地獄の釜が開いた

 

序、世界が炎に包まれる

 

呆然とするストレル一佐。ハルメン国の高官である彼女は、職場に出勤しようとする途中で、いきなり怒鳴り声を聞いて。何事かと足を止めると、其処では中年の男性と、複数の女性が顔を歪めて怒鳴り合っていた。

意味が分からない怒鳴り声。

警邏は何をしていると思ったら、いきなり全身に違和感が走る。

なんだこれ。

そう思った時には、全てが書き換わり始めていた。

最早意味を為さない言葉で怒鳴りながら、いきなりストレルの腕を掴んで来たのは、ご年配の女性だ。

知り合いである。

普段は穏やかな笑顔で果物を売りに来ているその女性は、怒りと憎悪に歪みきった顔で意味を為さない言葉を怒鳴り散らしていた。

発狂してそうなるようなことはある。

戦場でおかしくなった戦友を見た事だってある。

だが、それだけじゃない。

周り中で乱闘が始まっていた。

とにかく知り合いの女性を振り払うと、その人は金切り声を上げてわめき散らす。そこら中が、理性を失ったかのようだった。

訳が分からない。

ストレルに憎悪が向いている事に気付く。

いきなり鈍器で殴りかかってきた中年の女性を、とりあえず風魔法で放り投げて制圧するが。

立て続けに襲いかかってくる。

これは何かしらの魔法による効果なのか。

ストレルは風魔法に習熟しているが、ただし広域制圧の類は苦手だ。

抱いていた赤ん坊を地面に投げつけ、その場で踏みつけて殺す母親。

子供をよって集って槍で串刺しにする兵隊。

子供は子供で、老人に満面の笑顔で石を投げつけている。頭に石をぶつけられた老人は倒れて動かない。それを見て、指を差してゲラゲラ笑う子供。

魔法で上空に逃れるが、ストレルに向け多数の魔法が飛んでくる。とにかく回避しながら、必死に状況の整理を図る。

こんな混乱状態、初めて見る。

街一つを壊滅させるような軍用魔法はあるが、それにしても全員の頭をおかしくするようなものは聞いた事がない。

しかも今の様子では、魔法使いまでおかしくなっている。

ストレルも頭が痛い。

なんだか猛烈な嫉妬心が疼いてくる。

もっと若い女が妬ましい。

社会的地位が低い男に見られるだけで全身から殺意がわき上がってくる。

いや、おかしい。

そんな風に考える事は普段はない。

社会はどうして成立しているのか。

そもそも人間なんて生物は単では極めて脆弱だ。それがこう繁栄できているのは、互いに助け合う仕組みを作っているからだ。

バカが口にするような弱肉強食論なんかをまともに進めたら、待っているのは末期のパッナーロのような堕落し弱体化した国だ。

それは分かっている筈なのに。

頭の中がぐしゃぐしゃになりそうである。

至近。

火焔魔法を、かろうじて風魔法で散らす。

自分に近い実力を持ち、陸将の階級を持っている女性魔法使いが、浮かび上がってきていた。十二才年上の彼女は、円満な夫婦生活をしていることで知られていたが。今は憎悪に顔が歪みきっていた。

「ストレル……! 無駄に色気をばらまいて、男に媚を売って出世した(聞き取れず)が……! その腐った胸を引きちぎって喉を喰い破って……」

「グラナダ陸将!?」

「に、逃げろ……頭がおかしくなる……! 急いで……!」

「くっ!」

もうどうにも出来ない。

街が火に包まれている。頭を抑えてのたうち回っている魔法使いもいる。視界の隅に見えたのは、あれは軍師どのか。

必死に走って逃げているが、追っているのは顔を怒りと憎悪に歪めきった女性数人。いずれも殺すつもりで追っているのが一目で分かる。その中には魔法使いもいて、雷の魔法を放とうとしていた。

急降下して、軍師殿を抱えて跳ぶ。跳んでから飛行に切り替えて加速する。

運動音痴で小柄な軍師殿といっても、人一人を抱えて飛ぶのはかなり難しい。それでも必死に速度を上げる。

「ストレル一佐!」

「何があったのですか軍師殿!」

「わかりません。 いきなり周り中がおかしくなりはじめて……魔法ではこういうものを知りませんか」

「いえ、わたしの知る限りでは」

ストレルは、今腕の中にいる軍師どのに、なんだか妙な憎悪が湧いてくるのを必死に抑えていた。

異性嫌悪。

そういう考えを持つ人間がいるのは知っている。

例えば後宮で女性の醜さを嫌と言うほど見せつけられた男性皇帝が、女嫌いになって同性愛者になるようなことは普通にあるらしい。

これってそういうものなのだろうか。

だが、それ以前に頭が痛くて、おかしくなりそうだ。

「魔力抵抗はあまり関係無いようです。 魔法使いも例外なくおかしくなっているようですので」

「まずは人がいない場所に。 この街全体が、スポリファールなり他の国なりに攻撃されている可能性もあります」

「分かりましたわ」

何とか街を離れる。

その途中、収監していたアイーシャが逃げ出すのが見えた。空を飛んで、一直線に街を離れている。

今は追うどころではない。

街は地獄絵図だ。

暴れ狂っている人間は、文字通り老若男女関係無し。

ただひたすらに憎悪をぶつけ合い。

金切り声を上げながら火をひっくり返し。暴れ狂って、相手を殺して笑っていた。

駄目だ。

空に風魔法を放ち、撤退の音を立てる。

これで理性が残っている人間が、街を脱出してくれれば良いのだが。

とにかく街の郊外に降り立つ。

だが、この嫌な気配は、まるで消える感じがしない。

まさか魔法攻撃ではないのか。

それにこれだけの広域を此処までおかしくするのは、むしろ難しい。

風魔法などで、まとめて窒息というようなことは優れた魔法使いであれば一人や少人数で出来るかもしれない。

だがこの狂気じみた乱痴気騒ぎを起こすとなると、固有の魔法を使うにしても、一人二人では無理だ。

余程の大規模軍勢が来ているのか。

だが、その割りにはその気配もない。一体何が起きているのか。

呼吸を整えながら、軍師殿に離れないように言う。だが、理性が押さえつけているもう一つの心が。

このガキの分際で自分より出世しているカスを殺せと囁いてくる。

むしろ頭をぐらんぐらん揺らしてくる。

「ストレル一佐!」

「!」

警告の声。

周辺の農民が、農具やらを持って集まって来ている。いずれも目が血走っていて、殺意をむき出しにしていた。

軍人だ殺せ。

そんな感じの言葉を口にしている。

なんなんだどういうことだ。農村とは関係は良好なはずだ。軍は戦争以外では土木作業に協力しているし、災害時は農民と組んで対策に当たっている。だから信頼関係は必須なのである。ストレルも何度も気を揉んで接してきたし。農村側も災害や害獣から守ってくれる軍に感謝の言葉をいつもくれていた。

この辺りの農村は、街の周囲に点々と拡がっている。其処までこの異常が拡がっているとなると。

人間の魔法使いでは無理だ。

いにしえの時代にはそういう力を持っていた者達が暴れていた。勇者だの賢者だの、色々と名乗っていたが。

それらによる仕業なのか。

ともかく、これは無傷で乗り切るのは無理だろう。

八つ裂きだ。

農民達が叫ぶと、一斉に襲いかかってくる。

まずい。無手で制圧は無理だ。

その時、側に降り立ったのは。

赤い髪の無表情な女。

そいつが手をかざすと、農民達がバタバタと倒れる。喉を押さえて苦しんでいる者もいたが、すぐに動かなくなった。

真っ青になる軍師殿。

えげつない戦略を提示して、実行して見せたが。本人はいたって気弱で運動音痴なのである。こういう光景にも抵抗がない。

それをやってみせたのはアイーシャ。

あの東の果ての島で、捕虜にした魔法使いだ。

「殺したんですか」

「殺していません。 殺せというならそうしますが」

「……っ」

「肺の中の空気を操作して気絶させました」

アイーシャはそう倒れている農民達を見やる。その目にはなんの感情も宿っていない。

助けてはくれたのだ。

だが、このやり方はあまり感心できない。

しかし、今は、争っている場合でも無い。

わき上がってくる不可解な怒りや憎しみ、何よりも強烈なエゴ。それらを必死に抑えながら、礼を言う。

不思議そうに小首を傾げた後、アイーシャは変な事を言った。

「追放だと言われるかと思いましたが」

「そんな事は言わないわ。 ともかく、此処を離れましょう。 ちょっとこれは尋常ではない。 何処かの国の軍による攻撃と最初は思ったのだけれど、違うわね」

「首都に向かいましょう。 方向は僕が指示します」

軍師殿は意外と冷静だ。

街の方がドカンと何かの要因で爆発したようだった。

もうあれはどうしようもない。

鎮圧も出来ない。下手に近付けば、ストレル以上の使い手が複数出てくる。それも最初から殺す気で来るだろう。

悔しい事に見捨てる事しか出来なかった。

軍属としては本来だったらこっちの方が悔しいはずなのに。

それ以上にわき上がってくる不可解な嫉妬やら怒りやらを抑えるのに、脂汗まで流し続けなければならなかった。

 

ストレルと軍師と呼ばれていた子供を助けたのは気まぐれだ。

というか、助けたは助けたけれど、襲ってくるようだったらその場で殺すつもりだった。

疲弊しきっているようだったし、負ける事はなかったし。

何より後で脅威になる可能性も高かったから。

軍師と呼ばれていた子供と一緒に北上する。

その間、何度もストレルは撤退の指示らしい魔法を打ち上げていたが。それに応じるものはなし。

彼方此方で火が上がっていて。

街が丸ごと燃えているような状況も珍しく無かった。

農村では殺し合いが起きていて。

大事な田畑を火に包んで、農村そのものも燃えていた。

賊が暴れそうだが、そういった賊も殺し合っているようだ。

異常はそれだけではない。

途中で、ハルメンのオーク牧場にさしかかった。名前の通りの場所で、ストレルの話によると此処で軍用オークを育成している。

場合によっては使えるかも知れないと判断したようだが。

其処は既に無人。

まあその可能性は想定していたが。

そこには変なのがいた。

豚人間とでもいうべきなのだろうか。

わたしが知っているオークとは違う。

粗末な衣服を着ていて、まんま直立した豚(とはいっても豚よりも小さいが)みたいなのが、何やら話している。

「孕ませる人間の女はいねえかあ」

「いねえ」

「男はみんな殺しちまった。 必要なのは女だあ」

「さらってくるぞ」

おかしい。

軍師どのがぼやく。

オークはそもそも姿があんなではない。わたしもそれは見たので知っている。

言葉だって喋れない。

あれがオークなのか、新しくどこかから現れた存在なのかはちょっと分からないのだけれども。

いずれにしても、此処には制御出来る軍用のオークを探しに来たのである。

あれらはとてもではないが、役に立たないだろう。

始末して欲しい。

軍師どのに言われて、頷いて出る。

気付かせる必要もない。

風魔法を行き渡らせて、辺りを何の意味もなさそうにうろついているのも含めて、位置を把握。

後は一網打尽に、毒ガスを肺の中に発生させて、皆殺しにしてしまった。

これでよし。

倒れ伏している豚人間。ストレルが嘆息していた。

「オークを軍用化して、制御するのに本当に苦労したのにね」

「人間をエサにしていると言うのは本当ですか」

「……本当よ。 ただし人間をエサにしてあそこまで大きくしていたのではなくて、戦場で敵を恐怖させるために、人間も積極的に食うようにさせていたのだけれど」

「そうですか」

わたしはそのせいで一度追放されたのだが。

まあ、それを根に持っても仕方がない。

無人になった軍施設を調べる。

殺された男性の死体が積み上げられている。此処の職員だったような連中とみて良いだろう。

食われていない。まああのオーク、人間と大差ないし、ゴブリンと同等くらいの体格しかなかった。

それでも豚は強靭な顎で人間なんか骨ごとかみ砕くのだが。この様子では、それも出来る様子はない。

女性の死体も見つけた。

死ぬまで強姦されたようだった。

こんなにしたら孕むどころではないだろうに。

なんなんだ。

手記を見つける。

急いで此処の職員が書いたようである。

皆がおかしくなって、オークがいきなり人間大まで縮んだ。それどころか、豚が直立したみたいなのになった。

そんなのは脅威では無い。

それほど仲も悪くなかった職員が暴れ出し、殺し合った。結果として、オークもそれに加わって。

此処はもう駄目だ。

出来るだけオークは間引いたが、それでも殺し尽くすのは無理だ。オークは小さくなったが数がやたら増えた。

誰かこれを読んだら、オークを始末してくれ。

俺もいつまで意識がもつかわからない。今も手が震えていて、何を書き出すか自分でもわからない。

その文字の後、手記は血に染まっていた。

側に、死体を引きずっていった跡が残っている。オークが死体を引きずっていって、積み上げたのだろう。

この牧場のオークは始末できた。

だがゴブリン牧場もあるらしい。

この様子では、其処も地獄絵図だろうなとわたしは思った。

誰か、逃げ延びて孤立しているものはいないか。

そう軍師が何度も呼びかけるように頼んで来たので、仕方がないのでやる。このままだと、逃げるどころではないだろう。

人を見つけたと思ったら、訳が分からない金切り声を上げて襲いかかってくる。そんなのを何度も見た。

山の中を移動しながら、ストレルが何度も吐いていた。

そして、狼煙やら、軍用の撤退指示になる音とか、そういうのを上げたり鳴らしたりしていたけれども。

それで誰かしらが合流してくることもなかった。

これはハルメンは終わりかも知れないな。

そう思って、ひたすら移動する。

大きめの都市の側についたが、やはり大炎上している。内部では組織戦すら起こらず、無秩序に殺し合っているようだった。

「これはいくら何でもおかしすぎる」

「すぐに離れた方が良いでしょう。 魔法使いは相変わらず魔法を使えるようですし、察知のために魔法をつかったら、即座に襲ってくる可能性も高いので」

「くやしいけれどその通りね」

「何か情報でも得られればいいのですが」

軍師が呻く。

わたしはストレルと軍師を観察していたが、此奴らもいつ錯乱してもおかしく無さそうである。

特にストレルは、何度か寝る寸前に、軍師の首に手を伸ばしているのを見た。

冷や汗を掻いて止めていたが。

一体これは、何が起きているのか。

わたしも流石に状況が不可解すぎるので、少しでも理性が残っている人間とは離れたくない。世界そのものが発狂したとしか思えないこの状況で。

わたしは彼方此方逃げ延びてきた勘もある。

少なくとも何が起きたか分かるまでは、この二人と行動するしかなさそうだった。

 

1、瓦解する大国と現れる異邦

 

ハルメンの首都が燃えている。

此処も駄目か。

軍師どのが涙を拭っている。これではもうどうしようもない。わたしは手をかざして、様子を見ていた。

かなり腕が良い魔法使いが飛翔しながら殺し合っている。

あれはこの国で一位と二位の魔法使いで、それも夫婦だとストレルがいう。仲がいい夫婦で、あんな風に殺し合うのはあり得ないとも。

たしかに手をかざして見ていると、相当な腕前だ。

だが、あれで一位と二位か。

今わたしの腕は更に上がってきている。それでもまだその一位と二位の方が上だとみたけれど。

だが、手が届かないほどでは無い。

あのアルテミスほどの異様さは感じない。

これなら、不意でもつけば倒せそうである。

とにかく派手な魔法を撃ちあって、閃光が炸裂しあっている。ストレルが呻く。

「おかしい。 どちらも堅実な戦いを旨とする魔法使いであられたはずよ。 あのような見栄えだけの戦いなどする筈がない」

「オークがいきなり大きな猿から豚に変わったくらいです。 ゴブリンも更に小さくなっていたじゃないですか」

ストレルが呻く。

ゴブリンには途中で襲われた。

幼児くらいの大きさになっていて。しかも此奴らも、女とみた瞬間、襲おうと集団で掛かって来た。

全部窒息させたが。

おかしいのは、全部オスだったということだ。

ゴブリンも猿から変わっていった種族。

つまりは生物だ。

それがオスしかいないとかあり得ない。

色々な種族を見てきたけれど。オスとメスで役割分担をしているのは確かにいる。交尾のためだけに雄がいて、それが終わるとメスの栄養になってしまうような種族だって存在した。

だがオスしかいないのはおかしすぎる。

それ以外にも、おかしなものは散々見た。

世界が、急激に書き換わっているとしか思えない。

「ああっ!」

ストレルが悲痛な声を上げた。

殆ど相討ちになるような形で、一位と二位の魔法使いが落ちていったようだ。あの高さだと助かるまい。

二人とも、ハルメンを支えていた支柱だったそうだ。

それがあんな無惨に。

そう思うと、悲しくてならないのだろう。

わたしにそういった愛国心だのは存在しないが。悲しんでいるストレルが、顔を覆って震えて泣いているのを見ると。

悲しいのだと言う事は分かる。

だから何も言わない。

離れるべきだと提案するが、いやいやとストレルは首を振る。

あれで心が折れたのだろうか。

軍師どのはいう。

「せめて国王陛下の安否は確認しないと……」

「リスクが大きすぎるように思いますし、多分発狂していると思いますよ」

「そうよ! 何もかもおしまいだわ!」

あ、これは壊れたかな。

わたしはストレルがヒステリックに泣き出すのを見た。どうやら完全に今ので抑えていたのがあふれ出したらしい。

ストレルが喚き出す。

軍師殿を不愉快だったとか、どうしてガキのくせにこんなに出世が早いのだとかとか、唾を飛ばして罵り始める。

此奴に敵対されると面倒だ。

殺すか。

そうおもった瞬間、軍師殿が、突然土下座していた。

「僕が気にくわないのなら謝りますし、殴ってくれて結構です! だから、今はアイーシャさんと協力して、この国のために動いてください! 貴方はこんな状態で正気を保てている少ない例外だ! そんな狂気になど負けないで!」

「……」

「ぐ、うう、うああああああっ!」

顔を憎悪と涙でぐしゃぐしゃにしながら。

ストレルは子供みたいに泣きじゃくっていた。

わたしもまだ子供から片足を抜け出した程度の年だが。

それでも、こうも感情は乱れない。

豊かな感情を持っていて羨ましいな。

ほんのりそう思ったが。

しばしして、ストレルは地面を何度も蹴りつけた。そして、恨みが篭もった言葉を何度も吐き捨てた。

それで、どうにか自分を取り戻したらしい。

何度もメイクが壊れた顔を拭うストレル。

メイクが取れると、随分地味な顔である。

それもさっきまでの憎悪とかの原因なのかも知れない。化粧すれば美人になるのだから、それで良い気がするが。

「ごめんなさい、落ち着いたわ」

「とにかく、国王陛下を救出します。 それから少しずつ、周辺の状況も探らないと。 それに、正気の人間を少しでも見つけないといけません。 特務で正気の者が一人でも生きていると良いのですが」

無理だろうな。

わたしはそう思うが。

他に方法もあるまい。

それにあのスポリファールを振り回した軍師どのだ。今は動転しているようだが、それでも生きていれば少しは役に立つかも知れない。

だいたい見捨てるにしても、わたしもこの状況で生き残れる自信はあまりない。

世界そのものが発狂したとしか思えないこの状況で。

少しでも味方が欲しいと言う点は、わたしも同じだった。

 

ストレルと軍師どのと一緒に、王都に入り込む。

人が殺し合っているのはずっとだ。こっちを見る視線は、憎悪と敵意に満ちている。それはもうどうでもいい。

分厚い城壁も堅牢な城門も開けっ放し。

そこらの下水には死体が放り込まれ。頭を叩き割られた死体には、蛆が集りはじめていた。

殺し合いの声がまだそこら中から聞こえている。

声を荒げているのは男も女も同じ。

断末魔。

どこからでも聞こえてくる。

殴打の音が、明らかに致命傷のものだ。絶叫。狂ったように笑う声。

これはもう、どうにもならないだろうな。そう思いながら、わたしは風魔法で気配を探る。

辺りが突然燃え上がった。

風魔法で防ぐが、凄まじい炎魔法だ。

あの伯爵が欲しがっていたんだろうな、こんな魔法。わたしはそう思いながら、必死に防ぐ。

ストレルが風魔法で加勢してくれる。

炎は空気が無くなると消えるらしいが、炎魔法の多くは炎を作り出して投射してくるものだ。

だから空気が無くて消えるほど温いものでもない。

ただし、凄まじい風圧で投射を逸らすことは出来る。

ほどなくして、打ち破る。

人影が見えてくる。

そろそろ子供が産めなくなる年の女性だ。凄まじい憎悪で顔を歪めていたが、ストレルが息を呑んでいた。

「アルクネ陸将!」

「ううう、ううるううう!」

「知り合いですか」

「この国で上位に食い込む魔法使いよ。 ああ……こんな方まで!」

そうか、立派な人だった訳だ。

だが、こうなってはおしまいだろうな。

手加減とか出来る相手では無い。わたしは即座に魔法を展開。相手の肺に毒ガスを送り込む。

しばし喚きながらそれに抵抗していたアルクネという将軍だが、やがて白目を剥くと、倒れた。

手加減できる相手じゃない。

暴れ狂って魔力を消耗していたから勝てたが。そうでなければ、確定で殺されていただろう。

死んだアルクネという将軍を放って、先に行こうとする。

そうすると、ストレルが叫んでいた。

「人殺し! だから貴方の事は危険だって皆に言っていたのよ!」

「殺さなければ殺されていましたが」

「だとしても、少し呼びかけてみるとか!」

「アレを相手に、そんな事をしている余裕なんてありませんでしたが。 追放するというなら出ていきます」

わたしもいい加減、追放されるのには慣れている。

しばし火花が散るが、軍師殿が頼むからと必死に頭を下げてくる。

「アルクネ陸将がもう駄目だったのは事実です! 今は二人、協力してください! 状況を確認して、味方の一人でも見つけないと!」

「だからあんたは嫌なのよ! こんな時まで冷静ぶって!」

「……」

「アイーシャさん、やめてください! とにかく、今は力を合わせないと、生き……」

わたしが即座に動く。

立て続けに飛んできた弩の矢を、風で防ぐ。

狙っていたのは軍師の方だ。

わたしが防ぐと、周囲から兵士崩れらしいのがわらわらと現れる。

どれも女性兵士のようだが、全員顔を歪めて、口から泡を吹いていた。

これは駄目だな。

「近衛兵の鎧よ! こんな人達まで、狂っているの!?」

「これはもう生き残りなんていないと思いますが。 さっさと王都を出るべきでしょう」

「……もう少しだけお願いします! 幾つか隠れるための場所に見当がありますので!」

軍師がそう叫ぶ。

まあいいか。

わたしは即座に魔法を展開。全員窒息させるべく動くが、近衛の鎧とやらに対魔法の仕掛けでもあるのだろう。

兵士達は、普通にこっちに来る。

ただし足下がおぼついていない。

途中で倒れる兵士。

ストレルが泣きわめきながら、兵士を炎魔法で焼き払う。次々に来る近衛らしい兵士だが、いずれも理性を保って等いなかった。

全部殺しても、まだ周囲では戦いの音と、怒鳴り声が聞こえてきている。

死体の山を一瞥だけすると、軍師どのに次はと視線を送る。

軍師どのも涙を拭いながら、こっちだと案内してくれるが。案内された先の建物は、内部に死体が山ほど詰まっていて、しかも焼け焦げていた。

戦争の狂乱そのものだ。

わたしはロイヤルネイビーにいた時期があるから、こういうのは見慣れているが。

ストレル一佐は軍人の筈なのに、時々口を押さえて青ざめている。

線が細いな。

たくさん殺してその地位になっただろうに。

他も調べて回る。

駄目だ。何処も死体か、凶暴化した人間しか残っていない。

わたしは王都を出るべきだと提案したが、王宮を確認すると軍師殿は言う。或いは其処は誰か生き残っているかも知れないと。

仕方がない。

わたしも単独で生き残れる自信はあまりないし、無言で付き従う。

途中で訳が分からない言葉を発しながら、顔を歪めて襲いかかってくる人間を。片っ端から排除しなければならなかった。

やがて、井戸の一つを見つける。此処が地下通路につながっている避難所になっているらしいのだが。

玉座の間を、遠隔で調べて。

其処でたくさん人が集って、人間を滅多刺しにしているのを既に風魔法で確認している。

それらの人間は、「王族は優秀なはずだ」「容姿も優れている筈だ」「そうでないのだからお前は王族では無く偽物だ」とか喚きながら、玉座の肉塊をぐしゃぐしゃにしていた。よく分からないが、貴族だの王族だのが優秀だのいう妄想で勝手に人を定義して、それを元に相手を殺すのはまっとうな人間がやる事なのだろうか。わたしにはそうとはどうにも考えられない。

それは勿論軍師どのに伝えてあるが。

影武者かも知れないと、何だか情けない様子で口調を落として言う。

最後の希望に賭けたいのだろう。

まあいい。

好きなだけもうやらせるしかない。

井戸の底に降りる。

血で真っ赤だ。

辺りは死体だらけだし、土にしみこんだ血が井戸に流れ込んでいるのだろう。ろくでもない話である。

ともかく、井戸の底に道があったので、そこに入る。

上の方では乱痴気騒ぎが続いているし、こっちの方が気が楽だ。

ひんやりした空気と、しんとした静かさ。

こっちのが、わたしにはあっている。

「此処は氷室になっていて、氷を保存しています。 王族だけが許される贅沢品だったりします」

「そうですか」

水魔法使いでも、氷を一定量作れる人間はあまり多く無いらしい。風魔法と水魔法を組み合わせて、それでやっと氷は作れるようだ。

中には氷を専門で作り出す魔法使いもいるそうだが。戦闘で氷魔法を展開する技量となってくると、国に十人といないらしい。相手を冷やすことだったら簡単なのだが、氷をそれで瞬間的に作り出して、相手を殺傷するのはそれだけ難しいと言う事だ。氷を作るのもしかり。

故に冬の間に氷を作っておいて。

こういう場所で保管しておくのだとか。

馬鹿馬鹿しい話だが。まあそれについてはどうでもいい。

奧へと進んでいくと、ストレルがあっと声を上げていた。

膝から崩れ落ちてしまう。

声を殺して泣いている。死んでいるのは、頭を真っ二つにかち割られた男性だった。兵士のようだし、どうみても探している王ではないだろう。

「知り合いですか」

「ええ。 近衛の副長、アタシの好きな人。 好きだった……人……っ」

「そうですか」

まあ、恋人くらいいてもおかしくないか。

軍師どのが黙祷しているが、随分と余裕があるな。錯乱しかけているストレルを引きずって、奧へ。

点々と兵士が死んでいる。

この様子だと、駄目だな。そう思うが、それでもまだ可能性があると言って、軍師どのは進む。

最深部。

兵士の死体が積み重なっていた。どれも死んでいる。

此処の先が、王都の外につながっているらしいのだが、扉はさび付いていて。開けた様子はない。

風魔法で調べるが、埃などの状態からも、ずっとあけていない。

つまり此処で殺し合いをしたということだ。

兵士の死体を避けていくと、男性の死体だ。

胴から真っ二つにされて死んでいる。

軍師どのが、悲鳴を上げていた。

殿下。

そう叫んでいる事からして、これは王子様とやらだろう。普通の男性だ。容姿が優れているわけでもなんでもない。

逃げるためだからだろう。地味目の服を着ていて。

それもあるだろうが、別に優れた容姿の人間でもなんでもなかった。

「これで全滅ですね。 ただこの脱出路は使えそうですが」

「あんたそれでも人間!? これだけの人の死を目の前にしても、なんでそんなに平静でいられるの!?」

「わたしの故郷はこうでしたよ。 毎日人がゴミみたいに殺されて、腐った水が流れている側溝に死体が流れていて。 人攫いが子供をさらって、奴隷がそこらで当たり前に売られていて。 わたしも売られた一人でした。 今更こんな光景を見ても、嫌なところに戻って来たなくらいにしか思いません」

「このケダモノ!」

掴み掛かってくるが。軍師殿が必死に止めに入ってくる。

震えている。

年齢は下手するとストレルの半分くらいだろうに。

「第二王子殿下がこれだと、第一王子殿下が脱出出来たとも思えません。 しかし王都にいなかった末の王女殿下は、まだ生きているかもしれません。 い、今は、少しでも冷静に。 まずは王都を脱出しましょう。 この有様では、玉座で死んでいるのが陛下でしょうから」

「このクソガキが!」

「僕は地獄に直行便が用意されているクソガキです! あれだけの悪辣な策を準備して成功させたんですから! でも、それでも……今は無駄死にをこれ以上出したくない……最善は無理でも次善の策を実行したい。 それだけなんです」

それだけいうと、膝から崩れ落ちる軍師どの。

わたしは何も思わないし思えない。

ため息をつくと、土魔法で無理矢理さび付いた扉を開ける。

この様子だと、王子を連れて逃げだそうとした兵士達が次々と錯乱していって、此処で殺し合ったのだろう。それに王子も巻き込まれたと。

いや、まて。

本当に錯乱か。

わたしは扉を開けると、考え込んでしまう。

今まで暴れていたような連中を、わたしは見た事がある。

そう、あの伯爵だ。

あいつは王以外に抑える相手もいなかった。それで、あんな風になった。恐らくはパッナーロの他の貴族なんかもそうだったはずだ。

勿論抑える相手がいない場合、人間が全てああなるかは分からないが。

ハルメンが壊れた直後だろう。わたしの所に審問に来た奴が吠えていた。

法なんかより感情の方が大事で。

わたしは見た感じ気にくわないから、罰を与えて良いのだと。

それは人間が、こういう群れを作っていないときに持っている感情で。誰もの中にあるのではないか。

それを抑えなくなると、こうなるのではあるまいか。

なんとなくそうとだけ思ったが。

軍師どのは見解を口にしない。

ともかく、脱出路を行く。流石にこっちは何もいない。淡々と進んでいくが、かなりの長さ、洞窟が続いている。

ストレルが何度か涙を拭っている。

坂道に入ったので、わたしが土魔法と風魔法での移動を提案。だが、軍師どのが駄目だと言った。

「僕は事前に聞かされているんですが、この先は魔法に反応する罠が幾つもあるそうなんです」

「なんでそんな面倒な事を」

「出口側を抑えられるのを防いだり、毒の風を流し込まれて一網打尽にされるのを防ぐためだと思います」

「……」

だとすると、風魔法の展開も止めた方が良いか。

この三人だと、肉弾戦がかろうじて出来そうなのはストレルくらいか。わたしは論外。軍師どのに至っては、同年代の子供に比べてもだいぶ劣っていそうである。

ともかく急ぐ。

半日くらい掛けて洞窟を抜けると、外は夜になっていた。

王都だか首都だかの方は明々と燃えていて。

この国が終わった事を誰でも分かるように見せつけていた。

離宮に王女がいるらしいが、まだ四才だそうである。なんでも妾腹の子らしくて、暗殺などを避ける為に監視付きでそんなところにいるそうだ。

軍師どのがなんでこんなに詳しいかというと、パッナーロを巡る広域戦略を提案して成功させたのが要因らしく。

その功績を受けて、いざという時に王族を守るべく、こういう情報を貰ったのだとか。

というかだが。

見た感じ、野心が欠片もないのが原因ではないかと思う。

それについてはわざわざいわない。

くすんくすんと泣いているストレルを引っ張って、そのまま行く。まあ恋人も死んだし、守るべきものもなくなってしまった。

わたしとしては、聞いておかざるを得ないが。

「それで王女様も死んでいる可能性が高いですが、その時は?」

「……他の国に一度移動します。 スポリファールは流石に受け入れてくれないでしょうから、隠密しながら旧パッナーロに抜けましょう。 かなり危険な旅路になると思いますが、それくらいしか思いつきません」

「そうですか」

また彼処に行くのか。

わたしにとっては因縁の地そのものだ。

ただ、ハルメンだけだろうか。こんな風になっているのは。

他の国も全部まとめてこうなっていたら、ちょっとどうするべきなのかわたしには見当もつかない。

外に出たので、もう風魔法と土魔法で、一気に移動する。

本来は徒歩二日くらいの場所に離宮があるそうだが。

この魔法だと、半刻も掛からない。

さっさと次の方針を決めるためだ。わたしとしても、用事は早々に済ませたい。

ほどなく、離宮に着く。

空に瞬いている星が異様に明るい。

これは辺りに人気がないためで。ついでに今天気が晴れだからだ。

ただ星明かりが強いといっても、昼のように周囲が見えるというわけでもなんでもないのだが。

「光魔法は使えます?」

「いや、やめておきましょう。 発見されやすくなります」

「今更だと思いますが」

「それでもです」

少し冷静さが戻って来たのか、軍師どのがいう。

森が見える。あの奧に離宮……といっても少し大きめの家程度しかないそうだが。其処を目指す。

森の中にも、死体が点々としていて。

野犬が囓っている。

わたしは目につき次第風魔法で窒息させる。血の味を覚えている時点で、いつでも襲ってくるからだ。

それにしてもこの辺りでも散々殺し合ったんだな。

これは駄目だろうな。

そう思って、離宮に。離宮とは名ばかりのちいさな家に。

家の周りには、それなりに良い鎧を着たのが死んでいる。此処を守っていた、忠誠心が高い兵士とか近衛とかだろう。

どう見ても同士討ちの結果だ。

それらも野犬がかなり囓っていた。熊もいる。全部窒息させて殺す。既に死体の一部は腐り始めていた。

離宮に入る。中も戦いの後でさんさんたる有様だ。

風魔法で確認。上に子供の死体がある。

二階に上がって、部屋の一つを見た。

そこには、壁に槍で串刺しにされた、事前に聞いていた容姿通りの子供の死体があった。

どうやらハルメンの王家関係者は全滅とみて良いだろう。

ストレルが限界を迎えたらしく、泡を吹いて倒れてしまった。

「……少し休みましょう。 この国はもう終わりです」

軍師殿が、ここに来る前に見つけていた、兵士の詰め所らしい建物に行こうという。

其処ならば、確かに休む事は可能だ。

内部には、誰もいなかったのだから。

 

2、破綻ははじめてに非ず

 

蓄えられていた食糧は殆ど無傷だったので、持ち出して囓る。保存食が主体だったが、まだ傷んでいない食材もある程度あった。

それらをストレルが無言で料理している。

調理ではない。

まあ恋人もいたらしいし、花嫁修業とやらもしていたのだろう。わたしのいた伯爵領の基準では結婚には遅すぎる年齢だが。

スポリファールなどでは色々聞いていた。

仕事が出来る女性は婚期が遅れることが多いらしく。

ストレルも恐らくはそうだったのだろうとわたしは思った。

「少し考えをまとめました」

朝食を囲みながら、軍師どのがいう。

外は死体だらけだ。ストレルが少しでも埋葬したいというが、軍師どのは俯くだけだった。

わたしは咳払い。

話を進めて貰う。

此処でストレルの感情に寄り添っていても仕方がない。

わたしは罵られたようにケダモノなのかも知れないが。ケダモノらしく生きる事は相応に考えている。

「……実はこの狂乱、覚えがあるんです。 何かと思ったら、幾つかあったいにしえの時代の記録でした」

「いにしえの時代の?」

「はい。 勇者やら賢者やら聖女やら剣聖やら。 そういった称号を名乗る存在が大挙して現れて、世界を滅茶苦茶にした時代。 当時グンリやドラダンをはじめとした幾つかの国が、今の国際情勢と同じような覇権国として、世界を握っていたらしいんです。 その中には滅びてしまった国も多いようなのですが、ともかく。 狂乱の時代の前の文書は、わずかだけしか残っていません。 それらの文書も、発狂したような内容が多くて」

それでも僅かだけながら、幾つか文章の体を成していたものもあった。

それによると、皆がおかしくなったというのである。

今回と同じように、欲望のままに、感情のままに誰もが暴れ出した。

意味が分からない理屈で他人を殺しだしたり。

いきなり殺し合ったりした。

法典を土足で踏みにじり、美術品を砕いたり火を掛けたり。

狂乱だ。何もかもがおかしくなった。

そう記載されている文書が、僅かながら残されているらしい。

つまりだ。

勇者だの賢者だのが現れた時代は、世界そのものの法則がおかしくなったということか。確かに今の状況が近いかも知れない。

「だとすると、また勇者だの賢者だのが現れて、世界に君臨すると?」

「なんとも。 ただ、既に君臨している可能性もあります」

「確か記録に残っているだけでも、現在の魔法使いでは手に負えない相手でしたよね」

「はい。 まるで世界そのものが味方しているかのように、訳が分からない能力を持ち、それを極大解釈して事実上の全能に近かったとか」

なる程ね。

関わってはならない相手と言う訳だ。

それでどうするか。

軍師どのは、まずは正気の人間と接触を図りたいと言う。

だがそんなもの、存在するだろうか。

ストレルはいつ壊れてもおかしくないし。

軍師どのだって大差ない。

それにどうやったら壊れるのかが、今一分からない。頭の良い悪いはあまり関係が無さそうである。

「アイーシャさん。 風魔法で探知をお願いします。 少しずつ探知範囲を拡げて、正気のままでいる人を探して、それで合流しましょう」

「別に良いですけれど。 それでどうにかなりますか」

「まずは生き延びる事です。 それから……」

「それよりも、こんな酷い状態を、どうにかしないと!」

ストレルが喚く。

みんな埋葬してあげたい。

そう叫ぶが、そんなの後回しだと思うが。

だが軍師どのはいう。

「ストレル一佐はかなり精神が不安定になっています。 皆を埋葬して、それで少しでも落ち着くなら、それを手伝うべきです」

「こういう所でそのまま埋めると、熊やら犬やらが掘り返して食べるだけですよ。 少なくとも焼かないと」

「どうして貴方はそう言い方がいちいちおかしいの!? 心ってないの?」

「心は幼い頃に作り損ねました。 聴取で答えたじゃないですか」

別に挑発なんてしているつもりはないが、喚きながらストレルが掴み掛かってくる。わたしとしてもいい加減窒息させてやりたいが。ともかく、軍師どのが必死に止める。

火葬をまずしようと。

わたしが死体を火葬するための窯をまず作り、火はストレルが管理。

其処に辺りの死体をまとめて放り込んで、全部まとめて墓に入れると。

そうしたら、王女殿下は別だとストレルが叫びだしたので、もう勝手にしてくれと思う。王子殿下の死体も回収したいらしい。

ストレルもおかしくなりはじめている気がするが。

まあ、良いだろう。

どうせ行く所もないし、当面は隠れる以外にはない。

とにかく一緒にやっていくしかないのだ。

ある程度は譲歩するしかない。

今はヒステリーを起こしているストレルだが、それなりに腕が立つ魔法使いだ。わたしと殆ど同レベルだろう。

だとすると、死なせるのはもったいない。

淡々と窯を作る。

その間に、ストレルが荷車で、死体を運んでくる。涙を拭いながら、死体を順番に鎧を脱がし、燃えるものは外して行く。

死体は綺麗なものじゃない。

表情なんかはグシャグシャに崩れるし、元が整った顔であるほど嫌悪感を催すものになる。

犬なんかに食い荒らされた死体は更に悲惨で、柔らかい場所から食い荒らされる。目とか唇とか。

だから顔が殆ど残っていない死体も多い。

王女の死体も運ばれてくる。

激しい暴行を受けた挙げ句、壁に槍で串刺しにされたようだ。

ロイヤルネイビーの水兵もそうだったが、女だったらなんでも犯すみたいな男の兵士は珍しく無い。

狂乱した連中ならなおさら歯止めも利かないだろう。

まずはその王女様から火葬し。

肩身らしい宝石の指輪だけ、軍師どのが外しておく。

そして灰を埋めて墓石を乗せて。後の死体は、まとめてどんどん燃していった。

途中で狼だの熊だのがエサを求めて近付いて来たが。わたしが片手間に風魔法で窒息させる。

食べるのは止めた方が良いだろう。

どれも太っている。

どうして太っているのかは、まあこの状況だし、わざわざ考えるまでもない。

一部の死体は蛆が湧き始めている。

あっと言う間に蛆は湧く。

これも伯爵領で見た。

酷い場合はまだ生きている状態で蛆が湧いたりする。

まあ、わたしにはどうでもいいことだ。

死体をあらかた片付けた後、ストレルがどうしてもと泣いていうので、王子とやらの死体もまとめて運ぶ事にする。

軍師どのによると、偵察にもなるということだが。

あの洞窟を荷車で行き来するのは手間だ。

ともかく、偵察も兼ねてあの脱出路まで行き。

其処で死体を運び出す。

王子の死体も、殺し合った近衛の死体も。それとストレルの恋人の死体もついでに運び出しておく。

まだ狂乱は続いているようで、井戸の外では争いの音がしていた。

わたしは淡々と死体を片付ける。

作業だ。

最初はずっと泣きながら作業をしていたストレルも、少しずつ慣れてきたらしい。軍師どのが、血は必ず洗い流せというくらいには、感覚がおかしくなっている。

大量の死体を燃やして処分。

エサを求めて寄ってくる動物も全部片付ける。

その後は、鎧だの何だの。燃やさなかったものを洗って綺麗にしていく。水魔法でやってしまう。

もしも経済が復活した場合、これらは売って金に出来る。

そういう計算も、軍師殿にあるらしかった。

途中からストレルは殆ど泣かなくなった。

というか、感情が壊れたらしい。

もういい大人の筈なのに。

或いはわたしの仲間入りなのかも知れなかった。

脱出路にあった最後の死体は、腐り始めていた。それを片付けて、それで一息つく。

離宮には相応の食糧が蓄えられていたので、まだしばらくはそれでしのげる。ストレルにつきあってやったのだ。

後は働いてもらわないと困る。

わたしはそう思っていたが。

ストレルは、わたしを恨みがましく見る。

軍師どのもだ。

「それでこれからどうするので」

「恐らくもう首都は駄目です。 資料などの記憶を思い出しても、どれくらいの期間狂乱が続いていたかのものはありませんでした。 だとすると、この先何が現れるかですが」

「何が出るとしても、勝ち目なんてありませんが」

「そうですね。 ストレル一佐は戦える状態ではありませんし。 アイーシャさんはかなり戦闘向けの魔法を使えますが、伝承にあった世界の破壊者達の能力を考えると、とても太刀打ちは出来ないでしょう。 スポリファールのアルテミスでさえ、手に負えないと思います」

まあ、その見解はわたしも同じだ。

だが、だからといってそのままやられてやる気もないが。

それに、そういったよく分からない経歴の連中が湧いて出るとも限らない。

オークがいきなり豚になっていたくらいだ。

世界中に巨人が出てもおかしくないだろう。

ふと気付く。

離宮の外に気配がある。それもたくさん。人じゃない。

ストレルに警戒を促して、外に出る。

外にたくさんいたのは、ゴブリンだ。

子供みたいに小さくて、痩せこけていて、武器を手にしている。

異変が起きる前に見たゴブリンは、背丈は子供くらいだったが、筋肉の塊で極めて屈強だった。だがこれらは違う。

武装した人間にとってはカモでしかない。

「女だ。  人間の女が二匹いる」

「子供を孕ませろ」

「男のガキの方はいらない。 バラバラにして喰っちまおう」

「近付くと対応しますが」

わたしの冷静な声を聞いて集まってきている子供みたいなゴブリンはゲラゲラと笑った。

我等はゴブリンだと。人間の女は我等の孕み袋なんだと。

そうか。

オークもそうだが、元より脅威度が下がってそうだな。知能的な意味でも。

軍師殿が、数匹は残してくださいというので、頷く。まあ、できない事はない。

既に風魔法は展開済み。

そのまま、一気にまとめて窒息させる。窒息は既にわたしの得意魔法だ。ゴブリンは何もできずに、その場でバタバタと倒れていく。数体は、わざと窒息しないように風魔法で拘束だけしていた。

「ひ、ひいっ!」

「な、なんだよ! どうしてこんなに強いんだよ!」

「わたしは別に強くありませんが」

「いや、世界的な基準でも上位に入ると思います。 一部の例外がおかしいだけです」

軍師殿が冷静に言う。

拷問はストレルがやるらしい。

わたしはわざと残しておいたのを地面に今度は首だけ出して埋める。土魔法と組み合わせれば簡単だ。

精神の均衡を明らかに崩しているストレルは、躊躇無くのこぎりを持ちだした。そして、一匹の首を切りおとす。

軍師どのが視線を逸らしている。

線が細いな。

あれだけの大戦乱を制御して、スポリファールに不利な状態を作り出したとは、とても思えない。

「は、話す話す! だから止めてくれ!」

「リョウメイ二佐」

「まずは彼等がどこから来たのか、どのくらいの人数がいるのかを確認してください」

「ええ。 分かったわ」

ストレルが斬りおとした首をぶら下げながら、もう一体から情報を引きずり出していく。

それによると、ゴブリン(いままでのと違うが)は近くに巣穴をこさえていて、数百匹がいるらしい。

近くで女をさらっては片っ端から子供を産ませるべく孕ませているそうだ。

巣穴にいる女は既に十人ほどらしく。

女以外は全部食糧にしているらしい。

「分かりました。 もう結構です」

ストレルがなんの躊躇もなく残りのゴブリンを炎魔法で焼き尽くしていた。いずれにしても、これはその巣穴を処理する流れか。

面倒くさいが、もう自棄だ。

安全を確保すると言う意味もある。

少しずつ、周りを安全にしていかないといけない。

 

捕まっている女性は助けるように。

そう注文をつけられたので、ゴブリンの巣穴……というか、多分軍が放棄した砦を、風魔法で念入りに調べる。

砦には大量の人骨が散らばっていて、ゴブリンが食い荒らしたのは確かだった。子供みたいな姿だが、それでも武器が使える。数が集まれば、人間を殺すのは難しくないのだろう。

だが、身体能力はそれほど高いようには見えない。

武器をどうにか使うのがやっとだった前のゴブリンとは、武器を使いこなし、人間の言葉も流暢に喋れるという点が違うが。

それでもこれは変わりすぎだ。

「人質発見。 ゴブリンが多数集っています」

「分かりました。 安全のためにも、ゴブリンはまとめて窒息させてしまってください」

「了解」

まあ、一瞬でやってしまうに限る。

人間の肉をかじっているゴブリンも。

見張り台に上がって遊んでいるゴブリンも。

辺りで騒いでいるゴブリンも。

まとめて毒の空気で、ばたばたと倒れていく。殆どは何が起きたかさえも分からなかっただろう。

賊をカヨコンクムで処理していた頃から。

雑魚の大量殺傷はわたしの十八番だ。

アンゼルがいたら、嬉々として突っ込んでいっただろうな。そう思うと、ちょっと寂しくはある。

ゴブリンが全部死んだ後、ストレルが奧に。

捕まっていた女性は、下はまだ生理も来ていなさそうな子で、最年長はもう老婆だった。女だったらなんでもいいのだろう。

ちなみにストレルが魔法で調べた結果、誰も妊娠はしていないようである。

まあそもそもゴブリンとの間に子供が出来るかが極めて怪しい。もとのゴブリンは猿の一種だったようだから、まだ可能性がありそうだが。

今のゴブリンは見た感じ、似ているのは人間にちかい姿だけで、何もかもが人間と違うように思う。

それにざっと見た感じ、メスのゴブリンもいない。

こんないびつな生物が、どうして存在しているのかがよく分からなかった。

それにだ。

助けた女の一人がわめき散らす。

どうして助けに来なかった。来るのが遅い。

他のも喚く。

助けても狂っている事に代わりは無いか。子供までも、ぎゃんぎゃん喚いている。

これは駄目だな。

ストレルに食ってかかっている女達。ストレルは目が死んでいて、言われるままにしている。

わたしは問答無用で女達を気絶させた。風魔法で簡単である。他にも手はあるが。

倒れた女達を、その場に転がしておく。

もう放っておいても良いだろうこれは。てか、殺しておいた方が、問題が起きないのではあるまいか。

「ストレル一佐」

「大丈夫、大丈夫、大丈夫よ……」

「どうでもいいですが、あれらも始末しておきますか? 目を覚ませばどうせ襲ってきますよ」

「貴方は……っ!」

またストレルが掴み掛かろうとしてくるが、軍師どのが必死に止める。頼むから止めてくれ。そう頭を下げられると、ストレルは真っ青になっている唇を噛む。

これはもう限界なのではあるまいか。

今のうちに殺しておいた方が良い気すらする。

ともかく、女どもは縛って、近くの村近くに運んでおく。まだ人はいるようだが、ずっと怒鳴り合っているようだ。

わたしは関わり合いになりたくないし、そうする意味が微塵もない。

それから少しずつ遠征の距離を伸ばして、各地を探る。

それで分かったのは、ハルメンはもう駄目だと言う事だ。どこも完全におかしくなっている。

都市はまるごと墓地と化している。

おかしいのは、死体が動き回っていることだ。

腐りかけの死体が動き回って、他の死体を貪り喰っている。

あれはなんだ。

ストレルが戻している。

やっぱり限界か。

ともかく探知範囲はあまり広くないようだし、距離を取って観察する。風魔法で調べる限り、明らかに死んでいるのに動いている。

「軍師どの、なんですかあれ」

「分かりません。 死体を操作する固有魔法はあると聞いたことがありますが、それでもあんな……死体がまるで別の生き物になったような状態になるなんて、聞いたことも」

「そうですか」

いずれにしても関係はないな。

ちなみに生き残りの人間もいるようだが、互いに殺し合っている。そればかりか、あの動く死体の中に他の人間を投げ込んで、貪り食われる様子を見てゲラゲラ笑っているのも確認した。

こんな状態になっているのなら、スポリファールが偵察を出してくる可能性が高いのだが。

出て来ていないと言う事は、スポリファールも、なのだろう。

食糧を荷車に詰め込むと、移動を開始。まずはスポリファールの様子を見に行く。

向かう先は、以前わたしが、スポリファール側で戦ったあの国境の街だ。

必死に戦ったら審問だかに掛けられて、それで追放されて田舎送りにされた。良い思い出はない。

だから、助けを求めに行く訳ではない。

ただ様子を見に行くだけだ。

途中で幾つかの砦を見たが、どれも動く死体が歩き回っていたり。

オークやらゴブリンやらが変じた連中が制圧していたり。

まだ人間が殺し合ったりしていた。

オークやらゴブリンやらは、全部まとめて駆除して欲しい。そう言われているので、手間だが始末しておく。

そうしないと被害が増えるという事だが。

もうこれは、被害がどうの問題ではないと思うのだが。

山越えを終えて、平地に出る。

懐かしいな。見覚えがある。

そして、砦が再建されたようだが、それが燃え尽きている。

散らばっているのは、スポリファールの鎧を着た兵士の死体。どれも互いに殺し合ったのが明白だ。

魔法使いの死体もたくさんある。

日が経っているからだろう。

どれも酷く痛んで腐敗していた。

ストレルがまた吐いている。こいつに食べさせるのは無駄なように思えてきたが、もういい。

ともかく、あの国境の街まで様子を見に行く。

それで分かるだろう。

1000中999駄目だろうな。

それは分かっているが、確認はしておく方が良い。

そして、城門近くまでいく。この状態でも、やはり城門が開け放たれていて。内部は滅茶苦茶。

あれほどしっかりしていたインフラは、破壊と死体に塗れ。目を覆うばかりの有様だった。

此処でも結構な期間働いたのだ。

だから地形とかは覚えている。

教会は。

土地勘がある話はしてあるので、まっすぐ行ってみる。途中で見たのは、前に頼もしかった屈強な双子だ。双子で殺し合ったらしく、どっちも体が半分潰れた状態で腐っていた。

教会も半壊して潰れている。

そこで、生きた人間を見つける。

構えるわたし。軍師どのを、青ざめたまま庇うストレル。

振り返った人間は、見覚えがあった。

眼鏡を掛けた、四角四面と言った雰囲気の中年男性魔法使い。

「君は……」

「確かクラウスさんでしたか」

「まさか君と会うとはな。 あの田舎街の住民を皆殺しにしてスポリファールを去ったとは聞いていたのだが」

「村の者達を皆殺しにしたのはアンゼルですが、まあどうでもいいです。 それで、殺し合いますか? わたしはスポリファールからすればもはや敵だと思いますが」

待ってと、軍師殿が割って入る。

そして、身分を明かす。

今は、明らかに正気を保っている人間とは、一人でも多く接しておきたいそうである。丁寧に身分を明かすと、クラウスは明らかに動揺していた。

「一体何が起きている。 あのハルメンの軍師が此処にいるだと」

「今は戦っている場合ではありません。 まずは情報交換をしましょう。 それに……来る途中で見ましたが、死体が動き出して襲ってくる可能性もあります。 今は安全な場所を見つけて、退避しないと」

「分かった。 どうやらそれしかなさそうだな。 それよりも一つ確認したい。 これはハルメンの手による大規模魔法攻撃ではないのだな」

「違います」

即答する軍師どのの言葉を聞いて、クラウスはそうかとだけ、寂しそうに答えていた。

まずは場所を変える。

街を出て、近くにわたしが拠点を作る。

その拠点を作る土魔法の手際を見て、クラウスは目を見張っていた。

 

3、大国狂乱支離滅裂

 

拠点で話す。

クラウスは四角四面といった雰囲気だったが、少なくともこの人がいる間は、あの田舎街の教会もきちんと動いていた。

あそこが決定的におかしくなったのはクラウスが栄転して……正確には戦傷で負傷して彼処を離れてからだ。手酷い負傷をしていて片目は失明確実だという話だったが。或いは高度な医療魔法を使える魔法使いに治療を受けたのかも知れない。

いずれにしても職務に復帰したわけだ。それでその矢先にこの事態。同情に値するだろう。

順番に、日付も含めて軍師殿がハルメンで何が起きたのかを話し始める。そうすると、クラウスもそれに丁寧に返していった。

「此方でも異常事態が発生した日時は同じだ。 突然街中の人間が狂い始めた。 狂うというよりも、自我が異常に肥大化し、欲望が最大限まで解放されたように私には見えたな」

「僕も同意見です。 しかし此処にいる四人が正気である共通点とは、一体なんなのでしょう」

「自我が薄いというのは違いそうだが……」

わたしをみてクラウスが言う。

なんだか失礼な事を言われた気がするが、どうでもいい。

人間という生物は、やれることが極端に単独では少ない。服にしても作るには大規模な社会と仕組みが必要になる。

これを知ったのはスポリファールでだ。

実際伯爵領では、みんな襤褸を着ていたし。なんなら服すら着ていない人だってたくさんいた。

まともな服を着ていたのは伯爵一家くらいだ。後は使用人くらいか。それも個人の持ち物ではなく貸し出されたものだった筈。

スポリファールもこんな状態だということは。

近いうちに、まともな生活なんか出来なくなる可能性が高いのだ。

「最悪なのは、この後に独善の塊であるいにしえの時代の者達が現れる事ですね。 今度はこの世界をどう滅茶苦茶にすることか」

「それを分かっていても止められまい」

「あの、一つ良いですか」

「何かね」

昔の上司だが。

だからこそ、まるで変わっていないわたしには色々思うところがあるのか。時々わたしから視線を逸らすクラウス。

まあ嫌いならそれはそれで別にかまわない。

わたしは人に好かれたいと思わないし、逆に好かれても困る。

「アルテミスって騎士がいますよね。 あの人はどこで何をしているかわかりませんか」

「……騎士アルテミスは、旧パッナーロ領で治安維持にずっとかかり切りだったと聞いているが、それだけだ。 私の立場ではそれ以上は分からない」

「勇者やらが出て来たら勝ち目はないにしても、あの人がいるだけで全然状況が違うと思いますが」

「そうだな」

クラウスが苦虫を噛み潰すのも分かる。

当然、この状況で頭がおかしくなっている可能性だってあるのだ。

もしあいつが全力で殺しに掛かって来たら、多分殺された事すら分からずに死んでいるだろう。

それくらい、前に一度会ったときは力の差があった。

アンゼルが自分の十倍は強いと言っていたが、それは嘘でも何でも無かったのである。

「騎士アルテミスが助けになってくれるかはともかくとして、何にしても居場所を知る事ができれば役には立ちそうですね」

「あまり期待しない方が良い。 旧パッナーロ領にいた軍とも連絡がとれなくなっているようだ。 各地の街は崩壊状態。 国の上層部もまとめて潰れている可能性が高い」

「それでクラウスさんはどうしてこんな辺境に」

「ハルメンに様子を見に行き、なんなら援軍を頼めないかと思って移動していたのだが」

ああ、それで国境でかち合ったのか。

お互い運がない事である。

とりあえず、これではどうしようもない。

その内辺りは死人がうろつき始めるか、人間が支配権を失ったと知った大型の獣が堂々と入り込んで来るだろう。

軍が機能していない今は、もはやそれに対抗できる事はありえない。

魔法が使える人間も、正気である保証なんぞないのだ。

ともかく食糧などを確保しておく必要がある。

クラウスはかなり魔法の腕がいい。わたしはもう追い越したようで、わたしの魔法を見てクラウスは目を見張っていた。

ともかく完全に空になっている軍倉庫などから、物資をいただく。教会も内部は殺し合いの末に無人になっていて、半ば崩落している状態だった。物資も完全に置き去りにされている。

雨ざらしにされるだけの物資をいただくことは仕方がないだろう。

回収して、ありがたく使わせていただく。

そうしている間にも、どうみても死んでいる人間が彷徨き始めている。わたしが出るまでもなく、クラウスが雷撃魔法で焼き払う。

威力だけならストレルの魔法より上とみた。

スポリファールは人材が揃っているな。

ストレルは沈み込んでいて、軍師殿の命令には頷いて行動はしてくれるが。それ以上の事はやらない。

精神的に限界が近いのだろう。

これはいつ襲いかかってきてもおかしくなさそうだな。そうわたしは思って、最悪の場合には備えていた。

物資を集めてきて、まずは生活出来るように拠点を整える。

我が物顔に街に入り込もうとする大型の獣。前は見たことがなかった。四足だが、熊よりずっと体がしなやかそうである。

虎というらしい。

ともかく、虎だろうがなんだろうが、窒息させるだけ。

こっちには気付いているだろうが、窒息させて生きている生物なんていない。虫ですら死ぬのだ。

虎を殺した後は、死体を吊しておく。

それで他の虎は近付かなくなる。腐り始めると異臭が酷いだろうが、それも警告になる筈だ。

野犬も見かけるので、片っ端から始末しておく。

臭いは風魔法で入らないようにしておくが。死体を見て、ストレルが涙ぐんでいる。もう吐く気力もないようだ。

とにかく、食事を取りながら、今後の指針について考える。

淡々としているわたしを見て、クラウスが批難するように言う。

「相変わらずだな君は。 少しは人の哀しみを知ろうと思わなかったのか」

「そう言われても、分からないものは分かりません」

「そうか……」

「心を作り損ねたのだと今は分かりますが、それだけです」

別にそれが他人より優れているとか劣っているとか、そんな風には感じない。

ともかく食事をして、今後について考える。

境界についても話を共有。

それを聞くと、クラウスは考え込んでいた。

「いにしえの時代に現れた狼藉者達は、異世界から来たと言っていたそうだ。 その境界の先にある妙な世界の可能性はあるか」

「いえ、それは考えにくいですね。 異世界と彼等が言っていた世界は概ね共通した様子だったようで、今の世界から魔法を抜き、技術を高めた世界のようでした。 恐らくその異世界というのは、全員共通していたのだと思われます」

「なるほどな。 確かにだとすると、その境界とやらは関係が無い訳か」

「そんな暮らしやすそうな世界にいたのに、どうして此方に来たんでしょうね」

わたしが小首を傾げると、二人とも分からないと顔に書く。

そうか。

この二人は相当に整理された頭脳の持ち主だと思うが、それでも分からないか。じゃあ、わたしが考えても無駄だな。

とりあえずどうするか。

「しばらくは此処で様子を見ましょう。 もしもいにしえの時代と同じだとすると……混乱が収まるまでしばらく掛かります。 その後に、満を持して異世界からの者が現れるでしょう」

「現れるのをただ待つのか」

「いえ、対策を考えます。 グンリで一度、他でもう一度だけ。 飽きて塵になる前の勇者やら賢者やらを斃した例が知られていたようです」

それ、知っていたのか。

わたしはグンリで聞いたが、この様子だと他の大国でも実は知られていた事だったのかも知れない。

まず第一に、その者達はとにかくあらゆる攻撃が通じなかったそうである。

色々な能力を屁理屈で解釈した結果らしいのだが。

あらゆる攻撃が通じないと言う事は、防がなければ死んだと言う事だ。

「殺した例の一つは、酒を飲ませたものでした。 その者は殆ど飲酒の経験がなかったらしく、致死量には程遠い酒を飲ませた所、無防備に寝てしまったそうです。 其処を討ち取ったのだとか」

「それは誰が相手でも通じる方法では無さそうだな」

「はい、残念ながら」

そもそもだ。

混沌の時代に現れた者達は、自分の美学に沿った姿をしていて。つまり自分を自分で考える最強に整えていた状態でこの世界に現れたらしい。

それなら相争いそうだが、実際にはほぼ争った例は観測されていないそうである。

観測も出来ないような次元で争っていたのか、それとも違う理由があるのかは何ともいえないが。

「睡眠時にも討ち取るには非常に困難を極めていました。 しかし……一つだけ例外が存在していたのです」

「どのような例外か」

「現在、ハルメンの王族だけが知っていた事実なのですが。 彼等の身勝手な理屈を貫通して、体に直接痛打を入れられるものがあったようです。 もう一つの例は、それで大きな犠牲を出しつつも、討ち取ったようなのです」

「なんだと」

クラウスが反応する。

そうか、それで王族を探していたのか。

復興だの何だのは関係無かったと言うわけだ。

この軍師殿、色々と悪辣である。ストレルが、じっと恨みがましく見る。そんな理由で。そういう視線だ。

だが、今はその方が大事だろう。

その手の輩は、人間の理屈なんて通じない。

そもそもわたし達だって、エゴを最大限まで肥大化させ、感情のままに振る舞う人間がどうなるかを、散々見てきたのだ。

あれら以上に勝手な輩が現れるとみて良い。

そうなれば、身を守る手段を持っていないと、馬車に轢かれる事故みたいに死にかねない。

「今は嵐を凌ぐように身を守るしかありません。 もしもいにしえの時代と同じような事が起きるとすれば、世界に厄介者達がじきに現れます。 既存の秩序は既に崩壊していますが、更に崩壊は拡がるでしょう。 もし厄介者達が以前と同じ仕組みで動いているとすれば、大半はすぐに塵になってしまうでしょうが……生き残る少数が厄介です」

「うむ」

「此処にいる四人の中では、恐らくストレル一佐がもっとも武芸に優れているとは思いますが……それでも力不足に感じます。 誰か腕利きの騎士なり特務なりがいれば話は早いのですが」

「騎士アルテミスは兎も角、騎士アプサラスはどうだろうか」

あの人か。

もしもあの人が味方になってくれれば、それは助かる。武力以上に、頭もきれるだろうからだ。

だがあの人だって、無事でいるとは考えにくい。

覚悟はしておかないといけないだろう。

「やることは二つだな。 一つはその不可解な武器を手に入れる事」

「はい。 これについては概ね見当がついています。 ハルメンとしても、出来るだけ他の国に触れさせたくなく、いざという時は使える場所に保管する必要があるからです」

「そうか。 それでもう一つについてだが、アイーシャくんの移動用の魔法を駆使しても、パッナーロまでは数日かかるだろう。 少なくとも、その間に誰かしら腕利きの騎士なり特務なりが逃げ延びているのを見つけられるとは考えにくい。 そうなると、武具を手に入れた方が良いだろうな」

話が進んでいく。

わたしはさてどうしたものか。

まあ移動の足を提供する事は出来る。

それ以外には、まあ雑魚をまとめて始末するくらいしか出来ないが。

「重要なのは、目的を狼藉者達に与えないことです。 目的をすぐに達成してしまうから塵になるのも早い。 しかしもしも同類の誰かがやられたとなると、恐らくは目的を得た者達が嬉々として集まるでしょう。 残念ながら、しばらくは耐えるしかないでしょうね」

「その間に踏み砕かれる民草は見捨てるしか無いと言うことか」

「それが結果的に犠牲が一番少ないかと」

「そうか……」

がっくりとクラウスが肩を落とす。

わたしは会話に加わらない。

あまり興味がなかったからだ。まあ、わたしが助力できる部分があるなら加わるけれども。

ストレルを促して、拠点から出る。

ハルメンの首都に戻るそうだ。

彼処にその何だか分からない武器とやらがあるらしい。

色々不確定要素だらけだが。

それでも、やれることはやらなければならないのが悲しい事実だった。

高速で四人ごと移動する。拠点も持っていこうかと思ったが。あそこは中間拠点として便利なので残しておく。

封じておいたので、獣に荒らされる事もないだろう。

すっかり沈んでいるストレルは、完全に様子がおかしい。

ひょっとすると、精神が壊れてしまったのかもしれなかった。

妖艶な女そのものの容姿をしていても、心まで成熟しているわけではない。

図体ばかり大きい男が、オツムの中身は幼児並みなんてのはよくある話だが。女だってそれは同じだ。

わたしだって倫理観念だのは全然育たなかったからそれらと同類である。

ストレルには気の毒だと思ったが、わたしに出来る事はない。医者が無事なら出来るかもしれないが。

少なくともわたしは怪我を治すことは出来ても、心は治せない。

移動を続ける。わたしの魔法は更に成長している。更に速度が出ている。

移動中に、新しいゴブリンや新しいオークを見かける。中には絶賛人間を強姦中だったり。或いは人間を補食中の場合もあった。

即座に皆殺しにしながら先に行く。

助けた相手が、なんで助けに来なかったとか、身勝手に罵り始めるたびにストレルがびくりと身を震わせる。

挙げ句には襲いかかってくる奴までいるので、放置してさっさと去る。

助ける意味なんかあったのだろうかと、疑問を感じるが。

まあそれについては、わたしが考えるよりも効率よく軍師殿が考えてくれるだろうし、どうでも良かった。

こんな状況でもわたしは流されるままだな。

それは分かっている。

だけれども、他に方法がない。

今はともかく、軍師殿の指示に従って移動する。目的地は、ハルメンの首都。その東にある出城だった。

 

出城はごくありふれた作りで、わたしが見た感じスポリファールのものと殆ど変わらなかった。

技術の面でも遅れているようには見えない。

なんで蛮族と罵っていたのか、よく分からないし。

この砦を見て、クラウスは何度も眼鏡を直していた。

「何となく技術が遅れている相手では無いとは思っていたが、砦の造りを見る限り我が国と同格ではないか。 技術によっては我々以上だ」

「魔法の技術では其方に遅れていますが、オークの育成などの裏技は此方が優れていました。 基礎インフラなどはパッナーロから流出した技術と、貴方方の国に潜り込んだ間諜が持ち帰った技術によるものですね」

「そうか。 少し侮りすぎていたようだな」

「ただ人口は其方が三倍以上もいた事もあり、その観点では勝ち目がありませんでした。 もしも勝ち目があるとしたら、其方の国が腐敗して、内部から瓦解した場合くらいだったのです」

出城の周囲を確認。

此処もほぼ無人だ。

内部には熊が平然と入り込んでいて、死体を喰い漁っていた。それに全く興味を示さない、明らかに死んでいる人間達。うめき声を上げながら、歩き回っている。

死んだ人間は全部ああなるのだろうか。

それはまた、酷い話だ。

とりあえず入り込んでいる熊などを駆除。

この城はかなり堅固なようにみえたが、城の兵士がまとめて狂ってしまえばどうにもならない。

城の入口は開けっ放しで。其処から猛獣が人肉を喰い漁りに入り込んでいるのだ。

中の人間も互いに凄まじい形相で殺し合ったのだろう。

死体になっても、その形相が崩れていない。将軍らしい人物も、今は死人として歩いていた。

ストレルが目を背けた。

首を振る。これから先に歩けないというのだ。

やはり精神が限界なのだろう。わたしは頷くと、周囲の安全を確認する。襲いかかってくる死人は、クラウスが片付ける。風魔法で周囲の状態を丁寧に伝える。これが訓練された兵士だったら話は別だろうが、雑に襲いかかってくる歩く死体だったら充分である。

砦の中を行く。

軍師殿が解説してくれる。

「此処は首都から非常に近いという利点もあるんですが、災害に強い上に、微妙に人がいないんです。 それもあって、敵が攻めるのに利点がない。 勿論これが侵攻路になった場合は別ですが、その侵攻路が坂を上がってのものになります。 敵としては、此処から攻める利点がなく、此方は戦略的要所を押さえるという理由でも城を作るのが不自然ではなく、しかも戦場になりにくいんです」

「なるほど、それで宝物庫代わりに」

「一部の人間しか知らされていませんが、そういう事です。 もう少し奧になります」

「哀れなものだな。 殆どは近衛の鎧を着ている。 本来は民のために剣を振るえる勇敢な者達だっただろうに」

クラウスが感傷的に言うが。

わたしはあまり同意できない。

ハルメンは手段を選ばない所がある国だった。人食いのオークやゴブリンを養殖して、それで戦線にぶつけていた。

目の前で人だって食われていた。

それも戦争だという考え方もあるかも知れないが。

一線を越えた場合、相手も一線を越える。

当たり前の話だ。

それをやっていた以上、これはいつか来る事だったのかもしれない。

わたしは周囲を常に警戒して、軍師殿を守る。

風魔法のおかげで奇襲は許さない。幸い頭がおかしくなっている魔法使いは、自分の気配を隠そうともしない。

ただ攻撃に対して抵抗はする。

わたしより格上の魔法使いが出てこない事を祈るしかない。

出城の奧に、地下への通路がある。

複雑な鍵があったが、ストレルに吹き飛ばすように軍師殿がいう。黙り込んでいたストレルに、お願いですと軍師殿が頭を下げる。

ストレルは、完全に限界を超えている。

もう駄目だろう、これは。

「代わって貰えますか。 わたしがやりますので」

「しかし、この扉は生半可な魔法では開きませんよ」

「魔法でなければいいのであれば、どうにでもなります」

皆に離れて貰う。

わたしは土魔法を駆使して、地下への扉の周りにあった構造体をどけていく。元々土木工事には無類の汎用性を発揮する土魔法だ。こう言う作業は、ご飯さえ足りていればどうにでもなる。

しばらくそれで辺りを更地にして、邪魔なものは押しのける。

人間の死体も。

そうしていると、ストレルがじっと恨みがましく睨んでくる。

まるで幼児になってしまったかのようだが。

だが。そういう状態は見慣れている。

後は訳が分からないことを叫びだして、暴れないことを祈るだけである。何に祈るのかはわたしにも分からない。

転生神なんてのは多分ろくでもないし。

巨人はもっと祈るに値しない。

この世界に訳が分からない連中をばらまいたのを止めもしなかったのだとすれば、神なんてろくでもないのは明白である。

それなのに祈るという言葉が出てくるのは、おかしな話ではある。

わたしは辺りを更地にすると、土魔法を駆使して、巨大な塔を作っていく。その塔の先端に、充分な大きさの岩を持ち上げていく。

制御が難しい。

腹が減ってくる。

大丈夫、荷車に食べ物ならある。それなりに美味しい干し肉が。

充分な高さと斜度を確保できたと判断した。

そのままわたしは、大岩を扉に向けて、全力で落とした。転がり落ちた岩の重さは、人間の三十倍から四十倍はあるだろう。

それが、地面に向かう力に全力で支援され。

加速しながら。

扉に叩き付けられていた。

凄まじい破砕音と共に、扉が砕ける。

岩を土魔法で分解して、扉の状態を確認。

内側に向けて、大きく拉げている。これならば、後は土魔法でどうにか出来る。

魔法に対して強い抵抗があったり、技術の粋を尽くした鍵をつけていたとしても、暴力が全てだ。

これはアンゼルの圧倒的な強さを見ていて。どうしてもそう思ったし。

そのアンゼルさえも。

更にそれを越える暴力の前には何もできなかった事からも、明らかすぎる事だった。

蝶番が砕けているので、わたしはそれを軸に土魔法で扉を砕いて、引っ張り出してしまう。

荷車にある干し肉をかじる。

燻製にしてあるので、そのままでも食べられる。

しばらく黙々と魔力を補給。

その間に、先に軍師どのが扉の奥へ。

大きな音を立てても、歩いている死体達は興味も見せない。ストレルは耳を塞いで、ずっと泣きじゃくっていた。

置いていくべきでは無いのか、これ。

一瞬だけそう思ったが、やめておく。正気で襲いかかってこないのなら、それだけで充分である。

役立たずにやる食事はないなんていう奴はいるが。

そういう奴だって年を取るし病気にもなる。

そうなれば役立たずに転落するのはそういう奴だが。

その手の輩が、役立たずになって自ら命を絶った例なんて聞いたこともない。

わたしは悪い例を幾らでも見ているから。そういうのとは一緒にはならないようにしようと思う。

何よりわたし自身が、流されるばかりでそれほど役に立てている訳でもないのだから。

「罠は解除しました」

「随分と手先が器用だな」

「はい。 奧に来て貰えますか。 ストレル一佐、貴方もです」

「アタシなんか、何の役にも立たないわよ」

ずっと顔をくしゃくしゃにしているストレルだが、わたしが無言で手を引っ張った。

なんだか随分弱々しいな。

わたしも身体能力は雑魚蛞蝓なのだが。

離して。そう喚くストレルだが、抵抗が弱々しくて、わたしでも引っ張っていける。荷車ごと奧へ。

奥にあったのは、広い広い空間だ。

しんとした空気の中に台座があって。

そこには。無造作に何かの塊が置かれていた。

これがその、狼藉者を殺すためのものなのか。

いや、とてもそうとは思えない。

だって剣でも槍でもない。もっと違う武器でもない。ただの、白い塊だ。ちょっと尖っているが、これで一体何をすればいいというのか。

「直に触らないようにしてください。 周りを見て。 こんな何も無い空間なのに、埃も積もっていないでしょう」

「確かに」

「それにこの台座は、魔法で鋳造した形跡がありません。 恐らく純金製です。 特定の酸以外では一切劣化しないという特性が純金にはあるのですが……それがこの塊の周りは酷くボロボロになっています」

クラウスが何だこれはと呟く。

わたしも同意見だ。

軍師殿は咳払いする。

どうやらこれについては、「この世の理の外」にあるらしいということ。

此処にこうして見えているだけでも、不思議なくらいのものだということ。

最初、これを発見した兵士は、触っただけで崩れてしまったらしい。

それくらい危険なものであるらしかった。

「アイーシャさん、純金でこれを包んでくれますか。 土魔法の応用で、恐らくは出来る筈です」

「わかりました」

「それでも恐らく長い時間は保たないでしょう。 普通の土などでは、恐らく包んでも時間の無駄。 風魔法などで持ち上げるのも困難極まると思います」

「それでは、この台座ごと持ち出しましょうか」

別に難しい事では無い。

クラウスもそれがよさそうだと同意してくれた。

純金の一抱えある台座は、本来だったら一財産どころではない代物だと言えるけれども。それでも運び出すと、ただ重いだけの塊だ。

確かに運んでいると、違和感しかない。金で包むときも、非常に何というか、抵抗みたいなものがあった。

これは、なんだ。

荷車に乗せて、後は布を被せる。

正気を保っている人間が見たら、文字通り金に目が眩んで襲ってくる可能性がある。今は戦いは避けたい。

彷徨いている生きた死体や猛獣を避けながら、出城を出る。

生き残っている兵士もいるようだが、生き残り同士で殺し合いをしていた。もう放っておく。

とにかく、出城を出る。

その時だった。

空気が変わる。

またか。

いや、これは。

その瞬間、暴れていた兵士達が、すんとなる。

わたしも、意識を持って行かれそうになる。足を止めて、顔を上げる。世界に、光が多数降りて来ている。

「あの光、見ない方が良さそうですね」

「……」

軍師殿が必死に顔を覆う。わたしも土魔法を即座に展開して壁を作るが、これでは高速で逃げられない。

光はかなり低い所から満ちているが、世界の彼方此方にあるようだ。それはつまり。

多数の転生神だか実は悪魔だかが知らないが、何かを送り込んできた可能性が高い。とにかく距離を取った方が良い。

相手は多分あのアルテミスでも勝てない相手だ。

わたし達なんて、蟻を潰すように殺されるだけだろう。

だが、この光。

物理的な圧力さえ持っているかのようだ。

わたしは壁で周り全てを覆うが、壁が押されているのが分かる。冷や汗がだらだら流れている。

土を掘れ。

クラウスがそう叫んで、荷車に積んでいたスコップで。必死に地面を掘り始めた。ぼんやりと立ち尽くしているストレルの手を軍師殿が引いて、穴の中に退避。わたしも必死に壁を支えて、時間を稼ぐ。

クラウスは多分肉体強化の魔法を使っているのか、それで短時間でかなり大きな穴を作っていた。

荷車ごと逃げ込む。

そして、わたしも穴に飛び込んで、その瞬間壁が崩落した。天井を土魔法で作り、更に深くへと潜る。

これは、地上から追放されたようなものだな。

わたしは苦笑していた。

そして、こんな状態では、誰も助からないだろう。アルテミスがまだ無事だったとしても。それでもどうにもならない。

あの妙な光が、世界を満たせば。

世界は本格的に滅茶苦茶になるのだろうが、それを止める術が考えつかない。

わたしは、更に深く深く穴を掘り進めながら、軍師殿が必死に考えているのを、横目で見ているしかなかった。

これ以上深く掘ると、空気を取り込むことも難しいし、何より崩落した場合脱出も出来なくなる。

そう告げて、一旦土魔法を止める。

腹が減った。

荷車にある燻製や乾燥させた保存食を貪り喰う。わたしにとっては魔力の補給は食事である。

クラウスもへたり込む。

穴を掘るので、かなり消耗したらしい。

ぼんやりしているストレル。

軍師どのも、頭が痛いとぼやいていた。

世界が書き換わったんだ。

そう思って、わたしは上を見上げる。

土で分厚く蓋をしている先には、今滅茶苦茶にされ。今まで生きてきた人間の全てを否定する世界が生まれようとしているのだろうか。

数百年前に起きたのと同じように。

だとすると、神とやらは何を考えているのか。

いずれにしても、其奴とは仲良くなどやっていけそうにはなかった。

 

4、終わりの先に出来たもの

 

穴から顔を出してみる。

一応、外の様子は落ち着いていた。それは風魔法で調べたから、外に出てみたのであるが。

なんだこれは。

今まで殺戮の限りが尽くされたとは、思えない程の穏やかさだ。

外に出て見ると分かるが、あらゆる全てが信じられないくらい静かになっている。荷車ごと外に出て見ると、近くにあった出城は人が普通にいるようだった。しかし、どうにも様子がおかしい。

「何だか話している事がおかしいですね」

「風魔法で拾っているんですね。 どんな内容ですか」

「聖女様が現れて、王子から婚約破棄を突きつけられたとか言っています」

「はあ?」

軍師どのが珍しくそんな風に声を上げていた。

聖女が現れたことはいい。覚悟していたことだ。数百年前にも、たくさんの聖女を自称する輩が現れて、世界中で狼藉を尽くしたのだから。

それはそうとして、王子と婚約。

しかも婚約破棄。

「ハルメンの王族は全滅したんですよね」

「間違いなく」

「王子もですか」

「王子もです。 それに王子はそもそも婚約者がいましたし、そういった婚約者を作るというのは国の契約に当たるものです。 例えば旧パッナーロみたいな腐敗の極限に達している国だったらともかく、意外と王族というのは自由に振る舞えないんです」

とにかく、首都へ移動だ。

すぐ近くにあるのだから、別に難しくは無い。

首都近くの森の中に潜む。

本来はこう言う場所は極めて危険なのだが、空気が全然違う。だいたい少し前まで猛獣が人間の肉食い放題で、この辺りも我が物顔に闊歩していたのに。それもいなくなっていた。

首都では門前に衛兵がいるが、何というか軍人らしくない。ただ槍を持って立っているだけだ。

こういう歩哨というのは、基本的にそれなりに厳しい仕事だ。

気を抜いていれば犯罪者などに舐められるし、襲撃する隙があると勘違いされると色々と厄介な事になる。

また多くの兵士がいる、練度が高いという事を見せる事で、悪事を企む輩にたいして未然の防御にもなる。

それがなんだアレは。

あくびまでしているし、それを誰も咎めもしていない。

滅茶苦茶になった首都が復興しているのはどうでもいい。何が起きてもおかしくはないからだ。

しかし人間そのものが代わったとしか思えない。

風魔法で拾う限り、ハルメン国は存続しているようだ。あの状態では、滅んだも同然だったが。

しかし見ると、門を好き勝手に人間が行き来している。

旅人の馬車も信じられないくらい軽装備だ。

「門番が出入りの手形すら確認していない。 これは職務怠慢で本来は重罪です」

「確かに、あまり考えられない事態だな。 スポリファールもこうなってしまっているのだろうか」

「アイーシャさん、拾った風魔法での情報を、僕達にも出来るだけ詳しく届けてください」

「分かりました」

まあわたしだけではどうにもできないだろう。

とにかく話を集めるしかない。

城が完全に元に戻っているのは、あの死体だらけの悲惨な状態を見る限りとても信じられないが。

もしも神がいて。

それが介入したのだったら、命さえ粘土細工みたいに好き勝手に出来るのかもしれない。あの光がそうだったのだろうか。

だとすれば、もろに浴びていたらどうなっていたのか。

まあ、何もかも尊厳を奪われていただろうな。

「聖女が第七王子との婚約を破棄されて、田舎に左遷されるそうです。 それも第七王子の好みに合わなかったとかで」

「ハア!?」

軍師殿がまた怒りの声を上げる。

そもそも軍師どのの話によると、この国の王子は二人。一人は既に既婚。婚約者がいた王子も三十半ばだったそうである。婚約者を今更作ったのは、第一王子に子供が出来なかったのが理由らしい。愛妻家で知られている第一王子は新しい妻を迎えるつもりがないらしく、それで第二王子が……ということだったそうだ。

離宮で殺されていた王女は年が離れていたこともあり、王子達には可愛がられていたそうだが。

ただ妾腹と言う事もあって王位継承権はなく。

形だけでも冷遇しておかないと佞臣がすり寄る可能性もあったとかで、ああいう措置がされていたとか。

「第七王子なんてこの国にはいません。 だいたいそんな下の方の王子なんて、そもそも基本的に冷や飯を食べさせられるか、政略結婚の道具です。 何もかも国政を馬鹿にしている! ハルメンはそんなに腐敗した国ではありません!」

「落ち着いてくれ軍師どの。 それよりもどう見る」

「……数百年前の時よりも、世界が受けている侵略の規模が大きいのかも知れません」

軍師どのが言う。

何でも数百年前にも大混乱の後に好き勝手な称号を名乗る連中が降臨して、やりたい放題の限りを尽くしたそうだが。

その時は既存の国はそのままで。それらを勝手に狼藉者が蹂躙したのだそうだ。

だがこれは。

既存の国が、勝手に何もかも弄くられている。

聖女様だ。そういう声が上がって、馬車が出てくる。

二階建ての馬車だ。

いや、そういうのがないとは言わないが、あんな背が高い馬車は目立つだけだし、防御にもあまり適していない。

例えば周囲を分厚く兵が護衛して、王族やら大貴族やらが乗るとかなら分かるが。周囲には護衛の兵もいない。

「察知される可能性が高いので、迂闊に風魔法での諜報は控えてください。 遠くから見るだけにします」

「分かりました」

森の中で身を潜める。

クラウスが眼鏡を作る要領で、拡大視の魔法を作る。これで近寄らなくても聖女とやらの顔を拝める。

複数の拡大視の魔法を重ねて、角度を変えることで、潜んだままで馬車の二階にいる聖女とやらが見えた。

馬車に乗っているという追放されたという聖女は、なんだか違和感がある格好をしていた。

何というか、どこかの令嬢みたいに分厚く服を着込んでいる。その服も遠目からは素材が分からない。絹か。それにしては分厚そうなのだが。首からぶら下げているのはなんだ。何かの飾りだろうか。いずれにしても、聖女というのはなんなのか、さっぱり分からない。

そして髪の毛は無駄に異様に美しい金髪で、腰くらいまで伸ばしている。目立ちすぎである。聖女というのは目立つのが仕事なのか。しかも悪目立ちの方だ。見ていてなんだあれはと言葉が漏れる。

だいたい追放されたならしゅんとしていそうなものだが。わたしだって最初追放されたときは実際どうしていいか分からない状態だったのだが。

追放されたというのに、むしろうきうきしているようだ。

「何もかもがちぐはぐですね……」

「例の道具、試してみますか」

「いや、それよりも」

聖女の周りの人間を確認。

なんというか、作り物みたいな顔をしたなよっとした背ばっかり高い男が取り巻きとして、一緒に馬車に乗っている。

見覚えがあるかと聞かれて、軍師どのが見た事もない連中だとぼやく。

それに見ていて分かるが。

あれ、多分この世界の人間じゃない。

だいたい動いて喋っているが、なんというか動かされて喋らされているという感じである。

人形だアレは。

まさか聖女の能力の一つなのではあるまいか。

ともかく聖女が行く。

そうすると、いきなり首都が寂れた。

それを見て、絶句する軍師どのとクラウス。

寂れた様子を馬車から首を出して聖女が見て、くすくすと笑っている。その聖女も、嫌みな程の美女だが。

体の動かし方とかに違和感がある。

なんだこれは。

聖女の定義はさっぱりわからないが、そもそもいきなり街一つが寂れるような様子を見て、にたにた笑っているような奴が、まともとは言い難いし。

その取り巻き肉人形達も、その様子を見て聖女にひたすら甘い言葉を掛けているようだった。

「スポリファールの様子も確認しに行きましょう。 これは、ひょっとすると……数百年前の地獄とは、少し違うのかも知れません」

軍師殿の現実的な提案である。

わたしは分かったと頷くと、土魔法と風魔法での移動を開始する。

出来るだけ人は避けた方が良いだろう。

世界は変わってしまった。

破壊の光に包まれた世界は、もはやもとの世界とは根本的に違うのかも知れなかった。

 

(続)