回れ回れ死の車

 

序、枯れ果てた遊園地で

 

バブルの頃。

広域遊戯施設がたくさん日本中に作られた。いわゆる遊園地である。

その後の色々な事件の結果、殆どの遊園地が生き残れず潰れていった。中には、最寄り駅まであるような遊園地でも、生き残れなかったケースがあった。

アウトドアでの遊びが流行らなくなったのも理由の一つだろうが。

国民が貧しくなっていったのもまた理由の一つだろう。

いずれにしても理由は一つでは無く。

更には無計画に作られたこともあり。

どんどん遊園地は潰れていった。

だがその中には、元々経営資産が少なかったり。

色々な理由が重なったりして。

細々と生き残り続けた遊園地もあった。

そんな一つ。

ある東北地方の一角にある遊園地で。

事件が起きた。

大慌てでの通報で警官が飛んでくると、観覧車。それもギシギシさび付いて音が鳴るようなそれの中で。

人が死んでいた。

大慌てで観覧車を止めたため、他の客も困り果てている中。

まず落ち着いたベテランの警官が犠牲者を降ろし。現場保存の為にその観覧車に鑑識を乗せ。

観覧車を一周させて客を降ろし。

調査を開始した。

その結果分かってきた事が幾つかある。

目撃証言により、この観覧車には最初二人乗っていた。

元々古くは観覧車はデートスポットだった時代がある。

その時の流れで、だろう。

死んでいたのは若い男。

どうやら大学生らしい。

一時期、大学が大変に疲弊した時期があったのだが。

今はそこそこに持ち直し、大学生になるというのは相応に良いこととなっている。

死因は刺殺。

ナイフで胸を一突き、だった。

肋骨を避けて刃物を心臓に通している手際は凄まじく、明らかに初犯では無いなと警察では判断。

更にはどう考えても第一級殺人だと言う事で。

捜査一課にバトンが渡されることとなった。

そして、ここからが難事だった。

そもそも田舎の遊園地。

ギリギリの低空飛行で何とか経営をしている状態。

遊園地のオーナーは、警察に泣きながら経営を続けさせてほしいと縋り付いたが、流石に無理だ。

遊園地は、残念ながら。

破産することになった。

そして、調査が無慈悲に行われる。遊園地のオーナーは自殺しないように監視がつけられた。

また状況が状況だから、資産の処理などには専門のスタッフが廃止され、悪徳高利貸しの介入が行われないようにも処置が行われた。

この辺りの対応は早かったのだが。

遊園地のオーナーは、人の笑顔を見るのが好きだと大まじめに公言している人物で。それ故に、今回の事が応えたらしい。

体を壊してしまい。

病院に入ることとなってしまった。

SNSなどではやり場のない怒りが湧いたが。

誰にもどうにも出来なかった。

そんな中、警察へ批難が集中する。

警察も捜査一課を投入し、大学生と一緒に乗ったらしい女の情報収集が行われたのだが。どうも観覧車に一緒に乗った、という目撃例は出てくるのに。それ以外では情報が出てこないのである。

そもそもこの大学生。

地元への人材誘致のために作られた、国立大学に通う大学生だったのだが。

周囲にはあまり友人もおらず。

サークルにも入っていなかった。

女がいると言う噂もなく。

周囲からの評判は「地味」の一言。

とにかく人間関係が希薄な現在では、田舎の大学でもそれは同じで。

あらゆる証言集めでは、ろくな情報が入ってこなかった。

本人のアパートも調査されたが。

徹底的な調査の結果にもかかわらず。

そもそも、一人のDNA。つまり被害者である大学生本人のDNAしか発見できないという状態で。

地元の捜査一課は監視カメラ映像なども徹底的に調べたが。

それでもそもそもこの大学生が誰かと話している光景すら見つけられず。

困惑するばかりだった。

そこでだ。

宮藤班に、話が回ってくることとなった。

こんな遠い県での事件が宮藤班に来る。

地元で怪事件が起きていないから、という理由もあるが。

警視総監が替わったから、という理由もあるのだろう。

宮藤は一連の説明を終えると。

石川と佐川が同時に手を上げる。

困り果てた話だが。

兎も角応えなければならない。

「情報の提供がほしいでーす。 後大学にハッキング掛けてもいいですかー?」

「情報は一課が全部出してくれるけれど、ハッキングは絶対に駄目! だーめ! おいちゃんも庇いきれないことがあるからね」

「これ、絶対に大学何か隠してると思うけどなー」

「おいちゃんもこれから出張して調べてくるから、情報を待ってね」

口を尖らせる石川。

続いて佐川だ。

「ナイフの実物とか、殺害現場の立体的な再現とかは」

「それはすぐに回すから待ってね。 其所から分析をヨロシクね」

「わかりましたにゃー」

まあ、こっちはいいか。それにしてもハッキングさせろとは、無茶にも程がある。

そして石川には出来てしまう。

勿論ばれたら大問題だ。

宮藤班は、そもそもイマジナリーフレンドを活用した一種のプロファイリングという、反則スレスレの方法で成果を上げている。他に成果を上げている秘密部署も似たようなものだろう。

どれもが基本的に異能持ちの集まりで。

本来なら活用出来ない異能を活用出来ているため。多くの事件が解決に向かっているのだ。

実績があるから警察も多少の無茶には目をつぶる。

だが、それにも限度はある。

ため息をつくと、宮藤は出張の準備をする。追加でメールが飛んできた。お土産を寄越すように、と言う事だった。

まあこれについては菓子で良いだろうし、安上がりで済む。

むしろ生活力に欠ける石川と佐川が、二人でやっていけているかが心配なのだが。なんとアレで佐川は料理が出来るらしく、時々ふらっと厨房に現れては、プロも吃驚の腕を振るって料理をするらしい。

この間同僚に聞かされた。

宮藤班を任されていながら、石川と佐川の側にいないことが多い宮藤は。

その辺りは、同僚から聞かされる事が多い。

そしてそうやって作ってこられる料理は。

石川と佐川だけでは食べきれないので、交通課の面々に振る舞われるのだとか。

なんというか、その気になれば何でも出来そうだなと思いながら、飛行機に。

今回は飛行機を使った方が早い。

東北に出来た空港の、比較的近くにある遊園地で起きた事件だからである。対策本部も既に作られている。

飛行機に乗り込む。

飛行機、いわゆる旅客機は、もうここ数年世界の何処でも落ちていない。

極めて事故が起きにくくなる技術が幾つも導入された結果である。

そのため、出発前の長い待ち時間が気になる事を除けば。

相応に快適な足として機能してくれている。

高梨からメール。

資料を出来るだけたくさん送ってくれ、というものだった。

まあ分かっている。

分かっているよと応えると、後はしばらくゆっくりする事にする。

昔は気取ったビジネスマンが新聞を広げたりしたらしいが。今の時代、新聞なんて読んでいる人間はいない。

広げられる新聞は地味に邪魔だったという話も聞くので。

ある意味環境が改善されたと言えるのかも知れなかった。

飛行機が出発することが告げられ。

加速が開始される。

空に舞い上がった飛行機は、一旦海上に出ると、ゆっくり旋回するようにして東北を目指すコースに乗る。

雲の上に上がるまでさほど時間も掛からない。

飛行時間そのものは、一時間と少しくらいだろう。

だから、仮眠を取るのに丁度良いと言う事もなく。

ただ普通に、ぼんやりとスマホを弄っていれば良かった。

昔はスマホの電源を落とす事を求められたらしいが。

今はそんな事もない。

やがて、ごく自然に飛行機は空港に到着。

降りるときはそれほど待たされないのが有り難い。帰りも、同じように、出発時に待たされ、出るときはすぐ、だろう。

東北の田舎空港への飛行機だったから、降りる客はさほど多く無い。此処はあくまで中継地点で、別の所へ行くのである。

帰りは時間次第では電車の方が良いだろう。

新幹線だと乗り継ぎだの何だので忙しいが、飛行機は残念ながら本数の少なさがヤバイのである。

タクシーを取って、指定されている対策本部に出向く。

普通は県庁の中に作るものなのだが。

県庁があまり大きくないらしく。

今回は、地元の警察署の中に作っているらしい。

それは、署長もさぞや胃が痛いことだろう。

警察署に到着。

確かに飛行機を指定してくるだけあって、近かった。

途中、カバーが被せられている観覧車が見える。

あれが、件の事故があった観覧車なのだろう。そこそこ立派な観覧車である。調べた所によると、イルミネーションもあって。夜にはこの辺りの名物ではあったらしい。とはいってもわざわざ乗りに行く者は多くなく。結局の所見て楽しむの域を超えない代物だったらしいが。

バブル期に開発された遊園地としては珍しく残っているものだったのだが。

結局の所、それ以上でも以下でもなかった。

自転車操業で、やっと食いつないできたのに。

今回の事件でとどめになった。

遊園地のオーナーは、今時珍しい人の笑顔を見るのが大好きだという人物だったという事だし。

気の毒なことだ。

犯人は出来るだけ、早めに挙げてやりたいところだが。

宮藤班が呼ばれているくらいである。

そう簡単にはいかないだろう。

警察署の中に入ると、手帳を見せて、中に。

既に会議室が対策本部に変えられていて、地元の捜査一課の人間が来ていた。指揮を執っているのは警部らしい。

面倒な話である。階級は同じだが、こっちは秘密部署。相手は捜査一課の人間。

多分こっちを目の敵にしてくるだろうなと思ったが。

案の定だった。

相手はゴリラのような大男で。しかしながら眼光は温厚なゴリラと違いチンパンジーのように獰猛そのものだった。

ただ、ガタイだけで鍛え方が足りないなと宮藤は見抜く。

やりあったらまず負ける事はないだろう。

「話は聞いています。 なんでも秘密部署とかいうものを任されているそうですな」

「ははは、小さな部署ですよ。 他にも幾つかあるらしいですがね、それらについては私は知りません」

「ふん、何の秘密だか」

「それについては残念ながら教えられません。 一種のプロファイルチームだと思ってください」

そうはいうが。

プロファイリングというのは、一時期もてはやされたほどの成果を上げられるものではなく。

現在でも、「あった方が良い」程度の成果に落ち着いている。

そして正直な話、役に立たないとまでは言わないが、宮藤班のような万能性はないと思っているのも宮藤には同意見だ。

だから、高梨の挙げてくる成果を見て本当に驚いた。

捜査一課時代には、役に立たないプロファイリングチームが、学歴ばっかり鼻に掛けてピント外れの分析をしてくるのを見て頭を抱えることも多かった。

「それでは、資料が揃いましたので、着席してください」

「分かりました」

それぞれ席に着く。

二十人ほどのチームのようだが、はて。

ああ、見覚えがある。

警視総監(前の事件時には警視監だったが)が連れていた、科捜研の若いの。精鋭といって良いだろう人物。神宮司、といったか。

階級はなんと警部補らしい。

科捜研でも相当に注目されている期待の新星なのだろう。

ああ、なるほど。

此処を仕切っている警部が苛立ってるのが分かった。

訳が分からないのが宮藤だけではなく、神宮司もいるからか。

この間の事件では、神宮司は殆ど動いているようには見えなかったが。それでも警視総監の質問に、ラグ無しで対応していた。

記憶力も知力も図抜けているのは違い無さそうだ。

と言う事は、今回は宮藤自身の仕事ぶりを見る為に、警視総監が直属の部下の此奴を寄越したのか。

それとも、ここの警部が頼りないと判断して、部下として就けてきたのか。

ちょっと判断しづらいところか。

或いは両方の可能性もある。

顔色が真っ青の、地元の捜査一課所属だろう警部補が。資料を配ってきたので、見せてもらう。

内容をざっと見るが。

事前に聞かされていたものと、あまり変わらない。

つまり進展が一切無い、と言う事だ。

「遊園地はとにかく古く、内部に殆ど警備用のカメラなどが存在しません。 そもそも警備員も年老いた人物が数名だけで、更に言えば一日辺りの利用者も千人に届かないというほど小さな遊園地です。 目玉であった観覧車も、使われるピークの夕方でなければ、ガラガラという程利用者がいませんでした」

「続けろ」

「はい。 科捜研の調査によると、痕跡が残されていません。 観覧車は基本的に人を乗せるときは、補助の要員がつくのが当たり前で。 補助の要員によると、確かに被害者は女性を連れていたという事なのですが」

「観覧車から消えてしまったか。 はん」

ここの警部が舌打ちしているので、宮藤は嫌になった。

分かってはいるが、苛立ちを周囲に現しても、事件は進展しない。

幾つかの質問が飛ぶが。

神宮司が、事前に準備していたらしい質問をしていく。

「ルミノール反応の様子は」

「心臓を一突き、ナイフを抜いていません。 このため血は噴出しておらず、犯人の特定に結びつくような飛散はしておりません」

「DNAの調査は」

「それが、事前に観覧車に乗って綺麗にしたの如く、誰の遺留物も見つからないのです」

中年のベテラン警部補らしいのだが、冷や汗を掻いていて気の毒なほどだ。

あの高圧的な警部のことだ。

いつも怒鳴られ無茶な事を言われ。

そして苦労が絶えないのだろう。

同情してしまう。

ざっと経歴を見るが、たたき上げてここまで来た警部ではあるらしい。たたき上げで警部になったのだから、警官としては優秀だったのだろう。

だが、部下をつけて活躍出来る人材では無かった。

名選手名監督ならずという有名な言葉があるが、正にそれだ。

あの警部は、恐らく前線で働く一刑事だった方が、大きな実績を上げることが出来たのではあるまいか。

デスクについているのは性にあわず。犯人の痕跡を追って、現場百回の捜査をしていた方が、余程活躍出来る。

そういう人材だったのだろう。

何だか誰にとっても気の毒な話だなと、宮藤は思う。

警視総監も肝いりの部下を派遣しているのなら。

その辺りは改善してやれば良いのに、とも思った。

「ふーむ、相手は偽装工作のプロと言う事か……」

「科捜研が手を抜いている可能性は!?」

「うちの科捜研は不祥事を今まで一度も起こしていません。 まず信頼しても良いかと想います」

「今回が最初の不祥事かもしれないだろうがっ!」

ついに堪忍袋が切れたらしい此処の警部が立ち上がってどなるが。

恐縮するのは、地元の警官だけ。

神宮司は露骨にしらけているし。

宮藤は周囲が可哀想だなと思うだけである。

また、他にも応援が何人か来ている様子なのだが。一人、妙なのがいた。かなりの高齢の刑事で。しかしながら、何故か捜査二課から来ているらしい。

多分別の秘密部署の人間だなと宮藤は当たりをつけていたが。

老人は手を上げる。

「まあまあ警部さん。 どなっても仕方が無いだろう。 ともかく、役割分担を決めてもらえんかな」

くつくつと神宮司が笑うので、此処の警部は更に顔を真っ赤にしたが。

それでも、警視総監直属の部下だと言う事は聞かされているのだろう。大きく深呼吸すると。

やはり現場のたたき上げらしく、的確に指示は飛ばしていく。

やればできるじゃないか。

ただ、どうすればいいかは分かっていても。場のモチベーションを保ったり、部下を上手に活用する方法は知らない様子だが。

「では、宮藤警部。 あんたには其所の二人を連れて現場を調べて貰いたい。 かまいませんかな」

「ええ。 後、科捜研との連携を取りたいのですが」

「好きにしてくれ」

「分かりました。 そのように」

憂鬱な会議が終わる。

さては、まずは科捜研と連携して、情報共有。

その後は、石川、佐川、高梨とそれぞれ話をして。まずは、現実的に事件を解決する所からである。

刑事は、地味な仕事なのだ。

 

1、幽霊観覧車

 

観覧車の現物に出向く。

そろそろ調査時間の限界だ。既に現場には、調査のための警備用ロボットが派遣され。周囲の痕跡を徹底的に収拾している。警官の負担を減らすために導入されたそれは、円筒形をしていて一見弱そうだが。二メートルある筋骨隆々の大男を一撃で黙らせるスタンショットをはじめとして、自衛手段は幾つも持ち合わせている。怪しい人物を、粘着性の強い液体を発射して、捕獲することも可能だ。

夜勤などの負担を減らすために警察でもこういったロボットの導入はどんどん進められていて。

現場百回を旨とするような古参の警官は眉をひそめることも多いが。

想像以上に優秀である事から、今では文句を言うことは少なくなってきている。

またこれらのロボットは赤外線監視装置を有しており、しかも全周の画像を常時記録して科捜研に転送している。更に周囲のロボットと全てが連携しているも同然のため、もしも彼らの監視内で犯罪者が出たら、逃げるのはまず不可能だ。

科捜研の人間が、既に停止させられている観覧車を確認し。徹底的に調べている様子なのだが。

成果は上がらず、冷や汗を掻いている。

もし何かあったのなら、科捜研から連絡が来るようになっている。

敢えて声を掛ける必要もあるまい。

連れてきた二人には、散って聴取に出て貰っている。

宮藤は観覧車を丁寧に観察して回るが。

どうにもおかしな処は無い、ごく当たり前の普通の観覧車だとしか思えなかった。

動いている観覧車から脱走するというのは、極めて危険な行為なのだ。サーカスの団員でもなければ無理。

そしてサーカスなんて、今時何処でもやっていない。

余程の大手以外は、興業がなり立たないからである。

故にこの線は考えなくても良いだろう。

近付いて、確認する。

ロープが張られていて、入らないようにとされている場所には勿論入らない。暗視スコープを使って、観覧車を近くから念入りに確認。

メモを取る。

観覧車の形状は、特に目だって変わったものではない。

発展途上国だと人力で動かす観覧車があると聞いた事もあるが。流石にそれはない。一日ゆっくり電動で動き続けるものだ。ただかなり古く錆が目立つ。これは下手に観覧車から出たりしたら、観覧車が派手に揺れて絶対に気付かれるだろう。

腕を組んで、小首を捻る。

まず前提としておかしい事が二つ。

観覧車の中に一人分の痕跡しか無い。

これがおかしい。

というのも、この観覧車、毎日利用されているのである。例え遊園地に閑古鳥が鳴いていても、である。

管理をしていた人間にも既に聴取はしているが、毎日アルコールなどで丁寧に消毒はしているらしいが。

それにしてもDNAなどの痕跡が一人分しか出てこないというのは、色々な意味でおかしい。

もっとおかしい事がある。

大前提として、この観覧車が動いているとき。内部から脱出するのは不可能だ、という事である。

最初から一人しか乗らなかった可能性もある。

だが、観覧車の補助をしている人間は、この道十年のベテランで。そもそも被害者とは何の利害関係もない。

後から待っていた人間の話によると、口論している様子も無く。そのまますっと通していたという。

二人を。

つまり、管理をしている人間が嘘をついているという線も無い。周囲の何人かが、二人乗り込んだ所を目撃しているのだから。

かといって、内部から痕跡をあり得ないレベルで消し。

更に脱出するのは不可能である。

いずれにしても、それらが分かっただけでまずは充分とする。

一度二人つけて貰った刑事と合流。

遊園地内の、椅子もテーブルも錆びだらけのカフェに入る。一応、コーヒーは出してくれた。

味は悪くなかった。

「それでどうでしたか? 何か新しい情報は」

「いえ、そもそも監視カメラもないような小さな遊園地ですので」

「内部でトラブルが起きたことは」

「ここ数年、一度もないとか。 なんというか、雰囲気がいい遊園地ですし、毒気を抜かれるという証言もあります」

毒気を抜かれる、か。

人が集まるところには、必ず犯罪者が来る。

それは確定事項だ。

遊園地などはスリの本場だし。

絶対に問題を起こす人間が入り込んでくる。世界最大の遊園地でも、それは何ら変わりが無い事実である。

だが、事件が起きていない。

意図的に犯罪を見逃しているのか。

それはどうにもあり得なさそうである。此処の警備員は年老いている者ばかりだが、警察への連絡のマニュアルや、犯人逃走を防ぐための仕組みについては熟知もしていた。きちんと問題が起こりそうな場所も分かっていて、巡回も手を抜いていなかった様子だ。

「なるほど、これでは得られる情報は無い、か」

「そろそろ時間のようです。 引き上げましょう」

「ああ、すみません。 わざわざありがとうございます」

あの警部の下では大変だろうに。

二人は嫌な顔一つせず、捜査を手伝ってくれた。

一度捜査本部に戻り、レポートを書く。このレポートも、今は手間が極限まで緩和されているので極めて楽だ。

レポートを出して、後はミーティングを行う。

終了時間が厳しいのは此処も同じ。

成果が上がらないことに、捜査本部を任されている此処の部長は相当苛立っているようだが。

宮藤が釘を刺すように言っておく。

「此方でも確認してきましたが、観覧車内は不審なことだらけですね。 いや、観覧車の外もですが」

「そんな事は分かっている!」

「ならば結構。 アプローチを変えなくてはいけないでしょうな」

同格の警部。

しかも特務部署で、五十件以上の問題を解決してきている部署の警部である。強く出られないのである。

この辺りの捜査一課だと、警部は多分捜査一課課長だろう。警視が課長になるのは、もうちょっと都会の捜査一課である。

普段は周囲にどなりちらしていればいいだけの話だが。

今回はそうはいかない。

それが彼を苛立たせるのは分かるのだが。

部下が気の毒だ。

咳払いして、立ち上がったのは神宮司である。

宮藤の所の佐川並みにちっこい。年齢はひょっとすると、佐川より若いかも知れない。どんだけ飛び級を繰り返している天才なのかよく分からないが。進展があった事を述べる。

「大学の方で調べてきましたが、ちょっと面白い事が分かりました」

「もったいつけないで……」

「いいんですかそんな口の利き方して。 私警視総監の指示で此処の監視に来てるんですけど」

「……っ」

堂々とまあ。

神宮司はくつくつと笑いながら、頭の血管を切りそうな様子のここの警部も含めて、皆を見回す。

「被害者のDNAデータを調べてみようと研究室とか色々足を運んだんですけれどね、存在しないんですよ」

「はあ?」

「研究室、座っていた席、色々調べましたが……下宿で採取できた被害者のDNAが、どこにも見つかりませんねえ」

「そんな馬鹿な……」

流石に誰もが黙り込む。

大学内だ。いくら何でも、それは考えにくい。

なお被害者自身は、監視カメラなどに写ってはいる。だが、それらに映った被害者のいた所周辺を調べても、DNAのDの字も出てこないのだとか。

「これ、被害者最初から大学に来てなかったんじゃ無いですかね? 勿論冗談ですけれども」

「被害者が提出した書類とかは!」

「今大学側に調査させている所ですが、出てきた所でDNAが出てくるかはかなり疑わしいと思いますねえ」

「何が言いたいっ!」

いきりたつここの警部。

神宮司は、滅茶苦茶五月蠅い動きをしながら、まるでアニメの探偵が如く言うのだった。

「前提条件がおかしいのではないのかなーと思いますね」

「前提条件……?」

「気になったんで調べて見たんですが、寮には監視カメラなくて、被害者が映っていないんですよ」

つまりだ。

観覧車の中で死んでいて。

寮に住んでいたことも分かっていた被害者は。

想定されていた、国立大学の大学生では無い、と言う事か。

そう聞き返すと、頷かれる。

また面倒な。

頭を抱えることになるが。しかしながら、データはデータだ。科捜研に声を掛けて、今のデータを全て石川に送って貰う。後は佐川に送る分、高梨に送る分を、石川が分別してくれるだろう。

この神宮司という子と、佐川。

どっちの頭が切れるのか宮藤にはよく分からないが。

だが問題として、そもそもの前提がちゃぶ台返しされてくる可能性さえ出てきた。

なるほど、宮藤班に声が掛かるわけだ。

そろそろ会議の時間もぎりぎりである。

老人が。

正体がよく分からない、捜査二課の老人警部補が挙手する。

「ホホホ、良いですかな」

「……」

もう疲れ切っているのか、ここの警部が顎をしゃくる。

まあ失礼な行為だが、誰も咎めなかった。意味不明のことが起こりすぎていて、それどころではないのだ。

「仮に死んでいたのが最初被害者だと想定されていなかった人物だとして、それが誰なのか。 何故殺されたのか。 この二つの問題が浮上しますな」

「そういえば、被害者の両親は」

「死体は確認して貰いましたが、本人だと言っています」

「……」

そうなるとお手上げだな。

宮藤はため息をついた。

会議が一旦切り上げられる。石川にデータは送られたはずだ。

本番は明日から。

ちょっとばかり今回は、宮藤にも問題の解決の糸口が見えない。それをどうするべきか、分からなかった。

 

一晩仮眠室で休んでから、起きだす。

ベッドが堅くてうんざりだったけれども。まあ、正直な話六人部屋とかで寝かされるよりはマシだ。

夜勤に厳しい法的規制が掛かっているのと同様、早朝勤もしかり。

署の中を行き交っているのはロボットばかり。

このロボットも、今年更に増やす事が決定しているらしい。受付などの事務作業を全てこなせるロボットも、来年度から導入されると聞いている。

科学技術の進歩を凄いと思うのと同時に。

何かとんでも無いトラブルが起きないか、不安にもなってくる。

だが、実際問題、このロボットが普及することで、警官に課せられていた非人道的労働が緩和されたのも事実で。

年を取ってきた宮藤には、そのありがたみがよく分かる。

外で軽く運動をしていると。

あの老人も、同じように運動をしていた。

軽く話をする。

九州の方から来たそうである。それはまた、随分と遠くから。思わず苦笑いしてしまうが。

側で見てみると、分かる。

この老人、全然現役だ。

「武術か何かやっておられるのですか?」

「居合いと合気道を少々」

「また変わった組み合わせですな」

「居合いについては、これを持ち歩くことを許可されておりましてな」

そういって、杖を弾いてみせる。老人の杖は、なんと。小説だの漫画だのでしか見ないような、仕込み杖だった。

更に相手に接近された場合は、合気道で対応するという。

そういえば中国の武術でも、近接専門と遠距離専門の武術を同時に覚える事があるらしいが。

この老人も、似たような事をやっている、と言う訳か。

なお、近くでビリビリ感じる威圧感。

宮藤より上の実力者である可能性が高い。

「其方では、どんな特務をやっているのですか」

「ホホ、うちも其方と同じように、変わり者ばかり集められていましてな。 うちでは主に、「隙間」を探しておりますのよ」

「隙間」

「そう、隙間です。 こういう事件のように、どうしても突破口を探せない事件に対してうちは声を掛けられるのですわ。 うちの子らは皆隙間を見つけるのが得意でしてな」

そういうものか。

要するに人間心理の隙を突くプロフェッショナル、と言う事なのだろうか。

そういえばこの老人も、弱そうに見せかけて居合いの達人。

更に合気道も出来る。

相手は見かけて絶対に油断するし。

近付かれたらまず首を刎ねられるか、放り投げられておだぶつである。ちょっとぞっとしない。

「それで、隙間については見えそうですか?」

「今、若い子達がやっておりますでな」

「なるほど、うちと同じですね」

「フフ、いずれにしても協力しないとどうにもできないでしょうな」

老人は健脚で、歩くことを苦にしていない。

若い頃から相当に鍛えていたのだろう。

丁度朝食の時間になったので、軽く食事にするが。老人は一人で食べるのが好きだというので、別々の場所で食べた。それ自体は別にかまわない。一時期の、「食事は一緒に取らなければならない」等という事を強要するカルトがあったが。そんなものは現在既に消滅している。

ただあの老人の場合、周囲に隙を必要以上に見せたくないというのもあるのではないかと、宮藤は疑ったが。

やがて、会議前の時間になったので。

まず高梨に連絡を入れる。

高梨は、いきなり驚くべき事を言った。

「被害者の人格を再現出来ました」

「何、もうかい?」

「はい。 充分に資料が集まっていたようです」

「分かった、聞き出せることは全て聞き出して、石川ちゃんと佐川ちゃんに送ってね」

続けて、すぐに石川と佐川にも連絡する。

ちょっと忙しくなるかも知れないが、これで何かしらの進展が出る可能性が高い。

舌なめずりする。

問題は、高梨が話を聞き出すのに時間が掛かること。

それを石川と佐川が、現状の資料と照らし合わせて分析するのにも時間が掛かること。

少なくとも夕方くらいまでは、時間が掛かることだ。

今回、どうにも変だが。

殺人犯が彷徨いている可能性が高い。

地元の警官は周囲を警戒していて、彼らの負担を減らすためにも、早めにどうにかしたい。

むしろ高梨はかなり早く作業を進めてくれている。

問題は、高梨の作るイマジナリーフレンドは、情報がアップデートされると、新しい性格を見せる事がある事で。

その辺り、こういう状況では説明が難しいだろう。

さて、夕方までどの道足で稼ぐ捜査をするしかないか。

ただ、進捗だけは報告をしておいた方が良いだろう。

会議が始まる。

案の場だが、ここの警部は夕方に新しい進捗が出ると言う話をすると、憤激した。

「そんないい加減な情報を真に受けろというのか!」

「そこの人、宮藤さんの班は、どこの一課も手に負えなかった事件を五十数件も解決してるんですけどお? あんたよりは役に立つっしょ」

神宮司が横やりを入れる。

しかもプークスクスクスと笑ってみせるので、周囲が凍り付いた。宮藤でさえぎょっとしたほどである。

あまりフォローになっていないし、心臓に悪いので止めて欲しいのだが。

頭の血管が切れそうになっている此処の警部に。

更に、九州から来た老警部補が追い打ちする。

「ああ、うちも同じくらいに進捗が出ると言うことです。 一気に夕方から忙しくなりますなあ」

「アハー、そっちも? じゃ、私夕方まで寝てよっかな? そこのおっさん、怒るだけで役に立たないし」

「巫山戯るなあああっ!」

「抑えて警部!」

見かねた数人の部下が、神宮司に飛びかかろうとしたここの警部を必死に押さえつける。

だが、そもそも杞憂だったかも知れない。

神宮司が疾風のように動くと、ぱんと軽い音がした。

同時に目を回したここの警部が、動かなくなった。

指弾か。

一瞬だけ見えたが、神宮司の仕業だ。何かしらのものを指弾として飛ばして、ここの警部の耳の至近を通過させたのだ。

それによって無力化した、というわけだ。

耳の近くを銃弾などが掠めると気絶にまで持っていくことが出来るのだが。

この神宮司とか言う小娘。

頭一辺倒かと思ったら、自衛能力を充分に備えているのか。警視総監が肝いりにしているだけのことはある。

多分格闘戦でも、宮藤よりやるのではあるまいか。

困惑する中、宮藤に視線が集まる。

此処にいるもう一人の警部は宮藤だからである。

咳払いすると、宮藤は指示を出す。

「捜査本部長は疲労からか眠ってしまったようなので、指示を出させてもらいますが、よろしいですか?」

「は、はあ……」

皆、狂乱するここの警部には辟易していたのだろう。

誰も文句は言わなかった。

すぐに班分けして、対応をして貰う。

神宮司と老警部補にはそれぞれやりたいことを聞く。

神宮司は大学に様子を見に行きたい、と言う事なので。数人の部下をつけた。老警部補は、逆に寮を調べたいと言うことなので、其方を頼む事にする。

宮藤は数人を連れて、また遊園地に行く。

多分ロクな情報は出てこないが、高梨からの情報を佐川が解析し、更に石川が物理演算で検証するまではどうせ事態は進展しない。

それにだ。宮藤の勘だが、この事件ひょっとすると犯人がいないのかも知れない。

まさかとは思うが。

そんな予感さえするほど、この事件はあらゆる意味で不可解だった。

 

2、形無きもの

 

被害者はずっと泣いていた。

高梨は困惑する。

今までも湿っぽい被害者は結構イマジナリーフレンドとして再現してきたのだけれども。今回は被害者がずっと泣いているのである。

なお犯人も再現しようとしたが。

こっちはなんというか、実体がないように思える。

情報が足りないというのとも何だか違う印象だ。

だから、まずは被害者と話す。

今回は、八つある人格の中で、特に優しく穏やかなものを使った。

「どうして貴方は泣いているの?」

「だって、僕は……僕は……」

「大学生なんでしょう。 もう泣かないで」

「僕は……違うんだ」

何が違うのか。

まず、順番に聞いていく。

錯乱している人格は、あり得ない繰り言を口にすることが多い。更に言えば、嘘をついているケースもある。

ちょっと話しただけで分かるほど簡単な事では無い。

空っぽであるから。

それだからこそ、出来る事はたくさんある。

「何が違うの。 言ってみて」

「……どうせ信じない」

「信じるよ」

「友達でも、きっと信じてはくれないよ……」

勿論構築の際に、人格は弄っている。友達だと思い込んでいるはずなのだが。それでも口を開かないか。

もう少し調整を入れる。

ひいっとか、そういう声を出すが。

しかしながら、それだけだった。

「貴方は何を悲しんでいるの?」

「ぼ、僕は……」

「貴方は?」

「僕は、大学を受かっていないんだ!」

何。

それはどういうことか。

確か、国立大学の学生として登録されているはず。そうなると、観覧車の内部で死んでいたのは誰だ。

ともかく、順番に話を聞く。

此処をどうにかするには、それしかないのだから。

「僕は不正をしたんだ。 大学に受かるために、ズルをした……」

「裏口入学という奴?」

「違うよ……違う学校に入ったんだ」

「!」

噂に聞いたことがある。

海外などではよくあることらしいのだが。替え玉を使って受験をすることで、大学に入るやり口。

一応、裏口入学の一種となる。

これは洋の東西を問わず例があり。特にエリート育成で知られていた米国でも、一時期社会問題になった事がある。

要するに金持ちの子供が賢いなどと言うのは大嘘ということだ。

一時期流行った事があるらしい。

金持ちの子供は優秀だ。最初から優秀な教師をつけられ、親も優秀だから。

だが、そんな理屈が大嘘である事は、歴史を学べば一発で分かる。

貴族階級が有能だったかというとそうではない。

結局の所既得権益を握っている人間を正当化する。

そんな事のために流行った醜悪な理論である。

現在でもそれを裏付ける逸話があった。それだけのことである。

ただ、少し話がおかしい。この大学生、裕福な家の出などではなかったはずだ。そもそも、現在の大学では色々な問題の結果受験などのシステムが整備されており。替え玉入学や裏口入学が出来ない……とまではいかないが。やりづらい環境になっている筈である。

話を順番に聞いていく。

「大丈夫。 此処には私ときみしかいないよ。 ゆっくり話していって」

「……」

待つ。

相手が落ち着くまで。

一つの心というものを作り出すのは大変だ。イマジナリーフレンドとしてそこにあるのも同然に作るには、脳のリソースを膨大に消耗する。

だから、冷や汗を掻きながらも。

ゆっくりと話を聞いていく。

「ぼ、僕の言う事を笑わない?」

「笑わない」

「……ぼ、僕は……大学の試験を、無理矢理受けさせられたんだ」

「どういうこと?」

親との関係は、どちらかというと冷え切っているとは聞いた。

何でも一応宿舎代は出しているだけで、それ以外はまるっきり放置。

被害者の両親は、被害者の弟をそろって溺愛しており。

被害者のことには、殆ど何もしなかったという。

理由としては、「顔が気にくわない」というものがあるという。

日本の警察は無能じゃない。とっくにこの辺りは調べがついている。

被害者の家庭はいわゆる崩壊家庭だ。

被害者は親によって完全に無視されていた。ネグレクトまではいかなかったが、世話は殆どしなかった。

弟の方も、兄を馬鹿にしきっていたらしく。

「あれが死んだの?」などと捜査員に応えて、今は殺人の容疑者の一人としてカウントされているそうだ。

私物などを勝手に持ち出したり、売り払ったりすることも再三で。

大人しい兄に対して暴言をぶつけたり。

暴力を振るう事は珍しくもなかったそうである。

勿論、両親はそれを止めもしなかった。

どうしてこうなったのかはよく分からないが、現在聴取中。ただ両親は激しく反発しており、「不当聴取」だの「あれが死のうと関係無い」だのと、好きかって抜かしているそうである。

要するに、被害者の両親は被害者に無関心だった。

ならば、どうして無理矢理、なのか。

話をゆっくり聞いていく。

体力の消耗がえげつないが、それは被害者の哀しみが大きいからである。

「僕は、一度だけ、聞いた事があるんだ。 どうしたら、少しはマシに扱ってくれるのかって。 そうしたら、父さんも母さんもゴミでも見るみたいな目で言ったよ。 国立大学でも受かったら、少しは認めてやるよってね」

「最低だね……」

「二人とも家の外では「立派な家族」「優しい両親」って言われていたんだよ。 隣の家のおばさんに、優しい両親がいて幸せだねって言われたときには、その場で気を失いそうになったよ」

溜息が出る。

この仕事をしてから、人間の醜さには呆れ果てるばかりだが。

今回もそうか。

被害者の家庭の腐りっぷりはもはやどうしようもない。

更にろくでもない話を聞かされる。

「だから必死にバイトをして学費を貯めたんだ。 成績も必死に上げた。 弟が金を寄越せって言ってせびってきたこともあったけれど、断った。 滅茶苦茶に殴られたし、両親はそれを見てしらけた目で見ていたけれど。 挙げ句、弟が行ったら、お兄ちゃんなんだからお小遣いくらい上げなさい、だってさ」

「……続けて」

「僕は何とか奨学金を貰えるだけの成績をあげて、入学費も貯めた。 両親にそれを告げたけれど、無関心だった。 寮の入居費だけは出してやるけれど、それ以外で迷惑を掛けたら殺すからなとまで言われた」

ふむ、此処まではよくある崩壊家庭だ。

こんな状況で、児相は何をしていたのかというのが不審だが。

或いは、本人が幼い頃から虐げられるのが普通で、全く気にさえしていなかったのかも知れない。

ひょっとすると、だが。

そういえば、資料にあった。

被害者は体格が平均よりかなり小さく、逆に弟は平均よりもかなり背が高かった。

これはひょっとするとだが。

食べ物などでも、両親は相当に弟を優遇していたのではないのだろうか。

可能性はあるだろう。

まあ立派な虐待だ。

「それで、どうして受験をしていないって話になるんだい。 きみが大学に在籍していたことは分かっているんだけれども」

「……僕が受けたのは、その隣の大学なんだよ」

「……は?」

「でも落ちたんだ。 だから、滑り止めの大学に入ったんだ」

待て。

確かに若干格上の国立大学が隣にある。

名前も似ている。

だが、両親は、そんな事にさえ気付けなかったのか。

ああ、そういう事か。

まるで興味が無かったから、どうでも良かった、と言う事なのだろう。

乾いた笑いが漏れてくる。

今まで酷い家庭をたくさん見てきた。

子供を虐待死にまで追い込む家庭も幾つも見てきた。イマジナリーフレンドに作った被害者から、殺されるまでの過程をつぶさに聞かされた事もあった。何よりも、高梨自身が究極レベルの虐待の被害者だ。

珍しくも無いことだと言うことは分かっていたが。

まさかこれほどとまでは思わなかった。

「でも、キミが国立大学に受かったことは事実だろう。 本命にしていた大学に落ちたとは言え……」

「彼奴が、それで声を掛けて来たんだ」

「あいつ?」

「分からない。 得体が知れないやつさ。 いつの頃からか、僕の前に姿を見せるようになったんだ。 男だったり女だったりよく分からない奴で。 それで、僕に取り入ろうと色々してきた」

話が見えないが、ともかく核心に近付いている気がする。

そして被害者は言った。

「彼奴が、僕の代わりに大学に行くって言った」

 

まず、情報を佐川に流す。

被害者の言葉はどうにもまとまりきっていないこと。

更に言うと、色々と未確認情報がある事。

それらを告げて。宮藤に報告して貰う事にする。

データを送り終えると、しばしぐったりと休む。

呼吸もかなりきつい。

今回は、とにかく疲れた。

なんというか、いつもの倍も疲れるようなしごとだった。理由は分からない。しかも、まだ全然解決はしていないのだ。

それにしても、どういうことだろう。

替え玉入学云々には、本人の言葉にも矛盾がある。

そもそも受験はしているのだ。

本命には落ちたが、隣の国立大学には受かっている。其所だって、充分に立派な大学である。

更には、被害者の弟は成績が最底辺クラスで、既に半グレの類とも交流していたという。薬物に手を出していた形跡まであるそうだ。

この辺り、何かもっと深い事情があるのでは無いかと思えてしまう。

更に、である。

気になるのが、被害者が言う「彼奴」である。

そもそも「彼奴」とは何だ。

まず被害者の寮には、被害者だけのDNAしかない。

現れるようになったと言う話を少し詳しく聞いたのだが、寮の中にも姿を見せるようになった、と言う話だ。

寮の中にいきなり変な奴が現れて。

それをどうして平然と受け入れる。

しかしながら、大学で被害者の目撃例などが殆ど無い、という現実も存在しているのである。

何者かがいて。

其奴が事件に関わっていることは、充分にあり得る。

だが、本当にそうか。

虚言癖の可能性は。

いや、あの被害者は、虚言癖ではない。

なんというか、この時点で被害者に関してはピースが埋まっている感触があるのだ。不完全な状態でイマジナリーフレンドを作った感じがしない。

これは今までゆうに三桁を超えるイマジナリーフレンドを作ってきた高梨だからこそ、分かる事だ。

いずれにしても、佐川にこの先は一旦任せて、疲れを取ってから再聴取だ。

今回はなんというか、かなり手強い相手だと思う。

しばし休んでいると。

宮藤から連絡が来た。

「お疲れちゃん。 少し疲れてる?」

「はい。 今回は、どうも消耗が多くて……」

「そうだろうね。 色々と面倒事が多くてね今回の事件は」

「……お疲れ様です」

宮藤は苦笑すると、少し話してくれる。

「まず被害者の家庭に立ち入り捜査が行われたけれど、ひっどい何てもんじゃ無いねコレは……」

「虐待は事実だったんですね」

「ああ、間違いない。 被害者の部屋は隔離されるような間取りで、壁にも床にも血の跡だらけ。 それも古いのから比較的新しいのまで色々。 バットまであったよ。 弟が被害者を殴るのに使っていたらしいね」

「どうして学校でばれなかったんですか?」

通信制の学校に行っていたらしいと、そういう話がされた。

ああ、そういう。

テレワークが普及してから、通信制の学校は増えた。

勿論通常の学校同様の単位も貰える。

学校内での虐めも緩和されるようになった。

だけれども、だ。

家庭内での暴力は、どうにもならない。

それは現実としてある。

「すぐに両親は逮捕。 弟も、彼氏の家で捕まえたよ」

「彼氏?」

「ああ、薬とかやっているうちにそっちのケに目覚めたらしくてね。 何か地元では有名な半グレ……とはいってももうオッサンだけれども、そのオッサンの愛人兼暴力を振るう際の懐刀として、周囲では悪名を轟かせていたらしい」

そっか。

そんなのを、被害者の両親は溺愛していたのか。

蓼食う虫も好き好きとはいうが。まあ被害者の両親の脳みそは腐っていて、目は節穴だったと言う事だろう。

更にそれを裏付ける話まで受ける。

「酷い話だよ。 被害者の両親は、あんなのが死んだのなら遺産は全部自分のものだから、警察の方で処分して換金しろとか言っていてね。 弟に関しても、あんな良い子は他にいないとか言っている。 まあなんというか、見る目があんまりにもなかったんだろうね」

「気になるんですが、どうしてそんなに被害者を嫌ったんでしょう」

「証言が支離滅裂で混乱しているんだけれども、どうやら顔の形が気に入らなかったらしいね」

「顔の形」

そんな理由で。

成長に影響が出るレベルで食糧を減らし。

両親と弟で袋だたきにするようにして虐待し。

更には死んだ後は金までむしろうとしていたのか。

そんな輩が、周囲からは「立派な両親」だとか思われていたというのか。人間という生物にやはり重大な欠陥があるとしか言えない。

頭を振ってしまう。

「ともかく、此方でも捜査を続けているのだけれども、やっぱり分からない事がまだまだ多すぎる。 情報が分かり次第其方に送るから、今は休んでね」

「はい……」

どっと疲れた。

想像を絶するレベルの身勝手な理由での虐待。

それを悪とも考えていない家族。

血はつながっていた。

だがそんなものは関係無い。

毒親はどんな世界にもいる。何処にでもいる。

いや、むしろだ。

毒親の方が普通なのではあるまいか。

そうとさえ高梨は思う。

疲れたので、ぐったりと休む。ロボットアームが世話を自動でしてくれるので、それに任せる。

汗を掻くから兎に角痛い。

気温を保っていても、それでも疲れ果てると汗を掻く。体はともかく、顔は痛くて仕方が無い。

これでも少しは直ってきているはずだ。

昔はそれこそ、傷口が現在進行形で切り刻まれているかのように痛かったのだから。それに比べれば随分マシである。

何度か寝て起きてを繰り返して、体力を戻す。

粥のように薄く、味もなくまずい栄養食を食べて、どうにか体力を戻すと。

追加で送られてきた情報に目を通す。

やはり、被害者にこれ以上構築する余地はない。

犯人はまだ情報が足りない。

つまり、被害者に話を聞いていくしか無い、ということだ。

被害者が「彼奴」という正体不明の存在が、犯人である可能性は極めて高いのである。しかし、それには本当に実体があるのだろうか。

嫌な予感がする。

非常に深い闇を感じる。

ともかく、また被害者を呼び出す。

「もう僕を放って置いてくれよ……」

「そうはいかない。 私はキミの友人なんだから」

「……」

どうも友人としての設定が上手く働いていない。

それで何となく思い当たる。

監禁同然の状態。

更には通信学校だから、友人なんか出来ようが無い。この被害者の性格だから、多分ネットで友人が出来る事もなかっただろう。

大学での聴取も難航していると聞いている。寮の人間ですら、被害者についてあまり話した事がないと口にしているのだ。

少し、設定を弄る。更に、友人としての存在感を大きくする。

被害者にゆっくり、丁寧に聞いていく。

「昨日言っていた彼奴って誰?」

「分からないよ。 不意に姿を見せるようになったんだ。 最初はもやのようだったけれど、だんだん形を取るようになって行った。 本当に人間かどうかも分からない」

「……詳しく」

「大学に行くのが憂鬱でならなかったんだけれど、彼奴はある程度優しく接してくれたんだよ。 それで、代わりに大学に行ってくれるとも言った。 だから任せてみると、きちんとノートも取ってくれた。 大学でも全くばれなかった」

どういうことか。

一つ思い当たる可能性があるが。

結論を出すにはまだ早い。

「僕は誰と接するのも嫌だったから、いつも彼奴に任せるようにした。 そうしたら、彼奴は嫌な授業も全部引き受けてくれたし、食品とかの補給でお出かけするのも全てやってくれるようになった。 助かった、と僕は思ったよ」

「……気になる事があるんだけれど」

「なに……」

「その「彼奴」の名前は」

分からないと、被害者は言う。

大体核心は持てたが。

まだ情報が足りない。

何かしらの決定的な証拠がほしい。

現時点では、その段階に至っていない。

残念な話ではあるのだが。

「キミはそんな大事な存在を、「彼奴」とどうして呼ぶんだい」

「それは……」

「ひょっとして、怖かった?」

「それもあるけれど、いるっていう事しか分からなかったし。 それに彼奴と話しているときは、何だかぼんやりしていたから」

そうか、可能性は更に上がったか。

ならば、一旦この情報をまとめて貰って。佐川に判断して貰うのが一番だろう。

会話を切り上げる。

石川から連絡が来ていた。

観覧車の内部での様子について、である。

どうやら完全にシミュレーションが出来たらしい。

早速再生してみる。

そうすると、仮説がやはり裏付けられる。

どうやら、間違いは無さそうだ。

だけれども、まだ情報が欲しい。

どういう理由で、こんな事になったのか。もっと証拠が集まらないと、事件としては解決しない。

まず、佐川に情報を流し。

その後軽く話をする。

佐川は丁寧に話を聞いてくれた後。

あるかも知れない、と応えてくれた。

「その場合問題になるのは……」

「その方向で捜査を進めることはできますか?」

「幾つか証拠がいるのだけれども。 まてよ……」

佐川が少し考え込んでから、ああなるほどと呟く。

理論的には可能だ、というのである。

そうか。

では一旦話を切り上げ、会話のデータを送る。後はコレをまとめて貰い、捜査の方向性を切り替えて貰うしかあるまい。

いずれにしても、決定的な情報が入らない限り、犯人をイマジナリーフレンドとして構築することは出来ない。

それは覚悟を決めておかなければならないなと、高梨は思った。

 

3、影

 

佐川は腕組みして考え込む。

遺留品などから、あり得る事だと言う事は分かっていたが。まさか、それそのまんまで話が来るとは。

いずれにしても、石川と話をして。

出来るかどうかを、実際に証明していかなければならない。

すぐにシミュレーションをして貰う。

同時に、宮藤に話をする。

高梨は疲れ切っていたし。

宮藤には、佐川から話をしておく方が良いだろう。

まずは、ずばり核心から切り込む。

宮藤も流石に驚いた様子だが。

あり得る事だとは、納得出来たらしい。

「なるほどね。 確かにあり得るかも知れない。 おいちゃんとしても、ちょっと捜査の方向性を変えてみるよ」

「お願いしますニャー」

「こっちでもみんな行き詰まってたからね−。 ただ、流石に説得が大変かもしれないけどね」

宮藤は冗談めかしていたが。

本当に大変だろうなと、佐川は内心では同情していた。

さて、此方でも出来ることをする。

まず高梨が被害者から引っ張り出してきた情報を整理する。やはりどう考えても、犯人の正体は分かりきっている。

ある意味幽霊とも言えるが。

勿論幽霊などでは無い。

佐川の方でも、現場の遺留品の中から、おかしいものをピックアップして探していき。そしてどうやらあり得そうだという結論に至る。

資料をまとめていき。

その資料を石川にトス。

石川の方でも、その資料で、想定通りのものが出来るかどうかを、試して貰う。

三時間ほどの苦労の末。

どうやら出来る、と言う事が確定する。

大量の血液が必要になるが。

そもそも血液の飛散状況から考えて、何ら不思議な事は無い。むしろ状況が裏付けられた、とも言える。

この事件の犯人は存在しないとも言えるし。

存在していたとも言える。

いずれにしても、ようやく真相にはたどり着けた。

後は細かい証拠探しだ。

被害者の自宅内にあるものについても確認。

何を購入しているかについても調べる。

更に、である。

被害者宅の近所。更には、大学の監視カメラも総当たりで調査。恐らく該当する姿があるはずだが。

三十分ほど調べて。

かなりの量のデータを洗い出した後、見つける。

恐らくは、これが犯人だ。

勿論検証がいる。

まずデータを調べ上げ。

監視カメラのデータを、高精度で分析。

移動している経路などを調べて、其所を重点的に警察に調べて貰う必要が出てくる。宮藤は苦労するだろうが。向こうにいる宮藤にしか出来ない事だ。

膨大な資料がまとまってきたので。

一度資料の整理に掛かる。

まだ高梨は疲れ切って眠っているだろう。

時間の余裕はたっぷりある。

まずは宮藤に連絡を入れて、資料を捜査本部に送る。

そして、同時に告げる。

殺人鬼はもういない、と。

少しこれで時間に余裕ができれば良いのだが。まあ捜査本部としても、確証が取れるまでは、人員の無駄遣いで工数を浪費せざるを得ないだろう。

万が一があるからである。

石川もシミュレーションを作ってくれたので、一緒に添付。しばらくして、宮藤が連絡を入れてきた。

「見つかったよ被害者のDNA。 佐川ちゃんが特定してくれた移動経路の一箇所で、髪の毛が見つかった」

「ならば間違いないと思いますにゃー」

「しかしこれはまた、本当だとすると……いや本当なんだろうけれども、救いがない話だねえ」

「被害者の両親と弟は?」

宮藤はしばし口を濁した後、教えてくれる。

現在児相と地元の生活安全課が動いてくれている。これはネグレクトであり、間接的な殺人だからである。

昔は児相には権限が小さく、生活安全課も舐められる事が多かったが。現在では普通に反社などを相手にする事が出来る装備が渡され、警察用のロボットも支給されている。捜査に関しても、科捜研はばっちり協力してくれる。

「いずれにしてもろくでなしの両親はお縄だよ。 弟の方は余罪がボロボロ出てきているから、普通に一課のお世話かな。 まあ三人揃って、十年以上は刑務所の中に入る事になるだろうね」

「はあ」

「気持ちは分かるけれど、捜査を進めて。 今回はかなり特殊な事案だからね。 場合によっては、殺人教唆に近い状況まで、三人に償わせることが出来るかもしれない」

「だといいですにゃー」

通話を切る。

そして、一旦寝に行くと告げて、石川に後は任せた。

佐川もあまり良い人生を送っていない。

学校では孤独だったし。

此処にスカウトされてしばらくも、周囲が異能と気付けるまでは随分と寂しい時間を過ごした。

今はある程度精神に余裕があるが。

この時間もいつまで続くか分からない。

宮藤は年齢が年齢だ。いつまでも此処の部署のボスをしてくれていないだろう。実質上父親失格だった佐川の親と違って、宮藤は親も同然。憎まれ口を叩いたり、パシリにしていても、感謝はしている。

石川だってそうだ。

とにかくあら探しばかりしていた今までの周囲の人間と違って、佐川と親身に接してくれる。

姉がいたのなら、こんな感じだろうとも思う。

そして高梨。

殆ど話はできないが。

自分を超える異能。

自分より出来る奴を毛嫌いする傾向がある人間という生物だが。佐川にとっては、出来る奴は面白い奴だ。

この辺り普通の人間とは違うのだろうが。

はっきりいってどうでもいいので関係無い。

布団に潜り込むと、ぼんやりとしているうちに、寝落ちしてしまう。

生半可なプロファイラー十人分以上の仕事をしているから許される事だと言う事は分かっているが。

それでも周囲の警官の中には、佐川を良く想っていない者もいるようだ。

結局はそれも人間だから。

どうしようもない生物に囲まれていることは、佐川もよく分かっていた。

目が覚めると、夕刻である。

あくびをしながら職場に出向く、

石川が新しい情報を展開してくれたので内容を確認。良い感触だ。どんどん外堀が埋まってきている。

捜査本部のほうでも、どうやら此方の仮説が真であると判断。

それにそって動き始めたらしい。

話が早くて助かる。

宮藤はそれこそ胃に穴が開くような思いを味わっただろうが、それでも充分過ぎる状況である。

後は、全ての真相への証拠を整備するだけ。

それには、高梨の力がいる。

情報を整理して、高梨の所にデータとして送る。

後は、高梨が片付けてくれるはずだ。

 

高梨が目を覚ますと、資料が送られてきていた。佐川からのデータである。やはり間違いない。

資料全てに目を通し。

そして、犯人の人格を構築する。

いや、少し違うか。

被害者の中にいた犯人を、引きずり出すのである。

前にもやった事があるが。

今回は更に難しそうだ。

苦労しながら、被害者のイマジナリーフレンドに介入。中に潜んでいた犯人を、イマジナリーフレンドとして引きずり出す。

金切り声を上げながら這いだしてきたイマジナリーフレンドは。

やはり、薄ぼんやりしていた。

だが、これでいいのだろう。

此奴こそが。

今回の事件の犯人である。

つまり、被害者の別人格だ。

「始めまして。 彼奴さん」

「……私の存在がよく分かったわね」

「最初からおかしいとは思っていました。 僕から見ても、今回の事件はおかしいところだらけでしたから」

脱出不可能な密室トリック。

だが、そんなものは存在しえない。

サーカスでもやっていなければ観覧車から脱出して逃げる事なんて不可能だし。そもそもそんな事をしていれば絶対に他の観覧車から見える。ましてやたこ糸だの何だのを使って密室を作る何て、現実的な話では無い。

ミステリーというものは、あくまでミステリーだ。

密室トリックなどと言うものが。現実の犯罪に使われた試しが無い。

つまるところ、そこには密室などなかった。

そういうことだ。

だとすれば、犯人が取るべき事が出来ることは限られてくる。

警察側が困惑したのは、その限られたことの中の最大の一つ。「逃げる」が出来ない状況だったこと、だろう。

だが、逆に言えば。

犯人は最初から逃げなかった、と言う事も出来る。

「どうやったか知らないけれど、何あんた。 どうして私があの弱虫の中にいないのよ」

「弱虫? それは違いますね」

「……はあ?」

「今の国立大学は生半可な勉強で入れる場所ではありません。 殆ど独学で、周囲から圧力を掛けられながらも受かった貴方の主は、立派な人です。 弱虫だというのは、周囲に植え付けられた錯覚です」

「でも、腕力は」

「腕力が人間の価値を決めるなら、世界で一番偉い人間は格闘技の世界チャンプでしょうよ」

これはある漫画家の受け売りの言葉だが。

その漫画家は後に神とまで言われた人物である。

これくらいの受け売りはかまわないだろう。

黙り込んだ「彼奴」に対して、順番に聞いていく。

「まずどうして貴方は産まれたんですか?」

「……決まっているでしょう。 ストレスからよ」

「詳しくお願いします」

「彼奴はね、人間そのものに絶望していたの。 大学に何回かこそこそ様子を見に行ったのだけれど、そこにいるのはみんな両親や弟の同類にしか見えなかった。 怖くて仕方が無かったのね」

「そう、ですか」

まあ無理もない。

周囲に両親と弟しか人間がおらず。

その全員が加害者だったのだ。

学校などに対して助けを求める事も出来ず。恐らく助けを求めでもすれば殺される程度の監視もされていたのだろう。

そんな状況だ。

周囲にいる人間が、性別関係無く、悪魔に見えてもおかしくないし。

そもそも悪魔に一番近いのは人間そのものだ。

或いは皮肉な話だが。

被害者には、人間の本来ありうる姿が見えていたのかも知れない。本当に皮肉な話である。

「怖くて外にも出られない。 でも、元の地獄に戻るのも嫌だ。 だから私が作り出されたのよ」

「ふうん。 それで貴方が主人格の時は、紙を使ったこの変装用のグッズを使っていたと」

「何処で見つけたのよ」

「僕には頼りになる同僚がいるんですよ」

そう。

人格が交代する事で、多少外見が変わる者はいる。

だが、いくら何でも性別まで変わってみえる事は無い。

更に言えば、元々被害者はバットまで使うような苛烈な暴力を日常的に受けていて、顔なども歪んでいた。

それらを隠すためにも。

化粧などでは無く、顔の形をそのまま変えるくらいの工夫が必要だった、と言う事なのだろう。

意外に「彼奴」と呼ばれる外向けの人格は素直だ。

或いは主人格を見かねて、行動していたからかも知れない。

だが、其所までである。

この「彼奴」が、主人格である被害者を殺したのは確定なのだ。

「それで、どうして主人を殺す気になったんですか?」

「ん? ああ、そうか。 もう達成後なのか」

「応えてください」

「……彼奴は、もう終わりだって言っててね」

何でも、両親が嗅ぎつけたのだという。

貯金の臭いを。

「彼奴」に人格交代してから、被害者はかなり積極的に大学に出て、授業にも出ていたし。何よりもしっかりバイトをして、将来に備えた人生設計をしていた。

完全に両親の所から離れ。

弟の所からも離れる気でいたのだ。

だが、それをどうやってか。

両親が嗅ぎつけたのである。

「これから弟と一緒に行くから、それまでに下宿代から何まで、今まで支援してやった金を借金してでも全て用意しておけ、という電話が来たのよねえ。 あの弱……まあ違うと言うなら変えましょうか。 主人は泣いていたわね」

「……つくづく人間という生物は」

「ハ。 まあともかく、彼奴は全て終わりだと泣いていたわね。 どっちにしても、金を返さなくても両親は大学に乗り込んで暴れまくるでしょうし。 ベタかわいがりしている弟は半グレを連れて金を取り立てに来るつもりだったでしょうしね。 警察に話をする事を私は提案したのだけれど、どうせ聞いてくれないとか主人は言ってたわね」

そういえば。

一度警察に、被害者から電話があった記録があった。

何でもおかしな内容だったから、取り合わなかったらしいが。

相当に動転していたのだろう。

やっと、悪魔の家族から逃れられる、というのに。

その全てが台無しになったと言うのだから。

ましてや必死に稼いできたお金も、今の生活も滅茶苦茶にされるとなれば。それは気が弱い人間なら絶望するのが当然だろう。

警察も、受け手が悪いと連絡があっても対応してくれない事がある。

いわゆるコミュニケーション下手だったのかも知れない。

今はそういった対応でも、専門の人間が雇われている事があるのだが。

運悪く出払っていたか。

それとも心が折れてしまったのか。それは分からない。

いずれにしても、絶望は破滅への道を作り出した。

「だから、彼奴らの好きにされるくらいならと、最後は一度も行ったことがない遊園地に行きたいと主人は言い出してね」

まず風船で人型を作る。

それにいつも「彼奴」に変わる時に使う変装用の紙を被せる。

この技量が尋常では無く、周囲から見て女性にしか見えなかったという。遊園地で、周囲が誰も疑わなかったほどに。

本来風船に紙を被せて、人に見せることは不可能だ。

それに対して、この被害者は寄り添うようにして、更に足下には重しを入れて。ゆっくり歩くことで対応していた。

これについては、観覧車の人間が証言もしている。何だかゆっくり歩いていたようだとも。

そして、観覧車に乗り。

ナイフで人型を割る。風船は割るとわずかな破片しか残らない。それについては、被害者のコートのポケットに入っていた。重しも同じく。

更に、膝の上に紙を敷いた。

出来るだけ血が飛び散らないようにと言う被害者の配慮だった。

後は、俯きながらナイフを胸に刺すだけ。

だけれども、被害者の手が其所で止まったのだ。怖くて、動けなくなったのである。

だから、「彼奴」が代わった。

怖くてナイフを自分に刺せない主人に代わって。ナイフを己の胸に突き刺したのである。

「当然だけれど、覚えているのは此処までよ」

「何とか逃げる事は考えなかったんですか?」

「あんたなら分かるんじゃないの?」

「……」

人格交代は、主人格が安定していないと無理だ。

余程の恐怖と絶望に、主人格。つまり被害者は鷲づかみにされていたのだろう。だから、「彼奴」がどうにもできない状態だった。

最後の絶望の時。

いったこともない観覧車を目指したのは。

子供として一切合切報われた無かった人生を儚んでなのだろう。最後まで、悪い事を思いつけない人物だったのだ。

だからこそ、食い物にされた。良く善人は社会に出ると食い物にされると言うが、違う。家庭内でさえ食い物にされるのだ。

親子の愛情など幻想に過ぎない。

それは高梨が、身を以て誰よりも知っていた。

「……分かりました。 いずれにしても、しかるべき処置は執ります」

「しかるべき処置ね。 そんなものより、あの主人は毒親から逃げたかったのだと思うけれどね」

「そうでしょうね。 本当にそれは、現地の警察の不手際です」

「主人の弟の仲間はもうバックレてる筈よ。 其奴らは逃がさないで頂戴。 犯罪組織の資金源代わりに、ベタ甘にされている主人の弟から、金を貰っていたような連中だからね」

まあそれもそうだろう。

ともかく、犯人の一味である事には代わりは無いのだ。

やりきれない。

自分の事だから分かる。

哀しみという明確な感情は分からないが。

それでも、何だかずっしり来る。

これが或いは哀しみなのかも知れないが。そうだという実感が持てないのが情けないというかなんというか。

本当に無茶苦茶をされて、その結果の体なんだなと思い知らされてしまう。

まず佐川にデータを送る。

送っている最中に、宮藤に連絡。

全てが分かった。

そう告げると。

宮藤は、何となく事情を察していたのかも知れない。

何だか辛そうに、そうかとだけ言った。

データの転送完了。

どっと疲れた。

イマジナリーフレンドの別人格を呼び覚ましたのだ。今までも例が無かった訳では無いが、今回のはちょっと今までのとは違った。

なんというか、本人格とのヒモ付き方が完全に別物だったのだ。

内部にしまわれているというか。

派生先では無く、そのまま内側から皮を破ってくるような感じだった。

それが、とても体力に大きな負荷を掛けた。

呼吸を整える。

バイタルが少し良くない状態らしい。

医者が来るのが分かった。

半分意識を失っている所に医者が到着すると、すぐに処置を始めてくれたが。もう高梨には出来る事がない。

老医師は顔を再建してくれた人だ。

全身の状態をチェックすると、大きなため息をついた。

「君は自分が重傷者だという事をまず自覚しなければならないな」

「すみません」

「謝る必要はないから、少しは自分を労りなさい。 特別な仕事をしていることは知っているが、それでも時には断る勇気も必要だ」

「……はい」

そうは、いかない。

医者が心配してくれているのは分かっている。

だけれども、これが高梨の唯一の存在意義。唯一の居場所での仕事。

ブラック労働をさせられているわけでもないし。

話を聞く側は、ちゃんと対応もしてくれる。高梨に会いたい様子だけれども。それでも高梨の全身が無茶苦茶である事を察してなのか分からないけれど、無理にそれを強要もしない。

他にコレより良い職場は無い。

それは断言して良かった。

応急手当が終わると、眠るようにと言われて、医者は帰る。

バイタルも安定したからだろう。

何度か咳き込む。

周囲を見ると、血に濡れた廃棄されたガーゼとかが見えた。家庭用のロボットが回収して、捨てに行く。

良くは分からなかったが、色々手当を受けたんだな。

そう思うと、限界に達した高梨は気絶していた。

 

即座に手配が掛けられる。

宮藤は苦虫を噛み潰していた。

地元の捜査一課でも知られている悪辣な悪党集団だったらしいが、被害者の弟が逮捕された事で動揺はしても。昔のヤクザの下部組織としての凶悪な半グレとしての力はもうない。

昔だったらそれこそ高飛びとかして、国外逃亡を図ったところだろうが。

そんな資金もなければ、知恵もない。

すぐに全員が確保された。

そして、あっさり証言が上がった。

「被害者の家に殴り込みに行く。 蓄えがあるから、それを全部取りあげて、躾のために殴る。 日当三万貰えるって話だったから」

全員が同様の証言をした。

兄弟姉妹で、親が扱いを変えるケースはいくらでもある。

だが、宮藤も此処まで醜悪な両親と弟は初めて見たかも知れない。邪悪という言葉では言い表せない。

弟にしても、兄を人間だと思っていない。

国立大学に行ったこと自体を嫉妬していたようで、「生意気だから気にくわない」等と考えていた様子だ。

何が生意気だ。

努力の末に国立大学に行ったのに。

宮藤は、これはもう話が通じる相手では無いなと判断。

いずれにしても、全ての線はつながった。

高梨の証言通りの証拠も出てきていたし。

最初からいなかった殺人者は消え。

ただの悲惨な人生を辿った自殺者が残った。

元々誰も味方などいない。

そんな状態で、金を奪いに来る両親と弟、その取り巻き。

どれだけの絶望だっただろう。

しかも、弟は被害者を「生意気」だと殺意まで抱いていた。恐らくこの機会に取り巻きに殺させて、山にでも埋めるつもりだったのだろう。

事実その辺りは、全て被害者の弟が吐いていた。

これは、両親は恐らく懲役二十年。

弟は終身刑に格上げだろう。

同情の余地はゼロ。

まあ、一生刑務所で過ごすといい。

良く虐めはされる方が悪いなどと言う言葉を恥も知らずに吐く輩が存在しているが。それが事実かどうかは、この醜悪極まりない事件を見れば一目瞭然だろう。これを見てもそんな事を言える人間がいたら。

それは悪の組織か何かの幹部になれる素質持ちだ。

ため息をつく。

捜査本部はもう落ち着いてきていた。

神宮司が来る。

「いやー、おしかった。 うちの班も惜しい所までプロファイル行ってたのに、タッチの差で負けちゃいましたわ」

「流石は警視総監直属のチームですね」

「アハハー、子供相手に良いんですよそんな口調で喋らなくても。 それよりも、今回の件で確信しましたけど、やっぱりそっちのエース、IQ250の佐川じゃないですねー?」

「……」

まあその通りだが。

別にわざわざ自慢するほどでもない。

佐川を知っているか。まあ、知っているだろう。

現警視総監が、宮藤班に目をつけていたのは事実のようなのだから。

「まあいいっすよ。 警察の本分は犯罪者を捕らえて司法に引き渡し、犯罪を防止することですんで。 私としても今回の結果は大満足ですし」

「佐川と何か面識が?」

「ああ、先輩ッスよ。 私と殆ど同じIQ持ちだって事で、どっちも周囲に睨まれまくってましたから」

「君もその……」

にやりと笑う神宮司。

凄まじい笑みだった。

そういう事なのだろう。

クローン実験の過程で作り出された鬼子。強化人間の一人。超IQを誇る一種の超人。

しかし、この神宮司のチームでさえ、高梨のイマジナリーフレンドを用いたプロファイリングには及ばなかった。

それだけ興味を持たれたと言う事だろう。

「それに貴方も、良くバケモノ共を躾けているんじゃないですかね?」

「そんなつもりはありませんや」

「ハハハー」

「……失礼」

あまり良い気分はしなかったので、その場を離れる。

躾けるか。

そんなつもりは無い。

石川も佐川も苦労を続けて来た人間だ。そして人間社会で周囲に対して協調性を持つ、という能力に決定的なレベルで欠けている。

だが有能なのだ。

上司として任されたからには、その強みを生かす。弱点は他で補えば良い。此処で言えば宮藤がそうだ。

石川にしても佐川にしても、超がつくレベルのスペシャリストだ。

現場百回で慣らした宮藤だからこそ、現場百回「だけ」ではどうしようもない事件がいくらでもあることは知っている。

捜査一課にいた頃は、それを嫌と言うほど目にした。

だからこそ、二人は大事である。

高梨に至っては、それこそか細いろうそくに点った炎のように儚い。

どれだけの迫害を受けてきたのか分からないが。体の方も、相当に弱い事は確実なのである。

そんな高梨を守り、更に仕事をして貰うには。

理解者が必要だ。

宮藤がそうならなければ、誰がなる。

噂でしか聞いていないが、高梨の全身を滅茶苦茶にしたのは母親だという。確定情報は得られていない。ただ、高梨がぼんやりとそんな事を口にした事があった気がする。いずれにしても許されない話だが。

宮藤が、出来る事をして。

三人を守らなければならないのである。

ふと気付くと。老警部補が来ていた。

実はこの人のチームが、今回の捜査本部で意外に大きな働きをした。

確認の結果、観覧車から脱出する方法は無い、という結論を出してくれたのである。

それが高梨から出てきた、もう一人の人格による自殺、という話に結びついた。

まあ、無能な元の捜査本部長が更迭されてから、宮藤が指揮を取れて。それで良かったというのもあるが。

この人も、隙間を探るという点では。

大金星に近い成果を上げてくれたとも言える。

「これで解決ですな」

「ええ。 既に半グレ共も捕まったようです。 余罪もボロボロ出てくるでしょうし、どうせ十年は娑婆には出てこられません。 被害者の家族に至っては、もっと長く刑務所行きでしょう」

「凶悪事件だからこその結果とは言え、やりきれんのう」

「全くです」

軽く歩きながら話をする。

やはり、老警部補も此方の精鋭には興味を持っているようだった。

「今回の事件については、其方からのえらく具体的な情報提供が気になった。 本当に異能のものがいるのだな」

「ええ。 うちの子らは天才と言うよりも異能ですね」

「立派な部下達だ。 大事に育ててやってくれ」

「分かっています」

此方は神宮司よりもだいぶ態度が柔らかいし、大人としての貫禄も持っている。

まあ、無駄に年ばかり取る老人も世の中には珍しく無いが。

名刺を交換して、後は捜査本部に戻る。

解散をしなければならないからである。

今回も気が重い事件だった。

難事件ばかり回ってくるのだから当たり前だとも言えるが。いずれにしても、本当にどうしようもない腐れ外道ばかり最近は見ている気がする。

こんな奴ばかりでは無いと言いたいが。

人間の大半は、見かけで相手の全てを判断する。

だから、あながちこんな奴ばかりでは無い、という言葉は。信用できない。

高梨は、相当やさぐれていて。

人間はこんなものだと諦めてしまっているようなのだけれども。いつか高梨に直接会う事が出来たら。

少しでも光を示したいと宮藤は思う。

捜査本部で、軽く説明をする。そして解散を宣言。昔はこの後飲み会とかをしたケースもあったようだが。今はもうそういう無駄は排除されている。

タクシーの手配は、県警本部長がしてくれていた。

多分だが、この手口は。警視総監が。神宮司を派遣した時に、言い含めていたのだろう。

苦笑いしながら、タクシーを使って帰る事にする。

後は欠食児童どもに土産を買っていって、それで終わりだ。どうせすぐにまた難事件が飛んでくるだろう。

どう対応するかは、その時にならなければ分からない。

それに、今後は出張も増えるはず。

各地で未解決の難事件の捜査本部に混ぜられるかも知れないからである。

駅で降りると、買い物を続ける。

帰りは待ち時間の関係で、新幹線を使うことにした。

新幹線までは、多少余裕を持って時間を取ってある。

今回は土産がさっくり見つかったので、少し困ったが。まあ余った時間はスマホでも見て過ごせば良い。

駅のホームで待っていると、神宮司が前を通り過ぎていった。

数人引き連れていたようだが。

何だかは分からない。或いは、SPかも知れなかった。

警視総監肝いりの部下だ。

それくらいはついていてもおかしくはないだろう。捜査本部に顔を見せなかったのは謎だが。

新幹線が来る。

今回もどうにか片付いたなと、宮藤は思った。

 

4、閻魔大王の卓

 

警視総監が自席で資料に押印していると、入室の許可を求める声。勿論許可を出す。誰の声かは分かりきっていたからだ。神宮司である。

一瞥だけすると、無機的に言う。

「報告を」

「はいー。 宮藤班ですが、やっぱりエースは佐川じゃないですね。 タカナシって声を拾いましたが、多分其奴です」

「やはりな」

「知ってたんですか? 酷いなあもう」

現在の立場は仮にも警視総監なのだ。

今までの資料はすべて閲覧できる立場にある。

警察が大規模再編成されたときに、宮藤の所に配属された高梨圭という謎の人物がいるのだ。

性別は無し。

正確には元男性なのだが、凄まじい虐待の末に生殖器を破壊されたので、現状では男性とは呼べない。

手術時の証言なども得ているが。全身の彼方此方が欠損していて、顔は殆ど何もかも壊されていたそうである。

目はかろうじて無事だったが、口は総入れ歯。

舌も引き抜かれていて。

手術に当たった看護師があまりの惨状に吐いたと言う証言もある。

医師がどうにか顔を再建したが。今でもバイタルは必ずしも良い状態ではないという報告が上がっている。

間違いない。

この高梨が、宮藤班のエース。

そして調べた所によると、どうもイマジナリーフレンドを作り出し。仮想的に情報を得た人物の人格を再現。

それによって、事件を解決できるそうである。

今まで五十数件、いや今回ので六十件に達したが。様々な難事件を解決してきたのは、それが故。

情報さえあれば、犯人をそのまま丸裸にし、全ての行動を吐かせることが出来るのである。

色々な意味で規格外の能力だ。

神宮司もこれはこれで、IQ255という桁外れの怪物だが。

それでも此奴には「異能」という観点でかなわないだろう。

説明をすると、神宮司は口を尖らせる。

「いいなー。 その人ほしいー」

「駄目だ。 宮藤と高梨はとても相性が良く、事件を解決できているのはそれがゆえ、というのもある。 もしも下手な人間と組ませると、この貴重な金の卵を産むガチョウは潰されてしまうだろう」

「私ならもっと上手に」

「無理だと言っている」

ちぇーと言いながら、拗ねてみせる神宮司。

まあ此奴は此奴で使える部下だ。

此奴の任せている特務部署も、既に四十数件の難事件を解決している。実の所、各地にある特務部署の中でも、宮藤班に次ぐ事件解決率を誇る部署である。ただ此奴の場合は、極限まで高い知能を使ってのプロファイリングが主体だが。

神宮司班は、神宮司と、その護衛だけで構成されている。

護衛は自衛隊の空挺部隊から選抜したエリートであり。

米軍の精鋭部隊にもそうそう劣らない実力を持っている。

神宮司はそれだけしてでも守る価値がある。

そう警視総監は考えていた。

今後、階級を順調に昇進させ。

最終的には警視総監の座を譲るつもりでもある。

残念ながら、警視総監は実力でのし上がってきたとは言え、既に老域に入り掛かっている。

後継者がほしい。

宮藤はそんなタマじゃない。

彼奴はただの警官である。周囲の全てを把握して、警視総監という苦行ができる程では無い。

神宮司はそれだけのスペックがある。

ただし、神宮司は周囲に認めさせるほどの実績が足りない。現在警部補まで出世させたが、更に色々な実績を積ませて、出来れば五年以内に警視監にまでは育てたい。キャリアが警察上層を独占していない今で無ければ出来ない。

そして今だからこそ。

史上最高のIQを持つ警視総監に、バトンタッチすることを考えられるのだ。

或いは神宮司の下に宮藤を就けるのもありか。

いずれにしても、色々な策を今のうちに考えておかなければならないだろう。

警視総監はこの国の警官達の頂点。

それは警察を預かることを意味する。

今までのキャリアの権力遊びとは違う。

奴らは如何にして人脈を保持して、権力を保ち、好き勝手をすることしか考えていなかった。

奴らを警視総監に戻してはならない。

学閥は解体を進めている。

無能なキャリアもどんどん降格させ、たたき上げとすげ替えている。

勿論反発はある。

だが、倒れるわけにはいかない。

警視総監として、この国の警察のあり方を、根本から変えなければならないのである。

犯罪を防止し。

犯罪者は逃がさず逮捕する。

国民の安全度を高め。

国を豊かにするために。

警官は、国民の盾にならなければならない。

それが警察のあるべき姿。

それを忘れ、権力遊びに興じたから、キャリアは駄目だったのだ。今こそ、体制を変えなければならない。

部屋の隅っこで、フィギアだとかで遊んでいる神宮司を一瞥する。

彼奴はなんというか、変わった奴だが。

頭が切れる事自体は事実だ。

クローン研究の過程で産まれた鬼子だが。

そのすぐれたIQを持ったまま警視総監に就任してくれれば、数十年は警察は腐敗と無縁でいられるだろう。

問題はこのからだがもつかだ。

残念ながら病巣は体内に幾つもあるし。

何よりも老境にもう入ってしまっている。

それに、敵を作りすぎた。

最悪、全ての敵は、地獄に道連れにしていく覚悟が必要だろう。

「警視総監。 次の事件解決したら、また新しいフィギア買ってもいいですか?」

「かまわん。 お前が買えないほどのものか」

「一点物なんですけれど、200万ほどで」

「……良いだろう。 それくらいはポケットマネーから出してやる」

わーいと喜ぶ神宮司。

脳みそが完全に子供だが、出来ればそれで良い。

趣味についてもどうこう言うつもりは無い。

実際問題、興味が無い警視総監から見ても、継承され発展してきたフィギアは、現在は芸術の域にまで到達している。

神宮司は同世代から少し年下の女の子のキャラクターを中心に集めている様子だが。

いずれにしてももの凄く大事に扱っていて、所有するフィギアの総額は恐らく1000万を軽く超えるだろう。

だが、それだけ大事にしてくれる持ち主の所に行けばフィギアだって幸せなはずである。警視総監からああだこうだいうつもりはない。

神宮司が大事そうにフィギアを抱えてでていくのを見送ると。

神戸署の署長に連絡する。

次に神宮司を其方に回す。丁度良い案件があるのだ。解決させれば、警部への昇進を考えても良いだろう。

そして、もう一つ。

神奈川の方でも、難事件が起きている。

其方は宮藤班だ。

宮藤のいる場所とも近いし、恐らく短時間で解決する事が出来るだろう。

一度に無能キャリアを全部片付けるわけにはいかない。

こうやって地道に出来る奴に実績を積ませて、その分引き下ろしていくしかない。

後何年体は動くだろうか。

強い信念の元。

警視総監は粛正と改革を続ける。

閻魔大王と呼ばれようとかまうものか。

警察の腐敗は自分の代で終わらせるという、強い信念が警視総監の目には宿っていた。

 

(続)