泡沫の嘆き

 

序、全てが終わった世界

 

あかねに刺されて。

意識を失って。

気がつくと、私は、意識だけになって、外をさまよっていた。

たった一月。

それだけしか経っていないのに。もはや世界は、別のものとなりはててしまっていた。

米国は、自慢の第七艦隊を消失。

強化怪異、実に数百体による攻撃を受けたのだ。本来だったら撃退は出来たかも知れないが、ホワイトハウスの陥落により、指揮系統が混乱していて。とても対応できる状態には無かった。

原子力空母が撃沈される様子は、世界中にライブ中継された。

更に、ロシアや中国、EUでも、似たような光景が現出していた。ゾンビだらけになった米国。大気汚染が、明確な人類抹殺毒と化し、もはや住むことが不可能になった中国。寒さが今までよりも更におかしくなり、人間が全て凍り漬けになってしまったロシア。

そして、混乱するEUの上には。

神話の時代の神々が天使を引き連れて現れ。

稲妻を落として、人間を間引き始めていた。

第三諸国は、更に悲惨だった。

現れたのは、無数の巨大な怪物達。兵器などとても通用せず、手当たり次第に人間を襲っては、喰らっていった。

いにしえの神話に登場する荒ぶる神々の戦闘力は圧倒的で、明確な軍事力を持たない国々など、対抗できるはずもなかったのだ。更には、米軍が早々に沈黙したことで、もはや反撃の口火は切りようもなくなった。

たったの一月。

それで、人類は五十分の一まで数を減らし。

世界は、神々の支配下に落ちていた。

皮肉な事に、それは時代を一気に巻き戻したことを意味もしていた。

もはや人間は、神々の気まぐれに怯える存在に過ぎない。神々の中には、慈悲を持つ者もいて。人間に、施しを与える存在もいた。

だが、そうでない神々も、また多いのだ。

ぼんやりと、空に浮かんだまま。

世界の文明が終わっていく様子を眺める。ふと気付くと、空に私がいた。姿は違う。九本の尻尾を持ち、金色の体を誇る、白い顔の狐。

言うまでも無い。

最終兵器として、組織の黒幕となっていたあかねが開発した。白面金毛九尾の狐だ。

日本の支配者として君臨したあの存在は、日本中をたったの三日で蹂躙。その後は、日本の空を旋回しながら、気まぐれに人間を襲って喰らい、気が向いたら助けてやったりもしているようだった。

完全なる支配者として、作り上げられた最強の怪異。

向こうが、私に気付く。

近づいてきた九尾は。恭しく、私に頭を下げた。

「お母様」

「……どうだ、楽しいか」

「とても。 おごり高ぶった人類に鉄槌を下し、世界を平穏に引き戻す作業は、とてもやりがいがあります」

「そうか」

素直な子だ。

開発を止める事が出来なかった。無理もない。相手は七十回以上の失敗の末に、此処まで辿り着いたというのだ。

勝てる筈もない。

「お母様は、苦しんでおられますか?」

「いいや、そのようなことはないさ」

「それは良かった。 私にとってお母様は、大事な心の支えです。 今日も多くの人間を間引き、支配することが出来ているのも、お母様のおかげです」

そんな事は言わないで良いし、しなくても良い。

前にそう言ったのに。

この狐の子は聞かない。

命令が、与えられているのだと、悲しげにこたえるのだった。

もはや、世界は取り返しがつかない。いにしえの時代が、どうして終わったのかも、私は知っている。

怪異を産み出す人間が。

一切の希望を無くしたからだ。

この有様では、それがまた起きる。

今度こそ、神々がきちんと人間を導く事が出来るか。それは否だと、今から断言できる状態だ。

気がつくと、私は。

牢の中にいた。

目の前に立っているのは、あかね。私を後ろから刺し、最後の最後で裏切った、最愛の弟子。

鉄格子を挟んだ向こうにいるあかねは。

哀れみの目で、私を見下ろしていた。

「お目覚めですか、師匠」

「不良弟子。 スルメをくれないか」

「今は貴重品ですよ」

「……そうだろうな」

インフラも何もかもが、致命的な打撃を受けているのだ。当然の話だろう。

あかねによると、人類は五百万人まで減らす予定だという。その上で一カ所に集めて、徹底的に管理するのだとか。

そういうあかねは。

もう一人の自分と既に融合しているらしい。

途方もない力が、全身から溢れているのを感じる。元々世界でもトップクラスの使い手だったのに。

今では、強化怪異を束ねる長。

つまり、神々の長と呼ぶに相応しい力を持っているようだ。

後ろには、口惜しそうに従っている見上げ入道と、それになんと八雲。八雲は強い奴と戦いたいと言う理由で、あかねに従ったそうだ。強化怪異の中には、あかねに従わない者がごく一部だけいる。

それらを力尽くで従えているのが、八雲だという。

勿論、元のままの八雲では無い。

ここに来る途中で見た鬼と融合しているとかで、その戦闘力は以前の比では無い様子だ。

牧島は、まだ別の牢の中で意識を取り戻さず。

カトリーナは付き添って、その場で動こうとしない。

平尾は牢の中でじっとしていて、返事もしないという。

芦屋祈里は逃亡。

今では、居場所もしれないとか。

いずれにしても、もはや打つ手はない。この牢も、私如きクソザコがどうにか出来る代物では無い。

神々の長になったあかねが厳重に封印しているのだ。

出来るのは、先のように、意識を飛ばすことだけである。

せめて、此奴のように、時間を遡ることが出来るのなら。それなりに、反抗も出来るのだろうけれど。

そんな超絶能力、私に備わっている筈もなかった。

「はい、スルメです」

「すまないな」

牢に差し入れられるスルメを受け取る。

口に入れて噛んでいると、随分と美味しくて、涙が出そうになる。これでさえ貴重品になっていると言うことは。

一体、どれだけ世界が致命的な打撃を受けているか、明らかすぎるからだ。

旧時代の怪異は、皆一カ所に集められているという。

最後の戦いに少し遅れて参戦した、団の連れた怪異達や、酒呑童子に関しても、それは同じ。

強化怪異になれそうなものは、そうされているし。

なれないものは、いくらでもいる人間を材料にして、強化怪異に強制的に変えられているとか。

人間をミンチにすることに、あかねがまるで躊躇を覚えていない。

そう考えると、悲しくてならない。

「なあ、どうしてそんな風になってしまったんだ。 お前は真面目でちょっとずれている、可愛い私の弟子だったじゃないか」

「師匠、もう一人の私が話したはずです。 世界はこのままでは、滅亡すると」

「お前が滅亡させてどうするんだよ」

「管理の末に再生させます。 全ての生命がこの星から消え去るよりも、遙かにこの方がマシです」

あかねは聞く耳を持たない。

そして、言うのだ。

「何度も言いますが、協力してください。 師匠を強化怪異に作り替える準備は、整っています」

「断る。 そんな事をされるくらいなら、舌噛んで死ぬ」

「そんな程度では死ねませんよ」

「どんな手を使ってでも死ぬ! もうほおっておいてくれ!」

八雲がせせら笑う。

つやつやして見えるのは、毎日品質が高い戦いを楽しんでいるからだろう。もっとも、その甲斐あって、殆どもう逆らう強化怪異はいないという事だが。

「おい、放っておけよ。 こんな役立たずの狐、話す価値も……」

あかねが八雲を見ただけ。それだけで八雲は、何十メートルも吹っ飛び、壁に叩き付けられる。

もの凄い音が響いた。

八雲が、戻ってくる。

かなわないと、頭を掻いていた。

「てめー、気が短くなったなオイ」

「もの凄く手加減をしていることをお忘れ無く」

「ヘイヘイ。 わかってるよ。 ただな、戦う相手がいなくなったら、冬眠させろよ」

八雲曰く、戦えないなら、生きている意味がない。

かといって、あかねに勝てないのは明白。

だから、戦う相手が現れるまで、冬眠する権利も得ているのだとか。何だか、絶望的すぎて、笑えてきてしまう。

「また来ますよ、師匠」

「……」

もう、何もかもが遅い。

今からでは、まだ遅くないと言うことさえできない。

そして、私には。

もうすることも、何も無かった。

 

スルメを噛みながら、ぼんやりと過ごす。

また、一月以上が経過していた。

牧島は目を覚ましたと言うが。毎日を泣いて過ごしているという。あかねがわざわざ、教えてくれるのだ。

一人で来る事もあれば、見上げ入道や八雲を連れている日もある。

その度に勧誘されるけれど。

絶対に、勧誘に乗るわけには行かなかった。

今のあかねは間違っている。

洗脳されたわけではない。どうして、奴の言葉に乗ってしまったのか。それだけが、わからない。

一見理屈が正しそうにも思えるからか。だが、あかねは賢い子だ。私何かよりも、ずっと。

それがあっさり転んだのである。

余程の事実を、知らされたとみるべきなのだろう。

「よお」

聞き覚えのある声に、顔を上げると。

やつれ果てた酒呑童子だった。

後ろ手に縛り上げられている。どうやら、あかねが連れてきたらしかった。

「お前も、捕まったのか」

「そう聞かされていたんだろう」

「十把一絡げに話されたからな。 ひょっとして、逃げ延びているかもしれないと、期待していたんだよ」

「茨城も捕まったんだ。 俺だけが逃げる訳にもいかねーよ」

苦笑いする酒呑童子。

後ろではあかねが冷たい目で見ている。この様子では、強化怪異にも、されていないとみるべきだろう。

そして、今ならわかっている。

酒呑童子をずっと利用していたのも。平行世界のあかねだったのだ。

本当に、手段を選んでいなかったのだと思うと、悲しくなってくる。此奴も、場合によっては、あかねに協力していたのかもしれない。

「なあ、縄を解くように言ってやってくれよ。 腕が痛くて仕方がねえんだ」

「怪異の地位向上を果たすのが、お前の夢だっただろう。 どうして、未だに頑なになっているんだ」

「お前がそういうことを言うのかよ」

顔をくしゃくしゃに歪める酒呑童子。

本当に悲しげだったので、流石に私も罪悪感で、胸がちくりと痛んだ。此奴も、自分なりに、世界の事を考えていたのだ。

そう思うと、今の揶揄はひどかったかなと、反省してしまう。

「すまん、冗談だ。 それで、わざわざどうした」

「茨城が、死んだ」

口をつぐんでしまう。

此奴の右腕である茨城童子は、飄々としていたが、優秀な奴だった。その図抜けた能力は、組織内でも際立っていた。

実際、頭が弱い酒呑童子よりも、彼奴と話した方が、交渉も上手く行くことが多かったのである。

なるほど、それでか。

酒呑童子が、こんなに参っている様子なのも、合点がいった。

「どうした、何があった」

「此奴に見せしめにされたんだよ。 俺が強化怪異にならないから、多分茨城が原因だろうって思ったんだろう」

「貴様、神王に不遜であるぞ!」

喚いたのは、あかねの側に控えている強化怪異。

確かミカエルと名乗っている奴だ。傾いた結果、大天使ミカエルをベースとした存在になった輩。文字通り光り輝く雄々しい天使であるが。原典と同様、神に対する絶対的な下僕で、思考力など備えていないように思える。それにしても、この金髪碧眼の、嫌みなまでの美男子ぶりはどうだ。元々の人間の、美意識が透けて見えるようで、私は正直好かない。それに原典に忠実なら、一神教の至高神では無いあかねに頭垂れている時点で天使ではなくて堕天使だろう。

光り輝く剣を突きつけられても、酒呑童子は態度を変えない。

もう、死を覚悟しているのだろう。

「頼む、敵を取ってくれ」

「貴様!」

「良い」

ミカエルが、あかねが一言言うだけで、ぴたりと動きを止め。納刀した。

既に圧倒的な威厳も備えている。力を手に入れただけで、此処まで出来るようにはならない。

もともとあかねには、それだけの素質があったという事だ。

「師匠。 頑なになるのも、いい加減にしましょう。 私も、そろそろ気が短くなってくる頃です」

連れていけ。

あかねがそう命令すると、直立不動で敬礼したミカエルが、酒呑童子を引っ張っていった。

あの様子だと、生真面目な軍人が傾いたのかもしれない。

なるほど、それなら納得も出来る。

私は大きく、悲しみを込めて嘆息した。

「あかね。 私はな。 怪異になる事が不幸だって知っているし。 何より、不自然な存在になることが、世界にとって良いことでは無いとも知っている」

「法則として存在している以上、それは不自然では無い。 現象として、受け止めるべき事です」

「ああ、そうだろうな。 だが、この法則は、多分作られたものだ」

あかねが、口をつぐむ。

珍しい光景だ。

恐らくは、内心では気付いていたのだろう。

だが、口に出す気にはなれなかったのに違いない。

「わかっているんだろう。 多分怪異なんてのは、本来は存在しない現象だった。 もしくは、人間の脳が勝手に誤認して、存在していると思い込んでしまう現象だったり、或いは意味を与えたくて、勝手に造り出した妄想だったんだよ。 それが、この世界では現実に実態を持って。 なおかつ、人間から変異するようになっている。 おかしいと、思わないか」

「いにしえの時代に、何かあったんでしょうね」

「そう言う問題じゃない。 お前と同じような干渉をした奴が、いたってことだ」

それが誰かはわからない。

いや、本当はわかっている。ただ、確信が持てない。かまを掛けてみるか。

しばらく悩んだ後、聞く。

「安倍晴明はどうしている」

「既に捕縛しました。 今は牢に入れて、厳重に管理しています」

「多分そいつが、全ての元凶だと思うがな」

「そうでしょうか」

安倍晴明は動きがおかしかった。考えつくのは、やはり彼奴が糸を引いていた、という状況だ。

ただ、安倍晴明とはいえど、今のあかねを好き勝手に操作するのは無理だろう。

酒呑童子の無惨な有様からしても。あかねの精神が、迷走を開始しているのは明らか。いずれ暴君として、この世に君臨する。いや、既にこの世の全てを手中に収めながら、破壊と殺戮を止めていない時点で、歴史上のどんな暴君よりもタチが悪いかもしれない。

だから、なんとしても止めるしかない。

過去に戻れるならそうしたいが、私にはそんな超絶能力は備わっていない。

だから、特異点を壊せるなら、そうして見たいのだ。

「まあいい。 師匠には、まだそこにいて貰います」

「そろそろ出してくれないか」

「私に従うのなら」

「嫌だ。 酒呑童子が相手とは言え、あんな風にする奴には従えない。 せめて牧島やカトリーナ、平尾にはあわせてくれ」

駄目だと、あかねは言う。

平行線は。

交わる様子も見られない。

 

1、終焉の世界

 

怪我が回復したと判断したのだろう。

檻に入れたまま、あかねが地下から出してくれた。あのいけすかないミカエルも、側に控えたまま、である。皮肉な事に、私が乗せられたのは、残っていたらしいハイエースを改装した檻車だ。

外は、なにやら神殿のようになっていて。

あかねは千早を着込んだまま、玉座らしきものについていた。

左右に立ち並んでいるのは、配下らしい強化怪異の姿。

それにしても、周囲は蒼々たる顔ぶれだ。

一神教、つまりキリスト教の最高位天使であるミカエル。仏教の武神として知られる明王達。インド神話の最高神であるシヴァやヴィシュヌ。ギリシャ神話のゼウスやクロノス。北欧神話の武神達。

他にも、あらゆる神々がいて。

それらの全てが、あかねに忠誠を誓っているのだ。

勿論、それらは全て、人間が傾いた結果の産物。元は人間である。そして、人間である以上、利害が一致しているから、あかねに頭を垂れている。

まあ、中には。ミカエルのように、本心からあかねに心酔しているようなのもいるようだが、それは例外だろう。

車のついた檻で、彼方此方を見せられる。この檻。ハイエースを加工したのは、あかねによる配慮だろう。そんな配慮をするくらいなら、部下達を何とかしてやって欲しいのだけれど。

檻の側についてくるのは、高位の者ではミカエルだけ。それ以外は、有象無象の輩ばかりだけれど。

どれもが強化怪異で、私なんかでは及びもつかない化け物しかいない。

力ある空気で包んでみるけれど。どいつもこいつも、傾きを是正するどころでは無いと、知れるばかりだった。

完全に更地になった街。

骨さえ転がっていない。

空を舞っているのは、天使やらなにやら、空を舞うとされた神々や、そのしもべ達の姿。それが、もはや当たり前になっている。

これは、ラグナロクの後の世界か。

いや、ひょっとすると。

ラグナロクは、この有様を予言したものなのかもしれない。案外、それも仮説としては、成り立ちそうだ。

しばらく、街の跡地を見せられる。

なんでこんな事をしているのだろう。そうミカエルは、顔に書いていた。多分あかねに頭でも踏まれていたいのだろう。

「なあ、そこのトリ」

「私のことか、九尾の狐」

「そうだよ。 トリ、世界中がこんな有様なのか」

ミカエルはうんざりした様子で私を見たけれど。

何しろ、あかねの師匠とも説明されているのだろう。あまり不遜な態度はとれないと、葛藤の末に判断したらしい。

「私はミカエルだ。 ……既に人口は五千万人を切っている。 後は、五百万人まで、予定通り削るだけだ」

「もういいだろう。 これだけ壊して殺したんだぞ」

「神王様のご命令は絶対だ。 それに元々、人類は環境に与える影響が大きすぎる生物なのだ。 一カ所に集めて管理し、その後進化を促進する。 充分にこの世界を壊さない精神性を獲得してから後、神々とともに、新しく世界を歩めるようにする」

「うんざりするような独善だな」

「生き残る人間を、作為的に選んではいない。 そう言う点では、独善とは言いがたい」

そもそも人間を選別している時点で独善だと、私は吐き捨てたくなったけれど。

この狂信者が、それで納得するとは思えなかった。

「お前も元は人間だろう」

「ああそうだ。 私は欧州の人間でな。 力ある者は弱者のために尽くし。 弱者は力あるもののために尽力するべきだと考えていた。 だが、それが夢にすぎなかったと知って、絶望していたところを、神王陛下に救われたのだ。 あのお方は、私にとっては唯一神そのものだ」

なるほど、そう言うことか。

ならば、もう何も言わない。

世界の腐りきった有様を見て傾いた奴は、だいたいこうだ。多くの場合、その義憤が報われなかったことが、傾く原因となる。だからこそ、救いを与えてくれた存在が現れると、以降はそいつに心酔することになる。

此奴は。あかねが自害しろと命じれば、ためらいなく自分の首を刎ねるだろう。

そう言う輩に、何か言葉が届くはずもない。

札幌の街に着く。

いや、札幌だった場所に、だ。

既にビルさえ残っていない。完全な更地だ。

向こうにあるのは、街の残骸。

街を構成していたコンクリートやプラスチックが、一カ所に集められている。巨大な強化怪異がそれを様々な術式で、資源に還元しているのだ。

人間の生き残りは、いない。

空気を今まで展開していたが、全く見つけることができなかった。

文字通り、蟻でも駆除するように、鏖殺されたことは、想像に難くなかった。老人も子供も、勿論生まれたばかりの幼子も、である。

「見よ、九尾の狐。 神王様の為されることには無駄がない。 人間の無駄だらけの文明は、こうして一度資源に生まれ変わる。 そして新しき世界にて、光の王国を作り上げる礎になるのだ」

「陶酔するのは結構だがな。 あれだけの街を作るのに、どれだけの苦労があったと思っている」

「技術も文化も、神王様は既に保存為されている。 ああして排除されるのは、人間特有の無意味で愚劣な産物だけだ」

「話にならん」

視線を背けた私だが。

ミカエルも、もう此方の意思など、気にする様子はないようだった。

そのまま、東京まで行く。

檻のついた車は、ハイエースをベースにしているが。それこそ飛ぶように速い。或いは、ミカエルの力によるものなのかもしれない。

東京も、同じだ。

世界最大の都市集積体は、既に更地になり果てていた。

地面さえ掘り返され。

地下鉄や他の設備も、何もかもが完全に無に帰している。勿論、生活していた人間も、だろう。

あかねの奴、本当に五百万も残す気はあるのだろうか。

愕然としたのは。

東京だった場所の中央に、鎮座している巨大な影。

無数の蛇の塊。

あれは、八岐大蛇では無いか。

「八岐大蛇……!」

「神王様が従えたのだ」

「……っ!」

「わかったか、九尾の狐。 神々は、もはや神王様の下僕に過ぎぬ。 旧世界で例外的に強かったというあの大蛇でさえ、神王様の威光に打たれれば頭垂れるのだ。 いつまでも意地を張っていないで、はやく降れ。 そして光の千年王国を築く手助けをするのだ」

口を引き結んだ私の前で、長広舌を振るうミカエル。

口惜しい。

此奴の喉を、どうして今。

切り裂く力がないのか。

 

地下に戻される。

あかねが、また見に来た。一人だけで、である。

護衛など必要ない。

正直な話、今の此奴には水爆だって通用しないだろう。私なんぞ、一万人いたって、とてもかなわない。

ミカエルが神王様と呼んで心酔していたが。

実際に、神話に登場する至高神と同等か、それ以上の実力があるはずだ。

「ミカエルに外を案内させましたが、どうですか?」

「お前、本当に何もかも滅ぼすつもりなんだな」

「そうですよ。 そうしないと、人類の黄金時代は作れませんからね」

「嘘をつくな」

確信できたことが一つある。

此奴は、おそらくだが。

もう、人間という生物に、世界の覇権を握らせるつもりはない。五百万人を生かすと言っていたが、それは遺伝子データか何かでは無いのか。あのローラー作戦ぶりでは、もう世界に人間が残るとはとても思えないのだ。

ただ、その理由がわからない。

もう一人の此奴に、吹き込まれたことが気になる。

「なあ、もう止めろ。 お前の事だ。 米国もロシアも、中国も欧州も、既に完全に更地にしているんだろう?」

「その通りです。 今あげたどの地域も、人間の残存数はゼロです。 既に再資源化作業を進めています」

「それだけ殺せば充分じゃないか」

「まだ予定通りに殺していません。 管理するには理想的な数にするには、まだ少しばかり多すぎます」

滅茶苦茶だ。

どうして、こうなってしまったのだ。

あかねは厳しい所はあったけれど、賢いし、優しい奴でもあった。部下の面倒見だって、悪くは無かったし。

私が悪いことをしようとしたり、さぼっていたら、本気で怒って止めてくれる奴だったのだ。

何があった。

どうしたというのだ。

「もう、私を殺せ」

「師匠にそんな事はしません。 ちなみに、自害できないように、暗示も掛けてあります」

「そこまでして私をもてあそびたいか」

「全て師匠のためですよ」

これだけ色々あっても。

まだ、私を師匠と呼ぶのか。それが何か、ヒントになっているのか。わからないが、一つだけはっきりしている。

もう、あかねを、説得するのは不可能だ。

あかねがテレビを差し入れしてくれた。もう動いているテレビ局などないだろうに。しかし、リモコンをいじってみると、意外にも映る。

或いは、電波を術式で操作しているのかもしれない。

多分、仲間内にだけ、情報が流れるようにしているのだろう。

「今日の人間駆除情報です」

テレビに映ったのは、天使の何かだろう。一神教は詳しくないのでよく分からないけれど、多分熾天使とかではない、中級くらいの天使に見える。いずれにしても、人間に羽などと言う綺麗な姿ではなくて、異形そのものだった。

古い時代の一神教の天使は、後世の美しい姿とはかけ離れている。体中に目がついていたり、怪物そのものの姿であったり。此奴は古い時代の天使をアーキタイプとして、傾いたのだろう。

それにしても、人間駆除情報とは。飛ばしている。

「現時点で、人間の生息域は、ユーラシア中央部と、アフリカ、印度北部だけになっており、駆除は予定通り進行中です。 印度では生き残った米軍と、現地の軍が共同して反攻作戦をしていましたが。 今朝までに、抵抗は沈黙。 人間の組織的抵抗は既に終わりました」

天使は淡々と説明する。

本当に、ローラー作戦を実行しているだけだ。組織的抵抗を放置していたと言うよりも、順番に隅から片付けていた、というだけなのだろう。

映像が出る。

中空に浮かんだあかねが、弓を引き絞る。

放たれた光の矢は、数十に分裂。抵抗している人類の基地に着弾すると、キノコ雲を作った。

基地が、文字通り蒸発した。

キノコ雲が、瞬時に消えて無くなる。

一度熱量で爆発を引き起こしてから、収束した様子だ。爆発の術式後、圧縮の術式でも使ったのか。いずれにしても、桁外れの破壊である。

基地だけでは無い。多分、印度の北部が、根こそぎ消し飛んだはずだ。昔亜大陸であった印度が、半分消滅したのだ。

砕けた大地が、巨大なクレーターを造り。

其処に、膨大な海水が流れ込んでいるのが見えた。

何だアレは。

インドラか何かが神話で放った矢ではあるまいし。

あかねのやつ、水爆が直撃しても死なないどころではない。それこそ、パンをつまみ食いする感覚で、水爆クラスの攻撃を連発できるようになっているのか。

「神王様は、これで0.2%ほどの火力しか出していません。 さすがは我等が盟主、神々の王です。 そのご威光を皆でたたえましょう」

天使のおべんちゃらさえ、淡々としている。

舌打ちして、チャンネルを変えるが。

別のチャンネルでは、駆除した人間の処理とやらを延々と映していた。死体を強酸の鍋に放り込んで、分解しているのだ。

地獄の鬼も、目を背けるような光景。

文字通り、ゴミのように積み上げられた死体を、機械的に処理していく巨大な人型は。前には人間だっただろうに。人間をゴミとして処分することを、何とも思っていないようだった。

その上、酸で溶かした死体を、どう再利用するかまで説明している。

タンパク質を取り出すだの、貴金属はどう分解するだの。完全にものをどう処理するかの解説が為されているのだ。

各地で、あかねに従って動いている強化怪異は、こういう番組を見て、真似しているとみて良い。

見るに堪えない。

娯楽番組はないのか。

残念ながら、無い。

仏頂面の天使がどう人間を殺戮して平定しているかを告げる番組やら、あかねの計画がどう進行しているかを解説する番組はあるけれど。それ以外の、無駄と呼べるものは、何一つ無いのだ。

テレビを消す。

リモコンを放り捨てると、ふて寝開始。外の音は入ってこない。何しろ今のあかねが作った結界だ。

下手をするとこの結界。あかね同様に、水爆が直撃しても、ダメージを受けない所か、そもそもびくともしないのではあるまいか。

もう、体は充分に動く。

だが、それだけだ。どうしようもない。

壁を軽く叩いてみるが、鋼鉄のように硬い。鉄格子だって同じ事。鉄格子の隙間には、透明な見えない膜のようなものがあって、私を意地でも通そうとはしない。

時々食事が差し入れられるけれど。

タンパク質の材料は、人間では無いだろうか。

そう思うと、げんなりさせられる。

あかねが来る。

テレビの感想を聞かれたので、正直にこたえるが。あかねはにこりともしないし、怒りもしない。

王族は感情をみだりに見せるべきでは無いという話があるらしいが。

絶対支配者と化したあかねは、その理屈に従っているのかもしれない。

「牧島にあわせてくれるか?」

「駄目です」

「まさか、殺していないだろうな」

「そんな事はしませんよ。 あれだけの才能、無駄にするのはもったいない。 いずれ私の右腕になって貰う予定です」

呻く。

勿論、その時は、牧島の意思など関係ないのだろう。

「お前、もう完全に化け物以外の何者でも無いぞ」

「別に構いませんよ。 この世界を救えるならね」

「……」

駄目だ。

だが、もう打つ手がない。

あかねの心は、鉄の壁も同然。私が何を言っても、もう届くとは思えない。せめて、どうしてこうなってしまったのかがわかれば。

何を吹き込まれたのかがわかれば。

少しは、反論の余地もあるのに。

だけれど、あかねは元々、私よりもずっと賢い奴なのだ。私がどれだけブラフを掛けても、気付いてしまう。

もう、どうしようもない。無力感に包まれる私を、冷徹に見下ろしながら。あかねは言う。

「そろそろ意地を張るのを止めて、強化怪異になりましょう、師匠。 そうすれば、貴方は神々の一柱として、実権を振るう事が出来ます。 或いは、手元で人間を保護することが出来るかも知れない」

「無茶を言うな」

「どうしました。 気弱ですね」

「お前の戦闘画像を見た。 何だあの能力は。 いにしえの至高神でさえ、彼処までの無茶苦茶では無いはずだ。 あんな状態のお前を見たら、確かに神々の形に傾いた連中だって従うだろうよ。 それに、私が強化怪異になって、神々の一柱に迎えられたとしても、逆らう事なんて出来るわけがない。 それがわかった上で、お前はそう言っているんだな」

あかねはこたえない。

ただ、冷たい目で。私を、見下ろしていた。

 

ぼんやりと横になる。

テレビをたまにつけるが、絶望的な情報しか入ってこない。

既に、予定通り、人間の数は五百万にまで削減終了。以降は捕獲した人間を、太平洋の中央に作った人工島に輸送する作業が開始されるという。

アフリカの一部にまで追い詰められていた人間は。

巨大な鰐に乗せられて、移動を開始させられていた。

恐怖に竦んでいる人間達。

神々が人間を見る目は、著しく冷たい。時々逆らう者がいるようだけれど、それは容赦なく殺しているようだった。

「人間が逆らう場合は、圧倒的な力を見せつけて、少し間引きましょう。 それですぐに大人しくなります」

無茶苦茶な事を言っている天使。

不意に、アサルトライフルを取り出した男が、至近から神々にぶっ放す。だが、弾丸を浴びても、平然としている神々。

効くはずが無い。

無言で、男を握りつぶす巨神。

銃ごと赤い染みになってしまった男。

頭を抱えて、震えている人間達。

彼らが最後の砦にしていた場所は、既に解体が開始されている。他と同じように、一旦再資源化して、「光の千年王国」とやらの材料にするのだろう。あかねは、本当にそんな事を望んでいるのか。

だとしたら、悲しすぎる。

ミカエルが来た。

勝ち誇った顔をしている。

「神王様が、既に人間を間引き終えた。 これより生き残りは太平洋の真ん中に移して管理する。 そして世界は、新しい時代に突入するのだ」

「ああ、そうかい」

人間は、半年も保たなかったか。

こうなる前に、誰がこの未来を予想できただろう。

ミカエルがリモコンを、手も触れずに操作する。テレビに映し出されたのは、資源に戻された人間の文明。

それこそ、山が幾つも出来るほどの規模だ。

ああされたのは、何も建物や道路だけでは無い。

酸に放り込まれた人間も、あの山の材料にされたのだ。ひょっとすると、生きたまま酸の鍋に放り込まれた人間もいたかもしれない。

見るに堪えない。

悪魔だって、此処までやるだろうか。

「見よ。 人間の文明は、既に新しき王国の基礎となるべく生まれ変わった。 いつまで貴様は、意地を張るつもりだ」

「で、お前はあかねに頭を踏まれて満足しているわけだ」

「? 意味がよく分からないが、私の心は神王様にだけ捧げられている。 そして私は、もはや欲望などと言う低次元な感情からは解放された。 あのお方に仕えることだけが、全てだ」

冗談が通じない奴だ。

嘆息して、視線を背ける。ミカエルは、鼻でせせら笑うが。しかし、その表情に、不快感が混じっていることを、私は見抜いていた。

「何故神王様に逆らう。 偉大に成長した弟子を喜ばない師匠など、愚かしいだけだと思わぬか」

「何が偉大に成長した弟子だ。 彼奴は道を踏み外した大馬鹿者だ」

「神王様を侮辱するか」

「真実を告げただけだ。 何だ、気に入らないなら殺すか。 構わないぞ。 もう私は、生きてなどいたくない気分なんだ」

挑発してみるが。ミカエルは乗ってこない。

此奴はあかねの命令に絶対服従だ。私がどれだけ不遜な態度をとっても、手は出せないのだろう。

つまらん。

それを確認したかったのだ。此奴を使って、私を殺させることが出来るようなら、そうさせてもいいと思っていたからである。

どれだけ昼寝しても、もう現実は変わらない。

世界は終わってしまったのだ。

何をどうしても、もうどうにもなることがない。

唯一出来る事は。

自害することだけ。

実は試してもみた。しかしあかねが言うように、どうしても自害は出来ないようになってしまっていた。

だから、此奴を使ってみようと思ったのだが。それもかなわぬとなると。一体どうしたら良いのだろう。

「何だ、神妙な顔をして」

「別に。 ただ死にたいだけだ」

多分、こういう気分だったのだろう。

神々の機嫌を伺うことしか出来なかった、いにしえの時代の民は。

 

横になって、眠っていると。

不意に、記憶が流れ込んでくる。

ずっと昔の事だろうか。よく分からない。あかねが覇権を握ったのが決定的になってから、記憶の混濁は起こらなくなったから、過去の記憶が、フラッシュバックしているのかもしれない。

古い古い時代。

世界には光がなかった。

多くの怪異が跳梁跋扈し。その中には、神々と呼ばれている者もいた。人間は逆らうことが許されず。

出会えば殺され。

出会わなくても、殺された。

人は怪異になる事が出来る。それがわかった後、誰も彼もが怪異になろうとした。そうして、世界はますます暗くなっていった。

希望が無い世界。

これほどまでに、暗いものなのか。

私は、怪異だ。

怪異になってしまって。それで、世界を歩いていた。いや、おかしい。私が怪異になった時代と、此処は少し違う。

まさかとは思うが。

これは、いにしえの神々の時代か。

手を見る。

人間の手では無い。私の手は、狐のそれになっていた。

これは、過去の記憶じゃあない。

というのも、私は結局、狐の姿になって暴れる事は無かったからだ。狐の妖怪と呼ばれる事は、何度も何度もあったというのに。

私は、誰の記憶を見ているのか。

ずっと起こることがなくなっていた、平行世界の記憶の流入か。

あり得ることだ。

いや、それもおかしい気がする。

なぜなら、周囲を見る限り、文明の練度が明らかにおかしいからだ。私が怪異に傾いたのは、1000年ほど前。

いわゆる平安時代の頃。

その頃には、文明というものはとうの昔に始まっていた。

見ると、周囲は原始時代も同じ。文明を謳歌しているのは、神々だけ。そんなはずは、無い。

「気がついた?」

可愛らしい声。

誰だ、この声は。

聞き覚えがあるけれど、どうにもぴんと来ない。

「これは、神々が支配を手放さなかった世界の記憶。 人間は神々の気分次第でもてあそばれる、哀れな浮き草に過ぎない世界だよ」

「お前は、誰だ」

「それは良いから、よくみて」

「……?」

人々の目は、死んでいる。

歩いて見て廻るが。私に、注意を払おうとさえしない。

昔、平家でなければ人に非ずとか。権力者の傲慢を伝える言葉は、幾つもあった。だがこれは、それとさえ次元が違う。

空を傲慢に飛び回っている神々が。

相談をしているのがわかった。

「困ったものだな。 同胞が生まれ出ることがない」

「派手に殺しすぎたせいか」

「神話さえ、作られることがない。 アーキタイプとして、これ以上新しい神が出来る事さえ無いと、各地から報告が上がっている」

「以前粛正した一派の言葉は正しかったのだと見て良さそうだな。 口惜しい話だが」

口々にそんな事を言いながら、天を行く神々。

私は、阿呆な連中だと思った。

そうか。

神々が。つまり傾き、人を超えた者達が、世界の支配権を握り。己にリミッターも掛けずにいた世界は。

放置しておくと、此処まで酷い事になってしまうのか。

これでは、もはや人類の衰退どころではない。如何に寿命が長いと言っても、神々にだって限界がある。

更には、好戦的で、身勝手な輩だって多い神々だ。

自分を殺してまで、世界のためになどと考える輩は、いないだろう。

神々が去る。

私はちょこんと、狐そのものになって座って見ていて、気付く。

人間達は、言葉さえ使っていない。

あーとかうーとか言いながら、穴居住宅を使って、動物そのものの生活をしているでは無いか、

慌てて、空に舞い上がると。

世界中を見て廻る。

何処も同じだ。

文明が死んでいる。

これは、傲慢な神々も、ようやく焦りを覚えるわけだ。このような状態では、もはや人間は、傾くどころではないだろう。

「どうして、こうなったのだ」

「力を抑え、眠りにつくべきだという一派を粛正した後、神々は更に横暴になったの」

「それは、わかるが、これは」

「神々はね、逆らう可能性がある人間を、悉く誅戮して。 自分たちに害を為す可能性がある技術の全てを、この世から消し去ったんだよ。 その中には、言葉や文化も、たくさんあったんだ。 神々の中には、自分から見て気持ちの悪い文化をもっているという理由で、国ごと滅ぼした者さえいたの」

何だそれは。

つまり神話の時代から。人間のメンタリティなんて、一切変化がないという事では無いか。

現代社会にもその手の輩はいるが。

まさか、神々の時代にも、そんな阿呆がいるとは、思ってもいなかった。

頭を振ってただ嘆く。

これは。もはや文明の死どころでは無い。

人類の終焉だ。

人間を脅かす猛獣もいないようだが、この世界に光はない。

足を止めると。私は、先ほどから話しかけてきている奴が誰か、ようやく理解する事が出来た。

「どうして私にこのようなものを見せる。 ヒカリ」

「思ったより気付くのが早いね」

「色々あって、頭が混乱はしていたが。 お前の声は覚えているさ。 今まで忘れていたけどな」

目の前に、光が収束していく。

そして、それが終わったときには。

其処には、いわゆる天女の姿をしたヒカリがいた。羽衣を纏い、神々しいまでの燐光に包まれている。

まさか此奴。

傾いて、対怪異部署の地下から、姿を消したのか。

「久しぶりだね、九尾の狐」

「そうだな。 もう半年以上か」

「あなたの時間では、そうなるんだね」

「どういう意味だ」

ヒカリはまだ幼いままだ。

怪異になって、成長が止まったのか。まさか、時間を好き勝手に行き来する能力でも、手に入れたのか。

だが、それは強化怪異の範疇に入る能力だ。

まさか、地力で強化怪異に。

いや、まて。

そもそも此奴は、強化ダイダラボッチの贄となった人間が、再構成された存在なのだ。あり得ない話では、ない。

「諏訪あかねの結界が強力すぎて、どうしても外側からは干渉が出来なくて。 やっと貴方にこんな形で干渉することが出来たの」

「それはご苦労なことだ。 こんなひ弱な無能狐に、何の用だ」

「そう腐らないで。 貴方にしか、出来ない事があるんだから」

「何だよそれ」

歴史を、変えること。

ヒカリはそう、確かに言った。

歴史を、変えるか。

話を聞く限り。あかねも同じ事をしたらしい。世界の根本的な破滅を食い止めるため、というのがその目的らしいのだが、どうにもおかしな点がある。人類が世界を食い尽くすのを止め、その精神性の成熟を計るというのはわからないでもないのだが。どうにも、あかねは。

人類そのものを滅ぼそうとしているようにしか思えないのだ。

かといって、あかねを過去に戻って殺したり止めたりしたところで、何かが変わるとも思えない。

170年で、人類の文明は破綻して、世界は破滅するというあかねの言葉だったけれど。

それは、充分な説得力を持っていた。

事実、現在の人類文明は、どん詰まりに来ている。

今までも、散々文明が消滅するレベルの危機は来ていたけれど。次も、それを回避できるとは、限らない。

いつまでも人類が好き勝手出来ると考えるのは、楽観が過ぎるというものだろう。

私は。

怪異の地位向上と、社会での居場所を造り。そして出来るだけ、不幸な怪異を減らすために尽力してきたけれど。

人類そのものが滅んでしまったら、そもそも意味がない。

歴史を変えると言っても。

どうすれば良いのかは、正直よく分からないのだ。

「どうやったら出来るのか見当もつかないが。 仮に、私が過去に戻ったとする。 それで何をすれば良いというのか」

「貴方一人じゃ、見当もつかないよね」

「ああ、そうだな」

「だから、私が、手を貸してあげる」

IQ280の天才様の助力か。

それは大変に喜ばしいけれど。

だが、それでも、幾つかの壁がある。

一つは、あかねの変節の理由だ。まさか私を後ろから刺すなんて、今までのあかねでは考えられなかった。

もう一つは、あかねが何回も歴史を繰り返して作り上げたらしい、情報網の打破。

此処で言うあかねは、組織の黒幕になっていた方だが。

これに関しても、下手に動けない。

警察の上層は丸ごと掌握されているとみて良いだろうし。対怪異部署の大半も、実際は握られていると判断するべきだろうからだ。

その二つを指摘すると。

薄れ掛けるヒカリ。

「ん、時間がないみたい。 少し無理矢理だけれど、貴方の意識を、過去に連れていくよ」

「まて。 連れて行かれても、どうしてよいものか」

「それは向こうで説明するね」

目の前を。

衣服も着けない裸の男が。何の気力もない前傾姿勢で、歩いて行く。

これが、全ての希望を奪われた末の姿。

そう思うと。情けなくて仕方が無い。

私は、抵抗しない。

少なくとも、何かしら希望があるのだとしたら。それに賭けてみたいと思うのが、人間、いや人間だったもの、だからだ。

目の前が、光で真っ白になる。

そして、気付くと。

私は、布団の上で、だらしなくジャージを着て、横になっていた。

スマホをとって、時刻を見る。

あの敵本部突入の日から、ほぼ一年前。

つまり、私が対怪異部署でかなり忙しくなる、更に前の時間になる。

「気がついた?」

声がする。

ヒカリの声は、私の中から聞こえた。

 

2、繰り返しの世界

 

道を行く先で、ヒカリから説明を受ける。

そもそも、この世界は、元の世界の過去では無いという。何となくわかる。世界は可能性の分だけ分岐する、という奴だ。

要するに、平行世界。

これは、あかねが全てを終わらせた世界の、別の場所。その、一年前、というわけなのだろう。

正確には、一年半前くらいか。

まず、ヒカリは状況を知りたいと言う。最初に出向いたのは、対怪異部署だ。

入るのに、少し緊張するけれど。

あかねは普通にいた。

此方を見ると、驚いたようだった。

「どうしました、師匠。 怠け者の師匠が呼ばれてもいないのに出てくるなんて、珍しいですね」

「その通りだが、うん。 いや、安心した」

「?」

「牧島は……まだいないか」

一年前は、平尾も牧島も、私の部下にはなっていない。なにより、私は警部になっていない。まだ警部補だ。

芦田は赴任してきていないし、対怪異部署の席も、今とはかなり違う。

安城が来た。

「どうした、珍しいじゃないか」

「ん、ちょっとな」

「何か悪い事でも起きそうだな」

苦笑いする安城。

はっきりいって、この場でぶん殴りたい。此奴に責任がないことはわかっているけれど、後々大変だったのだから。

多分、ヒカリのことは、誰も気付いていない。

この世界の怪異の力は、元々いた世界と変わらない。

書類を書いて、地下にも入った。

色々な道具類をみて回った後、牢に入れられている怪異を確認。面子は多少違うが、私のいた世界と、あまり変わらなかった。

「なあ、これはどういうことだ。 私はタイムトリップしたのか」

「少し違うよ。 貴方の記憶を、平行世界の貴方に移動したの。 一種のコピーペーストだよ」

「それで、どうしろっていうんだよ。 私は元々ステゴロは苦手だし、あの闇に染まったあかねがもう活動していたとして、居場所なんて突き止められないぞ」

そもそも、この時期は。

クドラクが日本に来てさえいない。

最初はカルマの能力がわからなくて、随分手を焼かされたし。

それに今の状況では、多分酒呑童子の研究は、まだ秘密のまま手つかずになっているだろう。

つまり、クドラクに奪われることもないという事だ。

地下を出た後、自宅に戻る。

こんな家は見たことが無い。どうやら平行世界の私も、事件を解決する度に引っ越して廻っているようだった。

「それでは、作戦を説明するね」

「ん、はやくしてくれ」

窮屈な制服を脱いで、またジャージになると、私はスルメを咥えながら適当に応じる。幸い、体は軽い。

あの牢の中に閉じ込められてくさくさしていたのだ。外を好き勝手に歩き回っただけで、随分リフレッシュになったのである。

「多分、あの黒幕の、何度も世界を繰り返しているあかねを止めるのは、不可能だと思う」

「おう、それで」

「目的そのものを、変えさせてしまえばいいんだよ」

「簡単に言うがな……」

あかねはそもそも、相当に強固な意志の持ち主だ。

彼奴は才能は確かに優れていたが、それでもこの世界屈指の使い手になるまでは、相当な苦労もあった。

不屈の精神と、不断の努力。

それが、今のあかねの実力を、そのまま作り上げてきたのである。

才能だけで言えば、あの安倍晴明が言うように、牧島の方が上だろう。もっと上の奴もいるかも知れない。

だが、そもそもあかねに、並び立つことが出来るだろうか。

故に、おかしいとも思うのだ。

どうしてあかねが、ころっと黒幕の思想に転んだかがだ。メロドラマではあるまいし、今更愛だの恋だのでもないだろうし。

ちなみにあかねの男の好みは知っているが、彼奴はああ見えてかなりの面食いだ。大学時代、それで手痛い失敗を、何回かしている。それでも懲りていないようだから、こればかりは一種の病気と言うべきだろう。もっとも、今では精神を制御しきって、それさえ排除しているようだが。

「そもそも、あの黒幕あかねは、何が目的だったのだかな」

「それは簡単だ。 人類の存続だろう」

「本当にそう思ってる?」

「……」

実は。

どうにも、そう思えない。

人類に対する情け容赦なさ過ぎる虐殺。一方的かつ、徹底的な駆除作業。あれは、あかねが人を憎んでいるとしか思えない。

しかし、だ。

警官として人の闇に触れてきたあかねが、今更そんな事をするか。そもそも彼奴は、苦しいときにはいつも私に相談してきた。

私だって真摯に受け答えしてきたし。

それが故に、信頼してくれたのだとも思う。

「分析してみたんだけれど。 ひょっとすると、黒幕あかねの目的は、貴方の保護なのかもしれない」

「私の保護ぉ?」

確かに私はあかねの師匠だが。

彼奴は私に一線を引いて師として接してくれている。まさか、私のために、世界を滅ぼしたりするはずがない。

だとすると、ストレートな意味とは違うのか。

咳払いするヒカリ。

「多分、貴方が想像している、下世話な方向の話じゃ無いと思うよ」

「じゃあなんだよ、天才子供」

「だから、それを解析するの。 きっと貴方の中には、世界の破滅を免れるための、何かがあるんだと思う」

そうか、私自身を解析するのか。

まあ、他に手もない。

もたついていると、すぐに忙しくなって。クドラクが介入してきて、多分酒呑童子が同じようにだまくらかされる。

まあ、私を一度徹底的に解析するのも良いだろう。

ごろんと横になると、好きにするようにと言って、目を閉じた。

ヒカリは強化怪異になると、相当な数の術式を使えるようになったようだと、すぐにわかった。

何しろ、元の知識がとんでも無かったのだ。

複数の魔法陣が、私の周囲を回っているのがわかる。

魔術で作った物だろうが。

西洋系も東洋系も、複雑に混ざり込んでいるようだ。ざっと見た感じ、東洋系のはわかるが、西洋系はさっぱりである。西洋系だと言う事しかわからない。これでも一応専門家なのだが。

「天才だし、解析は一瞬か?」

「まさか。 一月は掛かるよ」

「そんなにか」

「まずは遺伝子構造から解析。 空気を操作する力についての解析と、後は魔術的な分解解析」

面倒な話だな。

あくびをすると、私はもう、つきあっていられないとばかりに、目を閉じて眠ることにした。

後はヒカリに、好きにやらせれば良い。

 

目が覚めると、もう夜中。

少し蒸し暑いかもしれない。

周囲には、まだたくさんの魔法陣が展開中である。ヒカリはぶっ通しで、解析を進めている様子なのだ。

それにしても、私が鍵、か。

どうにも、よく分からない話だ。

別に私は特別な存在じゃない。

動物が好きだと言うだけの理由で村八分にされて。生きるために傾いて。生きる過程で多くの存在と交わって。

子供も産んで、悲劇的に別れもした。

たくさんの悲劇は積み重ねてきたけれど。それは、多分永く生きている怪異、全てがそうだろう。

私が特別だとすれば。

ずっと、生き延びてきたことくらいだが。

それは酒呑童子も同じ事。

奴を、あかねが選ばなかった理由は何だ。

奴は鬼で、私は狐。

だが、どちらも三大妖怪と呼ばれた存在だ。怪異としての存在に、それほど違いはないのである。

テレビを付けると、脳天気なバラエティが流されていたので。何も脳を使わず、ぼんやりと見る。

その間も、ヒカリは解析を進めていたが。

気になる事を言う。

「気付いているかわからないけれど。 もう、子供は産めないみたいだね」

「ん? どういうことだ」

「ええとね。 貴方から分裂した眷属のデータは、前に調べて見たんだよ。 眷属達は、その気になれば人間に化けることも出来るし、人間との間に子供を産めるみたいなの」

「ふーん……」

それは、意外だ。

勿論、永く生きて、力を蓄えた眷属限定だろうけれど。

「それで、私が子供を産めないってのは、どういうことだ」

「子供を産む度に、とても強い消耗が体に掛かったみたいなの。 それが、年輪みたいに残ってる」

「……ほう」

「多分、最後の旦那さんとの間に出来た、12番目の子供が最後だよ」

まて。

私の子供は、十一人だ。

しかし、子供は十二人生まれた形跡があると、ヒカリは言う。

何だそれは。

例の、おかしな記憶のことか。

確かに、芦屋祈里が言っていたような、妙な記憶は流れ込んできていたけれど。それはあくまで平行世界の私の話かと思っていた。

この世界の私も、たどってきた生についてはあまり変わらない筈。

六人目の夫と、十二人目の子供。

それは、どういうことか。

「何だかよく分からんな。 解析を進めて、わかったら教えてくれ」

「うん。 これが、何だか鍵になる気がする」

「ふーん」

どうにも胡散臭いけれど。

私も此処は気になるのだ。自分で産んだ子供のことを、忘れるはずがない。忘れているとしたら、一体何があったのか。平行世界の記憶だと思っていたのに。本当に、この世界での出来事なのか。

横になっているが、眠れない。

いつもは、いくらでも眠れるのに。今日は、不安が募るのか。目を閉じても、眠たくならないのだ。

ヒカリは無言で解析を続けている。

そして、気がつくと。

朝になっていた。

目を擦りながら、起きる。あくびをして、洗面所に向かう。鏡には、相変わらずたくさんの魔法陣が映っていた。

解析は、終わっていないと言う事だ。

ヒカリはと言うと。流石に眠っている。

オートで術式が進行するように、組んでいったという事なのだろう。

まあ、私でもそれくらいはできる。当然の措置というわけだ。

あくびをして、スルメを口に入れる。

いい知れない不安が消えない。

もしも。いや、ヒカリが嘘を今更言うとは思えない。本当に子供を十二人産んだとすると。なんでその記憶が消えているのか。

その時、私に何があったのだ。

 

数日が経過。

普段は、怠けていると、数日くらいはすぐに吹っ飛んでしまうものなのだけれど。今回だけは、時間の感覚が露骨に違う。

平行世界だから、という事もあるだろう。

いつ仕事が来てもおかしくない。

別に仕事が来たところで、普段は面倒くさいとしか思わなかったけれど。今回は、この解析が終わるまでは、出来れば仕事は来ないで欲しいと、心底から思っていた。実際、私の体の中でヒカリが動いていることは、他の誰にも悟られたくないのだ。あの黒幕の方のあかねにでも気付かれたら。下手をすると、いきなりその場で拘束でもされかねないからである。

不意に、あかねから連絡が来る。

勿論、今の時点では悪さをしていない方のあかねからだ。

「師匠、今よろしいですか?」

「ん、仕事か?」

「残念ながら、現時点では師匠にお願いする迷宮入りの事件はありません」

ん。私は頷きかけて、違和感を覚えた。

何か妙だ。

普段だったら、あかねの奴は。基本的に私を、こき使う事を至上命題にしているはず。そもそも、迷宮入りの怪異事件は、たくさん存在している。実際問題、いつも数年単位で寝かされていた事件を押しつけられていたからだ。

不安を覚えながらも、あかねに先を促す。

「これから、対怪異部署に、新人が三名入ります。 師匠の下について貰おうと思っていまして」

「三人?」

「一人は外部の協力者です。 牧島奈々さん」

それは有り難いが、タイミングがおかしい。

彼奴が私の下に来たのは、もう少し後だったはずだが。

続けて平尾の名前が挙げられる。これも、同じく、である。

最後に、更に意外な名前が出た。

カトリーナ。

馬鹿な。

そもそも、彼奴は東欧の独裁国家の王族だったはず。それも、この時点では死んでいるはずなのだ。

あかねが淡々と説明する所によると、外部の協力者扱いだとか。

非常に有能な協力者で、術式を使った格闘戦に関しては、あかねも目を見張るところがあるとか説明してくれたが。

言われなくても知っている。

三日後に、顔合わせをすると言われたので、適当に頷いて、電話を切る。何もかもが、おかしい。

牧島と平尾に関しては、歴史通りだから別に構わない。

何故、カトリーナが。

強化座敷童の傾きを戻したわけでもないのに、いる。

「どう思う」

「会ってみないと、わからないよ」

「そう、だろうな」

げんなりするような答えが来る。

ヒカリにしても、この世界に来たのは、一か八かの賭だった、というのは言われなくても分かっている。

一瞬考えたのが、黒幕の方のあかねが、何かしらの罠を仕込んだ、ということだが。

しかし、流石にどれだけの化け物でも。私がいた世界の自分から、記憶を得るなんて事は出来ないだろう。

更に言えば、まだ強化怪異の量産は始めていないはず。

何もかも、計算が合わない。

混乱する中、ヒカリはとにかく会ってみるしかないと言う。

何もかも。

全てが、前とは違って、加速し始めているとしか、思えなかった。

 

3、前倒しの悪夢

 

結局、顔合わせの日までに、解析は完了しなかった。

ただ、データの取得だけは完了したらしく。私の周囲から、既に魔法陣は消えている。後はヒカリが、得た膨大なデータを検証して、全てを解析するだけ、らしい。まあ、天才の考える事はよく分からないし、能力についても正直把握しきれない。好き勝手にやってくれとしか、言いようが無い。

警視庁に出向く。

制服が少し古くなっているような気がした。

今更、である。

どういうことだろう。前に着ていたときは、このタイミングでは、制服に不自由は感じていなかったはずだが。

「いざというときは、逃げる準備をしておくべきか」

「その時は、私がどうにかするよ」

「お前が?」

「一応、自衛のための術は幾つか準備してあるの。 九尾の狐一人だけの時よりも、ずっとマシなはずだよ」

大変に心強い言葉だけれど。

鵜呑みにするほど、私も子供じゃあない。まあ、ある程度期待だけはしておく、程度である。

警視庁に到着。

牧島と平尾は待っていた。

軽く話してみると、以前通りの性格である。ただ、牧島はまだ私に心を開いていない様子だ。

富山での出来事があってから、前の世界でも、私に全幅の信頼を寄せてくるようになったし、これは仕方が無い。

平尾は、以前同様。

厳しい、公平な目で、私を見ようとしているようだった。

それはそれで構わない。

むしろその方が、私には有り難いくらいだ。

さて、問題は此処からだ。

カトリーナという奴がいるという話だが。そうあかねに話を振ると、彼奴はおかしな事を言い出す。

「何を言っているんですか。 カトリーナちゃんは、在学中から、ずっと師匠の世話になっているじゃないですか」

「!」

「怪訝そうな顔をしてどうしました」

「いや、何でもない」

おかしな事を言う。

実は、この平行世界の記憶もしっかりある私である。それをどれだけ探ってみても、カトリーナという名前は出てこない。

さては、このあかね。

既に、敵に通じているのか。

いや、そんな風に疑心暗鬼をもってしまっては駄目だ。あの強烈な出来事が、あかねを見る目にフィルターを掛けてしまっているのは否定出来ないけれど。それでも、幼い頃は、私を片言でししょー、ししょーと慕ってくれて。丸顔でぷにぷにしていて、可愛かったじゃないか。

自分に言い聞かせていると、ヒカリがぼそりと言った。

「子供、大好きなんだね」

「悪いか」

「ううん、子供が嫌いな母親よりずっといいよ」

「……そうかも知れないな」

ともかくだ。

咳払いして、カトリーナを呼ぶように頼む。

だが、本当に驚くのは、此処からだった。

現れたのは。あの金髪の、凛としたカトリーナとは、似ても似つかないのだ。

髪は腰まである。黒髪で、顔立ちも日本人そのものである。

雰囲気は、大正時代くらいの剣道小町そのもの。

手にしているのは。霊的武装として活用できそうな、磨き抜いた木刀だ。見た感じ、かなりの力がこもっている。

足捌きにしても体重の移動にしても。完全に達人レベルだと言う事は、一目でわかった。

名乗られる。

姓も名も、同じ。

適当に応じると、三人で軽く歓談。平尾については、全く同じだ。少し私を厳しい目で見ているが、それは最初だから当然だろう。平行世界での平尾も、それに関しては、全く同じだった。

牧島は同年代の女の子と言う事で、カトリーナがいて安心したようだ。

前は最初の頃、周りが大人ばかりで、緊張して身が休まる暇が無かったようだから。

一方カトリーナは、見かけこそ似ても似つかないが。話してみると、前とあまり変わらない気がする。

自分にも他人にも非常に厳しくて。

無駄なことは、一切喋らない。

文字通り、身も心も、一本の刀として磨き抜いている感触だ。

「この三人は、金毛警部の部下として、働いて貰います。 明日以降、迷宮入りした事件を主に解決するのが任務となります」

あかねの説明に、皆が頷いて。

その場は、解散となった。

私は、一旦家に直帰する。

やはり、どうにも違和感がある。あのカトリーナは多分本人だろうとみて良い。しかし、どうしてあかねはあんな事を言い出したのか。

まさか、平行世界の記憶でも、流入しているのか。

だとすると、この世界が異変に見舞われるのは。前の平行世界よりも、ずっと早いのだろうか。

わからない。

とにかく、情報があるから簡単に状況を覆せると思ったら、大間違い。

そう考えるのが、正しそうだ。

 

翌日。

団と連絡を取ってみる。

この世界の団も、相変わらず飄々とした老人だ。定説では、狸と狐は仲が悪いとされているけれど。

団三郎狸の怪異である団と、九尾の狐である私は、昔からずっと仲良く過ごしてきている。

人間の伝承など、そんなものだ。

仕事上でのパートナーとしても、私は団を頼りにしている。

「ふむ、酒呑童子が、怪異の枠組みを超える研究をしている?」

「出所は教えられないが、確かだ」

「……それはまずいかもしれんな」

団が言うには、海外の勢力が、酒呑童子と接触する動きを見せているという。クドラクだなと言うと、団は目を見張った。

図星か。

つまり、この世界でも。

酒呑童子は、クドラクに好き勝手される、という事だ。

「お前、一体それらの情報はどこから出ている」

「対怪異部署に、最近有能な新人が入ってな。 諜報では、かなり出来る奴なんだよ」

「……わかった。 ちょっとばかり、酒呑童子に横やりを入れてみるとするよ」

「頼むぞ」

酒呑童子はあまり頭が良くないが、部下をまとめる力は持っている。また、右腕である茨城童子は、相当に頭が切れる奴だ。

酒呑童子よりも、茨城童子を納得させた方が、早いかもしれない。

団との連絡を終えると。

ヒカリが、不意に言う。

「酒呑童子と話してみたらどう?」

「何を話す。 クドラクが狙っているから気を付けろ、とでも言うのか」

「うん」

いきなりストレートに切り込んでくる奴だ。

ただ、それは意外にありかも知れない。

というのも、酒呑童子は素直で単純な奴である。自分が置かれている危機を認識できれば、ちゃんと判断が出来る可能性も高いからだ。

ただ、それも。

まずは、団が動くのを待ってからである。

スルメをもむもむ噛みながら、横になる。

頭脳労働をすると、とにかく疲れる。ヒカリが色々と提案してくるのだけれど。それも簡単に捌ける内容では無い。

頭の出来が違うと、こうも動きが速いのかと思うと、癪だが。

それよりも、今は。

あかねがトチ狂うのを、防ぐ方法をどうやってでも探し出す必要がある。

「なあ、ヒカリ」

「解析なら、まだだよ」

「なんで解析のことだと思った」

「そりゃあ、あかねちゃんの事が心配だからでしょ。 自分の解析が終われば、対策も練りやすくなると思えばね」

まあ、この程度は、普通の子供でも見透かせるか。

寝返りを打つと、私は大あくび。

消耗を抑えながら、団の連絡を待つ。

意外と、連絡が来るのは早かった。

二日後の朝。

スマホが鳴り、来たかと思って出てみると。団は、息も絶え絶えの有様だった。

「九尾、お前さん、余程ヤバイ情報に足を突っ込んだな」

「どうした、何があった」

「何があったも、安倍晴明だよ。 とにかく儂はしばらく身を隠す。 今通信しているのも、危ない状態だ」

通信が、切れる。

ヒカリが、むしろこうなることをわかっていたかのように言った。

「やっぱりね」

「お前、団で実験したな」

「幾つかある可能性から、未来を絞り込むためだよ。 団おじいちゃんは大変な目にあったけれど。 このまま行くと、もっと多くの人が、大変な目にあうんだよ」

「……!」

わかっているが、納得は出来ない。

親友を出汁に使って、海老で鯛を釣ろうとしたのだ。気分が良いはずもない。

とりあえず、ヒカリが淡々と説明するのを聞く。

「安倍晴明については、おかしいと思っていたの。 不釣り合い過ぎる高い能力や、怪異なのにこうも人の世界に上手に溶け込めている有様」

「私や酒呑童子は」

「安倍晴明の場合は別格だよ。 実質的に、この国を裏から動かしているんだから」

確かに、それはそうか。

だが、安倍晴明は、それほどおかしいのか。

言われて見れば、おかしい。具体的に何がおかしいのかは、よく分からないが。

「今回、安倍晴明は、団さんの動きを無理矢理に止めたと見て良いよ。 多分此処で酒呑童子に連絡を取ろうとすると、貴方にも危険が及ぶと思う」

「どういう意味だ」

「未来を知っているんじゃないのかな。 安倍晴明ほどの力の持ち主だよ。 あの絶望の未来で、あかねちゃんに厚遇されないと思う? 牢に入れられているって話を聞いたらしいけれど、その様子は、実際に見たの?」

さらりと、とんでも無い事を言い放つヒカリ。

確かに、それはそうだが。

わかっていてそうしているのであれば。安倍晴明は、別格の化け物という事になる。あの黒幕あかねが、もう一人増えるようなものではないか。

「下手をすると、計画が加速するよ」

怖い事を言うヒカリ。

そして、それは、すぐに現実のものとなった。

 

気がつくと、空に白い十字架が浮かんでいた。

それが、あまりにも圧倒的な力によって、遠くの街が消し飛んだのだと、悟るまでさほど時間は掛からない。

始めたのだ。

黒幕の方のあかねが。

対怪異部署も、すぐに出動。

だが、その中に、あかねの姿はない。安城が、忙しく装備を身につけながら、悪態をつく。

「あのガキ、こんなクソ忙しい時に!」

私は、言われていた。

今回は諦めると。

むしろ、今回は、情報を集めることに、徹すると。

ヒカリはあっさりそう判断すると、以降は目立つ動きは一切しないようにと、私に釘を刺した。

そして、一月でこれである。

強化怪異が現れ始めたと思ったら、十日ほどでこれだ。私は怪異の傾きを是正して廻っていたが。

敵の動きが速いとか、そういう状態では無かった。

気がつくと、煙まみれで、倒れていた。

後ろを見て、愕然。

警視庁が、なくなっているではないか。

勿論、対怪異部署も、全てまとめて消し飛んだとみて良い。平尾は、牧島を庇って、血みどろの池に沈んでいた。背中には、巨大なコンクリ片が突き刺さっていた。勿論、生きている筈もない。

そして、牧島も。

飛んできた鉄骨に貫かれて、平尾の腕の中で、息を引き取っていた。

カトリーナは、側に倒れている。

まだ息があるが、足がコンクリの欠片に潰されて、身動きできずにいる。

辺りは地獄絵図だ。

目の前に降りてくるのは。

燐光を纏い、千早を着込んだあかね。手には、強大な光を放つ弓。八幡太郎の弓が、霊的に極限まで進化したものだろう。

「師匠、予想通り無事でしたね」

「無事なものか! 皆が! お前のせいで!」

「大義の前には、些細な犠牲です」

あかねは、罪悪感など、欠片も覚えていないようだった。

やはり、この世界でもおかしくなったのか。いや、違う。この雰囲気は、黒幕と融合した後のあかねだ。

安倍晴明。

彼奴が、あかねと黒幕の方のあかねを、引き合わせたとみて良い。

私が怪しい動きをしたからか。

つまり、私がおかしな動きをしたから、この事態を引き起こしてしまったのか。

空を覆う無数の影。

全てが強化怪異である事は間違いない。あの全てが、これから人類を誅殺していくのだろう。

私なんかには、一体だって倒せない。

情けなくて、涙が流れてきた。

私は、ヒカリほど冷酷にも、冷静にもなれない。こんな世界では、怪異は最終的に、不幸になるだけだ。

一時的に世界を支配しても。

結局、最終的には滅びが待っている。

一度、そうなったではないか。

はて。

私は、何かおかしな事を、今考えなかったか。

「さあ、師匠、来てください。 貴方の手助けが必要です。 新しい1000年王国を作るためにも」

「断る!」

「ならば力尽くで連れていきます」

あかねは指を弾くこともなかったし。

何か、術式をくみ上げることも。

それどころか、祝詞を唱えることさえなかった。

多分、私を捕らえよう。そう考えただけだったのだ。それなのに、私はいきなり光のヒモで拘束されて、足も手首も縛り上げられ、地面に転がされていた。こんなの、いくら何でも、無茶苦茶だ。

舞い降りてくるのは、天使。

あのクソムカつくミカエルだ。彼奴、この世界でも、あかねに忠誠を誓っていたのか。

多分靴の裏でも舐めさせて貰っているに違いない。

「ミカエル、丁重に扱いなさい」

「はい、我が神よ」

何が、我が神だ。

でも、口もしっかり拘束されてしまっていた。ボールギャグ見たいのを口に突っ込まれていたのだ。

もう、何も抵抗できない。

ただ、丸焼きにされる豚のごとく、吊されて、連れて行かれる。

ああ、これは終わりだ。

私は、全ての負けを悟っていた。

 

4、悪夢の螺旋

 

目を覚ますと。

また、知らないアパートにいた。

どうやら。ヒカリが多分、記憶のコピペとやらをやったのだろう。一種のタイムトラベルだが、ヒカリにとっては不思議でも何でもないようだった。

「色々、今回は勉強になったね」

「何が勉強だ」

「失敗は成功の母だよ。 それに、今回の件で、はっきりわかったことが一つある」

安倍晴明をなんとしても排除しなければならない、だろう。

そういうと、ヒカリは頷くのだった。

ようやくわかった。というよりも、やっと確信が持てた。

あの黒幕のあかね。何度も世界を繰り返したというあかねにとって、事実上の最大同盟者は、安倍晴明だったのだ。

安倍晴明の奴は、あかねが動きやすくする必要もなければ、逆に邪魔をしなくてもよい。

単に、イレギュラーを排除すれば良い。

そして、場合によっては、事態を加速するための爆弾を、投下してやればいい。つまり、黒幕のあかねと、現実世界のあかねを、引き合わせるのだ。

安倍晴明には、それが出来る能力がある。

そして、理解も出来た。

安倍晴明が憎んでいる芦屋の一族に、助力など、最初からしていなかったのだ。彼奴は、ただ「道具」が芦屋を利用するのを、見ていただけ。

「道具の道具」が使われ倒すところを見て、不快感を覚える奴など、いるだろうか。いや、いない。

思っていた以上に。

安倍晴明は、危険だったという事だ。

しかし、安倍晴明の目的は、本当にあかねを神王にすることなのか。

というか、あの神王化あかねの実力は、はっきり言って異常だ。いくら安倍晴明が背伸びしても、とてもかなわないとしか思えない。

ひょっとして、知らずに助力しているのか。

いや、それは楽観だ。

常に最悪の事態を想定するべきだろう。

「まず第一に、通信は全部筒抜けになっていると考えるべきだろうね」

「あののぞき魔が」

「それもあるけれど。 多分貴方が、この事態をひっくり返す可能性を保っているから、だろうと思うよ」

よく分からないけれど。

とにかく、ヒカリはそんな事を言う。

解析は終わったのかと聞いてみるが、まだだという。

それにしても、此奴。

どうやって時間を渡るなんて、超弩級の術式を手に入れたのか。私は記憶のコピペで行けるとしても、だ。

「後、独り言も控えて。 この部屋も、多分監視されてるから」

「熱心なのぞき魔だな……」

「それも、解析してみる」

「……」

しばらく暮らしてみて、ヒカリには色々と分からない事も多い。

横になって、スルメを口に入れる。

頭の中にいるからか。ヒカリとは、思念だけで会話できるようになっていた。テレパシーなどと言う上等なものではない。

ただ、考えがダイレクトに伝わっているだけだ。

「時にお前は、どうして私に協力している」

「んー、そうだね。 人類の文明が多様な方が、面白いから、かな」

「それだけか」

「そうだよ。 で、それで充分だと私には思えるけれど」

頭の良い奴の考える事は、よく分からない。

ただ、此奴の助力がなくなると、もはや打つ手がないのも確かだ。安倍晴明の奴が、想像以上の力を持っていて、極めて面倒な立ち位置にいることもはっきりした今。もはや私には、打つ手がないのである。

最悪の場合。

一月で、世界は滅んでしまうのだ。

「解析は、後どれくらい掛かる」

「それが、思ったより掛かりそうだよ」

「何か問題があったのか」

「ブラックボックスがあるの」

そんなものが、よりにもよって自分の中にあるとは、初耳だ。

そもそも私の中に、誰か別の者がいると言うだけでも驚きなのに。もっとも、時間を遡ったことに比べれば、まだマシかもしれないけれど。

「何だよ、そのブラックボックスって」

「どうにも記憶が一致しない部分があるでしょう? まさかと思って調べて見たんだけれど、どうしても調査が上手く行かなくて。 此処だけ、調査がちょっと多めに時間が掛かってしまうと思うよ」

「……出来るだけ急いでくれよ」

実際問題、時間はあまり取れないのだ。

気になったので、聞いてみる。

「時間の遡航は、好きなだけできるのか」

「平行世界があるだけ。 でも、あまり好ましくない事もあるよ」

「何だよ。 私の体に負担でも掛かるのか」

「それもあるけれど。 平行世界の中には、もう滅んでいるものとか、もっと条件が違うものがたくさんあるから。 意外に、条件が殆ど同じ平行世界ってものは、あまり数がないんだよ」

確かに、その通りかもしれない。いわゆるバタフライ効果というものは、かなり大きい影響を与えると、私も聞いたことがある。

戦いは、もう既に始まっている。

今は、ふて寝しか。する事がない。

 

カトリーナは、二回目の世界にそっくりだった。

顔合わせをした後、仕事の依頼が来て。傾いた怪異を人間に戻す。カトリーナは武闘派だが、平尾と一緒に聞き込みで力を発揮してくれた。凛とした容姿は、やはり何というか、受けが良いようだ。

力ある空気で、百々目鬼と呼ばれる怪異になった女性を、戻していく。

金に汚かったり盗人だったりした人間の手に、小判が張り付き。それが全て目になってしまったという、寓話要素が強い怪異だ。

「さて、どう思う」

「もしも安倍晴明が異変に気付いているなら、有無を言わさずに仕掛けてくるはず。 即死だけはさせられないように、気を付けないと」

「あかねが私を重要視しているから、それは大丈夫、とはいえないか」

「言えないね。 どうにも安倍晴明の動きはよく分からないの。 色々調べてもいるんだけれど、本当は実在しないんじゃないかって思えてくるくらい」

何を言い出すのか。

もしも安倍晴明が実在しないのなら。私の夫達は、一体誰に殺されたというのか。それに今、政府の裏側にいるのは、誰だというのか。

鼻で笑いたくなるが。

ヒカリは、根拠無くものをいう子供では無い。

「どうしてそう思う」

「まだ仮説だから本当かはわからないのだけれど。 ひょっとして複数の怪異が、安倍晴明という一つの何かを装っているんじゃないかって思えるの」

「……!」

「その中に、普段対外的に安倍晴明を名乗っている強い怪異がいて。 それが、主に外への干渉を行っているんじゃないのかなって感じかな。 でも、仮説だから、まだ本当かはわからないよ」

なるほど、盲点だった。

確かに安倍晴明の異常な能力を考えると、単独の怪異がやっているとは限らない、というのが事実か。

百々目鬼が、元に戻る。

気を失った中年の女性を、救急車で搬送。

この世界に来てから、三度目の事件解決だ。

既に牧島も平尾も、私を信頼してくれているようで、何より。カトリーナだけは、一歩距離を置いて、私に接しているようだが。

「スルメくれ」

ハイエースに乗り込んで、帰り道の途中。

周囲を安心させるために、私は敢えてゴロゴロする。その方が楽だという事もあるけれど。

やはり、異常事態を避けるためには。

自然体の方が好ましい。

「はい、此方でどうですか」

「ん」

カトリーナが差し出してきたのは。

スルメでは無くて、あたりめだ。これはこれで美味しいのだけれど、スルメの方が好きである。

ちょっとだけ眉をひそめてしまうが、くれたものはくれたものだ。口に入れて、もむもむする。

ハイエースの後部は広くて、ごろんとなる事も容易だ。

「これはあたりめだ。 美味しいけど、スルメの方が好きだな」

「わかりました。 次はスルメを用意します」

「ありがとうな。 ほれ、小遣いだ」

二百円をカトリーナに渡しておく。

目を閉じて横になっていると、平尾も話しかけてきた。

「金毛警部、鮮やかな解決ぶり、見事であります。 最初は何て怠け者なんだと思っていましたが。 迷宮入りしている事件を立て続けに解決していく手腕は、本官には真似できないのであります」

「まあ、年の功という奴だ」

「……本当にそうかな」

不意に疑念を投げかけてきたのは。

頭の中のヒカリ。

慣れてきたので、もういちいち驚かない。あたりめを口の中でゆっくりもむもむしながら。

私は、順次解散していく皆と。

まだ引っ越しの終わっていない、今住んでいるアパートを見上げた。

いつも通り、これから引っ越しだ。

業者はもうあかねが手配してくれている。今になって思うと、これも徒になっている。あかねに対する絶対信頼から任せてきたことだけれど。あかねが最終的にあんなことになる以上。

最悪の、情報漏洩の一端を担ってしまっていると言える。

「これも、どうにかしないとまずいかもしれんな」

「ううん、そのままでいて」

「なんでだよ」

「下手にやり方を変えると、多分すぐに安倍晴明に気付かれる。 安倍晴明の干渉を断つ方法を見つけるまでは、下手に動かないで」

ヒカリの口調はいつになく強い。

どちらにしても、私に出来る事は無い、と言うわけだ。

アパートに入ると、荷物をまとめて、後はふて寝する。流石に連続で、仕事を廻しては来ないだろう。

しばらくは、ごろごろしながら、ヒカリの解析を待つだけで良かった。

少しずつ、横になっていると、眠れるようにもなって来ている。

夢を見た。

私が普通に老いていく夢。

子供達はみんな九尾の子供では無く、普通の子供達。みんな普通に成人して、子供にも恵まれて。

大家族の中。

私は、静かな往生を遂げるのだ。

嗚呼、満足な一生だった。

最初は不幸なこともあったけれど。多くの子供達に恵まれて。みんな健やかに育って。

怪異になど、ならなかった方が良かった。

目が覚める。

私は怪異のまま。これが現実だ。

胡座を掻いて起きると、スルメを口に入れる。ゆっくりもむもむしていると、気付く。久しぶりに。

私の周囲に、多数の魔法陣が展開している。

ヒカリの奴、何かみつけたのかもしれない。

しばらくスルメを噛んでいると、魔法陣が全て消える。ヒカリが私と分離。久しぶりに会ったときと同じ。

あの、天女のような姿だ。

「どうした、険しい顔をして」

「今、検証作業をしていたの」

「検証作業?」

「結論が出たから」

嫌な予感しかしない。

私が顎をしゃくると、地面までヒカリが降りてきた。そして、ちょこんと、綺麗に正座してみせる。

いわゆる羽衣が、風もないのに揺れていて。とても綺麗だ。

「ろくでもない話なんだな」

「……簡単に言うと、九尾。 貴方は、終焉なの」

「終焉」

「何もかもを絞り尽くされて、何も残っていない存在。 それなのに、どういうわけか、まだ存在している」

これは、随分な言われようだけれど。

そういえば。

思い当たる節がある。

最後に死別した夫。その後、私は一度でも、男を欲しいとでも思った事があったか。性欲の類は怪異になってから無くなったけれど、それでも人肌が恋しいと思う事は時々あったのだ。

だが、それも、最近は極めて希薄になった。

なんと無しに、誰かが側にいてくれれば嬉しいと思う事はあるし。子供は好きだけれど。そもそも、新しく子供が欲しいと、思わないのだ。

「きっとあかねが貴方を欲しいのは、終焉の世界に、終焉でありながら生きている貴方が、何かの打破をもたらすと判断したからなんだよ」

腕組みして、考えてしまう。

私はそもそも、何故まだ生きている。

多くの夫に先立たれ。

子供達を、ただの一人も幸せにする事が出来ず。

そして今、完全に空っぽだとも宣言された。私が空気を操作できるのは、単純に私が中身空っぽのスカスカだからではないのか。

いや、それは帳尻が合わない。

私が怪異に傾いたときから、この力は使う事が出来た。

そうなると、私は。

何故、空っぽになった今も、生きているのか。

わからない。

ヒカリも、悲しげに、私を見ていた。

「それで、どうすればいい」

「……諦めないんだね」

「ああ。 結局私は空っぽかもしれないが、それでも怪異の不幸を見ているのはいやなんでな。 世界に翻弄されて、傾いたのが怪異だ。 私は、怪異と人、人は怪異という言葉の意味は理解しているつもりだし、このままあかねが世界を好き勝手にする未来だけはどうにかしたい。 それに、あかねだって、良い奴なんだ。 何に狂ってああなったのかさえ、突き止めれば」

どうにかしたい。

今の願いは、それだけだ。ヒカリはずっと黙りこくっていたけれど。やがて、小さく頷いた。

「方法は、一つだけあるよ」

「ん、聞かせてくれ」

「安倍晴明を打ち倒す」

簡単にいってくれる。

確かに、奴こそが今、全ての悪を掌握している存在と言っても良い。最悪の傍観者にて、マリオネットの糸を握る怪物。

しかも、おそらく一人の怪異では無い。

倒す方法は、正直想像も出来ない。

それに、倒した後、世界に与える影響だって、とてつもなく大きいはずだ。奴はこの国を裏から支配しているし、世界中の怪異にも影響力がある。簡単に殺す事が出来ないし、安易にそもそも殺してはいけないのだ。

だが、それも。あの絶望の未来を考えると、決断するしかない。

「方法はあるのか」

「最大の手札を用いるしかないね。 でも、その間、あかねちゃんにはずっと側にいて貰うことが絶対条件だけれど」

確かに、その通りだ。

ならば、いっそのこと。

あかねに、ある程度まで話して。安倍晴明との共同戦線に引きずり込むか。

トチ狂うまでは、あかねは本当に頼りになる味方なのだ。安倍晴明とやりあったら、どっちが勝つかは正直わからないけれど。しかし、確実に勝率は上がる。

問題は、安倍晴明が、黒幕のあかねと同じ方法を使える場合。

あかねが寝返ったら、その時点でアウトだ。

もう、チャンスは廻ってこないかもしれない。

カトリーナと平尾、牧島は、多分私と一緒に戦ってくれる。安倍晴明をどうにか引っ張り出し。

あかねと相互に干渉できないようにして。

なおかつ、四人だけで、奴と戦える状況を作れば。

面倒くさい。

そもそも、ステゴロは本当に苦手なのだ。平尾とカトリーナの近接戦闘能力と、牧島の式神をフルに使っても。普通の強化怪異には、まず苦戦するとみて良い。それなのに、安倍晴明とやりあったら、命が幾つあってももたない。

それでも、やらなければならない。

「作戦は、何か無いか」

「安倍晴明を構成する怪異を、全て割り出すのが第一」

「うむ」

「次に、安倍晴明を一カ所に集めるのが第二」

これが、大変に難易度が高い。

だが、此方にはIQ280の化け物がいる。何かしらの手を打てるかも知れない。

「第三に逃走を封じ、倒す。 この間、あかねちゃんから、絶対に目を離さない」

ヒカリが三段階で計画を話してくれると、なるほどと思えた。

少しずつ、希望が見えてくる。

後は、計画を、順番に実行していくしかない。

問題は、身内に裏切りものがいないかどうか。まあ、いないはずだが。ただ、意図しない裏切りものはいるかも知れない。

「少しずつ、計画を進めていこう」

ヒカリに対して頷くと。

まずは、私は。

牧島と平尾には、計画の一旦を話しておこうと思った。

それにしても。

ずっと憎んできた相手だったというのに。

本気で殺さなければならないと考え始めたのは、実はこれが最初だ。

安倍晴明。

奴との決着は、意外なところで、つきそうだった。

 

                             (続)