時の果ての決戦
序、開始される綱引き
まずは、安倍晴明をどうにかしなければならない。それがわかってから、私はまず、対怪異部署に足を運んだ。
あかねは驚いたけれど。私が真面目に仕事をし始めたのを見て、何も文句は言わない。むしろ内心喜んでくれているようだった。
正直な話、面倒なのは大嫌いなのだけれど。
こればかりは、仕方が無い。
タイムリミットが、驚くほど近いことを考えると。無駄に遊んでいる時間なんて、殆ど無いのだから。
対怪異部署の資料室は、かなり広い。
地下空間と違って、別の場所に土地を借りて、其処にある建物を資料化しているのだ。入るのに許可はいるけれど、一応警部補の私だから、問題は無い。
今回は、ヒカリの助力もある。
凄まじい勢いで資料を記憶していくヒカリ。
私はぼんやりしながら、資料を探し出していくだけで良かった。後は全部、ヒカリがこなしてくれる。
あくびが零れる。
まあ、私としては、だ。
ヒカリが此処にいることさえ、周囲にばれないようにしていれば、それでいい。
「何か、分かったことはあるか」
「そう、だね。 やはり安倍晴明は、一人じゃあない。 中核になっている安倍晴明の他にも、最低でも四人はいると見て良さそう」
「四人、だと」
「それも、メンバーが替わっているの。 各時代に人間としての安倍晴明が、必ず一人いて。 そのほかは、いずれも怪異がこなしているみたい」
全てが固定メンバーだったら楽だったのに。
そんな編成だとすると、安倍晴明という怪物の尻尾を掴むのが、著しく難しくなってくる。
しかも、である。
狡猾な安倍晴明のことだ。
多分人間としての安倍晴明は、蜥蜴の尻尾切り用の要員として、準備しているのだろう。
まさか、まてよ。
ひょっとして、牧島を欲しがったのは、それが故か。
あり得る事だ。高い素質を持つ牧島の遺伝子なら、クローンでもなんでもいい。作った子孫が、簡単に「人間としての」安倍晴明に仕上がる。
それに、ひょっとして。
以前彼奴は、言っていた事がある。
何百年も生きていて、人間社会に潜り込んでいる輩は、複数人いると。
まさかとは思うが。
その全てが、安倍晴明では無いのだろうか。
もしそうだとすると、これは厄介だ。
ヒカリは黙々と解析を続けているけれど。正直な話、私にはついて行けない世界だ。ただ、此奴が出してくるデータについては、思い当たる節がある。
確かに、江戸時代も。
私はお庭番衆に何度も酷い目に遭わされてきたけれど。
時々、敵がおかしな動きをする事があったのだ。
「九尾さん、いい?」
「ん、何だ」
「昔の、生きた知識が欲しいの」
「私のことは解析したんだろう?」
ヒカリは違うと言う。
奴が言うには、私の構造や核心的部分は解析したけれど、それ以外についてはやっていないというのだ。
何だか面倒な話だけれど。
要するに、ヒカリとしては、此処にある資料に、補足説明が欲しい、と言うのだ。
「順番に名前を言うから、知っているか知らないか、どんな人なのかをこたえてね」
「ああ、良いだろう」
「まずは、江戸時代中期の人だけれど……」
そんな昔の奴を知って何になると言おうと思ったが、多分違う。今問題になっているのは、安倍晴明を構成している奴を割り出す作業。その中には、何百年、下手すると千年以上、生きている怪異が混じっているとみて良い。
一人ずつ、順番に聞かれるが。
知っている者もいるし。
知らない奴もいた。
中には、死を看取った奴もいたので。それについては、正直にこたえておく。ヒカリは頷きながら、情報を精査しているようだった。
「それにしても、メモとかいらないのか」
「頭の中にホワイトボードがあるから」
「ああ、前に言っていた奴か」
「でも、そろそろ八割くらい埋まってきているかな。 何処かでPCを使いたいな。 データをアウトプットしておきたい。 勿論、スタンドアロンの奴で」
注文が多い奴だ。
私は少し呆れたけれど、此奴が今は頼りだ。だから、適当にネットの通販で、準備をしてやる。
PCのグレードは、そこそこのもので構わないだろう。
これでも、山を買ったり島を買ったりしている身だ。PCを買う金くらいなら、充分に手元にある。
「次の質問、行くね」
「横になって良いか」
「駄目」
本を次々に要求される。
分厚い本をただめくっていくだけれど、それもかなり時間が掛かる。しかも、その最中に色々質問もされるのだ。
いわゆるマルチタスクで処理しているのだろうけれど。
私にはそんな真似は出来ないので、とにかく大変だ。ページのめくり方を間違えたりすると、即座に戻ってと言われるので、それもストレスになる。
ヒカリが天女の姿のまま、周囲で作業をすれば良いように思えるのだけれど。
資料室が監視されている可能性や、外から人が入った場合を思うと、そうも行かない。それに、資料室に私が籠もっていることを、安倍晴明が不審に思っている可能性は、決して小さくないだろう。
一日だけで、二百冊以上の分厚い本をめくったけれど。
ヒカリはまるで満足していない。
「この十倍は、情報が欲しい」
「無茶を言うな。 手がしびれた」
「大丈夫。 マッサージの仕方を教えるから」
「勘弁してくれ」
自宅に戻ると、ごろんと横になる。スルメをもむもむしていると、ヒカリが、いきなりとんでも無い事を言う。
きっと、言うタイミングを、計ってはいたのだろう。
「幾つか確信できたことがあるんだけれど」
「聞かせてくれ」
「茨城童子さんは、多分安倍晴明の一人だよ」
思わず、スルメに伸ばした手が止まる。
何故その結論が出たのか。
「多分酒呑童子さんは気付いていないけれど、茨城童子さんは、一回入れ替わっているみたいなの」
「入れ替わっている……!?」
「うん。 資料を確認したんだけれど、どうにも性格が違うんだよ。 それも、三百三十年ほど前に、急に変わってる。 二年ほどの間、酒呑童子さんが江戸幕府とかなり激しくやりあっていて、茨城童子さんと分断されていたみたいなのだけれど……」
なるほど。
入れ替わったとすれば、その時か。
「その時の事を、そういえば執拗に聞いていたな」
「うん。 どうにもおかしいと思ったの。 酒呑童子さんは手練れだけれど、それでも江戸幕府が本気になったらかなうはずがない。 それなのに戦いは妙に長引いて、泥沼化してる。 ひょっとして、泥沼化を敢えて狙ったのじゃないのかなって」
「……怪異の間に、諜報をする奴を潜り込ませた、というわけか」
「うん。 或いは、茨城童子さんは前のままかもしれないけれど。 多分、頭の中に式神を入れられるか何かして、操作されてる。 それか、酒呑童子さんを騙しているか、どちらかだね。 ひょっとすると、別人格を作られたのかもしれない。 これが一番可能性が高そう。 人格が変わると、他の人格の時の記憶がないことも多いんだよ」
それがわかっても、迂闊に手出しが出来ないのが、つらいところだ。
更に、もう一人。
ほぼ確定でわかっている安倍晴明がいるという。
名前を聞いて、驚く。
現在、官房長官をしている男だ。
幾つかの資料で、その存在が確認できるという。
思い出すが、官房長官は特徴がない顔立ちの男で、経歴も無難。色々な官職を歴任しているが。
とにかく、印象に残りづらい男なのだ。
ひょっとして、それも。意図的にやっていることなのかも知れない。
「高級官僚に、まだ安倍晴明がいるかもしれないな」
「まず自衛隊にいる」
「どうして断言できる」
「記憶をたどってみて。 動きがおかしくなかった?」
そういえば。
強化怪異との戦いの時、自衛隊は協力はしてくれた。だが、どうにも動きがおかしかったように思える。
今になって、そういえば、だが。
確かに邪魔はしていなかった。
味方をしてもくれた。
しかし、敵本拠を探すとき、資料提供などを、意図的に渋ってはいなかったのか。可能性は、決して低くない。
「そうなると、自衛隊も敵だと判断するしかないな」
「多分だけれど、あかねちゃんが九尾さんと一緒に行動開始したから、慌てたんだと思うよ」
「なるほどな……」
敵本拠を巡る戦いの終盤、明らかに警察も自衛隊も、動きがおかしかった。あれは安倍晴明が、慌てていたから、だったのか。
ただ、奴はおそらく読み切った。
だからこそ、途中で干渉を停止したのだろう。
あかねが、もう一人の自分とかち合った瞬間。自分の勝利になると、判断していたのだろうから。
つまりあの時の、不自然な警察と自衛隊の動きは。
私の行動がイレギュラーで、安倍晴明にとっても焦りを誘発するに相応しいものだったから、なのだろう。
つまり、裏は掻ける。
最後にイレギュラーから結論を導き出した安倍晴明は流石だ。それは認めてやる。
だが、今度は、同じ手は喰わない。
「割り出しには、どれくらいの時間が掛かりそうだ」
「何とかそれは大丈夫。 問題は警視庁だね」
「警視総監じゃないのか」
「彼はシロだよ」
断言するヒカリ。
これまた、理由がよく分からない。一応聞いてみるが、幾つかの例から、警視総監が安倍晴明側だという理由は無いのだとか。
ただ、彼奴は戦いの終盤、何名かの警視監と一緒に姿を消している。
その時に、何か細工をされた可能性はあるという。
いずれにしても、だ。
安倍晴明の本体についても、居場所を確定しないとならない。この様子だと、表向きの安倍晴明は、見つけたところで何にも意味がないからだ。
下手をすると、前回のように。
いきなりあかね同士を引き合わせてくる可能性さえある。危険を感じたら、いつでも世界を終わらせられる。
それだけ、安倍晴明は有利な立ち位置にいるのだ。
「安倍晴明の目的はなんだかわからないか」
「わからない。 ただ、不審な点は多いよ」
「それは私だって分かっているがな」
「そもそも、調べて見れば見るほど。 全てが終わったあと、安倍晴明が何をしているか、何を得たかがわからないの」
そうだ。確かに。
茨城童子が処刑されたと、酒呑童子は泣いていた。
あれは、処刑を確認は出来ていないけれど。少なくとも、表向き茨城童子はその時点で退場したはず。
そうなってくると、有用な手駒が一つ潰れたわけで。安倍晴明が意図していたとしたら。それだけの価値がある行動だったことになる。しかし、どう考えても、メリットを見いだせないのだ。
いずれにしても、わからない。
今は、安倍晴明の分身と本体を、全て暴き出すほか無い。
本当に一体、奴は何者なのか。
わかったとき、どうすれば良いのか。
横になったまま、しばらく無心にスルメを噛む。噛めば噛むほど味が出る、美味しい食べ物だけれど。
心の渇きは癒やしてくれない。
私は空っぽの存在で。
終焉を迎えていて。
それでいて、何故か生きている。その謎も。私には、どうしようもないし。わかりようがなかった。
1、反転攻勢
夢を見る。
私は獣の姿。狐と言うよりも、狼とか、山犬に近い。昔はこの国にも生息していた、強力な犬科の猛獣。
走りながら、気付く。
血に飢えている。
私は、獣として、獲物を喰らいたいと考えている。
跳躍。
獲物を押し倒すと、一息に喉を食いちぎった。
そのまま、熱い血が噴き出す獲物を食い始める。
はて、おかしいぞ。私はこんな風に食事をしたことは一度も無い。しかし、この記憶は、何だ。
間近に迫るような肉の臭い。
血のかぐわしい香り。
どうしても、他人事だとは思えない。自分の身にきざまれた記憶だとしか、思えないのだ。
しかし、このようにして獲物を。
人間を喰らったら。私は、おそらくほぼ確実に、人間によって消滅するまで追い立てられていただろう。
だが、私は。
今、此処にいる。
夢うつつの中、見る。私は、そのまま人間をくらい尽くしていく。骨も皮も、全て丸ごと。
バリバリと、骨を噛む音。
凄まじい血の臭いに、歓喜する私。
はて。これは本当に。
いや、少しずつ見えてきた。私の中にある、あり得ない記憶のこと。そして、私の中にある、産んだはずのない子供のこと。
血だらけの私が、月明かりに映されていく。
そして、私は、気付く。
私は、雄だ。
目を覚まして、しばらくぼんやりとする。
そして、思い出した記憶を、順番に整理していく。
勿論私は女だ。
だが、私でありながら、私では無い者はどうか。そう。これを、どうしても失念していたのだ。
思い出してきて、そして合点がいった。
ずっとずっと昔の事。
私から分離した眷属の中に、とんでも無く凶暴なのがいたのだ。
多くの眷属は、神社に住まい、静かに生きることを選ぶ。怪異の傾きを是正するとき、力を借りるのは、こうした眷属達だ。
だが、そいつは。
私から産み出された眷属でありながら。
あり得ないほど獰猛で。人間を殺して喰らう事を、全く怖れていなかった。その後に来る災厄についても、頭が回らないようだった。
大妖怪の眷属とは言え。
所詮怪異なのだ。
本職の、怪異に対する戦闘能力を持つ人間が現れてしまうと、もう対抗することは出来ない。
私は、黒い毛皮を持ち。私に姿がよく似ているそいつに、何度も説教した。止めるように、と。
人間を状況に応じて殺すのは致し方ない。私だって、何度となくやったことがあるからだ。
だが喰らうのは止せ。
それをしてしまったとき。怪異は、人とは絶対に相容れない存在になる。
その時待っているのは、怪異に対する絶対的な駆除。そして、人間に怪異が勝てない以上、絶滅だけを待つことになるのだ。
怪異は人。人は怪異。
だが、怪異は人に勝てない。
ならば、どうしても、共存を図っていくしかない。
だが、私の説得は。その黒い毛皮を持つ怪異には、どうしても通じなかった。狐でありながら、山犬のように巨大で。
腹を空かせた猪のように獰猛で。
冬眠に失敗した熊のごとく、全てを食い尽くす。
しかし、それらの全てをあわせても。武器を持った人間には勝てないのだ。しかし、黒い眷属は。
どうしても、それが理解できなかった。
十を超える数の人間を喰らい。
やがて、討伐の軍勢が出た。
勿論、その中には。多くの術者や、能力者も混じっていた。そうなってしまうと、人間にはとてもかなわないことを、思い知るばかりだった。
驕った黒い獣は。
なすすべ無く切り裂かれ。
瀕死の状態で、私の所に戻ってきた。
そして、言ったのだ。
「戯れに、女を孕ませました」
「……!」
そういえば。
此奴は雄だった。そして元々、私は人だった。そして今も、人の要素を残している。故に人と交わり、子を為す事が出来る。
眷属も。それは同じ。
この忌まわしき、黒の眷属であってもだ。
「必ず女は殺されましょう。 是非とも、保護と慈悲を」
「お前の撒いた種であろうが……!」
「私も貴方の撒いた種です」
皮肉に笑うと。
黒い眷属は死して。その要素の全ては、私の中に戻った。
白面金毛九尾の狐の、悪しき所行の幾らかを、伝説として残した私の眷属は。全てを私に押しつけて、死んだのだ。
記憶の一部を取り込んだ私は。
惨劇の赤子を探した。
そして、見つけた。
潰された家屋の中に。既に息がない女の姿を。黒い眷属が面白半分に殺して潰し、そして犯した女の腹には。
まだ、命が残っていた。
私は、秘術を尽くして。
その子供を、腹に移したのだ。
口をつぐむ。
今まで忘れていたわけだ。これは、私にとっては、悪夢に等しい出来事だった。そして、この子供は。
私が父親であり、母親でもある存在だったと言えたのだ。
夫の覚えがある筈もない。私が夫だったとも言えるのだから。
とにかく歪んだ出自だった。私が、男と交わって作ったわけではない子供。そして、私の腹から生まれ出た子も。
他の子供同様。幸せに育つことはなかった。
とにかく、異常に強い力を持って生まれてしまったからだ。
やがて子供は迫害された。
人の世で、生きるべきでは無いと判断した私は、連れていこうかと思ったのだけれど。それを邪魔した者達がいる。
それこそが。
芦屋の一族。
安倍晴明に対抗し続けた、呪術の一家。
勿論、私が勝てる相手では無い。それでも必死に幼子の手を引いて、私は山野を逃げ惑い。
最終的に、私だけが逃げ延びた。
子供がどうなったかは、ずっと忘れていた。
多分、自分にとっても、最もつらい記憶の一つだからだろう。そして、その子供こそが、芦屋の一族を乗っ取り。
そして、芦屋祈里の先祖となったのは、間違いが無いことだった。
そうか。
今更ながらに、天井を仰ぐ。
夢だと言う事はわかっていたけれど。ようやく、自分でも封じていた記憶が、よみがえって。
それで、わかったのだ。
私は、恨まれて当然だったのだと。
狂気の連鎖の中で、私はこの記憶。おそらく、前後五年ほどの記憶を封じ込んだ。強固に、強固に。
徹底的に、強固にだ。
私の、生まれてはならない眷属が為した罪業と。
そして、私が引き継いでしまった、悪夢の連鎖を。
結局の所、私はあの黒い眷属を、あしざまに言う資格は無い。思い出してみて、よく分かった。
私だって、子供を救えなかったのだから。
12番目の子供を、無き者として扱ったのだから。
茫洋としていると。
ヒカリが、声を掛けてくる。
「唐突に目覚めたね、記憶」
「強固に封印していたからな。 結局の所、私は罪を犯した存在である事に代わりは無いし、恨まれても仕方が無い」
思えば。
混濁した記憶の中。それでも封印しきれないものはあったのだ。
十一人の他の子供の記憶と。十二人目の記憶は、どうしても混ざり合う部分があった。だから、違和感は、ずっと消えなかった。
どうすればいいのだろう。
コンディションは最悪だ。それでも、体を無理矢理に引き起こす。やらなければならないことがある。
だから、動くのだ。
資料室に向かう。
ハイエースで行きたいところだけれど。しばらくは電車を使う事にする。レンタカーだと、料金がかさみすぎるからだ。
「もう一人を、数日以内に特定できそうだよ」
「そうか。 それは良かった」
「大丈夫? 何だか調子が悪そう」
「……」
体の中が熱い。
何というか、今までに無い感覚だ。封印していた要素が、外にあふれ出しているのが、実感できる。
必要に応じて、人を殺すことはあった。
だが、人を食った存在を、体の中に戻したのは。私なりの慈悲であったけれど。これは、まずかったのかもしれない。
何というか。
私の中では、あってはならない要素が、ふくれあがりつつある。
燃えさかる炎は、狂気の形を為して。私の体を、内側から焼こうとしている。喰らった人間の血肉が、私をむしばもうとしているかのように。
「九尾さん?」
「何でもない。 解析を続けてくれ」
「無理はしないでね」
「……わかっている」
少しずつ、活力が増し始めているのがわかる。私は、本来あるべき力を、記憶と一緒に封じていたのか。
これが、ブラックボックスの正体。
そしてブラックボックスが開封された今。私の狂気は、力になりかわり、この体を支配しようとしている。
これは、まずいかもしれない。
自害をする事を、本気で考えないと、危ない。
伝承にある最強の怪異、九尾の狐としての破壊力を周囲に振るうようになったら、最悪だ。
勿論、そうなったとしても、八岐大蛇の殲滅火力にはかなわないだろうし。下手をすると、理性だけが消えて無くなる。
タイムリミットは、二重の意味でなくなった。
しかも、である。
このブラックボックス、もう封じることは出来ないだろう。体中に、闇がしみ出しているのがわかるからだ。
文字通りの、破滅への階段を。
私の全てが、転がり落ち始めている。
資料の精査を続けるヒカリは平然としているけれど。最悪の場合は、当然此奴も巻き込むだろう。
そして此奴は。
それくらいは、分かっている筈だ。
黙々と作業を続ける。
安倍晴明は、おそらく最低でももう二人いると、ヒカリは言う。警視庁の内部にいる奴と、もう一人だ。
「暴力団関係者か?」
「恐らくは」
多分、そいつは。黒幕のあかねの方に、新鮮な奴隷を提供していた奴だ。考えて見れば、あの話も、何処かが妙だった。
警察も暴力団関係者も、強力なコネを持つ安倍晴明が動かしていたと考えれば、全てのつじつまが合う。
四日以内に、全員を割り出す。
ヒカリはそう宣言した。
腹が熱い。
子を孕んだときとは、違う感覚だ。何というか、体の中に炉が出来て、それが燃えさかっている印象である。
三日が過ぎた。
あかねは連絡を入れてこない。不安だけれども、少なくとも、私が何かを調べる事を尊重はしてくれているようだ。
安倍晴明の動きが気になるけれど。それより危険なのは。多分此処から遡っても、ブラックボックスは解除されたまま、という事だろう。
私をむしばむこの黒い記憶は。
ますます力を増していくとみて良い。
全てが終わったら、私は死ぬ。
だが、その一方で。
私の力が上がっているのも、実感できるのだ。
多分このリミッターは、余程に私の力を削っていたのだろう。
頭が冴えている。回転そのものも早くなっている。それだけではなく、体に力がみなぎっている。
ステゴロがとにかく駄目な私だけれど。
今の状態だったら、空気を操作する能力も、普段の倍以上の精度で用いる事が出来るだろう。
実際、この施設の周辺全ては、既に力ある空気で覆い尽くしている。
周囲にあるあらゆるデータは、私が把握済みだ。
ヒカリにも、効率よく情報を見せる事が出来ている。私の目を通じて情報を得ながら、ヒカリは何度か感嘆の声を上げていた。
「情報の処理速度が、六倍くらいに上がってるよ」
「命を削っての事だからな。 それにもう、ブラックボックスは閉じようがない」
「……わかってると思うけれど。 このままだと、九尾さんは、強化怪異に転移するよ」
「強化怪異か」
絶対になりたくないと思っていたのだけれど。
しかし、人間を喰らった眷属を取り込んだ時点で。同じ条件は満たしていたのだと言える。
強化怪異になったら、どうなるのだろう。
だが、どちらにしても、私は死のうと思っている。ヒカリにも言ってはいないが、この決意は揺らいでいない。
「情報解析速度が上がってるから、何もかもを一気に進められる。 この分だと、上手く行けば、今日中にどうにか出来るかも知れない」
「いや、そう簡単にはいかないようだな」
私は、いち早く気付く。
資料室の外。数名の斥候らしいのが来ている。多分、安倍晴明の部下か、或いは分身体か。
まだ、正体は特定できないが。
いずれにしても、碌な輩では無いだろう。
私は気付かないフリをして、そのまま資料を運び続ける。積み上げた本を片付ける時間さえ惜しい。
徹底的に本を開いて、ページをめくり続ける。
ミスをする頻度は、極端に減っていた。
また、ダラダラしたいとも思わない。
今までそうすることで、押さえ込んできていたのだ。全ての闇を。押さえ込む必要もなくなり、押さえ込むことがそもそも出来なくなった今は。
全ての力を、生存のために注ぐ事が出来ている。
だが、このリミッター解除は、全身の崩壊も招く。何より、強化怪異になった後、私がどうなるかわからない。
何しろ、千年を生きた九尾の狐だ。
強化怪異になった後。あの絶望の未来で見た、私の子のようになっても、何らおかしくは無いのだから。
「解析を急げ。 外にいる奴が増えている」
「平尾さんや、奈々ちゃんを呼んだ方が良いのでは」
「本来の私の力だと、外にいる事に多分気付けない。 もし呼んだ場合は、安倍晴明が異変に気付く可能性が高い」
「そうなると、ブラフを仕掛けてきているというわけだね」
ヒカリも、即座に状況を把握。
私の力は、加速度的に大きくなってきている。
外にいるのは七人。
それぞれが対怪異用の霊具で武装している。実力はまちまちだけれども、多分陰陽寮から派遣されている怪異狩りの専門家達だろう。
なめてかかれる相手では無い。
資料を、運ぶ、
多分これが、最後の資料になる筈だ。資料室の外で待ち伏せしている連中は、無線を使って積極的に情報を交換。
突入のタイミングを、見計らっていると判断して良さそうだ。
一方で、私もやられてやるつもりはない。
既に資料室中に張り巡らせた空気は、その隅々まで、構造の解析を完了している。ヒカリが解析をしている間、暇だからやっていたのだ。
退路は、既に確保できている。
運動能力も上がっているし、多分問題なく突破は出来るだろう。
問題があるとすれば、その先。
まだ、安倍晴明に、私の力が上がっていることを悟らせるわけにはいかない。偶然を、どう装うかだ。
あかねに連絡を入れる。
「ちょっと面白い事がわかってな。 平尾と牧島を呼んでくれるか」
「二人を呼んで、どうするんですか」
「資料を運び出すんだよ。 対怪異部署に運んで、そっちで解析する」
「まあ、師匠のすることですし、無意味では無いと信じます」
不審そうにはしていたけれど。
あかねは動いてくれる。
勿論、これは探知されることを想定してのブラフ会話だ。あかねはそうとは気付いていないだろうが。
これで、不自然さ無く、平尾と牧島を呼び出した。
もう一手、不自然では無い脱出を装うにはいる。ただそれは、もう少し時間が経たないと、出来ない。
本をめくりながら。
私は何度か、ヒカリにまだかと聞く。
まだと答えがその度に返ってくる。
焦ってはいけない。
焦っては、勝てるものも勝てなくなるのだ。ただでさえ勝率が低いのだから、それ以上下げるわけにはいかない。
今までの怠け思考が嘘のように。
私の頭は、よく働いていた。
間もなく、全ての資料に目を通し終える。本を黙々と片付ける私。ヒカリは熟考モードに入り、口を一切きかなくなった。
近くのソファに移動。
さて、どう出てくる。突入してくるなら、それなりに面倒くさいのだけれど。ただ、今はもう、準備も整った。
寝たふりを続ける私。
外の突入班は、じっと黙り込んだまま。
だが、予想外に早く、平尾と牧島が到着。平尾は、突入班に気付いたようだった。
「其処で何をしているかっ!」
怒号が炸裂。
資料室の中まで聞こえるほどの大音声だ。思わずすくんだ突入班の一人に、平尾は迷わず突進し、相手が反応するより早く、胸ぐらを掴んでいた。
「霊的装備で身を固めて、何をするつもりだった!」
「わ、我々は警視庁の」
「本官だって警官だ!」
凄まじい剣幕に押されて、突入部隊は色を失ったようだった。
多分、面倒だと判断したのだろう。一人がハンドサインを出して、撤退を指示。それこそ、脱兎のように逃げていく。
平尾が、大股で踏み込んできた。
「どうしたー。 大声出して」
「外に不審者がいました。 胸騒ぎがしたので、急いで駆けつけてみればこれです」
「……そういえば、お前は相当に霊的能力が高かったな」
「何の話です」
いずれにしても、これは良い意味で想定外だ。
慌てた様子で、牧島が式神を周囲に展開して、様子を探っている。私はあくびをしながらソファから起き出す。
最悪の場合、上にある換気口から脱出するつもりだった。
今の身体能力なら、それも出来る。
問題は、不自然さを悟らせないために、脚立を使う必要があったことで。脚立の位置に近いこのソファまで、移動する必要があったのだ。
もっとも、突入を平尾の勘で阻止できた今は、もう必要ないが。
資料室の外に出る。
パトカーでは無くて、レンタカーのハイエースだ。流石に此処まで、盗聴器を仕込む余裕は無いだろう。
牧島と平尾が敵に通じていない限りは大丈夫だ。
「中で、大事な話がある」
「……伺いましょう」
「その前に、この資料を運び出してくれ」
まだ、安倍晴明に、悟らせるわけにはいかない。
三人がかりで、黙々と資料を運び出す。ハイエースに積み込んだ後は、私は後部座席から乗り込んで、スルメを取り出した。
スルメをもむもむしながら、車を出して貰う。
適当に速度が乗ったところで。
説明を、始めた。
少しずつ、戦況は良くなっている。ハイエースを降りて、資料を運び出しながら、そう私は感じる。
平尾と牧島は、好感触だ。
多分安倍晴明殲滅作戦には、参加してくれる。
問題はカトリーナである。
ヒカリも言っているのだが、今のカトリーナは状況から考えて変だ。安倍晴明が何かしらの形で送り込んでいる可能性も否定出来ない。
そして、あかねだ。
あかねと安倍晴明の接触を断ち。
なおかつ、今も地下で活動している、もう一人のあかねとの接触も断つ必要がある。本当に面倒なジョーカーになってくれたものだと、私は嘆く事しか出来ない。
「資料の運び出し、終わりました」
「私のデスクに並べてくれたか」
「はい。 ただ埃を被っていましたので、先にぞうきんがけをしました」
「ん、ありがとう」
一応デスクはあるけれど、ほぼ使わないのだ。
その私が制服を着て、デスクで資料を整理しているのを見て、周りは皆が目を見張っていた。
「金毛君、どうしたのかね」
「まあ、たまには私も真面目にやる、という事ですよ」
平野にそう答えると、偽装作業を続ける。
ヒカリが、作戦を考え出す時間を稼がなければならない。幸い、四日かかるはずだった解析は、一日でデータを落とし終えた。
私の体が、おかしくなってきている事もある。
できれば、一週間以内に、安倍晴明との決着を付けたいところだ。
何か、上手い作戦はないか。
私はそれほど戦の才もないし、こういうときは他人に任せっきりになるのが悔しい。
資料の一つに、未解決の怪異事件がある。
あかねを誘う。
「これからこの事件を解決に行く。 お前も一緒に来て欲しい」
「珍しいですね。 こういう風に誘ってくるのは」
「まあ、気が向いたと言うことだ。 嫌ならいいぞ。 私も事件を後回しにして寝るだけだ」
「いえ、行きます」
まだ外にとめてあるハイエースは、レンタカーに戻していない。
あかねと一緒に乗る。運転はあかねに任せて、私は助手席に着いた。喋ることは、偽装する。
ハイエースの内部を空気で包んで。
音は、別個に伝えるという荒技だ。流石にこれをしながら運転は、スペックが上がっている今の私でも出来ない。
「なるほど、安倍晴明が」
「あと少しで、誰が安倍晴明なのかを解析できる。 その後、奴をどうしてでも、倒さなければならん」
「……師匠。 私は隠していたことがあります」
不意に、私の言葉を、あかねが遮る。
隠していたこと。
それは、何だ。
あかねは、運転をしながら、続ける。あまり良い予感はしない。力が強くなってきている今は、なおさらである。
「安倍晴明が複数だと言う事は、実は知っていました」
「何……」
「私の父が、先代の「人間」安倍晴明だったんです」
息を呑む言葉。
そうか。
そういうことだったのか。
なるほど、合点がいった。
多分あかねは。次の世代の、「人間」安倍晴明として、期待されていた人材だったのだろう。
才能と実力は確かに誰もが認めるところだったが。
人間社会で出世するのは、実はそれだけでは不可能なのだ。次の世代の安倍晴明として期待されていたからこそ。
あかねは、対怪異部署で、若くして重鎮を任されていた、という事なのか。
なるほど。それならば、全て納得も行く。
だが、ひょっとすると。
今までの世界でも、それは共通していたのだろうか。そればかりは、もう確かめる術がない。
それに、最初の世界では、牧島の生体データを、安倍晴明が欲しがっていた。あれはひょっとすると。あかねの更に次の代の安倍晴明を、牧島にやらせるつもりだったのか。もしくは、何かしらの理由で、あかねを使えないと判断して。代わりに、牧島を使うつもりだったのかもしれない。
どちらにしても、厄介だ。
「ううん、これは好機だよ」
不意に割り込んでくるヒカリの声。
あかねは表向き一切動揺せずに運転を続けているが。私としては、このタイミングでいきなり割り込んできたことについてはちょっと不満も残る。ハイエースで移動中で、ほぼ敵に盗聴される可能性は無いとは言え。
まだあかねの去就がわかっていない今、不用心だと思ったからだ。
「オイ、大丈夫なのか」
「事前にこのハイエースに盗聴器がないことは調べてあるから」
「いつのまに」
「魔術的な盗聴もされていないよ。 それは私が保証する」
冷たい声で。
状況を説明して欲しいと、あかねは言う。
もう、隠す必要もないと思ったのだろう。ヒカリは未来に何が起きるか。あかねが何をしでかすか。
包み隠さず、説明していく。
私は冷や冷やした。
最悪の場合、また一からやり直しになるからだ。
あかねが安倍晴明と通じている可能性は、決して低くないのである。
「……なるほど、事情はわかりました」
あかねがウィンカーを動かす。
高速道路にのるつもりらしい。
話が長引くから、だろう。怪異の事件が起きた現場とは離れた方向に行ってしまう。安倍晴明も、おかしいと思って、調べに掛かってくるはずだ。
私が調査室で長居していたことも、既におかしいと考えているはず。
それに加えて、あかねの異常行動である。
当然、伝わっているはずだ。そして安倍晴明も、行動を起こしていると考えて、間違いないだろう。
「高速道路は止せ。 私の家にしろ」
「不自然さを悟らせないためですか」
「そうだ。 今、まだ安倍晴明とやりあうには、力が足りない。 私もブラックボックスを解除したことで力が増しているとは言え、それでも多分まだ無理だ」
「大丈夫ですよ。 なぜなら」
高速道路に、ハイエースを乗せるあかね。
嫌な予感がする。
「私は、もう安倍晴明としては、価値が無いと判断されていますから」
「どういうことだ」
「師匠には話していませんでしたね。 私の寿命、多分あと10年程度しか、もたないようなんです」
息を呑む。
まさか。
此奴は確か、健康診断とかもしっかり受けているはず。何かしらの大病だったら、私にも情報が来ていてもおかしくない。
だが、あかねは多分予想していたのか、首を横に振る。
「魔術的に、体を弄りすぎた悪影響です。 訳が分からない術の数々が、私の体内で相互干渉しています。 次世代の、最強の体を作ろうとして、安倍晴明が好き勝手をした結果です。 下手なコトすると、私の体は爆発して木っ端みじんです」
「オイ、どうして私に話さなかった」
「好機がありませんでしたから。 それこそ、安倍晴明に知られたら、その場でドカン、でしたから」
「……っ!」
此奴の事は、何でも知っていると思っていたのに。
まさか、こんな形で、予想を覆されるなんて。
ため息が漏れる。
高速道路に、ハイエースが乗った。これで、しばらくは話す時間が、確保できたことになる。
ヒカリが咳払いすると。
順番に、全ての事情を、話し始めていた。
夕方。
自宅に戻った私は、横になるとスルメを口に入れた。着替える前に、まず横になって、ぐだぐだしたい。
「制服がしわになるよ」
「かまうか」
うんざりした様子の私に、お小言を言うヒカリ。
とりあえず、あかねは話を理解してくれた。だが、その上で、あかねが裏切らない保証はない。
そもそもだ。
あかねが凶行に出た理由の一つが、これではっきりした。
単純に死にたくなかったのだ。
勿論、それだけが理由では無いだろう。だが、まだ若いのに。あと10年と生きられないというのは、つらいはずだ。
安倍晴明としても、手綱として、その状態を利用しているのだろう。
次世代の自分として活用できなくとも。
非常に高い能力を持つあかねは。手駒として、非常に有用だからだ。
無心でスルメを噛んでいる内に、苛立ちも少しは収まってきた。まさか、裏でこれほどのどす黒く醜悪な事実が蠢いていたとは。
人間社会の醜悪さは、散々味わってきたつもりだったのに。
これは少々、予想を超えすぎていたかもしれない。
「で、チャンスとか言っていたが、どういうことだ」
「安倍晴明をおびき出す方法があるって事だよ」
「具体的に聞かせてくれ」
「跡取りがいるって言えば良いの」
跡取り、か。
要するに、人間としての安倍晴明の、適切な体、という意味だろう。
だが、そんな話に、安倍晴明が乗ってくるだろうか。
不安もある。
しかしながら、もう他に、手があるとは考えづらい。跡取りを吟味するための醜怪であれば。
根こそぎ、安倍晴明を捕まえることが出来る可能性もある。
そして何より、中核になっている。古くから存在している、怪異としての安倍晴明を斃す事が出来れば。
敵の中枢は、どうにか出来るとみて良い。
勿論、その後に。
何度も繰り返しているあかねをどうにかしなければならないのだけれど。それはそれ。別の問題だ。
跡取りの候補として有用なのは、やはり牧島くらいしかいないだろう。
思えば、安倍晴明は、牧島の才能を見極めるために、対怪異部署で働かせていたのかもしれない。
前の前の世界の終盤。
不意に牧島のデータが欲しいと言ってきたのも。
見極めが終わったから、だったのだろう。
「作戦を具体的に立案してくれるか」
「任せておいて」
反撃開始だ。
此処で安倍晴明を潰してしまえば。
後の戦局は、ぐっと有利になる筈なのだから。
2、怪異の王
事前に何度か打ち合わせを行い。
準備は、入念に整えた。
安倍晴明をつり出すとなると、余程の餌を用意しなければならない。対怪異部署で何度か全員を対象に能力テストを実施。
それで驚かされたのは。
牧島の潜在能力が、予想以上だった、という事だ。
現時点での数値という点では、あかねや安城に遙か遠く及ばない。特にあかねの能力実数値は飛び抜けていて、実際に見た私でさえ度肝を抜かれたほどだ。
他にも、深沼をはじめとして、数値で牧島を凌いでいる者はいくらでもいる。だが、潜在能力の高さだけが、牧島は図抜けている。多分だが、上質の戦闘に恵まれ、良い師匠がつけば、史上最強というレベルの能力者にまで化ける。
天賦の才と言う奴だ。
舌を巻く。
本当に、天に愛されている奴というものは、いるものだ。牧島の潜在能力が全て開花した場合。
多分あかねでも勝てない。
「これは、凄い数値だな」
「安倍晴明が欲しがるわけだね」
データを見せられて、驚くのは私だけではない。ヒカリも、データを見て、愕然としていたようだった。
牧島自身は、困惑するばかりで。それがまた可愛いのだが。
しかし、此奴が成長した場合。
最悪の方向に進めば、怪異にとって最凶の敵となってしまう。私がしっかり様子を見て、舵取りをしなければならないだろう。
とにかく、このデータは、すぐにでも安倍晴明の手に入る筈。
勝負は、其処からだ。
安倍晴明は、なぜか焦っている。現時点での、表向きの、人間としての安倍晴明に何か不備があるのか。
それとも、現時点でヒカリが割り出している四人の安倍晴明の中に、何か問題が起きているのかもしれない。
はっきりしているのは、安倍晴明が、後継者を欲しがっていること。
いずれにしても、これは好機。
奴をおびき出して、一網打尽に出来れば、繰り返している方のあかねを守っていた最悪の防壁がなくなる。
それはつまり、一撃で敵の本拠を急襲できる、という事だ。
今から時間が経てば経つほど、此方は不利になる。強化怪異が無理に作られれば、それだけ世界のルールが壊れて。私が世界の末期に経験していたような、何が本当で嘘なのかさえもわからないような混沌が来る。それは敵を利するだけ。
早期に安倍晴明さえ倒してしまえば。
その混乱も、最小限に抑えることが可能なはずだ。
罠の構築は、ヒカリに任せる。
今の時点では、あかねも味方にカウントして良い筈だ。牧島も平尾も大丈夫。問題は、カトリーナだ。
カトリーナだけは、どうにも得体が知れない。
安倍晴明を倒してから、味方として動いて欲しい。実際、潜在能力は高いし。肉弾戦闘能力でも、頼りになるからだ。
味方を信頼すると言う事が出来ないのがつらい。
とにかく、安倍晴明だ。
奴だけは、どうにかする。
決意を固めて、好機を待つ。策が出来たのは、四日後。かなり厳しい作戦だけれども。上手く行きさえすれば、安倍晴明の本体を引きずり出すことが出来る。
その後は、時間との勝負。
倒してさえしまえば。
いくらでも、後でどうにでもできるのだ。
多少汚い気もするけれど。世界がどうなるか、その惨状を見てきた私としては、手段を選ぶわけにはいかない。
あかねと平尾、牧島にも伝える。
八雲辺りも動員できれば良かったのだけれど。彼奴は多分、「面白い戦いが出来る」方を絶対に選ぶ。
つまり、この状況だと、敵になる可能性が高い。
八岐大蛇は、流石に危険すぎて使えない。
できれば遠距離から一撃確殺、といきたいけれど。
今回は、他に選択肢が無いのだ。
決戦の場に選んだのは、ある野球場。
とはいっても、専属の球団が存在しない今は、色々なイベントで貸し出される、だだっぴろい空間に過ぎない。
此処に、安倍晴明を誘い出す。
方法は、簡単だ。
牧島が、安倍晴明の後継者に適しているかもしれないと、情報を流す。これに関しては、露骨な情報では無い。
能力測定の結果に、ちょっとした細工をしたのだ。
多分、ピンポイントで安倍晴明に届くように。プロテクトも敢えて厳重にした。
上手く引っかかれば、安倍晴明の、本体が現れる筈。
現場には、既に牧島と平尾がいる。
牧島は餌だ。
平尾はボディガードを装って、口を硬く引き結んでいる。戦いになったら、何があっても牧島を守る覚悟を固めているのだ。
私は、奧に隠れて、状況を伺う。
既に、私の力はかなり強くなっている。力ある空気を、野球場全体に張り巡らせて、異変があったらすぐにわかる状態だ。
あかねは、狙撃に最適な地点に陣取っている。
つまり、野球場の、天井だ。
いわゆるドーム状球場である此処は、天井に鉄骨が張り巡らされていて、いくらでも隠れるスペースがある。
八幡太郎の弓は流石に持ち出せなかったけれど。
あかねは元々潜在能力が高い。霊的武装に関しては、持たせるだけで充分な凶器になるし。手持ちの術にも、強力なものが多いのだ。
安倍晴明が、来る。
正確には、官房長官だ。
改めて見ると、怪異としては本当に良く偽装している。SPが六名ついているが、全く普通の人間だとしか思えない。
まずは、一人。
「君か。 高い潜在能力を持っている有望な新人は」
「はい。 牧島奈々と言います」
「うむ、若々しく、みずみずしい」
恐縮する牧島に、官房長官は目を細めてみせるが。下心は、此処から見ても丸わかりである。
舌なめずりする豚も同然の輩だ。
ただ、恐ろしく用心深い。つれているSPは、どいつもこいつも、相当な手練ればかりである。
中には霊的な武装を持ち込んでいるのもいる。
あかねも穏行で姿を消しているけれど。下手をすれば、勘付かれるだろう。
続いて姿を見せたのは。
私服の大男だ。非常にマッシブな体型で、平尾よりもガタイが優れているかもしれない。此奴も、ヒカリが当たりを付けた安倍晴明の一人。
現役の自衛隊幹部。ある師団の指揮官をしている陸将だ。
自衛隊の要職を歴任しているこの怪物は、姿を変えながら、江戸時代の幕府軍から、明治政府の軍、更に大日本帝国軍の上層と渡り歩き。ずっと軍、もしくはそれに類する組織に所属して、日本のコントロールを続けてきた。
政治面でのコントロールを行って来た現官房長官とは、表向き接点はないけれど。実際には、一心同体も同じだった、というわけだ。
更に、もう一人。
表向きは姿を見せないけれど、私はすぐに探知した。
茨城童子。
まさか、本当に安倍晴明の一人だったとは、思ってもみなかった。ただ此奴は。今回は裏方に徹するつもりらしい。
思ったよりも遙かに見事な穏行で姿を消し、観客席に潜んでいる。
陸将が連れてきたSPも、合計七名。
黒服の威圧的な壁を、周囲に作っている。牧島は不安そうに周囲を時々見ていたけれど。
心拍数などからわかる。
思ったより、ずっとリラックスしている。
牧島は、こんなに肝が据わった奴だったのか。
「また来たよ」
「大漁だな」
私がぼやくと同時に、野球場に入ってきたのは。
財界のドン。
海外の財閥とも関わりがあると言う、超大物財界人である。
見かけはやせこけた初老の男だが。歩き方にはまだ力があり。何より、怪異が巧妙に人間に偽装しているのがわかる。そして此奴は、国内の暴力団に睨みを利かせる伝説の黒幕でもあるのだ。
なるほど、此奴の人脈で、海外から仕入れた奴隷が、繰り返しているあかねの組織に流れ込んでいたのか。多分警視庁のマル暴も関与しているだろう。唾棄すべき悪辣だ。
そして、彼に付き添っているのが。
わかった。此奴だ。
人間としての、安倍晴明。
まさか此奴だったとは思わなかった。
現在、陰陽寮でナンバーツーの手練れと言われている男。阿倍豊。安倍晴明の子孫と言われている男だが。
まさか子孫どころか、本人だとは思わなかった。
あかねも驚いているようだ。
阿倍豊は現在四十七歳。男盛りを過ぎ始めていて、手練れと言っても力の衰えが遠くから目立つ。
それだけじゃない。
ヒカリが、私の力ある空気に包まれている豊のデータを見て、鋭く指摘した。
「肝臓癌だね」
「確かか」
「私も、伊達にずっと医学書ばかり読んでいたんじゃ無いんだよ。 あらゆるデータが、あのおじさんが、ステージ3以上の肝臓癌だって告げてるの。 多分、予後は5年以内だろうね」
なるほど、そう言うことだったのか。
阿倍豊は才能ある輩に思えるが、それでも癌には勝てないだろう。怪異にしてしまえば或いは。しかし、そうなってしまうと、人間としての安倍晴明という、広告塔としての意味がない。
全く口を開こうとしない阿倍豊だが。それはおそらく、周囲に地の声を聞かせないためだろう。
さて、最後に一人足りない。
本物の、中核となっている怪異の安倍晴明だ。
だが、私には、何となくわかる。
多分そいつは、もうここに来ていると見て良い。
「仕掛けますか」
「まだだ」
あかねに、釘を刺す。
奴が、姿を見せるまでは、我慢。もう少しで、奴が姿を見せるはずだ。
そもそも、安倍晴明には、狐に関する逸話がある。奴の母親が、妖怪狐だった、というものだ。
狐の怪異だったら、その点だけなら私が上回る事が出来る。
何しろ、此方は狐の総本家。最凶最大の、九尾の狐なのだ。元々クソザコでステゴロはてんでだめだけれど。
狐という要素に関してだけは、上回っているのである。
「ふむ、話通り、素晴らしい逸材だ」
「どうですかな、盟主。 もはや後がない豊くんの後継者として、彼女を指名するのは」
「お待ちください、私はまだ」
「案ずるな、豊くん。 君も、安倍晴明である事を止めても、それでどうにかなるわけではないよ。 引退後の生活は保障すると言っているだろう」
嘘をついている顔で、官房長官が言う。
ずっと黙り込んでいる陸将が、一瞬だけ此方を見た。
財界のドンが、牧島に触ろうとしたが。やんわりと、平尾が止める。SP達はその間、微動だにしない。
一つ気になるのは、警察関係者の安倍晴明の化身が来ていないことだ。保険のために、わざと席を外しているのか。
いずれにしても、安倍晴明本体を叩いてしまえば。
「ふむ、おさわりは禁止かね」
「彼女はこの国の至宝になり得る逸材です。 無体な真似はお控えください」
「真面目な奴だな」
「それだけが取り柄ですので」
口元を抑えて、くつくつと笑う財界のドン。
さて、茨城童子は。
かなり派手に移動しているが、穏行は崩していない。何か、嫌な予感がする。まさか、あれは陽動か。
あかねに警告。
何か、危険があるかもしれない。
だが、看破したのは、ヒカリだった。
「あの動き、多分術式だよ」
「なるほど、歩法による術式か」
「珍しいですね。 私もあまり見た事がありません」
「解析はできるか」
まだ、うねうねと歩き続けている茨城童子。穏行を使っていることもあって、動きがとにかく掴みづらい。
それが、召喚術式の一種だと気付いたとき。
奴が。
ついに、姿を見せる。
野球場の中央。
膨大な煙が、集まっていく。
あれは、ひょっとして。まさか、いやなるほどというべきなのかもしれない。
狐に関わりがあり。
日本を裏側から動かし続け。
そして、この国の支配を担ってきた存在でもある。
ウカノミタマ。
それは怪異と言うよりも、もはや神に等しい存在。豊穣を司る、狐の化身。各地の神社でも祀られている存在だ。
想定外の相手だ。本物の神が出てくるとは思わなかった。こうなってくると、狐云々での勝負はできない。豊穣という属性で勝負を賭けるのはあまりにも無謀。普通に戦うしか手がなくなってしまった。
邪悪なものは感じない。
だが、どうしてそれならば、あのような凶行に手を貸し続けたのか。
具現化したウカノミタマは、牧島を見下ろしたまま言う。それは、全長三十メートルを超える、巨大な半透明の狐だった。銀色の毛皮を持つそれは。神と呼ぶに相応しい威厳を備えていた。
「未来担う子よ。 我はこの国の豊穣の化身。 そなたに、未来を担う重責を与えたいと考えているが、どうか」
「そ、その前に一つ、質問があります」
「ほう」
「どうして貴方は……。 この国どころか、世界そのものを滅ぼそうとする相手に、荷担しているんですか!?」
安倍晴明の本体であり。
そして、この国の中枢を動かしてきた怪異の総元締めは。くつくつと。煙状の体のまま、笑う。
「何処でそれを知った」
「こたえてください! それで、私の好きな人が、とても悲しい思いをしています! とても苦しい戦いの中、血を吐きながら苦しんでいます!」
「ふむ、だいたいは見当がつくが。 まあ良い。 この程度の戦力で、我を倒せるとは、周囲にふせている痴れ者共も思ってはおるまい」
SP達が色めきだつけれど。
ウカノミタマは慌てない。本物の神であるからか。圧倒的な威厳を崩す事は、一切無かった。
「我は豊穣の神である。 それはすなわち、世界の実りを管理する神でもある。 故にこの国を裏から動かしもしたし、世界の安定も望んできた。 しかし、恐らくはもはや、この世界に安定は来ぬ」
「故に人に終わりを、ですか」
「な、何の話ですか我が主!」
慌てた様子の官房長官。
なるほど、そう言うことか。
この様子だと、中枢にいるウカノミタマの意思を、他の安倍晴明は知らなかったのだろう。ただ命じられるままに、動いていただけに違いない。
それで合点がいった。
茨城童子もそうだが。他の安倍晴明は、策が成ると同時に、捨てられたのだ。
もはや不要であったが故に。
おそらくウカノミタマは、黒幕のあかねや。今いるあかねとも融合したのだろう。それで、あの圧倒的な力にも納得がいった。
元々の実力に加え。
神として、実際にずっと君臨してきた者と融合したのだ。
それは圧倒的な力を得るのも、不思議な事では無いだろう。
「そ、そんなこと、するつもりだったら、力なんて貸せません」
「周囲にふせている痴れ者共と意見は同じか」
「……」
牧島が、悲しそうに目を伏せる。
攻撃の合図。
だが、私は、まだ待てとあかねに指示。何か、とんでもない勘違いをしている気がするのだ。
ウカノミタマの存在は、確かに捕捉できている。
霧状の体だが、それを撃つ手段くらい、あかねはいくらでも持ち合わせているはず。それに関しては、気にしなくても良いだろう。
だが、ウカノミタマの。異常な自信が気になる。
まさか。
まだ、安倍晴明の化身は、他にもいるのではないだろうか。
「ひぎゃああああああっ!」
不意に、金切り声が上がる。
悲鳴を上げながら、炎の術式をぶっ放したのは、阿倍豊。まあ、無理もない。いきなり代替わりの話を出された上に。
まさか、人類を滅ぼそうとする話が行われるなんて、思ってもいなかっただろうから。発狂するのも、無理からぬ話。
炎は、財界のドンを直撃。
数人のSPごと、火だるまに変えた。
いずれにしても、もうこれは、戦いを避けられる状態では無い。
「戦闘開始! ウカノミタマを叩け!」
「了解……!」
あかねが、天井から飛び出す。
そして自由落下に身を任せながら、立て続けに光の矢を放った。
霧状のウカノミタマを貫きながら、拳銃を引き抜くSPに、突き刺さる。殺傷力は加減しているはずだが、それでも悲鳴を上げながら、屈強な男達が吹っ飛ぶ。
勿論、SP達も反撃しようとするが。
手当たり次第に火球をばらまく阿倍豊と。
作戦通り、式神を全て展開して攻撃を開始した牧島。
それに、近づく相手に鉄拳を見舞う平尾に阻まれて、混乱するばかりである。
吼え猛るは陸将。
見る間に、その姿がふくれあがっていく。怪異としての本性を現したのだ。そして、気付く。
強化怪異なみの実力を、有している。
あかねが冷静に対処。
観客席にいた茨城童子を打ち抜き、席に縫い付けると、着地。陸将の胸に矢を直撃させ、動きを止める。抵抗しようとしているSPを次々打ち抜きながら、空を見上げる。ウカノミタマについては、思うところが色々あるのだろう。
父を使い捨てにされた身としては、だ。
私も、出る。
既に球場全域に展開していた力ある空気を操作。SP達の周囲の空気を、意図的に薄くする。
咳き込み、倒れ始めるSP。
人間も所詮動物だ。
どれだけ鍛えていても、いきなり空気が薄くなったら高山病になるし、ショック症状も引き起こす。
むしろ、鍛えている方が、ダメージは大きいかもしれない。
SPの一人が、私に発砲するが。
ヒカリが瞬時に術式を展開。壁を作って、弾丸を弾いた。
だが、ヒカリが使う術式の分も、私に負担がある。
ウカノミタマが、此方を見る。
目には、嘲笑が揺れていた。
「ほう。 時間軸が異なる者が巣くっておるか」
「だから貴様の陰謀に気付けた!」
「陰謀とは笑止なり。 事実未来から来たならば知っている筈だ。 この世界にどのような結末が訪れるか」
「その結末の世界では、貴様は破壊神と化し、全てを蹂躙するこの世の悪夢になる。 豊穣の神が、破壊の神に転じてしまうのだ」
まだ生き残っているSPを、順番に打ち倒して行く。
陸将が変じた巨大な鬼。恐らくは、何処かしらの伝承に残る凶悪な鬼だろうけれど、今は正体を詮索している余裕が無い。
阿倍豊に襲いかかる巨体。
悲鳴を上げながら、炎を放つ陰陽師。炎が、官房長官を直撃。悲鳴を上げながら、火だるまになった官房長官が転げ回る。
だが、その瞬間、陸将の鬼が、巨大なこぶしを振るって、阿倍豊を吹き飛ばしていた。
陸将の巨体が、揺らぐ。
牧島と、あかねの放った光の矢が。
同時に12本、全身に突き刺さったからだ。
これは流石に、強化怪異並の実力があっても、どうにもならない。揺らいだまま、地面に打ち倒される巨体。
財界のドンは、火だるまになったあと、地面を転げ回っていたが。今は河童の姿になって、痙攣していた。
官房長官も、同じく。
此方は大狸だ。
正体は分からないが、多分刑部狸ではないだろうか。伝承に残る、狸の大親分である。安倍晴明を構成する怪異としては、恥ずかしくない大物だ。
「ふむ、我の手足を切り離したか」
だが。
上空に浮かぶウカノミタマは、余裕の体を崩さない。
既に奇襲を可能としている手駒もいない。
私も、姿を見せると。
悠々と。だが警戒を崩さず、歩み寄る。
「その異様な力。 貴様、怪異にリミッターを設けた神々の生き残りだな」
「いかにも。 お前が1000年を生きた怪異だとしても、そのような事は笑止。 我は既に5000年の時を経ている」
「5000年……」
何となく、わかる。
いにしえの時代。どうも現在とは連続性がない文明が栄えていたのでは無いかと言う説があると言う。
世界四大文明などと言うのは大嘘。
世界中には、二十以上の大規模文明があった、という説である。
最近では、此方の説の方が有望だという話だが、そうなると問題がある。それら大文明は何処に消え。
その子孫達は、今世界で何をしているのか、という事だ。
古代文明の担い手達こそ。
怪異によって、気まぐれで力を与えられた人間達。
そして怪異がリミッターを設定した混乱の中で。滅びていった文明こそ、古代の大文明。そう考えると、しっくり来る。
そして五千の時を経ているならば。
ウカノミタマが。実際には古い時代に、もっと別の名前を持ち。そして、偉大な権勢を振るっていた事も、想像ができるのだ。
ただ、今は正体に思いをはせている暇は無い。
「あかね。 遠慮するな。 容赦もするな」
「我を討つというか。 それも良いだろう。 だが、我を打ち倒した後、お前達は思い知ることになるだろう。 この国が何故、小規模な土地と人口の割りに栄え、そして多くの富を得ていたのか。 誰が、この国を支えていたかという事を」
「ああ、そうかも知れないな。 だが、世界を滅ぼそうとする輩に荷担する奴を、野放しにはできないんだよ。 私も怪異の一人だ。 ようやく此処まで怪異の地位を引き上げてきたのに、これ以上好き勝手にはさせられない」
地面に降りてくる、ウカノミタマ。
霧状だった体が、見る間に巨大な狐へと変じていく。ただしその姿は、豊穣神とはとても思えない、禍々しく凶悪なものだ。
死闘が、始まる。
そしてそれは。
長く長く、続いた。
3、闇宵の先
気がつくと、牧島に助け起こされるところだった。
その牧島も、頭から血を流している。
式神も、軒並み行動不能。
スタジアムは半壊。
壁際に、倒れている平尾の姿が確認できる。私は苦笑いすると、牧島の手を借りて、どうにか立ち上がった。
「あかねは」
「あちらです」
牧島も、声を出すのがつらいようだった。それだけの激戦だったという事だ。
秘術の限りを尽くした死闘は。
覚えている限り、五時間以上は続いていたように思える。それだけ、ウカノミタマの実力が、想定を超えていたのだ。
あかねが、最後には決着を付けたらしい。
肩を揺らして息をしているあかねの足下には、封印の霊具が。八岐大蛇を拘束するのに用いる霊具を、更に強力にしたものだ。
ウカノミタマを、あれに封じ込んだのだろう。
記憶が曖昧だが、少しずつ思い出す。
中空に浮かんだウカノミタマ。
戦いの口火を切ったのは、豊穣の神だった。
ウカノミタマが放ったのは。
全ての力を減退させる力。
それが霧状に、辺り全てを覆っていった。
私が力ある空気で壁を作って、押さえ込む。しかし、ウカノミタマの尾は、それ自体が鞭のようにしなり、稲妻を纏いながら辺りを無茶苦茶に薙ぎ払う。
近づくことさえできない。
あかねが放つ矢が、5本、体をすり抜けて。
舌打ちしたあかねが、大規模な術式を唱え始めた。
その間も、ウカノミタマからは、霧が噴き出し続けていた。何しろ豊穣神だ。相手を弱らせる力を放つことも、朝飯前だと言う事だろう。破壊の神が再生の神でもあるように。本職と逆の事も、神はこなせるのが普通なのだ。
「さあ、どうする。 このままだとじり貧だぞ?」
しなり続ける稲妻の尾。
そればかりか、ウカノミタマの目から放たれた光線が、辺りを無茶苦茶に貫き、破壊する。
これほどに戦闘力が高い奴だったのか。
牧島の式神が、数体束になって牧島を庇うけれど。
防ぎきれず、吹き飛ばされた。
だが、その時。
観客席を蹴って、跳躍した姿がある。
平尾だ。
平尾は、何のためらいもなく、ウカノミタマの稲妻の尾を抱え込むと、不自然な力が掛かるように、地面に身を躍らせる。
巨体が不意に絡んできたことで、動きが鈍る稲妻の尾。
そこに、あかねが放った大威力の術式が直撃。
それは、恐らくは。収束した瘴気そのもの。おぞましいうめき声が聞こえていたから、悪霊を圧縮したものかも知れない。
直撃。
ウカノミタマの全身が、流石に揺らぐ。
だが、持ちこたえてみせる狐神。
そればかりか、光の壁を展開して、はじき返してさえ見せる。
どれだけの術を持ち合わせているのか。
地面に叩き付けられる平尾。
空に向け、吼えるウカノミタマ。降り注ぐのは、無数の光の矢。尾から放たれたものが、噴水よろしく、辺りを襲ったのだ。
連鎖する爆発。
走りながら必死に私は防ごうとするけれど、それどころじゃない。
私が壁を解除したら、一気にこの場の全員が衰弱死することを考えると、やられるわけにもいかない。
牧島を庇って、平尾が複数の矢を体で受け止める。
爆発。
巨体が吹っ飛ばされる。
だが、その時。
天に向けて、矢を撃つ姿勢のまま、牧島が固まっていた。
「オン!」
鋭い叫びとともに、牧島が矢を放つ動作をする。放たれたのは、おそらく先ほどあかねが放った、悪霊の集積体。それを再度まとめ上げて、手元に矢として格納していたのだ。流石に優れた潜在力を持つだけのことはある。
放たれる、悪しき矢。
真下から、ウカノミタマを直撃する。
更に、あかねが空に向けて手をかざし、其処に黒い球体が出現。
投げ放つ動作。
黒い球体が、ウカノミタマの直前で爆裂、その全身を包み込む。
負担が大きくなってきている。
煙を斬り破ったウカノミタマが、辺り中に滅茶苦茶に稲妻を放つ。傷だらけなのに、平尾が牧島を抱えて飛ぶ。
あかねが私の前に滑り込んでくると、式札を使って壁を展開。だが、壁は瞬時に打ち破られた。
周囲に倒れているSPやらが心配だけれど。
助けられるかはわからない。
「師匠は、壁の維持に尽力してください」
「お前、血が」
「これくらい」
あかねが、此方を見ずに言う。
そして、わかってしまう。
此奴、寿命を消費しながら、戦っている。今までは力を抑えていたから、それが顕在化しなかったけれど。今はフルパワーで、至近で戦っているからわかってしまうのだ。ただでさえ、殆ど残っていない寿命を。
あかねは今、湯水のように浪費している。
だから、神とさえ、渡り合えている。
ふうと、私は息を吐く。
私は別に死んでもかまわない。1000年にわたる無駄な人生を、無意味に過ごしてきた奴なんて。今更生きてどうしようというのか。
だが、あかねは違う。
まだ二十代。
未来もたくさんある筈の年。何より、本来だったら、世界の人類をリードして進むべき才覚の持ち主だ。
だから、死なせない。
死なせるわけには行かない。
全力を。
押さえ込まれていたブラックボックスの中の力を。
全て解放する。
強化怪異になる事は、覚悟の上。ただ、今、私は。こんな不肖を、師匠として慕ってくれる大事な弟子を。
何があろうと、絶対に助けなければならなかった。
そして、此処で記憶が途切れている。
私は、気を失っている間、多分暴悪の権化となっていた筈だ。頭を振って、気付く。自分の全身から、黒い瘴気があふれ出ていることを。
今までとは、桁外れの力。
空気を操作する能力を感じ取ることができる。
これは下手をすると、東京の全てを、一度に包み込むことが出来るかも知れない。ただ、私自身の最後も、それだけ近づいている、ということだ。
残り時間は、あまり無いとみて良いだろう。
平尾が警視庁に連絡を入れている。
騒乱罪での逮捕。
それだけではない。官房長官に、内乱罪の疑惑あり。
とはいっても、肝心の官房長官は、怪異の姿になって伸びている。内乱罪の前に、多分対怪異部署の地下から、一生出られないだろう。
警官が駆けつけてくる。
血だらけだが、平尾はまだ動けそうだ。
警官を支持して、倒れているSPや、怪異を次々捕縛していく。警官の中には、本物の怪異をはじめて見る者もいるようだった。
「平尾、此処は任せて良いか」
「了解であります」
少しだけ休んでいた牧島を急かすのは悪い。
更に言うと、寿命を削ってまで戦ってくれたあかねを急かすのは、更に気の毒だ。だが、やらなければならない。
これから、警視庁に乗り込んで。
残っている大物の捕縛。
全ては、それからだ。
ハイエースに乗り込んで、帰路を急ぐ。
安倍晴明の中核が潰れたことは、既に伝わっているはず。残りカスに過ぎないとはいえ、警視庁にはその分身がいる筈だ。絶対に抑えなければならない。
対怪異部署には、既に連絡。
警視庁そのものを結界で包んで、誰も出られないようにしてある。これで、余程のことがない限り、逃げられないはずだ。
今まで散々煮え湯を飲ませてくれた相手だ。
絶対に捕まえて、ギッタンギッタンにしてやる。
牧島が、途中ハンカチで、血を拭ってくれる。私も強化怪異化してしまったけれど。結局その後、散々色々暴れたらしい。
飛んでいる血は全部自分のものだというのが幸いだ。
倒れていた奴らに手を掛けるほどのゲスにはなりたくないからだ。
「金毛警部……」
「何だ」
「ひどいお顔です。 スルメ、食べてください」
「すまん。 今は食欲が無いんだ」
その答えを聞くと。
牧島は、死にそうな顔になった。多分、何となくだけれど。私がスルメを食べたがらないという事が、それだけの大事だと気付いたのだろう。実際、自分でも驚いている位なのだ。
スルメでさえ。
今はもう、口に入らない。
「警視庁まで、十五分程度です」
「よし、乗り込むぞ」
「その前に」
不意に、私の中のヒカリが言う。
既に安倍晴明は叩いたのだし、大丈夫だろう。ある程度は、外に音声が漏れても、気にする事は無い。
ウカノミタマという桁外れの存在にバックアップされた、人外の集団が機能していたからこそ。安倍晴明は恐ろしかったのだ。
今、警視庁にいるのは残りカス。
そいつさえ捕縛すれば。
後は、黒幕の方のあかねを、どうにかすれば良い。最悪倒さなくても良いのだ。話を聞いて、計画さえ止めさせれば。
安倍晴明というド級の第三者がいたから、この状況はややこしくなっていた。
それが封じられた今。
もはや、怖れる事は無い。
「何だ、ヒカリ」
「この後の事について、軽くまとめるよ。 警視庁で、安倍晴明の残党を捕縛したら、対怪異部署の全戦力を投入して、一気に敵の中枢を叩こう」
「そんな、休憩も無しに!?」
「今なら、敵は多分、強化怪異を揃えていない。 敵の戦力は、芦屋祈里と、詩経院他の、人間の手練れ数名。 手強いけれど、対怪異部署の総力を挙げれば、多分どうにかできると思う」
そいつらだけならなと、私はうそぶく。
芦屋祈里は確かに桁外れの使い手だけれど、ぶっちゃけた話、これから声を掛けようと思っている八雲と安城が二人がかりなら、どうにでもできる。
詩経院に到っては、牧島の式神だけで充分圧倒できるだろう。
問題はこの先だ。
黒幕の方のあかねは、正直実力が未知数。それに、あかねと戦った後の事に、まだ分からない事が多いのだ。
どうして、あかねが寝返ったのか。
それをできるだけ急いで、突き止めないと危ない。
また、状況が、繰り返すことになる。そして私には、繰り返すだけの時間が、おそらく残っていないのだ。
「到着!」
あかねが叫ぶ。ハイエースを飛び降りる。
結界で守られた警視庁に、急ぎ足で。ボロボロの制服に、血まみれの私を見て、荒事の経験もあるはずの警官達も、流石に度肝を抜かれたようだった。特にあかねは、対怪異部署関係無く警視庁での有名人だから、なおさらだったようだ。
「あの諏訪警部補を、一体誰が彼処まで……」
戦慄する声が聞こえる。
私は咳払いすると、空気を周囲に展開。展開の効率が良すぎて、自分でも思わず声を出してしまうほどだ。
すぐに、怪しい奴を何体か確認。
驚いたことに、警官の中に、人間を偽装した怪異が紛れ込んでいる。すぐにあかねに、指示して知らせる。
今までは私でも分からなかったほどの偽装だ。おそらく、ウカノミタマが直接細工をしていたのだろう。
あかねが驚きながらも呪札を叩き込むと。すぐに、怪異としての本性を現す。
悲鳴が轟く。
対怪異部署の専門家達が、怪異化した警官を押さえ込んだ。二人、三人。次々に正体を暴いて、捕らえていく。
婦警に化けている奴もいる。
「こんなに、人間に巧妙に化けられるなんて」
駆けつけた安城が驚いていたが。
無理もない。
怪異である私でさえ、驚いているほどなのだ。実際問題、強化怪異に近い状態になって、能力が向上しなければ、まず見つけられなかったはずだ。
警視庁の幹部達が、ぞろぞろと現れる。
警視総監もいた。
「これは何の騒ぎかね!」
「ご覧ください。 巧妙に人間に化けている怪異が紛れ込んでいました。 今、捕縛しています」
「なんということだ」
警視総監さえ。
全く人間にしか見えない男が、怪異の本性を現す姿を見て、度肝を抜かれていた。その間に、私が調べていく。
見つけた。
警視監のうち、二人が怪異だ。
だが、どちらも安倍晴明の分身だとは思えない。すぐにあかねが正体を暴き、捕縛する。愕然とした二人は。怪異としての本性を現してもなお、状況が理解できないようだった。あり得ないと顔に書いている。
あかねが、容赦のない表情で、取り押さえられた怪異を一瞥。警視監だった彼は、元々そうだったのか、或いは途中で入れ替わったのか。とにかく、怪異の本性を現して、もがいていた。
「キャリア組の幹部でさえこの有様です。 この機に、警視庁の膿出しをしてしまいましょう」
「し、しかし君」
「安倍晴明は、国家反逆どころか、人類の全滅さえもくろんでいました。 このまま放置はしていられません」
青ざめた警視総監が押し黙る。
咳払いすると、私はあかねに促した。
「残りは人間だ。 次に行くぞ」
「それでは。 巧妙に人間に化けている怪異が、まだいる可能性が高いので」
外に出ると、無数の警官が不安そうにしていた。これで、警視庁に本日来ている警官は全部。
安城が手際よく、警官達を並ばせている。
彼らも、同僚に怪異が混じっていることには驚いている様子だ。この有様では、自衛隊にも汚染が進んでいるかもしれない。
早速、二人、三人と怪異を見つける。
全て捕まえる。
しかも、此奴らは。
捕まった怪異を見るが、私が知らない奴ばかり。実力はそれほど高くないようだけれど、こんな数。私も、多分酒呑童子も知らないような怪異が、まだ日本に潜んでいたというのか。
それが衝撃だ。
酒呑童子から、連絡が来る。
茨城童子をどうしたと怒鳴る酒呑童子に。状況を説明。安倍晴明の一人だったと聞くと、酒呑童子は声まで青ざめさせた。
片腕と考えていた男の裏切り。
信じられないと思うのも、無理はないだろう。
「そ、そんな……」
「思うに茨城童子は、多重人格者だな。 その内一つの人格が、安倍晴明に通じていた、とみるべきだろう」
口から出任せでは無い。
既に捕らえた茨城童子に関するデータは、既に送られてきている。それに、ヒカリが仮説として挙げていたものなのだ。
「……」
「お前の信頼していた茨城童子は、お前を裏切って何ていないよ。 とにかく此方で尋問するし、悪いようにはしない。 安倍晴明の中枢は叩いたから、茨城童子もその内釈放できるかもしれない」
声まで真っ青になっている酒呑童子にフォロー。
この様子では、数日はまともに動きが取れないかもしれない。酒呑童子の組織を、しっかり立て直すには、丁度良い時間だろう。
結局、警視庁全体で、十三体の人間化した怪異を捕縛。
その全てが、安倍晴明の僕だったとみて良いだろう。問題は、誰が安倍晴明の分身だったか、だが。
咳払いする声。
カトリーナだった。
「金毛警部補」
「すまんな。 お前が安倍晴明と通じていないという保証が、最後まで見つけられなかったんだ。 だが、今はもうお前が敵では無いと把握できている」
安倍晴明、いやウカノミタマによる偽装さえ見抜く今の私の力でも、カトリーナに不審な点は見つけられない。
カトリーナは。
正真正銘、人間だ。
だが、人間でありながら、安倍晴明に通じている可能性もある。ヒカリは其処を指摘して、油断するなと言っていたけれど。
私は、カトリーナを、信じてやりたい。
「一通りは終わったな。 結界は解除。 後は少し休んでから、全員で北海道に出張だな」
宿直を借りるぞ。
私はそう言い残すと、後はあかねに任せて、宿直に。
先に休ませていた牧島は。もう布団を被って、静かな寝息を立てていた。私も隣の布団に潜り込むと、目を閉じる。
ヒカリが言う。
「まだ、油断したら駄目だよ」
「わかっている。 何より、あかねがどうして土壇場であんな事をしたか、はっきり把握するまでは、危なすぎて敵の首魁とは戦わせられん」
「それに、わかってるよ。 死ぬ気、なんだね」
「どうせもう自分としての、この身は長くない」
最後に、寿命が尽きかけているあかねに、この力を渡してしまおうと思っている。
そうすれば、あかねは平均寿命くらいまでは生きられるだろう。私は充分長生きしたし、もういい。
だが、不意に、ヒカリが気になる事を言う。
「ね、不思議に思わない」
「何がだ」
「敵組織にいる、繰り返している方のあかねちゃん。 七十回以上繰り返したって言っていたけれど。 寿命が尽きかけていたあかねちゃんが、どうしてそんなに長生きできたんだろう」
そういえば。
というか、繰り返している方のあかねの世界で。
私は、何をしていた。
敵にでも殺されたか。
或いは。
気付いて、がばりと布団から顔を上げる。
まさかとは、思うが。
思わず爪を噛んでしまう。そんな残酷な話が、あって良いのだろうか。このループを断ち切るには、それしかないとしても。だとしても、どうやって、あかねを救えば良いのか。愛弟子を死なせるわけにはいかない。だが、変な情を掛けてしまえば。愛弟子は。
頭をかきむしる。
もう残り少ない「自分としての」寿命だ。出来る事は、限られてしまっている。
「一緒に考えよう」
ヒカリが言う。
そして、此奴に関しても。
まだ分からない事があるなと、私は今更ながらに、気付いていた。
本当に此奴は、私が知っている通りのヒカリだとして。どうして、こうまでして、力を貸してくれる。
本当に、世界に多様性がある方が良いから、などという理由なのか。
それとも。
既に、私の力は怪異の範疇を超えつつある。だから、思考はそのまま読み取られずに、自分の内部で完結させることもできる。
ひょっとして、此奴は。
その仮説は、あまりにも残酷すぎる。
だがどんな残酷な仮説でも。
この世界が崩壊し、あらゆる努力が無為になる惨禍に比べれば。ましだとしか、言いようが無かった。
4、再度、最後の戦いに向け
翌朝。
北海道に出向く準備が整う。
平野はもう、完全に此方の動きを掣肘する気が無いようだった。あかねが事情を説明。とは言っても、もう一人のあかねが、などという話はしない。安倍晴明の抱えていた組織が、極めて危険な事をしようとしている。その戦力の大半が、北海道にいて、研究施設を抱えている。
展開した情報は、それだけだ。
対怪異部署の中には、幸い怪異は紛れていなかった。流石にあまりにもハイリスクだから、安倍晴明も避けたのだろう。
ウカノミタマは、超がつくほどに、長期的なビジョンでものを見ていた、ということなのだろうけれど。
それでも、私は容認できない。
あかねは嫌がるだろうから、私から八雲には連絡をしておく。
まだクドラク一派は、日本に本格的な戦力投入をしてきていない。だから、エクソシストとの共闘も期待出来ない。
それだけは残念だけれど。
敵にはまだ、強化怪異がほぼいないはずだ。
今攻めれば、勝てる。
まだ疲れが溜まっている様子の牧島は。移動中のハイエースの中で、ぐっすり眠っていた。
牧島には、切り札を渡している。
あかねが敵の首魁と戦うわけにはいかないと、私は説明してある。最大の潜在力を持つ牧島だから使える切り札。
それに、私の力を上乗せすれば。
どうにかなるかも知れない。
もっとも、私が推察した、黒幕のあかねの正体が正しければ、だが。
いずれにしても、安倍晴明がいなくなったことで、敵の周辺が非常にクリアになった。どこから横やりを出されるかわからない状況だったのに。それも無く、今はもう、敵に全力投球だけできる。
更に言えば。
強化怪異の大量発生による法則の破壊が起きていないから、平行世界からの記憶流入も生じていない。
誰がいつ裏切るかという恐怖感も、今は無縁でいられた。
ただ、敵も何しろあかねだ。
安倍晴明がやられたことくらいは、把握しているだろう。つまり全力での迎撃態勢を敷いていると見て良い。
飛行機を使うグループと、新幹線に乗るグループに分かれ、北海道に移動。
留守居を除く対怪異部署の全戦力が北海道に揃う。流石に、八岐大蛇は持っていかない。あれは、対怪異部署の留守を襲われたときの守りに必要だ。
昼過ぎに、飛行機を使った第一陣が、向こうに到着。
私達も、夕方には、現地到着。
続々と揃う味方戦力を見て、あかねは感情が見えない顔で、言う。
「わかっていると思いますが、最悪の場合は、躊躇わずに私を殺すようにしてください」「そんな事にはならないようにするさ」
敵のアジトが、平行世界とは違っている可能性もある。
だが、今の私は。
それでも、敵を割り出すことを、そう苦労せずできる。勿論、そうするたびに、残っている時間が、見る間に消し飛んでいくのだが。
冷や汗が流れるほど、体調は良い。
これはきっと、燃え尽きる前の、最後の炎の輝き。
闇宵に立てられたろうそくである私は。
最後に残ったろうを消費し尽くし。
今、最後に明々と輝き続けている。
「此処だ。 間違いない」
ダウジングをはじめとした、幾つかの方法で、割り出したのは。前回の戦いで、最後の決戦を行った場所。
資料を出してきて、確認。
やはり、旧軍がタコ部屋労働で作らせた秘密施設。ソ連の侵攻に備えて作っておいた、隠し司令部の一つだろう。
此処を叩けば。
全ては終わる。
それに、ウカノミタマを抑えている今。あの黒幕あかねと此方にいるあかねが融合しても、最強最悪の神王になることは無いとみて良い。
既に、最悪の未来は、回避できているとも言えた。
だが、何だろう。
まだ不安感がある。
不安要素が、消えきっていないから、かも知れない。
全員が集結してから、一晩休む。作戦会議と、疲労を取るためだ。平尾は体の何カ所かを包帯で巻いていたけれど。それでも平気な顔をして出てきていた。あのウカノミタマの稲妻を帯びた尾を抱えて振り回されたというのに、タフなことだ。此奴が、次の対怪異部署のエースかもしれない。
「金毛警部は、お早めに休んでください。 後は本官が」
「実はな。 私の体はもうガタガタで、休んでもあまり意味がないんだ。 牧島はねついているし、カトリーナはまだ気力充分。 お前はまだ体中に怪我があるし、休んでおく意味もある。 休んでおけ」
「しかし」
「良いんだ。 多分だがな、「私は」もう、明日を越せないよ」
長い長い人生だったが。
明日が最後になる。
そう思うと、感慨も深い。
ろくでもない事ばかり起きた。子供はみんな不幸にしたかも知れない。夫とは、誰とも最後まで添い遂げることができなかった。
伝説ばかりが一人歩きして。
そして私の実像を、理解してくれる奴は。あまり多くいなかった。本気で私を理解してくれたのは、どれだけいただろう。
怪異の中にも。
人間の中にも。
あかねは、理解してくれていたように思える。
だからこそ、絶対にどうにかして、救いたい。手が殆ど思いつかないのが、悲しいけれど。
平尾が何か言いたそうにしたけれど。
下がるようにもう一度言うと。休むと言って、部屋を出て行った。
体の調子は、やはり不自然なくらいに良い。完全体になったら、私は。消滅するか、或いは自我を失って本物の化け物になるか。
どちらにしても、終わりだ。
化け物になった場合の処理は、安城に頼んである。そのための装備も渡してある。
「私」の寿命がもう無いと聞いた安城は、そうかとだけ言った。
後は、明日を戦い抜くだけだ。
不意に、団から連絡。
「聞いたよ。 安倍晴明を、ついに倒したそうだな」
「ああ。 警視庁に潜んでいたらしい分身は、ついに見つけられなかったが。 警視庁に張られていた根は、全て切った。 本体も潰したし、どうせもう何もできないさ」
「腕利きを連れて、明日は手助けに行く」
「無理はするな。 酒呑童子にも、そう言っておいてくれ」
通話を切ろうとするが。
団は、まだ話したいと言う。
「お前さんのことは、どうにかして救ってやりたい」
「私なんかはどうでもいい。 他に救われる奴は、いくらでもいるだろう」
「そんな事を考えているお前さんだから、救いたいんだよ」
「物好きだな」
私なんかは、どのみち救われる価値もないし。その資格も無い。
今度こそ通話を切ると、あくびをした。
いや、あくびをしてみたけれど。ただのフリだ。
目が冴えて眠れない。
そして、わかりきっている。もう眠るという機能が、私の中からは消失している。
外に出る。
初夏の北海道は温かい。前の決戦は冬だったから、とにかく大変だった。最後の最後にドジを踏んでしまったけれど、今度は戦力だって充分。絶対に勝てる。
私を恨んでいる芦屋祈里に殺されてやるのも良いかもしれない。
ただ、それも、全てが終わった後だ。
空を見上げると、丸い月が出ていた。
雲一つ無い夜空。
私はこれも見納めだなと思うと、最後のスルメにしようと思って。買っておいた最高級のスルメを、口に運んだ。
これだけは、今でも美味しい。
明日は。決戦。
そして、私の、最後の一日だ。
(続)
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