割れた鏡
序、水面
やはりおかしい。
私がボートを降ろして貰って、木っ端みじんに消し飛んだ二体目のダイダラボッチを調べていると。そうとしか結論が出来ない。
感じる力は、確かにダイダラボッチのもの。
姿は六代目とは違っていたけれど。
この力そのものは、全く同じ。
それだけではない。力の量も質も、変わっていないのだ。それなのに此奴には、ミサイルも速射砲も効かなかった。
一体、何が起きたというのか。
戦慄が背中から這い上がってくる。
そもそも、あんな力を、怪異は発揮できない。事実、発揮した形跡が無いのだ。それなのに、此奴は、自衛隊の猛攻をかなり防いでいたのである。前回のが火力特化だというのなら、今回のは防御特化。
いや、そんなはずは無い。
此奴も、攻撃に転じていたら、一体どれだけの被害が出たことか。
不安そうに私を見ている牧島。
仏頂面で、周囲を確認している平尾。
あかねによる極大術式の行使の後、ぶっ倒れた牧島と、付き添った平尾だけれど。比較的すぐ回復した牧島が、調査に加わると言って。平尾もついてきて。そして結局、海上で合流したのだ。
一度、ボートを引き上げて貰う。完全消滅したダイダラボッチは、もう復活する可能性は無い。
あかねが、国内有数の使い手二十人とともに叩き込んだ術式だ。
喰らって無事で済む筈がないのだ。
船室に戻ると、気分が悪くなって、横になる。タオルを被ると、思わずうめき声を上げていた。
「だるいー。 もうやだー」
「警部……」
牧島が心底悲しそうに眉をひそめる。
だが、呆れたのでは無かった。
水を持ってきてくれた。それを飲み干すと、私は多少、気分が良くなるのを感じた。小さな牧島の手は、コップを持っているととても可愛らしい。
しばらく、タオルにくるまって、無言で過ごす。
思考がまとまらない。
あれは、何だ。
断じて、怪異としては本質が変わっていない。それなのに、一体どうして、あれだけの力を出せる。
まさか、本当に。
クドラクが言うように、世界の法則が書き換わったのか。
しかし、その割りには、私が力を出せるわけではない。事実、何度かこっそり試してもみたのだ。
今までと全く変わらなかった。
結局の所、私は一体何をしているのだろう。
通信が来た。
海上だから、無線だ。
「此方金毛。 どうぞ」
「私だよ」
口をつぐんだのは。
無線に出たのが、安倍晴明だったからだ。一気に場の空気が緊迫したのを、平尾も牧島も悟ったようだった。
しかもどうやっているのか。
安倍晴明は、周囲に声が届かないようにしている。
こんな遠隔で、これほどの術を使うなんて。奴はやはり、怪異としての常識から、大いに逸脱している。
クドラクの言う、法則を逸脱した存在がいるとしたら。
まず間違いなく、此奴だろう。
「今回の件は、貴様の仕業か」
ストレートに敵意をぶつける私だが。
安倍晴明は、するりとかわしてしまう。
「違うさ。 だいたい芦屋の一族が絡んでいる時点で、違うと君にも分かっている筈なのだがねえ」
「ならば、何が糸を引いている」
「此方でも調べている所だよ。 ただねえ、長年掛けて私の知らないところで、知らない組織構造ができあがっているようでね」
そのような事、信じられるか。
だが、沸騰しそうな怒りと裏腹に。
此奴は多分嘘をついていないと、冷静に考えている自分もいる。
事実此奴は、クドラクを使う事はあっても、芦屋と手を組むことはあり得ないのだ。何しろ長年の、不倶戴天の敵なのだから。
「レポートを見たよ。 ダイダラボッチそのものは、怪異の常識の範疇にいると判断して構わなそうだね」
「ああ」
「ついさっき、諏訪君が倒した個体もかい?」
「代わりは無い」
これだけ調べても、結論は変わらない。
勿論、私が固定観念に囚われてしまっている可能性もある。だが、どれだけ多角的に調査しても。
おかしなデータは、出てこないのだ。
やはりあの異常な力は、外付けで付与されているとしか、考えられない。
そういえば、ナチュラルに異常な力を振るっている安倍晴明はどうなのだろう。此奴は、どうやって異常な力を得ている。
よくある、長年生きて力を蓄えた、などと言うことは、成立しない。
妖怪は、基本的に人間には叶わないのだ。
どれだけ生きて力を蓄えても、ある程度の上限でとまってしまうのである。大妖怪である私でさえこの程度が関の山なのだ。他は推して知るべし、である。
「データを廻してくれたまえ。 私の方でも解析するのでね」
通信が切れて。
私は、無線を海に投げ捨てそうになった。慌てて牧島が止めなければ、本当に海に放っていただろう。
安倍晴明に、やはりレポートのデータは素通りしている。
これは仕方が無い事とは言え、腹立たしい。
しばらくふて寝していると、海上で騒ぎがあった。ダイバーなども動員して、海上を調べている自衛隊が、何かを見つけたらしい。
起き出す。
目を擦りながら、船縁に行くと。
誰かが、救助されるところだった。
見た事も無い姿だ。
多分年は牧島よりもかなり幼い。髪の毛は鮮やかな赤。肌はとても白いので、非常に対比が目立つ。
着込んでいる服が、よく分からない。
明らかに非実用的で、何処かの宗教衣だろうことは見当がつくけれど。
少なくとも、日本の文化圏のものではない。
体型からいって女子だが。遠すぎて、顔まではよく分からない。髪の毛の赤ばかりが、遠くから目立つ。
「何だ、あの小娘は」
「今確認している所ですが、海でこのタイミングで発見されるなんて、偶然では無いでしょうね」
平尾が無線から耳を離して、そう言う。
まあ、流石に偶然と言う事は無いだろう。
それから四時間ほど調査が行われ、打ち切られる。ダイダラボッチは、あかねの極大術式によって粉みじんになったのだ。
肉片も見つからない。
おかしなものもない。
私以外にも、陰陽師やら警察が頼りにしている術使いやらもいたが。
彼らも、小首を捻るばかりだった。
「おかしな力はまるで感じないぞ」
「ああ。 一体何が起きたんだ」
口々に話し合っているのが聞こえる。
それだけ、今回の事件が異常と言うことだ。
海自の船と一緒に上陸し、駐車場に起きっぱなしにしていたパトカーを一瞥。あれは平尾に返させるとして。
帰りはタクシーでも使うしか無い。
ただ、捜査が打ち切りになって、帰宅するものが多いからか。
近隣のタクシーは、根こそぎこの辺りに集まっているようだった。
私も、それほど苦労せず、タクシーを捕まえられる。
牧島と一緒にタクシーに乗ると、最寄り駅まで頼む。伊豆半島は交通の利便が悪く、実際にはここからが大変なのだ。乗り継ぎも時間が掛かるし、電車の本数もそれほど多くないのである。
電車について、ようやく一息。
隣に座った牧島は、大分しっかりしてきているとは言え。まだまだ成長途上。少し、眠そうだった。
「どう思う」
「はい。 あの子が気になります」
「どうせ聴取は私も噛むことになる。 出来るならばお前も連れて行く。 同年代の人間が話した方が、少しは心も開きやすいだろう」
「……そうだと良いのですが」
牧島がそれほど社交的では無いことくらい、見ていてわかる。
少しつらい役目かもしれないけれど。
此処は、我慢して貰うしかない。
あかねが手配してくれた、新しいアパートに着いたのは、結局夜中だった。
途中の駅で牧島とも別れたし、完全に一人である。かなり治安が悪い地域だけれど、空気に力を付与して、気配を消しているので問題ない。
アパートは四階建て。
普段より若干規模が大きいけれど、別にどうでも良い。
空気の壁を作って、隣の部屋からの音を遮断。後はごろんと横になって、小さくあくびをした。
ダイダラボッチ襲撃以降、ろくに休めていないのである。
この辺りで、しっかり休んでおきたい。
布団を被ることもなく。
私は、いつの間にか、眠りに落ちていた。
夢を見た。
大妖怪とされてからも、人間との力の差に絶望していた頃の夢。
怪異を集めて、如何に大きなコミュニティを作っても、人間にはとてもかなわないと、何度も思い知らされた。
小さな村くらいは、全滅させることも出来る。
でも、それが関の山だ。
人間が本気で対策に乗り出してくると、もはやなすすべがない。どれだけ鍛えた奴でも、ひとたまりもなくやられてしまう。
力の差は、無情だ。
人間の頃、凄い使い手だった奴が怪異になると、弱体化する状況も、何度も何度も見た。この世界は、怪異を根絶やしにしようとしている。そう考えたことさえあった。
色々と、試行錯誤もした。
だが、何をしようと、結果は同じ。
どれだけ術を工夫しても。
修練を重ねて、新しい力を得ようとしても。
結果は同じだった。
いつしか、完全に私は、やる気をなくした。
目が覚める。
あくびをして、起き出した私は。時計を見て、半日経過していたことを知った。苦笑いしてしまう。
あかねだったら、すぐに着替えて飛び出しているだろう。
でも私は、呼び出しがあるまではだらだらしていることにする。
夢の内容は、覚えている。
怪異は人間を超えられない。
これは1000年に達する試行錯誤を繰り返してきた私だからこそ知っている。勿論私だけでやっていたことではない。
多くの怪異に、研究に参加して貰って。
その上で出した結論なのだ。
実際問題、少し前にダイダラボッチを倒すためにあかねが展開した術式。あんなもの、怪異がどれだけ束になっても発動できない。
あかねが強い以上に。
怪異が弱いのだ。
スルメを囓って、のんびり過ごすことにする。今日くらいは、ゆっくりしても良いだろう。そう思ったのだけれど。
スマホが鳴ったので、出ざるを得ない。
あかねからだった。
「師匠、起きられましたか」
「お前こそ、大丈夫か。 あんな術式使って、もう起きて良いのか」
「鍛え方が違いますから」
彼奴、背はそれほど高くないが、確かに日々己を律することに余念がない。彼奴の場合、単なる天才でも、不動の努力家でもない。
両方なのだ。つまり、努力する天才である。
生半可な使い手が、叶うはずがない。
事実努力という点でも、生半可な奴の何倍もこなしているのだから。
「そうかそうか。 それは良かったな。 それで?」
「すぐに本庁に来てください。 ダイダラボッチが消滅した地点で保護した重要参考人の聴取を、師匠に行って欲しいんです」
「やっぱりそれか……」
面倒くさいけれど。
正直、他に任せてはならないだろうとも思う。
あかねは今、病院から本庁に直行したいくらい忙しいだろうし、安城も同じ。
そもそもあの娘っ子が、何者なのか。私が一番知りたいのだ。
間違いなく、あの娘が、ダイダラボッチが放っていた異常な力の鍵になっているはず。絶対に私が行って。
謎を、解き明かさなければならない。
牧島も連れて行きたいと聞いてみるが、断られる。
理由は簡単。対怪異部署の最深部に隔離されているから、だという。
ならば、仕方が無い。牧島には出る前に事情を説明。残念そうだったが、いずれ彼処に足を運ぶ日はきっと来るだろう。
アパートを出ると、タクシーを呼び止める。
今日ばかりは、電車を使うよりも。最短距離で、行かなければならなかった。
1、謎の子供
私が通されたのは、分厚く結界で守られた、対怪異部署の深奥。
様々な、凶悪極まりない道具類に混じって、牢に入れられたままの怪異がいる。いずれも恨めしそうに、此方を見ていた。
どれもが、危険な能力を持っていた怪異ばかりだ。
小さな牢に狭苦しく入れられているのは、七人岬。それも、人を殺して廻るタイプのもの。ただの一人だけしか残っていない。
実際には、体の弱った人間を死に向かわせる、程度の力しか無いが。
それでも、生半可な病よりも怖れられた怪異である。
300年ほど前に、既に人を殺すタイプの七人岬は根絶されたのだが。62年前、ある寒村で偶然発見されたのが、この生き残りだ。
彼を保護しようと私も苦労したのだけれど。
当時の対怪異部署のリーダーに先を越され。今では、時々傾きを是正できないか、様子を見に来るばかりである。
別の牢に入れられているのは、人魂のような姿をした怪異。
たくろう火と呼ばれる怪異だが、女性を不妊化させる能力を持つため、非常に怖れられた。
本来のたくろう火にはそんな強力な能力は備わっていなかったのだが、この怪異だけが特異だったのだ。
結果、根絶が進められ。
皮肉な事に、この特異種だけが最後まで残った。
今後も傾くものが出たら、優先的に狩られる事が決定している。あまり幸運とは言えない経緯で数を減らしてしまった怪異である。
奧の、小さな牢。
プールのついた牢で、ぼんやりと此方を見ているのは、やせこけた河童だ。
昔東京に出没した河童の元締めで、五十人以上を水に引きずり込んで殺したと自称していた。
しかし、それが禍して、目の敵に狩られ。
今では、こうして牢暮らしである。
「九尾よぉ」
河童が気付いて、声を掛けてくる。
時々私は、此処に慰問も兼ねて訪れるのだ。不思議と此処の怪異達は、私を裏切りものとは考えていないらしい。
まあ、長い間。恨みを買わないように、怪異の多くの間に人脈を作って、優しくしても来たからだろう。
人間に戻りたいものを、戻す事もしてきた。
だから、此処にいる彼らは。恨みがましい目をして私を見ても。私に呪詛を吐くような真似はしない。
「すまん。 今は急ぎだ」
「つれねえなあ。 女とやりてえよお」
「お前は散々妾を抱えてやりたい放題してきただろう。 その報いだと思って諦めろ」
情けないことを言われて、私もがっくりきた。
この河童親分は、昔は三十人も妾を抱えていたとかだが。まあ話半分だとしても、相当に性交が好きだったのだろう。
勿論私は、体を触らせて何てやらないが。
先導する老警官は、見かけはひょろっと枯れ木のようだが。実はあかねの先代の、対怪異部署最強の使い手である。
熟練の陰陽師で、その戦闘力は、今思い出しても身震いが来るほど。
半ば引退した今でも、こうして危険な怪異がいる牢を見張ってくれているのである。まあ、本人曰く、老後の小遣い稼ぎだそうだが。
「もうすぐつくぞ」
「筑波、足腰は平気なのか?」
「何、まだまだ平気だ」
勿論、筑波老も、私に比べればひよこも同然の年齢。
おしめの頃から知っている。
牢や、危険な道具の陳列棚がずっと廊下の左右に続いていたが。やがて下り階段にさしかかる。
何度も高度な暗号が組まれたセキュリティドアをくぐり。
魔術的な結界を抜けて。
そして、曲がりくねった階段に。
ここから先は、私も何度も来たことは無い。対怪異部署の最高機密エリアだ。流石の私も緊張する。
ここから先で下手なことをすれば、一瞬で消されるからである。
リュックに食糧を詰め込んできたのは、長丁場になるのを覚悟してのこと。その食糧も、入り口でかなり取り上げられたのだ。
最深部に到着。
怪談が終わり、また廊下。
その一つの部屋に。魔法陣が書かれて。その上にベッドが。
点滴が付けられた、この間見かけた赤毛の子供が寝かされていた。多分、まだ意識が戻っていない。
ただし、口に呼吸器は付けられていなかった。
担当らしい医師が、会釈して部屋を出て行く。
筑波は部屋の外で待つというので、頷いて、部屋に。
ひんやりと、異様な空気が身を包む。すぐに自分の空気で相殺して、分析。何だか、おかしな雰囲気だ。
その正体は、すぐに分かる。
子供が、全身から、異常なほどの力を放ち続けているのだ。
なるほど、これでは機密という観点以上に。安全性からも、此処に閉じ込められるわけである。
それに、私だけが呼ばれた理由もよく分かった。
私なら、ちょっとやそっとでは死なない。
何があるやらわからないこの状況。調べるのは私がうってつけ、と言うわけだ。
折りたたみの椅子を出すと、さっそくベッドの脇に。
側で見ると、10歳になるかならないかという幼い女の子だ。近くで見ると、随分とまあ、可愛らしい子供である。これは将来、なかなかの美人になるだろう。
驚いたことがある。
触ってみてわかったが、なるほど。
力が全身から放出されているのは、恐らくは体質的なものだ。先天的なものか、後天的なものかはわからない。
触ると、女の子が目を開く。
ゆっくり此方を見るが。
何も喋らない。
「おはよう」
反応無し。
言葉はわかるかと聞いてみても、此方をじっと見るだけ。空気で包んで調べて見るが、多分この子供は人間だ。怪異では無い。
だがそうなると、何故ダイダラボッチのいた地点で確保された。
それも、ダイダラボッチには、あかねがぶっ放した戦略級の攻撃術式が直撃し、木っ端みじんに消し飛ばしたのだ。
その場に人間がいて、無事で済むとは思わない。
「名前は?」
指さしてみるが、反応はない。
わからない様子だ。
まさか、とは思うが。この子供、喋ることが出来ないどころか、言葉を知らないのでは無いだろうか。
しばらく一緒に過ごしてみる。
最初子供は、何処のものかもわからない民族衣装を着せられていたらしいのだが。それについては、わかった。
東南アジアに伝わる、極めて古い貫頭衣だ。
貫頭衣は、日本でも古くは使われていたタイプの衣服であり。発展型の一つが巫女などが着る千早である。
この子供が着ていた奴は、かなり珍しい種類だとかで、特定まで時間が掛かった。まあ、それについては別に良い。解析に廻すだけだ。
問題は子供である。
子供はそもそも名前どころか、上手く発音さえ出来ないらしい。
重度のネグレクトを受けていた可能性さえある。だがその割りに、私を怖がらず、少し一緒にいると、興味をすぐに示してきた。そうなると、違うのかもしれない。重度のネグレクトを受けていた子供は、大人に対して極端な反応を示すことが多いのだ。
親に愛されていなかった割りには、天真爛漫な反応である。
ただ、十歳の子供の反応と言うよりは。
もっと幼い、それこそハイハイをはじめたばかりの子供のようだ。
着せられていたリネンも邪魔っ気に感じるようで、何度か脱ぎ捨てようとしたが、それはやめさせる。
髪の毛はかなり長くて、腰まである。
くせっ毛で、切った方が良いかもしれない。
食事も上手に出来ないようだったのだけれど。
食器の使い方を教えていると、また驚かされる。二度三度で、すぐに上手に使えるようになったのだ。
知っていたのを思いだしたという雰囲気では無い。
この子供。
ひょっとすると、とんでもなく知能が高いのかもしれない。
しかし、何故だろう。
一体何が起きて、あのような場所に突如出現した。この子が変種の怪異という可能性も、否定は出来ない。
まだ、油断は出来ないだろう。
体は極端に弱っていたようだが。
それも、回復がかなり早い。
子供の体、という事もあるだろう。数日で、医者が点滴を外した。外すとき、痛がって暴れるかと思ったが、そんな事も無かった。
知育用のオモチャを持ってきて貰うが。
すぐに飽きたようだった。
文字に興味を示し始めるまで、三日。
それまでに危険な兆候は無し。ただし、私が逐一外に知らせもしたけれど。間違いなくこの子供。
言葉どころか、自分の名前さえ知らない。
いきなり十歳児のサイズで生まれてきたような有様だ。
しかし旺盛な知識欲で、見る間に周囲の全てを吸収していく。私の名前も、すぐに覚えた。
一旦、対怪異部署の最深部から出る。
数日分の疲れもあるし、何よりあの子供、もう少し広い場所に連れ出した方が良いだろう。
普通の子供と一緒に小学校に行かせるには、流石に早すぎるが。
私以外の人間とも、接した方が良いかもしれない。色々考えながら階段を上がると、あかねが待っていた。
「師匠、お疲れ様です」
「何、これでも子育ては好きな方だ」
自分で産んだ子供を育てられなかったからだろうか。
まだ幼い怪異を、随分一人前になるまで面倒を見てきた。中には、子供の時に傾いてしまって、そのままという怪異もいた。
いつの間にか、子育てそのものは嫌いでは無くなった。
もっとも、あかねに自慢できるほど、子育ては得意では無い。それに私が関わった子供は、不幸になる確率も多いのだ。
「わざわざ来たって事は、何かわかったのか」
「遺伝子の調査をした結果、恐らくはタイか、近隣国の出身者だとわかりました。 特徴的な遺伝子があって、少数民族のものと一致しています。 あまり大きな声では言えませんが……」
あかねが言葉を濁す。
周囲を見回してから、言うが。内容は私の予想通りだった。
「東南アジアの寒村では、人身売買が未だに横行しています。 あの子も、その犠牲になった可能性が高いでしょうね」
「そう、だろうな」
人の命の価値は、場所によって違う。
時代によっても変わる。
忌むべき人身売買も、今でも世界の何処かでは普通に行われている。農場で働かされる子供の奴隷については、誰もが知っているだろう。それは何も、アフリカだけの悲劇ではないし。
そして日本においても。他人事では無い。
奴隷同然の扱いを受けている人間は何処にだっている。今の社会は、深い深い闇を湛えているものなのだ。
「それで、あの子はどうする」
「経緯はどうあれ、現状は重要参考人です。 それに、師匠が言っていたとおり、あまりにも強い力を放ち続けている様子。 まだあそこから出すわけにはいきませんね」
「どうにかならんか。 あの子は今でこそ回復に専念しているが、その内走り回れるようになったら、彼処はあまりにも狭すぎる。 それに、名前さえないのでは、気の毒にもほどがある」
「その頃には、どうにかします」
あかねの約束だ。まあ、期待して良いだろう。
一旦警視庁を出ると、銭湯に出向く。
広い風呂でしばらく体を伸ばして、ゆっくりと湯で疲れを溶かすと。そのまま、警視庁にとんぼ返り。
しばらくは、あの子の側についていた方が良いだろう。
だが、すぐにそうも行かなくなった。
迷宮入り事件の、解決指示が来たのである。
後ろ髪引かれるが、仕方が無い。
医師と看護師に子供を任せ、対怪異部署の最深部から出る。今回の仕事先は東北。資料を見せてもらったが。
一筋縄では、行きそうに無かった。
2、雪の降る村
東北地方の、山深い寒村。
近隣には無人化した村が点在しており、朽ちた襤褸屋が目立つ。いわゆる心霊スポットと化している場所もあるが。
実際に足を運んで、怪異が住み着いている例は希だ。
そんなところにわざわざ足を運ばなくても、怪異が住みやすいように、私や酒呑童子などの古株が知恵を絞り財力を使って、山を買ったり無人島を買ったりし、管理をしているからである。
勿論、その管理から漏れる例もある。
今回は、どうやらその例のようだった。
ハイエースから降りる。
周辺に人気はない。この村は、最盛期は二百人を超える人口を有していたのだけれど。様々な要因が重なって人が減り。今では、ついに三十人を切ってしまった。その上、残った人間は老人ばかりである。
辺りには廃屋ばかり。
かろうじて人が住んでいる地域は、此処から少し離れている。
その上、迷宮化している怪異騒ぎだ。
更に人が減るのをどうにかして欲しい。村の人間から苦情があったらしく、私に出るよう指示が飛んできた、というわけだ。
いずれにしても、ダイダラボッチの出現から少し経過して、捜査は難航中。私に出来る事はあまりない。
本当なら名前もないあの子についていてあげたいのだけれど。
正直、そうもいかない。
私も給金という形で、怪異達を養っているのだ。対怪異部署の指示通り、迷宮入り事件を解決して、ようやくそれがなせる。
それに、迷宮入りしている怪異事件の場合。
怪異も苦しんでいることが多いのだ。
此処での事件では、今まで二回の捜査が行われ。いずれもが、成果を上げずにいる。今回こそ、解決したいものである。
駐在から話を聞いて来た平尾が戻ってくる。
此処にいる駐在は、かなり年老いた警官だが。逆にそれが故に、怪異についての話は、詳しかった。
「駐在の話によると、怪異が出るという話は、30年も前からあったそうです」
「それは妙だな」
捜査依頼が来たのは、3年前。
資料にも、そう書かれている。駐在の証言について調べて見るが、30年前という記述は、少なくとも前の資料には書かれていない。
何か、口を濁す理由があったのか。
平尾が言うには、近年怪異の行動がエスカレート。今までは、村にずっと住んでいた怪異だと言う事で、皆が黙っていたそうなのだ。
おかしな話だ。
此処に出る怪異は、いわゆる雪女。
誰もが知っているメジャーな妖怪である。
しかもかなり危険な妖怪でもある。男を凍り漬けにして殺してしまう、魔性の怪。
もっとも、これも七人岬と同様。
実際に人を殺すような雪女は、江戸時代の頃には根絶され尽くして、既に存在はしていない。
現存している雪女は、雪山で人を脅かす程度のものしかいないのだ。
この寒村は雪深い。
雪女が現れるには、環境としては適してはいるが。それほど危険だとは思えない。
「具体的に、どのような事をするかはわかったか」
「最近は夜になると、冬では無くても現れるそうです。 そして廃屋を凍り付かせて去って行くとか」
「廃屋を?」
「はい。 廃屋と言っても管理物件もあり、危険な場合もあるとかで、重い腰を村人達も上げたようですね」
なるほど、そう言うことだったか。
一旦ハイエースで駐在に移動。近くのビジネスホテルまでは、かなり時間が掛かる。
質素な駐在に上がり込むと、平尾には周辺の聞き込みに向かって貰う。駐在は私と牧島を見ると、不安そうにした。
「さっきの屈強な警官はともかく、あんたたちで大丈夫かね」
「ほれ」
尻尾を出してみせると、悲鳴を上げて駐在は後ずさる。
咳払いしたのは牧島だ。
「警部、あまり脅かさないであげてください」
「なんだよー、お小言か?」
「今は、平尾さんが戻ってくる前に、資料を揃えましょう」
「んー、いっぱしになって来たな」
私も、居住まいを正す。
そして此方を露骨に警戒している駐在の前で、村の地図を広げた。いつに、どれだけの凍結事件があったか、聞く。
不安そうにはしながらも。老駐在は、順番にこたえてくれた。
それによると、凍結事件は数日おきに起きている。
発生するのは間違いなく廃屋なのだけれど。もしも老人のいる家が凍結させられると面倒だということで、今回対怪異部署に連絡を入れたのだとか。
雪女の目撃例についてもあるそうだ。
「赤い着物を着た髪の長い女でな。 背は、あんたと同じくらい。 冷たい目をしていて、えらい美人だ」
私と同じくらいと言うと、雪女としては長身だ。
というのも、この国の平均身長は、時代によってかなり違う。栄養状態が良くなかった江戸時代は、かなり低かった。
そう考えると、非常に古いか、ごく最近傾いたかのどちらかだが。
前者はあり得ないだろう。
そんな古い雪女なら、私が知らないはずがない。
東北地方には多くの知り合いの怪異がいる。その中には、当然雪女も多く含まれている。
該当するものは、今のところ存在しない。
「では、現地調査と行くか」
「はい」
牧島を連れて、駐在を出る。
直近での事件発生地点は、すぐ其処なのだ。
歩いて、十分ほど。
田舎の中には、確かに穏やかで緩やかな時間が流れている場所もある。だが多くの田舎は、閉鎖的な人間関係が多くの人を苦しめる場所だ。村社会という言葉があるが、それ以外の何物でも無い。
事実この村も。
その閉鎖的な気風が徒となって、気がつけば人間の流出を招いた。現在はもう取り返しがつかず、残った人間が老衰死すれば消滅する運命にある。
歩いていると、それがわかる。
朽ち果てたバス停が、そのまま放置されている。
ため池はすっかり緑色に濁り、使われている形跡も無い。
田も畑も、使うものも無く荒れ放題。
閉鎖的な人間関係の果てが、この光景だ。
問題の廃屋に着く。
完全に壊れている。まあ、氷漬けになったのだから、当然だろう。元々ガタが来ていた所に、氷漬けになるという外的要因も加わったのだ。既に原型がないところまで崩壊している。
数日前の崩壊だから、まだ目新しいかと思ったが。
そんな事も無い。
元々、酷く壊れた家だったのだろう。
ただ崩れた廃材の山にしか見えなかった。
足を踏み入れる。
空気で周囲を包んで確認するが、雪女が潜んでいる気配はない。牧島も式神を展開して、周囲を探りはじめる。
「どうだ、そちらは」
「怪異の反応はありません」
「そうなると、根城は村の外だな」
おそらくだが。
この近辺の山か何かに潜んでいて、村に降りてくるのだろう。そして何かしらの理由で、廃屋を凍らせていく。
理由さえ、掴むことが出来れば。
或いは、案外早く、この事件は解決するかもしれない。
「金毛警部」
「んー? どうした」
「あの、海で発見された女の子、無事でいますか? まだ小さいのに、何だか可哀想で」
「心配しなくても、解剖されるようなことはないさ」
流石に、あかねがついているのだ。そのような悲惨な運命が待っているとは考えなくても良いだろう。
昔の対怪異部署だったら、どうなっていたかはわからない。
だが今は、問題ない。
しばらく接してみてわかったが。
あの子は、とても強い潜在能力を持っている以外は、特に変わったところもなかった。頭はとにかく良かったが、それくらいだ。
ただ、どうにも妙なところも多い。
何だか、いきなり10歳くらいに「されたような」雰囲気だと思うのだ。
しかし、そんな事が出来るのだろうか。たとえば胎児を人身売買業者から買い取ったとしてだ。
人体に改造を施して。
そのまま10歳まで成長させて。
そして。
ぞくりと来た。
私は何を考えている。流石に其処までの非人道的行為が行われたとは、出来れば考えたくは無い。
だが、クドラクの言葉を思い出す。
彼奴は、一体何に踊らされている。
この世で一番恐ろしい生物は、怪異などではない。間違いなく人間だ。それについては断言できる。
この一連の事件。
黒幕がいるとしたら、怪異では無くて人間だろう。
それについては、何となく、私も分かっていた。
数件目の現場に到着。
平尾は今、聴取の最中だ。私と牧島だけで見て廻ることにする。
そして、資料を集めていくと。妙なことに気付いた。
完全に粉砕されていた一軒目と違い、二軒目は氷結による破壊が著しく甘い。家が中途半端に潰れて、形を残している。
何件かはもう瓦礫が撤去されてしまっていたけれど。
寒村である。流石に、何度も業者を呼べないのだろう。
形が残っている現場も多かった。
今年だけで、七軒も同様の事件で潰されていると、調査にはある。だが、本当に破砕されているのは、家だけなのだろうか。
式神が、おかしなものを見つけたと言って、呼びに来る。
見に行くと、松の木だ。
横倒しにされている。これは、おそらく。
潰された廃屋と、同じ状況と見て良いだろう。元々朽ちかけた老木だったようだけれど。中途からへし折られて、横倒し。
その後は、ただ朽ちるに任されていたようだった。
山の中の路とは言え、貴重な山林資源がこんな風に荒らされているのは悲しい。時期から見て、冬に起きた事件では無いと見て良い。つい最近起きた出来事で、この松はへし折られたのだ。
「やはり廃屋だけではなさそうだな」
「もっと広範囲に調べますか」
「そうしてくれ」
牧島は集中したいというので、ハイエースに一度戻る。
すぐに平尾も戻ってきた。
平尾は厳しい顔である。
「とにかく、閉鎖的極まりなく、聴取に苦労しています」
「富山の時と同じか」
「あの時とは少し性質が違います。 あの時は、隠し事を共有して、よそ者を拒絶していた空気がありました。 此処の村の住人達は、何というか、何もかもを諦めきっている様子であります」
なるほど、それは言い得て妙かもしれない。
何もかもがどうでも良いから、聴取にもなかなか応じない、というわけだ。確かに何かをしたいと思うのなら、事件を解決しようとも考えるだろう。
廃屋が潰されていた件に関しても、市役所の職員が動いて、やっと通報されたというのだから呆れる。
この有様では、強盗が入ったとしても、自衛策を採らないのでは無いのか。
もっとも、この近辺の老人は、金など持っていない。リスクを冒して強盗などしても、何の意味もないが。
「ホテルは取ってあるか?」
「少し時間は掛かりますが」
「かまわん。 牧島はしばらく式神を巡回させろ。 雪女が出るとしたら、その出現パターンを確認したい」
「はいっ!」
村に二匹、村の外は二匹という割り当てて、式神を動かせる。
そうすることで、村の外の状態もしっかり確認できるのだ。また、こうすることで、雪女も牽制できる。
ハイエースが村を出ると、周囲に明かりが増え始めた。
山の方は真っ暗だ。
それなりに新しい家もあるのに、明かりはとても少ない。こういった闇は、怪異の絶好の住処にもなりうるけれど。
この村は無理だ。
人が少なすぎる場合、却って怪異は住みづらいのである。秘境や山奥には、実は怪異は殆どいないのだ。
私もこういった場所に山を買う場合、適当に人里が近いものを選ぶようにしている。そうすることで、怪異は住みやすくなる。
ホテルに到着。
少し質素なホテルだ。ただここのところ、対怪異部署は大捕物が続いていたし、予算の削減は仕方が無い。
しかも、久しぶりに牧島と同じ部屋だ。
風呂はユニットバスで、ごく狭そうである。これでは、ゆっくりとは、くつろげないかもしれない。
「先に風呂に入ってこい。 私は調べ物がある」
「はい。 それでは、お風呂いただきます」
「んー」
風呂に向かう牧島を横目に、スマホからメールを送る。
すぐに返信があった。
相手はあかねだ。
軽く話しておいて、近況を確認。まずはあの子だが、名前を付けたそうだ。とはいっても、本人がこれが良いと言って、薊を指したそうだが。
色々な本から、どんどん知識を吸収しているそうである。
もう、会話はほぼ問題なく出来るそうだ。
「この様子だと、一年も過ぎた頃には、高校生並みの知能を手に入れる可能性も高いでしょうね」
あかねはそう言う。
まあ、あかねは私から見てかなり頭も良いし、見立ては間違っていないだろう。子供好きの私としては、あまり育つのが早いと、不幸になるとは思うのだけれど。まあ、それは此処で言っても仕方が無い。
次はクドラクについてだ。
東北地方にいるらしい事は掴めているが、まだほぼ捕縛は出来ていない。
この間捕縛した三体の吸血鬼は、様々な方法で尋問しているが、驚異的な精神力で全く口を割らないそうである。
今度、私に尋問の依頼が来るかも知れない。
芦屋の一族や、逃亡中と思われる詩経院については、全くというほど情報がないとか。ようするに、手詰まりだ。
「今のうちに、出来るだけ多くの迷宮入り事件解決をお願いします」
「わかったが、ちょっとは手加減してくれ」
「それは、暴れている連中に頼んでください、師匠」
通話が切れる。
ため息をつくと、今度は連絡先を変える。
団は、すぐに電話に出た。
ユニットバスからは、水音が聞こえる。まだ若い肌がシャワーの湯を弾く様子を想像すると楽しいが、今はそれ以上に優先順位が高い事が多い。
「例の件だがな。 東北の妖怪が総出で調べているが、まだクドラクに関する情報は出てこない」
「急いでくれるか。 連中を野放しにすると、怪異の立場が更に悪くなる」
「わかってはいるがな……」
団の口調が濁る。
わかってはいるのだ。
クドラクには、かなり強力な人間の組織が助力している。警察の可能性も高い。自衛隊だって、可能性からは除外できない。
内閣情報調査室辺りが関与していたら、大変だ。
怪異の力は限定的だ。不思議な力を使える者は確かに多いが、それでも人間の本職には叶わない。
団の苦労は分かる。
だが、私も必死なのだ。
「何か、ヒントはないか。 些細な情報でも良い」
「人間の内通者がいるらしいと言う噂は、此方にも流れてきているな」
「何か特徴はわからないか」
「まだ噂の段階だが。 どうも暴力団らしいと言う話だ」
小首を捻る。
確かに日本の大型暴力団は、資金力という点では世界でも上位に食い込んでくる。それだけ凶悪な犯罪組織である。
しかし、どうにも納得しづらい。
連中は所詮、泡沫の存在。
表に出れば、乾いて噴かれて飛んでいくだけのものだ。
「それを裏付ける何かはないか」
「無いな、残念ながら」
「思うにな、金毛の。 酒呑童子と、もっと連携を強めていくしかないのではなかろうか」
「検討しておく」
私だって、わかっている。
彼奴と連携するのは嫌だなどと、言っていられる状況では無い。実際問題、彼奴の方が、クドラクには近い立場にいるはず。
何か次の動きを芦屋やクドラク、それに詩経院が起こすとすれば。
最初にキャッチ出来るのは、酒呑童子だろう。
風呂から、牧島が出てくる。
代わりに風呂に入らせて貰う。狭苦しいユニットバスだが、みずみずしい乙女の香りがして、随分と気分が良い。
別にそっちの趣味はないが。
気分の問題だ。
風呂を出てくると、牧島は陣を床に書いて、式神に何か術式を施してきた。
「情報収集か?」
「はい。 式神の細分化に挑戦しています。 上手く行けば、八体まで同時に動かせるようになる筈です」
「それは興味深いな」
ちなみにあかねは、確か式神を持ってはいる。ただ、滅多に人前に出さない。
何か理由があるらしいが、まあそれは別に無理矢理聞くようなことでも無いだろう。牧島はその内、式神の数で勝負できる術者になる可能性もある。今は、やりたいことを、好きにやらせるのが一番だろう。
軽くミーティングをした後、さっさと寝る。
明日も、捜査は忙しくなる。
朝早く。
平尾が、血相を変えて、ドアを叩いた。
慌てて起き出す私と牧島。ドアの隙間から不機嫌な顔を出す私に、平尾は敬礼してから言う。
「金毛警部、一大事であります」
「何だ」
事件が起きている村で、雪が降り始めたというのだ。
東北とは言え、まだ冬になるには早すぎる。流石に北海道の僻地になると、この時期でも雪は降るけれど。
此処は山地とは言え、まだまだの筈だ。
着替えると、急いで外に。ハイエースを走らせる途中で、牧島は術式を唱えて、式神を調整。
ハイエースが村に着いたときには。
不可思議な光景は、それこそ最大限になっていた。
村に雪が降り注いでいるのに、積もる気配がない。
その上、周囲の気温はとっくにマイナスを割り込んでいる。私などは、外に出ようとして、慌ててドアを閉めた。
体を包む空気を調整。
やっと、外に出られる。それでも寒い。
「おでまし、という事でしょうか」
「さてな。 だが雪女でも、天候変化が出来る奴はそうそうはいない」
ちなみに私は雪女を今までに百体以上見てきたけれど。
天候変化なんて技を使いこなした奴は、その中の六名のみ。しかもその内三名は知り合いで、残りはとっくに消滅済み。
「いずれにしても、関係はありそうだな」
「周辺の天気では、明らかに雪が降るとは考えにくい状態であります」
平尾が言うとおり。
天気図を見ても、そんな状況、起きうるはずがない。
牧島は式神を飛ばしているが、まだ雪女を捕捉できない。ハイエースに戻ると、村を巡回するように、徐行させる。
今のところ、異変は起きていない。
「妙ですね」
「さっきからずっと妙だ」
「そうではありません。 聴取したところ、このような事件は、廃屋氷結の際には起きていません」
そういえば。
そんな報告は上がっていない。
前二回の調査が、如何に打ち切られたものだったとしても。このように目立つ天候を、見逃すだろうか。
村の中心に到着。
相変わらずドカドカ雪は降っているけれど。
まるで積もる様子が無い。
触ってみると、きちんと雪だ。手に触れると冷たいし、かなり結晶も大きい。温度も異常なのに、どうして積もらない。
ハイエースから出ると、吐く息が白い。老人達は家に閉じこもり。暑さには鈍感でも、寒さには敏感なのが老人だ。
だが、それでいい。
こんな時に出られて心臓麻痺でも起こされたら、助かるものも助からないからである。
牧島が、ハイエースから顔を出す。
「見つけました、警部!」
この状況で。
見つけたと言えば、雪女以外にはあり得ない。
何処だと聞くと、指さす牧島。
やはり予想通り、村の外のようだった。
「あの山の中腹です。 切り株に腰掛けているようです。 今、式神に見はらせています」
「よし、すぐに向かうぞ。 平尾、出してくれ」
「了解であります」
さて、此処からだ。
接触に成功すれば、相手のこともわかる。そうなれば、対策を練ることが出来る。
怪異に対策する場合。
まずは、接触が第一なのだ。
ハイエースを飛ばし、まっすぐ村の外に。其処からは路らしい路も無い。そして、村に降る雪は、更に量を増している。
それなのに、銀世界になる様子は無い。
異常な雪だ。
慌てた様子の駐在が、通報したようである。レスキューを呼んだと、無線で言ってくる。それでいい。
老人達が、どうなっても不思議では無い。暖房くらいはどの家もついているだろうが、中には眠ったままでいて、起き出したら身動きできなくなっているものもいるかも知れない。
念のために、全員の安全を確認するよう、駐在に指示。
あり得ない降雪だが、積もる様子が無いので、厚着さえすれば大丈夫だろう。
最寄り地点に到着。
ハイエースを路肩に駐車させると、牧島についで走る。
案の定運動神経はかなり残念な様子の牧島だけれど。とにかく迷う様子が無く進んでいるので、ついていく分には問題ない。
程なく、見えてくる。
話通り、かなりの美人だ。
雪女は切り株に腰掛けていて、村の方をじっと見つめている。
周りを取り囲んでいる式神には、目もくれていない。
それどころか、私が歩み寄っていっても、反応しなかった。冷たい目をした女だなと、私は思った。
「この雪を降らせているのは、貴様だな」
話しかける。
美しい黒髪を持つ雪女は、顔をようやくそれで上げた。
面倒くさい。
そう顔に書いてある。
露骨な拒絶を感じるが、その程度で引き下がってはいられない。既に雪女は力のある空気で包み、解析を開始している。
「既に村の気温は氷点下だ。 このままだと死人が出る。 すぐに止めろ」
「どうして。 放置しておけば、どのみち村は滅ぶのに」
「……」
なるほど、読めてきた。
まさか此奴。
いきなり結論を出すわけにはいかないから、少しずつ話を進めて行かなければならない。村の方を顎でしゃくる。
「いずれ滅ぶかも知れないな。 だがお前の今の行動が続くと、すぐに村が滅ぶ。 それでは本末転倒だろう」
「そんな事は、貴方の知ったことでは無いわ」
「知ったことに決まっている。 私は怪異の顔役だ。 怪異が余計な事をすると、他の怪異も迷惑を被る。 この世界で、どれだけ怪異が肩身が狭い思いをしているか、わかっているのか?」
少し口調が厳しくなってきたことに、雪女は気付いたのだろうか。
それとも、面倒くさいと感じたのかもしれない。
手をかざして、村の方に何か向けると。
不意に、雪が止んだ。
唖然とする私。
あれだけの大規模術式を、一瞬で止めた。あり得る話では無い。多分、あかねでも無理だろう。
そうなってくると、此奴は。
牧島も、おかしい事に気付いたのだろう。平尾を促して、戦闘態勢に入る。
大雪を起こすような雪女は知己にいる。だが、それには下手をすると数日がかりの儀式が必要で。
止める場合も、任意に一瞬で、というわけにはいかない。
ましてや、積もらない雪、なんてものを降らせるには、一体どれだけの時間が必要になることか。
それを此奴は、一瞬で停止させた。
「貴様、その力、誰に貰った」
「教える必要があるのかしら」
「ある。 同じ力を使った組織が、最近大規模なテロを引き起こした。 場合によっては、貴様も見逃せなくなる」
「それは怖いわね。 でも、教えるわけにはいかないわ」
立ち上がると、雪女は風に吹かれて消える。
本当に、文字通りの現象が引き起こされたのだ。
舌打ち。
牧島を見るが、式神も検知できていない。私も奴は空気で包んでいたというのに、消えるときの反応を検知できなかった。
ただ、収穫はあった。
「牧島は、式神を展開して、雪女を追跡」
「すぐに取りかかります!」
「警部、先ほどの雪女について、何かわかったのですか?」
「ああ。 反応からして、ほぼ間違いなく、村の関係者だな。 それも、村を活性かなり、よみがえらせるなり、しようと考えていた人間だ」
すぐに、その線で洗うようにと告げると。
平尾は頷いて、ハイエースに乗る。
まずは駐在に移動。
其処から別れる。
平尾は県警に出向いて、データの調査。牧島は式神を飛ばして、姿を文字通り消した雪女の追跡。
私はと言うと、駐在に直接話を聞く。
雪女が出始めたのは、それほど遠い昔では無い。三十年前から目撃例があるとか言う話だが、それは嘘だと、私は判断していた。何しろ、其処まで古い怪異では無かったからだ。或いは、前に此処に立ち寄った雪女がいたのかもしれない。
どちらにしても、今の雪女とは無関係。
つまり、三年前が、実際の出現時期だと判断して良い。
同時期の失踪者は、既に調べ上げられているはず。だが、リストを見ても、空気で調べたものと一致する感触がない。
そうなると、村の住人では無い関係者、となる。
もしくは、失踪者とみなされていない人間の可能性もある。
どちらにしても、駐在に聞いてみて損は無いだろう。
レスキューが来て、老人達の診察を開始している。雪が積もらなくて良かったと、私は横目で見ながら言い。
詳しい話をして欲しいと、駐在に促した。
そうすると、村の住人以外ならという条件なら。思い当たる節があると、駐在は重い口を開いた。
やはり、そうか。
そうなると、突破口が。
案外簡単に、開けるかもしれない。
3、凍土の下
青森県、恐山。
その地下に、複数の影が集まっていた。
一人は大陸最大の組織を束ねる大吸血鬼、クドラク。かなりの長期間追跡されて、やつれきってはいるが。それでも、瀟洒なスーツを着こなし、伊達男としての存在感を示している。
もっともクドラクは可変自在。伊達男である必要もないのだが。それは趣味というものだ。
今一人は、芦屋の一族を束ねる当主、芦屋祈里。
まだ若い祈里は、その絶大な力で当主に収まっている。名門陰陽師一族である芦屋の古老達を黙らせるだけの実力を持ち、現在、この集まりでもナンバーツーとなっている重要人物だ。
そして今一人は。
フードで顔を隠していて、周囲にその正体を悟らせない。
最後にその場に姿を見せたのは。
「久方ぶりだな」
はげ上がった頭を持つ、大男である。
目玉は一つしか無い。
彼は怪異の中でも、江戸時代には総大将と呼ばれたものの一人。通称、見上げ入道。その中の一体だ。
この集まりの中で、ナンバースリーを占める彼は。
江戸時代に蓄えた絶大な力で、九尾や酒呑童子とも肩を並べる存在として、怪異の中では顔役となっている。
だからこそに。
この集まりの中では、大いに意味があった。
クドラクの正面に座った、フードの影が見回す。奴こそが、この集団のナンバーワンだが。今此処にいるのは、恐らくは分身だろう。
丁度、ダイダラボッチを操ったときのように。
詩経院という男は、席に座ることも許されず、フードの影の後ろに控えるだけの存在になっている。
それなりに名が知られた陰陽師らしいのだが。
詩経院を黙らせ、従えるだけの実力が、フードの男にはあると言う事だ。
クドラクは新参と言うこともあって、集まりの中では第四位。
それでも構わない。
長年の苦闘を無駄なものにしないためにも。今は、この組織内で勢力を保ち、実働部隊として動かなければならないのだ。
「では、定期報告だ。 芦屋の、実験はどうなっている」
「今の時点では問題なし。 着実に、怪異の力を引き出す実験は成果を上げつつあります」
「それは重畳。 ただし、どうやら対怪異部署が、人身売買のルートを嗅ぎつけた。 素材は大事に使え」
「そんなもの、貴方の力で黙らせれば良いでしょうに」
くつくつと、祈里が笑うが。
フードの影はこたえない。
クドラクも知っている。このフードの男、警察にも触手を伸ばしているし、各地の犯罪組織にも顔が利く。
何者かはわからないが。
圧倒的な権力を持ち、裏からこの国を好き勝手にしていることは確かだ。
安倍晴明かとも思ったのだが、確証はない。
何より安倍晴明は、大の芦屋嫌いと聞いている。そんな安倍晴明が、芦屋家をナンバーツーに据えて、こんな大事業をするだろうか。
するだろう。
権力闘争の過程で、互いを嫌いあっているもの同士が同盟を組む事なんて、ざらにある。大義だの正義だのというよりも、殆どの場合、憎悪に利権が勝るのだ。
勿論生理的嫌悪感が勝り、同盟が破棄される例もあるが。
いずれにしても、フードの男の正体は分からない。ただ、警察にも自衛隊にも、そして恐らくは米軍や各地の財閥にさえも。
その実力を行使できることだけは確かだ。
「対怪異部署の人材は侮れない。 九尾は昼行灯に見えるが、直感の鋭さに関しては天下随一とみて良いだろう。 諏訪あかねの戦闘に関する実力は、おそらくこの場にいる誰よりも高い。 努々油断だけはするな」
「わかっていますよ……」
五月蠅い奴だと言わんばかりに、祈里が引いた。
此奴は、芦屋の一族を乗っ取って以降、九尾をつけ回していると聞いている。文字通り、釈迦に説法をするなと言いたいのだろう。
咳払いするのは、見上げ入道である。
「一つ、情報がある」
「何だ、見上げ入道どの」
「試験中の雪女に、その九尾が接触している。 試験中の技術を実験的に用いただけの存在だが、放置していて構わないのか」
「放置しておけ」
フードの男は、即答した。
ただし、データだけは取れとも。
頷くと、見上げ入道は納得したようで、質問を終える。
フードの男の判断力は確かだ。
事実、此奴は有能だと言う事を確認したからこそ、クドラクは同盟を組むことを了承したのだ。
そして現状、奴の傘下に入るような状態を甘んじて受けているのも。此奴の能力の高さと、怪異のリミッター解除に関する熱意を感じているからだ。
そうでなければ、とっくに離脱していることだろう。
クドラクが挙手。
「エクソシストどもの追撃が激しい。 バチカンに圧力を掛けて、少し動きを鈍らせることが出来ないだろうか。 貴方なら出来る筈だが」
「それは残念だが出来ない。 ただし、増援を廻す事なら出来る」
「ほう?」
「見上げ入道、例のものを」
恭しく、見上げ入道が出してきたのは、水晶玉。
ただし、何かの力が込められているものだ。
試験中の怪異の制御装置か。
「小型怪異の中では、比較的実験が上手く行っている個体だ。 これをエクソシストどもにぶつけてみたまえ」
「いいのですかな。 奴らの戦闘力は……」
「わかっているさ。 だが、あの強化ダイダラボッチを瞬殺した諏訪あかねでも、此奴は簡単には倒せんよ。 立ち回りの方法次第では、充分にエクソシストどもを返り討ちにできるだろう」
確かに、その通りだ。
頷くと、私は。
水晶玉を受け取り、懐に入れた。
会議が行われていたのは、恐山の隅にある小さなビルの地下。此処はいたこと呼ばれるシャーマン達が住んでいるのだが、隅には彼らが使う寮もある。近代的な寮も幾つかあるのだが、その一方で廃棄されたものも。このビルは、廃棄された一つである。
何食わぬ顔でビルを出ると、後は会釈一つせず、芦屋と離れる。
元々フードの男が寄越していたのは影。
そして見上げ入道に到っては、ビルを出たときには、人間の平凡な男に姿が変わっていた。
芦屋祈里は、元々非合法な対怪異業者として、この国でも有数の実力者だと聞いている。確かに間近で見ると、エクソシストの精鋭でもそうそうは倒せないほどの使い手だ。まるで動きに隙が無い。
少し移動して、部下達と合流。
カルマが来たので、水晶玉を渡す。
「今、もっとも至近にいるエクソシストは」
「ナンバー9の、カール=ホーガンです。 奴が現在、味方の三名と、散発的に交戦しています」
「此奴をけしかけろ」
「わかりました。 直ちに」
カルマが姿を消すと、クドラクは自身も、街の闇に消える。
まだ、吸血鬼は。
日の光の下では、生きていくことが出来ない。
駐在に、慣れた手つきで、牧島が茶を淹れる。
ただ、実際には、最近勉強をはじめたそうだ。かなり良い所のお嬢とは言っても、習い事を何でもかんでもやっている訳では無いのだろう。
まあ、正直な話。
私も、良い所の家で暮らしたことはあるにはある。
ただとても窮屈で、破滅が来るまでのあまり長くもない時間。当時の旦那と幸せにいられたことだけが救いだったかもしれない。
もっとも、それも。安倍晴明のせいで台無しだったのだが。
「それで、心当たりとは」
「実はなあ。 この村を出て行った若いのに、何だかよく分からない団体に所属していたのがいてな。 村を盛り上げようだとかで、色々とやっていたんだが。 老人連中が反対していてな」
なるほど、そういう事情があったのか。
身を乗り出して、聞いてみる。
牧島は、すでにメモを取り出していた。
その女性は、村としては一番最後に生まれた世代で。生きていれば、今は三十代後半だという。
既に村からは離れているそうだけれど。
時々村に来て、村を盛り上げるべく、色々なイベントを企画していたのだとか。
こういう寒村は、とにかく土地が安い。
更に言うと、意外にまだまだ使える廃屋も多数あったりする。
だから、若者を誘致して、積極的に住んで貰ったり。
或いは近場のスキー場などへ行く際の別荘としても考えて貰ったりと、寒村だからこそ出来る事もある。
だが、老人達は嫌がった。
「よその寒村では、わざわざ来てくれた医者を追い出したりするようなマネをする場所もあるらしいがなあ。 流石に此処は其処まではなかった。 だが彼女の熱意は悉く空回りしていてなあ。 見ていて気の毒であったよ」
駐在は、何というか。
むなしい出来事があったと、顔に書いていた。
多分その女性は、この寒村が好きだったのだろう。だが、誰もが、自分のいる寒村を壊されたくなかったのだ。
やがて女性は失踪した。
職場からも通報が来たらしいのだけれど、老人達の中に、見た者はいなかったという。
なるほど。
大体わかった。
後は、雪女が異常な力を得た経緯だけを洗い出せば良い。
すぐに外に出る。
雪があれほど降っていたのに、何も痕跡が無い。異常すぎる状況に、牧島は頭がくらくらするようだった。
県警に向かった平尾に、先ほどの話をする。
すぐに調べると、平尾は言っていた。
合流する頃には、朗報があるかもしれない。レスキューの隊員は、老人をみんな診終えたようで、戻る準備をしていた。
「其方はどうですかー?」
「少し体調を崩していたお爺さんがいましたので、これから巡回の医師に来て貰いますが、それくらいですね」
「それは良かった。 しかし、凄い雪でしたねえ」
「何だったんでしょうね。 しかも全く積もっていないとか、狐につままれたようです」
私とレスキューのやりとりを、牧島が眉根を下げて見ている。
まあ、気持ちはわからないでもない。
レスキューが戻っていくのを見送ると、牧島を連れ村を歩く。あれだけ広範囲に雪が降ったのだ。
何処か、氷潰されていてもおかしくない。
式神も手分けして廻しているが。
結局、新しく壊されているものは無かった。
「金毛警部、どうしましょう……」
牧島が、途方に暮れた様子で言う。
大分しっかりしてきたこの子だが。目の前でのテレポートに始まる桁外れの能力を見せられて、敗北感でも味わったのか。
気弱になるなと言いたいが。
さて、どうしたものか。
「ああいう技には、大体トリックがあるものだ。 其処さえ抑えれば、実際には大した事がない場合も多い」
「金毛警部がそういうなら」
それに、あの雪女。
やっていることが、あまりにもちぐはぐすぎる。
今回に関しては、強がりでは無い。
多分押さえ込むことさえ出来れば、どうにでもなる。
村の入り口で、ハイエースが待っていた。平尾だ。
ハイエースに乗り込んで、ホテルに向かう。
二日目が終わる。
三日目で、勝負を付けたいところである。
ビジネスホテルの部屋について、ベッドにごろんと横になる。牧島は風呂に直行。意外にきれい好きなのかと思ったら、今時の女の子は普通にきれい好きなのだった。私が牧島くらいの時の年には、衛生観念なんて概念はなかったものだが。
シャワーの音が、しょぼいユニットバスから聞こえる。
私はベッドに横になったまま、雪女の能力の正体に思いをはせる。
ふと、気付く。
ひょっとして、あのダイダラボッチも、同じ仕組みなのでは無いだろうか。もし、あの雪女が。
ダイダラボッチと同じ奴に作られたとすると。
がばりと、ベッドから起き上がる。
考えたくも無いことに気付いてしまった。
ダイダラボッチの中にいたあの子。
そして、今回の雪女。
ひょっとすると、今回の件を起こしている連中は。文字通り、人倫に背く行為を、繰り返しているのかもしれない。
ただ、まだ確証がない。
まずは、雪女を捕縛するのが先だろう。
不意に、電話が鳴る。
あかねからだった。
「師匠、進捗は」
「今日雪女に接触した。 間違いなく、迷宮入り事件の犯人だ。 ただ、どうにも能力が高すぎる。 ダイダラボッチ事件と同じ奴が背後にいるかも知れん」
「増援を送りましょうか」
「いや、それよりも、あの子をしっかり守ってくれ。 恐らくは、今回の一連の事件の、鍵となるはずだ」
気になることは、やはり。
あの雪女、ごく最近に、異常な力を身につけただろう、ということだ。
というのも、村の反応がおかしい。
雪女が前から強い力を持っていたのなら、多分使って、目的のために動いていたはずである。
ちなみに私には、もう雪女の目的は読めている。
ならば、力があったなら。もっと前から、大々的に動いていたはずだ。
ひょっとするとあの雪女、力を得たのは、ここ数日のことでは無いのだろうか。もしそうなると。
決戦は、明日だ。
風呂から出てきた牧島に、告げておく。
「牧島。 明日だが、式神をこの地点に潜ませろ」
「わかりました。 何か、わかったんですね」
「ああ。 明日、雪女を捕らえるぞ」
早朝。
気持ちよく起きる事が出来た。
平尾とキッチンで合流。朝食を済ませた後、ハイエースで出る。
村に向かう途中、雪など降らない。
だが、私にはわかる。
雪女は、我々を監視している。そしてその方法は、意外にローテクなものだ。
昨日の時点で、奴の目的は把握できた。
後は、何をどうしたいのか。
どうすればその目的を達成できるのか。
それさえ解析すれば良かった。
あくびをする。
さて、そろそろだ。
村の中央部に到着。其処で、いきなり天候が激変する。
昨日と同じように、雪が降り出したのだ。それも積もらないのに、どうしてかどか雪である。
「警部、これは……」
「村に特異性を作るためだよ」
「何ですと」
「要するにだな。 雪女は、このまま村を滅ぼしたくなかった。 だから誰もいない廃屋を潰してみたり、木を倒してみたりして、怪談を演出していたのさ。 怪談をネタにすれば、マニアを呼び込むことも出来るし、おもしろがって移り住んでくる奴もいるかも知れないからな」
あまりにも短絡的な思考だが。
雪女になった奴は、相当に追い詰められていたのだ。何をやっても手応えはなく。己の安楽を、目前の破滅よりも優先させる村の老人達に。
絶望の中、飛びついてしまったのは。
ある意味とんでも無く短絡的で。そして、自分の負担を顧みないやり方だ。
傾いていたのだろう、その時には。
そして、いつの間にか。
本末転倒な行動をはじめるようになっていた。
昨日のうちに、傾いた奴は特定し、名前も経歴も調べ上げてある。やはり、村のためを思って、外部の団体に所属し、必死の活動をしていた女だった。
名前は岸村玖美子。
そして、そいつがお気に入りにしていた場所は。
近くの山の、頂上付近。
美しい自然に包まれた村が、見下ろせる場所だ。
「見つけました!」
「取り押さえろ」
牧島が叫ぶ。
雪女はテレポートを使いこなしていたが。式神に、居場所を制圧されるのは好まないはずだ。
私は平尾を急かして、現場に急がせる。
式神が戦闘中と、牧島が言う。
雪女はそれほど戦闘力が高い怪異では無いが。やはり、相当に強化されているのだろう。牧島の式神と、互角にやり合っている様子だ。
強化したのは。
多分、ダイダラボッチに異常な力を与えたのと同じ奴だと見て良いだろう。
今の雪女がやっていることは。
怪異の領域を超えている。
雪は降るが、相変わらず積もる気配がない。ハイエースを操縦している平尾が、ワイパーの速度を上げた。
「この雪も、特異性の演出、なのですか」
「そうだ。 溶けない雪が、秋の内から降り注ぐ。 そんな不思議な村だ。 研究者が殺到するだろう?」
「それはそうかも知れませんが……」
「短絡的で愚かな行動だ。 なんとしても止めるぞ」
多分、岸村自身は決して知能が劣悪というわけではない筈だ。
だが、追い詰められて、こんな方法に到ってしまった。
後は、捕らえて。
元に戻さなければならない。
あの美しい雪女としての姿も。多分、こうありたかった自分の理想像なのだろう。
私は、知っている。
雪女の伝承には、山に住んでいたサンカの民が、かなり大きな影響を与えている。郷の者達は、雪山で出くわした女を、怪異の一種だと思ったのだろう。
そうしてアーキタイプが出来。
本当の怪異としての雪女に傾くものがではじめた。
傾いたものの中には。
間引かれて、山に捨てられたり。
親に人買いに売り飛ばされたり。
或いは、姥捨てにあって、山に捨てられたり。
そのような目に会った者達も、多くいた。
それらの経緯を直に見て知っている私としては、今回の一件は複雑だ。村を愛していたからこそ、このような行動に出てしまった哀れな女を、蔑ずむ気にはなれなかったし。元に戻せるなら、元に戻してもやりたい。
ハイエースが山に入る。
「これだけの雪が降っている状況です。 スリップは覚悟していたのですが、まるでタイヤに負担を感じません」
「それはそうだ。 ただ、視界にだけは気を付けろ」
小さな悲鳴を上げて、牧島が肩を押さえた。
雪女に、式神がやられたのか。
「大丈夫か、抑えきれないか」
「一体が凍り漬けにされただけです! 何とかしてみます!」
牧島も、悔しいと思っているのだろう。
到着まで、あと五分という所だ。村の方は、レスキューを何時でも呼べるようにと、駐在に事前に話を通してある。
さて、雪女だが。
一応、抑えるためのカードは用意してきてはある。
しかし、それも現場に間に合わなければ意味がない。
平尾も、察したのだろう。
ハイエースのアクセルを踏み込む。視界が悪い中、細心の注意を払わなければならない状況だが。
今は、時間の方が貴重だ。
見えてきた。
三体の式神が、激しく雪女とやり合っている。
周囲は雪が激しく降り、視界を白い幕が覆うかのようだ。
ハイエースから飛び出すと、平尾が躍りかかる。ただ、今は牧島の式神がライオンくらいのサイズはあるので、平尾はそれらに比べると大分小さいが。
容赦なく拳を叩き込みに行く平尾。
だが、雪女が掌を向けると、白い壁が出来る。
一瞬の拮抗。
負けたのは平尾だった。はじき返されて、ずり下がる。凄まじいパワーだ。ライオン以上の戦闘力を持つ牧島の式神を、四体同時に相手に出来る訳だ。
「牧島」
「はい!」
牧島が、弓矢を取り出す。
大分上達したらしく、かなり構えも向上していた。
私は、また式神と連携して雪女に迫る平尾を横目に、雪女の後ろに回り込みながら、力を込めた空気を展開。
雪女が、舌打ちするのがわかる。
テレポートは使わない。
この場所が、それほどに大事と言う事だ。
時間さえ稼げば。
勝機はある。
ひょうと、風がなった。
牧島が、矢を放ったのだ。
破魔の力を込めた矢が、一筋の光となって、雪を蹴散らしながら飛ぶ。雪女が壁を作るが、その壁に、矢が突き刺さる。
ばきりと、鋭い音。
矢が刺さった至近に、平尾が拳を叩き込んだのだ。
雪女が慌てるのがわかった。
明らかに、壁が押し負けているからである。
「嘘……!?」
「雑魚三人なら、押し負けるはずがないとでも思ったか?」
更に、式神が体当たり。
壁が崩壊する。
そこに、狙い澄ました牧島の第二矢。
元々、戦い慣れしていないのは、一目で分かる。付け焼き刃の強さを身につけたって、苦境では地金が露出する。
悲鳴を上げながら横転する雪女に、式神が飛びかかって。押さえつけた。
周囲に空気を展開。
いきなり、雪が止んだ。
雪女がもがいている。顔を憎悪に染めながら。
「は、離して! 私が、どうにかしないと! 村は、村は!」
「こんなやり方をしたって、村の崩壊はとまらんよ。 お前が知っている通りにな」
「……っ!」
愕然とした雪女。
牧島が、素早く周囲に陣を書いていく。
邪の術方を、押さえ込むものだ。私自身も、雪女自身を空気で包んで、解析を開始する。
平尾が、ハイエースから取り出してきたのは、しめ縄である。
雪女は必死にもがくけれど。
陣を書き終えた牧島が、破魔矢を向けると。口惜しそうに、もがくのを止めた。喰らったら、ひとたまりもないと、わかっているからだろう。そしてこの至近距離だ。テレポートでは逃げられない。
というよりも。
此処では、テレポートは使えない。
元々テレポートのような桁外れの術式には、相当な制限が掛かる。
あれは、おそらく。
この場所に、テレポートする術式だったのだ。
その証拠に、此奴は式神との戦いで、一度もテレポートを使っていなかった。使えばかなり戦いを有利に出来ただろうに。
視界は既にクリアになっている。
平尾が、雪女に縄を掛けた。太いしめ縄だから、本縄にすることは出来ないけれど。それでも、動きを封じるには充分。
うなだれる雪女。
ハイエースに連れ込むと、牧島が念入りに、封印の術式を掛けていく。
「私を、どうするつもり……」
「決まっている。 人に戻す」
「いや……このままだと……」
「村の復興が出来ない、か。 だがな、こんな調子で無茶な負担を掛けていたら、老人共は全員近いうちに他界するぞ。 実際昨日今日でも、数人が体調を崩している。 お前のやり方は、急すぎるんだよ」
ただ、此奴が懸念しているように、このままだと村が終わるのも事実だ。
どうにかして若者を誘致して、まずは人口を増やしていかなければならないだろう。私の方から、何か働きかけることが出来れば良いのだけれど。
地位的には警部に過ぎないけれど。
これでも、彼方此方の顔役にコネもある。
決して、悪いようにはならないだろう。
近場の神社に到着。
眷属がいる事は、事前に調べてある。
先ほどまでの余裕はもうなく、完全にうなだれている雪女を、ハイエースから引っ張り出す。
後は、数日を掛けて。
此奴を、人間に戻すだけだ。
先ほどから解析していてわかった。此奴は確実に、ダイダラボッチと同じ方法で超強化されている。
それならば。
同じ方法で、元に戻すことも、可能なはずだ。
一週間後。
ようやく終わった。
怪異になってから、それなりに時間が経っていたのか。それとも、美しいことで知られる雪女になっていたからか。
元に戻った岸村は、非常に若々しく、美しい女だった。
とても三十代後半とは思えなかった。
救急車が来るのを待って、毛布だけかぶせた岸村を引き取らせる。
どうにか元に戻すことは出来たが、疲れた。ダイダラボッチと同じ方法で強化されていたから、傾きを直す事そのものは楽だったけれど。
問題はこれから。
少しでも村の状況を改善しない限り。
岸村は、また怪異に傾くだろう。
あかねから、連絡がある。
ハイエースに戻ると、首筋を仰ぎながらスマホを手に取った。何だか、嫌な予感がする。案の定、あかねは開口一番に言う。
「師匠、ご無事ですか」
「何かあったな」
「はい。 東北に展開していたエクソシストが、二名戦死したようです」
「何っ……!?」
確かここに来ているエクソシスト共は、手練ればかりのはず。ナンバー一桁も何名かいたはずだ。
大陸で鍛えられただけあって、エクソシストの対怪異能力は、常識外に高い。あかねほどではないにしても、近い実力のものもいるはずだ。
それが、破れたのか。
「倒された一人は、ナンバー一桁台のようです。 今、安城警部が、状況を確認するために、エクソシストと接触を試みています」
「ナンバー一桁台というと、バチカンでも名うての精鋭だぞ」
「はい。 油断ならない存在が、敵にいると見て良いでしょう」
「……」
唇を噛む。
或いは、ダイダラボッチを強化した技術を、小型妖怪にでも移植したか。
あの技術は。
雪女を人間に戻してみて、よく分かった。
人が手を出して良いものではない。
勿論、怪異もだ。
禁忌の中の禁忌とでも呼ぶべき、最悪の邪法。こんなものがまかり通ったら、ただでさえ崩壊気味の倫理は、この世から消え失せる。
あかねには、一応仮説を伝えておく。
流石に剛毅なあかねも。この話を聞いて、唖然としたようだった。
「まさか、そのような術式を考えつくなんて。 一体誰が」
「わからないが、頭のネジが完全に飛んだ奴だ。 気を付けろ。 一体何を仕掛けてくるか、わからないぞ」
「……」
電話を切ると、神社を出る。
寂れきった寒村は、再生できるのだろうか。
勿論、手は尽くす。
そうしないと、また怪異が出るだけだ。
正直な話、わからないとしか言いようが無い。
そして、どうなるか分からないと言う点では、この世界も、同じなのかもしれない。
平尾と牧島に告げる。
事件は解決した。
さっさと帰るぞと。
黙々と帰路につく準備を始める平尾。牧島は、ただ不安そうに。私の方を、見つめていた。
4、優位逆転
日本に来ていたエクソシストの一団は、一旦攻撃を中止。
全員が拠点に戻り、状況の再確認をしている。
それが、本庁に戻った私の所に届いた情報だった。
先に出た安城が調べた結果である。
安城は支援を申し出たそうだが。エクソシストの一団は、自分にもプライドがあるとか何とか言って、申し出を拒否したとか。
私は、少し悩んだが。
芦田と平野に、レポートを提出。
ただし、仮説の段階である、怪異の強化呪法については、レポートには盛り込まなかった。
この話は、現時点では誰にも言わない方が良い。
上層部が、何者かわからないけれど、事態の黒幕と結託していてもおかしくないからだ。芦田も平野も、無条件に信じるには、黒いつながりが多すぎる。
軽く、会議をした後。
あかねの所に行く。
他に人がいないか確認した後、状況について、寄り詳しく聞くことにした。
「戦闘の経緯については、データが集まりました」
「ナンバー一桁台のエクソシストを殺ったような奴だ。 戦闘力が高い怪異なのか?」
「それが、座敷童のようです」
「はあ……!?」
思わず、聞き返してしまう。
座敷童。
言うまでも無く、日本で最も有名な怪異の一つ。家に住み着いて、その家に福をもたらす怪異である。
子供の姿をしていると言う話もあり。
近年のオカルトによる定説では、そのまま子供の幽霊では無いか、などとも言われている。
類例は世界中にある。
お手伝いをしてくれる妖精として有名なブラウニーは代表例だろう。このほかにも、家に住み着いて家事を手伝ってくれるシルキーという妖精もいる。
これらに共通しているのは。
敬意を払わないと、却って災いをもたらすという点。
ブラウニーの場合は子供を自分のものと取り替えてしまうと言う行為に出ることもあり、「上手につきあえば有益な隣人」とでも言うべき怪異である。
いずれにしても、共通しているのは。
戦闘とは縁がない、ということだ。
「子供の姿で近づいて、油断したところをブスリ、はないな。 そもそもエクソシスト共は、相手が女子供でも容赦しない奴らだ。 怪異の時点で、近づいただけで殺されたという例もあるようだからな」
「その通りです。 どうやら単独行動していたところを、一対一での戦闘を挑まれて、地力で押し込まれ、撤退も出来ずに死んだようです」
「……世界有数のエクソシストを相手に、単独での戦闘で勝利か」
考え込んでしまう。
私が遭遇したら、まず間違いなく負ける。平尾と牧島が一緒でも、どうにかできるかどうか。
今回の雪女だって、三人がかりで弱点を突いて、やっとという所だった。
「ならば、気をつけて行くしか無い。 少しでもデータを集めて、捕捉したら大人数で一気に包み、捕縛するほか無いだろうな」
「師匠に、頼みがあります」
「ん? どうした、藪から棒に」
「現地に、飛んで貰えますか?」
笑おうとして失敗。
あかねは、本気だ。
私は戦闘向きの能力持ちじゃあない。色々と応用は効くけれど、そもそもステゴロは大の苦手なのだ。
「護衛は出そうか」
「いえ。 今、此方も大詰めですので」
「じゃあ、平尾と牧島だけ連れて、世界でも最上位層に食い込む使い手を単独で殺した怪異と、場合によってはやりあえというのか」
「上手く成し遂げれば、相手の勢いを大幅にそげます」
おいおい、冗談じゃあない。
思わず回れ右したくなるが、あかねはじっと此方を見ている。
確かに、千人の死者を出したあの事件の後だ。対怪異部署の主力は、東京を離れることは出来ない。
安城はクドラクを追っている最中だし。
他の人員も、増えている怪異事件の対策でおおわらわだ。
私くらいしか、出る者はいない。
「じゃあ、現地で護衛を募っても良いか」
「護衛ですか? 構いませんが、相手は世界でも有数のエクソシストを屠った相手ですよ」
「だからだ。 うってつけの奴がいる」
ちなみに、怪異では無い。
怪異をこの件には、巻き込めない。
かなり気むずかしいし、やる気にさせるのが難しいけれど。実際に動けば、かなり心強い奴が、青森にいるのだ。
そいつを呼び出せば、或いは。
名前を告げると、あかねは口を閉ざす。
理由は簡単。
あかねとも、縁が浅くない相手だからだ。
「あんな輩の力を借りると?」
「私だって嫌じゃい! でもなあ、他に方法がないだろ。 それに上質の戦闘が楽しめるとなれば、必ず出てくるぞ彼奴は」
「出来れば、あまり暴れさせないでください」
「わかっているさ」
あかねと後は、一言二言を話した後、場を離れる。
ちょっと地下に閉じ込められているあの子供の顔を見たいと思ったけれど、今は時間が無い。
家に帰ったばかりの牧島には悪いが、事は一刻を争う。
すぐに出て貰わなければならないだろう。
平尾と牧島に連絡。
そして、東北に出る準備を整えた。
この間と同じハイエースを、継続で使用する。
ちょっとばかり今回は。厳しいかもしれない。
クドラクの前にいるのは、和服を着たおかっぱの子供。座敷童と呼ばれる、この国の土着妖怪だ。
世界中に類例がいる存在で、家に住み着いて、基本的に福をもたらし。粗末に扱えば害をもたらす。
毬を突いているこの子供が。
本当に、多数の吸血鬼を屠ってきたエクソシストを、二人も殺したのか。戦いぶりをみた今でも、信じられない。
見かけは六歳から七歳くらい。
しかし、この子供は。
鬼神も避けて道を空ける、凄まじい戦いぶりを、実際にクドラクの前で見せたのだ。
あの名高いナンバー9、カール=ホーガンと実力で戦い、そして競り勝った。更に、カールに比べれば劣るけれど、ナンバー16のエクソシストも、直後の戦闘で打ち倒している。
どちらも豊富な戦闘経験を誇り、多彩な能力を持つ、強力な術者だった。
それが、この子供には、歯が立たなかったのだ。
いつのまにか、子供は鞠を止めていた。
「どうした。 何か気になることでもあるのか」
「何か近づいてきている。 多分エクソシストだ」
「すぐに厳戒態勢を」
周囲に控えている部下達に指示。
大人っぽいしゃべり方をする座敷童を連れて、地下を出た。
此処は、ある廃ビルの、地下駐車場。
外に出ると、辺りはシャッター商店街。
東京近郊でも酷いのだ。
この辺りの経済は、ドーナツ化現象で滅茶苦茶である。
無人のビルも多い。
隠れ潜むには良いのだけれど、戦うには少しばかり不利だ。ましてやエクソシストは、最悪の場合自爆テロも辞さない。
彼らにとって、唯一神の御心に背く存在は、全て悪。
自分の命を賭しても葬らなければならない、邪悪の権化なのだ。
その狂信的な思想をもって、今まで多数の「神の敵」を殺してきたエクソシストどもだが。
焦っているのだろう。
今まで無敵を誇った味方が、こうも容易く。
だから、総力戦を挑んできたとみて良い。
「どうする。 皆殺しにするか」
「流石に全部を相手にするのは厳しい。 そうだな……」
狙うのは、エドモンド=グラーフ。
クルースニクと呼ばれる、対吸血鬼能力者の中でも、最強を誇る男。エクソシストのナンバー3にて、現存するエクソシストの中では、最も多く吸血鬼を殺している男でもある。
此奴を殺せば、エクソシストは一旦撤退して、戦力の再編を計るはず。
日本の退魔組織の方は、フードの男が押さえ込んでくれる。
一気に体勢を立て直す好機だ。
部下達が交戦を開始する。
その中、エドモンド=グラーフは。二人の二桁ナンバーに戦わせ、後方から様子を見ているようだ。
カイゼル髭を蓄えた、筋骨隆々とした大男。
何度も見た。
そして、その回数だけ、逃げなければならなかった。
それを、今日、終わりにする。
「あの男だ。 殺せるか」
「問題ない」
「よし……」
部下達に、指示。
全員で、二桁ナンバーの二人を、徹底的に押さえ込むように。エドモンド=グラーフは、切り札に戦わせる。
すぐに一糸乱れぬ動きを見せる部下達。
激しい戦いが繰り広げられる中。クドラクは近くのビルの上に。其処からは、戦況を一望できる。
「カイン、少し下がれ。 アズモルドに代われ」
「イエッサ!」
細かい指示を出しながら、状況を観察。
切り札である座敷童は、両手をぶらんと垂らしたまま。まるで周囲の激戦がないかのように、歩いて行く。
途中、エクソシストのナンバー19が放った火球が、座敷童に迫る。
だが、無造作に、手を振るうだけで。
火球は爆散。
何も残らず、消えて失せる。
小さな手が、どれだけの破壊力を秘めているのか。遠目に見るだけで、ぞっとしてしまう。
エドモンドが、座敷童に気付く。
そして、手元にある剣を抜いた。
対怪異用に調整された剣。形状としてはナックルガードがついたサーベル。長さが尋常では無く、二メートル半はある。
あの剣で、味方がどれだけ殺されてきたか。
「お前が、カールを殺したデーモンか」
「デーモン?」
「神に仇なす魔物の事だ」
「よく分からないが、私は座敷童と呼ばれている。 デーモンだとかではない」
鼻を鳴らすエドモンド。
日本語が堪能かと思ったら、違う。多分翻訳の術式を使っている。
残像を残し、エドモンドが動いた。
座敷童も、受けて立つ。
斬撃が、側にあるビルを両断したのを見て、流石にクドラクも顔が引きつる。今、世界最強の対吸血鬼能力者は。
能力を、全開にしているのだ。
「私の弟分を殺した罪、地獄で償って貰おうか」
「吸血鬼と言うだけで多く殺してきたのだろうに、勝手な事だ」
「神に仇なすものを刈り取る聖戦と、お前達の欲得尽くな殺戮を同じにするか、下郎!」
「愚かしい輩だ」
再び、剣が降り下ろされるが。
座敷童も残像を作って、一撃を避ける。互いに残像が残像を斬り合う戦いが、しばらく続いた。
カルマが戻ってくる。
頭から、血を流していた。
「急報です」
「何だ」
「再生ダイダラボッチに使っていた制御コアが、敵の手に落ちていることがわかりました」
眉をひそめる。
まあ、何も解析できることはないだろうが。それでも、捨て置くことは出来ない。
ふせたのは、斬撃の余波が飛んできたから。
カルマは避けきれず、胴体から真っ二つになった。すぐに消えていくカルマ。あれは分身だし、別にどうでも良い。
コアの件は、後だ。
見ると、丁度懐に潜り込んだ座敷童が。エドモンドの腹に蹴りを叩き込んだところだった。
廃ビルを一つ貫通し、吹っ飛ぶエドモンド。
だが、瓦礫の中から立ち上がった奴は。
まだまだ余裕があるようだった。
「ジェネス、ユッカ、引くぞ」
配下らしい二人が、エドモンドの声に、さっと身を翻す。吸血鬼達も、追撃する余裕は無い。
閃光弾を放り、視界を防ぐと、エドモンドは撤退。
どうやら、様子見だけをしにきたらしかった。そして、充分なデータを取って帰ったというわけだ。
まあ、いいだろう。
座敷童には、まだ使っていないカードが何枚もある。あのクルースニクが思っているより遙かに、座敷童は強い。
戻ってくる座敷童。
怪我の一つどころか、一太刀も浴びてはいなかった。
流石と言うほか無い。
吸血鬼達を束にしても、この子供には勝てないだろう。
「どうだ、次は勝てるか」
「余裕。 相手は本気では無かったが、それでも勝てる」
「そうかそうか、好ましいな」
クドラクは、戻ってきた部下達の点呼だけを取ると、すぐにフードの男と連絡を取る。
ここからが本番だ。
そして、敵の手に落ちたのであれば。
コアも、取り返さなければならない。
(続)
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