陸に上がった海賊と

 

序、海の上での生活

 

旧パッナーロからスポリファールに出向くとき、砂漠を越えたことを思い出す。あの時から何年経過したっけ。

三年くらいだったか。

海を越えながら、わたしは思う。

甲板に出ていると、風が吹く。帆が張り詰めていて、船は海原をぐんぐん進んでいく。

周囲には複数の軍船。

第三艦隊は二十三隻の艦からなる。

わたしが今乗っているのは、それらの旗艦である砲艦グラナダ。

風と海流を利用しながら、船が行く。海流と風を知り尽くしていて、しかも羅針盤を使いこなせなければ、船などとても操作できない。

操舵手が重宝される理由だ。

広域を探知出来る魔法使いも重用される。

わたしは今の所、まだ試用段階だ。

戦闘向けの技能については信頼されている。それなりの期間、海賊女王の使いで例の。アンゼルとやりあった男性戦士が調査していたらしい。

帆が軋んでいる。

ちょっと風が強すぎるか。

わたしは風の魔法を操作して、帆に当たっている風を若干弱める。それでギシギシ言っていた帆が多少楽になったようだ。

このままだと折れかねない。

そう思ったが、余計だっただろうか。

甲板にアンゼルが出てくる。

「船酔いは大丈夫−?」

「問題ありません。 予想以上になんともないです」

「そ。 それは良かった」

「それよりも……」

毎日水魔法で真水を作っているのだが、どれだけ作っても次を次をと促される。

この砲艦グラナダは120名からなる乗員を乗せている大型船で、生活用水だけでも膨大なのだ。

船の殆どは倉庫になっていて、其処には樽に詰められた真水が入れられているが、鮮度はお世辞にも良くない。

保存食も劣悪だ。

長期航海になると、屈強な船員が戦闘よりたくさん死ぬ。

そういう世界だという話は既に聞いているが。

だからこそ、わたしみたいなのが必要になると。

また水が足りなくなったらしい。

わたしはちょっとうんざりした。

魔法使うのにたくさん食べる。

それは説明してある。

しかしながら、此処で積まれている保存食のまずい事。

クッキーは虫が湧いている。

肉は塩漬けで味が分からない。

そこで、毎日魚を水魔法と風魔法の組み合わせで捕まえているのだけれども。船員達が土下座して譲ってくれと頼んでくる有様だ。

仕方がないので分けていると、どんどんなくなる。

わたしは力が足りなくなってきている事がわかってきているので、げっそりしながら船内に降りた。

水を作り出す事は厳密には出来ない。

空気の中にある水を集めたり。

或いは海水を真水にしたりする。

ただし真水に出来るだけなので、そのままでは飲めない。

海水の中にはたくさん不純物があって、その辺りの川の水と同じだ。下手に飲めば赤痢とかになる。

そうなると致命的である。

わたしの回復魔法では助けようがない。

だから海水を真水にする。それを煮沸処理する。それから更に冷やすと、三段階を経る必要があり。

それだけ魔力の消耗も大きくなる。

大量の樽に水を詰めるときには、汚れの除去も必要になる。作業をこなしていると、モートン提督が来た。

「ご苦労さん。 毎日毎日大量に水を作ってくれて助かる」

「はい」

「もう三日ほどで港に着く。 それを計算して、水は作ってもらう予定だ。 くわしくは航海予定士が話をしに来る」

「わかりました」

そうなると、多少は楽を出来るか。

ただ、船内の治安はお世辞にも良くない。

わたしは感謝されているのかよく分からない。

わたしは頼めば何でもやってくれる相手だと一時期思われていたようで、そういう連中が一度アンゼルにしめられた。

アンゼルも状況が状況なので殺しはしなかったが、それでも流石にそれでそういう連中も懲りたらしい。

以降は好き放題は言わなくなったが。

それでも治安が悪い船だ。油断は出来ない。

つかれてきたので、作業を一旦切り上げる。アンゼルが頃合いだろうと思って様子を見に来て、雑談をしながら船室に戻る途中一緒にいてくれる。それを見て水兵が舌打ちするのを見た。

まあ、常に周りに気を付けなければいけないということだ。

魔力はずっと増えた。

今も増え続けている。

それでも無限ではないし。

いにしえの時代に暴れていた勇者だの賢者だのとは比べものにもならない。現在最高の魔法使いも、わたしよりずっと上だろう。

そんな現在最高の魔法使いでさえ、魔力を使い過ぎると力尽きると聞いている。

ましてやわたしみたいなのが、である。

軍専属の魔法使いについて知っているのだろう。この船の水兵は。

だから、そういう事情も知っているとみて良かった。

船室で美味しくない魚の干物を囓る。

これでは力が出ない。

海暮らしの人間はたくましくなりやすいと聞くが、それでも長期間の航海を経るとばたばた死んで行く。

海兵が気性が荒いのは仕方がないのかも知れない。

航海に出るだけで死ぬ思いをするのだ。

いつ死んでもおかしくない。

そんな状況で心が穏やかでいられる人間なんて多く無いだろう。普通だって心が穏やかなんかではないのだから。

船室で横になっていると、帆を下ろしているのが分かった。

嵐が来るらしい。

船を近づけて、はぐれないようにと叫んでいるのが分かる。

海の天気は非常に気まぐれで、嵐が来たと思ったらもう晴れているなんて事がザラに起きる。

だから晴れていたはずがいきなり転覆するなんて事もあるようだ。

わたしはそうなったら運がないなと思いながら、寝台でぐらんぐらん揺れるのを我慢する。

幸い船酔いは全く平気だ。

馬車とかでも酔ったことがない。

これは体質で、酔う人間はどれだけ屈強でも簡単に酔うらしいので。わたしはただ、それは運が良かった。

一晩中ぐらんぐらん揺られて。

翌日は船員も水兵もかなり参っていたので、それでまあ多少は周囲に満ちている敵意がやわらいでいたと思う。

わたしは黙々と指定された分の真水を作る。

航海予定士が感謝の言葉を述べるが。

本当に感謝しているかは分からない。

あの魔法使いの女がと、女性の水兵が悪口を言っている。それが風魔法で察知できてしまうのが鬱陶しい。

身を守るために周辺の察知をきるわけにもいかない。

だから色々ろくでもないものが聞こえて、色々五月蠅いし面倒くさい。

仕事を終わらせて、船室で休む。

一日はつかれているとあっと言う間に終わる。

翌日には、予定通り港に着いたようだ。

補給とは名ばかりの略奪が始まったようだが、アンゼルは放っておけとだけ言う。モートン提督も、殺しはするな。陸軍と喧嘩はするなとだけ指示を出していたが。

それでも第三艦隊の水兵で陸に上がる人間だけでも、千人以上いる。

それらが狼藉を働くのは当然で。

案の場、彼方此方で喧嘩や略奪、強姦なんかの騒ぎが起きているようだった。

これでは確かに海軍が嫌われる。

良くしたもので、カヨコンクムだけではなく、どこの国の海軍でも似たようなものらしい。

規模は小さいが、あのスポリファールの海軍ですらガラが悪いそうで。

こればかりはどうしようもないそうだ。

劣悪な環境が改善されれば兵士も行儀が良くなるのではないかという話があるらしいのだが。

まあ、しばらく船に乗ってみて、それは当面は無理だろうというのがよく分かった。

船の真水供給の命綱を握っていたわたしにさえ、舐めた真似をしようとした水兵がいたくらいである。

此処は軍隊の掃きだめだ。

幸いに、今目指している旧パッナーロの北部。北を担当していた辺境伯領だった港に到着したら、船を下りられる。

そうすれば、少しは。

いや、陸上に上がった時の狼藉ぶり。

船内での悪辣な振る舞い。

それらを見る限り、あれらに秩序なんてものはない。アンゼルは気を張ってくれているようだが。

わたしももっと自衛出来ないと駄目だなと、自嘲気味に呟いていた。

補給という名目の略奪と憂さ晴らしを水兵が終えると、第三艦隊は更に海流に沿って南下を続ける。

こういった連中を美化した読み物があるらしいが。

わたしにははっきり言って気が知れない。

とりあえず、翌日からも淡々と魔力を絞り上げて、淡水を作る。他にも風魔法での支援を続ける。

他の船で船底から水漏れしていると報告あり。

小舟で移動して、船底に。

土魔法と水魔法を利用して、応急処置をする。

というか、この程度出来る魔法使いがいる筈だが。

処置を終えて、水をついでに全部まとめて、船から放り出すと。言葉だけは感謝の念を伝える船長に、そう告げると。

かなり年配の船長は、申し訳なさそうに言う。

優秀な魔法使いは、スカウトしても陸に行ってしまうらしい。

理由は簡単。

若い魔法使いの場合舐められる。

年老いた魔法使いの場合、航海に体力がついていかない。

だから一回の航海で音を上げてしまうし。

そうでない場合も、水兵にとっては嫌がらせの対象となるという。

魔法が使えるような水兵は、抜擢されて上の方の役職になる。頭が良い奴は航海士とかになって、船での立場が良くなる。

腕っ節しかない水兵は、どうしても魔法も使えて腕っ節もいい水兵には勝てないし。何なら魔法だけしか使えない人間にすら勝てない。

だからひがむという。

そんなひがみにつきあわされているのか。

わたしはちょっとイラッときた。

これが怒りと言う奴か。

こっちは魔力のギリギリまで毎日仕事をしているというのに。

この様子では、陸に上がっても嫌がらせは止まりそうにないな。

「それだと、陸でも嫌がらせは続くんじゃないですか」

「その通りです。 だからこの国を出て行く奴も多いんんです。 問題なのは、女王陛下がそういうのを止めない事でしてな」

「はあ」

海賊女王は度が過ぎた実力主義者だ。

そういったくだらない行為に音を上げるようなのは、実力が足りていないと判断するという。

多分自分が、恵まれた体格と幸運、悪知恵でのし上がってきた自負があるからなのだろう。

狡猾な知性は持ってはいるが。

根底ではすがすがしいまでの脳筋というわけだ。

「わかりました。 いずれにしてもわたしも舐めた真似をした相手には、手加減しなくて良さそうですね」

「……コツを教えておきましょう。 水兵の一番偉そうにしているのを伸せば他は静かになります」

「そうですか」

「ただしあなた自身がです。 それといくら何でも殺しは御法度なので、それもよく分かっておいた方が良いでしょうね」

丁寧にアドバイスをくれた。

この船長、魔法が使えるのが分かる。

つまり、そういう状況でめげずに頑張り、武勲を積み重ねてきたのだろう。

まあそれで船長になったのなら大したものなのかも知れないが。

その過程の負荷は必要だったのだろうか。

旗艦に戻る。

水兵の何人かは甲板でゲラゲラ笑っていたが、アンゼルがその中の一人がリーダー格だと言っていた。

階級的には曹長という下士官らしいのだが。

兵士で武勲を立てるとだいたい尉官に取り立てられるらしい。船長になると佐官からだそうだが。

つまり、体格だけ良くても、武勲に恵まれていないということだ。

取り巻きとゲラゲラ笑って仕事もしていない其奴に歩み寄る。

取り巻きが気付く。

水兵のボスがこっちに気付くより早く。魔法で空中に放り投げる。取り巻きもろとも。

受け身も取れず甲板に叩き付けられる其奴ら。

わたしは詠唱もしていない。

更にそれを何度も繰り返す。

最初は何をしやがるとか、ブッ殺すぞとか喚いていたそれらも。

何度も放り上げられて叩き付けられる間に。やがて悲鳴にそれを変えていた。

水兵が集まってきて、手も動かさず棒立ちのままのわたしがそれをやっているのを見て、固唾を呑んでいる。

やがて、助けてくれ降参だとわめき出す水兵を甲板に乱暴に叩き付けると、周囲の空気を薄くした。

飛びかかろうとしたのだろう。

元気なことだ。

だが、即座に甲板に這いつくばって、喉を押さえて転がり回る水兵のリーダー格。わたしは、丁寧に説明する。

「わたしはその気になれば、この船の人間全員を即座に窒息死させることが出来ます。 船の何処にいようとね」

「ひ、ひっ……!」

「魔法の展開もやっているのを見えましたか? この程度は片手間に出来ます。 風はわたしの味方。 誰がどのくらいの距離にいるのかもすぐにわかります」

「ひぎ……」

窒息寸前と、僅かに息ができる状態を繰り返す。

アンゼルは手出しせず、遠くでにこにこ満面の笑みを浮かべていた。

「周りの皆も、承知しておいてください。 わたしに舐めた真似をしたら、いつ不審死してもおかしくはありませんよ」

水兵達が、視線を逸らす。

わたしは、水兵達のリーダー格を解放してやる。

必死に息を吸うそいつに、わたしは指示。

土下座しろと。

そいつは、顔を真っ赤にして怒り狂おうとしたようだが、わたしは即座にまた空気を薄くする。

這いつくばって転がるが、明らかに動きが鈍くなってきている。

やがてそいつは観念して、土下座していた。

「周りの兵士達に、わたしに手出ししたら殺すと宣言しなさい」

「こ、この女に」

「この女?」

「ま、魔法使いどのに何かしようとしたらブッ殺す! わ、分かったな!」

半泣きになっている姿に、もはや威厳はない。

取り巻き共々、此奴らが偉そうに出来ていたのは今日で終わりだ。

多分水兵のリーダー格も別の奴に交代だろう。

わたしは後方でひそひそ話をしている奴の声を、大きく風の魔法で再現してみせる。ひそひそ話をしている連中は、ぎょっとしていた。

「基本的に船内の会話は全部聞こえています。 悪巧みをしても無駄ですよ。 其処の貴方、昨日二人部屋に連れ込んでベッドでよろしくやっていましたね。 そっちの貴方は、船の金庫をどうやって荒そうかたくらんでいましたね」

水兵達がぞっとした様子で立ち尽くす。

これでいい。

船長は見ていて止めなかった。

多分、こういうやり方が此処では正義なのだ。

反吐が出るが。

少なくとも、これで迷惑は掛からなくなる。

わたしの代わりに、他の誰かに此奴らが嫌がらせを始めるかも知れないが。そこまでわたしは管理できない。

そもそもこれは海賊女王とやらがやらせていることだ。

これを人間らしい行動だとか。

当然のことだとか思ってやらせているのかも知れない。

器が知れるな。

今から期待するものが既になくなっていた。

自室に戻る。

黙々と食事をする。アンゼルが、満面の笑みで遅れて部屋に入ってきた。

「いやはや痛快。 あれでいいんだよアイーシャ」

「馬鹿馬鹿しい話です。 フラムがやっていたようにして見ましたが、フラムよりは人を傷つけずに出来たようですね」

「ああ、アイーシャのもう死んだだろう義理の兄貴だっけ?」

「はい。 伯爵領で犯罪組織の長をしていました」

今になって見ればあれは見本のような賊だ。

アプサラスが取引するのも嫌だと言う顔をしていたが、それも今なら分かる。

それと、今やってみて分かったが。

フラムは基本的に、もっとも分かりやすいやり方でクズを従えていたわけだ。

わたしは、その真似をしたことになる。

真似か。

手は随分と大きくなった気がする。

背も栄養をしっかりとったからか伸びた。

幼い頃の成長期で背が伸びなかったが、その分食べたからだろうか。相応に体はしっかりしてきた。

わたしくらいの背丈だと、結婚していてもおかしくはないらしい。

そんなつもりはさらさらないが。

「今の旧パッナーロは地獄と言うのが天国に見えるような場所らしいけれど、ああいうやり方をしていけば大丈夫だろうね」

「そうですか。 なんともろくでもないですね」

「その通り。 だけど、だからこそあたしみたいなのが生き生きとやっていける」

アンゼルは嬉しそうである。

それからは水兵はわたしを避けるようになり、他の人間もわたしを舐めた行動はとらなくなった。

何より会話が全部拾われているというのを示したのが大きいだろう。

悪巧みの類もしなくなった。

それで快適になった。ばかばかしい話ではあったが。

 

1、現出した地獄

 

旧パッナーロ王国領。現在では新カヨコンクム領とも言われている地域の端。荒れ果てた港に降り立つ。

北部辺境伯領だった土地だ。

此処はカヨコンクムのロイヤルネイビーが真っ先に侵攻した土地で、一応海上戦もあったらしいが、勝負にもならなかったらしい。

パッナーロの海軍を一蹴したロイヤルネイビーは、街に上がって愕然とした。

話には聞いていたらしいのだ。彼等も。

だが、此処まで貧しい土地だとは思っていなかったのだろう。

やる気を出させるために、海賊女王は略奪と強姦を全面的に許可。

以降はロイヤルネイビーは民に対して凶獣と化した。服の一枚まで剥ぎ取り、女は幼児だろうが強姦し、財産は何もかも。例えば家などは床材まで全て奪い取られたそうだ。

そんな事をやっていたから、ロイヤルネイビーの軍が通るところは廃墟になり。

民はまだマシだというスポリファールの軍が進駐している所にこぞって逃げていった。これはクタノーン国の侵攻路でも似たような状況だったとか。

ともかくそんなこんなで領地だけは増えたが。

民なんか殆ど残らなかった。

軍が進行する過程でたくさんの人間がつかまったが、一部は食糧にさえされたそうである。

それを海賊女王は止めなかった。

だから進駐軍を、もとの住民は恨みに恨んでいる。

反乱が何度も起きている。

抑え込むのは、流石に戦闘だけは強いロイヤルネイビーも人員が足りていない。

これらの話は、上陸前にモートン提督から聞かされた。

反吐が出る話ばかりだが。

まあ要するに、あの伯爵の同類かそれ以下が、大挙して上陸し。

搾取の極限でまともな思考力も財もなくしているような人間を、ありとあらゆる方法で蹂躙したというわけだ。

当然逆らえば即座に殺した。

逆らわなくても殺した。

それでは必死の抵抗をするのも当然。

侵攻の末期では、各地で凄まじい抵抗にあってロイヤルネイビーは進軍速度を落とし。見かねたスポリファールが提案した三分割案に乗った、という話である。

いずれにしても、周囲は焼け野原そのもので、復興などとうてい夢物語だ。特に酷い略奪が行われた都市中枢は、本当に更地になっている。

軍が連れてきたらしい人間が復興作業を始めているが。

これではそもそも秩序どころか、それ以前の段階だ。

人間は此処までやるし。

その結果がどうなるかを先に理解も出来ない。

わたしは、それを実際に目で見て理解する事ができていた。

「アンゼル殿、アイーシャ殿」

多少毛並みがいいのが来る。

騎士っぽい格好をしているが、戦力はアンゼルの足下にも及ばないな。ただツラだけは良い、のだろう。

わたしは顔立ちがだいぶ整っているらしいが、そもそも人間の美醜には殆ど興味を持てない。

だから、そうらしいとしか思わない。

海賊女王は多数の愛人を抱えているらしく、こういう若くて綺麗な男を好んでいるらしい。

多分こいつは、それで出世した口だな。

そうわたしは思った。

「女王陛下が及びです。 此方においでください」

「分かりました」

「……」

一応礼儀の類は教わっているが。

まあ、スポリファール式で良いだろう。

モートン提督は上陸しなかったが、何も言わずに船内で行動していたのが何人か降りて来ている。

水兵達は正体を知っているようで、絶対に絡まなかった。

通されたのは仮設の住居というか、天幕だ。

酒を入れながら、半裸の男を周囲に侍らせている大柄な女性。若々しさよりも、粗暴さが目立つ容姿をしている。

ただそれなりにこの海賊女王は容姿は整っているらしいが。

欠損している手足の指が、この人物が辿ってきた半生を象徴しているようだった。

「来たね。 死神二人組」

声もドス低い。

そのまま礼を尽くして挨拶をする。

スポリファール式の礼はだいたいどこでも通じると聞いていたが、海賊女王は跪いたわたし達を見て、それで満足したようだった。

「とりあえず手が足りない。 早速色々仕事をして貰う」

「分かりました」

「そこにいるアロー中佐と話して、仕事場に向かってくれ。 ああ、アンゼルの方には中佐を、アイーシャの方には少佐の地位を与えておく」

中佐に少佐か。

随分と気前が良い話だ。

確かに佐官の地位をくれると言っていた。その約束は守ってくれたことになる。

アローというのは、恐らく海賊女王の愛人の一人。顔だけでなく、それなりに事務が出来るから侍らされているらしい。

ついていって、天井もないデスクで書類を見せられる。

アンゼルが交渉したらしく、二人で最大の力を発揮できるということにしているらしい。まあ、嘘では無いだろう。

わたしも軍に囲まれて、単騎で撃退する自信はないし。

広域を殺傷する魔法は使えるようになったが。

それも相手が魔法を使えない相手の場合だけだ。

反乱勢力の鎮圧と言われて、一応提案はしておく。

「わたしは土木関係も魔法を使えます。 この街、多少は直しましょうか?」

「有り難い申し出ですが、直しても誰もいないのです。 元からの住民は皆殺しか、生き残っていても兵士達が奴隷商に売り払ってしまいましたから」

「はあ」

「これから女王陛下が色々と対応をして、人を集めるつもりのようですが。 そもそも今此処から南にある公爵領を拠点にするか、此処を拠点にするかでも悩んでおいでのようなのです」

何となく分かってきた。

海賊女王が陸軍、王室との対決を避けた理由だ。

これでは、軍を食っていかせる事が出来ないのだろう。

海賊女王と言う人は、戦争にはとても強いのだと思う。だが、それだけしかないのだ。

配下には実力主義を強いているが、それはそれとしてツラだけの男を周囲に愛人として侍らせたりと、公私混同もしている。

我欲の塊みたいな人物だ。

ついでに野心も強烈に燃え上がっている。

そんなだから、この状況を収拾出来ない。

これは、女傑と噂だけれども、思ったほどではないのかも知れない。誰かが手綱をつけたとき、最大の破壊力を発揮できるけれども。

こんな風に半独立を画策した場合は、ほぼただのデカイ夜盗団のボス。

それが正確な評価なのかも知れなかった。

いずれにしても、わたしは少佐か。

これから宮仕えの身だ。

馬車を手配するかと聞かれたが、いらないと答える。荷車だけ貰って、それに荷物を詰め込む。

廃墟になった街は、伯爵領より酷い。

彼処より酷い場所があるとは思わなかった。

乞食さえ生きていけない。

実力主義で抜擢してくれたという点は感謝しなければいけないのだろう。だが、実力主義の行き着く先はこれなのだろうとわたしは思った。

指定されたのは、海賊女王が根拠地にしようとしている公爵領の近くだ。

其処で反乱軍が暴れているそうだ。

ロイヤルネイビーは各地に散っていて、反乱の鎮圧に出せる戦力がいないらしい。そこまで戦力が払底しているのだと思うと、少し呆れる。

土の魔法を使って、そのまま移動を開始。

また速度が上がっている。

風魔法も併用しているので、向かい風もない。

アンゼルがキャハハハと笑っていた。

「いいね! また速くなってる!」

「嫌な話ですが、船で散々魔力を絞り出し続けましたので」

「それで鍛えられたと。 ま、それならあの無意味な船旅も意味があったかもね!」

ぎゅんと進む。

この魔法が良い所は、衝突事故が起きないことだ。

土魔法を使っていることと、風魔法での探知もやっているので、障害物は常に探知しながら進んでいる。

焼かれたままの集落を、一瞬で通り過ぎる。

再建どころか、焼かれたままだ。

死体も散らばっているのが分かった。焼死体ばかりだった。

野犬が食い散らかせる状態の死体は、もう残っていないと言うことだろう。あんな炭みたいな死体は、食べる場所さえないのだ。

そして、そういう死体を弔いもしない。

あのような連中では、それも期待できまい。

わたしでさえ、殺したら死体は処理するのにな。そう思いながら、現地に急ぐ。

「何、アイーシャ。 もう嫌気が差し始めてる?」

「いえ。 今までも、どこも似たようなものでしたから」

「考えて見ればそっか。 どちらかというとスポリファールがあっていたっぽいけれど」

「今考えて見るととても息苦しかったです。 ただ、あの国が一番環境は良かったんでしょうね。 わたしにはあいませんでしたが、国は一番長く続きそうです」

話しながらも、集中は続ける。

魔法を使っているから歩く必要はないが、それでも高速移動には変わりないのだ。

そろそろ飛ぶ事も出来そうである。

ただし、高速で飛ぶと、鳥とかにぶつかった時に致命傷になりかねないそうである。つまり、それを対策しないと飛ぶ魔法は危ないと言う事だ。

昼少し前に、現地に着く。

途中で地図を見ながら、アンゼルが案内を何度かしてくれたおかげで、迷子になることもなかった。

少しおなかが空いた。

ただそれだけだ。

何度か焼き払われた集落を通り過ぎて、やがて野営地に着く。

兵士達がゲラゲラ笑いながら、警備をしている様子だが。その地点と、周辺だけを抑えていると言う風情だ。

何も守っていない。

辺りは焼け野原。

村だった場所を奪い取って、そのまま野営地にしているようだった。

勝った方は何をしてもいい。

そういう理屈で動いている連中だと言う事は分かっている。船でそういう手合いだというのは理解した。

その結果はこうなる。

それも一目で分かった。

わたしはなんだかんだでもう殺し合いは経験してきている。だけれども、実の所軍が踏みにじった後は見たことがなかった。

そうか、こうなるんだという感想が出る。

勿論スポリファールみたいな規律がしっかりした軍だったら違うのだろうが。

それにしてもこれは。

戦争の結果、誰が得したのだろう。

各地に兵を分散して、ただいるだけの状態になっているロイヤルネイビーも、得をしているとは思えない。

そもそもだが、これだけの土地を得たのが初めてなのかもしれなかった。

野営地に凄まじい勢いでつけたので、歩哨とかは流石に槍を向けてきたが、佐官の階級章を見せると敬礼して通してくれる。

奥に入ると、夜盗のボスとなんら変わらない雰囲気の大男が、窶れ果てた女を左右に侍らせて、身の世話をさせていた。軍の天幕でこれか。

かろうじて生き残ったらしい村人は、全部軍で奴隷として使われているようだ。

これでは再興どころではないだろう。

「なんだ。 佐官という事は、女王陛下の名代か」

「書状です」

「どれ」

こいつは大尉だから、階級的にはこっちが上だ。

それでも敬語を使ってこないことを見るに、明らかに舐めて掛かられている。

まあ別に良い。

手紙を渡すと、すぐに顔色が変わる。

海賊女王が、この手の輩を力で徹底的に躾けているのが、その様子だけでも良く分かった。

ロイヤルネイビーの統率はそれでよかったのだろう。

だがそれがいざ侵略戦を始めると。

こうなってしまったというわけだ。

手紙を読み終えると、大尉どのは嘆息する。

「……悔しいが、現在俺たちの戦力では、賊に対して攻勢にでられん。 注文も多くて困っていてな」

「注文ですか」

「出来るだけ殺すな、だそうだ。 領土を拡げる間は、切り取り勝手次第だったんだがな」

そう指示して、兵士の士気を挙げた。

元々水兵だった連中が地上に上がった事もあるし。危険な航海をずっと続けていて、やっと地に足をつけられると言う事もあったのだ。

だから本当に、切り取り勝手次第をした。

ここまで馬鹿な事をするとは、海賊女王ですら想定外だったのかも知れない。

「あんたらカヨコンクム本土で、二十か三十の賊を殲滅したんだろう」

「はい」

「同じようにはやってくれるなよ。 女王陛下は出来るだけ生かして降伏させろと書状に書いている。 多少は殺しても良いが、それでも全部は殺すな。 これだと金も何もはいらねえんだ」

そういえば。

周りを見ると、兵士達もゲラゲラ笑っているが、金なんかあっても使い路が無いと言う雰囲気だ。

それもそうだろうな。

国というものが、根元から刈り取られ。

人と言うものが、一人もいないのだ。

連れてきた軍は、確かロイヤルネイビーの規模が四万ちょっとだとかいう話があるらしい。

それに加えて陸軍が一万くらい作戦に参加したのだそうだ。

だが、それで百万くらいの民を殺し、戦争中だけでも二百万くらいの難民がスポリファールに逃げ込み。残りは都市を捨てて散り散りになって。今では更に連日のようにスポリファールの占領地に逃げ込み続けるか、それが出来ない人間は、賊になりつつあるのだとか。

賊とは聞こえが良いが、反乱軍そのものだそうである。

そして軍同士での戦いなら負けようがなかった侵攻期だったらまだしも。

各地に占領のために兵を分散して配置している今では、むしろ各地の部隊は孤立状態。

しかも主力は国境付近にいることもあって、こういった内地はむしろ空白地帯になっている有様。

とてもではないが、賊の鎮圧どころではないのだそうだ。

バカな話だ。

旧パッナーロはきちんと貴族どもがしっかり統治をしていて、軍も整備を続けていれば。如何に魔法後進国に堕落したとはいえ、いずれ押し返すことだってできただろうに。

ロイヤルネイビーは陸に上がっても強かった。

だが、それも人間の群れである以上、できる事には限界がある。

それが、これを見ていて良く分かった。

「あたしは殲滅が専門なんだけどなあ」

「頼む。 こっちは手が足りない。 殲滅が出来るなら、殺さずに捕まえる事だって出来るだろ」

「えー。 アイーシャ、どうする。 そんな魔法の手持ち、ある?」

「……やってみます」

風、土、水。これらの組み合わせで、できる事はどんどん増えてきている。

軍の魔法使いは隕石を降らせるなんて事が出来たり、それを防いだりするらしいが。流石にそれは真似できない。

或いは秘伝の仕組みがあるのかも知れず、わたしはそれを教わっていない。

ただ、多分十代の半ばにはいったわたしは、魔法使いとしては素人からそこそこくらいになりつつあると思っている。

軍で殆どの魔法使いは採用しているようだが、ロイヤルネイビーは来る途中でも分かったが、魔法使いに当たりが強い。

あの様子だと、スポリファールやクタノーンに比べて、ロイヤルネイビーは魔法戦力では明確に劣っているのだろう。

こんな荒くれのボスが、わたしみたいな小娘に低姿勢に出るくらいだ。

その困窮ぶりがよく分かった。

「ただ、幾つか此方からも頼みます」

「なんだ。 イケメンでも用意しろってか」

「いりません」

即答するわたしに、どうしろっていうんだと大尉が困る。

今までイケメンか金持ちだったらなんでもいいというような女ばっかり見てきたのだろうか。

全部そうだと思って貰ったら困る。

なお、このイケメンというのも例のいにしえの時代の古語らしい。

「すぐに全部片付くとは思えません。 兵士達に足を引っ張られると困るので、先に釘を刺しておいてください」

「分かった。 ちょっと待っていろ」

立ち上がる大尉。

ガタイが凄まじく、まるで熊のようだ。

こういうのでないと、荒くれは統率出来ないのだろう。

天幕から大尉が出てくると、好きかってしていた兵士達がぴたりと黙る。

「てめえら、この二人は女王陛下が派遣してきた特務で、しかも佐官だ。 失礼な事でもしたら、女王陛下の顔に泥を塗ると知れ!」

「……っ!」

今までわたしをあからさまに舐めた様子でみていた兵士が、露骨に表情を変えた。

まあ、これでやりやすくはなったか。

野獣の群れには野獣の群れを統率する方法があるものだな。

そうわたしは思った。

 

スポリファールの騎士アプサラスは、大量の書状に決済をしていた。陣屋にしているもと侯爵の屋敷は、半分くらいは焼け落ちているが、再建が進んでいる。

大量にあふれかえっている人間をどうするかがスポリファールの苦悩だ。

今までこれほどの領土拡大が出来た経験がないカヨコンクムとクタノーンがやりたい放題をしてくれたせいで。

戦闘が続いていた時期には合計で五百万を越える人間が国境を越えて逃げ込んできたし。

戦争が終わった今も、毎日数万が逃げ込んでくる。

国境付近での戦闘は厳禁。

その条約が決まっている事もある。

難民は武装している事も多く、何より争いになると他の国々との問題へ発展する可能性も高い。

それもあって、勇猛果敢というかただの獰猛なだけのロイヤルネイビーも。

残忍さでしられるクタノーンの精鋭「黒軍」も、何もできないのが事実だった。それに関しては、スポリファールも同じだったが。

侵攻した三国は、それぞれ問題を抱えている。

カヨコンクムとクタノーンは、まるごと民に逃げられた。

それはそうだろう。

行く先々で殺戮と強姦を繰り返したのだ。それは誰もいなくなる。

パッナーロの人口はたしか五千万程度だったという話だが。この戦役で一千万に極めて近い数百万が死に。生き残りの大半はスポリファールに逃げ込めた者以外はカヨコンクムとクタノーンが奴隷として彼方此方に売り払い。更に戦役後も餓死や病死で多くが倒れた。

スポリファールでも、医療部隊も輜重部隊も悲鳴を上げている。

難民を追い返せないかという意見まで上がった事があるそうだ。

だが、難民はカヨコンクムとクタノーンの軍の凶行を見ている。

今更戻れなんて言ったら、それこそ百万単位の反乱軍が発生しかねない。もしそうなったら、流石にスポリファールだって抑えきれたものじゃない。各地に兵を分散していると言う点では、他二国と同じなのだ。

更に事態を悪化させているのは、カヨコンクムの領地内で起きている問題だ。

反乱勢力が発生し始めている。

あの豪腕で知られる海賊女王も、侵攻軍の士気を挙げるために出した命令がやり過ぎだったと気付いた時にはもう遅かった。

既にカヨコンクムの軍も国もロイヤルネイビーも、旧パッナーロの人間からして見れば、腐りきった貴族共以上の下衆外道に他ならない。

反乱勢力は日々増えていて。

最悪領土を奪還する可能性もある。

もしもそうなると、各地に小国家が乱立することになるだろうし、恐らくクタノーンの占領地や、スポリファールの占領地にすら問題が飛び火する可能性もある。

いきなり国土が倍増し、人口に至っては三倍以上に膨れあがったのだ。

如何に法整備をきちんとしてきたスポリファールでも、これはどうにもできないというのがアプサラスの本音だった。

ため息をつきながら書類を整理していると、伝令が来る。

田舎で惨劇が随分前に起こって。そして此方で国に迎え入れたあのアイーシャという娘が逃げ去った。

惨劇の実行犯は軍で手に負えなくなった騎士アンゼルだということは分かっていたが。

流刑地として扱われていた田舎の方でも対応が著しく問題があったことは分かっており、いずれ起きる問題だったのでは無いかと言う声も上がっている。

その件の続報だ。

書状を見ると、報告書だ。

内容に目を通すと、アンゼルとアイーシャはカヨコンクムに逃げ込み。そこで軍に入り。更にはロイヤルネイビーに入って、佐官になったようである。

そうか。

そうとしかいえない。

アイーシャという娘。まともな人生を送っていなかった。どうみても。

手近に置いてそれでアプサラスが教育すべきだったかも知れない。

アンゼルもそれは同じだ。

あれもろくでもない親のせいで性格が歪みに歪んで、動物を殺すのが大好きになり。魔法の適性もあって、騎士になった頃には殺戮中毒になっていたような筋金入りである。

旧パッナーロの軍を任されていると言っても、行政権とかは役人が持っている。アプサラスにできる事はそれほど多くは無い。

どうにもできない。

今は、あの二人がスポリファールを恨んでいないこと。

敵対していないことを、祈るしか無いと言うのが。

素直な言葉だった。

アプサラスも既に三十路が近付いて来ている。

若くして俊英として知られ。各地で武勲を積み重ね。今では騎士副団長という地位にいるが。

それでも、苦悩は絶えたことがなかった。

 

2、綱引き

 

集まった人間達が、砦だった場所に立てこもって、必死に身を守っている。

賊を一目見て、そう思った。

そもそも孤立した地形に百人以上がいる。生活のための物資だって、ろくに手に入らないだろう。

それでも近くに川があること。

荒れているが森もあること。

それらもあって、どうにか持ち堪えているようだ。

この近くの駐屯地のロイヤルネイビーは、此処を陥落させる事が出来ないというよりも。

降伏をさせる事ができないのだろう。

出来るだけ殺すな。

そういう命令が新たに来た。

そして海賊女王の命令は、ロイヤルネイビーの面々には絶対だ。

何よりも、自分らがやり過ぎた結果、略奪しても金を使う場所がないし。街を丸ごと奪い尽くした結果、何もかもが死に絶えた。

それにようやくバカでも気付いたのかも知れない。

ともかく、アンゼルと手分けして、砦を見て回る。外からこっちには気付いているようだけれども。

しかけてはこない。

アンゼルが戻って来て、一度距離を取ろうと言う。

魔法使いが混じっていると。

それについては、わたしも察知していた。

スポリファールにも、少数は魔法使いがいた。

皮肉な事に、貴族にはほとんどいなくて。

いたとしても子供のうちにさらわれて、貴族の家に売り払われるのが常だった。売り払われても貴族の嫉妬を浴びて殺されたり、或いは死ぬまで孕み袋にされるだけだったようだが。

だから魔法使いは、「賢者」の末裔の国であっても身を隠すしかなく。

独力で魔法を身に付けたとしても。おおっぴらには使えなかったというわけだ。

あの飯炊きのおばさんを思い出す。

あの人だって、熱魔法が使えるから、伯爵の屋敷から逃げ出したのだものな。

伯爵にそれを知られたら、あの訳が分からないわめき声を浴びせられながら、殺されていてもおかしくなかった。

他の貴族も似たようなものだったのだろう。

スポリファールで、貴族は金持ちで優秀で心も優しいのだろうとか話している同僚を見た事がある。

呆れて声もでなかった。

まあともかくだ。

こんな状態で、やっと魔法使いは表に姿を出す事が出来るようになった。それもまた、事実だった。

一度アンゼルと合流してから、陣屋に戻る。

スポリファール式の報告書を書いたことがあるので、それに沿って報告書を作り、大尉に提出する。

砦にいる人間は131人。子供と老人がおよそ半数。戦えそうなのは四十人ほど。魔法使いが一人いて、リーダーになっている。

それらを報告すると、大尉殿は驚いていた。

「凄腕だと聞いていたが、此処まで詳細な情報を挙げて来るとは」

「風魔法が得意なもので。 人間がどれくらいいるかを調べるのは得意です」

「そ、そうか」

「交渉はこれから始めますが、問題はわたし達が条件を出すとして、兵士達がそれを守るかでは」

そう告げると。

大尉は黙り込んで、しばし考えた。

咳払いすると、どうしたらいいと聞いてくる。

まあ、海賊女王の権威が後ろにあるとは言え。それでも会話が出来るだけ、カヨコンクムにいた賊どもよりはましか。

アンゼルが、指を折りながら提案する。

いや、脅迫に近いか。

「まず奴隷として使っている人を解放する。 陣屋を移す。 街を復興させるのに軍が手を動かす」

「お、おい」

「それくらいしないと、相手は信用しないでしょう、 それでやっと相手が交渉のテーブルに着くかどうかの状況になります」

アンゼルは殺戮が大好きだが、タチが悪いことに頭がしっかりいい。

だからこういうことを即座に考えるし、具体的な案として提出することも出来る。

故に暴れ出したときの被害が尋常では無い。

シリアルキラーは異常者だからバカ。そんな風に考えている手合いは、文字通りアンゼルの好餌なのだ。

「奴隷は手に入れた財産なんだぞ。 それを手放すのか。 なんのために命の取り合いをして、此処を抑えたと思ってる」

「では、ここをいずれは手放す事になるでしょうし、何より女王陛下の怒りを買うでしょうね」

「ぐっ……くっ……」

真っ青になって俯く大尉。

本当に怖れているのがよく分かる。

敬語で接しているが、アンゼルは笑顔をずっと崩していない。面白くて仕方が無いと言う表情だ。

本当に、どうしようもない人だな。

わたしはそう思う。

「分かった。 ただ俺たちは征服した側で勝った側だ。 奴隷は新たに得た資産で、そもそもパッナーロでもやっていたことだ。 女王陛下に、それらの説明を受けた書状を貰ってきてくれ。 悪いが、そうでないと兵士も俺も納得できんだろうな」

「分かりました。 アイーシャ、戻ろう」

「はい」

まあこれくらいの手間だったらどうでもいい。

ともかく、一度海賊女王の所に戻る事にする。

戻りながら、軽くアンゼルと話す。

「相手は階級も下なのに、敬語で喋るんですねアンゼル」

「上からだと、こっちが新参だと色々と面倒だし。 あっちが階級は下でも先達だから、こうやって接するのが正しいんだよ」

「ずっとわたしは下っ端だったので、知りませんでした」

「まあそうだろうね。 ともかく、さっさとやっておこう。 港町にまで戻れば、多少の海の幸くらいは食べられるでしょ」

だといいのだが。

あの港町の惨状を見る限り、復興なんて進むとは思えないが。

ともかく、さっさと海賊女王の所に戻る。

移動中に木の板を使って、それで報告書を追加する。

今後のためにも。

投降すれば奴隷にしない事。

街などの復興は軍が協力する事。

それらの命令は、海賊女王から取り付けておく必要がありそうだった。

 

海賊女王に面会すると、明らかに情事の後だった。大量に美男子を侍らせているし、気分次第でいつでも行為に及んでいるのだろう。

裸のまま横になって気分が良さそうだった海賊女王だが。

わたし達が戻ってきたのを見て、即座に身を起こしていた。

裸の上にコート一枚だけ羽織ると、報告書に目を通す。体中傷だらけで、この人がどんな人生を送ってきたのかよく分かる。

そしてケラケラと笑っていた。

「随分としっかりした報告書を書いてくるじゃないか。 私の部下には文字さえかけないで将官にまでなっているのがいるくらいなのにさ」

「恐縮です」

「ふむ、これくらいは最低しないと駄目か。 多分これは、私が真っ先に守らないと駄目だろうな」

「そうなりますね」

法というものは。

社会の上にいる人間ほど、厳格に守られないと意味がない。

そんな話を、スポリファールで聞いた。

そうしないと誰も法を守らなくなる。

王様は法律なんて守らないんなら。

一番偉い人が法律そのものであって、だったら強い奴は何をしても良いって事になる。

そういう思考を皆が持つようになると、賊だらけ汚職だらけの国となる。

海賊女王はそれを理解しているようだった。

ただし、侵攻作戦では、明確に判断ミスをした。

その結果が、この荒れ果てた地獄の現出だが。

旧パッナーロがどんな地獄だったかは、わたしが身を以て経験している。アレの方が良かったなんて、口が裂けてもいわない。

だが、あれよりマシになれば。

今のスポリファールが抑えている地域のように、何もしなくても民が逃げ込んでくるだろうに。

荒くれの部下を暴れさせることが、最大の破壊力を発揮するコツ。

そう知っているからこそ。海賊女王は判断を誤ったのだろうが。

「分かった。 すぐに布告を出せ。 まあ、奪った金目のものまでは返さなくてもいいし、死んじまったもんはどうにもならないがな。 売り払った奴隷は、回収出来るだけ回収しろ。 まあ他国に売られたのや、本国に売られたのは回収出来ないだろうが」

「よろしいのですか」

「私に逆らおうってのか?」

「い、いえ。 そのお言葉だけで充分かと思います」

コート一枚でほぼ素っ裸のまま胡座を掻くと、海賊女王は大量にある髪を掻き上げる。

美しいかも知れないが、それ以上に野性味しかない。今も裸を部下に見られてなんとも思っていないようである。それも情事が終わった直後の裸を。

最強生物故の余裕というよりも。

これは単に、色々頭のネジが飛んでいるだけ。

つまりやっぱりこの人は、わたし達の同類なんだな。そう、確認するばかりだ。

ともかく半日もしない間に書状が出る。

そして、それらは早馬で各地に飛ばされたようだった。

急いでわたしもアンゼルとともに陣屋に戻る。

大尉はすぐに動いた。

不満そうな顔をしていた兵士達が、女王陛下の指示だという血相を変えた大尉の顔を見ると、即座に動く。

わたしも手伝うか。

「土木関連は魔法を使えます。 手伝いますよ」

「分かった。 頼む。 お前等、転がってる焼死体は集めておけ。 それと荒らした墓とかは綺麗にしろ。 焼いた家からまず片付けて、出来るだけ建て直すぞ。 それくらいしかできないだろうが」

わたしが石材を浮かせて、それを順番に運んで行く事。

木材を空中で加工して、柱を中心にぶっ刺す様子。

それらを見て、兵士達は度肝を抜く。

アンゼルも屈強な兵士十人分の働きをして、てこを使ってやっと動く物資を、体だけで余裕で運んでいた。

数日、そうやって焼き払った街を復旧する。

砦に篭もっている賊も、それを見ている筈だった。

 

復興が始まると、後の動きは速い、

海賊女王という圧倒的な強さを持つボスがいて、初めてなり立つ組織なのがロイヤルネイビーだというのはよく分かった。

そして命令次第では、多分これはちゃんとした軍としても機能するのだろうと言う事もである。

ただ、働いていて、不満の声は聞こえる。

「せっかく手に入れた奴隷だったのにな。 金品はそのままで良いって話だったけれどよ」

「女王陛下の指示だ。 諦めろ」

「確かに女王陛下だけは怒らせたくねえ。 それも、賊が降参しなかったら、いずれ怒るだろうしな」

「くそっ。 なんのために陸まで来て、戦ったんだろうな」

ぶちぶち文句を言っている。

こういうのが重なると、流石に海賊女王への圧倒的な服従も揺らぐんだろうな。そう思いながら、石材を加工する。

石材を熱して冷やして、一部を脆くして、其処に水を入れる。その水を高速振動させて、高熱にし。

石材をパカンと小気味よい音とともに割った。

石材にくさびを打ち込んで水を掛けることで、砕く事ができる。

これは古くから実際に使われている加工法らしい。

わたしはそれを応用しただけ。

だが、兵士達は、既にわたしに対する視線を変えていた。それでいい。鬱陶しいのに絡まれなくて済む。

大尉は目的が出るときちんと行動し始める。

兵士達を指揮して、街の復興を精力的にやっている。侍らせていた女達もしっかり解放したようだ。

解放された奴隷は、最初に出来た家を貰う。

元々住んでいた人間なんて、殆ど生きていない。ある家に入れば、それでいいのだろう。

半月もしないうちに街が目に見えて復興してきたので、わたしとアンゼルが砦に向かう事にする。

わたしが風魔法で、砦に声を届ける。

「交渉に来ました。 開けて貰えますか」

返答は矢だった。

それを空中で魔法で止め、へし砕く。

砦に人間達が、どよめきの声を上げていた。

前は大量の矢を射掛けられると対応できず、隣にいた人間を守りきれなかったりした。今も矢の勢い次第では無理だろう。

だが、あんな手作りの弓矢の矢だったら、なんぼ撃ち込まれても今ではなんら脅威にはならない。

それくらいの修羅場は潜ったのである。

「乱暴はしたくありません。 交渉の席を設けてはくれませんか」

「貴様等、あの海賊共の手下か!」

砦の上に、髪を振り乱した男が出てくる。

口から泡を飛ばしていて、いかにもな形相だ。

まあ、それはそうだろう。

ロイヤルネイビーがやらかしたことを考えれば。これくらい恨まれているのが普通である。

戦争だから。

それで割切る事が出来る人間なんて、そうはいないだろう。

戦場の跡を見て、よくそれが理解出来た。

「正確には雇われています。 このままだと、いずれこの砦の中で餓死しますよ」

「巫山戯るな! 最後の一人まで」

「まて」

静かな声が掛かる。

声からして、例の魔法使いだ。

アンゼルはちっと舌打ちしていた。仕掛けて来るようだったら、斬って見せしめにするつもりだったのだろう。

アンゼルらしい。

いずれにしても、入ってくるようにと言われて。

砦の汚い扉が開かれる。

内部は地獄だ。

不衛生極まりなく、異臭が全域からしている。ただこれは、旧伯爵領でもそうだった。ここだけ旧パッナーロのままだな。そう思う。

出て来たのは、ローブを着込んだ老人だ。

わたしはローブを取る。

最近は赤い髪が炎のようだと良く言われるようになった。

容姿なんぞ何の意味もないと自分では思っているが。容姿で相手を決めつける相手には有効だという考えもあると、アンゼルに言われている。

そこで、髪は丁寧に処理して、ツヤを出すようにしている。

今では肩先を越えて伸びている髪だが。

まあ洗うのは魔法でやってしまうので、そこまで苦労はしていない。

それとわたしの瞳は更に赤くなってきていて、これは魔法の影響らしい。

賊には死神といわれていたわたし達だが。

わたしの方は、炎の悪魔とか、炎の悪役令嬢とか言われていたらしい。

この悪役令嬢というのは例の時代に持ち込まれた古語らしく、意味はよく分からない。ただ、そう名乗っていた奴が何人かいたそうだ。

いずれにしても、それで相手が怖れてくれるなら安い。

「貴方が指導者ですか」

「あ、ああ」

「まずは話から始めましょう。 此方でも出来るだけの事はします」

席を用意して貰う。

枯れ木のような老人は、魔法使いとしてはわたしよりだいぶ腕が下だ。これは一目で分かった。

ただ魔法は才能に依存するもので。

しかもこの人、スポリファールみたいな、その才能依存部分をある程度克服できるノウハウがある場所での教育を受けていないだろう。

老人になっても魔法が使えている事。

体を壊している様子もない。

それだけでも大したものである。

フラムが憎悪と魔法の才能で自分を焼いてしまって、今では生きていないだろう事を思えば、なおさらだ。

書状を出す。

降伏すれば命は保証する。

奴隷にもしない。

家屋などの復旧はロイヤルネイビーで行う。

奪った金品は兵士達の士気にもつながるから返せないが、国内にいる奴隷は先に解放している。

以降は略奪をした兵士は死刑とする。

民として田畑を耕し、街での生活を行え。

それが書状に書かれていることだった。

老魔法使いが、呆れ気味に言う。

「この国は無能で傲慢な貴族共に骨の髄までしゃぶり尽くされ、極貧の中にいた。 三国が同時に攻めこんできたとき、解放してくれるのではないかと期待するものもいた。 だが結果はどうだ」

まあ、その通りだ。

結果は見るも無惨な地獄絵図。

スポリファールの占領地ですら、戦闘に巻き込まれかなりの家屋が焼かれ、民間人も命を落としたという。

「その気持ちが分かるか」

「分かります」

「貴様みたいな毛並みがいいのがか」

「わたしはこの国の出身です。 幼い頃魔法の才があるからでしょうね。 東の方の辺境伯の家に売られました。 それから、魔法の教育とやらいうのをされて過ごしましたが、火の魔法だけは使えませんでした。 それで伯爵が暴れて、巻き込まれるのを怖れた使用人が私を捨てました」

ごくりと生唾を飲み込む老人。

この老人はこの国で貴族以外の人間が魔法を使えるというのが何を意味するか知っているだろうし。

何よりも、わたしと同じ運命を辿り、悲惨な末路を辿った子供もたくさん知っているのだろう。

だから、黙りこくった。

側で、あの威勢が良さそうなのが、嘘に決まってると叫んだが。

黙れと老人が一言いうだけで、静かになる。

老人の魔法で、此処にいる人間達がどれだけ救われたのか。

ただ、わたしは誰かを助けても、感謝なんかされた試しが無いが。それはこの老人が、何かしら感謝されるやり方を知っているのだろう。

ちょっと苛立つな。

まあいい。

ともかく交渉を続ける。

「今、街の復興を始めているのを見ていると思います。 この書状は、兵士達が神のように崇めている海賊女王陛下の書いたものに基づいています。 兵士達は、基本的にこの命令に逆らえません」

「……」

「何より、今だと今後の生活で得られるもの……街を復興したあとの商売などを独占できると思います。 利益という観点でも」

ぎんと音がした。

キレた男が剣をわたしに向けて振ろうとし。

それをアンゼルが余裕で受け止めたのだ。

屈強な体格の男が剣をまったく動かせないでいるのに対し、アンゼルは片手で余裕である。

男の方は筋力だけでやっているが。

アンゼルは体に魔法で倍率を掛けている。それも十倍や二十倍じゃない。

だからアンゼルは賊を瞬く間に皆殺しに出来るし、特務なんてやれる。わたしも今の剣は対応できたが。

アンゼルが対応する事を理解していたから、手を出さなかった。

「やめよジョアン。 この娘等がその気になったら、この砦など瞬く間に全滅するぞ」

「だけどよ親父! これだけ殺されたのに、利益だなんだでなびくと思っていやがるのが許せねえ!」

「とにかく剣を収めよ。 どっちにしてもそなたでは犬死にするだけだ」

「……畜生っ!」

離れて剣を鞘に収める男。

刺し殺すような目で見ているが。わたしは話が通じそうな老魔法使いに順番に話をしていく。

やがて、話を聞き終えた老魔法使いはぼそりという。

「それであんたは、そんな地獄みたいな人生をなんとも思わないのかね」

「思いませんね。 伯爵の家をいらないからって放り出されてから、どこも正直似たようなものでした。 今でも友達はいますけれど、家族やらなにやらはいませんし、作ろうとも思いません。 わたしは自覚していますが、多分壊れていると思います。 ただ、それを悲しいとも思いません」

「そうか。 ともかく、こっちも皆に話をする。 その上で決めて返答をするから、三日待って欲しい」

「分かりました」

アンゼルを促して、砦を出る。

砦に入ったことで、更に詳しく内部の状況を調べることも出来た。いざとなったら、防壁をそのまま崩壊させる事も、川をせき止めて水がいかないようにすることも出来る。ただしそれをやると、内部にいる衰弱した人間が確定で死ぬ。見た所、衰弱している人間はかなりいる。

赤ん坊に乳をやっている母親が、がりがりに痩せている。

元々この国では当たり前だった光景だ。

それがロイヤルネイビーの侵攻で、更に悲惨になった。

わたしもああいう母子はフラムの手下だった頃に見た事がある。

母子もろとも干涸らびて死んだのも。

だから、また戻って来たんだなと思う。

止められるのなら止めたいかと聞かれると、どうにか出来るのならしたいとも思うけれども。

あの海賊女王は慈母でもなんでもない。

全ての条件を呑むわけでもないし。

あくまで支配者であり勝者であるという姿勢は崩さないだろう。

これは難航するだろうな。

そう、わたしは覚悟していた。

 

3、雪崩

 

砦の明け渡しはどうにか終わった。

三回の交渉。

何よりわたしが回復魔法で治療を施して回った事。更には森にいた、昔伯爵領でたまに食べていたのだろうとても巨大な鳥を斃して。

その肉を、砦の賊にまるまる渡したこと。

そういった事が積み重なり。

更には譲歩されていて、以降は身の安全が保証されているということもあり。

それらが重なって、どうにか砦を明け渡してくれた。

大尉が大喜びして、即座に書状を出す。

兵士達は若干恨めしそうだったが。

街が元に戻れば、金の使い路もあると大尉も説明したらしく。それなら仕方がないとも思ったようだった。

これで、一つか。

一度海賊女王の所に戻り、成果を報告。

報告しに行くたびに直前まで男と情事をしていたのが丸わかりなのは、どれだけ好き者なのかと呆れてしまうが。

まあともかく、お楽しみの最中だからといって追い出されることもない。

きちんと手続きをしてくれるし。

成果に評価もくれるので、それで良かった。

そうして彼方此方を周り、順番に賊を帰参させた。そのノウハウを展開して、他でもそれを真似始めたようだった。

だが、結論として。

少しばかり、遅かったのだと思う。

わたしがパッナーロに再上陸してから半年。

既にその時には、崩壊の音が響きはじめていた。

 

年が明けた。

とにかく寒い中、更に進歩した土魔法と風魔法を使って急ぐ。アンゼルもコンビを組んで移動しているが。

最近表情が険しくなっている。

アンゼルはどんどん背が伸びて女らしい体型になっていて。すっかり見上げるくらい背丈に差ができた。

それはそれとして、危険すぎる性格にはまるで変化がない。

必要とあれば子供でも容赦なく斬り捨てるし。

相変わらず心から殺しを楽しんでいる。

わたしもわたしで、人を殺してもなんら心が動かない。酷い事をしているというのは分かっている。

何度となく襲撃されて、それを全て返り討ちにしてきた。

賊の中には即座に仕掛けて来る者もいて。相手の戦力次第では、何人か殺さなければならなかった。

そういうとき、アンゼルは本当に悔しそうにしていた。

出来るだけ殺さないように。

その足枷が、鬱陶しくてならないようだった。

それにだ。

賊を帰参させたあと、それで逆恨みを買うことも結構あった。

話をつけた後、何回か襲撃された。

襲撃してきたのは話に納得出来なかった賊の方だったり。財産だった奴隷を手放すハメになったロイヤルネイビーの下っ端だったりしたが。

これも戦力次第では返り討ちにしなければならず。

海賊女王の威を借りる狐とかいって襲ってくる勘違いもいて。

荒事は一週間に一度はあるのだった。

それ以上に、問題が大きくなってきている。

特に国境付近できな臭くなっているのだ。

スポリファールに主に逃れていた旧パッナーロの民が、帰国を望み始めているらしい。人がとにかく全く足りない状態になっていた海賊女王はそれを許可。

だが同時に、国境付近での争いが激化した。

わたし達は、完全に勢力圏に置かれている(賊が出ている時点で何を言っているのかとも思うが)地域の賊の帰参を主に任されていて。国境付近の話は、報告に戻る時くらいしか聞かないのだが。

その時に、何度もまずそうな話を聞いた。

賊の勢いが増している。

どこぞの伯爵領が事実上奪回された。

ロイヤルネイビーの中隊が全滅。鎮圧に出た部隊も返り討ちにあった。

各地で孤立しているロイヤルネイビーの兵士達が、明らかに逃げ腰になっている。そういう話だ。

そういう理由もあってか。

賊の帰参が、難しくなってきている。

ともかくこっちではやれるだけやるしかない。

魔法の技術も魔力もどんどん上がっているので、現地に到着するのはそれほど難しくはなかったのだが。

問題は、今までで一番面倒そうな場所にあたったということだ。

比較的無事な街が見えるが、恐らくこれは海賊女王の指示で、兵士達が復興作業をしたのだろう。

半年もあれば、まあこれくらいにはなるかなと思う。

ただ問題は、近くに堅牢な山岳地帯があって、其処に賊がかなりいると言う事。話によると、二千はいるらしい。

此処も例によって支配していた侯爵やその軍は戦いでは一瞬で蹴散らされてそれっきりらしいのだけれど。

それからの殺戮が凄まじく。

逃げ延びた民やらが、ああやって立てこもって。いつの間にか散り散りだった者も集まって、かなりの戦力になっているらしい。

駐屯しているロイヤルネイビーの戦力は数百程度。

魔法戦力もいない。

海賊女王直下の精鋭は流石に強いようだが、カヨコンクムでいう特務や、スポリファールで言う騎士に相当する精鋭は国境付近で血みどろの戦いに巻き込まれているらしく。近々海賊女王も本拠を指揮のためにもっと国境沿いに移すという話がある。

つまり、上手く行っていないということだ。

アンゼルに聞いてみた。

砦を落とせるか、と。

落とす事そのものは出来るそうだ。

ただしそうなると、砦にいる戦えない人間も皆殺しにすることになるだろうし、海賊女王の指示は達成出来ない。

アンゼルは砦を見上げながら言う。

「ド素人が戦略目標を達成すれば戦争は勝ち、なんて事を言っているらしいけれどね。 この戦い、明らかに勝ったのはスポリファールだけだね。 カヨコンクムもクタノーンも、領土は得たけど恨みを買って、泥沼に両足を突っ込んだだけ。 ましてやクタノーンはともかく、カヨコンクムは国の寿命を縮めただけかも知れない。 スポリファールだって、利益を得るのは数十年も先で、それも上手く行くか分からない」

「なるほど」

「それでどうする? 砦の人間、これは国境のごたごたを知っているんじゃないのかな」

「まずは情報を集めましょう」

駐屯軍の指揮官である大尉は、何度か使者を送って。それを全部殺されたと言っている。

まあ、これだけの戦力で立てこもり。

見た感じ水も兵糧も問題ない。

これほどの規模の賊は初めて見る。

力攻めは無理だ。

勿論彼方此方から兵を集めてくれば出来るだろうが、今駐屯軍を動かすのは、反乱を起こしてくれというようなものである。

国境付近にいる精鋭だって動かせない。

わたしはアンゼルの言葉が事実だと悟る。

風の魔法で情報を集める。

魔法使いが何人かいる。

わたしは、実戦で魔法を使って腕を上げて来ているけれど、上には上が幾らでもいる事は周知している。

幸い、砦に察知できる魔法使いは、わたしより腕が劣るようだ。

それよりも、その魔法使いが戦闘タイプのようなのが気になる。

つまりアンゼルみたいな戦闘特化型の人間だ。

旧パッナーロは偉そうにしていた貴族さえ、血統主義を拗らせた結果ろくに魔法も使えない状態だったと聞く。軍での魔法配備も劣悪で、実戦では三国の軍に蹴散らされるばかりだったという。

だとすると、騎士だのではないだろうし。

パッナーロの軍に騎士に相当する奴がいたとしても、最後の一人まで前線に投入されて死んだだろう。

だとすると、これも在野の人材か。

いずれにしても、砦の規模などは調査した。

それから、順番にどうするかアンゼルと決める。

まずは、交渉の合図として、白旗を掲げて持っていく。これについては、古くからの伝統らしい。

古語がたくさん増えた時期より更に古くからの伝統だと言う事で。

まあそれに従って、白旗を掲げて行く。

かなりの数の射手に狙われている。

風の魔法で弓を調べるが、手作りのじゃないなこれは。

ロイヤルネイビーから鹵獲したり、或いは盗んだものだ。

ここの賊はかなりロイヤルネイビーとやりあったということだが。進歩を捨てて惰眠に入っていたパッナーロの技術よりも、より実用的な弓矢などを鹵獲すれば当然使う事も出来る。

厄介だな。

そう思いながら、砦の門まで歩いて行く。

呼びかけると、門が開く、

槍を揃えて不揃いの鎧を着たのがこっちを囲んでいるが。わたしがひらひらと白旗を風で揺らしてみせる。

そうすると、しばしの沈黙の後。

奧から、馬に乗った男が来た。

屈強な、ロイヤルネイビーの戦士とも渡り合えそうな大男だ。見かけだけではなくかなり出来そうである。

その隣にいるのは、猫背の小柄な女の子。

魔法使いは多分この子が一人。

他に戦闘タイプがいるようだが、移動を続けている。少なくとも、此方に顔を見せる気はなさそうだ。

「各地で反乱軍を降伏させているというのは貴様等二人だな」

「まあそうなります」

「報告は既に入っている。 一応約束は守っているし、できる限りの事は全てしているようだな」

あまり好意的ではないな。

ともかく奥に入るように言われる。

かなり組織化されている。この砦は、恐らくだが別荘か何かを改造したものだろう。

もとの主はとっくに首を落とされている。それは確認済み。

主がいなくなった屋敷を、砦に改装したというわけか。

ロイヤルネイビーも略奪の限りを尽くして燃やした後は、興味を示さず。誰もいなくなった場所を、賊が根拠にしたわけだ。

無言で奧の間に案内される。

天井がある場所さえまばらで、あったとしても板葺きだ。

一応の部屋があったので、其処に案内される。

座るように言われたのでそうする。

アンゼルも、座っていても対処できるからだろう。余裕を見せながら座っていた。

最近はわたしが交渉を任されている。

アンゼルはそもそも戦う事だけが好きなようで、こうやって気を張っているのが何よりも楽しいらしい。

だから、好きに側で護衛していて貰う。

「お前等は一体何者だ。 噂によるとこの国の出身だと聞くが」

「騎士アンゼルはスポリファールの出です」

「ほう」

「わたしアイーシャは、この国の東の辺境伯領で育ちました。 その前の記憶はありません」

出された出がらしを口に入れる。

まあ、温められていて、茶飲みに入っているだけマシだ。

屈強な戦士らしい相手は、じっと黙って話を聞く。

わたしの身の上を軽く説明すると、そうかと大きくため息をついていた。

「俺はこの侯爵領で騎士をしていたブファールという。 騎士と言っても、侯爵に意見できるような立場ではなかったがな」

「騎士だったんですか」

「ああ。 武芸を磨いていても嘲笑されるばかりだった。 どうして侯爵に媚を売らないのか、民など守って何になるのかと、いつも馬鹿にされていたよ。 海賊共が攻めてきたあの日も、侯爵は取り巻きとすぐに逃げ出して、それを見越していた伏兵に討ち取られた。 「信頼されていなかった」俺は、少数の部隊とともに街に取り残されて、必死に民を逃がした」

それで、此処にはこれだけの勢力がいたわけだ。

それにそんな状況で戦ったのなら、このおじさんは強いだろう。相応の敬意を払うべきだと思う。

「それから再起を図っている。 幸い、時勢は俺たちに味方してくれているようだな」

「はあ。 国境付近での争乱のことですか」

「ふっ、まあそう思っておけ。 麓にいる海賊共にはこう伝えろ。 此処が欲しかったら、奪いに来て見ろとな」

「一応書状は持って来ています。 あの街をそのまま取り戻せば、後々有利に生活出来ると思いますが、その様子では読みませんか」

鼻を慣らして、視線を背けるブファール殿。

こんな状況で、これだけの民を実際に救い。しかも率いているというのは大した人物である。

こういうのが侯爵だかをしていたら、全然違ったのだろうが。残念ながらそうではなかったのだ。

最近は末期のパッナーロがどうしてあんな国だったのかを自分で調べてもいる。

全うに国政を考えるような人間は、権力を握る事を優先する人間に片っ端から排除されていた。

志がある王族や貴族もわずかにはいたようだが、腐敗の中で何もできなかった。

最強の魔法使い「賢者」の子孫であるというささやかなプライドにすがって、他全てを馬鹿にする空虚な世界。

そんな場所で、大まじめに職務を全うしようとする人は。あまりにも居場所が悪かったのだと思う。

「分かりました。 一度引き上げます」

「ほう、物わかりが良いな」

「麓の駐屯軍と話して、条件について色々有利なように引きだして見ます。 場合によっては上司に譲歩を交渉します」

「貴様等、その若さで功績を挙げてきているというだけあるな。 地獄を見てきて強くなったのか、それとも……」

褒めてくれるのは嬉しいが。

わたしは自分が最強でもなんでもないし。

出来る人間だとは思っていない。

出来る範囲の事は一生懸命やっているが。

それで少しでも周りが認めてくれるかというと、アンゼル以外はノーだ。

海賊女王も、随分譲歩させられるなと、毎回顔に書いている。

ともかく一度戻る。

その過程で、アンゼルがぼやいた。

「ちょっと風向きが悪いかな」

「説得は難しそうと言う事ですか」

「それ以前の問題。 あの元騎士、かなり出来るよ。 魔法は使えないみたいだけれど、指導者として出来る」

本来は真面目な人物だったんだろうとアンゼルは言う。

まあ、それはわたしも同感だ。

アンゼルは、付け足してくれる。

ああいう真面目に職務をこなしていた人物が、危急時に頼られることで、指導者として一気に覚醒するケースが歴史上何度かあったらしい。

あの人物はそういうケースで。

多分今後、この荒れ果てた地を再建する希望になるだろうと。

ただ、問題はである。

そういう人物が、あれだけ強気だと言う事だ。

「根拠なしの言動ではないね。 これは早めに見切りをつけるべきかも知れない」

「しかし、わたし達は別に海賊女王に冷遇されているわけではありませんが」

「それはそう。 だけど、一緒に死んでやるほど恩を貰ってるわけでもない」

「……」

アンゼルには忠義心って概念がないんだなと、こう言うときは思い知らされる。わたしもそれは同じだけれど、わたしの場合はただの魔法使い。そもそも恩を受けた相手が存在していない。

強いていうならばスポリファールでわたしに魔法のイロハを叩き込んでくれた先生達と、崩壊するパッナーロから逃がしてくれた騎士アプサラスだけれども。その人達だって、仕事だったからやっていただけ。

特に騎士アプサラスの場合は、フラムを賊として毛嫌いしているのが今思えば明らかだった。

取引のために仕方がなく逃がしただけだ。

それも逃がされた後は、わたしはスポリファールで冷遇されて、あんな審問なんて事もされて。

まあ、それはいい。

ともかく、アンゼルは忠義心がない。

元騎士なのに。

それは色々とまずいと思うが。

ただこう言うときは、アンゼルの嗅覚が頼りになる。

「あの強気の理由、なんだと思いますか?」

「恐らくだけれど、ロイヤルネイビーの統治地域が、近いうちに滅茶苦茶になると思って良さそう」

「やはりそれですか」

「スポリファールから民が帰還してくる。 それを海賊女王が受け入れた。 英雄でも正しい判断を常に出来る訳じゃないし、何度か様子を見に行ったけれど、出来る部下はみんな国境に出ていて、愛人しか周囲に侍らせてない。 そうなってくると、相談役とかもいないんだと思う」

それで判断を間違ったと。

英雄でさえ判断を常に正しくするのは困難を極めるか。

血なまぐさい英雄である海賊女王だが。

ここ最近の一連の出来事で、判断力も鈍っていた。そう判断するべきなのかも知れなかった。

陣に到着。

此処を管轄する大尉に、交渉の結果を伝えてから。

開いている家を宿舎として提供されたので、中に入る。

まあ襤褸小屋だが。

それでも寝泊まりには充分だ。

そもそも数万が暮らしていた街なのだ。あの砦にいる賊が全部帰参したとしても、全くという程家が有り余っている。

それくらいロイヤルネイビーが殺したという話である。

夕食を取りながら、話を続ける。

「とりあえず、どうしましょうか」

「海賊女王もバカじゃない。 多分兵をまとめて、対応を始めると思う。 ただしそれは国境に向かってだろうね。 この辺りの駐屯軍は、まとめて海賊女王の率いる本隊に集中するだろうし、兵力の空白地になる」

「……それは、此処はともかく、他は終わりですね」

「そう。 国境での戦いをどうにかしたら、また各地の賊……もう反乱軍に等しいけれど、それを各個撃破するつもりなんだと思うね。 問題は、海賊女王の本領は海上戦だということだね」

陸上戦では、この凄まじい略奪と殺戮の跡からも。海上戦の常識をそのまま持ち込んでしまったとみて良い。

第三艦隊に連れられて旧パッナーロに来る途中、味方の都市でさえ略奪犯罪好き放題だったのだ。

それが敵地で何をするか何て、今まで散々見てきた事実が物語っている。

それに対する旧パッナーロの民の恨みは、それこそ無能で搾取を繰り返して来た貴族よりも今では強いだろう。

わたし達が説得して、それで降伏させた者達だって。

機会があれば即座に蜂起するはずだ。

そうなると、ロイヤルネイビーでもどうにもならなくなる可能性が高い。

そうこうしているうちに、翌日には書状が来た。

わたしも立ち会って欲しいと言われて、大尉の所にいく。書状は、此処を放棄して、軍は本隊に合流せよという命令だった。

わたし達については、特に指示は出ていない。

これは、相当焦っているな。

そう思ったが。

いずれにしても、此処にいるわけにもいかないだろう。軍とは別口で、先に海賊女王の所に向かう事にする。

そして、軍に先んじて出立。

海賊女王は軍をかき集めながら、東の国境に向かっているようだ。急いでそれを追う。

何回か、まとまって移動している軍を見つけた。

どれも数百単位だが。その過程で見る。

無敵を誇っただろう海賊女王の軍が、後方から猛襲を受けている。そうなると、軍はどうにもならない。

一度逃げるとなると、こんな風な強さだけでなり立っていた軍も、一瞬で崩れ立ってしまう。

追っているのは、反乱勢力の一つだろうが。

それも別に練度が高いわけでもない。

ただ勢いだけだ。

その勢いに滅茶苦茶に海賊女王自慢の精鋭が、打ち崩されて、壊滅していく。

「戦ってああいうものだよ」

「これはまずいですね」

「……あの騎士、多分正面から堂々ときたアイーシャに免じて、見逃してくれたんだと思う。 アイーシャみたいなやり方でなかったら、多分その場で殺していたんだろうね」

そうか。

戦争に本格的に参加するのは、多分スポリファールでハルメン国との国境紛争以来だろうか。

ただあの時は、兵力差はあれど秩序を保った士気の高い軍が、必死の防衛戦をしていたのに対し。

今回は勝手が違う所に来た兵士達が、各個撃破されて。指揮官である海賊女王もどうにもできずにいる。

これは負けたな。

わたしは、更に道を急ぎながら、そう思った。

 

翌日、海賊女王の陣に到着。

馬に跨がって移動している海賊女王は、流石に服を着ていたし、武装もしていた。馬に乗っていると、長身もあってかなり威圧感がある。

わたし達の顔を見ると、海賊女王はふっと鼻を鳴らした。

「その様子だと、上手く行かなかったようだね」

「残念ながら。 賊……元騎士が率いていましたが、この状況を知っているようでした」

「そうか、それだったら、私が出した指示のこともある。 撤退してきて正解だっただろうね」

責められはしないか。

一応、海賊女王の本隊は、一万程度まで膨れあがっているようである。だが確か、侵攻軍は本来は五万とかいう規模だったはず。

国境にも軍はいる筈だが。

それにしても、この程度しか集まらないのか。

まあ、集結の途中という事もあるのだろうが。

海賊女王が、部下に聞く。

「国境付近の部隊からの伝令はまだ来ないのか」

「残念ながら、まともな情報を持つ部隊は……」

「ちっ。 これはまずいね」

「如何なさいますか」

見た所、将軍級の人間も数人いるようだ。

精鋭は殆ど国境にいるようだが、この有様では。事実、アンゼルが面白そうだと思って見ているような相手はいない。

つまり、海賊女王麾下の精鋭は、ほぼ全滅という状態なのだろう。

「仕方がない。 もう少し進軍して、伝令が戻らないようなら撤退するよ。 港にいる軍勢に、船を死守するように指示を出しておきな」

「はっ」

伝令が北に向かってすっ飛んでいく。

一応魔法を使える特別な伝令のようで、空を飛んで行ったが。飛ぶ速度があまり速くはない。

あれだと撃ちおとされるかも知れないなと、わたしは思った。

そのまま進軍につきあう。

途中、合流してくる戦力もいたが。見るからに敗残兵な部隊も多かった。

つまり今や海賊女王の率いる軍は寄せ集めだ。それでも流石に規模が大きい。

途中の街などを占領している賊などは、この部隊を見ると逃げ散るが。

それも、ただ逃げ散るのではなくて。

明らかに秩序を持って撤退していた。

あれは本当に、今まで乞食同然の生活をしていた者達の動きか。

短時間で、何かしらあったのかも知れない。

その街を再占領する。

兵士達は略奪をしに街に散ったが、何も残されていないという風情で戻ってくる。海賊女王は愛人と情事にふける気にもならないらしく、むすっと本陣で腕組みして座り込んでいる。

海軍は鎧を着ないらしいと聞いているが。

コートみたいな服が、かなり威圧感があって軍人にはしっかり見える。

この人は、欲望は強烈でも。

それを抑える事は出来るのだろう。

「伝令をありったけだしな。 まともに戻る伝令がいないようなら、此処で引き返すよ」

「しかし国境には殆どの精鋭が……」

「この有様では生きてはいないだろうね」

「……」

兵士達が動揺している。

そして、わたしは悟った。

この時、空気が決定的に変わった事を。

負けたのだと、兵士達が理解したのである、そしてそれは、兵士達が信仰に近い形で抱いていた海賊女王に対する忠誠が、瓦解していくことを意味していた。

アンゼルが、目配せしてくる。

離れるべきだというのだろう。

かといって、どうするべきなのか。

海賊女王から逃げたとして、クタノーンにでも逃げ込むか。いや、クタノーンだってそう上手くはいかないだろう。

とりあえず、後一日だけ様子を見よう。

そうアンゼルと話をして、与えられた宿舎に入る。

少しだけ兵は増えて一万ちょっとにまでなっているようだが。補給がかなり心許なくなりはじめたようだ。

これでは補給路どころではない。

後方から物資が滞っているのだろう。

そして、翌日。

朝一で、叩き起こされる。

ぼろぼろになった男が、陣屋にいた。誰も動かないので、わたしが回復魔法を掛ける。だが、これはどう見ても手遅れだ。

男は特務の一人で、海賊女王の愛人の一人でもあるらしい。

ツラがいい。いわゆるイケメンと言う奴だろう。

まあそれについてはどうでもいい。

あまり人間のツラの良さには、わたしは興味を持てない。

「国境で何が起きているのか説明しな。 伝令が一人も戻ってこないんだ」

「……スポリファールから大量の民が戻ってくると同時に、一斉蜂起が始まったのです。 スポリファールが支援したのかと思いましたが、どうにも違うようです」

「突き止めたのかい」

「はい。 恐らくはハルメンです。 ハルメンの斥候が多数入り込んでいるのを確認しました。 元々旧パッナーロ領は麻のように乱れており、スポリファールですら大量の民を食わせるだけで手一杯。 そんな状況でハルメンの密偵は入り込み、クタノーンやロイヤルネイビーの支配地に戻る民に、訓練と武器の供与をしていたようです」

ハルメンはスポリファールからは蛮族などと言われていたが。

実際にはこんなに色々と出来る国だったのか。

確かにオークの軍用利用など、かなり優れた独自技術を持っていたし。スポリファールの軍の大規模魔法攻撃を防いだりしていた。

伊達に百年以上もスポリファールと戦っている訳ではないのだろう。

「撤退を。 国境付近は、既に軍も全滅。 反乱軍はロイヤルネイビーもクタノーン軍もまとめて滅ぼすつもりです。 兵力は十万に達し、魔法戦力は貧弱ながら、魔法使いを殺すための戦術や、特務などの精鋭を殺すための戦術も学んでいます。 スポリファールの支配地域にすら飛び火の気配があるほどです」

「分かった。 これは私も焼きが回ったねえ」

「……」

言い終えると、力尽きて。

海賊女王の愛人は死んだ。

回復魔法で僅かに命を吹き返して、言う事だけは言えた。そういう風情だった。

海賊女王は、宝を持ってこさせる。

ある程度の金貨だった。

「アイーシャ、アンゼル。 各地での任務、見事だった。 いつまで宝があるか分からないから、これはくれてやる」

「ありがとうございます」

「……」

「それと昇進だ。 アイーシャは中佐、アンゼルは大佐とする」

それはありがたい話だ。

そういうほろ苦い言葉しか出てこない。

すぐに撤退が開始される。

そして、それを敵は許してくれなかった。

 

撤退するロイヤルネイビーの最後尾にわたし達は配置。他にも追撃に備えて、精鋭が配置されたようだった。

精鋭といっても、比較的マシな部隊が、だが。

捨て石である。

追撃が確定で来る。それどころか、退路を塞いでいる賊までいるかも知れない。

とにかく逃げる。

ロイヤルネイビーは精強で知られていたらしいが、まさかあの腐敗したカヨコンクムの陸軍より先に壊滅するとは、わたしも思わなかった。

わたしは土魔法と風魔法を利用して、殿軍をまとめて移動させる。兵士達はこれは助かると言ってくれたが。

まあ、体力を温存するくらいしか役立たないだろう。

それに万の軍勢となると、逃げるのは相当に苦労する事になる。進軍はどうしても遅くなる。

侵略は火のように出来ても。

撤退は潮のようにはいかない。

そういうものらしい。

そして更に致命的な事が起きる。

前方が崩れるのが分かった。女王陛下、暗殺。そういう声が上がっていた。

それと同時に、今まで秩序を保っていた兵士達が、わっと逃げ散り始める。更に、周囲全方位から、気配が生じた。

アンゼルが言う。

「逃げるよ。 これは海賊女王が生きているかいないか関係無く、もう戦じゃない。 狩りだ。 狩られる前に、さっさと安全圏まで走るしかない」

「ま、待ってくれ! その移動魔法で、港まで送ってくれ!」

「アンゼル。 多人数で行く方が良いでしょう。 皆、周囲に備えてください。 軍用の弓矢や攻撃魔法の場合、風魔法で多分防ぎきれません」

「分かった!」

一応は捨て石に残された兵士達だ。

わたしが声を掛けると、それでも固まって、防衛陣を作る。わたしは一気に土を動かして、逃げる。

本隊の方が、盛大に燃えているのが見えた。

これはさっきのが本当かどうかはともかくとして、結果として海賊女王は死んだな。

一代の英雄の最後はあまりにもあっけない。

それをわたしは、目の当たりにしていた。

ロイヤルネイビーから追放されるわけでは無いが、旧パッナーロからまた追放されることになりそうだ。

そうわたしは、自嘲していた。

 

4、燃える港

 

ある意味当然ではあるが。

ロイヤルネイビーが停泊していた港は、劫火に包まれていた。

海軍の船が派手に延焼している。

これは、艦隊が助けに来るどころじゃない。海上にいた艦隊も、遠めに見ているくらいしか出来ないだろう。

終わりだ。

叫んで、逃げ散ってしまう兵士達。

こいつらはこれから狩られて皆殺しだろう。

自業自得とは言える。

わたしも大きくため息をつく。膨大な火の粉が散っていて、熱波だけでも肌が焼けそうである。

劫火の凄まじさを、間近でみたのは初めてかも知れない。

これは、中に行くのは自殺行為だ。

「生き残りだ!」

「殺せ!」

周囲に気配。

多分「反乱軍」だろう。押し包んでくる。アンゼルが即座に動いて、一部を切り開いて、突破。

他の兵士は逃げ散ってしまって、各個に囲まれて狩られている。

見ると、敵は兵士には見えないものも多いが。

それでも憎悪と戦意は凄まじく、一人だって逃がさないという気迫が感じられた。

炸裂する火花。

アンゼルがいた辺りに、とんでもない火力の魔法が炸裂したのである。アンゼル。叫ぶが、あの恐ろしい友人の返事は無い。

立て続けに魔法が降って来る。

多分軍用の隕石という魔法だ。

アンゼルを相手にするために準備していたのかも知れない。アンゼルを囲んでいた兵士ごと、凄まじい火力が過剰に叩き込まれる。

思わず立ち尽くしてしまう。

多数の矢か飛んでくる。

一瞬の虚脱から立ち直ると、その全てを風魔法で弾いて、逃げに入る。

アンゼルは、あれは駄目だ。

いや、友人を信じろ。

ただ、助けにいける状況じゃない。

とにかく逃げるしかない。

飛ぶのは駄目だ。

一応低速でなら風魔法を駆使して飛べるようにはなったが、それでも此処で飛んだら鴨撃ちの的だ。

地面を高速で動かして、必死に逃げる。

風の魔法で、立ちふさがろうとする兵士はまとめて吹っ飛ばしながら、退路を作る。

何度も矢が擦る。

矢は敢えて不潔にしていたり、更には毒を塗ったりしているようだ。ただわたしは、ろくでもない環境で生きてきたこともある。

多少の毒程度だったら、どうにでもなる。

港から逃げ出す。

そして、ひたすら荒野を行く。

呼吸を整えながら、丸一日最高速度で移動した。まとまった軍勢がいるとしても、追ってくる事は出来ないだろう。

木陰で休む。

呼吸を整えつつ、近くの川にある水を、煮沸して、冷やす。

水を球体の塊にして浮かせ、そして少しずつ飲み込む。

丁度良い熱さにするのは難しいのだが、どうにか出来る。

持ち出して来た干し肉をかじる。

もうちょっとマシなものを食べたいが、今は距離を取らないとまずい。これでは回復魔法も使えない。立ち上がろうとしたその瞬間。

全身が凍り付いた。

すぐ後ろに何かいる。

「おや? どこかでちらっとみたような……」

ぽやぽやした声だ。

その声の主は、ゆっくり歩いて来ると、わたしの前に来て。ぼへえとしまりのない笑顔でわたしを見た。

何となく分かる。

人間の範疇の限界にいる存在だ。

スポリファールの騎士鎧を着ているが、わたしより何歳か年上か。

見かけと裏腹の、凄まじい実力を感じる。いずれにしても、勝てる相手じゃない。アンゼルがいても無理だろう。

「失礼しました。 多分探しているのとは違いますね。 ターゲットは港で消し飛んだのを確認していますし、死体の一部も回収しましたが、そこからもう一人腕利きが逃げたのを確認したので、確認しに来ただけです。 違うのであれば、別にどうでもいいです。 さようなら」

其処に最初からいなかったように。

そいつはいなくなる。

どっと汗が出て来た。

分かった。

あれが、アルテミスだ。

アンゼルが自分より十倍は強いと言っていたのが納得出来た。確かにあれは世界最強だろう。

なんとか呼吸を整えると、無言で逃げる。もっと遠くに離れる。

ロイヤルネイビーは全滅だろうな。

カヨコンクムは軍の半数近くを失い、旧パッナーロの民から恨まれる事になるし。クタノーンも似たような事になるだろう。

スポリファールだって、独立を声高に叫ぶ民を相手に、かなり苦労する事になり、国力を割くことになる。

確かにこれをハルメンが仕組んでいたとしたら、一石で何羽も鳥を落とす強力な策だと言える。

それに、西にあるクタノーンの国境付近は、がちがちに固められているとみて良い。だとすると。

旧パッナーロの南は、殆ど無人の荒野で、蛮族の国家が幾つかあるだけ、みたいな話を聞いている。

一旦は其処に逃げて、どうにか生きる道を探すしかない。

とにかく、南か。

星空は読める。

南を示す星を見つけたので、其方に向けて、全力で移動を開始する。

アンゼルは助からなかったかも知れない。

だが、あの場でアンゼルを探そうとしても、どうにもならなかった。

友を失ったわたしは。

一人、周りが全部敵の土地で。

それでも生きたいと思っていた。

 

(続)