その時歴史が動かなかった
序、門閥貴族リッテンハイム侯
その男は、気付くと自分の乗艦にいて。自席に座っている事に気付いていた。どうしてかは分からない。
なぜなら、死んだ筈だったからだ。
男の名前はリッテンハイム侯ウィルヘルム。
リッテンハイム侯は、この国家。ゴールデンバウム朝銀河帝国のいわゆる外戚の一人。妻は前皇帝の娘。
戦艦オストマルクの指揮シートは豪奢な玉座のようで、座り心地が良い。あわてて、周囲の状況を確認する。
今、銀河帝国は内乱の真っ最中。
成り上がり者のラインハルト=フォン=ローエングラム。元は貴族とはなばかりの帝国騎士に過ぎず。姉の色香で皇帝をたぶらかし成り上がり公爵にまでなった半端物(リッテンハイムの主観)と、門閥貴族の間で決定的な対立が生じた。その結果、大規模な内乱に発展。同じ外戚ブラウンシュバイク公とリッテンハイムが中心となって、反ラインハルトの「正義派諸侯軍」を立ち上げて。大規模な蜂起を行ったのだ。中心としたガイエスブルグ要塞には、一時期2000万もの兵力が正規兵と貴族の私兵をあわせて集まり、まるで首都星オーディンが引っ越ししたような壮麗な有様となった。
しかしながら、門閥貴族の足並みは揃わず。
緒戦のアルテナ星域会戦以降、敗退を重ね。ブラウンシュバイクが苛立つのをみて、リッテンハイムは好機とみた。
故にブラウンシュバイク公に「辺境星域を荒らしている敵を殲滅する」という理屈で取り巻きを集め、ブラウンシュバイクと袂を分かったリッテンハイム。此処で勝てば、リッテンハイムに大きな差をつけることが出来る。勿論ラインハルトを倒した後は、敵はブラウンシュバイクになるのだ。その時貴族達の支持を集めるには、実績が必要だった。それくらいの計算は、リッテンハイムにも出来た。
「正義派諸侯軍」の三分の一、五万隻の艦隊を率いてゴールデンバウム王朝銀河帝国の辺境宙域を奪還に向かう途中。
それが、今だった。
これから、数で劣るはずの敵。ラインハルトの部下である赤毛の小僧。キルヒアイス提督の三〜四万隻程度の、だいぶ兵力が劣る敵艦隊に敗れて。
更には、逃げた先のガルミッシュ要塞で、文字通り見るも無惨な裏切り(主観)によって、爆死した事だけは覚えている。
ひっと、声が漏れていた。
それは当然だろう。
元々意気揚々と出ていった状況で、あの敗北。
更には、「平民如き」相手に尻尾を巻いて逃げ出した、いざという時に出て来た自分の本性。
更には、爆死した瞬間の恐怖。
全てが、リッテンハイムを打ちのめしていた。
しばらく呼吸を整える。
酒を持ってくるように指示。部下が酒を持ってくる。しばらく無心に酒を呷って泥酔。
今更、戻る事も出来ない。
しかし、酔うと少しずつ考えも変わってくる。
だが、敵の手の内もどうやって動いてくるかも「知っている」。負ける事など、あり得なかった。
くつくつとリッテンハイムは酔眼で笑う。
副官を呼ぶ。
何が起きるか知っている。
この後、リッテンハイムは数だけを頼りに敵艦隊に挑む。正面からの戦闘を実施したが、艦隊は、敵の斜線陣戦法に敗北した。だが、あんなのはまぐれに決まっている。どうして正面からの戦いに、何度も敗れようか。
この内戦に勝った後は、敵対国である自由惑星同盟を蹂躙してやるのもいいだろう。所詮帝国の臣民としてありがたくも「飼ってやっている」事すらも受け入れられなかった半端物の集まりだ。
絶対に勝てる。
もう一度、くつくつと笑う。
程なくして、艦隊を指揮している主な貴族達が集まる。実際の軍事指揮官達も集まっていた。
まずは引き締めからだ。
自信満々に、そうリッテンハイムは思っていた。
その時。
歴史が動かなかった。
「恐れながらリッテンハイム侯! 私はレールキャノンがいい!」
呆然としているリッテンハイムの前で。貴族の一人は口角から泡を吹きながら叫び散らかしていた。
まずは、軍の再編制。
五万の兵力を活用して、斜線陣戦法に対抗する状況を作る。
それが最初にやるべき事だ。
そう考えたリッテンハイムは、まずは敵を正面から圧殺すべく貴族達を説得しようと考えた。一応、打てるべき手は打つべきだと考えるだけの知能はあった。
「長期間続いた王朝の貴族が無能なはずがない」。
「偉大なる銀河帝国の開祖ルドルフ皇帝がえらびたもうた伝統と誇りある血族こそ貴族である」。
そう、リッテンハイムは思っていた。
だから、ラインハルトのような成り上がりは運と姉の色香だけでのし上がった。ラインハルトの戦績は全て運。それが、リッテンハイムだけではなく、貴族達殆どの考えだった。最初に「正義派諸侯軍」を率いるブラウンシュバイク公が、何故か「軍事の専門家」とやらである下級貴族から長く生きていただけで成り上がったメルカッツ(リッテンハイムの主観)を参謀に据えたのも気にくわなかったし。更には、作戦会議で「どのような爵位を持つ方だろうが自分の指示に従う事」等を強制してきたときには、その場で射殺したくなった程だった。
貴族が戦場に出れば活躍出来るし、それは必然だ。
だが、この瞬間。
その考えが、根本的に間違っている事を、ようやくリッテンハイムは悟っていた。
学歴は、基本的に金で買うもの。
貴族の場合は、皇室とのコネや、現在の権勢で買うもの。
それが現実だ。
リッテンハイムは、士官学校には数回足を運んだだけで、なんと二位の成績で卒業している。実際に銃を持ったことはほとんどないし、具体的な戦術理論や戦略論を学んだ事すらもない。文字通り成績を貴族という立場で買ったのだ。
なぜなら、貴族は産まれながらに「優秀な遺伝子」を持っており、それだけで「愚民」より優れているからだ。
だから好き勝手に愚民など殺して良いし、私物として処理もして良い。
それが貴族の考え方だ。
だが今になって、誰も彼も真面目に軍学など学んでいなかったことが仇になってきている。
一方で、真面目に勉強させられたこともある。
社交界のマナー。
どこの貴族が、自分の家とどういう関係で。どういう風な力関係か。
そういった内容のものだ。
貴族の脳内は、基本的にこれだけでメモリを全て消耗し尽くしている。自分が如何に貴族としての地位を保つか、それだけだ。
更には、リッテンハイムの妻は皇帝の娘。お世辞に容姿がいい訳ではない。更にリッテンハイムの娘は先天的に異常を抱えていて、時々発狂するように叫び出す事もある。これは遺伝子が優れている事を宣言していたルドルフ大帝以来の帝国では、とても不利になる事だった。
今回リッテンハイムがブラウンシュバイクと袂を別ったのも、それが理由。
このままでは、ブラウンシュバイクに全てを持って行かれる。
その焦りからだ。
そして、そのまま負ける。
負けたのは偶然だとしても。少しずつ、その理由がリッテンハイムにはわかってきた気がした。
「私の艦隊は壮麗さが自慢だ! それには私が考えた美しい陣形が相応しい!」
「リッテンハイム侯も自慢のオストマルクをいつも我等に披露していたではないか!」
「我等は臆病者と来たつもりはない! いつものリッテンハイム侯に戻っていただきたい!」
「あ、そうだな、うん。 分かった、分かった」
譲歩すると、貴族達は満足して戻っていく。
副官が、恐れながら、と言う。
「出撃した経緯が経緯です。 負け続きの上に、好きなように戦えない事に皆苛立っておいででした。 だから、皆戦意をたぎらせています。 それに水を差すような真似をなされては……」
「分かっておる」
副官の言葉はもっともだ。
こういう「空気を読む」事が貴族社会での最も大事な事だ。
具体的な能力など何も必要ではない。
相手との地位確認と、コネの構築。
そして如何にして皇帝陛下に近付くか。
それが貴族の全てである。
リッテンハイムもそう学んできたし、疑ったことは一度もない。他の貴族達も、皆そうなのである。
だが、あの負けた記憶は。
あまりにも鮮明だ。
絶対に夢などではない。
事実、血だらけの死体を抱えた無礼な部下が部屋に入ってきて。そしてその後、爆発したことは覚えている。
あれは多分ゼッフル粒子。
超凶悪な気体爆薬だ。卑劣にも、撃つように仕向けて、そしてゼッフル粒子を散布していたのだろう。
大きく嘆息する。
このままだと、全く同じ状況で戦闘に臨まなければならなくなる。
そうなれば、また負ける……とまではいかないが。
それでも、何とかしなければならない。
しばらく悩んだ後、リッテンハイムは。
今度は、部隊を指揮している提督達を呼んだ。
いずれもが、メルカッツと同じように大した地位でもない貴族出身だったり、或いはなんと平民出身だったりする連中だ。
平民なんぞリッテンハイムは人間だと思っていない。
だから、視界に入れるのすら不愉快だったが。
それでも、とにかく呼んで話を聞いてみる。
話を聞いてみると、提督達は恐れながらと、前置きをしてから概ね意見を一致させていた。
「現在この艦隊は、数だけ集めた烏合の衆と化しています」
「烏合の衆だと!」
「はい。 本来艦隊というものは、それぞれ役割を持った部隊を適切に編成することで、最大のパフォーマンスを発揮します」
さかしげに提督の一人は言う。
他の提督は、黙っていれば良いのにと言う表情で、その若い提督を見ていた。
「現状の編成では、恐らく半分の敵にも勝てないでしょう。 ましてや正面からぶつかるのではなおさらです」
「おのれ! 我等貴族を馬鹿にするか!」
「……失礼いたしました」
引き下がる提督。
リッテンハイムは、それを貴族の威に打たれたからだと思った。
そのまま、だらだらと時間は過ぎていき。
結局。何も変わらないまま、キフォイザー星域に到達。
同じようにして、敵艦隊。
帝国の辺境星域で暴れ回っている、ラインハルトの腹心。こざかしい平民の分際で、上級大将にまで出世した帝国の歴史を冒涜する存在、キルヒアイスの艦隊と相対していた。
生唾を飲み込むリッテンハイム。
途中、威勢が良い事を考えては来てみたが。
一度完膚無きまでに叩きのめされた相手だ。
敵は斜線陣をしいている。
此処は全く同じだ。
あの後、自分なりに調べて見た。斜線陣は主に片方に戦力を集中して敵を突破する事で、野戦を制する陣。
事実大きな実績を上げている戦法で。
少なくとも、こういった横列陣どうしで戦う場合。大きな効果を発揮する。
だがキルヒアイスの艦隊は、ただ陣形を斜めにしただけ。
前はそれを見て、意図が分からないまま突出している敵右翼に集中攻撃をさせたが大した成果は上がらず。
敵が攻撃を開始したら一方的に叩きのめされ。
混乱している間にキルヒアイスが直接指揮しているらしい小規模の敵が此方の陣地に斬り込んできて、滅茶苦茶に好き勝手をされ。
更にはさがっていた敵左翼も攻撃を開始。
文字通り、リッテンハイムの艦隊は壊滅した。
同じようにはさせない。
「右翼部隊を前進させよ。 まだ発砲はするな」
「はい。 そのように伝達します」
副官が指示を受けて、全軍に通達。
そのまま、やんわりと全軍が動き出す。
五万隻の大艦隊だ。
相手が斜線陣を組んでくるなら、それを崩してやればいい。そうすれば、キルヒアイスの小僧……いや儒子など、あわてて何もできないに違いない。
そう思ったリッテンハイムは、冷や汗を拭う。
だが、その考えは。
直後に粉砕されることとなった。
敵は此方が陣形を変えているのを見ると、いきなり全軍で突貫を開始したのである。
思わず席から腰を浮かし始めた時には、すでに前線が接触。
そして前と同じように、圧倒的な火力でリッテンハイムの率いる艦隊は、蹂躙されつつあった。
味方の動きの鈍さはどうしたことか。
なんだか組織的に動いているという感じがしなかった。
それにどうして、数で劣る敵にこんなにも攻撃で劣る。
思い出す。
呼びつけた提督の一人が言っていた。
この軍勢は烏合の衆だと。
もしも真正面から戦えば、半分の敵にも勝てないと。
レールキャノンが大好きなことで知られる貴族の艦隊が、文字通り瞬時に粉砕され、全滅するのが見えた。
壮麗な艦隊を「美しい陣形」で運用している貴族の艦隊に至っては、敵の集中砲火で一瞬にして爆砕。
何も残らなかった。
多数の敵艦載機が迫ってくる。
大軍に細かい用兵など必要ない。
数で押しつぶせば良い。
そう思っていたのに。一体これは、どういうことなのだ。一度目は偶然だと思っていた。だが、二度続くとまぐれである筈がない。
「我が軍の損耗、40%! 戦闘続行不可能です!」
「に、逃げ……」
いや、駄目だ。
逃げた所で、ガルミッシュ要塞で身を守れるとは思わない。
そもそもこんな大敗をしたら、もう野望を叶える望みなどなくなる。
「ふ、踏みとどまれ! まだ数では互角の筈だ!」
「恐れながら、我が軍は小破、中破している艦艇も多く、既に浮き足立っており……」
「敵は殆ど打撃を受けていないというのか! 正面から砲戦をしているのだぞ!」
わめき散らすリッテンハイム。
そして、ふっと冷静になった。
烏合の衆というのが本当なのだとしたら。
そもそもまともに艦隊が動かないのも納得だし。
それに、火力の密度だって違ってくる筈。
軍事知識なんかないに等しいリッテンハイムでも、その程度の事は分かる。士官学校なんてまともに行ってもいなかったが。
ふと顔を上げると、既に味方の前衛は文字通り消滅し、中軍で控えていたリッテンハイムの旗艦オストマルクの周囲にまで、爆発と殺戮が連鎖していた。思わずさがろうとまた指示を出して、そして言葉を飲み込む。
もたついているリッテンハイムを。
キルヒアイスの艦隊は、見逃してくれなかった。
オストマルクの両舷には。それぞれ盾の役割だけを果たす「盾艦」が装備されている。勿論乗せているのは人間の盾だ。それをリッテンハイムは、何とも思う事などなかった。
右舷の盾艦が爆発する。
オストマルクが被弾したのである。
更に、左舷の盾艦も同じ運命を辿る。
防御力が三分の一になったオストマルクが、次々に直撃弾を被弾。
爆発に艦艇が揺れ。
リッテンハイムは、豪奢な座から投げ出されていた。
「ひ、ひいっ!」
周囲は既に燃え上がり、倒れてきた柱に潰されて副官はとっくに死んでいた。貴族の艦艇には、こういう柱が「見栄えが良いので」配置されている。それが、まさかこんな形で牙を剥くとは。
恩知らずめ。
そう柱に叫びながら、リッテンハイムは必死に這って脱出用のシャトルに向かおうとする。
だが、この艦にはリッテンハイムお気に入りの美術品などもたくさん乗せているのだ。それらを守らないと。
そう考えた次の瞬間。
爆発が、リッテンハイムの全身を焼き尽くしていた。
文字通り火だるまになったリッテンハイムは、絶叫しながら転げ回る。なんでこんな目に。
私は何一つ悪い事などしていない。
貴族としての正式な責務を果たしただけだ。
そう考えているリッテンハイムの頭上から。
「恩知らずの柱」が、落ちてくるのが見えた。
1、何度やっても同じ
戦艦オストマルクの定座で、リッテンハイムは顔を上げていた。
全身に冷や汗を掻いている。
何もかも覚えている。
柱に潰されたのだ。側にある柱を見て、ひっと声が漏れている。
それだけじゃあない。
二度の敗戦の事も、しっかり記憶に残っている。
これが、夢などであるものか。
「誰か、誰かある!」
「はっ」
側に副官が跪く。呼んでは見たものの、柱が怖いなどと言うわけにもいかない。しばらく口ごもった後、馬鹿な事をリッテンハイムは聞いていた。
今日の首都星オーディンの天気はどうか。
副官は眉をひそめたが。とりあえず、この場合の天気は、皇宮である新無憂宮の上空の天気を指す。
一部の星では気候制御装置で天気をコントロールしているのだが。
首都星オーディンでは、開祖ルドルフ帝の意向もあって。天候操作装置はいれないようにしている。
これは天気がどうであろうと。
優れた人間にはなんら関係がないという思想の下である。
「ええと、今日は曇りのち晴れのようですね」
「そうか、分かった」
「どうかなさいましたか」
「何でもないといっておる!」
部下を下がらせる。
「威光に打たれて」さがった部下はどうでもいい。
まずい。
二度の負けは、偶然の訳がない。
どうして生きてこの時間に戻っているかはどうでもいい。あの恐怖、思い出すだけで身震いがする。
リッテンハイムが一体どんな理由で、あんな目にあわなければならないのか。
これほど真摯に貴族として生きているのに。
そう本気で考えつつ、リッテンハイムは一度自室に戻り、そこでうろうろと歩き回った。
ブラウンシュバイクに大見得を切って出て来た以上、今更戻る訳にもいかない。そもそも貴族達が納得しないだろう。
それは同じ貴族だから、リッテンハイムも理解している。
しばらく考えたのち、リッテンハイムはある事を考えた。
そして、定座に戻ると、副官を再び呼ぶ。
「キルヒアイス提督と連絡を取りたい……ですか?」
「光栄にも帝国屈指の大貴族である私が話をしてやろうというのだ。 平民で上級大将を自称している儒子には、それこそ天にも昇る心地であろう」
「一応努力はしてみます」
「すぐにやれ!」
しばし、任せる。
リッテンハイムの副官は、代々リッテンハイム家に仕えている人物だ。
ブラウンシュバイクの所のアンスバッハと同じである。
アンスバッハは有能だと聞いているが。こういう副官は結構外れと当たりがある。
外れを引いているのだなと思って、リッテンハイムはうんざりしていた。
こう言う点でも、ブラウンシュバイクの方が有利なのかも知れない。
どちらにしても、貴族が優秀なのは絶対的な事実。
優秀な血統なのだ。
優秀に決まっているではないか。
「キルヒアイス提督が通信に応じるそうです」
「つなげ」
「メインスクリーンに映します」
オストマルクのメインスクリーンに、キルヒアイスが映り込む。若い。まだ青年といっても良いくらいだ。
赤毛の儒子が。そうぼやきたくなる。
キルヒアイスは赤毛で長身の穏やかそうな青年で、金髪の儒子の金魚の糞と陰口をたたかれていた。
だが、こいつに二度負けた。
それは事実なのだ。
そう思うと、この穏やかそうな軍服を着込んだ青年が、死神に見えてくる。
生唾を飲み込むと、リッテンハイムは超光速通信技術のおかげで、リアルタイムで会話できる相手と話す。
「キルヒアイス提督だな。 私がリッテンハイム侯ウィルヘルムだ」
「存じておりますが、何用でしょうか。 此方に戦いを挑みに来ているという話でしたが」
「そうだ、辺境星域を荒らすのを止めよ。 我等貴族の財産を荒らすことはそもそも大神オーディンの怒りに触れる愚行と知れ」
「貴方の思考は分かりましたが、貴方方の苛烈で不公平な支配が、平民にどれだけの負担を掛けているか理解なさっていますか? 我々はそれを打破するために行動しています」
口調は穏やかだが。
キルヒアイスの態度は、明らかに不遜だ。
思わず沸騰しそうになるリッテンハイムだが。二度負けた相手だと言う事もある。何とか、自分を抑える。
「け、見解の相違はいい。 そうだ、貴様に爵位をくれてやろう」
「爵位など必要ありません」
「……なんだと」
「爵位など必要ありませんと申し上げています」
爵位が、必要ない。
平民など家畜と同じだ。それが、人間である貴族になれるというのに。それを断るというのか。
思わず思考停止するリッテンハイムに、キルヒアイスは更に言う。
「通信を入れてきた目的を話してください。 もしも降伏するというのであれば、私がローエングラム公に便宜を図りましょう。 反乱を企てた事による罰は当然ありますが、恐らく食べるのに困らない程度の財産は残してくれるでしょう」
「なっ……」
「そうでないのなら、戦場でまたお会いしましょう」
「ふ、ふざけるなっ!」
通信を切れと、副官に指示。
呆れたように、或いは哀れんでいるようにキルヒアイスは此方を見ていた。それで、更に怒りが沸騰。
手元にあった銃を手に取る。
それを一度取り落とした瞬間、何かの理由で暴発し。天井にレーザーが突き刺さっていた。
兵士達があわててさがるが、リッテンハイムが一番びっくりしていた。
呼吸を整えて、それで銃を拾うように副官に言う。
副官は落ち着いていて、銃を拾うと、埃まで払ってリッテンハイムに返却するのだった。
「平民め……私が爵位をくれてやろうというのを拒否しおった!」
「恐らくは、ローエングラム公が勝つと確信しているのでしょう。 そうなれば爵位など思いのままというわけです」
「おのれ平民らしい浅知恵を持ちおって!」
酒だ。
そうリッテンハイムは叫ぶ。副官が、ワインを持ってくる。
ワインを飲み干すと、しばらくは酒に逃避する。
爵位をくれてやるというのに拒むだと。
どういうことだ。
爵位だぞ。
偉大なる開祖ルドルフ皇帝が定めさなった爵位だ。この世の何よりも価値があるものではないか。
それをくれてやるから、部下になれ。
そういう意図が読み取れなかったのか。
そんな相手に二度も負けたのか。
殺されたのか。
そう思うと、屈辱でならない。
貴族の間では、もっとも重要なのは相手の意向を読むことだ。それによって、皇帝陛下には気に入られるし、社交界で優位に立てる。
それだけが大事で、他はどうでも良い。
それこそが正義だ。
古くから、どんな人間社会でも、「コミュニケーション能力」と呼ばれるこの技能は最重視されていたとされている。
それこそ開祖ルドルフ皇帝は、それを理解なさっていたからこういった制度にまとめてくださったのだ。
そうリッテンハイムは考えていた。
だからこそ、キルヒアイスの態度は許せなかった。
だが、二度の負けという事実もある。
死の恐怖は、今も思い出すだけで身震いするほどだ。
しばらく考え込んだ後。
リッテンハイムは、また提督達を集めていた。
提督達は、面倒な事になったなという顔で、リッテンハイムの前に整列する。前に、烏合の衆だとずばり言ってきた若い提督もいる。
どうでもいい。
此奴らは下級貴族や平民だ。
本来だったら、口を利くのも汚らわしい。それを、意見を聞いてやろうというのだ。それこそ這いつくばって感謝の言葉を述べるのが「常識」である。
リッテンハイムは酒が抜けきっていないまま、提督達に問う。
「現在、我が艦隊の動きがどうにも鈍いように思える。 何か改善案はないか」
「……」
提督達は顔を見合わせる。
この無能どもが。
そう思って、リッテンハイムは噴火しかけるが。それでも何とか我慢する。あんな平民に、三度も負けるのはプライドが許さなかった。
「おそれながら、よろしいでしょうか」
「かまわん。 もうして見よ」
「我が軍は現在、貴族の方々の私兵が主力となって構成されています。 この兵はそもそも正規兵と違い組織化の訓練をほぼ受けておらず、故に数通りの活躍は出来ないかと思われます」
「それで改善案は」
提督達は何か言いたそうにしている。
このリッテンハイムが、何かを読み取れないとでも思っているのか。
その侮辱で、怒鳴りつけたくなるが。
しかし、なんとか我慢する。
「そもそもこの艦隊は、訓練をまともに受けていない素人の集団です。 現在辺境星域に向かっていますが、その間に訓練をしたところでたかが知れていますし、なによりも相手は戦上手のキルヒアイス提督。 付け焼き刃の小細工など、通用しないでしょう」
「赤毛の儒子ごときが、戦上手だと!?」
「キルヒアイス提督は数々の戦役で多大な実績を上げており、特にカストロプ動乱ではより多数の正規軍による鎮圧に失敗した難敵カストロプ公を、少数の艦隊で破り鎮圧しています」
「ううぬ……!」
リッテンハイムの頭に血が上る。
確かにカストロプ公のことは覚えている。先代が凄まじい蓄財家で、豊富な金を武器に帝国に反旗を翻した下郎。
だが公爵だった。大貴族である。優秀な血脈である。
それを破ったとなれば、確かに説得力はある。
「続けよ」
「私に出来る提案は、すぐに戻る事だけです。 ガイエスブルグ要塞には、軍事の専門家であり、ローエングラム公に対抗できるメルカッツ提督がいます。 何かしらの理由をつけて一度戻り、そしてメルカッツ提督の助言を受け部隊の再編制をしてから出撃するのがよろしいでしょう」
「……考えておく」
提督達がさがる。
そうか、逃げろか。
そう言われたことを思い、リッテンハイムは屈辱で頭が煮え上がりそうになる。部屋に戻ると、壁を思い切り蹴りつけていた。
人間に当たらないだけ、リッテンハイムは優しいと自称している。
貴族の中には、苛立った時には平民の兵士を電磁鞭で撃ち据えたり、場合によっては射殺するものもいる。
勿論、そんな程度で大貴族はなんの罪にも問われない。
平民など家畜なのだから、当然だろう。
しばらく苛立ちの末に部屋を歩き回った挙げ句。結局リッテンハイムはなんの決断もする事ができなかった。
やがて、キフォイザー星域に、部隊は到達していた。
キルヒアイスの艦隊は、斜線陣を組んでいなかった。それを見て、リッテンハイムは動揺する。
なぜ斜線陣を組んでいない。
色々とキフォイザーに着くまでに、軍事学の本などを読んでいたのだ。士官学校を良い成績で出た……貴族なのだから当然だが。ともかく、士官学校を出たのに、今更こんな事をしているのも、みんな部下が頼りないからだ。周りの貴族達が、好き勝手をしているからだ。
そんな風にリッテンハイムは考えていた。
それに、二度あったことだ。
三度目も同じだ。
そうリッテンハイムは思った。
「どういうことだ。 確か偵察艦隊は、赤毛の儒子の艦隊は斜線陣を組んでいると言っていたが……」
「そのような報告がございましたか? いずれにしても、偵察艦隊を出しているのは敵も同じです。 恐らくは、状況に応じて作戦を変えたのでしょう」
「……」
敵も、状況に応じて考えを変える。
当たり前の話だ。
戦場では理論や知識が重要だが、それ以上に臨機応変に対応できるかが重要でもある。この臨機応変に動く事はあくまで戦術レベルの行動だが、それでも無視出来ない結果を生む。
そう、試しに足を運んでやった士官学校で、教師に言われたっけ。
面白くもない授業だったので、一度出た後は飽きて出るのを辞めた。
だが、今更になって、その言葉を思い出す。
敵は、重厚な横列陣を敷いている。味方の雑多な陣と比べると、そのあまりにも整然とした軍列は。
圧倒的に、リッテンハイムには見えていた。
味方が、敵に殺到していく。
味方の陣列は一応同じ横列陣だが、貴族達の艦隊が好き勝手に進み、間合いの外から攻撃を勝手に仕掛け始める。
戦えば勝つに決まっている。
相手は平民なのだから、貴族の方が優秀に決まっている。
だから負ける要素がない。
そう思って、突撃を続けているのが明白すぎる程だ。
青ざめて、リッテンハイムはオストマルクの定座になつく。
ほどなく、敵が反撃を開始。
無謀な突撃を敢行した貴族達の艦艇が、文字通り蒸発していくのが見えた。火力の密度も攻撃の練度も。
文字通り違い過ぎるのだ。
次々に貴族の戦死報告が来る中、敵が前進を開始。
敵の方が少ないはずなのに、大軍を前にしているような恐怖にリッテンハイムは襲われていた。
震えが来る。
だが、相手は平民だと自身に言い聞かせて、何とか逃げるのはこらえる。
「敵は我が軍より少ない! 踏みとどまり、火力を集中して迎撃しろ!」
そう叫ぶが、敵の勢いは凄まじく、殆ど一瞬にしてリッテンハイムの率いる艦隊の半数が瓦解していた。
後は逃げ惑う艦を無視して、敵は一直線に驀進してくる。
リッテンハイムが呼んだ提督達が必死の抵抗をしているが、それも時間稼ぎにしかならない。
文字通り、ハンマーが氷でも砕くようにして。
中軍まで蹂躙されるのに、殆ど時間も掛からない。
ひっと悲鳴を上げるリッテンハイム。
敵の艦隊が、もう至近まで迫ってきている。
「これは負けです。 撤退なさるか、降伏なさるか、それとも自害なさるかご決断ください」
副官がそんな事を言う。
自害だと。
平民相手に、そんな事が出来るものか。
そう絶叫すると、リッテンハイムは突撃しろと血迷って叫んでいた。部下達は躊躇したが、それでもゆっくり前進を開始する。
貴族の威光にひれ伏せ。
勇敢な貴族の姿を見せてやる。
そう、狂騒的にリッテンハイムは吠えた。
だが、敵は冷静に、オストマルクをはじめとするまだ戦意を残している艦隊に集中砲火を浴びせてきたようだった。
というのも、何が起きたか分からなかったからだ。
気がつくと、リッテンハイムは宇宙に投げ出されていた。
恐らくあまりにも酷い直撃弾を受けて、文字通りオストマルクが粉砕されたのである。一瞬で死ななかったのは、偶然だったのか。
真空に投げ出された死体がどうなるか、リッテンハイムだって当然知っている。それくらいは、知識はある。
ばたばたともがこうとするが。
絶対零度の宇宙空間と。
それに息ができない恐怖で、すぐに完全なパニックに陥った。
更に、自分の下半身が半ば消し飛んでいる事に気付いて、リッテンハイムは絶叫しようとしたが。
すぐに喉も凍り付いて。
意識も闇に落ちた。
また、リッテンハイムは死んだ。
それだけが、理解出来たことだった。
顔を上げるリッテンハイム。
また、同じ時間、同じ場所だ。
オストマルクの定座で、全身に冷や汗を掻いたリッテンハイムは、跳び上がっていた。
三度目の死の恐怖。
嫌になる程はっきり覚えている。
宇宙空間に投げ出された。
真空の苦しさと宇宙の冷たさと。そして高貴な体が、平民によって粉々にされた悪夢のような事実。
怒りよりも、恐怖がわき上がってくる。
全身の水分が、冷や汗になって流れ出しそうな程だった。
なんでこのような目にあい続けなければならない。
恐怖で、何もかもおかしくなりそうだった。
大神オーディンよ。
正義があるのなら、どうして私はこのような目にあうのか。
何も悪いことなどしていない。
貴族としてありのままに振る舞ってきただけだ。そしてそれは貴族であるから全て正しいのだ。
それなのに何故。
リッテンハイムは自問自答して、それでいてどうにもできなかった。このままいけば、また次も負ける。
そうとしか、思えなくなってきていた。
副官が心配したのか、聞いてくる。
「侯爵閣下、どうなさいましたか」
「な、なんでもない。 放っておけ」
「はっ」
副官はさがる。
自室に戻ると言い残して、定座を離れる。医師を手配しようかと言われたが、不要と怒鳴り。
そしてその怒鳴り声に、恐怖でリッテンハイム自身がすくみ上がっていた。
自室で、ベッドに潜り込むと、布団を被ってブルブルとふるえる。
キルヒアイスが平民なのにあんなに強いのは何故だ。
そう、いつの間にか相手の方が強いと、リッテンハイムも認めざるを得なくなっていた。そして、味方の貴族達は役立たずだとも。実際の力は、五万隻どころか、一万隻ぶんもないのではないのかこの艦隊は。
キルヒアイスは、三度の戦いでも、奇策の類は一切使っていない。
これは提督どもがいっていたように、リッテンハイムの麾下が烏合の衆だからではないのだろうか。
戦争は十の内九は数が多い方が勝つという話もある。
だから、今回の戦いは本来は勝てて当たり前。
だが、兵種が違う場合。かきあつめて槍を持たせただけの兵士と、連日戦闘訓練をしている騎兵がぶつかった場合、兵力が数倍程度では騎兵に歩兵が勝てる訳がない。戦場の地形。攻めか守りか。要塞に対しての攻撃かそうではないのか。
そういった様々な要因で、状況は変わってくる。
確か地球がまだ人類文明の中心だった頃。
腐敗しきった地球の軍六万隻が、八千隻の反乱軍に正面から敗れた例があると聞いている。
今、リッテンハイムは。
その地球艦隊と同じ状況にあるのではないのか。
そう思って、再び布団の中に閉じこもっていた。
何度か副官が呼びに来るが、恐怖で布団から出られない。食事を取ることも出来ず、体は衰弱する一方だった。
やがて数日後、半ば無理矢理自室から引っ張り出される。
そう、艦隊がキフォイザー星域に到着したのだ。
リッテンハイムは栄養失調で瀕死の状態だったが、それでも「正義派諸侯軍」副盟主として、艦隊の指揮を執るように言われ。
オストマルクの定座に座らされた。
キルヒアイスの艦隊が、凄まじい勢いで迫ってくるのが見える。数が少ないのに突進してくるとは馬鹿め。そう貴族達が応戦を試みるが、文字通り蟻と象の戦いだった。そのまま、ひねり潰されて。
まとめて爆散していく。
すぐにリッテンハイムのいる中軍まで戦果は及んだが。
リッテンハイムは、何の指示を出すことも出来なかった。
「リッテンハイム侯爵閣下。 このままでは危険です。 どうか指示を」
「……」
青ざめているリッテンハイムの見ているメインスクリーンの先で、どんどん味方が撃沈されていく。
オストマルクが揺れた。
盾艦に被弾したのだ。それどころか、敵の手は急速にオストマルクに死をもたらそうと伸びてきている。
恐怖で、やっとリッテンハイムの喉が悲鳴を上げていた。
「全軍反転! 逃げろ! 急げ!」
「ぜ、全軍撤退!」
逃げ始めるリッテンハイムの艦隊だが、キルヒアイスの艦隊の攻撃は凄まじく、見る間に撃ち減らされていく。
そして、更には。
目の前にいる補給艦隊。
戦闘の長期化に備えて、一応は配置していたものが、もろに退路にいる。
「リッテンハイム侯爵閣下、このままでは激突します!」
「砲撃……いや、ええと……」
思い出した。
一回目は、この補給艦隊を砲撃してガルミッシュ要塞に逃げ込み。それを逆恨みした平民に爆殺されたのだ。
平民なんぞどうとも思っていないが、それでも爆殺されるのは嫌だ。
恐怖がまた迫ってくる。
後方には、もう至近に敵の手が伸びているのだ。
「ほ、方向を転換しろ! すぐに撤退しろ!」
「分かりました。 そのように」
オストマルクが旋回して、何とか輸送艦隊を避ける。だが、その途中でそれに習おうとした味方艦隊は殆どが横殴りの攻撃を受けて撃沈。更には、輸送艦に衝突してともに爆発してしまう艦まであった。
その上敵の動きはリッテンハイムの想像を超えており。既に退路を防がれていたのである。
そういえば、一回目。敵は輸送艦隊を攻撃したとき。非戦闘員の救助を開始して、追撃の手を緩めた。
むしろ此処は、攻撃した方が良かったのか。
そう思ったが、既に遅い。
通信が来る。
キルヒアイスからだった。
「此方銀河帝国軍上級大将、キルヒアイスです」
相変わらず柔らかい物腰だ。赤毛の死神が。いつの間にか、儒子と呼ぶ気にはなれなくなっていた。
もはや逃げ場もないリッテンハイムに、キルヒアイスは言うのだった。
「降伏しなさい、リッテンハイム侯。 私からローエングラム公に取りなし、命だけは助かるようにしましょう」
「……」
呆然としていたリッテンハイムだが。
やがて、項垂れていた。
「わ、分かった。 降伏する……」
「其方に陸戦要員を送ります。 すぐに武装解除しなさい」
「……」
次の瞬間。側に控えていた副官が、リッテンハイムに銃を向ける。副官が、静かに言った。
「どうやらここまでのようですな。 リッテンハイム侯爵家の名誉のために、どうか愚かしい生き恥だけはさらさぬよう。 私も冥府へはお供いたします」
「ま、まて、まてええっ!」
絶叫するリッテンハイム。だが容赦なく銃の引き金が引かれるのが分かる。
意識が、途切れていた。
2、恐怖の回転木馬
まただ。
また同じ時間にリッテンハイムは戻って来た。
ガイエスブルグ要塞を出た直後。既に五万の貴族が主に率いる艦隊……既にそんな上等なものではないことがリッテンハイムにも分かっているが。
ともかくそれに対して、リッテンハイムはゴミの山とまっとうな評価を下せるようになっていた。
問題はリッテンハイム自身は、自分は絶対に正しいと考え続けていた事だ。
ゴールデンバウム王朝銀河帝国の始祖ルドルフ大帝は、元々そういう男だった。
ルドルフの時代、人類文明は宇宙進出したにもかかわらず。経済を筆頭にあらゆる社会が停滞していた。
其処にあらゆる問題を強引に解決するルドルフ大帝が現れた事で民衆は熱狂。
権利をどんどん手放し、思考すらも放棄して、何もかもルドルフ大帝にゆだねた。
ルドルフ大帝はやがて即位して専制主義国家を作り。極悪非道な政策と、自己神聖化を行っていくようになるのだが。
それはリッテンハイム達門閥貴族にとっては、「偉大なる大帝」の業績としてすり込まれており。
どんな大貴族でも例外では無かった。
銀河帝国は内乱が絶えない国家で、リッテンハイムの時代にも大貴族主導で数回の内乱が発生している。
そんな内乱ですらも、皇帝に対する忠義を貴族達が忘れたことは無く。
結局の所、権力のメインストリームにいる貴族に対する反発でしかなく。
皇帝へは絶対忠義を忘れない。もしくは、ルドルフ大帝の血脈は絶対と考える。
どれだけ陰湿な陰謀合戦を繰り返して来ていても。
それが、帝国貴族というものだった。
ある意味、ルドルフ大帝は自分に忠実な部下を作る事にだけは成功していたのかも知れない。
ルドルフ大帝が生きた時代だけは、強引に秩序を作る事にも成功しただろう。
だが、全盛期に三千億を数えた人間は、現在は四百億にまで減っている。
これは地球時代の五倍程度の数であり。
銀河系オリオン腕に拡がった人類の文明圏の広さから考えると、あまりにも少なすぎる数なのだった。
そういった客観的な事を一切考える事が出来ない。
それが自己正当化の文化であり、そもそも「周囲が空気を読んで行動してくれる」文化の結実。
リッテンハイムは、決して知能が劣悪だった訳ではない。これはブラウンシュバイクも同じである。
それは対抗しているラインハルトやキルヒアイスと比べれば路傍の小石に等しい代物だが。
それでも、一応平均的な知能程度はあったのだ。
だが、あくまで其処止まり。
更に、「優秀な教育」などというものも受けていない。
成績は貴族としての格と金で買うものであったし。
教育を受けるとしても、それはあくまで貴族同士の力関係についてや、自分の家の歴史について。
たまに軍事的な才能を持つものが産まれる事があり。それが同盟との戦争では、それなりの地位にまで昇ることがあったが。
それはあくまで例外であり。
特に、数世代前の同盟の驍将、ブルース=アッシュビーによって一度帝国軍首脳部が半壊するほどの打撃が与えられてからは。
それは絶滅同然の状態に陥ったのだった。
いずれにしても、リッテンハイムは典型的な貴族であり。
それであるが故に、客観性を持たず。
自分が正しい事を、全く疑う事が出来なかった。
それがリッテンハイムの限界であり。
この時代の門閥貴族の限界であったとも言える。
この時代の門閥貴族では、ただ一人だけラインハルトに認められた人物も存在はするのだが。
それはまた、別の話である。
またしても、同じ時間に戻ったリッテンハイムは、半狂乱に陥った。しばらくは、恐怖で口も利けない程だった。
心配した副官が声を掛けるが。
それが却ってリッテンハイムの恐怖を煽った。
ただ忠実なだけのボンクラ。
そう思っていたのに、まさか土壇場であんな行動に出るなんて。初めて、リッテンハイムは明確に見下していた筈の相手に、恐怖を抱いていた。
いや、違う。
その前には、赤毛の死神にも。
少しずつ、リッテンハイムの。挫折などない人生に、影が刻まれていく。
何もかもが、信じられなくなりはじめていた。
やはり、一度ガイエスブルグに戻るしかない。
そう判断する。
何か、戻ってから適当に言い訳を考えるしかない。勿論連れてきた貴族達は反発するだろうが、知るか。
ただ一人だけでも、戻るだけである。
しばらく呼吸を整えた後に、顔を見るのも怖くなった副官に言う。
「体調を崩した」
「はあ。 医師を呼びましょう」
「いや、どうにも気分が優れないというか、体のあらゆる場所がおかしい。 すまないが、辺境宙域の奪還作戦は、他の大貴族に頼む他ない」
「?」
副官が小首を傾げる。
兎に角戻れ。そう、恐怖のままに絶叫すると。副官が、艦隊を指揮している貴族達を呼ぶと言う。
今回、そもそも貴族達をリッテンハイムが説得して回って。この「壮挙」(だったと最初は思っていた行為)を始めたのである。
ガイエスブルグでの根回しは大変だった。
それを、今更掌返し。
確かに、それは自身でやらないと筋が通らないだろう。副官の言う事なんぞ、誰も聞くはずがない。
青ざめているリッテンハイムの前に、血の気が多い貴族達が来る。
こいつらが、何の役にも立たない事は、もう何度も何度も死んで理解した。平民の提督の方が、何倍も役に立つ。
情けない話だが、嫌でもそれは理解する。
ただし、それでもリッテンハイムは自分が正しいと考えていた。
負け続けるのは、此奴らと、提督達のせいだと。
何しろリッテンハイム家は名門中の名門。
ルドルフ皇帝が選んだ血脈の末裔だ。
だから優秀に決まっている。
戦争に負けるのは、部下達が無能だからだ。
奇しくもそれは、地球時代に存在していたブラック企業と呼ばれる代物の経営者と、同じ思考だった。
金持ちは優秀。社会上層の人間は優秀。
会社の業績が下がるのは部下のせい。
部下は全てイエスマンで固めて置けば良い。
リッテンハイムはその思想が人型になったものだともいえ。だから、自分は絶対に正しいと考えていたし。
これだけの失敗を繰り返しても、自分の優秀性を疑う事はなかったのである。
ともかく、リッテンハイムは青ざめていて、咳き込んでも見せる。
流石にたった数日前にあったばかりのリッテンハイムが、あまりにも窶れているのを見て、貴族達も驚愕したようだった。
「リッテンハイム侯、いったい何が起きたのか」
「私にもわからん。 しかしあらゆる体の不調が一辺に来てしまってな。 悔しいが、一度戻る。 この艦隊の指揮は、他のものに任せるしかあるまい」
「他のもの?」
「ばかな。 我等は卿に誘われたからここに来たのだ! そもそもルドルフ大帝に光栄たる家名をいただいた者が、ちょっとやそっとのことで病気などと言うものになるか! そんなものは気合いで治せば良いのだ!」
リッテンハイムはぞくりとする。
此奴らの目は尋常では無い。
そして、気付けない。
自分も、此奴らと同じ目をしていたという事に。
もう一度、激しく咳き込んでみせる。
「卿らの気持ちは大いにわかる。 だが、本当に体調が悪いのだ。 とにかく、一度ガイエスブルグ要塞に戻って……」
「断る!」
「ならば艦隊指揮は我等が共同で執る! そもそもブラウンシュバイク公の派閥に先んじる好機だからここに来ているのだ! 戻るなどと言う選択肢は無い!」
お前ら如きが。
あの赤い死神に勝てるか。
そう絶叫したくなったが、とにかく今は哀れな病人を装うしかない。
だがそれは、人間力を神聖視する銀河帝国の貴族に対しては悪手そのものだった。
弱者は好きなように踏みにじっていい。
それがルドルフ大帝の思想であり。
それをもっとも色濃く受け継いでいるのが、リッテンハイムやブラウンシュバイクをはじめとした大貴族だ。
いずれにしても、貴族達は戻る事を拒否。
リッテンハイムは、副官に言う。
「お、オストマルクを回頭させろ。 我が艦だけでも、ガイエスブルグに戻る!」
「リッテンハイム侯爵を拘束せよ」
「な、なにっ! 貴様ら!」
副官が言うと同時に、平民の兵士達がさっと周囲を囲み。リッテンハイムを取り押さえた。
とても抵抗できる力では無かった。
この時点で、自分が優秀などでは無い事に気付ければ、リッテンハイムはまだ幸せだったかも知れない。
だが、それは出来なかった。
リッテンハイムは、最初の出発点から間違えていた。
だから、どうしても思考を変える事が出来なかったのである。
そのまま、自室にリッテンハイムは軟禁される。
副官はベッドにリッテンハイムを拘束させると、そのまま言う。
「リッテンハイム侯爵家の名を汚すことだけは許されません。 少なくとも、この艦隊の指揮を執る事をご自身で決めた以上、最後まで責務は全うしてください」
「こ、この無能が……!」
「無能ですが、貴方への忠義を欠かした事はありません。 リッテンハイム侯爵家の名を守る事も。 此処で、しばらく大人しくしていてください」
「……!」
何も、それ以降はできなかった。
排泄についても、まさかのおむつをはかされて。更に点滴を打たれた。
ベッドの拘束は強烈で、身動き一つ出来ず。
リッテンハイムは悲鳴を上げながらもがき続けたが、何一つする事は出来なかった。その上、冷徹な目の兵士達が常時見張っていた。
途中から、医師が麻酔薬を入れたらしく、意識がもうろうとし始めた。
そして、その時が来る。
爆発が起きたのだ。
何度も何度も経験した。だから分かる。今のは、多分オストマルクへの直撃弾だとみて良い。
恐らく、キフォイザー星域で、貴族達が勝手に戦闘を開始。
司令官も抜き。更には提督達の意思も無視で、無茶な突撃を開始したのだろう。
当然、そんな軍が。
あの赤髪の死神が率いる艦隊に勝てる訳がない。
短時間で、壊滅に進んでいるのだろう。恐らく戦闘を開始した貴族達は、文字通り一瞬で蒸発させられ。
指揮系統を失った艦隊は、壊滅へと向かっていると見て良さそうだ。
副官が部屋に来る。
ひっと、小さな悲鳴が漏れていた。
「リッテンハイム侯爵閣下。 最後の時が来たようです。 味方は壊滅し、包囲されました」
「な、何をするつもりだ!」
「敵将キルヒアイス提督は降伏勧告を行ってきています。 リッテンハイム侯爵閣下は、そのような恥をさらすことなく、リッテンハイム侯爵家の名誉をお守りになられるよう」
「ま、待てっ!」
銃を抜く副官。
兵士達も見ている中、銃をリッテンハイムに向ける。
誰か、その乱心者を止めろ。
そうリッテンハイムは叫んだが、兵士達はむしろせせら笑う程だった。
何故だ。
大貴族が指示しているのだ。平民がどうして従わない。優秀なのだぞ。大貴族というだけで平民などより優秀なのだ。
従うのは、ルドルフ大帝が決めて以来の世界のルールではないか。
そう絶叫したが。
次の瞬間には、意識が消えていた。
副官に撃ち抜かれ。
即死したのは確実だった。
そして、もう何度目かも分からない。
リッテンハイムは、戦艦オストマルクの定座についていた。
プライドを捨てて戻ると宣言しても、誰も従うどころか。副官さえも、リッテンハイムを拘束した。
冷や汗を流しながら、リッテンハイムは必死に考える。
どうすればいい。
どうすれば赤い死神と。
それと、ちらりと見る。
副官は無言のまま定座の側にいて、命令を待っている。此奴は死ねと命じれば、死ぬのだろうか。
いや、駄目だ。
此奴の狂信は筋金入りだと、リッテンハイムは思った。それが自分も共通しているかも知れないとは、思えなかった。
多分死ねと命じても、リッテンハイム侯爵家のために今は残念ながら死ねませんとでも言うだろう。
恐怖で身が竦む。
何もかも、分からない事だらけだ。
あの赤髪の死神。
それに、いざとなると自分に牙を剥く副官。この二人が、明らかにリッテンハイムを殺そうとしている。
だったら。手は一つしかない。
手元の端末を操作して、オストマルクの脱出艇を探す。自分では脱出艇の乗り方すらも、リッテンハイムは分からない。だから調べるしかない。
場所は分かった。後は使い方だが、どうにも複雑で、すぐには理解出来そうになかった。
「散歩してくる」
「は、散歩にございますか」
「そうだ、散歩だ。 気分転換だ」
「分かりました。 散歩の後には、お好きな茶葉と茶菓子を用意しておきまする」
前だったら、副官のその言葉に満足していただろう。
だが今は、毒でも盛られかねないとさえ思っていた。
急いでオストマルクの中を行く。
旗艦級戦艦の中でも、特に巨大に作られたオストマルクは、全長千メートル近くもあるほどだ。
中はちょっとした街ほどもあり。
脱出艇まで辿りつくまで、散々彼方此方をうろうろしなければならなかった。
巡回中の兵士達が不可思議そうにリッテンハイムに敬礼する。
その内、オストマルクにつれてきていた侍女を見つけたが。兵士の一人と親しげに話をしていた。
別にどうでも良い。
そもそも平民の女なんか、豚と同じだとリッテンハイムは考えている。
豚が豚と乳繰り合おうと知った事では無い。
むしろ勝手に増えるのだから、家畜としては良い方だろうとも思っていた。
そのまま、なんとか脱出艇を見つける。
嘆息して、それから何とかマニュアルを思い出しながら、四苦八苦して動かそうと試みる。
兵士の一人が声を掛けて来る。
少佐の階級章をつけていた。
「リッテンハイム侯爵閣下、如何なさいましたか?」
「な、なんだ貴様は!」
「戦艦オストマルクの副艦長にございます。 何かありましたのなら、申しつけていただければ」
「だ、大丈夫だ。 気にするな」
しっしっと追い払う。
そして、そのまま脱出艇を四苦八苦しながら調べて、どうにか動かせるようにした。嘆息する。
ガイエスブルグ要塞にこれで戻るか。
いや、それだとすぐにオストマルクに送り返されるだろう。ブラウンシュバイクだって、リッテンハイムが出るのを苦々しそうに見ていた。
言ったことはしっかり果たせ。
そう言って、オストマルクに戻すはず。
それに、あの副官が絶対に変な事を言うだろう。
それがブラウンシュバイクを利するのは確実だった。
だとすると、どうすればいい。
何処に逃げれば助かる。いつ逃げれば助かる。
そう思って、唸っていると。
いつの間にか、側に副官が立っていた。
「どうなさいましたか、リッテンハイム侯爵閣下」
「い、いつの間にそこにいた!」
「だいぶ前からにございます。 散歩が長引いているようですので、探しに参りました」
「も、もしもだ。 戦闘中にこのオストマルクが被弾し、破壊されるようなことがあった時に備えていたのだ!」
そう言うと、明確に副官は眉をひそめた。
この特徴のない家来が。今のリッテンハイムには、赤髪の死神と並ぶ、恐怖の対象となっていた。
「今から負けたときの備えですか。 リッテンハイム侯爵閣下とも思えない行動にございますな」
「む、昔の名将は、常に退路を確保してから戦ったと言うことだ! それを真似しているだけのことだ!」
「無益なことにございます。 常に必勝の覚悟を持たなければ、勝利の女神が微笑むことはないでしょう」
「そ、そんな事は私が決める! 勝利の女神だって、私が微笑ませるのだ!」
そう言い張ったのが最後の見栄だった。
兵士達に囲まれて、定座に連れ戻される。
そして、それから監視がきつくなった。一度、トイレに行くといって脱出艇を見にいったが。
なんと封鎖されていて。使えないようになっていた。
完全に青ざめたリッテンハイムは、副官のことを狂人だと思った。
そもそもリッテンハイムが所属している集団や国家が狂っている事を、微塵も思いつかなかった。
キフォイザー星域に到達する。
そうだ、もし次があるのなら。
このタイミングで脱出すれば、きっと大丈夫なのではないか。すぐにキルヒアイスに脱出艇で投降するのだ。
そうだ、娘もくれてやろう。
平民に対して、リッテンハイムの娘をだ。
ルドルフ大帝の直系子孫との婚姻。これほど嬉しい事はないはずだ。そうすれば、命どころか、リッテンハイム侯爵家はこの後も繁栄できる。
ぼんやりと考えている内に、戦闘が開始される。
味方が文字通り蹴散らされる。
五万隻のでくの坊の群れが蹂躙されていく中で、リッテンハイムは定座で身動き一つ出来ず。
そのまま、戦艦オストマルクは吹き飛ばされていた。
吹き飛ばされる一瞬。
リッテンハイムは、笑みを浮かべていたかも知れない。
また、同じ時間に戻った。やはり同じだ。
このままだと、何をやっても死ぬ。
だったら脱出するしかない。
だが、下手に動けば怪しまれる。リッテンハイムは、何も動きを見せず。キフォイザー星域に到達するまで冷や汗を全身から流しながら待った。
敵艦隊が見える。
戦闘開始の直前に、リッテンハイムはトイレに行くと言って席を外す。副官が、お待ちくださいと言って。思わず恐怖で背筋が伸びていた。
「これより戦闘が開始されます。 トイレであったら携行式のものを持ってまいりますので、それで用をお足しください。 周囲には見えないようにもいたします」
「わ、私にそのような恥をさらせというか! トイレくらい自分でいけるわ!」
「今はお控えください。 これより戦闘が開始されます。 総司令官であるリッテンハイム侯爵閣下がいなければ、戦いになりません」
「この規模の艦隊決戦だ! 戦闘は長引くことが予想される! トイレにくらい行かせろ!」
喚いた瞬間、副官が指をならす。
兵士達が周囲を囲んで、威圧してくる。
リッテンハイムが蒼白になる中、副官は言う。
何の声のトーンも変えずに。
「少し前から様子がおかしいことは見抜いておりました。 まさか、臆病風に吹かれて逃げるつもりではありますまいな」
「き、貴様、無礼であるぞ!」
「無礼に対するとがめは後で幾らでもお受けいたします。 しかしながら、今はリッテンハイム侯爵家が未来を得るかの瀬戸際なのです。 さあ、指揮をおとりください」
椅子になつくリッテンハイム。
まさか、見抜かれていたのか。
この時点で、リッテンハイムは気付くべきだっただろう。この副官が、あらゆる意味で自分より優秀である事を。
どうしても、それが出来なかった。
呼吸を乱しながらも、リッテンハイムは呆然と戦況を見やる。
やはり無謀な突撃をした貴族達が瞬殺され。圧倒的な火力の前に、でくの坊に過ぎない味方艦隊が文字通り蒸発していく。
集団戦を心得ていて、それも徹底的に訓練を受けている敵と。
立派な見てくれと装備は持っているが、素人集団に過ぎない味方。
勝負など、最初から見えている。数が多少多くてもだ。
見る間に爆発がオストマルクに迫ってくる。
逃げろと、命じる気にもなれなかった。あの赤髪の死神から、逃げ切れるわけがないとリッテンハイムは敗北主義に捕らわれていた。
いや、それは敗北主義では無い。
このおろかな男が、やっと自分で理解出来た客観的事実だったのだが。
それにも、リッテンハイムは気付けなかった。
程なく、オストマルクに直撃弾が炸裂。何度目かの直撃で、ついにオストマルクの防御能力を貫通された。
リッテンハイムは再び爆発に巻き込まれ。
そして死んだ。
3、愚か者のあがき
顔を上げる。
リッテンハイムは、また負けた事を悟った。もう何度目だったか。思い出す事も困難になってきていた。
とにかく、オストマルクから逃げるしかない。
だがどうやって。どこに。
キフォイザー星域に到達した直後は駄目だ。多分リッテンハイムの様子がおかしいと、副官に察知されている。
何で死んでも死んでもこの時間に戻ってくるかはどうでもいい。
それは不思議ではあるのだが、それについてはもう正直なんでもいいのだ。
とにかく、此処を逃げ出すのが最初の一歩だろう。
こうなったら、副官が警戒する前に、逃げ出すしかない。
そう、リッテンハイムは結論していた。
「散歩に行ってくる」
「はっ。 お好みの茶葉と、茶菓子を用意しておきます」
「そうしておけ」
まだ副官は警戒していない。
とりえあえず、脱出艇に出向く。そして、脱出艇に、そのまま乗り込んだ。
すぐに発進させる。
脱出艇と言っても、それはシャトルだ。小型のシャトル。内部は無骨極まりなく、狭苦しくて仕方がなかった。
オストマルクには脱出艇が最低限しか装備されていない。
つまり大破し爆発する時には、大半の兵士は艦と運命を共にするしかない。
こんな作りにしたのはリッテンハイム自身だ。
オストマルクを作った時、脱出艇をたくさんぶら下げていると敗北主義者に見えると言って。
設計時の段階から、脱出艇をほとんど外させたのである。
それについては、リッテンハイムも覚えていたが。
別に平民なんてどれだけ死のうが知った事では無いので。
今でも、それを後悔はしていなかった。
シャトルがそのまま行く。
さて、何処に逃げるか。
シャトルは一応遭難したときに備えて、恒星間航行の能力を持っている。ならば、このままキフォイザー星域に向かって、キルヒアイスに降伏するか。
キフォイザー星域に、行く先を四苦八苦しながらセットする。
そうして、セットが終わって満足した瞬間。
リッテンハイムは、此方に迫ってくる光を見た。
立ち上がろうとして、頭を天井にぶつける。それくらい脱出艇は狭いのだ。
顔を庇って、手を。
だが、そんなものでどうにかなるはずがない。
逃げた事を察して、副官が撃たせたのだ。
そう悟って、リッテンハイムは絶叫していた。
また、同じ時間に戻った。
どうやらいつ死んでも、それは同じであるらしい。
全身の冷や汗が凄まじい。意識が飛びそうになる程の恐怖が、リッテンハイムの全身を鷲づかみにしていた。
何度か呼吸をあらくついて整えると。副官の方をちらりと見た。
シャトルで脱出したことに気付いて、即座に撃つ事を指示したのだろう。
そしてオストマルクの艦長もそれに従った。
ひょっとして此奴。
側に従っているだけで、リッテンハイムよりも、リッテンハイム侯爵家の人間を管理しているのではないのか。
部下達も、掌握しているのでは無いのか。
そして、その歪んだ忠誠心で、リッテンハイム侯爵家の栄誉だけを考えていて。
必要とあれば、当主であるリッテンハイムを殺す事を何とも思っていないのではあるまいか。
そう思うと、こいつも赤髪の死神なみに怖いと思えてきた。
ど、どうすればいい。
どうすれば、二人の死神から逃れられる。
この時、リッテンハイムは死神に対して誤解をしている。
死神というのは相手を殺しに来る神ではない。
命が尽きた人間を迎えに来る神だ。
だが、そんな勘違いなどリッテンハイムにはどうでも良かったし。何よりも、自分が助かることが最優先だった。
そうだ。
今まで試していないことがある。
今、帝国でも同盟でも主流となっているのはブラスターと呼ばれる銃だ。
これは高出力のレーザを発射するもので、対人には充分な殺傷能力を持っている。
リッテンハイムは、無言でブラスターを手にすると。
副官が邪魔する前に口に咥え、引き金を引いていた。
また、同じ時間に戻った。
駄目か。自死しても駄目だとすると、どうすればこの無限の地獄から脱出する事が出来る。
いや、まて。
既にこの身はバルハラにあるのではないのか。
ゴールデンバウム王朝では、北欧神話を採用している。信仰対象であるオーディンは、首都星の名前に採用されているし。
既に自由惑星同盟……叛徒と貴族は呼んでいるが。ともかく自由惑星同盟に奪われたイゼルローン要塞に搭載していた主砲はトゥールハンマーと、北欧神話最強の武神の最強の武器である。何故ミヨニヨルと本来の名前にしなかったのかは分からない。
北欧神話の天国はバルハラといい、戦って死んだ者は其処へ行くのだが。
其処は楽園というよりも。
永遠に戦いを続ける修羅の世界だ。
世界には様々な天国信仰があるが、その中でももっとも苛烈で。死んでも即座に生き返る者達が、永遠にスポーツとして戦争を楽しむ場所。まあ永遠では無く北欧神話における世界の最後。
いわゆるラグナロクの時まで、なのだが。
そこに、既にリッテンハイムはいるのではないのか。
そうリッテンハイムは想像し。
乾いた笑いを漏らしていた。
だとすれば、全てに説明がついてしまう。
この永遠に繰り返される地獄絵図も。
何よりも、どれだけ苦しんでもいつの間にか同じ時間に戻っていることも。
頭を抱えて、しばし無言でいる。
副官がじっと見ている。
此奴を、先に殺せば。或いは、活路が見いだせるのでは無いのか。理由なんてどうでもいい。
リッテンハイムは殺人で捕まるような地位では無い。
思うように平民なんて殺しても許されるし。
ずっとリッテンハイム侯爵家に仕えてきた犬である此奴に、怯え続けるのも不愉快でならなかった。
無言でブラスターを取りだすと、副官に向ける。
眉をひそめた副官を。そのままリッテンハイムは撃っていた。
そのまま崩れ落ち、倒れる副官。
兵士達が、あわてて駆け寄ってくる。
「如何なさいましたか!」
「この者が乱心して、私を襲おうとしたのだ! 長く養ってやってきたというのに、恩知らずにもだ!」
「は、はあ……」
「この見苦しい死体を片付けろ! 今すぐにだ!」
兵士達に乱暴に告げ。
兵士達も、困惑しながら副官の死体を片付ける。
やった、やったぞ。
副官がいなくなって、そう思う。兵士達が副官の死体を片付ける間も、心臓がばくんばくん言っていた。
リッテンハイムも散々社交界やらなにやらに出て来て、貴族同士の陰惨な争いは経験している。
そんなリッテンハイムだが、部下を射殺したのは初めてだった。普段は機嫌を損ねた者は、処分するようにと副官に指示し。
そのまま消してしまっていたからだ。
実際に副官が殺していたかまでは分からない。
だが、少なくとも不愉快な存在は、リッテンハイムの周囲からはいなくなっていた。
今、初めてリッテンハイムは。不愉快な相手を、自分の手に掛けた事になる。それでリッテンハイムは。気が大きくなった。
「ワインを持て!」
喚くようにしてそう言うと。
困惑した様子で、兵士達が顔を見合わせる。
副官がその手のは全てやっていたからだ。
「恐れながら、全ての身の回りのお世話は先ほどリッテンハイム侯爵閣下が射殺なされた方がやっておられました。 我々は何も知りません。 侯爵閣下のお気に入りのワインも、その秘蔵場所もです」
「おのれ、役立たずの平民どもが!」
リッテンハイムは立ち上がると、大股で周囲を無意味に歩き回った。
自分でワインを探そうと思ったのだが、見つからない。
此処にあるかなあ。
そう思って、副官の部屋を覗こうとした時だった。
不意に、激痛が体を貫いていた。
そのまま、横に倒れる。力が出ない。何が起きた。視界が急速に薄れていくのが分かった。
自分を見下している奴がいる。
思い出した。此奴は確か、副官の娘だ。確か、次の世代の副官になるべく、教育を受けている筈。
何でも平民の娘を養子にしたとかで。恐らく普段から手でも出しているのだろうと、他の貴族と嘲笑っていたのだが。
その娘の目は、灼熱の怒りにたぎっていた。
もう一発、撃ち込まれる。
抵抗など、出来もしなかった。
再び、目を覚ます。
ひっと、思わず声が漏れていた。
副官を始末したとき、やったと思った。だが、まさか此処でも逆恨みをされるとは思わなかった。
貴族が手を下したのだ。
それは正当な行動に決まっている。
それに対して、恐れを抱くのでは無く。恐縮して平伏するでもなく。どうして殺されなければならない。
平民の命など家畜の命と同じだ。
それを高貴な血筋の貴族であるリッテンハイムがどうしようと勝手なのである。
それが。
あの副官の養子だか何だか知らないが、恩知らずにもリッテンハイムに手を掛けようなどとは。
だが、今は怒りよりも。
恐怖が先に立っていた。
前に何度か顔を見たことがあるが。そういえば、基本的に平民の顔など見たくもないとか告げていたし。
娘も、平民などに世話をされるのは耐えられないと、何度か訴えてきていたっけ。
やはり、平民などは皆殺しにしてしまうべきなのではないか。この内戦が終わったら、そうしよう。
あの赤毛の死神といい、ろくなものではないからだ。
当然生きている副官を横目に見る。
会話するのももう嫌だったが。一応話を聞いてみる。
「そういえば貴様の娘は元気にしているか」
「は。 今は私の仕事を継ぐために仕事を教えている途中にございます」
「ふん、平民の養子など無能で仕方がないだろう」
「士官学校をかなり良い成績で突破しております。 また、私の仕事に関しても、殆ど既に覚えており、下手な兵士よりも強いでしょう。 恐らく、存分にリッテンハイム侯爵を守る事が可能かと思います」
何が優秀だ。
貴族に牙を剥く平民が優秀であっていいものか。
此奴を殺したのは正当な理由からであって。
それに対して逆恨みするような低脳なのだぞ。
そう叫んでやりたかったが、喉から言葉が出なかった。明らかに、リッテンハイムは既に状況を恐れ始めていた。
赤毛の死神も。
この副官も。
更には副官の娘という新たなる死因まで加わったのだ。周り中、死神だらけではないか。こんな恐ろしい事が、他にあるだろうか。
「時に暗号通信を送ることが出来るか」
「はあ……何処へ、どのような暗号をでしょうか」
「そのような事は、貴様の知った事では無い!」
「リッテンハイム侯爵閣下。 暗号を送るにしても、暗号の知識をお持ちでしょうか」
うっと声が詰まる。
確かにそんなものはない。
今、リッテンハイムはいっそのこと、キルヒアイスに救援を求めようと思っていた。彼奴の方が、まだ話が分かると思ったからだ。
だが、まずどうやって暗号を送る。
更には、どうやって返事を受け取る。
それらの全てが確かに分からない。
或いは、士官学校を真面目に卒業していれば、それは分かっていたことだったのだろうか。
士官学校なんて二三回行っただけ。
それで成績を地位と金で買って卒業した。
本来士官学校に通うべき期間中、リッテンハイムは先代に言われて、社交界に毎日出て人脈作りに没頭していたっけ。
近年では士官学校は平民も来る事が多く、大貴族のサロンではなくなっている。故に、大貴族の将官は、殆ど士官学校の成績は金で買うのが常だった。リッテンハイムもその一人。
だが貴族にとって一番大事なのは人脈だ。
だから、正しい事をしていたに過ぎない。
やはり、周りが悪いのだ。リッテンハイムは優秀なのに、全てで足を引っ張られている。
そう考えて、リッテンハイムは何度もため息をついた。もう少し、まともな部下がほしいと。
そもそも反省などと言う概念はリッテンハイムにも、他の貴族の大半にも存在していない。
常に正しいのが大貴族だからで。
常に正しいから、高貴な血統だからである。
それが大貴族の常識であり。
常識などというものが如何に虚しいものであるのか、如実に示している事例でもあると言えた。
「そ、それではシャトルで文を送ることは可能だろうか」
「シャトルでですか? 可能ですが……わざわざ文を?」
「そうだ。 出来るか」
「そうでございますな。 艦長と相談して参ります」
副官が側を離れる。
すぐに、文を書き始めた。
文自体は書き慣れている。字の練習も、幼い頃にやらされた。
実は、リッテンハイムはもとは左利きだった。
それを右利きに矯正させられたことがある。
左利きは僅かな人間しかいない、つまり劣った遺伝子であると。そんなものを持っている事が知れたら、貴族の間で肩身が狭くなる。
そう先代である父は言って、リッテンハイムに苛烈な矯正教育を課したっけ。
事実社交界に出て見ると、殆どの貴族が右利きで。余程の権力の主流から外れた者くらいしか、左利きはいなかった。
父の言う事は正しかったと知ったし。
それにリッテンハイムは、右利きになるために受けた苦痛を、平民などは理解出来まいと、謎の自信を持ったのだった。
事実見苦しい左利きの平民は何度もリッテンハイムは見て来たし。
その度に失笑していたのだった。
文を書き終える。
ともかく、キルヒアイスの所に逃げ込み、戦勝の暁には娘をくれてやる事を明言する。これで相手は乗ってくるはずだ。
これほどの栄誉は存在していない筈。
いや、それを断られたような。
リッテンハイムは、全ての記憶を持ち越せている訳ではないことに、今更に気付く。そして、悲鳴を上げていた。
あわてて文を書き直す。
駄目だった文は焼却させた。兵士達は困惑しながら文を焼却している。それは、もうどうでもいい。
とにかく、キルヒアイスに、今身がとても危険であること。
降伏するから、身の安全を保証してほしいこと。
更には身の安全を保証してくれたら、今後は協力を惜しまないことを告げた文を書き上げる。
程なく、副官が戻ってきた。
リッテンハイムは、副官とともにシャトルの所に行く。シャトルは相変わらず狭苦しい造りだった。
「文を入れて、こうだな……」
「はい。 そのように」
「うむ、これでいい」
「それで、何故にキフォイザー星域にシャトルを飛ばされるのですか?」
ぞくりときた。
操作する様子は、副官に見せなかった筈だ。
青ざめていると、副官はシャトルの発進を停止させる。兵士達が、既に周囲に威圧的な壁を作っていた。
「そ、そのようなつもりはない!」
「リッテンハイム侯爵閣下。 シャトルが行く先は、安全と保安のために表示されているのです。 この座標は敵との交戦が想定されるキフォイザー星域ですな」
「……っ!」
なんでそんな座標とかが分かるのか。
此奴は、リッテンハイムが思っていたよりもずっと頭が良いのではないのか。ようやく、その事を確信する。
キルヒアイスを死神だと思い。
そして、この副官が第二の死神で。
これを殺しても第三の死神であるこいつの娘が来る。
それをリッテンハイムは悟って、呼吸困難に陥っていた。
兵士が文を取りだし、それを副官が読む。青ざめているリッテンハイムに、副官は冷たい目を向けてきていた。
「リッテンハイム侯爵家の最後のようですな。 このような臆病風に吹かれての背信行為、後の歴史に巨大な汚点を残すことでしょう」
「ま、待て! 話を聞け!」
「帝国万歳。 私もすぐに後を追います」
「やめ……」
その場で、リッテンハイムは兵士達に撃ち殺されたのを悟る。
もはや、手のうちようがあるとは、思えなかった。
また、同じ時間だ。
定座で意識を取り戻して、リッテンハイムは絶叫しそうになっていた。
まずい。まずい。まずい。
とにかく、まずい。
この無能なはずの副官は、リッテンハイムの全てを見越していると見ていい。暗号通信なんて使えないし、シャトルでの救援要請も封じられた。
かといってこのままではキルヒアイスとの決戦も避けられない。戦ったら瞬殺される。多分この艦隊では何をやっても勝てない。
これがメルカッツだったら話は違ったのだろうが。メルカッツはこの「正義派諸侯軍」を結成したとき。どんなに地位が高い人間でも戦闘時の作戦指揮にはしたがって貰うとかいう条件を生意気にも下級貴族出身のくせにつけ。それを破ったリッテンハイムには、今更従いなどしないだろう。
逃げようとすれば殺される。
降伏しようとしたら味方に撃たれる。
自分を殺そうとする副官を先に殺しておいても、此奴の娘が控えている。銃も満足に扱えないリッテンハイムが、戦闘訓練を本格的に受けている相手に勝てるとは、流石に思わなかった。
卑しい平民め。
そう思いながら、何度も頭をかきむしる。
リッテンハイムを平民や無能な下級貴族が追い込むのだ。
そう、何度も心中にて呟く。
だが、だからといって何が起きる訳でもない。奇蹟が発生するわけでもない。
そうだ、キルヒアイスを暗殺してしまえばどうか。
あの赤髪の死神がいなければ、奴の艦隊などデクも同じ。
いや、どう考えても無理だ。
出来るとしても、そう簡単では無いだろう。
キルヒアイスは確か、格闘戦技術においても射撃技術においても、少し前まで存命していたオフレッサー上級大将がいなくなった今。帝国最強の水準にあるとか聞いた事がある。前は聞き流して笑い飛ばしていたが。
今では、それが本当であり。
死神の恐怖の鎌となって、リッテンハイムを狙っているようにしか思えなかった。
ならば、他の相手を撃破して、ガイエスブルグに戻るのはどうか。
顔を上げる。
その手があった。
赤毛の死神はとにかく勝てない。
だが、他のラインハルトめの部下が、同じように強い訳でもないだろう。
だったら、勝ち目はある筈だ。
副官に告げる。
これぞ。勝機ではないか。
「皆に連絡しろ。 作戦行動を変更する」
「はい。 具体的にはどうなされるつもりですか」
「金髪の儒子めの背後を突く」
現在、ラインハルトの艦隊は占領地域を拡大しながら、ガイエスブルグ要塞に向かっている。
方向転換すれば、その一部を捕らえる事が可能な筈である。
これぞ、勝機だ。
しかも、同じように戦えるのだから、貴族達も文句をいうまい。
うきうきしながらリッテンハイムは、全軍に回頭を指示。そのまま、艦隊は混乱しながらも移動を開始。
数日して、その前に艦隊が姿を見せる。
一個艦隊程度の規模だ。
「あれは、ロイエンタール提督の艦隊ですな。 ローエングラム公の麾下では、双璧と名高いと聞いています」
「相手は一個艦隊だ。 全力で推し潰……」
「背後より敵襲です!」
え。
席から立ち上がりかけたリッテンハイムを、直撃弾だと分かる一撃が激しく揺らし、転倒させていた。
受け身も取れなかったリッテンハイムは、無様に床に顔面からぶつかり。歯数本と鼻を折っていた。
顔を血だらけにしながら立ち上がるリッテンハイムは、警報と悲鳴を聞く。
「な、何が起きた!」
「いつの間にか後方に敵艦隊が! 疾風の名で知られるミッターマイヤー提督の艦隊かと思われます!」
「前方のロイエンタール艦隊、攻撃を開始!」
「う、嘘だ……」
ミッターマイヤーとやらは、話に聞いているがただの平民だと聞いている。裕福な訳でもないという話だ。
ロイエンタールとやらは、いやしくも借金の肩代わりに放蕩者の門閥貴族の血脈から妻を娶り、門閥貴族に成り上がった父を持つ恥知らずの家系で。
もとは帝国騎士に過ぎない事を聞いている。
そんな連中が、キルヒアイスと同じように死神と化すと言うのか。
「我が軍の損耗、40パーセントを超えます!」
「艦隊運動が早すぎてついて行けません!」
「全軍が瓦解します!」
ひっと、悲鳴を上げたリッテンハイムが、また激しく揺動する戦艦オストマルクにて、すっころんでいた。
頭を抱えてふるえるリッテンハイムに、副官が歩み寄ってくる。
「相手は神速を持って知られるミッターマイヤー提督。 恐らく逃げ切る事は不可能でしょう」
「ど、どうしてだ! どうして我が艦隊が察知された!」
「当然の話にございます。 これほどの規模の艦隊が行動していて、どうして察知されずにいられましょうや」
「更なる敵艦隊!」
もう、とっくにロイエンタールとミッターマイヤーの艦隊だけで、既にリッテンハイムの艦隊を数で凌いでいる。
そこに、更に二個艦隊が出現したという。
ラインハルトの麾下の提督によるものだ。
戦い方はキルヒアイスよりも更に荒っぽく、容赦がないようにすら思えた。
「せめて名誉の自害をなされませ」
「い、いやだ! 降伏の通信を送る! だから……」
「そうですか」
副官が、銃を取りだす。
手で顔を遮るまでもなく。またしてもリッテンハイムは、頭を撃ち抜かれたのだと察していた。
また、同じ時間、同じ場所。
もはや何度目かすらも分からない。
完全に体調を崩したリッテンハイムは、もうどうにでもしてくれと叫びだしそうになったが。
乱心したと見なされたら、副官に何をされるか分からない。
此奴を殺したら即座にもう一人の死神がすっ飛んでくる。
更に言うと、兵士達はリッテンハイムよりも副官に従っているのが何となく分かってきた。
これは、もうどうしようもない。
「酒を持て」
「分かりました。 すぐに用意いたします」
「出来るだけ多くだ」
この時。
既にリッテンハイムは、完全に諦めた。
間違ったことは何一つしていないと、この時点においてもリッテンハイムは考えていた。それが、客観性というものを持たない人間の思考だ。五百年続いたゴールデンバウム朝にて培われた選民意識。歪んだ優性思想の成れの果て。
貴族だから優れているに決まっている。
貴族だから何をしてもいい。
そう根本的な思考があるから、リッテンハイムはどうしても行動を変えることが出来なかった。
ワインを飲んで泥酔する。
どうせこの艦隊は暴走する牛の群れも同じだ。
前方に崖があろうと止まることは出来ず。仮に止まっても後ろから押し出されて崖に転落する。
あらゆる全てで詰んでいる。
リッテンハイムが助かる方法などない。だったら、せめて泥酔しながら、全ての終わりを見届けるしかない。
程なくキフォイザー星域に到着する。
キルヒアイスの艦隊は待ち構えていて。戦闘が開始される。
後は、いつもと同じだ。
圧倒的な密度の火力に、リッテンハイムの艦隊は文字通り一方的に蹂躙を許すことになり。
やがて壊滅する。
泥酔したままのリッテンハイムに、キルヒアイスが通信を入れてくる。
既にオストマルクは完全に囲まれているようだった。他の味方は。血の気が多く最初に突撃した貴族達とその私兵はとっくに全滅。
提督達は降伏したようである。
通信を受けろと、副官に指示。
副官も、この時点では素直に従った。
「リッテンハイム侯。 ……酒を入れているのですか」
「ああ。 どうにもならないからな」
「おろかな。 多くの兵士達の命を背負って戦場に出てきたというのに、何という為体ですか」
「貴様に何が分かる……」
此奴は死神だ。
何も悪くないリッテンハイムの命を理不尽に刈り取りに来る地獄からの使者だ。そうリッテンハイムは、まだ考えていた。
大きな溜息をキルヒアイスがつく。
そして、告げてくる。
「降伏しなさい。 既に完全に貴方を包囲しています。 少しでも良心があるのなら、旗艦オストマルクにいる将兵の命を思って行動しなさい。 そうすれば、命だけは助かるように、私からローエングラム公に取りなしましょう」
「……」
ぐいっと酒を飲み干す。
そして、リッテンハイムは口に銃を咥えると、そのまま引き金を引いていた。
副官は、最後までそれに対して干渉しなかった。
恐らくだが、自害することは理解出来ていたのだろう。
本当に不愉快な第二の死神だ。
そしてリッテンハイムは二度ともとの時間と場所に戻らなかった。
4、全ての真相
ワールドシミュレーターには、全てのデータが表示されている。これは学校の授業である。
ゴールデンバウム朝銀河帝国、フェザーン自治領および背後にいた地球教、自由惑星同盟。銀河系に存在した人類の国家、その全てが滅びた激動の時代。
それから五百年が経過し、銀河系全土に進出した人類は、簡易なもの……過去を覗くだけだが。それでもタイムマシンを完成させていた。
同時に超高度なワールドシミュレーターも作成に成功。
過去のデータを正確に取ることが出来るようになった今。
主に学校の授業などで、ワールドシミュレーターを利用し。歴史の授業や、人類が犯した失敗などについて学ぶようになっていた。
そう。
リッテンハイムが何度も何度も死に戻りをしたのは、ただの授業。ワールドシミュレーターで行った事だった。故に思考も全て読み取ることが出来たのである。
壇上にいる教師が、咳払いをして解説する。
「ゴールデンバウム王朝の貴族の殆ど……特にほぼ全ての門閥貴族は、皆が見たように根本的な地点から、優性思想と選民主義によって思考が固定されていた。 ある意味ゴールデンバウム王朝の創始者、ルドルフ皇帝のもっとも忠実な犬だったと言える。 その思考回路はとても頑迷であり、何よりも柔軟性を欠いた。 結局ラインハルト=フォン=ローエングラムによって彼らは駆逐され尽くすのは皆も知っての通りだが、それは歴史の必然だったと言えるだろう。 むしろゴールデンバウム王朝のような体制が長期間続いたことそのものが異常だったと言える」
そのまま教師は、リッテンハイム侯について説明を続ける。
今回の題材に選んだリッテンハイム侯は、ゴールデンバウム王朝末期の門閥貴族の一人であり。
ブラウンシュバイク公とならぶ、ラインハルトの敵だった。
ブラウンシュバイクの二番手としか歴史的には知られていない事も多い人物ではあるのだが。
教師は知っていた。
今でも優性思想に簡単に人間は染まることを。
たまに見かけるのだ。
SNSにしても或いは紙媒体の本にしても。
優性思想を礼賛したり、貴族主義を礼賛したりするようなものを。
そこで現在の教育では、タイムマシンで思考回路まで完全に解析した門閥貴族をワールドシミュレーターで動かし。
その実態を見せ。
優秀などと言うというものからはかけ離れている現実を、分かりやすく理解出来るようにしているのだった。
今回は敢えてリッテンハイム侯を何度も記憶の一部を引き継いだまま死に戻りさせ続けたが。
それを理解していながら、リッテンハイムは最後まで自分が正しい。貴族は優秀だという思考を捨てる事が出来なかった。
それは五百年に及ぶ狂気の支配の結実。
その間に人類は三千億から四百億にまで激減したが。
それも当然だっただろう。
生徒の一人が挙手する。
赤毛で、どこかキルヒアイスをおもわせる人間だった。
「質問です。 こんな王朝がどうして長く続いたのでしょうか」
「いい質問だ。 ゴールデンバウム朝は実の所、何度も崩壊の危機があった。 特に流血帝アウグストの時代などが顕著だろう」
写真を出す。
これは普通に映像媒体として残っているものだ。
ゴールデンバウム朝最悪の暴君として名高いアウグストは、シリアルキラーの上にあらゆる人格が破綻している狂気の存在で。
しかもこの人物が、具体的な実権を握ってしまったのだ。
即位した当日に後宮の人間を皆殺しにし、一週間で主要な官僚を殺し尽くしたアウグスト帝は。更には皇族も殺し尽くそうとして、それは失敗した。
もしも殺し尽くすことに成功していたら、恐らく銀河帝国は破滅していただろう。いずれにしても逃がしてしまった皇族によって、アウグストは破滅する事になる。
他にも何度も、銀河帝国破滅の機会はあった。
破滅しなかったのは、単に一つの理由。
運が良かっただけだ。
「バタフライ効果といってな。 歴史というのは、ちょっとした事が起きると、それによってどのような影響が発生するか分からない。 ワールドシミュレーターで調べて見ると面白いぞ。 例えばラインハルトとヨブトリューニヒト。 この二人に加え、当時歴史の暗部で暗躍していた地球教を排除してみる。 そうすると、実に簡単に銀河帝国が崩壊したりする」
「そのようなものなのですか」
「ラインハルトにしても、若い頃から敵が多く、何度も危ない場面はあった。 暗殺者を送り込まれたことも数多く、味方に背中を撃たれ掛けた事もある。 完璧超人でもなんでもなく、分艦隊指揮官になった頃は、同盟の名将ヤンウェンリーが立てた作戦にもろに引っ掛かって、戦死する寸前まで行ったこともあった」
誰でも、それは同じだ。
歴史上の重要人物だって、ちょっとしたボタンの掛け間違いで簡単に死ぬ。それがもし起きていたら、どれほどの影響があったか分からない。
今回教材で使ったリッテンハイム侯を倒したキルヒアイスだが。彼も余りにも早い夭折を遂げてしまっている。
それがなかったら、どうなっていたか。
事実興味を持った人間がワールドシミュレーターで実験をしているが。
キルヒアイスが生存している場合、帝国が同盟に勝つ確率はほぼ100%なのだが。その経過は試す度に異なる。
勝つまでの時間が却って伸びたり、逆に一瞬で勝負がついたりもしている。
特にキルヒアイスが生きていて、帝国が同盟を滅ぼすまでの時間が長く掛かる場合は、ラインハルトも夭折することなく、長生きするという不思議な結果が出ている。
教師は皆を見回して、その話をすると。
手を叩いて、授業の終了を告げた。
「レポートは後で提出するように。 それでは今日の授業は終わりだ」
今更、生徒を物理的な空間に集める事もない。
皆、教室から退出。正確には、ログアウトしていく。
教師もそれは同じだ。
資料は殆どAIが集める。今の時代のAIは、古い時代の人工無能などと揶揄された代物と違って、相応に優秀になっていた。
さて、次の授業だ。
次の授業では、同盟が滅ぶまでの題材を扱う事にしている。
激動の時代は歴史に大きな影響を与えたこともあり、密度が高い授業を何度も行うように決められている。
事実、今の時代は。あの激動の時代を生き抜いた者達が作ったのだ。
銀河系全域に広まっても、結局地球人類は他の知的生命体に遭遇する事は残念ながら出来なかった。
しかしながら、だからこそに。
地球人類は、過去の歴史を精確に知り。
その反省を踏まえ。
ゴールデンバウム朝のような歴史的な忌み子をまた作り出してはいけないし。
末期の自由惑星同盟のような、失敗を繰り返してはならないのである。
歴史を学ぶというのはそういう事だ。
教師は咳払いをすると、自室で資料をまとめる。
ワールドシミュレーターで、また幾つかのデータを見ておきたい。
未来ある若者達のためにも。
歴史教師という仕事は、とても大事なのだと。
そう教師は考えて。大まじめに、授業をしているのだった。
(終)
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