滅びの団体

 

序、それはもう終わったもの

 

其所にはある集団が住んでいた。それも勝手に。地主の許可もなく。

この国は昔戦争に負けた。国の命運を賭けた戦争だった。だから負けたことで多くのものを失い、悪いものをたくさん引き受けた。

そんな悪いものの一つが、その集団だった。

やがて戦後の混乱が落ち着いて行くにつれて、その者達の無法が少しずつ明らかになって行ったが。

勝手に住み着いている事をどうにか出来る者はいなかった。

20年住んだら、居住権を主張できる。

そういう法律があるからだ。

やがて地主が泣き寝入りするしかなくなったその場所は、もはや勝手にその者達が住み着く場所となり。

危なくて立ち入れなくなっていった。

そんな場所で。

殺人事件が起きた。

警察が入るのさえ、昔は危なかっただろう。

昔は国外の危険な団体が支援さえしていたからである。

だがそれも今は昔。

支援していた国そのものが無くなり。

資本も入らなくなり。

更には経済が悪化した時期に、一斉に収入が断たれたこともあって。

今はただの、わびしい場所に過ぎない。

悪いのが住み着いたりもしているが。

それも警察が来るとこそこそと逃げ隠れるような集団でしかない。

何より年老いている。

此処はもう終わった場所なのだ。

一時期は利権が囁かれもした。

警察との癒着があるという噂もあった。

今は噂に過ぎないことがはっきりしている。それは戦後の混乱期には、ろくでもない警官がいただろうし。近年までクズキャリアは警察を駄目にしていた。だが今は、その全てが此処にいる者達の味方では無い。

古い古い時代に。

差別されていた。

そういううたい文句で、住み着いた者達には。

当然人権屋が背後につき、好き勝手な行動を促し。混乱させ。多くの金をむしり取っていったが。

その人権屋達さえ終わった今は。

もう此処は、完全に終わっているのだ。

宮藤は今回の件で呼ばれた時、憂鬱だった。捜査一課時代は、まだ此処はアンタッチャブルだった時期もあった。

だが、今は違う。

がなり立てている老人が、警察用ロボットが前に出ると悲鳴を上げて道を譲る。丸頭の恐ろしさはこんな所まで浸透しているらしい。勿論相手にあわせて死なない程度に電撃を流すのだが。

殺人事件が起きた家は、この地区の一番奥。

ため息をつきながら、調査中の科捜研の人間に話を聞こうと思ったが。ひょいと顔を見せるのは、神宮司だった。

「おやー、宮藤さんじゃないデスか。 どしたんです?」

「声が掛かったんですよ。 警視総監の懐刀どの」

「アハハー、今回で「神話」を崩そうってのは本当らしいですねえ」

「神話、ねえ」

周囲を見回す。

此処には近寄るな。

何をされるか分からない。

この世の果てだ。

そんな噂が流れ。地元の人間ですら絶対に近付かなかった場所。

だが蓋を開けてみれば、周囲に対して必死に威嚇している老人の群れしかいない寂しい場所だ。

近いうちに、違法建築を撤去する話もあるという。

実際、無人になっている家も珍しく無い。

こんな場所に産まれて、たまったものではないと考える者も珍しく無いのだろう。若者を失えば、その土地は滅びる。

そういうものだ。

それは、犯罪と不可侵が蔓延った此処でも同じ。

少し前に、西日本を代表していた広域暴力団が潰されたように。

此処も近いうちに潰れる定めだったのだろう。

「それで、死体の状態は」

「死後一週間ってとこかなー。 ほら」

「……」

パックに入れられた、生きた蛆虫を見せられて閉口する。勿論手袋をつけている神宮司はニッコニコである。

科捜研にとって死体に沸いた蛆虫は貴重なもので、死後の時間を計ることが出来る。

問題は隙間だらけの廃屋に死体があって、死臭が漏れているのに、どうして誰も気付かなかったか、と言う事だが。

まあそれもそうか。

近くはどぶ川。

周囲はゴミだらけ。

こんな状況では、それは死体が激烈な異臭を放ちはじめるまで、誰も気付くことは無いだろう。

ちなみに殺されていたのは、この辺りの顔役をしていた老人である。

他殺である事は確定だそうだ。

「殺しに使われた道具は何です?」

「ナタ」

「これはまた随分とワイルドで」

「それも山に入るための奴。 熊とか小さければ追い払えるかな」

準備をしてから、死体を見せてもらう。

老妻に逃げられていた被害者は、ゴミ屋敷で一人暮らしをしていた様子だ。こんな治安では、ゴミ収集車だって来る訳がない。

というか、この辺りのゴミは、ほとんど自力でゴミ集積所まで持って行っていたらしい。

昔はゴミ収集車を呼びつけていた時期もあったらしいが。

それも昔の話だ。

今の此処の住人に、そんな権力などない。

ただ周囲からの鼻つまみ者なだけである。

周囲の住民は近寄らないらしいが。昔と違って恐れからではなく嫌悪からだ。

それはそうだろう。

こんな饐えた腐臭が漂う場所に、好きこのんで近付く馬鹿がいる訳も無い。治安だって良くないのだし。

何より今はそんな事をすれば即時で警察が飛んでくる。

家は酷い有様だ。

内部はもう崩壊寸前の家屋で、此処で暮らしていた事自体が信じられない。

そして死体は。

昔はともかく、今は痩せこけた老人が。容赦なく首をナタで抉られていたものだった。

かなり腐敗が進行しているが、今更別に気にならない。

今はこういう腐乱死体のある場所に入るときにつけるマスクやジャケットがあるので、臭いも気にならない。

ただ、慣れない人間は、マスクの中に吐いてしまう事もあるようだが。

そればかりは我慢してもらうしかない。

一通り周囲を確認。

今回は神宮司が来ているし、周囲についてはばっちり科捜研が調べてくれるだろう。

ぎゃんぎゃんがなり立てる奴がいるかとも思ったのだが。

彼らが丸頭と呼ぶ警察用ロボットが周囲に待機している。

二メートルの武闘派半グレを五秒で戦闘不能にする警察用ロボットは、今ではこの手の人間に心の底から怖れられている。

それだけで、彼らが静かになるには充分だった。

警察が反撃してこない。

それが彼らにとっての強みだったからだ。

だが警察用ロボットは周囲の画像を常時全周で確保しており。

何かしらの犯罪行為を周囲で行えば、即座に逮捕される事になる。

此処にいる連中は余罪の塊だ。

しかも年老いている。

今更、そんな事はリスクを考えると出来ないのである。

やけっぱちになって暴れる、というのは若いから出来る事。何かしらの計算があるから出来る事。

全てが詰んでいる相手に対しては。

暴力など振るえないものだ。

外から出て、状況を色々確認していく。

とりあえず、周囲の誰が犯人でもおかしく無さそうだし。

聞き込みはしておくべきだろうと思ったら、神宮司が面白そうなものを見つけたと言って、資料を渡してくる。

古い紙の台帳だ。

薄汚れているが、一番最近の書き込みは数年前。

この辺りの人間の台帳である。とはいっても、この薄汚れた滅び行く集落のもの限定であるが。

こんな所にも子供は生まれるらしく。

新しく書き加えられていたのは子供の名前らしきもの。

ただし、後から線で消されている。

子供が生まれたのを契機に、此処を去ったのだろう。

まあ分からないでもない。

子供が出来た以上。

この未来がない場所から去るのは、ごく自然な、妥当な判断だからだ。

全てを早速スマホで撮影。

後は神宮司に返す。

にやにやしている神宮司。

「資料は回しますので、協力して解決しましょうねえ」

「ハハ、そうですね」

「プークスクス。 分かってるくせに、おちゃめなんだから」

「……」

周囲を見回す。

神宮司の奇行は昔かららしく、部下は仏頂面である。

此奴はこの年で警部。

しかも、警視総監の懐刀と言われている程の人物である。

その上充分な自衛能力も持っており、前には大男を一瞬で黙らせるのを見た事もある。

護衛の警官達は、色々気が気じゃないだろう。

神宮司はこう言っているのだ。

資料は回すが、今回は競争だ、と。

どっちが早くこの事件を解決するか勝負だ、と。

まあ此方としては、仕事をするだけ。

別に挑発に乗る理由は無い。

淡々と、石川と佐川と、それと高梨と連携し。

順番に事件を解決していくだけだ。

一応聞き込みも行っていく。

聞き込みを拒否する人間もいるにはいるが、警察用ロボットが無言で控えているのを見て、すぐに口を開く現金な者もいる。

かろうじて此処をまとめていたボスが死んだ事で。

此処の秩序も崩壊したとみて良かった。

ある程度の聞き込みは出来たが。

死んだと推定される時刻に、悲鳴などを聞いた形跡は無い。

この辺りは監視カメラなども配置されておらず。

科捜研が集めている資料と。

この辺りの人間の目撃証言がある程度頼りだ。

それらが無ければ、もう広域に手を広げて、犯人を捜していくしかないのだが。

いずれにしても、この集落は近々崩壊する。

多分生活保護申請を出している者も多いだろうが、警察から秩序が崩壊したという連絡が行き。

多くはこの古びた家から、看護施設に移されるだろう。

老齢の主要メンバーがあらかたそうなってしまえば。

もはや後は秩序も何も無い。

土地にも家にも価値はまったくない。

更に、地主にも連絡が行く。

地主だって黙ってはいないだろう。

下手をすると、今までの土地占有に対して、家賃を請求されるかも知れない。そして裁判所が此処の住民の味方をする可能性は0だ。

それくらいの計算は、此処の住民にも出来る。

だったら後は。

夜逃げでもするしかない。

周囲を見張っていた警官。一応今回の捜査をしている警視がいたので、声を掛ける。

比較的若い警視だ。キャリアだろうが、警視総監に目をつけられていないと言う事は、そこそこ出来る奴なのだろう。

敬礼して、軽く話をした後、説明をする。

相手も頷いた。

「宮藤班の話は聞いていますが、流石ですね。 此処についても詳しいようで、事件解決が早まりそうです」

「有難うございます。 それで、此処の住民が夜逃げする可能性があります。 周囲を張っておいた方が良いでしょう」

「分かっています。 既に手配済みです」

「ありがとうございます。 それでは資料が上がってくるのを期待しています」

敬礼を再びかわして、その場を後にする。

ジャケットやマスクは既に返してあるが。それでもスーツに腐乱死体の臭いが染み付いている気がする。

勿論気のせいだが。

それでも、嫌なものは嫌だ。

しかし、腐りきった床。うずたかく積もったゴミ袋。

あんな場所で果てるとは。

このアンタッチャブルの土地の主も、惨めな末路を迎えたものである。

まあ世界中で人権屋が摘発され、一斉に刑務所に放り込まれた時点で。この未来は確定していたのかも知れない。

まずは石川に連絡をする。

石川は、神宮司に良い印象を抱いていない様子だが。それでも送ってくる資料は完璧なので、作業は助かると言った。

佐川もその場にいたので話をしておく。

流石に警察でこの年にて働いている子だ。

腐乱死体くらいで慌てることもない。

佐川によると、今の時点では何とも言えないという。まあそれはそうだろう。何とも言えないのは宮藤も同じ。

神宮司だってそれはそうだろうから。

この時点では流石に犯人は推察できない。

シャーロック=ホームズでも連れてくれば話は別かも知れないが。

あれはあくまで探偵が何でも解決できる世界の存在だ。

高梨には、事件の概要だけ話をしておく。

そうすると、高梨は言うのだった。

「まず被害者と、犯人について二人分のイマジナリーフレンドを構築する必要があると思います」

「うん。 今のうちにゆっくり休んで、体力を蓄えておいて。 神宮司さんが如何に仕事が早いと言っても、まだ情報がそっちいくまでは時間掛かるからね。 おいちゃん高梨ちゃんが心配だよ」

「大丈夫です。 今は体調もある程度安定しています」

「そう。 とりあえずゆっくりね」

高梨は仕事を一度始めると、完全に終わらせるまで休まない印象がある。そのため、事件が終わると猛烈に消耗しているようで、不安でならないのだ。

元々体を滅茶苦茶にされているのである。

見ていて心配にならないわけがない。

ともかく、一度交通課に戻る。

途中でコートとかに臭いが染みついていないか何度か確認はしたが。

周囲の通行人が振り返るようなこともなく。

多分大丈夫だったのだろうと、少しだけ安心した。

部署に戻ってデスクにつくと、コートを席に掛けて、やっと一段落する。ちなみに疲れは感じていない。

だけれども、精神は色々と疲弊した。

どれだけ悪行を重ねていたとしても。

孤独な老人が、恐らく身内に殺されたのだろうと思うと、あまり良い気分はしない。

勿論散々重ねていた悪行の中には、あの老人が絶対に許されないものもあっただろうけれども。

それでもあの死に様は無惨すぎる。

恐らく葬式も挙げられないだろう。

誰も葬式を挙げる人がいないからだ。

更には、あのアンタッチャブルの総本山である家に捜査が入ったことにより。

今まで隠されていた犯罪もドバドバ証拠が出てくるだろう。

逃げ出そうとするものも、既に包囲網が敷かれている。

もっと彼らが若ければ。

頭領の死を嗅ぎつけて、とっくに逃げ出していたかも知れないが。

既に彼らは、集落を逃げる事さえ忘れるほどに、呆けて衰えてしまっている。

それが故に。

もしもあの集落に犯人がいるなら、捕まるし。

あの集落にいる多くの人間は、捕まることだろう。

テレビは既にニュースを流していない。

SNSを確認すると、一応情報は流れていた。

「ああ、あの不可侵の場所。 警察の手が入ったんだ」

「何だそれ」

「戦前から利権があってな。 昔から土地の不法占拠とかで問題になってたんだよ。 江戸時代だかの被差別階級の子孫を人権屋が煽って、戦後の混乱に乗じて土地を占拠させたりしてな。 アンタッチャブルの土地が出来て、戦後随分長い間、誰も手を出せない厄介な場所だったらしい」

「そんな場所がまだ現在にあったのか……」

SNSでも驚きの声が上がっている。

まあそうだろう。

ただ、事情通もいる。怪文書も流れてくるが。

「裏で噛んでいた中には、海外の資本もあるらしい。 今ではそういう資金がなくなったから、警察が手を入れられるって事情もあるらしいな」

「ああ、昔の噂だろ。 警察が海外の犯罪組織とズブズブで、資金源にしてたって奴」

「そうそう。 今では真相はわかんないけど、どっちにしても一つ不可侵の土地がなくなって、少し治安は良くなるんだろうね」

「ふーん……」

興味が無い人間も多そうだ。

戦後、あの土地を奪い取られて、泣き寝入りするしかなかった人達も多かっただろう。そういう人ではないから、無関心を装える。

人間は醜いなあ。

そう、宮藤は思う他無かった。

ともかく、資料が来るまで、此方は何もできない。神宮司が資料を遅らせるとも思えないし、そこからが勝負だ。

一応。此方でも関連の事件については資料をまとめておくが。それもだいたい電子化されている今は、扱っている部署に問い合わせて、送って貰うまでは此方には何もできない。スタンドアロン化されたデータベースサーバから、資料を取りださなければならないからである。

せいぜい出来るのは、空撮写真とか、周辺の情報とかを集めるくらいだ。

やがて、資料が来る。

此処からだ。

宮藤班が動き出す。

 

1、不可侵の終わり

 

佐川は眠気と戦いながら、送られてきた資料を見ていた。

すこぶるどうでもいい。

それが佐川の素直な感想だった。

確かに戦前戦後くらいは、被差別階級の子孫と言う事で差別はあっただろう。だが、それも今はとっくに昔の話である。

人権屋につけ込まれ、あおられて獣になった。混乱期に暴力で人の土地を無理に奪い、勝手に住み着く。

その挙げ句に腫れ物となり。

その場にしがみついて、結局老境まで来て。

そしていつの間にか人権屋がいなくなり。

本当に何の未来もなくなった。

今、解体されようとしている不可侵の土地が。

滅びの声を上げている。

佐川には、そうとしか見えなかったし。それは自業自得だとしか思えなかったので、それこそどうでもいい。

問題は、殺人事件を解決する事。

それだけだが。

資料を見る限り、ゴミだらけの中で殺された老人は、後ろからナタでバッサリやられている。

しかもかなり肉厚のナタなのに、細く衰えた老人ですら、一撃で仕留められなかったようで。

襲った人間が余程びびり散らかしていたのか。

或いは老人だったのか。

これが分からない。

まずは石川が、現場の立体的な資料を作るのを横目に。上がって来た資料を、一つずつ確認していくだけだ。

被害者の家の中には、多数の人間が出入りした痕跡が残っているが。

犬が悲鳴を上げるほどの悪臭に満ちたゴミ屋敷だったらしく。しかも腐乱死体の臭いが周囲に漂っていたのだ。

臭いという観点から、犯人を捜すのは無理だろう。

そして、そもそも不可侵集団の親分だというのに。

死体が腐乱して臭いが周囲に漏れ出すまで、誰も家に行かなかった。

つまるところ。

既に集団は崩壊していた、と言う事が分かる。

昔は、不可侵集団のボスとして、邪悪な犯罪の数々に手を染めていた老人だろうに。今では権力もほぼ無くなっていたと言う事が此処からも分かる。

要するにだ。

後ろ盾になっていた人権屋がいなくなった事で。

この老人も、ただの老人に落ちぶれたという事である。

正直な話、余罪を考えると刑務所で死ぬべきだったのだろうが。

それでも、完全に人権屋に見捨てられ、手にしていた権力も失い。老妻にも逃げられ、孤独に過去の栄光に縋り付きながら必死にもがいていた様子を思うと。

哀れだなあと言う言葉しか出てこない。

どうせ地獄行きは確定だろうが。

それでも、生前から地獄を味わっていたことも確定で。

佐川のような論理の権化でも、口をへの字にしてしまう状況だった。

石川もあまり嬉しそうにはしていない。

なれた様子で現場状況のCG図を作っているが。

人物はいつものごとく石川が大嫌いなゲームのキャラだ。

後で代替するとは言え。

本当に恨んでいるんだなあと苦笑してしまう。

「はい、出来たよー」

「ありがとにゃー」

資料をデータで受け取ると、まずは目を通す。

家の見取り図から、死体の状況まで。

死体は二階の寝室に横たわっていた。

蚤の寝床で寝ていたところ、何らかの理由で起きようとして。

後ろからナタで一線。

首から肩に掛けて抉られ。

苦しみ抜いて死んだようだ。

凄まじい苦悶の表情が死体には残っていたらしく。腐乱死体になってもそれは変わらなかったらしい。

ゴキブリやハエが死体に気付くまで時間は掛からず。

すぐにゴミ屋敷中の彼らが集まり始め。

何もかも失った不可侵領域の王を貪り始めた。

死体が腐敗していく様子は良い。

犯人がどこから侵入して、脱出したかが興味がある。

恐らく犯人は、この不可侵集落の人間だろうという確信はある。何しろこのゴミ屋敷である。

如何にターゲットがボケ老人と言えど。

この中を熟知していなければ、流石に不意打ちは不可能だ。

しかも殺人が行われたのは真夜中である。

被害者は苦しみ抜いて死んだようだが、大した声を上げることも出来なかったようで。周囲の家では悲鳴などは聞いていない。

そんな声を出す力も残っていなかったのだろう。

資料を見ると、昔は相応に筋肉質で悪辣な人物だったらしい。

それが、今になってしまうと、ただの痩せこけた老人だ。

邪悪な魔窟の王も。

年老いるとそうなるというのは。なんというか、祇園精舎の鐘の音ではないが。そういった過去の歴史を思い出してしまう。

いずれにしても犯人は身内だ。

佐川はそう判断していた。

後は身内のリストだが。

この手の閉鎖集落は、全員が身内だと考えてもいい。

更に言えば、身内である以上、意識は共有していたはずだ。

もう自分達は終わり、だと。

昔は強壮だったかも知れないが。今はもうすっかりボケ老人に堕したボスが死ねば、完全に集落は終わりだと。

此処に矛盾が出てくる。

集落の構成員全員のデータを確認していくが。

それらを見る限り、どう考えても此奴らが犯人とは思えない。

というのも、誰も彼もが年老いていて。

そして何よりも、大きなナタを振り回して人を殺せる度胸があるとは思えないのである。

昔は違ったかも知れない。

機動隊と戦ったとか。

そういう事を自慢にして、武勇伝を風船の如く膨らませている老人もいるだろう。或いは、そういった美化した思い出で自分を鼓舞しなければ、生きていけない老人も。

だが、今の現実はどうだ。

出来ないだろう。

だとすると、昔集落をでていった人間か。

可能性はあるかも知れない。

とはいっても、集落をでていったとしても、昔すぎれば家の中の状況が分からないし。何より誰かに見られればおしまいだ。

最近過ぎれば怪しい。

実際問題、集落をでて各地に引っ越した人間に対して、既にリストが作られていて、送られている。

その中には、アリバイ的に無理な人間も混じっていて。

既にリストから消されている者もいる。

この辺り、流石に神宮司は仕事が早いと言える。

一通り資料をまとめると。

宮藤に声を掛ける。

宮藤が様子を見に来たので、状況を説明。

頷くと、宮藤は聞いてくる。

「佐川ちゃんだけでなんとかなりそう?」

「……高梨さんに頼んだ方が確実だと思いますにゃー」

「だろうね。 おいちゃんも見た所、この資料ではまだ結論は出せないと思う。 何よりおいちゃんが気に掛かるのは、凶器が見つかっていないことなんだよねえ」

「……」

それは佐川も同意見だ。

凶器に使われたのは、かなり大型のナタである事が分かっている。

だが凶器は見つかっていない。

犯人が持ち去った、と言う事で。

その観点からも、この事件を起こしたのが、崩壊しつつある不可侵集落の人間である事はあり得ない。

「うちらで解決できるなら、うちらで解決するのだけれどもね。 でも、それなら多分プロファイルチームに話がとんで、うちに話が来る事はなかったと思う。 高梨ちゃんの負担は心配だけれど、一番早いのは多分高梨ちゃんに頼む事なんだ。 出来次第、資料を送ってあげて」

「分かりましたにゃー。 じゃがりこ」

「はいはい。 わかっているよ。 石川ちゃんはポッキーでいいかい?」

「私はカントリーマァムで」

そういえば最近、石川はカントリーマァムを嗜むようになった。

何故ポッキーから切り替えたのか確認したら、飽きたから、らしい。

まあいい。

ともかく、しばらくは佐川はじゃがりこ派だろう。

データを高梨に送った後、通話する。

相変わらずの合成音声で、高梨は返答してきた。

「資料は、今届き始めたのを確認しました。 これから調査に入ります」

「ヨロシクですにゃー」

「追加で何かあったら送ってください」

高梨は真面目だ。

佐川には分かる。

高梨の体調は、時々露骨に悪くなっている。イマジナリーフレンドを作る何てこと、心身に負担を掛けるに決まっている。

犯罪者とネゴシエイトを行う専門の警官が国によっては存在するらしいが、そういった専門家は念入りに休みを入れて、しかも常にメンタルケアを受けているという。負担が尋常ではないからである。

高梨は更に難易度が高いことをやっているわけで。

それを考えると、負担はそれこそ生半可なものではないだろう。

ただでさえ体がボロボロだと聞いている。

出来れば、このような作業は減らしたいところだが。

無能なキャリアが迷宮入りさせた事件が、国中に転がっているのである。当面は宮藤班は休めないだろう。

佐川も、いつも寝ているとか陰口をたたかれているのを知っているが。

そもそも脳を常人の十倍くらいの速度で酷使しているのである。

負担が大きくなるのは当たり前で。

寝ないと健康を維持できないのだ。

やがて、宮藤が戻ってきた。じゃがりこを山ほど貰ったので、さっそくむっしゃむっしゃと食べ始める。

しばらく食べてから、また資料をまとめる。

高梨は既に資料を見始めている。

此方では、出来る事を、出来る範囲でやっていかなければならない。

何人か犯人の可能性がある人物を絞り込んでいくが。

どうしても分からない事がある。

腕組みをする。

「部長ー」

「なんだい?」

「一課動いてますよねこれ」

「動いてるよ」

だとしたら、聞き込みを今頃熱心にしているはずだが。一つ、確認をしておきたい事がある。

「多分ですけど、嘘つきがいると思いますにゃー」

「それはいるだろうね」

「具体的には」

「ちょっと待って、そっち行く」

さっと宮藤が来たので、説明する。この四人が特に臭いと指名する。理由を聞かれたので、丁寧に答える。

勿論、特定したのには理由がある。

「悲鳴、聞いていると思うんですよね絶対」

「なるほど、お隣さんか……。 確かにこの位置に寝室があるなら、聞こえていないのはおかしいね」

「そうですニャー。 そもそも、家も違法ですきま風だらけ。 臭いが分からなかったとしても、悲鳴が漏れなかったまではあり得ないんですよねえ」

「分かった、科捜研にも話をしてみるよ。 現場の捜査一課の警視はかなり話が分かりそうだったし、こっちから話をしてみる」

宮藤がすぐに動いてくれる。

これで、多少は高梨の負担も減ることだろう。

寝ると言い残すと、その場を後にする。

石川が来たので、ぼんやりとし始めた脳で、そのままにさせる。パジャマに着替えさせてくれるが。

佐川の脳は酷使しすぎるせいか、使いすぎるとオーバーヒートを起こして、瞬間睡眠してしまうのだ。

自分でもこの弱点は分かっているので、昔から苦労してきた。

今も苦労している。

だから、この弱点を熟知している石川が側にいてくれるのはとても助かる。

眠る。

三時間くらいだろう。

起きた頃には、恐らく定時間近のはず。

その頃には、捜査一課から、新しい情報が届いているといいなあ。

そう思った。

 

高梨は資料を見て、まずは被害者をイマジナリーフレンドとして構築しようと試みる。問題はそれが老人である事。

そのまま作っても、呆けてしまっていて会話が成立しない可能性もある。

実際問題、資料には被害者が、老人性の痴呆症を発症していた可能性について書かれているのだ。

しかも今までの所業が所業だから、病院にも掛かれない。

自業自得とは言え。

なんというか、悪党の末路とはこういうものかと思ってしまった。

ともかくだ。資料を見ながら構築する被害者のイマジナリーフレンド。

意外と上手く行き。

最初で、かなりしっかりしたものを作る事が出来た。

軽く話をしていく。

だが、すぐに分かった。やはり呆けてしまっている。調整が必要だろう。

冷や汗を掻く。ロボットアームが拭ってくれる。

どうしても体がこんなだから、体力を蓄えたつもりでもすぐにばててしまう。それが悲しくてならない、のだとおもう。八つ作った人格は、どれもが人間だと思うものに過ぎず。それらの感情は、多分作り物だ。

パラメーターを調整。

友人であると認識させ。

少し若返らせる。

それで、どうにかなるとは思うが。まずは話してみないと、どうにもならない。この時点で、かなり疲弊があるが。

休むのは、最初に少し話をしてからだ。

「おう、ダチ公じゃねーか。 久しぶりだなオイ」

「はい、そうですね。 貴方が死んだ事は覚えていますか?」

「あたぼうよ。 ハハハ、俺も焼きが回ったな。 昔はヤクザ相手に大立ち回りをした事もあったし、機動隊相手に喧嘩するのは毎日だったのにな」

「はあ……」

記憶を改ざんしているな、と思ったが、それには触れない。

被害者の資料は結構充実している。

実際問題色々な悪さをしてきた人物であるようなのだが。ヤクザとは対立関係どころかむしろ友好的に接していた。これは恐らく相手が同じ穴の狢だったから、なのだろう。機動隊とは戦う事はあったが、基本的にいつも敗走ばかり。喧嘩したと誇れる筈が無い。

多少頭を治しても、記憶は曖昧か。

これは厄介だなと思いながら、話を続ける。

「それで、貴方を殺したのは誰ですか?」

「後ろからがつんとやられたからなあ。 一瞬だけ顔は見えたんだが……どうにも覚えてねえなあ」

「心当たりは」

「ありすぎて困る」

ゲラゲラ笑う被害者。

つまり、多くの人を泣かせてきて、しかも殺しを決意させるほど恨ませているという事である。

笑うところでは無いのに。

なんというか、この老人が殺されたのは、当然の事だったのだなと思う。

だが、口にはしない。

色々疲弊が凄いが。

敢えてそのまま老人を喋らせる。

「俺みたいな本物のワルになると、恨まれるのが勲章だからなヒヒヒ」

「弱者では無くワル?」

「本物の弱者はな、自分を弱者なんていわねえんだよ。 何もいえねえの。 俺たちみたいなのは、普通の人間が尻込みする「弱者」って言葉を使って商売をしていくものなんだよ。 まあ俺らに支援していた人権屋ほどの外道ではないつもりだが、それでもそうしねえと生きていけねえからな」

クズそのものの言葉が次々に出てくるが。

まあいい。

我慢して、話をそのままさせる。

色々と不快感がせり上がってくるが。

此処は我慢だ。話をしっかり聞かないと、事件の解決が遅れるばかりである。それにこの老人はもう死んでいる。

それも、死の直近数年は地獄と言うのも生やさしい環境に生きていたはずで。今更これ以上責める必要もないし。

地獄があるなら其所に落ちたのは確定だ。

「可能性がある人間を絞り込みました。 この中に、ちらっと見た人と一致する人はいますか?」

「どれどれ……うーん、やっぱりわからねえな。 裏切り者だったり腰抜けだったりだが、やっぱりよく見えなかったしなあ」

「そうですか。 少し休んでください」

「ああ、そうする」

イマジナリーフレンドを休ませる。

今の会話を一旦佐川に送った後、宮藤に連絡。

被害者は恐らく相手が誰か認識出来なかっただろうという話をすると、宮藤もそれで納得した。

「声が疲れてる。 良いから少し休みなさい」

「分かりました。 休んでから、今度は犯人の方のイマジナリーフレンドを作って見ますね」

「無理はしては駄目だよ」

「ありがとうございます」

宮藤が父親だったらなあ。

そう思う。

年齢的にも父親に近いし。何よりも逃げた意気地無しの実の父親ではないし。あの凶暴な母から高梨を引き取るくらいのことはしてくれたはずだ。

とはいっても、捜査一課にいる宮藤だ。

子供の世話なんかする余裕は無い。

家庭用ロボットを相手に、ずっと生活していただろうけれど。

それでも、今のような体にされるよりはましだった。

健康は失わないと価値が分からないと言うのは良く聞く話だけれども。

高梨にはその健康が、そもそも存在しなかった。だから、どういうものか最初から分からないのだ。

ぐったりして、体力を回復させる。

しばらく回復させてから、起きる。

汗が酷い。

バイタルは乱れていないから、無理はしていない、ということだ。

とりあえずゆっくりと呼吸を整えて、しばらくぼんやりして体調を戻す。そして体調が戻ったと判断したので、犯人のイマジナリーフレンドを構築に掛かる。

案の定スカスカだ。

情報が足りていない。

というか、決定的なピースが足りない。

これは情報待ちだろう。

新しく届いた情報を取り入れて見るが、それでも駄目だ。

何か決定的なピースがなくて、それでちゃんとしたイマジナリーフレンドにならない。それはどういうことかというと。

つまるところ、佐川の推理が間違っている事を意味している。

頑張ってくれた佐川には悪いが。話をしなければならない。

連絡を入れると、佐川は若干眠そうに応じた。

「……なるほど、分かった。 高梨さんがそういうならそうなんでしょうにゃー」

「すみません」

「いや、無駄筋は潰せたので大変嬉しいですにゃー。 それにしても……他の可能性は……」

考えるので切ると言われたので、そのまま通話を切る。

さて、此処からだ。

ここからが本番になる。

情報が来たら、すぐに対応出来るくらいの気持ちでいなければならない。また、眠ることにする。

体力は、どうしようもない。

この体を再建するのは、医者にも不可能だったのだから。

 

2、孤独の屋敷

 

神宮司から追加の資料が来る。

科捜研がほとんど完璧なまでのデータを送ってきたのだ。それを石川がまずシミュレーションし、完璧な現場の再現図を作る。

それによるとだ。

どうも被害者は寝ているところを何かの物音に気づき、身を起こしかけた所をばっさりとやられたらしい。

手元が狂っただけではなく。

被害者が不意に動いたのも、犯人がし損ねた原因であるらしかった。

いずれにしても、被害者の形相などからしても、絶叫が上がったのは間違いない所だそうで。

周囲が気付いていないのは嘘、というのは確定した。

宮藤は腕組みする。

すぐに捜査一課にこの資料を送るように指示した後、佐川と石川と話す。高梨からの連絡は聞いている。

何か見落としがある筈だ、という話だ。

「どう思う。 意見を聞かせてくれないかな、二人とも」

「自分で判断出来るのは、この現場で何が起きたかまでですねー」

石川は蛋白だ。

まあ被害者がろくでもない輩だった事もあって、死んだ事に同情も一切出来なかったのだろう。

まあそれはそうだ。

今でこそ哀れな年寄りかも知れないが。

若い頃は散々余罪を積み重ねて、弱者を泣かせてきた人間である。それでいながら、自分を弱者と称していたような輩だ。

同情の余地はない。

とはいっても、殺人犯を野放しに出来ないのも警察の難しい所だ。

実際問題、殺人犯がいわゆるシリアルキラーの可能性もある。その場合は、被害者が更に増える事になるだろう。

「一課の情報収集を待ちたいですニャー」

「まあそうだよね。 おいちゃんも現役だったら、そう答えただろうね」

佐川も名推理は見せてくれない。

まあ名推理なんてもんは存在しない。証拠をちょくちょくと集めて行き、そして結果を作り出すだけだ。

高梨のような存在はだから異能と呼ぶべきなのである。

高梨はと言うと、今はかなり負担が大きいはず。

被害者のイマジナリーフレンドを作った後、犯人のイマジナリーフレンドを作ったは良いが。

やはりいつも言っているとおり。

情報が正しくないと、どうしても正確なものは作れないという。

そして今回もそう。

情報が足りない、だそうである。

此方で出来る事は先にやっておく。

裁判用の提出資料は、既に石川がある程度仕上げてくれていることを確認。これは一課に提出済みだ。

更にこうして今、佐川にどうにか出来ないか話をしているわけだが。

不意に通話。

スパムかと思ったが、長いので取って見る。

神宮司だった。

「はーろー。 資料届いた−? 宮藤のおじさまー」

「届きましたよ。 しかし決定打にはなりませんね」

「全くだね。 それだとそっちのエースも力を発揮しきれないでしょ」

「分かっているなら……」

何で掛けて来たと怒鳴りたいところだが、相手は警視総監の懐刀である。しかもとてつもなく有能で、寵愛を鼻に掛けているようなこともない。

そんな相手だ。

残念ながら、怒声を張り上げるわけにも行かない。

「こっちも捜査一課待ちなのは同じでね。 どうせそっちのエースが上手く行っていないだろうって事は確認したくてね」

「……」

「じゃ、またねーん」

脳天気な子供だ。

スマホをへし折りたくなったが我慢。

人が死んでいる事件だと言う事を理解しているのかあの子供は。勿論あの子供が有能で、恐らくプロファイラーとしてはこの国最高の人材だと言う事も分かってはいる。だがそれにしても。

ああいう輩を手元に置いている警視総監は何を考えているのか。

ため息をつく。

警官の仕事は。

まず市民を守り。

犯罪を防ぎ。

犯罪を犯したものを速やかに捕まえることだ。

手段は当然選ばなければならない。

だが、それでも今回は殺人犯が野放しになっていて。一刻も早く捕まえるか、その正体を暴かなければならない。

それが警官の本分。

だから、異能でも使わなければならないし。

猫の手だって借りなければならない。

それを理解しているから。

宮藤は色々と、やりきれない思いを味わうのだった。

佐川が咳払い。

リストアップを済ませてくれていた。

「ゴミ屋敷の中を的確に進み、被害者の所にたどり着ける人間のリスト。 とりあえずこの中に犯人がいるとおもうにゃー」

「ありがとう。 ……数人は行方不明だね」

「被害者の老妻と、後はでていった子供夫婦」

それらの人間から間取りなどを聞いている人物の可能性は、あるにはある。

だがこの件、怨恨である可能性が高い。

というのも、人権で食っていた被害者の宝とも言えるもの。

台帳をはじめとしたものには手をつけていないのである。

更にやはり不可解なのが、あからさまに聞こえたはずの断末魔の絶叫を、誰もが聞いていないと言い張っていることである。

老人だから早く寝たとか、そういう理屈は通用しない。

人間の断末魔は宮藤も聞いた事がある。そういう仕事だから、当然である。

あれはとてもではないが、聞き流せるものではない。

人間も「動物」の部分があり。

危険を察知するために、色々な音などに対しては絶対に聞き流せないように体の仕組みが作られている。

断末魔や、死の臭いなどに敏感なのはそれが理由で。

断末魔は聞き逃せないし。

死臭に関しては、独特の感触が鼻に来るものなのである。

「更にあの違法占拠地帯をでていった者達の名前もあるね。 これらの人間の追跡も、一課の仕事か……」

「一応リストは一課に回して欲しいですにゃー」

「分かった。 やっておくよ」

一課の方でも今広域に人をやって調べているはずだが。

それでも、少しでも手間は減った方がありがたいだろう。

すぐに資料を送り。

二郎に話をする。

二郎は、ありがたいと言ってくれた。

「こっちもあの不可侵領域を潰せると言う事で皆躍起になっていてな。 こういう資料が来るのはとても有り難い。 すまないな宮藤」

「いいえ。 それよりも、行方不明になっている人達は……」

「何人かは既に見つけた」

「!」

まず被害者の老妻だが、老人ホームにいるのを発見。僻地の老人ホームだが、金はそこそこにあるらしく。最近はそもそもロボットが介護の仕事をできるようになっている事もあって、特に追い出されることもなく静かに暮らしているらしい。

聴取は行われたが、アリバイ的に無理という証拠が幾つか出てきている事や。あの人のことは思い出したくも無いと被害者の老妻が言っていること。また、体の衰えが激しく、ロボットが測定したところ凶器となるナタはとても持てないという結論が出たこともあって、容疑者からは外れたそうだ。

他にも何人かは既に見つかっているという。

声はオンにして、佐川に聞かせている。

今の時点で、此方に情報が流れるのはとても有り難い事だし。

捜査一課にとっても、事件の解決までの時間短縮を図れる。その上事件が解決すれば、不可侵領域も潰せる。

一石二鳥である。

「彼方此方の捜査一課まで動員して、今彼処に住んでいる連中の余罪をあらかた洗い出しているところだが、まあいずれにしても今回の一件であそこにいる者達は、全員が老人ホームか刑務所行きだ。 この資料は助かる。 後で結果を報告させて貰う」

「いえいえ、此方こそ」

通話を切った後、佐川を見る。

リストに変更が加わったので、それを捜査一課にもう一度送って貰う。その後は、更に絞り込みに入る。

現時点でも、アリバイ的に無理であることが証明されている者もいる。

だが、容疑者の人数はなんだかんだ言ってかなり多い。

それを考えると、今後はもっと厄介な事になるだろう。

彼方此方に散っている捜査一課の精鋭が、容疑者全部を捕まえるのが早いか、それとも。

 

二日ほど過ぎた。

既に宮藤班に出来る事はない。ただ、高梨をこの間休めることが出来たと思うと、宮藤は少しほっとしていた。

だがまだやる事がある。

それを念頭に、何が来ても即応できるようにはしていた。

やがて、また神宮司から連絡が来る。

連絡の内容は、新しい情報の発見、だった。

あのゴミ屋敷の中で、足跡を見つけた、というものである。

大したものだ。

まあ流石にあのゴミ袋の山の中を、靴下で歩く勇気はなかっただろう。或いは被害者も、それを見越してゴミ屋敷にしていたのかも知れないが。

それはもう、高梨に聞かないと分からないか。

ともかく流石という所だ。

資料を展開。石川に解析して貰う。

やはりというかなんというか。

犯人は、まっすぐ何の迷いもなく被害者の方に向かい、ナタで気付いて起きだして来た所を一閃している。

即死はさせられなかったが、致命傷を与えたと判断した犯人は、何も取ること無くそのまま引き返していた。

足跡から分析する事が出来る動きは正にそれ。

要するに殺す事が目的で。

他に何の迷いもなく。

家の間取りも知っているという事だ。

つまり身内以外には絶対にあり得ない犯行である。

ため息をつく。

電話を掛けてきた神宮司を適当にあしらう。まともに話しているとおかしくなりそうなので。

そうしたら、佐川と話させろと言う。

佐川にスマホを渡すと、何やら神宮司と話し始める。

そういえば特別学級の先輩後輩だという話だが。最近聞いたのだが、神宮司のIQは255にも達するとか。

つまり佐川をも超えている訳で。

それでありながら、佐川の方が宮藤班に所属して実績を上げている。

神宮司としては、色々意識する相手なのだろう。

電話は意外と短く終わり。

佐川はため息をつくと、キーボードを打鍵した。

そして、頷いて、見せてくる。

どうやら、更に犯人を絞り込めたらしい。

石川がその資料を基に、犯人のモデルを動かして見る。

足跡の幅や、移動している経路などから、身長などが分かってくる。

足跡から分かってくる事は、かなり多いのである。

「ふむ、身長は170後半か……かなり大きいね」

「恐らく老人じゃ無いと思う」

「そうなると、息子夫婦が怪しいけれども……」

いや、他にも何人か犯人候補はいる。

いずれもが、あの不可侵領域をでていった者達である。

それらの中に犯人がいるのは、ほぼ間違いない。

足跡の分析から、男性と言う事も分かってきているという。

それらを、高梨に送って貰う。

冷や汗を拭いながら、資料をまとめ上げる。更に、捜査一課にこの資料を送り、二郎とも話す。

なお、息子夫婦については、既に確保したらしい。

どっちも、ホームレス街で生活していて。

日当の仕事を目当てに暮らしていたらしい。

幾つかの監視カメラの情報から、そのアリバイも確認できた。

監視カメラに細工できるようなテクノロジーを持っている人間ではないし、何よりそれが出来る様なバックももう存在していない。

だとすると、犯人から外しては良いだろう。

なお父の死については知らなかった。それどころか、死んでせいせいしたといまで言い切ったという。

流石に二郎も呆れたと言っていたが。

だが、呪いとも思える因習に囚われていたのである。

外にでても、ずっとその呪いはついて回っただろうし。

それに色々余罪もあるだろう。

現在警察に拘留して、余罪を調査中だそうだ。まあそれもそうだろう。その夫婦に戻られたら、また不可侵領域が作られる可能性がある。

終わらせなければならない悪習は確かに存在している。

それこそが。

あの不可侵領域の存在なのだ。

ある程度資料が追加でまとまったので、高梨に送る。

これで、ひょっとしたら。

ともかく、ありとあらゆる願いを込めて。

宮藤は高梨に、資料を託していた。

 

高梨は、資料を見て、イマジナリーフレンドを再構築する。

しばらく休んでいたから体力は戻っているが、それでも一気に吸い上げられるようになくなっていく。

この体だ。

仕方が無い事だ。

そう言い聞かせながら、何とかイマジナリーフレンドを再構築すると。

イマジナリーフレンドは、確かに口を利いた。

成功だ。

「何だあ、お前かあ。 何の用だあ」

「貴方が殺した老人について」

「あのじさまかあ」

「具体的に教えてください」

イマジナリーフレンドの作成に成功。

そうメールだけ、宮藤に送っておく。今回、宮藤は相当に気を揉んでいたようなので、そうしておいた方が良いだろう。

悪しき因習を断ち切りたいと言っていた。

高梨にはどうもぴんと来ないが。

確かに土地を不法占拠されている人達には困りものだろうし。何よりあの弱者と自称しながら弱者を虐げていた老人の様子を見る限り、宮藤の苦労も分かるのである。

だから、宮藤班の一員と言うよりも。

自分に真摯に接してくれる宮藤のためにも。

事件は解決する。

「まず、どっから話すかなあ。 俺が生まれた事には、もうあのじさまと子分達の住処はもう老人だらけでなあ。 新しく来る奴も大体訳ありの連中で、家もボロッボロ。 うんと俺が小さいときには、ゴミ収集車とか呼びつけていた事もあったけれども、それも俺が物心ついたことにはなくなっていたなあ」

「続けてください」

「ああ。 じさまは絶対者でな。 他にも老人が何人もいたけど、じさまは別格だったんだよ。 何でもあの辺りに住んでいた者達の親分の子孫だって事でな」

「……」

後ろ暗い歴史については、宮藤から聞かされた。

だけれども、その歴史は既に過去のものとなった。今、元々江戸時代の被差別階級だったからと言って、差別する人間はいないという。

昭和くらいまでは普通にいたそうだ。

平成になっても、少しの間はいたという。

だが、令和になり、その令和が長く続いている今。

もう流石に過去の悪しき残滓は消えている。

消えていないのは、人権を金に出来ると判断したタチの悪い連中が。立場が弱かった人達を利用して作り上げた悪徳の城。

正確には悪徳の土地か。

邪悪に影響された結果。

本来は、本当に弱者だっただろう人達は、邪悪に染まってしまった。

その子孫もしかり。

今、その連鎖は断ちきらなければならないのである。

「俺は何も疑問を持っていなかった。 だけどな……何回か外で仕事したんだよ」

「仕事、とは。 普通に就労したという事ですか?」

「いんや。 ヤクザに頼まれて、脅したり詐欺したり、そういうの」

「……はあ」

まあ、ヤクザとも関係があったとは聞いている。

それはそうだろう。

後ろ暗い連中は、後ろで結びつくことがあるものだ。戦後の混乱期などには、極右思想の集団と、極左思想の集団が連合するケースさえあったという。

思想が水と油でも結びつくことがあるほどなのである。

そういうものだ。

「稼いでも、ほとんどがじさまに吸い取られてしまうしな。 それでちょっとだけ残ったお金で、こっそり外で遊んだりしてみたんだ。 そうしたらどうだよ。 きらきらして、ぴかぴかして……まるで別の世界だった。 何だか涙が止まらなくてな。 俺たちが、そもそもどうしてあんな所を不法占拠して住み着いているのか、誰もしらねえし。 それに何よりも、電気もいんたーねっとも普通に通ってるしな。 じさまの命令で、殆どいんたーねっとなんか使わせて貰えなかったんだぜ。 スマホも電波が悪いしな……」

スマホからインターネットにいつもつないでいるも同然なのだが。

それも分からないくらいだった、ということだろう。

或いは知能がとても低いのかも知れない。

それ自体は悪い事では無い。

別に知能が高い人間が優秀な訳でも無いし、人間的に尊敬できる訳でも無い。

だが、この人については。

人を殺したことについては許せないとは思ったが。

それ以上に悲しいと感じた。

「俺はじさまに掛け合ってな。 もうこんな事を止めようって話をした。 少しだけならまだ若いのもいたのに、みんなでてったのは、少しの金にしがみついてるからだって話をしたんだ。 そうしたら、じさまは鬼の形相になって、出て行けってわめき散らしやがってな」

まあそうだろう。

元々性根が腐りきっていた老人だ。

そういう反応をするのは、火を見るよりも明らかだっただろう。

そして犯人はでていった。

だが、でていっても、ずっと呪いがつきまとった。

「外で何とか暮らそうとしてみたけんども、何もかもうまくいかねえんだ。 何もかもが違いすぎるからな。 力仕事はできたけど、それだけだ。 安宿に帰っても、毎日くたくた。 せっかくいんたーねっとが出来るのに、きらきらぴかぴかは何にもねえ。 それに前にヤクザと一緒に行った風俗ってのも、あらかた潰れてたしな。 インターネットには似たようなのもあったけど、俺にはあんまりあわなかった」

風俗店は現在も存在している、と聞いている。

昔はヤクザのシノギの一つだったそうだが。

今は殆どが、風営法に基づいてやっているまっとうな店だそうだ。

昔も今も、訳ありで短時間でお金を稼ぎたい人が来る場所である事に代わりは無いらしく。

ただ昔よりも衛生面に気を遣っている場所が多いのだとか。

インターネットではアダルトサイトが現役である。

何しろ日本では創作活動が盛んで、ずっとずっとオリジナルから二次創作まで、大量のアダルトコンテンツが溢れてきていた。

それらの中には、作者が版権を手放したものや。

会社が潰れて版権が国に買い取られたものもあり。

無料で見られる安全なアダルトサイトも存在している。もっとも、最近のスマホは生体認証が厳しく、年齢制限はばっちり掛かるそうだが。

犯人はそれらは見られたのだろう。

だが性癖は人の数だけあるとも聞く。

犯人にとっては、やはり生の人間が良かったのだろう。

そして、大体分かってきた。

犯人はギリギリナタを振るえる人間。

言動からしても、若い人物では無い。

会話は全て記録している。

後は、佐川が解析してくれるはずだ。

まだ、話したいことがあるらしい。だから、話を聞いていく。

「ある時だったかな。 俺より10歳くらい若い奴に、どうしてそんなに馬鹿なんですかって半笑いで聞かれてな。 頭に来たからぶん殴った。 そうしたら大げさに血流して喚きやがって、俺は首になった。 相手にも問題があったから警察沙汰にはならなかったけんども、安宿でひとりぼっちになった。 金は少しあったから平気だったけれども、その時思ったんだよ。 何で俺は馬鹿なのか。 学校にもロクに行ってないからだ。 なんで俺は馬鹿なのか。 いんたーねっともろくにしらねえからだ。 それから風俗に行って見たけど、萎えちまって何もできなかった。 俺は馬鹿だ、呪われてるって、一晩中泣いたんだ」

「そうなんですね」

「だから、ナタを買った」

後は、呪いを絶ちきるために動いたという。

家の場所は分かっている。

そして、家に向かうと。老人達が気付いたが。見てみぬフリをした。

やはりそうか。

一人に至っては、静かに頷いたという。

誰も知らない。

だから好きにやると良い、と。

それで犯人は分かったと言う。

「みんなもう限界だったんだ。 じさまだって多分本当は限界だったに違いねえ。 うんと昔は、人権屋とか言う悪い連中が後ろ盾になってて、それである程度金はあったらしいって聞いてる。 悪い事に限れば仕事もたくさんあったらしい。 だけんども、もうみんな年寄りで、若いのはみんな出て行ってる。 此処にいるみんなが、全てを終わらせて欲しいって願っていたんだなって、俺は悟った」

「それで殺したんですか」

「ああ。 家に入る。 家の中は知ってる。 ゴミが増えてる。 でも、関係無い。 じさまが気付いた。 起きる前に、ナタを降り下ろした。 凄い悲鳴がしたけど、誰も出てこなかった。 俺はそのまま家を出て、安宿に戻った」

「分かりました。 疲れたでしょう。 休んでください」

「おめえこそ、悪かったな。 俺みたいな馬鹿の話を、長々と聞かせてよう。 俺は、じさまを殺さずに済む方法は……あったのかなあ」

相手は大まじめだ。

だから高梨も大まじめに応えた。

「役所に相談するべきでしたね。 後は警察に出向いて、罪を償ってから、支援プログラムに沿って生きるべきだったと思います」

「そうかあ……」

人を殺した時点で、もう犯人は取り返しがつかない。

懲役20年は堅いだろう。余罪も含めるともっと長くなるかも知れない。

だが、この絶望の人生だ。

この懲役をこなして、外に出たとき。

もう老人ではあるだろうけれども。

ひょっとしたら、希望が芽生えているかも知れない。

資料を佐川に送る。

そして、宮藤に話をした。

宮藤は分かったと答えると、すぐに対応を始めてくれる。

ため息をつくと、ベッドにぐったりと横たわる。

犯人の人格はもう眠らせた。

だが今回のは本当に疲れた。

とても疲れ果てた。

此処まで疲弊させられたのは、一体いつぶりだろう。犯人の人生は、確かに悪逆に満ちていたかも知れない。

だがその悪逆を作ったのは。

更なる悪逆だったのだから。

 

3、滅びの滅び

 

佐川が高梨から来た情報を解析。

その結果、一人の人物が捜査一課の調査上に浮上した。

その人物は、二十三年前に不可侵集落をでた人物。その後はドカタなどで食いつなぎつつ、ずっと安アパートでの生活をしていたらしいことが分かっている。

即座に手配が掛かり。

そして、安アパートで、男は泣いているところを見つかった。

踏み込んだ警官に対して、男は泣きながら言ったそうである。

何しても、役に立たないんだ、と。

呪いは消えないと。

困惑する警官に、逮捕しろと男は手を差し出し。

結果として、無抵抗のまま逮捕された。

そして、高梨の話通り。

男は証言をした。

二十三年前。

不可侵集落での生活にうんざりしていた男は、長老格の家に押しかけ。もうこの集落を出ると言う話をしたという。

其所で激しい暴力と罵声を浴びせられ、そのまま家を飛び出し。二度と戻ってくるなと言う声を背に、集落を離れたそうだ。

昔余罪は幾つかあったものの、警察としてはそれほどの大物では無いと注目はしていなかった。

何よりも不可侵集落出身であり。

其所をでてから大人しかったこともあって、特に警戒はしていなかったという。

だが、本人は。

ずっと呪いに捕らわれていたのだ。

その呪いを掛けたのは、元々本当の弱者だった人々を、金目当てに活用するために。お前達は弱者であると吹き込んだ人権屋ども。

そいつらの手によって、呪いはずっと不可侵集落の住民達を蝕み続けて来たのだ。

呪いは人権屋どもがいなくなった後も健在だった。

その呪いをもろに浴びたのが、犯人だったのだろう。

やがて外の生活でも疲れ果てた犯人は。

自分が憧れた外の生活がちっとも楽しくないことに気付いてしまった。

きっかけが、十も年下の人間に馬鹿にされたこと、であることはあまり関係はないだろう。

それはあくまで切っ掛けに過ぎなかった。

犯人は泣きながら告白したという。

ずっと、キラキラもぴかぴかも味わえなかった。

風俗に行っても役に立たなかったし。

いんたーねっとも楽しくも何ともなかった。

理由は簡単だ。

呪いと、老い。

そう、とっくに老いていたのだ。

だから、呪いを断ち切らなければならない。

そう考えて、ナタを購入し、不可侵集落の長老を殺しに行ったのだと言う。

ナタについては、犯人の家からごく当たり前に見つかった。血もばっちり残っていて、これだけでも証拠としては充分だった。

そして、犯人の証言は強烈だった。

不可侵集落に来た犯人を見て、見張りはすぐに理由に気付いたが、無視。出てきた何人かの老人も、手にしているナタを見て、すぐに視線をそらし。気付かないフリをしたのだという。

誰もが。

不可侵集落が終わる事を望んでいたのだ。

そして、犯人は殺し。

断末魔の絶叫が響き渡るのを、誰もが無視した。

恐らくだが。

被害者ですらも、内心ではこの不可侵集落が終わりで。終わらせることを望んでいたのではないのだろうか。

いずれにしても、犯人が、錦二に対して完落ちした事で、事件は解決に向かう事になった、と言う話だが。

宮藤には、まだやる事が残っていた。

 

不可侵領域に出向く。

全員が逮捕されて、すっからかんである。

当たり前だ。

殺人の共謀に当たるからである。

ただ今回は、状況が状況だ。

余罪に関しては全員がそれぞれ罰せられるだろうが、それはそれ。誰もが犯人を見逃した事に関しては、今回はかなり情状酌量の余地が認められそうである。

宮藤は見なければならない。

この土地の終わりを。

全員が土地を立ち退いた。

色々な意味でおかしいのだが。そもそも此処は他人の土地だ。其所に勝手に住み着いて、弱者でない人物が弱者を自称していた。背後には人権屋がいて、デリケートな問題を最大限活用して、金儲けにも使っていたし、票田にもしていた。

その呪いが解けた今。

此処は一旦、全てを排除しなければならないのである。

重機が来る。

見張り台もバリケードも、全てが壊されていく。

違法建築も、悉くが解体されていく。

バリバリ、バリバリと凄まじい音がして。更に異臭もとんでもない。この辺りは下水道もいい加減で、未だに便所が汲み取り式の家さえあった。そして、今回警察が踏み込んだ理由は、他にある。

まず住居の解体、ゴミの処理を行う。

ゴミ屋敷が数軒あった事もあり、とんでもない量のゴミが山積みされている。そこに科捜研が来て、内部を調べ始める。

此処は文字通りの魔窟だ。

ゴミ袋から何が出てきてもおかしくないのである。

案の定、解体している家から出るわ出るわ。

拳銃、日本刀、鈍器。

チェーンソーまである。科捜研が調べているが、ルミノール反応もばっちり出ていた。つまり、そういう事だ。

リンチに使ったのか、実際に殺したのかは分からない。

トイレなども徹底的に調べているのを見て同情してしまう。

宮藤は資料を徹底的に集めていく。

今回は高梨の力は借りないが。

佐川には力を借りるだろう。石川にも、現場の状況図をたくさん作ってもらう事になりそうだ。

「出たぞ!」

わっと科捜研の人間が出向く。宮藤も行く。

人骨だ。

かなりの数が、まとまって埋められていた。

この不可侵集落の人間も、流石に死んだら葬式を出して、火葬していたらしい。それについては調べもついている。

すぐに人骨を掘り出し始める科捜研。

十や二十じゃない。

此処がどんなビジネスを過去にしていたか、これだけでも分かる程だ。

殆どの人骨に、他殺の跡が残っていた。

これは、此処の集落の長老についてはともかく。

他に関しては、聴取がたくさん必要になるだろうなと、宮藤は軽く手を人骨に合わせながら思った。

この骨の出自がどんなものなのかは分からない。

この集落にいた人間達と同じ穴の狢、つまり闇の世界の住人の末路なのか。

それとも、下手な所に踏み込んだジャーナリストの末路なのか。

それは分からない。

だが、いずれにしても不可侵領域だった此処はもう終わりだ。そして、此処に埋められた闇も。

宮藤は、これを見届けなければならなかった。

此処を終わらせた者の一人として。

連絡が来る。

神宮司からだった。

「他の同じような不可侵領域でも一斉捜査が始まってますけど、そちらはどんな感じっすかオジサマ?」

「人骨がゴロゴロ出てますよ。 他は?」

「自分は近畿の方に出向いてますけど、こっちもまあ似たようなもんですねマジまんじ」

「……」

こんな時にも巫山戯ている神宮司は、心臓に毛が生えている。

だが、心臓に毛でも生えていないと、そんな仕事はできないだろう。

溜息をつきたくなるが。

ともかく、全国で一斉摘発が始まったと言う事だ。

これで呪いを解かなければならない。

この世界には、幾つも呪いがある。

過去の因習から作られた呪いが。

その一つを、今解けるなら。

解かなければならないのだ。

大量の人骨が回収されていく。何人分あるかは分からないが、科捜研は徹夜作業になるだろう。

二郎が来たので、挨拶をする。

「おう、来ていたか」

「今回の事件には、関わりがありますからね。 この様子だと、骨はまだ出そうですね……」

「恐らく刑事のものもあるだろうな」

「……」

そうかも知れない。

捜査の過程で、警察の腐敗だったり、力を持っていた頃の暴力団員に殺されたりした刑事。行方不明になり、此処に眠っていたのだとすれば。遺族の所に返してやりたいところである。

軽く二郎と話す。

捜査一課のまま、此処で一緒に闇を暴きたかったという二郎。気持ちは分かるが、宮藤はあまり其所までは思えなかった。

今は捜査一課を離れたが。

宮藤班でなければ、此処を潰すには大変な手間が掛かっただろう。

そして此処を潰さなければ。

呪いはずっと、悪い形で残り続け。

土地の人々を苦しめ続けただろう。

呪いというのは、怪しい儀式で行うものではないと聞いている。要するに人間の心に掛けるものなのだ。

そういう意味では、不可侵領域が作られている時点で呪いが既に掛けられている。此処は正にそれだ。

二郎が捜査一課と一緒に行ったので、宮藤は邪魔にならないように一旦その場を離れて、警戒に当たっている警官に敬礼し、外に出る。

昔だったらマスコミが大勢押し寄せていただろうが。

今は静かなものだ。

ただ現地の人間達がそれなりの数、様子を見に来ていたが。

警察用ロボットに対しても、元々犯罪に関係が深い人間ではないからか、警戒心を見せていない。

警察用ロボットを怖れるのは、犯罪者や反社ほどその傾向が強い。

まあ、見ている分には威圧感がないロボットだ。

確かに怖がらないのも無理はない。

「はい、どいてどいて」

宮藤がそう言って出ると、聴衆は一応緩慢に道を空けてくれる。

昔の癖だ。

マスコミが完全に終わるまでは、こうしないと出られないこともあったにはあった。今はSNSに情報を挙げようとスマホで撮影している人間がちょっといるくらいで、それも警察用ロボットが一定線いないには絶対に入れないし、警官も見張っている。

少し高い所に出て、周囲に人がいない事を確認してから、石川に連絡。

今回は石川がとても仕事が大変だろうからだ。

「石川ちゃん、そっちはどう?」

「パズルの気分ですー」

「そう。 悲しいけれど、みんな此処で無念の死を遂げた人だから、あまり酷い事は言わないであげて」

「はあ、まあ……」

軽く話を聞く。

やはり石川の目から見ても他殺の死体が多いと言う。

首を切りおとされていたり、チェーンソーで体をバラバラにされた形跡がある死体もあるのだとか。

骨が大量に埋まっていたのは数メートル地下だったから。

外に臭気も漏れなかったのだろう。

ヤクザなどもブルーシートなどを活用し、三メートル以上死体を埋めることで、証拠隠滅を計るらしいが。

此処の人間もほぼ同じ事をしていたわけだ。

「それで、何人分くらいありそう?」

「現時点で十二人ですね。 おっと、近畿の方でも出ました。 こっちも十人以上は軽くありますね」

「……酷い話だ」

「とりあえず、死体に肉付けして生前の状態を復元してみます」

頼むね、というと、煙草を吸う動作をしてしまい。

そのまま慄然として、下を見つめた。

佐川に続いて連絡。

状況について確認するが。現時点では、高梨に助力を請うような案件は来ていない、と言う事だった。

「此方はもう大丈夫ですにゃー。 部長はもう何も用事はない感じで?」

「もう少し見たら戻る予定だけれどね。 おっと」

警視総監だ。

SPも連れている。

屈強なSPを見て、流石に聴衆もヤバイと思ったのだろう。すぐにその場を離れていく。警視総監か。挨拶をする必要はないが、向こうから声を掛けて来るかも知れない。

一旦通話を切ると、一応近付く。

SPが気付いて、声を掛けて来た。

やはり宮藤に用事ありか。

警視総監は相変わらず鉄のような雰囲気で。警視監だった頃に一緒に仕事をしたときと雰囲気がまるで変わっていない。

鬼婆と言うよりは、魔王という雰囲気である。

まあ事実閻魔大王と渾名されているのである。

警視庁のトップが閻魔大王というのも変な話ではあるが。

少なくとも現状の警視総監は、手元に優秀なチームを置くことはあっても、警視庁の予算を私物化したり、今までの無能キャリアのような出所が怪しいポケットマネーで権力を作っていない。

豪腕でのし上がってきたが故に。

権力闘争しか興味が無かったキャリア達には、閻魔大王という名で怖れられたのだ。

SPはその完全な下僕。

まあ見ていると、要するに地獄の獄卒とでもいうべきか。

「宮藤様、此方に」

「あんたも公僕でしょうに、いいんですよ様なんて」

「いえ、そういうわけには」

「へいへい」

言われたままついていく。

警視総監は、現在の家々の解体状況、後から出てきたおぞましい物品の数々について聞いていたが。

宮藤を見ると、興味を此方に向けてきた。

いやだねえ。

内心ぼやくが、流石に警察のトップを無碍にも出来ない。

そしてこの閻魔大王は。

別に無能キャリアと違って、不正をしている訳でもない。こうやって重要な局面では前線にも出てきているのだ。

とりあえず、頭を下げる。

部下達にも迷惑を掛けないために。

「お久しぶりです警視総監。 今回はご足労です」

「宮藤警部。 くだらん前置きはいい。 今回はお手柄だったな。 ボーナスと勲章を出しておこう。 貴官だけではなく部下達にもな」

「ありがとうございます」

「今回も其方のエースは大活躍したのだな」

そら来た、と宮藤は判断。

どうせほしいと言うのだろうが。

しかし、警視総監の発言は違っていた。

「現時点で宮藤班は現状維持とする。 癖が強い人材を使いこなしていることは評価しているぞ。 今回のような大きな事件をもう一つ二つ解決したら、貴官は警視に昇格させよう」

「警視、ですか」

警視。

警部の上だ。

この階級になると、東京の捜査一課の課長や、各地の県警では部長だったりするケースもある。

普通、ノンキャリアでは絶対に到達できない地位であり。

一方昇格試験さえ通れば、キャリア組は早々に通過していく場所でもある。

無縁だろうと思っていた地位なのだが。

それが手に入ってしまう圏内に入って、とても微妙な気持ちだ。

それに、部下達はそのままで良いと言うのはありがたい。

宮藤は、宮藤班では一番の役立たずだ。

足で稼いで荒事をちょっとするくらいしか出来ない。

石川のような、完全なプロのプログラマーでもないし。

佐川のように、高梨の発言とイマジナリーフレンドの発言をまとめて、しっかりした形に出来る訳でも無い。

普段やってるのはパシリで。

周囲から白い目で見られがちな皆を守る盾としてしか役に立てない。

だから、今回は役に立てて有り難かった。

「では今後も活躍を期待する」

「はい、ありがとうございます」

「うむ……」

警視総監が行く。

老婆とは思えない。背もしっかり伸びているし、これは周囲から暴漢が襲いかかっても即座にひねり潰すだろう。

そのまま警視総監が、現場を視察する。

邪魔にならないように距離を取って、SPに時々確認をしているようだ。なお、現場で働いている警官達には、宮藤以外には話しかけなかった。最後まで邪魔になるのを避けたのだろう。

宮藤はもう此処には用が無いし、出来る事もない。

二郎に声を掛けると、戻る事にする。

二郎は、感慨深そうにいった。

「此処が潰れるのを、俺が生きている間に見る事になるとはな……」

「呪いが終わった瞬間ですよ」

「そうだな。 とりあえずもうお前達の力は借りなくても大丈夫だろう。 宮藤、次の難事件が待ってるだろう。 そっちを解決してやってくれ。 迷宮入り事件かもしれないがな」

「はい」

頭を下げ、後は電車で戻る。

パトカーがたくさん周囲に止まっていたが、別に宮藤はタクシーと歩き、電車で此処まで来ている。

強制捜査班ではなく。

此処の解体に加わったメンバーの一人に過ぎないからである。

さて、欠食児童どもは、何かリクエストをしてくるだろうか。

一応連絡しておくが、まだ菓子は余っているらしく、いらないそうだ。下手すると袋一杯にカントリーマァムとじゃがりこを買っていくはめになったかも知れないが、これなら大丈夫だろう。

電車を乗り継いで、交通課に戻る。

戻ると、どっと疲れが出た。

石川は現在進行形で凄まじい勢いの打鍵をしている。一つずつ骨を精査して、生前時の姿を再現する作業をしているのだ。

不自然に壊されている骨も多く。

全盛期のあの不可侵領域で、どんな悪夢のような事が行われていたのか、容易に想像がついてしまう。

現在、四ヶ所で似たような作業が行われていて。

人骨が四十体以上でているそうである。

その全てに事件性がありと判断。

これから、徹底的に調査していくという事で。石川はしばらく大忙しだろう。

佐川は多少余裕がありそうだが。

石川が再現した人体パーツを組みあわせて、どんどん人間の形に戻している。佐川くらいの知能があると、元がどういう姿だったのかが分かってくるらしい。

ただ、佐川にとっては退屈な作業でもあるらしい。

勿論不謹慎な話だが。

だったら、佐川以外がやったらどうなるか。

十倍も時間が掛かって、コストが無駄になるだけだ。

だから、宮藤は何も言わない。

自席に着くと、メールなどを確認する。

しかし、メールを確認している途中に、声を掛けられた。

「宮藤警部ー」

「なんだい」

「これ、結構な大物ですよ」

言われて顔を出す。

あっと思わず声が出ていた。

宮藤も見た事がある。三十年以上前。宮藤がまだ幼児だった頃に、世間を騒がせた強盗犯である。

銀行強盗をして逃げおおせた有名人で。

奪った現金は二億円とも言われていた。

あまりにも巧みに逃げたので、何処かの過激派だとか、ヤクザの支援を受けていたのではないかとか、憶測が飛び交ったが。

ついに見つからなかった人物である。

「良く見つけたねー。 復元図でこれかい?」

「はい。 この様子だと、色々複雑な事件だったと思いますよ。 だって此処に逃げ込む理由がないですもん」

「……そうだね。 過激派絡みだったのか、それとも国を混乱させるための、もうない国の工作だったのか」

「ボロボロ出ますね闇の中身が」

頷く。

今回、四十以上出た骨のうち。宮藤班は関東と近畿の二箇所の不可侵集落から出たもの、およそ半分の二十三を担当する事になっている。

これら不可侵地区はいずれもが人権屋がバックについていた。

こうなると、もっとたくさんのヤバイ骨が埋まっていそうだなと、今から宮藤は頭を抱えざるを得なかった。

 

それから数日は、SNSが大騒ぎになった。

不可侵集落のヤバさについては昔は話題だったが、今はそんな場所もあるのか、くらいの認識だが。

そこから出るわ出るわに人骨が発見されているという話になると。

一転して大騒ぎになった。

海外でも、大手のマフィアが完全に潰されたとき。彼らの所有していた敷地で大量の遺留品が見つかった事があった。

遺留品さえ残さず、死体を豚に食わせるマフィアもいるらしいが(豚は顎が強く、骨も残さず死体を平らげてしまう)。

恐らく身内の抗争で出た死体だったのだろう。

此処はその時に出た人骨……およそ千に達する人骨ほどではないが。それでも国内では此処までヤバイ量の人骨が出ることは滅多に無い。

当然大騒ぎになった。

「俺、彼処のすぐ近くに住んでたんだよ。 今回の話聞いて、ぞっとしちまったよ。 じいさんばあさんばっかりだったし、何も怖くないと思い込んでいた自分をぶん殴ってやりたい」

「俺の方は、あの辺りには絶対に近寄るなって言明されてたな。 地元の人間の間では、もう本当に不可侵の土地だったし……」

「本当に中がやばかったんだな。 余罪がどれだけ出るやら……」

「それで更地にするんだろ。 全員逮捕かな」

宮藤はSNSを閉じる。

一応警察の広報から、事件については発表されている。

マスコミが使い物にならなくなったので、おもにSNSに対してである。

現時点で発見されている人骨は45体分。

うち何人かは、消息不明になっていた凶悪犯であり、現在関係者に聴取の最中である。しかしながら関係者はいずれも年老いていて、非常に聴取は難航している、という事であった。

これは高梨に仕事が来るかなと宮藤は思ったが。

今回の対応については、捜査一課が当たるらしい。

まああの地区に住んでいた連中は、捜査一課にとっても色々因縁の相手だ。気合いを入れて吐かせに掛かるのだろう。

そしてもう人権屋がバックについていない以上。

彼らには、もはや頼れる者などいない。

調べて見た所、一定以上の資産があるものは、殆どいなかったらしい。

人権屋がバックについて、色々な邪悪な活動をしていた頃には、彼らは相応に潤っていたのだろう。

だがそれも過去の話。

浪費になれている上、金銭感覚がおかしい人間が、貯金を維持できる訳も無い。

中には生活保護を突っぱねられて、餓死寸前になっていたものまでいたようだ。

自業自得、と片付けるのは用意だが。

彼らはこれだけの死体をどうしたのか、吐く義務がある。

それまでに死んで貰っては困るのである。

二郎からメールが来た。

総掛かりで吐かせに掛かっているらしい。

集落にいた者達、集落から出た者達も、全員がかりである。

既にモンタージュは石川が完成させ。

骨のパズルも、佐川が完成させている。

流石に作業が一段落したからか、佐川はずっと寝ているし。石川も疲れたからか、時々あくびをしている。

本来なら周囲に睨まれそうだが。

流石にここ数日の凄まじい働きぶりを見ていたからだろう。

だらけているというか、力を使い果たした石川に対して、文句を言ってくる者はいなかった。

「石川ちゃん、おいちゃんちょっと外に出てくるわ。 お菓子いる?」

「いーえ」

「そうかい。 じゃあ何かあったら連絡してね」

外に出る。

あまりいい空気では無いが。それでも都心よりはマシだ。

しばらくぼんやりしていると、連絡が来る。

二郎からだった。

「またすまないな」

「いいえ。 どうしました」

「例の銀行強盗、顛末を連中が吐いたぞ」

「……」

それによるとだ。

銀行強盗は、元々ヤクザから拳銃などを仕入れ。そのまま銀行に押し入り、奇跡的に逃げる事に成功したらしい。

問題はその後だった。

動きをつけていたヤクザに捕獲され。

彼らの事務所に引きずり込まれた。

うちのシマで勝手な事してくさってからに。

そういう理屈で、ヤクザ達は銀行強盗を殺した。

かくして、死体が持ち込まれたという。

死体の処理業は、あの不可侵集落の重要な収入源だった。

何しろ誰も来ないのだから。

死体を隠すのはうってつけ。

山の中などでは、ブルーシートなどを使って死体を上手く隠す方法もあるのだが、それも絶対では無い。

だから、ヤクザとしても奪い取った二億だかを確保するために。

犯人の痕跡を確実に消したかったのだろう。

ヤクザがどういう経路で、不可侵集落にアクセスしたかは分からない。

分かっているのは、死体をそのまま、「穴」と呼ばれている場所。そう、あの大量の骨が見つかった場所に捨てたと言うことだ。

不可侵集落の住人は、生きたまま連れてこられた人間を殺すことはあまりなく(あったにはあったようだが)。殺された人間を、主に処理していたらしい。

死体については、蛆虫などを常に確保していて、大量に投入することで数日で骨にしてしまうと言う技術を持っていたようだ。

近年は死体処理にも色々方法があるのだが。

その中でも、もっとも原始的な方法とも言える。

そして警察も人権が何だで踏み込めない時代。

誰も入ってこない其所は、死体を処理するには最高の場所だった、と言う訳だ。

勿論全ての詳細な手口については話してくれない。

だが、二郎の話を聞くと、色々やりきれなかった。

あの集落は滅ぶべくして滅んだ。

呪いは多くの人を不幸にした。

人間はやっぱりろくなもんじゃないな。

そうとしか、宮藤には言えなかった。

だからこそ、あの欠食児童共や、本当の意味で弱者である高梨を守らなければならない。決意を新たにする。

「なあ宮藤。 そこにいて楽しいか?」

「楽しくはありません」

「今度警視に、という話があるらしいな。 いっそ何処かの捜査一課の課長を希望してみたらどうだ。 都の捜査一課は厳しいだろうが、大阪や北海道なんかの大きな捜査一課だったら、お前は活躍出来ると思うぞ」

「本当にありがたい話ですが、自分には今三人ほど守らなければならない奴らがいるんですよ。 他の部署ではあの三人はやっていけません。 それに、なんだかんだで聴取中の犯人の顔の形を変えた以上、自分は捜査一課の刑事としては失格です。 今の立場が良いんですよ」

そうか、と二郎は言う。

そして、更に付け足した。

「俺の後輩にはどうも跡継ぎになれそうな奴がいなくてな。 何人か部下は育てたが、どいつも犯人にほだされそうになったり、良いようにあしらわれたりで駄目だ。 お前が後を継いでくれたら、嬉しかったんだがな」

「今後はきっと、ロボットがそれも代行できる時代が来ますよ。 犯人への聴取はするがわも負担が大きい。 名人芸は確かに凄いですが、電子レンジや掃除機が家事に革命を起こしたように、テクノロジーで処理出来ればそれが一番だと思います」

「そうか……そうだな」

二郎の嘆きももっともだが。

元々異常な労働体制だったのを、改善して今に来ている。

今になって、名人芸で支えていた昔の苦悩を再現する必要はない。

どんどん警察用ロボットが、非人道的だった部分の労働を肩代わりしてくれている。今後は、その分野は更に増えていくだろう。

それでいいのである。

電子レンジや掃除機が出来ても。誰も困らなかったのだから。

一度デスクに戻る。

石川が疲れたので仮眠を取ると言って、佐川の部屋に向かった。

止めない。

休む権利がある。

それを、宮藤は知っていた。

 

4、剥ぎ取られる闇

 

警視総監の所にレポートが来る。

不可侵集落で起きていた事件を全てまとめたものだ。

すぐに目を通してしまう。

警視総監は、閻魔大王と言われている。閻魔大王は地獄の最高裁判官だから、宗教的な意味では少し認識が間違ってはいる。

だが、それはそれ。

怖れられるに充分な事を、いつもしていれば良い。

デスクにレポートを持って来た警視監。いわゆる警視副総監。そんな無駄な事はせずにメールで送ってくればいいものを。

自分がやりましたアピールをしているようで、気分が悪い。

すぐに目を通す。

相手は息子のような年だが。

警視総監に対して、怯えきっているのが分かった。

「未解決の事件が十六件も解決したか」

「はい。 人権屋の大事なビジネス源として、誰も入れない場所が活用されていたようですね」

「まあいい。 奴らの残党をこれで更に締め上げろ。 一人も逃すな」

「はい。 捜査一課に指示します」

ぎこちなく敬礼すると、すぐに出ていく。

それにしても、錚々たる面子だ。

二億円の銀行強盗犯だけではない。

過激派団体の内輪もめ。統括とかいったか。それで殺されたと思われる連中。どこかの大企業の馬鹿息子がやらかしたらしい過失致死の処理。広域暴力団が金のごたごたで殺した身内。いずれもが、不意に失踪し。生存は絶望視されていた連中だ。中には、マネーゲームに巻き込まれて金をむしられるだけむしられた挙げ句、借金漬けにされ、そのまま殺された気の毒な資産家の息子もいた。

関係者の逮捕は、既に七十人に及んでいる。

大半が老人ばかりだが。

容赦する理由は無い。

この国は、要するに彼らが老人になるまで、野放しにしていたのだ。老人だろうが何だろうが、償うべきは償って貰う必要がある。

また、既に逮捕されて刑務所に入っている人間を再逮捕するケースも増えている。

この国に今死刑は無い。

死刑相当として終身刑があるが。

しぶとく終身刑になっても生き残っている邪悪な人権屋の中には、この事件に関わっている輩も多い。

再裁判になるだろう。

まあ、刑務所から出ることは無く。刑務所の中から裁判を受けて貰うが。

終身刑に既になっているのだ。

これ以上終身刑になっても同じ。

さぞや口は滑るだろう。

さて、と。

メールを打っておく。

すぐに神宮司が来た。疲れきっている様子だ。

まあそれもそうだろう。

あのレポートを作ったのは、実質上神宮司とそのチームだ。

宮藤班が半分ほどの身元を特定してくれた。

各地のプロファイルチームが残りを分担して担当。事件を相互にまとめ上げたのが神宮司である。

今回の件で、神宮司は警視に昇進だ。

全国のプロファイルチームのトップである。恐らく、日本史上最高のIQを持つ警察幹部だろう。

最終的には、あまり時間が残っていない警視総監の後継者になって貰う。

そのためには必要なのだ。

実績が。

「どうしました、警視総監。 わたし疲れ果てててチョベリバですのよ」

「相変わらず面白い言葉を使うな。 確か廃れて随分経った死語だったな」

「えへー」

「褒めていない」

神宮司も、宮藤の所の高梨ほどでは無いが、ロクな人生を送ってきていない。警視総監が拾わなかったら死んでいた可能性も高い。

そのためか、口調が一定しないし、死語をよく分からない使い方で時々口にする。

一応慣れれば相応に接する事が出来るが。

「今回の件でお前は更に責任のある立場になった。 今後はもっと実績を積んで、私の跡を継いでこの国の警察をしっかりリードしていく必要がある。 分かっているな」

「はい。 無能なプロファイラーをリストアップして、配置換えする予定です。 それと民間に使えそうなのがいるので、引っ張ってきてもいいですか?」

「まあ好きにすると良い。 ただし人事の内容は私に見せるように」

「はーい」

素の神宮司の言葉は分からない。

普段は此奴、仮面を被っているからだ。

本性もよく分からない。

警視総監を利用しようとしているだけかも知れない。だが、今の仕事に愛着は持っているようだ。

それでいい。

「時にそれだけですか?」

「いや。 一つ任せたい案件がある」

「お、宮藤班でなく私に」

「ああ。 宮藤班には別の案件を任せる。 宮藤には野心というものがないからな。 地位を要求はしてこないだろう」

むっとする神宮司。

これが唯一の懸念事項だ。

神宮司は、さえないおっさんである宮藤が率いる宮藤班に対抗意識を燃やしている。

相手が異能持ちの集団だからだ。

どれだけ知能が高くても、異能持ちが相手だとどうしようもない。

アインシュタインだろうが、狙撃されれば死ぬ。

神宮司だって、何もかもを出来る訳では無いのだ。

「分かりました。 すぐに処理します」

「前の無能な警視総監や、権力闘争にしか興味が無いキャリアどものせいで、迷宮入りしたままの事件は幾つもある。 それに今後起きる難事件を解決するためにも、お前達の協力は必要だ。 次は別々に動いて貰うが、今後はまた連携して貰うかも知れない」

「……はい」

「分かったな。 それでは休め。 疲れを取っておけ」

神宮司を下がらせる。

一人になったオフィスで、警視総監は嘆息した。

まだまだ、後継者にするにはあらゆる物が足りない。

だが、後継者たり得るのは。

神宮司しかいないのも事実だった。

 

(続)