その時歴史が動いた

 

序、無謀侵攻作戦

 

長きにわたって戦争を続けている二つの星間国家。ゴールデンバウム朝銀河帝国と自由惑星同盟。

この二つの勢力は、百年を遙かに超えて無意味な殺し合いを続けて来たが。

二人の英雄の出現が、バランスを決定的に崩壊させた。

常勝の天才ラインハルト。

不敗の魔術師ヤン。

二人が戦場に現れると、戦場の主役は完全に二人のものとなった。そして、両国の間にある星間回廊。

そこに建築された宇宙要塞、イゼルローンをついにヤンが攻略に成功。

今まで帝国に、イゼルローン経由で領地を荒らされていた同盟側が、ついに反撃の好機を得た。

 

反撃の好機ね。

皮肉混じりに、ヤンはぼやく。

だが、そもそも帝国は腐敗が進んでおり、今ラインハルトと既得権益層であった大貴族達が激突寸前で火花を散らしている。

この侵攻作戦は無意味だ。

そう、単なる議会の支持率を上げるためだけに国のトップの議員達が決めた侵攻作戦の作戦会議で。ヤンは思っていた。

同盟には現在稼働可能な正式艦隊が十存在している。第一から第十三までの艦隊だ。そのうち第二、第四、第六の三つは少し前に「アスターテ星域会戦」でラインハルトの巧妙な各個撃破戦術で壊滅し。その残党をかき集めて作り出したのが第十三艦隊である。

この第十三艦隊の指揮官をしているのが、現状は中将にまで昇進したヤンだ。

そして、今回の侵攻作戦では、実に3000万。

十個存在する正式艦隊の八つを投入。更に各星系の護衛艦隊であるいわゆるガーズも投入しての、史上空前の規模での艦隊での侵攻が計画されていた。なお、総司令官は同盟軍のトップの一人であるロボス元帥だが、この人物は近年無気力が進んでおり、殆ど案山子に過ぎなかった。四十代までは極めて有能で、同盟を代表する将帥の一人であり。切れ者として著名だったのだが。今ではすっかり、ボケ老人である。

同盟も帝国も艦隊の規模は一つ当たりおよそ一万五千。

八個艦隊で、およそ十二万隻に達する。これに各星系からかき集めた武装が正式艦隊に劣るガーズを加えて、合計二十万隻。

これほどの規模の艦隊が戦場に出たことは、軍事力で勝る帝国でもなく。

文字通り、史上最大規模の艦隊とも言えた。

問題は、指揮官と参謀だ。

今、会議の席上で熱弁を振るっているのは、ヤンよりだいぶ若い青年士官。確か主席で士官学校を卒業した人物。

頬がこけた、病的な熱を目に宿した男。

フォーク准将だった。

既にヤンも聞かされているのだが。

このフォーク、私的なコネを使って作戦案を統合作戦本部に持ち込み。大規模な勝利によって支持率を稼ぎたい議員達に根回しして、この作戦を実行に移そうとしているという。

馬鹿馬鹿しい話だが。

これが民主主義国家の現実だ。

ヤンは狂騒的な熱弁を振るうフォークに、この作戦が如何に無意味かを説明したが。聞こえている様子はなかった。

何しろ、無意味に軍を展開して、手当たり次第に帝国の星系を奪い取ろうというのである。

今回作戦に参加する艦隊には、同盟屈指の老練な指揮官であるビュコック提督、浅黒い肌を持つ遊牧騎馬民の末裔である猛将ウランフ提督、堅実が絵に描かれたような用兵を行うボロディン提督をはじめとして、同盟の一線級の指揮官が皆揃っている。

いずれもが歴戦を重ねてきている人物で。

ヤンもこの提督達となら、大敵と戦える。

戦略がまともであれば、である。

会議が終わって、呆れ果てた提督達が会議室を出て行く。何しろ、具体的な事は何一つ説明されなかったのだ。

「高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処する」なんてフォーク准将は言っていたが。それはビュコック提督が会議の途中で突っ込みを入れていた通り、「行き当たりばったり」に過ぎない。

勿論戦場では、熟練と頭の回転を使っての臨機応変な対応が求められることも多い。

ヤンの場合は相手の心理を読んで先手先手を打つ戦い方をする事で、三十で中将にまで上り詰めるに至ったが。

戦術で圧倒的な兵力差を覆すのは極めて困難だと判断している。

戦略が重要なのだ。

それなのに、あの狂熱的な目のフォーク准将は。

ベレー帽を取ると、あたまを掻き回す。

「見ようによってはハンサム」とも言われるヤンだが、運動神経はどうにか水準に達しているかというレベルで、士官学校では軍事技術については退学寸前の成績だった。その分戦略論や戦史論、実践戦術においてはトップクラスの成績だったので、どうにか軍でやっていくことが出来ていると自称している。

まあ要するに、豪傑とは程遠い、頭だけを使って勝つタイプの軍人であるのがヤンなのだが。

それは自他共に認める事なので、どうでも良かった。

「ヤン提督」

「あ、はい」

立ち上がって、敬礼する。相手はビュコック提督だった。

さっきの狂騒的なフォーク准将の演説を、呆れた様子で見守っていた。近くで見ると、虎のような迫力を持つ老人である。

とにかく人手不足の自由惑星同盟では、たまに一兵卒から提督にまで成り上がる人物が存在する。

昔の軍隊では、士官学校や軍学校を出ない人間はどんなに活躍しても兵卒止まりだったらしいのだが。今では有能な人物はたたき上げで提督になる事が出来る。

特に老境にあっても手腕が衰えていないビュコック提督は、存在そのものが同盟の戦歴みたいな人だ。

よくしたもので、昔は無能な貴族の司令官だらけだった帝国は、数世代前の同盟の英雄、ブルース=アッシュビーによって一度高級士官が全滅するレベルの打撃を受けたことがあり。

現在ではその影響もあって、平民や下級貴族の提督も出て来ている。かの天才ラインハルトは、姉が皇帝の後宮にいる……いわゆる外戚の立場にあるが。そういった実力のある指揮官を集め、腐敗していた帝国軍を一新した人物である。

いずれにしても、ビュコック提督はそんなラインハルト相手にもある程度対抗できる手腕の持ち主だ。今回の無謀な作戦では、是非頼りにしたい相手である。

なおラインハルトは、現在伯爵である事もあって、公的な場ではローエングラム伯と呼ばれる事が多い。

「この作戦は無謀だ。 帝国にはあの若き天才ローエングラム伯ラインハルトがいる。 奴の指揮下には帝国の正式艦隊九つがある事が分かっていて、その兵力は十三万前後と此方の六割程度だが……それでも戦略次第では完全に負けるぞ」

「同意です。 今回の侵攻作戦は戦略などと呼べる代物で動いていませんし、このままでは非常に危ないでしょうね。 同盟の正式艦隊に加え、各地のガーズが全滅する事態に陥りかねません」

「何か手はないか。 あの小僧めは、どうにも権力に目が眩んでいる。 どうにかしないとまずいだろうて」

「私は民主主義国家の軍人です」

ヤンは、そう悲しげに応える。

どんな手を敵が打ってくるかは何となく分かる。それに対して戦場で対応する事も出来る。

だがそれが限界だと、ヤンは考えていた。

古い時代だったら、独立軍閥になることも可能だっただろうし。今の時代でも自分に好意的な人員を集めて、軍内で強力な派閥を作る事も可能だったかも知れない。くだんのアッシュビーですら、その傾向を危惧されたくらいなのだ。

だが、そういう事をしたくはない。

そう考えるのが、ヤンという男だった。

実の所、部下にそうすべきだと何回かそそのかされたこともある。だが、全て断って来たのだ。

普段は自堕落で不真面目なのに。

こういう所だけは、異常に真面目なのが、ヤンという男の不可思議な所でもある。

「一応、作戦案は考えて、もう一度統合作戦本部には正式なルートで提出してみるつもりです」

「グリーンヒル大将が動いてくれるといいのだがな」

「本当に……」

グリーンヒル大将。

同盟軍の良心とも呼ばれるきわめて真面目な人物である。

なおグリーンヒル大将の娘フレデリカはヤンの副官をしており、そういう意味でコネはある。だが、コネを使って作戦案を具申するのでは、フォークと同じだ。

敬礼をもう一度して、ヤンは会議室を出る。

とにかく一旦どうにか作戦案を整理しないといけない。

このままでは、本当に同盟軍が全滅しかねないのだ。

今、イゼルローン要塞が同盟の手にあるから、すぐにラインハルトの大軍に膝を屈する事はないだろう。

だがあのラインハルトは、まさに歴史を変える天才。

歴史の岐路に出現する時代が選んだ寵児だ。

イゼルローン要塞だけでは同盟を守りきるのは難しいだろうし。どれだけ腐敗していても、民主主義国家が蹂躙されるのを見ている訳にもいかない。ラインハルトは貴族制度を毛嫌いしているらしいが、かといって民主主義制度に対して別に好意的でも何でもないと聞いている。

それに、ラインハルトは燃え上がるような野心の持ち主である事が、直接会った事がないヤンでも分かる程の人物である。

同盟に攻めこんできたら、確実に征服されるだろう。

さて、どうしたものか。

幾つか戦略の練り直しをしながら、ヤンはビルを出る。

同盟も建国されてから相応の年月が経っている。一部の都市以外、時代を逆行したようなインフラが作られ、人間力を盲信した文明である帝国と違い。同盟はどこであっても相応の文明によって都市が構築されている。

しかし、それが強さにつながるかは話が別。

軍事力が五割増しの帝国に対して、ラインハルトが出現するまでは押し気味に戦って来た同盟だが。それも相手が無能な貴族の士官が中心だったから。ラインハルトが出て来てからは、それも過去の話だ。

それに昔は帝国軍より有能だった同盟軍も、内部の腐敗はフォークを見るまでもなく分かる程に進行が進んでいる。

抜本的な改革が必要だが。

それはあくまで民主主義に沿って行うべきであるとヤンは考えていた。

だから、自分の仕事ではないとも。

めまぐるしく戦略を考えつつ歩いていると、ゲラゲラ笑いながら歩いている集団に遭遇。軍服を着た士官達だ。

此処は軍事ビルであり、シャトルの発着口が近くにある。

これから司令部に挨拶回りにでも行くのだろう。

て、この連中は。

ヤンがむっとして足を止めると、相手もヤンに気付いたようだった。

丁度、階段のすぐ近くでぴたりと両者の足が止まる。

そう、相手は。

フォーク。

そしてフォークの取り巻きである、若い佐官や尉官達だった。いずれもが、大した実績もないのにコネで成り上がってきている連中だ。

珍しくもない話である。

現在、同盟の政治家でも最も勢いがあるヨブ=トリューニヒトは個人的なコネを使い、軍役時代は後方勤務で安全に過ごしたという話がある。

帝国がラインハルトの手でダイナミックに改革されている反面。

同盟は長く続く戦争で疲弊が続いている上、こういった腐敗が表に出始めていた。

何とかしないといけない。

そう焦って、無茶をする人が出始めなければいいのだが。

いずれにしても、にらみ合いは一瞬だった。

フォークは、半笑いでヤンに話しかけてくる。

「これはヤン提督。 如何なさいましたかな」

「いや、これから一度自宅に帰ろうと思いましてね」

「そうでしたか。 私はこれより統合作戦本部に出向いて、今回の壮挙について成功確実と報告をするところです」

それはおかしい。

統合作戦本部がそもそも作戦を通したから、こんな事態になっている筈だ。

だとすると、此奴らは。

恐らくだが、バックにいるスポンサー。今回侵攻作戦を決定した同盟の政治家達にでも、挨拶回りに行くのだろう。

むっとしているヤンを見て、ぎらついた狂熱を浮かべながら、フォークは笑う。

「すぐにヤン提督も勝利の美酒に酔う事になるでしょう! そして我々も!」

「そうなるといいですね」

「はっはっは! 間違いありませんよ! それでは!」

明らかに舐め腐った目で敬礼しながら、フォーク准将は調子に乗って、階段を下りようとした。

 

その時。

 

歴史が動いた。

 

フォークの足下に、何故か。どうしてか分からないが、バナナの皮が落ちていたのである。

そして周囲の取り巻きも、フォークもそれに気づかなかった。

バナナの皮によってもろに滑ったフォークは、昂奮した笑顔を浮かべたまま、ぐるんともの凄い勢いですっころび。

後頭部を階段に強打していた。

取り巻き達も、ヤンすらも呆然とする中、フォークはそのまま凄まじい勢いで階段を落ちていき。

通りすがりらしい軍人達が呆然とする中、途中で壁にぶつかってその衝撃で更に空中に跳ね上がると。

一回転捻りを加えながら床に顔面から激突。

そのまま、沈黙していた。

ふわりと、バナナの皮が恥ずかしそうにフォークの上に落ちる。

「フォーク提督!」

血相を変えたのは取り巻き達だ。ヤンですら、大慌てで飛び出して様子を見に行ったほどである。

ただしヤンは自他共に認める運動音痴であり。

フォークの取り巻き達と違って、のたのたーとしか動く事が出来なかったが。

ともかく階段を見下ろすと、軍医をと叫んでいる取り巻き達。フォークは笑顔のまま、完全に白目を剥いて、口から泡を吹いていた。

それにしても、なんでバナナが。

地球の植物は、地球の文明末期に核戦争やらがおきたこともあって、絶滅してしまったものも多い。

そんな中、戦乱の時代を生き残り。

同盟にて芽吹いているバナナがあるのはとても有り難い事なのだが。実際に栄養満点で美味しいし。

それはそれとして、どうしてまたこんな。

MPが来た。

事態を聞きつけて、ヤンの部下の一人。シェーンコップも来る。同盟最強の陸戦部隊を指揮している、屈強な元帝国からの亡命者だ。とはいっても同盟に来た頃は幼児だったらしく、帝国のことなどロクに知らないそうだが。

「これはまた、どうしたことで?」

MPに対して良い印象を持っていないらしいシェーンコップが聞いてくるので、頭を掻き回して応える。

バナナに滑って、派手に転んだのだと。

皮肉屋で女癖最悪のシェーンコップだが、流石に唖然として、階段をもう一度見やる。本当かと聞かれたので、本当だよとうんざりしながら応える。

MPが来たので、敬礼して話をする。

監視カメラの映像などをこれから分析するが、一応話を聞かせてほしいと言われたので。シェーンコップが前に出て彼らを威圧しようとしたが。大丈夫だと応えて、そのまま着いていく。

あまり有能では無い事で知られる同盟のMPだが。そもそも事件性がありようがないのである。

聴取を軽く受けて、状況について説明する。

フォークの手下達も同じ証言をしているらしく。暗殺だのではないだろうということははっきりした。

更に、監視カメラから決定的な証拠が出てくる。

昨日、この辺りを縄張りにしているホームレスが。軍施設の近くにホームレスがいるのもどうかと思うのだが。

ともかくホームレスが、食べ終えたバナナの皮をこの辺りに捨てていったのだという。

すぐにホームレスは拘束されたようだが。

そもそもとして、バナナの皮を暗殺目的で仕掛けるなんて聞いた事がないし。

バナナの皮を踏ませて相手を暗殺などと言う馬鹿な事を考える奴もいないだろうし。

仮にバナナの皮を暗殺目的で仕掛けたとしても。

決まったターゲットが踏む訳がない。

何よりホームレスは認知症になってしまった元同盟の軍人で。

話を聞いても要領を得なかったようだ。

いずれにしても、事故である。

それが確定した事もあり。

ヤンは釈放。

ヤンの部下達は同盟軍でもかなりのキワモノ人材が揃っていて、優秀さは間違いないのだが。血の気が多い者も多い。

そういう事もあって、MPに殴り込みだと息巻いている者達もいたにはいたが。

とにかくヤンが何事もなく解放された事もあって、彼らも無茶苦茶をする事はなかった。それはまあ、良い事だと判断するべきなのだろう。

軽く、その後の話を聞く。

同盟の軍医療チームは、現在ヤマムラという中将が指揮をしている。

今回はそのヤマムラ中将がフォークの診断をしたらしいのだが。医療チームからの見解が既に出ているという。

再起不能。

植物状態。

今後、目を覚ますかも分からないし。少なくとも当面目を覚ますことはないだろう。

そういう話だった。

フォークの取り巻きは右往左往しているばかりで、自分達の無能さ加減をさらけ出し。

また、フォークを手下として軍に送り込み、「画期的な軍事的成果」を挙げさせようとしていた政治家達は、発狂しているようだった。

ともかく、これで作戦の練り直しが出来れば良いのだけれど。

ヤンはフォークのあまりにもどうしようもない不運については同情しつつも。

フォークがいなくなったことで、少しはマシになるかも知れないなと、状況の説明を受けた後考えるのだった。

 

1、白紙からの練り直し

 

再び、帝国領侵攻作戦の参加軍幹部達が招集される。フォークがいなくなり、軍師を気取っていた人間が消えたこと。

更には、これを好機にとビュコック提督、更には賛同する提督達が連名で作戦の無謀さを統合作戦本部に提出。

それが通ったこと。

それらもあって、作戦の再練り直しが始まったのである。

今回は、前回の会議では黙りこくっていたグリーンヒル大将も出て来ている。

統合作戦本部としても、或いはだが。

フォークとその一党が好き勝手をしていることを、快く思っていなかったのかも知れなかった。

だとすると、生真面目なグリーンヒル大将は、胃に穴が開く思いだっただろう。

まずは、フォークが「不慮の事故」で病院送りになった事が全員に告げられ。

その経緯についての説明も行われ。

その後に作戦の見直しが開始された。

「あの阿呆……ゲフンゲフン。 フォーク准将が提出した作戦は、はっきりいって無謀以外の何者でもない」

本音が出てしまったビュコック提督。咳払いの後に本題を言うと、提督達みんなが同意する。

まあそれもそうだろう。

此処にいるのは、戦歴を重ねて死線をくぐり続けてきた同盟の一線級の提督達なのである。

作戦が無謀かどうかくらい、一目で分かる。

そもそもヤンに言わせれば、これはアテネ軍が行ったシラクサ遠征と同じだ。

ギリシャで当時隆盛を誇ったアテネが行った無謀な軍事侵攻作戦。

この作戦で壊滅的な打撃を被った事により、文字通りアテネの力は地に落ち。以降は別の都市国家がギリシャの覇権を握っていくことになる。

ともかく、歴史に学んで愚を繰り返すことがあってはならない。

不機嫌そうと言うか、半分寝ているロボス元帥はもういい。

グリーンヒル大将が、咳払いをして、皆に呼びかける。

「何かしら、この作戦で成果を得られるように、建設的な提案をお願いしたい。 此方としても、作戦そのものが決まってしまっている以上、最善を尽くすしかないのだ」

「敵が艦隊を率いて出て来てくれれば、一戦して帰還としゃれ込むこともできるだろうが……」

ウランフ提督がそうぼやいた。

現在、同盟と帝国と同時に、フェザーン自治領という第三勢力がある。

同盟と帝国をつなぐイゼルローン回廊と呼ばれる航行可能空域が存在するのだが。もう一つ存在する小さな航行可能空域。フェザーン回廊に存在している独立勢力で。一応形式的には帝国に所属はしているが、文字通り唸るほど金を持っている。

同盟にも帝国にも経済的に干渉し、政治家の中にはフェザーンの犬になっている人物が多く。

このフェザーンを通じて両国の軍事作戦は殆ど筒抜けになっているのは、周知の事実だった。

帝国が、もしも全力での応戦を試みてきたのなら、それでいい。

どうせフェザーン経由で作戦については筒抜けだろう。

だが、もしもラインハルトが迎撃戦の指揮を執るのなら。

最大の戦果を上げるべく、動くはずだ。

それは恐らくだが、帝国領の入口で同盟軍を迎撃するのではなく。

奧に引きずり込んで地の利を生かしての各個撃破を狙うものになるだろう。

それは、ヤンとしても結論が出ていた。

更にラインハルトの事だ。もっと付加価値を作戦に加えてくる可能性もある。

幾つかの可能性はあるが。

いずれもが、引っ掛かれば容赦のない被害を出すものとなるのは確実だった。

「ヤン提督、どう思う」

「はい。 まず前提として、恐らく帝国軍の指揮官はあのローエングラム伯です」

外戚であるラインハルトは、元帥の階級だけでは無く、伯爵としての地位も持っている。その家名がローエングラムだ。なお、昔はミューゼルという家名だったそうだが。何の躊躇もなく捨てたらしい。詳しい事情は、ヤンも知らない。

ラインハルトの名前が出ると、提督達の顔に緊張が走る。

同盟軍の提督に、ラインハルトの恐ろしさを知らない人間など存在していない。

「ローエングラム伯は不世出の天才。 恐らくは、同盟軍を全滅させることを目的に戦略を組むでしょう。 それは恐らくですが、回廊の入口での戦闘で同盟軍を迎え撃つのでは無く、奥まで引きずり込み、地の利を生かしての各個撃破となるかと思います」

「なるほど、フォーク准将の作戦案をそのまま採用していたら、作戦にもろに引っ掛かる事になっていた可能性が高いと言うことか」

「その通りです」

「しかし、ローエングラム伯をおそれて何もしない、というのも通らないだろう。 何か具体的な作戦案はないだろうか」

グリーンヒル大将が言う。

この人も、統合作戦本部の利権関係とか、汚職政治家達による政治的圧力とかからは逃れられないのだろう。

そう考えると、気の毒でならない。

ヤンの副官をしているフレデリカ=グリーンヒルが父の悪口を言ったことは一度もない。

ヤンも、悪い印象を受けたことは一度もなかった。

「作戦案を自分なりに考えて来ました」

「聞かせてほしい」

「はい」

ヤンが、作戦について提案する。

内容を聞いて、提督達は驚いた。咳払いをするウランフ提督。

「これはまた、随分と堅実な作戦だな。 ミラクルヤンとまで言われる貴官であれば、何か奇策を思いつくのかと思ったのだが」

「いえ、奇策は他にどうしようもないときに行うものであって、正攻法こそがもっとも勝ちやすい作戦です。 帝国の軍事力は同盟の五割増しに達し、しかもローエングラム伯が実権を握れば更に今後増していくでしょう」

スパイは帝国にも当然入り込んでいるが。

既に報告が来ているという。

ラインハルトは成り上がりとして、強力な権力と財力を同盟で独占している貴族達。その中でも代々続いているようないわゆる門閥貴族には蛇蝎のように嫌われていると言う事だ。

更には、現在の帝国の皇帝はもう老齢で、いつ死んでもおかしくない。

人間力を神聖視する帝国では医療技術を極めて軽視していた時代があり、歴代の皇帝でそれほど長生きした人物は存在していない。地球時代の人間の方が長生きだったくらいである。その上致命的な事に、皇帝には存命の皇太子もいなかった。遠縁の男児はいるようだが、後ろ盾に大貴族がいない。

つまり、現皇帝が死ねば。

門閥貴族とラインハルトの全面対決が始まる。

物量では門閥貴族が集まればラインハルトの麾下の軍を遙かに凌ぐらしいのだが。

腐敗した無能な貴族達など、数が揃ってもラインハルトの敵ではないだろう。帝国の初代皇帝ルドルフが「優秀」だと判断した人間の子孫達には現状人材などいない。

そもそも白人至上主義者で古代ゲルマン風の名前を部下達につけていた最悪の厨二病患者ルドルフに人を見る目があったかどうかすらも怪しいし。

長く続く家なんて、腐敗と陰謀と無能の温床だ。

事実、大貴族出身の帝国指揮官でまともな人物なんて、ヤンも現在は知らない。

「ここで同盟が大敗をする事になれば、恐らく同盟が滅ぶことに直結します」

周囲の提督達が、流石にどよめく。

そこで、とヤンは付け加えた。

「今回の作戦では、最小限の被害で、最大限の結果を狙う事としましょう」

 

フォークがいなくなったことで、作戦はなんとか決まった。

ヤンが想定した通りだ。なおボケ老人である総司令官ロボス元帥は、作戦が決まった後ぼんやり起きていたが。

グリーンヒル大将に、終わった、とか聞いている有様だった。

ビュコック提督より若いはずだが、完全に痴呆症が進んでいるとしか思えない。

もしもフォークが作戦指揮をして、ロボス元帥を総司令官に作戦が開始されていたらどうなったか。

はっきりいって、想像もしたくなかった。

自宅に戻る。

ヤンはいわゆるトラバース法と呼ばれるもので、軍人の戦死によって生じた孤児を養子にしている。ユリアンという少年がそれだ。

ユリアンはとにかくよく出来た子で、生活能力がない故に前はゴミ屋敷だったヤンの家を普通に住める家にし。

更にはおいしい紅茶を淹れてくれるので、ヤンとしては文句のつけようがなかった。

ヤンが疲れている事をすぐに察したのか、ユリアンが紅茶を出してくれて。そして色々と寝やすいようにエアコンとかの環境調整をしてくれたので、有り難くその家事能力に甘えることにする。

布団に潜り込んで、すぐに眠れるのはヤンの特技だ。

有り難い事に。激務の中で、体を壊すことだけはなかった。

きちんと眠った後、起きだして自分のオフィスに向かう。

ヤンも中将閣下で。艦隊司令官だ。

一応オフィスはあるし、何よりこれから侵攻作戦である。デスクにつくと、副官であるフレデリカがすぐに色々と話をしてくれた。

「侵攻作戦に参加する提督達から連絡が来ています。 作戦の細部を詰めたいと」

「有り難い話だね。 ビュコック提督が音頭を取ってくれる。 あの人はみんなから尊敬されているし、今回は頼りにするしかないね」

重要メールから確認。

最初に目に入ったのは、ウランフ提督からのものだ。

一応先鋒という形で、最前衛を務める事になる。現在の同盟において最強の猛将だ。先鋒はウランフ提督しかいない。

更にウランフ提督は単なる猪武者ではなく、優れた戦術眼を持つ有能な提督だ。ラインハルトの麾下にいる俊英達と互角に渡り合えるだろう。

メールを打った後、フレデリカに誤字脱字を確認して貰う。

問題ないと言うことなので、すぐに返信。

更に、続いて次々と提督達からのメールを捌いていく。

ロボス元帥はあの為体だし、今回は提督達で連携して動くしかない。リーダーはビュコック提督にやってもらうしかない。

ヤンは作戦案を出すが、当然自身も最前線に立つ。ウランフ提督に続いて、二番手として帝国領に侵入することとなる。

問題は、この動きについて、横やりが入らないか、だ。

フォークを手下にして、「画期的勝利」のおこぼれをあずかろうとしていた議員達が、何をしでかすか分からない。

そこで、シェーンコップに指示を出し。

皆の護衛をして貰っている。

ヤン自身は護衛チームには苦い思い出があるので、軍務中は周囲にいなくていいと告げてあるが。

万が一を考えて、オフィスに侵入する人物について逐一監視はしてもらうようにしていた。

数日で概ねの相互連絡は終わる。

そして、ヤンの指揮する第十三艦隊の編成も完了。

イゼルローンを落とした時は半個艦隊程度の規模だったが、今回の作戦で更に戦力が増強。

主にアスターテで大きな被害を受けた第二艦隊の戦力を取り込むことで、一万五千隻と、ほぼ他の艦隊と遜色ない戦力が揃っていた。

ほどなく首都星ハイネセンから、各艦隊が出撃を開始。

戦闘はウランフ提督の第十艦隊で、それに続いて細かい編成の調整を行いつつ、第十三艦隊も出撃した。

ワープ航法で進軍しつつ、状況についてヤンも確認する。

ヤンの乗る旗艦はヒューベリオン。旗艦級戦艦らしい高い戦闘能力を持つが、それ以上に電子戦に特化した作りである。

ただし最新鋭艦という事ではなく。そもそも第十三艦隊は敗残兵をかき集めた部隊という事もある。

まだ修理が完璧では無い艦や、旧式艦をアップデートして何とか近代化改修したものも多く。

ヒューベリオンもその一隻。

ヤンの率いる第十三艦隊のナンバーツーはフィッシャー少将と呼ばれる人物だが。この人物は艦隊運用の名人とまで言われていて。

ヤンとしては、実戦ではヒューベリオンよりもフィッシャー少将に頼らざるを得ない部分も多い。

いずれにしても、第十三艦隊は途中の軍事基地に何度か寄りながら補給、修理などを進めつつ、イゼルローン要塞を目指す。

イゼルローンまではワープを駆使しても相応の時間が掛かる事もあって、しばらくは雑務に徹するしかない。

途中で、何度か辺境星域の護衛部隊であるガーズが合流してくる。第十三艦隊と一緒に行動するのは。今後の作戦行動を見越しての事だ。

これは他の提督達ともうちあわせたのだが。

今回の作戦はどの道、帝国に大きな打撃を与えることはできないだろう。

当然最後は逃げる事を選択しなければならないが、その時艦隊と連携して動けなければ、ガーズは文字通り壊滅的な被害を受けるだろう。

それはまた、まずい。

各艦隊が損害を受けたとき、補填としてガーズが必要になってくる。

予備戦力で正式艦隊より火力も装甲も劣るとは言え、それでも今回の作戦だけで八万隻近くが参加する。

今回を機に、しっかり艦隊との連動訓練もしておくべきだった。

ガーズの指揮官である雑多な提督や佐官のリストをフレデリカに作ってもらい、それぞれの経歴や特徴の説明を受けながら。

イゼルローンに移動する間に、様子を見る。

やはり予備艦隊と言う事もあるが、全体的に動きが鈍い。

帝国の門閥貴族が個人的に所有している艦隊よりは遙かにマシという話は聞いてはいるが。

それでもラインハルトの率いる部隊が出て来たら、まずは此処から崩されるだろう。

対策は、必要だった。

作戦行動については、第十三艦隊の参謀を務めてくれているムライとパトリチェフに任せる。

ムライは頑固なおじさんだが、手腕は確かだ。

パトリチェフは豪放な大男だが、分かりやすい良い奴である。

二人はそれぞれ性格が真逆だが、それでも参謀としては充分な能力を持っていて、イゼルローンへの移動中の短時間で、ガーズへの訓練と艦隊運動のイロハを仕込む事に成功していた。

やがて、イゼルローンに到着。

二万隻の艦隊を同時にドックに格納できるイゼルローン要塞では、既に第十艦隊と、一緒に行動していたガーズの整備と補給を始めており。

大量の補給艦が、イゼルローン回廊を忙しく行き交っていた。

ヤンの信頼するデスクワークの達人、キャゼルヌ少将は今回の作戦の補給担当だが。

気の毒なことに、恐らく今回一番負担を掛けることになるだろう。

キャゼルヌはヤンの先輩であるのだが。普段は憎まれ口をたたき合う「悪口友達」とでもいう変な仲の二人だ。

ユリアンが来てからは、既婚者であるキャゼルヌとは家族ぐるみのつきあいが更に増えるようになっていて。

ユリアンの嫁候補はキャゼルヌの娘がいいかなと、ヤンもちょっと考えているのだった。

ともかく、第十三艦隊もドッグに入って、艦隊の集結を待つ。

程なくして、後続の艦隊も続々とイゼルローン回廊に集結。

イゼルローン回廊が溢れんばかりの状況に、数週間掛けてなっていくのだった。

ヤンはその間、偵察艦隊からの情報を丁寧に受け取って、分析を行う。

予想通り、ラインハルトは完全に帝国領の入口を空にしている。来るなら来いといわんばかりの様子だ。

最前衛をウランフ提督と何度か交代しつつ、念入りに偵察艦隊を出す。

結論は、やはりという他ない。

ラインハルトは、一種の焦土作戦を採るつもりだ。

フォークがそのままこの侵攻作戦を採っていたら、文字通り各地に散った艦隊は孤立。参加したガーズも同様に孤立し。恐らくは補給路を断たれてどうにもならなくなった所を、各個撃破されていただろう。

ぞっとする話だ。

ともかく、後方に連絡を入れる。

敵の狙いは焦土作戦、と。

今まで数々の作戦で奇功をを挙げ。更には半個艦隊で敵の要塞護衛艦隊二万隻を粉砕しイゼルローンを奪取したヤンは。

既に、発言は誰にも無視出来ないものになっていた。

そうこうするうちに、イゼルローン艦隊に二十万隻、三千万人の戦力が集結する。

この戦力は、参加人数だけで言うと同盟軍の六割に達する。

しかも戦闘要員の比率はもっと多い。もしも全滅でもしたら、同盟に残る正式艦隊は二つだけ。

ガーズに至っては、文字通り全滅状態になるだろう。

やらせはしない。

ラインハルトが歴史の寵児であり。この完全に膠着した時代を変える逸材なのは分かっている。

だが、残念ながらヤンとは相容れないのも事実だ。

どれほど腐敗してしまったとしても、民主主義国家が存在する事に意味がある。

もしも、ラインハルトが完全に帝国を掌握したときのために。

ヤンは、今。

できる限りの対策をしなければならないのだ。

程なくして、各艦隊の司令官に招集が掛かる。

最終会議、というわけだ。

当然ヤンも出なければならない。秘書官としてフレデリカに。護衛としてシェーンコップにつきあってもらう。

なお、シェーンコップは女癖が最悪な事で知られているのだが。不思議とフレデリカに手を出す様子はない。

一度、グリーンヒル大将が娘はシェーンコップくんと一緒にいて大丈夫かねと聞いて来たことがあるのだが。

ヤンも苦笑いした上で、どうしてか一切興味がないようですと応えるのだった。

それにしても、美貌という点では相当なものがあるフレデリカに、どうしてシェーンコップが興味を示さないのかはよく分からない。

ともかく、二人とともにイゼルローン要塞に。

直径六十キロの人工要塞は、時に女神に例えられるが。

この要塞は、ヤンが奪取するまでに、同盟軍人の血を数百万人分も吸い上げたのだ。

女神だとしても、古代インド神話のカーリーのようだなとヤンは思って、ちょっと苦笑する。

よくしたもので、同盟首都を守る十二機の自動防衛システム軍事衛星「アルテミスの首飾り」も、アルテミスが残忍極まりない性質を持つ女神であることを考えると。まあそういうものなのかも知れなかった。

ただ、今のイゼルローンについて、ヤンは別に悪意や敵意は感じていない。

武力は単なる武力。

使う人間が使い方を間違えなければ、それでいいと考えていた。

会議室には三人の提督が既に集まっていて、ヤンは四番目だった。ロボス元帥はなんとお昼寝の最中と言う事で、それを聞くだけでげんなりしたが。

ともかく、事実上作戦を後方指揮するグリーンヒル大将とキャゼルヌ先輩が来たので、それでいいとする。

どうせ、作戦は概ねビュコック提督が実質的に指揮するのだし。

フレデリカが父に敬礼して。グリーンヒル大将も、どこか満足そうにそれに応える。娘が軍人になることに反対する父親は多いようだが。

少なくともグリーンヒル大将は、娘の意思を尊重して背中を押せる。父親としては立派な人であるのだった。

他の艦隊指揮艦も揃う。基本的に艦隊指揮は中将が務める事になっているので、中将だけでこの場に八人だ。

なお、フォークの代わりはいない。

とても有り難い話である。

流石に階段からすっころんで頭を強打した挙げ句、別の世界に行ってしまった時には困惑したが。

今は明確に、三千万将兵の命をダイレクトに危険にさらす存在がいなくなったのは、幸運だとしかいえなかった。

「それでは、最終的な作戦会議を開始する」

「ロボス元帥は昼寝中と言う事だが、このまま開始してもいいのかなグリーンヒル大将」

ビュコック提督が苦笑いをかみ殺しながら言うと、数人が噴き出しそうになって口を押さえた。

もう一人同盟にはシトレ元帥という最高幹部が存在しているのだが。

シトレ元帥にしても、民主主義国家の軍人だ。

「軍事のバランスがあーだこーだ」とバカ議員が言い出したら、それに従って黙っていなければならない。

なお、今回フォークを指名した議員共は大混乱に陥っているらしく。

連中が余計な横やりは、どうやら当面は入れて来ない様子だ。

それでいいだろう。

何しろ、ヤンの作戦は。

そもそも、前面の敵の排除よりも。

こんな馬鹿な軍事作戦に許可を出すような連中に、灸を据えることが目的だからだ。

勿論民主主義国家の軍人として、無茶はしない。

更に気になるのは、最強硬派の一角であり超タカ派で知られるヨブ=トリューニヒトがこの侵攻作戦に反対票を入れた、ということだ。

トリューニヒトのことをヤンは心の底から嫌っているが。

その話を聞いて、何かとても嫌な予感がした。

ただ、同じく侵攻作戦に反対票を投じた人に、良識派のジョアン=レベロとホアン=ルイ議員がいる。

この二人は、腐敗した政治家だらけのこの自由惑星同盟でも。

珍しい責任感のある政治家という事もあって。この後の状況で、トリューニヒトをどうにか抑えてくれることが期待できる。

ともかく、グリーンヒル大将とも、各艦隊の提督連盟で話し合いはすませてあり。作戦は既に決まっている。

反対案も出なかった。

ただ、ガーズを指揮する指揮官の一部は、作戦を聞いて反発している者もいるようである。

正式艦隊の指揮官になりたい。

そう考えるのは、ガーズに回された軍人のサガであるらしく。

この戦役で功績を挙げて、出世したいと考えている者は、どうしてもいるようだ。

ヤンはその手の人間には、あまり同意できない。

「それでは作戦は以上とする」

「異議無し……」

不意に、会議室にロボス元帥が入ってきた。

なんとお昼寝から起きて来たらしい。

大あくびをしながら、看護師らしい人物に支えられたパジャマの太った老人を見て、みんなげんなりしたが。

眠そうに会議を見回すと。

ロボス元帥は、他人事のように言うのだった。

「作戦会議は終わったのかね」

「は。 今終わりました」

「そうか、そうか。 じゃあわしはまた寝る」

「はい、ロボス元帥、足下にお気をつけてくださいね」

看護師がそう言ってロボス元帥を寝室に連れて行く。

ヤンの耳元で、シェーンコップが言った。

「もうあのご老人は、ずっと寝ていて貰った方が良いのでは」

「ああ見えても、四十代までは同盟を代表する歴戦の猛者だったんだ。 私もロボス元帥が指揮する戦闘に参加したことはあるが、時々戦術的な手腕を見せてくれる事があって、流石という程に優れていたよ」

「しかしそれもたまにでしょう」

「そうだね。 年は取りたくないものだよ」

いずれにしても、ロボス元帥が許可を出したのだ。後ろでギャーギャー騒いでいる血と利権に餓えた主戦派の議員達も黙らざるを得ないだろう。

昔帝国の兵士達は、「選挙」について、やたら同盟軍が好戦的になるというだけの印象を抱いていたらしい。

今も、それは同じかも知れない。

実際、こういう馬鹿な事をしているのだから。

 

2、想定外の動きはどちらも同じ

 

ゴールデンバウム朝銀河帝国元帥ラインハルト=フォン=ローエングラムは、その報告を聞かされて思わず立ち上がっていた。

報告をしに来たのは、彼の盟友。赤髪の長身で、非常に感じが良い男性であるキルヒアイス上級大将である。

豪奢な金髪と誰もが驚く美貌、長身、「アイスブルー」と呼ばれる程苛烈な青い瞳を持つラインハルトは。

他の誰よりも、この竹馬の友を信頼していたし。

事実キルヒアイスの能力は、ラインハルトの部下の中でも間違いなく最強。

ただ、ラインハルトが覇道の具現者だとしたら。

キルヒアイスは王道の具現者だったが。

それでいながら格闘戦の技量はラインハルトを凌ぐほどで、帝国軍の中では「トマホーク(この時代の肉弾戦で用いられる長柄斧)一本で成り上がった」と言われる暴威の権化、オフレッサー上級大将に次ぐ実力者だった。

この全く考え方が違う二人が、これほど緊密な仲の持ち主で。偶然にも近所の幼なじみとなったのは、まさに歴史と運命の悪戯。

そしてそれが故に。陰謀と暗殺渦巻く謀略の世界を乗り越え、此処までラインハルトが来られたのだとも言える。

いずれにしても。ラインハルトは苛烈な気性の持ち主で。

例え半身とも言える存在が持って来た情報でも、激怒していたが。

「同盟の軍勢が、侵攻してこないだと!?」

「はい。 同盟軍は我れらが領土に入り込むと、イゼルローン回廊周辺の無人星系を順番に占拠。 それらの星系を要塞化する作業と、その護衛に全力を投じている模様です」

「ふむ……これは何かあったと見て良さそうだな」

「恐らくは」

実は、ラインハルトはフェザーンから事前に情報を受け取っていたのである。

フォークという馬鹿者が同盟軍の軍師気取りで。見境ない侵攻作戦を仕掛けて来ると。

勿論他にもスパイ網を帝国軍は持っている。

イゼルローン回廊に空前の大軍が集結しているのは観測済だったし、明らかに大規模遠征の兆しでもあった筈だ。

フェザーンがこの情報をもたらしたのは、理由はわからない。

あの蝙蝠が、帝国にも同盟にもそれぞれすりより。

両者の争いの間で、富を蓄えてきたのはずっと昔からだ。

今更、それについて疑問にも別に思う事はない。

しばし考え込んだ後、ラインハルトは誰よりも信頼する親友にまず聞く。

「キルヒアイス、お前はどう思う」

「はい。 敵の指揮系統に致命的な問題が起きたのか、それとも我等を誘い出して遠征軍を逆に叩く形にしたいのか、どちらかとみて良いでしょう」

「そうだな。 そもそも今回の敵の侵攻に対して、静観を決め込むようにと皆に告げたのは俺だ」

ラインハルトは焦土作戦の末に、帝国領内に引きずり込んだ敵を各個撃破するつもりだった。

過去にも似たような経緯になった戦争が存在したと聞いている。

ラインハルトほどの常勝の天才でも、セオリーは守る。

それだけである。

更に、焦土作戦を更に完璧にするため。同盟軍がくると想定される星域には、軍を既に派遣。

同盟軍の接近と同時に、あらゆる物資を引き上げて。同盟軍が占領した場合、住民に物資を食い潰させるようにも手配していた。

これにより、同盟軍の消耗は更に激しくなり。

更に頃合いを見て補給線を叩く事により。

占領地での暴動まで発生させ。

同盟の人間に対する敵意まで、民に植え付けることが可能になる。

ただ、この民草を意図的に苦しめる策は、キルヒアイスはいい顔をしなかった。

現在参謀として取り入れている人物、オーベルシュタインによって提案された作戦であり。

実際問題、幼い頃に極貧生活を経験しているラインハルトは。

自分と同じ思いを乳幼児までするという事をすぐに悟り、あまり良い気持ちはしなかった。

だが、自分やキルヒアイスと違う考えが出来る参謀の存在は貴重であったし。

何より効果的だと判断したから、作戦は採用した。

ラインハルトは、独立分艦隊を指揮するようになった頃。最初に、習った戦術の何が有効かを実際に試したことすらある。

それくらい好戦的な反面上昇志向も強く。

手元にアクの強い人材が揃ったのも、それが故だ。

「もう少し、同盟軍の動きを監視させろ。 それと情報収集だ」

「分かりましたラインハルトさま」

「うむ……」

何かあったのなら、それはそれでかまわない。

そもそも、「こうなると決まっている」等とラインハルトは考えていない。

今回は、敵があり得ない動きを始めたから怒りを感じただけ。

怒りはキルヒアイスと話している間に収まった。

同盟には、ラインハルトも認める知将、ヤンが存在している。

あの者が何かしらの動きをした結果、同盟軍が想定外の行動に出ているのであれば。ラインハルトとしてはむしろ望むところ。

むしろ、今後の楽しみの一つであった。

 

二週間ほどして、情報がほぼ確定する。

幹部会議がラインハルトの前で開かれる。元帥として帝国正規艦隊の半数を率いているラインハルトの麾下には、問題児だったり問題児だったり問題児だったりと色々な提督がいるが。

基本的にどの提督も、有能な事は間違いなかった。

キルヒアイスに指示したが、情報収集を担当したのはオーベルシュタインである。

若いのに髪に白いものが混じっており、目は義眼。先天性の病によるものである。今でこそ緩和されたが、昔の帝国では「劣悪遺伝子排除法」などという狂気の法が稼働していた。障害を持つ者や開祖ルドルフ帝から見て「健全では無い思考の持ち主」、具体的には同性愛者などをを容赦なく殺戮する悪魔のような法であり。もしも昔だったら幼児の頃にオーベルシュタインは殺されていただろう。オーベルシュタインは「ドライアイスの剣」等と言われているが。一方で、その行動原理がゴールデンバウム朝への燃え上がるような怒りである事も知っている。

だから、周囲にどれだけ嫌われようと信頼していたし。

周囲の提督達も、オーベルシュタインを大嫌いなのが目に分かる程だったが、それでもラインハルトへの絶対的な忠誠心は苦々しく評価しているのだった。

「ローエングラム伯、同盟に忍び込ませていた間諜から連絡がありました」

「うむ、聞かせよ」

「どうやら同盟軍は今回、フォークなる男が私的に持ち込んだ作戦によって侵攻を決定した模様です」

「……」

呆れ果てた様子の提督達。まあフォークの無能さは既に諜報でラインハルトも知っていた事だが、私的に作戦案を持ち込んだとは。

民主主義という思想が銀河帝国では既に遙か過去のものとなっており、思想を理解していない者は多い。

だが、それにしても政治や軍事が腐敗しているかどうかくらいは一発で分かる。

同盟も腐りきっているな。

そう、大なり小なり帝国の腐敗によって苦汁をなめてきた提督達は思っている様子がラインハルトには理解出来た。

「政界とのパイプを強く持つフォークの手と、画期的勝利により権力を得たい者達による利害の一致。 それが今回の侵攻作戦のようなのですが。 どうやらフォークの身に重大な事件が起きたようですな」

「重大な事件とは具体的に何か」

ラインハルトの部下でもキルヒアイスについで特に優秀な二人。速攻戦術を得意とするミッターマイヤーと。攻守共に完璧に近いとも言われる金銀妖瞳、つまりオッドアイの野心家ロイエンタール。声を上げたのは、特にオーベルシュタイン嫌いを公言しているロイエンタールだった。

勿論、オーベルシュタインもその辺りは抜かりがない。

「内容については把握している。 フォークという男は取り巻き達と一緒に調子に乗って歩いている最中、階段でバナナの皮を踏んで後頭部を強打し、そのまま意識を手放したようだ」

「バナナの皮ぁ!?」

ミッターマイヤーが呆然と声を上げる。

他の提督達も皆、あり得ない事態に驚いているようだった。

普段は硬質の美貌を持ち、女漁りで有名なロイエンタールですら、顎が外れたような顔をしている。

ぶっと噴き出したのは、部下達の中でも随一の猛将と言われているビッテンフェルトである。

猪武者を絵に描いたようなビッテンフェルトには、このあまりにも奇なる現実は耐えられなかったらしい。

まあ、そうだろう。

ラインハルトも先に説明を受けたとき、数秒ほど思考停止してしまった。

気持ちは大いにわかる。

「そ、それでフォークを失った、というかフォークが自爆した同盟軍はどうして消極的になったのだ」

「フォークの作戦案を見直して、無謀である事に今更ながら気付いたのだろう。 提督達がもう一度会議を行い、作戦を決め直したそうだ」

「総司令官はどうしているのか」

「今回の同盟軍の総司令官はラザール=ロボスという男だが。 昔は切れ者として知られているが、現在では老人性痴呆症を疑わせるほどの有様だそうだ。 作戦会議の最中は昼寝をしており、作戦が決まった後は結果を全認した挙げ句また眠ったそうだ」

耐えきれなくなったらしく、更に何人かの提督が噴き出した。

コントか。

そう誰かがぼやく。

ラインハルトも同感である。

だが、それによって当初の殲滅計画が上手く行かなくなったのも事実。

このまま同盟がイゼルローン回廊の周辺を要塞化し、イゼルローン要塞と連動して動くようになったら面倒だ。

ラインハルトの最終的な目標は、全宇宙を手に入れる事。

此処で言う全宇宙とは、オリオン腕に存在している銀河帝国と自由惑星同盟、更にはフェザーン自治領の事だが。

ともかく、これらの統一が目標だ。

それには、勝ち続けなければならない。

何かしらの手を打ち、極めて堅実に足下を固め始めた同盟軍をどうにかしなければならないだろう。

作戦会議を開始する。まずは、意見を聞くべきだ。そうラインハルトが判断したのである。

最初に元気よく手を上げたのは、ビッテンフェルトだった。子供の様に目を輝かせている。この男は戦争がとにかく大好きなのだ。ラインハルトも戦争は好きだが、方向性はちょっと違う。

「ローエングラム閣下!」

「何か、ビッテンフェルト」

「是非先鋒を御命じください! 我が黒色槍騎兵の破壊力を持って敵群に打撃を与え、引きずり出して見せましょう」

「ふむ、案としては悪くないが……他に案は?」

幾つかの案が出てくる。

だが、いずれもがラインハルトを満足させるには至らなかった。

それよりも、問題がもう一つある。

帝国には現在、ブラウンシュバイク公を始めとする門閥貴族達が最大勢力を築いていて、反ラインハルトの意思を隠そうともしていない。

戦闘が長期化したり、敵の作戦……イゼルローン周辺の星域の要塞化が成功してしまうと。連中が何をするか分からない、と言う事だ。

不意に、オーベルシュタインが案を出す。

それを聞いて、提督達が唖然としていた。

「貴様、正気か!?」

「大いに正気だ。 それにいずれは敵になる連中だ。 今のうちに手を打って置いた方が良いだろう」

「そうだな。 それも確かだ」

ラインハルトとしても、異存はない。

ラインハルトの麾下には、この時代の帝国軍における俊英がほぼ揃っている。麾下に入れる事がまだかなわない人材もまだ何名かいるが、それもこの後には麾下に入れて行きたいものである。

ラインハルトが立ち上がる。

そして、陰気な顔をしているオーベルシュタインに、作戦の実施を命じた。

 

ラインハルトの元帥府に、怒鳴り込んできた者がいる。

作戦会議から、数日後のことである。

どうやら、オーベルシュタインの作戦が上手く行ったようだった。

乗り込んで来たのは、ブラウンシュバイク公オットー。帝国最大の大貴族であり、私的財産だけで一個艦隊相当の守備隊を抱えている凄まじい金持ちだ。

富の不公正が服を着て歩いているような人物であり。

現在の皇帝の孫が娘にいる。

つまり外戚という観点では、ラインハルトと同じだが。

元々帝国騎士と言われる最下級貴族だったラインハルトが、「姉の色香に狂った皇帝陛下により」のし上がった事を徹底的に憎んでいるらしく。今まで何度か暗殺者を送り込まれている。

その全てを返り討ちにしているが。

ともかく、通してやる。

元帥府に来たブラウンシュバイク公は、恰幅の良い人物であり、一応階級は元帥である。ただし実際の戦歴はごく僅かで、国内での内戦によるものだけだ。

階級も学歴も金で買うのが当たり前。

地球時代も、富裕層や既得権益層は「裏口入学」などと言う手段……要するに学歴をコネや金で買い、それで「優秀な教育を受けている」「コネも実力のうち」等という寝ぼけたことをほざいていたらしいが。

今の腐敗しきった銀河帝国では、裏口を使う必要もない。

貴族の格や現状の力関係にあわせて士官学校などでは成績が与えられ。実際には殆ど学校に行かずとも主席で卒業するものすらいる。

これが、「富裕層が受ける優秀な教育」とやらの現実だ。

実際問題、元帥であるブラウンシュバイク公は、大軍を率いていながら孤立して兵も少ない内乱軍の鎮圧に大苦戦した華麗な戦歴の持ち主である。

ラインハルトとしては、笑止極まりなかった。

「ローエングラム伯! どうして皇帝陛下からの指示に従わず、消極的な動きしかしていない!」

「それも作戦の故ですが、何か」

「ぬぬう、何という憶病な!」

憤激するブラウンシュバイク公。

どうでもいい。

憤激すれば周囲があわててくれるし、「空気を読んで」くれる。そしてブラウンシュバイク公の主観こそが正義。

そういう世界で生きてきた男だ。客観という概念そのものがないのである。

勿論ラインハルトは、冷めた目でその様子を見ている。それが、更にブラウンシュバイク公を噴火させた。

「敵軍が、我が領土である星系を狙っているという報告が来ている! 相手が烏合の衆とは言え、流石に数が多すぎる! 迎撃をしないのはどうしてなのか!」

「軍事上の機密故に応えるわけにはいきませんな」

「お、おの、おのれっ……」

「ブラウンシュバイク公」

ブラウンシュバイク公の腹心であり、ラインハルトも優秀だと認めている人物。アンスバッハ准将が、主君をたしなめる。

鼻息荒く血管が切れそうな様子の主君の耳元に、何やら囁くと。やがて、ブラウンシュバイク公はふんと鼻をならして靴音高く元帥府を出ていった。

アンスバッハは、極めて有能な補佐役だ。

何度かあったが、悪い印象を受けたことはない。

「失礼いたしました、ローエングラム公。 今回の事は、お気になさらずに」

「かまわぬ。 それよりも卿も大変だな」

「私は元々ブラウンシュバイク家に代々仕えてきている身です。 これが仕事でありますが故」

だいたいの場合、無能で傲慢な大貴族を支えているのが、こういった腹心達だ。

だが、それらの腹心達も、既に無能な者が目立つようになっている。

確かアンスバッハの一族も、代々優秀だった訳でもないらしく。今の代のアンスバッハが図抜けて優秀であるだけらしい。

一礼して、元帥府を出て主君を追うアンスバッハ。

控えさせていたオーベルシュタインを、ラインハルトは呼んでいた。

「どうだ、上手く行っているか」

「は。 ブラウンシュバイクだけではなく、リッテンハイムにも同じような情報を流しておきました。 今監視カメラで確認していますが、案の定二人で皇帝に直訴する模様です」

「ふっ、好きにさせておけ」

「ご随意に」

リッテンハイム侯。ブラウンシュバイク公と同じく皇帝の孫娘を要する帝国の大貴族の一人。

一応現在はブラウンシュバイク公と協調する姿勢を見せているが、それはラインハルトという共通の敵がいるため。

今回、まとめて始末してしまうのがいいだろう。

そう判断したからこそ、オーベルシュタインの作戦に乗ったのだ。

キルヒアイスに後で話を聞いたところ、二人を倒す事に不満はないと応えた。

だが、二人の犠牲に多数の兵士達が巻き込まれるのは看過しがたいとも、正直に応えた。

この優しさはキルヒアイスの天性のもので。

苛烈すぎると自分の性格を自認できているラインハルトには、本当にまぶしいものだった。

だが、キルヒアイスも分かってくれた。

もしも内戦になれば、更に大きな被害が出ることは確定である。

更には、二人の大貴族には、同盟は数だけ集めた烏合の衆だという情報も既に流してある。

簡単なものだ。

主観でしかものを判断出来ない人間は、基本的に自分の都合のいい情報だけを鵜呑みにする。

翌日には一報が届く。

ブラウンシュバイクと、リッテンハイムが中心となり、ラインハルトの麾下にいない艦隊と。更には自分達に友好的な貴族とその私兵を集め。「敵に恐れを成して消極的になっている臆病者の」ラインハルトの代わりに、同盟軍を討つというのである。

皇帝はそれを許可したそうだ。

結果として、首都星オーディンから、次々に名のある大貴族と、編成もいい加減な艦隊が飛び立っていくことになった。

無理矢理この作戦につきあわされた面子の中には、いずれ麾下に加えたいと思っていた貧乏貴族でありながらたたき上げで此処まで出世したファーレンハイト中将や、同盟のビュコック提督と並ぶ戦歴を誇る帝国の軍歴、メルカッツ上級大将がいたが。

まあ、あの者達がいた所で、バカ二人を御すことは不可能だろう。

一応形としてはメルカッツが参謀格として総大将のブラウンシュバイクを支える態勢になったようだが。

そもそも、宇宙に出た途端艦隊運動も何もない無茶苦茶を貴族達は始める有様で、この後何が起きるかは分かりきっていた。

これではメルカッツも苦労しているのは確実だ。そしてメルカッツが苦言を呈しても、貴族共は歯牙にも掛けないだろう。何しろメルカッツも、元々下級貴族から、苦労して成り上がったのだから。つまり大貴族にとっては、階級が上だろうが「自分より下」なのである。それにメルカッツは殆ど政治的な工作をしない事で有名で、「つまらん男」と大貴族達に呼ばれているのだった。

そして、貴族共が「ピクニック」に出かけたのを見計らい、ラインハルトも立ち上がる。戦いの時だ。

既に元帥府には、部下達が集まっていた。

「これより、帝国領に侵攻してきた同盟軍を撃ち払う!」

「おおっ!」

此方は、帝国の俊英達。今の世代最強の精鋭達だ。

数だけ揃えたブラウンシュバイクの軍勢など、問題にもならない。

シャンパンがグラスに注がれ配られる。ちなみに下戸もいるので、アルコールの度数は極めて低めのものを敢えて選んである。

酒豪の方が強いとか、そういう妄想からだけはこの時代の者は解放されている。

まあ、多分それは良い事なのだろう。

ラインハルトが杯を掲げて、ぐっとシャンパンを飲み干すと。その場の幹部が全員それに習う。

そして、みんなで一斉に杯を地面に投げつけた。

「プロージット!」

ガシャンと割れる哀れな杯。

ともかく、これをやるのが帝国流なので、もったいないが仕方がない。後で元帥府の掃除は、小間使い達がするのである。

極貧生活を幼い頃経験しているラインハルトは、この習慣を止めさせるべきかなと一瞬思ったが。

まあ、今は別に良い。見た目は格好いいし、なにより士気も上がるし。

こういう無駄を排除するのは、帝国の権限を全て握ってからで良いだろう。

ブラウンシュバイク公が率いる烏合の衆、およそ艦艇十五万隻が各地で合流しながら、一応向きだけ保って同盟軍に対して驀進を開始。

その後を、まるで夜闇を舞う梟のように。

ラインハルトが率いる帝国の真の主力。艦艇十三万五千隻からなる九個艦隊が、牙を研ぎ終え出立を開始していた。

 

メルカッツ提督は、大きな溜息をつくと、自室に戻った。

そうだとは知っていたが。ブラウンシュバイク公の立てた作戦は幼稚そのもの。これはあたら十五万隻の艦隊を、放り捨てるようなものだった。

最悪の場合でも、全滅は避けなければならない。

それに、あの若き天才、ラインハルトがこの出撃を煽った節があるのが気になる。ひょっとすると。

ふっと、苦笑が老いた喉から漏れていた。

先に、ファーレンハイト中将を呼ぶ。

今回作戦に参加する中では、メルカッツも認める極めてまともな将軍だ。元々同じような貧乏貴族の出身者。門閥貴族以外では人権がないに等しい帝国というこの歪んで老いた国家における、理不尽を見続けた身だ。

先に話をしておく。

ファーレンハイトは速攻型の猛将で、最悪の場合血路を開くのにもっとも適した人物だった。

「今回の作戦は負ける」

「同感です。 あの大貴族ども、同盟の正規兵を貴族の私兵で相手に出来ると本当に思っているのか」

ファーレンハイトの言葉も当然だ。

大貴族達が自慢げにかき集めて来た自領の艦隊は、見た目だけしか立派では無い。

趣味に合わせて武装が偏っていたり、或いは無駄に金だけ掛けたのが明白だ。

ブラウンシュバイク公の旗艦ベルリンに至っては、盾艦などと言うものを装備させている有様である。

これは戦艦の両舷に、いざという時は盾になることだけを目的とした艦を据え付けたものであり。

当然中の人間ごと、最悪の場合は盾となって散る事になる。

こんな代物に乗せられる兵士がどう思うか。

そんな事すら、ブラウンシュバイク公は分からない。そもそも平民を人間とさえ思っていないのだから。

リッテンハイム侯も対抗して盾艦であるオストマルクを作っていて、作戦時に旗艦とするようだ。

そして早くも、ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯は作戦上で対立を見せ始めていて。

どうにもならないのは、今から明白だった。

「如何に愚かな作戦が行われるとしても、兵士達に罪はない。 最悪の場合は、わしが殿軍を引き上げる。 その時卿には敵の包囲網の突破を頼む」

「了解いたしました。 しかし、このような作戦で死ぬ必要はありますまい。 最悪の場合は、敵に降伏を」

「そうだな、もしも余裕があったらそうしよう」

「……」

敬礼して、ファーレンハイトが去る。

天井を仰いだ後。メルカッツは家族に、今回はかなり厳しい戦いになる事。最悪の場合に備えておくことを。

それぞれメールにして送っていた。

 

3、激戦

 

ヤンの読み通りの事態が起きていた。

同盟軍が制圧した星系は合計十七。これらの全てを急いで要塞化しているのだが。これだけで、連年戦争を飽きずに続けて来た同盟軍は、物資が枯渇し始めてきたのだ。

同盟の経済は既に相当厳しい事になっており、特に以前アスターテの会戦で大敗を喫した事もある。

既に遺族年金だけでも膨大な額になり経済を圧迫。

更には臨時国債を発行して凌ごうとしているが、それは経済を更に圧迫する事が明白だった。

もしも、フォークのいうような作戦案を採用し、見境なく帝国領に進軍していたら。

各地で民を養うためのプラントやら、物資やらもこれに加わったのだ。

フォークのことだから、百や二百の星系を制圧した所で満足せず、見境なく進軍を行っただろうし。

そうなっていたら各地の防衛網は間隙だらけになり、地の利を有する帝国軍は、実に簡単に同盟軍の補給線を断つことが可能だっただろう。

早く戦って、決定的な勝利を得ろ。

そう、今回の戦争を行うように指示してきた議員共は矢の催促をしてきていた。

同盟内でも、反戦派が今はかなりの人数がいる。

流石にこの出費は酷すぎると、彼らが反発を始めていた。

インフレが進んでいることもある。

民も、軍の六割もの動員を掛けて、更にこの出費と言う事には不安があるようで。それに同調。

作戦を決定した議員達は、急速に支持を失いつつある。

それもあって議員達は必死に鮮血の宴を望んでいるようだったが。

ロボス元帥は相変わらずイゼルローン要塞でお昼寝タイム。

前線に来る指示については、ビュコック提督が「今忙しい」の一言だけで無視。グリーンヒル大将も、静観するばかりだった。

さて、そろそろ良い頃だろう。

そう判断したときに、偵察部隊から連絡が来る。

帝国軍接近。敵の数は最低でも十万隻。

ローエングラム伯による攻撃とは考えにくい。

ヤンは提督達と連絡を取り、早めに部隊の集結を行う。そうこうする内に、敵の情報が追加で入ってきた。

敵の軍列を見て、提督達が呻く。

「なんだこれは……」

「まるで規則性がないぞ。 何かしらの罠か?」

「いや、これは違うな。 単なる烏合の衆だ」

「この無秩序で勝手極まりない編成……恐らくですが、大貴族達の艦隊でしょう」

ホットラインをつないで、ヤンが話をする。

これも、想定の一つだ。

ローエングラム伯は恐らくだが、同盟の動きを見て作戦を変える筈。

その場合、幾つか打ってくる手は考えられたが、それがこの一つ。どうせ将来争うことになる貴族達をたきつけて、ぶつける。

勿論同盟軍が勝つだろうが、連戦になればどうか。

既に同盟軍の物資不足は、ローエングラム伯にも伝わっているとみて良い。総力戦を一回やれば、それで弾切れだ。

そして、今回制圧した星系に設置した要塞は、殆ど全てが自動迎撃システムである。

幾つか、首都星にあるアルテミスの首飾りの廉価型のようなものもある。

こんな無人迎撃システムなどが如何に無力なのか、見せておくのも良いだろう。そうヤンは考えていた。

なお、起きてくると一番面倒なロボス元帥は、グリーンヒル大将が様子を見てくれている。幸い、今日もぐっすりのようである。

「一部、敵に統率の取れている艦隊がいます。 指揮しているのは正式艦隊の提督とみて良いでしょう」

「ふむ、それでどうする」

「速攻でこの敵を仕留めて、即座に同盟領に撤退。 予定していたプランCが無難かと思われます」

「同感だな」

ビュコック提督が、皆に指示を出す。八艦隊の提督達にも、異は無い様子だった。

二十万隻の同盟軍艦隊が、重厚な横列陣を敷く。これに対して、貴族達が率いる艦隊は、秩序も何もあったものではない。

一応、紡錘陣形らしいものをとったまま、無秩序に殺到してくるのだった。

作戦で、もっとも負担が大きい部分については、ヤンが率いる第十三艦隊が指揮を執る。これについては、事前に報告してある。

十五万隻の艦隊が迫ってくるのは、流石に大迫力だ。この規模の会戦は、同盟帝国どちらの歴史にも存在しないはずだ。しかもこの艦隊を壊滅させても、敵には無傷のローエングラム伯の艦隊が控えている。

戦艦ヒューベリオンの艦橋指揮シートに、ちょっと行儀悪く座る。これがヤンの戦闘時の最もリラックス出来る姿勢だ。

最初はムライなどの苦言を呈する部下もいたが。今では、すっかりこれが板についていた。だから、ムライも何も言わなくなった。

「敵、全砲門開きました! 攻撃してきます!」

「間合いに入るまで各自しばらく放置。 流れ弾だけは警戒して防御に徹せよ」

敵は間合いも理解していない。戦艦の主砲の火力は大きいが、既にボタン戦争の時代は終わっているのだ。

各戦艦には距離が適切ならあらゆる攻撃を防げる機能が備わっている。

そのためこの時代でも間合いは存在しており、敵はそれを理解出来ていなかった。

同盟艦隊は反撃もしてこない。

怖れているに違いないぞ。

そう判断したのだろう。

更に敵は秩序を乱し、突撃してくる。正式艦隊ではあり得ないこの雑多さ。やはり各地の貴族領からかき集めた、大貴族の私兵が殆どだろう。

正式艦隊は二つほど。

どちらも艦隊中央ほどで、静かに戦況を見ている様子だ。

ウランフ提督とボロディン提督に、あの二つの動きを警戒してほしいとすでに連絡は済んでいる。

後は、戦うだけだ。

「敵、間合いに入りました!」

「よし、撃て」

ヤンが指示を出す。同時に、正式艦隊として錬磨されている練度が全力で発揮される。謎の自信で絶対に勝てると思い込んでいる敵艦隊前衛部隊が、文字通り一瞬で消滅。更に、横列陣を敷いていた味方艦隊が、一気に動く。前衛を粉砕された敵に向け、まるで巨鳥が翼で包み込むかのように。一気に左右両翼が前進。巨大なV字型を作りあげ、十字砲火の焦点に引きずり込んだのだ。

密度も練度も桁外れの火力が、何も考えずに殺到してきた貴族達の艦隊を乱打する。通常艦隊のものよりも、カタログスペックだけは高かったりするような艦艇も見受けられたが、ただそれだけ。

中には見かけだけをどう豪華にするかだけを考えたような艦艇も多く。

しかもそれらが全て雑多に反撃してくる。そんなものは、有効打にはなり得ない。

ヤンは指揮シートに座ったまま、様子を見る。現時点で、味方と敵のキルレシオは1対10。更に、1対15になりつつあった。

警告音がなる。

一際巨大な敵艦が捕捉されたのだ。

同盟軍もスパイを帝国に飼っている。故に、それが戦艦オストマルクであり、帝国を代表する大貴族リッテンハイム侯の旗艦であることは即座に分かった。

オストマルクは一瞬にして壊滅しつつある味方に右往左往しているようで、敵前回頭して逃げようとしていた。

敵前回頭か。

状況次第では、それが勝利を呼ぶ事もあるのだが。

今はあり得ないな。

そう判断しつつ、ヤンは斉射を指示。ヤンは麾下の第十三艦隊には、演習の際に一点集中砲火を叩き込んできたが。

もろにそれが効を示す事になった。

オストマルクの左舷にあった「盾艦」が一瞬にして吹き飛ぶ。オストマルクの巨体が揺らぎ、それでも必死に逃げようとしているのが分かったが。その横腹に、レーザー水爆ミサイルが直撃。それも複数同時。

爆発。レーザーの超高熱で核融合を引き起こすミサイルだ。それが直撃してしまうと、もうどうしようもない。

巨大な火球が戦場に出現する。わっと喚声が上がっていた。リッテンハイム侯は、恐らく死んだ事すら理解出来なかっただろう。

「戦艦オストマルク撃沈! 完全破壊です!」

「攻撃の手を緩めるな。 全艦、主砲斉射準備」

「主砲斉射準備!」

オペレーターが各艦に通達。

この後に及んで、漸く相当に危険な状態である事を理解したのだろう。ピクニックにでも来たつもりだっただろう貴族達の艦艇は、まるで人食い熊に至近で遭遇したハイカーのように逃げ回り。左右からの凄まじい砲火から逃げようと、中央部に集まり始める。

其処に、ヤンが指示を出す。

「敵中央部に一点集中砲火。 撃て!」

密集した敵艦隊が、文字通り爆発四散する。

その被害は短時間で、数千隻にも及んだ。統制を失った敵艦には、僚艦にぶつかって爆沈してしまうものまであった。更に全軍からの主砲斉射が入る。とどめとでも言うべきだった。

敵軍の最初の意気など既に消滅している。ついに敵が逃げ始める。それを、一部の味方艦隊が追撃しようとしたが、ビュコック提督の厳しい通達が飛んでいた。

「だれが追撃をして良いと言ったか! 敵にはまだ主力が控えている! 即座に後退し、隊列を立て直せ!」

主にガーズを中心とする部隊が追撃をしようとしたのに水を差し。そして、急いで隊列を整える。ガーズの一部はやはり痛烈な反撃を受けてすごすごと逃げ帰ってくるが、怒るのは後だ。

殆ど同時に、偵察部隊から連絡が入っていた。

「新たな敵艦隊接近! 数は最低でも十万隻!」

「本命が来たな……」

ヤンはベレー帽を取ると、髪の毛を掻き回す。

眼前の敵は半数以上の艦艇を短時間で失い、もはや逃げる事しか考えていない。その無様な連中を、最初から冷静に動いていた二つの艦隊が庇いつつ、逆撃の構えを見せている。下手な追撃など掛けたら、あの艦隊に猛反撃を受け。しかもローエングラム伯が率いるだろう敵本隊との挟撃を許すところだった。

側に控えている副官フレデリカに確認する。

「此方の残弾は?」

「エネルギータンク、ミサイル、レールキャノン、あらゆる装備を総合して残り三割という所です」

「潮時だな。 私が最後尾に残る。 各艦隊に、予定通り撤退するように連絡をしてくれ」

「分かりました。 直ちに」

本来だったら時間差各個撃破戦法のエジキにも出来る状況だが、貴族の艦隊も半減したとは言え、あの二つの艦隊が健在。

もしも敵を率いていると思われる大貴族が態勢を立て直したら、烏合の衆とは言え各個撃破出来る可能性は低い。

それに名のある門閥貴族だけで既に十数人の戦死が確認できている様子だ。今後、帝国には大きな影響があるだろう。

それが良いか悪いかは話が別。

ともかく今は、後退して態勢を立て直すのが先だ。

更に、この短時間で此処までの戦果を上げられたのには、最初から全力での戦闘を敵に仕掛けたこともある。

敵も一応武装しているのだ。

油断している内に、叩けるだけ叩く。

その作戦は、図に当たった。勿論、その後はさっさと撤退する事が前提の作戦だ。

全艦隊をビュコック提督が指揮して、アムリッツア星系を目指して逃走を開始。凄まじい勢いで迫ってくる艦隊あり。

疾風の名を持つミッターマイヤー提督の艦隊だろう。後退しつつ、ヤンはそれを迎撃開始していた。

 

「敵軍は予想通り後退を開始した模様です」

「……そうだろうな」

ラインハルトは、全艦隊をまとめて戦闘区域に急行していた。案の定、滅茶苦茶に蹂躙された貴族連合の艦隊は文字通り半壊。どうにかメルカッツとファーレンハイトが全滅は防いだようだが。

リッテンハイム侯は乱戦の中で戦艦オストマルクごと粉々になり。

親ブラウンシュバイク派の大貴族が、多数戦死したことがもう伝わって来ている。

ただ、同盟側もこれで弾薬を大半使い切ったはずだ。猛禽のように襲いかかったミッターマイヤーの艦隊に続いて、ラインハルトも全軍を急がせる。

横に、撃破された貴族連合の艦艇が見える。

短時間の戦闘で、七万隻以上を失ったと報告があった。戦死者は900万人近前後という有様だという。帝国史に残る惨禍だ。

いずれ戦わなければならない相手を、こうやって排除することが出来た。それはそれで良いのだが。

あの有様、もう少しマシな用兵はできなかったのか。

そう怒鳴りつけてやりたくなる。

ともかく、前進を続ける。

ふと、通信が入っていた。

ブラウンシュバイク公からだ。放っておけと言いたい所だが。何度も連絡が来るので、うんざりしながら受けさせる。

どうやらブラウンシュバイクの旗艦ベルリンは大破したらしく、頭から血を流したブラウンシュバイクが、画面の向こうで怒鳴っていた。

「何をやっていたのか! もう少しで全滅する所だったのだぞ!」

「私を臆病者とまで罵って出撃したお方の言葉とはとうてい思えませんな。 今敵を追撃中です。 負傷したのならさがられよ」

「ま、待て! この艦も、いつ爆発するか分からない状態なのだ! すぐに支援を寄越してくれ!」

「それなら早々にシャトルに乗って脱出なされよ。 此方もそろそろ接敵する所ですので、通信は切らせていただく」

通信を切る。

まあ、ブラウンシュバイクにはアンスバッハがついている。アンスバッハが生きているなら、多分あの低能も命を拾うだろう。アンスバッハが戦艦ベルリンが大破した時に戦死していたらそれまでだ。

まあ、どちらにしてもどうでもいい。

これほどまでの失態。流石にブラウンシュバイクも、以降は帝国内での肩身が狭くなる。更にはもう一人邪魔だったリッテンハイムも片付いた。

充分過ぎる戦果だ。

前衛のミッターマイヤーから連絡。

ラインハルトは、眉をひそめていた。

「敵第十三艦隊と交戦中。 申し訳ありませんが、我が艦隊での突破は恐らく不可能かと思われます」

「神速を誇る卿の艦隊でか」

「は。 敵の艦隊運動は私の艦隊を凌いでおります」

「ヤン=ウェンリーめ……!」

ラインハルトは全軍に突貫を指示。敵第十三艦隊は、それと同時に後退を開始。きわめて不安定な恒星系であるアムリッツア星系に逃げ込む。敵の主力は既に撤退を殆ど終えていたが、まだ少数がいるようだ。

ヤンの艦隊を包囲しろ。

そう指示を出す。だが、その時。周囲から、思わぬ攻撃が殺到していた。

無人衛星兵器だ。

即座に各艦隊に通達し、迎撃を開始させる。

側に控えているオーベルシュタインが、冷静に判断していた。

「同盟自慢のアルテミスの首飾り……或いはその廉価版でしょう。 まともに戦っては大きな被害を出すでしょうな」

「このような相手に被害を出すのも馬鹿馬鹿しい話だ。 ……ちっ、突破出来そうにもないな」

敵艦隊の残っている部隊は、どれも最精鋭のようだ。無理に少数を割いて攻撃させても、効果的な打撃は期待できないだろう。

いずれにしても、この艦隊で押し潰すにしても、短時間では不可能。

この宙域に来るまでに情報収集して確信したが、同盟は今回の作戦で人員よりも経済的にとんでも無い被害を出している。

制圧した無人星系に無駄に配置した無人要塞のためだけではない。二十万隻の艦隊の物資の消耗のためだ。それを長時間動かした事による消耗は、経済が低迷している同盟には大きな打撃となったのである。

しつこく食い下がってくる衛星兵器に攻撃を集中。レーザー水爆ミサイルの集中砲火を浴びて、一つが粉々になる。被害を減らすために、集中攻撃で一機ずつ撃破する。その間に、敵艦隊はどんどん撤退を完了させていく。

ヤンの第十三艦隊は最後まで残って盾になっていたが。次々に衛星兵器を撃破成功し始める頃には、撤退を開始していた。

「追いますか?」

「よせ、無為に追えばイゼルローン要塞と、敵の残りの戦力から逆撃を受ける事になる」

「分かりました。 良いように」

「各艦艇に通達。 邪魔な石ころを排除し、敵に奪われた星系を奪還するとな!」

一礼すると、オーベルシュタインは席を外す。

一人になったラインハルトは、しばらく我慢したが。

激情のまま、指揮シートを拳で殴りつけていた。

キルヒアイスほどでは無いにしても、相当な格闘戦能力を持つラインハルトだ。可哀想な指揮シートは痛いとばかりに軋みを挙げたが。

そんなこと、知った事では無い。

ラインハルトもちょっと手が痛かったので、無言で手を振って痛みを誤魔化す。

またしてもヤンにやられた。

その怒りが、あまりにも強い。

侵攻してきていた同盟艦隊を追い返した。将来の敵となる大貴族共も半減させた。味方艦隊の被害は最小限。更には全ての帝国領の星域を奪還するのも時間の問題だろう。その上、同盟の経済には決して修復できない罅だって入れた。

だが、ラインハルトが望んでいたのは完膚無きまでの勝利だ。

同盟艦隊を、もう少しで背後から強襲し、全滅させる事が出来たはず。それを阻んだのは、冷静極まりないあの行動。

ヤンがやったに決まっているのだ。

ほどなくして、偵察艦隊から連絡が来る。

敵は全てイゼルローン回廊に撤退を完了。再進撃の様子はなし、と。

偵察艦隊は仕事をしただけ。怒鳴るわけにもいかない。

ラインハルトは自室に閉じこもると、しばらく怒りを鬱屈させるのだった。

 

最後にイゼルローンに戻って来たヤンは、冷や汗を何度も拭っていた。

猛進してきた敵艦隊。ミッターマイヤーの艦隊の艦隊運動は凄まじかった。あれほどの速度と展開。

何度も冷や汗を掻かされた。

激しい戦いの末に退け。敵本隊をアムリッツア星域に引きずり込むことが出来た時点で、逃げ延びる事は確定した。

衛星兵器を多数使い捨てたが。

これでいい薬になったはずだ。

首都星ハイネセンは、十二個のアルテミスの首飾りに守られているが。そんなもの、大艦隊の前には何の役にも立たないと。

ローエングラム伯は今回正攻法でアルテミスの首飾りの廉価版とも言える無人衛星兵器を破壊して見せたが。

あれと同じ事が首都星ハイネセンを守るアルテミスの首飾りにも可能な筈だ。勿論他にも破壊手段などいくらでもある。

それが分かっただけで、充分過ぎる成果だとも言えた。

それに、味方の兵士を可能な限り生還させることも出来た。

自由惑星同盟の経済にはとんでもないダメージが入ったはずだが、それは選挙で選ばれた政治家達が望んだこと。民主主義国家なのだ。あんな議員達を選ばないように、次はするしかない。

今回の戦いは負けだ。

確かに大貴族達の艦隊に対して、記録的な損害を与えた。だが同時に、各地の要塞化した無人星系は全て奪回された。

もしもこれが、フォークの提案した無差別侵攻作戦だったらどうなっていたか。

考えるのも恐ろしかった。

被害は、こんなものではすまなかっただろう。

下手をすると、三千万将兵が全滅する可能性すらあったのだから。

「味方の損害はどれほどだろうか」

「合計しておよそ8000隻。 96万人ほどのようです。 特にガーズの被害が大きいようですね」

「参ったね。 これほどの被害を出すとは……」

「敵の人的損害は1000万に迫ると思われます。 それに戦闘の中心にいた第十三艦隊は、98パーセント以上の生還率を果たしました。 これで充分ではありませんか」

そうフレデリカは寂しそうに言うが、

残念ながら、戦略的に今回は負けだ。

だが、負ける事が分かっていて、最大限の努力はした。後は、政治家達の仕事である。

とにかく、提督以上の戦死者もない。

イゼルローンに戻ると、ビュコック提督が敬礼して出迎えてくれた。

「流石だな。 最後にローエングラム伯の率いる敵主力を一艦隊で引き受けるという作戦には、聞いた時には肝を冷やしたものだが」

「運が良かっただけです。 それに首都星を守っているアルテミスの首飾りなど、何の役にも立たない事が分かっただけでも、安全な星にいると思っている政治家達には丁度良い薬でしょう」

「そうだな……」

イゼルローン要塞だって同じだ。

もしもイゼルローン要塞に、破壊を目的とした攻撃が行われたら。本当に難攻不落の要塞の名をそのまま維持できるだろうか。

ヤンにはそうは思えない。

最悪の場合、巨大な質量兵器を叩き込まれて爆発四散という可能性すらある。

各艦隊が、帰還を開始する。

何のための遠征だったのか。

そう怒り狂う声も聞かれたが。しかしながら、この規模の戦闘に参加して、生きて帰れただけでもマシ。

そうなだめる兵士もいて、少しだけヤンは安心していた。

ほどなく、残しておいた無人防衛施設が次々と破壊され、星系が奪回されているという報告が来る。

ローエングラム伯は綺麗に帝国領に設置された同盟の無人兵器群を始末し、その後は無様に助けを求めているブラウンシュバイク公らを救助して首都星に戻ったようだった。

これでは、流石にどれだけブラウンシュバイク公が傲慢不遜な人物でも、しばらくは大人しくせざるを得ないだろう。

それは詰まるところ。ローエングラム伯が、間もなく帝国に覇を唱えることを意味している。

凄惨な粛正が始まるか、或いは。

流石にヤンも、それ以上の事を正確に読むことは出来なかった。

 

極めて不機嫌なまま、ラインハルトは首都星オーディンに帰還する。

同盟軍艦隊を完膚無きまでに粉砕して、完全勝利を飾る事が出来る筈だった。それなのに、ほぼ全てを逃がしてしまったのだ。

勿論、戦果は上げている。

同盟軍艦隊を追い払った後、各地の星系を奪還。設置されていた無人迎撃システムは、殆ど遠距離からの隕石のマスドライバによる加速投射。つまり質量兵器で粉砕してしまった。

出した被害の殆ど全てがアムリッツア星域で受けた無人兵器による奇襲で。それでも二千隻程度だったが。

戦死者は十五万に達し。

それは皆、ラインハルトに忠誠を誓ってくれている兵士達だったのだ。

ラインハルトも貧しい名ばかりの貴族から成り上がった人間だ。ラインハルトが軽蔑しているのは、貧乏人でも金持ちでもない。

能力に相応しくない地位に何の悪びれもなくついている人間であって。

ラインハルトは実績を見て部下に相応しい地位を用意している。元が貴族だろうが平民だろうが関係無い。

それで部下達も皆やる気を出しているのだ。

そんな部下を無人兵器などを相手に失うのは、屈辱でしかなかった。

ただ、目的の半分は達成出来た。

オーディンに帰還する途上、壊滅した貴族共を救出。メルカッツとファーレンハイトの艦隊は派手な負け戦の中でも七割以上の生還率を保っており、二人が必死に病院船で救助に当たっていたが。それらを手伝ってやった。

貴族の中には助けてやったのに助けるのが遅いだのわめき散らす輩もいて、ビッテンフェルトなどがキレ散らかしていたが。

どうでもいい。

キルヒアイスが積極的に救助活動をしているのを見て、他の将官もそれにならわざるを得ないと阿呆どもを救出した。ただし救出は罪もない兵士達のついでに、と言い聞かせている者も多いようだった。

そして帰途についたのだが。

これも計算の内だった。

見るも無惨に討ち果たされた貴族共の自慢の艦艇を、それこそ犯罪者を連行するかのようにオーディンに護送した。

誰もが見た。

誰もが理解した。

今、銀河帝国を支配している門閥貴族が如何に無能であるかを。

無謀な作戦を強行したブラウンシュバイク公は重傷。リッテンハイム侯は戦死。他にも、ブラウンシュバイクの甥でラインハルト嫌いの急先鋒だったフレーゲル男爵をはじめとする、多数の反ラインハルト派の貴族が戦死していた。

平民達は、950万に達する戦死者に戦慄。

それも、ラインハルトが救助しなければ全滅していたことを知ると、凄まじい怒りが帝国全土で噴き上がった。

当たり前だ。

帝国軍の総兵力の一割以上が、一度の戦いで鎧柚一触されたのである。

勿論、その中に家族がいた民も多く。

彼らは犯罪者同然の有様で首都星オーディンに連行されてきたような有様の大貴族達に。

一切同情はしなかった。

戦勝と言うには、敵を討ててはいないが。

それでも、勝報を皇帝にしなければならない。

老皇帝は、キルヒアイスは食わせ物だから油断するなとラインハルトにいつも言っていたが。

年老いて無気力で、世界で最もラインハルトが憎んでいる相手だった。頭を下げるのは、常に屈辱でしかなかった。

ラインハルトも自覚している。どうしても、怒りで目が曇ることは。目が曇ると、事実も正確に認識出来なくなることは。

だから、キルヒアイスのような存在が必要なのだ。

今回もキルヒアイスになだめられて、そして親友の重要さを理解しながら。皇帝のいる新無憂宮に出向く。

人間力の過大評価により、エレベーターもエスカレーターもない不便なばかでかいだけの宮殿を行く。

背後には、項垂れた傷だらけのブラウンシュバイク公もいる。

ラインハルトに救援を求めて来た直後、旗艦が爆発する寸前にアンスバッハにシャトルに乗せられ。その後メルカッツに救出されたのだ。余計なことをしたなと思いもしたが。ただし、メルカッツと、連携して戦ったファーレンハイトに関しての悪印象はない。

その場で出来る仕事をきちんとしただけあって、立派な軍人だとラインハルトは評価していた。

出来ればこの後にでも、部下に加えたい所である。

謁見の間に出向くと、皇帝に頭を下げる。

老皇帝フリードリヒ4世は。

ラインハルトの姉アンネローゼを、まだ十代前半にもかかわらず権力に任せて奪い去り。後宮に入れてあらゆる意味で尊厳を蹂躙した外道。貧しいながらも姉さえいれば満足だったラインハルトに、凄まじい怒りの炎を宿させた原因の一人は。

キルヒアイスが言う所には、ラインハルトには穏やかで優しい人物だったが。

後数年もあれば、絶対にこれ以上考えられないほど残虐にブッ殺してやるとしか言いようがない相手である。

戦果を正直に報告すると。老皇帝は、うんうんと頷いていた。

「いつもながら見事な活躍であったな。 何か褒美は必要だろうか」

「恐れながら、今回の戦いで多くの将兵がバルハラに旅立ちました。 その再編制を任せていただきたく存じます」

「うむ、好きにするが良い」

「は……」

反吐が出る思いを飲み込みながら、ブラウンシュバイク公を引き出させる。

左腕を失い、殆ど意識朦朧としているブラウンシュバイク公は。腹心であるアンスバッハに支えられて、皇帝に跪いていた。

「ブラウンシュバイク公よ。 出撃時に言っていたことを忘れてはおるまいな」

「は、はっ……」

老皇帝には存命の息子がいない。ブラウンシュバイク公は娘婿に当たる。

普段だったら、ある程度偉そうな態度だけは取れたかも知れない。しかし今は、片腕を失った激痛。信じがたい大敗北で、ブラウンシュバイクは精神的に疲弊しきっているようだった。

帝国の医療は非常に遅れていて。更に大貴族の間では、医療を受けるのは惰弱だ等という風潮もある。

だから寿命も地球時代で言えば二十世紀中盤程度でしかなかったし。

こう言うときは、文字通り地獄を見る事になっていた。

「一千万近い将兵を無意味に死なせて、しかもローエングラム伯の救助がなければ更に兵を死なせていただろう。 しかも敵の損害は軽微だと聞いている。 申し開きはあるか」

「……へ、陛下、お、おそれながら」

ワインが運ばれてくる。

普通のワインの筈がない。

驚いた。

この無気力な老皇帝が、たまに非常に苛烈な処置を課すことをラインハルトは知っていた。

何度も何度もラインハルトと姉のアンネローゼの暗殺計画を立てて実行した寵姫の一人ベーネミュンデ侯爵夫人が全てを暴露されたときには。自死を普通に命じている。

今回も、それと同じ処置がされるのは明白だった。

震え上がるブラウンシュバイク公。幼児みたいにいやいやと頭を振る。

「せめて、帝国の重鎮らしく、責任を取るが良い」

「へ、陛下!」

目に見えて狼狽するブラウンシュバイク公。これは想定外だが、まあ良いだろう。それに、側で見て分かったが、これはもう老皇帝は長くない。

本当は自分でブチ殺したかったが、ブラウンシュバイクを始末して死んでくれればこれ以上ない結果だ。

アンスバッハが狼狽する主君から離れる。醜態に、大きな嘆息が零れていた。

無様に尻餅をついて逃れようとするブラウンシュバイクを、兵士達が取り押さえる。何人かの目には、凄まじい怒りが宿っていた。

無謀な作戦で家族を殺されたのか、それともブラウンシュバイクに虫同然に愛する人でも蹂躙されたのか。

どちらでも、不思議ではなかった。

必死に口を閉じて抵抗するブラウンシュバイクを兵士達が取り押さえ、更には鼻をつまんだ。

こうすると、どうしても口を開かざるを得ない。開いた口にワインを流し込み。そして口を塞ぐ。

即効性の致死毒だったのだろう。

そのまま、白目を剥いたブラウンシュバイクは、すぐに動かなくなっていた。

玉座の間を後にする。

キルヒアイスに最初に結果を話す。そうですかと、キルヒアイスは悲しそうにした。ブラウンシュバイクでは無く、死んだ将兵を悼んでいるのだろう。

奴をけしかける策を提案したのはオーベルシュタインだ。

だが、その策を採用したのはラインハルトだ。

この罪は、背負わなければならないだろう。

そう思いながら、ラインハルトは帰路につくのだった。

少し疲れた。

最近は、姉と過ごす時間を少しだけ貰えるようになっている。少し前にその時間を「皇帝より有り難くいただける」事を確認もしていた。

姉とラインハルトとキルヒアイスが一緒にいたあの幼い日。

父はろくでなしのクズだったが、それでも姉とキルヒアイスさえいればラインハルトは幸せだった。

もしあの時。姉が奪われた日。もう五歳年上だったら、ラインハルトは姉を連れてキルヒアイスとともに同盟にでも亡命していたことだろう。

今でも、当時は幼かったことが不快でならない。

事後処理は、帰路で済ませてある。

久しぶりに、姉と会う事が出来る。

幼い頃に母を失い(大貴族の車による明らかに過失の交通事故だったが。 ミューゼル家が末端貴族である帝国騎士であることもあって、大貴族はなんの咎めもなく、裁判にもならなかった)、ずっと母代わりだった姉と会えることは。

この万能の天才ラインハルトにとっては、無二の喜びなのだった。

 

4、歴史が動いた後

 

それからしばらく。何十年もして。

ある軍病院で、ずっと眠っていた患者が目を覚ましていた。

とっくに老人になっているその患者は、奇跡的に目を覚ましたと言っても良い。なにしろ、階段から落ちて後頭部を強打、更に顔面から床に落ちたのだから。運ばれて来たときには、死ぬまで植物状態だろうと言われていた。

看護師の間では、どうやら将軍閣下だったらしいという話が流れていたが。どうも訳ありだということで。

ただ看護だけがなされた。

時代が変わって、今は穏やかそのものの世界である。軍縮が進んで、マンパワーが戻った社会も円滑に動くようになっていた。

ずっと眠っている老人が、昔は閣下だったことなど、看護師達にはどうでもいいし。それには何の意味もない。

若くして閣下になったらしいが、それには黒い噂がついて回っていたし。

それに、この年齢、この体の状態では、軍役復帰など無意味。

見舞いに来る人間もおらず。

完全に世間から見放されたのが、明らかだった。

そんな患者は、目を覚ましてからまず鏡を見せられ。

そして、完全に骨と皮だけになり、年老いた自分を見て絶叫していた。

「て、帝国領侵攻作戦はどうなった! 私の作戦が実行されれば、史上最高の快挙になるのだ!」

「はあ、同盟と帝国では既に不可侵条約が結ばれて、今は平和な時代が到来していますが」

「な……」

帝国領侵攻作戦とは何だと聞かれて、老人。

フォーク「元」准将は絶句。

くわしく後の話を聞きたがったが、看護師は暇ではない。ましてや、こういう病院では特にだ。

まともに動けない体になっているフォークは金切り声を上げたが、ベッドから下りる事もできなかった。

当たり前だ。

何十年もベッドで何もしていなかったのだから。医療ロボットによって床ずれなどは防ぐようにされていたが、それだけ。

呆れた話で、家族も一切見舞いには来なかった。

だから、将軍閣下だったというのは大嘘だったのではないか。そう看護師は噂していたし。

フォークも、しばらくは事実が受け入れられないようだった。

やがて医師が来て、診察を始める。

フォークは、完全に茫然自失としていたが。

やがて、狂騒的に叫んだ。

「や、ヤン=ウェンリーはどうした!」

「ああ、英雄ヤン=ウェンリー元帥ですか。 帝国との総力戦を引き分けに終わらせて、歴史的な和平を実現した後、孫達に囲まれて大往生したと聞いていますよ。 帝国もラインハルト帝の下で改革が進んで、今では貴族制度も解体され、農奴も解放され、立憲君主制になって過ごしやすくなっているとか」

「奴が元帥だと!?」

「奴とは穏やかではないですね。 あの方は同盟の誇りです。 誰もが敬愛して止まない歴史上の偉人ですよ。 そのような言葉は、大声で言わない方が良いでしょうね」

医師が明らかに不機嫌になったのを理解したのか。

既にもう満足に体が動かないことを理解したフォークは、ひっと小さく声を漏らして。以降明らかに同情が消えて事務的になった医師の前で、哀れに萎縮するしかなかった。

やがて、車いすで外に出して貰う。

文字通り、もう何もできない。

それが分かっているからの処置だった。

フォークはふるえる手で貰った情報端末を操作し、あの後何が起きたかを一つずつみていく。帝国領侵攻作戦は、大規模侵攻にはならず。無謀に突撃してきた大貴族達の艦隊を鎧柚一触に粉砕した後、さっさと逃亡。

同盟は「歴史的大勝利」をおさめた一方、経済的に大打撃を受け、しばらくは戦争どころではなくなった。

帝国はというと、その直後に皇帝が死去。

跡継ぎの男子がいないこともあり血みどろの内部闘争が予想されたが。しかしながらその外戚たるブラウンシュバイクとリッテンハイムがともに死んでいたこともある。内乱は一切発生せず、ごく自然に公爵になっていたローエングラム公爵ラインハルトが実権を掌握。幼い皇帝を傀儡とし、辣腕を振るって改革を実施。

貴族を大粛正して富の不公正を是正し、農奴を解放し、更には憲法まで作って国を生まれ変わらせた。

そして二年後に皇帝に即位したが、それを歓迎しないものは帝国にいなかったという。

同盟はその後トリューニヒトが議長になったものの、何故か翌年には事故死。この事故死の経緯はよく分かっていない。

ともかく事故死した事もあり、その後をジョアン=レベロ議員が引き継ぎ。帝国への平和攻勢を開始。以降粘り強く、しつこく攻勢を仕掛けてくる皇帝ラインハルトとの交渉を続けた。

ラインハルトは同盟に何度も侵攻作戦を立てた。だが同盟は総司令官ビュコック元帥と、参謀長ヤンの手腕によってその悉くを防いだ。

そして六度目の総力戦でついに腹心キルヒアイスの諌言を受けて、ラインハルトは同盟領への侵攻を断念。

その時には四十になっていた皇帝ラインハルトも、既に子がいて思うところがあったのだろう。

歴史的な会合で、ヤンと握手する姿が写真に納められている。

それらを見て、フォークはふるえるしかなかった。

馬鹿な。

歴史の全ては、私の手に収まるはずだったのだ。

あの作戦さえ実行していれば、こんな事にはならなかった。

全てヤンが。

あいつが悪いんだ。

そう考えたフォークは、絶叫して、暴れようとしたが。老いた体は、それすら許してくれなかった。

 

看護師が、あわてて医師を呼びに行く。

すぐに救命処置を始めたが。奇跡的に蘇った何十年も前に将軍閣下だった人物は、ついにもう目を覚ますことがなかった。

極度の昂奮による心臓発作。

それが死因だった。

下手をすると同盟を滅ぼす最大要因にもなりかねなかった人物であるなど、既に誰も病院で知っている者はおらず。

その言動は、ただの可哀想な拗らせ老人。

そう皆が思っていたから。

僅かに目を覚ますことが出来ただけでも幸せだっただろう。

そう、皆が噂した。

そして、ささやかな葬儀が行われた。

一応遺族を調べて声を掛けたが、来た者は誰もおらず。仕方が無いと言う事で、病院内で静かに葬儀が行われた。

最後に錯乱した患者も、すぐに火葬され。

きちんと墓に葬られた。

墓標にはこう書かれた。

不幸な事故によって、ずっと眠り続けた将軍閣下。

奇跡的に目を覚ました後、病魔に倒れる。

その言葉だけを見ると、ただ可哀想なだけの人物にも思えて。

誰も目もくれなかった墓標だが。

それでも、少なくとも怒りを向ける者はいないのだった。

 

(終)