焼け火箸の上で
序、暗雲出現
北海道の各地で、調査が進められている。おそらく敵が潜んでいるのは地中。だから、杭を打ち込んで、振動の反響から、構造物を探す手段に出たのだが。どうにも、上手く行かない。
登録されている建物しか、反応しないのである。
術式で、誤魔化しているか。
もしくは、登録に嘘があるか。
いずれにしても、専門の調査チームは、お手上げだと肩をすくめるばかり。私も、せっかく此処まで絞り込めたのに、此処で終わりなのかと思ってしまう。
他の対怪異部署メンバーも、落胆している様子だ。
「もう一度、一から探し直しなのか」
呻いたのは安城。
式神も、一日中飛び回っているが、成果を上げられない。
かなり、敵の場所は絞り込むことが出来たのに。
どうしても、最後の一歩が、踏み込めないのだ。
苛立っていると、あかねが来た。険しい顔をしている。
「また、芦屋祈里が現れました」
「今度は何処だ」
「四国です」
「……ぐぎぎ」
歯ぎしりして、頭を抱えて地団駄を踏む。
隣で牧島が、何か妙な生物でも見るような目で、私の奇行を見ていた。わかってやっているのだから、正しい反応だ。
後でプリンをあげないといけない。
「これより向かいます。 後はお任せします」
「今度こそ仕留めるつもりか」
「……やれるだけやってみます」
芦屋祈里は、ここ一週間で、二度姿を見せた。今回で三度目だ。
岐阜の次は北関東。そして今回は四国。
その度に、自衛隊の特殊部隊は、兵員を割かれる。出現地点の調査をしなければならないからだ。
陽動だとわかっていても、どうにも出来ない。
このもどかしさ、伝わりづらいのが口惜しい。
あかねが行くのを見送ると、私は一旦宿舎に戻る。既にあの総力戦から三週間と少しが経過している。
エクソシスト共と騎士団の連中も、既に到着はしているが。
奴らも独自のルートで調査を勝手にしていて。しかも此方同様、成果は上がっていないらしい。
ナンバー一桁の使い手は五人。
一度引き上げたナンバー3が合流して、この数になったらしいのだが。どちらにしても、次にまともに戦って、全滅しない保証は無い。
せめて情報の連携だけでもしてくれれば良いのだが。
向こうはそれさえ拒否している。
宿舎に戻ると、服に掛かった雪を払う。
転がると、さっそくスルメを口に入れるけれど。一緒についてきた牧島が、てきぱきと湯を沸かし始めた。
カトリーナが、台所に。
何か作ってくれるのだろうか。
「うどんでも作ってくれるのかな?」
台所から返事はない。
お湯が沸いて、ヤカンが小気味の良い音を立て始める。
あくびをした私の所に、温かいふきんが差し出された。顔でも拭いて、気分転換しろと、言う意味らしい。
気分転換はいいから、だらだらしたいのだけれど。
しかし、もうどれだけ時間が残っているのか、わからないのも事実。それに、最悪の場合は。
今のうちに、少しは此奴らと、話しておいた方が良いのかもしれない。
平尾が戻ってくる。
「金毛警部、有益な情報です」
「ん。 聞かせてくれ」
用意されているテーブルに着くと、あくびをしながら、手を温かいふきんで拭う。
平尾は体中に雪を積もらせていたが。殆ど寒そうにしていない辺り、鍛え方が違うと言うことなのだろう。
「幾つかのコンビニで、証言が得られました。 姿形は偽装していましたが、恐らくは芦屋祈里かと思われます」
「……でかした」
やはり彼奴らも、物資はそれなりに補給しなければならない。おそらく移動中に、物資を買い込んでいったのだろう。
姿を偽装すれば大丈夫だと思ったか。
この辺り、組織としては甘いとことがある。もっと本格的な訓練を受けた連中なら、絶対しないミスを幾つも犯している。
「場所を地図に出してくれるか」
「はい。 日時もほぼ特定できています」
「有能だな、お前は。 こんな所に廻されなければ、捜査一課でエースになれたかもしれないだろうに」
「本官も最初は不満でした。 しかし、今はこの部署で働けていることを、誇りに思っています」
そう言ってくれると嬉しいが。
しかし、その言葉に、後どれだけの時間、報いることが出来るだろう。
とにかく、敵の居場所さえ特定できてしまえば、後は突入作戦を実行できる。
平尾が持ち帰った地図を確認すると。どうやら、導線が見えてきた。これは、居場所を更に絞り込めるかもしれない。
「安城を呼んできてくれ」
「わかりました。 直ちに」
平尾が宿舎を出て行くと。
カトリーナが、台所から戻ってきた。
きつねうどんを作ってくれたのだ。温かいきつねうどんは、腹に染み渡る。ちなみに、別に私は、いなり寿司は好きでも無いし。油揚げもしかり。
あれは迷信だ。
まあ、食べ物をそなえられて、嬉しくないといえば嘘になるが。
それに、好きではないとはいっても。嫌いだと言うことではないのだ。
しばらく、三人でうどんに舌鼓を打つ。
平尾はすぐに戻ってきたので、カトリーヌが平尾の分と、安城の分も温める。安城はテーブルを囲んで少し窮屈そうに座ると、おもむろにきつねうどんに手を付けた。
「女の手料理を口にするのは久しぶりだ」
「お前、妻帯者だろ」
「俺のかかあはな、いわゆるキャリアウーマンで、殆ど家でもあわねえよ。 手料理なんて、10年も喰ってねえや」
子供も、両親を嫌っていて。特に長女は、最近は安城と顔を合わせても、口もきいてくれないという。
忙しくて、家にも帰れない日も多く。
家政婦を雇って、子供の世話を任せていたことも多かったという。
当然、レジャー施設に夫婦で子供を連れて行くことも出来ず。
それどころか、約束を反故にすることも多かったのだとか。
「専業主婦やら専業主夫やらが良いとは言わないが、忙しすぎるのと結婚するなよ」
安城が釘を刺したので。
そこにいる皆は、苦笑いするしかなかった。
咳払いすると、一足早く食べ終えた平尾は立ち上がる。
「この地図を確認する限り、更に絞り込んでの聞き込みが出来そうですね」
「気を付けろ。 あれだけ活発に芦屋祈里が陽動を始めている。 それだけ敵の動きも激しくなっている、ということだ。 思わぬ反撃に出てくる可能性も小さくない」
「わかっています。 危なくなったら、救援を呼びますので」
吹雪の中、平尾は出て行く。
真面目な奴だ。
もっとも、あのガタイで強面だ。真面目で有能である事なんて、求める異性はあまり多くはいないだろうし、もてることは今後もないだろう。
牧島が、絞り込んだ地図をじっと凝視する。
「金毛警部」
「んー? どうした」
「これから、少し大きめの術式を使って見ます。 ひょっとしたら、相手の居場所を絞り込めるかもしれません」
「……やってみろ」
カトリーナが、無言で手伝いを開始。
安城も、言われて、道具を持ってくる。
私は側で見ている。
もう、手を貸さなくても、牧島は一人で動けるとみて良い。あの引っ込み思案で臆病だった子が、随分と成長したものである。
床に置かれた紙には、既に陣が書かれている。
てきぱきと用意されていく祭壇。
準備が終わったので、邪魔になってはいけないと、部屋の外に出る。安城はと言うと、食事をごちそうになったと言い残して、宿舎を出て行った。
術式を開始する牧島。
神道式のものだから、玉串を使って、祝人も複雑だ。
だが、もう手も口も出す必要はないだろう。
スルメを口にれると、宿舎を出る。
外は凄い吹雪だが。
流石に若い娘二人が頑張っているのだ。私がダラダラし続けるのも、気が引ける。外に出ると、スマホから連絡を入れる。
入れる先は。
少し前に、連絡先を確保した、ギュンターだ。
「九尾の狐か」
不機嫌そうな声。
ギュンターも、ようやく私と口をきいてくれるようにはなったが。やはり、奴にとって、私はまだデーモンなのだろう。
声には、強い警戒がにじんでいる。
「其方の方はどうだ」
「上手く行っていない。 科学的、術式によるもの、あらゆる探査を続けているが、どうにも成果が上がらない。 本当にこの北海道に、敵は潜んでいるのだろうな」
「本当だ。 此処以外にはあり得ない」
「ならばもう少し探索を続けるが。 ただな、教皇庁にいる星読みが、おかしな事を言ってきている」
星読みか。
確か占星術の類とバチカンはあまり仲が良くないと聞いたことがあるのだが。裏側では、強力な予言を為す存在を飼っていても不思議では無いか。
話の続きを促すと。
どうやら、事態はあまり面白くない方向へ、確実に転がっているらしいと判断できた。
星読みによると。
今年の春、世界そのものに、絶望的な破滅が到来するという。
「今までも、二度の世界大戦や、水爆実験、キューバ危機の時などに、大きな危機を知らせる予言があったそうだ。 しかし今度のものは、それらとも桁が違うという」
「それは恐ろしい」
「予言の回避は出来る。 とにかく、春だ。 後二月も猶予はないと見て良いだろう」
「わかっている。 それならば、もっと連携を強めるべきではないのか」
少し黙り込んだ後。
ギュンターは、検討すると言い残して、通話を切った。
順番に、他にも心当たりを潰して行く。
団は、必死に有用な情報を探して、北海道中の怪異を探して廻ってくれているけれど。新しい情報は、無し。
酒呑童子は。
連絡が、またつきにくくなっている。
彼奴め、何をしているのか。舌打ちすると、私は通話を切った。
後も、各地の顔役に、順番に連絡を入れていく。
これでも、団や酒呑童子も知らない人脈も、幾つも持っているのだ。1000年を生きてきたのだから、それも当然。
だが、それらの人脈を駆使しても。
どうにも、有益な情報は出てこない。
しばらくして、あかねが芦屋祈里と交戦状態に入ったという連絡が来る。押し気味に戦いを進めているという事だけれど。
それも、いつまで保つか。
敵の手札は、まだまだ底が見えない。
あかねが芦屋祈里を倒せたとしても、敵の組織を、どれだけ弱体出来るのか。正直、想像も出来なかった。
不意に、スマホが鳴る。
連絡してきたのは、誰か。吹雪を避けて、宿舎の軒下に入る。
見た事も無い番号だ。
さては、常に番号を変えている安倍晴明か。
しかし、予測は外れた。
「やあ、九尾の狐」
知らない声だ。
しかも、合成音声。
私は即座に、周囲に空気を展開。奇襲を仕掛けてくる可能性もあるし。空気そのものを拾えば、後で解析も出来る。
だが、すぐにそれは無為とわかる。
どうやら、機械的に作った合成音声だと、即座に結論が出たからだ。
「何者だ」
「世界を変えようとする者」
「今回の事件の黒幕か」
「そうともいえるな」
これは驚いた。
まさかとは思ったが、黒幕が直接接触してくるとは。録音機能はオンにしているが、周囲にも展開する。
手招きして、周辺警備の対怪異部署のメンバーを呼び寄せる。
吹雪で少し聞き取りづらいとはいえ、充分に聞こえるように、音量も調整した。
「どうやってこの番号を知った」
「君は自分のパーソナルデータを隠していないだろう。 他にも色々知っているよ。 事件解決のたびに、引っ越しをしているそうじゃないか。 それも、明らかに治安が悪い地域の、安アパートばかり選んで」
「良く知っているな」
「夫の数は今までの合計で五人。 産んだ子供の数は十一人。 いずれも最後まで一緒にいることが叶わず、その全てと悲劇的に別れることになった」
まあ、この辺りは当然か。
私も今まで隠していないし、色々なところで話した事もある。まあ、情報をばらまいたつもりはないが。
酒宴などで話した事が、そのまま伝わったりした事もあるのだろう。
「それで、私のことを良く知っておられる貴様が何用か」
「そう敵対心を剥き出しにしなさるな」
「当たり前だろう。 お前のせいで、苦労に苦労を重ねて作り上げたこの世界の怪異の権利が、踏みにじられようとしている。 多くの怪異が血涙を流して作り上げてきたこの世界の怪異の地位が、打ち砕かれようとしている」
「それは、所詮人間主導の世界での話だろう」
そう来るか。
だが、それは予想していたことだ。
それに、私だって、わかっている。
怪異が人間から生じる以上。
怪異が人間より強くなってしまう世界では、確実に巨大な歪みが生じてしまうのだ。恐らくは、それこそ、世界を壊してしまうほどの。
「怪異は人から生じる。 怪異は人、人は怪異というくらいでな。 だからこそ、怪異の力は、人よりも弱いくらいで、丁度良いんだよ」
「本当に、そうだろうか」
「そうだ。 だから私は、今もこの仕事をしている」
「まあ、それは別に構わん。 今回は、提案がある」
何が仕事か。
周囲では、対怪異部署のメンバーが、様々な術式を駆使して、色々な情報を拾い上げている。
だが、敵もさるもの。
明らかに、情報を拾わせていない。
周囲の悔しそうな表情が、それを裏付けているが。しかし、そもそも捜査という奴は根気だ。
些細な事から、情報を得られる可能性も高い。
これは、好機なのだ。
「人間共を裏切って、此方に来ないか」
「断る」
「怪異を裏切るつもりか」
「あいにくだが、私は常に怪異のために動いている。 実際、私は未だに怪異の顔役として、認められてもいる」
即答した私。
少しの空白を置いて、今度は私が仕掛ける。
「今の質問でわかったが、お前人間だな」
「ほう? 何を根拠にそういうのかね」
「怪異だったら、今のような発言は出ない。 怪異を道具としてしか考えていない人間だからこそ、出る発言だ」
相手が黙る。
これは、どうやら図星らしい。
そうなると、やはり。安倍晴明の言葉が、脳裏をよぎる。
正体が、絞り込めてきた。
「くだらない事はさっさと止めろ。 誰のためにもならん」
「少なくとも、此方についた方が、お前のためではあると思うがな、九尾の狐」
「さっきも言ったはずだ。 立場を変える気は無い」
「そうしてお前は、人間共に良いように使われ、そしてやがて捨てられるというわけだ」
脳裏に。
何か、とても嫌な音がした。
思い出してはいけない事を、思い出そうとしていないだろうか。
何か、とても大事な。でも、思い出してはいけない、あのことは。捨てられた。誰に。どうやって。
「もう忘れたのか」
「何の、事だ」
「お前は安倍晴明に夫を殺されたと思い込んでいるようだな。 複数の怪異から、証言が出ている」
「……それがどうかしたか」
別に秘密でも何でもない。
前々から、他の怪異にも話した事がある。此奴の正体が、私が思っている通りだとすれば。
当然、リサーチもしているだろう。
「本当に、全員がそうだったのか」
「何……」
「やはり忘れているようだな。 いや、意図的に、思い出さないようにしているのか」
「まて、何のことだ」
いつのまにか。
精神的な優位は、逆転していた。
冷や汗が流れてくる。此奴は、何を言っている。私が結婚した男は、合計で五人。その全員が、安倍晴明に、直接的か、もしくは間接的に殺された。
その事実に。
変わるはずがない。
「違うな。 お前は今、夫は五人だったと思っているだろう」
「……っ」
「芦屋の一族を乗っ取ったお前の子孫は、誰の子だ?」
ぞくりと。致命的な悪寒が走る。
電話が切れた。
おそらく、相手は目的を達成したと思ったのだろう。私は、真っ青になったまま、その場で身動きできずにいる。
「金毛警部?」
誰かが呼びかけている。
私は、多くの子供達を不幸にしてしまった。殆どの場合は、安倍晴明による闖入が原因だった。
だが、何か、忘れていないか。
本当に私は。
夫全員を、安倍晴明に殺されたのか。
記憶の中で。
何か、黒い蛇が、鎌首をもたげようとしていた。
1、乱戦の果てに
今回は、自衛隊の対応が早い。
芦屋祈里だけなら、自分たちで仕留められると思ったのかも知れない。周囲からひっきりなしにライフル弾が飛んでくる。
かなり腕が良い狙撃手を集めている様子だ。
徹底的に狙撃して、芦屋祈里の防壁を突破するつもりなのだろう。流石に苛立ってきたが、まだまだ。
諏訪あかねが来てからが本番だ。
今回連れてきている強化怪異は三体。
以前のような、結果として捨て駒として使ってしまうような真似はしない。あの後、見上げ入道に言われたのだ。
出来れば、怪異のことを、使い捨てと思わないで欲しいと。
切実な言葉だった。
今、芦屋祈里は、難しい状況の中、組織の中で重要なポジションを占めている。見上げ入道を離反させるわけにも、粛正するわけにもいかない。
土蜘蛛の上で、目を閉じて、周囲に気を配る。
他の強化怪異二体は、結界の中でじっとして、言われたとおり動かずに、時を待ってくれていた。
そろそろか。
此処は、四国の山の中。
狙撃戦をするには、木々が多すぎるが、敵はよくやっている。
諏訪あかねがそろそろ攻めこんでくるとしても。その前に、かなり芦屋祈里の力を削る事に成功しているとも言えた。
待つのが、とても長く感じる。
「来たようです」
土蜘蛛の声。
顔を上げると、確かに気配が近づいてきている。飛行機で北海道からここまで来て、そこからは式神を使うなり、加速の術式を使うなりして、一気に迫ってきたとみて良いだろう。
術者としては、奴の方が上。
それは何度かの激突で、嫌と言うほど思い知らされた。
逆に言えば、だからこそ、打つ手はいくらでもある。何度も何度も、相手が上だからと言って、遅れは取らない。
相手の方が強い場合には。
相応に、出来る事があるのだ。
「よし、一本ダタラ」
「此処に」
荒々しく頭を下げたのは、猪の姿をした怪異。
猪笹王とも呼ばれる、神に近い存在。
一本ダタラは、鍛冶士を怪異化したものと言われていて、類型が世界中にある。有名なサイクロプスも、この類型だ。
その更に原型には、猪の姿をした神もいる。
この一本ダタラは。
古いアーキタイプに近い姿に、強化怪異になると同時に変わったのだ。恐らくは、神に近い存在になったから、だろう。
「突撃。 道を開け」
「承知!」
体重七百キロを超える巨体がうなりを上げ、結界を飛び出して突撃開始。
流石に周囲にふせている狙撃班が色めきだつ。猪笹王の仕事は、ただ道を開くだけ。その後を、一直線に抜ける。
もう一体連れている強化怪異は、がしゃどくろ。
此方も巨大な骸骨の怪異だが。近年作り上げられた怪異である。ただ、その圧倒的な巨体と威圧感。何より防御の術式を得意としていることが、今回連れてくる決め手となった。
「抜けるぞ」
土蜘蛛とがしゃどくろと一緒に、諏訪あかねと定距離を取りながら、路をばく進。
驀進できるように、此奴らを連れてきたのだ。
諏訪あかねは、追いついてこない。追いつけないようにしているのだから、当然である。
途中、スマホを確認。
GPSを使って、位置情報を見ながら、上手に諏訪あかねの追撃を防ぐ。前の方に、自衛隊の戦車部隊が布陣しているのを確認。
時速六十キロで動きながら、数キロ先の的に適中させる九十式戦車が六両もいる。
「一本ダタラ、下がれ」
「承知!」
「がしゃどくろ、防壁全開」
前を横切るように移動しながら、がしゃどくろに防御を展開させる。
一斉に、九十式の滑空砲が火を噴いた。
狙いは恐ろしく正確で、全弾が初撃から防壁に全部命中する。流石の練度だが、しかし。怪異が弱い時代は、もう終わるのだ。
煙をぶち抜いて、姿を見せる土蜘蛛と、私。
その私を守るように、肋骨を伸ばして、防壁を展開しているがしゃどくろ。
見せつけるように、彼らの前を、通り過ぎていく。
第二射、第三射も効果無し。
高笑いしながら。
祈里は、戦車隊の前を通り抜け、射程外に出た。
諏訪あかねは、追いついてきているが。今の時点では、式神も奴自身も、定距離を保ったまま。
まだ、しばらく引きずり回す。
山の陰から、不意に姿を見せたのは。
AH64アパッチロングボウ。
現在、間違いなく世界最強の戦闘ヘリだ。
装備しているチェーンガンが威圧的に回転し、機銃弾を雨霰と浴びせてくる。飛行速度も相当で、併走するように飛びながら、連射を強かに叩き込んできた。防壁の負荷が揚がっていくのがわかる。
自衛隊も、本気と言う事だ。
地雷が、炸裂。
下からも負荷が来る。
「負荷上昇。 このままだと、貫通されます」
「練度が高いな。 だが、予想済みだ」
そろそろ、切り札を使うか。
アパッチに向けて、掌をかざす。術式発動。
乱気流に、もろに戦闘ヘリを巻き込む。きりもみ回転する風にもてあそばれるアパッチだが。
運転手は絶倫の技量で機体を立て直す。
ただし、立て直したときには。
もう、芦屋祈里は、射程外に逃れているのだ。
また一つ、高笑い。
ただし、がしゃどくろの負担が大きくなってきている。続いて飛来するのは、トマホークミサイル。
米軍が使っている、高精度誘導能力を持つ、巡航ミサイルだ。
これは、単純な力で組み伏せる。
がしゃどくろに力を送り、防御の能力を極限まで強化。そのまま、山々の間を走り抜けていく。
着弾。
爆炎を斬り破り、抜ける。
第二射、第三射。
一発が一億を超えるミサイルが、次々無駄になっていく。芦屋祈里は、ただひたすら高笑いを続けて。
遠くにいる偵察機が、此方が笑っている様子を収めているのを承知の上で。
更に、ミサイルを防ぎ抜いて見せた。
さて、そろそろか。
足を止める。そして、全力で反転。
いつの間にか、諏訪あかねの気配が消えていた。つまり、先回りしていた、という事だ。既に、充分な力が充填されている霊具を手にすると、機能発動。
あんな強敵、わざわざ好きこのんで相手にする必要はない。
さっさと、空間転移して。
芦屋祈里は、北海道に逃れていた。
薄暗い穴蔵の中に戻ると、芦屋祈里は千早が蒸れるなと思いながら、部下達を解散させる。
今回の陽動は、犠牲を出さずに達成。
そして、自衛隊を更に振り回してやることにも成功。いや、あの様子だと、多分在日米軍も攻撃には加わっていただろう。
がしゃどくろをみると、消耗がかなり激しい。
「結構やられたな」
「敵の攻撃精度が、高かったせい」
「そうか」
巨大ながしゃどくろの頭蓋骨を撫でてやる。ゆっくり喋るこの巨大な骸骨は、人間の時、とても気が優しい巨漢だった。
怪異に傾いた経緯も知っている。
強化怪異にはなりたくなかったようだ。だが、強化怪異に変わった今は、黙々と、仕事を果たしてくれていた。
ただ、性格的に、他者を攻撃するのは無理かもしれない。
無理に戦わせる必要はない。守りにだけ徹せさせれば、それで良いだろう。
トンネルを歩いて、パーソナルスペースに。
とはいっても、小さな部屋だ。
シャワーはあるが、それだけ。それも、毎日使うような贅沢は避けるようにと、管理しているフードの影から言われている。
だから陽動に外に出たとき、近場のホテルにまず一泊して、シャワーを浴びるのが、最近のマイブームになっていた。
軽くシャワーを浴びて、汗を流す。
服を着直す。
戦闘時では無いから、千早では無い。
芦屋祈里が部屋を出ると、見張りをしていた大入道が、目を剥いた。
「き、奇抜なTシャツですね」
「ん? そうか。 安売りでリーズナブルだったのだが。 それに見ろ、じつに格好良いぞ」
「芦屋様がそう思うのであれば、何も言いません」
どんびきしている様子の大入道。
まあ、別に良い。
どうにも世間知らずなところがある事は、芦屋祈里も承知している。芦屋の当主になるために、他の子供が遊びやらファッションやらに夢中になっている間、ずっと血のにじむような修行をしていたのだから。
当主になった後は、好き勝手に過ごすことも出来るようになったけれど。
着物や千早などは高級品をもっているが。
自分が買ってきた服を普段着として纏っていると、どうにも周囲からおかしな目で見られるようなのである。
今回着ているTシャツは、英語で色々な単語が書かれていて格好いいと思ったのだが。
まあ、別に良い。
胸の中央に書かれているドーナツという単語が、大入道を驚かせたのだろうか。
自衛隊を振り回し、あの諏訪あかねも良いように遊んでやった後だ。気分が良い。
しばらく、気楽な気分のまま、トンネルを見て廻る。
最終兵器の様子は。
並んでいる硝子容器の中。もう、三歳児くらいまで成長した、未来の最強強化怪異が、膝を抱えていた。
呼吸器を付けられ、カテーテルを淹れられているが。
既に怪異に傾いている。
体から零れているのは妖気だ。
見かけは殆ど人と変わらなくても、既に立派な怪異である。
これに、強化怪異とするべく、処置を施して。最終的には、性能を極限まで引っ張り出す。
あの憎き九尾を。
兵器として、こき使える。
こんな痛快なことがあろうか。
そして技術が完全に確立した後は。芦屋祈里も、怪異へと傾いて。世界を支配する側に廻るのだ。
科学者達は忙しく動き回っているが。
何しろ、此処の事実上の統括者である芦屋祈里を、邪魔者扱いはしない。ただ、迷惑そうに見ているので、とりあえず席を外す。
まあ、芦屋祈里も、科学の方はそこまで詳しいわけではない。
科学は科学者に。
餅は餅屋と同じ理屈である。
しばらくうろうろと穴蔵の中を見て廻ったが、退屈もいい加減募った。
自室に戻ろうかと思った時。
不意に、闇の中から、影が浮き上がる。フードの者だ。
「芦屋祈里。 普段着でくつろいでいるようだな」
「ええ。 主は今まで何処に」
「九尾の元へ行っていた」
目を細める芦屋祈里。
声の雰囲気が違う。
一瞬、詩経院の作った影かと思ったのだが、おかしい。そういえば、毎回、同じ声を聞いたことが無い。
幾つか、この男の正体については、仮説があるが。
まだ、結論は出ていなかった。
「九尾の所に?」
「奴を配下に加えたいと思ってな」
「……無駄でしょうね」
「無駄であったよ。 ただし、収穫もあった」
促されて、奧に。
小さな部屋に案内される。倉庫かと思っていたのだが。小さなちゃぶ台があった。それを出してくる、フードの影。
向かい合って座ると。小柄な怪異が、茶を淹れてくれた。
河童の一種だ。
「そも、九尾については、どれほど知っている」
「奴が垂れ流した情報はあらかた。 それに、一族が伝えたものも全てですが」
「そうか。 では、これは知っているかな。 奴の夫になった人間は、五人ではなかった」
「……は?」
初耳だ。
そんな話は、聞いたことが無い。
そもそも、である。
今の芦屋の家を乗っ取った、祈里の先祖は。およそ六百年ほど前に、九尾によって恐怖と絶望の淵に叩き込まれた。
その時の九尾の夫。
つまり、先祖の名前もわかっている。他の夫の名前も、全て判明している。九尾が、たどってきた歴史も。
「それは、嘘でしょう」
「嘘では無いさ。 そもそも、おかしい事がある。 九尾はどちらかと言えば、子煩悩で、最後まで面倒を見ることが出来なかったとしても。 子供には自分なりに愛情を注いでいた。 九尾が今の部下である牧島や、昔の部下である諏訪あかねにそそいでいる感情を見ても、そうは思わぬか」
「……」
何を言いたいのか、わからない。
目を細めた芦屋祈里が、極めて不機嫌になっている事に、おそらくフードの影は気付いたのだろう。
だが。
次に息を呑むのは、祈里の方だった。
フードを降ろした。
その顔を、見てしまったからだ。
「あ、あなた、は」
「私の名前は」
その後の音が、どうしても聞き取れない。
だが、わかってしまった。
どうして毎回声が一致しないのか。それどころか、気配さえも。詩経院などと言う小物を使って、毎回代理を立てていたのは、何故なのか。
どうやって、自室に戻ったかは覚えていない。
はっきりしているのは。
とんでもない事に、足を突っ込んでしまった。
それだけだ。
震えが全身を覆う。
今まで、怖いなどと感じたことがなかった芦屋祈里だが。今日、人の狂気という、この世でもっとも恐ろしいものを、間近で見てしまった。全身を虫が這い回るような違和感と嫌悪。
そして、絶望。
手を貸す相手を間違えたのか。
世界を彼奴が支配したら。
一体、どうなってしまうのか。
翌日。
また、仕事が来る。
同じように、陽動だ。
現実問題として、一番手強いのは対怪異部署では無い。瞬時に核で此方を焼き尽くす可能性をもつ、在日米軍だ。
自衛隊もしかり。
対怪異部署の諏訪あかねは難敵中の難敵だが。
それも、水爆の前には霞んでしまう。
だが、水爆でさえも。最終兵器の前には、塵芥も同然。あと少し時さえ稼げば、全ては終わるのである。
フードの影は、会議に出てきている。
此奴の正体を、見上げ入道と詩経院に知らせるべきか。一瞬そう考えてしまったが、止める。
此奴だからこそ。
この世界そのものに、直接喧嘩を売ることが出来ているとも言えるのだ。
「次は鹿児島にて陽動を行って貰う」
「承りました」
連れていく人員は、前回と同じだ。
ただ、あの諏訪あかねが、何度も同じ手を喰うとは思えない。更に切り札を増やしていく方が無難だろう。
土蜘蛛に、先に札を何枚か渡しておく。
そして、空間転移。
桜島の近くに転移を終えると、近場のビジネスホテルをさっさと予約。潜り込んで、シャワーを浴びた。
ぼんやりと、熱い湯を浴びる。
あの、主と思っていた者に、誘われたのは二年ほど前。その頃から、様々な思惑が、絡んでいたのだろう。
そして今。
思惑が一つになって。
矛盾だらけの世界を焼き尽くそうとしている。
二年前に起きた、芦屋への接触は、文字通りこの事件の、枝葉の末端。それこそ数百年も前から、悲劇は始まっていたのだから。
シャワーを止めて。しばし裸のままぼんやりする。
戦士として、術者としても。鍛え抜いてきた体。全ては、一族を隆盛に導くため。例えオーストラリアに逃れていた一族が全て滅亡したとしても。今の時代、クローンを用いて、どうにでもなる。
ぼんやりとしたまま、タオルで体を拭くと。
半裸のままベッドに転がって、ぼんやりと天井を眺めた。
勝てるのだろうか。
勝ったところで、どうなるのか。
あのフードの影が、今更ながらに正体を見せてきた理由は。おそらく、芦屋祈里はもう不要と判断したからだ。
芦屋祈里がいなくても。
計画は動く。
最後まで、矢のように。
だから、モチベーションを根こそぎ奪ってしまっても問題ない。そう判断したから、あれは。
正体を見せたのだ。
歯ぎしりしたくなる。
そんな事で、死んでたまるか。これでも、世界で屈指の実力を持つ術者だ。エクソシスト最強のギュンター卿を退けた実力は伊達では無いのだ。諏訪あかねには正面からやり合っても勝てないが、それも今だけ。
強化怪異に変われば、あんな奴。
赤子の手でも捻るように、粉砕してくれる。
だから、それまでは生き延びなくてはならない。今度も、負けるわけにはいかないのだ。
いつの間にか、眠っていた。
目を擦りながら起きたのは、ドアを叩く音に気がついたからだ。土蜘蛛が、外で何か言っている。
何だろう。
パジャマから、千早に着替えながら、気付く。
鏡に、あり得ない者が、映っている。
矢を番え。
此方に向けている、諏訪あかね。
瞬時に、眠気が、消し飛んでいたが。同時に、術式を展開する暇も無く、八幡太郎の矢の直撃を受けて。
部屋の壁を突き破り、外に投げ出されていた。
土蜘蛛が飛び出してきて、背中で受け止める。
盛大に吐血するのがわかった。
どうして、わかった。
ここに来ることも。ホテルを事前に取ることも。それだけじゃない。完全に偽装して、わからないようにしていた。
そもそも、泊まる部屋まで偽装していたのに。
「警察を甘く見すぎましたね、芦屋祈里」
諏訪あかねが、いつの間にか、ビジネスホテルの屋上にいた。更に次の矢を番えるのが、はっきり見える。
此方は空中。
ダメージがひどすぎて、逃れる事も、防ぐことも出来ない。
がしゃどくろは、遠く。
だが、猪笹王がいた。
屋上に姿を見せ、必死に諏訪あかねに飛びかかる猪笹王。だが、振り返りさえしない。突進が、途中で止まる。
式神が、軽く抑えるようにして。
猪笹王のチャージを、止めたのだ。
落ちていく中。見る。
矢から、指を離す諏訪あかねの姿。
そうか、今まで出現した場所の周辺を徹底的に洗って。陽動作戦の前に、ビジネスホテルをとっている事を、どうしてか突き止めたのか。
そして、何かしらのパターンが、いつの間にか構築されていて。それに、気付かれたのかもしれない。
いや、違う。
「祈里様!」
土蜘蛛が、必死に祈里を庇う。
無数の矢が突き刺さり、絶叫しながら燃え上がり、消えていく。
嗚呼。
陽動作戦の指示を出していたフードの影は、おそらく警察の能力をわかった上で。適当なタイミングで、芦屋祈里を消すつもりだったのだ。
更に、とどめの矢を番える諏訪あかね。
地面に叩き付けられる。
ダメージを緩和する術式なんて、ほぼ使う余裕も無かった。
血だまりが拡がっていく。
一体、何のための人生だったのだろう。薄れていく意識の中で、そう思う。そして、不意に、頭の中で、灯が点った。
このまま、死んで良いのか。
いや、そんなはずがない。
死んで、たまるか。
絶叫を、いつの間にかあげていた。放たれた矢を、右手が砕ける覚悟で、無理矢理はじき返す。
落下のダメージで、滅茶苦茶になっている体を、無理矢理引きずって。
空間転移した。
がしゃどくろと猪笹王は置き去り。
暗がりの中に空間転送した芦屋祈里は、必死に呼吸を整えながら、無理矢理にダメージを術式で回復させていく。
乾いた笑いが漏れてきた。
周囲には、何も無い。
何も無いのだ。文字通り。
今まで見てきたのは、何だったのか。此処は完全に放棄された、ただの廃洞窟。多分旧日本軍が基地として使ったのだろうけれど。
今はもう、もぬけのからだ。
何時からか、おそらく。
あの化け物に、幻覚を見せられていたのだ。そして何度も行き来する間に、その幻覚の正体に、気付けたはずなのに。
いつの間にか抱いた固定観念から。
何もかもが、あほらしくなってきた。
壁に背中を預けて、ダメージを必死に回復。内臓はどうにか出来たが、骨がひどい。少しずつ、冷静になってきた。
何が、起きていたのか。
いくら何でも、全てが幻覚と言う事は無かっただろう。実際、強化怪異は外に連れ出していたのだから。
では、何が。
まさかとは、思うが。
いや、奴の正体を考えれば、あり得る。そして、奴は当然、芦屋祈里が生き延びたことを、知っている筈だ。
それならば、手も打ってくるだろう。
死んだ土蜘蛛は良い面の皮だ。
彼奴は、良い奴だったのに。どうして死ななければならなかったのか。芦屋祈里は、この組織に属して、始めて。
自分の不覚を、呪っていた。
諏訪あかねは、芦屋祈里が消えた地点を確認して、小首を捻っていた。
殆ど血が流れた後がない。
かなり大型のビジネスホテルからの落下だったのだ。しかも、身を守る術式を使う暇は無かったはず。
血ごと、転移したのか。
いや、その割りにはおかしい。そもそも、地面にダメージが殆ど残っていない。コンクリとは言え、人間が高高度から叩き付けられば、それなりのダメージが生じるのだから。
式神が、無言で降りてくる。
ぐしゃぐしゃに畳まれた猪を、ぶら下げていた。
一本ダタラの成れの果てである。
がしゃどくろは、自衛隊の飽和攻撃の前に、ついに消滅した。
充分な戦果。
その筈なのに、何だろう。この胸騒ぎは。なんで、このような、異常な違和感が、這い上がってくるのだろう。
猪笹王を、式神がコンクリの床に置いた。
まだ息がある。
「一つ聞きたいのだけれど、良い?」
「……くたばれ」
「そういわない。 貴方は芦屋祈里に従って戦っていた。 しかし彼女はね、今回謀殺された可能性がある」
何故、謀殺とまで言い切ったのか。
それは、不意を突いたときの、祈里のあまりにも無防備な姿からだ。
陽動も完全にパターン化していて、次の襲撃先を読むことさえ容易かった。それなのに、あの切れ者の芦屋祈里は。
まるで自分がぬるま湯にでも浸かっているかのように、隙だらけだったのだ。
それこそ、牧島でも、不意を撃てたくらいに。
「悔しくないの、彼女が死ぬのに」
「何を、言っている」
「仇を討ちたくないの?」
じろりと、潰れかけた眼球が、あかねを見る。
消えていく猪笹王。だが、見逃さない。最後の一瞬、不安と混乱に、一本ダタラは苛まれていた。
何か思い当たることが、あったという事だ。
すぐに北海道にとんぼ返りする。
芦屋祈里に致命傷を与える事は出来なかったが、おそらく向こうでは動きがあるとみて良いだろう。
案の定。
北海道に戻る否や、師匠から連絡がある。
「あかね、今ついたのか」
「何かありましたね」
「当たりだ。 奴らのアジトの一つが見つかった。 中はがらんどうだったが」
がらんどう、か。
すぐに、現地に足を運ぶ。
そして、鑑識が集っているのに気付いた。
「此処に、かなりの血痕がありました。 それも昨日今日ついたものです」
「近くを警戒!」
あかねが声を張り上げたので、驚いた鑑識の一人が、ルーペを取り落としていた。
周囲を、見て廻る。
廃墟とは言え、使われていた形跡がある。ただし、綺麗さっぱり、何もかもが運び出された後だ。
これは、一体何が起きた。
おそらく此処は、芦屋祈里が使っていた本拠に間違いない。だが、奴以外の幹部は、別に移ったとみて良いだろう。
見捨てたのか。
あれほど有能な人材をか。
師匠が来る。
険しい顔をしていた。
「芦屋祈里に、致命打を浴びせたそうだな」
「はい。 恐らくはあの血痕は、芦屋祈里のものかと」
「……そうか。 気になる事があったから、聞いておきたかった」
何が、だろう。
だが、聞き返すことは、しなかった。どうにも嫌な予感が、ふくれあがる一方だったからだ。
おぞましい何かが、動き始めている。
それはきっと、春よりも早く。
この世を滅亡の縁に叩き落とすはずだ。
2、蠢く蟲
不可解すぎる状況から、一晩が過ぎて。
周辺を探しても、芦屋祈里は見つからなかった。吹雪の中、警察犬まで動員されたのだけれど。
芦屋祈里は、文字通り煙のように消えてしまったのだ。
私はあくびをしながら、宿舎でスルメを噛む。おかしな事が多すぎて、本当に一体、何が起きているのか。
芦屋祈里は死んだのか。
出血量から考えて、無事で済むとは思えないという。少なくとも、相当な深手を負っているのは確実だ。
しかし、あかねの話を聞くと。
どうにも、現実と、あかねが見た戦いの経緯に、差異があるとしか思えないのだ。
たとえば、鹿児島のビジネスホテルの側。
何故、落下した芦屋祈里の血痕は其処になかったのか。
殆ど落下のダメージを緩和できなかったのだ。その時点で、即死か、それに近いダメージを受けているはずなのである。
一方、空間転移したと思われる北海道のアジト。
其処も、異常が多い。
膨大な血痕。
運び出された機材。
そしていない芦屋祈里。
文字通り、何か得体が知れない化け物が蠢いて。何もかもを、書き換えて行っているようにしか、思えなかった。
強化怪異も、連日の戦闘で、相当数があかねに倒されたはずだが。
敵の組織は、何を考えている。
横になってスルメを囓りながら、状況を整理しようとずっと試みているのだけれど。どうしても、結論が出ないのである。
此処まで訳が分からない状況は初めてだ。
直感が働いたくらいでは、どうにもならないとしか思えない。
宿舎に平尾が来た。コートの肩には、雪が積もった跡がある。
「周辺の聞き込みを終えましたが、怪しい車列や、荷物を移動する姿を見た者はいないようです」
「ありがとう。 少し休んでくれ」
「金毛警部は」
「私は頭使ってるだけだからな。 疲労も大した事は無いさ」
事実、既にスルメを四パックも消費している。ここに来てからスルメの消費量が三倍になったほどだ。
考え事は多いけれど。
足を使って捜査をしているわけでも無いし。
更に言えば、頭を使って、それが実ってもいない。
上半身を起こすと、テーブルの上に、将棋の駒を並べていく。
敵の残り戦力。
芦屋祈里は、生きていても死んでいても、もう敵の手駒としては考えなくても良いだろう。
つまり残りで戦えそうなのは、強化怪異と、見上げ入道。それに、黒幕か。
黒幕については分からない事も多すぎる。
仮説を裏付ける証拠もない。
今は放置するしかない。
強化怪異達も、指揮官がいないと動けないはず。戦いに不慣れだろう詩経院は、それこそどうでもいい。
問題は見上げ入道だが。
彼奴にしても、それほど優れた指揮能力があるとも思えない。芦屋祈里が戦闘不能か、戦線離脱をした事で、一気にプレッシャーは半減したとも言える。
問題は、黒幕だ。
いつの間にか、スルメが切れていた。
辺りを探すが、無い。
ため息をつくと、コンビニに買いに行こうと腰を上げかけて、気付く。また、スマホが鳴っている。
酒呑童子からだった。
「今、何処にいやがる」
久しぶりに連絡を入れてきたと思ったら、随分である。
此方からの連絡は、取ろうとさえしなかったくせに。
呆れている此方に気付いたのか。それとも、他の理由からか、酒呑童子は、声を荒げていた。
「無事なんだろうな」
「無事だが、どうした」
「すぐに警戒しろ。 俺は、もう駄目かもしれん」
「……何があった」
空気が変わるのが、わかった。
酒呑童子は、呼吸を整えると。
しばし、時間をおいた。周りを確認でもしているのだろうか。
「俺はとんでも無い思い違いをしていた。 茨城が裏切っていたんじゃない。 そもそも、裏切りものは、俺自身だった」
「どういう意味だ。 詳しく聞かせろ」
「もう誰も信用できん。 敵は、認識をおかしくさせる。 周囲にいるお前の部下は、本当にお前の部下か」
不意に、声が聞こえなくなる。
部下を呼ぶと、逆探知を指示。
これは、本格的にまずいかもしれない。
いきなり、通話が切られた。部下が調査を開始。逆探知は、そう時間を掛けずに、出来る筈だ。
しばし、不安に掴まれながら、待つ。
結果が出た。
「青森の八戸からです」
「すぐに向かってくれ。 何か、とんでも無い事が起きたと見て良い」
「わかりました。 直ちに」
認識異常。
周囲が、正常に把握できなくなる、という事か。
しかし、それにも限界がある。私のように、常に周囲に力のある空気を張り巡らせて、術式による攻撃を警戒している場合には、効果が薄いはず。
そもそも、此処には対怪異部署の精鋭も揃っている。
そうそう、幻術の類に、遅れを取ることは無いはずなのだが。
しかし、万が一だ。
周囲に力ある空気を展開して、徹底的に調べる。二時間ほど掛けて念入りに周囲を洗い尽くすけれど、おかしな所は、ないとしか思えない。だが、酒呑童子の様子は異常だった。放置は出来ない。
彼奴は、馬鹿だが。
こんな時に、冗談を言うような奴では無い。
しばし、不安なまま過ごす。
念には念を入れて、何度も調べ直すが。やはり、異常など無い。
だとすると、余計におかしい。何が起きているのか。
連絡があったのは、一時間ほど後の事だった。逆探知で調べた場所を強襲した青森県警が、連絡を入れてきたのである。
内容をまとめた平尾が、説明してくる。
「血だらけのスマホが見つかりました。 周囲には夥しい血痕が」
「芦屋祈里の時と同じか……」
「今、県警の鑑識が周囲を調査中です」
平尾によると、スマホが見つかったのは、平凡な事務所ビルの一室だという。勿論周囲に戦闘の痕などは無い。
抵抗した形跡さえ無かった。
ただ、其処に忘れたかのように。
血だらけのスマホが放置されていたというのだ。
ますますおかしい。芦屋祈里の時と、あまりにも状況が酷似している。一体何が起きているのか。
団に連絡を入れる。
つながらない。
まさか、奴も何かしらの相手にやられたのか。
そんなはずは無いと思っていると、向こうからかけ直してきた。
「どうした」
「酒呑童子がやられた」
「何っ!?」
「お前も気を付けろ。 どうにも敵の得体が知れん。 何をしでかしてくるかどころか、そもそも何者なのか」
仮説はあるが、まだ口に出せる段階では無い。
それに、この能力は。
あまりにも異常だ。
「わかった。 それよりもだな。 一つ、妙なことがある」
「何だ、妙なこととは」
「対怪異部署の様子を見に行ったが、どうにも変だ。 居残りの部隊が、引っ越しを始めている」
はあと、思わず声を上げていた。
そんな予定はないはずだ。そもそも対怪異部署は、本庁の中でも、霊的防衛に関して最適の場所に作られている。
何より地下への入り口をおさえているという意味で、非常に重要な場所だ。
引っ越すなど、あり得ない。
「わかった。 すぐに調べる」
「お前さんも気を付けろ」
「……わかっている」
通話を切る。
何だ、この収まりの悪さは。
幼い頃、聞かされた理不尽極まりない怪談話を思い出す。そういった話では、どうしてか主人公が怪異に殺される。
その話を誰が伝えたのか、わからない。
嘘八百だというのは少し考えれば分かる事なのに。恐怖が心をわしづかみにして、離してくれない。
怪談話とは、そういうものだと後でわかってくるけれど。
しかしその後、理不尽さを覚えて、苦笑いしてしまう。しかし、怪談話の当事者だったら。
とても、理不尽さを、笑い飛ばすことなど出来ない。
あかねに連絡を入れる。
「今、どうしている」
「現場検証中です。 どうも非常に大規模な機械類が運び込まれていたらしく。 痕跡から、構造を分析しているところです」
「そうか。 実はな」
対怪異部署が引っ越ししている様子だと言うと、流石のあかねも絶句した。
すぐに芦田に連絡をとると言われたので、任せる。彼奴から話した方が、ずっと話も早いだろう。
私は起き出すと、平尾と一緒に宿舎を出る。
借りてあるハイエースに乗り込むと、牧島がドアを叩いた。
「何処へ行かれるんですか」
「丁度良い。 カトリーナも連れてこい」
「わかりました。 すぐに」
ぱたぱたと走り去る牧島の後ろ姿を一瞥。
本当に、あれは牧島か。
いや、そんな風に疑っていたら、きりが無い。呼吸を整えると、あかねにかけ直す。流石に動きが速いあかねは、もう芦田への連絡を終えていた。
そして、ある意味予想通りで。
想像を絶する事を、告げてくる。
「驚かないでください。 芦田さんが失踪しました」
「そうか。 それで、引っ越しの話は」
「警視総監からの指示だそうです。 すぐに止めさせましたが、どうにも要領を得ませんで」
留守居の連中も、決して腕が劣るわけではない。当然で、強化怪異による襲撃も予想されるからだ。
その彼らが言っている事が。
それぞれ食い違っているというのだ。
そもそも、対怪異部署のメンバーなら、あの場所がどれだけ重要かは分かっている筈なのだ。
それがハイハイと疑問にも思わず、引っ越しを始めてしまう。
異常事態だとしか言いようが無い。
「文字通り、狐につままれた気分です」
「一度、対怪異部署の全員を集めるぞ」
「何かおかしな事が」
「ああ。 酒呑童子が失踪した。 今回の不可解な対怪異部署本部の件もある。 何より、対怪異部署の指揮官である芦田が失踪したのに、まるで騒ぎになっていないことが、あまりにもおかしすぎる」
考えたくは無いが。
あまりにも巧妙に、誰かが凶悪な幻術でも使っているとしか思えない。
どうせ、調査は一日二日では終わらない。
一度本部に全員戻って、対策を練り直すべきだ。問題は平野だが。そういえば、彼奴も。動きが、おかしくないだろうか。
まず、北海道に来ているメンバーを、集合させる。
其処で様子を確認してから、本庁に戻り。
対策を練り直した方が良いかもしれない。
ハイエースに、牧島とカトリーナが乗り込んでくる。ドアを閉めると、徹底的に、ハイエースの外を術式で確認。
力ある空気で、ハイエースそのものを包んで。
何もおかしな事がないことを確認してから、皆に言う。
「心して聞いて欲しい。 敵の黒幕の正体が何かはまだ分からない。 しかし、この場にいる全員が、タチの悪い幻覚を見せられている可能性がある」
「そんな、まさか」
平尾が言うが。
私の様子を見て、黙り込む。
牧島は慌てて祝人を唱えて、周囲を確認し始めたけれど。彼女も青ざめたまま、首を横に振る。
異常は無いと、告げているのだ。
「考えたくはないがな。 私やあかねでさえ、だまくらかされるほどの、とんでも無い次元の幻術かもしれない」
「何かの間違いでは。 疑心暗鬼に陥っている可能性があります」
そう言ったのはカトリーナだ。
確かに、普段だったらそう思うところなのだけれど。今回は、関係各所の動きがあまりにもおかしいのである。
本庁にさえ、その魔の手が及んでいる可能性が高い。
もし、そうだとすると。
最悪、既に此処にいる全員が、周囲をまともに認識できていないのかもしれないではないか。
想像するのも恐ろしい。
「とにかく、北海道に来ている対怪異部署のメンバー全員を集めて、対策会議を行うことにした。 異常があったら、すぐに報告して欲しい」
そして、しばらくは、ハイエースの中で過ごす。
そう告げると、牧島は不安そうに、眉根を下げる。
「警部、一体何が起きているんですか」
「そんな事は、私が知りたい」
会議の準備が整う。
借りている宿舎から離れて、近くの公民館を無作為に選んだ。一応体育館があって、対怪異部署の全員が入る事が出来る。
周囲に、可能な限りの式神を展開。
平野は来ている。
安城も。
二人とも、小首をかしげていたが。本庁で起きている引っ越し騒ぎを聞くと、愕然としたようだった。
「んな馬鹿な。 彼処から引っ越そうなんて考える奴、いる筈がない」
開口一番に、安城がそう言うけれど。
あかねが事実を冷静に指摘すると、青ざめて口ごもる。あり得ない事が、事実として起きてしまっているからだ。
事実を優先するのが、刑事としての基本。
対怪異部署でも、それに変わりは無い。
「これから、全員に、話をして貰う。 手分けして、それぞれの最近のスケジュールと見聞きした事を、集めて私の所にもってきて欲しい」
「集計は本官が」
平尾が挙手して、てきぱきと書類を配り始める。
不安そうにしている皆の中。
深沼が、挙手した。
「幻術を受けているとしたら、一旦全員で、破邪の術式を組んでみますか」
「それもいい。 手が空いているものは、めいめい破邪の術式を展開してくれると助かる」
「……わかりました」
野心満々の警部補は。
それでも、流石に今回ばかりは、出世のダシにはできそうに無いと判断したのだろう。黙々と、作業に取りかかる。
私はと言うと。
さっそく集まってきたアンケートに、目を通していく。
予想通りというか、何というか。
空恐ろしい結果が、ありありと現れていた。
明らかに、皆の認識が違っているのである。
ある者は、既に敵の本拠を二度にわたって急襲し、その度にもぬけの空になっていたと認識していた。
勿論、そんな事実はない。
放棄されたと思われる施設を、この間ようやく発見したところだ。
またある者は、あかねがこの北海道から、一度も動いていないと認識していた。勿論、そんなはずは無い。
芦屋祈里の陽動攻撃にあわせて、何度も北海道を離れたのだ。
その度に強化怪異を仕留めたり、捕縛したりして戻ってきている。
認識が、私と近い者もいた。
しかし、経緯が誰も、微妙に違っている。
平野や安城さえも、認識がおかしくなっている。それだけではない。あかねさえも、細かい点では、私と違うところがあった。
私が、全面的に正しいとは、思わない方が良いかもしれない。
これは、全員が。
何かしらの狂気じみた幻覚に巻き込まれて、異常な世界をさまよっていると、判断するべきでは無いのか。
結果を公表すると、皆が呻く。
明白すぎるほどの結果だ。細かい記憶違いや、ミスという次元では無い。明らかに、何かおかしな認識を、外からすり込まれてしまっているのだ。
「馬鹿な。 我々全員が、踊らされているというのですか」
そう呻いたのは、この中でも古老クラスの警部補だ。
肘秋と言う変わった名字の彼は、ベテラン中のベテラン陰陽師である。勿論、幻術を使う相手との戦いも、豊富に経験している。
その彼に到っては、対怪異部署に北海道に来てから四回も、強化怪異が襲撃してきたと認識していた。
しかも、私が撃退したというのだ。
出来る訳が無い。
ステゴロが大の苦手の私が、強化怪異を相手に無双なんかできる筈がないではないか。そう指摘して、ようやく異常に気づく。
他にも、話していて。おかしいと気付いた者が、出始めていた。
「これは、予想以上にやばいな」
安城が呻く。
平野に許可を貰って、一旦本庁に戻ることを、あかねが即決。全員で、大急ぎで空港に向かう事になった。
道警のメンバーは、何事が起きたのかと、聞いて来たけれど。
確認しなければならない急用が出来たとだけ告げて、さっさと空港に行く。飛行機に乗って、すぐに東京へ。
まずは向こうに戻ってからだ。
あちらには、専門の装備もある。徹底的に全員を確認してから、もう一度北海道に戻る。
北海道に敵本拠があることは間違いが無い。
今は、体制の立て直しが必要なのだ。
飛行機の中で、不安そうにしている牧島が。私の隣で、青ざめながら言う。
「私も、金毛警部が、強化怪異を鯖折りしてやっつけたと思い込んでいました」
「出来るわけないだろう。 鯖折りされるだけだ」
「……本当に、何が起きているのか、わかりません。 どうしてみんな、こんなに認識が違ってしまっているのか」
とにかく、今は戻る事だ。
飛行機が、空港に着く。
無言でタクシーをとり、本庁へとんぼ返り。
留守居のメンバーは、ばつが悪そうに、私を出迎えた。あかねは本隊を率いて、すぐに来る。
最初に到着した私がまずしたことは、地下の確認。
書類どころではない。
捕まっている怪異達は無事だ。
しかし、無事では無いものがあった。
ヒカリの牢が、もぬけの空になっているのである。話を聞いてみると、よりにもよって、私が連れ出したというではないか。
勿論、そんな事実はない。
やられた。
もうこれは、何を真実と思って良いのかさえわからない。アリバイがある事を示すと、現場を見ていた全員が、顎が外れたかのように呆然としていた。
彼らを責めるのは酷だ。
調べて見ると、私にさえ、おかしな事実認識が幾つも浮かび上がってきたのだ。何かの術式か能力によるものだとしたら、正体は何だ。一刻も早く突き止めないと、何も出来ないまま、世界は終わる。
今までに無い恐怖が、背中を這い上がってくるのを。
実感として、私は覚えていた。
まるで無数の蟲が。
我が物顔で、脳の中を這い回っているかのような嫌悪感が。ずっととまらなかった。
3、おぞましき現実
各地に出張していたメンバーも含め。対怪異部署の全員が、本庁に戻ってきた。事情は、大まかに話してある。
そして、アンケートを採ってみると。
やはり、おかしい。
九州や四国に出張していたメンバーさえもが、認識異常を起こしているのだ。
あかねが、結果を見て呻く。
「師匠。 これは、敵の能力は、日本全土に及ぶほどのもの、ということでしょうか」
「もしそうだとすると、いにしえの神々でさえ及ばぬな」
そんなのが相手になったら、文字通り勝ち目など無い。
だが、それでもやらなければならないのが、つらいところだ。
すぐに会議を招集。
芦田警視正はいないが。平野警視は幸いにも無事。
彼に音頭を取って貰って、状況の説明から行う。おかしな事に、北海道から此処に戻ってきた経緯さえ、認識異常を起こしている者がいた。あれだけ幻覚や、外部からの術式干渉の調査を、徹底的に行ったのに。
これは、あまりにも異常すぎる。
「対応策を思いつかない」
安城がぼやく。
私だって、尻尾を巻いて逃げたいくらいだ。
こんな事が出来る奴は、想像できない。多分あの安倍晴明だって無理だろう。これでは、世界を相手に戦っているようなものだ。
「一度、休憩を取る」
たまりかねて、平野が提案。
全員が会議室の外にぞろぞろと出て行った。私もスルメをもむもむしながら、平尾と牧島、カトリーナと一緒に話し込む。
「これはどうにもならん。 組織戦を行うどころじゃないぞ」
「ヒカリちゃんが心配です」
牧島が悲しげに言う。
直接面識はないが、話はしていたのだ。ヒカリが心配なのは私も同じだけれど。しかし、どうしてだろう。
奇妙すぎるくらい、現実感がない。
本当にあの子はさらわれたのか。
そう考えたくなるほどなのである。
「本官は術式には詳しくないのですが」
平尾が前置きする。
皆が注目する中。忠実な巨漢は、一度咳払いすると、言う。
「これだけの数の世界的な術式の大家が揃っている状況です。 その全員に気付かれず、幻覚なり認識異常なりを起こさせるというのは、可能なのでしょうか」
「不可能だ。 本来はな。 だから、皆が混乱している」
「発想を転換してみてはどうでしょう。 これは、術式なり幻術なりによって引き起こされた状況では無いと」
なるほど。
しかし、それもまた考えにくい。
全員が、それぞれ個別に、勝手な事実を認識したという事になるからだ。
あかねが来る。
「警視庁でも、大混乱が起きています」
「うちだけではないのか」
「はい。 中には、対怪異部署なんて存在しないという幹部さえいました。 他の皆に反論されて、それでも認識できなかったようです。 私が術式を実際に展開してみて、それでようやく納得しましたが」
「もう何が起きても不思議では無いな」
考えたくは無い。
絶対に考えたくない事だが。
ひょっとすると日本中。下手をすると、世界中の全存在が。認識異常を起こしているのではないだろうか。
もしそうだとすると、黒幕の能力によって引き起こされた事態だった場合。
もはや、打つ手が存在しない。
神話の至高神レベルの力だからだ。
しかし、それはそれでおかしい。
だとすれば、最終兵器など、作る必要もないのだから。
黒幕の力だけで、この世界を征服することさえ可能だろう。或いは、制御が難しい力が暴走しているとか。
だがそれは楽観論だ。
楽観論にこの状況で逃げ込むのは、自殺行為に等しいだろう。現実に、世界のバランスを崩壊させる兵器の完成は、間近に迫っているのだ。
平尾が、挙手。
「アンケートを本官が精査します。 認識異常がいつ頃から起き始めたのか判明すれば、或いは事態の収拾を図る鍵が得られるかもしれません」
「ひいっ!」
いきなり、鋭い悲鳴が上がる。
会議室の外で話をしていた我々を見た、警官の一人だ。私を指さして、ぶるぶる震えている。
彼も対怪異部署の一人。
あかねが歩み寄り、なだめながら、話を聞く。
恐怖に凍り付いている彼は。
私を指さしたまま、言う。
「白面金毛九尾の狐! ほ、本庁にまで!」
ぴんと来る。
ひょっとして、最終兵器が既に完成して。それにより、世界が滅びに瀕しているとでも認識しているのか。
彼をあかねが連れていく。
さきまでは正常だったのに。
もう、いつ何が起きても、不思議では無い。
仮眠室で、しばし休憩を取る。
胃が痛いと言うよりも。思考が停止しかねない。このままでは、本当に。何もせずとも、対怪異部署は瓦解して。
人類は、全滅しかねない。
自棄になった在日米軍が、北海道を更地にする勢いで、ICBMでも打ち込み始めたら、もはやなすすべがない。
電話が来る。
酒呑童子から。そんな馬鹿な。彼奴は、行方不明になったはずだ。
スマホを操作すると。
通話の向こうにいたのは、酒呑童子では無かった。
「九尾の狐。 そろそろ此方に来る決心がついたか」
「嫌だね」
「強情なことだ。 どのみち、既に理解しているんだろう。 お前達はもはや、組織的行動さえ取ることが出来ない。 そのまま変動し続ける現実に耐えられず、押し潰されていくだけだ」
「だったら、その力を使って世界征服でも何でもしたら良いだろうに。 どうして私にこだわる。 最終兵器やらを、作ろうとする」
相手はこたえない。
だが、私も冷や汗が流れっぱなしだ。
今は話している此奴は。
この異常を、意図的に引き起こしている可能性が高い。最悪、神話の主神クラスの実力者と、喧嘩する事になりかねないからだ。
「お前は何者だ」
「何者だと思う」
「仮説はあるが、まだ確信は出来ない」
「そうだろう。 状況証拠が揃わないからな」
くつくつと、笑う声。
その声に覚えがある。
ますます仮説が、確信に近づいていくけれど。どうしても、私は。これ以上踏み込むことができなかった。
最後の警告だ。
通話先で、奴が言う。
降伏しろ。そして、怪異が生きられる世界のために、力を振るえと。
「答えはノーだ。 お前が言う怪異の生きられる世界などと言うものは、いびつの上に成り立つ砂上の楼閣だ。 そんなものの構築に、つきあっていられるか」
「まだ勝ち目がないとわからないか」
「わからないね」
不意に、通話が切られる。
気が短くなったのかと思ったが。いや、違う。
嘆息すると、起き出す。仮眠をいつまでも取っていられないだろう。疲れはまるで取れていないが、動かなければならない。
平尾は。牧島は。カトリーナは。あかねは。
探している内に、非情に不安になってきた。先の男。私を見て震えていた彼奴。みんな、あんな風に認識異常を起こしたら。
乾いた音。
この音の正体は、知っている。
銃声だ。
ゆっくり、振り返ると。
そこにいたのは、震え上がった様子の、安城。
此奴まで、此処までひどい認識異常を起こしていたのか。
そして、じわりと拡がってくる熱。怪異だから、即死はしないけれど。背中から腹に、弾丸が抜けたのだ。
「九尾の狐! 例え勝てないとしても、俺は屈しない!」
更に、撃たれる。
今度は弾丸が太ももに食い込んだ。
たまらず倒れる私に、馬乗りになった安城が、安全装置を外して、引き金に指を掛ける。
狙いは、正確に、頭に向いていた。
不意に、安城が吹き飛ばされる。
タックルを浴びたのだ。タックルを浴びせたのは、カトリーナ。
「金毛警部!」
悲痛な牧島の声。
私は無言のまま、ハンカチを取り出すと、股を縛る。怪異だから、このくらいでは死なない。元から弱いから、あまり意味はないけれど。
「泣くな。 この程度の傷、受けているのはいつも見ていただろう」
「でも! 安城警部に、撃たれるなんて!」
「何となくわかってきた」
「え……」
今、何が起きているか。
そして、もはやおそらく、殆ど時間がないことも。
「あかねを、呼んでくれ」
酷い痛みだ。
怪異だから平気だけれど、それでも酷くいたい。会議室に運び込まれて、其処で横にされた。
足の方の銃創は、中に弾が入ったままになっていた。
無言で指を突っ込んで、弾を取り出すと、捨てる。
人間だったら痛みに耐えられない行為だが。
まあ、怪異なのだ。これくらいの融通は利く。
あかねが飛び込んできて、青ざめた。撃たれたと笑いながら言うと、怒ることも悲しむこともなく。回復の術式を掛けてくれる。
牧島と二人がかりだから、楽になるのも早い筈だ。
そして、撃たれたショックからだろう。
やっと、わかった。
そう言うことだったのだ。
何だかわからないが、どうしてかダメージがひどい。一流の術者による回復の筈なのに、ほとんど回復しない。安城に撃たれたからか。あの弾、何か不思議な力でもこもっていたか。
あれ。
これ、本当にまずいかもしれない。
だから、言っておく。
言える内に。
「今までの異常も、何となく原因と理由がわかってきた」
「喋らないで」
「聞いてくれ。 おそらく、今。 多数の平行世界が、一つになろうとしている」
流れ込んできているのは。
他の世界の記憶だ。
もっとずっと早く、奴らが言う最終兵器が出来た世界もあったのだろう。だから、私が安城ほどの強者に怖れられている。
このクソザコぶりなのに。
「このまま行くと、おそらく複数の世界の記憶が一つになる。 それはきっと、今事態を動かしている奴の能力じゃない。 多分、強化怪異を作った事による、世界の歪みが顕在化した結果だ。 世界の法則が壊れる前に、一気に揺り戻しが来ているんだ。 事態を動かしている奴の狙いは、これだったんだ」
喋っているつもりだが。
聞こえているかは、わからない。
担架が来たらしい。口に呼吸器を当てられる。
牧島が泣いているのが見えた。
私は、何だろう。
何のために、生きてきて。そして、今。死のうとしているのだろう。いや、死のうとしているのか。
そんなのは、嫌だなあ。
漠然と、私は。
そう思った。
撃たれた師匠、金毛警部のベッドの横で、牧島はずっと泣き続けていた。容体は、かなり危険な状態だ。
何故、このような事に。
撃った安城は、この世界は彼奴のせいで滅茶苦茶になったと主張していて。独房から出せと叫び続けている。
諏訪あかねは、呻く。
師匠は、言っていた。
これは、平行世界から流れ込んでいる記憶だと。
そうなると、無茶苦茶な事も頷ける。ひょっとすると、だが。師匠が敵に協力している世界や、或いは。
下手をすると、自分が。
敵に協力している世界さえ、あるのかもしれない。
いや、それで間違いない。
今までの、敵の黒幕の動き。
明らかに此方の手札を読んでいた。
内部の協力者が誰か、どうしてもわからなかったのだけれど。それも、今ではわかる。協力していたのは。
多分、私も、師匠も、それに芦田も平野も。きっと酒呑童子や団、警視総監、安倍晴明、それらの皆だ。
平尾や牧島さえも、協力者かもしれない。
だから、こうも綺麗に敵は動く事が出来ていた。
手の内も読むことが出来たし。あまりにもスムーズに、陰謀を動かす事も。そして、いらなくなった道具を、的確に切り捨てることも出来たのだ。
師匠は命さえ別状はないが、当面目覚めそうにない。安城が撃ったのは、怪異に対して大きな効果を発揮する、特注のものだ。
か弱い怪異にそんなものを撃てば、一発でこの通りである。
即死しなかったことさえ、不思議なくらいだ。
安城ほどのベテランが、それを意図しないはずがない。つまり、強化怪異以上の化け物と師匠を認識して、撃ったのだ。
師匠が無理矢理弾を地力で摘出しなければ、もうとっくに死んでいただろう。多分本能的に、師匠は無茶をしたのだ。
平尾が来る。
流石にショックを受けたようだが。それでも、師匠に忠実な巨漢は。一呼吸すると、話してくれる。
「警視総監まで失踪したようです。 本庁は大混乱に陥っています」
「……おそらく、勝負が出来るのは、一回だけですね」
このままいくと。
更に混乱はひどくなる。
思うに、おかしな事は今までもたくさんあったのだ。この異常事態は、収束が近いから、なのだろう。
やるなら。
あかねと、師匠。
それに、強者と言えば、八雲。
彼奴の力は絶対借りたくないけれど。いないよりはマシ。
平尾と牧島。それにカトリーナ。
これだけの戦力で、敵に殴り込みを掛ける。
その後は、何もかもが、どうなっても知らない。とにかく敵の黒幕を、打ち倒すしかない。
安城はたよりにしていたのだけれど、あのようなことになってしまった。
警察のバックアップは当然受けられそうにない。自衛隊や在日米軍も、恐らくは同じだろう。
他のメンバーも、どれだけ協力してくれることか。
とにかく、身動きが取れる内に、出来るだけの事はする。
電話して、手配。
師匠を、北海道に移す。
正気かと言われたが、無論正気だ。此処に残していけば、多分近いうちに、高確率で殺される。
平行世界の記憶が収束しようとしている以上、安城のような動きに出てくる奴は、更に増えるはずだ、
平尾に、見張りを頼むと。
あかねは、地下に降りて、可能な限り強力な霊的武具を漁る。
ふと、背後に気配。
そこにいたのは。
血まみれの、芦屋祈里だった。
肩口を押さえて、頭からも血を流して。悲惨な有様である。思わず立ち尽くすあかねに。芦屋祈里は、苦笑した。
「見ての通りだ。 もはや戦う力は無い」
「何をしに来た」
「復讐をするつもりなら、手を貸す」
復讐、か。
生憎と、そんなつもりはない。
師匠は少し前から、考えをあかねに話してくれていた。そしてその考えがどうやら正しいらしいと、あかねも認識できている。
今、敵にしているのは。
世界そのものだ。
「空間転移装置は」
「使えるが、奴らのアジトはわからないぞ」
「……そう、でしょうね」
問題は、それだ。
今、連中が、北海道の何処にいるか。それさえ突き止めることが出来れば、反撃の狼煙を上げる事が出来るのだが。
時間がない。
春まで、待っている余裕が無い。
「心当たりはありませんか」
「無い。 恐らくはタコ部屋労働で作られた、旧軍の施設、ということくらいだ」
「!」
「何か、探し出す当てでもあるのか」
それがわかれば、或いは。
とにかく、今は一緒に動いてくれそうな面子を見繕う。牧島に師匠を任せて、対怪異部署に。
がらんとしていた。
腕組みして、苦笑する芦屋祈里。
「どうしたことだ、これは」
「多分、対怪異部署が丸ごと寝返った平行世界があったんでしょう」
「……?」
事情がわかっていないらしい芦屋祈里に、軽く説明。
そもそも芦屋祈里自身は、どうやってここに来たのか。代わりに聞いてみる。疲弊が激しい祈里は、とんでもない事実を確実に飲み込みながら、言う。
「私も分からない。 気がついたら、彼処の牢にいてな。 牢を無理矢理破って、出てきたのさ」
「セキュリティをあげなければなりませんね」
「まあ、怪異用の牢だったからな。 私も、出るのには苦労しなかった」
芦屋祈里は、目を伏せると言う。
黒幕の姿を見たという。
それは老人だった。
ただし、あまりにも、色々な姿が混じり合っていた。
あかねが予想したとおり。
ベースになっていたのは、恐らくはあかね。ただし、六十歳は超えているように見えたという。
平行世界で、あかねに何があったのだろう。
まだ二十代のあかねが。倍も老け込むような人生を過ごしたのか。それは一体、どれくらいの地獄だったのか。
もう、対怪異部署には頼れない。
師匠の元に戻る。
いつ、警視庁から、正式な捕殺命令が来るかもわからない。すぐに担架を押して、運び出す。
空路は駄目だ。
レンタカーを借りると、師匠を後部座席から押し込む。師匠が大好きなハイエースだ。大きくて、後部に担架を押し込むことは、難しくなかった。
最終兵器とやらができあがったら、もはや本当に勝ち目はゼロになる。
「牧島さん、回復は頼みます。 カトリーナさんも手伝って」
「はい!」
「私は車の守りを担当します。 その間に、手を貸してくれそうな人員に連絡をします」
「ならば運転は本官が」
芦屋祈里も乗り込んでくる。
ただ、疲弊がひどいので、自分で自分を回復するように指示。
ダメ元でエクソシストにも連絡を入れるが、駄目だ。通じない。既に消されたか、丸ごと寝返ったか、どちらかだろう。
連絡が来る。
失踪したはずの、芦田からだ。
「何処にいる!」
声は同じなのに、口調は極めて高圧的だ。
此奴、こんな風な声も出せたのか。普段は極めて弱気な印象しかなかったから、驚きである。
「その様子だと、平行世界の記憶を得ているようですね」
「ああん? 何を言っている! 連れだした重要参考人を戻せ! 今なら懲戒解雇で許してやる!」
「巫山戯るなよ、無能が。 その場でへそでも噛んで死ね」
不意に。
私が出した、地獄の底のような声と威圧感に。芦屋祈里さえもが、驚いて此方を見た。
相手が芦田警視正だということは、わかっているのだろう。
芦屋祈里に、空間転移装置を使って貰う。
北海道に、まず移動。
全ては、それからだ。
電話を切る。
私の殺気に当てられて、平行世界の記憶に毒された芦田は、黙り込んでいた。別にどうでもいい。
今ならわかる。
彼奴は、警視庁が、あかねを見張るために入れた監視役。勿論、安倍晴明の声も掛かっていたのだろう。
だが、それも今となっては、無意味な存在だ。人脈などでは役にも立ってくれたけれど、此処までである。
いずれにしても、これで警察は敵確定。
下手をすると、自衛隊と在日米軍も、此方の抹殺に動いてくるだろう。在日米軍は、おそらく邪魔な人間を消すための暗殺部隊くらいは持っている。これに関しては、噂で何度か聞いたことがあるが。
実物は本物のプロの筈だ。
出てくる前に、勝負を決めなければならない。
急いで、八雲に連絡を入れる。
あかねから連絡が来て、八雲は驚いていたが。軽く状況を説明すると、興奮に声が上擦る。
露骨すぎるほどだ。
「そりゃあいいな。 強い敵と戦い放題じゃねーか」
「合流地点はおって指示します。 すぐに北海道へ来てください」
「任せろ」
これで、戦力は少しだけマシになった。
次は、だ。
酒呑童子と団も、手を貸してくれるかもしれない。酒呑童子は行方不明になったが、芦田や芦屋祈里が戻ってきたくらいだ。いる可能性は高い。師匠に聞いていた番号をコールする。
連絡してみると、やはり出た。
酒呑童子に何が起きたかは、教えない方が良いだろう。ただ、平行世界の話は教えておく。
てきぱきと片付けていくあかねを見て。
芦屋祈里は、目を白黒させていた。
「私は、お前のような化け物とやりあっていたのか」
「? 貴方の戦闘力は、私に迫るほどでは無いですか」
「私は戦闘だけしか取り柄がない。 それなのに、それさえもお前に及ばない。 だというのに、お前はどうだ。 戦闘以外の事も、其処までハイスペックにこなせる。 化け物としかいいようがない」
悔しそうにうつむく芦屋祈里。
だが、今は。
構っている暇さえも、惜しかった。
吹雪の中を、平尾が行く。
電話が一段落したところで。ハンドルを握ったまま、声を掛けてくる。
「どうします、諏訪警部。 高速道路を使えば、おそらく即座に通報が行きます。 有料道路も危ないでしょうね」
「吹雪が出ている内に、敵の居場所を特定する必要があります」
「しかし、どうやって」
呻く芦屋祈里。
今いる戦力なら、生半可な相手くらいは、正面から叩きふせることが出来るが。戦っていたら、多分敵の本拠に突入する頃には、もう力尽きているはずだ。
敵は警察だけではない。
警察が敵に廻れば、多分陰陽寮も敵に回る。
個別の陰陽師はどうにでも出来るけれど。厄介な能力を持つスペシャリストはかなり多い。
そいつらが出てくる前に、勝負を決めなければならない。
「使いたくはありませんが、一つ手があります」
「すぐに、ご教授願いたく」
もしも、平行世界のあかねがベースになって、敵の黒幕が構成されているのなら。
一つだけ、致命的な弱点を抱えている。
そして、敵もそれを知っている。
師匠を、一瞥。
まだ意識が戻らない。牧島はフルパワーで回復を続けているけれど。出来れば、師匠の眷属がいる神社に行って、其処で一休みしたい。
それも、難しい現状が口惜しい。
「電波を傍受されると厄介です。 全員、携帯、スマホの類の電源を切ってください」
「わかりました」
「近場に神社があります。 其処にまず移動。 短時間だけですが、眷属と一緒にして、金毛警部の傷を回復させます」
先に、芦屋祈里から、空間転移装置の使用条件については聞いている。
警察が此方の位置を嗅ぎつけてくるまで、五時間程度だろう。それまでに、どうにか師匠を回復して。
それから、敵の本拠地に殴り込みを掛ける準備をする。
皆に、敵の本拠を割り出す手順について話す。
平尾さえ、絶句した。
「本気ですか、諏訪警部」
「邪法である事は承知していますが、他に手はありません」
「……」
気まずそうに、カトリーナを見る牧島。
芦屋祈里さえ、愕然としている様子だ。
「神社に移動。 時間が今は惜しい」
迷っている暇は無い。
総力戦開始まで、あと少しだ。
4、滅びの太陽
通話を切った酒呑童子は。
頭を振って雑念を追い払う。
諏訪あかねから話は聞いた。皆を疑っていて、本当に悪かったと思う。いや、疑っていたのは、正しかったのだ。
何しろ、自分を含めた全員が、敵に通じていたのだから。
疑心暗鬼を生じるどころではない。
これでは、勝負にさえならなかった訳だ。
それに、記憶が混濁している。ここ一週間ほど、何が起きていたのか、記憶が綺麗に抜け落ちているのだ。こんなことは初めてだ。
「茨城」
「はいはい」
「腕っ節が強い怪異を集めろ」
真正面からやり合ったら、弾よけにもならない事は承知している。
だが、特殊能力を上手に生かせば、敵の後方を翻弄することくらいは出来る。実際そうすることで、お庭番衆や、怪異を狩る連中ともやり合ってきたのだから。
団とも連絡を取る。
久しぶりだ。彼奴と。団三郎狸と、真正面から連絡を取って、連携するのは。
「話は、諏訪あかねに聞いているな」
「ああ、全て合点がいったよ」
「これから俺は、腕っ節が強い部下を集めて、警視庁に喧嘩を売る。 九尾も諏訪あかねもいない対怪異部署だ。 数日くらいは振り回すことが出来るだろう。 問題は、八岐大蛇だが」
彼奴だけは、出てこられるとどうにもならない。
怪異にとっては、核兵器と同じ相手だ。出てくるだけで、勝負が決まってしまうのである。
団が、意外な事を言う。
「一つ心当たりがある。 それだけは、どうにか抑えられるかもしれない」
「無理だけはするなよ」
「……どうせ放置していたら、全てが無駄になるさ」
通話を切られる。
これは、彼奴。
死ぬつもりかもしれない。
ずっと、九尾の悲惨な境遇を気に掛けていた。そして、どうにかして、救ってやれないかとも言っていた。
酒呑童子は、九尾が大嫌いだが。
奴の境遇にだけは、同情する。
さて、此処からだ。
九尾と諏訪あかねがどこまでやれるかはわからないけれど。一つはっきりしているのは。もう時間がないという事。
もしも彼奴らが失敗したら。
間違いなく、この世は終わりだ。
後ろ暗い世界から、怪異の地位向上をもくろんで、動いてきた酒呑童子だからこそ、わかる。
「準備、整いました」
「はええな」
有能な茨城が、声を掛けてきたのは、八時間後。
後は一斉に動かして、対怪異部署を振り回してやれば良い。話によると安城も出てこないようだし、丸五日くらいは振り回すことが出来るだろう。
嘆息すると、これで終わりかとも思いつつ。
酒呑童子は。
今までに例が無いほど、自分が糸を引く大規模な作戦を動かす事に。高揚も覚えていたのだった。
(続)
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