血しぶきの渦

 

序、煙

 

戦いの場に選んだのは、東北に多数ある廃村の一つ。既に住民は一人もおらず、戦いになっても誰も困らない。

エクソシストの主力部隊が其処に殺到したとき。

既に、地獄絵図が現出していた。

村の一番高い場所。

百年を経ている老木の上に浮かんでいる影。

芦屋祈里である。

其処から、一方的な制圧射撃が、村に侵入を試みたエクソシストの部隊に、降り注ぎ続けていたからである。

正体はよく分からない。

とにかく、芦屋祈里の周囲に無数の光が浮かんでいて。それがガトリング砲のように乱射されているのだ。芦屋祈里自身は、何もしている様子が無く。ただ浮いているだけにさえ見える。

精鋭三十名からなるエクソシストの部隊は、日本でも弾よけとなる戦力を、ある程度調達していた。

主に古参の一神教徒からなる部隊で、彼らに簡単な霊的武装を持たせて、前線に立たせたものである。

その弾よけは。

あまりに苛烈な攻撃の前に半壊状態になりながら、必死に救援を求めてきていた。

「敵の攻撃、苛烈! まるで爆撃です!」

「ふむ」

世界最強のエクソシスト、ギュンター卿は腕組みをしながら、状況を確認。指揮車両にしているのは、日本で入手したバンを強化改造したものだ。中にはバチカンが誇る一桁ナンバーのエクソシスト達が乗っている。物理的にも強靱だが、強固な術式で防壁が掛けられており、巡航ミサイルが直撃したくらいではびくともしないほどに凶悪な改造が施されている。

兵力は、此方が圧倒的なはずなのだが。

戦況は、好転の兆しもない。

前衛に一桁ナンバーを投入するべきか。

芦屋祈里がいる以上、敵の主力部隊も其処で待ち伏せしているのは確実である。敵が出し惜しみせずに戦力を出してきているのは、むしろ好機。

「ハドラ卿」

「此処に」

声を掛けられ、起立したのは。

長身の、ひょろりとした男である。

ハドラ=バルン。

ナンバー5のエクソシスト。長距離からの強制除霊を得意としている。また、防御能力も絶大で、陣地を構築する技術も一級だ。

「打ち落とせるか」

「やってみましょう」

バンの上に、ハドラが上がる。

しばらく腕組みして戦況を見ていたギュンターは。とっさに立ち上がると、得意としている防御術で、バンそのものを守った。

爆裂音。

バンが激しく揺動する。

直撃を受けていたら、危なかったかもしれない。

「何が起きた。 応答しろ、ハドラ卿」

「そ、それが……」

恐怖にかすれるハドラの声。

話によると。

長距離狙撃を仕掛けた瞬間、反撃で砲撃が飛んできたというのである。恐らくは、芦屋祈里によるものだろう。

どうやら、自分が出るしか無さそうだ。

無言で、バンを出たギュンターが見たのは。焦土と化しつつある周囲。廃村とは言え、いくら何でも派手にやり過ぎだろう。

それだけではない。

前線に近づいている、強力な気配。

怪異のものだが、あまりにも気配が強すぎる。数は十体。

話に聞く、強化怪異か。

ただ、数があまりにもおかしい。いくら何でも、十体もの強化怪異を繰り出してくるのは、完全に想定外だ。

逃げ腰になる前線の連中。

舌打ちしたギュンターは、声を張り上げた。

「二桁ナンバーは、敵を押さえ込め! 一桁ナンバーは、各自協力して、強化怪異を各個撃破!」

「後方より通信です!」

連れてきている、通信士官が声まで青ざめさせて叫ぶ。

殿軍に、敵の集中攻撃だという。其方には、二体の強化怪異と思われる化け物が現れて、猛威を振るっているとか。

更に、左翼右翼からも、攻撃の連絡が立て続けに入る。

囲まれた。

それも、尋常では無い数の敵に。

芦屋祈里は、此方の混乱を敏感に察知したのだろう。上空から、今までを更に上回る勢いで、火力投射をしてくる。

其処へ、強化怪異合計二十体による猛攻が加わるのだ。

ひとたまりもない。

撤退を決意するまで、そう時間は掛からない。

バンをバックさせて、後方を無理矢理突破。協力者として連れてきた部隊は、ほとんど見殺しである。

味方の損害は甚大。

人的被害よりも、持ち込んだ装備や、士気の被害が著しかった。

包囲を突破して、どうにか別の地点で合流したとき。味方の無惨な有様を見て、ギュンターは口を引き結ぶ。

文字通りの、壊滅状態だ。

「戦死者のリストを」

「一桁ナンバーは全員生存。 ただし、二桁ナンバーの六名が戦死。 協力者として戦闘に参加してくれた人員三百名ほどは、その殆どが、見捨てて逃げるしかありませんでした」

「……」

ナンバーツーであるカルミランも、顔色が悪い。

此処まで決定的な戦力差があるとは、流石に此処にいる誰もが、考えていなかったのである。

おいおい、見捨てていた協力者の部隊が戻ってくる。

彼らは、流石に狂信的な一神教徒が殆どとは言え。自分たちを見捨てて逃げたエクソシストを、良く想っているはずがない。

手足を失っている者も多かった。

思ったより、逃げ出してきた者は多い。或いは、戦意が無くなった時点で、追撃を停止したのかもしれない。

たたき出すだけで、充分というわけだ。

「噂通り、随分と勇敢な戦いぶりでありましたな」

皮肉混じりに言ったのは。

今回、現地協力者の指揮をした、角蔵枢機卿。この国に数少ない、教皇になる資格を持つ男の一人だ。

昔エクソシストをしていたことがあり、その実力は折り紙付きだが。

彼は強化怪異に遭遇してしまったらしく、左腕をへし折られていた。目には、完全に近い形で、憎悪が浮かんでいる。

「敵は主に此方の霊的武装を破壊すると、さっさと引き上げていきました。 強化怪異に損害はありません」

「そうか。 負傷者の手当を急いでくれ」

「……敵地に取り残された味方が大勢います。 これから救助に戻ります」

「勝手にせい」

ギュンターが吐き捨てると、傷だらけの枢機卿は戻っていった。勇敢と言うよりも、もう敵が此方に興味を無くしたことを悟っているのかもしれない。

何度かの救出作戦は、敵の抵抗も受けず。

芦屋祈里は空中に浮かんだまま、此方を睥睨しているだけで、攻撃も仕掛けてこなかったと、逃げてきた者達から聞かされる。

第一次攻撃は。

八十名近い死者を出して、失敗した。

 

教皇に連絡を入れて、ギュンターは結果だけを知らせた。流石に教皇も、驚いたようだった。

歴史的に見て、怪異が大規模なコミュニティを作った例は、幾つもある。

だがその殆どが、人間の能力者に打ち破られて、塵芥のように蹴散らされる運命をたどっていった。

今回もその筈だった。

「まさか君が敗れるとは」

「想定より、敵の戦力が著しく多かったのが原因です。 味方の戦力を増強するほか対策はありません」

「六名も一桁ナンバーが其方にいるのに、かね」

「それでもまるで足りません。 幾つかの騎士団の派遣をお願いいたします」

騎士団と言っても、鎧を着込んで剣を持っている連中では無い。

エクソシストの手足となって、怪異と戦う人間達の事だ。多くは霊的な武装を渡されている。

彼らは数で敵を平押しするのだが。

ただし、その場合でも、今までは圧勝だった。

今までは。

今回は、彼らを人間の盾として、活用するしかない。

それに、騎士団の幾つかは、民間軍事会社としても活動している。戦闘能力は、ひょっとするとザコしか相手にしてこなかったエクソシストよりも上かもしれない。

「日本側の戦力と協調して、連携は取れないかね」

「下手な連携は、却って被害を増やすだけかと思いますが」

「それもそうか。 騎士団については、私の方から声を掛けるが、其方に到着するまで一週間はかかる。 それまでは、敵に手出しはしないように」

「御意」

通話を切る。

不安そうにしているのは、敵の能力者の一を把握するレアスキルの持ち主。ナンバー8、フォルトラヌ。

まだ幼い子供だが、敵の位置を知る事が出来るという点で、図抜けた実力の持ち主である。

「敵は一切動いていません」

「余程に、自信があるのか」

困惑した顔を見合わせる部下達。

ギュンターは拳を、強固に武装したバンに叩き付けていた。

一旦負傷者を収容すると、関係のある病院に収容。残った戦力を集める。案の定、現地で召集した戦力は、これ以上の戦闘を拒否した。

見捨てたことが原因だろう。

あなた方は、とても神の加護を受けているとは思えない。

角蔵はそう捨て台詞を吐いた。

此方としても、背中を撃たれるよりはマシかもしれない。

一桁ナンバーのエクソシストだけでは、敵を討てる状態には無い。二桁ナンバーも戦死者が六名出て、更に八名が重症。

彼らはすぐには戦場に出せない。

文字通りの、どん詰まりだ。

一度、拠点として確保していたホテルに移動。ギュンターは、ロイヤルスイートの個室で、ベッドに腰掛けたまま、思惑を巡らせた。

フォルトラヌは敵の監視を続けているが、敵は動かない。あの廃村の地下に、敵の一大拠点があるとみて良い。

いっそのこと、巡航ミサイルでも要請するか。

いや、厳しいだろう。

敵の火力を見る限り、核兵器でも叩き込まない限り、黙るとは思えない。あの芦屋祈里の実力は、予想を遙かに超えている。あの有様だと、巡航ミサイルくらい、中途で撃墜しかねない。

かといって、核を用いる場合は、色々と面倒くさい事になる。

幾ら世界最強のエクソシストといえども、教皇に頭を下げることになるし。教皇から在日米軍に頼み込むことになるだろう。

そして、最悪なことに。

下手をすると、戦術核では、防ぎきられる可能性さえ、考慮しなければならなかった。

まさかと、ひょっとしては、今回の戦いでは捨てるべきだ。

強化怪異の能力を見る限り。

敵の戦闘能力は、此方を遙かに凌いでいると考えるべきだろう。

勿論ギュンター自身が、芦屋祈里に劣るとは考えていない。一対一の状況を作れば、必ず倒せる。

問題は、それがまず無理だと言う事。

敵には、更に幹部が控えている、という事だ。

最悪の場合、芦屋祈里はただ足止めのために、陣取っている可能性さえある。総力を挙げて敵をたたいたとして。

その跡地が、もぬけの殻だった場合。

ギュンターは、おそらく解任されるだろう。

色々な思惑が頭を巡る。

頭を振って、混乱を追い払っていると。

部屋の戸がノックされた。

「誰か」

「お手紙にございます」

戸の下から、手紙が差し込まれる。

古典的なやり方だなと、苦笑いしながら、手紙を受け取った。毒物や呪いの類は無し。読んで見ると、思わず眉をひそめる内容だった。

あなた方の中に、内通者あり。

それだけである。

勿論一笑に付す。今回の戦闘での敗因は、純粋に敵が強かったことだ。内通者がいようがいまいが、関係無い。

それに、ギュンターは知っているのだ。

そも、エクソシストとは。悪魔払いの事。幼い頃から徹底的に悪魔についての嫌悪をすり込まれた者達。

いわば一神教の最エリート。

広告塔ともなる存在だから、背教がある事は許されない。

厳格な思想で身を鍛え抜き、戦う事だけを喜びとする。そして、それは巨大な歪みを生んでいく。

実戦に出たとき、その歪みは最大級になる。

知る事になるからだ。

神の敵とやらが、いかに脆弱かを。

一神教が広まる過程で、ドラゴンやら異国の魔神やらを討伐する聖人の話が、それこそいくらでも、掃いて捨てるほどにあるが。

それらは冗談でも何でもない。

実際に、怪異という存在が、如何に弱いかという話だ。

相手の弱さを身でもって知ったエクソシストは、やがて強さに溺れていく。誰も、それに例外はない。

そして強さに溺れたところで。

敵がそれ以上に弱いから、何ら問題は無い。

今まではそうだったのだ。

エクソシストが強敵とぶつかる場合もある。それは相手が人間だった時だ。今回などは、そのケースに近いだろう。

だから、対怪異に特化したクルースニクよりも。

むしろ、表向き公表はされていないが。対人間に特化したエクソシストの方が、強いとされているし。

ギュンターもそう考えている。

あの手紙、今回の敗戦を受け入れられない味方が出したものだろうことは、容易に想像できる。

怪異になど敗れることは、許されない。

そうだ、これは味方に裏切りものがいるからだ。というわけである。

苦笑いが漏れてしまう。

いずれにしても、戦力の整え直しだ。呼び出す騎士団の中には、対人戦に特化している連中も大勢いる。

これらの戦力と。

対怪異部署も含めた戦力での包囲を行い。

改めて、勝負をする。

一度や二度の戦術的勝利くらいは、別に敵にくれてやってもおしくはない。最終的に、神の敵を討滅出来れば、それで良いのである。

通信が入る。

敵を監視しているフォルトラヌからだ。

「敵に動きがありました」

「うむ、して如何に」

「兵力を集結させているようです。 対怪異部署の精鋭が、迫っているようです」

「そうかそうか、重畳」

まずはお手並み拝見と行きたいところだ。

奴らの最精鋭である諏訪あかねは、この間見た。確かにとんでも無い実力者だ。あれがどこまで、強化怪異の大群に通用するか。確認しておいて、損は無いだろう。

「監視を外すなよ」

「はい」

短い会話だけで、意思疎通は事足りる。

戦いは、戦場以外でも、常に行われているのだ。

 

1、それぞれの思惑

 

先発隊から、既に情報は入っていた。

苦虫をかみつぶしている様子の平野。彼は今回、前線で指揮を執る事になるのだが、それは勿論建前上の話。

実際に戦闘指揮を執るのは、あかねだ。

最前線には、安城が率いる武闘派が出張って、状況を確認している。エクソシストの戦況は、著しく悪いようだった。

「戦死者が相当数出たようです」

一旦下がって来た安城が、資料を見せてくれる。

先行させていた偵察用のドローンが、回収してきた映像だ。三百人ほどの傭兵だか何だかが、空中に浮かんだ芦屋祈里から、一方的な攻撃を浴びている。

それだけではない。

ざっと二十体ほどの強化怪異が、エクソシストに対しての包囲攻撃を実行。

文字通り支離滅裂に蹴散らされたエクソシスト達は、包囲を破ると、撤退していった。完敗と言って良いだろう。

「これは、勝てるのかね」

平野が、不安そうに言う。

元々平野は武闘派ではない。対怪異部署の長をしているだけあって、実は能力持ちだったりするのだけれど。それも戦闘向けのものではない。

そういえば、芦田は。

彼奴については聞かされていない。能力持ちなのかさえはっきりしない。ただ、戦闘を経験した男とは、間近で何度か接して、思う事は出来なかったが。

「多分無理でしょう」

「それならば、撤退かね」

「いえ、エクソシストと「共同」して、作戦に出る好機です」

あかねは言い切る。

それはどうだろうと、私は内心で思ったが。黙っておく。

そもそもエクソシストと共同戦線を張ることは、あかねは安城もろとも、最初は懐疑的だった。明確に反対さえしていた。

勿論あかねの意図は相手を利用する事で。エクソシスト側も、それを承知で乗ってくるだろうが。

それでも、付け焼き刃の共同戦線なんて、多分上手くは行かない。

「しばらくは遊撃に徹して、主力での決戦は控えましょう」

「……」

決戦を避ける。

その言葉で、平野は安心したようだった。

此処は、決戦が行われた廃村から、数キロ離れた場所。同じように、人がもう住んでいない、過疎化の村だ。

対怪異部署は、以前自衛隊から払い下げられた装甲車を数台持ち出してきており、装甲化したバスを指揮車両に、現在攻撃のタイミングを計っていたのだが。

ドローンが持ち帰った、想像を遙かに超える敵の戦力を見て、少なからぬ動揺が広がっていた。

八岐大蛇を使って、一気に叩くべきでは無いのか。

そう言う意見も、出始めている。

また、自衛隊に総力出撃を願うべきでは無いかと言う声もある。

だが、私は、賛成できない。自衛隊を出しても、多分相当数の被害が出る。練度が高く高度な装備をしている自衛隊でも、あの強化怪異の相手は、正直な話、荷が重いからである。

あれは、在日米軍が出張ってきても、厳しいだろう。

結論としては。

多分大戦力を整え直して出張り直してくるエクソシストの出方を見る方が良い。そうなるのは、自然な流れだ。

ただし、それで勝てるか。

共同できるかとなると、話は別だろう。

そして、今回の件ではっきりわかったが。

敵の実力は、想像を遙かに超えている。強化怪異の実力を見る限り、小国なら二十体もいれば、数時間で更地にする事が出来る。

歴史上、これほどの数の、非常識な怪異が現れた例は他に無い。

大妖怪と呼ばれる私や酒呑童子でさえ、人間には勝てないというのが、世の常識なのである。

とりあえず、一旦は敵から距離を取ることで決定。

更に数キロを下がり。ドローンを多数放って、状況を確認することで、当面は終始することになった。

装甲車を降りる。

霧が出てきている。もう季節は冬で、かなり肌寒い。これで雪でも降り出したら、文字通り最悪だ。

あかねが来る。

険しい顔をしていた。

「式神使いを中心に、何名かが偵察をしていますが、結果は芳しくありません」

「そりゃあ、一桁ナンバーを六人も連れたエクソシストが一蹴されるほどの戦力だからなあ」

「それもありますが、芦屋祈里が異常に強固な結界を複数枚張っています。 まずはそれを破らない限り、どうにも出来ません」

「……お前が言うほどの異常強度となると、人力だけでは無理だな」

あかねが頷く。

芦屋家は、安倍晴明とずっと張り合い続けた、裏の陰陽師における最名門だ。途中から私に復讐を誓う、私の子孫が乗っ取ったが。名門だと言う事には、何ら変わりが無い。

つまりそれは。

国宝級の強力な霊的武装を、山ほど保有している、という事も意味している。

「今回、芦屋祈里は、おそらく実家にある秘宝を惜しみなく投入してきているとみて良いでしょうね。 攻撃に関しても、あれはおそらく、本人によるものではなく、特殊な武具によるものでしょう」

そういえば、今回あかねが持ち出している八幡太郎の弓は、何も国内最強の霊的武装ではない。

確か芦屋の家には。

藤原秀郷が使ったという、大百足退治の逸話が残る霊弓が伝わっていたはず。しかもこの大百足は、龍神を苦しめたという、桁外れの怪異だ。

エクソシストを蹴散らしたときに用いていたのは、多分それだろう。

あれほどの性能を持つトンデモ兵器だとは、流石に知らなかったが。

「まずは、私が前線に出ます」

「仕掛けないのでは無かったのか」

「主力決戦はしない、と言ったんですよ」

そういえば。

エクソシスト側も、一桁ナンバーは結局一人も失っていない。小手調べのつもりが、手痛く叩かれた、という所だったのだろう。

ただしエクソシストもさるもの。

致命傷は、綺麗に避けたというわけだ。

「無茶はするなよ。 今お前を失ったら、どうにもならないからな」

「わかっています。 此処は頼みます、師匠」

「ああ……」

霧に、あかねが消える。

まあ、彼奴のことは、心配しなくても大丈夫だろう。

ふらりと、平尾と牧島の所に行く。二人は、連れ出したカトリーヌと、たき火を囲んで話していた。

カトリーヌは、私から見ても見事な正座で、非常に落ち着いたたたずまいである。

手元にあるのは、木刀だが。

これは、霊験あらたかな水で清めたもので、相当な高威力を発揮するものだ。高いカトリーヌの技量が加われば、相当な破壊力を期待出来るだろう。

牧島は、カトリーヌにアドバイスを受けながら、式神の運用を練っているようである。

話を側で聞いていると、カトリーヌにはいわゆる兵法の知識が備わっている。これは、ますます、もとの馬鹿王族では考えられない。

だとすると、此奴は何者だ。

体は、滅び去った馬鹿王族の、生前のものに間違いない。

しかし、宿っている心については、完全に別物。

強化怪異作成に関する仮説はほぼ固まっているが。

それに照らし合わせても、どうにも謎が残る。

それはヒカリについても同じだ。

どうしてあの小さな娘に。アインシュタインでさえ舌を巻くような、異常な頭脳が備わった。

「参考になります! 有り難うございます」

天真爛漫な表情で喜んでいる牧島。

元々世間知らずのお嬢様だ。こういった、実践的な知識に触れると、単純に嬉しいのだろう。

富山の一件以来、何だか肩に力が入っていた雰囲気があったが。

この無邪気な笑顔を見ていると、それも失せたように思える。

平尾はと言うと、先ほどから筋トレをしている。

もうこれ以上鍛えても意味が無さそうに思えるのだが。たき火の側で、黙々と鉄アレイを上下させている様子を見ると。筋肉を更に鍛えて、実戦で役立てようとしているのは明白だ。

「カトリーヌ。 本官と手合わせ願えるだろうか」

「喜んで」

カトリーヌが、竹刀を持ち出す。

平尾も、剣道に関しては、確か高段位者だ。実際の実力は、あかねにくらべると一段落ちるようだが。

ただし、それは剣道の話。

あかねは元々剣を使って戦う方では無いし、平尾もそれは同じ。

戦闘力に関する指標にはならない。

二人が、竹刀を持って向かい合う。

あかねが古武術よりだと評したカトリーヌの剣は、端から見ていると、凄まじい気迫を放っている。

平尾もそれは同じ。

防具はないから、試合は出来ない。

向かい合って、少し動くだけだ。

軽く降り下ろされた平尾の剣が、カトリーヌの頭上でとまる。

どうやら、二人には、それでわかったようだった。

「噂以上の実力だな」

「貴方も」

「だからこそ、聞きたい。 貴方は何者だ」

やはり、其処に辿り着くか。

少し悲しそうに、カトリーヌは首を振る。わからないと。

「私にも、自分が何者かと言う事はわからないのです。 この体が、東欧で愚行の限りを尽くした一族のものだと言う事は聞かされました。 しかし、私はこの国の言葉を知り、兵法に知識を持ち。 そして、むしろ侍と呼ばれる存在に、親和を感じています。 肉体の持つ経歴と、あまりに合致しないところが多すぎる」

「ならばこそ、思い当たる事は無いか」

「何度も自問自答はしました。 しかし、どうにも一致するとは思えない事ばかりなのです」

手を叩くと、二人とも私を見た。

今は、もういい。

結論など、出ようが無いのだから。

「今は適当に流しておけ。 いつ、戦いが始まるか、わからないからな」

納得した様子で、二人とも座る。

私は大あくびをすると、たき火の側に座った。

あかねにいわれているのだ。

あまり、皆から離れないように、と。

現在、対怪異部署の陣地の周囲には、八十を超える強力な式神が放たれていて、警戒を続けている。

この戦力なら、芦屋祈里がいきなり強襲を仕掛けてきても、抜かれることはない。それだけ万全の警備なのだ。

だが、妙な視線も、先ほどから感じる。

「牧島」

「はい」

「油断だけはするな。 式神をもう出して、警戒を開始した方が良いかもしれない」

「何か、感じるんですか、警部」

平尾が、腰を浮かせて、周囲を見回す。

一方カトリーナは、平然としている。年長者である平尾よりも、落ち着いているくらいだ。

「どうにも妙な視線をな」

「式神か何かによるものでしょうか」

「わからん」

陣地の周囲にあるのは、式神による防衛網だけではない。

あかねが中心になって展開した、強力な結界も、だ。敵から離れたときに、念入りに構築したのである。

敵の大戦力とまともにやり合えば、最終的に競り負けるかもしれないが。

それでも、敵に簡単に優位は取らせない。

それだけの防衛網が、既に構築されているのである。

だからこそに、おかしい。

何者かの視線を、どうして感じている。或いは、何かの特殊能力か。エクソシストが抱えている監視能力者のような。

強化怪異の実力は、身に染みてわかっているが。

しかし、強化されるのは、本当に戦闘力だけか。それが、不安となって、じわじわと体にしみこんできている。

「念のために、私の式神の新しい子を、常に連れていてください」

「ん」

牧島が出してきたのは、どうやらフェレットらしい式神。ひょいと私の肩に乗る。まあ、見かけ通り、戦闘力はないだろうが。

伝令としては、使えるだろう。

視線は、まだ感じる。

 

対怪異部署の陣地から、一キロ半ほど離れた、小高い山の上。

其処に控えているのは、見上げ入道と。何体かの強化怪異だ。その中の一人、あかなめが。

これ以上もないほど完璧に、周囲から気配を隠している。

九尾も似たような能力が使えるようだが、あかなめの場合は、空間から痕跡を削り取ってしまう。

だから空気云々の話では無いのである。

レーダーだろうが何だろうが、探知出来なくなるのだ。

そして、見上げ入道は。

既に、強化改造を施されている。

顔役の頃から、実は有していた能力が。それによって、今は完璧とも呼べる段階にまで、高まっているのだ。

元々見上げ入道とは、突然巨大化して人間を脅かす怪異だ。対応した言葉を言えば消えるだけの、無害な存在で。だが、その能力のおもしろさから、江戸時代には、怪異の総大将とされたこともある。

人間だった時代の名前は、もう口にすることもない。

九尾の世話に早くなっていれば、或いは人間に戻って、余生を送る事が出来たかも知れない。

だが、何もかも、手遅れだった。

結局今では、怪異が生きられる世界を作るために、かのお方に協力している。そして当面の目的は。

九尾の捕縛だ。

「守りが堅いですね」

側で、双眼鏡を覗き込んでいるのは。二口女だ。

二口女というのは、言うまでも無く、後頭部にも口がある女の怪異である。その伝承を見る限り、悪行を行えば報いがある、都合の良い人間などいないと言った、戒めのために作られた寓話から生じた怪異であるらしいのだが。

それがアーキタイプになって、傾いた人間は現に出ていて。

その一人が、こうして強化怪異になっている。

古くからいる怪異だが。見上げ入道の側にいる此奴は、まだ十代の女の子の姿をしていて、背もそれほど高くは無い。着込んでいるのも、パーカーにダメージ入りのジーンズと、動きやすさを重視したものだ。

此処にいる三名の強化怪異の中では、二口女はバリバリの武闘派である。支援担当のあかなめと、指揮に向いた見上げ入道とは、そう言う意味では相性が良い。本来の二口女は、見上げ入道の部下の一人で。元はそれほど戦いにも向いた性格では無い、大人しい女だった。

それをずっと気に病んでいたのだろう。

かのお方に、直訴したのだ。

戦闘タイプにして欲しいと。

そして今では、他にもいる戦闘タイプの中でも、図抜けた実力の持ち主である。

「油断していたエクソシストとは訳が違う。 気を付けろよ」

「わかっています。 敵が攻勢に出た瞬間、九尾を狙って仕掛けるとして。 しばらくは根比べでしょうねえ」

「ああ、その通りだ」

腕組みして、様子を見ている見上げ入道の側に。

真っ白いカラスが舞い降りた。

かのお方の、式神だ。

周囲から完全に気配を削り取っているのに、どうして此処がわかるかという点については、からくりがある。

あかなめは、特定条件を満たした場合は、糸を垂らすようにして、わずかな気配をその存在に知らせる事が出来るのだ。

「見張りは順調か」

「はい。 今の時点では、仕掛ける隙がありません」

あのお方に対しては。

元顔役の見上げ入道も、態度が慇懃になる。それほどに、途方も無い存在なのだ。しかし、である。

あのお方が何者なのかは、実は見上げ入道も知らない。

はっきりしているのは、力を与えてくれたこと。

そして、怪異の世界を作ろうと、本気で動いてくれていること、だ。

「諏訪あかねが、此方の陣地に仕掛けようとしている」

「背後を突きますか」

「不要だ。 おそらく、結界を何枚か破られるだろうが、それ以上は仕掛けては来ないだろう。 お前は九尾を見張れ。 九尾は気まぐれなところがある。 わかってはいても、ふらふらと守りから抜けてでてくる可能性もある。 隙を見逃すな」

「承知しました」

カラスが、再び飛んでいく。

見上げる二口女の表情は険しい。あまり見上げ入道を見下す存在を、良く想っていないのは事実だ。

もっとも、二口女も、かのお方には恩義がある。

面と向かって、文句を言うことは無いが。

「二人とも。 動き、あった」

不意に、あかなめがいう。

あかなめは半裸の少年の姿をしていて、半ズボンしか身につけていない。言われるまま、九尾の方を見ると。

なにやら、陣地の外縁に向けて、歩いている。

「何のつもりでしょうか。 まさか、先ほどかのお方が仰ったように、気まぐれを起こしたのですかねえ」

「いや、そうは思えんな」

「と、言いますと」

「あの九尾は、飄々としたいい加減な奴に見せかけて、実際にはそこそこものを考えている奴だ。 今、単独行動をすると如何に危険かは、理解しているはず。 さては、我々が見ていることに、気付いたのかもしれん」

つまり、釣りというわけだ。

誘いには乗るな。

そう言い残すと、見上げ入道は、木の上で横になった。こういう時は、敵も警戒している。

そして味方の手札には。

警戒している相手を、更に出し抜くほどの強力なものはない。

バリバリの武闘派である二口女がいても、それに変わりは無い。安城が出てきただけでも、拉致は成功しないだろう。

しばらく見ていると、九尾は結界の外に出てきたが。

しかし、その辺りでふらふらしている。

明らかに誘っていると見て良いだろう。

無視しろ。

重ねて厳命すると、見上げ入道は一旦横になって、昼寝をすることにした。

 

はて、妙だ。

敵結界を一枚ずつ剥がしながら、諏訪あかねは気付く。

上空に浮かんでいる芦屋祈里が、動きを見せない。時々退屈そうに首を鳴らしたりはしているようだが、それだけだ。

あれはひょっとして。

強化怪異が、先ほどから血眼になってあかねを探しているが。あかねが使う穏行は極めて戦闘向けのもので、付け焼き刃の力しか無い連中には探知出来ない。ただ、芦屋祈里が本気になったら、そろそろ気付くはずだが。

妙だ。何かがおかしい。

一旦あかねは、撤退を決定。そのまま、陣地に戻る。

味方陣地には、異変はない。あかねが戻ってきたことを見ると、師匠は不可思議そうに小首をかしげた。

「妙に早いな。 どうした」

「今上空にいる芦屋祈里は、偽物かもしれません」

「……!」

「戦闘時は間違いなく本物でした。 今敵地にいる芦屋祈里が偽物だとすると、奇襲を仕掛けてくる可能性が」

いや、まて。

師匠が言う。

彼女の直感は当てになる。今まで何度も仕事を一緒にしてきて、それを知っている私は。話を静かに聞く。

「何だかおかしい。 これだけ周囲に展開している警戒網は、流石に芦屋祈里でも抜けないはずだ。 もし、奴が狙うとしたら」

「対怪異部署の本部は、此処以上の警戒がされています。 それに八岐大蛇による防衛網もあります」

「……だとすると」

顔を上げる師匠。

私も、少し遅れて気付いた。

「まさか、エクソシストに追撃を仕掛けているのか」

「盲点でした。 すぐに連絡を取ります」

以前使った情報から、連絡先を割り出す。すぐに彼らが拠点にしているホテルを特定。連絡する。

つながらない。

最悪の事態が、どうやら到来したらしい。

安城と平野が、話を聞きつけてくる。

「エクソシスト共に、芦屋祈里が追撃を仕掛けているだと」

「恐らくは」

「そうなると、手は二つだな」

平野が、提案してくる。

一つは、エクソシストに芦屋祈里が注力している間に、敵陣を落とす。もう一つは、エクソシストを全力で支援する。

前者の方が現実的だが。

後者は、エクソシスト側に、大きな恩を売ることが出来る。

今後、戦いが長引くことを考えると、恐らくは後者の方が利益が大きい。あかねは、すぐに決断した。

「全力で、エクソシストの支援を行います」

「本気かね」

「どのみち、芦屋祈里が少数を連れて先行しているのは事実です。 これは各個撃破の好機でもあります」

すぐに、全員がバスと装甲車に分乗。

全速力で、通信途絶しているホテルに向かう。

これは、時間との勝負。

同じバスに乗り込んできた師匠に、あかねは言う。

「私の側から、離れないでください」

「わーってる。 どうにも嫌な予感が消えないんでな」

師匠も、どうやら。

私以上に、嫌な予感に囚われ続けている様だった。

 

2、東西影決戦

 

関係者だけしかいないホテルには、既に重々に霊的防備を整えていたギュンターだったのだが。

だからこそに、その圧倒的な敵軍の攻勢には、戦慄せざるを得なかった。

強引に結界がぶち破られて。

強化怪異十体以上が、ホテルに突入してきたのである。各階にそれぞれいる一桁ナンバーのエクソシストは即応して戦闘開始。

だが、敵の数が数だ。

二桁ナンバーのエクソシスト達も、どうにか合流を果たして、一桁ナンバーとの連携しての戦闘を開始したが。

故に、手数が完全に足りなくなった。

日本の対怪異部署とのにらみ合いをはじめたと聞いていたからこそ、何処かに油断があったのかもしれない。

愛用の剣を手に取る。

テンプルナイトだった先祖から引き継がれた、退魔の剣だ。今まで数え切れないほどの怪異を倒してきた、必殺の霊剣。

更に、マントを羽織る。

膨大な聖水を用いて錬磨された、邪術を弾くマント。今までの先祖達がこれを用いて、どれだけ異国の術者に勝ってきたかわからない。

現在、世界最強のエクソシストである誇りは、ギュンターの胸にある。

だからこそ。

部屋の窓をぶち抜いて。

おぞましい邪悪な気配とともに、部屋に踊り込んできた芦屋祈里を見ても、敗北感はなかった。

芦屋祈里は、いわゆる千早と呼ばれる宗教衣を着込み。

右手には、おぞましいデーモンの力を帯びた弓を手にしている。腰に付けているのは、小太刀だろうか。

長い髪。

美しい顔立ち。

日本人にしてはそこそこに高い背丈。そして足下は、草履というのかなんというのか、不思議な履き物で固めていた。

何故、フォルトラヌに察知できなかったのかはわからない。ひょっとすると、噂に聞く長距離テレポートだろうか。

だがあれは命がけの術式だとも聞く。そうなると、高度な霊的武装を使ったのだろう。敵は、物量でも質でも、圧倒的な攻勢を掛けてきているという事だ。

「ナンバー1エクソシスト、ギュンター=ハイト伯爵でありますね」

「その通りだが」

「私は芦屋祈里。 この国における陰陽師の名門、芦屋家の当主です。 死ぬまでの短い間、お見知りおきを」

「レディの訪問は歓迎するべきだとは思っているのだがね。 デーモンに汚染されたおぞましい一族の魔女となると話は別だ。 神の裁きを加えてやろうか、悪魔の僕」

剣を振るう。そして、構える。

日本の剣道とは違う、フェンシングの構えだ。速度だけを極限まで追求し、鎧の隙間をつく事に特化した剣術。

芦屋祈里はと言うと、装備は弓。

近距離戦に持ち込めば、勝機はある。

そう思うのが、素人だ。芦屋祈里の周囲には、あまりにもおぞましい気配がみちみちている。

接近戦を、誘っている。

それが、ギュンターほどの手練れには、見え見えだった。

マントで弾く。

速射した芦屋祈里の矢を、はじき返したのだ。壁に直撃。結界で固められている壁で、爆発。

爆風に撫でられながらも、ギュンターが仕掛ける。

数度、刺突を放つ。

勿論、間合いの外だが。この剣は、間合いの外からも、敵を攻撃することが出来るのである。

ばちんと、鈍い音。

芦屋祈里の周囲で、火花が散るのが見えた。

「ほう……」

「遠距離からの斬撃ですか。 流石ですねえ」

余裕綽々の芦屋祈里が。ゆっくりした動作で、矢を番え、弓を構える。禍々しいデーモンの力が、鏃に集中していくのがわかる。

再び、刺突。

周囲で火花が散る。一秒間で、三十七の刺突を叩き込んだが、その全てが弾かれる。金属のようなものが、周囲に確認できる。

いや、あれは違う。

術式でもないし、怪異でもない。

そうなると、おそらく霊的な道具による防御だ。

自動で周囲を旋回して、防御を行う道具か。つまり、あの目立つ弓だけではなく、防具でも超一流のものを使っている、というわけだ。

面白い。

踏み込むと、痛烈な一撃をうち込む。

数枚の防御が重なって防ぐようだが、その瞬間。

ギュンターは、床に巨象の足によるかのような重さの踏み込みを入れた。

波紋が拡がるように。

衝撃波が、床を通り抜ける。

とっさに芦屋祈里が、ふせたのは流石だ。衝撃波が部屋を蹂躙して、芦屋祈里を吹き飛ばす。

部屋の外にまで飛んでいかなかったが。

防御を何枚か抜いた。

千早に血がにじんでいるのが見える。

「やはりな。 その防御は、必ずしも完璧では無い」

「……」

構えを直すと、更に刺突を入れる。

攻守が逆転したかと見えた瞬間。

ギュンターは、腹部に違和感を覚えていた。

なにやら、ぶつぶつと芦屋祈里が詠唱している。今度は、飛び退くのは、ギュンターのほう。

爆発。

至近で。

先ほどまで、ギュンターがいた地点が、爆破されていたのだ。マントで防ぐ暇も無かった。

立て続けに、芦屋祈里が矢を放ってくる。

剣を振るって、矢をはじき返す。防ぎきれないものは、マントで落とす。また、爆発。今度はかなり痛烈に来た。

「中々に面白い手品だ」

「続けていきますよ」

くつくつと、芦屋祈里が笑い。

矢では無く、よく分からないものを、弓に。あれは、何だ。

見た事も無い形状の武具だ。

剣の一種だろうか。両刃のものに見えるが、何だろう。

芦屋祈里の前に、力が集中していく。

まずい。

マントに触れると、術式を解放。全力での防御を展開。

芦屋祈里が、刃をうち込んでくる。

マントの能力を全開に。

防ぎに掛かる。

だが。その衝撃波は尋常では無い。凄まじい勢いで、部屋から吹っ飛ばされる。数枚の壁をぶち抜いて、外にまで放り出されたのがわかった。

空中で術式を制御。

地面に降り立つ。

そして、見る。

ホテルが炎上している。中にいる部下達は無事か。時々爆発が起きている。これは、尋常では無い。

愕然とするギュンターの前に。

まるで堕天使か何かのように、芦屋祈里が降り立った。

「流石ですね」

奴の肩口には、鋭い傷が走っている。

今の瞬間、カウンターで入れたのだ。鎧の防御力は見抜いていた。やはり、貫けないものではない。

しかし、心配なのは、味方の損害だ。

強化怪異も仕留めているはずだと思いたい。いくら何でも、栄光あるエクソシストが、こうも簡単に、滅びる筈など無い。

構えを取り直す。

芦屋祈里が、周囲に現れた気配に叱咤。

「助太刀無用!」

「しかし、芦屋様」

周囲にいるのは、強化怪異共。

三体以上がいる。

やはり、味方は敗れたのか。そんなはずは無い。ぎりぎりと歯を噛むギュンターに、芦屋祈里は、矢を構え直す。

「久々に楽しい戦いなのでね。 貴方ほどの使い手を殺せる戦いを、捨てるのはあまりにももったいない」

「おのれ、魔女ッ!」

「西洋の歴史の汚点である魔女狩りを、未だに恥とも思っていないんですね。 だが、それと強さは関係がない。 貴方の実力は、私が認めますよ。 そして、その貴方を殺した私の実力を思い知りながら、地獄に落ちよ!」

弓矢を構えたまま、詠唱を開始する芦屋祈里。

マントに手を触れ、愕然とする。

もう、このマントはもたない。

先の一撃で、負荷が限界を超えてしまったのだ。

しかし、此方が負けると限ったわけではない。芦屋祈里の守りについても、既にある程度把握できている。

渾身の一撃を入れれば。

あの魔女を、貫くことも可能なはずだ。

全神経を、一点に研ぎ澄ます。

芦屋祈里が、詠唱を完了。

矢を放つその瞬間、全力で前に出る。

長年、一族を守ってきた剣の力を信じ、渾身の一撃を繰り出した瞬間。

違和感を、覚えていた。

全力で飛び退く。

無数の何かおぞましい棘が、視界を塞いでいた。横やりが入れられたのだと、すぐにわかった。

「助太刀不要と言ったはずだが」

「申し訳ありません。 このままだと、負けると判断いたしました」

「余計な事を……!」

ギュンターと芦屋祈里の間に、棘で壁が作られている。

そしてギュンター自身にも。

決して少なくない数の棘が。それも、五十センチもある長大なものが。突き刺さっていた。

思わず吐血する。

棘を放ったのは、強化怪異の一人らしい。

燃えさかるホテルの上にいるそいつは、蜘蛛のような姿をしていた。そうなると、この棘はなんだ。

無数の足の一つには、串刺しになった部下がぶら下がっている。

どうみても、命はないとみて良いだろう。

棘を、無理矢理引き抜く。

同時に、二人を阻んでいた棘の壁が消える。

芦屋祈里は、相当に不機嫌になっていた。先ほどまでの戦いとは、全く別人のような形相だ。

更に言えば。

引く瞬間、入れた一撃が通っていない。

浮いていた金属片の群れは、貫通するように入れたはずだ。

それが通っていないと言う事は。

「まだ、守りの切り札を持っていたのか」

「そういうことだ。 だから助太刀不要と言ったのだがな」

芦屋祈里が、下がるようにもう一度言うと。

強化怪異達は、燃えるホテルの中に戻っていった。これは、駄目かもしれない。だが、誇り高き神の使徒が、魔女に敗れる訳にはいかないのだ。

「何か言い残すことは?」

「悪魔の僕は滅びるべし」

「悪魔ね」

せせら笑うと、芦屋祈里は。

今度こそ、舌打ちして飛び退いていた。

無数の光の矢が、一瞬前まで奴が立っていた地点を貫く。そして、爆発する。

煙の中から飛び出してきた芦屋祈里が、少なからず傷を受けているのを見て、ギュンターは瞠目していた。

更に、無数のデーモン、いや式神と呼ばれる怪物達が、ホテルの中に踊り込んでいく。これはまさか、対怪異部署の増援か。

助けてなどと、言った覚えはないのに。

状況を見て、救援に来たというのだろうか。

姿を見せたのは、諏訪あかね。

手にしているのは、薄く輝く神々しい弓。どうせデーモンの加護を得たものだろうが、不快な事に頼もしい。

「相対するのは、久方ぶりですね、祈里さん」

「……まさか貴様が直接出向いてくるとは思わなかったぞ」

「どうします? 決着を付けますか?」

「止めておく。 その八幡太郎の弓が相手になると、今の残存戦力では心許ないし、強化怪異でも貴様を仕留められるかはわからないからな」

不意に、芦屋祈里の足下から、巨大な蛇が浮き上がってくる。

引くぞ。

魔女が叫ぶと、燃えさかるホテルから、強化怪異達が逃れ出てきた。そのまま奴らは、夜闇に姿を消していく。

助かったのか。

だが、味方の戦力は。

すぐに消防車が来て、消火活動を開始。

救急車も来たが。

ギュンターは、治療を拒否。この装備している聖者のマントは、傷を自動で癒やす効果がある。自己修復機能も、である。

「私よりも、部下達を頼む。 まだホテルの中には、生存者がかなりいる筈だ」

「……わかりました。 ただ、敵に無意味な攻撃を仕掛けないように」

「そんな事は、わかっている」

諏訪あかねの正論に、吐き捨てるようにこたえると。

此奴も魔女なのにと思いながら。

ギュンターは、敗北感を抱えて、夜闇に消えた。

 

順番に、部下達に連絡を取っていく。

やはり、相当数の死者が出た様子だ。一桁ナンバーのエクソシストの中でも、二人とは連絡が取れない。

残りも、全員が強化怪異の激しい攻撃に耐えきれず、病院に搬送されていた。

二桁ナンバーは、更にさんさんたる有様だ。

エクソシストの手練れ三十人を連れてこの国に来たというのに。

既に、戦力は半減してしまっている。

これほど悲惨な遠征軍は、十字軍以来ではないのだろうか。

敵の戦力が如何に強大かという点。

それだけではなく、如何に戦略的にものを考え、戦術的に行動しているかを、思い知らされた点。

二つにおいて、ギュンターは自己嫌悪に苛まれていた。

教皇庁にも連絡は入れる。

教皇は、味方が全滅的な打撃を被ったと聞いて、流石に驚いていた。

「そうなると、エクソシストの一桁ナンバーだけで、既に戦闘開始から三名が戦死した、という事なのかね」

ギュンターが来る前に戦死した一名を加えて、そうなる。

戦慄するほどの損害だ。

ここ数百年、教皇が直接派遣したエクソシストが、此処までの被害を受けた例は無い。主に怪異を相手にしていたからだ。

「騎士団の派遣は中止しようか」

「いえ、可能な限りの規模でお願いいたします」

「しかし、このままではどれほどの損害が出るかわからん」

「だからこそです。 敵の戦力が更に強大になる前に、叩かなければならない」

悪い判断材料ばかりではない。

芦屋祈里が引いたところから見ても、奴は今回の戦いに、相当な量の霊的装備を持ち込んでいたはず。

つまり、長期にわたって戦えば。

奴の手持ちの装備も尽きる。

傷が回復してきた。芦屋祈里は、ギュンターが動けるとは思っていないはず。今なら、隙をつく事が出来る。

勿論、無理な攻撃は控えるべきだが。

話を聞く限り、乱戦の中で、敵の強化怪異も二体を打ち倒している。

敵の守りも。

少しは、薄くなっているはずだ。

対怪異部署が、ホテルの後始末をしている。振り返ると、まだ焼け焦げているホテルの様子が見える。

あれは、多くの神の使徒の墓標だ。

口惜しいが。

今は、放置するほか無い。

黙々と、山の中を歩く。

棘は全て引き抜き。回復はマントの能力に任せている。流石に腹が減る。食糧は、途中に寄ったコンビニで補給。

田舎であっても、至る所に二十四時間営業の店がある事だけはありがたい。売っている食い物も、それほどまずくは無い。

カードで精算を済ませ、店を出るやいなや、すぐに全てを食べてしまう。

マントに帯剣したギュンターを見て、店の人間は怪訝そうに眉をひそめたが。まあ、いわゆるコスプレとやらと勘違いしたのだろう。どうでもいい。通報されたところで、捕まるほど柔でも無い。

回復が、かなり進行してきた。

既に傷は全て塞がっている。

体力の回復も、順調だ。

闇の中を行きながら、ギュンターは。

夜明けには、敵の本拠の廃村に到着していた。

既に対怪異部署も、陣を引き直している様子だ。一方、敵の陣地は、少し以前より薄くなっている。

仕掛けるなら、好機か。

芦屋祈里の姿はない。

その代わり、廃村に点々としている廃屋には、どれにもあり得ないほどの強い気配が満ちている。

怪異がそれぞれ潜んでいるのだろう。いわゆる遅滞戦術を採るつもりなのかもしれない。

病院に連絡。

一桁ナンバーのエクソシスト達と、連絡を取っておく。ナンバー2のカルミランは、先の戦いを生き抜いた。彼奴が生き延びたのは、心強い。

「敵陣を確認中。 今のところ、動きはない」

「団長、くれぐれも無理はなさらずに」

「わかっている。 だがな、このままでは、腹の虫が治まらんでな」

詳しい損害状況を聞く。

現状、生き延びているのは一桁四名、二桁十名。このうち、戦闘力が低かった一桁のナンバーエイト、敵の居場所を察知する能力を持つフォルトラヌはまだ意識が戻っていない。怪異に痛烈な一撃をもらったのである。

これが、痛い。

フォルトラヌが復帰するまでは、威力偵察以上の事は出来ない。

奇襲を受けても、察知できないからだ。

「全員、まずは戦線に復帰可能なところまで体を休めろ。 騎士団と合流する頃には、万全の状態を整えておけ」

「はい。 団長もお気を付けて」

通信を切ると、敵陣を、じっくり確認して廻る。既に体力も傷も、あらかた回復。マントの機能も、既に八割までは回復している。

敵の結界に引っかかるほど、経験は浅くない。

これでも、対人戦も散々こなしてきているのだ。

此処は、雌伏の時だ。

芦屋祈里は、戦果を充分と判断して、一端引いたはず。だが、エクソシストの底力を舐めたのが運の尽きだ。

デーモンや、それに協調する人間と組むのは正直不快きわまりないが。

それでも、この戦いに負けるわけにはいかない。

ふと、側に気配。

腕組みして、見下ろしているのは。

この間。諏訪あかねと一緒に話をしに来た女デーモンだ。確か九尾の狐だとかいう輩。

「デーモンめ、何をしに来た」

「私はお前達が言う悪魔ではないのだがな」

「貴様の定義など知ったことでは無い。 神の膝下にいない霊は、その全てがおぞましき悪魔だ」

「また随分と偏屈な思想だな」

九尾が、顎をしゃくる。

幾つかの廃屋が、其処にはある。

「今、時間を掛けて、私の力を込めた空気を展開しているところだ。 あの辺りが、一番守りが堅い」

「それで、私にそれを教えてどうする」

「ちなみに、お前の位置は既に捕捉されている」

「!」

まさかとは思ったが。

しかし、此奴に、今ギュンターを騙す事に関してのメリットがない。だとすると、本当なのか。

「お前はエクソシストとしては最強かもしれないが、それでも別に能力者としては最強では無いし、欧州に限ってもお前より強い能力者はいるだろう。 ましてや、怪異におぞましい術を施して、世界の法則を壊そうとしている奴が、既に怪異と人の力のバランスを崩してしまった」

怪異である、此奴が言うのか。

失笑しようとして、失敗する。

此奴は。

怪異でありながら、人と交わってきた奴だ。だからこそに、こういうことを言えて。なおかつ、危機を強くもてるのかもしれない。

「少し距離を取れ。 それと、病院まで戻って、体勢を立て直すべきだな。 多分、エクソシストに、もう一度攻撃を仕掛けてくるかも知れない」

「何だと……」

「あの芦屋祈里は、私の遠い子孫なんだよ。 私を恨みぬいて、私を殺す事だけを考えて生きてきた、な。 だから、わかるんだ。 彼奴は非常に執念深くて、一度狙った獲物は絶対に逃さない。 殺すまで追い詰める。 つまり、そういうことだ」

信じるかどうかは、好きにしろ。

そう言い捨てると、狐の怪異は姿を消した。

ギュンターは舌打ち。

あの強化怪異の群れとやり合って、生き延びる自信は流石に無い。それに、傷ついた皆を、放置も出来ない。

此処は、引き上げるべきだろう。

素直に、そう決断することが出来た。

口惜しいが。

同胞の命を失うわけには、いかない。

帰路、何度もため息が漏れた。

 

3、それぞれの暗影

 

どうにかエクソシストの全滅を防ぐことは出来た。だが、結局の所、敵の戦力が如何に大きいかを、思い知っただけのようにも思えてくる。

あかねが出かけている間。

私は牧島と平尾を連れて、敵地を見て廻っていた。

勿論、ただ見て廻るだけではない。

距離を置いて、空気を流して。

相手の状況を、探るのだ。

私の力がこもった空気を流すことによって、ある程度は敵の数が把握できる。それで、わかったのだが。

敵は式神がおよそ五十。

これは多分全て芦屋祈里のものだろう。単独で五十に達する式神を操作するのは、文字通り常識外の技だ。

対怪異部署にいる式神使いでも、随一の使い手である深沼が、二十体程度しか使えないのである。

あかねは式神を一体しか使わない主義だという話だし。単純な式神の物量で押す作戦は、多分使えない。

更に言えば、敵の守りの盤石さは、想像以上。

軍隊を使って平押しする手も、多分無理だ。

強化怪異の戦闘力を考えると、一個師団規模の戦力でも、撃退されかねない。

廃村は、まるで要塞だ。

強化怪異も、かなりの数がいる。

調べたところ、確認できただけで二十三体。

ただ、少し前のエクソシストとの戦いで、二体が失われたようなので、現在は二十一体という所か。

その内三体が、どうも妙な動きをしている。

或いは、これは遊撃の部隊かもしれない。ひょっとすると、芦屋祈里では無い、別の指揮官が動かしている可能性もあった。

風向きを見ながら、空気を流す。

距離は充分に取っているが、敵が仕掛けてくると厄介だ。

念には念を入れて、十二分に警戒しながら、作業を進めていく。

一通り、村の周囲は確認。

それで、結論。

この村は、敵の本拠地では無い。

芦屋祈里以上の力を持つ存在を感知できないのだ。

まあ、彼奴は芦屋家の現党首。強化怪異以上の実力を持っていても、何ら不思議では無いのだが。

問題は、芦屋祈里が従っている何者か。

この事態を引き起こしている、黒幕だ。

そいつは一体何処にいて、何をもくろんでいる。この廃村が、実はただのフェイクだとして。

そいつが取るべき行動は、何だろう。

一旦、ベースに戻る。

あかねが、何処かと連絡を取っていた。芦田かと思ったが、違ったらしい。通話を切ると、あかねは嘆息した。

「警視総監からです」

「ほう?」

「エクソシストが大敗したことが伝わったようですね。 かなり不安を煽られたようで、大丈夫かと聞かれました」

「そんな事はこっちが知りたい」

私も、あかね以上にげんなりさせられる。

そもそも、エクソシスト達が制御不能なことはわかりきっていたはずだ。狂信的な思想と、極端な一神教至上主義。

戦力としては確かに高いが。今回の場合は、相手が悪すぎることもあるし、敵に勝てる見込みは少ないと、事前に報告もしていたはず。

それなのに、今更泡を食ってそんな連絡をしてくるなんて。

ただ、エクソシスト側に、恩を売ることには成功した。

この間の戦いで、彼らが全滅を避けたのは、対怪異部署の増援が間に合ったからだ。それがなければ、ギュンターをはじめとする主力も含め、全員がとっくに墓石の下に送られていただろう。

「とにかく、警戒は怠るなよ」

「わかっています。 師匠も、なにやら妙な視線を感じるんでしょう? くれぐれも無理はしないようにしてください」

「わかっているさ」

そう。

この妙な視線、多分気のせいでは無い。

もし私の隙をうかがっているとしたら、狙うのは暗殺か、捕獲か。

暗殺だったら、考えにくい。

というのも、私なんかを暗殺する意味がないし。したところで、大した痛手にもならないからだ。

一方、捕獲にはどんなメリットがあるか。

私の直感が目当てか。

いや、そうではないだろう。私を使って強化怪異を作った場合にどうなるかを、相手が考えているとしたら。

過大評価してくれるのは、光栄だけれど。

正直、私なんかを強化怪異にしたところで、大して強くなるとも思えない。しかし、相手はそう思っていない場合は。

面倒くさい。

気分転換に、カトリーナの所に行く。

彼女はタブレットを使って、ネットに接続。自分の歴史について、調べているようだった。

隣に立つと、視線も動かさず、カトリーナは言う。

雰囲気が落ち着きすぎていて。とても、十代の女とは思えない。

「金毛警部、如何いたしましたか」

「自分を調べて、面白いか」

「鍛錬が足りず、自堕落に落ちると、こうも醜くなるのかと知る事が出来ます」

革命で殺される寸前のカトリーナの写真は、数点残っているが。確かに、おぞましく醜い。

際限なくふくれあがった脂肪の塊なのだ。

美少年を好んだらしいカトリーナは、性欲が異常に強く、国中の美少年をかき集めては性欲のはけ口にしていたらしい。

しかも気に入らない場合は、その場で殺してしまうような事も、していたらしいのだ。

それでいて食欲も強かった。

体を美しく保つような努力は大嫌いだった。

だから、結果として。性欲ばかりがふくれあがった、巨大な肉ダルマが生まれたのである。

一方、此処にいるカトリーナは。

精神力で、自分の欲求を全て抑え込んでいるらしい。これは比喩では無く、実際にそうなのである。

正座して瞑想していると、周囲の空気が変わる。

張り詰めるというのが、露骨にわかるのだ。

対怪異部署にも、居合いの名人はいるが。少し技を見てもらったが、流石だと呟いただけ。

つまり、それほどの技と言う事である。

しかしながら、雰囲気が老成しすぎているせいか。瞑想中は牧島も怖がって、近寄ろうとしない。

時々親しげに話はしているのだが。

様々な点から総合する限り、カトリーナは、子供では無いと言えた。

「このようには、なりたくありませんね」

「自分を磨き抜いて、どうしたい」

「わかりません。 ただ、自分に負けて全てを失う人生だけは避けたいです」

随分と、しっかりした意見だ。

苦笑いすると、隣に腰を下ろす。

スルメを差し出すと、首を横に振るカトリーナ。間食は太るから嫌だ、というのである。此処まで徹底していると、大した物である。

「作戦行動は、順調ですか」

「いや、上手く行っているとは言いがたいな。 総力戦を仕掛けられたら、逃げるしか無さそうだ」

「戦況は、そうも悪いのですか」

「今のうちに、敵をたたくべきだというのはわかるが、そもそも仕掛ける機会がない」

あかねを中心とした戦力で、敵に攻撃を仕掛けるというのが、一番理想的なのだろうけれど。

エクソシストを襲撃した敵戦力のことを考えると。そして、私が探り出した強化怪異の数から換算すると。

敵の戦力は、此方の四倍強。

もし勝ち目があるとすれば、芦屋祈里を撃破する事だけだが。それでも、緻密な作戦が必要になるだろう。

一方で敵は、平押しをするだけで勝てる。

更に良くない予想もある。

この短時間で、二十体以上に達する強化怪異を準備したのである。

それ以上の数を準備できないと、どうして言えるだろう。

あかねが、急ぎ足で来た。

どうやら、この様子では。ろくでもない事が起きたと見て良いだろう。

耳打ちされる。

「師匠。 自衛隊が、在日米軍と同時に動きました。 長距離ミサイル部隊を動かして、遠距離から飽和攻撃を仕掛ける模様です。 航空自衛隊も協力して、ミサイル攻撃を行うとか」

「米軍が良く動く事に同意したな」

「恐らくは、教皇庁からの後押しかと」

なるほど、そう言うことか。

米国で、一番力があるのは、今でもやはりキリスト教徒だ。つまり、バチカンはそれだけ大きな影響力を持っている、という事である。

「さて、結果はどうなるかな」

勿論、今までの怪異だったら、ひとたまりもなかっただろう。だが、今回は、芦屋祈里もついている。

嫌な予感がする。

もしも、これが事前に予知されていたとしたら。

更に、事態は悪い方向へ動く可能性が高い。人間の中には、際限なく愚かな連中がいる。

たとえば、黒幕の資金源が、兵器産業だったとしたら。

強化怪異を兵器として運用できると売り込めば、相当な金を得られる。更に、長距離ミサイルを、今回防いでみたりすれば。さらなるスポンサーが見込めるだろう。

かといって、他に良い手があるとも思えない。

スポンサーになった連中は、後で悔いることになるだろうが、正直それはどうでも良い。人の生き血を啜って金に換えている奴らなんぞ、どうなろうと知ったことか。

問題は、その先だ。

もしも膨大な資金による支援が実現してしまった場合。

敵の戦力は、手が付けられない状態になる可能性が高いのだ。

「長距離ミサイルによる攻撃は、いつだ」

「おそらく、明朝になるでしょう」

「随分早いな」

「米軍のかなり上層が動いているという話です」

なるほど、虎の子の部隊を壊滅させられたバチカンが、相当本気で米国をせっついた、というわけだ。

だが、これが面白くない結果に終わる可能性も高い。

しかし、今更バチカンが方針転換などするとも思えない。

更に言えば、明朝までに芦屋祈里を討ち取るのも、また難しいだろう。

「長距離ミサイルの攻撃で、敵が弱体化した隙を突くしか無い」

「その通りだと私も思います」

あかねもこたえてはくれるが。

わかってはいるはずだ。

敵だって、それくらいのことは想定している事は。

嫌な予感が、ふくれあがっていく。

もしも敵の想定通りにこれ以上事が進んだ場合。もはや、取り返しが着かない事態が来る気がして、ならなかった。

ため息をつく。

不意に、連絡が来た。

団からだ。

「まだ無事か」

「何だ、どういうことだ。 対怪異部署の戦力は健在だが」

「すぐに其処を離れた方が良い。 幾つか、非常に良くない情報が入った」

「詳しく頼む」

団によると。

私を狙っている奴がいるという。恐らくは、次の大規模戦闘に乗じて、私を拉致するつもりだとか。

良くそんな事がわかったなと思ったが。

そういえば、団はかなり広範囲で情報収集をしている。敵が一枚岩でなければ、ひょっとすれば。

いや、まさか。

「まさか、お前敵に通じていないだろうな」

「こんな状態で、くだらないことを言うな。 奴らの組織から、改造前に逃げ出してきた怪異を庇ったんだよ」

「……!」

「此奴に関しては、どうにか対怪異部署に送り届ける。 だがな、少し話を聞く限り、とんでもない事を連中はしている。 怖気が走るような、第三諸国の武装勢力でもやらないような残虐行為だ」

やはり、そうか。

カトリーナは覚えていないが、多分そうだろうとは思っていた。具体的な内容についても、そいつを守り抜けばわかるはず。

一瞬だけ、その詳細を公表すれば、資金源になっているスポンサーどもも芋を引くかと思ったが。

まあ、連中は元々倫理観念など麻痺している奴らだ。

どんな残虐行為をする存在にも、儲かりさえすれば金を出すような輩が、今更どれだけ人倫に反した行為を見たところで、何とも思わないだろう。

あかねは話を聞いていた。

「すぐに、此方から数名を手配します」

「頼むぞ。 団の所には、強化怪異に対抗できるような奴はいない」

このタイミングで、少しおかしいとは感じたが。

しかし、此方に打つ手はない。

或いは、敵の実情がわかれば。この国も、本腰を入れるかもしれない。

 

長い時間が通り過ぎて。

長距離ミサイルによる、飽和攻撃が開始された。米軍は相当に本気を出している。多分自衛隊も攻撃に参加しているが、規模が違う。

ミサイルだけではない。

多分沖合に展開している艦隊からは、速射砲による攻撃も行われていると見てよい。

さて、どうなるか。

村を灰燼に帰すには、充分すぎる投射火力。

距離を取って様子を見守るが。

すぐに、状況が変わった。

爆発が起きないのである。

壁に遮られている訳では無い。そうならば、壁にぶつかって、派手に爆発するはずなのだ。

「何だ、何が起きている」

恐怖の声を上げる安城。

まあ、気持ちはわからないでもない。

私は指揮車両になっているバンの上に登ると、手をかざして見た。どうやら飛来しているミサイルも砲弾も。

全てが途中で停止してしまっているようなのである。

しかも、空中で、だ。

時間でも停止しているのか。

いや、それならば、見え方がもっとおかしくなるはずだ。あれは多分、柔らかく受け止められている、という感じなのだろう。

一体何が起きている。

愕然とした私は、気付く。

まだ、あの村には、私の力を込めた空気を張り巡らせている。だから、ある程度の展開されている術式は、分かるのである。

無数の触手のようなものが伸びて、飛来している武器を全て掴み取っている。

普通だったら、出来ることではない。

飛来する武器を、途中でものすごくゆっくりにさせているものがある。何がそうさせているのかは、わからない。

芦屋祈里による術式か。

いや、そうではなさそうだ。

何かしらの、強化怪異による力だろう。

戦慄が、背中を駆け上がる。

つまり、これだけの事が出来る大型の強化怪異が、最低でも二体。あの場にはいると言う事だ。

どれだけの戦力を、敵が有しているのか、想像も出来ない。

「距離を取って、体勢を立て直した方が良さそうだな」

「……そうですね。 この有様では、敵に打撃を与えられるとは考えにくい。 総員、撤収準備」

流石に、敵も民間人に対する無差別攻撃まではしないだろうという、楽観的な予想に基づいて、兵を引くしかない。

もしそうなると、自衛隊も在日米軍も陸上戦力を繰り出してきての総力戦になり、場合によっては核も投入される。

それは流石に、敵も望んではいないだろう。

今の時点では、だが。

ただ、それが楽観的予想に過ぎないことは、よく分かっている。

もはや、何が起きても。

この場では、不思議だとは思えない。

すぐに全員で撤退作業に入る。どうやら自衛隊も米軍も、攻撃失敗と見なしたのだろう。一旦攻撃を中止した。

透明な触手が、空に向けて蠢いている。

まるで神話の光景だ。

いにしえの時代に出現した、神々をも怖れぬ巨大な化け物の姿が、其処にある。もはやそれは、今の貧弱な怪異で、どうにか出来る相手では無い。

勿論、それは私も含んでいる。

情けないけれど。

今は、被害を受ける前に、逃げるしか無い。

途中、病院に寄り、エクソシストと関係者を収容。対怪異部署にまで引き上げる。エクソシスト達は反発したが、芦屋祈里が見逃すはずもない。対怪異部署が尻尾を巻いて逃げ出したのを悟れば、次に攻撃を受けるのは此処だ。

帰路。

また、団から連絡が入った。

「良くない情報だ」

「またか」

「クドラクとか言ったか、あの吸血鬼がな。 北陸の辺りを廻って、怪異を拉致しているらしい。 強化怪異らしい手練れを連れているとかで、抵抗した奴が何人か酷い目にあわされている」

「……!」

やはり、そう来たか。

おそらく、強化怪異を増やすために、素材を確保しているのだろう。

クドラクも怪異だろうに、こんな事をして恥ずかしくないのか。いや、敵の組織に荷担している時点で、もう自分の事は捨てていて。当然のように、他人のことも捨てているとみて良いだろう。

現時点で、二十を超える強化怪異が敵にいるとみて良いし。

今後は、クドラクを放置すれば、更に増えることが確定的だ。

「私が出ます」

「……ならば、私も行くか」

これ以上、敵の戦力を増やすわけにはいかない。

あかねが出るなら、私も行く。

牧島と平尾も、危険だが連れていきたい。二人は同意したが。カトリーナも手を挙げたのは、驚いた。

「少しは役に立てるかと思います」

「……そう、だな」

カトリーナに、あかねが手渡したのは、霊木で作った木刀。

どういうわけか古流武術を身につけているようだし、これが役に立ってくれることだろう。

クドラクの周囲には当然強化怪異の中でも手練れがいるだろうし、戦いは短期決戦になる。

奴をどれだけ短時間で仕留められるかが。

今後の勝負を決める分水嶺になる。

 

また、マイクロバスに一体、縛り上げた怪異を引っ張り込む。無害そうな子供の怪異で、恐怖に震え上がっていた。

「知っているぞ。 お前、西洋の吸血鬼。 わしをどうするつもりだ」

「こたえる必要はない」

既にバスには、十体以上の怪異を詰め込んでいる。

前に、フードの影に十四体の怪異を引き渡したが、ノルマにはまだまだ遠い。最終的には、百体の怪異を、フードの影に引き渡さなければならない。

バスの周囲には、カルマの作った分身三十体が固めていて、奇襲を受けてもさほどの問題にはならないし。

何よりバスの上には。

張り付いている巨大な目玉。

一目連と呼ばれる。古い怪異の姿がある。

勿論、強化怪異だ。

この一目連、元々は神として崇拝されていたこともある強力な存在で、アーキタイプとしてもダイダラボッチに近いほどの凶悪さを誇る。当然、ダイダラボッチと同じように、一時代に一体しか現れない。

少し前に傾いたらしいのだが、確保した経緯についてはよく分からない。

一つわかっているのは。

触手でバスを押さえ込むようにして、張り付いている巨大な目玉が。途方もなく強い、という事である。

三体の強化怪異だけでは心許ないと思ったのかも知れない。

或いは、フードの影が、何かしらの情報を掴んだ可能性もある。

いずれにしても、生半可な実力者では無い。

次に行くように、指示。

渡されている資料は詳細で、何処に怪異が潜んでいるか、手に取るようにわかる。時には、小さなコミュニティを根こそぎに捕獲することもある。

口を塞がれ、しめ縄で動きも封じられた怪異達が、バスの中でもがいている。哀れっぽく此方を見る者もいて、少し心も痛む。

怪異全てのため。

いにしえの神々の力を取り戻すため。

そう言い聞かせても。

どうしてだろう。

昔に捨て去ったはずの良心が、最近疼いてならない。人間という化け物どもと戦う内に、麻痺しきったはずなのに。

首を振る。

悩みを払う。

大義を追っているのだ。身内にさえ、多くの犠牲を出しながら、戦って来たでは無いか。それなのに、どうしてこうも悩みが疼く。

「首領」

「どうした」

声を掛けてきたのは、吸血鬼の一人だ。

バスが止まっているのに気付く。

別に一時停止でもないし、信号でもない。そもそも今移動しているのは、信号もないような、山奥なのだ。

見ると、バスの前に、何かある。

車止めだ。

「何でしょう。 検問でしょうか」

「警戒態勢」

「はっ」

すぐに部下達が展開。カルマの分身も、周囲に散る。

強化怪異も首をもたげて、バスの外に出た。一目連も、既に戦闘態勢を取って、バスの上でスタンバイしている。

しばし、周囲を警戒したけれど。

何もいない。

車止めは悪戯か何かだったという事か。いずれにしても、車止めはすぐに取り外させた。タチが悪い悪戯だ。

すぐに、またバスを出させるが。

二キロも行かないうちに、また車止めが。

これは、偶然とは思えない。

再び警戒態勢を取らせる。嫌な予感が、せり上がってくる。

「一度怪異狩りは止める。 我等が盟主と合流するぞ」

「しかし、次の怪異はそう遠くありませんが」

「対怪異部署が総力を挙げて攻めこんできたら、どうなるかわからん。 余力がある内に、一度合流する」

まだ、判断が甘い部下達に、苛立ちもする。

強化怪異は確かに強いが、絶対の存在では無い。

あのダイダラボッチでさえ、この国の対怪異能力者は仕留めたのだ。それならば、なおさら警戒は強めなければならないだろう。

進路を変更した後、特殊な暗号化回線を使って、フードの男と連絡を取る。

しかし、珍しい事に。

連絡がつかない。

妨害されている。それを悟ったときには、もう遅かった。

バスに横殴りの、強烈な一撃。

横転するバスから飛び出す。

非常に狭く、見通しも悪い山道だ。どうやら、此処にさしかかるのを、待っていたらしい。

また、遠くから、一撃が来る。

カルマの分身が、数体まとめて塵に変わった。

「バスは!?」

「駄目です! エンジンをやられています!」

「ならば、徒歩で逃げるしかあるまい」

強化怪異達が、円陣を組んで、外側に守りを作ろうとするが。しかし、飛来する光の一撃は強烈で、一撃で確実にカルマの分身を削り取っていく。一方的なアウトレンジ攻撃を受けて、士気が下がらないはずもない。

固まったまま、森の中を逃げる。

捕まえた怪異は、全てはどうにも出来ない。カルマの分身が何体かは捕まえているが、それ以外は放棄するほか無い。

「此処まで来たのに!」

カルマが吐き捨てる。

飄々とした分身と違って、相変わらず直情的だ。クドラクは苦笑いしながら、フードの影に貰った霊具を用いる。

強力な、盾を造り出すものだ。

人質を掴んでいるカルマの分身が、ピンポイントで灰になる。

人質は無傷だ。

何たる精度の狙撃か。

しかも今の一撃で、拘束していたしめ縄が切れた。這って逃げていく怪異を、捕縛も出来ない。

「人質を殺すぞ!」

「やってみろ」

静かな声。

人質を殺すと叫んだ吸血鬼の右腕が消し飛び、続いて頭も吹っ飛ぶ。血をまき散らしながら倒れる吸血鬼の腕の中で、悲鳴を上げてもがく怪異。

地獄絵図だ。

「強化怪異ども、何をしている!」

カルマが叫ぶ。

右往左往する部下達の中で。

クドラクは、どうしてだろう。奇妙なほど、静かな心でいる自分に、驚いていた。

闇の中から、姿を見せるのは。

九尾だ。

「もう降参しろ。 私も苦手な戦いはしたくない」

「ふ、この戦力で降参しろというのか」

「……」

クドラクの姿をしている吸血鬼が強がるけれど。

九尾は一瞥しただけで、視線をそらし。

人質の中に混じっているクドラクの方へ、視線を向け直した。ひょっとすると、かなり前から、探知していて。

クドラクの位置を特定したから、出てきたのか。

だとすると、完敗だ。

増援が来る見込みは。そう考えたクドラクだが。すぐに九尾は手を打ってくる。

「時に九尾の狐。 貴様、良くものこのこと出てこられたな」

「私を狙っている奴がいるのに、か?」

「その通りだ。 知っているならば、話が早い」

「あいにくだが、その狙っている奴というのは、此奴の事か」

九尾が放り投げてきたのは。

生首。

それも、見上げ入道の。

呻く。まさか、此奴がこんなえぐい手を取ってくるなんて。流石に、想定の範囲外だった。

戦意をなくす吸血鬼達だが。

強化怪異は、動きを止めない。此奴らは、最後まで戦い抜くつもりだろう。

それに、見上げ入道の生首を一瞥して、気付く。

これは、偽物だ。

「総員散って逃げろ! 後は強化怪異に任せろ!」

闇夜に、散る。

クドラクとしても、こんな所でやられるわけにはいかない。後方では、強化怪異が戦闘力を全開に、敵に襲いかかったようだった。

人質は、皆逃がしてしまったが。

もう、それどころではない。

一旦撤収するしかない。

乾いた笑いが漏れてくる。

この様子だと、おそらくフードの影は、クドラクが集中攻撃を浴びることくらい、想定していたはずだ。

ただ、気になることが一つある。

ふと、気付くと。

胸から、矢が生えていた。

しかも、背中から胸に抜けたのだ。

クドラクとて、数百年を経た怪異。この程度で即死はしないが。矢に触れて、気付く。凄まじい力がこもっている。

無理矢理引き抜いて、捨てるが。

次の瞬間、右手が爆発。根元から消し飛んだ。

再生には時間が掛かりそうだ。

胸の傷もひどい。これは、しばらく身動きが取れないかもしれない。

「首領!」

カルマが負傷に気付いたらしく、悲痛な声を上げる。

馬鹿。騒ぐな。

そう叫ぼうとしたが、もう遅い。

以前目撃したことがある、平尾とか言う巨漢が、カルマに飛びかかる。そのまま組み伏せ、しめ縄で縛りはじめるのが見えた。

「離せ! 離せーっ!」

「午前二時三十七分、確保」

悲痛なカルマの声と、事務的な平尾の宣告が、あまりにも激しい対比を為している。生き延びている他の吸血鬼も、既に包囲から抜けられそうにもない。

打ち抜かれるか、捕らえられるか。

おのれ。

しかし、もうどうにも出来ない。

矢を放った奴が見えた。近くの木の枝の上で、矢をつがえている。あれも、見た。以前九尾の側にいた女の子供。確か牧島とか言ったか。

壮絶な表情で、矢を引き絞っている。

さては、怪異を殺したのは、はじめてか。

先ほどから狙撃しているのは、此奴では無く、多分もっと手だれた奴だ。多分牧島は、退路で待ち伏せていたのだろう。

つまり、退路さえ、予測されていたことになる。

牧島が、また矢を放つ。

悲鳴を上げて倒れる部下。

平尾が、縛り上げる。

どうにも出来ない。

牧島が、負傷しているクドラクに気付く。血を吐き捨てると、クドラクは、闇に身を翻す。

例えこの身だけになっても。

囮として使われたとしても。

必ず生き延びて。

この世界を変える。

だが、至近。

金髪の女が、立ちふさがった。此方を極めて厳しい目で見ている。手にしているのは、何かの木刀か。

「見つけたぞ、クドラク」

「……?」

覚えがない。

だが、何となく、雰囲気でわかった。此奴は強化怪異の一人、座敷童の材料となった、あの太った豚。

随分見かけが違うが。何となくわかる。

「数々の悪行、此処で償って貰う」

「悪行か。 確かにその通りだが、私には大義があるのでな。 此処で捕らえられるわけにはいかん」

「そのような大義、弱者を踏みつけるだけのものだろう。 私の体の持ち主がそうだったように、強き者が振りかざす一方的な正義が、どれだけ弱者を蹂躙するか。 理解しない者に、大義を語る資格など無い」

「なるほど。 外側は同じでも、中身は別物か」

切り札を使う事にする。

気配からして、とても勝てる相手では無いからだ。

不意に、クドラクが液状化して、地面に溶け込む。金髪の女が、木刀を躊躇無く、地面に突き刺してくる。

凄まじい電流のような痛みが、全身に走るが。

ほんのわずかだけでも、逃がすことが出来れば、それで構わない。

しかし。

痛みがあまりにも激しすぎて。

クドラクは、意識を失っていた。

 

4、裏の裏

 

予定通りだ。

フードの影。つまり組織の長から言われたとおりの展開になった。見上げ入道は、壊滅していくクドラクと部下達。まだ善戦している強化怪異を見て、ほくそ笑んでいた。特に一目連は激しく戦っていて。諏訪あかねと、その配下の精鋭達を相手に、互角に近い勝負を見せている。

これでいい。

クドラクは捨て駒だ。

九尾を捕らえるための。

今いる強化怪異など、九尾を強化怪異にした場合、ただの三下に過ぎなくなる。理論を理解している見上げ入道としては。奴は必ず捕らえなければならない存在だとわかっているのだ。

さて、そろそろか。

「二口女。 あかなめ」

頷くと。

二人が同時に、動く。

あかなめが空間ごと削り取り、九尾の至近まで、路を作る。

そして、至近にまで移動した二口女が、瞬時に九尾を制圧する。

九尾の奴は、肉か何かを丸めて作った見上げ入道のニセ生首をその辺に放り捨てると、所在なさげにぼんやり立っているが。

その至近に、いきなり二口女が現れて、流石に愕然とした様子だ。

だが。

二口女は、それ以上騒がせない。

鳩尾に、一撃。

それで、充分だ。

九尾は格闘戦が極めて苦手で、まともに戦えないと、知っている。

そして更に言えば。

見上げ入道の強化された能力の前には、ごまかしは利かない。高精度レーダーと、リンクシステムを備えた見上げ入道は。今や生きたイージス艦と言っても良い。九尾が空気を操作する能力を有していて、ステルスで身を隠すことが出来るとしても。見上げ入道の能力は、その天敵なのだ。

「確保しました」

「よし、撤収……下がれ!」

二口女が、飛び退く。

直撃した拳が、その場にクレーターを作っていた。

煙が上がる中。

九尾を抱えて、立ち上がる姿。二口女は、かろうじて、今の一撃を、耐え抜いていた。しかし、二口女ほどの手練れが、傷だらけだ。

口を拭う二口女。

その前に立っているのは、何だ。

見たことが無い。

怪異では、ない。式神のようだ。

巨大な人影、とでもいうのだろうか。輪郭がはっきり見えない。見上げ入道をしても、である。

「相手にするな。 九尾は手に入れた。 撤収……?」

二口女が、不安そうに周囲を見回している。

にやにやしている九尾。

さては、二口女が認識できないように、空気を操作したか。あの一撃で、意識を失わなかったのか。

「二口女、お前はまだ九尾を捕らえている。 そのまま、撤収してこい」

「し、しかし、九尾はまだあちらに」

「?」

何の認識異常を起こしている。

意識をリンクして、二口女の視界をジャック。確認してみて、見上げ入道は思わず唸っていた。

二口女の前にいるのは。

九尾だ。

それも、非常に長身で、何というか筋骨たくましい。実際の九尾とは、まるで逆に見える。しかし、顔の造作などは、九尾そのもの。

何だこれは。

一体誰の式神なのか。

一瞬で、二口女の後ろに回り込む謎の式神。

蹴りがうなりを上げて、二口女を襲う。

必死に飛び退いた二口女が、あかなめの作った空間の裂け目に逃げ込む。だが、その手に、九尾はいない。

しかし、目的そのものは果たした。

「九尾の血液は採取できたな」

「は、はあ」

困惑している二口女。

気付いていない様子だが、拳を直撃させたとき。相当な裂傷を腹部に作って。それが、抱えたときに手に着いた。

それで充分だ。

今までは、髪の毛程度しか入手できなかったが。今回は新鮮な血液を得られた。

そして、充分なデータも、見上げ入道が直に見ることで、得ることが出来たのだ。

「撤収」

血液を、用意しておいたクーラーボックスに移すと、すぐに撤退。

まだ戦っている一目連たちにも、撤収を促す。奴らもすぐに引き上げはじめた。諏訪あかねと戦いながら撤退するのは大変だろうが、まあ半分くらい生き残ることが出来れば上出来。

そして、九尾の血を入手したことで。

フードの影と、詩経院の技術。何より、時を経た子孫である芦屋祈里のデータとあわせれば、九尾を再現できる。

再現さえすれば。

それを元に、最強の強化怪異を、作る事が出来るのだ。

その戦闘力は、強化ダイダラボッチさえ、比較にさえもならない。単独で原子力空母の戦力を凌ぎ、水爆並の破壊力を出す事も可能だろう。

人間の歴史は。

此処でひっくり返るのだ。

「まだ腑に落ちません。 あの式神は何だったのか、私は本当に九尾を掴んでいたのか」

ぶつぶつと二口女は言っている。

風圧で、パーカーのフードが外れる。

気付いていないかもしれないが、隠しておいた方が良いだろう。此奴は、元にした人間に、怪異から「寄り」過ぎた。だから、フードをかけ直しておく。

自分の顔さえ、見せてやれないのは不憫だが。

こればかりは、仕方が無い。

怪異の世界が来たら、改めて見せてやれば良いのだから。

「よし、追跡は振り切った」

闇の中で、迎えに来たフードの影を確認。

これで、目的は達成。

芦屋祈里にも、撤退を指示しているのが見える。あんな村、元々何の価値も無い。ただ、敵の目を引きつけるためだけの場所だったのだ。

「ご苦労であったな、見上げ入道」

「クドラクをはじめ、多くの犠牲を払いました。 必ずや、この血から、我等の希望を創造していただきたく」

「任せておけ」

気付く。

今日は珍しく、本物が来ている。

本物のフードの影が何者かは、見上げ入道も知らないが。しかし、いつも詩経院が作っている影とは、違う。

実体が、あるのだ。

だが、それも。フードの影がクーラーボックスを掴むと、消え失せる。何処へ移動したのかは、見上げ入道でも追い切れなかった。

いずれにしても、これで此方の勝ちは確定だ。

後はしばらく雌伏して、最終兵器の完成を待てば良い。

まだ、後方では、諏訪あかねと、強化怪異の追撃戦が行われている。囮として、充分な役割を果たしてくれているという事だ。

ほくそ笑むと。

部下達もろとも、見上げ入道は。

闇に消えた。

そして後には、何の気配も残らなかった。

 

                               (続)