竹の子の森

 

序、休暇はない

 

署に戻って来て。残務処理をしている宮藤は、早速メールを受ける。次の仕事だ。平穏はたった半日で破られたか。

だが、そうではなくて。

今まで未処理案件だった事件の可能性もある。

宮藤班の実績は認められてきているのだ。

そして未解決の事件が解決できれば、それだけ治安だって良くなる。この国に住まう誰もの為にも、警官は働かなければならない。

兎も角メールの内容を確認。

どうやら今回は捜査チームが立ち上がっていない事件らしい。

正確には、一度解散した様子だ。

こういう迷宮入りした事件は結構あるのだが。

この国では、殺人以上の罪を犯した場合、ほぼ逃れる事は不可能だ。

そういうものである。

今回の事件は、どうも妙な内容で。

行方不明事件ではあるのだが。

死体は発見されていない。

かといって、放置するには不自然すぎる。

故に、捜査はされたのだが。

現場に証拠などは挙がってこず。その結果、迷宮入りしてしまったという経緯がある。そして何よりも問題だったのは。

この件を担当したキャリアが無能で。

初動捜査が遅れたと言う事だろう。

その無能キャリアは現在、この間就任した警視総監の大なた人事によってばっさり切られ。

僻地の一警官にまで落とされているという。

まあ其奴のことは良い。

兎も角、今も捜査を続けている警官がいるという事で、二郎に連絡。伝手を辿って、本人と連絡を取る事にする。

二郎が少し待っていろと電話先で言った後。

本当に待たされて。

少ししてから、やる気がない男の声がした。

相手は足立幸平と名乗ると、今回の事件について、資料を送ってくれるという。

まあ仕方が無い。

まずは、その内容から確認だ。

石川と佐川に声を掛けようとしたが、佐川がいない。寝ているわけだ。仕方が無い、起きてくるまでは石川だけに対応してもらうしかないか。

佐川は瞬間睡眠だし、無理に起こしてもあまり動きが良くない。

一応石川に聞いてみると、眠りに入ったのは三時間前ほどと言う事で、それならばそろそろ起きてくるだろう。

資料が届く。

最近はファイル化されるだけではなく、データベースに資料は登録され、内容を確認できるようになっている。

それに加えて極秘資料もあるが。

基本的にスタンドアロンのサーバにデータを保存している。

其所から複雑な行程で取りだしてきて。

特注の回線で送るのである。

とりあえずそう色々と作業をしなければならないので、それなりに時間は掛かるが。現在は様々な方向から省力化が図られており、十時間も掛かるような事はない。まあ、資料がすぐ届いたのは良いことだ。

早速中身を確認。

石川が内容を見て、口をへの字にした。

そのまま凄まじい勢いで打鍵を開始する。

これは何かあったな。そう思って聞いてみると、そのまま石川は応えてくる。

「どうもこうも、これは酷い現場の状況図ですよもうー」

「そうなのかい?」

「物理演算とかしっかりやってないですねー」

現場には血の跡があるが、ルミノール反応ででた量から考えるに、致死量とは考えにくいという。

だが、行方不明になった人物。

神奈川の山奥に住んでいた孤独な人物だが。

その人物がどう動いて、どう血が出たとか。

そういうのがまったく分からないのである。

初動が遅れたせいで、資料も少ない。

それでも最低限の資料は揃っているが、少なくとも現場の再現図に関しては、石川が怒るような代物だった、ということのようだ。

まあそれはプロに任せる事にする。

宮藤も内容を確認する。

内容としては行方不明事件だが、元々消息を絶った人物は周辺でも謎とされていて、殆ど顔を見せなかったらしい。

借金などがあるという話もなく。

何の仕事をしていたのかも不明。

リモートワークが普及した現在、何の仕事をしているか分からないケースはよくあるのだけれども。

問題は警察が調べた所、この行方不明事件の核になるらしい人物は、2000万ほどの貯金を有しており。

その一方で、収入源が分からなかったのだとか。

情報を当たって本名は突き止めてある。

児玉小路。39歳。

親が資産家だったと言う事も無く。仕事も詳細不明。

それでありながら食うに困らぬ生活をしていて。仕事も何をしていたのか分からない。

そして失踪。

家の中には血痕。

というわけで、事件性ありということで警察が動く事になった。

なお警察が動いた理由だが、ゴミ捨てに一切出てこないというのが理由で。周辺住民の通報があり。大家が実際に踏み込んだところ、鍵が開いたままになっており、中もあらされた形跡一つ無かったからである。

ペットなどは存在していなかったが。

冷蔵庫の中のものなどは腐敗が始まっており。

その状況から、冷蔵庫に二週間ほど手をつけていないことが判明した。

他にも資料を色々と漁ったが。

二階建てのこの家、元々両親から遺産として受け継いだらしく。そもそも、かなり古いものを何度も改築しているらしい。

そのため家の設計図は複雑極まりなく。

警察でも怪しいと思って後から調べたようなのだが。

何処かに死体があるような事もなく。結局何も見つからなかった。

勿論科学的調査を行い、家に妙な構造か何かがないかも調べているが。基本的にどう考えてもそれはあり得ない。

何しろ床下はコンクリのベタうちでガチガチ。これは軒下に潜った警官が確認を取っている。

更に床壁は一時期の悪徳マンション業者が作ったマンションのようにペラッペラ。

隣の家は、この家の住人が何をしているか丸聞こえだったらしく(あまり五月蠅く生活する人間ではなかったようだが)、その生活音が一切しなくなったことも怪しまれた理由だった。

いずれにしても、わずかな血痕はあったものの、調査はしてみたが明らかに致死量ではないし、体の奥深くから流れ出た血でも無い事が判明。

それらを総合すると、一番最初に思い当たるのが誘拐事件である。

個人情報を色々と当たって調べて見るが。

最寄り駅で痕跡を発見。

そのまま移動をして、都心の駅で降りている。

そして都心の駅で降りた後に、消息を絶っており。以降どの電車にも乗った形跡がない。

資産についてだが、此方は事件発覚と同時に即座に凍結したのだが。

これについても、誰かが取りに来る様子も無い。アクセスさえない。

実際、電車を利用してから二週間が経過している。

それで通帳などに一切誰も手をつけていないのは不自然すぎる。

かくして、宮藤班に話が廻って来たのだった。

誘拐なども捜査一課は扱うのだが、これはあまりにも不審すぎる。勿論本人がまだ生きている可能性はある。

昔のように、失踪したら行方不明という状況にしていた場合。

行方不明者は死んだと勘違いしていた人間も多いが。

多くの場合、住所が安定しない人間が移動し、公的機関が居場所を把握していない時に行方不明が発生するのであって。

行方不明に事件性がある場合は殆ど無いのが現実である。

今は更にこの辺りの人間追跡能力が上がっており。

一時期年に万単位でていた行方不明者は。

現在では千人程度しかでていないし。その殆ども行方不明になってから一月もしない間に生死関係無く発見される。

まあ税金の取り立てとか色々理由はあるのだが。

いずれにしても、今の警察は様々な位置把握システムとリンクしており。昔以上に殺人や誘拐は難しくなっている。

それが現実である。

「いずれにしてもこれ、根本的に見直した方が良いと思いますよー」

「じゃあ石川ちゃん、任せていいかい」

「一応家の中は私が調べますけど、他は佐川ちゃんで」

「ういうい。 佐川ちゃんにお願いするよ。 起きて来たらね」

宮藤は宮藤で、これから足立と連携を取って、行動をしなければならない。

足立自身は経歴を見る限りごく平凡な刑事で、一課で華々しく活躍していた(最終的に事件を起こしてドロップアウトした)宮藤に比べて、兎に角経歴が地味だ。ざっと見た感じでは、殆ど独力で解決できた事件は無い。

この謎の失踪事件に関しても、事件性が薄いと言う事で足立に押しつけられているようだけれども。

そもそも家の金を全部封印し。

家もそのままにし、鍵も開けたままでいなくなる。

事件だと分かっているのに。

どうしてしっかり追わないのか。

分かっている。

手がまだ足りないのだ。

一時期に比べると、ロボットなどの導入でかなり事件に対する警察の初動は早くなっている。無能なキャリアの現場からの積極的な排除もそれに影響しているだろう。

だが、それにしても、この件は妙だ。

腕組みした宮藤は、まずは足立にメールを送り、直接会いたいと話をする。

どうせ隣の県だ。

しかも足立はこの件だけを任されているらしく、現状捜査一課の端っこで、寂しい仕事をしているらしい。

用事は、ないだろう。

メールをすると、嬉々として此方に来ると言われる。

足立の方に伺おうかと思ったのだが、色々頭が痛い返事が返ってきた。

「うちの方には、もう資料と呼べるものがありませんので。 ベテランとして知られる宮藤さんと一緒に行動したいです」

「はあ、まあそれでかまわないのなら此方は問題ありませんが……」

「其方は警部さんですよね。 俺はヒラなんで、上からの発言でかまわないですよ」

「は、はあ……」

流石に困惑する。

この発言、なんというか。既に絶滅した体育会系を思わせるものだ。

一時期はマッチョイズムもあって、体育会系は社会の上層に居座る事が多く。その結果、ろくでもない結果ばかり生んだ。

悪名高いブラック企業の幹部や役員は大体が体育会系の人間であり。

周囲をイエスマンで固め。

体育会系人間は、「上下関係」を重んじる性質から、その行動をすんなり受け入れていた。

ブラック企業で体育会系が重宝された理由である。

現在はリモートワークの普及による学校制度の根本的な変更などからも、様々に改革が入り。体育会系という人種はほぼ消滅したが。

まだ希に生き残っているとは聞いていた。

足立がそうでないといいのだが。

はてさて。

メールのやりとりを横で見ていた石川が言う。

「宮藤警部ー」

「何か分かったかい?」

「いんや、今の人の事ですけど」

「足立くんかい? どう接して良いか困るんだよねえ。 別の部署の人間だし」

石川は相変わらず凄まじい勢いで打鍵していて、声が打鍵音にかき消されているほどである。

仕事をさぼっている訳では無い事は、誰もが一目で分かる。

大体石川がやっているのは、CADのような設計より遙かに複雑な計算を伴う難しい作業である。

裁判所に提出する資料などは、最近は実物の人間と代わらないレベルのCGで状況再現をすることも多く。

それをぱぱっとこなす石川は、最近空いている時間、解決した事件の裁判所提出資料作成を頼まれることも多い。

給金は宮藤より今でも多いらしく、既に貯金は一千五百万を超えているらしいが。

いずれにしても、それも妥当だろう。

「ちょっと資料を見てみたんですけれど、注意した方が良いかも知れないですよー」

「おや、おいちゃんが見た感じでは、特に変なところはなかったと思うんだけどなあ」

「いんや、この資料のことですよ。 この資料」

どうも石川がいうのは、足立が出してきた資料のことらしい。

石川が言うには。

意図的に手を抜いている形跡があると言うのだ。

それは問題だ。

しかし、意図的に手を抜いているとは、どういうことか。

「それは、足立君が暇すぎて、モチベが上がらなくて、とかではないのかな」

「そう好意的に解釈しても良いですけどー。 どうにも私には、そうとは思えないんですよねー」

「……」

「おお、佐川ちゃん、起きて来たか。 てかパジャマずれてるずれてる」

起きだしてきた佐川を、慌てて石川が飛び出していって、更衣室に連れて行く。

それなりにラフな格好だが、パジャマが脱げかけているのは流石にまずい。一応交通課の部署の一部なのである。仕事は交通課じゃないけど。

外部からの人間から見える場所にはないとはいえ、パジャマが脱げかけて肩が出ている子供が彷徨いていたら、どんな不祥事になるか分からない。

とりあえず戻って来た佐川に、状況を説明。

まだ頭が働いていないようだが、資料を渡すと早速確認を始めた。

とりあえず、気を付けた方が良い、か。

宮藤は一旦、待ち合わせ場所に指定した駅に向かう。

向こうは直接署に来るつもりだったらしいのだが、それもなんだ。

近場に交番があるので、そこで話す事にする。

交番の奥には聴取が出来る部屋があり、当然防音で盗聴を完全に防ぐようにもなっている。

軽く話をするにはうってつけだ。

宮藤は途中で交番に連絡を入れ、話をつけておく。

交番側でも、それについては許可を受けてくれた。

警部という立場もあるが、交番に人がいるというのはそれだけありがたいことなのである。警官が事情があるとは言え、二人追加できてくれるというのは、それだけ常駐の警官の負担が減る事を意味する。

今では警察用のロボットが数機ずつ交番には配備されていて、暴徒くらいは簡単に排除できる能力があるのだが。

それでも不安はある。

それについては、交番勤務をこなしたこともある宮藤は知っている。

途中、佐川から連絡が来る。

目が覚めたのだろう。

資料を見て、思うところがあるようだった。

「やっぱりこれ変ですニャー」

「石川ちゃんが言っていたけれど、手抜きしているって奴かい?」

「そうですにゃー。 ちょっと気を付けた方が良いかも知れないですねえ」

「分かった、気を付けておくよ」

さて、足立はと。

駅について周囲を見回すと、何とも冴えない若造が来た。昔は捜査一課と言えば、目つきからして違ったのだが。

なんというか。こんな仕事を回されて、解決の糸口もなくて、覇気を失ったか。

それでは困る。

警官はいざという時に、市民の盾になる立場だ。

今の警視総監の言葉である。

実の所、あの閻魔大王と渾名される警視総監には色々と思うところもあるのだが。この言葉だけは真理だと思う。

弱い者に生きる価値なし。

そんな寝言を口にする人間は、特に20世紀初頭にいた。

大まじめにそう口にして、躊躇無く犯罪を犯し。暴力を振るい。世界にいたずらに混乱をばらまいた。

そんな輩をまたのさばらせないようにするために。

警察がある。

警官がいる。

あの警視総監には思うところはあっても。まだ警官をやっているのは、自分が弱者の盾にならなければならないから。そしてなれるから、である。

とはいっても、普段は昼行灯を装っている身。

足立もそうかも知れない。

見かけで相手を判断するのは危険である。今のは、あくまで石川と佐川の注意勧告を受けたからである。

まず名刺交換をして、交番に向かう。

軽く進展について聞くが、全く、とだけ返された。

交番に入ると、中年の警官が、敬礼をしてきたので、敬礼を返す。

奥を貸して貰う。そこそこに広い部屋だが。

二人で使うにはちょっと狭いか。

一応最大限の警戒はしておくか。

テーブルを挟んで、軽く話をする。足立という男、なんというかへらへらしていて、本人にも殆ど武術の心得は無い様子だ。或いは、宮藤にも悟らせないほどの達人か。後者は流石にあり得ないだろう。

幾つかの資料について、順番に話を聞いていく。

科捜研に貰った資料をまとめただけだとか足立は言っているが。

にしては、石川や佐川がいうように、意図的な手抜きが目立つ。ならば、何かあるとみるべきだ。

失踪した児玉について印象を聞いてみる。

何かある場合、此処で大体変な反応を返してくる。

「なんというか、羨ましいご身分だと思いますねえ。 仕事しなくても生活出来るご身分で、収入もあって。 結構良い車にも乗っていて」

「本当にそうかなあ」

「宮藤サンはそう思わないんですか?」

「僕は孤独の寂しさを知っているつもりだからね」

事実、失踪した児玉という人物、周囲とも殆ど関係を持たず。ストレスもたまっていただろうに、周囲が騒音だので困る事もなく。誰からか身を隠すように、静かに暮らし続けていたようなのである。

そもそも、仲間と一緒にいる方が幸せ、何てのが幻想である。

人間の中には、一人で静かに暮らす方が幸せな者もいる。

これは以外と今でも認知されていない事があるのだが、れっきとした事実だ。

皆でメシをくう方が楽しいとか。仲間と一緒がいいとか。一人は寂しいとか。それはあくまでそれぞれの嗜好によって異なる。

たくさん人がいると言うだけで尻込みしてしまう人間がいるように、必ずしも孤独が苦痛にならない人間はいる。

だが、児玉に関してはどうにもそうは思えない。

周辺のあらゆる環境が、児玉という人物が楽しく過ごしていなかったことを告げているからである。

いずれにしても此奴はおかしい。宮藤は、足立という人物について、石川や佐川に近づけまいとこの時点で判断していた。

 

1、失踪者と追跡者

 

足立から話を聞いて、連携について確認した後、一旦互いに職場に戻る。

足立は宮藤の職場を見たがったが、それは拒否した。まずは足立という人物を見極めてからである。

そして第一印象は最悪。

今後、それが改善される可能性は、非常に低いと宮藤は睨んでいた。

ともかく、である。

二郎に話を聞く。

現役で一課にいる二郎なら、多少は知っているだろうから。

足立という人物について聞くと、案の定良くない答えが返ってきた。

「あの若造か。 どうにも評判が良くないな」

「何かやらかしたんですか?」

「捜査一課に来たことでも分かるように、一応は相応の業績を上げていてな。 ついでにそこそこのボンボンだ」

「はて……」

足立の経歴は宮藤でも調べた。

平々凡々というのが素直な印象だった。

正直な所、警官としてはボンクラも良い所である。

「お前さんの反応はもっともだがな、あいつあれでも捜査一課に来る前はそれなりに切れ者で知られていたらしい」

「……本当ですか?」

「ああ。 捜査一課でも期待の新人として喜んでいたんだがな。 実際に来たのを見てみると、あのボンクラぶりよ。 誰もががっかりして、それでボンボンという渾名がついてな」

幾つか逸話を聞く。

変死体を見て吐く。

逃げ出した犯人に一番近かったのにあっさり取り逃がす。

挙げ句の果てに捜査中に手がかりを見逃し、バディに指摘されることが二度や三度ではない。

やがて捜査一課の恥とまで言われるようになり。

よく分からない失踪事件を押しつけられて、今に至るとか。

「武術の腕はどうです?」

「一応柔道の段位は持っているが、はっきり言ってペーパーだな。 俺にも劣る」

「……」

「お前の事だから、実は凄い実力者で、とかいう可能性を考えているんだろう。 恐らくはそれはない。 俺はたくさんの刑事を見て来たが、あれは出来ない方だ。 思うに、捜査一課なんかに来たのが失敗だったんだろうな。 それ以外の所で書類の整理とかしていたら、そこそこ活躍出来ただろうに」

そうか。

落としの錦二といえば、警察の暗黒時代も経験している大ベテランだ。

言う事には重みがある。

だが、その人さえも疑わなければならないのが今の立場である。

一旦通話を切ると、戻る。

跡をつけているものはいない、と。

足立からメールが来ていた。

近場にある美味しい店を紹介とか言うメールだったが。

はっきりいってどうでもいい内容だったので、適当に応えておいた。

だが、コレは相手に対する油断をさそうものでは無いのか。どうにもこの足立という刑事。

色々引っ掛かるのである。

しばらく考え込んだ後、部署に戻る。

佐川と石川が並んで作業をしていて。

石川は特に、足立が出してきた資料を別物のように綺麗にしていた。

話を聞いてみると、科捜研が出してきた資料を、足立自身が立体化したらしいのだが。基礎から全く分かっていないらしく、根本的な修正が必要だったとか。

珍しく目を三角にして怒っている石川の隣で。

作業を進めつつも、佐川はしらけている。

「佐川ちゃん、何か問題かい?」

「資料が足りないですにゃー」

「ああ、そうなると高梨ちゃんにはまだ頼めないか」

「……」

無言で頷く佐川。

ため息をつくと、足立にメールを入れる。明日現場を確認すると。足立は暇だから良いですよとか、捜査一課現役時代の宮藤だったらブチ切れそうな返事を寄越してきた。

まあいい。

今は捜査一課では無く、特務部署宮藤班のボスだ。そして実際には使いパシリで、スペシャリストに囲まれている多少武術が出来るオッサンに過ぎない。宮藤班で一番役に立たないのが間違いなく宮藤だ。

だから、自然と心も優しくなっている。

「はあ。 此奴は擬態しているのか、本当にただのアホなのか……」

「おや、宮藤警部がそんな事いうの珍しいにゃー」

「佐川ちゃんはどう思う?」

「どうもこうも、何かやってますよ此奴」

断言か。

だが、具体的な根拠は佐川もまだ示せないという。そうなってくると、まだまだ先になるだろう。

いずれにしても、現時点での資料の修正が終わったら、一旦高梨に回してほしいと打診。本番は、明日からの現場再検証だ。

出張ばかりの日々から帰ってきたと思ったら、また彼方此方飛び回らなければならない。本当に警察というのは難儀な仕事。

足を酷使する仕事である。

靴もあっと言う間にすり減ってしまうのがこの仕事だが。

こればかりは、仕方が無いとしか言えないだろう。

色々と手配をし、調査の許可を県庁本部に貰う。前より許可が来るのがかなり速くなっている。

これは宮藤班が認められたというよりも。

多分警視総監がガンガン改革をして、風通しを良くしているのだろう。

閻魔大王と怖れられる警視総監だが。

その手腕を疑う人間は何処にもいない。

公安時代にも、相当な実績を上げ続けていたという話がある。

警察にまで公安時代の話は降りては来ないのだが。

それでも多分海外のヤバイ組織や、別の国の諜報機関ともやりあったのだろう。そして悉く相手を撃ち倒してきた。

警察が相手にする連中は、そういうのとは一ランク下である。

それは、今の警視総監にとっては、楽な相手かも知れない。

定時が来た。

休むように石川と佐川に告げると、宮藤は率先して自宅に帰る。

やる事は全て終わった。

昔と違って、今は残業をすると偉い等というカルトは存在していない。

夜間勤務も相当に厳しい基準が設けられて、警備用ロボットの補助と連携してのものになっている。

定時で宮藤が帰ることに、文句を言う者はいなかったし。

事実、それで仕事は回っている。

何ら、問題は無いのだった。

 

翌日。

交通課には出向かず、自宅から直接現場に出向く。

これについては石川にも佐川にも告げてある。だから、問題は無い。出る前に高梨に軽く連絡を入れたが、高梨は丁度起きた所らしく。過去の事件の検証を軽くやるところだそうだ。

いざという時に動けないと困るから、あまり無理はしないようにと釘を刺しておく。合成音声だから高梨の声は無機的だ。舌まで引き抜かれているというのだから仕方が無い話ではあるが。

それにしてもあまりにも無情である。

高梨が何をしたのか。

神とやらがいるなら、ぶん殴ってやりたい所だ。

電話を終えて、相手の無事を確認をした所で、家を出る。家の鍵はしっかり掛けて、警備システムも起動。

今の時代は、こういう警備システムを、警官の家に就けるのは当たり前になっている。これは警官の身の安全のためだけではない。

警官が不正をするのを防ぐ為もある。

ガチガチの監視社会にも思えるかも知れないが。監視をしているのはAIで、基本的にAIが収拾したDBには事件が起きない限り総理大臣でもアクセス出来ないようになっている。しかも複数システムが連動しているため、外部からのアクセスはハッカーでも無理である。

今は、そういう時代だ。

歩きながら足立に連絡を入れる。

少し電話に出るのが遅れて苛ついたが、それでも十五分くらいで電話に出た。

「ああ、おはようございまふ」

「目覚めはどうですか?」

「今から現場に向かいます……」

「そうですか。 お願いしますよ」

ぶちりと行きそうになるが。

まあ我慢だ。

足立が何かしらを目論んでいる可能性が高いというのは、宮藤班の中では既に共有されている。

勿論石川や佐川に会わせなかったのもそれが理由。

交通課とは言え、内部にはガチガチの警備が敷かれてはいるけれども。

それでも何があるか分からないからだ。

現地に到着。

警察用のロボットがいたので、手帳を見せる。

照合完了は即時。

すぐに内部に入るのを許可してくれた。勿論マスクと手袋をつけた上、でだが。

数分遅刻して足立が現れる。

足立の手帳はボロボロのよれよれになっていて、ロボットが警告していた。ともかく、中には入れた。

ぎこちなく手袋をつけている様子を見て苛立つが。

指摘はしない。

相手はそうやって苛立たせて。

決定的な隙を作るつもりかも知れないからである。

巌流島の決闘は実際にあったらしい。ただし、実際の展開は、宮本武蔵の弟子達が、佐々木小次郎と名乗るよく分からない人物を袋だたきにしたものだという。ともかく、伝説に出てくる武蔵のじらし戦法は嘘だった、というのは事実だろう。

一方でじらし戦法そのものが有効なのは事実である。

スポーツなどの試合では、非紳士的行為として即座に負けを喰らうやり方だが。

スポーツでは無いものでは、外部での煽りなどで相手の冷静さを奪い、勝利につなげる作戦が実際に効果を示す。

事実宮藤も、そういう手を使う犯人との格闘戦で、苦戦した事もある。

相手との実力差があっても、冷静さを失うとかなり良い勝負にまで持ち込まれるケースもある。

それくらい、じらし戦法は有効なのである。

まして足立が本当にボンクラだったらいいのだけれど。

違った場合を考えると、あまり油断する訳にはいかない。

しばらく家の中を見て回る。撮影もする。

資料を徹底的に見たが、それ以外にも何か無いか丁寧に確認を取っていく。

今の時点では見当たらないが。

それでも、どうにもおかしいというのが宮藤の素直な意見だった。

「もう家の中すっからかんっすよ。 科捜研にでもいかないと……」

「足立さん」

「はい?」

「科捜研と一緒に立ち会いをしましたよね」

それはもう、と足立はいう。

咳払いした後、聞き直す。

「どう思いました?」

「良い暮らししてるなあとだけ」

「捜査一課の貴方もそれなりの収入がある筈ですが」

「いや、それはそうですけど……。 此処の家の奴は、働かないでこれだけの生活をしていたので」

違う。

正確には何をしていたか分からない、だ。

いずれにしても科捜研が調べたのなら、もう此処からは物理的な証拠は出てこないとみていい。

科捜研の有能さは折り紙付きである。

ざっと見て回る。

家の中の構造などで、何か見落としているものがないか。

それを確認するための作業だ。

だが、どう見ても、何もないと言う言葉しか出てこない。

しばらく歩き回った後、溜息が漏れた。

一度外にでる。

警察用のロボットに断って、庭の方も確認。勿論此処も徹底的に調べた後だろう。一応、庭には自動で水が撒かれているようで。よく分からない植物がたくさん繁茂していた。スマホで撮影して、一応資料として確保しておく。

「ミントとか生えると大変らしいッスねえ」

「ミントはないようです。 後は危険なのは葛などですが、それもありませんね」

「葛?」

「西洋では未だに猛威を振るっている植物ですよ」

基礎知識レベルなのだが。そんな事も知らないのか。

或いは知らないフリをしているのか。

ロボットに手帳を見せ、手袋などを返して家を出る。今度は少し離れたビルの上に上がって、其所から家を確認。

足立は文句も言わずついてきた。

まあ文句を言わないことだけは褒めても良いか。

「流石は現場百回。 あらゆる角度から現場を確認、っすか」

「いや、貴方はむしろ現役の現場百回でしょう」

「いやー、そうもなかなか行かなくて」

「……」

まあ二郎がブチ切れるのも分かってきたが、まあそれも仕方が無いだろう。隣の県にまで悪名が広まるのも分かる。

だが此奴、本当に……本当にボンクラか。

いずれにしても警戒はまだ解除しない。

何カ所かのビルから、写真を徹底的に撮っておく。やがて、取れそうな資料は全部手に入ったので、佐川の所に送る。

追加で取れる資料はこれくらいだ。

そして、次は電車だ。

失踪人が姿を消した最寄り駅まで移動。

既に科捜研が監視カメラなどを調査して、失踪人が消えた地点は特定している。

その場所まで行く。

路地裏で、素性が怪しそうなのが数人屯していたが。警官だと分かると、そそくさとその場を後にする。

まあ、警察用のロボットが巡回に来たから、というのもあるだろう。

スタンショットや粘着捕獲弾などを装備した警察用のロボットは、生半可な装備のチンピラ数人で対応出来る相手では無い。事実機動隊と一緒に任務に当たるとき、警察用のロボットは文字通り獅子奮迅の活躍を見せ、反社の人間などを一機で十人制圧する働きを見せるため。機動隊はネバネバに捕まったり電気ショックで動けなくなった制圧対象を、制圧するだけの仕事になっていると言う。

犯罪者やチンピラにも警察用ロボットは怖れられていて、「丸頭」という隠語までつけられているそうだ。

敢えて弱そうな隠語をつけているが、地元で無敵を誇った身長二メートルの武闘派の不良が五秒で制圧されるという事件も起きていることから。今では警察用ロボットを見て、逃げ出さないのは余程のモグリだけだ。

周囲を調べるが。

監視カメラは他にもある。

此処で失踪人の足取りが途絶えたと言う事は、此処で何かがあったか。

それとも監視カメラに細工があったか。

しかし、警察が配置されている監視カメラに何かあったら、即座に警察用のロボットが飛んでくる。

その上相互補完するように監視カメラが置かれているのである。

行動はリスクが高すぎると言えるだろう。

側を見ると、店がある。

此処に入ったのだろうと科捜研では推察していたが、宮藤も同じ意見である。

周囲にはマンホールすら存在しておらず。

それこそいきなり失踪人が空でも飛ばない限りは、監視カメラの網から逃れる事は出来ない。

ドローンには現在相応の条約が掛けられていて。

街中を飛ばすのは流石に犯罪になる。すぐに捕まるはずだ。

店の中の資料も見た。

普通の店で、誰かが通り過ぎても問題はないだろう。

或いは店の中にまだいる可能性もあるが。

この店も、警察が調べている。

何もでなかった。

そう、失踪人の痕跡は、靴の足跡とか、DNAとか、一切合切でなかったのである。

それを考えると、此処での調査に意味があるとは考えにくい。

だが、一応確認はする。

此処はブティックで、内部で人間をどうにか出来る様な場所はない。裏口からそもそも失踪人が侵入したのも問題ではあるのだが。此処の裏口は普段は鍵を掛けていて。しかもそもそも失踪人は、そこの鍵をどこからか入手して持っていたようなのだ。

ブティックの経営者は気が弱そうな男性で。

手帳を見せると、困惑した様子で頭を下げた。

何だか責めているようで気分が悪いのだが。

それでも聞かなければならない。

「それでは、やはり失踪人に見覚えは一切無いと」

「はい。 捜査の方達が来るまで、そのお客様の顔も見たことがありませんし、何よりどうして裏庭の鍵を持っていたのかも……」

「バイトなどから渡った可能性は」

「鍵については電子キーを採用しています。 あの鍵穴はフェイクなんです」

それについても調べはついている。

この店の裏口にある取っ手はフェイクで、その下にカードを当てる部分が存在している。見えないが、確かにある。

そしてカードキーを当てる事で、其所が開くのだ。

このシステムは、現在多くの店舗で利用されており。

犯罪を防ぐために、合い鍵を作れば簡単に空いてしまうような裏口を無くすため警察が推進し、国から補助予算が出たこともあって普及している。

つまるところ、失踪人は。何故か此処のカードキーを持っていたという結論になる。

この店に入ったのであれば、だが。

「カードキーについては、なんだかクラウドとかいうので管理していて、私にも仕組みは分かりません。 すみません。 ただ盗み出せるものでは無いことだけは事実です」

「……分かりました。 協力有難うございます」

「いえ、此方こそ。 失踪した方が一刻も早く見つかることを祈っております」

丁寧な態度の店長である。

勿論疑わなければならないのだが、それもまた心苦しい話だ。

一旦路地裏に出る。

ずっと黙っている足立。

だから敢えて話を聞く。

「どう思います?」

「どうも何も……店長の言う通りじゃないすかね」

「貴方の意見はそれだけですか?」

「これでも何回か調べには来ましたので……」

情けなく頭を掻いてみせる足立。さて、此奴のこの行動はフェイクなのか、それとも計算尽くなのか。

まあ分からないが、とにかく順番に解きほぐしていくしかない。

科捜研のデータがなかった部分の資料を取っていく。

まずはブティックの店長に頼んで、屋上に上げて貰う。そこから、周囲を徹底的に撮影する。

更に近くの下水道管理をしている下水道管理課に連絡を入れて、地下を調べさせて貰う。

此処も科捜研が調べているのだが、この辺りは都会と言う事もあって、中を人が歩けるほど下水道が広い。

此処からも痕跡はでていない。

だから、科捜研の捜査範囲より外側を、少し調べて回る

足立は最初から宛てにしていない。

むしろ、一緒に連れてきた警察用ロボットを宛てにしている。

警察用ロボットは専門のフックロープやロボットアームを使い、こう言う場所へ立体的に機動することも出来る。

海外でも、一部の国に輸出して採用されているこの警察用ロボットは。

投入されると、一帯のギャングを全部掃除するとまで言われ。本当に怖れられている存在なのである。

つまり、頼りになる。

周囲を確認した後、一度地上に上がり。それから、事前に話をしておいた交番に移動する。

此処からだ。

まずは佐川に資料を全部送る。石川と連携して、資料をあぶり出してくれるはずだ。

科捜研は優秀だ。

だから、科捜研が調べた更に外を調べる。

それによって、うちの精鋭がどうにかしてくれる。

宮藤は石川と佐川がどれだけ出来るか良く知っているので、信頼している。そして二人なら、信頼に応えてくれるはずだ。

交番の奥。

大きな街の交番だけあって、かなり広い部屋があった。

其所で軽く足立と話す。

「さて、失踪人についてですが、何か感想は」

「いやあ、わかりませんね。 誰かが彼処でさらったとしか思えないっすが」

「金が目的なら、失踪人の貯金は根こそぎ下ろされているはず。 そうしていないのはなんででしょうね」

「さあ……」

やはり此奴怪しい。

ただの無能と言う割りには、宮藤がどう動くか計算して返事をしている節がある。敢えてやる気がないように振る舞って、怒らせようとしているようにしか見えない。

理由は何だ。

ともかく、今日はここで解散だ。

一旦資料を高梨に廻し、失踪人のイマジナリーフレンドを構築できるかを確認しないといけない。

先に足立を上がらせたあと。

二郎に電話を入れる。

足立の話をしてから、先に断る。

「一緒に行動してみましたが、どうも油断できないように思えますね、彼奴」

「どういうことだ」

「どうにもこうにも、何かを知っているとしか思えません。 こちらに対してじらし戦法でもしているかのような言動でして」

「……柔道もボクシングもプロ級のお前がそう言うなら、そうなのかも知れないな。 分かった、此方でも少し奴の経歴を洗っておく」

お願いします、と断ると。

佐川達に連絡。

資料をまとめて、宮藤が戻る頃には高梨に送るという。

石川が徹底的に町並みなどをCGで構築しているらしく。佐川がそれを見て、色々な可能性について考えているそうだ。

頼もしい。

さて、後はうちのエースの出番だ。宮藤は、あの得体が知れない若造を押さえ込めばいい。

いつまでも、タヌキの皮を被ったままでいられると思うな。

既に宮藤は。

足立がこの事件に一枚噛んでいることを、確信していた。

だが、それはまだ勘の段階に過ぎない。

事件を明らかにして行くうちに、それは必ず明らかになる筈だ。

 

2、足取りをたどれない

 

高梨の所に情報が来る。

今回は失踪事件と言う事で、いつもよりは危険度が低いが。だが、実際には殺人事件の可能性がある。

手を抜いて良い訳では無い。

まず、じっくりと情報に目を通す。

失踪者についてはとにかく情報が少ない。

少なすぎて、構築できる情報があまりにも足りない。

このため、まだ被害者の人格を完全に再現する事は出来ず。それを素直に宮藤に伝えるしかなかった。

イマジナリーフレンドは、正確な情報あってこそ再現が可能になってくる。

それは宮藤も分かっているので。宮藤に電話をすると、相手は申し訳なさそうだった。

「もう少し情報を集めてみるよ。 無理を言ってごめんね」

「いえ、ただ一つ気になる事が……」

「なんだい。 言ってご覧」

「いえ、今半端な状態で失踪者の人格が出来ているんですが、妙なことを言っているんですよね……」

そう。

稼ぎが心配だ、というのである。

稼ぎか。

宮藤も返してくる。

警察も、この失踪者がどうやって稼いでいたかはよく分かっていない。きちんと納税はしていたので目はつけていなかったが、かなりの高収入だったことは確実だったのである。貯金は両親から引き継いだ分がむしろ増えている位だからだ。

いわゆる株式取引の類ではないことも分かっている。

そういった有価証券や電子マネーの類も、取引した経歴が見つかっていない。

そして恐らくだが、質屋の類でも無い。

質屋などの仕事には、当然免許がいるのだが。失踪者はそれを取得していなかった。

何よりも、昔そういった違法転売をする輩が猛威を振るったこともあって、現在では法整備がガチガチにされている。

もしも違法転売に手を染めていたら、詐欺などの知能犯を扱う捜査二課の網に引っ掛かっていたはずである。

捜査二課も、今は昔とは違って無能ではないのだ。

「ひょっとして失踪者がいなくなったのは、稼ぎを心配して出かけて、その先で何かがあったとか?」

「可能性はあるね。 少しおいちゃんの方でも調べて見るよ」

「頼りない情報で済みません。 正しい情報が足りないので、本当かも分かりません」

「いや、参考にはなるからね。 何とかしてみるよ」

宮藤との通話を終えると、どっと汗を掻く。

今回の失踪者は、どうも何かおかしな事をしていたらしいのは間違いないのだが。何をしていたのかが具体的に分からない。

分からなすぎるのである。

失踪の後、何かあったのは確実だ。

冷蔵庫の中には、かなりの高級食材も入っていた。普通に傷んでしまっていたが。

失踪者についての数少ない情報の中には、無駄を殆どしなかった、というものがある。こんな高級食材、余程良い事があったから買ったのだろうし。

当然食べるつもりだったのだろう。

それをほったらかして失踪。

まあ何かあったのは、確定だろう。

イマジナリーフレンドとして構築したスカスカの失踪者は、稼ぎが心配だと繰り返すだけで、殆ど反応しない。

仕方が無いので、資料をもっと丁寧に見ていく。

母に目を潰されなかったのは良かった。

目を潰されなかったから、こう言う仕事ができる。

最近は義眼も進歩していて、脳とつながって視力を再現出来るものもあるらしいのだが。母が高梨の顔を壊したときには、執拗に執拗に攻撃を加えてきた。その時、目が無事だったのは奇蹟に等しいし、顔の皮は殆ど剥がされて滅茶苦茶にされた。

そして手術が成功したとき、危なかったと医師は言っていたし。

或いは目も潰されていた場合、体のダメージが酷くなりすぎて、手術も上手く行かなかったかも知れない。

それは文字通りの最悪だ。

ため息をつく。

ともかく、稼ぎが心配だと繰り返すばかりのイマジナリーフレンドは一度眠らせ。

資料をもう一度徹底的に目を通す。

どうにもおかしい経歴なのである。

ただ、それは宮藤も分かっている筈だ。だから、石川と佐川に指示して、洗い直させているのだろうから。

これを見る限り、意図的に多くの部分が隠されているように思える。

その隠されているものを見つけない限り、正確なイマジナリーフレンドはつくれないだろうし。

何よりも、正確なイマジナリーフレンドが作れなければ、事件の核心にも迫れまい。

しばらく休む。

今日はだらだら汗を掻くほどの疲労は覚えていないが。

眠れるときに眠った方が良いと言うのは、今までの生活で身についている。

人格さえまだ八つのものを擬似的につくって対応している状況なのである。本当の意味での高梨の人格は死んだ。いや、正確には作られることもなかった、というべきなのだろう。

だから分からない事もたくさんあるし。

今後も増えるだろう。

しばらくぼんやりと眠って。

起きだす。

かなりの汗を掻いていたようで。ロボットアームが、汗を脱脂綿で吸い取ってくれていた。

助かる。

昔はともかく、今の医療用ロボットアームはとても繊細な動きを可能にするので、全く痛くない。

むしろ再建された顔の奥にある汗腺からでる汗の方が痛い。

今もまだ痛い。

ロボットアームには有り難いと思うが。

この体はもうどうにもならないという絶望も一緒にある。

起きだして、最初に資料を見る。

どうやら苦労の末に、宮藤が見つけてきてくれたようだった。

かなり昔の資料を漁って、失踪者の過去のデータを見つけてきてくれたようだ。

何処で見つけたのかと思ったら、近所の監視カメラの過去の画像である。

調べて見ると、どうにもおかしいという感想が沸いてくる。

遊んでいるには遊んでいる。

昔と違って、今は公園で子供が遊べるようになっているし。

子供が遊べるように配慮した施設はいくらでもある。

そう言った場所で、過去の失踪者が遊んでいるのだが。いつも極めて短時間で両親に呼ばれているのである。

嫌そうにしている失踪者。

幼い頃はそうだったが。

途中からは、嬉々としてついていくようになった。

多分小学校の半ばくらいから、だろうか。

それを見ていると、少し気になる事がある。

データの量が足りない。

家の中で行っていたらしい、リモートの授業の結果などは無いだろうか。

それについても佐川が探してくれてきていた。

流石である。

そして佐川なりに、分析をしてくれていた。

石川も物理演算で、失踪者の身体能力や、実際の身体的特徴などについても調べてくれている。

いずれも有り難い情報だ。

どうも学校での失踪者は、妙な人物だったらしい。

テストでも何でも、一位を取るかビリかの両極端。

かなりの良い得点を連続して取ったと思ったら、いきなり赤点を取りだす始末。

それについて、佐川が調べた所。

一定周期の波があることが分かった。

波、か。

ある時期になると、成績が落ちる。

つまり本来は非常に成績が良いのだが。学校の授業やらテストやらを完全に何かしらの理由でほっぽり出すタイミングがある。

そういう結論が出てくる。

そのタイミングは調べて見た所、三ヶ月おきに、完璧なタイミングで来ている。

要するに、何かを家族ぐるみでしていた、と言う事だ。

学校を卒業した後は、完全にその足取りは途絶える。

正確には周囲の監視カメラなどに、たまに出かけていく様子は写されていたのだが。それくらいである。

更に、失踪者が何を調べていたか。

時々プログラミングについてポータルサイトで検索を行っているが。それ以外はネットアイドルの動画とか、いわゆるアダルト動画とか、男子なら誰でも見るようなものばかりである。

現在はテレビがほぼ死滅した結果、アニメはネットで見る事が主流になっているが。

失踪者もたまにアニメを見ていたようだが、当たり障りのない人気作しか見ていない。特にこれといった性癖は持っていなかった様子だ。アニメなどの視聴は何でも見るようなヘビーユーザーを除くと、好みが露骨に出る。

この失踪者については、恐らく暇つぶしに見ていた程度なのだろう。

少なくとも、好みなどは分析出来なかったと、佐川が素直にレポートをまとめていた。

佐川は確か、アニメについては相当なヘビーユーザーである。

十倍速でアニメを見ながらそれでいて細かい部分も完璧に把握しているという作り手殺しで。IQ250の異常な知能がそれを可能にしている。

石川もヘビーユーザーらしいが、流石に十倍速視聴は出来ないらしく、自分より佐川の方がずっと詳しいと言っているそうだ。

要するに人気作は完全網羅、それ以外も大体は観ている佐川が言うのだから、信頼はして良いだろう。

おかしな行動やログは残っていないかについては。

今佐川が徹底的に検索しているらしいが。

まだ結果は出ていないそうである。

いずれにしても、待つしかないか。

とりあえず、追加できた情報も取り込み、失踪者について再構築する。だいぶ密度が上がってきたが。

まだまだ、たどたどしい感じだ。

どれだけ隠蔽しながら生きてきたのか。

此処までだと、ちょっと妙である。

両親とも普通に仲が良かったようだし、崩壊家庭、と言う事は無かったのだろう。

そうなると、一体何があったのか。

ため息をつく。

両親と仲が良い、というだけで高梨には羨ましい。

失踪者は相次いで両親を失ってしまっているが。これは年齢的には仕方が無い事でもある。

高梨は、父には恨みしかない。母にもだ。

母は死ぬまで刑務所を兼ねている警察病院から出られないだろう。

優しい家族というものが一切想像できない高梨には。

家族と仲が良いと言うだけでも羨ましいのだ。

それが例え、何か隠し事があったとしても、である。

まだカタコトの失踪者のイマジナリーフレンドと話す。

前よりは話してくれるようになったけれども。

それでもたどたどしい。

「貴方は、それで何の仕事をしていたんですか?」

「両親から……何もかも引き継いだ……それだけ……」

「……何を引き継いだんですか」

「……」

口を閉ざしてしまう。

言いたくない、のではなく。

単にまだ情報が不十分だから言えない、というのだろう。

だが、少し分かってきた事がある。

この失踪者。

死んだ両親もろとも。

この事件に関わっていると見て良いはずだ。

宮藤にすぐ連絡し、話をする。

宮藤は少しだけ黙った後。そして、言った。

「実はね、この失踪者の両親についてはもう少し調べたんだよ」

「流石ですね。 それで何かあったんですか」

「ああ。 ちょっとあまり外では話が出来ないんだが……前科者でね」

前科者。

何か罪を犯したというのか。

内容については、違法な輸出業務を行ったというものである。

国によっては、信じられないようなことが刑罰になる事がある。肌色がおおい女の子の絵を持っているだけで厳罰、なんて国も過去には実在していたらしい。そういう国では現実の性犯罪が尋常では無いヤバさで発生していて。それでいながらうちの国の頭が悪い人達は「人権先進国」だとか絶賛していたと聞くが。

ともかくだ。

失踪者の両親がやっていたのは、そういった国へ、「違法に」データを送る事であったらしい。

罪がそれほど重くないこともあって、二人とも一回ずつ捕まり、二ヶ月ほどで釈放されているのだが。

その事が切っ掛けで知り合い、結婚するに至ったのだとか。

なんというか妙な縁というか。

文字通り黒い関係である。

少し足音が続く。

宮藤が移動しているのだろう。

署の中、誰もいない休憩室に移ってから、宮藤がまた話し始めた。

「ええとね。 続きだけれども。 その両親は、それからは大人しくなったのだけれども、どうも臭いとおいちゃんは睨んでいる」

「似たような業務を続けていたと」

「うん。 だってこの二人もね……収入がよく分かっていないんだよ」

「はあ……」

そういえば。

両親の仕事を引き継いだという話をしていた。

まさかとは思うが。

宮藤は、それについても、納得がいくと言う。

「あり得ない事じゃない。 失踪者は妙に裕福だったからね。 ちょっと後ろ暗い話になるけどいいかい?」

「はい」

「昔は、どこの国にも人権屋がいたんだよ。 人権は金になるからね。 ある国では、それがポルノだった」

ポルノか。

生殖器を破壊されてしまっている高梨には何ら関係がない話だが。

話はそのまま聞かせて貰う。

「うちの国は昔から創作が盛んだったからね。 ありとあらゆる性癖にマッチする文化が花開いていた。 今でも生理的嫌悪感を覚える人はいるらしいけれど、問題は海外の人権屋達にはこの文化が邪魔だったって事だ」

「どういうことなんですか?」

「いうまでもない。 海外の人権屋達がやっていたのは、本物の異性や子供を金持ちに提供する仕事だったからね。 勿論それは重大な人権侵害を伴う事で、金持ちにとっての生臭い娯楽だった。 だが、現物より遙かに優れている上に、何より誰の体も痛まないこの国の文化の数々は、海外で性搾取をしている連中には邪魔だった。 だから人権屋が動いたのさ。 この国はポルノ大国、人権後進国ってね」

この国のポルノ漫画などでも児童虐待をするようなものはあるが。

海外では、そんなポルノ漫画を書いているような人間がその場で吐くような悪逆非道な行為を平然と行う下郎共がいて。そんな人権屋どもが実際の貧困階級の人間を悪魔共に提供していた。

この国の文化は商売敵だったのだ。

「まあそもそも性癖があわないと、ポルノってのはこの上なく邪悪なものに見えるし、何よりも馬鹿にとっては「気持ちが悪い」というだけで相手を殺す充分な理由になるからね」

その通りだ。

高梨の母にとって、高梨がそうだった。

高梨は身を以てそれを知っている。

だから、宮藤の話もすんなりと理解する事が出来た。

「一時期のピークを境に、悪辣な人権屋がバタバタ逮捕されて、その手先になっていた馬鹿共が一気に活動を縮小させた。 それはそうさ。 カルトってのは、悪知恵が働くブレインと、何も考えずに自分を正しいと決めつけて暴力を振るいたいだけの馬鹿で構成されているからね。 この国のポルノを攻撃していた連中もその同類だった、というわけさ」

「なんというか、情けない話ですね。 そんな生物と同じであることが」

「人間なんて昔っからこんなもんよ。 だから法律と道徳が必要なのよ」

「そうかも知れないですね」

更に高梨は続ける。

人権屋どもが一斉に叩き潰されて、各国での熱が冷めていったその先。

ようやくこの国の創作は価値を認められた。各国でも普通に販売されるようになった。

だが、である。

まだその隙間は存在している。

人権屋に煽られた馬鹿が噴き上がっているうちに出来てしまった悪法の類が存在する国では、未だにまともに文化をやりとり出来ず、検閲が行われているケースがあるし。

そう言った国では、法の改正も遅い。

故に一時期、文化の違法輸出が商売になったと言うのだ。

失踪者の両親は、そういう類の仕事をしていたという。

「今も同じような商売があるかは分からない。 ただ、違法輸出だと海外側から指摘されない限りは、警察は取り締まらないみたいだね」

「それは、そうでしょうね……」

「そういう話さ。 いずれにしても、もしも両親がそのまま仕事を続けていて、失踪者もそうだとしたら……」

宮藤は、調べると言って電話を切った。

高梨は情けないと思った。

文字通り生殖器を破壊されて、現在でも小便をするときにはとても苦労している。他にも色々な苦労がある。

ポルノについてはまったく分からない世界だ。

だから、それについてどうこう語るつもりは無い。

しかしながら、である。

実際に誰にも危害を加えていない絵を攻撃していた連中が。

実際に危害を加えられていた子供や弱者に見向きもしなかったというのは、あまりにも邪悪すぎる。

今までも、人権屋がからむ事件は何度も高梨は関わってきた。

だが、これほどなんというか。

腹の底にたまる熱を覚えたのは始めてかも知れない。

大きく深呼吸。

そして、また吐いた。

今の情報をイマジナリーフレンドにつぎ込む。

再構成。

一気に消耗したので、咳き込む。

しばらくぐったりと横たわって、そのまま体力の回復を待つが。それでも、簡単にはいきそうにない。

どうにもならないこのからだがもどかしい。

だが、この体にならなければ、誰かの役に立てたかは著しく疑わしい。

父はあんなだし。

母だって同じ。

もしもこの体にならなかったとしても、人権屋の手先になって、今頃母と一緒にギャアギャアわめき散らしていたのではあるまいか。

だとすれば、こうなって良かったのか。

いや、他には何か、マシな結末はなかったのか。

高梨は何とも言えない哀しみに、胸をかきむしる。

どうあがいても絶望しか思い浮かばない。

高梨が何をしたのだろう。

よくあるカルトが言うような前世の因縁だとしたら。前世の高梨は一体どんな極悪人だったのか。

勿論そんな事はあり得ない。

どうせ何をやってもろくでもない人生しかなかっただろうと、寂しい考えしか、高梨の中には浮かばなかった。

 

3、売り物の色

 

凄まじい量のデータを、マクロも使いながら佐川が捌いている。

このデータを捌くためのプログラムは、石川が組んだ。

口を手で押さえて、じっと様子を見ている佐川の様子は真剣そのもの。頭がオーバーヒートしそうな勢いで使っているのは確実。

声を掛けるとまずいだろう。

だから、そのままにしておく。

しばらく様子を見て、外に一度出る。

高梨にろくでもない話をしてしまったと、宮藤は内心で嘆いた。だが、これはしておかなければならない話でもあった。

高梨自身が、人権屋の手先となった過激派フェミニストの母に、人生を滅茶苦茶にされているのである。

聞く権利はある。

それに成人なのだから、知っておかなければならない事でもある。

高梨の精神年齢がどれくらいかは分からない。

だが、数少ない知らされている情報によると、肉体は一応成人にはなっているそうである。

生殖器が破壊されていて、もう修復不可能だと言う事で。男性とは呼べないのだそうだが。

それでも、高梨が話を聞く権利はあるし。それについて怒る権利だってある。

馬鹿馬鹿しい海外の数々の悪法。

検閲の数々。

それらは結局の所、性犯罪で儲けている連中の掌の上で動かされているだけの事に過ぎなかった。

人権先進国だの自由の国だの言われた大国でも、金持ちが金でかき集めた子供を使って暴悪の限りを尽くしていた事が判明していたり。

結局の所。

人権屋などと言うのは、デリケートな話題で金を稼ぐだけの、クズの集まりに過ぎないのである。

幸い近年は此奴らを告発し、潰す事が出来る様にはなってきた。

それだけが救いだ。

昔はそれすら出来なかった。

だから高梨を救えなかった。

情けない話だ。

タバコがほしいが、ない。分かっている。タバコを吸ったら死ぬと医者に脅されてもいるのだ。

だから、我慢する。

だがやりきれないなと思って、舌打ちすると。

何も無いタバコを地面に投げ捨て、靴で踏み消す動作をする。勿論実際にタバコがあったらマナー違反だが。

これくらいは許してほしいものである。

靴をどかすと何も無い。

だが、多少は気は晴れた。

一旦デスクに戻る。足立からメールが来ていた。

「此方進展無し。 すいません」

「此方に来て貰えますか?」

「また何かお話でも?」

「そういう事です」

高梨の負担が今回大きい。

だが、恐らく足立が絡んでいるとしたら、見えてきたものがある。

ひょっとしたら、だが。

可能性は、否定出来ないだろう。

石川と佐川に、出かけて来ることを告げる。足立と会ってくると言う話をすると、流石に二人とも土産とは口にしなかった。

佐川はすぐにモニタに視線を戻したし。

石川は大量の資料をまとめては高梨に送り続けている。

さて、此処からだ。

交通課の刑事達は頼りにならないか。

二郎に声を掛けておく。

宮藤の勘が確かならば。

そろそろ、高梨が真相に辿りつくと判断して良かった。

 

ある段階から、不意に失踪者は形を取り始めていた。

情報が揃ったのだ。

それを理解した高梨は、すぐに聴取を始める。いつも疲れは溜まっているが、今日はまだマシな方。

なら今やってしまうしかない。

「貴方は、何かを海外に違法輸出していたんですね」

「よく分かったね。 そうだよ」

認めた。

どうやら、親からの仕事をそのまま受け継いだらしい。

そして、それが悪い事なのかは。

はっきり言って、高梨にはよく分からない事だった。

「詳しく聞かせてください」

「俺が輸出していたのは、日本製のポルノだよ。 とはいっても現在のじゃない。 二昔前の、一番規制が緩かった頃のだな。 勘違いしている奴も多いが、ポルノを実際に書いているのは女性作家も多いんだ。 それに女性向けのポルノも普通に存在しているんだぜ」

「あまり詳しくは分かりませんが、敢えてそれをそれらが違法の国に輸出していたんですね」

「そういうこった」

犯人は、別に悪い事をしている、という顔はしていない。正確には、そういう雰囲気を醸し出していない。

自分の中にいるイマジナリーフレンドだ。それくらいは分かる。

確かに悪夢の時代の徒花、落とし子の悪法がのさばっている国に、その隙間をついて何が悪いというのはあるかも知れない。

だが、それは正当化できることでもない。

その国が悪法を敷いているなら。

今の時代は、その国でどうにかしなければならないのだ。

余所の国から、ちょっかいを出すべきでは無い。

これについては、さっき宮藤と話して、聞かされた事である。

確かにその通りなのかも知れない。

「俺のやってる事を余計なお世話、だとでも思ってるか?」

「いえ。 特に興味ありません」

「ああ、そうなんだろうな。 何となくそれはダチだから分かる」

「……もっと詳しく教えてください」

イマジナリーフレンドの失踪者は、淡々と話をする。

まず両親からこの仕事を受け継いだのは中学の頃。

誰でも性に興味が強くなってくる時期だ。

そしてこの失踪者は、両親の話と、暗黒の時代を聞いた。

絵の人物にけちをつける癖に。

実際に被害を受けている人物に対して見向きもしない愚者の群れ。

あまりにも愚かしすぎる連中。

各国で制定される悪法。

いずれもが、両親にとっては戦うべき敵だった。

だから、こういった方法を採ったのだという。

「俺も親父もお袋も、昔はポルノなんか何の興味も無かったらしいがな。 実際問題ポルノがある程度合法的に流通している国は、性犯罪が激減するって統計が彼方此方から出てきているんだよなあ。 まあそりゃあそうだ。 現物よりよっぽど上生だし、リスクだってないんだしな」

「逮捕されても、その信念は変わらなかったんですね」

「そういう事だ。 むしろ親父とお袋は意気投合して、地下のネットワークを独自に構築したんだぜ。 独自のデータベースサーバーをつくって、独自の暗号化プログラムまで組んで、海外に売る、と。 このネットワークの構築に10年かかったとか言ってたな」

それは力作だ。

警察と力勝負をしても勝てっこない。

だから、隙間をつくやり方に切り替えた、と言う事か。

更に専門のVLANを作り。

未だにポルノが違法である国に、様々なポルノを売ったという。その過程で儲かりはしたが、生活に必要な分以外は金は受けとらなかったそうだ。

それは一種の転売に当たるのではないかと聞いたが。

それに対して、失踪者は言う。

「言ったろ、現物はきちんと買ってるし、そもそも扱う事が違法の国にリスク付きで元より安く売ってるんだ。 転売にさえならねえよ。 まあ違法輸出にはなるけどな」

「……」

「正直な所、今は昔ほど酷くないけれど、俺もエセフェミニストどもの醜態の限りは嫌になるほど見て来た世代だからな。 最初はあの狂ったアホ共の鼻を明かしてやりたいという気持ちはあった。 だがな、実際に統計として性犯罪が減るってものがある事を知ってからは、むしろこの方が良いって思った」

失踪者は、つかまる覚悟は出来ている、という。

自分がやっている事は犯罪であることは分かっているし。

それが自分の理屈である事も分かっている。

だが悪法がまだ世界に存在する事も事実。

実際問題、悪法を取り去りポルノが流通するようになった国では、性犯罪の発生率が激減したという統計があるのであれば。

この失踪者がやっている事は、犯罪ではあるが。

邪悪では無いのかも知れない。

「では、聞きます。 どうして貴方は失踪したんですか」

「警察の一人に嗅ぎつけられたんだよ。 俺の居場所を聞いてるって事は今俺はいないんだろう? 何か悪徳警官ぽかったし、多分今は拷問されてるんじゃねえのかな。 相手にとって俺は金の卵を産むガチョウだ。 丸ごと販路から利益まで奪い取るつもりなんだろうな。 捜査一課にもまだクズがいるという話は聞いていたけどなあ。 こんな奴がいるってのは苦笑ものだぜ」

「その人の名前は」

「ああ、お前の想像通りだ」

礼を言うと。

すぐに宮藤に連絡。宮藤は、佐川に連絡しろと言って、そのまま電話を切った。

どうやら、恐らく足立のすぐ側にいるのだろう。

それについては、理解した。

後は、宮藤がやる版だ。

勿論足立に遅れを取るとは思えないが。

話を聞く限り、どうも足立という男は得体が知れない所がある。

荒事は宮藤が専門としているらしいけれど。

少し不安なのは事実だった。

 

高梨からの連絡を受けると、ちょうど足立が来るところだった。捜査一課の応援は既に待機している。

足立は周囲を見回しながら、宮藤に言う。

「おはようございまっす。 それで今日はどこに捜査に行くと」

「足立君の家かな」

「ハハハ、冗談を」

「冗談だと思うかい?」

ここは駅前だが。

既に周囲から通行人は遠ざけてある。

即座に踏み込むと、足立を背負い投げでぶん投げる。

下はコンクリである。

下が畳の場合、柔道は殺傷力を持たないが、それでもいたいものはいたい。下がコンクリの場合、受け身をしっかりとっても柔道の達人が投げれば、その後に来るのは戦闘不能と激痛だ。

だが、足立は殆ど完璧な受け身を取ると、距離を取って見せる。

にやりと、足立は口の端をつり上げた。

「随分じゃないですかあ」

「ようやく化けの皮が剥がれたね、狢めが」

「狢?」

「分からないならまあいい。 君に誘拐監禁の容疑が掛かっている。 もう逃げられないから諦めな」

周囲に警察用のロボットが数機。

更に捜査一課の刑事が何名か来る。

足立が動く前に、スタンショットが直撃。流石に足立も避けられない。強烈な電撃を喰らって、そのまま倒れ伏す。

即座に捕獲に掛かる。

どんなスイッチとか持ってるか分からないからだ。動かさせない。それが基本となる。

手際よく関節を極めて縛り上げると、全身を調べ上げる警察用のロボット。

足立が煙を上げながら、咳き込む。

「また随分と急ッスね。 それで俺が誘拐監禁とか、どこでそんな事を」

「これから調べさせて貰うよ。 うちには優秀なスタッフがいるんでね」

「……もしも俺がその誘拐監禁をしているとして、もたつくと餓死とか脱水症状起こすんじゃないんすか?」

「この外道が……!」

捜査一課の刑事がいきりたつが、宮藤は無言のまま。

連れて行けと視線を送ると、警察用ロボットが足立を逮捕して、そのまま車に放り込む。護送用のバンである。いわゆるハイエースだ。

ハイエースの中で話を軽く聞く。

足立はのらりくらりだが。

しかしながら、順番に証拠を突きつけていくと、徐々に口が軽くなり。本性を明らかにし始めたのであった。

足立が怪しいという話は、既にあった。

捜査一課に入る前後で評価が違いすぎる。

実際問題調べて見ると、足立は捜査一課に入る前は、かなりの武闘派で、事件の検挙率も高かった。

それが捜査一課に入ると途端にボンクラになった。

作為的ですらある。

今回の件だっておかしい。

調査はいい加減。

まるで何か犯人に協力でもしているかのよう。

だから、おかしいと二郎も口にしていたのだが。確かにさっきの動き。柔道の段位以上の実力があるとみていいだろう。

とは言っても、宮藤でも警察用ロボットにはかなわない。

此奴を倒すには、装甲車か何かで突っ込むくらいしか方法がない。昔、反社の人間が大型の4WDで警察用ロボットを轢き壊そうとしたのだが。粘着液で車がその場で強烈なクラッシュを起こし、一発アウトだったそうだ。

テクニカルくらいまでなら充分に対応出来る相手だ。

もう人間が勝てる相手ではないのである。

「お前の狙いは失踪した児玉の稼ぎを奪い取ることだったんだな」

「稼ぎ? 何の」

「海外に違法輸出しているものがある。 その稼ぎをだろう」

「流石ですねえ。 よく調べました。 えらいえらい」

拘束されて動ける状態じゃないのに、足立は余裕綽々だ。まだ何かしら切り札があるとみていいだろう。

そのまま署に着く。

捜査一課の課長が、青ざめた顔で出てきていた。

足立を見ると、そのまま殴りかかりそうになるのを、他の一課の刑事が止める。気持ちは分かるが。こう不祥事が暴かれると、色々とダメージが大きい。

警察用ロボットが連行するので、逃げる隙は無い。警察用ロボットは相手の骨格や筋肉、血液の流れなども全て見ているので、おかしな動きをしたら即座に制圧行動に掛かる殺意の高さである。

勿論暗器の類も通用しない。

世界中の様々な格闘技の達人と実際に模擬戦をやらせてみて、勝てないと断言された相手である。

足立が世界最強の殺し屋でも勝ち目はない。

取調室に移動。

重要参考人として、これから厳しく取り調べることになる。足立が言う通り、勿論誘拐された児玉が脱水症状を起こす可能性がある。足立の余裕は、或いはそれが目的かも知れない。

警察の不祥事。

更に、誘拐されていた被害者を死なせた。

そうなると、二重の不祥事だ。

最悪でも、此処の署長の首は飛ぶ事になるだろう。

余裕綽々の足立だが。

電話が来る。

佐川が、全て暴いたらしい。膨大なデータを高梨と話しながら解析した結果、謎のVLANを発見。

極めて巧妙に企業用の特別回線に紛れ込んでいて、素人が作ったものとは思えなかったという。

昔は此処でプロキシサーバーを噛ませるのが基本だったのだが、今の時代は対策がされているので、それはできなくなっている。

逆に現在主流になっているのは、企業用の回線に潜り込み、少量ずつデータを送る今回のようなやり方だ。

昔に比べて回線速度が尋常では無いので、失踪者である児玉が言う所の商品を送るにはそれでも充分、と言う事なのだろう。

実際、類例の事件は。此処まで尖ったものではないが、過去に摘発されたことがあるという。

パケットの履歴を確認した所、失踪の直前に止まっているそうだ。

つまり、だ。

失踪者は、実際に作業を行っているサーバか何かにトラブルが起きたと判断。おびき出され、足立に捕まったのだろう。

恐らく場所はあのブティックの近く。

それは間違いない所だ。

足立はもう逃げられないと判断したのか。

逆に脅しを掛けてくる。

「いいんすか俺と遊んでいて。 今も人質が餓死しているかも知れないですよ」

「それはお前が誘拐したと認めると言う事だな」

「もうどうせ証拠も全部挙がってるんでしょ? じゃあ白を切っても意味がないですしね……」

「クソが!」

捜査一課の課長が、部屋を出て行く。

尋問用の部屋には、数人の刑事がいるが。正体を現した足立は、随分とまあ余裕がある様子である。

絶対に見つからないという自信があるのだろうか。

それとも。

だが、その自信も。

高梨が崩す。

通話が来る。

尋問室から出ると、宮藤は通話を受けた。高梨だった。

「失踪者が全て教えてくれました。 恐らくですが、サーバのある場所にそのまま監禁されているかと思います」

「何だって!?」

「まず第一に、誘拐されたと言うにはあまりにも状況がおかしいです。 監視カメラの巣であるあの場所で、人を誘拐するなんて不可能です。 それなら犯人が待ち伏せして、そのまま失踪者を捕獲した、という状況の方が正しいはずです」

足立の家に行っていた刑事が、失踪者がいないと伝えてくる。

それを聞き流しながら、更に話を聞く。

「後は佐川さんの出番です。 データがどこから送られているか、調べて貰ってください」

「うん、そうだね。 分かった」

すぐに捜査一課課長を呼んで、話をする。

宮藤班の事は知っているらしく、話を聞くと、なるほどと応えた。前の捜査一課課長よりはだいぶ話が分かる。

「分かった、此方で出来る事は」

「うちの子は優秀なんで、見つけることはできると思います。 即応体制を整えてください。 場合によっては重機や丸鋸なんかが必要になるかも知れません」

「了解した。 機動隊を手配しておく」

敬礼をかわすと、即座に佐川に連絡。

佐川が、難しいと開口一番に言う。

それはそうだ。

佐川でさえ、巧妙に隠されていたという程の回線だ。本物の専門家が、丹念に丁寧に作り上げた違法データ輸出網である。

それを発見できただけでも凄いのに。

その出所を探れというのは、流石に無理があるか。

だが、佐川は応える。

「三時間で見つけますにゃー。 石川ちゃんも手伝ってくれるので」

「よし、頼むぞ」

「じゃがりこ」

「分かってる分かってる」

通話を切る。

じゃがりこという単語は聞こえていたらしく、捜査一課の課長が宇宙を見る猫のような顔になっていたが。

うちのは変わっていると言って、何とか納得して貰う。

まあ、あの様子だと石川も総力戦になるだろう。

じゃがりこだけではなくポッキーも必要か。

此処からは、捜査一課が三時間後、即時に現場に踏み込めるようにする、捜査一課課長の仕事だ。

機動隊と、警察用ロボットとも連携して、一気に失踪者を救出しなければならないだろう。

一度、宮藤は戻る事にする。

欠食児童共は、多分フルパワーで作業をするはず。今すぐ菓子を買っていってやった方が良いだろう。

それもたくさん、である。

パシリのようだというか、パシリそのものだが。

パシリで人を救えるというのならば、それほど安いことはない。

すぐに交通課に戻る。

多分、足立の顔を直接見ることはもう二度とないだろう。

そう、宮藤は確信していた。

 

其所から地獄の連戦が始まった。

交通課に戻ると、石川と佐川が並んで、すさまじい打鍵音を響かせて作業をしている最中だ。

交通課の刑事達も呆然とその様子を見ている。

宮藤が持って来た大量の菓子を鷲づかみにすると、むっしゃむっしゃと食べ始める欠食児童ども。

それだけ脳を酷使している、と言う事だ。

石川は最適化プログラムを組んで、ガンガン佐川に回しており。また、今まで組んだ秘蔵のプログラムも渡している様子だ。

佐川はそれらを一目で理解して機能を使いこなし。

多数のマクロを展開させて、全力でパケットの解析に当たっている。

科捜研のスパコンが使えれば少しはマシになるだろうが、今捜査一課は機動隊との調整で手一杯の筈。

宮藤としては嫌な予感がする。

失踪者はもう限界近い状態で。

それで足立はあれだけ余裕では無いのかと、思えてならないのである。

あいつは正体を現したとき、まるで邪悪な捕食者のような一面を覗かせた。

少なくともボンクラではなかった。

格闘技に関しても相当な使い手だったし、知能犯としても非常に優れていた。

ただ目的が分からない。

単に捜査一課に復讐がしたかったのか。

それとも。

事実、現職の刑事が誘拐事件を起こし。

更に誘拐した相手を死なせたとあったら、県庁の警察署長は確実に首が飛ぶ事になる。それほどの不祥事だからである。

足立の行動には不可解な事が多い。

そもそも、商売も途中から止めてしまっているという話だ。

だったら、本当に何がしたかったのか。

金がほしいのだったら、そのまま商売を続けさせるだけで、足立は寝て暮らせていたはずだ。

警官を続ける事さえ必要なかっただろう。

本当に奴は何がしたかったのか。

ほどなく。

佐川のPCがもの凄いファン音を響かせ。周囲が熱気で揺らめくほど酷使されている中、タン、と一際大きな打鍵音が響いた。

どうやら発見したらしい。

佐川が真っ青になって、そのまま倒れそうになる。

体力がある石川が佐川を支えて、そして宮藤に話してくれる。

「座標を特定しましたー。 此処です」

「よし……!」

すぐにスマホで撮影。

更にデータを、捜査一課に送って貰う。

驚いたことに、二時間五十七分である。

流石というかなんというか。

IQ250は違うなと、宮藤は感心のし通しである。捜査一課も最近は電子戦部隊を抱えているが、これを見てしまうと形無しだろう。

佐川に肩を貸して、寝室に移動する石川。

すぐに二郎に連絡。

でかした、と二郎は叫んでいた。後は、二郎から隣の県の捜査一課課長に連絡してくれるだろう。

三時間と指定した。

もしも機動隊がでられる状態でなかったら、それは捜査一課の責任だ。これ以上は、宮藤に責任は取れない。

なお場所だが。

なんと、ブティックとは全く関係がなかった。

複雑な監視カメラの網を縫うようにして数メートル進める場所が一箇所だけあり。その先が小さな廃店舗だったのである。

その廃店舗の地下から、既にさび付いて動かないような地下下水道への入り口へ入る事が出来。

かなり複雑な経緯を通ると、最終的にまた違う廃店舗に出る。

この廃店舗には電気が通っているが。

失踪者が金を出して電気を通している。

そう、この廃店舗こそが。

失踪者の城。

二代にわたって構築した、海外にその国で違法とされているポルノを売るための「思想的な城」だったのだ。

此処はかなりガチガチに固められていて、入り口から内部の電子ロックまで、そう簡単に通れる場所では無い。

ともかく、失踪者を救出するのが最優先だ。

捜査一課から連絡が来る。

捜査一課の課長だった。

「どうやら現地に突入できるようだ。 これより動く」

「お願いします」

「突入!」

一斉に警察用のロボットと機動隊員が動く。

入り口の分厚い鋼鉄製の扉を丸鋸でぶち抜くまで五分。

昔の丸鋸とは性能が違う。

そのまま扉を破って内部に。電子キーも、全て警察用のロボットが、そのまま粉砕するか。

或いは丸鋸で打ち破った。

三階に、問題の場所はあった。

手狭だが、内部はサーバールームになっていて、かなりの量のサーバが林立している。その全てが動いていた。

そしてその中央。

おまるに座らされ。

下半身を丸出しにされ、ぐったりした様子で項垂れている失踪者の姿があった。

即座に拘束を解除。

医師が診察するが、危険な状態だという。

脱水症状を起こしかけている。

もう数時間遅れていたら、危なかったかも知れない、ということだった。

即座に用意されていた救急車に、失踪者が輸送される。おまるに座らされていただけあって、その中身は汚物まみれだった。

うわごとを言っている失踪者だが。

医者が必死の手当をした結果、一週間後には持ち直すことが出来。

その間に足立はあらゆる証拠から、逮捕される事となった。

宮藤は、失踪者だった児玉が持ち直したと聞いて、大きなため息をついていた。

ここのところ、関わる事件では死者ばかり出していた。

度が外れたクズばかり見て来た。

やっと、一人救えた。

勿論、児玉は違法な輸出をしていたと言う事で、これから逮捕しなければならない。余罪も多数。

彼の信念を打ち砕くことにはなってしまう。

だが、児玉の言う事も分かるのだが。

その国のことは、その国で決めなければならない。

特に近代になってからは、戦争で領土が大きく変わる事が殆ど無くなった。

国が潰れることはあるが。

それでも、だいたいの場合は自己責任の結果だ。

確かに児玉が言うように、不自由な思想と、悪法の下で苦しんでいる人達もいる事だろう。

だが下手に手を出すと人権屋がまた暗躍する事になるし。

戦争になればろくなことにならない。

結局の所、児玉の行為は自己満足だ。

一種の内政干渉にも等しい。

駄目な国、苦しんでいる人は確かにいる。

だが、その国で解決しなければならない問題なのである。此方から、余計な事をするべきでは無い。

それは、宮藤が思うところだった。

意識が戻った児玉は、全てを話し始めているという。

それによると、やはり児玉の居場所を突き止めた足立によって、作業中にサーバルームで捕まり。

そして監禁されたという。

足立は金の流れなどに一切興味を見せずに。

単に拘束だけすると、そのまま立ち去ったのだとか。

どうやってこの要塞のような自分の城に足立が入り込めたのかは分からない。だが、それでも分かった事がある。

足立は、警察に対する恨みで動いている。

それは確実だ。

そうでなければ、拷問なりなんなりして、児玉の金を奪い取ることを考えたはずだからである。

そうしなかったのは、警察に自分のやらかした事を示して、最大限の不祥事を作り出すため。

そしてそれは半ば成功した。

後一歩で、大変な事になっていただろう。

高梨がいたから。

死者は出さずに済んだ。

石川と佐川が連携してくれたから。

児玉が監禁されている場所を特定することが出来た。

今回はボーナスを期待して良いだろう。

流石に疲れ果てたのか、二日間寝続けた佐川と、翌日は動きが鈍かった石川を思うと複雑だが。

よくやってくれたと、宮藤は思うのだった。

 

4、恨みの矛先

 

最初はブッ殺すつもりだった。

そう足立は、何の罪悪感もない様子で言った。

児玉が救出されたと聞いた足立は、最初は嘘だと大笑いし。それが本当だと知ったときに、凄まじい形相を見せたという。

今まで聴取を馬鹿にしながら受けていた足立が。

始めて周囲に本性を現した瞬間だったのかも知れない。

凄まじい勢いで暴れ狂い始めたので、警官数人で取り押さえ、猿ぐつわを噛ませて、更には拘束衣も無理矢理着せた。

それでやっと何とか落ち着かせる事が出来たが。

下手をすると指くらい食い千切りかねない勢いだったという。

しばらくは興奮していて会話どころでは無かったが。

それでも、丸一日ほどおくと。

やっと足立は観念したのか、話し始めたのだった。

児玉のことを知ったのは本当に偶然。

ポルノに対して極めて厳しい悪法を敷いている国に対して、日本産の二次元ポルノを売っている奴がいる。

その情報を。

半ば鎖国しているその国の友人から手に入れたのだという。

足立はそれから、捜査一課に対して復讐するために動き始めた。

復讐の動機は至って幼稚なものだった。

最初、足立は鳴り物入りで捜査一課に就任した。

これについては、周囲からの情報もある。

実際捜査一課に来るまでは、足立は優秀な刑事として周囲に知られていたし。捜査一課でボンクラと呼ばれていると聞いた同僚達は、みんな驚いていたのだ。

しかしだ。

足立が捜査一課に来てみた現実は、自尊心が高い彼にはあまりにも厳しいものだった。

他も足立同様評価されてきた精鋭。

足立程度の経歴持ちなんか別に珍しくも何ともない。

それに対して、足立は恥を掻かされたと感じた。

何とも言いようが無い不快感を感じたのだ。

何故俺のように優れた人間が、周囲と同じように扱われなければならない。

そう考えた足立は。

無能な周囲に復讐することにした。

其所で児玉の居場所を突き止めると襲撃。

児玉を誘拐殺人し。

更に最終的には同僚の仕業にして、捜査一課にこれ以上もないほどのスキャンダルを起こしてやるつもりだったという。

足立には別に周囲の警官達が優秀にも何にも見えなかったので。

計画は上手く行くはずだった。

だが、そうはならなかった。

宮藤班がいたからである。

「あの親父、最初見た時からなんか気にくわなかったんだよなあ。 やっぱり不意打ってブッ殺しておくべきだったなあ……」

足立が呻く。

飄々としたボンクラを演じていたときとは、もはや声も目つきも違っていた。

いずれにしてもはっきりしたことがある。

此奴には警官の資質はなかった、と言う事だ。

聴取について聞いた二郎は、そう宮藤に伝えてきた。

宮藤も同感だ。

権力闘争と学閥の抗争に明け暮れ、実際に市民の安全を守る事など考えもしなかったキャリア組の警官達と同じ。

自分の感覚で動き。

自分が周囲に褒め称えられるためだけに警察という組織を利用し。

挙げ句の果てに気に入らないから潰そうとまでした。

そんなクズだ。

「顛末、有難うございます。 いずれにしても足立は……」

「誘拐、殺人未遂、合計で三十年って所だな。 三十年後には、もう足腰も立たなくなっているだろうよ」

「……」

「児玉に関しては、罰金で数百万程度で済むそうだ。 そもそも収入に関してはしっかり税金を払っていたらしくてな。 警察としても、あまり国際問題に関わりそうな面倒な案件は大事にしたくないらしい。 ただ、サーバやシステムは全て取りあげてしまうつもりのようだが」

話を聞く限り、児玉は超一流のエンジニアだ。

佐川でさえ、奴が組んだシステムを解体するのに、全力での作業を必要とした程なのである。

いずれにしても、懲役刑さえ喰らわなければ、相応の対応で済むだろう。

多分これだけのスキルがあれば、現在なら就職も難しくあるまい。

今までの事件で、一番良い解決だったかも知れない。

悪は行くべき所に行き。

死ぬべきでない人間は死ななかった。

宮藤班が結成されてから。重い事件ばかり扱ってきた。本当に多くの不幸と死を目撃してきた。

今回は、ある意味初の快挙かも知れない。

高梨から連絡が来る。

「宮藤さん、いいですか」

「なんだい。 おいちゃん、ちょっと今気分が良いよ」

「そうですか。 では少し残念なお知らせです」

「……聞かせてくれ」

何かあった、と言う事だ。

すぐに気持ちを切り替える。

そうすると、高梨は、足立の人格を再現してみたというのだ。

「最低でも五人は殺しています」

「!」

「そもそも、捜査一課に来た経緯の事件が怪しいです。 調べて見てください」

「分かったけれど、どうしてまた……」

足立を先に調べるべきだった。

そう高梨は言うのだった。

足立については、情報が既に揃っていたのだという。

試しにイマジナリーフレンドを作って見たら、すぐに出来た、というのだ。

「今から名前を挙げます。 変死事件として処理されているはずです。 すぐに調べてください。 足立本人に聞けば吐くはずです」

「分かった。 メモするから言ってみて」

フルネームで男女五人の名前が挙げられる。

すぐに課に戻って調べて見る。

警察のDBには、変死事件として扱われている。

確かにピースは揃っている。

「それぞれの手口は……」

「分かった。 メモするからよろしく」

順番に、手口を口にされる。

佐川も異常には気づいているようで、宮藤を若干疲れた様子で見ていた。石川も、途中から気付いたようだ。

やがて全ての話をメモし終わった後。

大きくため息をついた。

まだ、片手落ちだったのか。

それにしても、本当に危険な人物の側にいたのだなと、宮藤は何度もため息をついてしまう。

やりあって勝てたか。

勝てただろう。

動きからして、かなり出来る奴だったが、それでも宮藤ならどうにか出来た。だが足立は本性が暴かれた今、劣勢になったら躊躇無く拳銃を使っただろうとも判断出来る。それくらい頭のネジが外れた奴だった。

自分さえ良ければいい。

一時期流行った考え方だ。

その思想の極北を行っていた男だったのだろう。足立という輩は。

すぐに二郎に連絡。

二郎も、連絡先で、見る間に声が曇るのが分かった。

「それは本当か……!」

「一見すると事件性がないものもありますが、手口もはっきりしています。 足立が足を運んだ形跡も残っている筈です」

「分かった。 すぐに対処する」

「お願いします。 資料は揃い次第送ります」

既に高梨は、佐川にデータを送ってきていたらしい。

二人とも、作業を開始している。

なお、佐川のPCは二日前にCPUを新調した。

この間の作業で、とうとう駄目になってしまったのである。

それだけ苛烈な作業だった、と言う事だ。

さて。

宮藤は席を外すと、二人にほしい菓子を聞く。

そしてコンビニに買いに行く。

もう今の宮藤には、これくらいしか出来る事がない。

だが、そうすることで事件を解決できるなら。

それに越したことは無い。

これは足立は終身刑で確定だな。

氷山の先端しか見えていなかったんだな。

そう思うと、宮藤は色々とやりきれなかった。

 

(続)