心の庭
序、親の記憶
物心ついた頃には、神宮司は親が大嫌いだった。
一言目には気色が悪い。二言目には言うことを聞かない。
神宮司はあらゆるものを貪欲に吸収し。
言葉を話し出すのも早かったし、何もかもがすぐに出来るようになって行った。基礎体力もまるで周囲とは別物だった。
最初は親。
いや、恐らくは親代わりだったのだろう。
其奴らも天才天才と褒めてくれた。
だけれども、すぐに自分と違う生物だと気付いたのだ。
それもそうだ。
神宮司はいわゆるデザイナーズチルドレン。人為的に天才を作り出す計画の過程で作り出された忌み子だったのだ。
親代わりが別の夫婦に変わった。
別にどうでも良かった。
次は、あからさまに距離を取るようになった。
生活の補助だけはしてくれたが。
それだけだった。
むしろ神宮司にとっては、それが一番心地よかった。だから、この親代わりについては、不満がなかった。
国としても、将来の屋台骨となる天才児には、健やかに育ってほしかったのだろう。
五歳の頃には、十五歳並みの学力を持っていた神宮司には。時々黒服サングラスの大人が会いに来て。
色々不満はないかどうかと聞いてくる事も多く。
その度に、親の今の態度がとてもありがたい。そのまま距離を取って生活補助だけしてほしいと、口にするのだった。
母性というのはあるかも知れない。
だが、それは人間が人間に働かせるもの。
フィクションの世界では、そうでないケースもあるが。
あくまでフィクションの話である。相手が此方を人間扱いしていないのだから、母性など働く筈も無い。
やがて高IQ児童育成用の、飛び級を前提とした特別学級に入った。
周囲は年上ばかりだったが。どいつもこいつもすぐに追い抜いていった。
元の出来が違ったのだ。
少し上に、自分と同レベルの才覚の持ち主がいるらしいと聞いたが。
そいつとは殆ど顔を合わせることが無かった。
結局話が出来る奴はいないまま。
十二の頃には、博士課程まで飛び級でクリア。
そして、あの老人。
閻魔大王と渾名される。
現警視総監がやってきた。
十二の頃には、既に金さえあれば生活補助は必要なくなっていた。家事は一通り全部出来るし、家庭用ロボットがやってくれるからだ。
そんな中、声を掛けて来た当時は警視監だった現警視総監は。
言うのだった。
お前を、跡取りにしたいと。
目が覚める。
目を擦りながら、警視になったばかりの神宮司は、大あくびをする。
歯磨きうがい、顔を洗って。
着替えて、メールをチェック。
神宮司にはこのメールチェックが常人の十倍くらいの速度で出来ているらしく、故に特注のスマホを使っている。全てのメールを確認した後、指示のメールを出しておく。
現在直属の部下二十、チームを六つ任されているが。
この程度の業務は朝飯前。正直片手間にもこなせる。
一通り作業を終えた後、朝食を取り。
それから、出勤した。
とはいっても、オフィスに住んでいるタイプである。つまり、電子要塞と化している自宅が職場だ。
この辺りは、宮藤班にいる佐川と同じだろう。
あっちは生活能力が0らしいが。
そこは確実に神宮司が勝っている。
とはいっても、宮藤班そのものに神宮司がライバル意識を抱いているのは事実であり。この間は宮藤の人となりを知る事が出来た。
面白いとは思ったが。
ライバルだと思う心は更に強くなった。
PCを起動。
早速、色々なデータを処理する。
打鍵している内に連絡がある。
警視総監だった。
「おはよう。 もう仕事をしているようだな」
「今日分のは午前中に片付きます」
「そうか。 それでは新しい仕事を一つこなして貰おうかな。 宮藤班に回すか悩んだが、お前の所で解決してほしい」
「てことは、宮藤班案件がまたあると」
そうだと警視総監は言う。
そして恐らくだが。
神宮司の所に廻って来たという事は、宮藤班案件の方が、より迷宮入り度が高いと言う事だ。
この辺りは、殆ど養子みたいな関係だからよく分かる。
警視総監は、通常なら警察で対応出来るが、手間暇が恐ろしく掛かる案件に関しては神宮司に回して手間を圧縮する。
一方捜査一課が音を上げるような案件に関しては、宮藤班に回す。
これが少し悔しい。
適材適所という点では、警視総監は悔しいが神宮司より上だ。
警視総監に会うまでは、神宮司は大人なんて馬鹿にしきっていたのだが。今ではその考えも改めている。
はっきりいって今の警視総監は出来る。
多分IQそのものは神宮司の方があるが、それ以外の基礎的なスペックがかなり拮抗している。総合的なスペックでは警視総監が上だ。これは単なる事実である。
今の警視総監に従っているのは、相手が上だと素直に認めているから。更に、出来る事を認めてくれたから。
警視総監に会うまで遭遇した周囲の人間は、どいつもこいつも神宮司を如何にして貶めるかしか考えていない輩達だったし。何よりも根本的に頭の出来が悪すぎた。
だから、興味すら持てなかった。
だが、今の上司は違う。
流石にこれくらいスペックに差が無く、更に年の功が加わると、簡単には突破出来ない。
経験の差が大きすぎるのである。
何より他と違って尊重してくれる。
故に従う気になれる。
「では資料を送る。 一刻も早く解決するように」
「分かりました」
「ああ。 期待しているぞ」
やりとりが切れる。
資料が送られてくる間にタイムラグがあるので、その間に作業を進めておく。見るとかなり容量がデカイ資料のようなので、もういっそのこと先に全て片付ける事にする。
今日の作業終わり。
それから、新しい仕事を確認。
内容は、明らかに事件性のある怪死事件だった。
いずれにしても、やる事は決まっている。
宮藤班のような特殊なプロファイリングでの対応では無い。
手元にあるチームに声を掛けて、順番に事件を解きほぐしていく。
捜査一課から来るデータも、順番に目を通す。
精鋭が集まる捜査一課も、昔はろくでもないのが結構いたが。
警視総監による浄化作戦によって、今では精鋭の集まりと断言できるレベルに変わっている。
そんな精鋭達に対して、当たりが強すぎると言う事で、この間警視総監に怒られた。
だから、少し丁寧に接するように意識はしている。
まだ向こうからの反発は多いが。
ただし、神宮司が関わった事件も、いずれもスピード解決している。
宮藤班が異例なだけだ。
宮藤班がいなかったら、きっと神宮司がトップに立っていただろう。
だがそれは、生半可な人間なんぞ我の足下にも及ばずと考えている神宮司にとっては、最大の屈辱だ。
故にそれを覆すために。
今も努力を続けているのである。
スタッフには最高の教育と経験を積ませている自負はある。
だが宮藤班は異能持ちすぎる。
これが少しばかり厄介だ。
分析はしている。
例えば宮藤班のリーダーは、あくまで普段は昼行灯を装っているが。自分に贖罪を課しているからか。
自分が手を汚すことも。パシリになる事も。まるで躊躇がない。
自分の部下達に菓子をせっせと運ぶし。元一課の刑事として、捜査の全てを頭に叩き込んでもいる。
激情家なのが玉に瑕だが。
それを除くと、相手に警戒心を下手に抱かせない容姿もあって。警官としてのスペックは極めて高い。
実の所、捜査一課のボスから、宮藤班を正式に捜査一課に組み込みたいという話さえ出てきている。
警視総監の息が掛かった遊撃部隊だと捜査一課との連携にラグが出るから、というのが理由である。
何より、やはり問題を起こして捜査一課を離れたとは言え。
宮藤が惜しいと思っているのだろう。
警視総監はその人事を却下。
現在も立場は変わっていない。
石川はこの国でも有数のプログラマーだ。
幼い頃にゲームエンジンを自力作成したという伝説があるが、それが事実である事を奴が所属するサークルの作ったゲームを実際に触ってみて確認した。
確かに独自のゲームエンジンが使われていて、類を見ないものだ。
特に、石川が主導して作ったゲーム自体は陰口をたたかれるようにクソゲーそのものだったが。
プログラマーとしての腕前に関しては、間違いなくこの国有数の人材だ。
そんな存在が今は物理演算の知識などを生かして、現場再現の状況図などを立体的に作っている。
これはいわゆる「名人芸」であり。
いずれAIなどが取って代わらなければならない分野ではあるのだが。
今の時点では絶対的に石川に優位性があり。
宮藤班案件ではない事件の、裁判所に提出する資料に関しても。時々宮藤班に作成依頼が飛んでいる様子だ。
宮藤班に超凄いプログラマーがいる。
捜査一課では、既にそれが周知になっているらしい。
宮藤班の知恵袋、佐川も凄い。
眠り姫と周囲からは呼ばれているらしい。実際に仕事をしているのは終業時間の内半分くらいで、それ以外はずっと眠っているのだとか。
これで許されるのは。
神宮司にも迫るIQ250という超級の知性が故である。
歴史上の人物でも、かのアインシュタインがIQ200であったように。この数値は破格である。
そしてこの佐川。
どうも頭を瞬発的に使う時に限っては、神宮司より上では無いかと分析している。
唯一まともに相手になりそうな先輩として、昔からマークはしていたのだが。
今になって見ると、部下にしておきたかった相手だ。
宮藤班を編成したのが誰かは知らない。
今の時点で探りを入れてはいるが、誰かは分からない。
いずれにしても佐川が入った時点で、宮藤班は盤石となった。
そして高梨。
居場所も分からない、宮藤班真の切り札。
超高度プロファイリングの一種をすると思われるのだが。顔さえ見た人間がいない。
警視総監は知っているようだが、どうも最高機密と見なしているらしく。
絶対に誰にも居場所をばらすことはない。
とにかくその圧倒的なプロファイリングは、今まで多数の犯罪者を確保する原動力になってきており。
宮藤班の真のエースとも言える。
国最高のプログラマーや、IQ250の人間。捜査一課の真のたたき上げがいる中で、エースの座が不動。
その凄まじさはよく分かる。
何度か分析を試みたのだが、正確な情報が入ると犯人のプロファイルが出来るという事しか分かっていない。
それ以外は闇の中だ。
ため息をつく。
宮藤班は分析すればするほど手強い。
コレを超えるのは容易では無い。
しかも、だ。
宮藤自身にこの間言われた。
警官としての仕事を常に考えろ、と。
その点では、ヒラの警官も警視総監も同じなのだと。
確かにその通り。
ぐうの音も出ない正論である。
民の盾となり、犯罪を防ぎ、犯罪者を捕らえる。
それが警官の仕事である。階級など、其所には関係がない。
もしも、神宮司がボンクラだったら、これでブチ切れていただろう。ボンクラにとって正論というのは、ロジハラという言葉があるように受け入れがたいものだからだ。
だが正論というのは正しいから正論という。
神宮司は、ボンクラと違う自負がある。
それは受け入れなければならなかった。
さて。
ライバルの分析を軽く済ませた所で、丁度資料が届いた。
良い感じに資料が揃っている。足で稼いだ捜査一課の資料も、丁度良い感じに揃っているので満足した。
後はこれを各所に回しつつ。
分析を自分でも行うだけだ。
しばらくして、分析が完了。
この事件だったら、すぐに解決まで持っていくことが出来るだろう。だが、誰でもミスはする。
他の班の結果が上がってくるまで、ケアレスミスがないか丁寧に分析を続けていく。
やがてケアレスミス無しと判断し。
分散して部下に回していた分析結果が上がってくるのを確認。
それらを統合した後。
犯人を特定し、捜査一課に確保の指示を出した。
後は簡単である。
何処に逃げ込んだのかの分析まで済ませてあるので、指示を出して一時間後には犯人を確保。
駅前で通り魔をしたろくでもない中年の女で。
警官が乗り込んでくるや、鬼の形相で一般市民の家を踏み荒らすのは何事だと怒鳴り散らした。
だが、すぐに取り押さえられ。
犯行に使った包丁も押収。
後はわめき散らしているのをそのまま警察に連行。
母子家庭だったが。
二階には、餓死寸前になっていた子供が二人。
すぐに保護された。
そんな状態でも、四歳と二歳の子供(離婚した夫の連れ子らしい)は、お母さんは何処と言っていたらしい。
不憫だな、とも思ったが。
神宮司にはそもそもまともな親がいたためしがない。
だから、その子らの気持ちは分からない。
不憫だとは感じるが。
それ以上は何とも思わない。
神宮司が親を意識したのは、現警視総監が初めてだから、物心ついたあと。
物心つく前から、自分を怖れる育ての親の愚鈍さには苛立っていたし。
虐待まがいの事を始めた時には心底呆れた。
だから神宮司は、親を慕う子供の心が分からない。
とはいっても、そんな子供を保護できる力はあるし。しなければならない立場でもあるのだから。
それを粛々と実行するだけだ。
捜査一課から礼のメールが来る。
証拠なども全て揃った。
数日以内に書類の整備が終わり、裁判所に犯人を送り込めるという。
宮藤班なら半日で揃えるだろうなと思ったが、それは敢えて口にしない。
メールを送ってきた相手に電話をして、幾つかアドバイスをする。
「児童虐待の方の資料が薄いですね。 きちんと此方も対応してください」
「別口で任せようと思ったのですが」
「日常的に児童虐待をしていたと分かれば、裁判での罪は当然重くなります。 アホみたいな思想を拗らせたろくでもない輩なのだから、しっかり適正に罪を償わせてください」
「わ、分かりました……」
神宮司は、死語を交えた妙なしゃべり方をするが。
流石に立場がずっと下の相手にはそれはしない。
立場が上の相手か。
それとも認めた相手か。
それだけだ。
今は、無能で仕方が無い奴だが、世間的には精鋭と見なせる相手だと判断したから。普通に話した。
その気になったら普通に話す事も出来るのが神宮司である。
ただ、神宮司が普通に話していると言う事は。
相手を認めていないという事でもあるのだが。
さて。
伸びをする。
警視総監の課してきたノルマは終わった。
連絡のメールを入れる。
流石だな、とだけ返ってきた。きちんと褒めてくれるのは有り難い。それに誇らしい。
他の誰に褒められたところで何とも思わないが。警視総監にきちんと成果を認められるのは嬉しい話だ。
明日には、次の難題を持って来るという。
それまで休めと言われたので。
外に軽く出かけて、菓子を買いに行く。
神宮司は和菓子が大好きで、贔屓にしている店が幾つかある。
ある時期はやった強烈な疫病のせいで、多くの店が潰れたのだが。そんな災禍の中、生き残った老舗だ。
其所の大福が絶品なので、気分が良いときは箱買いして、部下にもお裾分けしてやるようにしている。
勿論現在は立場が立場だ。
SPもついてくる。店の人間は、SPを連れた子供が来るとか噂をしているらしいが、どうでもいい。
さて、大福も買った。
後は帰って、ゆっくり残り時間を優雅に過ごすだけだ。
就労時間は、決して普通のサラリーマンに対して長い訳では無い。
だが神宮司は、高いスペックをフル活用することで。
普通の警官の、三十倍から四十倍の効率で、事件を解決しているのだった。
1、締め上げ来るもの
また厄介な仕事が来た。
宮藤は内容を見てうんざりしたが、それでもまずは対処に掛かる。
うんざりはするが。
そもそも、コレが廻って来たという事は。捜査一課には手に負えないと、お偉方が判断したと言う事。
故に宮藤班が頼りにされたと言う事だ。
宮藤が捜査一課にいた頃は、無能なキャリアが現場の足を引っ張る事が多く。それで事件の解決が悪戯に長引くことがあった。
今はそれもなくなったが。捜査一課が激務である事は変わらない。
特に、非常に変わった内容の事件は、捜査一課の負担が大きい。
それらを宮藤班で処理出来るというのなら。
捜査一課の負担を大幅に軽減することが出来る。
元捜査一課の宮藤としてはこれは他人事では無い。
古巣の負担を減らせるというのであれば。今は階級的に警視となり、古巣の誰よりも階級が上がった宮藤であっても。
負担を減らすことの意味を良く知っているから、全力で動かなければならない。
すぐに石川にまず資料を回す。
佐川は寝ている。
いつものことだ。また寝室でぐうぐう。
仕事をするときには、普通の警官の数十倍の仕事をしてくれるのだから、それで全然かまわない。
起きて来たときに状況を伝えれば。
ほぼ事件解決が躓く事はないのだから。
まず石川が、資料をチェックして仕分ける。
「宮藤警視ー」
「なんだい」
「まーたこの資料えーかげんですね。 もう警視なんだから、びしっといってやってくださいよー」
「石川ちゃん。 石川ちゃんは凄いけど、捜査一課のみんなが石川ちゃんと同レベルの資料を作れる訳じゃないんだ。 みんな忙しい中大変なんだから、許してあげて」
口を尖らせる石川。
本当に子供だなと思うが。ただ、石川にやる気を出させるのも宮藤の仕事だ。
宮藤班で一番役に立たないのが宮藤なのだから。
階級など関係無い話である。
「とりあえず直しまーす」
「うんお願いね。 さて、こっちでも出来る事は、と」
ざっと内容を確認していく。
今回の事件は、連続通り魔事件である。
犯人が不可解なマスクを被って犯行に当たっているが、幾つかの事が分かっている。
まず犯人は、五つの駅で連続的に通り魔をしているのだが。狙った相手が屈強な男ばかりなのである。
いずれの被害者も身長180pほどの筋肉質の男性で。
これらの男性を自転車で通りすがりに金属バットでフルスイングしている。
犯人は目撃証言などから、身長160pほどと小柄なのだが。自転車の操縦には相当に長けているらしく。
幾つかの目撃証言を重ねる限り。
文字通り夜闇のフクロウの如くターゲットに近より。
無警戒の相手の後頭部に、金属バットのフルスイングを叩き込んでいる。
しかもその時自身は体勢を崩さず。
自転車から落ちる事もなく。
しっかり監視カメラの死角に逃げ込んで、周囲の人間も追いきれずにいる。
その上これらの事件が起きた駅前のうち二つでは、すぐ近くに交番があり。それも警察に対する対応の不備を指摘する声になっていた。
SNSなどでは炎上も起きているようだ。
「例の警察用ロボットとか即応しねーの? ヒグマでも瞬殺だって聞いてるけどアレ」
「それがなあ。 警察用ロボットは量産が続いてるけれど、流石に僻地にまでは行き渡っていないんだよ。 今も各地に回してはいるらしいんだけどな。 おれんちもド田舎だけど、交番の前にいないよ警察用ロボット。 ちょっと人が多めの市に行くと、交番に配備されてるけどな。 事件があると来るけれど、交番にいつもいる奴と、県警にいる奴で管轄も違うらしい」
「マジか」
「都会暮らしが当たり前になると、どうしても田舎に行き渡るのは後回しだって、忘れるんだよなー」
遠回しの警察批判とも取れる言葉を見て、なるほどと判断。
これは正論でもある。
いずれにしても、五回。同様と思われる犯行が行われ、四人が重症、一人が軽症。残り二人は意識不明である。
幸いにもと言うべきか。二人は意識がまだ戻っていないものの、命の心配はないと言う事で。
現時点では死者は出ていない。
だが、この手の通り魔は非常に危険だ。
実際問題、数秒で間合いを詰めてくる相手に対し。まず足に射撃して、無力化しろというのは無理難題だ。
警官はみな早撃ちの達人では無いし。
何よりも昔はもっと酷かったらしいが、今でも警官は銃を一発撃つだけで始末書を書かされる。
電子化された書類をちょちょいと弄るだけなので、それほど負担は大きくは無い事だけが救いだけれども。
それはそれ。
心理的負担は、どうしてもあるのだ。
そして問題なのは、この犯人が五件で満足したという保証は何処にも無いこと。
事件はほぼ二日おきに、違う県の田舎で起きており。
その間、犯人らしき人物は一切見つかっていないこと、等がある。
何しろ毎回自転車が違うので。
全部違う犯人では無いか、という意見さえ上がっているほどだ。
唸る。
宮藤も幾つか通り魔事件には対応したが、だいたいの場合一回暴れて終わりなのである。この犯人は、同じような手口で執拗に通り魔をしている。
このやり口は何かしらの儀式的犯罪の可能性もあり。
捜査一課から、宮藤班に話が来るのも納得だ。
佐川が起きて来た。
資料を早速回す。
電車の時刻表なども見ていた佐川だが、すぐに脇に避けた。犯人は電車を使っていないと判断したのだろう。
宮藤としても頼もしいが。
まずは宮藤に出来る事をしなくてはならない。
「じゃあおいちゃんは、捜査一課に行ってくるからね。 留守番よろしく。 まだ高梨ちゃんに回せるほど資料はそろってないでしょ?」
「まだですねー」
「見始めたばっかりだけれど、これはまとめるの大変そうだニャー」
「うんうん。 じゃあお土産も買ってくるから、リクエスト受けつけるよ」
石川がカントリーマァム。佐川がじゃがりこ。
まあいつものだ。
頷くと、すぐに外に出る。
ある程度の地位に入ったキャリアは、別に必要もないのに自家用車を使ったりするが。そういった行為に色々不満を持っていた宮藤は、今もタクシーを使うか、或いは歩きで駅まで行く。
今回は県警本部と言う事で、電車を使う。
途中で、二郎にも連絡を入れておいたので、まあ向こうでもスムーズに対応の準備をしてくれるだろう。
最初の頃。
宮藤班が立ち上がったばかりの頃は、捜査一課ではむしろ敵の方が多かったのだけれども。
今では実績がものをいい。
宮藤班が来ると、色々に複雑そうな視線が向けられる。
手間が減ると喜ぶ視線もあれば。
また我々が無能扱いされるのかと、悲しむ視線もある。
いずれにしても馬鹿にする視線はもうない。
実際問題として、既に七十件を超える難事件を短時間で解決してきたという圧倒的実績があるのだ。
それに宮藤自身が、警部からこの間警視に出世した。
仕事をすれば、成果を上げれば出世出来る。
そういう実績が、服を着て歩いている事になる。
故に最近受ける視線の中には。
自分もああやって出世してやるぞと言う、野心に満ちたものも増え始めていた。
捜査一課に到着。
古巣だが、軽く挨拶した後は、二郎とともに別室に。二郎が何人か若手を連れていたが、研修のつもりなのだろう。
AIがやるべき事は今後もっと増える。
だが、今はまだ人力に頼らなければならないものも多い。
故に、若手は育てなければならないのだ。
二郎自身、引退が近い年齢である。
引退後は、充分な保証を受けて、ゆっくり生活出来る。近年は介護用ロボットの進歩によって、老後の心配も少ない。
それでも警官であるから。
最後の最後まで、二郎は責任を果たしたいのだろう。
軽く事件について聞く。
捜査一課でも資料を見ているそうだが。二郎は幾つか気になる事を話してくれる。
「俺の勘はあまり当たらないんだが、ちょっとこれをみてくれるか」
幾つかの監視カメラに写った写真だが。
いずれも同じズボンをはいている。
また、金属バットに関しては、自転車と同じ色のようで。
それを通り際にフルスイングするまで、周囲の人間は気付けていないし。気付いても、声を上げることは出来ていない。
自転車の速度は想像以上に早い。
通り魔が警官を襲うまでの時間は、それなりに距離があっても三秒程度。
自転車を使う場合は更に早い。
ましてや襲われているのは警官では無いのだ。
「これは極めて計画的な犯行だ。 俺が思うに、近いうちに六件目、七件目も起きると考えている」
「可能性は高いでしょうね。 警察の方での手配は」
「今まで犯行が行われた事を鑑みて、急いで県警本部から余裕がある分の警察用ロボットを僻地の交番に配備中だ」
「……」
間に合うだろうか。
確かに警察用ロボットの反応速度なら、この犯人に対応出来る。
実際問題、武道の達人でも触れる事さえなくKOされているのである。
それだけの優れた性能を持ち。更に全周対応である。
敵意ありと判断した瞬間、スタンショットで犯人を黙らせ。更に自転車から吹っ飛ばされた犯人を、粘着液でキャッチして。怪我をさせずに捕獲するくらいは、簡単にやってのけるだろう。
丸頭の戦闘力は尋常じゃ無い。
人間では対応不可能というのは、既に現役軍人である自衛官との演習でも実証されており。その実力は折り紙付きだ。
それよりも、もっと気になる事がある。
「思想団体などは手を入れていますか?」
「現時点で監視しているのは、マッチョイズムの信仰団体だが……」
マッチョイズムか。
フェミニズムなどと並ぶ害悪カルトの根元となった思想の一つ。
「男らしくある事」というのを過剰に貴び。
「男らしくない」と(自分の価値観で)判断した相手に対して、虐待や誹謗中傷を繰り返した集団。
昔は、これは社会全域で当たり前のように存在していて。
差別をする輩も多数存在していた。
現在では、それがカルトに落ちて、残ったのはわずかだが。
逆に言うと、極端なマッチョイズムの信仰団体は、それだけ目をつけやすいとも言える。目をつけやすいのに、何も情報が出てこないというのは。
つまりそういう事だ。
「一応資料は渡しておく」
「ありがとうございます。 後で電子データで送ってください」
「うむ」
紙の書類はダウトだ。
持ち運びの途中に、誰かに奪われたり落としたりでもしたら大変な事になる。
宮藤も移動時は、仕事に関するものは鞄には入れていないし。他の方法でも持ち運ぶことはない。
まあ手帳とかは仕方が無いが。
それはそれだ。
「他に何か気になる事は」
「この鮮やかな動き、犯人は相当鍛えているとみていいだろうな」
「それは自分も思いましたね。 少なくとも、生半可な鍛え方で出来る事じゃないです」
「今、乗馬やサイクリングなどの専門家にも意見を聞いている。 これらについても、追って知らせる」
頷くと、一旦引き上げる事にする。
軽く互いの作業について打ち合わせをして、必要な情報を効率的に集める。
正しい情報がないと、エースである高梨は動けないのだ。
そのまま、交通課に戻る。
そろそろ、交通課では無く、宮藤班は別の所に移るべきだという声が上がっているらしい。他でも無い交通課から、である。
何しろ宮藤自身が、交通課課長よりも階級が上の警視だし。
交通課に所属されていると、それが秘密部署であっても肩身が狭い、というのである。
だが、移動には色々手間暇が掛かるし。
交通課の警官に迷惑だって掛けていない。
電車を降りると、駅のコンビニで菓子を買っていく。
まあ、欠食児童どもには充分な量だろう。
これで事件が解決するのだから。
安いものである。
そのまま交通課に急ぐ。
さて、欠食児童共は、どこまで分析を進められているか。
期待はしないが。
失望はさせられた事は、今まで一度もない。
結局六件目の事件は起こらず、その日は終わった。既に事件が起きている駅を中心に、特に僻地を意識して、警察用ロボットの輸送と配備を急いでいるようだが。
警察のその動きを嘲笑うようにして。
犯人は一向に姿を見せなかった。
警察の動きを、何かしらの方法で見抜いているのかも知れない。
そういう声もあるようだったが。
いずれにしても、今は被害者の回復を祈りつつ。
少しずつ犯人を追い詰めていくしかない。
翌日、交通課に出る。
もう起きていた佐川が、珍しくキーボードを激しく打鍵していた。これは何か進展があったとみていいか。
「佐川ちゃん、おはよう。 何か進展は?」
「にゃー」
「……」
にゃーとだけ佐川が返すときは、全力で集中しているときだ。
だから、これ以上は余計に声を掛けない方が良いだろう。
資料を確認。
佐川がマクロを駆使して、自動で必要なものは宮藤のPCにもメールを送ってきてくれている。
犯人の予想移動経路が、驚くほど緻密に作られていた。
犯行現場で、どう動いたか、ではない。
犯行現場にどうやって来て、どうやって犯行を行った後逃走したか。
そこまで、超緻密に記載されている。
今は、田舎でもそこそこの数の監視カメラがある。
それを犯人は知っていたらしく。
縫うようにして予想移動経路が記載されている。
特に犯人の使っている自転車に使われているパーツの特定なども既に済んでおり。
この辺りは佐川の本領発揮である。
関心しながら、一旦資料を捜査一課に送っておく。
自転車のパーツだけでも、販売記録などから足をたどれることがある。
そして、自転車を自作するなんてのは、相当のマニアだ。
これだけでもかなり限られてくる可能性が高い。
また、自分で自転車を自作せず。誰かに頼んだのだとしても。それを芋づるでたどることが出来るし。
何よりも自組の自転車をもし購入していたのだとしたら。それでだいたい足がつく。
タン、と大きな音がして。
打鍵が止まった。
石川も通勤してきたので、パジャマのままの佐川を一旦更衣室に連れて行く。まあこれは宮藤には出来ない事だ。
本当の姉妹のように仲が良いが。
交通課では、姉妹と言うより親子とか陰口がたたかれているらしい。
というか、石川もオツムが大概子供だと言う事を知っている宮藤としては。
あまりそれには賛同できなかったが。
ともかく、石川と、きちんと着替えた佐川が戻ってきて。
それから話を聞く。
「今、自転車の販売記録を全アクセスして、可能性があるものをピックアップしましたにゃー」
「おお、流石だね。 捜査一課の手間がかなり減るよ」
「……とりあえず、目を通してほしいです」
「分かってるよ。 ありがとう、佐川ちゃん」
さっと資料を見る。
見た所、この凝りに凝った自転車などから、そろそろ高梨に資料を引き継いで良い頃かと思う。
石川も、すぐに佐川が作ったルート通りに移動する犯人のCGを作ると言う。
ならばそれが仕上がってからか。
「分かった、佐川ちゃんが作った資料はまずおいちゃんが捜査一課に回しておくよ。 石川ちゃんはすぐに資料を仕上げて。 高梨ちゃんに送るからね」
「らーじゃー」
「らじゃ」
佐川は一段落したという事もある。
見た所、出勤時間前から起きて、思いついて仕事をしていたのだろう。
眠いようなので、寝室に行っていいよというと。
頷いて、ふらふら寝室に行く。これで三時間は起きてこないだろう。
資料を捜査一課に送り、石川の仕事が終わるのを待つ。その間、二郎と幾つか話をしておく。
此処まで緻密な資料を短時間でと、二郎は喜んでくれた。
これで捜査一課の方でも、かなり助かる、と言う事だった。
宮藤班は捜査一課と連携して、最大の成果を上げる事が出来るチームだ。
そんな中、二郎との連携が上手く行くのは大きい。
さて、次だ。
石川が頷いた。資料が仕上がったらしい。
高梨に送る。
資料を送りつつ、高梨に連絡を入れる。
「高梨ちゃん、体調はどう?」
「ここのところ、厳しい仕事は無かったので、そこまできつくは無いです」
「そうか、それはよかった。 とりあえず、今資料を送ったから、いつものようによろしくね。 今回は連続通り魔事件だ。 まだ起きる可能性があるから、あまり悠長にはしていられない。 おいちゃんからこういうことをいうのはちょっと心苦しいんだが、無理をしない程度にやってくれるかい」
「分かりました。 善処します」
通話を切る。
さて、此処からは捜査一課から上がってくる新規資料を待ちつつ。高梨からの資料が届くのを待つ時間だ。
最悪の場合、石川に佐川を起こして貰わなければならなくなるが。
すぐにはどうにもならないだろう。
SNSを確認。
最近は警察でもSNSに独自の監視網を広げているが。
マッチョイズム信仰の要注意団体は、今の時点では何も動きを見せていない様子だ。事件にさえ触れていない。
そもそも事件について、警察がどのような人間がどう襲われた、としか発表していないからで。
マスコミが余計な尾ひれをつけて、好き勝手をほざいていないから、というのもあるだろう。
また悪意ある拡散についても最近は監視がされている。
昔はいわゆる鍵垢、外部から見られない身内だけのアカウントを使った悪さが色々行われたのだが。
現在はそれもない。
情報を精査している内に、時間は経ち、また佐川が起きて来た。
六件目は。
起きない。
2、自転車を駆る鬼
宮藤から送られてくる資料が。最近はとても充実している気がする。
高梨は資料全てに目を通すと、冷や汗をロボットアームに拭って貰いながら、これなら今からでもイマジナリーフレンドを構築できるかも知れない、と思った。
早速仕入れた情報を使い。
イマジナリーフレンドを作って見る。
だが、いつもいつもそう上手くはいかないものだ。
何かが足りない。
だから、いつものように。
出来損ないが、色々と呟くだけだった。
情報のアップデートが必要だ。
まずは、話を聞いてみる。
「君は、何をしたかったんだい?」
「俺は……示したかった」
「それだけ?」
「……」
そうか。
だが、示したい、というのは。
どう考えても、思想犯に近い行動だと思う。あの三人組の現金強奪犯のような。
まず宮藤に連絡。
示したいと、犯人のイマジナリーフレンドが口にしていたことを告げる。宮藤も、同じ感想を抱いたようだった。
「思想犯の類かな?」
「分かりません。 ただ、何かを誇示したかっただけというのもあるかも知れないですね」
「……分かった。 ちょっと調べて見るよ」
「お願いします」
ここのところ、こういう「核が欠けている」イマジナリーフレンドは殆ど出来なかった。しかしながら、そもそも高梨は相手の情報を把握していないと、正確なイマジナリーフレンドを作れない。
それは宮藤も知っている。
だから、きちんと補佐してはくれる。
今回は犯人がいつ次の行動に出るかも分からない。
あまりもたついてはいられないだろう。
少し休む。
ぐったりしていると、仮眠をすぐに取る事が出来る。冷や汗が痛い。悪夢を見る。だけれども、疲れも申し訳程度に取る事が出来る。
起きると、資料が追加できていた。
マッチョイズム団体などの動きについて。どうも違う気がする。
実際資料を取り込んでみたが、イマジナリーフレンドに変化はなかった。
宮藤に連絡。
何か、根本的な所で間違えているのではないのか、と。
すぐに宮藤も意図を察してくれた。
「なるほどね。 此方でも正確な情報でないと、高梨ちゃんがちゃんとイマジナリーフレンドを作れないことは理解しているよ。 だから、しっかり調べて見る」
「有難うございます。 色々不自由で済みません」
「いいや、「間違っている」って事が分かるだけで我々にはとてつもなく大きな意味があるの。 だから高梨ちゃんがした事は大きいよ。 すぐに情報を集め直すから待っていてね」
「……ありがとうございます」
本当に優しい。
あらゆる全てに怒鳴り散らして、ヒステリーを起こして。挙げ句全身を滅茶苦茶に破壊した実の母とは何もかもが違う。
こんな人が親だったら。
そう思うけれど。
ただそう思うだけだ。
八つの仮に作った人格が、高梨を喋らせているにすぎない。
少しずつ感情は分かるようにはなってきたが。
それもまだまだ。
とてもではないけれど、感情を理解出来るとは言えない状況である。
人間として欠陥品。
だから、宮藤班というらしいけれど。宮藤と、石川と、佐川のチームに混じっている。そう、部品として。
それだけの存在に過ぎないのだ。
呼吸を整えて、冷や汗をロボットアームが拭ってくれるのを待つ。
やがてシートの交換の時間が来た。
別の車いすに、ゆっくりロボットアームを使って移動する。正確には車いすが平らに可変するので。
その平らな車いすに敷かれた、柔らかいシートに転がるようにして、ゆっくり移動するのだ。
汗だのを散々吸い込んでいるので、定期的にこの重作業がある。
幾ら医療技術のオートメーション化が進んでいて。
ロボットアームが進歩していて、高梨にとって優しくても。
コレばかりはどうしようも無く大変だ。
隣に移ると、ロボットアームがてきぱきとシーツや、その下にあるシートを取り替え始める。
この車いすは、そのままベッドにもなるとても優秀な品なのだ。
様々な器具も装着していく。
一番辛いのが排泄関係だが。
これも、昔はとにかく痛かったらしいが。
最近のは器具が改良されていて。
痛みは殆ど残らないようになっている。
ゆっくり呼吸して、辛い作業を終えると。
食事が持って来られた。
ご褒美、とでもいうのだろうか。
味がしなくて、料理に感謝した事は一度もない。ただし、放置されていたときに、極限の餓えは経験したことがあるので、文句も言えない。
黙々と食事を済ませる。
その後は、眠るように言われたので、そうする。
リラクゼーション用の音楽まで流してくれる。本当に全自動の医療というのはすごいなと思うけれど。
逆に言うと、昔はこれら全てを人力でやっていたわけで。
負担は尋常では無かっただろう。
ぐったりしたまま、眠りにつく。
夢は殆ど見ない。
しばらくして、ぱちんと意識が戻ってくる。
呼吸を整えて。ロボットアームが持って来た水を飲む。部屋の空気が極限まで清潔なせいか、ほとんど痰が詰まることはない。
歯磨きも本当は自分でしたいのだが。
手の一部が欠損しているので、手早くは出来ないのだ。出来るには出来るが、それだけでかなり消耗してしまう。
だから、そのままロボットアームにやって貰う。
足は半分近く欠損しているのだから。
これでも手はまだマシな方。
そう言い聞かせながら、一旦デスクに戻り、新しい情報が来ていないか確認する。
今の時点では、ない。
宮藤が苦労しているんだろうな。
そう思うと、何だか悪い事を言ったように寂しい気持ちになった。
思想犯の類では無いか。
宮藤がそう二郎に連絡を取ると、捜査一課では流石に困惑したようだった。
少し前の、十二億円強奪事件の犯人達もその手合いだった。
連中はピントさえずれていたし。あくまで思想を持っていたのはリーダーだけだったが。それでも立派に思想に沿って行動し抜いた。
今回のは少し違う。
相手を明確に殺そうとしている。
相手に対して、殺しても良いという風に行動している。
故に同じ思想犯であっても、前のとは違う。
極めて危険で、出来るだけ急いで抑えなければならない相手だ。
「宮藤。 お前さんの所から上がってくる情報はいつも的確だ。 だがな、思想団体の類は今回殆ど声明を出していない。 危険なカルトも殆ど動きを見せていない。 そうなると……」
「恐らく相手は一匹狼型の、個人で妄想を温めてきたタイプでしょう」
「厄介極まりないな……」
閉口する二郎。
分からないでもない。
宮藤班の解析で、捜査一課の手元の情報は三倍以上精度が増した。
それを考えると、とても無視はできないし。
何より危険思想を抱えている個人なんていっくらでもいる。
それをあぶり出すのは、それこそ砂浜で一つの砂粒を探すような作業である。
勿論埋まっている事も考慮しなければならない気が遠くなる作業だ。
「此方でもプロファイル班に協力を要請する」
「お願いします。 此方でもネットの深層にまで潜ってはみますが……」
「頼むぞ」
通話を切る。
やれやれだと思いながら、石川としらけた目をしている佐川を見た。
またか。
二人はそう顔に書いている。
この間の三人組で、五年も前の事件に対して、色々調べさせられたのである。その時に二人は散々苦労した。
ましてや今回は、相手の思想が何かさえも分からない。
そんな中、調査を頼むと言われても、というのだろう。
「石川ちゃん、佐川ちゃん、ごめんね。 おいちゃんの方でも、これから捜査一課と一緒に彼方此方に分析を頼んでくるから。 兎に角ネットの深部にまで、何かそれっぽい思想の持ち主がいないか調べてくれる? 後、自転車の方からも調査の継続を頼むよ」
「あいあい……」
「分かりましたニャー」
「お菓子は買ってくるからね」
それくらいでは、今回は機嫌を取れそうにもないか。
宮藤自身、捜査一課に出向いて、二郎と連携。まず幾つかの部署と共同して連絡を取って、プロファイルチームや、IT関連犯罪チームとも連携の体勢を整えた。
更に犯人の監視だが。
現時点では、全国各所の監視カメラに、同一の自転車は写り込んでいないという。
事件も新しく起きていない。
また、はっきりしたのだが。
そもそも自転車は素組みのもので、部品を素材から加工したりして自作している可能性も浮上してきている。
だが、国内のめぼしい自転車マニアは調べたが。
それっぽい存在は上がって来ない。
「だとすると、可能性があるのは……」
「二郎さん、何か思い当たる事が」
「自転車マニアという考えが間違っている可能性がある。 自転車を加工できる工場を持っている……それも個人で持っている人間は」
「ああ、なるほど……」
「それも工業高校などを出て、高度な加工技術を身につけている者だ」
今の時代、工場は昔ほど危険ではないが。
それでも相応に免許などは必要になってくる。
機械類の安全装置などはしっかりしているが。
それでも時々事故が起きる。
流石に現在の3Dプリンタの技術でも、今回の事件で使われたような、高い能力を持つ自転車の部品は作れないはず。
工場、か。
すぐに佐川に連絡を入れる。
恐らく今回の件、関わっているのは一人から数人。
ほぼ確実に数人だ。
個人で工場を持っている人間。
しかもその工場を死蔵させずに、何らかの形で活用している人間。出来れば商売に使っている者が良い。
そう告げると、佐川はすぐに動くと約束してくれた。
恐らく膨大すぎるネットの海を、ちまちま探すのに嫌気が差していたのだと思う。
まあ気持ちは分かる。
昔の話だが。
ある作品に対して、異常な敵意を燃やした人間がいた。
その作品のイベントなどを潰すために、異常な執念を燃やして脅迫状などを送りつけまくった。
どうしても足が掴めなかったため、警察ではその作品の公式HPへのアクセス記録を解析。
億に達する膨大なログから特定の人物を割り出し。
そして、逮捕を成功させたのである。
だが、それは本来ではやってはいけない捜査。
工数が掛かりすぎるからだ。
そんな捜査の苦い記憶が警察にはあるし。
宮藤もやってはいけない例として、新人時代に叩き込まれた。
佐川には近い事をやらせてしまっていたので。
やっと具体的な方向性が上がってきたことになる。
二郎に礼を言うと、一度戻る。
これからが本番だ。
交通課に戻ると、佐川が三十四人まで容疑者を絞り込んでくれていた。ただ、流石に疲れ果てたらしく、本人の姿はなかった。
交通課の隅っこにある専用の寝室で、すやすや眠っているという。
それはそれでなんというか微笑ましいというか色々とあれだが。
まあ兎も角、短い佐川の稼働時間をきっちり使い切って、やる事をやって眠りについてくれたと言う事だ。
脳も休ませなければならないだろう。
すぐにデータを高梨と、捜査一課に送る。
今回の件、有名な自転車マニアが悉く外れだったという事もある。
やはりこの三十四人の中に犯人がいる可能性が高い。
石川が、全ての容疑者の中から、アリバイがない人間を更に十一人まで絞り込んでくれたので。追加で高梨にデータを送る。
これで、エースが。
やる事をやってくれるはずだ。
宮藤から、高梨の所に情報が届く。
流石だと思う。
無理難題を言われただろうに、しっかりと対応してくれた。
これだから、頼りになる。
ゆっくり深呼吸すると。
データを確認。
それを取り込んでから、イマジナリーフレンドを再構築していく。何度か深呼吸が必要になった。
程なく、イマジナリーフレンドは。
高梨の問いに答えた。
「お前は……随分久しぶりだな。 いつぶりだっけ」
「こっちも覚えていません」
「そうかそうか。 俺は自分一人でやってる工場で、毎日てんやわんやだよ」
笑う犯人。
笑い方が何だか陰鬱で、殺しを楽しんでいた今までに見てきたサイコ野郎とは少し雰囲気が違った。
少しずつ話を聞いていく。
自転車を作れるのかと聞いたら、犯人は言うのだった。
「自転車か。 パーツの幾らかはな。 うちは小さな工場だが、今時小さな工場でも殆ど全自動化してるからな。 俺が作ってる部品は、大手の会社に卸したりしてるんだが、評判良いんだぜ」
「そうですか。 自転車を組む事も出来るんですか?」
「一応な。 今はネットに知識があるしな」
一度、此処までで会話をストップ。
宮藤に連絡。
イマジナリーフレンドの構築に成功、と。
更に今の短い会話についてもメールで送っておく。勝負は、此処からである。
今回の相手は間違いなくかなりの切れ者だ。
監視カメラ網がこの国に張り巡らされていること。
警察用ロボットの性能が凄まじく、捕捉されたら絶対に逃げられないこと。
それらを知り尽くしている。
だからそれらがない経路を徹底的に洗い。
その上で行動を実施している。
どうしてそれだけ頭が働くのに、やったのは非道な通り魔事件だったのか。それが分からない。
分からないけれども。
暴かなければならない。
宮藤と話し終えて、データを送った後、少し休憩時間を入れる。
イマジナリーフレンドの構築には、猛烈な体力を消耗する。ただでさえ虚弱な高梨には辛いことなのだ。
それでも何とか、今回は無理をしてイマジナリーフレンドを作った。
少し休んで。
体力を戻してから、犯人と再び話す。
イマジナリーフレンドだから、この辺りは融通が利く。
「貴方の作った自転車、格好良いですね」
「そうかあ? 俺は今回の目的のためだけに、コレを組んだんだがな」
「目的」
「そうよ。 そもそも頭に来ると思わないかお前。 彼奴らよ、工場で働いている人間を見下しまくりやがってよ」
そこから。凄まじい怨念の暴露が始まった。
元々犯人は、工場を親から受け継いで。黙々と仕事をしていたという。
いわゆる下請けだが。
取引先の評判も上々。
なかなかの評価を受けていたという。
だが、ある時。
最悪な営業が来たというのだ。
「昔は、営業って仕事は体育会系が基本でな」
「今はもう絶滅したって聞いていますが、そうらしいですね」
「ああ。 だがその認識は間違ってるぜ。 筋肉至上主義の人間は、体育会系からすり替わるようにして、現在も健在なんだよ。 いわゆる脳筋って奴だ。 そういう奴の中には、悪い奴ばかりじゃないが……筋肉を過剰に信仰する輩がいてな。 どんな病気でも筋肉をつければ治るし、何でも筋肉が解決するってな」
ああ、なるほど。
何だか分かる気がする。
それから、その最悪の営業について聞かされた。
そこそこ大手の企業の営業らしいのだが。全身をボディービルダーのような筋肉で覆った、身長180前後の男だったという。
身長180前後。筋肉質。
そう、今回、襲われた共通する特徴持ちだ。
「俺を見て、いきなりそいつはふっかけて来やがった。 他の取引先とはまるで違う価格でな。 俺がその値段を見て、あり得ないって話をしたら何ていったと思う」
「……なんでしょう」
「モヤシの分際で人間の言葉を話さないで貰えますか。 とっととこの契約書にハンコを押せば良いんだよ。 お前みたいなヒョロガリは見ているだけで反吐が出る。 筋肉つけてないから、こんな小さな工場しか経営できないし、いつまで経っても金持ちになれないんだよ、とね」
唖然とする。
何一つ理論が通らない話だ。
そもそも筋肉と経営に何の関係があると言うのか。
マッチョイズムの思想を持つ人間には、確かに何でも筋肉と暴力で解決できると考える者がいると、高梨も聞いた事がある。
だがこれはいくら何でも酷すぎる。
「俺は勿論断った。 だがな、其奴は会社にある事無い事言いふらしまくったらしくてな、鬼の形相で其奴の上司が来やがったよ。 だから、俺は奴が出してきた契約書の内容と、録音しておいた会話について見せてやった。 契約書の内容については、監視カメラがうちの工場内にもあるからな。 それで撮影しておいたんだよ」
「ファインプレーですね」
「……そうでもないんだよ。 流石にその上司も黙り込んでな、頭も下げた。 だがな、その件で逆恨みした筋肉野郎が、夜中に俺の工場に来て。 俺の大事にしていた庭木を全部無茶苦茶にして行きやがったんだ」
その件で勿論その筋肉男は逮捕されたらしいが。
保証はされなかった。
いずれの庭木も、「希少性がない」という理由だったらしい。
また、既にその時点で筋肉男は会社を首にされていたらしく。
奴が務めていた会社からも、謝罪の言葉は一切無かったという。犯人は、心の底から筋肉が嫌いになったそうだ。
「だから決めたんだよ。 復讐するってな。 ガタイがいいのを自慢して歩いて、マッチョイズムに陶酔しているアホ共にな」
「……」
よく分かった。
分かったが、それは理不尽だ。
その営業が異常者だったのは事実だ。狂信的なマッチョイズムの信奉者だった。昔いた体育会系営業の生き残りのような、狂った社会の歯車だった。それについては、事実だと高梨も思う。
だが、それが筋肉質の男性全てへの復讐心にすり替わるのは、いくら何でもおかしすぎる。
この犯人にとっては、大事な庭木を傷つけられたことが大きかったのだろうとは思うが。
ぐっと口をつぐんで。犯人に喋らせる。
「俺の家の庭木はな、血がつながっていない俺を息子同然に育ててくれた親父がな。 自分の代から丁寧に世話をして、俺に引き継いでくれたものだったんだ。 ずっと大事に育てて来て、毎年花を咲かせて実をつけて。 鳥だって来てたんだぜ。 毎年良い声で鳴いてくれてな。 今度は小さな池でも作ろうって思ってた。 近場に小川があるから、カエルが来てくれるかも知れない。 そうなれば、もっと賑やかになると思ったんだ。 それを、それを……」
犯人が慟哭する。
庭木なんか、なんて口にすることは出来ない。
それは要するに、親の。それも、下手な血がつながった親よりも、ずっと大事な尊敬していた相手の形見。
それを、単に気にくわないというくだらない理由で。しかも逆恨みで。筋肉しか取り柄がないマッチョイズム野郎に、文字通り蹂躙されたのである。
だが、怒りの矛先が間違っている。
そのマッチョイズム野郎だけに向けるべきだ。
「ちなみにそのマッチョイズム営業はどうなったんですか」
「最初に殴り倒してやった。 死にはしないだろうが、もう二度と目を覚ますことはないだろうよ」
「……それは慈悲ですか?」
「いんや、奴が信仰する筋肉なんてものが、何の役にも立たない事を思い知らせてやりたかったからな。 二度と目覚めない肉の塊が、ベッドにずっと磔になっているのは良い気分だぜ」
そこで、会話は止めた。
大きく息を吐く。
逆恨みが産んだのは、更なる逆恨みか。
マッチョイズムクソ営業に対する復讐は、ギリギリ分からないでもない。
逮捕されてすぐに釈放されたと言う事なのだろうから。
前科者でも、筋肉があってタッパがあれば。それなりに就職先はあるとでもいうのだろう。
まだ世の中には。
確かにそういう部分がある。
だが、それ以降の犯罪は。
完全にただの犯人の逆恨みだ。ただマッチョ営業野郎と見かけとガタイが似ていたと言うだけで。
形見を無茶苦茶にした外道と同じ存在として自分の中で重ね合わせ。
無差別に。いや、むしろ計画的に襲った。
これはもはや許される行為では無い。
更に、警察の動きが一段落したら。もはや狂鬼と化したこの通り魔は、また似たようなガタイの相手を襲いはじめるだろう。
それは絶対に許されない事だ。
宮藤に連絡。
疲弊がたまりきっているが。
それでも、通話を入れた。
今の録音データを送りながら、会話をする。
「宮藤さん……」
「無理するんじゃない。 高梨ちゃん、今何かあったんだね」
「……犯人は……何もかもを見失ってしまった復讐鬼です」
「分かった。 データは送ってくれたんだろう。 後は、此方で解析させて貰うよ」
最後の力で、通話を切る。
激しく咳き込んだ後、意識が落ちる。
しばらく、真っ暗闇の中でもがくようにして。高梨は、自分が無意識の中にいると感じていた。
苦しい。
つらい。
それは全身で分かる。
だが、それに対して感情が特に湧いてこない。
それがなんというか、もどかしい。
少しずつ分かってきた感情によれば。多分此処でとても悲しくなるだろうに。少し悲しいだけだ。
目が覚める。
激しく咳き込んでいた。
強烈な復讐心に当てられたからだろうか。今までに無い程疲弊していた。バイタルが乱れたらしく。医者が来る。
すぐに検査をしてくれた。
「仕事で相当無理をしているようだね。 場合によっては仕事を断らなければならないよ」
「やめてください……」
「どうして!」
「私に取っては、これがただ一つの……存在意義なんです」
医師は顔を歪めた。
悲しみか、哀れみか。
いずれにしても、この仕事を辞めるわけにはいかない。
実際この仕事を始めたおかげで。
自分のような無力な存在が、何人の人間を助けられたか分からない。それどころか、どれだけの犯罪を未然に防ぎ。どれだけの野放しになっている犯罪者を捕まえられたかも、だ。
そんな価値ある仕事。
絶対に止めるわけにはいかない。
医者は首を横に振ると、バイタルが落ち着いたのを確認。
無理はしないようにと、再三念を押して帰って行った。
3、復讐鬼は虎に
高梨の分析から、犯人を特定。
犯人はやはり、一人で工場を回している人物だった。更に高梨の発言通り、マッチョイズムを信奉している営業の人間に逆恨みで庭を滅茶苦茶にされ。その時の被害届けで営業が逮捕されている。
しかし庭を荒らしただけ。
しかも別に価値がある木々では無かった。
不法侵入と、器物損壊。
それだけでは、半年の刑が精々だった。
陳述も残っていた。
犯人は、これらの庭木は親から受け継いだ形見で、何十年も大事に手を入れてきた家族のような存在なのだと訴えていた。
だが、それが裁判で通る事はなく。
AIは適正に判決を下したのだ。
そして、マッチョ営業野郎は半年で刑務所を出てきた。
その居場所を掴んだ犯人は入念に計画を練った。
法が裁かないなら。
自分がやるしかない。
幸い仕事に使っていない機械はある。故にそれで自転車を時間を掛けて作った。幾つかのパーツは取り寄せた。
一年掛けて、山道で練習をした。
フルスイングで、犯人の頭をたたき割りつつ、自転車から落ちない訓練を。
自転車の扱いも。フルスイングで人間の頭とほぼ同じ大きさと堅さを持つ西瓜をたたき割りつつ、そのまま逃げる訓練も。
金属バットを振り回す訓練も。
全てうまくこなせるようになった。
こうして、全ての準備を整えた犯人は。
復讐を決行したのだ。
工場はもぬけの殻。
そして、これらの証拠が、全て残っていた。犯人は日記などをつけていて。それらに全てが書かれていた。
警察が踏み込んできたことに気付いたのだろう。
いち早く、犯人は自転車に跨がり、逃走したのだろう。
分かっていた筈だ。
いずれ警察が来る事は。
だが犯人が予想しているよりも、ずっと警察の動きが速かった、と言う事なのだろうか。犯人は着の身着のまま。証拠も処分せず、そのまま逃げた様子だった。
庭は。
出張して、此処まで出てきた宮藤は見る。
確かに、丁寧に手入れされていた。
滅茶苦茶にされた木々は、必死になんとかしようとした跡があった。
だが、どれもこれも踏みにじられて。
いずれもが、枯れてしまっていた。
これらが全て形見だったのだとしたら。
「男らしくない趣味だ」という理由で、しかも逆恨みでこれらを無茶苦茶にしたマッチョ営業野郎が。たった半年の実刑で済んだのはあまりにも酷いと判断するのは無理がない事なのかも知れない。
だが、その後の行為は擁護できない。
すぐに、包囲網が敷かれる。
検問も張られる。
すぐに佐川から、解析が飛んできた。監視カメラなどを、もはや気にせず犯人は逃げている。
それによると、山に逃げ込んだ、と言う事だった。
すぐに地元の県警と連絡して、山狩りの態勢に入る。熊が出るような山だ。かなり大変な作業になる筈だが。
警察用ロボットの機動力は、犯人の予想を遙かに超えていた。
一時間二十分後。
警察用ロボットが、犯人を確認。
悪路なんかものともせず。
山に剽悍に乗り込んでいった警察用ロボットは、相互リンクシステムを使って全機が一斉に犯人を追いつめ始め。
そして、十分後には、スタンショットを打ち込んでいた。
その場で確保。
皮肉な話だが。
マッチョ営業の頭をたたき割り、一生目が覚めない体にした犯人は。
一年以上にわたる特訓の結果、鍛え上げられていた。
犯人を県警に連行。
後は、宮藤も立ち会う。
今回は二郎がいない。だから、状況を知っている宮藤が立ち会うのが、話としては一番速い。
勿論尋問は、最初は地元の捜査一課にやってもらう。
地元でも、宮藤班の話は伝わっているらしく。
宮藤のことを、あんなさえないおっさんが、とかひそひそ話している声も聞こえた。
いいのだ。
冴えないおっさんで。
宮藤は虎になってはいけないのである。
犯人は、しばらく黙秘していたが。
やがて、宮藤が代わって良いかと頼んで。しぶしぶ代わって貰うと。
咳払いし。高梨に聞いた話を、順番にしていく。
流石に犯人も驚いたようだった。
「確かにあんたを見た目で判断して、無茶苦茶な商談を押しつけようとした挙げ句、逆恨みからあんたにとって命の次に大事な親の形見を滅茶苦茶にした筋肉営業野郎は許せないこの世の悪だ。 それはおいちゃんも認めるよ」
「……ああ、その通りだ」
「だが、君は何を示したかった」
「筋肉信仰なんて、何の役にも立たない事をだ」
首を横に振る。
犯人は椅子に座っているが、宮藤は自分の股を触ってみせる。腕も。
犯人は小首をかしげたが。
自分でやってみて、唖然としたようだった。
「今は君も立派な筋肉野郎だ。 君は社会にて好きかってしている虎を仕留めようとしたのかも知れない。 だが君が虎になってしまってどうするんだい」
「……」
「君が襲った残りの四人は、幸い意識も取り戻したし、負傷も数ヶ月で済むそうだ。 だが、五人をも再起不能に仕掛けた罪は重いよ。 ましてや四人は、君が憎んでやまなかった筋肉信仰者と見かけが似ていると言うだけで襲われたんだ。 これでは、君は旧時代の異物みたいな体育会系営業とやっている事が同じじゃないか」
古くはコンサルと呼ばれる人間の多くがそうだった。
体育会系出身で。
筋肉で何でも解決できると本気で信じ込んでいた。
人間は消耗品だと思い込み。
多くの人材をドブへと投げ捨て、数千万も掛けて育成した人材を次々使い捨てにしていた。
そんな時代が終わった今も。
まだ確かにそんな時代の悪しき生き残りがいたのは事実だ。
邪悪な猛獣にも等しく害を振るい。
それに泣き寝入りしなければならなかった人が出たのもまた事実である。
だが。この犯人は、いくら何でもやり過ぎた。
「マッチョ営業野郎と背丈が似ていて筋肉質というだけで襲われた人達にとっては、君こそが虎だったんだ。 分かるかい?」
「……」
「君は恐らく五年くらいは刑務所に行く事になるだろう。 それと、例のマッチョ営業は一生目を醒ますことがないそうだ。 誰も、幸せになれなかったね」
「……はい」
完落ちだな。元々、邪悪な人間では無かったのだ。だが、マッチョイズムを最悪の意味で拗らせたような外道の毒気に当てられて、完全に犯罪者になってしまった。だから、目さえ覚めさせてやればいい。
それだけで良かったのだと、宮藤は思った。
この男に、相談できる友人がいれば。
この件で、筋肉営業野郎に適切な法の裁きが下されていれば。
こんな悲劇は起きなかっただろう。
それについては事実だ。
そしてこの犯人が取り返しがつかない犯罪をしてしまったことも、である。
絶対に、その事だけは自覚させなければならなかった。
二郎が相手を完落ちさせるところは何度も見てきた。今回、宮藤はそれの真似をしたにすぎない。
一度、宮藤は相手を聴取中に、切れてしまった事がある。その結果、聴取中の相手の顔の形を変えてしまった。
だから、少し今回も不安だったのだが。
だが、高梨が文字通りいのちを振り絞って引きだした情報なのだ。
奮闘を無駄には出来ない。
だから、やりきった。
後は捜査一課に代わって、聴取を任せる。流石だと此方を見ている刑事が何人かいたが、別に宮藤は凄くない。
偉大なる先達の真似をしただけである。
地元の捜査一課の刑事に、全て丁寧に犯人は答え始める。
全て高梨の言ったとおりだった。
犯人は泣くことも無く、ただ淡々と、全てに答えていった。
全てを宮藤は見届ける。
やがて、充分な証拠が整った所で、聴取は切りあげになる。
後は、この県警の捜査一課とリモートで連携しながら裁判に提出する資料を仕上げて。それでおしまいだ。
県警の課長と話す。
このくらいの規模の県警だと、捜査一課の課長は警部である事も多い。今回もそうだったので、敬礼する相手は階級が上である此方を意識しているようだった。しかも相手はたたき上げ。同じくたたき上げである宮藤は意識しても当然か。
「流石は噂に上がる宮藤班。 鮮やかな手並みでした」
「いえ、其方の捜査一課も動きが速くて感心しました。 後、犯人の工場については……」
「自動管理システムと犯人の貯金があるので、それを使って犯人の望み通り維持だけはしておきます。 庭は……もうどうにもなりませんが。 最初の犯行以降は貴方が言ったとおり、犯人は全ての元凶である筋肉営業野郎と同じ虎になってしまった。 だが、犯人はその後は、自分を取り戻す事が出来たようです。 後は、五年の刑期の後、償って生きてほしいものです」
良かった。
物わかりが良い課長で助かる。
その後は、証拠に関する物資の整理などについて話しておしまい。
そのまま敬礼をもう一度かわすと、後は帰る。
此処からだと、新幹線を使うか、飛行機を使うかが悩みどころだが。今回はスマホで検索したところ、新幹線が早い。
リニアは結局一部でしか普及しなかった。
普及している地域はとにかくとんでもなく速い事は確かなのだが。
しかしながら、現在でも新幹線が使われているように。
結局リニアは今の時代まで普及していない。
そのまま新幹線で帰る事にする。
領収書を切って貰って、新幹線を待つ。その間、県警に連絡を軽く入れるが。もう完全に堪忍したらしく、犯人は全て正直に話していると言う事だった。
待つ間に、石川と佐川にも連絡を入れておく。
ご当地のじゃがりことカントリーマァムは買ったことをきちんと伝えて、証拠物件の裁判資料への調整を頼むと。二人ともやってくれると言うことだった。
だが、佐川が言う。
「犯人の気持ち、少しだけ分かるにゃー」
「佐川ちゃん」
「分かってる。 でも、筋肉を異常に貴ぶ時代があって、その時に体育会系の人間が好きかってしていたのは事実で。 その被害者が、何十万人もいたというのも、事実で。 それを今その生き残りが咎められないのも、色々と不愉快です」
「今、その手の連中は過激派マッチョイズム団体って言われて、世間からカルトと同じ扱いを受けているよ。 それでも不満かい?」
優しく諭す。
佐川の怒りも分かる。
佐川はマッチョイズムから見れば、とても許されない相手だろうからだ。
昔のハリウッド映画だったら、マッチョイズムの権化みたいな主人公と戦う凶悪なヴィランにされていたかも知れない。
それを佐川は理解している。
だから感情の問題だ。
感情の問題で動いてはいけない。宮藤はそれで捜査一課を離れる事になった。佐川に、同じ思いは味合わせたくない。
「佐川ちゃんは、おいちゃんみたいにゲス野郎の顔の形を怒りにまかせて変えて、虎になっちゃいけない。 おいちゃんはそれ以来ずっと贖罪をしているんだよ。 だから、それだけは聞いてほしい」
「……分かりました」
「うん。 お土産はきちんと持ち帰るから、よろしくね」
新幹線が来る。
ため息をつく。
宮藤もどちらかと言えば肉体派の刑事だ。捜査一課でやっていたときも、現場百回の原則で動いていたし。犯人を物理で制圧する事も多かった。
だからこそ、今回の事件はやりきれない。
新幹線に乗り、指定席に着くと、後は駅に辿りつくまで待つ。
そういえば色々世界的には混乱があったせいか。この国の新幹線は現在に至るまで世界最高水準の性能と、運営をずっと続けている。スピードでは上回るものがあるが、安全性と運営の正確さは世界最高である。
ぼんやりと後は待っているだけで良い。
その間、自分の中の虎とも、話をつけておかなければならないなと宮藤は思った。
交通課に戻る。
流石に宮藤班が誇る欠食児童達。
既にやるべき事は全て終わらせて、地元の捜査一課に全ての資料を送り済みだった。
内容を確認した後、向こうの捜査一課課長と宮藤が通話で話す。
今の時点で、全く問題が無く。
特に再現画像などについては、完璧という以外に言葉が出てこないという。
犯人もこの通り。自転車についても完璧という発言をしているらしく。
これ以上求める事が不可能な出来だそうだ。
「これほどの技術者が此方にいれば……」
「うちの現場再現担当は警部補です。 それくらいの待遇を受けているんですよ。 仕事が評価された結果です」
「警部補待遇……」
「それくらいの評価で、民間の技術者をスカウトするのなら、これくらいのものが作れるかも知れません。 警官に何でもかんでも求めるのは色々と厳しいですし、一考の余地はあるかと思います」
なるほどと、向こうの課長は言う。
たたき上げの警部だけに、色々と苦労は分かるのだろう。
だが、田舎の捜査一課で、警部補待遇というと、殆ど副課長の立場である。
専門のチームを立ち上げたりするくらいの地位で。
しかも警察学校を出ていない人間を警部補待遇で迎えたりしたら、それは周囲の警官達の反発を招く。
悩ましい話である。
後は幾つか、困ったことがないか、等を聞くが。
特に追加で問題は起きていないという。
犯人が復讐した筋肉営業野郎は一生目を醒まさない。
調べて見ると、前にいた会社でも、そのマッチョイズム思考で周囲に暴威を振るっていたらしく。
此奴が原因で退職した人間が何人もいたという。
此奴に人生を狂わされたのは犯人だけではなく。
それを考えると、一切合切容赦は出来ない。
「庭を滅茶苦茶にされたから一生目が覚めないようにぶん殴った」という言葉だけを捕らえると、犯人だけが極悪なようだが。
その庭を滅茶苦茶にした輩が、「相手の容姿や体格を貶めて無理な営業を強要」「威圧して営業を行う常習犯」「立場が下の相手に暴言を吐き何人もの人生を滅茶苦茶にした」「その庭も親の形見であり、何十年も大事にしてきた立派なものだった」という事を考えると。
やはりこの筋肉営業には、同情の余地はないのも事実だった。
ミステリだと、同情できない動機だとかで笑われそうな犯人だったが。
この犯人が許されないのは、暴走して筋肉営業の同類と一方的に見なした人間を片っ端から襲撃したこと。
その襲撃計画の周到さ完璧さなどから。
それを良い方向に使えば、本当に良い技術者として大成できただろうに。
惜しくてならない。
通話を追えると。
石川に対して、軽く話す。
「時に石川ちゃん、今回も有難うね。 ひょっとすると、そのうち警部待遇になるかもしれないから」
「警部」
「うん。 おいちゃんも後何件か難事件解決したら、更に出世するかもだって」
「もう部署貰ったらどうですか−?」
流石に苦笑い。
実際問題、警視の上は警視正であり。
この地位になってくると、県警部長とかになることもある。今の警視総監が、実力主義でたたき上げをどんどん抜擢しているのは良く知られているが。まさか一種のプロファイリングをやっている小さなチームのリーダーが警視正というのは。
流石に他のたたき上げも驚くだろう。
だが、宮藤班の名前は彼方此方で知られている様子で。
どこから漏れたのか、ヤバイプロファイリングチームが警察にいるらしいと。闇の世界でも、怖れられ始めていると聞く。
「おいちゃんは本来キャリアでないといられない地位にいるんだよ。 キャリアだけが出世出来る悪習は何とか今の警視総監が廃止してくれたけれど、それでも謙虚にならないといけないんだ」
「謙虚ってそんなに大事ですか」
「大事だよ。 おいちゃんも見て来たけどね。 自分の器じゃない所に入っちゃった人って、だいたい不幸になるんだよ」
昔の事だが。
ある小説家がいた。
その小説家はせいぜい三流程度の作家だったが、ある程度の知識を持っていた。
知識を持った仲間と一緒に知識を生かした本を書いて。それが大ヒットした。その小説家が書いたどんな小説よりも。
確かに面白かったのだ。最初は。
だが、それで小説家は。いや、小説家も含めた仲間達も。明らかに器では無い処に入り込んでしまった。
結果として。地獄が呼び込まれた。
わらわらと、周囲に訳が分からない奴らが入り込むようになってしまい。その中には、金目当てや、コネで呼び込まれた輩もいた。そんな状態では、何が起きるかは決まっている。自分達のプロパガンダを始めたり。他の違う思想を持つ者を攻撃したりし始めた。
本人も極めて傲慢になった。
やがて、昔はとても良かった集団は空中分解。
完全に傲慢さと、異常に肥大化したプライドだけが残った。
後は悲惨そのものだ。
その小説家は周囲から老害と呼ばれるようになり。そしてそれに反発するように、ひたすら周囲に噛みつき返すようになり。
誰も近寄らなくなっていった。
器ではない場所に入った結果がそれだ。もしも本人が謙虚であれと考え続けていれば、きっと今でも三流ではあっても時々良い作品を書く作家として、マニアには愛されていただろうに。
そんなマニアですら、離れてしまった。
「この事件はおいちゃんがとても小さな時に起きた事でね。 もう石川ちゃんも佐川ちゃんもしらないと思う」
「……」
「こういう事件は世の中に一杯ある。 それでね、おいちゃんは周囲には理解されなくても、能力はしっかりある石川ちゃん、佐川ちゃん、高梨ちゃんを守れればそれで充分なんだよ。 おいちゃんはずっと警官だし、最後の最後まで警官でありたいと思っているんだよ。 だから、幾ら階級が上がっても、これでいいんだ。 石川ちゃんは?」
少し黙り込んだ後。
石川は、少し分かるかも知れないと言う。
石川も、プログラマーとしては文字通りの異能だ。
幼くして自力でゲームエンジンを作成して。インディーズゲームのサークルで活躍を続けていた。
だけれども、石川にはゲームを総合的にデザインする才能が一切合切欠けてしまっていたのだ。
それは石川にとっても、未だに大きな心の傷として残っている。
そして、石川にとっては、さっきの話は理解できる筈だ。
石川はあくまでプログラマーなのである。
今でも、難事件に対して、プログラムやITに関する知識で分析を進めたり。
情報のやりとりをスムーズにするために独自のVLANを組んで環境を整備したり。
佐川と連携して、ネットでの情報分析をスムーズにするツールをその場で組んだり。
そういった仕事が、石川の天職だ。
「私も、これで良いですねー」
「うん。 仮にこのチームがもっと大きくなるとしても、仕事は変わらないから、それは安心して。 もしも何かあった場合は、おいちゃんの方から警視総監に掛け合うからね」
「わお。 警視総監に」
「怖いけど、やるしかないよ。 おいちゃんにはこれしかできないんだから」
そう。
宮藤には、これしかないのだ。
出世することだけが全てじゃない。
正直な話、これ以上の階級になりたいとも思わない。
あれだけ苦労して、落としの錦二とまで言われた二郎が、未だに警部補止まりなのである。
宮藤は別に捜査一課の警官としては、不世出の人材でもない。
ゲス野郎に思わず手を上げてしまう程度の警官だ。
心の中には虎がいる。
今回の事件の犯人のように。
だからこそ。
いつも謙虚であらなければならない。
己の器を見誤らないようにしなければならない。
間違っても自分を偉いとか、賢いとか、優れているとか。そんな風に考えてしまってはいけない。
自尊心を持つことは大事だが。
それを通り越して傲慢になれば、待っているのは目を覚ます虎だ。
佐川はうつらうつらとしていたので、石川が寝室に連れて行く。もう、この事件は終わりとみていいだろう。
事件が解決したなら、地元の捜査一課から上に報告が行き。
やがて指示を出して宮藤班に難事件を回しているだろう警視総監の所に届く。
そうなれば、次が来る。
多少退屈な日が数日あるかも知れないが。
警察のDBには、厄介な未解決事件が山のように眠っているし。
何よりも、事件は毎日起きる。
どれだけ警察用ロボットが強力でも。
どれだけ犯罪防止用のAIネットワークと監視カメラ網が全国に拡がっていたとしても。
それをくぐって犯罪に手を染める人間はどうしても出てくる。
だから、宮藤は。
この立場にいて。
昼行灯のフリをしながら、虎を抑え。
待ち続けなければならないのだ。
石川が戻ってくる。
すっかりお休みの佐川にちゃんと布団を掛けて、それで戻って来たらしい。
後は自由時間だ。
少しだけほっとする。
高梨をそれだけ、休ませることが出来るからである。
今回も、高梨の負担は大きそうだった。
とても宮藤としては心配である。
メールが来た。
内容を確認するが、神宮司からだった。
二件の迷宮入り事件を解決したという。ライバルとして、負けないと書かれていた。
そうか、前回の話がいたく気に入ったらしい。
神宮司という不世出の天才児が。凡人である宮藤の言葉を真面目に聞く気になったのは何故だかは分からない。
だが、聞いてくれただけでも良かった。
だから、メールを返しておく。
此方も、負けないと。
4、まだ倒れるわけにはいかぬ
定期検診から戻った警視総監は、苦虫を噛み潰していた。
既に老境に入っている。
どれだけ頑健であっても。
この年になってくると、どうしようもない事は幾つも出てきてしまう。
昔はガンを持っているのが当たり前、なんて時代もあった。
今は、ガンに対しては対抗策が幾つもある。
発見が早ければどうにでもなる。
そういうものになっている。
有り難い話だ。
まずメールチェック。
宮藤班は、相変わらずの事件解決だ。田舎の県警本部からは、絶賛の声が上がっていた。訳が分からないプロファイルチームだという陰口もあったが。来てくれた宮藤警視は本物の警官で、感心させられたと。
苦笑する。
本物の警官か。
確かにその通りだ。
あれほど、愚直に警官たれと自分に任じている者はいないだろう。
昔起こしてしまった事件が原因であるのも事実だろう。
だがそれ以上に、元から適性が高かったのだ。
それが宮藤という男。
故に宮藤班のボスに相応しい。
事件の概要も確認する。
実に鮮やかな展開だ。警察用ロボットの有用性も、また更に明らかになった。更に増産を掛ける必要があるだろう。
公安時代、色々なコネを作った。
国の予算を作っている連中の、弱みも幾らか握っている。
勿論圧力を掛けるつもりはない。
ただ、警察用ロボットの有用性について、資料を作るだけだ。
そして、予算を増やして貰う。
この警察用ロボットは、他の国でも垂涎だと聞いている。勿論犯罪者に奪われて改造されないように、非常に強力なセキュリティも仕込んである。
最悪の場合自壊する。
いずれにしても、この警察用ロボットは、まだ普及が充分ではない。
僻地の交番にも行き渡るようになるのがりそうだが。
まだ現状では、僻地では県警本部や、重要な拠点にしか配備されていない。
リンクシステムを生かすためには最低四機は必要という現状もあって、なかなか配備が進まないのだ。
更にバージョンアップも進んでいる事情もあり。
首都圏などで少し古くなった警察用ロボットを、僻地に回しているという状況もある。これに対して、地方の警察が反発しない筈も無い。
警官は激務だ。
古参の人間ほどそれを知っている。
僻地では、まだ人間の力に頼らなければ回らない仕事がたくさんある。
それでは駄目だ。
勿論ロボットに頼りきりというのも良くないかも知れない。
だが、二昔前の警官の負担を減らすシステムが出回り始める前の警官は。それこそ精神を病むような苦悩の中にいたし。
警察用ロボットが五年前に大々的に導入が始まってからは。
警官の負担は更に減ったと、喜びの声も上がっている。
同時に検挙率は上がり、犯罪発生率も激減した。
だから、これでいいのだ。
色々な所に連絡をしている内に。
今度は神宮司から連絡が来た。
回しておいた事件を解決したという。かなりの速度だ。手落ちがないか、しっかり確認しろとも通達。
更には、神宮司に何人か就けている監視役にも連絡。
別に神宮司が裏切るとは思っていない。
一足飛びに作業をしてしまう神宮司のような才覚の持ち主は、たまに足下が留守になったりする。
それを補うための人員だ。
さて、仕事は終わりだ。
休むとする。
疲れが酷いし、健康診断の結果もあまり良いとは言えない。
疲れを引きずったままベッドに戻り。
そのまま眠ってしまう。
時々思うのだ。
このまま目覚めないのではないかと。
年老いてから、この根源的なというか。
得体が知れない恐怖が、どんどん強くなってきている。
死ぬ事は別に怖れていない。
怖れているのは、自分の死後に発生する混乱だ。
まだ死ぬわけには行かない。
神宮司を立派な跡継ぎに育てて。
宮藤班をスペシャリストチームに仕上げて。
警察の改革を完全に終えるまで。
警視総監は、倒れるわけにはいかないのだ。
神宮司が大あくびをしながら目を覚まし。フラフラと洗面所に向かっている時に、メールが来る。
歯磨きをしながら、メールの内容を確認。
解決した事件に不備は無し。
すぐに裁判に回す。
次の仕事を回した。
また、頑張るように。
そう、警視総監からの通達だった。
次のも迷宮入り事件の解決だ。まあ別に難しいものでもない。無能なキャリアが迷宮入りさせた事件の尻ぬぐいをするのは、何も宮藤班の専売特許では無い。神宮司の得意分野でもある。
顔も洗って、朝食を採る。
朝食に関しては、そろそろ専門のシェフを雇おうとさえ思っている。
給金に不足はないし。
何より家庭用ロボットに作らせる栄養が完璧な食事は、なんというか味気ないのである。
どこかの料理やにいるプロを、朝昼晩気が向いたときに料理を作るために使う。
何ともいいではないか。
こういう俗っぽい趣味を、警視総監にはたまに怒られたりする。
まあ警視総監は質実剛健の権化のような人だから、まあ仕方が無いのかも知れないが。それにしても彼処まで鉄のような生活をしなくてもよいではないかと神宮司は思ってしまう。
敢えて死語を使うように。
神宮司はどちらかと言えば、いい加減な性格だと自認している。
勿論それは分かっているから、仕事をするときには気を付けている。
だが、欲望にはある程度忠実なのだ。
警視総監に比べると、だが。
良い飯だって食べたいし、面白いゲームだってやりたい。他にも色々欲求は満たしたい。
勿論仕事が優先事項としては上位になるけれども。
それはそれ、これはこれだ。
食事を終えると、警視総監に連絡を入れる。
やはり起きていた警視総監は、ちょっとだけ声に疲れが見えた。
年なんだから、無理をしなければ良いのに。
神宮司はそう思ったが。
あっさりそれを見抜かれる。
「まだまだ後継が育ちきっていないからな。 無理をしなくてもいいという訳にはいかないのだ」
「ああ、読まれますね色々てへぺろ」
「お前に質実剛健である事は求めないが、公私の区別はしっかりつけろ。 そうしないと、いずれ昔いたキャリアの豚共のように、あっさりハニートラップに引っ掛かって機密情報をとられるような失態を犯すぞ」
「分かってますって」
昔はよくあったらしい。
それは神宮司も知っている。
特にソ連はハニートラップによる情報の抜き取りを得意としていて。様々な手段で、西側の高官をたらしこんでいたという。
世界の情勢が安定している今は、其所まで神経質にならなくても良いような気がするが。
確かに、警視総監の言う通りではある。
「まあ厳しい事ばかりいっても仕方が無い。 「給金は近々上げてやる」から、それですきに贅沢でもしろ。 自分一人で楽しむ分にはとめん。 高級料理でも、宝石でも、幻のゲームでも、なんでもするといい」
「あいあいさー」
「……ではな。 仕事の処理を頼むぞ」
さて、仕事に掛かるか。
今回の内容は、殺人事件だ。既に発生から三年経っている。
現場の状況を確認するが、明らかに初動が遅れている。殺人事件だと分かりきっているのに、である。
これは無能キャリアのせいだな。
苦笑いしながら、ざっと見て行き。
部下達に資料を分散して回す。
自身は一番大事な部分の資料を確認した後、当時事件を担当した捜査一課の刑事に連絡を取る。
まだ捜査を独自に続けていたようだった。
宮藤班ほどでは無いが。
プロファイルチームを束ねる神宮司と言えば、捜査一課からすると恐怖の対象になりつつあるという。
無理難題を押しつけてくるとか。
要求が厳しすぎるとか。
最近は警視総監に怒られたので、ある程度自粛しているのだが。
まだちょっと自分が考えるよりゆるめに要求はした方が良いのかも知れない。
話を聞いてみると、相手の警官はまだ比較的若い。
階級もそれほど高くない。
だが、熱意はあるようだった。
いいね。
思わず内心で神宮司は呟いていた。
「それでは、この事件解決に全力で協力してくれるんですね。 名高い神宮司班が」
「そういうことですので、よろしくお願いします。 これから部下が何人かそっちに行くので、資料を準備しておいてくださいね」
「分かりました!」
相手の返事も小気味良い。
まあ、神宮司自身は、電子の要塞になっている自宅から出ないのだが。
少し前までは、外に良く出ていた。
勉強しろと、警視総監が警視監だった頃から、良く言われていたのだ。
だがもう言われない。
充分、現場の空気は理解したという事なのだろう。
そう考えてくれるのは、有り難い話だ。
さてこの事件。
どう見ても身内の犯行だなと、状況を見て判断。
問題はその身内が、どうやって証拠を隠したか。ルミノール反応なども出ていない。そうなると。
すぐに思い当たる事がある。
宮藤班が抱えるスペシャリストである、高梨と同じ超高度プロファイルは出来ない。
だが、神宮司には圧倒的なIQがある。
スペックが根本的に常人と違うのだ。
だから、それを武器にして事件に立ち向かう。
舌なめずり。
警視総監は、もう少しで神宮司を警視正にしてくれる。警視監まで二年で上がれという事も言われている。
それくらいなら楽勝だ。
警視監になったら、頃合いを見て後を継がせてくれるという。
そうなれば、歴代史上最年少で、史上最高IQの警視総監が誕生するとも。
ただ、一つ言われている。
その後、宮藤班はそのまま残すように、とも。
分かっているさ。
呟きながら、神宮司は。
迷宮の奥に閉じこもった事件の解体を続けた。
(続)
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