恨み骨髄
序、心の闇につけ込むもの
クリニックに警察が入る。
一応病院の一種なのに、何故警察が入るのか。
理由は簡単である。
院長が、オカルト療法に染まってしまったからだ。
現在、オカルト関係の療法は法律で厳しく制限されている。一時期水素水だのそれっぽい名前のインチキ商品が暗躍し、その裏には「専門家」を自称する人間が多くいた。中には、大学教授などが荷担することもあり。それも怪しげな大学では無く、トップクラスの大学の教授が小遣い稼ぎに邪悪な行為に荷担することもあった。これには大学教授が一時期異常な薄給だった事も原因としてある。また、クリニックなどの医療施設でも、院長がオカルトに染まってしまうと、とんでもない事になることが珍しく無かった。
昔は、これらの闇に手が中々入らなかった。
水素水のようなオカルトには、なんとテレビなどのマスコミも拡散に協力するケースがあり。
裏でそれだけ強大なビジネスが蠢いていたから、である。
現在は違う。
引っ張り出されてきたクリニックの院長。警察に両脇を抱えられ、それでもぎゃんぎゃん何か騒いでいる。
また、治療を受けていた患者達も運び出されている。
洗脳されているケースがあるので大変だ。
看護師達も揃ってこれから聴取。
悪質な場合は即座に逮捕である。
医療行為は非常に重要なインフラの根元。
昔、弱い者は死ねだとか。特定外来生物が蔓延るのは自然の摂理だとか言う寝言が流行った事があったが。
だったら医者にいかなければいいし。いっそジャングルで一人で暮らせば良い。
身勝手な弱肉強食論は、それだけ無理な理屈なのである。
そして、社会のインフラの根幹を成す医療の重要性は。
以前、スペイン風邪の再来と言われる強大な疫病が流行ったことで。一度根本から見直されることになった。
今ではしっかり詐欺クリニックは告発されるようになり。
このように、その様子も報道される。
宮藤はげんなりしながら様子を見ていたが。
動いているのは主に捜査二課。
また、警察用ロボットも万が一に備えて、一機だけが出ていた。
SNSを閉じる。
メールが来たからである。
宮藤班への仕事依頼だ。
内容に目を通す。
今回は捜査一課絡みでは無い。
迷宮入りした、詐欺事件である。
頭を掻くと、石川と佐川にもメールの内容を回す。
今日は佐川は起きて来ている状態だった。間が良い。
そして、佐川は、メールを見て小首をかしげた。
「なんですかこのナントカ菌とかいうの」
「よくあるオカルト医療の一つだよ」
「こんなん、本職に聞けば一発で分かるじゃないですかにゃー」
「それがね。 一時期馬鹿な社長がトップに座ると、医者の言う事を信用するなとか、オカルトに染まった医者の書いたいい加減な本を信用したりとか、ろくでもない行為に出たりしたんだよ」
残念ながら本当だ。
特に体育会系のブラック企業などでは、社長がイエスマンで周囲を固めている事が珍しくもなく。
社長がそういったオカルトに染まると、それこそ始末に負えない自体になりやすかった。
いわゆるビジネスマナーが一時期大氾濫したのもそれが原因で。
この手の社長が、氾濫するビジネス本(書いてある事が悉くそれぞれで違っている)を真に受けた結果。
「正しい」ビジネスとやらを頭から信じ込み。
幹部社員もイエスマンとなってそれに従い。
結果として会社全体が不幸に包まれるという事が珍しくもなかったのだ。
それらの企業は今では減っているが。
それでも、昔はあったのだ。
今回廻って来たのは。
ある大手企業の社長がオカルトに染まってしまった結果、その拡散に協力してしまったオカルト医療。
通称「M痛菌」である。
このMというのは何か良く分からない英単語で、全体的な意味では「健康的にあらゆる痛みを取り除く画期的な菌療法」というらしい。
実際には単なる雑菌であり。
医療効果など皆無だったのだが。
ともかく呆けた社長がこれにはまってしまったのが最悪の結果を生み。
二年間で、380億円に達する詐欺被害が出て。二百五十人を超える人間が、大小様々な医療被害を受ける事になってしまった。
この件で警察の手が入り、この大手企業の株が暴落。わずか一週間で、株の価値は十分の一になった。景気は悪くなかったのに、この会社だけ株がストップ安にまで行った程である。
社長は当然退任。その後詐欺に荷担したという事で、役員もろとも逮捕された。
社長は最後まで、私は間違っていないと喚いていたが。顔が真っ赤な様子から、SNSでは一時期「猿」と揶揄されていたという。
若い頃は切れ者で知られていたらしいのに。
愚かな話だ。
そして、である。
問題なのはこの社長をたらし込んだ詐欺師だ。
被害を広げた社長およびそのイエスマンの役員達は既に捕まっている。
だが、この詐欺師が金の大半を誰かに送金し。
それが第三国を通じてロンダリングされ。
行方が分からなくなっているのが問題である。
現在でもこの事件の黒幕は分かっておらず。更に関係者が口を割らないことから、迷宮入り事件となっていた。
いずれにしても、当時は大手企業だったこの会社も。この一大詐欺事件によって現在はすっかり凋落。
昔は官公庁と癒着してやりたい放題していた時期もあったのだが。
今では技術力の低さがモロに露呈し、すっかり中堅企業以下に成り下がっている。
もっとも、大手企業の頃から内部でのブラック労働には定評があり。
いずれこれは無理が来るだろう、という話はあったという事だが。
それらの説明をすると。
佐川は呆れた様子で、指をくるくると回してみせる。
「そんな呆けたおっさんをボスにしてるからだめなんじゃないですかニャー」
「その通りだね」
「ハア。 とりあえず警視は呆けないでくださいニャー」
「出来るだけ努力するよ」
悪気があって言っている事では無いのは理解しているので、そう穏やかに答える。
とりあえず、まずは事件の流れの確認からだ。
あまり捜査二課がらみ。つまり詐欺事件は経験がないのだが、このチームならやれると信じている。
まずは、皆で資料を確認する。
このタチが悪い菌については、既に拡散は抑えられているが。しかしながら、問題はその流通を仕掛けた詐欺師が金もろとも逃げ切っていること。
海外にまで逃げ切ったかは分からない。
分かっているのは、何処に逃げようと、追い詰めなければならないと言う事だ。
直接手を下した社長はとっくに裁判に掛かって、既に獄中である。当面出てこられないだろう。
今の時代ブラック労働に対する罰則は厳しいし。
何よりも詐欺療法を広めて、二百人を超える人間を再起不能にし掛けたのだ。
この手の連中は、金を稼ぐためなら何をしても良いとか。労働者は使い捨てだとか、本気で考えているケースもあるし。
いずれにしても獄中から二度と出してはいけないだろう。
一方で、此奴を操り人形にしていた輩の居場所はまだ分からない。
また、別の詐欺をしているかも知れない。
いずれにしても、極めて狡猾な相手だ。
気を付けて掛からなければならないだろう。
少し考え込んだ後。
佐川は石川に耳打ち。
石川は少し考えた後、幾つかのプログラムを教えていた。更に自作でのプログラムを渡している。
捜査内容については、聞いておく必要がある。
だから、一応確認した。
「何をしようとしているんだい?」
「ええとですねー。 宮藤警視はヤシロ砲というものをご存じですか?」
「……いや、分からない」
「簡単に言うとですね、アンケート結果を偽造するために作られた自動稼働プログラム、いわゆるスクリプトの事です」
答えてくれたのは石川だ。
そして石川は、この日本でも有数のプログラマーである。
こういう古典的な知識も当然持ち合わせている。
「昔有名人のアンケートがあったんですが、これを無茶苦茶にしたのがこのヤシロ砲というスクリプトです。 ヤシロという人物を、あるアンケートで一位に無理矢理させた実績があって、派生種のプログラムまで作られています」
「石川ちゃん、佐川ちゃん、そんなもので何をするつもりだい?」
「勿論それを直に使うつもりはありません。 これからやるのは、それの合法改良版……通称石川砲によるネット全域での文体調査ですね」
「ほうほう」
石川がかいつまんで説明してくれる。
元々のプログラムは、一種のDos攻撃を行うものであるという。
これを改良。
ネット全域に、特定の文体の特徴を探して。
探査の触手を伸ばす。
その中には、いわゆるポータルサイトから検索できないようなものも含まれており。かなりの探索能力を誇るという。
いわゆるハッカー達が使っているダークウェブと呼ばれるものに関しても、自力で到達できる仕組みだそうだ。
物騒だなと宮藤は思ったが。
まずはこれで、その詐欺師の書く文章を探してみるという。
頷くと、任せる。
そして、七分もしない内に、それが発見された。
今回は早いなと思ったが、佐川が真っ先に首を横に振る。
「これは、違いますにゃー」
「文体は一致しているんだろう?」
「それがですにゃー。 これ、ずっと昔からウェブ作家をしている人の文章なんですわ」
「……」
ウェブ作家か。
2000年代、もっと前か。
ネットを中心に活動し始めたアマチュア小説家を指す。中にはプロが参加しているケースもあったいう。
佐川によると、この文章。
2000年前後から活動している作家の文体とぴたりと一致。
そのウェブ作家が犯人では無いか、と一瞬宮藤は考えたが。
考えにくいという。
「犯人はお金をロンダリングし、しかも足跡を一切残さない周到な行動をしているんですにゃー。 この作家が犯人である可能性は極めて低いです」
「それもそうか……。 ただ、一応本人に確認を取って……」
「いや、これを見て欲しいです」
そこには。
いわゆるSNSを使っての通知があった。
その作者が、事件から数年後になくなっていること。
原因は内臓の疾患。
身内で葬儀を行うこと。
以上である。
一応本当かどうかは確認しなければならない。同時に、佐川には確認をしておく。
「だとしたら、犯人の文章がどうしてこのウェブ作家の人とかぶるんだい?」
「意図を知らせず、恐らく小遣い稼ぎで利用しないかと持ちかけたのかと」
「ああ、なるほど……」
「そして、犯人は当たり障りがない文章しかこの人に書かせていない。 外道ながら上手なやり口ですよ」
佐川もかなり頭に来ているらしい。
なお、ウェブ作家としてはかなり精力的に活躍していたらしく。生前に残した作品数は相当数に登るそうだ。
或いはそれらから文章を切り貼りした可能性もあるという。
どっちにしても、明確すぎるアウトである。
宮藤はともかく、捜査二課と連携して。
このウェブ作家が無実である事を確認しなければならない。捜査二課はこの作家についてはノーマークだったが。流石に対知能犯のチーム。
すぐに経歴を洗い出してくれた。
その結果、この事件の時は海外に出ていて、回線も切っていたことが判明。
このウェブ作家が、事件に関わった可能性は無くなった。
そうなると、文章を切り貼りしたのだろう。
膨大な作品を残したことが徒になり。
恐らく本人も、文章をそんな風に使われたことなど、最後まで知らなかったに違いない。
酷い話だ。
犯罪に自分の作品を利用されるなんて。
作家としては、最大の冒涜以外の何者でもないだろう。
二人はまだ色々と作業を続けている。
この作家の人が書いた以外の文章を探している様子だが。
どうにも難航している様子だ。
SNSでもかなり積極的に活動していたらしく。
この人の発言しか出てこないという。
途中から、佐川に一任し。
石川は使われた機材、金の流れなどについて調べ始めてくれる。
いずれも捜査二課がある程度調べてくれてはいるが。
ロンダリングされた時点で、ぷっつりと切れてしまっている。
手強い相手である。
宮藤は時々アドバイスをしながら、自身は菓子を買いに行く。
二人に手伝いを出来る事はあまりない。
普通警視というと、ふんぞり返って部下に指示を出し。
キャリアである事を鼻に掛け。
ベテランの刑事を顎で使って、内心で嘲笑っている。
昔は事実そんなキャリア連中に独占されている階級だった。
今の警視総監が赴任し。更にその前から行われていた警察の改革によって、現場の足を引っ張る事しかしなかった無能キャリアは一掃され。たたき上げの宮藤のような人間も警視になる事ができる時代にはなったが。
その一方で、宮藤は自分は虎になってはならないと戒め続け。
今でも欠食児童達のパシリをやっている。
それが一番自分にとっても良いと思っているからである。
そのまま菓子を買って戻ると。
二人はむっしゃむっしゃと食べ始めた。
やはり知能犯が相手だと、相当に脳みそがエキサイティングするらしい。
既に石川は、モンタージュを組み始めている。
実は犯人は、全身フードを被った状態で何度か監視カメラに写っているのだが。そこからどうにかしてみせるという。
その様子は完全に怪しい占い師かなにかで。
此奴の詐欺に荷担した社長が騙されていた頃には、社長はなんかタチが悪いオカルトにはまっていると、早い段階から噂が流れていたという。
なお、うつむきがちに歩いていたことからも。
顔などについては、一切分かっていないという。
社内ではトイレなども利用した形跡が無く。
更に、社外ではレンタカーを用いて行動していた様子で。
DNAなどの証拠は、一切残っていないという。
膨大なカメラの映像を分析し。
それでも石川は物理演算を駆使して、この犯人のモンタージュを作り始める。多分、この国でも石川にしか出来ない事だ。
一方佐川は、何人かおかしいのを引っ張り上げ始める。
一時期、ネットは詐欺師で溢れていた。
それら大量の詐欺情報から、犯人と手口が似ているものを探し始めたのである。
こういった類似例を探すAIはもう警察も採用しているのだが。
今回に限っては、流石に犯罪の規模が大きい事もある。
一応似たような例を見つけては、地道な捜査を続けてはいるようだが。
今回は、それも上手く行っていないようだった。
頭を掻くと、佐川は何人かをピックアップ。
見ると、SNSのデータを中心に探している。
それも別に詐欺を探しているわけではない。
どういうことかと聞いてみると、少し悩んだ後、佐川は答えてくれた。
「今の時代、ネットには老人でさえ触るんですにゃー」
「まあ、それはそうだね」
昔はテレビをはじめとするマスコミが、必死にネットを馬鹿にしていた時期もあった。だが、ネット。つまりインターネットというものは、天気予報や交通情報などの必須情報が集積し、検索を行うために用いるポータルサイトや。それぞれの人間が交流するために用いるSNSなども含まれる。
更に言うとそのマスコミも、一時期からネットに挙げられている動画などを利用して番組を作るようになって行った。
ネットというのは巨大井戸端会議であり。
そのモラルは文字通りスラムのそれだが。
逆にそれが故に全てを内包しており。
利用していないケースは考えられないという。
石川が、犯人は動きからして四十代に達していないと結論を出したことからも。佐川は犯人がSNSを利用しているのは確実だと結論していた。
そしてその利用は。
何も詐欺に限らないという。
「今、1500万件に達する、アホ社長に関わった事のあるアカウントを全て精査してみるニャー」
「大変そうだけれど、頑張って」
「……」
それっきり黙り込むと、全力での調査を始める佐川。
勿論アカウントを一件ずつ調べるのでは無い。
石川と連携しながら、ツールを使って怪しいものを絞り込んでいくのだ。
宮藤も頼まれる。
SNSの運営会社に頼んで、記録を引っ張り出してほしいと言うのである。頷くと、すぐに捜査二課と連携して動く。
今回はいつもと勝手が違うが。
相手が多数の人を不幸にした邪悪な犯罪者であるという事は何も変わらない。
ならば宮藤班がやる事は決まっている。
犯人を逮捕し。
刑務所に叩き込む。
それだけだ。
1、もやを掴む
捜査二課から戻る。
捜査二課は、詐欺などの知能犯を扱う事件に対応するだけあって、昔よりも電子戦設備が整っていた。
海外ではハッキングなどに対応する部署もあるらしく。
この国でもそれは存在している。
お世辞にもそれほど優れた実力では昔はなかったのだが。
近年は、警察がどんどん外部から優れた人材を登用しており。
外部委託の形で、警察に協力している。
宮藤班にいる石川や佐川のように。高梨のように。
そういった形で、「警官」をしている人材はいる訳だ。
捜査二課に協力している者の中には、昔はマジモノのハッカーで。刑期を終えてから警察に協力している者もいるとか。
給金がとてもいいので、不満の声は聞かれないという。
この辺りは、江戸時代の岡っ引きのようである。
江戸時代の岡っ引きも、元犯罪者がなるケースが多かった。
これはどうしてかというと。
元犯罪者は、犯罪者の心理に通じているからである。要するに、それだけ犯罪者に対抗しやすいのだ。
そんな捜査二課で、幾つかの話をして。
資料を此方も提示し。
更に資料も提示して貰った。
現在、捜査二課では、一つの特務部署。要するに宮藤班のような特別チームがこの事件をまだ追ってくれているらしく。
其所と連携してほしい、と言う話で。
アドレスを貰った。
逆に言うと、詐欺そのものを追う捜査二課としては、この手の事件にあまり関わり合いになりたくはないのだろう。
その気持ちは分からなくは無いが。
ただ今回は、健康被害を多数の人間が出している、立派な凶悪事件である。
それを考えると、捜査一課案件で良いと宮藤は思う。
交通課に戻ると佐川はいない。
おねむの時間だ。
石川はと言うと、しばらく考え込んでいた。見てみると、かなり良い所まで、モンタージュが出来ている。
それによると、だ。
犯人は、体型を隠すために、幾つもの工夫をしている、というのだ。
「みてください、此処ー」
「どれどれ」
監視カメラなどの、極めて細かい動き。
それによると、フードによる「覆い」が体に直接当たっているのではなく。何かに当たっているという。
確かに不自然な膨らみがある。
人間的な膨らみでは無く。まるで大昔の鎧。胸鎧だとかいう鎧に被さっているかのような感触だ。
「だから、これらの部分については考えなくていいと思いますねー。 問題はこっちの方です」
「ふむ?」
一方、だ。
腕や足などには、プロテクターなどをつけるわけにはいかなかったのだろうとも、石川は言う。
それはそうだ。
そんなものをつけていたら体が重くなる。
いざという時。
要するに逃げるときに、体の動きを大きく阻害してしまう。だから、体型を隠すためにつけていたプロテクターは、恐らく肩と口、胸と腰周りだけだろうと。
「更にこれ、見てください」
監視カメラの画像。
その一点を見せられる。
犯人ののど元から口に伸びるように、何かついているという。黒い点くらいにしか見えないが、石川はその正体を特定していた。
「これは声の指向装置ですー」
「指向装置?」
「ええとですね。 いわゆるどもりとか、滑舌が悪いとか。 そういう人が喋りやすくするように、いろいろなものが作り出されてきた歴史があるんですよ。 今は幼少期の訓練で、そういう口の不自由は克服できるようにはなっているんですが、それでもどうしても声が小さかったりする人がいて。 そういう人のために、作られたものがあります。 ただこれは、犯人がそうだから使っているとは思えませんけれど」
「具体的にどうしてそんなものをつけているの?」
宮藤は頭が悪いので、石川に説明を求めるし。
石川もそれに嫌がらずに答えてくれる。
要するにこの装置は、小さな声を正確に相手に向けて。逆に相手だけに届けるものだという。
普通音というのは扇状に拡がるものなのだが。これを使う事によって。言葉を届けたい相手にだけ声を届けることが出来ると言う。
昔の忍法小説みたいだなと宮藤は思ったが。
実際にテクノロジーで出来ると言うのなら、出来るのだろう。
極端に小声で、更に相手の声が怖いと言う症状の人がいて。
そういう人が使うために開発された機械らしい。
これがあることにより、小声の人が暴力を受けるような事も無くなったし。更に言えば、多くの場面で、機密を守るためにも活躍しているという。
そんなものを悪用する詐欺師は、万死に値するなと宮藤は思った。
「要するに犯人は、フードで身を隠すだけではなく、あらゆる方法で自分を偽装しているんです。 これは後を追えないのも道理ですね。 多分個人情報を使って何処かにアクセスしていることもないかと思います」
「レンタカーで移動しているらしいけれど、その線からは追えない?」
「此奴異常に用心深くで、レンタカーで移動中も顔を変えるマスクをつけているんですよー」
「でも、レンタカーに乗っている状態でしょ。 プロテクターは外せないの?」
頷く石川。
それで、幾つかの監視カメラの映像を出してくる。
流石である。
それによると、プロテクターを外している犯人の。顔だけは違う様子が映し出されてくる。
なお手袋はしっかりしていて。
しかも帽子もして、髪の毛が落ちないようにも工夫していた。顔には咳を防ぐタイプのマスクまでつけている。顔を隠すために被るものとはまた別のマスクだ。本当に用心深いのだなと呆れてしまう。
「毎回移動経路が違うし、利用しているレンタカーも違うので、追えるのはそこまでだと思います。 レンタカーから出てきた所も調べて見ましたが、恐らく事前に着替えなどを用意しているのか、似た格好の人間は一度も見つけられません」
「恐ろしく手際が良いな。 まるでスパイか」
「或いは、複数の人間が協力して動いているか……ですねー」
「……」
宮藤はどうも違和感を覚えるが。
兎に角此処は、石川に例のチーム、宮藤班とは別の特務部署を紹介するしかない。
アドレスを教えると、早速連携を取ってみると言う事だった。
佐川はどうしたのか、一応聞いておく。
高速で打鍵しながら、石川は答えてくれる。
「これらのアイデアを出してくれた後、ねちゃいましたよー」
「そうだろうね。 でもこれだけで、一体今までの捜査に比べてどれだけアドバンテージが取れたか分からないくらいだよ」
「……」
事実捜査二課は、無能社長の周辺を洗うばかりで、こういった細かい所にまで捜査を伸ばしていなかった。
特務部署も、これでは動くに動けないと思っていたのではあるまいか。
少しして、すぐに返事が来たという。
石川が、内容を見せてくれた。
「単独でこれらの情報に辿りつくとは、流石は噂の宮藤班。 それでは、此方も手札を開示したい。 専用のVLANか何か持っていないか」
すぐに石川が専用のVLANをつなげると、どっとデータが送り込まれてくる。
二ヶ月がかりで、さっき佐川が見つけ、考案した所くらいまでの捜査の結果が流れてくる。
佐川の能力の高さも分かるし。
二ヶ月かかったとは言え、独力で此処まで調べられた特務チームも大したものだ。
「石川ちゃん、こう伝えて。 連携して動くために、こっちから捜査二課に働きかけるから、仕事の分担を決めようって」
「らじゃー。 ……OK、だそうですよ」
「それじゃ、石川ちゃん。 今までのデータで、犯人のモンタージュは作れる?」
「顔以外なら。 顔も、形までなら」
流石だ。
マスクをつけて顔を変えていても。どうしても形までは変えられないという。
犯人の性別は男性で確定だそうである。
肉の付き方とかで分かるそうだ。
ただかなりのやせ形で、身長は160pジャスト。
靴などで誤魔化しているが、これについては動きなどから確定だそうだ。
モンタージュを作った後、それを特務班に送るように指示。
捜査二課は決して無能ではない。
石川が異能過ぎるだけだ。
後は、宮藤が捜査二課に連絡して、独自に特務部署と連携する許可を貰う。
捜査二課の課長が警部だったこともある。
警視である宮藤との交渉で、宮藤が相手を立てたことも大きかったのだろう。比較的すぐ、本格的な連携を許してくれた。
では、此処からは。
宮藤班のやり方でやらせてもらう。
モンタージュが出来たのは夕方。
宮藤から、特務部署。明智部署というらしいが。明智部署に直接連絡を出す。
「モンタージュは確認して貰えたと思う」
「これはすごい。 あらゆる場所を偽装していた犯人を、こうも完璧に……」
「うん、でも顔は形以外は再現出来なかった。 それは申し訳ない」
「いや、これで充分過ぎる程だ」
明智部署のボスは警部補らしいが、それは気にしない。
相手がため口だろうがどうでもいい。
向こうも異能持ちを集めた特務部署である可能性が高い。
だったら、気むずかしいのは当然だろうし。
何よりも、こっちもあまり細かい事をぐだぐだ言わないに限る。
「このモンタージュを元に、日本中の監視カメラ画像を当たってほしい。 特に空港や漁港」
「了解した。 このモンタージュなら……やれると思う」
「電子戦のスペシャリストである貴方方を信頼している。 それでは頼む」
通話を切る。
これで、本気になった明智班も全力で動いてくれるはずだ。
石川には今日はもう上がるように指示。
そろそろ定時である。
それに、この様子だと。どうせ明智班もスクリプトを掛けて終わりだろう。宮藤も、交通課の面々同様、ロボットに後を任せて上がる事にする。
今回の件が解決したら。
闇の世界で、更に宮藤班の名は拡がるのだろうか。
既に宮藤班には、目をつけられたら終わりだという都市伝説まで上がり始めているという。
犯罪者が恐れおののくのはいい。
だが、それだけでは駄目だ。
犯罪を完全に防止するには、そもそも犯罪に手を染めても全くメリットがない社会にしなければならない。
それはもう宮藤の仕事では無い。
政治家達の仕事だ。
幸い、警察を改革してくれたことだけは助かる。警察としては、犯罪を防止するために、手を尽くす事しか出来ない。
それについては、宮藤班が抑止力になるのであれば。
どんどん活動していきたい。
着替えを終えて、家に帰る。
寂しい家だ。
高梨は大丈夫だろうか。ここ数日仕事を回していないから、休めていると思いたい。メールはきちんと返ってくるから、生きているのは確かだが。合成音声を使っている所からしても、ろくな体の状態ではないことも確定だろう。
家に着く。
家は家庭用ロボットが全て家事を済ませてくれている。
靴なども綺麗にしてくれる。
健康診断も軽くしてくれる。
「肺の状態はかなり改善しています。 それでも煙草は吸わないようにしてください」
「分かっているよ」
服を預けながら、宮藤は煙草がほしいなと思った。
捜査一課一本でやってきたのだ。
迷宮入り案件を片っ端から片付けて、そろそろその件数は90件に迫る。警視になってから少し時間も経った。
高梨は体調が相変わらず良く無さそうだし。
石川も佐川もオツムが子供のまま。
警視正に出世した神宮司は、ライバル宣言をまだしたまま、時々此方に突っかかって来る。
なんというか、この状況で。
捜査二課案件の迷宮入り事件まで片付けるのは、色々としんどいものがある。
ため息をつくと、酒がほしいなと思ったが。
酒も全て取りあげられてしまっている。
宮藤は嘆息すると。
後はもう、寝る事にした。
翌日。
宮藤が出勤すると。引き継ぎを受けただろう佐川が、早くからパジャマのままで高速打鍵していた。
これは「入っている」目だ。
この状態になると、石川でないと着替えはさせられない。
せめてコートだけ掛けておくと。
そのまま、宮藤も仕事を開始する。
まずメールチェックだが。
例の明智班が、早速色々な成果を出してきていた。
この様子だと、早めに出勤して、スクリプトの結果を楽しく見ていたのかも知れない。
捜査二課麾下の情報戦集団だ。
うち以上の変わり者集団でも不思議では無い。
「モンタージュから解析してみたところ、幾つか面白い事が分かりました。 歩き方なども全てモンタージュしている事から、非常に分析がしやすかったです。 これは凄い人を麾下に抱えていますね」
「お世辞は良いから、続きをやってくれ……」
ぼやきながらメールを読む。
メールで世辞なんて書いている暇があったら、どんどん成果を上げてほしい。この辺りは、宮藤が根っからの刑事だから思う事なのだろう。
普通はマナーがどうの礼儀がどうのでギャーギャー騒ぎ散らかすものだし、相手の反応はむしろ普通だとも言えた。だから、文句は言わない。
「まず分析ですが、この人の独特の歩き方、体型などから分析した結果、全国でも近畿地方中心にこの人物は出歩いています。 どんな時でも必ずマスクをしている様子で、素顔が移った映像は一つもありません。 また、最後に監視カメラに写ったのが半年前で、それも大阪です」
「大阪……」
「思うにこの犯人、捜査二課の能力を過大評価していますね。 海外には出ていないと思います」
「ふむ……」
半年程度なら、金があれば籠城は難しく無い。
更にこの犯人は、数百億の現金を持っているとみていい。
その現金を使って。
後はのうのうと老後を暮らせば良いのだ。
危険を冒す必要が何一つないのなら。それこそ家の中で、ずっと宅配生活をすればいいのである。
その考え自体は合理的だ。
とりあえず、それが分かっただけで充分。
宮藤の仕事は、他にある。
石川が出勤してきた。佐川がそれを見て、一度手を止める。
本当の意味で、佐川が心を許しているのは石川だけかも知れない。二人連れ添って、着替えに行く。
二人が戻ってきたところで、今日のことについて軽く話す。
「どうやら犯人は大阪に潜伏しているらしい。 これからおいちゃんは、大阪府警に出向いてくるよ。 現地の捜査一課と捜査二課、両方に協力を頼むつもりでね」
「大阪……一致するな」
「佐川ちゃん、どうしたの?」
「いえ。 さっき調べていたSNSのデータ。 怪しいと思っていたアカウントが、大阪にいるみたいでして」
佐川の言葉には重みがある。
続けてくれと言うと、佐川は頷いた。
「事件が起きたとき、監視カメラに写っている時。 つまりスマホでSNSに対して操作ができないとき。 一切書き込みをしていないアカウントの中から、言動がおかしいものを絞り込んでいましたニャー」
「それで変なのを見つけたと」
「はい。 どうも例の駄目企業に対して、個人的な恨みがあるようでして」
「ふむ。 だけれど、それだけだとまだ何とも言えない。 これからどんどん情報を詰めて、裏を取っていって。 石川ちゃんは補助してあげて」
二人揃ってらーじゃーと言う。
これでも二人とも警部補扱いなので、交通課の殆どの誰よりも偉い。
とはいっても、二人はそもそも宮藤班で仕事をすること以外に興味が無い様子なので。交通課の人間と殆ど話そうともしないし。挨拶をされたら返すくらいだった。
態度が悪いとか、最初の頃は宮藤の所に苦情が来る事もあったのだが。
今では宮藤班の事が知られているので、誰も逆に近寄ろうとしない。
すぐにチケットを調べて、今日は新幹線が早いと判断。
二人に此処は任せて駅に出向く。
駅で待っている間の時間、兎に角冷えるが。捜査一課で犯人を追っているときは、こんな寒さでは無かった。
二郎もそろそろ無理が来る年だ。
いい加減、現場からは退くべきだと思うのだが。
落としの錦二といえば、捜査一課でも頼りにしている尋問のプロフェッショナルである。
捜査一課としても、尋問用のロボットが実用化されるまでは。
二郎を手放したくは無いのだろう。
新幹線に乗ると、後は大阪まで。
既に大阪府警には、資料を送り、事情を話してある。
向こうでも捜査一課の課長クラスが出てきて対応してくるはずだ。一緒に捜査二課の課長も出てくるかも知れない。
いずれにしても、宮藤班の名が知られていて良かった。
宮藤は解決した難事件が100件を超えたら警視正に、という話もあると言う。警視正というと、もう大きめの県警でボスを務めるクラスの警官である。一方、神宮司の方はもう警視長になるのが間近だそうだ。警視長と言えば警視監の下。つまり、警視総監の跡取りになるまで後一歩という事である。
変な恨みとか買わないといいんだけれどねえ。
そうぼやきながら、宮藤は新幹線で現地に向かう。
その間にも、メールは来る。
まずは大阪の方だが。
やはり捜査一課の課長である警視と、捜査二課の課長である警部が出てくるという。宮藤班の話は当然聞いている様子だが。今の大阪府警の捜査一課課長はたたき上げの見本のような人物で、現場百階を信念にしているような剛直な男だと聞いている。剛直なのは大変結構なのだが。
宮藤班に変な意識を持っていないといいのだけれどなあと、ちょっと思ってしまった。
一方捜査二課の警部は、降格されてここに来たキャリアで。
あまり良い評判は聞かない。
こっちもあまり役に立ちそうにないなと思ったが。
今回の件。
大阪府警に話が行った時点で、警視総監が目を通しているはず。
要するにだ。
もしも今回の事件解決の過程で色々とやらかしたら、それを理由に潰しに掛かるかも知れない。
まあ充分な理由になる。
今まで膨大な迷宮入り難事件を片付けてきた宮藤班にイチャモンをつけたり、足を引っ張ったりしたら。
それは、宮藤班に仕事を廻し。
難事件を叩き潰す事で、事件解決率を上げてきた警視総監の顔に泥を塗るのと同じである。
ただ、逆に捜査二課の課長は、警視総監を怖れているかも知れないし。
ひょっとしたら、阿諛追従する勢いで、へつらってくるかも知れない。
その場合はその場合で。
却って面倒くさいが。
さて。此処からだ。
大阪駅に到着。宮藤班に連絡を入れておく。
まだ、情報については不完全だと石川が言う。最近は、石川もどれくらい情報が整えば、高梨が犯人のプロファイルを出来るか感覚的に分かってきているらしい。
そのまま情報を集めてほしいと指示。
また、途中でSNSの運営会社にも連絡。ログを提出して貰う手続きもすませた。これで、今日中にはログが佐川の所に届く筈だ。
当たりだと良いのだが。
大阪府警に到着。
入り口まで、巌のような厳しい表情の捜査一課課長と。逆にモヤシのような捜査二課課長が迎えに来ていた。
丁寧に礼をして、名刺を交換する。
青ざめている捜査二課課長。
これはひょっとして、警視総監の肝いりとも噂がある宮藤班の課長が視察に来たとでも、勘ぐっているのか。
それは迷惑な勘ぐりだから止めて欲しいところだが。
そのまま、会議室に通される。
茶を出してきたので、有り難くいただきながら、話をする。
捜査一課の刑事が何人か、捜査一課課長の後ろに立っていた。捜査二課の刑事は一人だけ、同じようにしていた。
「通称「M痛事件」。 分析の結果、その犯人が大阪に潜伏している可能性があると、名高い宮藤班の貴方が仰られるのですな」
「分析の結果です」
「ふむ。 此方としても、多数の迷宮入り事件を実際に解決している貴方の戦歴には敬服しています。 ノンキャリアで一度問題を起こして捜査一課を離れているにもかかわらず、警視にまで出世している手腕にもね」
そら来たと、内心宮藤は呟く。
どうやらこの捜査一課課長。
捜査一課である事に強いプライドを持つ、一番厄介なタイプの堅物だ。宮藤班の事は、良く想っていないらしい。
「いただいた資料に関してはいうまでもなく素晴らしい。 超一級の資料だ。 これより此方としても、捜査を開始させていただく。 それは約束する」
「何か不満点はありますか」
「……大阪府警の事は、大阪府警で行いたい。 犯人逮捕までの一連の流れ、更には捜査本部の立ち上げは、此方主導で行いたい。 宮藤班は足労願って申し訳ないのだが、其方からリモートで作業だけしてほしい」
ああ、なるほど。
何となく分かった。
以前神宮司が、宮藤と一緒に対応した事件があった。その時、無能な捜査本部の部長を、神宮司がノックアウトした事があったっけ。
その事が、宮藤のやった事のように伝わっていて。
変な悪名になっているのかも知れない。
だとしたら迷惑な話である。
ため息をつきたいが、この場で誤解は避けたいし。そもそも今は、「西の大阪東の神奈川」なんて言われていた腐敗警察の面影はない。大阪府警は念入りに浄化されて、今はまともになっている。
ならば。
多少は、相手に譲歩した方が此処は良いか。
大阪府警はある程度荒事にも慣れている筈。
更に警察用ロボットもかなりの数が配備されているはずだ。
宮藤が直接出向かなくても良いだろう。
問題は犯人が詐欺師と言う事で。
口を割るか分からない、と言う事なのだが。それについては、リモートで聴取に応じさせてもらうしかないか。
短い時間で、軽く計算すると。
不機嫌そうに口を引き結んでいる捜査一課の課長に答える。
「それでは現場の捜査に関しては全面的にお任せします。 宮藤班との全面連携だけを頼みます」
「分かっている。 それについては、此方もいきなりこの話を回されてもお手上げだからな。 ただ手柄は宮藤班だけで独占とかそういうのも止めて欲しい」
「分かっていますよ」
計算高いというか。
なんというか、がっついている感じが何とも情けない。
とはいっても、大阪府警は神奈川県警と並んで昔は「二大腐敗警察」何ていわれていた事もある。
失点を取り去るために必死なのだろう。
失敗は宮藤だってした。
気持ちは、分かるつもりだ。
細かい打ち合わせはしていく。此方の手の内も、ある程度見せていく。
宮藤班が謎の集団だと言う事は、此処の捜査一課課長も、捜査二課課長も認識はしていたが。
特殊なプロファイルの一種を得意としていると聞くと、眉をひそめた。
「特殊なプロファイル?」
「うちにはスペシャリストがいます。 正確なデータが出てくると、極めて正確にプロファイルを行えます。 どれだけそれが有用かは、今までの実績が明らかにしています」
「確かに凄まじい実績だが、不安だな。 もっと詳しく手の内を明かせないのか」
「うちは残念ながら特務部署でして」
そういうと、露骨に不機嫌そうになる捜査一課課長。
なんというか、ごつい見た目の割りには色々と小心というか分かりやすいというか。色々とやりにくい相手だ。
ともかく、くせ者揃いの大阪府警の刑事達をまとめるには、見た目だけでも堅物な方が良いのだろう。
舐められたら終わり。
それくらいの考えで、やっているのかも知れない。
「分かった、これ以上は聞かない。 その代わり、連携はしっかりとしてほしい」
「分かっています」
「では、此方でも捜査本部を立ち上げる。 いただいた資料によると、どう客観的に見ても確かに犯人は大阪にいる可能性が高い。 広域暴力団も海外のマフィアも力を失った今、何かしらの方法で個人的に潜伏しているとみていいだろう。 必ずや、足で稼いで探し出してみせる」
胸を反らして、そう大仰に言う捜査一課課長。面倒な相手だと宮藤は思った。
2、上手く行かない連携
げんなりしながら宮藤が交通課に戻る。
それを見て、石川はだいたい何があったか悟ったようだった。
勿論コーヒーを入れてくれる事などない。
まあ今時、お茶くみという悪習は余程のブラック企業でもない限り、存在していないという話だが。
「それで、高梨ちゃんに資料は送れた?」
「はい。 終わりましたー」
「そっか」
佐川はいない。
新幹線も速度が上がっていて、大阪まで日帰り余裕である。しかも大阪府警では、うちが主導する、うちが逮捕すると散々気炎を上げるのを見て来たところだ。
殆どいった意味がなかった気すらするが。
それでも、現地の重要な実働戦力だ。
そして、これに関しては。
宮藤がやらなければならない事でもあるのだ。
なお、聴取について、立ち会いはさせてもらうつもりである。
それだけは言質を取った。
まずは、高梨に連絡。
高梨は、ちゃんと出てくれた。
ここのところ、どんどん心配になっている。毎回高梨が死ぬ思いで情報を引っ張り出していることが分かっているからだ。
ましてや体が虚弱なのも目に見えている。
電子音声だという事が分かっていても、である。
「宮藤さんですか。 資料は拝見しました」
「うん。 おいちゃんの方から言う事はないけれど、それでイマジナリーフレンドは作れそう?」
「やってみます」
というか、今やっている最中だったのだろう。
何段階かを経て行うらしいので。
此方はただ待つしかない。
邪魔をしないように、頑張ってとだけ告げて電話を切る。
それで、後は資料を自分でも確認した。
明智班から来ている資料は、更に追加。犯人は、かなり積極的に日本全国を動き回っていたらしい。
東京などで捜査一課に連絡して調べて貰ったのだが。
犬は反応せず。
ようするに、警察犬では対応出来ない方法を知っていると言うことだ。
それに、である。
そもそも、会社の社長の部屋を徹底的に調べたときも、警察犬は反応しなかったと聞いている。
犯人固有の持ち物を、一切残さなかったというのもあるのだろうが。
異常なまでに潔癖に。
己の臭いを封じているのもあるのだろう。
極めて厄介な輩だ。
一体どうして、そこまで自分を隠すのか。
勿論、他人がどうしてそんな事をするのか、については。正直な所、宮藤には分からないし。踏み込んではいけない部分もあることは知っている。
だがそれが犯罪に結びつくなら話は別。
人の心を土足で踏み躙るのは論外だが。
これが今回は、犯罪の露見を防ぐのに、本当に大変な手間を必要とする要員になっているのだ。
資料をどんどこまとめしだい高梨の所に送る。
今の時点では。
宮藤には、それしか出来る事がない。
今までとは違う。霧のような手応えだった。
高梨は何度かイマジナリーフレンドの構築を試してみたが、どうしても犯人の構築が出来ないのである。
霧を掴んでいるかのようだ。
犯人は、誰にも自分を見せていなかった。
そういうことになる。
普段の行動や、癖。それに何をしたか。それらに全て、基本的には人格は関わってくる。歩き方一つにしてもそうだ。
だがこの犯人の場合、己を消す事に全力を使っていて。
それを極めている。
手強いと感じるが。
それでも、やるしかなかった。
資料がまた追加されてきた。
宮藤が苦労して入手してきた、社長の聴取の内容である。犯人は、殆ど画面に映した文章でしか会話せず。それもウェブ作家の文章を切り貼りしたものだったという。声がないのかと思ったら。はいやいいえは自分で喋ったとも言う。
数百億に達する金を巻き上げた方法についても。
菌を作ったり(実体はただの雑菌だったそうだが)、ばらまいたりするのは社長自身にやらせていたらしい。
とにかく回りくどい。
病的なまでに己を見せない。
この厄介さは、今までに見たことが無い犯人のタイプだった。
気持ちを切り替えて次。
頭を振って、まずは犯人がどう行動しているかを確認していく。理屈的にはよく分からないのだが。
これがイマジナリーフレンドの構築につながるのである。
初心に戻り。資料を確認。
疲労しながら、イマジナリーフレンドを再構築。
そうすると、ある地点で。
不意に、イマジナリーフレンドが出来た。
呼吸を整える。
今回の犯人は。恐ろしく手強い。
今までで、一番たくさんのデータを取り込んで、やっとイマジナリーフレンドを構築できたかも知れない。それくらい厄介な相手だった。
此処からも、尻尾を簡単に掴ませてくれるかは分からないが。
少なくとも嘘はつけないようにしているし。
友達だという設定にもしている。
ただ、そのパラメータも、慎重に弄る必要があるだろう。
宮藤に連絡を入れてから、話を始める。
犯人は、予想通りというかなんというか。恐ろしいまでに、物静かだった。
「お前は?」
「忘れたの?」
「ああ、そうだったな……」
「君が起こした詐欺事件について、聞かせてほしい」
もう直球で行って見る。案の定、犯人はしばらく黙り込んだ。これは手強いなと思っていたら。
やがて喋り始める。
「あのクソ企業の社長……知ってるか?」
「貴方が騙した社長ですか?」
「そうだ。 俺は世間的には希代の詐欺師と思われているかも知れないが……実際に詐欺をやったのはあれだけだ」
驚く。
確かに足跡が掴めないはずだ。
宮藤の話によると、詐欺師というのは基本的に昔はヤクザのシノギで。基本的にヤクザと連携して動いていたという。
顧客名簿を怪しいルートから入手したり、或いは動きやすい仕事場を整えて貰ったり、である。
今の詐欺師にはそれが出来ない。
広域暴力団を筆頭に、犯罪組織が昔からは考えられないほどに弱体化したからである。
だからこそ、そんな時代に300億以上もの被害を出させた上。逃げ切っているこの犯人について。
宮藤班に、対処依頼が来ている訳なのだ。
「どうしてその犯罪をやるつもりに?」
「だから、あのクソ野郎を知っているだろう」
「怨恨?」
「違う。 ……あの会社が、どうやって成り上がったか知ってるか?」
成り上がった。
よく分からないが。いや、確か宮藤から回して貰った会社の資料を軽く見たような気がする。
「あの会社はな。 戦争が終わった後、財閥が解体されて。 その余波で、特需が出来た中成り上がったんだよ。 タコ部屋労働でな」
「タコ部屋労働……」
「一昔前のブラック企業がやっていたのよりも、更に非道な労働だ。 賃金は殆ど0、食い物もロクに与えずに、バタバタ人を殺しながら働かせる非道なやり口さ。 北海道なんかには、これで作られたトンネルなんかがあるし、しかもそのトンネルには被害者が埋め込まれたりもしている。 信じられるか、そんな事をした会社が今も生き延びていて、しかも上場企業様を気取っていたんだぞ」
「……」
確かに、それは許せない話だ。
そして、犯人はなおも言う。
「あのクソ野郎はな、同族経営のその末裔だ。 それだけならまだいい。 先祖の罪を子孫が償う必要は必ずしもないからな。 だが彼奴は、先祖が何をして財を成したかしっていやがった。 その上で、「誇らしいご先祖様」なんて抜かしやがったんだよ」
「……それは、何処で聞いたんですか」
「あの会社にいたときだ。 忘年会に……とはいっても居酒屋じゃなくて、会社の大ホールを使っての立食スタイルだったがな。 忘年会で、社長がスピーチしたとき、そんな事を抜かしやがった。 俺は歴史に興味がある方で、タコ部屋労働の非道さは聞いた事があったからな。 だからこそ、絶対に許せなかった」
なお、会社の社員ではなく。
忘年会に出ていたという。
ぴんと来た。
此処は、恐らく宮藤が犯人を追い詰めるための鍵になる。
即座に連絡を入れたいのを我慢して、そのまま話を聞く。
「後は計画を練った。 出来るだけ馬鹿馬鹿しい方法で奴を狂わせて、そして会社ごと破滅させてやるつもりだった。 会社の役員共も全員巻き添えにな」
「……続けてください」
「俺はすぐに行動に出た。 詐欺師について徹底的に調べて、そして社長がエセ医療にはまる素質があることもすぐに見抜いた。 奴のSNSを確認すると、医者に対して非常に大きな不満を抱えているようだったからな。 その手の輩は、得てして今の医療は嘘だらけとか、筋肉が全てを解決するとか吹き込んでやると、ころっといくもんだよ。 俺は奴の鍵垢に半年掛けてアクセスすると、数ヶ月掛けてじっくり、インチキ医療を吹き込んでいった」
この手の輩は、孤独を抱えている。
昔は勝ち組、なんて言ったそうだが。実体は違う。
金持ちはみんなおおらかで優しいなんてのは大嘘だ。
昔ほど酷くはないが、今も充分酷いマネーゲームの中に身を置き。金を奪い合う事を繰り返している。
近付いてくる人間は全て金目当て。異性も勿論同じだ。
異性との派手な遊びを見せびらかしているような金持ちは、だいたいタチが悪いのに引っ掛かって金をむしられるし。
誰かに大事な話をする事だってできない。
参謀役の人間だって、自分の座を狙っている可能性だってある。
歴史的な大物だって、社会のトップに座ると、この恐怖に常に怯え続けたのだ。
ましてや器でない人間がそんなところに座ったら。
すり寄ってきた輩に気付いたら滅茶苦茶にされているか。
誰も信じられなくなって精神を病むか。
どちらかである。
そして現在のうちの国では、古くには存在した。側近を幼い内から育成していくような方法が存在しない。
つまり金持ちや権力者は。
古き時代の権力者以上の。孤独と猜疑心の中にいる。
だから、その猜疑心をつついてやると。
簡単にインチキ医療に染まってしまうと言う訳だ。
「奴は常々呟いていたよ。 ずっと体がだるい。 医者には定期的に見てもらっているのにこれはおかしい。 栄養士だってつけているし、まずいものも嫌いなものも我慢して食べているのに、だ。 滑稽な話だよな。 偉大なるご先祖様が文字通り生き血を啜って作り出した金に浮かんで楽をしている分際で、その立場に耐えられなくなってストレスでおかしくなっているだけだってのは目に見えてるのによ」
少しずつ能弁になって行く犯人。
最初は少し喋るのにも数分おいていたのに。
喋り始めると、止まらなくなった。
「だから俺は最悪の方法で奴を潰す事にしたのさ」
宮藤に一旦データを送る。
とにかく凄まじい消耗だった。
今までで一番酷かった可能性さえある。しばらく気絶するように眠って。丸一日眠ってしまった。
どうやらオート介護のシステムが、栄養の点滴が必要だと判断したらしい。
いつのまにか栄養が点滴されていた。
起きた後は、粥のようにまずい栄養食を食わされ。
トイレを済ませた後は、体を丁寧に全身拭かれた。
汗が凄まじかったのだろう。シートもてきぱきと交換される。リネン類の洗濯をしている音が聞こえた。
医者は来ていないのか。
来たとしても、もう帰ったのか。
しばらくぼんやりした後、メールを見る。
宮藤からだった。
助かった、と書いてある。
それだけで、元気が貰える。
まずは目を覚ます所からだなと思って、ゆっくり体を動かして行く。犯人の動機は分かってきた。
そして犯人を捕まえるための手がかりも、である。
だが、まだ犯人は隠し玉を残しているような気がする。
犯人が一人で全てをやったとは限らないのである。
だから、力を振り絞り。
まずは話を聞かなければならない。
更に半日ほど休んだ後、イマジナリーフレンドを呼び出す。犯人はまたしゃべり出すまで時間が掛かったが。
一度しゃべり出すと。
後は立て板に水だった。
エンジンが掛かるまで時間が掛かるタイプなのだろう。
「この間は奴を潰す手段を整えたところまでだったな」
「はい。 その後をお願いします」
「……俺は自分を消す事にした。 まず戸籍とか全て処分して、透明人間になった」
「大変でしたね」
おうよと犯人は楽しそうに言う。
明らかに、自分を正義だと考えている。
嫌なタイプだ。
以前話した、家族に暴力を振るっていたヒモ野郎も、自分が正しいと信じて疑っていなかったっけ。
此奴も、社長と役員だけをどうにかするだけだったらいい。
だが、無関係な。
社長にこき使われていただけの社員達にも、三桁単位の人数被害を出させているのである。
それを考えると、とても許される事では無いのに。
自分を正義だと錯覚してしまうと、どうしても周囲が見えなくなってしまう。これだけ周到に準備を整えた犯人でさえそうだ。
人間は。どれだけ精神力が強くても。どれだけ肉体が頑強でも。それでも、人間と言うだけで、限界があるのだろう。
宮藤が時々辛そうにしているのも。
その理由も。
高梨は知っている。
あんな立派な人でもだ。
ましてや、大半の人間は。とてもではないけれど。完全になんか、なれっこないのは当たり前だ。
「その後俺は、徹底的に研究して、周囲にばれずに動く技とかを覚えていった。 この訓練は、社長に取り入るのと並行でやった。 多少体型まで変えたんだぜ。 そして、社長がすっかり俺の虜になった所で、社長の所に姿を見せてやった」
準備期間の内に、犯人は全てを整えていたという。
まず社長には、「自分は医療を盲信する集団から狙われている」というそれっぽい理屈を、準備期間中に信じ込ませていた。
何を馬鹿な、と笑う者もいるかも知れないが。
実際の所、今の医療は嘘だらけとか言うような本を読んでいる人間は。
こういう陰謀論に、あっさり傾倒したりするものなのである。
ましてや何も信じられなくなっている人間は。
あっさりと、この手の陰謀論に転がったりする。
社長はころっと騙された。
あまりにも簡単すぎたので、犯人が拍子抜けしたほどだったという。
そして、社長には雑菌を飲ませた。
勿論毒性はあまり強くない奴を、だ。
社長の体調は改善した。
当然の事だろう。
社長がだるいだるいと言っていた理由なんて決まり切っている。そんなのは、犯人から見ても明らかだった。
「奴は単に、誰も信じられないストレスに苦しんでいただけだ。 浮気ばっかり繰り返している妻にも、自分とは口も利かない子供にも。 信用できない部下達にも、「仕事が出来ない」平社員にも。 何よりだるいだるいと訴えてるのに、馬鹿の一つ覚えで健康体だと言ってくる医者にも、まずい料理ばっかり食わせてくる栄養士にもな。 そこに、「信用できる」人間が現れて、自分の全てを肯定してくれたんだ。 ストレスなんて吹っ飛ぶし、それで体調だって改善するさ」
後は、この雑菌を、高額で売りつけ。
更に販売の権利を社長からむしり取るだけで良かった。
社長は見る間に健康になった。
なぜなら、鍵垢で愚痴を全て聞き。
社長が全て正しいと、肯定してやったからだ。
社会が最悪まで乱れているとき。
主人公のありとあらゆる行動を神格化し、全てを正しいとして称賛するような作品が流行る傾向がある。
終末思想などと同じ発想である。
コレと同じだ。
苦しいときには、人間は称賛して貰いたいものなのである。そしてその願望を叶えてやった。
対価は人生の破滅。
けらけらと、犯人は笑った。
「俺はむしろ優しい方だぜ。 奴の敬愛するご先祖様は、物理的に何百人、いやもっと多くをタコ部屋労働で殺したんだからな。 その生き血を啜って肥え太った蚊が叩き潰されて落ちるまでに、良い夢を散々見せてやったんだ」
「……社長とは、最後にどうしたんですか」
「狂乱していたな。 絶対に効く、事実体が良くなったんだとわめき散らしているのをSNSで見ていたよ。 もう裏垢で話す事もなく、詐欺医療がばれて表のアカウントが炎上しているのに、いちいち顔を真っ赤にして噛みついていた。 その頃にはもう俺は、奴の所に忙しいという理由で足を運ばなかった。 信じて渡した菌だけ飲んでいれば健康になるってな。 もう俺をすっかり盲信していた社長は、それだけで安心していたよ。 な、分かっただろ?」
何がだろう。
小首をかしげていると。
殆ど笑い声で、犯人は言った。
「金持ちは心技体全てが優れているとか、金持ちの子孫は優秀だとかいう寝言が、ただのアホの戯れ言だって言う事がよ! そもそも、三代続けて優れた統治者が出た王朝なんて、歴史上数えるほどしか存在しないんだよ! 四代以上になると絶無に近い! その事から考えて、金持ちや優秀な人間の子供が優秀だなんて事があり得ないってのは、人間の歴史が証明しているだろうがよぉ! そんな程度の事も分からないアホ共が、支配者層による搾取を正当化するために提灯記事を書きやがる! だから俺は徹底的に証明してやったんだよ! 金持ちの息子だろうが、ご先祖様が有能だろうが、アホはあほだってなあ!」
「……その過程で、何百人も罪がない平社員が犠牲になりましたね」
「言ったろ。 俺が渡した雑菌は、ただの雑菌だ。 それを飲んで腹下すようだったら、あんな会社じゃやっていけねえ。 それに社長に言われて本気で飲んでた連中は役員どもだけだ。 実際症状が重いのは役員だけだっただろう」
「……」
確かにそういうデータもある。
数百億に達する被害をだした事件だが。
これで破産した平社員もいないようだ。多くの場合、資産を独占していた役員が、悲惨な目にあっている。
まあいい気味という奴だと犯人は笑っていた。
同意は、出来なかった。
会話を打ち切ると、宮藤に連絡を入れる。
全ての会話記録を送る。
宮藤は、前の会話記録を既に聞いたのだろう。
何だか、やりきれない気持ちのようだった。
「高梨ちゃん、とにかく醜いものをみせてしまってごめんね。 これって全部事実なんだよ」
「これというと、会社の話ですか」
「そうだよ。 タコ部屋労働ってのは本当に戦後に流行した非人道的な労働でね、多くの会社が人間をすり潰しながら行ったんだ。 例の会社も、そうやって資産を積み上げた会社の一つなんだよ」
そうか。
本当に、醜悪なんだ。
そうとしか思えない。人間の作るものは、本当に醜いんだなと、高梨は思い知らされる。何度も何度も。
犯人は、何の関係もない平社員の人達をたくさん不幸にした。
その点では、逮捕されるべきだろう。
だが犯人が会社を潰したことは、果たして咎められることだろうか。自業自得の時が来ただけだと思う。
むしろ遅すぎたのではあるまいか。
どうしてタコ部屋労働の時点で、そんな会社が摘発されなかったのか。それが、高梨には悲しかった。
「後はおいちゃんが全部片付けるからね。 高梨ちゃん、本当に疲れただろう。 ゆっくり休んでおいで」
「はい……」
「大丈夫。 絶対に、この事件は解決するからね」
宮藤の言葉は嬉しい。
警察だって、昔はとにかく酷い時期があったと聞いている。でも、今の宮藤は純粋に尊敬できる人間だ。
イマジナリーフレンドを作って見たから分かる。
贖罪に苦しみ。
己がどう生きるかで、悩み続けている人だ。
しばし、休む事にする。
ただ今は、大量の悪意と。それを悪意で叩き潰した地獄のような戦いを間近に見て。うんざりしていたし。
何より犯人の自分は正義だと信じてやまない醜悪な思想を目にして、本当に疲れ果てていた。
3、終わりの時
分析完了。
犯人の素性が割れた。
佐川の分析によって割り出されたのだ。犯人もアカウントは、佐川が目をつけていたアカウントではなかったが、同一人物の別アカウントだった。
確かに、SNSのログを総洗いし。社長の鍵垢のメールも確認した所。
犯人が、社長を洗脳していく様子と。
それにころっとやられた社長が、インチキ医療に傾倒していく様子が緻密に描かれていた。
この鍵垢については、社長が秘密に作ったもので。
独自のスマホをわざわざ匿名で契約して、其所から作ったものだった。無能な男でも、これくらいの知恵は働いた、と言う事だ。
鍵垢の中身は愚痴塗れ。
社員が使えないだの、また妻が不倫しているだの、娘が二十も年上の彼氏をつくって金を貢がせてはホテルにいっているだの。それはもうただれた毎日と、腐りきった生活が赤裸々に綴られていた。
こういった鍵垢はいくらでもあるのだが。
この鍵垢のログを解析したところ。
社長の文体とぴったり一致。
更には、例のウェブ作家の文章の切り貼りを使ったやりとりで、社長と犯人がメールで会話しているのも確認できた。
徐々に、詐欺師に傾倒していく様子も。
見本のような資料だ。
そう佐川が呟いたが、宮藤もそう思う。これはもう、一部の個人情報を消して、捜査二課で教育用の資料にしても良いほどだと思う。
いずれにしても犯人は、徹底的にこの事件に人生を掛けた。
それが良い事であるかと聞けば、間違いなくノーである。
だが、この犯人にとっては、それが全てだったのだろう。
何かあったのかも知れない。
先祖をタコ部屋労働で失ったとか。
いずれにしても、このやりとりのログ解析により。犯人の素性が分かってきた。使われていたスマホの記録を辿ったところ、生活していた居場所がはっきりしたのである。
途中、四つもプロキシサーバーを噛ませていたが、今時そんなものなんでもない。
犯人は詐欺師としては超一流だったが。
ITに関しては、石川や佐川の方が、何枚も上だったと言う事だ。
そして素性が分かれば、一気に此処から捜査が進展する。
一度戸籍を変えたらしいが。
各地の監視カメラに、追加で画像が写り込んでいるのが確認される。
詐欺師になっていたときは、無理してかなり痩せていたようだが。
今はその前の体型に戻っていた。
なお、忘年会とやらに映り込んでいるのも確認。
その正体は、どうやら既に潰れた会社に対して部品を納品していた、業者の一人だったようだった。
それなら、怒りも分かる。
文字通り鬼畜の所業で蓄財した外道会社の社長が。誇らしいご先祖様なんて口にしているのを聞いたら。
それは怒るのも無理がないだろう。
かくして、犯罪は実施されたというわけだ。
明智班からデータが回ってくる。
流石だと言われた。
「宮藤班のプロファイルの凄まじさは聞いていましたが、此方でも確認した形になりますね。 今後難事件で組んでみたいものです」
「うちはスペシャリストがそれぞれ凄いだけです。 まだまだですよ」
本当のスペシャルチームというのは、一人が欠けても補えるものだと宮藤は思っている。
宮藤班は一人でも欠けたらアウトだ。
だから、実際はそこまで凄くは無いと宮藤は思っていた。
石川がぐっと親指を立てる。
現在の犯人のモンタージュを作成。
大阪府警に資料を転送。
大阪府警は独自に動いていたようだが、新しいモンタージュを送った直後、早速捜査一課課長が連絡してきた。
そこは捜査二課課長が来いよと思ったが。
多分捜査一課の方が権限が上なのだろう。
まだ大阪府警には手を入れなければならないのでは無いかと、宮藤は思った。
「これはどういうことだ宮藤警視! 犯人のモンタージュが別物じゃないか!」
「詐欺師として動いているときは、無理矢理体重を変えたんですよ。 今は元に戻っていることが、各地の監視カメラから確認されています」
「ぬ、ぐう……!」
「冷戦の頃、スパイが使っていた事がある手のようです。 犯人はあらゆる意味で徹底的な調査をして、念入りに準備して動いたと言う事ですね」
歩き方が変だったのもこれで説明がつく。
無理矢理体重を変えて、普段慣れている体ではなかったのだとしたら。
それは動き方だっておかしくなる。
「とにかく即座に動いてください」
「もう現場に刑事と警察用ロボットが向かっておる!」
「それでは聴取の時にまたお願いします」
通話を切る。
これはまだだなと、宮藤は呆れたが。
しかしながら、これだけお膳立てをしたのだ。
捕まえられるだろう。
そして、二時間後。
犯人確保の連絡が、大阪府警から届いていた。
不敵にガムを噛んでいた犯人だが。
宮藤が聴取室に設置された、モニタの向こうに映ると少し表情が変わった。何となく理解したのかも知れない。
周囲の警官の反応からして。
実際に犯人を捕まえたのが、宮藤だと。
まあ正確には宮藤班と、更に明智班の連携なのだが。
まあそれはいい。
いずれにしても、犯人に対して、順番に話をしていく。
顔色が変わっていく。
おいおいと呟く犯人。
以前のモンタージュはむしろやせ形だったのに。今のモンタージュは少し小太りなくらいである。
だからだろうか。
形相が変わっていく様子は、むしろ迫力が増していた。
「ど、どういう、どういうことだよ……!」
「プロファイルってのはね、出来が悪いと勝手に相手の考えている事を決めつけるようなものもあるけれどね。 うちにはスペシャリストがいるんだよ。 全部正解だろ?」
「……っ」
「だが、情報が足りなくて、分からない事もまだある。 なあ、ひょっとして君の先祖、タコ部屋労働で殺されたんじゃないのかい?」
そう事実を突きつけると。
わずかな間の後。
犯人は、観念したのか、話し始めた。
その間は、記録にあった高梨と犯人の会話に出てくるものとそっくりだった。
「そうだ。 俺のひいじいさんはな、タコ部屋労働で殺されたんだよ。 最近北海道で骨が見つかって、DNA鑑定が一致して、やっと俺の家に帰ってきたんだ。 俺のじいさんはやさしいひとでな、ひいじいさんが絶対に生きているってずっと信じてて。 それがあんな姿になって戻って来て、体調を崩して今も病院だよ。 仇は討ったって話はしたが、目の焦点もあっていなくてな。 あのクソ企業に、俺はひいじいさんもじいさんも殺されたも同然なんだよ! 仇くらい討っても良いだろうが!」
「ああ、創業者に対して、その子孫、会社役員に対してはその理屈は通るかも知れないけれどね。 君が不幸にした中には、関係無く日常を送っている一般社員もたくさんいたんだよ」
「それは……」
「雑菌には大した毒性がないから重傷者はいない、かい?」
絶句する犯人。
此処も高梨との会話に出てきた所だ。
あくまで柔らかく、犯人に対して接していく。宮藤も此奴に対しては、あまり怒る気にはなれない。
むしろ過去の大罪をずっと放置し続け。
御用学者を雇って無理のある擁護をさせ。
血の海に浮かんで贅沢な暮らしを謳歌するクソ企業やその重役達には、殺意すら感じるが。
ともかく今は。
この犯人に、適切な法の裁きを受けさせなければならない。
「まず、君が可哀想な平社員達から奪い取ったお金は返してあげてほしい」
「それなら問題は無い。 俺が手をつけたのは、あのクソ社長から巻き上げた金だけだからな。 後は全部手をつけずにとってある」
「そうか。 それは良かった」
「……それにしても俺を見つけたのは何処の誰なんだよ」
宮藤は答えない。
確かに今回の犯人。
この男は手強かった。
完璧な詐欺師と言っても良かった。
やり口を知り尽くしていたし。プロのスパイ並みの行動まで見せていた。古い時代だったら、スパイとして本職になれたかもしれない。そうなっていたら、敵は警察ではなく公安で。
人知れず社会の闇に葬られていただろう。
いずれにしても、優れた能力をフル活用した、トップクラスの犯罪者だった。
だが、それでも。
人間には限界があるのだ。
それは宮藤が良く知っている。どんな英傑だって死ぬ。どんな天才だって、失敗するときは失敗する。
どれだけ足跡を消しても。
犯人が人間である以上。人間が追えない道理などないのだ。
ましてや宮藤班の異能達は。
どんな猟犬よりも鋭く。どんな知能の持ち主よりも的確に。
この犯人を追い詰めたのである。
「……世の中、上には上がいる。 それだけは覚えておくと良いよ」
「くそっ!」
「それに君は仇を討てただろう。 君が潰した連中は揃って破滅だ。 それ以上、何を求める?」
それで犯人は黙り込み。
そして、大阪府警の刑事が促すと。全ての供述を始めた。
苦虫を噛み潰している大阪府警の捜査一課課長。悔しいが認めざるを得ない。そういう顔だった。
犯人は、自分が潜んでいた間、ずっとつまらなかったと独白した。
外に出るわけにも行かず。
基本的に、全て宅配でものは仕入れていた。
その結果、外に一切出ず。
体型はあっと言う間に詐欺を始める前に戻った。
最初は痛快だった。
人の生き血を啜って蓄財した連中と、それを尊敬している連中を。まとめて地獄に叩き落とすことが出来たのだ。
仇はとった。
だが、確かに言われて見ると。
関係無い人もたくさん巻き込んでいた。
奴だけをブッ殺せば良かったのか。完全犯罪で。
そう宮藤に聞いてくる犯人。
だが、宮藤は首を横に振る。
それを肯定してしまったら、宮藤は手帳を返さなければならなくなる。犯人は、寂しそうに笑った。
「あんたも立場上大変だな」
「……いずれにしても、数年の刑期は覚悟するようにね」
「かまわんさ。 奴らを破滅させた代償としては軽すぎるくらいだ。 そんな程度ですむんなら、俺は全てを吐くよ。 そうそう、あのアホ社長が口を滑らせたヤバイ機密が山ほどあってな」
ちょっと確認すると遮って、聴取に使っていた空き部屋を出る。
佐川に確認すると、頷いた。
「ああ、ヤバイの山ほど出てきてますニャー。 官公庁との癒着とか、それでスットコPCや駄目システムをアホみたいな値段で売りつけてたりとか。 それもあからさまな談合をしていたりとか」
「……それ、後でおいちゃんが処理するから」
「闇に葬るの?」
「いいや、そんな事はしないよ。 おいちゃんを信頼して」
責めるように此方を見る佐川だが。
勿論そんな事はしない。
警視総監に直訴する。
公安にコネがある現在の警視総監である。
直訴には大きな意味がある。
公安に直接情報を流せば、色々と面白い展開になるだろう。もう中小にまで規模が縮小し。
当時の幹部クラスの社員はみんな牢獄にいる例の会社だが。
牢獄にいる連中だけでない。
その関係者も、また更に刑期が追加されるのは確定だろう。一生外には出てこられない筈だ。
更に談合相手の官僚も同じ目に会う可能性が高い。
マスコミが生きていた頃には、さぞや大騒ぎしただろうな。そう苦笑せざるを得ないのが事実だ。
また聴取に戻る。
青ざめている大阪府警の捜査一課課長。
とんでも無い情報が出てきたと、どうしていいのだろうと困惑しているのが分かる。
咳払いすると、露骨にびくついた。
側にいる捜査二課課長に至っては、完全に青ざめている。
宮藤は、安心させるように言った。
「大丈夫、直接しかるべき部署に情報は届けるよ」
「ヒャッハ、マジかよ」
「ああ、約束する。 君を追い詰めたチームのリーダーがね」
「そこの四角いオッサンと、細いのは正直信用できないけれど。 あんたにだったら、話してもいいな」
レコーダーはオンにしてある。
その後、具体的な名前が出始めた。
しかも、かなり具体的な数値や。いつ何をしたというような話まで、である。
これは例の無能社長。
余程の孤独の中にいたのだなと、宮藤は察する。
インチキ医療にやられるような人は、心の隙間に大きな闇を抱えてしまっているものなのだ。
今まで集めた情報からも。詐欺師である犯人がそれに完璧につけ込んだのは事実。それにクソ社長の先祖自身が、大量の人間をすり潰して作った金で財を成した連中だ。外道が詐欺師に潰されたに等しい。
いずれにしても。
金持ちなんて、ロクなもんじゃないなと、宮藤は思った。
耳を塞ぎたそうな顔をしている捜査一課課長に、笑みを向ける。
それでも荒肝で知られる捜査一課のボスか。
笑顔で、そう表情だけで告げる。
流石に意図を察したのか、黙り込んでいた捜査一課課長だが。
やがてめぼしい情報を吐き終えると、すっきりしたと満面の笑みを犯人は浮かべていたのだった。
「あ、これってひょっとして消されるシチュエーション?」
「昔だったり、或いは良くない国だったらそうなっていたかも知れないね。 今は単に適切な刑を受けて貰うだけだよ」
「ふうん……」
「ただし、やった分の罪は償って貰う。 それは、覚悟しておくんだね」
一旦通信を切る。
そして、即座に警視総監につないだ。
直通回線は持っているのだ。
これは、公安にコネがあり。社会でも大きな権力を持っている警視総監が、全力で動く案件だろうと判断したからだ。
相手は忙しそうだったが。
宮藤からの直通通話なんて滅多にない。
何かあったのだと察し。
すぐに出てくれた。
説明をすると、顔色を変えたかは分からないが。数秒黙り込んだ後、なるほどと呟いていた。
「あの会社は昔から官公庁とのコネを武器にしていたからな。 たらし込まれている官僚が多数いても不思議では無い」
「適切な対応をお願いいたします」
「ああ、分かっている。 独りも逃さぬよ」
警視総監は、対応してくれる。
なぜなら。
対応しなければ、宮藤班の信頼を失うからだ。
今や宮藤班が解決した難事件は数も知れず。
宮藤班の有能さは疑う余地すらない。
警視総監としても、今回の件で無能な汚職官僚を処分出来るのなら、良い機会だと考えているだろう。
必ずしも汚職官僚が無能なわけではない。
かの中華の歴史に残る英傑曹操は、汚職をしても良いから有能な部下を連れてくるようにと指示した記録が残っているし。
世界に目を転じても、歴史上汚職をしていても優秀だった人物は珍しく無い。
だがこの国には。
今はそんなのはいない。
官僚はどれも大差ないのが実情だ。
さて、しばらくは念のため、交通課に籠もるか。
自分用の仮眠室も用意してある。
警察用ロボットに細工するような能力は、現在例の会社と通じていたような官僚にはない。
此処にいれば、余程の事がなければ安全ではあるだろう。
むしろ警視総監が心配だが。
昔のようにキャンキャン騒ぐだけの無能なマスコミがいない分。
今回の件は、処理がしやすいだろうなと、苦笑した。
欠食児童達に、しばらく状況が落ち着くまで、此処に寝泊まりすると話す。
石川は何かあったのと佐川に視線を送り。
佐川は石川に頷く。
それだけで話が通じるのだから、羨ましい事だ。
ハンドサインやアイコンタクトは難しいのだが。
この二人は、下手な姉妹よりも心が通じ合っていると言って良いだろう。
「それで警視、事件は解決したんですか?」
「解決はしたけれど、後は警視総監の腕の見せ所かな」
「ああ、やっぱりさっきの話……」
「しっ」
静かにして貰うと。
宮藤も、デスクについて。臨戦態勢になる。
いつ特殊部隊が突入してくるかも分からない。警察用ロボットが対応できるだろうが、流れ弾から二人を守らなければならない。
最悪の場合、盾になってもだ。
石川にも、数日は此処で寝泊まりするようにと指示。
頷くと、石川も了解してくれた。
今回の件が余程ヤバイという事は、察知したのだろう。とはいっても、宮藤が思うに。マネーのバックを失った官僚は落ちぶれる。
昔日ほどの力は持っていないとは思うのだが。
それから数時間後。
公安が動き出したという話が、SNSに上がる。
公安の建物を物好きにも見守っている奴がいて。
其奴が呟いたのだ。
凄まじい勢いで、出動が掛かっているという。
だが、そのつぶやきはすぐに消えた。
或いは身の危険を感じたからだろうか。
正解だ。
その判断は、正しいと言える。
そして、その晩は交通課に泊まり。
一人用の仮眠室で、腕組みして壁に背中を預けて眠った。
いつ何が起きても不思議では無いのだから。
おかげで余り眠る事は出来なかったが。
どうやら大騒ぎになった様子で。
朝起きて、スマホを確認すると。警察が会見を開いていた。
「数年前に、通称M痛事件という詐欺事件が発生し、それによって会社社長および役員が逮捕されたことは記憶に新しいかと思います。 昨日その詐欺を起こした犯人が逮捕されました。 そしてその犯人が、社長から聞き出した汚職事件を調査した結果がこれです」
報道官がどんとテロップを挙げる。
ずらっと官僚の名前が挙がっていた。
談合に荷担。
明らかに値段と性能が釣り合っていないPCやシステムを仕入れ、差額をポケットマネーにしていた。
高級料亭などでの接待の記録。
競合他社への露骨な嫌がらせの協力。
他にも余罪は多数。
既にそれらの名前と、逮捕されている様子が逐一映像で流れている。
それは公安が総動員になる筈だ。
そして、宮藤は思った。
此奴らは、恐らくだが。
例の会社社長が捕まってから。
いつ自分達の名前が出るのでは無いかと、一様に怯えきっていたのではあるまいか。
実際問題、全員窶れている。
どいつも此奴もいわゆる高級官僚だろうに。
あの疲れ切った表情はなんだ。
一時期は、公務員に対する人員賃金削減策だとかで、公務員はみんな悲惨な残業を強いられていた時期もあったが。
今は違う。
それなのに、あの表情。
学閥だの何だのでくだらない争いを繰り広げ。
己の本来の役割を忘れ。
蓄財に励んで腐敗し。
その結果があの有様だ。
金は人を狂わせる。勿論適切な金は必要だ。だが過剰すぎる金は、容易に人をおかしくしていく。
あれがそのままの見本では無いか。
例の社長もそうだった。詐欺師の発言を聞く限り、孤独になり。誰も信用できなくなり。そして最後にはエセ医療に手を出してしまった。
清貧思想はそれはそれで極端だろう。
だが、あまりにも、分不相応な金を手にしてしまうと。
やはりそれはそれで人間は狂うのだ。
今は、貧富の格差が歴史上もっとも小さい時代だと言われている。
それでもああいうのはいる。
昔はもっと酷かっただろう。
そう思うと、宮藤は溜息しか出ないのだった。
起きだして、歯磨きして。うがいして、顔を洗って。
そして着替えて、本格的にPCを起動。
メールを開くと、警視総監から直接メールが届いていた。
「ご苦労だった。 想像以上の成果が上がって、此方としては感謝している。 今回逮捕した連中は、以前から目をつけてはいたのだが、今回の件が決定打になった。 全員豚箱送りだ。 二度と出ては来られないだろう」
「汚職でそれは厳しすぎやしませんか」
「汚職だけで二度と出られないとでも?」
「……はい、そうですね」
まあそれもそうだ。
それにしても、こっちのメールに対して即応してくる警視総監。
うちの子らも凄まじい打鍵速度だが。
警視総監も、あの年齢で大差ない事が出来るのではあるまいか。
キーボードは消耗品とか言っていそうだ。
ついていけない世界である。
「今回の一件は、誰も手に負えなかった詐欺師をついに捕まえたという点、更には汚職官僚を一網打尽に出来たと言う点から考えても、宮藤班でも最大の金星だ。 結果には期待していてくれ」
「は、はあ。 どうもありがとうございます」
「今残党狩りをしているから、念のために今日は交通課を出ないように」
「分かっていますよ」
通話を切り上げる。
起きて来たらしい石川に、顎をしゃくる。
頷いた石川は、佐川を起こしに行った。
さて、今日は恐らくだが。
仕事を回されることもないだろう。
実の所、退屈は結構精神を蝕んだりするのだが。
警官が退屈なのは良い事なのだと言い聞かせ。それを甘んじて受けるのも、また警官の素質である。
すっかり恐ろしい話を聞かされて目も覚めてしまった。
交通課の刑事達はまだ出勤してきていないが。
彼らが巻き添えを食わないことを祈るばかりである。
警視総監としても、暇をさせるつもりはないらしく。
宮藤班相手に、資料を回してくる。
今日は外に出ないように。
そういう縛りはありだが。
次の未解決事件だ。
さっと内容に目を通すと、あくびをしながら分析を始める佐川。
また現場の再現図が駄目だとぼやきながら、凄まじい勢いで修正を始める石川。
これでいい。
宮藤は内容を確認して、捜査一課刑事だった事を生かして、何か分かる事はないか調べていく。
また事件の内容についても確認をしていく。
ふと心配になったので。
一段落した後、高梨に連絡を入れた。
ちゃんと通話に出てくれたので安心した。
「ありがとう高梨ちゃん。 今回もおいちゃん達が勝ったよ」
「何だか今回も悲しい事件でしたね」
「そうだね。 だけれども、それでもあがくのがおいちゃん達お巡りさんなんだよ。 きっとお医者さんも同じだ」
「……そうですね」
何だか寂しそうだ。
高梨は辛いだろう。
プロファイラーは、相当な心理的負担を受けると聞いている。高梨はその比では無いダメージをいつも受けているだろう。
それでも、自分に出来るのはこれだけだからと。
高梨は頑張っている。
いつか、それに報いてやりたい。
「体が治って、外に出られるようになったら、食べたいものはあるかい?」
「……宮藤さんにだから言いますけれど、僕何が美味しいのかさえ知りません」
「……そっか。 分かった、その時には、僕が色々と準備をしておくよ」
分かっている。
高梨がまともな環境にいないことくらいは。だから、もしも実際に高梨と会うときには。
覚悟は、決めておかなければならなかった。
4、伝説
宮藤班がまた伝説を作り出した。
誰にもどうにも出来なかった詐欺事件を。スペシャリストチームである明智班と連携したとは言え。
ついに解決。
その余波で、汚職官僚を一斉逮捕。
更に更にその余波で。その支援を受けていた議員も一部が議員辞職した。
今や宮藤班は、伝説となり。
恐怖ともなっている。
腕組みして、むすっとしている神宮司。
神宮司だって頑張っているのに。
事件解決数は、こっちの方が多いのに。
それが悔しくてならない。
確かに今回の詐欺事件。生半可なプロファイーラーでは、多分手も足も出なかっただろう内容だ。
宮藤班にいる高梨という人物が、凄まじい人材で。文字通りの異能だと言う事は分かっている。
石川だって佐川だって凄い。
それをまとめている宮藤も含めてなら。
神宮司より確かに上だ。
だが、警視総監に跡取り指名されているのは神宮司だ。
そう何度も自分に言い聞かせて。
必死に精神的衛生を保つ。
呼吸を整えていると。神宮司の所に、警視総監が直接訪れた。SPも当然ながら伴っている。
SPどうしが挨拶をしている様子からして、若干リラックスした空気だ。
「荒れているな、神宮司」
「そりゃそうですよ! こんな派手な解決何度もされたら! マジKYなんですけど!」
「……お前は地味だが堅実に事件を解決しているだろう。 確かに未解決事件を颯爽と解決する宮藤班が派手なのは事実だがな」
「むー」
膨らむ神宮司に。
警視総監は、咳払いした。
「次に、お前には大きな事件を担当して貰う」
「!」
「今回の汚職事件で一斉摘発された議員達の大まとめ役が今丸裸状態になっていてな、此奴を葬りたい。 今、警察に対して一番邪魔になるのが此奴だ。 警察用ロボットの導入に反対し、「人のぬくもりがある警察を戻そう」などと抜かしてキャリア組が好き勝手をする昔の警察に戻そうとしているろくでもない輩の筆頭だ」
「何か犯罪の証拠はシルブプレ?」
SP達が呆れているが。
気にする必要などはない。
警視総監も、なれた様子で。神宮司の奇行にはまるで動じていない。
「資料を」
「はい」
SPの一人が、電子データの入った資料を渡してくる。普通直接渡しはあり得ないのだが、それだけの特別なデータと言う事だ。
「これから神宮司。 お前には警視長待遇を与える」
「!」
「県警一つまるごと動かして良い。 このデータを元に、奴を挙げろ。 それを持ってして、お前を警視監に昇進させる。 そうなれば、お前は名実共に私の跡取りだ」
「らーじゃーっ!」
さっそくPCにデータを接続。
膨大なデータ量だ。
だが、凄まじい勢いで目を通していく。
確かに細かい犯罪から。
結構大きめのものまで幾つもある。
この中で、一番通りが良さそうな筋は。
にやりと笑うと、神宮司は警視総監に〇を指で作ってみせる。警視総監は、にこりともしなかったが。
「SP一班残れ。 警察用ロボットを、四機増援」
「分かりました。 厳戒態勢で対応します」
「これも渡しておく。 最悪の場合空自のF35とアパッチが来る。 ないとは思うが、重武装の特殊部隊が来た時には支援して貰え」
「はい」
SPは敬礼する。
この様子だと、神宮司同様に警視総監が直に育てた部下なのだろう。そして、心酔もしている。
そして、見ていて分かる。
警視総監は、かなり体調を崩してきている。
今回はラッキーだったと判断しているのだろう。
だが年齢が年齢だ。
跡取りとして神宮司が育つまで、かなり不安だったのだろう。だがこれで、神宮司が跡取りになれる切っ掛けは作った。
この策さえ美味く行けば。
誰も文句を言わずに、神宮司を警視総監に出来る、というわけだ。
更に言えば、神宮司は言動さえ問題はあるが。警察に必要な素質は備えている。
変人だが無欲だし。
何よりも金に執着がない。
男にも。
神宮司に取り入るのはまず不可能だ。
神宮司は、自分より出来る男じゃないと嫌だと断言するタイプで。しかもIQ255。生半可な詐欺師だの調子が良いことを言っている男など、近づけもしない。
「これなら一週間で充分です」
「任せるぞ」
「あいー」
頷くと、警視総監は引き揚げて行く。
神宮司は、ちょっとだけ満足した。
というのも。
今回の件で、神宮司が飛躍するのに。宮藤班が踏み台になったからである。
恐らく警視総監は、それすら計算に入れている。
すごいばあさんだなと、神宮司は苦笑いし。
更には、長生きしてああなろうとも決めたのだった。
(続)
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