住処の攻防

 

序、いにしえの終わり

 

部隊を撤収させた芦屋祈里は、指示通りの場所に向かっていた。それは本州では無く、北海道である。

北海道の原野。

しかも、かなりの僻地。

冬場はマイナス三十度まで気温が下がる其処に、真の本拠地があると聞かされて。小首をかしげながらも、手持ちの道具類をまとめ、部下達と一緒に移動していたのだ。

公共機関も使うが、殆どはレンタカーや式神での移動を行う。

手持ちにある道具の中には、長距離テレポートを可能とするものがあるからだ。もっとも、一度の移動に六時間間隔を開けなければならないので、場合によっては飛行機を使う方が早い。

しかも事前に行った場所でないと使えない上に、一度転移すると同じ場所には一ヶ月以上移動できないと言うこともある。

そのため、電車を使って北海道に出向いてからは、以降はレンタカーを使う事にした。

芦屋祈里は当然成人している。

しかしながら、運転はとにかく下手だ。

その上今の季節は冬。

北海道の冬での運転は、非常に危険を伴う。途中二度事故を起こしかけてからは、見かねた強化怪異の一人が申し出て、運転を代わった。他の強化怪異は、そもそも圧縮されて小型化されているか。別のレンタカーに乗っている。

運転している強化怪異は、豆腐小僧。

江戸時代に創作された怪異だが。何より有名な怪異なので、アーキタイプとなり、多くの人間が傾いた。

小僧と言うだけあって子供の姿はしているが。

その辺りは、芦屋祈里の術式で外見を誤魔化している。

ちなみに中身は成人男性で、運転免許の取得も問題ない。

つまり、元々成人男性だったのに、子供の怪異になり。そして今は、大人に偽装されているという、妙な状態だ。

「運転はおいらがするので、芦屋様は周囲の警戒に集中を」

「す、すまんな」

思わず、謝ってしまう。

どうにもこの車の運転という奴は苦手なのだ。何でも良く出来る芦屋祈里だというのに、仮免試験で四回も落ちて、半年も掛けて免許を取った。それもマニュアルでは無くてオートマの方である。

その上苦手なことをある程度自覚しているため、滅多に車に乗らないことが禍し、更に下手になるという悪循環。

結局、典型的なペーパードライバーとなっていた。

呪術や戦闘に関しては誰にもそうそうは負けないのに。

「カーナビによると、この辺りから、殆ど店がなくなります。 物資は補給しておきましょう」

「そうだな……」

怪異を人間に偽装することは得意だが。

一応、危険を考えて、芦屋祈里自身が出向く方が良い。

ガソリンスタンドで補給をすませ、コンビニで買い物。手に食い込むコンビニ袋がとても重い。

つい最近、八十人以上を殺戮した戦闘の鬼とは思えない情けない姿だが。

これもまた、人の姿の一つだ。

物資を積み込んだ後、三台に分乗したレンタカーで、目的地近くに到着。

レンタカー屋に車を返すと、後は式神を使って、目的地まで移動する。今回利用するのは、巨大な百足の式神。

強化怪異を全員乗せて動くには充分なサイズがある。

ただそれほど速度は出ないので。穏行の術式を使って、慎重に行く必要がある。追跡されると面倒なのだ。

この国でトップクラスの術者でも。

何でもかんでも、好き勝手に出来ると言うわけでは無い。

専門分野以外は、むしろ何も出来ないことも多いのである。芦屋祈里は、その典型的な見本だ。

ようやく、目的地に到着。

吹雪がひどくなってきている。

周囲を念入りに確認。追跡はされていない。

何も無い原野に見えるが。

一角を温めると、地下への扉が現れる。勿論、木か何かの板にしか見えない。強化怪異に開けさせると、ひんやりとした地下への階段が姿を見せた。

凍結すると、外に出られなくなりそうだが。内側に入って見ると、幾つかの温熱装置が仕掛けられていて。内側から外に出るのは、困らない様子だ。

先頭に、戦闘が得意な強化怪異を歩かせ。

自分は、後からついていく。

「今まで、お前達はここに来たことが?」

「私があります」

挙手したのは、コウモリのような姿をしたやまぢち。海外で言う、吸血鬼に近い怪異だ。もっとも、吸うのは血では無く精気だが。

ぞろぞろと一緒に降りてくる強化怪異だが、一部は手狭では入れない。だから、術式で小型化して。他の怪異に乗ったりして、中に入ってくる。

最後の奴が戸を閉めると。

辺りは一瞬真っ暗になったが。

カンテラに火を付けて、明かりが周囲を照らし出す。

術式でも対応できるが、こういうときは文明の利器を使うのが当然のことだ。ちなみに、電球の類は見当たらない。

かなり深い階段。

降りていくと、剥き出しのコンクリートが、その内地面に変わる。

凄まじい怨念を感じる。

これは、壁の中に、死体が埋まっている。

「……タコ部屋労働だな」

近代史の闇を、芦屋祈里は口にしていた。

北海道の開拓史と切っても切り離せない、悪夢の労働。それがタコだ。主に戦前から活発化したもので、日本の各地からかき集められた様々な事情での経済弱者が、現在のブラック企業以上の悲惨な環境で使い捨てられていった地獄。

死んだ人間も大勢いた。

その死体が埋められているトンネルや道路は、今でもたくさん残っている。中には、生きたまま人柱にされた例さえあったらしい。

つまりこの施設は、政府か大企業が何かしらの理由で造り。

その後、放棄したものだったのだろう。

一番下まで降りると、其処はトンネル状の空間になっていた。かなり広い。点々と散らばっているのは、これは軍用品か。

なるほど。

多分これは、旧日本軍が、再起のために作った施設。

終戦とともに忘れ去られ。

そして、怨念だけが残った、悪夢の場所。

本拠地に相応しい。

確かに負の力が、みなぎるかのようだ。

更に言えば此処だからこそ。

人間の支配をひっくり返す、地獄の釜の蓋としても、大いに存在が期待出来るというわけだ。

「此方です」

トンネルの奧に案内される。

剥き出しの土になっている場所も多かったが。一部はコンクリで補強されている。恐らくは、爆弾を落とされたときのための対策だろう。ただし、中途半端な対策しかできなかったようだが。

点々としている軍需物資の中には、旧日本軍の兵器類も多い。

中には、名高い駄作戦車、チハの姿もあった。ただかなりひどい状態で、とても稼働しそうにはなかったが。

或いは、ソ連が進行してきたときのための、司令部として用いる予定だったのかもしれない。

「ほう……」

トンネルの左右にある小部屋。

幾つか、近代的な施設が持ち込まれている。

硝子容器の中に、裸の怪異が浮かべられていて。同時に、非常に強い血の臭気があった。勿論、人間のものだ。

強化怪異の作り方は知っている。

だからといって、何を言うつもりも無い。

最終的には、芦屋祈里も。強化怪異になって、新しい世界に君臨するつもりだからだ。

「現状の戦力に加え、合計二十三体が、新しい改造の途上です」

「日本の半分くらいは余裕で制圧できるな」

「流石に其処までは。 現状では、水爆を使われると勝ち目がないと聞いています」

先ほどから解説してくれるやまぢち。

直立したコウモリのようにひょこひょこ歩いている愛嬌のある姿とは裏腹に、どっしりした重い声だ。

部屋の一つに、白衣の研究者が集まっている。

おそらく、フードの影の集めて来た者達だろう。

彼らがわいわい言いながら行っているのは。恐らくは、採取に成功した、九尾からの再生計画。

どうやら既に、遺伝子の取り出しには成功。

芦屋祈里も、血を提供しているのだ。

さっさと完成させて欲しいものだ。

そして完成させ、強化怪異にした暁には。

あの腐れ忌々しい九尾を消し飛ばすことも、容易に出来るだろう。暗い怒りが立ち上ってくる。

この怒りを晴らすために。

一族は、今まで力を蓄えてきたのだ。

もっとも、この怒りは、継承したものだ。

継承したのは、小学校の時。

それまでは普通の家庭に暮らしていた芦屋祈里は、両親に呼び出され。そして、力と記憶を引き継いだ。

同時に、傑出した才能がある事を知らされた。

中学も高校も、表向きしか行っていない。その間、ずっと修行をしていたからだ。芦屋式の様々な呪術や、秘術を全身に叩き込まれ。

多くの兄弟達と争ったあげく、全てを蹴落とし、家督を継承した。元々長女には記憶と怒りが継承される仕組みになっていたというのも大きいだろう。元々の膨大な経験が、才覚の引き出しを容易にしたのだ。

以降は、偽装された戸籍を渡り歩きながら。闇の世界で、最強を謳われる陰陽師として活動し続けている。

理不尽な人生である。

これを晴らしたいとも思う。

何にしても、悪いのは九尾だ。

少しずつ形を為しつつある肉塊を一瞥。

思わず、暗い笑みが浮かんでいた。

「順調だな」

「大変に結構な話です」

最奥に到着。

強い気配がある。

どうやら、フードの影の本体がいるのは、間違いない様子だ。

先に来ていた詩経院が、恭しく頭を下げてくる。一瞥して、用意されているナンバーツーの席に着く。

少し遅れて、見上げ入道が来た。

というよりも此奴はもう先に来ていたのだろう。外で買い物をして、物資を補充していたようだった。

強化怪異達はめいめい散り、警備に戻る。

時々、なにやら専門用語で会話しているのが聞こえる。研究者達は、多分どこの大学でもやっていけない売れない教授や、或いは就職に失敗した院生などだろう。日本人だけではない。海外から招聘した人材もいるようだ。人種も様々である。

見上げ入道に、聞いてみる。

「我等が主は」

「今、瞑想中だ」

「ふむ……」

フードの影の本体が、百年以上前からこの計画を進めている事は、芦屋祈里も知っている。

うすうす、その正体にも気付いている。

だが、敢えて口にはしない。

クドラクは、芦屋祈里が黒幕を知っていると判断していた様子だが。それは、敢えて口にしなかっただけ。

実際には、うすうす勘付いている、くらいである。

ただ、芦屋の一族の中には、直接接触したものもいたらしいという話なので。その正体は、多分確定的だが。

しばし、時を置いて。姿を見せる、フードの影。瞑想が終わったのだろう。

長い間、ずっと日本の影を動いてきた者だけに。流石にガタが来ている様子だ。昔は相当に強かったという話だが、今はもう限界が来ている。

無理もないだろう。

あの安倍晴明と、ずっと渡り合い続けてきたのだから。

飄々とした怪物として知られる安倍晴明も謎が多いが。此奴についても、非常に謎が多い。

わかっているのは。

多くの名前と地位を渡り歩いて来た、という事。

そして決して表には出ず。

多くの戦乱を、影から動かして。この国を支配する好機を狙い続けてきた、ということだ。

席に着く、影。

驚くべき事に。気配は人間のものだ。

安倍晴明は、傾いて怪異になってから、この国の表側の中枢に潜り込み、今まで過ごしてきたが。

此奴は人間のまま摂理を超越し。

今では、化け物の中の化け物として君臨している。

皮肉と言うほか無い。

「さて、皆の衆」

フードの影が、口を開く。

声は極めてしわがれている。これでは、詩経院に分身を作らせ、各地に派遣するわけである。

力の衰えは、声に現れる。

この声を聞けば、侮られることも多いだろうから。

「第一段階の目的は達成された。 九尾の再生が行われるまで、二週間。 其処から、最強の強化怪異に変貌させるまでに、更に二ヶ月。 試運転に一月。 その後は、最終段階に移る」

つまり、この世界は。

春には落ちると言う事だ。

資料が配られる。

予測される、強化怪異九尾の実力だ。想像を絶するレベルである。

最新鋭戦闘機を赤子のごとくひねり潰し、火力は水爆以上。

文字通りの、いにしえの神々の実力だ。

しかも、量産が可能と来ている。

古き時代、神々はこの世界を好き勝手にしていた。それも、このスペックを見る限り、頷ける話だ。

勿論、今までの実績がある。

とても戦闘向けとは思えない怪異が、非常に強力に化けた例は枚挙に暇が無い。側にいる見上げ入道の側近である、二口女が良い例だ。

「後は、この場所の死守が必要になる」

「わかっております」

芦屋祈里の仕事だ。

もう、此処から出る必要もないだろう。芦屋の家からは、必要な装備を全て持ち出している。

そして、邪魔な連中は。

全て殺してしまっても構わない。

「対怪異部署はどうしますか」

「放置しておけ」

「了解……」

少しばかり興が削がれたが。まあ、これは仕方が無いだろう。フードの影が、正しいと言える。

確かに、下手に突いて、藪から蛇を出すよりも。もう放置しておく方が良いだろう。相手には、八岐大蛇もある。

エクソシストの中に、追跡能力を持つ人間がいたが。

それについても、対策はしてある。

此処がばれる恐れは、ない。

それに、物資も豊富に持ち込まれている。多少不便だが、此処で生活していくのは、そう問題も無かった。

会議が終わると、芦屋祈里は、施設の入り口に出向き。

其処に、厳重な封印を施した。

バンカーバスターで核兵器をぶち込まれでもしない限り、此処が抜かれる恐れはない。

既に勝利は確定している。

ならば、蛇足は不要だ。

与えられた部屋に引っ込むと、身辺の整理をはじめる。もう、人間としての未練はない。怪異に傾いてしまってもいい。

その後は、強化怪異になる改造を受け。

そして、この国、いや世界そのものを破滅に導くのだ。

戦いは、大詰めに入ろうとしている。

あの諏訪あかねでさえも。

もう打つ手は、無い。

勿論、あの憎らしい九尾にも、だ。

壁にカレンダーを掛けると、予定の日時に丸を付ける。

後は、この日まで、寝て過ごせば良かった。

それで、世界は終わりだ。

 

1、沈黙

 

液体化したと言っても、その全てを回収してしまえば同じである。

クドラク麾下の吸血鬼は、その全員を確保。カルマの分身体も含め、全員を収容した。エクソシストが引き渡せと言ってきたが、拒否。

まずは対怪異部署に連行して、聴取することになる。

おなかに良い一撃をもらった私は。

アパートでごろごろしながら、傷を癒やすことに専念していた。何しろとても痛かったので、スルメがどれだけあっても足りないくらいである。横になってテレビの自然番組を見ていると、不意にスマホが鳴る。

面倒な事に。

あかねからだった。

「ただいま留守にしています」

「師匠。 出来るだけ急いで来てください」

「何だよー。 私、ぽんぽん痛いんだけど」

「緊急事態です。 状況については、此方で説明します」

通話が切れた。

どうやら、巫山戯ている場合では無いらしい。

ジャージを脱ぐと、制服に着替える。面倒くさい事この上ないけれど、あかねの様子からして、多分連中がらみだろう。

ひょっとすると、捨てられたと悟ったクドラクか吸血鬼の誰かが、全てを吐いたのかもしれない。

もたもた着替え終えると、適当に化粧をして、外に。

タクシーにしようかと思ったが、この辺りは少ないし、電車で二駅だ。電車を使って、黙々と警視庁に向かう。

自車としてハイエースが欲しいけれど。

置く場所がないので、ずっと買っていない。

あくびをしながら、桜田門を降りて。警視庁に。

対怪異部署を覗く。

なにやら、修羅場になっていた。

牧島や平尾も来ている。私服を着たカトリーナの姿もあった。この間のクドラク捕縛の功績もあって、民間協力者として、認められたらしい。まあ確かに、有能な活躍ではあったが。

「師匠、此方です」

めざとく此方を見つけたあかねがすぐに飛んでくる。

そういえばあかねの式神を、この間見た。何というか、あれでは確かに、表には出せないはずだ。

私も内心どん引きした。

「式神」

「あれは、可変型です。 師匠がやる気を出した姿が、おそらく最強だと思って、戦闘形態をああしています」

「お、おう」

流石あかねだ。私の突っ込みにも動じない。

会議室に放り込まれる。既に芦田も平野もいる。ただ、安城の姿がない。警部補も、何名かいない様子だ。

「ようやく来たのかね」

芦田が、珍しく顔に焦燥を湛えている。

平野に到っては、顔が文字通りの土気色という奴だ。

これは、確かに、余程のことがあったと見て良いだろう。何しろ、警視総監の姿さえあるのだから。

「これより、会議を始めます」

あかねが議長になる。

プレゼン用のツールを使って、画像表示。どうやらこれは、縛り上げられた、カルマのようだ。

あのカルマ、分身体と随分性格が違うと言う事は聞いていたが。やはり、情報が漏れたのは、此奴からか。

「クドラク麾下の吸血鬼、カルマから有益な情報が得られました。 クドラクが協力していた闇の組織は、今年の春前後に、世界を転覆させる行動に出る模様です」

「由々しきことだ」

警視総監が呻く。

そういえば、奴の側近が何名か見えない。まさかとは思うが。

「この間より、警視庁の幹部が数名、姿を消しています。 中には警視監三名も含まれています。 この作戦に乗じて、内部でのリークが必要なくなったから、とみて良いでしょう」

つまり、スパイはそいつらだった、という事だ。

だが、それでもまだおかしい。

まだスパイがいても、不思議では無いだろう。

現時点で、強化怪異は二十体弱が確認されている。この間のクドラク掃討戦で、苦戦の末あかねが一目連を倒したが、それでもまだまだ敵の戦力は相当数が健在。そして強化怪異の実力は、二十もいれば小国を数時間で更地に出来るほどのものだ。

既に、在日米軍も自衛隊も、独自の動きを開始しているという。

第二次世界大戦前夜や、キューバ危機を思わせる悲惨さだ。

このままでは、世界中が大混乱に落ちかねない。

「敵はこの後、どうするつもりか、聞き出せなかったのか」

「クドラクは、おそらく良いように使われていただけの様子です。 それを悟ったカルマは、口が軽くなりましたが。 クドラク本人はいまだ黙秘を続けていて、情報を得られていません」

「手段は選ぶな。 せっつかれているんだ」

額の汗を拭う警視総監。

悪いが、そもそもお前を信用できないんだよ。

私が内心毒づくけれど。勿論、その言葉は、届いてなどいないだろう。典型的なキャリアである警視総監は、警察内での権力争いには手腕を発揮できるかもしれないが。こういった現実的な脅威には、無力だ。

会議が進められる。

内閣情報調査室などからもデータが提供されているらしく、敵の動きについて、かなり詳細なデータが提示されている。

その中には、酒呑童子や団からのものもある。

それらによると。

おかしなくらい、敵はぴたりと活動を止めている。

そうなると、最終作戦に向けて、準備を進めていると考えるのが自然だろう。間違っても、壊滅した筈がない。

会議が終わると。はげ上がった頭をハンカチで何度も拭いながら。警視総監が、口から泡を飛ばした。

「すぐに、必要な情報を引きずり出すんだ。 手段は選ぶなよ」

芦田が頭を下げるのを一瞥もせず、警視総監が、慌ただしく会議室を出て行く。あれは、相当尻に火がついているのだろう。

そして、私が呼ばれた理由も、よく分かった。

まだ、警視総監には言っていないのだろう。

団に言われて、保護した怪異がいる。

敵の組織から、改造前に逃げてきたものだ。確か、化け草履だったはず。典型的な付喪神の一種で、勿論戦闘力は絶無。

今は、対怪異部署の深奥にいる。

状況が落ち着くまで、手間取っていたそうだ。

「師匠、それではお願いします」

「敵の居場所くらいは、見当がつかないのか?」

「それが、もう表に出る必要もないと判断しているのでしょうね。 末端の構成員さえ、姿を見せない状態です」

「……そうか」

つまり、この間の作戦で。

事前準備は、全て整ったという事なのだろう。

私を捕縛しなくても、血なりなんなりで、代用できたという事なのかもしれない。まあ、それはもうどうでも良い。

地下に降りる。

ヒカリは、既に部屋中を本だらけにして、なおも足りないようで。本をせがんでいると、あかねに途中で聞かされる。

そろそろ、ヒカリも外に出してやる必要があるかもしれない。

最深部に降りると、提出しなければならない書類の煩雑さにうんざりしながら、奧に。通路の最奥に。

厳重に守られた化け草履が入れられた檻があった。

「此奴だな」

「……」

あかねが頷くと、すぐにその場を離れた。

仕事が、山ほどあるのだから、当然だ。私としても、しばらく此処から身動きが取れなくなりそうで憂鬱だが。やるしかない。

椅子を持ってくると、檻を挟んで座る。

化け草履は、ちょこんと座って、此方を見ていた。

巨大な草履そのものの姿で、目は一つ。小さな手足がついている。こんな弱々しい怪異まで、戦闘用に改造しようとしていたのか。

しかも、極めて非人道的な方法で。

黒幕が何者かは、まだわからないが。しかし、許せない事だけは、確かだった。

「言葉はわかるな」

「はい」

「よしよし」

レコーダーを取り出すと、そのままスイッチを入れる。

ここからが、重要だ。

まず。化け草履の全身を、力のある空気で包む。そうすることで、仕掛けられている術式がないか確認するのだ。

案の定、幾つかあるけれど。

殆ど休眠状態になっている。

念のために、取り除いておく。無言での作業が、三時間ほど続いた。その間、化け草履は文句の一つも言わず、座っていた。

とりあえず、術式の除去完了。

下手なことを喋ると自爆するものもあった。

「まず、何が起きたか、教えてくれ」

「も、もうおいら、喋っても爆発しねーの?」

「そうだ」

「よがった! お、おいら、逃げてきた。 元々おいら、見上げ入道様の部下だったんだけれど、何だかよく分からない施設に連れて行かれたんだ」

其処までは、知っている。

ただ、具体的な場所について聞くと、口をつぐむ。ひょっとすると、わからないのだろうか。

スマホを使って、団に連絡。

団は少し鳴らすと出た。

保護した具体的な地点を確認するが。どうやら北陸自動車道で、ふらふらしているのを発見されたという。

しかも、トラックの荷台から振り落とされたと言うらしい。

逃げる途中で、トラックの荷台に飛び乗って。

それから、右往左往している内に、北陸で保護された、ということか。それはもう、奇跡的な確率と言うほか無い。

「なるほどな、それは仕方が無い」

「だろ? もう、生きた心地がしながったべよ」

ひどい訛りで、化け草履がまくし立てる。

軽い雰囲気だが。

恐怖はそれが故に、ひどく生々しく伝わってきた。

順番に、話を聞いていく。

それによると、化け草履が入れられていた施設では、やはり人体実験が行われていたというのだ。

殆どの場合、それには生きた人間が、材料として使われていたらしい。

「殆どの場合は、外国人だな。 多分、人身売買の業者だとかから、買い取ったんだろうよ。 子供も多かったぜ」

怖気が走るという風情で、化け草履が言う。

それによると、連中はまず、人間を裸にして徹底的に洗っていたそうだ。洗われる方は目がとろんとしていて、意識ももうろうとした雰囲気だったらしい。

恐らくは抵抗しないように、薬物を投与されていたのだろうなと、私は思った。

その後は。

思い出したくもないと言いながら、化け草履が説明してくれる。

洗われた人間は、ミンチにされていたと。

とにかくミンチメーカーで細かく裁断されて、特殊な液体が入れられているガラスの筒にぶち込まれていたのだとか。

怪異はその間。

その筒と並んだ、別の筒に入れられる。

化け草履によると、人間の残骸と怪異が混ぜ合わされ。そしてしばらく何かの呪文のようなものが、周辺から流されていたそうである。

呪文。

心当たりがある。

こういうものかと前置きして、口にしてやると。化け草履は、うんうんと頷いた。

「それだ。 間違いねえ」

「やはりな」

今、私が口にしたのは。

傾いた怪異を、人間に戻すためのもの。

それも、私がずっと昔に使っていた、副作用が大きい、未完成な術式だ。

そしてミンチにされた人間と、怪異が混ぜられ。

様々な過程を経ると。

前とは少し違う形になり。

そして、恐ろしいほどに強大な力を得ていた、というのだ。

これで、合点がいった。

「とにかく、あれは地獄だった。 やってるほうもやってるほうで、事務的に人間をミンチ機に入れたりしてた。 同じ怪異の筈なのに、怪異をあんな化け物にして、平然としてる奴らもいて。 おいら、とにかく悲しくて、逃げ出してきたんだ」

「苦労したな」

「そうだろそうだろ? この牢からも、早く出してくれよ」

「今は我慢しろ。 とにかく、安全を確保するまで、此処が一番だ」

一旦、小休止を入れる。

化け草履が言っていた過程を、細かく再現。ふと思い当たって、ヒカリの所に行くと、的確なアドバイスをくれた。

軽く話しただけなのに。

流石だ。

それから、三回、休憩を入れながら聴取を入れる。

逃げる過程についても、詳しく聞いておく。そしてその間、化け草履を空気で包んで、徹底的に調べ上げた。

記憶の断片を探ることで。

逃走経路を割り出すことが出来るからだ。

ただ、逃げる途中の恐怖が、あまりにも大きかったのだろう。記憶に強いラグが入り込んでいて、調査は難航した。

ある程度、情報がまとまったのは。

ここに来て、一日が経った頃。

奧にあるシャワー室を借りて、埃を落とすと。警察の制服から、適当にジャージとサンダルに着替える。

長丁場だし。

此処限定だから、別に良いだろう。

ジャージは過ごしやすくて快適だ。

スルメをもむもむしながら、あかねに連絡。第一報としては、充分な内容を引き出せたはずだ。

「というわけだ。 おそらく敵はな。 怪異を人にしている」

「怪異を、人に?」

「そうだ。 私がやっている方法では無くて、怪異を怪異のまま、人にしているんだよ」

私の結論こそ、それだ。

本来怪異には、かなり能力上限を低く抑えるリミッターが掛かっている。これが、いにしえの時代の、怪異の隆盛を失わせた原因だ。

しかし、連中は、ウルトラCを産み出した。

つまり、怪異でありながら人である状態にすることで。そのリミッターだけを、取り払ったのである。

人間のミンチジュースを用いて、混ぜ込んでいるのもそれが故。

そしてカトリーナやヒカリのような例は。おそらく、怪異の中で再構成された人間の部分が。ああいう形で、抽出された、という事なのだろう。

化け草履の証言では、生きた人間を使っていたようだが。

詩経院もいる。

何より、高いクローン技術もあるのだろう。

表向きには、人間のクローン技術は研究も禁止されているし、何より成功例がないのだけれど。

おそらく、裏の世界では成功例がある筈だ。

詩経院が造り出した、過去のデータから。様々な方法で、人間を再現して。そして材料にする。

悪魔が大喜びしそうなほどに残虐なやり口だが。

おそらく、こんな事を考えるのは、怪異では無い。人間だ。

しかしそうなると、一体誰だ。

あかねは話を聞き終えると、つらそうに言う。

「マル暴などにも当たっていますが、人身売買された人々の移動先は、未だに掴めていません」

「厳しい状況だな。 私は化け草履から、もう少し情報を引き出す」

「お願いします」

記憶のラグを取り除けば、敵の本拠地が何処にあるか、わかるかもしれない。

それと、並行で進めるべき事がある。

安倍晴明に、嫌だけれど連絡。

数度鳴らすと。

奴は出た。

「おや、君から掛けて来たか。 さては手詰まりだな」

「聞きたいことがある。 人間で、数百年は生きていて、裏の世界の顔役をしているような奴はいるか」

「いるよ。 複数」

即答である。

確かに、いにしえの時代の怪異に等しい力を持っている安倍晴明だ。此奴がどういう経緯でその力を手にしたかはわからない。

ただ、古き時代。

世界には、力がもっともっと溢れていた。

「古事記にも名前が出てくる者もいる。 古い時代の生き残りは、意外にいるものなんだよ」

「具体的に、警視庁の中には」

「教えられない」

「世界の危機なんだぞ」

安倍晴明は、まるで平然としている。此奴、まさか。

今の世界がひっくり返っても、どうでも良いというのか。

私は嫌だ。

長い間かけて、ずっと怪異の地位向上に尽くしてきたのだ。この状況で、怪異の地位が落ちるようなことは、絶対に嫌だ。

今まで、多くの怪異が。この悲惨な世界で、命を落としてきた。

消滅し。殺され。

私も、散々酷い目にあった。

だが、地位向上に尽くしてきて、ようやく此処まで、共存することが出来るようになったのだ。

この世界を無駄にはしたくない。

死んでいった者達のためにも。

「貴様だけが頼りなんだ。 頼む」

「ふむ、九尾の狐に、頼むと言われたな」

「何かすれば良いか。 仕事での功績は、充分に挙げているはずだぞ」

「……そうだな」

雰囲気が変わる。

そして告げられた言葉は。私が息を呑むには、充分だった・

「君の部下に着けている、牧島奈々。 あの子を貰おうか」

「何だと……」

「何も本人を貰うわけでは無いさ。 髪の毛と血を少し貰おう。 それで手打ちにするよ」

「クローンでも作るつもりか」

その通りとは、安倍晴明は言わない。

更におぞましいことを言う。

「気付いているかもしれないが、彼女の才能は現代随一だ。 諏訪あかねでさえ、才能では及ばないだろう。 つまり、私の子孫を残すには丁度良い」

「そんな提案、乗ると思っているのか!?」

「本人に聞きたまえ。 何、本人を孕ませるわけではない。 クローンで子宮だけを作って、それを使って人工的に子を成すだけだ。 私としても、そろそろ手駒を増やしておきたくてね。 君同様、人間と交わることが出来る身だ。 活用しない手はないだろう?」

ゲスが。

吐き捨てるが、蛙の面にションベンだ。

通話が切れる。

気が重い。だが、他にどうすることも出来ない。

 

思うに、安倍晴明は、この世界がひっくり返っても、生きていく自信があるのだろう。更に言えば、である。

強力な才能を持つ子孫を、手駒として多数従えたなら。

今の敵対している連中以上の脅威として、世界に君臨するかもしれない。

彼奴はそう言う奴だ。

正義とか、大義とか、そういうものは無い。

だからこそ、この国に、長きにわたって君臨し続け。そして今も、大きな影響力を保っている。

ビールが欲しい。

そう思った。

いつの間にか、壁に背中を預けて、ぼんやりとしていた。

牧島になんといおう。

未来を見て必死に頑張っている子供に、おぞましい生け贄になれというのか。

人間を犠牲にするのは、戦時などの最後の手段だ。生け贄など、実際には何の意味もない。

私もカルトに祭り上げられたことが、昔ある。

その時生け贄を差し出されて、本当に困った。

気がつくと、あかねが見下ろしていた。何かあったと、すぐに気付いたのだろう。

「今は一刻を争います。 何があったのか、教えてください」

「変態狒々爺に、牧島の尊厳を寄越せと言われたよ」

「牧島の?」

「血と髪の毛でいいそうだ。 手駒としての子孫を作るのにクローンで子宮を作るんだと」

流石にあかねも呻く。

倫理観などとっくの昔に喪失している存在だとは知っているのだろうけれど。それでも流石に絶句してしまうと言う所だろうか。

「牧島を連れて来ます」

「未来ある子供に、こんな話をするのか」

「今は、この国どころか、世界が危機に瀕しようとしているんですよ。 師匠が少しずつ築きあげてきた怪異の地位だって、このままでは消し飛びかねません」

「……」

あかねが身を翻す。

彼奴は強いなと思ったけれど。

私が、甘いのかもしれない。

あかねがいなくなってから、団と酒呑童子に連絡。とにかく、敵の位置が知りたい。団は空振りだったが。

酒呑童子の方に、進展があった。

「九尾よ。 俺の部下が、手配中の強化怪異を、少し前に北海道で見た」

「北海道……」

「広大な原野があり、隠れるには絶好の場所だ。 ひょっとすると、潜んでいるのは此処じゃないのか」

「裏付けがいるな。 もっと情報をくれるか」

酒呑童子は少し躊躇った後。

恐らくは、とっておきだったらしい情報を出してくれた。

「タコ部屋って知っているか」

「知っているさ。 この世の地獄だな」

「ああ。 そのタコ部屋の怨念を啜っていた、知り合いの怪異が、不意に消息を絶っている。 多分別の食事場に移っただけだと思っていたんだが、ひょっとすると」

なるほど。

ただ、タコ部屋労働で作られた道路なりトンネルなりは、北海道にそれこそいくらでも存在している。

もう少し、丁寧な情報が欲しいところだ。

一旦あかねに連絡して、今の話をする。

参考程度にしかならないはずだが。

しかし、ひょっとすると。意外にも、核心を突いているかもしれない。

安倍晴明のろくでもない提案を聞いたことで、くさくさしていた心が、少し上向いてきた。

だが、敵が最終作戦に出るのがいつかわからない以上。

手札は、いくらでも用意しておきたい。

 

敵が潜む可能性があるとしたら。

人気がない離島や、或いは原野。

もしくは、放棄された施設やビル。

下手をすると、日本では無い可能性もある。だが、怪異の数と質で考えると、この国は他より圧倒的だ。

もしも敵がまだ、何かしらの形で怪異を利用しようとしているのなら。

恐らくは、この国を離れることはないだろう。

そうなると、酒呑童子が言及した北海道か、若しくは離島の可能性が高い。或いは東北の廃村かもしれない。

対怪異部署の戦力を集めても、勝てるかどうかわからない相手だ。

とにかく手が足りない。

警察の人員もある程度動員しては貰っているが。彼らは元々、テロリストとしても桁外れな敵と戦う装備は持っていない。文字通り、命がけの仕事になってしまう。

自衛隊も動いてはいるらしいけれど。

これについては、情報が入ってこない。

いるらしい、としかわからない。

在日米軍についても、それは同じだ。

既にあの戦いから、一週間が経過。

カルマは大体の事を喋り尽くしてしまったようで、新しい情報は殆ど出てこなくなった。私も尋問には参加したけれど、結果は変わらず。

あの飄々として慇懃だった分身と違って、カルマ本人は非常に直情的で、性格も単純。多分隠し事はしていないとみて良いだろう。

一方でクドラクは。

全部集めて、捕縛はしているが。

人型に戻った後も、じっと黙り込んでいて、口一つ聞かない。食事もしない様子からして、完全に外と自分を隔離している。

助けが来ると判断しているのか。

或いは何も知らないのか。

もしくは、奴らの作戦実行が最終段階に入っていて。放置するだけで、勝ちになると考えているのか。

色々と可能性は考えられるが。

どうにも、結論は出なかった。

会議が終わって、私はくらくらする頭をどうにか抑えて、仮眠室へ行く。三日ほど、自宅に戻っていない。

別に自宅に戻っても何があるわけでもないのだけれど。

気分の問題なのだ。

仮眠室で一休みした後、酒呑童子と団と連絡を取る。

どちらも今では、貴重な捜査補助をして貰っている状況だ。特に酒呑童子は、タコ部屋に詳しい怪異に声を掛けて、話を聞いて廻ってくれているらしい。

進展は。

酒呑童子は、無し。

しかし、団の方は、あった。

「北海道を縄張りにしている怪異の中から、妙な話が上がっていてな」

「ん、聞かせてくれ」

「酒呑童子の話では無いが、タコ部屋で作られた怨念をエサにしている怪異の中から、行方不明者が出ている。 タコ部屋関連の施設を廻っている奴に限ってだ」

「裏付けが取れたか」

多分、通話先で団が頷いている。

仮眠室で寝転がったまま、私はその話を順番に聞いていく。

団によると、主に移動をしながらタコ部屋の怨念を喰らっている怪異が、被害に遭っているそうで。

既に、北海道に生息する怪異の間では、タコ部屋怨念はしばらく食べに行かない方が良いという噂が流れているのだとか。

「行方不明になった奴の名簿は」

「酒呑童子関連の方はわからん奴もいるがな。 こっちの方は、こんな所か」

口頭で、伝えてくれる。

無名に混じって、有名な怪異がいる。北海道にいるコロポックル。小人伝説の主役となっている小さな人々。

現在では怪異の一種となっている彼らの中の、顔役だ。

「彼奴も行方不明になっているのか」

「そのようだな」

「コロポックルは、人の負の感情をエサにしていたのか?」

「殆どはそんな事はしないがな、例外的に吸って力を得ている奴もいたんだよ。 あの男も、確かそうだったな」

なるほど、そういう事情があったか。

タコ部屋はこの世の地獄だった。其処で蓄えられた怨念を使えば、確かに手っ取り早く強い力を得ることも出来る。

それが徒になったか。

行方不明になった怪異を自分の頭の中でリストアップ。

いなくなった時期と。

どの辺りで最後に目撃されているかを確認。

北海道の何カ所に、空白が出来る。

だが、まだ空白が大きい。

安倍晴明に連絡を入れようかと思うが、少し躊躇。実は、あの後。牧島は、何に使われるかを知った上で、血液と髪の毛の提供を申し出てきた。

だからこそに。

決断は、最後の最後まで伸ばしたい。

少し遅れて、酒呑童子が、行方不明になっている怪異について、まとめてくれた。酒呑童子の人脈と、団の人脈は違う。

酒呑童子の人脈からのデータを、情報の上書き。

更に、北海道の空白は狭まったが。それでも、まだまだ分からない事も多い。決定打には、ならない。

それに、だ。

噂には聞いているのだが、タコ部屋労働は、必ずしも公の場ばかりで行なわれていないらしいのだ。

たとえば、戦前の軍が極秘の施設を作るのに、タコ部屋を使ったり。

更にそれが、もう放棄されてしまっているとしたら。

見つけ出すのは、至難の業だろう。

いずれにしても、これでかなり説得力のあるデータが集まった。一度レポートにまとめて、あかねに見せに行く。

芦田と平野には、まだ見せるのは先。

どちらかが、奴らに通じていても、おかしくないからだ。

あかねは腕組みすると、データを見て。

そして、提案してくれた。

「式神を使いましょう」

「そうだな。 それで少しは手数が稼げるはずだ」

「それと、もう一つ提案が」

あかねは言う。

エクソシストの増援部隊が、来ているというのだ。

バチカンが抱えている、怪異の殲滅を専門に行う騎士団が二つ。人員はどちらも二百名ほど。

この騎士団は、前回の戦いで、エクソシストが動員した素人では無い。

民間軍事会社としても活動している、バリバリのプロだ。

「現在、稼働可能なエクソシストと彼らが捜査に加わってくれれば、或いは敵の根拠地発見に弾みがつくかと思います」

「そう、だな」

北海道は非常に広いが。

人海戦術を使えるなら、或いは。

「よし、調査を北海道に絞ろう」

私も、ついに決断する。

あかねは、すぐに動き出してくれた。

 

2、混濁

 

あらゆる方面から、情報を集めつつ。

私は、真冬の北海道に到着。

北海道の冬と言っても。何時でも何処でも吹雪いているわけではない。安定している場所も別に珍しくない。

札幌に、対怪異部署の実働戦力が集結したのは。

戦いから、およそ二週間が経過した頃。

まだ負傷が癒えていない者も少数は見受けられるが。大体は、誰もが鋭気を取り戻していた。

酒呑童子と団も、既に北海道に来ているという。

恐らくは、此方が本腰を入れていることを、察知したのだろう。

札幌の郊外にある、事務所ビルを一つ借りると。

それを拠点として、探索を開始する。

戦いは文字通り、始まったばかり。此処からの探索のスピードが、おそらくは敵につけいる隙を与えないための、重要な要素となる。

いわゆる、兵は神速を尊ぶである。

現時点で、候補となっている探索地区は四つ。そのいずれもに、五十を超える式神を放って、しらみつぶしに調査をしているが。

現時点では、敵の影も形もない。

本当に北海道で良いのだろうか。

そう言う声も、周囲からは上がり始めていた。

安城が、連絡を入れてくる。

「此方は色々調べているが、全く手がかりがねーなあ。 何より人手が足りねーしな」

「騎士団の連中は」

「もうついて調査を始めているようだな」

当然、民間軍事会社と警察で、仲良くやれるはずもないけれど。今は、喧嘩している場合では無い。

エクソシストも、分かっている筈だ。

下手をすると、世界が滅びかねないことは。

嫌でも協力するしかない。

団に頼んで、北海道のタコ部屋に詳しい怪異を、何体か連れてきて貰う。彼らに直接話を聞いて、穴場や餌場を、一つずつデータとして抑えていく。

その間に、あかねは。

各地のトンネルや道路、橋などを見て廻り。

吹雪の中、精力的に動いてくれていた。

平尾も、調査に足を使ってくれている。牧島は式神を最大限の数出して、各地の調査に参加。

その護衛として、カトリーナも動いてくれていた。

私はと言うと。

順番に、自分にしか出来ない事をする。

団と酒呑童子と連絡を取りながら、各地の怪異と直接面接をして、話を聞いていくのだ。

文字通りの人海戦術だが。

それでも、私の能力なら、相手が嘘をついているかも、比較的掴みやすい。

二日が過ぎ、三日が過ぎる。

少しずつ、成果も上がってきた。

海外に逃れていた芦屋の一族が、オーストラリアで捕縛されたという情報が、その中で一番大きいかもしれない。

すぐに此方に護送してくれるという事で、有り難い話である。

「師匠。 此方でも進展が」

「ん、どうした」

「手配中の強化怪異を見たという怪異を、式神が見つけました。 すぐに来ていただきたく」

少しずつ、朗報も出てくる。

二時間ほど掛けて、吹雪の中をハイエースで移動。自分で運転しているので、少し不安だ。運転は平尾に任せてしまうのが一番安心できる。

現地に到着。

怪異は、蓑を被った小柄な姿。

格好からして、北海道の怪異では無い。聞いてみると、どうやら本州から移動してきた怪異だ。

私のことも知っていた。

各地の、怪異のために用意している土地を転々としてきたらしく。この近くの山で、静かに生活しているそうだ。

小柄な老人の話によると。

強化怪異は、数台の車に分乗して、車列を組んで移動していたという。どちらからどちらに移動していったと言うことを、丁寧に説明してくれた。

助かる。

すぐに近くの監視カメラの映像を確認。レンタカー業者についても、あかねが手配してくれた。

大きな進展だ。

「どうやら、北海道にいることは、ほぼ確定のようですね」

「そうだな。 だが問題はその先だ」

居場所を掴んだとして。

対怪異部署の全戦力を集中し。エクソシストの増援も全て協力してくれたとして。勝てるのだろうか。

多分、戦力をあわせても、敵の半分に届かない。

更に、敵の手には、カルマの情報によると、更に十数体の怪異が落ちている。つまり更に敵の実力は、倍増している可能性が高いのだ。

「本部にも連絡を入れておきます」

「……大丈夫か?」

「もし敵のスパイがまだいたとして。 此処まで絞り込めたという事がわかれば、それだけプレッシャーを掛けることが出来ます」

勿論、敵が歯牙にも掛けない可能性もあるが。

たとえば、米軍から核弾頭のバンカーバスターでもぶち込まれたら、流石に無事では済まないだろう。

何かしらのアクションを見せるとみて良い。

包囲は、少しずつ狭まってきている。

 

閉じこもりを開始してから、二週間と少し。

芦屋祈里の所に、情報が来る。

対怪異部署が、北海道に多数展開。エクソシストも、出張ってきているという。

首領の姿はない。

何処に出かけているのかわからないが、いない以上、芦屋祈里が此処のボスだ。指揮権は任されているのだし、好きに使わせて貰う。

情報提供者は、警視庁に残ったスパイ。

相互監視が厳しく、かなり連絡まで時間が掛かってしまったと、自画自賛していたが、芦屋祈里にはどうでも良いことだった。

すぐに、主な幹部を集める。

とはいっても、クドラクがいない以上。此処にいるのは、詩経院と見上げ入道だけだが。それでも、話はしておくべきである。

「放って置いて良いのでは?」

極めて楽観的なのは、詩経院だ。

それを、見上げ入道が一蹴する。

「バチカンが本気になっていることを忘れていないか。 此処の場所を特定されると、おそらく米軍が核弾頭を叩き込んでくるぞ。 此処にいる強化怪異の実力でも、核弾頭のバンカーバスターをうち込まれたら、壊滅は免れん」

「特定なんぞ、されっこないさ」

へらへらしているが。

詩経院も、流石に内心では今見上げ入道が指摘したことが、如何にヤバイかは気付いているのだろう。

私は咳払いすると、二人を睥睨した。

「私の一族も、オーストラリアで捕縛されたそうだ。 口を割らないように術式は施してあるが、敵の能力は侮れん。 此処が発見された場合、少しばかり面倒な事になるだろう事は同意だな」

「ならば芦屋の、どうする」

「ブラフを用いる」

こういうときのために。

準備はしてあるのだ。

此処には来たことがあるから、芦屋祈里自身は、長距離テレポートで移動することが出来る。

まだ敵に発見されていない拠点が幾つか本州にある。

其処を使って、敵に対しての攻撃を仕掛けるのだ。

それも、規模がそこそこ大きい。

敵は当然混乱する。

「実際には本拠が本州にあるのか、北海道にある本拠を狙わせないためのブラフか、悩ませることが出来る。 それだけ、此方は有利になる」

「なるほど」

詩経院が、素直に感心しているので呆れる。

しかも此奴、時々芦屋祈里の胸や尻を遠くからじろじろ見ていることがある。こんな奴には、絶対に触らせたりしない。それが故に、不愉快極まりない。

「強化怪異を数体連れていく。 留守居は任せるぞ、見上げ入道」

「承知」

現時点で、クドラクがいないから、見上げ入道は此処のナンバースリー。詩経院は、その下だ。

詩経院は、それにも強い不満を持っているらしいが。

正直な話、どうでも良いことである。

此奴は捨て駒だ。

首領が影を使う必要が無くなった今。此奴の利用価値は、死者を呼び出すことだけ。その技術も、既に解析済み。

その気になれば、此処にいる科学陣で、いくらでも再現が出来るのだ。

三体の部下を連れて、岐阜にある秘密基地に移動。秘密基地と言っても、放棄されたただの倉庫だ。

蜘蛛の巣が張っている其処で、しばらく時間を潰す。

空間転移を可能にする霊具は、一度用いると、充填時間が必要になる。戻るときも、幾つも条件がある。

それらを満たすためには、待ちは必須なのだ。

連れてきた中には、見上げ入道の側近として仕えている二口女もいる。此奴を連れて来たのは、万が一に備えるため。

見上げ入道の造反を防ぐためだ。

「まだ待機ですか」

「そうだ。 急くな」

「……」

活動的な雰囲気の、二口女は。

多分気付いていないだろう。

自分の顔が、そっくりである事に。

此奴は、小学校時代の芦屋祈里にうり二つだ。鏡を見れば、気付くだろうが。元々自分の顔にコンプレックスを持っていたらしく、滅多に鏡を見ない。それを利用しての強化改造だ。

あまり、良い気分はしなかった。

自分から作られたクローンが、ミンチにされて。此奴と混ぜられる姿を見るのは。

だが、それによって、二口女は、飛躍的に強化され。現在では、武闘派強化怪異の中でも上から数えた方が早い。

六時間が経過。

腰を上げた芦屋祈里を見て、ようやくかと二口女は嘆息した。

これから、二日ほどは。

彼方此方を逃げ回らなければならない。

倉庫から出ると、わざと監視カメラに写るように歩く。さて、対怪異部署は、どれだけの時間で出てくるか。

反応は、予想よりも。ずっと、早かった。

周囲を、いきなり囲まれる。

見たことが無い奴らだ。民間軍事会社か。いずれにしても、素人の動きでは無い。全員が、アサルトライフルで武装もしている。

「芦屋祈里だな」

「そうだが?」

「失礼しました。 我々は、こういうものです」

銃を下ろした一人が、いきなり名刺を出してくる。

これは、予想外の事態だ。此奴らは、東欧資本の傭兵である。つまり、その背後にいるのは。

いずれにしても、面白い事になってきている。

此処からの動き次第では。

更に面白いくらいに、事態を引っかき回すことも、可能だろう。

「芦屋様、これは」

困惑している土蜘蛛。

以前、ギュンターとの戦いで、横やりを入れてきた実力者の怪異だ。二口女に造反されたときに備えて、連れてきている側近である。

言われるまま、ついていく。

勿論油断などしない。

こういう人間が出てくるのは、わかりきっていたのだ。途中で、首領にも連絡を入れておく。

バンで移動している最中に、首領が出る。

状況を説明すると。首領は、くつくつと笑った。

「そうか。 話はしっかり聞いておいてくれ」

連絡が、其処で尽きる。

さて、実際に巣まで行って。其処で此奴らを皆殺しにするか、それともスポンサーとして動いて貰うか。

判断は、自由だ。

どちらにしても。

もう、芦屋祈里の勝利は、動かないのだから。

 

岐阜にて、芦屋祈里出現。

強化怪異三体を連れている。

この情報が入ってきたとき、流石にひやりとしたが、あかねは冷静だった。この辺り、才覚の差だろう。

私が使っている一室に、急ぎ足で来る。

部屋を覗き込むと、横になっている私に、そのまま話しかけてきた。用件は、わかっていると判断したのだろう。

細かい説明は省かれた。

「師匠、私が行ってきます。 その間に、探索を進めてください」

「ん……」

私はと言うと。これから、十二体の怪異から、話を聞かなければならない。団が連れてきた、地元の怪異だ。

私と会ったことがある者は半分ほど。

残りも、顔役としての私は、良く知ってくれている。

一方、酒呑童子は、ここのところ姿を見せない。連絡しても、通じないことが多い。側近が出て、用件は伝えておくと、通話を切られてしまうことが多かった。

芦屋祈里とあかねだと、あかねの方が少し強い。

問題は強化怪異だが、それについても手を打ってあるようだ。いずれにしても、私がする事は無い。

牧島が来た。

「金毛警部、早速聴取を開始したいですけれど、よろしいですか」

「おう。 メモはお前が取るのか」

「はい。 平尾さんに許可は貰っています」

太陽みたいな笑みを浮かべる牧島。

こんな子の、尊厳を捨てるわけにはいかない。

必ず地力で、敵の本拠に迫ってみせる。

最初の怪異を呼ぶ。

その時にはもう。私も、居住まいを正していた。

 

3、悪夢の渦

 

岐阜に移動するまで、飛行機と電車を駆使して、四時間と少し。これに待ち時間などを加えて、五時間ほど。

諏訪あかねは、式神と、手持ちの霊的武装とともに、情報があった岐阜に到着。

既に、岐阜県警が待っていた。

敬礼して、情報を交換すると。すぐに、覆面パトカーで移動。今回は機動隊の特殊部隊も出てきているが、多分足手まといにしかならないだろう。相手は銃で武装した凶悪犯などではない。

ましてや、テロリストでさえないのだ。

「少し前に、この辺りに東欧から来ていた民間軍事会社の人間達が集まっていたという話があります」

「東欧……」

「現在、彼らの車は捕捉済みです。 すぐに追いついて見せます」

若々しい警官はそう言うが。

それはおそらく、誘い込まれたと見て良いだろう。芦屋祈里のことだ。足跡をわざわざ残したのは、追ってくるように仕向けているのだ。

それにしても、東欧か。

多分背後にいるのは、米国主導の世界秩序に異を唱える勢力。愚かしい話だ。もしも奴らの目的が達成されてしまったら、米国主導も何も無い。この世界そのものの主導権が、人間から奪われるというのに。

その辺りが全くわかっていないから、愚かしい行動に出たのだろう。

或いは、それだけ敵が豊富な資金をばらまいて、スポンサー確保に動いているのかもしれない。

いずれにしても、その民間警備会社の連中は気の毒だ。

多分、すぐに用済みと判断されて、消されてしまうだろう。芦屋祈里にしてみれば、そんな輩を生かしておく理由も無いのだから。

ほどなく、覆面パトカーが、工場にとまる。

まだ動いているようだが、かなり人気の少ない、こぢんまりとした工場だ。

情報にあったバンが止められている。

特殊部隊が展開を開始するが。私は片手をあげて、彼らを制止。自ら正面より、堂々と乗り込んでいく。

血の臭い。

案の場の展開か。

私が、工場の中に入ると。

其処は、血の惨劇が行われた跡地と化していた。

「仲間を殺したの?」

「仲間? 蛆虫だが」

「……」

目を細めて、立ち尽くす芦屋祈里を見る。

その周囲には、三体の強化怪異。一体は、以前報告にあった、パーカーを着た女性。二口女か。

もう一体は、多分土蜘蛛だろう。

土蜘蛛というか、オオツチグモ、つまりタランチュラのような姿だ。非常に巨大で、威圧的な姿をしている。

最後の一体は、芦屋祈里の影にいて、正体がよく分からない。

子犬のように小さいが、何だろう。

いずれにしても、強化怪異だとすると、侮ることは出来ない。

「二口女」

「はい。 足止めですか」

「そうだ。 豆狸、お前もだ」

「僕も。 わかた」

小さな影が、前に出てくる。

豆狸と言われているが、頭が妙に大きい幼児だ。あまり大柄とは言えない二口女と並ぶと、何だか不可思議な対比を為している。

たしか豆狸は、日本中にある狸の怪異の一つ。悪さもするが良いこともする、上手につきあえば有益な怪異の一種である。

芦屋祈里は、土蜘蛛の背中に乗る。

確かタランチュラは全身を毒針で武装していたはずだが。乗って平気と言う事は、何か工夫をしているのだろう。

その瞬間。

特殊部隊が、突入してきた。

無力化用の催涙弾を叩き込む。あかねは無言のまま術式を展開。周囲の催涙ガスを振り払う。

更に、同じ術を、芦屋祈里も展開。

愕然とする特殊部隊の目の前で、工場の屋根を破って、逃げていった。

なるほど、どうやら間違いなさそうだ。

「確保!」

叫んで、二口女と豆狸に躍りかかっていく特殊部隊員達。

だが、身の丈大の角材を平然と振り上げると、二口女は二人まとめて特殊部隊員を、薙ぎ払ってみせる。

豆狸に到っては、軽々とドラム缶を持ち上げ。

そのまま、放り投げてみせる。

勿論、中には汚染された雨水がたっぷりである。

逃げ散る特殊部隊員。

「芦屋祈里の追跡を。 此方は私がどうにかします」

「し、しかし」

「早く。 彼女がその気になれば、あっという間に振り切られますよ」

困惑した様子で、特殊部隊員達が、工場を出て行く。

あかねは髪を掻き上げると。腰の、八幡太郎の弓に手を伸ばした。

それに対して、二口女は低い態勢になると、レスリングのタックルをするかのように、躍りかかってくる。

豆狸も同時に動く。

足捌きを駆使して、左側に。あかねの死角に潜り込むつもりか。

飛びついてくる二口女。

驚いただろう。

ぱんと、軽い音がして。

弾かれた自分が、地面に叩き付けられたのだから。

合気の技だ。

すぐに立ち上がろうとする二口女だが、その時にはあかねは既に、その背中を踏みつけていた。

そして、八幡太郎の弓から、矢を速射。

豆狸は慌てて逃れようとするが、矢はホーミングする。必死に角材を蹴飛ばすが、それも余裕で貫通。

爆裂。

吹っ飛ばされた豆狸が、工場の外に吹っ飛んでいった。

「このっ!」

若々しい怒りを滾らせて、跳ね起きる二口女。

パーカーが外れて、気付く。

なるほど、そう言うことか。

「芦屋祈里そっくりですね」

「何……!?」

「気付いていないの?」

「巫山戯た事を言うな! 私の顔が、あんなに整っているわけ無いだろ! さては私を怒らせて、感情を乱すつもりか!」

そしてこれである。

何となくわかってきたが、この二口女。前は自分の顔に、強いコンプレックスを持っていたのだろう。

コンプレックス持ちは、厄介だ。

たとえば鼻の形とか、耳の大きさとか。他の人間が気にしないようなことを、コンプレックスにして、それが全ての原因としてしまう。

自分の耳を切りおとしたゴッホなどが有名だが。

現在社会でも、類例は枚挙に暇がない。実際、コンプレックスの結果醜いと思い込んでいる者を集めると、互いにそうだとは気付かないそうだ。

多分そのコンプレックスが原因で、パーカーで顔を隠し。

鏡も見ないから、事実に気づきもしない。

哀れだなと、あかねは思った。

瓦礫を吹き飛ばして、豆狸が飛び出してくる。かなりの勢いで、周囲を回り始める。二口女はと言うと、あかねの足下から脱出すると、大きく距離を取り、近くにある角材を手にする。

さて、どう攻めるか。

あまり猶予はないが、切り札を先に見せるのも面白くない。

豆狸が、仕掛けてくる。

がいんと凄い音がしたのは、仕掛けておいた防御の術式に弾かれたからだ。上空に弾きあげられた豆狸を、そのまま速射して打ち抜く。

逃げる場所もない。

吹っ飛んだ豆狸は、悲鳴を上げながらかなりの高さに飛んでいく。落ちてくるまで、時間がある。

手を振るって、飛んできた角材を弾く。

ガードが開いたと見なして、二口女が、真正面から仕掛けてくる。

性格はまっすぐなのに。

コンプレックスがあると、さぞやつらかっただろう。

正面からの、渾身の拳。

ガードを抜かれると判断。速射して対応。

まさか、この速度で矢を撃ってくるとは思わなかったのだろう。二口女は相当慌てたようだが。

しかし、渾身の一撃を切り替えて、矢を真正面からはじき返す。

だが、それが限界。

あかねが既に、その時には後ろに回っていた。

首筋に、一撃。

呻くと、地面に伸びる二口女。流石に気絶までは追い込むことは出来ないが、延髄に麻痺の術式を叩き込んだ。

後ろに、豆狸が落ちてくる。

気を失ってはいないが。かなりのダメージである。それでも飛び起きて突っかかって来るが、振り返りざまに一射。

避けきれず、直撃。

瓦礫の中に突っ込んだ。

それでもまだ立ち上がってくる。大したタフネスである。

「ぐっ、おの、れ……! よくも……! そんな整った顔で、容姿で苦労した事なんて、無いくせに……!」

コンプレックスを剥き出しに、必死に起き上がろうとしてくる二口女。見下しながら、あかねは。

容赦なく、二口女の背中を踏みつけ、至近から八幡太郎の弓を引き絞る。

短時間で麻痺の術式を中和しかけていた二口女も、これにはひとたまりもない。ガードも出来ない状態から、後頭部に直撃を受けたのだ。

顔面から地面にめり込んで、流石に動かなくなる二口女。

だが、瞬時に姿が消えた。

豆狸が、二口女をひっつかんで、離れたのだ。呼吸を整えながら、豆狸はあかねをねめつけてくる。

「これまでだ」

「逃がすと思う?」

「思わない」

既に、豆狸の周囲には。

私が展開した、光の檻の術式が。

指を鳴らすと、豆狸を瞬時に縛り上げる。豆狸は、それでも動じない。流石に二口女は離してしまったが。

「にげろ。 おれがどにかする」

「……お前、どういう、つもりだ」

「いいからいけ」

どこかたどたどしい豆狸のしゃべり方。

ふらふらの二口女は、此方を一瞥すると、闇夜に消える。まあいい。逃がすつもりは、最初から無い。

豆狸は縛られたまま、突貫してくる。

真正面から、弾丸のように。

だが、そこまで。

空中に浮かんだところで、もう一度指を鳴らす。

今度は地面から伸びた光の鎖が、豆狸を更に拘束。地面に叩き付けた。受け身も出来ない状態。

それに、これだけ八幡太郎の矢を受けて、まだ消滅に到っていない。

大したものである。

「ころせ」

「師匠に、傾きを是正して貰います」

「いいからころせっ」

「そうは行きません。 貴方には、色々話して貰う事があるのだから」

懐から出したのは、ショックカノン。

ただSFに出てくるような未来兵器では無い。単に高圧電流を流すだけの、暴徒鎮圧用のものだ。

電流を流すと、流石に哀れっぽく悲鳴を上げた豆狸だが。これは、防御のしようが無い攻撃だ。

間もなくぐったりして、身動きしなくなる。

「敵一確保。 すぐに人員を廻してください」

さて、次は手負いの二口女だ。

思ったより遙かに早く、二口女は距離を取ろうとしている。住宅街に逃げ込まれると面倒だ。

だが、逃がさない。

加速の術式を展開。

一気に、闇夜を走り、距離を詰める。

背中を確認。

多少ふらつきながらも、道路を走って、逃げようと必死だ。気の毒だが、それも此処まで、一気に捕らえさせて貰う。

不意に、強い殺気を感じて、左に避ける。

二口女のパーカーから、何か槍のようなものが覗いている。

それも、二本。

此方に向けて照準を合わせているのがわかった。なるほど。二口女は髪の毛を蛇のように使って食事をする絵が有名だが。このような使い方も出来るのか。

一種の投擲槍だ。

また、槍をうち込んでくるが。

しかし、わずかに右にずれるだけで、虚空を抉る。

弾丸並みの速さだったけれど。

加速状態の今、そんなものは無意味だ。

もう一発、髪を束ねて打とうとする二口女だが、その時には既に、あかねは懐に入り込んでいた。

鳩尾に、膝蹴りを。

無造作なまでに静かに叩き込む。

吹っ飛びそうになる二口女だが。髪の毛を掴んでいたので、遠くへは飛んでいかない。首がへし折れそうなほど激しく体が曲がる。

吐血する二口女に。

更に、容赦なく肘を撃ち下ろした。

コンクリを砕きながら、地面にめり込む。

今度こそ、白目を剥いている。だが、最後の意地と言う奴だろう。

二口女の後頭部には、もう一つの口がある。

それが開くと、舌を槍のように尽きだしてきたのである。それも、獲物に襲いかかるハブのように、かなり伸び上がって来た。

手甲で軽く弾く。

それだけで、二口女の首がごぎりと鳴る。

「き、貴様。 そんなに暴力的な奴、だったのか」

「此処には師匠がいないから」

あまり、本当の姿は見せたくないのだ。

師匠は、生真面目で融通が利かなくなって、可愛くなくなったと、あかねの事を考えているようだから。そう思っていて欲しい。

実際には残酷で、敵には容赦がなく、一切合切遠慮しないで叩き潰す。そんな戦闘における心構えを、師匠の前では見せたくない。

多分見せたら、二重の意味で失望するだろうから、だ。

髪を掴んで引っ張り上げ、二口女の顔を近づける。

もう身動き取れない様子の二口女は、鼻血を流したまま、拭くことも出来ない。

「お前なら、強化怪異とも、互角以上に渡り合えそう、だな」

「そう?」

「だが、戦闘タイプは私だけじゃ、ない」

知っている。

だから、消耗は避けたいのだ。此処まで徹底的にやったのは。その方が、むしろ損害が小さくなるから、というものもある。

さて、次は芦屋祈里だ。

切り札を二三枚切ってでも。

此処で、奴を仕留めてしまう。

奴の場合、逮捕しても、恐らくは何も吐かないだろう。そうなったら、採るべき手段は、一つしか無い。

 

思ったより遙かに早く、二口女の反応が消えた。

まさか、此処まで出来る奴だったとは。自分と同等か、それ以上。芦屋祈里は、追跡してくる諏訪あかねの顔を思い浮かべて、舌打ちしていた。

対怪異部署のエース。

ざっと見ただけで、その圧倒的な実力はわかる。おそらく陰陽師としても神職としても、実力は当代一。

五月蠅い老人方でも、現状の諏訪あかねの力を見たら、黙り込むしかないだろう。羨ましい話だ。

芦屋祈里は、記憶を継承してからは、芦屋家の跡取りとして育った。

古くから、芦屋家では、長女が家督を継ぐ。古くからと言っても、あの九尾の元を離れた先祖が、芦屋家を乗っ取って以降の話である。

とはいっても、力量が足りなければ、家督は奪われる。

兄弟は、いずれもがライバル。

実力さえ示せば、家督を継げる。闇世界で最大級の資産を持っている芦屋家の跡継ぎだ。その名誉は、想像を絶する。

十六歳の時には、芦屋祈里は跡継ぎを確定させた。

他の兄弟よりも明らかに優れた力量。長女である事に恥じない実力が、それを為したのだ。

それから、芦屋家には不幸が続いた。

老人を残して、働き盛りの陰陽師達が次々に他界。

跡継ぎを争った兄弟達も、色々な理由で、この世を去って行った。

いつの間にか、芦屋家に残っていたのは。

膨大な、強力な霊的武装。

そして、もう力を枯れ果てさせた、老人達。

家の運命は、祈里の双肩に掛かった。それ以降は、もはや手段を選ぶ事さえ出来ず、ただひたすら、芦屋家のために働いてきた。

先祖の記憶も、受け継いでいる。

だからこそに、芦屋祈里は、わかっているのだ。

これが妄執で。

それを振り切るためにも。この世界を変えなければならないのだと。

土蜘蛛が、急ぎながら言う。

「諏訪あかねが此方を捕捉した模様です」

「ああ。 どれくらいで追いつかれる」

「十分以内かと」

「……そうか」

少しばかり、作戦開始が早かったかもしれない。

テレポートは出来るが。それでは、あまり意味がないのである。エクソシストのナンバー8、探知能力者のフォルトラヌの追跡は、既に振り切っている。色々な霊的武装で、関係を切ったのだ。

だからこそに、陽動のためにも。此処にいることを、もっとアピールしなければならない。対怪異部署上層部の脳に、芦屋祈里が北海道以外に根拠を持っているかもしれないと言う可能性を、きざまなければならない。

場所を変えた方が良さそうだ。

諏訪あかねの力を、芦屋祈里の方でも捕捉。どうやら、多少は消耗したようだが、まだまだ戦闘を余裕で行える。

これは、土蜘蛛と協力しても、厳しいかもしれない。

「引くことを提案いたします」

「そうはいかない」

「これは敗戦かと」

「……」

二口女は、見上げ入道の側近だ。

二口女の素性は知らないが、見上げ入道が大事にしていたのだ。何かしらの不幸な生い立ちか何かでも不思議では無い。

作戦上とはいえ、その側近を失って。平然と引き下がれるか。もし見上げ入道がへそを曲げて裏切りでもしたら、味方は致命打を受ける。怪異の中には、怪異幹部である見上げ入道を、芦屋祈里より慕っている者も多いのだ。

少なくとももう一日は、諏訪あかねを引きつけなければならない。

「距離を取る」

「敵の方が早いようですが」

「速度を上げるだけのことだ」

土蜘蛛に手を突くと。

加速の術式を展開。土蜘蛛が、一気に速度を上げた。自分でも、加速ぶりに驚いているようである。

「これは、凄い」

「相対速度は」

「ほぼ並びました」

「よし、次の道を右折。 山の中に入り込むぞ」

この辺りには、山深い土地が多い。勿論ゲリラ戦をするにはうってつけの場所だ。先に、連絡は入れておく。

現時点で、被害甚大も、作戦遂行には問題なし。

即座に、首領から返信。

「時間を適当に稼げば問題は無い。 無理はせずに引き上げるように」

「ラジャ、と」

通信を切ると、後方を確認。

さて、そろそろか。

道路を走る土蜘蛛だが、当然車には見えていない。車が時々、至近を通り過ぎるので、迫力満点だ。

車の運転が苦手なことを自覚した頃から、だろうか。

車そのものも、何だか苦手意識を覚えるようになった。ましてや、今は冬。滑ることも多く、車が走ると非常な迫力がある。

白い息を吐きながら。

芦屋祈里は、何度か後方を確認。

敵は此方を捕捉している。遠距離での術式を使ってくるかもしれないと警戒していたのだけれど。

今の時点で、それは無さそうだ。

「よし、次を右」

「信号は」

「無視しなさい」

かなり大きな四つ角に出た。当然、信号もあって。土蜘蛛が、そんなおかしな事を言ったので、呆れてしまった。

だが、意図が違った。

土蜘蛛は、不意に信号に上がると、大ジャンプをしたのである。

至近の真下を、時速五十キロで、四トントラックが通り過ぎる。ぞっとしたが、誰も芦屋祈里と土蜘蛛には気付かない。

道路に着地。

時速八十キロ以上を出しながら、土蜘蛛が山道を上がっていく。

既にアスファルトの道路はなくなり、土が剥き出しになっていた。しかもガードレールがない。

オフロードの4WDでも躊躇する道だが。

八本足の機動力は流石で、土蜘蛛は何も怖れる事無く、山を驀進していく。

こういう場所は。

闇に生きる者として、むしろ安心できる。

さて、諏訪あかねは。

距離が離れ始めた。

土蜘蛛にとってのホームグラウンドは、山だ。元々、土蜘蛛のアーキタイプとなったのは、大和朝廷に逆らって討伐されていった、まつろわぬ民達。

彼らはやがて山の民になって行った。

土蜘蛛は、敗者の悲劇をそのまま現している怪異なのだ。

「諏訪あかね、停止」

「安心せず、更に距離を」

「了解しました」

土蜘蛛が、更に急ぐ。

山の中に逃げ込まれたくらいで、諏訪あかねが追跡を断念するとは思えない。長距離砲撃を仕掛けてくるか、或いは。

山の頂上に到達。

更に降りに入る。

足を止めた諏訪あかねは、稜線の向こうだ。それにしても、妙な話。どうして奴は、追跡を止めた。

「距離を更に取る」

危険は、可能な限り避ける。

勿論、二口女の犠牲を無駄にしないためにも、まだまだ戦いは続行するつもりだが。それは必ずしも、手札が見えない相手と無意味に戦う事は意味しない。

山を二つ越えたところで、停止。

加速の術を解除すると、土蜘蛛の背を降りた。

「今晩は、此処で野宿だ」

「わかりました。 それでは私が見張りを」

「不要。 式神にやらせる」

周囲に、十体以上の式神を同時展開。

十体程度なら、特に苦労もせず出せる。戦闘目的のものは、偵察に出すため、芦屋祈里と土蜘蛛の側を離れた。

食事は、特に必要ないが。いざというときに動けなくなることを防ぐためにも、口にものは入れておく。

とはいっても、この辺りの山菜を食べる気は無い。

カロリー補給用の錠剤を、持ち込んでいるのだ。それを口にした後、空腹の抑制剤を飲む。

薬漬けで乗り切るのは、必ずしも良いことでは無いけれど。

一日や二日程度なら、問題は無い。

サバイバル訓練などは、下手な自衛官のレンジャーよりも受けている。芦屋の一族で育つというのは、そう言う意味だったのだ。

適当な、側の木の幹に背中を預けると、座る。土蜘蛛は巨大な蜘蛛の顔の複眼を、芦屋祈里に近づけた。

「増援を、呼ぶべきではありませんか」

「今はまだ不要だ」

「しかし、このままでは、手が足りなくなります。 敵の注意を引かないのでは、陽動の意味がないかと」

蜘蛛のくせに、立て続けに正論を言う奴だ。

だが、増援を呼ばないのには、理由もある。

いずれにしても、放った式神達が、結界を完成させる。これで、後は、出方を待つだけだ。

「オーストラリアに逃がした一族が、捕縛されたとうかがっていますが、平気ですか」

「問題ない。 もとより、闇に生きてきた一族だ。 末路がどうであろうと、皆は覚悟くらいしているさ」

仮眠を取る。

そう言い残すと、芦屋祈里は目を閉じて。

それ以上、おしゃべりな蜘蛛には応じなかった。

 

目を覚ます。

朝が来たから、ではない。

確かに稜線の向こうに、太陽が来ているが。目を覚ましたのは、気配を察知したからだ。

芦屋祈里の反応に呼応して、式神達も動き出す。式神は、使い手の精神に、大きな影響を受けるのだ。

「土蜘蛛」

「此処に」

短く答える土蜘蛛は。

目の前で丸まって、土まんじゅうのようになっていた。巨大であるにも関わらず、地形に見事に溶け込んでいる。

「敵ですか」

「ああ。 おそらく此方の疲労のピークを突くつもりだな」

来るのは、一人だけ。

つまり、諏訪あかねだ。まっすぐ此方に向かってこないのは、山の中に、多くの結界を仕込んでいるからである。

逃げる途中、何もしなかった訳では無い。

事前に作って置いた札をばらまいて、結界を多数張り巡らせていたのだ。既にこの山は、芦屋祈里にとって縄張りも良いところである。

「妙ですね」

土蜘蛛が、おかしな事を言い出す。

確かに、諏訪あかねは捕捉できている。穏行を使うつもりがないらしく、まっすぐ此方に来る。

多分威圧が目的だろう。

正面からやりあって、勝てるつもりなのだ。

この山が要塞化されていても、関係無いというのだろう。

それが、妙だというのか。

聞いてみると、違うと言う。

「いくら何でも、諏訪あかね一人で攻めこんでくると言うのは、おかしいと思いませんか?」

「奴はそれだけの実力を持つ使い手だが」

「いえ、それにしても妙です」

何か言いかけた土蜘蛛が。

横殴りの一撃に、吹き飛ばされる。

慌てて飛び退いて、防御の術式を展開するが。愕然として、それを見上げることになった。

巨大な人型。

それも、あの金毛木津音、つまり九尾にそっくりだ。九尾と違って、妙にマッシブというか、たくましいが。

これは、式神か。

「!」

横っ飛びに逃れる。

無差別に降り注いだ、光の矢。おそらく、諏訪あかねの遠距離砲撃。手にしている八幡太郎の弓からのものだ。直撃弾数発を、どうにかそらす。

そうか、穏行を掛けていたのは、式神。

本人は、式神の奇襲にあわせての、援護射撃。確かに限られた人数での攻撃としては、理想的な安全策だ。

うなりを上げて、式神が蹴りを叩き込んでくる。

木を数本蹴散らした蹴りが、虚空を抉る。もの凄い音で、直撃を喰らったら体がばらばらになりそうだ。

体勢を立て直した土蜘蛛が、無数の針を飛ばして、式神を襲う。

芦屋祈里も、式神を総動員。

諏訪あかねに、全てけしかけた。

乱戦が始まるが。

巨大なあかねの式神は、手を振るうだけで、針を全てはじき返す。

それに対して、祈里の式神は、ゴミでも蹴散らされるかのように、あかねに叩き潰されているのが、遠隔でもわかった。

まずい。

見た感じ、あかねは一体の式神に、その総力を込めている。これに対して、芦屋祈里の式神は、それぞれ用途別に分けている。

こういうとき、差が出る。

「私が殿軍に」

「いや、引くぞ。 これは分が悪い」

土蜘蛛に飛び乗ると、勢いが乗ったあかねの式神の拳を、正面から玉串を振るっての防御術式で弾く。

それでも威力を殺しきれず、かなりの距離を下がった。

跳躍して、中空から躍りかかってくるあかねの式神だが。

今度は芦屋祈里の反応が早い。

藤原秀郷の弓を引き絞り、放つ。一発。左に弾く式神。二発。腹に直撃。態勢を崩す。三発。

もろに吹っ飛ぶ。

左からの攻撃に、即応。

金属片を展開して、八幡太郎の弓からの一撃を、はじき返す。

だが、これも重い。

次は抜かれる。

単独の能力者で言えば、諏訪あかねは図抜けている。この様子では、もう一日逃げ切るのは、難しい。

ただし、正攻法ならば。

加速の術式を掛けた。祈里を乗せ、全力で下がる土蜘蛛。

上空。

祈里の式神の防衛網をあっさり蹂躙した、諏訪あかねが。中空で、矢をつがえているのが見える。

その目は冷酷そのもので。

相手を殺す事を、まるで躊躇っていなかった。

矢が、放たれる。

防御を抜かれ、肩の辺りの肉を裂かれた。

だが、着地したあかねは、その場で動きを止める。此方を、憎悪に満ちた視線で一瞬だけ見ると、身を翻す。

「何をしたんですか?」

「不安定な岩がある。 転がせば、麓の村まで行く。 民家を押し潰すだろう。 現在はネットで固定されているが」

視線で、促す。

そのネットの周囲に群がっている式神を、丁度今、あかねが蹴散らしているところだった。

あかねの式神も起き上がると、此方に向かって走り出している。

モタモタしている猶予はない。

「今日一日逃げ切ったら、空間転移で戻る」

生まれてきてから、今日までで。一番長い一日になりそうだと、芦屋祈里は。凄まじい勢いで追跡してくるあかねの式神を見ながら思った。

 

4、減り行く砂

 

あかねが戻ってきた。

強化怪異二体を捕らえ。日本に入り込んでいたテロリストの集団が、芦屋祈里に潰されるのを見届け。

陽動らしい行動を岐阜でしていた芦屋祈里にかなりの手傷を負わせたが。

結局、捕らえるには到らなかった。

私は横になってスルメを口にしつつ、視線で促す。軽く、状況を説明してくれないかと。

頷くと、あかねは、状況について説明してくれた。

「面倒な事になりました。 芦屋祈里が、岐阜で活動したことについては事実です。 人手を割かなければなりません」

「それが目的だと言う事だろうしな」

「自衛隊が動きを見せています。 少し前から、ようやく姿を見せて我々と一緒に調査を続けてくれていた部隊を、岐阜に回すと言うことです」

「敵は強化怪異二体を失ったが、元は取ったという事か」

私としては、もう敵が諦めてくれれば良いのだけれど。流石に、其処まで上手く事は運ばないだろう。

尻尾をぱたぱた揺らしながら、次のスルメを取る。

咳払いするあかね。

此方の成果を聞かせろと、無言で促してきているのだ。

「もう少し、敵の潜んでいる場所を絞り込めた」

「有益な情報を拾えたんですか」

「ああ。 タコ部屋で作ったトンネルを専門に漁っている怪異がいてな。 そいつが、消息を絶った怪異達が、行った場所と行っていない場所を知っていた」

そいつ、油すましによると。

元々、タコ部屋のような歴史の闇の怨念が満ちた場所は、怪異にとっても餌場であると同時に、ハイリスクでもあるという。

怪異同士の争いが生じる可能性もあるし。

強すぎる怨念を取り込むと、心身に異常をきたす可能性も高くなる。

つまるところ、そういった所を廻る怪異は。人間で言う、ホームレスに近い存在なのだ。確かに、私も古戦場などに行くと、力が満ちるけれど。しかし、体調も悪くなる。あまり頻繁に行きたい場所では無い。

「とにかく、だ。 そういった場所を巡って力を得ている怪異の中には、独自の情報網がある。 縄張りについても知っていた」

すぐに、手練れを廻したという。

結果、シロと判断できた場所は、潰している。

問題は、幾つか、旧日本軍が放棄した施設が見つかったこと。政府の記録にも、これらは残っていなかった。

二次大戦の末期、ソ連軍の侵攻に備えて作られた施設の数々だ。

記録に残しても、仕方が無いと判断したのかもしれない。

「同じような施設がある可能性は高いな。 今は、団と酒呑童子に、人脈を伝って怪異を廻すように言った結果待ちだ。 多分十五人くらい、明日に来るだろう」

「……間に合いますかね」

「さてな。 間に合わなかったら、どのみちこの世界は終わりだろうよ」

苦笑気味に私は言うと。

半身を起こして、やっぱりスルメを掴んだ。

外に出る。

凍えるように寒い。ひどい雪が降っている。10年に一度の規模であるらしい。こんな中でも、平尾はせっせと聞き込みを続けているし。

牧島はカトリーナと一緒に、力を伸ばすべく鍛錬をしている。

弓に関しては、牧島の腕はもういっぱしだが。

剣に関してはド素人も同然。

カトリーナに小太刀を習って、身を守る術を身につけようとしているらしい。良いことだと思う。

「安倍晴明は、何か言ってきていますか?」

「いんや。 あれきりなしのつぶてだ」

聞かなくても、良くなるかも知れない。

だが、タイムリミットが近づいてきているのがわかる。もう、残りの時間は、どれだけあるのだろうか。

焦りは、ある。

しかし、確実に敵の居場所も、絞り込めつつある。

あかねに休むように言うと。流石に二日まるまる達人を相手に戦った疲れが出たのか。あかねも、奥の部屋で休みはじめた。

私はと言うと。

大きく伸びをしてから、頬を叩く。

一つ、やる事がある。

最悪の事態に備えての、調整だ。

私は人間に生まれ、怪異に傾いてから、この世界を何度も呪った。壊れてしまえ。無くなってしまえば良い。

そう願った回数は、それこそ万ではきかないだろう。

だけれども、今は。

少しずつ良くしてきたこの世界にも、少しは愛着がある。人間も怪異も好き勝手な事ばかりしていて。皆で努力など、しようともしないけれど。それでも、少しはこの世界に未練もある。

だから、やっておく。

術式の構成を開始。

六時間ほど掛けて、組んだ術式は。自分の中で、息づく。これでいい。使わなければ、それで良いし。

使うとなったら、未練無くやらなければならない。

あかねはすっかり生意気で真面目になってしまったけれど、まだ可愛い事に代わりは無い。

既に手は離れてしまったけれど。

子孫も、この国中にいる。

牧島も平尾も、カトリーナも。死なせたくは無い。

だからこそ、やる価値はあることだ。勿論、自分に何の術式を埋め込んだかは、誰にも言わないが。

部屋に戻ると、スルメを囓る。

焦るな。

きっと、どうにかなる。

どうにかならないときでも、どうにかは出来る。

私は、自分に言い聞かせながら。

焦りを抑えるためにも。

スルメを、囓り続けた。

 

                            (続)