溶け行く世界

 

序、魔書

 

クドラクが指定の場所に出向くと、既に見上げ入道は座っていた。いつも最後に来るイメージが大きかったので、不思議な事である。

続いて、芦屋祈里が来る。

この間の戦いで、弱体化していたとはいえ、あの強化座敷童を一蹴したらしい。とんでも無い使い手だとは知っていたが、それほどとは思っていなかった。向こうはクドラクを一瞥だけすると、席に着く。

詩経院が現れて。

同時に、椅子に、今まで存在しなかったフードの影が座る。一体どこから現れたのか、全くわからなかった。

「今回は、皆に提供するものがある」

「新しい戦力ですか?」

「急くな」

身を乗り出しかけた詩経院に、クドラクが釘を刺した。詩経院は軽薄な男で、とてもこんな所にいられるとは思えない。

という事は、だ。

フードの影が、こうも神出鬼没な事に関係している「パーツ」とみて良いだろう。実際にはどうと言うことも無い存在、と言うわけだ。一応死霊術のエキスパートであるらしいのだが。正直、そんなものはどうでも良い。

机の上に出されたのは、古い古い書物。

なんとパピルスである。

パピルスはいうまでもなく、ある種の草から造り出した、古い時代の紙である。正確には紙では無いのだが、同様の扱いを受けていたもので、非常に高価な品として知られていた。

それぞれで、回し読みする。

古いパピルスは、表面をプラスティックでコーティングされ、保護されていた。文章については、かろうじて読める。下には英語での翻訳が書かれているが、内容的には間違ってはいない。

インクを後から書き足したのかもしれないが。これは極めて貴重な文化遺産だと断言できる。

芦屋祈里が、最初に挙手。

「これは、古代の文明の遺産ですか」

「内容を読んで、どう思った」

「……北欧神話のラグナロクに似ていますね」

同意だ。

クドラクも同じように感じた。これに書かれている文字はラテン語だが、内容はギリシャ神話でもローマ神話でもない。無論、内容が似ている北欧神話とも違う。

ただ、神々の時代の終わりと、人間の時代の到来を書いている。

それも、極めて簡潔に、だ。

「これはな、ある離島に暮らしていた一族が、保管を続けてきた書物だ。 口述で伝えられてきた記録を、千五百年ほど前に筆記。 保存状態が良く、研究チームが回収したときにも、インクは腐食しきっていなかった」

それは、凄い。

そして、同時に、その意味もわかる。

隔絶した地域では、古代の生物が生き残ることがある。ある島には、生きた化石とも呼ばれるムカシトカゲと呼ばれる生物が存在しているが、これなどは文字通り、古代の忘れ形見である。

文化も同じだ。

隔絶された地域で、古い文化が生き延びていることは、枚挙に暇がない。

「これは私が知る、真実の一つだ」

「神話には原型となった話がある事は承知していますが、真実、ですか」

「そうだ。 いにしえの昔。 怪異は神々と呼ばれていた。 しかし、神々はある時、滅び去った」

それは、クドラクも聞いたことがある。

似たような話は、幾つも古文書で見た。

そして真実だとも思っている。この世界にいる怪異には、何か不可思議なリミッターのようなものが掛けられているのだ。

この様子では、芦屋祈里や見上げ入道には、話していなかったのかもしれない。

あり得ることだ。

「原因については、既に九割方突き止めている」

「……詳しくうかがいたいところです」

「根拠を示すのは面倒だから後でゆっくり見せていくが。 要するに、怪異の中に、このままではまずいと考えたものが出たのだ」

いにしえの時代。

怪異の力は、それこそ圧倒的だった。怪異の気分次第で文明が滅ぶことなど、それこそ日常茶飯事。

元が人であるからこそ。

怪異は強欲で、傲慢で。そして、何もかもが、人という存在から見れば天敵に等しかった。

だが、繁栄を謳歌した怪異という神々は、ある時思い知らされる。

世界に人間が、希望を抱かなくなったことを。

その結果、人間は、繁殖しなくなっていった。

結局の所、人間がいなければ、怪異は存在し得ない。怪異になるのは人間なのだ。そして、怪異の食糧を提供するのも、多くの場合は人間なのである。

神々は焦った。

とにかく人間を増やそうと、様々な手管を尽くした。

だが、その全てが徒労に終わった。

怪異達は集まって、対策を考えた。その時には、世界の文明は、取り返しがつかない所まで衰退していた。

それに伴って、怪異の力も。

同じように、決定的な所にまで、凋落していたのだ。

「怪異の長達の結論は、世界のルールに干渉すること。 具体的には、上限がなかった怪異の力に、強い上限を設けること。 そして人間に設けられていた上限を、代わりに外すことだ」

「……!」

「この世界の人間はあまりにも怪異に比べて強靱だ。 それに対して、怪異になった途端弱体化するような例も、数多見ているはずだ。 おかしいとは、思わなかったか」

「それが事実として。 貴方が産み出した強化怪異は」

芦屋祈里が、口を閉ざす。

何かを喋り掛けて、気付いたという感触だ。

クドラクは、見上げ入道と顔を見合わせる。

一体何が、わかったのだろう。

立ち上がるフードの男。

それで気付く。案外小柄だ。

ひょっとして此奴は、或いは女なのか。その可能性はあるが、どうとも言えない。百戦錬磨のクドラクでさえ、わからない。

声だけでは、どうしても性別が判別しづらいのだ。

「これより、作戦を次の段階に移す。 皆が強化怪異と呼んでいる存在を、大量生産する」

「それを用いて、敵を押し潰すのでありますか」

「そうではない。 世界のルールに、少しずつひびを入れるのだ。 そしてある段階まで来たところで、一気にひびを押し広げ、現状の法則そのものに、終焉をもたらす」

クドラクとしては、それは好ましい。

現状の、怪異は何をしても人間に勝てない世界には、いい加減怒りを覚えていたのだ。早くどうにかしたいと焦りさえ覚えていた。

今回の一連の戦いでも、精鋭を多く失ってしまった。

勿論大陸にはまだ本隊が控えているが。

倒され、消滅してしまった吸血鬼達も、決して少なくない。

彼らは怪異の未来のために、命を捨てた。

絶対に、無駄には出来ないのだ。

「君達には、これからやって貰う事がある」

「何でしょう」

「この世界でも、もっとも長寿な怪異の一体を、味方に引き込む」

それは、まさか。

芦屋祈里が、露骨に顔を歪めるのがわかる。

クドラクも、あまり良い気分はしなかった。

「まさか、金毛九尾の狐ですか」

「そうだ。 ただ、当人の意思は問題では無い」

「つまり、捕らえてこい、というのですね」

芦屋祈里の形相が、見る間に憎悪に満ちていく。クドラクとしても、それに同調したいくらいだ。

怪異でありながら、秩序を重んじ、人間に荷担している輩。

奴の思想もわかる。

長い間を掛けて、怪異と人との間に路を作り、少しずつ世界の状況を改善していく。確かに、それは理想論だろう。

奴はクドラクよりも三倍も長生きしていて。それが故に、その思想に辿り着いたという側面もある筈だ。

だが。だからこそに。

相容れない。

挙手する。

クドラクとしては、受け入れがたい。

だから、やんわりと反対意見を表明することにした。

「この国の怪異は、奴にどちらかと言えば近い立場にいます。 怪異がこれほど、受け入れられている文明は他にないと言って良いくらいです」

「捕らえるのは困難だというのだな」

「その通りです。 奴は戦闘力こそ低いですが、直感に関しては中々に侮りがたい所もある。 更に、警察も奴には味方しています。 容易には捕らえられないかと」

「警察に関しては問題ない。 私の手のものが、既に内部に潜んでいる」

知っている。

それで、随分助かりもした。

だが、対怪異部署を黙らせることは。結局の所出来ていない。そのせいで、幾つもの作戦で、必要のない犠牲を出してきたでは無いか。

死んでいった吸血鬼の経歴は、全てクドラクの頭に入っている。

いずれもが、忠実で。勇敢で。

クドラクのためではなく、怪異達全てのために。要するにこの世界のために、命を投げ出すことを惜しまなかった。

そんな勇敢な吸血鬼達の死を、無駄には出来ない。

いや、してはいけないのだ。

「それだけでは不足に思えます」

「強化怪異を三体預けているはずだが」

「……」

つまり、今回も動くのは、クドラクか。

ただ、三体の強化怪異については心強い。手元にいる吸血鬼はもう四体しかいないが、カルマがいるのが心強い。

それに、だ。

そろそろ、覚悟を決めなければならないだろう。

「盟主よ」

「どうした」

「私にも、力を授けていただきたく」

頭を下げる。

しばらくの沈黙の後。フードの男は、言うのだった。

「まだ、その時では無い。 そもそも、この強化の仕組みは、理解できているか」

「垣根を外すことでありますか」

「違う。 それを理解したとき、貴様にも力を与えよう。 ……九尾を捕獲する作戦については、おって開始時期を指示する」

これ以上は、無駄か。

一礼すると、席を立つ。

芦屋祈里も、一緒に席を立った。二人並んで歩く。此処は、あるビジネスビルの五階。テナントとしては壊滅的で、三件しか入っていない。

バブル崩壊によって受けた打撃は、この国を未だにむしばんでいる。から部屋は多く存在していて、いずれもが空虚な隙間と化している。

今、会議に使っていた部屋も、そんな隙間の一つ。

術式を使って偽装してはいたが。

「ミズ芦屋。 貴殿はどう思う」

「理論上は、私も更に強くなることが可能よ」

そういえば、そうか。

フードの男は、垣根を外すことを違うと言った。だが、大筋では間違っていないはずだ。クドラクも、見たのである。

座敷童が、強化怪異になる経緯を。

あれは、邪法の中の邪法。

人間の社会で行われてきた闇の歴史。その中でももっとも後ろ暗いものを、更にどす黒く煮詰めたもの。

しかし、結果として、力は得られるのだ。

悪魔など、この世には存在しない。

黒の魔術で、人間が闇に手を染めるとき。

力を貸すのは、悪魔などでは無い。

人間そのものの内側に潜んでいる、邪悪だ。

「これ以上、部下を無為に死なせたくない。 ミズ芦屋。 貴殿は盟主の信頼を得ているようだ。 貴方から口添えは出来ないだろうか」

「今は我慢しなさい。 私もあの男の事はよく分かっていない。 いや、それどころか、男か女かさえも知らない」

ビルを出る。

一礼して、左右に分かれた。

ネオン街。

むなしい資本主義の象徴。無意味な浪費が、バブルという悪夢の時代を経た今であっても、続いている。

この国だけではない。

世界中の、何処もがそうなのだ。

人間だけが繁栄を謳歌し、パイを食い合っているこの世界で。怪異の居場所など、存在しない。

空を仰ぐ。

怪異の居場所を得るためにも。

クドラクは、手段を選んではいられないのだ。

 

1、甘い香りの木

 

東北で、戦い、そして保護した座敷童。

彼女は人に戻ると、幼児では無く。十代半ばの、それなりに女性としての凹凸が目立つ体になっていた。

以前、ダイダラボッチの残骸から発見された子供と、多少経緯が似ているかと思ったけれど。

雪女の時と同じく、言葉を喋ることも出来たし、日常生活に関する知識もあった。

アパートから出ると、スマホをいじる。

今、彼女は。

体怪異部署の深部で。ダイダラボッチから現れた子供と一緒に、検査を受けている最中だ。

詳しい状態は、あかねに聞くしか無い。

通話をしてみるが。あかねは中々出ない。しばらく鳴らしていると、十五回目のコールでようやく出た。

会議中だったという。

私は面倒くさいので出たくないのだけれど。私も出て欲しかったと、文句を言われてしまう。

「師匠、貴方が救出した、元座敷童だった少女の身元がわかりました」

「何、それは本当か」

「……すぐに来て貰えますか。 かなり面倒な状況になっています」

あかねがそう言うなら、余程なのだろう。

面倒だが、仕方が無い。

新しいアパートを出て、タクシーを探す。あくびをしながら、捕まえた白タクに乗り込むと、警視庁を指示。

軽薄そうな運転手は、自首でもするんですかとかほざいたので、運転席を後ろから蹴ろうかとさえ思った。

まあ、別にどうでも良い。

平尾と牧島にも、連絡をしておく。

牧島はあれから、病院に通ったという。まあ、前の戦いは激しかったし、当然だろう。もう調子は良くなっているだろうかと想ったが。電話に出た牧島からは、あまり良くない結果が伝わってきた。

「無理がたたって、体に大きな負担が掛かっていると言われました。 しばらくは通院が必要だそうです」

「面倒だな。 大丈夫か」

「何とか。 金毛警部も、お気を付けて。 前の戦いでは、酷いおけがをされていましたし」

「何、私は大丈夫だ」

通話を切る。

平尾はと言うと、警視庁にいるという。この間の事件の、残務整理が溜まっているのだとか。

これから向かうというと、眉を通話の向こうでひそめたようだ。

「何か、大きな進展があったのでありますか」

「そうらしい。 これから、あかねと合流して、話を聞く」

「わかりました。 本官も何かあったら動けるように、準備をしておきます」

「ん」

通話を切ると、もう警視庁が見えてきた。タクシーに少し高めの料金を払い、領収書を受け取る。

対怪異部署に出向くと。

かなり忙しそうに、警官達が行き交っていた。

平尾がいたので、牧島の件を伝えておく。対処すると言われたので、まあ任せても良いだろう。

問題は、此処からだ。

あかねがいた。

かなり険しい表情をしている。多分、ろくでもない結果が出ただろう事は想像がつくけれど。

実際に話を聞いてみると、想像を遙かに超えたろくでもなさだった。

「死人だと?」

「はい。 遺伝子が一致しました。 彼女の名前は、カトリーナ=パール。 十二年前に、東欧のある国が一つ革命で滅びたのですが、其処の王室に所属していた人間です。 いわゆるプリンセス、ですね」

「……詳しく聞かせてくれ」

遺伝子のパターンが一致したというそのプリンセスは。

革命の際、猛り狂った民衆によって、言葉にも出来ないほど酷い殺され方をしたというのだ。

もっとも、幾つかの独裁国家がある東欧でも、その国は特に酷い政治をしていたらしく。王家が滅びたことを、悲劇と捉える人間は殆どいなかったという。

「双子の可能性は。 一卵性双生児という奴だな」

「外務省経由で資料を取り寄せましたが、可能性はありません。 彼女については、何しろ独裁国家の富を得て育てられたプリンセスだったこともありますから、育成の記録が残っています」

「本人はどう言っている」

「覚えがないようです。 そもそも、日本語を喋ることが出来ること自体が妙だと思いませんか」

確かに、それはそうだ。

全く接点がない日本の怪異になっている事もおかしい。

この件の背後にいる奴は、何をもくろんでいる。いや、それはわかっているが。どうして、全く関係ない国の、既に命を落としたプリンセスが、このような所で怪異になっているのか。

クローンの可能性は。

いや、今の技術では、正直まだ難しいはずだ。

かといって、親子でも遺伝子は一致しない。死人をどうにかして蘇生させて。そして、怪異にしたというのか。

詩経院の奴は、確か死者を蘇生させる技術を持っていたが。

それは、文字通りの意味では無い。

死人の魂を呼び出して、意のままに操る、というのが正しい。今回のケースは、生きた肉体を保っている。

「カトリーナと言ったか。 バイタルチェックは問題ないのか」

「全く問題ありません。 ただ、おかしな事が」

「おかしい、とは」

「カトリーナ=パールは、死んだときには三十七歳でした。 非常に我が儘な性格で、国民の搾取にも熱心。 多くのアクセサリで身を飾り立て、派手に男遊びをしていた、分かり易い無能な王族だったようです」

それは。

何もかも、あの座敷童の中に入っていた娘っ子とは正反対だ。あれは非常に生真面目で、性格的にも古き良き大和撫子、という雰囲気だった。

なるほど、会議が行われるわけだ。

死体が若返ってよみがえる、などと言うだけでも前代未聞。

その国の民衆が聞いたら、なんということだろう。せっかく倒した悪魔の一族が、若返ってよみがえってきたなどと聞いたら、老人は卒倒したかもしれない。

現在、カトリーナの国は、そこそこに慎ましくやっているらしく、治安も安定しているそうだが。

この件を伝えるべきか、今外務省が協議しているという。

まあ、無理もない。

「それで、どうするんだ」

「もしも生きていれば、既に五十歳に近い年齢です。 あの子が、本人だと言う事はあり得ないでしょう。 問題は其処からです」

「確かに、搾取された国民としては、憎悪のはけ口が必要だろうが……」

私が、怪異としての傾きを是正しているとき。

あの娘は、泣き言一つ口にしなかった。

そればかりか、文句を言うことも無かったし。どれだけの痛みを受けていても、平然と耐えていた。

話に聞く無能プリンセスとは、違いすぎる。

平野と芦田が来たので、軽く挨拶をする。話をあかねに聞いたと告げると、芦田は咳払いをした。

「実は、他にも問題が起きているんだ」

「……」

会議室があったので、入る。

話を聞く体勢に入った私に、芦田は資料を見せてくれた。おそらく、あかねが出ていた会議で使ったものだろう。

プレゼンをした方が良いかもしれないくらい、膨大な資料だった。

警視庁と協力して少し前に潰した人身売買のグループが、とんでもない供述をはじめたらしいのだ。

此処で言う人身売買のグループというのは、主に豊かな日本に、働き口を求める人間を、密入国させる集団の事である。

海路から多くの人間を密入国させてきたこの集団は、非常に悪辣なことで知られており、仲が悪い日本と周辺国でさえ、これの摘発には共同で当たることがあると言う。

勿論、犯罪組織と強いつながりがある集団で、多くの人々を苦しめてきた悪辣な連中だが。

そいつらが、証言したのだ。

「内臓の売買用途で、生きた人間を三十人ほど、この国に連れ込んだそうだ」

「!」

発展途上国では、良く行われる事だが。

先進国の医療用に、人間を内臓袋と見なすのである。取り出した内臓は、勿論非常に高価な値段がつく。

日本でも昔から噂はあったが。

直接大規模摘発が行われたのは、初めてではあるまいか。

問題は、此処からである。

「どうもねえ。 その連れてこられた人間達が、正体不明の組織に引き渡されたらしいんだよ。 仲介には、大手の暴力団が関わっていたらしいのだけれど。 マル暴の話によると、彼らさえ、最終的に被害者が何処に運ばれて行ったかはわからないらしい」

「つまり……」

「想像の通りだと思うよ」

なるほど、そう言うことか。

私の予想では、強化怪異の作成には、生きた人間が不可欠だ。ただ、そのまま生きた人間を使うのでは無いとも思っているが、それは此処ではまず横に置いておく。

以前、暴力団がこの件に関わっているという話を聞いたが。

つまり逆に言えば。

この件の黒幕は、大手の暴力団を顎で使えるほどの権力を手中に収めている、という事なのだろう。

戦慄する。

裏側の権力としては、文字通り桁外れだ。なるほど、対怪異部署が、大慌てになる筈だ。怪異の組織だったら、正直な話、どうにでもなる。

この件の黒幕は、確実に巨大権力と癒着している。

それはおそらく、警察にも暴力団にも手を伸ばすことが可能なほど、触手が長く。そして、下手をすると。

対怪異部署そのものが、潰されかねない。

「彼らは、死体の運搬も?」

「カトリーナの事でしたら、死体はそもそも存在しません。 死刑になった後、灰になるまで焼かれて、そのまま埋葬されましたから」

「……」

私とあかねのやりとりに困惑する芦田。

平野が、咳払いした。

元々平野は、人脈を上手く使う事で、対怪異部署の存続を保ってきた男だ。今こそ、動くべきだと判断したのだろう。

「マル暴や捜査一課との連携は、私がやっておくよ。 金毛君は、諏訪君や安城君と協力して、前線で動いてくれるかい」

「そう言っていただけると、助かりますが」

「ではそうしてくれ。 私は、上層部と掛け合ってくる」

芦田も、もうこれ以上話しても、意味がないと思ったのだろう。会議室を、足早に出て行った。

遅れて平野が出る。

嘆息すると、私は。

対怪異部署の深奥に向かう事にした。手続きが面倒で、出来れば足をあまり運びたくないのだが。

 

あかねと一緒に、対怪異部署の地下へ。

地下深くへと、降りていく。

途中で話を聞く。

あのダイダラボッチのいた場所から発見された子供は、紆余曲折の末、本人の希望を入れて、結局の所ヒカリと名付けたらしい。なるほど、闇を払うもの、と言う意味か。

「最終的には、里親を探して引き取って貰う事になりそうです」

「まだ当分先だろうな」

「……」

あかねは少し黙り込んだ後、教えてくれる。

ヒカリはやはり知能指数が恐ろしく高い。今では、大学の専門書を読んでいるという。それも、読んだ本の内容は、空で暗誦できるそうだ。

確か、IQ300の人間は、脳内に広大なホワイトボードを造り、其処に記憶をストックできるとか言う話があったそうだが。

知を使いこなすことで、そのような事が出来るとすると。

おそらく、ヒカリは、一般人と同じ場所では生きられないだろう。あまりにも、生物としてのスペックが違いすぎるからだ。

地下に降りると、まずヒカリの部屋に。

足を運ぶと、向こうは私を覚えていた。ただ、子供とは思えない有様になっていたが。

折り目正しく白衣を着こなし、きちんと座って、本の山の中で黙々と知識を頭に放り込み続けている。

膨大な知識欲が、怪物のように情報を取り込み続けているのだ。

側にあるのは、かなり高性能のサーバだが。それも、時々キーボードで操作している。指の動きが速すぎて、目で追うのが大変だ。

しかし、見かけは小学校低学年程度の背丈。

違和感が凄まじい。

「金毛警部ですね。 以前はお世話になりました」

読書を一時中断すると、ヒカリはきちんとした挨拶をしてくる。

子供らしい表情は、一切無い。

其処にあるのは、大人のミニチュアだ。一体どれだけこの子は生き急いでいるのか。助けてから、数ヶ月しか経っていないはずなのに。

髪の毛も、邪魔だからだろうか。

非常に短く切ってしまっている。

幾らか話を聞いてみたが、受け答えがそもそも子供では無い。頭の働きも、それに準じて、異常に回転が速くなっているようだ。

部屋を出てから、嘆息。

「どういうことだ」

「推定IQは280です」

「……」

頭を振って、一旦思考を切り替える。

あの子はもう、普通の人生というのは、送る事が出来ないだろう。普通の人間と、あまりにもスペックが違いすぎる。

何というか、神々か何かが、其処でヒトの形をしているかのようだ。元々の脳の構造が、あまりにも違いすぎるのではあるまいか。

担当医師が来たので、聞いてみる。

そうすると、案の定だ。

「脳の能力を、おそらくフルに使いこなしているのでしょう。 医学書も、渡すだけ暗記してしまいます。 最近では、何の薬がどれだけ必要か、ぴたりと当ててくるほどです」

「となると、保護は必要ないか」

「肉体的にも、生半可な子供のそれを遙かに凌いでいます。 身体能力測定を何度かやらせたのですが、異常な数値が出ています」

データを見せてもらうが、なるほど。

確かに、子供の数値とは思えない。普通に鍛えこんだアスリートのものだ。あの子が、此処で得られる知識を飲み干してしまったら、次はどうするのだろう。

あまり、考えたくない。

もう一人の方に行く。

もう少し奥の部屋で、カトリーナは正座していた。美しい黒髪を持つ彼女は、愚かしさで国を滅ぼした一族のものとは思えない。まだ顔には幼さもあるが、その佇まいは、まるで武家の一門に属するものだ。

目を閉じて、瞑想していたのだろう。

手元に刀があれば、まんま武士そのものだ。

部屋の前に立つと、向こうはすっと目を開ける。造作は西欧系なのに。佇まいからか、武士としか形容できない。

「どうぞ。 お入りください」

「そうする」

招かれるままに、部屋に。

薄手の白衣を着ている彼女は、同性である私から見ても、目の毒だ。それだけ体つきが、女らしいのである。

それに醸し出すオーラが違う。

本来のカトリーナがこれくらいのオーラを纏い。しっかりした佇まいでいたら、東欧の国は、滅ばなかったかもしれない。そう錯覚させるほどの風格だ。実際問題、王族だから優秀などという事は無いし、威厳だって備えていない場合が多いのだ。特に二世三世以降になってくると、傾向は顕著になる。

まともな人間としての生を歩んでは来ていないと私は判断したが。

それは間違っていないはずだ。

これは、カトリーナでは無い。

肉体はカトリーナのものを再現しているかもしれないが。恐らくは、中に宿っているものが違う。

「此処に幽閉されるのは、私に対する懲罰ですか? それはそれで、甘んじて受け入れますが」

「責任能力がない状態で、懲罰をするつもりはない。 むしろ此処にいて貰うのは、お前さんを道具として使っていた組織から守るためだ」

「うっすらと覚えている、あの者達ですね」

「そうだ」

聴取は以前に済ませた。

その後あかねも聴取しているから、今更取りこぼしがあるとは思えない。

あかねに目配せした後。少し広い部屋に出て貰う。倉庫として使っている、小さな空間だが。

周囲にある危険物は、厳重に封印を掛けてある。

素足のままのカトリーナは、ようやく部屋を出ることが出来たことで、少しは安心したようだが。

一方で、不安も感じているようだ。

「此処で、何を」

「ちょっと待っていろ」

奥の部屋に行くと、竹刀を取り出してくる。

私は、此処にはあまり来たことは無いが、知ってはいる。常駐の人間が、暇つぶしと鍛錬を兼ねて、時々竹刀を振っているのだ。

防具はないから、本格的な試合は出来ないが。

それなりの使い手は、竹刀を持って向かい合うだけで、相手の力量を計ることが出来ると聞いている。

ちなみに私は無理。

ステゴロがザコも良い所なので。勿論、相手の実力なんか、わからない。剣道に関しては特にそうだ。

術使いの力量や、怪異としての実力はある程度判別が出来るが。今回知りたいのは、やっとうの方だ。

カトリーナに竹刀を渡す。

あかねにも。

向かい合って、二人が立つ。

思った通りの結果になった。教えてもいないはずなのに、カトリーナは正座から礼まで、完璧にこなした。

剣道を知っているのだ。

非常に落ち着いた雰囲気で、上段に構えるカトリーナ。

一方あかねは中段に構えたまま、静かに間合いを計っている。

一瞬で、勝負は終わる。

竹刀を降ろしたあかね。ため息をついたカトリーナが、同じように竹刀を降ろした。

「素晴らしい実力ですね」

「あかねは本庁の婦警で最強だと言われているからな」

あかねは何も言わない。

竹刀を受け取ると、しまってくる。その間、二人は何も口を利かなかったようだった。

 

カトリーナを部屋に戻すと。

帰り道、あかねと話す。

実際の所どうだったかと聞くと、あかねは難しい顔をした。勿論、カトリーナの剣道の実力に関して、である。

「あれは剣道ではありますが、むしろ古武術が近いでしょうね」

「だが、剣道も知っているように思えたが」

「知っているでしょう。 ですが知っての通り、剣道はあくまで競技。 彼女から感じたのは、それ以上の気迫です」

なるほど。

あかねは元々、剣道に関しては本庁の婦警で最強と言われている。ただそれは、あくまで剣道の話。

戦闘を行う場合のあかねは、日本刀を振り回すこともそれほど多くは無い。

勿論道具を使うことはあるけれど。

多分、本格的な剣術の使い手が現れたら、それに関しては遅れを取る可能性も高いのである。

最深部を出る。

あの子らは、当分出してはやれないだろう。あの異常なステータス、どちらも人間社会で暮らして行くには無理がありすぎる。

カトリーナに到っては、政治的に極めてデリケートな存在でさえある。下手をすると、国際問題を誘発しかねない。

悔しいが、少なくともかの組織を滅ぼすまでは。

地下にいて貰うほか無いだろう。

平野がいたので、軽く所感を報告しておく。そうすると、返礼というわけではないが、どっさりと書類を渡された。

「現在、安城君が例の組織を追ってくれている。 君は近隣の未解決怪異事件を、処理して欲しい」

「……こんなにあるんですか?」

「君なら難しくないだろう仕事も多い。 何しろここのところ、普段は捜査に廻っているような人員まで、戦いに繰り出していたからな」

平野は淡々と言うが。

ようするに手が足りないから、働けというのである。

うんざりしてしまう。

だが、こればかりは、仕方が無いだろう。実際問題、今は怪異と人の関係が、非常に難しい所に来ているのだ。

私は、働き次第で、少しはそれを改善も出来る。

牧島がいないのが不安だが、まあそれは仕方が無い。

最初の幾つかは、私と平尾で解決する。補助の人員を出してくれるかとは一応聞いたのだが、無理とこたえられたからだ。

面倒くさい。

それに、この処理件数。いちいちアパートを引っ越しも出来ないだろう。

げんなりしながら、最初の事件の場所に向かう。

これから多分二ヶ月くらいは。

関東近郊を、必死に走り回ることになりそうだった。

そういえばと、思い出す。

八岐大蛇が消し飛ばした強化怪異はどうなったのだろう。確か瀕死の状態で捕獲されたと聞いているが。

何だか、嫌な予感がする。

出来るだけ早めに状況を確認しよう。私は、そう思った。

 

2、螺旋の柱

 

酒呑童子は、細かい作業が苦手だ。だから、裏切りものの内偵なんて言われても、どうすれば良いのか、よく分からなかった。

しかも幹部に裏切りものがいるとなると。

迂闊に、側近達に相談することも出来ない。

特に今回、どうにもおかしいと感じているのが、右腕とも言える茨城童子の動きなのである。

実際問題、彼奴が裏切っていれば。

何もかも、話の説明がつくのである。情報の引き抜きも、あらゆる事が、クドラクに筒抜けになっていたことも。

そして、今ももし奴が裏切っていたら。

だが、正直それは考えたくない。

茨城童子は最古参の幹部で、同じ鬼と言うこともあり。そして何より、盗賊から傾いたという点で共通もしているから。ずっと、頼りにしてきた。

どうしても頭が足りない酒呑童子の補佐をして、頭脳労働を全て引き受けてくれていたという点では、感謝してもしきれない。

九尾と並んで、酒呑童子は三大妖怪と呼ばれる存在の一角だ。

だからこそに、思うのである。

自分ほどでは無いにしても、古い怪異である茨城童子は。ずっとこの境遇に、満足していなかったのでは無いか、と。

頭を振る。

あくまで、最悪の想像だ。

茨城童子は、今まで何度も危機の際に働いてくれた有能な補佐。此処で疑ってしまっては、駄目だ。

彼奴を信じてやるのが、自分の責務。

しかしながら、今回は危機の規模が違う。下手をすると、酒呑童子が築きあげてきた全てが、瓦解しかねない。

怪異としての壁を越える研究も、全てクドラクに奪われてしまった今。

口惜しいけれど、九尾に同調するしかないのも事実。

頭が良くない酒呑童子も、現実的にものを考える事くらいは出来る。だからこそ、感情と理性の板挟みにもなっていた。

今は、ワゴンで移動中。

東北から、北陸に移る途中だ。

どうも見上げ入道の一人が裏切っているらしいと聞いたので、その人脈を調べている所である。今の時点で、無自覚で手助けをしていた怪異を数名見つけたので、その縁を切った。

殺したのでは無い。

見上げ入道が何をしているのかを教えて、手を引かせたのだ。

これでも、怪異のために生きてきたのである。安易に同胞を殺すような真似はしない。戦いになればそれは話が別だが、殺さなくてもいいのなら、殺さない選択肢を、酒呑童子は選ぶ。

運転をしている茨城童子が、話しかけてくる。

「次は磯女です」

「彼奴か……」

磯女。

海岸線に出る強力な怪異で、殺傷力も高い。殆どの逸話で人間の血を吸い、死に至らしめる。見ただけで死に到るという例さえもある。

そのため人間に狩られて、今ではほとんど生き延びていない。

基本的に殺傷力の高い怪異は、こうして人間の手によって殆ど滅ぼされてきたが。その中では、比較的穏当な性格のものは、生き延びることが出来ている。

今から会いに行くのも。

そうして、殺されなかった磯女の一人だ。

怪異としてはかなりの古参で、四百歳を超えている。

しばらく、ワゴンの中で腕組みして休む。ぼんやりとしていると、また茨城童子が、話しかけてきた。

「ここのところ、ふさぎ込んでいますね。 どうかしましたか」

「いやな仕事をしなければならないからな」

「ほう。 我々に任せられない仕事が?」

「そういうことだ」

それ以上、茨城童子は追求してこない。

此奴は酒呑童子を馬鹿にするような態度を取ることも多いけれど。ずっと付き従ってくれてきたのだ。

到らないボスだと言う事はわかっている。

源頼光とやらに破れたときから、わかっていた。酒呑童子は腕っ節は兎も角、性格に問題がありすぎて、ボスとしては周囲に支えられないと、立脚できない存在だと言う事は。だから、部下は大事にしてきたし。

彼らの悩みも積極的に聞くようにしてきた。

本心から慕ってくれている部下も少なくない。

そう信じてきたからこそ。

今回の件は、胃にこたえていた。

九尾を恨むのは筋違いだと言う事はわかっている。というか、頭が良くない酒呑童子は、指摘されてやっと組織内に虫が巣くっていることに気がついたのだ。実際指摘されなければ、今までの事をおかしいと思う事があっても、具体的に何があるのか、気付けなかっただろう。

「あまり深く追求はしませんが、思い詰めすぎませんよう」

「なあ、茨城の」

「どうしましたか」

「今回の一件が片付いたら、怪異と人の関係は一から構築し直しになるだろうな。 その時は、苦労がたえんだろう。 お前は、どうする」

俺の下を離れるか。

そう、ぼかして聞いているのだ。

酒呑童子は、自分でもわかっている、到らない主だ。組織は大きくなっているが。自分が到らないせいで部下を裏切らせてしまったとも、今では自省している。組織を解散するのも、手かもしれない。

行き所がない妖怪をかくまうのは、九尾の奴がいれば充分。他にも顔役は何人かいるし、或いは団辺りでも良いかもしれない。

「生憎私は、貴方の不器用なところが結構気に入っていましてね。 しばらくは、側にいるつもりですよ」

「ああ、そうかい」

「それより、そろそろつきます」

ワゴンが止まったのは、うらびれた海岸だ。

テトラポットが多数積み上げられているのは、それだけ危険な場所である事を意味している。

護岸された場所も多い。

昔、多くの被害をもたらした場所なのだ。

磯女は、いた。

下半身が蛇という、西洋のラミアに近い造形をしている事も多い磯女だが。その実態は、水死体から生まれた伝承が、アーキタイプになったものだと、いつだか酒呑童子は聞かされた事がある。

磯女の多くは、人間の血を吸うのだけれど。

これは、水死体が多くの場合、血の気が抜けて真っ青になっている事が主要な原因だろう。

また、海岸部分には、他とは違う風習を持った集団が、住んでいる事も多かったようだ。それだけ、昔の日本には、漂白の民が多かったのである。

此処にいる磯女は。

見かけ、少し老い始めた普通の女だ。

姿は好きに変えられるらしいのだが。見える人間が、寄って来る事が多かったらしく、わざと外見年齢を増しているらしい。

目立ちにくい浅黄色の着物を纏った彼女は。

堤防に腰掛けていた。

風に、長い髪が揺れる。

確かに若いままだったら、絶世のとまでは行かないにしても、相当な美貌の持ち主だっただろう。

傾く前は、地元でも評判の美女だったらしいから、まあ無理もない。

近づいてくる酒呑童子に、磯女は振り返る。

「なんだい、酒呑童子か」

「久方ぶりだな。 今日は幾つか話を聞いておきたい」

「好きにしな」

しゃべり方も、磯女は意図的に老けさせているようだ。

咳払いすると、酒呑童子は、見上げ入道について聞く。見上げ入道と言っても、何名かいるが。

今回問題にしている男は、この磯女とも関係があった。

「彼奴が、よその国の組織とつるんでる?」

「ああ、ほぼ間違いない。 俺の組織から、機密情報を根こそぎ奪っていった連中とな……」

「俄には信じがたいねえ」

「俺もだ。 元々多少胡散臭いところはあったが、それほど悪い奴だとは思っていなかったからな」

磯女が苦笑する。

取り出したキセルに煙草を詰めると、吸い始める。

最近の人間は、やらなくなった事だ。

そもそもキセルそのものを、見たことが無い奴も珍しくはないだろう。

「そういえば、少し前に聞いたよ。 本人からではなくて、彼奴の友人の一つ目小僧からだけれどね」

「ほう、教えてくれ」

「何でも、近々凄い力が手に入る宛てがあるとか。 一つ目小僧の酒を飲んで、酔っ払ったときに、ぼそりと漏らしたらしいね」

「……彼奴、力を欲しがる理由があったのか」

あったさ。

磯女は、断言した。

話によると、クドラクに荷担している見上げ入道は、元々武家の三男坊が傾いた存在だとか。

家では長男のスペアとしか扱われず。

家督が確定してからは、もう用済みと、出家させられた。

出家させられてからも、寺ではゴミクズ扱い。

良くない寺に入ったのだろう。結局の所、常にものを見上げて生きてきた彼は。じきに悲観から傾いてしまった。

早めに九尾に接触していれば、回復の見込みもあっただろう。

だが、彼は。

怪異になると同時に、実家に押し入って。

恨み重なる長男と両親を、斬り殺したのである。

以降はお庭番に追われて、日本各地を転々とし。気付いたときには、取り返しがつかない所まで、傾いてしまっていたのだ。

元々鬱屈した環境に生まれ。抑えも聞かなかったのだろう。力を得たと勘違いしてしまったのが、運の尽きだった。

それからは各地を必死に逃げ回り。

完全に怪異化して百年ほど後には、まだ年若い怪異達の顔役になっていた。

もっとも、顔役としては極めて平凡で、それほど傑出したところはなかったようだが。

磯女の話を聞き終えると、思わず酒呑童子は腕組みしてしまった。

逆に言えば。

此奴のような平凡な、特徴があるとはいえない顔役を。どうしてクドラクの所属している組織は、幹部として迎え入れたのか。

それが、よく分からない。

頭が良くない酒呑童子だが、組織運営は長い間やってきたし、それなりに色々なものは見てきた。

益があるとは思えないのだ。

そうなると、何かの大きな利得をもたらす能力が、見上げ入道には備わったのか。

それだ。

しかし、その能力が何かを考えるには、材料が足りなさすぎる。

「磯女。 奴に最後に出会ったのはいつだ」

「三年と少し前かな」

「最後にあった時、何か無かったか」

「顔役同士の会合だったからね。 遠目に見ていただけだよ」

そうか。酒呑童子は、納得するほか無かった。此奴が嘘をつくメリットがそもそもないし。情報としては、筋も通っているからだ。

結局の所、決定的な情報は手に入らなかった。

だが、有益な情報も手に入ったのだ。これは決して、無駄では無かった。

後は、見上げ入道の部下だったものさえ探せれば良いのだけれど。多分、そろいもそろって、敵組織に加わってしまっているとみて良い。

強化怪異にされている連中は、間違いなくそれだろう。

それが、自主意思での事かはわからない。

或いは拉致同然でそうなった可能性もある。

いずれにしても、このまま放置は出来ない。酒呑童子も、最悪の形で関わった以上、進めていかなければならない作業だ。

ワゴンに戻ると、丁度連絡が来た。

配下のひょうすべからである。

「酒呑童子様。 ちょっとばかり、やばいことになっているようでして」

「どうした」

「この間日本から一度離れたエクソシストが、三十人ほどで戻ってきたようです。 しかも九州で、さっそく手当たり次第に怪異を殺して廻ったようでして……」

頭を抱えてしまう。

元から凶暴な連中だと言う事はわかっていたが。いきなり、そこまで見境無いことをするなんて。

場合によっては共闘も考えていたのだが。

これで、それもなくなった。

「九州の顔役達に連絡。 エクソシストを見かけても、絶対に戦うな」

「わかりました。 直ちに」

「随分とまあ、過激でありますね。 恐らくは復讐戦のつもりなのでしょうが」

いけしゃあしゃあと、茨城が言う。

酒呑童子は、車を出せと、鷹揚に指示。

何もかもが、最悪の方向に動き出しているとしか思えない。九尾の奴も、エクソシストを抑えることは出来ないだろう。

同胞がまた、大勢死ぬ。

ため息しか、漏れない。

 

九州の空港周辺で、さっそくエクソシストが好き勝手な事をはじめた。対怪異部署にも、その報告はすぐに届いた。

丁度、二件目の未解決事件。

学校に出没する、鏡の怪の調査を始めていた私の所にも、その情報は届く。あかねから話を聞いて、埼玉に出ていた私は、思わず頭を抱えていた。

「こんな時に、何をしでかすか彼奴らは」

思わず、げっそりしてしまう。

ただ、エクソシスト側としては、筋が通った行動なのだろう。彼らは元々、怪異を全て殺戮する事を目的としている。

どこの国に行っても。

独善的な思想に、代わりはない。

だからこそに、彼らは、目につく怪異を殺戮するのだ。

そして今回は、同胞が殺されている。その弔い合戦となれば、殺戮の刃がより鋭くなるのも、当然だろうか。

しかしながら、そんな理屈を向けられる方は、たまったものではない。

「で、どうする」

「安城警部が向かいました」

「彼奴、捜査中だろ……」

「仕方がありません。 今、怪異の勢力の間にある情報網は、敵の組織に迫るための、必要な糸です。 これを勝手な理屈で切られてしまっては」

今回は、平野も出向くという。

まあ、当然の人選か。

私も行こうかと提案したが、駄目と言われる。

まあ、仕方が無い。

しばらく放置している内に、未解決案件が溜まってきていたのだ。その中には、傾いて苦しんでいる怪異も多いのである。

通話を切ると、平尾を呼ぶ。

「何かわかったか?」

「いえ。 問題になっている鏡の周辺を調べましたが、特に」

「……しかし、怪異が出るのも事実だ」

鏡は、怪異の基点になることが多い。

たとえば、鏡の後ろに絵柄を掘ることによって。光の反射を用いてその絵柄を映し出す魔鏡というものがある。

これは、それだけ古くから、鏡が神秘的なものとして捉えられていた証拠だ。

鏡を題材にした怪異も珍しくは無い。

雲外鏡などはその重要な一例であるし。鏡の中に異世界があると言うような話も、珍しくは無い。

学校の怪談をはじめとする近代怪異でも、その例は多い。

ただ、鏡が古くなっていたりすると、像が歪むことがある。それが怪異と誤認される例もあるようだ。

まさかとは思うが。

問題になっている、女子トイレの鏡を、平尾と一緒に外してみる。

裏側に、札が貼ってあるが。特に像が歪む汚れがあるような事は無い。外れか。たまに、あるのだが。

夜中などに見ると、顔とかが赤くなる恐怖の鏡という事例が。歪みや汚れによって、像が歪む結果だというものが。

「この札は」

「古いものだが、霊験の類はないな」

「怪異とは関係が無さそうですか」

「というよりも、気休めだ。 怪異がいたとしても、これでは何の防衛策にもならないだろう。 本職の人間じゃなくて、詐欺師の類に引っかかったな」

平尾が呆れた顔をするが、此方だって困る。

怪異の糸口が掴めない以上、仕方が無い。今日は徹夜だ。

平尾には、職員室に聞き込みに言って貰う。私自身は、学校に空気を張り巡らせる。

此処は小規模の共学で、それほど生徒数も多くない。幸いなことに今日は土曜日で、教師と部活の人間以外は見当たらない。

私は一旦外に出ると、スルメを買い込んできた。

スルメ大好き。

しばらくスルメをもむもむしながら、学校を見て廻る。スルメのおいしさがまず先に来る。

スルメをもむもむしながら学校を見て廻る謎婦警を見て、生徒達は小首をかしげていたが、聴取は平尾に任せているから良い。

私は彼方此方を見て廻りながら、怪異を探した。

この学校に出るという怪異は、鏡の中に住むという髪の長い女だ。生徒が女子トイレに入ると、いきなり姿を見せる。

悲鳴を上げた女子生徒が振り返ると、其処には誰もおらず。

そして、鏡を見直しても、誰もいない。

確かに恐ろしいが。

しかし、実害が出たという報告はない。勿論都市伝説としての怪異の中では、見た生徒を殺すとか、生かしてトイレからは出さないとか、色々物騒なものがあるけれど。それはそれだ。

木陰に移る。

秋も進んで、かなり寒くなっているけれど。昼間は、木陰で休みながらスルメを囓るのが乙な時間だ。

生徒は時々此方を見ているが、別にどうでもよい。

新しいスルメを取り出して囓っていると、平尾が戻ってきた。

「実際に怪異を見た教師を見つけてきました」

「んー。 で?」

「証言を聞く限り、やはり宿直で、夜中の見回りをしていたとき、だそうです」

女子生徒だけではなく、教師も見た、か。

なるほど、まあそうなると、対怪異部署に声も掛かるわけだ。

ただ、実際に怪異を見た例は、此処二年ほどに限られるという。それ以前は本当に都市伝説の域を出ず、ただ怪異の話だけが一人歩きをしていたそうだ。

報告書と大体一致している。

しかし、そうなると。

怪異は何処に潜んでいる。

今までも、ただ歩き回っていたのでは無い。学校中を、私の力がこもった空気で覆っていたのだ。

絶対に、引っかかるはず。

怪異が、既に此処にいないという可能性は、除外できる。

最新の報告だと、七日前には姿を見せているのだ。驚いた生徒が怪我でもすれば、強引な排除に動かざるを得なくなる。

「卒業生で、怪異を見た連中に当たってみてくれ」

「わかりました。 すぐに動きます」

私はと言うと、ぶらりと宿直に。

泊まり込んで、怪異が出る条件を満たす時間まで待つことにする。宿直の部屋で横になっていると、入ってきた古株の教師が、私を胡散臭げに見た。

「あんた、本当に警官か?」

「怠け者だけれどね。 で、何か?」

「……あんた達には言っていなかったけれど、気味が悪いから、あの鏡は一度取り替えたんだよ。 一年ほど前にね。 それでも、怪異は起き続けてる」

ほう。

それは初耳だ。

腰を浮かして、座る。話を聞く体勢に入った事に気付くと、古株の教師は、相変わらず私を胡散臭そうに見たまま、話してくれた。

「最初は何処にでもある怪談だったんだがなあ。 女子生徒が一人大けがをしてから、一気に真実味を増してな」

「初耳だ。 今までの調査資料にはなかったぞ」

「そりゃあそうだ。 イジメ自殺とか、何処の学校でも隠蔽してきたものだろう。 うちはさいわい、そこまでひどいのはなかったけれど。 怪我をした女生徒には、大金を払って口封じしたんだよ」

まあ、昔の学校は、どこもやっていたことだ。

呆れてしまう話だが、それが現実である。

「それで、怪我をした女生徒は」

「もう転校して、今は練馬区にいるそうだが」

「……わかった。 調査する」

それにしても、此奴はどうして、今更そんな話を。

或いは、もう学校の隠蔽体質に、我慢が出来なくなったのかも知れない。

教師がいなくなってから、すぐに平尾に連絡。平尾は、さっそく優先順位を上げて、其方に向かうと言ってくれた。

後は、怪異に直接出会うだけだ。

 

夜中。

戻ってきた平尾を連れて、女子トイレに出向く。

周囲はひんやりとしていて、露骨に空気が違う。学校は夜になると、怪異の遊び場になる事も多い。

実際、子供の怪異のために、夜の学校を提供する事もある。

そう言う場合は、学校の同意の上で。無人化した区画を、怪異のために解放するのである。

この交渉が大変で。何度かやった事はあるが、もう何度もやりたくないというのが、私の本音だ。

問題の女子トイレは、三階。

今は使われることも多くは無いから、綺麗とは言いがたい。

そして、その汚さが。

この場所を、怪異の居場所としている。それ自体は悪い事では無いのだが。問題は、怪異が追い立てられて、ここに来ている可能性が高いという事だ。

まだまだ、怪異の権利は殆ど保証されていない。

だから、どうしようも無い場合を除けば。初期段階で、私が傾きを是正して、人間に戻したい。

問題の場所に到着。

中を覗くと。

空気が、違った。

これは、いる。

昼間から、力ある空気を仕掛けては置いたのだけれど。先ほどから、露骨に空気が変わっている。

「平尾、外を見張れ」

「わかりました」

足を、踏み入れる。

鏡を、見た。

映った。

後ろに、髪の長い女がいる。髪を伸ばし放題で、非常に不気味な佇まいだ。私は振り返らず、にやりと笑って、尻尾をいきなり出して見せた。

女の方が、むしろ驚く。

「驚いたか。 私も怪異なんだよ」

「お、お前、は」

女は、白い死に装束と、できすぎたほどの幽霊スタイル。

平尾が飛び込んでくるが、周囲を見回して困惑。多分鏡に映った怪異を見て、見直していない事に気付いたのだろう。

「此奴はな、鏡を見ることが出現のトリガーになっていて、目を外すことで消失するんだよ」

「は、はあ」

「つまり本体は、鏡の中にはいないということだ」

鏡から目を離さないようにして、平尾に椅子を持ってこさせる。

椅子に座ると、女は、少し遠慮したように、私の後ろに立った。やせこけた、とにかく不健康な顔立ちである。

尻尾を揺らしながら、私は足を組む。

「さ、話してみてくれ。 お前は何処の何者だ? 人間に戻りたくは無いか」

「人間に、戻る」

「怪異はな、人間が傾くことでなるんだよ。 地力で怪異から人間に戻る例もなくはないが、殆どは無理だな。 だが、私なら、お前を人間に戻せるかもしれない。 とにかく、お前が何者か知る事だ」

辺りに、空気を張り巡らせる。

見つけた。

屋上だ。屋上から、幾つかのパイプを伝って力を流し、此処を見ている。

平尾にメモを渡して、屋上に行かせる。

本人を取り押さえてしまうのが、一番早いだろう。だから私は、話をしながら、時間を稼ぐ。

傾きの是正は、捕まえてからで良い。

「私は、何者か、わからない」

「そうか。 ならば、まずはお前に会わないとどうにもならないな。 お前自身が、ここに来てくれないか」

「いやだ、怖い」

「そういうな。 同じ怪異同士だろ」

ほれと、尻尾を更に増やしてみせる。

じっとその様子を見ていた女は、やがて、前触れもなく消えてしまった。舌打ちしたくなるが、我慢。

鏡から目は離していない。

そうなると、怪異の意思で、私の前から、像を消したという事だ。

平尾に無線で連絡。

「捕まえたか?」

「いえ。 しかし、影のようなものを見ました。 貯水槽に入ったようです」

「よし、すぐに調べるぞ」

椅子をしまうと、屋上に。宿直の教師にも声を掛ける。貯水槽で何かあったことはないかと聞いてみるが。

業者がたまにあけるくらいだと返答を受けて、そうかとしか言えなかった。

まあ、そうだろう。

屋上。

あまり広くは無いが、防火水槽と高架水槽がある。平尾が指したのは、防火水槽の方だ。それなら、なおさらだ。

あけて、中を調べて見る。

ひんやりとした中に懐中電灯で光を入れた。鳩の死体などはない。だが、空気がおかしい。

いる。

飛び出してきたのは、真っ黒な影だ。

夜闇に紛れて、逃げようとするが。

平尾が飛びつき、組み伏せた。怪異に触ることが出来る力持ちがいると、こういうときに便利である。

「よーし、捕まえた」

「この怪異は?」

「……おっと、これは驚きだ」

かなり珍しい怪異である。

真っ黒い人型であるそれは。蜃。

蜃気楼の語源となった、幻を見せる怪異だ。

普通は文字通り、ハマグリの姿をしていることも多い。巨大なハマグリが霧を出して、蜃気楼を造り出すというのである。

しかしこの怪異は、傾いてから時間がない。

もがいているが、平尾の力には抵抗し得ない。しばらく抵抗していたが、やがて諦めたようで、動かなくなった。

「どうして。 静かに過ごしたいだけなのに」

「その気持ちはわかるがな。 それならどうして、夜中の女子トイレに現れては、悪さをした」

「それは……」

「それは、お前が何処かで、人間に関与したかったからだろう。 誰かが驚く様子を見て、自分が生きている実感が欲しかったんだな。 いや、最初はお前を引きこもりに追い込んだ奴に、仕返しをするつもりだったんだろう」

教師が、目を剥く。

平尾が、聴取した結果だ。

一人、引きこもりになったまま、連絡が取れなくなっている生徒がいる。そして、その生徒の家に出向いたら。

行方不明になっていたのだ。

その生徒が。最初に大けがをした女子生徒からイジメを受けていて。引きこもりになった事も、すぐにわかった。

後は、状況証拠を組み合わせるだけだった。

「この件は、警察の方で処理しますからねー」

「そ、そんな、困ります!」

「困りますじゃあない! 実際一人の人生を台無しにしておいて、学校の面子がそんなに大事か!」

大喝したのは、平尾だ。

私も驚いた。

教師が恐怖に身を竦ませる中。私は黙々と、しめ縄で蜃を縛り上げて。そして、平尾を促した。

「行くぞ。 此奴は傾いてから時間もない、普通の怪異だ。 元に戻せる」

「はい。 すぐに戻してあげましょう」

「積極的だな」

「飛頭蛮の時のことを思い出すのであります。 醜悪な人間関係は、他人を犠牲にして、平然と自分の権利を主張する。 許せません」

まあ、そうだろう。

平尾は警官としての自覚が豊富で、大変に結構だ。鬼のような顔で、腰を抜かしている宿直の教師を一瞥すると。

平尾は、やはり鬼のような顔で。

身をすくめている蜃に、行こうと声を掛けた。

多分、本人なりの優しさから来る行動なのだろう。

不器用な奴だなと、私は思った。

 

近場の神社に、蜃を運び込んで。

眷属がいる事を確認してから、傾きの是正を開始。ざっと見た感じでは、三日もあれば元に戻せそうだ。

ふと、気付く。

自分の力が、かなり強くなってきている。

その気無しに尻尾を出して見るが、七本も出た。この様子だと、全力なら、九本も出そうだ。

それに、怪異を元に戻す作業も、明らかに早くなっている上に。怪異だった人間の負担も減っている。

これは、或いは。

ひょっとすると、近いうちに、全盛期の力が戻る。

もっとも、戻ったところで、大した事は出来ないのだが。

平尾と交代で番をしながら、傾きを戻す作業を続ける。二日目の夕方に、牧島が来た。牧島はまだ少し体調が悪そうだけれど。学校から直帰で来たらしく、可愛らしいブレザーを着ていた。

「金毛警部、ご迷惑をおかけしました」

ぺこりと、一礼する牧島。

私は頷くと、術式の補助を頼む。それで、気付く。牧島の方も、明らかに力の容量が大きくなっている。

「病院通いの間、修行していたのか?」

「はい。 もっと金毛警部のお力になりたいと思って」

「そうか。 だが、無理はするな」

牧島の言う事は嬉しいけれど。こんな若くて未来もある子が、再起不能の怪我でもしたら、冗談では無い。

向上心もあり、才能もあるこういう子が、未来を担うのだ。

だから、皆で大事にしていかなければならない。

未来から外れてしまった私だからこそ、よりそう強く思う。

スルメをもむもむしながら、横に転がる。後はオートで術式が進展すれば、終わりだ。地面に御座をひいて転がっている私を見ても、牧島は何も言わない。

「金毛警部、ホテルに行ってお休みになられては。 此方は、平尾さんと私でどうにかします」

「有り難い申し出だが、そうもいかん」

多分この蜃は強化怪異では無いだろうが、その可能性も否定出来ないのだ。

それに、強化怪異の製造方法が、大体見当がついてしまっている今。余計、目を離すことは出来ない。

蜃は、もう怪異の状態から、半分人間に戻りつつある。

だからだろうか。

恨めしそうに、牧島を見る。

「苦労なんて、したことなさそう」

牧島は、ひいき目に見ても可愛い。肌も綺麗だし、造作も整っている。

これは、牧島が両親にたっぷりの愛情を注がれて、大事に育てられたという事も原因の一つだ。

それは確かにある。

それに、造作の良さに関しては、生まれついての素質もあるだろう。実際問題、芸能事務所辺りにスカウトされてもおかしくないルックスだ。

牧島は性格も良い。

これは、確かに蜃が言うように、苦労を知らない。挫折を経験していない、事も大きいだろう。

余裕のある環境に育つと。

心もおおらかにはなりやすいのだ。

ただ、それはそれ。今は違う。

「此奴はな、私と一緒に死線をくぐって、銃器で武装している敵とも渡り合って、大けがをして。 それで今まで病院にいたんだよ」

「け、警部……」

「確かに、お前の苦労は分かる。 だが、他人も苦労していないと決めつけるな」

蜃は、悔しそうにうつむく。

牧島は、ただ、悲しそうだった。蜃の悲しみが、伝わってくるからだろう。

平尾が調べてきたが。

イジメの原因は、実にくだらないものだった。何となく気に入らない。それが、最初の切っ掛けだったのだ。

それが暴力を伴うイジメになり。

元々明るくもなかった女生徒が引きこもりに追い込まれ。

人生を台無しにするまで、そう時間は掛からなかった。

今回の件、只で済ませるつもりはない。今は暴力が立証できれば、刑事事件として引っ張ることも可能だ。

ましてや一人の人生を台無しにしているのである。

親には、相応の慰謝料を払わせることも出来る。自業自得である。

既にその件では、平尾が動いてくれている。

それも話すと、それ以降、蜃は何も言わなかった。

ホテルに行って、汗を流す。

ベッドで転がって、一眠りして。目を覚ましてから、神社に戻ると。予想よりかなり早く、蜃は人間に戻りつつあった。

あまり、整っているとは言えない造形。

背も高くないし、体だって綺麗では無い。

だが、まだ二十歳になったばかり。

これからの人生は色々大変だろうけれど。必ずしも、詰んでいるわけではない。きっと、何か出来ることはあるはずだ。

勿論、補助できることは、する。

私が、最後の術式を展開すると、意識を失った蜃は、横倒しに。完全に、人間に戻った。

牧島が、コートを裸体に掛けて、しめ縄をほどく。

「アドレスの交換をしました」

救急車が来て、女生徒を運んでいくのを見つめたまま、牧島が言う。

そこまで入れ込んでいると、後がつらいぞ。

そう言おうと思ったが、止める。

牧島が望んでした事だ。

そして、人の業で苦しむことになるかも知れないけれど。それは、牧島の選択の結果。私に、口を出す権利はない。

「次の事件に取りかかる」

「わかりました。 次は、何処ですか」

「群馬だ」

其処で、河童の一種による未解決事件が起きている。

早めに解決して、一段落させたいところだ。

 

3、近づく闇祭

 

結局、七件の未解決事件を解決するまで、掛かった時間は四週間。予想よりも、かなり早く仕上がった。

二ヶ月はかかると思っていたのだが。

事件を解決する際に、傾きを是正する作業が、想像以上にスムーズに行ったのである。

なお、人間に復帰した者達のアフターケアは、専門の地位にあるものが行う。牧島は後までしっかり面倒を見たいようだが。まあ、其処まで口を突っ込むのも野暮だろう。アフターケアの状況を確認するくらいなら、許して貰えるだろうし、これ以上言う事も無い。

アパートの引っ越しまで済ませ。

レポートは平尾に任せて、上がって来たものはハンコをポン。

で、驚いたのだが。

牧島は、平尾に教わって、レポートの一部を書いていた。まだちょっと出来が粗いが、これは近いうちにレポートを任せても良いかもしれない。まあ、まだまだ一人ではやらせられないが。

警視庁に出向く。

安城が来ていた。もの凄く機嫌が悪そうである。

「なんだー、安城。 機嫌悪いな。 小指でも机の角にぶつけたか?」

「こんな時に巫山戯た冗談を言わないでくれ」

「んー?」

まあ、わかってはいる。

どうせエクソシストどもとの交渉が、著しくあれな結果に終わったのだろう。

スルメを差し出すと、むんずと掴んで、むしゃむしゃする安城。まあ、スルメは安くて美味しい庶民の味方だ。

勿論私の味方でもある。

「で?」

「エクソシストどもがな。 対怪異部署に戦力を貸せと言ってきている。 秘蔵の武具の幾つかを提供しろと」

「また巫山戯た話だな」

「勿論断ったが、そうすると後は勝手にすると来た。 事実、北上しながら見かけた怪異を片っ端から攻撃しているらしい」

それは、不快だ。

私がいない間に、そんな事になっていたのか。

あかねがくる。

会議をするというので、安城と一緒に会議室に。今回は、警部補クラスの何名かも、一緒に来た。

芦田はいるが、平野はいない。

安城の話によると、平野は残って、エクソシストとの交渉を続けていると言う。何というか、ご苦労様としか言いようが無い。

あかねが資料を配る。

意外な事に。

敵組織の情報に、進展があったようだ。

「幾つか、分かってきたことがあります。 金毛警部の情報に加えて、外部の情報協力者から、幾つかのデータが到着。 検証の結果、次のことがわかりました」

「外部?」

「酒呑童子だ」

安城が聞いて来たので、こたえてやる。

ああ、なるほどと。安城は納得した様子で、良かった。酒呑童子は、非常に微妙な立ち位置にいる。

同情は出来ないけれど。有用だと考えるものは多い様子だ。

酒呑童子の奴は、今団と連携して、裏切ったことが確定している見上げ入道について調べて廻っている。

それによると。

顔役だった見上げ入道の配下の内、逃れた者がいることがわかってきているという。

「それ以外の怪異は、強化怪異にされていると考えるべきかと」

そういって、あかねが資料を配付。

まず、強化怪異にされたもののリストだ。

座敷童が先頭。これについては、既に保護し、傾きを是正。雪女はリストにないが、あれはどうしてなのだろう。まあ、それについてはおいおい考えて行けば良い。

朱の盆。

東北に出現する、人をさらう怪異だ。

これは、この間、四ヶ所同時にクドラクが強化怪異を展開した際に、八岐大蛇の砲撃で消し飛んだ。

此奴は既に回収されて、研究されているとレポートにあるが。

はて。

対怪異部署の最深部では、見かけなかったが。

他には、かわうそ。動物としてのニホンカワウソでは無い。かぶそとも呼ばれる怪異で、河童の一種とされている。

これは未捕獲。恐らくは、残り三体の強化怪異の一人だろう。

後は、唐傘おばけ。袖引き小僧。

唐傘おばけは有名な付喪神だ。大事にしていた傘に命が宿った存在とされる。袖引き小僧は、夜闇で人の袖を引くが、振り返ると誰もいない。すねこすりなどと同種の怪異である。

これらが、今の時点で、目をつけられている強化怪異の素材だ。

腕組みしてしまう。

多分、これら以外も、強化怪異にされていると見てよい。

それに、である。

この中の、袖引き小僧とは面識がある。奥手な子供が傾いたもので、百八十年ほど前に怪異になった。

つまり、今更傾きを是正できる存在では無い。

他の怪異はどうだったのか。

最近傾いたとは思えない。

やはり、仮説が正しいとみるべきか。そうなると、今後、強化怪異の傾きを是正すると言う事は。

「これらのデータについて、皆に配布します。 強化された座敷童の戦闘力についても、既に周知の事とは思いますが、単独では絶対に手を出さないように注意してください」

「あの八雲の野郎と、互角以上に渡り合ったって話だしな……」

安城が言うと、どよめきが走る。

芦田が、挙手した。

「少し良いかね」

「如何しましたか」

「この強化怪異の情報だけでも、エクソシストと共有してはどうだろう」

意図してか、意図しないでか。

それは、場に核爆弾を投じたも同じだった。

 

げんなりとした私は、紛糾した会議の場で、席に持たれて、スルメをもむもむしていた。目の前で行われた怒号の応酬。

困惑しきって、さっさと逃げ出す芦田。

反対派と賛成派で、凄まじい言い争いが行われて、結局決着はつかなかった。

最悪である。

反対派の筆頭の安城とあかね。

賛成派としては、深沼をはじめとする、何名かの警部補。特に、戦闘力が高くない幹部が、反対派として多かった。

反対派としては、おそらく強化怪異との戦闘に、強いリスクを感じてしまっているのだろう。

ただ、深沼は、彼らの不安を明らかに煽っていたが。

此奴がひょっとして内通者かと思ったが、多分違うだろう。もしも内通者なら、もっと高位の人間の筈だ。

芦田は。

今回の件で、内通の疑いが更に濃くなったと感じる。

ほおに何か当たる。

顔を上げると、あかねだった。温かいココアを入れてきてくれたのだ。

「んー、ありがとうな」

「大丈夫ですか? ずっと続けて、未解決事件の解決をしてきたでしょうに」

「案ずるな。 だけど疲れた」

ココアをすする。温かくて、何だか気持ちが良い。

スルメを囓りながら、ぼんやりする。あかねは、私を一瞥だけすると、視線を外したまま言う。

「どう、思われました」

「さあな。 芦田が怪しいのは前からだし、対怪異部署も未だ遭遇例がない難敵を相手に気後れしているのも事実だろうよ」

元々、武闘派では無い奴でも、対処できるのが怪異だったのに。

今回現れ始めた強化怪異は、冗談では無いほどに強い。今まで、武闘派の能力者を倒せるのは、武闘派の能力者と相場が決まっていた。

しかし、それも覆された。

「エクソシストは、早めに対処が必要でしょう。 もしも怪異が保護を求めてクドラクの下にでも走ったら最悪です」

「かといって、手練れが三十人だぞ。 本気でやり合うとなると、うちの総力を挙げないと難しいだろう」

「それを見越した上で、好き勝手をしているんでしょうね」

更にエクソシストは。

武闘派ばかりではない、対怪異部署の内実を把握している可能性も決して低くは無い。

実は昔、小競り合いをした事もある相手だ。

研究はしていた可能性も低くは無い。

「芦田警視正はあんなだし、少しまずいですね」

「不満が一気に噴出したからな」

私としても、あまりもたついてはいられないか。

腰を上げると、服の埃を払った。

面倒くさいけれど。やるしかない。

「エクソシスト共と、私が交渉してくる。 立ち会いを準備してくれ」

「止めた方が良いでしょう。 彼らの前に出た瞬間に殺されると思います」

「だから、交渉の材料を持っていく」

後は、交渉のやり方次第だ。

しばらく考えた後、あかねが提案。

自分も、側につくと。それなら安心だけれども。正直な話、大丈夫なのか。まさかとは思うが。

エクソシストが、クドラクの所属している組織と組んでいるという事はないだろう。

あり得ないと思いたい。

もしも、会合の情報が漏れたら。

その隙に、また大規模攻撃がある可能性も、考えられるからだ。

ただ、これは、釣りでもある。

「戦闘の準備はしてくれ。 後、平尾と牧島も連れて行く」

 

エクソシスト側は、意外にも交渉に応じた。

四日後。都心の高級レストランにて。話を聞くというのである。

ちなみにエクソシスト側は、なんとバチカンが誇るナンバーワンエクソシスト、ギュンター=ハイト卿が来ている。

対吸血鬼特化の能力者、いわゆるクルースニクでは無いが、欧州最強と言われる能力者の一人だ。

指定されたレストランに出向くが。

周囲の殺気が凄まじい。

あかねが目を細める。私も彼女も、一応めかし込んできている。制服でもいいかと思ったのだけれど。

こういうときは、一応ドレスと相場が決まっているからだ。

レストランのドレスコードには、引っかからない。ただ、学校の制服を着てきている牧島には、ウェイトレスが怪訝そうな顔を向けたが。

一方、黒スーツにネクタイの平尾は、見かけが完全にヤクザの護衛である。

奧に、通される。

丸テーブルの向こうにいるのは、私も知っている、怪異の怨敵である。

ギュンターは、そろそろ中年に掛かる年齢で、現在三十七歳。男として脂がのっている時期だ。

頭は見事なスキン。しかしこれは、多分魔術的な意味があっての事だろう。

非常に彫りが深い顔立ちだが、美形とは言いがたい。非常な鷲鼻と、カイゼル髭、大きな目もあって、異相というのが相応しい。

隣に座っているのは、ナンバーツーのカルミラン。

女性エクソシストだが、戦闘力は折り紙付き。

長身で、実に豊満な体つき。いや、少し太めか。

太めだが、彼女の実力については噂を聞いている。ギュンターの後継者は彼女以外にはいないと噂されているとか。

現在、日本には一桁ナンバー6名が来ているそうだが。バチカンの本気がよく分かる面子である。

「警視庁、対怪異部署の諏訪あかね警部です。 こちらは金毛木津音警部」

「よろしく。 デーモンと会話するのは本当は虫酸が走るのだがね。 今回は状況が状況だ」

いきなりムカつく発言だが、我慢。

此奴らは、怪異を対等な相手どころか、存在を許してさえいない。殺す事だけを考えている。

一神教における思想では、悪魔との共存などあり得ず。

神とその配下以外の超常的存在は、全て悪魔だからだ。

席に着くと、高級料理が出てくる。

完璧にテーブルマナーをこなす私を見て、意外そうに眉をひそめるエクソシストのトップ二人だが。

私は別に気にしない。

「さっそくだが、君達と直接的に手を組むつもりはない。 ただ、互いに棲み分けはしようと考えている」

ギュンターが切り出す。

彼の話によると、怪異を皆殺しにすることは、この国のためにもなるという。

ちょっと待てと、私が挙手するが、無視。

あかねがたまりかねて咳払いした。

「あなた方の思想はわかりましたが、それをよその国に持ち込むのはやめていただきたいのです」

「君達の言葉で言う、郷には入れば郷に従えという奴かね」

「そうです」

「しかし、それが故に、同胞は命を落とした。 我々としては、弱腰な対応をする君達と同調は出来ないと言っているのだよ」

ギュンターは、蕩々と言う。

その間も、私には視線も向けなかった。

新しい料理が来るが、味がしない。いつ、殺し合いになってもおかしくない状況だからだ。

「それでは、こうしましょう。 此方から、あるデータを提供したく」

「ほう?」

「敵の幹部に対するパーソナルデータです。 これが得られれば、あなた方には探知出来る能力者がいるのでは」

「ただではなかろう。 まさか、怪異への攻撃を控えろというのかね」

何がまさかだ。

咳払いするあかね。

私が苛立っているのを、敏感に察知しているからだろう。此奴らと交渉すると言い出したのは私だが。

独善的な宗教関係者は、面倒だから苦手だ。

それと、今回のこのカードは。エクソシストに対する情報が此方にあったから、意味を持ってくる。

エクソシストにとって、今回は仲間の仇を討つための重要な戦い。

怪異との戦いで、事故死以外の戦士をした一桁ナンバーなど、ここ数百年出ていないと聞いている。

恥を雪ぐという意味もあるのだろう。

そして今回此方に来ているエクソシストの中に、ナンバー8の、フォルトラヌという子供の姿が確認できている。

西洋人形のような、整った容姿の子供で。

写真から、相手の居場所を特定するという能力を持っていることが、事前の調査でわかっている。

一種の降霊術を使うらしいのだけれど。

本来は、非常なレアスキルだ。

「力尽くで、奪っても良いのだが?」

「此方にいる諏訪あかねを前に、良くそう強気なことを言えるな」

「……」

腕組みするギュンター。

此奴も知っている筈だ。あかねの実力は、エクソシスト達でさえ警戒していると聞いている。

それだけの実力者なのだ。

本来の敵を相手に、味方の戦力を削ぐことは、好ましくないだろう。

しばらく考えた後。

ギュンターは言う。

「わかった。 条件を呑もう」

「団長?」

「賢明で助かる」

写真を見せる。

そして、呪いが掛かっていることも示す。

「もしも今の発言を破った場合、君達の大事なナンバーエイトに、不可避な呪いが掛かるから、覚悟しておけ」

「……手を組むのは今回だけだ。 クドラクを潰した後は、また同盟は解除するから、そのつもりでいろ」

「好きにするといい」

席を立つと、写真をテーブルに置く。

どうにか、交渉は上手く行ったが。

問題は、此処からだ。

 

あかねと一緒に本庁に戻ると、私はすぐに芦田に声を掛け、会議を招集してもらった。

エクソシストの本隊が、クドラクを従えている組織と、全面戦闘に突入するのは、時間の問題である。

複数の一桁ナンバーを含む戦力だが。

しかし、敵は複数の強化怪異を従えている上、エクソシストに詳しいクドラク、あかねに近い実力を持つ芦屋祈里。

更に、首領と目される存在の実力は、文字通り未知数。

それに加えて、怪異を従えている顔役であり、つまり強化怪異の提供元となっている見上げ入道と。

おそらく、エクソシストの勝率は高くないとみて良い。

「結局共闘するのですか?」

呆れた様子の深沼。

最近は、造反の気配を隠してもいないので、安城との主従関係にも亀裂が入っている様子だ。

しかし、此奴ほどの式神使いは、日本を探してもそうそういない。

その実力を背景にして、深沼は強気に出ている。

人材は何処にでも転がっていると考えるような、馬鹿人事は、対怪異部署には存在しない。

実際、有能で、きちんと命令に従う能力者はレアなのだ。

だから私は、国からかなりのお給金を支給して貰っている。そのお給金で、虐げられている怪異達を、支える事が出来るのだ。

「共闘では無い。 互いに互いを利用する」

「ものは言いようですね」

「そうだ、言いようだ。 だが、結局の所、いい手は他にない」

互いに譲歩を引き出した。

それだけで、現状では満足するべきだろう。問題は傷つけられた怪異のアフターケアだが、これは私が手を回して、可能な限りの事をするしかない。

それに、何より。

最悪の行為を、クドラクと、その背後にいる連中が、怪異に対して行っているのは事実である。

此奴らの害は、エクソシスト以上だ。

「で、エクソシスト共は」

「北陸に向かっている。 恐らくは秋田だ」

「其処に敵の主力がいると」

「そうなるな」

俄に、殺気立つその場の全員。

安城をはじめとする武闘派は、いよいよかと、目に戦気を滾らせた。

私は、そこまで好戦的にはなれない。

それに、嫌な予感は消えない。

エクソシストが勝てるとは思わないけれど、簡単に負けるとも思わない。だが、その先に、本当に良い結果が待っているのか。

そうとも、思えないのだ。

とにかく、安城が武闘派を率いて、北陸に向かうことで決定。

ついでに私も、一緒に出る。

何名かの武闘派は此処に残るが、それは八岐大蛇を制御するためだ。いざというときには、八岐大蛇を用いて、一気に敵を制圧する。

あかねは遊撃の体制。

敵の主力を発見した場合は、ヘリで現地に向かう。

それまでは、対怪異部署への攻撃を警戒して、此処に残る。

牧島と平尾にも来て貰う。

恐らくは、対怪異部署設立以来の総力戦任務になる。自衛隊にも、状況に応じて協力を依頼する予定だ。

会議が終了。

現地に、先遣隊が数名、即座に向かう。エクソシストとクドラクの戦況を確認する必要があるからだ。

私も、安城と一緒に、新幹線で出来るだけ急いで其方に。

嫌な予感は、消えない。

一応保険を掛けておく必要がありそうだ。嫌だけれど、八雲の奴にも、声を掛けることにした。

ぞろぞろと、それぞれの役割を果たすべく、出撃していく者達を横目に。

私は、あかねと一緒に、対怪異部署の最深部に向かう。

今回は、それぞれが切り札になるような武具を持ち出す。あかねは許可を事前に取ってくれていた。

あかねが手にしたのは、この国でもっとも強力な霊弓。八幡太郎が使っていたという有名なものを磨き抜いたものだ。あかねの卓絶した霊力を矢にして放つ。破壊力は戦艦の装甲くらいなら、一撃貫通する。

しかもホーミング機能があり、連射可能な凶悪な代物である。

ただし、非常に稀少な品なので、持ち出しは中々認めて貰えないが。

今まで、怪異との戦闘で、これを使う事は無かったという。

「師匠、何か持ち出しますか?」

「そうだな……」

カトリーナを連れ出したい。

そう言うと、あかねは流石に眉をひそめた。

「確かにあの子はかなりの実力者ですが、此方についてくれるかはわかりませんし、何より許可が下りるかどうか」

「何とかして欲しい」

「……」

個人的には、戦力になると考えている。

というのも、傾きを是正したときに心がある程度わかったが。おそらくカトリーナは、自分よりも、座敷童のことで怒っている。

敵に対しては、武力を発揮することを、躊躇わないはずだ。

頭を振ると、あかねは芦田の所に出向く。

武器の類は、正直あまり欲しいとは思わない。私はステゴロが苦手なことに変わりが無いし、使いこなせないからだ。

情けない話だけれど。

今でも、私は怖いのかもしれない。

最初の夫を奪った戦乱が。

それからも、夫を奪い続けていった、戦いというものが。

ほどなく、あかねが戻ってくる。

芦田から。

許可は、降りたようだった。

 

4、始まる地獄

 

クドラクが急いで会議に出向くと、既に芦屋祈里と見上げ入道は来ていた。当然だろう。緊急事態なのだから。

精鋭ばかり三十人で、エクソシストがこの国に出向いてきたというのだ。

強化怪異の戦闘力は既に実証済みだが。

何しろ、一桁ナンバーだけで六人という大戦力である。まともにやりあって、どうにかなるとは思えない。

その上、対怪異部署が、この機に仕掛けてくるのはほぼ確実だ。

だが。

会議の場に、現れたフードの男は、余裕綽々だった。

「諸君、これは好機だ」

むしろ、その声には、愉悦さえ籠もっていた。

困惑してしまう。

此奴が得体が知れないことは、わかりきっていた。だが、好機だとは、どういうことなのか。

薄ら寒い感情さえ、芽生えはじめている。

「ご説明を願います」

「そもそも、この国における、最大の戦闘力を持ちうる怪異とは、誰だと思う」

「はあ、八岐大蛇ですか?」

クドラクの返答に。

フードの影は、くつくつと笑う。

八岐大蛇は、あくまで兵器として最強。怪異として最強なのは、神獣として、過剰なほどの伝説が付与されている、別の存在だと。

まさか。

「まさか、九尾の狐……」

「その通りだ。 九尾の実情がどうであるかなど、実際にはどうでも良い。 奴を捕縛して、強化怪異とすれば。 この国は落ちる。 そして、この国だけではなく、この世界の法則さえ、ひっくり返す事が出来る」

「素晴らしい」

芦屋祈里が、目におぞましい輝きを宿す。

あれ、どういうことだ。

此奴は、九尾を嫌い抜いていたはずではなかったのか。困惑するクドラクに、見上げ入道が説明してくれる。

「芦屋殿はな、九尾を最強の破壊兵器として、使い斃す事が復讐になると考えているのだよ」

「そ、そうか。 理解しづらい事だ」

これでも、クドラクは数百年の暗黒に耐えてきた。人間社会の闇を見てきたし、地獄を漂ってきたとも言える。

しかし、だからこそ、はっきり断言できる。

最も深い闇は、人間の中にこそある。

人間だったからこそ、そう言いきれる。

「芦屋祈里」

「はい」

「貴殿には、強化怪異二十体を預ける」

顎が外れそうになる。

強化怪異、二十体。

そんな戦力が、備わっていたのか。今までどれだけ出し惜しみをしていたのか。背筋を悪寒が這い上がる。

これは、悪夢以外の、何物でも無いかもしれない。

「迎撃作戦の指揮を執れ。 エクソシストは全滅させろ。 対怪異部署も、蹴散らしてしまってかまわん」

「御意」

冗談じゃあない。

自分が同盟していた組織が、これほどの火力を備えていたとは、想定外だ。これでは、対等の同盟など不可能。

しかし、今更足を洗うことも出来ない。

世界を変えることは、クドラクの悲願でもあるのだから。

「自衛隊が出てくる可能性も高い。 気を付けよ」

「ご心配なく。 今回は手持ちの札も全て出します。 一個師団くらいの戦力なら、蹴散らしてご覧に入れます」

「頼もしいことだ」

くつくつと、フードの影と、芦屋祈里が笑い合う。

ようやく納得できた。

芦屋祈里が、以前九尾を逃して平然としていた理由が、だ。

戦力が違いすぎる。

対怪異部署など、此奴らは、その気になれば何時でも蹂躙できる実力を有していたのである。

何だろう。

人間だけの時代が終わろうとしていることがわかるのに。浮かんでくるのは、恐怖ばかりだ。

「クドラク殿。 貴殿には、別の任務を頼もうか」

「あ、ああ」

「リストを渡すので、此処にある怪異の拉致捕獲を実施して欲しい。 言うまでも無く、確保している材料を使って、強化怪異にするためだ。 ああ、九尾に関しては考慮しなくても良い。 それは別に作戦を独立させる」

渡されたリストには、百超の妖怪の名が。

これが、全て強化怪異になったら。

小国くらいは、二時間で陥落させることが出来るだろう。戦闘力で言うと、多分米国の正規原子力空母くらいにはなる筈だ。

「見上げ入道」

「応」

「貴殿の任務は、九尾の捕獲だ。 奴は必ず前線に出てくる。 強化怪異を預ける。 必ず、捕獲しろ」

「お任せを」

それぞれ、するべき事がわかっているのだろう。

全員が、その場を離れていく。

クドラクだけが、残された。

会議に使った、小さな廃屋を出ると。空に拡がっているのは、あまりにも美しい天の川だ。

不安そうに、近づいてくる部下の吸血鬼達。

苦楽を共にしてきた彼らも。今回の件には、心穏やかにはいられないらしい。

だが、此処で引けない。

引いたら、犠牲が全て無駄になってしまう。

「行くぞ。 世界を変えるために」

自分でも信じていない事を部下達に言うと。

クドラクは。

闇の中に、新しい一歩を、踏み出したのだった。

 

                               (続)