星落とし

 

序、そも聖女とはなんぞや

 

いにしえの時代。数百年前の混乱時代に、色々な言葉が世界に持ち込まれた。名前もそう。その殆どは、今や忌み名と化している。

勇者や聖女、剣聖や賢者。そういった言葉だ。

数百年前のいにしえの時代に現れたそいつらは、「劣等」だの「失格」だのを名前の前につけていたらしいが。それも本来の意味だったようには思えない。

わたしが調べた話だけでも、それらは事実上万能に近く。この世界の人間のあらゆる抵抗が意味を為さなかった。

この間勇者を倒せたあの石以外だと、たまたま酒に弱かった者を倒せたのが一例のみ。それ以外では、誰一人世界に対する狼藉者達は倒せなかったのだ。

持ち込まれた言葉の意味も分からない。

勇者が勇敢な者かというと、とてもそうとは思えない。

聖というのは信仰における信仰対象などにつける尊称だかの一つらしいのだが。そんな風に呼ばれるような存在か、今動向を分析しているハルメンに現れた聖女が。わたしには、とてもそうは思えなかった。

風魔法で情報を収集する。

聖女様のおかげで作物の収穫が良かっただの、なんだかんだ話をしているが。奴が現れてから一月経過していない。

作物の収穫と言っても色々時期があるが、今の時期だと取れる作物は一部の果実くらいであり。

それもハルメンではあまり作っていない作物だったはず。

世界を自分にあわせて変更する力を持っているのが今回の狼藉者達だが。

ハルメンを自分に都合がいい国に書き換えたように。

この国の過去まで書き換えていると言う事だ。

しばらく風魔法で情報を集める。

側にいる生意気そうな女の子の騎士トリステは、最強の騎士であるアルテミスがそばにいるからだろうか。

わたしに対して敵意を向けられず居心地が悪そうだ。

アルテミスが、命の恩人だと言っていた。

それは失礼を許さないと言う意味でもある。

わたしとしては非常に複雑な気分なのだが。

無駄に突っかかってこないのならそれでいい。

わたしは人間には何一つ期待していない。それはわたし自身も含むことだ。

トリステが、風魔法で収拾する情報を素早く紙に書きとっている。固有魔法を使っているらしい。

アルテミスが手をかざして、おおと呟いていた。

「聖女が移動を開始したようですね」

「此処からだとどれくらいの距離ですか」

「五万歩ほど」

それを気配で察知できるのか。凄いな。

わたしにはちょっと真似できない。そもそも五万歩というと、相手を粒程度にしか認識できない距離だ。

近付いて来ているわけではないらしいので、安心して周囲の情報を集め続ける……と言いたい所だが。

相手はどんな訳が分からない事をやってくるか分からない。

距離なんてないようなものだろう。

だから、相手の注意を今は惹いてはいけない。

今わたしは、山の中腹で、洞窟に隠れながら作業をしているが。出来るだけ派手な行動は控えるべきだろう。

視界も遮られているのに相手の気配を察知できるのだから。

アルテミスはそれだけ凄いと言う事だ。

「それで今日はもう大丈夫ですか」

「はい。 おかげさまで」

昨日アルテミスは生理だったようだ。それで、トリステが安堵しているのをわたしは見ていた。

あれだけの暴行を受けていたのだ。

性暴力を受けていても不思議では無い。

あの勇者の子を孕んだりしていたら一大事、と思っていたのだろう。それが無かった事が分かっただけで不幸中の幸いと言う訳だ。

とりあえず、集落の情報を収集出来たか。

移動する。

近くの街に寄り、この辺りの通貨で紙を買い足しておく。普通紙というのはかなりの高級品なのだが。

世界がおかしくなってから、異常に安く大量に出回るようになっている。それも、紙の品質が非常に高くなっている。

紙だけはとても良くなったとクラウスがぼやいていたほどだ。

大量に紙を買い足しておくと、トリステは複雑そうな顔をしていた。わたしと違って表情豊かだ。

こいつとメリルが、わたしの陰口をたたいているのを、出る前に聞いた。まあ陰口を言っていたのはトリステで、メリルは聞いていただけだったが。表情皆無で不気味極まりない、だそうだ。

わたしも好きでそうなっているわけではないんだがな。

まあ勝手にしてくれ。別に何か悪口をいうだけで、相手に何かするつもりはない。

次の集落でも情報を集める。

聖女とはなにかが具体的に分からない。それが最大の問題ではあるのだが。もう一つ、問題がある。

奴は取り巻きを生やして自分をひたすら担がせているが。

それ以外に何をしているか分からないのだ。

作物が良く実るとか、魔物に襲われなくなるとか言っているが。

そもそも魔物とはなにか。

猛獣だったら分からないでもないのだが。ゴブリンやらオークやらがそうだとするのなら、あれは元は猿の一種だ。世界が書き換わってから魔物になったのだろうか。わたしにはそれはよく分からない。

「作物が実るという過去をねつ造するのは分かります。 害獣に襲われないようになるというのは、どういう理屈なんでしょうか」

「さあ」

アルテミスが小首を傾げているが。

わたしにも分からない。

トリステはそれを見てイライラしている。わたしとアルテミスが対等に口を利いているのが気にくわないらしい。

いずれにしても移動はあの二階建ての馬車でしているようで。

聖女は具体的に何をしているのかは、まったく分からないままだ。集落に来たと言う話はあるのだが。

聴取して見ると、偉大な力を使ってくださったとかいう抽象的な事だけ言われて。

それが魔法なのか。

それとも何かしらの能力なのかは、誰も答えられない。

要するに何をしているのか分からないし。その結果豊作やらが起きているのか、本当に分からない。

情報を集めながら次に。

ハルメンでは動物と混ざった人間はいないようだ。この辺りは、世界に降臨した狼藉者の趣味なのかも知れない。

情報を集めて回るが、あまりしつこく聴取すると、この物流がまるで機能していないどうして食っていけているか良く分からない世界でも、聖女に話が伝わるかも知れない。そうなると、時間も距離も無視して至近に来る可能性すらある。

それに奴の取り巻き同様、聖女に都合が良い存在がその辺りの集落に生やされている可能性だってある。

出来るだけ迅速に、情報を集めなければならなかった。

二日掛けて移動して、主に風魔法で情報を集めていると。

翌日聖女が王都に出向くという話が入ってきた。

何処で聞いたのか分からないが。聖女にとって都合がいい世界である。可能性はあるだろう。

ハルメンの元首都近くに潜伏する。

この辺りは以前探索したし、拠点も作ってある。

末の王女が串刺しになっているのを見て、ストレルが絶望していたっけ。好きだった人が死んでいるのを見た直後にあれだったし。まあ精神が不安定になるのも、仕方がないのだろう。

拠点に潜伏している間に、例の二階建ての馬車が来る。実用性皆無だし、護衛もついていない。

まあ聖女の能力から考えて護衛なんていらないんだろうが。

だとしたら取り巻きだっていらないと思うのだが。

風魔法で、情報を集める。

本当に聖女が来たが、どうやってそれを住民が知ったのか、さっぱり分からない。まあ都合が良い世界だから、そういうものなのだろう。

聖女を絶賛する声が聞こえる。

王族は総出で出迎えて、土下座しているようだ。

軍師どのが見たらキレるだろうな。「聖女が」か「世界が」かは分からないが勝手に改変した王家の設定を聞いて憤慨していたようだし。

アルテミスはにへらと笑っていたのが、表情が消えている。

「私の国も滅茶苦茶にされましたが、ハルメンもそれは同じみたいですね」

「ええ。 聖女は王族を土下座させた後、何やら口上を述べていますね」

「……」

トリステがメモしている。風魔法で拾っている口上は、身勝手と言うか独善的というか。

要約すると、婚約破棄したのは王家なので、今後数百年にわたって王家には不幸が続く。

不幸が続くが、聖女は被害者なので一切悪くない。

今後民も不幸になるが、それは全て王族のせい。

謝っても許さない。

だそうだ。

つまり王家に復讐するだけではなく、王家の付属品(妙な話だが)である国民も不幸にするし、それは当然の権利であると。ついでにそれを数百年続けると言うわけだ。

アンゼルですら聞いたら真顔になりそうな理屈だが。

驚く事に聖女を褒め称えている民も、聖女の取り巻きも、それをおかしいとはつゆほども思っていないようだった。

勿論聖女自身もそうだろう。

そして、婚約破棄した第七王子の目の前で、取り巻きとして生やした肉人形に抱きついてキスして見せる。

わたしはうえと声が漏れていた。

なんというか、醜悪だ。

この聖女の精神性がである。

少なくとも、信仰の対象が持つ精神ではないような気がする。いや、巨人なんかを信仰しているドラダンみたいな国もあるのだし、信仰というのは本来こういうものなのだろうか。

ちょっとそれは分からないが、まあそれについてはもういい。

いずれにしても、感情が薄いわたしですら、醜悪だなと思った。

とりあえずこれはよく分かった。あれを野放しにしていたら、仮に前回の混沌の時代の狼藉者達同様飽きたら塵になるとしても。世界にどれだけの悪影響があるか知れたものではない。

というか、人間性というものに、此処まで嫌悪感を感じたのは初めてかも知れない。

直接わたしを散々滅茶苦茶にしてくれた伯爵の事は今でも憎んでいるが、それは行動に対してだ。あの伯爵は半分以上狂気に飲まれていたようだし、今では狂犬に噛まれたと考えている。狂犬は憎いが、その人間性に怒りを覚えることはない。伯爵は色々な意味で人間と呼べる存在ではなかったからだ。

わたしはあの聖女に対する利害関係が一応はないから、今の時点で本来だったら憎む理由がない。

そんな状態で、この感情が浮かんで来たのは、わたしが人間らしくなってきたからなのか。

「これは正直早めに斃さないといけないですね。 人形ごっこにあの聖女が飽きる前に、この地が更地になりかねません」

「同感ですね……」

アルテミスの言葉に、トリステが呻く。

ちなみにどう不愉快になったのか、ちょっと聞いてみる。わたしはその辺りが、どうもよく分からないからだ。

「……うーん、アイーシャさんの事情は分かるので、簡単にかいつまんでいうと。 女性のエゴを最大限肥大化させて、暴走させているような行動をしていますあの聖女」

「女性のだめな所を全部集めてそれを本人が理解していない感じです」

わたしにはトリステはある程度生意気な口調で言う。

敬語を使っているが、不満がありありと出ていた。

それに、やはり自我が薄いらしいわたしの事を内心で軽蔑しているのだろう。

まあ、どうでもいい。

「一度戻りますか」

「そうですね。 ただ今動くと察知される可能性があります。 聖女が満足して街を離れてから、移動しましょう」

「分かりました」

わたしは移動の準備をしておく。

トリステはまだ子供でも騎士として現役で働いている人間だ。すぐに此処を離脱する準備を始めていた。

その間も風魔法で調べているのだが。

ふと気付く。

「……あれ」

「どうしましたアイーシャさん」

「街の女性が減っているような気がします」

「!」

アルテミスが真顔になる。

帰路で街を確認しようと言われた。トリステが帰路を地図上ですぐに策定してくれる。

わたしは頷くと、聖女が取り巻きを侍らせながら、二階建ての馬車で首都を出ていくのを見送る。

呆れた話で、真っ昼間から二階建ての馬車の中で自分に都合がいい肉人形と乳繰り合っているようだ。

それを確認してから、街の様子を確認。

やはりだ。

十代後半から二十代の適齢期の女性が明確に減っている。

それだけじゃない。

今気付いたが、男性もやたらとどれもこれも顔が整っている様子だ。それも不自然なくらいに。

拡大視の魔法で、二人に情報を共有する。

アルテミスが黙り込む。

トリステはしばらく見た後、ぼやいていた。

「これって、後から更に自分に都合良く国を改変できるってことなんでしょうか」

「可能性はあります」

「? どういうことですか」

「自分より美しい同性の人間はいらない。 醜い男性もいらない。 そういうことなのかと」

ああ、なるほど。

要するに美しい異性だけにして、それを全部独り占めにしたいというわけだ。美しい同性は自分を脅かす可能性があるからいらない。

そして男性は、全員例外なく美しくして、自分を崇拝させたいと。

クタノーンでみた、全ての人間が女になっていて、戦王とやらとの情交を望んでいるおぞましい光景。

あれほど露骨ではないが、此処でも似たことが起きていると言う訳だ。

とりあえず、戻りながら他の街も確認する。

それらでも、だいたい似たような状況のようだ。女性は幼児か中年以上の人だけ。それも幼児だけは異様に可愛らしくされていて。中年以上の女性は逆に醜く改変されているようである。

すぐに戻る。

確かにこれは一刻でも早く抹殺しないといけない。

データを取りながら戻る。

このままでいると、ハルメンという国は、粘土細工のように弄くり回された挙げ句、最後の一人まで死ぬかも知れない。

あの聖女は飽きて塵になるかも知れないが。

それまでにどれだけの人間が犠牲になるかしれたものではなかった。

スポリファール国境の街の拠点に到達。

見ると、厩舎が作られている。

鶏が飼われていて、世話をクラウスとメリルがやっているようだ。

「戻りました」

「メリル、鶏の世話を頼む」

「はい!」

メリルは働き者に見えるが、実際には働かないと殺されるという強迫観念からその行動が来ている。

それを知っているから、わたしは一生懸命働いているメリルを一瞥だけした。わたしも同類だ。だから哀れまない。

すぐに持ち帰った情報を披露する。

軍師殿は噴き上がっていた。

「許せない……!」

「ただ、あれは厄介ですよ。 遠巻きに確認しましたけれど、取り巻きに生やしている肉人形達。 あれは勇者の取り巻きの耳がついた割烹着女達と殆ど実力が変わらないと思います」

「しかも勇者と違って聖女は話を聞く限り戦闘にそれほど興味がないようだ。 石を投擲しても、そのまま回避に入る可能性がある。 どうにかして、奴の動きを止めないとまずい」

それも数秒という単位でだ。

かなり厳しいと思う。

だが、投石以外ではどうか。

「聖女という狼藉者は、恐らくですがハルメンを自分にとって快適なものだけで埋め尽くしているとみて良いでしょう。 今だと美しい女性は入るだけで攻撃される可能性があるとみて良いです。 事実自分に都合が良く作りあげた国ですら、今現在進行形にて改悪している」

「しかし投石以外だとどうすれば」

「アイーシャさん。 金をガントレットに加工してください」

まあ、出来なくはないが。

まさか、石を掴んで、それを刺すのか。

しかし出来るだろうか。

相手はあれだけの護衛を生やして、周囲に侍らせているのだが。

それに醜い男性は全て排除し、美しい女性も全員排除してしまっている。近付くのは難易度が高い。

魔法などでの接近も厳しいだろう。

「美しい男性が近付いて刺すと言う手は」

「駄目ですね。 多分一瞬で精神を汚染されて、聖女の手先にされてしまうかと思います」

「怪しまれずに近付く必要があると。 しかしどうやって」

「アルテミスさん」

アルテミスに、二秒時間を稼げるかと、軍師どのはいう。

アルテミスは頷く。あの取り巻き達全員相手にして、勝てる見込みはないが、二秒だけだったら動きを止められると言う。

聖女自身は幸い戦闘タイプではないようだと、アルテミスは告げる。

この辺りは、おぞましい数の修羅場を潜ってきたからこそ断言できる事なのだろう。

「充分です。 二秒間あれば、ある程度出来る事はあります。 後は問題なのは、戦闘タイプではないとしても、恐らく自衛用の能力を聖女が持っていること。 命がけになると思います」

「わたしがやりましょうか」

わたしが挙手。

今でこそ容姿がどうこうと言われる事があるが、幼い頃は髪を洗われて始めて赤髪だと分かったように。

容姿を滅茶苦茶に崩す方法なんて幾らでもある。背だってそこまで高くは無い。ギリギリ子供を装える。

一瞥したが、ストレルはそもそも精神的にもう駄目だろう。家事なんかは出来るだろうが。それで限界だ。

だが、軍師どのは首を横に振る。

「残念ですが、魔法を使った時点で全て察知されて対策されると思います。 魔法なしの身体能力が充分で、なおかつ聖女が敵意を抱かない姿でなければなりません」

「だとすると私ですね」

トリステが言う。

青ざめている。

分かっている筈だ。恐らく生きて戻れる保証なんてないと。それでも、スポリファールの騎士として。

この子供は。わたしに当たりが強いこの生意気な子供は、立候補していた。

「二秒あれば、聖女に石を当てることは出来ると思います」

「……お願いします」

「私では駄目か」

見かねてアプサラスが立ち上がるが。

軍師殿はそれを却下していた。

「アプサラスさん、貴方はすこし聖女が嫌う年齢を超え始めていますが、それはそれとして長年の指揮官としての貫禄が出過ぎています。 聖女は貴方を即座に警戒するでしょう」

「そうか……」

作戦を軍師殿が説明する。

此処にいる全員が参加して、一瞬で聖女を仕留める。

聖女と戦王は最優先駆除対象だ。二人を斃してから、次に剣聖も斃す。カヨコンクムの支配者は今の時点ではそこまで危険性がない。国は無茶苦茶にしているが、それ以上勢力を拡大するつもりもないようだし、後回しで良いと軍師殿はいう。

すぐに全員が動き始める。

厳しい戦いになるのは、目に見えていた。

 

1、肥大した心

 

聖女が歩いている。

その周囲には、やたら「清潔感がある」格好をした取り巻きども。今の時点で、全員が既に奴が入った街に侵入済。

ストレルとメリルは置いてきたが。

これは戦闘出来ないからだ。

街では、涙すら流しながら、民が聖女様、聖女様と喚声を挙げている。こんなにされないと満足しないのか。

路地裏から様子を見ながら、わたしは呆れる。

側にいるトリステは、純金の金床に置かれている石を何度かガントレットで触って確認していた。

ガントレットで掴むと、かなりの速度で腐食する。

それは事前に確認してある。

だから、聖女に石を刺したら即座に離せ。

そうアプサラスが言っていた。

聖女がこっちに来るまで、もう少し時間がある。この石が直に肌に触れたら、多分即死する。

そういう話もされているから、トリステは青ざめていた。

わたしは出来るだけ、金の状態維持を支援する。

土魔法の本領発揮だ。

それにしても、街の人間を全部自分に都合がいい存在にして、こう褒め讃えさせて。

気にくわない存在まで作りあげて。それを痛めつけて楽しむ。

精神性の醜悪さが、どんどん伝わってくる。

足下まである無闇に美しい金髪も、非実用的過ぎるほどに長い。あれの世話も、恐らくは取り巻き達にやらせているんだろう。

取り巻きの顔は何度か見たが、違和感があると思ったら、何となく分かってきた。

顔が半分女なんだ。

そう思うと、更にげんなりした。

男装した女性による劇というのは、一定層の需要があると聞く。その逆も然りらしい。

なにも取り巻きを全部そうしないでもと思うのだが。

いずれにしてもあれらが、スポリファールの……いや世界最強の騎士アルテミスでも勝てない相手なのは事実。

今は、作戦開始の合図を待つしかない。

青ざめているトリステ。

この子はまだ生理が来ていない。

そんな幼いのに騎士になっているのは、魔法に関してずば抜けた才能があったからだ。特に筋力強化は凄まじい倍率を掛けられるらしく、大人の騎士と互角以上に渡り合っていたらしい。

剣術に関しても優れていたそうだ。

だが、それも勇者の取り巻きには、まるで歯が立たなかった。

誰も守れなかった。

だから、今度こそは。

そう、出る前に使命感を口にしていた。

アプサラスに気負いすぎるなと言われていたが。

なんとなくだが、この子の運命が分かっていた。だけれども、わたしは止めない。止めるわけには、行かなかった。

喚声を挙げている民の間を歩き、自分に対する称賛の言葉に酔っている聖女の前に、ふらふらと出るのはクラウスだ。

そして、倒れてみせる。

一斉に肉人形が剣に手を掛けるが、すっと聖女が手を横に。

すすけているが、顔がそれなりに整っているクラウスを見て、それで喜んだのだろう。

「如何なさいましたか」

「申し訳ございません。 貧乏学者であるゆえ、何日も食べていないのです」

「まあ、それは大変ですわ。 皆、施しを」

「分かりました、聖女様」

すぐに取り巻きが数人動く。

仮に興味を持ったとして、兵士にでもやらせればいいものを。そんな事を取り巻きにやらせるのは、聖女が猜疑心深く、肉人形にして自分を褒め讃えるだけの存在にした兵士なんぞ信用していない事を意味する。

自分の能力の一部である取り巻きだけを信じている。

それでありながらその取り巻きで性欲を満たしている。

おぞましい矛盾だ。

これで、取り巻きが離れる。

ここからが勝負だ。

クラウスに話しかけながら、聖女がどういう学問をしているのか聞く。確かクラウスは歴史学専攻だったはずだが、星占いがどうこうとか言っていた。星占い。思わず口が引きつりかける。

あの手の女性は、ありもしない託宣の類をありがたがると軍師どのは言っていた。

そして、案の場聖女は食いついていた。

「まあそれは素敵ね」

「実は星占いにて、この街にある予兆が出ていたのです」

「予兆?」

もっともらしいことをクラウスが言い始める。

このもっともらしい話は、軍師殿が考えつき。クラウスがそれを丸暗記したものである。それをごく自然に口に出来るのは、流石と言うかなんというか。

そして、この瞬間。

軍師どのが。狼煙を上げていた。

聖女の取り巻きの数人が、充分に離れたからだ。

即座に仕掛けたのは、アプサラスとカルキーである。勿論、まともに戦っても秒で斃されるのは分かりきっている。

其処にアルテミスも加わる。

アプサラスとカルキーは二人がかりで、離れた取り巻きに。

アルテミスは、聖女至近の取り巻きに、全力で剣を叩き込む。

理想的な奇襲。

それでも、一目で分かるほど力量差が決定的だ。

だっと、飛び出すトリステ。

わたしは全力で土魔法を使う。聖女に対して使っても絶対に通用しない。それは分かっている。

だから、トリステが袖口から偲ばせ。ガントレットにつなげてある純金に用いる。ガントレットに金を追加で供給し続ける。

それでも腐食が早いし、人間が握っているから、数秒ともたない。だが一秒でももたせられれば。

「聖女様! 危ない!」

事前に街にいる子供の肉人形から剥ぎ取った服を着たトリステが、聖女を突き飛ばそうと飛びつくように動く。

丁度アルテミスが、必死の斬撃を飛ばした瞬間だ。

聖女がふんと鼻を鳴らすと、斬撃は消し飛び。アルテミスが凄まじい何かに張り倒されて、それで地面に叩き付けられていた。

取り巻きの肉人形が、其処へ殺到して、剣を閃かせる。

本来だったら万に一も助からない。

だが、その時。

聖女に対して、トリステが最大加速。聖女はアルテミスを見ていたから、その異常に即座に気付けなかった。

気付けなかったのは恐らく瞬きするほどの時間。

しかし流石に世界の法則を変え、それに依怙贔屓されている狼藉の存在。

異常に気づいて、トリステを見る。

ほんの僅かな距離、トリステが届かない。そこで、トリステがねじ切られ、肉塊になって爆ぜ割れ飛び散るのが分かった。

聖女はあざ笑っていた。それが、赤い血肉が飛び散る中、わたしには見えた。

既に聖女に向けていた石は慣性がついたまま。

激しい血肉のシャワーの中で、聖女は最後までそれに気付かなかったようだった。

「トリステ!」

アプサラスが叫ぶ。

飛び散った血肉の中で、立ち尽くしている聖女。

取り巻き共は既に動きを止めていた。

聖女の腹には大きな穴が開いている。石は砕けた黄金のガントレットからも飛び出し、そのまま聖女に突き刺さったのだ。あらゆる魔法の影響を受けつけず、その上位だろう力でもまったく干渉できないそれは、黄金のガントレットがなくなれば、ただの慣性に従って飛ぶだけだった。恐らく聖女は守りの力で身を守っていたのだろうが。それも無意味だった。

瞬時に聖女の全身が塩に変わっていく。致命傷だと一発で分かる。

それだけじゃない。

体が膨れあがっていく。痩身だった体が膨れあがり、豚のように肥満していく。勿論顔もだ。

髪の毛もぼろぼろのぼさぼさになっていく。

凄まじい金切り声を聖女が上げていた。

それは意味を為さない言葉だったが、何となく分かった。

どうしてわたしが。

この国をこんなに素晴らしい場所に変えたのに。

それだけが、限界だったのだろう。

大穴が開いていた聖女が、ぼきりと折れて。地面に落ちる前に崩れて潰れていた。

トリステの残骸である血肉の海の中に、塩の塊が落ちて、溶けて行く。

聖女は死んだ。

辺りにいた聖女の取り巻きも、全て塩になって崩れ果てた。

だがトリステをどうすることも出来なかった。

他の誰にも、トリステと同じ事は出来なかっただろう。

凄まじい血の臭いだ。

わたしは歩く。

歩み寄る。

私に敵意をずっと向けていたし、ずっと嫌っていた子だったけれど。それでも勇敢に、絶対的な死に立ち向かった。

周囲の光景が歪み始める。

不自然な建物が崩れて行く。聖女をひたすら讃えていた人間がその場で溶け崩れ始め、殆どはその場で腐りきった死体になって、ぐしゃりと潰れていた。生きている人間も僅かにいるようだが、痩せこけ、酷く衰弱しているようだった。

ハルメンを覆っていた聖女の力が消える。

聖女を褒め称えるためだけに改造された国が、全てその干渉を受けなくなって、崩れて行く。

いずれこうなったことは分かっている。

聖女が飽きればこうなったのだろうから。

それが早かったのか遅かったのかは分からない。いずれにしても、周囲は既に腐肉と腐食した残骸の展覧場だった。

アプサラスが来る。腕を折られたようだった。カルキーに至っては、腹に大きな裂傷を受けている。

アルテミスは立ち上がれずにいる。

わたしは、このままだと一番命が危なそうなカルキーから治療に掛かる。わたしの回復魔術は大した腕ではないけれど。

それでも、何もしないよりはマシだ。

クラウスも治療を始める。

周囲の人間は、皆正気に戻ったのだろう。

わたし達を指さして、罵り始める。酷く衰弱しているが、いずれもが明かな敵意を向けてきていた。

「お、お前達のせいだ! お前達が来たから、夢が終わってしまった!」

「聖女様は確かにろくでもない女だった! だがそれでも、夢の中にいられたんだ!」

「出ていけ!」

嘆息。

まあ、分かっている。

どうにもできない事だ。僅かな生き残りは、一生わたし達を恨み続けるだろう。そしてこの国は、わたし達を国賊として記録するに違いない。

いずれにしても、次だ。

今分かっている世界に対する狼藉者は、剣聖と戦王、あと何か分からない子供を侍らせている女。

ともかく治療を急ぐ。

アプサラスはじっとトリステの残骸に黙祷を捧げていた。これでは墓を作るどころではない。

自分に敵意を向けた存在を、粉みじんにしていい。そんな風に考えるのが聖女だった訳だが。

だからこそトリステの特攻は意味を持った。

他の三人も斃すのであれば、恐らく同じような所から活路を見いだせるかも知れない。そしてこの街。

明らかにスポリファールで勇者を仕留めた時よりも痛みが激しい。

もしも、世界を少しでもマシにするつもりだったら。

急がなければならないのかも知れなかった。

わたしにはただ生き延びることしか頭にないが。

それでも、アプサラスやアルテミス、軍師どのと連携しなければ、まず生き延びることはできないだろう事は分かっている。

だからそれは意識しておかなければならない。

治療が終わったので、街を出て行く。

石が飛んできた。

それほど勢いはなかったが、風魔法で弾き散らす。

石を投げたのは、痩せこけた、トリステとほとんど年も変わらない子だった。

トリステが命まで賭けてあいつを斃したのに。

そう思うと、わたしもちょっと苛立ちがわき上がってくるが。

アプサラスが言う。

「いいんだ。 行くぞ」

「わかりました。 それで街の周囲にわんさか色々いますが、それは駆除してしまって良いんですね」

「狼やら熊やらだな。 オークやゴブリンも……。 我々はさっきの戦いでの損耗が大きい。 頼めるか」

「やっておきます」

カルキーが、ほとんど赤い染みしか残っていないトリステの遺品を探しているが。そのカルキーにも石が投げられていた。

クラウスが風魔法でそれを防ぎ、叱責。

彼奴を斃さなかったら。

この国が元に戻った頃には、全員死んでいたのは間違いないんだぞ。

そういつもの冷静さとは裏腹に怒鳴ると。石を投げた女は、哀れっぽく泣き出した。

同情する気にはなれなかった。

 

街の外で待機していた軍師どのと合流。

戦闘の経緯について話し、トリステが倒れたことを告げると。軍師どのも黙祷していた。

機械的に見かけ次第人間の害になりうる獣やゴブリン、オークなんかを処理して移動する。

ゴブリンやオークは、聖女が死んでも元に戻らないようだ。

今回の狼藉者達が現れた時に世界にもたらされた歪みは、それだけ大きかったのか。それとも、世界そのものが、今回の混沌にあわせて変えられたのかも知れない。確かに連中が姿を見せる前から、ゴブリンもオークも姿が変わっていた。それについては、わたしが直接見ていた。

移動中、散々動物を駆除。

ゴブリンもオークもかなりいる。

聖女はあれだけの力を持ち、圧倒的な力を持つ取り巻きを連れていたのに。これらを駆除しなかったのか。

そう思うと、色々不可解だが。

或いは自分のありがたみを見せるために、敢えて残していたのかも知れない。

わたしの技量では、回復魔法には限界がある。だから、特に傷が重いアルテミスは、荷車に乗せて移動してもらうしかなかった。

「アルテミス、一体どんな攻撃を受けたのか解析は出来そうか」

「少なくとも魔法ではないですね。 凄まじい斥力で押し返されましたが、あんな破壊力だったのに魔力は一切感じませんでした。 勇者の時もそうでしたが、混沌の時代に世界に現れた狼藉者達と同じで、拡大解釈した「能力」やら「スキル」やらを使っているのだと思います」

「スキル?」

「当時の記録がわずかに残っていてな」

クラウスが言う。

言いながらも、横になったままのアルテミスに回復魔法を掛けていた。

混沌の時代にいた連中は、不可解な独自用語をたくさん持ち込んだ。その中には、今では定着している単語もある。

いわゆる古語だ。

だが定着しなかったものも多い。

その一つがスキルだそうだ。

元々は特技や職能的な意味だったらしいのだが。普通そういうものは、自分で試行錯誤しながら身に付けるものだ。

例えば料理なんかが顕著で、あれは先人の知恵を元に、努力と修練で身に付けていくものである。

だが狼藉者達が使っていた言葉の意味は違う。

何らかの妙な能力と同義で、特に「外れスキル」なんて彼等が言っていたものは、凄まじい破壊力を持ち。それを曲解或いは拡大解釈することで、事実上の万能であったそうだ。

「外れなのに最強だったんですか?」

「どうも混沌の時代に現れた者達が好んでいた二つ名とも一致しているらしい。 彼等にとって劣等だの落第だのは、むしろ最強の意味に近かったようだ。 本来とは反対の意味を二つ名につけるのが、彼等の流行りだったのだろう」

「よく分かりませんが」

「生態を分析するのは討伐には必須だ。 それに……」

ハルメンの首都を見やる。

ただでさえ聖女の踏み台として徹底的に蹂躙されたこの都市は、ほぼ更地にされてしまっている。

軍師どのが、ああと嘆いて。

そして俯く。

再建は無理かも知れない。

聖女が自分の楽しみの為だけに踏みにじった此処は、謂われなき悪意をぶつけられ続けたのだ。

その結果、こうなってしまった。

激しい干渉を受けた結果だろう。建物なんかも崩れ果てている。

元々はスポリファールの大都市と見劣りしない大きな街だったのに。

今では千年前の遺跡と言われても、そうかと思ってしまうほどのものだ。

「とにかくスポリファールに戻った後、対策を協議します。 一秒でも早く特に戦王は仕留めないと非常にまずい事になるでしょう」

「分かった。 だが、奴は恐らく女性に対する特攻持ちだろう。 それに男性は、そもそも国に入れないかも知れない。 魔法なんぞ無力に等しい。 多分近付くだけで正気を失うぞ」

「……」

戦王は。

国全てを自分の性欲発散場にした。民全てを自分好みの女にするという異常な行動を取っており、斃した後も深刻な被害が簡単に想定できてしまう。

そういう意味では聖女よりもタチが悪い。

国中を自己顕示欲の発散場にした剣聖もタチが悪いが。

もし奴が「空いた」スポリファールやハルメンに来たら、もはや再建どころではなくなるだろう。

確かに急いで仕留めなければならない事については、わたしも同意できる。

問題はカヨコンクムにいる変な女だ。

幼児、それも女児ばかりにして愛でているというのは、ちょっとよく分からない。しかも全部都合がいい性格にして。

母性だけ満たしたいのだろうか。

いずれにしても、そいつも場合によっては駆逐しなければならないのだろう。どうやるかは、軍師どのに任せるしかない。

拠点に戻って、残していたストレルとメリルと合流。

とりあえず、本格的な治療に入る。

トリステが死んだ。

それを告げると、ストレルはさめざめとないた。メリルは衝撃を受けたようで。言葉を一言も発しなかった。

トリステは肉塊も残らなかったので、わずかに残った遺品だけを墓に埋めておく。

葬儀はスポリファール式で簡素に行った。

トリステの鎧は無事だったが、今後使うかも知れない。墓に埋めるわけにもいかなかった。

数少ない特務の装備だ。

例え狼藉者共に無力だったとしても、他の相手には有効なのである。

葬儀が終わった後、幾つか話をする。

まずは、全員でクタノーン国境まで移動する。

これについては、わたしが移動魔法を担当する。

途中で剣聖の縄張りを通る事になるので、それは要注意だ。

奴も危険人物に代わりはない。

発見された場合には、それこそ作戦なしでは万一にも勝ち目なんかないだろう。

それから、国そのものが性欲の塊である戦王のために都合良く改変されているクタノーンの奥地にどう入るかを解析する。

軍師殿がいうには、わたしとメリルが無事だったのは、国境近くだったから。

そうでなければほぼ確定で魅了されて、奴の性欲処理用の道具にされてしまっただろうということだ。

メリルを一瞥。

生理も来てない年だろうに。

まあ、そういう事をする男はいる。

ハルメンが潰された時、4歳だったという末の王女がどういう事をされて死んだかは、わたしも現場を見て知っている。

だからわたしには、まあそうかも知れないなとしか言えなかった。

「とにかく情報を集めて、活路を探すしかありません。 近づけない相手の場合は、どうにかして相手を狙撃するしかありませんから」

「正確な居場所を把握して、それで撃ち抜くと言う訳だな」

「はい。 簡単な事ではないでしょう。 それに当然、魔法も通じないとみるべきです」

「厄介だな」

アプサラスが呻く。

クラウスが眼鏡を直した。

「剣聖の縄張りの内部で拠点を作らなければならないのも気になる。 どんな問題が起きるか、知れたものではない」

「それもありますね。 移動しながら、出来るだけ急いで策を練ります」

「それでどうします?」

わたしが視線で指したのはストレルとメリルだ。

この二人はもう戦力にならない。

特にメリルは、魔法が出来る訳でもない。

だが、軍師どのはいう。

「意外とメリルが活路になる可能性はあります。 男性の性欲というのは色々面倒なもので、人によって違うんです。 まあ女性もそうではあるんですが、男性の場合は好みが多岐にわたっていて。 或いはその好みから外れるようであったら……」

「今度はメリルに自爆特攻をさせると?」

「……」

アプサラスが明らかに軍師どのを責める。青ざめるメリル。

だが、方法もない。

最悪の場合には、考えておかないといけないのかも知れなかった。

 

2、荒淫悪鬼

 

拠点ごと、土魔法で動かし。風魔法も使って一気に移動する。移動速度は更に増していて、消音性も高くなっている。

話そのものは聞いているからだろう。

ストレルは更に口数が減っていて。料理はするが、それ以上はもう何もできそうになかった。

食糧を補給してくる度に、アプサラスは表情が堅くなっている。

この人は軍司令官だ。

だからたくさん部下を死なせてきたはずだ。

だがそれでも、こんな状態に国がなって。

しかも自分が民全てに拒まれている。

それを理解しているのだから。表情が硬くなるのも当然だろう。

骨折した腕については、既に直った。

だが、心に入った罅は、どうにもならない。

移動しながら、情報を集める。

やはり勇者を倒した事で滅茶苦茶になったスポリファールは、致命的な状態だ。生き残りは街につき数十人いるかいないか、という状態であるらしい。

世界が滅茶苦茶になって。

更に勇者に滅茶苦茶にされて。

その過程だけで、百人に一人生き残れば良い方だった、ということだ。

ぞっとしない話だが。

おそらく最速で斃した勇者の領域ですらこれだ。

ハルメンは正確に調べていないが、「聖女の機嫌を損ねた」街なんかは更地にされているだろうし。

更に被害が酷いのは確定だろう。

新パッナーロに至っては、そもそも再建途上だった所に剣聖が自分好みに滅茶苦茶にしているわけだし。

クタノーンは男を皆殺しにした可能性が高い。

そう考えると、更に被害が大きいし。

下手をすると、もたついていると取り返しがつかなくなる。

四日ほどで、クタノーンとの国境近くに到着。わたし達は山裾にある、誰も興味を示さないだろう荒野に拠点を作り。

其処で実験を始めた。

まず以前入り込んだわたしが国境を越えてみせる。

国境を越えた瞬間、凄まじい異臭が漂ってくる。

前も酷かったが、情交の臭いだ。

国全土がこれで満たされているとみていい。

わたしもアンゼルと旅していたとき、安宿を使うと、隣の部屋で盛った男女がまぐわっている事が結構あったし。

安宿だとその跡やら臭いが露骨に残っている部屋に通されることも結構あった。

いずれにしても気分がいいものではないが。

多分戦王にはこれが花の芳香なんだろう。

一人ずつ、順番に国境を越えて様子を見る。

カルキーとクラウスは、案の場国境を踏み越えた瞬間、凄まじい勢いで外に弾き飛ばされていた。

男は立ち入り禁止。

此処の中の女は全部戦王のもの。

そういうわけか。

カルキーの負傷は、更に酷いものとなった。

クラウスはある程度覚悟していたからか、なんとか無事だ。ともかく治療に専念して貰う。

続いてアプサラスが国境をわたしと越える。

アプサラスは、踏み込んだ一瞬で、体調の異変を訴えていた。

「すまん」

すぐに国境を出るアプサラス。

激しく肩で息をついていた。

戦士として鍛えているアプサラスだ。既に三十路を越えているとは言え、それでも生半可な男性なんて及びもつかない体力を持っているはずだが。

それが、顔を真っ赤にして、冷や汗をだらだら掻いている。

うめき声を漏らすアプサラス。

いや、これは。

「これはアルテミスもダメだな。 ストレルは特に絶対にここに入ってはまずいだろう」

「どういうことですか」

「私も制御はしているが性欲はある。 国境を越えただけで、それがいきなり最大限増幅された感じだ。 少しでも内部にいたら、理性なんて一瞬で消し飛んで、その場で服を脱ぎだしたかもな」

まあ、女性も性欲を自力発散する手段なんぞ幾らでもあるが。

それにしても、アプサラスの様子を見ている限り、それが心地よいものなどではないことは一発でも分かる。

だとすると、どうしてわたしとメリルは平気だった。

メリルを連れて、もう一度国境を越えてみる。

嫌な臭いはするが、わたしはある程度平気だ。メリルも、口を押さえて嫌そうにしているが、それだけ。

軍師殿はそれを見ていて、戻って欲しいという。

作戦が、決まったらしかった。

 

国にいた女性を一人、気絶させて連れてくる。

国境を越えると死ぬ可能性がある。だから、国境付近で気絶した女性の格好を、急いで検分した。

本当に裸同然の格好だ。

腰を僅かだけ覆う布。素材はよく分からないが、絹かこれ。他でも見たが、ちょっとよく分からない。

胸は露出していて、軍師どのが嘆息した。

ここまであけすけだと、流石に色気を感じるどころじゃない。

容姿も色々とおかしい。

腰のくびれとか、肌つやとか、何食ったらこうなるんだろうと不思議になる。多分だけれども、全部の人間が戦王好みに調整されている。

戦王が好みなのが、こういう女ということなのだろう。

何人か気絶させてつれて来て、確認する。

子供でも腰がくびれているし、足とか異様に細い。

また子供の場合は、胸を布で覆わされているようだ。

「戦王とやらが色情狂の恥知らずなのはよく分かったが……」

「この格好で潜入するんですか?」

「恐らく戦王も、自分に近付けば異物に気付く筈です。 ただ……」

「ただ?」

もう少し情報を集める必要があると軍師殿は言う。

とりあえず、此奴らの格好を真似させられる。

服については、すぐに真似できるが。それにしても、胸を丸出しに、腰だけすこし覆うのみ。足も素足。

これ、寒くないか。

クタノーンは寒暖差がそれなりにあり、普通だったらこれだと風邪を引く。

それに捕まえてきたのを見る限り、下着も着けていないのだ。

しかも出来るだけ、土魔法での移動速度を抑え、風魔法で警戒して集落の側を通るなと、無理な注文をつけられる。

その上で戦王の宮殿に近付いて、情報を探って欲しいというのだ。

腹にインクで、「淫紋」だかいうのを記しておく。

わたしとメリル、二人のぶんだ。

あの切り札の白い石はまずは持ち込まない。

最初は偵察である。

急いで斃さなければならない相手だ。戦王は特に。

だが、だからこそ焦るわけにはいかないのだと、軍師どのは念押しした。

「体に異変を感じたら、すぐに戻って来てください。 それとこれ。 国境近くにおいて。 此方に出てくる時は、これを被って出て来てください」

そういって、普段着を渡してくる。

わたしは国境近くの岩場に、メリルの分とそれを置いた後、服を脱いで。腰だけ守る。淫紋というのがなんだか知らないが、とにかくこれを皆書いていた。書いていたのか、それとも国が法則ごとねじ曲げられた時に、強制的に書き込まれたのかはしらないが。ともかく、なければ怪しまれる。

メリルは恥ずかしいと悲しそうに言う。

何故二人で行動するかというと、この子の記憶力が良いからだ。風魔法で情報を集めた時、わたしが覚えきれていなくても、この子は覚えているかも知れない。

それから、移動開始する。

やはり胸を丸出しにしたまま移動するのは何というか。

色々寒いし、むしろ嫌悪感がある。

戦王が嬉しいからこんな格好をさせているのだろうが。

それにしても限度というものがないのか。

嬉しいのは本人だけ。

それは分かってはいるが。

だからこそ、苛立ちも強くなる。

移動速度は出来るだけ抑える。

クタノーンの地図は事前に確認してある。まずは首都を目指す。

クタノーンの首都は歴史上何回か移動しているらしい。これはそもそも、多民族国家であって。どの民族が強いか、国の時期によって違ったから、らしい。

また、混沌が始まる直前は、黒軍が壊滅し、かなり国境を新パッナーロに浸食されていたという事情もある。

混沌が始まった時に首都がどこだったかは分からないと軍師どのは言いながらも。候補として、他に栄えている都市を幾つか指定してくれた。

流石と言うかなんというか。

それだけ色々、他の国についても詳しいということだ。

数日かけて移動する。

そして、先にメリルが気付く。

情報を集めながら移動しているのだが。日中は、人間の行動が露骨に鈍いというのだ。

「会話がいつもより聞こえないです」

「そういえばそうですね」

「みんな夜型なんですか」

「さあ」

だが、その可能性はある。

考えて見れば戦王は情交の事しか考えていないような奴だ。それについては、この国の有様をみてもよく分かる。

こんな格好を全員にさせている事からも、相手がどう思うか何てどうでもいい。

まあわたしも、他人の心には疎いので、その辺りは人をどうこういう資格はないかも知れないが。

とりあえず分かっている事は。

奴は夜の間に好きなだけ情交にふけり。

昼の間は疲れて寝ている可能性がある、ということだろう。

情報を集める限り、どうやら奴がいるのは元々のクタノーンの首都で間違いないらしい。それについては、よく分かった。

移動速度を保ったまま、移動を続ける。

首都に近付くとどんどん臭いが強くなるのが分かった。

非常にメリルがつらそうだ。

わたしもはっきりいってあんまりいい臭いだとは思わないが。それにしても、どうしてアプサラスは一瞬でああなったのに、わたしは平気なのか。

ちょっとそれはよく分からない。

メリルでさえ、時々顔を赤らめているのだが。

「平気そうですか? メリル」

「はい。 なんとか」

「恐らく彼処に戦王が……うん?」

なんだあれ。

クタノーンの建築様式については、事前に調べてある。しかしながら、あれはなんだ。

正直な所、石造りが主体な事は、この世界では殆どの場所で共通している。山深い土地では木造建築も多いのだが。それでも石造りの家は、どうしても主流になりやすい。これは理由があるらしく、上質な石がどこの国でもとれるからだそうだ。どうしてそうなのかまでは分からないそうだが。

あれは、石か。

なんだか曲線を描いた建物がでんとあって、その他には掘っ立て小屋しかない。

周囲には転がされている女。たくさん。

どれも正気を保っているとは思えない。

でんとある……なんだか花のつぼみみたいな形をした屋根の建物。どうやって作っているのかさえ分からないそれから、女が運び出されてくる。

運び出してくる女も、運び出されてくる女も、等しく全員全裸だ。

そして女が捨てられる。

あれは精神が壊れている。

情交の事しか考えていない奴だ。何が起きているのかは概ね想像がつくが。

放り出されている女には、既に息絶えている者もいるようだ。放り捨てられたあと、食事とか出されているとは思えない。

まあ、当然だろうか。

スポリファールの建国者であった勇者のことを思い出す。

わたし達が斃した奴じゃない。前の混沌の時代の勇者のことだ。

女を好みであれば人妻だろうがなんだろうが容赦なく奪い去り、催眠とかいう能力で洗脳し。

子を孕んだら飽きて捨てた。催眠が解かれて、それで開放されても女は廃人になった。

そうして国中の女が廃人になるか、或いは死んだ。

そういうおぞましい事を繰り返した輩だった。

また一人、女が運ばれて来た。

今度はメリルとあんまり年も変わらなそうな女だ。ぐったりしていて、またから大量に出血している。

そして捨てていった全裸の女は、それに見向きもしなかった。

「酷……」

メリルの口を押さえる。

特に注意するべきとして、絶対に悪口の類は直に口にするな、というものだった。

勇者にしろ聖女にしろ悪意には極めて敏感だった。

実際トリステは、そうでなければ無傷で聖女を斃せていただろう。あんな風に、爆ぜ割れなくても良かったはずだ。

気付かれたら終わりだ。

とにかく今は、情報を集める。

すこしずつ、会話が聞こえてくる。

「天上の快楽を得て死ねるのなら幸せよね」

「戦王様のハーレムに加えていただけるなんて光栄よ。 此処で朽ちるとしても本望だわ」

「ただ、死んでしまったのはどうするのかしら」

「放って置いても良いでしょう。 腐る事はないのだし」

そういえば、死体も痛んでいる様子はない。

この辺りはかなり温度差が激しい筈なのだが。

無言で伏せたまま、メリルの口から手を離す。悪口、敵意は口に出すな。そう言い聞かせると、メリルはこくこくと頷いていた。

そして、日が完全に昇ると。

不意に静かになる。

臭いも多少はマシになっただろうか。

わたしはメリルを促して、行動開始。眠そうにしているメリルだが、今は好機だ。あの変な建物に近付く。

地面に転がったまま寝ている女が目立つ。

戦王と同じように起きて寝ているのだろう。

そういえば、この国に入って獣は全く見ない。そういう意味では、殺される事はないのだろうが。

食事もそういえば、食べている所はみない。

或いはだが、この国では。

もう食事なんてものは面倒くさいし、戦王からすれば必要ないので。

それすらが排除されているのだろうか。

だとすれば、それが解除されれば。

この国は全滅かも知れないな。ずっと食べずにいて、生きていられるとはとても思えないからだ。

変な建物に入る。

中は平屋になっていて、下に真っ赤な敷物が敷かれている。彼方此方にある燭台。なんだあれは。

そして床には、多数の全裸の女性が、死ぬようにして眠っている。

奧に転がっているのは、筋肉質の男性だ。

前後不覚に眠っているが、あれは多分近付くとまずいな。

前の混沌の時代。狼藉者の撃破例は二つ。酒を飲んで、それで眠っている所を討ち取ったのが一つ。

わたし達が持っている石を使ったのが一つ。

前者は、状況証拠からしてグンリで斃された狼藉者だろう。

マリーンは国の誇りだと言っていたが。その実態は、まあそういうわけだったのだ。

恐らくあの戦王は、自分を害する存在がいないようにこの国を改造した。

ただ性欲を満たすためだけに作られたこの国は、戦王に害する存在などいないし。戦王にとって不愉快な他の男は存在してはならない。

そういうことなのか。

異様な光景に、震えているメリル。わたしに必死にしがみついている。

わたしはメリルにいう。

建物の構造を覚えて欲しい、と。

あの石を使うにしても、近付くのは無理だ。かといって、投石はわたしにはそんなに上手にやれないだろう。

それにだ。

わたしもメリルもどうしてか奴の女だったらなんでも屈してしまうような異常な力には耐性があるようだが。

それでも直に掴まれたりしたら、それもどうなるかまったく分からない。

そもそもあの石を、どう持ち込むべきなのか。

メリルが、覚えたと頷く。

わたしもできる限り覚えた。

中身は一つの空洞体で、そもそもどうしてこれで建物として崩れないのかよく分からない代物だ。

はっきりしているのは、戦王は夜の間は情交を飽きるまで続けて。

そして昼は寝ている、ということである。

つまり、あの石を奴から遠い所から落として、直撃さえさせれば、倒す事は難しくはない。

それが分かっただけで、充分過ぎる程だった。

 

国境付近の拠点に戻る。

全裸に等しい姿から、服を纏うと、それだけである程度安心する。

狂気という度合いでは、妹という設定の犬耳がついた奴隷を侍らせていた勇者や。自分を持ち上げるだけの肉奴隷を侍らせていた聖女よりも、更に戦王の方が酷いかも知れない。それに、だ。

この国の民は、戦王も含めて食事や排泄すらしている雰囲気がない。

戻り次第、順番に説明をする。

軍師殿の前に、アプサラスが挙手。

「それでアイーシャ。 お前、なんら情欲は覚えなかったのか」

「はあ。 まあ」

「……クラウス殿。 後でアイーシャを診察して欲しい。 メリルは年齢が年齢だからまだ分からないでもないんだが」

「分かった」

診察とな。

ともかく、具体的な戦王の容姿、奴がいる場所などについて、説明をしていく。

ハーレムと呼ばれている事を告げると、軍師殿が顔を上げていた。

「ハーレムですって」

「はあ、そう言っていましたが」

「古語の一つです。 数百年前の混沌の時代に持ち込まれた言葉で、スポリファールの建国者である勇者もそうですが、他にも色情狂の狼藉者は何名かいました。 それらがこぞって使っていた言葉がハーレムなんです。 後宮に近い意味のようなのですが……国の有力者が集めて送り込んできた女やその関係者が陰湿な争いを続ける伏魔殿である後宮と違って、支配者に都合がいいだけの異性……いや性欲発散用の肉人形を集めている場所をそう呼んでいるようだったという記録があります」

そういえば、そんな言葉を歴史を習っているときに聞いた気がする。

いずれにしてもと、軍師殿が咳払いした。

「僕も国境を越えられないか試したんですが、男という時点で門前払いのようです。 国にそもそも足を踏み入れる事すら出来ない「法則」になっているようですね」

「だとすると、わたしとメリルで奴を討ち取るしかないんですね」

「残念ながら。 幸いその法則に反しない状況なら、なんでも出来るようです。 確認しましたが、例の石も持ち込めます」

なるほど。

作戦については、すぐに立てると軍師殿がいうが。

その前にクラウスの診察を受ける。

幾つかの回復魔法を掛けられたが。その幾つかは、見た事がないものだった。クラウスはかなりの博識だ。

回復魔法についても、多分出力はともかく、知識はわたしよりある。

それで、クラウスが何だか専門用語を幾つか口にして。軍師殿がやはりと呟いていた。

「分かりました。 アイーシャさん、これはあまり良い事ではないと思うのですが、あなたの心……そもそも脳には、大きな傷があるようです」

「脳に」

「幼児期、旧スポリファールの東辺境伯に虐待同然の教育を受けたと聞いています」

「そうです。 今になって思うと、教育ですらないですが」

その時殴られたかと聞いて、はいと即答。

物心ついた頃には、逆らうなというのが体に染みついていた。

何か口答えすれば即座に殴られる。

頭も腹も。

酷く痛かった。

最近では、他人に対して恐怖は感じなくなってきたが。いずれにしても、それで心が壊れたのは事実だと思う。

わたしは心を作り損ねたが。その上で、更に壊されたのだと言う事だ。

「寿命に関係したりするものではありませんが、その過程で脳の……性欲に関連する機能が壊れてしまっています。 性は機能しているようですが、子供は産めても異性に興味を持つことは一生ないと思います」

「そういえば……」

そもそもアンゼルが不思議がっていたが、わたしは一切同性にも異性にも興味がなかったな。

アンゼルは一緒にいた頃。アイーシャがいいならまぐわろうかとか言ってきたことがあったが、断った。アンゼルは戦いの中で欲求を発散していたようだし、何より好きな男が出来ても殺してしまうようなので、恋愛にはあまり縁が無かった様子だった。それでも、あの子なりにわたしを気にしていたのだろう。

わたしはアンゼルに心配されるくらい、ある意味おかしかったわけだ。

「それで近付く事ができたのか……」

「メリルでさえ近付くとすこし様子がおかしかったので、変だとは思っていましたが」

「これは……戦王を斃せる好機だというのに、なんとも喜べないな」

「……それで作戦は?」

勝手にわたしの事で湿っぽくなられても困る。

それにだ。

わたしはそれで困ったことがない。それを劣等感に感じたこともない。恋をしてみたいとかいう話をしている人間はよく見るが、そうかとしか思わない。それは恐らくだが、繁殖したいという本能が働いている人間だから思う事なのだろう。わたしはまったくそう思わないので、別にどうでもいい。

同情されても、それはそれで困るというのが本音である。

咳払いすると、軍師どのはいう。

「簡単です。 石を現地に持ち込んだ後は、今まででもっとも簡単に戦王を倒す事が出来ると思います。 方法については……」

「アイーシャ、頼む。 今回は支援は出来ない。 仮に失敗した場合は、すぐに逃げてきて貰ってかまわない。 恐らく戦王も、そう長くは生きてはいられないだろう。 退廃の宴に飽きれば塵になるとみていい。 最悪の場合は、戦王が塵になるのを待つ」

「わかりました。 いずれにしても、さっさと片付けてきます。 ただこの様子だと、クタノーンは戦王を殺した後、全滅するかも知れませんが」

ずばり指摘はしておく。

わたしとしても、それは皆が知っておくべきだと思ったし。

それについて責任を取れと罵られるのも分かっていた。だから、先に言っておきたかったのだ。

仮に戦王を斃しても、後剣聖ともう一人よく分からない女が残っている。

少なくとも剣聖は戦いを挑んで、何らかの戦術で石をぶち当てないと斃せないだろうし。

そして倒した後は、一斉に罵声を浴びせられるだろう。

後何回追放されればいいのだろうか。

わたしは、そう思った。

 

3、堕落の果て

 

荷車ごと、移動を続ける。

旧というべきなのだろうか。クタノーンに入るのはわたしとメリルだけだ。メリルは青ざめている。

あのハーレムとやらの異様な光景。

足が竦んでしまうというのが事実なのだろう。

何らかの理由で性欲が異常に強い人間は、男性女性関係無くいるらしい。それについてはわたしも知っている。

例えばあの海賊女王なんかはそうだっただろう。

だから見た事がない相手、と言う訳でもない。

しかしながら戦王は、その自分の欲求に国全部をつきあわせている。それは良い事とは言えないだろう。

しかも邪魔な男性は全排除。

いずれにしても、そんな輩はどうにかしておかないと。それがもしずっと生きでもしたら、確かに非常に危険だとしか言わざるを得ない。

メリルをつきあわせるのはちょっと悪い。

ただ、金の台座に乗せている白い石は、そもそも扱いが極めて危険なものなのだ。わたし一人だけではなく、補助がついていた方が良い。

他にも誰か子供がいれば話は別だったのだろうが。

トリステは聖女に殺されてしまった。

だから、この子に任せるしかない。

移動は日中にやるしかない。

土魔法と風魔法の出力も抑えなければならないから、移動速度も制限される。それでいながら、日差しがきつい。

連日これがきつくなっている気がする。

それでいながら、風は冷たいのだから不可解極まりない。

ともかく、荒野を行く。

殆ど動物は見かけない。

異様な光景なのは、これも同じか。

そもそもあの戦王にいらないものは、男性や食事といったものも含め全排除されているような状態だ。

そう考えると、自分の所有物を脅かすようなものは必要ないのかも知れない。

それで気付く。

捨てられていた女達。

あれは戦王が飽きたのではあるまいか。

だから命も止めて捨てたのか。

だとすると、そのおぞましさはちょっと想像を絶する。

多数の異性を侍らせるのは、それらを養えるならありなのだろう。別に色々な国を見てきたし、それがおかしいとはわたしは思わない。

だが戦王には、その甲斐性などないということだ。

甲斐性がないから、甲斐性がなくても問題ないように国ごと法則を変更して、連日情交にふけっていると。

まあ聖女も似たようなものだったし、いずれも狼藉者はこんな連中ということなのだろうが。

夜間は移動を控える。

戦王に近付けば近付くほど影響は強くなる。メリルも熱っぽくなっているようだ。

まだこんな幼い子でも、戦王は容赦なく強姦して、死ぬまでそれを続けるだろう。

作戦は簡単極まりないが、それでも失敗するわけにはいかない。

軍師どのは言っていた。

複雑な作戦よりも、単純な作戦の方が優れている。

作戦の実施過程で混乱が起きないし、何よりも戦術をこねくりまわした所で、勢いに押し切られる方が多いのだと。

戦いのほとんどは、総合的な戦力を数字で見て、それが勝っている方が勝つ。

ただそれだけだと。

確かに、まだ子供なのに、旧パッナーロを使って二つの大国を弱体化させ、スポリファールにも大きなくさびを打ち込んだ大軍師のいうことだ。

それを信じてみても良いだろう。

そうして、あの不可解な形状をした宮殿に出向く。

到着は夕方少し前。

戦王が起きてくる頃だ。宮殿の近くに拠点を作り、其処に身を潜めて待つ。メリルを見ると、うっとりしたようにして汗を拭っている。

影響を受けている、ということだ。

「静かにしていてください」

「はい……」

メリルは頷くと、渡されている手ぬぐいを噛む。

例のように二人とも裸同然の格好なので、そうするくらいしか凌ぐ手がない。しばらく見ていると。

まるで操られているかのように、ふらふらと女があのハーレムだかに吸い込まれていく。外まで情交の音が聞こえるか、というとそんなこともなく。

しかし次々に壊れた女が外に放り出されていき。それは夜半までに八人、それ以降も更に増えるばかりだった。

最低の輩だな。

そう思ったが、口にはしない。

隣でメリルがぐったりしている。すこしはわたしも心が痛む。

またハーレムやらから一人放り捨てられる。ああやって捨てられた者は殆どそのまま死んでしまうようだが。

死体は腐らず、獣も喰い漁らない。

獣はいないし、そもそも腐ると臭い。腐臭なんて戦王にはいらないというわけだ。

夜明け近くまでに、更に数人が外に放り捨てられた。

放り捨てていく女達は、行動に何かしら感情を見せている様子はない。

戦王は勇者や聖女、剣聖と違って取り巻きを置いていなかったが。ひょっとすると、状態に応じてあれらは順番に取り巻きになっているのかも知れない。

だとすると、上から石を落とせと言われたのは正解だ。

自分に害為す存在は、存在そのものを許さない。

それが戦王が支配したクタノーンの現在の法則だ。

ハーレムの中を歩いて行って、戦王に石を直に落としてはどうかと、アプサラスから提案はあった。

だが、それもこの様子では無理だろう。

最後の一人らしいのが放り出される。

あれはメリルよりさらにだいぶ小さい子供だ。出血の様子からして、子宮が破裂しているかも知れない。

勿論戦王にはどうでもいいのだろう。

無言のまま、機会を窺う。

程なく、気配が急に弱くなった。

よし。行動開始。

戦王が寝たのだ。

まず移動する。大量の死体を避けながら、変な建物に近付き、外壁に貼り付く。メリルも側にいるが、やっぱり相当に辛いようで、ずっと布を噛んでいた。

外壁を土魔法で操作して。金で包んである小石ごと移動する。移動先は、球状の変な屋根の上。

近付く過程で目視している。

戦王は今日も、この平屋のど真ん中で大の字になって真っ裸のまま寝ているようだった。

金はメリルに任せてある。

必死にぎゅっと抱えているが、いつ落としてもおかしくはない。わたしが持つのはちょっとリスクが大きい。

土魔法の制御もある。

何より、戦王を仕留めた後、このハーレムとやらの建物がどう崩れるか、わかったものではないのだ。

よし、かなり高い所まで出た。それなりに高さはある。中身がスカスカで、どうしてこんな形状にしたのは分からないが。

穴を土魔法で開けて、下を確認。

ぐっすり寝ていやがる。日が差さないように工夫して、何回か穴を開けつつ移動。戦王の真上に移動する。

気付かれたら終わりだ。

恐らく戦王は名前と裏腹に戦闘技能そのものは一切持っていないとみて良い。奴が出来るのは、排除だけ。

その排除も、奴の領域の外縁ですら、吹っ飛ばされるほどの破壊力なのだ。

此処でわたし達を排除しよう何て戦王が思考した瞬間、聖女に殺されたトリステみたいに、挽肉も残らないだろう。

相手の直上を計算する方法も教わっている。

よし、ここでいい。

直上だと流石に日が差し込むので、それで戦王が気付く可能性がある。

昨晩夕方から夜明けまで、思う存分性欲を発散して。戦王はだらしなく寝ているが。それを誰も害そうとしていない。

周りに侍っている女は、まるで人形同然に立ち尽くしている。

此処から離れた集落の人間はまだ喋るくらいの事は出来たようだが。ここに入ってしまうと、戦王の能力もあってもう完全に性欲発散用の肉人形と化してしまうのだろう。酷い、話なんだろうな。

少なくともわたしが殺して来た賊なんかよりも、更に酷い。

賊共も精神性は同じだったと思う。

此奴の場合は、賊と同じ精神性で、奴らが妄想しかできなかった事を実現できてしまうという事が著しくまずい。

そういうものなのだ。

よし、大丈夫だ。直上を取った。

メリルが限界近い。側に抱き寄せると、金で包んだ石を受け取る。この金も、かなり限界が近い。

特に人間が金に触っていると、どういう理屈か腐食が進む速度が上がるようなのだ。これは聖女を斃すときに、わたしも金を土魔法で操作していたから、分かっている。

よし、メリルに言う。

掴まっていて、と。

そしてわたしは、金で包んでいた石の。下の部分の金を排除する。元々魔法は一切受けつけないのだ。

そのまま、すっと音もなく、白い石は落ちていった。

戦王が目を開ける。

にやっと笑っていた。

気付いていたぞ愚か者。

そう言っているかのようだ。そして、落ちてくる石を、そのまま掴もうとしていた。わたしに、嫌な臭いが吹き付けてくる。一瞬で本来だったら、思考能力すら奪い去る程の強烈なものだったのだろう。

事実、メリルが明らかに脱力するのが分かった。

だが。戦王は嗤いながら、白い石を掴んだ。

それで終わりだ。

石は戦王の手を砕きながら、体にそのままめり込む。戦王はそれでも嗤っていた。勇者のように、無敵回復も備えているのだろう。

確かに半日以上、情交を続けられるのだ。しかも食事も一切せずに。だったら、体力も無限なのかも知れない。

その最高の能力を持っているという油断が。

戦王を終わらせた。

体に大穴が空いた戦王は、塩になって崩れて行く。

最初、にやついていた戦王は、筋肉質の体が見る間に崩れて行き。それを見て、目を見開いて絶叫した。

「な、何をした、何をしたああああっ!」

恐らく、わたし達を「自分の世界」から放り出そうと全力で力を出そうとしたのだろう。だが崩れゆく戦王は、既にその力もなかった。

バラバラになっていく体が、醜く膨らんでいく。

顔もどちらかというと野性味がある精悍な男だったのが、すぐに崩れていった。

頭が爆ぜ割れる。

それを見て、メリルがひっとちいさな悲鳴を上げていた。そして、ハーレムとやらが倒壊し始める。

魔法。使える。

全力で風魔法展開。

何より石が深く沈むと回収が大変だ。崩壊していくハーレムとやらを、外側に吹き飛ばして、粉々に。

わたしは着地すると、そこらに散らばっている大量の裸の女体が、全て腐っていくのを横目に。

荷車に走っていた。

何度も吐き戻しているメリルに羽織を被せると、わたしは持って来ていた金の塊を操作。そのまま、土魔法を使って、沈み込んでいる白い石を回収に入る。本当に地面に際限なく潜って行くな。

三度もこれで狼藉者を仕留めたが、それでも分からない。これはなんなのだろう。

これまでに三人の狼藉者を斃したこの石は、誰が触っても無事ではすまない。あれほどの最強の存在が触って、それでひとたまりもなかったのだ。

必死に掘り返して、やっと追いつく。それで、金で白い石を包んで。

一瞬だけ、触れた。

ばちんと、激しい衝撃があった。不注意だった。あ、これは死んだなと思ったけれども。

なんだろう。

体に激しい痛みは走ったけれど、全身に崩壊が波及していくような事はない。それどころか、なんだこれは。

見えるのは、真っ暗な世界。

所々に光が浮かんでいて、そんな中を飛んでいくのは、よく分からない。建物だろうか。船だろうか。

一瞬だけ見えたそれが、何なのかは一切理解出来なかった。

ともかく。一瞬だけ触れてしまった指先は、赤く腫れていたが。動かせないほどではない。

触ってしまったことは、素直に軍師どのに話そう。

そうわたしは思った。

 

石を荷車に積み直す。

体が崩壊するようなこともなく、痛みも治まっていた。

メリルは何度も吐いて、腹の中にあったもの全部を出し切ってしまった。

わたしは平気だ。

アンゼルと一緒に数限りなく賊を始末してきたのだ。

このくらいの死と殺戮、目の前にするのは幾度めかすら覚えていない。直に手に掛けた訳ではないとはいえ、わたしが魔法で殺した人数なんて、このハーレムとかいう場所で死んだ人数なんか比べものにならないだろうし。

酷い臭いについても、既に風魔法で遮断している。

それにしても、これは死臭だけではないな。情交の臭いを、そのまま腐敗させたものだ。この国はしばらくの間、ずっとこんな臭いが漂い続けているのだろう。

メリルに粥を食べさせて、まずは体力をつけさせる。

わたしは干し肉をそのままかじる。

体力は落ちていない。

魔力を消耗したから補給する。いつもと同じ事をするだけである。そして改めて確認するが、死体は比較的マシなものでも腐り始めていて。つまり戦王とやらは、死体を動かして情交にふけっていたとみて良いだろう。

世界の法則を書き換えるというのは。

これほど無茶苦茶だということだ。

本人がそれをどれくらい理解していたのかは、よく分からない。

ただはっきりしているのは。

恐らくクタノーンは終わりだ。

生きている人間は、いないと見て良さそうだ。

スポリファールやハルメンよりも更に世界の法則をねじ曲げていた。住んでいた人間に、それだけ無茶な負荷が掛かった。

性欲だけが最優先され、食事すらしない世界。

それでは、その無理が途切れた瞬間、こうなるのは当然だったのかも知れない。

そしてもし戦王が、他の狼藉者がいなくなった地域に支配の手でも伸ばそうものなら。

世界中が死人の野になりはてていただろう。

まだ被害を抑えられたと考えるべきか。

それにしても、この狼藉者達は本当にどこから来たのだろう。

転生神とやらが送り込んできているのか。それともグンリで聞いたように、それを騙る悪魔とやらが送り込んできているのか。

いずれにしても、全て始末しないとダメだろう。

数百年後はどうなるか分からないが。

出現し次第、見敵必殺の覚悟で対応しなければいけないはずだ。

ともかく、服を着直す。

メリルも、くすんくすんと泣きながら、持って来ていた自分の服を着直していた。

わたしは反吐を吐きたくなったが我慢する。

そして、帰路についた。

移動魔法にあわせて、風魔法での臭い防御を働かせながら行く。

そうしないと、流石に不快感が凄まじかったからだ。

クタノーンの各地を帰路に見て回るが、予想通り生存者の姿は見受けられない。

また、死体はどれも十代から二十代後半くらいまでの女性中心で全て固定されているようだ。それより多少上下はするようだが。それでもあまりそれらの年齢から離れた人間の死体はない。

この様子だと、戦王は自分にとって不要な存在は、顕現と同時に全て消し飛ばしてしまったのだろう。

男も赤子も老人も。

そして残った女は自分好みの容姿に改造し。

全裸同然の格好にし。

自分に都合がいい性欲発散用の肉人形へと変えた、というわけだ。

とにかく急ぐ。

メリルはずっと帰路泣いていたが、それを責める気にはなれなかった。戦王はこんな子まで汚い牙に掛けようとしていたようだから。それにメリルは気付いていたのだろう。

程なくして、国境に出る。

無事に戻って来たのを見て、アプサラスが嘆息する。

国境を越えるが、その時違和感みたいなのはなかった。

つまり、戦王の領域は消えてなくなったということだ。

あの不愉快な臭いは、残り香みたいなもので。

いずれ消えていくのだろう。

「良く戻った。 今度は二人とも無事だったのだな」

「わたし達は。 この国の民は全滅してしまったでしょうね」

「そうか。 戦王が倒れたことは良かったが、それは特大の悲報だな」

体を洗うように言われたので、頷く。

ストレルの姿がない。

作った拠点の奧には湯浴み場もある。其処で体を念入りに水魔法で綺麗にして、嫌な臭いを落としてから。

ストレルがいないことを念入りに確認して聞くと。

軍師どのが俯いていた。

「ストレル一佐は、目を離した隙にクタノーンに入り込んでしまって……」

「!」

「入り込んだ瞬間に、明らかに発狂して、奧へと走りだしてしまいました。 好きだっただろう人物の名を叫んで、次の瞬間全身が破裂して……」

「自分以外の男の名を口にするなんて、許さないと言う訳だ。 どこまで醜い思想の持ち主だったのだろうな戦王は」

クラウスが、明かな怒りを口に含ませながら言う。

そうか、犠牲なしには斃せなかったか。

精神を病みかけていたストレルだ。このまま衰弱して死んでしまった可能性もあった。

最後の瞬間、せめていい夢でも見られたのだろうか。

それはわたしには分からない。

少なくとも、あの戦王の領域が世界中に広がっていたら、全てが終わりだったことは良く理解出来た。

メリルの体も、水魔法で隅々まで洗っておく。

その後、軍師殿にあの石に一瞬だけ触れたかも知れないと告げて、クラウスに診てもらう。

医療魔法の使い手としては、クラウスの方が格上だ。

クラウスはあらゆる診療の魔法をわたしとメリルに掛けていたが。

やがて、嘆息していた。

「幸いなことに無事だ。 孕んでいるようなこともない」

「孕む?」

「あんな空間だ。 いるだけで孕んでいてもおかしくないだろう」

「ああ、なるほど。 子供なんてどうでもいいですが、確かにあの戦王の子を孕むなんて冗談じゃありませんね」

今更ながら気付いた。

メリルはそれを聞くと、またひっと声を上げていた。

わたしの異常性もそうだが。

メリルからして化け物にしか見えなかっただろうあの戦王の、しかも子を孕むという事の意味が理解出来ているのかもしれなかった。

いい加減泣き止めということもできまい。

下手をするとメリルは心を壊す。

わたしみたいに。

せめてストレルがまともなままで、それで生きていてくれれば話は別だったのだろうが。

アプサラスが、メリルを抱きしめて。ぐっと頭を抑える。

沈痛な表情だ。

冷静な司令官だろうに。

「作戦を立てたのはリョウメイ軍師だが、作戦の許可を出したのは私だ。 怖い思いをさせたな。 すまない」

「……」

ずっと胸の内で泣いているメリルに、随分とアプサラスは優しいな。

わたしはそれから、軍師殿に聴取された。

そしてその後、クラウスとアルテミスが、クタノーンの様子を見に行く。帰路生存者がいないことは確認していたが。

やはり、二人が見て回っても、生存者は確認できないようだった。

消耗がひどいので、二日ほど時間をおく。その間、メリルはずっとつらそうにしていて。アプサラスが側に出来るだけついていた。

わたしは恐らくメリルの力にはなってやれない。

だから、その行動を見ている事しかできなかった。

その間、グンリ領に偵察に出ていたカルキーが戻ってくる。カルキーは青ざめていた。

「副騎士団長!」

「もうその呼び名は止せ。 それで何が起きた」

「大変です。 懸念していた事が起き始めています」

「!」

カルキーは言う。

剣聖の領域が、グンリ方面へと広がっていると。剣聖が世直しと称して、弟子とか言う女を引き連れて、グンリに入ったのを確認したと。そして剣聖が足を踏み入れた領域では、奴の思うように悪人が現れ。

剣聖が楽しむためだけに斬られたのだと。

「最初に奴らの領域が決まったとして、それがずっと固定では無いかも知れないという軍師どのの仮説があたったな。 そうなると剣聖と、後はカヨコンクムにいる女も警戒度を上げなければならん。 剣聖は行く先の人間を片っ端から楽しみの道具として消費しかねない。 もう一人の女も、幼児以外は皆殺しにしているか、或いはもとの人間を幼児にしているとみていい。 性格を歪めた上でな。 どちらも長く存在させると、この世界が破綻しかねない」

「しかも剣聖はグンリに足を伸ばしていると言う事は……アイーシャさんの報告にあった境界に近付こうと、一向に気にしていないと言う事を意味しています。 比較的人間が残っているグンリとドラダンが潰されたら、この世界の復興は文字通り絶望的になるでしょうね」

「まずいぞ……」

アプサラスが呻く。

アルテミスとクラウスが戻って来た。

二人で辺境を中心にクタノーンを見てきたようだが、やはり生存者は絶望的だということだった。

それで、この凶報である。

既に開放したスポリファールの旧パッナーロ領にも、剣聖は足を伸ばしてくるかもしれない。

そうなったら、破滅が更に拡大する事だろう。

アプサラスが咳払い。

「戦略を前倒しにする。 出来るだけ急いで剣聖を斃す。 ただ問題がある」

アプサラスは皆を見回す。

わたしが戦王を斃しに出向いている間、剣聖に関しての偵察をアルテミスが進めていたらしい。

それで分かってきた事があるのだが。

剣聖は攻撃を回避するのだとか。

それは、極めてまずい。

今までの連中は、自分を曲解した能力に起因する無敵防御で守っていたし。無敵再生で何されても平気と考えている節があった。

剣聖はどうやら相手にある程度攻撃させて、それを回避して見せて、力の差を見せつけてたのしんでいる節がある。

勿論当たっても平気だと思っているのだろうが。

回避を積極的にしている、というのだ。

「かなり距離をおいて観察していても、剣聖は私に気付いていました。 あれはどう考えても、石を不意打ちで当てるのは無理でしょうね」

「それは……まずいな」

「弟子と称する女も、いずれも私では手が出ない実力者です。 過剰武力を持ち、それを使って遊んでいる。 それが剣聖です。 他と違うのは、相手に反撃をわざとさせて、弄んでいると言う事です」

非常にまずいな。

例えば聖女がそうだったが、瞬きする時間で判断し、その間に加速して接近したトリステを殺戮した。

勇者だってそれは当然出来ただろうし。

戦王も寝ている状態から、念入りに気配を消して行動していたわたしに気付いていた。

つまり剣聖は、素の実力はともかくとして、石を当てるという観点では、どうしようもないと言う事だ。

避ける事を前提としているのだとすると、どうすればいい。

しかも奴は弟子と称する女を侍らせていて、それ以外の人間を近づける気配がないということだ。

世直しごっこをしていても、人間そのものが嫌いとみていい。

人間がきらいなのはわたしも同じだが。

それにしても今までのと違ってつけいる隙がない。

挙手するクラウス。

「もう一人の女のほうから斃すべきではないだろうか」

「軍師殿、どうする」

「いえ、もう一人の女性は、偵察した限り暴虐を振るってはいないようです。 他の狼藉者とは、やりたいことが違うのかも知れません。 剣聖の方が危険度は段違いに上とみて良いでしょう。 先にどうにかしないといけないのは、剣聖です」

グンリにまで足を踏み入れたのだ。

ドラダンだって蹂躙しに行くだろうし。

更には、スポリファールにも入り込む可能性がある。

ただでさえ滅茶苦茶にされた所にもう一度来られたら、それこそ再起の芽は摘まれてしまうことになる。

それだけは、許してはならないのだ。

軍師殿がいう。

「アルテミスさん、剣聖を相手にどれくらい戦えますか」

「一秒もたないとおもいます」

「……弟子達の場合は」

「三秒もたないでしょうね」

ぼへえと、いつものしまらない笑み。

アルテミスはもう完全に体も治っている。だが、それでも。世界最強の騎士がそうまでいうほどの相手だ。

軍師殿は必死に考えているようだが。

これは難題だろうなと、端から見ていてわたしは同情するのだった。

 

4、異常な世界の裏

 

指先に触れたあの白い石。

数日はなんの影響もなかったのだが。だが今は妙な夢を見るようになって来ていた。

あの境界の向こうの世界みたいな場所に、光り輝く何かが降り立つ。そこから現れたのは、同じように光り輝く存在だ。人型に近いが、全部光っていてよく分からない。

それらは、まったく分からない音を発している。

或いは、聞いたことがない言葉かもしれない。

だが、不意にその意味が理解出来る。

「ひどい有様だ。 我々は銀河連邦条約で介入できないとは言え、このような致命的な核融合兵器による文明の破滅をただ見ている事しか許されないとは」

「ぼやくな。 宇宙まで進出出来る種族は、知的生命体全体の2%にも達しないんだ。 この文明は良くやれた方さ。 部分的には宇宙に出られたんだからな」

「我々がやるのは文明の保全だ。 例の装置を使って、環境を再生させろ。 環境を再生させた後は、此処は保護区にする。 見た感じ恒星はかなり安定しているし、恐らくはこの星の50億周期先くらいまで爆発はしないだろう。 その前くらいには、生命の記録を脱出させれば問題あるまい」

「ではそのように。 この文明が発達したかどうなるかのシミュレーションもさせておきましょう」

光るなんかよく分からないものが、まったく分からない会話をしている。

やがて目が覚めた。

こんな夢を何回もみた。

わたしは学がないから、これがなんなのかはまるで分からない。そもそも、何を喋っているかまるで理解出来なかった。

ともかく、変な夢をみた。

それだけだ。

起きだすと、ずっと汗を掻いて寝苦しそうなメリルを起こす。

メリルは起きると、こくりと頷いて、顔を洗いにいった。拠点に作ってある水場では、洗面も出来る。

起きだすと、外でカルキーとアプサラスが話している。

「アルテミスの話によると、剣聖は領域の隅々まで把握しているようです。 非常に用心深いとみて良いでしょう。 特に敵意は即座に察するようでして」

「恐らく我々のことは知った上で泳がせていると見て良さそうだな。 友好的なフリをして近付いて石を握らせることも出来ないという訳か」

「残念ながら……」

「厄介極まりない。 憶病というのは意外に優秀な性格だ。 他の狼藉者よりも、一段格上なのかもしれないな。 絶対に自分が斃されないような工夫を、更に一枚上手に組んでいる印象だ」

アプサラスが此方に気付く。

わたしに対して、それほど友好的には見えないアプサラスだが。

それでも、わたしに辛く当たることはない。

「うなされていたが、戦王との死闘でも夢に見たのか」

「いえ、全く理解出来ない夢でした。 何回か同じ夢を見たし、軍師殿に内容は説明したんですが、なにぶんわたしでは理解出来ない単語が多数出てくるもので」

「そうか。 いずれにしてもあんな空間に出向いたんだ。 幼い頃に色々不具合が体に起きたとは言え、今後何か悪影響が出てもおかしくない。 剣聖との戦いまでに、万全に調整してくれ」

「はあ、わかりました」

まあ、それでいいか。

わたしも魔力を練ると、アルテミスと組んで様子を見に行く。

剣聖の領域は比較的危険度が低いが、それは奴と離れて行動している分にはだ。

剣聖が気分次第で行く所、剣聖にとって都合がいい悪人が生じ。悪人とされたら、絶対に剣聖からは逃れられない。

従えている肉人形の実力も、アルテミスでさえどうにもできないレベルだ。

しかも用心深い。

投石で斃すみたいな戦術は通用しないだろう。

あれは一度見られたら終わりだ。

相手が遊んでいる状態ですら、世界最強の人間が手も足も出無いのである。もし本気で掛かって来たら、それこそ何も認識すらできずに殺される。

そういう相手なのである。

ストレルが命を落としたことで、此方は更に手札を失っている。もうこれ以上戦力を失う訳にはいかないだろう。

「剣聖です」

「良く気付きますね」

「まあ。 仕事ですので」

アルテミスが指定した距離は、それこそわたしの移動魔法でも数刻は掛かる。その先から気付くのだから、凄まじい。

勿論向こうも気付いているだろう。

拡大視の魔法を使って、剣聖を見るが。

露骨に視線があったので、おうとぼやいてしまう。

いつでも仕掛けて来い。

にやつきながら、そう笑っているような雰囲気だ。

それでいて回避をまず考える奴である。さてあいつに、どう石をぶち当てたものか。

出来るだけ、もう石には触るな。

そうわたしは言われている。

だが、やるしかないかもしれない。

剣聖を斃しても、まだもう一人いるのだ。

剣聖との戦いは、今まででももっとも厳しいものになる。かなり正面からやりあった聖女も、あれは油断していた。

今回の相手は、自分の防御力を知っているし、それでいながら回避を主体にしている。動きを止めるような魔法も、あらかた通じないだろう。

「私の固有魔法、必中なんですよ」

不意にアルテミスが言う。

そう言われると、確かに分かる。

あのアンゼルが、隕石みたいなのろのろした魔法に巻き込まれているのを見た。アルテミスの固有魔法が、必中を誘発するのであれば、それも納得が行く。

だが、そのアルテミスでも。

勇者には攻撃を擦らせる事さえ出来なかったという。

「魔法そのものが通じないんですあれらには。 隕石の魔法を飽和攻撃しても、まったく無意味でしょうね」

「軍師殿は策を出せるんでしょうか」

「さあ。 ただ剣聖が油断しているのは事実です。 此方に気付いていながら、殺しにもこないのがその理由です」

わたしは拡大視の魔法で、弟子だという連中を見る。

どれも若い女だ。髪の毛の色がどれも変だが、どれもこれも異常に容姿が整っている。

剣聖が中年の男性で、それでいながらやたらと顔が整っていて、それでいながら「くたびれている」風を装っていることを考えると。

なんだかこれも、戦王ほど酷くはないにしても。

暗い願望が透けて見えてしまう。

何しろ、時々弟子が剣聖にくっついて話しているのだ。

確か見分け方として、腰を相手の体につけているかどうかで分かるとかいう話があったか。

それで肉体関係があるかどうかが分かるらしい。

それに沿うなら、あの剣聖は弟子とやらに全部手を出していると言う事で。

その辺は勇者や聖女と同じか。

自分に都合がいい肉人形を生やしている、という観点で。

「一度戻ります」

「これで良いんですか」

「あまりしつこく監視していると、気分を変えてこっちに来るかも知れません。 この程度の距離は、瞬く間に詰めてくるでしょうね」

「……分かりました」

一度戻る。

今は白い例の石もない。

もし接敵したら、億が一も生き残れない。

あれがあっても、そもそも策がなければ絶対に勝てない。

それは、遠くから確認してよく分かった。

拠点に戻ると、カルキーが厳しい表情で戻って来た所だった。

クタノーン領で、死んだ民の墓を作っていたらしい。あまりにも酷すぎる有様なので、見かねての事だそうだ。

手を険しい顔でずっと洗っている。

衛生面から考えて、そうしなければならないのだ。

しかし死体を侮辱しているようにも思う。

だから表情が厳しいのだろう。

「今までもそういうことをしていたんですか」

「出来る範囲でですが」

「そうですか」

悪いが、わたしには無駄にしか見えない。わたしはそういう人間だ。

アルテミスは何か言いたそうにするが、拠点に戻る。

メリルが戻って来たわたしに、お帰りなさいという。

わたしは頷きだけすると、一旦食事にすることにした。

やはり致命的に噛み合っていないな。

わたしは単に生きていたいだけだ。

今世界を荒らしている狼藉者達ほどではないにしても、結局は自分が優先という点では同じ。

そういう観点では、この人等とは悪い意味で違っている。

嘆息するわたしを見て、メリルがびくりと震える。

最近はアルテミスがメリルを甘やかしているから、そっちの方にいることも多い。もしそれで、メリルがまともな大人に育てるのなら、それでいいだろう。

わたしはもう手遅れだ。

次の剣聖との戦い。

今までにない被害が出る筈だ。

それでも、わたしは多分涙一つ流れないだろうな。

それは確信としてあるのだった。

 

(続)