そこにいてそこにいない友達

 

プロローグ、事故現場と異質な者達

 

あまりにも悲惨なその現場を見て、吐き気を催す者もいた。人の死臭は独特で、どうしてもこれは仕方が無い部分もあるのだ。

腐敗した人体。

散らばっている。

しかも家の中。周囲は既に虫の死骸だらけ。現場検証が始まっているが、慣れている警官も顔をしかめていた。

近年この国の警察は仕事をしないと咎められることもあるが、こういった現場での調査能力に関しては。この国の警察は図抜けたものを持っている。

それは分かっているが。

これはどうにもならないな。

あくびをしながら、遠隔で状態を確認していた宮藤寿一郎は思っていた。

現在41歳。警部補になる彼には何人か部下がいるのだが、その一人に連絡をする。

なお、現場には別の警部補が行っているが。

既に不自然な案件と言う事で、宮藤の所に連絡が来ていたのである。

表向きは警察内にある交通事故関連の部署なのだが。

宮藤がいる部署には三名の部下が配属されており。

勿論実際の任務は違っている。

オカルト関係では無い。

論理的に物事を分析するための部署である。

なんで交通事故関連の部署なんかにしているのかというと。これがまた、色々と面倒な事情があるのである。

この国の警察のガンは言う間でも無く無能なキャリア組だが。

近年、凶悪犯罪の複雑化に伴い、このキャリア組の干渉による事件解決までの長時間化が問題化され。

その結果、こういうキャリアに手を出させない妙な部署が幾つも作られたのである。

宮藤は見かけ以上に老けていると言われる、警備員でもしていそうなおっさんであるが。

一応順調に出世して、年齢相応に警部補になった人間だ。

だが、昔から噂はあったという。

まあ馬鹿馬鹿しい噂だが。

現場に出向いているのは、現在26歳の若手警部補。警察学校を出て、キャリアになった人間だが。

おろおろするばかりで、死体と腐臭と無茶苦茶な状態にどうにもならず、部下の邪魔になってさえいた。

挙げ句怒鳴り散らかして、さっさと鑑識を呼べと吠えると、事件現場を出ていく始末である。

まあこれではどうにもならないか。

なお事件現場は高級マンションの一室。

鑑識が入ってくると、すぐにてきぱきと死体の回収を開始する。同時に殺虫剤を掛けて蛆を殺し、袋に放り込んでいた。

知っている人は知っている知識。

死体に沸いている蛆の大きさと季節によって、死亡推定時間が分かる。

鑑識にとっては蛆は存在そのものが有り難いのだ。

というわけで、蛆が沸いているのを見るとむしろ喜ぶ鑑識もいるらしい。

頬杖をついてぼんやりしていた宮藤だが。

やがて声を掛けられていた。

「クドウ警部補ー」

「へいへい……」

声を掛けて来たのは、警官になったばかりの若造、てか小娘。石川能野子である。

普通だったら交番勤務とかになるのだが。此奴は宮藤の下に配属されてきただけの理由がある。

まあ此奴にしても、経歴はまともじゃない。

色々この国の警察はなるために条件が必要で。普通だったら弾かれていたはずの者だ。

それがこんな所。キャリアの干渉を受けない部署にいるのには理由があるのである。

なお、一応二十は超しているのだが。高校生とよく間違われるそうだ。

「さっそく見て来ましたけれどー、ありゃあ駄目ですねー」

「そう。 どう駄目なわけ」

「まずですけど、殺しのやり方が普通じゃないですわ」

此奴の特技。

それが、空間把握能力である。

死体がどう倒れていて、周囲の状況を見る。それだけで、どう死んだのかを一目で当てて見せるのである。

それが山奥に倒れていた死体だろうが、マンションで干涸らびていた死体だろうが、同じ。

理由は、どう死んだのかを脳内で再生する事が出来るのだ。

何でも話によると、十代の前半から何とかエンジンだとかを使ってゲームの物理演算をやっていたらしく。

どういうふうにものを動かすと、どんな風になるというのを、頭の中で完全再現出来るのだとか。

ゲームなんかも作っていたらしいが。

クソゲー作成者として有名らしく。

そっちの方の腕はさっぱりだそうである。

その代わり、何とかエンジンとやらを使っての物理再現能力は、わざわざ計算させなくても完全一致させるレベル。しかも、プログラムを散々弄くっていたからか、計算の方も普通に高等数学を使いこなす。

ぶっちゃけ、キャリアになるための勉強だけやっていたようなキャリアよりも、ずっと頭もキレるし、知識もある。

こういうのをやっとこの国は、2030年代から抜擢できるようになって来たのだが。

既に遅かった、というのが宮藤の本音である。

「つまり殺しで確定だな」

「それも第一級殺人」

「続けて頂戴」

「へいへい」

さっそく、速攻で再現したとか言う映像を出してくる。人型は何かのゲームのキャラらしい。

そのゲームはライバルが作ったらしいのだが。とにかく売れることだけに特化しているゲームなのに売れて。自分のは細部まで凝ったのにクソゲー呼ばわりされたことが相当に頭に来ているらしく。

現在でもそのキャラで必ず殺害現場の再現をする。

まず売れることが大事なような気もするのだが、それは禁句なので黙っている。

再現映像を見る。何だか不自然に被害者が転倒。

そのまま頭を打って死んでいるのだが。その衝撃で、頭を打った「何か」が弾き飛ばされている。

その後はエアコンを入れる事で、死体の腐敗を加速させ。

バラバラのグチャグチャになるのを早めた様子だ。

「この様子だと死亡時間も意図的にずらしていますね−。 それもエアコンの電源が自動的にきれるように、此処で細工もしています」

「……」

どうやら外を通りながら、強めのリモコンを使ってエアコンを消しているらしい。

死体が腐敗するシミュレーションを行いながら、同時にそのタイミングまで指定している。

大した物である。

即座に科捜研にこのデータを送り。

更にエアコンの電源が途中で切られていることも連絡しておく。

この辺りは、もう色々と面倒くさいのだが。

科捜研の方でも、古典的な解剖だけではなく。こういった独自の作業を別チームで手分けすることによって最終的な工数は減っているので。

それはそれでありがたがってくれる。

うるさがっているのはキャリアども。

連中は出世することかしか考えていないし、昇進試験のことばかり考えている。

だから自分達がコントロール出来ない部署のことは常日頃から疎ましく考えている様子であり。

隙あらば潰してやろうと思っているようだった。

うちの国の警察の調査能力は決して低くないのに。

キャリアが半分以上足を引っ張っているようなものなのだが。

なんというか、面倒な話である。

続けて、あくびをしながら姿を見せるのは、石川の友人。

変わり者には変わり者の友人が出来る。

この部署に出入りしている変人の一人。一応名目上は部下の一人。正式には警察の協力者となっている。

佐川響子である。

石川とは五つも年が離れているのだが。そもそもゲーム友達というのは、それくらい年齢が離れていても不思議では無いらしい。

学校は大丈夫なのか不安になるが。

そもそも親が両方とも共働きの上、子供に金だけ預けて自分達で好きかってしているようなネグレクト親である事。

家に帰ってもお手伝いさんしかいない事。

何よりも学校での成績は抜群で、出席日数がぎりぎりな以外は、殆どテストでは100点をとっている事。

体育も例外では無い。

運動をしている様子は無いのに、天性の才覚が運動神経ではものを言ってくるのだけれども。

此奴の場合、それである。

普段から昼寝ばっかりしているのに、運動神経が抜群な此奴を見て、複雑な顔をする運動部の人間は多いらしく。

学校にも出来るだけ行きたくないそうである。

何回かタチが悪いのに喧嘩を売られたこともあり。

今では石川の家で一緒に暮らしているのだとか。

家事の方が壊滅的な石川の手伝いをして、上手に役割分担をしているらしく。

いわゆる同性愛者ではなく、一種のシェアハウスとして生活しているようで。

まあその辺りは、よう分からない所だ。

「何−。 事件ー」

「ほら、パジャマ脱ぎかけてる」

「んー」

署内では、いつも保護されてきている問題児とか、可哀想な子とか認識されているらしいのだが。

佐川のオツムの出来は尋常では無く、高等数学をその場で暗算で解くレベルである。両親はどっちも金を持っているだけのボンクラらしいので、恐らくはいわゆる突然変異的な高IQの持ち主なのだろう。

パジャマから、何だか石川の謎美意識で選ばれた変な服にお着替えさせられてから再登場した佐川は、あくびをしながら、石川が組んだシミュレーションの席にちょこんと座る。

一応十五らしいし、背丈もあるのだが。

とにかく童顔なので、非常に見ていて心配になってくる。

神速で打鍵して、一瞬で色々動かして、マクロまで操作した挙げ句。

ふーんと頷いたときには全てを把握している佐川。

そのオツムの一割でも、キャリアの連中に分けてやって欲しい位である。

「これ普通の犯人じゃないねー」

「そうだよねー。 怨恨はあるんだけれど、それにしては冷静だよねー」

「だにゃー」

何だか頭が痛くなってくる会話だが。

とりあえず。咳払いをして話を聞いてみる。

「で、二人の見解を聞かせてくれる? こっちとしても色々とこれから報告しなければならないのよ。 おっちゃんの辛い所でね」

「ポッキー」

「じゃがりこ」

「分かった分かった、買ってきてやるから」

そんな菓子で事件が解決できるなら安いものである。使いっ走りにされている事にはあまり抵抗は無い。

というか。

こういう抵抗がない性格だから、この部所に来て。

此奴らのような扱いが普通厳しい連中を任されたのである。

普通のおっさんだったら、「社会人としてどうのこうの」だとか、「まなーがどうのこうの」だとか喚きだして、絶対にこういう異能持ちとはやっていけないだろう。

そのまま、菓子を買いに行く。

大変そうだなと、周囲の警官達が見ている。

案の定「パシリ警部補」とか渾名を付けられているらしいが、別にどうでも良い。

この部所に来てから、バケモノどもの世話をするだけで、幾つもの事件が即時解決しているし、未然に防げているケースさえある。

それだけ多くの犯罪が解決に導かれているわけで。

警察としての仕事がこなされている。

幾つか法にこっそり抵触はしているが、その代わり多くの事件が解決している実績はあるのだし。

大体佐川のような異能の人間、普通の会社で使いこなせる存在では無い。

パシリと呼ばれようが。

実際パシリをしようが。

事件が解決できるならそれでいい。

大人としてのプライドはどうの、刑事としてのプライドはどうの。そういう寝言は聞き飽きている。

まず事件を解決し。

犯罪を防止し。そして犯罪を的確に法曹の裁きにゆだねるところまでが警察の仕事である。

それをする事が、殆どの国では実際問題として出来ていない。

現在でもそれは同じで。

比較的マシなうちの国でも、それは同じなのである。

だったら、プライド云々を口にするよりも。まずはあらゆる手段を用いて、犯罪を減らし。犯罪を防がなければならない。

警察以外でも、やっと彼方此方で改革が動き出していて。キャリアが全権を握るようなやり方から、切り替えているらしいのだが。

それはそれだ。

菓子を色々買ってきてやると。

わいわいと二人が報告書を作っていた。

基本報告書ってものは、何度も見直しが入るのが普通。そういう面倒くさいことこの上ない代物なのだが。

この二人は数度でコツを掴み。

今では一発で完璧なものを仕上げてくる。

キャリアの連中は、いつもけちをつけようと色々目を光らせているのだが。その隙も存在していない。

完璧はこの世にはないが。

此奴らは、完璧に限りなく近いものを作って来る。

「とりあえず当面の報告書はこれでよさそうだねー。 後は犯人の動機とか」

「そうなるとあの子に連絡しないといけないにゃー」

「……面倒だな。 おっちゃんに頼もうか」

思わず笑顔のまま固まる。

「あの子」というのが、とびきり面倒くさい相手だというのを知っているからである。パシリ警部補と呼ばれて久しいが、まあそれも仕方が無いのだろう。

幾つか警察に特殊な部署が作られて、公にならない状態で稼働をしている今の時代。

昔も公にならない特殊部所として、SWATなどが存在してはいたが。

それが更に増えた形になる。

全く役に立たないばかりか、スポンサーの意向に沿って文字列を垂れ流すだけになったマスコミ。

巨大井戸端会議以上でも以下でもなく、無責任に大量の情報を垂れ流しているSNS。

どっちも変な情報を流すと、一瞬で大惨事になるご時世だ。

警察側としても守秘的にならざるを得ず。

そしてたまたまそれが上手く行った。

今後は、合法的にシフトして行く必要があるだろうが。

それでも過渡期として、面倒くさい部署をまとめていかなければならない。

今後更に世界の情勢が面倒くさくなるのは避けられないし。

そもそも警官としての責務を果たすことよりも、出世することを考えているようなアホ共がのさばっている時点で、どうにかしなければならないのだから。

ため息をつくと、菓子を差し入れ。

大喜びで貪り喰い始める欠食児童共。

これでも片方は公式で警官なんだが。何をやっているのか、本当に頭が痛くなってくる状況である。

ため息をついてから、話を聞く。

「とりあえず犯人の動きは分かりましたけれど、これ知り合いではあるでしょうけれど、現状では多分決定打が見つからないと思いますね。 足で探すのとあわせて、「あの子」に見解を聞いてください」

「またあの子ね……」

「しょうがないにゃー」

「……ハイハイ、分かってますよ。 それと菓子はそれだけで充分かな?」

揃って頷く部下二人。

頭を抱えたくなるが、それでもやるしかない。

大変そうだなと見送る他の警官達。警官の手が足りないのは何処の部署も同じ。哀愁を背負ってパシリをしている警部補を見て、可哀想と感じる心が残っているだけでもまだマシだろう。

最近はめっきり頭の毛も薄くなってきている。

昔はこういうおっさんでも結婚出来たものだが。

結婚しない人間がどんどん増えている今、もう結婚している方が珍しい、という時代が来ている。

宮藤も例外じゃない。

家に行っても寂しいだけだ。

そもそも、来期の国会で「人工児童育成法」が審議に掛けられると聞いている。

育児用の無人システムが開発成功した事で、遺伝子を無作為に掛け合わせて子供を作り、育成する法だ。

世界中で誰も結婚のリスクを嫌がって人間がどんどん減っている。

それに歯止めを掛けるための法律である。

まあそれも別に良いだろう。

マスコミが散々煽った事もあるが、確かに結婚は人生の墓場なのかも知れないのだから。

外に聞かれるとまずい電話などをするための部屋が警察署には幾つかあるが。

その一つに入ると、スマホを操作して連絡を入れる。

しばしして。

相手が出た。

宮藤の部署の三人目の部下。

そして最も扱いづらい部下。

そもそも警察署にすら出てこない。部屋に出向いた事はあるけれど、中に入れてくれたことさえない。

性別も不明。

噂によると人間では無いと言う説すらあると聞いている。政府が作り出した生物兵器だとか。或いは実験的に作られた超高性能AIだとか。

どっちにしても、事件が解決できるならそれでいい。

「宮藤です。 元気にしているかい、高梨くん?」

「微妙」

「そうかいそうかい」

声が電子合成音なので、相手が何者なのかさえ分からない。警察がどういう経緯で此奴を雇ったのかさえ、宮藤は知らされていない。

いずれにしても、此奴はちょっと代わった方法で人間を推察していく。

頭の中に。犯人を友達として作るというのだ。

幼児が行うイマジナリーフレンドというものがあるが。

此奴に関しては、そのイマジナリーフレンドを自分の任意に、しかも自在に作れるというのである。

しかも作った後は殺したりせず、一緒に遊ぶというのだから狂気じみている。

頭の中に事件の度に人格が増えるようなものではないかと不安になるのだが。

本人曰く、必要なければ眠らせるだけらしい。だから安心なのだとか。さっぱり意味が分からないが。

軽く事件について話し、そして対応を仰ぐと。

ごく短い答えだけが返ってきた。

「了解。 データだけ例のメールに送って。 それで解決する」

「分かった分かった。 頼むよ今回も」

ぶつりと電話が切られる。

深い溜息が出た。

だが、この子が警察の最終兵器なのもまた事実である。そして現在、こういった通常の捜査では対応出来ない事件に対応するための部署が知っているだけでも七つある。その全てが、高い成果を上げている。

宮藤はやる事を終えたので、しばらく仮眠でも取る事にする。

どうせ、高梨。同じ「たかなし」でも、小鳥遊ではなく高梨の方らしいが。高梨が結論を出すまでは、こっちで出来る事はなかろう。

昔はこれでも捜査一課にいたこともあるのだが。

今ではすっかり問題児共のおもりが仕事となっている。

何だか悲しいが、それでも大丈夫だし。問題児どもを好き勝手にさせつつ、成果を上げているからこの部署にいるし、相応の給料だって貰っている。

何より、事件解決をすることで、警官としての仕事はできている。それ以上に何を望むというのか。

はげ上がりそうなストレスを我慢すればいい。

それだけでいいのだから、まあ楽な方である。

現場の警官達が、足で稼ぎ、聞き込みをし、場合によっては危険な犯人と直接相対しなければならない事を考えれば楽なものだ。

とりあえず犯人に対してああでもないこうでもないと話している部下共を一度帰らせる。高梨から連絡が来ない限り、進展はないのだから。

そして宮藤は仮眠室に出向くと、寝る事にした。

人生に女っ気はないが。

別にもうどうでもいい。

割切っていられる分、ある意味相応に満足できる人生なのかも知れなかった。

 

1、たくさんのお友達

 

随分長い間部屋から出ていない。高梨に関しては色々な憶測が流れているらしいが、その実態はもう本人にも分からない。

分かっているのは、親に無茶苦茶な虐待を受けて。監禁されていたこと。

救出された時には、自分と他人の概念さえ分からなかったこと。

右手は殆ど動かない。左手は動くが、足の方はどっちも厳しい。

更には生殖器は滅茶苦茶に破壊されていて、変なホルモンを注射されていたらしく。体の方はもう男とも女とも呼べないこと。

いわゆるフェミニズムを拗らせた母親。愛想を尽かして出ていった父親。父親が出ていったことが切っ掛けになり。狂乱した母親は、高梨圭に対してありとあらゆる暴虐を振るい始めた。

全身を結束バンドで固定し、そして「悪の象徴」を破壊した挙げ句に。あらゆる薬を注射器でぶち込み、高梨を好き勝手に改造した。

元々外でも散々悪さを働いていたらしい母親が、気分次第で証言をした事で高梨圭の存在が明らかになり。

栄養失調で餓死寸前になっている所を救助された。

そして母親が終身刑を言い渡され。

その資産が全て高梨圭のものとなり。

後は小さなマンションに引きこもり。くらすようになった。

体の方は滅茶苦茶にされた。

心もしかり。

今、「自分」の概念というものが存在していない。

どうすれば生活出来るかは、言われて理解した。そして理解すると、家の中を有り余る金を駆使して改造し、自分に過ごしやすいようにした。後は生活物資だが、金はある。だから宅配を自動で行うようにし。そして生活の手段は整った。

不思議な話だ。

頭の中に「自分」が存在しなくても。

人間は生活出来ているのだから。

この肉の器は無茶苦茶に壊されたが。

それはそれで。

心の方は、現在も存在はしている。ただし、それもまともな形とはとても言えないのだろうが。

家の中には自作したPCと、生活用の家具類だけ。

PCは二台。自分で遊ぶためのものと、警察に貰ったものである。

どこからか、高梨の能力が伝わり、警察に協力を求められ。面白そうだったので受けた。警察の上司に当たる宮藤は高梨が事件の度に心の中の人間を増やしていることを心配しているようだが。

その心配は杞憂である。

何しろ元が空っぽだったのだ。

頭の中に自分を作る。

これは高梨にとって刺激的な遊びであり。更に人間という存在を知るためにもとても重要な「治療」だった。

肉体の治療に関して医者はやってくれたが。

心の治療に関しては匙を投げられた。

だから、自分で治療する。

ごくごく簡単な理屈である。故に、宮藤の心配は無駄である。どうせ増やしたところで、不満なら眠らせるだけなのだから。

さて、データが送られてきた。

特製のVLANを石川が作ってくれているので、回線はサクサク。本来だったらパンクしそうな容量のメールだが、そのまま届いた。

内容を確認していく。

なるほどなるほど。

被害者についての情報も取得。生きていた時の情報も得る。

今どうなっているかはどうでもいい。

生きていた時に、どんな人間で、どんな風に考えるのか。それが重要。

まずは、被害者を作る。

データを集めていくが。人間というのは意外に簡単な精神構造をしている事を、最初まっさらだった高梨は理解している。

個体差はあるが、9割方は主観が全て。

つまり「自分にとって気持ちが良いか悪いか」が判断基準の全てであり、それ以外はどうでもいいのである。

例えば熊が可哀想だから殺すなとか抜かすアホ共がその良い例。

猛獣としての熊の側面を見ず。人間にとって高い殺傷能力を持っていることを無視し。現場の人間の命などどうでもいいと考え。熊という生物が可哀想だから殺すなと意味不明の主張を続ける。

人間の食べ物や、人間の味を覚えた猛獣がどれだけ危険かなどそれこそこの手の連中にはどうでもいい。

テディベアなどの可愛くデフォルメされた熊が可愛い、と言う事だけが全てなのである。

勿論それだけではない。

こういった思考回路を持つアホを操って、金を操作する人権屋が裏についている事もままあるが。

逆に言うと、そういった人権屋はごくごく一部。

結局の所、大半の人間は、主観で全てを判断し。主観から外れた相手には何をしても良いと考える。その確率は九割を超え、相手が気持ち悪ければ何をしても良いというのは普遍的思想となっている。

要するに人間の大半は、自分さえ良ければどうでもいいと考えているものなのである。

これは創作の人間と現実の人間を比べてみると分かりやすい。

創作の中にいるヒーローは現実にいない。一方悪役は極めてリアルな思考回路のものが現実にもいる。

そして創作の悪役は利己主義者である事が殆どだ。それも極端な。

創作でのスーパーパワーさえ取り外してしまえば。現実には創作の悪役と同レベルの思想を持つ人間だらけになる。

一方ヒーローはむしろ現実では迫害され、嘲弄の対象になる。

それが人間の現実だ。

頭の中に、人格をくみ上げていく。

被害者の人物像が分かっていく。

まず被害者は、計画性に欠ける人間だ。

金があるならあるだけ使ってしまう。そしてその金の出所は、いずれもがろくでもないものばかりである。

しかしだ。

それでありながら、他人を引きつける特殊な要素も持っている。不思議と恨みも致命的関係になった相手以外には、それほど買っていなかった様子である。

何故か。

一種のフェロモン体質だったのだ。

人間にもフェロモンは存在する。どう考えてもクズであるのに、もてる輩が存在するのはそれが理由だ。

こういったフェロモンに強く当てられやすい人間は実在し、古くはダメンズウォーカーなどと言われた。

まあ、本能などろくでもないという良い証明だろう。不思議な話で、人間の創作では「本能のすばらしさ」、特に攻撃性と性欲を絶賛する傾向があるのだが。実際にはこの通りである。

最初がすっからかんだから。

こういった客観的な分析をどんどんやっていく事が出来る。

更には眠らせている人格の一部を引っ張り上げて組み直してもいく。

残念ながら人間の性格というのはある程度パーツ事に分けることが出来て。それを組み合わせると、案外簡単に再現する事が出来る。

そこそこ出来るプロファイラーもこういった事はやれるのだが。

ある意味特異体質である高梨は、更に再現を深く深くやる事が出来る。

それが幸せなことなのかは別の問題。

ほどなく、完全に被害者の人格を構築完了。

また一人、友達が出来た。

高梨は表情を作る事も出来ない。母親に、「彼奴に似ているから」という理由で、顔面をずたずたにされたからである。表情筋は全てやられてしまっていて、「顔」を医者が作るまで相当に苦労したらしい。

母親は終身刑を言い渡され、刑務所内で「私は何一つ悪くない」とか今もわめき続けているらしいが。

それも人間の平均的な姿なのだろうと高梨は考えている。

まあ身は守らせて貰うが。

ともかく、新しく出来た友達と軽く話をしてみる。この友達が、現物と違うのは、ただ一つ。

「高梨を見て怯えるか怯えないか」だけである。

勿論喋るのは同じ口でやらなければならない。

最初は喋る事さえ出来なかったのだが。医者が口を手術で再建してくれたので、今では出来る。

話してみると、被害者は意外と良い奴である。

ただし、実際に現物が高梨を見たら、悲鳴を上げてこけつまろびつ逃げ出しただろうが。

「そうかー。 大変だったな。 俺の所に来ていたら、そんなに苦労はさせなかったんだがなあ」

「家事は出来る?」

「得意得意」

自慢げに言うが。

実際に此奴が出来るのは極初歩の家事で、料理と呼べるものは出来ず。せいぜい調理どまりである。

要するに誰かしらに依存していたということだ。

金の動きから考えて、調理済みの食品を常に口にしていたことは考えにくい。誰かが作っていたのである。

そして下手人は。

恐らくその誰か。

だが、その誰か自身では無いだろう。

理由は幾つかあるが、話を進める。

「好きな人はいた?」

「おうよ。 俺はみんな大好きだった。 人間万歳ってな」

「貴方自身は?」

「うははは、俺自身が一番好きだったよ」

そういう事だ。

要するに此奴は、みんな好きだったけれど、それに遙かに優先して自分が好きだったと言う事である。

そしてそれが全てだ。

「誰かを殴る事はあった?」

「あったぜ。 どうしても馬鹿な奴とか、出来ない奴とかを見ると頭がかっとなって、殴る事はあったな」

「子供でも?」

「躾だよ躾」

けらけらと笑う。

要するに罪悪感は0という事である。

この時点で分かってくる事が幾つもあるが。早い話、此奴は他人に暴力を振るうことを全肯定していたし。

更に言えばそれが悪い事だと疑う事など微塵もなかった。

相手が出来ないから。

馬鹿だから。

躾だから。

そういって、多くの人間に暴力を振るい、何の罪悪感も覚えなかったのだろう。

実はこれは、かなり普遍的な人間的嗜好である。

学校などでイジメが行われることがあるが、虐めている側は基本的に罪悪感など覚えていない。

「相手がずれているのが悪い」「弱いのが悪い」「何か気に入らない」。

それらが暴力と虐めを全肯定する。

だから虐めによって人間を死にまで追い込んだところで、きょとんとしている。なんで死んだのか分からないと。

罪に問われなければ笑い話にさえする。

その程度で死んで馬鹿みたいだ、と。

これは異常者の思考では無い。

平均的な人間の思考なのである。

この被害者の場合、それと暴力が直結していて。それが最終的には殺人事件に至った。

そういう事だ。

話をして大体分かったので、ぷつりと切る。

資料を確認。最近被害者が接触していた人間を割り出していく。その中で、犯罪を実行可能な人間は八人。

現時点で、全く接点がない人間が、此奴を殺そうとまでは考えない。

此奴は典型的なフェロモン体質で。

最初に出会ったばかりの人間は、殺意をまず感じるところまではいかないだろう。また、外で暴力を振るうほど見境がない性格でもないことは喋って見て分かった。この被害者は、あくまで善意のつもりで暴力を振るっている。

まあ大半の人間が此奴の同類なのだが。

人間はむしろ善意を得たとき凶暴化するのだ。

そして相手が悪と考えたとき。

その凶暴性は完全にストッパーを失うのである。

八人の人格を全部作り出すのは少しばかり大変だから、情報を精査していく。連絡を入れる。石川では無く、佐川にである。

幾つかの質問をして行く。現時点では、佐川も分かっていないようなので。被害者についての細かい情報を流していく。

物わかりが悪い宮藤とちがって、佐川は大体全て一発で飲み込んでくれるので、話していてとても気分が良い。

宮藤は宮藤で、例え自分を見ても恐怖で硬直することはあっても、逃げる事は無いだろうと言う安心感がある。

そういう意味では、嫌いでは無い。

「なーるほどね。 それで犯人の目星はつきそう?」

「……これから犯人の人格は作る」

「そっか。 今ね、捜査一課の方でも色々動いているけれど、八人の中で三人にまで絞り込んでいるらしいよ。 石川ちゃんに頼んでデータを送るね」

あまり参考にはならないが。

情報を得る。

流石というか、データの整理と取得に関して、この国の警察は大したものだ。犯人がテロとかやったりするような組織だと無力だろうが。調査能力に関してこの国の警察の能力は現時点でも確かに卓越している。

だから、調査の内容だけはある程度信頼性が高い。

全面的には信頼出来ないが。

一人、目に止まった人間がいる。

八歳年下だが、四年ほど被害者とつきあいがある男性だ。いわゆる友人関係であったらしい。

不思議な友人関係だが、どうやら競馬で知り合ったらしく。なんでもこの男性がズバズバと適中させるので、被害者が大喜びで絡んでいたそうだ。ちなみに金づる扱いしていたわけではなく、あくまで善意であからさまに悪い遊びを教えようと何度か振る舞っていたそうだが。

この男性は競馬にしか興味が無く、最後まで乗ってくることはなかったそうである。

ちなみにこの男性に被害者が暴力を振るうことはなかったそうだ。

被害者は間違いなくクズだが。

クズと言っても、思考回路が暴力一色、と言う訳ではないのである。

他の七人も見るが。

やはり間違いないなと確信。

この中に犯人はいない。

犯人は九人目。

そして、重要な事がある。

犯人は恐らくこの八人の関係者だ。

イマジナリーフレンドは、こういったときに色々役立つ。犯人がイマジナリーフレンドを作っているときもある。

実の所、幼児が遊びで作るだけでは無い。人間は、年齢次第によっては、イマジナリーフレンドを作る事が珍しくもない。

或いは強烈なストレスから逃げるため。

或いは何かしらの必要性が生じて。

実の所、こういったイマジナリーフレンドは、本人が意識しないで作っている事もあるし。

場合によっては、イマジナリーフレンドに人格を乗っ取られている事もある。

まあ要するに、多重人格と言う事だ。今回は恐らく、其所まで単純な構造ではないだろうが。

データを送ってくれた石川に礼を言うと。

また被害者を呼び出し、一人ずつについて聞いていく。

「ああこいつはな、愚図な女でよ。 豚汁作れっていうと、どうしても上手く出来ないから、躾で殴らなければならなくてな。 その度に大げさにギャって悲鳴上げるから、こっちが悪いみたいで本当に頭に来たんだよなあ」

「他には?」

「体の方は悪くなかったぜ。 でも何か俺と寝るのがあまり好きじゃ無かった……てか子供には刺激が強いか?」

「いえ、俺にはそもそも縁がない話なので」

そういうと、被害者はちょっとバツが悪そうにする。まあ、罪悪感というものはあるのだろう。

暴力を振るっているときには働かないだけで。

何しろ、自分が正しくて、相手が間違っているから暴力を振るっているのだから。

「ええとだな。 確か一回間違って子供が出来て、降ろさせようとしたことがあったっけな。 あの馬鹿が原因なんだから、殴って産婦人科に行かせたんだが、その時に暴力の跡があるとかで警察沙汰になりやがってよう。 それで弁護士とかが来やがって、別れることになったんだよ。 後はしらね。 愛想が尽きたしな」

「なるほど。 ではもうそれ以降のことは分からないと」

「興味が無い」

「ふうん。 では次にこの人ですけれど」

順番に話を聞く。

胸くその悪い話が幾らでも出てくるが、まあ別に驚かない。そもそも、もっと凄まじいのが高梨の母親だったのだ。

この程度、高梨には今更である。

更に残虐性が強い犯人と話した事もある。とはいっても、体の主導権は渡さないし。そもそもまともに動かない体では、何もできないのだけれども。

「ああ、このガキな。 覚えてる覚えてる」

「詳しくお願い出来ますか?」

「良いぜ、俺とお前の仲だからな」

ガハハハハと笑う被害者。

此処だけは、人格を変えているのだが。

別にどうでも良い。

此奴と友人になる要素が存在しなかったし、今でもなりたいとも思わないが。そういう意味では、死者を洗脳しているとも言えるか。

罪深い行為だと罵る者もいるかも知れないが。

これで実際に多数の犯罪が解決してきているのだ。

それに、生活費の足しにもなっている。

だから、どうでもいい。

「此奴はな、さっき話した女の次の女の連れ子でよ。 じっと静かに俺の事を見てるから、色々むかついてな。 色々躾をしたっけな」

「見られるだけでどうしてむかついたんです?」

「俺の子になるんだったら、俺を慕うのが当たり前だろうがよ。 会社でも大事なのはチュウセイシンだろう? それと同じ事だ。 子供は親の言う事を聞くもんなんだ」

へえ。

一応親としてあろうと努力はしたのか。

その方向性が致命的に間違っているような気もするが。

まあいい。

ちなみにこの子は、現時点で十歳。性別は女。

現在は精神を病んだ母親が育児できないと周囲が判断。親戚もいないため、施設でくらしている。

被害者につけられた痣などは、現時点では治っている様子だが。

それでも、相当にむごい目にあった様子である。

「具体的にどんな躾をしたんですか?」

「まずは言い聞かせるよな。 でもどうしても止めないから、髪の毛を掴んでぶん殴った」

「他には」

「後は水風呂とか、外に立たせたりとか……」

自分が正しい。

そう信じて疑わない被害者は、どんどん虐待の告白をして行く。

というか、虐待とすら思っていない様子だが。

「途中から何も喋らなくなってな。 それで医者に母親が連れて行ったら虐待だとかでまた警察沙汰だよ。 なーにが虐待だか。 教育だっての」

「……」

「面倒だから別れたけどよ、警察って本当に暇なんだな。 はっきり言って呆れてくるんだがなー」

「……」

メモを取る。

さて。

かなり怪しい相手が絞り込めてきた。

なお、この子供の母親は、現時点で精神病院に入院しており、出られない状態である。つまり犯人としてカウントは必要がない。

残りの人間についても聞いていく。

中には殆ど覚えていない相手もいた。

だが、細かく聞いていく。

「誰だよ此奴。 知らないぞ」

「……これなら分かります?」

「……ああ、分かった分かった! 確か俺が最初に一緒に暮らした女だ!」

げらげらと笑う。

被害者は高校の頃から家を飛び出して、女の所を点々としていたそうである。まあフェロモン体質だったから出来た事だったのだろう。

この被害者と一緒に暮らしていたのは七歳年上の女性。

この時点で犯罪なのだが。

被害者は元々家族にも周囲の人間にも「善意の暴力」を振るっていたし。自分の行動は基本的に全部「善」だと考えていたようなので。罪の意識なんて無かったのだろう。たまに罪悪感は覚える様子があるのだが。それはそれとして、自分から行った行為はこの被害者にとっては「善」だったのだ。内容がなんであろうとも。あくまで罪悪感を覚える場合は、自分が直接手を下さなかった場合だけだった。

時にどこかの内戦で悲惨な難民の姿を見たり。

或いは悲惨な死に方をした動物の写真を見たりして。

おいおい泣いたりする事はあったそうだが。

それはそれとして、善意の暴力を振るうことにも一切躊躇しないのがこの被害者だった。

被害者の所業の中で、幾つも反吐が出るような話を聞かされたので、途中から黙ることが多くなったが。

とりあえず、話は分かった。

そして、コレで充分。

此奴から聞き出せる話は、一通り揃ったと言える。

ぷつりと切断。被害者を眠らせる。というか、もう起こすことは無いだろう。

更に追加で、捜査一課が調べてきたデータを貰う。

これで、充分な資料が揃った。

今までのデータを、脳内にて再構築。

犯人の人格を作り上げていく。

人が人を殺す。

戦争が当たり前にあったり。舐められたら殺すのが当たり前だった時代と、今は根本的に人間の思考回路が異なる。

だが、今の人間の思考が。

周囲の環境と。

自分の中にある人格で作り上げられること。更に言うと記憶がそれに大きな影響を与えることを。

高梨は経験上知っている。

データさえ揃えば、千年前の人間を友達にすることだって可能だ。

ただ、そういった人間は、あまりにもデータが足りなさすぎる。実際に現実的なのは、現在の人間までなのだが。

集中して、データを集約し。

やがて、犯人の人格が。

高梨の中に構築された。

 

2、犯人の独白

 

犯人は最初、ずっと黙っていた。此方も黙っていた。そこで、被害者の顔写真を見せると。

犯人は高梨の口を使って、やっと喋った。

「この外道……」

「もう死んだよ」

「そうだよ。 殺したんだから」

「そして貴方は今まだ生きている」

にやりと、犯人が笑う。

そして、少しだけおいてから。爆発したように大笑いした。

しばらくはそのままにさせておく。この事件、猟奇的なやり口は兎も角、犯人にも言い分がある。

被害者は、そもそも本来警察に放り込まれておかなければならない人間だった。

それを「軽犯罪だから」という理由で軽率に何度も出所させ。

その度にヒモを取っ替え取っ替えしながらの生活を許し。

更には結局の所、その過程で周囲にいる人間皆を不幸にさせていった。

被害者はロックが好きだとか抜かしていたが。

真夜中に大音量でロックを流して周囲に騒音をばらまいたり。

車が好きだと言っていたが。

勿論無免許。更にヒモに貢がせた車を乗り回し、殺人未遂まがいの危険運転を繰り返していた事も分かっている。

本当の意味での、社会で野放しにしてはいけない人間だったのだ。

それを社会に野放しにし続けた法曹は、正しかったのか。

「刑務所に法で決めた期間いたから」という理由で無罪放免に毎回していたのは、正しかったのだろうか。

どうにも高梨には疑問に思えてならない。

再犯の可能性が極めて高いのに、どうして被害者を放置し続けたのか。被害が出るのが分かりきっているのに。

被害者と少しでも話せば分かったはずだ。

被害者に罪悪感なんてものがほぼ存在せず。自分の行為は全て正しいと考えていた事も。

逮捕されたことも不当で、そもそも自分は善人だと盲信していたことも。

そう言ったことを全て怠った。

故に、今回の事件が起きたのでは無いか。

高梨はもっと凄まじい凶行を働いた母によって、何もかもを壊されたから分かるのである。

野放しにしてはいけない人間は、この世に確実に存在していると言うことを。

被害者は、その一人だった。

犯人はしばらく狂ったように笑っていたので、高梨は少し苦しくなった。

ただでさえ一度滅茶苦茶に壊されたこのからだ。

激しい行動をされると、それだけでもう色々と負担が大きいのである。

「あー、すっきりした。 もう一人私がいるんだったら、きっともう一人も大笑いしていただろうね」

「それはどうだろう。 殺した後、すっごく冷静に行動しているよ。 死体の遺棄時間を誤認させる工作までしているし」

「ふーん、そっかあ」

「それで、貴方は誰?」

教えてあげない、と犯人は笑う。

だが、もう見当はついている。

実の所、犯人に無理矢理自白させることも可能なのだが。そうすると、人格に大きな歪みを生じさせる。

作ったとは言え友達だ。

友達にそんな事はしたくないし。

それに、友達はコレクションしておきたいのである。

いわゆるソシャゲというもので、普通の人間はたくさんの疑似人格をコレクションすると聞いている。

それと同じ心理だと、高梨は自己分析をしていた。

「じゃあ、貴方が誰かはいいや。 少し話をしてよ」

「何を話せばいいわけ?」

「私ね、此処を事実上出られないから」

「ああ、何となく理由は分かる。 大変だろうね」

犯人は比較的、此方の立場が理解出来るらしい。まああくまで「比較的」だ。それはそれである。

今は犯人を高梨の「友達」に少し人格を弄っている。

この犯人は「被害者よりは」同情できる境遇にはある。

それは分かってはいるが。

それはそれとして、高梨の姿を見たら、恐怖の金切り声を上げて逃げていくのは確定なのだろうから。

病院でも高梨はずっと個室にいて。

たまに世話に来た新人の看護士が、高梨の姿を見て悲鳴を上げることが実際にあったのである。

悲惨な患者の姿に慣れているだろう看護師でさえそれだ。

そう考えてみると、この犯人だって、そう振る舞うのは普通。

同情する余地があるとは言え。

人間であるという点では、被害者と変わらない。

そういう意味では。高梨の考え方は、とてもある意味冷酷であるのかも知れなかった。だが、冷酷でなければ、こんな仕事はできないだろうし。

そもそも冷酷だからこそ。

こういう状況にある犯人を、突き出すための仕事をしているとも言える。

「外の何が好き?」

「窓から見える銀杏の葉かな」

「銀杏かー。 ぎんなんって食べた事がないんだよね」

「ぎんなん? あんなの美味しくないよ」

みんなそういう。

食べられるものも限られている高梨には、それはどうしようもないことだ。

順番に。

何か、決定的な話を聞き出さなければならない。

犯人は勿論簡単には喋らないだろうが。

それでも喋らせるのが高梨の仕事。

仕事ができなければ、いずれこの家での生活は出来無くなるかも知れない。それは困るのだ。

「もっと好きなもの教えて?」

「ゲームは好きだったよ。 手に持って遊ぶ奴。 でも、彼奴が五月蠅いって、踏みつぶしちゃったからもう遊べない」

「夜中に大騒ぎしているのに」

「そうなんだよ。 夜中に騒音まき散らして、それで酒飲んでぎゃいぎゃい悪い友達と騒いだりしていたりしてさ」

そういうとき。

ずっと、音が聞こえにくい物置に閉じこもって。耳を塞いでいたという犯人。

なるほどね。

その悪い友達というのについては、心当たりがある。

被害者を調査している過程で、捜査一課が見つけてきた犯人の友人だ。

フェロモン体質だった犯人には友人が何人もいた。その中には、殺人犯の候補として浮上したものもいる。

PCを操作して其奴らの写真を見せると、犯人は言う。

「此奴は知ってる。 これは知らない」

「此奴について教えて」

「うん。 あいつと麻雀とか言うゲームをやってて、凄く強かったらしいよ。 あいつはゲームの最中はずっと負けた負けたってけらけら笑ってたけど。 麻雀が終わった後は、なんかもの蹴ったりしたし。 私を見つけて物置から引っ張り出して、蹴ったり踏んだりしたし」

「……」

どうしようもないな。

己の怒りのさじ加減で被害者曰くの「躾け」をしていたわけだ。

これは妄想じゃない。

今まで取り込んだデータによって作り出された、限りなく本物に近い人格だ。その発言が正確なのは、今まで多くの犯人を逮捕することで実績として残している。今回もデータがしっかりしている。

だから犯人については、間違っていない確信がある。

犯人が黙る。

あいつの話になって、機嫌が悪くなったらしい。

これ以上は聞き出せないなと思ったので、一度会話を切る。犯人の人格も眠らせる。ただ、被害者とは別に、優しくである。

既に犯人が誰かは大体見当がついているが、決定的な証拠は押さえなければならないのも事実である。

動くのは早い。

ただし。石川や佐川には話をしておかなければならないだろう。

音声会話が出来るチャットを起動。

ただし、高梨の声は加工を入れる。

当然である。

相手を怖れさせるからだ。

チャットを起動すると、石川が出た。これはありがたい。一応石川は警官なので、又聞き伝言ゲームにしなくて済む。

更に電子データの扱いにも長けているので、話すだけで対応も可能だ。

「幾つか分かってきた事があります」

「おっけ。 順番にお願い」

まず犯人の人格を構築に成功した事を報告。

おおと、石川が喜ぶ。

こっちは喜べない。

犯人が誰か、だいたい見当がついているからだ。

それから、犯人との会話で分かってきた事を少しずつ説明をしておく。麻雀についての話についても。

そうすると、容疑者として確保している人間の一人が、まんまそんな話をしていたという事を石川が教えてくれた。

「ええとね、容疑者の一人の友人。 被害者と十年来の友人らしいんだけれど、いわゆるプロ雀師だったらしくてね」

「プロじゃんし?」

「麻雀で食べてる人の事だよ。 元々ギャンブル性の強いゲームだから特別な才能が必要になるし、場合によってはイカサマやる人だって珍しくもない。 ねじくれた世界で暮らしている人だから、性格がおかしい人もいる」

石川の言葉に、そうだろうかと高梨は思った。

そもそもプロだかなんだか知らないが、あの被害者と仲良くしている時点で、色々おかしいし。

どんな業界にも狂った奴はいるだろう。

大体正気の人間の方が少ないのだ。

そのまま話を聞いていくと。そのプロ雀師とやらは、被害者をカモにして、時々巻き上げていたらしいのだが。

被害者はごつい見た目と裏腹にフレンドリーで、どれだけ大負けしても怒ることはないし、気持ちよく負けた負けたというので。時々加減して、勝たせてやることもあったのだとか。

被害者はそういう点で。

あくまで「自分の正義」に関係しない相手であれば、好感を与えることも多かったのだと分かる。

「だからそのプロ雀師、被害者が重度のDV野郎だって話を聞いたら、まさかって驚いていたらしいよ。 最初は嘘だって笑っていたらしいけれど、証拠を突きつけていくと、顔色が変わったみたいだね」

「よく分からないんだけれど、そういう麻雀とかって、人の心を読むものなんじゃないんですか?」

「それはそうなのだろうけれどね。 ただ、やっぱり善人か外道か、というところまでは読めないんだと思う」

「ふーん」

そっか。

まあいずれにしても其奴はシロだ。その代わり、其奴に被害者が見せていた顔が幾つもあると思うので、まだ聞き取りは必要だと思う。

そう話すと、分かったと石川は話を受けていた。

不意に、会話に割り込んでくる。

宮藤だ。

部署の長。警部補とか言うそこそこ偉い刑事。

パシリ警部補とか呼ばれているらしいけれど。アクの強い石川や佐川をまとめられているという事で。

警察内でも重宝されているらしい。

「あー、高梨ちゃん、いいかな」

「はあ、まあ」

「それで犯人にもう見当はついているんだろう? こっちでも色々調べたいので、教えてくれるかな」

「もう少し、じっくり攻めたいんですけれど」

宮藤ははははと、情け無さそうに笑ってみせる。

そして、切実な様子で言った。

「上はこの部署の実績を認めてくれてはいるけれど、それはそれとして、凶悪事件として犯人の目星は早々につけたいみたいなんだよね。 犯人が具体的に誰かさえ分かれば、後は聴取で聞き出してみせるって息巻いていてさ。 ボクも散々締め上げられて、大変なのよ」

「それをどうにかするのが貴方の仕事では」

「手厳しいー。 でもね、それにも限度があるの」

「……分かりました。 犯人はですね」

ずばり名前を挙げる。

犯人は今眠っているから、声は聞こえない。

出来れば売るような真似はしたくないが。実際に捕まるのは、今高梨の中にいるもう一人の実体を持たない犯人ではなく。

実体を持っている犯人だ。

犯人の名前を聞くと、宮藤は押し黙る。

流石に辛いと思ったのだろうか。どちらかといえば人情家のようなのだから、そうも考えるだろう。

「……分かった。 捜査一課でも絞り込んだうちの一人だから、確かに荒唐無稽な話だとは受け取られないとは思う」

「あまり乱暴にはしないでください。 今回の件、被害者が前科者で、それも複数の前科持ちで、日常的にDVを働いていたことも分かっているでしょう」

「分かってはいるが、それでも殺人は重罪だからね」

「……」

宮藤がチャットから消える。

石川がフォローを入れてくれたが。

あまり内容は耳に入らなかった。

だから嫌なんだよ。

そうぼやいたが。そんな声、誰の耳にも入るはずがない。自分の。高梨圭の耳に入るだけだ。

何回かため息をつく。

二人分のリソースを使い続けたのだ。かなり疲れた。

捜査一課は無能では無い。トップに立っているキャリアは無能だが、本庁の精鋭が集まっていると聞いている。

実際犯人の目星はついていたようだし。

一種のプロファイルチームである高梨の所属する宮藤班の言う事も無視せずに、きちんと犯人逮捕に役立てている。

少しは、休んでも大丈夫だろう。

小さくあくびをすると。

睡眠に移ることにした。

 

高梨圭に人格と呼べるものはない。

実の所、擬似的に作った人格と喋るときにも、人格を擬似的に構成して話している。だから元の性別なんて関係無いしゃべり方になるし。何よりも、実際の生身の高梨圭と話した看護師によると。

言葉は殆ど聞き取れたものではなかったらしい。

まあ、歯も殆ど砕かれてしまっていたので、仕方が無いか。

現在は入れ歯などによって、言葉は「聞き取りづらい」くらいの状態になっているらしいのだが。

それでも声はとても恐ろしく聞こえるらしく。

敢えてチャットなどで相手に伝わる音声などは、加工を施している。

更に此処に疑似人格による補正が加わるのだ。

高梨圭自身、もう性別もなにもあったものじゃない。生殖器が滅茶苦茶に破壊されていて、更にまともに成長期に栄養が取れなかったから、体が事実上男でも女でもないからである。

ずっと拘束されていて、何も見えない状態に置かれていたから、実の所美も醜も何もない。

静かな暗い闇だけが拡がっている。

眠るときは、擬似的に構築している人格も解除してしまうので。この暗い暗い闇だけが周囲に残る。

それが、心地よいというか。

高梨圭という名前をつけられた肉にとっては。

スタンダードな状態なのである。

車いすで普段は移動するが、床ずれを防ぐために、時々体を動かすことは要求される。体の彼方此方は動かせるのと。後はベッドについているロボットアームが時々体を動かしてくれる。

それをされているのが、眠っているときでも分かる。

眠りが浅くなると、闇が薄れるのだ。

苛立ちが募るのだが。

それもすぐに闇の中に解けていく。

世界によって壊された人間は、こうして闇の中に、わずかな何かだけを持っている。それが全てで。それだけが全てだ。

目が覚める。

疑似人格を最初に構築。

疑似人格は八つほど持っているが、いずれもに共通点がある。

仕事ができること。

つまり、被害者や犯人の人格と、友達であるという事だ。

みんな友達である。

どんなゲスでも。

どんな殺人鬼でも。

高梨圭という空虚の存在にとっては、誰も彼もが友達だ。故に何もかもを暴くことが出来る。

人間の社会にも実際の所、あまり興味は無いのだが。

生きていくためには仕方が無いと言う理屈は理解している。

あくびをしながら、家庭用の補助ロボットが作ってくれた朝食……正確には栄養を摂取する。

味も何も無いが。

それは舌を焼き潰されているから。

意外に知られていないが。

人間は舌を失っても死なないのである。

まず、犯人を呼び出す。

もう被害者に用は無い。犯人に話を聞いて、どうやって事件を行ったのか。どうやって犯行に至ったのか。

それらを聞き出さなければならない。

「あれ、昨日とちょっと違うね」

「うん。 私ね−、八人いるんだよ」

「そっかあ」

「うんうん」

何の疑問も持たず、犯人は友達として接してくれる。本来だったらこの時点で恐怖に駆られて逃げ出すだろうが。

此処は作った友達だから。

犯人の人格を壊さない程度に、パラメータをいじる事が出来る。

「それで、楽しかったことについて教えてくれる?」

「給食は好きだったかなあ」

「給食かー」

「そうだよ。 うちのおかあちゃん料理へたでね。 それで彼奴が良くぶん殴ってたんだよ。 次にまずいものだしたらもっと殴るからなって、毎日怒鳴ってた。 それに食事の時暴れて、私もしょっちゅう酷い目にあったよ。 熱いのとか掛かって、それも彼奴はおかあちゃんのせいにしてた」

おかあちゃん、か。

まあいい。

続けて貰う。

「給食の時は良かったね。 周囲の子供達は何だか私が彼奴に酷い目にあわされてることは知ってるみたいだったけれど、それでもちょっかいは出してこなかったからね。 何だか弱い奴は虐めていいみたいな理屈があったけれど、一度どいつかが私を殴ったら、それで私が血流して倒れたことがあったんだよね。 それ以降私は周囲に「卑怯者」とか「チクリ魔」とか言われてさ。 ちょっと小突いたくらいで大事になるからひきょうなんだってー」

「人間ってそんなもんだよ」

「そうだね。 彼奴と程度の差はあれあんまりかわらないね。 ただ、その事件以降、給食は静かに食べられるようになったからね。 教師が「問題になると面倒だから」とかいう理由で、私の周り見張ってたんだよ」

これはかなり決定的な証言ではなかろうか。

そのまま、話を聞いていく。

「後、おなかいっぱい食べられるのも嬉しかった。 それにお酒の臭いもしなかったし」

「お酒」

「あいつさ、お酒をドバドバ飲むんだよ。 晩ご飯も朝ご飯も、いつも関係無し。 だからご飯の時に、お酒の臭いがしないのは本当に嬉しい事だったね」

なるほどね。

記録は全て残しておく。

後、楽しい事について聞いていくと。

意外に犯人はたくましい事が分かってきた。

「彼奴になれてきた頃からかなあ。 彼奴がおかあちゃん以外の女の人と、ホテルとかいうところに行くの見たんだよね。 知ってるよ。 あれってウワキするところでしょ」

「そうだよ」

「うんうん。 それをおかあちゃんに話したら、凄く泣いてた。 で、なんでか私が殴られた。 チクるんじゃねーよって。 そういえば、虐めを行う人間も、同じ理屈を口にしてたっけね。 それにおかあちゃんも殴られてた。 一度や二度ウワキした程度でビービー喚くなとかって」

まあ、被害者の人格は知っていたから、今更驚くことでもない。

そして、データにある。

被害者の特殊関係人。

容疑者の一人の中に、いかにもお水な雰囲気の女が浮上している。

其奴の写真を見せると。

犯人は、此奴だと叫んでいた。

ふーん、なるほどね。

とりあえず、必要な情報は引き出せたか。

犯人は眠らせる。

それにしても、調子に乗ってベラベラ喋ってくれたものだ。こっちが気付いていないとでも思ったのか。

まあそれはそれでどうでもいい。

ともかく、石川に連絡を入れる。

そして、決定的な発言が幾つかあったこと。それを容疑者に問い詰めれば、確実に自白することを告げる。

さて、此処からは、様子を見守っているだけで良い。

後は、ぼんやりしているだけで大丈夫だろう。

犯人も眠らせてしまう。

まあ犠牲者ではあるには違いないが。

狡猾な相手だった。

だったら、もうどうでもいい。

いずれ、人格のパーツを再利用するかも知れないが。その時まで、忘れてしまうのが一番だと思った。

それにしても汚らわしいなと感じる。

そして高梨圭は。

自分の人格も、一緒に眠らせた。人格そのものが汚らわしいと感じたからである。

人格が消える。

後は、虚無のまま。肉人形が、生存のため。ただ動き続けていた。

 

3、真相

 

捜査一課にて、尋問が行われる。プロファイルチームから、情報が上がって来たからである。

キャリアは無能でも、捜査一課には精鋭の警官が集められている。その中の一人。通称落としの錦二こと、錦山二郎は、思わず呻いていた。

事件の余りの醜悪さに、である。

プロファイルは人間の闇に迫る。

そして、捜査一課が足で稼いできた情報の全てが。

このプロファイル情報と、一致していたのであった。

すぐに拘留している容疑者の中の一人。

野中宇宙(そら)に会いに出向く。

一時期はやったDQNネームと言う奴である。育児雑誌が煽り倒した挙げ句、大量生産された読むことも出来ない名前。

一時期社会問題になり、その後一気に数を減らしていった。そして改名のためのビジネスが大流行し。いつの間にかDQNネームは廃れていった。

そんなDQNネームの生き残りである。

そしてこの手の名前をつけられた子供は、親が自分のアクセサリ代わりに扱っていたことが多く。

荒れた人生を送った者が珍しく無い。

この野中宇宙もその一人。

現在現役の、ホステスである。

四十七歳の二郎が、監視のための警官二人と一緒に野中の所に姿を見せると、余裕の顔を見せる野中。

だが。

プロファイルチームから上がって来た情報を一つずつ確認していくと、ボロを出した。

「一度や二度ウワキする程度でチクるんじゃねーって、被害者が、被害者の娘に言っていた。 そう、被害者の娘と友人だったというキミは聞いたそうだね」

「はあ、まあ」

「その意味も、被害者の娘は理解していると言っていたね」

「まあ当然でしょう」

ため息をつく。

もう一度、今の証言をレコーダーで再生。更に、前に発言していた内容も、レコーダーにて再生した。

それから、告げる。

「それ、死語なんだよ。 今の小学生、理解出来ないよ」

「えっ……」

「今の小学生は、そんな言葉を使わないの。 そもそも「告げ口」は方言が色々あって、更に死語になったりもする。 ちょっと脇が甘かったね」

見る間に真っ青になって行く野中。

野中が小学生の時代には、使っていた。それについても確認している。地域によっては死語になっていたが。

野中がいた地域では現役の言葉だった。

現在では、別の言葉が使われている。

「キミが被害者の娘さんと仲良くして、金づるとして邪魔になった上に、暴力を振るうようになりはじめた被害者を消すつもりだったのはもう分かっているんだよ。 そのために、マンションに入る方法、リモコンの型式、更には被害者の家の合い鍵。 それら全てを手に入れるために、被害者の娘……まあ血はつながっていないが、と仲良くしたのもね」

「そ、そんな、それだけで」

「証拠はまだ出てきたんだよ。 現在のプロファイルは一時期の役に立たない単なる推理ごっこじゃない。 それとうちの国の警察のキャリアは確かに無能だが、現場百回で鍛えられた捜査一課の刑事を舐めて貰っちゃ困る」

野中は巧妙に犯罪の証拠を隠していたが。

それでも捜査一課は見つけ出した。

今、二郎が口にした証拠の数々を、である。

更に言えばリモコンは、野中の家のエアコンとは一致しておらず。ついでに野中の指紋しかついておらず。電池の消耗も極端に少なかった。

別のメーカーの家電を操作できるリモコンも現在は存在するが。

野中はその辺り、金をけちった。

或いは、野中自身も、金に苦労していたかも知れない。

此奴もホストに貢ぐために、金を大量に使っていたのだから。

犯行の状況についても。

全て再現画像が出される。

被害者宅を野中が後にした後、被害者が転ぶように仕向ける。酒をしこたま飲むこと、どれくらいで眠るか。それらを野中は全て事前に調べ尽くしていた。好きな酒も調べていたし。その酒をどれだけ飲んで、どれくらいで眠るかも。転ぶ癖がある事もだ。

計算の末で、酒を被害者の娘に渡し。

これでお父さんが眠れば暴れなくなるよと、そそのかした。

確かにその通りに被害者は動きが鈍った。。

そして、被害者の娘の言うことを聞いて理解者のフリをしていた野中は。被害者の娘が、野中を裏切らないように。色々な工作もしていた。

後は簡単。

タイミングを見て、被害者を怒らせるように、娘に合図。酒瓶の配置は事前に考え抜いていた。絶対に頭を強打するようにだ。被害者の娘と何度も練習もした。ちなみに遊びを装って、不自然がないように、だ。

後は立ち上がった被害者が勝手にすっころび。

凶器に頭を強打。

そう、凶器とは酒瓶そのものだ。

酒瓶は、ものによってはもの凄く堅い。ドラマなどで凶器に使われると簡単に割れたりするが、ものによってはそうはいかない。

酒瓶を持って家を出た娘は、野中の指示通り酒瓶を洗い。そして、母が逃げ込んでいる実家に。

其所で警察が来るまで静かに待った。

その後の工作は野中自身がやった。二度、エアコンを外から操作するだけ。簡単である。

口をぐっとつぐむ野中。

此奴にも正直な話、あまり同情する予知がない。

ホスト通いのためにクズと関係し。そのクズのヒモから間接的に巻き上げていたのだから。

被害者の義理の娘は。自分の母親を苦しめている人間が、野中だとは知らなかっただろう。

それと、もう一つ決定的な証拠がある。

今の子供。

しかも、都会の子供は。

母親をおかあちゃんなどと呼ばない。

野中は時々、被害者の娘がそう口にしていたと証言しているのだが。残念ながら当人は、母親のことを「ママ」と呼んでいた。

「プロファイリングによって犯行が明らかになれば、後は簡単だ。 証拠も全て見つかっている。 今白状すれば、少しは罪も軽くなるよ?」

「うるせえ……」

「……」

「うるせえっ! 馬鹿から巻き上げて何が悪い! こっちだってなあ、地獄みたいな人生送ってるんだ! より弱いものから巻き上げて良い生活するのがこの世の仕組みだろ!」

本性を現した野中宇宙が喚き散らす。

ホステスをしている時は、可愛らしい声と童顔のルックスで、人気の嬢だったらしいが。一皮剥けばこんなものである。

上客である被害者から巻き上げて。イケメンのホストにつぎ込むために、馬鹿みたいな犯罪をし。

それでいながら、陰湿な隠蔽工作もした。

それが此奴の本性だ。

「キミの理論は聞いていない。 全てを認めるんだね」

「ああそうだよ! だけどな、だいたい実行犯はあのガキだろ!」

「残念だけれど、犯罪の指嗾ということでキミに罪が掛かる。 まあ終身刑は免れないから覚悟するようにね」

「ふざけんなっ! やったのはあのガキだ! あのガキが悪いんだろうがっ! 終身刑とか、なんだよそれっ! 人生を返せ! アタシの人生だ! 外に出せクソ野郎っ!」

わめき散らす野中を置き去りにして、二郎はレコーダーを止める。

後は裁判所の仕事だ。

もはや言い逃れは不可能。

あらゆる証拠が野中宇宙が犯罪の指嗾を児童に対して行い、しかもそれがホストに貢ぐためだったという極めて身勝手な動機を浮き彫りにしている。

挙げ句の果てに、開き直って自分を正当化し始める始末。

これはどんな凄腕の弁護士も擁護しきれないだろう。

しかも現在は、AIが裁判に導入され、今までのように何年も裁判に掛かることはなくなっている。掛かっても一ヶ月で判決が出る。

死刑はこの国で廃止されたが。

その代わり終身刑が導入された。

そのせいもあってか、終身刑になる犯罪者は多い。

野中もその一人になるだろう。

もう野中の声は聞こえなくなった。

苦虫を噛み潰している若手の刑事に、行くぞと促す。どうやら野中の甘言に乗せられて、信じかけていた様子だったのだ。

良い勉強になっただろう。

本物の悪党は。自分を悪党だと思っていない。

さっき、野中が喚き散らした言葉は本音の筈だ。

殺人を実施した被害者の子供が悪いのであって。自分は一切悪くない。このくらいの事は誰だってやっている。

自分が裁かれるのは不公平だ。

それが野中の主張。

だがそんな主張を、受け入れるわけには行かないのである。

捜査一課の課長に、全てを報告。レコーダーをはじめとする証拠品も提出した。課長は無言で頷くと、手続きを開始。

二郎は幾つかまだ案件を抱えている。もう後は課長に任せて、次の案件に取りかかる。

それにしても。

宮藤チームの有能さには確かに舌を巻くばかりだ。

今回、まるで野中の思考をトレースしたようにして、犯行の全容を暴き出し。

それどころか、子供に犯罪を指嗾し、自分は罪を逃れようとした邪悪な魂胆まで暴き出して見せた。

宮藤チームについては謎が多い。キャリアを中心にして集められた無能なプロファイリングチームが一旦解散されてから、再結成されたことは知られているが。

警部補をしている宮藤が昼行灯で知られる「いい加減な」人物であること。

その下に変わり者がわんさか集まっていること。

どうやら中核となっている超凄腕プロファイラーの顔を誰も知らない、経歴さえも分からないと言う事。

それらは話題になっていた。

二郎としても、あの野中宇宙という女は許せないが。

一体どうやって、あの犯行の全貌を明らかにしたのか。生半可な輩では無いだろう。名探偵なんて実際には存在しない。探偵の仕事が、殆どが地味な尾行と証拠の撮影という、刑事と似たようなものだと考えると。

やはり、遊びでは無く金を取れるだけのプロファイリングを出来る、人間心理洞察のプロ中のプロという事なのだろう。

高梨、という名前だけは分かっているそうだが。

それ以外は何も分からない。

現在対応中の案件を幾つか見る。

捜査一課は大変に忙しい。場合によっては、公安に案件をトスアップしなければならなくなるケースもある。

更にどの事件もスピード勝負だ。

少し悩んだ末に。

二郎は、宮藤に連絡を入れていた。

「宮藤警部補かね」

「おや、その声は落としの錦二さん。 お久しぶりです。 こんなパシリに何の用ですか」

「……野中宇宙が全て自白したよ」

「それはおめでとうございます。 被害者は正直どうしようも無いクズでしたが、被害者の同居人……今は実家に避難しているんでしたっけ。 それとその同居人の娘さんは、これで晴れて無罪放免と言う事ですね」

良い性格をした奴だ。

被害者に対する道場の言葉は一切無いし、クズとまで罵倒している。

事実なのだが。

この電話が聞かれたら、昔だったらマスコミが大騒ぎだろう。

今はもう、マスコミなんてものは誰も便所紙以下にしか思っていないが。

「また、次の仕事を頼みたい。 捜査一課も一杯一杯でね」

「錦二さんの頼みと言われれば断れませんが、うちの子らがなんというか……私はパシリなんですよ」

「冗談はいい。 実はな……」

事件について説明する。

内容を聞いた後。資料を請求され。

分かり次第応えると、宮藤は言ったのだった。

電話を切ると、大きな溜息が出る。

現場百回。現在に置いてすら鉄則である。

ネットを利用した捜査や情報の取得が必要になって来た今でもそれは同じ。結局の所、犯人は人間で。

人間を知る人間でなければ、追い詰めることは難しい。

難事件になる場合は、追う人間が無能か、追われる人間が有能か、どちらかの場合で。

結局の所、どれだけハイテクな機材を持っていても。

人間を知らなければ、犯罪を止めることも。

犯罪に手を染めた者を捕らえる事も難しいのである。

だから、むしろ異能に近い宮藤班のような連中だっている。

他にも幾つか似たような異能を囲った部署が存在しているらしいのだが。少なくとも、二郎は世話になった事は無かった。

結果が上がってくるまで、少し時間があるだろうし、それを待たなければならない。

何よりも、これから裁判所と連携して、錯乱状態にある野中をしっかり検挙しなければならない。

弁護側に変なのが出てこないといいのだが。

こればかりは正直どうしようもない。

今回に関しては、証拠が揃いすぎているので、弁護側に対応出来る事が殆ど無い。昔だったら詭弁だと強弁することも出来ただろうが。今回はどのように死体が損壊したか、どのように凶器が用意されたか使用されたかなどの情報が。全て再現映像で分かりやすく説明される。

コレに対抗するためには、弁護側も同レベルの再現映像を持って来なければならず。

準備をするのは無理だ。

状況証拠だけでは無く、物的証拠も全て揃っている。

此処から裁判を覆せるとしたら。

それこそ禁酒法の時代のアルカポネとかのように、裁判所を完全に掌握しているとか。そういう状態でなければ不可能である。

課長に呼ばれたので出向く。

これから会議を行うので、一緒に出て欲しいということだった。

勿論野中の事件について、である。

更に、拘留中の容疑者の何人かに余罪が発見されている。それらの余罪についても、軽犯罪とはいえしっかり裁判所に送って、罪を確定して貰わなければならない。

上にいる立場の人間達に、資料と同時に報告が必要だそうなので。

全容を把握している二郎が必要だそうだ。

頷くと、面倒で時間ばかり掛かる会議に出る準備を行う。

キャリアが好きかってしていた時代に比べて警察は改革されたが、この会議だけはまだ改革の余地がある。

それも大いに。

資料を集めて、出向く。

警察の無能なお偉方が雁首揃えて待っていた。

この中には、宮藤班によるプロファイルを良く想っていない、いわゆる老害も存在するのだが。

現時点で警察の最上層部は、実績を上げてくる宮藤班や、他の異能チームを評価しているらしく。

実際に警察に対する信頼が検挙率の大幅上昇によって戻って来ていることもあり。

アホ共が邪魔をする余地はない。

会議は二時間コースかなと判断して、先に部下達に指示を出しておく。連絡もしっかりしてから、会議に出向く。

警察は忙しいのに。

こんなどうでもいい会議に大量の時間を割くくらいなら、その分を仮眠に回した方がマシである。

いずれにしても、宮藤班の卓越したプロファイルがなければ、今でも野中は参考人のままだったし。

下手をすると、拘置期間を過ぎて野放しにしなければならなかった可能性もある。

感謝だけは、しなければならないだろう。

どれだけ得体が知れないとしても。

課長が、お偉方にプレゼンを開始する。

同時に、立体映像にて、どうやって殺人が行われたのか。

その証拠品はどうなっているのか。

それらを説明していく。

時々補足説明を求められるので、その度に立ち上がって、色々と丁寧に細かい部分を補助していく。

質問も来る。

課長には応えられないことが多い。

まあ、キャリアだしそんなものだろう。

出来れば捜査一課の課長には、たたき上げを据えるくらいの配慮はほしいのだけれども。まだ其所までは改革できないという事なのだろう。

ままならない話である。

キャリアの椅子取りゲームと、実際に人々を犯罪から守り、犯罪者を逮捕する事のどちらかが大事か何て。それこそ幼児にでも分かる。

分かっていないのは自称現実主義者だけ。

それだけだ。

無意味で徒労ばかりたまる会議が終わった後、夜遅くに帰宅する。

昔だったら、更に遅くなっただろうが、今は警察内部での改革も進んでいるし。多少はマシになっている。

それでも当直は必要になるし。

どうしても体を壊すような仕事をしなければならないタイミングもある。

警察は厄介な仕事だ。

警官だけは夫にするなと言う話が昔あったらしいが。

確かに二郎もそれ真理だなと思う。

メールを確認するが、宮藤班からの返事は無い。そうなると、まだ捜査にさえ取りかかっていないのか。

それとも例の凄腕プロファイラーが疲れて休んでいて、次の仕事にまだ着手していないとか。

或いは前に言われたのだが。

周辺情報が足りないとか、そういう事なのかも知れない。

まあ、それは明日だ。

宮藤班に次に回した事件だが、既に犯人は確定していて、捕まっている。殺人も起きておらず、未遂。

ただ殺意があったのは確定で。

その殺人未遂の過程が分かっていない。

このままだと、裁判で非常に不利になるので。

プロファイリングによって犯人の情報をしっかり洗い。犯人の退路をしっかり断ってほしい。

そういう要求なので、別に急ぎでは無い。裁判まで少し時間はあるし、急いでこいと促す必要もない。

では、今日はもう休むとするか。

ずっと足で稼ぎ。

犯人を捕まえてきた刑事二郎は。

家路に急ぐ。

自分には出来ない事を出来る者がいて、成果を上げてくる。

それならばそれでいい。

妙なプライドに捕らわれて、犯人を逃すよりも何百倍もマシだ。特にシリアルキラーを逃がした場合、その惨禍は目を覆うものになる。

警官はプライドよりも。

人々を守る事を優先しなければならないのだ。犯罪から。犯罪者から。

そのためなら、小さなプライドくらい捨てられる。

自宅は真っ暗。

後は疲れ切った体で家事を軽くする。家事を行ってくれるロボットを買おうかと思っているが、それにはまだ少し抵抗がある。

刑事としては、新しいやり方に抵抗がない二郎だが。

何しろ年老いた人間だ。

何でもかんでも、すぐに新しいものを入れるのには、どうしても抵抗が生じてきてしまう。

そういう年齢なのだ。

ため息をつきながら家事を終える。

もう二年ほど、家事を全自動で行ってくれるロボットを買うか悩んでいる。値段は下がり、性能は上がる一方だから、買うのは確かにアリだ。ただ、営業の駆け込みが五月蠅いのと、家の中に知らないものを入れるのが嫌だというどうでもいい理由が抵抗の原因になっている。

後は眠るだけ。

宮藤班だけが今回の事件を解決した訳では無い。

だが。出来れば更に緊密に連携を強め。無駄を減らして。警官の負担を減らせればなと、思ってしまうのだった。

 

4、本当の闇

 

実家に避難していた、被害者の特殊関係人に宮藤は話を聞く。

宮藤がいかついおっかない刑事では無く、飄々としたおっさんということで。

DVを受け続けていた被害者の特殊関係人。要するに愛人は。

このおっさんに害意は無さそうだとでも判断してくれたのか。

少しずつ、話をしてくれた。

それでも最初は口が重かったが。

罪の告白である。

笑顔で話を聞く。内心では、宮藤もハラワタが煮えくりかえっていたが。

悲劇のヒロインを気取った被害者の特殊関係人は言う。

怖くて家を逃げ出してしまった。

娘を置いて。

あまりにも暴力が酷かったから。

様子を見て、助けに行きたかった。

だけれども、その勇気がどうしても湧かなかった。本当に、娘には会わせる顔もない。そう顔を覆う。

だが、しばらく黙った後。

宮藤は言う。

言わなければ、ならなかった。

「貴方がするべきは、娘さんにこのおっさん越しに謝る事じゃない。 悪辣なヒモ野郎に引っ掛かった、己の心の弱さを悔いることではないんですかね」

少し厳しい言い方になるが。

これは、はっきりさせておかなければならない。

蒼白になった「悲劇のヒロイン」に対して、宮藤はあくまで柔らかい口調のまま。徹底的に辛辣に。

容赦なく現実を告げていく。

「死人は仏なんて言い方がありますがね、被害者は人間のクズでした。 どうしようもないヒモ野郎で、貴方だってすぐにそれに気付いたはずだ。 お嬢様育ちで、世間知らずだった何てのは関係無い。 夫を事故で亡くして寂しかった何てのも同じく。 そもそも前の夫の事は調べましたが、それで懲りなかった時点で色々と駄目ですよあんたは。 今の貴方に母親を名乗る資格は無い。 凶獣の目の前に、娘というエサをぶら下げたまま逃げ出したんだからね」

そして書類を出す。

娘を施設に入れる書類だ。

この女に、子供を育てる能力は無い。それは、どう客観的に判断しても明らかである。特にあのヒモ野郎の所に娘を置いて逃げ出したことは、重度のネグレクトにも相当する行為である。

故に、こういう判断をせざるを得ない。

此奴は悲劇のヒロインぶっているが、今回の事件を引き起こしたキーピースの一つでもあるのだから。

更に言うと、もう一つ理由があるのだが。それは此処では別に言う必要はないだろう。

しばらく顔を覆って泣いていた被害者の特殊関係人だが。一切同情する気にはなれない。母は強しなんて言葉がただの嘘だと言う事は、この女を見ていればすぐに分かる。強くなる母もいるだろう。

だが、それは例外だ。

そうでなければ、こう世の中に児童虐待が溢れているものか。

やがて女は押印した。

ため息をつくと、その書類を受け取って部屋を出る。すすり泣く声が聞こえたが、反吐が出る。

書類はしかるべき部署に提出しておく。

そして、ここからが、更に気が重い。

高梨から連絡があったのだ。

故に、それについて、確認を取っておかなければならない。

保護している、今の女の娘。

要するに、犯人である野中にたらし込まれて。被害者を直接殺した実行者である、特殊関係人の娘に会いに行く。

年齢もあり。何より犯罪を指嗾されたという事もあり。

今回は罪に問われることもない。

そもそも家政婦のように被害者に使われていて、学校にすら出向くことが出来なかったらしいし。

学校側も、一度怒鳴り返されてから、恐怖で家庭訪問さえしなかったらしいから、呆れかえる話だ。

被害者は死んで当然の人間だったが。

出来ればどっかでのたれ死にしてほしかったなあと言うのが宮藤の本音。

そして、人が死ぬと。

色々と面倒が周囲に生じてくるのである。

この件も、その一つだ。

まだ若い婦警が遊んであげていた娘。もう治療の結果、体中に残っていた暴行の跡や痣は消えているが。

それでも、目にはあまり光というか、意思の力が残っていない。

まだ十歳くらいなのに。

これはあまりにも残酷な仕打ちである。

だが、更に残酷な仕打ちを、これからしなければならない。

婦警に事情をつげ。

二人きりにして貰う。

逃げ出さないように、小さな部屋で話をする。

向こうは無言だったので。

敢えて、いきなり踏み込む。

「君は野中を利用したね?」

「……」

「野中があの男を殺そうとしていることに、君は気付いていた。 そして、野中の計画の細部を修正して、確実にあの男が死ぬようにした。 間違いはないかい?」

そう。

実の所、野中の人格が口を滑らせた内容だけでは、どうしても説明がつかない部分が幾つかあったのだ。

高梨による説明を受け。

石川はシミュレーションを再構築し。

佐川による分析が行われた。

これらによると、どうにも綺麗に被害者が転ばないのである。少なくとも、死体があった状況は再現出来なかったのだ。

かといって、高梨の強烈な能力については良く知っている。齟齬が生じるとは考えづらい。

分析を進めた結果、佐川が第三の要素を発見したのだった。

要するに、殺意を持って綺麗に被害者が転ぶように、事前に準備を。家の中にあったワックスを塗る必要があった。それも零れたフリを装って。

それが出来るのは野中でも。

この娘の母親でもない。

この娘自身だ。

十歳そこそこで、野中の犯行計画を全部理解していて。その上で、あの暴力クズ野郎を消すために、この子は行動した。

それを責められるか。

犯罪ではある。

十歳とはいえ、第一級殺人だ。

だから、施設に入って貰う。今後、この子を野放しにしたら、歪んだ成功体験から絶対に碌な事にならない。

それは分かりきっている事なのだから。

丁寧に全てを話すと。

十歳の子が見せるとは思えない。

凄まじい表情を、真犯人。角中聖羅は浮かべていた。

「そっか、ばれちゃったかー。 あのおばちゃん、私に良くするフリして、利用する気満々だったし。 それでじっさい彼奴を殺せそうだったし。 何より彼奴を殺した罪も被ってくれそうだったから、協力したんだよ」

「……どうして其処までしたんだい。 児相に相談は?」

「彼奴ってば鼻が利いてね。 私からスマホとか全部取りあげてたから。 相談なんてできなかったよ。 野中のおばちゃんも児相に相談したら彼奴を消せないと思ったのか、私をスマホには近づけなかったし」

「……」

「ああ、お母さん? お母さん馬鹿だから。 金持ちの娘って事しか取り柄が無くて、パパのいいなりのままだったし。 パパが四人もアイジンつくってたのにも気付いて無くて、葬式の時ずっと泣いてたんだよね。 アイジン達がそれ見てゲラゲラ笑ってるの見て、私何だか全部ふっきれちゃった。 その上あんなの連れてくるんだから、もう笑うしかないよね。 ママが馬鹿で頼りにならないんだから、私がやるしかなかったんだしね」

そうか。

荒れに荒れた家庭環境は、子供すらを阿修羅に変えるのか。

そしてこの様子。

高梨が再現した人格そっくりである。

高梨は真犯人は、野中より頭が切れるとずばり発言していたけれども。確かにそれは当たっていた。

ただし、この子のもくろみ通り。

野中には罪を償って貰う。

そしてこの子にも。

矯正施設にしっかり入って貰う。

今の矯正施設は、昔存在したような少年院とは別物に変わっているけれど。それでも苦しい思いはして貰う事になる。

婦警に入って貰い。無邪気な顔に戻った真犯人を連れて行かせる。

婦警は非常に複雑な顔をしていた。逃げられないように、複数のセキュリティを噛ませてあるが。

それでも外で話は聞いていたのだ。

無邪気な子供では無いことを理解し。

ショックは小さくないだろう。

「いやだねえ……」

宮藤はぼやく。

タバコは随分前に止めたが、こう言うときはほしくなる。しばらく貧乏揺すりをした後、部署に戻る。

石川が、問題となっている事件について、早速色々画像を組み立てていた。

「ふーん、うーん」

「どうしたね?」

「いやー、どーも妙なんですよねー。 警察側がくれた資料と、微妙に細かい所が一致しないというか」

「それなら、すぐに佐川ちゃんに相談。 後、高梨ちゃんは」

高梨なら、疲れて寝ているそうだ。

まあそれもそうか。

何をやっているかは、聞いている。

警察の最高機密の一つだ。

そして、頭の中に別人格を作る何て行為。そんな簡単にできるとは思えない。一度事件を解決すると、一日二日高梨は寝てしまう。栄養は点滴で補給されるようにはなっているのだけれども。

それはそれだ。

脳の酷使が尋常では無いのだろう。

仕方が無い事だとは言える。

「今回は急ぎじゃないからね。 ただ、おっちゃんはいいけど、二郎さんはとっても怖いから、いい加減な仕事はしないようにね」

「分かってますよ。 まあ犯人が覆ることは無いとは思いますけど、なーんか嫌な予感がするんだよなー」

「だから佐川ちゃんに連絡」

「あ、はいはい。 チャット立ち上げないと」

ため息をつく。

この辺り、石川は出来る奴だけれど、彼方此方抜けている。此奴を抜擢する時には、元いた部署では「使えない」とまで言われていたのである。

だが実際には、此処までの活躍を見せているし。

裁判の際にも、ぱぱっと現場の再現映像を作ってみせる。それも一切の矛盾もなく、である。

有能さは明らかで。

こんな人材を眠らせていた連中の方が使えないのは明らかだ。

休憩室に出向いて、ぼんやりする。

仮眠を取るほど疲れているわけではない。

かといって、タバコは止めた。

しばらくスマホを弄って、ホラー動画でも見ることにする。宮藤はストレスがたまったとき、一時期量産されたスットコ低予算ホラー映画を見ることで、気分を晴らすようにしている。

今見ているのは、驚きの低予算で作られた茸怪人の映画である。

見ているだけで笑いがこみ上げてくるので、ホラーという設定だが実質上はお笑い映画に近い。

優しい笑みが浮かんでくる。

何せこの映画。

駄目映画なのは分かるのだが。

作っている者達は、楽しみながら作っているのがすぐに分かるからだ。

確かに本当に駄目な映画だが。

愛はあるのだ。

たまに気が向くと、かの伝説の駄目映画監督、エドウッドの映画も見たりする。

こっちは更に限度を超えてつまらないが。しかしこちらも、愛があるという点では同じである。

本当に駄目な映画でも、愛があると、何処かでクスリと出来てしまう。映画が見る睡眠導入剤と称されるほど駄目でも、である。

今のスマホは電池関係の問題が解消されており、映画を見る程度ではまるでびくともしない。

しばらく愉快な駄目映画を堪能した後。

腰を上げようとすると、連絡が入った。

「石川ッス」

「どうしたの? おっちゃんこれからそっちに戻る所なんだけど」

「あー、ちょっとまずいですねコレ。 見つけましたよ矛盾点。 犯人は覆らないんですけれど、これ意図的に仕組まれてます。 下手すると、裁判で大幅に減刑されるところでしたよ」

「そっか、今から行くからちょっと待っててね」

通話を切り上げると、二郎に連絡。

二郎はそうか、というと。時間を稼いでくれると言う事だった。

さて、此処からだ。

高梨に連絡は必要か。

石川と佐川だけでどうにか出来るか。

出来るとして、説得力のある資料に仕上げられるか。

その辺りは宮藤の腕次第である。

そして、宮藤の活躍次第では、犯人の邪悪なもくろみを打ち砕くことだって出来る。そうなれば、適切な法の裁きにつなげられるのだ。

伸びをすると、部署に戻る。

ここからが宮藤の仕事。

パシリといわれようがどうであろうが。

今、宮藤の仕事は。

とてつもなく重要なのである。

 

(続)