皮剥奇譚

 

序、理不尽事件

 

日本の警察が優秀な事は誰でも知っている。近年は不祥事が多いが、それでも世界的に見るとトップクラスの能力を持っている事は事実だ。キャリアの腐敗や、様々な癒着構造などにもかかわらず優秀なのだから、色々と不思議ではある。

私に取ってみれば。

警察の精鋭が集うはずの捜査一課は正直な所、居心地が悪かった。

だから紆余曲折の果てに「ここ」に来る事が出来て良かったと想っているし。

今では、単独で事件を解決することも増えてきている。

昔はそれはそれは大変だったものだけれど。

今は大変のベクトルが違っている。

あくびをしながら、テープをくぐる。他の警官が怪訝そうに見るけれど。手帳を見せると、流石に愕然とした。

まあ警視ともなると、警察の立派な幹部だ。

実際には、それ以上の権力があるのだけれど。

まあそれはどうでもいい。

此処はある路地裏。

変死体が出たのだけれど。

それは私の仕事となった。すぐに連絡が来て、これでも急行してきたのだけれど。既に死体にはビニールが掛けられ。

周囲では掃除機を持った鑑識が動いていた。

「何だねあんたは」

「……」

鋭い視線を向けてくるのは、この現場をさっきまで担当していた警部補。現場百回を旨とするようなベテランだ。

彼が優秀な事は知っているが。

残念ながらこの事件は「畑違い」だ。

「今から私が此処を担当する」

「階級が上でも、理由を聞かせて貰えないといかんがね」

「今城君に連絡してみてくれるかな」

私に比べて二十センチは背が高い警部補は鼻白んだけれど。私がコートに手を突っ込んだまま余裕の様子なのを見て。流石に不審に思ったのだろう。

何より彼の上司である今城は警視正だ。

まあ実際の権力は私の方が上なのだけれど。

それは今はどうでも良い。

何より、今城の名前を知っていることが、既におかしいと分かるくらいで無いと。彼が優秀だという評判は聞こえてこないだろう。

しばしして。

連絡を終えた警部補は、苦虫を噛み潰したまま、振り返った。

「ああ、後は好きにしてくれ。 鑑識はどうするね」

「あの様子だともう終わるだろう。 結果だけ持って科捜研に」

「はいよ」

まあ、見た目小娘どころか、中学生にしか見えない私に言われたのだから、気分も悪いだろう。

背はついに百五十センチに届かず。

兄者と視線を合わせる夢はついに届かなかった。

血がつながらない兄者は、自分にとっては憧れだし。

昔は「この手の仕事」をする時に、本当に頼りになった。

ちなみに私の声は超低いアルトで。

見かけとまったく一致していない。

この容姿だから、子供みたいな声だろうと誰もが想像するのだけれど。私に会った誰もが、声を聞いてびっくりするのが、最初の出来事だ。

あの警部補も、声を聞いて少なからずショックを受けていたけれど。

それも私にとっては、便利な武器の一つだ。

心理攻撃が出来るからである。

さて、と。

死体を確認するとしようか。

手袋を取り出すと、早速死体の状況を確認。前は非常に頼りになる検死官がいたのだけれど。今彼女の手を借りるわけにはいかない。多少腕が落ちる別の検死官に頼むしか無いのだが。

まあ、それはいい。

どうせ検死の結果なんて、支離滅裂なものしか出ないはずだ。

シートをめくると。

其処にはあまりにもおぞましい死体があった。

経験が浅い奴なら吐くだろう。

そういえばあの後輩だったら、どういう反応を示しただろう。ああ、彼奴はオカルトは大の苦手でも、この手のは多少耐性はあったか。

死体の皮は剥ぎ取られ。

腹は横一文字にかっさばかれている。

血は凄まじい量が流れ出ていたが。

死斑や流出量から。

大体どういう風に死んだかが想像は出来た。

この被害者は。

腹をかっさばかれて死んだのではない。

シートを確認すると、やはりあった。

股の辺りに、突き刺さっている鉄パイプ。これが動脈を貫通。抜くことさえ許されず失血死。

それも、である。

被害者は目を見開いて死んでいるが。

まあそれは皮を剥がれているので、そう見えるだけかも知れない。

「麻酔は恐らく検出されないな」

呟く。

この被害者は。抵抗せず。皮を剥がれるままになっていた、という事になる。

よくあるケースだ。

問題は、これがどの「都市伝説」に該当する事件で。どういう意図で起こされたか、という事になる。

世の中には。

実在するのだ。怪異が。

私はそれを散々見てきた。図体ばっかりでかいが恐がりの部下と。飄々としていながら化け物みたいに強い上司と。いつも女王様のように振る舞う同僚と。得体が知れない新入りと。

結局死者を出した事件も多い。

今回のコレもそう。

流石にこれは動きようが無い。初動を急がなければ、死者が増える可能性もある。

だけれども、今の私は。

もう昔の私ではないのだ。

そんなことは、させない。

手をこまねいて見ているつもりはさらさら無いのだ。

幾つもの悲劇を乗り越えてきたからには、相応の所を見せなければならない。まずは後輩の所に連絡を入れる。

事件の概要を入れると。

気の弱い後輩は、早速青ざめていた。

「それはまた、猟奇的でありますな」

「まずは都市伝説を漁って、似たようなものがないかをピックアップするつもりだ。 私に万が一の事があった場合は、頼むぞ」

「オス! 先輩に万が一などあり得ないと信じているであります」

「ああ……」

相変わらず暑苦しいしゃべり方をする奴だ。

通話を切ると。

自分の脳内データベースから、幾つか事件の候補を引っ張り出す。過去のケースで。似たようなものが無いか検索。

どの事件も大変だったが。

しかし、類似例はあまり見当たらない。

すぐに部下が何名か来る。

今は、独立して、部下を持っているのだが。

どいつもこいつも、一癖も二癖もある奴ばかり。

これに関しては。

あの薄暗い、本来存在しない部署にいた頃と同じだ。

「来たか。 それでは、各自まず状況を確認」

「はい!」

ばらばらと散る部下達。

それを見て、鑑識の担当官が、何だか不思議なものでも見るようにして、此方を見つめていた。

 

死体発見から一時間。

既に死体は、鑑識に廻している。

どうも今回の件は、きな臭い。何か裏があるからこそ、私に廻されたのだろうし。それがそもそも早すぎる。

まさかとは思うが。

連中か。

一度、私と仲間達は、ばらばらに引き裂かれたことがあった。

あの時は本当に大変で。

再結集するまでに、偉い苦労を強いられた。

一応捜査一課に戻ったりもしたのだけれど。

もう私は、既に普通の警官としての仕事よりも。此方の方が性に合うようになっていた。

一時期は。

捜査一課に戻りたいと思っていたりもしたのに。

不思議な話である。

現場を見て回る。

地図なども確認して、徹底的に調査。

儀式殺人の可能性もあるからだ。

その場合、地図を魔法陣などに見立てている可能性がある。だが、どうみても、そのような場所では無い。

かといって、死体を遺棄したとも思えない。

何かが、此処であったのだ。

既に掃除機まで使って、この辺りの痕跡を鑑識が調べ尽くしている。

そういう点では、この国の警察は信頼出来る。

対応出来ない部分を、私が補っていけば良いのである。

「警視!」

手をヒラヒラと振っているのは、ひょろっと背が高い女性刑事。私の新しい独立チームの中で、私を除けば実働部隊の紅一点だ。後方支援部隊にはもう一人女性がいるが、あれはそもそも外には出てこない。

前は窓際で燻っていたのだけれど。

私が能力を見いだしてスカウトした。

ちなみに能力というのは。

実務能力では無い。

いわゆる、霊感、である。

「何だかこの辺り、気持ち悪いですー」

「ふむ、何かいるのか」

「いえ、いたというのが正しいような……」

小首をかしげる部下。

木場と言う名の彼女は、昔の憶病な後輩と違って、幽霊に類するものを怖がらない。話を聞いたところ。不思議な事が幼い頃からありすぎて、幽霊はあまりにも身近なものだから、らしい。

「それは霊的なものか? サイコパスか?」

「少なくともサイコパスではないです。 しかし、霊的なものがダイレクトにこれをやったかというと……」

「まあいい。 今はそれだけで充分だ。 原口、能田」

二人を呼ぶ。

どちらも屈強な警官で、SATから引き抜いた。実力は折り紙付きで、その辺の暴漢なんてものともしない。

二人に木場の護衛を任せると。

この場は三人に任せて。

私は鑑識のいる場所へと向かう。

ちなみに警官はパトカーで常に移動していると思っていた時期も、私にはあったのだけれど。

基本的にパトカーは。

余程のことが無いと使用許可が下りない。

そこで、ちっちゃい軽自動車を使って、私は署へと急ぐ。

さて、そろそろだろう。

私が到着する頃には。

ガイシャの身元くらいは割れているはずだ。

駐車場に滑り込む。

そして、早めに栄養ドリンクを飲んだ。

昔の仲間と接触するのは、出来るだけ避けたい状況だ。皆を頼りに出来ればいいのだけれど。

今は最低限の連絡しかできない。

手足を縛られているのと同じ状況なのである。

もたついていると。

何もかもが、手遅れになる。

「此方風祭」

「はい、検死の状況ですか」

「そうだ。 何か分かったか」

「被害者の身元は割れました」

頷くと、すぐにその場に急行。

夜中だから、署に入るのにも、幾つか面倒な手続きがいるのだけれど。こればかりは色々と仕方が無い。

署に入ると私は。

周囲を無遠慮に見回した。

夜番の連中が、奥で眠っていたり、事務処理をしたりしている。通り過ぎる時に敬礼すると。

此方が警視だと気付いて、不可思議そうな顔をしながら、敬礼を返してきた。

すぐに地下の死体安置所へ向かう。

今の時点で。

私自身に、何か負の気配が近づいている様子は無い。

まあ近づいていたら近づいていたらで。

返り討ちだが。

そもそも私がこの仕事に就いたのは。

この世ならざるものに対して、尋常では無い耐性があるから、なのだ。

地下に降りると。

空気がひんやりした。

この辺りには、流石に「いる」。

だが事件とは無関係の奴ばかりだ。まあ無念の最期を遂げた者もいるし、そればかりは仕方が無い。

私が「見えている」事に気付いて、一人寄ってきたが。

真言を唱えて、はじき返す。

文字通りはじき飛ばされたそいつは。

いそいそと逃げていき。

他のも此方に気づきはしたけれど。

それでも、怖れて距離を取るのだった。

まあしつこいようだったら、肉弾戦で顔面を凹ませてやる所だったが。それは別に良いだろう。

前から私は。

バイソン娘とか。

恐怖の徹甲弾とか言われていた。

推理が強引だからというのもあるけれど。

何より霊的な存在を直接ぶん殴れるのが大きい。

単純な戦闘力なら、ガタイが良い私の後輩の方が上だろうけれど。彼奴は霊的存在に関してはてんで無力なので、其処は私の出番になる。場合によっては私の上司も出張ってきたのだけれど。

あの人が出てくるときは、基本的にもう生半可な手では収拾がつかない時だったので。

今私がするべき事は。

そうしないようにすることだ。

安置所に着く。

数名の検死官が、死体を調べていた。

胃の内容物から、様々なものまで。

今回は引きはがされた皮が見つかっていないから、死体を綺麗な状態に戻せないのが悲しいのだけれど。

私が姿を見せると。

気むずかしそうな年老いた検死官が、マスクをしたまま、手を動かしながら、言う。

「歯が一致した。 ガイシャは佐藤圭。 近所に住むOLだ」

「ふむ、犯罪歴は」

「ないな」

誰もが通うのが歯科医。だから、歯のデータを調べると、どんな悲惨な死体でも身元が分かる。

だから定番のやり口だし。今回もそれで上手く行った。

さて。

死体を改めて観察。

背は比較的高い方。

肉付きは普通。

皮さえ剥がれていなければ。

かなりの美人で通っていただろう。

もったいないが、こればかりは正直な所、仕方が無いとしか言いようが無い。いずれにしても、犯人は潰す。

こんな事をしておいて、無事で済むと思うな。

私は昔に比べて好戦的になっているけれど。

今も、怒りでふつふつと血が沸き立っている。

既に部下達が、調査を始めていて。

聞き込みを終えるまでに、私としてもやる事がある。

もう一人の部下。

現場にも出てこず。

厳密には正式な警官でも無い相手に声を掛ける。

スマホを操作して通話。勿論、死体安置所は出た。集中して作業をしている検死官達を邪魔しないためだ。

「古橋、いるか」

「ういっす、なんすか」

しゃべり方と裏腹に。

声はとても可愛らしい。

それはそうだろう。

相手は女の子。それも中学生だ。

とはいっても私より背は十センチも高く。見かけは大人っぽい。ただし、何というか。船幽霊みたいな雰囲気だが。

その見かけが禍して、苛烈なイジメに遭い、引きこもってしまったが。

あるサイバー犯罪に巻き込まれ。

その時に私が拾った。

以降は私の忠実な部下として、働いてくれている。

ちなみにドがつくほどの腐女子だ。

時々推しのカップリングとかを聞かされるので困る。まあ、仕事だけ出来れば良いと私は思っているので、何とも思わないが。

ちなみに私の後輩は、大体いつもその妄想の餌食にされているので、何というか同情したくなる。

本人も、古橋を理解できない思考回路をしている小娘と、と苦手にしている様子だ。以前も人間核弾頭と渾名をつけていた娘っ子を苦手にしていた経緯もある。後輩は何だか、自分が苦手とする相手に好かれる傾向があるようだ。

私が指定したワードに、その部下。古橋は小首をかしげた。

「聞いたこと無いッスよ、そんな都市伝説」

「洗え」

「分かったッス」

「今回のは、複数犯。 それもかなり危険な相手だ。 調査の時は、念には念を入れるんだぞ」

勿論荒事担当の部下も近くにいる。

何より、古橋自身が、そんな簡単に殺られるようなタマじゃあない。

みんな、色々と。

地獄をくぐってきているのだ。

もとはモヤシだったのだけれど、私がきちんと仕込んだこともある。今ではナイフを持った暴漢くらいは単独で処理できるし。

人ならぬものへの対策方法も教えてある。

滅多な相手には遅れを取ることは無い。

「さてと、後は」

この事件に、関わらせたくないのが一人いる。

悪い奴では無いのだが。やることなすこと兎に角とんでも無い事態を引き起こすので、初動の段階で引っかき回されたくないのだ。先ほど、ちょっと思い出した、通称人間核弾頭である。

だから、エサで誘導する。

こういうときのために、エサは準備してある。

「ゆうかか。 久しぶりだな」

「あれ、風祭さん。 どうしたの」

「特ダネをくれてやる」

これは、暗黙の了解。

実際、此奴は、私と絡むことで、既に二桁近い回数、死の危険に接している。何というか、とにかく体質的に。超がつくほど危険な怪異を呼び寄せやすいのだ。

今生きているだけでも不思議なくらいなのである。

色々と面白い奴なのだけれど。

マスコミとしてはある意味扱いやすいし。

最近では、別方面での事件で活躍もしてくれている。今後も、ある程度良好な関係を保っていきたいところだ。

「岐阜の方で、また面白い事件があった様子だ。 足を運んでみろ」

「本当!? 感謝するね」

「ああ。 だが気を付けろ。 前に紹介しておいた奴に相談はしておくようにな」

「分かってるって」

ちなみに此奴、記者としてはあるまじき事に、思考回路がオカルト一色だ。だがそれでいながら、きちんと論理的な思考も出来る。

そういう意味でも、面白い奴なのだった。

これで、準備は整った。

自分用に作ったちんまいコートを着直すと、黙々とデスクに戻る。

そして、書類の作成を開始した。

 

1、影の部署

 

FOAF。

聞き慣れない言葉だろう。多くの人間には。

フレンドオブアフレンドと約すると、何となく理解できるかも知れない。友達の友達、という意味である。

古き時代から、物語性を伴った噂話は、どこの国にも存在する。

それが、都市伝説。

多くの場合、それはこんな風に拡がっていく。

この話って、友達の友達から聞いたんだけれどね。

その主体性の無い、友達の友達。それがFOAFだ。

都市伝説の中核を為すモノであり。

ある学者が提唱した概念である。

都市伝説は世界中に存在し、その国ごとに特性がある。未だに古い時代の神々が信仰を保ってる国では。悪さをすると妖怪が出てくる、というような内容だったり。或いは天罰が下った男の話だったりするけれど。

一方で高度情報化した社会になると。

今度は、サイコパスがどのように犯罪を手を染めたかというような、一転して「現実的な」内容になる。

はっきりしているのは、国民性によって、それぞれが好む内容に変わっていく、という事だろうか。

勿論根本はどちらも同じ。

其処に主体は存在せず。

一人歩きしながら、尾ひれがつき。場合によってはロケットブースターがつけられて、大気圏外までブッ飛んでいく。

タチが悪い都市伝説になると、実際に多くの警官が対策に動員されたりもする。

良い例が口裂け女だ。

不思議な事にこの都市伝説は、隣国にまで伝播し。現在になるまで猛威を振るっているのだが。

それはまた、別の話である。

さて、私としては。

既に三桁近い数の書類を片付けている。

彼方此方から持ってこさせたキングファイルに、片っ端から目を通し、類似事件が無いかを調べる。

一般には隠匿されているが。

実際には、表に出せない怪事件は山のようにある。

その中には、都市伝説の中でも特に危険な事件や。

数十人単位で人が死んだものもあり。

私もその幾つかに遭遇。

解決に尽力してきた。

私の先輩達のチームも、それらの解決に尽力してきたチームだけれど。既に引退して、今は何処にいるかは分からない。

時々情報提供はしてくれるけれど。

それだけだ。

まあ簡単に死ぬようなタマじゃあないし。

その中の一人。

現役最強とさえ言われた払い士は、私を対怪異最終兵器とまで称していた。怪異が相手だったら。

私は負けない。

栄養ドリンクを飲み干すと、作業の続きに入る。

キングファイルは、目を通した横から片付けさせつつ。

データベースを調査して、類似事例を探していく。

しばし黙々と作業を続ける。

そうすると、電話が鳴った。古橋からだ。

「風祭さん、面白い情報見つけたッスよ」

「聞かせろ」

古橋は会話が下手だ。

兎に角自分の言葉の要点を伝えるのが苦手。

理由は簡単。

頭が良すぎるのだ。

だから相手の理解力が低い場合、会話が中々成立しない。それを随分長い間古橋は悩んでいたようだけれど。

私は別に古橋の言葉を問題なく理解できるので。

気にもしていない。

古橋も古橋で、私は会話を理解してくれる人ということで、甘えてくるし、自分も見せてくる。

腐女子である事をカミングする相手なんて滅多にいないそうで。

同好の士になってくれればなあと、何度も言われた。

まあ流石に、性的嗜好まで合わせるつもりはないので、いつも丁重にそれだけはお断りしているが。

「アングラもアングラ、海外の情報サイトすけどね。 其処でフィリピン籍の人間が、面白い情報を書き込んでいたッスよ」

「続けろ」

「はい。 今フィリピンで猛威を振るっているマフィアがいるそうなんすけど……」

海外マフィアか。

一時期ほどでは無いけれど、この国も海外から多数の悪が集まって来ている。文字通りの人非人どもだ。

こういう連中には、対策の特殊部隊が存在して。

殆どの場合、存在を闇に屠ってしまう。

事実、都心でガスによるテロという前代未聞の事件が起きて以降、警察はこのタイプの部署を強化して。

今では、水際で殆どの犯罪組織が潰されているそうだ。

まあそれでもあくまで殆ど。

取りこぼしは、容赦なく無辜の民に牙を剥いているわけだが。

それで、である。

電話をしながら、データベースを漁る。

どうやら該当の組織がヒットした。

確かに手口が一致する。

対立組織の人間の皮を剥いで殺す。しかも皮を剥がれているにもかかわらず、死体は抵抗した様子も無く。

薬物を投与された形跡も無いという。

小首を捻る案件だ。

まあその不気味さもあって、現地では有名なのだとか。

「よく見つけてくれたな」

「いや、そう言ってくれると嬉しいッス。 今度コミケで一緒にコスプレしてくれるともっと嬉しいんすけどねえ。 今、風祭さんみたいなちっちゃい大人、需要あるんすよ」

「それは断る。 それよりも、だ」

「ふえ?」

一つ気になる点がある。

鉄パイプだ。

足の動脈に突き刺されて、失血死の原因になったあれ。

今の都市伝説には。

それが出てきていない。

それを指摘すると。古橋も、電話先で頷いたようだった。

「その通りッス。 それで調べて見たんすけど」

「手が早いな。 で結果は」

「実はその組織、裏でゾンビを作ってるって噂があるんだとか」

「……」

ゾンビ、か。

歩く死体だったら、以前事件で遭遇したことがある。とにかく手強い相手で、叩き潰すのに随分と苦労した。

そもゾンビとは何か。

映画であまりにも有名になったそれだが。

実際には、ブードゥーという宗教による、一種の呪いである。薬物で仮死状態にした人間を埋葬し、息を吹き返したところで掘り返す。

その後は様々な暗示を与え、死ぬまでこき使う。

そういう呪術だ。

実際には科学的な措置も行う事もあって、完全なオカルトとは言い難いけれど。

しかし今では、ホラー映画の定番敵となっていることもあって。あまりにもその言葉だけが一人歩きしている。

なるほど、ゾンビか。

「鉄パイプと何の関係がある」

「実は現地だと、皮を剥がれただけではなくて、色々死体がされているんだそうッス」

「色々?」

「切り刻まれたり、何か差し込まれたり。 どうしたら本当にゾンビになるのか、実験しているかのように」

ふむ。

ひょっとすると。

皮を剥ぐ行為と。

鉄パイプを突き刺した行為は、別なのかも知れない。

とんでも無いサイコパスがこの国に入り込んだ可能性がある。いや、出来すぎている。

ずっと私や仲間達の邪魔をしてきた連中が、この国には実在している。

そいつらのせいで私がいた警視庁地下の部屋は、一度潰されさえした。

今ではそれぞれが独立して、奴らと戦っているが。

まあ今回も、その可能性を考慮していかなければならないだろう。

「よし、よく調べてくれたな。 もう少し調査を続けてくれるか」

「了解ッス」

「小暮には後で言っておく」

「わ、本当ッスか! あの人、口べたみたいで、ボクと喋ってくれなくて寂しいんっすよね」

そうかそうか。

まああの兎の心臓じゃあ仕方が無いだろう。

電話を切ると。

今後は海外犯罪者対策を専門にしている人間へと連絡を入れる。幾つか話をすると。向こうは小首をかしげた。

「その組織の名前は知っています。 フィリピンで猛威を振るっている悪辣な犯罪組織ですよねえ。 しかし日本に来ているという噂はありませんが」

「来た可能性がある」

「まさか」

「調査を始めてくれ。 どうも連中がやったのと同じタイプの死体が出ている」

流石に事の重大さに気付いたのだろう。

二つ返事で引き受ける相手に。頼むぞと念押しして、電話を切った。

さて、と。

此処からだ。

 

そろそろ検死の結果が出たころだろう。

死体の安置所に向かう。

検死官達が、手を洗っていた。

私が姿を見せると、向こうも頷いた。

「結果は」

「やはり失血死です。 皮を凄い力で剥がされている間も、抵抗した様子が一切ありません。 動脈に突き刺さった鉄パイプから流出した血が死因ですね」

「他に妙なところは」

「そうですね。 流れ出た血と、体内に残った血の量が一致しません」

話を進めるように促すと。

どうやら一リットルほどの血が無くなっているらしい。

一リットル。

完全に致死量だ。

それはつまり。

「要するに鉄パイプは、血を無理矢理抜き出すために突き刺した、という事か」

「可能性は否定出来ないでしょうね」

「……」

唾棄すべき相手だ。

今までこの仕事をしてきて、人間の狂気に散々触れてきた。どんなホラーでも、最強のモンスターは決まっている。

ゾンビでもなければ、宇宙生物でも、神話の時代の悪魔でも無い。

人間だ。

この事件でも、恐らく私は、それを思い知らされることになるだろう。

他に幾つか聞いていく。

やはり体内から、薬物の類は見つかっていないという。

そういえば、だ。

例のフィリピンの組織も、よく分からない集団で。薬物の密売で稼いでいるわけでもなく。人身売買や武器の密造が目当てでも無いらしい。

それでいながら、魑魅魍魎溢れる東南アジアで怖れられているのだ。

余程の恐怖をまきちらしている、という事だろう。

検死の結果をチェック。

死体は、皮を剥がれていること。腹をかっさばかれていること。それに股に鉄パイプが刺さっている事を除けば綺麗なものだ。

内臓は傷つけられていないし。

強姦された形跡は無い。

あまりにもグロテスクな死体だが。

損壊そのものは、意外に小さいのだ。

検死書をまとめておくようにと指示すると、私はデスクに戻る。

部下達が、佐藤圭についてまとめてくれていた。

被害者である佐藤圭は、かなり陰鬱な性格をしていたらしく。OLの間でも孤立していたそうである。

年齢は27。

そろそろ昔だったらお局と呼ばれる年だが。

晩婚化が進む現在では、そんな風に呼ぶ者もいないだろう。

一応念のため、知り合いの米国帰りのプロファイラーに声も掛けておく。既にデータは揃っているので意見くらい聞けるだろう。

彼奴は今、捜査一課でバリバリやっているが。

今でも同志だ。

小暮との相性は最悪だが。

不思議と私や、私の仲間である凄腕の検死官とは馬が合うらしく。文句を言いながら、話を聞いてくれる。

「何かしら。 今一つ重大案件を抱えていて忙しいのだけれど」

「そういうな。 資料を送ったところだ。 目を通してくれるか」

「……どれ」

このプロファイラー。知的好奇心が自身の感情に勝るタイプだ。だからこそに、興味さえ引いてやれば面白いように働いてくれる。

案の定、興味をすぐに引き出せたようだ。

「類例の事件は周囲で起きている?」

「いや、過去10年まで県内の事件を遡ったがないな」

「まあ及第点の初動ね。 フィリピンマフィアの件はおいておくとして、これどう見ても儀式殺人よ」

「それは分かっている。 だがどうして死体を路上に捨てた。 いや、下手をすると、路上でこの暴挙に出た可能性もある」

情報が足りない。

そう言われて、頷く。

だが、その足りない情報を使って、どうにかして次の事件を防ぐ。

それが警官の仕事だ。

例え表に出ないイレギュラー部署でもそれは同じ。

「怨恨の件は」

「可能性は無いわね」

「理由を聞かせてくれ」

「まず、怨恨にしてはあまりにも丁寧すぎる。 怨恨で殺す場合、どうしても死体に憎悪がぶつけられるものよ。 あらゆる作業が、異常なくらいに丁寧に行われすぎているのが気になるわね」

むしろ恋人の方が怪しいかも知れないと、プロファイラーは言う。

だが、実は。

その恋人は、三年前に死んでいる。

ついでにいうと、それ以来佐藤は恋人を作っていない。

これは佐藤の自宅なども調べて、既に分かっている事だ。ちなみに両親は別居していて、事件さえ知らなかった。

この両親が問題のある人物だったのだけれど。

まあそれはまずおいておく。

今は、この事件の、次の事件が起きるのを防ぎ。

犯人に鉄槌を下すことが先だ。

「もう少し周辺の調査が必要ね。 それともまた怪異だとかの仕業かしらね」

「それがなあ。 少なくとも佐藤の死体の周囲に、それらしいのは存在しなかったんだよ」

「……まあいいわ。 貴方の周囲で訳が分からない事件が何度か起きているのは私も見ているし、信用しないにしても否定はしない」

「それだけで充分だ。 進展があったら連絡する」

電話を切る。

さて、次は、と。

本来、こんな事件が起きたら。対策室を立ち上げるのが普通だが。

今いる仕事場ではそれが出来ないのが苦しい。

私が十人分働くしか無い。

勿論彼方此方からスカウトした部下もいるけれど。兎に角危険な仕事なのだ。相手も相手だし、実際部下を危険にあわせたことも一再では無い。

栄養ドリンクをまた飲み干すと。

私は今度は。

佐藤圭の自宅に足を運ぶことにした。

 

パトカーは使わない。

というよりも、警官は普通パトカーを使わず移動する。色々な理由があって、初めてパトカーを使う事が出来る。

そういうものなのだ。

ガソリン代だってバカには出来ないし。

なによりパトカーの数が限られている。

本当に大きな事件が起きたとき。

パトカーが無くて困る、という事だけは避けなければならないのである。

佐藤圭はマンション暮らし。

誰かと同棲した様子も無い。

鑑識が徹底的に調べているが。

それでも何も出ていない。

私も見て、呻く。

なにも生活感が無い部屋だ。

パソコンが無い部屋は最近珍しくも無くなったが。クローゼットさえないのである。ハンガー立てはあるけれど。

それだけ。

掛かっている服も多くは無い。

今、若者の貧困が叫ばれているが、それだけではないだろう。この規模のマンションで、しかも中古だ。

しかも、佐藤はかなり良い給料を貰っていたことが分かっている。

部下が遅れて入ってきた。

木場である。

血に弱いので、とにかく荒事には向いていないのだけれど。

人ならぬものを察知する能力に関してだけは、私より上。

なので重宝している。

私の場合は、霊感は霊感でも、敵意とか悪意が無いと察知が難しい。それに比べて此奴は、普通の浮遊霊とかも察知出来るので、汎用性が高い。

ちなみにそれ以外の仕事は軒並み駄目である。どうしてあんな穀潰しを囲っているのだとか良く言われるけれど。

一芸が優れているからに決まっている。

「ふえー、警視、まってくださいよう」

「木場、どうだ。 何か感じるか」

「ふへー? ええとぉー」

「さっさと喋れ」

取り出したハリセンで一撃。

頭を抑えてきゃっとか可愛い悲鳴を上げた木場。同性から嫌われるのが何となく分かる気がする。

ただ、此奴はあくまで天然でやっているので、私は気にしない。

「いるにはいますけど、悪い子じゃないですー」

「つまり、今回の殺人事件には関係無いと」

「あ、ちょっとまってください」

壁に向けて、木場が話し始める。

腰を低くして、笑顔で喋っている。

ふむ。

気配は若干感じ取れる。

多分子供の幽霊だろう。

子供の幽霊と言えば、前に酷い目に会った事があるし、ちょっと苦手だ。フロント硝子に飛びつかれたときは、心臓が止まるかと思った。

「警視、分かりました」

「詳しく」

「佐藤さん、なんだか最近怪しい宗教を始めてたみたいです」

「!」

宗教。

カルトの類と見て良いだろう。

だが、どうして見逃していた。

スマホの類は回収していた。履歴も確認してあるが、妙なサイトへのアクセスは無い。そうなると。

まさか、接触した相手から、別にスマホを渡されていて。

それを使用していたか。

可能性は否定出来ない。

「どんなことをしていたか聞き出せるか」

「やってみます」

頷くと、私は。

別方向で動いている部下に連絡。

佐藤の会社に向かわせる。

佐藤が普段どんなスマホを使っていたか、調べさせた方が良いだろう。佐藤のPCも調べて見るべきか。

いや、勿論PCは調べてあるが。

何か今まで気付かなかったことがあったかも知れない。

現場百回と言う言葉は。

こういうときのためにあるのだ。

 

佐藤という人物について、調べていくと。どんどん分からない事が増えてくる。

普段からまめな性格だったらしいのだけれど。

その一方でもてなかったという。

お局様と呼ばれるほど、今の時代では老けていない。

ルックスも悪くない。

三年前に死別した彼氏と熱愛関係にあったのかとも思ったが。実際にはそんなこともなさそうで。

別れる寸前だったという証言が友人から飛び出している。

腕組みする。

厄介な事件だ。

本当にフィリピンの犯罪組織の仕業かも、今は判然としない。ただし、類似点があまりにも多すぎる。

無視はできないし。

かといって其処にも絞れない。

そうこうするうちに。部下達は、確実に情報を集めてくる。初動は失敗していない。それだけが救いだが。

最悪の猟奇殺人鬼が野放しになっているのは事実。

ちなみに鉄パイプからは指紋は出ていないし。

周囲から、他人の痕跡も出ていない。

それどこから、鑑識からは、とんでも無い情報も飛び出してきていた。

「鉄パイプを、自分で突き刺した!?」

「はい。 その可能性が高そうです」

「まて。 状況からして、皮を剥がれた後だよな」

「そうなりますね」

つまり、である。

佐藤は外の路上で裸になり、皮を全部剥がれ、その状態で鉄パイプをおもむろに手にして。

股に突き刺し。

動脈を貫通させた。

そして失血死した。

死体は綺麗に倒れていて。その場でぶっ倒れた感触では無かった。つまり地面に座って、腰を下ろした状態で、尖ってもいない鉄パイプを足に突き刺した、という事になる。

全身の皮を剥がれた状態で、だ。

何だそれは。

猟奇的を通り越して、意味が分からない。

連絡が来た。

古橋だ。

「例の組織、アングラで調べてきたッスよ」

「どうだ、状況は」

「いやもう、現地では悪霊とか言われて、怖れられている集団らしいんっすけど」

それが、妙なことに。

噂ばかりが一人歩きして、実体がまったく分からないのだとか言う。ゾンビがどうのこうのという話も、眉唾らしいと言ってきた。

あまり有能では無いとは言え、フィリピンでも警察が動いている様子らしいのだけれども。

それでも尻尾さえ掴めない。

末端の構成員さえ把握できず。そもそも、実在しているかさえ定かでは無い。

それなのに、確実に異常な死体だけが出ると言う。

迷信深い人間は、邪神か何かの類と考えているとかで。タブー視する声まであるのだとか。

犯罪組織では無く。

個人の仕業では無いかと言う噂さえあるのだとか。

つまり、「集団」でさえ無い可能性もあると言う事だ。

ぞくりとくる。

これは久々に、本当に厄介な相手かも知れない。

都市伝説は、一人歩きを始める。

そうすると言霊から実体を得ることがある。

その結果、都市伝説は。

現実に生きている人間に対して、牙をむき始めるのだ。そうして理不尽に死んでいった人々を、私は何度も見てきた。

「気をつけてください、風祭さん。 私と腐った会話できるの、風祭さんだけなんだし、死んで欲しく無いッス」

「腐った会話をした覚えは無いが、安心しろ。 ……恐らくコレは人間の仕業ではないだろうな。 ならば私の敵ではない」

「頼もしいッスね」

「……そうだな」

人間が相手だったら、色々とまずかっただろう。

だけれども、この得体の知れなさ。

もしも私の予想が正しければ。

被害は更に拡がる。

もっとも、私の所に来たら、それでそいつは終わりだ。

誘導するべきかも知れない。

それが一番、被害を減らす方法だ。

 

2、ROR

 

あくびをしながら、仮眠を終えた部下の一人に頼んで、車を出して貰う。勿論パトカーではない。

タクシーだ。

行き先は、ある大学。

私の義理の兄がいる所である。

義理というのも、色々あって、私の両親に養子として迎えられたからである。両親が再婚したわけでは無い。

ちなみに義理の兄というとよからぬ想像をする者もいるかも知れないが。

至って普通に仲良しである。

仲良しである事が普通では無いという話もあるらしいが、そんな話は私の耳には聞こえないので何ら問題は無い。

いずれにしても、義理の兄は。

腕利きの民俗学者だ。

特に古い伝承については詳しいし。近年の都市伝説についても詳しい。

問題は、義理の兄の近くには、あの人間核弾頭が姿を見せることが多い。何しろ義理の兄を勝手に師匠呼ばわりしているからだ。今回もそうならないといいのだけれどと、戦々恐々とはしている。

しかも玉の輿を狙っているという噂まである。あれが義理の姉になったりしたら、この世の終わりだ。

ぞくりとくる。

どんな怪異も怖くない私だけれど、それだけは絶対に嫌だ。

ぐるぐる廻る嫌な考え。

だけれど、流石に三徹の後だ。

いつの間にか、私は。

すっかり寝こけていた。

「風祭警視、つきましたよ」

「あー、うん。 上上下下BBB」

「はい?」

「ああ、気にするな」

つい昔やったゲームの隠しコマンドを呟いてしまったが、まあそれはいい。部下は此処に残すと。

手鏡で容姿を確認。

コートを直すと、大学の研究室に向かう。

研究室には、兄者がいたので、一安心。

人間核弾頭はいない。

これだけでスキップしたいほど嬉しい。

「ひゃっほう! 兄者ー! 来たぞー!」

満面の笑顔で手をヒラヒラ振る。

兄者はうんざりした様子で振り返った。

ワイルドな容姿の兄者は、大学教授という肩書きと裏腹に、何だかハリウッド映画で武闘派主人公をやれそうな容姿をしている。

とにかく私とは対照的なルックスで。

しかしながら、性格は何処か似ていた。

それで馬があったからだろう。

兄者がさっさと独立して家を出たときは寂しかったけれど。それからも、こうして兄者は私に会ってくれる。

「何だ、今ゼミの資料をまとめている所なんだがな」

「そういうな、兄者! お土産だ!」

「……」

無言でシュークリームを受け取る兄者。

ちなみに近くの美味しいお店で買っておいたものだ。私が部下に指示して、だが。

「それでお前が顔文字だらけのわけのわからんメールを寄越したのでは無くて、わざわざ来たと言うことは、遊びではないな」

「流石は兄者だ。 その通り」

「いつもは遊びと言う事か。 まあそれは良いから早く話せ。 お前ももう色々責任ある立場だろう」

冷静で理論的な兄者。

この辺りが痺れて憧れるところだ。

それで、である。

早速順番に話していくが。兄者はそれを聞き終えると、頷いた。

「海外の都市伝説では、犯罪集団に関係するものが多いのはお前も知っているな」

「ああ。 今回もその線で進めている。 プロファイラーにも分析を頼んでいるのだが、兄者にも別方向からの支援が欲しい」

「皮を剥ぐというタイプの犯罪は昔から類例がある」

幾つか教えてくれる。

伝説的なあるシリアルキラーは、殺した人間の皮を家具に加工していた、と言う話があるそうだ。

そのほかにも、人間の皮を題材にしたオカルトは、類例に暇が無いらしい。

つまり、これは。

意外に古いオカルトである可能性がある、という事か。

「兄者はどう思う」

「そうさな。 もしこれが怪異の仕業だとすると、条件を満たした相手の所に現れて、その存在を自殺させているのかも知れない」

「詳しく頼む」

「そもそも、皮を剥ぐという行為が代償になっているとしたらどうだ。 自分で死ぬ勇気が無い人間は多い。 自分の姿にコンプレックスがあるとしたら?」

なるほど。

そうなると。

そもどうしてそのような儀式が行われるのか。

具体的にどうすれば良いのかを、突き止めればいいわけか。

それにしても、少しばかりまずいかも知れない。

今のこの国では、自殺願望予備軍は大勢いる。

もしも、そんな儀式が、爆発的に拡がりでもしたら。

この国は、地獄に変わる。

思ったよりも危険な事件かも知れない。少しばかり対応レベルを挙げるべきだろうか。私はその時。

そう判断した。

 

対策室は建てられないけれど、部下達には全て伝える。

これは非常に危険な怪異の可能性が高い。

この国には、幾つかとんでもなく危険なレベルの怪異が存在している。私もこの場所に来てから知らされたのだけれど。それこそ世界が滅ぶレベルの怪異も昔現れたことがあるらしい。

話によると、それに対抗する兵器まであるとかいう噂だけれど。

流石にそれはないだろう。

最近確保した優秀な新人に調べさせようかと思った事もあるけれど。今は別に優先度が高い事件がある。

現在捜査中の部下、合計十八人を集める。ちなみにもう二人いるけれど、そいつらは古橋の側で護衛中である。なお、古橋は協力者というスタイルなので、合計二十人には含まれない。

皆の緊張した顔を見回し、そして告げた。

「今回の事件は危険だ。 危険度をCからBに引き上げる。 とにかく、佐藤圭の周囲を徹底的に洗って、異常行動が無かったか探り出せ」

「分かりました」

一人ずつに、指示を出していく。

その中で、一人だけ。

木場だけは残す。

此奴は捜査という点では役に立たない。此奴が使えるのは、怪異に対してのソナー。それも悪意が無いタイプの怪異に対しての、だ。

これが案外役に立つ。

悪意がある怪異に対しては、私がそれこそジョーカーとなれるのだけれど。そうでない上に、危険なタイプの怪異は案外数が多いのだ。

さて、此処からだ。

「木場、お前はとりあえず、其処のソファで寝ていて、悪意の無い怪異の気配がしたら、即座に警告しろ」

「ふえ、いいんですか?」

「いいんだよ。 お前は人間ソナーだ」

「それじゃ、プリンたべてます!」

実に嬉しそうに、満面の笑みで冷蔵庫からプリンを取り出す木場。

正直此奴に刑事として能力は期待していないが。

一芸があれば良いのだ。

ちなみに此奴は、元々潰れかけた神社の一人娘。仕事も無くて、どうしてか警官にはなったけれど、窓際で寂しそうにしている所を私が特性を見いだしてスカウトした。今では人間ソナーの仕事だけで、年収六百万を超えている。

これは妥当な報酬だ。

というのも、怪異相手の仕事は危険が大きい。

これくらいは払っておかなければ、割に合わないのである。

さてと、此方は此方でやることがある。

プリンを食べ始める木場を横目に。

私は、PCに向かって、作業を始めた。

しばしして。

連絡が来る。

古橋からだ。

「風祭さん、見つけたッスよ」

「よし。 具体的に頼むぞ」

「本当に怖かったッス。 国会図書館なんて、二度と行きたくないッスよ」

ぶちぶち言う古橋。

まあ無理もないか。

此奴は重度の人間恐怖症だ。昔あった色々な事が原因で、同年代の女子とは目もあわせられない。

喋るのだって、特定の相手だけ。

私だって、此奴と喋ることが出来るようになるまで、本当に苦労した。

だが、ネットのアングラに通じた人間は、この現代社会では非常に役に立つ。此奴などはその最たる例で。

此奴のアシストで解決した怪異関連の事件は、実に三十件を超えている。

あんなニートを囲ってとかいう悪口も聞くが。

実際には、迷宮入りしている事件を多数解決するきっかけを作った人間に対するやっかみである。

「完全一致ッス。 お招き様と呼ばれているそうッスよ」

「お招き様?」

「九州南部の小さな島に伝わる祟り神で、研究資料が一つしか無かったッスから」

それでも見つけ出したか。

兄者でも知らないような事を見つけ出したのである。

古橋は間違いなく有能だ。

「すぐに詳しい資料を送れ」

「分かりましたッス」

「それとボーナスだ。 お前が前から欲しがっていたレアゲー、確保しておいた。 郵送しておく」

「わ、本当ッスか!?」

子供みたいな歓喜の声が聞こえてきたので、私は苦笑。

すぐに資料が送られてきたので、目を通す。

なるほど。

これはこれは。

確かに内容が完全一致している。

問題はどうしてフィリピンで此奴が大暴れした上に、日本に帰ってきたか、だが。

幾つかのつてを探る。

そしてこの伝承が残る島の住民ををピックアップ。

フィリピンへの渡航歴。

そして犯罪歴があるものを、調べさせた。

幾つかヒントを得た後は、部下達に任せる。

そして仮眠。

六時間ほどデスクで眠っていると。

声が聞こえてきた。

来たな。

「警視!」

呼ばれるまでも無く飛び起きる。その時には、既に私は戦闘態勢に入っていた。

腰を抜かしそうな様子で、がたがた震えている木場。部屋の隅っこで、それこそライオンに追い詰められた鼠のような有様だった。

そして私の前には。

得体の知れない黒い霧。悪意の塊で。殺意がびりびりと伝わってくる。

来たか。

どうやら私が探っていることに勘付いたらしい。

だが、これが運の尽きだ。

どっと躍りかかってくる黒い霧。

常人だったら、そのまま皮を引きはがして、内臓を喰い破って、一瞬で殺せてしまっただろう。

しかし次の瞬間。

私が繰り出した拳が、霧の真ん中にある顔を直撃していた。

吹っ飛んだ霧が、壁に叩き付けられて、べしゃりと拡がる。肩を掴んで腕を回しながら、私はゆっくりと歩み寄る。

霧は、徐々に。

大きな鼠の姿を取り始めていた。

「犬神の鼠版だと聞いてはいたが、随分と大きく成長したものだ」

「……!」

飛びかかってくる黒い霧。

いや、お招き様。

だが、私の背後に回り込んだそれは。

裏拳一発で、また壁に叩き付けられていた。

更に追撃の蹴りを叩き込み、壁に突き刺す。

悲鳴を上げてのたうち廻っていた黒い霧は、しばらくきいきいと悲鳴を上げていたが、やがて動かなくなる。

そして消えた。

逃げたのだ。

だが、これでいい。

「臭い」は覚えた。

怪異とは、理不尽なものだ。

そして私の力は。

理不尽に対する理不尽。

相手が鬼だろうが悪魔だろうが関係無い。

普通の人間には、私の拳はちびっ子の拳と大差ないけれど。

ああいう怪異に対しては。それこそ一撃必殺、悪夢の物理攻撃と化すのである。

ちなみに空手もやってはいるけれど。

体格差もあって、まるで勝てたためしがない。

ただ怪異とやり合うときには色々と便利なので、今でも空手は出来る時間に磨いているが。

「すごーい! さすがは風祭警視ですー!」

木場が目をハートにして拍手している。

止せ。

私にそっちの嗜好は無い。

そして、狙い澄ましていたように。

部下の一人から連絡があった。

「見つけましたよ。 佐藤圭の会社の同僚が撮った写真にキーになっているスマホが映り込んでいました!」

「機種特定は」

「海外のものです。 中華製でさえない、非常にマイナーなメーカーの品で、特定に苦労しました」

「すぐに資料を此方に寄越せ」

さて、今ので準備運動も終わりだ。

木場を促して、すぐに現場に向かうことにする。今回は、流石にパトカーを使う事にする。

今回の一連の事件を引き起こしているのは、あのお招き様だ。

そしてその正体は。

一種の犬神。

まあ、犬神と言っても鼠だが。

「犬神、ですか」

「犬神というのはな、古くから伝わる呪術の一種だ」

残虐極まりないものだが。

運転を始める木場に、説明をする。ちなみに場所は、私が指示。

臭いは覚えているのだ。

相手の位置だって分かる。

「やり方は幾つかあるが、イヌを首まで地面に埋めて、散々虐待の限りを尽くす。 そして恨みがつもりに積もったところで、首を刎ねる。 そうして作った怨念の塊を、敵にけしかける。 最低最悪の呪術の一つで、巫蠱術なんかとならぶ邪悪な外法の一つだな」

「そんな酷い事、どうして思いつくんですか!」

「人間の悪意は底知れないという事だ」

本気で怒っている木場に、現実を教えておく。

木場は唇を噛んでいたが。

アクセルを踏み込む。

ちょっと体が引っ張られるくらい強烈な踏み込みだった。スピード違反をしないようにたしなめると。

私は、携帯を開いて、部下に指示。

集合地点は。

既に分かっている。

そして敵は、もう私を察知している。古橋を狙ってくるかも知れない。古橋も一緒に来させた方が良いだろう。

十分もすると。

もう一台パトカーが。

古橋が乗っているのが見える。窮屈そうに、後部座席で身を縮めている。周囲に見られるのがいやなのか、コートまで被っている徹底ぶりだ。

「怪異の気配は」

「警視にやられて、弱ってました。 仕掛けてくる勇気は無いと思います」

「古橋ッス」

携帯を通じて、古橋が話しかけてくる。

私が特定した位置は既に伝えてある。

そうすると、古橋が調べ上げてきた。

「ヤバイッスよ此処。 地元でも有名な心霊スポットで、今までに六人も怪死者が出てるみたいッス」

「そうかそうか」

ならば私の独壇場だ。

舌なめずりすると。

まずは力をつけようと思って。

三十分もつ飴を取り出して、口に咥えた。

もう一台合流してくるパトカー。

お招き様は恐らく。

もう使役されていなくて、暴走している。闇から闇へと渡り歩いているスマホだけが、トリガーだ。

パトカーが乱暴に止まる。

此処は麻布の郊外。

廃墟になっている一軒家だ。

比較的新しいけれど。コレは恐らく、フィリピンで暗殺まがいの事をして、金を稼いで建てたのだろう。

だが、中からは。

負の怨念しか感じない。

生きた人間はいないと見て良いだろう。

「此処からは私一人で行く」

ぽきぽきと拳を鳴らす。

実際にはあまり指に良くない事は分かっているが。

コレは気分だ。

ここに住んでいたのは。お招き様の伝承が残る島の住民。其処の落ちぶれた神社の一人息子だ。

島ごと限界集落になっているような場所だ。周囲には老人しかおらず、腐った野菜のような臭いが立ちこめる人間関係の世界。

若者には耐えられない。

良い生活もしたかったのだろう。

だから、絶対に持ち出すなと言われていたお招き様を持ち出した。

最初は、クズだけを狙って殺させた。

義賊を気取っていたのかも知れない。

確かに発展途上国には、考えられないような屑がたくさんいる。そういう連中は、人間を殺すことを何とも思っていないし、金を奪うことだって、売り飛ばすことだって平気だ。人間の恥部と言っても良い。

暗殺を簡単にこなせるお招き様は便利だった。

ネットでも、もてはやしてくれたのだろう。

その辺りは、古橋がログを調べてくれていた。クラッキングまがいの事までして、個人サーバに保存されていたログを拾い上げてくれたのだ。

最初は、義侠心もあったのだろう。

相手を結局殺していることに代わりは無い幼稚な義侠心だとしても。

だけれども。

その内金ほしさに、欲が出てきた。

手当たり次第に殺していくうちに、お招き様は制御が効かなくなり。恐怖に駆られていった。

それに、幾ら何でも、人間は無力でやられているほど生やさしくない。

発展途上国の犯罪組織ともなると、残虐さは筋金入りだ。

自分の手に負えない状況になったことに、彼は気付いたのだろう。

ついにフィリピンを逃げ出した。

だがお招き様は。

主人を逃がす気は無かった。

どうやったのか、日本に戻ってきたのだ。

佐藤圭を調べていた部下から連絡があった。

奴が出した塵から、見つかったのだ。

フィリピンから届いたスマホの包み紙が。

大手の通販会社を使って、格安のスマホを買ったのが、たまたま佐藤圭だった。それだけのことで。彼女は殺された。自殺願望は持っていたのだろう。タチの悪い宗教に手を出しかけてもいたのだろう。

だが今の時代。

自殺願望を持っている社会人なんていくらでもいるのだ。

そしてそのスマホは。

今は。

此処にある。

家に入ると、強烈な死臭がした。

部下達が突入をしたそうな顔をするが、首を横に振る。

今、ここに入ると。

入った人数だけ死ぬ。

私だけで良い。

私だけならば。

何が出てこようが。

それが怪異である以上、叩き潰すことが出来る。私の力は、ROR。理不尽オブ理不尽。FOAFに対して語呂が良いので作った造語だ。

踏み込むと。

一瞬で死臭に包まれた。

上等だ。

そして、あの黒い影が、地面からしみ出すようにして現れる。それは、徐々に。姿を。形を。

はっきりさせていった。

おぞましいの一言に尽きる。

お招き様の島では、このようにして、必殺の呪いを作り上げた。

まずは鼠たちを捕まえる。

餌を与えず、筺に閉じ込める。

当然鼠たちはいずれ共食いを始める。この時、凶暴性を増すエサを事前に与えてもいた様子だ。

そして、生き残った鼠をまた、同じようにして筺に閉じ込め。

これを三度繰り返す。

この過程で殺される鼠は108匹。

生き延びた鼠を地面に埋め。

目の前にエサを置く。

そしてひたすら。激しい痛みを伴う毒を塗った針で、刺し続けるのだ。死なない程度に。徹底的に。

悪意の塊のような呪術の果てに。

鼠は殺戮の呪いと化す。

犬神という、同じような方法で産み出される悪夢の呪いが存在するが。残虐さでいうと、それさえ凌ぐかも知れない。

私の目の前に姿を見せたそれは。

無数の鼠が重なりあって。

そして大量の血肉が溢れ。中からは、人間の臓物やら腕やら。その呪いに殺された人間の死霊の残骸が見えていた。

「ほう……」

おぞましい咆哮を上げるそれ。

だが私は。

おもむろに拳を振り回すと。

踏み込んで、一撃を叩き込んでいた。

吹っ飛び、壁に叩き付けられ。

一瞬で飛散する呪い。トマトが潰れるよりも、あっさり消し飛んでいた。

「悪いな。 私はお前達怪異の天敵なんだよ」

まだ集まろうとする鼠の群れ。

死霊の群れ。

だが私が踏み込んで、もう一撃叩き込むと、もう残る力はない。悪霊といえど、力は無限ではない。

理不尽には理不尽のルールがあり。

それを暴力的に粉砕できるのが、私の唯一の取り柄なのだ。

後ろから飛びかかってくる残骸。

だけれど私は振り返りさえせず、ぱちんと指先で弾く。

それだけで。

最後の抵抗は、潰えていた。

「終わったぞ。 入ってこい」

そして、全てが終わると。

今度は、現実が牙を剥く。

入ってきた警官達は、それと戦わなければならない。此処に満ちているのは死臭。それも、人間のもの。

今は夏。

数日を経た死体がどうなるか。

言うまでも無い事だ。

そしてその死骸は、台所にあって。

膨大な数の鼠が。同胞の恨みを晴らすかのように、もはや原形をとどめぬそれを、喰い漁り続けていた。

 

3、理不尽の果てに

 

さて、事件は一応終わった。

佐藤圭の葬儀にも出て。ついでなので、その会社が文字通りのブラックであることも突き止めて。

労基に通報もしてやった。

まあ流石に動くだろう。

だが、問題はいつも此処からだ。

基本的に私が本庁地下の、あの公式には実在しない部署にいた頃からそうだったのだけれど。

基本的に怪異がらみの事件は。

後始末の方が大変なのだ。

マスコミの方は抑えて、怪死事件についての報道はさせないようにした。だけれども、問題は。

お招き様だ。

今回暴れたお招き様については処理した。

というか、私の拳をあれだけ喰らったのだ。無事な怪異なんて存在しない。インドでは、神と呼ばれる怪異とも戦い、ぶっ潰したことがある。

だが、お招き様は一体じゃない。

ノウハウがあると言う事は。

その島に、まだ複数が存在している可能性が高い。

しかも限界集落化しているのである。

もしも良からぬことを考える奴がいたら。

何をしでかすか、わかったものでは無いのだ。

もう一つ気になる事がある。

佐藤圭のはまっていたというカルトだ。

これについても、どうにも妙なのだ。調べて見ると、関係者が離散していて、しかも要領を得ない。

何かの実験でも行われていたのか。

もしそうだとすると。

予想以上に根が深い可能性が高い。

私はすぐに、何人か連れて、例の島に向かう。前と違って、この辺りは融通が利くのが嬉しい所だ。

電話が鳴る。

後輩からだ。

「オス。 先輩、お疲れ様です」

「んー。 どした」

「事件が一段落したと聞きまして。 さすがは先輩であります」

「そうだな。 だけれど、まだ解決したとは言い難くてな」

軽くあらましを伝える。

心臓が兎並なだけで、後輩は普通に出来る奴だ。ある程度話しておくと、すぐに理解してくれる。

というよりも。

私と一緒に、散々修羅場をくぐったからだろう。

対人間ではほぼ無敵に近い後輩と。対怪異なら負ける事はない私。

良いコンビだったのだけれど。

色々あって、今では簡単に一緒に動けないのが面倒だ。動くときは、本気で戦闘する時だけ。

後輩には今頼りになりそうな新人の面倒を見させているし。私としても、これ以上好き勝手に得体が知れない連中が動くのを看過できない。

此処で潰しておかないと。

被害は増える一方だ。

空港なんて気が利いたものは無い離島だから、フェリーを使うしか無い。数人の不安そうな部下と。

船酔いでへろへろになっている木場を一瞥すると。

私は後輩に、一言だけ付け加えておいた。

「養子の例の娘、元気にしてるか?」

「ええ、とても。 食欲もありますし、将来は美人になること間違いなしであります」

「写真見たが、人形みたいに可愛いもんなあ。 私もあんな風に整った容姿で生まれたかったよ」

「先輩も充分美人であります」

そうかそうか。

冗談だと分かっていても嬉しい。

電話を切ると、見えてきた島を仰ぐ。

さて、と。

現地の駐在とは連絡が取れている。面倒な連中は力尽くで排除する構えで行かないと危ない。

それに、である。

もしもまだまだお招き様を使役する技を持っている奴がいると。

此方に気付いて、先制攻撃を仕掛けてくるかも知れない。まあその時に備えて木場を連れてきているのだが。

何より私がいる。

数十人を食い殺したお招き様なら兎も角。

島で大事にしまわれていたようなのなら。ワンパンでぶっ潰してやる。

怪異は年を経れば強くなると言う話もあるが。

それは怨念を蓄えたり、エサを喰らったり、或いは経験を積んだらそうなるのであって、人間とその点では変わりが無い。

ずっと眠らされていた様なのなら。

この間戦った奴とは比較にもならないはずだ。

まあ、それでも楽観は禁物。

最悪の事態に備えて、後輩には連絡を入れた。

それにもしもの時には。

今はあまり連絡も取れない、昔の上司に声を掛ける。あの人は大怪異との交戦経験もあるベテランの中のベテランだ。

きっとどうにかしてくれるだろう。

フェリーが島に到着。

年老いた、気むずかしそうな駐在が出迎えてくる。

私を見て愕然として。

更に声を聞いてもう一度吃驚する。

この二段構えで心理的に有利になるのは。今も昔も同じだ。

「風祭警視だ。 すぐに問題の旧家に案内して欲しい」

「わ、分かりました。 それにしてもそんな恐ろしい大量殺人に、この小さな島が関与しているなんて」

「正確には、今後も利用される可能性が高いと言う事だ。 出来るだけ早めに抑えないと危ない」

「わ、分かりました」

自衛隊の出動を要請するわけにも行かないだろう。

怪異や強力な能力者の中には、単独で、全員が武装して待ち構えていた警察署を壊滅させるような奴もいるのだ。

そういうのとの交戦経験は今までに四回。

私がいなければ、自衛隊の大隊が出てこなければ、負けていただろう。

そういう世界だ。

今でも怪異は世界に健在。

そしてより恐ろしいのは。

それを利用する人間。

おかしな話である。

対怪異最終兵器とまで言われている私が。最も警戒しなければならないのは、人間なのだから。

兄者の話によると。

こういう限界集落では、本物の宝物は、分家に隠しているケースもあるとか。

其処で調査の間にフェリーに乗って逃げないように、本土の港と、此方の港に、それぞれ怪異との交戦経験がある班を待機させている。

今まで目の前で死人が出たこともある。

私もこれ以上。

部下や同僚を死なせるわけには行かない。

旧家に踏み込む。

年老いた男が、何事かと此方を見て。

そして警察手帳。

お招き様という言葉を聞いて。

文字通り跳び上がった。

「ど、どうしてそれを」

「お前の孫が変死体で発見されたのは知っているな。 それをやったのが、彼奴が持ち出したお招き様だ」

「そんな馬鹿な」

「残りを全て出すように」

顎をしゃくると。

老人は震えながら。

首を横に振った。

「い、言えませぬ」

「平田」

「はい!」

前に出てきたのは、痩躯長身の、目がやたら大きな男だ。不可思議な風貌だが、彼は催眠術のエキスパートだ。

事は一刻を争う。

あれが暴走したらどうなるかは、フィリピンでの状況を見ても明らか。

人が数十人単位で死ぬ事になる。

ましてや複数が、悪意を持つ人間の手に渡りでもしたらどうなるか。恐ろしすぎて寒気がする。

今でさえ、危険な怪異を蓄えて、オモチャみたいに扱っているバカ共が実在していて。私と日々戦っている。

私が前のボスから権力を受け取ってから部下に死者は出していないが。

そいつらがお招き様を手にしたら。

それこそ生物兵器の一種として研究しかねない。

発展途上国で大々的に使われでもしたら。

それこそ取り返しがつかない事になる。エボラ並の被害が出るかも知れないのだ。

平田が老人を連れて行く間に。

唖然としている老婆に、捜査令状を叩き付け。家の中を調べ始める。怪異に対する勘が鋭い木場に率先して探させると。

案の定、面白いものが出てきた。

術具だ。

すぐに回収。

右往左往する老人達は、一喝して遠ざける。

そして、奥から、筺が出てきた。

「これか?」

「……いえ。 怪異ですけど違います」

「うむ」

開けてみる。

中に入っていたのは、頭蓋骨だ。

それも人間の。

嘆息する。

此処は昔から、淫祠邪教がはびこる最果ての地だったのだろう。こんなものは彼方此方にあっても不思議では無い。

平田から連絡。

例の老人に催眠術を掛けたところ、吐いたそうだ。

「売り払ったそうです」

「……どんな奴に、どれだけ売ったのか、すぐに吐かせろ」

「分かりました」

「この様子だと、はたけば幾らでも埃が出るな」

舌打ちすると。

私は捜査を更に続行するように、部下達に指示。

とりあえず敵対的な意思を見せる怪異はいない。

おそらくだが。

最悪の予想が当たった。

後はどうにかして、売られたお招き様を回収するしか無い。

 

撤収開始。

段ボール七箱分の証拠物件を抑え。更に八人を逮捕して、島を出る。駐在は青ざめていた。

それはそうだろう。

噂には聞いていたはずだ。

この島で、ろくでもない事が行われていると。

でも、彼にはどうにも出来なかったのだろう。

この国は、関係社会だ。

いわゆる人間関係が全てのものをいう社会で。こういう田舎では特にその傾向が強い。彼は駐在だが。それは関係無い。駐在だろうが一人しかいない医者だろうが、閉鎖的な村社会で嫌われたら放り出される。

そういう場所が、この手の限界集落だ。

フェリーが行く。

木場が顔を上げたのは、その時だ。

「来ます」

「そのようだな」

「総員、戦闘準備!」

私は甲板に出る。

どうやら、試験用に放ったのか。取りこぼしがいたのか。

黒い霧が、海上を凄まじい勢いで、此方に向かってきているのが見えた。間違いなくお招き様だ。

それも相当死霊を喰らっている。

なるほど、これで大体分かった。

「素人が犯罪組織とやり合えていたわけじゃあなかったんだな」

最初からコレは実験だったのだ。

バカを隠れ蓑にして。

例の組織が、フィリピンで盛大に性能試験をしていた、という事なのだろう。古橋でさえ気付けなかったが。

案外、噂になっていた謎の組織が、ゾンビを作っていたというのも本当かも知れない。何しろ本物のプロが動いていたのだ。あくまでチンピラの集団に過ぎない犯罪組織程度では、手に負えないのも納得だ。

皮を代償に自殺願望を叶える怪異、お招き様。

本来トリガーは何かしらの依り代なのだろうが。佐藤圭のケースはともかく。もう連中は、お招き様を任意の相手にけしかける術を身につけたと見て良い。

それが数体、フェリーに向かってくる。

島のバカ共が売り払ったらしいお招き様は十一体。

アレを潰しても、まだ過半が残っているという事だ。

手招きする。

不遜だと見なしたのだろう。

鼠の怨念の群れが、凄まじい唸り声を上げながら、此方に迫ってくる。

私は鼻を鳴らすと。先頭の一匹に。

まずは拳を叩き込んでいた。

全部片付くまで三十九秒。

それぞれが二発まで拳に耐えた。大したものだ。

他の部下とも連絡を取る。

港の方でも、一匹に襲撃されたようだけれど。其方は其方で、対策していたチームが撃退に成功した。

まずは一段落か。

そしてやはり、ここからが本番だ。

昔からの仲間達に連絡を入れる。

「先輩、総力戦でありますな」

「そうだな。 何度目かの、だ。 あの様子だと、フィリピンで実験したお招き様を増やす計画まで立て始めているかもしれん。 あらゆる手を使って研究施設を特定して、ぶっ潰す」

「流石であります先輩」

「肉弾戦では頼りにしているぞ」

心臓が兎でも、後輩に勝てる人間はまず存在しない。

多分拳銃の弾でも、急所に当たらなければ動きを封じられないはずだ。それくらいの体格の持ち主なのである。

それに、他の同僚や仲間達の力も総動員する。

私にまた喧嘩を売ったことが何をもたらすか、思い知らせてくれる。

舌なめずりすると、私は連絡を入れる。

入れた先は、内閣調査室である。

「これから戦争します」

「相手は例の連中かね」

「ええ。 後始末の方をよろしく」

「ああ。 それでも出来るだけ穏便にな」

頷くと、通話を切る。

フェリーが港に到着。

逮捕した連中と、抑えた物資は別のチームに任せ。

私は部下達と歩き出す。

時間との勝負だ。

私は警官。

倫理を守らなければならない職業。

人倫を踏みにじり金に換え。嘲笑う連中がいる限り。戦わなければならない職業でもある。

そして部下達には。

古橋も加えて。その理想を踏み外した者がいないと言う自負もある。

さあ、戦いだ。

今度も、勝つ。

 

4、怪異は消えず

 

お招き様の研究施設を突き止めるまで一週間。

全力で調査して、運び込まれた施設を突き止め。踏み込んで、今なお行われていた研究を叩き潰し。

証拠品を押収。

内閣調査室に後は任せて、戻ってきた。

奴らの背後には、大きなバックがいる。噂によると、CIAがついているというものまである。

ちなみにCIAはコッチにも粉を掛けてきている。

米国も日本も。

組織が大きくなると、一枚岩ではいられない、という事なのだろう。それに生物兵器の有効性は、ここ10年で世界中が証明してきた。怪異は使い方次第では、最悪の生物兵器として猛威を振るえるのだ。

ようやく暇が戻ってきた。

それでいいのだ。

昔、私の上司は。

暇なときはずっとスポーツ新聞の競馬欄を読んで、時には昼間からビールを口にしていた。怪異に対して有能だからそれが許されたのだ。

それにあの人は。

のほほんとした大阪のおばちゃんに見せかけて。

実際は復讐心の塊みたいな人だった。

普段そうでもしていないと。

平常心を保てなかったのかも知れない。

くるくる廻る椅子に座ると、しばらく廻って遊ぶ。

呆れてコッチを見ている木場に言う。

「悪いが、プリン買ってきてくれ。 例の店な」

「いいんですか、警視ともあろう地位なのに、そんな暇そうにしていて」

「良いんだよ」

此処はある県警本部の地下。

存在しないとされている階。

対怪異の防御を極限まで高めて。奥には強力な性能を備えたサーバールームも存在している。

その一方で、過去の対怪異事件を収めたキングファイルもあり。

一時期古橋を呼んで、それをデータ化しようかとも思った事があった。

結局スキャナで電子化して、スタンドアロン化しているサーバに入れてはあるけれど。それ以上の事は出来ていない。

その内、IT業界で悲鳴を上げている奴を捕まえてきて。

それでデータベース化でもしたい所だ。

調査がぐんとはやくなるだろう。

こればかりは、他の事件と一緒には出来ない。

最悪レベルのシリアルキラーが野放しにされるような事件が、複数同時に起きるようなもので。

科学が発達した今でも、結局怪異の恐ろしさに代わりは無い。

しかも今は。

都市伝説というものがある。

噂によって強化された怪異は。

むしろ昔より強いかも知れない。

今回のお招き様もそうだ。

フィリピンで都市伝説となり。膨大な言霊を吸い上げて強くなった怪異は。本来なら少しの皮を代償に、自殺願望を叶えるという怪異から一転。相手の皮を剥ぎつくし、腹をかっさばき。

そして無理矢理自殺に追い込むという化け物にまで変異を遂げていた。

さて、一つだけ今回の事件で残った謎がある。

佐藤圭の周囲のカルトだ。

研究所を叩き潰したときに資料を押収したのだけれど。どうもそのカルトに関しては、記述が見当たらなかった。

当てが外れたのだ。

だとすると、一体何だったのか。

別の組織が動いているのか。

それとも。

電話が鳴る。

古橋からだった。

「風祭警視、とんでもないもの見つけたッス」

「何だ」

「すぐ送るので、まずは見てくださいっすよ」

「ああ」

メールを開く。

添付ファイルを開くと。

其処には世にもおぞましいものが映し出されていた。

人間に対して、お招き様を憑依させる実験。

間違いない。

そして、このデータは、例の研究所からは出てこなかった。

「何処で見つけた」

「フィリピンの警備会社の監視カメラ画像をハッキングして、データを漁ってたら出てきたッスよ。 多分現地の警察でも匙を投げたのかと思うッス。 だって意味わかんないですもんコレ」

「だろうな……」

そして、映し出されている人影。

此奴は。

何処かで見覚えがある。

ひょっとすると、研究所の連中さえ利用して。さらなる実験をしていた集団が存在して。それこそトカゲの尻尾を切った。

そして、研究所から何も出てこず。

カルトの連中は恐らく既に消されていて。

取られたお招き様が全て回収されるか私がぶっ潰した今。

奴らを追う手立ては無い。

佐藤圭の事件は、恐らくこの延長線だったのだ。

周囲で蠢いていたのは。

仲間にエサを与えるために、お招き様、それも現地で製造された奴を憑依させられた連中。

それを遠隔操作して。

殺せるかどうかの実験。

お招き様を憑依させる条件を、お招き様自身に整えさせる。

これを大々的に成功させれば。

それこそ、組織をそのまま壊滅させることも可能になる。大統領の暗殺さえ出来るかもしれない。

大きくため息をつく。

結局怪異より怖いのは人間か。

だけれども、まあ今回は良い。

というのも。

あらゆる状況証拠が、この実験から、連中が成果を上げられなかったことを意味しているからだ。

もしも成果を上げられていたのなら。

貴重なお招き様を私に潰させるはずが無い。

手下共を全部切ってでも、本命の研究施設に回収していただろう。それをしなかったということは。

多分、何かしらの欠陥が見つかって、お招き様を完全に制御は出来なかった、ということだ。

乾いた笑いが漏れる。

今回は運が良かったのだ。

もし最悪の事態になっていたら。

そう思うと、寒気がする。

木場が戻ってきた。

満面の笑顔でプリンを手にしている。

「買ってきましたー!」

「喰って良いぞ。 ああ、私の分は冷蔵庫に入れておいてくれな」

「分かっています」

警官の苦しいところは。

情報が入らないと動けないこと。

後は暇。

暇であることが望ましいのだけれど。

気付いたときには死者が出ていることも多い。

今後も私は怪異と戦っていく。

怪異と戦える後輩も新人も育てていく。

そして今後も。

永遠に、怪異との戦いは終わらない。

人間の社会から、犯罪が消えないように。

それでも私は警官だから戦う。

それが、FOAFで強化された怪異と戦う。RORである私の仕事だ。

 

(終)