかもコテンパンにやられたあげくに、リーダーを危険にさらした。 そう認めるんですね?」
クライヴの冷静な言葉が終わったときには、ジェットは真っ青になっていた。
「あ……ええと……俺は……その……」
鈍い音が響いた。後ろからギャロウズが、ジェットの脳天に拳をたたき込んだのである。
「アホかお前はっ!」
「お、お前に言われたくねえっ!」
「ギャロウズ君、落ち着いてください。 もうたぶん、リーダーも事情を知ってると思いますから、これ以上のお仕置きは彼女にやって貰いましょう」
その言葉を聞いて硬直する少年に、素のままの笑顔を向けると、クライヴはゆっくり眼鏡をずり上げた。烈火のごとく怒るよりも、その方がよほど怖かった。
「それよりも、今大事なのは二つ。 状況を調査し、相手の正体を探る事。 それとリーダーの救出作戦の捻出ですね。 ジェット君、もう傷は良いでしょう。 周囲の戦いの痕跡から、相手が使っていた弾や、判断材料になりそうなものを探してきてください」
一も二もなくジェットは頷いた。少年は、本気で怒ったときのクライヴが如何に恐ろしいか、骨身にしみてよく知っていたのである。
ナナミは一睡もしなかった。この森は魔物の気配が多く、それに今は人質をつれているのだ。今まで彼女は、これくらいのハードな戦いを幾度も経て生き延びてきた。だが、今回は、妙に寂しく感じる。
「ん……」
目をこすってヴァージニアが身を起こす。そしてぼんやりと周囲を見回すと、ナナミの所で視線を止めた。昨日の事を思い出したようで、警戒感よりもむしろ哀れみが視線にはこもった。
「一睡もしてないの?」
「余計なお世話ですぅ」
「……体、おかしくなっちゃうよ?」
「へっ、お生憎様。 そんな柔な鍛え方はしてないですよぉ」
ナナミは言い捨て、立ち上がった。確かに、今すぐ倒れる程疲労している様子は無いが、追いつめられた目に変わりは無い。装備は劣弱、魔力はほとんど空に近い状態。疲労が目立つ程ではないにしろ、体力も落ち込み、頭脳に活力もない。昨日吸収したオークの生体エネルギーは、ようやく体になじんできたが、あの程度のエネルギーでナナミの魔力は補充しきれない。そして彼女は、このとき自分が久しぶりに、本当に久しぶりに減らず口をたたいたような気がして、慄然としていた。そこまで余裕がない状態だったのだ。やはり、帰るための力を蓄える事が、現在の急務だった。それが必要以上に心を駆り立てている。急がなければ、速くしなければ。それが冷静な判断力を奪っていた。
しかも、完全に力を補充しようと思えば、それなりに強力な獲物を、この状況でありながら数体は屠らねばならないだろう。それには想像を絶する拒絶反応が予測され、時間をかけてやらないと命が危ない。
或いは完全に安全な場所を確保し、異質なマナをゆっくり体に慣らし、じっくり力を蓄えていくしかない。それにはおそらく数ヶ月もの時間がかかるだろう。
それらが如何に困難かは、誰の目から見ても明らかであった。
ここで特筆すべきなのは、ナナミに人間の町を襲撃して生体エネルギーを稼ぐ気が無い事だろう。それをもしやったら、彼女は南条に合わせる顔が無くなる。昔だったら躊躇無く選んでいただろうその選択肢を封印しているのは、ナナミが如何に南条から大きな影響を受けたかを示していただろう。ただし、ジェットにやったように、襲撃してきた相手に容赦をしないのは相変わらずであったが。
リュックを背負うようにヴァージニアに促し(勿論リュックの口はきつく縛り、前を進ませる)ナナミは歩き始めた。彼女にヴァージニアをどうこうしようと言う気はなかった。無論逃亡を図ったりすれば即座に射殺するだろうが、今の時点で傷つける意志はない。それは、無意識的な行動だった。ヴァージニアの目に、ナナミは、南条の目と共通する信念の光を見たのである。しかし、意識的には、どうしても行動する事が出来なかった。それほどまでに、少女の姿をした悪魔は追いつめられていた。ヴァージニアにリュックなど背負わせているのがその如実な例だ。体力を温存するためもあったのだが、今は良くても、もし敵が追撃してきたら限りなく不利になる。
妄執と執念は、力を確かに与える。だが同時にそれは、確実に冷静な判断力を奪うのだった。
4,泥沼の底へ
クライヴを初めとする三人は、ヴァージニア救出計画を練りながら、同時に敵の分析を始めていた。ジェットは〈子供のような何か〉が捨てた弾倉を発見し、ギャロウズはいくつか落ちていた弾を拾ってきた。それらを渡され、クライヴは何かを考え込む。ギャロウズが、逞しい指先を顎に当てながら、知性あふれる友に語りかけた。
「どうだ、何かわかりそうか?」
「ええ、だいたい分かりましたよ」
クライヴは、二人に座るように促した。ジェットは不満そうに頬杖をつきながら胡座をかき、ギャロウズは朝食代わりに炙った干し肉を囓りながらゆっくり座る。それを見届けると、クライヴは眼鏡をずり上げた。
「まず第一に、この弾丸ですが、アームの物じゃありませんね」
「あん? だったら何だよ」
「弾丸を発射するのに、火薬を使っているようです。 形は同じでも、全く異質の武器ですよ、これは」
思わず手を止め、ギャロウズが押し黙った。
「つまりあのガキは……」
「少なくとも、魔族の類ではありませんね。 たとえ魔族だったとしても、かって戦ったジークフリードやベアトリーチェとは、無関係でしょう」
魔族とは、この星の住民の先祖(正確にはその一部)である。かってヴァージニアらが銃火を交えた魔族の騎士ジークフリードは、その長だった。アームは元々魔族の武器であり、人がそれらを扱えるのは、魔たる者達の子孫だからなのである。
「じゃあ、いったい何者だ?」
「正体は不明です。 分かっているのは、強い、という事。 理性がある、という事。 そして、追いつめられている、と言う事ですね」
「何故そう思う?」
「ジェット君の話、それに僕達全員に攻撃されたときの行動から分析して、あの子は相当に頭が切れると言えます。 しかし、冷静さが無い。 去り際の言葉、覚えていますか?」
ギャロウズが考え込み、そして〈子供のような何か〉の口調を思い出した。確かに、怒り以上に苛立ちが溢れていたような印象を受けた。それも、致命的な苛立ちが。
「確かに苛立ってたな。 でもあのガキ、何をあんなに苛立ってやがったんだ?」
「……これは僕の仮説ですが、彼女は並行世界の住人ではないでしょうか」
並行世界の説明をすると、クライヴは話を核心へ移した。
「不意に別の世界に来てしまった彼女。 当然困惑するでしょう。 似ているとはいえ、異質の世界に来てしまったわけですし、それで元の世界に思い入れがあればなおさらです。何があろうと帰ろうと思うでしょう」
「……」
「ここで問題なのは、追いつめている原因の一つが我々だ、という事。 そして、早めにリーダーを救出しないと、彼女が危ない、と言う事ですね」
ジェットが視線を落とし、小さく舌打ちした。ギャロウズがそちらへ一瞬だけ視線を向けたが、すぐにクライヴの方へ戻した。
「成る程、だいたいは分かったぜ。 後はどうやってヴァージニアを助けるかだな。 しかもあのガキは出来るだけ殺さないようにしてやろうぜ。 ガキとは言え、レディに手を挙げるのは俺としても気分が悪い」
「あのガキ、相当に強いぞ。 速いし、魔力もあるし、しかも頭も切れる。 巧い手はあるのか?」
「そうですね。 僕に後ろをとられたとき、彼女があっさり武器を捨てたのを覚えていますか? それにジェット君、君の話では軽いアルカナ(魔法の事)を浴びせた時、以外に強烈なラッキーパンチになったと言う事ですが?」
回りくどいクライヴの言葉に、ジェットが鷹揚に頷いた。
「つまり、彼奴の弱点は?」
「ずばり物理攻撃に対する耐性のなさ、そして体力が貧弱な事、この二つでしょうね。 僕に背後をとられた時、彼女はあっさり武器を捨てました。 これは一撃でもアームの攻撃を浴びたら、ひとたまりもなかったからでしょう。 ジェット君、君の攻撃が効いたのは、おそらくアルカナによるダメージではなく、木に叩き付けられた衝撃が彼女には大きかったんでしょう」
そういわれてみれば、ほんの少し銃火を交えただけのギャロウズにも、思い当たる節があった。
「そういやあいつ、俺の攻撃を、お前さんを盾にして凌いでたな。 ……魔法戦の能力じゃ、たぶん俺でも勝ち目は薄いが、徹底的に物理戦闘に持ち込めば……」
「いや、そこまでしなくても、何とかなるでしょう。 ジェット君、このあたりの地図を見せてもらえませんか?」
クライヴが、自分の事をほぼ百パーセントの精度で洞察した事など無論知るよしもなく、ナナミは森を出るべく急いでいた。先を歩くヴァージニアは不満一つ言わず、数時間が過ぎ去った。
「ねえ、ナイトメアちゃん」
沈黙に耐えきれなくなったらしいヴァージニアが、歩きながら言った。ナナミは何の反応も示さず、ただ歩くように促す。吐息すると、またヴァージニアは歩き出し、暗い沈黙が続く。沈滞した静が、不意に動へと移行したのは、そのときだった。
「横!」
後ろからかけられた声に、ヴァージニアは横へ跳ねた。修羅場をくぐってきている少女は、ほぼ同時に殺気を察知していたのである。一瞬前までヴァージニアがいた地点が、見えない何かに叩き潰されてへこみ、轟音が響く。飛びずさったヴァージニアは、腰に手をやるが、アームがないのに気づいて舌打ちした。
一方で、ナナミは落ち着いた物である。前方の茂みをかき分け、現れる何かを微動だにせず凝視している。それは大きな魔獣だった。ヴァージニアの二倍程も背丈があり、小山のような巨体には鋼のような筋肉がからみついている。しかも、魔法を使う事も出来るようである。
ゆっくり一歩を、ナナミが踏み出す。そして魔獣も、一歩を踏み出す。両者の間に満ちる殺気が徐々に高まり、やがて爆発した。
先に仕掛けたのは魔獣だった。彼がほえると、無数の魔力弾が中空に発生し、光の尾を引きながらナナミに向けて飛んだ。轟音が連続して発生し、木がへし折れ、高熱の直撃を受けて燃え上がる。ナナミは走り、紙一重でいずれをもかわすと、側面へと回り込み、三発連続でワルサーの弾丸を撃ち放った。いずれも弾丸は魔獣に炸裂し、だが効果を示さない。興奮した魔獣は、一声吠えると、ナナミに向け突進した。
鋭い爪が、空をなぐ。それはナナミをとらえる事がなかったが、続いて繰り出されたしっぽは的確に迫る。舌打ちして跳躍する少女の姿をした悪魔を、無数の魔力弾が追った。七発の魔力弾の内、五発をナナミはかわした。だが残りの二発は、想像を絶する精度を持って、彼女を直撃した。大きく吹き飛ばされたナナミは、地面に叩き付けられ、更に飛来した数発が周囲に爆発と煙を振りまく。とどめを刺そうと巨大な魔力弾を発生させた魔獣が、体重の乗った蹴りを浴びてよろめいた。体勢を整えたヴァージニアが、片足を軸足にすると、得意とする蹴りを魔獣に叩きんだのだ。続けて、嵐のような連続蹴りが、至近から魔獣に浴びせかけられた。その破壊力、まさに嵐が如し。
「はああああああっ、必殺! ファイネスト、アーツ!」
「グガアアアアアッ!」
大きな悲鳴を上げて、魔獣が倒れる。だが、ヴァージニアにも余裕はない。凄まじいラッシュ攻撃は当然凄まじい集中と体力を必要とし、技を放った後は反動で体が言う事を聞かなくなる。ましてや今は、丸腰でいつもより力が落ちているのだ。倒れ、だが死なぬ魔獣。焦りの表情を浮かべるヴァージニアのすぐ横を、極太の雷撃が、空にスパークを残しながら通り過ぎていった。それは魔獣を直撃し、一撃の下生命を破壊し尽くした。
「余計な事を。 今度やったらぶっ殺すですよぉ」
煙の中から、ナナミが現れた。彼女は半ば計算尽くで攻撃を受けたのである。ただ、威力は殺しきれず、地面に叩き付けられて大きなダメージを受けたが、この魔獣から得られる生体エネルギーはそれを補ってあまりあるはずだった。ナナミがびっこを引いているのを見て、ヴァージニアはやりきれない気分を味わった。相当に無理をしている事が、彼女にはすぐに分かったからである。
ナナミはヴァージニアの横を無言で通り過ぎると、魔獣の死骸に手をつき、生命力を啜り尽くした。見る間にミイラになっていく巨体を見ながら、ジェットが何故ナナミを攻撃したのか、ヴァージニアは悟った。
「……何してるの?」
「食事。 どういう風に栄養を摂取しようと、文句を言われる筋合いはないですけど?」
「それ……食事なんだ」
「死体を切り刻み、灼き、ゆで、粉々にかみ砕いて栄養として摂取するのが、内部のエネルギーを採取して吸収する事より、どのように高尚だというんですかぁ?」
その言葉を聞き、ヴァージニアは言葉を詰まらせる。そして視線を逸らし、素直に謝罪した。
「ごめんね……一瞬でも、誤解しちゃって」
「自分の観念にあわない存在は容赦なく殺戮し、正義を誇る。 それが人間。 もう数限りなく見てきたから、別に気にしないですよぉ」
「……!」
流石にその言葉には、ヴァージニアも我慢がならなかった。ナナミの言葉には、一人だけ例外がいたのだが、無論ヴァージニアはそんな事など知らない。
「ちょっと待って! それはいくら何でも偏見よ!」
「じゃあ何故ナイトメアは、ヴァージニアお姉ちゃんの部下に攻撃されなきゃならなかったんですかぁ?」
「あれはジェットがバカだったからよ! みんながあの子みたいにバカな訳じゃないわ!」
このとき、その場にいないジェットが、何故かくしゃみを連発していた。そして無闇に腹が立ち、近くの木を殴りつけ、痛がっていた。当然、本人はその理由を知らない。
「自分の部下をバカ呼ばわりするのはやめる事です。 それを教育するのも指導者の立場ですよぉ」
「ジェットは仲間よ! 部下じゃない! そりゃああの子は少しバカだけど、悪い子じゃないわ! 後で責任を持ってあなたに謝らせる! だからもうこんな事やめようよ!」
「黙れ。 賊が何を言うか」
ナナミは銃を向けなかった。ただその瞳は冷徹で、静かにヴァージニアを見据えていた。ヴァージニアを信用していない(出来ない)事もあったが、最大の理由は、案の定拒絶反応が始まったからである。最初にオークの生命力を吸収した時程ひどくはなかったが、それでも体がねじ切られるような苦痛は変わらない。冷静さが徐々に喪失していき、混沌とした感情がそれに代わっていく。
普段だったら、ナナミはここで巨大なリスク覚悟に生命力を吸収する、などと言う事はしなかったはずだ。確実な未来の利を得るために、今の小利を捨てた事だろう。だが焦りと、疲弊した精神が、その決断をさせなかった。そればかりか、普段ならあり得ない安易な行動に、狡猾で冷徹な優れた知性を走らせたのである。
「私は賊じゃない! 渡り鳥よ!」
「食事中の相手を偏見から問答無用で攻撃し、実弾を放ち、生命と人生のすべてを奪おうとする。 そのどこが〈渡り鳥〉の行動ですかぁ?」
「だから、これは誤解から生じた事故だったのよ! ……ちょっと、ナイトメアちゃん! 大丈夫!?」
「寄るなっ!」
ナナミが片膝をつき、既に彼女に対する偏見を無くしているヴァージニアが走り寄ろうとした。だがナナミは素早くワルサーを抜き、ヴァージニアに向ける。疲弊した精神に、前よりマシとは言え強烈な副作用、これらの連係攻撃に、ついに体の方が耐えられなくなったのである。そしてそれは、道連れにする形で、精神を極限まで追いつめた。凶悪な、それでいて統合性のない殺気。追いつめられた者が放つ、自暴自棄の殺気。それを感じたヴァージニアは、体がすくむのを感じた。
「……森を出る。 さっさと行く!」
通じかけた心はまた閉ざされてしまった。事態は、回避し得ない破滅に向け動いているようだった。
5,地獄の底の先にある物
「見つけたぜ。 お前さんの予想通りだったな」
森の中で、ミーディアムを持ったギャロウズが、一人呟く。これは独り言では無く、ミーディアムの力を使って交信しているのだ。これは生まれながらに優れた魔力を持つ彼ならではの技であり、チームの他のメンバーにはまねが出来ない。
「どんな痕跡ですか?」
「でけえ魔獣の死体だ。 カラッカラにひからびてやがる」
「それはまずいですね」
「あん? なんでだ?」
「その戦いで手傷や、何かしらのダメージを負っていれば、ますます彼女は追いつめられます。 暴発する前に抵抗力を奪わないと、リーダーが危険ですね」
舌打ちすると、ギャロウズは交信を切った。周囲に激しい戦闘の跡が残っていたからである。これは明らかに、勝った方も無事ではすまなかったであろう。
クライヴとジェットは、既に予定通りに行動を開始しているはずだ。唯一手元に残された、水の力を持つシトゥルダークのミーディアムにギャロウズが心を向けると、それは優しい波動を返してきた。
「……難しいもんだよな……理解しあうってことはよ」
顔を上げると、ギャロウズはゆっくり歩き始めた。作戦始動のため、予定の地点に向かうためである。
そこは小高い崖を背後に望む場所だった。崖を背中にすると、ナナミは腰を下ろす。額には汗がびっしり浮かび、顔色も青い。だが、眼光だけは、煌々と輝いていた。
体の回りにスパークが時々伝っているのは、彼女が回復行動を行っているからである。略奪した生体エネルギーを、体に作り替えているのだ。回復魔法を使えない彼女は、こうやって回復するしかない。大気中のマナを吸収する事も出来るのだが、異質なこの地のマナを吸収したら、生体エネルギー以上の拒絶反応に襲われる可能性が非常に高いのだ。弱った今の体でそれをやれば、十中八九待っているのは死だ。そして彼女は、死ぬわけにはいかないのである。
ヴァージニアの視線が、哀れみを帯びた視線が注がれている事にも、ナナミは気づいていない。その瞳には、哀れみと同時に罪悪感があった。だが、それに事態を好転させる力はなかった。
無意識的とは言え、奇襲を受けにくいこの地点を休憩場所に選んだのは、ナナミらしい行動であっただろう。現在、彼女の脳は普段の半分も稼働していない。側にいるべき者がいない。その者のおかげで、ナナミは強くなれた。だが同時に、彼女は弱くもなったのである。
拒絶反応は、かろうじて収まり始めていた。だが、締め付けられている精神、悪化し続ける状況に代わりはない。魔力は何とか三割弱にまで回復したが、まだまだとても足りはしない。後にナナミはこのときの精神状態を振り返り、自分がこれほど弱かったとは、それまで知らなかったと漏らしたものだ。そしてそれが終わるときが、間近に近づいていた。
〈子供に見える何か〉が顔を上げる。そしてそれを遠望したクライヴは、交信してきているギャロウズに、作戦始動のゴーサインを出した。近くにいるヴァージニアに、水流が当たらないように気をつけねばならないが、それはギャロウズの腕前に期待するしかない。
夕日が、赤い糸を引きながら、地平の彼方へ沈んでゆく。その内の一本を、クライヴは鏡に移し、〈子供のような何か〉へ向けた。鈍磨しているとはいえ、相当の使い手である相手は、すぐにそれに気づく。
続いてジェットが行動に出た。森を走り出ると、アクセレイターを発動する。その右手には、道ばたで拾った小石が握られていた。周囲の光景が、糸を引きながら後方へ流れてゆき、そして彼は間を一気に侵略していた。
流石に〈子供のような何か〉の対応は非常に速かった。今の光が、この攻撃のための陽動だとすぐに悟ったのである。ジェットにアームのような武器が向けられ、容赦なく引き金が引かれる。少年がもしアームでの攻撃をしていたら、額に風穴をあけられていただろう。しかし彼は、半ば当たればいい程度の気持ちで、小石を投げつけただけだった。そして、すぐにまたアクセレイターを発動し、飛び来る弾丸から逃れる。しかし中途半端に発動したため、途中でつんのめって地面に転がった。小石をぶつけられた〈子供のような何か〉は、小さく声を漏らし、ジェットの後を視線で追いつつ、次の攻撃に備えて神経を張りつめる。
「しまった……!」
彼女の目に、地平の果てに浮き上がる巨大な亀の神獣が映った。それは巨体をふるわせると、巨大な水の柱を生み出し、指向性を持たせて、敵に向け投擲した。これぞミーディアムに封じられた水の神獣シトゥルダーク。その下で、力を完全解放したギャロウズが叫んだ。
「しなねえ程度に、適当になっ! シトゥルダーク!」
雷の魔法と、水の魔法は基本的に極めて相性が悪い。雷撃の魔法を発動するが、陽動を二回も重ねての不意打ちと言う事もあり、しかも相性の悪さもある。それは水圧を相殺する事かなわず。〈子供のような何か〉は大きくはじかれ、崖に叩き付けられた。容赦ない圧力に、骨の鳴る音が響く。彼女にとっては、致命傷に近い打撃であり、意識を奪うには充分だった。
「……っ!」
短い悲鳴を漏らすと、〈子供のような何か〉は地面に落ち、数秒の停止の後ゆっくり前のめりに倒れた。ギャロウズが指を鳴らし、勝ち誇って叫んだ。
「おうし、パーペキ!」
「ご苦労様でした、ギャロウズ君、ジェット君。 リーダーは無事ですか?」
森から出てきたクライヴが、倒れているジェットと、ギャロウズに声をかける。そしてヴァージニアの無事を確認し、人好きのする笑みを浮かべた。
「ご無事で何よりです、リーダー」
「……ありがとう、助けてくれて。 ところで、もう一つお願いがあるんだけど」
「その子を助ければ良いんですか?」
図星を突かれて、ヴァージニアが唖然とするが、頭をかきながらクライヴは苦笑した。
「まあ、あれからこっちでもいろいろあったんですよ」
「ふーん、そうなんだ。 それはそうとねえ、ジェット」
笑顔のまま、ヴァージニアはジェットに歩み寄った。そして腰をかがめて、少年に顔を近づける。
「な、なんだよ」
「うふふふふー。 ありがと、助けに来てくれて」
柄にもなく真っ赤になるジェット。しかし、話はそれだけでは終わらなかった。笑顔のまま、ヴァージニアは拳を固め、ジェットの脳天にそれを浴びせたのである。たわいもなく地面にのびたジェットに、手を払いながらヴァージニアは言った。
「で、お礼おしまい。 今度はお仕置き。 今回の件の処罰を言い渡します。 ジェット、あなたは今月お小遣い抜きよ」
薄れゆく意識の中、ジェットはヴァージニアがリーダーで本当に良かったと思った。もしクライヴがリーダーだったら、世にも恐ろしい処罰が待っていたのは確実だったからである。ふてくされた、でも安心した少年が、ぶつぶつ言いながら立ち上がるのと、倒れていた〈子供のような何か〉の指先が動くのは同時だった。
「バカ、止めろっ!」
ギャロウズが叫ぶ、その声が薄れゆくナナミの意識の中で響いた。戦う意志など無い。賊に捕獲されたら何をされるか分からない以上、自分で命を絶とうと思ったのである。極限まで追いつめられた精神が、その最悪の決断を是としてしまったのだ。ギャロウズが叫んだのは、その意図を悟ったからに間違いなかった。ナナミがこめかみに銃口を向け、引き金を引く。聞き慣れた音と共に、弾丸が発射された。
「ダーリン……」
そのつぶやきを最後に、ナナミの意識は闇に落ちた。
6,帰還
「本当に良いんですかぁ?」
「良いって事よ。 こうなったのもなんかの縁だし、気にするなって」
一月後。ナナミが最初にファルガイアに来た地点に、彼女はいた。すっかり魔力は回復し、しかも空間の穴をあける作業に、ギャロウズが協力を申し出たのである。
今際の際、ナナミの自殺を止めたのはジェットだった。アクセレイターを使い、ワルサーを奪い取ったのである。弾丸は発射されたが、ナナミの髪の毛が数本ちぎられるだけで終わった。
ナナミが目を覚ましたのは数日後であった。彼女の枕元で、正式にヴァージニアは謝罪した。最初はまだ軋轢もあったが、元々灰汁の強い者どうし、彼らは以外に速く馬があった。ナナミは焦りが原因で負けた事で、踏ん切りがついたようで、同時に精神が落ち着きを取り戻した。そして体力回復もかねて数度の冒険に協力した後、正式に帰る事にしたのである。
空間の穴が、中空にあいていく。それは、ナナミとギャロウズが予想したよりも、遙かにあく速度が速かった。五人が見守る中、穴は安定し、空気が中に流れ込み始める。
「どうやら、向こうで呼んでる奴がいるみたいだな」
「じゃ、行くですよぉ。 世話になったです」
ようやく帰れる。ナナミは目を細め、穴を見た。はやる心はやはりあった。だが、それをねじ伏せて、いつものように落ち着いてみたら、意外と楽に活路は開けたのだ。
「こちらに来る事があったら、また遊びに来てくださいね」
「今度は、きちんとジェットに言っておくわ。 さよなら」
「……来るなら勝手にしろ」
「ま、そういう事だ。 じゃな!」
別れの言葉を言う、ヴァージニアらに手を振ると、ナナミは空間の穴に身を躍らせた。彼女にとって自分の弱さを知る事が出来た、という意味で実り多く、それ故にもっともつらかった冒険の一つが、これにて終わりを告げた。
「成功ですわ!」
ペルソナ・ニケーを使い、空間に穴をあけようと試みていた桐島が言った。その声に反応するように、南条が飛び起き、魔法陣に歩み寄る。その中央に、暗い穴があき、鈍い音が響き始める。周囲にいた稲葉正男と、黛ゆきのも、走り寄ってきていた。
「成功したって?」
「しっ! 稲葉!」
黛に言われ、慌てて稲葉は一歩下がった。十日とはいえ、ナナミがいないあいだの南条の落ち込みは見られたものではなく、何をやっても精彩を欠いていた。如何に彼にとって、ナナミが大きな存在であるか、誰の目にも明らかだった。だから、今の南条は、精神のすべてを魔法陣に向けている。邪魔をしたら悪いと、黛は言ったのである。
やがて、空間の穴が、何度かの脈動の末に安定し始めた。それにあわせ、風が穴から吹き込んでくる。
南条の目に、懐かしい者の姿が映った。その者の名を呼びながら、南条は走った。呼ばれた者も顔をほころばせ、穴から飛び出すと、走った。二つの影は、見る間に距離を縮め、互いを抱きしめる。再会は、ここに果たされたのであった。
(続)
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