捻れの扉
序、増援
東北に新幹線で出向いて、最初に私がしたのは。増援として活躍してくれそうな奴を見繕うことだった。
その増援とは。
怪異の間では蛇蝎のごとく嫌われ。
人間の間からも嫌われ抜いている。
そんな、はぐれものの陰陽師だ。
戦う事しか頭に無く。怪異も人間も、戦って楽しい相手かどうかでしか判断していない。筋金入りのバトルジャンキーである。
特にあかねは嫌い抜いているが、理由はある。
私のことを師匠と呼ぶあかねだけれど。戦闘関連の技術を叩き込んだのは此奴で。その際に、散々酷い扱いを受けたらしいのである。
ちなみに現時点では、もうあかねの方が上だ。
彼奴にガチンコでの勝負を挑んで勝てる奴は、少なくとも怪異に関連する業界では、いるかどうか探すのが難しいくらいだろう。
新幹線を新青森で降りて、幾つかの路線を乗り継ぐ。
途中からはバスだ。
一緒に来ている平尾と牧島に、軽く説明をしておく。
「対怪異部署では、牧島のように外部からの人員協力を仰ぐ場合がある。 将来の幹部候補を見込んだ牧島のような若者もいるが、外部で独自に動いている在野の人材に声を掛けることもあってな」
「在野の人材、でありますか」
どうもぴんと来ない様子の平尾。
まあ、仕方が無い。丁寧に説明してやる。
「在野ってのは、主に国家機関に所属しないで、独自の活動をしている陰陽師や法力僧、それに雑多なシャーマンなどの能力者だな。 今日会いに行くのは、あかねの師匠を務めた陰陽師だから、実力は折り紙付きだ」
「師匠……」
平尾はやはり、まだぴんと来ないようで、小首を捻る。まあ、無理も無い事だ。あかねの言動を見ると、そうとは思えないからだろう。流石に人前で私を師匠とは呼ばないあかねだけれど。あかねが私を師匠と呼んでいることは、此処にいる全員が周知の事実なのである。
私をあかねが慕ってくれているのは嬉しいのだけれど。
多分本当の意味での師匠は、此奴になるのだろう。
そして弟子と師匠の仲は最悪。以前二度同じ職場で仕事をしたが、あかねは彼奴と目もあわせなかった。
バスを降りて、此処からは歩き。
随分と田舎になってきたが、まあこの辺りは仕方が無い。
安城と、連絡を取っておく。
彼奴も吸血鬼とやりあっていて色々大変だろう。彼奴自身は武闘派としても技量が高いが、更に強い部下を何名も連れている。
しかし、今回は。
世界でも上位に入る武闘派が殺されている。
あまり、もたついている暇は無い。
クドラクが投入してきた何者かを出来るだけ急いで排除しないと、更に犠牲が増える可能性が高いのだ。
私の見立てでは、奴を加えてさえ、ガチンコで勝負しては、多分勝ち目はない。
もしやるとしたら。
歩いているうちに、奴の家に着く。
そこそこの豪邸だが、ここにずっと住んでいるわけでは無い。
今、たまたま。
此処に住み着いているだけのことだ。
普段から家を変えることが多い奴で、三ヶ月と同じ家に住まない。今回も、住処を探し当てるのが大変だったのだ。
私も良く引っ越すけれど、これは仕事の後にすると決めている。此奴の場合、引っ越しにパターンがなくて、多分気まぐれでやっている。はた迷惑極まりない。
家にはチャイムさえない。
犬を飼っていないことだけは助かった。彼奴らは、とにかく苦手なのだ。犬に吠えられて、尻尾を出す狐の話はよくあるのだけれど。
同じ犬科でも、狼を別格とすると、犬の戦闘力は桁外れである。
狐や狸では、とてもではないが勝てない。
それを怪異に傾いたとき、宿命づけられてしまっているから。犬に吠えられると、私は尻尾を出しそうになる。
もっと年若い狐の怪異なら、確実に尻尾を出すだろう。
門扉を開けて、荒れ放題の庭を歩く。
家の戸も、かなり汚かった。
咳払いしてから、ドアをノック。相手が気付いていることは、私もとうに察知していた。そして、うるさがっていることも。
「八雲ー! いるんだろ、出てこい!」
「うるっせえな、とっとと入ってこい! 九尾の婆!」
「婆とは心外だなあ。 平尾、牧島、行くぞ」
まあ、婆だし、外れてはいないか。
重苦しいドアを開けると、家の中に。据えたような臭いが、かなり強烈に漂い来る。これは、家の中は、ゴミ屋敷寸前か。
入って見ると、思ったよりは綺麗だ。
この臭いは、違う。
居間に、奴はいた。
何かを焼いている。七輪に向けて、団扇でぱたぱたと仰いでいるのは、私より少しだけ背が低い、中年の男性だ。
とにかく見かけが汚い。
半分過去の世界に消え去った頭髪。それなのに、荒れ放題で、手入れしている形跡も無い。
着込んでいるのは、洗ってもいないだろうどてら。
顔の髭はとにかく汚いド無精だ。
かといって、元の造作が良いという訳でも無い。
街で女子高生が遭遇したら、ゴミでも見るような目でも向けそうな、とにかく汚いおじさんである。
これが、安国寺八雲。
遠い先祖に戦国を生きた男を持つ、現在の陰陽師だ。
どんな汚い仕事でも請け負う反面、やる気を出すかどうかは仕事次第。このため、依頼人の評判は最悪。
しかし、一定の収入を得ているのは。
戦闘に関する仕事では、外れが一切無いからだ。
此奴のステゴロに関する実力は、見かけと裏腹にこの国でもトップクラス。あかねを除くと、現在の対怪異部署で勝てる奴はいないだろう。
「何を焼いている」
「ああ、くさやをな」
「……」
口を押さえて、顔を背ける牧島。
勿論、八雲は気にもしていない。
「で、俺に声を掛けに来たって事は、戦闘でどうにもならない相手か。 バチカン辺りに所属していた掃除屋崩れか?」
「残念だが怪異だ」
「はあ? 怪異を相手に、俺を呼びに来たのか?」
「聞いていないようだな。 そのバチカン所属の一桁ナンバーを単独で、しかも実力で殺した奴が現れたんだよ」
半笑いだった八雲が。
表情を露骨に変えた。
座るように促してくる。
「詳しく聞かせろ」
人が死んだ事なんて、此奴は何とも思っていない。ただ、自分が楽しく戦闘をこなせれば、それでいい。
平尾は、多分拳を極めているからだろう。
此奴の本性を、すぐに悟ったようだった。だから、露骨に機嫌が悪くなる。だが、八雲は、毛ほども感じていない様子だ。
無理もない話である。
此奴は、警察にさえ暗殺を依頼される、筋金入りの本職なのだから。
話を聞き終えると、くさやを箸でほぐしながら、八雲は上機嫌になっていた。
「怪異共が妙に騒いでいると思ったら、そう言うことかよ」
「できるだけ急いで準備をしろ。 そいつはおそらく、この近辺にまだ潜んでいると見て良いだろう」
「そうだな。 ちょっとこれを喰うまで待ってろ」
八雲は既に戦闘モードだ。
くさやを焼いたことで、異臭が漂っている部屋から、三人で失礼する。一旦家の外にまで出ると、最初に不満を口にしたのは、牧島だった。
「あの人のお服、一体どれだけ洗濯していないんですか」
「それに、彼奴は完全に人殺しの目をしていました」
「その通りだ。 だが、今必要なのは、清潔な美形の男子でもないし、道徳を極めた聖人でもない」
世界でも、最高峰の使い手を殺したほどの輩だ。
あかねが嫌い抜いているのは知っているが。此奴を使わなくては、多分抵抗することも出来ないだろう。
そして、対怪異部署は。
東京で起きた大規模殺戮の後処理と、後発テロに対する備えで、人員を割けない。
特にあかねはうごけないだろう。
彼奴がいなかったら、強化ダイダラボッチは、文字通りどうにも出来ないのだから。
だから、此処にいるメンバーで、どうにかするしかない。
不意にスマホが鳴る。
安城からだ。
「金毛の、どうしている」
「今、増援を頼みに来たところだが」
「そうか。 それなら良かった」
「何かあったな」
安城は、しばらくスマホの向こうで黙り込んでいたが、やがて意を決したかのように、その事実を告げてきた。
クドラクが。
対怪異部署への正面攻撃をもくろんでいるという。
狙いはまだわからないそうだが、戦力的に劣る私を狙ってくるのは、確実だとか。
確かに、安城が率いている捜査チームは、少し前に撃退されたエクソシスト共よりも、大分戦力が勝っている。
各個撃破するにしても。
弱い方から叩くのは、当然の判断だ。
「それにしても、正面攻撃とは。 エクソシストを殺した座敷童とやらに、余程の自信があると言うことか」
「俺にはわからんが、気を付けろ。 とにかく此方は、クドラクの注意を可能な限り引きつけて、其方への到着を遅らせる。 戦力も可能な限り削るが、クドラクは想像以上に連携が取れている。 特殊部隊でも相手にしているようだ。 とにかく、油断だけは絶対にするな」
通話が終わる。
んなことはわかっている。
エクソシストの中には、対人の戦闘に特化した能力者もいる。つまり、相手にしてきたのは、怪異だけではないという事だ。
そしてこれだけ名が知られているという事は、膨大な戦果を上げてきた、という事も意味している。
それを撃退したのだ。
あのダイダラボッチを、正面から相手にするようなものかもしれない。
どてらを着たまま、八雲が出てくる。
素手のままだが。此奴は元々、幾つもの拳法で免許皆伝を貰っているような凄腕だ。それに絶大な陰陽術の技量が加わる。
「さて、じゃあ行くか」
「この辺りで、戦うに適した場所は?」
「何だ、そんなに早く来るんか」
「いつ来てもおかしくないな」
それなら此処だと、八雲は言う。
なるほど。
八雲は彼方此方に恨みも買っていると聞いている。それなら、自宅を改造に改造していても、不思議では無いか。
私は平尾に手伝って貰って、八雲の家の屋根の上に。
わざと此処にいるアピールをして、クドラクをおびき寄せるのだ。多分、すぐに気がつくことだろう。
罠だとわかっても、確実に仕掛けてくる。
それだけ、今の奴らは。
強い自信を得ているはずだ。
何しろ、長年にわたって、抵抗できなかったエクソシストを、複数回撃退しているのだから。
数時間ほど、経っただろうか。
凄まじい力が、気配を隠しもせず接近してくることがわかった。
これはあかねでも、手こずるレベルだなと。
私は、屋根を降りながら、他人事のように考えていた。
どうやら今日は、死ぬか生きるかの分水嶺になるらしい。
とっくに牧島は千早に着替えて、式神を展開し終えている。平尾も心身を張り詰めさせ、いつでも戦えるようにしていた。
「婆、此奴らは新人か?」
「ああ。 私と一緒に、対怪異部署の迷宮入り事件を解決してきた。 戦闘という点でも、結構使えるぞ」
「そりゃあ、お前みたいなのと比べれば強いだろうよ」
「黙れ」
けらけら笑う八雲。
此奴の価値判断基準は、強いか弱いかだけ。そう言う点で、此奴にとっての私は、敬意など払う価値は無いと言うわけだ。
正直腹が立つが。
今は、此奴みたいなのでも、必要なのである。
間もなく、姿を見せるそれ。
本当に座敷童だ。しかも、クドラクの吸血鬼共も、数体が周囲に控えている。
一番最後に、八雲の屋敷に入って来たのが、クドラク本人だろう。
現存する最古の吸血鬼。
噂によると、姿を自由に変えることが出来るとか。
吸血鬼共の中には、あのカルマもいる。やはり、分派したとか、過激派がどうとかいうのは、ただのブラフだったらしい。
「失礼するよ。 君達を殲滅する為に足を運ばせて貰った。 悪いが、怪異の未来のために、消えて貰う」
「それは此方の台詞だ。 怪異の未来のためにも、お前達は許すわけにはいかない」
クドラクは、瀟洒な老人の姿をしていたが。
その性質は、権力闘争で性根が腐りきった老人そのものだ。自分の目的と、大義をごっちゃにしていながら、いつの間にかそれにさえ気付けなくなっている。
怪異の生活を良くしたいと願うのは勝手だろう。
だが、それは世界中の怪異が、皆で努力して、少しずつ改善していかなければならない事だ。
どうして急激な変化を望む。
「クドラク。 あの汚いのが、一番強そうだ」
「任せる」
「そうか。 任された」
淡々と、子供らしからぬ口調で言うそれが、多分噂の最強座敷童だろう。
首をならすと、ゆっくり此方に歩み寄ってくる。
八雲はどてらにぶらんと両手を垂らしたまま、まるでチェシャ猫のような笑みを浮かべて、その場に突っ立っていたが。
座敷童と八雲が。
いきなり、かき消えた。
中空で、強烈な激突音。
戦いが始まったのだ。
1、追撃戦
安城警部が率いる部隊が、戦闘の場に到着したのは、夕方の少し前。
既に其処での戦闘は終わっていた。
屋敷は半壊。
まだ其処まで古い屋敷では無いと聞いていたから、明らかに戦闘の影響だろう。安城警部が、私の隣で、舌打ちしている。
「すぐに辺りを調べろ!」
不機嫌な警部の怒りに巻き込まれないよう。
私は、無意識で首をすくめていた。
先ほどから、金毛警部との連絡がつかない。
まあ、激しい戦闘状態にあるだろう事は、言われなくても想像できる。それにしても、エクソシストの部隊を単独で撃退する怪異なんて。
私だって、対怪異部署に三年所属した古株だ。
それが如何に異常な存在かは、言われただけですぐにわかる。
「深沼!」
声を張り上げた安城警部。
私は調査の手を切り上げて、其方に向かう。
潰れた屋敷の中に、吸血鬼を発見。柱に串刺しにされて、うんうんと呻いていた。多分、戦いの余波に巻き込まれたのだろう。
乱暴に柱を引っこ抜くと。
安城警部は、血だらけの吸血鬼を、術式で無理矢理に拘束。怒りに歪んだ顔を近づけて、脅迫に掛かった。
「てめーらのボスは何処にいる!」
「わかっているんだろう。 戦闘の進展に伴って、場所を移動していったよ」
「……そのようだな」
クドラクは、つまり。
ボスも含めての総力戦態勢で、ここに来たという事だ。
此処に、対怪異部署でも時々裏側の仕事を依頼する凄腕の在野陰陽師がいると言うことは、私も知っていたが。
この有様を見る限り、その凄腕でも、クドラク一味を殲滅には到らなかったという事である。
金毛警部も、かなり危ないかもしれない。
「深沼、何かわかったか」
「おそらく、恐山の方に移動しながら戦っていると見て良いでしょう」
「やっぱりそうなるかよ」
心底げんなりした様子の安城警部。
元々この人は、搦め手に極めて弱い術者だ。だから以前は、怪異にとりつかれて、金毛警部に助けてもらった事さえあるらしい。
笑い話では無い。
この業界、何でも出来るスーパーマンなど存在しない。
誰もが苦手分野を抱えているのが普通で。対怪異部署で実働部隊の一つを率いている安城警部も。
それには変わりが無い、と言うだけのことだ。
そしてその性質上。
色々と面倒くさい恐山は、苦手意識もあるのだろう。
彼処は、日本でも随一の霊場である。それは要するに、怪異と人間が交わる数少ない場所である事を意味している。
一種の中立地帯なのだ。
「深沼、お前は四人を連れて先行。 俺は此処の調査をもう少し進めてから追う。 田代、お前はそのクソ吸血鬼を捕まえて、本庁に先に戻れ」
「わかりました」
一番の若手である田代に、その役割を任せるのは、まあ当然だろう。
すぐに私は、四人と一緒に、追撃に掛かる。
私はこれでも式神使い。
呼び出したのは、大きな蛇。しかも全身がアルビノで、全長は二十メートルを超えるほどである。
龍のようだと言われる事もあるが。
まあ、それくらいに大きいという事である。
十二体いる式神の中で、此奴が一番移動に適している。四名と一緒に背中に跨がると、呼びかける。
「三郎治郎、行くぞ」
「承知」
するりと、白蛇が空に舞い上がる。
此奴には光学迷彩機能もついているので、大騒ぎになるような事も無い。
そのままふわりと浮き上がって、一気に戦闘の臭い。つまり、血の臭いを追跡しはじめる。
戦闘はかなり前に始まったようだけれど。
急がないと、敵の完勝で終わる可能性もある。そうなると、今度は各個撃破されるのは、此方だ。
「深沼警部補、敵は何が目的なのでしょう」
不安そうに言う部下の一人。
私も一応この間警部補に昇進した人間だから、部下には威厳を持ちたいと思ってはいる。だが、まだ二十代後半という事もあって、中々上手く行かない。
実力で部長にのし上がり。
その後は、大人ともやりあっている諏訪あかねが、本当に羨ましい。
「何とも言えないが、多分怪異の地位向上が目的だろう。 それも、人間の天下を奪い取るような、急激な奴が、だ」
「そのような事、出来るとは思えません」
「同感だ。 百戦錬磨のクドラクが、そのような妄想を抱いてしまうような何かが、黒幕にはあるのかもしれないな」
もしそうだとすると。
そいつは一体何者なのか。
文字通りの魔力というしかない、異常な魅力を湛えた怪人。それこそ、闇の支配者としか言いようが無い化け物だ。
三郎治郎が、警告してくる。
「前方で戦闘」
「追いついたか。 各自、戦闘準備!」
私も、式神を出す。
出した式神は、それぞれ随時戦場に急行させた。今は少しでも、味方が多い方が良いはずだから、である。
式神を通して、戦場を見る。
どうやら戦っているのは、平尾だ。
戦場は公園。
ただ、もう遊具も破壊され尽くして、完全に瓦礫の山である。
瓦礫を踏み砕くようにして、立ち尽くす平尾。
その周囲に展開している四体の吸血鬼は、いずれも傷ついている。平尾はまだ余裕があるが、その場を離れられず、苛立っている様子である。
「増援に来たぞ!」
叫んで、虎の姿をした式神を、躍りかからせる。
吸血鬼の一体を、式神の爪で鋭く切り裂いてやるが。敵も然る者、すぐに身を翻して、逃げていった。
戦況不利とみたのだろう。
しかも、逃げるときに、スタングレネードを放っていく念の入れようだ。
一応、平尾に偽装した吸血鬼の可能性もある。念のために、式神を接触させて、確認。大丈夫、間違いなく平尾だ。
「何があった」
「戦闘が始まるやいなや、座敷童と八雲という男が、屋敷から飛び出して、北上を開始したのです。 そのまま、なし崩しの乱戦となり」
「お前は此処で、数体の吸血鬼を相手にしていた、ということか」
「はい。 出来れば、追撃に参加したく」
「良いだろう。 乗れ」
虎の姿をした式神、七条の背に乗せる。
かなり大柄な平尾だが、それでも虎に乗ると子供のようだ。それだけ、三百キロを超える巨体は、圧倒的なのである。
一度無線で安城警部に連絡を入れながら、更に北上。
追撃を続けるが。
相当に戦闘はばらけていると見て良い。
しばらくは、他の誰も、発見することが出来なかった。
呼吸を整えながら、腕の傷を抑える。
最悪だ。
私は、舌打ちを何度もしたくなった。
平尾とも牧島ともはぐれた。そればかりか、八雲の阿呆は、戦闘をおもしろがって先に行ってしまう始末。
私はステゴロは苦手だって言っているのに。
周囲には、三体の吸血鬼がいて、此方を狙っている。
「何処に隠れた」
「わからないが、確実に仕留めろ」
物騒なことを言い合いながら、吸血鬼共がうろついている。
舌打ちすれば、見つかってしまう。腕の傷は正直どうにでもなるとはいえ、これは著しくまずい状況だ。
多分、四体前後の吸血鬼を、平尾が引きつけていたはず。
だが、カルマとクドラクを、牧島が相手にしている事になる。それは正直、あまり好ましい状況では無い。
牧島はかなり出来るようになってきたが。
それでも、手練れを複数相手にするのはかなり厳しいだろう。
隠れている此処は、小さな林。
吸血鬼どもは、それぞれが何処で手に入れたのか、対怪異用の武器を手にしている。勿論素手で手にすると怪我をしてしまうものばかりだが。
誰が知恵をつけたのか。
敢えて不浄にした布で包み持つ事で、ダメージを受けないようにしているようなのだ。
全く、余計な知恵を付けさせる。
とにかく、このままでは埒があかない。
私は気配を消したまま、吸血鬼共から離れる。空気で気配を消す事が出来るとは言っても、相手も本職。
ちょっとしたことで、気付かれてしまうものなのだ。
文字通りの、抜き足差し足。
顔を上げると。
遠くで、閃光が瞬いている。
あの派手な暴れぶり、多分八雲だろう。彼奴は昔からああだった。
当然のことだが。
私も、八雲が幼い頃から知っている。
幼い頃からかわいげの欠片もない子供で、勿論美男子などではなかった。暴れる事が大好きで、周囲の子供を怪我させることも平然としていた。戦闘が大好きだったのも当時から同じ。
何処の道場でも暴れに暴れて。
それで破門されるのは日常茶飯事。
誰もが八雲の戦闘能力を認めていたけれど。
誰もが、八雲の存在を認めることはなかった。
特性があったから、陰陽師にスカウトされ。修行をしたが。其処でも評判は、文字通りの最悪だった。
その戦闘だけを随一にする価値観が、人を遠ざけ。八雲自身が周囲を侮蔑する姿勢を崩さなかったこともあって、結局の所孤独は深まるばかりだった。
弱い奴に価値は無い。
この世は力が全てだ。
八雲はそう何度も主張して、周りをひたすらに殴った。もう少し年上になっていたら、少年院行きになるような事件も起こした。
私が接触して、引き取って。
数年一緒に暮らしたけれど。
八雲はついに私に心を開くことは無かったし。
私もうんざりすることはあっても、八雲に対して、何かしてやれることは一つも無かった。
ただ、私の所に来てからは、暴力沙汰は控えるようになった。そして、無事に中学校までは卒業した。
その後は、今までの経験を生かして独立したので、好きなようにさせた。ただし、独立後は、合法的に暴力を振るえる相手を探して、血走った目で辺りをうろつくようになってしまったが。
私と八雲は、そういう関係だ。
男の親友でもいれば、少しは変わったかもしれない。友人が出来る事で、人間はかなり変わる事があるのだ。
心を理解しやすい男の親友なら、或いは。
この屈折した男を、少しは理解してやれたのかもしれない。
だが、そんな奴は現れなかった。結局八雲は、今でも孤独なまま、戦いだけを好む生活を続けている。
林を出た。
そのまま、住宅街を、無音で潜行する。
後は、どうにか牧島と合流したいが。その機会が、意外なほど早く、訪れた。傷だらけの式神が、襤褸ぞうきんのようになって転がっていたのである。
私が触れると。
まだ健在らしい牧島が、こたえてきた。
「金毛警部……」
「無事では無さそうだな。 戦況は」
「著しく悪いです」
現在、クドラク本人と交戦中だという。
他の吸血鬼は、軒並みやっつけたとも言っているが、それも本当かどうか。問題は、カルマだ。
カルマはと言うと、姿を消しているという。
何をしでかすつもりか。
「既に式神を三体失いました」
悔しそうに言う牧島。
吸血鬼数体程度に、其処まで苦戦するのもおかしな話だが。牧島の説明を聞いて、合点がいった。
吸血鬼は、数十体で、物量を武器に攻めてきたのだという。
あのカルマとの戦闘を思い出す。
なるほど、他の奴も。同じ事が出来るのか。
出来るとしたら、どうやってやっている。異常な力を持つ座敷童と、同じ理屈だというのだろうか。
「今は、何とか隠れていますけれど。 一杯吸血鬼がうろついていて、とても逃げられそうには……」
「場所はわかった。 何とか救援に行く」
「無理は、しないでください」
「お前もだ」
力尽きた式神が消える。
今回の相手は、降伏を受け入れるようなことはしないだろう。
非常に面倒な話だ。
とにかく、敵に見つかる前に、牧島を探し出さなければならない。全く、わかってはいたがこのざまだ。
背後に殺気。
慌てて地面に這いつくばり、気配を最大限に消す。
もう気付いたのか。
数体の吸血鬼が姿を見せる。その中には、カルマも混じっているようだ。
「この辺りにいるはずです。 探し出しなさい」
「イエッサ!」
統率された軍隊そのものの動きで、吸血鬼共が周囲に散る。
私はふせたまま、ゆっくり動いて、奴らをやり過ごすべく、位置を変えていく。たいして強くない吸血鬼が相手とは言え。
もっと弱い私では、どうにも出来ない部分も多いのだ。
匍匐前進で、どうにか吸血鬼共の側を離れるけれど。奴らは棒で辺りを叩いて廻っていて、ひやひやした。
あれがぶつかっていたら、見つかっただろう。
どうにか距離を取ると、無線を取り出す。
平尾に連絡をすると、奴は健在だった。位置を知らせると、すぐに来ると言ったが、私は首を横に振る。
「それより牧島だ。 急いでくれ」
「警部はどうなさるのです」
「此方にはカルマがいる。 敵の主力と見て良いだろう。 可能な限り引きつけるから、その間に牧島を救助しろ」
「此方深沼」
面倒なのが、無線の向こうに出た。
深沼響子。
私が警部になったとき、同時に昇進した連中の一人で、今は警部補をしている。安城の片腕の式神使いで、確か十二体くらいの式神を、同時に操作する凄腕だ。
「其方に数体の式神を向かわせ、残りは牧島さんを助けに向かいます」
「余計な事をするな」
「いえ、安城警部もそう考えるでしょうから。 それでは、増援が到着するまで、耐えてください」
ぶつりと、無線が切られる。
舌打ちする。
深沼はあれで、かなりのくせ者だ。多分戦況のコントロールを私から奪うつもりなのだろう。
安城は戦闘馬鹿な所があるから、深沼のようなくせ者にはあまり好ましい上司に見えていないはず。
多分、この機会に手柄を立てて。
部長の地位に就くことが目的とみた。
ああもう。
面倒くさいと思いながらも、無線をしまう。殆ど本能的に飛び退いたのは、一応歴戦の勘とかが働いたからだと思いたい。
地面に突き刺さっている棒。
直撃していたら、串刺しだった。
「避けましたか」
棒を引き抜くのは、カルマ。
今の無線で気付かれたと見てよい。周囲は完全に包囲されてしまっている。これでは、逃げようが無い。
「久しぶりだなあ。 あの分身能力、まだ使えるのか」
「貴方は元々戦闘向けでは無いと聞いていましたが。 今の素人丸出しの動きを見る限り、本当のようですね」
話に乗ってこない。
カルマは棒を構えると、周囲の部下達に目配せした。
棒と言っても、持っているのは多分中華拳法か何かで使うような、戦闘目的に作り上げられたものだ。
あれで殴られたら、痛いではすまない。
骨も折れるだろう。
「今の無線の内容、聞いていたのか? お前達の主が、危機に落ちているぞ」
「それで?」
「さいですか」
全く興味を示さないカルマ。
さては、此奴。
いや、まあそれはいい。今はそれよりも、どうにかして、生き延びることが先決だ。
いきなり、私に尻尾が増えたのを見て、周囲の吸血鬼達が驚くが、それも一瞬のこと。
指を鳴らす。
同時に、カルマが、凄まじい勢いで、裂帛の一撃をうち込んできた。
舌打ちしているカルマ。
棒の手応えがなかったからだろう。
探しなさい。
ヒステリックに叫ぶ女吸血鬼。カルマ自身も、苛立ちを顔中に湛えて、辺りを血眼に探し始めた。
私はと言うと。
何のことはない。
棒に思いっきり叩かれて、地面でもがいている。
気配を消す能力を全開にして、敵の目を誤魔化しただけだ。気配は消せても、私自身はどうにもならない。
だから凄く嫌だったけれど、こうしたのである。
「いだいいだいいだい……むぎゃああ!」
涙目になって、もがいている私を、吸血鬼が踏んでいく。
踏んでも気付かないようにしているとは言え、酷い。
悶絶している私の目に、数体の式神が映る。どうやら、増援とやらが、頼んでもいないのに来たらしい。
カルマが舌打ち。
牧島が使っている式神とは、明らかに格が違うことが、一目で分かるからだろう。
だが、此処で。女吸血鬼は、思いもしない手に出た。
「手榴弾! 辺りに撒きなさい」
「イエッサ!」
冗談じゃあない。
私は思わず走り出す。酷く痛いけれど、木っ端みじんになるよりはマシ。
吸血鬼共が、跳び離れる。
そして、その場で。
爆発が連鎖した。
私は吹っ飛ばされて、近くの木に逆さづりになる。全身ぼろぼろだ。酷い目にあったけれど、とりあえず。
これで、どうにか危地は脱したか。
式神が、吸血鬼達の追撃を開始。
それを横目に、私は。
気配を消したまま、牧島の所に向かう。
今、彼奴を失うわけにはいかないのだ。
全身ぼろぼろの私は、痛む足を引きずって、それでも気配を消しながら行く。
多分距離的に、深沼より先にたどり着けるはずだ。
牧島が隠れたのは、多分この辺りにある廃ビルの一つ。老練なクドラクが相手では、そう長くはもたないだろう。
急ぐ必要がある。
「全く、無茶苦茶をする……」
酷く体中が痛い。
棒で叩かれるわ吹っ飛ばされるわで、今日はまるきり厄日だ。
とりあえず、どうにか目的地点には到着。
辺りには、吸血鬼の残骸が、点々としている。倒れた式神もいる。牧島は。周囲を見回している私は。
見つけた。
牧島の襟首を引きずって、廃屋から出てくるクドラクを。
牧島はボロボロに痛めつけられて、息も絶え絶え。
だが、気配を探ってみてわかる。まだ、死んではいない。それで充分。
地面に投げ出される牧島。
それでも気丈に、クドラクを見上げる。
「意外にやるな。 まさかうちの精鋭を、三人も倒すとは思わなかったぞ」
「あなたが、吸血鬼達の、首領ですか」
「いかにも、私こそが真祖と呼ばれる最古の吸血鬼、クドラクである」
何をえらそうに。
私は、影に隠れたまま、やりとりを見守る。まだ、仕掛けるには早い。それに、生き残りが、クドラクだけとは思えない。
周囲にまだ吸血鬼が潜んでいても、おかしくは無いだろう。
「真祖という割りには、大した事がないですね」
「そうとも。 君達が創作で際限なく吸血鬼を強化しているが、実態はこの程度なのだ」
「……それが、今回の愚かな騒ぎの、原因ですか」
「そうだともいえるし、そうでもないといえる。 なあ、九尾の狐、見ているんだろう?」
いきなり、此方に声が掛かる。
だが、この様子から、多分此方にはまだ気付いていない。平常心を保て。自分に言い聞かせる。
まだ、牧島に対して。クドラクは害意を持っていない。
それに、だ。
周囲をゆっくり、空気で包んでいく。
少しずつ、状況が見えてきた。
「お前はこの世界に、不満がないのか」
「あるに決まっているだろう」
聞こえないのは承知の上で返す。
手にしているのは、白木の杭。
今回のために用意してきた武器だ。言うまでも無く、吸血鬼を殺すための、必殺武器である。
ゆっくり、気配を消したまま、歩きよる。
「人間などに与して、怪異を人間に戻して、何の意味がある。 此方につけ。 そうすれば、貴様にも、力を与えてくれる」
「余計なお世話だ」
私は、白木の杭を振りかぶると。
牧島に。
一気に突き立てていた。
杭が突き刺さった牧島が、悲鳴を上げて消えていく。そして、クドラクだったものが、姿を一瞬にして牧島に代えると、その場に倒れ込む。
呼吸を整えながら、白木の杭を捨てる。
まあ、姿を自由に変えるクドラクだ。
これくらいはしていても、おかしくないと最初から思っていた。
おかしいと思ったのは、私に向けて喋りはじめたとき。其処で、気付いたのだ。自分を攻撃させるつもりだと。
そして牧島を刺してしまったと気付いた私に。
虚脱の隙を突いて、攻撃を叩き込むつもりだったのだろう。
そのまま牧島を引きずって、物陰に。
さて、次はどう出てくる。気配は消したままだ。私が此処にいることは。流石にわからないだろう。
牧島が、目を覚ます。
消耗しきっていて、青ざめているが。私のことはわかるようだった。
流石に現実の吸血鬼には、フィクションのような、人間をしもべに変える能力は備わっていない。
そんなものが実在したら、バチカンによる攻撃の激しさは、今の比では無かっただろう。
ただ、かなり傷つけられたらしく、震えていた。
痛々しい限りだが。
戦場では同情している暇も無い。ステゴロは苦手だけれど。戦闘経験に関しては、私はそれなりに積んできているのだ。
「け、警部……。 すみません、負けて、しまって」
「黙っていろ。 近いうちに支援が来る」
喋れば、それだけ発見される可能性も上がる。
先に潰した吸血鬼が、クドラクかどうかといえば、十中八九違うだろう。とにかく、平尾が来るまで持ちこたえるか、此処を抜け出すか選ぶしかない。
最悪なことに。
さっき色々されたせいで、力をかなり消耗している。
正直、いつまで気配を消せるか。
この辺りは廃屋が連なっていて、吸血鬼が戦場に選んだのも納得である。こういった場所では、海兵隊の精鋭でも苦戦を強いられるという話がある。
「さて、どうするかな……」
ぞくりと、背中に悪寒。
呟いたのは、私では無い。
後ろを振り向くと、最悪の相手がいた。
あの座敷童である。
まさか、八雲を仕留めたのか。
可能性はある。八雲が如何にこの国有数の武闘派とはいえ、あの座敷童はそれを凌ぐ実力を秘めていてもおかしくない。バチカンが誇る精鋭、一桁ナンバーのエクソシストを倒したのだ。
座敷童は、廃屋の何処かに私と牧島が潜んでいるだろう事はわかっているようだ。だからこそ、じっと目を細めて、辺りを睥睨している。
「クドラク」
座敷童が、呼びかける。
闇から溶けるように姿を見せる、吸血鬼の首領。
これでは関係があべこべだ。圧倒的な実力を持つ強化座敷童が、顎で吸血鬼の首領を使っているのか。
クドラクはと言うと、あまり良い気分では無いらしく、苦虫をかみつぶしている。
しかし、どうにも妙だ。
さては。
牧島の口を押さえたまま、私はゆっくり後ずさる。
木板を踏んだりこけたくらいでは見つからないが。それでも、とにかく稼げる時間が限られている。
力が切れたときに。
出来るだけ、敵から離れていなければならない。
見張りらしい吸血鬼を見つけたので、無言で白木の杭を突き刺す。灰になって溶けていく吸血鬼。
気の毒だが、今は傾きを戻すどころじゃあ無い。
廃屋から、離脱。
月の光を浴びる外に出た。呼吸を整えながら、ゆっくり廃屋から距離を取っていく。
敵がしびれを切らしたら。多分ジェノサイド戦術に出てくるはず。それだけは、避けないと危ない。
何も無い、広場に出る。
木を背中に、へたり込む。
呼吸を整えながら、スルメを口に入れた。もむもむしている内に、少しずつ状況を整理していく。
敵の残りは、おそらく五体から六体。他は深沼の式神が片付けてくれている筈。カルマの連れている連中は、追い散らされているだろうし、此方には来ないだろう。
ただ、それでも状況は良くない。
私が二体潰して、少しは戦況が改善したとは言え。まだクドラクが残っていると見て良い。
総力戦に近い状況だが、多分まだ八雲は倒されていない。あの座敷童は、私の動揺を誘うための幻覚とみて間違いない。
牧島が、私の惨状に、ようやく気付いた。
「血が、こんなに……!」
「私は怪異だ。 ぼろぼろになっても、多少は平気だ。 それよりお前の傷の方が、問題じゃないのか」
「そんな、私なんて」
「取り乱すな。 まだ敵の主力は健在なんだぞ」
少しずつ、戦場から離れていく。
直後のことだった。
いきなり、至近の眼前に、何かが着弾する。
それが八雲だと気付いたときには。
背後に、凶悪な気配が浮かび上がっていた。
「ちっ……! ちみっこいくせに、やりやがるじゃねえか」
凶暴な笑顔を湛えたまま、八雲が立ち上がる。
まずい。
これは下手をすると、詰む。
此奴が他人に遠慮などするわけがない。しかも、今はどう見ても全力で戦闘中だ。あの座敷童が幻覚だったことはどうでも良くなかった。此処で、強化座敷童と八雲の全力戦闘に巻き込まれ出もしたら。
助かる可能性は、ゼロだ。
空気による偽装を解除。八雲は、ぼろぼろになっている私達を見て、流石に眉をひそめたが、それだけだ。
一瞬の隙を突いて、牧島を抱えて横っ飛び。
八雲と座敷童の拳が激突し、衝撃波が飛んでくる。頭を抱えてしまう破壊力だ。どちらも、今や本気で相手を壊すつもりでやり合っている。
そして、八雲の楽しそうな顔。
この様子だと、禁じ手の一つや二つ、使いかねない。
「おもしれえなあ、ガキィ! 貴様相手なら、最近の渇きが癒やせそうだ!」
「意味がよく分からないが、好敵手として認めるとでも言う所か」
「そうだそうだ! わかってるじゃねえか!」
重機でもぶつかり合うような音が響く広場から、全力で退避。
途中、二度転ぶも、必死に距離を取る。
だが。
私達の前に、吸血鬼共が立ちふさがるまで、さほど時間は掛からなかった。
「詰みですね、金毛九尾の狐」
何故かいるカルマが言う。此奴は一体何人いるのか、呆れてしまうけれど。今は、戦力を冷静に分析するしかない。
事実、カルマの言う通りだ。
既に力を使い果たしている。牧島もである。
私は意識があるのも不思議なくらい。
そして、増援は。
まだ到着しそうにもない。
後方はと言うと、まるで竜巻でも起きているかのような有様。戦闘の音がひっきりなしに響き、彼方此方の廃屋が次々に潰されている。八雲の戦闘力は、あの座敷童と、五分程度の様子だ。
五分では無いのは、私と吸血鬼どもとの、現状戦力差。
「東洋でも名を知られた大妖怪ともあろうものが、何という情けないお姿で」
「走狗と化した痩せコウモリに言われたくないわ」
「ほう? 挑発しているおつもりですか?」
カルマと他数名の吸血鬼は、余裕の表情である。
安城の部下達が、此処まで来ないと思っているのだろう。実際、私も、来るとは思わない。
だが、其処に誤算がある。
「時にカルマとやら。 お前、どうやって分身を繰り出している」
「企業秘密です」
「それは別に良い。 分身をそれぞれ別の姿にするなんて離れ業、怪異に出来る筈がないからな。 お前、同じ処置をしているな。 彼処の座敷童や、ダイダラボッチに」
「こたえる必要はありません」
すげない返事。
だが、カルマの反応から、分かったことがある。
今の私の推理は、当たっている。
それさえわかれば、第二ラウンドへつなげられる。
まだ戦いは終わっていない。
「そろそろ無駄なおしゃべりは終わりにしましょうか」
「そうだな。 それより、側面、気を付けた方が良いぞ」
「はあ?」
余裕の笑みを浮かべるカルマだが。
その頭が、横殴りの狙撃で消し飛ぶ。
敵も流石に慣れたもので、吸血鬼達は即座に散開。塵となって消えていくカルマを一瞥だけすると、私は手を振った。
少し前から、狙撃の準備をしていた、深沼に。
2、混戦
舌打ちしたカルマが、イヤホンを投げ捨てる。機嫌が悪い同僚の姿に、他の吸血鬼達は皆首をすくめていた。
此処は、恐山の一角。
提供された、避難のためのセーフハウス。現在六名の吸血鬼が此処に逃げ込んでおり、指揮を執っているのはカルマだ。
カルマは現在、分身を多数繰り出すことが出来るのだが。
これには幾つもの制限があり。
現在も、その制限に従って、分身を造り出すほか無い。
元々、カルマに備わっていた能力だったのだが。これを、今回の一件が始まる時に、一気に強化した。
雪女をはじめとして、既存の怪異も強化出来る事は、既に実験で証明されている。
その実験が成功したことで、強化ダイダラボッチが、完成とまでは行かなくても、重要なサンプルケースとして動き始めたのである。
勿論、カルマも自身を改造することに異存はなかった。
クドラクへの忠義は絶対だし。何より、怪異が少しでも楽に暮らせる世界を、作りたかったからだ。
「カルマ、戦況が悪いのか」
「また分身がやられた。 私があの場にいれば、こんな無様は晒させないのに」
カルマの本体と分身は、性格がかなり違う。
他の吸血鬼達がうらやむような美貌については同じだ。更に、分身共にはクドラクが手を加えて、それぞれ違う外見にもしている。
問題は、本体の七割程度しか実力が無いこと。
更に言えば、性格が、本体とは正反対という事だ。
鎌倉近辺での戦闘で、初の投入をしたこの分身部隊は。実際には、九尾と接触する時や、酒呑童子と遊んでいたときも用いていた。
その間、本体はずっとこの恐山セーフハウスに、護衛と一緒に隠れていたのである。そしてそれは、合理的な判断だ。
元々カルマはそれほど冷静な性格では無い。
すぐに熱くなるし、怒りを制御するのも下手だ。
能力こそ劣るが、分身カルマの方が、政治的策謀や、数を生かした戦闘には向いている。誰に指摘されずとも。カルマ自身が、一番よく分かっていることである。
余談だが、クドラク本人には男装趣味もない。
ポニーテールをした活動的な姿の少女という所で。大人の色気という点でも、分身に負けていた。
「とにかく今は、クドラク様の指示通りに動くしか無いだろう」
「わかっている!」
ヒステリックに叫ぶカルマは。
飄々と他の者達を手玉に取る、悪女としての側面は想像できない。血の気も多く、吸血鬼という夜の住人には、とことん向いていなかった。
とにかく苛立つカルマ。どうにかしてこの荒れ狂う心を制御しなければならない。わかっているのに、どうにも出来ないのが情けない。
他の吸血鬼達がなだめすかして、分身を作らせる。それに従うしかない。わかっているのに。苛立ちはふくれあがるばかりだ。
分身を作る過程そのものは簡単だ。
カルマが手をかざすと、そこに分身が現れる。
問題は、作る度に、一食分の食事を平らげなければならない、という事。つまり分身を作れば作るほど、たくさんの食物を必要とする。
これが、まずい。
不審な動きを見せれば、無能では無い日本の対怪異部署は、必ず食いついてくるはずだ。
不意に。
セーフハウスに備えてある電話が鳴る。
なんと黒電話である。
慌ててカルマが取ると、電話の向こうにいたのは、クドラクだった。
「敵の状況は」
「それが、九尾は味方と合流。 分身は既にかなり倒されており、今は戦力の再編成を進めています」
「座敷童は」
「互角に戦える相手が現れて嬉しいんでしょう。 嬉々として殴り合いを続けています」
呆れたように、クドラクはそうかと言った。
クドラクの手元には、あの座敷童の制御装置がある。操作そのものは出来る筈なのだが。その割りには、座敷童は好き勝手をしているように思えてならない。
カルマは不快感を押し殺しながら、聞いてみる。
「座敷童は、随分不遜に感じます。 少し掣肘した方が良いのではないでしょうか」
「今はそんな状況か?」
「い、いえ……」
「わかったら黙れ。 分身が足りないなら、今のうちに可能な限り増やして欲しい。 既に戦線が崩壊しかけている事については、此方でも確認している」
電話が切れた。
カルマは頭をかきむしると、分身を造り出すべく、立ち上がろうとして。
失敗した。
いきなり、セーフハウスのドアが破られたのである。それどころか、いきなり内部に催涙弾をうち込まれた。
特殊部隊か。
慌てて、窓から飛び出すが。
其処には式神が多数待ち構えていたのである。動物の姿では無くて、陶器人形を思わせる奴らだ。
この場所を、嗅ぎつけられたのだ。
即座に散開。
この状況が来る事も、想定済みだ。落ち合う場所についても、決めてある。
カルマは再び舌打ちしていた。
何たる無様。
これでは、翻弄されているのは、此方では無いか。
座敷童が、周囲を睥睨。
余裕は全く失われていない。
深沼が遠距離からの札による狙撃を成功させ。吸血鬼を追い散らした後。八雲と、安城班の式神により包囲された状況だというのに。
それだけ、圧倒的な実力を有しているが故の自信か。
平尾が来る。
これで、やっと三人合流できた。
八雲は戦いの手を休めて、少し距離を取っている。かなり全身が傷ついているところを見ると。
互角に見えた戦いも。実際には、座敷童の方が少し上か。
通信が入る。
安城からだ。
「ようやく状況のコントロールを握ったぞ。 恐山の敵拠点を発見、今急襲させたところだ」
「それは重畳だが」
「各地に出ていた吸血鬼共の動きが露骨に鈍くなっている。 間違いなく。相手に大きな打撃を与えたぞ」
「わかった。 今は、敵の制圧に力を注いでくれ」
予想はしていたが。
今、彼方此方で出ている吸血鬼は、全てがカルマの造り出した分身の可能性が高い。クドラクおよび他の吸血鬼は、高みの見物だったのだろう。
だが、安城の一撃が。
その余裕を砕いた。
後は、座敷童だが。八雲に向けて、ゆっくり歩み寄っていく。平尾が、此方の盾になるように立ちふさがる。
「気をつけてください、警部。 あれは尋常な使い手ではありません」
「お前から見て、どの程度だ」
「本官はそれなりに柔道も剣道も段位を持っておりますが。 あれには、正直勝てる気がしません」
「そうか」
平尾のステゴロに対する評価は、正しいと見て良いだろう。
今のうちに私はスルメを出来るだけ口に入れておく。極限まで使った力も、少しは回復させなければならないからだ。
八雲に、座敷童が。
いきなり仕掛けた。
勿論、八雲も応じる。
ハリケーンのような、凄まじい争いが始まる。どちらも動きが速すぎて、介入が難しい。
だが、私はその戦場そのものを空気で包む。
解析さえしてしまえば。
座敷童の傾きを直すのは、恐らくは難しくない。敵の切り札の一つを此処で潰しておけば、かなり有利になる。
吹っ飛ばされる八雲。
いきなり此方に来る座敷童だが。サッカーボールをぶつけられて、のけぞる。直撃はしなかったが、八雲が蹴ったものだ。
「デートの最中に、よそ見はいけねえなあ」
「そうか。 では死ね」
残像を残しながら、八雲に躍りかかる座敷童。その動き、超一流の能力者でさえ舌をまくほど、無駄がない。
解析を、進めていく。
徐々に。だが露骨に、八雲が不利になりはじめる。当然の話である。八雲だからこそ、今まで保ったと思うべきかも知れない。
激しいラッシュを浴びて、八雲が下がる。
術の限りを尽くして防いでいるが、それもいつまで保つか。
強烈な左ハイが入る。
腕を上げてガードするが、もの凄い音がした。
腕が折れたかもしれない。汚い戦闘狂は、できる限りダメージを殺すように下がりながら、構えを取り直す。
多分深沼が放った式神は、定距離を置いたまま、戦況を観察中。
まあ、無理に介入すれば、巻き込まれるだけなのだから当然だろうか。
もう少し、戦闘の進展と同時に、座敷童を解析できれば。
しかし、そうはさせて貰えなかった。
近くの廃屋の上に、着地する影。
向こうは、此方に気付いているようで、にやりと笑ってみせる。元の造作が綺麗だから、悪意を込めて笑うと、実におぞましい。
芦屋祈里。
考えられる限り、最悪の援軍が、敵に来たことになる。
手元には玉串。どうみても、呪術で使う戦闘用のものだ。普通の小型サイズでは無く、槍のような形状になってさえいる。
アレで刺されたら、きっととても痛いだろう。
此方の状況を一瞥。
行動不能状態の牧島。
平尾だって、無傷では無い。
式神達が毛を逆立てて威嚇する中、芦屋祈里は、平然と廃屋から飛び降り。そして、此方に歩いてきた。
邪魔をするようにして、八雲と座敷童の戦いの間に、入り込むと、其処で足を止めた。表情は、自信満々。
残虐さが、目に満ちあふれ、揺れていた。
「野暮は止しなさいな」
「そうも行かないんでね」
今日、戦って見てわかった。
吸血鬼は、明らかに不相応な力を身につけつつある。
このまま放置しておくと、連中は対怪異部署そのものに対して、襲撃を仕掛けて来かねない。
此処で、食い止めなければならないのだ。
「で、その出来損ないの式神達と、ボロボロの貴方たちで、どう私を止めると?」
余裕綽々の芦屋。
確かに、現時点で。
奴に決定打を与えられる切り札がない。多分深沼の狙撃も、致命傷にはなり得ないだろう。
芦屋が、地面に何か炭のようなものを落とす。
それが、見る間にふくれあがっていく。
できあがったのは、真っ黒な、単眼の巨人。ギリシャ神話のサイクロプスを思わせる姿だが。
背丈は三メートルほどと、さほどでもない。
問題は、それでも、今の私達には決定的な脅威となる、という事だ。
躍りかかってくる、黒色のサイクロプス。
その拳を、平尾が受け止めるが、ずり下がる。
怪異とは、根本的にパワーが違う相手だ。陰陽師としても、八雲以上の実力者とみて良い。
安城と、配下が全員来ても、止められるかどうか。
だからこそ、私は。
最後に残った、手を打つ。
今まで二回、同じような状態になった怪異の傾きを直したのだ。構造は把握している。そして、その分析も。
今回は荒療治だが、試してみたいことがあるのだ。
地面に手を叩き付け、そして術式を発動。
何事かと、目を細めた芦屋の側を、光の帯が通り過ぎていく。
そして、戦闘中の座敷童の側の地面が、吹っ飛ぶ。
鬱陶しそうに離れる座敷童。見えた。
空気で、座敷童の全身を包む。そして、おそらく制御装置となっている部分。髪の毛に刺さっている小さな棘を、粉砕した。
途端。
座敷童が、狂う。
いきなり、攻撃の対象を変更。芦屋に対して、回転回し蹴りを見舞う。流石に驚きながらも、玉串ではじき返す芦屋。
だが、その背後に。
平尾が迫っていた。
丸太のような足から、蹴りが叩き込まれる。
展開される光の壁。平尾の蹴りは、はじき返される。
しかし、後ろから、凄まじい形相の座敷童が迫り。対応しようと身を翻す芦屋の腹を、小さな手が貫く。
否。
寸前で止められる。
とんでも無く強力な拘束の術式。座敷童が完全に停止する。
一瞬でこれを展開するとは。
流石だ。
術の実力で言うと、あかねに迫る。さすがは、芦屋の当主である。
怒りに顔を歪ませる祈里。
「躾が必要か、子供!」
無言で、今度は蹴りを叩き込む座敷童。
負荷が大きくなったからか、光の壁に露骨な亀裂。だが、祈里が印を組むだけで、補強され直す。
逆に、祈里が蹴りを叩き込むと。
無敵を誇った座敷童は吹っ飛ばされ、地面に叩き付けられ、何度かバウンドして動かなくなった。
「興ざめですね」
手をふりふり、祈里が言う。
骨が折れているかもしれない。ただ、その程度は、祈里の実力を考えると、此方へのハンデにもならないだろう。
祈里は舌打ちすると、私が壊した制御装置らしいのを拾い、
そして、不意に、気配を消した。
奴の式神も、いつの間にか姿が無くなっていた。
3、溶け始める謎
座敷童を助け起こす。
意識はうっすらとはあるようだ。
「私は、何をしていた」
「怪異を実験動物にして面白おかしく遊んでいる連中の、モルモットになっていたな」
「そうか……」
祈里の蹴り一発で沈黙したのだ。
実力的には、大幅というのも生やさしい弱体化である。
ただこれは、おそらく制御を失った事によるものだろう。ステータスそのものは。落ちていないはずだ。
すぐに、近場の神社を確保。
クドラクの追撃に掛かる安城班は放っておく。後は、此方でするべき仕事を、するだけである。
トラックを確保した平尾が戻ってきたので。その間に、しめ縄で縛り上げた座敷童に、封印を掛けておく。
私はスルメをありったけ口に入れ、ずっと噛んでいた。
少しでも回復しないと、傾きを戻すどころではないからだ。
幾つか、今回の戦いでは、収穫があった。
やはりというかなんというか、強化された怪異には、制御装置のようなものが備わっている。
それを見つけ出し、破壊することで、制御を奪うことが出来る。
今回、座敷童では上手く行った。
ただ、元から頭が狂っている奴の場合は、多分暴れ出すだけだろう。サンプルについては、確保できなかったが。
形状については、どうにか覚えた。
牧島が、座敷童に謝りながら、一緒にトラックの荷台に載る。座敷童は、悄然と縄を受けている。
自分がしていたことを、記憶していたのか。そうなると、元が余程悪辣でもない限り、罪悪感は覚えるだろう。
力が異常に強くなってこそはいるが。
こうしてみると、特に代わり映えのない。私が何体も見てきた、普通の座敷童である。邪悪でもなければ、残虐だとも感じない。
芦屋に攻撃したのは、好き勝手に体をいじってくれた仕返しだろう。誰も彼もが、異常な力を得て、喜ぶわけではないのだ。ましてやこの座敷童の場合は、自主意思も奪われていたようだから、なおさらだろう。
「疲れている所を悪いな。 運転をしてくれるか」
「金毛警部こそ。 そんなに傷だらけだというのに」
「私は良いんだ。 怪異だから、別に傷が残ったり、後遺症が出たりするようなことも無いしな」
そういえば、八雲の奴は。
いつの間にか、いない。
多分つまらない展開になったから、帰ってしまったのか。連絡を入れてみると、その通りだった。
「後はお前らでどうにでもなるだろ、婆」
「……そうだな。 だが、この様子だと、また近いうちに強いのが現れる。 その時には、力を借りるかもしれん」
「上等だ」
給金は、例の口座にと言われたので、ハイハイとこたえた。
私も、こういう事件解決や助力で、それなりの金は貰っているが。此奴はそれより一桁請求金額が多い。
対怪異部署でも、使いたがらない所以である。
私もトラックの荷台に載ると、出して貰う。
近場の神社は、比較的守りが堅牢だ。途中、安城に連絡を入れると、数名の吸血鬼を捕縛したという事だった。
「念入りに調べたが、例の分身以外の、ちゃんとした吸血鬼だな。 これで奴らの戦力は、半減したと見て良いだろう」
「で、クドラクは?」
「まだ捕まっていない」
「だろうと思った」
カルマも捕らえられていないという。
クドラクの本隊はまだ健在だし、敵にはまだまだ芦屋や、他の幹部も存在している筈。この程度の戦果なんて、誇るわけにはいかないだろう。
神社に到着。
眷属は、ぼろぼろな有様を見て、驚いた。
ここに住んでいるのは、白い毛の、かなり年老いた眷属だ。年老いたと言っても私よりは若いのだけれど、見かけがかなり老成している大狐である。
年老いているだけあって、雰囲気も落ち着いている。
だからこそに、驚いているのが、良く伝わってきた。
「どうしたのです」
「敵と戦ったんだよ。 ステゴロは苦手だっていうのにな」
「とにかく、中へ。 其方が、今回傾きを是正する方ですか」
「そうだ。 出来るだけ急ぐぞ」
今回は運が良かった。解析が早く済んで、たまたま、制御装置を外せたに過ぎない。
疲れている平尾には悪いが、神社の周辺を警備して貰う。出来れば安城にも護衛も廻して欲しいのだけれど。
奴は今、クドラクの残党狩りで忙しいだろう。
あまり期待は出来ない。
限界だったらしい牧島を、奥の院で休ませる。
眠った後、手伝ってくれればそれでいい。
私はと言うと、ぬれタオルで手を拭いた後、早速作業に取りかかる。平尾に見張って貰うとは言え、芦屋辺りが攻めこんできたら、多分防ぎきれない。彼奴の実力は、さっき見た感じでは、八雲さえ凌いでいる。
今回はたまたま引いてくれたが。
本気でやりあったら、死人が出るだろう。
座敷童の周りに陣を書きながら、私は当人に聞いてみる。
「時に、どうしてこのような事になったか、覚えているか」
「全く覚えていない。 そもそも私は、本当に怪異なのか?」
「……なるほどな」
仮説がこれで一つ証明できた。
まだ、それでも仮説の段階だが。
これは、大きな一歩だ。
平尾が、安城との交渉を済ませて、戻ってきた。
「警部、安城班から三人、此方に回してくれるそうです」
「良くそんな話に合意したな」
「向こうで、更に一人吸血鬼を捕縛したという事で。 一旦捕縛した人員の尋問に入るから、だそうです」
「……そうか」
確かに、深追いは危険だ。
安城の判断は間違っていない。ただし、敵の戦力が、これで削がれたとは、とても私には思えないが。
「疲れている所悪いが、警備を頼むぞ」
「わかりました。 すぐにでも取りかかります」
平尾に外は任せる。
私は鏡を見せられて、苦笑。
警察の制服も。私自身も。
傷だらけの、泥だらけだった。少しは休んで欲しいと眷属は言っているのだが。今回は、そうも行かない。
普段だらけているツケが廻ってきたのだとも言えるか。
空気で座敷童を包んで、解析を開始。
凄まじい力を秘めているようだが。
ダイダラボッチと違って、随分と素直だ。
ただ、誰が掛けたのかわからないが、トラップの術式がかなり仕込まれている。下手に踏むと、直撃のダメージが私に来る。
「主様。 急ぐと危険でありましょう」
「わーってる。 今は解析だ。 牧島が戻ってから、本格的な作業に入る」
老婆心からか、かなりしつこく心配してくる眷属に。
私は若干辟易していた。
牧島が目を覚まして、風呂に入ってから此方に来たときには。
安城の手配してくれた三名が、平尾と一緒に護衛を続けてくれていた。丁度良いタイミングなので、平尾にも一度休んで貰う。
激しい戦闘をこなした後だ。
如何に平尾が頑丈でも、力が発揮できなくては困るのだから。
私自身も、術式をオートで展開するようにした後、少し休む事にする。制服を換えて、風呂に入ると、随文楽になった。
眷属がいる神社だから、回復が早いというのもある。
ただし、ここからが本番だと言える。
安城と連絡を取る。
「一度、此方に合流できないか」
「敵が座敷童を奪回に来るかも知れない、からか?」
「そうだ。 此処にいる戦力で、芦屋祈里を退けることは難しい」
勿論、対怪異部署の本体を呼べれば良いのだけれど。
もしも、あの子を奪回する作戦でも実施されたら、洒落にならない。飛車を惜しんで王を取られる、と言う奴だ。
幸い、向こうにはあかねがいる。
あいつなら、芦屋祈里にも、そうそう遅れは取らないだろう。
「そうだな。 ならば吸血鬼どもを護送後、其方に合流する。 ヘリを手配しているから、今日中には其方に行けるはずだ」
「頼むぞ」
通信を切る。
安城自身が来れば、かなり心強い。
問題は、それまでの時間だ。
座敷童を守っている術式を、少しずつ剥がしていかなければならない。一つずつ、丁寧にやっていく。
傾きに触れるのは、その後だ。
そうしないと、いきなり爆発四散しかねないのである。
かなりタチが悪い術式が、何重にも仕込まれている。これはおそらく、座敷童が、小型怪異の改造版としては、向こうでも相当に気合いを入れて作っていたから、だろう。まあ、八雲と互角以上にやりあったのだ。
その実力が、力のいれぶりを証明していると言える。
作業を進めながら、時々座敷童に話しかける。
あまり、覚えていることは多くなかった。
「お前が制御装置を外してくれるまでは、私の意識は霧に沈んでいるかのようだった」
「そうか。 つらかったか?」
「それが、意外にも気持ちが良かった」
なるほど。
それが、操作を外さないようにさせるための工夫か。
焦れば、却って時間が掛かる。
牧島の支援を受けながら、少しずつ解除をしていく。一つ術式が解除できる度に、安堵の声が漏れてしまう。
それだけ、複雑に組まれているのだ。
これを組んだ奴が何者か、ちょっと今の時点ではわからない。少なくとも、安倍晴明クラスの実力の持ち主だと見て良いだろう。
逆に言うと。
安倍晴明がこれを組んだ可能性が、かなり大きいという事だ。
奴は関与を否定しているが。本当にそうなのだろうか。個人的には、疑わしいと感じている。
問題は、芦屋。
水と油を混ぜるには、何が介在する必要があるのか。
また一つ、術式を解除。
額の汗を拭うと、次に取りかかる。まだまだ三十以上のトラップが仕込まれていることがわかっているのだ。
どれか一つでも踏めば、座敷童どころか、この神社ごと木っ端みじんである。
合間に、座敷童に、話を聞く。
霧の中にいるようだったと言っていたが。
かなり細かい所まで、戦闘の経緯については、覚えていた。多分、直接拳に刻み込んだから、だろう。
エクソシスト二人を殺した話もしてくれた。つらいなら話さなくても良いと言ったのだけれど。
当人は、気にしなくて良いと首を横に振る。
平尾がメモを取る中、順番に話を聞いていく。
「そうなると、幹部は首領含めて最低でも四人か」
「記憶にもやが掛かっているから、それ以上はわからない」
「一人はクドラク、もう一人は芦屋祈里だな。 誰か他に、二人手練れが加わっていると見て良さそうだが」
どうしてだろう。
詩経院が幹部とは、どうしても思いつかなかった。彼奴のことは、私も知っている。元々、邪術を得意とする小者で、これだけ大それた事をしでかすとは思えない。
詩経院が幹部の場合は、怖れずにも良さそうだ。
残った幹部達が男か女かくらいはわからないかと聞くが。
座敷童は、首を横に振るばかり。
これ以上は、無理か。
増援が来たので、交代で休ませる。とりあえず、これだけの手練れがいれば、芦屋祈里でも、簡単には手出しが出来ないはず。
最も彼奴は。
制御が外れた時点で、座敷童には興味が無くなったようだったが。
自分の肩を何度か揉む。
疲弊が、溜まってきている。
六日間を掛けて、どうにかトラップの解除には成功。
後はゆっくり、傾きを是正していけば良い。
途中で、あかねから連絡が入る。
吸血鬼の護送は、無事に終わったそうである。合計で八名が、既に対怪異部署に抑えられたことになる。
クドラクが連れてきている精鋭は、十五名前後という話だから、半分を制圧したことになる。
ただし、あくまでクドラクの戦力だけだ。
敵にはまだまだ、主力となり得る強力な使い手が、うようよいる。それにカルマとクドラク本人を抑えられていないのだから、まだ路は遠い。
「最悪の場合は、八岐大蛇を動かす事になりそうですね」
「面倒だな……」
切り札は、切るためにあるものだけれど。
しかし八岐大蛇は、動かすためのリスクがあまりにも大きいのだ。ただ、彼奴を動かした場合は。
例え相手が安倍晴明級の使い手でも、無事では済まないだろう。
ただ、リスクのことを考えると、げんなりしてしまうので、出来れば使いたくは無いのが本音だ。
座敷童から聞いたことについては、既にレポートにして、平尾に提出させた。
後は座敷童を元に戻すことだが。
それについては、他の奴には任せられない。ただ、安城の部下を複数護衛として借りているので、それもどうにかしなければならないか。
「安城警部自身には、戻ってきて貰います」
「いいのか。 クドラクの主力は健在だぞ」
「それについては、手を打ちます」
何かあるのか。
話を聞いて、げっと思わず漏らしていた。だが、それが一番良いかもしれない。あかね自身がいいのなら、良いだろう。
八雲を中心に、何名かを動かす。
出来高報酬で、である。
つまり八雲には、吸血鬼を何人捕縛するかで、給金を出す方向で交渉したらしい。クドラクとカルマの賞金は、特に高く設定したそうだ。
確かにカルマの能力は図抜けている。
奴の分身を造り出す力は、常識外のものだ。
それに、いつダイダラボッチ級の怪異が繰り出されるかわからない現状。安城のような手練れを、本庁からいつまでも離してはおけないだろう。
幾つかを確認した後、通話を切る。
一瞥するが。
それにしても、座敷童は。平然と正座していて、まるで落ち着きと威厳を保った武人のごときだ。
何を言われても動揺する様子も無いし。
これでは、子供とはとても思えない。
見透かすように、座敷童が目を閉じたまま指摘してくる。
「私が子供らしくないと考えているな」
「そうだなあ。 少なくとも子供らしいかわいげはないな」
「そうだろうな。 実は子供の部分もある。 ただ、どうも今時の子供とは、一致しない」
そうか、それはおかしい。
というのも、座敷童はどちらかと言えば永く生きる怪異で、彼方此方で大事にされる、珍しい存在だ。
怪異なのに人間に大事にされる存在は多くない。
他には懲罰神としての性質を持つなまはげなどは、東北では大事にされる傾向があるが。それも、座敷童のように、幸運をもたらすとまでは言われていない。
事実、古い旅館などでは、座敷童が出る事を売りにしている所まであるそうだ。
そういうわけだから、古い座敷童は大体私も知っている。
しかし、この座敷童は見たことが無い。
つまるところ、最近傾いた存在だ、という事だ。
仮説が更に外堀を埋められていく。
座敷童を、元に戻す作業を開始。
六代目ダイダラボッチに傾いたサイコ野郎の時と違って、触れていてわかった。此奴は、今時珍しい武の心の持ち主だ。
だから、傾きを戻す事には、不快感もないし。
是非、さっさと元に戻してやりたい。
それに、此奴は。見かけが子供の怪異にされているが、多分中身は違う。元に戻したとき、色々な証言を聞くことが出来そうだ。
数日かけて、じっくり作業を進めていく。
黒幕は、まだ袖を掴むことさえ出来ていない。
だが、いずれ。
やらかしている様々な非道の償いは、させてやる。
私は怪異だが。
それは必ずしも、外道を喜ぶことには、つながらないのだ。
4、大蛇
クドラクは、東京に戻り来ていた。
途中でかなりの部下を失ったが、これから得られるものの大きさを考えると、些細な損失である。
部下を物として、常に考えているようでは、組織の長失格だが。
時には、部下を物としても考えられるようにならなければならない。
それが、長年生きてきて、クドラクが学んだ組織運営の鉄則だ。信頼関係を築いた部下を、切り捨てなければならないときがある。
特に怪異は立場も力も弱い。
機会は、決して少なくなかった。
その悔しさをバネにして、ここまで来た。そして今。人間共に対して、正面から宣戦を布告する。
カルマが戻ってくる。
「配置につきました」
「よし。 諏訪あかねと安城二郎の二人は、確実に引きずり出せ。 そのほかの使い手も、可能な限りだ」
今回、連れてきている怪異は。
それぞれが、あのエクソシストを圧倒した座敷童と同等か、それ以上の存在ばかり。
敵が愕然とする姿が、目に見えるようだ。
座敷童は、切り札でさえなかった。
黒幕に接したときにそれを知り、クドラクは戦慄すると同時に、その凄まじい秘めた力に歓喜さえした。
カルマ同様に、自分もいずれ同じ技術で、最強の存在となりたい。
創作に出てくる吸血鬼のように、人間共を寄せ付けもせず、夜どころか昼の世界も好き勝手にし、意味がわからない能力を山ほど備え付け、そして多数の敵を塵芥のように蹂躙する。
人間に虐げられてきたからこそ。
その願望も、強いのだ。
今回の作戦の目的は、言うまでも無い。
コアの奪還だ。
早速、東京を囲むようにして、四体の強化怪異を動かす。勿論、存在を隠すような真似はしない。
自衛隊を動かすと、色々と面倒な事になる。ダイダラボッチのような特例でない限り、それは避ける筈。
これで、対怪異部署は。
その戦力の全てを、動かさざるを得ない。
勿論、まだ対怪異部署に、強力な切り札がある可能性も否定は出来ない。特に今回は攻撃の規模が規模だ。
噂に聞く八岐大蛇が出てくる可能性も大きいだろう。八岐大蛇の正体についてはよく分からないところも多いが。しかし、恐るるに足らずとも、クドラクは考えていた。
「各地に怪異展開」
「よし、攻撃開……」
思わず声を止めたのは。
頭上に、とんでも無い力の高まりを感じたからだ。
まずい。
そう判断したときには、もう遅かった。
東の方角。
千葉に展開していた部隊から、通信が途絶する。
「何が起きた!」
「確認中です!」
彼処には、強化怪異と、数名の吸血鬼を配置していた。よりにもよって、カルマの分身では無い、生身の吸血鬼である。
クドラク自身は、隠れていたビルから出て、空を見上げ。
それを、見た。
上空にいるのは、巨大な蛇の集合体。八、どころではない。数百の蛇が固まった、巨大なる異形。
聞いたことがある。
古代のこの国では、八はたくさんを示す数であったとか。
だからこそ、八を使ったことわざは多い。やおろずの神々というのが、何故「八」百万かも、其処に意味があるという。
歯がみしてしまう。
攻撃を先読みされたばかりか。
この国の切り札を、先に出されるなんて。そして、八岐大蛇が、まさかこれほどの破壊力を秘めていたとは、想定外だった。
しかも、奴はまだまだ余力を残している。
このままでは、つるべ打ちにされる。
「一旦撤退だ。 身を隠せ」
「し、しかし」
「あれほどの桁外れな怪異だ。 向こうも使う事で、相当なリスクを負うはず。 とにかく、今はまともな交戦を避けろ」
すぐに部下達に連絡。
通信途絶した東の部隊は絶望だろう。
それにしても、どうして攻撃のタイミングが漏れた。
コアの奪還については、諦めるべきだろうか。別に、アレ一つしか無いわけではない。ただそうなると、情報の流出が怖い。
宣戦布告したその瞬間に、顔面にヘビー級ボクサー渾身の一撃を受けたような気分だ。
八岐大蛇が、此方に気付く前に。
さっさと引き上げる。
口惜しいが、今までに何度となく味わってきた感情だ。今更、新鮮でもない。
苦渋を味わうのは慣れている。
そして、其処から、今までもずっと這い上がり続けてきたのだ。
不安そうにしている芦田と平野の所に出向く。
八岐大蛇の起動許可が出たのは僥倖だった。アレを使わなかったら、流石に敵を撃退するのはかなり難しかっただろう。
「敵の撃退を確認。 強化怪異も、一体を消滅寸前まで打撃を与え、捕獲しました」
「そうか……」
安堵の声を漏らす二人。
私としては、あまり良い気分では無い。
八岐大蛇は、動かすと大変に巨大なコストが掛かるのだ。具体的には、奴は長い年月を掛けて蓄えた陽の気を喰らうのである。
これは、金をつぎ込めばいいとかいう問題では無い。
陽の気は、基本的に簡単にはたまらない。時間を掛けて、じっくり蓄えていくしかないのである。
つまり、本当に大事なときにしか、八岐大蛇を動かす事は出来ないのだ。
八岐大蛇を戻し、封印させる。
上空の八岐大蛇は、対怪異部署のスタッフが、術式で上空に浮遊させているものだ。術式を解除することで、すぐに地上に降りてくる。
警視庁本庁の屋上で、展開していた魔法陣の中央に。
普通の人間には見えない、巨大な蛇の集合体が、降りてきた。そして、見る間に巨体を縮小させていった。
私がこの光景を見るのは、初めてだけれど。
資料映像で、見た事がある。
八岐大蛇は、対怪異部署の切り札。最強のカードだ。私としても、二度は使いたくないけれど。
はてさて、どうなることか。
蛇が減っていく。
大きさが、それぞれ縮んでいく。
そして、裸の人間の姿になる。
待機していたスタッフが、処置を開始。
まずは、神社からくみ出した御神酒を飲ませ。その後は、丁寧に濾過し、術式を付与した水で体を洗う。
ヘリポートに、真っ黒な邪気が溢れる。
八岐大蛇は、一度発動させるだけで、数万人分の怨念を周囲にまき散らすのだ。その火力が凄まじい所以である。
怪異としても桁外れで、おそらく普通の怪異と違うルールで動いている。そう言う点では、おそらく安倍晴明と同じ。そして、、今交戦している強化怪異とも、同じかもしれない。
ただし、八岐大蛇の場合、長時間全力を出せないという欠点もある。
また、物理的な破壊を引き起こすことも出来ない。あくまで霊的な存在に、致命的な攻撃を加えることしか出来ないのだ。まあ、凶悪な怪異に対しては、それで充分だとも言えるが。
八岐大蛇の体を洗い終える。
清浄に洗濯した千早を着せて、後ろ手に本縄で縛る。目隠しをするが、その際に使う布は、極上の絹。
千早にも縄にも布にも、びっしりと文字が書き込まれていて、それは極めて強力な、封印術式を発動させる。
一連の作業を行われる際。
八岐大蛇は、一切抵抗しない。
苦痛の声さえ漏らさない。
言葉も、発する事は無い。
戦闘形態をとっていないときは、人の姿をした八岐大蛇は。普段は目隠しをして、厳重に体を拘束している。
極めて非人道的な措置だが。本人が、望んでいるのだ。
傾いた直後、現在の八岐大蛇は周囲全てを焼き払い、五十人以上の死者を出す大惨事を引き起こした。
力の制御が出来ない。
そう悟った八岐大蛇は、最初死を望み。
その後は、こうして封印されることを望んだ。
或いは、本人なりの贖罪なのかもしれない。あまりにも痛々しい贖罪だが、此方としては、どうすることも出来ない。
八岐大蛇は、排泄も食事もしない。
普段は封印を行う神社の最深部で、ただ正座して、じっと身じろぎせずにいる。まるで仏像か何かのように。
監視カメラを常時作動させているが、何百時間早送りしても、一切動きが感じ取れないほどなのだ。
頑丈に縛り上げ、目隠しをした後、封印を行う神社に輸送。
その指揮までを執った後、ようやく一休みできる。今回は、相手が自分の存在を隠さなかったのが、素早い対応につながった。
自宅に戻る。
今、あかねは一人暮らしだ。危ない仕事をしているから、という理由もある。少し前に、両親はセーフハウスに移って貰った。今では、警察上層でさえ知らない場所に、更に移してある。
これもいざというときの保険だ。
自宅には一人暮らしだが、式神もいるし、怖いとは感じない。
殺風景な自室で転がって、思惑を巡らせる。
今回、敵を瞬殺出来たことは喜ばしい。
問題は、どうして上からの横やりが入らなかったか、だ。
少し前に、六代目ダイダラボッチとの最初の交戦時は、散々横やりが入って、結果として極めて面倒な事になった。
今回は、むしろ迅速すぎるほどに、八岐大蛇の使用許可が下りた。
素直には喜べない。
上で何が起きている。
更に、八岐大蛇を使ったことで、切り札の力を敵が把握したデメリットも無視できない。むしろ、相手が八岐大蛇を此方に使わせるため、部下を使い捨てにした可能性さえあると見ていい。
決して、味方は有利になっていない。
とにかく、敵の中枢を一刻も早く把握して、叩くのが先決。
その際には、あかねもでなければならないだろう。
勝てるだろうか。
安倍晴明並みの実力を、相手が持っていると判断するのが妥当だ。そうなってくると、今のあかねの実力でも、厳しいかもしれない。
だが、やらなければならない。
睡眠薬を口にすると、目を閉じる。
一休みした後、金毛警部に連絡を取る。向こうは向こうで、捕縛した強化怪異、座敷童の解除作業中だ。
敵の本隊は東北にいる可能性も高い。
定期的に連絡を取っておかないと、師匠の身の安全が心配だ。
「此方は、順調に作業を進めているところだ」
「そうでしたか。 此方は色々と大変でしてね」
「聞いたぞ。 八岐大蛇を使ったそうだな」
「その通りです。 どうにか強化怪異一体は捕らえましたが」
師匠は案の定。
あまり良い気分では無い様子だった。
ちなみに彼女は、時々八岐大蛇の所に出向いて、話をしている。八岐大蛇も、師匠に対しては、少しだけ話をする様子だ。
元が心優しかった人間なのである。
肉親も含む五十人以上を死なせて、まだ心の傷は、深く深く残っている、ということなのだろう。
「八岐大蛇はまずい。 色々解析したが、やはり私の仮説が正しいと思う」
「そうなると、敵の目的は」
「間違いない。 現状の法則そのものの破壊だ」
師匠は。
現状に不満があると言っていた。
当然だろう。
この世界は、怪異に対して厳しすぎる。あかねは怪異と接しているからわかる。怪異には、世界から愛されていないとしか思えない、凶悪すぎるリミッターが掛かってしまっている。
世界から、死ねと宣告されているのと同じだ。
「師匠は、どう思うんですか?」
「私か。 私はな、このクソッタレな世界は大嫌いだが、一生懸命どうにか過ごしている怪異達を見逃すことは出来ないし、彼らを苦しめる奴は許せん」
今回、師匠は。
吸血鬼を何体か殺したという。
血を吐くような独白だった。
戦いだったのだから、仕方が無いとは言え。怪異の事を常に考えて。彼らのために実を搾っている師匠としては、苦しい行動だっただろう。
師匠は、きっと此方について戦ってくれる。だが、もし黒幕が、本当に世界を変えられるとなったら、どうするのだろう。
わからない。
ただ、師匠と戦うのは嫌だ。
それだけは。あかねの中に、本音としてある。自堕落で怠け者で、すぐにさぼるどうしようもない人だけれど。
あの人の良さは、あかねもわかっているつもりだ。
「座敷童を元に戻したら、すぐに本庁に帰る」
「帰り道、気をつけてください」
「わかっているさ」
大あくびの音。
相当疲れている中、強行軍で作業を進めているのだろう。お疲れ様です。そう言うと、通話を切る。
さて、少し休んで、力を取り戻さなければならない。
そしてその後は。
敵黒幕へ、迫る。
絶対に、自分の手で。仕留めなければならない。
作業を進めている私の所に、連絡が来る。
団からだった。
「今、時間はあるか」
「疲れ切っているが、何とかな」
「それは良かった。 良くない知らせがある」
一呼吸置いてから。
団は言う。
見上げ入道が、裏切っていると。
息を呑む。江戸時代、妖怪の総大将とされた、大物怪異。怪異の大物としては、山ン本五郎左衛門などが有名だが、あれはあくまで実態のない名前だけの存在。見上げ入道は、実際に怪異としても知られている、相応に力がある存在だ。
「どこからの情報だ」
「手を尽くして情報を集めていたのだが、どうにもおかしな動きをしている見上げ入道がいるという結論になってな。 気を付けろ。 此方からの情報は、相手にかなり漏れていると見て良いぞ」
「わかった。 お前も此処からは気を付けろ」
「ああ」
そうか。
見上げ入道か。そうなると、敵の幹部の中の内、一体は多分見上げ入道が占めているとみて良いだろう。
見上げ入道と言っても何体かいるが、その内一体を私はすぐに特定した。彼奴が裏切っていたか。
団の情報だと、ほぼ間違いないとみて良い。
すぐに、酒呑童子に連絡を入れようとして、思いとどまる。
待て。
そもそも、酒呑童子の奴の組織が、どうしてこうも簡単にクドラクの侵入を許したのか。
まさかとは思うが。
酒呑童子の部下、それも幹部クラスに、敵に通じている奴がいるのではないだろうか。
考えられる事だ。
まあ、あの単純な性格の酒呑童子だ。悪さをする事は出来ても、今回の悪辣な策謀に関わっているとは思えない。
あくまで彼奴は、利用されているだけだろう。
ただ、連絡だけは入れておく。
怪異側にも、クドラクの組織に通じている者がいて、ほぼ特定できたことを告げると、酒呑童子は色めきだった。
「そうか、裏切りものがいたか」
お前も、最初はそうだったがな。
内心で毒づくけれど、あくまで口には出さない。今、此奴を敵に回すと、更に面倒だからだ。
誰かはぼかす。
酒呑童子の側にいる奴の事を警戒しての行動だ。不審そうにする酒呑童子に、告げておく。
「あまり言いたくないが、お前の側に内通者がいる。 多分、幹部クラスだろう」
「何……」
「考えても見ろ。 お前の組織の情報が、どうして丸ごと引き抜かれた。 内通者が手引きしていたと考えるのが自然だろう。 まさか、本当に敵にスーパーハッカーだとかがいると思っていたのか?」
黙り込む酒呑童子。
この様子だと。或いは。
心当たりがあるのか。
「とにかくだ。 内偵を進めておいた方が良いだろうな」
「……わかった。 その通りだ」
此方とも、通信を切る。
更に、あかねにも、内容を告げておく。此方には、裏切ったと目される見上げ入道の本名も教えておいた。
あかねは本職の警官で、非常に有能でもある。
或いは、見上げ入道から、人脈を伝って、敵の首魁を割り出せるかもしれない。
一通り連絡を終える。
ため息をついたのは、多分警視庁の上層にも、敵の手が伸びていることが確実だからだ。其方もどうにかして、目星を付けなくてはならない。平野や芦田がスパイだったら、まだやりやすい。
問題は、警視総監クラスや。
或いは、本当に安倍晴明が黒幕だった場合だ。
「金毛警部」
「んー?」
牧島に促されて、座敷童を見る。
どうやら、術式も大詰めだ。もし敵が仕掛けてくるとしたら、此処からだろう。周囲に警戒するように指示。
芦屋祈里辺りが攻めこんできても、今此処にいる戦力は万全の状態だ。多分、どうにかできる。
牧島も式神を展開して、周囲を最大限に警戒。
まもなく、術式が完了する。
さて、強化怪異を元に戻すのは、あのサイコ野郎が中身だった六代目ダイダラボッチを除くと雪女に続いて二人目。しかし、自我がはっきりしていた雪女と違って、この座敷童は、制御装置付き。
多分、私の予想なら。
術式を高め、最後の一節を唱える。
場が、光に包まれた。
沈黙。だが私は振り返ると、言う。
「男子は回れ右」
煙の中、座敷童だったものは。
十代半ばの、裸の女子に変貌していた。
縛り上げられたまま、転がって、意識がない。髪は伸び放題。かなりグラマラスな体型で、日本人離れしている。
ただ、これは。
コートを掛けて、救急車を呼ぶ。
病院で、色々話を聞く必要はあるだろうが。確信できていることがある。
この娘、おそらく。
そもそも、人としての生を、歩んできていない。
(続)
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