規律と異端

 

序、連れてこられた先で

 

スポリファールに連れてこられて、しばらくは何ができるかを再度示して。それからは更に何ができそうかを学ぶ事になった。

魔法は出来る奴は出来るけれど、出来ない奴は出来ない。

ただ魔法が出来る奴の種類を全て調べ上げて。

如何にその力を引き出すか。

それを学問にしているのがスポリファールであるのだと、わたしは教えられる。そういうものなのかとだけ思ったけれど。

とにかく順番に教わって、魔法を使う力……魔力というらしいけれど。それをどうやって高めるかも教わった。

それを聞いて分かったのは、フラムはどうやらそのやり方を知らないまま魔法を覚えてしまって。

それで寿命を著しく縮めたらしいこと。

もっともあの性格では、フラムはどの道魔法に手を出したら長生き出来なかっただろうとわたしは思うが。

もうフラムは死んでいる。

それについては、わたしは確信している。

それについてどうとも思わない。

フラムも、自分を悼んでくれとか、そういうことは考えていないだろう。伯爵を多分フラムは殺して。

それで全て満足したのだと思う。

ともかく勉強をする。

実際少しずつ使える魔法が強くなるのが分かる。

生きるために使って来た魔法は、結局のところ今まで全て自分のために使っているものだった。

余裕が無かったからだ。

勉強は砂漠の果てにある「城塞都市」で行っていたのだけれど。

此処でさえ軍隊はいるけれど、それはそれで人が生活していて。それでみんな明るい顔をしている。

百年くらい前にパッナーロ国の軍隊が、此処で手当たり次第に人を殺して。持ち物も奪った。

それが戦争の引き金になった。

初動こそ遅れたものの、まとまった軍勢を出したスポリファール国は戦争でパッナーロ国の軍隊を殆ど全滅させて。

それでも、焼かれ壊れた街はどうにもならなかった。

それで百年掛けて再建したのがこの街。

だからこの街では避難訓練を常にするし。

住んでいる人も逞しくて、いざという時は軍隊と一緒に戦う覚悟ができていると言うことだった。

一月が過ぎた頃には、わたしは生活に慣れ始めていたし。

少しずつ話を小耳に挟んだ。

パッナーロ国での戦闘は、スポリファール国だけではない。北からも西からも大きな国が攻めこんだらしくて。

スポリファール国は右往左往していたパッナーロ国の軍隊を背後から襲って殆ど全滅させ。

それがきっかけになって、国はほぼ崩壊したそうだ。

今は破滅寸前の国を、大国三つが切り取り続けているらしい。

酷い話だけれど。

伯爵領でのことが、何処でも起きているのだとすれば。

あんな国はさっさと潰れてしまうといい。

賢者というのは、何百年前かにたくさん現れた人が名乗っていた二つ名らしいけれど。賢い者という意味だそうだ。

賢い人が作った国にしては、あまりにも酷すぎる。

何一つわたしはその国に恩を受けていない。

滅びる事にも、なんとも思う事ができない。

でも、それは他人の事を考える余裕がないからなのだと。わたしは少しずつ分かり始めている。

今のわたしは、フラムと同じで。

根本的には野獣なのかも知れなかった。

勉強を終えて、それでできる事が概ね登録されて。

それから、スポリファールの南にある都市に行くようにと言われた。一緒に来た五十人ほどは、みんなバラバラにそれぞれの仕事をするという。

飯炊きのおばさんとは最後にあった。

此処でコックというのをするらしい。飯炊きよりもだいぶしっかりした仕事らしくて、安心しているそうだ。

軽く話をしたが、それだけ。

わたしには、家族もいなかったし。

荒んでいるのだろう。

誰が死のうと、可哀想とも思えなかった。

今後はそれができるようになるかは。

まだ分からない。

 

砂漠馬とは違う、普通の馬が引く馬車で街道を移動する。乗合馬車というらしくて、これが街と街の間を通っているそうだ。

スポリファールでは情報を急いでやりとりする事もあって、技術の発達が早い。

馬車は全く揺れない。

車軸とかの技術もまるでパッナーロとは別物だそうである。

というよりも。

彼方が技術の進歩を捨てて、胡座を掻いて現状に満足してしまった。それが全てなのだろう。

移動する過程で、一緒に移動する何人かと話をする。

移動先の街は、水の都なんて言われている場所で。ただ優雅な文化の都市などではなくて、南から時々侵入してくる「野蛮な」国の軍隊に対応するための、重要な都市なのだとか。

人間の住んでいる数はわたしがいた伯爵領とたいして代わらないらしいけれど。

頑丈な城壁があるとても立派な街らしい。

まあ見てみないと分からない。

わたしが魔法使いだと言う事がわかると、子供だからといって侮られることはなかった。魔法を使える人間は早熟なことが多くて、使える事が分かると徹底的に躾けられる。魔法で非行を行う事は最大の罪らしくて、魔法使いは尊敬されると同時に監視もされている。わたしを見る目に、壁ができたのが何となく分かった。

軍隊などに魔法使いは配属されることが多く、戦える人間は騎士などになって、すごくたくさん給料を貰えるとか。

ただしその子供が厚遇されるかというとそんなこともなく。

だいたいの騎士は一代だけ。

三代続いている騎士は希だそうである。

わたしよりだいぶ年上そうな、豊かな生活に慣れた雰囲気の女性が二人話している。

「この辺りの道って、山賊やらはでないのでしたっけ」

「この辺りは出ませんね。 出る場合はだいたい武装警邏がつきます。 南の国が攻めてきているときは、関係無く警邏がつきますけど」

「警邏の方々ってとても野蛮なのですよね」

「そうはいいますけれど、警邏の人々がいなければ、我等なんてパッナーロの人間に皆殺しにされてしまいます」

まあ、そう考えるだろうな。

あの惨状と悲惨な実力差をこの人達はしらない。

最初のあの殺された伯爵領にいた先生と違って、わたしにスポリファールで魔法を仕込んだ人は。

みんなもの凄く理論的で丁寧に指導してくれたけれど。

それはそれとして、パッナーロから逃げてきたと知ると。目に警戒を浮かべていた。

それをわたしはよく覚えている。

子供ですら警戒されるのだ。

大人はもっと大変だろうなと、わたしは同情するしかない。

「有名な亜人は駆逐されたと聞いていますけれど」

「南の国では亜人が人間に混じって軍隊にいるそうですよ。 ただ飼い慣らされているという雰囲気で、使い捨ての駒だそうですけれど」

「やだ乱暴。 奴隷とか使ったり、どうしてこう残忍なのかしら」

「国が貧しいと、心も貧しくなると言う事らしいですね」

そうだろうか。

伯爵家の人間なんて、どれだけ金を持っていても荒みきった心だったし。ろくでもない人間だった。

豊かな生活をしていても、心が豊かになんかならない。それは実例を見て、よく分かっている。実際殺されかけているのだ。そうでない人間よりも、余程このことを口にする資格がある。

ただ、それはそれとして。貧しいと心が貧しくなるのは事実かも知れない。

わたしなんかが良い例だ。

そうなると、どうすれば心が豊かになるのかは分からない。生活に余裕があると、だろうか。だが、そうともどうにも思えないのだ。

話を何度か振られたが、にこりとするだけ返す。

わたしには話せる知識がない。

相手もわたしがローブを被った魔法使いだと分かっているからか、不要な干渉はしてこなかった。

途中の宿場町で何度か休む。

宿に盗みが入るような事もなく、夜は街灯というので明るい。

夜の度に誰かの断末魔が響いて。

それを五月蠅いと怒鳴り合っていた伯爵領とはえらい違いである。

でも、此処が楽園だと考えるほど、わたしも警戒心を解いていない。ただ生活水準は、あちらよりずっと良さそうだけれど。

なお先払いで給金は貰っている。

それで旅費は出さなければならず、ご飯についても温かくても少し心配だった。どれだけ向こうに着いたあと、生活が維持できるか分からない。

わたしは投資された。

その話を何度かされている。

魔法を使える人間は、国にとっての財産だ。

だから大事にするし、投資もする。

使い潰さないように、魔力の使い方も鍛える。それで壊れないように長く魔法使いとしてやれるようにする。

適性がある人間は軍隊に入って、国の軍事力そのものになる。

わたしは戦闘適性がないから、国を支える支援役としての魔法使いとなる。それだけでも、大きな国の力になる。

だから投資するのだ。

あくまで国のため。

わたしのためではない。

それを心得て行動して欲しい。

何度か、そう念を押された。

確かに、パッナーロ国にいたころは、意識したこともなかった税金。

向こうでは伯爵が懐に入れて、それで自分だけ贅沢をしているもの、くらいにしか考えていなかったし。

わたしみたいな犯罪組織に飼われていたり、物乞いだった人間には全く関係がないものだったけれど。

此処みたいに税を納めるのが当たり前で。

それがきちんと動いている国の場合。

皆が出し合っている税なのだ。

国のためでは無い事に使うのは、言語道断だという理屈も分かるのである。

休んで、すぐに乗合馬車で行く。

乗合馬車を引いている馬は、何度かパッナーロでみたものより足が太く体が頑丈で、つやつやしていた。

きちんと食べているんだな。

そうわたしは思って、ちょっと悲しくなる。

これについても、わたしも同じ。

こっちの十歳の子供は、わたしよりだいぶ背が高いと思う。

それくらい、発育が違う。

今はただ、ここに来られた幸運を喜ぶしかないのかも知れない。それでも、フラムに感謝する気にはなれなかったけれど。

時々、乗合馬車の窓から、一緒に乗っている客が外を見てわいわい騒いでいた。

確かに美しい景色だけど。

わたしはどうしても、恐ろしい動物がいるのでは無いかと警戒してしまう。

今でも風の魔法で常に害意を察知するべく警戒態勢を取っているのだ。これはもう、本能かも知れなかった。

数日の旅を経て、目的地につく。

信じられないくらい高い壁にある門を通って、その中に。

中にある街には水路が通っている。

死体とか平気で流れていて、糞便まみれだった伯爵領の側溝とはえらい違いで、きらきら水が輝いている。

馬車は此処まで。

後は渡された紙に従って、街を歩く。

人はそれなりにいるけれど、わたしを獲物として見ている視線は今の所ない。風の魔法で警戒を続けているけれど。

少なくとも、それに引っ掛かる事もない。

行き交う人々は綺麗な服を着ていて、笑っている人も多い。動物を連れている人もいた。伯爵領だったら、みんなさらわれて身ぐるみ剥がされて殺される。殺されてばらされて肉は売られて。動物なんてその場で食べられてしまっていただろう。

わたしが平気だったのはフラムに飼われていたから。

それを理解しているから、どうしてもこの光景は違和感しかない。

こんなに国によって何もかも違うのか。

そう思うと、ぞっとしてしまう。

大きな通りを街の真ん中へ歩いて行って、赤い三角屋根の建物に入る。そこでメダルを見せて、手続きをすれば、後は案内してくれる。

そう言われていたが、赤い三角屋根の建物があんまりにも大きくて、石造りで多分四階建てくらいあったので、見逃すところだった。

こんな所でも技術力が違うのか。

ただ、これも良い事かは分からない。

勉強を教わっている間に聞いたのだけれど。なにもかも進歩を放棄したパッナーロ国と違って、周辺国は他に優位を取るために、火が出るような進歩の競争を続けているのだとか。

新しい武器とかが開発されても、誰も驚かない。

先に開発されたかという悔しさを感じる事はあっても。

こんな武器がある訳がないという感情は、誰も抱かないのだそうだ。

中に入ると、いい臭いまでする。

中はとても清潔で整理されていて、それで空気まで静かだ。大きな声は公共の場では出さないように。

魔法の教育を受けながら、そう言われた。

もっともわたしの様子を見て、その心配は無さそうだなと、どの先生も哀れみをもって言ったのだが。

受付と書かれている場所に言って、手の甲に貼り付いているメダルを見せる。

受けつけにいた若い男性は、メダルに何かの機械をかざして。それで待つようにと言われた。

一時間でも待つのかなと思ったけれど。

すぐに戻ってくる。

「アイーシャ様ですね。 水の都ハイベルムにようこそいらっしゃいました」

「はい」

十歳の子供が様付けで呼ばれるのか。

ちょっと驚いてしまう。

ただそれもまたこう言う国だと言う事なのだろう。

それから預かっている手紙を渡して、後はつれて行かれる。

順番に一つずつ手続きをさせられた。

わたしはやっと名前を書けるようになったばかり。指先に赤いのをつけて、書類に押して。名前とか、他の事も色々と書く。

住所も何もないけれども。

それについては、あのおっかない女騎士が保証してくれたらしくて、仮の住所に住むことになった。

わんさか書類を渡されて、無くさないように言われる。

そう言われても、ここに来るときに渡された鞄にいれるくらいしかない。ローブも鞄も、全部税金で出たものだ。

なくすわけにはいかない。

それから、年配の男性が出て来て、つれて行かれる。

昔だったら恐怖を感じていたかも知れないけれど、今はそんなこともない。伯爵領だったら、白昼堂々強姦なんて珍しくもなかった。今でこそ意味が分かるけど。フラムの所にいた頃は、意味も分からないまま、悲鳴を上げる女の人を、男が集って虐めているくらいにしか思わなかったし。此処ではそれはない。今はそれを理解しているので、今更どうこうも思わない。

街の中にある魔法教会というのに私は所属することになった。

それは以前から聞かされていた。

魔法を教える会なので、教会であるそうだ。

此処に仕事が来て、専門の魔法使いに仕事がまわされ。そして解決する事を目的としていく。

基本的に適性に応じて仕事はくるが。

此処は南にある「蛮族の国」に備えた都市でもある。

実際にはもっと南に幾つかの「砦」があって、其処に専業の兵士が詰めているらしく。

戦いが起きるとすると、それらの砦の辺りがほとんどだそうで。

この街まで敵が攻めてきたのは九十年も前が最後だそうだ。それも撃退されていて、今はしつこく越境してくる敵軍を毎回追い払っているそうだが。

ちいさな部屋が与えられた。

此処が当面はわたしの家だ。

小さいといっても、わたしが放り込まれていた襤褸小屋よりマシだし。寝床は虱だらけの藁ではない。

柔らかい寝台で、しかも掃除専門の仕事の人が、毎日綺麗にまでしてくれている。

今日は疲れているだろうし、休むように。

そう言われて、食事まで出た。

ただ此処からは仕事に応じて給金が出る。

部屋や食事なども当然お金が掛かるそうで。

稼いだお金と蓄えているお金がゼロを下回った場合は、どんどん国への借金が増えていくのだとか。

その場合はどんどん国に縛られていくことになるという。

逆にきちんと仕事をしていくと、自分の財産はどんどん増えていき。趣味の品を買ったり、或いは結婚とか、土地を持つことも出来るそうだが。

あくまでそれは自分のもの。

家族やら子供やらに、その財産を渡すことはできないそうだ。

全て自分でやらなければならない。

それがこの国だ。

何もできない人にも、その人用の仕事まで用意されている。

わたしは、この国にまだ来たばかりだ。

ともかく今は。

最初に用意して貰ったもろもろをどうにかするために。この国でやっていくことを、考えなければならない。

部屋には硝子のはまった窓があって、街の様子が見える。

此処からだと、城壁が見えていて、その高さがよく分かる。

今まで攻めてきた南の国とこの街で戦いになったことはあっても、あの城壁が越えられたことは一度もないらしい。

ただそれはあくまで今までの話。

油断はしないようにとも言われた。

わたしにそんなことを言われても、できる事なんてないと思うけれど。

今はただ、疲れを取るべく、眠るしかなかった。

 

1、全ては税金と生活のため

 

朝、部屋に鐘の音が鳴らされて、起こされる。どうしても起きないと、直に誰かが起こしに来る。

これも専門の人がやるらしい。

寝起きで機嫌が悪い人もいるし、相手は魔法使いだから、結構命がけの仕事になるのだとか。

わたしは起きるのは苦にならない。

というよりも、元々鶏が鳴くのにあわせて起きていたのだ。

鶏のお肉なんて贅沢品、ついぞ食べる事もなかったが。

ローブを着て、そのまま朝ご飯に出る。

きちんと量が出るが、これは魔法使いの力が、体調に影響すると既に古くから分かっているから、らしい。

温かい上に量もあって、お肉まで入っているご飯を食べる。

しばらくもくもくと食べたあと、自分で仕事を既に持っている人は先にそそくさと出かけていく。

わたしは最初は仕事を割り振られるので、それをこなすように。

そう言われていたので、それを待つ。

ほどなくして、わたしは呼ばれた。

相手は剣呑そうなおじさんだ。私とおなじくらいの年の、なんだか頭が悪そうな子を連れていた。

「しばらくはこのピッカーと組んでもらう」

「ちっ、またガキと組むのかよ」

拳骨が直後にピッカーとか言う頭の悪そうなのに直撃したので、わたしは驚いた。これはどうやら、親子らしい。

ピッカーという頭が悪そうな男の子は、舌打ちする。

「まずは街に出て、指示通りに仕事をするように。 以上」

頷くと、席を立った。

途中で不機嫌そうなピッカーとかいうのが、声を掛けて来る。互いに名乗ると、ピッカーは色々文句をいきなり垂れ流し始める。

「従軍している魔法使いは今パッナーロで大活躍なんだろ。 羨ましいなあ。 隕石の魔法を使ったりしてさ」

「地獄ですよ彼処は」

「そうなのか。 従軍経験があるのかお前」

ふっと笑う。

それはないけれど。

彼処には住んでいた。

ただし、それをいうのは止めた方が良いだろう。此処で教わるときにも、それは言わないようにと言われている。

そのまま街に出る。わたしはあんまり何処にいるか良く分からないので、ピッカーに案内して貰う。

案内された先は水路だ。

水路の一部が破損している。美しい水路の一部が崩れて、道路にも罅が入っていた。確かに拡大すると面倒だ。

「修理は専門の奴がやる。 俺たちは此処の状態確認だ……て」

「すぐにやります」

「お、おう」

私は風の魔法で、即座に破損場所を確認。

なるほど、毎日馬車が通っていて、それで傷んでいたんだ。結構深い所までダメージが行っている。

このままだともっと崩れるだろうと思う。

それと風の魔法を通して見て分かったのだけれど、これはあくまで水路であって、見栄えのために設置されているもの。

下水は下水で別にあって。

それは土の下を通しているようだ。

下水がどこに向かっているのかはわからないけれど。

いずれにしても、下水は何処か遠くへ運んで。其処で一斉に処理をしているらしい。まあ、汚いものは隠しているというわけか。

「かなり傷んでいますし、この辺りいつ崩れてもおかしくないですね」

「そ、そうか。 手際が良いな」

「すぐに連絡しましょう」

「ああ」

わたしもこれを即座に直せないし、なにより専門の人がやるというならそれに任せるだけだ。

わたしも言われた以上の事をするつもりはない。

これは癖だ。

魔法を使うとおなかが減る。

フラムの所にいた時は特にそうだったけれど、風の魔法で常に周囲を警戒していないと、危なくて仕方がなかった。

フラムが飼っている魔法使いと言う事で、わたしを殺しに来た奴とはなんどもあった事がある。

それを全部風の魔法で、フラムの手下が来るまで放り投げたりで追い払って。それでどうにか生きてきたのだが。

それをやった後は、おなかがすいた。

更に言うと、それをやるには、おなかがすいていては無理だった。

だから言われた以上の事はしない。

できない事はやろうとしない。

それは生きるために、自然と身についた事だった。

土地勘がないわたしが残って、ピッカーが戻る。程なくして大人が数人来て、看板を立てて立ち入り禁止と周囲に呼びかけた。

土魔法を使うかなり凄そうな魔法使いが来たので、状態を説明する。

同じく風魔法を使う人が来て、わたしの説明が正しいかを確認。

「驚いた、非常に正確だ」

「よく早期に見つけてくれた。 ここは大工事になるから、すぐに離れなさい」

「わかりました」

ちなみに二人ともごっついおじさんで、どっちも同じ顔をしていた。双子と言う奴らしい。

わたしは誰かが入らないように、立ち入り禁止の見張りをするのを指示されたので、風魔法で壁を作る。

ピッカーも同じ事を指示されたらしくて。

こっちは無駄に大きな声で、危ないから近付かないでくださいと叫んでいた。

土魔法の人が魔法を使うと、崩れかけていた水路の壁や道路が持ち上がり、空中に浮き上がっていく。

そして、壊れている部分を細かい砂だのが入り込んで、即座にがっちり固めていく。

風魔法の人は、それの細かい制御をしているようだ。

後から、馬車が来て、石材とかを運んでくる。

それらの石材も、土魔法の人が空に浮かせて、それで必要な場所に運んで行くのだった。

崩れかけていた辺りを、全部まとめて修理して。

それで綺麗に片がつく。

半日もかかっていない。

「よし、これでいいだろう。 ええと、アイーシャといったな」

「はい」

「君の方でも確認してくれ。 風魔法で、壊れていないか調べられるはずだ」

「わかりました」

一人でやると、人間はどうしても失敗する。

一人で絶対に失敗しないのを最高とするみたいな考えはバカが考える事で。絶対に失敗がある事を前提に、ものは進めるべきだ。

そういう思考を教えられた。

それで、二人でチェックをするらしい。

これは仕事ができるできないの話ではなくて、現場では当たり前にやるべき事なのであって。

人間の力を過剰に信じないということで、巨大なミスがそのままにされるのを防ぐ目的があり。

更にいい加減な人間が適当な仕事をすることを防ぐためでもあるという。

そのままチェックして、水路も道路も問題がない事を確認。

大丈夫と応えると、よしと大きな声を出されたので、ちょっと驚いた。

「それでは引き上げてくれ。 発見が早くて助かったな。 これは午後は楽ができそうだ」

「何を言っている。 報告書を書かなければならないだろう」

「そういえばそうだった。 アイーシャとピッカーは、まだ難しいだろう。 一応後で聞き取りが入るから、それには応えておいてくれ」

「あーい」

やる気がないピッカーの応え。

わたしははいとだけこたえておいた。

そのまま戻る。

ピッカーは、褒めてくる。

「すげえなお前。 首都で抜擢制度で見つけられたのか? たまに凄い天才が出るらしいって聞いているけど」

「いえ」

「無口な奴だな。 俺なんかたまたま魔法がちょっと使えただけで、訓練してもあんまり伸びなかったんだけどな」

よく分からないが。

それで奴隷商に売られたりしないのだから、いいのではないかと思う。

教会に戻ると、昼食にする。

もう仕事が終わったのかと、朝仕事を持ってきたおじさんは驚いていたが。いずれにしても聞き取りをされたので、それに答える。

その後はおじさんが紙を持ってきた。

紙か。

これもこっちに来てから初めて見たな。

伯爵領で読んだ本はいわゆる羊皮紙で、ごわごわだった。こっちのは植物性の紙である。

ペンもだ。

インクの他に墨というのもこっちではたくさん普及している。墨は千年の時を越えるとかで、インクよりも利便性が高いそうだ。ただインクの方が安いのだとか。こういう所での書類は、基本インクで書く。

言われた通りに、ペンで記載をする。

紙はつやつやで、触っていてごわごわしない。インクもしみない。

そのまま書き終えると、おじさんが書類を持っていく。これも国でどう書くかの規格が決まっているらしくて。

それにそって簡単に報告を挙げられるように、対応がされているようだった。

「はーめんど。 これでもずっと楽にはなったらしいんだけどな」

「……」

「本当にしゃべらねえなお前。 別にもう少し喋っても罰は当たらないと思うけどな」

そう言われても。

そもそもあまり喋る習慣がないのである。

いずれにしても、笑顔すらあんまり上手に浮かべられないのである。だから、人と接するのは得意ではない。

昼過ぎにあの土魔法と風魔法の双子が戻ってきて、後は今日の仕事は終わりになる。

午後はそれぞれ、中庭に出て、魔法の訓練をする。

わたしは体質的な問題で魔力量は放っておいても伸びるので、応用を身につけるようにと言われている。教会の本を借りて、其処に書かれている魔法の応用について、順番に試して行く。

風の魔法は極めると、非常に殺傷力が高くなるらしいが。

同時に応用することで、人を助ける事も出来るようになるらしい。

表裏一体だといっていたっけ。

わたしはどうも人を効率よく殺すような魔法は余り得意ではないみたいである。なんというか、抑えが掛かってしまう。

暴力というのを、間近で幼い頃から浴びて、見続けたからかもしれない。暴力はとても苦手だ。どうしても身が竦んでしまう。ただ、それは自分で行うのが苦手だというだけ。暴力そのものについては、見ていてもなんとも思わない。

とにかく、風の魔法を張り巡らせる。

やがては空を飛ぶことも出来るかもしれない。

そう言われていた。

ただそれには、風の魔法の制御が、もっともっと必要だとも。

自力で応用をしろ。

ある程度教わったあと、先生方にはそういわれた。

わたしは色々と先人が残した資料を見ながら、魔法の錬磨を練習する。練習するが、それで上達したら苦労などない。

午後一杯練習をして。

それで随分とおなかがすいた。

魔法を使った後のこの飢餓感。

とても懐かしいものだった。

夕食にはそれなりにちゃんと食事が出たが、足りない。

渡されている給金から追加を出して、それで食べる。がつがつ食べているわたしを見て、ぎょっとするピッカー。

良い所で産まれ育ったのだろうし。

身を焼くような飢餓なんか、経験したこともないんだろう。

それはいいことだ。

あんなもの、経験しないにこしたことはない。

おなかがいっぱいになるというよりも。

減っていたものを足したという感覚。

美味しいと感じる前に。

まずは栄養が欲しいと感じてしまう。

この辺り、わたしは人間として色々と欠落しているのだと思う。それについては、フラムにも俺も似たようなものだとケケケとか側で笑われたっけ。何も楽しくはなかったが。フラムには同類の意識があったのかも知れなかった。

眠るのも、あまり上手く行かない。

体の中で魔力がうねりを上げて暴れているようだ。

生体魔力の量は相当なものだと、先生方はいっていた。

それは古い時代に暴れていた勇者だの賢者だのの同類とは比較にもならない程度だろうし。

この国限定でもトップでもなんでもないのだろうけれど。

それでも、わたし自身が持て余す程度にはあるということだ。

しかもこの国では、二十歳過ぎて魔法が使えなくなるような体質を一種の病気としていて。

治療法まで完備しているらしい。

この餓えと乾きと持て余す力。

一生つきあっていかないといけないんだろうな。

そう思うと。

わたしはベッドの中で、あまり幸せな気分では無い。

ノミ虱だらけの藁よりも。

何十倍も快適だというのに。

 

仕事は与えられた分をこなす。時間内にこなせない場合は、支援が入る。もしもこなせないのを話さない場合。大きな減点が入る。意図的にできる事をしなかった場合にも減点が入る。

減点が入ると給料が天引きされる。

生活のためのお金は支給されるが、最初はマイナスになることも多くて。

それが国に対する借金になる。

そういった事は、働きながら話す。

昔は時間内に仕事をすることをノルマと言っていたそうだ。こう言う言葉はだいたい古い時代に持ち込まれたものらしく、語源はよく分かっていないそうだが。ともかく、ノルマだけ設定すると、失態を黙っている人間が続出したため。失態を黙っている方のペナルティを重くしたのだとか。

ペナルティにしてもその人間を使えなくするものではなく。

基本的に国に借金をすることで、最後まで絞り出すようにしてその人間を使い切る。

そういう意図があるらしい。

大人達が話しているのを横で聞きながら、淡々と粥をすする。

最近は歯がちゃんとしてきて、堅いのを食べるのが苦にならないが。フラムに拾われた頃は、砕けた歯も多かったし、痛くて堅いものなんて食べられなかった。あの伯爵に首が折れるような殴られ方をしたときに砕けたのかも知れない。伯爵は躾がどうとか喚いていたが。奴が死んだだろう今はどうでもいい。

パンも食べる。

焼きたてだから柔らかい。若干甘いくらいだ。

これもスポリファールにきてからまともなのを食べる機会が増えた。

少なくとも魔法使いをしている限り。

どれだけ役立たずでも食べていけるし。

国に縛られるとしても、まともな家屋内で暮らしていける。

それだけでもパッナーロと比べてどれだけマシなのか分からない。

仕事に出る。

今日は街の外の仕事だ。

城壁の確認をして、傷んでいる場所がないか調べる。

ぴっちりくまれた石壁。

攻めてくる蛮族だかの残した傷跡なんて一つも見当たらない。

見上げるどころか、途中で何度も見た山みたいな偉容だ。パッナーロでも王都ではこういう壁があるらしいけれど。

伯爵領にはこんなのはなかったな。

そう思って、感心しながら、仕事をする。

風の魔法を使って、彼方此方細かく調べて行く。隙間ができていないか。隙間ができていると、其処から崩れる。

堤防は蟻の穴から崩れるなんて言葉があるらしくて。

とにかくだめな所は徹底的に補修するようにとわたしは言われている。

何手かに別れて調べながら、わたしは見つけていく。

結構上の方でも、風の魔法で亀裂なんかは調べる事ができる。

幾ら綺麗に繕っていても。

内部に駄目な箇所ができている場所はある。

それらについては、目印をつけておく。

後でまとめて対応するためだ。

もともと背も低いわたしでは、手だって届かないので。風の魔法と土の魔法を利用して、問題がある地点には貰っている紙を貼り付けておく。

それで一目で分かる。

少しずつ横に移動しながら、丁寧に城壁を上から下まで調べて行く。

飛べるなら、もっと効率が良くなりそうだ。

できる事は多いほどいい。

一つの事を極めるにしても。その極めるのには、多くの事を極めて、初めて完全になる。そうこっちに来てからの先生の一人が言っていた。

そういう極めている人を見た事があるのだろう。

本当に、伯爵の所にいた先生はなんだったのか。まあ本人も、色々あれは不本意だったのだろうが。

やがてまたあのごっつい双子が来る。

昼ご飯の後に聴取をして。それでわたしが担当した場所の説明をすると。やはりレベル違いの魔法を駆使して、問題の地点を直して行く。

あれはまだまだ真似できない。

昼から夕方にかけても順番に調査していく。

やがて陽が落ちた頃に、此処までと声が掛かった。わたしは指定されていた地点をだいぶ大幅に超えて調査を終えていた。

「今日はここまでだ。 戻るように」

「どうせ南の国なんて此処まで攻めてこられないだろ」

「そういう油断を前の侵攻では突かれて、多くの民間人が殺されたり拉致されたりしたそうだ。 個人で同じ失敗を繰り返すのは勝手だが、それで多くの人が死ぬことは許されない」

そんな話をしている。

教会に戻ると、今日もぐっと疲れた。わたしの仕事にたいして、査定がつけられているのを横目に、食事にする。

別にどうでも良い。

食事が出るし、屋根がある所で寝られるし、ベッドに虫はいないし。

それだけで充分過ぎる程だ。

「あの子供、かなりできるらしいが」

「ああ、でもパッナーロの難民なんだろ」

「そうらしい。 ただあの切れ者で知られるアプサラス騎士隊長の推薦まで持ってるらしくてな」

「或いは向こうでの協力者だったのかもな」

聞き覚えのある名前だ。

余り興味がないので、さっさと行く。

後ろで、話しているのが聞こえた。

「パッナーロの主力軍を撃破する戦いで大活躍したらしい立役者の言葉だ。 無碍にも出来ないんだろうが」

「それでも警戒はしろってことか」

「面倒だな。 それにあんな子供だぞ」

「腐っても賢者の末裔の国だ。 最低限の警戒はしておかないといけないんだろうよ」

誰も貴族とやらが魔法なんか使えなかったらしいのに?

わたしはちょっと呆れた。

虚像に怯えているのが分かる。

百年前だかに、パッナーロの軍隊が、この国でやりたい放題をした時も。決死の思いでこの国の軍は立ち向かったのだろうけれど。

それまでは、相手の虚像に怯えきっていたのだろう。

砂漠を隔ててなお、怯えきるほどの超大国として認識していた。

そういうことなんだろうなと思う。

わたしはあの国の実情について話してやってもいいんだけどと思ったけれど、放っておく。

誤解を解く、だったっけ。

わたしはそれに興味がない。

興味がないというよりも、できると思っていない。

一度こうだと決めつけて考えた事を、絶対に曲げない人間はこの世に幾らでも存在している。

そういった人間は決めつけて考えているから、何を言っても無駄である。

だからどうでもいい。

わたし自身だって、どうなってもいいと思っている。

仕事も終わったので寝る。

そういう日が続いていく。

 

2、平穏が終わる

 

街の外で、ゴブリンが目撃された。

そういう話が出ると同時に、一気に街が緊張に包まれるのが分かった。

わたしがここに来て一年。

やっと馴染んできたのにな。

そう思って、わたしはうんざりしていた。

一年で背が少し伸びて、魔法も使えることが増えた。ただ、別に天才だのと言われる事はない。

あの双子のごっついのにはとても今でも勝てる気はしないし。

もっと凄いのが幾らでもいるらしい。

それよりもゴブリンというのはなんだ。

わたしは仕事に関係してくるから、仕事終わりの夕方に上司に話を聞きに行く。

一年経過する頃には。

既に王都が陥落して、国王が捕虜になったらしいパッナーロの話は聞いたし。わたしが其処から来たらしい事は、誰もが知っていた。

仕事をしていれば文句は言われない。

だから、仕事はしていた。

それだけだ。

仕事に関係するから、話は聞いておく。

南の国が亜人を使う事。亜人にはゴブリンとかオークとかいうのがいるらしいこと。それは聞いた事があったが。

魔法の訓練に毎日力を注いでいて。

それに関する本しか読んでいなかったので。

具体的には知らなかったのだ。

上司は話を聞かれると、咳払いした。今の上司は何度か替わって、堅い感じの硬質の美貌を持つ妙齢の女性である。しゃべり方は極めて堅く、堅物と周りには言われているが。相応に好かれてもいるらしい。

ちなみに周囲では噂になっていないが、四つも年下の男を家に囲い込んでいるのをわたしは知っている。偶然からだが。まあ、どうでもいいので周りには話していない。

「南の国……ハルメン王国が使役している、此方では一括して「準知的種族」と分類している存在だ」

「準知的?」

「古くに持ち込まれた概念だ。 なんでも猿の遠い子孫であることは我等と同じらしいのだが、より大きく、より力が強く、ただし頭が悪い方向で生物としてある存在であるのだそうだ」

おかしな話だな。

人間が知的だなんて微塵も思わないが。

それよりアホなのだとすると、度が越えてアホなんだろうなと思う。

上司は水の魔法を駆使して、形を作って見せる。

ゴブリンというのは、わたしくらいの背丈の人間に似た種族らしくて。特性として頭に髪の毛がなく、牙が鋭いそうだ。肌は青緑で、人間には見られない肌の色なので、一目で分かるのだとか。衣服は腰布くらいしかつけないそうである。肌を晒しているが、屈強で、下手な弓矢くらいなら肌で弾くことすらあるらしい。全身は非常に筋肉質で、力も生半可な屈強な兵士よりずっと強いらしい。

人間より平均的に背が低いが、人間より猫背で歩いて、走るときは四つ足になるという。その方が早く走れるらしい。

武器は棍棒なんかは使えるらしいが、弓矢は使えない。

人間に比べて目がよくて、とにかく夜目が利く。

古くは人間の女を手当たり次第にさらって食べるとか自分達の子供を産ませるとかそういう噂もあったのだが。

以前に南の国でゴブリンを管理している者が捕まって、それからの聴取で、根も葉もない噂である事がはっきりしたそうだ。

まあ猿が人間に欲情しないように。

人間も猿に欲情……する人はいるかも知れないが、それは例外と言う事らしい。

ただ、人間を見るとなんの躊躇もなく殺しに来るとか。

それを聞いていると、別に人間と大して変わらないと思う。

パッナーロにいる破落戸とは、其奴らと話があいそうである。

もうあの国は周辺国に八つ裂きにされていて、一部でわずかな抵抗をしているだけだそうだが。

「このゴブリンは八年ほどで大人になるため、使い捨ての駒として前線に投入される事がおおい。 これが出てくると言う事は、南のハルメン王国が、大規模侵攻を目論んでいる可能性が高い。 既に前線の砦には兵が入り始めている。 お前も軍支援の仕事が増える可能性がある。 注意しておくように」

「分かりました」

一礼して、上司の前から離れる。

部屋の窓から外を見ると、兵士が確かに増えている。

パッナーロの周辺国の切り取りは加速しているらしく、この国の軍勢の四割くらいは向こうに出払っているらしい。

残りの半分以上は、現在北の国境で別の国と小競り合いをしているらしく。殆ど余剰戦力はいないそうだ。軍は普段は国内での治安維持とか、仕事が多いのである。

しかもこのスポリファールは、人間を全員、使えるだけ使う国だ。

戦争が近いからといって、いきなり兵隊が増えるようなこともない。兵士は専門職であって、誰もができるような仕事ではないのだ。

そうなってくると、景気よく勝っているらしいパッナーロから兵を引き上げてくるか。

他からかき集めて兵士を出すしかないだろう。

この状況を見越して侵攻してきたのだとすると。

ハルメン王国は、意外と蛮族などではないのかも知れなかった。

少し前に初潮が来たこともあって、月一ですごく怠くなるのがわずらわしい。一応月一のその日は仕事などがかなり免除して貰えるが、しっかり給金にマイナスが入る。そのため、その分は働かなければならない。

ともかく寝る。

翌日に備えなければならないからだ。

そして、ぐっすり寝られるのは、この日が最後になった。

 

翌日から、遠出での仕事が増えた。

以前まで側でちょろちょろしていたピッカーはいなくなっている。別の街に赴任したらしい。

あいつは火の魔法ができたから、それを評価されたとか。

場所の異動はしょっちゅうである。

このため、この国では家を買うのでは無く、国が用意した宿に入ることがとても多い。事実お金を蓄えて家を買っても、それが無駄になってしまうことが多いのだ。

街の南から移動して、砦の方に向かうけれど。

華やかだった街から一転して、この辺りは随分と荒んでいる。大きな髑髏が転がっているが、人間のものとは思えない。

「オークのものだな」

「小競り合いで出てくるって聞いた。 普通の兵士だと、正面から相手にするのは無理なんだろ」

「ああ。 とにかくでかすぎるんだよ。 たまに頭一つでかい奴っているだろ。 ああいうのより更にもう何倍もでかい。 ゴブリンが人間を食うのは迷信だが、オークの方は本当だ。 まるごと囓って食っちまうくらいにでかいんだ」

「それはやべえな……」

乗合馬車に揺られながら、同乗している兵士達の話を聞き流す。

調べたのだが、オークはゴブリンより更に大きな「準知的」種族らしくて。ゴブリンより更に大きく。更に頭が悪いらしい。

こっちはもう腰布もつけておらず、全身毛だらけで、目だけがらんらんと輝いていて。声はもの凄く、かなり遠くから響くらしい。

大きいだけあって繁殖力は低く、成体になるまで三十年も掛かる反面。戦場では長い腕を振り回して大暴れして、その腕が擦るだけで人間なんて吹っ飛ぶ。しかも貪食で、手当たり次第に何でも食べるそうだ。人間も含めて。

数は少ないが、戦場で最前列にオークが出てくると、兵士達が恐怖する。

ハルメン王国はスポリファールと長年争い続けているが。

ゴブリンやオークを飼い慣らすことで戦力差を縮め。

スポリファールも複雑極まりない上に山だらけのハルメン王国に攻めこむのは利がないと考えているらしく。

国境での小競り合いが続き。

そうでない場合は小国であるハルメンの方が攻めてくる。

そういう事態が続いているそうだ。

軍用の乗合馬車がどんどん人を輸送してくる中、わたしみたいな魔法使いも教会から派遣されてくる。

今日は砦の補修だ。

わたしは城壁に向かうが、砦に据え付けてある投石機や矢倉なんかの高い所から相手を見下ろす場所は、年長者の魔法使いが担当する。

わたしはそれなりに仕事ができると思われているらしいが。

こういう「機密」のある場所からは、遠ざけられているのが分かっていた。

別にどうでも良い。

興味もないし。

城壁は、街に比べるとずっと低い。

この砦は、敵の出方を探って、更には時間を稼ぐための場所だ。勿論捨て石ではなくて、苦戦しているときは街から軍が出て支援に出る。

比較的新しいのは、攻めてくる敵の規模が大きいときは、破壊されてしまうからであるらしく。

壊されては作り直しているらしい。

調査してみると、彼方此方隙間ができている。

まあ、何度も作り直しているならそうだろう。

それどころか、城壁の根元の一角が脆くなっている。これはまとめて、城壁が崩れかねない。

すぐに上司の所に行く。

例のお堅い「雰囲気の」妙齢の女性だ。

アイリスというその人は、わたしが説明すると、なんだとと大きな声を出していた。

「それは本当か」

「すぐに補修をした方がよろしいかと思います。 現物を見ていないのでなんともいえませんが、オークだとかが体当たりしたら、城壁が崩れかねません」

「しかしあれは首都から来た魔法使いが組んだ壁の筈だ。 組んで時間も経っていない」

「兎に角確認する!」

アイリスが、土魔法の使い手も連れて、わたしが見つけた脆い箇所を調べに行く。わたしも同行する。

城壁は見た目立派に組まれているが、見た目だけだ。

とにかく地盤がダメである。

ここに砦をたてたのがそもそもまずかったのかも知れない。

そう呟くと。

アイリスは咳払いをわざとらしいほど大きくしていた。

「この国は他よりはマシだが、それでも派閥争いはある。 あまりそういう事を大きな声でいうな」

「はあ、そうですか」

「いずれにしてもこれは短時間で補修することは不可能……」

「敵襲!」

いきなり声が上がる。

 

後にわたしは。

この時、この城壁の不備を指摘した事を、後悔する事になる。

 

激しく鐘が叩き鳴らされる。

街まで届く筈だ。耳を塞ぎたくなるほどの大音量。確かこの鐘は、鳴らし方で敵襲の規模とか、全て知らせているらしい。

土煙が見える。

砦の中に退避するように言われたが、これはまずいのではないかと思ったが。予想通りだ。

「凄まじい規模だ! これは小競り合いじゃないぞ!」

「すぐに防備を……」

「いや、城壁に問題があると聞いている! 残念だが、此処は放棄する! 街からの野戦軍が到達するまで、時間を稼ぎながら後退! 魔法使いの面々も戦っていただけ!」

軍の一線級の魔法使いは、パッナーロにほとんど出払っている。

わたしも戦うのか。

そう思っていると、アイリスさんが舌打ちしながら、ぼそぼそと呟いている。

やっぱり今囲い込んでいる燕(若い男の愛人をそういうらしい)の肌が恋しいらしく、恨みがましい言葉をぼそぼそ言っているので、聞かないフリをする。

いずれにしても、砦の外に。

城壁が役に立たないのでは、中にいたら逆に逃げられなくなる。

こっちに迫ってくるのは、でっかい……なんだあれ。

「角馬だ!」

「足を止めろ!」

「数が多すぎる!」

それでも、投石機からたくさん石が投擲される。

こっちに迫ってきているのは、馬より体型がずっとがっしりしていて、鼻先に角が生えている動物だ。

あれは角馬というのか。

とにかくそれが一斉に迫ってきている。

それに投石機から石が炸裂して、何体も石で潰されて死ぬが、それでも全部はとても潰せない。

魔法使いも、それぞれ得意な魔法で角馬を撃つ。

炎やら石つぶてやらが飛ぶが、そもそも一線級の戦闘に向いた魔法使いは此処にはいないのだ。

防ぎきれない。

激突。

城壁に突撃した角馬は、そもそもその後を考えているようには見えなかった。そしてわたしが指摘した場所が、もろに倒壊して。其処から崩壊が波及する。

「本当に崩れたぞ!」

「ち、畜生! 欠陥工事をしやがって!」

「攻撃を続行しながら後退! すぐに本隊が来る! 耐えろ!」

「オークだ!」

崩壊した石壁に埋まって、殆ど全滅した角馬の後から、凄まじい威圧感とともに毛だらけのおっきいのが来る。

丸い目がらんらんと光っていて、確かに兵士が恐怖するには充分だ。

その後には頭がつるつるの背が低い筋肉質のがたくさんいる。あれがゴブリンだろう。本当に、前線に配置されていると言うことだ。

それらの壁の後ろから矢が放たれたらしくて、こっちに飛んでくる。

盾を構えた兵士達。

魔法使いも風の魔法を展開。

わたしも風魔法ならそれなりにできる。風魔法で、矢が飛んでくるのを防ぐ。矢そのものは、数打って当たればいいくらいの気持ちで撃って来ているらしく。弓なりに飛んでくるそれは、わたしの風魔法でもへにゃへにゃと落ちていった。

だけれども。

その間に、オークがもう迫ってきている。

足が長いのだ。

手もだが。

それだけこっちに迫ってくるのがとても早い。

腕が振るわれると、盾ごと兵士が吹っ飛ばされる。右左に腕を振るっているだけで、次々壁が崩れていく。

悲鳴が響く。

鎧なんてなんの意味もない。

魔法で必死にオークを攻撃する魔法使い達だが、その間も矢が降り注いでいる。わたしの隣にいたアイリスの首筋に矢が突き刺さった。即死なのが一目で分かった。血を吹いて倒れるアイリス。

さがりながら、わたしはなんとか風魔法で矢を防ぎ続ける。

兵士達は続けて突進してきたゴブリンと押し合いへし合いで戦っていたが、それで精一杯だ。

このままだと押し切られる。

オークが手を伸ばして、倒れている兵士を掴むと、鎧ごと口に運んで食べ始める。口には牙が凄く並んでいて、鎧なんてそのままかみ砕けるらしい。

「化け物がっ!」

「油壺を叩き込め!」

「死ねっ!」

投擲された油壺が、オークの顔面に直撃。

そういえば、たしか毛皮に脂を塗って守りを固めているとかで、火がつくと一気に燃えるとかいう話だったっけ。

一気に炎上するオークが、喚きながら大暴れして、隣にいるオークの頭が振りまわされた腕に砕かれていた。

他のオークがなんの感情もない目で、暴れているオークに、近くにあった石を投げつける。

頭がくだけて、倒れ伏す燃えているオーク。

それを見て、ぎゃっぎゃっと笑った。

やっぱり人間と大差ないじゃないか。

わたしは風魔法を組みながら、さがる。

死体は放っておく。

アイリスの死体が、オークに掴まれて、食べられるのが見えた。あれは若い燕ともう一度会いたかっただろうに。

別にどうとも思わない。

思えるような心は、育たなかった。

わたしは、オークとゴブリンとの乱戦になって、矢が飛んでこなくなった事を利用する。そのまま、風魔法を使って。

アイリスの死体をうまそうに食っているオークの口を、内側から破裂させていた。

覚えたばかりの魔法だ。

生き物に仕掛けておいて、空気を一気に膨張させる。

オークは顎が内側から真っ二つに引き裂かれて。そのまま、後ろ倒しになる。

その様子を見て、他の兵士が青ざめていた。

わたしは続けて、矢を防ぐ魔法に移行する。

オークが少しずつ、油壺や魔法使いの抵抗で減ってきている。その分、更に後ろにいるハルメン国の兵士が、矢を放ってきているからだ。

矢は見た目よりずっと怖い。

一発でアイリスが殺されたのを見て、それを悟る。

そういえばぴんとは来なかったのだけれど、毒が塗られている場合もあるのだったっけ。当たるのはいやだな。

そう思いながら、矢を防ぎ続ける。

程なくして。

遠くから、多数の火線が迸る。同時に、オークがまとめて火だるまになった。

「援軍だ!」

「ゴブリン共を押し返せ! 反撃だ!」

威勢が良い兵士達だが、もう半分以下しか残っていないと思う。

わたしは淡々と、周りを見やる。

一緒に来た魔法使いは優先的に狙われていたらしく、アイリスが真っ先にやられたのは偶然でもなさそうだ。

街から来たまとまった数の兵士達。

恐らく二線級だろう魔法使いの放つ大きめの魔法が、逃げ出すゴブリンの背中を撃ち、その後ろから矢を放っていた敵の軍に炸裂するけれど。

敵の軍は、淡い壁みたいなのを張って、魔法を防いでいた。

「突入だ突入! 半壊している守備隊を救援しろ!」

「敵は防御魔法展開!」

「破壊するまで撃ち続けろ! 想定の範囲内だ!」

「対準知的部隊突貫! 敵の軍勢に思い知らせろ!」

威勢が良いなあ。

わたしは他人事みたいに、わっと殺到してくる兵士達を見ていた。

 

戦いはその後夜まで続いたけれど。敵を国境まで押し返すことはできなくて、結局その場で軍勢同士のにらみ合いになった。

敵が最前衛にしていたハルメン国の準知的……亜人ともいうらしいけれど。

それらは殆ど全滅してしまったが。

あれらは元々、使い捨ての道具なのだろう。

ハルメン国としても、攻城兵器として最初から使うつもりだったらしく、やられてもまったく動揺している様子はなかった。

指揮官が来る。

騎士らしい人だが、前に見たあのおっかないアプサラスではない。てか、以前砂漠を護衛してくれたおじさんだ。

あの人、そんなに偉かったのか。

いや、偉くなったのかも知れない。

「砦が早々に崩されたこともあり、想像以上の被害が出ました。 それで気になる事が」

「話してみろ」

わたしは夕食を口にかっこんでいたが。

兵士達の長が、わたしを時々ちらちら見ている。バリだったか。あの騎士のおじさんは、ずっと厳しい顔をしていた。

「だが戦闘では風魔法で矢を防いでいたのだろう」

「しかしそれは身を守るためであったのでは」

「憶測でものを語るには早すぎる。 今回の侵攻規模は想像以上だ。 これほどの数が出て来たのは、数世代ぶりの筈だ」

「それにあわせての内通者だったのではと」

なんだろう。内通者。

まあいいや。

食べ終えると、横になってしばらくゆっくりする。

翌朝になってからも、戦いはまだ続いているが、わたしみたいに戦闘向きの魔法使いでない人間にはもう出番は無い。

矢を防ぐ魔法にしても、敵を攻撃する魔法にしても、ずっと強力なのが飛び交っているし。

何よりわたしは集団戦の訓練なんて受けていない。

敵はこちらの消耗を狙っているようで、新しく国から連れて来たらしいオークやゴブリンを惜しみなく投入してきては、人間が減るのを避けている。

それでいながら、隙を見ては馬に乗った兵士達が突撃を狙って来る。

数で劣っているスポリファールの軍勢は後手後手らしい。

噂に聞く限り、砂漠の向こうのパッナーロの軍勢は、ゴミみたいに蹴散らしたらしいけれど。

此処にいるのは二線級の部隊で。

更に言えば敵はパッナーロの軍隊とは次元違いに手強いと言う事なのだろう。

蛮族とか言われていたが、蛮族なものか。

パッナーロよりもよっぽど効率的に戦っている、手強い相手ではないか。

いずれにしてもわたしは後方に回って。医療魔法と水魔法を使って後は役に立つ事にする。

医療魔法も腕は上がったけれど、それでも手足を修復するとか、そんなレベルのものは使えない。

煮沸した水をどんどん増やす。

医療器具をどんどん煮沸する。

戻って来た汚れた医療器具を洗浄する。

軽めの傷の兵士を手当てする。

それくらいしかできない。

野戦陣地では生活は劣悪だが、それでも伯爵領にいた頃よりはマシだ。ただ流石に、寝ている時に戦闘の音で叩き起こされるのは迷惑だが。

ハルメン国の軍隊は、昼夜問わず攻め立てることで、スポリファールの軍勢を徹底的に痛めつけているらしい。

それで状況を見て崩すつもりなのだろう。

巻き込まれたら困るな。

わたしは、そんな風に思っていた。

とっくに巻き込まれているのに、他人事なのだが。

この辺りは、わたしはまだまだガキなのかも知れない。まあ、子供を肉体構造的に産めるようにはなったけれど。

ガキはガキだ。

それについては、そう言われたらはいその通りと返事をするしかないだろう。

数日押され気味の戦いが続いて。

その間も、わたしはずっと野戦陣地で支援を続けた。

状況が変わったのは数日後だ。

どうやらスポリファールが兵士をかき集めて送ってきたらしく、戦力差が一気に逆転した。

戦場に突入した部隊は角馬を持っていて。まずはそれを敵に放ち。

その後、全軍が一丸となって突入した。

今までの鬱憤を晴らすようにスポリファールの軍勢は大暴れして、一日がかりで大いにハルメン国の軍勢を叩きのめし。

追い払った。

大勝利だ。

バリという騎士の人が声を上げて、兵士達がいわゆる勝ち鬨を上げる。

どうでもいいので、わたしはぼーっと見ている。

たくさん人が死んだが。

わたしはそもそも、いつでも人が軽率に死ぬ場所で生きてきた。

また戻って来てしまったな。

それくらいにしか、思わなかった。

それでも酷い目にあうのは嫌だから、できるだけの事はした。それ以上でも、以下でもなかった。

その行動が周りにどう見られるかは、考える余力などなかった。

 

3、裏切り者と言われ

 

戦後処理をしてから、教会の自室に戻る。

後から来た医療の専門班や、砦の再建チームなんかに手を貸す余力もないし。戦いの開始からずっと最後まで戦場にいた魔法使いのチームは、生き残りも少なく。教会で休むようにとバリに言われたのだ。

それで遠慮なく休ませて貰った。

翌朝。

起きだして、朝食を食べていると。

表情が存在しない、威圧的な白い服を着た人達に囲まれていた。魔法使いらしいが、見た事がない。

「アイーシャだな」

「はい」

「これから審問に出て貰う」

「分かりました。 朝食だけ食べさせてください」

そういって、わたしは朝食をしっかり食べた。

便所にも行きたかったが、それは後でいい。審問というのがなんだか分からないけれども。

この魔法使い達、ちょっと力量がわたしと根本的に違う。多分軍とかで活躍する技量がある魔法使いだ。

それは一目で、肌で分かった。

逆らっても無駄だし。

そもそも仕事をしていただけだし。

つれて行かれたのは、教会ではない、見た事がない建物だ。街の中は仕事で色々出向いたのだけれど。

立ち入り禁止とされている建物は幾つもあって。

その中の一つだ。

わたしは興味が無い事はまったく知るつもりがない。それもあって、全く知らないままの建物だった。

内部はひんやりしていて、分かる。壁や床に使われているもの。これは対魔法の装甲だ。

高価なので殆ど使われないらしいのだけれど。確か魔法使い用の監獄なんかでは使われるらしい。

なにをされるんだろう。

そう疑問には思ったけれど、特に怖いとは感じなかった。

席に座らされる。

向かいに座ったのは、何度か見たことがある。教会の偉い人である。威厳があるように服をごてごて着込んで、髭なんか蓄えている。

「お前が敵国の間諜であるという訴えが来ている」

「間諜?」

「敵に情報を流し、此方に不利益な事をする人間の事だ。 流石にお前は幼すぎると思ったが、過去には九歳の子供が間諜として潜り込んだ挙げ句、国の重要機密を敵国に流した実例がある。 故に訴えがあった場合、取り調べをしなければならんのでな」

そうなのか。

だが、間諜と言われてもという言葉しかでない。

そもそもとして、敵国と言われても。それがパッナーロだとすれば。わたしからすれば恨みしかない。

ハルメンなのだろうか。

それだったら、そもそも其処の出身者とは会ったこともない。

小首を傾げていると。

偉い人が大きく咳払いした。

「アプサラス騎士隊長からの推薦文は私も見ている。 パッナーロで酷い扱いを受けていたという話だし、何よりもパッナーロに此処での戦闘が影響を与えることはない。 従ってハルメンの間諜だとすると無理がある。 だがな、城の外壁の異常を一発で見破ったのが不審だという声が上がっているんだ」

「今まで似たような仕事はしてきました」

「ああ、記録は見ている。 優秀だな。 本当にそれだけなのか」

「はい」

頷くと、偉い人は大きく咳払いする。

困り果てているようだが、わたしとしても素直に答えるしかないと思っていた。

「他にも怪しい行動が見受けられたと報告が来ている。 君が砦に到達すると同時にハルメンの大規模な越境攻撃があった。 今でも国境で大規模な軍勢がにらみ合いを続けている状態だ。 現時点で戦力の拮抗を崩すのは難しく、本国に援軍を要請している状況だが……」

「ハルメン国の軍隊がわたしが仕事場についてすぐに現れたのはみました」

「ああみただろうな」

「はい」

埒があかない。

そう顔に書く偉い人。

耳打ち。

わたしを此処に連れてきた人が、何やら言っている。

わたしも聞こうと思えば風の魔法でどうにかできそうだけれども、やめておく。なんだかわたしは疑われているみたいだし。

今は素直に答えるべきだと思う。

「君の上官であるアイリスくんが気の毒にも戦死したのは側で見ていたな」

「はい」

「風魔法で救援をしなかったのか」

「矢を逸らしてはいました」

これは全くの事実だ。

というよりも。

あの場ではそれくらいしかできなかった。

敵はもの凄い数がいて、魔法使いの対応能力を超えた矢を、当たればいいやくらいの感じで放ってきていた。

それに対して、わたしは出来る事をして。

アイリスはそれで守れなかっただけ。

それでわたしが悪いのだろうか。

ちょっとどうして悪いのか、よく分からない。

「それだけじゃない。 戦死したアイリスくんの死体を君は爆弾として活用したらしいな」

「はい。 オークを倒すのはそれが一番効率がいいと思いましたので」

「アイリスくんの遺族に悪いとは思わなかったのかね」

「死んだ時点で肉です」

そういう世界で生きてきた。

死んだ人は側溝に放り込まれて、それで腐った死体が毎日ドブ水と一緒に流れていくのを見た。

わたしが食べたお肉にも、死んだ人のが混じっていなかったとは言い切れない。

それくらい、あの伯爵領では命が軽かった。

わたしが飼われていた伯爵邸でもそれは同じ。

伯爵がわめき散らして殺した人間は、使用人がさっさと捨てていた。わたしだって、伯爵の癇癪がこれ以上酷くならないようにと、使用人が捨てたのだ。

それが当たり前の場所で生きてきた。

だから、なんとも思わない。

頭を抑えていた偉い人が、ため息をつく。

そして、しばらくは様子を見ると言われて。牢屋に入るように言われた。

 

牢屋での生活は今までと大して変わらなかった。食事は出るし、便所もちゃんとある。暴れる囚人は檻がついた部屋に閉じ込められるらしいけれど、それだけ。わたしにしてみれば、伯爵領の暮らしに比べれば何百倍もいい。

だけれど、けろっとしているわたしを見て、どんどん審問は厳しくなっていくのがわかった。

審問に次に来たのは、まったく顔が見えない人だ。マスクみたいなのをつけている。

声も魔法で変換しているらしくて、男性か女性かさえも分からなかった。

それで色々と聞かれる。

わたしの側には魔法使いがついて、何か魔法を掛けていた。多分精神を操るものだと思う。

その証拠に、質問に対してすぐに思った事を口に出してしまっていた。

「お前の言動は訓練された間諜のものににている。 有り体に言えば人間味がない。 本当にお前は間諜ではないのだな」

「間諜ではありません」

「では何故戦場での冷酷な行動を平然と行えた」

「それが一番いいと思ったからです」

本当だ。

頭痛が酷くなる。

魔法の出力が上がったらしい。

「我が国では拷問なんて野暮な真似はしない。 無理矢理吐かせた所で、本当の事なんて言わないからな。 拷問する人間が喜ぶ事を言うだけだ。 だから君に正直に喋らせる」

「はい」

「君は間諜ではないのだな」

「はい」

そうだと言っているのだけれど。

頭が痛くて、ちょっと顔をしかめる。

隣にいる魔法使いが、審問をしている仮面の人に耳打ち。仮面の人が、大きく溜息をついていた。

「あのあと戦いがどうなったか興味はあるかね」

「いいえ。 どうでもいいです」

「どうでも……」

「はい」

頭が痛いので思考が定まらないというのもあるけれど。

わたしにしてみればただ生きるために動いただけだ。それも生きた人間をおとりにするとか、そういうことはしていない。

死体の尊厳がどうのこうのと話をされたけれど。

そんなものがあるのだと、はじめて知ったくらいである。

わたしからすれば、そうなのかという答えしか返せない。

「君の同僚や、一緒に働いた人も戦闘に出た。 それについても興味はないのかね」

「どうでもいいです」

「君は何が目的なのかね」

「いたっ……」

また魔法の出力が上がったらしい。

側にいる一人がその魔法を掛けている。もう一人は、わたしが暴れたら即座に殺すつもりで構えている。

そんな事されなくても、逃げる力なんてない。

「君の目的は」

「おいしいごはんたべて、静かに暮らせればそれでいいです」

「それだけかね」

「それだけです」

実際、スポリファールに来てから、美味しいご飯が食べられるので、はっきりいってそれだけは本当に嬉しかった。

向こうで食べた虫とか入ってる粥に比べたら、此処の食べ物はなんだっけ。甘露だったかに近い。

それがなんだかは知らないけれど。

「嘘は言っていないな」

「はい」

「よし、一旦休憩だ。 様子を見る」

牢屋に戻される。

頭がクラクラする。横になってじっとしていると、しばらくして審問の人にまた呼び出された。

ちょっと体力がもたない。

「君のその冷酷さはどこから来ている」

「物心つくころから、ずっとこれが普通でした……」

「そうか。 それが本当なのかね」

「はい」

ぐったりしているわたしに、更に幾つも言葉が投げかけられる。

その内、わたしは自分で、何を言っているのかも分からなくなった。酷く辛い。

それでも、いつ殺されるかわからない伯爵の家にいたときよりはマシかなと思ってしまうのは。

なんとも悲しい事だった。

 

しばらくして。

仮面の人が来る。

何日たったのかも分からない。

とにかく体力の限界で、休みたい。わたしはもともとそれほど体力があるほうではないのだ。

体力というのは幼い頃に基礎体力とか言うのを養う事が結構大事であるらしく、わたしはそれに決定的に欠けていた。

多分わたしの両親からして、ろくでもない人間だったのか。それとも貧しくてわたしをあまり考え無しに売ったのか、どっちかなのだろう。

それでわたしは、幼い頃にまともにうごけなかったし。

結果として今でも体力はない。

まあ今でもどちらかと言えばガキだから、体力がないのはどうにもならないのだろう。この時点でこうなのだから。

仮面の人が言う。

「国境付近までさがっていたハルメンの軍は、更なる攻勢で敵国内まで退けた。 激しい抵抗を受けて大きな被害は出したがな」

「そうですか」

「君については処置が降る。 この街から移転だ。 君への不信が晴れたわけではない。 既にこの街では、君が審問を受けた事は知られている。 いずれにしても、この街で君の居場所はもうない」

「はあ」

そう言われても。

わたしとしては、移転とやらで、どこに飛ばされるかは分からないけれど。

言われた通りに仕事をするだけだ。

それでご飯が食べられるのなら。

それで生きられるのなら。

それ以上は望まない。

ただ、それだけを答えた。そうすると、仮面の人は、わたしを人間ではない何かのように見るのだった。

それから釈放されて、教会に戻る。

フラフラだったけれど、どうにか自室に。

その途中で、居場所がもうないと言われた理由はよく分かった。皆の視線が明らかに違っている。

自室でしばらく休んだ後、呼び出されて。

手続きを受けた。

移転先は、田舎のちいさな街だという。国境を接しているわけでもなく、戦略的な価値はないに等しい。

そういう場所だそうだ。

そう、教会の偉い人に説明された。

「審問の結果、君が密偵だという証拠は出なかった。 だが、過去に様々な審問をくぐり抜けた密偵が存在しているのも事実でな。 君が密偵ではなかったとしても、この状態では君を此処にはおいておけない。 ハルメンの軍は追い払ったが、それでもいつまた来るかも分からないからな」

「はい」

「明日出立して貰う。 今回は此方にも非がある可能性があるから、出立のための費用や旅費、出立先の仕事の斡旋は行っておいた。 また審問で体に被害が出たなら、治療費は此方で負担する。 君はまだ若いし、きちんと実績を積んで、また出世街道に乗って欲しい」

そんな事を言われてもな。

わたしは偉い人、というのを間近で見ている。

猿みたいに喚いて、気分次第で人を殺す。そういうのが、伯爵領の一番偉い人だった。

ああなりたいとは、絶対に思わない。

どうして出世したいのか、ああいう実例を見ていると、分からないのだ。これは本当に。他の魔法使いが、出世について話している事がある。

わたしが才能があるらしくて、うらやむ声を聞いたこともある。

だが、社会の上に行って。

あんなケダモノ以下になりたいのだろうか。

この国は、法が滅茶苦茶しっかりしている。

だが、その法に反する存在が出て来た場合は、わたしみたいに徹底的に糾弾するのだろうし。

何よりも、今わたしが受けている視線みたいに。

全体で拒絶するのだろう。

わたしはなんとも思わない。

スポリファールに来てうまいご飯が食べられて、寝床も保証されて、それで充分過ぎるくらいだ。

どうせここもろくでもないのだろうと思っていたのだし。

別に今更、夢なんて見ていない。

そのまま荷物をまとめる。

頭はまだ少し痛いが、回復の魔法である程度は対応できる。ただ、わたしに監視がついているのも何となく分かる。

きっとこう言うときこそ尻尾を出すと判断しているのだろう。

尻尾を出すもなにも。

そんなものはないのだけれど。

荷物をまとめている間、誰もわたしに声を掛けて来る事はなかった。そういうものだと何となく理解出来る。

此処はそういう国だ。

だから軍隊はあんなに強い。

人を平気で食うオークや、筋肉の塊みたいなゴブリンを相手にしても、必死に戦っていたし。

パッナーロの過去の栄光にしがみついた軍隊なんて、ゴミみたいに蹴散らしていたみたいだけれど。

逆にわたしみたいな人間には、とても暮らしづらいのだと思う。

荷物も大した量は無い。

周りの人間が気味悪がっていたな、前から思うに。

わたしは嗜好品をまったく欲しがらない事もあって、それで周囲が気持ち悪がっていたという証言があったそうだ。

わたしくらいの年頃の女は、身を飾るものに興味を示すらしいのだけれど。

わたしはそもそも、嗜好品なんて存在しない世界で生きてきたし。

嗜好品というのが、伯爵の家にあった絵とか壺とかだと思うと、今でも欲しいとも思わない。

豚みたいに太った伯爵の家族が、良い生地の服を着ていたけれど。

別にあんなもの、着たいとも思わない。

これが異常らしい。

そういわれても、最初からこうだったし。今更変えようもない。

何かが好きというのを、他の人間と同じにしないといけないのか。だとすると、それはそれでろくでもないのではないのかとわたしは思う。

ただ、それでこの国はやっている。

わたしは口を出すつもりは無い。

馬車に乗せられる。

ちらっとこっちを見ている人もいたけれど。

教会でよくしてくれたり。わたしの魔法の筋がいいと言ってくれていた人も、今やわたしを化け物でもみるかのように見ていた。

あの屈強な双子が、わたしの視線を避けて、ひそひそ話しているのをみて、まあそうだろうなとだけ思う。

後は、つれて行かれるだけだ。

馬車には護衛という名目で、監視も乗っていた。

どこかで殺されるのかもしれないな。

そう思って、わたしはぼんやりする。

どうせ抵抗できるような相手ではないし。今更逃げようとしても無駄だった。

「おいしいご飯を食べたい、生きたいと言う割りに。 逃げようとは一切しないんだな」

「にげられませんから」

「判断はただしいが、君はやはり異常だと思う」

「そういわれても、嘘はついていません」

わたしとしても困るのだ。

周りと違うかもしれないが。

それを異常と言われて。

矯正しろと言われたって。

できないものはできない。

それができない存在は、きっとわたしみたいに放り出されていくのだろう。この国からは。

或いは出世街道から外れるのかも知れないが。

わたしには、もうどうでもいいことだった。

軍隊とすれ違う。

今回の件で、スポリファールはあわてて国境の軍勢を補強するらしい。各地からかき集められた軍の部隊だ。

今回はかなり危なかったらしく、ハルメン国の軍は下手をすると街にまで到達していたらしい。

そしてああいう分厚い城壁を破るための準備も角馬以外にも色々としていたらしく。

もし街に到達されて。

城壁を破られていたら。

内部で地獄が巻き起こされたのは確定だという。

それはそうだろうなと思う。

オークは人を平気で食っていたが、あれはそういう訓練を受けていたという事だし。

兵士も一糸乱れぬ矢での射撃に徹していたし、魔法戦の訓練も受けていたようだけれども。

それはそうとして、街なんかに乱入したら。全て奪い尽くし、目につく女は全部犯し尽くしただろう。

この国の軍隊がしっかりしているのは事実らしいが。

他の国は、戦争ではやりたい放題を許していて。それで兵士がやる気になっている部分もあるらしい。

そんなんだったら戦争なんて何でやるのか甚だ疑問だ。

全部無駄だとしか思えないのだけれど。

「これで国境を守る事はできる。 ハルメンは国家の規模がそれほど大きくなく、あれほどの侵攻軍を連続して出すのは不可能だ。 無理をして国境を破ったところで、スポリファールとは自力も違い過ぎる。 人間を多く失い、内部での統率も上手く行かなくなるだろう」

「そうですか」

「悔しいと感じる事は」

「なにもありません」

まだ審問は続いているのか。

わたしからすれば、フラムの手下が毎日伯爵領で何をしていたかみていたし、その延長線でしかない。

だから驚くにもあたいしないし。

そんなものかとしか思わない。

それを見て、護衛という名の監視は、更に嘆息するのだった。

数日旅を続ける。

何度か宿を経る。

この辺りは、国境の街に赴任したときと大して変わらない。わたしの立場が良くなくとも、宿はきちんと手配はしてくれている。

宿の人は事情を知らないからだろう。

わたしにもきちんとサービスをしてくれた。

護衛の魔法使いはずっとわたしを監視している。

多分そういう訓練を受けているのだろうと思う。

寝ている時も魔法で監視しているようで。

わたしはずっと視線を感じていたが。それで文句を言っても仕方がないし、何もいうつもりはなかった。

やがて、目に見えて田舎になりはじめる。

馬車がすれ違うこともほぼなくなった。

この辺りは賊が出る事もあるので、軍が駐屯している。馬車は基本的に軍が護衛するが、そういった馬車を借りられない、馬車に乗る金がない人間が賊に襲われたり、或いは賊になる。

そういう話をされた。

どうやらこの国の田舎は、そういう所であるらしい。

何となく分かってくる。

この国は、都会や、国の要所はしっかりしているんだ。

だけれども、そうでないところは。

むしろ引き締めている反動が出ているのだと思う。

更に数日馬車が山道やらを進んで。

その間、何度か護衛の兵士が交代した。

それも終わって、街道もどんどん石だらけになっていくなか。到着する。

到着したのは、城壁もないちいさな街だった。村と言う奴なのかも知れない。

或いはわたしが生まれたのも、こういうところだったのだろうか。

それについては、もうわたしには分からないが。

「しばらくはこの街の魔法教会で仕事をしてもらう。 しばらく真面目に働いて、更正に努めるのだな」

「はあ……」

「いけ」

一礼だけして、教会に向かう。

教会に入ると、退屈そうに机に座っている見覚えがある顔を見た。そいつはわたしを見て、誰だっけという表情をした。

わたしは覚えている。

確か、アプサラスが連れていた騎士だ。かなり若い騎士だった。ツインテールだかツーポニーだかの髪にしていて、それで覚えていたのだ。

受付で手続きを終えると、自室に向かおうとするが。

その騎士が声を掛けて来る。

「どっかであたしと会ったっけ?」

「パッナーロで」

「……ああ! 確かあの破落戸のところにいた!」

「そうです」

大声を出すものだな。

そう思ったけれど。

この子だって、此処に何でいるのか。

荷物を運ぶのを手伝うというので頼む。

わたしと背格好なんて全然代わらないのに、すごい力である。或いはそういう魔法かもしれない。

あんな鉄火場に来ていたのだ。

普通の子供じゃないだろう、こいつも。

まあ荷物は大した量でもない。

黙々と荷物を開いて、それで引っ越しは終わり。ここの教会の人はわたしの事情を知っているのか、受付で適当に街を見て来るようにとだけいって、それっきり。

関わり合いになりたくないようだった。

「アハハ、相変わらずー。 此処みたいな流刑地だし、あたしみたいな変なのしかこないからだろうねー」

「あなたは変なんですか」

「変だよ。 あたし動物殺すの大好きでさ、昔から。 それで相手を殺す事に特化した魔法ばっかり得意だったから、軍に入ったんだけどねえ。 パッナーロとの戦いであんまりにも殺しすぎて、それで後方送りにされたんだよ。 降参の意思を示してた兵士とかも平気で殺したから仕方ないけど。 しばらく反省しろだって。 アプサラスの鬼婆、言いたい放題いいやがって……幾つかの局地戦で、形勢をひっくり返してやったのにさ」

あんまり育ちが良くないんだな、この子。

わたしと同じだ。

そのまま手を引っ張られて、街に連れ出される。といっても、街は大した規模もなくて、はっきりいってすぐに見回ることができたが。

此処にいる人間は、みんな訳ありばかりらしい。

畑で働いている農民も。

見回りをしている兵士も。

みんな周りを気にしている。

あの街と比べて、明確に空気が悪い。

更に言うと、街はショボいけれど、兵士や一部の魔法使いの練度は段違いに高いのが分かった。

あの国境の町は城壁と砦に依存していて、随分と平穏だったんだなと思う。

此処は多分だけれども。

スポリファールの暗部だ。

「はいこれで全部。 だいたい変な奴しかいないから安心して良いよ。 仕事は基本的に外から持ち込まれるのをこなすだけ。 あんた魔法はできるとか聞いてたけど、何ができるの?」

「火はできません。 風を中心にある程度」

「ふーん、戦闘向けではないのか」

「国境の戦いでは、オークを倒しました」

はっと鼻で笑われる。

あんなの三十体は殺したと言われる。

この人は、多分だけれど、わたしよりもずっと幼い頃から戦場に出て、散々殺戮を行い。血の雨を降らせてきたのだろう。

「そういえば名乗ってなかったね−。 あたしはアンゼル。 あんたはアイーシャだったっけ」

「はい」

「ま、よろしくやろうよ。 変わり者同士ね」

こくりと頷く。

わたしは多分、今後も変わり者のままだ。

だとすると、この国ではとても生きづらいかも知れない。

なんとなく、今回の一件でそれが分かった。

教会に戻る。

呼ばれると、庭に出た。其処で指示されたのは、瓦礫などの修理だ。壊された石材を修復しろというのである。

わたしは無言で作業に取りかかる。

一年で技量は上がった。

それは毎日毎日土木工事だのばかりをしていたのだから、当然である。

砕かれた石材を風の魔法でまとめて、更には土の魔法で接着する。隙間ができてしまうから、それは土の魔法と水の魔法を使って、間を強引に埋めておく。

風の魔法でわたしと同じくらいの重さの石材なら、簡単に運搬できるようになっている。

なんどか叩いて強度が問題ない事を確認したら、次に取りかかる。

手際を見て、教会の人はひそひそ話していた。

「あの子監視命令が出ているけれど、手際はいいな。 あの年であれだけできると言うのは、なかなかだぞ」

「だから監視されているらしい。 例の国境紛争で、なかなかおぞましい行動を平然と行ったらしくてな」

「ああ、そういう。 戦争に強い奴がイカれてるのなんて、昔からなのにな」

「あのメスガキもそうだしな……」

メスガキ。

これも古い時代の言葉だろうか。

まあどうでもいい。

任された仕事を、だいぶ余裕をもって片付ける。

隅っこでさぼっている奴がいるが無視。仕事の様子はきっちり監督役の魔法使いが監視しているらしくて。

そいつは後で散々絞られていた。

わたしにサボりを押しつけようとしていたらしいが、魔法で監視されていて全て見られていたそうだ。

どうでもいい。

それで逆恨みされたとしても、それもどうでもよかった。

翌日からも、石材やら、壊れた道具やらがもってこられる。

中には投石機とか、かなり大がかりなものもあった。

ここまでよく運んでくるものだと感心したが、どうも違うらしい。この近くに、このちいさな街とは別に軍基地があるらしく。

そこで小競り合いが時々起きているそうだ。

国境とは離れているらしいと聞いていたのだけれど。

投石機を直していると、血を頭から被ったアンゼルが来る。

「はー殺した殺した。 やっぱりたくさん殺すと気分が良いねえ」

「何を殺したんですか?」

「この辺野生化したオークが出るんだよ」

「はあ」

オークが出るのか。

それはまあ、砦を作ってもおかしくは無いと思う。

あれは魔法が使えない兵士だと、数十人で対処する相手だと思うし。

「むかーしこの辺りまで入り込んだハルメンの軍隊が、残していったのが野生化したらしくてね。 ゴブリンの方は駆除が完了したらしいんだけれど、オークの方はなかなかきびしくて、手を焼いているってわけ」

「此処に攻めてくる事はないんですか」

「ないね。 だってあれら、軍が入れない場所に巣くってるし。 たまにエサを探して其処から出てくる。 ただ、ハルメンの軍が飼ってるオークほど大きくはないし、あんなに強くは無いけどね。 あれって囚人を食わせて大きくしてるらしいよ。 本当かは知らないけど」

うけけけと、下品にアンゼルが笑う。

そうかと、それだけわたしは思った。

いずれにしても、此処は訳ありで。あの街よりもむしろ危険な場所らしい。

それについては、よく分かったのだった。

 

4、四分五裂

 

パッナーロの王都近郊で、三つの国の軍勢がにらみ合っていた。

もう王都ではないかもしれない。

「蛮族を討伐する」などと意気揚々と出て来た王はスポリファールの軍に敗れて、王は虜になった。

それでパッナーロでは、まだ五歳の王子を王に無理矢理戴冠させて、最大の領地を持っていた公爵がその後ろ盾になったのだが。

公爵領は西から乱入してきたクタノーン国の軍勢に蹂躙され、数日ももたずに権威は失墜。

公爵は暗殺され。

ああでもないこうでもないと貴族が喚いている間に、北からも海から乱入してきたカヨコンクムの大軍が北部の貴族領を文字通り灰にする勢いで焼き尽くし。

膨大な難民が南になだれ込み。

それらは暴徒と化して貴族領を荒らし。役にも立たない貴族を見限った軍は、その首を刎ねて一番まともだと噂されるスポリファールにこぞって投降してくる有様だった。

そうこうしているうちにパイ取り合戦もけりがつき。

そして、必然的に侵攻した三国の軍勢が、王都近郊でにらみ合う事態になっている。

ちなみに王都そのものは、スポリファールが落とした。

スポリファールの今回の遠征軍七万の指揮を執っているブラフマ騎士団長が前に出る。同時にクタノーンの遠征軍の長。見た目人間とはとても思えない、巨大なトカゲのかぶり物をした大男が前に出てくる。

同じく、筋骨たくましい、胸と腰しか覆っていない大柄な女性が前に出てくる。

これぞロイヤルネイビーを率いる女傑。

「巨人」の渾名を持つロイヤルネイビー提督、「海賊女王」である。勿論王族ではないのだが。

アプサラスは、会談の護衛だ。

政治家達がどうにか折り合いをつけた。

元々パッナーロの切り取りについては、三国がそれぞれ存分にやったのである。元々の領土が倍になる程にまで。

スポリファールが膨大な難民を囲い込む事になったが、それはクタノーンとカヨコンクムの軍が如何に暴虐を働いたかの結果であって。

両国の軍が通った跡は、廃墟と化しているそうだ。

書類を文官が出す。

それに、気むずかしい顔でブラフマ騎士団長がサインする。腕組みしてその様子を見ていた海賊女王が、鼻を慣らす。

他二人と比べて、頭一つ半は大きい。

亜人の血が混じっているという噂があるが、それもあながち嘘ではなさそうである。

ただ、準知的種族と人間の混血は、アプサラスが知る限り聞いたことはない。或いは、カヨコンクムの領内には、そういうのがいるのかも知れないが。

「面倒だね。 ここで盛大に殺し合って決めればいいのにさ。 ただそうすると、国のお偉方が五月蠅いんだよねえ。 なあ」

「そうだな」

「アンタの国が一番弱体だからね。 切り取った領土を保持できればいい。 だから胸をなで下ろしているんだろ」

「確かに軍は規模が一番小さいが、野戦になればどうなるかは分からんぞ、大女」

クタノーンのトカゲ頭が言う。

声はなんというか、人間と随分離れているように思う。

あれ、ひょっとして。

かぶり物ではなくて、何かしら意味があるのか。

まあ距離があるクタノーンとは、今回の侵攻で裏で条約を結んでいたという噂がある。事実軍に、一部の領土を放棄して転進しろという妙な指示が何回かあった。

これはそもそも、クタノーンと事前に切り取る領土を決めていたからという噂だ。まあ、アプサラスの立場では分からないが。

それに、クタノーンの将軍が言う通りだ。

実際問題、野戦になると、大軍が思わぬ負けを喫することはある。

三国入り乱れての大乱戦となると、どうなるかはまるで分からないし。

何よりも、三国とも確保した領土が大きく、補給線も伸びきっている。

血の気が多い軍人はまだ戦いたがっている者もいるが。

実際には、確保した領土を安定させるだけで、数十年は掛かる。

一気に領土を拡大できたのは、今後のためになるだろうが。

此処でその駐屯軍をすり減らすことにでもなれば、どの国にとっても得策ではないのだ。

ただ、それはあくまで理性的かつ論理的に話した場合。

見た感じ、海賊女王は明らかに本能で暴れ回るタイプだ。

カヨコンクムでも持て余しているという噂があるし。

どう動くか分からない。

側で見る限り、魔法なしだとちょっと勝ち目は無さそうである。

ただし。

こちらには、ぼへえと様子を見ている、頭が悪そうなのがいる。

アルテミス。

いざ戦わせたら、多分この場の全員を瞬く間に倒すほどの最強の騎士。スポリファールの切り札だ。

こいつがぼへえとしている事からして。

恐らく、斬り合いにはならないと判断しているのだろう。

「此方は調印が済んだ。 どの道領土を維持するために、此処で軍を無駄に消耗するわけにも行くまい。 仮に大勝したとしても、どの国の軍もこれ以上進む事は不可能だろうよ」

「ちっ。 行儀が良い騎士殿の言う通りではあるか」

「……」

海賊女王が露骨に不満そうに舌打ち。

トカゲ男が調印を始める。

最後にしぶしぶと言った風情で、海賊女王も調印を終えていた。

王都については、放棄が決まっている。

五歳の王と貴族どもが逃げ込んだ王都は、あっさりスポリファールが落としたが。そこは今後ロナウ国として、三国で独立を保証する。

要するに、パッナーロがいいと思う連中が逃げ込むための場所だ。

ただし、三国がそれぞれ監視もする。

アプサラスも視察はしたが、別に持っていても戦略的な価値のない街だ。此処を気に入って住み着いた賢者が、単に個人的に好いていたと言うだけの場所。

どうでもいい街である。

インフラも整備されていないし、あらゆる技術が旧式。ろくな魔法の設備もない。落としたあと、視察したアプサラスはがっかりしたくらいだ。

軍が撤退を開始する。

後は、各地に駐屯軍を配置して、数十年がかりでスポリファール化する。

スポリファールは元々他民族国家で、今更別の国家の人間を取り込んだ所でなんということもない。

パッナーロの旧支配者層は悲惨な目にあうだろうが、それは自業自得だ。

帰路で聞かされる。

フラムにたくされた、あの魔法が得意だという子供。

国境での紛争で色々とやらかした結果、左遷されたそうだ。

そうかとだけアプサラスはぼやく。

左遷先にはあのアンゼルもいる。

問題児が送られる場所である。

それもまた人生だろう。そこまで面倒は流石に見切れない。

さて、帰ったら昇進だ。

恐らく副騎士団長に昇進。スポリファールの方面軍はアプサラスが見る事になるだろう。

それで充分。

アプサラスにも出世欲はあるが。

別に国家元首にまでなろうとは、思っていなかった。

 

(続)