黄の大輪

 

序、草原の黄色

 

車いすは不便だ。

別に生まれついて足が悪いわけでは無い。ただ、ちょっとばかり大きな事故をしてしまった。しばらくは車いすで暮らせと言われて、そうしている。

最近は原動機付きのもあるが、メンテナンスが大変だし、何より高い。

少しの間我慢するだけで良いからと、医者はなだめるように言った。事実その通りなのは分かっている。

だが、どうにも我慢が出来なかったのだ。

道路のガードレールから身を乗り出して、見る。草がまばらに生えた下り坂の先に、緑豊かな草原がどこまでも広がっている。その先には小さな林。行きたいのは更にその先になる。

この草原は、車いすでは入れない。だから、背負って貰うか、担いで貰うか、どちらかしかなかった。だがどちらもプライドが許さなかった。

しばらくは、遠くから見つめるしか無かったのだが。もうすぐ、車いすでは無くて、松葉杖で来られるようになる。松葉杖でも、この緩やかな坂を下りるのはかなり難しいのだが、そうなれば歩いて行けるようになる日も近いでは無いか。

風に飛ばされそうになった麦わら帽子を押さえる。そろそろ、髪を切る時期だろう。理由はよく分からないが、ここのところ髪が伸びるのが早くて仕方が無い。ぼんやりと向こうを見ていたら、無粋な声に邪魔をされる。

「君、誰?」

応えない。

そのまま、東野花梨は車いすを押して、その場を後にした。

声は追ってこない。それで良い。

ここは、孤独を楽しむための場所だ。彼処には、誰も近寄らせない。

誰にも秘密の花園はあるものなのだ。

 

車いすの女の子は、無言のまま行ってしまった。

黒いカラスの羽みたいに美しい髪に、白いワンピース。麦わら帽子と、それを押さえるきめ細かい肌の小さな手。

目は大きくて、顔の造作も小作りに整っていた。ただし、表情が氷のように冷たかったが。

見れば見るほど、同じ生き物なのか疑問になるほど美しい女の子だった。男子から好感を持たれる女子と、同性から好かれる子はタイプが違うが、どちらかといえば前者に思える。

この辺りの地主から、時々西島滝は頼まれて、草原の手入れに来ている。主にスズメバチとかがいないかを確認したり、ぼうぼうになった草に目星をつけたりするのだ。草刈りは電動草刈り機でばっさりやるし、木立に巣くったスズメバチとかは専門の業者に対処を依頼する。

この草原は、土壌が豊かだから、放っておくとあっという間に草が人の背丈を追い越す。そうなると、視界が塞がれることもあって、危険なのだ。しかもこの辺りはもう市街地からも結構距離がある。熊は流石に出ないが、野犬が住み着くこともあって、そういう場合にも早めに保健所を呼ばないと危ない。

あの女の子、一人で来ていたのだろうかと思うと、心配になる。タオルで額の汗をぬぐいながら、腰につけた水筒からミネラルウォーターを呷る。少しばかり日差しがきつくなってきている。同じ麦わら帽子なのに、どうして向こうは女の子の良さを際立たせるアイテムになり、こっちは農作業用の道具になるのか。よく分からないというか、不公平な気がする。

しばらく歩き回って、だいたいの状態は把握できた。

緩やかな傾斜に石があったので、腰を下ろす。ひなたぼっこしていたカナヘビが、茶色い体をくねらせて逃げていった。ごめんねと呟くと、状態を頭の中で整理。特に困ったものはない。

後は人数を入れて、手入れをするだけだ。人数と道具類の計算は、すぐに頭の中で出来た。

何カ所か、道路から降りられる場所がある。帰りは其処から逆に上がる。

さっきまでの爽やかな太陽の日差しは、むしむしとした地獄の暑さに変わっていた。半袖長ズボンで来ていた滝は、軍手を外して顔を仰ぐ。どうせ、化粧したところで整いようが無い顔だ。あまり気にならない。

まあ、流石に最近は、ショートヘアにしていても、ばかでかくなる一方の胸もあって男の子と間違われることは無くなったが。

少しは女の子らしいこともしたらと、周囲からは言われる。

だが、元々実家が整備工場と言うこともあって、昔から油にまみれていた。むしむしとした環境では、化粧も何も無い。今更女の子らしいと言われても、困ることも多いのだ。

かといって、全く興味が無いというわけでも無い。

実際、女の子しているさっきみたいのを見ると、いいなあと思うことがある。要は、何かしらのきっかけが無いのかも知れない。

近くの駐輪場に預けてあるマウンテンバイクを引き取ると、家まで一気に飛ばす。さっきの子はいないかなと思って無意識に視線で探したが、どこにも見当たらなかった。小さな街だが、滝の家は線路を挟んだむこうがわだ。線路を境に、色々としがらみがあるのが鬱陶しい。学校も、丁度それで学区を別けている。

だから、街の半分は、滝にとっては通り過ぎるだけの場所だ。

線路を越えて、やっと古巣に戻ってきたと思える。少し長いゆっくりとした坂を上がり、途中で足を止めて、見下ろす。さっきまで仕事をしていた草原は見えないが、街は半分くらいが見渡せる。

田舎町だけあって、高層ビルは少ない。まだ彼方此方に点在している畑と、小規模な林。それ以外は、殆どが作りがふるい民家だ。中にはとんでもなく大きな屋敷もある。大名の屋敷も、昔はあったのだ。といっても、城では無くて屋敷である時点で、藩はさほどの規模では無かったらしいが。

発展から取り残されたようなこの町だが、空気は美味しいし、嫌いでは無い。時々電車で都会まで出かけるが、空気はまずいし人は多いし、何より車がたくさんいて嫌だ。整備工場だけで、車を見るのは充分である。

もう少しだと言い聞かせながら、坂を上る。

頂上まで上がりきると、後は風を切って降りるだけなので、とても楽だ。そればかりか、気持ちが良い。この山を越えると、もう少しで依頼主の家である。そこで報告を済ませて、アイスでも驕って貰うとしよう。

山道だからか、木立に日差しが遮られて、とても涼しい。しかも風を切って自転車を飛ばすのだから、最高だ。

しばらく、無言で風を楽しむ。これも、役得の一つだろう。

夏はあまり好きでは無いが。

この坂を下りる瞬間だけは、好きだった。

 

日差しを浴びて、精一杯に存在感を主張する、大きな黄色。

ひまわり。

大きなものになると、二メートルを超えるものもある。実はこの国ではあまり無いが、ひまわりは海外では食用になる事も多い。

もう、誰も手を入れに来なくなったこの小さな敷地だが。

それが故に。今は、ひまわりの楽園になっていた。

太陽に向けて、背を伸ばす無数の黄色い花。

ここは、ひまわりの場所だった。

 

1、転校生

 

ド田舎の中学校だから、転校生はとても珍しい。学校の生徒も百名程度と稀少だし、ましてや不釣り合いに美しければ、なおさら妙な噂にもなる。

あの子だと、滝は思ったが。周りの男子生徒は、彼女を見るなり目の色を変えていた。美しい黒髪の古風美人である。その上、相手を凍り漬けにするような、全てを拒否する視線が逆に興味をそそるのだろう。その上足に怪我をしているらしく、松葉杖での登場だ。色々と興味を引く要素が多すぎる。

改めて見ると雪女みたいな子だと思ったが、口にはしない。

「東野花梨です。 よろしく」

四苦八苦しながら、彼女は松葉杖を突いたまま黒板に名前を書く。ただしその間、一度も担任も含め、他人の助けは借りなかった。

授業が終わると、当然周りには人だかりが出来た。冷酷そうな見かけとは裏腹に、きちんと質問には一つずつ答えている。男子よりも女子の方が積極的に、彼女を取り囲んで質問攻めしていた。

足は事故によるものだそうだ。事情は話してくれなかったが、かなり大きな事故に巻き込まれたらしい。ただ、人死には出ていないのだとか。

まだ松葉杖をついているが、既に学校に行くことは問題ないと言われているという。足もまもなく完治する見込みだそうだ。

それならば、まあ、どうにかなるか。

学業については、全く問題ないそうだ。実際、次の授業で難しい英文をすらすらと読んで見せた。発音は完璧で、英語教師が驚いていたほどである。

「何あの子、スペック高っ!」

「運動は苦手らしいけど、すごいね。 超もてそう」

女子の悪いところは、本人がいなくなるとたちまち陰口大会をはじめるところである。

ぼんやりと聞いていた滝も、当然話が耳に入る。あまり気分は良くないが、女子のコミュニティは悪い意味で繊細だ。ちょっとしたことでつまはじきにされ、或いはあっという間にコミュニティから排斥される。

これがエスカレートすると、いじめに発展する。男子の暴力的ないじめと違い、精神を痛めつける陰湿なものに、だ。

まあ、この辺りは本能みたいなものだから仕方が無いと滝は思っている。どのみち、学年ごとに一クラスしか無いような学校なのだ。そんなことを気にしていたら、やっていけない。

「タキ、あの子の事何か知らない?」

「のっぱらでバイトの時、見かけたよ」

「例の草むしり?」

「そうだよ。 牧羽のおじいちゃんの方のね」

流石にコンビニやファーストフードでのバイトは認められていないが、ちょっとした小遣い稼ぎ程度だったら、学校では黙認されている。実際、一回のバイトで入る収入は、千円から二千円程度だ。

今のご時世、整備工場は好景気とは言えない。だから滝は、家計を助けるために少しばかり小遣いを自分で稼いでいる。高校に進学する来年からはもう少しバイトの規制が緩くなるので、小遣い稼ぎを増やして、両親への負担を減らす予定だ。

草むしりも、二種類やっている。といっても、近所の牧羽老人のは、草むしりの前の事前調査というのが正しい。足腰が弱くなってきている老人なので、そもそも自分の土地まで行くのがつらくなっているらしく、近所に住んでいる滝に声が掛かったのだ。もう片方のは、近くの地方私立大学敷地内にある小さな野球場の草むしりで、こっちは本当に草を延々と引き抜き処分することになる。

面白いことに、重労働なのに、お小遣いは後者の方が安い。現物支給になることもあるので、ちょっとがっかりすることもあった。だが、安いのは承知でバイトしているので、文句も言えない。

「あんたも良くやるよね」

「まあ、どこも今は厳しいからね」

都会では考えられないかも知れないが、シャッター商店街があるような地域では、たまに失踪する家族が出るのである。巧く自己破産とか出来れば良いのだが、闇金の業者とかに家族ごと消されることもままある。

最近たまにある、借金する方が悪いという理屈を見ると、本当に不愉快なのは。

多分連中の残虐非道な手口を、間近で見て知っているからだろう。

だから、転校していく生徒はいても、転入してくる生徒は殆どいない。そういう意味でも、花梨はとても話題性が強いのだ。

花梨が戻ってきた。要領が良いことに、授業が始まるチャイムも鳴る。

多分適当なタイミングを見計らっていたんだろうなと、滝は思った。

そういう意味では、かなり要領が良さそうな子だ。多分頭が良いのも、それに関係しているのだろう。

授業が一通り終わり、帰る時間になる。部活も、今は殆ど機能していない。わずかにサッカー部が、校庭でだらだら練習をしているくらいである。野球部は去年無くなった。文化部に至っては、数年前からどれも機能していない。

部活が強いと、それだけで自慢の材料になるものなのだが。この学校に関しては、自慢できるものがないのだ。強いて言うなら今の時点ではいじめが無い事、援助交際に手を出すような教師がいないこと、くらいだろうか。

群れるのは、女子の性質の一つだ。

帰り道、滝は花梨が何名かの女子と一緒に帰宅するのを見た。だが、別に親しい相手というわけでも無いので、遠くから見るだけだった。

バイトを本格的にやるようになると、周囲の女子からの距離は開く一方になる。その結果、孤独からとんでもないバイトに手を出す生徒もいる。

これが、学校がバイトを問題視する理由の一つだ。今の時点では、滝はそこまでバイトをたくさんはいれていないので、学友達と帰宅することも多いが。

「タキ、今日はどうするの?」

「軍資金もないし、まっすぐ帰るかな」

「家の手伝いがあると大変だよね」

「うん、まあ嫌いじゃ無いけど」

何人かの学友と、話しながら帰る。田舎だから、遊ぶ場所も無い。

お金持ちの学友は、やっぱり電車に乗って遊びに行く。電車を使えば、都会にまですぐ出られるからだ。だが、電車代だけでも結構バカにならないし、向こうで食事をするとなると更に結構な出費がかさんでくる。

だから、必然的に地元で屯する場合、駅やその周辺が中心になる。どんな寂れた駅でも、その周りくらいはファーストフードが進出しているし、屯出来るからだ。

駅周辺のイメージ改善云々という看板を横目に、学友達と別れる。

電車通学している生徒は、この辺りには殆どいない。高校まで行くと学力に差が出てくるからいるのだが、中学の場合はそこまで気にしなくても良いだろう。

学友達と別れてから、顔を仰ぐ。

夏だからか、夕方になってもまだ暑い。

一応中学校は教室にだけクーラーがあるので、まだ涼しい方だと言える。経営が厳しい修理工場の娘である滝は、部屋にクーラーがあっても、あまり使えない。扇風機で我慢する日も多いのだ。

流石に通学の時は、ショートカットである山道は使わない。歩いて十五分くらいかけて、自宅まで黙々と行くことになる。

意外な姿を、その時見た。

花梨だ。黙々と、松葉杖をついて歩いている。数人纏わり付いていた連中は、既に姿も見えなかった。

後ろから見ても、流れるような黒髪は特徴的で、一目で分かる。

何となく気まずい。道を変えようかと思ったが、一本道で、家まではここを行くのが一番早い。そして相手は松葉杖だから、どうしても歩いていると追いついてしまう。

「ども」

「……」

じろりと、一瞥だけされた。

同じ年だとしても、体格は随分違う。華奢で、とてもかわいらしい花梨に比べると、滝はちょっと育ちすぎかも知れない。控えめな体型の花梨はとても女らしいのに、発育が良い滝はそう思えないのが不思議だが。

「大変だね。 私は足を怪我したことが無いから、そんなことしか言えないけど」

「良いのよ、自業自得だから」

何だろう。嫌われているかも知れない。

他の生徒には、それなりに実のある対応をしていたのに。どうしてか、滝にだけはとても冷たく当たっているような気がする。

だが、凍るような視線に変わりは無いし、さっきのトイレのことを考えても、元々孤独が好きなだけなのかも知れない。確かにそういう子はいる。

「鞄、持ってあげようか?」

「大丈夫。 気にしないで」

「そう言われてもなあ」

「以前、あの野原で、何をしていたの?」

不意に、話を切り替えられる。

いつの間にか、相手は足を止めていた。どうやら、やはりあのときの事が原因だったらしい。

「年に何回か、大勢で野原の手入れをするの。 その下見」

「バイト?」

「そうだよ。 といっても、お小遣いを貰える程度だけどね」

「……そう」

また、花梨は歩き出した。

松葉杖は慣れない内は手にまめを作ったりするのだが、時々見える花梨の手のひらは綺麗で、まめは見当たらなかった。

ほどなく、花梨の家に着く。

ここにいることから何となく見当はついていたのだが、地元でも有数の金持ちの屋敷だ。古風な日本建築で、敷地面積は千坪を軽く超えている。大身旗本だとかなんだとかの家だった場所で、地元の殿様に睨みをきかせていたとかいうおっかない家だ。

ただ、ここの家は溝口という名前だったはず。そうなると、何かしら深い事情があるのかも知れない。

詮索するのは野暮だ。

「じゃ。 また学校で」

「ええ」

やはり、最後まで、此方を拒絶する低温が、言葉には籠もっていた。

門はチャイムを鳴らさないと、外からは開けられない。大きな木の門だけあって、流石に迫力もある。

振り返りざまに、見た。

SPみたいな黒スーツの強面サングラス男が、無表情のまま花梨を出迎えていた。なんだか、関わらない方が良いのだろうと、滝は思った。

 

2、夏前の憂鬱

 

夏休みまで、もうそれほど日が無い。

既に期末試験も終わったし、学校には開放的な空気がある。今回も一応そこそこの成績を上げていた滝は、花梨が来て早々いきなり学年トップの成績を出したと聞いて、ちょっと驚いていた。

まあ、学年トップといっても一クラスしか無いが。しかしそれにしても、全科目98点以上というのは、確かに凄い。

色々と最初から目立ちすぎである。

最初の数日は、新しい物好きの女子達にもみくちゃにされていた花梨だが、数日すると周囲も落ち着いてきた。それで、滝にも情報が入ってくるようになった。

前は、花梨はどうやら東京の進学校にいたらしい。なるほど、それならばいきなりの好成績も頷ける話だ。

しかも、あの溝口に厄介になっていると聞けば、流石に噂もふくれる。ちなみに、溝口関係の話をしたのは滝では無い。この小さな街である。あっという間に、噂は拡散するのである。

妾腹の子では無いかという話が出始めたのも、無理も無い事だろう。

溝口はこんな田舎に居を構えているが、確か即座に動かせる資産だけでも二百億とか言う、破格の金持ちだ。企業経営もしているし、土地やら債権やらもたんまり持っている。そして、溝口の一家は、大変に評判が悪い。

こういう田舎の金持ちはヤクザとつるんでいるか、ヤクザそのものである事がかなり多い。溝口は前者で、広域暴力団と関係が深いと、滝も聞いたことがあった。まあ、これだけ大きな家である。火消し用の手段は、何かしら必要だと言うことだろう。

門で見た、黒スーツのサングラスを思い出す。

あれはやはり、専任のSPだろうか。

線路のむこうがわも、当然話題になっているようだ。

古い町の象徴とも言えるこっち側の、溝口は帝王といって過言ではない。何かしらのスキャンダルにならないかと、ハイエナじみた連中が既に動き出しているそうだ。

咳払いの声。

視線をずらすと、花梨だった。

多分、自分の噂をされていると感じたのだろう。滝は窓際の席で頬杖をついて聞いていただけだが、止めなかった以上同罪とも言えるか。

「やだ、凄い勘」

「やっぱり危ない目とかに遭ってるのかな」

そうじゃないと、内心で滝は呟いた。

元々目立つ容姿だし、何より一癖も二癖もありそうな出身である。多分他人の考えを読み取る能力が、敏感なまでに発達しているのだろう。

危ない目に遭っているかまではわからない。ただ、東京の進学校と言うことは、別にお嬢様学校でも無いだろうし、ガチガチに警備が堅い場所では無いはずだ。或いは、こっちに来るまで、そんなやばい家の出身だとは知らなかったのでは無いのか。

席に着いた花梨は、教科書を取り出す。

夏だというのに、肌は白い。多分焼けてはいるのだろうが、それでもかなり白いことに変わりは無い。きめも細やかである。

夏なのに、溶けない雪女。そんな印象を受ける。

「ね、ね。 花梨」

「何か」

一番纏わり付いている女子が、名前で呼ぶ。花梨は表面上は別に嫌そうでも無い様子で応えた。ただし、友人に対するには、ものすごく冷たい。

しかし、話しかけた女子は、別に不快そうでは無い。

少し、周囲も分かってきたらしい。この子は誰にでも平等に冷たいのだと。

「今度、海に遊びに行くの。 貴方はどうする?」

「海、ね」

男子達が耳目を立てているのが分かる。まあ、そりゃあそうだろう。

滝の水着姿なんぞはともかく、花梨の水着姿だったら、それは男子達にとっては垂涎の的の筈だ。

この学校では、水泳の授業を男女別に、しかも学校近くの温水プールで別日に行うため、なおさら女子の水着を見る機会が無い。

「別に構わないけれど」

「本当?」

まあ、女子は女子で、ナンパ目的というのもあるのだろう。だから、見目麗しい花梨を連れて行くというわけだ。

ナンパの声を掛けてくる確率が上がるからだ。

慣れた連中は、複数でナンパをすることが多い。まあ、一番良いのは花梨に取られるとしても、二番手三番手にはチャンスがあると言うことである。この辺りのしたたかな計算は、小学生くらいでも普通にする。

ましてや、中学三年生にもなると、色気づいた子は当然もっといろいろな駆け引きを、日常的にしているものだ。

「タキ、あんたもいく?」

「んー、日にちは?」

七月の最終週と言われた。夏休みに入ってすぐだ。

軍資金はそれなりにある。

ただ、ちょっとその時期は、バイトの稼ぎ時でもある。別にクラスメイトとのコミュニケーションとしては悪くないし、ちょっと計算した後、決めた。

「分かった。 いいよ」

バイトは他の日にずらし込めるし、問題は無い。

ふと、花梨を見る。他の子が海を楽しみにしているようなのに、ものすごくつまらなそうな表情で、一瞬だけ外を見ているのに気付いた。

浮き世離れしているのとはちょっと違う。

この子の場合、何か別の理由があって、他の生徒と芯からつるむことが無いのではなかろうか。

そう思えてきた。

 

草刈りのバイトの日が来た。

おじさんおばさんがかなりの人数集まり、帽子を被って軍手をして、自動草刈り機で派手に草を刈り取っていく。

時々兎が驚いて逃げていくほどに、それなりに広い草原だ。アオダイショウも見かける。まむしも時々出ると言うことだ。

今は考えられないが、何十年か前は、こういう草原は田舎の子供にとって貴重な淡泊の取得源だったらしい。蛇も蛙も勿論ごちそうだったという事だ。兎なんか捕まえた日には、みんなで大喜びだったという。

そういう意味では、田舎も充分に昔とは変わっている。ただ、都会に比べれば、多少進歩が遅いくらい、なのだろう。

まだ、滝は自動草刈り機は扱わせて貰えない。多分怪我でもさせたら大変だと言うことだからか。その代わり、刈った草とかをどけたり、汚いのを箒とかで避けたりする作業を、黙々とする。

野原の真ん中には、小さなせせらぎもあり、小さなカワニナや沢ガニもいる。タニシは流石にいないが、よく分からない虫もたくさんいる。たまに、ヘビトンボの幼虫を見かけることがあると、となりのおじいさんは言っていた。

半日がかりで、草刈りを終える。

大人にはビールが配られるが、滝には小遣いだ。

今回は千五百円もらった。多分、親から小遣いを貰っている子は、これがどれだけ貴重かは分からないだろう。こうやってちまちま貯めているお金が、やがて大きな意味を持ってくるなどと。

実は、ここから海なら、自転車で行ける。

現地集合という話なので、電車代を節約するためにも、滝はマウンテンバイクを使うつもりだった。ただ、水着だけは買わなければならないだろう。流石に学校指定の奴は、着ていくと恥ずかしい。

また、如何に部品をかき集めて作ったマウンテンバイクとはいえ、盗られるといたい。駐輪場は今のうちに、ネットで検索しておかなければならないだろう。古いとは言え、一応家にはパソコンくらいはある。ただし、家族で共用だが。それでも、大手ポータルサイトから、街の情報を検索するくらいは難しくない。

そろそろ携帯が欲しい所ではある。だが、毎月の料金などを考えると、ちょっと手が出ない。海に行くのには、適当なバイトが無さそうか、下見に行くという意味もある。

金に汚い女になりそうで、ちょっと自分でもいやではあるのだが。

しかし、若い内から、金銭感覚は身につけておいて損は無いはずだ。

実のところ、滝には未来の選択肢が、あまりない。

父も母も体が丈夫な方では無いし、適当な旦那を早めに見つけて、一緒に工場を継いでおきたいのである。

両親はそれで安心できるだろうし、生まれ育った工場には愛着もある。潰さなくて済む。

しかし工業高校は行きたくない。残念だが、近場にある工業高校は、文字通りの掃きだめだ。

ましな工業高校もあるのかも知れないが、滝の通える範囲には、存在していなかった。

少し休んでから、道路に上がる。

ふと、視線を感じた。

ワンピースを着込んだ、花梨だった。ガードレールに手を突いて、遠くを見ている。

多分、視線は彼女からのものだったのだろう。今はもう此方を見てはいないが。

道路に上がる。

「こんちは。 どうしたの?」

「別に」

もう花梨は松葉杖をついていない。ただ、やはり無意識にか、片足をかばっている様子がうかがえた。

どんな事故に遭ったかは、周囲も知らないらしい。憶測でいろいろな噂が飛び交っていて、中には遺産を目当てにした抗争に巻き込まれて、ヒットマンから撃たれたなんてものもあるそうだ。

あほらしい話だ。流石にそれはないだろう。

そもそも花梨は、溝口にとってさほど重要な存在では無いだろうと、滝は見ている。溝口にとってのトップシークレットだとすると、そもそも地盤のあるここの土地の学校には通わせないだろう。今の溝口の当主は芸の無い男らしいが、それくらいの知恵は当然働くはずだ。

ただ、花梨を怖がる人間が出始めているのも事実である。花梨自身が誤解を解こうと努力しないので、今後は更に周辺態度の両極化が進むだろう。

多分この子、向こうでも苦労していたのでは無いかと、滝は感じ始めている。綺麗な分、反発も買いやすい。しかも下手に能力が高いから、今後は恐らく彼女が気に入らない生徒達がバッシングをはじめるはずだ。

いじめにはならないだろう。溝口が関わっている子供にいじめなんかしたら、家がどうなるか分からないからだ。都会だとその辺りの計算が働かない頭の悪い子供がいるかも知れないが、田舎は有力者と庶民のつながりが密接である。そんなことはまずない。

下手を打つと、文字通り住処を失う可能性があるからだ。

「この野原、いつもこんな風に刈っているの?」

「うん。 土が豊かだから、手入れしないとあっという間に草ぼうぼうだからね」

「そう」

「何か思い出でもあるの?」

一瞬だけ、返答が遅れた。

どうも図星だったらしい。いや、それにしては感情の揺れが見えなかったし、或いはここに関係した何かがあるのか。

都会っ子だと思っていたのだが、意外にここの出身なのだろうか。この野原に主入れがあるとすれば、それくらいしか思い当たらない。

「貴方には、関係の無い事よ」

「そういわずに、何か教えてよ」

ついと、視線を背けられてしまう。

かわいらしい動作だが、当然神経を逆なでされる人間もいるはずだ。特に同性には受けが悪いだろう。

ただ、今日は帰ってしまう様子は無い。とりあえず、後片付けを済ませる。器具類を片付けて、大量に出た草を燃やす。虫なんかも一緒に燃やしてしまうと気の毒だから、出来るだけ払ってから集めているのは、滝だけだが。

青い草も、一度燃えはじめると、後は一気に焼き払われていく。

枯れ草だったら、場合によっては火事にもなる。燎原の火という言葉があるらしいが、よく言ったものだと、燃え上がる草を見ていて思った。

派手に煙も上がっていたが、それもまもなく納まる。

秋や冬の場合は、これで焼き芋を作ったりするのだが、夏にはそれもない。灰が出るが、それは土に埋める。そうすることで、次の栄養にするのだ。燃やして刈って燃やして刈って、不毛なようにも思えるが、しっかり栄養は循環している。何より、みんなお小遣いやビールが貰えて嬉しい。

些細な地域交流という奴だ。

後片付けが済んだので、道路に上がる。まだ、花梨はいた。

どう声を掛けようかとちょっと悩んだが。意外にも、花梨の方から、声を掛けてきた。

「道が無くなってる」

「え? やっぱりここが地元なの?」

「一時期だけ。 それより、どうして道が無くなってるの?」

「道、ねえ」

覚えが無い。

道路の構造的にも、舗装道路は存在しようが無い。そうなると、草が部分的に刈られていたとか、踏み固められていたとか、そういうことだろうか。

かくいう滝も、ここでバイトをはじめたのは中学に上がってからだ。ずっとずっと昔に、ここで遊んだ記憶もあるが。他で遊んだ記憶の方が強いから、あまり覚えていないというのが事実である。

「分からないけど、三年前にはもうこうだったよ」

「……そう」

「それなら、探してみる? 今ならもう歩きやすいけど」

「結構よ」

一人で探すつもりだなと、すぐに分かった。

頭を掻く。どうしてこの子は、他人からさしのべられた手を拒否するか。恥ずかしがっているとか、こっちを見下しているとか、そんな雰囲気は無い。

単に、壁がある。

ただ、壁を作っているのは花梨だ。

中を見てみたいとは思わない。

女子はコミュニティを作るものだが、どうも滝は昔から大人に混じって働いたり動いたりしているせいか、そういうのに興味が持てないのだ。前は同年代の友達と一緒にいると心地よかったが、最近は幼稚さが目について仕方が無い。

結婚する男はうんと年上になりそうだとか、からかい混じりに言われたこともある。まあ、それも事実かも知れない。

いずれにしても、コミュニティを作る気は無い。対等の友情が作れれば、それで良いとは思う。

「別の方から、野原見てみる?」

「遠いんじゃ無いの?」

「自転車、乗せてあげるよ」

マウンテンバイクを引っ張ってくる。普通一人乗りの作りだが、滝が乗っているのは後輪のカバーを改装して、一応後ろにも乗れるようにはしてある。あまり重い相手は乗せられないが、見た感じ花梨は細いし大丈夫だろう。

それに、全力で飛ばすわけでも無い。

しばらく警戒していたが、どうも興味が勝ったらしい。自転車の後ろにちょこんと足をそろえて上品に乗った花梨。足を怪我したばかりと言うこともあるし、乗らずに、そのまま自転車を引いていく。下り坂という事もある。

「どこのメーカーの自転車?」

「自作」

「通りで。 パーツが不揃いだと思った」

「でも、自作だから、愛着があるよ」

別に頭に来るようなことでも無い。花梨が言ったことは事実だからだ。実際小学生の頃、変な自転車とは言われ慣れている。

下り坂が終わったので、乗る。

そして、ゆっくり道路を走る。左手にあった野原が見えなくなり、林に移り変わった。花梨が身を乗り出しているのが分かった。そうなると、野原の奥の方に、何かあると言うことか。

この林は小規模だが、かなり生体系が豊富で、確かキツツキだかが住んでいて保護地域になっている。当然天然記念物なので、警官が時々様子を見に来たり、大学の教授が研究のため訪れたりするくらいなのだ。

林の規模はそれなりで、山を丸ごと一つ覆っている。その林を抜けると海まで行くのだが、林間道路がいくつかある。ただし細い上に街灯も無いので、土地勘が無いとまず迷う。ちょっと地元の人間で無いと、入る事はおすすめできない。

「ちょっと揺れるよ?」

「勝手にどうぞ」

「よしきた」

妙に冷たい返事にも、そろそろ気にならなくなってくる。

舗装道路から、文字通りのオフロードへ入り込む。蛙が驚いて逃げていくのが見えた。草も道の左右で茂っていて、ちょっと気を抜くとあっという間に草ぼうぼうになる。

しかし、林の中は、さほど草も多くない。多分木々によって、日光が遮られているからだろう。

何か鳥が鳴いている。

木漏れ日が、徐々に弱くなりつつある。そろそろ夕方なのだから、当然と言えば当然だろうか。

後ろで、ぐっと花梨が身を乗り出しているのが分かる。

やはり、この林の中に、何かあるのだろう。他に林間道路があったという事なのだろうか。

そうなると、地元の人間も知らない、何かの穴場と言うことだろう。

ちょっと、滝も興味がわいてきた。

まもなく、林を抜ける。

そうすると、今度は市街地に出る。市街地の先には海が広がっていて、一面の海原に、テトラポットが延々と積まれている光景を見ることが出来る。

釣りには絶好のポイントだ。

「帰る。 下ろして」

「家、こっちじゃないでしょ。 送ってあげるから」

「……」

凄く嫌そうに見られた。或いは、お節介を好まないタイプなのかも知れない。

まあ、それならそれで別に構わない。こっちは好きでやっているのだ。それに、こうしている内に、仲良く出来るかも知れないではないか。

どの辺に、どんな店があるのか、軽く話す。

まあ、都会に比べれば、こじゃれた店は無い。だが、ちょっとした日用品なんかを買うには、適切な店は結構ある。

また、林間の道路を通って、もとの道に復帰。帰りは下り坂も無いので、そのまま乗せて、黙々と走った。

線路を越える頃だろうか。

ちらりと、視界の隅に、例の黒スーツを見かけた気がした。

「水着はどうするの?」

「持ち合わせがある」

「そっか。 みんなで買いに行ったりすると楽しいんだけど」

「こう見えて、あまりお金は無いの」

それじゃあ同じだねと、滝はけらけら笑ったが、花梨は後ろで、にこりともしないようだった。

 

終業式が終わり、予定通り海に行くことになった。他の何人かは電車で行くことにしたようなのだが、小耳に挟んで驚く。

「ちょっと花梨、本気?」

「大丈夫よ。 足のリハビリも兼ねてるから」

歩いて来るつもりか。確か最短距離を通っても、海までは七キロ半はあるはずだ。しかも海水浴場に行くとなると、更に距離は伸びることになるだろう。あまり花梨は運動神経も良くないと聞くし、歩くと二時間は軽く掛かる。

松葉杖がとれたばかりの奴が、そういうことをするのは感心できない。

普段はあまり会話に加わらない滝だが、ちょっと見かねた。

「自転車、乗せてあげようか?」

「ああ、あの自作マウンテンバイク」

「……どういうつもり? 私、お金はあまりないよ」

「いや、そんな見返りは求めてないから。 どうせご近所だし、それに行き先は同じでしょ?」

妙な警戒を、花梨からは感じる。

この間も、自転車で家まで送った後も、丁寧に一礼はされた。だがそれ以上の感謝とかは、全く感じ取ることが出来なかった。

普段感じている壁以上のものだ。

理由は分からないが、壁を乗り越えようとしているから、警報ブザーでも内側で鳴っているのだろうか。

なんだかよく分からない。

「花梨、乗せて貰いなよ。 電車使わないんだったら、自転車使わないとしんどいよ」

「大丈夫」

「この細い足で?」

実際、花梨の足は細い。運動神経云々と言うよりも、むしろスポーツと縁が無いと言う方が正しい雰囲気だ。

他の女子生徒は遠慮しているが、滝はこの間乗せて走ってみて、彼女が見かけより更に軽いことを知っている。

あまり、無理をさせるのは好ましくないだろう。

「いいよ、乗せてあげる。 足無理すると、また折れるよ」

「そんなことで……」

「自分の体は、大事にしないと駄目だよ。 ましてそんなに綺麗なんだから」

きょとんとした花梨。この子が、はじめて想定外のものにぶつかったという表情を見せた。

多分他の女子も、見るのは初めてだったのだろう。周囲の驚いている空気を、滝は感じていた。

「よく分からないけど、そこまで言うなら」

「一番良いのは、電車を使うことだけどね。 一駅なんだし」

「お金が無いの」

まあ、確かにこの辺りの電車は私鉄で、ちょっと料金が高い。とはいっても、一駅百八十円で、往復でもラーメン代にもならない程度だが。其処まで節約する必要があるとなると、本格的に花梨はお金が無いのか。

だが、着ている服は見目麗しい上物だし、格好だっていつも清潔にしている。それとも、何かしらの理由で、お金を貯めなければならないのかも知れない。

もしそうだとすれば、何か親近感も沸く。

結局、自転車で行くことになった。

少しずつ、花梨という同級生のことが分かりはじめているが。まだ、入り口に入った程度だとも、滝は感じていた。

 

3、黄色い花

 

マウンテンバイクの後ろに花梨を載せて、海までひとっ走り。

車ほどでは無いが、やはり自転車を使うと楽だ。そして、やはり後ろに乗せてみて思うが、とにかく軽い。

ダイエットなんかとは全く無縁の細い体である。それでありながら、女を発育が良い滝よりも感じさせるのだから、非常に羨ましいというか、不愉快でもある。

足をそろえて後ろの荷台に上品にのっている花梨だが、話しかけないと全く口をきかない。お回りに見つかるのも嫌なので、速度はさほど出せないし、裏道を中心に進んでいるから、十キロ程度は走らなければならない。その間、ずっと無言というのも、気が滅入る話だった。

「花梨ちゃんさ」

「花梨でいいよ」

「ええと。 じゃあ、私のことも滝って呼んでくれる?」

「了解」

あまり興味が無さそうに応じてくる。

この子は基から他人との交流に、あまり興味を持っていない。だから、名前を呼び捨てされると言うことにも、あまり抵抗がない様子だ。勿論相手の名前を、そのまま呼ぶことにも、である。

「水着は、どんなのにしたの?」

「手持ちの」

「そう。 私はねえ。 ちょっと冒険してみようかなって」

ショッキングピンクのビキニとまではいかないが、それなりに派手なのを買ってきた。別にナンパを受ける目的では無いが、せっかく海に行くのだから、冒険くらいはしてみたいものである。

滝はそうだが、花梨がどうなのか、あまり見えてこない。

自転車を漕ぎながら、ふと聞いてみる。

「何か好きなものってないの? 水着もそれとか?」

「……」

無言だったが、心が動くのが分かった。或いは図星だったのだろうか。

だが、それが図星どころでは無いことを、すぐに滝は知ることになった。

海に到着。テトラポットが並ぶ防波堤をしばらく走った後、海水浴場に。この辺りは海開きが早く、この時期にはもう入る事が出来る。

暖かい日差しが心地よい。この辺りからは警官も多いので、自転車を押して歩くことにした。近くの駐輪場がワンコインで止めることが出来るので、電車の往復賃よりもかなり安上がりになる。

クラスメイト達と合流。わいわいきゃっきゃとはしゃいでいるクラスメイトの中で、花梨だけがむっつりと黙り込んでいる。機嫌が悪そうでは無いのだが、とにかく物静かだ。やはり、他人との交流に興味が無さそうである。

ひょっとして、超地味で真っ黒な水着でも着てくるのでは無いか。

そんな話を、昨日花梨がいないときに、クラスメイトがしていた。

だが、皆が予想していたのとは、まるで違っていた。

黙々と花梨が着こなしたのは。

ワンピースタイプの水着だったが、夏の青空をイメージしたあまりにも爽やかなブルーに、どどんとひまわりの絵が描かれている代物だったのである。

超健康的な、南国的な水着だ。ハイビスカスでも頭にさしそうな雰囲気である。

雪女みたいな雰囲気の花梨がそれを着ていると、度肝を抜かれるが。当の本人は、平然としていた。

「お先に」

「あ、うん」

脱衣所を出て行った花梨は、ビーチサンダルも履いていた。

あれを元から持っていたのだとすると、相当にひまわりが好きだと言うことになる。どういうことなのだろうか。

あの、一歩間違えば根暗になりそうな雰囲気の花梨が、である。

「ちょっと、タキ」

「え?」

「何あれ。 どうしてあんなの着てくるの?」

「こっちが聞きたいよ」

みな、それなりに派手な水着は着てきている。ビキニは少ないが、それでもカラフルだったり冒険だったりしているが。

花梨の醸し出している雰囲気と、あの水着はあまりにもミスマッチすぎる。だが、逆にだからこそ、その美貌を際立たせているとも言える。天然でやっているとしたら、たいしたものである。

自転車で走っているときに、好きなものは何か聞いた。その時、花梨が反応を示したが。ひまわりが、やはりそうなのか。

しかしそれだと、あの野原を見ていたのも、ひまわり関係なのだろうか。しかしあの野原で、ひまわりなど見たことも無いのだが。

とりあえず、少し気後れしたが、海にである。

花梨はと言うと、砂浜に座って、海をぼんやりと見つめている様子だ。着替えもきちんと持ってきているようだし、まあ準備は万端なのだろう。

周囲の耳目を集めているのが分かる。まあ、中学生といえども、三年になればもう体型的には大人だ。

女子は海に来ると行動が二分される。

海に入って遊ぶか、肌を焼くかだ。肌を焼きたがっているようにも見えなかったので、促して一緒に海に入る。

無言で海に入った花梨は、黙々と泳ぎはじめる。沖まで行くと危ないと言おうと思ったが、見れば泳ぐのはそんなに早くもないし、足のつくところにしか行く気はないようだ。

ただ、海にいても、やっぱり空色とひまわりの水着は目立つ。

ナンパ目的らしい、いかにも下半身だけで生きているような男が、既に花梨に目をつけはじめているのが分かった。

こういう連中は、女子はナンパを受ける目的で着飾っていると本気で思っているので面倒だ。

周囲の学友達も、皆同じ印象を受けた様子である。

ナンパ目的の女子も、ああいう手合いはお断りと言うことだ。もしも下手についていったりしたら、文字通り何をされるか分からない。

「うざ。 むしろ、男子誘っとけば良かったかなあ」

「鬱陶しいから良いよ。 学校でここでの事、全部喋られるのも面倒だし。 だいたい今、この中で彼氏持ちいないでしょ?」

「そういえばそうだね」

田舎だと、結婚も早くなる傾向がある。当然、彼氏を作る年も低年齢化する傾向がある。だが、滝とつるんでいるグループに、今たまたま彼氏持ちはいなかった。

しばらくビーチバレーしたり泳いだりしてたんまり遊ぶ。

やっぱり花梨は隅っこの方で、ぼんやりとしていた。それでいて、この中で誰よりも目立つのだから、おかしな話である。此方のグループに目をつけているらしい、チョコレートみたいに肌を焼いた頭が悪そうな男も、みなまず花梨に着目している様子だった。

遊び疲れたので、適当に海の家に入る。

太陽を、手をかざして見ている花梨。

「退屈?」

「いいえ。 誘ってくれてありがとう」

「えー? なんだか鉄面皮だよ。 みんなみたいに、笑ったりしないの?」

「……」

表情に変化無し。

そのまま花梨は、ずっと遊びから上がるまで、笑顔の一つも浮かべなかった。

 

帰り道。

電車を使うかと聞いてみたが、花梨は首を横に振る。だが、放っておいたら本気で歩いて帰りかねなかったので、自転車の後ろに乗せて、また行くことにした。

少し早めに上がったので、陽が落ちるまで時間がある。だから、ちょっと行きとはルートを変えてみることにした。

いくら白いと言っても、海で遊んでいればそれなりに焼ける。

ただ、それでもきめ細かい肌に変わりは無いし、花梨のイメージは雪女からあまり変わっていなかった。

「ひまわり、好きなの?」

「どうしてそう思うの?」

「だって、あの水着」

「たまたまよ」

たまたまにしては、あまりにも作為的すぎるデザインだった。

だが、それを問いただしたりしても、あまり意味が無い。

「良い場所があるんだけど、これから少し行った先」

「寄り道は嫌なんだけど」

「大丈夫、左手に見えるだけだから」

既に海から離れているので、少し速度を上げる。この辺りは、パトカーが巡回していることも無いので、二人乗りに文句も言われないだろう。

本来はあまり褒められたことでは無いが、ずっと慣れ親しんだマウンテンバイクだ。自分が乗りやすいように徹底的にカスタマイズもしているし、事故ることはまず無い。

その場所に、通りかかる。

やっぱりというか何というか、花梨が反応するのが分かった。

道の脇に、ずっとひまわりが立ち並んでいる。まだ花が咲いていないものもあるが、既に背丈はかなり伸びていた。

ひまわりの道と呼ばれる場所だ。

元々花壇があり、有志で花を植えていたのだ。花梨もバイトをしたことがある。

季節に応じていろいろな花を植えるのだが、この時期はひまわりにすることで決められている。そのため、もう少しすると人間以上に背丈が伸びたひまわりが、太陽のような花を道沿いにずっと咲かせている、とても健康的な美しい光景を見ることが出来るのだ。

今はまだ満開では無いのが惜しい。

「良い場所でしょ?」

返事は無い。

だが、疑問はこれで確信に変わった。

やっぱり花梨は、ひまわりが好きなのだ。

 

帰宅した。

色々噂は立てられているようだが、別に花梨は溝口の家で慰み者にされている訳ではないし、虐待だって受けていない。

勿論、足の怪我だって、ヤクザの抗争に巻き込まれた訳でもない。

ただ、孤独なことは事実だ。

過保護だとも感じている。実際、溝口の家に連れ戻されたとき、専任のSPがつくと聞いたときはげんなりもした。

多分、滝をはじめとする皆は、知らなかっただろう。

砂浜で遊んでいるときも、SPはずっとこっちを監視していた。ナンパしようとしていた男子達数人が、彼らに連れて行かれた。

世にも恐ろしい目に遭わされたことは、間違いない。或いはもう、この砂浜には、近寄らないかも知れない。

年収数十億の巨大企業を二つ抱えている溝口は、ここで知られている以上に巨大な権力と財力を持っている。

だからこそに、SPも必要なのだと、祖父は言った。

だが、窮屈なことに変わりは無い。

ぼんやりと、今日あった事を思い出す。あのひまわりの道。

夏には、鮮やかな黄色が咲き誇るのだろうか。もしそうだとすると、是非見てみたい。滝が指摘したように、花梨はひまわりが好きだ。

色々理由はあるが、好きなのだ。

不意に、思考が中断される。部屋の戸をノックする音がした。

「花梨お嬢様」

「何?」

「御当主がお呼びです」

逆らう選択肢は無い。まだ中学生だし、自活できる年齢では無い。しかも、自活するための手段も持っていない。

当主である溝口勝夫は、既に七十を超えている。だが、頭もはっきりしているし、武道の達人でもある。確か合気道だとかで高段位を持っていて、ナイフを持った暴漢を単独で制圧したことがあるそうだ。

芸の無い二代目と言われる現在の当主は、実際には傀儡に過ぎない。もっとも、実際には溝口はかなり古い家で二代目では無いのだが、まあそれは良い。

当主は痩せた老人だが、目つきは鋭い。

当主の部屋は当然のように和室で、座布団を敷いて座って待っていた。家族に恐れられている当主だが、時々花梨には優しい目を向けてくることもある。だが、それに甘える気は、最初から花梨には無かった。

「お呼びでしたか」

「うむ。 今日は海に行ったそうだね」

「はい。 学友達と」

「自転車の二人乗りでいったそうだが、小遣いが足りなかったのかな」

分かる。

多分小遣いの問題では無い。補導の原因になるようなことはするなと、釘を刺されているのだ。

「お前は、只でさえ誤解を受けやすい。 お前の母もそうだったが」

「……」

「今は、とにかく下手に弱みを作るようなことをしてはいけない。 ただ、友人達と仲良く遊びに行くのは良いことだ。 いろんな人と話をして、様々な考えが世の中にあることを、若い内に知っておきなさい」

「分かりました」

一礼。礼の角度は、徹底的に叩き込まれたから、身についている。

祖父は頷くと、退出を許してくれた。

自室に戻る。今も外にSPがいるのだろうなと思いながら、ベットに横になった。

祖父が年老いてから出来た娘。それが母だ。かなり遅くに生まれたから、愛着もわいていたのだろうか。

だが、母は溝口にとって好ましくない男と関係した。あまつさえ、東京にその男と一緒に逃げた。

当時、それで祖父は相当に落胆したという。

今になって調べてみると、父は相当にろくでもない男だったらしい。溝口にとって云々では無く、このような男と関係したらどんな親でも心配はしただろう。

結果は最悪となった。

母も父も、今はこの世にいない。

経緯については、思い出したくも無い。ヤクザの抗争云々と言った、刑事ドラマに出てきそうな話では無い。

庶民が、知るはずも無い。関わることも永久に無い。そんな話。

もっと面倒な闇に、もう少しで花梨も巻き込まれるところだったのだ。足の怪我程度で済んだのは、実はとても幸運だった。

今、ここで生きていることだけでも、幸せだと思うべきなのかも知れない。

壁に掛かっている、一枚の絵。

ひまわりが一面に咲く不思議な場所。母がそこで、優しい笑顔を浮かべている。

奇しくも母は、花梨に生き写しだ。

母は変わり者で、周囲に理解者も少なかった。

だからこそに人恋しくて、ろくでもない男に引っかかったのかも知れない。そのつらさが、最近は分かるようになってきた。

滝という学友。

まだ友達だとは思っていないが、何となく、頼りにし始めている自分がいる。

だが、過信は禁物だ。

前の学校で、友達面をしていた連中が、事件の後手のひらを返したことを忘れてはならない。

人間なんか、そんなものだ。

戸を叩く音。SPだ。

「花梨様」

「どうしたの」

「お食事の時間にございます」

花梨お嬢様で無くて、花梨様と呼ぶのは一人だけである。

この家は、SPの専任チームを雇っている。全部で十名ほどいるSPがシフトでチームを組んでいるのだが、そのリーダー。

意外にも、花梨とあまり年が変わらない、しかも女だ。

ただ元紛争地帯のチャイルドソルジャーだとか言う話で、日本で生きてきた花梨とは根本的に違う生物である。その気になれば、花梨など0.5秒で殺せるだろう。

部屋を出る。

背は、向こうの方が低いのに。その場に猛獣でもいるような空気があった。地味な顔立ちで、どうやら中東の出身らしい茶色い肌。彼女は日本語が堪能だが、何カ国語を使えるのかは知らない。いずれにしても、頭もかなりよいはずだ。

そうでなければ生き残れなかったのだろう。

どうやってこの平和な国に流れてきたのかも分からない。

そんな人が、SPとして身近にいる。

ここは、溝口の家。とてもとてもお金のある家。

だから、庶民とは違う配慮をしなければならない。そんな家。

夕食も、政治になっている事が多い。有力者を招いたり、或いは序列を席によって決めていたり。

今日はおじや叔母はいないので、祖父と食事だ。

当然専任のシェフが料理を作って来る。ただし、祖父はあまり豪華な食事を家では取らないようにしていると言うことで、それほど美味しいものは出ない。しかも和洋中にこだわらないので、普通に鰺のフライが出てきたり、ラーメンだったりする。

今日は普通のとんかつだった。

「私は気取った料理よりも、こういう平凡な味が一番好きだ。 花梨はどうかね」

「私も、あまり高級な料理は、好きじゃありません」

「そうか」

あわせるつもりも無く、本音を只口にした。

とんかつに、辛子がついている。黄色い練り辛子だ。

黄色は狂気を示す色。

そんな言葉を聞いたことがある。

私は黄色が好きだ。

だが、それは。頭がおかしいからなのだろうか。

コミュニケーション不全である事は知っている。この日本で、それが如何に致命的であるかも。

生まれついて、狂気にとらわれているのだろうか。そう感じてしまうこともある。

食事を終えると、何も考えずに、寝ることにした。

ただ、力を回復しようと、惰眠をむさぼった。

寝る前に、一瞬だけ、花が咲く前のひまわりの木立を思い出す。

狂気なのだろうかと、疑念が一つ沸いた。

 

4、ゴーギャンとゴッホ

 

小遣い稼ぎを色々こなしていく内に、夏休みはすぐに過ぎていく。

貧乏な修理工場の娘だから、あまり滝は一人で遊べる道具類を持っていない。漫画だって、借りて読むのが主体になっているくらいだ。ゲーム機だって無い。

だから、邪念もわかない。マウンテンバイクをこいで、今日も滝は小遣い稼ぎにお出かけだ。

日差しがすごい。外に出ているだけで、真っ黒に焼けそうである。

半そで短パンで出てきているが、裸でも暑く感じるかもしれない。

近くの野原で、子供が走り回っている。目を細めて見てしまう。

日本ではあまり主流になっていないが、海外では子守のバイトがあるという。あれば真っ先に手を出していただろうと、滝は思う。実際、子供のことは嫌いじゃ無い。

ちょっと前までは、滝もああいう子供達に混じって遊んでいたが。

いつからだろう。

変な計算が働くようになってきたのは。子供たちと一緒に遊んでいて、楽しくなくなってきたのは。

何よりも、家計が苦しいと気付いたのは。

学校に目をつけられるわけにはいかないから、あまり高額のバイトは出来ない。だが、小遣い稼ぎでも、ちりが積もれば山になる。

もともと強かった日差しが、さらにものすごくなってきた。

今年は酷暑になると聞いていたが、既になっているような気がする。否、これからさらにすごくなるということなのだろうか。

事前に話をしていたお使いを二つ、手早く終わらせる。

どうせ暑いのである。さっさと作業を済ませたほうが、まだましだ。

家に戻っても、クーラーなど使えない。家計を圧迫するわけには行かない。だから、図書館にでも行って、涼むつもりだった。

途中、坂道をゆっくり降りはじめる。学友にすれ違うことも無い。

マウンテンバイクにブレーキをつけないことをおしゃれだとか考えている阿呆がいるが、勿論滝は違う。まあ、たまに二人乗りしたりもするが、やるときは安全対策をきちんとする。

自転車を愛しているからだ。

坂を下り終えると、木立の間の小道に入った。多少は悪路だが、ここが夏にはとても涼しくて快適だ。ヤブ蚊が出るので、あまり長居は出来ないのだが。それでも、昼寝をするならこういう環境が良いだろうと思ってしまう。

まだ蝉は鳴いていない。

だが、思わず足を止めていた。

林の中に、人影が見えたからだ。ブレーキ音に気付いたのか、人影が振り返る。

青い清楚なワンピースを着込んだ、花梨だった。

「おーっす!」

返事は無い。

じっと此方を見ている花梨に、手を振って呼びかける。

「何してるの? 昆虫採集?」

「違う」

非常に不愉快そうに、花梨が眉をひそめる。短い言葉だが、それでも応えてくれるだけ、多少はマシというべきか。

実際、最初の頃よりは、若干対応も柔らかくなってきている気がする。クラスメイトの中には、既にいやがっている女子もいるようだが。でも、むしろ滝は、花梨のことが前ほど苦手では無くなってきていた。

林の中に、自転車を手で押して入る。

元々オフロード仕様だ。このくらいは何でも無いのだが、それでもリスクは避けるべきだと思ったからだ。

「涼みに来たの?」

「それも違う」

「何々? 楽しいことなら教えて」

「……」

露骨に困った顔をされたので、苦笑いしてしまう。

そういえば、ここは最初に出会った野原のすぐ近くだ。野原自体よりも、その奥とか近くとかに用があったという事だろうか。

「これでも地元民だし、地理には詳しいよ」

「だから困る」

「え?」

「何でも無い。 忘れて」

これ以上いても、邪魔になるだけだという雰囲気を、オーラとしてにじませる花梨。

普段だったら、相手を尊重して引いていたかも知れない。

だが、ここで食い下がりたくなかった。もうバイトはあらかた終わっているし、涼みに行くつもりだったのだ。

何より、多少は五月蠅がられるのも、仕方が無い。仲良くするときは、最初は多少強引なくらいが良いというのが持論なのだ。

「少しは頼ってくれてもいいのになあ」

「頼る?」

「捜し物があるんでしょ? そのままだと、ヤブ蚊に刺されるよ」

虫除けスプレーがと言おうとしたのだろう。だが、滝がさっと手を動かして、虚空を掴む。

つかみ殺したヤブ蚊を捨ててみせると、大きく嘆息する花梨。

虫除けスプレーは効果に個人差がある。何よりも、汗で流れてしまうものなのだ。

「何、探してるの?」

根負けしたらしい花梨は、視線をそらしながら言った。

「ひまわり畑」

 

幼い頃。

この辺りで花梨は暮らしていた。その頃は、まだ何も分からなかった。

母が周囲から変人扱いされていることも。父がどうしてか、毎度のように違う女を連れて歩いていることも。

分かったのは、父母がいつもあまり仲が良くなかったことだろう。

それが、たまらなく悲しかった。

でもどうして良いかは分からなかった。

外をふらついていて、いつの間にか迷子になったのが、その日のこと。

だが、覚えていない。

どういう経路で、其処に迷い込んだのかは。

気がつくと、無数のひまわりの中に、花梨はいた。

その時のことは、鮮明に覚えている。どうやって入ったかはよく分からないのだが、林を抜けたような、野原を通り過ぎたような、そんな気がしている。

そして、気がつくとそこにいたのである。

太陽を浴びて、精一杯に背を伸ばす無数のひまわり。

背はとても高くて、花梨では手を伸ばしても、どうしても届きそうに無かった。

確か、泣きながら歩いていたはずなのに。

どうしてか、いつの間にか泣き止んでいた。

鮮烈な光景だった。

息を止めて、見やるほどに。

そして、気がつくと。いつの間にか、道路の側に出ていた。それが、花梨がここに戻ってきてから、最初に出向いた場所だった。

あのときからだろう。

ひまわりが大好きになったのは。

グッズも、ひまわりだけを好んで集めるようになった。綺麗だとか、可愛いだとか、そんな理由では、多分無い。

誰にも顧みられなかった自分に。ほほえんでくれたからだ。

勿論、ひまわりが人間である花梨を気にするはずが無い。それは、花梨がそう見ただけだと言うことくらいは分かっている。ひまわりが口をきくことが出来たら、多分鼻で笑うことだろう。

花梨も中学生だ。現実と妄想の区別くらいはつく。

だが、それでもよい。

あのときほど、花梨は他の存在に元気を貰ったことは無い。

だが、逆に言えば、きっとその時からだろう。

花梨が人間に対して、根本的に心に壁を作るようになったのは。

今も、何処かで屈折した思いがある。だから、もう一度会っておきたいのだ。自分に元気をくれた、ひまわりに。

今度は、勇気が欲しいのかも知れない。

だから、探して歩いていた。学業に関しては、誰にも文句を言わせない成績を上げている。SPはずっと張り付いていて、報告しているはずだ。花梨が、男遊びやゲームセンターやらに入り浸っていないことを。

だが、今日は予想外だった。

この間通った林道とも違う、かなり人気が無い場所だとおもったのに。

最近少し苦手だなと感じる滝と、こんな所で出会うなんて。

しかも、余計なことを言い出す。面倒だとも思う。

それなのに、何処かで頼ってしまっている自分に気付く。それが、余計に不快感を刺激するのだった。

私に必要なのは、ひまわりだけ。

日を浴びてどこまでも高く伸びる、太陽の象徴。

人間なんか、周りにいらない。今は年齢からいっても生きられないから、社会で馴染む必要はある。

だが、心を開く相手なんか、必要ない。

それなのに、どうして周囲に人を必要としている。一人で生きられるくらい、強くならなければならないのに。

SPリーダーのジャヌアに、少し前から格闘技を教えて貰えないか頼んでいる。

だが、彼女は言う。自分が覚えたのは、相手を殺すための実戦技術だと。格闘技は、精神が強い要素を持つから、別物だと。

それでも良いと言ったが、ジャヌアに拒否された。

貴方は、こんなものを覚えてはいけないと。

手を引かれて、林の中を歩く。滝がうきうきしているのが分かった。妹でも引き連れて、探検しているつもりなのだろうか。

「花梨、何か覚えてることは無い?」

「あったらふらついてない。 ひまわり畑としか、分からない」

「んー、この林って、私有地なんだよね。 持ち主のおじさん、凄く気むずかしくて、しかも夜中にしか帰ってこないから、聞き出すとしたら難しいよ。 でも、昼間はまず外をうろついてないから、大丈夫だとは思うけど」

それなら大丈夫だろう。

溝口を相手に事を構えようという金持ちはいない。少なくとも、この近辺には。だが、そういうのを利用する気は無い。

ここのところ、方位磁針だけを頼りに、この辺りをうろついて、ようやく見当をつけたのだ。だが、幼い頃に比べて少しは足も伸びたかと思ったのに。なんだか、あまり探索ははかどらなかった。

「そんなに、ひまわり畑、大事な場所なの?」

「……」

「いやなら言わなくてもいいよ。 私にも、大事な場所、あるから。 少しは分かるかなって」

あなたに、何が分かる。

そう言おうとして、思いとどまる。

此奴はお節介だが、嘘つきでは無いと思う。そう、花梨は信じたい。どうして信じたいのかは、よく分からない。

腐葉土が靴に入りそうだ。だんだん、林が深くなってきた。今日は流石にサンダルでは無いが、それでもちょっと怖い。

だが、滝はずんずん先に行ってしまう。手を離してくれそうにも無い。暇なのかと聞いたら、そうだと応えられた。

だが、それを批判する事は、花梨には出来ない。

実際問題、花梨もそうだからだ。

この田舎町だと、政治的な話とかも、まだ花梨にはあまり廻ってこない。家で過ごしているときはともかく、社交界だのは、まだデビューが先になる。

「あちゃー、自転車おいてくれば良かったかな」

「帰っていいのに」

「何の。 もっと悪路を走れるようにチューンしてあるから、大丈夫だよ」

「そうじゃなくて……」

何だろう。

嫌な気分はしない。

でも、何処かで、拒否する心が、確かにあった。

 

結局その日は、ひまわり畑とやらは見つけることが出来なかった。

靴は泥だらけだし、ヤブ蚊にも何カ所か刺された。だが、なんだか分からないが、滝には妙な達成感があった。

不思議と、花梨もあまり怖がっていた様子が無い。

あれだけ、林の中を引き回されたというのに、である。途中、マウンテンバイクの後輪が木の根に引っかかったときなどは、一緒に押してくれたくらいである。

友達はいる。何人も。

だが、妙にわくわくするのはどうしてだろう。友達を作るのはさほど苦手だとは思っていなかったのだが。

既に、夕日が水平線を赤く染めはじめている。

林を突っ切ったら、海が遠くに見える道路に出たからだ。マウンテンバイクに掛かる加重が小さくなる。悪路を想定しているとは言え、やっぱり道路は格段に楽だ。

既に、私有地の林からはかなり離れていた。途中からは、同じ林でもだいぶ様相が変わって、地面に砂が混じるようになっていた。

この辺りには、こんな林や森がたくさんあるのだそうだ。

「んー、ごめん。 見つからなかったよ」

「この林、防砂林? 妙に深いような気がするけど」

「防砂林だと思うけど、なんだろう。 私もよく知らないや」

「地元民なのに?」

比較的活動的な滝でも、知らない場所くらいはある。

だが、それが故に。探索は面白いのだとも言える。

「ここからは、どう帰れば良いの」

「疲れたなら、自転車の荷台、乗る?」

「いや、歩く」

「まあ、これくらいはリハビリかな」

それにしても、花梨は鉄面皮のままだ。綺麗な造作をしているのだから、少しは笑えば良いと思うのだが。

それも人それぞれではある。

一緒に並んで帰る。自転車を押している滝には殆ど誰も見向きもしなかったが、やはり花梨には、かなりの視線が集中している様子だった。

化粧である程度は誤魔化すことが出来るが、やはり元の造作が違うと有利だ。花梨には、天性の美貌が備わっていて、それは努力ではどうにも出来ない。

「……綺麗って、羨ましいな」

「こんなの、全然良いこと無いよ」

不思議と、その言葉には、今までで一番の拒絶が籠もっていた。

だがそれも嬉しい。少しずつ、人の心が分かっていくのは、こうも嬉しいとは思わなかった。

林道が見えてきた。

其処を通って、林を抜ける。

野原のすぐ側に出た。見た感じ、林の中でひまわり畑とやらがありそうな場所については、だいたいみて回った。

そうなると、この近くだと、幾つか候補が縛られてくる。

「うーん、そうだなあ。 やっぱり彼処かなあ」

「知っているの?」

「この辺りは、男の子に混じって探検しまくったからね。 んー、候補は二つかなあ」

とりあえず、でももう今日は止めた方が良い。この辺りはさほど林も深くないとはいえ、人気が無いところに中学生女子が、夜中うろつくのは危険だ。

変質者の話が出たことは無いが、いないとは限らないのだ。この小さな平和な街でも、窃盗などは毎日起きているとも言う。

一旦、戻る。途中の道で、花梨が言う。少しずつ、口数が増えてきていて嬉しい。

「今日は、助かった」

「んー?」

「私、正直途方に暮れてた。 どこにも無いから」

「良いって。 今度代わりにテスト勉強でも教えてくれれば。 持ちつ持たれつとかいうじゃない」

比較的、明かりが多い場所に、早めにたどり着けた。

後は線路を渡って、むこうがわに行くだけだ。歩いても十分程度である。

パトカーがサイレンを鳴らしながら走っていく。何かあったのだろう。今は、どこで何が起きてもおかしくない。

「明日も、手伝おうか?」

「……」

しばらく、花梨が悩んでいるのが分かる。

悩みを共有できるのは、ちょっと嬉しい。

「分かった。 お願いしてもいいかな」

「合点承知!」

「何それ」

「時代劇で覚えた」

笑ってくれるかと思ったが、鉄面皮は崩れない。むしろ小首をかしげられてしまった。こういう不意打ちを入れると、結構笑ってくれる人は多いのだが。花梨は違った様子で、ちょっと残念だ。

まだ、壁がある。だが、この壁を崩してみたいとも思う。

落ち着いた、美しい同級生。だが、その内側には、きっと何処か、自分と共通した場所があるはずだ。

花梨が完璧で無い事は、何となく分かる。

だから、その人間味に触れてみたいとも、滝は思う。

家の前についた。煌々と点る照明が、花梨の事を出迎えているようだった。既に空には星が瞬きはじめている。

赤外線通信を使って、アドレスを交換。

「後でメール送るね。 明日は私、午前中は忙しいから、昼ぐらいから良かったら声を掛けてくれる?」

「……分かった」

「思い出の場所なんでしょ? 見つけようよ」

手を振って、別れる。

そういえば、ずっと花梨に合わせて、自転車を引いていた。まあいい。

そろそろ、後ろに乗せて走るには、ちょっと危険な時間であったからだ。

 

溝口の家は、決して花梨に好意的な人ばかりでは無い。

少しだけ温かい気持ちになって玄関から入った花梨を出迎えたのは、ゴミでも見るような視線だった。

おばの、溝口初子である。

亡き母の姉だ。そして、花梨の事を、徹底的に嫌い抜いている。理由についてはよく分からないのだが、恐らく私怨だろうという噂があった。

非常に美しかったらしい花梨の母と違い、初子は見た目からして凡庸だ。いつも和服を着込んでいるが、高級な生地に身を包んでいてもさほど美しくは見えない。動作が洗練されれば美しく見えるという説もあるのだが、彼女の場合は行動に余裕が無いからだろう。

「どこを遊び歩いていたの?」

「此方になります」

初子の脇に出現したジャヌアが、リストらしいものを渡す。そこにいたのだと、見ていたのに全く気づけなかった。

初子も同じだったらしく、恐怖に固まっているのが分かった。

人はここまで、気配を消して動けるものなのか。野生の獣でも、この子にはかなわないのでは無いかと思えてくる。

「五分刻みで行動を記録してありますので、後で目をお通しください」

「し、知らないわよ! 気持ち悪い子ね!」

自分が雌虎に喧嘩を売っているのにも気づいていないのだろうか。多分ジャヌアが本気になったら、警官が十人単位で殉職しても捕縛できないだろうに。使用人は無害だと信じ切っている様子が何処か哀れだった。

ばたばたとおばが消える。

「お気になさらずに。 お嬢様は充分な成果を上げておいでです。 名門校に入った後に、政治的な話に参加なさればよろしいでしょう。 今は平和な国に生まれたことを、謳歌なされるとよろしいかと」

「ありがとう」

「はい」

「今まで、結構影で助けてくれてたんだね。 お礼、言ってなかったから」

ジャヌアも、表情は動かない。だから、花梨の言葉を好ましいと思ってくれているのか、実は馬鹿にしているのか、それは分からなかった。

自室に戻ると、ぼんやりと画集をめくる。ひまわりの絵が無数に描かれたものだ。

東京の家から移ってくるときに、抱えてきたものだ。身の回りの衣類とか教科書とかの他は、殆ど処分されてしまった。グッズもかなり処分されてしまったが、これは守り抜いたのだ。

パソコンも、部屋には無い。前は中古の性能が悪いのがあったのだが、今は携帯だけが、デジタル端末だった。これも使用料金が定められていて、それを超えると強制的に電源を落とすように契約されている。

学校では、トップの成績を当然取る。

全国模試などでも、上位の成績を取る。そのボーダーラインはかなり高い。

叔母が、ここに花梨を置く条件としてあげたものだ。中学の間は、これらをクリアできなかったら、強制的に施設に入れると叔母は祖父にまくし立てたらしい。

逆に言えば、それらさえクリアしていれば、叔母は花梨に文句を言うことは出来ない。祖父は公正な人物だ。それくらいの約束は守ってくれるだろう。

それにしても、碌な努力もせず、凡庸な成績しかとれなかった叔母が、おかしな事をいうものだ。

高校になったら家を追い出すとか、叔母は祖父に主張しているとか言う話もある。まあ、実際には自身も無駄飯ぐらいの叔母に「おいてやっている」と言われるのは大変シャクだし、出来るだけ早く自立しようとも思う。

だが、自立して暮らせる見込みも、今は無い。

祖父に指示を受けるしか無いだろう。叔父は溝口の政治的な駒として、花梨を活用としている節がある。これは祖父の口添えの結果らしいが、今は利用できる状況として有用だ。そうやって金と力の使い方を覚えていき、最終的には独立する。

そんな風な人生しか、多分花梨にはない。

ゴッホのひまわりのページを開く。

黄色をこよなく愛好した画家、ゴッホ。複数あるらしいひまわりの絵は大好きだ。

私は、狂気にとらわれているのだろうかと、ベットに転がりながら、花梨は思う。

ふと、滝のまぶしい笑顔が、脳裏に浮かんでいた。

頭を振る。

元気が欲しい。

ここでやっていく元気が。両親がいないことの痛手からは、既に立ち直れてはいる。だが、ゴッホ同様黄色を愛好する気持ちは、強くなるばかりだ。

はやく、ひまわりが見たい。

 

家に帰ってから、滝は周辺の地図を広げて、確認した。

二カ所くらいは辺りがあると花梨には説明したのだが、それは嘘だ。どうも引っかかるのである。それに、花梨は気付いていたようだったが、後をつけてきている奴がいた。

多分変質者じゃ無い。SPだろう。

「滝、飯だぞー」

「はーい」

呼ばれて慎ましい食事をする。家族で食卓を囲めるのだから、貧しくてもそれなりに良い生活なのかも知れない。

年収一千万がどうのこうのと、一時期テレビでもてはやされていた若手の会社員が、実際は寝る暇も無い仕事を強いられていたりといった現実は、滝も知っている。そんな風な仕事をさせられるくらいなら、まだ貧しくても家族が一緒にいる方がましだ。

「父さん、今月は小遣いいらないよ。 バイトでどうにか出来そうだから」

「そうか、すまんな」

「あまり無理をしちゃ駄目よ」

「大丈夫だって」

高校へ行くための積み立ても考えると、まだバイトは足りないくらいだ。

成績だって別に落としてはいない。まあ、元から高いとは言えない成績だが。

食事を済ませた後、自室に引き上げる。勉強を軽くやった後、今日のことをもう一度振り返った。

どうも話がおかしい。それを整理する。

花梨はあの辺りの林の中で見たという。だが、あの辺りで、林の中にまとまった畑が作れそうな敷地は無い。

ましてや、こっそりひまわり畑を作るというのも、おかしな話では無いか。海岸近くのひまわり道路の例を出すまでも無く、堂々と作れば良いのである。何が問題で、林の中にこっそりひまわり畑を作らなければならないのか。

ひまわりについて、調べてみる。

一応粗末ながら、PCはある。軽くネットで調べてみる。ひまわりという植物については分かったが、他にめぼしい情報は無い。

ゴッホの描いた名画についても出てくる。

色使いが、狂気じみているなあとは感じる。非常に凄い絵だと言うことは分かるのだが、どうにもそれ以上感じるものがない。

それとも、満たされているから感じないのだろうか。

花梨には、飢餓めいた心の欠落を感じるのだ。だから、ひまわりという花にも或いはこの絵のような存在にも、感動するものがあるのではないか。

少し前に美術の先生に聞いたのだが。

どうやら、美術には合う合わないの波長のようなものがあるらしい。大げさな話では無くて、何かしらの共通点があれば理解できたり、そうではなかったりするそうなのだ。つまり、友達と仲良くするために、共通の話題を出すとか、そういう感触である。

なんだか、ゴッホと花梨は似ているなと、滝は思った。

絵から受ける印象が近いのである。

ゴッホを調べてみる。

狂気の作家というのが、最初に出てきた。だが、どうもきな臭い話が、次々に出てくるでは無いか。

興味がそそられた滝は、本腰を入れてポータルサイトに、検索用のワードを打ち込んでいく。

ゴッホについては、調べている個人サイトがかなりあった。

ひまわりの絵も、一つや二つでは無いそうだ。発見されているだけで七以上のひまわりの絵が見つかっており、様々な構図ながら、共通している事があった。

花瓶に生けられているのである。

晩年のゴッホは、精神病院に入れられていたという。そして、そうなってからはひまわりを描いていないという、暗い話題もあった。精神病院については、結構他人事では無い。こういう環境だから、どうしても心を病む隣人は現れるのだ。

太陽は、精神の解放を示すのだという説明があった。それが証拠に、精神病院に束縛されてから、ゴッホはひまわりを描いていないのだとか。

だが、ふと疑問に思う。

本当に、ゴッホは狂気にとらわれていたのだろうか。

ゴーギャンという名前が目についた。

ゴッホファンからは蛇蝎のように嫌われている人物だ。最初は友人であったのだが、やがて対立し、ゴッホが発狂する原因になったとも言う。

軽く、経歴を見てみる。

疑念は、ますますふくれあがっていった。

 

4、心のひまわり

 

バイトを済ませて、合流地点で花梨を待つ。

あくびをかみ殺すのに苦労した。昨日は結局遅くまで、調べ物をしてしまったからだ。今時ブロードバンドで接続料金自体は安いとは言え、電気代は結構かかる。その上、ちょっと無駄な買い物もしてしまった。その分バイトを増やさないとなと、滝は思った。

花梨が来た。

今日は歩きやすそうなスポーツシューズに、足の露出が少ないジーンズだ。野性的な格好の筈なのに、どうにも綺麗なのはある意味詐欺である。

「お待たせ」

「ううん、今来たところだよ」

すぐに、目的地に行きたいと花梨が言う。

少し悩んだ後、滝は了承した。

今日は林の中を歩くことを前提にしているから、自転車は置いてきた。並んで歩きながら、昨日の成果をちょっとずつ話す。

「ちょっと昨日、調べてみたんだ」

「何を」

「ひまわりについて」

少し花梨が反応を見せたので、驚いた。

滝でさえ調べられるのだ。当然花梨は、徹底的に調べ上げているものだと思っていた。だから退屈そうな反応を見せるものだとばかり思ったのだが。

或いは、楽しみ方のベクトルが違うのかも知れない。

「ゴッホさんて画家がひまわりをたくさん描いてるけど、ちょっと変わっているね」

「私は大好きよ」

「うん」

ひまわりについて、花梨がぼそりぼそりと話し始める。

やはり、思った通りだ。

花梨は、ひまわりが好きなのでは無い。ひまわりが作る雰囲気が好きなのだ。太陽に向けてどこまでも伸びる背が高い、何よりも明るいあの雰囲気が。

ひまわりと聞いて、陰鬱な印象を受けるものはいないだろう。ましてや幼い頃の印象となると強烈だ。

自分に無いものだから、焦がれた。

好きになった。

予想は、恐らく当たっている。

花梨はとてつもなく孤独だ。多分今も、家に心を許せる人が一人もいない。詳しい事情はまだ聞いていなかったが、多分周囲と上手く行っていないのだろう。

上手く行かなくなり始めると、後はそれがどんどん連鎖していくことになる。

昔から、花梨は物静かな子だったのでは無いのか。コミュニケーションにあまり興味を見せない人間は、どうしてもいる。

この国は平和で豊かだ。不況とは言うが、世界的に見ればそれでも一番平和で豊かな国の一つだとも言える。

だが、唾棄すべき欠点はある。その最たるものは、コミュニケーション能力だけで、人の価値を決めるところだろう。不思議な事に、社会に出ると、その傾向が更に強くなる。

コミュニケーションは見かけが重要になるから、花梨はその点ある程度は有利だ。だが、それでも。今後はどうしても不利になっていくだろう。

ましてや、それが幼い頃になれば。

「今日も、昨日の人ついてきてるの?」

「恐らくね」

「SPの人でしょ」

「窮屈な話よ」

会話は短いが、前よりずっと応えてくれるようにはなった。

それで充分だ。笑顔を滝が浮かべているのを見て、花梨が不思議そうに小首をかしげる。相変わらず、顔には殆ど表情が浮かばないが。

花梨が表情をここまで消すようになったのには、よほどのことがあったはずだ。

それを取り去ってあげたいとは思う。

周囲にそう思う人は、今までいなかったのだろう。

コミュニケーション能力が不足しているのが悪い。そう切り捨てて、周囲は花梨に壁ばかり作った。

結果、花梨も内側から壁を作っていった。

それが、今の鉄面皮につながっている。それが、何となく、滝には理解できていた。

「それで、心当たりは」

「うん。 多分、間違いないと思う」

ふっと、鉄面皮に亀裂が入る。だが、明確な感情が表れるほどでは無い。

静かで、涼しい林の中に入った。昨日とは、少し違う方向に行く。ちょっと歩くが、まあそれほど行かずともたどり着けるだろう。

「ゴッホは、頭がおかしかったって言われてる」

林の中に入ると、花梨はそんなことを言い出す。

知っている。昨日調べたからだ。

確かに、あの黄色の色使いは、発狂を思わせる要素も含むものだ。普通の人間には、ちょっと思いつかない色彩の使い方である。

「私は、それでもひまわりが好き」

「いいんじゃないのかな」

「周りの人たちは、頭がおかしいとか言うんだろうけどね」

「放っておけば良いんだよ」

そういうことをする連中が、「常識的」で「まとも」だとされているのが、花梨がここまで心に壁を作った原因だ。そうでない花梨は異常であるという結論に結びつくからだ。

そんなことはおかしいと、誰かが言わなければならない。

言わなければ、ならなかったのだ。

だが、そんな勇気のある奴は、誰もいなかったのだろう。

「私、ひまわりの絵見た。 ちょっと色使いとか凄いと思うけど、頭がおかしいとは思わなかったよ」

「……」

「むしろ、色々悲しいことがあって、ため込んだ結果だったんじゃ無いのかなって思う」

ゴッホは、生きている間は全く評価されなかった。絵も、只の一枚しか売れなかった。それだけではない。

彼の絵画はぞんざいに扱われた。

鶏小屋の補修に使われたことさえあったという。周囲は、ゴッホの才能を全く認めなかった。ゴッホ自身も。

友人面をして近づいた連中も、それは同じだったのでは無いのか。ゴッホから搾取しようとしていただけでは無いのか。或いはゴッホを見下して、己の才能の肥やしにしようとしていただけでは無いのか。

人間は自分より下の存在を設定することで悦に入る。周囲を見ていて、それは強く強く感じる。

そうはならない。

私は、そうならない。

ゴッホに似たところがある花梨を見ていて、滝は思う。周りがそれでは、いけないのだと。

どうして個人の心に、全ての責任を押しつけるのか。

周囲全てが否定して廻るような場合、個人でそれを押しのけられるとでも言うのか。ましてや、幼い子供が。

そんな風に育った子供が、いびつにならないとでも言うつもりか。心が弱いなどと言う糾弾が的外れだと、どうして誰も指摘しないのか。そうして発生した災厄を、個人の責任に押しつけて、社会が原因にある事を、誰も指摘しないのは何故か。

林が、開ける。

ひまわりばたけではない。

だが、花梨がそこで立ち尽くす。

どうやら、当たりを引いたようだった。

 

其処は、朽ちた小屋だった。

畑の跡がある。ぼうぼうと草が茂り、井戸らしいものはすっかりさび付いてしまっていた。

ここに、小さな家があったのだ。既に管理も放棄され、朽ちるに任されているのだが。

思い出す。

そうだ。ここだ。だが、ひまわりが無い。

ひまわりは、駆逐されてしまったのか。雑草に。

花梨は立ち尽くす。

お前の母は異常者だ。

お前の父はろくでなしだ。

そう言われて育った。隙は見せなかったから、学校ではいじめられなかった。その代わり、周囲からは孤立した。いつの間にか、泣かなくなっていた。泣いても無駄だと、体が悟ったからだろう。

「こっち」

手を、滝に引かれた。

家の裏手に回り込む。既に誰も住んでいない家の外壁に、それはあった。

くすんだ、無数のひまわりの絵だ。

壁全てを覆い尽くすように、青空と、ひまわりの絵が、一面に書かれている。

そうだ、これだ。実体のひまわりじゃない。これを見て、一面のひまわりだと思ったのだ。

見つからないわけである。

「ここ、何?」

「近所のおじいちゃんが、昔すんでたとこ。 地主なんだけど、お金持ってるから、嫌な奴ばっかり寄って来るって言ってさ、わざとすごく不便なところに住んでたの」

滝が言うには、この小屋も、自分で建てたものだそうだ。

壁には、自分で無数のひまわりを描いた。きっとそれは、抑圧からの解放を求めてのものだったのだろうと。

案の定、周囲からは狂人扱いされたそうだ。

滝は話してくれる。

今も、おじいちゃんは生きている。

二年前に、発作を起こして倒れたからだ。泡を食った家族が、今まであれほど同居をいやがっていたのに、おじいちゃんと一緒に住みだした。理由はいくつかあるらしいが、いずれもろくでもないものばかりだ。

おじいちゃんは今、あまり高くない年金を貰いながら、家で盆栽を弄って生活している。そして、たまに滝が頼まれるのだ。

小屋のことは掃除しなくていいから、ある事だけ見てきてくれと。

裏手にひまわりの絵がある事を思い出したのは、昨晩のことだ。そういえば、裏にそういうものがあった。

おじいちゃんは、決しておかしくなっていない。

ゴッホだって、アブサンで後天的におかしくなったのかも知れない。おかしくなったとされて、周囲に閉じ込められていたのかも知れないではないか。

なんだか、別の世界の話に聞こえた。

滝はどうして、そうまで前向きに考えられるのか。

「そっか」

目をこする。

何年ぶりかに、涙がこぼれはじめていた。

「最初から、何も無かったんだ」

「あるよ、ここに」

「でも……」

「だったら、作れば良いんだっ!」

滝の声が、静かな林に響く。

リュックから出したのは、ひまわりの種だ。畑も、今は使われていない。

おじいちゃんには、許可も貰っていると、滝は言う。

「私も園芸は分からないけど、だったら一緒にやろう! この町に、いるんでしょ、しばらくの間は! ひまわりを植えよう! こんなすてきな絵だってある! それに実体が欲しいんだったら、実際にひまわりを育てれば良い! 場所だって、かしてくれるって言ってるんだから!」

滝が、道具を出してくる。

家の倉庫には、畑仕事の道具もあるらしい。かなり古くはなっているが、井戸も水が出る。飲料水に使えるかは分からないが、畑にまくには充分なはずだ。

それに、ここの土。

とても豊かだ。

涙を乱暴にこする。

「なんで」

「え?」

「どうして、ここまでしてくれるの?」

少し悩んだ後、滝は言う。

「笑顔が、見たかったからかな」

 

秋が来た。

夏が終わると、多少は肌も焼けた。雪女みたいに見えることは、花梨自身も知っている。多少は畑仕事で肌を焼いても、それに変わりは無い。

ひまわりは、あっという間に育って、すぐに花梨の背を追い越した。色々本を読みながら、一生懸命世話したからだろう。

本当はもう少し早く植えるべきだったのだろうが、元の土壌が良かったからか、関係為しにすくすく育ってくれた。

そして、太陽そのものの花を咲かせた。

写真を撮った。

何でだろう。ひまわりを背に写真を撮るとき、笑顔を浮かべてしまった。

本当に、元気を貰った。

元のひまわりが、心の中のひまわりだったからと言って、それが何だろう。

あのとき、恐らく迷子になった花梨は、絵のひまわりを見て、その記憶を錯覚してしまっていたのだろう。

そして、今、やっと迷子から抜け出せた。

滝に、手を引いて貰ったからだ。それがなければ、闇の中を今もずっとさまよっていたことだろう。

滝が来る。一緒に世話をして、来月には収穫できる。

そろそろ、花もしおれはじめる時期だ。元気を貰ったのだ。種を取って置いて、来年また植えてあげなければならない。

今までは、漠然と好きだったひまわり。

だが今後は違う。次は家の庭にも植えてみようと思っていた。

「花梨、やっぱりここに来てたんだ」

「ええ……」

最近は、少し笑えるようにもなっていた。

叔母にも、もう文句は言わせない。彼女が提示してきた無茶な条件は、もう全部クリアしているからだ。叔母は更にハードルを上げようとしたが、祖父が言ってくれた。

お前が出来なかったことを、この子はしているでは無いかと。

祖父は溝口の絶対者だ。

鶴の一声で、それ以降叔母は何もしてこない。

口をきくことも無いが、まあそれくらいは何でも無かった。

学校でも、花梨以外に友達が出来はじめている。高校も、この辺りのに行こうと決めていた。

そして、高校に入ったら、生徒会長になるのだ。

自立する。

溝口の家からも、今までの全てからも。

「一杯、元気を貰った」

「良かった」

「ありがとう、滝。 忘れられない夏になった」

「こっちこそ。 そろそろ、種も収穫できるね」

そうだねと、はじめて出来た本当の親友と笑いあう。

今ならば、言える。

ゴッホはきっと、狂気をキャンバスにたたきつけていたのでは無い。

こんな光が欲しかったのだろう。

それは狂気と言うよりも、もっと悲しいものだったはずだ。だが、世間では、ゴッホは頭がおかしかったという先入観で、彼の絵を決めつける。

どうしてそうなったのか、考えようともせずに。

私は違う。

私は、そうはならない。

そうならない元気と、何よりも勇気を貰ったのだから。

「高校に行ったら、何してみたい?」

「まずはうちの手伝いをしないといけないから、バイトかな。 大学にはちょっといけないだろうけど、お父さんが少しでも楽になるようにしなきゃ」

「そう。 私はやっぱり、まずは生徒会長。 それで良い大学に行って、自立する。 そうだね、資本を集めて、会社作ってみたいかも」

その時は、滝に手助けして欲しいと思う。

滝なら、信頼出来る。

ゴッホの二の轍を、花梨が踏むことはきっと無い。

それは、確信できることだった。

 

(終)