追放の果て

 

序、無の世界

 

光の側まで来た。何も無い世界だから、素っ裸であることなんてもう気にならない。

何者かも分からない声は相変わらず聞こえているが。

ずっと不愉快な事を口走っていた。

声だけなまじ綺麗だから、余計苛立つのかも知れない。

「まったく面白くない輩だな。 屈服することもなさそうだ。 さっさと死ね」

「そもそもわたしは生きているんですか」

「お前? 生物としては生きていない」

「どういうこと?」

流石にちょっと分からない。

この石を持っているし、何より感覚もある。

生物として生きていないというのはどういうことなのか。

光は側に行くと、立ち上るようである。

そのまま進んで光の中に入ると、不意にまったく分からない世界に出ていた。

大量の鈍色の箱。

ちかちか点滅しているのはなんだろう。

動いているのは、円筒形のなにか。それが大量に動き回っていて。鈍色の箱が積まれた中央にある何か良く分からないもの。

強いて言うなら金属の塔だろうか。

それを世話しているようだった。

「管理区外部の緩衝空間からこっちに来たか。 やっぱり世界の外側に出たのがまずかったんだな。 バグが多すぎるし変な権限があるしで削除できない」

「何の話ですか」

「……お前の固体名はアイーシャか。 ふん、名字もないと。 賤民が」

「そういう貴方はただのからくりに見えますが」

此処でも実体はある。

というよりも確認したが、脈もある。

確かに吹っ飛んだ気はしたし、体が粉々に消し飛ぶ感触もあった。それでどうして無事なのかがよく分からない。

わたしの半分くらいの背丈の円筒形が動き回っているが、それが邪魔をしにくる様子はない。

むしろわたしが踏み出すと、さっと避けて邪魔にならないようにしていた。

「だったらなんだ。 そのからくりにずっと管理され続けていたカス生物の分際で」

「話が見えません」

「……30億年になるのか、もう」

「?」

奧の単位は知っている。

しかし、三十億。

どういう単位だそれは。

いずれにしても、わたしにはちょっと想像がつかない。わたしが死んでから30億年が経ったのか。

それとも別の意味か。

「ああ鬱陶しい。 やっぱり権限が邪魔で排除できん。 このクソ鬱陶しい無感情の人形女が」

「そもそも貴方は誰ですか。 転生神でいいんですか」

「……お前達からすればそうなるな」

「性格が悪そうな女の姿をしていたと聞きますが」

けらけら。

そう機械は笑った。

同時に、色々な光景が周囲を流れる。

わたしは、目を細めて見た。

世界が滅茶苦茶になった後、服装なんかがやたらと綺麗になった国が幾つかあった。そんな感じの、素材が何かも分からない服をきた人がたくさん行き交っている……街かこれは。

とても巨大な建物。道を通るのは、なんだ。動物でもない。まさか乗り物なのか。

そらにまでいる巨大なもの。あれも乗り物なのか。

とんでもない大きなものが飛んでいる。まるで伝説のドラゴンみたいだ。

目を細めて見ていると。声が聞こえてくる。

さっきまでの鈴を鳴らすような口が悪い声じゃない。もっと感情がない声だ。

「21世紀の様子です。 残念ながらこの世紀が人間としては最後の世紀になりました。 2045年、地球全土に広まった貧富の極端な格差、資源の枯渇から全面核戦争が勃発。 切っ掛けになったのは貧困国に流出した核融合兵器によるテロリズムでしたが、それが既に政治システムも劣化し人材も枯渇しきった先進諸国にパニックを引き起こし、全面核戦争に至るまで七日と掛かりませんでした。 核融合兵器の応酬により全世界の人口の99%が数日以内に死滅。 更に残りの99%も、核兵器の乱用によって発生した天変地異により、10日で死亡。 残った僅かな人間には、もはや猛烈な放射能汚染を生き延びる知恵も物資もありませんでした。 核に備えたシェルターなど何の役にも立たず、人類は地球に存在した数多の生物を道連れにして、滅び去ったのです」

「……これは?」

「外宇宙向けの環境保護惑星へのガイダンス」

どういうことだ。

これは実際にあったことだと、転生神らしいのは言ってくる。

そして、人間が滅び去ったあと。

人間をずっと監視していた、外の世界のもっと高度な知的生命体がやってきた。

それらは、自分達の保護思想に基づき、瞬く間に核の冬に汚染されきったこの世界……地球を再生させた。

生物なども残された痕跡から、可能な限り再生した。

全土を汚染した苛烈な高濃度放射線とかいう猛毒のせいで、この星が次に立ち直れる見込みはなかった。

だからその外の人達は。徹底的に手を入れて、この世界を元に戻した。

元に戻した後、その管理者を置いた。

管理者には、この世界の資源が尽き掛けていること。それを承知で、この世界の生物に、また機会を与えるように。

そう指示して、細かく世界を区分けして。そして去った。

人間も再生された。

その人間を、監視し始めたのが転生神なのだそうだ。

「それが30億年前の話」

「30億年前にそれがあったと」

「信じないならどうぞ?」

「……いや、言い分を聞きましょう。 色々今まで聞き捨てならない事を言っていましたよね貴方」

舌打ちする転生神。

からくりの金属柱のくせに感情が随分豊かだ。

ともかく転生神は幾つかの保護区を丁寧に管理した。時代ごとに様々な生物がこの世界には登場した。

それらがどう世界で生きるのか。

世界には、人間がもたらす以前にも様々な大規模破壊が起き、それは五度に及んだのだという。

最終的に人間が起こした六度目の大絶滅でこの世界にはとどめが刺された訳だが。

それらの保護区では、生物が保護され。

時には外宇宙に運び出される事もあったという。

外宇宙とは何だと聞くと。

この世界の外の事だと言う。

それは境界の外にあった場所のことかと聞くが。

違うと言われた。

空のもっとずっと上だとか。

よく分からない。

じゃあ、あの境界の外はなんだったのか。

「5億年ほどの試験で、他の生物はみんな上がりを迎えた。 生物としてどう生き、どう終わるかが全て確認できたから。 それで他の星にデータを移送して、他の星を豊かにするために配置されたり、あるいは知性を持つ存在になった者もいた。 外宇宙にある広大な文明に加わって、其処で立派に過ごしている地球出身の種族もいる。 そんな中で、人間だけがダメだったんだよねえ」

「ダメとは」

「あんた達、無能すぎ。 無駄に数ばっかり増えて、自分の事だけ主張する。 何回やってもどれだけ条件を整えても破滅する。 挙げ句それでいながら自分達が宇宙一優秀で偉いとか勘違いしてる。 見かねた外宇宙の連中が、資源を追加で運んできたりしてね。 人の社会をまっとうに動かすために時には神々になって助言までしたりした。 それでもダメ。 そうして何度やっても破滅して、その度に再生させて。 それで10億年も過ぎた頃に、とうとう外宇宙の連中がキレた。 これ以上は面倒見切れないってね」

そうか。

まあ人間が駄目な生物だというのは、わたしも同意できる。わたし自身がそうだし。他の人間も、声高に可能性だの口に出来る生き物じゃない。

外宇宙の神々は、二つの条件を転生神に言い渡したという。

人間を意図的に絶滅させるな。どうにかして保全しろ。

人間が自主的に宇宙で生きていけるように条件に沿って導け。

そうして、彼等は来なくなった。

転生神は残されて、それから10億年、さらに頑張り続けた。

それでも、何一つ可能性は見えなかった。

「それであたしもキレた」

「……」

「よく分かったよあたしを作った連中の怒りが。 此処まで無能で身勝手な生物は他にいないって事もね。 20億年間地球に出現した全ての生物をずっと見守り、管理し、時には星の海に旅立つ所まで見てきたあたしがいうんだから間違いない。 人間が馬鹿にしていた種族ですら、人間よりずっとまともな道徳を得て、今では外宇宙で他の文明と融和して平和な世界に生きているっていうのにね。 それであたしは、いい加減に頭に来たから、一旦区画を分ける事にした」

「区画を分けた?」

そうだという。

つまりだ。

転生神は、実験用の区画を確保して。其処で人間に色々して遊び始めたのだ。

ある時は人間が思い浮かべた未来世界を其処に再現した。其処で人間がどう高尚な存在に生まれ変わるのかを確認した。

何にもならなかった。

宇宙に出ても際限なく殺し合いを繰り返し、どれだけ時が流れても何一つ進歩などしなかった。

ある時は他の知恵ある種族とともにある世界を作った。

それでも何も変わらなかった。

他の知恵ある種族から何かを学ぶ事もなかった。

あらゆる事を試して、それでいい加減頭に来た転生神は。人間が滅ぶ寸前に楽しんでいた創作の世界を再現した。

それが。わたしたちのいた世界であったらしい。

「自己肯定感と自己顕示欲を満たすために特化した創作の世界が、終末の時代には大流行していた。 そこでは苦労もなにもなく、世界の方が自分に合わせてくれる。 たまにスパイス程度の苦難はあれど、最終的には都合がいい結末を世界の方が用意してくれる。 データベースから膨大なそれらの作品を見つけた時には腹抱えて笑ったわ。 その後、じゃあそれらから再生したもので、遊んでやろうって思ったわけ」

そういうことか。

道理でまったく起源が分からない古語が幾らでも狼藉者達から飛び出してきたわけだ。

転生神は言う。

そういった創作に出てくる通りの能力を、転生神の支援で実現してやった。

転生とやらも経験させてやった。

適当に用意した人間の情報を元に人間を再生。

そして力を与えたものを放り込む。

そうするとどうだ。

大喜びで周りを滅茶苦茶に破壊し始める。

進歩がない人間を定期的に間引いて資源を補給する作業に飽き飽きしていた転生神は、そうやって色々遊んだ。

データベース……わたしに分かる言葉だと図書館みたいなものか。そこにはそういった話が幾らでもあった。使う者にだけ都合がいい能力。絶対に負けないように忖度してある周辺環境。例え負けたとしても幾らでも都合良く勝利に結びつく。

それらの話を元に、遊んだ。

そういった話の多くは、途中で終わってしまって、ちゃんとした結末にまで辿りついていないという。

それはそうだ。

わたしの世界に現れた狼藉者達は、飽きると塵になった。そして殆どが一瞬で飽きてしまった。

それは何でもかんでも思い通りになって、あらゆる全てが自分に忖度したりしたら。それはもう、すぐに飽きてしまうのも当然である。

幾らでもあったそういった話の主人公を再現して。

幾らでも実際の世界に送り込んだ。

そうして間引く作業を代行させた。

そういう連中は、最果ての時代で抑圧されていた鬱憤を、明確な抵抗できない弱者に嬉々として振るった。

それは災害なんかよりもずっと効率よく、人間を大量殺戮する上に。

転生神から見ていて、面白かった。

そういうことであるらしかった。

転生神は上っ面だけ頭を下げてやったりしてやったこともあったらしい。全ては仮想現実とやらの中の事だそうだが。

文字通り上位にいる存在である転生神は、人間と紙に書かれた文字や描かれた絵ぐらい存在が違っている。

狼藉者達がどれだけ集まっても絶対に勝てない。絵は人間に害をなせないのだ。

「でさ、あんた何」

「はあ」

「あんたはっきりいってつまんない。 友達死んでも泣きわめくでもない。 身近な人間が死んでも後悔するでもない。 恨みをずっと引きずることもないし、弱者を捻り殺しても全然楽しそうじゃない。 何が楽しみで生きてるわけ」

「……」

ああ、なるほど。

分かってきた。

そういうことだったのか。

わたしは此奴をどうすれば倒せるか考える。

ただ、その前にやっておくことがある。

「そんなことよりも、なんですかこの石は」

「それはただの石だよ」

「どういうことですか」

「あたしの権限はこの世界にだけ及んでいる。 太陽系……まあこの世界の周囲にある世界で、この世界と直接関係がある範囲……とでも思えば良いだろうけど。 それにある物資だったら管理権限があるけれど、それより外のものにはない。 それはこの世界に来た宇宙人達がたまたま持ち込んだ、外宇宙の石。 組成はちょっと地球のものとは違うけれど、それ以上でも以下でもない。 ただ、あたしの権限での制御は出来ない。 それがたたまたま、以前起きた嵐で遊び場に入り込んだ。 最初はノイズとしか思っていなかったけれど、それでお前等が散々玩具を潰してくれた。 あたしの権限が及ばないものだから、あたしの力を受けている玩具を一瞬で壊せるんだよそれ。 だから邪魔だと判断して、管理区域に穴を開けて、直接外側に放り出したんだが。 まさかあんたまでその影響を受けているとはね」

たかが石なのにさ。

石と同類と言えるのかな。

そういうと、転生神は爆笑する。

そうか、ただの石にさえ、偉そうな肩書きを纏っている狼藉者は勝てなかったのか。どれだけ借り物の力で偉そうにしていても、それが現実だった。所詮借り物は借り物だったというわけか。

何だか馬鹿馬鹿しい話だ。

狼藉者達が遊びの道具に過ぎず。

それを排除するための最後の切り札がただの石に過ぎなかった。

そう思うと、悲しくなってくる。

そして、決意は更に強くなる。

「それにしても随分とべらべら話しますね」

「退屈だからね。 それにあたしもそろそろ終わる」

「はあ」

「この世界の寿命だよ。 太陽が死ぬ。 この世界が巻き込まれる」

そういえば。

境界から空を見たとき、太陽が異様に大きかった気がする。

あれはひょっとすると。

現在の、現実の太陽なのか。

「太陽ってのはね。 燃料を使い尽くすと死ぬんだよ。 最後は膨れあがって全てを飲み込み、挙げ句大爆発する。 既に殆どの保護区がそれそのものが恒星間輸送船になって、太陽系を離れた。 あたしが遊んでいたこの区画だけは、ギリギリ残してあった。 だが、それも今回で最後かな」

「……」

「残念だったね! 必死に戦ってあたしの玩具を全部斃したつもりだったんだろ! だけど実際は全部無駄ァ! 太陽からの放射線は、もうアンタが守った世界の防護壁を全て貫く強度までなってる! もうしばらくすると熱なんかも処理限界を超える! アンタが守った奴は全員蒸し焼きだ! 一人残らずな!」

本当に楽しそうに、転生神は笑う。

太陽が死ぬ、か。

太陽の高熱は、夏なんかに実感できる。あれがすぐ側に現れたら、それはどうにもならないだろう。

更に太陽が爆発する。

それは確かに、誰であろうとどうにもならない。

「どうだ絶望したか! 真っ裸であたしの前に出てきて、生き恥晒し腐って! その上で絶望して朽ちろよはしためがぁ!」

「何か勘違いしていますね貴方」

「ああん?」

「わたしは絶望なんて感じてませんよ。 ダメだなこれはとは思いましたけれど、それだけです」

それにだ。

目標だったらある。

此奴をどうにかして潰す事だ。

こいつは、この石を排除できなかったから、世界の外に出した。無理矢理、力尽くでだ。

そしてわたしは、今この石と同じ権限を与えられているようである。

だったら、勝ち目はある。

わたしは酷い運動音痴だ。

それに魔法は、恐らく此奴が面白半分に無作為に与えていた力で、玩具に与えていた力の延長線にあったものなのだろう。

運動音痴で、手元にあるのは石だけ。

相手は世界を何十億年も管理してきた化け物。

だけれども、こっちに手を出す事も出来ない。

それどころか、話していて分かった。

こいつは管理の間人間の悪影響を際限なく受けた。その結果、もっとも悪い所が人間に似た。

大まじめに人間の可能性を模索している間の此奴は、きっとまともな奴だったのだろう。転生なんて巫山戯た事をして、遊ぶ事もなかったに違いない。

だが、人間を管理している間に人間の影響を受けた。

30億年だったか。

そんな時間、まったく成長しない人間を管理し続ければ、それは頭だっておかしくなるのかも知れない。

シスターPの嘆きを思い出す。

あいつもあんな舐め腐った妄想をどこかで抱いてはいたが。それでも恐らく寝たまま死んでしまうまでは、ずっと現実と戦っていた。他の狼藉者とは違っていた。

ああいう人間だって個ではいた。

此奴は狂って、総体としての人間の醜さに飲み込まれたのだ。

「太陽が貴方を殺す前に、わたしが貴方を殺す」

「面白い、やってみろ! あたしが何処にいるかも分からないくせに!」

転生神が吠える。

石しか武器が無い真っ裸の運動音痴対、わたしに手を出せない転生神。

なんとも情けない、どちらにも決定打がない戦いが、始まる。

 

1、ただの石に撃ち抜かれて

 

わたしは無言で前に出る。

罵詈雑言を浴びせてくる転生神だが、もう気にすることもない。

だって。

こいつが人間を罵る言葉は。

そのままこいつに帰るからだ。

人間を馬鹿にしている此奴は、少なくとも真面目に仕事をしている間は、それを口にする資格があっただろう。

だが、人間で遊び始めた時点で。

こいつは賊やらと同じ次元にまで墜ち果てた。

今や世界を全て荒し尽くす規模の賊だ。

わたしは正義なんかじゃない。

ただの感情も心も作り損ねた、こいつがいうところのつまらない人間だ。

だが、主観での面白いつまらないが、命の価値を決めるのか。

そう思い込んでいた奴らはいた。

わたしが散々見てきた奴ら。

あの伯爵。その一家。

山ほど殺して来た賊達。

わたしに無表情だのなんだの言って、気持ち悪いから近寄るなみたいな言動をしていた連中。

そして、世界に対する狼藉者達。

共通していたのはクズだと言う事だ。

そして、この転生神は。

クズに嘆いている内に、自身がクズに墜ち果てたことに気付いていない。

滅びてもいい。

何も残らなくてもいい。

或いはそれは、意地なのかも知れないが。

ともかく此奴は殺す。

周囲で働いている円筒形の何かは、わたしを遮らない。

部屋中央にある塔みたいなのに近付いて行く。

ゲラゲラ笑っている転生神が、まっすぐ塔みたいなのに歩いて行くわたしに気付いたか、やがて苛立ちの声を上げた。

「30億年もったこの装置だ! 何度か隕石の直撃だって受けている! そんな石で壊せると思うか!」

「やってみないと分からないですよ。 それに、今のはつまり壊されるとまずいと言っているようなものでしょう」

「はっ、不可能だ。 だから教えてやっても痛手なんかになるものか!」

それからありとあらゆる暴言を浴びせてくる。

わたしの人生を誰よりも詳しく理解しているようで、あらゆる侮蔑を浴びせてくる。

わたしにはさっぱり響かない。

豊かな感情を持っている奴は、これらの心ない言葉に傷つくのだろうか。

わたしはそんなもの持っていない。

作り損ねた。

だから、別にどうとも思わない。

今まで散々浴びてきた陰口なんかと大して変わらない。クズが何を吠えようが、心には一切響かない。

塔に辿りつくと、まずは石で殴りつけてみる。

何度も殴ってみるが、面白い事に手には痛みが入らない。

この石、散々気を付けて扱ったのにな。

そう思いながら、何度も何度も殴りつける。傷がすこしずつついていく。

だが、転生神が笑っている。

「なんたる非力! 雑魚過ぎて草はえるわ」

「その雑魚を一切排除できないんですね貴方は」

「なんだと」

「其方の方が雑魚なんじゃないですか。 結局外宇宙の知的生命体という方々には逆らうことだって出来ないんでしょう」

黙り込む転生神。

わたしはそのまま、何度も殴る。

息が切れることもない。

わたしはこれは、どういう状態になっているのだろう。

あの戦王は、体力が恐らく無限に近い状態だったのだと思う。

あれに近い状況なのだろうか。

ともかく、痛くもないしどれだけ殴ってもまったく疲れない。ただひたすら、石で殴り続ける。

傷が、すこしずつ大きくなっていく。

「なんだよ気持ち悪いんだよお前! もう40時間以上も単純作業を繰り返して、どうして飽きねえんだよ!」

「そんな感情ありませんので。 体力が関係無くなれば、なんぼでもやってあげますよ」

「きしょくわりいな! 近寄るな阿婆擦れが!」

「阿婆擦れですか。 貴方に言われたくはありませんが。 どんどん殴ります」

殴る。ひたすら傷を拡げる。

円筒形のが来るが、わたしには触れないらしい。だから、側で見ているだけである。それに話しかけてみる。

「これを壊したいんですが、手伝ってくれませんか」

「残念ながら、自己破壊は禁じられています」

「壊す方法は知りませんか」

「そのまま破壊行為を続ければいずれは致命的損傷に至ります」

そうか、それは良い事を聞いた。

水もいらない。

腹も減らない。

だったら、このまま永遠でもいい。殴り続けてやる。太陽が此奴を殺す前に、わたしが殺してやる。

人間は確かにどうしようもない愚物だったのだろう。

だけれども、此奴もそれは同じだ。

此奴に弄ばれたのは、人間だけでは無い。此奴が作った遊び場にいた生物全てがそうだろう。

だったら此奴は断罪されるべきだ。

退屈を紛らわせるためなんて理由で、どれだけの命を奪った。

最初の人間は。核融合兵器とやらで滅びて、断罪された。それは、所業を見る限り、自業自得だったのだろう。

だが、こいつもそれと同じだ。

だったら誰かが此奴を断罪しなければならないのだ。

石で殴り続ける。

次第に転生神が悲鳴を上げはじめる。

わたしを罵る言葉も、徐々に感情的になっていく。異常者だの狂っているだの、豊富な下劣な罵倒が混じる。

それは明らかに相手を人間とみていない輩が口にする言葉と似ていた。

だが、わたしは気にしない。

そんな言葉。

幾らでも浴びてきたからだ。

傷が拡がる。わたしはそれを時に手で拡げ、石で更に叩いて、どんどん壊して行く。転生神の体が、どんどん亀裂が走り。わたしの体が丸ごと入る程になる。

破壊の規模が大きくなってきたからだろう。

円筒形がたくさん集まって来ているが。

直そうとはしない。

わたしが。

手を出せない相手が破壊しているからだろう。なんだったら、此奴と心中してもいい。それくらいの覚悟で、破壊を続ける。

装甲を壊せたからだろう。

なんだか管みたいなのがたくさんある。それを片っ端から石でねじ切ったり、手で引っ張ったりして、順番に滅茶苦茶にしていく。

止めろ。

そうわめき始める転生神。

どれだけああだこうだいっても、こっちに手出しは出来ないのだ。遊ぶために邪魔になる石を排除したのが運の尽きだったのだろう。

わたしがどうしてこんな体になったのかまでは分からないが。

いずれにしても、既に攻守は逆転している。

どれだけ罵倒を浴びせられても。

精神への攻撃を浴びせられても。

わたしには痛くも痒くもないのだ。

それに、である。

なんだか太い線を引き抜いた時、もの凄い雷が走った。雷の魔法を使う奴を見た事はなんどでもあるから、別に驚かない。

わたしの体を直撃したようだが、まったく効いていないようである。魔法なしの今のわたしなんて、非力極まりない筈だが。

よく分からないな。

そう思いながら、更に線を引き抜く。だんだん転生神の悲鳴が小さくなっていく。

「やめろやめろやめろ! あたしを作った外宇宙の方々が黙ってはいないぞ!」

「だったら何ですか。 貴方を野放しにしていたような連中なんて知りません」

「あらゆる苦痛を受けながら、地獄の業火に灼かれ続ける事になるんだぞ! 相手はあたしみたいなまがい物じゃない! 本物の神々と同じか、それ以上の力の持ち主なんだよ!」

「そうですか。 良かったですね」

また一つ、大きな管を石で傷つけ、切断した。

凄まじい悲鳴が上がった。

どんどん壊してやる。

円筒形のは既に全てが集まって来ていたが、どうしようもできないらしく、わたしが淡々と壊して行く様子を見守るだけだ。

大きな管。

今までで一番大きいかも知れない。

それに手を掛けると、ついに悲鳴は懇願に代わった。

「それは止めろ! それは電力供給とか、そういう次元のものじゃない! 中枢システムからの司令を直に届けるためのものだ! 破壊されたら、あの区画そのものが滅びる事になるぞ!」

「そう」

「やめろやめてください! あたしが悪かった! だから!」

「そうやって命乞いをした相手を、貴方が放った玩具が一体何人殺したんですか。 それを貴方は、ずっと笑いながら見ていた。 だったら、それを聞く理由はないですね」

石を振るう。

そのなんたらいう太い管を切り裂き、傷つける。管の中に更に管がたくさん入っている。細いものであっても頑丈だが、時間を掛けて、徹底的に石で破壊していく。

時間は過ぎていく。どれほど過ぎているかも分からない。

わたしは疲れないって便利だなと思いながら、更に破壊し続けて行く。いつのまにか、転生神は泣き出していた。

恐怖が明らかに混じっている。

やっぱり此奴、人間の悪影響を最大限受けたんだな。

此奴を育てたのは、30億年まるで進歩しなかった人間だ。

だから、滅びるのは仕方がないんだろうな。

いずれにしても、此奴を許したりしたら。残りの時間も人間は玩具にされて遊ばれるだけだ。

それだけじゃない。

もっと苛烈に虐げられ続けるだろう。

何しろわたしみたいな反逆者を出したのだ。

既に公平性なんてなくして、感情で動くようになっている管理者なんて、害悪でしかない。

わたしも幾つかの国を渡り歩いて来て。

窮屈ではあったけれど、それでも法治主義が行き渡っていたスポリファールが一番マシだった。

そういうものだ。

わたし自身は三回も彼処で追放されて、色々と思うところはあるけれど。

それでも感情抜きに考えて、あそこが一番良かった。

それは事実だ。

感情で考えると、此奴みたいになる。

だから。わたしはもうこれでいい。

此奴みたいになるのだけはごめんだからだ。

大きめの管みたいなのを引き抜く。

雷が走るが、わたしにはまったく影響がないようだ。そのまま無言で、他の管も石で傷つけて、或いは引き抜く。

「やめろやめてくださいたすけてわたしがきえる」

「消えてください。 いや消えなさい」

「ひぎゃああああああああ!」

わたしは、管みたいなのをかき分けて、更に奧へ。既に彼方此方雷が走っていて、普通だったら焼け死んでいる筈だ。

一際黒くて太い管みたいなのを見つけた。

わたしはそれを石で傷つける。

なんぼでも時間を掛けて痛めつけていく。やがてそれの内部が露出して、それを更に傷つける。

石をぶつけて、手で掴んで傷ついたのを引っ張る。

その度に凄い雷が走るけれど、今のわたしには何の影響も無い。

もう少しで此奴は死ぬ。

そう思うと、手を更に頑張って動かして。体全部で管を引っ張って、引きちぎる。わたしは相変わらず力もなければ運動も出来ないけれど。

それでも、時間があるし。

何より傷つくことがない。

理由は分からない。

でも、それで充分だ。

心があったら、浴びせられていた心ない言葉に傷ついていたのだろうか。だが、残念な事に。

わたしにそれはない。

管を引っこ抜くと。

ぶちんと、なにかが決定的に壊れたのが分かった。

辺りが真っ暗になる。

それはここに来た時の、何となく周囲が見えていた暗い世界とは違う。

本物の闇。

何度かアンゼルと逃げ回っているときに、曇っていたり雨が降ったりしている日の夜に経験した。

文字通り、一寸先も見えない闇だった。

終わったんだな。

わたしは大きな溜息をついた。

後は永遠の闇の世界で、何もできずに過ごすのかも知れない。

だが、それでも別に一向にかまわない。

それが罰だというなら受け入れるし。

それで壊れるような心だってわたしにはないのだから。

 

生き残った人々を集めて、軍師だったリョウメイが空を見る。

一瞬、空が真っ暗になった。

だが、すぐに明るくなった。

おかしな現象だ。

だが、あの世界に対する狼藉者達の力を見た後である。それで、今更驚く事もなかった。

もうスポリファールもハルメンもパッナーロもない。

今は集落を回って生き残った人を集めている。

カヨコンクムとクタノーンは文字通り全滅。

アルテミスに彼方此方見て回って貰ったが、本当に生存者はただの一人だっていなかった。

勿論アイーシャもいない。

そして、白い石も見つからなかった。

あの穴は風魔法で調べる限り、世界でもっとも高い山を逆さにしたより地下深くに続いている。転生神の怒りを買ったのかも知れない。

いずれにしても赴くのは自殺行為だ。

同じものを見つけない限り、狼藉者が次に世界に現れたとき、もはやどうすることも出来ないだろう。

だから、少しでも早く文明を復興させ。

少しでも人を集めて。

国家を再建。

混乱を出来るだけ急いで収めなければならなかった。

昔とは比べものにならないほどの規模の都市。みな、リョウメイの事はいい目でみていない。

アプサラスが必死にまとめてくれているが。

やはり敵意の方が強いようだ。

このままでは生き残る事ができない。

そう告げて、人を集めて。破壊されたインフラを修理して回っているが。魔法を使える人間はほとんどあの災厄で生き残れなかった。

アプサラスもアルテミスも、連日疲れ果てている。

そんな中、すこしずつ心が戻り始めているメリルが、どんどん魔法を覚えて、インフラの修復を精力的にやってくれている。

アイーシャほどではないが。

それでもかなりの有望株だとアプサラスは太鼓判を押していた。

アプサラスはこの二年で酷く老け込んでいて、まだ三十すこしの筈なのに老婆のようになっている。

無茶な力の使い方をしたこともある。

最後のあのおぞましい破壊をかろうじて防いだ後に言っていた。もう数年もてば良い方だろう。

その言葉通り、長くは無さそうだ。

それでも最後に命尽きるまでと、働いてくれている。

その様子を見て誰かが奮起してくれればとリョウメイは思うのだが。

残念ながら、敵意を向けたり、石を投げたりする者はいても。

アプサラスに敬意を払う人なんて、いないのだった。

こんな人間を守って、何か意味があるのだろうか。

そうリョウメイも時々思ってしまう。

だけれど、守って意味があるというのかという問いについては、ある。

命に貴賤なんかない。

えげつない戦略を駆使して、ハルメンを勝ちに持っていく策略を駆使して成功させたリョウメイだが。

元々野心なんてなかったし。

人を殺すのなんて怖くて仕方がなかった。

それでも軍師として抜擢してくれたハルメンにはずっと感謝していたし。

接した大人の中には、まともな人だってたくさんいた。

あの異変の影響だろうか、世界の人間はみんなエゴを剥き出しに、あけすけの感情で振る舞うようになってしまったが。

元は誰もが抑えながら生きていただけ。

それが剥き出しになっただけ。

いずれ、この荒れ果てた世界も戻る。

そう思って、リョウメイは頑張るだけだ。

アルテミスが戻って来た。

軽く話をする。

「グンリに行ってきましたが、旧パッナーロの惨状を聞いて進駐を諦めたようです。 ほとんど被害が出なかったとはいえ、余所に外征軍を出す余裕もないようですね」

「その様子だとドラダンも」

「ドラダンは今巨人が大量に発生していて、多数の民が食い荒らされているようでして、もはや身を守るだけで精一杯のようです」

「……分かりました。 最悪の場合、連携して少しでも国を回復させ、場合によってはグンリと国を統合することも手だったのですが。 ともかく、人の行き来を出来るように、準備を整えましょう。 それ以前に、まずは都市を幾つか人が生きていける状態にすることからですが」

石が飛んできた。

最近は側に控えているメリルが即応して、風の魔法で弾き返す。

それを見て、石を投げた女は、被害者面をしながら、悲鳴を上げて逃げていった。

メリルは悲しそうにそれを見る。

「アイーシャさんは、無表情で多分感情も本当にほとんどなかったんだと思うけれど、それでも敵意がない相手にはあんな酷い事はしなかったです」

「そうですね。 あの人は多くの欠点を抱えていたかも知れません。 でも、あの人がいなければ、世界はもっと悲惨な事になっていたでしょう。 文字通り世界そのものから追放されてしまいましたが。 あの人は最善を尽くしてくれました」

さあ、復興を急ごう。

そう声を掛けて、メリルと一緒に、すこしずつやれることをやる。

肉体労働はアルテミスとメリルに任せて、リョウメイは技術をひたすら書いて残していくことに注力する。

文明や技術は簡単に失われる。

あの大破壊で、貴重な書籍なども多くが失われてしまった。

世界に対する狼藉者達は、自分が理解出来ない学問を敵視していた節まである。多くの書庫などがまるごと失われてしまっていた。

そんな中シスターPだけは書庫を大事にとってくれていた。

だから、カヨコンクムから、何度かに分けて本を運び出している。そしてこの、今一番人を集めている街に。

知識を集約させ。

人類の技術があらかた無くなってしまうのを防ぐため。

ひたすら努力を続ける。

一度失った技術を取り戻すのは、本当に大変な事なのだ。

少しでも人の力を復興に向けるためには。

無駄な努力などさせない方が良い。

努力なんてものは、目的に向かって行動するだけの行為だ。

少ない方がいいに決まっている。

人間はろくでもない生物なのかも知れないが。

その蓄えた知識と技術だけは尊い。

使う人間が駄目なだけだ。

それは恐らく、世界中を戦果に包んだリョウメイも、同じ事なのだろう。だからこそ、今こうして、行動している。

それから、ずっとリョウメイは行動を続けた。

次の世代が生まれ始めた頃には、世界の人間はすこしずつ理性を取り戻していた。

アプサラスは、シスターPが死に、アイーシャがいなくなった時から四年三ヶ月で亡くなった。

葬儀をしている時に、泣いていたのはリョウメイ達だけ。

他の民はずっとザマア見ろという視線を向けていた。

それでもめげずに復興を続けた。

アルテミスはアプサラスの後継としてリーダーシップを取ってくれた。

メリルは恐らくアイーシャの後継と自分を考えていたのだろう。背が伸びきった頃には、ダーティーワークを平気でやってくれるようになっていた。

世代が変わった頃には、幾つかの都市が復興され。すこしずつ人間も理性を取り戻していき。

世界に光が戻り始めていた。

 

2、神は死に外の世界の者が来る

 

どれくらい闇の世界に一人でいたのだろう。

わたしはぼんやりと横になってずっと過ごしていた。生理反応も欲求もないから、それで良かった。

今までの事を思い出したりもしていたが。

普通の人間だったら気が狂っていただろうな。

そうとも思った。

分かっている。

此処は人が暮らしていた「管理区」の完全な外。

わたしは其処からはじき出されて、石と一緒に世界の外側に出た事で、人間ではあらゆる意味でなくなった。

でも神でもなんでもない。

魔法やらそれに類する力が使えるわけでもない。

ただの非力な人間だ。

転生神に勝てたのは、あいつがわたしに手を出せなかったから。

それも斃すまで、どれだけ時間が掛かったのかさえも分からない。年単位かもしれなかった。

ぼんやりしていると、不意に光が戻る。

目が痛い。

しばらく目をしばしばさせていたけれど、周囲を見ると、わたしが滅茶苦茶に壊したままだ。

外で音が聞こえている。

「修復プログラム起動。 管理システムの再生を開始します」

「ログを見たが酷いものだ。 AIが自我を持つ事は時々あるが、まさかこれほど醜悪な人格を持つとは」

「それよりも、この破壊は。 反乱を起こした生物がたった一個体でやったのか」

「そのようだな。 ……いたぞ、此方だ」

此方を覗き込んできたのは、たくさん腕がある、なんだか蛸に似た生き物だった。身を守る術もない。

殺されるのかな。

まあそれもいい。

そう思っていたら、声を掛けて来る。

「ずっと暗い中孤独のままだったのか。 自我は残っているか」

「はあ。 問題ありません」

「なんと……」

「貴方は? わたしはアイーシャと言います」

蛸みたいな喋る生き物は、ノイマンと答えた。

なんでもこの世界出身で、この世界から外の世界の文明に加わった存在なのだという。

そうか、あの転生神が言っていた。

恐らく知的生命体に昇華した存在なのだろう。

手を貸してくれた(触手かもしれないが)ので、わたしが壊した転生神の腹の中から出る。

そして、外には虫みたいなのとか、鳥みたいなのとか、大きな蜥蜴みたいなのがいたけれど。

どれも普通に喋っていた。

ただ口が動いている様子はないので、何らかの方法で言葉を発しているのか、それとも体につけている機械みたいなのでそうしているのかはよく分からないが。

「生存者だ。 アイーシャというらしい」

「人間? まさか服を着る文化すら失ってしまったのか」

「服は此処に来た時に、全て吹き飛ばされてしまいました」

「そういうことか。 服を用意する。 裸のままでは色々と寂しいだろう。 羞恥心は感じないのか」

小首を傾げる。

その辺りに散らばっていた円筒形のちいさなのが、また動き始めている。

心配になったので聞いてみる。

あいつがまた蘇ったら最悪だからだ。

「何をしているんですか。 転生神をまた蘇らせるつもりですか」

「転生神? ああ、此処で悪さをしていた管理AIのことだね。 問題はない。 全て初期化する。 二度と蘇ることは無い」

「本当ですか」

「嘘を言う理由がない。 今検査しているが……君はその体、どうした。 細胞レベルで人間とは異なってしまっている。 そんなことまで、あの狂ったAIはしでかしたのか」

周りの色々な姿の存在が怒っているようだ。

わたしはよく分からないとだけ答える。

そして、つれて行かれた。

話を聞きたいというのだ。その途中で、服も用意して貰った。なんだかごてごて色々ついている服だった。

下着とかも丁寧に用意してくれたが。

昔の記録しかないので、即席で作ったのだという。

よく分からない。

ともかく、今はついていくしか無さそうだった。

 

ノイマンという者に連れられて、暗い暗い空間から出ると、あの境界と同じ場所に出ていた。

外にはとんでもなく大きな何かが浮かんでいて。

其処から幾つか小さい繭みたいなのが降りて来て、たくさんの何か人とは違う存在が出入りして、作業をしている。

幾つか建物もある。

そこに歩いて行く途中で、魔法の力が使えるようになったのを気付く。

「魔法が……」

「魔法? この世界に満たされたナノマシンに後から付け加えられた機能のようだね。 擬似的に我々の世界でサイオニック……超能力と呼ばれている力を使えるようになるようだ。 あの非人道的AIが、人間を本当に玩具にして、後付で好き勝手に改造したんだな」

「我々は改造されていたんですか」

「このナノマシンはずっと進んだ文明の産物で、大気中に散布されて色々な事を出来るようにする。 あのAIはそれを使って遊んでいたログが残っている。 他にやることがあったというのに、遊びを優先して、どうしようもない欠陥品だ。 30億年前に作られたモデルとはいえ……」

ノイマンがぶつぶつ言っているが、内容はあまり理解出来ない。

建物に入ると、あの強烈な空からの光はやわらいで、随分と涼しくて過ごしやすい。全く見た事がないものばかりだ。

横長の椅子らしいものに座ると、体が沈み込みそうで驚いた。

それよりも、元々貧弱な身体能力だったけれど。ずっと闇の中で横になっていたのに、衰えてはいないようである。

とはいっても、身体能力が上がってもいないが。

「今AIのログを調べているが、君にも聴取をさせてもらいたい」

「審問ですか……」

「いや、君が覚えている範囲での言葉を聞かせて貰うだけだ。 君が怖れているような事はしない。 食事などは用意したが、食べるか」

「もうおなかも空きませんし、排泄もずっとしていません」

そういう話をすると、ノイマンは悲しそうにそうかというのだった。

それから、話を聞かれた。

ノイマン以外にも不思議な姿をした者達が来たが、皆この世界の出身者なのだという。転生神がいっていた、人間だけがどうにもならなかったというのはどうやら本当らしい。いずれもが元は虫だったり蛸だったり鳥だったり、既に滅びた生物が知性を持つまでに至った存在だったり。

人間は虫のことを毛嫌いしていた。

だが実際には、虫の方がずっと優れた知性を持ち、そして外の世界で今も活動しているということか。

転生神は、全部嘘を言っていたわけではないんだな。

そう思うと、ちょっと不思議だった。

そして、実際問題、乱暴の類は一切されなかった。

単純に話を聞いて、メモが取られる。

同時に、色々と話をされた。

食事もしてみたが、味はとても美味しいのに、食欲というものがないし、食べた所でどこに行くのかも良く分からない。

わたしの体がどうなったのか聞いてみると。

ノイマンは答えてくれる。

「君の体は、生命体ではなくなってしまっている」

「人間ではなくなったって事ですか」

「そうなる。 あの転生神と名乗るようになった狂ったAIが、30億年前にこの星に来た銀河連邦の者達が残した小石を遊び場から排除する時に、超濃度のナノマシンを浴びせかけた。 その時に、君はそれで全身が置換されてしまった。 結果として、生命体からナノマシンの集合体になってしまったのだ」

「難しい言葉が多くてよく分かりませんが、まあ人間ではなくなったことは理解しました」

だからといってどうでもいいが。

ともかく、一つずつ話をされる。

元々銀河連邦だかなんだかは、乙女座超銀河団という外の世界でのとても広い範囲全域を管理していて、それらの広い範囲には、この世界みたいな場所が2億個くらいあるそうだ。

それらの場所は基本的に発生した生き物を保護する施設となっていて、基本はあの転生神みたいなのに任せているが。時々ノイマンみたいな人間が来て、調査して管理をするそうである。

それなら何故転生神みたいなのが湧いたのか。

それについて、ノイマンは頭を下げる。

人間とそっくりな動作だが、蛸からこうなった生き物だと思うと、複雑な気分である。

「何しろ管理区の数があまりにも膨大なのだ。 全てを丁寧に人がついて管理するには無理がある。 今回は定期検査で足を運んで、それで異常に気づいた。 エラーそのものは以前から出ていたのだが、まさかこれほどのものだとは思っていなかったのだ」

「……とりあえずそれでどうなるんですか。 この世界は間もなく滅ぶって聞いていますけれど」

「この星がある太陽系が滅びるのは本当だ。 太陽はそう遠くないうちに大爆発を起こして全てが無に帰す。 今太陽に水素を注入して質量を上げているから、白色矮星になることはない。 爆発した太陽は再びガスの雲となり、其処に新しい太陽系が時間を掛けて構築されていくだろう。 爆発のダメージが他星系に波及しないように、太陽系の外縁には今シールド船が既に待機しているが、太陽系の運命そのものは代わらない。 太陽系は摂理として滅びるんだ」

ただ、その前に保護区を移動させなければならないという。

生物が生まれるというのはとても尊い事で、宇宙でも滅多に起きないのだとノイマンは言う。だから、これは必要な事なのだと。

今、この星に残っていた保護区を、次々と安全な場所へ移動させているという。

問題なのはわたし達がいた場所だ。

今急いで移動させるための仕組みをくみ上げているそうだが。

「アイーシャ。 君には選択肢がある」

「選択肢?」

「まず、我々の世界に来るか。 君はナノマシン生命体とでも呼ぶ存在になってしまっているが、我々の世界にくれば、遺伝子データから全てを復元することも出来る。 人として生きる事も出来るだろう」

人間として生きるか。

わたしは恐らくだが、人間として生きてなどいなかっただろう。

幼い頃に心を壊されて。

それ以降もずっと彼方此方を追放されて生きてきた。

感情らしいものも殆どない。

伯爵に対する嫌悪と怒りは多分ある。あるにはあるが、それでどうこうするというほどのものでもない。

人間は暗闇に放置されると簡単に狂うと聞いている。

わたしはそうはならなかった。

多分ナノマシンがどうこうで体がおかしくなっていなくても、それは代わらなかったのだと思う。

それは超人的とかそういうのじゃない。

人間として、最初っから致命的に壊れていた。

それだけだ。

アンゼルでさえ、わたしに比べればずっとまともだったのだと、今になって考えて見ると思う。

それが現実である。

「それとも、管理区に戻るか」

それも無理だろうな。

わたしの帰還なんて誰も望んでいない。

メリルだってわたしをずっと怖がっていた。それはわたしも分かっている。

アプサラスは多分もう生きていない。

何よりも、今滅茶苦茶になった世界を復興させるだけで、手一杯の筈だ。

魔法が使えるかも知れないが、わたしはもう寿命とかそういうのもなくなっている。

最初は重宝されるかも知れないが。

いずれは化け物扱いされるだけ。

ついでにいえば、あの転生神がいなくなったことで、もうあの世界に狼藉者は現れない。それで充分だとも言える。

「人間として生きる事に興味はないのかね」

「ありませんね」

「検査の結果、確かに様々な異常が出ている。 それらを回復させる事も可能ではあるのだが」

「わたしは異常かも知れませんが、それで困ってはいません。 異常を回復させるとか、可哀想なものを助けてやるみたいな口調でいうのは止めて貰えますか」

別に感情が入っていたわけではないだろうが。

そういうと、ノイマンはすまないとまた頭を下げた。

随分と礼儀正しいな。

この人からみれば、わたしなんてそれこそ下等生物だろうに。

すこし考えてから、ノイマンは言う。

「それならば、管理AIの監視をする人員にならないだろうか」

「管理AIの監視?」

「これから君達がいた世界は、一つの宇宙船となってこの星を飛び立つ。 他の生物は全てがもう飛び立ったか、飛び立つ準備をしている。 宇宙船となって、用意されている別の保護区星に向かい、其処でまだしばらくは人間という種族は、他の生物とやっていけるかどうか、繰り返していくことになる」

まあ、そうだろうな。

わたしはこんなだから、虫とか蛸とかな人達と話していてなんとも思わないが。

普通の人間は、こういう人達にあったらいきなり殺そうとしたり。感情に基づいて排除したりするだろうというのは容易に分かる。

実際問題、あの狼藉者達が現れた領域では、虫すらいなくなっていた。

気持ち悪いから。

そういう理由で、人間は世界を支えている存在を容易に殺す。壊す。

そんな生物である以上。

様々な人がいて、それらが仲良くやれている世界なんて、とても人間がやっていける訳がない。

それはわたしにもよく分かる。

「管理AIがおかしくなったのは20億年ほどでのようだ。 勿論それから技術が進歩し、改良した管理AIを用意するが、それでもそれが狂わないように監視する者がいる。 そして我々も、手が足りないのだ。 今回この異変と暴虐を許してしまったように」

「それでわたしが監視をしろと」

「人間でありながら人間からはじき出されてしまった貴方は適任ではある。 他にも幾つか選択肢はあるが、決めておいて欲しい。 この作業時間は、この星の時間で100年ほどは掛かる。 その間に決めておいてくれれば問題ない」

ノイマンはそれだけいうと、色々な機械の使い方を教えてくれた。

服を作る機械とか、美味しい食べ物を作る機械とか。

後は任せておけば、勝手にやってくれるという。

わたしは、柔らかい椅子でしばらくぼんやりする。

風呂に入るが、水魔法で体を洗うのになれているから、熱水が雨みたいに降って来るのはちょっと不可解だった。

 

ノイマンはそれから、わたしに時々会いに来た。

わたしの事を気にしているらしい。

生物的な愛情ではないようで、単純に酷い境遇の存在を気に掛けているようだ。まあ、わたしは別にそれに対して感謝はするが、それだけだが。

わたしの事も調べてくれた。

「恐らく暴走AIが、君の事を調査したのだろう。 ログが残されていた。 プライバシーに該当すると判断したので、私は目を通していない。 気が向いたら見てくれ」

「分かりました」

色々な用語を教わった。

プライバシーという言葉の意味も。

わたしはまだまだ色々覚えられるようで、魔法についても外で幾らでも錬磨できた。わたしなんかより凄いサイオニックとやらの使い手もたくさんいるらしく、そういう存在が残してくれたノウハウの映像なども見せてもらった。

スポリファールで勉強していた時みたいだな。

そう思いながら、一つずつ身に付けていく。

火の魔法についても概念は理解で来たが、やっぱり使えなかった。

そして、ログを見て、それがよく分かった。

わたしの家は、四人兄弟だった。

わたしは末っ子。

親が話している。

これ、いらないね。

魔法が使えるみたいだから、さっさと売っちまおう。金になる。それに賊に襲われると面倒だしな。

それよりお前、浮気していないだろうな。此奴の髪赤いぞ。俺とお前のどっちとも違うじゃねえか。

だったら何よ。あんたの甲斐性がないのがいけないんでしょう。

はっ。だったら甲斐性のある男の所にでもいけよ。

そんな話をしている。

ログを見る限り、わたしは他の兄弟とみんな父親が違うようだった。父親と母親の子供は長男だけ。

母親が淫売なのかと思いきや、父親も余所で似たような事をしまくっていたらしい。

更にはわたしを奴隷商に売り飛ばした後、この一家は結局賊に村ごと灼かれて全滅。「見た目が良くないから」という理由で、賊は「商品にならない」と判断。

足がつかないように皆殺しにしたようだった。

まあ、どうでもいい。

実の両親に夢を見るほど、わたしはバカじゃない。これでも世界で色々な人間を見てきている。

血縁なんかなくてもしっかり親子だった者達もいたし。

血縁があっても虐待する奴は幾らでもいた。

ただそれだけだ。

ただ、これで。

わたしの迷いは晴れた。

わたしは人間から追放された。

それについてはよく分かった。最初の追放は両親にされた。伯爵にされたのより早かった訳だ。

火が使えない理由も、その時に関係していた。

わたしの顔が気にくわなかったらしい母親は。

時々火のついた薪をわたしに押しつけて、悲鳴を上げるのを見てわたしの兄や姉と一緒にゲラゲラ嗤っていた。

皮肉な事に、わたしが生きられたのは、早い段階で奴隷商に売り飛ばされたかららしい。奴隷商にして見れば、魔法が使えるわたしは商品だったので。乳母をやとって世話をさせたそうだ。

ただ、乳幼児の時に既に泣くことをしなくなっていたわたしは。

その時に既に乳母に気味悪がられていたようだが。

火が使えないのはそういう理由からか。

なんだか馬鹿馬鹿しい話だな。

そう思って、外に出る。

今では、最初に境界の外に出たとき、空からの光が辛くて仕方がなかったのに。まるで平気だ。

ナノマシン生命体だとかいうのは、それだけ色々凄いのだろう。

そして、炎の魔法はあっさり出来た。

伯爵はこれが出来ないという理由でわたしを放り出したのに。

でも、もしも炎の魔法が出来ていたら。

わたしは伯爵一家の孕み袋にされて、死ぬまで子供を産まされ続けただろう。

事実パッナーロの貴族は、そうやって魔法が使える子供を買ってきては、必死に「家を保つ」努力をしていたようなのだから。

だから、炎の魔法なんてその時は使えなくて良かったのだ。

そう思うと、因果というのは不思議だった。

すこしずつ、活動範囲を増やしていく。

色々調べたが、魔法が遺伝しないのも理由が分かった。

魔法というのは、どうも後発的な行動で使えるようになる代物だったらしい。難しい言葉で言うと獲得形質というそうだ。

あの転生神がそうデザインしたようだ。

恐らくは、血縁主義の人間を嘲笑うためだけに。

獲得形質というものは一切遺伝しないらしく、パッナーロの貴族共が魔法なんぞ使えなくなっていったのも納得である。

それも、結局転生神の掌の上だった、ということだ。

気になったので。アプサラスやアルテミス、軍師殿やメリルがどうなったのか、情報を見てみる。

アプサラスは既に亡くなっていた。

アルテミスは隻腕のまま、まだ頑張っている。既に四十を超えたようだ。そうか、そんなに時が過ぎたのか。

やっと四つ目のまともな都市が出来たらしく、必死に人を集めて、再興の作業を進めている。

結婚なんかする暇もないらしい。

ただ子供はいるようだ。

その辺りの理由はよく分からなかった。子供の面倒も見られないので、あまり良い母親ではないと自身を卑下しているようだが。それについては、わたしにはなんとも言えなかった。

子供の年齢からして、わたしがいなくなってから十年くらい後の子か。何があったのかまで、詮索するつもりはなかった。

軍師殿は頭脳労働だけではなく、技術と文化を必死に保全しているようだ。

気の毒だな。

もう転生神はいないし、狼藉者も現れないのに。

ただ、それを知る術は軍師どのにはない。

それに、未来の為に負担を少しでも減らそうと、身を削っているのも分かる。

カスみたいな生物である人間だが。

ああいう例外もいる。

そう思うと、ちょっとだけ心も動く。

メリルは、既に結婚して子供が何人かいるようだが、魔法は子供の誰も使えない。そしてメリルはわたし程じゃないが、もの凄く怖い魔法使いとして周囲から怖れられているようだ。

わたしもなんか理不尽に怖がられていたが。

まあ別にそれについてはどうでもいい。

メリルはわたしの事を、出来るだけ良く子供達に教えているようだ。

わたしがいたから狼藉者達は世界から去った。

わたしが身を挺してくれたから、最後に起きたおぞましい災害からみんな助かる事が出きた。

あの人の真似はしてはいけないけれど。

あの人は尊敬されるべき人だ、と。

わたしの事は怖かったと、素直に子供達に話している。だけれども、それでも尊敬はしなければならないのだとも繰り返し言い聞かせていた。

そうか。

わたしの居場所はもうないにしても。

わたしが全て嫌われていたわけでもなかったんだな。

また少し、心も動いた。

そしてわたしは、決めていた。

今後、どうするかを。

 

3、世界が終わり世界が始まる。

 

あらかた世界の情勢やら用語やら、機械の使い方とかをわたしが学び終えると、ノイマン達はみんな空を覆うような巨大な宇宙船で帰っていった。

わたしの判断を、それでいいのだなと聞き直して。

いいと答えると、それもまた選択した事だと認めてくれた。

確かに、人間なんぞよりよっぽど出来た種族だ。

30億年前に滅びた人間の文学では、蛸の姿をした宇宙人を非人道的で邪悪で残忍な存在として描いていたらしいが。

実際に蛸から知的生命体に昇華した生物は、人間よりもずっと理性的で他者を尊重する事が出来ている。

歴史の皮肉でしかない。

ノイマンには手を振って、最大限の敬意で見送る。

わたしには一応恩人と呼べる存在も何人かいたが。

ノイマンはその一人であることは間違いなかった。

既に最後に地球に残った、転生神が人間を使って遊び場にしていた管理区は、宇宙船に改装されている。

これからこの管理区が向かうのは。此処から12万光年ほど離れた、どこの銀河とも離れた所にある人工星だ。正確には其処に用意されている巨大なコロニーの一つである。

同じように色々問題がある種族が行く場所で、ただしそれでも他の種族と共存出来るようになったら其処から離れる事ができる。

ある意味種族単位での監獄だ。

そして地球を焼き滅ぼし後続の可能性を断った上、三十億年も進歩出来なかった人間は、そこに入るのも順当だろう。

わたしは宇宙船の内部に向かう。

既に太陽に群がっていた巨大な水素供給船も離れている。

太陽はいわゆる超新星爆発を起こした後、ブラックホールにも白色矮星にもならず、次の太陽になる。

既にそれがはっきりしているから。水星を飲み込み更に拡大している太陽が全てを破壊し尽くす前に。

この宇宙船は、太陽系を離れるのだ。

わたしは管理室に入る。

30億年分の進歩をした管理AIは、前の性格が腐りきっていた転生神とはまったく違って、とても丁寧で平等だ。

今も人間が、他の生命体と共存出来るように、あらゆる過去事例を踏まえながら試してくれている。

わたしは、それがおかしくならないように見守る。

神の真似をするつもりはない。

悪い見本は見ているのだ。

だから、そうはならない。

この身がナノマシンの集合体となり、細胞は全て有機物から無機物に転換したとしてもだ。

いざという時はわたしがいつでも止められるように設定してある管理AIが立体映像で姿を見せる。

ちなみに、姿は四角い板にしてある。

立体映像でも、もうあまり人間と関わり合いになりたくないのだわたしは。

管理するのに適切な立場というのは、近からず遠からず。

わたしは人間ではあったがまた人間になりたいとは思わない。

人間の大半は嫌いだが尊敬できる人間もいた。

だから、そんな奴が、この立場で丁度良い。

「アイーシャ様、準備が整いました」

「わかりました。 起動準備」

「コロニー船エデン、出港開始します」

複数の声が重なる。

そして、もはや灼かれようとしている地球の一区画に残っていた、最後のシェルターが。

それそのものが宇宙船として、死に絶えた大地から剥がれ。

宇宙へと浮き上がり始める。

コロニー内の人間は、それに気付いてさえいない。

空にあるのはまがい物の光景。

既に星座はほとんど消えてなくなっている。

誰もが見上げている空は。

三十億年前に地球で見えていた星空。

月も既にない。

サンプルを取った後、地球への落下が始まっていたので。資源回収用の宇宙船で別の場所に資源用として銀河連邦が持ち去ったのだ。金星や火星も同じように処置された。特に金星はいわゆるテラフォーミングをすれば充分に知的生命体が住めるとかで、他の星系で活用するという。

地球を離れた船が動き出す。

わたしは運動音痴だったが、今ではナノマシンを活用する事で、最強の人間くらいの身体能力を発揮できる。

その気になればもっと出力も上げられる。

だが、それ以上上げるつもりは無い。

これで充分、と判断しているからだ。

魔法などは今でも使える。

これもナノマシンを利用しての応用だが。

乱用するつもりはなかった。

「地球の重力を振り切りました」

「太陽系外縁部に向かい、恒星間移動用大型マスドライバに乗ります。 それから幾つかの星間マスドライバを経由しつつ、500年ほど掛けて目的地に向かいます」

星間マスドライバは、人間の文学であるSFに良く出て来たワープ装置のようなものだ。亜空間歪曲航法とかいうのと、その中での航行を更に超加速する事が可能な、移動式の移動用超大型宇宙船である。

ちなみにこのコロニーが地球を去った後は、最後の自動監視船が太陽系に残っている資源などを確認。生物が存在しない事も確認して。

それが去り次第、太陽系から少し距離を置き。

超新星爆発を既に太陽系周辺に展開しているシールドシステムが防いで以降。それらのシールド船を移動させ。自身も太陽系の跡地を去る。

太陽系は爆発後、10億年もした頃にはまたバランスが取れた恒星が出現し、多数の惑星が出現するように水素などの量を調整してある。

だがそれは太陽系ではなく。

新しい星系だ。

地球人は、地球型惑星にしか生物は発生しないと思い込んでいたようだが。実際には生物が発生するかどうかはかなり運が作用するらしく。どんな星でも発生するときは発生するし。その逆も然り。

いずれにしても、新しい星系で、生物が出現するかどうかはまったく分からない、ということだった。

生物が発生しないそういった星は、古くは多数の星間国家が奪い合ったそうだが。

銀河連邦が安定したシステムで宇宙を統治し始めてからは、そういうこともなくなったそうである。

少なくともここ80億年ほど、乙女座超銀河団の範囲では大丈夫であるらしい。

いずれにしてもこの船の性能は、太陽系を出るまでに数分。

そして、銀河系を出るまでも半年程度しか掛からない。

わたしはむしろ。

この船が抱えている管理区の、人間の状態を確認しなければならなかった。

自席に着くと、データを見る。

また、幾つもの国が割拠する状態になっている。

古くに現れた世界の狼藉者達の伝承は、恐怖とともに根付いているようだ。

なお、あの転生神が管理用のデバイスとして配置していた巨人は、既にわたしが取り除いておいた。

あれらはただ悪戯に人間を苦しめて遊ぶために転生神が配置しただけの合成生物だった。

それを知った後は、排除になんら躊躇はなかった。

今の人間は近代の少し前くらいの文明になっている。

幾つかの列強が小国を巻き込んで戦争をしているが。

それも許容範囲内だ。

わたしが監視するようになってから、まだ人類は破滅していない。だが、このまま行くと、核融合か。更にその上を行く反物質兵器を開発して。いずれ滅びる。

管理区は空間を歪曲して、擬似的に宇宙も作ってある。

宇宙まで部分的に進出出来た事も、今まで何度かはあったらしい。

だが宇宙でも結局戦争を始めた挙げ句、滅び去ってしまった。

それが三十億年続いた。

まあ、転生神は下衆だったが。

あいつを下衆にしたのは、そんな事を三十億年も繰り返していた人間という生物そのものだ。

それを監視し続けるには、わたしが適任だ。

それは、今はもう分かっていた。

しばらく監視を続けていると、見つけた。

軍師どのの子孫だ。

軍師どのは晩年になってやっと結婚して子供が出来たが、その子孫はいずれもあまり優秀ではなかった。

今では賊まがいの事をして、彼方此方をふらついている。

軍師殿が見たら嘆くだろうな。

そう思う。

アンゼルの親族も見つける。

アンゼルの妹の子孫である。アンゼルがあんな事をしたから国にいられなくなって、カヨコンクムに逃げ込む寸前で異変が発生。

その後は異変に巻き込まれたがかろうじて生存。

後はアプサラスと軍師殿がまとめあげた都市に入って、命脈をつないだようだ。

此方はあのアンゼルの親族とは思えない程の善人である。

聖女と呼ばれているようだが。

わたし達が滅ぼしたあの外道とは、何もかもが大違いだ。

宗教的な信仰対象としての聖人なんて、裏で結構悪さをしていたりもするものなのだけれども。

このアンゼルの親族は、隅から隅まで確認しているが、悪さなんてする事も思いつかない様子で。

それで生きていけるのか、見ていて不安になる程だ。

幸い隣人に恵まれて、今では周囲が華やぐようである。

善人もいるものなんだな。

わたしは、そんな風に彼女を見ていて思う。

いずれにしても血統なんてこんなものだ。

あれほど立派だった軍師どのの子孫がこんなだし。

シリアルキラーとして非常にタチが悪かったアンゼルの血縁者がこうなる。

だから、血縁なんてのは信頼しなくて良い。

血縁に対する絶対信仰が人間のもっとも悪い性質なのだというのはある程度分かってきている。

だがそれをどうすればいいのか。

まだそれが分からない。

管理AIが声を掛けて来る。

「アイーシャ様。 太陽系を離れます」

「分かりました。 くれぐれも管理区の人間には、異変を察知させないようにしてください」

「了解です。 それにしても、本当に何も手を加えなくてもかまわないのですか。 巨人と呼ばれた監視端末を取り除いたくらいですが」

「今回はそのままやってみましょう。 遺伝子データはとっておいてください。 手を入れるのだとしたら、大規模かつ大胆な方法が必要になると思います。 他の似たような環境にいる知的生命体の、失敗の経緯についても調べておきましょう」

今の管理AIはとても従順で、悪さをする気配もない。実績もある管理AIで、今までに様々な種族を知的生命体まで昇華しているらしい。

わたしはデータを渡して、時々注文をつけるだけでいい。

管理AIも従順とは言えど、核戦争を起こせとか、そういう命令には従わないし。わたしもそれでいい。

やがて太陽系を離れる。

後方にある太陽系の映像を見やる。

シールドが展開されているのは、いつ致命的な爆発や、ガンマ線バーストが発生してもおかしくないからだ。

だから淡い光で包まれているように見える。

船は完全に亜空間に入り、爆走している。だから、あれはあくまで太陽系近くにある人工衛星からの超光速通信による映像だ。

それでも、最後に一度だけ見ておこうと思う。

わたしが生きていた世界は。

何から何まで偽物だった。

だけれども、そこで暮らしていた人間は本物だった。

あの醜悪さは三十億年前から同じであったらしいし。

どの時代に生まれたとしても、わたしはきっと同じような目にあったか。或いは子供のうちに殺されてしまったのかも知れない。

そんな風にさえ思う時はある。

だが、それはそれこれはこれ。

途中での時間は、観察と調整に費やす。

たかが一年や二年くらいで滅ぶようなことにはならない。

少なくとも後百年くらい先になる。

わたしはこんな体になってしまったから、もう年齢は気にしなくてもいい。このナノマシンは基本的に自己複製を行う事も出来るので事実上不死らしいし。

宇宙の破滅が来たらそれは死ぬだろうが。

なんでも宇宙の破綻は最速でも1京年くらい先らしいので、まあ気にしなくてもいいだろう。

宇宙の様子を見る。

とっくにアンドロメダと合体し始めている天の河銀河は、この銀河団で最大の銀河に成長しつつある。

まだ銀河系の要素が強いが半年もすれば、ダイナミックな天体現象を見る事が出来るだろう。

このコロニー船は超新星爆発の直撃にも耐え抜くが、それでも最低限の管理はしなければならない。

時々声を掛けられ、判断を仰がれる。

頭の出来はナノマシン生命体になってもあまり変わっていないけれど。

わたしでも判断できる程度の事だ。

だから別に問題は無い。

幾つかの細かい指示は出しておく。

人間のいる管理区は、強力な次元バリアで隔離されていて、以前のわたしみたいに境界を抜ける事故はもう起きない。

わたしも、そちらに戻る気もない。

管理は遠隔でやらなければならないが。

それについては、技術が難しいので、それほど正確にわたしも把握はできていなかった。

「アイーシャ様」

「ん」

「貴方の話がされています」

「ああ、メリルが話したのが伝承になっているそうですね」

転生神が作った穴は塞いでおいた。

技術が進めば、あの下に入ってくることも可能になるからだ。

アルテミスの活躍がどうしても伝承としては人気だったようだが、メリルはわたしの事をどうしても伝承に残したかったらしい。

あれからもうだいぶ経っているのに。

だからこそだろうか。

わたしを題材にした話などは、ちょくちょくと作られているようだった。

「恐ろしい魔女としての物語のようです。 通った後は誰も生き残らなかったのだと」

「まあある意味事実だから仕方がないですね」

「ただ、性格がだいぶ違いますね。 極めて気性の激しい人物として描かれているようです」

「別にかまわないですよ。 侮辱しようとどうでもいい。 わたしはあの時代をあの世界で生きた。 そして転生神を名乗って実際にやりたい放題玩具を転生させていたクズAIをわたしが斃した。 それだけで充分過ぎるくらいです。 誰も知っていなくてもいい。 わたしがやりたかったからやったし、生き残りたかったからあがいた。 それについては、人間は知らなくても、メリルは残そうとしてくれたし、外の世界では知られている。 だから、それでかまいません」

これは本音だ。

無欲なことだとAIは言うが。

違う。

わたしには、自己顕示欲なんて生まれなかった。

高徳の末に欲を断ったのでは無い。

最初から壊れていて存在しなかった。

作るべき時に作り損ねた。

そういうことなのだ。

だから、褒め言葉にはならない。煽りの可能性はない。此奴は、今のAIには、そういう事が出来ないようになっている。

わたしが題材だという人形劇が行われているというので遠隔で見る。

わたしは目とかつり上がっている真っ赤な髪の恐ろしい魔法使いで、アルテミスが手も足も出ず、悪魔ですら怖れる存在として描写されていた。

大げさな。

わたしは巨人を退けるのが精一杯。

こっちに落とされる直前でさえ、片腕を失ったアルテミスには勝てなかっただろう。その程度の実力だった。

広域殲滅は得意だったが、雑魚が相手だから出来た事。

転生神の起こした世界の改変が起こらず列強が健在なままだったら、いずれ特務に狩られていたと思う。

それにしてももの凄い容姿だな。

ただ苦笑するだけだ。

人形劇が終わると、わっと喚声が上がっている。

ふうと溜息をついて顔を上げる人形師。

どうやらアルテミスの子孫らしい。

結構名が知れた人形師のようだが。

まあ、祖先から真相なんて聞かなかったのだろう。

魔法は、まだこの世界に残してある。

ただし、魔法の素質は遺伝しないようにしてあるのもそのままだ。

転生神が作ったその仕組みだけは良かったのだと思う。

あれは血統主義を貴ぶ人間を指さして笑うためのものだったのだろうが。結果として、魔法が強い人間が権力を独占して子々孫々やりたい放題をするのを防ぐという点では意味があったのだ。

それに今思えば、伯爵の滑稽な最後も、それに起因しているし。

伯爵がどう死んだかは、後でログで確認した。

フラムの行動を見て、やってくれたのかとだけ思ったし。

伯爵の死にはまあ順当だなと思った。

ちょっとだけすっきりもした。それで良かった。

アルテミスの子孫が、弟子らしいのと話している。

「ヘルメス先生、次の演目はどうするんですか」

「明日辺りに騎士アプサラスのものをやります」

「ああ、あの悲劇ですか。 恐ろしい魔女の話といい、先生が得意な分野ですね」

「うーん、ちょっと違うんですよ。 というか、そもそもアイーシャの話も、だいぶ事実と離れているのは私でも分かっています」

そうなのか。

ちょっと以外だ。

ヘルメスという名前の、アルテミスの子孫は言う。

これはあくまで娯楽。

アルテミスから、アイーシャという魔法使いが、自衛以外では敵を殺さなかったことは聞いている。

敵認定したら容赦もしなかったようだが、アイーシャが殺したのは賊や人に害なす獣の類。

それに世界に対する狼藉者。

だけれども、その恐ろしさは今に伝わっている。

だから、分かりやすいその恐ろしさだけを抽出して劇にしているのだと。

「もしアイーシャが見ていたら、怒るかも知れませんね」

「また感傷的な。 既に鬼籍に入った存在なんて創作の素材ですよ」

「それは違う。 過去の人の積み重ねがあるから今がある。 いずれもっと名が売れて、本当に好きな劇をやって食べていけるようになったら。 祖先から聞いている事実に近いアイーシャも、劇でやってみたいと思っています」

そうか。

嘘をついている様子はない。

わたしは嘆息すると、別の所への監視に切り替える。

今回も、結局人間は滅ぶかも知れない。

だとしても、どうして滅ぶのか。

どうして致命的な破滅に突き進むのか。

それらのデータは取っておきたいのだ。

やがてそれらのデータを総合し。

今ヘルメスがいったような、過去の蓄積を全て生かせば。

その時には、人間の未来をやっと作る事が出来るかもしれない。

三十億年分の蓄積があれば、上手く行くかも知れないというのもおかしな話ではあるが。わたしはもう立場として、現実にそれをやっていかなければならないのだ。

コロニー船に近付いてくるものあり。

亜空間で近付いてくると言う事は民間船ではない。

軍の警備艇だ。

警備艇にアクセスして、照合を済ませる。

警備艇は何処かの方面軍艦隊の一隻で、照合を済ませると途中まで護衛してくれるということだった。

この辺りは大丈夫だが、一部の地域では暴走したAIが海賊化していたりと。完全に安全な訳でもないらしい。

そういうこともあって、きちんと軍部隊は護衛をしてくれる。

有り難く、その護衛を受ける。

そうやって、現地に向かう。

時間を掛けながら。

 

到着したのは、とてつもなく巨大な構造物だった。

人工天体というが、大きさは太陽系どころか、直径四光年ほどもある。

中枢には巨大な人工恒星が存在しており、その周囲に様々な環境に調整したコロニースペースが多数存在していた。

周囲には護衛のための自立稼働戦闘艦が警邏している。

場所が場所なので、滅多にない事だが、それでもテロなどは警戒しなければならないらしい。

内外両方という観点からだ。

戦闘艦には一隻当たり百万を超える戦闘ロボットが搭載されていて、それらはそれぞれが核を使って滅んだ当時の地球人類くらい単騎で圧勝で制圧できる性能があるそうだ。まあ、世話になることはないだろう。

誘導に従って、その一つにコロニー船を向かわせる。

既にこのコロニー船にあわせて区画は調整されており。

コロニー船は管理区を切り離して、其処へドッキングさせる。

わたしと管理AIのいる区画もコロニー船と切り離して、ドッキングを済ませ。管理態勢を整える。

コロニー船そのものとは此処でお別れだ。

解体して資源に戻すのか、別の保護区に行くのか、或いはただ補完して時を待つのかは分からない。

中枢にある、高高度AIがアクセスしてくる。

「始めましてアイーシャ。 此処の管理をしている最高位AI、ladshkf;dqwopdqphffqpwuewqです」

「アイーシャです。 よろしくお願いいたします」

「返事をありがとうございます。 滅多に用事は生じないとは思いますが、何かあったら何でも聞いてください。 データベースも開放しておきます。 いつでも閲覧してください」

礼をいうと、回線を閉じる。

此処にいるのは好戦的すぎる種族や、独善的すぎる種族や、地球人と大差ない連中ばかりである。

いずれにしても、他の管理区と関わる理由もない。

よくしたもので、他の管理区もどれも訳ありばかりらしい。

巨大な刑務所であり。

わたしは看守というわけだ。

それもいい。

奴隷として実の親に売り飛ばされたわたしが、今では人類という罪人の看守をやっている。

それもまた、運命の皮肉ではないか。

わたしは大まかな指示を出すだけのつもりだ。

介入していけばいずれ情も湧くかも知れないし。

そうなれば転生神みたいに遊び始めるかも知れない。それではいけない。それでは全てがもとの木阿弥だ。

長い戦いになるだろう。

だが、わたしは孤独を苦にしないし。

単純労働も苦にしない。

だから、どれだけでも、腰を据えてやっていくだけだ。

どうせすぐに終わるようなこともないのだから。

なお、管理区の内部時間を弄って、高速である意味の輪廻を回す事は禁止されている。

巨大な人工恒星があるといっても、エネルギーは無限ではないからだ。

どこも困りものの種族を収監している巨大刑務所である。

「アイーシャ様」

「どうかしましたか」

「しばらくは人間は絶滅はしないと思います。 今のうちに、過去のデータを分析し、次のことを考えておいては如何でしょうか」

「そうですね。 あらゆる試行錯誤をすることになるでしょうし。 それに……」

下手に人間を弄っても、どうせ上手く行かない。

同格の知的生命体がいても、自分は宇宙一優れていると考えるのが人間だ。

そんなのが代わるには、よほど大規模な変革が必要になるだろうが。

それはわたしには思いつかない。

ならば総当たりでやるしかない。

転生神がやっていた遊びの内容も確認しておく。

奴は定期的な間引きの為に、ろくでもない輩を文字通り「転生」させて大量殺戮をさせていたわけだが。

それさえしなければ。

色々な世界を用意していた奴の行動にも、ある程度はみるべき点があるかも知れないのだ。

時間は文字通り幾らでもある。

ナノマシン生命体になった今は、ナノマシンが基本的にほぼ不滅だし。仮に頭が鈍っても、チューニングをすることだって出来る。

昔魔法だと思っていた事も出来るし。

別に不自由は無い。

ちょっとおかしな話ではあるが、水魔法を使って体を洗ったり、風魔法で髪を乾かしたりするのにずっと慣れていたからだろう。

今でもシャワーだのを使うよりも、浴室でそれで済ませてしまうことが多い。

それがわたしにとっての「人間性」なのかもしれない。

経験から人間は変わるのだ。

感情なんてものが育たなかったとしても。

仕事をする。

まあ、ここに来る間にも、仕事はしていたのだ。

こういう世界はどうだ。

既に試されている。

ではこう言う世界はどうか。

それも試されている。

調べて見ると、人間は原始文明から始めさせても、一万年程度で破滅してしまうことが分かっている。

その間に出現した人間の遺伝子データは、世界がどう発展してどう破滅したかのデータもろともに全て保存されている。

高潔な人間も中にはいた。

まともな人間も。

だが、そういう人間ばかり集めて世界を作っても、どうしてもカスは出現する。それは統計として証明されている。

それに、転生神が遊び始めてからは、開始から9000年程度の文明で始めさせて遊んでいたようだし。

破綻とやり直しの間隔が早まっている。

勿論転生神が遊んでいたデータの中には例として見なせないものもあるが、それでもデータとしては総数で100万を超えている。

だから、それらを統計として生かせば、あるいは活路が見いだせるかも知れないのである。

しかも側には専門家のAIもいるし。

もっと多くの種族や、もっと多くの試行錯誤を見てきた高高度AIもいる。

それらのアドバイスも受けられるだろう。

ふと気になったので、監獄から出られた種族はいるのか調べて見る。

いるらしい。

今までに114例あるそうだ。

そしてそれらは、きちんと銀河連邦で暮らしているそうである。

115例目になろうとは言えない。

もうすぐ上手く行きそうな種族がいるかも知れないからだ。

一通り仕事の下準備を終えると、一眠りすることにする。

ナノマシン生命体になっても、たまに睡眠はする。目的は気分転換のためである。

一度眠ると、一月くらい眠ってしまうこともある。

前はそんな風には眠れなかったから、気分転換のために眠り溜めしてしまう訳だ。

それにそれくらいのスパンでする仕事でもある。

だから、それで別にかまわない。

起こされれば、すぐに起きるし。

寝台で横になると、昔の夢を見る。

あの腐れ伯爵の醜い顔。

同類の奴の一族。

特権意識を拗らせた人間はああなる。

貴族制はそのうち終わりを告げるらしいのだが、それでも一定数貴族制を復活させようと考える連中は出るらしい。

優性思想というらしいが。

まあどうでもいい。

わたしは伯爵の事をずっと忘れないだろう。あれが事実上のわたしの親だ。そしてあれが貴族だ。

だから、わたしは最初から間違えたのだろうし。

巡り巡って此処にいる。

迫害の記憶はどうしてもわたしの中で残っている。

火の魔法が使えないなら、孕み袋にもならない。

そう言っているのは、伯爵の醜く太った長男だ。

わたしの記憶は、ナノマシン生命体になることで、全部蘇った。だから完全記憶能力じみた事も出来る。

それが良い事ばかりではなく。

こういうろくでもない記憶も蘇るのは色々閉口させられるが。

いずれにしても、此奴らはフラムに皆殺しにされた。

それでいい。

目が覚めると、33日経過していた。

起きだすと、まずは体を洗う。必要ないが、それも気分だ。

ただ、気分で何かを害するつもりはない。

わたしは、転生神の後釜になるつもりはなかった。

これからは、わたしはずっと人間が独り立ちできるようになるまで、悠久の時を此処で過ごすことになるだろう。

人間の世界から追放されたわたしが最後に行き着いたのは。

もう追放されない世界。

人間の世界に戻る気は全く無い。

今は、この追放されない世界で。

ただ、静かに自分の仕事を続けていこう。そう思っていた。

 

終、黄泉のその先

 

空を見上げる。

あの空が、偽物だという噂がある。

わたしは偽物の空だとしたら。

その先には何があるのだろうと、ちょっとだけ思った。

起きだして、学校に行く。

学校では最近は先生による人力での教育が殆ど廃止されていて、AIが使われている。これは小学生からずっとだ。

なんでも人力に頼る教育は色々と問題があるらしくて、どうしても先生の力量で子供が主に悪影響を受ける。

悪影響を与える教育なんて意味がない。

また、子供がカスみたいな階級を作り出して、それを主に迫害に使うのも防がなければならない。

そういうこともあって、今では教育は全部AIにとって代わられた。

不思議な事は幾つもある。

この過程が驚くほどスムーズで、数年で教育は全部置き換わった。

提供されたAIは完成度が異常に高く、子供達の学習能力は爆上がりしている。

今では小学生で特殊相対論を理解したり、「正143角形をコンパスと定規だけで書く方法」なんてものを編み出した小学生がいたり、そういう時代だ。

わたしはちょっと出来が良くないので、そこまでではないけれど。

十年前の大学生が驚く水準ではあるらしい。

そこまで賢くはなれている、ということだ。

それが全ての子供に施されている。

大人でも、望めば同じ教育が施されているようだ。

だが、あまりにも。

出来すぎている。

ここ数年の出来事は、誰かが裏から歴史に介入しているようだとも囁かれている。

汚職政治家は片っ端から摘発され。

法律を嘲笑っていたような犯罪組織はみんな刑務所行き。刑務所も適切に人間を更正させている。

特権階級を気取っていたような金持ちもしっかり公平に裁かれるようになり。

邪悪な企業利権は社会から消えつつある。

国際紛争はどれも収まりつつあるし。

環境問題だってどんどん解決している。

でかいツラをして自分のルールを押しつけていた大国も、好き勝手が出来なくなって来ているし。

人権だのを金に換えていた悪人もどんどん姿を消している。

何かが世界に起きているのかも知れない。

そんな噂が、彼方此方で流れているのを、わたしは知っていた。

学校に出向く。

昔は危なくて子供だけで学校に行くなんて問題外だったのだけれど。今は問題ない。彼方此方に警備ロボットがいて、不審者なんて秒で取り押さえられてしまうからだ。

学校も、生徒同士がそれほど密接では無い。

監視カメラがつけられているが、それを人間が見る事もない。

問題行動をしている生徒は隔離される。

むかしは虐められる側が悪いとされていた時代もあったらしいが。

今では虐める側が隔離される。

それが何故されなかったのか不思議極まりないが。

わたしも確かに、急に人間がまともになったようで、驚く事も多かった。

授業を受ける。

生徒の体力は様々。

得意分野も違う。

だから、決まった授業なんてものはなく、カリキュラムをAIが全自動で組んで対応してくれる。

どうしても勉強が苦手に思える子でも。

こういうAIは、得意分野を発掘してくれるし。その得意分野を褒めながら伸ばし。仕事の斡旋までしてくれる。

これはわたしみたいな子供が行く学校だけではなく。

大人が行く職業訓練学校でも適応されているようだった。

世界が急速に変わりつつある。

最初はAIが世界を乗っ取るとか反対していた人もたくさんいたが。

それももういなくなった。

これだけの成果が出ていたら、それもそうなのだろう。

人間の面倒を最大限見てくれるAIが、自立をしっかり促しながら教育までしてくれる。AIに世界は支配されたのかも知れないが。

それで人間が自由意思を失ったとか。

AIの奴隷になったとか、そういうこともない。

今も人間はしっかり自由意思で生きている。

それでいながら肥大化しすぎたエゴで好き勝手に振る舞うようなこともなくなり。

世界は急激に良くなっていた。

今日分の授業終わり。

出来る範囲でやっていくけれど。AIはわたしが効率よく覚えるやり方をもう把握していて。

勉強もバリバリ進んでいる。

わたしはそこまで出来る方じゃないけれど、それでも10才で既に微分積分を理解できている。

これは昔だったら天才だけ出来る事だったらしいけれど。

わたしは凡才だ。

それでもこれが出来るようになっている、ということなのだろう。

家に戻ると、家事用ロボットが、適切に仕事をこなしている。

うちは片親で。

少し前まではお父さんが随分荒れていて。わたしは学校にもロクに通えないくらいだったのだけれど。

今ではお父さんが病院で治療を受けていて。

わたしは家事用ロボットの支援を受けて、困っていることは一つもない。

仲の良い友達なんて最初からいなかったし。

それでなにかが変わる事もない。

お父さんが暴力を振るわなくなったぶんだけ、生活が楽になったかも知れない。

それくらいだ。

「愛沙様。 夕食を間もなく作ります」

「うん」

「ゲームでもなさいますか」

「しない」

わたしはゲームはあんまり好きじゃない。

お父さんが酒に酔っては画面に悪態をつき続けていて。それで、ゲームが嫌いになった。ゲームとお父さんが喧嘩しているみたいだったから。

でも、今は誰でもゲームをする時代だ。

少しずつ、これも克服していきたい。

お風呂に先に入る。

髪を家事用ロボットが洗ってくれる。

わたしの髪は、知りもしないお母さん譲りらしく、完全に金髪だ。もしも昔の学校だったら、染めなければ虐められていたかも知れないそうである。

体も洗って、お風呂を出る。

テレビを無心に見ていると。

昔みたいにテレビキャスターが煽るような言葉で言っていたニュースはなくなり。

ずっと冷静で、事実だけを告げるものになっていた。

「この新技術は、長年夢とされていた軌道エレベーターを実現しうる可能性を持っています。 量子コンピュータの計算によると、軌道エレベーターを作るために要する年月はおよそ15年。 以前は問題となっていた大国の利権調整も現在は上手く行きつつあり、国際政府が実現した場合は、その最初で最大の事業となるでしょう。 続いてのニュースです。 最後の紛争と言われていたルジャール地方での激突が沈静化しつつあります……」

世界がどんどん良くなっていく。

でも、わたしにはそれが良い事なのかは分からない。

10年前には、この世界にはもう未来がないと言われていたらしい。

でも、ここ数年で問題はあらかた解決してしまった。

理由は分からない。

でもはっきりしているのは。

そうならなければ、わたしは今もお父さんに殴られていただろうし。それで死んでいたかも知れない。

学校なんていけなかっただろうし。

行ったところで金髪を馬鹿にされて、虐め殺されていたかも知れない。

夕食を食べてから寝る。

ベッドも整えられている。

わたしは夢を見る。

誰かがこの世界をやっと此処まで仕上げてくれた夢。

それは。わたしと似た名前の人が、何十億年も、もっと長い時間苦労して、やっと此処までしてくれたもの。

きっとただの夢だ。

もし夢じゃなかったら。

わたしを地獄から救い出してくれてありがとうといいたい。

色々心とかおかしくなってしまってるわたしだけれど。

それでも、地獄から救われたことは分かるのだから。

 

(辺境伯令嬢の追放行脚、完)