自由の枠組み

 

序、賽の河原のひととき

 

其処は、どこまでも広がる白い空間だ。

奥から流れ来る河は、深さも知れない。

空には分厚い雲が懸かっていて、遠くまで見えない。薄暗い世界。

河原、なのだろうか。

無数に積み重なった大量の丸い石が、其処が上流では無く、下流であると告げてはいたが。どこの河かさえも分からない状態だ。

上流か下流か分かったところで、何の意味があるだろう。

そもそも、自分は一体誰だろう。

ぼんやりと辺りを見て廻る。

丸い石だけ。砂も見当たらない。河原としては、異常だ。

「あれあれー?」

上から声が掛かった。

見上げると、凄く大きな子供が、膝に手をついて、此方を見下ろしていた。

しかもどういう趣味なのか、虎柄の毛皮を着込んでいて、背中には鉄棒。背丈は、人間とはとても思えないのだが。手足の縮尺や、何よりあどけない顔立ちが、子供だと告げているのだった。

「なんでお姉さん、賽の河原に迷い込んでるの?」

「はあ? 賽の河原?」

それは確か、地獄だかにあるとかいう奴では無いのか。

子供が見下ろしてくる。小首をかしげる様子は、妙に可愛らしい。

「格好も亡者のじゃないね。 それ、ビジネススーツって奴でしょ。 ひょっとして、ちゃんと死体が残らなかったのかな」

「ビジネススーツ……」

自分の格好を見下ろす。

そうだ。この服は。

少しずつ、何が起きたのか、思い出してきた。確か、就職活動に向かって、その先で。何だか分からない内に、意識が消し飛んだ。

確か、タクシーに乗っていたはず。

「ああっ! やっぱり!」

子供が眉を八の字にして、素っ頓狂な声を上げる。

操作しているのは、スマホか。いや、スマホだったとしても、大型モニタ並のサイズだが。よく見ると、見た事も無い型式だ。やはりスマホでは無いとみるべきだろう。

「お姉さん、死体木っ端みじんになっちゃったんだね。 可哀想に。 それで、別の人が本来行く地獄に来ちゃったんだよ。 最近よくあるんだよ、こういうの」

「ちょっと待て、意味が分からない。 今、私は、此処に存在しているだろう」

「そう思ってるだけだよう。 お姉さんの意識は、自分が死んだことを認識できていないの。 現実世界だと、ほら」

見せられたそれに、息を呑む。

爆発事故。

湾岸地区で、工場から引火性のガスが漏出し、近くの道路を巻き込み、爆発が巻き起こった。

死者、行方不明者、合計二百六十人。

この国における爆発事故としては、最大規模。

現場の惨状も映し出されている。

これは、あのタクシーの人も、助からなかっただろう。

「だいたい地獄ってなんだ。 私が何をしたっていうんだよ。 天国に行くとも思わないけど」

「うーん、流石に天国行きの人が地獄に落ちたってのは聞いたことが無いよ。 多分最初から、お姉さんは地獄行きだったんだと思う」

「地獄地獄ってなあ……」

「大丈夫、地獄ってちょっとしたことでも億年単位で落ちるものだから。 お姉さん、多分虫とか踏んづけて殺したんじゃ無いのかな。 それでも地獄行きは確定だからね。 天国に行ける魂なんて、年に何個も無いんだよ。 特にお金持ちやお坊さんは地獄行きの確率が高くてね。 お金持ってると、人間って駄目だねー。 やっちゃだめって事ばっかりするんだから」

さらりと言われた億年単位という言葉に、思わず凍り付いてしまうが。

虎毛皮の子供は、にこやかに言うのだった。

「とりあえず、今他の地獄にも照会してもらってるから、その間は此処で仕事を見ていてよ」

「仕事だ?」

「実際には、地獄で行われるのは責め苦じゃ無くて、強制労働なの。 だってさ、どうせ悪人をどんだけ虐めたって、改心なんてしないでしょ。 それなら、世界のためになる仕事をさせた後、魂は浄化して、輪廻に戻した方がいいじゃない」

「ついていけない。 というか、帰らせろ」

げんなりしたが、虎毛皮の子供はむんずと此方を掴んで、まるで人形のように持っていくのだった。

大きさが違いすぎるから、どうしようも無い。

手加減をして、潰さないように持ってはくれているようだが。何しろ図体がばかでかいから、歩く度にもの凄い衝撃が来る。

「あ、タカちゃーん」

手をぶんぶん振り始める子供。

同じ用に、虎縞の毛皮を着た、ばかでかい子供がいた。同じように女の子のようだが、ずいぶんむっつりしている。人なつっこい此奴とは偉い違いだ。

「見つけたよー。 そっちは?」

「連れてきた。 もう隕石は駄目」

「分かってるってば。 あれはもうしないよう」

ばらばらとばらまかれる人々。

殆どは死に装束だが。中には、普段着らしいのを着ている者もいた。

その全てが、子供である。

どれもこれもが、無気力そうな表情をしていた。今時の子供でも、此処までやる気がなさそうなのはなかなかいないだろう。

だが、心が瞬間的に沸騰する。

「おい、子供を地獄に落とすって言うのか! いくら何でもやり過ぎだろ! 今すぐ責任者だせ! 説教してやる!」

「責任者? 大昔は閻魔大王様が一人一人面倒見てたみたいだけれど、もうとっくに機械化されてるよ。 だから、地獄はそれぞれが鬼達の裁量で廻ってるの」

「夕子、お前博識だな」

「だって、暇なんだもん。 お勉強くらいするよ」

もう一匹のデカイ子供に返す虎縞。

げんなりし始めたが。とにかく下ろしてもらったので、下から巨大子供を見上げる。

「で、お前らは」

「私はこの地獄、賽の河原の統括鬼の水沢夕子。 こっちは同じく高島ののちゃん」

「なんでそんな今風の名前なんだよ」

「名乗ったんだから、貴方も応えてくれないかな、お姉さん」

この会話だけで疲れ果てたような気がするが、応えないと五月蠅そうだ。大きく嘆息すると、言う。

「大井素子。 大学三年生だ。 いや、大学三年生、だった」

流石に、もはや認めざるを得ない。

この異様な空間が、地獄である事を。

 

1、永遠に終わらない地獄

 

照会が終わるまで、素子は何もしなくて良いと言われたが。しかし、子供達が虐待されるのを見ているのは、流石に不快だ。

少しずつ、自分の事を思い出しはじめていた。

大学三年の末。

就職活動をしていた素子は、教授の推薦状を持って、毎日彼方此方の企業を走り回っていた。

文系だった素子は、この就職難の煽りをもろに受け、既に八十社以上を廻っていた。それでもどうにもならない面接を繰り返し、心身ともにすり切れかけていた。だが、文系の学生は皆同じだ。

まだ、理系の方がマシ。

そんな状況とはいえ、その「マシ」の部分が、実際どれほど大きいか。

今日は駅からかなり遠い所に面接会場があり、タクシーを使って向かった。勿論自腹である。

皆、就職活動には必死だ。

当然の話で、就職に失敗すれば、その時点で破滅が確定だからである。この国では、一度でもドロップアウトすれば、それは死を意味している。減点法が基本となっているために、何か一つでも汚点があれば、人間扱いされないのである。

まして女子は。

タクシーの中でも、素子はずっと厳しい顔をしていた。

面接官の中には、露骨なセクハラをする者もいる。勿論訴え出ても、何ら意味は無い。世界でも最も豊かな国の一つなのに。

どうしてこの国は、こうも暮らしづらいのだろう。

それ以降の記憶が無い。

どうやら、其処で、工場の爆発に巻き込まれたらしい。

見ている先で、子供達が、実に無気力な様子で石を積んでいる。

夕子とののとやらは、子供達に強制はしていない。それなのに、どうも子供達は、命令に逆らえないらしいのだ。

「はい、歌ってー」

「一つ積んでは、母のためー」

「二つ積んでは父のためー」

「おい。 ののとかいったな」

主に手を叩いて、子供と歌っている夕子を一瞥しながら、素子は言う。

ののは、むっつりとしたまま、此方を一瞥した。

側で見ると、ののはへの字とか言われる口元だ。口を開くと三角形になるが、近年のアニメではデフォルメ表現として人気がある。実際、素子も、そういったアニメは何度か見た。

「なあに?」

「あれがどう世界のための強制労働なんだよ」

子供達は石をひたすらに積む。

ののはぼーっと突っ立っていたが、素子が声を少し荒げると、面倒くさそうに応えてくる。

「あんまり詳しく知らないけど。 確かあの石を順番に積んでいくことで、何だったっけ……ええと、世界の時間を、スムーズに流せる、だったか」

「はあ? どういうこった」

「ののは分からない。 話を聞きたいなら、あいつに聞け」

とはいっても、夕子はかなり忙しそうだ。

石を一つ拾い上げてみた。覗き込んでみると、吸い込まれるような美しさだ。しかも、適度に平べったい。

石はどれも丸いから、下流だと思っていたのだが。

ひょっとしたら、違うのか。

「なあ、此処って下流だよな。 上流に行くと何がある」

「あまり詳しくないけど、何万キロも先に三途の川の渡しがあるとか」

「は? 何万キロ!?」

「地獄って、広い。 此処は二人いるけど、鬼が一人で見てる場所もある。 だから、鬼は亡者を監督できるように、強制労働権が与えられてる」

あっと、子供が声を上げた。

積んでいた石が、消えてしまったのだ。せっかくかなり高く積み上がっていたのに。唖然とする子供。

だが、かがみ込むようにして、夕子がその子供を慰めた。

「大丈夫。 今のは上手く行ったんだよ」

「えー?」

「これで、君の刑期はぐっと短くなったよ。 泣かないで、頑張って石を積もう? そうすれば、地獄から早く出られるからね」

それは、本当なのか。

ふと気付くが、石はどうも同じような形のものが、多数並んでいる様子だ。ひょっとすると、これは。

「おい。 手伝ってやっていいか。 子供にあんな事ばかりさせて、見ているだけなんて性に合わん」

「駄目」

「どうしてだ」

「貴方を此処に連れてきてしまったのは、此方のミス。 だからといって、此処の地獄の事に関与するのは無し」

意外と管理がしっかりしている。

見ていると、子供達はどうも無計画に石を積んでいる。或いは、だが。

散らばっている石を観察していて、気付く。

やはりこれは、積む順番が決まっている。

しかし、そうだと教えることは出来そうにない。先ほど言っていた監督権という奴なのだろう。

ののはずっと私の側にいて、遠くから夕子がやる事を見ている。

この子は自分の力がおとることを自覚しているようだが。しかし、かといって、無能では無い。

きちんと何をすべきか理解して、動いている。

まだ子供のようなのに。たいしたものだ。

石を幾つか拾っては、順番に並べてみる。膨大な石が辺りにはあるから、組み合わせるのは難しくない。

一つ、また一つ。

組み合わせながら、聞いてみた。

「それで、世界の時間をスムーズに流して、どうする?」

「だからよく知らない」

「知りもしないのに、働かせてるのか」

「そうだ。 だって、そうしないと、私達も仕事が無い」

前言撤回。

此奴は仕事は出来るが、あまり有能とは言えない。

というよりも、典型的な日本型サラリーマンだ。女の子だが。

要するに、自分のやるべき事については興味があるが、それ以外はどうでもいいと考えているタイプである。

相変わらず、子供達に変な歌を歌わせて、夕子は労働を先導している。

そろそろ介入したいのだが。

手元には、丁度十三個の石を積み上げた塔が出来た。同時に、石が消える。一瞥だけしたののが、機嫌が悪そうに言う。

「石を消しても、本来の地獄での刑期は変わらない」

「分かってるよ。 暇つぶしだ」

「地獄では、おなかも空かない。 しばらく、横になっているといい。 多分眠れないけど、ぼんやりはできる」

「そんな気分にはなれないね」

というよりも、歌が五月蠅いし、石だらけで寝られそうに無い。

石をどけていって見て、気付く。

掘っても掘っても石が出てくる。

これは、石を載せるための、比較的安定した場所が必要だ。その上、順番を揃えていかないと、石を積み上げることは出来ない。

なるほど、それらは子供には少しばかり荷が重い。

これは、れっきとしたゲームだ。

しかも、今歌わされているような子供達には、少しばかり荷が重い。かなり不公平な出来レース。

幾つか試してみたが、やはり石には決まった形が存在している。

それを順番に並べることで、はじめて消える。

今、夕子はノリノリで、手を叩いたり踊ったりして、子供達を働かせているが。子供達も、つかれている様子は無い。

やはり此処が地獄だからか。

それはそうと、確か億年単位で地獄の労働はさせられるとか言っていたか。そんなものに、つきあっていられるわけが無い。

「一つ聞いて良いか」

「内容次第」

「この石、一セット消すと、どれくらい刑期が縮まる」

「だいたい五万年って聞いた」

だからなんだと、此方を見るのの。

五万か。

つまり、二千セットで億。

しかも子供のまま進歩しないとなると、二千セットどころか、どれだけ頑張っても数百セット消せるかどうか。

そんなものを、一人一人が億年単位で地獄にいなければならないというのか。

巫山戯ている。

理不尽だ。

だが、就職活動で、嫌と言うほど理不尽は見た。

子供達に、介入は出来ない。ののが見張っているし、夕子も好きなようにはさせないだろう。

しかし、どうもかんに障る。

子供をあのようにして働かせるのを、黙って見ているのは。やはり虫が好かない。地獄だか何だか知らないが、どうにかして潰してやりたい。

夕子が此方に来る。

冷静に見ると、身長十二メートルという所か。桁外れにでかいが、多分それが故なのだろう。手足が短いさいころ体型なのは。

触ってみると、ぷにぷにしていて柔らかい。

地獄の鬼と言うのも、案外可愛いものだ。ただし、可愛いからと言って、子供の虐待は認められない。

虐待では無いかも知れないと、一瞬思ったが。しかし、嫌がる子供に労働させるのは、やはり嫌だ。

「タカちゃん、そろそろ代わって」

「分かった」

タカちゃんというのは、高島だからか。

ののが此方の側に座ったので、聞いてみることとする。

「時間の流れをスムーズにするとは、どういうことだ」

「ううんとね。 世界には時間がきちんと流れていない場所がたくさんあるの。 代表例が、ブラックホールだね」

「地獄でブラックホールなんて言葉が聞けるとは思わなかったが」

「ちゃかさない。 此処ではね、決まった組み合わせの石に見える圧縮時空間を連続させる事で、ブラックホールに生じている時空の歪みを強制的に解除して、蒸発させているんだよ」

それが本当だとしたら、とんでもないテクノロジーだ。

そんなテクノロジーを刑務所同然の場所で使い、しかも子供達にやらせるとは。子供達が何の罪を犯したというのか。まだ、あんなに小さいでは無いか。

「あの子達は、何の罪を犯したのか」

「親より先に死んだんだよ」

「……!?」

「親より先に死んだの。 地獄に行く理由になるんだよ、それが」

思わず激しい言葉が出そうになったが、のど元で飲み込む。

そんな事は、あの子達に何も関係などないではないかと言おうとしたのだが。夕子は非常に憂鬱な表情を浮かべている。

地獄の、仕組みは。

此奴らも、しっかり縛っているという事か。

なるほど、だから楽しく歌いながら、刑期を少しでも縮めようというのだろう。此奴なりの優しさなのか。

「他にはどんな地獄がある」

「主に八段階あるけれど、彼方此方で担当が違ってるから。 ときに素子さんは、人とか殺してないよね。 面白半分に」

「するわけないだろ、馬鹿っ」

「それなら、最悪の地獄には落ちないよ。 まあ、普通の人だったら、多分累計で五百億を越えることは無いと思うから、多分焦熱地獄くらいかなあ」

さらりと五百億とか言われた。勿論それは年単位だろう。日だとしても気が遠くなるほどの年月だが。

もし此処で、五百億年の刑期を消耗し尽くすとすると。

二千で億だから、その五百倍。百万か。

一人でそれをやるのか。しかのあの歌を口ずさみながら。気が遠くなる作業だ。たとえば、一分に一個完成させたとしても、百万分。一日が1440分だから、フルに働き続けても二年くらいかかる。

絶対嫌だ。

で、焦熱地獄とやらは此処よりマシなのだろうか。

焦熱という位だから、熱に関係する地獄だろう。丸焼きにでもされるのか、それとも姿焼きか。

で、そこにいる巨大幼女みたいのにばりばり喰われる訳か。しかも喰われる度に再生すると。

糞便から再生して、また焼かれて、また喰われて。

考えたくない。

一回ごとに五万年刑期が縮むとしても、冗談じゃあ無い。

地獄だからどうせ死なないというおまけ付きなのだろうが、それでも絶対にやだ。どうしてこのようなことになったのか。

「このアホみたいな刑期の設定は、誰がしたんだよ」

「そりゃ、閻魔大王様……いや、確か大日如来様でしょ」

「誰だよそれ」

「宇宙の最高神だけど」

ならばそいつに直接文句を言いたい。

しかし、どうやったら文句を言うことができるのか。会長に直談判をするのとは訳が違う。

総理大臣と直接話すようなものである。しかも、アポ無しで。

「お前らは、鬼なんだろ? 悪者じゃ無いのか?」

「違うよ。 基本的に私達は、夜叉とか羅刹とかマーラ様とかも含めて、みんなそれぞれの役割を果たしてるだけの公務員なの」

公務員だと。

殺意がわいてきた。

国家一種の難易度を見て尻込みして、結局受けることが無かった。

此奴らが公務員だとすると、何だろう。

市役所の役員程度だとすると、地方公務員か。どっちにしても、今の素子よりも、ずっと上の給料をもらっているに違いない。

「しゅ、出世とかは?」

「適性があわないと部署移動とかはあるらしいよ。 前に此処にいたおじさんの鬼は、子供達を殴るわ叩くわ怒鳴るわで、怯えた子供達が石をぜんぜん積めなくて、業績が上がらなくて異動になったらしいもん。 確か無間地獄に転勤だとかで、そっちでなーんにもない空間でノルマ分の拷問をした後は、亡者達と毎日ぼけっとお空見てるんだって。 お空にも何も無いけど、きっとネットにさえ飽きちゃったんだね」

「何その窓際族」

「私達も公務員だから、結局ノルマなんだよねえ。 あ、でも確か、お姉ちゃん達のいた時代の日本も同じだったっけ」

夢も希望も無いとはこのことだ。

また、手早く石を積み上げて、消す。

おおと、夕子が感心したように言った。

「さすがは大人だね。 でも、刑期は縮めてあげないよ」

「刑期刑期っていうけどさ。 その内訳って見られないわけ?」

「見られるけど、検索にちょっと時間が掛かるかも」

また巨大スマホを弄りはじめる夕子。

向こうでは、黙々とののが作業を進めさせていた。子供達は真っ青になったまま、石をひたすら積んでいる。

仕事をさせるという点では、夕子の方がやはり数段上手だ。

なんだかんだで歌の力は大きい。

子供達は無言で仕事をしている。普通だったら親の所に帰りたいとか泣くだろうに。そうならないのは、監督権とかを行使してる、という事なのだろう。

「検索できたよ。 ええと、あれ」

「何だよ。 一兆年とかか」

もう何年でも驚かない。いきなり億とか無茶な単位が出てきているのだ。或いは京か、もっと上の単位か。

というよりも、何だか不思議な話なのだが。今の素子は、地獄に就職したような気分になっていた。

結局の所、此処を見ている限り、会社で仕事をするのも、地獄で責め苦に遭うのも、同じように思えてきたからだ。

鬼はそのまま上司。

仕事をしているのは、「社会の荒波」とやらにもまれる愚民共。

技術も経験も全て軽視され、主体性も無いコミュニケーションとやらだけが重視される日本の会社よりも、むしろ実績を上げていることで左遷されたり出世したりするこの地獄の方が、まだマシでは無いのか。

「あちゃあ。 こりゃ、見ない方が良いよ」

「何だよ、気になるだろ」

「うん、それが……」

巨大スマホを隠して見せないようにする夕子。

その表情があまりにも同情を誘うものだったので、隙を見て覗いてみる。そして、がっくりした。

素子の所には、刑期が書かれていない。

かといって、天国に行くわけでも無い様子だ。

「どうやら、素子お姉さんは、此処に間違いだったり、無意味に来た訳じゃないみたいだね。 多分鬼候補として、派遣されてきたんだと思う。 説明に何処かで行き違いがあったんだよ」

「な……」

何だってー!

絶叫した素子を、子供達が虚ろな目で見た。

 

2、初任給までの路

 

それから少しして。

空が曇ったかと思うと、毛むくじゃらの手が伸びてきて、いきなり素子をわしづかみにした。

その大きさたるや、夕子やののよりも更に上だ。

「あ、泰山王さま!」

「た、泰山王!?」

聞いたことも無い名前だが、夕子が無邪気な笑顔を浮かべて手を振っている所を見ると、上役で、しかも慕われているという事なのだろう。

ぐんぐん雲の方へ運ばれていく。

こうなれば、どうにでもなれだ。

雲を突き抜けると、いきなり中華風のどでかい屋敷が目の前に。そして極めてシュールな事に、井戸から伸びていた巨大な手が、素子を離すとするすると引っ込んでいった。井戸の脇には滑車を廻すこれまた巨大なコドモが二人。どっちも虎柄の服を着ている。

「泰山王さまー! 捕まえました!」

「連れてきた、だろう」

「えへへー」

怒られたのに嬉しそうに頭を掻くのは、夕子よりも更に頭が悪そうなコドモだ。言動からして、実際にはきちんとした知性を備えていた夕子と違い、ガチで子供だろう。隣のが、鼻水をかんでやっている。ちーんという音がしたので、げんなりした。どっちも背丈は十メートル以上はある。体型や幼い顔立ちから、コドモと判断できるが。

屋敷の奥から、声が響いてくる。

「大井素子。 此方に来るように」

「ああ、もう。 はいはい、行けば良いんだろ」

ビジネススーツの埃を払って、素子は歩き始めた。

地面はある。

雲の上だからふわふわしているのかと思ったら、そんな事も無い。

地面は土色で、感触もしっかりしている。

巨大建造物は、とにかくスケールが凄い。柱は大木のようで、真っ赤っか。天井はそれこそ、どこの体育館だと言いたくなるほどに高い。

辺りには、子供では無くて、大人の虎縞がたくさん立っている。手には槍を持っているが、何と戦うつもりか。背丈は十五メートルは軽くあるようだし、恐竜とでも戦うつもりなのか。

一番奥に、泰山王とやらはいた。

いわゆる道服を着て、口ひげを蓄えた、大変に風格があるおじさんだ。被っている冠は、西洋風のきんきらきんでは無くて、皮や布で出来ている様子である。顔立ちは強面だが、雰囲気はそれほど怖くない。

「どうも情報の伝達が混乱していたようで、すまなかったな」

「もういい。 それで、何がどうなってるの?」

「既に鬼達から、事故に巻き込まれて死んだことは伝えられているだろう。 お前は鬼としての適性が見いだされ、ここに来た」

「鬼、ね……」

泰山王は、時間はいくらでもあるとでも言わんばかりに説明してくれる。

そもそも地獄というものは、世界の仕組みを維持するための、工場。言い方が悪いが、一種の強制収容所に近い場所だという。

人間に限らず、生物は魂なるものを持っており、死ぬとこの工場へ放り込まれる。

悪人だろうが善人だろうが、結局の所人間ふぜい。余程の特性が無い限りは、強制労働をさせた後、魂を初期化してまた輪廻の輪に放り込む。

「何だそれ。 夢も希望もないじゃないか」

「では聞くが、お前が生きていた世界で、夢や希望はあったのか。 少なくともお前がいた21世紀日本では、夢を持てば馬鹿にされ、希望を持てば嘲笑われていたはずだったが?」

返す言葉も無い。

子供の時代から、夢を持つものは愚か者。希望を持つものは現実を見ていない。そういう考えが、社会に普遍的なものとして広がっていた。

うんざりはしていたが、それが現実だという考え方で、全てが肯定されていた。

「此処も同じ。 ただし、人間より多少ましな存在が、世界を動かすシステムを稼働させやすくするために作り上げたのが、地獄だと考えればよろしい」

「システムね……」

子供達を強制労働させるのも、そのシステムか。

だが、泰山王とやらは、見越したように言う。

「お前の世界でも、子供は国によっては働かされていただろう。 いや、お前の国でも、人によっては働かされていたはずだ。 子供の魂が純粋などと言うことはないし、労働すれば見返りが与えられるだけ、此処の方がましだと思えるがね」

「気に入らない」

「そうだろうな。 だが、この宇宙を動かしていくためには、誰かが働くしかないし、輪廻を維持するためには、魂の初期化は必要だ。 人間などと言う残虐な生物に産まれた以上、記憶や知識を残したまま転生させれば、災厄がそれだけ積み重ねられるだけ。 まあ、そう言うことだ」

納得は行かないが、反論も出来ない。

じっと見上げている素子に、泰山王は咳払い。本題に入った。

「それで、どうしてお前が鬼として選ばれたか、だが。 別に罪があるなしではなく、単に特性の問題だ」

「特性、ね。 ひょっとして天国行きの人間も、その特性とやらで選ばれるの?」

「そうだな。 ごくごく希に、天国に行けるほど魂が清らかな人間もいるようだが、それは特級の例外に過ぎぬ。 所詮は人間、死んだらあらかたが地獄行きよ。 お前も当然地獄行きの一人だったわけだが。 まあ、たまたま特性があったから、鬼として働いてもらう。 残念ながら、これは決定事項だ」

選択権は無いか。

しかし、生きていたとして、素子に未来などあったのだろうか。

劣化と老化が激しい会社の仕組みの中に就職戦争をくぐり抜けて入ったとして。どうせ任せられるのは茶汲みか事務だ。

管理職になるにはだいたいの場合、コネが必要だと聞いたことがある。枕営業をしたり、親の七光りを使ったり。海外ではコネも実力の内だとかほざく馬鹿がいるらしいが、そんなのは知ったことでは無い。

特性などで、しかも鬼になるなんて。

「考える時間は?」

「拒否権は無いといっておろう。 此処からはノルマと仕事の世界だ。 鬼として仕事をこなしていけば、当然出世もある。 最終的には、閻魔大王の側近として、亡者達を管理する立場にもなれる」

それは、どんな仕事なのかよく分からないが。

いずれにしても、くだらない仕事をして、お茶くみをしたり、体がぼろぼろになるまで働かされたあげく、どうでもいい男と結婚して子供を産み、老人になって井戸端話を続けるよりも。まだマシな気がした。

 

どうして、仕事をすると言ったのだろう。

自分の家が与えられているというので、宮殿を出て其処へ向かう。バスや電車は無い様子だが、その代わり、竜を貸し出してくれるという。

あの、昔話に出てくるような、長い奴だ。

竜は指の数が多いほど格が上がるとかいうが、貸し出された竜は指が二本しか無い。最下級の竜だとかで、知能も殆ど無いそうだ。ただし鬼を襲うような事は無いという。

竜には御者もいる。

鬼では無くて、亡者の中から適性があったものが選抜されているとか。

色々話を聞いていたが、なんだかんだでインフラはしっかりしている。宮殿を出て数分も歩くと、タクシーの待合場みたいな所に出た。

空にはたくさん竜が飛び回っている。それぞれが数人の鬼を担当しているとか。

鬼の家は、この宮殿のように、彼方此方の空に泡のように浮かんでいるという。鬼になってから結婚したりする者は殆どいないそうで、どこの家も一人暮らしが基本だそうだ。食事も睡眠も鬼には必要ないので、家は本当に休憩と娯楽のためだけにある。

家にはネットや情報端末も完備してあるとか聞いているが、大変なハイテクぶりである。もっとも、時間はそれこそいくらでもある。最初は仕事をさぼる鬼もいるそうだが、その内飽きてしまって、仕事を嫌でも始めるのだとか。

竜が降りてきた。

その頭に乗っている御者が話しかけてくる。竜は退屈そうに、辺りをきょろきょろと見ていた。

「ええと、大井素子様。 ああ、新人の方ですね」

「まあ、そうだけど」

周りには、十何メートルもあるような鬼が、闊歩している。

一度踏まれたが。死ななかった。

本当に死んでいるのだと実感したのは、その時かも知れない。

竜は最下級とはいえ鬼を乗せられるだけあって体長五百メートルくらいはありそうだ。御者はよくこんなトンデモ生物をしつけられるものである。

「家にお帰りですか」

「そうだよ」

「分かりました。 お乗りください」

間近で見ると、御者はいわゆる月代を剃っていて、江戸時代の人みたいだ。勿論髷も結っている。

冗談では無く、江戸時代の人なのかも知れない。

「お客さん、日本人?」

「見ての通りだけれど」

「日本人は勤勉だから、鬼の適性者が多いらしいんですよねえ。 同じアジア系でもぴかいちだとか」

「全く嬉しくないんだけれど」

手を貸されて、竜の上に引っ張り上げられる。

まさか棘だらけの背中にダイレクトに乗るのかと思ったが、輿のような部分があって、しかも頭の方に向けて橋のようなものも作られていた。

輿の中に案内される。

椅子もあるし、時刻表も据え付けられていた。ベルもある。

問題はサイズが大きすぎて、とても座れないことだろうか。

「どうして私のことが分かったの?」

「泰山王様が、新人を任せてくれると言ったので、待っていました。 何しろ退屈ですから、鬼の皆さんは全員顔を覚えています」

「へえ……」

隅っこの方に、手すりのようなものがあったので、言われるままに掴まる。

御者が促すと、竜が空に舞い上がったのが分かった。

竜の頭の方で、御者は運転をしている。ベルや通話装置はずっと上の方にあって、手が届きそうに無い。

なにしろとんでもなくでかい竜なので、揺れも半端では無い。

必死に掴まっていないと、生きた心地がしなかった。

十分ほどで、家とやらにつく。

こぢんまりとした、小さな家。

いや、これは。

生前に暮らしていた、実家だ。中に入ると、誰もいない。電気は通っているし、たしかこの間、バイト代を貯めて買ったPCもある。

「それでは、私は帰ります。 仕事場に行くときは、ベルを鳴らしていただければ、すぐに来ますので」

「んー」

御者が、竜に乗ると、遠ざかっていった。

見ると、どうみても時速数百キロは出ている。さすがは竜。トンデモ生物にもほどがある。

家の中を見て廻るが、本当に実家だ。

両親は少し前に死んだから、今はもう売り払ってしまって、別の人が住んでいるはずなのだが。

蛇口を捻れば、水が出てくる。

テレビを付ければ、地上波もBSも映った。それどころか、説明書を見ながらリモコンを動かすと、世界各国のテレビまで映るようだ。

机の上に、メモ紙がある。

配達サービス完備。食糧以外は、何もかもお届け可能だとか書かれている。テレビゲームや書籍、家具や宝石の類まで、何でもござれだ。食糧については、届けられることは届けられるが、口にするのは止めた方が良いとわざわざ書かれていた。食事も必要が無い現状、確かになにかリスクがあるのかもしれない。

やたらめったら福祉厚生が充実しているが、これはあまりにも退屈な時間を、超超長時間過ごさなければならないことに対する配慮なのか。

クローゼットには、生前愛用したパジャマまで入っていた。正直顔が引きつる。下着なども、しっかり準備されている。

この苛立ち、どこにぶつけたらよいものか。

風呂に入るが、湯加減は完璧。頭を洗ってパジャマに着替えて。死ぬ前に読みかけだった漫画を読み終えると、する事が無くなってしまった。

とりあえず、ベットに転がる。

あの虎柄を着なければならないのかと聞いたが、別にそれで無くてもいいと言われている。

それだったら、ビジネススーツなどで無くても良いだろう。

確か、レジャー用に買ったよそ行きのがあったはず。山登りなどを考慮しているものだったから、外で激しく動くには良いだろう。

テーブルの上にあったメモ紙を持ってくる。

素子の配属先は、賽の河原。

つまり夕子やののが先輩になると言うことか。資料を見るが、配属される場所は違うらしい。賽の河原は現在二万の区画に分けられていて、その中の2251区画に配属されるという。

先任者の鬼が実績を上げられず、大叫喚地獄行きになったからだとか。

鬼は基本的に、有能な者ほど、重要な地獄に廻されるという。

本物の外道や悪人が落とされる地獄の深層は、世界にとって必要な労働をする場所よりも、懲罰を行う場所の側面が強く、鬼の有能さはあまり関係が無いのだとか。

それよりも、浅い層の地獄は、世界の維持管理のために重要な仕事を亡者達にさせる場所であり、有能な鬼が頑張ると、それだけ世界のためになるのだとか。

ベットに横になってごろごろしながら、素子は嘆息する。

拷問なんてきらいだ。

深層の地獄に行きたくなければ、賽の河原で頑張らなければならない、ということか。

給料などの体系についても書かれている。日本円での換算額が書かれているのも、また面白い。

ざっと計算すると。基本的に鬼には、基本給で日本のサラリーマンで言うと、大企業の課長クラスくらいの報酬がでるようだ。

これに、仕事による功績額が上乗せされる。

つまり寝ていても、相応の収入は入ると言うことになる。ただし、仕事をする期間がとんでもなく長いのだが。

給与の配給間隔が、二千五百年とか言うから笑ってしまうでは無いか。

ただし、現実世界と此方の世界、鬼の感覚時間は、いずれもが大きく乖離している。説明によると、賽の河原での二千五百年は、現実世界における数ヶ月分くらいの認識だとか。それでもちょっと長いような気がするが、まあいいだろう。

姿を変えることも出来るという。

鬼には監督権をはじめとする幾つかの特権が与えられているが、その一つ。亡者を効率的に動かしたり、仕事をするためのものだとか。

頭が四つとか、猛獣みたいな怪獣みたいな姿とかにもなれるというが、気が進まない。勿論巨大化も出来るという。巨大化は、周囲にあわせてしても良いかもしれないが、それも今はちょっと嫌だ。

角についてはどうなのだろうと調べて見る。

角は、鬼の階級を示しているとかで、公式の場ではつけるのがマナーだという。今の時点で、素子は角一本。最高位の鬼になってくると、角を何十本を頭から生やすのだとか。そういえば、泰山王の護衛についていた鬼達の頭には、一杯角が生えていた。

仕事の終わりについては、書かれていない。

メモ紙にしては、随分充実した内容だった。

そういえば、ベットの脇に、更に詳しく規定などが書かれた本が置いてあると、最後に触れられている。

また、明日にでも目を通そう。

今日はつかれた。

そう思って、素子は電気を消し。目を閉じて、適当に眠ることにした。

眠れず、ぼんやりとしたまま過ごすだけだったが。

鬼には、睡眠も必要ない。

それを、今更ながらに思い知らされる。

 

結局の所、自分の人生は何だったのだろう。

素子はもともと地味な容姿で、男にはもてた試しも無い。中学の頃から今まで三回交際したが、いずれも性行為までは進展しなかったし、何より長続きしなかった。話していてつまらない。男は例外なくそう言った。やらせないから分かれる。そういった男もいた。

子供を作るのは、責任が取れるようになってから。

そういって断ったのだが。

まあ、そんなものかと思った。別に相手から言ってきた交際だったし、気乗りもしていなかったから、それで良かった。

女子のグループには一応所属していたが。彼女らとの関係はあくまで表面的にとどめていた。虐められない程度に目立たず、弾かれない程度に存在感を示し。結局の所、灰色の生活を過ごし、灰色の人生を送ってきたのかも知れない。

周囲を羨ましいと思った事は、あまりない。

素子はどうやら他人の悪い所を見つける特技があるらしく、それが禍して、誰かを羨ましいと思ったためしがない。

ただし学業成績は良かった。

だから四大に進学して、文系ながらそこそこの大学をそこそこの成績で上がれそうだったのだが。

それでも就職は厳しい状態だった。

周りみたいにへらへら笑って。男がやらせろと言ってきたらホテルにでも大喜びで入って。

お菓子をスイーツと言ったりとか、アイドルに熱狂したりとか、流行にあわせてケータイ小説読んだりしたりとか。

そんな風にしていたら、幸せな人生を送れていたのだろうか。

分からない。

少なくとも、もう死んでしまった今となっては。

何十年だか生きて、地獄に落ちて。その後は何もかも初期化されて、またなにか生をはじめるのに比べて。

あっさり二十年ちょっとだけで死んでしまって、その後は地獄で公務員をする。どっちがましなのだろう。

目が覚める。

いや、正確には、意識がはっきりした。

素子は自慢の髪を乾かさない内に寝てしまったのに気付いて、呻いた。地味な顔だが、髪だけは自信があったのに。

まあ、もうどうでも良いことだ。

洗い直してから、着替える。

その時点ではっきり気付いたが、本当に腹が減らない。水も飲みたくならない。

亡者には、食欲や乾きを非常に強烈に覚えさせられる者もいるそうだが、それはそういう刑罰なのであって、本来死者は食欲も無く、排泄もしないと言うことだ。鬼もそれは例外では無いと言う。

コーヒーでも飲もうかと思ったが、先に口をゆすいだ時点で止めた。口に入れても水が違和感しか起こさない。コーヒーセットはあるが、食事自体が既に受け付けない体になっている。その後暇をもてあましたので、念のためと思って一応つくって口に入れて見たが、やはり飲めなかった。なんというか、セメントか何かを口に突っ込まれているような感触なのだ。飲んだところで、消化も吸収もできないだろう。

嘆息すると、コーヒーをシンクに捨てる。

死んだという事の影響は、やはり大きいらしい。生きているときとは、肉体があるようで、随分違っている。

ビジネススーツにしようかともう一度だけ思ったが。やはり動きやすい服装にした。何よりスカートでは走り回るのも一苦労だ。

鬼達が体を大きくするのは、地獄が非常に広いから、というのもあるらしい。

確かに体が大きければ、ちょっと歩くだけで、相当な距離を稼ぐことが出来る。家の大きさも簡単に変えられるとかメモ紙にはあったし、いずれ試してみるのも良いだろう。ベルを鳴らして、竜の御者を呼ぶ。

昨日聞いたのだが、山田さんという人だ。

山田さんはすぐに来た。

そればかりか、はじめて単独で任された相手と言うことで、任地まで把握していた。暇つぶしに聞いてみる。

「深層の地獄へいくのって、凄く時間掛かったりするの?」

「基本的に竜は空間を飛んでいるので、あんまり変わらないですよ。 無間地獄だって、たしか二十分程度のはずです」

「ふうん。 それだと、逆に退屈だね」

「全くでして。 私らも、家はもらっているんですが、いてもいる事がありませんでしてね」

なるほど、皆状況は同じと言うことか。

ばかでかい竜の背中にある、小さな輿の中に入る。ベルを鳴らすと、昨日と同じように、竜が飛び出した。

揺れが通勤電車の比では無いので、非常に不快だが。

しかし、すぐにつくのは有り難い。

念のためにマニュアルは持ってきてあるが。現地に着いた頃には、どう亡者達を働かせるか、戦略はできあがっていた。できあがってはいるが、試せるかどうかはまた別である。時間は山ほどあるのだし、少しずつやっていくしか無い。

任地には、既に先客がいた。

昨日、鼻水をちーんしてもらっていた、頭が悪そうな子供の鬼である。無邪気で何も考えていない事丸わかりの笑顔で、此方に気付くと手をぶんぶん振っている。

「わー、きたー!」

「きたーじゃない。 あんた、名前は?」

「虹道よしみ」

「はいはい、じゃあよしみ。 まずは鼻をかもうか」

鼻水が出かかっているので、そう指摘することからはじめなければならなかった。

それにしても、子供に子供を管理させるとは。

鬼にも大人から子供まで色々いるようだが、賽の河原には子供を中心に配置しているのだろうか。

少し離れたところで、たくさん子供が石を積んでいる。

ざっと見て廻る。

素子が新任の鬼だと言うことは、子供達も把握しているのだろう。間近で見て廻ると、子供達の顔には生気も活力も無い。

かといって悲しんでいる様子も、苦しそうにもしていない。

空っぽだ。

親に会いたいと泣くような子もいない。

いたずらをして、周囲を騒がせるような子も。

「随分静かだな」

「よしみね、話聞いたんだけど。 生物的な本能に基づく事って、殆どが死んだときになくなっちゃうんだって。 食欲とか、性欲とか。 行く地獄に応じて、新しく割り振られるみたいだよ」

「ほう……」

此奴もアホっぽく見えて、実際には博識なタイプか。

素子の周囲にいたまたの緩いアホ女子学生よりも、よっぽど論理的なしゃべり方をしている。

いたずらをしたり、親を求めて泣いたりするのも、生物の本能に起因するところが大きい行動だ。

それを考えると、此処にいる子供達が妙に静かなのも頷ける。

子供は人間よりも、動物に近い。

ならば、その多くの部分を取ってしまえば、こうも静かになるのも頷ける。

「素子さん、大学生だったの?」

「ああ、そうだ」

「よしみもね−、大学生だったの」

流石に唖然とした。

しかも大学を聞いて更にびっくりする。

東大だそうである。

世も末だ。

だが、話を聞いていて、納得した。

最初はしっかりしている鬼もいるらしいのだが、長い間地獄で無為な時間を過ごしていると、どんどん頭が緩くなってしまうものなのだとか。

その場合、頭からまず年老いたり、子供に戻ったりする。。

年老いた場合は、地獄の偉い存在。たとえばこの間素子が会った泰山王などから、特別な措置が施されて、若返りが行われる。

ただし子供になってしまう場合は、無理に大人に戻すと弊害があると言う。

それにあわせて、体も子供に戻したりしていくと、更に衰えは加速していく。最終的には鼻を垂らしたおこちゃまになってしまうというわけだ。

もっとも、ある一線を越えると、それ以上減衰はしなくなるとか。

よしみの場合は、典型的なそれだそうだ。

同じように子供になってしまう鬼は珍しくも無いらしい。つまり逆に言うと、此処、賽の河原は。

地獄の鬼達にとっても、あまり良い場所では無い、ということなのか。

生物的な本能が失せてしまうという事は、当然異性の目も気にしなくなる。

素子は背筋に寒気が走るのを感じた。

こんな風に子供に戻って、気を抜くと鼻を垂らしていて。

無邪気にへらへら笑って。

駄目だ、これでは。

時間がいくらでもあるとはいっても、きちんと仕事をしないと頭がおかしくなる。そんな事を、今更に思い知らされた。

「今日は仕事を見ているけれど。 ……ひょっとして、何もしない?」

「亡者達も、何をすれば良いかは分かっているから。 ときどきふらふらどっかにいっちゃう子を連れ戻すくらい」

「ふうん……」

マニュアルに目を通すが。

目を閉じるだけで、今の亡者の位置が分かるという新設設計だ。監督責任がある亡者は色分けされてもいる。

というよりも、基本的に賽の河原は途方も無く広大。二万の区画に分けられていると言うが、一つずつがアフリカ大陸くらいあるという。此処だけで、地球など問題にならないほど広いというわけだ。

なるほど、巨大化を誰もが選ぶわけである。

さすがは地獄だ。

亡者は巨大化しているわけでもなく、見た感じ子供の身体能力のまま。これでは、逃げようにも無理だろう。

何日も歩いて離れたとしても、最悪竜を使って拾いに行けば良いし。

餓死をするわけでも無いから、放って置いても何ら問題が無い、と。

しかも見ていても、子供同士で争う様子も無い。

いわゆる利己的遺伝子的な本能も、働かないという事なのだろう。文字通り、強制労働だけをさせられるための抜け殻だ。

ある意味、想像していたよりも、地獄は酷いところなのかも知れない。

しばらく見ていたが。

やはり、効率の良い作業をする子供と、そうでない子供がいる。

高く高く石を積むのは、とてもコツがいるのだ。

平べったい土台。

更に、大きめの石から順番に積んでいかなければならない。途中で大きさが違う石や、形が丸いものを混ぜると、簡単に石は倒壊してしまう。

塔の崩壊に巻き込まれても、子供は怪我一つしない。

否。怪我をしても、瞬時に再生していくのを、素子は見た。

なるほど、これでは鬼達もやる気をなくす。

マニュアルを見る限り、亡者の作業に手を貸してはならないのだ。実際に貸そうとすると、ブレーキが掛かる仕組みになっている。

そういった状態で、どうすれば業績を上げられる。

亡者のモチベーションを上げるのに、エサをちらつかせるにしても、手段は限られていると言っても良い。

夕子がやっていた、歌を使うというのは、せめてものモチベーション上げ手段だったわけだ。

だが、どうせやるのなら。

せっかく、少なくとも現実社会でお茶くみに使われるよりもマシそうな仕事についたのだ。その上時間もたっぷりある。

せめて色々試してみたい。

なすすべ無くやる気をなくし、このよしみみたいに、子供帰りするほどまで衰えるのは。出世のあらゆる路を試してみてからでも遅くは無いだろう。

色々考えを進めながら、聞いてみる。

「よしみ、貴方って何年に死んだの?」

「ええと、2021年」

「じゃあ私の方が年上だ」

それに、分かったこともある。

この地獄では、現実世界と時間の流れの速さだけではない。位置関係もきっと違っているのだろう。

石についても聞いてみる。

そうすると、とても難しい答えが返ってきた。

此処にたくさん散らばっている石は、時間の流れがおかしくなっている空間にアクセスするための媒体。しかも、大きさによって、それぞれアクセスする空間の、時間の流れの異常さが異なっているという。

その流れを、順番に通してやることによって、宇宙空間の状態健全化を図る、というわけだ。

意外にと言うか、人類程度では及びもつかないテクノロジーの産物である。大日如来とやらが、宇宙の最高神というのも納得できる。

それだけではない。

「ブラックホールからホワイトホールへ路をつなげるようなもの?」

「ホワイトホールなんて、そんざいしないの」

「へえ?」

「少なくとも、よしみはしらない」

まあ、それなら、存在しないのだろう。

此奴は東大卒だし、幼児退行していることを除けば博識なのだ。しかも、地球とは比較にならないテクノロジーと知識に触れてもいる。下手な地球の学者よりも、信頼して良さそうだ。

石を拾って、覗き込んでみる。

特にこれといった事の無い、不思議な石だ。

こんなものが、ブラックホールを蒸発させ、宇宙の寿命を延ばしているとは、信じがたいのだが。

しかし、今まで見た様々な異常現象を見る限り、信用するしか無いのだろう。悔しい事に。

子供達の様子を見る。

確か何処かで聞いたが、興味が無い事柄は、どれだけ反復練習しても進歩はしないという。

もう気が遠くなるほどの年月、石を積んでいるはずなのに。

子供達がいっこうに進歩しないのは、それが原因だろう。

また石が崩れた。

大きく嘆息したのは、何故だろう。

それは決まっている。

効率が悪いと思ったからだ。

 

とりあえず、一度よしみが家に戻るというので、素子はその場に残る事にした。

その間、マニュアルを熟読しておく。

亡者の手助けは不可だが、幾つかやっても良いことはあると言う。

まずは自分で作業して、手本を示すこと。

なるほど。此処での作業方法については、コツを掴んでいる。ただし、掘っても掘っても石が出てくる現状を鑑みるに、自分だけでこの河原を片付けるのは無理だろう。その上面積はアフリカ大陸並みと来ているのだ。

亡者達の数は、一定に保たれているとも書かれている。

亡者が増えすぎた場合、新しく区画を整備することになるのだとか。もっとも、そういう例は殆ど無く、圧縮された時間を循環させているので、どれだけ気が遠くなる時間が流れたとしても、なんだかんだでノルマを達成する亡者は出てくる。

しかも、現実世界のどの時代から亡者が来るかは法則性が見えない。別に大量虐殺やら事故やらがあっても、その時に地獄へどかっと亡者が来るわけでもないらしい。まさかランダムかと思ったが、まあ其処まで酷くは無い筈だ。

幾つか、他にも気になる記述は見つけた。

亡者は殆ど鬼に関心を示さない。

というよりも、鬼には基本的に逆らえないように調整されている。これは、亡者が結託して反抗してくると厄介だからだというのは、マニュアルを見なくても分かる。一体どれだけの数の亡者がいるのか、素子にも見当がつかない。

マニュアルを読み終えても。

時間は腐るほど余る。

分厚い辞書ほどもあるマニュアルなのに。

どうしてか、頭は生前より明らかに冴えている。これだけの分厚い本を読んだというのに、内容はほぼ完璧に把握できていた。

暇つぶしに、自分も石積みをはじめてみる。

まず探すのは、一番大きな石。

見つけたら、土台になりそうな場所を探す。

そして、安定している土台を見つけたら、そこに一番大きな石を載せるのだ。

その後、順番に石を見繕っていき、並べていく。

一番上に一番小さな石を載せると、あとはすっと消える。

これで宇宙の何処かにあるブラックホールが、周囲の歪みごと消えたのだろうか。消えないにしても、ある程度ダメージを受けて小さくなったのだろうか。話通りだとするとそうなるのだが、だとすると面白い。

確かホーキング輻射とか言うらしいが、こういう感じで亡者が仕事をすることがその真相だったとしたら。

かの天才ホーキング先生も、さぞ吃驚することだろう。

四度ほど同じように石を積み上げて、さて次と思った瞬間、違和感を覚えた。みると、さっきとは、石の位置ががらりと変わっている。

土台にしていた場所が露骨に傾いているし、何より石の分布も違う。適当な大きな石は見つからず、しばらく無心に河原を掘らなければならなかった。

見つけたら見つけたで、今度は土台にするような場所が無い。

しかも鬼になってからかなりパワーアップしているようで、気がつくとシャベルカーで辺りを掘り返しまくったような有様になっていた。

これが、鬼か!

自分でも吃驚である。

とにかく、だ。石をならして、安定した土台を確保。そして、これだけ掘り返す過程で、見つけておいた石を順番に積み上げていく。

すぐに四つの組み合わせが出来た。石が消えていくのを見て満足したが。気がつくと、さっき掘り返した穴は全てなだらかになっていて、石の配置も滅茶苦茶になっていた。なるほど、流れ作業はさせない仕組みになっているという事か。

亡者の子供が、一つの組み合わせを成功させた。

あっちでも、同じようなことは起きるのだろうか。

観察していると、別の子供も組み合わせを成功させる。やはり、ある程度技量のある亡者はいるようだ。

他の地獄はどうかは分からないが、本能的な部分を取り去ってしまっているから、余計に元の知能が強く出るのかも知れない。

しかし、それにしては妙な部分もある。

この程度の石積み、ちょっと頭が良い子なら出来そうなものなのだが。

膝を抱えて見ていると、少しずつからくりが見えてきた。

子供の動きが妙に遅い。

石を探すのも、積むのも、動作が嫌にゆっくりしている。それだけではない。新しい石を積むときも、初動がのろい。

これは、ひょっとして。

亡者達は、或いは。本能と一緒に、思考の持続力も奪われているのか。

しかしそれでは、作業効率が落ちるだけでは無いのか。

考え直す。鬼と一緒で、或いは作業をしている内に、どんどん知能が衰えている可能性もある。

何しろ、ここに来てから、とんでも無い年月を過ごさなければならないのだ。

同じ作業を延々と繰り返していれば、気が狂う。

ましてや子供が。

しばらく石を積んでいたが、気がつくとまた配置が入れ替わっていた。記憶も全てパーだ。

誰が一体、こんな仕組みを作ったのか。

しかも、素子の周囲の掘り返した部分の積み方も、随分変わっている。何というか、なだらかになっているのだ。

一区画ごとに、アフリカ大陸並の広さがあると言うことだったが。

ひょっとして、これは。

一定数石を揃えると、アフリカ大陸並みに分布している石が、全てシャッフルされるということなのか。

マニュアルを見る。

流石にそれは書かれていないが、仮説がただしい可能性が高い。

もしもそうだとすれば。

こうやって石を片付けていった場合、最終的には、彼方此方に点在している石を、足で拾い集めなければならない、ということではないのか。

地獄。その言葉が、頭の中で存在感を大きくする。

思ったよりましだと思っていた此処だが。

システムが存在して、宇宙のためになっているというだけで。昔の人達が想像力を巡らせた地獄よりも。

或いは、更に本来の意味での地獄に、近いのかも知れない。

 

よしみが戻ってきた。

幾つか、作業上での問題をリストアップしておく。よしみが戻るまでに、ざっと二百五十ほど、石積みを片付けたが。

その気になれば、その倍はやれたかも知れない。

よしみが乗って来た竜は、乗合馬車のような感じらしく、素子が使っているものよりも、かなり大きかった。それこそ、浮かぶ島ほどもある。その凄まじい巨大さは圧巻だったが、やはり指は二本しかなかった。

無邪気に手を振りながら歩いてくるよしみだが。

亡者達は興味も無いのか、こちらもみない。

黙々と石を積んでいる様子は、凄惨でさえあった。

「素子ちゃん、ただいまー!」

「ああ、ただいま」

「もどるー?」

「いや、もう少し作業する」

此奴はこんななりまで幼児退行していたとしても、元は東大生だ。話を振ってみる意味はあるだろう。

案の定、知能そのものは衰えていないらしく、すらすらと答えが返ってくる。

「あの子供達は、頭脳労働に関する持続力を奪われているのか。 それとも、私達と同じ状態か」

「亡者の中でも、此処に来たての子は、元気だよ。 私達と同じなのかも。 元気っていっても、知らない内に別の場所にいっちゃう、くらいだけれど」

「そうか。 此処にある石は、ひょっとして区画全域のものが、一定数の消去ごとにシャッフルされているのか」

「うん。 区画ごとに石の総数は決まっているらしくて。 でも、ある程度減ってくると、作業が遅れている別の地域から、移されるんだって」

なるほど。

他にも、幾つか疑問点をまとめていたが。

どうやらよしみは素子が思っていた以上に、ここに来た当初は勤勉だったらしい。

たとえば石のシャッフルされる件だが、以前取り寄せたマジックペンシルを使って記号を書き、転送される場所を確認さえしている。

その結果だが、想像を絶するものだった。

一度転送された石を、再発見するまで数千年かかったそうだ。

また、よしみ自身は、今まで暇つぶしを兼ねて、石積みを六千万個ほど作ったそうだが。それで、全体的に石の高さが下がる、ということは起きていないとか。

どれだけ膨大な量の石があるのだろう。

深さについても調べているそうだ。

以前、竜に協力してもらって、最大限まで賽の河原を掘り進めてみたそうなのだが。

千メートル以上掘っても、底は見えなかったのだとか。

しかも、石のシャッフルによって、一定時間ごとに掘り進めた分がチャラになってしまうので、やる気もなくしてしまったらしい。

「石は十三種類だけ?」

「八億三千二百八十万ほど統計をとってみたけれど、それ以外の石はなかったよー」

「そうか」

なるほど、だいたい見えてきた部分がある。

それにしても、宇宙は広いことくらい分かってはいたが。時間の流れがおかしくなっている場所が、これほど膨大に存在していたとは。

アフリカ大陸ほどもある一区画が二万というだけで驚きだが、それを平らに石で敷き詰めたとしても、だ。それに必要な石の数は、億や兆ではきかないだろう。しかも、千メートル以上掘り進めても、石以外のものは出てこないと来た。河原なのに、水さえ出てこないという事は、やはり物理法則も何もあったものではないのだろう。

なるほど、これではやる気をなくすのも無理が無い。

調べれば調べるほど、此処には絶望しか詰まっていない。

「根を詰めると毒だよ。 おうちに戻って、ゲームでもしてくれば?」

「もう少し、色々調べたい」

「そっかあ。 素子ちゃんみたいにまじめなこ、私好きだよ」

「ありがとうよ」

どう応えて良いか分からなかったから、幼児までオツムが退行してしまっている先輩に、礼をいっておいた。

此奴は、もっと真面目だったはずだ。

だからこそ、真剣に地獄について調べた。しかも知恵も備えていたから、余計に巨大な絶望に直面したという訳か。

素子は大学と言っても、そんなたいした場所に行っていたわけでもないし、此奴ほど論理的かつまともに調査をする事も出来ない。調査のプランを立てて、その通りに遂行すると言った当たり前のことを。実施するのがどれだけ大変かは。

大学のゼミで、よく知っている。

亡者達の世話はよしみに任せて、マニュアルに目を通しておく。

やはり、何かの役に立ちそうな情報は載っていない。

最後の方は広告のページになっている。

鬼の仕事は高給だ。

元の給与に、作業による追加点が加わる。その追加点の見方も乗っていたのだが。既に素子は、相当な点が加算されていた。どうやらこの得点、昼寝でもしていない限りは追加されていくものらしい。知識としては知っていたが、実際のデータとして見ると、随分趣が違う。

マニュアルを見ながら、石を積む。

ふと気付く。

此方を見ている亡者がいる。

鬼には逆らえないし、興味も持ちにくいように精神を弄られているはずなのだが。

その子供は、じっと素子を見つめていた。

よほど、素子が鬼としては変なのか。

気がつくと、子供は。もう此方を見ていなかった。

 

食事もいらない。

睡眠もいらない。

それが、案外時間を早く進めることなのだと、素子は二度目の帰宅のときに思い知らされた。

既に給金は振り込まれている。

マニュアルには通信販売で、その気になれば新しい車だろうが家だろうが購入できるし、リフォームも簡単だとか書かれていたので、試してみることとした。

まず新しいゲーム機を購入。

ついでに、生前興味があったゲームをまとめて数十本購入してみた。

更には、生前読む機会が無かった本も、まとめて購入。家のリフォームをして、書斎も作った。

業者が即座に飛んでくる。

竜の御者のように、人間とあまり変わらない姿をした連中だった。てきぱきとあっというまに書斎を作り、嵐のように引き上げていく。

家の掃除も、有料だったが。

試してみると、確かに見違えるほど綺麗にしてくれた。いずれの作業を終わらせても、まだ時間は腐るほどある。

金も唸るほど余っている。

この分だと、他の鬼達がやる気をなくしているのも分かる気がする。こんな状態では、スポイルされるのも同然だ。

しかも死んだ時点で性欲はきれいに消え去っているようで、劣情は今まで一度も催していない。

本を読んで、ゲームをする。

クリアするまで五十時間は掛かるゲームだったのだが。あっという間に終わってしまった。全部まとめてクリアして、本も読みきって。

それでもまだまだ時間は余っている。

うんざりしてきた。

なるほど、これでは鬼達が、職場で怠けてばかりいるのも頷ける。マニュアルによると、それさえ許されている。

おそらくこの地獄は、偉大な先人達が、あまりにも完璧に整備しすぎたのだろう。東大出のよしみが一生懸命頑張っても、ろくな事が出来なかったくらいなのだ。いくらでも時間がある世界だとは言え、みんな一生懸命やり過ぎた。

結果として、拡大した今も、その遺産で充分すぎるほど、支配者層の鬼達は喰っていくことが出来る。

眠ろうにも眠れず、ゲームの二周目をする気にもならず。かといって、運動や体操などに、意味があるとも思えない。

仕方が無いので、マニュアルを見る。

仕事場の様子を覗く遠めがねが存在するというので、購入。さっそく使用してみるが、あくびをしているよしみが映るばかりだった。

亡者共もしっかり働いている。

はっきりいって、二交代でこの職場に関しては充分だ。ITなどの24時間人が必要になる仕事で、二交代というのは非人道的なシフトになるのだが。しかしこの場合、むしろ有り難いくらいだ。三交代のシフトで廻っていたりしたら、それこそ家で干物になってしまうだろう。

読みたい本はだいたい読んでしまったし。

遊びたいゲームもみんなクリアしてしまった。

化粧や身繕いにも意味が感じられない。

なにしろ年老いることもないし、新陳代謝もほぼ存在しないのだ。風呂に入ってぼんやりしていた。風呂に入っても、シャワーを浴びても、まるで気持ちよくもない。むしろ、砂でも浴びているかのように、全く体に良いようには思えなかった。

面倒くさくなってきたので、もう仕事場に出ることにする。

ベルを鳴らすと、同じように暇にしていたのだろう。すぐに御者が飛んできた。

なんとまあ。

初任給をもらったというのに。味気ない結果か。

人生と同じくらい、此処での生活はくだらない。そうとしか、思えなくなりはじめていた。

 

3、地獄の夕暮れ

 

四度目の休憩を終えた頃には、すっかり仕事の内容は把握していた。把握した上で、飽き始めていた。

今の時点で、連れて行かれた亡者は一人もいない。

ちらほら石を積み上げている者は見かけるのだが。それだけだ。確かに万単位で石積みを成功させなければ駄目なのだろうし、無理も無い。

幸い、喧嘩は一切発生しないし、好き勝手にあちこちに行く子供もほぼいない。

それだけに、逆に監督することも殆ど無かった。

今でも、思うのだ。

子供達を、このような形で働かせる事は、許しがたいと。

だが、それでも。

この虚脱感が、仕事をさせない。

ただ、石積みをするばかりの子供達を、見守るだけにさせている。

ちなみに巨大化はしていないし、虎柄の鬼ルックにもなっていない。ずっと野外活動用の、ラフウェアのままだ。

竜が飛んできた。

もう戻ってきたか。

内心で悪態をついてしまう。

よしみは笑顔満面で、此方に歩いて来る。手をぱったぱったふりながら。まるでお菓子をもらった童女のごとし。

実際、オツムはそのレベルまで退行してしまっているわけだから、無理も無いか。

「ただいまー!」

「あー。 おかえりー」

「一段とやる気がなくなってきたね。 そろそろ鬼としては一人前−?」

「あー。 そうかもなー」

吐き捨てたい。

自分の惰弱ぶりに。調べて見たが、鬼として働き始めてから、既に数千年が経過しているらしい。

時間の感覚が完璧におかしくなっている。

おかしくなっているのは、それだけではない。

時々、見本を見せるために、素子は亡者達の真ん中に入ると、石を積んでみせるのである。

まず平たくて、一番大きな石を探す。

それから、順番に、小さな石を並べて載せていく。

最後まで乗せ上げれば、1丁上がり。石は消える。

子供達は、ぼんやりそれを見ている。

だが、自分たちで石積みをするとなると、見本通りにはとてもやれない。見ていてイライラしてくる。

おそらく知能なども大幅にカットされているのか、或いは。

素子と同じように、全く集中力が出ないのか。やる気そのものが、失われてしまっているのか。

だが、イライラするだけで、何もそれ以上は感じない。

昔だったらキレて怒号をまき散らしていただろうに。今はもう、怒る気力さえなくなっていた。

「上手く行かない?」

「自分自身さえ、上手く制御できない状態だ。 他人に何かをさせるのが、上手く行くはずもないさ」

「そうなのかなあ。 素子ちゃんは頑張ってると思うけど」

よしみによると、たまに鬼同士で情報交換をしたり、会合をしたりするらしい。

だいたいの鬼は百年も仕事をするとやる気をなくしてしまい、あとはノルマを達成したら寝ているばかりになるという。

鬼は監督役以外には、なんのいる意味も無いのだ。

「忙しい地獄は無いの?」

「ええと、大叫喚地獄は忙しいってきいたの」

「へえ……」

マニュアルで頭に入っている。

色々唖然とするような拷問の数々を繰り返す地獄は多いのだが、その中でも特にグロテスクな場所だ。

まあ、一対一で拷問しなければならないような内容もあったから、多分忙しいのだろう。

行きたいとはみじんも思わないが。

歌でも歌ってみるかと思ったが。

しかし、以前いた所にいた、ののや夕子が、やり手として知られているわけでは無いとも、よしみには聞かされているし。実際には、そんなに効果があるとは思えなかった。

かといって、子供を釣るのに一番適したお菓子など、此処では意味が無い。

一度家に戻ったとき、あらゆる種類のお菓子を試してみたのだが。

どれもこれも、砂を口に入れているようだった。とても食べられたものではなかったのだ。

亡者も同じ状態の筈である。

亡者とヒアリングもしてみた。

しかし、親と漠然と会いたいと思っている者はいても、だからといって頑張ろうと考えるものもいない。

うすうす、勘付いているのだろう。

地獄での労働が終わったら、全てが無に帰ってしまうのだと。

かといって、鬼のまま、どれだけ時間が経ってもなんら変わらないのも、それはそれで地獄のような気がする。

否。

現在進行形で、その地獄を味わっている。

その上、亡者達には、余計な事を教えられないように、精神にブロックも掛かっている。かって鬼にいたのかもしれない。

クーデターを起こして、地獄を乗っ取ろうとした者が。

「これってさあ」

石を積むのにも、嫌でも習熟してきた。

よしみもおもしろがって、隣で石を積んでみせる。ばかでかいのに、とても器用にやってみせるのだから凄い。

此奴、頭が良いだけでは無くて、生前ではさぞ器用だったのだろう。

「やってて面白いか?」

「そうだねー」

よしみの返事を待つ内に、石組みが三つ完成して、消滅した。

亡者達の中に移ると、手を叩く。

そして、以前何度かやって見せたように、皆に言う。

「今から見本見せるぞー! 早く此処から出たい奴は、頑張れー!」

「どうでもいい」

ぼそりと声が聞こえた。

ぶん殴りたくなったが、こらえる。なるほど、亡者に暴力を振るいまくって無間地獄に行った鬼は、こういう待遇に耐えられなくなったか。

子供が純粋などと言うのは、動物が純粋というのと同様、大嘘だ。

平気で嘘をつくし、イジメも巧妙に行う。色気づいてくれば喝上げ、暴力、何でもする。勿論、犯罪に手を染める奴だっている。権力と金を持っていないだけで、大人とまるで変わらない。それが子供という生物だ。昔はそうは思っていなかったし、そんな風に言われれば反論もしただろう。だが今では、そう感じ始めている。

「気力を失うのも分かるがな、働いた方が気分も紛れるぞ! しかもここじゃあ仕事もある!」

むなしい言葉だと思いながら、いう。

こんな作業のどこが仕事か。やりがいなど、自分自身でさえ感じない。宇宙規模の大事な仕事なのかもしれないが、具体的には石並べだ。しかも報酬は、最終的な無と来ているでは無いか。

だが、現実社会の仕事も。

これと、何が違ったのか。

何だろう。

ひょっとすると、素子は。

今、理想的な社会人になっているのかも知れない。

「仕事が無くて、家で文句言われながら寝ているよりずっとマシだ! 少しでもやる気がわいたら、いつでも手本は見せてやる! 頑張れ!」

「うぜえ」

「駄目!」

よしみがさっと大きな手を伸ばしてきたが、素子はもとよりこらえた。

まあ、子供なんてこんなものだ。

大人が変な理想を託す存在など、この世にはいない。

子供が憧れる大人が、この世に存在などしていないのと、同じように。あほらしくなってくる。

そのあほらしい現実に妥協すると、大人と呼ばれる。

かっては受け入れられなかったが。

今は、どうなのだろう。

現在社会では、子供でさえ同じように考えている。しかしそいつらは、大人とは言いがたいだろう。

石を積んでみせる。習熟してきたから、ささささっと、高速で積み上げることもできるようになった。

見る間に七つ、石積みを完成させた。

亡者どもはぼんやりその様子を見ていたが。

やはり、誰の気力もわき上がることは無かったようだ。仕事のペースがあがることもなかった。

「さっきの答えだけれど」

よしみが、ようやく重い口を開く。

へらへらと笑っているその笑顔は、どうしてだろう。何処か、強い憂いを秘めているように思えた。

「面白いと、思うよ。 少なくとも、世の中にある、仕事って呼ばれるものの、大半よりはね」

「……そうかも知れないな」

ノルマにクレーム、コミュニケーションと称する無意味な定型。積んでは崩し、崩しては積む、無駄極まりない作業と称する堕落。

この石積みより、どこがどうマシだというのか。

嘆息すると、素子はそのばにどっかと座り込んだ。

こうなれば、根比べだ。

「よーし、よしみ」

「なにー?」

「お前、今までどれくらい石積み作ったって言ってたっけ?」

「6155万くらいかな」

だったら、それを追い越してやる。

腕まくりすると、素子は石を積み始めた。こうやると、周囲に見せつける。どんだけ愚鈍でも、やる気が無くても。

此処には、時間だけがある。

それならば、見本を徹底的に見せれば。

亡者どもも、いつかはきちんと仕事が出来るようになる筈だ。まずは自分で手本を見せること。

そうすることで、此奴らにも。

相応の仕事が出来るようになってもらう。

行き着く先が無なのは、どうせどこの誰でも同じだ。子孫を残せば有か。そうとはとてもいえない。

だが、此処で相応の仕事をこなせば。

宇宙にとっては価値があるのだろうし。きっと、人間が二人子供を作るよりも、意味がある。

しばらく、無心で石を積み続けた。

例え、どれだけ、白い目で見られようとも。

 

休憩に行くようにと言われたので、従う事にした。

面白い話だが。

この状態でも、つかれることはつかれるらしい。

かといって、寝ると言っても、横になってぼーっとするだけだ。本当の意味では、ここしばらくずっと眠っていない。

そして、横になっていると、たちまちに回復してしまう。

今更ながら、だが。

このからだがもう人間のものとは根本的に違うのだと、よく分かる。

よしみの様子を見る。

相変わらず亡者達に、やりたいようにやらせているようだ。

また給金が振り込まれていた。

換算金額は、聞いたことも無いような内容だ。それこそ、この家が何軒も建つほど。しかし、鬼としては別に珍しくも無い資産だろう。

通販出来るものの中には、テレビ番組もある。

1990年代のテレビ番組を幾つかピックアップしてみたが、驚いたことに、素子が知っているテレビ番組よりも遙かに面白い。バラエティやクイズ番組はまったく別物と言って良いほどだった。

なるほど、これならテレビが衰退したと言われる理由もよく分かる。そういえば、この時代は夕方にアニメもやっていたらしい。素子が死んだ頃には、臭い物には蓋的な理論で、普通の作品まで深夜に放り込んでいたが。

だが、面白くても、見ていれば飽きる。

しばらくすると、またやる事が無くなった。

出ようかと思ったが、入り口でブザーが鳴る。

「休憩時間が少なすぎます。 今しばしお休みください」

「何だそれ……」

ぼやきながらマニュアルを思い出す。

そういえば、義務化されている最低休憩時間というのがあった。最長労働時間もある。

普通の会社としては、言葉だけのものだが。

此処ではどうやら、きちんと規則として機能しているらしい。驚かされる。休憩とか休日が有名無実化している事も多い現実社会の労働環境に比べて、地獄の方がまだマシだというのだから。いわゆるブラック企業の中にはサービス残業やらが公然化している。いや、普通とされる企業でも、それくらいは当たり前にある。

つまりそれらは、文字通り地獄以下なのか。

もっとも、休憩自体がげんなりすると言う意味では、ここはまた特殊な世界なのかも知れないが。

部屋に戻って、ベットに転がる。

読んだ本を読み直すが、時間は腐るほど余った。

何かはじめてみようかと思ったが。

文才はないし、手先が器用な訳でも無い。他の鬼が親しいという事も無い。

レジャー施設の類は無いだろうかと調べて見たが、ない。鬼にとっての休日は、自宅待機を意味している。

そして、自宅待機を補助するための、あらゆる仕組みが出来ているというわけだ。

乾いた笑いが漏れてくる。

「何もかも、甘くは無いんだなあ」

呆れた話だが。

これでも、現実社会よりはマシかも知れない。

いつのまにか、仕事に出たいと思い出している素子がいた。

そして、そんなだろうから。

鬼としての適性が高いと、思われたのだろう。

マニュアルを見る。

オンラインゲームなら、或いは時間をつぶせるかと思ったのだが。先手を打たれていた。オンラインゲームは販売されていないという。

まあ、もしもそんなものをこの環境に導入したら、地獄に鬼が来なくなるだろう。

流石に此処を作った連中は頭が良い。

先手を打って、何が起きるか分かっているという事だ。

勿論全てが禁止というわけでは無くて、支給されているスマホ状の端末を使う簡易なオンラインゲームは許可されているし、販売もされているが。

中毒性を必要以上に刺激しないように、サービスにある程度バランス調整が加えられているのだった。

提供されているスマホみたいな端末についても調べて見る。

形状はいわゆるスマホタイプから、ガラケータイプにまで、自由自在に変更が出来るようだ。

ちょっと機能変更するだけで、がしょんがしょんと形を変えるのだから、流石の謎技術。

更に言うと、マニュアルも辞書のように分厚い。

暇なので、全部目を通してみる。

スペック面では、素子が知る携帯端末の、何倍なのかしれたものではない。特に容量は、メモリだけで数千テラバイトとか、とんでも無い数値が表示されていた。

ぼんやりしている内に、時間は過ぎていく。

気は進まないが、買っておいたゲームを適当に遊んでいる内に、「仕事をしていい」時間が来る。

ベルを鳴らして竜を呼んで、職場に直行。

そろそろ、いい加減何もかもが面倒くさくなってきているが。それでも、やはり、根付いている部分は変えたくない。

職場に到着。

無邪気によしみが手を振っていた。

今なら、何となく手を振るのも分かる気がする。職場と休憩を行う家は様子を見るために覗く以上の介入が出来ないようになっているから、寂しくて仕方が無いのだろう。

あんな風に。幼児退行したりすれば、いっそ楽になるのだろうか。

そうは思えない。

若返りたいとも、思わない。

仕事の引き継ぎはと聞くが、首を横に振られる。

それはそうだろう。

何だか。

とても長い無駄な時間が、また始まる気がした。

 

携帯端末を弄ると、空を変えられるという機能があった。

マニュアルによると、退屈を避けるための処置だという。河を真っ赤にしたり、空を雨にしたり曇りにしたり。

夕暮れにしたり、隕石を振らせたりも出来るという。

隕石は落ちても平気。

鬼も亡者も、どうせ死んでも蘇生するのだ。どんなに木っ端みじんでも。

つまり、休憩中に手首を切っても、この地獄からは逃れられない。

空を夕暮れにして見た。

見る間に、真っ赤に染まっていく。

このオレンジ色に染まった河原、素子は好きだ。絵になるし、何よりも夕焼けそのものが好きだからだ。

「素子ちゃん、嬉しそう」

「そーか」

手を叩いて、亡者共の注意を集める。

「今から、少し趣向を変えるぞ。 お前らが合計で千個石積みを作る度に、空の様子を変える」

千個目の石積みを作った奴には、空をかえるリクエストを言わせてやる。

そう素子が言うと、心配そうによしみが見た。

指を額に当てて考えているが。

どうやら、規約に抵触はしないらしい。

亡者どもはぼんやりと此方を見ていたが。

咳払いして、更に素子は言う。

「その間に、私も石を積む。 私が先に千個つくったら、私が勝手に空の様子を変えるが、まさか一人にこれだけの数が雁首並べて勝てない、ということはあるまいな」

挑発的な事を敢えて口にしたが。

よしみは何も言わない。

これくらいは大丈夫、という事なのだろう。

手を叩いて、作業開始を宣言。

よしみを見ると、用意よくカウンターを準備していた。交通量とかを測定するあれだ。まあ、何でも通販で取り寄せられるこのご時世だし、持っていても不思議では無いか。

手際よく手を動かして、石を積む。

そういえば、水際の石をいじくっても、川の水がこっちに来ないのは何故だろう。

水際に行って、川の中の水を拾い上げてみる。

鉛のように重い。

或いは、この水は、石に阻まれて。それ以上は来ないのかも知れなかった。

亡者共は、石を積み上げ続けている。

ひょいひょいと手を動かしながら、素子も作業を続ける。

夕暮れ時の空が、辺りの石を、朱に染めていた。

 

4、地獄の深層で

 

あの時は、どうしてあんなにムキになっていたのだろう。

結局の所、動物本能を失っても、人間は人間。

エサをちらつかせるか、挑発すれば。相応に動き出す生物なのに。素子のように、エサが無くてもモチベーションが維持できる存在こそがまれなのであって、それが鬼に抜擢された原因だったのだと。当時はまだ分かっていなかった。

書類をまとめる作業を、素子は急がず丁寧に行う。

時間が滅茶苦茶になっているこの世界だ。自分用に時間を調節して、書類をいくらでも確認できるのは、確かな強み。そして、この手の作業は、素子にとってはもっとも得意なものだった。

あれから、素子がよしみと担当していた賽の河原は。

異常なほどの業績を上げていた。亡者もかなりの数がノルマを達成し、輪廻に魂を戻すことが出来た。

よしみが作り上げた膨大な石積みの記録を、丁度素子が塗り替えた頃。

閻魔大王の所から、直接スカウトが来たのである。

鬼としては最高の出世だと、よしみは喜んでいた。

メールが来た。

よしみからだ。

相変わらず、幼児っぽい言葉遣いだが。接していく内に、少しずつ幼児退行は緩和されていたらしい。

意図的に、難しい言葉をたくさん喋らせていたから、かも知れない。

よしみによると、素子の次に入った新人が、あまり意欲的では無いのだとか。早くも職場で昼寝ばかりしているそうで、業績も素子が押し上げた頃の半分程度に戻ってしまっているとか。ただ、よしみ自身が素子と同じやり方。

亡者達と一緒に石積みをして見本を示し、更に作業を行うことによって環境を変える工夫を入れたことで、どうにか仕事自体は保てているそうである。

お互い大変だな。

メールを返信すると、素子はそう呟いていた。

書類が出来た。

ベルを鳴らす。家を出ると、既に四本指の竜が迎えに来ていた。四本指は、竜の中でもかなり高位の存在だとかで、御者を必要としない。素子と直接意思疎通ができるばかりか、会話も可能だ。

家自体は、最初にもらったもののまま。

書斎を作るリフォーム以外には、手を加えていない。

住所も前と同じ。

空間を飛ぶ竜には、距離など関係無い。確か閻魔大王の所までは、数億光年あるそうなのだが、竜に乗っていれば数分だ。

「待たせたな」

「何、丁度良い昼寝の時間となったわ。 乗れ」

「ああ」

会話を短く済ませると、竜の背中に。

あまりにも巨大すぎる竜の体は、全長七千メートルと、中規模の島並だ。のるためには、体の側面にある専用のエレベーターを使うことになる。

背中には小さな居住スペースがあり、其処で数分間を待つこととなる。

乗り物としては大変不便だと、最近は思うようになった。

何しろ、移動している時間の中で、エレベーターを使っている時間が三割をしめるほどなのだ。

「いっそ、大王陛下の所に住んでしまえばどうだ」

「流石にそれは嫌だな。 仕事に全てを支配されるのは気が進まない」

「在宅ワーカーという時点で、同じようなものに思えるが」

「私は私で、好き勝手にやっているさ」

喋っている間に、職場に着く。

切り立った山の上をテーブル状に張り出させ、作り上げた巨大な宮殿。働いている鬼の数は数十万とも言われる。

その三割ほどは、宮殿に住み込んでいる。

実際食事も排泄も必要ないから、宮殿では生活スペースを極めてコンパクトに出来るのだ。

宮殿の庭にエレベーターで降り立つと、帰りにはまた呼ぶと竜に呼びかける。竜は頷くと、瞬きするほどの間に、雲間に消えていった。

素子は庭を急ぐ。

周囲は、巨大な鬼達が行き交っている。最近では踏みつぶされることも無くなってきた。歩くときに、踏まれるコースを避けるコツがあるのだ。あまり頭が良くない素子でも、何度も踏まれている内に覚えた。

宮殿の中に入る。

何度かIDカードによる認証を経て、奥へ。

閻魔大王にスカウトされたとはいえ、直接関わる仕事をしているわけではない。素子の仕事は、閻魔大王の側近である地獄の十王の補助だ。以前直接顔を合わせた泰山王とも、関わる事が多い。

書類整理をしている鬼は、体格が人間と同じ程度である場合が珍しくないので、書類の手渡しが簡単で助かる。

もっとも、今時は。

書類は、地獄においても電子データだが。

また、宮殿と言っても、和風なのは見かけだけ。

中にはエレベーターやエスカレーターがあり、天井には電子的な発光を見せるLEDらしき機具が多数植え付けられている。

結局の所、地獄でさえ近代化するというわけだ。

二十階までエレベーターで上がる。この階は四棟に分かれているが、エレベーターのあるシャフトから歩いて五分ほどの所に、目的の場所がある。

長い通路の左右には部屋がたくさんあって、鬼がそれぞれの仕事をしているのが見えた。誰もいない部屋には、よく分からない技術でロックがかかっている。

廊下の、一番奥。

其処にある事務課へ入ると。素子を待っていた鬼が、早速声を掛けてきた。

「ああ、素子君。 書類は出来たかね」

「此方に」

「うむ……」

こんなしゃべり方をしているが、見かけは女の子だ。しかも、出身年代は平安時代であるらしい。

事務課の長をしている鬼で、人間時代の名前は知らない。

周囲には教えていないのだそうだ。

書類を持ってきた電子メディアを渡すと、暗号解読用のキーをつける。二つがセットになって、やっと書類を見ることが出来る。

立体映像を造り出す技術もあるが、課長は普通のデスクトップPCらしきものを操作している。

おかしなもので、素子と同じく、課長は虎縞のいわゆる鬼用の制服を身につけていない。かといって十二単やらの着物スタイルでも無い。その辺の公園で遊んでいる子供が来ていそうな、ボアのついた服だ。

ざっと目を通すと、課長は満足した。

「これなら、手直しも必要ないだろう。 念のために私が二重チェックしておくから、君は次の仕事に取りかかってくれ」

「分かりました」

一礼した後、次の書類作成の指示書を受け取る。

課長は基本的に上がって来た書類の精査と、次の書類作成の指示だけが仕事になる。ネゴシエーションとかコネ作りとかは、此処では必要ない。というよりも、出来ない仕組みになっている。

というよりも、無意味で無駄なアフターファイブでの「交流活動」が無い。

これで、此処での仕事は終わりだ。

課長はここに住んでいるようだが、素子が同僚と滅多に顔を合わせることは無い。特に事務系の鬼は、殆どが素子と同じ在宅ワーカーだ。たまに、似たような仕事をしている他の鬼と顔を合わせることがあるが、その程度。

すぐに家に戻るのも何だから、彼方此方見て廻るとする。

どうせ、時間は腐るほど余っているのだ。

幾つか見本用の冊子が置かれていたので、手に取る。

現在の地獄に関するものだ。

ざっと目を通す。

賽の河原は、二万ほどあった区画を、これから更に増やすそうである。亡者の増加が原因かと思ったのだが、違った。

収容している亡者がふくれあがる一方だった無間地獄を、これから改革するらしい。

亡者に対する懲罰と称する拷問をコンパクト化することで、鬼がかなりの数あまるというのだ。

元々あまりにも長すぎる懲罰年数が問題にもなっていて、時間の経過が好き勝手に出来る地獄でも、これは問題視されていた。

しかも無間地獄の場合、宇宙そのものに対する労働や資源確保をしているわけでもないのである。

故にコンパクト化は当然の流れ。

というよりも、今まで話が出なかった方が不思議だろう。

改革を提案したのは、閻魔大王本人だとか。

仕事をしているようで、安心した。

閻魔大王は、遠くからこの間見た。

別に巨大な鬼でも無く、口ひげを蓄えた威厳があるおじさんである。いわゆる道服を着込んでいたが、それ以外に目だった特徴は無い。仕事は多分凄く出来る人なのだろう。

そういえば。

渡された仕事の内容を確認する。

どうやら予想は当たった。

この件に関する事だ。

無間地獄の改革後に、どのような事態が起きるか、問題に対応するにはどうしたら良いのか。

そのクッションについて、一部素子が調査し、担当することになる。

或いは、直接無間地獄に様子を見に行く事になるかも知れない。幹部社員の視察というと悪いイメージしかないが、自分がやるとなると、はてさてどうするべきか。

書類作成のために、足を運ぶことは認められている。

ただし、申請がいる。

少しばかり面倒だが、質が高い書類を作りたいという意欲はある。実際に、そうすることで、この文字通りの地獄から、解放できる亡者もいるのだ。

一度、家まで戻る。

そして書類を精査して、やるべき事を決めた。

時間はいくらでもあるのだ。

更に言えば、素子は一応下っ端とはいえ閻魔大王の所で直接働く鬼。プライベート空間の時間を操作する許可ももらっている。時間をゆっくり動かすことで、考え事をしたり、作業を精査することも可能だ。

しばらく考えをまとめてから、メールで課長に無間地獄の視察を申請。

許可はすぐに下りた。

さて、今回も、楽な仕事にはならないだろう。

だが素子は、あのどうにもならない無気力に包まれていた賽の河原で、実績を上げた。自分に対する信頼が出来たわけではないが。今回も、きっとやれると、自分を奮い立たせる。

そうすることで、仕事の精度を上げることも出来るだろう。

仕事の地位が上がることで、出来る事も増えた。触れることが出来る情報も。

宇宙の運営に、地獄での亡者達の労働が、どれだけ役に立っているかも、今では理解している。

それならば。

素子にも、仕事をする意味も意義もある。

視察の内容を頭の中で、もう一度確認。

それを済ませてから、ベルを鳴らした。

竜はすぐにくる。

担当している鬼が少ないという事もある。暇なのだろう。

「何だ、もう出るのか」

「ああ。 無間地獄まで頼むぞ」

「また面倒なところに行きたがる。 見て楽しい場所では無いぞ」

「仕事だ」

無間地獄で責め苦にあっている亡者は、それこそ人間世界における業を集約したような悪人共ばかりだ。

もっとも、人間はどうせ殆どが死んだら地獄へ落ちるのだ。

そう言う意味では。

素子も、今地獄にいるし、たいして代わらないのかも知れない。

無間地獄へは、いつもより少しだけ多く時間が掛かる。

だが、掛かるといっても数分だ。

すぐに到着して、素子は現地を視察するべく降り立つ。

真っ暗な世界。

何もかもが、闇色に満たされている場所。

悲鳴と絶望が、周囲に漂っている。

目を細めた素子は、歩き出す。

仕事をしている鬼がいた。歩いて来る素子に気付いたようで、腰をかがめる。

恐ろしげな形相の鬼だが。喋ってみると、案外素朴な雰囲気だった。

「ああ、あんたさんが、さっき連絡があった」

「大井素子だ」

「そうだか。 俺は虹島源三郎ってもんだ」

素子を握りつぶせそうなサイズの手を出してきたので、指先に触れる。まあ、握手のようなものだ。

そのまま、無間地獄を案内してもらう。

此処にいる亡者共は反吐が出る悪人揃いとはいえ、拷問を短縮する方法もある筈。作業も出来れば効率化して、人員を別に廻したいところだ。

話を聞きながら、素子はメモを取っていく。

まだまだ、素子は、モチベーションを失ってはいない。

ある意味。

素子は既に、立派な「社会人」になっているのかも知れなかった。

 

(終)