終焉の日

 

序、一日のはじめ

 

戦いは苦手だ。

昔からそうだった。

殺傷力が高い方向で、力を展開することもできる。だけど結局の所、私は最も効率的な形で、敵を殺す事がどうしてもできなかった。

激情に駆られた最初だけ。

それ以外の時は、結局私は、支援しかできなかったのだ。

結局の所、私は戦いに、致命的に向いていないのだろう。それが悲しい事だとは思わなかったけれど。

戦いに向いていたら。

或いは、夫や子供達の一人でも、守れたのだろうか。

洗面所で、顔を洗いながら思う。

朝の食事は抜くことにした。力はどうせ出るも出ないも関係無い。もう私の体は、私のものではなくなる。

いにしえの神々の力を持つ、強化怪異に変わりつつある。

変わった後、私がどうなるかは、正直わからないけれど。最悪の事態には、備えておきたい。

そして私の勘は当たる。

多分私は。強化怪異になると同時に、自分では無くなり。凶暴な怪物として、ただ周囲に災厄だけをもたらす化け物に変わるだろう。

宿舎代わりにしているホテルを出ると。

既に、武装したバンに、対怪異部署のメンバーが勢揃いしていた。

これより、敵の本拠に殴り込みを掛ける。

既に斥候が、熱源を感知している。敵はおそらく、本拠から出て迎え撃ってくるつもりだろう。

安倍晴明の支援が無くなった今。

ましてや、強化怪異の大部隊を構築する前である今。

敵には、最大戦力である、繰り返している方のあかねをフル活用するしか手がない。

「目標地点に急ぎます」

「乗車!」

此方のあかねが声を掛けると、皆が乗車。

私も、指揮車両にするハイエースに乗り込む。最後の戦いも、結局此奴に乗って現地に出向くことになるのか。

まあ、それでいい。

ハイエースはどうしてかわからないけれど、大好きなのだから。最後くらい、大好きなものと一緒にいたい。

牧島が隣に座ってくる。その隣にはカトリーナ。

カトリーナはずっと機嫌が悪い。

信用されていなかったことを、知っているからだろう。これについては、謝ったのだけれど。

まだ、機嫌を直してくれていない。

順番に、車が出始める。

総員百名を超える対怪異部署は。

おそらく対怪異部署結成以降、最大の戦いに赴くことになる。ほぼ全員が実戦経験者だけれど。

相手には芦屋祈里と、その式神多数がいる。

決して侮れる相手では無い。

「斥候から連絡。 現地にて、式神多数確認。 およそ七十」

「おいでなすったな」

流石に芦屋祈里だ。

多分、詩経院の分もいるだろう。斥候には無理をしないよう、あかねが指示。本隊の現地到着まで、戦線は開かないように、とも。

「八岐大蛇を持ってきておけば、一発だったかな」

誰かが冗談交じりに話しているのが聞こえたが。

私が咳払いすると黙る。

私は知っている。

八岐大蛇でも、多分倒せない。

むしろ、あの殲滅火力を防がれたときの心理的なダメージを考えると、いっそ使わない方が良いかもしれない。

「到着まで、後三十分」

あかねが淡々と告げる。

対怪異部署の中には、式神使いも多い。彼らも、式神を準備し始める。牧島も、否応なしに、緊張が高まり行く中。

現地近くの駐車場に。

バンが次々滑り込み、対怪異部署のメンバーが降車を始めていた。

最後の戦いが始まるのだと、その光景を見ればわかる。百名を超える対怪異部署のメンバーが、それぞれ最大の術式を準備して、敵に仕掛けるのだから。

式神展開。

あかねが叫ぶと、百を軽く超える式神が、周辺にわき上がる。

道警に連絡して、周辺から人は遠ざけてあるけれど。戦いが長引くと、民間人への被害が出ることは避けられない。

戦いは、できるだけ。

短時間で勝負を付けるべきだろう。

「騎乗用の式神に」

「ん」

あかねに促されて、誰かが出した百足の式神に跨がる。

此処から敵の陣地へは、五分と掛からない。それぞれが霊的武装を取り出して、戦闘に備える中。

私は、どうしてだろう。

妙に心が騒ぐのを感じていた。

嫌な予感とは微妙に違う。

これは何処か、武者震いに近いかも知れない。もしそうだとすると、私の中にある強化怪異、つまりいにしえの神々になろうとしている要素が。歓喜しているのかもしれない。血の臭いを、嗅ぐことを、だ。

もってくれよ。

自分に言い聞かせる。

もう今日を越せないことはわかっているけれど。戦いを最後までは見届けたいのだから。できれば、戦いが終わるまでは。

しかし、その考えでは。

もう勝つことを前提としているようで、ちょっと驕っているなと、自分で苦笑してしまう。

敵の戦力は決して小さくない。

クドラクの吸血鬼共がいない事を考えても。強化怪異がほぼ存在しないだろう事を考慮に入れても。

油断だけは、してはいけないのだ。

膨大な式神が、突撃を開始する。

荒野の上空から、地面から。

芦屋祈里の式神を中心とした敵の戦力が、迎撃のために湧きだしてきた。数は事前の報告通り、七十を超えていた。

戦いが、始まった。

 

最初の一時間ほどは、式神同士の肉弾戦に終始していた。

味方は数こそ多いものの、敵は式神の質が高い。あかねはまだ、あの恥ずかしい式神を出していない事を考えると、どちらも切り札には手を付けていない状況だ。

戦況は、敵やや有利という所だ。

前線は膠着。

双眼鏡を覗いていた私は、見つける。

上空。

大鷲の式神に跨がっている、芦屋祈里がいる。

幾つもの霊的武装を身につけていて、生半可な攻撃は通用しそうにない。巡航ミサイルの直撃でも防ぎ抜いてみせるだろう。

あかねを手招きして、双眼鏡を渡す。

「出てきていますね」

「予定通り行くぞ」

「被害を抑えるために、私が戦いたいところですが、仕方が無いですね」

あかねには、くれぐれも気を付けろと、釘を刺している。この戦況で、あかねに寝返られたら、負けるのだ。

青森で合流した八雲と安城が。

飛行タイプの式神に跨がると、一気に前線に躍り出る。

芦屋祈里も、強敵の接近にすぐ気付いた様子だ。弓矢を構える。前も使っていた藤原秀郷の剛弓だろう。

最初から、本気で来てくれている。

これでいい。

本気で来ているという事は。下手な小細工を使う余裕は無いと言うことだ。

「余剰戦力を全て投入」

激しさを増す戦線に、あかねがまだ余力がある式神使い達をけしかける。更に三十体以上の式神が、前線に殴り込んだ。

さて、どうなるか。

双眼鏡で見ているが、前線を突破した敵の式神が、ちらほら此方に向けて飛んできているのが見える。

勿論、数を揃えた味方の火力が、到達前に蒸発させているけれど。まだまだ、戦況は予断を許さない。

予備戦力が、前線に投入されたことで。

敵と味方の状況が、五分になる。

ちらちらと此方を見る対怪異部署のメンバー達が目立つようになった。敵式神への攻撃許可を、というのだろう。

まだ駄目だ。

というのも、敵の首魁は姿を見せていない。

下手に乱戦になると、非常にまずいからだ。

勿論、敵もそれを想定しているはず。此方が考え無しの攻勢に出れば、即座に足下を掬いに来るだろう。

むきになったら負けだ。

じっくり押していくしかない。

傷ついた式神達が戻ってくる。

牧島の式神も、二体が大きく負傷していた。回復の術式を使い始める牧島を横目に、私はさてどうしたものかと考え込む。

ヒカリは今朝から黙り込んでいて、特に戦闘開始後は何も喋らない。何かずっと熟考しているのか、それとも。

私の予想が、当たっているのか。

後者でないことを祈りたい。

味方の迎撃砲火を抜けて、大きめの式神が飛び込んできた。蜘蛛のように足が生えた怪異の姿。

いわゆる牛鬼が近いかも知れない。

しかし、即応するカトリーナ。

瞬時に懐に飛び込むと、木刀で脳天を一撃。普通の木刀だったら、刀身が砕けてしまうだろうが、これは霊的な鍛錬を経た一振りだ。一撃で砕かれたのは、式神の脳天の方だった。

その場に倒れ、消えていく式神。

前線が、押し返し始める。

上空では、安城と八雲が、芦屋祈里を相手に、互角の勝負を繰り広げている。芦屋祈里は相当な使い手だが、此方にまで気を配る余裕は無いはず。そうなれば、敵の残りは。見上げ入道と、詩経院。

しかも見上げ入道は、強化怪異にまだなっていないはず。

それならば、十二分に対処できる。

「押し込んでください」

あかねが淡々と指示。

前線が、確実に進んでいく。敵の本拠への入り口を、双眼鏡で確認。

結界などで武装していない。

少数精鋭を潜入させて、叩くと言う事も出来そうだけれど。今回の作戦では、それはできない。

あかねを一瞥。

今度は。

裏切らせるわけにはいかないのだ。

「なあ、ヒカリ」

呼びかけるが、返事はない。

やはり、そうなのか。だとすると。今まで協力してくれていたのは。

だが、その結論を出すのはまだ早い。少なくとも、この戦いを終わらせるまでは、疑心暗鬼は無しだ。

敵が、式神の増援を繰り出した。

芦屋祈里の式神では無い。それぞれの能力が高い上に、巨大な体格の者が目立つ。これは、恐らくは。

向こう側にいるあかねの式神だ。

実力も、根本的に違う様子だ。このままでは、戦況をひっくり返されかねない。

「師匠、そろそろでしょう」

「ああ、そうだな」

此方も、本腰を入れるタイミングだ。

指揮そのものは、あかねに任せる。

私は戦場全体に力ある空気を張り巡らせて、奇襲を警戒。今の私の力だったら、生半可な相手の穏行くらいは簡単に見抜ける。ただ、向こう側についているあかねが、本気で穏行した場合は、見切れるかはわからない。

少なくとも、片手間では無理だ。

対怪異部署のメンバーが、敵式神への攻撃を開始。

戦況が、式神だけを使ったものから。

徐々に乱打戦へ変わりつつある。

そろそろ、これが乱戦へと移行していくだろう。おそらくだが。敵が仕掛けてくるとしたら、そのタイミングだ。

芦屋祈里は、八雲と安城に纏わり付かれて、何もできずにいる。

空中での戦闘は一進一退だが。逆に言えば、芦屋祈里ほどの使い手である。押さえ込んでおくだけで、大いに意味がある。

味方の攻撃が集中。

増援として現れた強力な式神を、一体ずつ潰し始めた。

如何に強力でも、式神は所詮式神。

更に、マッシブで巨大な私が姿を見せる。こちら側のあかねが式神として使役している存在だ。

真面目に働けば、私が最強。

そう考えてあんなデザインにしたそうだが。相変わらず見ていると顔から火を噴きそうである。

大暴れし始める、マッシブで巨大な私。

思わず視線をそらしてしまう。

どっちにしても、周囲の戦場は力ある空気で包み込んでいる。

もしも、奴が。

向こう側のあかねが接近して来るつもりなら。絶対に探知してやる。

「新手です!」

味方の声。

式神がまたしても多数。今度は十体以上。

しかもかなり高い実力を持つ者ばかり。明らかに、前線が膠着し始める。

なるほど、狙いはそれか。

対怪異部署の実力を見極めた後、乱戦に持ち込む。それも、戦力を調整した上で、敢えて長期戦に持ち込もうとしている様子だ。

私にさえ分かるくらいである。

あかねが分からない筈がない。

此方の注意が散漫になったところを、本命で来るつもりだろう。そうはさせてなるものか。

此処で、膠着を崩す。

敵の中に、詩経院がいる。

この国でも指折りの、死者を操作する能力の持ち主だが、陰陽師としてはどうということもない。

今も死者を少しずつ産み出しては、此方にけしかけてきているが。

式神に比べれば、戦力的にもどうということはない。

カトリーナに指示。

頷いたカトリーナは、乱戦の中、泳ぐようにして敵陣を抜けていく。式神が気付くが、横面を張り倒すようにして、支援攻撃が炸裂。

詩経院が気付いたときには。

カトリーナが、懐に潜り込んでいた。

霊刀が一閃。

大げさに吹っ飛んだ詩経院が、頭から地面に落ちて動けなくなる。式神が多数、同時に火球を降らせてくるけれど。

また、独特の歩法で、カトリーナは逃れる。

「見事ですな」

「ああ。 暗殺向きの能力だな」

彼奴については、分からない事はまだまだあるけれど、今は良い。詩経院を潰した後は、見上げ入道を狙う。

能力を強化しているようだが、今の段階なら、強化怪異より大分落ちる。前線から少し後ろで式神の指揮をしている。

カトリーナに気付く。

彼奴の能力、まさか気配が小さい相手を見抜くことができるのか。

式神が殺到。流石にカトリーナも下がる。

だが、それで隙が出来て、味方の火力が集中。一気に数体の式神を屠り去った。敵の戦線に、穴が開く。

あかねが、弓を構える。

力が、集中していく。

気付いた見上げ入道が、式神数体を壁にするが。しかし、あかねは全く意に介さず、矢を放った。

数体の式神が、ごぼう抜きに貫通され。

至近で爆裂。

吹っ飛ばされた見上げ入道が、地面に叩き付けられ。泡を吹いて転がった。

さて、これで前線指揮官がいなくなったはず。

どう出る。

また味方有利に傾く戦況を私は見つめた。このままなら勝てそうだけれど。其処に罠がある可能性も高そうだ。

 

1、黒い渦の底

 

来たか。

芦屋祈里は、対怪異部署が押し寄せたという報告を受けたとき、そうとだけ思った。

実のところ、もう戦う理由は無い。

何故かは周囲の誰にも話してはいないけれど。少なくとも、死力を振り絞る理由もないのは本当だ。

何より、あの安倍晴明は既に無力化。

奴の息が掛かっているというだけで毛嫌いしてきた対怪異部署も。もはや、憎む理由がないのである。

そして、大嫌いだったあの九尾も。

今は、事情を知っている。

理由については言えないが。それが、芦屋祈里から、戦意をそぎ取っていた。

戦闘が開始されると、すぐに芦屋祈里は露骨な封じ込めにあった。対怪異部署でも屈指の手練れである安城と、在野の人材としては最強ランクに属する八雲の、二人がかりの攻撃を受けたのである。

しばらく、無言で戦い続ける。

どれくらい戦った頃だろうか。

いきなり、八雲が言う。

「何だテメー。 やる気あんのかコラ」

返礼は、痛烈な一撃。

ため込んでいた霊力を一瞬で収束し、藤原秀郷の弓から撃ちはなったのだ。二十以上に分裂した光の矢が、ホーミングしながら八雲を直撃。

だが奴は、汚いどてらに防御術式を仕込んでいた。

煙を斬り破って、多少傷ついた程度の八雲が姿を見せる。へらへらしているのは、これくらい遊びだと言うつもりなのだろう。

「やるな」

「お褒めにあずかりどーもと言いたいところだがなァ。 テメーみたいに戦意が無い奴と戦っても面白くねーんだよ。 九尾の婆のことが憎いんだろ? 邪魔する俺らに、本気で向かってこいやションベン臭いガキが」

「安い挑発だな」

鼻で笑うと、立て続けに矢を放つ。

だがその間に、死角に回り込んでいた安城が。式神にまたがったまま、極太の八角棒を降り下ろしてくる。

数珠を左手で握り、壁を展開。

はじき返す。

式神に、一旦距離を取らせる。少しばかり挑発に乗って、熱くなっていたかもしれない。

下を見るが、戦況は一進一退。

立て続けに詩経院と見上げ入道が抜かれたが、その分黒幕が式神を補充した。その結果、戦況は五分に立ち直っている。

本当にひたすら時間稼ぎをするつもりなんだなと、呆れてしまう。

確かにそうすることで、誰だって絶対に隙が出来る。

諏訪あかねに接近さえできれば、もはや勝ったも同然と思っているのだろう。

そうだろうそうだろう。

事実そうなのだから。

だが、誤算が一つある。

そろそろ、良い頃か。いや、もう少し我慢した方が良い。

降り下ろされる八角棒をかわしながら、八雲に印を切る。無数の槍が虚空から飛び出し、八雲を襲うが。

全てをへし折りながら、跳び蹴りを叩き込んでくる。

裂帛の気合いを込めた蹴りを、壁ではじき返すが。

流石にそろそろ、力量が近い相手二人を同時にいなすのは、面倒くさくなってきた。心理戦にでも持ち込めれば良いのだけれど。

安城の奴は、とにかく戦闘では寡黙だ。

黙々と此方を殺しに来る。

むしろ饒舌な八雲をたきつけた方が良いか。此奴については、色々と面白いデータを持っている。

裏側の世界でも、有名人だからだ。

「そういえば噂に聞いているが、貴様若い頃に許嫁を殺されたそうだな」

「だからどうした。 許嫁って言っても向こうは俺のことを毛嫌いしていたし、人間だなんて思っていなかったがな」

「好きだったんだろう」

「だからそれがどうしたっていうんだよ」

実は、こんな汚いおっさんとかしている八雲だが。若い頃はそれなりに、少しワルっぽいが整った顔立ちをしていたらしいのだ。

彼がこの世に一切未練を無くし、戦闘だけに生きるようになったのは。

彼が一方的に思慕していた許嫁の死が原因らしい。

これは、有名な話である。

ちなみに怪異に殺されたのでは無い。

殺したのは、陰陽師の一人。ちなみに八雲が殺すまでもなく、とっくに他界している。くだらない裏社会での争いで、くだらない死に方をしたのだ。

ただ、その陰陽師を惨殺したのは、芦屋の一族。

だから、此奴についてのデータは、色々持ち合わせがある。

「反魂の術式で、お前の婚約者を呼べると言ったら」

「何……」

掛かった。

反魂の術式というのは、その名の通り。死者の魂を呼び出すもので。陰陽師の間では、ごくごくポピュラーなものだ。

地面で伸びている詩経院などは、これの日本随一の大家である。

ただ、特定の人物を呼び出すためには、それなりの条件が必要になる。八雲もそれは知っている筈。

その条件の一つは。

体のパーツの一部を、何かしらの形で所持していること。

八雲の婚約者は。

木っ端みじんに消し飛んで、体の欠片も残らなかったとされている。だが、殺した陰陽師が、実は体の一部を所持していたのだ。

猟奇的な趣味から、である。

真後ろから降り下ろされた八角棒を、壁で弾く。

かなりきつくなってきた。業物の術式を込めた数珠だが、そう何度も直撃には耐えられないかもしれない。

八雲だけでも無力化できれば。

隙が作れる。

「さあどうする」

「……」

八雲が神妙な顔をして黙り込む。

此奴は元々、九尾の不良弟子だった。その頃からその婚約者は、八雲を嫌い抜いていたという話だ。

報われない恋。

それが永遠にかなわないとわかりきったとき。此奴の中で、どれだけの絶望が爆発したのだろう。

それにつけ込むのは、卑劣なような気もするけれど。

だが、今は。

時間をどうにかして、稼がなければならないのだ。

「くだらねーな」

「そうか」

八雲が構えを取り直す。

流石に、そう時間は稼げないか。内心では舌打ちしたけれど。とにかく、今は戦うしかない。

切り札を、次々に投入する。

好機が来るまでは、もう少し。

それまで、とにかく我慢するしかない。

また、死角に入り込んだ安城が仕掛けてくる。八角棒かと思ったら、今度は網だ。それも、強力な霊力が籠もっている投網である。

切り裂くのは無理だ。

式神を急かして、一気に上に躍り出る。だが其処には、八雲が待ち構えていた。

数珠が一瞬早く間に合うけれど。

奴が裂帛の気合いを込めて放ってきた蹴りが、ついに壁を打ち砕いた。

吹っ飛ばされる。

「くだらねー事で人様の傷に触れやがって!」

八雲が、凄まじい形相になる。

これは、失敗だったか。

怪鳥のような声を上げて、手に作り上げた光の槍で、凄まじいラッシュをうち込んで来る八雲。

取り出した赤い布で、新しい壁を作って、その全てを防ぎぬくけれど。

此奴は、先ほどまでの数珠と違って、全方位の絶対防御では無い。そして、敵も当然プロ。すぐにそれを見抜く。

案の定、後ろに回り込んできた安城が、八角棒を振りかぶる。

あれの直撃を受けたら、流石に死ぬ。

まだ、時間が掛かるのに。

流石に死ぬのは駄目だ。もう一つ、切り札を使う。短距離空間転移を可能にする編み笠。放り投げて、上空に移動。

一旦、二人から距離を取った。

呼吸を整えながら、装備を確認。安城も八雲も、まっすぐ向かってくるのでは無く、弧を描いて的確に此方への距離を詰めてくる。

私は上空に逃れながら、時間稼ぎの方法を模索。

まだだ。もう少し、時間を稼がないと。

そうしないと、わざわざ子供のフリをしてまで、彼奴の中に精神の一部を送り込んだ意味がなくなる。

IQ280の天才だからといって、単独で時間など超えられる訳がない。

誰が手を貸したと思っている。

不意に、敵二人が動きを変える。ジグザグに、此方に迫ってくる安城。気を引くつもりだ。

その隙に八雲が。

斜め後ろに回り込もうとする。

相手にしないで、まっすぐ後ろに下がる。

印を切って、特大の火球を出現させ、正面に来た安城に叩き付ける。八角棒で火球を真っ二つにする安城。

流石だ。

ただし、それは此方も想定内。

続いて、黒雲を発生させる術式を展開。

周囲の視界を、一気に塞ぐ。

「てめえ、やる気があんのかコラ!」

八雲が、ヤクザそのものの恫喝をしてくるけれど、無視。大体此方は、常日頃から本職とやり合ってきたのだ。

今更そんなもの、恐ろしいとは思わない。

火球を周囲にばらまきながら、更に下がる。

不意に、ぴたりと止まる安城と八雲。戦場から離れすぎたと判断したのだろう。頭に血が上っていても、深追いを避けるのは流石。

私も、これ以上離れるのはまずいと判断。

不意に、逆撃に出る。

八雲に迫ると、至近から光の槍を繰り出し、一閃。防御を貫通して、どてらを打ち抜いてやった。

今までに無い一撃に、驚いたのだろう。

八雲が動きを止める真横を抜けて、一気に急降下。

戦場に、戻る。

さらなる大乱戦になりつつある中、私は地面スレスレまで式神に急降下させ、後ろから追撃してくる馬鹿二人に振り返る。

安城しかいない。

真横。

至近に、八雲。この速度で追跡してきていたのか。

舌打ち。

多分切り札らしい、超大型の薙刀を振りかぶってくる。このサイズ、武蔵坊弁慶辺りのゆかりの品か。

バックステップするようにして、距離を詰めると。

薙刀の一撃を受け流しつつ、敵の腹部に、肘を叩き込む。手にしびれ。受け流しきれなかった。

だが、八雲にも、人体急所の丹田に、痛撃を入れてやった。

呼吸を整える。

吹っ飛んだ八雲が、遠くで伸びるのが見えた。その代わり、此方も武装の多くを失い、まだまだ余裕がある安城を、至近に出迎えている。あまり有利とは言いがたい。安城も、八雲に負けず劣らずの豪傑なのだ。

傷ついていた式神は、既に空中戦が厳しそうだ。

安城も式神を降りて、ゆっくり此方に来る。次で、私の頭をたたき割りに来るとみて良いだろう。

殺意が、獰猛なまでに伝わってくる。

散々修羅場をくぐってきたし、今更怖いとも思わないけれど。ただ、対応を間違えると、死ぬなとは思った。

不意に、スマホが鳴る。

手を動かさず、小型の式神に、耳元に持ってこさせる。スマホも操作できるようにしてある、身の回りの世話だけをさせるために組んだ、小さな猿の姿をした式神だ。

「この忙しいのに、何用」

「私だよ」

全身を、戦慄が駆け抜ける。

この声は。

時々、私に嫌がらせをするためだけに電話を掛けてきていた。あの声。

安倍晴明。

いや、おかしい。

安倍晴明の反応が消えたことは、私も気付いていた。しかし、警視庁に潜入していた安倍晴明の片割れが、逃げ切ったという話も聞いている。そいつか。

「地獄から湧いて出たか、亡霊!」

「そんなところだ。 私の大半は捕まってしまったし、何より本体は封印されてしまったがね」

「自業自得だ、外道」

「私なりに、この国のために尽くしてきたし。 何より我等が本体が、どれだけこの国の豊穣に貢献してきたことか。 そう言う言葉は心外だなあ」

あくまで飄々としているけれど。

だからこそ、不快感がせり上がってくる。はっきりしているのは、此奴は私の電話番号を知るくらいの事は出来る立場にいる、という事だ。

ただし、人間としての安倍晴明が既に抑えられているという話も聞いているから、此奴は怪異とみて良い。

「何をしに掛けて来た。 もはや貴様などに価値は無い」

「そうかね。 良い事を教えてやろうと思ったのだが」

「不要だ」

「君達が盟主と仰ぐ存在についての情報でも?」

降り下ろされる八角棒。

安城は、当然電話中でも容赦などしてくれない。赤い布でいなしつつ、二歩、三歩と下がる。

何が望みだ。

聞くと、別に望みは無いとも。

これはおかしい。

ひょっとすると、単純な心理攻撃か。

通話を切らせる。そして、式神に、スマホを遠くに持っていくよう指示。

しばらくは、安城との戦闘に集中しよう。そう考えた、その時だった。

背中に鈍痛。

一瞬、集中が乱れた。

横殴りに叩き付けられる八角棒。

ガードが間に合わない。

吹っ飛ばされ、地面に叩き付けられ、バウンドする。

近くの地面に、受け身を採るには採るけれど。クレーターができるほどの一撃だった。全身がしびれる。

容赦くらいしろ。

誰が、何のために、時間を稼いでいると思っている。

血とともに、愚痴をぶちまける。

見ると、今の背後からの一撃。最後の力を込めた、八雲が投げたものだった。光でできた短刀を背中から引き抜く。

まずい。

足に来ている。立ち上がれない。

背中に刺さった短刀は、どうにか内臓は逸れていたけれど。八角棒の直撃が痛烈だった。

至近で、八角棒を振り上げる安城。

手札が、もう無い。

 

あの時。

九尾と、その部下達と。

前の前の周回で、一緒に黒幕に挑んで、敗れたときだ。

戦場から逃れた芦屋祈里は、世界が文字通り破壊され尽くしていくのを、呆然と見ていることしか出来なかった。

強化怪異は、いにしえの神々そのものだったのだ。

米軍もロシア軍も沈黙した後は、消化試合。異常なほどにパワーアップした諏訪あかねが、神王と呼ばれて、人類を草でも刈るように駆逐し始めた頃には。もはや手の打ちようが無いことは、明確だった。

傷ついた体を引きずった私は。

対怪異部署のあった場所まで来たけれど。

其処も、徹底的に破壊され尽くしていて。何も武器になりそうなものは、残っていなかった。

まあ、当然だろう。

警視庁そのものが、破壊されていたのだから。

ただ、来た意味はあった。

声を掛けられて、振り返ると。

褐色の肌を持つ子供がいたのである。

そいつは、ヒカリと名乗った。

それからは、ヒカリと連れだって、世界を逃げた。穏行を使って強化怪異による人類殲滅から逃れながら、一月ほど走り回った。

地獄だった。

自分が関わった事とはいえ、まさか此処までの地獄を、あの黒幕が想定していたとは思ってもみなかった。

これでも実力には自信があった。

それなのに、どんどん強化怪異が強くなっているのがわかって。最終的には、他の人間と同じように、ひたすら逃げるしか無かった。逃げるための手札が、幾つもあるというだけで。

抵抗できる相手では無かった。

主要都市が次々と劫火に沈み。

各国の軍隊も沈黙させられ。

核でさえ通用しないことが確実になると。

もはや人間達は抵抗さえできず、絶望の中狩られていくばかりだった。

身分を明かして降伏することも、最初は考えた。だがいにしえの神々の姿をした強化怪異にとって、人間などどれも同じである事は明白。

ほぞをかむ中。

とても頭が良いことがわかっていたヒカリが。提案をして来たのである。

「もう、この世界は駄目だね」

「ああ、それは確かだな」

「だから、過去に戻って、最悪の未来を避けるしか無いと思う」

「……そんな方法は、聞いたことが無い」

時間操作の術式は、古い古い時代から、ずっと研究されてきた。だが、今までにで来たことと言えば、擬似的な時間操作くらいである。

要するに、自分の時間感覚を操作して、動きを加速するとか。

世界の時間から自分を切り離すなんて芸当は。それこそ、あの安倍晴明でも、不可能だったのだ。

だが、ヒカリは。

出来ると言う。

「情報を総合する限り、あの諏訪あかねをベースにした神王は、何度も繰り返して力を得たみたいなの。 諏訪あかねはどうやってその力を得たかわからないけれど。 少なくとも、出来る事は確かだよ」

「で、どうする」

「具体的にはね」

文字を地面に、棒で書いていくヒカリ。

考えられないほど複雑な術式だ。

だが、これを使えば。

別の時間軸に、精神だけは送り込むことができる。その対象は、何も一人だけとは、限らない。

どうせこんな状態になった世界だ。

それに、私には責任がある。

騙されていたとはいえ、甘言に乗ったのも。世界をこんなにした一端を担ったのも、私なのだから。

結局私は。

ヒカリの提案に乗った。

問題は、ヒカリには術式の才能がほぼ無いこと。

頭が無茶苦茶に良い分、できない事は徹底的に出来なかったのだ。

だから、邪法を使って。

二人の魂を、混ぜ込んだのである。

そして、過去へ魂を飛ばしたのだ。

 

おそらく、過去に魂を飛ばした影響だろう。

私の魂は、一つの器に入るのでは無い。一種の概念的な存在になっていた。

一端は、過去の私である芦屋祈里の中に。

だがそれも、今までとは感覚が違った。

何というか、マリオネットを操作しているかのよう。

もう一端は、なんと九尾の中に。

ヒカリと魂が融合したときに、天女のような姿になったから。半分は私だと言う事は、ばれなかったけれど。

正直な話。

子供のフリをして、九尾と一緒に過ごすのは、あまり良い気分がしなかった。今でも、九尾が嫌いなことは、変わりが無いのだから。

最初は失敗した。

芦屋祈里として、失敗を食い止めようとも動いたけれど。

安倍晴明があれだけ強硬に動くとは、想定できなかったのだ。

諏訪あかねが神王として覚醒した時点で、すべては終わった。世界の法則が完全崩壊し、強化怪異とは名ばかりの、いにしえの神々が世界中で目覚めたことで、前と全く同じ破滅が来た。

一年も早く、である。

だから、二回目は上手くやらなければならなかった。

そして二回目の今回。

ある程度は上手く行って。

黒幕の方の諏訪あかねは、かなり追い詰められている。

私もやられたフリをして時間を稼ぐつもりだったけれど。迫ってくる安城が担いでいる八角棒からは、もう逃げられそうに無い。

何より、だ。

九尾の過去を知ってしまった。

彼奴が忘れていたと思っていた、12番目。つまり、私の先祖の真実も。吐き気がするほどのおぞましい事実。

だけれども。

九尾本人には、責任がないことも、わかってしまった。

勿論、凶暴な眷属を造り出してしまったのは九尾だが。

一族の罪が、本人にまで及ぶとは、私も流石に考えていない。しかも怪異の眷属なんてものは、教育など関係無しに、分化した後は好き勝手に動く者なのだ。ますます九尾には責任を問えない。

恨んでいたことが、馬鹿馬鹿しくもなった。

何十世代も継続してきた恨みの行き場所がない。

それに、此処で死ぬのも、何だかありかもしれないと、芦屋祈里には思え始めてもいたのだ。

今まで積み重ねた罪を考えると。

いつかは、罰を受けなければならないのだから。

「どうした。 どうして抵抗を止める」

「体が痛くて動かないだけだ」

それだけのことを安城に返すのにも、随分苦労した。

概念化している私の魂だけれど。

一端である芦屋祈里の体が死ねば。或いは、九尾にとりついている方が、メインになるのかもしれない。

いや、逆に。

どちらも死に果てる可能性もある。

それもいい。

あの世界の地獄を顕現させたのは、私にも責任がある。一度や二度、死んだくらいでは、償いきれないだろう。

不意に、爆発音。

地面を吹き飛ばし、姿を見せたのは。

あまりにも巨大な式神。

凄まじい力を感じる。生半可な強化怪異なんて、及びもつかないほどの実力だ。

そいつは、尋常では無く巨大な人型。

ダイダラボッチを思わせる姿。

まだ、あんな切り札を隠していたのか。

「あまり長引かせるわけにはいかないな」

安城が取り出したのは、霊的な力が込められた縄。

それを私に放ってくる。

縄が動いて、私を本縄に縛り上げた。後ろ手に縛り上げ、関節を極めるあれである。呻く私を担ぐと、安城が走り出す。

「殺せ!」

「我々は警官なんでね。 どうしようも無い場合以外は、捕縛するだけだ。 戦意も戦力も失った相手を殺す理由は無い。 確保させて貰うぞ、芦屋祈里」

そうか、そうだったな。

私は舌打ちすると。先ほどの八角棒の直撃で、意識が飛びそうなほどにいたいことを、今更ながらに思い出していた。

しかし、これはある意味好機。

捕まってしまったのだから。

ある意味、合法的に、これから「もう一つ」の活動に注力できる。ただでさえ、さっきまでは戦闘に手一杯で、向こうは何もできていなかったのだから。

 

2、結実

 

雄叫びを上げ、地底から姿を見せるのは。

体高四十メートルはありそうな、桁外れな巨人である。多分、感じる力から考えて、敵の切り札だ。

ヒカリの声は聞こえない。

私は舌打ちする。

あんな相手、あかね無しでは対処できない。

力が増していても、私はそもそも戦闘向けの能力を有していない。相手の力を失わせることくらいは出来るけれど。

「火力を集中」

冷静にあかねが指示を飛ばすけれど。

地力が違いすぎる。

式神が十把一絡げに蹴散らされていくのを見て、私は前に出る。

私は、正直な話どうなっても戦局に影響が出ない。

平尾と、牧島が隣にいるのに気付いて、私は呆れた。

「お前達は下がっていろ。 特に牧島。 お前が最後の切り札を持っている事を忘れてどうする」

「でも、下がってはいられません」

「何かするつもりなんでしょう。 本官達も、お供します」

「……好きにしろ」

苛立ちはあるけれど。

しかし、まあ。

三人がかりの方が、まだ可能性は高いか。

あれだけの強力な式神だ。あちら側にいるあかねだって、もう手札の余裕は無いはず。あの手札を先に切ってきたという事は。切り札を破ってしまえば、本人を確実に引きずり出せる。

そうなれば。

今度こそ、終わりにできる。

「それで、どうあの巨人に対処するのです、警部補」

「私の空気で包んで、式神としての制御を失わせる」

「できるんですか?」

「難しいな」

力が増していると言っても。

私の空気は、其処まで万能じゃない。あの巨体を包むことはできるだろうけれど、向こう側のあかねとの術式における連携を解除するには、相当な手間暇が必要だ。ヒカリの支援があれば、或いは。

不意に、ヒカリの声がする。

「支援するよ。 相手に集中して」

一瞥したのは、安城に捕らえられ、意識を失っている様子の芦屋祈里。

なるほど、やはりそうだったか。ほぼ確信はしていたが、これで決定的になった。

だが、もう今はどうでもいい。

三人がかりで駄目でも。四人がかりであれば、或いは。

「オン!」

牧島が、残る力を絞り出す。

式神四体が、周囲に展開。

巨人が此方に気付き、歩み寄ってくる。見上げるような、途方もない体格。周囲の対怪異部署のメンバーがあらゆる術式を叩き込んでいるけれど。びくともしない。歩みも、とまることがない。

私も、力を込める。

解析開始。

ヒカリの補助もあって、一気に解析が進んでいく。

斃す事は無理でも。

制御を失わせることは、私にもできそうだ。

問題は、私がかかりっきりになっている間に。あかねが強襲されることだが。それについては、手を打ってある。

あまり時間は稼げないだろうが。

一瞬でも、動きが止まれば。

正体の解析が進めば進むほど、わかる。

あれは、あかねが使っている式神。そう、マッシブな私の成れの果てだ。強さを求めて行った結果、巨大に巨大にふくれあがり。そして最終的には、人型というだけで、元の姿をとどめぬ身になり果てた。

何だか、象徴的かもしれない。

私の見姿に力を付与し。それを際限なく強大化させていった結果があれだ。

もはや元が狐かどうかさえもわからない。

巨大な足を踏み降ろし、式神を蹴散らしながら進んでくる巨人。そろそろ、防衛線に接触する。

各自が最大規模の術をうち込んでいるが、とても崩れる様子は無し。

式神としては、規格外だ。

だが、それも仕方が無い。

あかねが動こうとするのを、視線で掣肘。

お前は、最後まで動くな。

作戦でそう決めたはずだ。

対怪異部署のメンバーが、下がりながら、攻撃を巨人に浴びせ続けている。あらゆる場所に被弾しているが、まるで怯む様子が無い。

変わり果てた姿とは言え、あれは自分を模していたのだと考えると、少しばかり心も痛い。

解析完了にはまだ遠いが。

一カ所、弱点は見つけた。

「牧島。 左足の関節部に、攻撃を集中しろ」

「わかりましたっ!」

式神達が、飛びつく。

振り払われながらも。一体が牙を突き立てると。今まで攻撃をものともしなかった巨人が、五月蠅そうに式神を払い落とそうとした。

効いている証拠だ。

式神が吹っ飛ばされた後、それに倣った対怪異部署のメンバーが、多数の火球を叩き込み始める。

動きを止めた巨人の目に、光が集中し始める。

防御。

叫びが轟き、全員で壁を作るが。

瞬時に放たれた光の烈線が、辺りを薙ぎ払っていた。

爆裂。

一撃で、前線が壊滅だ。

だが、その時には。

私は、更に解析を進めていた。

上手く行けば、向こう側のあかねと、この巨大式神のリンクを、斬る事が出来るかも知れない。

そうなれば。

一気に式神を屠ることができる。

煙が晴れてきて、此方を庇って全身から煙を上げている平尾が見えてきた。牧島も、陰に入る。

カトリーナに耳打ち。

頷くと、彼女は牧島と一緒に、術式を唱え始めた。

カトリーナが使えるわけではない。

「使う」本人が術式を唱えることで、精度を上げるのだ。

「すまん。 もう少し耐えてくれ」

「第二射、放つつもりのようです」

顔を上げると。

巨人の目に、また光が集まり始めている。片膝を突いたままだけれど、それでもこれだけの戦力を発揮するとは。

あと少し、解析が進めば。

安城は、敵の生き残った式神の攻勢を防ぐのに手一杯。

他の対怪異部署のメンバーは、負傷者を救助したり、第二射に備えて壁を作ったりで、此方に加勢するどころではない。

「間に合わないな……」

「なんとしても本官が防ぎ抜きます。 気にせず、解析を続行してください」

「すまん」

平尾が、印を組む。

此奴はただ霊的な能力が強いだけで、使いこなせる場面は殆ど無かったが。今回は、簡単な霊具を渡している。

それを発動するためのものだ。

また、巨神の目から、光が放たれる。

爆裂が、連鎖。

軽々と味方の壁を貫通した光が、辺りをさらなる壊滅に追い込んでいた。

これは、死者も出るな。

舌打ちしながら、私は。

今の第二射もしのぎ抜いた平尾の分厚い背中ごしに。巨大な人影の目に、更に光が集まっていくのを見る。

あれは、第三射は、更に威力が上がるとみた。

焦るが。

解析は、焦れば焦るほど遅れる。歯を食いしばって、意識を引き戻して。作業をただ続ける。

見える。

一本の糸が、巨人の頭頂部に見えている。

カトリーナに、伝える。

彼処を貫いて欲しいと。

頷いたカトリーナが、最後の術式を込めていた牧島から、木刀を受け取った。

牧島は相当に疲弊がひどくて、意識をいつ飛ばしてもおかしく無さそうだけれど。それでも、頑張ってくれている。

さて、間に合うか。

巨人の目が、禍々しい光を強めていく。

カトリーナが、飛び出す。

巨人が鬱陶しそうに、拳を降り下ろした。間一髪、カトリーナがかわす。むしろその腕に飛びつくと、這い上がるようにして、体を上がっていく。

「支援!」

まだ戦力を残している対怪異部署のメンバーが、巨人に火力を集中。爆裂が連鎖する中、確実にカトリーナが巨人を這い上がる。

さて、どうでる。

巨人はもう、面倒だとばかりに。

腕を振るって、蠅のようにカトリーナを潰しに掛かったけれど。

一瞬早く跳躍したカトリーナは。

巨人の頭頂部にとりつき。

そして、渾身の一撃を、突き立てていた。

鮮血。

いや、まくろき邪悪な力が、巨人の頭頂部から噴き出した。

あれが、自分を模している存在だと知ってしまっているから。あまり、良い気分はしない。

悲鳴を上げながら、巨人が頭を振るう。

カトリーナが吹っ飛ばされるが。

多分深沼の放った式神だろう。空中で見事にキャッチして、救出に成功。ただ。カトリーナ自身かなりの手傷を負っていて、もう戦闘どころでは無さそうだ。

彼奴も、よく分からない存在だったけれど。

最後の最後で、己の矜恃を示してくれた。

助かる。

前のめりに、倒れていく巨人。その目から光が放たれたのは、その瞬間。

自分が巻き起こした爆裂に飲み込まれて。

巨人の体は、崩壊していった。

爆炎が、此方まで届く。

流石にタフな平尾も、膝を突いていた。牧島が平尾に回復を使おうとしたが、私が止める。

まだだ。

おそらく、ここからが。

本番だ。

 

巨人による猛攻で、対怪異部署が大打撃を受けた。死者も出たし、負傷者は多数。前線を維持できなくなり、用意されていた救急車両は忙しく行き来することになった。だが、それに構っている余裕は無い。

ついに、出てきたからである。

向こう側の、あかね。

世界の破滅を食い止めるために。七十回以上もこの世界を繰り返したという存在。

フードを被っていて、顔は見えないが。

何となくわかる。

とてつもなく、老いている。

多分人相も変わってしまっていることだろう。痛ましいことだ。

「あかね、なんだな」

フードの影は、こたえない。

それが、雄弁に真実を語っているとも言えた。

血の臭いしかしない荒野で。

私は。ボロボロの平尾と、牧島と。変わり果ててしまった愛弟子と相対する。

こちら側のあかねは下げてある。

我々を突破しない限り、目的は果たすことができない。

「考え直せ。 お前ほどの偉人が力を尽くせば、無茶をしなくても、この星や人類の命数を伸ばすことは可能なはずだ」

「できたらやっています」

老い果てた声だけれど。

やはり、あかねに間違いない。声色も変えられるようだから、今までは周囲に気付かせていなかったのだろう。

寿命、残り十年。

周囲に人生を翻弄された悲劇の子。

だが、だからこそに。

殺すのでは無く、救わなければならないのだ。

「大体見当はついている。 お前、何らかの理由で強化怪異になりかけた私が、力を全て渡して。 寿命を延ばした、結果なんだろう」

「ええっ!?」

「それは、本当でありますか」

「ああ、間違いない。 だから口惜しいが、私はあかねにこの狂った力をくれてやることができないし。 寿命も延ばせないんだよ」

本当だったら、すぐにでもそうしてやりたいのに。

口惜しいとは、このことだ。

「師匠は、この世界でも優しいですね。 優しすぎるくらいです」

「褒めても何も出ない。 それに私は、もう疲れたんだよ。 本物の化け物になり果てるくらいなら、せめて愛弟子の、理不尽な運命を打ち破ってやりたくてな」

「だから、私は全ての破滅を食い止めなければならなかった」

ぴしりと。

何か、嫌な音がした。

これは、心にひびが入る音か。

うすうす、勘付いてはいたのだ。あかねが凶行に走るなんて、生半可な理由では無いはずだったのだ。

それが、どうしてもわからなかった。

いや、わからないフリをしていたかったのだ。

「師匠に貰った命です。 私は最大限に生かすべく。 安倍晴明を地力で打ち倒すと、以降は世界の安定のために務めました」

具体的な数字を、口にしていた。

百七十年と。

世界が滅びるまでの、タイムリミット。

それは、多分計算で出したものではなかったのだろう。

自分で、確認した数値だった、ということなのだ。

「あらゆる手管を尽くしましたが、人類は、それに地球はどうやっても滅びを回避できませんでした。 柄では無いと思いながらも、かなり強硬な手段も採りました。 それでも無理でした」

原因は、人類による地球資源の乱開発と。何より強烈な氷河期だという。

資源を食い尽くされた地球の生命は、氷河期に耐えられず。

また、深海まで汚染されていた状況で。生き残ることができる生物は、存在しなかった。

何度繰り返しても。

人類は、自分の道連れにする形で。世界を滅ぼしてしまう。

老い果てたあかねは。

悲しげに、そう言うのだった。

なるほど、ようやくわかった。

こちら側にいるあかねが、あっさり裏切る理由が。

そのビジョンを、まるまる見せられたのだ。

此奴、多分繰り返した七十回以上というのは、多分嘘だ。正確には、世界の滅亡を何度も確認し。

無理だと判断して、神王となる道を選ぶことにして。

それから試行錯誤した回数が、七十回以上、というのだろう。

「あかね。 お前、世界の破滅を、何度見た」

「およそ六十二万回」

「……!」

「いにしえの神々の力を用いれば、人類を一度滅亡寸前には追いやりますが、この世界そのものは救う事が出来ます。 その後、きちんと調整し直した人類を、適切に管理していけば良い。 それが私の結論です」

なるほど、それならばあの無体なローラー作戦にも納得がいく。あれは、本当に何十万回と試行錯誤した者が。

ずっと温め続けていた計画を、ただ機械的に実行していただけなのだ。

悲しすぎる。

此処まで、何もかもが狂うものなのか。

手を貸して貰えませんか、師匠。

あかねが、手をさしのべてくる。

気付いてしまう。

既に、その身は。完全に、怪異と化してしまっている。

それはそうだろう。人間にできる限界を、とっくに越えてしまっているのだから。私が与えた力を足がかりにして、自らもいにしえの神々に等しい存在。つまりは、強化怪異に変わったのだ。

そして、神王あかねの異常すぎる力も、納得がいく。

安倍晴明の中核であったウカノミタマとの融合体だけではない。強化怪異と化した自分とも融合することで。

あかねは、文字通りの。

創の神としての力を手に入れたのだ。

それは、文字通り、この星を蹂躙し尽くすに充分な力の筈だ。何しろ、あかねほどの才覚の持ち主が、六十万回以上にわたって、数十年単位、下手をすると百年以上の経験を蓄積したのだから。そのような存在が、純粋な力も手に入れればどうなるか。

人類では勝てる筈もない。

文字通り、宇宙規模の力を持つ神の誕生である。

「すまん。 はいとは言えん」

「師匠。 師匠は破滅そのものだと言う事を、知っていますね」

「ああ、もうどん詰まりに来ているそうだな。 それなのに、生きている不可思議な存在だとか」

「今の師匠を研究すれば、或いは」

牧島に目配せ。

このあかねには、勝てない。

倒す方法は、存在しない。

目の前で相対してみて、よく分かった。

此奴は、神王になる前でも、はっきりいってその気になれば単独でこの世界を滅ぼすことが可能な実力者だ。

核でも殺せないだろう。

それならば、手は一つしか無い。

「ならば、その全てを知った今の人類が尽力すれば、或いは可能性が開けるのでは無いのか」

「無理でしょうね。 事実、私は一人で動いていたのではありません。 早い段階から協力者をつのり、世界を変えようとしたことも何度も何度もありました。 もう、人類は強行的手段で変化させるしかありません」

「そう結論すると思っていた」

牧島が。

私の体に、突き刺す。

それは、封印を行うための杭。私を一時的に殺すための術。

牧島は震えている。

涙を流しながら。必死に、歯を食いしばっていた。

「数十年ほど眠るわ」

「……っ!」

「わかるはずだ。 下手に介入すると大爆発する。 どのみち、私はこのままだと、強化怪異になり果てる身だ。 その後、今までの私が残っているとは考えにくい」

「なんと、言う事を」

今の此奴に選べるのは。

もう一度やり直すべく、他の時代に行くか。

それとも、もはや諦めて、塵に帰るか。

ぶるぶると、震えている繰り返したあかね。

私は、もう立っていられなくて、膝を突く。平尾が私を支える。目の前が霞んで、何も見えなくなってきた。

「さ、まだ繰り返すのか、諦めるのか、決めるんだな」

「……っ」

黒幕のあかねが、消えるのがわかった。

きっと、私と融合したことで得た、時間を戻す能力でも使ったのだろう。はっきりしている事は。

もはやこの平行世界には。

あのあかねは、存在しないという事だ。

「金毛警部補!」

牧島の、悲痛な声が、とても遠い。

これでいい。

化け物になり果てるくらいなら。

まだ、こうやって。死んだ方が良かった。

全ての力が抜け果てる。

そういえば、死ぬのは始めてだなと。他人事のように、私は思った。

 

3、救われぬ未来

 

敵首魁の消失により。

敵の抵抗は沈黙した。

敵の本拠を探り出す。どうやら各地から拉致されてきたらしい実験材料と見なされる、第三諸国の人間達が、多数見つかった。

また、色々な大学の教授も中から見つかった。

連中は洗脳されて働かされていたと主張していたが、実際にはかなり非人道的な研究を楽しんでいる輩も多かったようで、此奴らについての処遇は、色々検討する必要があるだろう。

表沙汰にはできないから、何かしらの手段で情報を隠蔽するという。

勿論、その裏で、腐れ教授共には相応の報いは受けて貰うが。

私、諏訪あかねは。

何もかも終わったんだなと、指揮を執りながら、ぼんやりと思っていた。

師匠がくれた道具は、結局使うことが無かった。

それは、霊具などではない。

自爆用の手榴弾。

向こう側にいる諏訪あかねの目的は、自身との融合。それさえ果たさせなければ、世界が終わることはない。

それがわかっていたからこそ。

意味がある道具だった。

私の寿命は、もう十年と無い。

だから、今死ぬのも、後で死ぬのも、あまり変わりが無い気がする。

それに、師匠が石に変わってしまった今。

何を生き甲斐に、今後生きていけば良いのだろう。

あの怠け者の尻を叩いて、仕事をさせることは。自分の生き甲斐だったのに。やればできる人なのだから。頑張って、仕事をし続けて欲しかった。

空を仰ぐ。

この世界は、救われたと言えるのだろうか。

それは否だ。

百七十年後だか、もっと早くだかは分からない。

世界が終わることに、代わりは無いのだから。

指揮車両に、牧島が来る。

赤い布に丁寧に包んだ、師匠を差し出してきた。怪異としては、ほぼ死んだも同然の状態だ。

強い力を放っている。

伝承にある殺生石は、ただ周囲から毒ガスが出ているだけの代物だが。これはある意味、本物の殺生石と言って良いだろう。

「金毛警部補です」

「奈々ちゃん。 貴方が預かっていてください」

「わかりました」

牧島奈々は、泣きはらした目をしていた。

平尾に肩を叩かれて、その場を離れる。

あの子は、対怪異部署のエースになる。安倍晴明による干渉がなくなった未来では、なおさらその力は強くなるだろう。

本当に、これで良かったのか。

いや、良い筈がない。

歯を食いしばる。

あまり長くもない残り時間をどうにかして。

少しでも、良い方向に、物事を動かしていけないのか。考えて行きたい。

気付くと、涙が零れていた。

もう一人の私も、今頃は。

どうしてだろう。

涙なんて、ずっと昔にコントロール出来るようになっていたはずなのに。次から次へあふれ出して。

涙が、とまることがなかった。

 

最初に師匠に出会ったのは、まだ幼い頃。

父が安倍晴明の身代わりをしていたこともある。私はそれなりの、名門の出の人間で。才覚もあって、将来も嘱望されていた。

そして、後から知ったのだけれど。

実は、父はつなぎにすぎなかった。

安倍晴明の目的は、私だったのだ。

安倍晴明は、何も悪辣な邪神というわけでは無い。ただ、この国の安定を。そして最終的には世界の豊穣を願う存在だった。

だから、それには優秀な人材がいる。

人材は何処にでも転がっているわけではない。

人材というものは、育てても必ずしも思うとおりにはならない。優秀な血を掛け合わせても、優秀な人材が生まれるとは限らない。

それが、後から聞かされた事だった。

父は安倍晴明として振るまい。

母はそれに不満を持ちながらも、私に厳しく術や戦い方について教えた。習い事はたくさんあって、毎日休む暇も無いほど。

帝王教育もされた。

歴代の安倍晴明の中には、女性もたくさん含まれていたという。術式に関する才覚は、女性の方が優れている事が多いからだとか。

何もかも、どうでも良いと思っていたとき。

ふらりと、師匠が現れた。

切っ掛けはよく分からない。

ただ、安倍晴明に依頼されたのかもしれないと、今は思う。師匠と安倍晴明、強いていうなら中核になっているウカノミタマと師匠は、不可思議な関係があって。互いに嫌いあっているのに、利用しあっている所があった。

最終的な激発に到ったのは、未来から来た私に安倍晴明が可能性を考えたから、であって。

ひょっとすると、そのまま上手く最後の最後まで、折り合いを付けることが出来ていたのかも知れない。

師匠は、不思議な人で。

私と、今までの教師達とは、全く違う接し方をした。

可愛い可愛いと褒めて。

ダラダラすることを教えて。

人間らしい喜びとか、親が眉をひそめそうなことを、影で教えてくれた。

驚いた。

こんな風に生きて良いのかとか。

こんな風に考えて良いのかとか。

何もかもが、衝撃的だった。

親はいい顔をしなかったけれど。多分ウカノミタマが、好きなようにさせろと言っていたのだろう。

結局、師匠との関係はずるずると続いて。

実の親よりも、私にとっては大事な人になるまで、そう時間は掛からなかった。

自分としての考えがしっかりできてきて。

力もついて、親の言いなりにならなくなってきた頃には。師匠はあまり私に会いに来ることもなくなった。

どうしてかはわからないけれど。

父が急死してからは、別の人が人間としての安倍晴明になったようで。私には、声は掛からなかった。

理由はよく分からない。

ただ、私は確実に自由になった。

学校に出てみて、驚いたことがある。周囲の人間の能力が、明らかに低すぎる、という事だ。

私はあまりにも、周囲からあらゆる能力が隔絶しすぎていた。

幼少時での異常なスパルタ教育がその原因だと気付いたけれど。別にそれに関しては、両親を恨む事も無かった。

当然のように、好成績を残して。

大学も出て。陰陽寮での仕事もこなして。

当然のように、トップクラスの実績を残して。

幹部待遇で対怪異部署の警官になった。

最初から警部補だったから、いわゆるキャリア待遇である。師匠も務めていると聞いていたから、本当に会うのが楽しみだった。

だから、ぐうたら極まりない昔通りの姿を見て、本当に嬉しかったし。表向きは働かせるように仕向けながらも。

ぐうたらしている師匠と一緒にいるのが、本当に楽しかった。

いつから、こうなってしまったのだろう。

メールで、どうするか、師匠は伝えてきてくれていた。

「勝てないだろう場合も考えられる。 だから、最悪の場合は、自害するわ」

あっさり、それだけ。

牧島にも、渡しているとか。

怪異として自害はできないから。介錯のための道具を、である。

師匠は、確かに戦闘力が高くない怪異だ。正直な話、あまり肉弾戦闘力が高くない牧島でも、充分に殺せる。

もっとも、今回使うのは、封印用の杭。怪異だから、刺されて仮死状態になっても、何十年かすると復帰する。

思った通りの形で復活したいから、牧島に介錯用の道具を渡すのだと。師匠は付け加えていた。

天井を仰ぐ。

もう、二度と師匠に会う事は出来ないけれど。

思い出は、いくらでも引っ張ってくることができる。

人間として成長できたのは、師匠のおかげだ。

確かにぐうたらで怠け者だったけれど。師匠がくれたものは、本当に本当にたくさんある。

感謝していると。

一度でも伝えられただろうか。

 

対怪異部署に、師匠は仕事の時しか来なかった。

北海道から戻ると、最初にやったのは、戦後処理だ。戦いで死者も出た。遺族の所にも出向かなければならない。

凶悪なテロ組織を壊滅させた際の名誉の戦死。

そう伝えてはいるけれど。

やはり、気が重い仕事だ。

こういうときのためにいるとも言える平野は、もう寝る暇も無いほどの忙しさで、頭を下げて廻っていたけれど。

一月もするとそれは落ち着いて。

以降は、師匠がいない日常が戻ってきた。

牧島奈々は、少しの間ふさぎ込んでいたけれど。師匠が変じた石を、自分の席に神棚を作って奉納。

以降は、黙々と。

昔の私が乗り移ったかのような、凄まじい仕事をぶりを見せている。

実際師匠が乗り移ったかのような頭のさえを見せていて。幾つもの迷宮入り怪異事件を、立て続けに解決して見せているという。

更に、師匠の能力である、空気操作を術式で再現。怪異の傾きを直して、手遅れでないものは人間に戻しているようなのだ。

平尾は牧島と相変わらずコンビを続行。

その内、私の下に、二人とも移すつもりだ。

ただ問題は、私の寿命がもう長くないこと。

子孫を作るなら、そろそろギリギリのラインだけれど。実のところ、医者にはそれさえ難しいとも言われている。

極端に子供を作りにくい体らしいのだ。

幸い、私には弟も妹もいるので、家が途絶える恐れはないけれど。

まあ、これはどうでもいい。

どちらにしても、未来が無い身なのだから。

暇になったので、師匠が最後にいた家を見に行く。

小さな冷蔵庫にたんまりスルメが入っていた。冷蔵庫と小さなクロゼットを除くと、家財道具の類は殆ど無し。二つの家具を除いてしまうと、本当に、バッグ一つに入るくらいしか、身の回りの品がない人だった。

一時間も掛からずに、整理が終わってしまう。

殆どの品は廃棄。

服の類だけしか遺品が無い。

ぼんやりと、座って過ごす。せっかく時間を作ったのに。これでは、師匠と話す事も出来そうにない。

こんなに何も持っていない人だったのに。

どうして、あれだけ豊かに人脈を構築して。

いろんな人に好かれたり嫌われたりしていたのだろう。

ふと気付くと。

小柄な老人が来ていた。

団だ。

師匠の友人の一人である怪異。団三郎狸。

狐の最大物である師匠と、狸の有名人である団三郎が大親友だったというのもまた面白い話だけれど。

それもまた、間違いの無い事実だ。

団とその一派の怪異は、決戦時に駆けつけてくれた。あまり戦力には成らなかったけれど、敵の式神の一部を引きつけてくれた。

かなり厳しい戦いだったけれど。少しはそれで楽になったのも事実だ。

同じように酒呑童子の部下も、協力してくれた。

「お前さんは」

「諏訪あかねです」

「自慢の弟子だといつも言っていたよ」

複雑な気分だろう。

師匠は怪異の基準から言えば死んだわけでは無いけれど。それでも数十年は会う事が出来ないのだから。

それに、私には責任がある。

繰り返し続けた私が見つけられなかった破滅の回避。

それだけは、どうしても。

残りの短い時間で成し遂げたいのだ。

ぬっと、大きな人影も入ってくる。

酒呑童子か。

何度か顔を合わせたことがある。酒呑童子は私を見ると露骨に嫌そうな顔をしたけれど。

面倒くさそうに部屋を見回すと、ため息をついた。

「彼奴、本当に質素に暮らしてやがったんだな」

「経費の使用は結構激しかったんですが……」

「あれだろ、ハイエースのレンタカー。 彼奴がどうしてかハイエースばっかり乗り回してたのかは知らないが、怪異の間でも有名だったからな」

差し出されたのは、スルメの味がするとか言う珍妙な酒。

神棚があるなら、供えて欲しいと言われた。

頷いて、受け取る。

流石に、酒呑童子も。対怪異部署にまで出向く勇気はないのだろう。

「酒呑の。 後で一杯やらぬか」

「ああ。 テメーはどうだ」

「遠慮しておきます」

「そうか」

酒呑童子は、或いは。

私の体があまりもう長くないことに、気付いたのかもしれない。

さて、師匠が言い残したことはもう一つある。

この部屋を整理していて、見つけたのだ。

ひょっとすると、或いは。

未来の活路を、開けるかもしれない。

大家によって、此処のアパートの解約を済ませると。後は遺品だけを私の自宅に配送。一応これでも私はお嬢だ。

家の人間に、保管しておいて、師匠が戻ったら渡すようにと指示をすることくらいはできる。

その後は、警視庁に直帰。

対怪異部署に戻って、仕事を幾らかこなした後。

書類を書いて、地下に行く。

目的は、其処にいる人物。

芦屋祈里だ。

芦屋祈里は、言うまでも無い、私の敵手。

霊的な分野における、日本でもトップクラスの実力者。八雲はアウトローに近いので、芦屋祈里とは少し違う。芦屋祈里は、どちらかといえば、ピカレスクロマンに出てきそうな人物だ。

ただ、本人は、私と同年代の女性。

少しばかり世間知らずで、戦闘の技量と裏腹に、とんちんかんな知識を持っていたりもすると言う。

尋問に当たった人間から、案外可愛いという報告を受けていたので、意外だったのだけれど。

それも何となく、わかる。

私も、そうだからだ。

芦屋家も、かなり過酷な跡取りの育成をしていると聞いている。帝王教育を芦屋祈里が施されたのは予想ができる。

そうなれば、世間と感覚がずれるのは当然。

地下に降りる。

師匠と一緒に来ることが多かったから、寂しい。此処は入るのにも色々な書類が必要で、面倒な事この上ない。

危険な怪異も、何名か捕まっている。

途中で、詩経院を見かけた。

拘束衣を着せられて、床に転がされている。

私がにらむと、小さな悲鳴を上げて、奧に逃げる。

「拷問はいやだ! 拷問はかんべんしてくれ!」

何も言っていないのに。

そもそも、詩経院のような小物を、「私」が信頼していたとは思えない。情報なんて、引き出せるはずもなかった。

最深部に、足を運ぶと。

極めて厳重に守られた牢の中で。正座して。芦屋祈里が目をつぶっていた。

「来たか、諏訪あかね」

「失礼が無いようにさせてはいますが。 不自由は」

「特にない」

芦屋祈里の部屋は畳敷き。

好待遇である。

というのも、非常に危険な闇世界の顔役といえども、犯した罪の中には、まだよく分からないものも多いのだ。

最終的には、刑が確定されるだろうけれど。

いずれにしても、此処から出ることは無いだろう。

芦屋祈里が好待遇される理由は他にもある。

政府としても、有用な人材として考えているのだ。安倍晴明の箍が外れた今となっては、なおさらだ。

私としては、危険だと思うのだけれど。

確かに、上手くギブアンドテイクが成立しさえすれば。或いは、政府にとって、有用な剣に化けるかもしれない。

「師匠の書き置きを見ました。 貴方だったんですね、ヒカリちゃんの正体は」

「何だ、彼奴、そんな事も理解していたのか」

「推察だが、とは書かれていましたけれど。 ただ、幾つかの付帯証拠が、貴方が師匠の中にいた精神体とつながっていたことを示しています」

「それで、どうする」

ヒカリが芦屋祈里の中にいるのは事実。

IQ280ともなると、世界に何人もいない逸材だ。

「貴方の頭脳を貸して欲しい。 正確には貴方では無くてヒカリちゃんの頭脳を、ですけれど」

「まあ、私の頭脳なんて、実際にはどうでも良いからな」

苦笑いしながら、芦屋祈里は居住まいを正す。

確かに芦屋祈里は、それほど頭が良い方では無い。何度かやり合ったことがある私が、その事は知っている。

しかし、芦屋祈里自身は豊富な術の知識を持っているし。

何より、安倍晴明とやり合い続けた闇の一族、芦屋の当主だ。多くの人脈という武器もある。

これにヒカリの頭脳が加われば、或いは。

「芦屋祈里。 貴方は世界を救いたいですか?」

「正直どうでもいいな」

「……それは、本音ではありませんね」

口をつぐむ芦屋祈里。

此奴は、闇の奥底で。色々な人間の業を見てきた。だからこそ、理解しているはずだ。このままだと、地球の資源は人間に食い尽くされてしまう。そして人間は、その果てに自滅だけを待つことになる。

宇宙への進出は、今の技術では無理だ。

何かしらの方法で、人類そのものを変革する必要がある。

今の人類は、世界全体でチキンレースをしているのと同じ。

金さえあれば何をしても許されるという論理の元。

自分たちの寿命さえ食い潰している。

愚かしさ極まりない生物。

それが、現在の人間の本質だ。

繰り返し続けたという私が、人間を完全に家畜化して、管理するという方向で、未来を打破しようとしたのも頷ける。

実際問題。

私だって、他に手段が無ければ、そうしていただろうから。

師匠が、きっと打破の鍵になっていたのだ。

それをどうやってか解析できれば。

或いは、全てを超える事が出来るかも知れない。

闇の住人は、基本的にエゴの塊だ。芦屋祈里だって、それは理解している。そしてエゴで人類が世界を食い潰そうとしている以上。

自滅を避けるためにも。

エゴは抑えなければならないのだ。

幼児向けの漫画の主人公ではあるまいし。皆が自分が思うままに好き勝手をしていれば、最終的には自滅を待つのみ。

自滅しても良いと言う奴もいるかも知れないが。

それは勝手に自滅すれば良い。他を巻き込むことは許されない。

私がそれを敢えて言うまでも無い。

ただ、芦屋祈里の目を見つめるだけ。

やがて根負けした芦屋祈里は、蕩々と話し始めた。

「幸いにもと言うべきか。 私は一時期、精神の一部を九尾の中に入れて、その全てを解析した。 データをお前が調べれば、或いは」

「陰陽寮の全陰陽師を動員します」

「安倍晴明に握られていたのだろう彼処は。 言うことを聞くか?」

「聞かせます」

芦屋祈里が、少し体を浮かせた。

私は、それほど怖い顔をしていただろうか。

師匠は、時間を稼いでくれたのだ。

もう一人の私は、キーである師匠がいなくなった事で、この世界を離れた。もう一人の私の実力は、この世界を単独で灰燼に帰すほどだったと言うことだ。

もう一人の私が言っていた。

タイムリミットは170年。

その間に、現実的に滅びを回避する手段を見つけるには。

芦屋祈里の中にある、師匠のデータを完全解析するしかない。

滅びに瀕しても、なおも生き続けているという。不可思議な怪異、九尾の狐の、その秘密を。

「PCを貸して欲しい。 スタンドアロンの奴でいい」

「すぐに用意します」

「多分出力には一ヶ月以上掛かる。 ヒカリの奴が如何に頭が良くても、私はローテクな人間だ」

少し恥ずかしそうに独白すると。

芦屋祈里は、協力する事を、告げてくれた。

 

4、死の前触れ

 

限界が来たらしい。

私が悟ったとき。

研究は、大詰めを迎えていた。

 

対怪異部署は、牧島奈々が警視に就任。元々将来の幹部待遇を想定して、民間協力者として活動していたのだ。大学を出ると同時に警部補に昇進。すぐに更に昇進して、部の長に収まった。

対怪異部署は現状、彼女の手で掌握されて、既に今までに無いほどの実績を上げている。

歴代最強の才覚とさえ言われる頭のさえを生かして、牧島は未解決事件の解決を精力的に進め。

人間との共存を望む怪異とも、積極的に交流。

彼らの力を借りながら、対怪異部署を強固に運営していた。

部下の警部三名の内、一人は平尾だ。

平尾は牧島の最大の理解者として、鉄壁のような存在感を放ちながら、対怪異部署の重鎮となっている。

もう二人の警部は、どちらも牧島より年上だけれど。牧島には忠実だ。彼らを従えるだけの力が、牧島にはあったということである。

私は。

対怪異部署を、既に表向きは引退。

今では、地下に籠もって。芦屋祈里と、研究専門の陰陽師達と一緒に、師匠のデータ分析に当たっている。

師匠が長い眠りについてから、五年が経過していた。

私の寿命はもう長くないことがわかっていた。

三十路にまで到達できたのだし、良しとするべきなのかもしれない。

子供は結局産む事が出来なかった。

あの戦いの後、すぐに生理が止まったのである。色々調べて見たけれど、体の中がもうズタボロで、その影響だと言う事だった。

この国最強の力を手に入れるには。

相応の代償が必要だった、という事だ。

もう一人の私は、師匠が知らずと力をくれて。それで、半分以上怪異と化して。それで命脈を保ったけれど。

私は。

間もなく、その命を終える。

それでいい。

師匠は、怪異の幸せを望んでいた。怪異は人、人は怪異という言葉通り。怪異というのは、社会からはじき出された人の成れの果て。

昔は、それが悪魔にも神にも成ったけれど。

神々がリミッターを設けてからは。人は、群れからはじかれれば、ただ弱るだけの存在になってしまった。

だからこそ、彼らを救いたい。

師匠はそう思っていて。

そしてその願いを叶えることにも。世界を救うことが、通じている。

膨大なデータを調べ上げていくと、わかってきたことが幾つもある。

師匠は自己完結する存在になっていたというのが、その一つだ。

この自己完結の仕組みを調べる事で、ひょっとすると。人類は、その気になれば、今までとは比較にならないほど簡単に子孫を残せるようになり。なおかつ、子孫の数を抑制できるようになるかも知れない。

既に幾つかの論文を発表させている。

師匠は既に子を産めない体になっていたけれど。

その体の仕組みそのものは、人類にとってこれ以上もないほど有益だった。

もう一つが、今までに無いほどの環境ロンダリングシステムだ。

人間をはじめとする生物も、体内で毒素を中和する仕組みはあるけれど。どうしても、限界がある。

師匠の中にあったそれは、おそらく自分の崩壊を阻止するための仕組み。

千年を生きるうちに、じっくり醸成されていった仕組みだろうそれは。師匠の中で完成して、病気どころか老化さえ自在に食い止められるようになっていた。

これらの仕組みを上手く利用すれば。

人類は、生き急がなくても良くなるのだ。

ただ、改革には力がいる。

私が此処で果てると、恐らくは改革そのものが出来なくなるだろう。芦屋祈里はそもそも戦士としてはともかく、政治家にも指導者にも向いていない。

かといって、この改革を実現できる人間など。

この世界に、いない。

どこの国の政治家を調べても駄目だった。

どうやら私は、心安らかには逝けないらしい。

自室に戻ると、咳き込む。

どんどんひどくなっている。

医者には、生きているのが不思議だと言われていた。もう体の中は悪性腫瘍の巣であり、そもそもまともに機能している臓器がない。

脳以外の体の部品は、もはや全てが死体同然だ。

ハンカチで口を拭うと。

真っ赤な血で汚れている。

咳をすれば、大量に吐血するようになっているのだ。避けられない未来であったとは言え。ここ五年、体を酷使したことが、更に寿命を縮めたのである。いや、とっくに尽きていた寿命を。

意地と執念で、此処まで伸ばしたと言うべきか。

本当だったら、一年も保たなかったかも知れない。

事実、脳がやられていない理由や、機能不全を起こした臓器が動いている理由が、わからないと医者は言う。

私の卓絶した霊力が臓器を動かしている部分もあるのだろうけれど。

意外に、意地と言うのは大したものなのかもしれない。

部屋の戸をノックする音。

洗面器に血を吐いた後、流す。

もう口の中には。

味が何も無い。味覚は、二年ほど前から、完全に感じ取れなくなった。喉の辺りは感覚もないので、薬を飲むときには重宝する。

「誰ですか?」

「私です」

牧島か。

今、牧島の中には、ヒカリがいる。

話し合った結果、牧島の中にいて貰うのが一番だろうと、芦屋祈里と結論したのだ。

実際、非常に有能な活躍をしている牧島が。鬼に金棒と言える実力を発揮しているのは。非常識なIQをもつヒカリの補助が大きい。

部屋に入ってくる牧島は。

五年ですっかり貫禄を身につけ。どちらかと言えば幼い容姿も、きりりと引き締まり。女性としての魅力も、しっかりにじみ出すようになっていた。もっとも、非常に険しい顔をしていることが多くなってもいる。

師匠を刺したことが。まだ、心の何処かで、棘となって刺さっているのだろう。同意の末の行動とは言え。慕っていた師匠を刺したのだから、つらかったはずだ。

「どうしましたか」

「研究がほぼ完了したと聞きました。 引き渡していただけますか」

「……奧にあります。 持っていってください」

頷くと、牧島は奧の部屋に。

PCからデータを引き取ると、一礼だけして、部屋を出て行こうとする。

その背中に。

私は言う。

「おそらく、これが最後になるでしょう。 師匠の残した全てを、生かしてください」

「あかねさん。 私は……」

「師匠を、頼みます」

数十年後。

よみがえった師匠が、悲嘆に暮れることだけはいやだ。人の死には慣れているだろうけれど。何もかもが無駄になった世界なんて、師匠だって見たくは無いはず。

牧島は、多分師匠の再来に立ち会える。

その時に、良い報告をするのは、牧島であるべきだ。

振り返らず。

牧島は、部屋を出て行った。

私は布団を敷くと、横になる。ナースコール。医師を呼んだ。

すぐに医師は来る。

当然だろう。

どうして生きているかわからないと、普段から言っているほどなのだ。

「何か、具合が悪いところが」

「もう駄目ですね。 おそらく二十時間以内に死ぬと思います」

「気を確かに!」

「自分の体です。 自分が一番よく分かっています。 延命措置の類は不要。 まだ意識はしっかりしていますから、その間にするべき事は済ませます」

今から、やるべき事は。

自分の最後に当たっての、身辺整理だ。

録音装置を起動。

関係各所に、伝えることを順番に吹き込んでいく。医師が気を利かせて、何名かの関係者を呼んでくれた。

一人ずつに、説明をして行く。

「わかっているでしょうが。 このままでは、世界は滅びます。 人間のエゴに食い尽くされると言っても良い。 此処でされていた研究は、極めて悪用されやすいものでもあり、使用には細心の注意が必要です」

軍事技術への応用が、特に危険だ。

あらゆる手を使って、それを防がなければならない。

はっきり言って、人類は。金さえ稼げれば、他の存在が絶滅しようがどうでも良いという思考をする。

それが故に、もう一人の私は。

どのような手を用いても、人類による、世界の破滅を食い止められなかった。

だから私は、可能性に賭ける。

師匠から抽出できた。生き急がなくても良い方法を、人類全体に波及させる。

経済隆盛のためなら何をしても良いと言う、現在の人類の倫理をそれで書き換えるのだ。勿論、進歩のためには競争は必要だろう。

だが、欲が全てを食い尽くすようでは、本末転倒なのだ。

「いっそのこと、現状の人類にこだわる必要はないかもしれないと、私は思っています」

私は死ぬ。

でも、此処で消えるわけにはいかない。

死んだ後には、見守るつもりだ。

そして、もしもこの研究を悪用しようとする者が現れたときは。

いかなる手段を用いても殺す。

一族ごと滅ぼす。

それが、私に課せられた責任。

「見ていますよ、いつも。 もしも私欲に駆られて裏切った場合は、私が族滅します」

脅しを利かせておく。

既に、幾つかの手を用いて、金なら集めてある。

研究についても、嗅ぎつけている者はいるはずだ。そういった連中は、これから私が護国、いや守星の鬼と化して。全てを皆殺しにする。

そうすることで、多分、何とかなる。

人間を私は信用していない。

これは多分、師匠と一緒に、怪異の傾きを是正してきたから、だろう。

怪異がどのようにして生じるか。

その後人間にどう扱われるか。

それを知っている以上。

人間を信用できるなんて、口が裂けても言えない。

結局の所、繰り返していた私と、今の私は同じ存在だ。だから思考回路も、同じ。結論も、同じ所に辿り着いた。

ただ、繰り返していた方の私は。

師匠の残してくれた遺産を、手に入れられなかった。

だから私は、鬼と化しつつも。

自分で手を下すのでは無く、待つことが出来る。

関係者は、皆、私の言葉に震え上がっていた。

多分私は、死んだ後、文字通りの祟り神になるだろう。形態としては、見た存在を全て族滅するという、夜刀の神に近いかも知れない。

それも良い。

私は、師匠の残したものをまもるためなら、鬼にでも蛇にでもなる。

最後に、平尾が来た。

平尾は少し前に、七歳年下の女性と結婚。既に一児を儲けている。

厳しい倫理で自分を縛り。理想の警官として務めているこの強面の大男は。案の定、家では居場所が無い様子だ。

警官として真面目であれば。家ではどうしても、家族に尽くすことが出来なくなる。

仕方が無い事なのかもしれない。

「貴方には、他の人と別のものを託しておきます」

「何でありますか」

「師匠の私物です」

多分、此奴に関しては。他の人間よりは信頼出来る。

牧島は、師匠の私物を守り抜くには少し頼りない。

大した私物はないけれど。

師匠が帰ってきたとき、裸で過ごすことになったら可哀想だ。

「神棚の殺生石を確認しましたが、師匠はおそらく三十年ほどで戻ってくるはずです」

「わかりました。 その時まで必ず守り通します」

「頼みます」

後は。

テレビ会議で、芦屋祈里と少し話す。

芦屋祈里も、私の死には気付いていたようだった。そして、単刀直入に告げてくる。凄まじい邪気が見えると。

「貴様、死んで概念的な存在になるつもりか」

「そうですよ。 この研究だけは、絶対に悪用させるわけにはいきませんから」

「……救われないぞ」

「わかっています」

芦屋祈里については、既に充分な貢献を、国にしてくれている。

牢から出しても良いと言う話もあるのだけれど。

芦屋祈里自身が首を横に振ったのだ。此処で黒幕になっているのが丁度良いと。思えば、今まで少し働きすぎていたのかもしれない。

「貴方にも、幾つか後を頼みます。 奈々ちゃんの中にいるヒカリちゃんの頭脳をサポートしてあげてください。 彼女の力を借りて技術の拡散と実現への戦略を具体的に奈々ちゃんにアドバイスしてください」

「わかってはいるが、な」

「お願いします」

「……わかった」

さて、次で最後だ。

団とテレビ会議をつなげる。

怪異の顔役が集まっている。彼らには、伝えておく。

師匠から抽出できた技術で、世界を変えると。

それに全面的に協力して欲しいとも。

全員が首を縦には振らなかった。

だけれども、団は協力を申し出てくれたし。それに、酒呑童子も。

これでいい。

後は、もう、思い残すことはない。

 

気がつくと。

自分を見下ろしていた。

我ながら悔いのない顔で死んでいる。

それに比べて、わかる。

自分は、おそらく今、鬼そのものの形相を浮かべているはずだ。

私はおそらくこれから、今までにどんな怨霊でも出来なかった数を殺す事になるだろう。

これほど軍事利用しやすく。私利私欲で悪用しやすい技術もないからだ。悪用しようとする輩は、これから皆殺し。

一匹たりとて、生かしてはおかない。

そもそも、世界には害虫が増えすぎたのだ。

私利私欲で好き勝手にするには、既にこの世界は狭すぎる。だというのにエゴを振り回して自己正当化し、何もかもを食い尽くしていく化け物の群れ。

だが、それも此処までだ。

私が根こそぎ、消し去ってやる。

さあ、師匠。

貴方が目覚めたときには、世界は変わっています。

人類は生き急ぐ必要がなくなり。

サーキットバーストを起こしていた世界は、静かになり。

人類の数は安定し。

そして文明そのものも、穏やかで、確実な進歩を求めるようになるでしょう。それをなせない奴は。

私が。

皆殺しにします。

くつくつと笑うと。

私は呪いそのものになった事を悟り。

空に溶けて消えた。

これから、世界の全てを監視しなければならないのだ。研究を止めることも、勿論許しはしない。

人類よ、進歩しろ。

でなければ、滅ぼしてやる。

 

                               (続)