いにしえの国

 

序、再びの焦土

 

あのアルテミスという騎士から離れて、一週間南下を急いだ。アンゼルはもう多分駄目だろう。

そういう諦めもあるけれど。

それ以上にまずは、生きる事を優先したかった。

完全に秩序が終わった事が分かる。

毎日何処かで悲鳴が上がっていて。火がついていて。

戦いが起きていた。

追われているのはロイヤルネイビーや、クタノーンの黒軍の生き残りだろう。今まで占領軍として振る舞っていた彼等は、既に形勢逆転。完全に各所で追われ、各個撃破され殺されていた。

彼方此方の街では、殺された兵士の死骸が串刺しにされたり首を並べられたりしている。そうされても仕方がないだけの行為をして来たのだ。

状況は一目で分かる。

だから身を隠しながら、ひたすら南へと急いでいた。

まだ海を隔てて本土があるカヨコンクムはましだ。

もろに陸路で領土を接しているクタノーンは、下手をすると本土まで飛び火するのではないのか。

しかし、それに関してわたしはどうこういうことはない。

いう資格もない。

わたしは戦いに事実上関与していない。

それに、戦いの後のカヨコンクム側として、賊を下す仕事をしていたのだ。

降った賊が、その後どうなったかは分からない。

裏切り者としてつるし上げられるのか。

それとも反乱軍に加わって、存分に恨みを晴らすのか。

ただ、分かっている事はある。

恐らくこの件、旧パッナーロの生き残りと言えるロナウ国は蚊帳の外だろう。

三国が完全に無視していた程度の存在だ。

この機に乗じて領土を取り戻す、なんて事は出来ない。

結果として、スポリファールが獲得領土を守りきった場合。

旧パッナーロ国の三分の二が独立を回復し。以降は別の国としてやっていくのかも知れない。

ただ、それを見ている余裕は無い。

とにかく、今は逃げないといけない。

土の魔法と風の魔法を全力で駆使して、逃げる。

何度か軍(と呼んで良いのかさえ分からないが)に見つかったが、わたしが全く見当違いの方に向かっているのを見て。更には強力な魔法を使っているのもあるかも知れない。追おうとする者は多く無かったし。

追ってくるとしても振り切るのは難しく無かった。

優れた魔法使いもいたようだが、それでも数は多くない。

わざわざわたしを追う理由がないのだろう。

わたしも集落を出来るだけ避けながら、山や川などを行く。

川の上は水の魔法を使って高速で移動出来るようになった。土の魔法で地面を移動出来るのと同じ。

応用だ。

ただ、川には大きな捕食者がいる。

ワニとか、大きな魚とか。

しかもそれらは、人間の肉を食べ慣れている。

こんな状況だ。

半年ほど旧パッナーロの各地で仕事をしている間に聞いたが、ロイヤルネイビーのチンピラ同然の水兵なんか、逆らった人間を殺した後、死体で遊んでいたらしいし。

逆らう人間を川に放り込んで、魚の餌になるのを見て笑っていたらしい。

クタノーンでも似たような事はしていただろう。

殆ど兵の質は変わらなかったようだし。

そうなれば、獣が人肉の味を覚えるのは当然だ。

何度か大きいのに水面下から襲撃されたが、全て返り討ちにする。

戦闘向けの魔法は少しずつ慣れてきている。

水面から跳び上がってきたワニやら魚やらを風魔法で拘束し、そのまま空中で締め上げる。

特にワニは、口を開ける力は本当に非力だという事を既に知っていたのが大きい。

食事になるのは、自分らだと気付いた時にはもう襲い。

わたしはむしろ、自分をエサにして、大物を釣るようにさえなっていた。

川を専門で下ったりしながら、どんどん南へ向かう。

少しでも街に近付くと、会戦が行われていたりするが。会戦と言ってもほとんど敗残兵狩りだ。

毎日のように旧パッナーロの「反乱軍」は規模を増している。

それに対して、占領軍だった側は、逆に連日規模を減らしているようだった。

森に入り込むと、其処にただよう腐臭に眉をひそめる。

大量の腐肉と人骨。

この様子だと、逃げ込んだ敗残兵が殺されたのか。

或いは敗残兵が、財産にならないと判断した奴隷を処分したのか。

どっちにしても、ここでは何が起きたのだとしても不思議では無い。

不衛生という以前に、人間の死体に接触すると病気という観点でリスクが大きい。

アンゼルは血を浴びるのをたのしんでいたっけ。

アンゼルは平気で鳥を生で食べていたりしたし、多分そういう固有の魔法を持っていたのだと思う。

わたしには其処まで出来ない。

風の魔法で浮かせて持って来た大きな魚を引き連れて、森を出る。

荒野だが。

幸い人気はない。

枯れ木を高速で回転させ、火を熾すと。

魚を焼いて、がつがつと食べる。

魔法を使うには腹を満たす必要がある。仕方がない。とにかく食べて、力をつけていく他無いのだ。

ただ、煙が上がると、当然発見される確率も上がる。

食べ終えると、魚の始末はそのままに、さっさとその場を離れる。

体を洗うのも、排泄をするのも、本当に命がけだ。優先度は当然食事と睡眠が一番上である。

睡眠さえまともに取れない日だって多い。

つらいことだが。

それでも、どうにかやりくりしていかなければならなかった。

アンゼルと離れてから十日が過ぎた。

山岳地帯に入る。

確か旧パッナーロの南は深い山岳地帯で、昔は南にある幾つもの国から侵攻を受けていたとか。

そのため南にも辺境伯が配置されていたらしいが。

南の国からの侵攻がぱたりと止んだこともあり。

もっとも酷い腐敗をしていったそうである。

そういう話は、スポリファールで勉強しているときに知った。

今では。知ったところでどうにもならないが。

森の中を行く。

もう旧パッナーロからは抜けたと思う。流石にここから先に追撃が掛かるような事はないだろう。

途中で手頃な洞窟を見つけたので、土の魔法と風の魔法で内部を丁寧に処理して、隠れ家に改装する。

食べ物には困らない。

この辺りの主だったらしい熊が襲ってきたので、即座に返り討ちにした。熊だろうが、息を出来ないようにしてしまえばどうにでもなる。近寄らせないように、土魔法で距離を取りつつ、相手の息を止める。

最悪熊みたいな鈍足相手なら、空に逃げてしまってもいい。

熊を殺した後には、ゆっくり肉を捌いて、燻製にした。これでしばらくは、生きていく事が出来る。

服についてはずっと着たきり雀だったし、これでやっと風呂にも入れる。

パッナーロの周辺には、例の大きな鳥もいる。

空は飛べないが、逞しい二足を持っていて。蹴りを食らうと、人間なんてひとたまりもない強力な獣だが。

今のわたしには、肉はまずいけれどまあたくさん栄養が取れるからごちそうだと言えるだろう。

それにまずい肉なんて、今になって思えば贅沢な考えだ。

わたしが伯爵領にいた頃なんて。

もっとまずいご飯を食べていたし。

まずくても肉なんて贅沢品だったじゃないか。

毒を受けた場所なんかの手当ても、時間を掛けてやっていく。幸い肉が腐ったりはしていなかったが。

この辺りの頑丈さは。

伯爵領みたいな劣悪な環境で生き残って、鍛えられたからなのかも知れない。

そうして、数日過ごす。

恐らくは「反乱軍」の斥候らしいのがたまに森の近くまで来たが、森には入ってこなかった。

もうこの辺りは、旧パッナーロではないからだろう。

南にも幾つか国があり。

それらを刺激するのは得策では無い。

そういう理屈なのかも知れなかった。

 

数日間態勢を整える。

服なんかは元々わたしは興味が薄く、特務として支給されたのを着たきりで過ごしていた。

所属がロイヤルネイビーになってからもそれは同じ。

それに、この旧パッナーロに着てからは、略奪以外で服なんて手に入れられなかっただろうし。

風魔法の範囲を拡げて、情報を集める。

麓には反乱軍が砦を抑えたらしく、かなりの人数が行き交っている。魔法が使える人間もいるが。

幸いわたしに気付くほどの手練れはいないようだった。

情報を集める限り、やはり海賊女王は暗殺されたようである。

あの時何が起きたのかはよく分からない。

ただ、首は上がったと言う事だから、何かしらの方法で誰かに殺されたのだろう。幾つかの情報を風越しに聞いたが、密偵が刺したとか。ハルメンの特務が刺したとか、色々情報があるようだ。

いずれにしてもあの海賊女王も、此処までの事態の急変と周囲の情勢の変化に、どうしても隙が出来た。

其処をやられたのだとすると。

流石の一代の英傑も、どうにもできなかったのかも知れなかった。

ただ、死を悼むほど恩を受けたわけではないし。

そのやり方については、色々気にくわなかった。

後、これはアンゼルにはちょっと言えない事ではあるのだが。

アンゼルはどうしても、わたしを振り回し続けていたと思う。

わたしとしてはとてもアンゼルを頼りにしていた。これはどうしようもない事実である。友達としても大事に思っていた。これもまた事実だ。

だがアンゼルはとにかく一方的だったし。

その関係性はいびつだったと思う。

アンゼルはわたしを同類として大事に思っていたのだと思うが。

わたしは会話が成立する数少ない相手として好ましく思っていた。

アンゼルがそれを知っていたかは分からない。

ただアンゼルは参謀としてとても優秀だったし。一方で、アンゼルがいると取る事が出来る選択肢だって減った。

そういうことは、離れて見て良く分かる。

離れるのは、それはそれで今は悲しくは無かった。わたしは冷たい人間なのだろうとも思うが。

それもまた、本音なのだった。

麓の砦の人間は入れ替わり続ける。

黒軍を救援すべくクタノーンから来た援軍と反乱軍が激突したらしく。どんどん反乱軍が西に向かっているらしい。

クタノーンの国家規模はカヨコンクムと大して変わらなかった筈で、だとするとこの大反乱で壊滅した軍を救出できるとも思えない。

押し返されて終わりだろう。

むしろ傷を拡げるだけだろうなと、わたしは冷静に分析する事ができていた。

怪我は癒えたし、力も蓄えた。

熊の皮は剥いでなめして、売り物に出来ると思う。荷車も廃棄されていたのを調達したので、以降はこれで行こうかなと思う。ちなみに廃棄されていたのをわたしが直した。こういうのを直すのは、スポリファール時代に散々やったから、今ではお手のものだ。手で直すのは無理だろうけれど。

これ以上山にいても、いずれ手練れの魔法使いに気付かれるかも知れないし。

残党狩りが始まるかも知れない。

山の中を。荷車に腰掛けて行く。

山の複雑な地形も、土魔法と風魔法の組み合わせで、荷車はぐんぐんと進んでいく事が可能だ。

足で歩くとむしろ魔法よりも疲弊が大きい。

亀裂なんかが走っている場所は、風魔法で荷車を浮かせて対応した。何、まったく問題なくいける。

森は深くなる一方。

そして、山ばかりの土地を進んでいくと。

やがて、集落が見えてきていた。

 

集落に入る。顔はフードで隠しておく。

閉鎖的な集落だ。明らかにわたしを歓迎していない。戦士の長らしいのが来る。わたしは魔法使いである事を示すと、熊の皮を売る代わりに、情報を欲しいと申し出る。戦士の長らしい、長身の筋骨たくましい女性戦士は。鼻を鳴らすと、熊の皮の質を確かめる。

「いい皮だ。 あんたが仕留めたのかい」

「はい。 傷をつけないように窒息させました」

「そうか。 それは随分と残酷に殺したね」

女戦士が、何か線を空中で切る。

見た事がない所作だが、魔法の他に信仰が辺境では存在しているとかいう話を聞いている。

それかも知れない。

村の奧に案内される。

こんな所で暮らしている連中だ。少なくとも、旧パッナーロの民よりは戦い慣れしているだろう。

旧パッナーロの民は今は蜂起で勢いに乗っているが、それもハルメンが裏から支援して、戦闘訓練していた者達が主軸になっているだろうし。

なんならその密偵が中核で指揮を執っている可能性すらある。

しかしこの山の中で暮らしている民は、それこそわたしが倒して来た巨鳥や熊を平時から相手にしているのだ。

鍛え方も修羅場のくぐり方も全然違うはずだ。

奧の家で、軽く茶を出される。

茶というか、なんかよく分からない飲み物だが。水魔法で調べる限り、毒も薬も盛られていない。

やがて村長らしい老婆が来る。

簡単な魔法なら詠唱も使っていないのを見て、老婆は目を光らせていた。

「面倒ごとはごめんなんでね。 もしも追っ手が来た場合は、あんたのことは言わせて貰うよ」

「どうぞ。 此方としても情報が得られればかまいません」

「ふん、随分と割切ったものだ」

「そうですね」

実際には少し違うのだけれども、まあいい。

軽く話を聞かせて貰う。

この辺りはやはりパッナーロではない。いにしえの時代に勇者だの賢者だのが好き放題をする前。

そういった時代から存在している国の一つだそうだ。

此処はグンリ国。

現時点では見る影もないが、古くには魔法を産み出したとも言われているとか。

「魔法はいにしえの時代に突然使える人が世界中に現れたと聞いていますが」

「確かにあの狂った時代に一斉にそういう人間が出たのは事実さね。 この国でも、それは起きた。 だが、その前から、今使われているものほど強力ではないが、この国には僅かながら本物の魔法使いがいたのさ」

この村には、今魔法使いはいないそうだが。

いずれにしても、そんな稀少な力は神々に等しいと考えていたらしく。

このグンリ王国では、それを外に漏れないように気を付けていたのだそうだ。

また、魔法の力が遺伝しないことも、この時には分かっていたらしい。

結局の所、ほぼ鎖国することで。数百年間嵐から身を守っているようなものだと、村長は呟く。

なるほどね。

村の民は貧しいが、そこまで不幸そうには見えない。

それに文明的にもそれほど劣っているようには見えないのが不思議だ。

山の中にも関わらず、上水も下水もしっかりしている。

水車も回っている。

どうやって水を確保しているかは分からないが、

いずれにしても、旧パッナーロの街の中なんかより、よっぽど人間らしい生活が此処では出来るだろう。

ただし、田舎の嫌なところもわたしは知っている。

此処に長居するつもりはさらさらないが。

「熊の皮の分はこれだけだよ」

「そうですか。 麓の情勢を代わりに教えましょうか」

「いや、結構だ。 パッナーロが潰れて、更に侵略をした国が滅茶苦茶に反乱でやられているのは知っている」

「へえ」

それは凄いな。

確かにその通りで、それだけ知っていれば充分だろう。

どうやって知ったのかはちょっと興味があるが、いずれにしてもどうでもいい話ではある。

「では村の事はどうでもいいので、少しは栄えている街の方角を教えて貰えますか」

「何をするつもりだい」

「魔法が使えるので、其処で仕事を探します。 衣食住が足りる程度の生活が出来ればそれでかまいませんので」

「……更に南下して幾つか山を越えると、嫌でも街が見えてくる。 勝手に其処に行くといいさ」

一礼すると、わたしは村長宅を後にする。

荷車は例の屈強な女戦士が見張っていた。

周囲の村人は、興味と言うより敵意に近い感情をわたしに向けている。よそ者への強烈な疎外感。

これは多分だが。

同じ国の人間にさえ向けているのだろう。

まあ、わたしも長居はするつもりは無いし、誰も荷車に手を出さなかったのでそれでよしとする。

荷車に手を出していたら、相応の報復をするつもりだった。

「それでは失礼します」

「勝手に行きな」

あの老婆は気付いていただろうか。

わたしは嘘をある程度見抜けるようになっている。嘘をついていたら、審問の魔法を使う事も考えていたのだ。

嘘をつかなかったし、わたしと対立するそぶりも見せなかったから、わたしも手を出さなかった。

その気になればこの村くらいは、瞬く間に風の魔法で全滅させる事が出来る。

まあ、わたしもこの辺りの物騒な思想は、アンゼルと一緒にいたことで染みついてしまった。

ちょっとずつ矯正しなければならないと思う。

山越えに戻る。

後方からの追撃への警戒は、少し下げていいと思う。

既に別の国に入っているし。

そもそもわたしを殺す理由がないだろう。

一時期ロイヤルネイビーに荷担していた人間は全部殺すというのなら、身内で壮絶な殺し合いが始まるだろうが。

少なくともわたしを殺すために、大規模な追撃部隊が送り込まれている気配はなかった。

ともかく、旧パッナーロには二度といきたくはないな。

そうわたしは思った。

望郷なんて概念はない。

あんな故郷に、そんな考えは持ちようがなかった。

 

1、原初の魔法の国

 

アルテミスが戻って来た。旧パッナーロに駐屯しているスポリファール軍の司令官を相変わらず務めているアプサラスは溜息をつくと、栄養が大量に含まれている飲み物を飲み下す。

蜂蜜を中心とした飲み物で、恐ろしくまずい上に体に負担を掛けるのだが。

ただ、それくらいしないと、とてもではないが執務をこなしきれない状態だった。

旧パッナーロで起きている反乱は、とんでもない規模になっている。

既にカヨコンクムのロイヤルネイビーは壊滅。クタノーンの黒軍もそれに近い状態だ。

唯一スポリファールは多少の小火で済んでいるが、それはこの国の民から略奪もしなかったし、虐殺を絶対にさせなかったからである。

それでも小火が広がって来ているほどで。

連日気が休まる事がなかった。

本国からは、大量に流出する難民をどうにかしろという命令と。

いいからいかせろという命令が同時にきている。

これは要するに、本国も大混乱していると言う事である。

大量の難民が出入りする混乱の中、ハルメンの密偵が入り込んで、この大反乱を誘発したことは分かっている。

ハルメンが出張ってきていると言う事は、恐らくハルメンにとって最大の敵であるスポリファール。アプサラスの祖国を、混乱させ、弱体化させる事が狙いで。

それは今の時点で上手く行っているとみていい。

どうせ数世代はかかるだろうと判断していた政治的な併合が、その通りになろうとしている。

この状態では、精鋭であるスポリファールの軍も、小火を初期消火する以外は、どうにもできなかった。

ちなみにロナウ国は蚊帳の外だ。

むしろロナウ国の首都にまで小火が拡がりそうになっており。

情けなくも救援を求めてくる有様だった。

まあ、それでアルテミスが戻って来た。

一定の成果はあげたと言う事だろう。

本陣に顔を出したアルテミスは、あいかわらずぼへえとしている。緊張感がない奴である。

「ただいま戻りました」

「成果は」

「此方です」

袋を出して、中身を見せる。

騎士アンゼルの頭蓋骨の一部と、脊髄の一部だ。

説明される。

港町に撤退をしようとしていたアンゼルと、アイーシャを補足。

港町では既にハルメンの密偵が指示をしたのか、軍船に火を掛け。猛烈な火攻めを展開していた。

其処で立ち往生した上に、一気に反乱軍に囲まれた二人のうち。

アンゼルが離れた瞬間に、隕石の魔法を叩き込んだらしい。

隕石の魔法は対個人には普通向かないのだが、アルテミスは違う。色々と厄介な魔法を使えるため、個人に必中させることが出来る。

それが世界でも上澄みに入る、アンゼルのような高速で機動できる例外に対してもである。

隕石の魔法を複数直撃して、アンゼルは断末魔もなく消し飛んだ。

それで、死体の一部を回収して、持ち帰ったという。

ちなみにアンゼルの体の情報は既に魔法で解析済だとかで、これが本人のものであることは確定だそうである。

アルテミスは今回の件で、状況の推移を確認する為に旧パッナーロに入り込んでいた。

それで、元々サーチ&デストロイの指示が出ていたアンゼルを発見。

アンゼルと共にいたアイーシャにはその指示が出ていなかったので放置。

アンゼルだけを仕留めて戻った、というわけだ。

「アンゼルも無意味な死に方をしたな。 きちんと騎士として生きる事ができていれば、歴史に名を残しただろうに」

「アンゼルさんはちょっと色々と心に問題があったので、いずれどこの国にもいられなくなったと思います」

「そうだな……」

「それで海賊女王の件ですが」

頷く。

ロイヤルネイビーは反乱の初期に、既に支離滅裂の状態になっていた。

国境にいた主力部隊は頻発する反乱に対応するために分散して行動しており、それを囲まれて各個撃破された。

屈強な水兵も、特務も、それに対する戦術を仕込まれた膨大な数の兵士相手ではどうにもできなかった。

海賊女王の反応は決して遅くなかった。

ハルメンの密偵が動きが速すぎたのだ。

撤退時に、敗残兵を装って合流したハルメンの密偵と精鋭が、隙を見て首を取った事だけは確認できている。

その結果報告だ。

「旧ルメラ侯爵領にて、首を晒されているのを確認しました。 調べてきましたが、本人のもので間違いありません。 酷く焼かれ損壊していましたが、それでも情報が一致しました」

「そうか。 残忍だが英傑には違いなかった。 哀れな死だな」

「そうでしょうか? あれだけ好き放題して、部下に無差別殺戮をけしかけたのだし、当然の末路に思いますね」

「そうかも知れないな」

アルテミスは見かけぽやぽやしているが、非常にシビアに考える人間だ。

いずれにしても、これからやって貰う事はいくらでもある。

既にアプサラスは、反乱の鎮圧はなかば諦めている。

幾つかの領地は放棄。

緩衝地帯とするしかないだろう。

一方、スポリファールの統治を歓迎している地域もある。赴任した役人が、心を砕いて民との融和策に力を割いた場所だ。

そういった地点を中心に、旧パッナーロからもぎ取った領地を、安定させるしかないだろう。

反乱というのは集団ヒステリーから始まる。

事実、融和策が上手く行った地域では、もとの支配者である貴族による圧政の記憶の方が民の間で強い。

だから、反乱の気配はなかった。

「それでは、国境付近の小火の処置に向かってくれ」

「クタノーンの情勢は良いんですか」

「どうせ支離滅裂だ。 他にも特務の騎士を何人か入れている。 アンゼルほどの使い手はいないが、あっさりハルメンの密偵に殺されるほど弱くもない」

「わかりましたー。 それでは守りにはいりますね」

その場にいなかったようにアルテミスが姿を消す。

アプサラスは嘆息すると、部下を呼んで、アンゼルの亡骸の残骸を片付けさせた。

最近は伝聞によると、すっかり美しくなっていたらしい。

人間が死ぬと無惨なことになるとは分かっていたが。それでもこれは。

民間人八十人以上を殺傷した。

それでサーチ&デストロイの指示が出ていた。

実際、殺戮中毒だったアンゼルは、生きていればそれだけ周囲に害を為し続けただろう。それは分かっているが。

旧部下である。

その死には、アプサラスも色々と思うところもあるのだった。

 

山をこえたわたしは、グンリ国とやらの都市を見下ろしていた。

山深く緑濃い地点から見下ろすと、まあまあの規模だ。スポリファールの都市に比べると小ぶりだが、それでもいわゆるインフラはしっかりしているようである。

問題はどう入り込むかだが。

風の魔法で調べていると、門の辺りで人が並んでいる。

あれは。

見覚えがあるのが何人かいる。

恐らくロイヤルネイビーの人間だ。

そうか、考える事は同じか。

一万からいた海賊女王の直衛だと、全滅といっても生き残りはいただろう。その中の幾らかは、必死に南に逃げ続け。

そしてそのうちの少しは、国境を越えてグンリに逃げ込めたというわけだ。

他にもいるのは、恐らくはクタノーンの黒軍の残党とみた。

しばらく様子を観察する。

何かしらのものを渡した上で、城門の中に入れて貰っているようである。ただ手続きには、時間も掛かっているようだが。

スポリファールほどではないが、それなりにしっかり入国を管理しているようである。

グンリという国は既に衰えたいにしえの国の一つと思っていたが。

これは全く侮れないかも知れなかった。

ともかく、何をやっているかは分かった。

城門に向かう。

兵士が槍を向けてくる。

兵士の装備は鎧に槍で、それほど列強のものに練度でも劣っているとは思えない。

少なくとも旧パッナーロの兵士よりはマシに見えた。

「止まれ」

「国境を越えてきました」

「名前と所属は」

「アイーシャと言います。 最後にいたのはロイヤルネイビー。 中佐の階級を持っていました。 特務の人間です」

兵士達がひそひそと話した後。

誰か来る。

魔法を使える人間らしい。かなり年配の、髭をもっさと蓄えた老人だった。眼鏡を掛けてローブを着込んで、いかにもである。

それから軽く面談をする。いちいち部屋に入ることもなく、外で立ったままである。その間も、兵士は槍を向けていた。

随分と訓練されていると思った。スポリファールの田舎の兵士より、練度が高いかも知れない。

こんな山の中で、熊やもっと危険なのが出るからかも知れない。可能性は低くは無いだろう。

「随分と毛並みが良いが、ロイヤルネイビーでは厚遇されていたのかね」

「厚遇はされていません。 魔法がそれなりに出来るので、馬車馬のように使われていました」

「そうか。 しばらく風の魔法で此方を伺っていたのは君だね」

「はい。 よく分かりましたね」

嘘をつく必要もない。

魔法で存在を感知できなかった人間が何人かいたし。別にわたしは世界最強の魔法使いでもなんでもない。

ましてや古き魔法の国となれば。

スポリファールの精鋭もびっくりの魔法使いがいてもおかしくは無いだろう。

「戦争犯罪の類はやっていないだろうね」

「そもそも旧パッナーロに来たのは、ロイヤルネイビーの侵略が終わってからです」

「そうか。 では巻き込まれたのか今回の大反乱に」

「そうなります」

老人はそうか、ともう一度ため息をついていた。

老人はマリーンというらしく、この国の魔法使いだそうである。

似たような名前の魔法使いが、いにしえの時代にいたそうだ。いにしえの時代に現れた「賢者」だの「勇者」だのは、普通の人間では絶対に攻略不可能な能力を持っていて、基本的に能力をガバガバに解釈できるためあらゆる事が可能だったそうである。そんな奴の一人が、そういう名前を名乗っていたとか。

それを討ち取ったのが、この国の先祖達。

いにしえの時代に暴れた連中を討ち取った例は殆どないらしく、快挙の中の快挙だったらしい。

以降は斃した相手の名前を名乗るという風習もあり。

ただそのまま名乗ると縁起が悪いと言う風習もあるらしいため、少し名前を変えて名乗っているのだそうだ。

よく分からない風習だが、その土地では大事なものなのだろう。馬鹿にするつもりはない。

他にも幾つかの尋問をされる。

魔法を使えること。

何よりカヨコンクムの敗残兵であると言う事。

それらもあって、数日は尋問された。流石に外で立って待ちではなくて、粗末な家をあてがわれたが。

粗末な事は、苦にはならなかった。

伯爵領にいたころに比べれば、なんぼでもマシだったからだ。

最初審問に来たマリーン老人は二日で来なくなって、以降は猜疑心が強そうな、眼鏡の男性が審問に来た。

四角四面という雰囲気で、スポリファールの人間を思い出す。

だが、どれだけ挑発的な事を言っても、わたしが怒る気配もない様子を見て、その男性も気味悪がったようだった。

それから更に数日。

食事があって寝床がある。

それだけで、わたしには充分だったので、まあこれでもいいかと思ってたまにくる審問に受け答えしながら。

ある程度の安全を、わたしは享受していた。

 

グンリ王国は千百年の歴史を持つ国家で、古くにはパッナーロの領土の大半を有していた覇権国だった。

他にも幾つかの国が存在していたのだが。

それらはいずれもが、いにしえの時代に現れた勇者やら賢者やらに踏みつぶされ、今では存在していない。

一部存在している国も、グンリ同様に小国となって、細々と命脈をつないでいる状態である。

グンリの南部には世界の果てとか境界とか言われる障壁が存在していて、それは魔法なのかそうでないのかすら分からず。

グンリが全盛期だった頃も色々な人間が突破を試みて、果たせずにいる。

良くしたもので、遙か北の海にもそういうものがあるらしい。

この国は、昔は覇権国だったが。

今では文字通りの世界の果てなのだ。

魔法使いマリーンは、王の下へ書類を運ぶ。

国の規模が小さいため、王と民の距離は近い。愚王が出る事もあるが、この国は傾くことが許されない。

愚王が出た場合は、民が総出で追い出す。

そういう仕組みがあるため、王も必死に政務を執る。

今の王はまだ若い男性だが、それでも必死に賢王であろうとしていて。少なくとも今マリーンが見る所、無能では少なくともなかった。

有能でもなかったが。

また別に顔立ちが整っているとか気品があるとかそういうこともない。

王族は血統が優れているから優秀であるとか言う妄想を抱く人間の夢を、存在するだけで粉々にするような王である。

だから凡王とまで陰口をたたかれていたが。

それでも、凡人であればいいと国民は思っているので、排斥の動きはないのだった。国政にエゴを優先するような愚王でさえなければいいのである。

書類を持ち込むと、うんざりした顔で処理を始める王。

「マリーンよ。 まだ難民は入り込んでいるのか」

「はい。 何しろ大きな戦でありましたので。 初期は賊そのものの連中が入り込んで来ていましたが、それらはみな駆除しました。 今は比較的大人しいものが入ってきています」

「それでも油断はするな」

「分かっております」

マリーンが一番警戒しているのはアイーシャという者だ。

ロイヤルネイビーの中佐だったようで。物的証拠もあるが、あれはどうみてもまだ十代半ば。

ロイヤルネイビーの首魁だった海賊女王は、能力主義者で有名で。使えると判断したら、強盗だろうが強姦魔だろうが平然と雇い入れていたという話がある。

中佐というのはかなり大規模な軍を率いる立場であり、地位的には国家の高官に充分分類され。

しかもマリーンが見る限り、魔法の腕は上澄みに入る。

世界最高とまではいかないが、あの年齢であれだけの魔力と魔法の技術を持っていれば、最強とまではいかないがいずれその座を狙えるかも知れない。

ただ非常に無機質で、感情らしいものを殆ど見せない。

たまに僅かに感情を見せるが。

それ以外は人形じみていて、接している者が不気味がっていた。

多分ろくな人生を送ってきていないんだろう。

それは唾棄すべき事ではない。

哀れむべき事だった。

問題は、マリーンは立場的に。

それでも手心を加えられないことであったが。

「麓はそれでどうなりそうだ」

「恐らく反乱軍がクタノーンとカヨコンクムの占領地を奪回して終わるでしょう。 クタノーンはもろに陸続きなので、領土を失うかも知れません。 スポリファールも獲得した領土の割譲を強いられるかも知れず、またロナウ国として生き残っているパッナーロの残党は、復権の目はないかと思います」

「つまり状態は変わっていないのだな」

「仰せの通りにございます」

首を振って残念そうにする王。

上手く行けば旧領奪回をと思ったのだろうが。

そもそもグンリの国力では、外征して占領地を広げる事は不可能だ。

パッナーロが出来たのは数百年前の混沌の時代で、その前はグンリの領土だったとしても。

数百年も時が経てば、完全に違う土地の違う人間である。

今更真の王がどうのといっても、誰も気にもしないだろう。

ましてやパッナーロは最初の数十年くらいしか統治が上手く行っておらず、それ以降は圧政と失政で極貧国にまで堕落した国だ。

今反乱軍を率いているものが誰かは知らないが。

国を建てたら。今まで以上に排他的になるだろうし。

グンリがまた出向いても、新しい敵としか認識しないのは目に見えていた。

「退屈な日々が続くわけだな」

「いえ。 少なくとも反乱軍の動向に目を光らせなければなりません。 当面は国内の安定に必死でしょうが、もしも侵攻を企てるようであれば……」

「分かった。 兵の配備を続けよ」

「御意」

グンリは山深い土地だ。

パッナーロに大小八回遠征軍を送り込まれたが、その全てを撃退したのは、霧も多く山も深く。

何よりもその地形に適応した兵士達の存在がある。

八回の遠征軍が全滅的な打撃を受けたことにより、パッナーロは南辺境伯を配置して、グンリに備えたほどである。

まあ、それだけは正しい判断だっただろう。

そのうちに国がさらに腐敗して、より豊かなことが目に見えているスポリファールに目が向き。

止せばいいのにそっちに遠征軍を出した事が、破滅の引き金となったのだが。

まあそんなことは知らない。

先祖が同じであっても、もうどうでもいいことだった。

マリーンは戻ると、軍の将軍を集める。

マリーンは立場的に軍司令官である。

このちいさな国だ。

とにかく人間関係も狭い。

将軍と言っても、率いている兵は数百から千程度でしかない。

他の国が見たら指を差して笑う程度の規模だ。

ただし魔法戦力はそれなりに充実している。

賢者の子孫をうそぶくパッナーロよりも、魔法戦力についてはずっと充実していて。魔法を使える人間を厚遇してきたのがこの国だ。

そのため、軍司令官にも魔法使いが置かれるのが恒例で。

マリーンもその恒例で、三十年間司令官を務めてきたのだ。

「司令官閣下。 王はなんと」

「侵攻作戦はない。 敵からの侵攻に備えよと言う事だ」

ほっとする司令官達。

実際にはそうするべきだと進言して、そうさせたのだが。

それは今言わなくてもいい。

「既に内部に受け入れた難民も含め監視せよ。 特に国境付近では、濃霧の魔法を常に展開しておけ」

「わかりました。 新しい血を敢えて入れる必要はないと言うことですね」

「この機に乗じて入れる必要はない、ということだ」

新しい血をいれなければ、あっと言う間に国が駄目になる事くらいは分かりきっている。

だから国策で、村などの間では人間を行き来させて、血を循環させるようにしているほどなのだ。

パッナーロでは奴隷売買が悪名高く。

売られてきていた奴隷の幾らかは、グンリに流れていた。

グンリに流されていたのは「上物」ではない、魔法が使えない人間ばかりだったが。

そんなことはどうでもよく、新しい血が入るというだけで貴重だった。

奴隷の身分から解放するだけで、随分と感謝もされたし。

それでこの国は、新しい血を入れることも出来る。

ただ、だからといって余所から来るものを好き勝手にさせない。

そのノウハウも、千年以上の歴史でしっかり身に付けているのがこの国で。

だから滅びず、今まで隣に大国があってもやってくることが出来たのだった。

幾つかの指示を軍司令官に出した後、マリーンは一度戻って休む事にする。

流石に老齢だ。

若い頃の様に闊達には動けない。

家で報告書を読む。

審問につけた魔法使いは、アイーシャのことが気味が悪くて仕方がないらしく、陰険な悪口を書き募っていた。

良くない傾向だ。

アイーシャが得体が知れないのは事実だが。

これは明らかにアイーシャが抵抗しないことを前提にものをかいている。

アイーシャの実力はスポリファールなどの先進国の軍の一線級の魔法使いなみとマリーンは見ている。

その気になれば、下手な都市くらい一人で全滅させる事が可能と言う事だ。あくまで理論的には、だが。

そういう存在を侮るのは危険極まりない。

すぐに報告書を書いた審問官を呼び出すと、その旨を説教する。

時々別人のように恐ろしくなるため、マリーンはそういう点では怖れられているようだが、それでいい。

優しいというのは舐められる要素である。

人間というのはそういう存在だ。

だから時々怖れさせなければならない。

それが人間の世界で生きるには、必要な事だった。

 

2、進歩は止まれど故郷と違う

 

結局半月以上足止めを受けて、それでやっと解放された。

わたしは国の監視下に置かれる事になって、審問されている間に出来ると答えた魔法を使って欲しいと、城壁の修理にまわされた。

見た感じ、本気で作った城壁ではない。

恐らくだけれども。

この山奥に、攻城兵器なんか持ち込めたものではないからだろう。

民を安心させるための張りぼてとしての城壁であって。

本気で敵を防ぎ止めるものではないのだ。

事実、彼方此方に建てられている櫓のほうが堅牢に作られていて。それらは熊が突進して体当たりしたくらいでは、びくともしないような作りになっているのが見えた。

スポリファールの砦の城壁よりも頑丈かも知れない。

この城壁に敵が取りついたら終わりだし。

わたしみたいな監視中の魔法使いが触っても、なんら問題にはならないということだ。

わたしは構造を風魔法で確認した後、水魔法を集めて、壁を一気に洗浄していく。あまりいい石材を使っていないからか。それだけでぐらぐらと揺れているような箇所も目だっていた。

その次は土魔法を利用して、隙間などを細かくうめていく。

土魔法の応用で、接着を出来るようになってきている。

まあおなかは空くのだが。

それで少しずつ、城壁を修復して行く。

度肝を抜かれているのは、監視に付いている真面目そうな女の子の魔法使いだ。栗色の髪の毛をおかっぱにしていて、とにかく身ぎれいにしている。

この国も、パッナーロが健在だった頃は、人攫いを目的とした賊がたまに入り込んでいたときいている。

魔法使いがかなり多くいて。

もし魔法を使える子供をさらえれば、一儲けできたからなのだろう。

勿論それらは生かして返さなかったそうだが。

「終わりました」

「は、はい。 それでは此方もお願いします」

「分かりました」

必要最小限しか喋らないのは同じだ。

アンゼルと喋っているときは多少口数は増えていたように思うが、あれは思うに相手に対する信頼の結果だったのかも知れない。

今は周りの誰も信頼していない。

だから、こうして無口になっている。

淡々と作業を終わらせて行く。

この街の規模が小さい事もある。

城壁なんぞ、わたし一人ですぐに全部直してみせる。それもこんな虚仮威しの城壁なんぞ。

対魔法や、対オークなどの準知的種族を想定した城壁だったら無理だっただろう。

だが、これは本当に国民を安心させるためだけに作られているものだ。

だから、大した手間でもない。

昼には食事が出た。

一応温かいパンとスープ、それと僅かな肉料理。

伯爵領にいた頃のものにくらべると百倍マシだが。

カヨコンクムにいた頃よりちょっと質素かなとは思った。まあこのくらいなら、我慢できる許容範囲だ。

黙々と食べている間、わたしの監視に当たっている魔法使いは、必死になれない様子で報告書を書いている。

特に決まった書式がある訳でもなく。

それぞれの裁量でかく代物であるようだ。

見ると角が立つからやらない。

風魔法でペンを動かしている様子を探って、それだけで分かる。

これは大変だろうな。

そう思ったが、思うだけだ。

手助けもアドバイスもするつもりはない。

食事を終えて、午後の仕事。淡々と城壁の修理を終わらせていく。

夕方に仕事は終わって、小屋に案内される。

一瞥した後、わたしは風魔法、水魔法、土魔法を全部使って、内部を綺麗にした。ダニだの虱だのは全部まとめて駆除。

寝台のシーツなどもその場で洗濯して、乾燥させ。

後は窓なども外から丸見えになっているのを塞いで、個人のスペースを作った。

「鮮やかな手際ですね……」

「ありがとうございます」

まあ、これはスポリファール時代ではなく、カヨコンクム時代に培ったものだ。

彼方此方移動する事も多かったので、ろくでもない宿に当たる事も多かった。

隣から音が聞こえてきたりするとうるさかったし、魔法で対処する事を覚えた。こっちの音が漏れないようにすることで、トラブルも避ける事ができた。

おかっぱの子が戻ると、外に兵士が何名か監視に付く。

これは徹夜の仕事だろうな。

大変だ。

そうわたしは思って。同情はした。

同情するだけだが。

体を水魔法で洗って、服なども綺麗にする。

これは当面、カヨコンクムで貰ったローブで着たきり雀になるし。せめてその服は清潔にたもたないとまずいな。

そう髪の毛を乾かしながら、わたしは思う。

少し髪を切っておく。

放っておくと腰辺りまで伸びそうだし、前髪は長すぎるとそれはそれで邪魔になるので。時々切りそろえているのだ。

それもすっかり慣れた。

手入れが終わると、後はさっさと寝る。

見張りについている兵士達には気の毒だが。

こっちとしては、休まないとやっていけないのだ。最悪の場合、此処も安住の地ではなくなるのだろうし。

 

三日ほどで城壁の修理は終わる。

それで度肝を抜かれたのか、おかっぱの子(まだ名前も知らない)は、上司に報告しにいったようだった。

わたしは退屈が何の苦にもならないので。地面を通る蟻を観察して過ごす。

蟻は土地によって随分と違うのがいる。

この地にいる蟻は体が大きく、動きも俊敏だが、毒針は持っていない。小型でも毒針を持つ蟻は非常に危険で、他の地方だとそういう蟻が出る場合は、対策が必須だった。まあ、あくまでわたしの観察の範囲内だろうが。

城門の方には、死体が幾つか晒されている。

串刺しにされた死体は、臭いが漏れないように魔法で処置されているようだが。多分狼藉を働いた連中だろう。

どうみてもこの国の民では無い。

蟻も死体には近寄らない。

魔法で処置していると見て良かった。

おかっぱの子が戻ってくる。

そろそろ昼だが、まあまだ余力はある。

「すみません。 食事の後は、今日は仕事もありません。 宿舎に戻って、ゆっくりしていてください」

「わかりました」

「こんなに仕事が速いなんて思っていなくて」

「そうですか」

食事が出されるので、ありがたくいただいておく、

風魔法で周囲は察知しておく。もうこれは、一種の職業病だ。何があっても対応できるように常に備えておく。

それでもあのアルテミスみたいなのに狙われたらどうにもならないだろうが。

賊程度だったら、今はもう自力でどうにでもできる。

この街でも犯罪者はいるらしい。

たまに捕り物が行われているようだが。

治安はカヨコンクムよりもずっといい。スポリファールほどではないようだが。

淡々と食事を済ませた後、見張りをしている兵士に声を掛けて、宿舎に行く。兵士は度肝を抜かれていた。

「何故分かった」

「気配を消しているつもりだったんですか?」

「……っ」

「好きに監視していてください。 わたしとしては宿舎の自分の空間さえ覗かれなければ其方の指示に従いますので」

宿舎に戻った後は、魔力を練り上げる。

魔力量は今も増えている。

わたしは多分今十六か十五か。

そろそろ魔力の大幅な伸びが期待できなくなる年だったか。

ただ、成人してから魔力が伸びる人もいるらしいし、何よりも体が膨大すぎる魔力で害されないように、常に調整がいる。

そうしないと、フラムみたいに寿命を縮めるのだ。

魔力を練っていると、宿舎の扉が叩かれる。

気配から分かるが、あのおかっぱの子だ。

おかっぱの子は走り回っていたらしく、随分と息が切れていた。

わたしも身体能力は高くは無いのだが、ちょっと見ていて気の毒になった。

「大丈夫ですか」

「は、はい。 すみません……」

「それで何か」

「ええと、明日の仕事についてです。 獣の皮を剥いだり、肉を燻製にしたりは出来ますか」

まあ出来るが。

ただ火魔法は使えないので、材木などはいる。

それについては説明をしておくが。

おかっぱの子は、うんうんと頷いて、真面目にメモしていた。

「アイーシャさんは何でも出来るので、火はできないのを聞いて安心しました。 若くして大国で中佐にまで昇進する人は違いますね」

「運が良かっただけです」

「謙虚ですね」

違う。

事実だ。

アンゼルと一緒にカヨコンクムに出向いてから、いわゆる出世という奴をするようになった。

多分スポリファールにいたら、今の年でもずっと腫れ物扱いで、隅っこで指示通りに魔法をしていただろう。

あの平穏な生活はちょっと息苦しいくらいで、たえきれないものではなかったが。

わたしは協調性がないとか言われていたし、ずっと嫌われ続けたのは間違いがない。

その場合は、出世とは無縁だった。

それに、あの海賊女王が気前よく地位をくれたのも事実だ。

要するに、運が良かっただけ。

能力があれば出世出来るなんてのは妄想だ。真逆の例としても、無能な伯爵が社会のトップにずっといたのが伯爵領だったし。

出世は運だとわたしは見切っている。

そして今は、わたしは出世に全く興味がない。

「とりあえず、明日の仕事について準備しておきます」

「わかりました」

ぱたぱたと走っていくおかっぱの子。

あれは周囲に可愛がられているんだろうな。

わたしとはあらゆる意味で真逆だ。

だが、別に羨ましいとは、まったく感じなかった。

そのまま差し入れられた夕食を食べて、寝る。

翌朝は朝一から魔力を練っておく。最近魔力量がどんどん膨れあがっていて、これを丁寧にやらないと危なくて仕方がないのだ。

おかっぱの子が来るまでに、色々と魔法を試しておく。

風水土の組み合わせでも、できる事はたくさんある。ただ、二つ魔法を同時に使うとそれぞれ精度は落ちるし。

三つはまだちょっと試したことがない。

今日は飛ぶ魔法の精度を上げるべく、屋根の上くらいまで浮かんで、それで土魔法と水魔法で屋根の修理をしておく。

良い感じで出来るが。

その代わり、周囲の察知が出来なくなる。

これはやらない方が良いな。

そう判断して、短時間で切り上げる。手足の汚れを水魔法で落としていると、おかっぱの子が来る。

監視の兵士が来て、何やら耳打ちしていた。

そうか、この子はハンナというのか。

まあどうでもいい。

「アイーシャさん、空も飛べるんですね」

「まだ習熟率が低いので、あまり高速では飛べません。 実用性はそれほど高くはない段階です」

「それでも空を飛べる魔法使いなんか、そうそうはいません。 凄いですよ」

「ありがとうございます」

兵士達は噂している。

あの女、人間じゃなくて噂に聞く悪魔じゃないのか。

顔が整いすぎていて、無表情なのが怖い。

目が完全にドブみたいに濁ってる。炎みたいな赤い瞳なのに。

そんなことを言っている。

まあ、全部把握しているが。それについて、わざわざどうこういうつもりはない。兵士達はこっちを怖れている。

だから舐めた真似はしない。それでよかった。

「まだ名乗っていませんでしたね。 あたし、ハンナっていいます」

「そうですか」

「しばらくはアイーシャさんの見張りにつくと思います。 アイーシャさんの魔法を見て、色々勉強させて貰いますっ!」

元気な子だ。

きっと、伯爵領みたいな地獄を知らないんだろうな。

知らなくていい。

あんな場所を知っている人間なんて、ごく少数でいいのだから。

 

獣を捌く。

狩人が狩ってきたらしいのは、これはなんだ。

足が六本ある毛だらけの動物だ。猪ににているが、足が虫のようである。全身に矢を浴びて、それで死んでいる。

大きさからして熊よりも更に大きい。

矢はこれは毒矢だとみていい。

多分肉は食べられないだろうな。

そう思いながら、風魔法を駆使して、まずは矢を抜く。鏃も綺麗に全て除去しておく。

血だらけの矢と鏃をその場に転がして、水で洗浄して血と肉を洗い流しておく。

同時にハンナに聞いて、皮などの捌き方を知らないか確認。

知らないそうである。

「この動物はワムクロウラというのですが、まだこれは小さい方です。 もっと山奥になると、この何倍もあるのがいて、魔法を使うことさえあるとか」

「動物が魔法を」

「辺境になるといるらしいです。 大国だと準知的種族なんて呼んでいる人間に近い種族でも、魔法を使う場合があるらしいですよ」

「そうですか。 覚えておきます」

意外だ。

スポリファールでみた資料でも、魔法はいにしえの時代に勇者やら賢者やらが大量発生したときに、誰もが使えるようになったとか書かれていた。

だがこのグンリではそれ以前に魔法が使える人がいて。

更には動物が魔法を使うというのか。

まあ、驚くのは後だ。

風魔法で持ち上げると、吊して捌きに掛かる。体の構造は理解したので、首の辺りを切って血抜きから。

大量に血が流れてくるので、それを桶で受けておく。

この血も活用するかも知れないが。

毒矢で殺したのだとすると、飲んだりは無理か。

場所によっては動物の血を飲料にしたりするらしいのだが。

血を抜きながら、体の構造を調べ、まずは毛皮をはぎに掛かる。腹からすっと借りている大きな解体用の刃を入れて、割く。腹は急所と言う事もあって、守りは固めていないのだろう。

そのまま簡単に割く事ができた。

その後は、風魔法と土魔法を使って、皮をめくるように剥ぐ。

既に矢を多数浴びているが、それでも脂肪分を利用して、上手に剥ぐことが出来ていた。そして剥いだ皮は、一旦吊して、脂肪分などを取り除いておく。

そうすることで腐るのを防ぐ。

六本ある足を除去しながら、順番に体を解体して行く。

ぼろんと出て来た内臓は、相当な量だ。

ハンナはずっと口を押さえていたが。大量に出て来た内臓を見て、真っ青になって視線を背ける。

内臓は並べておき、消化器官は割いて中身を出す。

酷い臭いは風魔法で遮断。

猪みたいな面構えだったから雑食かと思いきや、これで草食らしい。出て来たのは、草ばかりだった。

火は熾して貰ってあるので、それで腹の中身は全部処分してしまう。

内臓類は洗っておく。

肉は大量に取れるが、毒矢が入っているので食べない方が良いだろうと思ったが、火を通して燻製にしておくと、しばらくすれば食べる事ができるらしい。そうベテランの兵士がいうので、だったらと燻製にしておく。

手際がいいらしく、ベテランの兵士が感心していた。

「穴は開いているが、これは高く売れる毛皮じゃあ。 なめしが終わった後は、軍で売って競りに掛けるようにしておくぞ」

「お願いします、ロコスお爺さん」

「おうおう」

ハンナがぺこりと頭を下げる。

ベテランの兵士とも関係は良好なようである。

魔法使いでありながら、奴隷として売り飛ばされず、周囲とも関係は良好か。

スポリファールでさえ、魔法使いはそうでない人間と壁があった。

それを思うと、ちょっと色々と考えてしまう。

グンリは辺境で、人も少なく、大国に対しては国境を越えたら殺すみたいな態度をとり続け。

天然の要塞である山岳地帯を利用して身を守ってきた国なのかも知れない。

だが、人の心は、今まで見てきた国で一番マシなのではないか。

肉を削ぎ終えて、骨だけになる。

骨を砕いて軟骨を出して、それも火を通しておく。

いずれにしても、すぐには食べない方が良いだろう。

頭蓋骨も割って脳みそを取りだすが、肉を捌いている過程で少なからず寄生虫が出て来ていた。

わたしも時々魔法で虫下しはやっているのだが。

如何に強壮であっても、動物にはなりたくない。

そう考える理由がこれだ。

寄生虫に嫌悪感があるのではない。

虫下しが大変なので。寄生虫だらけになる動物にはなりたくないだけである。

仕事は概ね昼までに終わる。

燻製は時間を掛けてやらなければならないので、後はじっくりわたしが責任を持って見張る。

煙が行きすぎないようにしたり、火事になったりしないように、燻製窯はしっかり見張らないといけない。

ハンナにはもう一人で大丈夫と言ったが。

見張りである以上、そうも行かないのだろう。

わたしは昼食を取りながら、午後の時間を過ごす。

煙などを風魔法で調整するので、魔力の錬磨も出来ない。

それが煩わしいが。

忙しく走り回って、賊を殺して回るよりもずっとマシか。そう思って、淡々と仕事を続いていた。

 

ハンナはグンリの外を知らない。グンリの外が大きな戦争をしていて、たくさん人が死んだことは聞かされたが、それだけだ。

ハンナはこの国では珍しい孤児だ。

両親は狩りの最中に死んだ。

ただし、それでもグンリでは大事にして貰った。

グンリでは転生神という存在を信仰している。これは当たり前の事だったので、ハンナはそれが余所ではないと聞いて驚いたくらいである。

転生神というのは、教会と呼ばれる場所に像があるが、美しい女性の姿をしている。なんでも生前の行動を鑑みて、その人に相応しい来世を用意してくれるのだという。

故にグンリではこう考える。

数百年前に大量に現れた、勇者や賢者や、その他よく分からない者達。

あれらは転生神の力で、特典を貰って転生してきたと自称していたが。多分悪魔の手によって世界に現れた偽物だと。

転生というのは、大まじめに人生を送り、善行を重ねて悪さをせず、人格も磨いて。それでやっと裕福な来世を約束してくれるものだ。

間違っても他人を踏みつけにして、手当たり次第に欲求を満たすような存在が、得体の知れない力を授かるような仕組みではないと。

そういう思想を聞いて育ったハンナには、それが普通だったし。

魔法使いの力があって。

それで人の役に立てることが、今は幸せでならなかった。

教会にはたまに顔を出している。

そして祈る。

教会には弟分妹分もたくさんいるので、其処にお金を仕送りしている。教会の立場を利用して悪い事をする人もいるので、年に何回か監査も入る。

ハンナは教会で育った事もあって、監査には加われない。

それがちょっと歯がゆいが。

弟分妹分の笑顔が見られるのなら、仕送りをする価値はあるし。

働く事に、大いに意味も見いだせるのだった。

兵士達も、ハンナには良く接してくれる。

どうして戦争なんて起こるんだろう。

そうハンナは思う。

大きな国では大きな力が働く。大量のお金が動くし、それで人が簡単に死ぬ。何か利益になるのだったら、軍隊も動く。それでたくさん人が死ぬ。

戦争の仕組みなんてそんなものだということは分かっている。

この間潰れてしまったパッナーロは、元はグンリの領土だった。それを取り戻したいという声もあるらしいけれど。

ハンナに言わせれば、知りもしない場所だ。

そんな場所を殺したり殺されたりしてまで取り戻すなんて、気が知れなかった。

宿舎に戻ると、マリーンさんがいた。一番偉い魔法使いだ。

ハンナのことも孫のように可愛がってくれる。

報告書についても、此処が駄目というのではなく、こうすれば良くなると教えてくれるので、大好きだった。

「それでハンナ、アイーシャはどうだ」

「すっごい魔法使いです! あんな人が先進国にはたくさんいるんですか!?」

「いや、流石にあれほどになるとたくさんはいないな。 火の魔法は使えないようだが、それ以外を彼処まで使いこなすのは、多分そう多くは無い。 しかもあの若さだ。 もっと伸びるだろう」

「凄い凄い!」

目を輝かせているだろうハンナに。

そうかそうかと、マリーンさんは喜ぶ。

報告書も出して、後は夕ご飯と寝るだけだ。

ただ、マリーンさんには言われている。

アイーシャさんは、非常に危険な力を持っていると。

本人は恐らく攻撃されない限り反撃されないだろうが、必要に応じて人を殺す事をなんとも思っていない目をしていると。

だから気を付けるように。

破落戸とかがアイーシャさんを挑発しないように、お前が側にいて監視していなさい。

此方から悪さをしない限りは、恐らくは何もしない。

あれはそういう人だろうと。

ハンナは怖い事はあまり知らない。

だから。アイーシャさんとは、話せばわかるのだと。信じているのだった。

 

3、巨影

 

グンリに来てからしばらく時間が過ぎた。

今までいた都市から出張することも出て来て。その過程で、服も新しく仕立ててもらった。

軍用のローブではなく、普段着ももっていなさい。

そう言ったのは、あのマリーンという老魔法使いだ。

給金も出るようになった。

ただ、それでも監視は解けない。

わたしが要監視対象だと言う事は分かっている。だから、それに不平を唱える気はなかった。

今日はグンリの奥地にある村に、ハンナと兵士達十名ほどと向かう。同時に物資も運ぶ。

土魔法と風魔法の組み合わせで、地面を高速で動かして高速移動する。速度、安定性、ともに更に磨きが掛かってきている。

ハンナは無邪気に喜んでいる。

何歳か年下のこの子は、わたしが散々人を殺して来た事なんて知りもしないだろう。そのまま知らないでいる方が良いのかも知れない

山の中を高速で移動完了。

兵士達は狼煙を上げたりして、実戦訓練をしていた。わたしは見ているだけでいいという話だ。

まあ山の中だ。

厄介な猛獣が出たら対応の支援をしてほしいということだったが。

狼煙を上げていると、彼方此方の山から狼煙が上がっている。

上がった色、上がっている長さ、順番などで暗号になっているらしい。わたしはただ見ているだけ。

軍事機密だろうし、知らなくていい。

退屈そうにしているハンナだが。

一応目を離さないようにする。

この山の中で一人になったら、万が一も助かるまい。山慣れしている兵士達ですら、諦めるだろう。

しばし狼煙を上げた後、谷川に降りる。

綺麗な水が流れているが、あくまで綺麗に見えるだけだ。

きちんと湧かしてから水は飲む。

わたしが瞬間で湧かして冷やして、兵士達が感謝の言葉を述べていた。わたしのことから目を離さないようにはしている兵士達だが。

それでも、感謝の言葉は口にする。

それだけでも、今までの対応よりはマシかも知れない。

わたしは淡々と水魔法で川の様子を探る。

結構上流の筈だが、水の流れは速い。川遊びをしたそうにハンナがしていたが。駄目ですよと一言だけ。

流されたらまず助からない。

川の水は、魔法で調べるだけでも結構深いし早いしで危ない。

それよりも深い所には、かなり大きな動物もいる。

ハンナみたいな子供、おいしい肉にしか見えていないだろう。わたしも多分そう見えている筈だ。

昼食を始める兵士達。

かなり練度が高く、ほとんど私語を発しない。

今回の訓練は、わたしの監視を兼ねて。見習いのハンナにやる事を出来ているか見るものであるそうだ。

わたしがたまに制止するから出番はないようだが。

兵士をまとめている中年の男性は、時々鋭く目を光らせている。採点を細かくしているのだろう。

わたしから見ても、ハンナはまだまだとても一人前には遠い。

とりあえずわたしは、火の始末を終えると、周囲を確認。

ちょっと遠い所に熊がいる。

それとは違う方向に大きめのヤマネコがいる。ヤマネコといっても人間を殺せる大きさである。

襲われたら、特に不意打ちされたら、大きな被害が出るだろう。

兵士をまとめている男性に話をしておく。

頷くと、男性は戻るぞと一言だけ言う。

後は、土魔法と風魔法による移動だ。

ハンナだけは無邪気に、結構危ない状況だった事に気付いていないようだった。

街まで戻ると、わたしはハンナと別れて、別の兵士達と山に入る。

少し前から、大きめの人影が目撃されているらしい。

ただの大きなおじさんだったらまだいいのだろうが、オークだとかだったら問題だ。或いは国境を越えて今頃逃げ込んできた敗残兵の可能性もある。

兵士達は緊張した様子で。

わたしの他に、もう一人気むずかしそうな老魔法使いがいる。

同じ老魔法使いでも、マリーンとは随分差がある。力量もそうだし、観察眼もそうだ。魔法が才能に依存する以上、これは仕方がないとは思うけれど。

マリーンと同年代だとすれば、色々とひがむのも仕方がないのかもしれない。

指定の位置まで、風魔法と土魔法で移動。

移動中、老魔法使いはずっと冷や汗を掻いているようだった。

わたしの移動魔法を見て、マリーンは喜んでいたが。内心では危険だとでも思ったのかもしれない。

複数人に見せて、判断させているのだろうか。

こういう反応を見ると、そんな風に思ってしまう。

ともかく指定の位置についた。

山の中腹で、麓を良く見渡せる。

この辺りで最近木が倒れたらしく、森が途切れていて、視界を遮るものもないのも調査の追い風だ。

「この辺りに展開しろ。 安全を確保し次第、探索範囲を拡げる」

「はっ」

「ふん、手品みたいな魔法をつかいおって」

わたしに対する嫌みか。

まあどうでもいい。

わたしは風魔法を展開して、周囲を探るが。これはちょっとまずいかも知れない。

足跡だ。結構大きい。

多分人間のものじゃない。

それについて、すぐに説明する。かなり近くを通っていて、しかも足跡は新しい。

「なんだと!?」

「オークじゃないと良いんですが。 人間とは違うように思います」

「素人が、勝手な事を抜かすな! 山に詳しいのは我々なんだ!」

「はあ」

そう言うのなら、お手並み拝見といきたいが。

老魔法使いは結局わたしが見つけた足跡を見て、ひっと声を漏らしていた。

それはそうだ。

わたしがすっぽり入るほどの足跡である。

「巨人でしょうか」

「可能性はある」

「巨人?」

「この辺りに住んでいる準知的だ。 境界の辺りまでいかないと普段はいないんだが……」

知らない言葉だ。

わたしはじっと周囲を探る。

近くにいてもおかしくは無いが。ともかく特徴が分からないとなんとも言えない。

とりあえず間近にはいなさそうだが。

兵士達の緊張ぶりからして、ロクな相手ではないだろう。

「どういう生物なんですか」

「オークを知っているのなら話は早い。 オークより知能が遙かに高くて、場合によっては人間の言葉を喋る。 それでいながら暴虐で、大きさも見上げるようだ」

「オークの全てを上回るということですか」

「幸い繁殖は滅多にしない……というよりも、子供を誰も見た事がない。 服を着ている事も多く、境界の先にいる別の人間ではないかなんて噂もある」

境界とはなんだろう。

老魔法使いがぶつぶつと困ったどうすると呟いている。こっちの方が知りたいくらいなのだが。

魔法を使うこともあるのかと聞いてみると。

あると即答された。

そうか、それは厄介だ。

さて、どうしたものかと思った瞬間だった。

二抱えもある岩が、凄まじい勢いで飛来した。わたしは全力で風魔法を展開。山の柔らかい土を踏みしめて、両手を岩に向ける。

風が炸裂するように吹き荒れ、辺りの木がなぎ倒される草のように傾いだ。

風を収束させ、岩に対して叩き付ける。

激しい激突の末に、岩が逸れて、近くの山肌に着弾。木をなぎ倒しながら、転がり落ちていった。

「ひ、ひいっ!」

老魔法使いが悲鳴を上げる。

うめき声のような唸りとともに、それが山の中から姿を見せる。索敵範囲の外だったが、それは想定外だった。

背丈は前に見た軍で飼われているオークの倍はある。

手にしているのは革の紐だが、あれは確か投擲で使うためのものによく似ている。

奇襲を仕掛けて来たという事か。

顔もオークと違って、人間とあまり変わらない様に見えたが。口からは鋭い乱ぐい歯が見えていて。

こっちを獲物としか認識していないのが一目で分かった。

吠える。

それだけで、老魔法使いは白目を剥いて失神した。

兵士達が浮き足立つ中、わたしは聞く。

「どうします。 逃げますか。 それとも戦いますか」

「戦える訳ないだろう! 逃げろ!」

「分かりました」

その気になれば勝てそうだったけれど、指示に今は従うだけだ。

立場とかそういうのを考えるのは苦手だが、今の時点では逆らわない方がいいとわたしは思っていた。

色々と状況が良くないからである。

風魔法と土魔法を駆使して、その場の土ごと全員で逃げる。巨人はもう一度投擲してきたが、軌道を見切って蛇行して避けた。

着弾した岩が、木々をなぎ倒して、凄まじい音を立てる。

巨人は走りながら追ってくるが、確かに服は着ているようだ。走りながら器用に石を拾って、すぐに装填している。

知能がある上に、身体能力もあの図体で高いと言う訳だ。

ぞくりとした。

土魔法と風魔法での移動解除。

兵士がなんで止まったと叫ぶが、次の瞬間、今までの比では無い速度で大岩が飛んでくる。

これはあの投擲具によるものではないな。

わたしは全力でそれを逸らす。

至近に着弾。

吹っ飛んだ木くずや土が大量に被さってきて、思わず目を塞ぐ。その隙に、巨人が至近まで迫っていた。

唸りながら、吹っ飛んだ木の一つを掴み、それを振り下ろしてくる。

巨人の言葉を発しているのかも知れないが、少なくとも意味は聞き取れない。

わたしは即座に魔法を切り替え。

土魔法と風魔法で、ぐるりと入れ替わるようにして、巨人の背後に回り込む。木が盛大に空振りして、地面を爆砕していた。

何度も何度もそうして地面に叩き付ける巨人。

その時にはわたしは、後ろに回り込み、風魔法に総力を投入。巨人の顔の周りの空気を文字通り止めた。

跳び上がった巨人が、顔を真っ赤にして、それでも木を手にとる。

息ができなくなった。

わたしのせい。

それを理解したらしい。

わたしを探して、振り返る。

これは魔法を使えて、魔力が見えているのかもしれない。わたしは更に風魔法の威力を上げる。

殺しきらないと、多分生き残るのは無理だ。

だが、巨人は喉を掴むようにすると、わたしの風魔法を強引にこじ開ける。もの凄い雄叫び、飛び散る唾。

凄まじい臭気に、流石に眉をひそめる。

巨人が風魔法を引きちぎった。

まあ、わたしの魔法は最強でもなんでもない。兵士達に逃げてと叫んで、わたしも土魔法を使ってさがるが。

巨人の手の方が速くて、兵士の一人が掴まれていた。

巨人はそのまま兵士を口に放り込むと、鎧ごとばりばりと喰らう。老魔法使いは気絶したまま。

これはちょっとまずいな。風魔法でもう一度と思うが、あの大きさだ。魔力も人間では手が出せないのかも知れない。

兵士達が殺された同僚の仇だと叫びながら、矢を浴びせかける。

巨人はすっと息を吸い込むと、爆発するような声で叫んだ。

それだけで、猛獣狩りにも使える剛弓から放たれる矢が、全部まとめて吹っ飛ばされる。しかし、その間に。

わたしは一人走っていた。

巨人が逃げ遅れた兵士を、また掴んで口に放り込む。気絶したままの老魔法使いも容赦なく食われた。次々に人を食いながら、それでも頭に血が上っている巨人は、辺りを見回す。

その時には、わたしは準備を終えていた。

木を風魔法で持ち上げる。

巨人がやったので、仕組みは理解出来た。

隕石の魔法について、教わった事はない。だけれども、空の彼方から隕石を降らせているんじゃない。

あれは大岩を空中高くまで持ち上げて、それを加速して地面に投射しているだけだったのだ。

巨人は投擲と同時に加速の魔法をかけて、大岩を吹っ飛ばすように投げていた。

それと同じ事を、鋭く尖った木でやる。

巨人が気付くが、遅い。

普通の矢だったらどうにもならないだろうが、巨人が走りながら踏み砕いたような木である。

その尖った切り口が、もろに巨人の膝近くを抉っていた。皮が爆ぜて、肉が剥き出しに、いや骨まで見える。

狙い通り。もうこれで迅速に動けない。

悲鳴を上げる巨人が、木を掴もうとする。

だがその時には、わたしは次の木に魔力を集中、装填していた。

今のは動きを止めれば良い。

アンゼルが言っていた。

遠くから敵を仕留めるときは、必中の固有魔法でも持っていない場合は二射を基本とする。一射で足か胴を撃って動きを止め。二射でとどめを刺すのだと。特に初撃で頭を狙うのはお勧めできないのだそうだ。頭は小さい上に良く動くからである。だから腹か胸を狙え。自信があるなら足を。そう言われた。

その通りに動く。

二射目。動きが鈍った巨人の腹に突き刺さる。巨人が尻餅をついて、逃げだそうとするが、させるか。

二射で仕留められなかったが、三射目。

今度はもろに喉に突き刺さり、それで巨人は絶命していた。

大量の血を噴き出しながら、人食い巨人が倒れる。

生き残った兵士達の中には、気絶しているものもいたし。巨人が荒れ狂う中踏みつぶされた仲間を見て、それで失禁している者もいた。

それよりもまずいのは、血の臭いだ。

巨人が死んだのを、周りの獣たちも見ている筈。

すぐに集まってくるはずだ。

死んでしまえば巨人だって肉の塊。

森の動物たちが、想像以上に厳しい生活をしていることは、わたしももう風魔法で観察して知っている。

「生き残り、集まってください。 戻ります」

「で、でも俺の弟が、潰れて」

「死体は集めてください。 持ち帰ります」

まずかったか、今の言葉。

兵士達が露骨に怯えるのを見て、わたしはそう思ったが。

ともかく今は、肉の塊になったものよりも。

助かったものを優先しないといけないと考えていた。

 

街に戻る。

すぐに来たマリーンに状況を説明。

ハンナが不思議そうな顔をしていたが、兵士の一人が奧に連れて行った。マリーンはいつもと別人のように厳しい顔をしていて。説明を聞くと、すぐに兵士を集めて、現場に戻る指示を出してきた。

魔力が枯渇寸前だ。

それを説明すると、食事を持って来てくれる。かっこむように食べなければならなかったが。

それを厳しい目で見ている兵士も多かった。

魔力の補給については、個人個人で違う。

それについては、最近痛感した。

わたしの場合は食事だが、睡眠だったりする人もいるらしい。ともかく、あまりうまくは無いご飯をかっ込むと。

さっきの数倍に増えた兵士とマリーン、何人かの魔法使いとともに、現地に向かっていた。

現地に到着。

その間に話すが、街の方でも巨人の凄まじい咆哮は聞こえていたらしい。

現地では、巨人の死体に鳥が群がっていて。更には小型の四足獣も集まり始めていた。マリーンが喝と叫ぶと、わっと散る。

兵士達が、三本の木が突き刺さっている死体を見て、吐きそうになる。

だが、その前に、回収しきれなかった死体を回収しなければならない。

巨人の死体の腹を割くと、消化されて原型もない死体が出て来た。相当に胃が強力らしい。

それ以上に胃から人間くらいもある寄生虫が出て来たので、それで悲鳴を上げる兵士もいた。

「下手に触ると手が溶けますよ」

「アイーシャ。 周囲の警戒に徹してくれるかな」

「分かりました」

アドバイスはしない方が良いか。

今までわたしの行動、発言が、追放されることにつながったことは何回もあった。自主的な行動が原因になったことだけではないが。原因になったこともある。

周囲を調べているマリーンが、いつもとは別人のように険しい顔で呻いている。

「ガンダルブも年老いたな。 如何に相手がヨトンとはいえ……」

「ヨトンというのですか」

「この巨人はグンリがパッナーロの旧領を抑えていた頃に何度か目撃例がある輩でな。 強いと言っても猿の仲間であることが分かっているオークとは違う。 準知的に分類されてはいるが、実際には人間と並ぶ知能を持ち、魔法まで使う。 こんな人間の領域にまで入り込んで来ているのは初めての事態だろう。 境界の監視に当たっている部隊の手を増やさないとまずかろうな」

「……」

兵士達が青ざめている。

巨人の死体をどうするかと話し合っていたが。

まあわたしは何も言わない方が良いだろう。

ヨトンか。

そういう名前があるとして、何か語源でもあるのだろうか。

いずれにしても、あれは人間とは相容れないだろう。人間をムシャムシャ食べていたような奴だし。

熊が出たが、マリーンが稲妻の魔法で一撃。

いや、一撃で死ななくて、悲鳴を上げながら逃げていった。

放っておけと、鋭い叱責が飛ぶ。

兵士達は辺りを探り、もう巨人がいないことを確認。

その後は点呼をし。

まだ残っていた死体の一部を集めていた。

「戻るぞ」

「これ、どうします。 持ち帰りますか」

「そうだな。 そうしよう」

「分かりました。 集まってください」

皆が集まった後、巨人の死体ごと戻る。

土魔法と風魔法を利用した移動は、滞在時に何度か見せたが。わたしの言動を見て、それでやはり嫌悪を示している兵士も多かった。

これは、駄目かな。

此処では監視がついているとは、ある程度上手く行っていたと思ったのだが。居心地も悪くは無いと思っていたし、出来るだけ大人しくもしていたのだが。

街まで戻ると、報告書を書いて、後は休むように言われる。

頷くと、困惑しているハンナを兵士が巨人の死体に近づけないようにしていた。

ハンナはどうしてかわたしを好いているようだったから。

マリーンが非常に険しい顔をしているのを見て、心を痛めているようだった。

 

翌朝は、仕事の話は掛からなかった。

マリーンの態度が露骨に硬化したのも分かった。

巨人の死体は燃やされて処分されたようだが、わたしはまあゆっくり過ごす事にする。ぼんやりしていると。

昼過ぎになって、聴取された。

マリーンが報告書を読んだ後、幾つかの話を聞いてくる。

巨人と遭遇した時の事について。

わたしはそのまま話す。

皆混乱していたこと。

巨人は最初から殺意全開だったこと。

明らかに食うつもりだったこと。

それらについてもだ。

巨人との戦いが終わった後、私を含めて生き残りは四人だけだった。生き残りの他の兵士からも聴取は既に終えているらしい。

マリーンは険しい表情だった。

「君はどういう人生を送ってきたのかね」

「……パッナーロの東辺境伯領に物心ついたときにはいました。 魔法を使えるということで、奴隷商に伯爵に売られたようです。 そこで火の魔法が使えないという理由で追い出されて」

以降の経歴を軽く話す。

聞き終えると、マリーンはため息をついていた。

「なるほどな。 監視をつけておいて正解であったわ」

「わたしが嫌われる事は知っています。 追放だというのなら、早めにしていただけますか。 わたしとしても、余所に行くのであれば、もう覚悟を決めておきたいので」

「今まで流されるままに生きてきたし、人を慈しむ事もしらない。 そして何処かに執着することもないのだな」

「生きて食べる事ができれば充分です」

それを告げると、マリーンは分かったといって、一度ついてくるようにいった。

ついていった先は城壁の上だ。

街が一望できる。

城壁は張りぼて同然だが。

それでも街に暮らす人間には、城壁は安心できる材料ではある。

それは理解しているつもりだ。

「わしはこの街をずっと守って生きてきた。 わしの残りも少ない命を考えると、この街とともに果てることは本望ですらある。 ともにいたという女騎士と、一緒に最後まであろうとは思わなかったのかね」

「思いませんでした」

「女騎士の方はそう思っていたのではあるまいか」

「そうかも知れませんが、わたしとアンゼルは違う人間ですので」

考え方だって違う。

わたしは今、街を見ていて、たくさん人間がいるというくらいしか感想を抱かない。この街と心中するというのなら、それはそれで良いのでは無いかとも思うが。それはわたしとは違う。

それだけだ。

「巨人については伝承があってな」

「はあ」

「巨人を殺した存在を、何処までも仲間が追っていくそうだ。 今まで信頼出来る文献が四つ確認できていて、それらでも巨人殺しとなった英雄が、数日以内に別の巨人に食い殺されている。 巨人は境界近くで目撃される事が多いが、内陸に出る事も珍しくはなかったそうだ」

別に足手まといがいなければ、殺す事は不可能じゃない。

魔法を使うと言うことは、前回と違う魔法を使ってくる可能性もあるが。

それでも次は恐らく勝てる。

そういう自信が、今はあった。

初見で手こずるのは当然の話。

アンゼルもそういっていたっけ。

概ねのスペックは理解出来た。

「街の外に宿舎を用意する。 当面は其処で暮らして欲しい」

「別にかまいません」

「そうか。 巨人が出たとしても、助けには出られない。 食事については、専門の兵士に運ばせる」

「分かりました」

巨人の贄ということか。

わかった。

別にそれはそれでかまわない。次は複数で来るかも知れないが、斃すための方法は既にくみ上げた。

わたしは大してある訳でもない荷物をまとめると、そのまま街を出る。ハンナがどうしてとマリーンに食い下がっているようだったが。

まあ理由は分かる。

この街……いや国の戦力では、巨人の襲撃の度に大きな被害を出す事確定だ。更に問題なのは、わたしが勝つためなら手段を選ばないし。なんなら人命なんぞどうでもいいと考えている事でもある。

別にそこまで異常な考えでは無いと周囲を見てわたしは思うのだが。

それが当たり前になっているのがまずいのかも知れない。

いずれにしても、また追放か。

今は街の外に追い出されたが。それも長くは続かないように思う。

一応確認はしてある。

街の外の獣は、食べる範囲だったら狩って良いそうだ。

それならば大丈夫だろう。

少なくとも空腹で遅れを取る事はなくなる。

新しい宿舎……いや山小屋か。それを掃除して、綺麗にしておく。わたしは非力だが、既に生活のための魔法は練り上げきっている。

一人でも生活には困らない。

だから、それで困る事はなかった。

 

翌日、さっそく気配がある。

巨人だ。

朝、魔力を練っていると、探知範囲にいきなり現れていた。此方に向けて、かなり急ぎ足で来ている。

足が長すぎるので、一歩が想像以上に大きい。

ばきばきと木をなぎ倒しながら、こっちに向かっている巨人。単体か。恐らく街から見えているだろうな。

わたしは魔力の練り上げを中断すると、ひょいと山小屋の上に上がる。

飛行魔法を使いながらの戦いはどうしてもまだ無理だ。少しでも背が高い地点に行く方がやりやすい。

巨人が見えた。

前の個体よりもかなり細くて、しかし筋肉質だ。それも若々しいようである。

まあどうでもいい。

口から見えている鋭い牙が、あれが人を殺して喰う輩だということを示している。手加減だとかする余地は無い。

殺す。

魔法を練り始めるわたしをみて、巨人が即応。

いきなり凄まじい勢いで、全身をしならせながら、大岩を投擲してくる。あれは着弾したら、爆発しかねない。

防ぐのは悪手だな。

わたしは跳びながら、風の魔法で加速。かなりギリギリだったが、大岩は至近を掠めて。それだけで、ごっと風が吹き荒れて。吹っ飛ばされそうになった。

後方で爆発。

人がいない方だろうし、どうでもいい。

人がいるとしても、かまっている余裕は無い。

また、岩を拾っている巨人。

好きかってさせるか。

風魔法を練り上げる。

そして、巨人が岩を投げようとした瞬間、その顔面に、猛毒の空気を貼り付けていた。

巨人がそれを手で引きはがしに掛かる。

魔力も強いから、それが出来るというわけだ。

即座に剥ぎ取られる。

だが、本命は既に終えている。

わたしは詠唱をしながら、巨人に向けていた手をにぎりこむ。

あの猛毒の空気と同時に、圧縮した空気を肺に送り込んでいたのだ。

巨人の体の構造は人間と同じ。

わたしはアンゼルと一緒に数限りなく人間を殺して来たし。人間がどうすれば死ぬかはよく分かっている。

空気を炸裂させる。

肺が破裂した巨人は、凄まじい雄叫びを上げる。

あれは街の方、ぐらぐら揺れているだろうなと思う。

まあ、これで勝ち確だ。

しばらくもがいていた巨人は、その場で倒れる。口から大量の血が流れている。まだ呼吸を試みているらしく、胸が動いていたが。

やがてそれもなくなり、白目を剥いて息も止まった。

念の為、風魔法で追撃して、ざっくりと喉を割いておく。

これで死んだ筈だ。

わたしは巨人を仕留めると、後は昨日捕まえて吊しておいた鹿の肉をいただく。黙々と燻製にした肉をしゃぶっていると、力が湧いてくる。

燻製肉を囓るだけではなく、野菜と一緒に煮込んで食べることで、気分を変えることも可能だ。

巨人を殺した事なんかどうでもいい。

後は、淡々とわたしは、日常に戻るのだった。

 

4、まきぞえ

 

巨人が大岩を投げつけようとした瞬間、ぴたりと止まる。

巨人がどんな毒ガスに弱いか、わたしはしっかり理解した。これでも試行錯誤したのである。

それも、肺に直接毒ガスをお届け。

ひとたまりもない。

巨人は倒れ、二度と動かなかった。

呼吸を整える。

これで四体目だ。

巨人は突然姿を現すようだが、数日おきに一回。それも、いきなり気がついたら踏みつぶされるとか、そういうこともない。

現れるのは、わたしが気付く範囲。

そして気付くと、即座に襲いかかってくる。

どうやら何かしらのルールがあるらしかった。

いずれにしても、これはもう駄目だろうな。そう思う。この山小屋に移ってから、三回巨人に襲われた。

最初の一体を斃してから、三回。

今後永遠に来る可能性だってある。

巨人殺しの英雄が、最後には必ず食われて死んだわけだ。これではどうしようもないだろう。

あれは普通の兵士や魔法使いでどうにかできる相手ではない。

それに斃した後の死体を観察していると、二体目くらいからは街の人間が処分しなくなったのだが。

いつの間にか、獣に集られていた死体が消えてしまう。

どうやらあれは、魔法以上に、生物とはかけ離れた存在らしい。

具体的になんなのかは分からないが。

いずれにしても、魔法的な生物とか、そういうものかもしれない。いずれ、肺に毒ガスを送り込んでも平気とか、そういうのが出てくる可能性もある。

まあ、その時はその時だ。

兵士が来る。

殺気立っている。マリーンもいた。

「出て行けというのなら出ていきますが」

「そうじゃない! ハンナが来ていないか!」

「来ていません」

「まずいぞ……」

ハンナが街を出て、行方不明だそうである。

立て続けに巨人が出て、それで街が恐怖に包まれているそうだ。

元々ハンナはマリーンが世話をした弟子で、性格からも周囲から愛されていた。それに才能があるため。マリーンの後継者候補でもあったらしい。

まあそれはそうかもしれない。

ただあの危機感がない性格は、どうにかしなければならなかっただろうと思うが。

わたしみたいに自分のも含めて命なんてどうでもいいと思っている人間は、意外と少ない。

他人の命をどうでもいいと思う輩は幾らでもいるが。そういう自称現実主義者は、自分の命や家族の命だけは特別視しているものだ。

わたしみたいなのは珍しいらしい。

ただ私も、生きてご飯は食べたいとは思う。

それはそれでおかしな話だ。

命はどうでも良いのに。

それでも、生はつなぎたいと思う心もある。

ただ人間は二面性があるらしいので、そういうものかもしれないが。

わたしは挙手して、風魔法で探す事を提案する。マリーンは頷くと、そうしてくれといった。

すぐにハンナは見つかった。

巨人の足跡の一つにあった。

巨人が出た直後に、出くわしてしまったらしい。巨人はハンナを踏みつぶしたことを気づきもせず、わたしに殺気を全部ぶつけていたようだった。

ぐしゃぐしゃに潰れたハンナを見て、マリーンは言う。

「君を慕っていた子の末路だ。 思う事はないのかね」

「気の毒ではあると思いますが」

「それだけかね」

マリーンが孫のように可愛がっていたことは知っている。

だが、その制止を振り切って出て来たのであれば自己責任だろう。ましてや巨人が出る事だって分かりきっていたのだ。

泣いている兵士もいる。

だがわたしは、涙一つでなかった。

アンゼルが死んだと分かっている今でも、涙なんか流れない。

わたしをみて、マリーンが激高していた。

「出て行ってくれ……」

「わかりました」

此方も、マリーンが激高するのは分かる。

出ていくしかないだろう。

それに、これで監視が外れるならそれもいい。ハンナは気の毒だったが。ちょっと迂闊だったな。

そう思って、どこか胸がちくりと痛んだ。

これが高じると涙が出るのだろうか。

そんな風にわたしは思う。

自意識が薄い。

そうアンゼルがわたしを評していたっけ。

わたしは幼い頃に、自我を作り損ねたのかもしれない。だけれども、そんな子はパッナーロには幾らでもいたはずだ。治安が悪い国にも。

天を仰ぐ。

わたしはどうしたらいいのだろうかと、ぼんやり思っていた。

 

(続)