言い分と悲しみと

 

序,倫理の形

 

人を殺めること

ネクロードにとって、それは生体活動であった。 故に、彼女は罪だとは思っていなかった

元々、彼女は快楽主義者であった。 誰よりも自分を偽るのが嫌いだった

生物は快楽に生きるのが自然で、それを乱すのは理に反すると考えていた

だからこそ。 吸血鬼になった今も、人間だったとき同様、体の中で蠢く本能に、彼女は忠実である

「長老」に反発したのも、その恋人であるリインと駆け落ちしたのも

人間共の村を襲撃して美少年をかっさらい、玩具にした後ゾンビにしてこき使っているのも

本能から来る行動だった。 楽しい事だった。 生きるために必要な事だった

人はそれを、「悪事」だという。 仲間達も似たようなことを言い

自分が<月の紋章>を奪い去った後、自虐的な死を遂げていった者が殆どだとか聞く

だがしかし、人間も楽しみから自分より弱い動物を傷つけ、必要もないのに殺し

野山を汚し、領地を増やして、自分勝手に振る舞っている。 彼女と何処が違うというのだ

ネクロードは、十代後半の姿のままだが、実年齢は400歳を越える

彼女は自負している。 自分の若さは、吸血鬼だからだけではない。

常に自分を偽らず、奔放に生き、欲望を追求している結果だと

正義という物は、相対的な価値である。 持つ者により、法だったり、信念だったり、欲望だったり

信念を持たず、柔軟な考えであったりする、更にその者の周囲環境によっても変動する

ネクロードの正義は、自分を偽らず、欲望のまま生きること

それは身勝手ながらも真実であり、彼女の中の正義であることは疑いなかった

 

リインの事は、よく覚えている。 だが、もうネクロードは行動を共にしていない

双方同意の結果である。 二人は、もう「恋人」の関係を破棄し、好き勝手に振る舞っているのだ

長老は怒り狂うかもしれないが、彼女にも責任はあるのだから文句を言われる筋合いなど無い

今、ネクロードは「都市同盟」とよばれる連合国家の一角、ティント市の主都市を乗っ取り

ゾンビを周囲に多数配置して、おそらく近づいてきている敵の襲来に備えていた

彼女が来たときには、あの「鬼神」ルカ・ブライトを倒した、「レッドリバー軍」の総帥が来ていたが

その少年も、ネクロードの敵ではなく、苦もなく撃退することが出来た

しかし、少年とその姉らしき人物が、援軍を呼んだ事は疑いなく

訓練を受けた精鋭である、敵軍本隊が押し寄せてくるのは時間の問題だろう

だが、ここは山岳地帯で、大軍の通行は不可能であり、対応は十分可能であるはずだ

ネクロードに、ここを安住の地にする気はない。 「自分の国を作る」というのは、刺激的な遊びで

遊びである以上、何時かは飽きる。 その時には、またきままな生活に戻るつもりだった

ただ、そんな彼女に激しい敵対心を抱く者も多い。 前に壊滅させた村の住人の一人がそうだった

その男、名はビクトールという。 熊のような大男で、既に壮年に達し

だが、なお少年のような熱い気概の持ち主である、面白い男である

自分を目の敵にして追ってくるこの男を、彼女は決して嫌いではなかったかもしれない

ふと外を見ると、月は丸い。 ネクロードはのびをすると、敵の来訪を待った

 

1,勇気と現実

 

ふと、ネクロードは過去のことを思い出していた

快楽主義者になるいきさつは、今でも覚えている。 どうせなら楽しもうと考えたのがそれである

両親によって、未だ少女の頃奴隷として貴族に売り飛ばされた彼女は、地獄の苦しみを強いられた

労働には報酬はなく、あったのは鉄拳と鞭。 朝は誰よりも早く、夜は誰よりも遅く

食事は家畜の餌以下で、衣服は雑巾以下。

そして年齢が十歳に達すると、豚のように太った、貴族の雇い主の相手を強いられた

そればかりか、牛のように太った、巨大な貴族婦人の異常な欲望も押しつけられた

今までの労働は耐えられたが、これに幼いネクロードは耐えられなかった。 心が音を立てて崩壊し

彼女の精神は、完全崩壊を防ぐ自衛手段として、状況を無理に楽しむことを選んだ

いつしかマゾヒストとなっていたネクロードに、人面獣心の豚共は興味を失い

やがて、元の家畜以下の生活に戻された。 生活は戻ったが、壊れた心は二度と元に戻らなかった

逃げる機会が訪れたのは、それから暫くしての事。

サディストである貴族は奴隷が恐怖するのを楽しんでいて、その日も遠くに奴隷を仕入れに行った

完全に心が壊れていると周囲に思われたネクロードが発作的に行動を起こしたのは、この時だった

だが、外の世界は冷たかった。 逃亡奴隷に宿を貸す者などおらず

異常な独占欲を持つ豚の手によって、意味もなく追跡者が雇われ、地獄の底まで追ってきた

力つきたのは、逃亡生活を初めて一月後。 それだけもったのも奇跡に近かったかも知れない

吸血鬼達の村の側にある、森の中での事だった

徐々に冷たくなっていく自分のまわりには、雪が積もっていたのを覚えている

逃亡前に、誰であったか、彼女にそそのかした。 勇気を持って行動するべきだと

そして、勇気を振り絞った彼女の前には、更なる地獄が開けていた。

ネクロードの心の中には、もう人間に対する軽蔑しかなかった。 それは自分も含んでいた

背中に突き刺さっていた矢は、追跡者が放った物だった。 傷口から、彼女の全てが流れ去っていった

 

次に目が覚めたのは、吸血鬼の村の中。 既に人間ではなくなり、心音は消えていた

感じの良さそうな青年が、発見者であったようだ。

その男はリインと名乗り、温かい飲み物を勧めてくれた

「君はもう・・・人間ではない」

開口一番に、心底からすまなそうに青年は言い、付け加えた

「吸血鬼にする以外に、助ける方法がなかった。 矢は抜いて於いたよ

此処にいる者達は、みんなわけありだから、気にする事はない・・・」

青年は落ち着いた容姿で、笑顔が素敵だった。 女性の殆どが、胸の鼓動を高くしただろう

だが、ネクロードにはどうでもいいことだった。 容姿など、性格でさえも、どうでもよかった

体を半分起こし、ここを何処かとネクロードが聞くと、リインは応えた

「蒼き月の村。 月の紋章の存在する吸血鬼の村だ

ここでは、吸血鬼は真の紋章の力によって、不老不死でいられる・・・」

今から、400年以上も前の出来事である。

 

ふと顔を上げ、ネクロードは回想を終えた。 そして、含み笑いを漏らす

あの村の中でも、全てに対する軽蔑の巨大さにおいて、彼女の右に出る者はいなかった

そして、自由な世界に住む今でも。 側には何人も、遊んだ後に捻り殺した男の死体が転がっていた

最低限の知能を残したアンデットを呼び、新しい玩具を連れてこさせる命令をだして

その時初めて、ネクロードは気付いた。 予想以上に、敵が厄介な存在を連れてきている事を

シエラ長老。 蒼き月の村の村長にて、吸血鬼の始祖。

27の真の紋章の一つである、月の紋章の継承者で

世界最強のヴァンパイア・ロードであった者。 その冥い力が、遠くからでもびりびりと感じられる

しかも、恋人を強奪した相手でもある。 星辰剣をもつビクトールと、レッドリバー軍最精鋭

それに長老までもを相手に正面から戦うと、少々厳しい

ひょっとすると、シエラから協力を申し込んだのかも知れない。 あり得ない話ではなかった

「・・・保険でも、かけておくか」

此処暫くぶりに、おそらくほぼ数カ月ぶりに、ネクロードの口から言葉が発せられた

それは同じ姿を400年以上も保っている吸血鬼の、経歴に相応しくない、少女らしい高音で

同時に何とも言えないけだるさに満ち、同時に全てに対する侮蔑に満ちていた

自分の内臓に宿した月の紋章に干渉し、ネクロードは呪文を唱えた

長老が自分に対する復讐を考えようが、レッドリバー軍の正義がどうであろうが

全てはどうでもいいことだったが、生存に関することと、楽しみに関することは違う

まだまだ、ネクロードは楽しみたかった。 まだまだ、嘲笑したかった

まだまだ、生きたかった。 そして・・・人間全てに、まだまだ復讐したかったのだ

その為には、保険の一つや二つ、掛けて於いても損はないないだろう

呪文は程なく完成し、そして「保険」も完成した

 

2,迫る時

 

「なかなかやるわね。 ふふふっ・・・・」

椅子に座ったまま、先ほどとはうって変わり、妙に明るい表情でネクロードは呟いた

そのまま右手を目にも留まらぬ速さで閃かせ、死体を囓りに来た鼠を捕獲すると

口に運んで頭を食いちぎる。 断末魔も挙げない死体は、すぐに動かなくなった

彼女は楽しそうに口に含んだ頭をかみつぶし、鼠の血をすすると

窓を開けて死骸を外に放り捨て、肘を枠について山稜を眺めやる

どうも、地下に配置して於いたストーンゴーレムが敗北したらしい。

下手な規模の軍隊であれば、一体で圧倒するほどの破壊力を持つ強力なゴーレムであったのだが

敵の力はその上を行くのであろう。 単純な計算である

レッドリバー軍の首領は、真の紋章の一つを持つことが、先の戦いで判明している

更にビクトールの星辰剣も加え、シエラの力も加味すれば、確かに倒す事も可能であるかも知れない

おそらく、此処までの到達時間はあと三十分ほどであろう

足下には、数体の死体に混じって、マルロという名の青年が転がっており

向こう側の壁には、コウユウという名の少年が、壁により掛かって意識がすでにない

そもそも今いる此処は、邪を払う教会であり、十字架が健在なのだが

ネクロード級の吸血鬼には、そんな物など何でもないようだった

二人一緒に連れてこられたコウユウとマルロは、先の戦いで捕獲した

生きが良い獲物で、隙を見て逃げようとしたのだが、コウユウは一撃で吹飛ばされて壁に打ち付けられ

なけなしの勇気を振り絞って友人を助けようとしたマルロは、腹部に一撃を喰らって起きあがれない

意識のあるマルロが、青い顔でネクロードの方を見ると、楽しそうに吸血鬼は応じる

日光も浴びているのだが、全然平気な様子である。 ニンニクや聖水もこの様子では通じないだろう

「キミの仲間達が、もうすぐ此方に来そうよ。 良かったわね、助けにきてもらって」

「貴方は・・・楽しそうだ。 分かってるはずです

幾ら貴方でも、ビクトールさん達には勝てっこ無い・・・死ぬのが、楽しいんですか?」

「まっさか・・・私マゾっ気あるけど、死ぬなんて気、更々ないし。

自分の死に快楽を見いだすなんて、ナンセンス♪ うっふふふふ・・・・」

山の方から、歓声が聞こえる。 どうやら陽動のつもりなのだろう、正面攻撃が開始されたようだ

正面にはドラゴンゾンビを始めとする、強力なアンデットを数体配置し

物陰には、知性を持たないが強力なレッサーヴァンパイアも潜んでいる。

しかも、多数の軍は展開できない。 一度や二度の正面攻撃は、文字通り徒労に終わるだけである

案の定、ドラゴンゾンビのブレス攻撃になぎ払われ、攻撃軍は多大な損害を出して撤退したようだが

すぐに第二陣がそれに代わり、波状攻撃を仕掛けている。 ドラゴンゾンビに、矢が突き刺さる

苦痛に吼えた巨大な怪物が再びブレスを吹き、第二陣が撤退するのを見届けると、ネクロードは続けた

「さーて、キミ達ぎゃあぎゃあ騒ぐと五月蠅いし、奥で大人しくしててもらうとしますか・・・」

「何で・・・・何でそんなに楽しそうなんだ・・・・貴方は・・・」

指を鳴らし、ゾンビを呼ぼうとしたネクロードの動きが止まった

にこにこしたまま、マルロを見ると、口のまわりについた血をなめ取る

周囲に倒れた人間達は、これからゾンビにされてしまうのだろう。 彼らの血と鼠の血が混じり

ネクロードが味わった血は、もう何の血だか分からない代物となっていた

「私ね・・・大体どんな状況でも楽しめるのよね。 これって一種の才能かしら?」

「違う。 貴方のは、単純に楽しんでるんじゃない! 何か・・・・違う」

「どうでもいいでしょ、そんな事。 今死にたい?

蛙が蛇にあったとき、どういう事をするか。 死にたくなければ、学んどきなさい

・・・あ、そうか、すぐ死ぬから関係ないか! あは・・・きゃはははははは!」

窓枠に身を任せ、体を反らせて笑っていたネクロードの動きが止まった

気がついたのだ、ついに敵が坑道を抜け、町の中にまで入ってきたことを

此方側の主力は町の正面に展開し、敵の猛攻に対処しているため、敵が此処まで来るのを防ぐ術はない

指を鳴らし、現れたレッサー・ヴァンパイアに、マルロとコウユウを運ばせ、吸血鬼は口笛を吹く

周囲に転がる死屍は二十数体。 シエラを片づけるまでの時間稼ぎには充分であろう

唇に指を当て、数秒ネクロードは考え込んでいたが、すぐに頭の中で呪文を構築する

呪文を詠唱し出すと、死体が自然に起きあがり、構造がほどけた

肉汁が死体からこぼれ落ち、自らに意志があるように部屋の中央に集まっていく

やがてそこには、巨大な異形の怪物が出現した。 骨や筋肉の残骸もそこへ集まり、形を為して行く

完成までに、ほんの数秒。 ネクロードに消耗した様子はなく、ドアを閉めるとピアノの方へ向かった

重厚なパイプオルガンの音が、周囲に響く。

それは、ネクロードからの嘲笑だった。 余裕を見せる行為だったかも知れない

身を隠しながら進んでいたビクトールがその音を聞き舌打ちし、振り返って言った

「あのアマ、とっくに気付いてやがるぞ・・・・もう小細工はなしだ」

「分かった、突入しよう。 でも気を付けて」

レッドリバー軍の総帥、ランツェイが頷き、後ろを見た

そこには、彼の姉、魔導師の青年、格闘家の少女、学生服を着た気が強そうな娘がいて

リーダーの言葉に、静かに頷いた。 戦意は高く、揺るぎはない

少し離れて歩いていた、コートを着た男と、眠そうな血色の悪い娘がそれをみて、満足そうに微笑んだ

 

3,死闘開始

 

教会には、ウェディングマーチを暗くしたような曲が流れており、強烈な死臭と、邪気が満ちていた

ドアを蹴り開け、ビクトールが中にはいると、窓は開けられ、日光が差し込み

それを浴びながら、しかも背中を見せながら、平然とネクロードはパイプオルガンを弾いていた

長い黒髪が、マントの上で波打っている。 積年の恨みを刺激され、ビクトールが叫んだ

「やい、やいやい! とうとう追いつめたぞ、ネクロード! 覚悟しやがれ!

てめえみたいな最低吸血鬼は、引っ張って! 伸ばして! 日に乾かしてっ!

ええい、とにかくとにかく! 絶対ゆるさねえぞっ!」

「うっさいわね、最後まで弾かせなさいよ、熊男」

以外に普通の、女の子らしい声が返ってくる。 その声を初めて聞く者は驚いたようだった

ビクトールの故郷は、かなり前にネクロードによって全滅させられ

両親も婚約者もゾンビにされ、帰郷したビクトールの前で、互いの死肉を貪り食っていた

前に、トラン共和国軍に所属していたとき、一度追いつめ倒したはずのネクロード

しかし月の紋章を使い、ネクロードは生き延びていたのだ。 ビクトールの復讐は終わっていなかった

ぎりぎりと歯がみする彼の前で、少女の姿をした吸血鬼は堂々とピアノを弾き

曲終わりてその後、ようやく振り向いた。 魔導師の青年ルックが口笛を吹く

ネクロードは美少女だった。 妖艶と言うより幼い感じだが

百人が百人、美しいと認める、そんな美貌の持ち主だった

長いストレートヘアの黒髪は、真っ赤なマントの上にかかり、強烈な対比をなしており

黒を基調とした服は、実用性を重視しながらも美しく、男共の視線を釘づけするに充分だった

武器らしい物は身につけていないが、そんな物は必要ないのだろう

「ひいふうみい・・・六人か。」

指を折り、ネクロードが数える。 ビクトールの顔に一瞬笑みが浮かぶが

それに水を差すように、ネクロードが微笑み返した

「いやいや、まだいるわね。 シエラ長老、それにカーン・・・・だったっけ。

いるんでしょ、でてきたらどう?」

「よくいえたものよな・・・泥棒猫が・・・」

ランツェイらの後ろに、シエラが具現化した。 シエラも美少女だが、銀髪であり

ネクロードがどちらかと言えば庶民的な美少女であるのに対し、威厳と高貴さが感じられる

「ここで・・・お前の悪行も終わりです。 マリィ家三代の恨み、ここで思い知らせてあげます」

シエラに続いて、黒いコートの男が教会に入ってきた。

彼はヴァンパイアハンターとして高名な、破邪の魔法の使い手カーンである

マリィ家は、カーンの祖父も父もネクロードに殺され、この戦いは因縁の対決と言って良かった

既に彼によって張られた結界が教会を覆い尽くし、脱出は不可能である

更に、月の紋章もシエラの前では無意味である。 干渉能力が、シエラの方が大きいため

術を行使しようとしても、無効化されてしまうのだ。

だが、この時のために、幾つか手は打って於いた。 先ほどのアンデットも、その一つである

ネクロードが指を鳴らすと、奥の部屋から十体ほどのレッサー・ヴァンパイアが現れた

更に宙に穴が開き、異形の怪物が現れる。 無数の頭と腕を持つ、巨大なゾンビだった

「雑魚は僕たちが片づけます」

トンファーを構え、ランツェイがビクトールの方を向く

「とどめはゆずってやる・・・だが、あの泥棒猫は妾が倒す」

同様にビクトールの方を向き、シエラが言った。

「じゃ、はじめよっか。 カーンのおじさん、結界張りながら戦うの辛いでしょ

そこにいなよ。 一番最後に殺してあげるから・・・」

すう、と音を立て、ネクロードが構えを取った。

拳法使いであるワカバが感嘆したほど隙が無く、良い構えだった。

シエラが目を細めると、二人の吸血鬼の間が、剣を振り下ろすような音と共に縮まった

 

「・・・リインは死んだ。 おんしのせいじゃ!」

鋭い一撃を繰り出しながら、シエラが叫んだ。 世界最強のヴァンパイアロード達の戦いは

普通の人間に視認できるレベルではすでになく、風の音ばかりが周囲に響く

シエラの攻撃を数回かわしたネクロードのマントが、数カ所切り裂かれていた

バックステップし、二回跳躍してから、ネクロードは距離を取る

周囲を見渡すと、戦いは彼女の予想通りに進んでいる。 ヴァンパイア達は適当に叩かれて徐々に減り

巨大ゾンビは、徐々にビクトールを追いつめている。 それを確認すると、ネクロードは反撃に出る

一気に間を詰め、身体を捻って後ろ回し蹴りを見舞うと、シエラは大きく吹っ飛んで距離が開いた

だが、ダメージを受けた様子はない。 目を細め、ネクロードがようやくシエラの言葉に応えた

「リインもね、可哀想だったわー。 ま、すぐに飽きたけどね」

「なに・・・・!」

「まあ聞きなさいよ、長老様。

そもそもなんで、あんなくそまじめな好青年が、私と駆け落ちなんかしたと思ってんの?」

「おんしが、たぶらかしたからじゃろうが!」

予想通り激昂したシエラが、黒い光弾を連続して放つ。

完全に攻撃を読んでいたネクロードが、余裕を持ってかわすと、それは後ろの方に飛んでいき

ヴァンパイアの群と戦っていた、ランツェイ達の中にもろに着弾した

死人は出なかったようだが、かなりのダメージを受けたようで、魔導師の青年が回復術を唱え始める

そして、味方を攻撃した事で動揺したシエラに、ネクロードが密着状態から攻撃を連続して叩き込んだ

複数の拳撃を打ち込み、更にサマーソルトキックで吹き飛ばす。

ピアノに叩き付けられたシエラ、二人の戦いに抗議するように、ピアノが大きく鳴り壊れた

シエラが顔を上げると、上にネクロードがいて、拳を突きおろしてきた

拳は床材を貫通し、大きな音が鳴った、二回、三回。 拳がうなりをあげて迫ってくる

横に転がってかわすシエラに、ネクロードは冷酷な笑みを浮かべ、腹に蹴りを見舞った

床にうずくまり、シエラは咳き込む。 流石に大きなダメージを受けた様で、咳には血が混じっている

それを見下しながら、ネクロードは笑みを浮かべた

基礎能力はシエラの方が遙かに上だが、たゆまぬ鍛錬で鍛えたネクロードの現在能力はその上を行き

先ほどの攻防で明らかの様に、役者は完全にネクロードの方が上である

「長老様・・・ずっと体を鍛練してた私に、今の貴方が勝てるとおもってるの?

それにね、間違いもあるわ。 ふふふふ・・・

リインが道を誤ったのは、私の誘惑以前に、貴方のせいなんだよね

もっと恋人を信用してあげたら? リインはずっと貴方を想ってたのに

私になんか、これっぽっちも興味なかったのに。 貴方の気を引くための行動だったのに」

「なん・・・・だと・・・」

「証拠もあるわよ。 ほら、これ見て・・・」

そういって、ネクロードは何かの道具を取りだした。 それは紋章術を利用した

マジックアイテムであり、具体的には一種の映像記録装置のようだった

そして、その魔力を解放すると、リインの姿が現れた

 

4,混沌と敗北

 

青年は酔っているようだった。 テーブルの上には酒瓶が林立し、顔は紅い

かなり強い酒を、しかも高価な酒を、惜しむこともなくグラスに流し込んでいる

「すまない、こんな事をして。 君はシエラに恨まれてしまった・・・・」

映像であっても、リインの声は懐かしい。 手に掛けた吸血鬼の声に、思わずシエラは涙を浮かべた

むろん、映像の中のリインはネクロードに話しかけている。 シエラの表情が、徐々に強張っていった

リインは言っていた。 酔いながら、不満をぶちまけていた。 恋人に対する不満を・・・

「シエラは・・・何でああ浮気性なんだ。 いい男と見れば、片っ端から声を掛けて・・・・

私じゃあ不満なのか・・・確かに私はまじめで面白みはない。

だけど・・・世界で一番彼女を愛している。 今でもそれに・・・・変わりはない・・・」

「リ・・・リイン! そんな・・・・妾は・・・・そんなつもりでは・・・・・・

妾も、妾も、そなたを心から・・・そんな・・・そんな・・・・・ごほごほっ!」

咳き込むシエラの上で、ネクロードは何時もと同じ微笑みを浮かべていた

それは、彼女が何かに対する嘲笑を感じたとき、浮かべる笑みだった

映像のリインは、涙を流していた。 酒も手伝い、ため込んでいた感情が爆発したようだった

「私も一度同じ事をして、目を覚まして欲しかったが・・・・駄目だったようだ

君の気持ちが、私にない事は分かっている。 同様に、私も君に興味はない・・・・

ここで・・・・別れよう。 切ないだけだ・・・・これ以上は・・・・」

映像は、其処で終わった。 虚しい沈黙が、数旬流れた

ネクロードが村に忍び込み、月の紋章を強奪したのはこの後のことであり

その後リインは一人ひっそりと暮らし、ついこの間シエラによって殺された・・・

「切ないんですって。 で、これでも私のせいだって言う? 長老様。

私さ、たっくさん世間一般で言う<罪>犯したけど、このことに関しては<無実>だと思うけどなー

それとも、ひょっとして、貴方の<正義>からすると、これも私の<罪>になるわけ?」

ネクロードが冷徹に侮蔑を込めて言う。 シエラは反応しなかった

ショックが大きすぎて、声も出ないようだった。 愛していた者を追いつめた原因が自分であり

死に追いやったのも、自分。 焦点の合わない目で、シエラは恋人の名を呟いていた

口の端に微笑みを浮かべ、ネクロードがうずくまったままのシエラに蹴りを見舞った

あの映像は正真正銘の本物である。 だからこそ、絶大な効果があった

転がったシエラを靴先で更に転がし、仰向けにすると、容赦なく腹を踏みつける

鈍い音がした。 二度、三度、床にひびが入るほどの勢いで足を振り下ろし

腹部を蹴りつけると、ネクロードは言った

「あらあら、こんなコトしたら子供産めなくなっちゃうわねー。 あ、元から産めないか

あはははは・・・・さて、どうやって殺してあげようか

リインが地獄で待ってるよ。 何なら自分で死ぬ?

うふふふふ・・・勿論冗談だよ、そんな勇気、貴方にあるわけないモンね」

「其処までだ、吸血鬼!」

ビクトールが吼えた。 星辰剣の一撃で、大きな音を立てて、巨大ゾンビが滅びた

巧妙なチームワークの前に、レッサー・ヴァンパイア達も全滅していた

殺気立つビクトールはかなりのダメージを受けており、ランツェイ達もそれにしかり

ネクロードは振り向きさえしなかった。 殆ど無傷なのだから、当然の余裕かも知れない

シエラの腹を更に力を込めて踏みつけながら、狂気の吸血鬼は猟奇的な輝きを目に浮かべる

「何だ、予想より随分早いじゃない。 もう少し楽しませてよ

私、マゾっけもあるけど、サディストでもあるんだから。

勿論、私バイセクだよ。 女の子を痛めつけても、充分楽しいんだな、これが・・・ふふふふ」

「冗談じゃない・・・変質者吸血鬼の異常趣味につきあってられるか!」

ランツェイが叫ぶ。 気の短い学生服姿の女性、ニナに至っては

怒りが、とっくに臨界点を超えてしまっているようであり

既に雷撃の術を唱え、何時でも威力を開放できるようにしていた

その時、ようやくネクロードは振り向いた。 シエラの力の95%を喪失させたからである

「・・・こういう趣味を、私が人間の時に身体に叩き込んでくれたのは

他ならない、キミ達人間なんだけどね。 ま、今更どうでもいいか」

肩をすくめたネクロード、もう勝利は確実であったため、油断が生まれたのかも知れない

彼女の失敗は、月の紋章の事に対するシエラの知識を侮ったことだったろう

六体一の戦いが始まった。 だが、ワカバの格闘術も、ランツェイとその姉ナナミのトンファーも

ニナとルックの雷撃魔法も、ヴァンパイアロードには全く通用しなかった

唯一、星辰剣は彼女にダメージを与えることが出来たが、人間が使うのではその力も発揮しきれず

剣撃は空を切るばかりで、前回戦った分身が如何に甘い相手か、思い知ったビクトールが歯がみした

ランツェイの持つ<輝く盾の紋章>は、防御と回復に特化した紋章で、攻撃力は低い

決定打を与えることは出来ず、ランツェイ達にとって戦闘は加速度的に不利になっていった

その間、床に仰向けになって空を睨んでいたシエラは、ぼそぼそと何かを呟いていた

それは月の紋章への命令だった。 やがて、命令が完成し、月の紋章は忠実にそれに従った

命令の内容は、即ち一番近くにいる吸血鬼への大ダメージ

虚脱状態にあるシエラの行動であったから、ひょっとしたら自分の死を願う行為だったかも知れない

だが、命令は呪文のプログラム通り、正確無比に遂行された

もし、ネクロードがそれを知っていたら、先に何かしらの対応をしていただろう

しかし勝利感が、完全な油断が、ネクロードを敗北へと誘った

ビクトールを叩きのめし、ランツェイを片手でつり上げた吸血鬼が、とどめを刺そうとした瞬間

その口から、黒い血が溢れ出た。 腹部に手をやり、自分の身体に起きた異常に気付く

「月の・・・しまった・・・!」

既に立ち上がったビクトールが、星辰剣を振り上げている

大きく目を見開いたネクロード。 月の紋章からのダメージは巨大であり

彼女の身体には、もう真の紋章の一つ、星辰剣の攻撃ををかわす力は残っていなかった

「往生しやがれええええええええっ!」

絶叫したビクトールが、巨大な星辰剣を振り下ろす。 呆気ない幕切れであったかも知れない

ネクロードは巨大な力に切り裂かれ、地面に叩き付けられた。 再び、急速に身体の力が抜けていった

再び、血と共に、全てが流れ去っていった

 

まだ息はあった。 カーンが、ビクトールが、ランツェイに肩を借りたシエラが、見下ろしていた

結界はもう解除されたようだが、逃げる隙はなかった。 逃げる力もなかった

目から涙が流れているのを、感じられた。 死が怖いのではなく、何故か涙が流れていた

不思議と、無念でもなかった。 あれほど執着した生なのに、いまはどうでもよい気がした

「言い残す事はあるか? 墓くらいは・・・作ってやるぜ」

片膝をついたビクトールが言う。 妙な虚脱感を、言葉から感じられた

「・・・・全然、楽しくない。 でも、今は楽しい。 虚しく・・・な・・・・い・・・・・」

最後の力で微笑むと、ネクロードは言った。 誰にも、意味は分からなかったかも知れない

だが満足したようで、急速に身体から力が失われていった

目を閉じたネクロードの死体は灰となり、その地の片隅に埋められた

たまに大柄な男と、血色の悪い少女、黒いコートを着た男が墓参りに来たそうだが

それ以外に墓を訪れる者は、誰一人いなかったという

 

5,闇の中で

 

森の中を、一人の少女が歩いていた

歓声が、遠くから聞こえてくる。 レッドリバー軍が、ティント市を開放したのに間違いない

<本体>は帰ってこない、つまりは保険を掛けて正解だったのだろう

そう、少女の名はネクロード。 ただし、殺されたネクロードとは少し違う

数百年もの時を生き、心の中でも外でも地獄を見てきた彼女には、幾つもの人格が育っていた

その一つ、<従属型>人格の一つが、今此処にいるネクロードだった

決して心優しいわけではないが、人の死を喜ばず、命を大事に考えられる性格であり

快楽主義の自分の行為が、どんなに理屈で正当化しても、如何に虚しい事か

心中にて知るネクロードが、作り上げていった人格だった

いくら理論で正当化しても、幾ら欲望がそれを正当化しても、彼女の中の何かは常に反発していた

それは、<人間の良い部分>であったかも知れない。 反発は常にあり、それは虚しさを呼び

そして、今此処にいるネクロードの人格が、作られていった

復讐と快楽の継続のために作られたもう一人であるのに、本人にその気は更々ない

吸血鬼は血を吸わねば生きていけないが、別に人間の血でなくてはいけない、と言うわけではない

デザート代わりに<本体>が鼠の血を吸っていたように、動物の血でも生きていく事が出来るのだ

ただし、人間の血のような快楽を得ることは出来ないのだが

無論、自虐趣味はない。

死ぬつもりはないので、肉を食べるように、必要な分動物を殺して生きるつもりだった

そして、もう一つ。 彼女は、もう二度と誰とも関わる気はなかった

人跡未踏の地をめざし、ネクロードは歩く。 もう、人間にも、吸血鬼にも、彼女は会いたくなかった

その表情は満たされているようでもあり、同時に悲しげでもあった

山犬がその行く手を阻もうとしたが、視線でひとなでされただけで、尻尾を巻いて逃げ出す

鼻を鳴らすと、ネクロードは再び歩き出した

彼女の心の傷は、きっと癒えない。 誰も、癒すことの出来る者などいはしない

一人になれる土地を目指し、ネクロードは歩いていった

                                   (終)