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田舎の煮こごり
序、田舎に移されて
教会の庭。
わたしが仕事場にしている開けた場所に運ばれて来たのは、たくさんの武器だ。小競り合いで消耗したものが多い。
鍛冶師が直せるものは直す。実際いまわたしがいる村……正確にはロコットというらしいけれど。
そのロコットには、二つも鍛冶師の店があって。
此処がそもそも、この辺りの軍事の中継点だと言うことを知らされると、なる程と思うのだった。
今では主に南の山中に巣くっているオークとの戦いのために砦が作られて、野生化したオークの根絶のためにあまり多く無い兵士が配備されているらしいけれど。
オークにしても元々は森の中に住んでいた種族らしくて。
わたし達よりも、ずっと猿に近いらしい。
猿が大きく強く荒々しくなったのがオークであるらしく。
そういう事を思うと、森の中では人間よりも有利なのかも知れない。兵士がいつも小競り合いが続いて根絶できないと嘆いているらしいけれども。それも納得が行く話だなと思う。
わたしは武器なんかのなかで、鍛冶師だと時間が掛かるものを担当する。
まずは風の魔法で構造を把握。
水の魔法で綺麗にして。
それから土の魔法を使って、補修できるものは補修してしまう。
他にも色々できるようになってきたけれども、それを試しながら仕事にしていく。わたしに出世するつもりはない。
ただご飯が食べられればそれでいい。
だから黙々と仕事をする。
それに出世しようとしたところで、多分難しいだろうなとも思うし。
仕事をしていると、アンゼルが来る。
わたしがお気に入りらしい、獰猛な性格の子だ。ぱっと見は人なつっこい小柄な女の子に見えるらしく。同年代の男子にはそれなりに人気があるそうだが。
話をすると、あっと言う間に危険な性格がばれる。
今ではこの辺りでは、わたしくらいしかアンゼルとは話さないし。
アンゼルにしても、それでいいようだった。
「おー、今日も直しているねえ」
「何か武器を痛めましたか」
「いいや。 そんな傷むような相手には当たってない。 ここ数日はオークも出ていないし」
熊を殺してきたらしいのが、数日前。
熊を単騎で殺せる兵士はあまり多く無いらしい。魔法を使い、戦闘技術も高い騎士という存在が、重宝される理由である。
戦闘技術が高くなくても、大威力の魔法が使えると、それはそれで高給取りになるらしいけれど。
人間の身体能力なんて知れていて。
名が知れた凄腕の騎士は、だいたい戦闘技術を魔法で上乗せしているそうである。
多分あのアプサラスって騎士もそうだったんだろうなと。
わたしは思い出していた。
アンゼルは隣にどっかと座ると。
ひょいと手を伸ばして小鳥を捕まえて。
そのまま口に放り込んで、ばりばりと食べ始める。
手を物理的に伸ばしたわけではないらしい。
そういう魔法だ。
それを見て、ひっと声を上げるまだ年若い女性の魔法使い。わたしの事は無機質で怖いと言っていて。
アンゼルは化け物にしか思えないそうだ。
陰口をたたいているのは知っている。
勝手にやっていろとだけ思う。
「生のまま食べるとおなか壊しますよ」
「へーきへーき。 この程度サバイバルでさんざんやってるし。 この程度で腹下したら、騎士の試験なんて受からないし」
「女性の騎士は身だしなみもしっかりしていると聞きますけど」
「そういうのは出世目当てかなあ。 見た目で舐められる場合があって、出世しようとするとそれがまずいんだよねえ」
覚えがあるでしょと言われたので。
こくりと頷いていた。
あの国境の街の魔法使いのお偉いさん。みんな威厳を出そうと工夫していたのを覚えている。
これだけ実力主義が浸透した国でも、見た目なんだなと思うと。
人間なんてそんなものだとしか思えない。
「で、どう。 騎士にならない? あたしちょっと退屈でねえ。 アイーシャが騎士になってくれたら、コンビ組んで敵国に侵入して、大暴れとかできそうで楽しそうだって思うんだよね」
「わたし運動音痴ですけど」
「今最強で知られてるアルテミスって騎士知ってる?」
「はあ、まあ」
アルテミス。
スポリファール最強を謳われている女騎士だ。
とにかくもの凄く強いらしくて、どのくらい強いかとアンゼルに聞いたら。自分と比べて五十人分とか言っていた。
アンゼルだって二〜三十人くらいの兵士だったら苦労もせず畳むという話だったから、ちょっと次元違いだ。
そんな凄い子が、少しだけ年上の世代にいる。
それは噂にもなる。
「アルテミスってあの子さあ、子供の時とんでもない運動音痴だったらしくてね。 いつも周りに虐められて泣いていたんだってさ」
「はあ……」
そもそもそういうのが分からない。
同年代の対等な子供が周囲にいるというのが、それだけ幸せな話だ。
わたしにはそうとしか思えない。
「それが魔法を使えるようになってからもの凄く伸びたらしくてねえ。 あたしなんか相手をブッ殺す事しか考えていないのに、この程度なのだけどね。 ちょっと羨ましいよねえ。 そういう性格の子が、世界最強と噂されるくらい戦闘適性が高いってのは」
「スポリファール最強とは聞いていますけれど」
「いや、世界最強だと思うね」
半年ほど前にパッナーロ国がスポリファールなどの国に負け、三分割されて滅びた。
その戦いに、途中までアンゼルは参戦していた。
まあ暴れすぎたせいで戻されたのだけれど。
その過程で、記録されている戦い以外を散々アンゼルはやったらしい。
要するに、あの戦いに参戦したもう二つの国。それらの国に所属している間諜や、汚れ仕事専門の騎士を殺して廻っていたという事だ。
結構こういう裏家業の仕事をする騎士は多いらしく。
アンゼルみたいな壊れた性格の子も多いとか。
そういえば、九歳の間諜がどうのこうのの理由で、わたしも審問だとかいうのに掛けられたのだった。
そうなると。
昔、スポリファールで今のわたしよりずっとちいさな子供が、闇に紛れて暴れ回っていたのかも知れなかった。
「あたしも他の国の騎士と散々やり合ったけれど、それらの水準を見る限り、アルテミスが出て来たら手も足もでないねあれは。 多分今の世代だとアルテミスが最強だと思うよ、悔しいけど」
「いずれにしても関係がありません」
「そう?」
「はい」
そもそも敵対する理由がないし。
わたしは戦いにも向いていない。
仮に戦う事になったら、一瞬で首を落とされるだけ。
それに関しては、アンゼルでも同じ結果だろう。
「野心がないなー。 なんでアイーシャって子供なのに、そんなに枯れてるのさ」
「興味がないだけです」
「興味持ちなよ。 血の味覚えると、色々馬鹿馬鹿しくなるよ?」
「はあ……」
アンゼルはこうやって、血の池の底から足を掴んで、有望そうなのを勧誘して自分の側に引き込もうとしている。
とにかくヤバイ子だ。
今までそういう事を繰り返して来たから、左遷を何度も経験しているらしい。
アプサラスの所ではかなり長くやれていたらしいのだけれども。
それも暴れ回りすぎたせいで、ついにお役御免となってしまった。
「はー。 相手が雑魚過ぎてつまらんわ」
「野生のオークを全部潰して来たら、次の戦場に行けるのでは」
「それは難しいんだよねえ。 オークは森の中の生き物で、とにかく気配を消す技術が人間なんかの比じゃない。 ハルメンが使うみたいな、対人兵器としての使い方の方がおかしいんだよ。 アルテミスでも野良オークの駆除は手間取るんじゃないのかな」
「そうなんですね」
気のない返事ーと、口を尖らせるアンゼル。
まあ、それでもわたしがお気に入りらしくて。わたしが直した長剣を手にすると、数度ふるって見せた。
長剣と言っても用途は様々で、今アンゼルが手にしているのは、分厚い刃を持つ大型のもの。
両手で使うのが普通で、あまりにも長いので鞘にも入れられない。
対人間用の剣ではない。
オークや熊を斬るためのものだ。
普通の兵士は槍を渡されていて、それで囲んで多数で仕留める戦術を採るらしい。
こういう剣は馬上の騎士が振るう事が多く。馬上からオークや熊の頭を狙って切りつけるそうだ。
刃こぼれして戻ってくると言うことは、使われたのだろう。
長大なその剣を。
アンゼルはなんの苦労もせず振り回して、風を切り裂いてみせる。
「なまくらではないけれど、魔法も掛かっていないなあ。 後随分重心がずれてる。 なおしとこ」
「直せるんだね」
「当然。 こういうのできないと、楽しく戦えないし」
わたしも仕事をするようになって、色々な武器を渡されるようになったけれど。
自分では使えないから、わからない事は多い。
剣を分解して、直し始めるアンゼル。
素直なので、どう直せばいいのか丁寧に教えてくれる。
重心なんかについては勘らしくて。
色々な武器を実際に使って、それで覚えた事らしいけれど。
まあ、何に使ったのかは聞かないでおく。
それで喜ぶと長いし。
ただ、勉強できることは勉強しておく。
出世のためではない。
わたしはスポリファールが楽園ではないことを、この間の理不尽な審問以降良く身で理解したし。
だからいざという時は、一人で生きていかなければならない。
その時に備えて。
どんな知識でも。
どんな技でも。
持っておかなければならなかった。
剣を調整すると、軽々と振り回し始めるアンゼル。アンゼルの体重と同じくらいあるはずだから、魔法で色々やっているのだろう。
とことん殺し合いのためだけに魔法を使っていることがよく分かる。
「うーん、所詮は直してもなまくらか。 でも少しはマシになった。 わたしの剣も、アイーシャに直して貰おうかな」
「壊れたら直します」
「うん、そーして」
アンゼルを誰かが呼びに来る。
鎧をしっかり着込んではいるが、それでも騎士達に比べると軽装だ。多少偉いくらいの兵士なのかも知れない。
アンゼルを明らかに嫌っているようだが。
それでも話しかけてくる辺り、仕事だからなのだろう。
「騎士アンゼル。 山の方でオークが目撃された。 数体いたということだ。 被害が出る前に、追い払って欲しい」
「まーたか。 最近活発になってるけど、エサでもやったんじゃないの」
「分からないが、兎に角追い払って欲しい」
「了解。 行っても高確率で逃げちゃうんだけどなあ。 斬れるといいなあ」
ぼやきながらアンゼルが行く。
アンゼルを化け物を見る目で見た後。
口ひげを少しだけ生やしている兵士は。
わたしの事を、ゴミでも見るような目で見て。
いきなりその場に戻って来たアンゼルに、胸ぐらを掴まれていた。背丈がだいぶ違うのに、軽々兵士をつるし上げている。
「一つ言っておくけど、あたしのダチに手出したら、翌朝には不審死してるよ」
「ひっ!」
「兵長程度の分際で、偉そうにするんじゃない。 お前がこの子を見下せると思ってるのか、無能が」
アンゼルはいつもと違う恐ろしく低い声だ。
凄みが利いている。
フラムがこんな感じで、他の人間を威圧していたっけ。
こくこく頷いている兵士を放り出すと、アンゼルはそいつをゴミでも見るようにみて。それから、今度こそ去って行った。
兵士は今度はわたしも化け物みたいに見て、それで小走りで行く。
それを遠巻きで、何人かの魔法使いが見ていた。
これでまた人が近寄らなくなるな。
そう、わたしは思った。
夕食を終えて、書類を出す。
決まった書き方が書類にあって、こういうのは「最適化」されているらしい。
やったことを書き込むだけで良く。
こういう書類にありがちな無駄は全て排除されているそうだ。
そうするだけでいい。
昔は書類を書くことにそれぞれの癖が出て、職場ごとに決まりがあるとかいう無駄だらけの仕組みが横行し。
それで無駄に仕事の時間が伸びていたらしいが。
スポリファールはこう言う国だ。
そういう無駄な書類を作らないように処理がされ。
今のようなやり方が定着したと言う事だ。
わたしも毎日の仕事で、直した武器についてリストを作り、何処が壊れていて、どう直したかだけを書いておく。
それでも毎日相応の量の仕事をしているので、書類仕事は面倒だ。
昔は徹夜になった事すらあったらしいし。
職場によっては懲罰で書類を書かせていたらしいので。
無駄がなくなったことだけは良いのだと思う。
書類を提出する。
わたしに文句を言う奴はいなくて、それで助かる。
読み書きの修得に苦労していたわたしだけれど。今ではすっかり読み書きもできるようになっていて。
どこでも同じ文字が使われ、同じ言葉が話されている事もあって。
特に会話にも、書類作成にも苦労はしていなかった。
フラムに拾われた頃は、指先もボロボロだったのだけれど。
恐らくスポリファールで栄養のいい食事を続けたからだろう。
生まれついて此処で育っている人みたいな、綺麗な手はしていないが。それでも以前みたいなボロボロではなくなった。
給金に余裕がある人は爪に色をつけたりしているが。
わたしは短く切りそろえている。
昔はノミ虱が当たり前にいる寝床にいたから、寝ている間に体を掻いて血が出たり膿んだりする事も多かった。
回復魔法でいちいち直していたから大事にはならなかったけれど。
それも何度も繰り返すのは嫌だし。
今では爪は丁寧に処理するようになっている。
一種の癖だが。必要な癖だ。
此処みたいな寝床でいつまで暮らせるか分からない。
だから、そうしているだけだ。
風呂に入る。
スポリファールの、全身つかれる湯の風呂は、わたしとしては最初驚いたものの一つである。
それだけ豊かに水を用意できる証左であるけれど。
確かに疲れが取れる。
贅沢なものだ。
しばらく風呂に入って、疲れを落とす。
それから、残りの書類を提出して、寝床に潜り込んだ。
今日も清潔で柔らかい寝床で眠れる。
それだけで充分だ。
食事の栄養も悪くない。
だからわたしは。
いわゆる左遷をされたらしいけれども。
それを恨んでもいなかったし、儚んでもいなかった。
1、お堅い上司
ここに来て八ヶ月か。
そろそろ次の年になるという時に、人事の変更があった。魔法教会の人間が、都会に「栄転」するらしい。
あんまり接点はなかったが。
わたしとしては、別にどうでも良いことだったので。
祝賀会とやらが開かれても、ただ隅っこで黙々と飲み食いしただけだ。
それなりに祝われていたが。
それは此処が左遷のために使われる場所ということで。
栄転するのは、懲罰から解放されるという意味があるから、らしい。
どうでもいい。
わたしには懲罰でもなんでもないし。
此処で何が悪いのか分からないからだ。
翌日には、新任の教会のボスが紹介される。
眼鏡を掛けた、いかにも頭が硬そうな、険しい顔をした中年の男性だ。眼鏡の存在は、スポリファールに来てから知った。
魔法使いは老境に入ってからも魔法で視力を補う事が多いのだけれど。
そうでない老人は、眼鏡を掛けていることが多かった。
それ以外にも、眼鏡は硬質の印象を与えると言う事で。
わざわざ印象操作のために使うケースがあるらしい。
此奴は多分それだな。
わたしはそう思いながら、着任についての演説を聴いていた。
なんでも新しいボスは、無駄を全て無くして、特別がない状態にするのだそうだ。
法に沿った厳格な運用をするとか言っていて。
それで周りの魔法使いはうんざりした顔をしていた。
わたしはどうでもいいので、そのまま話を聞く。
そいつそのものが法律。
そういう伯爵やフラムを見た後である。
法律の概念をスポリファールで知って、随分厳格に法律が使われているなと、呆れ気味に感心したほどである。
だから、何を今更という感想しかない。
そして翌日からも、同じように仕事をまわされて、それをいつもの中庭でこなしたが。いきなり、わたしより少し年上の、なんかとろい魔法使いが泣いているのを見た。随分と詰められたらしい。
どうでも良い話だ。
いつもわたしを勝手に怖がって、自分は被害者ですという雰囲気を作っている奴である。
わたしとしては死のうが泣こうが知った事では無い。
黙々と武器を直していると。
クラウスだったか。
新任の教会のボスが、わたしに声を掛けて来た。
「アイーシャくん」
「はい」
「この書類について聞きたい」
書類を見せられる。
わたしが書いた書類ではないのだけれど。
小首を傾げてから、それを指摘する。
眼鏡に手をやって、くいっと直してみせるクラウス。それが格好良いとでも思っているのだろうか。
「君が書いた書類ではないというのは知っている。 サインは確認しているからな」
「はい」
「此処に記載している、壊れた武器についてだが。 あまりにも壊れるのが早すぎる。 君は何か覚えがないだろうか」
そんな事を言われてもな。
丁度今、わたしは持ち込まれた荷車の車軸を直していたのだが。
こんな感じで、毎日のように直せそうなものなら直している。
死体を綺麗にすることもある。
仕事の内容なんていちいち覚えていない。
まあ産婆の手伝いとか。
大きめの病人の治療とか。
そういうのは覚えているけれど。
武器なんか下手すると一日十個とか直すのだ。
そんなの、覚えていられない。
そう説明すると、クラウスは眼鏡をまた直していた。ぴっちり整えている髪の毛といい、なんというか四角四面な人だなあと思う。
「手をつけた仕事については、きちんと覚えていて貰わないと困る。 君はそれなりに仕事の評判は良いようだが、人間としての評判は最悪だ。 これ以上立場を悪くしないためにも、仕事については一つ一つ覚えておいてほしい」
「無理です」
「覚えるんだ。 可能な限り」
苛立ったのか、繰り返してくる。
そう言われてもな。
この仕事量を、いちいち覚えておけと言われても。
それに、この間アンゼルが直していた重心とか、知らない事もある。
わたしはそれなりにできるようになってきた魔法を使って、少しずつ自分ができる範囲で仕事をしているが。
だからといって、何でもできるわけではないのだ。
クラウスが大股で歩いて去ると。
ずっとそこにいたように、アンゼルが姿を見せる。
一体今まで何処にいたのか。
「あいつうっざ。 仕事はできるらしいけれど、それにしても他人に完璧を求めすぎだっつーの」
「そうですね」
「おや、珍しい。 あたしの言葉にあんまり同意しないのに」
「全部覚えるのは流石に無理です。 あの人はできているんでしょうか」
恐らくそういう魔法だと、アンゼルは言う。
魔法の中には、人間の機能を強化するものがそれなりにある。
筋力を強化したり、体を重くしたりする。
体を重くすることに意味があるのかと思う人もいる。最初にその魔法を説明されたわたしもそうだった。
これは筋力強化と一緒に使う事が普通で。
重い武器なんかを、安定して振り回したりして使うためには必須なのだそうだ。
そういう魔法には、思考を司る脳を強化するものもあって。
中には記憶を絶対にするものもあるらしい。
「たまーに絶対記憶能力というのがあって、みたものを全部覚える奴はいるらしいんだけれどね。 魔法でそれは再現できるんだってさ。 多分あのクソ眼鏡、それだと思う」
「そうなんですね」
「ただそれも誰もが出来る訳ではないからねー。 いちいちブッ殺した獣の数なんて、覚えていないっての」
この様子だと、アンゼルの所にも行ったんだな。
それにしても命知らずだなと思う。
この子、影で気にくわない奴を何人か殺してそうなのに。
フラムと取引して確実に勝ちに行ったアプサラスが左遷するくらいの扱いにくい子なのである。
自分は真面目で、他人にも自分にも厳しいつもりなのだろうが。
ちょっと危ないんじゃないかなとわたしは思った。
まあ、それはそれで別にいい。
アンゼルはその後は適当に一方的に色々話して、それから行ってしまう。わたしは黙々と馬車の車軸を直して、それがちゃんと動く事まで確認してから、引き渡しを行っておいた。
書類を書いていると、クラウスが来る。
「アイーシャくん。 もう少し文字を綺麗に書けないか」
「できるだけ丁寧に書いていますが」
「もう少し丁寧に書くことを心がけなさい。 具体的には……」
何と何の文字が癖があって汚い。
そう言われた。
そうか。
まあ、文字を覚えたのは比較的最近なので、直すのは別に難しくはないだろうが。もっと汚い文字の人なんて幾らでもいそうなのだが。
他の魔法使いは、既にクラウスが来るとさっと消えるようになっていた。
これは、わたし以外にも色々されているんだろうな。
そうわたしは思った。
翌日。
結構大きめの仕事が来た。
今まで二度、兵士達が詰めている砦に呼ばれて、仕事をした。
わたしはアンゼルの親友ということにされているらしく。赤髪となんか整っているらしい顔もあって、最初の頃はにやにや見ている兵士もいたけれど。今ではすっかり兵士達は腫れ物扱いしている。
ガキ相手になにを逃げ腰になっているのだろうと思うが。
それだけアンゼルが化け物じみた強さで、いざ喧嘩になると腕くらい簡単に切りおとして平然としているらしいので。
話が通じない化け物と、それの仲間と言う事で。
怖がられているそうだった。
わたしが元パッナーロの人間だと言う事も最近は知れ渡っていて。
それもこの兵士達の対応の理由ではあるらしいが。
どうでもいい。
いずれもわたしには、どうにもできないことだ。
わたしが案内されたのは、砦の一角にある訓練場だ。石壁が随分傷んでいるので、何日掛けても直して欲しい。
そう言われた。
わたしは頷く。
訓練場といっても、基本的にこの砦の比較的外側にあるもので。構造的に此処が崩れると、一番大事な外壁にダメージが行くことがある。
それに砦を巡っての戦いになる場合、此処は死地として活用するそうだ。
死地というのは、こういう砦とか城とかで使う、相手を引きずり込んで周りから袋だたきにする場所で。
つまりいざという時、此処はもっとも激しい戦場になるということだ。
ちいさな砦だ。
此処は不備がないようにしておきたいのだろう。
わたしは頷くと、風の魔法でまず状態を調べる。
この風魔法も精度が上がって来ている。
国境の街にいたあの屈強な双子の片方が風魔法のわたしよりずっと格上の使い手だったけれど。
それも「だった」になりつつある。
風を操作して、順番に状態を確認していき。
それで、そのまま手元から紙を飛ばして、脆くなっている場所を整理。
全体的に石材が傷んでいるが。
まあ、力尽くで押したりしない限りは壊れないだろう。
修正すべき箇所を全て確認した後は次だ。
土の魔法を使って、修正箇所を補強していく。これも今までよりもずっと精度が上がってきている。
土の魔法というが、石から金属までなんでもやれる。
広い意味では土の魔法なのだろうけれど。
ずっと応用性は高い。
戦いにも活用出来そうだとアンゼルはいうのだけれど。
わたしはそのつもりはない。
淡々と一箇所ずつ直しながら。直してから風の魔法で確認を続ける。直したことで、構造体が変化して、脆くなったりすることがある。
国境の町で魔法使いとして仕事をするようになって、最初の頃は結構ミスをしたものなのだ。
ミスをした後は、同じ事はしないようにしている。
それで、てきぱきと直して行く。
昼になったので、食事にする。
人一倍食べるらしいが。
まあ体が育っているのもあるし。
昔からそうだけれど、とにかく魔法を使ったあとはおなかが空くのである。空きっ腹だと魔法の精度が落ちる。
だから、かなり食べる。
しばらく無言で食べていると、此処に務めている料理長が、そろそろ遠慮して欲しいと視線を送ってくるが。
食べないと魔法を使えないと説明して。
それで更に食べた。
ちなみにわたしはやせ形らしく。少しずつ二次性徴が出て来始めた今でも、そんなにふくよかになるようには思えない。
小柄な子供のくせにやたら食べる。
そういう陰口を聞いたことがある。
どいつもこいつも、見覚えがある武器を持っているので、苦笑してしまう。
全部わたしが直したんだが。
まあ、それを指摘しても馬鹿馬鹿しいので、いわないでおく。
それから夕方まで、ずっと仕事をする。
緊急性が高い場所から優先して直して、罅が入っているような石材は、土の魔法を重点的に使って、徹底的に補強した。
すぐに問題がありそうな場所は、一応なおした。
これ以降は翌日にやる。
貸し与えられている宿舎に入ると、寝る。
街の方にある教会と大して変わらないので、気にはならない。
砦は大した規模では無い。
あの南のハルメンとの国境にあった砦よりも小さいくらいだから、もしも別の国が角馬でも揃えて突進させたら、砦ごと粉々になってしまうだろう。
だから、数日もあれば直せる。
その日のうちに報告書も書き終えたので、何も残しは無い。
そして翌日。
朝の内から外に出る。
別に楽しくもないが、魔力を練り上げる訓練はやっておく。
座禅して、集中して。
それで一点に魔力を集める。
これをしっかりやっておかないと、体質によってはフラムみたいに寿命を著しく縮めることになる。
体内で魔力をどう制御するかを考えないと。
人間の体が内側から壊れてしまうのだ。
だから死にたくないのでやる。
それだけである。
それが終わってから朝食。またたくさん食ってると、陰口を叩かれるが、無視。兵士の一人が、殺気だった目でこっちを見ていたが、気にしない。
こんな程度の視線。
伯爵領で、嫌になる程見てきた。
朝の内に報告書を此処の指揮をしている「中隊長」だかに提出しておく。それから、すぐに仕事に入る。
昨日の仕事をまず確認するところから。
それから風の魔法で状態を確認しつつ、土の魔法と水の魔法で直して行く。黙々と作業をしていると、聞こえるように後ろで陰口を叩いていた。
「なんだあれ。 暇そうな癖に人一倍食いやがって」
「前来た奴は汗ダラダラ流しながら魔法使っていたのにな」
無視。
気がちるので、放っておく。
そのまま作業を続けて、細かい補修をしていく。しかし何カ所も問題が発生しているものだと呆れる。
水の魔法で汚れを落としてみると、石材が脆くなっている場所もあった。場合によっては取り替える。
二つの魔法を同時に使えるようにもなってきている。
ただ、その場合は一つ一つの出力が落ちる。
作業の際には、それぞれ工夫をしながら行動しなければならない。わたしとしても、そういうときはない頭を使わなければならなかった。
黙々と調整を続けて。
二日目の夜が終わる。
陰口が更に増えているのが分かったが、無視。
食事をしていると、にやついたひげ面の兵士が、隣に座ってくる。威圧的なつもりなのだろうが。
無視して食事をしていると、なんだか隣でほざいている。
ヒマしているなら、そんなに食ってるんじゃねえよとか。
手を抜いている分際で、偉そうにしやがってとか。
お高くとまりやがってとか。
終いには触ろうとして来たので、風の魔法で天井近くまで放り投げた。訓練を受けた兵士の筈だが、落ちたときに受け身も取れなかった。
一斉に兵士が剣を抜く。
普通は槍だからだろうけれど、明らかに動きが遅い。
面倒だな。
わたしも伯爵領で何度も殺すつもりで襲ってきた奴を、風の魔法で放り投げてきた身である。
襲ってきた奴と相対するのは久々だけれど、別に鈍っているわけでもない。
やがて見かねたのか、中隊長が来る。
そうすると、兵士達が此奴が悪いと、ぎゃあぎゃあわめき。目を回しているひげ面をさして、誰々さんが助言してやっていたのにいきなり暴力を振るったとか。泡を噴きながらほざくのだった。
「そうか。 君の言い分は?」
「隣にいきなり座ってきて、何か言っていましたが、内容は覚えていません。 触ろうとして来たので、放り投げました」
「分かった。 今日はもういいからさがりなさい」
「まだ使った分の魔力を回復しきっていません。 食べてから寝ます」
そう告げると、目を白黒させている中隊長が見ている前で、残りを全て食べてしまう。それから、食器やらを料理人に返して。
それで寝所に向かった。
兵士達が更に嫌悪感を込めて此方を見ているのが分かる。
どうでも良かった。
翌日。
朝修練をしていると、更に兵士の陰口が露骨に聞こえるようになった。
左遷されてきたのは、前の職場でさぼりまくっていたらしいから。
人を殺したらしい。
近付くと何をされるかわからないから近寄るな。
パッナーロの王族だったらしい。
そんなアホな発言がたくさんされていたが、無視。問題は、料理人が、食事を指定した量出してこないことだ。
なんでも此処では兵糧をいざという時に蓄えているらしく。
ただメシぐらいに出す分はないらしい。
それを聞くと、兵士が後ろでゲラゲラ笑っているのが分かった。
料理人もにやついているが、わたしがすんとなると、露骨に表情に怯えが走っていた。
「そうですか。 その分仕事ができなくなりますが、報告書に記載させていただきます」
「ひ、暇そうにしているという話なのに、仕事なんてしていないんだろう!」
「貴方は魔法を使えるんですか?」
そう指摘すると。
兵士達がぴたりと黙る。
そもそも、魔法は使えない奴は一切使えない。それが分かっているからこそ、魔法使いは重宝される。
此処にいるのは二線級の兵士だ。
それも問題を起こして左遷されている連中だろう。
それが自分より更に下を探して、血眼になっている。
自分より上か下かでしか者を判断できない奴はたくさんいる。それはわたしも知っているけれど。
それでも、メシが食えないのは困る。
「どうでもいいですが、今日で仕事は終わるので、今日で出ていきます。 さっさと指定分だしてください。 味だのなんだのでケチをつけたことがありましたか?」
「……」
「給仕長、指定分だしてやれ。 兵糧の不足は起きていない筈だ」
「わかりました」
また見かねた中隊長が来たが。
それを見て、兵士達が露骨に不満の視線を向けている。
リーダー格らしい、昨日放り投げたひげ面が喚く。
「隊長! それをどうして特別扱いするんですか! 命かけて戦ってるのは俺たちなんですよ!」
「報告書によると、砦の破損箇所はそれなりの数に上っている。 私も確認したが、確かに覚えがある破損なども多かった。 それを全部直してくれている。 暇そうに見えるというのは、魔法使いではない人間からのものだ。 魔法は才能がものをいう。 今まで来ていた魔法使いは、才能がこの娘より劣っていただけだろう」
「絶対にサボりだ!」
「そうだ!」
他のも喚くが。
中隊長が咳払いすると、不満そうに黙る。
ただ、中隊長はわたしにも好意的では無かった。
「君は君で協調性に著しく欠けるな」
「はあ」
「仕事をさぼっているとは思わないが、多少は誤解を解く努力をしてほしい」
「そんな事を言われても、最初から此方の行動を決めつけて掛かっている人間の意思なんて曲げられません。 全員風魔法で放り投げて黙らせればいいんですか?」
前だったらできなかっただろうが。
二線級の兵士のこいつらくらいだったら別にどうとでもなる。
それを聞いて、殺気立つ兵士達だが。
昨日放り投げられて気絶したひげ面が、青ざめるのを見て、それで黙る。
「お前達もこの娘は刺激するな。 砦にガタが来ていたのはお前等がそもそも不満として口にしていた事だろう」
「中隊長、でも」
「確かに砦の破損箇所は直っている。 手を出したものは許さない。 だいたいこの者が暴れたら、砦くらい倒壊するぞ。 腕がいい魔法使いや、魔法が使える騎士の実力はお前達も知っているだろう」
それを聞いて、黙り込む兵士達。
アンゼルに聞かされた話を思い出す。
最強の騎士アルテミスは、あのアンゼルの五十人分くらいは強いのだったっけ。
此奴らも勤務態度とかで左遷されているとしても。それでもそういう凄腕くらいは見ている筈だ。
任務に行くように。
そう急かされて、兵士達は不満そうに出ていった。わたしは黙々と食事を始める。
それを見て、中隊長は大きく嘆息していた。
何だかおかしな話だ。
ああいう連中を前に、何を協調性をだせばいいのか。
わたしには分からない。
幸い、あの手の兵士達は今日は一日外に出ていたらしく、邪魔は入らなかった。
鬱陶しそうにしている料理人から食事を受け取ると、それをさっさと腹に流し込んで。それで仕事を済ませる。
夕方には全ての破損箇所がなおし終わった。
ついでに武器庫にも案内して貰い、以前自分で直した武器を確認しておく。意図的に壊されたようなものはないようだが。痛みが早いらしい。
なんでもアンゼルによると、武器というのは使い手によって痛み方がだいぶ違ってくるとか。
どんな名剣でも下手くそが振るうと役に立たないし。
駄剣でも上手い人間が使うと、それこそ名剣のように輝くのだとか。
「傷んでいるものが結構ありますね。 持って来て貰えれば直します」
「分かった。 考えておく」
「そうですか」
面倒だな。
こいつも根っこでは兵士達と同じ事を考えているらしい。
まあわたしはどうでもいい。
仕事が終わったので、引き上げる。
乗合馬車が出たので、それに乗って帰るが、最後まで兵士達はわたしに陰口をたたいているようだった。
そして教会に戻った翌日。
例のクラウスに呼び出されていた。
「砦では幾つも問題行動を起こしたそうだな」
「仕事はこなしましたが」
「仕事については後で私で確認する。 君の技量が年齢の割に高い事は此方でも確認しているが、その性格が問題だ」
性格ね。
わたしの場合、性格なんてものは存在していないように思う。
動物と同じだ。
いや、動物の方が感情が豊かに感じる。
「私がいうのも何だが、君を不気味だと言って怖れている者は多い。 少しは改善をしてほしい」
「不気味ですか」
「いつも全く表情を見せない。 顔が整っている分それが不気味なのだそうだ」
「はあ」
そう言われても表情なんぞ作りようがない。
伯爵の屋敷では泣けば殴られ悲しめば殴られ何をしても殴られたのだ。
今更表情なんて作れるものか。
「いずれにしても砦に君を派遣することは避けて欲しいと中隊長から書状を受け取っている。 以降は教会で勤めて欲しい」
「それは助かります」
「……いきたまえ」
呆れたようにクラウスが言う。
そういわれても。
できないものは、できないのだ。
2、暗雲が広がる
大量の武器が教会に送られてきた。血だらけのものも多い。
いずれも酷く傷んでいて、激しい戦いがあったことが一発で分かった。わたしが直した武器もあった。
砦で戦いがあったんだな。
そう思ったが、別にそれがどうだとも思わない。
まずは綺麗にするか。
そう判断して、風の魔法で一番大きな剣から持ち上げて。水洗いし、更には乾かす。洗い方が雑で、乾かし方がいい加減だと簡単に錆びる。
丁寧に処置をしていると、アンゼルが来る。
アンゼルは成長期だからか、わたしと前は大して変わらなかったのに、最近ぐんぐん背が伸びている。
いわゆる色気も出始めているようだが。
この子が喜ぶのは、ツラが整った男の口説き文句なんかではない。相手を殺した時に噴き出る血や、切り口の赤い肉だ。それについては、話を聞いていれば分かる。そういう人間はいるのだ。
「おー、やってるねえ」
「戦いに参加したんですか」
「後からね。 砦の兵士達が、止せば良いのにオークが住み着いている森に突貫をかけたらしくてさ。 わらわら出て来た「想定外」の数のオークにたくさん殺された」
「そうですか」
それであわててアンゼルに声が掛かったわけだ。
アンゼルは野良のオークをばったばったと斬り倒して、生きている兵士は助けたらしいけれど。
ハルメンの軍で飼われているオークみたいに人間をバリバリ食うような事はなくても、オークはオーク。
パワーは桁外れで、ましてや数も多いとなると二線級の兵士なんかで対応できる相手ではない。
砦の長である中隊長がアンゼルと連携して助け出せたのは、無理な作戦を勝手に実施した連中の三分の一もいなかったそうだ。
例のひげ面もオークに首を折られて死んだらしい。
まあそれについては、どうでもよかったが。
とりあえずアンゼルがその場にいたオークを皆殺しにして、後から駆けつけた本隊が負傷者を救出。
武器なども拾って、それで戻ったが。
砦を守る人員が著しく減ったとかで。
新しい人間を入れるらしい。
「ハルメンとの国境が緊張状態でしょ? 最近だと旧パッナーロの領土で色々もめ事も起きているらしくて、北でも小競り合いが起きてる。 近いうちに旧パッナーロの人間を兵士にするって話があってさ」
「役に立たないのでは」
「スポリファール式の訓練をするにしても、二線級どころか最初は三線級だろうね」
けらけらとアンゼルは笑った。
そうこうしている内に、最初のは終わる。
ちょっと重心が偏っているので、それも調整しておいた。
「手際良くなってるねえ」
「それが暇そうにしているように見えるらしいです」
「暇そうに? ああ、どうせ兵士にそう言われたんでしょ」
「はい。 わたしに協調性がないのだとか」
はっと、アンゼルが鼻で笑う。
この子は何でも冷笑しているなあ。
自分が最強でもなんでもないことは分かっているようだけれども。それはそれとして、何もかも見下しているのが分かる。
多分だけれども。
周囲から。多分わたしと同じように拒絶され続けて。
この国の制度があって、やっと生きる事ができる人間だからなのだろう。
それもあって、すっかり性格がねじ曲がっていると。
ねじ曲がっているならいいのではないかと思う。
わたしなんか、ねじ曲がる前に、心が多分存在していない。
「邪魔になると悪いから行くね。 今日中、それ」
「いえ。 直り次第提出だそうです」
「そ。 その剣先にやった方が良いよ。 オークの内臓の脂がこびりついてる。 すぐに錆びる」
「わかりました」
素直に言う事を聞いて、言われた剣から洗浄する。
たしかに汚れがひどいな。
教会の中庭で作業をしていたが。大量に汚水が出るとわたしは判断。昼までには、まずは汚れを取ることに集中。
汚水は水の魔法で固めて空高く打ち上げ、其処で一気に蒸発させてしまった。此処までは、臭いは降りてこないと思う。
汚れを一通り取ると、風の魔法で一つずつ持ち上げながら、修復して行く。
曲がっている剣なんかも多いが。
悲惨なのは槍だ。
完全に折れてしまっているのもある。
激しい戦いの状況が分かる。
それに、これでは持っていた奴はひとたまりもなかっただろう。
スポリファール南国境でのハルメンとの戦いで、人間を腕を振るうだけで吹っ飛ばし、貪り喰うオークの様子はよく覚えている。
何とか人間が肉体だけで戦える限界だったゴブリンと違って、オークは猛獣と同じかそれ以上の力を持ち、複数で武器を使わないと勝てない。
普通だったら、それをみて恐怖ですくみ上がるし。
戦いの記憶を引き継いで苦しむのかもしれないが。
わたしはそんなものかと思うだけだ。
昼に食事をしていると、またクラウスが来る。
相変わらず険しい表情をしていて、眼鏡をなんども直している。あの眼鏡というのは、ああ直すのが必要になるようだと、顔にあっていないらしいのだけれど。
多分癖なのだろう。
「食事が終わり次第、報告書を出して欲しい」
「夕方の一日の終わりが決まりなのでは」
「今回は状況が違う。 緊急時は細かく報告書を上げる事で、作業の精度を高めるのだ」
「はあ」
そんなのは今まで一度もなかったが。
他の魔法使いが砦に向かって、負傷者の治療や、野良オークによる反撃に備えている状態で。
この村は、アンゼルだけが守りに入っている。
この村までオークが来る可能性がある。
そういうことなのだろう。
別にどうでもいい。
死ぬ場合は死ぬだけだ。
生きたいとは思うし、ましなご飯を食べたいとも思うが。それでも駄目な場合は駄目だと、わたしは諦めも早い。
「報告書を書くぶん仕事も遅れますが、良いんですね」
「かまわない」
「わかりました」
面倒だが、仕方がない。
あの砦のもめ事から二ヶ月。
魔法の腕は少しずつ伸びている。だがその分食べる量も多くなっている。
不思議な事に、これだけ食べても糞便はそんなにたくさんでない。
理由はわからないが、魔力に全部変換してしまっているのかも知れない。まあ、大量に糞便ばっかりでても、面倒なだけだ。それでいい。
報告書を書いて、午後の仕事に。
破損した武器を浮かせて、直せる分は直す。
これは鍛冶に。
そう脇に避けるものもある。
アンゼルが何回か呼ばれて出ていったが。すぐに戻ってくる。村の守りの兵士なんて、砦の兵士以上の駄目な連中だ。
オークに砦の連中がやられたと聞いて、ちょっとしたことでも怯えきっているのかも知れない。
夕方までに、ある程度仕事を終えて。
直った武器は納入。
鍛冶に送った武器も含めると、手元にあるものはある程度減った。
油紙を被せて、倉庫に入れておく。
そして、夕食を取っていると、噂が聞こえた。
「オークの群れに仕掛けた兵士ども、手柄を立てて此処から離れたいとかいう理由で独走したらしいぜ」
「気持ちは分かる。 娯楽もなにもねえもんな」
「今首都に必死に増援要求を出しているらしい。 独走した兵士達の生き残りも、それまでは普通に使うそうだ」
「確かに砦を守る人間がいなくなるが、ろくなことがおきない気しかしない。 騎士にしても此処にいるのはあの頭がおかしいのだろ」
苦笑。
その頭のおかしいのがへそを曲げたら、オークに砦も村も蹂躙されかねないのに。
協調性が云々とかいうのは、こういう陰口を言っている連中に媚びへつらうことなのか。苦笑くらいはわたしもする。
ただ、それで怒りとかが湧くかというと、そんなこともない。
だいたい、陰口の楽しさが、わたしにはわからない。
それに加わろうとも思わなかった。
食事を片付けるわたしを見て、同僚が視線を逸らす。
わたしは報告書を淡々と片付けると、クラウスの所に持っていく。だが、クラウスが険しい顔をしていた。
もう一人いるのは、病的に細い魔法使いだ。
見た事がない奴だけれど。
「分かりました。 しかし現状、手数が足りませんが」
「だからこそ不安要素は排除する必要があります。 問題を起こした兵士は即座に首都に護送します」
「砦はどう守るのですか。 この村も」
「騎士アンゼルがいます。 彼女に守りを一任するしかありません。 幸い彼女の力量なら、オークの群れを正面から制圧する事もできるでしょう」
クラウスが咳払い。
わたしから書類を受け取ると、さっさと離れろと視線で促してくる。
そっか。
この国、規律が最優先だから、こういうことを時々やるんだ。
今のは役人かなにかか。
殆ど見た事がない奴だけれど、ひょっとすると普段から村にいるのかもしれない。
風呂に入って疲れを流して、それで寝る。
問題が発生したのは。
寝床から起きてからだった。
朝、鶏が鳴く前に、鐘が叩き鳴らされている。
何かあったな。
そう思う前に、クラウスが部屋に入ってきた。
「アイーシャくん、寝所に入るのは失礼だと分かっているが、緊急事態だ」
「はあ。 それでなんでしょうか」
「すぐに着替えて戦う準備を」
「わかりました」
なるほど、全部裏目に出たなこれは。
わたしは着替えると、すぐに部屋を出る。髪がぼさぼさなのは、歩きながら魔法で直す。ただ、食事は取りたい。
とにかく、教会の食堂に集まる。
魔法使いは数人だけだ。
「野良のオークに砦が襲われた。 アンゼルくんがそっちは撃退してくれたが、数体のオークが住処の森ではない方に逃げた。 砦では追う余力がない。 我々で街道を警備に向かう」
「オークを相手にするんですか!」
「村の駐留の兵士も出る。 連携して対応に当たって欲しい。 この辺りは戦略的にそれほど大きな価値は無いが、それでももしも乗合馬車が襲われたら、ひとたまりもないだろう」
ばからしい。
昨日聞いたが、問題を起こした兵士を拘留とかしなければ、こんなことにはならなかったのではあるまいか。
もっとも、わたしはそれで何か感情が動くこともない。
ともかく今日の予定は後回しだ。
「砦には断続的に攻撃があるらしく、今はアンゼルくんは其方から離れられない。 何よりも、オークらしい影を近くで目撃した情報が寄せられている。 村に一体でも入り込んだら終わりだ。 すぐに周囲を固めて欲しい」
「分かりました」
「私は此処で指揮を執る。 何かあったら即座に今渡した狼煙を打ち上げて欲しい」
狼煙か。
球体になっている魔法で固めたもので、空に投げるだけで勝手に飛んでいき、炸裂する。
ともかく、わたしは指示された方に出る。
なんとなくだけれど、血の臭いがする気がする。
伯爵領で嫌になる程かいだにおい。
これはオークは近くに来ていてもおかしくなかった。
明らかに不慣れな兵士と、年を取りすぎている兵士と一緒に出る。あわあわしている兵士は、見るからに若すぎる。
年を取りすぎている兵士は、ただこの年まで生き残っただけなのが一目で分かる。老練でもなんでもない。
指示された方向に出向く。
風の魔法で体を浮かせるのはまだできないが、周囲に風の魔法を展開して、奇襲を防ぐ。
この展開距離が、どんどん大きくなってきている。
だから、分かった。
「足跡ですね」
「な、なんだって!」
「オークです、間違いなく。 それで……」
「ひいっ!」
不慣れな兵士が、狼煙を上げてしまう。
それが混乱の始まりだった。
すぐに他のもっと不慣れそうな兵士が駆けつけてくる。わたしは仕方がないので、あの辺りから、あの辺りに向けてオークが歩いたようだと説明。
兵士達は数だけはいるが、おろおろするばかりだ。
「そ、それでどうすればいいんだ!」
「爺さん、あんたみっつも大戦に参加したんだろ!」
「こ、こういうときは、ええと……」
「あれ、オークじゃないのか!?」
それはただの木だ。
だけれども、まだ暗い早朝。それを見た兵士達は、ぎゃっと悲鳴を上げて、村へ逃げ始める。
駄目だコレは。
そう思った瞬間、感じ取る。
どうやら本物が来たらしい。
逃げ散っていた兵士の一人が、もろにそっちに突っ込んでいた。
オークは、以前戦場で見た奴よりもだいぶ小さいが、それでも殺気立っている。体中傷だらけだ。
それが、野犬だかを掴んで、貪り食いながら歩いていたが。
前も見えていない兵士が突っ込んできたのを見て、肉塊を放り捨てて空に向けて雄叫びを上げていた。
他にもオークはいるだろうし、それがオークを集めるはずだ。
わたしは魔法を練り上げる。
周囲の探索に使っていた風の魔法を圧縮。
練り上げながら、オークへと投射。
体を使って投げる必要はない。ただ、そのまま、飛んで行けと指示をするだけである。それだけで、風の魔法がオークに向かう。
悲鳴を上げた兵士を、オークが手を振るって薙ぎ払う。
それだけで、兵士は空高く飛んで、地面に叩き付けられていた。
勿論即死だ。助かる方法がない。薙ぎ払われた瞬間に即死していたし、風魔法で受け止めても無意味だっただろう。
だが、その瞬間。
オークを風魔法で掴んでいた。
そのまま持ち上げる。
持ち上げられたオークは、凄まじい咆哮を上げながら暴れたが、残念ながら暴れようと意味がない。
高く高く持ち上げて。
そこから落とす。
加速して落とす事は制御が難しいのでやらなくていい。
だって。
オークの背丈の二十倍から落としたのだ。オークは地面で、果実のように爆ぜ砕けていた。
それを見て、兵士達が悲鳴を上げて大混乱になる。
老兵はへたり込んで、完全に腰を抜かしたようだ。
これで三回も大きな戦争に参加したのか。
後ろの方で見ていただけとかではないのだろうか。
まあわたしにはどうでもいい。
問題は、こっちにむけて走ってくるオークが見えている事だ。魔法を練る。間に合うだろうか。
オークが口を開けて、吠えている。
軍のオークほどではないが、鋭く尖った牙が此処からでも鮮明に見えているほどである。明るくなってきて、その威圧感がますます大きくなってきている。
それが、そのまま、わたしを吹っ飛ばすくらいまでの至近に来て。
それでわたしが捕まえた。
風の魔法で捕獲。
こいつも高く高くへ持ち上げる。
問題は、三体目がいること。
それが、村に突っ込んで、村の柵を体当たりでぶっ壊したことである。
わたしはちょっと急がないとと思って、そのままオークを落とす。オークは喚きながら落ちてきて、わたしの目と鼻の先で潰れていた。
この高さから落とすと、文字通りグシャグシャだ。
しかも体が重いほど落下による打撃は大きくなるらしく、オークの屈強で巨大な肉体など、可哀想なくらいに潰れて骨も肉も崩れ果てていた。
ただ、血まみれになって。
しかもオークの血肉がこんなに臭いとは思わなかった。
兵士は臭いを嗅いだだけで倒れ。
或いはその場で失神している。
酷い兵士ばかりだけど。
少しは時間くらい稼いで欲しい。
村の柵をぶっ壊したオークがこっちを見る。仲間を殺されたのを見て、吠え猛った。しかもまだいる。
他のオークが、村に向けて突進している。魔法使いが何か魔法をやろうとして、文字通り刎ね飛ばされるのが見えた。
あれも即死だな。
わたしは、こっちに意識を向けたオークに対して、風の魔法を練り上げる。
ちょっとおなかが空いてきた。
力でない。
あと一体が限界かな。
そう思いながら、風魔法をいつもより時間を掛けて練る。オークが、地面を刷り上げる。それだけで、たくさん石が飛んでくる。右往左往している兵士の一人が、それをまともに喰らって、鎧の上から潰れて即死した。わたしは、風魔法で石を逸らすのでやっとだった。
オークが突撃してくる。
村にいるのは、クラウスでどうにかしてもらうしかない。
魔法を練り上げる。
オークが牙をむき出しに突貫してくる。
やがて、オークが間近に。
腕が振るい上げられる。
ちょっと間に合わないか。
そう思った時、老兵が鳥みたいな声を上げて、槍をオークの脇腹に突き刺していた。
オークが一瞬だけ止まる。その瞬間に、わたしはオークを思い切り乱暴に風魔法で掴んで。
空に放り投げていた。
地面に叩き付けられたオークが潰れる。
呼吸を整えながら、意識を保つ。
視界の隅で、オークが火だるまになるのが見えた。火の魔法が使えるの、いいなあ。
そう思って、へたり込む。
魔力切れだ。
呼吸を整えて、強烈な飢餓でめまいがするのを感じ取りながら。
どうにか立ち上がろうとして、何度も失敗した。
目の前にあるオークの肉塊が、うまそうに見えるくらいである。だけれども、毒だってアンゼルに聞いたっけ。
それにだ。
腹に虫が湧くのはもう嫌だ。
スポリファールに入国したときに、魔法で虫下しされた。一緒にパッナーロから来た誰の腹にも虫がいる。酷い場合は、脳とかにまで入り込んでいる。
不衛生な食事をしているとそうなる。
そう言われて、苦しい思いを散々して、虫下しで出て来たとんでもなく大きな虫をげんなりしながら見たっけ。
這いずるようにして村に入る。
村の一部が燃えていて、殺気だった村人が水を掛けている。
クラウスは頭に血を流しながら指揮をしていて。
戻って来たわたしを見ると、すぐに休むようにいうのだった。
それを聞いて、その場に倒れてしまう。
意識は、それで途絶えていた。
3、再びの審問
目が覚めた。
オーク騒ぎはどうにか終わったらしい。食堂に出て、食事をする。クラウスが来た。驚いたことに、片目を包帯で覆っていた。
あの怪我に、オークの血が入ったらしい。
今治療しているらしいが、片目を最悪失うそうだ。
流石に眼鏡も外している。
それでも仕事をしているのは、流石と言うかなんというか。
なお、オークに必死に唯一立ち向かったあの老兵士は、そのあと寿命を使い果たしたように死んでしまったそうである。老兵の最後の活躍。いや、あの様子からして、最初で最後の活躍だったのかも知れない。
「オークを三体も仕留めたのは流石だ。 私などは、一体を倒しただけでこの有様だ」
「いえ」
「食事をしたら話がある。 食事を済ませて欲しい」
わざわざこんなことを言いに来るのか。
いわゆる労いかと思ったが、そうとは考えにくい。
これはまた審問だとかかな。
そう思ったが、すぐにではないようだった。
食事を終えて、クラウスの所に出向く。クラウスは怪我をしていて、それも決していい状態ではないのに。仕事をずっと続けている。こいつ、格好をつけているだけではないらしいなと、この時初めてわたしは感心したかも知れない。
「混乱の中オークを倒してくれた事は本当に感謝する。 しかも三体も。 兵士数名が殺され、魔法使いも一人殺された。 村人にも被害が出ている。 そんな中、君の活躍がなければもっと大勢の死者がでていただろう」
「はあ、そうですか」
「相変わらずだな。 それで、戦いの流れについて説明をしてほしい」
報告書はクラウスが書くらしい。
わたしは頷くと、何が起きたのかを順番に説明する。
オークの足跡を見つけたと話したら、怯えきっていた兵士が狼煙を即座に上げてしまった事。
その後の戦いの流れもだ。
全てを話し終えると、クラウスは質問を返してくる。
「何かしら失策などはしていないか」
「したかもしれませんが、命がけでしたので、考えている余裕はありませんでした」
「確かにオークの迫力は凄まじかった。 ずっと後方任務だったから、私もあれほどとは思わなかったほどだ。 あれが至近まで来て、冷静に風の魔法で対処できたのは特筆に値する」
だが、とクラウスが言葉を区切る。
問題が起きているそうだ。
わたしは以前、南の国境で問題を起こした(とされて)審問を受けている。
今回、一部の兵士が、今回の件は全部わたしのせいだと騒いでいるという。
砦の中隊長、クラウス、どちらもが否定はしているのだが。
問題は以前も審問を受けているという点だ。
これで、審問官が来るという。
「私の方でできるだけ君の冤罪は晴らしたいが、残念ながらまともに意識がいつまでもつか分からない。 魔法医師が明日到着するが、症状が重い人間から見る事になる。 私は後回しだろう。 だから、審問に備えて私が書類を作っておく。 君の立場をよくするためにも協力して欲しい」
「はあ、それはわざわざありがとうございます」
「君が村を救うために死力を尽くしたことは分かっている。 そう意図しての事かは分からないが、少なくとも結果としてそうなったのは事実だ。 私も君が奮闘してくれなければ助からなかっただろう。 だから、その分は力になりたいのだ」
そう言われると色々思うところは……あまりない。
感謝するものなのだろうか。
わたしはそもそも誰かに感謝された経験がない。
少なくともそう自覚したことがない。
だから、そういうのがあるというくらいしか分からない。
自意識がある程度はっきりしてきてから、ますます自分の歪みが如何に大きいかは分かってきたが。
それにしても、わたしは色々と異質なのだろう。
「それでは質問だが……」
そのまま幾つか質問されたので、全て返しておく。
それから仕事について振られた。
村の外側がかなり破損している。
それの修理だった。
いつもの仕事に比べると格段に楽である。兵士の葬儀とかもやっていたが、それには出なかった。
忙しかったから。
それに、オークがまだいるかも知れない。
そう思うと、直しておいた方が良さそうだったというのもあった。
翌日には大急ぎで来たらしい重武装の兵士と、何人かの魔法使いの部隊が、教会に到着していた。
医師もいるらしい。
どうやら今回の件で、スポリファールもやっと腰を上げたようだった。
まあそれについてはどうでもいい。
国というもののあり方がパッナーロとだいぶ違う事はわたしも分かってはいるのだけれども。
いまいちぴんと来ないからである。
早速医師が手当てを始める。
兵士達は対準知的部隊という、ゴブリンやらオークやらを専門に退治する部隊であるらしく。
そういえば南の国境線での戦いでも、そういうのがいた記憶がある。
周囲の調査も、専門の魔法使いがやるらしい。
わたしは指示を受けたまま、村の修理を続ける。
昼飯を食べる頃には、柵の修理はあらかた終わった。もっともこんなもの、オークが攻めてきたら蹂躙されるだけだろうが。
オークを防ぐなら、かなり分厚い壁が必須なんだろうな。
あの南の国境の街みたいな。
砦の壁でさえ、角馬の一斉突撃には耐えられなかった。
角馬は乗るのは無理だが、一斉に突撃させて消耗品として戦争で使うらしく、繁殖方法が確立されているらしいけれども。
オークと同時に使われると、やっぱり分厚い壁でも防げないのだろうか。
そんな事を考えていると、見覚えのある仮面が来る。
審問の人か。
名前を呼ばれたので、はいと答えると。
つれて行かれる。
狭い部屋だ。
また嘘をつけなくなる魔法を頭がくらくらするまで掛けられて、色々聞かれるのかな。そう思うと、げんなりしてきた。
「以前も審問を受けているそうだな」
「はあ。 まあ」
「それで怖れるようもないとは随分と肝が据わっているな」
「そう言われても、そもそも困っているだけですので」
嘘は一言も言っていない。
陰口叩いている兵士に媚でも売れば良かったのだろうか。
触ってきた相手を投げ飛ばさなければ良かったのだろうか。
暇そうに仕事をしなければ(しかも相手の主観で)良かったのだろうか。
答えがあるのなら、教えて欲しいものだが。
まずは、書類が用意された。
クラウスが書いたものらしい。さっと目を通したあと、審問官が幾つか質問をして来る。
前は分からなかったが、この仮面。
表情を隠すことで、会話の主導権を握るためのものだ。
人間には表情で相手を威圧したり、威圧されたりする場合がある。そういう要素を防ぐためのものだったのだ。
顔が見えていないから、相手の出方も分からない。
多分人間の中でまっとうに生きてきた人には、効果覿面なんだろうなと、他人事そのもので思う。
実際問題、どうしようもできないし。
「砦の中隊長、クラウス、どちらも君が極めて協調性に欠けると説明をしている。 何故協調しようとしないのかね」
「やり方が分かりません」
「君は資料によるとパッナーロ出身なのだな。 パッナーロでは教育はしていないのか」
「わたしは奴隷として伯爵家に売り飛ばされて、そこで暮らしました。 魔法が使える子供が欲しかったらしいです」
ずばり真実を言うが。
それを相手が信じたとは思えない。
ただ、パッナーロの惨状は伝わっている筈だ。
「彼方に赴任している役人などから、悲惨な状態については知っている。 そもそも法を守るという概念すらないという嘆きすら伝わるな。 衣食足りて礼節を知るという言葉があるが、そも衣食が足りていない。 それについては分かる。 君が本当の事を言っているかはともかくとしてな」
「そうですか」
「ともかく兵士達の訴えはどういうことだ。 君のせいで問題が起きたというのは本当なのか」
「なんでそうなるのか理解出来ません」
素直に言うと。
兵士の訴えについて確認した。
その兵士達の証言によると、わたしが暇つぶしに砦に来て遊んでいた上に、真面目に訓練している兵士を挑発するようなことまでしたという。
それで大恥を掻かされた兵士は、発憤して手柄を立てようとし。
オークの巣を迂闊につついてしまったと主張しているそうだ。
そんなことを言われても。
小首を傾げるわたしに、更に審問官は咳払いした。
「恐縮するでもなく、なんだそれはという顔をしているな」
「めざといですね。 そう思っていました」
「そうか。 何故挑発と取られるような行動を取ったのか」
「どうしたら挑発なんてことになるのかがわかりませんが」
そもそもだ。
最適化していた仕事をして、負担を減らしたら、それが暇そうに見えるというのであれば。
真面目に仕事をする意味がないのではなかろうか。
わたしはあまり知識がない。
人間の悪意は見てきたが、どういう仕組みでそれが働いているかが今でもよく分かっていない。
愛と言う言葉についてもよくわからない。
動物の発情期とどこがどうちがうのか全く理解出来ない。
その辺りもあって、他人の心は分からない。
多分わたし自身にも心はないとみて良い。
だから足りない部分を補う努力を欠かしたことは無い。
なんでそんな事を言われるのか。それが正当な訴えとされるのかが理解出来ない。
順番に丁寧に説明すると。
審問官は、一度さがるようにと言った。
それで、休ませて貰う。
前に比べると随分と楽だな。
そう思った。
翌日は普通に仕事をしたが、クラウスが伏せっているらしくて、仕事はかなり混乱気味だった。
それに魔法使いが殺された事もあって、教会の仕事の負担も増えている。
わたしは砦に行かない方が良いという事になったらしく、他の魔法使いが砦に向かったが。
その分村の雑務はわたしが負担することになった。
淡々と仕事をこなしていく。
どれもやったことがあるものだ。
最適化しているから、順調にこなして行く事ができる。困る事は、今の時点ではほぼない。
その様子を、審問官が観察し、メモを取っていた。
夕食を終えて、風呂に入って。
眠る前に、審問官が来る。
面倒な時間に来たなと思ったが、クラウスの様子が思わしくないらしい。負傷したときに、傷にオークの血が入ったらしく、確定で片目が失明だそうだ。またそれ以外にも毒素が体に入り込んでいるそうで、しばらくは仕事どころではないらしい。
そうかと思ったが。
その様子が、審問官の勘に障ったようだった。
仮面越しにすら苛立ちが伝わる。
「クラウスくんは君のために随分骨を折ったのだぞ。 それなのに、なんら恩に感じることはないのか」
「その考えがわたしには良く理解出来ません」
「なんだと」
「わたしは仕事を効率化して、色々とこの村や砦のためになる事をしてきました。 武器をたくさん直して、湯を沸かして、怪我人をわたしの技量の範囲内で手当てして、オークも殺しました。 それで誰かがわたしに感謝しましたか?」
黙り込む審問官。
わたしは感謝されたことはない。
わたしの目は死んだ魚みたいに濁っているとか時々言われるのだけれども。魔法で仕事をして、ありがとうという言葉の一つも貰った事がない。
オークを倒して命が助かった人は兵士も村の人間もたくさんいる筈だが。
今まで誰も感謝の言葉なんて掛けてきていない。
だから感謝が理解出来ない。
「わたしのは仕事だから感謝しなくていい、ということでしょうか」
「いや、それは」
「わたしは嘘は言っていませんが」
「……何となく分かってきたが、君は人の集団の中で生きることがそもそも無理な人種かもしれない」
何だ人種って。
この世界の人間は、肌の色はほとんど皆同じ。多少黒かったり白かったり日焼けしたりはするが、それくらいしかない。
髪の毛の色は多彩。目の色も。
だけれども、交配できると言う点で、人種なんてものは無い。そういう話は、スポリファールに入国した際に、魔法を習っているときに聞かされた。
そういう意味ではないのか。
小首を傾げていると、審問官はもう分かったと言って、戻っていった。
勝手に自己完結しないでほしいものだが。
まあいい。
理解はできないが、それはわたしが知らないと言う事だ。もう少し色々知りたいものだけれども。
それも、審問官がまた来ていて。
もういいとか言い出したということは。
望み薄なのかも知れなかった。
翌朝になると、クラウスの容体が悪化したと言う事で、首都に返される事になったらしい。
大きめの医療を行える馬車に乗せられて、村を出て行ったが。
村を出て行く馬車を見て、誰も感謝しているようには見えなかった。
「小うるさいのがいったよ」
「ああだこうだ文句ばっかり言われたな。 これで多少は静かになるかな」
「気味悪いのがいなくなったら完璧なのにな」
「本当に」
聞こえるように陰口をたたいている。
それを見て、審問官が一瞥だけして去って行く。クラウスも感謝されない方か。まあ、わたしには分からない事だしどうでもいい。
わたしの陰口もたたいていたようだが、それもどうでもいい。
代理で、首都から来た魔法使いが教会の管理をすることになり、わたしにも仕事が割り振られる。
内容は同じだ。
首都から来た魔法使いが何人かすぐに仕事に入った。
砦の方ではオーク狩りをやっているようで。
武器やらの修理の仕事が増えている。
わたしは渡されたぶんだけ全て直す。
幸いおなかは膨れているので、途中で動けなくなるような事はなかった。淡々と仕事を進めていく。
酷い壊れ方をしている武器が目立つ。
相手が相手だ。
それも仕方がないのだろう。
更に大きな武器が目立つ。
対オーク用のものだろうと思う。対準知的部隊には、専用の武器が支給されているということだ。
また今は乾期なこともある。
迂闊に山で油壺は使えないのだろう。
延焼すると、とんでもない勢いで燃え広がるからである。
「修理終わりました」
「……」
わたしが直した武器を持っていくと、汚いものでも見るかのようにしてそれを見る魔法使い。
いい大人の筈だが。
それを見て、咎める者もいない。
ばからしい。
大人が精神的に成長しているとか、どこの世界の話だ。あの伯爵やらと根本では変わらないではないか。
ただ、怒りは沸かない。
わたしは人間には何も期待していないからだろう。
それから一月くらいは同じような仕事を続ける。
砦に出向いた対準知的部隊がオークを徹底的に狩って、連日オークの死体が運ばれてきた。
なんで運ばれて来たかというと、解剖して調べるためだ。
軍で飼われているようなオークほどのサイズはないが、それでも人を食うことはあるらしく。
腹の中から、遺品が見つかることもあるらしい。
前に村を襲ってきたオークは、殺した後どう処理していたかは知らない。全力を絞り尽くしてばてていたからだ。
わたしはそれをやるように指示されたが。
周りの魔法使いは、ひそひそと話していた。
「あんな仕事平気でやってるぞ」
「殺すのが好きなんだろ」
「ああ、それでオークを殺すのが上手かったのか」
「他の兵士を守りもしなかったのも、殺すのに夢中だったんだな」
陰口は更に内容が過激化しているらしい。
反論すればもっと過激化するだろう。興味もないので放っておくと。其奴らの肩を、アンゼルが叩いていた。
「面白そうな話だね。 聞かせて?」
「ひっ!」
「騎士に対してなんだその口の利き方。 あの子と遊んで良いのあたしだけなんだけど」
「す、すみません……」
アンゼルの雰囲気が変わる。
あれはフラムの纏っていた空気に近い。
アンゼルは超がつくほどの武闘派だ。ずっと砦の方にいたからしばらく顔は見ていなかったけれど。
今回の戦いでも、多数のオークを斃した。撃破数は五十を超えたらしい。
わたしが黙々とオークをばらして、腹の中身を調べていると。魔法使いに色々と威圧をかけていたアンゼルが。
しばしして、別人のように笑顔を浮かべてこっちに来る。
それでにこにこ挨拶をして来るので、こっちはいつものように静かに返す。
「聞いたよアイーシャ。 三体もオーク斃したって? 戦闘訓練も受けてないのに?」
「はあ、でも殆ど相討ちでしたけど」
「名将なんて言われてる人間でも、最初の内は何が起きているか分からなくて、戦いが終わった後にやっと正気に戻ったなんて話をするらしいから。 アイーシャはむしろよくやれてると思うよ」
「そうですか」
オークの捌き方のコツを教えてくれるので、それに従って風の魔法を使う。
確かに肉の付き方とかに癖があるので、上手く癖を覚えれば、綺麗に腹を割くことが可能だ。
オークをたくさん殺してきたからだろう。
構造も良く知っているということだ。
オークの腹の中からは、山の動物らしいのがわんさか出てくる。どれも半端に胃液で溶けていて、酷い臭いだったが。
この程度、伯爵領の側溝に比べれば全然マシ。
一つずつ確認し。
それが終わったら、風の魔法で火にくべて処理してしまう。
「おー、コツを掴むのが早い。 やっぱりアイーシャ、あたしと同類だと思うな」
「そうですか」
「そうそう。 騎士にならない? あんな陰口叩く事しか能がないのと違って、すかっと暴れられるよ」
「どうにもぴんと来ません」
ま、考えといてと言って、アンゼルが戻っていく。
その途中、どうしていいか分からないで立ちすくんでいる様子の魔法使いの胸ぐらを掴むと、鋭い叱責を浴びせていた。
さぼっているのはどっちだ、と。
アンゼルはどっちかというと鈴が鳴るような声、という比喩をされるような可愛い声をしているらしいが(よく分からないがそうらしい)。
叱責を浴びせるときは声にドスが利いていて、女が得意な声のコントロールをしっかりやっているということだ。
アンゼルはもう、対人関係の良好な構築だとかいうものを、最初から考えていないのだろう。
わたしはどうすればいいのか。
でも、アンゼルのやり方を真似するとまずいのは、なんとなく分かる。
しばらくは、仕事を続けた。
魔法使い達は陰口を少なくともわたしが聞こえる範囲でするのは止めたが。
ただ、わたしに対する視線が、明らかに恐怖を帯びるようになった。
まあ、どうでもいいが。
オーク関係の仕事があらかた終わった後は、雨が多い季節が来る。
対準知的種族が引き揚げて行き、教会に何人か若い魔法使いが赴任したが。アンゼルの噂は聞いているらしく。
その親友らしいというわたしには、絶対に近付いてこなかった。
そして、審問官がまた来た。
オークと戦って、一季節が過ぎていた。
審問官は言う。
ここしばらくわたしに対する聴取をしていたらしい。ついでに観察も含めて、だ。
それらの結果から、しばらく別の田舎に配置するべきだと判断したらしかった。
「観察と聴取を続けたが、君はもう此処に居場所はないと思う。 君は感情的な嫌悪を一身に集めていて、周りの人間は全員が君を嫌っていて、行動の全てを悪く解釈している」
「そのようですね」
「まったくそれを改善しようと思わないのかね」
「仕事はしています」
それについても確認したと審問官は言う。
わたしの仕事は、どんどん内容を改善している。砦に新しく赴任した兵士は、わたしの悪口を言っていることはあるが。
わたしが直した武器は、新品同様、業物だと言って喜んでいて。わたしが直したと知ると、途端に態度を変えたという事実があるという。わたしに直させるなとまで言う兵士もいたとか。
それはわたしの責任なのだろうか。
更に問題があるという。
アンゼルだ。
「あの騎士が君を高く評価していることは知っているな」
「はい」
「……それも君の孤立に拍車を掛けている。 いずれにしても、この村の状況は典型的な閉鎖的な集落で、一度改革がいるという報告は上には上げる。 だが、それはそれとして、君が正しいということにもならない」
「そうですか」
本当に興味がない。
それを聞くと、審問官は仮面の奧でどう表情を変えたのだろうか。
わたしはまだ十三くらいだ。実際の年齢は分からない。
最近聞いたところによると、幼い頃に栄養を取れていないと背丈は露骨に変わってくるという。
だからわたしが覚えている年月とかを考えても、多分そのくらいという印象なだけで。実際にはもっと幼いかもしれないし。
もっと年上かもしれない。
「君は恐らくだが組織内での行動に向いていない。 懲罰を与えるような必要はないと判断したが、しかし周囲と協調して行動させるのも無意味だと判断した。 そこで、別の部署に移って貰う」
「わかりました」
「それもなんとも思わないのかね」
「なにも」
わたしが主体的にやったことなんて、なにもない。
自意識がだいぶついてきたと思うが、それでも自主的にやってきたことなんて、ほぼないに等しい。
流されているだけだ。
だけれども、わたしにはそもそも。
それ以外に、出来ることがない。
だから指示されれば、やれることはやる。
良く指示待ち人間がどうのこうのと周囲の魔法使いが言っているが。そいつらがわたし以上に仕事ができているかというとそれはノーだ。
魔法の才能という点を加味しても、仕事より陰口をたたいている時間の方が多かったりする。
その上で仕事の精度も低い。
そういう連中が適当にやった仕事の穴埋めを、なんどもわたしがやっている。それを審問官は見ていなかったのだろうか。
「分かった。 君には工場を任せる事になると思う。 仕事だけ指示して、君はそれだけこなせばいい。 君の腕が悪くないし、勉強家なのも此方で確認している。 場所は首都に此処よりは近いが、基本的に他人と関わらない仕事だ」
「それはいいですね」
「そうか……」
審問官の声に哀れみすら混じった。
声を変えていて、仮面まで被って感情を隠しているのに。
そのまま、手続きをする。
教会のクラウスの後釜は、わたしが触る報告書をロクに読みもしないような人間ではあった。
クラウスがどれだけまともで優秀だったのかが、此奴を見れば良く分かる。
ただ、審問官が目を光らせているからか、手続きはちゃんとやった。審問官を見る目に、露骨に怯えが混じっていた。
それから荷物をまとめて、移動する事になる。
今度は工場か。
馬車に乗ろうとする時。
アンゼルが声を掛けて来る。
「アイーシャ!」
「どうかしましたか」
「いいのそれで。 籠の鳥だよ」
「そういわれましても」
次の仕事場でも、寝床と食事は保証されているらしい。風呂については個人用のものまであるそうだ。
何よりも他人と関わる必要が殆どなく。
それどころか仕事だけで判断されるというのなら、これ以上の職場なんて思いつかないくらいだが。
アンゼルはそれを聞いて、大きくため息をついた。
「そろそろいいかなあ」
「なにがですか」
「あたしさ、もう面倒くさくなったんだよね。 このクソ田舎で、他人の顔色伺いながら過ごして、それで悪口を査定に乗せるような連中と関わるの。 アイーシャは塩対応だけど、あたしとちゃんと接してくれる友人だしね。 それがこんな籠送りにされるのを見てると、我慢の限界」
周囲がさっと青ざめる。
審問官が飛び離れる。
アンゼルが、戦闘態勢に入ったのが分かった。
「あたし見てたよ。 このクソ田舎の村のために、黙々とアイーシャは自分なりの努力を続けていたよね。 それを分かりやすくないとかいう訳が分からん理由で全否定して、あまつさえ怠け者だのサボり魔だの。 シリアルキラーのあたしが、シリアルキラーと言われるのは全然かまわないけどさ。 事実だし。 こんなクソ田舎のアホに全く事実と違う評価を友人がされ続けて、迫害までされるのはちょっと我慢ならないわ」
「騎士アンゼル、止めろ! 魔法使いアイーシャは、むしろ工場に向かうことを可としている!」
「黙れ。 自意識が薄い子に対して、適当に言い含めただけだろうが」
取り押さえろ。
そう言った兵士。
だけれど、わたしには、その後の結果が分かりきっていた。
一刻も掛からなかっただろう。
馬車の前で見ていた。
村の人間をあらかたアンゼルが斬り伏せるのを。
兵士が瞬く間にみじん切りにされた。
魔法使いが必死の抵抗をした。無駄だった。
わたしに陰口をたたいていた連中も全員死んだ。
わたしのやり方を散々馬鹿にしていた癖に、まるでアンゼルには手も足も出なかった。
全部斬り捨てられた頃には。
雨が降っていた。
村の人間も、一人残さず斬り捨てられていた。
老人や子供も。
流石にやり過ぎでは無いのかとわたしは思ったけれども。アンゼルはそれでも腹の虫がおさまらないようだった。
審問官は、へたり込んで震えている。
審問官ですら、アンゼルは相手が悪すぎるのだろう。
冷たい雨の中、馬車に乗れと言われて。もうどうしようもないなと、わたしは馬車に乗る。
アンゼルは、審問官に言い捨てる。
「騎士アンゼル、この閉鎖的な村の陰湿なる暴虐に義憤を覚え、誅伐を加える。 そう伝えなよ」
「何を言うか。 そんな報告をするわけがない。 この村に問題があったのは事実だが、いくら何でも貴殿のはやり過ぎだ!」
「知るか。 アイーシャに自衛能力がなければ確定で虐め殺していただろうが。 それを誰かが裁いたとでもいうのか。 あたしは亡命する。 行き先はカヨコンクムにするかな。 追ってくるならどうぞ。 アルテミスでも連れてこない限り、あたしの前では死体を増やすだけだと思うけどね」
「くっ……」
キャハハハと笑うと。
さっとアンゼルは馬にまたがり、馬車を走らせる。
皆殺しにされた村を、馬車は突っ切って抜ける。わたしは大きく嘆息すると、手についていたメダルを外していた。
もうこれは。
この国にはいられない。
村を追放されて、工場にいけばいいだけかと思っていたのだが。
思わぬアンゼルの行動で、スポリファールにすらいられなくなってしまった。
多分魔法でだろう。馬車の外から、アンゼルが話しかけてくる。
「最悪の場合でも、殺人犯はあたしだけだから問題ないよ」
「いや、そうもいかないかと思います。 この国にはもういられないでしょう」
「ま、カヨコンクムに逃げるだけだけどね。 途中野宿になるけど大丈夫?」
「平気です」
野宿なんて慣れている。
スポリファールに来るまでは、毎日野宿だったのだ。
キャハハハと笑うと、アンゼルは馬車を飛ばす。
カヨコンクムまで、一月くらいは掛かるらしい。
カヨコンクムとスポリファールは実際に国境を接しているわけではないらしい。北の方には幾つかの国家があって、状況によってカヨコンクムかスポリファールかで立場を変える。
こういうのを代理戦争というらしいが。
そう言った国を抜けて、カヨコンクムに向かうそうだ。
北の国境での戦いというのは、この代理戦争の事であるらしく。
相手は小国であってもカヨコンクムが支援をしている事もあって、かなり手強いらしい。それらの国の騎士とも、何度もやりあったそうだ。
大した相手はいなかったそうだが。
「戦略上の要地には関所や要塞があるんだけど、山の中はそうでもないからね。 そういう所を抜けて、良く相手国に忍び込んだよ」
「はあ……」
「合法的に殺せるから面白くてね」
「そうなんですね」
分からない世界だから、そう返すしかない。
酷くなる雨の中。
アンゼルの高笑いと一緒に、馬車は走り続けるのだった。
4、八十六人殺し
全滅した村に、調査官が来る。
審問官は意図的にアンゼルに生かされた。それはこのためだった。
村に来た調査官が、惨状に息を呑んでいるのが分かる。
審問官は人前で仮面を外せない。そういう仕組みだ。
これは感情を隠すだけではない。
相手に素性を知られないため、というのもある。
逆恨みを受けるからだ。
審問官ほど、感情を殺さなければいけない仕事はないこともある。表情なんて、他人には見せられないのだ。
「前から問題がある村だったのは知っていたが、それでもこの末路か。 砦を支援する村は、新たに建設するしかないな。 これでは入植からやり直しだろうが」
「そんな事を言っている場合か! これだけの人数が死んだんだぞ!」
「オークを退けた魔法使いに対して魔女狩りごっこに興じていた連中だぞ。 この末路は妥当に思えるがな」
「幼い子供までそうだというのか!」
正義感が強い騎士が、年配の騎士に食ってかかっている。
審問官は一旦調査官を集めると、状況の説明をする。
アンゼルの強さは、相応の訓練をしている審問官も間近で見た。とても生半可な騎士が手に負える相手では無い。
それについて説明する。
それに恐らくだが、一方的に友人だと思っているアイーシャを最悪の場合には守るためにも。
敢えて審問官を生かしただろうことも。
その過程で、調査官が殺された人間は八十六人に達すると報告をして来た。
魔法を使う騎士が発狂したりした場合、とんでもない被害を出す事がある。
だがこれは、それの中でもスポリファールの歴史上に残るほどの人数だ。これほどの不祥事は、他国にまで知られるかも知れなかった。
「ともかく、追っ手を出さないといけない。 普通の騎士では手に負えないという話だが、誰なら相手に出来る」
「騎士アルテミスなら確定で倒せるだろう。 だが……」
「ああ、旧パッナーロで夜盗化した貴族の残党なんかを狩って廻っている。 此方に呼び戻す余裕は無い」
「だとすると軍をまとまった数出すしかない。 あの騎士アンゼルにしても、もう少しまともな場所で面倒を見てもらうしかなかったのだ。 アルテミスのような例外を除くと、我が国でも屈指の実力者だぞ」
それにだ。
亡命すると言っていた。
スポリファールとカヨコンクムには国交がない。
一応外交チャンネルはあるにはあるが、衛星国を介しての代理戦争をずっとやっている間柄だし。
海上で暴れているカヨコンクムのロイヤルネイビーは、商船であっても容赦なく襲う事で知られる。
旧パッナーロで、三国入り乱れての消耗戦にならなかった方が不思議なくらいで。
問題が発生したら、いつ戦いになってもおかしくない。
幸いアンゼルは戦争屋で殺し屋にちかい存在だった。
軍事機密の類は握っていない。
だから必死で追う必要はない。
もう一人のアイーシャに関しては腕がいい魔法使いであり、あの年にしてはできすぎているほどだが。
早熟で知られる魔法使いの世界では、もっと年下でもっとできる子が幾らでもいる。
別に国の至宝と言うほどでもない。
首都にはあの年であのくらい活躍している魔法使いが幾らでもいるし。
この村では、そういう所でついていけなくなった魔法使いが問題を起こして左遷されてきていたのだ。
だからこそ、首都で「ガキのくせに」活躍している魔法使いと被って見えて。
それでアイーシャに冷たく当たっていたというのはあるのだろう。
当のアイーシャがそれに対してなんとも思っていない様子が、左遷された魔法使い達の怒りを更に煽っていたようだが。
流石にアイーシャに全ての責任があるとは、審問官も思っていない。
だから工場での仕事を斡旋しようと思ったのに。
アンゼルがあんな早まった真似をしなければ。
ただ、何もかも巡り合わせが悪かったとは言え。
この村にも責任があったのは事実。
更に言えば。
アンゼルが裁かなければ、この村の人間はなんら社会的な掣肘を受けることもなかったのだろう。
アンゼルはそれも知っていた上で、敢えてあんな風に暴れて見せた。
やり方は間違っているが。
ただ、それを審問官も、色々思うところがあるのだった。
「それで具体的な対策は……」
「私は事実だけ伝えた。 首都に戻って報告書を書く。 アンゼルの戦力は何度も言うが、下手な追撃部隊なんか出しても全部返り討ちになるだけだ。 軍の特務でも要請するんだな」
「分かった。 確かに短時間でこれだけの殺戮を行える上に、軍で潜入工作から何までこなし、膨大な戦果を上げてきている凄腕だ。 早馬を出して、対策を仰ぐ」
「……」
対策をするにしても間に合わないだろうな。
軍の特務はほとんどがパッナーロにいるし、アンゼルは特務の中でも腕利きで、あのアプサラス騎士隊長の麾下にいた人物だ。
北の国境で戦っているのは主に集団戦向きの兵士達で、一点突破に向いたアンゼルの好餌にしかならない。
軍の面子もあるから追撃は出さなければならないだろうが。
被害が小さくなることを祈るしかない。
クラウスが倒れなければ、もう少し状況はマシだったかも知れない。
クラウスがいなくなってから、村の状況の悪化に歯止めが掛からなくなったのは、審問官も見ている。
審問官は露骨に村の人間がアイーシャに全ての悪を押しつけていくのを間近で見て、アンゼルとは違う方向で義憤さえ覚えた。
アイーシャの魔法使いとしての技量は間違いなく優れていた。同格の魔法使いが幾らでもいるとしても。
人材は無限では無い。
いくらでも必要なのだから。
それを思うと、この村の愚劣な行為は許しがたい。
それもまた、事実だった。
ともかくもうできる事はない。
疲れきった体を引きずって、乗り合い馬車で首都に戻る。
巡り合わせが悪かったのは事実だ。
だが、この結末はあんまりだ。
そう、嘆きとともに、声が漏れていた。
(続)
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