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因縁を越えて共闘へ
序、始まる混沌
ハルメンの領内を移動するだけでも、異常さが良く分かった。
死体の山になっていた彼方此方の集落が、何事もなかったかのように静かになっている。
それだけではない。
森などにはゴブリンやオークの……世界が変わってしまった後の姿の奴らが彷徨いているのに。
兵士達が騒ぐこともなく。
それらが女子供を襲ったり食ったりしているのに、まるで平常時のように村が動いている。
何よりも、見かねてゴブリンだのオークだのを……前のより遙かに楽なので、全部片付けて被害者を助けていくと。
前みたいに発狂して襲いかかってくる事もなく。
普通に礼を言われたが、それだけだ。
医療もまともに出来ているとは思えない。
それで死人も出ているようなのに、それで何かしらアクションを起こしているようにも見えなかった。
わたしから見ても違和感がそれだけある。
集落に入っても平気と判断したので、クラウスと軍師殿が入って、驚愕したようだった。
「技術がちぐはぐすぎる!」
「確かに家屋などは異様に技術が進んでいるように見える。 それに対して衛生観念はどうなっている。 下水は上水は」
「貨幣も違うのが使われていますね」
わたしが、ゴブリンとオークの混成の群れを潰して、感謝としてもらった金を見せる。どうも銀で作っている貨幣らしいが、前に触っていたスポリファールの金貨やカヨコンクムの貨幣に比べて、あまりにもちゃっちい。
これでは偽造する奴が簡単に出てきそうだ。
民が着ている服も綺麗すぎる。
田舎に行く程こういう服は露骨に雑なものとなっていくのが普通だ。スポリファールですらそうだった。
今集落を行き交っている民が着ている服は、素材がよく分からない。ただいずれにしても、前は明らかに都会で着ている人間も富豪とか貴族とか。そういうレベルの服を、誰もが着ているようだった。
だがそれで豊かというとそうでもなさそうである。
医療なんかは魔法だよりで適当そのもの。
薬なんかも、その辺の薬草だよりのようだ。
見かねたので、ゴブリンに襲われて死にかけていた人間をわたしが回復魔法で治療して見せると、まるで聖女のようだと言われて閉口した。
あの光で全部なんかおかしくなる前は、特に回復魔法なんてわたしより上の人間は幾らでもいた。
回復魔法使いの頂点にいるような人間は、欠損した手足を復元することすら出来たという話である。
それがこんなショボい回復魔法で人外扱いか。
嬉しくはない。
少なくとも、なんだか馬鹿にされた気分になってくる。
買い物に出ていたクラウスが戻ってくる。
買ってきたのは食材で、これは助かると思ったが。クラウスが呆れていた。
「商人のくせに四則演算も出来ていない」
「あり得ないですね。 どんな田舎でも教育施設はあって、特に商人や上級軍人志望になると相場や曲線の解析の為などに場合によっては微分積分まで学びます。 隣に貴方方の国があるから、そうやって国の底力を上げていたんです」
「この様子だと、我が国の民もこんな状況か?」
「可能性は高そうですね」
わたしも報告する。
宿を借りたので、そこの台所を借りて、死んだ目でストレルが料理を始めている。横目でそれを見ながら、幾つか話をしておく。
聖女やら勇者やら。
以前だったら忌み名も同然だったそれらが、当たり前のように受け入れられている。
事実この間「追放される」のをうきうきで楽しんでいた聖女の事は、この辺りでは同情の的のようだ。
首都がいきなり寂れたことについては、誰も気にしてもいないようだし。
それどころか影響すら受けていないように思える。
「バカ王子が聖女様を追いかけていって、土下座までしたらしい。 それを聖女様が足蹴にしたそうだ」
「本当か。 流石だな」
そんな話が聞こえる。
軍師どのが頭を振っていた。
「あり得ません。 本来だったら不敬罪で最悪死刑です。 ウチの国の王族は民に対しては比較的距離が近かったのですが、それでも度を超した行動に関しては相応の処置が降りました」
「我が国も心配だな」
「あの王都が寂れた様子、明らかにおかしくありませんでした?」
「そうですね。 まるで何もかもが影響下にあったかのような」
そもそも聖女とは何か。
わたしは風魔法で情報を収集しているのだが、どうにもそれが分からないのだ。
どうも宗教的な信仰の対象となるような存在という声も聞かれるのだけれども。そもそもハルメンでは信仰なんてなかったはずだ。
グンリとかドラダンとかだと転生神やら巨人やらを信仰していたようだが。その信仰についても不可解な事だらけだ。
そもそも信仰が国で力を持っている場合、それはどうなるか。わたしはドラダンで見ている。
人食いの巨人に対して絶対的な忠誠を誓っていて。巨人を殺したわたしを、師団規模の戦力で追ってきていた。
あれが信仰だ。
聖女といわれるような生きたまま信仰対象になるような人間と結婚。
その時点で色々あり得ないような気がする。勿論婚約だってあり得ないだろう。それに対して、婚約破棄。
それこそ即座に暴動が起きかねない。
わたしの知っているあの腐れ伯爵くらいのアホだったら、そういうことをやりかねないかも知れないが。
そもそもいなくなったらいきなり首都が寂れるとは、いったいどういうことなのか。
それこそ神の代行人か何かみたいなものだろうし。
結婚も婚約破棄も絶対にあり得ない。
軍師殿が頷く。
「仮にそんな存在の婚約者だとすると、次の世継ぎになる第一王子が必須になるでしょうね。 それとも王本人で、それも正室にしなければならないでしょう。 それでさえ大きな反発が起きるでしょう」
「とにかく、安全な内に我が国も確認したい。 出来るだけ急いでくれるだろうか」
「わかりました。 とりあえず……」
ストレルが食事を運んでくる。
すっかり目が死んでいる。
もう料理以外に出来る事がない。そんな表情だ。ゴブリンもオークも、潰しているときに戦闘に参加さえしてくれなかった。
本当に折れてしまったんだな。
それが分かる。
とにかく食べて、魔力を補給する。後は荷車に積んでいる、例の切り札がどこまで使えるかが分からない。
そもそもどう使えばいいのか。
食事を終えた後、土魔法と風魔法で移動する。
まずはスポリファールまで戻る。その後はどうするべきか、ちょっとわたしには分からなかった。
スポリファールの国境は、滅茶苦茶になっていたのだが。それが何事もなかったかのように修復されていた。
そしてわたしが作った拠点も、そのままにされていた。
中身が荒らされている様子もない。
本当に何が起きているのか。
スポリファールの国境都市も、相変わらずの有様だ。人が幾らでも入れるようになっている。
歩哨は何をしているのか。
一応列強を見てきたわたしだ。クタノーンだけは行っていなかったが。
ただクタノーンは伝聞を聞く限りカヨコンクムと大して変わりが無いはず。だとすれば、一番しっかりしている大国がスポリファールだろうに。
この有様は、思わず絶句してしまう。
内部は魔法使いが多いが、なんだあれ。
犬やら猫やらの尻尾が生えていたり、顔が犬だったり、頭に猫や犬やらの耳が生えていたりするのがいる。
度肝を抜かれているストレル。
わたしは頼まれて、風魔法で情報を収集する。
この国の国家元首は確か有能な人材を選出する仕組みになっていた筈で、確かその内アルテミスが元首になるのではないかという噂があった。
だが、話を聞く限り、大統領がとか。
大統領になるのは高貴な血統の誰々がとか。そういう話がされている。
スポリファールに最初に入った時に、魔法の教育を受けた。
優れた魔法使いの子が優れた魔法使いになる事は殆ど無い。魔法の才能は遺伝しない。理由は分からない。
そういう話を聞かされていた。
だが掌を返したように、血統が云々の話がされている。
それだけじゃない。
「勇者様が賊を退治して回っているらしいぞ」
「素晴らしい活躍だな!」
「それだけじゃないぞ! 今度狙っているのは魔王……確かアルテミスとかいう騎士崩れらしい。 手下を集めて勇者様の治世を否定して回っているとか。 勇者様こそ、代々血を受け継いだこの国の誇りであるのにな」
思わずひっくり返るような話がされている。
血統主義を否定していたスポリファールで、血統主義。しかも代々続いている勇者の家系。勇者の血筋。
なんだそれ。
いくら何でも、国が変わりすぎだろう。
しかもこの様子では、勇者が次の元首になりかねない。そいつがどんな奴なのか、まったく分からないが。
わっと喚声が上がる。
勇者が「アルテミスとか言う魔王」を捕らえてきた、というのだ。
そうか。アルテミスでも勝てないか。分かってはいたが、思わず無言になる。アルテミスは間近で見たが、あれは勝てる勝てないの相手ではない。それをあっさり。やはり次元違いの相手とみて良いのだろう。
その時軍師殿が、呻いていた。
「分かりました、まだ二例だけですが、これもしかすると法則があります」
「どういうことだ」
「以前の混沌の時代、現れた狼藉者は、自分の能力をひけらかしてエゴを満たすだけで満足していました。 今度の狼藉者は、自分に世界をあわせています。 世界が優遇していた点では同じですが、もはや世界そのものが狼藉者にあわせて変えられているんです」
ハルメンでは、人間が揃ってバカになっていたし。
何よりも王家の構成が、あの聖女にあわせて変えられたりしていた。それどころか、あの聖女の取り巻きが生えてきていた。
連中の不自然な動きからして、あれは聖女の作り出した存在だとみて良い。
スポリファールでは、国の誇りに等しかった騎士アルテミスが魔王……多分賊の親玉くらいの意味だろうが、そういう存在呼ばわりされている有様だ。
これは勇者という存在には邪魔だからだろう。
殺すだけではなく、貶める必要があったのだ。
それに民全てが迎合している。
此処まで都合が良い状況はあるだろうか。
後は勇者は名声の限りを独占できると言う訳なのだから。
「他の国も様子を見てみないと断言は出来ません。 しかし可能性は上がっていると思います」
「最悪だ。 しかも連中は飽きたら塵になる可能性も高いのだろう。 以前の混沌の時代のように。 その後、都合良く弄くられた世界はどうなるのか」
「……それもありますが、それ以上に問題があるかも知れません。 塵になるまでの時間が伸びるかも知れません」
軍師殿は言う。
ここまで膳立てされている状態だ。
以前は周囲が全てあわせているわけではなかった。スポリファールに君臨した前の勇者は、女という女を洗脳して滅茶苦茶にして。好き放題に食い荒らした挙げ句、妊娠したら捨てるような事をしていた。それに対する怨嗟と憎しみの記録が残っている。楽しかったのは勇者だけだった、ということだ。
だが今回は、わたし達みたいに光を浴びなかった存在は。多分だけれども、狼藉者に都合が良い存在に改変されている。
実際あれだけ法治主義で堅苦しかったスポリファールが、完全に骨抜きにされている。
そしてクラウスが言っていたように。仮に勇者を斃した場合、勇者に都合が良く再設計された世界はどうなるのか。
光が浴びせられる前は、死体が歩き回り、あらゆる人間が肥大化したエゴを振り回して殺し合う地獄絵図だったのだ。
もしああなったら、世界は文字通り終わりだ。
人間なんてろくに生き残る事だって出来ないだろう。
とにかく、人混みに紛れて様子を窺う。
勇者とやらが来る。
乗っているのは馬か。馬鎧を過剰につけていて、馬が歩きにくそうである。そして勇者自身はなんだか非実用的な鎧をごてごて着込んでいる男だ。あの聖女みたいに異常に整った顔をしていて、銀髪かあれは。その銀髪をやたらと伸ばしている。腰に差している大げさな剣。
時々にやつきながら、異常な民草の喚声を浴びて、手を上げたりしている。
「前の時代の勇者やらはどうやって再現できるのか分からないような髪型をしていたことが多かったようですが……雰囲気が違いますね」
「あれがあの男の美学なのだろう」
「勇者の後ろで捕まっています。 アルテミスですね」
見た事があるわたしが、指摘する。
後ろに牛が引いている荷車がいて、アルテミスが後ろ手に縄を掛けられて。半裸の状態で蹲るようにして乗せられている。
激しい暴行を受けた跡が明白だ。
前見た時は、表情だけはぼへえとしていたが。近付くと凄まじい強さが明白なほどだった。
だが、そのアルテミスですら。勇者には手も足も出無かったという事だ。
体に幾つか出来ている深手も痛々しい。引きずり回して、戦果を見せつけているというわけだ。
世界がまとめておかしくなってから、そう時間は経過していない。
光で世界が滅茶苦茶に再編されてからだって、数日しか経過していない。
アルテミスがあんな有様にされているのを見ると、わたしとしても思うところがある。普通の人間としては文句なく最強の存在だったのに。
それでも世界が贔屓しているとしか思えない相手には、手も足も出ないのか。
一度戻ろうと、軍師どのが言う。
風魔法で情報を集める限り、処刑は三日後らしい。
その間、半裸のまま十字架に晒して、糞便も垂れ流し、水も食糧も与えないのだそうだ。それも吊すのではなく、中腰で立つようにして、負担を更に増やすようにするとか。
残忍な処刑なんて見慣れているが。あの気取った姿の勇者、残忍さでいうとロイヤルネイビーと変わらないではないか。
街の外にある拠点に戻ると、ストレルが涙を拭う。
「もう無理。 みんなあの気取った男に殺されるんだわ」
「ストレル一佐。 一つ、試すべき事があります」
「何よ」
「この中で身体能力が一番高いのは貴方です。 そして、勇者を殺しうる武器が、手元にはあります」
どうせこのままでいたら、滅茶苦茶になった世界に飲み込まれる。
いつまで皆正気でいられるか、分かったものではない。
だいたいあの動物耳が生えたり尻尾が生えたりした人間もどきはなんだ。生物の構造的にあり得るのか。
ああいうのがあり得る世界だったら、どれだけおかしな事が起きても不思議ではないだろう。
「しかしあんな道具をどうつかう。 直に持ったりしたら何が起きるか……」
「はい。 しかし金であれば、腐食はすれど一応持ち出すことが可能です。 そこで」
わたしに視線が向く。
土魔法でこれこれこういうものを作ってくれと言われる。
しかしそれはなんだ。
へらか何かか。
ともかく、軍師殿には考えがあるのだろう。
わたしは、頷く。土魔法で金を加工するのは苦労しない。元々金は操作するのがそれほど難しく無い。
「恐らくそのよく分からない道具は、魔法を一切受けつけません。 魔法どころか、この世界の法則の更に上位にあるものすらもです。 この世界に現れた狼藉者は、数百年前の記録では妙な能力を有していて、それにてあらゆる通常の攻撃や魔法の攻撃をも防ぎ、逆に敵対している相手の防御を何の苦もなく貫いたそうです。 能力についてはそれぞれ適当な説明をつけていましたが、実際にはほぼ全能と言ってしまって構わないでしょう。 アルテミスの有様を見る限り、今回もそれは変わっていません。 だからこそ、こういう明らかにどうでもいい攻撃に見えるものに関しては、油断します」
たった数日しか世界に顕現していなくても。
それでも万能に酔っているだろう。
最強の騎士だろうアルテミスに完勝しているのだ。
確かに油断するだろうし。
避ける必要もないと考えるのは不思議では無い。
更に言うと、それはあらゆる魔法を受けつけず、ついでに変な能力も効かないとみていい。危険性についても、理解は出来ないだろう。
「確かに勝機はあるな」
「ストレル一佐。 後は貴方次第です。 アイーシャさん。 一佐の支援を風魔法でしてあげてください」
「分かりました。 しかし機会は一回だけですが」
「どうせ時間を掛ければ、異物である僕達は気付かれます。 騎士アルテミスは、恐らく何らかの方法であの光を逃れたのだと思います。 そして世界最強だったから、目をつけられたんです」
そうか。
わたし達程度だったら、世界の法則に目をつけられる事さえないということか。
嘆息する。
とにかく、やるしかなさそうである。
結構までの間に、風魔法で人々の会話を探ってくれと言われた。勇者の周囲の人間についてもだ。
そして、クラウスと軍師どのが、何やら作戦会議を始める。
いずれにしても、異物である以上いずれは追い詰められて殺される。
だったら、あがくだけあがくのはしてもいい。
今までだって、ずっとわたしはそうしてきたのだ。
だったら、今回も同じようにやるだけだった。
1、勇者抹殺作戦
情報を集めて戻る。街は夜も喧噪が激しく、適当な警備の中人間が行き交っている。どうやってインフラを維持しているのかよく分からない。
あれだけがっつり回されていた破綻前のスポリファールの頃でも、夜は人間の活動が制限されていたのに。
そんな中、話が集められていた。
あの勇者は奴隷を好むらしく、犬の耳がついた女を奴隷として周囲に侍らせているらしい。それも奴隷は、みんな好きこのんで優先的に奴隷になっているのだとか。
しかも奴隷になっている者達は、異世界から転生してきたと言い張っているという。
よく分からない。
奴隷とほぼ同じ状態だったわたしは、あれがどれだけ悲惨だったか良く知っている。
国によっても色々待遇は違ったらしいが、共通しているのは「道具」で「家畜」ということである。
道具を大事にする人間はいるだろう。
牧畜をしている人間……スポリファールの田舎で結構みたが、そういう人間も。偏屈であっても、飼っている家畜は大事にしているものだ。
だが道具は役に立たなくなったら処分され。
家畜は必要になったら食卓に上がるのだ。
それに好きこのんでなるか普通。
しかもスポリファールでは奴隷制が禁止されていた。これは恐らくだが、混沌の時代に人間を奴隷化して狼藉者共が好き放題をした苦い記憶があったからだろう。人間はエゴを最大限肥大化させると、どこまででも愚かで醜くなる。
その記憶を投げ捨てたかのようである。
しかもそれを平然とやっている勇者を、誰もが大絶賛しているようだ。
確かに軍師どのが言うように、あれは世界が勇者にあわせている。
「それと犬耳の奴隷女とやらを探ろうと思いましたが、あれは無理ですね。 勇者の手下か付属品だと思いますけれど、多分アルテミスより強いです」
「聖女の取り巻きと同じですね。 世界が都合良くお膳立てしているのは環境だけではない。 都合がいい手下も今回の混沌では用意していると言う事なんでしょう」
「厄介ですよ。 下手をするとすぐにでも踏み込んでくるかと」
「分かっています。 アイーシャさん、もう情報収集は充分です。 アルテミスさんの状態は分かりました。 あの人なら、処刑の日まで耐えられるでしょう。 耐えて貰うしかありません」
頷く。
あいつは普通の基準ではどうにもできない化け物だ。
だったら、耐えられるはず。
そう思いたい。
騎士アプサラスも出来ればなんとかこちら側に引き入れたいが。
果たして上手く行くかどうか。生きているかすらも分からないし。
「処刑の日、勇者は確実に見物に出て来ます。 或いは自分で処刑を執行するでしょう。 そこを予定通りにやります」
「無理よ! アルテミスだってあんなに簡単に!」
「それでもやるんです! このまま全員なぶり殺しにされたいですか!? あなたなんて、自由意思を奪われた挙げ句、体が壊れて死ぬまで強姦されかねないですよ!」
ストレルに軍師殿が結構色々問題な発言をして。
咳払いして、視線を背ける。
まあグラマラスなストレルだ。
あの勇者とか言う見栄えだけいいカスがそんな風に考える可能性は高いし。考えればなんの理性も自制も働かず即座に実行するだろう。
その後は、ストレルを叱咤して、わたしが作った道具を練習する。
わたしは風魔法での支援を練習する。
ストレルは泣きながら、何度も無理だ無理だと喚いたが。
その声は風魔法で遮断した。
心が折れると厄介だな。
いや、それはわたしも身を以て経験している筈だ。
わたしは心を作り損ねて、ずっと苦労を続けている。今だって、わたしはまともとはとても言い難い人間である。
幼い頃に心を作り損ねると、それは一生後を引く。
大人になってから心を一度壊すと、こうなるのだろう。
わたしはストレルの精神状態は分からない。
他人なのだから。
だが、壊れた人間が如何に辛いかはよく分かる。実際わたしに対して異物でも見るような視線を向けてくる他人は嫌と言うほどみた。
わたしの友達は、アンゼルだけだったんだな。
それなのに、アンゼルに対しても、今でも友愛とか親愛は抱けていないと思う。どれだけわたしも、業が深いのだろうと思う。
だからこそ、全力での支援はする。
ストレルは訓練を受けた軍人だ。
わたしが作った道具を簡単に使いこなす事ができている。
それは問題がない。
問題は、今の精神状態で、本番をやれるかだ。
やれるだろうか。
ともかく、やってもらうしかない。
わたしは理想的な動きが出来るように、何度も支援をする。弓でも良いのではないのかとクラウスが途中で提案したが、金で矢を作ると恐らく上手く飛ばないし機動のコントロールも出来ないと、軍師殿が一蹴していた。
それに、金だって幾らでもあるわけでもない。
だいたい一発勝負だ。後を考えている余裕はないと言える。
時間は容赦なく過ぎていく。
そして、作戦決行の日が来ていた。
まずは、場所に移動する。
四人の内、実際に活動するのは三人。
そしてわたしとストレル、それにクラウスがそれぞれ二手に分かれる。クラウスは、勇者をわたしとストレルが仕留めた場合、アルテミスを救出する。
そう、わたしとストレルが、勇者を仕留める役。
勿論、わたしもストレルも、し損じたらひとたまりもないだろう。瞬く間に殺されるとみて良い。
ストレルの場合は、殺されるより酷い目にあわされる、だろうか。
実は軍師どのは、わたしも同じような目にあうだろうと言っていたのだが、そういうものかとだけ思った。
まあどうでもいい。
その場合は、もう自我も奪われてしまうだろうし、死ぬまで玩具にされるだけで。玩具にされていることさえ理解出来ないだろうし。
アルテミスは相変わらず中腰の姿勢のままだ。糞便は垂れ流しというか、下着も剥がされていた。
全裸で糞尿を垂れ流しの状態のまま、人目に晒されている。女性騎士に対して随分な行動だ。
敵対する存在にはこうなると示す、か。
勇者というのがどういう意味なのかは今でもよく分かっていないそうだ。だがそれは、ならず者と同じではあるまいか。
アンゼルと散々殺し回った犯罪組織の人間とかは、ゲラゲラ笑いながらこれと似たような事を何のためらいもなくやっていた。そういう事をやっている連中だから、殺す事になんら躊躇もなかったっけ。
まあ、カスはだいたい似たような思考に至るのだろう。
勇者が来る。
確かに何だか不思議な割烹着みたいなフリルがついた服を着た犬耳かなにか頭についている女が数人、それに侍っている。お兄様とか勇者を呼んでいるが、だとすると何か。妹という設定の女を作って、それに手を出しているのか。
僻地の田舎とかだと、近親婚はあるらしい。それはグンリで聞いた。下手をするとすぐにそれで集落そのものがおかしくなるから、血を入れ替えるために人の移動を国策で優先的にやらせていたとマリーンが言っていたっけ。
田舎ですら出来れば避けるべきだと知っている程度の事もしらんのだとすれば。
まあ、これだけ国の人間を自分を絶賛だけする肉人形にして、それで悦に入るのも分かるような気がする。
実は、このまま逃げても良いかと一瞬思った。
アルテミスは死ぬだろうが、その代わりにあれはすぐに飽きる。
敵なんていないんだから、当たり前だ。
犬耳の奴隷女(しかも妹という設定)が好きなようだが、そんなものは幾らでも生やせるようだし。
しかも見かけとか性格とかを増やしたところで、すぐに飽きるだろう。
何でも思い通りにいくと、人はあっというまに飽きるのだ。それは以前、幾つかの実例を見て知っている。
インチキをして最強になっても、すぐに敵なんかいなくなる。目的だってなくなる。
この世界最強だろうアルテミスを一瞬で伸して気分は最高だっただろうか。
いや、違う。
つまらんとしか思わなかっただろう。
すぐになにもかもがつまらなくなる。
一年ともたないだろうなアレは。
どれだけ世界がお膳立てしたとしてもだ。
まあ、それでもやってみる価値はあるか。
城壁の上に出る。
周囲の兵士は始末した。
というか練度が低すぎて、まるで問題にもならなかった。これだと賊の方がまだ手応えがある。弱すぎたので、殺さず気絶させる余裕があったくらいだ。
窒息させて気絶させた兵士を、辺りに転がしておく。
そして、ストレルに促した。
真っ青になっているストレルは、まだ無理だの何だのとぼやいている。
まあ、強いから分かるのだろう。
相手の桁外れの強さが。
桁外れも桁外れ。三つも四つも、下手するともっともっと違う。
逆に言うと、そんな強さがあったとしても、何をするというのか。
「皆聞け」
勇者が何やらほざき出すと、民草が一斉に黙る。
アルテミスはあれは限界っぽいな。
ぐったりしていて、顔を上げる事もできないようだ。
食糧なしというよりも、水がないのが特に厳しいのだろうなと、わたしは分析していた。余計な雑念である。
「此処にいるアルテミスは魔王として領内を荒らした大悪である。 故に勇者としてこれを討伐した」
魔王。
なんだそれ。何回か聞いたが、いまだに何だそれとしか言葉が出ない。勇者が多分持ち出した単語なんだろうが。奴の中で完結している概念だ。
まあ良く分からない単語だが、そういうものがあるのだろう。
或いはグンリ辺りで信仰についてもう少し調べれば、それも分かったかも知れないが。
いずれにしても、何らかのレッテルなのだと言う事は分かった。
「魔王としての尊厳も奪われたアルテミスには、もはや生きる価値はない。 今、ここで楽にしてやろうと思う」
「おお、大罪人に対してなんと慈悲深い」
「流石は勇者様だ」
民が持ち上げる。
馬鹿馬鹿しい。
あんな姿で晒しておいて、更には妹とかいう設定の犬耳女を侍らせておいて、何が慈悲深いだ。
民も全部肉人形と同じだな。
そう思って、わたしは同情するのを止めた。
あれは全部、全て勇者にとって都合がいい舞台装置。以上でも以下でもない。
「わが聖剣ギュランニュクースタを此処に」
「はいお兄様」
犬耳奴隷が、ごちゃごちゃごてごての装飾がついたやたらとばかでかい剣を持ってきて、勇者に差し出す。
大型武器を使いこなす奴は見た事があるが、あれはただの飾りだな。実用的な大型武器じゃない。
格好良いかも知れないが、それだけだ。
世界がアレに忖度しているから、武器として異常に強いだけ。
民を見ると、その様子を見て感動の余り涙まで流している。
一生やっていろ。
そう思いながら、ストレルを促す。
仕掛ける機はこっちで判断していい。
そう言われていた。
聖剣何とかを振り上げる勇者。この瞬間だ。
ストレルは青ざめていた。それでもやらせないといけない。そうしないとアルテミスが死ぬ。
あいつが死ぬと、今後生き残るための手札が非常に厳しい事になる。アルテミスはアンゼルが死んだことに関わっている可能性は高いし、なんなら手に掛けた可能性さえあるが。それは殺し合いでの事だ。やらなければやられる世界での生き死に。友がそれに巻き込まれたとしても、恨むつもりはない。
わたしは流されるまま生きてきたし、多分今後もそうだろうが。
だが、それでも。
生きるための道筋があるのなら、それを辿ってみたいのだ。
「あっ! 狙撃だ!」
敢えて風魔法を使って、その声を流す。
即座に勇者がこっちを見る。
賭だ。
続けて、クラウスが叫ぶ。
いかにも三下っぽい声で。
「勇者様が狙撃なんかで傷つくわけがない! 傷ついても死ぬわけがない!」
ふっと、勇者が笑ったようだった。
アルテミスを手も足も出さずに完封したような奴だ。攻防共に完璧最強の自負があるのだろう。
狙撃をあっさり凌いでから。
虫でも潰すように殺す。
そう考えるように誘導する。
軍師どのが考えついたことだ。
勇者は動かない。それどころか、こっちをみているだけだ。
わたしが金を加工して作ったのは、携帯用の投石機。
それはへらみたいな形状をしていて、人間が弓矢を開発する前に使っていたものであるそうだ。投石の威力はわたしも良く知っている。これはその威力を簡単な形状で、最大限まで引き出す。
わたしが純金で作った投石機で、例の良く分からない石を投擲に入るストレルと、魔法でそれを支援するわたしを見て。
失笑さえしていた。
そりゃ失笑するだろう。隕石やらもっと恐ろしい魔法が飛び交うこの世界の最強を、手も足も出ない状態で捻った奴だ。
それどころか自分に都合がいい肉人形を国単位で生やすことが出来るような奴である。
力は恐らく人間が考える究極に等しい。
だからこそ、力に絶対の自信がある。
そこが隙になるのだ。
ストレルは真っ青になりながらも、全身を理想的に動かす。わたしは全身の筋肉の動きを、風魔法で支援する。
結果、ほぼ完璧に。
あのよく分からない白い石が放たれていた。
速度にしても、投石の達人が放るのと大差ない。まっすぐ勇者に飛ぶが、それにしても多分板金鎧を着ていれば防げる程度の代物だ。
非力すぎる。
それを見て、勇者は鼻で笑って、それで棒立ちでこっちを見たままである。それでも念の為にだろう、なんかごてごてした防御魔法……魔法陣が空に浮かんで出現した。そんなものを防御魔法として張った訳だ。
見栄えがとてもいい。
そして恐らく、この世界の魔法使いの出力では、絶対に貫通すること何て不可能なのだろう。
幼児が大好きな無敵防御という奴だ。
小石に対して大げさすぎるほどの防御。
それだけでも何だか違和感があるが。小石が、それとぶつかり合った。
次の瞬間。
すっと、小石がその無敵防御魔法をすり抜ける。
勇者は何が起きたのか分からなかったらしく、ずっと鼻で笑っていた。
なんだかかっこういい鎧を着ている勇者。
その鎧が、あっさり体ごと小石に貫かれて。
それでもなお笑っていた。
仮に何かしらの攻撃で体を貫かれても、平気なのだろう。無敵防御に加えて、無敵再生とでもいうところか。
だが、次の瞬間。
小石が犬耳を頭につけている奴隷女の体も貫いて、地面に突き刺さり。
そして、勇者が初めて驚愕に顔を歪めていた。
一瞬で全身が崩壊していく。
聖剣何とかも鎧も、やたら伸ばしている銀の髪も。それどころか、取り巻きに生やしていた犬耳の奴隷女も全部。全てが雨を浴びた砂の像のように、崩れて行く。
それどころか、人形じみたほどに整っていた顔が、みるみる老人のそれになっていく。
長身で均整が取れていた体も、見る間にガリガリに痩せていく。痩せていく端から消えていく。
何か勇者がしようとしたが、全てが無駄。
体が崩れて行き、あれは塩か。
とにかくそんなものになっていく。
そして、音もなく折れて、上半身が地面にぶつかる。その時には全身が塩になっていて、地面にぶつかった瞬間崩落していた。
わたしも流石に唖然とする。
これはもうどうしようもないし。
効かない可能性も高い。
だから、負けたら自害しようと思っていた。
最後の道筋を辿ってはみるが、それも完璧にやれるかどうかは分からないとさえ思っていたからだ。
それがまさか、此処まで効くとは。
風が吹く。
勇者とその取り巻きの犬耳奴隷女もろとも、全てが塩になり、風に吹かれて散って行った。
それだけじゃない。
今まで勇者のやることなすこと全部褒め称えていたスポリファールの民草が、ことごとく地面に倒れる。
殆どはその場で腐り始める。
或いは塵になっていく。
特に動物と体が混じっているような奴は、人間の要素が消えていく。
不自然にこぎれいだった、あれだけ破壊されていたのに光を浴びて修復されていただろうこの街も。
見る間に廃墟へと代わっていった。
僅かに生きている民もいるようだが。
それも髪の毛がみるみる真っ白になったり。
体が欠損していったり。
身動きしている様子もない。
ストレルが、顔を覆って、へたり込む。からんと、投石機が音を立てて転がっていた。わたしは、ぼんやり立ち尽くして様子を見る。
そういえば、わたしが気絶させた兵士達は。
見ると、その場でどれも腐り始めていた。
これが、戻って来た現実か。
動物に戻った耳がついていた連中は、その場で右往左往し。中には即座に死体にかぶりつくものもいたが。
それを即座にクラウスが雷撃の魔法で焼き払う。
悲鳴を上げて逃げ散っていく動物。わたしも風魔法を展開して、クラウスを支援。動物を片っ端から窒息させて始末した。
城壁から降りる。
この街の惨状を確認したのは一週間も経過していない前だが。それでも何年も経ったかのような劣化だ。
足下も不安定なくらい、あれほど念入りに整備されていたインフラが崩れているし。
彼方此方を通っていた水路も、濁り腐りきっていた。
クラウスとわたしで連携して、辺りの危険な害獣をあらかた駆除して、それで一息つく。その後、クラウスが軍師どのを呼びに行く。
わたしはナイフを取りだすと、アルテミスを縛っていた縄を切り、救助する。
アルテミスはかろうじて生きていたが。
意識が朦朧としていて、危険な状態だ。
酷く痛めつけられたアルテミスは、全裸でしかも傷だらけ。わたしの拙い回復魔法では限界もあるが、とにかく回復させる。ストレルに手伝ってと叫ぶが。ストレルはいやいやと首を横に振るばかり。
限界なのだろう。
わからなくはないが、今はその辺の小石でも活用しないといけないのだ。
冷や汗が今頃になってどっと流れて来る。
最悪の場合、狙撃の体勢に入った瞬間に殺されていただろう。
相手はそれくらいの力があったのだ。
絶対の力を得て、それに酔っていた。
だから慢心を誘発させる事で、それであの石を通す事ができた。そしてあの不可解な石は、それだけ強烈だと言う事がわかった。
軍師殿が来る。
そして、クラウスに勇者殿の介抱を頼む。わたしは回復魔法をどう掛けたかだけ引き継ぐ。
軍師殿がわたしに指示したのは、あの石の回収だ。
石は地面にめり込んでいた。
直接手に取ることは論外である。土魔法を操作して、すぐに掘り出すが。土をどけるのはともかく、拾い出すのは純金でやらなければならない。
純金ははっきり言ってそれほど硬度がない。
しかも石はかなり深く地面にめり込んでいて、相当に土を深く掘らなければならなかったし。
今この瞬間も土に沈み込んでいて。
とてもではないが、直に触ろうとは思えなかった。
土魔法を全力で操作して、どうにか白い謎の石に追いつく。
これは一体なんだ。
ともかく、金のスコップで拾い、土魔法でスコップを操作して包み込む。後はどうにか外に這い出す。
金ですら腐食するのだ。
それに、此奴が直撃した勇者の末路は凄まじかった。
本来だったら、どんな攻撃でも弾き返した魔法がそれに鎧もまるで紙も同然に貫かれ。どんな攻撃を受けても再生しただろう体が、一瞬で崩壊した。崩壊する時に再生の魔法だかを試そうとしただろうが。
それでもそれを受けつけなかったのだ。
本当に、この石はなんだ。
ただの石と言うには白くて不可解な感じだが。
地面に落とした時も、地面が溶けて沈み込んでいた。尋常な代物だとは、とても思えなかった。
軍師どのが、周りを見て分析を続けている。
クラウスが悪態をつきながら、必死に回復魔法を掛け。水をアルテミスに飲ませていた。少しずつ。
それから粥を用意して欲しいと言われたので、わたしもそれを始める。
わたしもそうだったな。
最初は衰弱しきっているところに、粥から与えられた。
あの飯炊きのおばさん、この地獄を生き残れたのだろうか。
あの人の処置は的確だった。
多分だけれども、似たような人間を何度も助けて……或いは助けられなかったのかも知れなかった。
アルテミスが少しずつ意識を取り戻し始める。
周りの人間にまでかまっている暇はない。それに腐乱死体だらけの此処は、負傷者をおいておくのは危険だ。今の状態だとどんな病気になるか分からないし、なったら助からない。
出来るだけ急いで離れた方が良いだろう。
アルテミスを荷車に乗せる。荷車は揺れないように、ゆっくり動かす。街から出る時に、わずかに生きている人間から、罵声を浴びせられた。
「お前等がこれをやったんだな!」
違う。
だが、そういっても仕方がない。
他の奴も叫ぶ。
「夢のような時間だったんだ! それを台無しにしやがって!」
「出ていけ!」
「出ていけ悪魔!」
「お前達なんか死んじまえ!」
街の人間がみんな生きていたら、きっともっと凄まじい罵声を浴びていただろうが。生きているのはごく少数だ。
それはそうだろう。
あの光で世界が改変される前に戻ったのだとすれば。あの狂気の宴を生き延びたのは僅かだけだったはず。
それが此奴らなのだとすれば、その罵声が小さいのも、納得出来る話だった。
街を出る。ストレルはもう置いていくべきなのかと思ったが、軍師殿が声を掛けている。
「ストレル一佐、見事な投擲でした。 勇者を倒せたのは、貴方のおかげもあります」
「もう楽になりたい……」
「この世界を滅茶苦茶にしている者達を倒して、滅茶苦茶にした原因を突き止めてからです。 それまでは死ねません。 死んではいけません。 どれだけ戦争ばかり繰り返していて、不平等と格差があって、人間がまるで進歩していない世界だったからといって……こんな横暴は、仮に神でも許される筈がないんです」
「模範解答だな。 今はその正論ですら、心が痛むが」
クラウスがぼやく。
わたしは、また追放された。スポリファールでは三度目だなと、皮肉な運命だとだけ思った。
2、アルテミスの復活
街の外の拠点に篭もると、しばらくは蓄えた食事を消費しながら、アルテミスの回復に努めた。
アルテミスが勇者と戦って敗れたのだとすれば、それまでは正気を保っていた可能性が高い。
ひょっとすると、光から逃れた可能性も高い。
他にも同じように光から逃げ延びた者だっていてもおかしくはない。
情報を収集するためにも、アルテミスは助けなければならなかった。
交代で回復魔法を掛ける。
本当に手酷く痛めつけられた上で、数日水も食事も与えられていなかったのが体に損傷を与えている。
こう言う傷は、心身に一生もののとなって残る事も多い。
アルテミスはそこまで際だった美人ではないが。
それでもこんな風に尊厳を破壊されているのは、見ていて思うところもある。わたしが幼い頃に受けた暴虐と同じようなものだからだろうか。
聞いておきたい事もある。
アンゼルを殺したのがアルテミスなのか。
恐らくそうだろうし、仕事だったからなのだろうが。
それでも聞いてはおきたかった。
アンゼルが性格が腐っていたとは言え、あの村の民間人を皆殺しにしたのは紛れもない事実。
わたしの友人だったのも事実だが、それはそれとして罪人だったのも事実なのだ。
わたしも散々賊は殺して来たが、それは身を守るためであったり、或いは仕事でやってきた事だ。
アンゼルの場合は違う。
それも分かっているので、真相が分かった場合は、受け入れる覚悟もあった。
三日ほどで、アルテミスは目を覚まして。自力で粥を食べられるようになった。
その間に、クラウスが街に出向いて、残っている服を見繕ってきた。鎧も一式。
ただ、鎧はほとんど無事なものはなかったし。
アンゼルみたいな特務の騎士が着ていたものは、相当な高級品だっただろうが。
「少しずつ食べてください」
「何となく助けてくれたのは覚えてます。 すみません、迷惑を掛けました」
「今はとにかく体力を戻してください。 全てはそれからです」
わたしは粥に少しずつ肉を入れる。
これも懐かしい。
昔やっていた事だ。
鶏卵を入れられれば言うことはないのだが、それもちょっと厳しいだろう。そもそも鶏がいるかどうか。
畜産農家の辺りは見にいったが、殆ど牛やらは獣に食い荒らされていたし。
鶏もしかり。
生き延びた僅かな数は、皆逃げ散ったようである。
後は野生化したのを、再度捕まえて戻さなければいけない状態だろう。
それをする手間暇が、どれほど掛かるか分かったものではない。
淡々とアルテミスの治療を進めていく。
更に数日でアルテミスは歩けるようになった。
それで、少しずつ軍師どのが聴取を進めていく。
軍師どのには先に頭を下げられた。
こっちの聴取を優先させて欲しいと。
合流した後に、わたしとアルテミスの因縁については話はしてある。だから軍師どのは事情を知っている。
わたしもアルテミスは別に不倶戴天の相手ではなく、確認はしておきたいだけの話である。
だから、軍師どのを遮るつもりはない。
「やはりあの光から逃れたんですね」
「はい。 旧パッナーロ領でも皆がおかしくなって、その中には歴戦の騎士や、優れた魔法使い、国が雇っている学者や、役人達も多くいました。 僅かな正気の騎士とともに事態を収拾しようと走り回ったのですが、全て無駄で……最後の光を見て、騎士達を集めて、必死に地下に逃れたんです」
「我々と経緯は同じようですね」
「わたしが見てきた範囲では、新生パッナーロ領も同じようでした。 カヨコンクムのロイヤルネイビーやクタノーンの黒軍に蹂躙されたばかりだというのに……」
アルテミスは仕事人かと思ったが、一応他人を思いやる心はあったのか。
粥も少しずつ形があるものにしていく。
話も、少しずつ聞いていく。
光が収まって、何もかもおかしくなった世界で呆然としていると、いきなりアルテミスは魔王とか言われたそうである。
街の人間なんかが、全員でアルテミスを魔王と呼び始めたそうなのだ。
そもそも魔王とはなんだろう。
そう困惑していると、あの勇者が現れた。
一目で勝てない相手だと悟ったと、アルテミスはにへらと笑う。この情けない笑い方、あの一度見たのとまったく変わっていない。
人々を惑わし破壊の限りを尽くす魔王とか言われたそうで、困惑しながらアルテミスは対応したらしいが。
勝てる相手ではなく、あらゆる攻撃も通じなかったらしい。
勇者が手下にしていた頭頂部から変な耳の生えた割烹着女にもまるで勝ち目がなかったと、アルテミスはぼやく。
まあそうだろうな。
わたし達が勇者を倒せたのだって、奇蹟に等しかったのだ。
それで取り押さえられた後、民草が大歓声を上げて。鎧を剥がされて、それでその場で激しい暴行を受けたらしい。
民草の前で強姦は流石にしなかったようだが。いずれにしても気を失うまで殴られて。気がついたらよく分からない魔法で拘束されて。あの辺境の街に運ばれている最中だったそうだ。
魔力をどうやってか封じられて、魔法での反撃も出来ず。
道中で食事も何も与えられずに、酷く参った。
とにかく排泄もその場でさせられたので、非常に悲しかったらしい。
十字架に中腰で縛り付けられて、しかも最後に残っていた下着まで(汚物まみれだったそうだが)剥ぎ取られて。
剥ぎ取る時に、民草がゲラゲラ笑っていた事だけは覚えているという。
だとすると、わたし達がどうやって勇者を斃したのかとかは覚えていないし。
勇者がわざわざ自分でアルテミスを殺そうとしていた時は、何が起きていたか理解出来ていなかったとみて良いだろう。
軍師どのは咳払いすると、生き残りについて聞く。
学者二人、魔法使い一人、騎士が三人。
名前は殆ど知らない人ばかりだったが、騎士の一人はあのアプサラスだ。これは心強いとわたしは思った。
ただ、生きているかは微妙だ。
アルテミスだけが勇者に倒されたのは事実だが。
その後、他の生き残りがどうなったか分からない。あの勇者の実力だと、片手間に皆殺しにされていてもおかしくない。
「私達が潜伏していたのは、旧パッナーロの東辺境伯領です。 勇者がいなくなった今、探しに行く価値はあるかと思います。 ただ私は見ての通りなので、まだしばらく回復に時間が掛かりますが……」
「生き残りとは出来れば合流したい。 二手に分かれましょう」
軍師どのは言う。
わたしに、東辺境伯領に出向いて欲しいと言う。
わたしの事情は知っているだろうに、随分なことを頼んでくるものだ。
わたしが正気か、という顔をすると謝られる。
「すみません。 しかし土地勘があるのは貴方だけなんです。 騎士アルテミスは身動きが取れません。 あの高速移動の魔法も、本当に心強い。 気にくわないのなら、殴ってくれてかまいません。 お願いします」
「……そうですか」
わたしは咳払いすると、アルテミスに聞く。
わたしを覚えているかと。
覚えていると答えた。
そうか、それは意外だ。
世界最強が、わたしみたいな雑魚を覚えてくれているとは、とても光栄な話である。
そのまま続いて話を聞く。
「アンゼルを殺したのはあなたですか」
「はい。 あの人はサーチ&デストロイの命令が出ていました」
確か裁判も何もなしに即座に見つけ次第殺せ、という命令だったな。わたしはまあそうだろうなと思ったが。
続けて話を聞く。
「わたしを見逃した理由は?」
「貴方にはその命令は出ていませんでした。 それだけです」
「そうですか。 スポリファールはわたしの事を裏切り者として見つけ次第殺そうと考えていると思っていましたが」
「騎士アプサラスは貴方の事を後悔していたようです。 もう少し側に置いて、壊れてしまった心をどうにかしてあげるべきだったと」
ちょっとそれを聞いて驚く。
あの冷酷そうな女騎士が。
頼りにはなりそうだとは思っていたが、人間味なんぞかけらもないという点ではわたしの同類と思っていたのだが。
それは意外だ。
まあいい。それが聞けたのなら充分だ。
「アンゼルはわたしの友人でしたが、ただアンゼルが殺されたのはそれはそれで理にかなっています。 わたしは誰がアンゼルを殺したのかを知りたかった。 その理由も。 だからそれで充分です」
「……貴方はやっぱり人間離れしていますよ。 私より」
「褒め言葉として受け取っておきます。 わたしが見てきた人間は、はっきりいって醜かった。 少しずつ、あれらと一緒でなくてもいいとわたしは思って来ています」
それを聞いて、誰もが黙り込む。
アルテミスから受け取った騎士勲章を持つと、わたしは食糧だけ担いで、拠点を出た。
後は、現地に向かうだけだ。
此処からあの辺境伯領だと、今のわたしだと三日……休憩を減らせば二日くらいで済むだろう。
軍師どのが書いてくれた手紙もしっかり懐に入れる。
そしてわたしは、土魔法と風魔法を駆使して、一気に移動を開始する。
全てが壊れてしまったスポリファールは。
もう今更、何かしらを顧みるものもないだろうなと思った。他の国も一つに一人好き勝手に世界をねじ曲げる狼藉者が出ているのだとすれば。
きっともはやこの世界に希望はないだろう。
混沌の時代が地獄だったように。
この世界には、第二の混沌の時代が来た。
それだけだ。
高速で移動を続ける。途中で街やら村やらを見るが、あの勇者のためにしつらえられた世界だったからだろう。
勇者が死んだ今は元に戻った。
何もかもが廃墟と化し。
僅かに生き延びている人間は、わたしを見ても虚ろな表情だったし。声を掛けても、ろくに返事もなかった。
生きているだけでマシというべきか。
元々あの光を浴びて、精神が崩壊するような目にあっていただろうし。
それが元に戻っても、後遺症は大きいのかも知れない。
うち捨てられている物資を回収させて貰う。
あまり大量に落ちている訳ではない。
軍の倉庫などを漁る。
民家なんかから略奪をするつもりはない。この生きているだけでやっとの人間の物資かもしれないからだ。
わたしは賊やロイヤルネイビーがやっていたことをなぞる気は無いし。
連中の同類にもならない。
人間は本能をさらけ出すとああなる。
それは世界がおかしくなる前から分かっていた。
世界がおかしくなってからは、それが可視化されただけで。全員が賊やロイヤルネイビー。直に見てはいないが、クタノーンの黒軍も同類だったようだが。そういう連中と同じになっただけ。
それを分かっている。
わたしはロイヤルネイビーに雇われていたが、連中と一緒になったつもりはない。
人間は醜い。
それについては、今回の一件で良く理解した。
わたしも人間だが、だからこそああはなりたくない。
そういう思いも持ち始めていた。
アンゼルがあの田舎街でいった。わたしの事を、自意識が薄いと。
確かにそうだ。
だけれども、今は少しずつ自意識が生じ始めている。だからわたしは、ああはならないと決めている。
移動を続ける。
砂漠の近くにまで、一日半で到着。
これは更に魔力が上がっているようだ。
砂漠の手前の街で、水を作る。湧かして冷やして、そして一気に飲む。排泄も済ませておき、コンディションをベストに。
それから夜になるのを待って、一気に砂漠を越えに掛かる。
星の読み方は理解している。
途中でオアシスだったかいう水場を見たが、そこも酷く殺し合った形跡が残されていて、死体が点々としていた。
死体は腐る暇もなく干涸らびてしまったようで、骨にさえなっていなかった。
此処を守っていたのは、かなり責任感がある兵士達だった筈。
それがあんな風にエゴを剥き出しにして暴れ狂ったのだと思うと、なんだか胸がもやもやする。
それにだ。
見覚えのある鎧を見つける。
これは確か、パッナーロから脱出する時に護衛をしてくれていた騎士の一人の。
鎧の中には当然のように死体が入っていて、しかも首が飛ばされていた。
そうか。
責任感のある人だったな。
そう思うと、やはり心がすこし痛む。
どうして世界をこんな風に滅茶苦茶にしたのか。誰がやったのか。それらを思うと、わたしは苛立ちも浮かぶ。
神だかなんだか知らないが。
もしもやった奴がいるなら、あの石をぶつけてやりたいところだ。
砂漠を明け方までに越える。
派手に砂埃を巻き上げてわざと移動したのは、辺境伯領から見えるようにするためである。
恐らく見えてはいる筈だ。
辺境伯領に、砂漠を越えて到着。
わたしが此処を離れて数年。具体的に何年経過したかは忘れてしまったが。それでもだいぶ時間が立った。
随分と街が変わっている。
もう殆ど誰もいないが、伯爵の屋敷があったところは砦になっていて。立派な城壁があり。
あの過酷なスラムは、綺麗に整備されたようだ。
全部あの混乱で焼け落ちてしまったようだが。
わずかに生き延びた人間が、わたしを見て、こそこそと隠れる。毛並みが良さそうとか、時々わたしは言われたなそういえば。
別に今豪華な服を着ているわけでもなんでもない。
無言で辺りを見回す。
騎士アプサラスほどの使い手だったら、さっきのに気付く筈だが。風魔法を展開して、周囲を探る。
生きている人間は本当にまばらだ。
これでは、わたしがいた頃の伯爵領と同じ……いやそれよりも酷いな。そう思って、わたしは溜息をついていた。
反応できたのは、わたしも修羅場を潜ってきているからだ。
至近距離まで接近してきたその人が、わたしに剣を振り下ろしていた。わたしは風魔法で強引に体を動かして、一撃を避ける。
相手もわたしに剣を当てる気はなかったようで、追撃はしなかった。
「誰だ」
相手は誰何してくるが、一目で分かった。
騎士アプサラスだ。
あれ、この人こんなに背が低かったか。
わたしはあまり背が伸びなかったが、それでもなんだか以前より縮んだように思う。それに老けた。
最初に出会った時よりも、明確に年を取っている。フラムなんか手も足も出ない使い手だというのが一発で分かる強い騎士だったのだが。今では、手が届かない相手とは思わなかった。
「お久しぶりです」
「……まさか、あのフラムの所にいたアイーシャか」
「はい」
「燃えるような赤い美しい髪、何より綺麗になったな。 アルテミスから話は聞いていたが、本当に綺麗になって驚いたぞ」
すこし疲れた様子の物言いだ。そしてアルテミスは、アンゼルが死んだ直後わたしに出会った事を、アプサラスに報告していたのだ。そうか、どうやらわたしは自分が思っている以上に、周囲に警戒されていたのだろう。
わたしは軍師殿が書いた書状と騎士勲章を出す。
立場的には、もう敵も味方もない。
今のも、わたしが敵かどうか試すための行動だったのだろう。いちいち怒るつもりもない。
「生き残っている人間からの文です。 目を通してください」
「分かった。 アルテミスがどうなったか知っているか」
「わたし達で保護しました。 これ、預かった騎士勲章です。 貴方に見せるようにと言われました」
「なんと。 あの凄まじい化け物が現れた時は絶望さえ覚えたのだが……そうか」
勇者も斃したというと、絶句するアプサラス。
その姿は、なんだかとても小さく見えていた。
文を読み終えると、アプサラスは案内してくれる。生き残りのいる場所にだ。
生き残っていたのは、騎士が二人だけ。
一人は此処を離れた時のわたしくらいの年の女騎士。なんとも生意気そうな雰囲気である。髪の毛は亜麻色だが、何だか髪型が昔のアンゼルを思わせる。
もう一人は忠実そうな男性騎士。黒髪を短く切りそろえている。
どっちも知らない。
互いに自己紹介。
女の子はトリステ、男性はカルキーというそうだ。
「アルテミスの話によると、もう何人かいるという事でしたが」
「みな殺された。 あの勇者という化け物が連れていた、頭頂部に耳がついた変な服の女にな。 まるで草でも刈るように。 非戦闘員でもおかまいなしにだ」
そうか。
あの勇者からすれば、魔王の手下とでもいうべき相手だったのだろうし。面白半分に鏖殺するだけの相手だった、ということか。
全員は助けられなかった。
勇者は斃したが、まだ聖女をはじめとして世界には狼藉者が闊歩している。
それでも戦闘要員が三人も加わったのなら、それは大きな意味がある。
ストレルがもう駄目になりかけな状態だと言う事もあるし。
まずは正気の人間で集まって、それでどうにか生き延びる道を探すしかないだろう。
「その妙に綺麗な女魔法使い、誰ですか騎士隊長」
「昔の知り合いだ。 お前の年くらいからのな。 此処の出身者……いや厳密にはわからないのか。 ともかく、伯爵の迫害を直接受けた被害者だが、今では世界でも上位に入る魔法使いだ」
「信用できるんですか」
「今は争っている場合ではない。 あの勇者のような化け物共が他にも闊歩しているのだぞ」
そう言われると、うっと言って黙るトリステ。
カルキーは咳払いすると、それでどうすると聞いてくる。
「隊長、いや副団長。 騎士団長が既に亡くなられた今、貴方が騎士団長になるべきでは」
「亡くなったんですか」
「あの勇者とやらに一瞬で殺された。 ……地位など無駄だ。 とにかく今は、世界を好き勝手にしている者達をどうにかしなければならない。 驚くべき事に、あの勇者は既に倒れたという」
「なっ……!」
カルキーが立ち上がる。
スポリファールの騎士は、わたしが見てきた特務の中でも間違いなく最強だ。同数だったらロイヤルネイビーの精鋭でも手も足も出ないだろう。アンゼルがあれだけロイヤルネイビーの中でも高い評価を得ていたのに、アルテミスには瞬殺だったのを考えてもそれはよく分かる。
その実力をもってしても、あの勇者はそれだけ絶対的な絶望だったのだ。
それを倒せたとなれば、驚くのは当然であろう。
「勇者とか言うバケモノの手先になって、好き勝手をほざいているだけじゃないですよね、そいつ」
「その可能性は低い。 奴の影響を受けていた人々の事を覚えているだろう。 そしていきなり街が朽ちたことも。 今回の世界に対する侵略者は、世界を自分に都合がいい場所へと変えてしまう程の規模の力を持っているそうだ。 それが倒れたのなら、世界がまた一気に朽ち果てた事にも説明がつく」
「……でも、あの滅茶苦茶になった世界が、一度は元に」
「あの人形みたいな人間達をみて、それで良かったのかトリステ!」
アプサラスが喝破すると。
生意気そうな女騎士は、うっとだまり。
そして涙をこぼし始める。
家族とか好きだった人とか失った可能性は高いだろう。それが人形であっても、戻って来たのなら。
そう考えてしまうのかも知れない。
「わたしもアルテミスと協力して、情報を集めていた。 新パッナーロには、また別の狼藉者が出ている。 ハルメンにもいるということは、恐らくだがカヨコンクムや、クタノーン。 グンリやドラダンにもいるかも知れない。 もう少し連中の情報を集めてから反撃に転じる事を考えないといけないだろうな」
「しかしこの秩序が崩壊した街の人々は……」
「もはや生きていくだけで精一杯だ。 何もできない。 此方からも何もしてやれない」
そうアプサラスが告げると、悔しそうにカルキーが呻く。
ともかく今は、世界に対する狼藉者の排除が最優先だ。
そう声を掛け。わたしに頷く。
これで更に三人を追加か。
でも、何人いても、あのアルテミスが手も足も出なかった相手だ。如何に世界に対する狼藉者を瞬殺出来たあの石があったとしても。
簡単にいくとは、とても思えなかった。
3、正面から勝てなくても
わたしほどではないが、なんでもトリステという女騎士は移動魔法の使い手であるらしい。
風魔法を主体として、数人で移動出来るらしいが。とにかく音が大きいので、隠密には向かないとか。
それで、アプサラスに頼まれた。
新パッナーロ、クタノーン、グンリ、ドラダン。
後は一応、ロナウ国も様子を見てきて欲しいと。
わたしの移動魔法は、その気になれば最大隠密で行動できるし、何よりも。わたしはそもそも、単独行動の方が得意だ。
指針が示された今。
それで行動できるとなると、とても気が楽である。
「此方はアルテミスの回復の様子を見ながら、カヨコンクムの様子を偵察しておく。 どのような狼藉者が現れているのか、各地を確認しておけば今後の戦略を立てやすい。 いずれにしてもトリステの移動魔法は隠密には向かない。 アルテミスの回復待ちになるだろうが」
そうアプサラスは言う。
歴戦の指揮官らしい、現実的な考え方だ。
狼藉者をブチ殺した後の世界の荒廃については、もはや諦めるしかないのだろう。ともかく今は、少しでも早く世界に現れた狼藉者を排除するしかないわけだ。
そうなると、世界中が。
わたしが産まれ育った伯爵領みたいになるということか。
いや、今丁度その伯爵領にいるわけだが。
あの時より状態が酷いかも知れない。
だとしても、一年くらいで飽きて塵になる奴が、やりたい放題する過程で、全ての人間が駆逐されてもおかしくない。
それを座して待つくらいだったら。
排除できる手段を持って、排除するべきなのかも知れなかった。
ともかく別れてから、まずわたしは南に進む。海沿いに進んで。海峡が見えたら海を渡ってドラダンに入る。
ドラダンの後はグンリを通って新パッナーロに。そのまま西進して、クタノーンに。その後戻りながら、様子を見てロナウを通る。
それで問題はないだろう。
ただ、それにはかなり食糧なりがいる。
わたしの今の移動魔法だと、途中にトラブルがある事も考えると、二週間くらいはみないといけないだろう。安全圏に戻るだけでそれだ。
その間魔法を使いっぱなしになるから、当然腹が減る。
人によって魔力補給の方法はそれぞれ違うのだが、わたしの場合はどうしても食事から離れられない。
そういうわけで、アプサラスが拠点にしていた場所から、予備を見て三週間分の食糧を貰った。いずれも保存食ばかりだが、まあないよりはマシだ。酷い食い物だったら食べ慣れている。
それから別れて移動を開始する。
まずは旧パッナーロを移動して、勇者の影響がなくなっているかを、確認していかなければならない。
移動を続けながら、通った街などを一瞥する。途中街の側などで休憩を入れて、風魔法で情報を収集しつつ、干し肉をかじる。
ながらになるが、それでも魔力の回復には充分だ。風魔法はどうしても嫌でも練度が上がる。
それでやはりというかなんというか。
どうやら勇者の力はスポリファールの領内で発揮されていたらしく、この辺りはほぼ寂れてしまっている。
ゴブリンやオークについては殆ど出ていないようだ。
あれはそもそもとしてハルメンなどを除くと、殆ど駆除に成功していたという理由もあるのだろう。
辺境国に行けばいるのかも知れないが。
いずれにしても軍で養殖とかしていたわけでもないのだから、まず見ないのだろうと思う。
問題は猛獣の方で、明らかに人間の味を覚えた猛獣が街に入り込んで死体を喰い漁っている。
居場所を特定し次第窒息死させているが。
それでも全部を殺し尽くすのは無理だろう。
出来るだけ処理はしておくが、それだけ。
そもそも正気を失っていた人は、生きていたとしても精神に大きなダメージを受けているらしく。
動きが鈍かったり。
或いは自害してしまう場合も多いようだ。
赤ん坊を地面に投げつけて殺す母親とか。
子供を滅多刺しにしていた親とか。
そういうのを幾らでも見た。
そういう記憶が戻って来て正気になったのだとすれば、まあそれは生きていけないのかもしれない。
だがあれはエゴが極端に肥大化した結果、自分でやったことだろう。
わたしは同情できない。
育児で精神に負担が掛かるとかで、子殺しをする母親は幾らでもいると聞く。そして子殺しをした場合、周囲の女性が同情するのは子供では無く母親の方だそうだ。
わたしはそういう話を聞いているし。
そもそも伯爵に受けた仕打ちが、そういう思考回路の延長線上にあると言う事も今では理解している。
だから同情は出来ない。ただそれだけだ。
移動を続ける。
途中で燃えている街なんかも見る。火の不始末だろうが、どうしようも出来ない。ただ。へたり込んで泣いている子供が一人。まだ10歳かそこらというくらいの年の子供だ。
仕方がない。
熊が凄まじい勢いでその子供に襲いかかっていく所だったが、割り込む。
熊の息を止めた上で、風魔法で吹っ飛ばす。
窒息した上に、猛火に包まれている家屋に放り込まれた熊が、焼き熊になるのはそのまま放置。
あれの肉、どうせ美味しくないし。
人間散々喰った後だろうから、下手すると病気になりかねない。
わたしは冷たい目で子供を見下ろしているかも知れない。
どうせこいつもわたしを罵る。
助けてやったし、もう良いだろう。行こうとすると、震える手で足の辺りを掴んで来た。
「お、おねが、い、おねがいします。 た、たすけて……」
「親は?」
「お、おとうさん、おかしくなって、おかあさんと殺し合って、それで隠れて……」
そうか。
正気だったのか。それに放置しておいたら確定で死ぬな。助けておいて損はない。放置しようと思っていたが、考えを変える。
あごでしゃくって、来るように促す。荷車の所まで戻ると、今度は野犬が集まって来ていた。
わたしもこの子供もごちそうだし、まあそうだろうな。
だからわたしも容赦しない。
一斉に襲いかかってくる野犬の息の根をまとめて止める。
ばたばたと倒れる野犬を見て。子供がひっと可愛い悲鳴を上げていた。がたがた震えているのが分かる。
「これの肉は食べられませんね。 どうせ人肉を食べた後だし」
野犬共は随分と太っている。
太った理由なんて明白だ。
わたしは嘆息する。今後も、嫌になる程こういう光景を見るだろうから。
海峡まで来る。
それまでに四つの街を見たが、どれも悲惨な有様だった。スポリファールは一生懸命占領統治をしていたらしく、街のインフラなどは相当に整っていたようなのだが。あの狂乱が全てを台無しにしてしまった。
いずれ遺跡として発掘されるのではあるまいか。
そうとさえ思った。
子供はメリルというらしいが、元々親はどっちも本当の親ではなかったらしい。
話を聞く限り、奴隷商に連れられていたところでスポリファールが侵攻。奴隷商はスポリファールに捕らえられて斬首され、奴隷は開放された。ただ開放されたといっても、そのままでは何もできない。
其処で子供は教育施設と孤児院に預けられ、大人は職業訓練校というので生きていくために必要な技術を教えられたらしい。
そういうのは、スポリファールはやたらしっかりして「いる」……いや「いた」から、旧パッナーロの占領統治でもやっていたのだろう。
その家庭で奴隷商に連れられている時から優しくしてくれていた人の養子になって、束の間の平穏を味わっていたらしい。
どっちも優しかったから大好きだったそうだ。
そうか、それは良かったな。
それが素直な感想だ。
わたしが心を作り損ねた理由の一つが、親の不在にある。この子は少し遅れたとしても親がいたわけだ。
それと、治療をする過程で審問の魔法も掛けているので、嘘をついていないことは確認している。
わたしも子供の言葉を全部信じるほど間抜けでは無い。
まあ、だからこそ。
優しかった両親が目の前でいきなり殺し合って、必死に逃げ込んだ地下で隠れていたら、何もかもおかしくなって。
それもいきなり終わって、街に火がついたら。
その状態で、わたしに助けを求められただけでも立派だろう。
海峡の前で、準備を整える。
荷車には食糧を補給したが、ドラダンに何か厄介者が湧いているかどうかもまだ分からない。
こんな状態だ。
人間の噂話なんかまったく当てにならない。
街を行き来する人間がそもそもいないのだから。
ここまで来る間に、水魔法でメリルは綺麗に洗っておいた。黒髪を肩くらいまで切りそろえている、目の大きな子だ。猫目っぽくてあまりこの年頃では可愛いと言われないかも知れないが、適切な栄養を取りながら成長するとかなりの美人になる可能性があるだろう。そういう話を聞いたことがある。美人は子供の頃は必ずしも可愛くはないらしいと。
まあ、わたしは容姿には興味がないのでどうでもいいが。
「荷車から顔を出さないように。 ドラダンは巨人信仰をしていた国で、そもそも巨人が襲ってくるかもしれませんので」
「は、はい。 アイーシャさんは、平気なんですか。 そ、その、巨人とか怖くないんですか」
「ドラダンとグンリで合計十数体斃しましたが、なんど斃しても湧いてくるし、しつこく追ってくるしで面倒でしたね。 魔法まで使う。 ただ、今の力量なら、怖くは別にありません」
問題は軍隊に総出で追われる場合だ。
スポリファールとハルメンは見て回って、国家が破滅しているのを確認したが、他の国はまだ様子が分からない。
とにかく海峡を渡る。
風魔法と水魔法に切り替えて、海上を一気に行く。
海峡で向こう岸が見えていても、海は荒れていて、波は高い。丘みたいな波や、途中でぶつかり合って砕ける波。
そういうのを、水魔法でそのまま乗り越えながら進んでいく。風魔法で守りを固めなければ、もろに潮を被っているだろう。そうなれば体力がごっそり削られていく。
メリルはしっかり荷車に捕まっているようで、今の時点では言う事をちゃんと聞くしっかりした子だ。
いや、しっかりしすぎているな。
集中して、海峡を越える。
幸い向こう岸が見えている程度の海峡だ。越えるのに、それほど時間は掛からない。
上陸後、風魔法を周囲に展開。人間の気配、動物の気配、色々調べる。人間がいるな、これは。
それも相当な数。組織的に動いている。
荷車から顔を出したメリルに、まだ潜んでいるように言う。こくこくと頷くと、メリルは荷車で伏せていた。
風魔法で人間の会話を拾う。
どうも兵士らしい。そもそも兵士が組織的に動いている時点で驚きだ。
「巨人様の予言通り、大国はどれも滅茶苦茶になったようだ」
「そうか。 では後は、世界に現れた転生者達が滅びるまで、とにかく待つしかないわけだな」
「此処やグンリは今や境界に近い果ての国だ。 助かったぜ。 前の混乱の時も、この辺りは被害が小さかったらしいしな」
「大国の連中、みんな頭が狂って殺し合うんだろうな。 ぞっとしねえ。 冗談でもざまあみろなんて言えねえよ」
これは。
この辺りは影響なしか。狼藉者も出ていない可能性が高い。会話の内容からして、ドラダンは完全に国家として機能している。軍師殿が人間の種としての全滅を懸念していたのだが、その恐れも無さそうだ。
ただ、それが良い事ばかりではない。特にわたしにとってはだ。この国では、わたしは最悪のお尋ね者なのである。
下手をすると、前みたいに師団規模の兵力に追い回されるかも知れない。そうなると、最悪境界にまた逃げ込まなければならなくなる。
彼処はとにかく大変だったし、抜けた後何処に出るかも分からない。
それは出来れば避けたい。
それにしても、転生者。
なんだそれは。
そういえば、そんな単語を聞いたような気がする。勇者だの賢者だのは、転生してきたと主張していたとか。
そうだ、それだ。
いずれにしても、今回も「転生」とやらをして来た狼藉者が、世界を無茶苦茶にしていて。
この国ではそれを知っていると言う事か。
どれくらい知っているのか、試す必要があるな。
わたしは海岸近くの岩場に拠点を作る。
食事はこれとこれを食べて良いとメリルに指示。メリルは物わかりがいいので、それですぐに理解した。
「それにしても随分と物わかりがいいですね」
「言う事を少しでも聞かない子は、奴隷商の人に殺されて……それで……」
「ああ、そういう」
わたしは奴隷商に連れられていたときの事はほぼ覚えていない。それにわたしは魔法が使える「上物」だったから、扱いも違ったのだろう。メリルがわたしを見る目に恐怖が混じっているのもなんとなくわかる。わたしは奴隷商と同じかそれ以上に恐ろしい存在に見えている訳だ。
別にそう言われても今更である。
いずれにしてもこの物わかりの良さは後天的なものだったのか。
まあ、拠点はメリルに任せておくとする。逃げられたところで痛手もないし。
わたしはちょっと用事があるので、ちょっと出る。
話をしている歩哨数人。あれでいいか。
気配を消しながら移動。
わたしの身体能力は雑魚蛞蝓だが、魔法が使える以上兵士を無力化する方法なんて幾らでもある。また、腕利きの魔法使いも近場にはいないようだった。わたしの腕が上がっているのもあるのだが、それでも前に追われた時もこの国にはかなり腕利きの魔法使いがいたし、油断はしてはならない。
気配を消して、他の班と離れている少人数の兵士をまとめて気絶させる。窒息で死なない程度に加減するだけだ。
後は土魔法で操作して、気絶している兵士を此方に引っ張ってくる。
騎士や特務の精鋭だと耐魔法の鎧とか着ている事があるけれど、こんな兵卒にそんな上等なものは支給されていない。
引っ張って来た兵士達を、土魔法で拘束。
縄は使わない。土で包んで固めてしまう。
更に風魔法で空気を漏れないようにして、音が伝わらないようにする。ただ、目隠しだけはわたしがやった。
さて、此処からだ。
水魔法で空気の水を集めて、兵士達にぶっかけて起こす。
完全に拘束されていて、しかも目が見えない状態だ。恐怖に混乱する兵士達に、騒ぐと殺すと言って、土魔法を操作して鋭利な刃っぽいものを首に当てる。実際はそこまでは斬れないのだが。
こういうやり方は、アンゼルに散々教わって覚えた。
一人ずつ話を聞いていく。
メモを取っておくのは、軍師殿への土産に。
今は連携して動いた方が良い。それもあって、情報を共有するためにやっておくだけの事である。
兵士達には順番に話を聞き、他の兵士には会話内容を聞かせない。
これはそれぞれが口裏を合わせるのを避ける為である。土魔法での拘束はガチガチにやってあるし。
風魔法での微調整は難しく無い。
ただ、これだけ色々魔法を使っていると、手練れの魔法使いが来た時に気付かれる。アルテミスくらいの使い手だったらそれでも問題はないだろうが、わたし程度だったら不意を突かれるとひとたまりもない。
時間との勝負だ。
話を聞き出して、情報をまとめていく。
まずこの国では、巨人に予言を受けるという。巨人に生け贄を捧げて。代わりに巨人が未来の事を告げる。生け贄に捧げる人間を巨人が食べるとは限らず、その場に集まった何人かが食われる。生け贄はその後生きていたとしても殺される。その代わり、極めて有用な未来の話が巨人によって為される。
それによって前回の混沌の時代も乗り切ったのだと、兵士は言う。
なるほど、人食いの巨人なんかを信仰しているのはそういう理由か。
形もなく見えもしないものをあがめ奉る信仰ってのはよく分からないのだけれども。
これはもっと実利的で、逆に言うと生きるために必要な事だった、というわけだ。
そもそもとして、境界の間近だと、混沌の時代に起きる世界的な異変の影響はとても小さいのだという。
また、世界的な異変の影響はエゴが少ない人間ほど受けにくいのだとか。
そうなると、錯乱気味だったストレルはエゴが人並みに近いくらいあったという事なのだろう。
わたしは殆ど影響を受けなかったが、それも納得だ。
堅物のクラウスや、アプサラスも。アルテミスは、あのぼへえとした感じで、実は極めて真面目な仕事人だったのかも知れない。
こういった情報は、混沌の時代を被害少なく乗り切ったから持っているのだろう事はわかる。
勿論他の兵士達にも聞いていくが、同じ話を聞くことが出来た。
これだけの厄災だ。
それは周知されていてもおかしくないのだろう。
今やドラダンもグンリも辺境の小国。少なくとも小国だった。
だからこそに、それらで伝わる信仰なんて、誰も相手にもしていなかった。数百年の時がそうさせた。
ならば、納得も出来る。
わたしもずっと彼方此方を放浪して、色々な仕事をしていた。
だからこういう思考方法は、出来るようにはなっていた。
兵士達をまた気絶させて、比較的街の近くに放り出しておく。
これで、ドラダンには用はない。
後はグンリも様子を見に行く。
グンリでもわたしはほとんどお尋ね者だ。気を付けなければいけない。それにあの兵士達が目を覚ましたら確定で騒ぎになる。
だから、ドラダンは急いで出なければならなかった。
すぐに準備をして、ドラダンを出る。
わたしの隠密はどんどん技術が上がっていて。
少なくとも、国境は穏便に越えられた。
かなり兵士が巡回していたが、これは状況が状況だし、越境して厄介者が現れるかもしれないから、かも知れなかった。
グンリとの国境線に砦とか壁とかがある訳ではないので、そのまま素通りして入る。
此処でも追放されたが、あれは今でも遺恨がある。
まあ巨人に殺されたハンナは気の毒だったかもしれないが、それがわたしのせいで、それで追放されるというのはどうしても納得出来ない。
グンリでも入り込んだ後は、風魔法で周囲を探る。
やはり此処でもまだ人間が組織的に動いている。此処は新パッナーロと陸続きなので、より兵士は多く動員されているようだった。
「アイーシャさん、その……」
「便所だったらそこに作りました。 後で体だったら水魔法で丸ごと洗ってあげます」
「い、いえ、あれ……」
「……」
顔を上げる。
巨人だ。
かなり距離がある地点を歩いている。少なくとも此方に気付いている様子はない。
ドラダンだったら巨人を崇めているのだろうが、グンリの民はさっと距離を取っている。銅鑼とかを鳴らして、進路から逃れるように誘導もしているようだ。
今度の巨人は痩身の男性で。
中年にさしかかったくらいの姿だが、前に見たハルメンの軍用オークよりも何倍も大きいし。
口に見える鋭い牙が並んでいる様子が、明らかに人間と違うことを示している。
「気付かれないように。 注意を惹くと襲ってきます。 ただあそこにいる巨人が、いきなり此方に来る事は考えにくいでしょう」
「こ、怖いです……!」
「静かに伏せていてください。 もし襲いかかってきた場合、守りきれる保証はありませんし、逃げ回られたらまず助けられませんので」
メリルは荷車に伏せて、ずっと震えている。
情報は集めるが、とにかく巨人から離れろとか。また現れたとか。マリーン様はどうしているとか。
そんな話ばかりだ。
巨人がいなくなった後も、それほど有用な話は拾えない。
ドラダンと似たような状態だと言う事。
一応新パッナーロに出向いた斥候もいたらしいが、地獄絵図を見てすぐに戻って来たらしいこと。
それくらいしか分からなかった。
境界に関する知識を得た時点で、戻っても良いくらいなのだが。
今はとにかく、最低限の情報は得られた。
次は新パッナーロだ。
とにかく順番に情報を集めて、アプサラスと合流しなければならない。
危険地帯どころか、虚無と化してしまったスポリファールに入れば、とりあえず一安心は出来るだろうが。
それまでは、ずっと気分次第で万の人間を消し飛ばせる相手がいる地域を見て回る必要がある。
ここからが本番だと、わたしは気合を入れながら臨まなければならなかった。
新パッナーロに入った。
やはり空気が変わっている。
この辺りは以前、グンリに逃げ込んだときに通った。クタノーンの黒軍に蹂躙された地域で、ロイヤルネイビーに蹂躙されたのと同じくらい酷い有様だったのに加えて。ハルメンの支援で反撃に出た「反乱軍」によって黒軍が各個撃破され、各地で皆殺しの憂き目にあっていた。
その後にどうなったのかは分からないが、まだ復興は始めたばかりだっただろう。
だから、こんな風になっているとはとても思えない。
街がなんだか異様にこぎれいになっている。
街の中を行き来している人間には、やはり動物が入っている者が珍しく無い。それが当たり前のように普通の人間と会話している。
買い物がされているが、見た事がない通貨が使われている。中には紙の通貨もあるようだった。
紙の通貨なんて、余程の技術がないと作れない。
スポリファールで習った事があるが、一時期スポリファールで使われたことがあるらしい。
ただ偽造を防ぐ技術がとにかく割高で、今のスポリファールでは出来ないと断念して、硬貨に戻したという過去があるそうだ。
勿論ハルメンでも紙の通貨なんて使っていなかった筈で。
技術供与を受けただけの此処で、使っている筈がない。
また、例の如く皆着ている服が異常にこぎれいだ。
旧パッナーロ出身であるわたしは、なんだこれはと思わず目を細める。警戒しかない。やはり此処も、何もかも世界が塗り替えられたのだ。
「剣聖様が彼方此方を見回ってくださっているらしい」
「悪徳領主を退治してくださったんだろ」
「お弟子さんをたくさん連れているらしいな」
「ああ、いずれもが優れた使い手だとか」
此処は剣聖か。
数百年前の混沌の時代にもわんさかいたらしいが、剣聖といいながらあらゆる事が出来たらしい。
そして、一つ分かった事がある。
此処でも取り巻きを連れている。
勇者も聖女もそうだったが。
やはり自分に都合がいい肉人形を生やして、それを侍らせているとみて良いだろう。
剣聖は今は此処の近くにはいないらしいので、すぐに街を出る。街の周囲には、やはり獣がいるが。
やたら攻撃性が低くなっていて、何より大きさだけはある見かけ倒しだ。
動きも鈍くて、簡単に殺す事ができた。
これは恐らくだが、剣聖が簡単に殺して、自分の強さを周囲に見せつけるためのものではないのか。
今回の狼藉者達は、国単位で世界の法則を自分に都合良く変えてしまう。
その軍師どのの仮説は、また当たった事になる。
とにかくもはやなんだか分からない生物を捌いてみて、それで気付く。これ、もとはこの辺りにたくさんいた大きな鳥だ。体を調べて見ると、その体のつくりが似通っていることが分かる。
腹を割いてみるが、人間の残骸は入っていない。
ただ、それでも食べるのは避けた方が良いだろう。
しばらくは植物を主体に、肉は人間を食べる機会がないような……例えば草食動物や外洋の魚などを食べて過ごすのが安全だ。草食動物でも機会があれば肉は食べるのだが、流石にそこまではもう確認しきれない。
わたしも体内から病気で壊れたくない。それでもある程度は妥協しなければいけない状況だ。
鹿がいたので仕留める。
これもまた、随分と本来の鹿に比べて小さくなっているな。
鹿を窒息死させて、すぐに焼いて食べる事にする。捌いている様子を見て、メリルが気を失ったが。
彼方此方図太いと思ったら、妙なところで繊細だな。
しばらく気を失ったままにしておく。
そして、肉を焼いて食べて。残りを燻製にしていると。いいにおいで体が反応したのか、目を覚ましていた。
「良く焼けています。 ほら」
「あ、ありがとうございます!」
「肉の処理くらいは出来るようになってもらいますかね」
「が……がんばります」
まあ、殺されたくないと思っているみたいだし。その考えを刺激してやれば、上手くやれるだろう。
食事を終えるとその場を発ち、西へ移動。
途中で情報を集めていく。
どうやら剣聖は中年の男性らしく、弟子は若い女ばかりらしい。
これについては、あの勇者と似ているなと思う。
勇者は死ぬときに急激に老けていって、初老の姿で苦しみながら消えていった。あれが実際の姿なのではないかと思う。
剣聖はどうせ中年の男性と言っても、やたら美形かしぶい格好いい(とされる)容姿の男なのだろうし。
姿を若くしていないだけで、結局若い見目麗しい異性を侍らせているという点で、其処は勇者とも聖女とも共通している。
この様子だと、聖女も中身は中年の女性かも知れないな。
自分の事を褒め称える肉人形で周りを固めているというのは、何が楽しくてそれをしているのか分からないが。
ともかく今は。
情報を集めて回るしかない。
クタノーンに入る。
同時に異臭が鼻についた。すぐに風魔法で遮断するが、これは覚えがある。
「なんだか臭いです……」
「そうですね。 酷い臭いです」
これは、情交の時の臭いだ。
風魔法で周囲を常に探知しているのだが、近場に人間はいない。国全体が、こうなっているのか。
人間を探してみる。
そうすると、驚かされる。
女しかいない。
この国では、男が一人残らず排除されているらしい。
クタノーンは以前聞いた話によると、元々各地の諸民族が集まって出来た国らしく、荒々しい戦士達と、たくさん子供を産む女が偉いみたいな風潮だったらしい。それが何かの間違いで高度な技術を手に入れて、大国にのし上がったのだとか。
国では後宮が存在していて、その点は旧パッナーロと同じ。
ただ後宮というのは、有力者の紐付きの女が権力を得ることを狙っている非常に危険な場所で。文字通り政争の縮図。
有力者の血縁者が入ってくるから、別に美人だけが集まっている訳でもなく。
それどころかそこでは最も醜い人間の姿が浮き彫りになる。
後宮に嫌気が差して同性愛者になった皇帝の話とかは以前聞かされたが。
国を挙げてそれに近い状態にしているのか、これは。
一応街……といっていいのか。
この国に自分の法則を持ち込んだ奴は、人間が暮らす空間に全く興味がないらしい。荒野に粗雑に置かれているという風情の集落……掘っ立て小屋の集まりの近くで、情報収集をする。
拡大視の魔法をクラウスに習っているので使って、様子を見てみる。
女達だけで生活しているが、なんだあれ。
殆ど全員がほぼ全裸だ。腰だけ隠していれば良い方。胸も半分くらいは隠していない。
また老人がおらず、年齢が行っているものでも30手前くらいだろうか。殆どが十代くらいで、中には10歳行っているか怪しい子供もいる。
それになんだあれ。
腹の辺りに、変な模様が刻まれている。
そもそもこんな状態では、猛獣相手に自衛も出来ないだろう。武装した兵士の姿も見当たらない。
拾える会話もおかしい。
「戦王様に子種を仕込んでもらいたいけど、声がかからないかな」
「淫紋のおかげで、抱いて貰うと天上の快楽だっていうよね」
「早く戦王様の子を宿したい」
そんな会話を、生理が来ているかどうかも怪しい子供がしている。この国はどうやら全部まとめて戦王とかいう奴の性欲処理場と化していて、それが当たり前の法則になっているようだった。
頭の中が全部情交だけなのだろう其奴。
もうそれだけで分かった。戦王とやらの居場所もある程度会話で拾えた。とにかく、後は寄れるようならロナウの様子を軽く見て、それで軍師殿やアプサラスと合流することにする。
恐らくこの様子では、カヨコンクムにも何かいるんだろうが、どうせろくでもない輩だろう。
わたしとしては、安全を確保したい。
そのためには、ある程度の危険を冒して、どいつもこいつもほぼ全能に近い相手を、排除しなければならないのかもしれなかった。
4、合流
スポリファール辺境の街。其処の近くで作った拠点で合流する。幸いアプサラスも無事だった。
アルテミスはすっかり調子を取り戻したようである。それは何よりだ。アンゼルに対する件では遺恨もある。それはどうしても、理屈で抑えていてもある。だが、それも我慢できる範囲だ。
そういえば。
勇者はどうして此処でアルテミスの処刑をしようと思ったのだろう。それについては、ちょっとなんとも言えない。
あいつはもう死んでしまったし。
ちなみに戻って見るとアプサラスが主導権を握っていた。
それはそうだろう。
アプサラスは軍司令官で、多くの人を束ねていた立場だ。そういうのに一番適している。この中で政治指導者を出来るのは、多数の人を束ねた経験があるアプサラスくらいだろう。
文民統制という考えもあるらしいが。
残念ながら、今は統制をできる「文民」がいないのである。
「良く戻ってくれた。 それでは情報交換をしよう」
「はい」
一つずつ、話をしていく。
ちなみに帰り際に覗いてきたロナウは剣聖の勢力下にあった。どうやら狼藉者達にとって、誰かしらが領土にしようとさえ思わなかったのか。或いはこの事態を引き起こした転生神だかなんだかが、その価値もないと判断したのか、それも分からない。
「そうなると、カヨコンクムは子供だらけになっていたんですね」
「そうですね。 それもやたら可愛い女の子だらけ。 子供らしい言動もしていなくて、ただ可愛いだけの肉人形だけでした。 支配者になっている狼藉者は、男性かと思ったら、こぎれいな女性でしたね。 子供をたくさん侍らせて、それだけで満足しているようでした」
「歪んでいるな。 子供は生意気ですぐに悪い事を覚えるし、なんなら暴力的で大人より残忍なものだが」
「そうですね。 覚えがあります」
アルテミスは噂に聞いているが、魔法が使えるようになるまでは、随分と苦労が絶えなかったらしい。
周囲の子供の残虐性をもっともよく見て育ったのだろう。
わたしもそれは同じなので、頷きしかない。
気があうのは、妙に腹が立つが。
「今の時点で一番危険性が高そうなのは、ハルメンにいる聖女と、クタノーンにいる戦王と見て良さそうだな」
「そうですね。 まずは近場の聖女から排除を考えましょう。 後、金が必要です。 純金が」
軍師どのが言う。
アルテミスが加わった事もあり、狼藉者に対する戦術が増えたが。いずれにしてもあの訳が分からない石は、素手で触れるものではない。
例えばガントレットを金で作って掴むにしても、あの腐食からして、長い時間もてるか分からないし。
何よりアルテミスが金ガントレットを持って石で殴りに行っても、それが通じる相手ではないだろう。
「アイーシャさん。 あなたの土魔法による金の加工が肝になります。 アルテミスさん、勇者と同等の相手を足止め出来るのは、何秒くらいですか」
「全力で二秒がやっとですね」
「……二秒間足を止めて、その間に石を直撃させるしかないでしょう。 直撃さえさせれば、確定で殺せるとみて問題ありません」
「わ、わたしはもう無理よ……」
ストレルが嘆く。
確かにもう精神的に限界だろう。わたしももう一度、同じように投擲が出来るとはとても思えない。
挙手したのはカルキーだ。
多分、もっとも身体能力がこの中で高い。
単純な武力ではアプサラスの方が上らしいのだが、筋力なんかはこの騎士として訓練を受けている男がもっとも優れているだろう。
「私が石を投擲なりなんなりします」
「スポリファールの精鋭騎士がそう言ってくれるとありがたい。 ただ、それも状況次第です。 必要な時には声をお掛けします。 ストレルさんは、とにかく心と体を休めてください。 作戦は私が立てます」
「……」
恨みがましい目で軍師どのを見るストレル。
まあ、わたしはやる事はやった。
連れてきたメリルは、ずっと青ざめていた。無事な子供がいるというだけで、とても重要なのだが。
戻る過程でも散々ろくでもないものを見たので、それで精神的にかなり参っているのだろう。
帰路で見た。
剣聖の凶行を。
奴が弟子と称する肉人形の女を連れて行く所、領主が全て悪徳領主に突如変貌する。兵士も例外なくその手下に。
剣聖はろくに抵抗も出来ぬそれらを片っ端から斬り伏せ。何故か魔法と剣の達人となった領主と切り結んで、それを斬り殺していた。
それを見て、弟子達がひたすら剣聖を持ち上げる。
勇者とまったく同じだ。
全て都合が良く出来ている。
距離を取って拡大視で確認したが、あれは明らかにそうなるように振る舞っている。そしてやれやれとか言いながら、明らかに剣聖は肉人形に持ち上げられるのを喜んでいるのだった。
それでもまだ聖女と戦王にくらべれば危険度も低い。
それがどれだけイカレているかは、わたしでも分かる。
この世界に狼藉者がどうして現れるのかはよく分からない。
分かっているのは、なんだかよく分からない石一つで、それらに立ち向かわなければならないということだ。
「メリルさんは、ストレルさんと一緒に炊事や洗濯をお願いします。 人数が増えてきましたので」
「わたしもやりますよ」
「アイーシャさんは、これから聖女を斃すための偵察を頼みます。 トリステさんとアルテミスさんとともに、ハルメンに先行してください」
「……」
無言になる。
生意気で明らかにこっちを敵視している女騎士と。
自分の心を整理は出来ているとは言え、アンゼルを殺したアルテミスと一緒にか。
軍師殿はお願いしますと頭を下げる。
わかった、良いだろう。
とにかく聖女は国を意図的に滅茶苦茶にして明らかに面白がっている。早めに始末しないと危ないだろう。
それは同意だ。
今はエゴを表に出すべきではない。
わたしは嘆息すると、作戦支持に従うのだった。
(続)
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