毒の連環
序、不可解な毒
捜査一課の課長が絡む大スキャンダルが一段落して。宮藤班に仕事が回ってくる。石川はその内容を見て、ああこれは大変だろうなと思った。
あの宮藤に対する暗殺事件の直前、起きた不可解な毒死事件。
まだ片付いていなかったのだ。
それが此方に来たのである。
それだけではない。
検査の結果、様々な場所で、あの不可解な毒が発見されたというのだ。
まず、宮藤を最初に襲った犯人。
彼奴が使ったナイフ。
同じ毒が塗られていた。
それだけではない。
あのヤク中の働いていた、日雇いホームレス達が集うこの世の最果ての街。
そこで、一人。
凍死したように見せかけて、殺されていたホームレスが、その毒を使われていた。
凍死者は結構出る。
だから、検死もしていなかったのだろう。
後で例の事件がらみと聞かされて、調べて見たら発覚、と言う訳だ。
更に更に。
二度目に宮藤を襲った犯人。
此方はヤクザの鉄砲玉だったが。これも同じように、同じ毒を使っていた、と言う事だった。
宮藤は防弾防刃チョッキを着込んで出ていたらしいが。
もしもナイフがもう少し深く刺さっていたら。
或いは、腕とか掠めていたら。
危なかっただろう。
青酸カリの500倍。
それも超劇物というとんでも無い毒である。
実際問題、最初に宮藤を襲った犯人が取り落としたナイフの周囲には、虫とか一杯死んでいたという話で。
それで発見が早まった、という理由もあるらしい。
それだけではない。
宮藤を最初に襲った犯人に、マル暴経由で宮藤の情報を流したヤクザ。
三人のうち二人が土左衛門になって発見されているが。
この二人も、毒殺されていたらしいのである。
勿論同じ毒だ。
この毒について、ちょっと調べてほしい。
そういう依頼が来ていた。
勿論科捜研などが、今総力を挙げて成分などを調べているらしいのだが。何処で合成されたとかになると、流石に難しい。
性質上持ち運びが難しい事もある。
何より、最初に殺された人間が、体内にこの毒を仕込まれていたという事もある。
どうすればそんな事が出来るのか。
まったく分からなくて、困り果てていると言う事だった。
まあ、それなら宮藤班に話が来るのも仕方が無い事だろう。
前回の事件は終わっていない。
ただ、問題は。
どうやって解決の糸口に辿りつけば良いか、という事である。
まず第一に、石川がさせられたのは、土左衛門の物理演算である。
死んだときどうだったのかとかを徹底的に調べる。
これはかなり難しい。
というのも、そもそも死後硬直が解けているし。
魚とかについばまれながら、波間をゆらゆらしていたのである。
発見された位置。
海流。
それらを調べて、何処で殺されたのかを調べるのが、今回の石川の仕事になってくるだろう。
死体の状態。
更に毒殺されたときの毒の効く速度。
それらを考えた上で。
順番に調査を進めていく。
物理演算も使うが。
腐敗速度の計算。
海流の調査なども行っていく。
これらは捜査一課や科捜研もやっている筈だが。もう宮藤班に凄腕のがいるから任せろとか、そういう指示が出ているのかも知れない。
だとするとちょっと迷惑だが。
まあやってみる分には悪くない。
解き明かす。
それそのものは、石川も嫌いではないのだから。
「石川ちゃん、ちょっといいかな」
「はいー?」
打鍵しながら顔を向ける。
当然、宮藤だ。
宮藤は本当に申し訳なさそうに言う。
「捜査一課から無理言われてて御免ね。 これからおいちゃん、死体が上がった漁村に出張してくるからね。 PCは使えるようにしておくから、自由にして良いからね。 まあ三日は戻らないから」
「分かりましたー」
「じゃ、佐川ちゃんと仲良くするんだよ」
「喧嘩する理由がないにゃー」
佐川が隣で言う。
佐川はというと、毒について徹底的に調査中である。科捜研より先に成分、取り扱い、生成方法を発見するかも知れない。
IQ250は伊達では無い。
専門分野外でも、尋常では無いのだこの娘は。
この間は、本職の数学者をいてこましているのを見た事がある。
その分、語るに値しないと判断した相手は、ゴミ同然に扱うので、SNS等でも熱心なアンチがいる様子だ。
古くから、頭が良すぎて周囲に敵を作る人間はいた。
そういう人間は、色々と悲惨な最期を遂げたりもした。
人間の能力なんて限界があるし。
どれだけ周囲から隔絶した能力を持っていても、死ぬときは死ぬ。どんな武術の達人でもライフルで頭を狙撃されれば死ぬし。
どんな計算の達人でももはやスパコンにはかなわない。
しかしながら、それでも図抜けたIQを持つ佐川はとても貴重な人材だ。
だからこそ、こんな部署に来ていて。
他に居場所が無いともいえるのだが。
石川の側は居場所と思ってくれているようなので、それでいい。それに佐川も、宮藤は認めているようなのだから。
「それじゃね。 お土産は魚の干物とかでいい?」
「ご当地のポッキーで」
「おなじくじゃがりこで」
「はいはい、分かったよ」
嫌がる様子も無く、宮藤は出張していく。
二回も暗殺されかけたのにタフな話である。
やはり、幸運が重なったし。本人には不幸な話だったとはいえ。宮藤がこの部署のリーダーに収まったのは良かったのだと想う。
他の人員だったら佐川が言う事を聞かなかっただろうし。
そもそも使いこなせなかっただろう。
石川の仕事のやり方だって、理解出来たとは思えない。
更には高梨だ。
高梨について、きちんと扱えるとはとても思えない。
高梨の事を気遣い、それでいながら能力をフルに引き出せている宮藤は。やはり、有能な上司である。
とはいっても、石川や佐川と同じ仕事はできないが。
出張していった宮藤を見送ると。
黙々と作業を続ける。
死体については、ほぼ投棄された場所が確定できた。
崖から流したりすると、近場に流れ着くことが多いのだが。今回は、わざわざ船で沖合から流している様子だ。
幾つかのシミュレーションをやってみて。
二つの死体に共通する投棄場所が特定出来た。
更に、強烈な毒物を仕込まれていたのもよかった。
普通こう言う死体はもっと派手に魚や蟹に荒らされるのだが。
食べた魚やら蟹やらが片っ端から服毒死していたので。死体が思ったよりは残っていたからである。
更には新鮮なうちは毒を感じ取って魚も蟹も近付かなかったようだ。
これは死体の腐敗シミュレーションを試してみて分かった。
現時点でも、かなり危険な毒を含んでいる死体。
科捜研も大変だろう。
宮藤に連絡を入れる。
判明した今の事を告げると、すぐに捜査一課の二郎に送ってほしいと言われる。落としの錦二と言われるベテランにて、宮藤班とのパイプ役。
何度か遠くから見たことがあるが、口をへの字にいつも結んでいて、非常に厳しそうな老人だ。
流石に宮藤ほどの武闘派では無いだろうが。
多数の狡猾な犯人から完落ち(完全に自白させることを未だにこう呼ぶらしい)を引きだしている重厚な人物で。
問題を起こして捜査一課を離れた宮藤に対しても、同情的なようだった。
すぐにデータを送る準備に入る。
他にも、死体について分かった事などを丁寧に全て資料にまとめる。
佐川に一旦手を止めるように話して、二人でチェック。
ダブルチェックを怠らないようにねと、何度も宮藤に言われた。
昔は結構自信があったのだが。
考えてみれば自分で組んだゲームエンジンでもバグが後々から見つかったりしたし。人間が単独で誤字脱字を取り切るのは不可能だ。
故に佐川と連携し。
しっかりチェックを行ってから、レポートとして完成させる。
修正点を反映し。
凄まじい勢いで打鍵しつつ、次のキーボードを要請しておく。
そもそも小学生の頃からプログラミングをしている石川である。
マウスに関しての使用頻度もさほど高くは無く、マクロを用いて処理をすることも少なくない。
マウスに対してキーボードの消費は凄まじく。
特定の文字キーが吹っ飛ぶことも日常茶飯事。一ヶ月くらいで、文字キーの文字が消えることもザラだ。
昔からキーボードに散々触れてきたからこそ。
後どれくらいで壊れるかは分かる。
佐川は石川よりだいぶ年下だが。
それについては、やはり感覚で分かるらしく。
キーボードが壊れる丁度数日前に、注文しているのをよく見かける。それを外したところを未だに見た事がない。
事務は陰口をたたいているらしいが。
凄まじい打鍵音と、非常に厳しいレポートを書いているところを見ているようなので。それで文句をそれ以上言うつもりにはなれないのだろう。
レポート完成。
二郎に送付した。
かなりの容量なので、警察の内部メールだと少し時間が掛かってしまう。実は前に、高梨の所とやりとりをしているのに使っている専用のVLANを組もうかという話を宮藤にしたのだが。
捜査一課と此処とをつなげると色々面倒だから止めておくれと言われて、結局実現していない。
それでも色々手を入れて、メールが素早く相手に届くようにはしているが。
ほどなくメールの送信完了。
なお、やりとりは宮藤としてくれと書いているので。
もし何かあるなら、宮藤から連絡が来るだろう。
二郎はアホではないので。
メールにそう書いておけばそう対応してくれる。
その辺りも、石川があの気むずかしそうなお爺さんをある程度信用する理由の一つとなっていた。
「さて、これで一段落かなー」
「石川ちゃん、手伝ってほしいニャー」
「珍しいね」
佐川が珍しく真顔で頷く。
そして、データをそのまま転送してきた。
なるほど。
毒物の生成の途中経緯が分からない。
今七つまで絞り込んでいるが、その途中で極めて複雑な計算式を必要とする。
スパコンが必要になるレベルの複雑な演算で。
これを簡単に行うためのプログラムを組んでほしい、と言う訳だ。
頷くと、即座に作業に取りかかる。
しばしして、計算式をくみ上げる。
色々難しい計算はプログラムにて扱ってきた。
専門と呼べるくらい習熟しているプログラム言語も八つを超えている。
これくらいは簡単である。
佐川は天才だが、それでもやっぱり専門分野に関しては石川の方が上だ。
そうでなければ。
佐川が石川を認めることは無いだろう。
「出来たよー」
「はっや」
「ふふん、昔取った杵柄」
「そういえば、小学生の時にゲームエンジン組んだんだっけ」
そういう事。
生半可なプログラマーなど勝負にならない。だからこそ、佐川や異能の持ち主である高梨と肩を並べていられるのだ。
計算式について間違っていない事を確認すると。
すぐに計算を実施させる。
特注の佐川のPCで実施するが。
がぐんといきなり重くなるのが分かった。
これでも極限まで処理を軽くするようにしたのだが。
このためだけに、科捜研で使っているスパコンを貸せとは言えない。それに今の時代、自作は趣味の世界になっているが。逆に言えば趣味を極めれば自作でも生半可では無いスペックに仕上げる事も出来るのだ。
佐川のPCが正にそれ。
石川がパーツを選んで組み立てた、現時点の個人PCでは恐らく最高峰の品。
宮藤が何とか引きだしてくれた予算で作った、軽自動車なら買えるレベルの特注品である。
勿論、性能も昔の汎用機やスパコンとは話にならない程こっちが上だが。
それでも、なおも此処まで重くなるのか。
佐川がふーんと呟くと。
処理が終わるまで待つと言って、寝に行く。
まあ署の中だ。
流石に宮藤を二度にわたって襲った犯人も、佐川にどうこうすることは出来ないだろう。一応念のため一緒に寝室まで行くが。
というのも、佐川は瞬間睡眠タイプで。
パジャマに雑に着替えると、足放り出して寝出すからである。どこぞの国民的漫画の主人公や、どこぞのゲームのアイドルの如き瞬間爆睡だ。
頭の性能がスペック高すぎる分、そういう所もあるのだろう。
防犯関連をチェックしているうちに、もう佐川がパジャマに雑に着替えて、布団にもぞもぞ潜り込んでいるのを確認。
尻が出そうになっているので、もう寝ている佐川をちゃんと寝かしつけて、防犯をしっかり設定してから出る。
自席に戻ると、隣の席の佐川のPCから凄まじいファン音が響いていた。
処理でCPUが全力稼働しているから熱放出が凄まじいのだ。
これはしばらく佐川のPCは使えないな。
そう考えて、自身の作業を進める。
まだ、今回の件で解決できていないことが幾つもある。
毒については佐川がやってくれるとして。
それ以外で演算できそうな事は、石川がやらなければならない。
情報は宮藤や捜査一課が集めてくれる。
それらの全てを使って。
高梨が敵ののど頸に肉薄する。
だから、此処で。
情報を徹底的に精査して。高梨が少しでも動きやすくなるように、やっておかなければならないのだ。
ずっと幼い頃から、大人も混じったチームで行動を続け。
チームワークを理解している石川だから。
すんなりと、これらの作業をこなすことが出来る。
ほどなくして、宮藤から連絡が入る。
気付くと外は真っ暗。
しばらくは署に寝泊まりしろと言われているので、そろそろ定時か。
宮藤の連絡に出る。
どうやら、現地に到着したらしかった。
「いやー、凄い田舎。 最後に電車降りてから、一番時間が掛かっちゃったよ。 おいちゃんへとへと」
「捜査一課からは何か連絡とかは来ていますか?」
「いや、今多分石川ちゃんが送った資料を精査している所だと思うよ。 何しろ事件の解決率が尋常じゃ無いから、無視出来ないからね」
「恨みも買っていそうですけれどー」
心配しなくて良いと、宮藤は柔らかい声で言うけれど。
妙に安心感がある。
まあ宮藤はリアルで普通に強いので。
それが故の余裕なのだろう。
「じゃあ、残業必要ないようなら上がっちゃってね。 一応まだ数日は署に寝泊まりしてちょうだいね」
「わかりやしたー」
「佐川ちゃんは?」
「疲れ果てて死にました」
まあ眠ったという意味だが。
通じているだろうからそれでいい。
見ると、佐川のPCのファン音は静かになっている。処理が終わったか。
処理中の他人のPCに触る事は、社長でも御法度。これはこの業界の鉄則である。だから、触らないようにする。
複雑な行程と暗号化通信を駆使してリモートでつないで確認すると、内部での処理はやはり終わっていた。
極めて複雑な式に対しても、きちんと解が出ている。
ちょっと不安だったが、上手く行って良かった。
フリーズもしていない。
ただ、今の強烈な作業で、PCが少し寿命を縮めたかも知れない。それは、まあ勘弁してもらうしかないだろう。
自分のPCだけ落とし、更に作業結果については念のため此方で保存をしておく。
リモートでの接続を切ると、お先にと言いながら、部署を後にする。
他の警官はしらけた目で見ていたが。
宮藤班が化けものの集まりらしいと言う噂は流れている様子で。文句を言ってくる警官はいなかった。
1、最果ての最果て
今回も漁村か。
宮藤は現地の警察署に挨拶してから、まずは発見者に話を聞く。先に来ていた捜査一課の刑事達は、色々複雑そうに宮藤を見ていた。
捜査一課では、宮藤班を特殊プロファイルチームだと考えているらしい。
この間の一件からしても、捜査一課で抱えているプロファイルチーム以上の能力を持っていることは明らかで。
将来的には各地の事件で未解決のものを一手に引き受けてほしいと言う声まで上がっているようだが。
高梨は残念ながら一人しかいない。
故に、超特別な人材がいるから出来ている事ですと説明をして。
何とか現状来る仕事を、難事件のみに抑えている。
発見者は、地元の老人で。土左衛門が良く流れ着く場所だから、時々見に行くのだと言って。
いかにも心霊スポットだとか、自殺の名所だとかになっていそうな場所に、宮藤を案内してくれた。
船で行った其処は陰鬱な湾で。
なんというか、出来れば二度三度とは行きたくない場所だった。
確かに周囲の海流が此処に集まっている様子で。
有志で時々ゴミ掃除をしているらしいのだが。
バブル崩壊後からのしばらくは。
此処に土左衛門がかなりの頻度で流れ着いて辟易したと、老人は心底うんざりした様子でいうのだった。
「何か気付いた事はありませんか?」
「一課の刑事さんたちだっけ? とにかくもう話したからそっちに聞いてくれよ。 細かい所に違うのが出ると面倒なんだろ?」
「そうですね。 その通りなんですが、何か凄く細かいどうでもいいことでもいいんですよ。 例えばうちの精鋭が、死体の損壊が普通より遅くなっていたと指摘していましたが、どう感じました?」
「確かに魚や蟹にあまり食われていなかったし、死んだ魚とかが周囲に浮いてたから、これはあぶねえ土左衛門だってのは一発で分かったな」
やはりたくさん水死体を見た人間は分かるものなのか。
指さして、彼処に、彼処にと。二人の死体が引っ掛かっていた場所を指さす老人。既に印がつけられていて、ダイバーが潜って調査をしているのが見えた。こういう労働は本当に大変だ。
礼を言うと、一旦引き上げ。
現地の県警に出向く。
既に夜中だが、今回は結構厄介な事件だ。
宮藤のいる県では無いが、捜査一課の課長が刑事の暗殺に荷担。
それも二度。
更にはそれが札付きのキャリアで。
マル暴を経由してヤクザに暗殺を依頼。その過程で不可解な事が幾つも起きている。
警察の上層部は大慌てで、更にブチ切れており。今回の事件に乗じて、関わった反社、つまりヤクザを特定し、叩き潰すつもりでいるらしい。
現時点で、上がった死体の身元は特定出来ているのだが。
どうも幾つかのヤクザに鉄砲玉として雇われていた男達らしく。
最後に何処のヤクザに使われていたかは、まだ分かっていない様子だ。
捕まった課長も、プロに依頼したという事しか吐いておらず。
マル暴の刑事も同じく、幾つかのブローカーを経由して、プロに情報を流したが。まさかこんな事の片棒を担がされているとは思わなかったと驚いているとか。まあ今激しく尋問中らしいが。
そんなわけで。
県警にはもう夜中近いと言うのに、各地から捜査一課の精鋭。マル暴のお偉いさん。更にプロファイルの権威。科捜研のお偉いさんと、随分な面子が集まっていた。
公安は、いない。
多分警察の方から、必死に頼み込んだのだろう。
普通だったら公安に丸投げなのだろうが。
今回は身内の特大不祥事だ。
身内でどうにかしたいと、警視総監が禿頭を下げたのかも知れない。
だとしたら滑稽だ。
今の警視総監は色々気にくわない奴である。警察の改革に対しても徹底せず、キャリアのご機嫌を伺うことを止めなかった。
だから増長する奴が出たし。
今回のような事件だって起こった。
SNSでもキャリアに対する権限を見直せと案の定大炎上が起こっているようだが。
メディアが死んだ今、これは無視出来ない動きである。
幸い治安に変動は生じていないが。
警察が舐められれば当然犯罪だって増える。
だから今回は、一刻も早い事件解決をと言う事で。此処まで色々と大事になっているのである。
宮藤が会議室に入ると、あまり良い視線は向けられなかった。
宮藤自身、捜査一課を問題起こして追い出され、怪しい部署に配属されたなんて噂も流れている。
そんな宮藤が、難事件を五十数件も解決している部署のリーダーで。
今回もあらかた事件を暴いたとなれば。
真面目に捜査をしている連中は面白くないだろう。
とはいっても実際に事件を暴いたのは高梨や、その高梨にデータを渡した石川や佐川。更には、基礎の情報を集めてきた捜査一課や科捜研。
そう言っても、中々理解して貰えないのが辛い所だ。
会議開始。
会議の音頭を取ったのは、なんと警視副総監である。実際には警視監という階級だが、便宜的にそう呼ばれる事が多い。
問題が多い警視総監が指揮を執ると角が立つから。
わざわざ出てきたのだろう。
「今回は遅くに集まって貰って感謝している。 会議が終わり次第、それぞれ仮眠を取ってほしい。 色々と難しいご時世だからな」
トゲトゲだらけのボール。
そうとでも称したくなる姿をしている険しい表情の女性警官。それが今の警視監である。
事件の概要が説明される。
そして、最終的に蜥蜴の尻尾斬りで殺された二人の男についても。
会議は一時間ほどで短くまとめられたが。
これも夜勤法というが作られ、厳守されているからである。昔はそれこそ、こういう夜間業務は労働基準法が存在しながら、事実上の無法地帯だったのだが。今は警察や消防でも、無意味な夜勤は控えるように徹底されている。
それだけ人材が払底したからである。
「それでは、会議はこれまでとする。 各自一時間以内に就寝するように。 解散」
見ると既に10時。
此処からは作業をすればするほど警察そのものにペナルティが入る。だから早々に眠りに入る刑事もいるが。
情報交換にいそしむ者もいる。
宮藤は嫌でも周囲に人が集まってきて、幾つか聞かれる。
まだ若い科捜研の人間が話を聞いて来た。
佐川を思わせる幼い雰囲気の女性だ。
或いは同じような天才児かも知れない。むっつりしている佐川に比べると、だいぶ雰囲気が明るいが。
「宮藤班と言えば、難事件を解決しまくっているって事でマジ有名なんですけれどー、どうやってるんですかマジまんじ」
「はあ。 いちおうそれは部外秘になっておりましてね」
「えー、聞かせてくださいよ」
「神宮司」
警視監が声を掛けると、口を尖らせる科捜研の若い女。
この様子からして、警察上層部の肝いりか。
そういえば、科捜研に飛び級でスカウトされた天才児がいるとか聞いている。此奴がそうか。
クローン技術が進められている現在だが。
当然のように、天才を人為的に作ろうというプロジェクトが動いたことが何度かあると聞く。
そんなときのプロジェクトによる落とし子が。各地で活躍していると聞くが。
此奴もその一人かも知れない。
「失礼したな。 後で言い聞かせておく」
「いえいえ。 それにしても警視監なんて雲の上の人に声を掛けて貰って、緊張で手汗まみれですわ」
「冗談は止せ。 暗殺者に二度も襲われても、平然としているような肝の持ち主が、そんな程度で動じるわけがないだろう」
「ハハハ……」
なるほど、事実上の現在の警察の支配者は此奴か。
それを宮藤は察知する。
無能で知られる警視総監だけでは、今のような警察の再編成が上手く行ったとは思えない。
公安に出向していた時期があるというこの老警視監が。
現在は、警察を事実上動かしている、と言う訳だ。
「貴様の部署の話は聞いている。 その実際の仕組みもな」
「!」
宮藤の周囲の警官達が一斉に反応する。
まあそうだろう。だが、宮藤としては、勘弁してほしいと言うのが本音である。
「私としては、愛国者などを気取るつもりはないが、国の基幹は末端の民の幸福度だと考えている。 故にそれに直結する仕事をしている警察の重要性については熟知しているつもりだ。 貴様には期待しているぞ」
「はあ、ありがとうございます」
視線で宮藤に集っていた警官達を追い散らすと、さっき神宮司と呼ばれた科捜研の若いのを連れて、警視監はその場を後にする。
さて、面倒な事になった。
色々と派手に事件を解決しすぎたか。
高梨の異能は、難事件を解決するのにあまりに相性が良すぎる。現場百回をやるよりも、犯人の頭の中を暴く方が早いのだから当然だろうか。
しかしながら、実の所犯人の頭の中を覗くには、現場百回を代表とする地道な調査での、基礎的な情報収集が必要である。
つまり、宮藤としても、古典的な捜査を批判するつもりは無い。
何しろ宮藤自身、捜査一課で現場百回をやってきた精鋭だった自負があるのだから。
ともかく、警視監が釘を刺した以上、もう此処で宮藤に集るのは望ましくないと考えたのだろう。
話を聞きに来た警官達が散る。
そんな中、一人だけ。
宮藤になおも近寄ってきた者がいた。
「捜査一課の藤崎です。 よろしく」
「此方こそよろしく。 宮藤です」
名刺を交換する。どうやらこの県の捜査一課の人間らしい。相手も同じく、階級は警部補だった。
軽く話をする。
やはり相手は、宮藤のことを知っていた。
「貴方が交通課の窓際部所に配置されている刑事では無い事は誰もが知っています。 特務部署が幾つもあるなか、貴方の所が一番有名なこともね。 警視監は仕組みを知っているようでしたが、一体どうやってあそこまで精緻なプロファイルを?」
「何、僕の所には凄いのがいる。 それだけですよ」
「凄いの、ですか。 警察のキャリアも、難関で知られる国家一種を突破している「すごいの」の筈なんですがね。 ああ、僕もそんなキャリアの一人です。 昇進試験に興味が無くて、現場でずっと働いていますが」
「それは珍しい。 私はたたき上げでやっとここまで来ましたよ」
時間を確認。
雑談タイムはほぼ残っていない。
咳払いすると、藤崎は切り込んできた。
「それで今回の事件。 貴方の所では、真相をどう見ています」
「此処だけの話にしますが、うちの凄いのは正しい情報がないと正しい情報を出力できないんですよ」
「……それは誰でもそうだと思いますが」
「うちのはちょっとそれが非常に極端でしてね。 正しい情報が来れば、生半可なプロファイラーでは足下にも及ばない情報を出力してくる。 つまり現場百回との相性がとても良いんですよ」
にわかには信じられないという顔をしていた藤崎。
苦労している様子だが、まだ若い警官だ。
頷くと、藤崎は多少表情を緩めた。
「分かりました。 その言葉を信じましょう。 明日からの捜査本番にて、活躍を期待しています」
「此方こそ。 足で稼ぐ刑事の本気を見せてやりましょう」
「……」
ほろ苦い顔をされる。
一時期現場百回は時代遅れだという言葉が拡がった時期があった。
プロファイル万能論の時代である。
しかしながら、結局の所一番正確に犯人を検挙できるのは、地道な捜査である事が分かった。
勿論プロファイルも重要だ。
だがそれはそれとして。
やはり現場で埃一つ残さず集めてくることが、あらゆる犯罪の解決に関与するものなのである。
時間切れ。
それぞれ休みに入る。
一応、充分な休憩スペースは確保されている。
いずれにしても疲れた。
さっさと宮藤は、休む事にした。
昔だったら徹夜での作業だっただろう。
そして、多くの者が寿命を縮めていただろう。
今は、無駄な時間を無駄に使わない。
それが基本即になっている。
翌朝から、すぐにチーム分けが行われて、それぞれで動く。
上がった死体の解析。更に死体の身元は割れているので、其奴らに対する追跡調査。沖合で死体が捨てられた事が既に判明しているので、どの船が使われたかの追跡。やる事は幾つもある。
宮藤は一旦現場に出ることに決まった。相棒はあの藤崎である。
どうやら藤崎が自分から名乗り出てきたらしく。
まあ大変な役割をと宮藤は思ってしまった。
パトカーを使って良いと言う事なので、使う事にする。
安全運転には自信があるので、宮藤が運転するが。そういえば、タバコがこう言うときはまたほしくなる。
ちょっと苦虫を噛み潰していた。
「ひょっとして昔はタバコを?」
「ええ。 肺を痛めましてね」
「まあそうでしょうね。 煙草はどうしても肺を痛めて寿命を縮めてしまう」
「おかげさまで、今でも煙草を時々探してしまいますよ。 下手な薬よりもヤバイかも知れませんねコレは……」
車に乗ると、藤崎は周囲を見回す。
盗聴器を警戒しているのだろう。
警視監が出てきて指揮を執っているような事件だ。今回、警察はこの事件に対して総力戦で臨んでいる。
此処に直接来ていない警官も。
相当数が支援で関わっているはずである。
そう考えると、色々と複雑な気分だ。
「まず港に行きます。 ちょっと気になる事があるので」
「はい。 土地勘があるので案内しますよ」
「地元民ですか?」
「まあそういうことです。 キャリアになって最初に言われたのが、東京の捜査一課に行くか、という話でしたが断りました。 そもそも地元を守りたくて警官になったので」
そうか。
それは立派なことだ。
まだ三十前だと思うが、一時期信念や真面目である事を馬鹿にする風潮が確かに世の中にあった。
悪を肯定し、真面目に生きる人間を踏みにじる事を格好良いとするクズ共がのさばっていた時期があったのだ。
そんな世の中に、しっかりNOを突きつけて生きてきたのだろう。
生きづらかっただろう。
宮藤もよく分かる。
現地に到着。
昨日もきた刑事だなと、白い目を向けられるが。藤崎は意外に歓迎されているようだった。
「おや藤崎さん。 そのおっさんと知り合いで?」
「ええ。 同じ警部補ですよ」
「そうですか……」
土地勘があると言っていたし、ひょっとしたら出身地か。
まず、先に言う。
「事前に言いましたが、うちの子らは正しい情報が来ないと役に立てません。 そういうわけで、徹底的に情報を調べましょう。 船舶の航行情報などから、船について割り出せませんかね」
「うちの捜査一課がやっていますが、少なくともこの港にいる船では無さそうだ、と言う事は分かっています」
「流石に其方でも精鋭ですね」
「いや、優秀な人員をどんどん東京に持って行かれるって課長がいつも不満を零していますよ」
そうか。
そういうものなのだろう。
兎も角。先に作業を進めていく。
船が死体を投棄した場所は分かっているが、帰路は分からない。或いは誰かの船を勝手に盗んで使った可能性もある。
だが、船は車以上の貴重品だ。
地元の漁師が、そんな失態を犯すわけがないだろう。
自転車を勝手に盗むのとは訳が違うのである。
地元の漁師で、沖に詳しい人物を藤崎が連れて来てくれる。手帳を見せて、軽く話を聞いた。
地図を見せて、死体の投棄地点を告げる。
流石にベテラン。知っていた。
「ああ、あの辺りか……」
「有名な場所なんですか」
「この辺りのヤクザなら誰でも知ってる。 バブルの後くらいに、訳ありの仏を始末するのに最適だって話で、その辺りはヤクザの船がしょっちゅういたからな。 地元の船は絶対に近付かんよ」
「ちょっと待ってください」
レコーダーをオンにする。
藤崎と頷くと、話を続けて聞いた。
「地元のヤクザは誰でも知っているとしても、バブルの後……? リーマンショックなど他にも大規模不況はありましたが」
「あったなそんなのも。 だけどこの辺りのヤクザは、バブルの後に死体の処理で荒稼ぎしすぎて、警察に目つけられて、あらかた潰されたからな。 もう残ってるのは、田舎でいきってる馬鹿共と、その親分くらいだ」
「……其奴らの居場所を教えて貰えますか?」
「かまわないが」
メモを取った後、石川と佐川に連絡を入れておく。
そして、ついでに高梨にも。
高梨には、現在犯人。毒殺にも、恐らく二件の暗殺にも関わっている犯人のイマジナリーフレンド構築に取りかかって貰っているが。
情報は少しでも多い方が良い。
「これから、ちょっとそのヤクザ屋さんに話を聞いてくるわ。 そっちでも準備をしておいてね高梨ちゃん」
「分かりました。 くれぐれも気を付けて」
「あいあい」
通話を切る。
藤崎は不思議そうにしていた。
「娘や息子のような年の相手に、随分と気さくですね」
「おじ……コホン。 僕の部下の一人はね、IQ250もあるんですよ」
「はあ? 250!?」
「そう、あのアインシュタイン超えてるんですわ。 そういう子を相手に、下手に出るのも高圧的に出るのも良くないんですよね。 ですから僕はああやって、相手の警戒を飼わないように、相手を尊重しつつ話しています。 時にはパシリもしたりするから、パシリ警部補なんて呼ばれたりもしていたりしてね」
呆れた顔の藤崎。
ともかく、そのヤクザ屋に話を聞きに行くべきだろう。
藤崎に話すと、すぐに捜査一課を何人か動員してくれると言う事だった。
さて、荒事か。
可能性はある。
いずれにしても、出来れば抵抗しないでほしいのだが。ともかく、さっさとやってしまうのが吉だろうと宮藤は思った。
2、もやの向こう
高梨の所に、宮藤から連絡が来る。
どうやら、犯人に接触したらしい人物を捕まえた、ということだった。
田舎街を仕切っているヤクザのボス。
そういうと格好が良いが、実際には半グレと呼ばれる不良からも更に足を一歩踏み外した外道達の親分をしているおっさんたちの、まとめ役の老人に過ぎない。
組織の規模も小さく。
はっきりいって、逮捕は難しく無かったそうだ。
元々色々余罪があったので、部下の半グレもろともまとめて逮捕。
そして、今話を聞いているのだが。
幾つか分かった事があるので、話を回してきたという。
「佐川ちゃんにまとめて貰うけれども、どうやらヤクザの親分のおじいちゃんね。 おいちゃんを最初に暗殺しようとしたあの嘘つきくんに色々吹き込んで暗殺者にしたてた太った女と、直接会ったようなんだよねえ」
「それは、僥倖でしたね」
「いやね、バブル崩壊の時期に暴れすぎたらしくて、警察に徹底的に潰されていたらしいんだよあの辺りのヤクザ。 それなのに、今更になってそんな僻地のヤクザしか知らないような穴場から死体が出る。 まあ、犯人が接触して捨てたのは確実だろうと言う事になってさ」
頷くと、更に詳しい情報が入ったら知らせてほしいと告げて、通話を切る。
さて、此処からだ。
疲れは取れた。
だが、今まで手に入った情報では、どうしてももやが掛かったような人間像しか出来てこない。
イマジナリーフレンドを作っても、スカスカだ。
やはり情報が全く足りていない。
しばしして。
佐川からメールが来た。
大容量のメールである。
今までも専用のVLANでかなり大きなメールが来たが、これは歴代で最大規模の容量かも知れない。
まずは落としきってから展開し。
中身を確認。
現在、HDDの容量は飽和しており、
HDDが足りなくなる事は、昔と違って殆ど無い。
だからそれに関しては大丈夫だったのだが。
VLANなどの通信をするとなると話が別だ。大容量のデータ通信には、どうしても限界がある。
中身を確認。
まず、ヤクザの証言だった。もう高齢と言う事もあり、昔は相当に稼いでいたワルだっただろう老人の聴取についての情報だが。疲れ切っていて、声には怯えも含まれていた。
「そんなヤベエ山だってのは知らなかったんだ! うちも最近は厳しいからよ、船は貸したけれどよ」
「何か訳ありと知っていたんでしょう?」
「当たり前だ! そうでなければ漁師に依頼するからな! 内容は勿論確認しねえ。 それが仁義ってもんだろ!」
「何が仁義だ。 都合良く使う言葉か!」
鋭い叱責が入るが。
まあ確かにその通り。
露骨におかしな事をしようとしている相手に船を貸しておいて、知らぬ存ぜぬ。そんな安い仁義は存在しえないだろう。
老人が露骨に怯えているのが分かる。
バブルの時は、彼方此方のヤクザと提携し、穴場に死体を捨てに行っていただろう大親分だっただろうに。
年を取るとこうなる訳か。
自分に都合良く仁義という言葉をねじ曲げて解釈し。
得体が知れない仕事に見境無く食いつく。
バブルの時に摘発され、今でも刑務所にいるか墓の下にいる部下達と同様。
その時に終わっていれば、この老人は幸せだったのかも知れないなと、高梨は思った。とはいっても、幸せの定義がよく分からないけれど。
後は船に関する証言などが行われる。
この地元ヤクザが有しているそこそこに大きな漁船だ。前はもっと大きいのを持っていたらしいが、摘発が入った時に取りあげられてそれっきり、らしい。
それはそうだろう。
内部から何人分の血痕が見つかったか知れないだろうし。
船のデータを見る。
見ながら、聴取を確認。
どうやら船を貸したときに来たのは、頭に袋をかぶせられ、後ろ手に縛られた二人と、他に五人くらい。
取引相手の太った女もいたそうである。
二人はぐったりしていたようで、ぼこぼこにされているなと一目でヤクザ老人は気付いたようだ。
そこで何もしないのがまあ都合の良い言葉である「仁義」なのだろう。
安い仁義である。
「つまり二人が殺される事は分かった上で見逃したと言う事なんだな」
「そういう商売なんだ、仕方がねえだろうが!」
「そうか。 そうかも知れないね。 だったら、逮捕されても文句は言えないね。 人が殺されると分かっているのに、船を貸した。 しかも二人。 藤崎警部補、これはどんな罪状に問える?」
罪状が並べられていく。
尋問に当たっている一人は藤崎と言うらしい。
かなり若いようだが。それでも警部補か。そうなるとキャリアだろう。
いずれにしても終身刑だという話になると。
老人はひいっと小さな悲鳴を上げた。
「ま、待ってくれ、待ってくれ! せめて余生はらくに過ごさせてくれ! 終身刑の過酷さは聞いている! 俺は老人だぞ! そんな非人道的な刑罰を」
「何を勝手な事を言っている……!」
「なあ親分さん。 あんたが嬉々として金に換えて、海にドボンってされた人達も、そういう穏やかな老後をみんな過ごしたかったんじゃないのかな。 それに部下達がみんな待ってる。 寂しくはないだろう?」
「そ、そんな、殺生だ!」
笑えてくる身勝手ぶりだが。
聞こえてくる宮藤の声は容赦を一切しない。
ただ、声も荒げなかった。
この程度のゲスは、幾らでも見て来ているから、なのだろう。
「なあ親分さん。 あんたが殺したも同然の人達は、今もあの世であんたを待っていると思うよ。 貴方がやるべき事は幾つかあるが、まずはちゃんと証言をして貰おうか。 それ次第では、地獄に落ちるまでいる牢が、多少待遇が良くなるかも知れない。 まあその後、あの世であんたを待っていた人達にボコボコにぶん殴られて、そして地獄に落とされるのかな? あの世の事はあんまり詳しくないけれど。 あんたは散々人を殺してきたんだから、仁義を通すってのはそういう事なんじゃないのかな。 少なくとも都合良く余生をらくに過ごすことは、仁義と関係無いんじゃないのかね」
老人が震えているのが分かる。
まあ聴取はこれくらいで良いだろう。
その後は、抽出された太った女の特徴。
更に船から検出されたものなど。
全てを確認していく。
これらは犯人の指紋、血肉。
自分の中に犯人を構築するために必要なものだ。
無感動に情報を精査していき。
そのまま頭の中に取り込んでいく。
船の中には、微量ながら例の毒物が検出されたそうだ。
まあそれはそうか。
死体からも発見されているのだから。
そして、もう一つ重要な情報があった。
船の中で殺されているのは三人。
そう、流れ着いていない死体がある、と言う事だ。
血痕などから分かるという。
そして恐らくだが。
その三人目の死体は、太った女。
今まで毒殺も含めて、主導していたと思われる。実行犯に、間違いなかった。
一見すると振り出しに戻る、のようだが。
これはむしろ好機かも知れない。
更に資料を見ていく。
船の中には、かなりの量の血があったらしい。いわゆるルミノール反応が出ている、と言う事だ。
要するに、最初に使い捨ての二人を毒殺して海に捨てた。
その後、引き返すよとでも言っただろう太った女を。誰かが射殺。
その場で粉々になるまで何かの機械か何かで分解。骨なども徹底的に砕いたらしく、わずかな残留物が出ている。
そして、海に投棄したらしい。
ひょっとしたら、太った女は、自分が死んだことすら気付けなかったかも知れないし。或いは動けなくなったところを、生きたまますり下ろされたのやも知れない。
どっちにしても自業自得。
此方としては言う事も無い。
ただ、痕跡のある残り四人の誰かが犯人。或いは全員が犯人かも知れないが。
逮捕しなければならないだろう。
いずれもが、長身の男で、サングラスに黒スーツと、個性を消していたと言う事なので。残留DNAなどで情報を引き出すしか無い。
なお、老ヤクザが船の操縦をしようかと提案したところ。
海図で場所さえ教えて貰えれば大丈夫だと反応したらしく。
操縦手は貸していないそうだ。
まあ、この状況。
もしも操縦手が出ていたら。
口封じに消されていただろうが。
他にも情報を見る。
毒についてだ。
本来工業用に使う物質だと言う事は分かっていたが。どちらかというと、かなり精度が低く。
工業製品を作るにはとてもとても足りず。
それどころか、毒物にしか使えない代物だと言う事が分かったと言う。
今までは資料が少なかったが。
徹底的な分析の結果、それが分かったそうだ。
また、それだけではない。
分かった事は他にも幾つもある。
この毒物、作るにはそれなりに大きなプラントが必要で、保管するにも専門の設備が必要らしいのだが。
それらの設備について、使用していた時間、オーナーなどを全て割り出しているという。
データを確認。
更に、売り渡した相手も確認する。
その中の一つ。
どうも妙なものがある。
かなり怪しい経営をしていた工業会社。
先代の社長が急逝し。
今の社長が、これがいわゆる全く能のない二代目であり。
短時間で会社が傾き、オカルト系の怪しいグッズに手を出したり、会社の方向性が迷走した。
その結果、色々と訳が分からない人間が出入りしていたらしいのだが。
監視カメラを調べた所。
どうも噂の太った女らしいのが、何回か足を運んでいるのが確認されたのだ。
工場の方も同じ。
この劇物、生成過程で幾つかの専用タンクに分けて入れるのだが。
当然法で管理は厳しく決められている。
だが、そのうち幾らかが、不透明に消耗している。
書類を誤魔化していたのだが。
そのごまかしを、佐川が見抜いたのだ。
そして、佐川が凄い所は。
毒物の成分を徹底的に分析した結果。
どうやって変質したかを、徹底的に見抜いた、と言う事だった。
元々工業薬品の、その手前の手前くらいの段階のこの毒。
その状態でも毒としては使えるが。
どうしても足がつく。
本来は特殊な硝子瓶に入れて保存しなければならない。
注射するなんてもってのほか。
血管に入れた瞬間、激痛で跳び上がるという話だ。
其所で、である。
やはり飲ませたのだ。
カプセルに包んで。
普通のカプセルだったら、勿論役に立たない。
其所で複雑な手段を、犯人は採っていた。
まず第一に、一種の糖衣にする形で、この毒物を固体に吸わせる。この時点でかなり難しいらしく。
あの太った女がそうかは分からないが。
犯人には相当な科学の知識があることが確定だという。
例えば、ダイナマイトが危険な火薬を扱いやすくしたものであるように。
固体に吸わせることで、安定化させる手段はあると言う。
この過程で毒物としてはかなり弱まるが。
それでも充分過ぎる。
そして安定したところで。
通常のものとは全く違う、分厚いカプセルで飲ませるという。
そこで最初の犠牲者が出てくる。
そう。
住宅街で不審死を遂げた大学生だ。
この大学生、貧乏生活をしていて、しかも持病を持っていた。
持病の薬のカプセルと、色形などをそっくりにしてすり替え。
実験を行ったのである。
そう。
ただの暗殺薬の実験のためだけに、一人大学生を殺した、と言う事だ。
後はあの虚言癖野郎や。それに続いた暗殺者に渡し。
宮藤を暗殺するのに使わせた。
おそらくだが、暗殺の実行の前に。
この間逮捕された、隣の県の捜査一課課長から仕事の依頼を受けて。
都合良く実戦投入できると、毒を用いたのだろう。
だが、いずれもが失敗。
ならばと、役に立たなくなった部下を使って、有用性を再度実証。
データを取った、というわけだ。
佐川の分析は続いている。
恐らくだが、たびたび目撃されている太った女は、実行グループのリーダーである。そして、真の黒幕は。
船に乗るときに、一緒にいた四人の一人だろう、と言う事だった。
なるほど、それもそうだろう。
もしも必要になって出てくるとしたら、そのタイミングしかないからだ。
高梨はデータを取り込み終えると。
犯人を、自分の中にイマジナリーフレンドとして作り出す。
今度は、スカスカが殆ど無い。
毒殺の仕組みが分かったからだろうか。
それとも、大まかな構図が出来たからだろうか。
すっと、高梨の中に。
犯人が、作り上げられていた。
犯人は横柄な男だった。
周囲を見て、いきなり舌打ちをする。まあ、この殺風景な部屋を見て、苛立ちを隠さない犯人は今までも珍しくは無かったが。
更に不愉快そうに唸る。
体の主導権がないからだろう。
「オイテメー。 ダチだろう。 体の主導権寄越せよ。 そうしないと、何もしゃべらねえぞ」
「残念だけれど、僕にもキミに体の主導権を渡せないんだ」
「何だと? ちっ、面倒くせーなー。 大体なんだこのからだ」
「壊されたんですよ」
軽く、記憶を流し込んでやる。
犯人の中には、此処で同情してオイオイ泣く奴とか。平然としている奴とか、吐こうとする奴とか。
色々いるのだけれども。
此奴に関しては、そのどれでもなかった。
「お前、コレ復讐したくないか?」
「いえ、特には」
「何だよ覇気がねえなあ。 ダチの俺に相談してくれたら、復讐をコンサルタントしてやったんだけどな」
「コンサルタントですか」
確か、昔よく使われていた用語だった気がする。
派遣労働などであまりにもこの肩書きを持つ人間が悪行を重ねた結果、社会的なイメージが著しく低下。
悪辣だとして、使われなくなった言葉だと聞いている。
つまり、この男、相当な年配だと言う事だ。
そしていきなり、復讐を持ちかけてくるこの言動。
やはり、色々と妙だ。
話を順番に聞いていく。
相手の興味を惹きながら、だが。
「まずこれをやった僕の母は、終身刑かつ警察病院で今は外に出る事も出来ない身になっています。 今更出来る事はありませんよ」
「あー、確かに今のムショは俺でも厳しいな。 昔はそれこそヤクとか差し入れ出来たって聞いているがな。 とはいっても、うちの国の刑務所は昭和の後半くらいからは、そういう事も出来なくなったらしいが」
「随分と詳しいですね」
「俺もこの激動の時代の中、色々犯罪の歴史を調べてきたからな。 今の時代、大体いろんな商売には先に手がついているだろ? 俺たちヤクザのシノギは昔は祭とか、テレビ業界とか、人権屋とか、後は反社会的団体とかカルトとか、後は殺しとか色々あったんだけれどなあ。 どれもこれもが金にならなくなった。 それで俺は警察について分析をして、最高のクスリを作る事に決めたのよ」
最高のクスリ。
つまり暗殺用のクスリと言う事か。
聞いてみると、嬉しそうにそうだ、と帰ってくる。
「分かってるじゃねえか。 見所があるぞ。 頭の回転も悪くないし、何より俺のダチだからな。 こんな所出ろよ。 俺の右腕にしてやるぞ」
「残念ですけれど。 僕は此処を出ると短時間で死んでしまうんですよ。 それくらい、体を滅茶苦茶にされているんです」
「ハア。 何だか無茶な事されてるな」
「実行した母が過激派のフェミニストでしたので。 父に愛想を尽かされてからは凶暴化したようですけれど」
けらけらと急に犯人が笑い出す。
何かおかしな事を言っただろうかと不思議に思った。別に怒りは感じない。怒りという感覚が分からないからだ。
「彼奴らは前はいい金づるだったんだけれどなあ。 そうそう、俺が部下達をこき使わせてる鉄砲玉も、そういう過激派フェミニストから俺の組織に移った奴なんだぜ」
「この間処分したんですね」
「ああ、使い路がなくなったからな。 昔は余所の国に金を貰って、脳みそが腐ってる過激派フェミニストを暴れさせたり、あらゆる事にイチャモンをつけさせて社会を混乱させるのに活用したんだけどな。 今はそういうのが一切出来なくなって、アイデンティティを失った連中は、宙ぶらりんになってる。 お前さんを滅茶苦茶にしたり、ヤクザに流れたりするのはそれが理由よ」
この間、そういうのの残党が絡んでいる事件に接したが。
なるほど、この男。
昔から、過激派フェミニストを背後から操っていた連中の一人だったという訳か。
ただ、なんというか。
言葉に懐かしさを感じる。
こう言っているのだ。
「昔の俺は凄かった」「捲土重来したい」「それには新しいシノギがいる」。
それに必要なのが。
画期的暗殺薬、と言う事なのだろう。
「シノギについては作れる事が確認できたからな。 これからしっかり生産体制を整えて、うちの組を立て直す。 知ってるか、昔俺たち広域暴力団ってのはな、半グレ何て半端な連中に部下を切り替えなくても、三万人もいたんだぜ。 俺もそんな組織の最上位団体にいてな。 最上位団体の下っ端の方だったが、それでもインテリヤクザでそれなりに稼いでいたものよ。 仲間がどんどん潰されていって、結果的に大出世したがな。 でも組織がガタガタにされてたから、出世というのも虚しい言葉だったけどな」
「……続けてください」
「このシノギが確率出来れば、この国の闇はまた俺たちの手に取り戻せる。 今回のは実験よ。 どうせ無能な警察には、俺の犯行の証拠なんて押さえれっこねえからな。 逆に、県警の捜査一課課長を上手くたらし込んで、その全てを奪って見せたって実績が残った訳よ。 死に体になってるうちの組もこれで息を吹き返せる。 そうすれば、俺はこの国のゴッドファーザーよ」
けらけら笑う犯人。
さっと検索し。
ゴッドファーザーというのが、海外のマフィアにおける大親分だと言う事を理解。
なお、海外でもマフィアは現在積極的に狩られており。
特に一時期酷かったメキシコなどでも、現在はマフィアは絶滅危惧種にまで落ち込んでいるという。
なるほどなるほど。
大体分かった。
更に、幾つか重要な事を話して貰う。
恐らくだが、作戦が上手く行っていて、気分が良いからだろう。
口を滑らせる。
滑らない場合も、パラメーターを弄って、喋らせる。
しばしして、充分なデータが集まった。
「何だ、お前話し上手じゃねえか。 やっぱり此処から出てこいよ。 シノギで稼げるようになったら、そんなヤブじゃねえ、ちゃんとした医者を俺が用意してやるよ」
「ありがとうございます。 でも、現時点では大丈夫ですよ」
「そうかあ? いずれにしても不便な話だな。 寿司も食えないだろそれだと」
「残念ながら」
顔は「再建」した。
歯は総入れ歯。
舌は母に引っこ抜かれた。
体中も彼方此方欠損している。
こんな体だ。食べられるものは限られている。美味しくない栄養食ばかりである。寿司なんて食べたいと言ったら、医者が卒倒するだろう。アルコールなんてそれこそ論外である。
今の過酷な労働だって、医者はあまり良く想っていないらしいのだから。
「そろそろ喋り疲れたでしょう。 休んでください」
「……なあ、もう少し良いか?」
「はあ」
「俺も、寂しいんだ」
驚いた。
大体事情は分かってきたが。
一般人を躊躇無く実験台にして毒殺し。
部下も必要なくなれば斬り捨て。
第一の部下でも用事が済んだらミンチにして海に捨てるような輩が。寂しいとはどういうことだ。
興味が湧いてきたので聞いてみる。同情は微塵も出来ないが。この犯罪者が、どんな理屈を並べ立てるのか、単純に聞きたくなったのだ。
「貴方はまだ財力も周囲に人もいるはずです。 寂しいとはどういうことで?」
「一人だって信用できる奴なんていねえんだ。 俺はヤクザな家に生まれたし、ずっとこんなだからな」
「……」
「俺の親父にしてからそうだぜ。 医者なんて信用するななんて言って、怪しい宗教や、インチキ科学をやってるどっかの学者の言う事を真に受けて、効きもしない医療法やら何やら試し続けて、体を壊して死んじまったからな。 医者に怒鳴られた時の事は今でも覚えてるよ。 どうしてこんなになるまで放って置いたんだ。これではもはや手の打ちようがないってな」
まあ、カルトにはまった結果、手遅れになって病院で死を看取るだけになる人の話は今でもたまに聞く。
犯人の母親は葬式にも出なかったらしい。
父の財産を全て金にまとめると、そのまま犯人をおいて失踪したそうだ。
今は何処で何をしているやら。
数年前まで分からなかったらしいが。
どうやらホストに全て貢いだ挙げ句、借金地獄に陥り、何処かの海にコンクリのおもりを着けて捨てられたらしいことが分かったそうだ。
情けない家族さと、犯人はぼやく。
「俺はだから、全てを掴むって決めたんだよ。 だけどな、俺の時代にはもうヤクザは斜陽の時代で、どれだけやっても何もできなくなってた。 どんどん夜逃げしていく上司や部下達。 いつの間にか俺が、ガタガタの組織をまとめる事になってた。 昔の影も形もない寂しい組織だよ。 俺も親父みたいに、医者に怒鳴られながら死ぬのかなと思うと、怖くて仕方が無いんだ。 だから一山当ててやりたいんだよ。 どんな手を使ってでも……」
「分かりました。 もうお休みください」
イマジナリーフレンドを眠らせる。
そしてため息をついた。
どうでも良い話だったからだ。
はっきり言って、自分の身勝手極まりない犯罪人生を正当化しているだけだし。多くの人間を殺し、巻き込んだことを何とも思っていない。
不幸な人生を送ったから、のし上がるためには何をしても良い。
そう本気で考えているただのゲス。
それが犯人の正体。本当にどうしようもない輩だなと、高梨は思った。どうしようもないとは思うが。それが怒りや哀しみにはつながらない。
そのままならないこのからだが、なんとももどかしい。
すぐに宮藤に連絡。
犯人の解析が出来た事を告げる。
宮藤は喜んでくれた。
「おお、そうか。 ありがとう高梨ちゃん。 悪いが一刻を争うんだ。 すぐに佐川ちゃんにデータをまわしてくれるかい?」
「分かりました。 それと、犯人については素性も分かりました。 後で確認をしてください」
「おう、流石だねー。 よし、これ以上被害者を出させないためにも頑張るよおいちゃん」
「頼みますよ」
通話を切ると。
さっきの会話をそのままデータにして、佐川に送る。
後は、佐川と石川で解析し。
レポートをつくって捜査一課に投げてくれるだろう。
また、佐川の方から、宮藤に対して要約した内容を説明してくれるに違いない。
ため息をつくと、ぐっとベッドに背中を預けた。
汗がいたい。
やはり再建した顔に、食い込んでいるのが分かる。
こればかりはどうしようもない。本職の医者でさえ、顔にするのがやっとだったという話なのだ。
まだ傷口が顔の内側にあって。
汗腺も縫い込んでいて。しみこんでいて痛い、と言う事なのだろう。医者のせいではないし、どうしようもない。
もしくは幻視痛の一種だろうか。
医師に相談してはいるのだが、まだ良く分からないと言う。此処まで酷く顔を破壊されたケースは初めてだ、と言う事だから。
佐川にデータを送り終えると、ぐったりとベッドで休む。
目を閉じていても、痛みから中々眠れない。
さっきの犯人は、相当に強い自我を持っていた。
悪党というのもあるが。
それ以上のエゴが強烈だった。
そして思い知らされる。
悪党ほど、自分を悪党だと思っていないと言う事を、だ。
今の奴にしても、「可哀想な生い立ちの自分」「成り上がるためだから何をしても良い」という二つの言葉で自分の全てを正当化し。それで殺しさえも肯定していた。要するに何でもありなのだ。自分を正しいと錯覚すれば。
そして、パラメーターを弄ってある。
虚言癖で自分を守っている前の奴のようなケースでない限り、嘘はつけない。
つまり、あれがあの身勝手なヤクザ野郎の本音だった、という事になる。
いずれにしても、許しがたい悪逆なのだろう。
その怒りが、実感できないのが悲しい。
さて、もう出来る事はない。
痛みが治まってくるのを待って、後はゆっくり眠るべきだろう。
まだ、此処から事態が動くかも知れない。
その時に備えて。
体力は、少しでも蓄えておかなければならなかった。
3、昔日の旭光
山日組系広域暴力団の総本部にマル暴と機動隊を中心とした警官隊が突入。そして、其所にいた全員が一斉検挙された。更に各地の組事務所でも同じ事が行われた。
暴力団対策法は、以前から非常に厳しく整備されていたが。
いわゆる半グレ。
不良組織を麾下に組み込み、其方に悪行を委託するやり方の登場以降、色々と法改正が行われ。
最終的に負けたのは広域暴力団やヤクザだった。
現在では、各地に残党が残っているだけで。
仁奈川会や山日組のような、昔日には三万という規模を誇ったヤクザに関しても、この通り。
本部をマル暴を中心とした部隊が急襲することも防げず。
更には、制圧を阻止することも出来なかった。
いわゆる過激派も既に歴史の向こうに消えてしまった存在だが。
此奴らも、その辺りは同じである。
21世紀の序盤くらいから半グレとの軋轢が始まり、その結果内輪もめで勢力を落とし。そして最終的には警察が強引な改革で正常化するのと同時に、一気に押し潰されて滅び去った。
その残りカスが今、慌てている。
困惑した様子で手錠を掛けられて出てきている男。
高梨の所に来ている映像でも、それが分かる。
あれが犯人だ。
もはや言葉ばかりになった幹部。
山日組、しかも本部の幹部と言えば。20世紀にはそれは地元の人間を怖れさせただろうが。
今ではただの時代遅れの腐りきった犯罪組織でしかない。
ついでだ。
組本部に重機が突入。
もう金さえ掛かっていないその屋敷を、叩き潰し始めた。周囲の住民は、首を伸ばしてその様子を見ている。
一つの時代が終わったな。
そう思っているのかも知れない。
見ると、型落ちの拳銃やら刀やらがボロボロ発見されているらしい。
また、捕まっているヤクザも、高齢者が多い。
中には杖をつかないと歩けなさそうな老人が、怒鳴り散らしているケースも見られるが。警官隊は容赦していなかった。
逮捕者は三百人を超えるだろう。
昔はヤクザを格好良く描いた任侠映画なんてものもあったらしいが。現実はこれである。そんなものは、いにしえの記憶になり果てた。
いや。そもそもヤクザの全盛期から、任侠なんて真面目に信じているヤクザなんていなかったのかも知れない。
一応、この手の犯罪組織にはそれぞれ禁じ手というものがあり。それでマル暴と妥協しているケースがあったらしいが。
それも今は昔の話だ。
同時に、潰れかけた工業会社にも捜査の手が入る。
山日組に生成中の薬品を譲渡していた疑いからだ。此方の逮捕者は、社長と幹部数名だけだが。
任意での聴取に、社員の数人が応じている。
或いは、余程腹に据えかねていたのかも知れない。
それはそうだろう。
工場で働いていれば、此処で扱っている品がどれだけ危険な代物か、分かりきっている筈だ。
それをあからさまに悪用する連中に売っている事が分かっていたのなら。
黙って見ている事が出来なかった者がいても、不思議では無いだろう。
しばらくぼんやりしていると。
宮藤から連絡が来た。
「や、おっちゃんだよ。 高梨ちゃんは元気かな」
「はい。 それで、犯人は聴取に応じていますか?」
「弁護士を呼べと最初は叫んでいたけれどね。 証拠を順番に突きつけていくと、青ざめていたよ。 それはそうだろう。 監視カメラで見ていたように、全ての行動を暴かれればね……」
「それで、やはり全て当たっていましたか」
通話の向こうで、少し宮藤が言葉を濁した。
それで悟る。
まだ何か、分からない事があるのか。
「高梨ちゃん、今のうちに休んでおいてくれるかな」
「はい。 そうするつもりです。 まだ何かあるんですね」
「実はね、一つだけおかしな事を犯人が言っているんだよ。 嵌められたってね」
「……」
嵌められた、か。
自分が正しいと思っているが故か。
それとも、何かまだ構造があるのか。
そういえば、此奴はどうも人権屋だった節がある。昔は余所の国に金を貰って作業を代行していたという話もしていた。
それは別に良い。
新しいビジネスを立ち上げるという話をしていたが。
今の山日組に、そんな体力はあったのか。
そもそも半グレが組織化される前に各個撃破されるこの時代である。警察は正常化し、裁判にAIが導入されることで不正も起こりにくくなり。裁判期間も短くなった。
その結果、犯罪にはきちんと報いが降るようになった。
犯罪が、昔以上に割に合わない世界になったのである。
少し気になったので、宮藤にその辺りを聞いてみる。
そうすると、予想を少し違えた答えが返ってきた。
「山日組といってもね、その傘下には色々な組織があるの。 今回の一件、山日組は残る力の全てを賭けていたらしくてね。 これらの組織にも上納金を出させていて、それでマル暴が知らせてきていたのよ。 結構大きな合同チームが組まれたのも、それが理由でね?」
「少し気になるんですが、この暗殺ビジネス、どれだけの人数が納得していたんでしょうか」
「今聴取を進めているけれど、山日組の連中は、もう藁にもすがるという状況だったみたいだよ」
そうか。どうも妙だ。
それって、何かもっとタチが悪いものに誘導されていた、と言う可能性が生じてこないだろうか。
小首をかしげて、そして宮藤にそれを告げた後。
もう一度休むように言われて、そうする。
いずれにしても、もう限界だ。
正しい情報がなければ、イマジナリーフレンドは作れない。
犯人の裏に何か邪悪が潜んでいたとして。
そいつのイマジナリーフレンドを作るには、相当な情報が必要になってくるだろう。今回の一斉摘発で、それが少しは見つかれば良いのだが。
何とも言えない、というのが実情だ。
ため息をつく。
出来る事が少ない。
必要な情報が揃わないと何もできない。
捜査一課が足で稼ぎ。場合によっては相手の反撃によって傷つくこともある。石川も佐川も手を動かして、膨大なデータをまとめている。犯人を摘発するのは宮藤で。そして犯人を裁くのは裁判所。
もっと出来る事があったら良いのに。
そう思えてしまう。
ため息をつくと、眠る。
夢に、あの犯人が出てきた。
恨めしそうに、じっと高梨を見ている。
今回の犯人も、やっぱりこういう独善的な行動を取るか。
自分の悪行を棚に上げ、恨む。
何故自分が裁かれなければならないと、逆恨みする。
この手の輩ばかりイマジナリーフレンドにして来た。会話するときには、人間を勉強するつもりでやっているが。
それにしても、勉強すれば勉強するほど、人間という生物が如何にくだらないかを確信するばかりだ。
宮藤や石川、佐川は違うと思いたい。
だが、佐川は前にぼそりと、特別製で良かった事なんて一度もないと呟いていたし。
石川だって、本当にやりたいことでは芽が出なかったと嘆いていた事がある。
宮藤にしても、本当だったら捜査一課で犯人をバリバリ追いたかった筈。
小娘共や高梨の世話をしながら、調整役として走り回っている自分に、誇りを持てているのだろうか。
そうはとても思えない。
消えていく犯人。
あの犯人は、どっちにしても終身刑だ。
殺した人数だけでも五人以上。それも最低でも、である。ついでに第一級殺人。もはや言い訳のしようが無い。
中には実験で殺したという身勝手極まりないものもあり。情状酌量の余地など存在し得ない。
昔なら確実に死刑だった。
今回の犯人のような凶悪犯の終身刑となると、基本的に窓も娯楽もない部屋に閉じ込められ、その場で殆ど身動きできずに余生を過ごすことになる。無意味な仕事を繰り返しさせられるような終身刑は、やったことがまだ凶悪では無い連中だけ。今回の犯人のようなのは、もう独房から出ることさえ出来ず。トイレとシャワーと一体化した部屋で、惨めに身を縮めて娯楽もなく過ごすしかない。
非人道的とは言えない。
それだけの事をして。
多くの人の未来を奪ったのだから。
更に此奴は、もし「ビジネス」を成功させていたら。今の十倍、いや何百倍の人間の命を奪っただろう。
自分を善人と信じながら、大量虐殺を行って平然としていたアルカポネのように。
ギャングスターなど存在しない。
そんなものが存在するのは、コミックの中だけだ。
目が覚める。
汗を掻いていて、やはり痛い。
イマジナリーフレンドは出していないが。
それでも、何だかよく分からない疲労感があった。
眠れて疲れが取れないのは厳しい。
呼吸を整えると、水を飲んで。そして、また眠る事にする。
今度は悪夢を見なかった。
或いは、あの犯人の、最後の抵抗だったのかも知れないが。そんなものはどうでもいい。
とっとと地獄に落ちろ。
それだけが、高梨が言える言葉だった。
裁判の様子を宮藤は打ち上げのチームと一緒に見る。全てを奪われた山日組最後の瞬間と言っても良い。
組長、若頭、以下幹部全員が有罪。
大半が終身刑だ。
これから一月ほどかけて審議が行われるのだが、弁護側の減刑依頼も、懲役五十年への減刑という苦しいものである。
五十年と聞いた瞬間、今回の主犯である若頭が、青ざめて顔を上げていたくらいだ。
今の時代は悪用された結果「模範囚」等という制度はなくなっている。
懲役五十年と言われれば五十年は出られない。
この場合、重労働を課せられながらの五十年となる。勿論娯楽など存在しないし、更に他人と会話する事も出来ない。
昔は刑務所の内部などではヤクザが幅を利かせることもあったのだが。
近年ではこうやって他人との関係を断ち、自動で監視しながら重労働をさせる事が主流になっている。
非人道的ではあるかも知れないが。
それでは、犠牲になった人間の命はどうなるのだろうか。
今までの、内部で犯罪組織が幅を利かせる刑務所は正しかったのか。
どちらにも応えはない。
結果、今の方式が採用されている。
なお、この状況下からも、新しい証拠が発見されて、再裁判から釈放というケースは勿論ある。
まあ捜査が進歩し、人間の弁護士では無くAIが弁護を行うようになった現在は、ほぼなくなっているのだが。
「これで歴史ある山日組も終わりですね」
「ああ。 問題は後に海外とかのマフィアが入り込まないか、だが」
「今の状況ではそれもないでしょう。 犯罪組織が存在しない状態を当たり前にしていきましょう」
「……それもそうだな」
昔は、山日といえば日本を二分する巨大広域暴力団で。
政財界にもコネを持ち。
テレビ業界は殆ど掌握しているに等しく。
邪悪の限りを尽くしているくせに、たまに「ボランティア」をやっては、それを大々的に報道させるという文字通りの愚民政策までやっていた。
その正体がこうやって白日の下に晒される。
今後、山日の跡地は徹底的に調べられ。更に関連人員も調べ上げられ。
今まで殺して埋めたり沈めてきたような人間についても、余罪が散々出てくるだろう。
当然他の広域暴力団も同じように潰されていくだけである。
今頃、どこの暴力団幹部も、この裁判の様子を戦々恐々として見ているのは疑いない所だった。
そもそもだ。
暴力団の下部組織の半グレでさえ、今は老年化が進んでいる。
昔は不良少年崩れが半グレをしていたりしたものだが。
今ではそれもなく。
不良少年はもう社会への関わりを諦めて、家に閉じこもってしまうようなケースの方が多くなっている。
昔暴走族と呼ばれ、一時期頃からそのダサさにより珍走団と呼ばれるようになった集団が、どんどん高齢化していったように。
半グレも一時期のシノギによる集金能力を失うと。
後はただ、はぐれ者の寄り合い所帯になり。
新規加入者もいなくなり。
結果として老いていくだけになった。
そして「刑務所に入ったことが箔になる」時代もあったが。
今では犯罪組織の構成員が刑務所に入ると、出てくる事には廃人である。
刑務所は恐怖の象徴として、犯罪組織の構成員達からは。ヤクザだろうが半グレだろうが、海外マフィアだろうが。
等しく怖れられるようになっていた。
まあ、此処からはAIによる超高速のやりとりと。裁判所に出ている人間が、証拠を提示するだけの作業だ。
テレビから、チームが離れていく。
そして、警視監が咳払いをした。
「みな、このチーム最後の会議を行う。 会議室に集まるように」
まあこれ以上は見ていても仕方が無い事もある。
皆テレビから離れ、この奥地の県警の会議室に向かった。
会議室には、一人も欠けずに集まる。
地元のヤクザの事務所を抑えるとき、抵抗したヤクザ(老人だったが)が振り回した日本刀も、柱に刺さってそのままだった。更に突入時は先頭に警察用ロボットが立ち、文字通りのシールドバッシュと捕獲用粘液でヤクザを片っ端から捕獲したので。人員に損耗は出ていない。
浅間山荘の頃の無能な警察とは違う。
今の時代は、キャリアの過剰権限を排除して組織編成を変えた結果、どんどん柔軟に新しい技術を取り入れられているのだ。
「誰も欠員を出さず、怪我もせず、この大きな仕事を終えられたことを誇りに思う。 皆、この国のためによく頑張ってくれた。 感謝する」
警視監が頭を下げる。
宮藤はじっと、その様子を見つめていたが。
ただそれだけだ。
本心からあの食えない老人がそうしていると思うほど、心が子供でも無い。実際問題、この事件にこれだけの精鋭を投入したのには、どういう意図があったのか。
確かに不可解な事件を完全解明し。
謎の毒物の遍歴も確保。
生産場所も抑え。
裏側にあった暗殺ビジネス構築の現場も押さえ。
更に、しぶとく生き延びていた山日組の残党にも、完全にとどめを刺した。
文字通り完璧な結果である。
閻魔大王と言われているらしいが。
それも納得出来る。
今の警視総監は優柔不断で知られている。そして警視監の今回の功績は誰もが無視出来ないレベルである。
警視副総監とも言われる警視監のこの業績。
無能な警視総監。
この二つが揃えば、何が起きるかは明白だ。
今回の事件。
本当に、あの弱体化しきったヤクザ共が自分で考えて起こした事なのか。
もしそうでないとしたら。
あの鉄のような老婆が、全てを利用したのでは無いのか。
いや、積極的にやらせてはいないとしても。
知っていて敢えて放置した、くらいの事は考えられる。
そう思うと、色々とやりきれない。
警察の内部改革は進んでいる。だが、そもそも非常に腐敗が進んでいた組織だったのである。
それに人間が組織を運営している以上。
生臭い話だって幾らでも出てくるだろう。
いやだねえ。
宮藤は内心で呟いていた。
少なくとも、部下達に平然と頭を下げられる警視監の器の大きさは、今の警視総監よりも確実に上。
それは、疑念を抱いている宮藤でさえ思う事なのだから。
文字通り、ぐうの音も出ないと言う奴である。
そのまま、会議について聞く。
基本的に、情報は全て裁判所に引き渡し済み。もしも弁護側の主張が最大限通ったとしても。懲役は最低でも五十年である。
今の時代は、裁判官が好き勝手に減刑する事が出来る様な状況には無い。
そして懲役五十年を下された場合。刑務所内で発狂せずに得られる時間は、数年と言われている。
幹部全員を同時に失い。
基盤ももう失っている山日組にとどめが刺されたのは確実で。それは充分な成果である。どう客観的に見ても。
「というわけで、今回の合同特別チームは解散とする。 皆、遠路はるばるの行程疲れただろう。 賞与には期待してくれ」
軽く笑いが起きる。
まあ、賞与が出るのは当然か。
藤崎に握手を求められた。
「宮藤さん、貴方と組めて良かった。 また機会があれば、一緒に捜査しましょう」
「ああ、うん」
「どうしました?」
「いいや、なんでもないさ」
握手を返す。
藤崎は気持ちが良い奴だったが、ここに来ている警官達は、皆がそうだった訳では無い。明らかに謎の宮藤班のボスとして、宮藤を警戒している奴もいた。他にも幾つか警察には特務チームがあるらしいし。そういう特務チームの人間も来ていたかも知れない。事実、宮藤に話しかけてきて、秘密を聞き出そうと巧みに色々話題を振ってくる輩もいた。あしらうのには随分苦労した。
流石に帰り道はパトカーは使えない。
既にタクシーが手配されていて、皆それに乗って帰って行く。
警視監が手配してくれたらしい。
この辺り、部下の心の掴み方を心得ている。ちょっとしたこう言う行動でも、相手を信頼させるには充分だ。
とはいっても、やはり。
宮藤には、あの老婆には腹に何か邪悪なものを抱えているとしか思えないものがあったし。
それに安易に関わったら、極めて危険だとも思っていた。
タクシーの中で、メールを打つ。
まずは石川と佐川にだ。
「犯人にとどめをさしたよ。 この事件は終わり。 ボーナスはたんまりでるから、期待してね」
「ご当地ポッキー」
「ご当地じゃがりこ」
「はいはい、おいちゃんも駅で探してみるから」
本当にぶれないな。
だが、とても有能なのだ。
だから、それでいい。
それにしても、金についてはあまり興味が無いのか。ボーナスという言葉が出ても、あまりそれに反応している様子は無い。
昔は、それこそ給料を削るだけ削る、何て時代もあったのだが。
今は相応に働けば相応に稼げるようになっている。
こんなご時世でヒモをやるようなクズもいるが。
それは多分、人間という生物がいる以上、消える事はないだろう。
高梨にも連絡を入れておく。
メールで、である。
「終わったよ。 そっちでは、何か気になったことはあったかい?」
「いいえ。 今の時点では」
「そうか、それではおいちゃんは帰るからね」
メールを打つのを止めると、後はゆっくりする。
駅に到着し、ご当地の菓子を探す。ポッキーはすぐに見つかったが、じゃがりこがなかなか無い。
幾つかの店を探して見つけたときには、新幹線の時間がぎりぎりだった。
新幹線に乗って、後は戻るだけ。
同じチームにいた刑事は、先の新幹線に乗ったのか、或いは後の新幹線に乗るのか。別の車両なのか。
ほぼ見かけなかった。
車両内販売で、アイスを買う。同時に、ドライアイスも貰った。
怪訝そうな顔をされたが、いちおうくれるにはくれた。
ドライアイスは菓子の方に入れる。
車両内販売のアイスはこの時代もかっちかちなので、時間つぶしに丁度良い。バッテリーが昔に比べて段違いに長持ちするようになったスマホでSNSを見ながら、ぼんやりと過ごす。
この状況で流石に暗殺とかはないだろうが。
それでも、しばらく気を張り詰めていたから。
少し気が抜けるのも、仕方が無かった。
それでも、職業病なのだろう。
何か物音が起きたり、気配があったりする度に注意が其方に向く。
アイスが丁度良くなって来たので、適当に食べ始める。
割高で、別に美味しくもないが。
新幹線の中で食べるという事自体に意味があるので。
特に文句はない。
夕方少し過ぎに東京に到着。
新幹線を降りて、そのまま自宅に向けて電車に乗る。
幾つかの疫病の結果、満員電車というものはなくなったが。それでもそれなりにこの時間は混んでいる。
疲れている身には苦しいが。
まあ我慢だ。
家に到着するまで此処から更に二時間。
家についたのは、夜だった。
冷蔵庫にお菓子を入れる。
うちの優秀な欠食児童たちのためのお菓子である。ついでだから、普通のじゃがりことポッキーも補給しておくか。ただ、あの欠食児童ども、嗜好を変えるのである。いきなり違う菓子を食べたがるので、ポッキーとじゃがりこだけ蓄えておくわけにもいかないのが困り事である。
家の中は家庭用ロボットがしっかり掃除から何まで済ませておいてくれた。
ログもさっと確認するが。
妙なものはない。
蚊が数匹自動で退治されたくらいで。
ゴキブリも出ていない。
まあ上々の結果だろう。
一応、県警の二郎にもメールは途中で入れたが。
二郎の方は、殆どする事はなかったそうである。
新しい怪事件も起きていないそうだ。
それは何より。
ただ、どっちにしても明日になれば、何処かの県警から片付いていない仕事が飛んでくるだろう。
改革が進んだと言っても。
警察はどうしても、手作業で色々やらなければならないのである。だから、どうあっても宮藤達の仕事は終えないだろう。
風呂に入って、夕食を終えた頃には、深夜になっていた。
やれやれと、布団に入る。
睡眠障害だけは引き起こさなかった。
だが、それも捜査一課にもう少しいたらどうだったか分からない。
事実肺は駄目にしてしまったし。
健康診断で、いつも何処かしら悪くしていることも告げられている。
それらを思うと。
あまり、宮藤の未来は明るいようには思えなかった。
何より、欠食児童達と。
多分地獄のような人生を送っている高梨をどうにか出来るなら、どうにかしてやりたいという思いもある。
いずれもが、難題ばかり。
疲れが溜まっていたからか、素直に眠れる。
それだけで幸せだと言う事を。
睡眠障害になった友人から、宮藤は聞かされて知っていた。
4、大王が就任する
警察の人事が発表され。
警視総監が無事に引退。
これについては、誰もがしらけた目で見ていた。
キャリア出身の無能の見本。
あらゆる醜態が記録されていて。警視総監史上一役に立たなかったとか。置物とか。色々言われていたただの老人。
もはや天下り先もない今の時代。
後は寂しい老後でも送って貰えればそれでいい。
老妻には数年前に逃げられたらしいし。
介護用ロボットに囲まれて後は生きる事になるだろう。
それに対して。
新警視総監に就任するのが。今まで警視監だった、服部金P。
此方に関しては、前が無能すぎたという事もあり。
周囲からの期待も大きかった。
公安にも出向経験があり。
各国に出張って、捜査協力をした事もあり。それらのいずれでもめざましい成果を上げている人物。
そして渾名もある。
閻魔大王。
情け容赦なく悪人を摘発し、刑務所に叩き込むからである。
実際の仏教における閻魔大王は、地獄の十王と呼ばれる裁判官達の一番偉い存在であり。その中でも、最高裁判官に等しいものなのだが。
それは別にどうでもいい。
警視総監に就任した服部は。
早速、厳しい布告を下していた。
「警察の再編を更に進める。 現時点で、成果を上げることが出来ずにいるのに、昇進試験だけ受かって地位にしがみついているキャリア組が全国で二十五名いる。 この全員を降格処分とする」
どよめきが起きる。
キャリアに関しては、警察の体勢に手が入ってから、かなり厳しい目で見られるようになっている。
元々末端は優秀なのにキャリアが足を引っ張っているという批判が昔から多かったこの国の警察だが。
それに対して、更にメスを入れると言うことか。
「その代わり、功績を挙げているにもかかわらず低い地位に甘んじてきた人間を再評価し、代わりに据える。 更に、学閥についての解体も進める」
どよめきが更に大きくなる。
現在でもコネ人事の温床である学閥は警察内に色濃く残っている。キャリアに対する圧力が強まった今でも、である。
それを更に厳しく締め上げると。
流石は閻魔大王だなと、誰かが呟いた。
当人の耳に入ったかは分からないが。
咳払いすると、新警視総監は、就任式に出てきている警官達を見下ろしながら言う。年老いてもその眼光は、閻魔大王に例えられるだけのものはあった。
「私は警視総監として、この国を更に平和にし、犯罪を減らし、民が安寧に暮らせるように最大限の努力をする。 警官たるもの弱きものの盾である立場を忘れるな。 犯罪を許さぬ矛である事を忘れるな。 私の年齢から言っても、警視総監でいられる時期はそれほど長くは無いだろう。 だが私が倒れるその日まで、厳しい改革は続く。 その対象は何も私自身を例外とはしない」
場合によっては自分も裁く。
過酷な宣告である。
伝承によっては、武田信玄が新法を作ったとき似たような告知をしたとか。
そして、新警視総監は更に言うのだった。
「改革の第一歩として、警察内にて特務部署を更に増やす事にする。 幾つかの非公開特務部署は近年めざましい活躍を上げており、特にこの間の山日組壊滅に向けての作業では、この特務部署が大きな働きを示してくれた。 時に特務部署には、普通の感覚ではとても仕事を任せられそうにない人格破綻者がいたりもするが、その代わり能力は墨付きというわけだ。 いずれにしても、通常の部署で人格よりも能力を優先するなどと言う柔軟な行動は出来ないだろう。 そして今回の一件で判明したが、特務部署は何も単独で仕事ができるわけでは無く、現場で活躍する諸君と連携して最大の力を発揮できる。 皆、それぞれの得意分野を生かし、この国の平和を守るべく活躍をしてほしい」
敬礼をする新警視総監。
警官達が一斉に立ち上がり、敬礼を返していた。
欠食児童共に菓子を配ると、自席に着く。
そして、義務だと言う事で、宮藤は新警視総監の就任式を見た。別にこんなもの見なくても良いと思うのだが。
まあ警官の義務らしいので、見ておくことにする。
なんというか。
非常に厳しいばあさんだなと、素直な感想を呟く宮藤。
まあ、他の警官も似たように思うのは間違いない。
自他共に厳しい、規律の権化のような人物だ。
閻魔大王という渾名があるのだが。
それも鼻で笑って受け入れていそうである。
「宮藤警部補ー。 あ、警部になるんでしたっけ」
「あ、はいはい。 何?」
石川に呼ばれたので行く。石川も佐川も巡査長に出世である。まあ、難事件をこれだけ解決しているのだから当然だろう。
特務部署にいるから出世が遅れた、という側面もあるか。
いずれにしても、出世することで変わるのは。
給料が増える。
それだけだ。
当面増員の予定はない。
そもそも増員しても、石川や佐川並みのバケモノでないと、上手くやっていけないだろうし。
「この人、この間のボスでしたっけ?」
「そうだけれど石川ちゃん、もうちょっと周囲を見て、声を抑えてね」
「あー、はいはい。 警視総監様ですもんねー」
「……」
思わず冷や汗が流れた。
怖い物知らずにも程があるが、まあ兎も角苦笑いして周囲に視線を送る。石川のエキセントリックぶりは、佐川同様に知られているので、眉をひそめたものはいないが。周囲は凍り付いていた。
まあそれもそうだろう。
実際問題閻魔大王の渾名は伊達では無く。
あの新警視総監、実力で今の地位まで上がってきた人物である。
例の警察大再編がなければ此処まで来られなかった人物とも言われていて。十年警察に入るのが遅ければと、かなり嘆かれている人物でもあるらしい。
現役時代からあまりにも厳しすぎる捜査姿勢から同僚からも怖れられ。また剣道、柔道の他にもマーシャルアーツなどの各種武道は達人級。ボクシングと柔道の高段位を持っている宮藤でも、正面からやりあって勝てるかは分からない程の実力者である。
「それでこの服部って人、忍者みたいですね」
「ハハハ、おじさん心臓が止まりそう」
「いやね、本当。 だってこの人ねえ、時々こっちの事監視してますもん」
後半、声を落とした石川。
それで、宮藤は本当に変な声が出かけた。
後半部分は周囲には聞こえないように石川が加減したが。
どういうことだ。
顎をしゃくって聞かせろと促す。
頷くと、石川はダダダダと凄まじい音で打鍵。画面を見ると、こう書かれていた。
「この部署が立ち上がった頃から、定期的に此処、監視されてるんですわ。 バックドアは全部潰してありますけれど、それでも超一級のハッカーが多分手元にいるんだと思いますね。 閉じても閉じてもバックドアが開けられる」
「情報筒抜けって事!?」
「恐らくは。 でも、悪い事をしているような感じはしないんですよねー。 警官と言うよりだから忍者みたいだなって」
「いずれにしても、今のそればれない?」
今はファイヤーウォール閉じているという。
しかも監視カメラの死角だとか。
さっと書いた文字を消すと。
石川は打鍵しながら言う。
「普通のポッキー欲しいです、警部ー」
「じゃがりこー」
「はいはい、分かった分かった。 買ってくるから、ちょっと待っていてね」
欠食児童共のリクエストに応えて、菓子を買いに行く。
部長になってもパシリか。
周囲の同情の目を背に。
宮藤は、内心色々と不安を感じていた。
ちょっと洒落にならない事が近々起きるかも知れない。
確かに新警視総監は、何かしら邪悪な事を目論んでいるとは思えないが。
或いは、この部署への負担が激増するとか。
監視要員が来るとか。
幾つか、対策は練っておかなければならなかった。
(続)
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