|
破滅の光
序、剣聖
剣聖は新パッナーロ領を移動しながら、悪党退治をしている。
まあそれはあくまで剣聖にとっての主観の話で。
剣聖にとって都合良く悪党が生えてきて。
それを剣聖が都合良く生やした弟子と言う名の愛人……ですらない性欲発散用の肉人形とともに退治してたのしんでいる。
それだけだ。
わたしはそれを見て確認もした。
実際問題、それまでそこに存在しなかった悪人がいきなり出現し、剣聖は余裕綽々でそれを斃す。
数もたくさん出て来て、それを弟子と言う名の肉人形と一緒に斃して、そして勝利に酔う。
遠隔でその様子を確認して。
そして戻る。
毎日これをやっているわけではない。ただ、剣聖は明らかに此方に気付いているし。更にはすこしずつ領域を拡大している。
グンリだけではなく、どうやらスポリファールの方にも出向こうとしている様子が窺えている。
今の時点では新パッナーロ領を好き放題に荒らすだけで満足しているようだが。
それが満足出来なくなるだろうことは、いずれ明白だった。
事実気まぐれに足を運んだグンリは、元々剣聖の領域ではなかったのだ。
そしてこんな自己顕示欲が強そうな輩が。
他の同格がいなくなった今。
その欲を抑えているとはとても思えなかった。
軍師どのはずっと策を練っている。
どうしても確実に斃せる策を思いつかないらしい。
慢心が酷かった今までの狼藉者は、それぞれ難しい策なんか立てなくてもどうにでもなったのだ。
剣聖も慢心が酷いのは代わらないが。
厄介な事にこいつは回避を好いている。
そのため、そもそも初撃であの石を当てられない。
今軍師殿が、剣聖の戦い方を分析して欲しいと言っており。そのため、分析をしているのだが。
戦いの内容を、メリルがものすごく詳細に覚えている。
それもあって、この子を連れ出すのは不可避になっていた。
兎に角記憶力がずば抜けているのだ。
ある種の才能なのかも知れない。
あのハーレムとかいうのがあった建物も、全部中身の構造を短時間で覚えたし。
拠点に戻る。
丁寧にメリルが戦いの経緯を説明する。それをクラウスがメモで残していた。
「敵として用意している悪党も奴が作っているのも同然だろうに。 その割りには戦いの経過が毎回違うな」
「飽きが来ない程度に苦戦を演出しているということだろう。 楽しむためには苦戦がある程度必要だと知っているんだ」
「厄介ですよ実際。 弄ぶのが大好きなんですから」
アンゼルも殺しをたのしんでいたが。
弄んでいたかといわれると、小首を傾げてしまう。
アンゼルの場合は悲鳴を上げて逃げ惑う敵を狩って廻るのが好きとかそういう感じではなくて。
ただ殺すその過程だけを楽しんでいたように思う。
剣聖は戦闘の経緯を見る限り、最初に敵に優位を見せて、それから逆転勝ちというのを好んでいるようだ。
ただそれは、全部脚本有りの戦闘であるのだろうけれど。
なお、時々飽きるらしく。
途中で敵を瞬殺する事が何回かあった。
それは恐らくだが、自分で書いた脚本をつまらないと感じたときなのだろう。
勝手なものである。
動かされているのは、剣聖の領域でその法則に当てはめられてしまった人間。それが生きているか死んでいるかは分からないが。それでも人間であるだろうに。
「奴の性格からいって、恐らく全員の技を見ようとするのは確実です。 問題はその先です」
「続けてくれ」
軍師どのに、アプサラスが促す。
アルテミスは側でじっと話を聞いていた。
もっとも重要なのはアルテミスが如何に相手の本気に対処するか、だからだ。
秒でも対処できる存在と言うだけで、アルテミスがどれだけ貴重か分からないほどなのだ。
「石を使うにしても、そもそも石を持った者が出向けば、まずは攻撃をさせて、それを回避して見せるでしょう。 ただ最初が手を抜いていると判断したら、即座に殺しに切り替える可能性があります。 油断している間に相手を貫くという戦術が使えません」
「抑え込んでそこに石を叩き込む方法は」
「抑え込めますか」
「無理ですね」
アルテミスが即答。
まあ、そうだろうな。秒でも足止め出来れば良い方だし。弟子という設定の肉人形も、アルテミスの手に負えない力量なのだ。
「……私を肉盾に使えませんか」
カルキーが言うが。
首を横に振る軍師どの。
それも検討しているが、相手を弄び、回避を好む相手だ。それに石を直撃させる策がないのである。
相手の頭は決して良くはない。
戦闘の経緯を見ている限り無駄が多いし、剣術に関しても素の身体能力でごり押ししているだけ。
力が強いだけで、剣術としては素人同然。
とても剣聖なんて名乗れる技量ではなく、単に剣を持っている肉体の性能が異常だから強いだけだと、アルテミスもアプサラスも口を揃えていた。
「今、一つだけ考えている手があります。 しかしそれには、大きな犠牲がともなうでしょう。 アルテミスさん、貴方には弟子達全員を引き受けて貰う事になります。 それも三秒などといわず、もっと長い時間を。 アプサラスさん、カルキーさん。 貴方たちの生存率は著しく低くなります。 クラウスさんも。 そしてアイーシャさん。 メリル。 貴方たちにさえ、前線に立って貰う事になると思います」
軍師殿は足手まといにしかならない。
それは分かっている。
せめてストレルがいたら。
そう思うが、どうしようもない事だ。
それにストレルは、既に発狂していたのだと思う。今更万全の状態で、戦う事なんて出来なかっただろう。
「それでも五分に作戦成功率は届かないと思います。 何よりも……性質がよく分かっていない石に頼る事になります。 今は、もうそれしか思いつきません」
「分かった。 ただし、もう一人狼藉者がいる事は忘れてくれるな」
「といいますと」
「私も出来るだけ努力する。 最初から死ぬつもりで作戦に臨むなという意味だ」
アプサラスはそう言うが。
わたしには、アプサラスこそ、死ぬつもりに見えた。
ともかく作戦が伝達される。
なるほど、剣聖の行動から予想される全ての事を見込んだ上で、それでも当てられる可能性がある策か。
しかし、これは確かに生き残れない可能性が高そうだ。
それでもやるしかない。
わたしもこのままだと、剣聖が好き勝手にする世界に飲まれて、奴にとって都合がいい肉人形にされる。
いつまで正気でいられるかも分からない。
実際問題、戦王の領域ではまだ幼いメリルまで強い影響を受けていたのだ。わたしは頭が色々壊れているみたいだから、それで大丈夫であったようだけれど。それも他の狼藉者の領域で、どこまで正気でいられるか。
それに全ての人間が死に絶えたクタノーンの事もある。
このまま行くと、確かにそもそも生きるのが極めて困難な状況が到来しかねない。わたしも、腹をくくるしかないだろう。
作戦を頭に入れる。
作戦決行は三日後。
これは剣聖が動く時間帯がだいたい分かっているからだ。奴は概ね三日に一度、悪党を退治する行脚をする。
そして思う存分悪党を殺した後はそれで満足する。
おかしな話で、剣聖が出向かない土地は極めて静かな状態で、悪党もなにも存在していない。
多少文明の状態がちぐはぐだが、再占領を達成して国がまだ安定していなかった新パッナーロに比べると、幾分か状況が穏やかなくらいだと、アプサラスは言っていた。
剣聖が面白おかしく悪党を斬り、領域を広げるような真似をしなければ、或いは戦わなくても良かったのかも知れないが。
或いはこの世界でこれだけ好き勝手をしているという時点で、そうもいかなかったのだろうか。
まだ問題がある。
剣聖は非常に気まぐれで、何処に出向くか分からない。
どの地域に出向くかを計るためには、剣聖の近くに移動しておく必要がある。それは非常に危険な行為である。
向こうはとっくに異物であるわたし達に気付いているからだ。
即座に仕掛けて来る可能性もある。
もし完全に飽きたら、数百年前の混沌の時代みたいに塵になってくれる可能性も高いのだが。
それまで奴が飽きてくれる保証もない。
相手を弄んで殺すのが好きなような奴が、その陰湿な行動を飽きてくれるかどうか。
かといって、飽き始めていたら、異物であるわたし達に即座に仕掛けて来る可能性だって高いのだ。
いずれにしても危険は多い。
ともかく、移動を開始する。
剣聖が利用しているのは新パッナーロの一角。新パッナーロになる前は、なんだかいう公爵の領地だった地域だ。
其処を自分の根拠地として設定して、屋敷に弟子という設定の肉人形達と一緒に住み着いている。
剣聖は気が向いた地点に移動して「悪党退治」をするのだが、その時たっぷり楽しむために数百人程度の「敵」を用意するのが普通だ。今までの調査でそれが分かっている。それを察知できれば、上手く軍師どのの作戦と組み合わせる事が出来る。
むしろ簡単すぎて自分で用意した「敵」に飽き始めている剣聖は、喜んで乗ってくるかも知れない。
今までの「悪党退治」の行われた地区から、軍師殿が次に剣聖が出向く地点を予想。三箇所まで絞っている。
そこの中心点に移動し、剣聖が現地に出向くのと同時に作戦開始。
わたしとアプサラス。それにアルテミス。カルキーで、それぞれ予想三地点を監視。発見出来次第狼煙を上げて。他二班と合流。
クラウスと軍師どの、メリルは後からわたしが拾って現地に向かう。
今回は最悪誰も生きて帰れないと思って欲しい。
そう軍師どのはいった。
一番無害そうなカヨコンクムの狼藉者が最後に残っているが、もしも母性愛を拗らせただけの者だったら、飽きて近いうちに塵になってくれる可能性が高い。ただしそれも、もっと詳しく偵察すると、一番の邪悪だった可能性もある。
だから、生きて帰れない可能性が高くても。
命を無駄にしないでほしいと、念を押された。
それから、それぞれ別れて行動を開始する。
わたしは夜明けまでには、アプサラスとともに配置についていた。もしも剣聖が悪党退治をするなら、このくらいの時間から、悪党が生えてくる。
文字通り生えてくるのだ。
もとの住民が改造されるのもあるだろうし。
それに加えて、わらわらと同じ顔で個性もない賊という設定のなんかよくわからない肉人形が、わんさか出現する。
元は人間なのだろうが。
剣聖が面白おかしく悪党退治するのだ。
悪党に個性なんて必要ないということなのだろう。
それこそ楽しく斬るだけだけだから、特に雑魚の顔なんてどうでもいいという訳である。
わたしの地点は、どうも外れらしい。
鶏が鳴いても、辺りは穏やかなものだ。
それに対して、カルキーがいる地点から狼煙が上がっていた。
其方か。
すぐに拠点に移動を開始。カルキーは現地待機。カルキーはアルテミスと違って高速移動の魔法を持っていない。だから、カルキーも本来は途中で拾わないといけなかった。手間が省ける。アルテミスはこの場合、現地に直接出向く。
気を付けるのは、現地に剣聖が現れるまでは。現地の街に入らないこと。
もし入ったら、剣聖が面白おかしく殺すための悪党に改造されかねない。
国ぐるみで法則を変えるような連中だ。
それくらいの事は朝飯前にやる。
軍師どのとクラウス、それにメリルを拾う。
メリルは完全に青ざめている。
あの戦王との戦いでも、すっかり怯えていたのに。
それよりも更にヤバイ相手と聞いて、心の底から震え上がっている。それをとめる事は、出来ないだろう。
石は今回わたしが持つ。
アルテミス、アプサラス、それにカルキーは決死の戦いを剣聖に挑む。
勝負は数秒だ。
その数秒の間、わたしもクラウスも剣聖にしかけなければならない。そして、剣聖に何もできない程度の身体能力だと誤認させないといけない。
手持ちで出来るだけ派手な魔法を打ち込むのも、それが理由。
移動しながらも、もう一度打ち合わせをしておく。
「みんな死んじゃうんですか?」
「厳しい相手だ。 だが、出来るだけ努力する」
アプサラスが、きゅっと抱きついているメリルにそう言う。
そろそろ年齢も年齢だ。
このくらいの娘がいてもおかしくないし。
或いは内心では欲しいのかも知れない。
ただそれは憶測だ。
だからわたしは、それについてはどうこういうつもりはない。
現地に到着。
カルキーが、もう狼煙は消していた。
アルテミスは既に合流している。
流石だ。
単独行動の方が得意だと聞いているが、わたしの風魔法と土魔法の組み合わせの移動魔法よりも。
ずっと早く移動出来ているかもしれない。
水をぐっと呷っているのは、体調を整えるためだろう。
アルテミスも万全の状態で戦いたいということだ。
拠点を丸ごと移動させてきているので、排泄などは先に済ませて貰う。わたしは軽く干し肉をかじって魔力補給をしておく。
それにしてもだ。
小高い丘にある林の中にいるのだが、麓は凄まじい有様である。
火が上がっている。
街が丸ごと燃やされている勢いだ。
再建途中だっただろうこの辺りは。
それが世界の法則が変わったときに滅茶苦茶にされ。その後は剣聖に都合がいい世界にされ。
今、その遊び場として。
大勢の命が弄ばれようとしている。
わたしは風向きを読んで、煙が来ない位置に移動。拡大視の魔法で、麓の様子を見る。
街は全く同じ顔の賊が、斧なんて振るって民を殺戮している。
金品も奪っているようだが、どうしてそんな大金があるのだろうというような金が、彼方此方からざくざくと湧いて出ているようだ。
純金だろうかと思ったが、多分違う。
クラウスが拡大視で見ながら、様子がおかしいと言う。
「賊が箱に金貨一杯を運んでいるが、それにしては挙動が軽すぎる。 あれは金貨のように見える張りぼてだ」
「悪党退治も本人の剣術も、何もかも張りぼてか」
アプサラスが呻く。
こういう所に湧く賊というのは、生活が出来なくなって食い詰めた連中がだいたいの供給源だ。
わたしもそれはアンゼルに聞いて知っている。
ただわたしの場合は、そうであっても許す気にはなれないが。
今見ている限り、街で暴れている賊は、ただそうさせられているだけの人形の群れにしか見えない。
良くしたもので、逃げ惑っている民も同じようだ。
どれも似たような姿をしていて、個性もなにもない。
本来だったら、酷い悲劇なのだろうが。
茶番にしか見えなかった。
賊によって襲撃されるというのは、それは悲惨なものだ。賊同然だったロイヤルネイビーと一緒にいた時期があるから、それはよく分かっている。
女だったら幼児から老婆まで犯され、持ち物は服の一枚まで奪い去られる。特に海賊の場合はその残虐性は度を超す。
人間すら、売れそうだったら奴隷として奪い去られる。
それがああいう襲撃なのだが。
「そろそろ剣聖が来る時間です。 今までアルテミスさんに偵察して貰って、確認は取れています。 作戦開始は、剣聖が弟子とともに街に現れてからです」
「わかった」
「これが最後かも知れないか。 私、スポリファールの元首になれるかも知れないとか、言われていたのに」
「なんだ、元首になりたかったのか」
アルテミスが、アプサラスにそれはもうと答える。
ちょっと意外だ。
野心家だったのか、人畜無害みたいな顔をして。
だが、アルテミスはぼへえと笑いながら言う。
「散々虐められて育ちましたし、私を虐めていた人間達を見返したかったんですよ。 そんな程度の理由です。 国家百年の計とか、民のためとか、そんな大それた理由はなかったです」
「呆れた話だな」
「軽蔑しますか」
「いや、どちらにしても元首であってもスポリファールでは好きかって出来る事はなかった。 私が補佐について、徹底的に絞り上げてやっていたさ」
アプサラスがそう言うと、苦笑いするアルテミス。
カルキーは咳払いすると言う。
「アプサラス様」
「うん?」
「この戦いを生きて終えられたら、受け取っていただきたいものがあります」
「やめておけ。 不吉だ」
まあ、知ってはいたが。
この実直そうな騎士、アプサラスに気があったようである。
アプサラスとは年齢も近いし、まあ不思議ではないだろう。アプサラスもまんざらでもなさそうである。
アルテミス達が、一斉に街の方を見る。
来たらしいな。
わたしが、地面に手を突く。
そして、一斉に、全員で街の方へ移動を開始していた。地面ごと。
皆の体力を、少しでも温存しなければならないから、わたしの魔法が一番いい。
1、歪み
正義というが、そんなものは人の数だけある。
人によっては大勢のために少数を殺す事が正義になったりする。悪辣な手段で金を稼いでいた人間が、孤児院だののために行動していた例もあった。
わたしはアンゼルとたくさん賊を処理していた時期。
そういう世界の簡単では無い仕組みを知った。
だからといって、指定された賊をまとめて窒息させる手が鈍らなかったのが、わたしらしい歪みだったのだろう。
心を作り損ねた怪物。
それは色々といわれ、彼方此方で追放されたのも仕方がないのだと思う。
剣聖と弟子達が暴れ始めている。
満面の笑みだ剣聖は。
正義を振るう事を心の底から喜んでいる。身体能力にものを言わせただけの剣を振るって、自分で用意した悪党を斬りながら、なんだかよく分からない口上を述べ立てている。
全てが遊びだ。
あれも正義の一つなのだろうか。
だとしたら、他の誰とも相容れない。あいつだけが楽しい正義だろうなと、わたしは思う。
クラウスが魔法を練り上げていた。
詠唱は人によって変わる。
クラウスは朗々と太い声で歌うように詠唱する。そして、練り上げられたのは、空に輝く燃え上がる火球。
クラウスが、それを剣聖に投擲する。
剣聖は迎撃せず、それをすっと避けて。後方で、火球が炸裂するのだった。
明々と照らされる街。
大量に始末される賊と同時に、片手間にそれを剣聖はやっている。
ほぼ同時に、アプサラスとカルキーが戦闘状態に入る。わたしも、それにあわせて、最大火力で魔法をぶっ放していた。
水を空中で収束させ。
最大の圧力で、剣聖に向けてぶっ放す。
あまり攻撃に魔法を使うとき、こういう派手なのは使わない。わたしは静かに相手を窒息させるのが一番得意だ。
だが剣聖には、剣聖自身に作用するような魔法は一切通じない。
剣術という設定の得体が知れない力で、全て一瞬で無効化されるだけだ。
だから、敢えてこういう派手な攻撃で、わたしがそういう戦い方をする存在だと誤認させるのだ。
剣聖は乱入してきたわたし達を見て、にやにやと笑っている。片手間に野菜みたいに「悪党」を斬り伏せながらだ。水魔法も、紙一重で避けてみせる。だがそれは、高速で誤魔化しただけ。
達人がやっているような、見切りとは違う。
悪党に紛れて、アプサラスとカルキーが、それぞれ練り上げた剣術を剣聖に叩き込もうとするが。
割って入った弟子が、二人を跳ね返す。
二人とも分かりきっていたようだし。
アプサラスは氷の魔法を使って、空中に足場を作ると、剣聖の弟子だという青い髪をした女の一撃を回避していた。
あれが凄い高等技術だと今は知っている。
わたしは移動を続ける。クラウスとメリルとともに。
メリルは、渡されている投石機。
布で作っただけの粗末なものを使って、必死に剣聖に石を投げつけた。
ただの石だ。
剣聖はそれを、鼻で笑いながら避けてみせる。
まあ、メリルの投擲した石なんて、わざわざ能力を使うまでもないのだろう。
剣聖が攻勢に出ようとした瞬間。
背後から、アルテミスが必殺の一撃を入れる。
回り込んでいたのだ。
大量の悪党に紛れて。
剣聖が珍しく驚いた様子で、その一撃を回避する。
世界最強の騎士の、必殺の奇襲でもダメか。当然アルテミスの固有魔法であろう必中も入れていただろうに。
更にアルテミスが、土魔法で瞬時に作った土の槍を放つ。その全てを剣聖が弾き返した瞬間。
全員で動く。
此処までは、想定通りだ。
剣聖は初撃は必ず回避して、二撃め以降は撃ち返す。
そして態勢が崩れた相手を斬る。
この戦闘での約束を必ず守っている。
斬るのはほとんど相手の体の抵抗が存在しないように刃が通っており、恐らく能力で切っているのでは無く相手を二つに割っているのだろうと軍師どのは分析していた。
だから剣をとめる事は不可能だ。
出来るとしたら。
飛びついたのは、メリルである。
メリルに飛びつかれて、剣聖は驚いたらしい。必死の形相で、子供が飛びついてきたのだから、それは驚くだろう。
弟子達のうち一人が、こっちにくる。
カルキーが、血しぶきを噴き上げながら、斬られるのが見えた。
アプサラスも、もうもたないだろう。
アルテミスが、不意を突かれて驚いている剣聖の首を狙って、一撃を入れるが。剣は首で止まってしまった。
それも、非常に不自然な止まり方だった。
笑いながら、剣聖は剣を振るう。
回避しきれない。
アルテミスの右手が、ざっくり切られて、吹っ飛んでいた。メリルも体を剣聖が揺すっただけで血しぶきを巻き上げながら吹っ飛ばされる。
後一手。
クラウスが、地面に手を突き、大量の土砂を巻き上げる。
剣聖がそれを瞬時に切り裂いて、それでクラウスにも斬撃を浴びせる。
それで気付いたのだろう。
自分の腹から、手が生えていて。
わたしが、ガントレットで掴んでいる白い石で、剣聖の体を貫いたことに。
何が起きたのか、理解出来ないと顔に書いていた。
今の土で、わたしは土魔法を使って最大加速。
そのまま隠していた白い石を握りつつ、剣聖の後ろから、ただ石をつきだしたのである。
それだけだ。
初撃は回避する。
それ以降は弾き返す。
クラウスの土魔法は範囲攻撃だと判断したのだろう。だから、土魔法から身を守っただけだった。
だから視界も防がれ。
土魔法の中を通ってきたわたしに気付けなかったのだ。
体が塩になっていく剣聖。
その時、ずっとにやついていた剣聖の顔に、恐怖が浮かんでいた。
「な、なんだよ、なおらねえじゃねえか! ど、どんどん体が……」
「お師匠さ……」
先に弟子が塩になって崩れる。
辺りにたくさんいた悪党が、全て腐肉の塊になって、どしゃりと潰れた。
剣聖が、息を切らしているわたしを、最後の力で殴り飛ばして。わたしは家に叩き付けられたが。
その家がそもそも張りぼてなのだ。
どっと音がして崩れて威力を最大限緩和してくれた。そうでなければ、それで死んでいただろう。
意識がぐらつく中、訳が分からない繰り言をほざく剣聖を見る。
奴は立ったまま塩になり、全身が崩れ果てていく。
同時に、奴の遊び場に変えられた街も。見る間に廃墟になっていく。これは、この街は復興なんてしていなかったのか。
新パッナーロはハルメンの援助を受けて復興を急いでいたようだが。それでも復興できる状態ではなかったのかもしれない。
どしゃりと、剣聖が塩になって崩れ果てた。
同時に、わたしも意識を失っていた。
目を覚ます。
全身の酷い痛みを我慢しながら、どうにか状況の把握をしようと務める。
酷い血を浴びた跡のあるアプサラスが、わたしに回復魔法を掛けていた。
「動くな。 どうにかする」
「皆は……」
それだけしか言えなかった。
カルキーは、唐竹に斬られて即死していた。
やはり不吉だったのだろうか。
アルテミスは右手を肩の先くらいから失い。傷口を縛って寝かされている。
クラウスは。
クラウスは、ざっくりやられて即死だったようだ。文字通り両断されてしまったらしく、即死だったのは救いだったのだろう。
そうか。
四角四面で五月蠅い人だったけれど、勇者も聖女もこの人が命を張ってくれたおかげで斃せたようなものだった。
そしてメリルは。
メリルは、ずっと泣いていた。
無事では無さそうだ。今まで回復魔法をずっと掛けていたのだろう。
「カルキーとクラウスは助からなかった。 アルテミスの腕は普通に切断されたものではなく、魔法での回復を受けつけなかった。 メリルは内臓が破裂していたが、どうにか再生させた。 お前もだ。 骨折だけで八箇所、内臓も大きな打撃を受けていた」
「貴方は」
「私は剣聖の弟子に二箇所斬られたが、どうにか動ける。 また部下を死なせて、生き残ってしまった。 全滅を覚悟しなければならない状況で、被害は二人で済んだのだ。 喜ぶべきなのだろうが……そんな気にはなれん」
「回復魔法、使います」
動くなと、念を押される。
最後に剣聖に吹っ飛ばされた衝撃、それこそ世界が変化する前のオークに殴られたのと同じようなものであったらしい。
瀕死の状態ですらそうだったのだ。
もう一度やったら勝てないだろう。
それから、アルテミスが必死に回復を掛けてくれて。それでどうにか動けるようになるまで二日。
わたしは五体満足なだけマシという状態だ。
白い石については、気絶する前に必死に荷車の方に放り投げた。上手く金の金床に落ちているといいのだが。
白い石について確認すると、軍師殿が先に用意しておいたガントレットでどうにか掴んで、金床に乗せてくれたらしい。
軍師殿が何度か来て、水を飲ませてくれた。
わたしは動けるようになると、メリルとアプサラスに今度は回復魔法を使う。メリルも酷い状態だ。
わたしが目を覚ます前に、何度も血を吐いていたそうだ。
何が悪党退治か。
剣聖とやらの方が余程の悪党ではないか。
わたしも勿論悪党だが、あれは人間とは違う力を持った悪党だ。だから被害の範囲も桁外れである。
それに、だ。
此処はクタノーンと違って生存者がいるようだ。
皮肉な話で、剣聖が食事を好んでいたため、普通の生活をしている民もいたのだろう。
ただし世界の法則ごとねじられて、それで無事である筈もない。
元々剣聖との戦いに巻き込まれて破壊されている上に、世界の法則が壊れてしまったのである。
街はほぼ廃墟。
僅かに生き延びたらしい民は、こっちに敵意を向けていた。
出ていけ。
そう露骨に此処で叫んでいる者もいる。
全員酷いぼろを着ていて、剣聖の領域の人間みたいに素材も分からない色とりどりの服など消え失せていた。
軍師どのが来る。
石を投げられて。即応したアプサラスが氷の魔法でそれを受け止めていた。アプサラスの視線を受けて、ひっとちいさな悲鳴を漏らす民。被害者ぶった表情が色々苛立つ。被害者には代わらないだろうが。
ずっと剣聖の玩具にされていてそれで良かったのかあれは。
良かったんだろう。
思い返せば、わたしも伯爵領にいた頃。周りには、もう諦めて状況を受け入れて、無気力に死んで行く奴がたくさんいた。
そういう人間は一定数いる。
此処で被害者面しているのもそういう連中だ。
いずれにしても、もう用はないが。
「アプサラスさん、すみません」
「かまわない。 それでどうだった」
「僕に危害を加える余力のある人は殆どいませんね。 これは賊すら湧かないような状態ですが、それでも全滅してしまったクタノーンよりはましだと思います」
「そうか。 もう少し早く奴を斃せれば、すこしはましだったのかもしれないな」
わたしは、体力を戻すように言われる。
かゆを啜って力を戻しながら。それでやっと体へ与えられた打撃を自覚する。全身がようやく痛み出したというべきか。
回復魔法で体を治すが、焼け石に水だ。
しばらくは、身動きさえできないだろう。
カヨコンクムが無茶苦茶になっているだろうし、下手をすると狼藉者が領域を拡大している可能性すらあるが。
それでも、今行くのは自殺行為であって。
万が一も勝ち目もない。
今は戦うための力を蓄えなければならなかった。
動けるようになったメリルが、アプサラスの指示で料理を作り始めている。
アルテミスは右手を失ったものの、左手で剣を振ることは元から出来るようで、残った狼藉者との戦いに備えているようだった。
軍師どのとアルテミスが色々と話をしている。
主にこの次の相手とどう戦うか、だが。
その他に、どう国を再建するかも話しているようだった。
「生き延びた人間は多く無い。 どこの国もだ。 完全に無人になってしまったクタノーンの事もある。 今後は打撃をほぼ受けていないグンリやドラダンからの人間の入植に任せるしかないのかも知れないが……」
「国家の再建は厳しいでしょうね。 人を一箇所に集約して、都市国家からやり直すしかありません。 技術などはできる限り保全して、再起のために尽力しないと」
「数百年でここまで立て直したのに全てやり直しか」
「残念ながら。 元を断てればいいのですが、そもそもあのような狼藉者が此方の世界に来る仕組みもよく分かっていません。 本当に転生神などというものがいるのか、そうでないのかさえ……」
世界の法則を好き勝手に変えるような連中を送り込んでくる輩だ。
そもそもやりあっても勝ち目なんかないだろうと、軍師どのは事実を口にする。
わたしはなんとか余裕が出来てきたので。
回復魔法の威力を上げて、すこしずつ回復速度を速める。その結果魔力の消耗も早くなり、腹も減る。
メリルが作る粥を口にしながら、体を治す。
内臓はもう大丈夫か。
クラウスが斃されなければまだマシだったのだと思うが。
それも今では、どうしようもないことだった。
「それでいつカヨコンクムに向かうんですか? どの経路で」
「海路は避けましょう。 アイーシャさんの移動魔法は海も移動出来ることは分かっていますが、それでも出来るだけ危険は避けるべきです」
「分かりました。 陸路だと、スポリファールに戻って、それから北上ですね」
「そうです。 今のうちに力を蓄えておいてください」
頷く。
街の外にアプサラスが出かけて来る。
そして、生息している大型の動物を仕留めてくる。
元はあの巨大なパッナーロに生息していた巨大鳥らしいが、今では見る影もない。それをばらして、肉を焼いて。
自分で食べて確認する。
「おいしいですか、それ」
「まずいな。 食べられたものではない。 だが毒もない。 調理の過程で味をマシに出来ればいいのだが、調味料一つない現状ではな」
野草なども分布がかなり変わっているそうだ。
特に虫は殆どいなくなってしまっているらしい。
そういえばクタノーンでも、死体に虫すら集っていなかった。
虫が嫌いだという人間はたくさん見て来た。
世界の法則を変えた連中も、世界に虫など必要ないと考えたのかも知れない。
しかしその結果、死体は腐るだけで、傷んだ死体が迅速に骨になって土に帰っていくこともない。
また、動物の体内に寄生虫もいないようだ。
寄生虫対策に、アプサラスは一度肉を凍らせてから解凍していたのだが。それも必要ないかもしれないとぼやいていた。
肉を焼いて、なんとか一番美味しい状態にする。
粥だけでは足りなくなってきたわたしも、相伴に預かる。
周りからの敵視の視線はどうでもいい。
アンゼルと一緒にいた頃……もっと前から浴び続けていたし。
今更どうとも思わない。
ただ戦う力が皆無な軍師殿が危害を受ける可能性があるし、片腕を失っているアルテミスも何が起きるか分からないから。
わたしはある程度、周囲を見張らないといけなかった。
肉はまずかったが、それでも焼きたてだからまだ食べる事ができる。わたしは火魔法は使えないが火を熾すのは得意だから。言われてそれを手伝う事も行う。
皆が回復して来たのを見計らって、軍師殿が此処を離れる事を告げてくる。
わたしが出る準備をしていると、数人のぼろぼろになった連中が、此方に向けて集まって来ていた。
いずれも殺気だった目をしている。
「おい」
「何用か」
「剣聖様を殺したのはお前達だ。 責任を取れ。 何もかも滅茶苦茶になったのはお前達のせいだ」
「そうか」
アプサラスはそれだけ。
それを聞いて、激高した民が襲いかかってくるが。全員わたしがその場で窒息させた。死なないようにするのは一苦労だ。呼吸困難に陥らせて、地面でのたうち回らせる。
助けてだの言い出すので、反吐が出る。
殺すつもりできた癖に。
殺すか。
そう思った所で、軍師どのがいう。
「止めてくださいアイーシャさん。 こんな人達でも、この世界の数少ない生き残りなんです」
「別にかまわないですが、生かしておくと多分周りからもの奪ったり殺したりしますよこれら」
「それでもです」
「わかりました」
まあ、ただで許すつもりもないが。
今きた奴らの何人かは、メリルに戦王と同じ目を向けていた。それがどういう意味を持っているかわたしも分かっている。
窒息の魔法を更に瞬間的に強化して、それで終わり。
殺しはしない。
ただもうまともな思考は出来ないだろう。
人殺しとか、出て行けとか、他のが騒いでいる。
言われなくても出ていく。
勝手に後はすればいい。
伯爵領にいた頃から、この国は嫌いだった。剣聖に玩具にされたことについては同情はするが。
そもそも此奴らが腐った貴族を好き勝手にさせていたから、最終的に列強に国は分割されたし。
その過程でロイヤルネイビーや黒軍みたいな連中が、やりたい放題に暴れたのではないか。
まあもう人間としては何もできないしそれでいい。
移動を開始する。
もうこの辺りの経路は分かっているので、軍師どのに案内されなくても分かる。太陽の位置と影の方向で。今向かっている方角も理解出来る。
そのまま東辺境伯領まで向かい、砂漠に入る。
この砂漠も何回か越えたが、今ではすっかりただ通るだけの場所だ。日の光を遮る必要があるが、それはアプサラスが氷魔法でやってくれた。
アルテミスに軍師どのが話をしている。
「どれくらい戦えそうですか」
「剣聖や勇者が相手だと一瞬時間を稼ぐのがやっとです。 やはり利き腕を失うと厳しいですね」
「そうですか。 後の一人が、戦いやすい相手だと良いのですが」
「……」
砂漠を越えるのも数刻で済む。
スポリファールに入るが、前の喧噪は何処にも残っていない。世界でもっともまともだった国は、既に廃墟と同義だ。
これからグンリやドラダンが進駐してくるのか。
そうだといいが。
もしも勇者やらの狼藉者のお代わりが来たら、もはや対処なんてしようがない。
そして世界を平気で滅茶苦茶にした奴らが、転生神とやらに送り込まれてきたのだとすると。
そいつにまともな倫理だのがあるとも思えない。
わたしも倫理なんてものはないから分かるが。
世界の支配者がわたしになったら、それは世界の終わりだ。
わたしと似たような輩が、この世界を滅茶苦茶にしているのだとすれば。それは狼藉者どもみたいな連中が、わんさか現れるのも道理だろう。
移動を続けて、夕方まで進む。
それで一旦休憩を入れる。
魔力量だけなら、アルテミスに並んだかも知れない。
戦闘力では論外だ。
夕食の準備をする。
そういえば、メリルがまったく喋らなくなった。軍師どのが時々話しかけているが、頷くだけだ。
無口な子ではなかった。
だとすると、あまりにも残虐な剣聖の蛮行を見て、それで心が決定的に壊れてしまったのかも知れない。
それにもう一つ。
魔力が見えている。
大人になってから魔法が使えるようになる人間は普通にいると聞く。何らかの切っ掛けで、メリルくらいの年なら魔法が使えるようになるのはおかしなことじゃない。
アプサラスも気付いていたようで、魔法の訓練をするとメリルに告げていた。
勿論それは、最後の狼藉者との戦いの為だ。
今は猫の手も借りたい。
それがアプサラスの考えだろう。
例えそれが如何に非道であっても。
剣聖が領域を広げ始めていたように、最後の一人がそれを始めても不思議ではない。
今は、順番にすこしずつ、やれることをやらなければならなかった。
2、特大の歪みと哀しみ
わたしが一時期左遷されていた田舎街を通る。
完全に廃墟になっていた。
まあ、アンゼルが一度皆殺しにしてしまったし、それも仕方がないのだろうと思う。そこから再建したとしても、世界の異変と、勇者による蹂躙。
その二つを受けて、こんな田舎が無事でいるとはとても思えなかった。
国境近くまでいく途中で、すこしだけ人間は見たが。騎士の格好をしているアプサラスを見てもアルテミスを見てもぎょっとするだけのようで、それだけだ。
もはや秩序なんて存在していない。
生きていくのさえやっと。
そんな状態の人間だらけだ。
仮に最後の一人を斃せたとしても、其処から始めなければならないのだろう。まず倒せるかが問題だが。
国境を越える。
幾つかの小国家があった辺りは、見るも無惨に何も残されていなかった。
偵察の必要もない。
風魔法で周囲を調べても、そもそも何も生きていない。植物ですら枯れ果てている。
この辺りは村ぐるみで人身売買やっていたりと、文字通りの最果ての地だったのだが。それらすらもいなくなったわけだ。
多分この辺りは、勇者とかが興味すら持たなかったのだろう。
無関心の果てがこの光景だ。
哀れだとは思わない。
この辺りで散々襲われたし、アンゼルとわたしが賊共を殺さなければ今頃変態金持ちに心身共にしゃぶり尽くされた上で、あの破滅を迎えていたのだろうから。
そして、国境に着く。
カヨコンクムの領内で、最後の女が領域を張っているのは分かっている。
拠点を固定すると、様子をアプサラスと見に行く。
アルテミスはギリギリまで体力を回復させる。
それが軍師どのの方針らしい。
わたしは骨折も内臓への打撃ももう回復している。一緒に歩きながら、わたしの方がいつの間にかアプサラスより背が伸びていることに気付いた。
「わたしはずっと後悔していた」
「どうしたんですか、急に」
「お前はわたしの側に置いて、わたしが教育すべきだった。 国境の街で基礎教育は受けただろうが、誰もお前に心をやらなかっただろう」
「そうですね。 ただ、今更心なんてできようがなかったと思いますが」
現在進行形で心を失いつつあるメリルを見ても思う。
あの子だって、もうどうしようもないのではないかと思うし。
アプサラスが辛抱強く話しかけても、頷く事はあっても、喋る事は殆どなくなってしまった。
人間の心なんて簡単に壊れる。
そして壊れた心は、元に戻ることはないとまでは言わないが。
とても難しい事なのだろうそれは。
アプサラスとわたしが一緒にいて、わたしの心が戻っただろうか。
わたしには、とてもそうとは思えなかった。
「いずれにしてもわたしはもう手遅れです。 それよりも、メリルをどうにかしてやってください。 あの子は元々大人の顔色を窺わないと殺される環境にいたみたいで、せっかくどうにかなりかけていた所で親代わりをこの世界の異変に殺された。 その上剣聖みたいな身勝手な奴に周囲の人を殺されて、自身も殺され掛けもした。 それはああなるのも仕方がないでしょう。 わたしより、あの子を気に掛けてください」
「君は少しでも幸せになろうと思わないのか」
「わたしにそんな感情は理解出来ません。 出来たとしても、それは他の人間とは違うと思いますね。 アンゼルと同じように」
「……そうか」
国境を越える。
そうすると、違和感があった。
すぐに戻って、体を確認する。
異常は起きていない。
此処で待っていろと言われて、アプサラスが先に領域に入る。
戦王の時と違って、強烈な作用はないようだ。
しばらく領域に出たり入ったりして、アプサラスが小首を傾げる。
「何か違和感があるが、体に異変は起きていないな」
「そうですね。 軍師どのもつれて来ましょう」
「そうだな。 メリルの面倒はアルテミスに見てもらう。 この辺りは無人どころか獣さえいない。 まあ、アルテミスだけで大丈夫だろう」
アプサラスが、此処にいてくれと言って、一人だけ戻ってくる。
わたしは風魔法を展開して、周囲を探る。これも探知範囲が拡がる一方で、今は精度に目をつぶれば五万歩四方くらいは探れる。
人はいるが、やはり幼い女の子ばかりだ。
これでは社会なんて回らないだろう。
男や幼い女の子以外は全て排除したのだろうか。
戦王のように。
だが、戦王みたいな、いらないものは皆殺しみたいな剣呑な気配はこの領域からは感じ取れない。
軍師殿がきて、そして内部に入って調べる。
アプサラスと専門的な話をしていたが。
やがて、結論を出していた。
「少なくとも入り込む事は出来ると思います。 ただ……」
「内部を子供だらけにした女の正体が分からない。 何がしたいのかも」
「そうです。 歪んだ母性の結果なのか、それとも何か違う目的があるのか」
子供を観察して欲しい、
そう言われたので、近場にある集落の子供の会話を風魔法で拾い、二人に届ける。八千歩くらい離れているが、まあ会話を拾うくらいならこんなものだ。
わたしも立て続けに四人も狼藉者と戦っていないのである。
それに連日魔力を絞り出すだけ絞り出している。
まだ魔力量は上がっているようだし、魔法の練度もしかり。
これくらいなら出来る。
「惜しいな。 きちんとした教育を最初から受けていれば、こんな風に心が歪むこともなければ、魔法の腕だってアルテミスに並んだかも知れない」
「それでどうですか」
「……おかしいなこれは」
「はい。 確かに妙ですね」
子供には、わたしは殆ど興味はない。
そもそも子供を預けられたり、親密に接したりする機会がなかったというのもある。メリルみたいに助けた子供もいるが、メリルはわたしほどでは無いが出会った時から歪んでいたし。
だから、どうおかしいのかはちょっと分からない。
話を聞いていると、すこしずつ分かってくる。
子供というのは、大人以上にあけすけなエゴの塊らしい。
楽しければ命だって平気で奪う。
子供は面白がってちいさな動物を殺したりするが、それで罪悪感なんて覚えない。
弱い方が悪いと考えるし、自分の感情を全てに優先する。
そのまま大人になるような輩は、大量殺人とか平気でやったり。
集団で立場が弱い個体に攻撃して、死に追いやっても平然としていたりもするそうである。
なるほど、覚えがある。
確かに子供というのはそういうものだし。
子供のまま老人になったような奴も、幾らでもいる。
子供と言う点では軍師どのもそうだが。
これは例外だろう。
頭が良すぎるし、色々普通の子供と同じように過ごせていたとはとても思えない。
「行儀が良すぎますね。 この領域の支配者はシスターとかお姉ちゃんと言われているようですが、無邪気に全て慕って、全て言うことを聞いているようです」
「あり得ないな。 歩けるようになる頃には、子供は親の目を盗んで悪さをすることを考えるようになる」
「ええ。 それを如何に教育するかが社会の課題なんですが。 この領域にいる子供は、方向性は違いますが、今までの領域の支配者である狼藉者が従えていた肉人形と同じですね」
まあ、同類だというのは分かりきっている。
それはそれで無害とはいえないか。
今までみたいに欲望をぶつけるためのはけ口にしている訳でもない。
まだ生理も来ていないような子供を強姦した挙げ句、殺して外に放り出していた戦王なんかに比べると、ずっとまともだ。
「子供、一人か二人さらってきますか?」
「いえ、危険度が高いと思います。 少なくともこの領域の子供は、どれも相応の生活水準を満たして生きているようです。 食事なども配給されているようですし。 ただ子供だけでそんな生活が出来るわけもない。 すこし観察を続けないと」
「見てきましょうか、そのシスターとやら」
「今はアルテミスさんの弱体化もあります。 満足に戦える近接戦闘の専門家はアプサラスさんしか残っていません。 出来れば、情報をもう少し丁寧に集めないと」
軍師どのは慎重だな。
だがそれも当然か。
軍師殿が言う通り、先の戦いでカルキーとクラウスが倒れた。
クラウスは魔力量ならともかく、魔法の腕でも頭の回転でもわたしに遜色ない使い手だったし。
アルテミスが隻腕になった事で、確かに切り札も失ってしまった。
それでもまだあの剣聖が相手だったからマシだと言えるのだし。
故に却って慎重になるのもよく分かる。
だから何も言わない。
ともかく、情報を集めて、それをアプサラスが整理する。
軍師殿が情報をまとめて、そして幾つかわたしに指示を出してくる。もう少し奥にある集落の会話を拾えないか、と。
拾えると答えて、そして軍師どのに渡す。
わたしは無駄にある魔力量を生かして、ひたすらに作業を続ける。途中腹が減ってきたので、干し肉をかじるが。
ながらで充分だ。問題は干し肉が美味しくないことだが。
「鹿でもいればいいんだがな」
「アイーシャさん、領域内に動物はいますか?」
「いるにはいますが……どれも幼児に危害を加えられないようなものばかりですね。 あれも全部幼児と同じではないかと」
「子供が好きな人間が、その願望を全て込めているような領域だな。 そういう空想をするのは好きにすればいいが、世界そのものをそれに巻き込めば、害になるだけだ」
アプサラスが一刀両断。
そのまま、数日、調査を続ける。
何度か休憩を入れて、充分に調査をした後、一度集まって話をする。
分かってきた事が、幾つかある。
「領域の主はシスター。 これについては確定です。 この言葉は数百年前に現れた狼藉者には該当がありません。 ただ……」
「何かしら心当たりか」
「はい。 狼藉者がそういう風な呼び方をして、一種の貫頭衣を被せていた女性がいたという記録があります。 よく分かりませんが、こう十字のものを持たせて、そしてそのような格好をさせていたとか」
「意味が分からないな」
結局の所性欲処理用の道具として女性にそういう格好をさせていただけで。実際にシスターとかいうものがどのような存在かは、分かっていないらしい。
まあいにしえの時代に現れた者達は、たくさんの古語をこの世界に持ち込んだ。
転生とやらが本当かどうかは分からないが。
転生元では、或いは普通の言葉だったのかも知れない。
「それでシスターとやらだが、どういう輩なのだ」
「寒冷地に生息するペンギンという鳥がいます」
「聞いたことがないな」
「カヨコンクムの更に北、氷に閉ざされた大地に住まう飛ぶ事ができず、泳ぐ事に特化した鳥だそうです。 大きさは僕の肩くらいまである最大種から、幼い子供の背丈よりも低いくらいの小型種まで様々だとか」
で、ペンギンがどうしたのかというと。
そのペンギンの着ぐるみを被っているのだとか。
何だかよく分からない。
「意味が分からないが、水中戦が得意とみて良いのか」
「辺りを水中にして、自在に戦うのかも知れません。 いや、傾向からして、ただ自分から見て可愛いだけのものが好きで、自分すらもそう扮装しているのかも」
「水魔法はある程度扱えますが、流石に水中戦の専門、それも狼藉者ほどの相手が使って来た場合、対処は出来ませんよ」
分かっていると軍師殿は頷く。
更に言うと、寒冷地にいる生物を模している格好だし、氷魔法を使ってくる可能性も否定出来ないと言う。
そうなるとアプサラスの出番だ。
氷魔法は結局コツを聞いたが非常に難しい。冷気を作り出す事は出来るが、大量の氷で相手を攻撃するようなことは、わたしの技量では無理だ。
そしてアプサラスでも、狼藉者が辺りを一瞬に氷漬けにしたりしたら、とても生きてはいられないだろう。
この世界の魔法では。
狼藉者には傷一つつけられないのだ。
それは今まで四度の戦いで、分かりきっている事だった。
「アイーシャさん」
「何ですか」
「偵察をお願いします。 アプサラスさんと組んでください」
「分かりました」
メリルと組まされる可能性も考えたが、それはないか。相手は国中を女の幼児で固めているような輩だ。
メリルをつれて行けば、即座に肉人形の群れに加えられてもおかしくない。
戦王の領域に入ったアプサラスが瞬時に制御不能に近い状態に陥ったのと同じだ。ましてや今、メリルは魔法を使えるようになりはじめているのである。
すぐに出る。
今回のシスターとやらは昼型で、夜は全く動かないことが分かっている。それはある意味与しやすい。
戦王は夜型だったから、時間感覚を調整するのが本当にしんどかった。
ともかく、シスターとやらを確認しなければならない。
以前アルテミスが確か姿を見てきた筈だが、アルテミスはさっき、ペンギンだとか言う鳥を知らない様子だった。
だとすると、姿を時々変えている奴なのかも知れない。
さっさと現地に行き、相手の容姿を確認。
隙を探る必要がある。
やはり世界の法則を、好きにねじ曲げられる相手なのだ。
此方の戦力ががた落ちしていることもある。
綿密な作戦が必要なのは、仕方のない事だった。
カヨコンクムは各地で賊を退治して回ったからある程度土地勘があるが、王都には足を運んだことがあまりない。
いつも大佐から指示を受けて賊をアンゼルと一緒に狩っていたし。
その賊も軍の高官と結びついて資金源になっていたから。
この国は腐りきったろくでもない国だという印象しかない。
クタノーンも似たようなものだったそうだが。
脳みその全てが戦闘と性欲で満たされていた海賊女王の事も思うと。やはり腐敗した、終わりが近い国家だったのだと思う。
だから、周囲の光景は違和感だらけだ。
生えている植物から動物まで、丸を主体とした造詣になっている。
子供を傷つけないように。
ただ可愛いように。
その意図が見えるのだ。
趣味で世界を歪めているのは此処の支配者も同じか。
ともかく現地に急ぐ。土魔法と風魔法で、出来るだけ消音しながら、可能な限りの高速で。
現地に到着するまで一日半。
王都は城壁が全て取っ払われていて、家はいずれもが丸みを帯びた形状になっていて。子供がたくさんいる。
そして、喧しくない。
泣きわめいたり騒いだりしていなくて、ひたすら行儀がいい。
木陰から状況を伺っていると、シスターとやらが出て来たようだった。
拡大視の魔法で、姿を確認する。
あれがペンギンとかいう鳥の着ぐるみか。
全体的に丸っこくて、濃い青を中心に、腹の辺りは白い。
何というか可愛らしく造詣が変更されているだろう事は。見ていて何となく理解出来た。
顔だけ人間の部分を出しているが。翼だろう部分はひれみたいになっている。
なるほど、泳ぐのに特化した鳥か。
本来はもう少し姿が違うのだろうが。
シスターとやらは、子供に何か配っている。
あれは、焼き菓子か。
砂糖が高級品と言う事もあって、ごく一部の富裕層くらいしか縁がないと聞く。わたしも食べたのは数回しかない。
一度はカヨコンクムで、賊の根城を根絶やしにした時。
まだ手をつけられていない焼き菓子を見つけた時だったか。
頬張ってみると、異様に甘くて驚いた。
砂糖は貴重品だと聞いていたのに、ある所にはあるものだと感心したし。
だが、コレを作る為に人間が売り飛ばされるくらいの金が動いたのだろうと思うと。そこにいた賊を皆殺しにして良かったとも思ったのだった。
「横入りする子供もいない。 行儀が良すぎる」
「シスターとやらに隙はありますか」
「……あれは戦闘をすることを想定していない。 有り体に言えば隙だらけだ」
「ならば簡単に斃せそうですか」
アプサラスはしばらく考え込んでいた。
わたしの意見とすれば、殺すのは難しく無いと思う。だが、先に話を聞きに行ってみたいと思う。
あれは、今までの狼藉者と根本的には同じだが。
しかし違うところがある。
恐らく、会話が出来る。
今までの連中は、欲望を拗らせて、他人をそれで踏みにじる事をなんとも思っていない連中だった。
それはわたしが直に見て、殺す作戦にも参加したから、よく分かっている。
あれはちょっと毛色というか雰囲気が違う。
ただ子供と戯れたいという願望の結果、カヨコンクムをこうしたというか。
この国の腐れぶりを知っているわたしとしては、極めて複雑だ。あれら幼児の元になっているのが。
人身売買業者を財源にして偉そうなツラをしていた軍の高官だったり。
金儲けのためにどれだけ悪辣な事をしていても、それが大人の社会だと宣うようなカス以下だったり。
本能を全肯定して人間の悪徳を極めていた賊共だったり。
それらがあるのを黙認していたような軍の連中だったりするのだろうから。
勿論それらに虐げられた民も混じっているだろうが。
いずれにしても、それらにもう自意識なんぞないだろう。
「アイーシャ。 私が話してくる」
「良いんですか」
「最悪の場合は即座に逃げろ。 あれは今までのと違って、恐らく会話が出来る。 話だけでもしておきたい。 上手く行けば、戦いを回避できる可能性もある」
「……分かりました。 ご随意に」
そうか、結論は同じか。
とにかく即座に撤退できるように準備はする。
それはそれとして、拡大視の魔法と逃走用の移動魔法は準備を整え、温めておく。
もっとも、戦闘を想定していない相手だとしても。
相手がその気になったら、逃げられるかどうかは極めて怪しいが。
アプサラスもそれは分かっているのだろう。
だから、まだ逃げられる可能性があるわたしを残した。そう判断して良さそうだった。
街に歩いて行くアプサラス。
わたしは待機して様子を見る。
ペンギンだかの着ぐるみを被っている女は、優しそうな雰囲気の女だ。黒い髪も首くらいまでで綺麗に切りそろえている。
子供を見る目に悪意は感じない。
少なくとも「可愛い子供」は好きなのだろう。
現実にはそんなものはいないが。
街までアプサラスが行くと、シスターとやらは流石に気付いたらしい。子供達を家に戻らせる。
丸っこい家に、戻っていく子供達。
あれらを巻き込まない良識はあるということだ。
「貴方は、この国の外から来た人だね」
「ああ。 私はアプサラス。 既に崩壊したも同然だが、スポリファール国の副騎士団長をしていた」
「そう。 アタシはシスターP。 この国で子供達の面倒を見ているよ」
「子供達、あれらが?」
アプサラスは色々と言いたいことがあるようだが。
シスターPとやらは、意外と冷静だ。
「立ち話もなんだし、すこし座って話さない? アタシを見ているもう一人の人と一緒に」
「そうか、それくらいは分かるのだな」
「まあ、この国は全てアタシのものだから」
「分かった。 アイーシャ、すまないが来てくれ」
あまり気は進まないが。
まあ、相手が逃がさないと思ったら、その瞬間に殺される。
それはないと判断したから、アプサラスは出たのだろう。わたしは、その決断に従う事にした。
数限りない修羅場を潜ったという点で、アプサラスはわたしなんかよりも遙かに格上である。
その言葉と判断には。
従うには充分な説得力があるのだから。
3、破砕の時
周りは丸っこい家ばかりなのに、シスターPとやらの家はそうでもない。鋭角の家で、内部はなんだろうこれは。
石造りで、奧には十字の……何かの象徴らしいものがある。
「時にシスターとはなんだ」
「そういえばこの世界には宗教が殆どないのだったよね。 アタシのいた世界にあった宗教で、女性の聖職者がそう言われてた」
「この世界ではグンリとドラダンくらいしか信仰は生きていない。 神官のようなものか」
「うーん、たくさんある宗教の一つで、その女性神官みたいなものかな」
よく分からない話だ。
子供が覗きに来るようなこともない。
やはり躾けられすぎている。
食い物を出される。先にアプサラスが口をつけて。それからわたしも。
異様に上手い飲み物だ。温かいが、熱すぎない。
ペンギンだかの着ぐるみを着たまま、良くこんなものをだせるな。或いは能力を使っているのかも知れないが。
「それで貴殿は神官として振る舞っているのか」
「外れ。 アタシは別にこの宗教の女神官って訳じゃない」
「なんだと」
「アタシの世界では、色々な記号化があったんだよ。 それでアタシは、昔っから清楚そうな雰囲気のシスターが好きでね。 転生神にこの世界に飛ばしてやるって言われたときに、シスターになりたいって言って。 ついでにこの着ぐるみも貰った」
待て。
幾つも問いただしたいことがある。
アプサラスを横目で見ると、咳払いする。
まあ、アプサラスも同じなのだろう。
「転生神は実在するのか」
「アタシがこの世界に顕現する前に会ったのは確かだよ。 性格が悪そうな女の姿だったけど、あれが本当に女かは分からない」
「……それで、貴方はやはり別の世界から来たのか」
「アタシの世界は、21世紀って時代の日本って国でね」
また知らない単語が一杯出てくる。
アプサラスが即座に全て記憶しているようだが、それでも時々紙を出してメモを取っている。
それでも時々冷や汗を掻いているが。
「アタシの暮らしていた時代は最果ての時代でさ、何もかもが行き詰まってたんだ。 人間が多くなりすぎて、みんな欲が深くなりすぎた。 それで価値観の多様化が−、とかいいながら、自分達のルールを押しつけてくる奴とかいたり、いつ世界が滅びてもおかしくないような武器とかたくさん作られたり。 豊かな国も内側から崩れて、何もかも滅茶苦茶だった。 この世界だと、男と女ってどんな関係?」
「意味がよく分からない。 それぞれいないと人間は増えない」
「まあ……そうだよね。 アタシ達の世界だと、もう男と女で対立してた。 女の中には、男の子供が生まれるなら殺すなんていう奴までいた。 声ばっかり大きい頭がおかしい女が大騒ぎして、男が女を避けるようになってた」
「そこまで極端な状態なのか」
アプサラスが驚いている。女が、酷い世界だろうって嘆く。
ただ、わたしには反論がある。
わたしが今いるこの世界だって。そんなマシな訳でもない。
わたしがいた辺境伯領は、生きて出られたのが不思議なくらいの場所だったし。人間を捕まえて奴隷にして売るような輩は幾らでもいた。
どの世界でもクズはクズだ。
わたしだってどちらかと言えばクズの一人だろう。
シスターPとかいう女は、地獄を見てきたような顔をしているが。
わたしはそれは住んでいる人間が単純に醜いだけであって。そのせいで世界がおかしくなっているのではないのかと思う。
「アタシは子供が好きだったんだけど、それも周りに言ったら色々あってさ。 何が好きっていえない社会だったんだ。 男も女も、いい年した大人でも、あれがダメこれがダメで。 それで自分が何が好きとかいったら、自殺するまで追い込まれてもおかしくなかった」
「それでこの世界に来たのか」
「ううん、違う。 アタシはいつのまにか転生神だかの前にいた。 経緯はよく覚えてないよ。 ひょっとすると、寝ている間に何かあったのかもね」
酷い仕事をしていたそうだ。
休みなんか一切なくて、毎日三時間寝られれば言い方とか言っていた。仕事の間はずっと怒鳴られていて、誰もまともではいられなかったとか。
仕事で人手が足りないとか喚いているのに、仕事に応募してきた人にはあれがダメこれがダメで追い出す。
だから人はずっと足りないまま。
シスターPはボロボロだったという。
「体の調子、ずっと悪かったんだよ。 アタシ先生してて、子供好きだったから必死に頑張ってたんだけど。 アタシの世界の子供、平等が約束されてる世界なのに勝手に階級作って争い始めるんだ。 それで一軍だの二軍だの。 仲間作って、それで意見が違ったらすぐ裏切り者扱い。 一軍だとかいっても、社会に行くとそんなの通用しなくて、挙げ句に暴れるようになったりする。 そんなだから先生してて、体壊してて。 ひょっとすると、寝ている間に死んじゃったのかもね」
「貴方はいい年だったわけだな」
「まだ26だったよ」
「この世界では、私のような社会的地位を得ていない場合は、結婚して三〜四人は子供がいる年齢だ」
アプサラスはすこし寂しそうに返す。
アプサラスも或いは、結婚願望があったのかも知れない。
シスターPは、苦笑する。
そして、もう疲れたかも知れないと言う。
「他の、この世界に来た奴ら、もう死んだんでしょ」
「ああ、私達が斃した。 大きな犠牲を出しながらな」
「アタシも殺しに来たの?」
「……様子をまずは見に来た。 もしも貴方の領域を元に戻してくれるのであれば、私達は何もしない。 こんな自分に都合がいい幼児だけの世界なんておかしいと自分でも思わないか」
思うと、シスターPは苦笑する。
それが判断できる能力はあるというわけだ。
わたしの方を見るシスターP。
「無表情で寡黙な赤毛の綺麗な子」
「アイーシャです」
「そう、アイーシャさんね。 貴方の無表情さ、アタシの世界にあったロボットっていうからくりみたい。 何かあってそうなったの?」
「幼い頃に心を作り損ねました」
そうと、寂しそうにシスターPはいう。
そして、大きく嘆息していた。
「何となく分かっていたんだけれど、アタシ達の存在そのものが、この世界に大きな負担を掛けていたんだね」
「戦王という狼藉者がいた領域は、文字通り住民が全滅しました。 この領域はそもそも生きている人間をこうしたのか。 貴方たちが現れたときに世界が滅茶苦茶になったとき大量の死人が出ましたが。 それをそうしたのかわかりませんが。 いずれにしても、長い時間維持すればするほど被害が拡大すると思います」
「貴方はアタシを殺したい?」
「別に。 特に利害関係がありませんし、危険がないのであれば興味はありません」
逆に危険があれば絶対に殺さなければならない。
今まで殺して来た連中のように。
すこしだけ、沈黙が続いた。
もう一つ、大きく嘆息するシスターP。
彼女は、天上を見上げていた。
「分かってる。 あの性格が悪そうな奴が、アタシを玩具にするつもりで此処に送り込んで。 あたしの願望の世界を見て、多分腹抱えて笑っているって事はね。 現実の性格が悪いクソガキどもが、スクールカーストなんてもの作って虐めだの正当化して、それで他人を死ぬまで追い詰めても虐められた方が悪いなんてヘラヘラ笑いながら言って、いい年こいた大人も誰もそれもたしなめない。 下手するとたしなめた大人が法の裁きにかけられる。 そんな世界を見て、アタシももう疲れてたんだと思う。 だからこんな現実にはいない子供だけの世界になった。 まだ女の方が考えも理解出来るし、男もいない世界でいいやって何処かで思っていたんだろうね。 それでしばらくは、やっと楽しく色々教えられたよ。 子供達は笑ってアタシの話を聞いていて、教えた事は全部覚えてた。 そんな子供、いるわけもないのにね」
シスターPは立ち上がると、しばらく家の中をうろうろしていた。
そして、決心したのだろう。
此方を見るのだった。
「三日だけ待ってくれる?」
「具体的に何をするつもりだ」
「いや、もう飽きていたから。 何となく分かるんだよね。 アタシ、飽きると多分死ぬんでしょ?」
「……」
そうかと、また一つため息をつく。
これは相当に鬱屈が溜まっていたんだなと思う。
もしもこのシスターPと同じ国、同じ時代から来たのだとすれば。
それぞれ狼藉者達の考えが歪みに歪んでいるのも、それは仕方がないのかも知れない。
ただ、わたしから言わせれば。
単純に世界の構造が違うだけで。
人間なんて、どこで暮らそうと世界の厄介者だ。
狼藉者どもは、たまたま自我を最大限まで肥大化させて、それで際限なく被害が広がった。
それだけの違い。
逆に、この世界からその日本だのいう国に出向いた者がいたとしても。
恐らく尋常ならざる被害を出したのではないかと思う。
「三日、思い残すことなく子供達と遊んで、思い残すことがないように勉強を教えてあげる事にするよ」
「分かった。 三日後、もしも領域が消えていなかったら、貴方の所に出向かせて貰う」
「うん。 どうにかしてアタシ達を殺す手段があるのなら、抵抗はしない。 ざっくりやってしまって」
「そうさせてもらう」
アプサラスに促されて、外に出る。
見送りはしてこなかった。
街の外に出ると、即座に皆の所に戻るように言われる。わたしも移動魔法を準備するが、どうしてかだけは聞いておく。
アプサラスの答えは明快だった。
「あの女、シスターPはずっと迷っていた」
「確かに迷いを感じましたね」
「死にたくなくなったら、私達を攻撃しにくる可能性も高い。 だが、現実を認識し、飽きを感じ始めているのも事実だろう」
「石を持ってきていれば、不意を突いて斃せたかも知れませんね」
難しいとアプサラスは言う。
というのも、戦闘向きでなくとも、領域を好き勝手に出来るほどの存在だ。戦王の時と同じで、排除を意識されたら手も足も出ないと言う。
弄ぶつもりだった勇者や剣聖などは交戦が成立した。まあ交戦と言える程のものでさえなかったが。
聖女の場合は実際排除対象と認識した瞬間に、トリステが赤い霧にされてしまった。
それらを考慮すると、戦闘向きではないとしても、まともにやりあったらとても勝てない。
少なくとも作戦を練る必要があるそうだ。
まあ、それもそうか。
ともかく急ぐ。
一日以上掛けて、領域の外に出る。途中小休止を何度か挟むが、水と食糧だけ入れれば特に問題なくいける。
アプサラスはなおも言う。
「先の話、軍師どのに共有しておく必要がある」
「またいずれ、狼藉者達が現れた時に備えてですか?」
「そういうことだ。 転生神とやらは、あの狼藉者達を玩具にして遊ぶほどの存在ということで、我々とは文字通り存在が違う。 それも二つな。 一つ違うだけで我々と狼藉者達の差になる。 転生神とやらは、狼藉者達が束になっても到底及ばないだろう」
理にかなっている。
領域を抜けると、すぐに拠点に。
無事に戻ったのを見て、アルテミスが手を振って来る。左手だけでも、悲観している様子はない。
メリルはどこかぼんやりした様子で、遠くを見ていた。
前は大人の顔色を窺ってはいたが利発な子だったので。ちょっと心配になる。だが、わたしが何かして、どうにか出来るものでもないだろう。
すぐに皆で話を共有する。
軍師どのは流石の理解力で、すぐに内容を把握したようだった。
転生神がいるらしいと聞いても、驚く様子はない。
「転生神が存在するとしても、驚かないんですね」
「それはいてもおかしくはないと思っていました。 数百年前の騒動も今回の騒動も、現れた者達複数に転生神の存在をほのめかす証言がありましたし、それらの狼藉者達の戦闘力はこの世界の人間では何をしても勝てませんでしたので」
「問題は其奴の目的だな」
「はい。 遊んでいるのだったらむしろ話は楽だと思います。 仮に最後の狼藉者であるシスターPを斃した所で、この世界は既にボロボロです。 シスターPが斃れる事で起きる影響はまだ推測でしか出来ませんが、スポリファールより軽く済むと言う事はまずあり得ないでしょう。 この世界が再起するには、最低でも数百年は掛かります。 つまりそれまでは、遊ぼうにも楽しめる状態が出来ないと言うことです。 それまでに、また狼藉者が現れる時に備えをしないと」
他にも、シスターPが翻意したときの戦術についても打ち合わせをする。
シスターPについては、側でアプサラスが観察して、概ねの戦闘に関する分析は終えていた。
何でもあのペンギンの着ぐるみが戦闘服になっているのだろうと。
いずれにしても、戦うのであれば総力戦だ。
此方の手札全てを出さないといけないし。
アルテミスが傷ついている今は、それも半減してしまっている。そして向こうは、少なくともわたしとアプサラスを知っている。
そうなると、メリルに石を持つ役割を任せなければならないかも知れない。
「後一日半ほどですね。 本当に飽きて滅びてくれると良いんですが」
「それもありますが、まだ懸念があります」
「懸念?」
「結局その石の正体が分からない、ということです」
確かにそれもそうか。
わたしだけ触れてもあまり体に大きな打撃が入らなかったのも不思議と言えば不思議である。
本来だったら、あれで塵になっていてもおかしくなかっただろうに。
「転生神が何者であるかは分かりません。 ただ、あの石が転生神にまで通じるかは微妙だと思います」
「確かにそいつが姿を見せた場合は、もう諦めるしかないかも知れないな」
軍師殿に、アプサラスはそんな風に応じる。
アルテミスがまだある左手を挙げていた。
「私、しばらく寝ています」
「そうだな、そうしてくれ」
皆止めない。
理由は簡単だ。
アルテミスも片腕を失って消耗が激しい。もしも戦いになる場合は、少しでも力を蓄えておかなければならないからだ。
勿論あのシスターPが翻意して、期日までに襲ってくる可能性もある。その時も、力は蓄えておいた方がいい。
奇襲を防ぐためにわたしはずっと風魔法で探知を張っておく。
幸いこの程度だったら、戦闘に支障ない程度の消耗しかしない。だから時々干し肉をかじる程度でいい。
メリルは話が終わった事を悟ると、横になって寝てしまう。
拗ねているようにも見えるが。
戦王と剣聖との戦いを経験しているのだ。あれで精神がまったく影響を受けていない方がおかしい。
今は休ませてやるしかない。
それもまた、事実だった。
わたしは魔力量だけは無駄に多くなっている。帰路でアプサラスが驚いていた。
魔力の制御はまだまだだし、できない事だって多い。空を飛びながら激しい魔法戦とかは今でもできないだろう。回復魔法だってへっぽこに等しい。
それでもわたしは、出来る範囲で出来る事はやっておく。
もしも最後のあいつが。
シスターPが翻意したら、わたしは多分追い詰められて死ぬ。
気まぐれを起さないことを、今は願うしかないのだ。
夕暮れに交代。
アプサラスが氷の魔法を使って、周囲を探知してくれる。アプサラスのこれは殆ど使い手がいないため、実質固有魔法だそうだ。
ただ大量の個体の氷を作るような使い方には向いていないため、氷室の氷を作ったりはできないらしい。
辺りに冷気の粒子を張り巡らせて、何かしらの接近を探知する。
ただ、カヨコンクム方面からの接近は今の時点では探知出来ない。
問題はその外側。
旧インシークフォの方だ。
夜になると野犬やらが鳴いている。少数は仕掛けて来る。
手数が極端に減っている今、対応できる人間が全員眠っていると極めて危険だ。どうしても皆の負担がすこしずつ増える。
そうして、皆で負担を分け合いながら、最大戦力であるアルテミスを温存する事に務める。
翌日になり、食事を取る。
そろそろ、というときだ。
凄まじい勢いで、接近して来る気配がある。間違いない。シスターPである。
わたしは立ち上がって、急を告げる。
アプサラスは舌打ちしていた。
「あの者、結局裏切ったか」
「事前の打ち合わせ通りに」
「分かりました」
軍師どのはこの時の為に策を立てていた。ただし、一人生き残れれば良い方だと言う策だが。
幸い相手に切り札が何かは知られていない。
アルテミスには途中でそれっぽい剣を見つけて渡している。
それを切り札と誤認させる。
その後は、全員掛かりで接近の隙を作る。
この策の場合、アルテミスはまず生き残れないという話もされていたのに。アルテミスはぼへえと笑っていて。まるで緊張感がなかった。
ある意味此奴はわたしの同類なんだなと。その時悟ったのである。
ともかくだ。
全員で、戦闘態勢を取る。
メリルにも頷く。当然、メリルにも戦って貰う事になる。恐らく生き残る事は出来ないだろう。
この中で、アプサラスか軍師どのだけ生き残れれば。
わたしにも、最悪相討ちを狙うように指示が出ている。相討ちか。勿論生き延びてやるつもりだが。
「まって! 戦うつもりはないよ!」
遠くから声がする。
領域近くで凄まじい勢いで迫ってきていたあいつが。ペンギンとやらの着ぐるみの、シスターPが、止まる。
血相を変えていて、そしてこっちに向けて力が振るわれないようにしていた。
隠れている軍師殿が、物陰から一旦待機の指示を出す。
相手からして見れば、だまし討ちなんてする必要がない。そんな事をしなくても一瞬で勝ちに行けばいいのだから。
それが、わざわざこんな事をしてくるということは。
何かあったのだ。
「臆したのか、今になって」
「違う! 領域の端から異物が来てる! 出来るだけ子供達逃がそうとしたけれど、わたしより早くみんな崩れて塵に……!」
「!」
「多分アタシもあまり長くもたない! とにかく逃げて! 何が来ているか分からないけれど、アタシでもあれは勝てっこない!」
異物。
一体何だ。
ごっと風が吹いてきたのは、次の瞬間だ。
シスターPが、必死の形相で領域に壁を展開する。とっさに軍師殿が叫んでいた。
「多分陸を逃げてもダメです! 土魔法で地下に入って!」
「土魔法はわたしが……」
そこまで言いかけて、わたしが気付く。
金床においていた白い石が、何やら不穏に輝いている。
なんとなしに気付いたのはどうしてだろう。
恐らく、これが要因なのだと。
しかも、腐食速度が尋常じゃない。今まで金だったらどうにか固定できていたものが、見る間に沈み込んでいる。
「例の石が」
「荷車ごと捨てろ!」
「えっ……?」
即座に動いたアルテミスとアプサラスが、荷車を持ち上げられない。
片腕を失っているアルテミスでも、身体強化の魔法まで失ったわけではない。荷車なんて、それこそ空の彼方に放り上げられるはずだ。
アプサラスだって、狼藉者達の配下くらいなら、秒くらいは戦える力の持ち主である。それが、まるで動かせていない。
そうこうする内に、金床が。
金が、見る間に腐食している。
風が更に強く吹き付けてきている。
やはり、白い石が狙われているとみて良い。
「出来るだけ防ぐから、逃げて!」
「貴方は……」
「アタシは生きている間何もできなかった! 頭おかしいクレーマーにも、それと大して変わらないカーストを平等な時代にわざわざこしらえて偉そうにその中でふんぞり返ってるガキ共も、掣肘できなかった! 30連勤17時間勤務とか頭がおかしい仕事内容なのはあったけど、それでも子供の未来と命を預かる立場だったのに! この世界に来てからも、結局何もかも、惰性で欲望に任せていただけだった! あの子供達だって、結局アタシの欲望が具現化しただけの肉人形で、生きた人間でさえなかった! そんなアタシでも、力は此処では無駄にあるんだ! 少しでも、一人でも救わせてくれ!」
シスターPが、恐らく総力で風みたいなのを防ぎに掛かる。
わたしは。
土魔法を全力展開。
金で白い石を包み込む。即座に腐食していくが、わたしは穴に飛び込むと、金に直接触れ、全力で土魔法を展開。
それを見て、アプサラスが何をすると叫んだが。
軍師殿が逃げてくださいと叫ぶと。
アプサラスはメリルを抱え、アルテミスがさっと穴の外に出て、軍師どのを引っ張り出す。
土魔法を全力で展開する。
無駄に余っている魔力を総力で活用して。
辺りの土の密度を圧縮。
金の上から上から、何十層にも何百層にもあの白い石を包んでいく。
どうしてこんなことをしたのかわたしにも分からない。
基本的に自分本位で行動していたわたしなのに。
こうすれば、少なくとも逃げる時間は稼げる。そう思ったのだろう。
断末魔。
シスターPのものだ。
皆は逃げ出せただろうか。
凄まじい勢いで土を集めて、それで白い石を覆っていく。わたしはどんどん地下に沈み込んでいく。
だが、それでもなお、白い石は包んだ土を溶かして行く。これは、一体何なんだ。何が起きているんだ。
もう上を見上げると、空がとても遠い。
土を徹底的に集めているから、どんどん深く深く沈んでいる。此処は活路どころか死地だった。
軍師どのも間違うことがあるんだな。
来る。
あの狼藉者を手もなく捻った何かが。
それは、風のように来るが。
風では無いと分かった。
風魔法は散々使って来たのだ。今のわたし程度でも、それが普通の風では無い事は一目で分かる。
なんというか、狼藉者ですら勝てない、もっと上位の何か。
シスターPの領域を瞬時に塵と化した、世界の法則の上の上にいるもの。
それが、殺到してくる。
アンゼル、わたしは地獄があったらそこに落ちるだろうけれど。
待っていてくれるかな。
わたしの目の前でたくさんの人が死んだし、わたしもたくさん殺した。だから、そいつらに先に袋だたきにされるのかな。
連中が飽きるまで強姦されるのかな。
よく分からない。
ただ分かっているのは、助かる術がないということ。
もう一つは、その殺到する死が、全部わたしに……正確には白い石に向かってきていると言う事だ。
わたしが総力を挙げて土魔法で抑え込んでいたのに、全てが瞬時に溶解して、白い石が露出する。
本当にこれ、なんなんだ。
せめて、一矢報いてやる。
わたしは、素手で白い石を掴んでいた。
熱い。
だが、体が瞬時に瓦解はしない。
触っている手が、とにかく熱い。だけれども、反射的に離すほどでは無い。
以前一度触ってしまったときに、何かが変わり始めていたのかもしれない。
いずれにしても、わたしは石を掴んだまま、殺到した何かに向ける。だけれども、げたげた笑うような音を立てながら、それは凄まじい勢いで、わたしにむけて降り注いで来た。土の穴が、瞬時に崩壊する。そっちの方が、全てまとめて、溶け砕けてしまっているほどだ。
圧倒的な光。
太陽を直に見たときの比じゃない。
わたしは、全身が瞬時に灼けとけるのを感じた。
いや、違う。
これは。
世界から、放り出された。
そっか、わたしは地獄に落ちることさえ許されず、この世界からも追放されるんだ。
流れるままに生きてきた。
ただ生きるためにあがいてきた。
その過程で多くを殺した。
狼藉者どもを皆と倒して来た事なんて、なんら償いにならないということなんだろう。
苦笑という奴か。
笑う事なんてなかったのに。
最後に抱いた感情が、自分への嘲笑だなんて、いかにもそれらしい。
わたしは自分が正しいと思っていたのかも知れない。心の何処かで。
確かに理不尽に追放される度に、大きな不満を抱いていたのは事実だ。
だが、他にやりようはあったのではないのか。
意識が途切れる前に。
わたしは、そう感じていた。
アプサラスは見た。
巨大な光の塊が、アイーシャが作りあげた巨大な穴に殺到していくのを。カヨコンクムの辺りは、既に完全に消滅していて。あのシスターPも、瞬時に灼け溶けた。それを起こした光が、文字通り生き物のようにうねって、大穴に殺到。大穴を溶かしながら、とてつもない大音響を放っていた。
全力で氷の壁を作って、その余波を防ぐ。
アルテミスも土魔法を使って、この辺りの土を盛り上げて、破壊の余波を防ぐ。
元々アイーシャの魔法の腕が上がっていることはよく分かっていたが。最後に見せた土魔法の制御、凄まじかった。
万能でも全能でもないが。
少なくとも魔力量に関しては、この世界が滅茶苦茶になる前の水準でも、世界最強に達していたと思う。
しかしそれでも。
あれでは万が一にも助からない。
今後、世界に狼藉者が現れたとき。斃せる可能性を秘めていた白い石も、もう回収は不可能だろう。
ただ、壁を作って、余波を防ぐ。
片膝をつく。
元々連戦で疲弊しているのだ。
それもあって、どうしても体がボロボロだ。
吐血する。
それでも、必死に壁を維持。
やがて、音は止んでいた。
呼吸を整えながら、立ち上がる。どうにか、破壊をある程度だけ抑える事ができたと思う。
見ると、左右に破壊が拡がっている。
あの光がなんだったのかは分からない。なんであれが襲ってきたのか分からない。
ただ、はっきりしていることは。
あれは恐らく、転生神だかと同次元の存在だということだ。
世界に対する狼藉者でありながら、最後には良心のために命をなげうったシスターPの抵抗も、ほとんど一瞬しかもたなかった。
当然だろう。
転生だかなんだかしらないが、世界に現れた狼藉者達に力を与えた大本だ。どれだけ偉そうに狼藉者達がその力を振るった所で、力の供給元には絶対に勝てない。
アプサラスは血を吐き捨てると、自身への回復魔法へ切り替える。
震える手で自分にしがみついていたメリルが、泣いているのが分かった。
「すまなかった。 怖い思いをさせたな」
「う、ううん。 ちがい、ます」
声が戻ったのか。
泣いているメリルは、ぎゅっとしがみついたままいう。
アイーシャが守ってくれたのに。
最後まで、あの人の事は怖かった。
きっと罰を受けるべきは自分なんだ。
あの人はいつも怖かったし、結局最後は自分を優先していたような気もするけれど。それでも守ってくれていたのに。
最後だって、必死に被害を減らしてくれたのに。
「アイーシャもこの世界の被害者だ。 なんなら暴れる気なら、あの狼藉者達と同じくらいの被害を世界にもたらすことだって可能だっただろう。 それをしなかった。 それだけで、あの者は英雄の一人だったさ。 借り物の力で偉そうな名前を名乗っていた連中なんかと違ってな」
「……アプサラス様、みてください」
アルテミスが、手を振って来る。
軍師殿とともに、言われた方に行って。それで絶句していた。
巨大な穴が開いている。
文字通り世界に穴があいたという雰囲気だ。
何しろ穴の底が見えない。
一体どれほどの破壊力をあの光はもたらしたのか。これではアイーシャはまず生きてはいない。
大きく嘆息する。
金を操作することによって、本来はこの世界の民ですら触れないあの白い石を制御して。四人の狼藉者を撃ち倒す事に最大貢献したのはアイーシャだ。それを思うと、とにかくやるせない。
カヨコンクムの辺りは、クタノーンと同じく全滅だろうな。
これからは、もう国もなにもない。
生き延びた人間をすこしずつ集めて、再興を始めなければならない。
比較的無事だったドラダンやグンリが領土を拡げようと動くかも知れないが、そもそも人がいないのだ。二国の人口と物資ではすぐに攻勢限界が来る。
だから今は、それについては考えなくていい。
「やっと、これから人をまとめられる。 だが……私にはあまりもう時間がないようだな」
「アプサラス様!」
「今ので、恐らく命の決定的な所に打撃が入った。 残りの寿命は数年というところだろう。 アルテミス、私の跡を任せる。 軍師どの、アルテミスを支えてやってくれ」
「分かりました」
また吐血する。
回復魔法を掛けても、これはもうどうにもならない。
一つだけ分かっている事がある。
世界に対する狼藉者はいない。
そしてしばらくは、奴らもこない。
ただ次に来た時には、もう対抗する手段が存在しない。ただ、それだけの話だ。
だが、数百年を無為に過ごすのも癪だ。
せめて、何か対抗策を見つけなければならない。軍師殿を生き残らせる事ができたのだ。だから、それを奇貨にしなければならなかった。
4、暗黒の地
目を覚ます。
粉々に消し飛んだと思ったのだが、わたしの意識はあった。
素っ裸でどこかに寝転んでいる。
いや、どこだここ。
真っ暗だ。
辺りは真っ暗で、何もあるように見えない。それなのに、どうしてか自分の姿だのなんだのは認識できる。
服か何かないか。
なさそうだなこれは。
それよりも、手にしているのは白い石だ。壊れている気配もない。直に握っているのに、もはや体に異常もなかった。
体の状態を確認するが、五体満足だ。
あれだけの破壊を受けたのに。
ただ、風魔法で調べて見ようと思ったが、出来ない。土魔法も水魔法も、回復魔法もダメだ。
立ち上がる。
体はもともと運動音痴だったのもある。ちょっと苦労したが、闇の中で、問題なく立ち上がる事は出来ていた。
なんだ此処は。
周囲を見回すが。
闇の中に、半透明の床がどこまでも続いている。それが見える。闇の中なのに。どういう原理かは分からない。
何が最後に起きたのかは覚えている。
あれで生きている筈がない。
だとすると、此処は地獄と言う奴か。
あるとしたらそうなのだろうか。
それにしても随分と殺風景な場所だ。此処で罪人を裁くのだとしたら、誰がそれをするのだろう。
ともかく、歩いて周囲を見て回る。
やはり魔法は使えない。
いや、体に違和感はない。
だとすると、この場所がおかしいのか。或いは、今まで魔法が使えていたのがおかしいのだろうか。
わからないが、ともかく辺りを探して、せめて羽織るものくらいは欲しいと考えていた。
闇の中で、随分歩く。
喉も渇かないし、腹も減らない。それどころか、排泄もしたくならない。眠くもならない。
何より疲れない。
これは本格的に死んだんだなと思う。
寒くも暑くもない。
あの最後の瞬間、あんなに体が熱かったのに。
実体がなくなっているのかと思ったが、そんなこともない。触ってみると、確かに感触はある。
白い石を松明代わりに使ってもいいが。
辺りが見えるし分かるから、別にそれはやらなくても良いだろう。
黙々と歩き回り、辺りを見て回るが、やはり誰もいないな。或いは孤独にさせる地獄なのだろうか。
しかしわたしは、孤独を苦にしない。
ここに放り込んだのは失敗だったのではないかと思う。
それでも何かあるかも知れないと思って歩いていると、やがて光が見えてきた。
足下はずっと半透明の床が続いていて、何処かに落ちる恐れも無さそうだ。
何よりも、此処でぼんやりしていても、出来る事はない。
ただ光に向けて歩いて見る。
光は徐々に強くなってきてはいるが、とにかく遠い。
体力なんてないほうだったのに、疲れるようなこともない。
だから、黙々と歩く。
黙々とこうやって何かを続けるのは、思えば得意だったな。スポリファールで、最初に仕事を割り振られた頃から。
無言で歩いていて、それで思い出す。
最後のあの状況、誰か助かっただろうか。
あのシスターPが死んだのは確定だろう。
他の皆は。
誰か助かっているならいいのだけれども。
結局自分を助けるために生きてきたわたしだけれども。今はそんな風な思考が、自然と浮かんで来ていた。
「つまんない奴。 こんな奴に遊びを邪魔されたのか」
聞き覚えのない声。
鈴を鳴らすようなとでもいうような、可愛らしい声だ。
そして、声だけで強い威圧感。
なるほど。
何となく分かった。
此奴が転生神だ。
「さっさと此方に来い。 長い長い時間、命令だけ受けて仕事をしているんだ。 すこしは楽しみがあってもいいだろうよ。 それを特に目的意識もないのに邪魔しやがって。 せめてお前だけでも楽しませろ」
「貴方は何者?」
「何者だと? ……おやおかしいな。 跪かないと言う事は……ああ、それが原因か。 意識もあるようだし、妙だとは思っていた。 そういえばログを見ると世界から一度はみ出しているなお前。 そうかそうか、それでこんな面白くもない奴が、間引きのために放った玩具を片付けられた訳だ」
けらけら。
そんな風に笑う転生神らしきもの。
アンゼルもこんな風に笑っていたっけ。
そう思い出す。
白い石を握りしめる。もう熱くもない。いずれにしても、此奴をぶちのめすのはわたしの仕事だ。
もうわたしの体、これは取り返しがつく状態じゃないだろう。
それははっきりしている。
それでもやるべきことはある。
今だからこそ、それをやるべきなのだと何となく分かる。
たとえ、魔法を使えなくなり。
手元にあるのがこの石だけだったとしても。
こいつだけは。
わたしから見ても、絶対に許しがたい存在だけは。
差し違えても滅ぼす。
ただ、それだけだ。
(続)
|