怪盗対警察
序、迷宮の奥
宮藤班に仕事が来た。五年前に発生し、その直後に捜査本部が解体された。いわゆる迷宮入り事件である。
今回は殺人事件では無い。
強盗である。
現金輸送車が襲撃され、十二億円という大金が奪われた。犯人は完全にプロと警察は判断。すぐに空港や港が封鎖されたが。
しかしながら、犯人の足取りはぱったりと途絶えてしまった。
歴史上最悪の現金輸送車襲撃事件であり。
いわゆる三億円事件の際に、警察を全員動員しても犯人を逮捕できなかった警察は、またしても窮地に陥ったが。
その十二億は。
あっさりと、ある警察署の前に積まれていたのである。
呆然とする警察。
完全に犯人に馬鹿にされたことは確定だった。
捜査本部は帰ってきた現金を徹底的に調べたものの、犯人の痕跡は文字通りの0。何一つ見つからなかった。
結局この事件で、警察用ロボットの導入が決定された。
今までも現金輸送車の護衛に関しては問題が多いと言う指摘があり。同じように犯人護送の際に逃げられる事もあった。人力では無理がある。それを思い知らされた警察は、既に実用化の段階に入っていた警察用ロボットを導入。
マンパワーの不足を補い。
そして、犯罪者に怖れられる「丸頭」が警察用ロボットとして、各地にどんどん配備されていった。
効果は劇的で。
配備から二ヶ月もしないうちに、丸頭の圧倒的な制圧能力は話題になり。犯罪発生率は激減することになった。
それがこの事件の概要である。
宮藤も当然知っている。
警察用ロボットの配備の日には、まだ捜査一課にいたからである。
誰もが頼りないと口にしたが。その感想は、実際に警察用ロボットの性能を見せられて、すぐになくなった。
それはそうだろう。
警察官最強と言われた武道の達人が手も足も出ない。
実銃を使った模擬戦で、十人の自衛官をまたたくまに黙らせる。
高所にも平然と移動し。
全周を常時警戒。リンクシステムも完備。
戦車などに搭載されているリンクシステムがこの警察用ロボットには搭載されており、戦闘力はテクニカル以上と言われているが。宮藤が聞いた話によると、軽そうな見た目と裏腹に装甲は強化セラミックなどを含めた複合型で。対物ライフル弾程度なら弾き返すし、極秘に実験をしたところ、400キロある蝦夷ヒグマを一ひねりにしたという噂もある。
ともかく、そんな警察用ロボットが配備される契機となった事件だ。
忘れるわけもない。
頭を掻きながら、まずは石川と佐川に事件について説明。
ああと、石川は言った。
「覚えてます覚えてます。 現在の怪盗とか言う」
「怪盗なんて存在しないの」
「分かってますけれど、SNSでは当時そう呼ばれてましたね」
「はあ。 実際問題、犯人が三人組だったと言う事しか分かっていないんだよねこの事件ってさ。 犯人の性別さえ分からないの。 ボイスチェンジャーしてたし、完全に特殊部隊みたいな格好で、顔もフルフェイスで隠していたし」
実際、何処かの国の特殊部隊の仕業では、と言う噂もあったが。
すぐにその噂は消えた。
国にとっては、十億程度の金はどうということもない。
個人にとっては、それこそ一生遊んで暮らせる金だが。
国にしてみれば、わざわざ特殊部隊を派遣して奪わせるような金額では無い、という事である。
かといって、反社やヤクザにしては手口が鮮やかすぎる。
その上金を警察に返すというのも訳が分からない。
いずれにしても、迷宮入りしたこの事件。
資料は、まずは集めるところからやらなければならなかった。
まずは科捜研に連絡して、資料を回して貰う。
事件は未解決なので、まだ捜査している刑事はいるにはいるのだが。その刑事に連絡を入れたところ、投げやりに勝手にやってくれと言われてしまったのだ。
そこで科捜研に連絡し。
資料を取り寄せる事になった。
まず事件が起きた場所、時間などを、徹底的に資料から確認。
石川に現場の状況を確認して貰う。
勿論再現資料はあるのだが。
石川が見ると、駄目だなと早速駄目出しが入った。
「これ、五年前の技術とは言え、再現映像としてはダメダメですねー」
「そっか。 石川ちゃん、作り直してくれる?」
「あいあいさー」
「うん」
まあ別にいい。
石川がスペシャリストであるのは事実だ。しかもこの分野に関しては、日本に代替出来る人材がいないだろう。
佐川には、早速現場についてのデータを見てもらう。
証言なども勿論あるだけ集めてあるのだが。
信憑性が薄いものも多いのだ。
「犯人は三人組。 まず大型のトラックでいきなり道を封鎖して現金輸送車を力づくで止めたと」
「そのやり方が鮮やかでねえ。 現金輸送車が反応間に合わなかったのよ」
宮藤が捕捉する。
まあそれもそうだ。
宮藤もこの事件については相応に知っているのだから。
「其所で止まった所に、後ろを塞ぐように大型の4WD車が止まり、示し合わせて二人出てきた。 二人ともかなり大きな銃を持っていたと」
「そういうことだね」
「具体的な銃の名前は」
「FN−P90」
普通、国内で入手できる銃では無い。
アサルトライフルが出回ることすら殆ど無いのである。
これは名銃として名高い代物で、対応出来ないと即座に現金輸送車の人間は判断したという。
勿論モデルガンの可能性もあった。
だが、相手の装備の本格さは確かで。
抵抗するのはリスクが大きすぎると、現金輸送車の人間は判断をしたそうである。
更に丸鋸を使って現金輸送車をこじ開けた犯人は、現金を手際よく強奪。
三台の車に分乗、逃走したと言う事だった。
昔々、三億円事件の時以来。
それも桁外れの金額を奪われたと言う事から、当時はニュースになった。
「宮藤警部は、当時色々と面倒だったんですか−?」
「そりゃあね。 国内の色々な団体を内偵することになったけれど。 当時は人権屋潰しが世界的に始まり始めていてね。 昔ほど危険じゃあなかったね」
それは、そうだろう。
確か数年がかりで、世界的に動いて対応したと聞いている。
更に言うと、人権屋の中には、発展途上国から吸い上げた資本をバックに動いている連中もいた。
あまり口には出来ないが。
暗殺を専門とする部隊が消した相手もいるという事だ。
もっとも、相手は人間の最低限の尊厳を売り物にするような集団。殺人をしても何とも思わない連中だ。
国を渡って法律を好き勝手に利用し。
簡単に尻尾だって掴めない。
これが、適切な処理だったのかも知れない。
いずれにしても、大物が数人捕まると、後はドミノ倒しでバタバタと人権屋が潰されていった。
そんな時期だった。
だから、そういう人権屋に支えられたカルトやアンタッチャブルが。
一気に衰退していた時期でもあった。
故に内偵はしやすかった。
宮藤は幾つかの集団や組織を内偵したが。
いずれにも昔日の勢いは無く。
警察と感じると、こそこそと逃げ隠れる。
そんな時代だった。
時々噛みついてくる輩もいたにはいたが。公務執行妨害と判断すれば、即座に逮捕もできた。宮藤は当時は捜査一課きっての武闘派としても知られていたからだ。
そういう連中は余罪がボロボロあるので。
後は此方も進歩が進んでいた裁判所に任せ、刑務所に放り込んで終わりだった。
「いずれにしても、そんな中で起きたこの事件は、逆に注目を浴びたと」
「実は公安が動いていたって話もある」
「あはー」
「いや、笑い事じゃないんだよ、石川ちゃん」
まあ石川も嘲笑っている雰囲気は無かったが。
警察では対応不可能であり、国外などのスパイなど危険勢力を相手にする公安が出てくる程の事件だった、という事である。
とはいっても、金が返されたこと。
結局犯人がそれ以上の動きをしなかった事もあり。
やがて捜査本部は解散となった。
この手の行動をする犯人には、劇場型等というタイプもいて。
それこそ漫画なんかに出てくる格好いい怪盗のように振る舞ったり、或いは予告状を警察に送り届けたりする。
だがそれらの行動は一切無く。
ただ現金だけを返した。
その現金も、取られた現物だと言う事が既に確認されているのである。
だから、人々も騒いだが。
すぐに騒ぎも収まっていった。
いずれにしても、警察を徹底的にコケにするだけコケにして、一切足を掴ませなかったという点では。
歴史上もっとも鮮やかな、実在した怪盗だったのかも知れない。
そいつのために多くの警官が振り回され、彼方此方を足を棒に歩き回ったという事実を考えると。
宮藤としては嬉しくも無いし、称賛もしたくもないが。
「とりあえず証言から犯人について組み立ててみましたにゃー」
「おっと、どんな感じだい?」
「こんなんです」
佐川が会話に加わってきたので、早速見せてもらう。
現金輸送車についていた傷などから、犯人の身長を推定。丸鋸を使っていた犯人は身長190pから192p。随分と具体的な数値だが。
この傷跡、更に現金輸送車を短時間で切り裂ける丸鋸となると、品が限られているという。
恐らくはこれだと、型番を出してくる。
ちなみにこれについては、宮藤も見た事がある。
資料には載せられていないが、捜査本部での有識者の発言で、丸鋸としては恐らくコレだろうという証言が出ていた。
金属だけではなくレーザーも発して一気に複合装甲を切り裂く丸鋸で。
その圧倒的な切れ味は、1900年代中盤くらいの装甲車くらいになら通用する、と言う話だった。
ただこれの反動。
更についていた傷などから、使った犯人の身長が分かるというのは流石である。
早速石川がそのデータを元に、資料を組み直している。
そして、である。
これは実の所、宮藤が聞かされていた証言。
現金輸送車の運転手が言っていた、犯人の一人は雲を突くような大男だったという話と一致しているのだ。
流石である。
資料にないことを、ズバズバと当てていくのは。IQ250の貫禄という奴だろう。
更に、その犯人から頭一つ小さかったという残り二人の身長を、165p前後と断定。現在の男性の平均身長より少し小さめだが、あり得ない数値では無い。
なお犯人は慎重にボイスレコーダーを使っていたが。
動きは極めて組織的で。
殆ど何一つ迷う事無く行動していただろう。
路を塞いだのだ。
本来なら後続の車がパニックを起こす。
実際問題、その時も後続の車に乗っていた運転手がいて。長時間拘束されて、根掘り葉掘り聞かれたと聞いている。
運転手には気の毒な話だが。
その時の証言と一致している。一人は長身、残りは頭一つ小さい同じくらいの身長で、軍隊みたいな格好だったと。
いずれにしても犯人の使っていた車は、目的を果たすと颯爽とその場から逃走。
トラックと大型車が別れて移動し。
しかも途中で惜しむこともなく乗り捨てていったそうである。
なお、レンタカーでは無く。
ちゃんと店で購入された新車だった。
店での購入履歴も当然辿ったが、当たり前のように偽造されていて。犯人の後は追えず。
モンタージュも店を購入した代理店で作られたのだが。
残念ながら、どうやら変装用のマスクを被っていたらしく。
それらしい人間は見つからなかった。
「それで佐川ちゃんはどう思う?」
「五年も前の事件と言う事もあり、更にお金が全部返ってきたと言う事もある。 多分コレ何かの意図があってやったことで、お金目当ての犯行じゃないですねえ」
「やはりその結論になるよねえ」
「てかその結論以外にはならないニャー」
佐川もこれ以上は資料不足で分からないと言う。
他にも色々なデータを見ながら、石川が現場の状況を復元するまで三時間ほど。
完成品を見せてもらう。
なるほど、これは五年前にプロジェクタに映し出されたものよりも、遙かに高精度である。
道に残ったタイヤ跡なども科捜研はきちんと調べているのだが。
それを元に、どう前のトラックが動いたのか。
後続の大型車が動いたのか。
完璧に再現している。
思わずこれが当時あったらなあと呟いてしまうほど、精度が高い情報だ。
この動きを見て、佐川が更に言う。
「これ、トラックを運転していたのは、免許取ってかなり経ってる人間。 軍用車の免許持ちかも知れない」
「軍用車……」
「ようするに自衛隊員かも」
佐川によると、道をふさぎつつ、周囲にダメージを与えないように完璧に動いているという。
現金輸送車が止まれる距離まで計算している節がある、と言う事だった。
更に後続の大型車も、ぴたりと現金輸送車につけて、身動きできないようにしている。
しかも金を奪った後、完璧な連携でそれぞれの車に乗り。
見事なUターンを見せてその場から離れているのだ。
その後現金輸送車から連絡が行ったが、その連絡するまでの時間二分ほどで、二両は離れられるだけ離れ。
更に脇道に逸れて、其所で乗り捨てられている。
警察がこの二両を捕捉したのは現金輸送車が事件に巻き込まれてか三十八分後にトラック、五十五分後に大型車だったが。
その時にはもう犯人は、影も形もなかった。
当然周辺の家屋に協力者がいる可能性も考慮して検問も張られたが。
警察犬ですら後を追えなかった。
それに対して、佐川は言う。
「警察犬の弱点を熟知しているにゃー」
「詳しく」
「犬は臭いが新しいか古いかを判別できないニャー。 要するに、それを上手に利用して、そもそも最初から逃げ込む路地裏を決めていたんですニャー」
しかもだ。
その路地裏は、元々人通りが少なく、あまり治安も良くない。
更に言えば、監視カメラもつけられていない。
実の所、警察でもその路地裏で聞き込みを行ったのだけれども。
これといった成果は上げられなかった。
いずれにしてもこれは、プロの犯行だ。
そう佐川は断言した。
警察の手口を知り尽くしている。
公安が出てくる事すら想定している。
リスクが高すぎる仕事。
それなのに警察を煙に巻き。
結局の所、公安からも逃げ切っている。
何処かの国の諜報部か、それとも何かしらの特殊訓練を受けた人間か。自衛隊崩れかも知れない。
だが、そういった人間が行う犯行にしては意味がなさすぎるし。
何よりも手口が意味が分からなすぎる。
犯罪としてはなんというか、自己満足で完結してしまっているし。
困ったのは捜査本部まで立ち上げて、彼方此方探し廻ることになった警察と。後もし動いていたのなら公安だけである。
「背後に何か政治的な意図は。 野党に当時変なのいましたっけ?」
「いや、それについては警察では調べていないね」
「じゃあ、こっちで洗ってみます。 もしこんなの起こせるとしたら、相当な大物だろうけどニャー」
「はあ、そうかい」
宮藤は呆れたのでは無い。
当時この二人がいてくれれば、解決したかも知れないなあと言う思いである。
下手なプロファイラーなど足下にも及ばない佐川。
本職を遙かに超える技量で、現場の再現図を作ってみせる石川。
どっちにしても、当時の警察にはいない人材だった。
犯人には、正直な所くだらない事をした連中、という印象しかないが。
その手際の鮮やかさは、宮藤も認めるところである。
いずれにしても、これの解決が宮藤班に来たという事は。
警視総監の。
あの閻魔大王の差し金とみていいだろう。
何か情報でも持っているのか。
それとも、五年越しの難事件解決で、宮藤班に更に箔を付けさせるつもりなのか。そういえば後数件事件を解決したら、警視に昇格させるという話もあったっけ。
警視か。
冗談じゃあないとしかつぶやけない。
なお、あの神宮司は一足先に警視になっているそうだ。
宮藤班が動いているのと同時に人員を増やして確実に実績を上げていたらしい。
警視総監も、己の懐刀には相応の地位がほしいのだろう。
今後出世を更に重ねていくのは確実とみて良かった。
さて、欠食児童どもにもう少し頑張って貰って。
それから高梨の意見を聞いてみるしか無いだろう。
いずれにしても、はっきりしている事は。
この事件を解決できれば、警察は五年越しの無念を晴らせる、と言う事だった。
1、彼方此方へ彷徨う十二億
二郎に呼ばれたので、宮藤は近くの喫茶に出向く。
現在、欠食児童二人は凄まじい勢いで打鍵を続けており。作業を全力で行っている状態だ。
宮藤にはやる事は無いし。
出来る事があるとしたら、二人を邪魔しない。
それ以外には無い。
それに、二郎とは話してもおきたい。
当時は捜査一課にいて。
この事件に、一緒に立ち向かったのだから。
二郎がブラックコーヒー、宮藤がシナモンティーを頼むと。
二郎から口を開いた。
「相変わらずカフェインが強いのは駄目なのか」
「タバコを医者に禁止されたときに、色々駄目なものも一緒に指定されたんですよ。 カフェインもそうです。 まあこれくらいなら平気でしょう」
「厄介だな、そっちも」
「二郎さんも気をつけてください。 ロボットやAIの進歩は凄いですけれど、まだ少し名人芸で犯人を完落ちさせる事が出来る奴は完成していないんですから」
ああ、と頷きながら、ブラックを啜る二郎。
あまりいいコーヒーでは無いらしい。
一方、宮藤は殆どシナモンティーに不満を感じなかった。
紅茶は良いのを淹れていて、コーヒーは違うのかも知れない。
まあ、よく分からない。
ミルクと砂糖を入れ始める二郎。
やはり味が良くなかったのだなと悟るが、其所からは黙っておく。別に口にしても仕方が無いからである。
「それで、例の事件をまた捜査してるんだって?」
「そうなんですよ」
「また面倒な事だな。 犯人三人も、何処で何をしているのやら」
「車を二台、それも大型車とトラックを買い捨てられるような人間ですし、それなりの資産家ではあるんでしょうが」
軽く話すが。
やはり捜査一課にも、噂レベルでも新しい情報は入っていない、と言う事だった。
それよりも、である。
問題は、捜査一課の方で噂になっている神宮司班の事だった。
「あのガキ、毎回無茶苦茶言ってきやがる。 特定の時間内でこれの情報を集めてくるようにって、何回か言ってきていてな。 あれが俺たちのずっと上に行くと思うと、色々反吐が出るわ」
「本人がとんでもなくきれますからね……」
「ああ、それは認めるがな。 だからといって、極限までこき使われたらたまったもんじゃねえ」
期待しているぞ、と言われる。
要するに神宮司に競り勝て、と言う訳か。
困る。
宮藤班はあくまで遊撃の掃除屋だ。
難事件専門の解決屋ではあるが。高梨への負担も毎回大きいし、欠食児童達は宮藤以外の下では力を発揮できないだろう。
これは宮藤が有能だという話では無く。
あの二人が気むずかしく。
たまたま宮藤を気に入ってくれている、と言う事だ。
どっちも生半可なスペシャリストを遙かに凌ぐ逸材である。
もし警察が失ったら、その損失は計り知れないだろう。
まあ神宮司についてもそれは同じだ。
「神宮司さんは警視総監殿の懐刀だと聞きますがね。 部下の心の掴み方は教えてくれなかったんですかねえ」
「何しろガキだ。 立場が弱い人間の苦しみなんぞ分からないんだろうよ」
「はあ……」
「さて、本題に入るか」
周囲を見回して、誰も聞いていない事を再確認。
後はスマホにテキストで書いて、それぞれ見せ合って会話する事にする。
今までのは、別に聞かれても困るような話では無かったが。
此処からは違う。
「十二億円事件だがな、公安が動いていたのはほぼ確実だ。 俺が知っているのが何人かうろちょろしてやがった」
「なるほど」
「ただ、奴らはどうも動きが妙だったな。 何班かに別れて動いていたが、一班は明らかに捜査一課を内偵してやがった。 まあ当時は一課の課長にもろくでもない無能キャリアがいたからな。 連中は警察の仕事を自分の権力を増やすための足がかりくらいにしか考えていやがらなかったし、公安がマークするのも当然だっただろう」
「……」
その無能キャリアに引導を渡した宮藤としては色々複雑なところだ。
まあ当時は何もできなかったことに関しては、二郎と同じだが。
「もう幾つかあっただろう班の内、一つは山日組を内偵していたようだったな。 当時山日組に海外の資本が流れてるって噂があったからだろう」
「五年前の時点で、衰退著しかった山日に?」
「ああ。 海外のマフィアが乗っ取りを掛けているのだろうという噂もあったが、俺はそうだとは思っていねえ。 当時は大陸のも西側のもマフィアは死に体だったからな。 この国のマフィアにちょっかい出す余裕は無かっただろうよ」
「だとすると……」
現在、貧富の格差は急激に縮小している。
巨大な軍産複合体などは、様々なスキャンダルが発覚してどんどん解体されて行っているからだ。
昔は権勢を誇ったマスコミもしかり。
更に、どこの国も、今は世界連合の形成に向けて動いている。宇宙進出のためである。
歴史上一番良い時代は、バブルの頃だという噂があった。
だが、現在では今こそ一番良い時代だろうと噂されている。
各地でも殆ど紛争は起きていない。
大国が好き勝手をすることも出来なくなって来ている。
そんな中、誰が山日組のような斜陽に金を注ごうとした。
「お前の勘も囁くだろうが、俺もそうだ。 山日に何かあった、と俺は見ている」
「……今獄中にいる幹部達に話を聞いてみますか」
「俺も同行しようか?」
「いえ、自分だけで大丈夫です。 其方は捜査一課の若造達を見てやってください」
そのまま席を立って会計を済ませる。
別れると、菓子類を買って交通課に戻り。
欠食児童共が。一段落して、ああでもないこうでもないと話をしている所に丁度戻る。菓子をくれてやると、餓鬼のように群がる欠食児童二人。
ばっりばりむっしゃむしゃと食べ始める。
オツムが出来る分、とことん子供な所は子供だ。
特に石川の方はもう成人しているのに。
見ていて悲しくなってくるが、それでも有能なのである。二人とも他にいないレベルのスペシャリストだ。
欠点くらいは目をつぶらなければならない。
「菓子を食べ終えたら、話を聞かせてくれるかい。 一段落したんだろう?」
「……」
しばしして。
佐川が手を上げる。
「警部、どうせ外で二郎さんと会ってきたんでしょう? 何を聞かされたんですにゃー」
「あー、お見通しか」
「まあそれはねえー」
「ねー」
やれやれ。
困ったものだと思いながら、軽く話をする。
多分捜査一課の中でも、これはまずいと言う事で、二郎の証言は封殺され。記録には残されていなかったはずだ。
公安案件は危険なのである。
公安は警察よりも権限が上だし、相手にする存在もより危険度が大きい。
宮藤も公安案件だと悟ったら、すぐに引くことが習慣になっていたほどである。公安が介入を明言してきたときには、色々と資料の引き渡しなどで面倒くさいし。何よりも公安はやり口が極めて荒っぽい。
捜査一課以上の精鋭が所属しているのは事実だが。
その分、海外からどうやってかアサルトライフルとか持ち込んできているような組織とか。
或いは実際には歴史に記録されないような、スパイ同士の苛烈な殺し合いとか。
そういうのに関わっているのが公安だ。
「今回もちょっとね。 それで明日おいちゃん、刑務所で聞き込みしてくるからね」
「ひょっとして山日組?」
「しっ。 声大きい」
「あー、はい」
佐川は頭が切れるが、どうにも肝心なところが色々お留守だ。
宮藤班は警視総監の肝いりであり。更に公安でも要職を務めたのが今の警視総監だ。多分だけれども、公安とも言えあまり無茶はしないが。
だが最低限、宮藤班に対しても監視はしているとみていい。
公安が横やりを入れてくるときは、連絡をしてくるとみていいが。
荒っぽい手に出るかも知れない。
それくらいは警戒しておかなければならないのだ。
宮藤自身は、どれだけぼこぼこにされようときにしない。
だが、この欠食児童達と高梨は。
例え蜂の巣にされようとも、守り抜かなければならないのである。
「というわけで今日の内に、何かあるなら言っておいてくれる?」
「お菓子は充分だから、今の時点では何も無いかなー」
「右に同じく」
「そっか。 じゃあ、今の時点での資料をまとめたら、高梨ちゃんに送っちゃってね」
高梨には先に連絡はしてある。
少し前の事件から間が空いているからか、多少は回復したようで結構な話である。
ただ、高梨には基礎体力という概念がそもそも存在していない。
それを考えると、出来るだけ此方で負担を減らしてやらなければならない。
ましてや今回は五年も前の事件だ。
すぐに新しい情報が更新されると言う事もないだろう。
この二人なら。
それなりに情報をまとめてから、高梨に送るはずだ。それについては信頼感はある。ただ、時々ダブルチェックはしたか注意は促さなければならないが。
その日は。それ以上特に何か起きる事はなかった。
問題は、翌日からだった。
手続きは済ませてあるので、刑務所には簡単に入る事が出来た。前は色々と入るのに手続きが必要で、大変だったのだが。
今は警視総監が「注目している」宮藤班のボスで、更に謎の事件を「数百件」も解決しているという噂があるからだろう。
実際には六十数件なのだが。
ともかく、刑務所ではむしろ歓迎するように入れてくれた。
今は対面して面会、などと言うことはしない。
基本的に終身刑の犯罪者は、トイレと最低限の生活空間しかない場所から出ることが出来ない。
何の娯楽もない。
一時期、刑務所に入れば後は楽に飯を食って暮らせるなんて噂が流れた事があったのだが。
勿論それは大嘘だ。
刑務所の実体が明らかになると。
その時点で、誰も刑務所で後は余生を楽に過ごそうとか、ほざくことはなくなったのだった。
さて、やるか。話をする相手は決まっている。
前の事件で、新しい「ビジネス」を作ろうとしていた山日の若頭である。
宮藤の顔は向こうにも見えているはずだ。
もう弱り始めているのか、此方を見る目には力がなかった。
咳払いすると、露骨に怯えたフリをしてみせる。
仮に本当に怯えていたとしても、容赦はしないが。
「五年前に、お前達に海外資本が流れ込んでいたという話が上がって来ている」
「……」
「どうせ何をやっても終身刑だ。 私との会話ですらお前には娯楽になるだろう。 何かあったのなら話せ」
「司法取引は?」
鼻で笑ってみせる。
そんな制度は現在成立しない。
米国の暗黒時代には行われる事もあったらしいが。その米国ですら、今はマフィアは徹底的に狩られて、もはや老人ばかりだと聞いている。
「そんなものは犯罪組織の本場の米国にももはや無い。 その部屋でまた沈黙をずっと味わいたいか? 少しでも沈黙の時間を減らしたいなら、私に話せ」
「……」
「そうか、じゃあ別の奴に聞くだけだ。 永遠にさようなら」
「ま、待てっ!」
本当に顔を歪めた若頭が飛びついてくる。
そんな経歴でも、実際には中年だが。ともかく、必死の形相だった。
何を勝手な。
自分の都合で何人も殺しておいて。その中には、何の関係もない大学生だっていたというのに。
死刑制度がなくなって、終身刑に切り替わったことについてはどうでもいい。
だが此奴は、死ぬまでの間徹底的に孤独と沈黙の中で衰えるのがお似合いだ。
命乞いをするなら宮藤相手じゃない。
地獄の閻魔だろう。
閻魔だって、此奴を地獄を落とすのは何の躊躇もしないだろうが。
「ご、五年前というとあの現金輸送車の襲撃事件の頃か、だよな、なあ!」
「余程孤独が効いているようだな」
「あ、頭が狂いそうなんだ! 此処から出してくれ! 出してくれよう!」
「お前に殺された人達には、もう未来すらないんだよ。 それを考えれば、まだ生きていられるだけマシだろうがっ!」
思わず言葉を荒げるが。
側にいる監察官に軽くたしなめられる。
咳払い。
宮藤は嬉々として自分が犯した残忍な殺人について証言する外道の顔の形を聴取中に変えてしまってから、捜査一課を離れた。
その時以来、自分の中の虎を抑えるように心がけている。
パシリにされているおっさんくらいで丁度良い。
それが今の宮藤の贖罪だ。
改めて、若頭に話しかける。
「お前を其所から出してやることは出来ないが、多少話し相手になってやることだけは出来る。 今のお前にとって、それが一億円にも勝る報酬になっている事は明らかだ。 だから、せめて嘘はつかないようにしろよ。 もし嘘だと分かったら、お前に何か話しに来ることは二度と無い」
「わ、分かっている、わかっているよう」
「では聞くぞ。 五年前、何がお前達にアクセスしてきていた」
「か、海外の人権屋の生き残りだ……」
ほう。
そういうことか。
そのまま続けさせる。
山日の若頭の話はこうだ。
当時、山日は既に破滅寸前だった。手下の半グレたちも殆ど離散したり捕まったりで、組織としての体裁も殆ど保てない状態だった。
各地にコネはあったが、それもどんどん容赦なく切られていっていた。
祭の縁日くらいしかシノギはなく。
その縁日に関しても、厳しく値段などが監視され。テキ屋の稼ぎは、決して良いものではなかった。
二次団体、三次団体なんてあったのは遙か昔の事。
山日だけしかもう存在せず。
その山日さえ、風前の灯火だった。
そんなときに、話を持ちかけてきたのは。昔児童ポルノだの捕鯨だののデリケートな運動を裏から煽り。
馬鹿共を扇動して儲けていた人権屋の一人だったという。
そいつは、山日にとってよだれが出るような金を提示しながら、言ってきたという。
何人か、罪を被らせろと。
だが、もう当時の山日には、「鉄砲玉」。
つまり使い捨てに出来る組員さえいなかった。
相手はそれで失望したのか、引き揚げて行った。
日本のヤクザも駄目か。
そう疲れ果てた声で言い残していたのが、印象に残っているという。
「具体的にどんな奴だった」
「日本語がぺらぺらだったが、多分白人だったと思う。 組織の名前は俺も聞いた事があった」
その組織名を聞いて、唸る。
二年前に摘発され、ボスをはじめとして幹部全員が逮捕された組織だ。逮捕された時ボスは死刑制度がある国で捕まったので、そのまま死刑。他は各国でそれぞれ逮捕され、国によっては終身刑、或いは死刑にされたと聞いている。
すぐに連絡を入れて、顔写真を取り寄せる。
もう死んでしまっている可能性が高いが。
それでも、少しは役に立つ情報かも知れない。
十分ほど、情報が届くまで待つ。その間、話し相手をしてやる。
ひたすら情けなく懇願してみせる相手を見て。
これがこの国最大の広域暴力団の末路かと思うと、色々と慄然としてしまう。
人類全体がこうなってもおかしくないのである。
資源は着実に枯渇して行っている。
幸い今は、世界が歴史上ないほど良い時代になっているけれども。
それでも不安はとても大きい。
やがて、資料が届く。
順番に見せていくと、あっと若頭が叫ぶ。
「こ、此奴だ。 此奴です!」
「そうか。 もしも追加で情報が必要になったら聞きに来る」
「まって、待ってくれ! 後五分、いや一分でいいから、沈黙から俺をか……」
無視してその部屋を出る。
哀れみを持って、立ち会いが山日の若頭を見ていた。
その場で、佐川にデータを送って解析を頼む。
話からして、恐らくこの線は外れだ。
だが、外れの線であっても、それが外れであると分かった事は大きい。二郎にもメールを送っておく。
二郎はそうか、とだけ言った。
「外れと分かっただけでも進展だが、しかしまた無駄足を踏ませてしまったな」
「いえ、うちの子らは優秀です。 ひょっとしたら、この情報から何かを引きずり出してくれるかも知れません」
「……そうか。 だとすれば、俺たち老兵の出番はますます終わりだな」
「貴方は生涯現役でいて欲しいですよ、二郎さん」
メールでのやりとりを切る。
さて、此処からだ。
数時間掛けて、交通課に戻る。当然資料については、裏付けを取っておかなければならないだろう。
捜査一課に資料を回す。
山日の若頭の証言だ。今更嘘も無いだろう。
調べて貰うと、どうやら例の人物は逮捕された挙げ句死刑になっていた。まあそれはそうだろう。
この国の児童ポルノを叩きながら、主に発展途上国から買いたたいてきた幼児をクズ金持ちに実際に売り飛ばしていたような連中である。しかも売られた子供の末路なんて言うまでも無い。
そんな連中、存在しているだけで害悪だ。
今は地獄に落ちている事を願うしかないが。
いずれにしても、逮捕されている他の連中から、証言を引き出すしか無いか。
連絡が入る。
神宮司だった。
さては聞きつけたか。
そして、その予想は当たった。
「はろろーん。 宮藤のおじさまー」
「一体いつの時代の挨拶ですか。 何の用です」
「こっちは公安にも鼻が利くのじゃよ。 昔潰された人権屋から情報を引っ張り出そうとしてるみたいだね?」
「もう勘付いたんですか」
これはもう、リアルタイムで監視されていると判断した方が良いか。
それよりも、である。
問題は、公安がやっぱり噛んでいたと言うことだ。
まあそれもそうか。
海外の凶悪組織が相手である。
国際的な連携も必要になるだろう。
公安が絡んでいても、何ら不思議はないとみていい。
「それでどうするので?」
「情報交換」
「此方に知っている事であれば協力しますが」
「こっちも手間を減らしたいのでね。 さっき山日の若頭と話をしていた内容についてこっちにもプリーズ」
まあ、これくらいならいいか。
どうせ空振りだったのだ。
それにしても、今神宮司班が同じ十二億円事件を追っていると言う話は聞いていないのだが。
さては複数の仕事を同時にこなしているのか。
それとも、単純に工数を省略したいのか。
どっちなのかは、よく分からない。
ただ、同じ警察同士。
しかもやる事は互いに似ている。
警察の仕事は、本当に弱き者の盾になり、犯罪を減らし、犯罪者を捕まえることだ。
そういう意味では、神宮司に協力する事は、個人的な嫌悪感は兎も角合理的ではある。
全て話す。
別に隠すことでもないからである。
「なるほど、あの野郎そんなこといったのか。 ちょっとわたすとしても興味深いでやんすなあ」
「何ですがその大昔の語尾は」
「なんならフルーツ語尾にする?」
「いや、精神が侵されそうなのでやめてください」
何だよフルーツ語尾って。
ともかく、神宮司が出来る奴なのは分かっているが、情報は流した。いずれにしても、もう関わってほしくは無いが。
逆に、意外な話を神宮司がしてくる。
「それじゃお礼に。 実はその組織の聴取報告が残っていてね。 山日関係のはなかったのだけれど、逆に日本の極左団体に関わってるのがあったから、それをあげる」
「極左団体?」
「意外? 知的層が極左に流れるのはマルクス主義の時代からこの国の伝統芸なのは知らなかった?」
「いや、それくらいは知っていますが」
しかも極左の活動派は、かなり最近まで学生の中で勢力を持っていて、21世紀でも平然と存在していた。
極右の活動家がどちらかというとSNSなどに活動の場を移したのに対して、極左系は地下に潜ることも多く。
また海外からの支援がある内は、政党活動にも力を入れていた。もっとも此方は、海外からの支援が途絶えてからはあっと言う間に落ちぶれたが。
「じゃ、後は資料を見て自分で判断してね」
「……ありがとうございます」
「それじゃ。 ばははーい」
また意味不明な挨拶で通話を切る神宮司。
ため息をつくと、そのまま刑務所を出て、交通課に戻る。
いずれにしても、良い情報が入った可能性が高い。
高梨にバトンタッチして、ここからが勝負になるとは思うが。
それまでに、必要な情報は仕入れておかなければならないのだ。
今回は、それが出来た可能性がある。高梨の負担を減らせるのはとても大きい。
色々と腑に落ちない点や、いつも見ているぞと言われたも同然である事はもうこの際仕方が無い。
ともかく此処からは。
皆のために、宮藤は最善手を選んでいくしかなかった。
2、それは崖っぷちの行動
高梨の所に資料が来る。
結構な力作だ。
そして今回は、五年前の事件への対応。
イマジナリーフレンドも作るのが大変そうだなと、高梨は最初に思っていた。
まずじっくりと資料に目を通す。
佐川がしっかりまとめてくれた資料は、今回もとても分かりやすい。
少なくとも、読み詰まる場所は無かった。
何度か頷きながら、そういうものかと頭の中に情報を入れていく。
とにかく情報量が多いので、何度か休憩を入れながら勉強を続けていく。
宮藤からは、急がなくて良いとは言われている。
現時点で緊急性のある事件が宮藤班に回されていることはなく。
この事件は、けじめとして解決するべく動いているもの、らしいからである。
確かに五年前。
まだ高梨が、あの凶暴な母親に虐待の限りを尽くされ。心が完全に死んで、人格も無くなっていた頃。
警察では色々な改革が一段落して。
契機になっていたらしい。
そんな頃起きた事件だったのだとしたら。
確かに時代の節目に起きた大立ち回りだったのだろう。
しかもお金は全額耳を揃えて返ってきた。
犯人側の丸損だった、という事である。
それを考えると、犯人を急いで追い詰める必要はないし。
何よりも急いでも結果は出ないだろう。
じっくりやっていくしかないのである。
深呼吸をしてから。
イマジナリーフレンドを作り出す。
目を飛ぶって、意識を集中。
今回は難しい。
それに、イマジナリーフレンドを作り出すにしても、三人分作らなければならない。これがまた大変だ。
ゆっくり時間を掛けて、数日がかりで作業をしていく。
トラックの運転手。
長身の男。
もう一人の、恐らくリーダーらしい人物。
この三人の人格を、心の中に作り出していく。
今回は、くれぐれも無理をしないようにと、宮藤に言われている。だから、ゆっくりやっていけばいい。
更に言えば、緊急性の高い事件が割り込んでくる可能性もある。
その時のために、体力は残しておかなければならないのだ。
殺人犯が野放しになっているときなどは。
それこそ、警察だって必死だ。
今回の事件は、誰も死んでいないし。
誰も困っていない。
強いていうなら犯人が何をしたかったのか分からなかった、というくらいで。
更に言えば犯人の手際の鮮やかさが危険、というくらいのものだ。
だから、別に急がなくて良い。
自分に言い聞かせながら、作業を進めていく。
四日目。
やっと、一人目の人格が完成する。
リーダー格の人物だ。
性別も分からないと言う事で話題だったが。
自分の中に出来た人格は、女性だった。
女性は苦手だ。
母親のこともある。
高梨にとっては、閉じた世界における自分に対する加害者だったのだ。それも絶対的な。
だから、今でも高梨はあまり女性と直接接触したいとは思わない。
それに接触した所で何もできない。
男性機能は喪失しているのだから。
そもそも見かけが九割のこの世界。顔を「再建」して。それも、まだ傷が癒えきっていない高梨なんて。
それこそ異性どころか、同性すら縁がないだろう。
医者だって、かなり特別な訓練を受けた専属の人だったらしいし。
看護師が吐くのだって見ている。
要するにそれだけやばいと言う事で。やはり女に対しては苦手意識が強いし、出来れば関わり合いになりたくは無い。
だが、それでも。
やるしかないか。
「貴方が十二億強盗事件の犯人ですか?」
「十二億……? ああ、あの事件か」
「どうなんでしょう」
「そうだよ。 アタシが犯人だ」
あっさり認めた。
だが、問題になってくるのはこれからである。咳払いをした後、順番に、丁寧に。話を聞いていく。
まずは動機からだ。
どういう集団にいたのかも聞きたい。
それより先に、やっておく事がある。
宮藤に連絡。
リーダー格の人格の構築に成功。イマジナリーフレンドを作る事が出来た。
これで、少しは宮藤の方も気が楽になるだろう。
これから話をしてみるので、結果を少し待ってほしい。
そう、追加でメールも入れておいた。
さて、話を続けるとする。
相手はまだそれほど年老いてはいないようだが。
若者と言う程若くも無い様子だ。
事件当時の人格を再現したが、それでも二十代後半くらい、と言う所だろうか。
「あなたはどうして、お金を無駄にしてまで、危険な事をしたんですか?」
「我等此処にあり、というのを示したかったんでね」
「我等此処にあり?」
「あんたは学生運動というのを知っているかい?」
知っている、と答える。
今回の事件が、左派が絡んでいるかも知れないという事で。
佐川が資料をまとめてくれたのだ。
この国を革命しようと、主に高学歴の学生などが中心になって激しい闘争を繰り広げた事件だが。
いずれにしても失敗し。
鎮圧され。
一部の連中はテロリストになり、色々なテロを起こした挙げ句、東西冷戦の徒花とでも言える国に逃げ込んだ。
後で発覚したが。
身内に対する凄惨なリンチや。
非道極まりないやり口など。
中心にいた連中は、世界的に見ても、屈指の鬼畜外道の集団だったことは間違いない。
そんな学生運動を、今の時代。五年前にしても令和にとっくになっているのに、聞かされるとは思わなかった。
「そうか、知っているなら話は早い。 学生運動は鎮圧されたけれどね。 学生達の間に、左派思想の持ち主はずっと長く生き続けることになったんだよ」
「歴史の講義ですか?」
「まあ良いから聞きな」
「……」
こう言うとき。
相手は話を聞いて貰いたがっている。
経験上、高梨はそれを知っている。
だから、話すままに話させる。
犯人のリーダー格は、続けた。余程人恋しく、身内にしかこの話は出来なかったのだろうと思った。
「マルクスって爺さんが昔いた。 資本論って本を書いた人だ。 このマルクス主義ってのは、戦後のインテリを悉く虜にした。 学生運動が終わった後も、マルクス主義にかぶれているインテリはいっくらでもいた。 大人がそうだったんだ。 学生だって、その影響を当然受ける。 ただ、年々その数は減っていったし、ソ連が崩壊してからは更に減少は加速したけれどね」
「続けてください」
「良い子だ。 話の聞き方を知っているじゃないか」
けらけらと笑う犯人のリーダー格。
此方としては、半ば理解出来ない話を聞かされていて。相手の拘りや主張につきあわされていて。
とても疲れる状況なのだが。
相手はお構いなしだ。
まあ体の主導権はくれてやらない。
それに、喋っていて分かる。
この犯人のリーダー格、孤独に耐えられないタイプである。
多分、子分だか分からないが。部下二人と、ずっとこんな話をして毎日を過ごしていたのだろう。
部下達も、話を理解出来ていたのだろうか。
どうにも、そうは思えなかった。
「平成に入っても、アタシ達の同類は色々な学校にいた。 一方アタシ達みたいな過激派は、表向き活動している左派からは敬遠されていてね。 時代錯誤の産物とか、そういう言葉を浴びたこともある。 そりゃあそうだろう。 21世紀に入ってからは、もう存在しないソ連をバックにするよりは、別の大国をバックにした方が活動がしやすくなったからね」
「……」
「そういうわけで、アタシらは最後の生き残りって訳だ。 学生運動の亡霊。 思想的にはずっとアタシらと同じものを持ち続けたおっさんおばさんもいたようだけれども、若い世代は我々が最後だった。 そして拗らせて口だけになっている大人は頼りにならない事をアタシは知った。 だから、訓練を始めたのさ」
訓練、か。
その訓練についても聞かされる。
いわゆる民間軍事会社に三人揃って入って、実戦訓練を行ったという。かなり苛烈な訓練だったそうで、子分達は二人とも音を上げていたそうだ。
頭角を現した(あくまで自己申告)犯人達のリーダーはめきめき力をつけ、実戦にも参加した。
元々、拗らせた左派思想インテリの子孫だったこともある。
ある程度のまとまった金はあった。
だから、民間軍事会社で暴れたり。
実戦に行く事も。
それほど困る事はなかった。
一番大変なのはパスポートで。
なかなか発行してくれなくて、困った記憶があると言う。
先祖が色々やらかしていたから、公安に目をつけられていたのだろう。そうけらけら犯人のリーダーは笑う。
そして充分に警察や公安とやり合える力をつけ。
三人は日本に戻ったのだとか。
「もう、アタシらしか生き残りはいない。 拗らせた老人達に任せていても、意味はないからね。 だから、動く事にした」
犯人達のリーダーは、部下達に指示。
抜けるなら、最後のチャンスだと。
部下達は、二人とも男だったそうだが。一日待ってほしいと言い。一日経ってから、戻って来たそうである。
何をしていたのやらと苦笑するリーダーだが。
多分思う存分風俗か何かで発散してきたのだろうと付け加えた。
高梨には何とも言えない。
本人に話を聞いてみないと、何ともいえないからだ。
今回の作戦は大変だ。
まだ我等はある。
それを警察に対して示すための作戦だ。
そのためには、余計な事はしなくて良い。
ただ、警察に対抗できる実力がある事を示せればそれだけでいい。
それが本音だ。
自己満足の世界だが。もしも上手く行けば、更に若い世代に運動を継承できるかも知れない。
そう、犯人は呟いた。
何となく、結末が分かる。
五年経った今、学生運動というのは完全に死語になっている。
ボケ掛かった老人が、当時は暴れたとか武勇伝を口にしたりする事はあるらしいのだが。逆に言うとそれ以上でも以下でもない。
もはや霧が掛かった歴史の向こうでおきた出来事。
多くの人を不幸にした無法者達の宴が。
美化されて、その端にだけ関わった者達だけが、心の中で祭だの革命だのにしている事。
要するに、五年前の事件で。
それは何一つ変わることはなかったのである。
犯人達の末路は、はっきり言って分かったも同然だった。
「犯行についての資料は見ました。 極めて鮮やかですね」
「ああ、そうかい。 作戦立案したのは子分なんだけれどね」
「賢い人だったんですね」
「アタシもこれでも一応六大学出のインテリのつもりだったんだけれどね。 当時はもう死語になっていたが、あんまり出来が良くない大学をFランとか言ってね。 そのFラン出の参謀が、アタシよりも頭が切れたのさ。 まあなんというか、その時点で学校のランクなんて宛てにならない良い証拠なんだけれどねえ」
犯行はスムーズに行われた。
そして犯行後。
証拠一つ残さず、犯人達はその場を立ち去り。
決めたのだという。
「しばらく様子を見て、もしも現在の学生運動だという話が出てこなかったら、もう切り上げる事にする」
「……そもそも学生運動と分かるようにしていなかったように思えますが」
「敢えてそうしたんだよ。 もしも、この事件で学生運動の残党の仕業では無いか、という言葉が出てくるようなら、アタシ達の先祖の行動は、まだ誰かの中に生きていると言う事だからね」
だが、そうはならなかった。
当時の資料を、佐川が膨大に調べてくれている。
結果としては、何処の馬鹿がやった事だとか。現在のルパンだなとか。そういう声は上がったが。
それだけだった。
「結果は、駄目だったんですね」
「ああ……」
「解散、したんですか?」
「……今では、静かに暮らしているよ。 金だけなら、相応にあるからね」
一旦、情報を宮藤に送る。
この話は興味深いと思った。
共感は一切出来ない。
だが、それでも己の全てを捧げた作戦で、全力を尽くしたことは伝わって来たからである。
覚悟はあったのだろう。
ただし、強いていうならば。
努力の方向音痴とでもいうべきだったのだろうが。
「そうか。 とりあえず、会話の内容について、佐川ちゃんにまとめて貰うよ。 此処から、誰か特定の人物を見いだせそうかい?」
「それは、私には何とも……」
「うん、ごめん。 高梨ちゃんは、あくまでイマジナリーフレンドと会話するだけでいいからね。 分析はおいちゃん達でやるから、気にしなくて良いよ」
通話を切る。
どっと汗が出て、特に顔が痛い。
前に医者が来たときその話をしたが、一種の幻視痛では無いかと言う話をされた。手足を失っても、それでも痛みがあると錯覚するあれである。
だが、どうにもそうとは思えないのだ。
いずれにしても、お薬は貰っている。
痛みはあまり引かないが。
体を良くするための努力はしている。
今後、このからだが何処まで回復出来るかは、努力次第だと医者は言っているが。
そもそも基礎体力が存在しない体である。
どうしようもないのは。分かりきっていた。
少し眠った後、体力を戻し。
食事にする。
粥のような形のないものしか食べられないが、栄養面は考慮されている。ロボットアームも性能はしっかりしていて、口に運ぶ途中で零すようなこともない。
安心して食事を終えた後、また少し休む。
続いて、参謀役の話を聞こうと思っている。
イマジナリーフレンドの構築はかなり体力を消耗するはずだ。
それに、どんな虚偽を口にしようとするかわかったものではない。
気を付けなければいけないな。
そう思いながら、まずは体力を蓄え。
そして、イマジナリーフレンドを構築した。
「ああ、なんだあんたか」
開口一番に、頭が良いとリーダーが評していた男は言った。
まあ友人という設定にしているのだ。
それもそうか。
「十二億事件について聞きたいんですが」
「はあ。 姉御がこだわるから、俺が作戦を考えたアレな。 姉御とお前話したのか」
「はい」
「そっか。 じゃあ姉御には悪いが、先に言っておくわ。 俺ともう一人は、最初っから学生運動なんてもんには興味が無かったんだよ」
いきなり爆弾発言である。
だが、その先は聞かなければならない。
続きを促すと。参謀役は言うのだった。
「俺はFランの出身でな。 クソみたいな両親の所から離れたくて、クソみたいな学校に入って、クソみたいな就職をした。 当然うまくいかねえよ。 俺はツラがまずかったし、何よりFラン出身ってのを職場で散々貶された。 特大の爆弾を職場に仕込んで、会社を辞めるのに三年かかった」
「特大の爆弾?」
「引き継ぎをした奴に、時間差で発動する破滅プログラムを打つように指示しておいたんだよ。 まあパッチを叩くだけだから、中身なんか確認しなかっただろうけれどな。 案の定、俺の古巣でデータ全削除事件が起きて、俺は大笑いしたよ。 ザマアミロってな」
少し、興味が出てきた。
これはひょっとして、此処から芋づるでいけるかも知れない。
だが、それは黙っておいて、会話を続ける。
「姉御に出会ったのはその後だ。 俺以上に悲惨な生活をしていたもう一人が加わるまで、姉御と慕って部下を続けた。 だけれども、学生運動がどうのこうのと口にするのは本当に参ったな。 そんなもん、とっくの昔に滅び去ったものだったからな。 だけれども、路頭に迷ってた俺を匿ってくれた恩があった。 だから、無碍には出来なかった」
「好きだったんですか、その人のこと」
「性的な意味で言うとNO。 姉御もはっきり言って美人とはほど遠かったからな」
「はあ……」
そういうものか。
昔は男女は簡単にくっついたという話だったが。
完全に親分と子分、という関係だったんだなと思い知らされる。
まあいい。
別に興味が無い話だ。
続けて貰う。
「姉御は度量と金はあったし、一応良い大学は出ていたが、とにかくプランがなかったんだよな。 もう一人は後から加わったんだが、此奴に至っては自分でも力以外能がないでくの坊と認めているような奴だった。 だから、俺が全部考えるしか無かったんだよ」
「それで、民間軍事会社に入ったりしたんですね」
「ああ。 まずは本物の戦争を知ってほしくてな。 そうしたら姉御は水を得た魚状態でな。 民間軍事会社の、戦争を知っている連中から絶賛されたよ。 多分学生運動の時代に本当に産まれてたら、大立ち回りをして警察の脅威になっただろうな」
「……」
それは。警察にとっても。
恐らく本人にとっても。
幸運なことだったのでは無いかと思う。
犯人のリーダー格は、産まれる時代を間違えたが。
もしも適切な時代に産まれていたら、間違いなく不幸な結末を迎えることになっていただろう。
テロリストの末路なんて知れている。
テロリストの適正のある人間が、そうならなくていい時代と場所。
其所に産まれたのは、ある意味不幸かも知れないが。
ある意味幸せとも言えるのでは無いのだろうか。
「日本に戻ってきてから、本当にやるのかと聞いたけれどもな。 本当にやると即答だったよ。 だから、俺が作戦を考えて、実施した。 民間軍事会社で鍛えていたから、でくの坊もちゃんと動けた。 金も全部返した。 結果は分かりきっていたけれども、それでもやった」
「やりきったんですね」
「正直もう社会には戻れない身だったしな。 今は俺は完全に腐ってるか、姉御の庇護下で畑でも耕していると思うぜ」
会話を切り上げる。
そして、この会話を宮藤に送る。
溜息がでる。
何だか不毛な話だ。
みんな心が通じていたかというと、そんな事はない。
むしろやる気があったのはリーダーだけ、だったという可能性が極めて高い。これは不幸なことではないのだろうか。
それでも、三人は一丸になって、警察を完全に手玉に取った。
状況からして公安も出ていただろうに、それさえも振り切った。
思うに、これだけ出来る人間を、彼が言う所のFランに配置。更には、クソみたいな職場で冷遇するのは。まあ社会を弱体化させる一員だったのだろう。
何度も溜息が出る。
三人目は必要ない気がする。
だけれども、聞いておこうと思った。
3、過去に流れた過去の歌
宮藤から、事件の進展は聞かないまま。体力を回復させて。それから三人目の話を聞きに掛かる。
三人目は力仕事担当で、でくの坊とまで参謀に言われていたが。
多分頼りにはされていたのだろう。
力しか取り柄がないとか散々だったが。
しかしそれでも、力が取り柄である事は認めていたのだから。
まず一つずつ、話を聞いていく。
それによると、「三人目」は、最初ぼんやりしていた。
イマジナリーフレンドの構築に失敗したかなと思ったけれども。
上手く行っていた。
「十二億事件について聞かせて貰えませんか?」
「あ? うー、ああ。 あの事件な。 親分の言う所の、最高の作戦だよな。 上手く行って、俺、誇らしかったよ」
「そうですか……」
やっぱり反応、考え方が三者三様だな。
そう思いながら、話を聞いていく。
「俺たちの役割は決まってたんだあ。 親分も、俺を仲間に入れてくれたときから、ずっとお前は力が強くて頼りになるって言ってくれたあ。 俺を褒めてくれた人なんて、それまで一人もいなかったからなあ」
「貴方はかなりの長身だったようですが、それを褒められる事は?」
「いっつもうすらデカだのでくの坊だの言われてたよ。 でも、親分は俺の事を認めてくれて。 この人にずっとついていくんだって決めたんだあ」
そうか。
何となく、後ろ暗い背景が分かってきた。
この人は、兎に角頭が良くなかった。体には恵まれたが、それだけだった。だから、色々と周囲の悪意に耐えられなかった。
誰もが知っていたのだろう。
この人が、力が強くて並外れた体力も保っていることは。
だけれども、優れているからこそ、劣っていることが明確な知力を馬鹿にしたくもなるものだ。
人間なんてそんな程度の生物である。
散々見て来た。
この人が、周囲から馬鹿にされながら、ずっと過ごしていた事は想像に難くない。だからこそ。ころっと褒められて犯人のリーダー格に心酔するようになったのだろう。
良かったのかも知れない。
もしもころっと行った相手が半グレやらヤクザやらだったら。
今頃もう、刑務所行きは確定だったのだろうから。
「参謀に言われたまま、作戦のために鍛えたんだあ。 どっかよく分からない国に行って、戦争もしてきた。 親分を守るために必死だった。 お前は撃つのに躊躇がないなって、其所でも褒めて貰えた。 親分も、いつも俺をあんまり褒めてくれない参謀も、荒事では最高に頼りになるって言ってくれて、俺凄く幸せだった」
「そうだったんですね。 学生運動については聞いていますか?」
「きいたけんど、わかんなかった。 まるくすとかいうじいさんが考えた作戦なんだったっけ?」
「……いえ、そういう認識であるなら、それで良いです」
分からない様子なので、これ以上聞くのも酷だろう。
それにしても、本当に。
三人組の役割分担が、想像以上にしっかりしていたのだなと分かる。
この様子では、トラックを運転していたのはリーダー格。4WDを運転していたのは参謀だろう。
どっちにしても、息がぴったりの三人組だ。
「作戦は上手く行ったけど、でもな、俺作戦前は悲しかったんだよ」
「どういうことですか」
「俺、人傷つけるの嫌いだからな。 戦争に出かけて、親分や参謀を守るために相手を殺すのは悲しかった。 でも、作戦では誰も傷つけないって聞いて、嬉しかった」
「……」
やっぱりなんというか。
産まれる場所、時代を間違えた人だったのだと思ってしまう。
今だと冷遇しかされなかっただろうけれど。
或いは古い時代だったら。
一騎当千の猛者として、名を馳せていたかも知れない。
「お金を奪って、そのまま返す作戦が成功して、でも親分はがっかりしてた。 学生運動とかいうのがまた注目されるかもいって言ってたけど、そんな事は全く起きなかったからなあ。 でも、誰も傷つかなかったし、殺さなくて良かったから、俺は嬉しかった。 そういったら、親分はそうかって納得してくれたよ」
「分かりました。 今は親分と一緒ですか?」
「ああ。 親分と一緒なら、俺は何処ででも生きていける。 親分のためだったら、いつでも死ねる」
会話を切り上げる。
そうか。
なんというか、悲しい三人組だ。
業が深いというのとは少し違うかも知れない。
だが、いずれにしても。
産まれるべき時代を間違い。
そして間違ったからこそ、致命的な事はしなくて済んだ三人だ、と言う事は分かった。
参謀の奴は少しまずい事をしているが、この様子だと相手はブラック企業だった可能性が高い。
まだ少数残っていると聞いていたが、そういうブラック企業に入ってしまったのだろう。
今の警察は優秀だ。
もしも大事件に発展していたら、絶対に捕まっていただろうから。
溜息を何度もつくと、会話の記録を宮藤に送る。
ベッドになついて、深呼吸して体力を整える。
やっと少し落ち着いてきたところで。
宮藤から通話が来た。
ロボットアームが、スマホを近づけて、操作してくれる。
「おつかれちゃん。 本当に大変だったね高梨ちゃん」
「はい。 宮藤さん、それで犯人についての資料は送りましたので、確認してください」
「今、佐川ちゃんが分析してるよ」
「捕まりそうですか?」
宮藤は黙り込む。
だが、少しして。
教えてくれた。
「もう、だいたい絞り込めたよ」
「えっ……」
「二人目の、参謀役だった奴の証言が決め手になったね。 それに今時学生運動なんて、公安だって目をつけてない。 この辺りが全て盲点になっていたんだよ」
結局の所。
左派に接触した海外の人権屋については外れだったようだ。
今捜査を進めている三人組については、そういった極左組織からも身を置いて、社会を変えようと自分なりに頑張っていた者達。
知っていたのかも知れない。
学生運動を口にするくらいだ。
実際に学生運動時代の過激派が、如何に無茶苦茶をしていたのか。
だからクリーンな方法を選んだ。
誰も傷つけず。
誰も殺さず。
作戦を達成した。
この点で言えば、凄惨な事件などを多数引き起こした過激派テロリスト達に比べて、この三人組は遙かにマシだったと言える。
そもそも学生運動なんてものが上手く行ったところで、この国は良くならなかったことは目に見えていた。
あらゆる意味で、ピントがずれていたのだろう。
高梨は何度か喋ろうとして、失敗。
その間、宮藤は待ってくれる。
「その、今回の三人組は……海外で民間軍事会社で訓練や実戦はしたようですけれど、それでもそれはあくまで戦場での話です。 この国では、きっと誰も殺していないと思います。 だから……」
「分かっている。 手荒なまねをするつもりはないよ。 ただ、しっかり法による裁きは受けて貰うけれどね」
「……はい」
どれくらいの罪になるのだろう。
あまり酷い罪にならないと良いのだけれど。
恐らく三人は、今も結婚もせず、静かに畑でも耕して暮らしているだろう。
負けたと悟ったからだ。
ささやかな罪を償ったら。
またそうやって、三人で暮らしてほしい。
そう、三人と個別に話してみて。
高梨は、思ったのだった。
佐川が資料をまとめたことで、完全に犯人の特定が出来た。
犯人は古くは左派のインテリ層で知られた学者の孫娘。祖父からの資産を引き継いで、東京郊外で現在は農家をしている。
ささやかな規模の農家だ。
食っていくための農家では無い。
男二人とくらしているのも確認。
籍を入れていないことも。
関係も持っていないらしい。
親分、姉御と呼ばれているのを周囲の人間が聞いている。不可思議な三人組だなと、噂にはなっていたらしい。
まあいずれにしても、これで確定だ。
捜査一課と、警察用ロボットと一緒に、現地に出向く。
畑は、そこそこ丁寧に整備されていた。
金はあるようで、邸宅そのものはかなりの豪邸だ。
祖父は恐らく、先代や更に先代の時代から外国から資金援助などを受けていたのだろう。だが、孫娘はそうではない。
警察が来た事で、すぐに畑を耕していた大男が立ちふさがろうとしたが。
おやめ、と女性が言った。
あまり美人では無いが。二人の男を従えているだけの誇りというか、威厳というか。そういうものがあった。
知恵はあっても、ただのゲスだった先祖とは大違いなのだろう。
この辺りは、悪い意味での部分が遺伝しなかった、良い例なのかも知れない。
リーダー格が逃げない意思を固めたのを見て、参謀役らしいのも逃げるのを諦めたようだった。
車から離れると、此方に歩いて来る。
それに、警察用ロボットの戦力は知っているのだろう。
この家にある大型車はそれなりのものだが。
テクニカルを単独で潰すと言われる警察用ロボットが相手では、文字通りどうしようもない。
此処は、宮藤は見届けるだけだ。
二郎が手帳を見せて、告げる。
「貴方方三人には、五年前に起きた十二億円強盗事件の嫌疑が掛かっている。 署に同行願いたい」
「やれやれ、年貢の納め時らしいね」
「そういうことだ」
「……家の中を捜査するのは良いが、畑の収穫システムを止める作業があるから、立ち会いをしておいておくれ。 後、今ある野菜は配ってしまうのと、これから収穫する分の近所へのお裾分けの引き継ぎがあるから、何人かついてきな」
良いだろうと言うと。
そのまま、三人に手錠を掛ける。それにしても一人は噂通り見上げるような大男だった。
言われた作業をこなす。
その間も、警察用のロボットが監視していたが。特に悪さは一切せず。電子戦用らしいPCも、普通にシャットダウンしていた。参謀役の男は、その気になれば悪さを出来ただろうに、一切しなかった。それどころか、システムの立ち上げ方等まで引き継いできた。手錠が多少窮屈そうだったが。
周囲も訳ありの三人だと知っていたのだろう。
野菜を受け取り、引き継ぎを無言で受ける。
美味しい野菜を有難うと、同情した視線をリーダー格に向けた人もいた。高梨のイマジナリーフレンド通りの人柄だったのだろう。周囲から少し距離は置かれていたかも知れないが、少なくとも悪くは思われていなかったのだ。
そして周囲も何となく、何か悪さをしていると知っていたのだろう。
とうとうかという視線で見ていた老人に気付く。
そう、老人だ。この場所に長く住んでいるのだろう。
だから他の住人より、事情に詳しかったのだ。
恐らく、あの豪邸にどういう一族が住んでいたのか、知っていたのだ。それが故に、来るべき時が来たと思ったのだろう。
救えない話だ。
署で、話を聞く事になる。
宮藤は此処までだ。
以降は関われない。だから、後で二郎からあらましは聞いた。
三人それぞれ個別に聞くが。殆ど、尋問の必要はないくらいだった。
丁寧に質問に答えてくれる。
まず作戦のために使用した資金は、リーダー格のポケットマネーから出したが。その金自体は、民間軍事会社に入って海外に出向いたとき。海外の銀行を利用して、マネーロンダリングした。資産は株式なども含めて十億を超えているらしいので、大した出費でもなかったらしいが。
その後、車、モデルガンなどを揃えた。
銃のチョイスは、民間軍事会社で古くても安くて使えるもの、として勧められたからであるという。
実の所カラシニコフが最高なのだが、これは殺意が高すぎる。色々と作るのはハードルが高いし、持ち込むのは更に厳しい。国内ではモデルガンですら細心の注意を払って作られ、所持するには免許までいる。持ち込もうとでもしたら警察の本気度も上がるし、リスクが高すぎる。
それだけテロリストの供として活躍したカラシニコフは悪名が高かったのだ。
しかしながら、ある程度高い制圧力と威圧感のある銃で無いといけない。
故に制圧のために、P90を選択したとか。
一番丁寧に作戦を覚えていたのは参謀だが。
一番背が高い男は、力仕事だけしか出来ない様子で。聞かれてもしどろもどろで、あまり覚えてはいなかった。
だが、警察に捕まったら、嘘はつくなって親分に言われたとも言っていて。
丸鋸で現金輸送車を破る所とかは、非常にリアルに覚えていた。
この辺りについては、むしろ様子を見ていた現金輸送車の警備員より細かく覚えていた程で。
余程この背が高い男にとって、怖い瞬間だったのだと推察された。
恐らくは、民間軍事会社で、今もわずかに出ると言うゲリラなどと戦った時よりも、である。
三人組がマスクで顔を隠していたのは、顔でばれないようにするためもあるし、奪った現金にDNAがつかないようにするため、もあったらしい。
更に金を返しに行く作戦は、幾つかの署を監視した後、事件捜査に関与していない署を特定。
まだ早朝の内に、さっと金を置いて、戻っていったのだとか。
なお、誰かがそれを盗まないように、敢えて地面にジュラルミンケースを接着剤で固定するという念の入れようである。
本当に、ありとあらゆる事で。
徹底的に考えられ尽くした作戦だったのだ。
誰も犠牲にせず。
威だけを示す。
しかし、その威の大本がもはや存在しなかった。だから、誰にも伝わらなかったのだが。
「随分と丁寧だな」
「アタシ達がやりたかったのは、学生運動を取り戻す事だった。 人を殺す事じゃあないんでね」
そう、リーダー格は二郎に答えた。
二郎はため息をつくと、後は司法に回す決意をしたという。
証言も証拠も揃っている。
何しろ、警察しか知らない筈の情報を、この三人は持っていたのである。公安とつながりがあった可能性だってない。
資金源については先祖からの引き継ぎ。
海外の危険な組織も結局関わっていなかった。
公安の方で調べているらしいが、極左の方も結局駄目だったと言う事で、諦めて引き揚げて行ったらしいと言う話が入ってきたという。
この情報については、捜査一課を手助けするため。
公安に警視総監が、昔のコネを使って働きかけたのかも知れない。
どちらにしても不毛な話だ。
全ては、過去の亡霊を蘇らせようとする、一種の儀式だったのである。
全てのあらましを聞いた後、宮藤はぐっと言葉を飲み込んでいた。
馬鹿野郎とは言えない。
三人は本気だった。
特にリーダー格は全力だった。
蘇らせたかったのだ。
だが、ゾンビの伝説が。実際には仮死状態にしただけの存在を、ただ薬で蘇生させただけの話に尾ひれがついて広まったように。
逆に言えば、完全に死んだものは蘇らないのだ。
それが現実というものだ。
この国にまた革命を起こそうという勢力が現れる時は、いずれあるかも知れない。それはどんな形であるかは分からない。
だが、一度死んだ「学生運動」ではないだろう。
違う形で、何かしらの運動が発生するのはほぼ間違いない。
求心力がない。
知名度がない。
だから、である。
実際参謀格は、無理があることは承知していたという。
だけれども、リーダーと子分二人は。それぞれ、本当に親分と、鼻つまみ者なのを助けて貰った関係だった。
恩があったし。
リーダーは無理なことを言い出すことは確かにあったけれど。
子分達を虐待する事はなかったし。
生きる事に何の方向性も持てなかった二人に、光をくれたのである。
諌言はしなかったのかと、二郎は参謀格に聞いたという。
首を横に振られたそうだ。
諌言はした。
だが、それでも賭けたいと言われると。もうそれ以上は何もできなかった、と言う事だった。
資産だけはあった。
だが時代からは取り残されてしまい。
もはや、何をしてもいいか分からなく、路頭に迷った者がそれと結びついた。
その結果起きたのが、悲惨なテロでは無かったのはとても幸運なことではあったのだろう。
実際問題、民間軍事会社で実戦を経験した三人だったのである。
現在の警備体制は、テロ全盛期の記録を元に徹底して備えられているが。
十二億円強奪事件の時の鮮やかすぎる手際を見る限り、それでももしも三人組が血と暴力に訴えるつもりだったら。
こんなトンチキな現金強奪事件程度では済まなかった可能性が高いのである。
三人は本物の信念を持っていた。
それは間違っていたし。
既に死んだ信念だった。
だけれども、それによって誰かを傷つける事はなかったし。絶対に殺す事もしなかっただろう。殺したのはあくまで本当の戦争で、だ。
それだけは。
少なくとも明らかだった。
二郎は、宮藤に言う。
「とりあえず司法に回すが、愉快犯だ何だで、三人とも一年程度の刑になるそうだ」
「一年、ですか」
「元々もうあの「作戦」が失敗した時点で、全てを諦めていたようだったからな。 それも受け入れるだろう。 それもやった事が大した事じゃないから、終身刑の犯人が入れられるような独房生活じゃない。 ……余談だがな、あの三人が作る野菜は採算は取れていなかったらしいが、周囲の家からは好評だったそうだよ」
「そうですか……」
悪党が何もかも嫌になり。
最終的に畑を耕し出すというのは、フィクションの世界ではよくある話だ。
今回は、その悪党達に金が元からあった。
だから、その程度で済んだ面もあるのだろう。
恐らくだが、もしも三人組が素寒貧で。金も殆ど持っていなかったら。
今頃は民間軍事会社でまだ働いているか。
それとも国内で本当に危険な行動を起こして、公安に消されていたか。
どちらか一択だっただろう。
それを思うと、やりきれない。
二郎も、同じようだった。
「もう学生運動なんてものは存在しないが、その亡霊に縛られた最後の一人が、二人の子分と供に起こした事件だったのかも知れないな」
「悪い意味での亡霊に縛られていなくて良かったですよ」
「全くだ……」
通話を切る。
亡霊と言っても様々だ。
例えば、現在でも平将門公については強烈な逸話がたくさん残っている。実際問題首塚の清掃目的の工事をしただけでも、胴塚付近で地震が起きたという話まである。
そういう意味では三大亡霊の名は伊達では無く。
実体が本当にあるかは別として、「拘束力」。つまりその存在そのものがもつ影響力は、現在まで確かにあるし。
何よりこの令和の時代でも残っている。
だが学生運動は。
呪いがあまりにも弱すぎた。
今では継承者がたった一人。
それが現実だったのである。
しかも、その継承者は、実際には誰も傷つけない方法を選ぶような人間だった。先祖達とは何もかもが違ったのだ。無能な先祖達とは。
部署に戻る。
宮藤の顔を見て。欠食児童共は、全てを察したらしい。
何も、言う事は無かった。
宮藤自身は、高梨に連絡を入れる。
「終わったよ、全て」
「三人はどうなるんでしょうか。 今まで本当にどうしようもない悪人をイマジナリーフレンドとして作り出す事が多かったですけれどけれど。 この三人は、みんな悲しい人達ばかりでした。 少数の例外に含まれたと思います。 何とかならないのでしょうか」
「一応一年くらいで済むそうだよ。 家なんかも取りあげられない。 調べられはするだろうけれどもね。 だから、きっとやり直せるとは思う」
「……そうですか」
やり直すと言っても、あの孤独な家で、三人で最後まで静かに暮らす事になるのだろう。
そうだ、二郎から一つだけ聞いていた。
三人組のリーダー格が言ったらしい。
「学生運動というものについては、例え子孫とかが出来ても、墓まで持っていくつもりだ」、と。
あの三人がそれぞれくっつく所は想像は出来ないが。
それについては、恐らくあのリーダー格のけじめなのだと思う。
もしも刑務所でも模範的に過ごし。
一年後に出てきて、家に三人戻ったとして。
その後は資産や生活態度があるから、今の遺伝子プールから無作為に作られた子供を預ける制度には関わらないだろう。
いずれにしても。
もう既に死んでいた亡霊は。
あの三人組のリーダー格が、一緒にあの世まで連れて行く事になりそうだった。
通話を切る。
さて、もう一箇所、話をしなければならない相手がいる。
欠食児童共に軽く話をして、菓子は必要ないことを確認。
今後始末のための作業をして貰っている。五年前の資料を丁寧に作り直して貰っているのだが。
もうじき終わるし、負担も大してないそうだ。
ただ、終わった後に菓子はほしいらしいので。
まあこの話の後に、菓子を買っていく感じだろうか。
外に出て、周囲に誰もいない所で、通話をする。
相手は、神宮司だ。
忙しいから出ないかも知れないと思ったが。神宮司は出た。
「おや、宮藤のオジサマ」
「電話にすぐに出るとは思いませんでしたよ」
「アハハー、私これでも有能な人の電話は受けるようにしているんだわ。 オジサマの事は有能だと認定しているからね」
「それはどうも……」
嫌みにしか聞こえないが。
此奴くらいのバックがあって、能力がある場合。
嫌みなんてわざわざ言う必要すらないのかも知れない。
単に思った事をそのまま言った。
それだけなのだろう。
此奴はいずれ警視総監になるのかも知れない。
なにしろあの閻魔大王子飼いの部下なのだから。
だが、警視総監になることには。
人の心の痛みを、知るようになってほしい。
「全て片付きましたよ。 五年間解決しなかった十二億円強奪事件、犯人も全て自供しておしまいです」
「おー、流石」
「知っていたくせに」
「いや、知ったのはついさっき。 こっちでも情報があって、ボスから連絡があったから」
そうか。
ちなみに、神宮司が担当していた事件の方は、既に解決しているという。
今回はこっちの勝ちだと誇らしげに言うので。
少しかちんと来た。
「神宮司さん。 一つ言っておきますが」
「なあにー?」
「我々の仕事を何だと思っているんですか。 勝つか負けるか何てどうでも良いんですよ」
「フフー。 その辺り、オジサマとても真面目だね」
蛙の面に小便だが。
敢えてなおも言う。
「警官の仕事は、市民の盾になる事、犯罪を防ぐこと、犯罪者を捕まえて司法に引き渡すこと。 それには地位の上下も立場も関係無い。 貴方だって警視総監だってそれは同じの筈だ。 そんな基本的な事も分かっていない無能キャリアが権力闘争に明け暮れたから、この国の警察は駄目になった。 性悪論を勘違いして、権力があれば人間は元々悪党なんだから何をしても良い。 権力を得るためだったら何をしても良い、なぜなら人間は元から悪なんだからなんて考えるエセインテリのせいで、この国の警察はとことん現場の足を引っ張った。 貴方には、同じになって貰っては困る」
「……いつになく本気だねオジサマ」
「貴方が宮藤班に対して対抗意識を燃やすのはいい。 でも、勝ちも負けもなくて、一緒にこの国を犯罪から守るのが仕事だと言う事だけは、忘れないでください」
「分かった。 確かにその通り。 ちょっと私の方も、自分では対応出来ない異能持ちが揃っているそっちに嫉妬していたかもしんない。 メンゴ」
よく分からない言葉だが、謝罪しているというのは分かった。
階級が上の相手でも、こう言うときには本気での怒りをぶつけてしまう。
だから宮藤は、捜査一課でめざましい戦果を上げても警部補どまりだったし。
何よりも、ゲス野郎の顔を聴取中に変えてしまうという行動に出てしまったのだろう。
「じゃあ、こうしよう。 よりよくこの国をよくするために、今後は良きライバルでいたいのだけれども、いいかなオジサマ」
「……恐らく今後、そっちのが立場は上になるんでしょうと思いますが」
「それでも、其方が異能持ちで、異能達を生かせるのが宮藤のオジサマだけなのは事実だからね。 だから心の中ではライバル」
「はあ。 別にかまいませんが、私は宮藤班では一番の下っ端も良い所です。 ライバルだと思うのは宮藤班にしてください」
しばらく黙った後。
神宮司は大笑いした。
そして、その後、改めて告げてくる。
「ちょっと今のは面白かったよ。 そんな風な反応をしてくる相手は、私の前に今まで現れた事がなかったからね。 ノンフィクションでは見た事があるんだけれども、現実では初めてだ」
「それはどうも……」
「分かった、そうさせて貰うよ。 私のライバルのまとめ役。 本人には出来る事は少なくとも、部下達の異能を使いこなせる古代中華の理想君主タイプ。 あんたの事は強く印象に残る。 くれぐれも、これから堕落しないで頂戴ね」
ぶちんと通話が切られた。
言動も少し粗かった。
或いは、これが本来の神宮司の姿なのかも知れない。
IQ255ともなると、生半可な相手では話し相手にもならないだろう。人間は喋るときに合理性や論理性が出る。
ある程度知能が低いと、その論理性にどうしても食い違いが生じてくる。
宮藤はだから、出来るだけ順番に話を組み立てるようにしているが。
相手はその理屈を最初から全て理解していたはずだ。
その上で面白がった。
恐らく宮藤自身にプライドがなく。
だからこそ、宮藤班のようなアクの塊みたいな集団を率いる事が出来ていることを理解出来たからかも知れない。
今後神宮司は高確率で警視総監になる。
今の警視総監は、そのための作業をしているようなものだ。
警察の負債である無能キャリア達をどんどん粛正し、たたき上げにすげ替えている。
キャリアでも使える奴はちゃんと抜擢している。
本来なら、警視総監なら出来て当然の事をしているだけだが。
それは恐らく、今後来る本命。
神宮司という怪物級の異才のために、玉座を用意している行為の筈だ。
警視総監は、今後のため。
国家百年の計と言うのがあるが。警察百年の未来のために動いている。近視眼的に権力漁りをしている無能キャリアとは其所が完璧に違っている。
だから、閻魔大王と怖れられる人物でも。
憎むことは出来なかった。
神宮司が多分嫌な奴であることは確定だろうけれども。
それでもその下を離れようとも思えなかった。
ため息をつくと、コンビニに入って、欠食児童達のためにお菓子を用意する。
警視総監からメールが来る。
今回の功績で、警視に出世だそうだ。
欠食児童達も順調に出世させて、警部補まで階級を上げるらしい。高梨もである。
佐川や高梨は外部協力者の扱いだから、一応顧問としての「代理での」階級だが。まあ妥当なところだろう。
生半可な警部補より、皆仕事をしているのだし。
憂鬱だ。
これで多分だが、交通課に足を運んでいる人間の中で、もっとも階級が高い警官になるだろう。
恐らくだが。警視総監は今後、エンジニアなどにも高い地位を与え。その代わり管理業務などは別口というやり方を採っていくのだろう。
よりフレキシブルなやり口だが。
トップが有能ならば機能する方法でもある。
菓子を買い終わると、欠食児童どもの所に戻る。
さて、これからも。
難事件は、幾らでも襲ってくるはずだ。
まだまだ当面は。
休む事など出来ない。
4、難事件に対する幾つもの切り札
マスコミが役に立たなくなってから、警察は報道官を設置して直接SNSに発表をするようになっていた。
最近はデータを伴って発表を行い、外部委託した専門家にもその場で解説をさせるために、分かりやすいと評判である。
しかもリアルタイムで放送するため、嘘がつけない。
たまに放送事故も起きる。
こういう放送事故を楽しみにしているSNSの視聴者もいるらしい。
今回も、丁度そういう発表があったので。
宮藤はPCで、欠食児童二人と一緒に見学をしていた。
「五年前に発生した、十二億円の現金強奪事件ですが、犯人が確保されました。 犯人は特定の思想を持っていた集団で、その思想を広めるために犯行を起こしたと自供しております」
その通りだ。
だが、ここからが難しい。
学生運動というものを口に出してしまうと、拗らせた馬鹿が真似をする可能性がある。
学生運動については、あの三人組のリーダー格があの世に連れていく覚悟だと言っていたのだ。
二郎からはそう聞いている。
警察としても、余計な火種は作りたくないだろう。
どう処理する。
広報官は声が良く通ることで知られている。声優並みの美声だと言われている。
実の所、知られてはいないのだが。
演技力に問題があって、声優業をリタイアした元本職である。
広報では活躍出来ると言う事で、今は水を得た魚のように仕事をしていた。
最近ではいわゆる姿を偽装するシステムもある。一時期から流行りだしたVチューバーという奴である。
だがそれもせず、顔を出してやっているので。
一部の人間は、知っているようだった。ごく一部だが。
「この特定思想は、若者の手によって国を改革すべきだというもので。 事実若者である犯人達三人組が、人員装備ともに充実しつつある警察を手玉にとって見せた事で、広まることを期待したようです。 しかしながら犯人達は広報があまりにも下手だった。 その結果、現金強奪には成功しましたが、思想の流布にまではいたりませんでした」
SNSにコメントが流れてくる。
いずれも身勝手なものばかりだが。
そもそもSNSというのはそういうものだ。
「若者の手によって改革って……」
「確かにそれは正論かも知れないが、だからって現金輸送車襲うかあ?」
「ただ、犯人達は誰も傷つけずに、しかも金も返したらしいよな。 その辺りは確かに凄いよ。 でもなんというか……」
「努力の方向音痴だな」
ずばり誰かが指摘するが。
この的確な指摘。
恐らく神宮司辺りではないかと宮藤は思った。だが、その辺は黙っておくことにする。
実際、確かに頭には来たが、三人組の手口は鮮やかだった。フィクションの怪盗並みの連携と手際だった。
それを考えると。
あまり犯人達の尊厳を貶めたくは無かった。
更に報道が続く。
「長年の捜査の結果、ついに犯人を発見。 確保にいたりました。 犯人達は抵抗もせず、全ての自供をしました。 現時点では、悪質な愉快犯として、実刑一年ほどが想定されています。 以上です」
犯人宅や、周囲の人間へのインタビューなどは流さない。
マスコミがやっていた悪名高い行為だが。
今ではマスコミが死に絶えた結果、誰もやらなくなった。
SNSでもそういう事をやる奴は即座に炎上し干されるので。
誰もやらないようになっている。
それでいいのである。
ともかく、宮藤班はこれで更に警察内での評価が上がったらしい。五年前の事件で、誰も手も足も出なかったのだ。
それをあっさり解決。
流石だという声も、一課から上がっているそうである。
前は不審と反発も一課からは多かったが。
三十件ほど不審事件を解決したころには二郎をはじめとするシンパがついてくれたし。
六十件を超えた頃には、謎の最強プロファイルチームとして一課では誰もが知るようになっていた。
そして今では、宮藤班という謎のプロファイルチームありと、恐れさえ感じられているらしい。
こんなさえないおっさんと。
欠食児童二人。
それに居場所も分からない、可哀想な身の上の青年。
合計四人だけのチームなのに。
とりあえず、高梨にはもう解決の話は告げてあるし、報道の視聴をやめる。
石川が言う。
「宮藤警部ー。 あ、警視になるんでしたっけ」
「いいよまだ先だから。 それに今までと同じで良いからね。 君達が変においちゃんに遠慮して、仕事がやりづらくなる方が困るから」
「分かりました。 あの、ちょっと三人組の使っていたシステムとか見たいんですが、良いですか?」
「今科捜研が調べてるらしいから、その後になるかもしれない。 科捜研のトップは現在あの神宮司さんだから、話をしておくよ」
すごく嫌だけれど。
うちのスーパープログラマーの機嫌は出来るだけ取っておきたい。
佐川は大あくびをしながら、寝室に直行。
石川が、いそいそとついていった。
最近は、交通課の面々は、もう白い目で此方を見ることも無く。
出来るだけこっちを見ないようにしている。
関わり合いになりたくないのだろう。宮藤班の噂が、交通課にまで流れてきているらしいので。
とりあえず、今回もどうにかなったか。
来週に健康診断がある。
体を壊していないか、念入りに調べて貰おう。
ストレスが掛かる仕事が多かった宮藤は。
ぼんやりと、そんな事を考えていた。
(続)
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