寄生虫は腹の中に
序、天才と異能
佐川響子は、自分が天才である事を知っていた。IQは250。幼児の頃から周囲が馬鹿にしか見えなかったし。
実際会話が成立しなかった。
何でも出来たから、何をするのも馬鹿馬鹿しくなり。
それでも努力しなくても、大概の人間より何でも出来た。
飛び級コースに行く事になったが。
それでも極めて何もかもが空虚だった。
周囲の誰もが馬鹿。
それに変わりはなかったからである。
しかし、である。
自分と違うタイプの者。
異能とでも言うのか。
そういうものを持っている相手に出会ってから、やっと人生に色がついた。
その相手は石川能野子。
幼くしてゲームエンジンを自力でくみ上げ。
ゲームのバランス調整の能力こそなかったものの。
それ以外のあらゆるゲームの才能に恵まれた異能。
石川とは連絡を取り合い。
やがて友人となって。
その伝手を使って、一緒に警察で現在働いている。
そして、今の部署で高梨という超級の異能に出会ってからは、毎日が楽しくて仕方が無い。
佐川にとっては、人間なんかどうでもいい。
いつも寝ているのも、周囲にまるで興味が無いからだ。
楽しい事だけがあればいい。
筋金入りの享楽主義者なのである。
スペックがあまりにも高すぎるからこそ。
佐川はあまりにも。
空虚すぎる人生を送っていた。
今は側に二人も異能がいる。
こんな楽しい時期は、人生15年を送ってきて初めてである。見た瞬間馬鹿だと悟った両親含め、周囲にはロクな人間がいなかった。
だが今は違う。
こうして、異能に囲まれて。
刺激的すぎて、楽しすぎてたまらなかった。
また、案件が持ち込まれる。
石川に起こされて、それを悟った。
パジャマを寝崩して、足を放り出して寝ていた佐川だが。
こんな行為が許されるのも、難事件を既に五十数件解決している宮藤班にいるからである。
佐川が超級の天才児で、飛び級で警察に来ていること。
更に高梨と連携しての捜査で、飛び抜けた実績を上げていること。
これらから、使っていなかった倉庫の一つを、佐川専用の寝室に改造し。普段は其所で寝ている事が許される。
そうでなければ、ギャーギャー五月蠅いのが、佐川にがみがみいつも言っていただろう。そんなのはどうでもいい。
周囲にいらない。
今もお菓子を食べている佐川を見て、微妙な顔をする警官はたくさんいるが。
石川が佐川の口元をハンカチで拭いているのを見て。
更に微妙な顔をしていた。
「のの、それでさ」
「んー?」
「事件の内容は?」
「これ」
まずは、捜査一課から上がってくる事件内容を見る。
事件の内容は飛び込みである。電車に飛びこんで、人が死んだのだ。
経済がやばかったときは、特に多かったと聞いている。確実に死ねるのだから、まあそれはこの死に方も選ぶだろう。
更に多くの通勤中の人に迷惑も掛けられる。
精神が病んでいるときは、電車に飛びこみたくなるような精神状態になる事もあるだろう。
問題は、現在は。
それを防ぐ処置がたくさんされている、と言う事。
更に言うと。
電車に飛びこんだ人間に。
自殺する動機がなかった、と言う事だ。
被害者とでも言うべきなのだろうか。
電車に飛び混んだのは近藤又彦。現在41歳の会社員である。比較的評判が良い会社の役員で、本人も近年では珍しく円満な家庭を築いており。二人の子供とも仲は悪くなかったようだ。
妻も特に浮気などはしておらず。
会社でもトラブルは起きていなかった。
それで警察に、自殺などあり得ないという通報が来たのだが。
調べても、どうにもおかしなことばかり。
まず近藤は、どう考えても覚悟を決めた上で死に臨んでいる、そうとしか見えない。
靴を揃え。
人が少ない時間帯に、電車に飛び込めないように設置されている柵を乗り越え。電車が停止できないタイミングに完璧に飛び込んでいる。ある意味芸術的なまでの自殺ぶりである。
何かしらのちょっとしたことで、精神を病んでしまう人はいるのだが。
この近藤の場合、それが考えにくいのである。
色々周囲で話を聞いてみると、「良い人」というよりも「図太い」という印象があったようで。
それでいながら円満な家庭を構築し、子供達に嫌われていなかったのだから、相当だったのだろう。
今の時点の情報では、だが。
なお遺書は見つかっていない。
スマホなどに残されていた可能性はあるが。
残念ながら、一緒に電車に飛び込んで木っ端みじんである。
データの復元は不可能だろう。
なお、職場のPCにも、家庭のPCでも。
遺書はなかった。
遺族のどうしても、と言う言葉で調べていたのだが。どうにも手詰まりになり、此処に来たという事だ。
佐川も資料を一通り見るが。
これは確かに警察がお手上げするのも納得である。
完全に、自殺としか思えない。
あらゆる状況証拠が自殺だと告げているのである。
昔のように、押せば人を殺せる状況では無いのだから。
だが、何となくおかしくもある。
確かに証拠は一切無く、綺麗に自殺に仕立てられているが。どうもピースが揃わないというか。
何だか妙なのである。
小首を捻った後、色々経歴を更に細かく調べてみる。
幾つものプロジェクトを渡り歩いているいわゆる火消し屋とでもいうような仕事をしていたようで。
経営再建にも相当に関わっていたようだ。
それなりの企業にいたと言う事で、傘下には子会社が幾つもあったのだが。
それらの子会社でも慕われており。
幾つもの会社の再建をしたという裏付けも取れている。
それらを丁寧に確認。
変なところで恨みを買っている可能性もある。
人間、何を恨むか分からないからである。
「?」
思わず変な声が出る。
妙な経歴が出てきたから、である。
調べて見ると、あるものの運営に関わっていた、とある。
どうもいわゆる社内の婚活サークルのようなものがあったらしく。それの運営に主体的に関わっていた、というのである。
婚活サークル。
そんなものがあったのか。
何だか、俄然興味が出てきた。
結婚願望なんぞない。
全世界中が結婚制度に疑問を呈し始めている今の時代、佐川も結婚に興味が無い人間の一人である。
ぶっちゃけどうでもいいのである。
しかしながら、たまにまだ結婚制度を使っている者もいるし。更にそれでうまくやれている者もいる。
結婚制度崩壊の足音は今世紀に入った頃にはもう聞こえはじめていたと聞いているが。
そんなご時世で婚活サークル。
そういえば、一時期の婚活サークルは魔境だったと聞く。
馬鹿みたいな年収、自分に都合が良い奴隷のように働くパートナーを求める男女が押し寄せ。
それこそ地獄とはこう言う場所なのだろうという。反吐が出るような悪夢の地が具現化していたらしいが。
調べて見ると、どうにも情報が出てこない。
腕組みして、嘆息する。
この被害者。もし他殺だったら、だが。
経歴を兎に角クリーンに固めているのである。
例えば学校時代も、成績はそこそこに優秀。課外活動も相応にやっている。悪い評判は一つも無い。
それなのにどうしてか。
此処でいきなり不慮の死を強引に迎えさせられている。
それはどういうことか。
やはり、「潜る」しかないのか。
佐川は、高梨の異能を、イマジナリーフレンドだとは知っているのだが。同時に「心に潜っている」とも考えている。
人間の心を再構築し。
そしてその心に潜ることで、出来事を再現する。
これは異能だ。
どんだけIQがあっても同じ事は出来ない。
思考回路が違う。
判断基準が違う。
高梨にはあったことがない。会えないだけの理由があるのだろうと、佐川は考えているのだが。
ともかく高梨は、それらの思考回路や判断基準という全てをクリア出来るだけの、特殊な頭脳持ちという事で。
それはもはや普通の人間には。佐川のようなスペックが高い人間でも。再現が出来ないオンリーワンの能力である。
故に、此処は判断を聞きたいところだ。
ただの自殺であるのなら良いのだが。
もしもこれが他殺だったら、類を見ない凶悪事件である。更に言えば、このなんというか異様に綺麗にコーティングされた経歴。どうもおかしいとしか思えないのである。
はっきりいって不自然だ。
勿論世の中には善人もいる。
それは知っている。
ただ、世の中にいる善人は、どちらかといえば周囲から迫害される立場である。
理由は簡単。
人間という生物が、本質からして邪悪だからだ。
善などと言うものは、平均的な人間からして見れば、目障りな代物に過ぎない。
真面目に過ごしていたら、良い子ぶりやがって腹が立つとか言う理由で虐めが始まったという例はいくらでもあるし。
しかも虐めている側は、それを正当だと考えている。
要するに人間というのはその程度の生物だと佐川は判断しているし。
事実飛び級で幾つもの学科を回っている間、佐川に向けられているのはどうにかしてあらを探してやろうという粘ついた視線ばかりだった。佐川はその辺も理解していたから、周囲とのコミュニケーション(という名のご機嫌伺い)は最小限にして、いわゆる派閥にも属さずにいたが。
そうしたら今後は「人形のようで気持ちが悪い」とか言われる始末である。
人間が如何にくだらない存在かは佐川も良く知っている。
だから、この事件に関しては、疑う余地ありと判断していた。
「やっぱり怪しそう?」
「現時点では何とも言えないにゃー」
「だよねー」
ちなみにこの変な語尾。
ウェブで身についたものだ。
そして今は人避けとして使っている。
この語尾を聞いても平気な奴は、多少の事には動じない。避ける奴は、佐川が反吐が出るほど嫌いな連中である。
普通に喋る事は当然出来るが。
敢えてしない。
アホらしいからである。
コミュニケーションを取る事には別に億劫さは感じない。だが、相手を見極めた上で、接する意味がないと判断した相手には、佐川は恐ろしい程残忍だと言われた事がある。なお言ったのは石川だが。
まあ相手が残忍に振る舞うのだ。
此方が残忍に振る舞い返しても、別にどうでも良いだろう。
何で、此方を差別してくる相手に、土下座して媚を売らなければならないのか。
そんな事をしている余裕があったら、菓子でも食っていた方がマシだ。
「とりあえず、今の時点では捜査一課も万が一を考えて投げてきているみたいだから、時間はあるみたいだし。 高梨ちゃんが起きて来てから投げようか」
「うん、それで良いと思う」
「……じゃあ、そうしておくね」
頷くと、佐川は仮眠室に戻る。
移動しながら、さっきの事件の事を考える。
電車に飛び込む、か。
景気が最悪だった時代は、毎日のように電車に誰かが飛び込んでいたという話を聞く。そして、その時代が終わった時。まるで戦争でもあったかのように、空白の世代が出来上がっていたそうだ。
それでいながら、その空白の世代をつくりあげた連中は何一つ責任を取っていない。
これこそ大量殺人では無いのか。
しかしながら、今回はそれともまた問題が違う。
空白の時代では、今は無い。
社会はかなり正常化し、景気もそこそこ良く回っている。
子供が減り続けているのも問題だが。一方でクローンに関しては技術がほぼ完成。倫理面での問題もクリアされ。遺伝子を無作為に組み合わせたクローン児童の育成が、幾つかの家庭で実験的に始まっている。
宇宙開発も順調に進展。
来年には、月に大きめの都市が出来る予定だ。
そんな時代に、電車に飛び込む人は減ってきている。
社会保障も充実しているし。昔ほど税金も高くない。社会からドロップアウトした人にも救済策が幾つも用意されている。
この時代に電車自殺。
何か、示唆的なものを想起せざるを得ない。
足を止めて、少し考え込む。
小首を捻ってから。寝室に入る。自分用にカスタマイズしたスマホを操作して、SNSにつなぐ。
これはあくまで私的な調査。
そう言いながら、あくびをしつつ軽く漁って行くと。
比較的おしゃれ(とされている)なSNSにて、被害者の足跡を見つけた。
まあおしゃれといっても、実態は学校の閉鎖的な人間関係を構築するものになっていたり。
陰湿な虐めの温床になっていたり。
アレな団体の宣伝の場になっていたりで。
ロクな代物では無いのだが。
まあそれは、今は良い。
ざっと調べていくと。思わず、目が覚めるような記述を見つけていた。
ある人物とやりとりをしているのだが。
今や絶滅危惧種となっている、過激派フェミニスト団体の役員である。
いやな予感が更に加速する。
しかもやりとりが意味不明なのだ。
妙な会話をしているが。
どうにも話が成立しておらず。
それでいながら、終始にこやかな雰囲気なのだ。
これは、何かあるな。
全てのデータをスクリーンショットに取っておく。そして、寝るの中止。
捜査一課は、これを掴んでいた筈だ。話の内容からして不自然だとは感じなかったので、捜査を進めなかったのか。
捜査一課は無能だとは思わないが。
容疑者はどちらかというとやり手で知られていた人間である。
そういう人間が、ネットでは幼児になりきったり。或いは女性のフリをしていたりという事が結構あるのだが。
佐川くらいになると、即座にフリを見抜くことが出来る。
会話の内容を見ていて、それで大体相手の性別年齢経歴まで特定出来る。
戻りながら、他にも調べて見るが。
被害者のSNSはいずれもごく当たり前の話をしていて。
とてもではないが、タチの悪い団体と人間と連んでいるとは思えなかった。
ああいう連中の組織は、基本的に構造社会である。
頭として、馬鹿な末端を動かす邪悪な輩と。
何も考えず、頭の命ずるままヒステリックに暴れ回る末端。
末端は頭に対する信仰を要求され。
その言動を疑う事は、何一つとして許されない。
構造としてはカルトと同じだ。
大体の過激派フェミニスト団体は、21世紀の序盤に大きな問題を多数起こし。それから色々と調査の手が入って、タチが悪い人権屋や、場合によっては国家の諜報部から金が出されて社会を混乱させるために動いている事が判明したが。
今でもその残党は生き延びている。
石川が、佐川が戻ってきたのを見て、目を細める。
何かに気付いた事を察したのだろう。
石川は、謙遜しているが、充分に頭が良い部類に入る人間である。少なくとも普通を称して暴虐を振るっている連中よりは百倍マシだ。
「何か気付いた−?」
「うん。 SNSで変なやりとりしている。 此奴、経歴誤魔化してる可能性が高いと思う」
「よし、データ集められるだけ集めよう。 ちょっとSNSの運営会社に、ログの提出指示するわ」
「よろしくにゃー」
今の時代、犯罪に利用される可能性もあるため、SNSのログは全保存されている。例え本人が消したとしても、警察が開示を求めれば、ログから何を書き込んだのかを全て暴くことが出来る。
石川が手続きをしている間。
現状で集められるデータを佐川が集めていく。
程なくして。
宮藤が来た。
「おー、やってるね。 その様子だと、おじさんは邪魔かな?」
「いえ、捜査一課に連絡を。 何か変な背後関係見つけましたので」
「分かった。 まとめてくれるかな」
「今やってる所です。 終わったら持っていきますにゃー」
宮藤はそうかそうかというと、自席に戻っていく。
流石普段はあんぽんたんを装っていても、中身は現役。鼻は利くらしかった。
1、不可解な死の裏で
高梨の所に連絡が届く。
日本中でタチが悪い殺人事件が起きまくっているわけではない。昔は余程おかしな状況で無い限り、警察は動かないなんて噂も流れたし。軽犯罪の報告があっても、対応しないという事もあったらしいのだが。
今はそんな事もない。
国情が落ち着いている、という事である。
何とか色々な状況から脱した世界は、幾つかの国で不幸はあったものに、比較的穏やかな時代に移行しようとしている。
しかしながら、それでも殺人事件は起きる。
だから捜査一課は存在し続けている。
高梨の所にも、頻繁では無いにしても、仕事の話が来る。
そして今回は。
電車自殺した不審死の調査について、だった。
電車自殺すると、遺体が想像を絶するむごたらしい有様になる事は高梨も良く知っているが。
それについては別にどうとも思わない。
というか、思えないのだ。
人格だって、擬似的に作り上げている状況である。
人間の悪意によって滅茶苦茶にされた体は、多分一生普通の人間と呼ばれる連中と同じにはならないだろう。
むしろふうんと呟いたのは、この件に過激派フェミニスト団体が関わっているかも知れない、という佐川のまとめである。
高梨の全てを滅茶苦茶にした母もそういう団体にいたっけ。
とりあえず、データを黙々と取り込んでいく。
自分と他人という概念も理解出来ない状態から、仮に作った人格を使えば、会話は成立する所まで来たのだから。
高梨も頑張ったのだと思う。
まあその頑張りが報われるかは知れた事では無い。
大半の人間は、今でも高梨の「医者が酷い苦労の上に何とか人間に見えるようにした」顔や。
傷が残っている体。幾つかの完全破壊された臓器などを見れば、悲鳴を上げて逃げ散るだろうし。
いずれにしても現状の体力と健康では、この部屋から出ることすらかなわないのだから。
データの取り込み完了。
そのまま、まずは被害者の人格を再構築にかかる。
色々な被害者の人格を再構築してきたが。
今回は、犯人が全く分からない。情報も一切無いので。
まずは被害者に事件性があるかどうかを調べる必要があると判断した。
勿論少し手は入れる。
高梨を友人と思っている。
高梨を怖れない。
この二つを加えた上で、イマジナリーフレンドを構築。まずは、軽く話を聞かせて貰う事にする。
いきなり、被害者は尊大な態度だった。
「気持ちよく寝ていたんだがな。 何の用だ」
「幾つか聞きたいことがありましてね」
「言って見ろ」
随分印象が違うな。
そう感じた。
集めてこられたらしいデータでは、多少図太い性格ではあったらしいが。家庭は円満、会社でも問題は起こさず、周囲では一切悪い噂は聞かないという人間だったと聞いているのだが。
まさか、こいつ。
身内には、基本的にこんな感じだったのか。
学校時代の経歴でも、虐めなどには荷担せず、「良識がある」という評価だったらしいのだが。
その割りには傲慢そのものだ。
「何故自殺したんですか?」
「ハア? 馬鹿かお前。 馬鹿だろ」
「あまり頭が良いとは思ってはいませんが、他殺と言う事ですか」
「当たり前だ。 俺が何で自殺しなきゃいけねえんだよ。 自殺する理由なんてねえだろうが。 ダチだったらそれくらい分かれよ、ああん?」
また随分とまあ。
いずれにしても、だ。
これは再調査が必須だなと判断。レコーダーは既に起動している。順番に話を聞いていく。
まず当日は何をしていたのか。
呼び出されて、出かける途中だったという。
誰なのかを聞くと。
少し渋った末に、被害者は言う。
「金づるだよ」
「会社役員でしたよね」
「だったらなんだよ。 金はあった方が良いに決まってるだろ。 丁度貢がせているのが一人いてな。 其奴の所に行く所だったんだが……何だか途中から覚えていやがらねえ」
「誰かとその前にあいましたか?」
あった、と被害者は言う。
何でも、「ビジネスの相手」と会ったのだという。
なんだそれは。
要するに客先の相手と言う事か。
だが、被害者の口が此処で不意に堅くなる。
「ダチとはいえな、ちょっと此処からはあぶねえぞ」
「危ない。 何か犯罪行為にでも手を出していたんですか?」
「おうともよ。 大体お行儀良く何もかもやってるなんて馬鹿馬鹿しいだろ、なあ? 男だったら、不倫くらいするのが甲斐性だし、金を稼ぐために他人を蹴落とすのが当たり前だしな」
けらけら。
笑う被害者。
随分と歪んだ意識の持ち主だった様子だ。
そもそも男だったらどうこう、という考え方時代が、既に何世代も前のものだろうに。いわゆるマッチョイズムというものが、どれだけ社会に悪影響を与えてきたかなど、いうまでもない。
ましてやこの被害者が口にしているのは、不正義を肯定するもので。
社会そのものを踏みにじり、弱者を踏みつけにして笑うものだ。
要するにそういう事、なのだろう。
此奴は善人の皮を被ったクズ。
表に見せていた顔は、全て嘘だった。
そう判断して良い筈だ。
「ひょっとして、その団体は……」
佐川が調べてきていた相手の口を出すと。
被害者はおうよという。
「何だ、お前も知ってるんじゃないか。 流石に俺のダチだけはあるな」
「捜査一課の仕事してるので」
「ほお? じゃあ犯罪のもみ消しとかやってくれないか?」
「それはできませんよ」
けちくさいこと言うな。
げらげら笑いながら被害者は言う。或いは、此処で実体があれば暴力が飛んできたのかも知れない。
軽く話してみて分かったが。
此奴は周囲に対して、本性を擬態できるタイプの人間だ。
知能そのものも平均よりだいぶ高かったはず。恐らくだが、普段はかなりスペックを隠していただろう。
下手をすると、だが。
いわゆる人権屋。
耳に心地よい言葉を盾にして、タブーになりやすい分野に入り込み。頭の悪い人間を扇動して、いいように金をむしり取っていく、外道の中の外道。この世に存在してはいけない次元の悪だったのか。
いや、人権屋にも色々段階があり。
ビジネス代わりにタチが悪い金持ちや宗教団体がやっているケースや、それこそ国家の諜報機関が関わっているものもあるらしいので。
此奴がどのくらいの立場だったのかは分からない。
いずれにしても、これは正直かなり危険な案件だろう。
嘆息すると、一度被害者を眠らせる。
そして、宮藤に連絡を入れた。
しばらく休んで、体力を回復させる。
現在もハンデだらけのこの体。一度体力を消耗すると、回復まで随分と掛かってしまうのである。
熱を出したりした事もある。
そういうときは、中々熱も引かなかった。
今は、疲れてもこれ以上はまずいというのが分かるようになって来て。
熱も出なくなってきている。
それでも疲弊は簡単には回復してくれないので。
色々と苦労は絶えないが。
点滴だってずっとつけているが、化膿したりしないか心配である。
ぼんやりしているうちに、少しずつ回復してきたので、食事にする。舌は存在しないし、歯は総入れ歯。
全て母にやられた事の結果だ。
だから食事も大変。
喋るのだって、色々な器具が補助をしてくれて、始めて出来るのである。
苦労しながら食事や排泄などを全て済ませて。
そして、仕事に戻った。
宮藤からのメールを見る。案の定だが、捜査一課はパニックになっているらしい。
これがプロファイリングチームからの報告だったら、捜査一課はそこまで慌てなかっただろうが。
宮藤班は、今まで五十数件の難事件を解決してきているのである。それも細部まで穿つようにして、だ。
捜査一課としても実績は無視出来ない。
対応せざるを得ないのだ。
ましてや、今だに亡霊のように残っている過激派フェミニスト団体なんてものが関わっているとなると。
その裏には、何が絡んでいてもおかしくないのだから。
現時点で、日本の周辺国との紛争はない。というか、周辺国の方が、日本にちょっかいを出せる状態にない。
故に、国家機関による工作という可能性は低い。
そもそも、昔はリベラル団体やフェミニスト団体を裏側からそれら国家機関が操って、やりたい放題に国政や国情を乱したという事が露見している。
下手すると公安の案件だが。
現時点では、其所まで強力なバックがいる過激派フェミニスト団体は存在していないと聞いている。
ならば、捜査一課が慌てる程度で済むのだろう。
一番面倒なのは公安にトスアップするような案件で。
今までに四回、そういう案件と関わったが。
いずれも後始末とかの作業が兎に角大変で、うんざりさせられた記憶しか残っていない。
「それにしてもタチの悪い過激派フェミニスト団体とズブズブだったとはねえ。 今調べているんだが、確かにマークされている人物と喫茶店で話しているのが確認されたみたいで、捜査一課も本腰を入れているよ。 相変わらず凄いね高梨ちゃん」
「ありがとうございます」
「良いって事よ。 それと、調べた内容でちょっと気になるんだけれど……被害者の本性、こんなに柄悪かったの? おじちゃんびっくりよ」
「少なくとも素の被害者は、浮気は男の甲斐性とか口にするような恥知らずですね」
まあ昔は、こういうことを堂々と抜かす阿呆が大手を振っていたらしいが。
今の時代は、少なくとも存在はしない。
マッチョイズムの権化みたいな思想であり。
既に世の中に必要ない思想だ。
ぶっちゃけ過激派フェミニズムと殆ど差が無い思想であり。母の同類であると高梨は思っている。
まあ、だからといって、特に感情は浮かんではこないのだが。
浮かびようがないからである。
「それじゃ、データがまた集まったらそっちに送るから、よろしくちょん」
「分かりました。 お待ちしています」
「うん。 じゃあ体力戻しておいてね」
体力の件は、理解があるようで助かる。
捜査一課とかは、さっさと調査を進めろとか押してくるらしいので。宮藤がいなかったら、もっと高梨の負担は大きかっただろう。
ともかく、どうせこの様子ではしばらく情報は来ない。
石川も佐川も有能だけれども。実際に現場で足で稼ぐのは捜査一課だ。SNSの情報は引っ張り出せるかも知れないが。それをまとめ上げるのには相当に時間が掛かる。
それにしても、何で被害者は殺された。
色々な状況証拠を見る限り、多分だけれども、被害者はそこまで危険な連中と関わっていた訳では無いと思う。
過激派フェミニスト団体は、昔日の勢いなどなく。今ではフェミニストと言うだけで白い目で見られる時代が続いている。
まあ多数の犯罪を起こしたのだから当然だろう。
しばらく、ゆったりとして過ごすが。
少し気になった事があったので、被害者の人格を呼び出してみる。
「おう、何だ。 くだらねー事だったらぶん殴るぞ」
「出来ませんよ。 ほら、体動かせないでしょう」
「本当だ……てかお前、随分体弱いんだな。 肉食え運動しろ」
「出来たらやっていますよ。 ほら、今の体の状態」
PCに表示し、被害者に見せてやる。
被害者はふーんと呟くだけ。
前に、タチが悪いヒモ野郎をイマジナリーフレンドにしたが。そいつですら友人と認識した相手には、相応の情を見せた。
此奴、本当に筋金入りのクズだなと、高梨は思ったが。
勿論口にはしない。
「それで何だっけ?」
「浮気はしていたんですか?」
「ああ、何回かな。 だってお前、妻なんかで満足できるか? どんな美人だって三日も見れば飽きるんだよ。 まあ俺の妻はそこそこに見られる顔ではあったけどな、一度ヤったら価値は半減以下ヨぉ」
「へー。 具体的にはどんな人と浮気したんですか?」
少し考えてから、被害者は素直に話す。
これは友人だと認識しているから、なのだろう。
此奴にとっての友人や家族。どういう認識だったのか。
家族が此奴を信頼しきっていて、涙まで流して自殺はあり得ないと訴え出てきていたらしいが。
それが全て取り繕った顔だと知ったら、泡をふいて失神するのではあるまいか。
「婚活サークル俺が主催してただろ。 アレな、うちの会社にもいたんだよ。 どうしようもないのがよ」
「どうしようもないとは」
「やれ年収が1000万ないと駄目だとか、結婚した後は家事は全て相手がするのが当たり前だとか、そういうアホ抜かしている輩だよ」
「はあ……」
どうでもいい。
そもそも現在は、家庭用ロボットなどが普及し始めている。昔は家事は一仕事だったらしいが。
今は全自動で全てが片付くのだ。
そんな時代で、そんな事を抜かしている輩がいるのか。
「そういうのが「マシな相手」を探してほしいとか抜かすからな。 アホ共を紹介してやっていた訳よ」
「アホ共?」
過激派フェミニスト団体の名が上がる。
ああ、なるほど。
合点がいった。そういうつながりがあったのか。
要するに、被害者の会社にも、過激派フェミニストと思想が似通った、色々おかしいのがいたわけだ。
そういうのを婚活サークルに所属させれば、嫌でも現実が見えてくる。
当然、マッチョイズムをまともに信じ込んでいるアホ男も、婚活サークルを利用して、馬鹿が入るような団体を紹介させられていたのかも知れない。
馬鹿が馬鹿のいるべき所に収まっただけ、のような気もするが。
ただ。幾つも気になる事はある。
「それで、貴方は浮気相手を其所では探していなかったんですか?」
「馬鹿だろお前。 そんな事したら一発で足がつくじゃねーか」
「そういうものですか」
「俺も会社の中で役員はしていたが……まあ社長はアホのボンクラだったが、会社を私物化まで出来ていたわけじゃねーからな。 後5年生きられたら私物化出来ていたかも知れないけどよ、それまでは慎重に動く必要があったしな」
こいつのいた会社は、そこそこに良い会社として知られていたらしい。
売るものの品質も悪くなく。
客への応対も丁寧だったそうだ。
そんな中、こんなのが混じっていたとは。
客には同情したくなる。
「浮気相手は殆どの場合、馬鹿共が見繕ってくれたな。 アレが駄目コレが駄目ってギャーギャー喚いているうちに適齢期を過ぎたのが出てくるからよ。そういうの。 中にはそこそこ見かけが良いのもいるからな。 適当に口説いてやれば後はころっと、だな。 ヒヒヒ」
「足を斬るときはどうするんですか」
「その場合は馬鹿共にやらせるんだよ。 「あの優しい人」との関係を今後も続けたいなら、何千万とか上納しろとか迫っていたらしいぜ。 勿論払えるわけがないからそれで終わりよ。 それに今時過激派フェミニスト何ていうと、もうそれだけで白い目で見られるし、警察にもいけない。 行った所で門前払いだって教え込まれてるから、いこうにいけないんだよ」
ゲラゲラ笑う被害者。
宮藤がこの場にいたら、被害者の顔面の形を変えていたかも知れないなと思った。
あれで宮藤は、実はとても正義感が強い事を高梨は知っている。
捜査一課を出たのも、鬼畜をぶん殴って顔の形を変えたのが原因であるらしいし。
とりあえず、暇つぶしにはなった。
また、今の資料を送っておく。
少ししてから、宮藤から連絡が来た。
「余裕のある時間で調べてくれたのかな?」
「はい。 まだ其方は時間がかかるでしょう」
「確かにそうだけれど、ちゃんと休むのも仕事のうちだよ。 特に高梨ちゃんは、色々負担大きいでしょ。 とりあえず助かるけれど、休むんだよ」
本音なのだろう。
実の所。
高梨は、宮藤の人格もイマジナリーフレンドとして作っている。だから、これが本音だと言う事は分かるのだ。
とりあえず、言葉に甘えるとする。
それにしても、こうも実態を暴くと変わるのか。
人間の、見かけで九割を判断するという行動が如何に愚かしいのか。この事件はそのまま告げているように思える。
本当にくだらない生物に産まれたんだな。
そう、高梨は何度も思っていた。
2、剥がされていく化けの皮
佐川が情報をまとめていると、ろくでもない話ばかりが飛び込んできた。
まず捜査一課で聴取を受けていた被害者の妻は、明らかになって来た事実を聞いて、その場で卒倒したという。
どうやらかなり真面目な性格だったらしく、夫が自殺なんかするわけが無いし、犯罪を起こしたのが卑劣な悪人だと信じてやまなかったらしい。
ところがだ。
被害者の非道の証拠は、彼方此方からボロボロ出てきた。
今、捜査令状を取った捜査一課が、過激派フェミニスト団体を強制家宅捜索しているのだが。
出るわ出るわ。
高梨が言っていた事が、そのまま裏付けられる証拠がボロボロ出てきたらしい。
幹部は全員逮捕。
被害者殺害の嫌疑については否認しているらしいのだが。
いずれにしても、被害者のいた会社にも調査が入っており。婚活サークルの実態や。それに被害者の本性を知って、絶句する社員が続出しているという。
文字通りの外道だから仕方が無いが。
それにしても、誰もどうしておかしいと思わなかったのか。
社長は話を全て聞くと、体調を崩して寝込んでしまったらしい。
なんと、五年後に被害者に社長の座を譲ろうと考えていたらしく。
あと五年で被害者が会社を乗っ取ろうと画策していたと知って、あらゆる全てに絶望してしまったらしかった。
今はメンタルケアの専門家がついているが。
信頼していた右腕に裏切られたようなものである。
社長の落胆は計り知れないだろう。
また、タチの悪い過激派フェミニスト団体の他にも、過激派のマッチョイズム信仰の団体も婚活サークルとは関係していたことが分かっており。
そういった団体に人員を供給していたことが判明すると。
被害者の所属していた会社の株価は、一日で22%下落して、ストップ安になる有様だった。
自殺すら疑わしい。
そう捜査一課が報道官を通じて、SNSに発表した事で。
誰も注目していなかった、この電車自殺事件が一気に話題になっている。
なお、会社の製品そのものは評判が良かったので、愛用者は多く。
非常に複雑な気分らしいコメントを、SNSで幾つも佐川は確認した。
ため息をつく。
どいつもこいつも身勝手だな。
そう思いながら、送られてきたSNSのデータを確認。
SNSには幾つか種類があるのだが、「雰囲気」が違うだけで中身は同じである。
基本的には巨大井戸端会議で。
その人員が違うだけだ。
良く〇〇〇〇〇〇〇は掃きだめだとか、〇〇〇〇〇〇〇はキラキラしている世界だとか、誤解している輩がいるが。
逆にキラキラしている雰囲気の奴は閉鎖的な風潮の陰湿な虐めの現場になっている事も多いし。
いずれにしてもはっきりしているのは。
一時期存在していた学校の裏サイトと同じで。
人間がその腐りきった本性をぶちまけている場と言う事である。
カスが本性を晒しているのだから、汚くなるのは当然。
雰囲気が如何に良くても、実際に丁寧に見てみると、それはクソの山だったというだけの事。
佐川からすれば、滑稽でならない。
いずれにしても、SNSの内容をしっかり確認するが。
やはりこれは暗号でやりとりをしていると見て良さそうだ。
幾つかの暗号表を見てみるが、微妙に違っている。
独自の暗号だろうか。
しかしながら、現在過激派フェミニスト団体程度に、そこまでのものを作るバックがいるとは考えづらい。
昔だったら分からない。
だが今は、巨大なバックを持つ団体があらかたその構造を暴かれた結果、著しく過激派フェミニズムというものが弱体化している。
むしろ非道の輩という事で、社会の敵とまで認識されている。
現在捜査一課が背後についている人権屋の正体を暴きに掛かっているようだが。
其所までの大物でもあるまい。
データをまとめつつ、マルチタスクで作業を進める。
幾つかの暗号を組み合わせたり、或いはもっと単純な事では無いかと考えながら調べていくと。
ある時点で分かった。
頭を掻く。
こんな簡単な事だったのか。
妙に会話が成立していなかったと思ったら、要するに削除した部分と順番が入れ替わっているのである。
更に一部の会話では、余計な言葉をたくさん含めて。削除部分で補ったりもしていた。
これは面倒くさい。
暗号会話としては確かに成立するが。
周囲からは、どうにも会話が下手な人間が、変なやりとりをしているようにしか見えなかっただろう。
だがそれこそが狙い。
カルトなどは、大半の所属者が馬鹿だ。
だが経営層などは極めて狡猾で、強力なブレインを置いている。
こういった連中は、宗教哲学などの知識を無駄に持っていることが非常に多く。
特に裏に強力な資本源がいるようなカルトだと、それこそ本職の学者が論破されて逆に信者になるようなケースもあると聞く。
要するにこれもそのケース。
馬鹿だと油断させておくのが一番良い。
そういう判断だったのだろう。
実に邪悪であるが。
こういうものなのだと思って、まとめをして行くしか無い。
仕組みさえ分かれば簡単だ。
ログを解析開始する。
そうすると、もはやこの過激派フェミニスト団体では、所属者を人間として見ていない事が分かった。
顔、財産、知能などから等級をつけ。
被害者が性欲を満たすための個体から、単純に働かせてむしり取るための個体までより分けており。
まるで家畜扱いだ。
それらを淡々とまとめていく。
反吐が出るような内容だが。もっと邪悪な犯人を幾らでも見て来た。だから、文字通りどうでもいい。
作業をある程度進めたところで、宮藤に声を掛ける。
そして宮藤に内容を見せた。
口をへの字につぐんでいる佐川。
宮藤は、笑顔を保ったまま、口の端を引きつらせているのが分かった。此処まで露骨だとは思っていなかったのだろう。
大きくため息をつく宮藤。
周囲がびくつくのが分かった。
駄目だよ。
それだと、昼行灯のフリがばれてしまうよ。
そう言おうと思ったけれど、咳払い。宮藤は正直な所、昼行灯のフリでもしていないと、自分を保てないのかも知れない。
しかし強い怒りを感じたとき。
非道の輩を見た時に。
やはり、刑事としての本能が蘇ってくるのだろう。
それは良いことなのだと思う。
佐川としても。まあ此奴くらいなら、下についても良いだろうと思えるのだから。
「ふー、ありがとう、佐川ちゃん。 これからおじちゃんは、捜査一課に軽く進捗を報告しておくから、そっちでも暗号解読を完成させておいて」
「らじゃですにゃー」
「……」
署の外に行く宮藤。
内部では、ちょっと自制心に自信が持てないのかも知れない。
佐川は、側でずっと打鍵をしている石川を見る。石川も、打鍵をしながら、それに気付いた。
「どうしたのー?」
「うん。 暗号は解除できたけれど、妙だなと思ってさ」
「?」
「犯人は誰?」
石川が口をつぐみ、手まで止めた。
そう。
過激派フェミニズム団体。過激派マッチョイズム団体。どっちもが、被害者である近藤とは利害が一致しているのである。
殺す理由がないのだ。
この外道は何度死んでも別にどうでも良い。
むしろ轢いた電車の運転手がトラウマとか感じたりするだろうし可哀想である。
今はそう思えてきている。
だが問題はそこでは無く、一体誰が此奴を、此処まで念入りに自殺に見せかけて殺したのか。
組織の内紛だろうか。
いや、考えにくい。
好き放題された恨みを抱いた者だろうか。
それも考えにくい。
過激派フェミニズム団体の方で、それについては処理しているだろう。同性に対して、非常に厳しくなる傾向があるのが人間だ。
過激派フェミニズム団体は、女性が殆どを占めていたが。体型が「男性好み(と彼女らには見える)」な同性や。彼女らとは思想が異なる同性の人間を「名誉男性」等とレッテルを貼って。むしろ男性より激しく攻撃した。
自分達にとっての金づるは人間と見なすが、それもあくまで金づるとして。
それが過激派フェミニストだ。
高梨に頼るしかないか。
ともかく、資料をまとめるまで一時間。
資料をまとめ終わると、高梨と、更に捜査一課にそれぞれ回す。捜査一課の方は、これで多分組織の解体にまで動くだろう。
そしてどのような事が組織内で行われていたのか、報道官は口にする。
これによって、エセとしか言いようが無いフェミニスト思想に染まったカルトが一つ潰れることになる。
まだ残っていたと言う事は、それだけ資金力が小さく、社会への影響が小さい団体だからで。
雑魚だから見逃されていたのに、これだけの事をやらかせば、まあ幹部は全員逮捕。会員もあらかた逮捕され、セラピーか何か行きだろう。
正直どうでも良い。
結婚制度が崩壊した結果、出現した鬼子がこの者達だ。
同類と等、死んでも思われたくないし。
関わり合いになりたくもない。
とりあえず一作業終わったので、眠りに行く。
脳をフルパワーで酷使したので、多少疲れた。他の人間だったら、数時間かかる作業を一時間ちょっとで終わらせたのだ。
これで充分だと思って貰いたい所である。
石川に寝る事は告げてあるので、もう後は特に何もする事は無い。
自分用の仮眠室に行くと、そのままこてんと寝て落ちる。
疲れが溜まっていたこともある。
眠りに入るのは、とてもスムーズだった。
佐川から、資料が送られてきた。
高梨は、少し寝起きが悪くて、バイタルを確認している最中だった。
何しろからだが無茶苦茶にされているのである。
毎日のバイタルチェックは必須。
場合によっては医師が飛んでくる。
今日は、具合は悪かったものの、そこまでバイタルはまずくなかった。だから、一応病院にデータは送ったが。
医者が来る程では無かった。
小さくあくびをすると、まずは佐川がまとめてくれた資料を見る。なるほど、そういう事か。
理解は出来た。
会員としてカルトに等しい団体に人間を売り飛ばし。
等級だの何だのを決め。
その内の幾らかを食い荒らしていたと。
こう言う人間を鬼畜と言わずしてなんというのだろうか。
別に怒りだの何だのは感じないが。
「男の甲斐性がどうのこうの」とかほざいている人間は、此奴の同類なんだろうなと高梨は思った。
まあ正直どうでも良い。
興味を持つほどの相手でもないという事がよく分かった。
被害者は死んだし。
このカルトは終わった。
今頃捜査一課が、全力で潰しに掛かっているだろう。逮捕者は相当数出るだろう。
だが問題は別の所にある。
犯人は、誰だ。
正直な所、この被害者を殺した事はもうどうでも良いではないのかとさえ思うのだけれども。
しかしながら、悪を殺した人間が、情状酌量の余地がある存在だとは必ずしも限らないのである。
この間の事件のように。
シリアルキラーを殺した人間が、更に危険なシリアルキラーだった、等というケースもあるのだ。
頭を切り換えて、犯人を見つけ出さなければならないだろう。
兎も角現在ある分のデータをかき集めて、犯人の人格構築に取りかかる。恐らくだが、彼処までしている以上、犯人と被害者はそれなりに関係があった人物であることは疑いようがない。
ならば、そろそろ犯人の人格を作り出せる筈。
データを取り込んだ後。
一度、犯人の人格を作り出す作業に取りかかる。
だが、どうにも上手く行かない。
やはりスカスカの人格が出来上がってしまう。
資料が足りない。
正確なイマジナリーフレンドを作るには、正確な情報が必要なのだ。
そして、犯人の人格は、まだ輪郭が少し出来た位、という感触である。
決定的な何かが足りない。
それが何なのか、分からない。
ともかく、スカスカの人格と、軽く話をしてみる。
話をしてみた結果、幾つか分かってきた事があった。
まず第一に、犯人は被害者に対して、強い怒りを覚えている。これは確定事項である。
かなり準備をして、被害者を抹殺している。
この過程で指紋含め一切残留物を残していない。
本職の殺し屋かとも思ったが。
それにしては殺し方がおかしい。
本職だったら、恐らくはだが。
そもそも死体を片付けてしまって、「行方不明」で事件が終わるようにしてしまうだろう。
そういうものである。
そうなると身内か、或いはやはり食い物にした相手か。
いや、どうにもそれもおかしい。
そもそも、被害者はどうしてやられる一方だった。
それなりに体格に恵まれていて、相応の力もあった筈。
そして肉塊になった被害者の調査は既に結果が出ている。睡眠薬などは飲まされていない事が分かっている。
要するにホームの端。
人のいない場所にまで被害者を呼び出し。
怪しまれずに被害者がついてきて。
誰も見ていない隙を突いて、被害者を気絶させ。
電車に放り込めるだけの体格がある人間と言う事になってくる。
だが、それが出来そうな人間には思えないのである。
催眠術か何かだろうか。
だが、アレは過大評価されていると聞く。そんなもので自殺に誘導できたら苦労しないだろうし。
何よりも、被害者の言動からして。
そんなものに引っ掛かるとはとても思えないのだった。
少し考えてから、宮藤に連絡を入れる。
「どうしたんだい、高梨ちゃん」
「犯人の実像がまるで分かりません」
「……そうか。 捜査一課も苦労しているようでね」
「其方にまだ資料はありませんか。 何か、とても大事な核のようなものが抜けているようです」
少し間が開く。
宮藤は、恐らくだが、スマホで捜査一課に話を聞いていたのだろう。
やがて、通話に戻って来た。
「捜査一課の方は、今例の過激派フェミニスト団体の逮捕で大わらわでね。 もう一つ関わっていた過激派マッチョイズム団体の方も、逮捕状を請求して団体の解体に動き始めているらしくて、手が足りないそうだよ。 悔しいが、此方にはしばらく手を回せないとさ」
「犯人がただ被害者だけを殺す人間ならまだ良いかも知れませんが……巧妙なシリアルキラーかも知れませんよ」
「それは分かっているよ。 おじちゃんの方でも、資料は集めているから」
「お願いします」
宮藤にしても辛い立場だろう。
此方としても、これ以上責めるわけには行かなかった。
一旦通話を切った後、今度は佐川にメールを入れておく。
あれだけの作業をやった後だ。
佐川は恐らく眠っているだろう。起きてから、メールを見てくれればそれでいい。
嘆息して、しばらく休憩をした後。
また犯人の人格を構築し、呼び出してみる。
話を聞こうとしてみるが、ほとんど唸り声のようなものしか上げない。人格が未完成過ぎるのである。
これではとてもではないが、情報など聞き出せないだろう。
ふと、連絡。
石川だった。
「いいかなー?」
「はい」
「今、そっちにデータ送ったから見てくれる?」
「分かりました」
今回、石川の物理演算能力は、正直必要ないと思っていたのだが。
資料を見ると、どうやって被害者が線路に落ちて、電車に粉みじんにされたかのシミュレーションだった。
それを見ると、やはり不可解である。
「この被害者、70s超えてるんだよねー。 こんなのを、こうも容易く放り投げて、それも気付かれないのはおかしいね」
「多分ボディビルダーとか、アスリートとか、そういう連中だと思いますけれど」
「その通りだと思うんだけれど、証拠もないし……何より捜査線上に、そういう人間が出てこなくてね」
過激派マッチョイズム団体の構成員も見た。いずれも筋肉信仰男根信仰を拗らせている連中で。
あからさまに被害者の同類。
被害者は、今時の男女の対立にかこつけて。こういった思想にはまりそうな奴を見繕っては。
婚活サークルを利用して、送り込み。
洗脳させて、手先にさせていた。
要するに人間を売っていたのである。
それはそうとして。実際にそんな過激派マッチョイズム団体の連中を見てみると。筋トレがどうの、肉体の健康がどうのと言っている連中に見えるのに。70キロを超える被害者を簡単に無力化して、線路の放り込めるような身体能力の持ち主は一人としていないのである。
「……なるほど、ありがとうございます。 これは資料として、活用させていただきます」
「うん。 今回はこれくらいしかできないから、ごめんねー」
「いいえ、充分ですよ」
いつも石川には助けられている。
これだけのものを用意してくれれば充分だと考えて、作業に取り組むしかない。
ため息をついてから、情報を再度取り込む。
そして、犯人の人格をイマジナリーフレンドとして呼び出すが。
あれ。
ピースがはまったか。
前よりも、多少人間らしい感触になっている
それだけじゃあない。
なんというか、普通に会話が出来るレベルにまでなっていた。
「あ、貴方は、だ、だれ、だれだ……」
「僕は」
もっとも大人しい人格を出して、それで対応する。
しばらく話してみる。
対応を急ぐのは悪手だ。
この犯人、思ったよりも、性格が穏やかかも知れない。
やがて、調整の甲斐もあり。
犯人が話し始める。
「そうか、あのバケモノは死んだんだ……良かった」
「貴方は何者ですか」
「私は……。 あのバケモノを、一番側でずっと見ていた者です。 昔から彼奴は、素の姿を隠して邪悪な行いを散々行っていました。 周囲の誰もそれに気付くことが出来ず、本当に様々な悪事が積み重ねられていきました。 あいつ、学生時代に同級生を自殺にまで追い込んでいるんです……その時も私は何もできませんでした」
何だと。
すぐに詳しく話を聞く。
涙ながら、犯人は話し始める。
周囲に一切合切ばれないように行われた、陰湿極まりない虐め。最初に弱みを握って、そしてその後は徹底的に嬲り倒した。
もしも誰かに言えば、ネット中にばらまく。
そうやって脅して、自殺にまで追い込んだ。
やがて葬式の日、体調不良と言う事で被害者は同級生の葬式に出向かなかったが。葬式の現場にカメラを仕掛けて。
すすり泣いている自殺者の遺族と、微妙な顔をしている同級生達を見て、ずっとゲラゲラ笑い転げていたという。
何しろ、被害者が根回ししたせいで。
自殺者はクラスから孤立していた。様々な悪い噂が流されて、何をしても良いと言う空気まで作られていた。
そんな空気の中で。
自殺者の家族は、転校も考えたが。
被害者は自殺者に対して、転校したら全てネットでばらすと脅しをかけていたため。それさえ出来なかった。
本物の外道。
そう、犯人は涙ながらに言う。
「私は、何もできなかった……」
「それをすぐには信じられません。 調査をして貰います」
「お願いします」
それから犯人は、色々な情報を話し始めるが。兎に角内容が細かくて、でっち上げたものだとはとても思えなかった。
しばらく話をした後、宮藤に連絡。
新しい情報が入ったことを告げると、宮藤は少し疲弊した様子で聞いてくる。
「被害者……近藤が学生時代に殺人をしていた!?」
「はい。 自殺ですが、自殺教唆といっても良いレベルの、極めて悪辣な行動です」
「資料を送ってくれ」
「分かりました」
昔は、時効というものが存在した。
だが、現在ではそれはなくなっている。
また「少年」による凶悪犯罪がいくつかおき。犯罪組織も、鉄砲玉として「少年」を使う事が増えた結果。
いわゆる少年法は撤廃され。
特に殺人などの凶悪犯罪の場合、大人と全く変わらない罰が降されるようになっている。
自殺などは特に丁寧に調べられるはずなのだが。
捜査一課は何をしていたのか。
調べて見ると、色々分かってきた。
どうやら被害者、いやもうクズ野郎と言い換えるべきか。クズ野郎近藤が子供時代を過ごした地区では、事なかれ主義が蔓延し。
学校側が、自殺者が虐めを受けていたことを察知しながらも、全力でもみ消していたらしい事が判明した。
しかも、である。
判明した生々しいワードの数々が、全て当時のログから出てくる。
自殺者にとっての「泣き所」は、決してそれが普通の人にとって泣き所になるかは微妙な所だが。
人にとって、何が悲しいか。
何が泣き所になるか。
それは分からないものだ。
何が好きか、嫌いかそれぞれで違うように。
クズ野郎はそれを的確に掴んだ上で。逆らったらネットにその泣き所を流すと脅迫し。そして気が弱かった自殺者は、以降は一方的なサンドバックにされた、と言う事だった。
別に驚くことではない。
人間は自分が正義であると確信すると、どんな暴力でも平気で振るう。
ましてやクズ野郎近藤は、実際に行っていた所業が所業で、その感覚……独善性も、平均的な人間を上回っていたようにも思える。
浮気は甲斐性などと口にするような輩である。
まあそれは、そうなのだろう。
連絡を折り返してきた宮藤は、本当に悔しそうに言う。
「出たよ。 どうやら、間違いないらしい。 こんなクズを、野放しにしていたとは……」
「学校にいた頃に、あぶり出せていれば此処まで被害は出なかったでしょうね。 事なかれ主義を貫いた当時の人間達の責任ですよ。 ましてや近藤は、この事件で成功体験をつんで、自分の独善性を更に肥大化させたのでしょう」
「死人は仏さん何ていう話もあるが、此奴は地獄行き確定だな……」
「……」
地獄があれば良いのだが。
そんなもの、あるとは思えない。
ともかく、更に情報を集めてほしいと頼むと、通話を切る。
疲れた。
ぼんやりと、SNSでの経緯を見る。
どうやらクズ野郎近藤の行為の数々が明らかになった事で、SNSが凄まじい炎上を起こしているようだった。
近藤がいた会社の社長は、はげ上がった頭を下げて謝罪会見を実施。
真っ青になっているその顔は、もう死人のようだった。
これは寿命を縮めたかも知れない。
会社の株は連続でストップ安をしている様子だ。既に、他の同企業が株の買収を申し出ているという。
この企業の作る製品は、実際に品質が高かったのだ。
一人のクズの為に、何もかも台無しにするのは惜しい、というのだろう。
SNSでは怒号が飛び交っていた。
「同級生を自殺にまで追い込んだクズを、どうして誰も見抜けなかったんだよ! しかもカルトに人間を売り飛ばしていただあ? そいつの墓の場所教えろ! ガソリンかけて焼いてやる!」
「まだ葬式やってないらしいぜ」
「ハア? 巫山戯んな! こんなクズに葬式だと! 葬式なんかやったら、火つけてやる!」
「馬鹿、犯罪予告になるから止めろ。 お前が逮捕されるぞ」
まあ、怒る気持ちは分かる。
実際高梨も、これは怒るだろうなとは思う。高梨自身は、人格八つを使い分けている事もあって、怒るという事自体がよく分からないけれど。
ただ、今まで学んできた人間を見る限り、怒るのは普通だろうとも思う。
だが、このクズ野郎が騙していたのは家族も一緒。
家族が迫害されるのは間違いだろう。
サイコ野郎の家族なんだからサイコ野郎に決まっているとか言うSNSの書き込みを見て。まあ平均的な人間はそう考えるだろうなと、高梨は苦笑していた。
3、暴かれる犯人
SNSが大炎上している中、警察が会見を開く。
クズ野郎近藤が起こした一連の事件についてのまとめである。
巧妙に社内の婚活サークルを利用し、多数の社員を過激派フェミニスト団体、過激派マッチョイズム団体に売り飛ばしていた。
そのやり方も極めて巧妙で。
元々魔境として知られる婚活業界の闇を見せつける事で、異性に対する強烈な嫌悪感を喚起させ。
過激派団体に行くように誘導する、というものだった。
クズ野郎近藤と、過激派団体のやりとりの暗号についても、全てが暴露される。
そして、過激派団体は幹部が全員逮捕。末端も逮捕され、事情聴取されている中で。クズ野郎近藤によって肉体関係を強要された者が多数名乗り出。その証拠も出てきたため、更に炎上はヒートアップした。
最初涙ながらにクズ野郎近藤が自殺などする筈ないと訴え出てきた家族は、相手が死者であるにも関わらず、離婚届を提出。更にクズ野郎近藤の両親すらも、息子を勘当する手続きを取ったと会見を開いた。
騙されていたんです。
そう、涙ながらにクズ野郎近藤の妻は訴え出た。
実際問題、クズ野郎近藤の「浮気は男の甲斐性」だのの言葉が出てきたこともあって、これに対して強くものは余り言えなかったようで。クズ野郎近藤の妻に対するバッシングは急速に鎮火していった。
それに対して、クズ野郎近藤に対しては、生前遡及して罪に問えという声がわき上がり、炎上は消える様子も無い。
ため息をついた宮藤が、連絡を入れてくる。
「これでも炎上の規模は小さい方だろうね。 新聞やワイドショーがまだ生きていたら、それこそ警察の不祥事だ何だと、鬼の首を取ったように喚いていただろうからね」
「そうでしょうね」
「それで、その後何か進展はあったかい?」
「……犯人について、分かった事があります」
宮藤が聞こうと、声を落とす。
高梨は、炎上するSNSの様子を見ながら。
少し躊躇った後、言った。
「今回の件は、近藤による自殺です」
「何だって……」
「正確には、近藤の第二人格による自身の抹殺です」
「……そうか。 詳しく資料をまとめて、もう一度話をしてほしい」
宮藤は混乱している頭を落ち着けるように、一度会話を切った。
無理もない。
誰だって信じられないだろう。
近藤の中にいるもう一人が。
もうこれ以上の凶行を重ねることを拒否して、近藤を殺した、等と言うことは。
クズ野郎近藤の中に、犯人が産まれたのはいつなのかは正確には分からない。
はっきりしているのは、十代の後半には既にいた、と言う事らしい。
クズ野郎の第二人格だとはっきり名乗った犯人は言う。
「私は、主人格に存在を気付かせないため必死でした。 あの狡猾な男は、普段は雑に見せかけて振る舞っていましたが、恨みは絶対に忘れませんでしたし、潔癖症の塊のような男でしたから」
「……」
「あれだけ浮気をして隠し子の一人もいなかったのはそういう理由からです。 私は彼奴の中で息を殺しながら、必死に彼奴をどうにかする機会を狙っていました」
「説得は考えなかったんですか?」
無理だと、犯人は言う。
まあそうだろう。
あれだけ独善性を肥大化させた、人間らしい人間である。
人間性は突き詰めるとクズになる。
人間であることが大して素晴らしくもない理由は、その辺りから来ているのでは無いかと、高梨は思う。
まあ、高梨は人間によって人間の枠組みから外された存在だ。
これくらい客観的な視点を得ないと、分からない事かも知れないが。
「あの男は、あらゆる全てを自分のためだけにあると思っていました。 全ての他人は金づるで、全ての女は性欲の発散材料。 何度か自分の娘さえ、舌なめずりして見ていたのを覚えています。 吐き気さえ感じました」
そんなのが、良く周囲に素顔を隠せていたものだと思うが。
まあそれも事実なのだろう。
薄皮一枚めくれば、人間など狂気の塊だ。
むしろクズ野郎近藤くらいは、まともな部類に入ってくる輩なのかも知れない。いずれにしても、もっと危険な輩は幾らでも見て来た。別に今更、驚くことでも何でもないと高梨は感じる。
そのまま、話を続けさせる。
これは人生相談では無い。
全て吐き出させた後。
決定的な証拠を、それぞれ吐かせるためである。
そうしないと、クズ野郎近藤の全ての尊厳を破壊した挙げ句、地獄に叩き込む事が出来ないからである。
存在の全てを否定され。
そしてもはや遺体さえ受け入れられず、無縁墓地行き。
それがクズ野郎近藤に相応しい末路だろう。
まあこれで地獄があれば完璧なのだが。
しかし、実際に地獄があるとは思えないのが玉に瑕である。
ただ、出来る事はある。
今まで勘違いされていたクズ野郎の化けの皮を全て引っぺがし。
歴史上に残る極悪人として、万人に共通する認識を植え付けることが出来る。
その事により。
昔、邪悪の権化とされた存在。例えば王莽のように。
その全てが否定されるのだ。
まあクズ野郎近藤の場合、王莽をも超えるクズなので、何一つ擁護できる所がないのが実に人間らしいと高梨は思うが。
「何か、貴方の存在は残しましたか?」
「……はい。 靴箱の隅。 時間を掛けて書いた手紙を仕込んでいます」
「!」
「すぐに調べてください。 このままだと、奴の私物は全て始末されてしまうでしょうから」
即座に宮藤に連絡を入れる。
そのまま、少し待った。
解析などで時間が掛かるだろう。
しばらくは、休憩して、進展を待つしかない。
それが体というものを一度完全に壊されている、高梨というこの身にとって辛い所だった。
ぐったりして待つ。
嫌な汗が大量に流れるが、ロボットアームが拭いてくれる。まともに体を動かせないのである。
殆どの日常生活業務はロボットアームだよりだ。
何度かロボットアームが寝返りもさせてくれる。
それは有り難いのだが。
それすらままならない体が口惜しい。
バイタルのデータを見る。
傷は塞がっているが、どうしても体を拭くときなどに痛みがまだ出る。欠損している体の部位は幾つもあるが、それらが時々幻視痛も起こす。
どうしようもないから、酷く苦しく。
我慢するしかない。
病院で、こんな酷い虐待された体は初めて見ると言われたけれども。それはいいから、さっさと直してくれとしか思えなかった。
治すではなく直す。
この辺りが、もう高梨は人間から外れている良い証拠だったのかも知れない。
疲れが多少は緩和されてきた。
体を起こして貰う。
そろそろだろうなと思ったからだ。
案の定、宮藤から連絡が来た。
「近藤の家の靴箱から、見つかったよ遺書か何か分からない紙が。 今までの罪が全て書き綴られてた。 自殺に追い込んだ生徒の名前も一致。 犯罪の記録も、事細かに書き込まれているね」
「それは、近藤の第二人格が、何十回にも分けて書いた告発です。 筆跡などは一致すると思うので……」
「ああ、分かっている。 すぐに鑑定が対応しているよ」
疲れ切った宮藤の声。
正義感の強い宮藤だ。
こんな輩の捜査に関わるのは、本当に消耗するだろう。
高梨はいつものことだから良いが。
宮藤はそれこそどうしようも無い。
「高梨ちゃん。 色々と汚いものを見せてしまってごめんね。 ましてやキミのやり方だと、人間のもっとも汚い部分を見る事になるだろう?」
「……」
「本当に済まない。 いずれ、何か礼をさせてくれ」
「……はい」
通話を切る。
そして、大きく嘆息した。
これでクズ野郎近藤は終わりだ。
しばらくSNSは大炎上だろう。本物の鬼畜外道の出現に、どいつもこいつも沸き立っているからだ。
人間は自分を正義と錯覚したときもっとも残虐になる。
クズ野郎近藤だってそうだ。
今まで見てきた大半の犯罪者だって皆そうだ。
自分を正義だと信じて疑わず。
邪悪の限りを尽くしてきた。
今SNSで沸き立っている連中も同様。
正義の棍棒で殴れる相手が出てきたから、血眼になって必死にぶん殴っている。そうすることで酔えるからだ。
自分が正義だという実感に。
暴力を幾らでも振るえる快楽に。
こいつらも同類だな。
そう思って、高梨は冷たい目でSNSの荒れ狂う有様を見つめる。そして、いずれ人格がしっかり形になったときには。
自分もこうなるのかと思うと。少し、寂しい気持ちになった。
佐川が起きだしてくると、もう事件についてはあらかた終わっていた。
あくびをしながら、概要をまとめに掛かる。
一目で概要は理解出来たので。
後は報告書を作るだけだ。
石川に手伝って貰う。
今回石川は、近藤とか言うクズが粉々になるCGを作るだけで仕事が終わった。故に手が空いている。
凄まじい勢いで、二人で打鍵をしながら、話をする。
勿論ブラインドタッチである。
「酷い事件だねこれー」
「まあうちらが担当してきた事件はどれもこれも最悪だったにゃー」
「まあそうだんだけどねー」
打鍵音を、側を通りかかった人間が驚いてこっちを見たりする。
今のPCの性能ならついて行けるが。昔のPCだったら、処理が追いつかなかっただろう。
ちなみに佐川の場合、マクロも多数活用しているため。
これでもたまに処理が追いつかなくなったりもする。
故に打鍵速度はある程度加減している。
その分開いた頭のリソースで、次の手を打ったり、お菓子が食べたいとか考えたりしているのだが。
敢えてそれを周囲に話す気は無い。
宮藤が声を掛けて来る。
「二人ともお疲れちゃん。 高梨ちゃんのおかげで事件の概要は分かったし、後は二人が報告書上げてくれればこの事件は終わりだね」
「お菓子ー」
「わたしもにゃー」
「分かってるよ、何が良い?」
宮藤にそれぞれ、ポッキーとじゃがりこと告げて。買ってきて貰う。パシリ警部補とか言われている宮藤だが、はっきりいって普通の捜査一課の刑事より出来る筈だ。石川は調整能力をありがたがっているようだが、佐川はむしろ人材の無駄遣いだろうと白眼視していた。
この辺り、頭が切れる石川とも、思想の齟齬が出て面白い。
誰もが同じに考えるようでは。
はっきりいって面白くもない。
さて、報告書は仕上がる。
宮藤に釘を刺されて、内容をダブルチェック。
今回は報告書だけなので助かる。
また、捜査一課も連携して動いてくれていて。
精神科医の判断も、既に出ているようなので。それも報告書に組み込んでおいた。
事件の概要はこうだ。
近藤は自殺である。
常日頃から近藤は「社会的に立派な人物」の皮を被り、悪逆の限りをつくしていた。そしてその全てを肯定していた。
会社内では婚活サークルを作り、未来のために恋人を探そうと人望を生かして行動しながら。
その実体は婚活サークルに出てくるような人間の実体を見せつける事で異性に対する憎悪を植え付け。
過激派思想団体に人間を売るための策だった。
この過程で多くの人間と近藤は特殊関係人(浮気相手)になっており。
また、弱みを握った相手からは、自分では無くこれら過激団体を利用して、大量の金銭を巻き上げていた。
更に社内では社長を合法的に殺すべく、長期的な計画を練っており。
五年後には自分のイエスマンで周囲を固め、会社に独裁体制を作る予定でいた。
それだけではない。
学生時代には、同級生を自殺にまで追いやっている。
その過程についても、既に全てが暴露されているので、それを資料に添付する。
文字通り、やりたい放題。
「社会的に善良な人間に見える」という点を利用して、近藤は悪の限りを尽くしていた訳だが。
それを許さなかった者がいた。
何かしらの切っ掛けで出現した第二人格である。
第二人格は第一人格の隙を見て、少しずつ犯した罪を告発する文書を作り、それを隠し。
そして隙を見て、ついに近藤の体を乗っ取ると。
電車に飛び込んだのだった。
これ以上、被害者を増やさないために。
事実近藤によって人生を滅茶苦茶にされた人間は三十人を軽く超えており、更に直接殺された人間もいる。
第二人格が近藤を止めなければ、更に被害が増えたことは確実であり。
もはやどうしようも無い怪物が、自由に暴れる事になっていただろう。
誤字修正を終えると、報告書を捜査一課に送る。
後は裁判で終わりだ。
近藤に関しては、殺人事件。自殺に同級生を追い込んだ事件について、裁きを受けて貰う事になる。
死者に対する裁判ではあるが。
この過程で、あらゆる全ての名誉が近藤から剥奪される。
捜査一課から聞かされたらしいが。
葬式も行われないそうである。
完全に自業自得でいわゆる草も生えない有様だが。
死体は適当に焼却して、無縁仏に放り込んでおくだけにするらしい。
海上葬とかで良いような気がするのだが。
まあ、十把一絡げにされた方が、近藤のようなクズには屈辱だろう。それで充分だと言う事である。
作業が終わった。
メールが届いたことも、捜査一課に宮藤が連絡して確認を取る。
その後は、ぼんやりと捜査一課から文句が来ないかを待つ。
多分大丈夫だろうが。
コレは待機時間だ。
その間に、色々と細かい雑事を片付けてしまう。
今回、石川の作業はとっくに終わっているので。
今までやった作業で見落としとかがないか等を、調べておく必要があるだろう。
しばしして。
不意に連絡がある。
捜査一課からだった。
宮藤が応じているが、何かミスでもあっただろうか。今までの資料をまとめて、そのまま裁判に出せるところまで色々調整しておいたが。
もしも捜査一課が何か手を入れて、裁判に負けたとしたら、それはこっちの責任じゃあない。
だから、リスクを避けるために、もし何かある場合は、捜査一課は此方に資料の修正を求めてくる。
今までには無かったが、そのケースがないとは言えない。
しばらくして、宮藤がスマホの通信を切る。
そして、首を横に振った。
「すまんね、少し席を外すよ」
「どうしたんですかにゃー?」
「近藤の第二人格について、どのような切っ掛けで生じたのかをどうしても裁判に盛り込みたいんだそうだ。 今までの報告書で充分だそうだが、それについてもし分かるようなら、高梨ちゃんに聞いて欲しいと言う事でね」
「へー……」
そんなのプロファイリングチームとかがやれば良い気がするが。
何しろ、近藤の第二人格は、資料をしっかり残しているのである。
それなのに、こっちにまた丸投げか。
ただ手を抜いているだけにしか思えないが。
石川が、珍しく捜査一課にフォローを入れてくる。
「まあまあ。 宮藤のおっちゃんもあれで捜査一課にいたし、捜査一課にも物わかりが良い奴はいるみたいだしねー」
「それでも怠慢だと思うにゃー」
「確かにその通りだけれども、多分忙しすぎて手が回らないんだよ」
また随分と優しい解釈だが。
まあいいか。
しばらく様子見をする事とする。
どうせ時間は掛かるだろう。残しておいた菓子を頬張りながら、チェックをして行く。また報告書にけちをつけられてはたまらない。
第二人格が生じた時期なんてそれこそどうでもいいだろうに。
そんな事のために時間のロスをするくらいなら、別の事件の捜査でもしていろと、内心でぼやく。
捜査一課は暇ではない、激務の部署だと聞いている。
だったら、少しでも時間を短縮する工夫をすれば良い。
今も、数件の事件を平行で処理しているはずで。
そんな状態で、一体何をさせているのか。
しばしして。宮藤が戻ってきた。渋面を作っているところからして、あまり良い気分がする話では無かったのだろう。
ため息をついてデスクにつく。
話しかけづらい状況だ。
しばしして、宮藤は顔を上げずに言う。
「二人とも、高梨ちゃんから資料が来ると思うから、それでさっきの報告書に追加しておいて」
「分かりましたにゃー」
「了解ですー」
疲れ果てている様子であることに対しては、何も言わない。
少し休むと言い残して、そのまま仮眠室に向かう宮藤。
周囲の警官達が、ひそひそ話しているのが分かった。
聞き耳を立ててみると、どうやらストレスが大変そうだとか、難事件で苦労していそうだとか、部下が生意気で胃が痛いんだろうとか、好きかって言っている。まあ放置でかまわないだろう。
それこそどうでもいい。
やがて、専用のVLANから大容量のファイルが送られてきた。
音声ファイルも入っているので、ヘッドフォンをして内容を確認。
これについては、IQが高い佐川の仕事だ。
やりとりを聞く。
しばしして、内容は完全に理解出来た。
「どう、佐川ちゃん」
「……胸くそな話ですにゃー」
「というと?」
「例えば世間一般では、こう言うとき罪悪感の残りのひとかけらがとか、そういう事情を期待するですにゃー」
頷く石川。
佐川も、此処までのクズだとは思っていなかったので。第二人格は、わずかに残った罪悪感が……とかいう展開をほんのちょっとは期待していたのだが。
結果は、違った。
近藤と、第二人格と。高梨は話をして、それで結論を出していたのだが。
どうも近藤が一度階段で足を滑らせて、頭を打ったことがあるらしい。
その場で死んでいれば良かったのにと想うが。
兎も角。
その時、第二人格が産まれたようだった。
要するに、近藤というクズは。
産まれてから死ぬまで、自分がやっている事を正しいと信じて微塵も疑わず。そしてそれでいながら自分を妨げる者を悪と見なし。更に何もかもを好き勝手に陵辱して良いと、己を全肯定していたと言う事だ。
罪悪感などかけらも無し。
勿論人間にはそういう性質があるのは周知の事実だが。
それにしても、限度というものがある。
サイコ野郎というのは、こういう奴のためにある言葉ではあるまいか。
クズからサイコ野郎に格上げである。
ただ、高梨は無感動だったが。
或いは人間なんてこんなものと、割切っているのかも知れない。
高梨の異能から考えて、ロクな人生を送っていないのは確定だし。そう割切られるのも無理は無いかも知れないが。
それにしてもこれは度を超している。
こんな輩が野放しになっているものなのだなと、ため息をついた。
第二人格が全力を出して、自殺していなければ。
本当に、どれだけ被害が拡大していたかは分からないだろう。
いずれにしても、客観的証拠なども集める。
医療記録などからも、確かに証言がある傷が残っていることを確認。
良心を持った第二人格は。
第一人格の罪悪感などでは無い。
ただの外傷で偶然産まれただけのもの。
そう報告書で断言すると、捜査一課に送り返した。
疲れた。
宮藤が戻ってきたので、状況を報告。
疲弊しきった様子の宮藤は、何かあったら呼ぶので休んで良いと言ってくれた。言葉に甘えることとする。
それにしてもだ。
津山事件の都井睦雄でさえ、村八分が原因でスプリーキラーとなったと言う現実があるのに。自分を村八分にしなかった村人には手を掛けなかったという仁義があったというのにである。
社会的に認められ、「理想的な社会人」とされていた近藤のこのおぞましさはどうだ。
邪悪さで言えば確実に都井睦雄以上である。
こんなのが、多分社会にはまだまだ大勢潜んでいて。
弱者を食い物にしながら、好き勝手にのうのうと過ごしているのだと思うと反吐が出る。
単純に表に出ないだけで。
実際には声も上げられず、闇に葬られていく人も多いのだろう。
こんな生物を野放しにしていて良いのだろうか。
そう、佐川は思う。
ふてくされて、布団に入る。
タチの悪い夢でも見そうだけれども。
はっきり言って、今は他人の顔を見たくない。
布団の中でパジャマに着替えると、速攻で眠る。
もう、しばらくは。
何も考えたくなかった。
4、地獄は存在した
高梨は、自宅でぼんやりと中継の映像を見る。
昔だったら、ワイドショーとかで自称識者やらがああだこうだ好き勝手をほざいたのだろうが。
今はただ、裁判所側が提供する映像が、淡々とSNSに流れるだけである。
それはそうだろう。
昔は右派やら左派やらの思想に染まったマスコミが、それぞれの思想を織り込み歪めた内容の報道を好き勝手に行い。
特権階級と自分を錯覚して、情報をねじ曲げにねじ曲げていたのだから。
どのような裁判内容でも国が勝ったら暗黒裁判とかいう見出しで号外を配ったり。
凶悪殺人犯でも、自分の新聞と思想が似ているとか、縁者がいるとかの場合は、報道を露骨に抑えたりと。
まあ紙屑以下の事をやらかしていた。
だから、どんどん信頼を失い。
今ではもはや一部の老人向けにスポーツ新聞が細々と発売されているだけで。それも売り上げは雀の涙である。
裁判は近年極めて簡略化されており。
殆どの場合、どれだけ複雑な事件でも一ヶ月と掛からない。
AIがそれだけ進歩して、裁判の過程がスピーディになっている事や。
今まで散々起きていた無駄を排除した結果である。
また、異常な知識を要求された弁護士という仕事も、今は以前に比べてかなり変わっており。
その多くを、法についての知識をインプットしたAIが処理している。
まあ、膨大な法を丸暗記した人間同士が、不毛な自己解釈で争うよりも。
AIがそれを担った方が遙かに早い。
このAIはいわゆる複層構造になっていて、中枢部分に至っては自己生成する仕組みになっており。
人間が悪さを仕様が無い代物になっている。
故に、超高速で、今まで下手すると年掛かっていた駆け引きを処理する。場合によっては数秒で終わる。
人間の裁判官にも、AIによる監視がつき。
あまりにも不公正な判決が出た場合は、ストップが掛かるようになっている。
人間が以前の裁判所に比べると、四分の一くらいしか関与しない。
それが現在の裁判である。
「それでは、被告近藤又彦についての判決を言い渡す。 被告は既に自殺しているが、生前被告は殺人事件、多くの人身売買を行っており、それらについての判決を言い渡すこととなる」
傍聴席も、今は殆どカメラである。
ヤジが飛ぶのを避ける為、というのもある。
このため、警備員もあまり多くは配置されない。
高性能の警備用ロボットが配置されており、何かあった場合は即座に無力化を行えるからだ。
よくドラマとかで、裁判所から犯人が逃げるものがあるが。
この高性能ロボット、人間の反応速度の五万倍を超える速度で動くため、人間なんぞが絶対に逃げられる相手では無い。もし犯人が不審な動きを見せたら、瞬時にあらゆる無力化手段が採られて終わりである。IQが300あろうが400あろうが絶対に逃げられない。
宇宙開発の技術を応用して作られたもので。
戦争が殆ど無くなった今、各地で活躍している技術だ。
「被告近藤又彦は終身刑。 殺人一件、人身売買二十七件は非常に重く、情状酌量の余地はなし。 極めて独善性の強い邪悪な犯行であり、減刑は考えられない」
裁判官がきっぱり言い切る。
死刑がない現在。
事実上の最高の罰である。
弁護側は異議を申し立てない。
まあそれはそうだろう。
弁護のしようが無いから、である。ぐうの音も出ない。どんな凄腕弁護士でも無理だろう。
SNSも盛り上がっていた。
「近藤の野郎、墓も作られないってよ。 葬式もなかったらしい」
「まあそりゃあそうだろうな。 本物のクズだしな。 死後だが離婚までされたって話だろ。 親からも勘当されたんだっけ」
「出来れば生きたまま切り刻んでくれれば良かったのにな」
「電車に轢かれてバラバラになったんだから、それで我慢しろよお前ら……」
好きかって言っているが。
近藤の妻や子供達、親。それに会社の人間に対しての批難や攻撃などの言動はほとんど見られなかった。
近藤自身が、強烈な独善性の持ち主で。
何一つ自分にとっての行動は悪では無いと考えていた事が暴露されたことが原因であるだろう。
親も妻も子供達さえもそれに気付けなかった。
人間は基本的に見かけでしか相手を見ない。
それが。その愚かしい性質が。今回のような怪物を育て上げたのだ。
とはいっても、高梨はいつも近藤の同類を見ている。
流石に此処まで独善的な奴は珍しいが。
それでも今まで見てこなかったわけでは無い。
裁判所の外の映像が映る。
昔のような、暗黒裁判だとか紙を持って走るアホは映っていない。アレも、一体何の目的でやっていたのやら。
さて、此処からだ。
近藤の人格を出して、今の結果を見せてやる。
近藤は、凄まじい雄叫びを上げていた。
「ふざけるなああああっ! 俺が、俺が終身刑だと! 俺は善人だ! 何もかも、間違ってはいない!」
「黙れ」
ぴたりと近藤が黙る。
喉が痛いので、黙らせた。
イマジナリーフレンドに対して、高梨は絶対と言っていいレベルでの主導権を握っている。
もしも消そうと思えば即座に消す事も出来る。
体を貸してやることは一切無い。
まあ、口だけは貸してやるが。
それも喋る事だけだ。
しばしして、相手の口調を抑えた上で、また喋らせてやる。
「妻が俺と離婚しただと! あれだけ可愛がってやったのに、恥知らずの淫売が……!」
「親も貴方を勘当したそうですよ」
「ふ、ふざ、ふざけ……っ!」
「そして誰もが貴方の事を弁護しない」
猿のような奇声を上げようとした近藤だが。
喉の負担がまずいので、黙らせる。
クズ野郎は最後までクズ野郎か。
本物は木っ端みじんになって死んだ。
だから完全コピーした心には、しっかりとこの結末を見せてやるのが良いだろう。そう思ったのだ。
悲鳴を上げてもがく近藤。
本当に、自分は常に全面的に正しいと考えていたのだと分かる。実に人間らしい人間である。
人間でありすぎるが故に。
その本質は、こうだったというわけだ。
「ほら、見ておくと良いですよ。 貴方の今の姿だ」
「……!」
バラバラになった肉塊が、焼却処分され。
無縁墓地に雑にばらまかれる。
悲鳴を上げながら、何とか喋ろうとする近藤だが、させない。
此奴にとって一番の罰は。
此奴の全否定。
それを見せつけ続ける事だ。
今までの業績、肩書き、その全てが否定される。近藤が所属していた会社では、近藤の私物を始めとした全てが、捜査一課に提供され。在籍の記録なども全てが抹消処置されていた。
まあそれは当然だろう。
更に会社そのものが同業の別会社に正式に吸収合併されたが。
普通に、会社の役員は。
近藤が手下にするべく仕込んでいた連中以外。
全員が、普通に手篤く受け入れられていた。
それを見て、近藤はもはや、泡をふくしかないようだった。
「最後に、貴方がどう死んだのか見せてあげますね」
「や、やめ、やめ……!」
「やめません」
すっと、画像を出す。
それは、石川が作ってくれた、近藤が死んだときの映像。極めてリアルなCGによる再現映像だ。
びくりと一瞬だけ体を震わせる。
第二人格が、周囲に誰もいない機会を、ずっと狙っていた。
そして、第一人格を乗っ取ったのだ。
ついに罪悪感など持たず。
ただ頭を打ったときに偶然に生じた良心。
それが、この人間らしすぎて人間の極限悪を極めた怪物を。
地獄に落とさなければならないと決意した。
靴を揃えると、電車が来るのと完璧なタイミングで飛び込む。
そして、その肉体は。
電車の車輪によって、木っ端みじんに打ち砕かれたのだ。
絶叫した後。
近藤は静かになった。
近藤のイマジナリーフレンドは、その場で解体する。後はうっすらとした意識だけ残して、深層心理に沈めてしまう。
其所には、多数の犯罪者の意識が埋もれている。
正に、地獄と言うのに相応しい。
もっとも地獄に近い場所だ。
本物の地獄は無いかも知れない。
だからこそに、近藤のようなクズには、もっとも地獄に近い場所に落ちる必要があるのだろう。
故にこの処置を準備し。
実行した。
溜息が漏れる。
誰も幸せにならない事件だった。
やはり人間という生物に、根幹的なレベルで欠陥があるとしか、高梨には思えないのである。
近藤は人間だった。
クズ野郎だったが、誰よりも人間であり。故にあのような究極レベルのクズ野郎となったのだと高梨は判断している。
そして、偶然第二人格が生じなければ。
奴が裁かれることは無かっただろう。
人間とはくだらないな。
高梨はそう思う。
一度人間から完全に外れた高梨であり。
客観的に人間を見られるからこそ、そういう結論も出てくる。まあ、正直どうでも良いことだ。
ともかく生存できればいい。
そのためには、捜査一課からの仕事を、黙々とこなしていくだけの事である。
連絡が来る。
宮藤からだった。
また、新しい仕事だろう。
連絡を受けると、やはりそうだった。
詳細を聞いていく。
次もまた、面倒くさい事件になりそうだった。
(続)
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