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腐りかけ
序、強攻
馬車が走る。
何しろアンゼルがいるので、追っ手はあまり熱心ではないようだったけれども。それでも軍のまとまった部隊に追跡されると面白くないとアンゼルは言っていた。わたしとしてはちょっと困っている。
アンゼルは一方的に友人だと思っているけれど。
わたし自身も、別に嫌ってはいない。
意外な事に、まともに話が出来る数少ない人間だからである。
だからそれが友達なのかも知れないが。
わたしにはそれさえ分からない。
ただ、アンゼルに連れられて逃げるのは、別に嫌ではなかったし。何よりアンゼルはやり過ぎたと思ったのも事実だけれども。
わたしとしても、もうスポリファールにいなくていいかと思っているのも事実なのではある。
それだけの理由で、命がけの逃避行をしているのだから馬鹿馬鹿しいといえば馬鹿馬鹿しくはあるのだけれど。
わたしの人生なんて、最初からそうだった。
親がどうしてわたしを手放したのかはわからない。
盗賊かなんかにわたしがさらわれて売り飛ばされたのか、それとも自主的に売ったのか。
そもそもパッナーロの話を後から聞くと。
貧しい家では、ある程度子供が育つと長男以外は売り払うのが当たり前、という所だったそうだ。
嫁入りの結納金と称して、女の子を売りつけて、金を受け取る。
そういう文化が当たり前のようにあった。
だから人間は普通に売り買いされていた。
スポリファールでは考えられない文化らしく、それを聞いて皆蛮人がと吐き捨てているのを見た事もある。
まあ、確かに蛮人だ。
ただ、それを蛮族の所業と嘆くスポリファールだって、楽園でもなんでもない事はここしばらくの経験で理解出来たわけだが。
馬車が止まったので、ため息をつく。
この馬車はかなりの強行軍をやれるものなのだけれども。それでももう道からだいぶ外れて走っている。
森の中を突っ切るのは難しいし、どうしても車輪跡が残る。
追跡の部隊はいるだろうと、アンゼルは言っていた。
それでも馬車を使っているのは。
わたしを逃がすためだ。
アンゼルはアンゼルなりの義憤でわたしを助けたのだろう。やり方が、パッナーロの人間も吃驚な程に乱暴だったが。
とりあえず、馬車を降りる。
馬が潰れかけているらしく、エサを食うようにアンゼルが促していた。滝のように汗を流している馬を水場に誘導。
水も飲ませていた。
「最悪馬に乗って行く事も考えたいんだけれど、この馬だとどこまで荷物を積めるかだねえ」
「わたしを置いていけば早いのでは」
「見損なってもらっちゃ困る。 あたしは変人だけど、友人は裏切らない」
「そうでしたね」
それについては信用して良さそうだ。
あれだけのことをやるくらい頭が狂っていても、そういう筋を通す奴だ。
馬に水を与えて、それで夕食にする。
馬車の中で、保存食を囓る。この馬車には、それなりに食糧が積まれているので、それを消費していくだけだ。
ちなみにアンゼルは汚れ仕事が主体だったからか、給金はあまり貰っていなかったらしい。
この国でもまっとうな軍人は給金が高く。
アンゼルみたいなダーティーワーカーは給金が安い。
そういう話であるらしい。
一応特別手当て何てのもつくらしいが。
それもあくまでおまけ程度のものらしかった。
「それで、今はどの辺りですか」
「もう少し行くとインシークフォの国境かな」
「インシークフォ」
「古くからある国だけれど、スポリファールが大きくなってからは国土の殆どを消失してしまった国だね。 古くには多くの英雄と優れた文化を輩出したみたいだけれど、今は殆ど土地も残っていない。 現在ではカヨコンクムの保護国になっているけれど、スポリファールの間諜も入り込んでるし、状況次第でいつでも寝返るだろうね」
大国の緩衝地域としてしか存在意義がない小国だ。
他にもルベノイケータ国という似たようなのが、もう少し西の方にあるらしい。
スポリファールとカヨコンクムの大国の間には、主にこの二つの国があって。直接領土を接して、戦闘が激化するのを避けたい両国が、利用しているというわけだ。
そして両国が利用していると言う事は、国が潰れないように両国が後ろから手を回しているということで。
古い国の上に腐りきっていて。
この世のあらゆる悪徳が積み重ねられてもいるそうである。
「インシークフォの街にアイーシャを置いてきぼりにしたら、目を離した一瞬でさらわれて、娼館行きだね。 後は死ぬまで色々させられると思うよ」
「いや、人攫いなら慣れていますので」
「ああ、そうだったか。 あたしもあの国には何度か潜入したんだけど、国と人攫いが連んでいて最悪だったね。 スポリファールにも犯罪組織はあるんだけれど、基本的にインシークフォと絡んで、国の追求をしづらいように立ち回ってる。 そういうのを潰すために何度か侵入して、随分殺したよ」
楽しそうに言うアンゼル。
やっぱりこの子、人を殺すのが好きだし楽しいんだな。
あまり同意はできないが。
そういう人間もいるということだ。
国境と言っても、線が引かれている訳でもないし、関所もない。
それに先の話からして、国境を越えたところで安全になんかならないだろう。馬を休憩させると、そのまま行く。
いちおう風魔法で轍を消しておいたけれど、多分無駄だろう。
わたしより優れた魔法使いなんて幾らでもいるのだ。
追跡を本気でするつもりだったら、あっと言う間に追いつかれるはずだ。
ただアンゼルほど強い騎士は殆どいないということで。
その殆どいない騎士の大半は、今は旧パッナーロに出払っているという事でもある。
だとすると、大規模な軍でも追跡してこなければ大丈夫ではあるらしいのだけれども。それもどこまで信じられるか。
夜闇の中、馬車が行く。
アンゼルの体力は底無しで、一日中馬を走らせても平気な顔をしている。馬の方が耐えられないくらいだ。
実の所アンゼル一人なら、馬より早くいけるらしいのだけれども。
それも友人を守るため、というやつなのだろう。
感謝の気持ちというのは分からない。
だけれども、わたしはそれを抱かないといけないのかもしれなかった。
幾つか点々としている村やらを避けながら途中まで馬車で行ったが。ある街で、馬車をアンゼルが馬ごと売り払った。
その代わり荷車に買い換える。
ちなみに言葉は通じる。
わたしの事をやっぱりごちそうでも見るような目で見ている男は多かったが。それも頷ける。住民の服装は伯爵領の人間よりはまし、程度だ。
スポリファールより明らかに町並みが貧しい。
非常に古い石造りの建物が目立ち、それをずっと直し直し使っているのが分かる。それになんだか異臭がする。
理由はすぐに分かった。
排水がきちんと機能していない。
スポリファールだとちいさな村ですら排水をしっかりしていたのに、此処ではやっていないのだ。
古い国でも、こういう……インフラだったか。それをきちんとできているかは別問題なんだなと分かる。
ましてや大国に挟まれて、緩衝地帯である事だけを求められている国だとなおさらなのだろう。
大国からすれば存在してくれていればいいし、そこに住んでいる人間は肉の盾になってくれればいい。
そんな風に思っている訳だ。
荷車をアンゼルが引いて、後は歩いて行く。
途中で前後を囲まれたが、アンゼルが文字通り秒で全部斬り捨ててしまった。恐らく人買いだろう。
話も聞かずに皆殺しか。
まあ、アンゼルは見るからにヤバイので、わたしを狙っていたのだろうけれど。
「これからこういうのが何回かあると思うよ」
「警邏とかは仕掛けてこないんですか」
「無視だろうね。 連中にとっても収入源だし」
「そうですか」
ま、こっちを売って金にしようというのなら。
殺されても文句は言えないか。
街を出る。
案の場、街の外に出ると、さっき以上の数のが待っていた。全員何かしらの武装をしていて、表情は獣同然である。これが人間の普通の姿であることは、伯爵領で生きたわたしは良く知っている。
多分、人間の暗部を散々見てきたアンゼルも。
そして会話が不可能なことも。
アンゼルは笑顔のまま剣を抜くと、即座に全部殺した。
血の雨が降る。
そんな中、喚きながら一人突進してくる。
自棄になって、ナイフをかざしているのが分かった。
脅威と認定。
風魔法で、空に放り投げた。
オークに比べれば簡単。
それに、風魔法で捕まえるのも、ぐっと簡単になっていた。技量が上がっているのだ、単純に。
空高くまで飛んでいったそれが、落ちてきて。ぐしゃっと潰れる。
即死だ。
前は放り投げる程度で済ませていたが、これはそうしても逆恨みするだけだ。
左遷されて田舎に飛ばされていた兵士ですら逆恨みしていたのだ。こんなのが殺されなかったことを感謝なんかするわけもない。
人を殺したのは初めてかも知れないが。
別にそれを、なんとも思わない。
周りは既に静かだ。
大量の切り刻まれた死体から、膨大な血が流れているが。街の方でも、騒いでいる様子はない。
厄介者が消えて清々したのかもしれない。
いや、死んだ奴は自己責任くらいの考えなのだろう。
「殺してみてどうだった?」
「特になにも」
「やっぱりあたしの同類だよアイーシャ。 いいなあ、同類がいると分かるとちょっとぞくぞくする」
「そうかもしれないですね」
それから、森の方へ向かう。
森の中の誰も使っていない小屋を見つける。
いや、誰か住んでいたのかも知れないが。さっき襲ってきた連中にでも殺されて、金目のものは全部取られたのだろう。
中でアンゼルは剣の手入れを始める。
わたしは横になって寝る。
風の魔法で浮かせて地面に叩き付ける。自衛の魔法としては充分だろう。勿論風魔法で防御出来る相手には通じないが。
もう少し習熟したら、まとめて十人ぐらいああやって地面に叩き付けて潰せるかもしれない。
そう思った。
翌日からは、人里を避けて黙々と歩く。
山賊はこの辺りでは珍しくもないらしくて、途中で何度となく仕掛けて来た。子供も普通に交じっているけれど。
子供だからといって加減なんかしない。
伯爵領でも、フラムの手下には普通に子供もいたし。
人を殺して一人前、なんて考えて動いているのが当たり前だった。
わたしは魔法が使えたから特別枠だったけれど。
そうでない子供は、スリとか火付けとか。
力がいらない行動で、如何に悪辣を極めるか競っていた。
そういうのを見ている。
わたしはアンゼルに言って、複数人数をまとめて浮かせて地面に叩き付ける奴を試してみる事にする。
途中仕掛けて来た山賊は、包囲してから殺しにきたのだが。
それ全部を捕獲して、浮かび上がらせる。
動物そのものの悲鳴を上げている連中を、豆粒くらいに見えるくらい浮かび上がらせて、それから離す。
それで充分。
賊が全部地面で潰れて、木っ端みじんに砕け散っていた。
「おおー。 面白い魔法だ」
「賊くらいなら使えそうですね」
「こっちから不意を撃てるならね。 まだ発動までに時間が掛かりすぎているかな」
「なる程」
族の一人が逃げ出したのを。
音みたいな速さで捕まえて戻ってくるアンゼル。
今のは敢えて逃しておいたのだ。
アンゼルが、その場で体に聞き始める。
拷問なんてものは基本的にはほぼ意味がない。審問官が言っていたことだ。
だからアンゼルは、話したら生かしておいてやると言うような話術を使って、山賊のアジトを吐かせていた。
吐かせた後は即座に首を刎ねるのだから、まあ徹底している。
こんな風なやり口が、ダーティーワークをする他の騎士からも嫌がられたのかも知れない。
面倒なので、山賊のアジトも根こそぎにする。
アジトには売られる寸前だったらしい人達も捕まっていたが、無視。好き勝手にするようにだけ言って。
アンゼルが蓄えていたらしい金品を根こそぎに持っていくのを横目に。
わたしが不意を突いて、全部潰した賊の死体を、浮き上がらせ。
風魔法の練習に、圧縮してまとめて肉団子にしておいた。
ばきばきと音を立てて潰れる死体。
血が噴き出さないように練習して潰す。
別に死体を嬲っているわけでもない。
単純に訓練のためだ。
もっと精密に、速度を上げる。
人を殺すのは嫌だが、身を守るためには仕方がない。それについては、この国に入ってからよく分かった。
だったらやるべき時にはやるしかない。
わたしは死にたいとは思わない。
流されるばかりに生きているのだけれども。
それでも。
自分でできる事はしておきたかった。
そうして、カヨコンクムへの国境へ急ぐ。
何度も賊に襲われたし。
呆れたことに、賊とつるんでいるこの国の軍勢が襲ってきたこともあった。装備も訓練も劣悪で、田舎の街の砦にいた兵士が精鋭に見えるくらい酷かった。
この国は潰れないことを大国に保証されているから、国政なんて実質していないし。
国民だって法律なんて鼻で笑っているんだろう。
だから伯爵領みたいな状態になっている。
彼処よりはマシだと思うけれど。
多分それは経済が彼処よりはまだマシだからであって。
根は変わらないのではないかとさえ思う。
いずれにしても、襲ってくる奴は全部殺す。アンゼルがだいたいは殺してしまうけれど、わたしは魔法の練習をする相手として活用させて貰った。
わざと生き残らせたのを、実験台に新しい魔法を試す。
手足をアンゼルが切りおとしたから、どの道助からない。
わたしは風魔法を操作して、一人を内側から破裂させた。
土魔法を使って、左右から押し潰してぺしゃんこにした。
水魔法で相手の顔を覆って、窒息死させた。
別に何も思わない。
こうしなければ、それ以上の目にあっているのは確実なのだから。無抵抗で殺されてやるつもりはないし、全部尊厳をくれてやるつもりだってない。
国を出たのは二回。
追放されたのは三回か。
いずれも、わたしはできる事はしていたし、それに関しては周囲も認めていたはずだ。
なら、もう良いかなと思う。
アンゼルはわたしが新しい魔法を編み出す度に、滅茶苦茶褒めてくれる。
それだけで、魔法を編み出した甲斐はあったかなと思う。
でも、別に嬉しくもなんともない。
また、襲ってきた奴は一人も逃さない事もある。
誰か生き残りが、わたし達の事を触れ回るようなこともないようだった。
国境を越える。
カヨコンクムも国境線は広く長く、全てに壁がある訳でもない。というかアンゼルも何度も潜入をしているらしく。非常になれたものだった。
国境を越えた頃には、もう水の魔法を使って、服さえ脱げば体も髪も適温の水で洗う事も出来るようになっていたし。
アンゼルもそれを使うと喜んでいた。
服も洗濯して、あっと言う間に乾かせるようになっていて。
生活に困る事はなかった。
ご飯さえ食べられれば、それで魔法は使える。
問題は寝床だが、アンゼルはどこでも平然と寝られるようだったが。わたしは流石に荷車を使わせて貰った。
これは伯爵領での生活を思い出して、土の上で寝るのはしんどいからである。
まあそれに加えて。
スポリファールで、寝床で寝るのに慣れたから、というのもあるのだが。
国境を越えると、露骨に空気が変わった。
今まで見たいに、賊が当たり前にいて、それを軍もまったく取り締まろうとしていない状況ではなくなった。
カヨコンクムはかなり荒々しい国だと聞いていたが。
スポリファールほどしっかりしているようには見えないが。一定の秩序があるように、遠めに街を見ることで判断する事が出来た。
この辺りには賊もいないようだ。
賊同然の事をしている軍も。
「ロイヤルネイビーは賊以上に評判が悪いんだけれど、それも自国領では好き勝手はしていないからね」
「そうなんですね」
「この国は陸と海で別の国に近いんだよ。 ロイヤルネイビーのボスは海賊女王なんて言われている奴で、残虐非道でどこの国の軍人からも怖れられてる。 陸の方だとある程度秩序はあるけれど、ロイヤルネイビーとは何度も内戦じみた小競り合いをしていて、結局抑える事は上手く行ってない。 世界最強の海軍であるロイヤルネイビーは、その気になれば別の国につくことも出来るし、なんなら独立しかねないんだ」
ただしぶしぶながらとはいえ、潤沢な補給を提供してくれる陸の人間とは、ある程度上手くはやっている。
それはそれで、海上では商船でも平気で襲う。
それがロイヤルネイビーであるらしい。
ただしその構成員は荒くれぞろいで、略奪も強姦も平気でやるし、寄った港では毎度問題を起こすそうだが。
少なくとも内陸で問題が起きることはあまりないらしい。
事情に詳しいアンゼルは、というわけでまずは仕事を見つけようかと、街を視線で指すのだった。
1、法よりも力の国
事情に詳しいアンゼルについていく。
街に入るのを咎められもしなかったし、なんならアンゼルは鎧のままだ。色々な鎧を着ている人間もいる。
軍人とは思えない。
「普通の人が武装しているんですかこの街だと」
「ああ、あれは冒険者だね」
「冒険者?」
「要は武力を持った何でも屋」
そうか。
スポリファールにはいなかった職業だ。
話によると、カヨコンクムは元々古い時代……いきなり勇者だの賢者だのが世界に溢れた時代よりももっと古く。そんな時代にあった街なんかから、金目のものを漁ることで出来た街から、発展していったものであるらしい。
そういった場所にはゴブリンだのもいるし。
熊だのよりももっと危険な生物もたくさんいたので、軍が出るよりは、消耗品として扱いやすい使い捨ての人間が重宝された。
そういった人間も、一攫千金で成り上がることが出来るし。
中には王となって国を乗っ取ったものまでいるという。
だから盗掘を「冒険」と言い換え。
機会を力で掴む事を貴ぶ風潮が出来たとか。
そういった冒険者の一部が海に進出してロイヤルネイビーが出来たという。
そういう事情もあって、冒険者から軍に転向するもの、その逆、よくあることだそうである。
まだこの国にはそういった遺跡が眠っているらしく、それらの町に行く冒険者もいるらしいが。
殆どは治安維持を格安でやっていたり。
魔法なんかを使って問題を解決していたりと。
基本的に武力を持った何でも屋だそうだ。
まず宿を取る。
あまりいい宿ではないが、それでも寝床に蚤も虱もいなかった。一応寝床は熱風で温めて、即座に冷やすが。
それをアンゼルは喜んでいた。
「おお、応用力高いねー」
「できる事は一つでも増やしておきたいんです」
「いいことだ。 あたしは持て余していたみたいだから別にいいけれど、アイーシャに関してはスポリファールは良い人材を無駄にしたもんだよ」
「そうですか」
キャハハと笑うアンゼルは。休んでいてくれというと、部屋を出て行った。
わたしは風魔法で周囲の探知をするが。
隣の部屋では、まだ明るいのに男女が三人で盛ってる。
別の部屋では、人買いらしいのが、なんだか取引の話をしているようだった。相手は役人だろうか。
どうもスポリファールほど国はしっかりしていないようだ。
それはまあ、仕方がないだろう。
アンゼルが戻って来た。
国軍に潜り込めればいいと思ったらしいのだが。
現在、国軍は人員を募集していないらしい。
なんでも毛並みが良いのはみんな旧パッナーロの統治に向かってしまったらしい。
ロイヤルネイビーがとにかく荒らしまくったせいで、旧パッナーロの占領地はほとんど無人状態だとかで。
其処にまるごと移り住んでいる人間がたくさんいるそうだ。
その代わりに、彼方此方から流れ込んできた冒険者に、治安維持を任せているのだとかで。
同時に入り込んだ犯罪者をどうにかするので四苦八苦していて。
とてもではないが、この状況で。
信頼性が必要な国軍に、身元が分からない相手を雇えないそうだ。
「元騎士だというのを提示しては」
「駄目だねそれは。 カヨコンクムの騎士……まあこの国では言い方は違うんだけれども、たくさん殺したし、あたしのこと知ってる奴がいてもおかしくないし」
「それは、この国はさっさと離れるべきなのでは」
「カヨコンクムを離れるとなると、更に北の方に幾つか国があるけど、この国以上に貧しいし。 ロイヤルネイビーがたびたび略奪に出てるからね。 安全には暮らせないだろうね」
そうか。
まあ、アンゼルが連れ出してくれたのも事実だ。
少し今後の去就を話し合う。
幸い生活費はなんぼでもある。
宿にもしばらく泊まることが出来るだろう。
家を買うくらいは出来るかもしれない。
途中で何度か賊を皆殺しにして、その資産を丸ごと回収したが。その中には、結構な価値のある宝石やらもあったのだ。
「アイーシャは魔法を使う仕事を何かこっちで探すよ。 喋るの苦手でしょ」
「まあそうですね。 できる事を示すのは得意ですが」
「時期が悪かった。 もうしばらくしたら、国軍に大々的な応募もあっただろうに」
「軍ですか……」
あまり入りたくは無いな。
スポリファールとはあんな決別をしたけれど、別にスポリファールそのものに恨みがある訳じゃない。
周囲でくだらない陰口を叩いていた連中もどうでもいい。
まあ審問だとかで散々色々な事をしてくれた事についてはちょっと思うところもあるが、それも別に殺したいほど恨んでいる訳でもないし。
「アイーシャって出来るの実用的な魔法ばっかりだからね。 ふわっとした奴。 占いとか予言とか、そういうの出来ないでしょ」
「仕組みそのものが分かりません」
「そうだろうね。 まあ、ちょっと仕事は探してくるわ。 あたしだけなら、荒事は幾らでもあるんだけどねえ」
別に荒事でも良いけれど。
そう言う前に、アンゼルは部屋を出て行った。
相変わらず一方的に喋るが。
それでいながら。
不思議と意思疎通はある程度出来ている。
まあ、それに。
わたしも、アンゼルと一緒にいる事は、それほど不快ではなかった。
夕方にアンゼルが戻って来たので、宿から出て食事に行く。
この街は海まで数日ということもあって、魚料理は名物ではないが。干物なんかの魚はたくさん入荷しているらしい。
魚がたくさん料理に出てくるのは新鮮だ。
鮮度は低いが、それは仕方がないだろう。
黙々と魚を食べていると、アンゼルが色々話す。
今、幾つかの仕事を見繕っているらしい。
盗賊の駆除。
腕がいい冒険者を募集して、この街に巣くっている犯罪組織を潰そうとしているらしいが。
当然犯罪組織もそういうのを雇っている。
命がけになるだろうと言う事で、使い捨ての出がらしみたいなのしか集まっていないとか。
要件は街を混乱に落とさないように、さっさと全部駆除する事。
ただ問題は、犯罪組織の人間だと一目で分かるものがない。
だから、下っ端を捕まえて、どういう人間がいるのかから調べないといけない。
悪名を轟かせている犯罪組織はあるらしいが。
そういうののボスが大手を振るって歩いている事は、実際には滅多にないらしい。そういうのが好き勝手に振る舞っているような国は、基本的には終わる寸前。カヨコンクムでは、そこまで好き勝手はさせていないそうだ。
「とりあえずあたしはそれで稼ぐわ。 まあ二三日で潰せるかな」
「本職ですもんね」
「ふふん、そういうこと」
アンゼルは騎士の鎧を脱いで、普通の服を着ている。この街で買ってきたらしい。
服の質はスポリファールより良くないが、技術で劣るようなことはなく、金持ちにしかいいものは流通していないだけだそうだ。
そういう意味では、この国はスポリファールほどしっかりしていないのかも知れない。
ただ、スポリファールといい勝負をしているし、軍の戦力はほとんど変わらない。
そういう意味では、国の方針が違うだけなのかもしれないそうだが。
アンゼルはわたしと同年代だが、色気は出始めているし、男が声を掛けて来る事もあるらしい。
ただしアンゼルの目を見て、即座に逃げるらしいが。
まあそうだろうな。そうとしか言えない。
「とりあえず、魔法を使う仕事は幾つか見繕っておいた。 しばらくは日雇い同然になるけれど、それで稼いでくれる?」
「分かりました」
「この街は訳ありばかりだから、しばらくは気にしなくていいだろうね。 問題はあたしの方かな」
アンゼルは、大量殺人の実行犯だ。それも相手は民間人である。
まあわたしも途中で賊はわんさか殺したし、その数もいちいち覚えていないが。スポリファールの民を殺したわけではない。
人の命に軽重はないとよくいうが。身を守るために賊を殺すのと、無抵抗に近い一般人を殺戮するのでは、罪の重さは全く違うだろう。
此処までスポリファールの追っ手が来ても不思議ではない。
わたしの方も、アンゼルをおびき出すためのエサにされる可能性がある。
それをアンゼルは心配していたようだが。
そういう事情もあって、ここに来るまでに、戦闘用の魔法を練習してきた。
今なら、生半可な騎士よりももう強い。
そう太鼓判を押されている。
魔法の展開が、かなり早くなったのが理由だそうだ。
それに、周囲の気配を察知するのも、前とは別物に技量が上がってきている。
下手な相手に不意を突かれる事もないだろう。
「はー、食った食った。 アイーシャは相変わらずあたし以上に食べるね」
「ええ、魔法を使うので」
「魔法か。 いずれにしてもそれでベッドを綺麗にしてくれるから助かる。 じゃあ、もどろっか」
食堂の隅で、男二人が喧嘩をしている。
それを誰も止めない。
やがて剣を抜いた片方が、もう片方に斬られていた。斬った方も、左腕がぶらんぶらんだった。
店主がため息をつくと、死体を片付けている。
それを誰も気にしない。
此処は、そういう街なのだと分かった。
アンゼルは仕事が早くて、すぐに盗賊を二人捕まえてきた。下っ端で、ろくに何もしらないことは承知の上。
アンゼルに対しては最初吠え散らかしていた盗賊だが、何の躊躇もなくもう一人をアンゼルが斬り殺すと、それで口が即座に滑らかになった。
アンゼルが本当に楽しそうに、賊を殺して。
その後も死体を切り刻んでいるからかも知れない。
わたしもそれにつきあわされる。
まあわたしも死体には慣れているので、別に何とも思わない。
「ふーん、それでその男が上司だと」
「そ、そうだ。 軍にもコネがあるって言ってた! 顔は見せてくれない。 非常に用心深い奴だ」
わたしは頷くと、男に魔法を掛ける。
審問官にやられた奴だ。
あれほどの精度ではないが。
それでも嘘はつけなくなる。
アンゼルが丁寧に詰問をしていく。元々敵地に潜入してこういう仕事をする本職だったのだ。
幾つかの質問をしていくだけで、的確に情報を引き出していくようだった。
情報を引き出すだけ引き出すと、何の躊躇もなく首を刎ねる。
大量の血を流しながら横倒しになる死体を、わたしはそのまま押し潰してしまう。風の魔法と土の魔法の応用。
水の魔法も使って、流れ出た血も全て固めてしまった。
それでもそれなりに人を殺すと血が出る。
始末は手間だ。
「おー、随分小さくなるね死体」
「賊で練習したのが効いています」
「血も殆ど出ない。 衛生的だ」
「炎の魔法が使えたら、もっと楽なんですが」
そのまま死体だったものを二つ上空に打ち上げると、其処で木っ端みじんに消し飛ばす。上空といっても、見えもしないほどの高さだ。
しかも処理をしているから、血とかが降って来ることもない。
雲に混じって、雨の材料になるだけである。
ちなみに首から上は無事で。
アンゼルは詰め所に持っていって、賞金に変えてきた。
そして、その足で、更に数人を狩ってくる。
わざわざ見せつけるようにして首をぶら下げて歩き。それを見ていた奴の視線から、関係者を割り出すという技を使っているらしい。
えげつないが。
まあアンゼルらしい。
それにアルテミスという騎士のような特別でないかぎり普通の相手に負ける事はない自信もあるのだろう。
こういう所の賊は、暴力が好きで腕力が強く、頭がイカレていればでかいつらを出来るのだとアンゼルは言っていた。
残念ながら魔法による強化が信じられない倍率で入っているアンゼルみたいな殺しに特化した騎士相手だと。
そんな賊ではどんなに群れても勝てない。
魔法がない世界だったら、そうもいかなかったのだろうが。
現実とは無情である。
そうして、毎日アンゼルが賊を狩ってくる。
その内、上司だという人間も狩ってきた。
冒険者崩れだったり、魔法使いだったりする賊もいた。元軍で密偵などをしていた人間が、身を崩した者もいた。
いずれもアンゼルみたいな本職の前には無力で。
片っ端から狩られていくだけだった。
それをわたしが尋問する。
尋問の魔法は自分の身で味わった事もある。
やり方さえ覚えてしまえば再現は出来たし。
更に実験台を豊富にアンゼルが捕まえてくるので、実験もとてもはかどった。わたしは魔法の習得がかなり早いらしく、どんどん精度も上がっていく。
やがてアンゼルが捕まえてきた奴が、短時間で全部吐くようになった。
嘘をつけなくなるだけの魔法で、こうも簡単に正確な情報が手に入るというのは驚きだ。
それで何となく理解する。
審問官がわたしを厄介扱いしたのを。
わたしみたいな審問の魔法が通じにくい相手は、審問官もとてもやりづらくて。それで正か偽か判断しづらかったのだろう。
別にそれはそれでかまわない。
もうスポリファールに戻るつもりはないし。
やがて、街にいた賊の半数ほどがアンゼルに狩られてしまう事態になると、大人数で宿を襲撃してきた。
わたしだけがいる時を狙って来たようだったが。
それもアンゼルが仕掛けた罠だったし。
何よりもそういう計画がある事は、アンゼルが捕まえた賊が全部吐いていた。
宿を襲撃する前に、先に罠を仕掛けた。
それに大人数だと言っても、アンゼルが戦場で相手にしてきた軍部隊とは、数も装備も練度も違う。
複数のルートから宿に襲撃を企てた賊は。
殆ど全部アンゼルに斬り倒され。
僅かな残りは、わたしが事前に待ち伏せて、水の魔法で窒息死させた。
作戦も雑だったし、気配だってモロバレ。
外にいた山賊の方が、まだ練度が高かったくらいである。
猪と豚をやりあわせたら、猪が勝つ。
そういう話があるらしいが。
都会で暮らしていると、どうしても鈍るらしい。
そうわたしは、この賊達の為体を見て知ることになった。
いずれにしても、わざと生かして捕まえた賊以外の首は、アンゼルが全部駐屯所に持っていく。
毎日首をぶら下げているヤバイ女がいる。
そういう話は既に噂になっているらしく。
宿の客は全部いなくなっていた。
巻き添えになるのを怖れているのだろう。
宿の主人は、出て行ってくれとだけいうが。アンゼルにではなくわたしにだけ言う。だが、それも途中でなくなった。
アンゼルが、宿の主人にわたしの方が強いという話をしたらしい。
それにわたしも、宿の部屋の数だけお金を出すことにした。
賊の賞金がたんまりあったし。
それで宿の主人も何も言わなくなった。
賊の大半を狩った日は、生き残りを尋問した。魔法をかなり使うので、食事をしながらだが。
宿の主人は、青ざめたまま大量の食事を運んできて。
もう他に客もいないので、宿の食堂で賊を審問した。
吐いたら全部首を落とす。
そうしてアンゼルが事務的に賊を全部処理していく。それを見て、宿の主人だって荒くれを相手していただろうに。
何度も奧で吐いていたようだった。
まあわたしはどうでもいいし。
首を刎ねてもすぐに魔法で処理するので、周囲は汚さなかったが。
全部殺して、情報も取りだした。
後は、首魁とその取り巻きを始末するだけだった。
街の外を、急いで走る馬車。
あれに首魁と取り巻きが乗っている。
アンゼルは放たれた矢のように向かって行くが。わたしは、まだ飛ぶ魔法は使えない。
そこで、土の魔法を使って。
地面を滑らかに動かして、わたしの体を前方に移動させる。
蛇なんかが動いているのを見て、それを参考にした。
これが意外に快適で、速度も出る。
火の魔法以外は使えるというのは、こう言うときに威力を発揮できる。アンゼルが大喜び。
前を行く馬車が、矢を放って応戦してくるけれど。
わたしが風の魔法で全部弾きかえす。
オークが放ってきたつぶてに比べれば、こんなものは小枝も同然だ。そのまま馬車に余裕を持って追いつく。
御者が逃げ出す。
あれは賊ではないらしいので、放置。
馬車から飛び出してきた賊は、例の顔も見せない慎重な奴だという輩だ。一応それなりに腕は立つようで、アンゼルと数合切り結んでいたが、それも数合。
両腕を落とされ、蹴られて地面に転がっていた。
護衛の賊が何人か馬車から降りてくるが、それもアンゼルが出会い頭に全部斬り捨ててしまう。
「ほら、お頭さん、出て来なよ」
「わ、わしにこんな事をして、無事に済むと思うか!」
「軍の佐官が後ろにいるんでしょ。 全部部下が吐いたし。 その佐官もこれから暗殺してくるから関係無いかな」
「ひっ……」
豚みたいに太ったおっさんを、アンゼルが片手で馬車から引っ張り出す。
これが賊の長か。
なんとも情けない。
恐らくとアンゼルが言っていたのだが。
さっきアンゼルと数合切り結べたのが、実際に賊を牛耳っていたのだろう。まあどうでもいい。
そいつは両腕を切りおとされた上で。
わたしが土の魔法で拘束している。
「じゃ、散々手間を掛けさせてくれたし、苦しめて苦しめて殺してあげようねー」
溜息が出た。
アンゼルは何のためらいもなく、その言葉を実行した。悲鳴は辺りに響き渡り、馬が怯えて馬車ごと逃げていった。
首から上だけ以外は原型も残らなかった賊の首領。
死体はわたしが全部処理しておく。
最後の一人。
賊を裏から操っていたらしい元精鋭兵士。兵士崩れというのか。それも、多分軍につきだしても無駄だろう。
審問の魔法を掛けるが、抵抗が強い。
それでも、審問の魔法には逆らえなかった。
重宝される訳だなと、使っていて感心する。
やはり街の何とか言う佐官(軍の階級らしい)と連んでいて、それでかなりの金を得ていたこと。
それだけではなく人身売買もして、行き所のない人間や、その辺りの女子供を売り飛ばして小銭に替えていたらしい事。
そういう話が出て来た。
まあ、どこでもやっていることなのだろう。
わたしもフラムもそうだったのだ。
パッナーロほど悲惨ではないが、それでも此処はスポリファールよりだいぶ治安が悪い。それはよく分かった。
風の魔法で音声を全部記録しておく。
これも最近使えるようになったことだ。
ただ、出来るには出来るが、まだまだ精度とかが足りない。
強めの魔法使いが相手だと、多分弾かれてしまうだろう。
アンゼルは、すぐに街にとって返すそうだ。即座にその何とか言う佐官と、息が掛かった商人を斬ってくるらしい。
それで賞金を折半だと、嬉しそうに言っていた。
わたしの周囲では。
どうやらしばらく、血の雨が降るようだった。
2、屠殺人に
街に巣くっていたタチが悪い賊が全滅。
癒着していた軍の高官も不審死。
更に、それらと連んでいた人身売買業者も全員が不審死。
それが数日で起きた事だった。
殺した犯人の首が並べられている。あらゆる罪状が並べられているが、実際にはその佐官が中継役であったのも分かっている。
もっと上に元締めがいるが。
それは将軍級の人間で、迂闊に手を出せないらしい。アンゼルでさえだ。
ともかく、今回はその将軍級の人間も、鮮やかすぎる手際にトカゲの尻尾斬りをするしか出来ないらしく。
こうして部下に全部の悪を押しつけ。
そして、この件から手を引いた。
アンゼルとわたしに賞金が支払われた。
宿はわたしとアンゼルだけ。
ぶるぶる震えている店主が食事を運んでくる。アンゼルは満面の笑みでそれをがつがつと食う。
しばらくは食うに困らない。
わたしはわたしで、魔法の仕事ができたので、それをやりに行く。
アンゼルと一緒にいるというだけで、わたしを怖れる相手も多くて。
仕事にケチをつける奴は殆どいなかったし。
言い値で料金を払ってくれるので、むしろ有り難かった。
勿論仕事に手を抜かない。
壁なんかの補修もやるし。
汚くなっている下水なんかも水の魔法で一気に洗浄する。
湯を大量に沸かして医療の手伝いだってしたし。
回復の魔法は腕が上がってきているので、怪我人の手当てで千切れた指なんかも治したりしてあげた。
料金については、既に調べてあるので、適切な額だけを貰う。
わたしに対して露骨に恐怖を覚えているらしい人間も多かったが。
わたしがふっかけてこないのを知ると、安心するようだった。
最初の内はスリが何人か狙って来たが、それも賊が全滅した辺りから、仕掛けてこなくなった。
晒されていた首が片付けられたのは、腐り始めたからだろう。
その頃には、アンゼルの悪名は街に轟いていたし。
わたしはその参謀と言う事にされていたので。
宿の主は、ずっとぶるぶる震えて、早く出て行ってくれないかなという顔をしているのだった。
一月ほど、街で過ごす。
やがて、アンゼルが大きな仕事を持ってきた。
軍への仕官、ということだった。
カヨコンクムへの仕官か。
例の将軍とかの話もある。大丈夫なのかと思ったが、アンゼルがにやにやする。
「カヨコンクムの騎士……まあカヨコンクムでは特務とか特殊部隊とか言うんだけれど、その質は知ってる。 パッナーロで散々裏で殺し合ったからね」
「軍の衝突の影で、アンゼルみたいな裏方が暗躍していたときですね」
「そうそう。 軍同士で衝突すると歯止めが利かなくなるから、わたしみたいな裏方が結構やり合ってたんだよ」
その話によると。
カヨコンクムで手強いのは海賊女王の異名がある海軍の荒くれ達で、此奴らは賊と変わらない様なのもいるが、そもそも海で鍛えられていると言う事もある。
それで強い奴は本当に強いらしい。
一方陸軍では、強い奴はかなり希で。
軍の規律は乱れているし、兵士も強い奴、上昇志向がある奴は海軍に転属を望んでしまうそうだ。
そういう事もあって、カヨコンクムと言う国は海軍国家なのだ。
海軍だととにかく荒くればかりのカオスの世界だが、その代わり手柄を立てれば気前よく出世させてくれる。
何も元手がなくても、大将首を上げる事で将軍に出世した人間は歴史上珍しく無いという。
今の海賊女王がそもそもその手合いで。
幾つかの会戦で大きな手柄を上げて、今の地位に実力でついたらしい。
元は漁村の娘だったそうだ。
それでも、その頃から凄まじい荒くれで知られていたらしいが。
「それで陸軍はこの間殺した佐官みたいなクズばっかりと言う訳。 冒険者とかから軍に転向する奴もおおいし、わたしもそれで声を掛けられた。 ただ。アイーシャも一緒ならと言って、それも特務でならいいよと言って採用させた」
「特務ですか」
「何、今のアイーシャだったら余裕だよ」
そうか。
わたしは魔法は色々できる事になったが、力そのものは弱いままだ。
魔法だって私以上に出来る奴はスポリファールでたくさん見た。今まで見てきた人間をかなりの人数越えたが。
まだまだわたしの上がいる。
それは分かっているから、大丈夫だろうかと思ったが。
大丈夫だとアンゼルはキャハハハと笑うのだった。
とにかく軍の基地に出向く。
基地と言っても、スポリファールにあった砦みたいな施設だ。騎士時代の鎧を持ち出したアンゼルと、教会の制服だったフードを被って出向くわたし。街の近くにある基地はそれなりの規模で。
一般人も平気で入り込んでいる。
商人もいるが、水商売の人間もいるようだ。
これは確かに軍が人材不足なんだろうなと、一発で分かる。
ただ兵士達は、賊を全滅させたアンゼルのことは知っているらしく、わたし達を見て顔色を変え。
騒ぐのを止めて、視線を背けていたが。
そのまま奧に。
奧では、威厳を出そうと髭なんか生やした軍人がいた。中佐という階級らしい。スポリファールではかなり違う階級制度を使っていたらしく、佐官というのはこっちで初めて聞いた。
「街に蔓延っていた賊を全滅させた腕利きである事は聞いている。 内偵や賊狩りのプロだと言う事だが」
「そういう事です」
「そうか。 特務として給金は出す。 早速だが、幾つかの山賊を始末して欲しい。 軍としては内部の秩序を守るだけで手一杯でな。 つい最近も、私の部下が不審死したばかりだ」
そう、敢えて含みがあるように言う。
アンゼルは噴き出すのを堪えそうになっている様だった。
まあ、どっちも事情は知っていると言う事か。
「まあ堅苦しいのは抜きにして。 あたしは殺すのが大好きなので、指示されれば誰だって斬ってきますよ。 流石に海賊女王とか言われたら困りますが」
「……剛毅なことだ。 では、手近にいる賊を始末してきて欲しい。 街道近くに縄張りを持っている凶悪な賊で、馬車などを襲うので、物流に大きな支障が出ている」
そう言って、提示された地図で、活動範囲を示される。
ちなみに、補助の要員はなし。
わたし達二人だけ。
情報を集めるところから。
ついでに給金は現物払い。賊を壊滅させてきた場合にのみ給金が出る。
その代わり、賊が蓄えていた金品なんかは、好きにして良いそうだ。
兵士達が戦場に出向くとき、略奪なんかを楽しみにするという話は聞いていた。スポリファールでは絶対厳禁だったらしいが。
此処では有りなのだろう。
「それでは、この賊を最初に始末してくるわけだな」
「ええ。 其奴らに関しては、情報もありますので」
「そうか。 軍でも手を焼く賊だし、失敗しても救援は出ない。 その代わり壊滅を確認したら、給金ははずむ」
「それでお願いしますよ」
アンゼルがわざとらしく礼をする。
ちなみに、中佐というとそれなりに偉い軍人らしくて、アンゼルが着ている鎧がスポリファール国軍騎士のものだということは理解しているらしい。これについては、全部先に聞いている。
それでも何も問題にしなかったのは。
単に腕利きなら何でも良く。
ついでに消耗品として考えているから。
そういう理由らしかった。
軍基地を出る。
支度金は貰っているが、まあ馬車で現地まで移動するのに使うくらいだ。普通なら。
わたし達は、そのまま現地に魔法と足で行く。
後は食費だろうか。
土魔法での移動を覚えたので。それで現地に向かう。魔力消費に比べて移動速度が早く。多少風魔法で風よけをしてやれば快適だ。
アンゼルがひょおと大喜びする。
「土魔法をこんな風に使うのは初めて見た。 アイーシャ、やるねえ。 天才だよ天才」
「まさか」
「まあいずれにしても便利だ。 それで、魔力消耗は問題ない?」
「特に問題はありませんね。 地図上の距離だと、最寄りの村に出向くまで、充分にもちます」
地図ももう読める。
これについては、スポリファールでの仕事の経験も大きい。
あそこにいたのは二年半くらいだろうか。
それでも仕事で彼方此方出向いたし、その過程で地図は読んだのだ。
どこの国でも、同じ言葉、同じ規格を使っている。
これがどうしてなのかはよく分かっていないらしいのだが。それはそれとして、地図が読めるのは大きい。
多少文字に癖はあるらしいが、今の時点では読み書きは問題なくもう出来る。
わたしは、どこで食べて行くことにも困らない。
それは、間違いのない事実だった。
現地へ急行する。
途中で早馬を追い越す。早馬に乗っていた人が、びっくりしたようにわたし達を見ていた。
別に腕利きの騎士なら、もっと早くいけるとも聞いていたが。
それを考えると、やはりこの国の軍人の上澄みはそれほど優れていないのだろうと思う。スポリファールでもアンゼルは上澄みだったらしいが、一芸特化だとかなり凄いのがたくさんいたらしいので。
いずれにしても、命令を受けてから二刻ほどで、目的の村に到着。
しばらくは此処を拠点とする。
宿を借りようと思ったが、アンゼルはまずは村の様子を見回してから。村長に、外れにある空き屋を貸してくれないかと交渉に出向く。
そういえばちいさな宿しかないか。
空き屋を借りたので、まずは内部を掃除。
水魔法と風魔法でボロ屋を掃除しながら、アンゼルに聞く。
「どうして宿を借りないんですか」
「ああ、先に言っておくけど。 こういう賊って、食いっぱぐれだけがなるんじゃないんだよ。 場合によっては村ぐるみでやってる」
「へえ」
「村が主導でやっている場合や、賊に乗っ取られた場合とか色々あるけれど、まずは其処から調べないとねえ。 勿論場合によっては村ごと始末する」
地図からして、この村は賊の勢力圏ギリギリ。
つまり、賊の根城どころか、村がそもそも賊である可能性があるそうだ。
他に賊の勢力圏に村は存在していないらしいので。
もしも可能性があるとしたら此処らしい。
また、賊とレッテルが貼られているが。国が駄目すぎて、自治勢力として他を寄せ付けないでいる者達や。
流れ者が集まっただけの集団なんて場合もあるらしい。
カヨコンクムはスポリファールに比べると、だいぶ国ががたついている。
内部がしっかり機能していない。
海軍との分裂については常に噂されているし。もしも海賊女王がへそを曲げた場合、現在抑えているパッナーロの旧領を地盤にして、独立しかねないという話だとか。その場合、精鋭を根こそぎ持って行かれたカヨコンクムは、文字通り抜け殻。スポリファールに攻めこまれて押し潰されるか。
もしくはパッナーロの末路のように、周辺国に食い散らかされるか。
その二択くらいしかないそうである。
そういう事情もあって、国内の浄化を必死に進めようともしているらしいが。
例のアンゼルが始末してきた佐官のような例が至る所にある。
つまり、国が傾いているのだ。
「多分だけど、この国あと五十年もたないよ。 今は賊の連中が、いずれは反乱軍になって、独立国になる可能性もある」
「そういう存在を狩ってお金にしようとしている訳ですか」
「ま、あたしにできる事は少ないからね。 悪いけれど、生きるための糧になって貰う。 それだけだよ」
なんだか業が深いな。
ただ罪悪感というのはよく分からない。
殺しには短時間で慣れてきている。
そしてこの国では、奴隷商人なんかが蔓延っている。いずれはパッナーロみたいに土台から崩れ落ちる可能性も高そうである。
大国でも崩れ落ちるときはあっと言う間だ。
パッナーロがそうであったように。
わたしはその過渡期を見ているのかも知れない。
ともかく、ボロ屋を綺麗にした後、魔法でトラップなんかを色々仕掛けていく。こういうのも、短時間で色々覚えた。
その後は、さっそくアンゼルが出かけて来る。
賊がどれくらい跋扈しているのか、実際に確認する為だ。
分かりやすく山塞とか作っているようだったら、正面から制圧しに行く。
だが、そうでない場合の方が多い。
洞窟とかを根城にしている場合は厄介極まりなく、熟練者でも見つけるのは苦労するそうである。
わたしは、まずは村に出向いて、食糧などを買い込んでおく。
料理はほとんど上達していない。
やはり魚の干物が結構流通している。
しばらくは賊の話題は出さないように。
そう言われたので、そうする。
同時に油断するなとも言われたので。
風魔法を周囲に展開して、最大限の警戒もしていた。
食糧を買い込んだ後、一度ボロ屋に戻る。その途中で、こっちを伺っている人間を複数確認。
視線は分からないが。
風魔法で、相手の動きを察知して。それで相手が何をしているか、ある程度分析は出来るのだ。
ボロ屋に入った後、あまり上手では無い料理を淡々とやっていく。
ナイフなんか使ってもどうせ上手に斬れないので、水魔法と風魔法を組み合わせて食材を切り分け。
それを鍋に放り込む。
火の魔法は使えないが、水を高速振動させて沸騰させるのは得意だ。
ただ一気に沸騰させると爆発するので、気を付けないといけない。
鍋はまず失敗しない。
それもあって、鍋で調理(料理なんて言ったら料理人が怒ると思う)して、食べられるようにする。
一応、パッナーロよりは多少は豊かなので。鶏なんかも売っている。あっちでは、街の外に生息している大型鳥の美味しくもない肉を命がけで取っていた。あまりいい鶏肉ではないが。
それでも得体が知れない肉よりはマシだ。
夕方くらいに、アンゼルが戻ってくる。
鍋二つを平らげて、三つ目を作り始めていたところだ。三つ目はアンゼルのために作っていた。
アンゼルは、血を浴びていなかった。
「仕掛けてこないなあ。 気配もない」
「そうなると、結構厄介な相手ですか」
「うん。 夜にまた出向いてみる」
「賊なんかいないって可能性は」
いや、それはないとアンゼルは断言。
潰された馬車なんかの残骸とかを複数見ているそうである。食い散らかされた死体の成れの果ても。
むしろ途中で仕掛けて来たのは野犬の群れ。
返り血を浴びる相手でもないし、おもしろくもないので全部斬り殺して来たらしいが。
「旅人なんかには野犬でも充分な脅威にはなるんだけれど、そもそも武装した護衛を連れている馬車がああ潰される訳がない。 何かしら活動している賊はいる。 ただそれが個人か複数かはわからないね」
「そうですか。 とりあえず夕食をどうぞ」
「うん。 少し喋るのが多くなってきたね」
「そうかも知れませんね」
それから打ち合わせをしつつ、夕食にする。雑だが食べられるものを作れる鍋は、アンゼルも好きなようだ。
明日からはわたしも出向く。
それで、どうにか何かしらの手がかりを見つけられるかも知れなかった。
翌日から、山を調べて回る。
山賊の縄張りと言っても、その範囲で襲われているというだけだ。アンゼルも一緒に、村での調査もするが。
村の人間達は、驚くほど冷淡で冷静だった。
山賊が出るとしても村には被害が出ていないし。
前から旅人がやられるのは珍しくもなかった。
戦力が足りない状態で危険地帯を行くのは自己責任だし。そんなんで死ぬのは死ぬ方が悪い。
そういう理屈らしい。
まあ、想定の範囲内だ。
そもそも山賊の話を聞いた瞬間、村総出で襲いかかってくる事すら考えていたのだが。それもないらしい。
ただこっちを伺っているのも事実なので。
油断はしてはいけなかったが。
それで山を探しに出向いたのだが。
今の時点では、手がかりはない。確かに馬車の残骸とかは見かけられるが、破壊の痕を見る限り、オークやら熊やらではないだろう。
ハルメンとかの奥地になると、熊なんか問題にならない凶暴な獣が出るらしくて、「怪物」とか呼んでいるらしいけれど。
この国は荒れていても人間の勢力圏。
場所によってはゴブリンが出るらしいけれど、それもリスクが高いから、人間と接触するのは相手が避けるそうだ。
オークに至っては二百年くらい前に根絶に成功しているらしい。
つまり、それら「準知的種族」の仕業である可能性は低そうである。
「アイーシャ、どう? 魔法による破壊の痕跡は分かりそう?」
「いや、これは魔法ではないですね。 魔法……ではないというよりも、魔法の力は借りているかも知れませんが、人間の手によるものだと思います」
「ふむ、そうなると賊は少人数で、騎士崩れだったりしてね」
「厄介ですね」
アンゼルと比べて実力が落ちるかどうか迄は判断できないが。
いずれにしても、騎士崩れとなるとその辺の賊なんか束にしたより強いだろう。
それに、この国は屋台骨が腐り始めている。
この国を嫌がって、野に降る人間もいるだろう。
別の国に逃れればいいと思うのだが。
まあ、そう上手くいもいかないのかも知れない。
「わざと痕跡を残して動いているのに、引っ掛からないなあ」
「村の方でも聞きましたが、今では早馬も馬車もこの辺りを避けているらしいですね」
「……ひょっとすると」
「?」
一度戻る。
地図を拡げて、もう一度確認。
潰されている馬車とかの跡を調べて、迂回路を調査。
迂回路では不自然な程治安がいい。
村の人間も、其方に行くように勧めていたようだ。
迂回路には村はない。
いや、迂回路の先に村がある。ただ、馬車などがやられていた場所に比べると遠すぎるのだが。
「なーるほど、そういうことか」
「分かったんですか?」
「可能性は一つ分かった。 多分これ、この村が絡んでる」
「そうですか」
そうなると、村の人間をアンゼルが嬉々として殺戮するのを見なければならないのか。そう思うと、ちょっと残念だ。
死体を見る事はなんとも思わないが。
少しずつ感情らしいものは育ちはじめているように思う。
だからなのかもしれない。
まず先に、夜の内に少し遠い村に出向く。
かなり貧しい村だが、幾つか馬車がいた。少し交易路から外れているようだけれども、それでも人はいるようだ。
わたしはアンゼルに頼まれて、風魔法で周囲を調査。
それで気付く。
どうやら、アンゼルの判断は当たりであったらしい。そうなると、かなり残酷な運命があの村を襲うことになるが。
別に元々恩があるわけでもない。
最終的にはどうでもいいか。
そうわたしは思った。
村の腕利きらしいのをアンゼルが引っ張って来て、わたしが審問する。最初は喚いていたそれも、どんどん腕が上がっていることもある。
すぐに全部吐いた。
この村は、あの貧しい村から、金を巻き上げていたのだ。
二重徴税という奴らしい。
もともと地理的に良くなく、人がまったく立ち寄らないあの村は、困窮しきっていた。そこで、この村で山賊を装って、街道を通れないようにした。その結果、あの貧しい村は、かろうじて生きていく収入を得た。
その収入を、この村で回収していたのだ。
彼方の村もそれを知っているから、いやだとは言えず。
勿論これ以上枯れるのもいやだから、軍にも言い出せなかった。
そして此方の村は、たまに来る馬車だのを襲うだけで寝ていても収入が入る。馬車だのに、あっちの街道が安全だと話すだけでいい。
俺たちは、人助けをしていたんだ。
そうわめき散らす屈強な村人を、アンゼルは躊躇なしに首を刎ねていた。
相変わらず殺す事しか考えていないんだな。
わたしは呆れたが。
此奴らが散々人殺しをして、寝ていても暮らせる状態を作ったのは事実。
わたし達の同類である。
ただ、わたし達はそれを狩る。
それだけだ。
もう村人が集まってきている。さっさと逃げれば、お尋ね者になるくらいで済んだかもしれないのに。
いずれも槍だの持ち出して来ていて、松明も持っている。
このボロ屋を蒸し焼きにする気まんまんだ。
まあそうなると、アンゼルを止めるつもりにもならなかった。
村の戦える人間が、飛び出して行ったアンゼルに皆殺しにされる。夜闇の中、剣閃が走る。
悲鳴は斬られた人間では無く、その周囲が上げていた。
瞬く間にボロ屋を囲んでいた人間は皆殺しになった。アンゼルは、他も処理するかといって、村に大股で歩き出す。
その前に立ちふさがったのは、引退した後らしい老兵。
そして、宣言する。
「軍の犬だな。 今回の件はわしが画策したことだ。 全て、わしが仕組んだことだ」
「ふーん……」
「もう村に戦えるものはいない。 わしを引っ立てて欲しい」
「いや、賊は殺せって言われてるんだわ。 まあ、この村みたいなカスみたいな場所でも、最後に守りたいって気概は買うよ」
剣を抜く老兵。
こんな村でも、この人には大事な居場所だったのだろう。だが、悪事をとめる事もしなかった。
或いは。気付いた時には手遅れだったのかも知れない。
アンゼルに一刀で首を飛ばされる老兵。
わたしは、大きくため息をつくしかなかった。
屠殺人だなこれは。
キャハハハと笑っているアンゼルを見ながら、わたしはそうとだけ思っていた。
3、殺す事しか知らない人
それから数ヶ月。
わたしとアンゼルは、ひたすら殺して回った。
文字通りの意味だ。
カヨコンクムは想像以上に屋台骨が腐っているらしい。軍の暗部として雇われて、働くと。
彼方此方が腐りきっていた。
今殺して来たのは、軍の特務部隊の残骸である。
それが丸ごと犯罪組織に成り代わってしまったのだ。
国境で常習性のある薬物を栽培して、国境を越えて販売することで富を稼ぎ、支配下に三つの村を置いて。
ついでに独立する事まで目論んでいた。
隣国であるインシークフォを巻き込んでいたため、おおっぴらに軍を動かす訳にもいかず。
それでアンゼルに声が掛かった。
そして、二ヶ月以上も使い続ければ、対集団戦用の魔法にも慣れる。ましてや数ヶ月である。
相手の練度が低いから何とかなってはいたのだろうけれど。
上達するとアンゼルは滅茶苦茶褒めてくれる事もある。
多分これがモチベーションというのだろう。
ともかくやる気は出た。練度もぐんぐん上がった。
それで、上司である大佐の所に出向く。
小心な男で、いつも役にも立たない護衛を多数侍らせ、毒味役までつけている程だ。アンゼルとわたしも、堂々と正面からは来ないようにとまで言われている。
最初の数回は中佐が上司だったのだが。
この国の暗部の浄化を図っている最高権力者である大佐にやがて取り次ぎされた。
いや、違うか。
中佐が手に負えないと判断して、丸投げしたのだ。
わたしではなくアンゼルをだ。
アンゼルは、満面の笑みで袋を担いでいる。そしてそれを、どんと大佐のデスクにおろしていた。
袋から出てくるのは、生首三十ほど。
殺して来た元特殊部隊の主な人員だ。アンゼルは殺しに長けているだけではなくて、相手を確認する為に首を刎ねる技術に特化した剣術を使う。このため、殺した相手が狙い通りの相手かどうか、確認できる。
首の方はわたしが処置した。
中身が流れ出ないように土の魔法で穴を塞いで。
更には水の魔法を使って、腐らないようにも処置した。
これが場所によっては塩漬けとかにして対処するらしく、それもそれほどの時間はもたないらしい。
しかもそれでも腐るため、不衛生極まりないそうだ。
そこで魔法での処置が必要になる。
わたしも広域に風の魔法を展開することで人間を窒息させる事が出来るようになってはきたが。
魔法が使える相手には察知されるし、即座に展開出来る訳でもない。
使える相手は限られている。
だからこういう、後処理をする事の方が多かった。
「はい片付きましたよ。 一人残らず始末してきました」
「て、手練れだけでも三十人、配下にされている村人などを含めると数百人はいたはずだが……」
「いやあ、すっかり戦闘から離れた豚になってましたねアレは。 軍人としての最低限の力しかありませんでしたよ。 だから随分と楽でした」
「は、ははは。 追って沙汰をする。 さがってくれ」
豚のように太っている大佐どのは、真っ青になってだらだら冷や汗を流していた。
わたしは見かねたので、部屋を涼しくする。
それで、立ち上がりかける大佐どの。
「暑いようなので、部屋を冷やしました」
「そ、そうか……驚いてしまったよ、こんなに冷えるんだな」
「その生首を保存した魔法の応用です」
「そうか、素晴らしいな。 う、うん、素晴らしい」
完全に怯えている大佐どの。
とりあえず、大佐どのがいる砦から離れる。大佐どのは軍ではそれなりの地位にいて、その気になれば城ももてるらしいのだが。
汚れ仕事ばかりしていること。
更には王族から直接指示を受ける立場である以上、目だった贅沢はできない事。
そういう事情もあって、砦に引きこもって名目上は閑職にいるらしい。
だが正直な話、この人が暗部の浄化を出来るとはわたしには思えない。
同類にしか思えなかった。
今もアンゼルを、いつ寝首をかきに来るのか警戒しているようだったし。
わたしに対しても、あからさま過ぎるくらい怖れていた。
宿舎に戻る。
今は二つ寝台がある部屋で同居している。
アンゼルは寝相が凄まじく、寝ていると確定で寝台から蹴り落とされる。同じ寝台で寝たことはないが。それでも隣で寝ているから、どうしても分かる。
もしも……まあなさそうだが。
アンゼルに男ができた場合は、その男は苦労する事になりそうだなと思う。
部屋で寝台にごろんと転がると、そのまま剣をなれた様子で手入れし始めるアンゼル。名剣でも何でもない。
そこらで買える剣だ。
高級な武器は足がつきやすいらしい。
そういう事もあって、駄剣を使って格上を倒す事に特化した戦闘技術を磨いた。アンゼルはそうやって、いつ後ろから刺されても対応できるように生きてきた訳だ。
まあ、わたしも人の事はいえないが。
ろくな人生を送ってきていない。
だからこそ、同じような破綻した人生を送ってきたわたしを、こうもかまうのかもしれなかった。
「大佐どのの顔、愉快だったねえ」
「随分と怯えていましたね」
「報酬くらいは国から出ている筈なんだけれどねえ。 今回なんか無理難題を言って、あたし達を相手に始末させるつもりだったのかも知れないねえ」
「そうかも知れないですね」
可能性はある。
少なくとも前の中佐は兎も角。今の上司の大佐ははっきりいって憂国の士だとか愛国の士だとか、そんな存在では断じてない。
あれはそういう仕事を上から押しつけられ。
部下にそういう仕事ができる人間を集められ。
しぶしぶダーティーワークをやっている手合いだ。
軍人も悪い事をすれば幾らでも稼げる。
それをあの大佐は知っている。
だからこそに、まったく稼げない場所にいる事をひがんでいるし。更には復讐されることも怖れている。
それが手に取るように分かる。
だからこそに見ていて気の毒になる。
元々気が小さい人なのだろう。
頭がおかしいアンゼルや、どちらかというとアンゼルの同類であるわたしなんかとは違う。
元はまともなのだ。だからこそに、苦しんでいるだろうし、悪い事をして楽に暮らしたいとも思うのだろうが。
ここは軍の宿舎。
一応、外よりは安全だ。
仕官用の宿舎で有り、他には佐官級の人間が少し。後は尉官といわれる、一段階下の軍人達が使っている。
いいのは壁が厚いことで。
宿とかだと、隣で盛っているのが入ると五月蠅くて最悪だった。
此処も女を連れ込んだり男を連れ込んだり両方連れ込んだりしているようだが。
それでも少なくとも、行為の音やら声は聞こえない。
それだけでわたしとしては充分である。
アンゼルはというと、何の興味もないらしく、剣の手入れを始めると完全に抜き身の刃になっている。
駄剣であっても命を預けているものだ。
それなりに気を遣っていると言う事なのだろう。
「それでアイーシャ。 問題が一つあってね」
「はい」
「そろそろ危ないかなと思ってる」
「はあ……」
今更か。
カヨコンクムは屋台骨がかなり怪しい国だ。しかもこんな仕事をしていたら、それは危ない。
今回だって、村を幾つも制圧しているような軍崩れの犯罪組織を全滅させてきたのだ。村にいた雑兵の方はわたしが風上から息を出来ないようにして全部まとめて片付けてしまったが。
鈍っているとは言え三十人を相手に瞬く間に斬り伏せたのはアンゼルである。
こんな事をしていれば、恨みだって買う。
話に聞かされたが、「死神が出る」という噂が流れ始めているそうだ。
各地の賊はそれを聞くだけで震え上がるようになっているとか。
元々腐っている国である。
賊にだって気合いが入った人間なんていない。
「殺して回ってる腐ってる連中ね、調べて見るとこの国の将軍があらかた噛んでるんだよね。 懐にお金を入れるために部下を使ったりしてやってる。 今回の件はそいつらでも手に負えなくなった場合だけれど、これはレアケース。 これ古語ね」
「混沌の時代に伝わった言葉ですね」
「そうそう。 大佐は短期間で腐ってる国の将軍達に喧嘩をあまりにもたくさん売りすぎた。 この分だと、此処に暗殺者が送り込まれるかもね。 王族が指示を出していると分かった上で」
それはどういうことかというと。
利権を脅かされたカスが、国から離反をするに等しいということだ。
最悪内乱になる。
大佐は元々、浄化を進めようとはしていたが。まさかアンゼルが此処まで有能だとは思っていなかったのだろう。
指示を出すと想定の数倍の速度で仕事が終わり。
狙うように指示を出した相手は全部首と胴体が泣き別れになっている。
アンゼルは一部の例外を除くと上澄みだと言う話だし。
そういう上澄みの騎士がどれだけ強いか、わたしも見せつけられた。
ただし此処まで事態が進むと、今後は上手く行かなくなるかも知れない。
腐りきった国だと、軍が丸ごと犯罪組織に荷担する事はわたしも実例として見てきた。
つまり、軍が対策に出てくる可能性がある。
「腐りきった陸軍は問題じゃあないんだよ。 問題は海賊王女の直属が出て来た場合」
「ロイヤルネイビーと陸軍は確か犬猿の仲だと聞いていますけど」
「そう。 だからこそに陸軍から寝返る事を考える奴がいるかも知れない。 そうなると、ただでさえパッナーロという地盤を得た海賊王女が、一気に状況をひっくり返そうと動くかもね」
五十年ももたないかも知れない。
最初アンゼルはそう言った。
だが、これは。
今年を超えられないかも知れない。
そういう可能性が出て来ている。
ちなみにアンゼルが見た所、数だけは無駄に多い陸軍は、ロイヤルネイビーとぶつかった場合、どうにか鎮圧は出来るらしい。
ただしその戦闘の最中に、大きめの部隊が裏切ったりしたらどうなるか分からないのだそうだ。
こういうのを何処で調べたのかちょっと気になったが。
スポリファールの騎士時代に叩き込まれた知識なのだろうと思う。
アンゼルみたいな仕事は、頭がバカではやっていけないのだ。わたしにはそういう意味でもちょっと無理である。
「つまりこれからどうするか考えないといけなくてね」
「大佐はもう駄目だと」
「いや、そうとは限らない。 この様子だと、大佐の裏にいるのが王族の誰かは分からないけれど、あたし達が潰した連中の裏に誰がいるかはもう伝わっているだろうね。 その動き次第では、大佐から離反するのは悪手になる」
大佐から離反した時の、最悪の状況を。アンゼルが剣を分解し、脂を塗りながら説明してくれる。
陸軍が海軍の鎮圧に成功。
ただし無事では済まない。
海賊王女は旧パッナーロに逃げ込むだろうが、まだ統治なんて上手く行っていないし、何より近隣国では評判が最悪だ。
スポリファールはまず間違いなく静観。
クタノーンは状況の混乱を更に加速させるべく、陸軍側を支援するだろうとアンゼルは言う。
この辺りは、そういう裏事情を叩き込まれて。政治の暗部を知っている人間の判断である。
まず間違いないのだろう。
わたしも本を薦められて読んでいるが、アンゼルの知識はそういう本を書いた人間が唸るほどのものだ。
実地で見ているのだ。
まあ、それは専門家にもなるというものである。
大佐が負ける場合の最悪の状況についても説明される。
将軍達の圧力に屈した王族が、全部の責任を大佐に押しつける。
その場合、大佐の手足となってここしばらく将軍達の利権を潰して来たアンゼルとわたしが最大のターゲットになる。
国を挙げて追われるだろう。
そうなると、流石にアンゼルでもどうにもならない。
そういうことだった。
それにしても、モラルなんて欠片もない世界なんだなと苦笑してしまう。
だが、これは以前にも類例はみた。
知識人が、賊と同レベルのモラルしか持たない事はよくある。
今回も、その状態なのだろう。
「それでアンゼル。 どうするべきだと思いますか?」
「んー、厳しめの仕事をしつつ様子見かな」
「わざわざ厳しめの仕事をするんですか」
「それが一番何か起きた時察知しやすい」
生き残る事ができる。先手さえ取れれば。
そういう自信から来る言葉なのだろう。
実際アンゼルは、数千の兵士に囲まれても、脱出を成功させた事があるらしい。それならば、先手さえ見切れば確かにそうなるだろう。
ただしアンゼルでも、初見殺しの魔法を使うような相手に不意打ちされるとどうにもならないらしい。
だから主導権を握っておきたいそうだ。
「それと、海賊女王の方があたし達の事を察知している可能性が高い。 接触をして来た場合は、慎重になる必要があるよ」
「それはまた大物ですね」
「うん。 ただ、それが偽物の場合もある。 大佐としても、あたしとアイーシャを斬り捨てて丸く収めるつもりもあるだろうし」
そんな高度な「政治的判断」をあの小心な凡人が出来るのだろうか。
いや、判断は誰にでも出来る。
正しい判断を的確に選ぶのが難しいらしく。
時に英雄ですらそれは間違うそうだけど。
「いっそ、大佐を裏切るのはどうですか」
「うーん、アイーシャ、刺激的な事を言うねえ」
「勿論もしもの場合はです」
「今の時点ではそれは避けよう。 じゃ、部屋にいて。 一番厳しそうな仕事について、交渉してくる」
剣の手入れを終えたアンゼルが、部屋を出て行く。
わたしは寝台に横になると。
スポリファールで過ごした時間は、随分と平和だったんだなとぼんやり思った。
アンゼルが取って来た仕事は、賊の退治。
賊と言っても色々ある。
山賊みたいなのから、都市に巣くう奴。軍なんかがまるごと賊になった奴。
それら全部を、ここしばらくでわたしとアンゼルで殺して来た。
今回は都市型の賊の駆除だ。
いわゆる犯罪組織で、これもかなり根が深い。
人間の領域を越えていない者だったら、二人だけでは確定で返り討ちに遭う。
だが、今のアンゼルと、わたしだったら。
まあそれはないだろう。
普通の都市型の賊だったらだ。
今回は、港町にいる賊に対しての仕事だ。
港町。
そう。陸軍とロイヤルネイビーの間で薬を流している危険な賊である。アンゼルが敢えて此奴らの駆除を選んだのは、海賊女王がこれに関与している可能性があるからだそうだ。
ただ、海賊女王としても、悪さをしても自分の部下が薬漬けになって弱体化するのは望んでいないらしい。
利権の間に入り込んで、その蜜を吸っている寄生虫。
寄生虫を虫下しで出すのがとても苦しいように。
この手の輩は、海賊女王みたいな良い意味でも悪い意味でも豪傑な存在でも、簡単には駆除できないということだ。
街に出ると、早速視線が多数突き刺さる。
わたしはいつもフードで人相を隠しているが、アンゼルのことは既に派手な容姿と鎧姿から知られているらしい。
まあ十や二十ではないからなあ。潰した賊の数。
しかも賊そのものは皆殺し。
賊の手下も皆殺し。
そういう事をしていれば、賊の手下でなくても、関係している人間が情報を流すだろう。実際賊を始末した後、こっちを見る目は。この地で「悪魔」と呼ばれる伝承で最悪の存在を見るものだった。
アンゼルはますます色気が出て来ていて、幼さが目立っていた出会った頃に比べると、かなり背も伸びて大人っぽくなっている。今では話していると、見下ろされる。
そして背が伸びた分更に強くなっている。
現時点だと、最強の騎士アルテミスは自分の十倍くらいだと言っていたっけ。アルテミスが知っているときより更に強くなっている可能性もあるらしいが。
もう聞き込みなんて面倒な事はしない。
風上に立つと、風の魔法を街の全域に張り巡らせる。
大量の情報が入り込んでくる。
それらから、取捨選択する。
また、魔法を抵抗する人間もいる。
主に魔法使いがそうだし。今まで賊の中に数人、アンゼルと同じような騎士相当の手練れがいたことがある。
ともかくそういう人間も堕落して、賊の手先になる事があり。
そういうのが魔法に抵抗して、防いできたことはあった。
今の時点で、街の情報を時間を掛けて洗っていく。
街の人口は一万ほど。賊は事前情報だと百人ちょっとだそうだけれども。かなり多いだろう。
風はどこにでも入り込む。
賊らしいのは、地下空間にアジトを構えているらしく、そこで既にアンゼルの話をしているようだった。
抵抗しているのが一人いる。
そいつの声だけ聞こえてこない。
かなりの腕利きと見て良さそうだ。
賊の関係者は、そのボスらしいのも含めて掴んだ。
ボスらしい奴は、海兵崩れだろう。
屈強な体だったのだろうが、今は既に見かけ倒しになっている。武勲を上げた兵士だっただろうに。
本当に色々問題があるんだな。
そう思って、溜息が出た。
「どうアイーシャ」
「一人手強いのがいますね」
「ふーん。 他は処理出来そう?」
「はい」
じゃ、殺って。
そう言われたので、頷いていた。
賊の手下と断定した人間は、155人。この全員の周囲の空気を毒にする。正確には、吸って吐いて、吐いた方の空気にする。
この吐いた空気は猛毒で、濃度が高いと一瞬で死ぬ。
人間は息をするだけで、毒を周りにばらまいているのだ。まあ息をする事で出る毒は、ごくごく微量にすぎないのだが。
あわてた様子で走り回っている賊とその手下達。
アンゼルが。
死神が来たのだから当然だろう。
わたしの事はアンゼルの手下くらいにしか考えていないそうだが。まあ実際、わたしは殆ど自主的に動いていない。
それで別にかまわないのだろう。
戦闘を直にするようなことはあまり得意ではないけれど。
こういった雑魚を大量殺傷する魔法は使える。
多分軍で隕石を降らせるような魔法使いも同じなのだと思う。
ともかく。
ばたばたと、賊と手下が倒れていく。それを見て、悲鳴を上げて逃げ惑う街の住人達。
屈強な荒くれの筈の海軍兵士や、元兵士だっただろう老人も、悲鳴を上げて逃げ惑っていた。
ボスは殺さずにおく。
その隣にいる奴は、ばたばたと死んで行くのを見て、即座にこっちに来る。これは、アンゼルと同格か。
気付いた時には、目の前にいた。
若々しい男性だが、実際の年齢は分からない。顔が整っている。まあ何でも出来るタイプの、たまにいる奴なのだろう。
アンゼルが抜刀。
斬りかかってきた軽装の男性が、刃を交わす。
火花が散る。
剣閃が走る。
激しい剣撃をかわす二人から、離れる。風の魔法を使って、移動を多少加速させた。長距離移動は土の魔法で行うのだが。
短距離はこれで充分だ。
今まで見てきた使い手は、アンゼルと切り結べても精々数合。しかし、やはり世界は広い。アンゼルとやりあっている若い男性は、じりじりと押されているが、それでもまともに渡り合っている。もう五十合を越えただろう。
わたしは詠唱を開始。
こっちを見る男性だが、アンゼルが押し込む。
詠唱は基本的に内側からわき上がってくるものだ。
だから同じ魔法でも詠唱がみんな違う。
このため、魔法を教えるときは力の出し方や魔法の練り上げ方。魔力の制御の仕方などになる。
以降の応用は、それぞれがやらなければならないのである。
「待て!」
「んー? 今更命乞い?」
「違う。 使者として来ている」
飛び離れる男。
そして、剣を地面に突き刺した。
アンゼルは構えを取る。
相手の首を刎ねに行く時のものだ。
男が書状を出して、投げて寄越す。わたしの足下にだ。それを直接拾うほど、わたしも迂闊ではない。
アンゼルは、男から視線を外さない。
「実力は見せてもらった。 我等が女王陛下からの書状だ。 恐らくここに来るだろうと見ていた」
「ふーん。 アイーシャ、何かトラップは」
「魔法は感じませんね。 毒物なんかもないようです」
「読んでみて」
風の魔法で書状を開き、読む。
その様子を見て、男は瞠目していた。
「ええと……此方に来た場合、佐官としての地位と、将来は提督としての地位も約束するそうです」
「提督ねえ」
「女王陛下は有能な部下を幾らでも欲しておられる。 今回私は、女王陛下を裏切った愚か者の組織を根こそぎ潰すためにここに来ていた。 だが近頃噂の死神が姿を見せるようなら、力量を測り。 実力次第では此方に勧誘せよということであった」
「書状には花押が押されています」
花押。
この地で使われる印だ。
お偉いさんになると、手紙を書くときにだいたいそういうものをつけて、自分の印としている。
海賊女王は非常に体格に恵まれた女性だと聞いているが、花押はなんだか可愛い……これはなんだろう。
なんか動物で。
字も非常に可愛かった。
「知っていると思うけれど、主をコロコロ変える奴は信用されないんだよね。 あたしとこの子の場合、理不尽な扱いを受けたから国を抜けた。 今の所、大佐はきちんと仕事をくれているし、給金も払ってくれている」
「そうか。 ではルウィルトという少佐の身元を洗ってみると良いだろう」
「……」
「失礼する」
すっと男性が消えた。
今の話の間に、逃げるための魔法を練っていたらしい。剣もしっかり回収している。
正面戦闘ではアンゼルには勝てそうになかったが、かなりの腕利きだ。あれは、手強い相手だと思う。
そのままアンゼルと一緒に、街へ。
逃げ惑う人員の中に、さっき見つけた賊の親玉がいた。
アンゼルが放たれた矢みたいに襲いかかると、即座にその首は落ちていた。
他に殺した賊と手下の首を、アンゼルと手分けで刈り取っていく。
死神の話はもう知っているらしく、それを遠巻きで見ているものはいても、手を出してくる存在はいなかった。
「物足りないですか?」
「あいつを斬れたら良かったなあと思う」
「そうですか」
本当に殺す事しかない人だな。そう、呆れてしまう。
そしてわたしは、首から下の死体を風の魔法で浮かせ。全部まとめて、身に付けている金属を剥がした後は、空中で一つの肉団子に潰してしまう。それをみて、失神する人間も多かった。
潰した肉塊は、近くに海がある。
其処へ放り込んでおいた。
これで後は魚やら蟹やらが始末してくれるだろう。
実際、さっそくばしゃばしゃと音がし始めていた。此処の港の魚はどうせ人間の肉なんて食べ慣れているだろうし、今更である。
後は堂々と正面から帰る。
警邏の類も駐屯軍も、固唾を飲んで見守るだけ。
手出しをしてこなかった。
犯罪組織をどうにもできなかったような連中である。
それを瞬殺したアンゼル相手に、動けないのはある意味必然だったと言える。
そして、大佐の所に、大量の首を届ける。
大佐は荷車に積んで持って来た膨大な首を見て、ひっと声を漏らした。てか多分小も。普段は主要な者だけの首を持ち帰るのだけれど、今回は全員分。ちょっと量が多いから、当然かも知れない。
ちなみにアンゼルは別行動中。
あの騎士が名前を挙げた少佐については、既に身元が分かっている。時々顔を見る相手だ。印象は特に何もなかったが。
問題は、少佐とともにアンゼルが来る事。
アンゼルは萎えたという顔をしていた。
大佐が生首の山を見て真っ青になっている所に。
少佐が書状を出してくる。
アンゼルが来たので、多分一刻の猶予もないと判断したらしい。
「国王陛下からのご命令だ。 クリューゲル大佐、貴殿を解任する。 特務アンゼルと魔法使いアイーシャ。 貴殿等二人は、追放とする」
「へえ」
「そうですか」
アンゼルの視線を受けて、少佐は明らかに動揺する。
理由を述べろと視線が告げている。
場合によっては首を刎ねると。
側に山ほど積まれている生首もある。
毎回わたしとアンゼルが持ち帰ってくる膨大な生首の事もある。あまりにもアンゼルが危険な相手だというのは、分かっているのだろう。
「勘違いしないで欲しい。 これは取引の結果なのだ」
「どんな?」
「海賊女王が、複数人の将軍の失脚に手を貸してくれるそうだ。 貴殿等が始末してきた恥知らずな国賊共を使って銭を稼いでいた将軍どものな。 その代わり、貴殿等を欲しているらしい」
そう。
まあアンゼルがやりたい放題してきたし、わたしもそれをとめる事はなかった。
いきなり寝込みを襲われる可能性だってあったのだ。
それから考えると随分穏当だと思う。
「使者は指定の街にいるそうだ。 合流してくれ」
「わ、わしは」
「クリューゲル大佐、貴方は王宮に出頭をお願いいたします。 雑な指揮により場を混乱させ、この二人頼みで賊を始末するも拙速に過ぎた。 国王陛下は、後任に別の人員を配置する予定だそうです」
椅子になつく大佐は、その場で泡を吹いて気絶したようだった。
ため息をつくアンゼル。
「ちょっと予想はしていなかったなあ。 人材収集に貪欲だとは聞いていたけれど」
「わたしも欲しがっているのは特に意外でした。 まあ、おまけでしょうけれど」
「そうでもないと思うよ」
小首を傾げる。
ともかく、この場からは去るだけだ。
アンゼルも殆ど身の回りの品は無い。わたしもそれは同じだ。手荷物をまとめると、さっさと宿舎を出る。
大佐を連れに来た兵士達。憲兵というのか。
それらが、泣きわめく大佐を両脇から掴んで連れて行く。
用済みになったから処分か。
国政というのは、つくづくいやな世界だな。わたしは、そう思った。
4、海へ
指定された場所に出向くと、以前交戦した男性が待っていた。鎧姿で、正装している。いわゆる精悍な顔立ちというのだろう。
街の中だが、道行く女達の視線を集めているようだった。
まあどうでもいいが。
「来てくれたか。 女王陛下がお待ちだ」
「一応来たけれども、場合によっては即座に斬るよ?」
「それくらいの鼻っ柱でいてくれる方があの御方は喜ぶだろう」
「へえ」
わたしがちょっと呆れた。
どうやらアンゼルと同種の存在らしい。
ともかく、案内されるまま街を行く。
町並みを抜けると、どこまでも拡がる水平線。豪壮な船が数隻。
海賊女王などといっても、大国に引けを取らない資金と技術をもった軍船による艦隊を持つ怪物だ。
普通の海賊だったら、どう頑張っても国軍には勝てないらしい。
だが、それに肉薄するロイヤルネイビーという強大な海軍を手にしている存在。
それが海賊女王と。
代々のロイヤルネイビーの首魁達だ。
大きな船に乗せられる。ちなみに、流石に海賊女王は此処には来ていないそうである。
艦隊を任せられている、海軍提督という人に引き合わされる。
若干太っているが、こっちは鈍っていないな。ひげ面の、大柄な男性が、葉巻を噴かしていた。
「おう、戻ったか」
「此方の二人になります」
「死神の二人組か。 腕は確かだって聞いているが」
「間違いなく。 そちらのアンゼル殿は直接戦闘では私より上。 アイーシャ殿は独学で既に軍魔法使いの一線級の人材に並んでいると思われます」
この年でかと、提督が呆れていた。
それから咳払いして、提督が自己紹介してくる。
第三艦隊の長である、モートン中将だそうである。
此方も自己紹介する。
アンゼルも騎士としての挨拶をしっかりしていた。それをみて、提督が笑う。
「なんだお前、その格好からまさかと思ってたが、スポリファールの騎士崩れか」
「色々あって抜けました」
「まて、覚えがあるぞ。 戦場で殺戮の限りを尽くして、随分怖れられていた奴がいたな。 そうか、年を考えればお前で不思議では無いか」
「ふふ」
アンゼルが笑う。
状況次第では船を即座に制圧すると考えているのが分かった。だからか、アンゼルと戦った男性は、ずっと気を張っているようだった。
提督はこういう異常な使い手を幾らでも見て来ているのだろう。
怖れている様子はない。
大佐とは偉い違いだなと、感心してしまった。
「一旦出港する。 そっちの魔法使いは吃驚するかもしれんぞ。 旧パッナーロは、今は悪魔でも逃げ出すような場所だからな」
「仕事場は旧パッナーロですか」
「今ではカヨコンクム新領土なんぞと言っているがな。 うちの下っ端どもは血の気が多くてな。 抵抗するようなら容赦しねえもんだから、民が逃げ出して、殆どが極貧の村になっていやがる。 少しずつ入植を進めているんだが、とにかく大変だよ。 そういう場所での治安維持を頼みたいのさ。 そのためには戦士として、殺傷力の高い魔法の使い手として、使える奴が幾らでもいる」
ガハハハと笑うモートン提督。
やがて、船が出る。
そうか、また彼処に戻るのか。
わたしが彼処の辺境伯領の出身だというと、モートン提督はぎょっとしたようだった。
「なんだ、じゃあ彼処の地獄は知っているのか」
「はい。 生きているのはとても運が良かったのだと思います」
「今の所はスポリファールやクタノーンとは上手くやれているが、小競り合いが起きていないってだけだからなあ。 どっちの国も新しく手に入れた領土の経営で精一杯よ。 ま、汚れ仕事頼むわ。 俺としては、海軍で提督やってるのが一番性にあうんでな」
また汚れ仕事か。
それにしても、旧パッナーロに汚れ仕事に行くなんて、なんて因果だろう。
色々と考えてしまう。
船室が与えられて、其処に入る。多少船が揺れるが、それくらいだ。船に乗っているのは男も女も屈強な人間が多く。カヨコンクムの陸軍兵士達より露骨に体格が良く、戦士としての訓練もしっかりしているのが分かった。
これでは確かに陸軍と海軍で対立もするか。
こっちはなんというか、最悪まで強化された賊という印象がある。
アンゼルが来たので、軽く話す。
「恐らくだけれど、カヨコンクムの国王と海賊女王は、話し合いの末に妥協案を出したんだろうね」
「それがこの結果だと」
「そういうこと。 海賊女王も、周り全部を敵にするのは好ましくない。 カヨコンクムも、腐りきった国をどうにかしないと国ごと破綻する。 だからある程度力が削がれるのは覚悟の上で、膿出しをしたわけ。 あたしとアイーシャはそれに巻き込まれたんだろうね」
今頃あっちでは血の雨が降っているはず。
しかもそれには、ロイヤルネイビーも荷担しているだろう。
将軍数人が、不審死する。
反乱を起こそうとしても、多分海賊女王と国王が連携しているとなると、動きでも先を行かれる。
何より財源をわたしとアンゼルが潰して回った後だ。
将軍達は混乱している所を各個撃破されて、不審死か絞首台送りだろうということだった。
「ま、それでも後五十年もてば良い方だろうけど」
「あのしっかりしていたスポリファールもいずれこうなるんですか
「なる」
アンゼルが断言。
そもそもスポリファールだって、ここしばらくまともな国家元首が出ているだけで、それも奇跡的な話。
どうせその内駄目なのが出たら、国が一気に傾く。
例のアルテミスが次の国家元首最有力候補らしいが。
アルテミスが政治家としてやっていけるかはかなり微妙だそうである。
むしろ騎士隊長のアプサラスの方が上手く行くのでは無いかとアンゼルがぼやいていたが。
その名前を出すのも、不愉快なようだった。
いずれにしても、また別の所に流され行く。
このままどこへわたしは行くのか。
まったく分からない。
(続)
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