傾く天秤

 

序、あってはならないこと

 

古き古き昔。

世界には力が満ちていた。

人が変わりし神々は、絶大な力をもって世界に君臨し。その圧倒的な支配によって、人類は家畜以下の存在となっていた。

全ては、神々の気分次第。

生きるも滅ぼすも。

何もかも、神々の理屈によって行われた。

神々の諍いは大地を裂き、多くの人間はそれになすすべ無く巻き込まれるばかり。神々の考え方は人間に押しつけられ。

それを守らない人間は、悪として容赦なく見せしめにされ。殺戮の刃の前に、何もする事が出来なかった。

神話の時代。

神々は絶対的であって。

人々に、逆らうことは、許されなかったのである。

だが、元はと言えば、神々も様々な理由から変異したヒト。暴虐な神々の中に、ある時こんな考えが生まれた。

ひょっとすると我々は。

極めて傲慢に、世界を蹂躙しているのでは無いだろうか。

一度考えが生まれると、さざ波のようにその考えは拡がっていき。

そして、いつしか。

神々は、己の力を封印し。人間の世界から遠ざかるべきでは無いかと、考えはじめた。

以上が。

クドラクの手にした本に書かれていた、いにしえの伝承である。そしてその神々という存在は。

現在では、はっきりと正体が分かっている。

ヒトが変じたもの。

つまり、現在世界中の各地で出現する。怪異と呼ばれる存在だ。

古い時代、怪異は圧倒的な力を持っていた。それこそ、文明をひっくり返し、地形を変えてしまうほどの。

それは呼吸する自然災害。

勿論、クドラクも、この本を全て鵜呑みにするほど純粋では無い。本当にこの通りのことがあったとは思っていない。というのも、怪異に変じてもヒトはヒト。それは、組織運営をしてきて、良く理解できている。

だがそれにしても、きっと、何か致命的な事があったのだろうと考えている。それは、自意識の塊である人という生き物が。考えを変えなければならなくなるほどの出来事だったに間違いない。

クドラクがしてきたのは。

怪異と呼ばれる存在に掛かっている、リミッター解除の研究。

そう。怪異と呼ばれる者達には。

本人達も知らないうちに、力の殆どを押さえ込むリミッターが掛けられてしまっているのだ。

だからこそに弱い。

だが、もしもそのリミッターを解除することが出来れば。

それこそ、いにしえの神々の如き。

近代文明などものともしない、圧倒的なる力が手に入る筈なのである。

そして、虐げられ続けた怪異には。

そうするだけの資格がある。

おごり高ぶった人間に鉄槌を下す資格が。

今、夜闇の東京に浮かび上がっているダイダラボッチは。協力者との連携によって産み出された試作品。

それこそ、怪獣映画に出てくるモンスターが如き破壊力を振るって、ビル街を我が物顔にのし歩いている。

人型と言っても、それは輪郭が曖昧で。

薄黒く、目鼻はぼんやりと光っているだけ。

この国の創成の巨神伝説の主役であるダイダラボッチは。神話からも追い出され、今では妖怪となってしまっている。

アーキタイプが、何処まで零落するかという資料としては、極めて貴重だ。

そしてそのアーキタイプは。

妖怪という形で、今でもしぶとく生き延びている。

精鋭部隊とともに、データを可能な限り取る。出現から二十五分。もう、この国の対怪異部隊が出撃してきた。

そして、軍隊もである。

「では、お手並み拝見と行こうか」

すぐにクルースニク共も嗅ぎつけてくるはずである。連中と鉢合わせないように、細心の注意を払いながら、監視を続行。

ビル街を粉砕しながら進んでくるダイダラボッチ。

逃げ惑う人間共も、容赦なく踏みつぶしていく。

その動きが、不意に止まる。

制圧用の術式が、その全身を縛り上げたのだと、見ていてわかった。

暴れようとするダイダラボッチだが。上手く暴れる事が出来ず、苦しそうに雄叫びを上げている。

更に其処へ、ヘリからのミサイルがうち込まれた。

爆発の中、ダイダラボッチの表皮が吹き飛ぶ。

七十メートルに達する全身に、次々修復不可能に思える巨大な穴が開いた。

「流石だな」

「ダイダラボッチ、自己修復を開始」

「うむ……」

あのダイダラボッチは、あくまで試作品。

十二人もの人間を殺した犯罪者がベースになっているのだ。別に消滅したところで、惜しくも何ともない。

「ヤマタノオロチは出てきそうか」

「其処までは、何とも」

「観察を続けろ」

この国最強の、対怪異用怪異。ヤマタノオロチ。

制御が難しいとかで、滅多に姿は見せないし、今のところ何処にいるかも把握できてはいないが。

ダイダラボッチは対怪異能力者達の総力攻撃で動きを封じられ。

軍からの容赦ない攻撃で、どんどん体を削られている。だが、協力者である彼奴は、もっとデータが取りたいはずだ。

不意に、ダイダラボッチが拘束を解く。

パワーに任せて、拘束の術式を引きちぎったのだろう。

巨大な火球が飛来して、その横面を張り倒す。

ビル街に、そいつはいる。

多分対怪異部隊のエースだろう。千早に身を包んだ、小柄な女だ。ただ身に纏っている力の強さ、尋常では無い。

見つかったら此方も危ないな。

そう判断し、距離を取り直す。

戦車隊も出てくる。

一斉射撃開始。ヘリ部隊とも連携して、大火力を、転んだダイダラボッチに容赦なく叩き込む。

体を崩されながらも。

急速に再構築しながら、ダイダラボッチが起き上がる。

凄まじいしぶとさだ。

腕が振るわれる。

近くのビルが吹っ飛び、避難している人間共の上に、容赦なく瓦礫がばらまかれた。ダイダラボッチが口を開け、見る間にその中に力が集中していく。

これは、凄い。

もし直撃したら、戦術核並みの火力を出せるはず。

だが、人間共が、させなかった。

空から落ちてきた鎖が、瞬時にダイダラボッチを縛り上げ、口も空に向ける。

何だあの術式は。

見ると、あの女が、周囲の数人とともに、術式を展開している様子。あのレベルの術者が、支援を得ながら展開する術式となると。もう神代の技と言うほか無いだろう。あんなのを、抱えているのか。

竿立ちになったダイダラボッチが、悲鳴を上げながら、もがこうとするが。

その顔も、厳重に封じ込まれた。

あ、これはいかん。

ふせろ。

クドラクは叫び、自らも瓦礫の影に隠れた。

一瞬の後。

轟音と爆風が、辺りを蹂躙し尽くした。

 

流石のダイダラボッチも、頭部を失ってしまうと、もうどうしようも無い様子だ。

コールタールの池のようになって、再生も上手く行っていない。対怪異部隊が周囲に展開して、よってたかって力を削りに掛かっている。

だが、十を超えるビルが粉砕され。

辺りは、死者の肉片まみれだ。

爆撃を受けたのと同じである。

あの様子では、死者は千人を軽く超えているだろう。

おそらくこの国で、近来まれに見る規模での怪異による災害だ。しかも、彼処まで凶悪な怪異は、出現例がないだろう。

世界的に見ても無い。

実験は成功だ。今回のデータをベースに、いにしえの神々の力を、更に強固によみがえらせていけば良い。

すぐに軍隊でも。

あの女のような能力者でも。

勝ち目がなくなる。

何しろ今回のダイダラボッチは。本来想定されているパワーの、2%ほどしか引き出せていなかったのだから。

本来の性能が出ていれば。おそらく、一個師団の軍隊が出ていても、勝ち目はなかっただろう。

文字通り、いにしえの神々の力だ。

「素晴らしい結果だ」

あのレベルの怪異を量産し。

そして今では封印されてしまっている力を。古代の神々の作り上げたリミッターさえ破壊できれば。

世界中の怪異は。

人の存在を上回る。

その時こそ、この世界には。

怪異が虐げられない、真の自由が到来するのだ。

「今の結果は撮影したな」

「はい」

「早速各国の怪異に送れ。 我らに協力すれば、この数倍に達する力を得ることが出来るとな」

これで、世界が一気に動き始める。

エゴに塗れた人間共の世界はひっくり返り、超越者である怪異の世界が到来するのだ。

勿論、報復したいという願いも確かにある。

だが、それが何だというのか。

世界を変えたいことに、代わりは無いのである。

余韻に浸りたいところだが、それも今は無理だ。すぐに姿を変え、この場を離れる。今はまだ、研究が完成していない。

研究が完成し。

人間との力が逆転し。

そして世界を手中に収めてから。

全てを高笑いしながら、睥睨していけば良い。

この日。

世界は、確実に変わったのだから。

 

1、崩壊の時

 

文字通り、辺りは地獄絵図だ。

私は頭をふりふり、現場に向かう。既にダイダラボッチは沈黙したという事だが。周囲のビルは倒壊し、破砕された水道管からは水が噴き上げ。ひっきりなしに救急車と消防車が行き交っている。

私は、色々な地獄を見てきた。

殺戮という点では、もっと酷いものもみた。

破壊という点でも。この国が戦争に負けたときの方が、更に何倍も酷かった。

だから、ただ酷いとは思うけれど。

何処かで乾いている私の心は。また地獄を見たなとしか、思えなかった。

彼奴。

連絡をしてきたクドラクとやらの仕業である事は間違いない。そして、怪異がこんな破壊力を出せるはずがない。

一体クドラクは、何を考えている。

私にはわかる。

これは、怪異の力では無い。怪異には、こんな力は発揮できない。

多分、怪異が古い時代、神々と呼ばれていた頃でも、だ。奴は何に踊らされているのだろう。

厳重に立ち入り規制が為されている中に、手帳を見せて入る。

既に陸自が、周囲を封鎖。

対怪異部署の人間を、閉め出そうとさえしていた。だが、千早を着たままのあかねが、封印作業を続行しており。

まだ痙攣しているダイダラボッチの肉塊を見て、流石の陸自の精鋭達も、近寄ることに二の足を踏んでいるようだった。

あかねの側に、立つ。

久しぶりに、全力で戦ったのだろう。千早を着込んだあかねは、汗も拭わないまま、術式を展開している。

その全身からは、凄まじい力が立ち上り続けているのがわかる。

この国でも、最強の術使いの一人であるあかねは。

私の方を、見もせずに言う。

「師匠、封印に協力してください」

「……ああ」

まずは、其処からか。

稲荷では無いから、眷属を媒介には出来ないが。

まあ、多少の補助くらいは出来るだろう。

ダイダラボッチの肉塊を空気で包む。

凄まじい憎悪と、殺意が伝わってくる。元々この六代目ダイダラボッチは、大量殺人犯だったのだ。

サイコパスになってくると、思考回路は普通の人間と違っている事も多い。此奴の場合も、そうだった。

殺した事には何ら罪悪感を覚えず。

逮捕されたこと。

罰を受けたことを。

理不尽だと憤っていた。

アーキタイプに滑り込む人間は、必ずしも人格を問われないことが多い。強大なアーキタイプであるダイダラボッチにこのような鬼畜がなってしまったことは、不幸以外の何物でもなかった。

肉塊を蒸発させていく。

周囲に飛び散った小さな肉塊は、特殊な運搬機で、此処に集められてくる。

あかねは冷や汗を流してはいる。

だが、まだまだ余裕がありそうだ。

対怪異部署の術使いも、周囲で支援のための術式を展開。

肉塊は見る間に溶け、小さくなっていった。

直径二メートルほどにまで小型化したところで、封印が掛けられる。これで、どうにかダイダラボッチと呼ばれる怪異は、押さえ込むことが出来た。

問題は、此処からだ。

運ばれて行く肉塊は、厳重に守られていた。

実に千人を超える死者を出した、未曾有の怪異災害。

特に今の時代になってから、これだけの死者が怪異によってもたらされたことは、類例がない。

伝説になっている私でさえ、数十人。

桁が文字通り、二つ違っているのだ。

封印した肉塊は、私がゆっくり人間に戻すようにと、芦田警視正から指示が来た。元に戻せと言われても。

あれだけサイコパスな輩な上に。

致命的に傾いてしまっている。

だが、人間としての尊厳を問わないのであれば、何とかできるかもしれない。ただし、一月くらいはかかりっきりになる。

「頼むよ。 聴取をするようにって、上層部から連絡が来ているんだ」

「わかりました」

腰を低くしてそう言われると、答えはそれしか出来ない。

仕方が無いので、肉塊を近場の最も強力な眷属がいる稲荷大社に運ばせる。

あかねはこれから事後処理。

芦田も平野も、寝る暇も無いだろう。

つまり安城くらいしか、対怪異部署で動ける幹部はいなくなる。しばらくは、怪異に対する対応能力が著しく低下することになるだろう。

既に周囲には、マスコミも集まりはじめているが。

自衛隊員が怒号。追い払う。

流石にこれだけの災害だ。

もはや、マスコミに配慮している余裕も無い。瓦礫を急いで撤去しないと、潰された人間などが助からない可能性もある。

マスコミのヘリが飛んできていた。

連中は、この世が終わっても、報道の権利を主張して、生き延びようとする人間を蹂躙するかもしれないなと、私は呆れた。

 

稲荷大社に出向く。

しめ縄で、がんじがらめに縛られた其処には。既に、平尾と牧島が待っていた。

二人とも、他の部署でも欲しいだろうに。

神社からは、人が追い払われ。

空気が著しく張り詰めている。強力な術式での封印を、出来るだけしたという感じだ。これなら、例えダイダラボッチが復活しても、簡単にはこの封印を破る事はできないだろう。

もしもダイダラボッチが更に封印を破りでもしたら。

ヤマタノオロチを出すしか無くなる。

彼奴を出すと、色々大変なのだ。

平尾が敬礼する。

彼も、この悲惨な災害については聞いているのだろう。肉塊を一瞥して言う声には、緊張が含まれていた。

「警部、これからこの肉塊を封印する作業を行うと聞きましたが」

「いや、違う。 本来だったら元には戻せない此奴を、無理矢理に人間に戻す」

「出来るのですか?」

「出来る」

ただし、一月近い時間が掛かる上に、私も著しく消耗する。

それを告げると、平尾は頷いた。

「わかりました。 この神社近辺のビジネスホテルに宿泊するための手配を済ませておきます。 食糧や道具類などは本官が準備しますので、何も気にせず、作業に集中してください」

「んー。 助かるぞ」

「それならば、私は術式の増幅を手伝います」

牧島が自分もと言う。

助かる。

ただし、この術の場合、自分の負担は減らせるけれど。掛かる時間そのものは、絶対に削れない。

さっそく、しめ縄で縛り上げられている肉塊の周囲に、清められた棒を使って陣を書いていく。

東洋でも西洋でもそうだが、図によって術式を高める方法はかなりポピュラーである。私も、勿論習得している。

折りたたみの椅子を平尾が用意してきたので、座る。

玉砂利の上に座って作業するのは何だかなんだでしんどいので、これは助かる。まだそれほど長い時間一緒に仕事をしているわけでは無いが。私のことを理解しようとしてくれているのは嬉しい。

「この状況、もしもの事があってはいけません。 本官は周辺の警備と、情報収集も行っておきます」

「頼むぞ」

相変わらず優秀な平尾は、すぐにその場を離れた。

クドラクがどう出るかわからない。この分厚い封印も、外から猛攻を受けたら、破られるかもしれない。

術式を展開開始。

全身の力が吸い上げられていくようだ。

牧島が驚いて、少し慌てたようだが。すぐに精神の立て直しを図る。この術式は組み立て式で、何度かに分けて実施していくものだけれど。

行程が複雑で、消耗も激しい。

額の汗を拭う。

空気で包んだ肉塊は、時々痙攣しながら、恨み辛みを、周囲にブチ撒け続けていた。

ひたすら放たれているのは、憎悪と怨念。

此奴は元々筋金入りのサイコパスで、何かを殺すのと、血が見るのが大好きだった。最初は虫からはじめて、やがて動物になり。そして、高校生になった頃には、それが人間になった。

最悪なことに、此奴は地元の名士の馬鹿息子だった。

警察のキャリアにも顔なじみがいる地元の名士は、息子の凶行を金に任せて隠し続けた。自分の体面を守るために。

そして、息子に対する愛情で、目が曇っていたが故に。

やがて馬鹿息子は、取り返しがつかない状態になっていき。

十二人を殺した。

幼い頃から自制心を学ぶことがなかった此奴は、勿論反省も自省もせず。死刑を宣告された後も、ただひたすらに自己正当化と、周囲への憎悪を募らせていった。

そして、ダイダラボッチになった。

以上が、此奴の表向き知られている経歴だ。

実際には、此奴は快楽殺人鬼というのとは少し違う、だが更にタチが悪い輩だったと、以前資料で見た事がある。

はっきりしているのは、筋金入りの、殺人者だということだ。

ダイダラボッチは、元々は凶悪な怪異では無い。

だが、この狂人がベースになった事で、殺戮の悪魔と化した。早い段階で討伐を行って、無力化できなければ、数十人の死者が出ていたかも知れない。

ただ、討伐時にトラブルが起きて逃がしてしまった。

そして今、謎の存在の助力によって、千を超える死者が出てしまった。

とにかく今は、この怪物を、人間に戻し。

しっかり死刑を執行しなければならない。

人間に戻す事は、私にも大きな負担が掛かるし。此奴も、多分元の人間には戻れないだろうけれど。

それでも、そうすることに、今は意味があるのだ。

四つ目の術式を展開完了。

力が根こそぎ持って行かれるようだ。

額の汗を、牧島が拭ってくれる。

「凄い汗です。 大丈夫ですか?」

「ああ、何とかな。 先に風呂に行っていてくれ。 私は少し横になって休んでから、風呂に入る」

「わかりました」

ぐったりと椅子にもたれた私は、ぼんやりと肉塊を見る。

まだまだ行程は始まったばかり。

そして空気で包んで此奴を解析すればするほど。ダイダラボッチになった殺人鬼の、肥大化した自意識と、身勝手な憎悪が伝わってくる。

こんな輩が、あれだけの破壊を引き起こしたのか。

どうにも妙だ。

というのも、解析すればするほど分かるのである。此奴の力は、正直な話、最初と何一つ変わっていない。

あの破壊力は、明らかに異常だ。

何か外付けで力が付与されている。

クドラクが言ったような、法則が変わった結果ではないと、断言できる。何かが、外から行われて。

それで怪獣並みの力が得られたのだ。

スマホが鳴る。

出てみると、酒呑童子だった。

「無事だったようだな」

「おかげさまでな」

「これで貸し借りは無しだ」

「わかったわかった。 それで、何か用か」

ちょっとおかしかった。

随分長い事接してきたが、此奴にこんなに律儀なところがあるとは、我ながら意外だったからである。

もっとも、鉄骨の直撃を喰らっても、消滅レベルのダメージを受けることはなかっただろうけれど。

「ダイダラボッチに関して、情報を共有したい」

「丁度その残骸を、今人間に無理矢理戻す作業をしているところだが」

「それならば話が早い。 あれはクドラクの連中が、やはり何か手を加えたものなのか?」

「さてな」

流石に、此処でべらべら話すほど、私も阿呆では無い。

酒呑童子もそれは悟ったのだろう。

質問の矛先を変えてくる。

「警察に、妙な動きはないか」

「あっても教えない。 貴様が言ったとおり、貸し借りは例の襲撃を伝えてくれたことで、無しだ」

「少しくらいは良いだろう」

「駄目だ。 そもそも貴様、どうやってあの襲撃を知った」

黙り込む酒呑童子。

相も変わらず此奴は、いわゆるアダルトチルドレンだ。元々間引きにあって幼い頃から人間社会からはじき出されて。

そして大人になる前に怪異になったのだから、当然か。

何か情報を引き出せるかと思ったが、おそらく大したものは掴めないだろう。しばらく流すかと思ったら。

電話を相手が替わった。

若々しい男の声。いや、男と言うには、かなり中性的な声だ。

「お久しぶりです、金毛九尾の狐」

「んー、その声、茨城童子だな」

「ご明察です。 情報の交換をしたいのですが、よろしいですか?」

いやみったらしい猫なで声。

内心舌打ちする。

此奴は酒呑童子の懐刀で、正直な話色々足りない主君のブレインとして長年活躍してきただけあってかなり手強い。

電話の向こうで憮然としている酒呑童子と、淡々と電話を替わることを申し出た茨城童子の事が手に取るようにわかるが。

此奴を引っ張り出したことで、多少不利になったのも事実だ。

「まず貴方に対する襲撃を予想できた理由ですが、クドラクに対する内偵を進めていた結果ではありません。 たまたま、クドラクの連中を発見して、その配置を確認できたのが理由です」

「なるほど、其処からダイダラボッチの出現ポイントを割り出したのか」

「ただし、出現の直前の発見でした。 貴方に知らせるのが直前になったのも、それが理由です」

なるほど。理路整然とした話だ。

もっとも、そうだろうなあと此方も予想はしていた。

「対価としての情報をいただけますか」

「そうだな」

もっと情報を持っているが、それには此方からの対価がいる。

そう、茨城童子は言っている。

側で緊張した面持ちで此方を見る牧島を一瞥すると、此方からもカードを何枚か出す。しばらく、情報のやりとりを続ける。

結果、幾つかの事がわかってきた。

どうも東京に侵入しているらしいクドラクのメンバーは、十五名程度。

これに関しては、おそらく奴らの総力を挙げた作戦だっただろう事からも、ほぼ確実だ。

千名近い死者を出したのだ。

今、ダイダラボッチの解析にかかりっきりになっている私を除く対怪異部署のメンバーは、奴らの追跡に必死の筈。

多少は、役に立つかもしれない。

此方からも、幾つか情報は提示してやった。私が知る範囲で、迷惑を掛けない内容で、だが。

まあ、それは向こうも同じだ。

お互い様である。

「わかりました。 不幸な行き違いはありましたが、以降はまた関係を戻したいと思います」

「ああ、そうだな」

電話を切る。

肩を回しながら、行程についてチェック。

肉塊は凄まじい負の力を放ち続けている。此奴をどうにか出来るのは、まだまだずっと先になる。

幾つかの術式が自動で進むように設定して、私は少し休むことにした。

この場は、牧島に任せておく。

神社の外に出ると、すぐそばのビジネスホテルを、二ヶ月予約で平尾がとってくれていた。

自室に荷物を置くと、風呂に入って、汗を流す。

少し仮眠をした後、神社に戻ると。何名かの、応援らしい人員が来ていた。いずれも手練れの、対怪異部署の術使いだ。

「金毛警部、応援に参りました」

「ん、術式の増幅を手伝ってくれるか」

「了解であります」

術式を増幅して貰っても、私の負担が減るだけ。掛かる時間は変わらない。

そもそも、ダイダラボッチを人間に戻しても、かなり無茶な術式での事だ。その後、あまり長くは生きられないだろう。

警察上層は、かなり焦っているな。

私は、そう思う。

何か、とんでもない事が、警察上層で起きている事は、ほぼ間違いが無いだろう。安倍晴明が何かやらかしたのか、それとも。

ちなみに私は、今回の一件。安倍晴明の野郎が関わっていてもおかしくないと思っている。

彼奴は善良な国家の守護神などでは断じてない。

もっとえぐい輩だ。

幾つかの補助術式が掛かったことで、作業が少し楽になる。前倒しで出来るかと行程を確認するけれど、どうも難しそうだ。

「お前達、後は大丈夫だから、戻ってくれ。 今はよそにいくらでも人が必要だろう」

「わかりました。 金毛警部もお気を付けて」

「ん」

ぞろぞろと戻っていく同僚達。

牧島は無言で、私に術式を使い続けている。流石に若いだけあって体力もあるが、そろそろ無理が出てくるころだろう。

神社の周辺は、厳しく警備もされている。

牧島の式神だけいれば、後は平気だ。

一度、牧島を休ませる。どうせ長丁場になるのだ。最初の頃から無理をしても、仕方が無い。

私はと言うと、何度か行程を調整しながら。

人間に戻る気配もない肉塊を空気で包み、力を行使し続けた。

 

一週間が過ぎる。

手元にあるスマホで、事件についての報道を見た。

対外的には、幻覚作用のあるガスが漏れて、爆発事故が発生。暴動と爆発で、多数の死者が出た、という事にされている。

昔から怪異の関連事件で、よくある対外向け説明だ。

あかねは不眠不休で作業をしていたようだが、ようやく少し休めるようになって来たらしい。

六日目に連絡が来た。

幾つか情報をやりとりするが。クドラクのメンバーは、一人も捕まっていないらしい。

「やはり、手引きしている者がいますね。 優秀とは言え十数名程度で、此処までの見事な潜伏は難しいとみて良いかと」

「そう、だな」

そしてその内通者は。

ほぼ間違いなく、警察関係者だ。

それはわざわざ口に出さなくても、あかねも分かっている筈。だから、此処で敢えて口にはしない。

術式の進展について聞かれたので、こたえておく。

「予定通りだな。 まだヒトの形は戻っていないが、少しずつ周囲にばらまかれる邪な力は減っているよ」

「当てられないように気をつけてください」

「んー、そうだな」

通話を切る。

牧島が戻ってきたからだ。牧島は風呂に入ったようで、さっぱりしていた。小柄で童顔な牧島だけれど。

最近表情が大人びてきたからか。風呂に入った後は、健康的な色気が見えるようになって来ている。

まあ、子供はあっという間に大人になるものだ。

「金毛警部、進捗は」

「まだまだだな。 術式の増幅を頼む」

「はい」

素直に座ると、作業を始める牧島。

しばらく無言で作業を進める。平尾がスルメをたくさん買ってきてくれたので、食い物は補充しなくても大丈夫だ。

牧島も、最近は私の影響か、スルメを食べるようになって来た。

美味しいし、何よりながもちするので、とても優秀なおやつだ。

「行程はまだ、四分の一ですね」

「ああ、だがもう四分の一だ」

正直な話、不眠不休で頑張っているあかねの事を考えると、私の方は楽だとしか言いようが無い。

術式で、元に戻しているダイダラボッチを探ってもいるけれど。

やはり妙だとしか思えない。

あかねに連絡を入れる。

中間報告を、そろそろしておいた方が良いだろう。

話の要諦を十分ほどでまとめて、それから口頭であかねに話す。今はレポートを作っている暇が無いからだ。

「なるほど、つまりそのダイダラボッチは、妖怪として限界を超越した存在では無く、何かしらの形で外部から力を加えられている、という事ですね」

「そうだ。 外部から加えられた力は、多分お前が爆破したときに、全て消えてしまったと見て良い」

「私が爆破した訳ではありません」

「ああ、まあそうだな。 ダイダラボッチが自爆したんだよな。 まあそれはいい」

あかねは妙に機嫌が悪いが、これは多分疲れているからだろう。

私自身も疲れているからか、かなり滑舌が悪くなっている。要点を順番に話していくと、あかねはふと気付いたようだった。

「金毛警部、つまり疑っているんですね。 クドラクは哀れなマリオネットに過ぎず、力を与えている黒幕がいると」

「そう言うことだ。 安倍晴明の野郎かとも思っているが、それは私の個人的感情が影響もしている。 お前は多分奴に個人的な恨みもないだろうし、客観的に分析を進めてくれるか」

「わかりました」

通話を切る。

安倍晴明が話を聞いていてもおかしくは無いけれど。

ある程度聞かせるつもりでもあったのだ。だから、それは別にどうでも良い。

疲れがはっきり表に出てきたので、オートで実行できる術式を組んだ後、休憩にする。風呂に入った後、布団に入ってしばらく無心に眠りを貪った。疲れていると、思考も乱れるし、術式の精度も落ちる。

それに、大変なのは、これからなのだ。

憂鬱だけれど、やらなければならない。

此処からはあの大量殺人鬼の精神に潜って、内部から奴を人間に戻していかなければならないのだ。

栄養ドリンクを、飲み干す。

そして、顔を叩いて、良しと気合いを入れた。

 

2、深淵の心

 

肥大化した自意識は、怪物を産む。

そんな事は、私だって言われるまでも無く知っている。多くの人間も見てきたし、自意識をこじらせて傾いて、怪異になった奴だってたくさん知っているからだ。

怪異は人。

人は怪異。

結局の所、人間とは化け物なのである。

脈動している肉塊を見下ろして、私は何度目かのため息をつく。こんな奴の心に潜らなければならないのは不快きわまりない。

確かに私も、人を殺したが。

それは理由あっての事。

此奴とは違う。

此奴とだけは、一緒になってはいけないのだ。

覚悟を決めると、椅子に座って、肉体と精神を切り離した。

脈動する肉塊に。

するりと、自分の精神を潜り込ませる。

今までの術式で、かなり弱らせているとは言え、抵抗は激烈だった。だが、それも無理矢理にこじ開けて、押し通る。

潜り込んでいくと、わかる。

この肥大化した自意識は。自己肯定と、他の否定しかない。

皮を一枚ずつ剥ぐようにして、ゆっくりと意識に戻っていく。此奴の汚れきった精神の最深部に、「傾き」がある。

その傾きを手動で直せば、此奴は妖怪から、人間へと戻っていくのだ。

妖怪を不幸にしたくない私だけれど。

此奴だけは、妖怪にしておきたくないという気持ちもある。

だから、本庁の指示に、無理だとは言わなかった。はっきり言って、人間に戻す段階で死ぬかもしれないけれど。

それはそれで構わない。

こんな奴、人間に戻った後、三時間で死ねば良いと思う。

また皮を一枚剥がして、奧へ。

泥で汚れきった池に、潜っていくような感覚だ。途中巨大なゴミがたくさんあって、それを少しずつどけていかなければならない。

牧島が、体に呼びかけているのだろう。

声が聞こえてくる。

「金毛警部、大丈夫ですか」

「ああ、無理はしていない。 ただ、抵抗が激烈でな」

「私で、補助術式を強化します」

「頼むぞ」

今回は、潜ると言っても道筋を作るだけ。

深奥にある傾きを是正するのは、最終段階になる。それくらい、この作業は危険を伴うのだ。

声が聞こえてくる。

ダイダラボッチになった大量殺人鬼の。

「俺が面白いんだから、良いじゃないか」

聞いたことがある。

確か裁判で、どうして大量殺人をしたのかと聞かれたときに、こたえた言葉だ。聴衆がどよめいた。

遺族が唖然とする中、この男は言った。

「どうせ法律なんてのは、強い奴が好き勝手をするためのものなんだよ。 俺は強くて、殺されたクソ共はクソザコだったんだよ。 だから俺は無罪なの。 おわかり?」

拘束衣を掛けられたまま、へらへらしている男。

裁判長が退廷を命じても、座ったまま。あきれ果てた警備員が引きずり起こすと、いきなり切れて暴れはじめたが。屈強な警備員には逆らえず、引きずられていった。

「世界のルール破ってんじゃねー! 俺はこの世界の主人公で、何でも好き勝手が許されるんだよタコが! てめーら、全員ゆるさねえからな! 俺がこんな気分を味わっている時点で、てめーらは死刑なんだよ! 殺す! 殺すから覚悟しとけ!」

わめき散らしながら、引っ張られていく男。

独房に放り込まれても、しばらくは暴れ狂っていたが。やがて、暴れる力もなくなって、地面でぐったりした。

ころすころすころすころすころすころすころす。

口から呪詛が漏れている。

心を覗いてわかる。

此奴、嘘は何一つ言っていない。

本気で、自分が強者で、弱者を好きなように殺して良いと思っている。世界はそうやって動いているとも。

自分は世界の主人公で、何をやっても良いと思っている。

不快感を呷っただけで、殺して良いとも。

話には聞いていたが、やけばちになって言ったのか、或いは裁判を混乱させるためのパフォーマンスかどちらかと思っていた。

だが、違ったのだ。

この異常者は、本気でそう考えていたのである。

呆れるを通り越して、殺意を抱く。

なるほど、これは自意識の果てだと、私は思った。幼い頃から一切自意識の掣肘を学ばなかった人間は、こうなるという事だ。

実際殺された人間の中には、此奴から見て「顔が気に入らなかった」というだけのものもいたという。

それも、この様子では。警察をからかって言ったのでは無く、本気だったのだろう。

此奴は人の極北だと、私は思った。

道筋を作ったので、一度浮上。

精神を切り離していた肉体に戻る。

咳き込んだのは、あまりにも濃い、身勝手な自意識を浴びたからである。邪気が全身から漏れ出ているのがわかる。

肉塊を一瞥。

本当に、不愉快極まりないゲスだ。

私も人を殺した事がある。

だが、此奴とだけは、一緒にされたくは無い。

「ナパームで、今すぐ焼き払ってやりたい気分だな」

「少し、お休みになっては」

「いや、もう少し行程を進めておく」

眷属の力を借りて、邪気を払う。本当に汚らわしい邪気で、これほどおぞましいものを浴びたのは久方ぶりだ。

しばらく術式を整えて、行程を進める。

無言でいた牧島が口を開いたのは。私が一通りの術式を、整え終えた後だった。

「少しだけ、私にも見えました。 この人の、身勝手な心が」

「見なくて良い」

首を横に振る牧島。

いずれ、大人になる過程で、汚い世界は知っておかなければならないのだ。そう、牧島は言う。

その上で、彼女は。

珍しく、本気の嫌悪を、言葉に乗せていた。

「この人は、人間なんかじゃありません。 自意識ばかり肥大化させると、本当の化け物になってしまうんですね」

「悲しい話だがな」

それこそが、人間なのだという真実は、此処では敢えて言わない。

この男のようなクズは、世界中至る所にいる。

その一部が、人を殺す機会を得るだけで。周囲には、血の雨がまき散らされることになるのだ。

一通り行程を終えたところで、一度ビジネスホテルに戻る。

シャワーを念入りに浴びたのは、やはり生理的な嫌悪感が強かったからだろう。肥だめに落ちたときよりも、酷い嫌悪感に包まれている。

こんな仕事、受けるんじゃなかったと、何度も後悔。でも、自分で決めたことなのだ。最後までやらなければならない。

あんなクズであっても。

元に戻せば、少しは有益な情報を、引っ張り出せるかもしれないのだから。

 

一眠りした後、行程を進める。

また、あの肉塊に潜る。

一度作った筋道を強固にして、更に広げていくのだ。

その過程で、嫌でもこの狂気の殺人鬼の、身勝手極まりない自意識が、周囲から押し迫ってくる。

「んだこのアマぁ!」

殺人鬼が激高した。

単に、目の前の女性が、電車で座っていたというのが原因だ。殺人鬼が座りたかったのに、そいつが前から座っていた。

それだけで、殺人鬼が切れた。

女の後を付けて、家を特定した後、押し入る。

そして縛り上げて、徹底的に切り刻んで、殺した。女が妊娠していることがわかっても、クズ野郎は手を緩めなかった。

「俺の前に座るなんて、1000000年はえーんだよクソが!」

吐き捨てる。

罪悪感なんて、欠片もない。

また、ある時は。

ただ、前を歩いている男の顔が気に入らなかった。

それだけが理由だった。

男の後を付け、物陰で刺し殺すと。親から買い与えられたスポーツカーに引きずり込み、山中に捨てた。

しかも、捨てる際に徹底的に切り刻んで。

肉を味見した。

俺の邪魔をした奴が、どんなくだらねー味をしているか、確認したかった。

そう後で殺人鬼は証言しているが。

それは正真正銘の本音。

この殺人鬼にとっては、自分を不快にさせた。それだけで、相手を殺すことには、何の躊躇もなく。

死んで当然のことだったのだ。

殺人鬼の精神から出る。

側で、牧島が吐きそうになっていた。私の補助をしていたのだ。この邪悪が人間の形をしたような存在の精神を、間近で浴びたのである。少し休んでくるように告げる。本物のクズ野郎が、この世にはいる。それを間近に感じて、心に強いダメージを受けているのだから、当然だろう。

ため息をつくと。

頭を掻きながら、脈動する肉塊を見つめる。

蹴りを一つ入れた。

もう抵抗できない肉塊は、脈動するだけである。だが、それがわかっていても。もう二度三度と、蹴りを入れる。

私は今までに無いほど、冷酷な気分になっていたかもしれない。

「お前は正直、死刑でも生ぬるいよ」

私は社会からはじき出されて。1000年にわたって、孤独と漂白と、一瞬の幸せと、それからの追放を繰り返してきた。

怪異を集めて、そのコミュニティに収まって。

色々な世の中の闇を見てきたけれど。

此奴はその中でも、十本の指に入る。いや、此奴と比べたら、闇でさえまだ生ぬるいだろう。

工程表を見直す。

正直此奴に関しては、多分普通にやっても、人間に戻る事は絶対に出来ないだろう。人間に無理矢理戻しても、すぐ死ぬだけ。

私に求められているのは、此奴の解析。

どうしてあれほどの力を出せたのか、調べ上げること。

それなら、調査が出来るなら。

後は此奴がどうなっても良いだろう。

決める。

此奴は死さえ生ぬるい。

永久の地獄を、永遠に味わい続ければ良い。此奴は、死で楽にしてやる事なんて、明らかに不要だ。

行程を途中で変える。

これでも、私も永く生きてきているのだ。

拷問に関しても知識はある。その全てを、徹底的に行程に入れ込む。何、人間に戻せと言われてはいるが。

生きたまま戻せなどとは、言われていないのだ。

 

牧島が戻ってきた。

シャワーを浴びてきたのだろう。まだ髪が濡れている。表情は青ざめているけれど。まだこの子はやれる。だが、少し休ませることにした。

道筋は作ったし、此処からは、此奴の徹底的な解析だ。

眷属の力を借りて、解剖作業に入る。

解析をしたと言う事は。どのような痛みに弱いかも、把握したという事だ。

情報を引き出すために、此奴に遠慮なんかしない。

後は徹底的にやる。

即座に、もの凄い絶叫がとどろきはじめた。当然だろう。親に殴られたこともない。たくさん殺したと言っても、殆どは不意打ちで、戦闘経験もない相手を殺しただけなのである。

こんな奴にも。

警察は、暴力を出来るだけ使わずに、紳士的に接しなくてはならなかった。

苦痛を感じたこともないだろう此奴に、徹底的な苦痛を次から次へと流し込んでいく。聞き苦しいので、しばらく音声は外に漏れないようカット。鼻歌さえ流れてくる。正直、リンチになるから、あまり好ましい事では無いはずなのだけれど。此奴にだけは、遠慮は必要ない。

敵意と怒りが、すぐに恐怖へと変わっていく。

最初からこうやって、誰かが調教しておけば、十二人も死ななくてすんだのだ。

痛みは、たくさんたくさん知っている。

牧島が、側で口を押さえて、黙り込んでいた。多分、本気で敵意を剥き出しにしている私を、はじめて見たからだろう。

「お前にも、その内教えておくか。 痛みは、効果的に使えば、効率的に情報を引き出せる」

「……」

「ちなみに私が受けた痛みを、そのまま流しているだけだ。 しかも、かなり手加減してな」

お庭番の連中に受けた拷問は、こんなものではなかった。

痛みも十分の一くらいにしているのに。

それにしても、根性のない奴。身勝手な自意識に包まれたクズなんて、所詮この程度だろうが。

しばらく、情報の引き出しはしない。

徹底的に痛みを与えて、私への恐怖を叩き込む。

肉塊になっている殺人鬼は動けない。

動けない状態で痛みを与えられ続ける恐怖は、他ならぬ私がようく知っている。だから、効果的に使える。

丸一日、ダメージを与え続けて。

不意に、痛みを止めた。

精神にアクセスする。

「さて、洗いざらい話して貰おうか」

いきなり、また痛みを加える。

悲鳴を上げて、もがき苦しむ殺人鬼。だが、それが何だ。私はしらけた目で、肥大しきった自意識が、血を噴き出しながら痙攣する様子を見ていた。

「まず最初の質問だ」

一つずつ、質問をしていく。

最初は、黙っていた殺人鬼だが。痛みを加えると、途端に口が滑らかになった。牧島に、メモを取らせる。

そして引き出した情報は、そのままあかねに送った。

それを繰り返していると、少しずつわかってくる。

此奴は、以前討伐に失敗した際。顔もわからない、黒い人影に助けられたという。あまり大きな姿では無かったそうだが。

どうやら、怪異ではなかったようなのだ。

怪異では無いのに、ダイダラボッチを救った。

そうなると、安倍晴明では無いのか。

いや、奴の手先という可能性もある。私の命を付け狙う集団もこの国にいるし、犯人はまだ候補が幾つもある。

その影に言われるままT島に潜んで、力を回復して。

そして回復したところで、T島を出た。

その後、不意にダイダラボッチは消え去ったが。その時も、黒い影の男に、手引きされたのだという。

黒い影の男、か。

顔もわからず、背格好もよく分からない。

わかっているのは、時々燕尾服に身を包んで姿を見せる。顔は包帯で包んでいて、喋るのも口では無くて、テープレコーダーで。

つまり、実際には、性別も良く分からないと言うことだ。何となく、男だとでも思ったのだろう。

そいつの手によって東京に移動。

だが、其処からの記憶がないという。

何度か痛みを加えながら、話を聞き出すが。それでも、喋る様子は無い。

途中発狂したように、殺せとか、殺すぞとか、喚く。だが、その度に痛みを加える。そして、告げる。

余計な事を喋るな。聞かれたことだけを喋れ。

出来ないなら、また一日中痛みを加えると。

どんどん従順になるクズ野郎。

虫酸が走る。

牧島が、メモをまとめた。

内容を精査する。平尾を呼んで、メモの内容をレポートにして、あかねに提出するように指示。

後は、時間を掛けて、ゆっくり行程を進めて行けば良い。

牧島が吐きそうな顔をしていたので、先に上がらせる。此処からは、もう他の手伝いは必要ない。

行程の短縮は出来ないだろうが。

多分、此奴を人間に戻す作業は、十全に行える。

負担もそれほど大きくないだろう。

最初からこうすれば良かったのだ。最初にこの手段を選ばなかったのは、此奴の精神を覗いていなかったから。

此奴には、情状酌量の余地はない。

徹底的に、あらゆる手段を用いて、潰せば良かったのである。

帰宅させた牧島は、しばらく猶予期間をおいた方が良いだろう。人間のもっとも邪悪で醜悪な部分を、もろに見る事になったからである。

平尾が戻ったので、それを告げる。

レポートをまとめてきたので、ざっと目を通す。私はこういう書類にはかなり甘いので、殆ど素通しだ。

「わかりました。 牧島には、しばらく仕事はないと告げておきます」

「ん。 とはいっても、この腐肉処理作業が終わったら、しばらくは溜まっている迷宮入り事件の解決に奔走だろうがな。 レポート、これでいいぞ」

「提出してきます」

さて、このゲスは、徹底的に叩き潰すか。

肉塊に視線を戻す。

人間に戻す必要はあるが、別に生かして人間にする必要なんて無い。体感時間を徹底的に引き延ばしたあげく。

極限の苦痛と絶望を、永遠とも思える時間、与え続けてくれる。

 

タクシーを一緒に仕事をしている平尾さんに出して貰ったので、それで家まで戻る。平尾さんは大きくていかついけれど、最近はあまり怖くない人だと言う事がわかってきた。仕事も出来るし、立派な人である。

凄い大規模事件の後だから、街はまだぴりぴりしていて。私の家、つまり牧島家に着くまで、タクシーの運転手さんも無言だった。

「あんた、警察の民間協力者?」

「はい。 働かせていただいています」

「礼儀正しいねえ」

タクシーの運転手らしいおじさんに、娘さんの愚痴を聞かされる。

娘さんの気持ちもわかる。どうしても、ある程度の年齢になると、親が嫌いになるものなのだから。

私も、実はそうだった。

流石に家に送って貰うのは危ないので、近くの駐車場で止めて貰う。料金を払って、そのまま家に。

東京の端にあるこの家が、私の実家。

東京で敷地面積700坪だから、かなりの豪邸だ。母屋だけではなくて、昔からある倉庫もある。

私の両親は、二人とも、名が知れた怪異対策の専門家。父に到っては、ベテランの能力者として、警察に声が掛かる。私も、そのつてで、このお仕事を始めさせて貰ったのだ。

家に帰ると、どっと疲れが出た。

ビジネスホテルですごすと、どうしても疲れが溜まってしまう。

家政婦の人達に、荷物を預けた後、自室に直行。ご飯が出来ていると聞いたけれど、食べる気にはならなかった。

金毛警部は、とても尊敬しているけれど。

今日はとても怖かった。

本気で怒っているのが、よく分かったからだ。

あの人は、いつもへらへらしていて、いわゆる昼行灯に見えたけれど。

悲しい過去をたくさん背負っているし、多くの怪異にコネクションも持っている。そして、本気で怒ると。

あんなに悲しくて、怖い表情を見せるのか。

ベッドの上で、寝返りを打つ。

明日から、また学校に行く。

金毛警部の部下として働くようになってから、学校ではわからない本当の闇を、たくさん見る事になった。

今回のは、特に酷い。

人間が、あんなに酷い悪意をもてるようになるなんて。最初感じたとき、背筋が凍り付くかと思った。

悲しくて、涙が零れてくる。

でも、屈する訳にはいかない。

金毛警部が、富山であの爆発を止めたとき。

あんな風になりたいと思ったのだ。

両親の資産に守られて、ずっと生きてきて。私はただの箱入りだってわかっていた。自分で出来る事をしたいと、ずっと考えてきた。

金毛警部は、筋道を見せてくれたのだ。

だから、ああなりたい。

起き出すと、食堂に。無理矢理ご飯をおなかに入れる。吐きそうになるけれど、我慢。あの悪意を思い出すと、恐怖に震える。でも、絶対に負けない。

ベッドに転がって、無理矢理眠る。

闇に何て、負けてたまるか。

 

3、赤い花

 

私諏訪あかねは、芦田警視正に、事件の総括レポートを提出していた。本当なら平野警視がそうするのが筋なのだろうけれど。

平野は今、安城と一緒にクドラクを追撃中である。

どうやら東京からは逃れたらしいことはわかっているのだけれど。まだほぼ全員が捕縛できていない。

余程強力な支援者がいると見て良いだろう。

問題は、その支援者の正体だ。

レポートを出した後、会議が行われる。

芦田を議長に、警視、警視正クラスが数名出る幹部会議だ。私の作ったレポートが配られ、既に全員が目を通しているようだった。

「ふむ、つまりクドラクは踊らされているに過ぎず、黒幕が別にいると君は言うのだね」

「はい。 それはおそらく、相当に強力な組織であるとも」

「なるほどな。 確かに今まで得られた情報を総合すると、それが正しそうだ」

芦田警視正は気弱そうだが、会議を無難にまとめている。

階級から言ってキャリアだが。この人の何処が優れているのかは、未だによく分からない。

ただ、見ていると、今回の会議に関しては、この人の能力が遺憾なく発揮されていると言える。

「問題は、その黒幕が何か、だが」

「恐らくは怪異の組織では無いでしょう。 この国の、人間による組織であるとみて間違いなさそうです」

「その根拠は」

「怪異を道具としてしか考えていない事が、行動の隅々からうかがえるからです。 それに、怪異に対する改造も、恐らくは近代科学によるものと見て間違いなさそうです」

この辺りは、金毛警部からのデータがベースになっている。

解析を見る限り、ダイダラボッチそのものの力は上がっていないのだ。そうなると、外付けで、何かしらの力が付与されている。

そしてそれはおそらく。

科学か呪術か魔術かはわからないにしても、人間の手による付与。ひょっとすると極めて露骨に、単なる近代兵器によるものかもしれない。

此処では言わないが、警察の内部にも、内通者がいる可能性が高い。そして内通者がいるとしたら、相当な高位の人間の筈。

芦田警視正も、勿論候補の一人である。

その芦田警視正が、咳払いをすると、参加者を見回す。

「とりあえず、今の時点ではクドラクの撃滅に力を注ぐ事で、皆様のお力をお借りしたく」

「わかった。 可能な限りの協力はする」

別の警視正が申し出て、会議はスムーズに終了。

会議室から出て行く幹部達に、私は一礼した。

額の汗を拭っている芦田警視正に、皆が出て行った後、私は確認をしておく。

「今後の方針ですが、先ほどの会議通り、クドラクの殲滅でよろしいですね」

「私はどうしても現場には向かない人間だからね。 レポートを見る限り、君の意見が正しいようだし、任せるよ」

「わかりました」

全権委任してくれるのは、有り難い。

会議室を出ると、師匠に連絡。師匠がいる神社はガチガチに守りを固めてあるし、クドラク程度なら恐らくは突破出来ないだろう。

問題は、それ以外の場合。

特殊部隊などが本腰を入れてきたときには、正直手に余る可能性が大きい。その時には、備えておかなければならない。

それにしても、今回の黒幕は、一体何だ。

国内の過激派組織などを既に洗って貰っているが、どうにも該当する存在がいないのである。

そうなると、師匠が忌み嫌っている安倍晴明や、或いは警察内部の勢力、下手をすると自衛隊か。

流石にこれらはないと信じたいが。

私にも、まだ真相は読めない。

師匠と連絡が取れる。

軽く話すが、進展は順調だ。

ダイダラボッチからは、絞れるだけ情報を絞ることが出来ているようである。それならば、問題は無い。

実際問題、人間に戻しても死刑になるだけの男なのだ。

「師匠、気をつけてください。 クドラクに関しては、総力で攻めこんできてもどうにかできますが、それ以外の場合は」

「ああ、わかっているさ」

本当にわかっているのか。

飄々と師匠はそう言うが。

私には、どうにも不安ばかりが募る。

デスクに戻ると、新しい資料が来ていた。安城の部下が、東北でクドラクと交戦したのである。

さっと目を通すが、三名の吸血鬼と交戦。その末に捕縛。

ただ、これらは明らかに傷ついていて、戦いは容易だったという。

土着の妖怪と交戦したのか、或いは。

既に国内に入り込んでいるというエクソシストにやられたのか。

どちらにしても、吸血鬼達は黙秘を貫いており、現在捕縛した結界の中で尋問をしているのだとか。

これで、やっと糸口が見えたかと思った直後。

良くない情報も、飛び込んでくる。

「諏訪警部、大変です」

慌ただしくオフィスに飛び込んできたのは、まだ若い刑事だ。

他部署との連携で、事件現場を調べさせている男である。

若いと言っても私よりは年上だ。だから、敬語で接しているが。

「どうしました。 用件は簡潔かつ正確にお願いします」

「はい。 どうやら今回の一件、国内での過激派が幾つか関与しているようです。 主に左翼系の団体の内、幾つかがおかしな動きをしていることがわかりました」

「……引き続き調査をお願いします」

「了解です」

来た時同様、慌ただしく飛び出していく刑事。

どうにも妙だ。

狙い澄ましたかのようなタイミング。ひょっとするとこれは、ブラフでは無いのだろうか。

もしそうだとすると。

本当の黒幕は、警察をそれだけ好き放題に振り回せる力の持ち主という事になる。だとすると、その権力と実動力は絶大。

多分、多寡が知れた過激派などでは断じてない。

ひょっとすると、この国の中枢、或いはこの国そのものの可能性さえあった。

身震いする。

一体何が起きている。

闇に潜む邪悪は、その顔を、まだ見せてもいない。それだけは、私にも、はっきりわかっていた。

 

新しい情報は、既にダイダラボッチからは引き出しづらくなってきていた。

痛めつけても、哀れっぽく悲鳴を上げるだけ。

此奴に、そんな資格は無いというのに。

其処で、今度は、拷問の方法を切り替える。

基本的に、人間という生き物は、一度見聞きしたものは忘れない生物である。その記憶を、如何にして取り出すかが重要なのだが。普通の人間には、その記憶を取り出せないので、忘れるという現象が起きる。

逆に言えば、本人でさえよく覚えていないことも。

やりようによっては、引っ張り出せる、という事だ。

平尾が持ってきてくれた差し入れを口にしながら、肉塊の周囲を覆う空気に術式を追加して、殺人鬼の意識を丸裸にしていく。

側で見ている眷属が、呆れたように呟いた。

「主様、今回は攻撃的ですね」

「此奴に関しては、同情する余地がないからなあ。 こんな奴のために、怪異の立場が今後悪くなったりしたら、お前だって不快だろう。 私達はな、結局の所、人間にはかなわないか弱い存在だ。 だから、長年かけて少しずつ立場をよくするべく頑張って来たのに、こんな阿呆のせいで大量破壊が起きて、多くの人間が死んで、その結果怪異に対する殲滅でも行われてみろ。 今までの努力が全て水の泡になるんだぞ」

「確かにそうですが、あの可愛い子、牧島ですか。 あの子も、主様には、どん引きしていたようですよ」

「仕方が無い事だ」

此奴も、最近の言葉を覚えたりして、可愛い奴だ。

まあ、私の力から分化したのだし。新しい物事には興味津々になっても、不思議では無いが。

数日間、作業を続行。

表の意識から、引っ張り出せる情報は、その間に全て引きずり出した。

後は、深層心理から。ちょっとだけ見聞きしたような情報を、引きずり出していけば良いのである。

六代目ダイダラボッチに対する術式を実行し始めてから、既に半月。

殺人鬼は、既に私に対する恐怖と絶望で、常に哀れっぽく悲鳴を上げる情けない肉塊と化していた。

しばらくは、黙々と作業を続けて。

あるタイミングで判断。

此処から、攻めるべきだと。

眷属に力を増幅させ。

深層心理に、一気にメスを入れる。まずは、此奴に指示を出していた上、救援をしていた存在の確認だ。

黒い影の男とやらの情報も、記憶から再生する。

なるほど。何度か此奴も、うっすらと姿を見ている。しかし、データを調べて見ると、妙なのだ。姿が、どうにも一致しないのである。

身長も、状況に応じて、十センチ以上は変動している。

まあこの殺人鬼は、自意識だけが肥大化して他には何も興味が無かったような輩だ。自分を救援してくれた奴なんて、どうだろうと知ったことでは無かったのだろう。

データさえ、取り出せればそれで良い。

だが、小首を捻ってしまう。

引きずり出したデータを、あかねに送る。

重要参考人、黒い影の男だ。あかねなら、此処から何か引きずり出せるかもしれない。そう思っていたが。

メールでデータを送った途端に、通話がある。

「師匠、データを確認しました。 これは、本当ですか」

「ああ、深層心理から引っ張り出したデータだ。 間違いなく、此奴の前に現れた姿だが、それがどうした」

「今確認中ですが、どれもこれも、一致する存在がいます。 最近のモンタージュ解析装置で、体格などから分析が可能なんです」

「お。 だがその様子では、良い情報では無さそうだな」

その予想は当たる。

あかねの話によると、この映像に出ている黒い影の男と、一致する体格の存在は。

いずれもが、死刑を執行された、死刑囚ばかりだというのだ。

流石に私も絶句する。

「何かの邪法の可能性もありますが、死刑囚の身体データを少なくともこの犯人は取得できる立場にあると見て良いでしょう。 場合によっては、十年以上前に死刑を執行されている犯人のものも含まれています」

「それは……」

まずい。

これは、特大のアナコンダが潜んでいる藪を、私とあかねは全力で突いているとみて良い。

下手をすると、とんでも無い存在が、飛び出してくる。

「これから私は、陰陽寮に足を運びます」

「あんな伏魔殿にか」

「私の古巣です」

そういえば、そうだったか。

陰陽寮というのは、この国に古くから存在する、陰陽師の総本山だ。怪異が明確に存在するため、現在でも陰陽寮は一定の人材を保有しており、対怪異部署に此処から流れてくる人材も多い。

あかねが自己申告したように、彼女もその一人。

修業時代は、陰陽寮で随一の成績を上げていたという。

ただ、なにぶん古くから存在する組織だ。あの安倍晴明も、主要な創設者として関わってもいる。

彼処は、伏魔殿だ。

何が潜んでいても、不思議では無い。

「くれぐれも、気をつけろ」

「わかっています」

通信が切れる。

嘆息すると、私は。

いつ、襲撃があっても対応できるようにしておこうと思った。一応念のために、ある相手に連絡を入れておく。

最悪の事態に備えた、保険だ。

 

師匠との通話を終えると、私は芦田警視正の所に出向く。

黒い影の男なる重要参考人のデータを渡すと。芦田警視正は、不安そうに眉をひそめた。

「既に死刑にされた男達が、ダイダラボッチに接触していたというのかね」

「ダイダラボッチには、死刑囚の知識はありませんでした。 幻覚だとしても、死刑囚の身体データを取得できる存在が作った幻覚と言う事になります。 これから、専門家に話を聞きに行きますので」

「気を付けてくれよ。 君がいなくなると、対怪異部署は廻らなくなってしまうからね」

「有り難うございます。 警視正もお気を付けて」

敬礼すると。念のため、平野警視にも、幾つか引き継ぎをしておく。

その間にタクシーを呼んで、陰陽寮に行く準備を整えた。

陰陽寮は、霞ヶ関の一等地にある。

陰陽師の家系につらなる者達や、国中から選抜された優秀な素質の持ち主が集められていて、その規模はちょっとした大学ほどだ。

最年少のものは12歳。

最年長者は30歳ほど。

いずれもが。修行をしながら、様々な活動をしている。陰陽道は幅が広い術式を使いこなせるため、国としても重宝しているのだ。

私自身はと言うと、3年ほど此処で修行した。

此処での成績を上げたからこそ、対怪異部署に鳴り物入りで入る事が出来たともいえるだろう。

ただ、周囲からの視線は、必ずしも温かいものではなかった。

陰陽道のようなものは、どうしても個人の才能がものをいう。どれだけ努力しても、才能に恵まれたものには、勝てない事も多いのだ。

私は、たまたま才能に恵まれていた。

優秀な陰陽師を輩出している家系のものも、私には勝てなかった。その結果、嫉妬から様々な嫌がらせも受けた。

私は成績でそれに応じて。

結果、多くの恨みも買った。

今でも、私を恨んでいる陰陽師はいる筈だ。努力を全て踏みにじっていったと感じているものも多いだろう。

陰陽寮の駐車場に停車。

タクシーから降りると。意外に近代的な建物である陰陽寮を見上げる。

そういえば、今の寮長は、安倍晴明の息が掛かった人物だと聞いている。既に六十近いが、この国でも最高クラスの術者である。此処にいた頃は、特に何とも思わなかったけれど。

対怪異部署のエースと呼ばれるようになった今だからこそ、思うところも色々とある。

セキュリティが硬い入り口で、手帳を見せて。

あまり好意的では無い視線に歓迎されながら、ビルの中に入る。七階建ての建物の、最上階に寮長のオフィスがある。

周囲には、様々な結界が張られていて。

怪異としては最強ランクになる存在でも、ここに入ったら無事では済まない。師匠だって、そうだろう。

エレベーターに乗ると、乗り込んできた数名の陰陽師に、冷たい視線を向けられる。私は、あまり良い意味ではない方向で、有名人なのだ。

「姦狐が、何をしに来た」

ぼそりと、誰かが呟く。

正直、どうでも良いので無視。

エレベーターから降りていく陰陽師達。彼らは近代風の格好をしているが、脳みそは古い時代の平安貴族と変わっていないのかも知れない。

最上階に到着。

見回すが、警備の中には、見知った顔もいる。

いずれもが、在寮中には、対立した相手だ。勿論全員と仲が悪かった訳では無いのだけれど。

私の友人は、既に全員が陰陽寮を出て、それぞれの職場で働いている。

流石に、寮長の部屋に入ろうとすると、止められるが。手帳と警視正からの書状を見せて、通して貰う。

不満たらたらで道を空ける陰陽師達を一瞥すると。

私は、寮長のオフィスに入った。

寮長は、いた。

面倒くさそうに、私をねめつける。嫌な奴が来たと、顔に書いていた。

「久しぶりだね、諏訪君。 何をしに来たのかね」

「今日はご意見を伺いに来ました」

「君の実力は、この陰陽寮でもトップクラスだ。 私でさえ、今の君には術比べで勝てるか正直わからない。 そんな君が、今更何の意見を、私に聞こうというのかね」

「ご冗談を。 専門分野に関しては、私を凌ぐ陰陽師が、此処にはいくらでもいるでしょうに」

私が知りたいのは、死者を呼び出す方法だ。

ダイダラボッチに接触していた黒い影の男は、おそらくダイレクトに呼び出された死刑囚の霊魂を、そのまま操作していたものでは無いかと、私はにらんでいる。

ちなみに私は、完全に専門外である。

世界的にも、死者の霊を呼び出す術式はポピュラーであり、日本でもイタコと呼ばれるシャーマンが有名だ。

陰陽道にも、勿論類例の術式がある。

そして、寮長は。

この枯れかけた猿のような老人は。陰陽寮でも、そのトップクラスの使い手なのだ。

資料を見せる。

しばらく虫眼鏡のようなルーペで資料を見ていた寮長は。何度か頷いていた。

「君の読みはおそらく当たっているだろう。 これは反魂の術式を使っているとみて良いだろうな」

「わかるのですか」

「この黒い影の男と呼ばれるものは、毎回死刑囚の姿をベースにして、それに殻をかぶせている」

足をつかなくするための工夫。

それには、死人を用いて、毎回伝令にするのが一番、という事だ。

其処までわかるなら、話は早い。

「この術式を使える怪異は」

「怪異には使えない。 相性が悪いからね」

「……へえ」

「本当だ。 怪異は知っているか知らないかわからないが、元々力を大幅に制限されているんだよ」

知らない。

怪異が人間には勝てない事はわかっているけれど。力を大幅に制限されているというのは、どういうことか。

多分、私が知らない、自分が知っていると言うことで、優越感を覚えたのだろう。

ずっと不愉快そうにしていた寮長は、はじめてその皺だらけの顔を、嬉しそうに歪めた。

別にどうでも良い。

「いずれにしても、この規模での反魂を使い、しかもこうも見事に操るとなると、犯人はそう多くは無いだろうなあ。 国内でも恐らくは、十人といないよ」

「候補のリストは出せますか」

「良いだろう。 待っていなさい」

ちなみに。

今の理屈が正しいとなると、寮長も犯人候補の一人となるのだけれど。多分気付いていないのだろう。

この老人は、どうにもその辺り、鈍いところがあるからだ。

まあ、それはどうでもいい。

いきなり、犯人候補が、十人以内に絞り込めたのは大きい。勿論、それ以外の人間の可能性もあるけれど。

それについても、絞り込みは出来る筈だ。

陰陽寮で把握している術者を、リストアップして貰う。

何名かは明確に違う。

明らかに怪しい奴が、何人かいる。

陰陽寮を出た後、犯罪に手を染める陰陽師は、実のところ少なくない。社会的には、怪異は影の存在。

陰陽寮が実在することを知らない人間も、多い。

此処も表向きは、研究施設ということにされている。だから、陰陽寮を出た後、世間の風当たりのギャップと、自尊心の間で精神のバランスを崩す人間は、珍しくもないのである。

かくいう私自身は、此処は腐っていると、在寮中から思っていたから。別に対怪異部署に移ってからは、むしろ待遇が良いなと思った。

だけれど、私は例外だ。

それはわかっているからこそ。陰陽寮から出た何者かが犯人である可能性は低くないと、冷静に判断する事も出来ていた。

対怪異部署に戻ると、すぐに芦田警視正に報告。

リストもすぐに送られてきた。

面子の中には、反政府組織に属しているものもいる。そして、そのリストには名前がないが。

私は、密かに。

安倍晴明も、そのリストに加えていた。

寮長はああ言っていたけれど。本当に怪異に力の制限が掛かっているかは、わからないのである。

安倍晴明を疑うのは、当然だ。

何しろ、陰陽道の基礎を作った人物なのだから。

すぐに、芦田警視正、平野警視、安城警部を交えて、軽く話しあいをする。

リストを見た安城警部は唸る。

「何名か、明らかにヤバイのが混じっていますね」

「全員が犯人というわけではないだろう」

平野警視が釘を刺した。

確かにその通り。

この中の誰かが、犯人なのだ。だが、このリストには、迂闊に対怪異部署では手を出せない輩もいる。

むしろ分かり易い奴を、先にマークするべきかもしれないが。

今回の事件は、小規模の反政府組織ごときが出来るものではない。

目先のデータに釣られると。

足下を掬われる可能性も高いのだ。

「とりあえず、詩経院嬰児。 この男は抑えよう」

そう言って、芦田警視正が指さしたのは。

現在、左翼系の過激派団体に所属している陰陽師崩れ、詩経院嬰児。

陰陽寮でも好成績をあげていた男だ。

12年前に陰陽寮を離れてからは、確か何処かの企業で顧問をしていたはずだが。

途中で、どう道を踏み外したのか、企業から姿を消し。

ここ数年は、過激派団体のブレインとして、数々の反社会的行動に手を貸していることがわかっている。

勿論、非合法な術に関しても使っているだろう。それを期待されて、過激派団体で好待遇を受けているのだろうから。

もっとも、この男は反魂の術に長けているかもしれないが、所詮は戦闘向けの陰陽師では無い。

捕らえることは、難しくは無いだろう。

どのみち、この過激派団体は、近年活動が活発化する一方になっていたのだ。公安あたりと協力して、一網打尽にするには良い機会である。

他にも何名かの候補を、この機会に逮捕すると言う事で、意見が一致。

私はと言うと、逮捕する候補以外の面子を洗い出す作業をする事になった。

実働部隊は、安城警部が指揮を執ってくれる。

それならば私は、作業に没頭できるというものだ。

一段落したところで、師匠に連絡。

幸い、まだ師匠は、襲撃を受けてはいなかった。

「なるほどな、犯人を其処まで絞り込んだか」

「ええ。 此処からは、スピード勝負になります」

「だといいのだが」

師匠の予言は当たった。

五時間ほどで、逮捕状を取った安城警部が、左翼系の過激派団体の事務所に踏み込んだのだが。

報告を聞いて、私は愕然としていた。

「辺りは血の海だ!」

興奮した安城警部が、絞り出すように、怒りを吐き出している。

そう。

その事務所は、既に生きたものがいなかったのである。

構成員は皆殺し。死体の中には、詩経院のものがない。詩経院がやったとは、どうにも考えづらい。

「死体の状況から見て、これはつい最近やったものだな。 四日、いや五日程度だろう」

「そうなると、私が陰陽寮に出向く前ですね」

「ああ、捜査情報が漏れていたとは考えづらい」

だけれども、これでまた一つわかった。

何者かはわからないけれど。この事件の後ろで糸を引いている輩は、多分警察、いや対怪異部署の手口を知り尽くしている。

やはりそうなると。

安倍晴明の可能性が、高くなってくる。

安城警部は、公安に後を任せて、戻って来るという。

他のはぐれ陰陽師も、抑えなければならないからだ。

この事件、想像以上に根が深い。

死体の山を見たからか。

安城警部は、まだ興奮しているようで。そう、吐き捨てるように、通信の向こうで言っていた。

 

あかねの報告を聞いた私は舌打ち。

敵の方が、どう考えても二枚は上手だ。やり手であるあかねが、完全に後手を許してしまっている。

この様子だと。

この事件、本当の意味で、迷宮化してしまうかも知れない。

いや、その程度なら、まだいい。

クドラクの連中が、また怪異による大規模テロをもくろむ可能性が高い。そうなると、各地にいる怪異は、更に立場が悪くなる。

一体、何が起きているのか。

焦りは禁物だ。

今は、とにかく、ダイダラボッチの無意識下から、情報を引きずり出す必要がある。

平尾が持ってきた差し入れも、残り少なくなってくる。

電話して、外に警備している平尾に、差し入れの追加を頼む。

「消耗のペースが速いですね」

「しょうがないだろー。 今回の術式、力の消耗が大きいんだよ」

「わかりました。 すぐに差し入れします」

「頼むな」

肉塊に視線を戻す。

オートで展開している術式も、大詰めだ。

後は時間を掛けて、無理矢理にこの肉塊を人間に戻す。それだけではなく、無意識下から、情報を引っ張り出す。

さて、黒い影の男についてはわかった。

だが、其処から先については、まだ分からない事も多い。

あかねと連携するには、更に情報が必要だ。

此奴には、どうせ生きている意味もない。さっさと引きずり出せるだけ情報を引きずり出して。

そう思った、その瞬間だった。

私が腰を浮かせるのと。

その矢が飛来するのは、同時。

矢が、肉塊となっていたダイダラボッチを貫く。凄まじい絶叫が上がり、ダイダラボッチは見る間に溶けていった。

慌てて私は。

矢を掴み、引き抜く。

手に激痛。

掌が、焼けた鉄ごてでも押し当てたように、焼けただれるのがわかった。

矢を放り捨てる。

どうやった。これは、明らかに術式による強化された破魔矢だ。周囲の警備は、何をしていた。

「彼処です!」

眷属が叫ぶ。

私は空気を周囲に展開。守りを固めながら、それを見上げていた。

鳥居の上に立つ、人影を。

「久しぶりですね、金毛九尾の狐」

「お前……!」

見覚えがある奴だ。

長い束ねた黒髪を、足下まで垂らした、長身の女。背中の矢筒には、複数の破魔矢。着込んでいる千早には、禍々しい術式が掛けられていて。手にしているのは、相当に強力な呪術が仕込まれた和弓。

顔は、私に当然ながら似ている。

確か彼奴は。

私を恨んで死んでいった子供の一人の、子孫。

私を滅ぼすことに執念を費やしてきた、一族の現当主。まだ若いあの女の名前は。芦屋祈里。

そう。

安倍晴明と並び称される有名な陰陽師の一族、芦屋に途中から輿入れし。

そして、其処を乗っ取り、私物化した者達の、現在の長だ。

ここしばらくは大人しくしていたのだが。

まさか、此奴らが噛んでいたのか。

だが、芦屋家は、厳重な監視の下で活動しているとも聞いている。あくまで非合法な怪異退治が生業であって、政治家との癒着や、ましてや警察自衛隊との関連も薄い。これだけ大規模な事件の糸を引いていたとは考えにくい。

「お前、何をしたのか、わかっているのか!」

「わかっていますとも」

「ならば何故!」

「こんなに怪異が弱いこの世の中では、私達のような存在には出番がありませんからね」

絶句。

まさか、此奴も。

クドラクを動かしている奴と、同じ存在に、操作されているのか。

クドラクは正直どうでも良いが、此奴らの実力は侮れない。警察が厳重に監視するほどなのだ。

対怪異部署ほどではないにしても。

此奴らが本気になったら、私をはじめとして、勝てる怪異はこの国には存在していないのである。

保険を掛けて呼んでおいた彼奴は、まだ到着までしばらく掛かる。

どうにも、できない。

「今のは挨拶代わりです。 貴方のせいで不幸になった我が一族の恨み、いずれ徹底的に返して差し上げますので、お覚悟を」

「……お前達の先祖に対する私の至らなさは反省しているさ。 だが、お前達は、影で栄華を極めてきたではないか」

「何を知ったようなことを」

鼻で笑うと、祈里は姿を消す。

彼奴の実力は、あかねほどでは無いにしても、相当な次元だ。現時点では、牧島ではとても勝てないだろう。

手を見る。

二筋の火傷が走っている。

妖怪にとっては、溶鉄に等しいものを無理に握ったのだから、当然だろう。

そして、ダイダラボッチは。

消滅寸前のダメージを受けている。

これでは、人間に戻すどころか、これ以上情報を引き出すことさえ難しいだろう。

大きなため息が漏れる。

また、先を行かれた。

明らかに、相手の方が一枚上手だ。芦屋もこれから、どう動くかわからないが、少なくとも主要メンバーはもうしばらく表に出てこないだろう。

あかねに連絡を入れる。

今回は、此方の完敗だな。

私は、もはや術式の続行どころでは無く。封印して、隠しておくしかないダイダラボッチの肉塊を一瞥だけして。

この結末を、あかねに伝えた。

 

4、閃光

 

動きが早すぎる。

この件で、糸を引いている黒幕の話だ。

存在するのは、ほぼ間違いない。

だが、影さえ掴めない。

私が対怪異部署に出向くと、あかねが資料を整理していた。安城は、あかねがリストアップした陰陽師を確保に向かっているらしい。

既に数人は捕縛したり保護したりしたそうだが。

一番怪しいと目星を付けていた詩経院は、まだ見つかっていないそうだ。血眼になって探しているようだが、見つかるかどうか。

もう消されてしまっている可能性も高いだろう。

「師匠、おけがは大丈夫ですか?」

「ああ。 これでも怪異だからな」

とは言っても、破魔矢を直接握ったのだ。手にはまだ包帯を巻いている。しばらくは使うなとも、言われていた。

芦田警視正が、此方に来る。

「金毛君、良いかね」

頷くと、呼ばれるままに会議室に。

会議室では、神社の守護を固めていた対怪異部署のメンバーが、待っていた。彼らの守りが、祈里には何の役にも立たなかった。

なじる気にはなれない。

私も、神社を外から確認したからだ。

守りは、考えられる限り最強のものだった。アレが破られたのなら、誰が守りを固めていても、同じだっただろう。

ダイダラボッチの封印は既に済ませた。

あれが、地上に出てくることは、二度と無い。そして皮肉な事に、六代目が存在する限り、七代目も現れはしないだろう。

強大な怪異は、同時に二体以上現れないのである。

これは強大な怪異に共通する鉄則だ。しかも殺しても、百年以上は現れない事も確実である。

「反省会ですか?」

「いや、気になる事があると彼らが言っていてね。 私は専門家では無いし、失礼させて貰うよ」

会議室を出る芦田。

一瞥だけして、私は用意されていた席に着いた。

さっそく、挙手したのは。

防衛班のリーダーをしていた、敷島警部補。

陰陽寮の出身者で、47歳のベテランだ。あかねや安城、私が警部に昇進すると同時に、刑事長から出世して、今では若手をまとめている。

細面の若々しい男だが。妻帯者で、子供が三人いる。

「早速ですが、警部。 今回の件、おかしいとは思いませんか」

「思うもなにも、おかしい事だらけだ」

「そうですね。 守りについても、調べてはみましたが。 破られた形跡が、ありませんでした」

「……詳しく聞かせてくれ」

身を乗り出す。

あの守りは、神社の周囲にいる不審者を全て感知するものだ。ならば、その隙を突いて、祈里は入り込んだと思えたのだが。

守りが、破られていなかったというのは、どういうことか。

「隙間か何かを通られたか、術式を誤魔化す更に高位の術式を使ったのかと、我々も最初は考えました。 しかし徹底的に調査をしたところ、その全てが否定される結果になったのです」

「ならば彼奴は、芦屋祈里は、どうやって中に」

「考えられる可能性は一つです。 最初から中にいた……」

「!」

そんな馬鹿な。

だが、そうとしか考えられないのも事実だ。敷島はベテランの中のベテラン。此奴の判断は信用できる。

しかし、それはそれでおかしい。

ならば何故祈里は、あんなタイミングで仕掛けてきたのか。ダイダラボッチからの情報流出は、既に派手に起きていた。

何より、私を蛇蝎のごとく嫌っている芦屋の者でありながら。

何故ダイダラボッチを優先した。

私を、何故撃たなかった。

あの瞬間、ダイダラボッチを打ち抜くよりも。むしろ私を殺す方が、ずっと楽だった筈だ。

苦虫をかみつぶすしかない。

「調べたところ、神社の中に、一月も前から潜んでいた形跡がありました。 恐らくは時間経過を遅くする術式を使って、自分を半冬眠状態にしていたのかと」

「だとすると、私が彼処にダイダラボッチを引きずり込むことを、事前に知っていたという訳か」

「恐らくは」

そうなると、疑っていた内通者の線も白紙に戻すしかないかもしれない。

何しろ、時間的な計算が合わないからだ。

相手には、未来予知でも出来る奴がいるとしか考えられない。しかし未来予知など、完璧な形で出来る奴なんて、いないはずだ。

怪異にも、くだんと呼ばれる予知をする者がいるけれど。此奴に到っては、予知をすると死んでしまう。

陰陽道などには、確かある程度の予知が出来る術はあったけれど。

それはあくまである程度。

此処まで詳細で、緻密な予知なんて、出来るはずがない。

今までの常識ではそうだ。

これでも私は、長い間多くの陰陽師を見てきたし、自身でも色々な術を覚えた。未来予知が如何に難しくて、桁外れのことなのかは、よく分かっている。私が直面した出来事は。直近の些細な事を予知するのとは、まるで別次元のことだ。

「とにかく、神社の方は、もう少し此方で調べて見ます」

「頼む」

会議室を出る。

混乱が酷い。

相手は本当に、何がどうして、こうも先手先手を打てるのか。一体何を相手にしているのか。

私は今まで、安倍晴明を疑ってきたが。

彼奴は確か、芦屋の一族を徹底的に嫌い抜いていたはずだ。昔色々な形で争ったから、というのが理由らしい。

あの根に持つ陰険爺が。

芦屋の一族を、使うような真似をするのだろうか。

しかし、だとすると、一体何者が黒幕なのか。

トイレに閉じこもると、私は頭をかきむしる。

わからない。

本当に、何処の何者が、このようなことをしているのだろうか。

げっそりして、トイレから出ると、対怪異部署の方が騒がしい。また何かあったと見て良いだろう。

げんなりして、もう言葉も出ない。

対怪異部署に出向く。

さて、何が起きたのか。

もうどうにでもしてくれと思う私の前で、警官達が慌てて走り回っている。あかねが、此方を見つけて、駆け寄ってきた。

「師匠!」

「もう何が起きても驚かんぞ」

「そうですか。 ではこれを見てください」

その映像を見て。

驚かないと決めていた私は、顎が外れるかと思った。

其処に映り込んでいたのは、ダイダラボッチ。六代目では無い。明らかに、新しい奴だ。

おかしい。

ダイダラボッチは、基本的に一体しか存在しない。

アーキタイプからダイダラボッチに傾くのは、一人だけなのだ。そして消滅しない限りは、次のダイダラボッチは出現しない。

消滅しても、ダイダラボッチほどの強大な怪異は、再発生まで百年以上は掛かる。

これに関しては、絶対の法則の筈なのに。

「現在、伊豆諸島南東の海上にダイダラボッチ出現。 感じる力は、前回と殆ど変わりません」

「つまり上陸を許せば、大勢の死者が出ると言うことだな」

「そうなります」

既に自衛隊が出動しているという。

あかねも、実戦装備で出るそうだ。

「私も、平尾と牧島を連れて出たいが、良いか?」

「お願いします」

異常事態が続きすぎて、もう何が起きても不思議では無い。感覚が麻痺しそうだと、私は思った。

だからこそ、最前線に出る。

そうすることで、ようやく何が起きているのかを、見極められると思うからだ。

 

自衛隊が出撃していく。

避難勧告が出され、警察の誘導に従って、ダイダラボッチの予想進路から、多くの人々が避難していた。

考えて見れば、これもあり得ない事だ。

其処までしなければならない怪異なんて、今までは存在し得なかった。

ワゴンタイプのパトカーから降りる。

他にも何名かの対怪異部署メンバーと、牧島と平尾と一緒に、ここまで来たのだ。

既に陸自の戦車部隊が、海岸線に展開。

そして許可を得たのだろう。

長距離ミサイルが、攻撃を既に開始していた。

海上で、爆発が連鎖しているのがわかる。

間合いの外から、徹底的に攻撃して、消滅させる作戦だ。おそらく海上では、護衛艦もミサイルや速射砲を撃ち込んでいるだろう。

何故か及び腰だった前回と、今回は違う。

双眼鏡を借りて、覗き込む。

海上にダイダラボッチはまだ健在。それどころか、体を光の膜のようなもので覆っている。

ミサイルも速射砲も。

それで防ぎ抜かれてしまっている。

平尾が、驚愕の声を上げた。

「何ですかあれは。 あのようなもの、漫画の中にしか存在しないと思っていましたが」

「私もだ……」

私も愕然とする。

前回と同じ力を感じるダイダラボッチは、悠然と進んできていた。奴の火力の凄まじさは、前回の東京蹂躙でわかりきっている。

戦車隊が攻撃を開始。

ミサイル部隊が下がる。

戦闘機も攻撃を開始するが。

やはり、ダイダラボッチが展開している光の壁は、突破出来ずにいる。

あかねが来た。

本気モードらしく、千早を着込んでいる。

「師匠、牧島さんを借ります」

「おう。 また、天の鎖の術を使うのか」

「いいえ」

あかねの話によると、あの個体は、以前と全く同じ力を感じるという。そういえば、確かにそうだ。

これも考えて見ればあり得ない。

「同じ術式は通用しない可能性があります」

「難儀な話だな……」

「はい。 だから、いっそのこと、一撃で浄化します」

あかねが、大規模な陣を、指揮して書き始める。

そして、対怪異部署の精鋭が、二十人以上で同時に術式を展開して、一気にダイダラボッチを打ち抜くという。

自衛隊が攻撃をその間、強化。

光の膜が、一気に強い光を放つ。それだけダイダラボッチも消耗していると信じたいところだが。

さて、どうか。

凄まじい光の柱が、海上に立ち上る。

光の膜が、打ち抜かれるのがわかった。

ここぞとばかりに、自衛隊が攻撃を叩き込む。ダイダラボッチに直撃。大爆発が、巻き起こされた。

「目標クリア!」

誰かが言う。

確かに、力は消滅したように思える。

しかし、本当か。

二度現れたのだ。

三度現れないという保証は無い。

それに。

あかねが、倒れている。それほど、とんでもない術だったのだ。支援を行っていた牧島も、陣の隅で気を失っていた。

すぐに救急車が来て、皆を収容していく。

この状態で、ダイダラボッチがまた現れたら。

ふと、背筋に悪寒。

誰かが見ているような気がしたが。

周囲を見回しても、誰もいない。

何が起きているのか、全くわからない。二度目のダイダラボッチも、本当にアレで死んだのだろうか。

「金毛警部、本官は病院に向かいます。 牧島が心配であります」

「わかった。 其方は頼む。 私は海自の船に乗って、現場を視察する」

「了解であります」

敬礼をかわすと、私は。

これから現地調査に向かう海自の船に、無理矢理乗り込んだ。

さて、どうなるだろうか。

もはや、抜き差しならないところまで、事態は動いているような気がする。

下手をすると。

この国中から、怪異が駆逐されてしまうかも知れない。

人間が怪異をさほどの脅威と見なしていなかったから、今までの対応で済んでいたのだ。それも、ダイダラボッチの脅威が、確実なものとなったら。前提が崩れてしまう。

事実、私を見る目も。

今までに無く、厳しくなりつつあった。

頭を振る。

そして、嫌な予感を追い払う。

まだ、全てが最悪の方向に向かうわけではない。そう信じて、私は調査を始めることにした。

 

                                (続)