報道のあるべき形
序、変わったものの今
幻想郷。
外の世界では生きられなくなった妖怪などの異物。更には失われてしまったもの。更には、信仰を失った神々。
それら失われた者が、存在している静かな秘境。
外からは「博麗大結界」にて隔離され、特別な力が無ければ認識も出来ず。
かといって、内部にいる者達が、外で現役で信仰されている神々より強いと言う事も無い。
立場は弱く。
管理者はいつも気を揉んでいる。
そんな隔離された秘境だ。
幻想郷の中央部には、巨大な山岳地帯があり、妖怪の山と言われている。
元々山だらけだった日本では、妖怪の信仰はやはり人が入りづらい山に集中する事が多く。この山には、今多数の雑多な妖怪が存在し。幻想郷にも住んでいる人間達にとっては、恐るべき場所となっている。
現実問題として、現在の妖怪が人間を喰らって殺す事は幻想郷でさえほとんどない。
しかし獣から妖怪に成り立てで、気が大きくなっている妖獣や。
現象として、ただ動くだけの妖怪は人を殺す事がある。
特に妖獣は危険度が大きく。
例え人間を喰らえば確実に退治されるとは言え。
それでも、人間を喰らう事故がどうしても起きてしまう事がある。
幻想郷には幾つもある人間にとっての不可侵領域。
その一つが、妖怪の山というわけだ。
現在この妖怪の山は、大半が諏訪の地からやってきた強大な武神二柱と、その風祝である半人半神によって治められる守矢神社によって制圧されており。事実上その管理下に置かれている。少し前には、妖怪の山における第三勢力である河童が守矢に組み伏せられ、完全に支配下に置かれる事件も起きた。
妖怪の山の頂上部分には第二勢力である天狗が縄張りを未だに持っているのだが。
その天狗は組織の腐敗が明らかになってから、幻想郷の支配者階級である賢者と、博麗大結界を管理する巫女である博麗霊夢の監査を受け。
現在再建計画が行われている。
守矢の戦力に弱体化しているとは言え天狗が加われば、もはや幻想郷で守矢に対抗できる勢力はなくなり。
後は、守矢による一方的な征服が始まる。
その懸念が少し前まであったのだが。
現在、再建途中という名目で幻想郷の管理者が天狗の後ろ盾になっている事。
元々他の弱小妖怪を虐げていた天狗達が大人しくなったことで、守矢には開戦の大義名分がなくなったこと。
それらもあって、現状の幻想郷は落ち着いている。
なお、天狗は以前、新聞を作ることを趣味としていて。
身内で行うコンテストのために、幻想郷中の妖怪を数と力に任せて虐げていたのだが。
それも止んだ。
そして、一部の若い天狗は。
元々この新聞制度に疑問を持っていたこともあり。
今は天狗の組織を離脱して、妖怪の山の麓に、賢者からわずかな家屋を譲り受けて其所で住んでいる。
鴉天狗、姫海棠はたてもその一人であり。
中心人物でもある。
それほど豪華でもなく、あばら屋でもない家から出ると。
姫海棠はたては背伸びして、翼も広げてゆっくりとストレッチを始めた。
ツインテールに結った髪は、外での流行を意識したもの。
外で流行っていると言われる情報端末を模したカメラをいつも手に、自分の新聞を作る事を今は行っており。
他の天狗の新聞と違う正確な情報が載っていると言う事で、非常に評判も良い。
だが、まだまだだとはたては自分に言い聞かせ。
目がしっかり覚めてから家に戻り。そして、今日のスケジュールを確認した。
家の中は質素で、家具も古いものばかり。
姫海棠は天狗の中でも名家とされ(大した数もいないのに名家も何もないのだが)、はたては其所の令嬢だった。
実家にいた頃から考えると今は信じられないほど貧しい生活だが。
不満は一切感じていない。
PCの電源を入れると、今手がけている記事を書き進める。
打鍵も昔に比べて、かなり早くなっていた。
集中力も上がっていて。
最近は、集中して記事を書いていると、いつの間にか夜中になっていたり。来客に気付かないこともある。
新聞は、正しい情報を客観的に伝えるもの。
今ではその信念がはたてに根付き。行動を支配していると言っても良かった。
昔のはたては、念写というユニークスキルを使って新聞を書いていたが。新聞の文章が攻撃的だったこと。何より内容が妄想による所が多かった。故に妄想新聞などとも揶揄されていた。
とはいっても、嘘を書いた覚えはなかったし。
何よりも、天狗最強を謳われる実力者、射命丸文が嘘だらけの新聞を書き。場合によっては新聞を書くために事件を自分で起こしていることさえ知った後は、大きな衝撃を受けた。
はたてが変わり始めたのは、その時からだろう。
自分は何を書いているのか。
これを新聞と呼んで良いのか。
身内で行っているコンクールに何の意味があるのか。
何よりも、天狗は一人がやられると群れで報復する種族だ。それを悪用して、取材と称した弱い者いじめをすることに何の意味があるのか。
疑問は一つ生じるとどんどん膨らんでいき。
今まで参加してきたコンクールも馬鹿馬鹿しくなり。書いている新聞も、本当に良いのかと思えはじめて来た。
そんな矢先だった。攻撃的な文章を守矢の風祝、東風谷早苗に指摘された。
限界が色々来ていたのだろう。今思えばおかしな話だが、激怒した。もうその時の早苗ははたてが勝てる相手では無かったから、殺し合いにはならなかったが。口では大げんかし。心に壁が出来た。
だが、その後。
天狗の社会に完全に見切りをつける事件が起き。
その時、家を飛び出し、一人雨に打たれているはたてに手をさしのべてくれたのが早苗だったのだ。
目が覚めた気分だった。
仲直りしてからは、刎頸の仲と呼べる親友にもなった。
その時の事もあり。それまで見ていた天狗達による新聞は、嘘だらけの自分達が楽しむためだけの文字列だとしか思えなくなった。
いつの間にか、正しい情報を客観的に伝えなければならないという信念が根付いてもいた。
昔のはたてはお嬢ではあったが、同時に普通の天狗だったと思う。
子供をさらおうとか本能的に考えたりもしたり。他の天狗同様に新聞造りに何の疑問も持っていなかった。
今は違う。
昔と同じであってはならないとも思う。
強い信念がはたてを突き動かしている。もう、前に戻るつもりは無い。両親とは絶縁状態だが、それを悲しんだことは一度もない。
両親は頭が古い天狗で、はたての行動を理解しようともせず、被害者面して悲しんでいる。
真実を記したはたての新聞を全否定して、暴力まで振るったのに。愛の鞭とやらだと思っているのだろう。
向こうがその考えを改めない限り。はたての方から歩み寄る気は無い。
新聞造りの作業を続ける。今は、昔と違う新聞を全力で作っている。
真実の報道。
客観的な真実の分析。
誰にでも分かりやすく、攻撃的では無い文章。
己の主観を徹底的に廃した、公平な情報の提供。
それが今の理想だ。そして理想はまだ実現できていないから理想。今後も実現に向け努力しなければならない。
少し考え込んでから、はたては記事の内容を修正して。何度か推敲を掛ける。
もう一度自分に言い聞かせながら、徹底的に文章を練り直す。
大事なのは読みやすい文章である事。客観的である事。正確であること。
文章そのものが楽しい必要はない。
しかし、相手に読ませる文章である必要はある。
だから、徹底的な推敲が必要になる。
色々な方法で作って、誤字脱字も、余計な表現も削り取る。
ほどなく満足できる出来の新聞が仕上がり。
はたては頷くと、一部だけ刷った。印刷の機械類も、少し古いが完備している。
これで完成では無い。
もったいないが、刷った後こそ一番ミスを発見しやすいのである。故にこれは初稿。駄目な場合は刷り直すし。
何よりも、記事にしている相手が駄目と言ったらお蔵入りにする。
それくらいの覚悟で、今のはたては新聞を作っていた。
周囲には、何軒か家がある。はたてと同じように、硬直して腐敗した天狗の組織から抜けた若い天狗の家だ。
試行錯誤しつつ、皆それぞれ新聞のあり方について考えたり。
或いは自分が何をするべきか考えている者達である。
殆どは鴉天狗だが。一人だけ白狼天狗もいる。白狼天狗は木っ端天狗とも言われ、天狗の社会では最も地位が低い。天狗の中でも縄張りの哨戒役や最前線での兵士を務めるのが白狼天狗であるのだが。近年は弱体化が著しく、白狼天狗全員でも射命丸文に勝てないという話すらある。
此処にいるのは、そんな戦闘に最も近い場所にいるのに、実力を最も軽視するという体勢に疑問を持った白狼天狗の一人だ。
今は、他の若い離脱した天狗達の家の周囲を巡回し、更には幻想郷の実力者に教えを請うて戦闘力の向上に努めている。
此処にいる天狗達は、妖怪の山の頂上にいる天狗達とは違って生活こそ貧しいが。
それでも、皆それぞれ、己の信じる道のために進もうとしていた。
不思議な事に、守矢はこの離脱した天狗の集落に手を出してくる様子は無い。
それどころか、賢者と一緒にインフラを用意までしてくれた。
早苗とはたてが個人的な親友関係である事は関係無い。あの守矢の二柱は古代の武神であり、そのように甘い相手では無い。
恐らくはたての見る所、こうやって天狗の分裂を煽っておいた方が、後で色々とやりやすいと考えているのだろう。
老獪な二柱には、今も強い警戒を抱いている。
早苗には信頼を置けるが。
あの二柱がはたてを邪魔だと判断したら、即座に消すだろうとも思ってもいる。
だが、今は利用しようとしている二柱を、逆に利用するくらいの気持ちでいようとも思う。そういう、良い意味でのしたたかさを身につけたかった。
皆に声を掛け、新聞の読み合いをする。
ここでやっているのは、誤字脱字の確認、内容の不備のチェックである。
昔やっていたコンテストとは違う。
面白いかどうか、それも天狗にとっての面白さに沿うかなどどうでも良い。
今回の記事は、人里にある妖怪も利用できる店の紹介と、利用方法についての記事なのだが。
此処で誤字脱字を取り切った後は、店側に確認を取り。
人里に出入りしている決して少なくない妖怪に売る事になる。
以前、妖怪も利用できる外食店の新聞を書いたことがあるのだが。
これがとても好評で、現在も時々新刊を書いている。
今回は外食店ではなく、その他色々。中には、人里にいながら妖怪が営んでいる店もあるが。
それはあくまで例外だ。
読み合わせが終わる。誤字脱字はどうしても出てくる。誤字脱字の修正は結構力がいるのだが。
誤字脱字があるまま新聞として届けるよりは、多少消耗してでも取り除いた方が良い。
指摘を一通り受けた後、皆に礼を言う。
そして、修正を掛けた後。もう一度新聞を最初から読み直し。
その後、最低限の量を刷ってから人里に向かう。
人里の外れで人間に変装する。時刻は夕方。
幻想郷の妖怪は殆ど姿も人間と変わらない。はたての場合は翼を隠して、少し違う耳を人間に合わせ。後は服装を人里の人間に寄せればそれで終わり。
人里の人間は、外で言う所の100年くらい前の者達と似たような姿格好らしいのだが。それが不便になっているかどうかは別。後、女子の下着はドロワーズというものが普及しているのだが。
これについては比較的新しいものであるらしい。
幻想郷の妖怪が人里に入るには、幾つかのルールがある。人間の姿を取る。出来れば夕方以降にする。勿論、人間に対して危害を加えるのは御法度。
ごく一部の、時間をかけて人里に受け入れられ、今では人間達と一緒に暮らしている妖怪を除くと。
このルールを守るのは、絶対条件だ。
故に妖怪が人に威を示すのには工夫がいるのだが。はたての場合は、新聞の出来で今後はそれをしようと思っている。
威を示せるほどの高品質の新聞を作ることによって、天狗と言うよりもはたてをはじめとする若い天狗達の威を示す。
それは幻想郷において。税金を払うのと同義の行為だ。
まずは取材をさせて貰った店に出向いて、順番に新聞を見てもらう。
取材の際に身分は明かしているのだが。
前は天狗と言うだけで、取材拒否という事もよくあった。だが、新聞をまず見てもらって、少しずつ信頼を回復して貰っている。今では、はたての新聞の内容を見て、取材を拒否する人間は殆どいなくなっている。
取材の許可を得た後は実際に下書きの記事を書き。
それを見てもらってから本番を刷り。
出来た本番については、取材対象にしっかり目を通して貰う。それで許可が出たら新聞として配布する。
一連の流れを経てこその報道。
そして誠意ある新聞だ。
そう考えているから、手間暇が掛かってもこれだけの事をするし。
何よりも、相手に対する名誉の毀損がないように、きっちりと配慮もする。
一件目、許可を得る。
まだ若い店主だが、かなり腕が良い金物屋だ。最近里に出入りして、一品モノの銘品を売っていく付喪神多々良小傘の作る金物ほどではないが。充分に利用できる良い品を作ってくれる。
写真についても、今はユニークスキルの念写を使っていない。
本人同意で撮影している。
その方が、誠意があると思えるからである。
二件目に出向く。此処でも許可を貰えた。ただ、少し言われる。まだ、少し文章に棘があるかも知れないと。許可は出たので、それで良しとする。だが、まだ棘があるのなら、いずれ抜かなければならないだろう。
三件目、四件目と周り。
そして八件目が終わった頃には、すっかり陽も落ちていた。
人里を出ると、今度は予定分を刷る。
これは売り物である。
今回の新聞は、余計な相手に知られるとまずい事は書かれていないので、ただ印刷するだけである。
新聞の内容次第では、売った相手以外の手に渡ると自動的に燃えて無くなるような魔法を掛けることもある。そういった魔法については、伝手を使って有償で魔法使いに協力して貰う。
天狗の体力は人間とは比較にならないが。
それでも流石にこう忙しいと冷や汗が流れる。
印刷が終わったので、後は購読してくれている顧客に配り。更には、妖怪の山で売る。評判を聞いて、買いに来る妖怪が時々いる。
守矢の縄張りで活動を許可されている数少ない天狗であるはたての所には、物珍しさからかそれなりに妖怪が足を運びに来る。
新聞の内容も今までの天狗の新聞とは雲泥だと言う事で評判が良い。
刷ってきた分はすぐに捌けた。
実の所、妖怪の山にいる妖怪にも。人里に時々出向く者はいるのだ。今回の新聞は、そういう妖怪が主にターゲットになっている。
予定通りに作業を終えると、後は帰宅。
家に戻ると、昼間に仮眠を取っていた白狼天狗が巡回をしていたので、敬礼をかわす。
真面目だ。他にも犬走椛のように真面目な白狼天狗は何人か知っているが。結局一緒に天狗の組織を離脱してくれたのはこの一人だけだった。白狼天狗は鴉天狗と違って剣や盾を持って武装しているが、戦闘力が高いかは話が別。それでもきちんと警備をしてくれる。
夜間の巡回は大変だろうから敬意を払う。当たり前である。
後は片付けを終えると、眠る事にする。
朝に起きたら、次は人里にて天狗の新聞を売る店。鈴奈庵に出向く。
鈴奈庵のお嬢さんはとびきりの変わり者であり。
最初の頃ははたての新聞が売れない、もっとエンターテイメント性に溢れたものにしてほしいとブーブーごねられたが。
今では売り上げが上がってきたからか、笑顔で迎えてくれるようになった。
勿論はたてが妖怪である事は知っている。
元々人間離れした能力も持っていたりする子なので(その割りにびっくりするとすぐ目を回すようだが)。慣れるのにも苦労はしなかったのだろう。
刷ってきた分を渡して、後は販売を委託する。
なお想定より更に売り上げは良い様子で。もう少し多めに刷ってきてほしいという注文も受けた。
それが嬉しくないかと言えば嘘になるが。
しかしそれよりも、昨日指摘された、まだ文章に棘があると言う言葉が気になる。
それに、客観的かつ正確な情報を届けるにはまだまだだ。
鈴奈庵の他にも、人里で購読している客に新聞を配る。最近少しずつ増えてきているので、これは有り難い。
これらの作業は早朝のうちに済ませ。
後は妖怪の中でも、妖怪の山以外で新聞を購読している者の所を回る。
その中の一つ。吸血鬼の勢力である紅魔館に来た所。妖怪の山に向け飛んで行く後ろ姿が見えた。
射命丸文。最強の鴉天狗にして、昔は勝手にライバルだと思っていた相手。今では、幻想郷のトリックスターであり、危険な存在だと思っている。
目を細めたはたてに。紅魔館の門番である紅美鈴が声を掛けて来た。中華風の衣服に身を包んだ長身の妖怪である彼女は、拳法使いであるがとても温厚だ。
「新聞ですか。 朝早くから精が出ますね」
「はい、ありがとうございます」
「射命丸さんの新聞は今はとっていませんよ。 どうやらお嬢様に何か情報を提供しに来ていたようですね」
そうか。やっぱり、油断ならない相手だ。
新聞造りについて、今天狗達は賢者の監視の下限定的に行っている。自由に新聞造りを許可されているのは、はたて達若手の一部だけだ。
だが、監視を受けてなお、射命丸は幻想郷の裏情報に通じているらしい。
彼奴の書く新聞はいい加減な代物だったが。握ってくる情報はどれもこれも本物だった。天性の勘というか。情報に対する強い嗅覚を持っているのだろう。新聞造りの才覚はなくとも、その勘だけは本物だと言う事だ。
新聞を渡す。一言二言挨拶してから次へ。
彼方此方回ってから、家に戻ったのは昼過ぎ。途中、博麗神社に出向いたときが一番緊張したが。
最近は、博麗の巫女はおっかなさには代わりは無くとも、理不尽な暴力は振るわなくなった気がする。
今回も殴られる事もなく。そのまま戻ってくる事が出来た。まあ、お賽銭箱に多少お金を入れて行ったからかも知れないが。
自宅に戻ると、客人がいた。
一礼すると、家に招く。相手は、この幻想郷の管理者妖怪の一人。八雲紫の式。八雲藍。九尾の狐に鬼神を憑依させた高位の存在である。また、管理者階級の一人でもあるから、敬意を払うのは当然である。
家に招くと、茶と茶菓子を出す。向かい合って座ると、相手は単刀直入に口を開いた。
「一つ、大仕事を頼みたい」
頷く。最近は、賢者の依頼で、難しい取材を頼まれるようにもなって来た。
勿論危険も伴う。だが、それもまた、記者の腕の振るいどころだ。
1、水辺のテキ屋
はたては身支度を調えると、家を出る。
今日の取材対象は手強い。戦闘力はあまり高くは無いのだが、注意しなければならない相手だ。
身繕いはしっかりした。後は、取材の際に隙を見せないこと。
相手は、はたての背後に賢者がいる事を知っている。だがそれでもなお、油断してはならないのである。
今日の相手は。河童だ。
幻想郷最大の山岳地帯、妖怪の山には古くから三つの勢力が存在していた。古くは鬼が頂点に立ち、その下に天狗、河童がそれぞれ従っていた。
鬼は享楽的で乱暴であったが、天狗と河童を力で従える方法を採っていて。
はたても鬼が山にいた頃には随分と怖い目にあった事がある。
鬼は陽気な連中ではあるが、妖怪最強の名は伊達では無く、素の能力からして他の妖怪とは違う。
故にもしも怒らせると、容赦の無い制裁が待っていた。
だが、今にして思うと、鬼は必要のない暴力は振るわなかったし。
人間を浚って来る事はあっても、喰うことは無く、記憶を消して人里に返していた。
恐らくだけれども、妖怪として一番人間に倒され。
故に人間との接し方を、体で覚えていた存在だから、なのだろう。
そして鬼が妖怪の山を去った後。しばらくの空白期間を経て、守矢神社がやってきた。
守矢は非常に強力な武神二柱を有しており、鬼よりも狡猾で、なおかつ秩序を重んじるやり方を取った。それに加えて、外の最新の知識まで持っていた。
鬼がいなくなった間隙を狙ってやりたい放題していた天狗(今思えば、その頃からはたても疑問を感じるべきだった)に対して不満を感じていた妖怪達を一瞬で抱き込み。
日和見を決め込んだ河童を放置。天狗に一転攻勢を掛けてきた。
あわや開戦か、とまで行ったが。
もしも戦いになっていれば、天狗など一夜にして滅ぼされてしまっただろう。
結局、色々あった末に賢者と博麗の巫女の干渉があって。天狗は賢者の博麗の巫女の手に掌握され。
矛先を転じた守矢は、今度は河童を制圧。
色々な不正行為が明らかになり、河童は賢者が見捨てたため、守矢の軍門に完全にくだる事になった。
今回は、そんな河童の取材。
守矢が領空の移動を自由に認めていて。守矢の巫女であり神でもある東風谷早苗と親友であるはたてを、河童が良く想っている筈も無い。大体河童にとどめを刺したスキャンダルをすっぱ抜いたのははたてだ。賢者が後ろにいると思われているとは言え、油断は出来ない。
勿論手を出してくるとは思えないが。
今回の取材は、骨が折れる事を覚悟しなければならなかった。
河童は玄武の沢と言われる渓谷地帯に住んでいるが。今もそれは変わっていない。
ただし、玄武の沢の周囲には、幾つか矢倉が立てられている。
いるのは妖怪の山でも武闘派の妖怪ばかりである。
また、出入りしているのは、賢者の式らしい強力な妖怪。上空から確認できる。へこへこしている所からして、余程厳しく監視されているのだろう。
河童は悪質なテキ屋であり。
技術者集団でもある。
頭に皿、嘴、背中に甲羅、ぬめぬめの体に水かき。そんなイメージがある河童だが。人間の姿を取る事が一般的な幻想郷では、河童達も人間に近い姿をしている。いわゆるブルーカラーの制服に身を包み、技術者集団として活動してはいる。
その一方で組織力は皆無で。弱い者には強く出、強い者には下手に出る。
そういう所もあって。強い妖怪からは嫌われ、弱い妖怪からは毛嫌いされるという、なんというか色々と業が深い者達でもある。
古くは人間を水に引き込んでは、尻子玉を抜いて殺していた河童達だが。
今はそんな事はせず。
代わりに、悪質なテキ屋になり。幻想郷で、経済力にて威を示そうとしたが。
結局の所、河童達はあまりにもやり過ぎたのだと言える。
玄武の沢に降り立つ。
賢者の配下が帰って、ほっとしていたらしい河童達が、はたてを見てひっと悲鳴を飲み込む。
やはり思っているのだろう。
賢者の息が掛かっていると。
ただ、はたては賢者の意思に沿った新聞を書くつもりはない。
届けられるべき場所に、届けられるべき真実を届けるつもりだ。
勿論幻想郷のためには知られてはならない真実もあるだろう。それについては理解もしている。
だが、賢者の意思に沿って、その都合が良い新聞を書くつもりもない。
大慌てで出てきたのは、河童のまとめ役の一人。
河城にとりである。
若手の中では最も強い河童であり。
その実力は河童としては中々に高い次元である。
人間を盟友と呼んだりする一方その性格は最悪で。祭などでは、悪質な屋台でぼったくる事を何とも思っていない。ただし、あまりにもぼったくりすぎると客が来なくなることも理解していて。ギリギリのラインをいつも攻めていた。
とはいっても、立場が弱い相手に色々と悪さをしていたのも事実。
はたてもあまり良い印象は無い。
「こ、これは姫海棠のお嬢さん。 何用で?」
手もみしながら、引きつった笑顔を浮かべるにとり。
にとりもはたての背後に賢者と守矢がいると思っているからだろう。媚びる色が露骨だが。その一方で、何か弱みを掴めないかという狡猾な視線も感じた。
一瞬も油断は出来ないな。
はたてはそう思いながら咳払いをすると、要件を告げる。
「今日はかなり難しい取材に来ました」
「難しい取材……?」
「守矢も承知しているのですが、今後物価について、統一をしようという動きが出ています」
真顔になった後。
蒼白になるにとり。
そう。幻想郷において、今まで物価というものは、流動的だった。ある程度の相場は存在していたが。それを決めていたのは、その場にいる個々人だった。
だからものに対するぼったくりが生じる事もあったし。
何よりも、弱い立場の存在は、ほしいものを絶対に手に入れられず、泣き寝入りする事があった。
価格を決めると言う事は。相手が誰であろうと、同じ価格で売らなければならない、と言う事だ。
なおこれについては、守矢と双璧を為す幻想郷の巨大勢力、命蓮寺も同意していると八雲藍から聞いている。
まあ当然だろう。
命蓮寺も、河童が祭の際に好き勝手をしているのを、苦々しく思っていた勢力の一つである。
実際、にとりが命蓮寺と揉めていた事ははたても知っている。以前命蓮寺で行われた祭の際の事だが。ショバ代払ってるんだから好きにやらせろと、よりにもよって命蓮寺の住職であり幻想郷最強の魔法使いである聖白蓮に身の程知らずの口を利いていたという複数の目撃情報がある。それ以外にも命蓮寺に何度か取材した際、河童による詐欺まがいの行為の状況証拠が出てきている。
命蓮寺は人妖問わず弱者救済を掲げる勢力だが。
弱者では無い妖怪まで救済しようとはしていない。
妖怪の勢力で言えば、間違いなく河童は幻想郷最弱だが。命蓮寺は河童を弱者とは認識していない、という事である。
更に、である。
河童は元から経済にて幻想郷に威を示そうとしていた連中だ。
はたての言葉の意味は、一瞬でにとりに伝わった、という事である。
「今回、物価についての調査をします。 それは、今後幻想郷の妖怪達、更には人間達にも提示されます」
「え、ちょっと待って……?」
「今回の取材では、労働の賃金、原価、加工費まで、総合的に調査する予定です。 既に他の若手の天狗も、何名かが動いています」
「ひゅい……」
にとりが真っ青になって、独特の悲鳴を上げた。
鬼の前でも、同じような悲鳴を上げているのを聞いた事がある。
にとりでさえそうだ。
他の河童達に至っては、完全に真っ青になっていた。
「今まで誰かさん(河童たち)や誰かさん(永遠亭の妖怪兎たち)のおかげで、幻想郷では多く詐欺が横行していました。 その結果、真面目な人妖が損をして、不真面目でいい加減な人妖が得をする不公正な体勢が出来ていました。 勿論あまりにも締め付けすぎるのもそれはそれでよくありません。 ですが、あまりにも目に余るという判断を、賢者達が今回下したようです」
「……」
白目をむきかけているにとり。
だが、容赦をするつもりはない。
「これから個別に取材をさせていただきます。 なお、取材後には、彼方に行ってください」
事前に打ち合わせをしてあるのだが。
賢者が手配してくれた、信仰が失われた神。それに守矢が派遣してくれた、腕っ節の強い山の妖怪。
それらが数名、いつの間にか目を光らせて立っていた。
総毛立つ様子の河童達だが。
これも、平等な情報集めのためだ。
それに、である。
此処はそもそも出発点に過ぎない。
今回は、平等な情報を届ける新聞としての、最初の第一歩かも知れない。
今まで実績を積んできた。
その実績を、最高の形で成果にする。
はたては、最初の河童の名前を呼ぶ。既に河童の構成メンバーは、全員頭に叩き込んである。名前だけではなく、その性格もだ。
河童達の間にも、いつの間にか腕利きの妖怪が立っていて、事前に好き勝手に打ち合わせは出来ないようにしている。
おしっこを漏らしそうな顔で真っ青になっているにとりにかまわず。
はたては情け容赦なく取材を開始していた。
取材はとても事務的に行う。
他の河童に聞こえないように、処置もする。事前に声を掛けて呼んでおいた魔法使い、アリス=マーガトロイドの協力を得て、音を遮断する結界を張った。人形遣いの魔法使いアリスは、人形を思わせる若く美しい魔法使いだが。そもそも幾つかの方法で年齢寿命を超越した人間を魔法使いという妖怪に分類する。アリスは「種族魔法使い」であり、要するに見かけと年齢が一致しないれっきとした妖怪だ。この他に、まだ「種族魔法使い」になっていない人間の魔法使いもいるのだから少しややこしい。例えば博麗の巫女の戦友、霧雨魔理沙などがこれにあたる。
アリスの作った結界内で。更にアリスが操作する人形達が、槍やら剣やらを向けている中で、丸テーブルに向かい合って座って、河童に一人ずつ情報を聞いていく。
抜き打ちの監査だ。打ち合わせなんてさせない。もしそんな事をさせたら、取材の公平性がなくなる。嘘をつかせる心理的余裕も与えない。
順番に情報を聞いていくが、流石は河童。仕入れの値段から加工に掛かる時間。加工費用から、最終的に売るときの値段まで。河童が扱っていると確認できている品について、全てすらすらと話す事が出来る。
これで真面目だったら、どれだけ良かったのだろう。
昔のはたてだって人の事は言えなかったのだ。だから、それを責める気は無い。全てについて質問を終えた後、結界から出て次の河童を呼ぶ。
レコーダーが取材の間充分もつ事は確認済み。
長い時間対応出来るものを持ってきてある。
順番に話を聞いていくが、時々値段が違っている。
これはやはり、河童の側でも個体によって仕入れられる値段や、販売出来る値段が違っているのか。
ともかく、順番に話を聞いていく。
にとりの順番が来た。
事務的に話を聞いていくが。真っ青になっているにとりは、頼むから許してアピールをしていた。
勿論許さない。
ちょっとでも同情心を見せれば、とことんつけ込もうとしてくるだろう。テキ屋というのはそういう性質の持ち主だ。
幻想郷の外にいた頃、河童達はサンカの民と呼ばれる山の中で暮らしている人間達の影響を多大に受けていたという話がある。
これはこの間資料を調べていて知ったのだが。
恐らくは、天狗も同じだろう。
天狗も河童も起源は中華にあるらしいのだが。この日本にきてからは大きく性質が変わった。地元の影響を受けるのは、妖物の特徴であるらしい。鬼ですらそうだ。
幻想郷に来てからも、更に性質は変わっただろう。
昔の河童はどんな存在だったのだろうか。まだ若い天狗であるはたては知らない。
質問を終えると、にとりにも行って貰う。
一瞬だけ恨みの籠もった視線を受けるが、むしろアリスの人形達が反応したほどで、はたては相手にもしなかった。
力はついてきている。これでも修練は怠っていない。新聞が評価され威も集まっている。
余程にとりにとって都合が良い条件が揃わない限り、もう負けはない。
次の河童を呼び、更に次。
全員から話を聞き終えた頃には、予定通り夕刻を過ぎていた。
結界を解除し、アリスには賃金を払う。今回賢者側から予算が出ていて、そこからの料金である。今回は取材に手間が掛かることを想定した賢者から、相応のお金が出ているのである。
笑顔で協力に感謝すると口にすると、アリスは人形遣いでありながら本人が一番人形らしいと言われる仏頂面で言うのだった。
「協力しておいてなんだけれど、少し高圧的ね。 ただ、毎回河童達に色々ふっかけられるのは私も良い気分がしなかったから、今回の件については協力を惜しまないわ」
「ありがとうございます。 それだけで充分です」
「……それじゃあね。 ああ、貴方の新聞、継続して購読するわよ。 質が上がってきているのは事実だしね」
すっと当たり前のように空に浮かぶと、家に戻っていくアリス。
魔法使いがどうやって空を飛ぶかはそれぞれによって違うのだが。アリスはどうやっているのだろう。
天狗にしても、翼を使って飛んでいる訳では無い。翼だけでは物理的に飛べない。
妖術を当然用いているのだが。それでも翼の補助はある。
アリスがどうやって飛んでいるのかは。少し気になるところであった。
河童達を解放した後、監視役の妖怪達にも声を掛けて、解散して貰う。
一人、八雲の式である妖怪に聞かれる。はたてより頭二つ分も大きい巨漢の妖怪だ。幻想郷では妖怪が女の子の姿をするのがスタンダードだが。人前に出ない妖怪には、スタンダードに沿わないものも結構いる。なお八雲の式だけあって凄まじい強さをびりびり感じる。
「それでどうであったか」
「全員が違う事を言っていますね」
「やはり連中め、適当に嘘をついておったか」
「……いえ、恐らくではあるんですが、河童と相手の妖怪の力関係などで、値段がかなり変わってきているんだと思います。 河童個人の強さや、相手の弱みを握っていれば安く買いたたき高く売る……そういう事がまかり通っているんでしょう。 もう少し取材をして見ないと結論は出ませんが」
いきり立つ相手を、冷静になだめる。
そして、次の取材相手の元に向かった。やはり骨が折れる取材だ。
妖怪の山中を取材して廻る。
天狗と言うだけで警戒する相手もいたが。はたては時間を掛けて、彼らに悪さをしないという事をアピールしてきた。最近は漸く、ある程度の信頼関係を構築でき始めた。新聞に嘘を書かない。無理に取材をしない。作った新聞をきちんと見せて、同意の上で販売をする。
それらの行為の積み重ねが、信頼につながったのだと思うと嬉しいが。
ただ、やはり早苗の親友であると言う部分もあるのだろう。
扱っている品について、丁寧に確認していく。
直接資源を採取する作業を第一次産業と呼称するのだが、妖怪の山にいる妖怪達は、殆どがこの第一次産業を行っている。
妖怪の山の中には店などは殆ど存在しておらず。
調理では味気なくなった妖怪は、人里に出向いて料理を食べたりするのである。
勿論料理が出来る妖怪もいるが。妖怪が作る料理はどうしても良い意味でも悪い意味でも豪快になりやすく。
人間が技量を競った料理に比べると大味になりやすい。
これは料理以外も同じ。
道具類などは、人里に出向いて入手したり、河童や天狗から購入する妖怪も多く。
この辺り、河童が他の妖怪に対して、アドバンテージを持っていた事になる。
其所で、丁寧に値段について確認をして行くのだ。
そうすると、やはり色々とおかしな事が分かってくる。
値段が一致していない。
売った相手。買った相手。それぞれを確認し、情報を精査していくと。
どうもやはり河童は、弱い相手には高く売りつけ安く買いたたき。強い相手には安く売り高く買っているようだった。
これは、貧富の格差を生み出す。
守矢は或いは。この辺りも把握しているかも知れない。
老獪な二柱の事だ。早苗は兎も角、あの二柱は、それくらいは把握していてもおかしくはない。
ともかく、ごく一部の妖怪だけが得をして、他がみんな泣くのは好ましい事ではないと思う。
勿論みんな貧しくなるのは論外だ。
みんな豊かになれば良いのである。豊かになりすぎるとそれはそれで堕落するだろうが。今は一部の妖怪が好き勝手に相場を操作している状態。それは出来るだけ、避けた方が良いのではないか。
そうはたては思う。
夜になったので、一度取材を切り上げる。
一度、若手の天狗達で合流し、情報の精査を開始。
一人にデータの入力を任せ、皆で情報を提示していく。
膨大なデータがグラフ化されていく。生唾を飲みこむ天狗がいる。今まで、此処まで巨大なデータを扱うのは初めてで。その圧倒的な数字に、度肝を抜かれているのだろう。
勿論、まだ足りない。残りの情報を集めていく事になる。
一人が挙手した。本当に申し訳なさそうに、はたてより少し年上の天狗である彼女は項垂れた。
「申し訳ない。 私の手には負えない相手がいる」
「貴方の担当範囲は……ああ。 妖怪ダヌキの親分」
「ああ。 そもそもはぐらかされて、詳しい話は一切してくれなかった」
「……いいわ、私が出向いてみます」
はたてが取材相手を交代する。年長者として情けないと思っているのだろうが。だが、その悔しさは次に生かせば良いと思う。
はたてだって、ずっと年下の早苗に随分色々と教えられた気がする。
ずっと年上の天狗達を見て、情けないとも感じた。
だったら、今すぐにでは無理でも。少しずつ、よりよきへと変わっていけば良いのではないか。
変われる者ばかりでは無いだろう。
だが此処にいる者達は。天狗の現状を見て、己の立身を変えようと判断した。それだけで、今は充分である。
「すまない、はたて。 迷惑を掛ける」
「いえ。 それよりも、代わりに此方の担当をお願いします」
「ああ、任せておいてほしい」
ミーティングを終えると、一旦切り上げる。
中間報告は二日後にしてほしいと八雲藍に言われている。そのためには、一日半くらいで一旦大まかな情報をまとめて、半日くらい掛けてまとめる必要があるだろう。
風呂に入って身繕いを終えると、布団に転がって軽く考える。
手強い相手との取材だ。幾つか対応について練っておかなければならない。
命蓮寺にいるタヌキの大親分、二ッ岩マミゾウは、外で二ッ岩大明神という神格を持った大妖怪であり。命蓮寺の食客として、住職である聖白蓮のブレインをしている。元々極めて強力な妖怪である上、妖怪の山のタヌキの妖怪達、多数の付喪神にもコネを持っている。
外の修羅の世界で、現役で存在できている大妖怪という事もあり。文字通りその実力は破格。射命丸含め天狗の誰もが通れない博麗大結界を地力で突破し、外と自由に行き来が出来る強力な存在である。多分実力はそれぞれの勢力の長に匹敵するだろう。
更に命蓮寺には、このマミゾウを助っ人として呼んできた大妖怪、封獣ぬえが在籍している。
確かに、先輩の天狗が尻込みするのも当然であろう。
勿論、はたてならいなせる、等という事は無い。
手強いことにはまったく代わりは無い。
それでも、情報は正しく集めたい。出来るならやる。それだけだ。
誰かの後ろ盾がなければ、弱い妖怪は生きられない。そんな状況は良いとは思えない。
人間にしてもそうだろう。
はたては名家(知れているが)のお嬢という立場を捨てて、ようやく弱い立場について知る事が出来た。
今だって、コネを失ってしまえば、両親が天狗を連れて、力尽くではたてを捕らえに来るかも知れない。
それが出来ないのは、守矢と賢者、それに博麗の巫女が天狗そのものを厳しく監視しているから。
そういう弱い存在なのだ。まだまだとても力が足りない。
しばし横になって、色々と老獪な大ダヌキから情報を引きずり出す方法について考える。
やはり、取引には対価が必要か。
幾つか、出せる情報を準備しておく。後は、明日一旦話してみて。それからだ。そうはたては考えて。そして眠る事にした。
2、大妖怪のやり方
佐渡に伝わる大妖怪、二ッ岩大明神。名前の通り神格を貰っている存在である。
通称団三郎。日本三大妖怪ダヌキの一角であり、他が四国近辺に集中しているのに対し、唯一東日本でその勇名を馳せている存在でもある。幻想郷では、本名なのかは分からないが、二ッ岩マミゾウと名乗っている。
金貸しとしての名が知られているが、面倒見の良い存在としても逸話が多く残っており。それはそれとして、タヌキとして人との化かし合いを行ったり。狐との苛烈な化け比べをしたりと。妖怪としての逸話は多くある。
現在は神格持ちに昇格していることから、外でも存在できる希有な妖怪。
その実力は、幻想郷の上位勢でも侮れないだろう。
今彼女が食客として世話になっている命蓮寺の近くに、はたては降り立つ。
幾つか取引の条件を持ってきた。まだ賢者に話はしていない。
はたての手札の中から、使えそうなものを見繕ってきたのである。
それでも駄目なら、賢者に協力を仰ぐしかないが。出来れば、それはしたくなかった。
命蓮寺は、昔天狗と揉めたことがある。歓迎されないことは覚悟しなければならない。
生唾を飲み込んでから、門戸を叩く。
しばししてから、顔を出したのは。命蓮寺の住職だった。聖白蓮。1000年を生きる大尼僧であり、不老不死を得ている種族魔法使いに分類される元人間(つまり現在は妖怪)である。幻想郷に複数存在する魔法使いの中でも別格の実力を持ち、強力なコネで幻想郷中に根を張る最大勢力命蓮寺の長でもある。
その人望は非常に高く、人食いだったり荒れた生活をしていた妖怪達を改心させ。悟りを開いたとまではいかないにしても、人間とやっていける状態にまで持っていった実力の持ち主だ。
人里にも無料で利用できる墓を提供し、葬儀などは積極的に行っている。また、立場が弱い妖怪を助けたり、逆に人間を妖怪から守ったりもしている。
もちろんはたて如きが勝てる相手では無い。
なお教義なのか、剃髪はしていない。
まず礼をして、用件を述べる。
静かな目ではたてを見ていた白蓮は、ついてくるように指示。特に好戦的な雰囲気はないが。命蓮寺の中には凄まじい使い手の気配が幾つもある。
粗相をしたら死ぬ。それを嫌でも悟らされる。
年長者の天狗が尻込みするのも当然か。
歩きながら、白蓮が話しかけてきた。
「今、貴方たち若い天狗が何かを調べているようですが、何かあったのですか?」
「はい。 幻想郷にて、物価の統一を行おうと賢者が考えています」
「物価の統一?」
「今まで、幻想郷ではそれぞれが物価を決めていました。 この結果、強い妖怪は弱い妖怪からむしり取り、弱い妖怪は泣き寝入りするしかない状況が続いていました。 情けない話ですが、昔は私も知らず知らずのうちにそれに噛んでいたと思います」
ふむと、白蓮が考え込む。
多くの生臭坊主を見て来た。
哲学的な仏教思想をこねくり回しながら、結局の所屁理屈で我欲のままに振る舞う真の意味の外道。
しかしながらこの白蓮、会った人妖が口を揃えて認めるまともな仏僧だ。例外的と言っても良いほどである。
これでも悟りには至っていないというのだから。
仏教の求める悟りの境地というのは、どれだけ厳しいのだろう。正直な所、想像もつかない。
現物の毘沙門天にすらコネを持っている高僧である白蓮。
とんでもない大物ではあるのだが。
白蓮自身は、ここ幻想郷では、決して最強の存在では無い。
それが此処の魔境ぶりを示しているとも言えるか。
それにしても、八雲藍が言っていた話と違う。命蓮寺と今回の件で同意がで来ているということだったのだが。或いは経済関連の話を、白蓮はマミゾウに投げたのかも知れない。白蓮は必要以上のお金は必要ないと公言するような人だと聞いている。あり得る事だ。
客間に通される。
あまり好意的では無い目で、此処に出家した妖怪山彦。幽谷響子が茶を出してくれる。響子は幼い子供に犬の耳や尻尾を足したような姿をしている人間に友好的な妖怪だが。元々その人間の噂で山彦という種族そのものが壊滅。命蓮寺に入信して、やっと消滅を免れたという経緯を持つ。
山に住んでいたという事は、当然天狗をいい目で見ないのも分かる。
それは頭を下げるしかない。
程なく、姿を見せたのは幻想郷屈指のくせ者。
現在、もっとも幻想郷にて活発に活動している大ダヌキ。二ッ岩マミゾウである。
すらっとした大人の女性を思わせる姿だが、頭に大きな葉っぱを載せており、尻尾は隠してもいない。これは化ける必要がないからだろう。眼鏡を掛けているが、本当に目が悪いかは分からない。表情を隠すための小道具である可能性もある。
普段は下駄を履いて外を歩いているが。
人里にも人間に化けて頻繁に出入りしている様子だ。
河童よりも現在経済に関わっているかも知れない存在。
もっとも、白蓮が此処に置いているだけあって、本当の意味での悪さはしていないのだろうが。
「おう、最近随分まともな新聞を書くようになった鴉天狗ではないか」
「今日は取材、よろしくお願いします」
「ほう、昨日も似たような若造が来たが?」
「まずは此方をお納めください」
取材対象には相応に謝礼を払うのが普通だ。
取材内容によって違うが。それなりに毎回謝礼を包んでいる。場合によっては酒や食べ物などの現物を使う場合もある。
ただ賢者と相談して、あまり高額なものは包まないようにしている。
今回は、事前に賢者に出して貰った予算の中から見繕った金額だ。
大ダヌキはふふんと鼻を鳴らすと、まあ良いだろうと、茶を啜る。
話を聞かせてみろと言うだけで、かなりの威圧感がある。それは当然だろう。本来なら、はたてなんて近づけもしない大妖怪だ。
それでも引くわけには行かない。
まずは、白蓮にしたのと同じ話をする。そうすると、くつくつとマミゾウは笑った。
「遅い遅い」
「現在の幻想郷の対応が、ですか?」
「そういうことだ。 賢者は今も此処を見ているかも知れんが、それでも敢えて言うと外の研究が足りん。 余程駄目な国でもない限り、何処でも外ではやっておることだ。 そのような事だから、河童や兎どもに好き勝手をされるのよ」
「……それにマミゾウさんも、一枚噛んでいますね」
ふふんと、余裕の笑みが帰ってくる。
周知の事実だし、知られても困りはしない。
そういう態度だ。
この食えない大ダヌキは、多数の付喪神を現在進行形で育成し。妖怪の山では小さな勢力だった狸たちを幻想郷に来た途端に瞬く間に従え。そして命蓮寺と連携しながら、かなり稼いでいるようだ。
人里には、同じく命蓮寺の食客となっている付喪神多々良小傘の作る高品質な金物類を売って威を直接示し。
妖怪達の間でも、既に幾つかの物資について強い影響力を持っているという。
当然この人が、幻想郷の物価について知らない筈も無い。
それが扱う者の機嫌次第で変わると言うことも。
ただ二ッ岩大明神は、外の世界でも慈悲深い金貸しとして知られていると聞いている。この人が暴利を貪ったり、他者を虐げているという話は今まで耳に入ってきていない。その辺り、あの生真面目そうな白蓮が、ブレインとして側にいて貰っている理由なのだろうとも思う。
おかげで命蓮寺は綺麗なだけな勢力では無く、搦め手にも強い厄介な存在となっていて。守矢の最大仮想敵となっている有様だ。
「今後、弱い妖怪達が泣かなくても……いや、弱くても生きていけるように。 しっかりした物価の管理をする予定です。 そのためにも、取材に応じていただけませんでしょうか」
「この幻想郷は外に比べて比較的マシな場所だとは思うが、確かに人が良すぎて詐欺に引っ掛かる間抜けは時々見かけるのう」
「ならば、なおさらお願いします。 此処は忘れられた者の最後の秘境なのですから」
「ふふ、強い妖怪の筈である天狗のお前さんがそんな事を言うのもおかしな話だな。 その上お前さんは「名家」姫海棠の御令嬢だろうに」
のらりくらりとかわしてくる。
それはそうだろう。
この人にとっても、物価の制定はかなり厳しい案件だ。それにこの人の情報網なら、既に河童が散々締め上げられて、物価の調査が始まっていることは掴んでいてもおかしくないのである。
だが、此処で引いては駄目だ。
「新聞」を変える。
天狗だけのオモチャにするのではない。
正しい情報を客観的に伝えるものとするためにも。
この窮地で、踏ん張らなければならない。
「貴方の協力があれば、一気に事は進展します。 是非」
「……お前さん、もうただの鴉天狗ではないな?」
「……え?」
いきなり話を変えてくる。
口をつぐんだはたてに、マミゾウは顔をぐっと近づけてくる。変化を得意とするマミゾウだ。
人間との化かし合いはおてのもの。
ましてや小娘相手に、一本取られる訳も無い。
つかみ所がない相手に、どうしてもはたては、攻め手に欠ける。
用意してきた切り札を出すか。いや、それにはまだ早い。焦れば相手の思うつぼだ。自分に言い聞かせながら、出方を見る。
「子供をさらって見ようとか、全く今は思わぬだろう。 そもそも、山から下りて麓で生活しているそうではないか。 本能的に体が不調を訴えぬのか?」
「……はい。 まったく」
「見た所、妖怪と言うよりも失われた概念が入り込んでおるようだな。 ……今までの真面目な問答からして察しがつくが。 ふむ、まあそういう事なら面白い。 話に応じてやろう」
ただで、とは言わないだろう。
そう警戒していると。
やはり、にやりとマミゾウは笑う。
「対価として、一つ要求がある」
「私に出来る事ならば飲みます」
「賢者に伝えておいてもらおうか。 今、育成している付喪神達には手出し無用とな」
「今回の新聞は賢者の意向で取材しています。 その程度の事であれば伝えます」
なるほど。この人の場合、部下を大事にするという以上に。幻想郷での手札を確実に確保しておきたいのだろう。更にはたてに恩を売り、賢者にも要求を通すつもりか。
元々表側の事は白蓮が。後ろ暗い事はこの人が対応して、命蓮寺は強力な勢力に仕上がっている。
付喪神はどちらかというと底辺の妖怪だが、最上位になってくると相応の力を持つ存在に変貌する。
事実現在、付喪神である多々良小傘は並の妖怪と同等かそれ以上の実力は得ているようだ。
付喪神も、育てれば侮れない存在になるものなのである。
それから、ようやく取材が始まった。
物価について質問。メモを逐一取っていく。
流石はくせ者で金貸し。河童以上にすらすらと扱っている品について、値段が出てくる。原価労働費加工費、粗利に最終利益、殆ど完璧に把握している。
レコーダーを使い、更にメモを取っているはたてを見て、ニヤニヤしているのは。
恐らく、ここからが面白いと思っているからだろう。
さて、何を仕掛けてくる事か。
一通り質問が終わったが、マミゾウは更に話し続ける。
聞いていないものについて、価格を教えてくれる。
あれ。扱っているという話がないものまで値段を知っているのか。勿論メモを取っていくが。
今まで聞いて覚えてきた価格と、そう変わらない。
勿論この価格は、「マミゾウが扱う場合」の価格。それも、普段なら、である。
現状は扱っていないものまで、将来的に扱う想定をしていると言う事だ。
この人は、かなり良心的な金の扱いをしている様だが。
その一方で、恐ろしい大妖怪としての顔も持っている。
人里での噂も聞く。
子供を虐待する親の所にふらっと現れて。それ以降、子供の虐待が止んだ。
女房に手を上げる夫の所に現れた翌日から。夫がとても優しくなった。
悪辣な金貸しが、この人がふらっと現れてから。翌日商売を畳んで畑を耕し始めた。
いずれもが、良い事をしている筈なのに。それ以上の恐怖と一緒に語られている。人里で大きな人望を持つ命蓮寺の後ろ盾があるから、この人はこれだけ自由に動けるというのもあるが。
それにしても、やはり影響力は尋常では無い。命蓮寺の影として充分に威を示している。それも、弱者救済を掲げる命蓮寺と反発しないやり方でだ。
この人は、何が目的なのだろう。
外にいても、信仰を現役で得ている神格だ。それこそ、困る事は一切無かっただろうに。
どうして閉じた幻想郷に来ている。外の神々の強大さは話に聞いている。この人は、どちらかといえばそちら側の存在の筈なのに。
「さて、わしが知っている価格はこんな所かな。 時にお前さん、前に来たひな鳥の取材を、どうしてわしが断ったと思う」
「分かりません」
「素直でよろしい。 前に来た奴は、単に腐敗した組織への反発から、お前さんに賛同して山を降りたにすぎん。 要するに天狗という存在からまだ脱却しておらん。 それが理由よ」
「……」
スパイだとでも言うつもりか。
いや、そうとは思えない。実際、先輩は真面目に今のやり方を貫いている。変わろうとしているはずだ。
何が、足りなかったというのだろう。
「いずれにしてももうこれでよかろう。 賢者によろしくな」
「はい。 今日は取材を受けていただき、有難うございました」
「うむ……」
礼をして、命蓮寺を後にする。
やはり、周囲の視線は厳しい。
昔の天狗が山でどれだけ狼藉を働いていたか、という証拠だ。
送りに白蓮が来てくれた。
白蓮が姿を見せると、妖怪達はさっとそれぞれの作業に戻る。慕われているだけではない。怒らせると怖いと認識もされていると言う事だ。
「良い取材が出来ましたか?」
「はい、ありがとうございます」
「貴方は今まで取材に来た天狗達とは随分違いますね」
「……先輩が門前払いされて悩んでいました。 理由を聞かせて貰えませんか?」
少し黙り込んだ白蓮は。
腕組みして考え込むと、結論から言ってくれた。
「情報を扱う者は特別である」
「え……?」
「そういう驕りがありました。 何でも現在は外の世界でも、情報を扱う人間は自分を特権階級だと思い込んでいる節があるようですね」
口をつぐむ。
確かそれは聞いたことがある話だ。
そして、妖怪の山の天狗達にも共通していたことだ。
射命丸などは顕著だが。
力にものを言わせて無理に取材し、嫌がる相手を無視して新聞をばらまく。確かに傲慢極まりない行動である。
先輩も、その癖が抜けていなかったのか。
いや、やり方は変えている筈だ。
だが、まだ何処かで、自分は凄い事をしていると言う驕りがあったのかも知れない。
「分かりました。 気を付けるように促しておきます」
「貴方は何処へ行こうとしているのですか?」
「私は……」
何処へ行こうとしている、か。
ただ、正しい情報を、客観的に伝えたい。
それだけだ。
別にそれが凄い事だとは思わない。
今までやっていた事がおかしいだけ。ただ普通のこととして、普通に情報を扱いたいと思っている。
そう告げると、白蓮は静かに微笑んで寺から送り出してくれた。
さて、最大の難関は抜けたか。
だが、まだ一つ、一番手強い相手が残っている。
博麗の巫女。博麗霊夢。
昔ほど邪険にはされないが、それでも今も何処かではたてを警戒しているのが分かる。はたてというか、天狗全般を何だろうが。
一度、家に戻る。
先輩に、話はしておかなければならないかも知れない。
確かに、腐敗した組織に愛想を尽かして山を下りた天狗ではある。
だが、まだ天狗のままであるとしたら。
本能のまま振る舞って、子供をさらったり、或いはふらふらと山に戻ってしまうかもしれない。
意識しないと危ないというのはあるかも知れなかった。
戻ると、丁度皆も取材を終えて戻って来ていた。
命蓮寺への取材成功を告げると、ほっとした表情になる天狗が多い。皆、賢者が怖いのである。
今回は賢者から予算が出ている取材だ。成果が出ないでは許されないのである。それこそ、相応のペナルティがあるだろう。
それに、若手の天狗達による新しい新聞は、やっと認められ始めた段階だ。
此処で火を消してしまうわけにはいかない。
この情熱だけは。
天狗である云々関係無く本物である。
情報のすりあわせを行う。
後は明日、幾つかの勢力に手分けして取材をした後、まとめに入る。その後、賢者に報告しなければならない。
ミーティングを切り上げる、という段階で。
はたては咳払いした。
此処では、はたては離脱の口火を切ったという事で、かなり尊重して貰っている。皆、一目置いてくれている。
序列が厳しかった天狗の社会ではあり得なかったことだが。
その序列により腐敗が酷かった天狗の組織に皆不満を持っていたから。この扱いは、皆納得しているものとなっている。
だが、それに甘えてはいけない。
言葉を選ばなければならないだろう。
大ダヌキに指摘されたことを、一つずつ話していく。
見る間に、先輩鴉天狗の顔が青ざめていくのが分かった。
ひょっとしてだが。
思い当たる事があるのだろうか。
「……確かに言われる通りだ。 私は、新しい新聞を作ることには同意だが。 それは天狗としての新しい権威を作ろうとして行っていたかも知れない」
「要するに、下剋上を目論んでいたという事ですか?」
「下剋上……そうかも知れない。 そうか、指摘されてみれば確かに腑に落ちる。 どこかでまだ、私は取材をする自分が特別な存在だと考えていたんだな」
ため息をつく先輩。
周囲も、気まずそうにしている。
これは、皆覚えがあるのだろう。
はたてはもう、今の天狗の組織に未練はかけらも無いのだが。
ひょっとして、皆は違っていたのか。
そうか。
もっと話しあっておくべきだったのかも知れない。
一人、一番年長の鴉天狗が挙手する。
「はたて殿、よろしいか」
「はい」
「実はな……噂だが、天魔が相当に慌てているそうだ。 どうしても貴殿を山に戻したいらしい」
「そのつもりはありません」
何度か、山に戻るように説得しようと天狗が来た事はある。
その度に追い返しているので、気にはしていなかったが。
天魔が直接指示を出していたのか。
盲点だったかも知れない。
天狗の組織には興味を完全に失った。昔の天狗の新聞やコンテストと同様に、である。同時に情報収集も怠るようになっていた。
昔の自分を捨てる過程で。
昔のコネも捨てていたのだ。
だからこそ、こういう初歩的な見落としをしてしまっていたか。
「何かあるのかも知れない。 姫海棠が名家と言っても、天魔は当面現役の筈。 人員も、変わるとは思えない。 貴殿のような離脱者を、無理に戻す理由が考えづらいし、慌てる意味も分からない。 それに何より、我々には同じような使者は来ていない」
「……分かりました、注意します」
「気を付けてくれ」
後は解散する。
ちょっと気まずかったが、とりあえずは情報の精査は終わった。
後は、明日博麗の巫女に情報を確認し、それで締め。
賢者には、まとまった報告が出来るだろう。
家の戸締まりを念入りにして、情報の再チェックを行う。膨大すぎる情報なので、色々と大変だ。
天狗ではなくなりつつある事に対して、別に恐怖は無い。
力が落ちている訳でも無いし。
考え方が変わるのは、むしろ良い事だとさえ想う様になってきている。
情報を扱っているのだ。
情報を客観的に扱うには、どんどん頭をアップデートしていかなければならないだろう。当然の話である。
全て作業を終えた後、昔に比べて格段に粗末な寝台にて寝る。
今日はタヌキの大親分と真正面からやり合ったからか、とても疲れた。新聞を仕上げるときはいつも疲れるのだが。それにしても今回は神経を本当にすり減らした。
やりづらさは賢者以上だったかも知れない。
布団にくるまって、ぼんやりする。
今は、この大仕事を成し遂げることが先だ。
何も、気にしている余裕は無い。
新聞の事だけを考えたい。
そうしているうちに、夢を見た。
何だか、不思議な夢だった。
妖怪の山で戦争が起きて。守矢に天狗が蹂躙された。
射命丸はあっさり裏切り、守矢の側につく。
はたては右往左往しているところを捕まってしまって、後は守矢の二柱に酷い拷問を受けた。
名家の者なのだ。天狗の機密を知っているのだろう。そう言われた。そして手酷く痛めつけられた。
尊厳を破壊するような、とても酷い拷問だった。夢だと分かっていても怖い。
守矢の二柱は今でも怖いが。恐らく、この拷問くらいは出来るだろうと、何処かぼんやりと思う。一方で、はたてがろくな情報なんか持っていないことを知っている筈だとも、ぼんやり思う。
夢だから、自分に起きている事も他人事のように思える。
やがて、引き出せるだけ情報を引き出すと。はたては牢屋につながれ、うち捨てられた。
降参した他の天狗のうち、戦力になりそうなのは守矢に組み込まれ。
そして幻想郷が一気に緊張状態になる。
他の勢力を全部足した戦力よりも。守矢の実力が上回ったからだ。
かくして、幻想郷を二分する大戦争の火ぶたが切って落とされる。
賢者は傍観。人里だけは巻き込まなかったが。牢の中から、幻想郷が地獄に包まれるのが見えた。
どう考えても見えるはずがないのに、夢だからだろう。
だが、分かっている。
これはあり得る未来だったのだと。一歩間違えれば、こうなっていただろうとも。
目が覚める。
何度か目を擦って。そして一瞬で眠気が覚めた。
側に音も無く立っていたのは、射命丸だった。アルカイックスマイルが、恐ろしく不気味だった。
幻想郷最速を自称する、天狗最強の実力者。戦闘力は天魔に匹敵するとも、それ以上とも言われている。
何もされてはいない。だが射命丸がその気になれば無抵抗のはたての首を落とせていた。
慌てて戦闘態勢を取るが、遅すぎる。その間にも、その気なら射命丸は十回ははたてを殺せていたはずだ。
はたての背に冷や汗が流れる中、射命丸は言う。
「あやや。 そんなに驚かなくても良いですよ。 何か面白い取材をしている様子ですねはたて「さん」」
「何用かしら……人の家に無断侵入は感心しないわよ」
「一つ面白い事を教えてあげようと思いましてね。 賢者は貴方を……」
「はたて殿!」
飛びこんできたのは、見張りをしていた白狼天狗。
ドアを蹴破った大きな音に気を取られたときには、既に射命丸はいなかった。
流石は自称でも幻想郷最速。
文字通りの風だった。
3、力があるが故に
射命丸は何を言おうとしていたのだろう。
ただの虚言の可能性もある。相手を惑わし苦しめるための罠。
彼奴は昔から、自分の暇つぶしに新聞を作っていた節がある。そしてそれには大きな愉悦が伴っていた。
コンテストやらに目が眩んでいた昔は分からなかったが、今は彼奴の恐ろしさがよく分かる。
はたてと射命丸の間に拡がる実力の圧倒的な差も。
昔はライバルなどと思っていたが。
射命丸はそれこそひな鳥がと鼻で笑っていただろう。
だが、今は新聞に関して此方にアドバンテージがある。射命丸はまだまだ最重要監視対象のはず。
今回の件だって、多分賢者は気付いていた筈だ。
今になって思えば、彼処まで慌てなくても。あわやとなれば賢者が介入してきた筈である。
それも考慮して射命丸が動いたのだとすれば。何をしたかったのか、分からない。
身繕いをしてから、家を出る。身繕いは心を切り替えるための作業。それ以上でも以下でもない。
皆、先に集まっていた。
まず咳払いして、射命丸が家に来たことを正式に告げる。何かを言おうとする前に帰って行ったことも。
皆、少なからず動揺する。
天狗の中でも図抜けた戦闘力の持ち主と言う事で、射命丸は此処にいる誰にも警戒されている。
当たり前の話である。作る新聞こそ三流だった。だが、射命丸は天狗が絡む問題ごとが起きると、確実に毎回駆り出されていた。
要するに天狗の持つ最大戦力なのだ。それも、換えが効かない圧倒的な。そうでなければ、実働部隊である白狼天狗が繰り出されていたはず。
そして何を考えているか分からない存在。
そういう意味で、射命丸は怖れられていたのだろう。昔のはたてはアホだったから、それに気付けなかった。
ひょっとするとだが、なれなれしく射命丸に絡むはたてを見て、周囲は皆冷や冷やしていたのかも知れない。大鷲に対して、偉そうに口を利くひよこに見えていただろう。
「とりあえず、取られたり、何かされた形跡は無かったわ。 PCにもパスとプロテクトを掛けてあるから、短時間で破られる恐れはないわ」
「此方でも確認した」
「!」
不意に、その場に現れる八雲藍。
皆が居住まいを慌てて正す中、九尾の狐はしらけた様子で言う。
「射命丸については、今朝方の行動について確認を取った。 忙しそうにしているので、様子を見に行っただけだと本人は釈明しているが、一応三日間の謹慎処分を与えた。 もしも謹慎を破るようなら「処理」するので心配なく」
処理、か。
多分地底送りだろうなと思って、はたては身震いした。
ここしばらく大人しくしていたから、賢者側も射命丸に対しての対応が遅れたのだろう。故にこういう失態を許した。
射命丸は勿論、謹慎くらいくらうのは計算の上で、行動に出た。
逆に言うと、謹慎で済んだのは、実際には何もしていなかったから、というのもあるのだろう。
だとすると、彼奴は何がしたかったのか。彼奴くらい頭が切れる奴が、無意味な事をする筈が無い。
恐らくだが、リスク以上の利益があるのだろう。
彼奴はそういう危険な奴だ。今のはたては、射命丸を微塵も侮ってはいない。全力で警戒しなければならなかった。
「ともかく姫海棠はたて、貴方は気にしないで作業を続けるように。 それでは中間報告を待っている。 以上」
八雲藍が消えると、皆がほっと一息。
後はそれぞれ、残った取材を片付け、半日で記事にまとめて一段落。中間報告をしたら、数日掛けて新聞に仕上げる事になる。
他の皆は、大した取材相手では無いから、すぐに終わるだろう。
はたては博麗の巫女を最後に残したが、これは実は最初に出向いたら、この日を指定されたのである。
まあ、あの金にルーズな博麗の巫女が、それほど貴重な情報を持っているとは思えない。ならば、大丈夫ではあるだろう。
何とも言えない空気の中、ミーティングを解散。それぞれ散る。
乱入してくれた白狼天狗に礼を言う。
もしも射命丸がその気だったら、はたてもろとも瞬く間に切り刻まれていただろうに。それでも来てくれたという事である。本当に責任感が強い存在だ。あの腐敗した組織でやっていけなかったのもよく分かる。
一緒に山を下りてくれて助かった。
家の戸は直してくれるそうである。ありがたく、その言葉に甘えることにする。
すぐに博麗神社に向かう。
幻想郷の東の果てにある神社。幻想郷を包む博麗大結界の守護者である巫女、博麗霊夢の住処。
妖怪が多数訪れることから、妖怪神社の異名を持ち。人間は殆ど近付きたがらない。元々妖怪が出る人里から離れた道を、黙々と行かなければならないからだ。祭などがある時以外人が寄りつかないのはそれが理由である。
自衛力がある人間にとっては、行く事は難しく無い。
だが自衛力がない者にとっては、とてもではないが危なくていけない。
そして博麗の巫女は猛獣と同じだ。
普段は術主体の戦闘を行っているが、実は身体能力を生かして戦う方が得意だとこの間聞かされた。
要するに普段は手加減をしていると言うわけで。
その凄まじい実力がそれだけでも分かる。術主体の戦闘でも、幻想郷では最強候補の一人なのだから。
はたては空を飛べるので、博麗神社に出向くのは難しく無い。
鳥居の前に降り立つと。鳥居の真ん中を通らないように気を付けて、境内に。これは人間の風習らしい。
神の通る道を妨げないように、という配慮かららしいが。
幻想郷に幾らかいる神が、鳥居の真ん中を通っているのを、実ははたては見た事がない。或いは神は、そんな事気にしないのかも知れない。
ある程度の規模の神社には本殿と、住むための住居がある。博麗神社もそうで、住居には最近電気が通った。
河童が夜中に守矢の監督で密かに工事をして、通したのである。
その一連の事件については、はたても見ていたので。今更取材をする事も無い。
本殿の賽銭箱に小銭を入れると、手を合わせる。
これだけで博麗の巫女はとても機嫌が良くなる。
博麗の巫女には、人里から生活費と物資が支給されていることは、はたてでも知っているのだが。
どうも博麗の巫女は賽銭箱にお金が入ることを好むらしく。
生活費だけでは味気ないのか。
自分の自由になる金が貰えることを、喜ぶようだった。
住居に出向くと、縁側から見える居間で博麗の巫女が茶を啜っていた。顎をしゃくって、上がるように促されるので。
一礼して、上がらせて貰う。
茶菓子を渡し、更に賽銭も入れたことを告げると。鬼巫女とも呼ばれる博麗の巫女は、ふっと鼻で笑った。
「人間からは賽銭を貰えないのに、妖怪から賽銭を貰えるのも妙な話ね」
「葉っぱを入れている訳では無いですよ」
「分かっているわよ。 タヌキじゃあるまいし」
からからと笑う。
最近少し博麗の巫女は雰囲気が変わったか。
昔は単純に破壊神とでも呼ぶべき存在だったのだが。最近はどこかで腰が据わった気がする。
どんなに頭が回る奴でも。
肝心なところで腰が据わっていないと、大きな事は出来ないものだ。
博麗の巫女は、今まで暴力と勘で様々な難事を解決してきたようだが。
どうもここのところ、勘だけではなく、色々な方法を試すようになっているようだ。
それが良いことなのかどうかははたてには分からない。
軽く雑談をした後、取材に入りたい旨を告げる。
小さくあくびをしてから、どうぞと言う博麗の巫女。
昔だったら、天狗の気配を感じただけでスクランブルを掛けて来ただろうに。
天狗の組織が再編途上で、天狗がアポ無しに来なくなった事で。こうも態度が軟化するとは。
ちなみにはたても、何回か死ぬような目にあったので。
博麗の巫女の恐ろしさは身に染みて知っている。
レコーダーをオンにして、丁寧に取材を始める。
やはり、だが。博麗の巫女は物価については、殆ど分かっていなかった。
「人里では大体言われた通りの金を払っているわね。 余程おかしい値段でない限りは、そのまま払うわよ」
「ああ、なるほど……」
「何かおかしいかしら」
「いえ、幾つか事前情報がありますので」
前に聞いたことがあるのだが。以前博麗の巫女が、しばき倒した妖怪から本を強奪。その本をあり得ない価格で売ろうとした事があるとか。
要するに博麗の巫女にとって、金はただあるだけで嬉しいものであって。
具体的な価値についてはどうでもいいのだろう。
幾つかのものについて価格を確認して見たが。案の定さっぱり他の人妖、特に商売をしているものの認識とは一致していない。
唯一、仕事に使う道具。
例えば霊力を込める針などの道具については、他と似通った相応の値段が帰ってきたが。
ただし、これらについても、かなり良い道具を選んで使っているらしい。
理屈は分かる。そもそも、生死に関わることだからだ。
「例えば針は最近小傘に任せっきり。 あいつ、凄く良い針打つわよ。 生半可な妖怪なら一撃ダウンね」
「話には聞いています。 人里にもとても良い金物を卸しているとか」
「紅魔館にもよ。 卸した包丁があのメイドのお気に入りらしくて、時々研ぎに行っているらしいわ」
「それは凄いですね。 あのメイド長、相当に刃物には厳しそうなのに」
頷かれる。
そして、博麗の巫女が口にした針関連の価格は、結構な額だ。
これは恐らくだが、博麗の巫女がそれだけ出しても惜しくないという風に判断するほど、良い品という事なのだろう。
メモを取っていると、聞かれる。
「それにしても、前と随分態度が違うわねえ」
「相手に敬意を払わない取材なんて、何の意味もないと気付いただけです」
「ハア。 何も無くともそう気付いてほしかったわ」
「ごめんなさい。 以前は色々迷惑を掛けました」
勿論はたても昔はその迷惑取材の一人だった。だから、きちんと此処で頭を下げて謝っておく。
とはいっても、もうやり方を変えてからは、何度も博麗の巫女に取材をしている。今更ではある。
取材内容が一通りまとまったので、礼を言う。
勿論完成品は届けるとも。
今回の新聞は、取材対象全員に確認を取るので、作ってからが大変だ。博麗の巫女は、具体的な定価の設定を見て、泡を吹くかも知れない。
勿論これは妖怪だけではなく、人間にも適応される価格だ。
賢者の影響力は、当たり前だが人間の里にも及んでいる。
今回、賢者の意向により、経済を整備するので。
まあ、幻想郷全体に影響が及ぶことになる。
そしてここからが大変である。
恐らく賢者の所に有力者が集まり、会議が行われる。博麗の巫女も、当たり前のように参加するとはたては見ている。
天魔が出るかは分からない。人間の里関係者だと、出ても藤原妹紅か上白沢慧音くらいか。人里の長老は元々お飾りなので、お呼びではあるまい。
守矢は二柱のどちらかか、最低でも片方が確実に出るだろう。早苗も出るかも知れない。
河童は代表者を出せるだろうか。
はたては。その会議を、恐らく見る事は出来なさそうだ。
いずれにしても、今回分かった事は、ものの価格というのはこうも容易く変動する、という事である。しかも扱う存在の気分次第で、だ。
しかしながら価格がはっきりすれば、今後今までやりたい放題だったテキ屋や詐欺師は好き勝手が出来なくなる。
それだけ賢者は、この間判明した河童の行動を問題視している、と言う事で。
更に、それが周知されることによって。幻想郷に今までとは違う形の秩序が敷かれると言う事だ。
幻想郷は基本的に、ある程度自由のある場所だが。
自由と無法は違っている。
人間を襲っても良いが喰らってはいけない。殺さない程度にし、なおかつ威を示さなければならない。
これは妖怪にとっての法。
妖怪を恐れ、そして勇気をふるって退治しなければならない。
これは人間にとっての法。
他にも、天災が起きたら人里を守らなければならない。
人里に入るときは、人間の姿に偽装しなければならない。
そういった妖怪にとっての法はたくさんある。
自由の土地と言っても。そこは無法の土地では決して無いのだ。
家に戻る。
他の若手の天狗達も、皆戻っていた。
声を掛けて、すぐに作業に取りかかる。兎に角今回は膨大な数字を扱う事になる。データも膨大で、間違うこともまた許されない。
数字だらけの新聞になるので、読ませるための工夫もいる。
中間報告だとしても、今までにない大作になるはずだ。
原稿自体は、既に専門の作業をしてくれている天狗に任せてあるので、それに沿ってデータを入力。
一部を印刷後、皆で見て回る。
数字のすりあわせが兎に角大変で、目が回りそうだが。
それでも徹底的にチェック。
やはりどうしても誤字が見つかる。更には、誤字としか思えない数字が時々出てくるので、レコーダーで確認をする。
そうすると、やはり出てくる。ぼったくりの証拠が。
流石にこれは許せないという、とんでもない価格での取引で相手を泣かせている証拠も見つかった。
流石におののきの声が上がる。
こうも、物価というのはいい加減だったのかと。誰も認識出来ていなかったのだとも。
データを確認し続ける。
実際に動いている金についても、ある程度今まの情報から分析出来ている。それも情報として併記する。
天狗の新聞は、学級新聞以下。
そういう揶揄する声もあったが。
今までの天狗の新聞とは全く違うものであることを、今回証明する。
そして、その事によって、今までの天狗達にとって変わって特権階級になるのでは無い。
記者としてのプライドを持った。正しい情報を客観的に扱える存在となるのだ。
はたては何度も冷や汗を拭いながら、情報の精査を続ける。場が熱を帯びているのが分かる。
白狼天狗は邪魔が入らないように、周囲を静かに見張ってくれている。
他の天狗達は、情報のすりあわせに、今までに無い程に真剣になってくれている。
これならば。
だが。現実というものは非情で。いつの間にか、指定の時間が迫っていた。
チェックは終わり。すぐに見つかった誤字などを修正し、印刷をし直す。そして中間報告用の新聞を刷る。
最初は八雲藍に指定された通り七部。
その後、更に内容を錬磨して。賢者達が恐らく行うだろう会合の後には、指摘を貰って修正を入れ。
幻想郷の誰にも行き渡るように部数を確保する。
その時のために、準備はしっかりしておかなければならない。
「印刷終わった!」
「脱稿はないですか?」
「大丈夫だ!」
七部を丁寧に畳んでいると、八雲藍が空間の隙間から現れる。といっても、視認できず。いきなりその場に姿を見せたようにしか見えなかった。
八雲藍は目を細めると。はたてが前に出て、説明をするのを聞いてくれる。
新聞も受け取ってくれた。
さっと目を通す九尾の狐。
計算において幻想郷随一、という噂もある八雲藍。流石に読んでいく速度が早い。非常に険しい目だったので。はたても緊張した。他の天狗達も、生唾を飲み込んでいるのが分かった。
程なくして、全てに目を通した八雲藍は頷く。
「これなら充分だ。 現在は七部あるのだな」
「はい。 用意してあります」
「現状分に追加して、合計三十部まで増やしてくれ。 後で取りに来る」
一発合格か。
まさか此処でそんな風に認めて貰えるとは思わなかった。
今まで、こつこつと実績と信頼を積んで来てはいたが。
一番嬉しかったかも知れない。
八雲藍が消えると、その場でへたり込んでしまうものも。目を擦っているものもいた。
はたては何度か空を仰ぐと、大きくため息をついていた。
やったんだ。
今まで天狗のろくでもない新聞を見て、毎回嘆いていただろう八雲藍が、別物だと認めてくれた。
手分けして、幻想郷中の妖怪と接触し。
膨大なデータを集めてまとめ上げた。
統計は、データが十万無ければ話にならないという話を何処かで聞いた事がある。
しかしながらこの新聞は、母数に対してほぼ等しいデータを用いている統計である。嘘を言わせる余裕も作らなかった。だから、信頼もして良いはず。
溜息が漏れた。そして、気が抜けたのか、転んでしまう。
腰が抜けてしまった気がする。座り込んだはたてに手を貸したのは。この間、命蓮寺の取材を代わった先輩だった。
「立てるか、はたて」
「ありがとうございます」
「何となく、記者の誇りについて理解出来始めた気がする。 我等は特別な存在などではないが。 我等は特別な存在である正確な情報に触れているのだな」
「……はい」
恐らくそれで良いのだと思う。
自分が特別なのでは無く。扱っている情報が特別で。情報に触っているという名誉を得ている。それだけなのだ。
虚脱から立ち直ると、すぐに二十三部を追加で刷る。
最後に、八雲藍が来るまでに、もう一度チェック。
誤字は、見つからなかった。
八雲藍に来るように言われて、はたては少し緊張したが。それでも一緒についていくこととする。
よく分からない空間を何度か通った。
スキマだろう。
賢者、八雲紫が操る空間の隙間。たくさんの目が外からは見えるのだが、正体についてはよく分かっていない。憶測ばかりが飛び交っている。
ともかく八雲紫はこれを使って移動したり、或いは誰かを自分の空間に招いたり。或いは戦いに利用したりもする。
他の天狗……いや今回は記者と呼ぼう。記者達は、はたてが行く事を同意してくれた。出来るだけ見てくるように、とも言われた。
責任重大だ。
前に守矢で、河童に対する処遇の会議をした時とは、別物の緊張感を覚える。
いつの間にか、広い部屋に出ていた。大きな円卓が存在していて、其所には見覚えがある面子がいた。
更に集まっても来ている。
命蓮寺から聖白蓮と二ッ岩マミゾウ。聖徳王の勢力からは、聖徳王自身が来ている。紅魔館からは名目上の支配者吸血鬼レミリア=スカーレットと、事実上の支配者であるメイド長の十六夜咲夜。守矢神社からは守矢の二柱、それに早苗も来ている。なんと地底の有力者である古明地さとりの姿もある。
人間としては博麗霊夢が退屈そうに十六夜咲夜の入れた茶を啜っていて。更には人里代表なのだろう。藤原妹紅も来ていた。その他には、以前は怖くて仕方が無かった鬼。それも支配者階級である四天王の事実上の長、伊吹萃香も姿が見える。普段は酔っ払って寝こけてばかりいる姿が目立つ萃香だが。その実態は鬱屈を抱え深い闇とともにいる者だと、以前取材して理解出来た。
更にである。想像していなかった勢力からも人員が来ている。
冥界の姫君。悪食と死の支配者とも言われる白玉楼の西行寺幽々子。この人は賢者八雲紫の友人であると聞いているが、ブレイン役と言う事だろうか。
更には、幻想郷に存在する月の勢力、永遠亭からも。月人八意永琳と、神兎因幡てゐが来ている。
因幡てゐは場違いにも思えるが、取材の過程で調べた所によると。永琳とは上司部下の関係ではあるものの、同盟関係に近い部分もあるという。恐らく妖怪兎たちの長として、今回は来ているのだろう。
天狗の長である天魔と、河童の代表者である河城にとりの姿は見えない。
恐らく呼ばれていないのだろう。
河童は現在守矢の手で。天狗は賢者と博麗の巫女の手で。それぞれ監査が入っているのだから当然か。
再建途上の組織を、敢えて呼ぶ必要もない。
そういう判断なのだろうと、はたては理解した。
さて、此処からだ。
一通りの人員が揃うと、姿をみせるは賢者達。
八雲紫が司会の座につき、その側に秘書官役の八雲藍が立つ。
紫の隣に座るのは、幻想郷で時々活動している賢者の一人。秘神と呼ばれる古代神、摩多羅隠岐奈。
滅多に姿を見せない彼女が出てくると言う事は。この会議がどれだけ重要か、という話である。
それにしても壮観な顔ぶれだ。
これほどの面子が一堂に会し、会議を行うなんて。何百年に一回とないのではあるまいか。
歴史が動く瞬間に立ち会っている。
それをはたては感じていた。
レコーダーは複数用意してきた。どれだけ時間が掛かるか分からないからである。
八雲藍が顎をしゃくったので、頷いて新聞を皆に配る。
ほう、と声を上げたのはマミゾウである。
即座にどれだけのデータをまとめ上げたものなのか、理解したのだろう。
普段はほわほわしている西行寺幽々子も、静かに微笑みながら素早く新聞をめくってデータを確認している。
この新聞では、価格だけが記載されているのでは無い。
どれだけの金が実際に動いているのか、分かる範囲で調べた結果も記載しているのだ。
内容を見ていて、因幡てゐが青ざめているのが分かる。
昔ほど酷くないにしても、あくどい商売の証拠が色々と出てきている。現在は露骨な詐欺はやっていないようだが。やはりぼったくりはやっている。それが、可視化されているのだから、まあ当然であるだろうか。
「事前に通達したとおり、これより幻想郷における物価の制定会議を行います」
紫が珍しく敬語で皆に話している。
普段は賢者という立場からか、どうしても上から語りかけてくる事が多いのだが。同格の賢者である摩多羅隠岐奈がいるから、という事もあるのだろう。
ひょっとすると、最高位の賢者である龍神が見ている可能性もある。
まさかなとも思いながら、レコーダーをオンにし、メモを取り始める。
公式で取材を許可されたのだ。
一瞬も目を離す事は出来ない。
「本来は物価の流動は自由に、というのが今までの方針でした。 しかしながらそれを悪用し、一部の勢力が私腹を肥やし、弱者妖怪からの搾取を行っていたという事実が明らかになってきました。 幻想郷は外で生きられなくなった存在が集う最後の秘境。 弱者がくいものにされる場所ではない、という事から鑑みるに。 対策が必要であるかと思われます」
紫は淡々と言うが。
それに対して、茶化す声は一切無い。
空気がまるでカミソリが飛び交うかのように緊張感に満ちている。比較的余裕を見せている者もいるが。
それでもこの場に満ちる緊張感は、気が弱い者が足を踏み入れたら失神するほどだろう。
それからは、データの説明と、分析が始まった。
先に渡した資料を、賢者側でも分析していたのだろう。
物資についての原価、加工費、賃金、適切な売値、卸値、問屋での経費などを分析したグラフが立体的に映像で表示されていく。
一つずつ丁寧に表示されつつ、適正価格についての議論が行われる。
これは時間が幾らあっても足りないかと思ったが。
どうやら紅魔館のメイドが時間を操作しているらしく、皆悠々と会議に応じている。殆どの物価については、異議申し立てはなかったが。たまに、マミゾウや永琳が意見を出すことがあった。
真っ青になっているのはてゐである。
これはぼったくりだのうとマミゾウが言ったときには、周囲が思わずくすりと笑みを零し。完全に顔色が土気色になった。
別に此処にいる面々を怖れている訳では無いだろう。
最近永琳がコネのある大黒天。妖怪兎や神兎にとっての崇拝対象である大国主命と連絡を取るようになり。詐欺行為を諌めたと言う事があったらしい。
それ以降明確にてゐの行動は大人しくなった。
今回の一件で、更に大国主命に責められる可能性を危惧しているのだとすれば。まあ精神生命体である妖怪にとっては致命的ではある。確かに真っ青になるのも当然ではあるかも知れない。
永琳が真顔でてゐに言う。真顔が本当に怖い。
「てゐ。 価格の変更は可能ですか?」
「は、はい。 はい……」
声が小さいが、身を縮めているてゐは半泣きだった。
まあ分からないでもない。
これから、此処の会議で調整が入った後、価格表としてこの新聞は配られるのである。幻想郷に「定価」というものが出現するのだ。
一方で、かなり高級な食材が出てきた時には。
西行寺幽々子が異議を申し立てた。
「もう少し安くならないかしら」
「そう仰ると思って、この食材を入手する過程を映像に撮ってきました」
即応したのが八雲藍である。
超絶の健啖家である幽々子にとって、食費は死活問題。好物の価格があまり高く設定されると、あまり食べられなくなることを意味する。しかしながら、良いものだからといってあまりにも高値が設定されると、誰も買わなくなってしまうと言うジレンマもある。
すぐに食材の確保が如何に難しいか、鮮度を保つのが大変か、映像が流れると。
これは仕方が無いと、幽々子も苦笑いして引き下がるのだった。
「ただし、一度に大量入荷するのであれば、問屋における経費を圧縮することが出来ますので、多少は安く購入することが可能になります」
「うふふ、そうね。 考えておくわ」
「次に行きます」
紫は淡々と進めていくが。
はたてが見た所、毎回かなり神経を使っている。多分だが、今回の新聞の内容全部を頭に入れているのではあるまいか。
だとしたら大したものである。
「賢者」の名に恥じない力だ。
淡々と進んでいくが。徐々に質問などが増えていく。タラの芽の値段について、紅魔館から説明が求められ。八雲藍が即応。
金物の値段についても、等級が厳しく定められ。それぞれの加工の映像が流されるなど、いちいち説得力のあるプレゼンが行われた。
この様子では、賢者側も時間を掛けて準備をしたのか。それとも時間が停止とかする空間で準備をしたのか。
その辺はよく分からないが、はっきりしたことがある。
やはり、特別なのは情報であって。
記者が特別なのでは無い。
今回も、あくまで皆を動かしているのは主体としての情報に過ぎず。
はたてはそれを集め、分析し、精査しただけ。
記者は特権階級でも何でも無い。
情報という貴重なものに触れているだけの存在で。しかも、悪意があればそれを幾らでもねじ曲げることが出来る。
ならば、誇り高くなければならない。
情報に真摯に向き合い。宝石のようなそれに泥を塗ってはいけない。そう、この会議を見ていると、強くそう思う。
命蓮寺で作っている、魔法で合成した蛋白質について、価格が出てくる。
聖白蓮が魔法で、肉を必要としなくなるように作っている蛋白質を見ると、幾つかの勢力から苦笑が上がる。
仏教徒も大変だな、という声が上がると同時に。
理解出来ないと、渋面を作る者もいた。
ただ、信仰は様々。古代の信仰も、イケニエを伴うもの以外は許可されているのが幻想郷である。
故に文化の違いに驚いたり苦笑することはあっても。否定する者はいなかった。
勿論値段についても同じ。
大体命蓮寺から、この魔法で製造した人工蛋白が販売されることは殆ど無い様子なので。恐らくは誰も問題とはしないのだろう。
それに聖白蓮が結構手間暇掛かって作っている割りには、価格は極めて良心的である。取材の際に、マミゾウに対しはたてが思わず聞き返したくらいだ。マミゾウも、その時、売れる相手は殆どいないと笑ってはいたが。
肉についての価格が出始めると。
西行寺幽々子と、博麗霊夢が同時に質問を始める。
正直な二人である。
肉の材料を捕まえる手間暇、加工費、更に肉が美味しくなるための工夫などの映像をがっつり藍が用意していて、それらの過程で掛かる賃金なども全て提示する。
データの暴力で殴られると、どうにもならないのが現実である。
「それなら仕方が無いわねえ」
「博麗の巫女特権でもっと安くならないの?」
「残念だけれど、貴方が博麗の巫女だとしても、他人から物資を奪ってはいけないのと同じ事よ。 博麗の巫女として幾つか例外的な特権はあるとしても、此処では認められないわ」
むっと口をつぐむ霊夢。
覚えが幾つもあるのだろう。
その代わり、紫が言う。
「肉だったら、私が時々差し入れるから、それで我慢しなさい。 後、人里からの貴方へ支給される生活物資の肉を増やしておくわね」
「まあ、それなら良いわ」
苦笑する声も上がるが。
一人だけ、萃香は笑わなかった。
或いは肉について、何か思う事があるのかも知れない。別に酒を飲んでいる時は、肉を食べる事を忌避している様子は無いのだけれども。
人間の里が関わる物資の値段になると、今度は聖徳王が質問を始める。
これについても、立て板に水で八雲藍が対応していく。
見事な対応だなと、見ていて感心してしまう。結構普段はドジを踏むこともあるらしいのだけれども。
これは恐らく、相当な下準備をして来たのだろう。
八雲紫が疲労で相当に参っているという話は聞いていたのだが。何となく、納得がいった。
やがて、新聞に記載されていた全ての項目について確認が終わり。
定価が設定された。
それには工賃や加工費などの中間経費についても、細かく情報が加わり。物資によっては傷がある場合、そのものの品質などによって等級が決められ。等級の決め方についても、細かく指定が行われた。
一通り話が済んだところで、霊夢がぼやく。
「今まで自由を悪用している連中が悪さをしていたとはいえ、ちょっと窮屈ね」
「その代わりこれからは弱い者も働けば稼げるし、ぼったくりも出来ないように仕組みが整備されるわ。 理由があって収入が得られない者には、此方で救済策を用意するから」
紫がフォローすると。霊夢は、少し面倒くさそうに、頷くのだった。
会議が終わると、めいめいが新聞を持って引き揚げて行く。
八雲藍が来て、すぐに修正点についてまとめた表を渡してくる。これはとても有り難い。これに沿って、新聞を修正し。そして幻想郷に配ることになる。
以降は幻想郷に定価が生じる。
それでも、詐欺を試みる者はいるだろう。だが、詐欺が格段にやりづらくなるのもまた、事実だった。
4、情報こそが一つの神
幻想郷にて、物価の厳しい指定が行われた。
これは賢者、幻想郷の有力者全ての合意によって決定された。
ニュースは瞬く間に幻想郷を駆け巡る。そして具体的な価格が記載された新聞がはたて達の手によって刷られ。
人里にも、妖怪達にも配布された。
今後、一月ごとに物価の変動について、調整が行われる。
あの会議も同じように行うようだ。
なお、会議が終わった後、外では数分しか時間が経過していなかった。やはり時間を操作した空間での出来事だったのだろう。
河童達にも勿論新聞は売る。
昔は生かさず殺さず何て言葉があったらしいが。
今回の会議では、働けばきちんと利益が出る価格が設定されている。要するにみんなでそこそこに裕福になる決着点が用意されている、と言う事だ。
河童の中にはほっとする者も多かった。
やった事がやった事だ。
相当に厳しい締め付けを覚悟していたのだろう。
価格を見て、労働意欲を取り戻したのか。
さっさとものを作り始める河童もいる。
今までに無い新しいものを作った場合、今後は賢者の審査を経て価格を決める。そういう話もあるので。真面目な河童ほど、今後は有利になる。
勿論金銭のトラブルが予想されるので。
何かあった場合は即座に申し出るようにと、幻想郷の有力者達全員のサインも新聞には入っていた。
これは、例えば相手から金を奪ったり。
ぼったくり商売をした場合。
幻想郷の賢者達、有力者達全員に喧嘩を売ると同義である事を意味する。その中には特に妖怪に怖れられている鬼の長伊吹萃香や博麗の巫女、人間に人望篤い聖徳王や聖白蓮も含まれているのである。
よっぽどのことがなければ悪さは出来ないし。
悪さをすれば、世にも恐ろしい仕置きが待っている、という事である。
河城にとりも、新聞を受け取ると。しばらく目を通していたが。はたてが去ろうとすると、声を掛けて来る。
「な、なあ鴉天狗。 私達は……潰されなくて済むのか」
「私がこの記事を作ったんじゃないわ。 ただ私「達」は、情報を集めて、それを誰にも分かる形にまとめただけよ。 それを見て、潰されずに済むと思うのなら、きっとそうなんでしょう」
「……そうか、良かった」
ここのところ、ずっと凹んでいたにとりが、目を何度も擦っている。
多分、命がつながったと感じているのだろう。
はたてにはあまり関係がない。
そのまま、妖怪の山にも新聞を配る。
行きたくは無かったが、天狗の領土にも出向き、新聞を配布。両親は会いに来たが、軽く言葉を交わしただけ。帰って来いという言葉は、首を横に振るだけで拒否した。もう此処は、はたての居場所じゃない。
射命丸はいない。
あの時、射命丸は何を言おうとしたのか分からない。他の天狗に聞くと、新聞を受け取るとすぐに自宅に戻ったという。何を考えているのかよく分からないが、まあ良いだろう。
後は守矢に出向く。
早苗はあの会議に出ていたのだ。新聞の完成品を受け取ると、笑顔ではたてに言ってくれた。
「これこそ貴方の最高傑作です。 流石ですはたて」
「ありがとう早苗。 でも、これは私達が作ったもので、情報についてはただ触らせてもらっただけよ。 今回の件でよく分かったけれど、新聞記者は情報を扱わせて貰っているだけの存在で、情報を作り出すなんて思い上がりだわ」
「その言葉を外の新聞記者達に聞かせてやりたいですね」
「……今後も努力するわ」
マミゾウが言っていた。
既にはたては鴉天狗から逸脱しだしていると。
もしも、逸脱する何かが混ざり込んだのだとしたら。
それはひょっとして。
いや、考えすぎか。
手を振って、すぐに守矢を後にする。はたてが配る分は終わり。後は一度家に戻って、ミーティングを終えて、終わりだ。
新聞の価格も今回設定されたが。
誰もが買える値段になっている。
まあそれはそうだろう。
こういった基礎的な情報を手にできる権利は、誰にでもあるべきだ。ましてや此処幻想郷は、外では存在できなくなった者達が来る、最後の理想郷なのだ。強者が弱者を踏みつけにする世界ではない。
今回は殆ど幻想郷の全家庭、全妖怪に行き渡った事もある。新聞の売り上げは過去最高だったが。
その代わり、作るまでの工賃を考えると、粗利が最高とはとても言えなかった。
ミーティングを終えた後、解散する。
自宅に戻ると、今回の利益で少しいいものでも買おうかと考えた。
PCを強化するのも良いし。
皆でお金を出し合って、印刷機を新しくするのもいい。
いずれにしても、今後は一月に一回、あの物資の定価を載せた新聞を作ることになる。今回のでノウハウは身についたが。それでも苦労はすることになるだろう。
ぼんやりしていると、ふと気付く。
空を射命丸が飛んでいる。
謹慎はもう解除されたのか。そういえば三日と言っていたから、解除されたのだろう。向かっている先は、地底か。
今回の新聞は、天狗達に衝撃的な目で見られていた。
こんなものが新聞だというのか。
そう露骨にはたてに言ってくるものもいた。
だが、事実が記され。誰にも必要な情報が載っているものを、新聞と言わずになんというのかというと。誰も反論できなかった。事実今後の天狗にも必要なものなのである。
あいつに勝てたのだろうか。
それは分からない。
ただ一つ分かっているのは。
もう射命丸とは道が違っているし。
恐らく新聞の概念も違っている、と言う事だ。
もう一度横になると、休む事にする。権力者に過度に阿るつもりもないが、見境無く情報をすっぱ抜いて弱者をいびるつもりはもっとない。
情報を正しく扱う新聞記者となるには。
まだ先は長いなと、はたては昔に比べて粗末な布団にくるまりながら、思うのだった。
(終)
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