深淵願望

 

序、謎の力

 

混迷が続く。

どの勢力も、味方を増やすのに必死になっている事が分かる。篠崎田奈は、今ではもう、この世界から足を洗えないことを自覚しつつ。情報があった団地へと向かっていた。

一時期は、廃墟になる団地もあったのだけれど。

世界的な経済の悪化もあって、安く住める団地は見直され。最近では、住み着く人も増えてきている。

此処は関東圏にある団地で、アジアでも最大級の規模

何度か地図を見た後。

田奈は、周囲をしっかり警戒してから、団地に踏み込んだ。

経済の格差は、世界中で拡大しつつある。昔羽振りが良かった中東も、原油価格の異常な推移で、すっかり落ち目に。発展途上国では内戦が一般化し、先進国もあらゆる問題を抱えて苦しんでいた。

この世界は、遠からず瓦解する。

そう唱える人が増えてきているのも、当然の事なのだろう。経済学者の中には、現在の文明は後十年持たないと分析している者さえいた。

思うに、21世紀前半はまだ良かったのかも知れない。

田奈が年を取らなくなって、だいぶ時間が経過して。

人間社会の裏で激しく行われているこの三つどもえの闘争も。完全に膠着が続いていた。

今では、かろうじて争いを止めたとはいえ。冷戦状態は継続中。

多くの能力者が命を落とし。

力を蓄える段階に戻ったと言えば聞こえは良いけれど。

田奈がスカウトした能力者も、何人も命を落とす大きな戦いが続いて。自分がやっているこのオルガナイザーという役割は、何なのだろうと、時々虚無感にも囚われる。

あの時、命は救って貰った。

自分で道を切り開こうとも思う。

でも、今の時点で、どうしてだろうか。

自分がやっていることに。意味が見いだせなくなってきている。

とにかく、今は。

古細菌らのグループよりも先に人材を確保する必要がある。能力者はどうしてかこの国にばかり生まれる傾向がある。勿論他の国にも誕生するけれど、それでも圧倒的にこの国の能力者発生率は高すぎる。

あのエンドセラスの組織とは、現時点でも冷戦状態。

そしていつ戦いが再開してもおかしくない今。

可能な限り戦力を蓄える努力は、必要不可欠なのだ。

戦力を蓄える、か。

今は同じ組織のナンバーツーになった田奈は。その気になれば、豪遊だって世界旅行だって出来る資金を手に入れている。ビルだって立てられるし、事業だって始められる。生半可な企業の社長なんて、歯牙にも掛けないほどの財力だ。

でも、時間がなくて、何も出来ない。

ただひたすらに能力者をスカウトして。オルガナイザーとして、仕事を黙々とこなしていくだけ。

能力を買われてナンバーツーにまで上り詰めたけれど。

ユタラプトルをはじめとする旧首脳陣は面白くないと思っていると聞いてもいるし。やはり自分自身でも、仕事に意味が見いだせなくなりつつある。

私は、一体。

どこに行こうとしているのだろう。

歩いて、団地の奧へ。

壁もひび割れている箇所があるけれど。今更、修繕している余裕も無いのだろう。たまに無理矢理時間を作って、気分転換にショッピングもしたりして。

そのむなしさに、うんざりすることも多い。

四階に到着。

此処の階に住んでいるはずだ。

能力者の気配は一つだけ。

今や世界でもトップクラスの能力者にまで成長した田奈を刺せる者はあまり多くは無いけれど。

それでも、油断はしない。

油断して死んでいく能力者を、今までに何度見てきたか。田奈自身も、そうやって、何人も殺して行ったのだから。

変わらない見かけ。

むしろ、おばさんっぽい格好をすると、余計に不自然になる。

若作りしているとそれはそれで、何だか違和感が浮かぶ。

だから、大学の時に着ていた服を、ずっと着回している。勿論新しいのも買うけれど、それも大体同じようなデザイン。

落ち着いた雰囲気に化粧でする事も出来るけれど。

しかし、違和感が浮かんで仕方が無いのだ。

目的地のドアに到着。

ノックすると。中から何ともつかみ所が無い女の子が出てきた。現在高校二年生。東山晴良。

能力者らしいと言う事は分かっているのだけれど。

どうにも、得体が知れないのだ。

「あらー? 誰ですか」

「こういうものです」

笑顔で、名刺を差し出す。

新聞の勧誘でもなければ、宗教でも無い。

田奈はスカウトを円滑にするため、公務員としての職も得ている。ちなみに色々やってきたが、一番やりやすいのは警官だ。

刑事としての仕事は、ほぼしていないに等しいが。

今の自分たちの組織は、国にも強く関与している。貰っている警察手帳は、国も認めている本物だ。

「お巡りさんですかー?」

どうにもぽやっとした子だ。

締まりのない笑み。

ふくよかと言うほど太りすぎず。かといって痩せ過ぎもしてない体型。まあ、不細工では無い程度の顔立ち。

異常な得体の知れなさだけが表に出てくる、不可思議な子。

分かり易い相手によっては、能力もすぐに分かったりするのだけれど。これは苦労しそうだと、田奈は思った。

「今はお一人ですか?」

「いえ、おばあちゃんが奧にいます。 呼んできましょうか−?」

「いいえ、結構です」

連れ出すのも気の毒か。

話が聞きたいというと、あっさり家に上げてくれる。大丈夫かこの子はと思ったけれど。度肝を抜かれたのは、それからだ。

家中に、歯車が飾ってあるのだ。

それも小さなものだけじゃない。

大きなものから、非常に特徴的なものまで。

どんな機械の何処に使われているのだろうと思いたくなる、巨大なものもある。非常に、異様な光景だった。

「これは、ご両親が?」

「いいえ。 家族全員が好きなんですよー、歯車」

「へえ……」

だとすると、関係は無いか。

能力者としての嗜好が、家族全員に及ぶというのは、聞いたことが無い。ましてや、歯車マニアなんか、世界を探してもそう多くはいないだろう。勿論いる事はいるだろうけれど。少なくとも今まで田奈が生きてきて、出会ったことは無い。

奥に通される。

この家の構成は既に調べてある。

共働きの父母と、祖母。それに能力者らしい晴良。

晴良の上に兄姉が二人いるが。いずれも団地を出て、既に独立済み。この二人については調べてあり、能力者でない事は確認してある。

祖父は五年ほど前に他界。

祖母は既に認知症になっていて、近々老人ホームに移る予定だそうだ。

「粗茶ですが」

「お構いなく」

きちんと茶を淹れて持ってくる。

一口だけ含んで、毒はないと判断。

能力者になって、体は頑健になったけれど。それでも、毒が効くことはある。事実毒殺された能力者の話も、聞いた事がある。

さて、此処からだ。

「こういう能力について、聞いた事は?」

指さした先のものを、ひょいと曲げてみせる。

笑顔のままそれを見ていた晴良だけれども。

特に驚く様子は無い。

「不思議な力です。 エスパーさんですかー?」

「似たようなものです。 そして貴方もこの力、持っていますね」

「えー?」

小首をかしげる様子。

何ともマイペースな子だとは思うけれど。

演じている様子は無い。

すっと目を見て、暗示を掛ける。

昔に比べて、田奈は気が短くなっている。というよりも、時間を掛けている暇が無くなっている。

悠長に話を聞き出したり。

親身になって相手に接近したり。

昔は丁寧に接していたのだけれど。

冷戦状態の、エンドセラスの組織。それに古細菌の強大な戦力。彼らとやりあっているうちに、心がすり切れてきているのかもしれない。

催眠術や暗示は、近年身につけたものだ。

余計な事をしないように、相手の心を縛ったり。

或いは、隠し事を暴き立てたり。

いずれにしても、かなり強引な手。昔だったら、絶対に使わなかっただろう手段だけれど。

今は、使用を躊躇しなくなっていた。

暗示にすぐに掛かる晴良。

多分、とても素直な性格なのだろう。

「嘘はついていませんね」

「はいー」

「そうですか。 それでは、経過観察ですね」

指を鳴らして、暗示を解く。

晴良は、今までの話を全て忘れているはず。念のために盗聴器も仕掛けておく。軍用のもので、警察の間には出回っていない。

本来、警察が使わないタイプのものだ。非常に強引なやり方だけれども。強力な能力者が敵に回った場合、その災厄は計り知れない。

特に古細菌の中には、街一つを滅ぼしかねない力の持ち主もいて。

そいつらに到っては、殺戮を何ら躊躇しない。

田奈も、昔と違って。人を殺すことに対する忌避はとても小さくなっているけれど。それでも、大量虐殺を平然とするほど落ちてはいないと自負している。強力な能力者を古細菌に渡すことは。

大量虐殺に荷担するも同然だ。

団地を出る。

周囲に能力者の気配はなし。

貪欲に同胞を集めている他の勢力も。晴良にはまだ目をつけていないらしい。早めに晴良を仲間に引き込んでおけば、余計な手間が省ける。

能力を持っているとして。

一体どんな力を持っているのかが、重要なのだけれど。

一旦、借りたビジネスホテルに移動。

部屋に入ると、クーラーボックスを開けて、シダの葉を取り出し、口に含んだ。能力の代償は、この年になっても無くならない。

力を使わなくても、一定のタイミングで、シダを口に入れたくなる。

田奈は、まだ能力の代償が軽い方。

ひどい子になると。人肉や人血が欲しくなる場合もある。

シダを噛んでいると、落ち着く。

田奈の元になった、古代の森の覇者。アースロプレウラの魂が、そうさせるのだ。しばしベッドに横になって、目を閉じて状況を整理。

何人かいる監視員からの情報は、晴良に能力者の特徴があると告げている。

外れの可能性は小さい。

ただ、どうにも妙な違和感がある。

一体どういうことなのだろう。あの子が嘘をついているようには見えなかったし、少なくとも暗示を掛けた感触では、それは無かった。巧妙に暗示を逃れる場合もあるけれど。それは相当になれた能力者か。或いは特殊な訓練を受けた間諜などの精鋭だ。

あの子は違う。

動きも筋肉の付き方も確認したけれど。

戦いを経験どころか、スポーツさえやっていない。

かといって、そう言う子が、戦闘タイプの能力者になる事だって多いのだ。油断だけはしていられないだろう。

盗聴器の情報は、何名かの部下に廻す。

ちなみに政府から廻されている、専任の情報工作員だ。エンドセラスほどではないけれど、政府に能力者集団として重宝されてもいる。多くの事件を裏で解決もしてきたし、国内の過激派集団も、幾つか内々に屠ってもいる。

能力者の絶対数が少ない以上。

人間とある程度折り合いをつけなければ、やっていけないのだ。

一旦、寝ることにする。

起きてから、組織のトップである陽菜乃に定時連絡。

状況を告げると。

陽菜乃は、電話先で小首をかしげたようだった。

「妙だね」

「そうですね。 どうして他の組織が動かないのか。 能力者の可能性は極めて高いのに、前兆さえ出ていないのか」

「とにかく、その子の周囲を確認継続、よろしくね」

短く話すと、通話終了。

陽菜乃とも、もう随分と長い。

私が能力者に目覚めた切っ掛けも、彼女だ。

昔は感謝していた。

運命に立ち向かう力を得られたのだから。

今は決して、そうではない。

運命など、みなければ良かったと思うことが、何度もある。それが後ろ向きな考えだと分かっているけれど。

オルガナイザーとして長くやっていると。

同胞の死も限りなく見てきたし。

敵も多く殺す事になる。

コーヒーを飲もうと、外に出て、喫茶店に。スマホを弄って、ニュースを見る。紛争の数は増える一方。

特にアフリカでの紛争は激化の一途をたどっていて。もはや、地獄と言うも生ぬるい状況に落ちつつある様子だ。

大量虐殺も、世界中で起きている。

世界の人口は、ついに増加から平行線に転じ。

このままだと、減少するのでは無いかと言われている。

時代の終焉が、来つつあるのだ。

そして能力者は。

その終焉を、食い止めることが。いまだできていない。

 

1、黎明

 

調査開始から、二日目。

田奈が起き出して、外に出たのは。月曜日であり、晴良が学校に通うからだ。この近所の公立校に通っていることはリサーチ済み。学校で目立つようなことも無く、クラゲのように漂いながら、特に存在感も示さずに生きているようだ。

強制的に能力を発現させるような方法は、まだ試さないほうがいいだろう。

リスクが大きいし。

恨みを買う可能性もある。

クラスメイトから浮いている様子も無い。登校の途中、同級生と並んで話している様子を、影から見る限り。

特に社交的では無い事もなさそう。

もはや平凡という概念も無いこの時代。

周囲と過不足無くやっていけているだけで、相応に幸せと言えるかもしれない。

「此方鵯」

「状況を」

「今の時点で、能力者センサには反応無し。 寝たきりのターゲット祖母には、異常ありません」

「了解」

両親についても、情報が来る。

特に問題なし。

本当に、どの勢力も、唾をつけていないと言う事か。しかし、能力者となると、どんな些細な力の持ち主でも構わないと言うこの状況。

文字通り、猫の手も借りたいというどの勢力も。どうして晴良に反応を示していないのか。

色々と妙だ。

学校に入っていく晴良。

学校周辺にも、能力者の気配はない。適当に近くのファーストフードに入ると、ニュースを確認しながら時間を潰す。

エンドセラスはまだ積極的に発展途上国で支配地域を増やそうとしているらしく、関連のニュースが入ってきている。

強引なやり口については、前とあまり変わらない。

古細菌の勢力に関しては、表のニュースには、殆ど情報が出てこない。

それぞれの実力が桁外れの上、文字通り各国の闇に深く噛んでいることがとても多いからだ。

能力者の世界に足を踏み入れれば。

多くの場合、もう陽の光が当たる世界には出られない。

それが分かっていても、スカウトに躊躇しなくなっている自分。

そして、それに虚無感を覚え始めている自分。

いずれもが、矛盾に満ちていて。

そして時々、吐きそうなほどに醜悪だと思う。

年だけは取らなくなった体だけれど。

心は容赦なく老いているのかもしれない。

もしそうだとすると。

田奈はいずれ、体は若いまま。心は老人になって。まるで化け物のような存在へと、変じてしまうのだろうか。

それは悲しい事だ。

連絡が来る。

田奈の祖母を見張っている鵯からだ。

メールという事は、緊急事態では無いのだろう。内容を確認すると、妙な音がする、というものだった。

盗聴器から、何か変な音が聞こえてきている、という。

「何か異常は起きていませんか」

「訪問者無し。 ホームヘルパーが十二時に来る予定ですが、まだ来ていません」

「……監視を続行してください」

メールをやりとり。

ついでに、その辺な音とやらのサンプルも廻して貰う。

聞いてみると、なるほど。

確かに妙な音だ。生物が立てているとは思えない。時計の歯車が回るような音なのだけれど。

五分ほどで止んでいる。

時計などの音が入ってきたにしてはおかしい。

何か、遠隔で能力が使用された可能性もある。

夕方になって、生徒達が帰宅。晴良もさっさと帰宅していく。これは寝たきりの祖母の事を考えて、の事だろう。

それを確認してから、田奈は晴良が通っている公立校に忍び込む。

教室の状態を確認。

気配を消しているし、監視カメラの間をくぐるくらいはお茶の子だ。もっと警戒が厳しい国の施設にも、何度も忍び込んでいる。いつもオルガナイザーばかりしているわけではない。

荒事に関しても、田奈は既に限りない経験を積んでいる。

これくらいは朝飯前である。

晴良の教室と、席は既に特定済み。調査は終わっている。

確認し、盗聴器を仕込むと。

さっさと、学校を出た。

能力者特有の気配はない。しかし、どうにも妙だ。これはひょっとすると、何か大きな影がある事件かもしれない。

ビジネスホテルに戻る。

両親も帰宅したようで、盗聴器からは、和やかな団らんの音が聞こえてきていると言う。

休めるときには、休む。

目を閉じると、田奈はすぐに眠ることにした。

忙しくなると、数日は眠れないこともザラだ。アフガンの過激派を殲滅しに行った時には、四日ほど眠れなかった。

だが、妙な胸騒ぎもする。

この一件。

思った以上に、裏があるかもしれない。

 

翌日。

陽菜乃に定時連絡を済ませると、ビジネスホテルを出る。早い内から、気配を消して、団地に行く。

正面から、会いには行かない。

団地の屋上に行くと。

其処で、気配を探るのだ。

部屋に、晴良の気配がある。両親と祖母も。

しかし、何だ。

前に会いに行ったときとは、明確に違う何かおかしな雰囲気がある。何だろう。上手に説明は出来ないのだけれど。

能力者の中には、訳が分からない力を持つ者もいる。

戦闘向けの分かり易い能力を持っている者に関しては、まだマシなのだ。困るのは、戦闘向けでは無くて、しかし使いようによっては非常に面倒な能力の持ち主。

重力を自在にする田奈は、むしろ分かり易い方。

そもそも晴良は、どんな生物の意識があるかさえ、よく分からないのだ。

晴良が登校する。

リスクは大きいが、直接踏み込むべきか。認知症の祖母に気付かれないようにするくらいは、今の田奈には朝飯前。

ちなみに、とっくに合い鍵も作ってある。

団地から、晴良の祖母以外全員がいなくなったことを確認すると。

田奈は、周囲を念入りに確認し。

ドアを開けて、堂々と部屋に踏み込んだ。

無数の歯車が、出迎えてくる。

奧では、気持ちよさそうに、認知症の祖母が眠っている様子だ。痕跡を残さないように、探って回る。

特におかしなものはない。

会社で稼いでいる晴良の両親。どちらも収入はそれほど多くも無いらしく、それでも共働きだから、生活はそこそこ裕福な様子だ。団地で安く部屋代を抑えられている、というのも大きいのだろう。

晴良の部屋に入る。

その瞬間。

違和感が爆発した。

一見すると、特に問題が無い部屋だ。女子高生が生活しているとしても、別に過不足はない。ぬいぐるみの類。ピンク色のコーディネイト。

直接会った感触では、得体が知れないとは思ったけれど。

部屋を見るだけでは、むしろ趣味は別にプロフィールから想定できる範囲から逸脱していないように思えてくるのだが。

問題はそこでは無い。

異常な感触がある。歯車が何個か壁に掛かっている事だけが、理由では無い。何かがおかしい。

観察力は、実戦で磨いた。

この部屋の異常さは、一瞬で分かるほどのものだ。だが、何がどうおかしいのか。空気だろうか、それとも。

リスクは大きい。

遠隔型の能力が、既に発動している可能性もある。

しかし、それでもやっておくべきだろうと、田奈は判断。部屋に踏み込むと、ゆっくり周囲を見回して。

そして、なるほどと呟いた。

すぐに団地を出る。

誰にも見られていない。痕跡も残していない。指紋だの髪の毛だのは、当然落としている筈も無い。

だが、あの娘。晴良は気付くかもしれない。

自分の巣に、誰かが立ち入ったことに。

田奈は、結論。

あの娘。

晴良は、既に能力者としての自覚があり、使いこなしている。暗示には掛かったはずだが、どう誤魔化したのか。それは非常に気になる。

先に、陽菜乃には連絡を入れる。

この件、思ったよりも、リスクが大きいと判断したからだ。

最悪の場合、戦闘も想定しなければならないかもしれない。

分かり易い能力よりも、わかりにくい能力の方が、対策が立てづらい。バリバリの武闘派が、訳が分からない力に敗北することは、よくあるのだ。そして実際に殺し合いになってしまうと。

生きるか死ぬかが全て。

どんな達人でも、強力な能力者でも。

死ぬときは、死ぬのである。

監視チームにも、注意するよう促して。一旦通話を切る。この様子だと、晴良は盗聴に気付いているかもしれない。

もしそうなると。

最悪の場合、手のひらの上で転がされている可能性もある。

既にエンドセラスないし古細菌の勢力に荷担していて。何かしらの目的で動いている可能性も、否定出来ない。

いずれにしても、危険だ。

ビジネスホテルに戻ると、田奈はシダの葉を噛む。

どうにも落ち着かない。

このままだと、取り返しがつかない事になる気がする。一旦手を引くべきなのだろうか。しかし、そうだとしても。実際に能力を見てからだ。もしも他の勢力に、得体が知れない能力が加わると。大変に面倒なのだから。

それにしても、晴良のあの部屋。

違和感については、今ははっきりしている。

異常に埃が少ないのだ。

そんなに几帳面な正確には見えなかった。事実居間や廊下には、普通の生活感があったのだが。

晴良の部屋だけは違った。

まるで、毎日全てのものをひっくり返して、完璧に掃除しているかのような。無論、そんな手間暇、かけられるはずがない。

多分、能力に関連している。

そしてあの晴良という娘。

田奈が思っているより遙かに危険だ。相当な食わせ物だと見て良いだろう。

あらゆる情報を探るように、周囲に指示。

「ひょっとしたら、既にエンドセラスや古細菌の勢力との接触があるかもしれませんから、その辺りも念入りに探ってください」

「いくら何でも、神経質になりすぎでは」

「探ってください」

部下の不信に、一刀両断で返すと。

田奈はため息を一つ零した。

他の勢力が周囲に姿を見せないから、何かあるかもしれないとは思っていたのだが。まさか此処まで得体が知れない案件だとは思わなかった。

一体何が起きている。

ふと見ると、クーラーボックスのシダの在庫がなくなりつつある。すぐに新しいのを差し入れるように、田奈は指示。

そして、自分が、苛立っていることに気付いていた。

 

能力には。それこそあらゆるものがある。

強力な能力者の中には、時間を操作するものもいるし。

田奈が操る重力も、強力な一つに入るだろう。

しかし、弱い能力だと言っても。決して、危険度が低いとは言い切れない。実際問題、使い道次第では相当に高い殺傷力を発揮することだって出来るのだ。

事実、格上の能力者を、抹殺した事態も。田奈は何度か見ていた。

自分がそうなることは、ぞっとしない。

慎重すぎるくらいでいい。

慢心すれば負ける事もある。恐らく、最強の能力者の一角であるエンドセラスや陽菜乃だって、それは同じだろう。

ましてや、田奈は。

顔を上げる。

いつの間にか、眠っていたらしい。昨日はビジネスホテルで、調査を進めていたのだけれど。

こんな風に落ちたのは、いつぶりだろう。

不覚だ。

起き出すと、時間を確認。

そして、違和感に気付く。

四時間程度しか眠っていないのに。異常なほど、体がすっきりしているのだ。これは一体、どういうことか。

すぐに部下達に連絡。

状況報告をさせる。

今の時点では、おかしなことはないと、口を揃えて返事が来る。おかしい。田奈は、神経質になりすぎていないか。

これも、能力の影響?

いや、違う。

最近、田奈はオルガナイザーというこの仕事に、既に強烈な倦怠感を覚えていたはずだ。今に始まった事では無い。

しかし、実際寝オチするような無様を曝している。

昔だったら、あり得ない事だ。

そして田奈は昔よりも、遙かに力を増している。あらゆる点で、である。そうなる以上、何かおかしな攻撃を受けたのか。

攻撃。

受けたとしたら、間違いなく。あの晴良の部屋に踏み込んだとき、だろう。

リスクが大きすぎたのだ。

やっぱり止めておくべきだったか。そう思っても、後悔しても既に遅い状況。今更どうしようもない。

一旦撤退するか。

しかし、相手の能力は得体が知れませんでした。それだけの報告をして、済む話でもない。

協力を求めるべきか。

しかし既に田奈は専門のスタッフを動かしているし、相手の能力の得体が知れない以上、一網打尽にされる可能性さえある。

焦りは禁物だ。

何かあった時にも、被害は最小限に抑える必要がある。

それにいっそのこと。

晴良を今のうちに始末してしまうと言う手もあるかもしれない。非人道的だけれども、生き残るためには仕方が無い。

ただ、それは最終手段だ。

もしも、エンドセラスの組織に晴良が属している場合は、止めた方が良いだろう。

古細菌の方だったら。

潰してしまうべき。

その場合は、田奈だけでは無く、手練れを呼ぶ方が良いだろう。能力の詳細も、出来れば今のうちに突き止めたい。

勿論、単に過敏になっているだけの可能性もある。

外に出ると、喫茶店に入り。

出来るだけ甘い食べ物を注文しようとメニューを見ていると。部下の一人。学校の方の監視を任せている鴉から連絡。

「妙なことに気付きました」

「詳しくお願いします」

「はい。 授業を受けているターゲットを観察し続けていたのですが、誰も彼女に話しかけません。 教師が指名することもないようです」

「……」

妙だ。

登下校を観察する限り、相応に社交的な性格に見えた。学校で孤立している雰囲気も無かった。

「イジメか何かを受けている様子は」

「それもないですね」

女子特有の、無視するという陰湿なやり口でのイジメにも見えないという。しかし、晴良から話しかける事はあって。

その時は、周囲も普通に応じているのだとか。

やはり妙だ。

認識阻害の能力だろうか。

エンドセラスが持っていると噂されるあれだ。エンドセラスくらい強力になると、見えていて見えないという状況にさえ陥るようだけれど。それも、能力が及ばない範囲にまでは、影響出来ない。

しかしそれにしては、おかしな事が多すぎる。

実際田奈は、異常なほどに、晴良のことを意識してしまっている。

小首をかしげてしまう。

一体何が起きている。

能力を使っているのだとしたら。

晴良はどうやって、これだけ田奈を混乱させているのか。

あの得体が知れない笑みを思い浮かべて、ぞくりと背筋に悪寒が走る。正体が分からないと言うことは。

この年になっても、厄介極まりないとしか、認識出来ない。

陽菜乃にも連絡を入れる。

電話の向こうで黙り込んでいた陽菜乃は。

やがて、決定的な一言を言った。

「交代する?」

「え?」

「田奈ちゃんさ、何だかおかしいよ。 ひょっとすると、能力者の攻撃を受けているんじゃなくて、田奈ちゃん自身の問題かもしれない」

「……っ」

陽菜乃は更に言う。

田奈自身の苦悩を知ってか知らずか、それは分からないけれども。

だが、田奈は。珍しく強い口調で、反論していた。

「私以上にオルガナイザーとしての実績がある能力者、いますか?」

「確かにそうだよ。 田奈ちゃんは、恐らく能力者の中でトップのオルガナイザーだろうね」

「ならばどうして」

「疲れが溜まることは誰にだってあるよ。 しばらく休暇をあげるから、休んできたらどうかな」

何だろう、この不快感。

陽菜乃に対しての不満はそれほどなかったのだけれど。

今までの不満は、概ねこの世界に対して、だった。

しかし、明確に陽菜乃に対する不満がわき上がってくる。どうしたのだろうとさえ、自分でも感じた。

「この仕事が終わったら休みます」

「無理はしないでね。 田奈ちゃんがいないと、色々大変なんだから」

「分かっています」

通信を切る。

呼吸を整えると、来たケーキを頬張る。太る可能性は無い。カロリーをどれだけとっても、足りない位なのだから。

あまいカフェラテを口にして、しばらくぼんやりする。

何だろう。

この強烈な胃に来る不愉快の塊は。

もっと甘い物を注文。

店員は不審そうな目を向けたけれど、無視。私としては、もうどうにでもなれとさえ、感じ始めている。

連絡が来る。

今度は鵯からだ。

「何かありましたか」

「それが妙でしてね」

「具体的にお願いします」

「はい。 どうも認知症の祖母なのですが、家の人間が出るとすぐに眠り、ヘルパーが来るまでずっと眠っているようです。 その後も、ヘルパーが帰るとまたすぐに眠り、家族が来るまで起きないようでして」

それは確かに妙だ。

認知症だからと言って、ずっと寝ているというようなことがあるのだろうか。歯車だらけという事もあって。あの団地の一室はおかしい。

しかも、だ。

少し調べて見たのだが。祖母の体調は悪くない。認知症こそ患っているが、それ以外は健康で、癌もないようだ。

つまり、である。

健康になるために、ずっと寝かされている、とでもいうべきなのだろうか。

それはおかしい。

そもそも寝かされ老人というような言葉もあるように、実際には寝たきりにすると、却って体に害になる。それで健康になるはずがない。色々な意味で、おかしいのだ。

そして家に侵入した田奈は。

まさか、とは思うが。

もう一つ、ケーキを注文。こっそり取り出したシダの葉を噛みながら、考えをまとめていく。

ゆっくり考えると。

少しずつ、違和感の正体が見えてくる。

焦っていたから、だろうか。

いや、違う。

恐らく、だが。田奈の憎悪が、そらされていたのだと思う。もしそれが本当だとすると。ひょっとしてあの娘。

悪意を持って田奈を手のひらの上で転がしていたのでは無く。

意識さえせず、能力を使っていたのかもしれない。

 

2、黒衣

 

危険は承知の上。

田奈は連絡を取る。今ではエンドセラスの組織に移籍した、能力者の一人に、である。

こういう、スパイまがいの行動をしている能力者はいる。しかも、一人ならず、である。いざというときのために、どちらの組織も、それを黙認している。渡りをつけるために必要だからである。

連絡と言っても、電話だ。

そして、かまを掛けてみると。

あっさり、事実が判明した。

「ああ、あの団地に住んでる娘だろ。 晴良とか言う」

「ご存じですか」

「知ってるも何も。 彼処に調査に行った能力者がおかしくなって、よりによって古細菌側に行っちまってな。 以降は近づかないようにって」

「なるほど、そうでしたか」

前から感じていた不信が、増幅されていたのだろうか。

いずれにしても、これではっきりした。

下手をすると、古細菌側も、晴良に接触していたのかもしれない。しかし、仲間に引き込むには到らなかったのだ。

あれは、魔物だ。

無自覚の。

これは、仲間に引き込むのは、諦めた方が良いかもしれない。しかし、放置するのは、もっと危ないだろう。

少し悩んだ末に。

田奈は、陽菜乃に連絡を入れる。

状況が著しくまずい事は、陽菜乃もすぐに理解したようだった。

「それは、面倒だね」

「正体は分からないですけれど。 ただ、仲間に引き込むのは、リスクが大きいかと思います」

「しばらくは離れた方が良いだろうね」

「そうします」

監視だけは、残す。

おそらくエンドセラスは、もう唾をつけようとは考えないだろうけれど。それでも、古細菌側がどう動くか分からない。

いざというときには、対処できるようにするべきだ。

部下達の監視は残すけれど。それもいずれは外すべきかもしれない。国に貸してもらっている人材だ。

無為にしてしまっては、組織の立場も悪くなる。

惑わされていただけなのかもしれない。

ただ、田奈は。陽菜乃に感じた不信だけは本物だと思っている。陽菜乃に悪気がない事は分かっている。

ただ、田奈も。

そろそろ、限界が近いのだ。

人間が大量破壊兵器をぶっ放し合う戦争に比べれば、人は死なない。それでも、育ててきた能力者達の死を、何度看取ればいいのか。

感情を押し殺して、仕事はしてきた。

これも自分の決めた道だと思って。

でも、田奈にこの道は。少し険しくなりつつある。

休むのでは無くて、止めたいのだ。

でも、止めるにはどうすれば良いだろう。

ぼんやりと天井を見上げる。古細菌のグループが全滅したらどうなるだろう。それはそれで危険だ。

全滅したところで、今度はエンドセラスと陽菜乃の最終戦争が始まるだけ。

そうなれば、勝つのは、地力で勝つエンドセラスだろう。

そういうものだ。

逆転勝利を陽菜乃が決める事があったとしても。その代償は極めて大きなものになる。世界の能力者が激減し。

決定的な優位を、人類に与えるだろう。

そうなれば、どうなるかは見えている。人類は、能力者に対して、徹底的な弾圧を加えるはずだ。

エンドセラスが死んで、その組織が瓦解した場合は。

これは論外だ。

というのも、古細菌の勢力はあまりにも圧倒的。今はかろうじて三竦みの状態になっているけれど。陽菜乃の勢力だけで、古細菌の勢力を相手にするのは無理だ。下手をすると、この国に水爆をうち込んで来かねない相手なのだ。

つまり、瓦解した後、殆どの能力者は古細菌側に流れる。

ただでさえ無理な戦力差が更に拡大。

かといって、陽菜乃が死ぬのもまずい。そうなれば、同じ現象が起きる。つまり田奈達は、古細菌の勢力に屈するしか無くなる。

そうなれば、エンドセラスが押し潰されて終わるだけだ。

現状の三すくみは崩せない。

崩せるには崩せるけれど、いずれにしても田奈には良い方向には転ばない。少なくとも、能力者は戦いから解放されない。

古細菌の組織に到っては。

全能力者を統合した後、人類を適切な数にまで減らして管理するという話まであるほどだ。

そんな事をすれば、人類側が全力で反撃に出るに決まっている。この星は文字通り、火の海になるだろう。

もしもこの拮抗を崩す事ができるとすれば。

古細菌の勢力は論外だ。彼奴らには死んでもらうしかない。少なくとも、組織としての力を残していては困る。

古細菌の勢力を潰して、それを陽菜乃が吸収したら。

一瞬考えたが、出来る訳が無い。そもそも、あそこにいる能力者共は、特に幹部はそれぞれが陽菜乃やエンドセラスと同等かそれ以上という化け物集団なのだ。数百年生きている奴さえいる。

文字通り、化生の類の集まりなのである。

もしも、完全勝利する手があるとすれば。

頭を抱える。

どのみち、この三すくみは、来るべくしてきたものだ。

あり得ない奇蹟でも起きない限り。

田奈が平穏を得られる場所は来ない。

そして、奇蹟なんか起きないから、この世は成り立っているのだ。能力者はいても、奇蹟は起きない。

この世界から争いが消えることは無い。

人間が、争いを止めるはずが無いのだ。

田奈が組織を離れたらどうなるだろう。

たいして変わらない。

この組織のナンバーツーまで上り詰めた。オルガナイザーとして、他に優秀な人間がいない。

エンドセラスから声を掛けられたこともある。

組織内でのニッチを、完全に掴んでいる。

しかしそれでも、田奈がいなければ絶対に回らない組織でも無い。勿論陽菜乃の組織は弱体化するだろうが。それでも、潰れるほどでは無い。多分この均衡が崩れることは無いだろう。

八方手詰まりだ。

ため息をつくと、外に出る。

空が曇っていた。

まるで、自分の心のようだ。

 

ビジネスホテルから荷物をまとめて、一旦退避する。

面倒な能力者に関わったものだ。

ひょっとすると、エンドセラス側のスカウトマンも、こんな風に、元からあった不信感を刺激されて、離脱したのだろうか。

あり得る話だ。

しばらくは、関わる事は無いだろう。

そう思っていた矢先の事である。

「あらー?」

「!」

思わず戦闘態勢を取って飛びずさっていた。

そこにいたのは。

晴良である。

前にあった時と同じように、つかみ所の無い笑みを浮かべている。殺気も悪意も感じ取ることは出来ない。

一目で分かる。

もしその気になれば、一瞬で首をへし折れる程度の相手だ。

「以前会ったお巡りさんですね−?」

「久しぶりです。 どうしましたか?」

「ただ通りかかっただけですよ−?」

妙だ。此奴の動きは、まだ監視させているはず。

こんな風に姿を見せる可能性は低いし。そもそも、ニアミスが起きるはずがない。今は昼間じゃない。

夜中の二時半だ。

しかも、今日は平日である。

此奴は家で寝ているはず。団地を見張っている部下からも、きちんと報告を受けた上で、ビジネスホテルをチェックアウトしたのだ。

しばし、沈黙のまま、距離を保つ。

見ると、学校の制服を着たままだ。此奴、こんな夜中に外を出歩いて。普通だったら、補導の対象になりかねないはずだが。

周囲が警戒している様子は無い。

やはり、認識を阻害したり、異常を起こす能力か。

しかし、それにしては、どうにもおかしい所もある。

「こんな夜中に何をしているんですか?」

「眠れないので、お散歩をしていますー。 どうせ明日の学校まで眠れそうにありませんし、それまでフラフラしていようかなと思って」

「家に戻りなさい。 今、この辺りは危ないですよ」

「そうなんですかー?」

小首をかしげながら、晴良は戻っていく。

慌てて部下に連絡。

即座に返事が来る。

「おかしいですね。 団地からターゲットが出たという形跡はありません」

「しかし、今目の前に」

「すぐに確認します」

どういうことだ。

見張りに関しては、客観的なデータを取れるようにしてある。勿論監視カメラも、団地の入り口に仕込んである。

この団地に通用口はあるが常時封鎖されていて、此処から出ることは出来ない。ましてや夜中だ。

監視カメラに、帰ってくる晴良が写ったという。

あり得ないと、監視をしていた鵯が呻くけれど。確かに此奴が客観的情報を見逃すのは、何とも妙だ。

これでも経験を積んだ諜報員である。

子供なら兎も角、監視カメラの画像を見逃すような不覚は取ると思えない。

能力者の力は、概ね自分を中心に広がる。

自分を監視している仕組みまでだませる奴はあまり多くない。近距離で戦闘している相手の認識をおかしくする能力を持つ奴はいるけれど。それでも、遠距離から客観的に確認している相手まではだませないのが普通だ。

人間というか、法則の領域を越えているから、である。

そうなると、認識異常を起こす能力だとは考えにくい。

頭がおかしくなりそうだ。

透明になったりする能力だろうか。

しかし、そんなものを無意識的に使っていたら、もっと騒ぎになっている筈。田奈の前に今し方現れた晴良は、周囲からまるで警戒されていなかった。此処は繁華街であり、田奈にさえ視線が時々飛んでくるのに、である。まあ、今は気配を周囲に示しているから、だろうけれど。

とにかく、気味が悪い。

一旦晴良からは離れると決めたのだ。荷物を抱えて、さっさとタクシーを捕まえる。タクシーに乗って、この街を離れると。

別の場所に確保している、セーフハウスまで移動。

この世界には不可思議なことがいくらでもあるけれど。このような得体が知れない相手は、初めてだ。

或いは、本当の意味で。本腰を入れるべきなのか。

それとも、この得体が知れない力が古細菌側に渡る前に、いっそ晴良を殺してしまうべきなのか。

しかし、そんな事をすれば。

今までしてきた事が無為になる。

タクシーで移動中。

運転手が、妙なことを言い出す。

「お客さん、何かにとりつかれていません?」

「妙なことを仰いますね。 幽霊を信じているんですか?」

「いやね、これでも霊感がある方でしてね。 お客さんに妙な気配が纏わり付いているのが見えるんですよねえ」

此奴、何を言い出すのかと思ったけれど。

しかし考えてみれば、能力者がいる世界だ。そういうものがあっても、不思議では無いだろう。

勿論田奈は見たことが無いけれど。

ある意味田奈にとりついている力。アースロプレウラの能力は、古い古い幽霊だと言っても良いのかも知れない。

ただ、何かにとりつかれている、か。

それは、ちょっとニュアンスが違う気がする。

田奈はアースロプレウラであり。

アースロプレウラは田奈だからだ。

別にアースロプレウラが後天的にとりついたのでは無くて。元からある力なのだ。そうなると、このタクシー運転手が言っているのは。

「何だか黒衣の気味が悪い奴ですねえ。 死神じゃ無いですか、それ。 お祓いでもして貰った方が良いんじゃないですかね」

「考えておきます」

「急いだ方が良いと思いますよ」

適当に相づちを打つと、目的地近くの路地に到着。

控えていた若手の能力者に、状況を引き継ぎ。そのまま、セーフハウスに向かう。以降は気配を完全に消して、臨戦態勢で移動。

セーフハウスを突き止められるのは、大変危険なことだからだ。

政府の諜報組織だって、全面的に信頼出来るわけではない。何が起きるか分からない以上、自分で確保したセーフハウスの場所は、誰にも教えるわけにはいかない。勿論陽菜乃にも教えていない。

救援を求める必要が生じたときだけ、場所を転送する仕組みを作ってあるが。それも最終手段だ。

何の変哲も無い一軒家。

それが田奈のセーフハウスだ。

周囲は閑静な住宅街で。隣の家とはそこそこに間がある。庭を広めに取っているのだ。そうすることで、隠れられることを防ぐのである。

家に入った後、やっと一息。

安心できる。

服を脱ぐと、シャワーを浴びて。湯船に浸かると、一安心。リラックスして天井を見つめていると。

何もかも忘れて、ゆっくり出来る。

手を伸ばして、掴むような動作を何気なしにする。

多くの戦いをこなしてきた田奈だけれど。

こうも気味が悪い相手と接触したのは初めてだし、出来るだけ今はゆっくり過ごして、鋭気を養い直したかった。

だが。

眠って目覚めると。

いきなり緊急連絡が来る。

時間を見ると、昼少し前だ。昨日、風呂に入って眠ってから、六時間ほどが経過していることになる。

すぐにスマホを操作して受電。

相手は、鵯だった。

「緊急事態です」

「何が起きましたか」

「そ、その! ターゲットが増えました!」

「……詳しくお願いします」

身を起こしながら、話を聞く。

昨日のことだ。

明らかにおかしい時間に帰宅している晴良を見た後、不審に思った鵯が確認し直したところ。

妙なことが幾つも浮上してきたのだという。

今までのログを確認した所。

どうも、家にもう一人誰かがいるようにしか思えない現象が、多数発生していることが分かったと言うのだ。

特におかしいのは、認知症の祖母。

前までは徘徊癖があったらしいのだけれど。最近はそれも無くて、家でずっと大人しくしているという。

かといって、寝たきりにされているわけでも無いらしい事も分かってきた。家の中で会話している様子や、歩き回っている様子が分かってきたのだとか。

しかも、音声を確認した所。

明らかに、第三者と喋っているのだという。

「最初は認知症による譫妄かと思っていたのですが、どうにもおかしいのです。 声色が違う別の者が、明らかにいて。 しかし、監視カメラを見る限り、ターゲットを含め全員が外出しているんです」

「それで、続きを」

「は、はい。 ログを確認して分析したのですが、わずかに拾えた第三者の声が、ターゲットのものと一致しました。 これは明らかに、ターゲットが二人いるとしか思えない状況です」

分身を作る能力は、別に珍しくない。

しかし、それを差し引いても、おかしな事が多い。分身を作る能力には何かしらの制限が掛かることが多いし、それを考慮しても幾つかの予防線を張っていたのだ。鵯にしても、分身能力者の監視をした経験がある。

今まで発覚しなかったのは、どう考えてもおかしい。

少し考えた後。

田奈は陽菜乃に連絡。

一旦調査を中止して距離を取った後、起きたことを報告しておく。後でレポートも出すと告げると。

陽菜乃は黙り込んだ。

「今、セーフハウス?」

「ええ、それが何か」

「おかしいね。 田奈ちゃんの側に気配がある。 もう一つ息づかいがあるよ」

文字通り、田奈は跳び上がっていた。

これでも百戦を重ねたのだ。

気付かない筈が無い。

まさか、タクシー運転手が言っていた、黒衣の何者か。いや、そんな筈は。周囲を見回しても、自分では気付けない。

慌てて着替えると、セーフハウスを飛び出す。

近くには別の能力者もいる。

合流した方が良いかもしれない。

分身の類を作る能力として。

それが田奈に張り付いている可能性は、否定出来ない。手練れが側にいれば、気付けるかもしれない。

勿論、一緒に一網打尽にされる可能性もある。

非常に特殊な能力を有している相手の場合。そう言う事故は起きうるのだ。

更に言うと、あの晴良は、恐らく無意識で能力を使っている。

そうなると、余計にタチが悪い。

近くに控えている、別の能力者の住居に飛び込む。血相を変えた田奈が来たのを見て驚いたのは、そこそこの手練れの能力者だ。

「どうしましたか」

「周囲を警戒してください」

「分かりました!」

すぐに戦闘態勢に入るのは、それなりに訓練を積んだから。勿論、実戦も経験している。だからこそ、今回頼った。

田奈が外を警戒。

誰もつけてきている者はいない。

カラシニコフを出してきた彼女に、顎をしゃくる。

「外は私が警戒します。 この家の中に、既に誰かがいないかを、確認してください」

「えっ!? し、しかし」

「急いでください」

有無を言わさぬ口調に、流石に閉口したのか。彼女はすぐに警戒を開始。

しかし、田奈自身が分かっている。

きっと、見つかることは無いだろう。陽菜乃だから分かったと言うか。恐らく距離を取っているから、分かったのだ。

だから、監視カメラの前に立つと。

田奈は、敢えて監視しているスタッフに連絡を入れる。

何か見えないかと。

しばしして。

生唾を飲み込む声が聞こえた。

「落ち着いて聞いてください、篠崎さん」

「何か見えるんですね」

「はい。 貴方に、黒衣の何か得体が知れない存在が、纏わり付いています。 し、死神のようです」

「正確な位置を」

告げられた箇所を掴む。

手応え無し。

目を閉じると、田奈は。

全力で、重力操作を展開。自分の周囲の空間そのものを歪めて、一気に床へとたたきつけていた。

床が凄まじい衝撃を受けて、軋む。

呼吸を整えながら、状況を確認。

黒衣の何者かは、平然としているという。そうなると、物理的な攻撃では或いはだめかもしれない。

しかし、霊能力なんて持ち合わせはないし。

そんなものを持っている配下も部下もいない。それにこれは、恐らく特殊能力の範囲内の攻撃だ。

そうなると、特殊条件を満たしたときに発動。

そのまま、ずっと発動し続ける能力だと判断して問題ないだろう。

戻ってきた能力者が、唖然としている。

驚かせてしまったけれど、今はそれどころじゃない。田奈にとっては、それこそ死活問題なのだ。

やはり晴良をどうにかするしか無いか。

「な、何が」

「能力者の攻撃を受けています。 貴方も攻撃を受けるかもしれない。 一旦これを」

放り投げたのは、ハンディカメラだ。

自分を取るように指示。

頷いた能力者がハンディカメラを覗くと、やはり黒衣が写ったようだった。ひっと、小さな悲鳴を上げる。

田奈には見えていないけれど。

相当に不気味なのだろう。

「鵯、応答を」

「はい、どうしましたか」

「今、ターゲットは」

「学校に出ました」

そうなると、帰り道をまちぶせするのが一番か。

この得体が知れない能力、今後何が起きるか全く予想がつかない。いや、既に攻撃を受けている可能性も低くない。

どうもぴりぴりしているこの心。

それに、エンドセラス側のスカウトマンの行動。

いずれも、今の田奈にはおかしな事ばかり。

このまま放置しておくのは危険すぎる。

タクシーを捕まえる。

能力者は、家に置いていく。同じようにとりつかれると、やっかいだからだ。それにしても、どういう能力なのか。

今までの分析をする限り。

家にいる祖母の面倒を見ていたのは、能力を使っていると見て良いだろう。これに関しては、ほぼ間違いないとみて良い。

問題は、今、田奈にとりついているという死神だ。

一人で複数の能力を持つ例は、殆どない。これに関しては、ごくわずかな例外があるらしいけれど。

そんなレア能力者、恐らく誰もが放っておかないだろう。

現場近くに到着。

一旦陽菜乃には連絡しておく。

これは、最悪の事態が起きた場合には、引き継ぎをしやすくするためだ。勿論、田奈としては、不満は確かに抱えているけれど。

もしも組織を離れる事があっても。

その直前までは、しっかり出来る仕事をしたいのである。

プロの矜恃、と言う奴かもしれない。

いずれにしても、この死神をどうにかするまでは、この状況、放置する訳にはいかないだろう。

気配を消したまま、潜む。

死神は誰にでも見えるわけでは無い様子だけれど。それでも見える人間に遭遇すると、面倒事の元になる。

時間を確認。

晴良は部活をやっていないようだから、恐らく授業さえ終われば、そう時間を掛けずに学校から出てくるはずだ。

あと一時間という所か。

目を閉じて、精神を集中。

強引な拉致は、今までにも経験がある。出来れば採りたくない手段だけれど。今回は田奈の命にも関わっている。

見えた。

他の生徒はいない。

いるとしても、攪乱の手段は用意してきてある。ただ、他の生徒の視界に晴良が入っていないタイミングを狙うことは。

今の田奈には、難しいことでは無かった。

一瞬の隙を狙って。

裏路地に引っ張り込む。

頸動脈を抑えて、瞬時に気絶させると。そのまま抱えて、確保しておいたアジトへと担ぎ込んだ。

勿論抱えて走れば目立ちすぎるから、選び抜いた裏路地を通ってのことだ。

口にガムテープを貼り、縛り上げる。

抱えて見て分かったが、やはりこの娘、どう考えてもただの素人だ。戦闘経験どころか、スポーツさえやっていない。

此奴に翻弄されているのだと思うと不快感もあるが。

非常に面倒な特殊能力は、確かに実在している。

転がしておく。

そして、カメラをセット。

自分を映しながら、遠所にいる部下に確認させる。

「どうですか、死神はまだついていますか?」

「はい。 はっきりと」

「最悪、殺すしか無いですね」

殺すなら、苦しまないように、一瞬でやれる。

ただ、それはあくまで最終手段だ。

拉致しておいてなんだけれど。最悪の手段は、最後の最後までとっておきたい。能力を解析するには、手っ取り早い手がある。

この娘に。

ついている生物をはっきりさせ。

その意識とリンクさせるのだ。

田奈も、アースロプレウラとリンクすることで、重力操作を自在に出来るようになった。今では、アースロプレウラの夢を見ることも、自然になっている。夢の中では、アースロプレウラこそが、田奈の主体であるほど。

さて、この娘は。

どんな生物の夢を見ている。

目を覚ます晴良。

腰をかがめて、顔を覗き込む。

「あれ、お巡りさん?」

「ごめんなさい、乱暴なことをして。 どうしても知らなければならないことがあってね、手荒な手段を執らせて貰いました」

「わたし、縛られてるんです?」

「ええ。 今、私、貴方のおかげで厄介なことになっていましてね。 それが解決したら、解放します」

まず、最初に夢について聞く。

変な動物が出てくる夢を見ていないか。

そうすると、たまに見るという。

やはり、辺りか。

「どんな動物ですか」

「おっきなサメさんです」

「サメ……」

サメは古い魚類だ。軟骨魚類の中でも、かなり古い時代から生きている種族である。4億年以上前からいるのだから、ゴキブリよりも更に古い種族だ。絶滅したサメも、当然ながらたくさんいる。

古い時代のサメの中には、当然とてつもない大型種もいる。

真っ先に思い当たるのは、最近では特に有名なメガロドンだけれども。それだけではなく、さらなる大型種もいる。

どんなサメかと聞いてみると。

小首をかしげるばかり。

少しばかりこの娘の鈍さには、苛立ちを覚えてきたけれど。下手をすると、全てが台無しになる。

ゆっくり、聞き出していかなければならない。

話をしていくと、分かってきたのは。

歯が、円盤状をしている、という事だ。

使いづらそうな歯が、円盤状をして、口の中に収まっているという。ゆっくり長い時間を掛けて、歯が生え替わっていく。古い歯はドンドン奧に。円盤の内側に潜り込んでいく。正確には、螺旋と言うべきか。

少し調べて見て、なるほどと呻く。

正体が分かった。

ヘリコプリオン。

あまりにも特徴的な歯を持つ、古代のサメだ。

 

3、幻の牙

 

ヘリコプリオンは、三億年ほど前に生息していたサメの一種である。

軟骨魚類は基本的に骨が残りづらいのだけれど。ヘリコプリオンの場合、あまりにも不可思議な形をした歯が残っていて。それが故に、復元図に関して、様々な議論が為されたという経緯がある。

現在では、サメとはあまり逸脱していない姿に復元されているけれど。

復元図の中には、思わず二度見してしまうほど独創的な姿をしているものもある。それにしても、ヘリコプリオンか。

腕が痛いと、晴良が呻く。

縛っておくのは気の毒だけれど。能力を覚醒しないと、命が危ないかもしれないのである。

容赦は出来ない。

「私にとりついているこの黒いの、見えていますね」

「何ですか、その……あれ。 わたしだ」

「! 詳しく」

「その、お婆ちゃんが心配で、時々私、家の事をぼーっと考えてるんです。 そうすると、お婆ちゃんをわたしが世話していて。 あれ。 どうして、学校にいるのに、お婆ちゃんを世話できるんだろ」

なるほど、ちょっと頭が緩いとは思っていたけれど。

能力を使いこなす過程で、記憶が混濁していたのか。

この黒い影は。

祖母の世話をするために、産み出された能力なのか。いや、違う。恐らく、本来の能力を、祖母の世話にも使っている、というところだろう。

前は兄たちがいたし。祖母も認知症では無かったのだろう。

しかし、祖母が認知症になって。

共働きの家庭では、ヘルパーを雇うだけでは、とても祖母の面倒を見切れなくなった。かといって、今老人ホームは、数年待ちなのが当たり前の状況だ。入る事なんて、簡単にはできないだろう。

晴良はぼーっとしているけれど。その分お婆ちゃん子だったのだろう。

優しいこの娘は。

どうにかしてお婆ちゃんの世話をしたいと考えて。

能力をいびつな形で発言させた、と見て間違いなさそうだ。

そして、善意で生じた能力だからといって、安全とは限らないのが、つらいところなのである。

実際この死神にとりつかれたことで、田奈は非常に厳しい状況に陥っている。

このまま状況を放置出来ない。

「この黒いのを、私から引きはがしてくれますか」

「ええと、どうすればいいのかわかりませんー」

「貴方になら出来る筈です」

「えー」

分からないと言った様子で、縛られたまま此方を見る晴良。どうにもペースが崩されるけれど。

仕方が無い。

能力を使うコツについて、教えていくしか無い。

時間がない。

制御が出来るように、ある程度簡単な方法から教えていく。そもそも、サメの能力なのに、分身体とはこれ如何に。

だいたいの場合、元になった生物と、ある程度能力はリンクしているのが普通だ。

たとえば田奈の場合は、超重量級の大型ヤスデ。元になったアースロプレウラの性質を示すように、重力を制御する事が出来る。

ティランノサウルスの能力を持っている陽菜乃の場合。

暴君竜の名にふさわしい、圧倒的戦闘力が能力そのものだ。陽菜乃の場合には頭も良いので、能力も使いこなすことが出来ているが。正直な所、本当だったらパワー馬鹿になっていた可能性も否定出来ない。

ひょっとすると。

錯綜した研究がベースになっているのか。

しかし、それにしては妙だ。人間側から観測した能力がベースになるというのも、妙な話だからだ。

順番にコツを教えていく。

だが、晴良はあまり覚えが良い方では無くて。中々上手に出来ない。

物覚えが悪い相手に教えるのは、別に苦手では無い。

順番に、一つずつ。

理解して貰う。

トイレに行きたいとぼやきだしたので、この辺りが限界だと判断。縄を解いてやる。最悪の場合でも、此奴を捕まえることは難しくないだろう。

勿論、大声を出したり、脱走したりしようとしたら、即座に拘束する。

トイレには当然外に出られる窓も無い。窓はあるにはあるのだけれど、しっかり格子が填まっている。

「腕、痛かったですー」

「ごめんなさい。 でも私も必死でしてね」

「大丈夫ですよー」

つかみ所がなさ過ぎる。

この性格。

ひょっとして、やはり人間側から観測した能力なのだろうか。ヘリコプリオンは、本来は獰猛な捕食者だったはずだ。

まて。

其処で、違和感が湧く。

此奴の能力の代償は、何だ。

どんな能力者も、基本的に能力には代償が伴う。凶暴な生物だった場合は、肉を喰らうとか、そう言う分かり易い代償がつきやすい。

この娘は。

トイレから出てきた晴良は、相変わらず締まりがない笑みを浮かべている。ひょっとして、この娘。

昔は、性格がまるで違ったのでは無いのか。

 

能力の訓練をしながら、調査を進めさせる。

そうすると、やはりおかしな事が、幾つも分かってきた。

この晴良という娘。

小学校時代は、札付きの不良だったのだ。毎日学校で大暴れして、同級生を怪我させることも一再だったという。

それが、中学校に上がったくらいから、異常に大人しくなる。

周囲は、その変わりぶりに、目を見張ったのだとか。

なるほど。

ひょっとすると、この娘の場合。能力の代償として、元々秘めていた凶暴性が失われていくのではあるまいか。

実際問題、丸くなったとかいう問題では無い。

まるで別人だ。

心に住み着いたサメに凶暴性を食われて丸くなり、結果とても周囲から愛される温厚な性格になるというのも数奇な運命だが。

いずれにしても、この黒衣の死神さえ引きはがして貰えれば。

もう、問題は無いのかもしれない。

覚えが悪い晴良だけれど。

順番にやっていくことで。ようやく、死神を少しずつ動かせるようになってくる。ただし、どうしても田奈から引きはがすことが出来ない。

それが一番重要だというのに。

「お婆さんの世話は大丈夫ですか?」

「あ、それは今、別の私がしてるっぽいです」

「……」

そうか。

騒ぎにならない理由についても、分かった。

それに何となく見当もついたのだけれど。ひょっとすると、この間ホテルから出たときに遭遇した晴良は。

この影の方だったのかもしれない。

そしてそのままとりつかれた、というわけだ。

分身は、複数作る事が出来ても不思議では無い。或いは、古細菌側に行ってしまったというエンドセラスの配下も。

まだ、とりつかれているのだろうか。

晴良はたくさんいて。

その全員に、誰もが疑問を抱かない。

本当の晴良は何処にいて、誰なのか。ひょっとして、晴良自身も分かっていないのかもしれない。

田奈の目の前にいるこの晴良も。

或いは、偽物かもしれない。その可能性は否定出来ない。

頭が痛くなってきた。

少し休憩を挟んで、またコツをレクチャーしていく。

三日目には、かなり自在に動かせるようになって来たけれど。それでも、まだ剥がすには到らない。

ちなみに学校には、別の晴良が行っている様子だ。

鵯から、発狂寸前の連絡が来る。

晴良が確認できるだけでも五人いるとか。泡を吹いているので、監視を中止させる。これでは一体何が起きているのか、鵯にも理解できていないのかもしれない。

他の人間に、交代させる。

田奈自身も、交代できるならそうしたい。しかしこの能力、予想より遙かに危険にさえ思えてきていた。

 

晴良に話を聞いてみる。

監禁されているというのに、この娘はまるで怖がっていない様子だ。代償として喰われた凶暴性が、余程大きいという事なのだろう。

能力がそれだけ強力だという事か。

或いは、燃費が悪いのか。

「サメは好き?」

「はいー。 おっきくて強そうな所が、すきですー」

「そうですか」

「田奈さんは、嫌いですか、サメ」

首を横に振る。

サメは古くから生き残っている生物だけあって、実に洗練された存在だ。幾つもの大量絶滅を凌いできた実力は伊達では無い。現在でも海で大いに繁栄している種族であり、その多様性もまた豊富。

変温動物であるから、どうしても恒温動物には出力でかなわないけれど。

それでも、差を補うための工夫は幾つもしているし。

実際、増えすぎた鯨をターゲットにして増えたメガロドンのような例もある。生物としては、実に優れたモデルだ。

もっとも、田奈はこういう風に実利優先で考える自分の事を、もうまともな世界に戻れないなと。悟ってしまう。

普通だったら、単純な好き嫌いで相手を判断する場合が多いのだ。

「やはりヘリコプリオンで間違いないようですね」

「?」

「基本的に、どんな異形でも、能力の持ち主には嫌悪は抱かないんです。 混乱しているうちは違って、特に元の生活に愛着があった場合は憎悪を抱いたりもしますけれど、いずれ時間が解決していきます」

田奈は。こんな状況になっても。巨大なヤスデであるアースロプレウラに憎悪を抱いてはいない。

嫌悪もだ。

さあ、もう一度やってみようかと腰を上げる。

その時だ。

すっと。

とりついていた、影が消えた。

そして、その場に抑えていたはずの晴良も。

笑顔のまま。

溶けるように、消えていった。

 

団地を見張っていた、鵯の様子を見に行く。

頭を抱えて、ぶるぶると震えている。完全に精神をやられてしまっているようだった。気の毒だが、後は精神科医の仕事だ。

この仕事はリスクが高い。

精神を破壊されるくらいで済んだのはむしろ幸運な方。能力者の遠隔での反撃を受けて、そのまま命を奪われることもある。

それでも、見合う給料を貰っているから、彼らは働く。

田奈は。

どうなのだろう。もうこの業界から離れたいとは思うけれど。どのみち、もはやどうにもならないのは、わかりきっている。勿論、晴良の攻撃を受けた結果というのもあるのだろう。

でも、このモチベーションの低下。

心に巣くった虚無感は、どうしようもない代物だった。

鵯の交代要員を出して貰って。別の人間にログは解析させる。そして田奈自身は、団地へと向かう。

また、正面から晴良の家に。

ドアを開けて、中に入ると。

ひやりとした空気が、身を包んだ。

はて。

どういうことだ。

思わず戦闘態勢を取る。明らかに、異常だと言うことが分かったからだ。周囲を見回す。

以前はなかったものがある。

死臭。

それも、かなり古いものだ。

部屋を一つずつ確認していく。

奥の部屋にて、それを見つけた。

既に命を落とし、ミイラになっている認知症の祖母に間違いない。どうみても、死後一年は経過している。

どういうことだ。

盗聴器に、ログは入っていたはず。

それだけじゃあない。この家では、晴良と両親、他に三人もの人間が暮らしていたはずだ。

独立する前の、晴良の兄二人だって、いたはず。

大体、寝ている様子は、ちらっとでも自分で確認したではないか。

背筋が凍るかと思った。

いつの間にか。

後ろに、晴良が立っていたからだ。

「田奈さん、見てしまいましたね」

「晴良さん……」

「お婆ちゃんは、もう亡くなっていますー。 気付いていたかもしれませんけれど、両親が、意図的に面倒を見なくなってから、認知症が悪化して。 私も世話をしていましたけれど。 ついに。 それで、寂しくて、生きていて貰いました」

「……」

能力の、恐らくは応用。

田奈にとりついたあの死神を利用して、既に死んでいる祖母を動かしていた、という事だろうか。

つまり、世話をしていたのでは無い。

生きているように、能力で誤魔化していた、という事か。

まだつかみ所がない晴良の能力。

一体此奴は、憑依させて、相手をどうするのか。

「やっと、自分の力が自覚できました」

今度は、別の部屋から晴良が出てくる。

全身血まみれだ。

手には包丁を持っていて。それでいながら、つかみ所のない笑みを浮かべ続けている。更に、一人。

最低でも五人いると鵯が言っていたのは、嘘では無かった、ということだ。

「まさか、両親も」

「はいー。 お婆ちゃんを殺したのも同然だったあの二人をー、私は許せませんでしたあー。 今では、二人とも私の傀儡です。 とびきりのブラック企業で、死ぬまで稼いで貰うつもりですー」

「……」

何といういたましい話か。

結局この娘にとって。

能力は、自分のためだけの力。身を守るために使用する、変幻自在のカバー。

祖母は生きていて。

両親は優しくて。

そして自分も、周囲からつかみ所がなくて、得体が知れない存在だと認識させるための鎧。

外敵には死神をとりつかせ。

複数の分身の記憶は共有し。

そしてそれらのことは、全て無自覚の内にやっていた。ある意味、天才と言える能力者なのかもしれない。

「帰っていただけませんかー?」

血みどろの晴良は。

手にした包丁で、誰かを傷つけたのでは無い。自傷行為を繰り返していた様子だ。手首に凄惨な傷が残っている。

恐らくは、自責の念を満たすための分身。

いや、ひょっとすると。

というのも、周囲にいる全員に、等しく気配があるのだ。これはひょっとして、全員が分身では無くて、本体なのかもしれない。

もしそうだとすると。

「貴方達全員が、東山晴良ですか?」

「まだいますよ」

「……っ」

「見逃してください。 私は静かに生きていくだけです。 でも、外敵には、黒い私がとりついて、別の場所に行って貰います。 これ以上、誰も殺したくないですし、もう誰にも殺されたくはありませんから」

あの黒い奴は厄介だ。

結局、どんな能力を秘めているのかも解析できなかったし。何より、あまりにも神経を傷つける。

一度、引き揚げる。

そう言うと、田奈は団地を出た。

部屋の一角から、晴良が此方を見ている。

いや、違う。

屋上にもいる。

街路樹の影にも。

本当に、三人やそこらでは無い。何十人も、東山田奈という存在はいて、そして誰もがその異常性に気付かない。

なるほど、性格が激変する訳だ。

こんな無茶な能力の使い方をしていれば。それは明らかに、代償で心がぼろぼろになっていく。

もしく喰わせる凶暴性がなくなってしまったら、東山晴良はどうするのだろう。その狂気は、何処へ矛先を向けるのだろう。

他人事のように心配になるけれど。

もはや、それどころでは無い事も理解している。

この団地自体が、巨大なサメのいけすだ。

元々ヘリコプリオンは、全長数メートルに達する大型のサメで。更にそれ以上に大きくなる品種もいたと言われている。巨大生物が跋扈するいにしえの時代の海で生きて行くには、それだけの強さが必要とされたのである。

勿論、海の王者にはなれなかったけれど。

それでも、かなりの上位に食い込んでいた強者。

未自覚で能力を使っていたとしても。

その強力さに、変わりは無い、という事だ。

団地を出ても、まだ監視の気配がある。能力を自覚したことで、更に分身の作成に歯止めが利かなくなった、という事か。

それにしても、これだけの数自分がいて、精神が錯乱しないのだろうか。

いや、もう錯乱しているとしたら。

頭を振る。

深淵を覗き込んでしまった。

向こうだって、覗き返してくる。

小さな団地の部屋で繰り広げられた、おぞましい愛憎劇。凶暴で、周囲に味方もいなかった晴良の唯一の理解者だっただろう祖母が壊れたとき。

この世に晴良をつぎ止めていた最後の理性が。決壊してしまったのだろう。

「監視終了してください」

「分かりました。 ただちに」

監視チームも、異常な状況に、うんざりしていたのだろう。

彼処には、もう足を踏み入れない方が良いと思う。ベテランである田奈でさえこれなのだ。

晴良の精神は、完全な狂気に包まれていた。

多分両親も、もはやこの世の存在では無いのだろう。祖母と同じように動かされているか、或いは。

とにかく、もうこの街からは離れた方が良い。

そう、田奈は決めた。

後処理だけを済ませると。

田奈はもうこの町には、足を踏み入れないと、誓っていた。

 

4、顛末の輪

 

一月ほど、田奈は休暇を貰った。

精神が限界に来ていたことを、陽菜乃が察したのだろう。でも、正直な話。休みなんて貰っても、何の慰めにもならない。

今回の件は、田奈にとっては、非常に重要な転機となった。

もう、元の世界に戻って、平穏に暮らすことは出来ない。元々の生活だって、平穏だったとは言いがたいけれど。

理想としては、何処かの別荘地で、ゆっくりと余生を過ごすことだけれど。

それも時々住処を変えないと、危ないだろう。

年を取らない体になってしまっているのだ。

それに、仮に陽菜乃の所を抜けたところで。

他の勢力から、ヒットマンが幾らでも来るだろうし。何より、スカウトだって、田奈の元を訪れるだろう。

この業界で田奈は、実績を積み重ね過ぎた。

例え現場を離れたとして、待っているのは。

逃げ続ける日々。

そして、永遠に安らぎなど来ないのだ。

乾いた笑いが零れる。

一旦、日本を離れることとする。勿論休暇の間だけだ。能力者が異常集中しているこの国から、田奈が離れる事はあり得ない。

晴良の能力については、レポートを出した。確かに強力な能力で、付帯効果も判明していないものが幾つもあるはずだ。

しかし、はっきりしている事がある。

近いうちに、あの娘は自滅する。

際限なく能力を使用しているが、その代償がもうない。自分の心の凶暴性は、とことんまで喰わせてしまっている。そうなれば、もはや能力を維持することは、出来なくなる。心から全ての凶暴性が消えて無くなったとき、どうなるのか。

正直、田奈には分からなかった。

連絡が来る。

陽菜乃からだ。

休暇中悪いねと前置きしてから、あまり良くないニュースが入る。

「古細菌側のスカウトが、例の子に接触したみたい」

「放置で問題ないかと思います」

「即答だね」

「正直な話、手に負える相手がいるとは思えませんから」

それほどに、厄介な能力なのだ。

特にとりつかれると、精神に変調をきたす。そればかりか、その変調は、タチが悪いことに、心の奥にある願望を呼び覚ます。

私自身もそうだし。

今まで接触してきた者達だって、そうだろう。

古細菌側はかなり強引なスカウトをする連中だけれども。あの晴良という娘は、それ以上にタチが悪い。

スカウトは無事ではすむまい。

能力者を使うのか、それとも走狗にしている諜報員を使うのかは分からないけれど。それでも、むしろ田奈は同情してしまうのだった。

世の中には、関わらない方が良い能力者がいる。

しかも晴良の場合、悪意があって災厄をばらまいているのではない。

ただ、静かに生きているだけ。

それで、あれだけの悪夢が、周囲に顕現するのだ。もし強引にスカウトでもしていたら、組織が瓦解していたかもしれない。

しばらく、各地の温泉宿を巡る。

温泉に入って体を温めながら、各地のニュースを確認。ぼんやりと、激化していく紛争と。

悲惨さを極めていくテロを確認。

まだ、核を使ったテロは起きていないけれど。

それも時間の問題だろう。

この世界は、既に限界に来ている。田奈の予想では、ある一点を境に、能力者はぴたりと姿を見せなくなるはずだ。

いにしえの生物たちの思念は。

世界に繁栄をもたらそうとしている。

そのために、多くの能力を与えてくれているわけで。

人類社会がどん詰まりに来て、何もかもの解決が望めなくなった場合。彼らは人類に見切りをつけ。

次の生物に、バトンを渡そうと考えるだろう。

温泉に入って、ゆっくりした後。

浴衣を羽織って、眠ることにする。

眠って起きた所で、何も事態は解決しない。

それはわかりきっていたけれど。

なおも、眠らずにはいられなかった。

 

予想通りの事は、続く。

翌日の昼。

晴良をスカウトしようとしていた古細菌側の人間が、突然にして姿を消したという事だった。

まあ、むしろ良く保った方では無いだろうか。

死神にとりつかれたのか、或いは。

単純に、晴良を取り込んだ方が、むしろ組織にとってはマイナスになると判断したのかもしれない。

晴良は後どれくらい、平穏に生きられるのだろう。

能力が尽きれば、当然祖母も死ぬ。というか、本来の、田奈が見たような死体に戻る。

晴良自身も、あまり永くは生きられないだろう。

能力を失った能力者が、あまり良い結果を得られないことは、田奈も知っている。これでもオルガナイザーで、多くの能力者を見てきたからだ。戦いが原因だったり、ストレスが理由だったり。

色々な理由でドロップアウトした能力者はいて。

能力を完全に失うと。

発狂したり、或いは羽化した蜻蛉のように。

儚く死んでしまう。

あれだけ派手に能力を使っているとなると、晴良は三十までもたないだろう。田奈がレクチャーした能力制御を使いこなせるようになってそれだ。少なくとも、晴良にとっては。能力者に覚醒したのは、不幸だったと言わざるを得ない。

温泉旅館の一室でゆっくりしていると。

不意に、また連絡が来た。

おちおちもしていられない。

「篠崎さん、大変です」

「火急の件ですか」

「はい。 ニュースを見てください。 今すぐ」

ひなびた旅館でも、テレビくらいは当然ある。最近は液晶のテレビを置いているのが、普通になっている。

チャンネルを廻すと。

ニュースが飛び込んできた。

団地で、三人の死体が発見。

既にかなりミイラ化が進んでいる祖母の死骸。これは田奈が見たものと同じ。そして、それにもまして悲惨な状態になっている、両親の死骸。

場所は言うまでも無く晴良の家だ。

なるほど。

あの家には、祖母の死体だけではなく。傀儡にしていた両親の死体もあったということか。

晴良が、何かしらの理由で能力を解除したのだろう。

まさか、古細菌側が、何かしたのか。いや、それにしては妙だ。こんな事をして、晴良が配下に入るとは思えないし。何より晴良を配下にしてメリットが一つも無いことは、少しでも調べればすぐに分かったはず。

解せない。

休暇は、此処までか。

伸びをすると、部下に連絡を入れる。

まだ、晴良の監視そのものはさせていたはずだ。連絡を取ってみると、聞きたくも無い情報が入ってくる。

「ここのところ、分身の数が急激に減っていたみたいなんです」

「!」

「それと反比例するように、監視ターゲットの性格が、目に見えて変わっていくのが分かりました。 最近はクラスメイトに暴力を振るったり、学校でも教師に対して喧嘩を売ったりする姿が目撃されていました」

その上。

晴良自身は、失踪したという。

そうかと、嘆息。

結局、何もかもが不幸になる形で終わってしまったか。

ニュースはまだ続いている。

晴良の死体は出ていないという。まあ、それはそうだろう。能力を解除するだけで、元から三人分の死骸を動かして、生活を維持していただけだったのだから。

古細菌側のスカウトが、何か余計な事をしたのか。

それとも、元々能力に限界が来ていたのか。

それは分からない。

凶暴性が戻ってきていたのは、どうしてなのだろう。ずっと、能力の代償は凶暴性だと思っていたのだけれど、それは実は違って。分身を作れば作るほど、凶暴性は分散されていただけなのかもしれない。

もしそうだとすると。

晴良という凶暴な主人格は、ずっと何も変化が無く。

今も、闇を漂っているのかもしれない。

「東山晴良さんは、この件に関して、何かしらのトラブルに巻き込まれた線と、犯人である両方の線で、重要参考人として捜査されています。 目撃情報があれば、ただちに最寄りの警察にお知らせください」

むなしいニュースキャスターの言葉を遮るようにして。

田奈はテレビを切った。

 

警察の肩書きがあるから、現場に入ることは問題ない。

しかも一刑事では無くて、幹部となる警視の肩書きだ。現場に足を向けると、既に現場検証は終わった所のようだった。

団地の部屋に入ると。

異臭がする。

恐らく蛆だらけ蠅だらけゴキブリだらけだっただろう。

三人の死体があったのだ。その内二人の死体は腐乱していたのである。

専門の業者が徹底的に掃除をしても、なおもひどい臭いが残っている。祖母が寝かされていた部屋には、人型の染みが。

両親が死んでいたという居間は、食器も食品も、全てが片付けられていた。それこそ目を覆うような惨状だったに違いない。

晴良の能力は。

虫さえも騙していたのだ。

その証拠に、以前来た時は、このような悪夢とは無縁だった。

それにしても、この晴良の両親が務めていた会社では、さぞや混乱していることだろう。直前まで来ていた二人が、いきなり腐乱死体で発見されたのだから。

文字通りゾンビとして仕事をしていたのだと思うと。

彼らも、或いは不幸な人間だったのかもしれない。

それ以上に、晴良も。

パトカーが、別の一角に集まっている。

団地の別の棟の屋上。

足を運んでみると、別の死体が見つかっていた。

これはと、田奈は呻く。

見覚えがある。

晴良に接触したと報告があった、古細菌側の能力者の一人。幹部クラスでは無くて、後からスカウトされて加わった若者だ。

それなりに強力な戦闘タイプの能力者だったのだけれど。

頭を鈍器のようなもので殴られ。

拉げて即死だ。

やはり、分身に能力を徹底的に分割していたのだろう。それが全て元に戻ったとき。晴良の真の力は、発揮されたというわけだ。本来は、戦闘タイプの能力者だったのかもしれない。

いや、まて。

本当にそうか。

調べて見ると、やはり分かった。

行動を軽く追ってみると、大当たりだ。

どうやら此奴も、晴良に無理な接触とスカウトを図っていたらしい。そしてある一線を境に、古細菌側でも、不意に動きを掴めなくなった。

つまり速攻で殺され。ずっと此処に死体は放置されていて、今更ながらに発見された、という事か。

ぞくりと、背筋に悪寒が走り上がった。

まさかとは思うが。

警官の一人に手帳を見せて、彼らの指揮を執っている警部との連絡を取る。階級が上で、しかも公安ともつながりがある私の事は、その警部も知っていたらしい。渋りながらも、情報を開示してくれた。

「東山晴良の遺体は発見されていますね」

「よく分かりましたね」

「……っ!」

「近くの公園で見つかっています。 まだマスコミには知られていません」

この死体も、異常な状態だったという。

完全に腐乱していて、ブランコにぶら下がっていたらしい。まだ検死中だが、どうやら頭を鈍器で砕かれていたそうだ。

「一家全滅、ですね」

「あまりにも異常なので、報道統制は掛けます。 あんたたちの管轄ですか」

「ええ。 恐らくは」

まずい。

本当にこれはまずい。

一旦陽菜乃に連絡を入れて、人手を廻して貰う。そして、自身は、東山家の遺留品を収めた警察署に向かう。

そして、遺品を見せてもらって。

あっと、思わず叫んでいた。

あれほどたくさんあった歯車が、全て割れているのだ。

そうか、そういうことか。

凶暴性は喰われて何ていなかった。恐らく能力の代償は、あの歯車そのものだったのだ。そして、晴良の能力は、恐らく。

自分の願望の自分を造り出す事。

永遠に回り続ける歯車のように、牙を内側に巻き込んでいくという、非常に特殊な顎を持っていたヘリコプリオン。

自身を改造するには。

新しい自分を造り出していくしかない。

だから、凶暴性を秘めていた晴良は恐らく、たくさんの優しい自分を造り出した。きっと、そう言う自分に憧れていたから。

外敵も排除できる自分を造った。

外敵を殺した場合、隠蔽できる自分も。

代償は歯車。

そして、その数が、ついに限界を超えて。あの時、ふっと消えたのは。恐らく、死んだのだ。

頭が砕けたのは、能力のフィードバックだったのだろう。

本当に危なかったのだ。あのまま下手をすれば、田奈はこのあまりにも得体が知れない能力に、取り憑かれ殺されていたかもしれない。

ため息が零れる。

幽霊の実物はまだ見たことが無いけれど。

本物以上に幽霊だと言える能力者だった。

凶暴で。そんな自分が大嫌いだった晴良が産み出した。優しくて。お婆ちゃんの世話も出来て。外敵からも身を守れて。誰にでも好かれて。その矛盾を突かれなくて。両親も優しくしてくれて。

願望を叶えれば叶えるほど、歯車は必要になっていって。

代償が叶えられなくなった瞬間。

夢の王国は。内側から破綻してしまったのだ。

唇を引き結ぶ田奈に連絡がある。

鵯が、完全に壊れてしまって、精神病院から出られなくなったと言うことだった。彼奴がいっぱいいる。彼奴がいっぱいいる。そうわめき続けているそうだ。

治療費は、田奈が全額負担する。

そう告げると、警察を出る。

雨が降り始めていた。

何もかもが、終わりに近づいている。この不毛すぎる戦いも。人間の深淵に触れてしまった、田奈自身も。

深淵が覗いているのが分かる。

アースロプレウラの力を持ってしても。

人間の持つ深淵は。

未だ遠い。

 

(続)