巨神そこにあり

 

序、修羅の島

 

その島は、むしろ一般人よりも、暴力団関係者に知られている。年がら年中二つに分かれた派閥が血を見る争いを繰り返し、米軍が戦後、もう嫌だからと日本政府に真っ先に統治権を返還した、曰く付きの場所。

此処の出身者は凶暴かつ喧嘩慣れしていることで知られ。

暴力団の抗争では、殆ど確実と言って良いほど、此処の出身者が関わってくる。

筋金入りの、修羅の世界。

それがこのT島だ。

フェリーを使って島に上陸した酒呑童子は、側にいる茨城童子と一緒に、まずはこの島の顔役妖怪の所に出向く。

この近辺は、琉球文化とかなり接点があり、妖怪もその影響を受けている事が多い。名前などにも、それが現れる。

とはいっても、今の顔役は違う。

此処の顔役をしているのは、普通のカラス天狗だ。あまり年は取っていないが、凄く老け込んで見えるのは。

年がら年中、争いを人間が止めないから。

その影響を受けているのである。

選挙のシーズンともなると、文字通り血を見る争いが繰り広げられる修羅の土地。それがこのT島。

幸い妖怪は皆温厚な者が多いが。

傾いた直後は獰猛な人間の性質を残していることも多く。そのため、妖怪の顔役が必ず張り付いていて、新米妖怪はすぐによそに連れて行く。場合によっては、九尾の所や、他の専門家の所に行って、人間に戻す。それが出来ない場合は、性質を見ながら、他のコミュニティに振り分ける。荒々しさが抜けない場合は、酒呑童子で面倒を見ることもあるけれど、それは最終手段だ。

手に負えない場合も多いからである。

人口二万数千程度の離島が、不可思議な存在感を放っているのは。その異常なまでの、暴力性にあるのかも知れない。

ちなみにここに来るのは初めてではない。

部下の中でも、武闘派の妖怪を確保するには丁度良いので、時々足を運んでいるのである。もっとも、制御可能な奴は滅多にいないのだが。あくまで、見繕いに来るだけの話なのだ。

武闘派と言っても。

制御が効かなければ意味がない。

暴力団関係者が、ヒットマンとしてしか使わない所以である。

気配を消して、島の奧に向かう。

小さな廃ビルが、建ち並ぶ建物の中にぽつんとあった。此処が、顔役が根城にしている場所だ。

まずは、顔役に会いに行く。会いに行くことは事前に告げてあるし、退屈している妖怪達は、誰が来ても喜ぶ。

実際、カラス天狗の兵事は、酒呑童子を見ると随分嬉しそうにした。

「鬼の旦那、久しぶりでさあ」

「ああ。 話は既に送ったとおりだ」

「とんでもねえよそモンが潜んでるってあれか。 まあ、おれっチもよそ者だけどな」

ケラケラ笑いながら、カラス天狗は酒を出してくる。

丸テーブルで、向かい合って座る。酒をつぎ合って、軽く一杯。中々に強い酒だ。多分沖縄のビールだろう。

「で、どうなんだ」

「どうって言ってもなあ。 旦那も知っての通り、この島は文字通り地獄の一丁目なんだぜ。 暴力団がヒットマン探しに、年中スカウト飛ばしてきてるって場所だ。 俺たちはむしろ、人間の恐ろしさに震え上がる毎日でさ」

「ああ、そうかも知れないな」

「怒りなさんな。 幾つか、見当はある」

それが聞きたかった。

二杯目のビールを飲み干すと、促す。

まあ、こんな島に暮らしていれば。温厚で知られる奴だって、図太くもなるだろう。あまり好ましい図太さでは無いが。

「この島で、一番濃い闇があるのはどこだと思うね」

「闘犬場か?」

「その通りだ」

島の民の荒々しさを示すように。この島の名物は、闘犬である。

専門に訓練された闘犬は、土佐犬と並び称されるほどの凄まじい気性で、何年かに一回、かみ殺される人間も出る。

それでも島の人間は、闘犬を止めない。

しかもこの島では、裏とも呼ばれる闘犬がある。

どちらかが死ぬまでやらせるもので、表向きは存在しない事になっている。勿論、観光客も入れない。

酒呑童子も、存在ははじめて知った。

「裏の闘犬、か」

「なんでそんなのを黙認してるかっていうと、明らかにガス抜きに最適だからなんだよねえこれが。 実際、この裏の闘犬で残虐な殺戮ショーを見た後は、荒くれ揃いの島の連中も、大人しくなる。 というか、政府と裏取引をしてるのさ。 この後は、暴れないってね」

「は、なるほど」

裏の闘犬は、年に四回。

島の関係者しか知らない、ビルの地下で行われるそうだ。

兵事も、他の妖怪に連れられて行ったそうだが。

賭け事は平然と行われるわ、ドラッグも出るわで、文字通り地獄の乱痴気騒ぎと言うのが相応しい悪夢が、其処にあったそうだ。

つまり、其処でなら。

闇を力にする妖怪は、都合良く力を蓄えられる、と言うわけだ。

「お前も前回は、足を運んだのか?」

「あんな悪趣味な場所に? 冗談じゃないと言いたいところですがね。 行きましたよ。仕方なく」

「何か事情があったのか」

「丁度妖怪化したばかりの奴が、どうしても行きたいって言うのでね。 まあ、そいつは旦那も知ってるとおり、九尾の姉御の所に送って、人間に戻したんですが」

そういえば何ヶ月か前に、そう言うことがあったか。

なるほど、その時か。

ちなみに元に戻った人間は、この島には戻らず、政府が提供した仕事を今でも真面目にこなしている。

流石に妖怪にまでなって、思うところがあったのだろう。

まあ、元に戻せそうにないなら、酒呑童子で引き取っても良かったのだが。こればかりは、今更である。

「よし、案内しろ」

「大丈夫ですか?」

ずっと黙っていた茨城童子が言うが。

こればかりは、先送りしても仕方が無い事だ。更に言えば、裏の闘犬とやらは、開催までまだまだ時間がある。

奴が潜んでいたとしても。

いきなり、酒呑童子達に襲いかかってくることは無いだろう。

 

到着したのは、本当に何の変哲もない廃ビル。

何だか自分の本拠地みたいだなと、酒呑童子は呆れた。

エレベーターで特殊な操作をして、地下に行くのまで同じ。この辺りは、考える事は妖怪も人間も同じらしい。

地下に出ると、見張りがいた。

明らかにカタギでは無い。島の人間だけあって、多分海水浴を幼い頃からしているのだろう。

全身、凄まじい筋肉で覆っている。

これでは、力をもてあまして、暴れるわけである。

気配を遮断しているから、見張りの連中は此方に気付かない。たまに、妖怪の存在を知っている要所もある。そう言う場所では、現役の神職や陰陽師を配置している場合もある。まあ、此処の場合は、政府も存在を知っていて、黙認しているのだから、という事情もあるのだろう。

別に誰かにたれ込まれても構わない、と言うわけだ。

奧にはかなり広い空間。

ちょっとしたスタジアムくらいはある。野球の試合は無理だが、スケートリンクくらいにはなりそうだ。

中央には、相撲の土俵のような、丸い空間。

彼処で、持ち寄られた闘犬が、殺し合いをさせられるのか。

「茨城」

頷くと、茨城童子が周囲の警戒を開始。

茨城童子は、元々隠密行動を得意とする妖怪で、生半可な技量では無い。江戸時代などは、此奴がいなかったら、酒呑童子は何度もお庭番に殺されていただろう。此奴がいても、生き延びるのが精一杯だったのだが。

隠密行動が得意と言う事は、隠れたものを見つけるのも得意と言う事だ。

餅は餅屋という奴である。

今は試合も行われていないが。

中央のリングには、確かに負の力が濃厚に宿っている。しかも、露骨すぎるくらいに、血痕もある。

「此処では、観客同士の喧嘩も珍しくありませんでね。 酒もドラッグも出るくらいだし、無理もありやせんで。 もっとも、試合を見た後は、みんな力を使い果たして、犯罪は行わなくなるんですが」

「はた迷惑な連中だ」

「国一の無法者妖怪である貴方が言うか」

兵事がけたけたと笑うけれど。

酒呑童子は、それに応じる気にはなれなかった。

確かに盗賊上がりの無法者だ。それに関しては、此奴の言うとおりである。此処にいる連中でも、酒呑童子ほどの過酷な生まれは経験していないだろう。

だが、それはそれだ。

これでも、多くの部下達をまとめてきた頭領なのである。

物事の善し悪しくらいは観念として持ち合わせているし。何より、美学くらいは胸の中にある。

こういう場所は。

単純に気にくわない。

茨城童子が、戻ってくる。

無言で視線を持って指してきた所は。

おそらく、この島の支配者達が試合を見るためのVIPルーム。其処に、妙な気配があるという。

「近づくのは危険ですね。 弱体化しているとは言え、此処にいる三人くらいなら、瞬時に殺せると見て良いでしょう。 今は眠っていますが、おそらく近づけば」

「……間違いないか」

「はい。 ダイダラボッチです」

兵事が、驚いて、口をつぐむ。

無理もない。

この国の妖怪で、その名前を知らない奴など、いないだろうから。

世界各地には、創成の巨神とも呼ぶ神話がある。北欧神話のユミルや、ギリシャ神話のガイアが有名だが。この国にもそれがある。

ダイダラボッチである。

勿論、現実の妖怪としてのダイダラボッチは、創成の巨神では無い。傾いたときに、ダイダラボッチの要素を取り込んだ存在だ。

だが、元々、生半可な事ではダイダラボッチにはならない。

それだけ、桁外れの妖怪なのだ。

「よし、此処を離れる」

すぐにこの場を後にする。

こんな所で襲われたら逃げ場もないし。

死んだら元も子もないからだ。

酒呑童子も大妖怪と呼ばれる存在。ダイダラボッチがどれだけ危険な存在かは、肌で知っている。

三百七十年ほど前の事。

酒呑童子の率いる妖怪のコミュニティが、ある理由から、目覚めたダイダラボッチと交戦するはめに陥り。

その時。

二百ほどいた妖怪が。

一刻半で全滅した。

いずれもが、酒呑童子が鍛え上げた精鋭だった。同じ数の人間なら、確実に蹴散らせる鍛え方はしていたのだ。

命からがら逃げ出した酒呑童子は。

人間の討伐部隊がダイダラボッチと交戦。大きな被害を出しながらも、撃退して追い詰めていくのを。失った左腕を押さえながら、呆然と見ているしか無かった。

ダイダラボッチは、災害そのもの。

絶対に野放しにしてはならない妖怪なのである。

安倍晴明が探している理由はよく分からない。討伐して封印するつもりなのか、或いは手駒にするのか。

手駒だったら、ぞっとしない。

あの陰険怪異が、ダイダラボッチなどを手駒にしたら。

文字通りこの国では、奴に対抗できる妖怪など、存在しなくなる。

ビルを出る。

それまで、生きた心地がしなかった。

ダイダラボッチの巧妙なところは、人間には被害を出来るだけ及ぼさないことだ。奴は暴れる場合も、自然災害を装う。

外に出ると、すぐにスマホを出す。

指定された番号に掛けると。何度か転送されたあげく、安倍晴明につながった。

「当たりかね」

「ああ。 もう俺は引き上げるぞ」

「ふむ、そうか。 すきにしなさい」

電話はそれだけで切れた。

茨城童子が、形容しがたい顔で、此方を見上げている。これで、命がけの使い走りも終わりだ。

「何というか、大変でしたなあ」

「代わってくれるのか?」

「冗談」

肩をすくめる兵事。

どうも此奴は苦手だと、酒呑童子は思った。

 

1、リハビリがてらに

 

百目との戦いで大けがをした私は、退院してから、しばらく平穏を味わっていた。新しく借りたアパートには、仕事の依頼も来ない。

体も酷く痛めつけられていたし。

しばらくは休みたいと思って、横になっていると。来たのはあかねではなくて、団だった。

「お邪魔するよ」

「んー」

流石に少し寒くなって来たので、今日はジャージ姿だ。

これが過ごしやすくて、個人的にはお気に入りである。花を恥じらう乙女だったら嫌かも知れないが。

こちとら千年を生きる自堕落ぎつね。

多少のだらしない格好くらい、どうでもいい。

スルメを口にしている私を見て、団が手提げ袋を突きつけてくる。何かのおつまみかと思ったら、違った。

報告書の入ったUSBメモリだった。

面倒だと思いながら、ノートPCにメモリを刺す。

内容をざっと確認。

これは、酷い。

「そうか、T島には、酒呑童子が行かされたのか」

「本当はお前さんが行かされたんだろうがな」

「無茶を言うなよ」

苦笑いしてしまう。

百目との戦いで、全治一ヶ月の重傷を受けた私は。当分ベットから動く事さえ許されなかったのである。

あんなリアル修羅の国に、絶対に赴くものか。

そして案の定。

T島に、奴。ダイダラボッチはいた。

奴には色々と貸しもある。

正確には、現在存在しているのは、六代目ダイダラボッチ。出現の度に大きな被害をもたらす大妖怪で、何度かは人間社会に大きな損害を与えている。

ダイダラボッチの討伐作戦は妖怪も参加することが多い。妖怪にとっても、筋金入りの脅威であるからだ。ダイダラボッチは妖怪を喰らう事も多く、放置しておくと多大な被害が出る。その内二回の討伐には、私も参加している。一回目の討伐の時は、二代目ダイダラボッチの時。

日本中の妖怪が連合軍を組んで、交戦し。多くの被害を出しながらも、討ち取ったのである。

当時からステゴロが苦手だった私は、支援担当だったが。

前線の凄まじい被害に、ずっと冷や冷やし通しだった。

二回目の討伐の時は、四代目ダイダラボッチの時。これはかなり最近で、江戸時代のことだ。

ノウハウがあっても、手強いことは同じ。

奴の戦闘力は文字通り規格外で、その時は私も、手酷い打撃を貰った。この時の手傷が原因で、安倍晴明の放ったお庭番に捕捉されて、捕らえられてしまったのだけれど。まあ、それはそれ。

別の話である。

とにかく、桁外れの災厄を呼び起こす、例外的な大妖怪。

対怪異部署が作られたのも、半分は此奴のせいだ。

「討伐隊が出るのか」

「さてな。 どちらにしても、お前さんは後方支援だろう」

「それが一番神経に来るんだが」

「情けないことを言うな、大妖怪。 日本でも最大の妖怪コミュニティを支配していた者の言葉とは思えん」

そう言われても、嫌な者は嫌だ。

新しいビールを開けると、団が冷蔵庫を開けて。炒飯を作ってくれる。

自分でも作れるが、他人がやってくれると嬉しい。団が作ってくれる炒飯には幾つか隠し味があるらしく、かなり美味しい。

ビールを飲みながら、しばし炒飯を二人で食べる。

「この間は、災難だったな」

「どうした。 二度目だぞ」

「ああ。 どうも最近、感傷っぽくなってな」

らしくないなあ。

頭を掻きながら、そんな風に思う。

団も、普段何をしているのか。私も、その全てを把握している訳では無い。政府の犬として、色々な妖怪の所を渡っていることだけは知っているが。誰の所で、どのように動いているかまではわからない。

クドラクについて聞いてみるが。噂を聞いているくらいだとしか教えてくれない。或いは、安倍晴明に口外するなと言われている可能性もある。

何より、此奴は義理堅い。

私に危険が及ぶことを、避けたいと思ってくれているのかも知れない。

「あまり、無理はするなよ」

「わかっているさ」

数時間すると、団は出て行った。

私は横になって、もう一度。

わかっているさと言った。

 

翌日。

昼少し過ぎに、あかねから連絡が入る。新しい仕事だ。

「ゆっくり休めましたか、師匠」

「出来ればもう少し休みたかったがな」

「そうも言っていられません。 新しい警視正が赴任してきましてね。 師匠にも、部長の階級が正式に交付されました」

「んー、そうか」

給金もそれに伴って上がると言うが。

あまり興味は無い。

というか、正式に支給される給金が上がっても、あまり意味は無いからだ。田舎に幾つもの山を持っている私だが。

普通の警官の給金では、やりくりしてもそれは難しい。

怪異事件の解決で、多大な実績を上げているからこそ。私はそれ相応の報酬を政府から受け取り。

妖怪のコミュニティが静かにやっていけるように、活動することも出来るのだ。

まあ、対怪異部署は、安倍晴明の息が掛かっている。

おそらく無茶な事にはならないとは思うが。この先も、気をつけて行かなければならないだろう。

「それで、最初の仕事です。 幾つかの事務仕事もあるので、本庁に来て貰えますか?」

「やだなあ。 めんどい」

「いいから来なさい!」

鋭い叱責。

ため息をつくと、着替える。そして、本庁に徒歩で出向いた。今回の安アパートは、それが可能な位置にあるのだ。

新しい警視正とやらの顔を見る。

何だか瓜のような印象を受けるしょぼくれた男で、陰気な雰囲気である。キャリア特有の尊大な空気は無く、平野とも高圧的には接していないようだった。

拍子抜けである。

あかねがいたので、小声で話しかける。

「あれが、新しいボスさまか?」

「ええ。 挨拶をしてきて貰えますか」

「まあ、ボスが赴任したのなら、そうするしかないか」

面倒だなと言いながら、平野との話が終わった所で、出向く。

デスクの前に私が立つと。

芦田という名前の警視正は、軽く挨拶をしてきた。

「君が噂に聞く九尾の狐だね」

「今は金毛警部補と名乗っています」

「そうかそうか。 富山での事件も見事に解決したと聞く。 今後も難事件の解決は、君に一任するよ。 バックアップ体制はしっかり整えておくから、任せておきなさい。 現場の君達が、警察の主力なんだ」

何だか、気持ち悪いくらい友好的である。

軽く幾つかの話をすると、引き上げる。あかねの所に戻ると、さっそくで悪いがと、資料を渡された。

今回解決しなければ行けない事件だろう。

ざっと見る。

今回は、近場の港湾地区。

比較的大きな廃工場だ。

少し前から、この辺りを根城にしている不良共。いや、そう言うには少しタチが悪いか。暴力団などが下っ端として使う半グレと呼ばれる連中が、立て続けに妖怪に遭遇しているという。

妖怪はとにかく巨大で、彼らが驚いて逃げると、もう姿を消しているとか。

当然、現時点では正体不明。

いつもと同じだ。其処から調べなければならない。

見上げ入道だろうか。

一瞬、そう思った。

見上げ入道というのは、際限なく巨大化して相手を驚かす妖怪である。江戸時代に特に有名になり、妖怪の総大将、という話まで作られた。

実際には其処までの力は無い。

私としても、見上げ入道は数名知っているが。いずれも温厚な知識人で、各地で顔役をしている。

一番古い見上げ入道でも四百歳ほどで、私から見ればひよっこ。

ただ、戦いを好まない性格を慕う妖怪は多く、コミュニティ内ではまとめ役として頼りにされることも多いようだ。

だから、人をいたずらに脅かしているとしたら。

知り合いでは無くて、新しく傾いて妖怪になった見上げ入道、とみて良いだろう。ただ、見上げ入道だったら、の話になるが。

他にも、体格で驚かせる妖怪は、多いのだ。

「現場には、柄が悪い連中が集まっています。 排除は警視庁の方でしてくれるそうなので、できるだけ早めに解決してください」

「何か問題か?」

「この地域で、浄化作戦と称して再開発が行われる予定です。 危険性が小さい妖怪だとは思いますが、再開発を阻害されるようではまずいと、作業を受注したゼネコンから、警察に打診があったようです」

「つまり、キャリアの誰かが、その会社とつるんでるって事か」

うんざりする話である。

だが、警察も一枚岩では無いし、この辺りは仕方が無い。あまり気分が良い話では無いが、完全なクリーン組織など存在しないのだ。

私としては、正直うんざりするけれど。

今更、それに噛みつく気にはなれない。勝手にやっていてくれというだけである。

まあ、とにかくだ。

私の場合は、他に代わりもいないと言う強みもある。こうやってキャリアに恩を売っておけば、後で苦労する事も無いだろう。

平尾はいたので、これから仕事だというと、すぐに準備をしてくれた。

まあ、今回の場合。

牧島もいるし、此奴の存在は必須になるだろう。不良を追い払うことくらいは出来るけれど。

無駄なトラブルは避けたいのだ。

本庁を出ると、まずは牧島を迎えに行く。パトカーの使用はこういう場合許可されないし、何より今回は現場が近い。

徒歩で行くのは当然のことだ。

牧島を高校の入り口で出迎える。

そこそこ良い学校らしく、生徒は身なりが多いのが目立つ。もっとも、身なりが良くても、心まで綺麗かというと話は別だが。

牧島は私を見ると、嬉しそうに笑顔を咲かせて。此方に小走りで来る。

「金毛警部補。 お仕事ですか」

「面倒な事に警部になった」

「それはおめでとうございます!」

「あー、それで仕事だ。 今回は近いから、徒歩で行く。 着替えてきてくれるか」

頷くと、牧島は家に。

現地の最寄り駅で合流することに決めると、平尾と連れだってその場を離れる。平尾はと言うと、現場周辺の状況確認を、今のうちにしているようだった。

今回は、事前に調査班が入った事件では無い。

速攻での解決を求められているものなので、案外簡単に済む可能性も大きい。見上げ入道だったら楽なのだけれど。

はてさて、そう上手く行くか。

スマホで情報を確認している私に、平尾が小声で話しかけてくる。

電車の中だから、あまり大声では話せない。

「目撃証言が、どれも曖昧ですね」

「まあ、チンピラどもだしなあ。 シンナーやってるような奴もいるだろうし、その辺りは仕方ないだろう」

「やはり現場確認が最重要になりそうですね」

「ああ、そうだな」

現在でも、いわゆる現場百回には代わりは無い。

プロファイリングの発達や、様々な技術の進展で、捜査にも色々と様変わりが出ている反面。

現場からの検証作業で、大物を捕縛した例は枚挙に暇が無い。

結局の所、現場の刑事が優秀だから、この国の警察は上手く行っているのである。不祥事も多いが。私は、警察は優秀だと思っている。私が人間だった頃の検非違使なんかとは、比較にもならない。

現地の最寄り駅に到着。

流石に柄が悪いのが多い。

此方に向かって飛んでくる敵意と好奇の視線。ただ、駅の周辺には警官と、工事関係者らしい姿も見受けられた。

先に平尾には、現場を見に行ってもらう。

千早を着込んだ牧島が来たのは、一時間後。まあ準備もいるし、仕方が無い。

驚いたのは、少し雰囲気が変わったことだ。

千早を着込んでから、以前のような、何というか初々しいもろさが消えた。これはおそらく、富山での出来事で、一皮むけたと見て良いだろう。

この娘くらいの年頃は、成長が著しい。

男子三日会わざれば刮目してみよという有名な言葉があるが。それは何も、男子に限らない。

実際、牧島を、好奇の視線で見るチンピラも多くない。

雰囲気からして、寄せ付けないものがあるからだ。

連中が興味を持つのは、いつも自分より弱い者。つまり、好き勝手に出来る相手だけである。

「お待たせしました、金毛警部補」

「ん。 じゃ、現場に行くぞ」

おあつらえ向きに、平尾も戻ってくる。

此処からはタクシーだ。三人乗って、現地に行く。タクシーの運転手は、此方が警察関係者と知っているらしく、何も言わなかった。

周囲に、工場が増えてくる。

この国でも有数の港湾地帯だ。工場も多く、昔は公害がとにかく大きな問題として、周辺に害を撒いた。

近年ではお隣の国の、桁外れの公害が有名だが。

昔のこの国がそのまま進展したら、ああなっていたのだろう。

さび付いた工場が目立つ中、現地に到着。

遠巻きに此方を見ているチンピラ共もいるが。数名の警官が常時現場にはりついているので、近寄っては来なかった。

現場にいた、刑事長に敬礼。

話を聞く。

多分、対怪異部署のことは知っているのだろう。多少胡散臭そうにしながらも、顔に深い彫りをきざんだ刑事長は、状況を説明してくれる。これは、レポートと一致しているか、それに加えて最新の情報がないかの、確認作業だ。

話を聞く限り、新しい情報は無い。

敬礼して、以降は現場の確認に移る。

廃工場と一言で言っても、かなりの広さがある。今回問題になっているのは、二百メートル四方ほどの工場。

既に機器類は撤去されていて、内部は空っぽ。

だが、分厚く埃はつもっていて。

内部にあるのは、多分不良共が持ち込んだがらくただろう。散乱している塵の中には、食べ残しなどもあるようだった。

一度掃除した方が良さそうだな。

そう思った私と裏腹に。牧島は、すでに式神を展開。

驚いたのは、式神の姿が変わっている。

ぬいぐるみみたいだった前回と違って、精悍で、いかにも野生で牙を研いできたという姿になっているのだ。

勿論ファンシーな部分も残っているが。

これは明らかに、戦闘を意識した造形である。

「みんな、調査をお願い。 妖怪がいるようなら、すぐに知らせて」

「御意」

式神が喋った。

まあ、喋る式神も見てきたが。これはかなり進化していると見て良さそうだ。前回の事件で、一番成長したのは、間違いなく牧島だろう。幼い顔立ちだが、表情も精悍になっている。

これは、今娯楽になるかも知れないと思う一方。

こいつがあかねみたいになる日も近いと思うと、かなり残念な気分にもなる。可愛かったのに。

まあ、現場で役に立つなら良いか。

「外に不良共がいましたし、自分は聞き込みをしてきます。 警部は、此処での調査をお願いします」

「ああ。 いざというときは、支援を頼む」

「了解であります」

平尾は相変わらず安定していて、頼もしい。

さて、私は。

まずは工場中に空気を張り巡らせる。周囲の怪異の気配を探り出すのだ。

ざっと全体を漁ってみるが、怪異の気配は無し。

そうすると、工場にとりついているわけでは無さそうだ。そうなると、地下とか、物陰とか。

夜にならないと、現れない可能性も少なくない。

ところが、である。

事態は、それより早く、急展開を迎えた。

小走りで牧島が来る。

「見つけました!」

「ほう、早いな」

「此方です」

これは、今回はとても楽が出来るかも知れない。

牧島に連れられて出向いたのは、工場の裏にある池。とはいっても、自然の池ではない。ただのくぼみに、水が溜まっただけのもの。

恐らくは、以前塵を捨てていただけの場所だろう。

勿論汚すぎて、生物がいる気配は無い。

ボウフラでさえ湧いていないのだ。どれだけ危険な水かは、一目で分かるというものである。

小さな虎を模した式神が、池の縁で内部を覗き込んでいる。

「此処に強い気配があります」

「ふむ、そうだな」

良く見つけたものだ。

まあ、私だって時間を掛ければ見つかったが。此奴の探知能力、ひょっとするとあかね以上かも知れない。

磨いていけば、更に上を目指せるだろう。

育てれば対怪異部署のエースになる。実に頼もしい若者になりつつある。

「周囲を警戒。 私が会話を試みてみる」

「わかりました」

牧島が取り出したのは、小型の弓だ。

矢筒も背負っている。

なるほど、玉串では近接戦しか対応できないと判断。元々支援系だという事も考慮して、弓矢にしたのか。

まだ流石に付け焼き刃だろうが、和弓はアーチェリーよりも極めると精度が著しく高くなる。

此方も、考えている事がわかって嬉しい。

池の中に、私の力を込めた空気を浸透させていく。

ひょっとすると今日は。

上手く行くと、今日中に解決するかもしれない。

 

だが、世の中は、何もかもが上手く行くとは限らないものである。

確かに汚い池の中に、何かがいるのは確実なのに、中々姿を見せないのだ。戻ってきた平尾が、幾つかの情報を集めてきたというので、池の側でふてくされて胡座を掻いたまま聞く。

「池の周辺で、巨大な人影を見た不良が何名かいました。 驚いて殆ど相手のことは確認できていなかったようです」

「まあ、そうだろうな」

「呪われるんじゃないかって怖れていました。 何か後ろめたい事があるかもしれませんので、モンタージュは控えてあります」

「んー」

流石に、今の時点ではまだ其処までは必要ないだろう。

夕刻を過ぎても、怪異は姿を見せない。

夜になっても。

工場の側にあるプレハブに、一旦引き上げる。平気そうにしている牧島だけれど。休ませた。

平尾と、軽く話をする。

「どう思う」

「いままでも数日の長丁場になる事は多かったですし、警部の判断は間違っていないと本官は思っております」

「そう言ってくれるのは嬉しいが、私だってミスはするぞ」

「しかし警部はそれを確実にリカバーしています。 ミスは誰でもするものですので」

そう言われると嬉しいが。

スルメを口にすると。平尾が買ってきたらしいビーフジャーキーをくれた。個人的にはこれも好きだ。

しばらくもむもむしていると。

別の警官が、プレハブに入ってきた。

「金毛警部ですか?」

「ああ、私だ。 どうした」

「また、怪異が出たようです。 ただ場所がこの工場とは少し離れているようですが」

頭を掻くと、すぐに牧島を呼びに行く。

仮眠をしていた牧島は、すぐに目を覚まして、身繕い。殆ど時間も掛からない。意識が変わると、人は此処まで変わるかと、何度見ても驚かされる。若人が育つのを見るのは良いものだ。

まあ、可愛くなくなるだろう事を思うと、ちょっとげんなりもするが。

すぐに警官に連れられて、現場に。

腰を抜かした老人が、丁度救急車で運ばれて行くところだった。近場の住民だろう。しかし、どういうことか。

池の周辺はがっちりと固めていた。

多分蟻が出る隙間もなかったのに。

どうやって怪異は、こんな離れた所にいる人間を驚かせたのか。

これはひょっとすると。

そもそも、怪異が其処へ出向いているというのが、間違いの可能性もある。何かしらの映像を投射する能力。

もっと違う能力かもしれない。

一度、プレハブに戻る。

「式神は何も反応していませんでした」

「ああ、私も池の周りは空気でがっちりガードしていた。 お前の探査が鈍ったわけじゃあない」

残念そうに肩を落とす牧島に、そうフォロー。

実際問題、妖怪とやり合うときは、仕方が無いものなのだ。大妖怪である私だって、化かされることが珍しくもないのだから。

まあ、何事も簡単にはいかない。

むしろ牧島が成長した分、敵が強くなったと思って、今回は腰を据えるのが良さそうだ。私もまだ復帰第一戦。

勝負は、これからである。

一眠りして、朝に。

相変わらず池には強い気配がある。しかしこの汚染物質、潜るには危険すぎるだろう。池の側に出て、気付く。

式神がいない。

牧島が来る。

朝早くなのに、眠そうにはしていない。それどころか、ぴっちりと身支度も調えていた様子だ。

「おはようございます、警部」

「ん。 朝練でもしていたのか?」

「はい。 弓を実用的なところまで使えるようにしたいと思って」

「そうか。 良い心がけだ」

俗に、健全な精神は健全な肉体に宿るという言葉がある。

必ずしも正では無い言葉だが。

運動がストレス発散になり、精神を研磨するのも事実である。牧島のように極めて真面目に「武道」に取り組めば、精神は非常に良く磨き上げられる。此奴は達人になれるかもしれない。

だがそうなると、ますますあかねの後継者だ。

彼奴が今では、ドラゴンでも素手で倒しかねない実力者になっている事を考えると。何というか、複雑極まりない。

成長を促してしまったのは自分だともわかっているけれど。

なんというかその。

可愛かった子ウサギが、再会したら獅子の子になっていたような印象なのである。残念!残念!何度もその言葉が、頭の中で残響した。

「それで、式神は」

「はい。 昨日の現場をはじめ、平尾さんが集めて来た証言から、怪異の出現地点を割り出して、全てを確認してきました」

「ふむ、結果を聞かせてくれ」

「何処でも、妖怪の気配は残っていません。 私が思うに、これはおそらく、ただ幻覚だけを見せているのでは無いかと思います。 妖怪がその場に現れているとは、とても思えません」

「同感だ。 しかしそうなると、この池にいる妖怪をあぶり出すしかないのかな」

私がぽきぽきと手を鳴らすが。あんまり迫力は出ない。

平尾辺りが全力で拳を叩き込めば、妖怪は慌てて池から出てくるかも知れないが。この汚染物質まみれの池に、そうしろとは流石に言えない。

そうなると、私がやるしかないか。

幾つか手を考える。

現実的なものをピックアップに成功。

まあ、少し疲れるが、問題は無いだろう。

「ちょっと時間が掛かるが、私がやる」

「何か手伝えることはありますか」

「増幅、できるか」

「わかりました。 万が一に備えて、平尾さんにも来て貰います」

頷くと、近くにいた刑事に、ビニールシートも準備させる。

池から、汚染物質が飛び散らないようにするためだ。

池の側に立つ。

そして、空気を池の表面に張り巡らせる。池の表面で、狐火を発生。これ自体には殺傷力は無いが。

その結果。

池の表面からは、呼吸できる空気が消え失せる。

さて、どうする。

隠れていると、息が出来なくなるぞ。

私も疲れるので、さっさと出てきてくれると嬉しいのだけれど。狐火を盛大に燃やしながら、気付く。

前より、少し力が上がっている。

全盛期ほどでは無いにしても。若干、狐火を出す時の負担が小さいのだ。

これは便利だ。

ちらりと見るが。横で詠唱している牧島の力だけでは無い。多分これは、この間の一件で、私の肉体が全盛期の力を取り戻したいと願って。少しずつ、回復に向かっていると見て良いだろう。

まあ、全盛期の力が戻っても、どうと言うことは無いのだけれど。

それでも、力は少しでもあった方が良い。

必ずしも、妖怪の中には、息が出来なければ死ぬ者ばかりでは無いけれど。露骨に池の環境が変われば、出てこざるを得ない筈。

何より今やっている作業で。

池そのものの温度も上がり始めているはずだ。

そうなれば、苦しくなってくる。

汚染物質が蒸発しているからか。少し気分が悪い。距離を取ろうかなと思い始めた、その矢先だった。

にゅるりと音を立てて。

池から、何か出てくる。

やはり此処に潜んでいたか。

幻覚作成を得意とする妖怪らしく。どうにも姿が捕らえにくい。以前人間に戻したサトリに近い妖怪だ。

だが。決定的に違う点もある。

此奴は脳に働きかけているんじゃあない。多分霧か何かを利用して、幻覚を作っている。そうなると、今の状況。

狐火で、池の環境が変えられている状態は、好ましくない筈だ。

出てこざるを得ない訳である。

「出てきたな。 話を聞かせて貰えるか」

「……」

何かは、私を見ている風だったが。

不意に跳び上がると、工場の方に消える。一瞬のことで、対応できなかった。

すぐに、牧島が式神に追わせる。

思った以上に素早い奴である。

だが、根城を追い出されて、平静ではいられないだろう。すぐに捕捉することが出来る筈だ。

「念のために、池に戻れないように処置をします」

牧島が、周囲の警官達と一緒に、池にビニールシートをかぶせる。

更に其処に何処かの神社から持ってきたらしい、清めた水を浴びせた。なるほど、これでは妖怪も、池には戻りづらい。

更に上から、板を乗せている。

手際が実に良い。

池から妖怪を追い出した後の事を、考えていた証拠だ。警官達も、小首をかしげながらも、てきぱきと指示を出す牧島と一緒に動いてくれている。

さて、後は式神達が、あの妖怪を追い詰めるのを待つ。

平尾に連絡を入れておく。

いざというときは、奴にぶん殴らせなければならないからだ。

 

2、汚れた霧

 

式神が妖怪を追っている間、私は一旦プレハブの事務所に戻り、スルメを口にする。少し疲れた。

妖怪を捕捉するまで、ちょっとで良いから回復しておきたいのだ。

牧島はというと、プレハブの外でスマホをいじっている。

遊んでいるわけでは無い。

周辺地図を表示して、状況を確認しているようなのだ。多分式神を、更に細かくイメージして動かす為なのだろう。

急激に出来るようになってきている。

この分だと、指示を出さずとも、近いうちに自律的に動けるようになるかも知れない。そうなると頼もしい。

だらんとしていると。

プレハブに、牧島が入ってきた。

「警部補、見つけました」

「んー。 追い詰めたのか」

「それが、多分逃げるつもりが無くなったみたいです。 今、平尾さんと式神達を相手に、工場の一角で威嚇しています」

威嚇か。

或いは、先ほどの様子からしても、知能がないタイプの妖怪かもしれない。一種の動物のような姿になってしまっている、と言うわけだ。

そうなると、呼びかけが大変だ。

一旦捕縛しなければならないとなると、更に大変である。そう殺傷力が強そうな存在だとは思えないが、万が一の事故の可能性もある。油断はしない方が良いだろう。

プレハブを出る。

スルメをしばらくもむもむしてから、飲み下すと。

隣を歩いている牧島をちらりと見やる。

背が伸びたわけでは無いのに。

背筋が伸びたからだろう。前よりも、背が高く感じた。

「どうかしましたか?」

「んーん? 何でもない」

「急ぎましょう。 妖怪が興奮しているようですから、早めに抑えないと」

「あの妖怪、多分自分の姿を変えてみせるのが主体だ。 多分、離れた箇所にも幻覚を作る事が出来るが。 それも一回に、一カ所が限度だろうな」

しかも、幻覚を作ると、かなり消耗するとみた。

工場に入る。

埃まみれの工場の一角で。周囲を完全に包囲されて。

何か、姿がよく分からないものが、四肢を踏ん張って此方に対して威嚇している。式神が容赦なく周囲を包囲。

平尾も、隙無く構えていた。

「来たぞー。 どうだ、状況は」

「何度か包囲を突破しようとしましたが、その度に押し戻しました」

「ん、上出来だ」

無理に捕らえようとしなくて良い。

この場合、逃がしさえしなければ良いのだ。私が進み出ると、モザイクが掛かっているかのように、主体を曖昧にしている妖怪は。

何度か、威嚇して吼えた。

犬の鳴き声に近いが、これは違う。

或いは、ひょっとして。

「お前、鵺か」

妖怪が、後ずさる。

やはりそうか。

「鵺、ですか?」

「まだわからんがな」

鵺。

昔々、京都を騒がせたという大妖怪。幾つもの種類の動物の特徴を併せ持つ、不可思議な存在として描写されている。

しかし、それは実態と大分違う。

実際の鵺は、いわゆる音の怪の一種。

正体もはっきりしている。

とらつぐみと呼ばれる鳥だ。

鳴き声が不気味極まりなく、得体が知れない怪物がいるという噂が広まって。鵺という妖怪の伝説が一人歩きした上にできあがった。

勿論、今は。

それをアーキタイプとして。傾いた人間が、鵺になるケースが出てきている。

元がなんであろうと、大妖怪という設定をされている以上。そこそこに強力な妖怪になる事もあるが。

此処にいる鵺は、さほどでもない。

「お前は何がしたい」

歩み寄る。

鵺が、工場の壁にぶつかった。その分下がったからだ。

式神も包囲を詰める。

平尾は、多分空手か何かの構えをとる。

相手が動いたら、即座にたたきのめすためだろう。

「幻覚を見せていたのは、此処を守るためか?」

「……」

どうも違うらしい。

しかし、あんな汚い池に閉じこもって、此奴は何がしたかったのか。それを解き明かさないと、傾きを是正することも難しい。

人間に戻せないという事だ。

包囲を継続。

周囲に一言だけ言うと。私は、空気の壁を展開。

此奴を解析しなければならない。

そう思った瞬間。

包囲を敷いていた式神が、動いた。

真横から叩き付けられるようにして飛んできた複数のナイフを、全て身をもって受け止める。

慌てて飛び退く私は、見る。

工場の屋根に、あのいけ好かない女吸血鬼、カルマがいるのを。

「間に合ったようですね」

「何をしに来た!」

「それを捕らえられては困るんですよ」

包囲が崩れた隙を、鵺らしきものが突く。

さっと抜けられた。

カルマの所に逃げ込んだそいつは、慌てていたのか、一瞬だけその姿を露出させた。

多分、見えただろう。牧島と平尾にも。

私は舌打ちすると、確保と叫ぶ。

だが、カルマはスタングレネードを放ってくる。こんなもの、どこから入手したのか。慌てて耳を塞いでふせる私だが、何しろ無力化用の凶悪な爆音と閃光である。その程度ではどうにもならない。

しばらくして、立ち上がる。

周囲では、警官達が呻いていた。

「牧島、平尾、無事か」

「此方は平気ですが、逃げられました」

平尾が、警官達を助け起こしている。

流石だ。

あのスタングレネードは、平尾の一番近くで爆発したのに。

牧島は気絶していたようだけれど、意識を取り戻して、立ち上がろうとして、何度か失敗。

それでも誰の手も借りず、どうにか起きた。

千早が土だらけの埃まみれだけれど、気にしている様子は無い。少し考えてから、式神を飛ばす。

「周囲に厳戒態勢を」

あの女吸血鬼がいたと言うことは。

今回は、クドラクが関与していて。

更に言えば、酒呑童子も関わっている可能性が高い。酒呑童子がクドラクとどの程度関わっているのかはまだよく分からない。内偵が進められているらしいが、まだクドラクとの関与はわかっている、程度の段階。

それにしてもあの女吸血鬼。

やりたい放題だ。スタングレネードなんて、九州の暴力団くらいしか、入手先がこの国ではないだろうに。

「金毛警部」

牧島が、片足を引きずりながら来る。

他の警官達の中には、転んだときに負傷した者もいる。既に救急車が来ていて、負傷者の手当は始まっていた。

当然、鼓膜をやられた者もいるだろう。

牧島だって、無事かはわからない。足を怪我した可能性も小さくない。

それでも、この子は。

警官、いや法の番人としての自覚を得て。今は、それ以上に、捜査と任務を優先している。

それを止める事が出来ようか。

「何かわかったのか」

「式神が調べましたけれど、もうこの辺りに、あの女の人はいません。 多分鵺と呼ばれていた存在も……」

「……そうか」

あれは、鵺だったのか。どうにもおかしな節が多い。

しかし、それは。

前に彼奴らが無理に妖怪化させた舞首も、同じだった。つまり中途半端な状態で、無理矢理に妖怪になった可能性がある。

そうなれば、異常行動をするのも当然か。

しかし、舞首同様、元に戻すのは難しくないはずだ。

出来るだけ早く確保しなければならないだろう。

非常線を張るか。

いや、無駄だろう。対怪異部署に、本腰を入れて出てきて貰うしかない。スマホは無事だった。無線も。

少し躊躇った後、私は敢えて無線から、あかねに連絡を入れた。

 

対怪異部署は、普段こそ国内の怪異事件の解決を担当しているが。

希に海外から流入した、強力な怪異の対処に当たることもある。ただし強力とは言っても、基本的に人間より凶悪な怪異など、歴史上存在していない。いつの時代も、もっとも凶悪で残虐なのは人間だ。

だが、今回の相手は。

大陸の、とにかく見境がないことで知られる一神教系の退魔組織と長年やり合ってきたクドラク。

今までも何度か対怪異部署に対する攻撃を仕掛けてきた相手と言う事もあり。

出動に関しては早かった。

新しく赴任してきた警視正も、出動に関しては反対しなかったらしい。この辺りは、有り難い。

専門の装備も、持ち出されている。

霊的な装備での非常線が張られるが。

今の時点では、カルマは引っかからない。この辺りも想定済み。出動まで掛かった時間を考えると、それなりの広範囲に非常線を張らねばならず。その内側に潜伏するのは容易だ。

だから、非常線を。

少しずつ、狭めていかなければならない。

とりあえず、非常線から逃がすことは、今の時点ではない。

だがカルマは大陸で、もっと凶悪な装備を持つ連中とやりあってきた組織の一員だ。見たところそう年は重ねていないはずだが、それでもこの国の下手な長老格よりも、百戦錬磨と見て良いだろう。

非常線に引っかかった小物の怪異が、時々報告されてくる。

適宜処理。

問題がありそうなら、私の所に。

問題が無さそうなら、私が指示して、妖怪のコミュニティに引き渡す。対怪異部署の他のメンバーでも、人間に戻せるかそうではないか位は、判断が出来る。

近場の稲荷神社には、既に三体の怪異。

幸いそこにいた眷属が強力だったのと、ついでに牧島が私の力を増幅する術式を展開してくれたこともあって、怪異を人間に戻す作業はスムーズに進む。それでもかなり疲れるので、平尾には途中でスルメを何度も買いに行かせたが。

スルメはいい。

一人目が、人間に戻る。

冴えない容姿の中年女性だ。

警官の一人が、あっと声を上げる。何でも過激派として指名手配されていた人物であるらしい。

意識がないまま、すぐに逮捕。

救急車に乗せて、遠ざかっていく。

嘆息。

報われたのやら報われないのやら。

既にカルマを逃してから三日目である。二人目の怪異を、人間に戻す作業が、そろそろ完了するが。

まだカルマ自身を見つけたという報告は上がっていない。

しかし、新幹線を使っても、この包囲の外に、出る事は不可能だった状態だ。

つまり、確実に包囲内にいる。

また、怪異が送られてきた。

今度は非常にオールドスタイルな河童だ。河童はとにかく伝承が有名だと言うことも会って、傾く例がよくある。

近年でも、最も傾きやすい妖怪の一つで。

どうしても正体が特定でいない場合、河童かその眷属を疑えというのは、対怪異部署のマニュアルにもあるのだ。

「シャワー浴びたいー」

ぶつぶつ文句を言いながら、作業を続ける私。

スマホが鳴る。

無線ではないという事は、あかねからだろう。何かわかって、私だけに知らせたい、と言う所か。

「どうしたー?」

「其方の様子は?」

「もうすぐ二人目が元に戻るところだよ。 逆にカルマのコン畜生は捕まったのか聞きたいんだがなー」

「まだです。 それよりも、重要な知らせが」

非常線の内部を探索中。

おそらく秘密裏に作られたらしい地下通路が発見されたというのだ。

多分二次大戦の更に前に作られたものであるという。

場所は地下鉄の構内。

カルマらしき存在の気配を追っていったところ、発見したとか。しかも爆破されていて、追跡が出来ないらしい。

「なるほど、用意周到な行動だった、と言うわけだ」

「通路の長さはわかりませんが、最悪非常線から脱出された可能性も」

「多分酒呑童子がいざというときに用意していただろう切り札だろうに。 どうして奴は、さらりと情報を入手できている」

酒呑童子はドジな奴だけれど、頭はそんなに悪くない。

部下の統率もそこそこにやっているはずで、情報もがっちり管理している。彼奴自身、記憶力がかなり良いこともあって、重要データは自分の頭の中で管理していると、以前聞いたこともある。

それならば、何故。

協力組織程度に、此処まで好き勝手されているのか。

腹心クラスの妖怪が、クドラクに掌握されているのか。

それとも、既に酒呑童子が、クドラクの軍門に降っているのか。

或いは、何かしらの方法で、クドラクが酒呑童子の持つデータベースから情報を奪い去ったのか。

可能性は幾つか考えられるが、そのいずれもが仮説に過ぎない。

「まあ、判断は警視正どのに仰げ。 こっちは出来る事を処理する」

「わかりました。 とにかく瓦礫を除去して、追撃を仕掛けます」

「気をつけろよ」

「わかっています。 流石に非常線の外にまで、通路がつながっているとは思えませんが、万一もありますから」

クドラクはそこそこの使い手のようだが、あかねに肉薄されたらジエンドだ。

それくらい彼奴は強い。

まあ、万が一にも問題は無いと思うけれど。念には念だ。

妖怪がまた一人、傾きを是正されて、人間に戻る。

今度は、まだ年若い少年だ。

行方不明の報告が出ている。これで、それも解決である。

また一人、非常線に引っかかった妖怪が、神社に運ばれてくる。暴れたらしく、しめ縄で押さえ込まれていた。

これでは当分、近辺からは動けそうにない。

シャワーにも行けない。

「金毛警部、スルメを持ってきました」

「んー」

でもスルメが来たから少し機嫌が直った。

しばらくスルメをもむもむしながら、作業を続行。まあ、非常線の内側にいる妖怪にも、数的な限度という奴があるだろう。

いつまでもこの苦行は続かないはずだ。

しかし、まさかとは思うが。

これもクドラクの狙いだったら。つまり、非常線の内側に、最初から対怪異部署としては処理せざるを得ない小物妖怪を追い込んでおいて、その隙に逃げるとか。

いや、まさか考えすぎだろう。

クドラクの組織人員が、どれくらいの数ここに来ているかはわからないけれど。いくら何でも、其処までは出来ないはずだ。

何よりも、近辺にいる長老級の妖怪が許さないだろうし。

彼らにしても、クドラクに好き勝手をさせまい。

そうなると、何が起きている。

それが、わからない。

一週間後。

ついに無念だが、捜索が打ち切られた。

私としては、連れてこられていた怪異を処理するので精一杯で、神社から出ることさえ出来なかった。

口惜しいが、どうしようもない。

ちなみに、怪異化していた人間は全員元に戻したが。

その中には、指名手配中の元過激派二人、同じく殺人犯一人が混じっていて、残りは全員行方不明者としての申請が出されていた。

警察としては、成果はあったと強弁できたのかもしれないが。

結局例の通路が、想定外に長く伸び、非常線の外にまで通じている事がはっきりしている事が、捜査打ち切りの決定打となった。

口惜しいが。

またしても、クドラクに、裏を掻かれたのである。

もっとも、私としては。

あの鵺だけは、取り戻さなければならないと考えている。非常線が解除されたが、奴を追う方法そのものはある。

あまりやりたくは無いのだけれど。

切り札を一枚、切るしか無いだろう。

クドラクが不愉快なのでは無い。

実験体にされた鵺をどうにかしてやりたいのだ。

まずは、あかねに連絡を入れる。

一週間にわたる非常線の構築で、流石のあかねも疲れていたようだが。連絡を入れて、概要を説明すると、通話の向こうで頷いたようだった。

「良いんですか、それを使ってしまって」

「構わん。 此処まで好き勝手にされて、黙っていられるか。 この国は、世界でも有数の妖怪の天国だ」

これに関しては事実だ。

東南アジアなどの一部には、今でも妖怪がかなりの力を持っている地域はあるが。それでも、この国の多様性と豊富さには叶わない。

逆に言うと。

妖怪に関しては大変な先進国であるこの国でさえ。

妖怪はこれだけ地位が低く、虐げられているとも言えるのだ。

だから、少しでも状況は改善していかなければならない。跳ねっ返りが出るのは、仕方が無い事だが。

それも、できる限り。

自前で押さえ込んでいかなければならないのだ。

人間を超える能力を、妖怪が再現するのは不可能だ。である以上、長い時間を掛けて折り合いをよくしていき、最終的には共存できるようにして行くしか無い。

今はまだ、共存にはほど遠い。

だからこそ、短絡的な思考を捨てて、長期的に努力していかなければならないのだ。それを無駄にするような奴は。

絶対に許せない。

何より、同胞である妖怪を、実験動物扱いする事も看過できない。

その点では、酒呑童子と多分意見が分かれるのだろう。だが、この意見を撤回する気は無い。

通話を切ると、私は。

スマホで、ある番号につないだ。

出来るだけ関わり合いになりたくない奴と、話さなければならない。だが、それも仕方が無い。

奴が、電話に出る。

「おや、君から電話をしてくるとは珍しいね、九尾の狐」

「だまれ。 仕事を依頼したい」

「雇い主にかね」

くつくつと、電話の先で、奴が笑う。

そう。

今連絡している相手は。

日本と言わず、おそらく世界最強の怪異。安倍晴明。他にも強い怪異は、昔は存在したが。

殆どが殺され狩られ、今では此奴くらいしか生き延びていない。

ダイダラボッチや八岐大蛇は、怪異としての人格が微妙で、自然災害に近い。此奴は人間に近い精神を持っていて、なおかつ桁外れに強いという、別格の存在なのだ。

そして此奴は、陰陽道の、事実上の創始者でもある。勿論原型になったものはもっと古くから存在していたが。

それを実用的なレベルにまでまとめ上げ、研磨したのは、間違いなく此奴なのだ。

「クドラクのカルマという女を捕捉し、奴が捕獲している鵺を救助したい」

「ふむ、それで」

「居場所を占うことが出来る筈だ」

「それは出来るがね」

何かして欲しいなら。

対価を払え。

そう、安倍晴明は言っているのだ。勿論直接、そう言ってはいないが。私も、それがわかっているから、嫌だったのだ。

「ここ最近の私の活躍で、おつりが来るはずだが」

「ふむ、確かに富山の爆発を食い止めた件は見事だった」

「まだ足りないというのか。 奴の居場所も、おおむね突き止めただろう」

「そうだなあ」

煮え切らない奴だ。

いや、これは此方を苛立たせるためのテクニックである。それがわかっていても、なおもいらだたしいが。

此奴は、文字通り百戦錬磨の大狸。

どうしても人間に比べて立場が弱い妖怪でありながら、この国の中枢にまで食い込んだ、怪物の中の怪物だ。

アンチエイジングやその他の神秘的な力を使い。多くの権力者に恩を売り。長い年月を掛けて、顔と姿を変えながら、ゆっくりと力を伸ばしていき。

そして今では。

総理さえ、裏から自由にしているという噂さえある。

実のところ、今話している安倍晴明も、本人では無いかもしれない。奴は牧島が砂粒に思えるほどの式神使い。

人間の姿をする式神を造り出す事なんて、更にそれを自分の分身として活用する事くらい、朝飯前なのだ。

「まあいいだろう。 居場所は占うから、後は好き勝手にしなさい。 ただし、また私の力を借りるなら、相応の対価は支払って貰うよ」

「ああ、そうだな」

「少し待っていなさい」

通話が切られる。

大きく嘆息した私は、地面を蹴りつけた。この神社の眷属、大きな金色の狐が、不安そうに私を見上げた。

通話の間、席を外してくれていた牧島と平尾が戻ってくる。

カルマは強敵だが。

この間の一件で一皮むけた牧島と。元から強い平尾がいれば。

それに、居場所さえ特定できれば、対怪異部署の戦闘部隊も投入できる。それで、片がつくはずだ。

工場のプレハブに戻ると、一眠りする。

起きたら、決戦だ。

今のうちに寝ておかないと、戦いの時に、力を発揮しきれないだろう。ステゴロは苦手だが。

今回ばかりは、やるしかない。

 

3、奪還へ

 

吸血鬼。

ブラムストーカーの小説で一躍スターダムになった怪物。古くから似たような怪異は世界中に報告例があるけれど。夜の貴族だとか、闇の王だとか、そんな大げさな設定は存在しなかった。

吸血をする神じたいはいるが、それはあくまで嗜好などであって、血を吸って生きている訳では無い。

結局の所、吸血鬼は人間に育てられた怪異だ。

近年の創作では更に人気が出て、強さがエスカレートした吸血鬼も登場してきているけれど。

それはそれで、もはや吸血鬼とは言いがたいのかもしれない。

ハイエースで、現地に移動。

移動している先は、神奈川県の山中。

安倍晴明の話によると、特定の時間に、其処で遭遇できるそうだ。奴の占いは、何処で何をしろ、と言う所まで、詳しく暴き出すことが出来る。

その点で、現在位置だけがわかる、というものより、遙かに優秀だ。

奴に頼るのは、正直ハラワタが煮えくりかえるほど嫌なことなのだけれど。それでも、困り果てている妖怪を見捨てるわけにはいかない。

その方が、よっぽど信念に反することだ。

途上。

何度も、死んだ夫達にわびる。

ごめんな。お前達の死に関係した彼奴に、力を借りなければならなかった。本当に私は、弱い奴だ。

今も昔も。

自分では、何も出来ない。

お前達に助けて貰って、それでもやっとこれが精々。もうきっと私は、大妖怪と呼ばれる資格も無いだろう。

勿論、顔には出さない。

だが、無口にはなる。

時々スルメを口に入れるだけで喋らない私を、不安そうに牧島が見ているが。声を掛ける余裕も、今は無かった。

ハイエースが停止。

現地に到着したのだ。

東京都のすぐ隣にあるにも関わらず、神奈川県の西北部には、未開と言って良い山地が林立している。

今いる此処も、ガードレールさえない坂道だ。

こんな所に、本当にクドラクのカルマが来るのか。あの鵺を引き連れて。

「もう十分ほどです」

「よし、展開しろ。 絶対に逃がすな」

平尾が言ったので、私は連れてきた戦闘部隊の面々に指示。

二十名いる彼らは、いずれも対怪異部署の精鋭。カルマなんぞ、単独でも押さえ込むことが出来るだろう。

あかねほどの女傑はそうそうにはいないが。

彼奴に近い実力の精鋭は、対怪異部署にはゴロゴロいる。別に平尾が飛び抜けて強いわけでもない。

そういうものだ。

妖怪と、人間の力の差は。

時間になる。

なんと、空からカルマが舞い降りてきた。

着地地点は、安倍晴明が占ったとおりの場所、ついでに時間。しかも、此方には気付いていない。

問題は鵺だ。

側に付き従っている。此奴ら、どうやってここに来た。

それよりも、今は重要なことがある。

「確保!」

平尾が飛び出す。

流石に慌てた様子のカルマだが、こればかりはどうにも出来ない。スタングレネードを取り出そうとするが。

潜んでいた狙撃犯が一撃。

左腕ごと、吹っ飛ばした。

鮮血をまき散らしながらも、カルマは慌てる様子が無い。これは、或いは。

まあいい。

しめ縄で作った網をかぶせかける。

鵺も逃れようとするが、行く手を悉く塞いだ式神達に足を阻まれ。カルマもろとも、網に掛かった。

「ほう。 どうしてここに来ることがわかったんですか」

「此方には、優秀なレーダーがあってな」

「嘘ばかり」

くすくすと、左腕を押さえることさえせず、カルマが笑う。

無力化の麻酔弾を、狙撃手が撃ち込んで、黙らせた。そのまま厳重に縛り上げさせる。

鵺は。

縛って転がす。まだモザイク映像みたいに、姿がはっきりしないが。逃げる事は、もう出来ないだろう。

これで終わりか。

だとすると、少しばかり脆すぎる。

「周囲に警戒。 此奴の仲間が来るかも知れない」

平尾が声を張り上げるが。

勿論、そんな事は誰もがわかっている。私は、鵺を空気で包んで、少しずつ幻覚の鎧を引きはがしていった。

愕然としたのは、鎧を剥ぎ終えたとき。

そこにいたのは。

複数の動物の融合体などと言う伝承とはほど遠い。とてもではないが、怪異にさえ見えない姿だった。

舞首と同じだ。

姿は猿に似ているが、それ以上でも以下でもない。

尻尾がどうにか蛇のようになっているけれど。それも、猿の尻尾の範囲内だ。怪異として、とても哀れな姿である。

縛り上げられたカルマが、特製の護送車に入れられる。

此処から脱出できる怪異なんて存在しない。多分安倍晴明でも無理だろう。怪異とは、そういうものだ。

縛り上げた鵺は、そのまま引きずっていく。

空気で包んで調べながら、台車に乗せて。近場の神社に運ぶ。念のため、護衛についてきて貰うけれど。

この様子では、クドラクの増援が来る恐れは無さそうだ。

それにしても、カルマの奴、何をしに来ていたのか。

別の班から連絡がある。

「クドラクのメンバーらしい怪異を確認。 数は四」

「場所は」

「鎌倉です」

鎌倉。

地図を見るが、かなり離れている。どうして鎌倉の方に、クドラクのメンバーが展開しているのか。

嫌な予感がする。

カルマの奴、或いは。

気付いたとき。

思わず、変な声を上げそうになった。私の様子に気付いた護衛班の一人が此方を見たので、咳払いする。

「神社に急ぐぞ」

「はあ、どうしたのですか」

「鎌倉はな。 多くの戦場になり、膨大な怨念が集まった土地なんだよ。 ひょっとするとクドラクの連中、富山と同じ事を起こそうとしているのかもしれない」

それを聞いて、牧島と平尾が真っ青になる。

戦術核兵器並みの爆発。

それを、この不完全な鵺を依り代にして起こされたら。

文字通り、この辺りは消し炭になる。

妖怪自体は弱くても。

妖怪を利用して、兵器を作ることは出来る。

現実的なものの考え方をする大陸の妖怪だ。日本の妖怪を実験動物として扱い、その程度の事をするくらい、何とも思っていない可能性も高い。

倫理なんて、彼らには存在しない。

極限まで闇に落ちれば、人間も怪異も、クズに堕するのが現実だ。これは、まずいかもしれない。

酒呑童子は、このことを知っているのだろうか。

もしろも、クドラクの目的が。

怪異の兵器化だとしたら。

「鎌倉の方は、対処できそうか」

「大した戦闘力を持つ怪異はいません。 此方の戦闘班で処置します。 全部捕まえられるかはわかりませんが、最低でも負ける事は無いでしょう」

「一応増援を集めてからかかれ」

「わかりました」

通信を切ると、後は全速力で神社に急ぐ。

飛び込んできた私を見て、其処に巣くっていた妖怪達が驚く。念のために、近場の妖怪を集めておいたのだ。

ただ、どいつも戦闘向けでは無い者達ばかり。

気も弱い。

「どうしたのですか、九尾さま」

「すぐに、この鵺を……」

「空!」

誰かが叫んで、釣られて上を見る。

其処には。

あまりにも禍々しい、黒い渦があった。

 

T島から戻った酒呑童子は、部下から立て続けの報告を聞いて、苦虫を数万匹まとめてかみつぶしていた。

クドラクが、通信途絶。

カルマ共々姿を消した。

更に、妖怪を安易に造り出す研究成果も、持ち出したという。

「あれは国内でも最高レベルのセキュリティをかけた、しかもスタンドアロンのサーバに入れていたんだぞ」

「わかりません! どうやったかまでは!」

「おのれ……!」

歯ぎしりする。

新幹線で帰る予定だったが、飛行機に変更。すぐに乗り換えて、東京に向かう。

此処まで好き勝手をされて、黙っていられるか。

裏切りどころか、好き勝手に利用したあげく、放り捨てられたも同然。隣で、茨城童子が、それ見た事かと顔に書いている。

今は、怒っている余裕も無い。

茨城童子はそういえば、前からクドラクの連中を信用しない方が良いと、やんわりと言ってきていたのだ。

それに、奴らがT島に酒呑童子が向かった隙を突いたのも、理にかなっている。全ては、油断した酒呑童子の責任だ。

この程度では、終わらない。

絶望的な報告も、次々入ってくる。

留守居役のひょうすべが、とんでも無い事を知らせてきたのである。

「クドラクの関係者五百名ほどが、隣国の密入国組織の手を使って九州に上陸したという話があります。 現地のコミュニティから、緊急で連絡を入れてきました。 現地の妖怪と諍いを起こさず、すぐに消えたという事ですが」

「ご……!」

五百。

流石にその数の妖怪が一度に侵入した例は、過去に無い。

元々クドラクは、秘匿的な方法で仲間を増やして、横の結束で戦力を維持してきた組織だと聞いている。

苛烈すぎる一神教関係者の攻撃から身を守るための処置だったのだが。それが今では、外からは得体が知れない、怪物的なものへと変わり果てているのだ。秘匿は、武器にも盾にもなるのである。

飛行機に乗り込む。

すぐに動き出す飛行機。東京まで三時間は掛からない。

苛立ちながらも、スマホを操作して、状況を確認。飛行機内では、おおっぴらには出来ないので、こっそりやるしかない。

現地の部下達の一人が。

妖怪のコミュニティから、情報を仕入れてきた。

「少し前から、クドラクのカルマが東京近郊で非常線を張られていたようです。 それで、今神奈川県の北西部で、対怪異部署と交戦中だとか」

「飛行機が羽田に着き次第向かう」

「もうどうにもならないと思いますが」

「良いからそうしろ!」

肩をすくめる茨城童子。

ドジッ子と言われる酒呑童子は、自分がそう嘲笑われても仕方が無いと思った。だが、最低限、一矢くらいは報いなければならない。

全国にいる部下。

更に妖怪のコミュニティに通達。

「クドラクは著しい背信行為を犯した。 奴らは敵だ。 見つけ次第、俺か、九尾の狐に連絡しろ!」

もう遅いかもしれない。

だが、これ以降、奴らを明確に敵と判断する事で、少しは状況もマシになるはずだ。他の妖怪の顔役にも通達。

ここからが長くなる。

だが。

これ以上は、好き勝手にはさせない。

最悪の場合、八岐大蛇が出てくるかも知れないが。それだけはどうにか避けないといけない。

あれが出てくると。

普通の妖怪にも、被害が甚大なのだ。

連絡を終えた頃、丁度東京に着く。

鎌倉にいる部下が、妙な報告を入れてきた。

「海岸線に展開していたクドラクの部隊が、対怪異部署に蹴散らされたようです」

「鎌倉ぁ?」

「はあ。 しかも、上空に向かって、妙なものを放出して。 それが、神奈川県の北西部に向かって流れているとか」

非常に嫌な予感がする。

ひょっとして、これは。

クドラクは、既に目的を達成しているのかもしれない。

 

上空に巻き起こった、禍々しい黒雲が。

神社へと、降り注いでくる。

否。

鵺にだ。

鵺の全身に、見る間に吸い込まれゆく禍々しい黒雲。

それが、雲などでもなく。

瘴気でもなく。

長い間、溜まりに溜まった怨念だと、私は看破した。

「金毛警部!」

牧島が叫ぶ。

鵺が、変化しはじめている。

あの時の、おんぶおばけのように。禍々しい肉塊に。騒然とする護衛班に、私は指示を飛ばす。

「あの怨念の影響だ! 結界を張る! 急げ!」

眷属の力があるから、ある程度力が震える。

牧島が詠唱を開始。

力がみなぎりはじめる。

「自分はどうすれば」

「邪魔が入らないように周囲を警戒! 後、力仕事が必要になったら、声を……」

飛んできたつぶてを、平尾が受け止める。

つぶてだと。

神社の鳥居の上に、数名の人影。

クドラクの連中か。

今まで、隠れていたのか。いや、違う。これは。

「悪いけれど、これ以上好きにはさせない」

「お前ら……!?」

そう。

そこにいたのは。

全く他と違わぬ姿をした、六体の影。しかも、どれもこれもが、あのカルマと同じ顔と格好。声までも。

此処にいる護衛班は四名。

平尾が、上着を脱ぎ捨てて、立ちはだかる。

「すぐに増援の手配を。 金毛警部に手を貸せる人員は、其方を」

「よし……」

鳥居から、飛びかかってくる吸血鬼共。

平尾と三人が、迎え撃つ。

激しい肉弾戦が開始されるが、介入する余裕が無い。残りの一人は、壁になって、飛来する小石やつぶてから、此方を守ってくれている。

平尾は流石で、クドラクの精鋭だろうカルマの分身を相手に、一歩も引いていない。そればかりか、一匹を地面に叩き付けて、踏みにじりながら、もう一匹を鯖折りしている。アレは正直、海兵隊員あたりより強そうだ。

だが、此方は苦戦中だ。

結界を張るが、上手く行かない。

どんどん怨念が、鵺に流れ込んでいく。防ぐ方法を試しているのに、どうしても上手く行かないのだ。

「まずいぞ……」

思わず呻いてしまう。

まさかとは思うが。

この鵺そのものが、怨念を呼び寄せているのか。

そういえば、鵺というものは、京の都の政情不安が産み出した噂話が一人歩きしたあげく、とらつぐみの鳴き声がそれに拍車を掛けたもの、という話を聞いたことがある。仲間内にである。

だとすると、此奴は。

あの沼にいた理由は。

「お前、ひょっとして。 不良共に、あの沼に沈められたのか」

びくりと、顔を上げる鵺。

猿のような顔が、恐怖と絶望に歪む。

牧島が、詠唱を止めない。

その程度の事で、動揺しない程度には、強くなっている、という事だ。

平尾の正拳突きが、カルマ分身を直撃。木を一本へし折って、更に向こうまで飛んでいく吸血鬼。

向こうは任せても大丈夫だろうか。

だが、護衛についていた一人が動き、ナイフをはじき返す。

見ると、更に増援。

今度は、十体はいる。

非常にまずい。増援が来るまでは、まだ時間が掛かるはず。平尾は確かに強いが、いくら何でもあの数は。

「あまり長くは保ちません。 出来るだけ急いで」

「式神、防衛に廻します」

「……わかった」

牧島も、式神を使って、押し寄せる吸血鬼共を防ぎに掛かる。

さて、どうするか。

呼びかけて此奴を人間に引き戻しつつ。眷属の力を使って、元に戻す。少なくとも此奴が、怨念を吸収するのさえ止めれば。

「鵺。 お前は、静かな場所が欲しかったんだな」

「……」

「お前、おそらくイジメに遭っていたんだろう。 それも、金を巻き上げられて、暴力も振るわれるような、酷い奴に。 そして妖怪になった日、多分金を持ってこられなかったとかで、あの毒物まみれの沼に沈められたな」

空気で包んだことにより、少しずつ此奴の事がわかりはじめる。

とにかく、弱い。

肉体もそうだが、精神も。

だから、暴力的な連中の、格好のカモとなった。多分勉強も出来なかったのだろう。故に、学校のランクを落とさざるを得ず。

猿と同レベルの理性しか持たない連中に、徹底的に搾取されることになった。

「お前、恐らくは家にさえ居場所がなかったんだろう」

「……!」

「図星か。 お前のような境遇なら、今の時代は引きこもってしまう方が早いからな」

責めるのでは無い。

揶揄するのでもない。

ただ、現実を、淡々と突きつけていく。

側では凄まじい乱戦が行われているが、敢えて見ない。足下にいる眷属の力を受けながら、あやかしとしての鵺を解析していく。

「だから、沼に沈められたとき、苦痛の中で思ったんだろう。 暗くて静かで、それで誰もいない。 此処なら、一人になれると」

「……」

「そして、周囲にいる奴らを排除したいと思ったな」

ばきりと、肉の間に亀裂が走る。

どうやら、全て図星だったようだ。妖怪としての存在が、急激に劣化しつつある。吸血鬼共が殺到してくるが、平尾が千切っては投げ千切っては投げる。吸血鬼は、妖怪としてはそれほど強い方では無いのだ。

「だから、幻覚を見せて、追い払おうとした」

「だ、だまれ。 俺の心に、入って、来るな」

「心配するな。 殺人未遂までした連中を、警察は放置しない。 必ず逮捕してやるからな。 それに、環境が悪いようなら、どうにかしてやる。 怖がらずに、目を開け。 何もかもの破滅なんか望むのは止めろ」

迷いが、明らかに鵺に生じる。

元々弱い子なのだ。

吸い込まれていく怨念が、明らかに居場所を失って、空に渦巻いていく。長い時間を掛ければ、拡散していくはずだ。

ナイフが。突き刺さる。

舌打ち。

左の二の腕に突き刺さったナイフを引き抜く。

流石に数の暴力。

防衛網を突破したカルマの仕業だ。

にやりと笑う女吸血鬼。

だが、その頭を、容赦のない平尾の後ろ回し蹴りが粉砕した。

首をあり得ない方向に曲げた女吸血鬼が地面に叩き付けられ、バウンドして吹っ飛ぶ。見れば、周囲の掃討は、既に完了している。

大した物だと私は思ったが。敢えて口にはしない。

「警部!」

「こっちはいい! それより、まだ増援が来るかも知れない!」

いや、多分違う。

奴らの目的は、兵器実験。捨て駒を大量に使ってきたという事は。多分、爆弾として作用するかどうかだけを確認するはず。

それならば。

「多分近くに此方を監視している奴がいるはずだ!」

「しかし、手が……」

「私がどうにかします! 警部は、その子を!」

牧島が、飛び出す。

そして、四方に式神を放った。

 

4、悪夢からの浮上

 

その日は、特に酷かった。

学校でも有名ないじめられっ子だった僕は、彼奴らの遊び場になっている廃工場に連れて行かれて、朝から殴られていた。

理由は簡単。

親の財布から、金を盗めなかったから。

親もいわゆるDQNであるのに。僕がどうしてこう気弱な性格になってしまったのかは、よく分からない。

不良グループのリーダーは、手下にしばらく僕を殴らせていたけれど。

やがて、面白そうなことを思いついたようだった。

「なあお前、水泳しろよ」

そう言って、そいつは。

手下に、僕を裸にさせた。

きたねえ。やせてる。

そう揶揄する手下達は。

痣だらけの僕の尻を蹴って。あの汚染物質だらけの池に、連れて行った。

風に吹かれながら、僕は虹色の油膜が浮かんでいる池を見て、絶望して。

彼奴らは何の躊躇もなく、僕を其処に蹴り込んだ。

ぎゃはははははは。

笑い声が聞こえる。

しぬんじゃねーの。

だったらなんだよ。金持ってこない彼奴が悪いっての。

どうせ弱いんだから、社会に出ても何も出来ないだろ。生きてるだけ酸素とエサの無駄だし、今死んだ方がいいんじゃね。

社会の敗北者。

うひゃー、××さん、厳しいっすねー。

笑い声が重なる。

泳げるはずがない。

僕が浮かんでこなくても、彼奴らは慌てることさえしなかった。そういえば彼奴ら、女の子を工場に連れ込んでレイプしたとか、誰かを散々殴って山中に捨ててきたとか、自慢げに話していたっけ。

人を殺す事なんて、何とも思っていない奴らなのだ。

ああ、僕は此処で死ぬんだな。

そう思うと。

気分は、不思議と静かだった。

苦しいと思ったのは最初だけ。周囲は薄暗くて、どす黒い泥のようなもので満ちている。後は、邪魔な奴らさえいなければ。

彼奴らさえ、こなければ。

僕は静かに、此処で過ごすことが出来る。

いなくなって欲しい。

僕は。

静かに。

ただ、一人でいたい。

断絶。空白。

気がつく。

担架に乗せられて、運ばれているのがわかった。

呼吸器らしいものが付けられている。ぼんやりとして周囲を見る。何だか、山の中のようだ。

「化学物質を全身に浴びていて、危険な状態です!」

「治療は出来そうか」

「どうにか助けられるとは思いますが、一生後遺症が残っても不思議では無いです!」

「絶対に助けてやってくれ。 頼むぞ」

側で、誰かが話している。

担架が並行になった。救急車に乗せられたらしい。

少しずつ、周囲が見えてくる。

「意識回復!」

「名前わかりますか?」

目にライトを当てられる。

だけれど、喉が焼けるように痛くて、何も喋れない。

救急車の中。誰かが付き添っている。

長身の女性。凄く綺麗な人だ。なのに、どうしてだろう。煙草みたいに、口にスルメを咥えている。

それがちょっと妙だ。

何だか、見た事があるような気がする。

僕に呼びかけていたのは、この人。

いや、呼びかけていたというのは、何だろう。この人は、見た事も無い人なのに。

「此方金毛。 あかね、行方不明者の中から、探して欲しい者がいる。 そうだ。 年齢は多分中学二年から、高校一年という所だろう。 学力はそれほど高くないところに在籍していたはずだ。 そう、そうだ。 頼むぞ。 後、鵺を確保した工場に出入りしていた奴らを洗い出せ。 殺人未遂で逮捕する準備を」

なにやら、矢継ぎ早に指示を出している。

その人が、ぼろぼろになっていることに、今更ながら気付く。腕には布も巻いている。あれは、血止めか。

全身が、痛み始めた。

僕は何をしていたのだろう。

だけれど、一生懸命、誰かが僕のためにしてくれるのは嬉しかった。

学校では、虐められる方が悪いという理屈を、先生までもが振りかざしていた。授業中に彼奴らが僕を殴っても、周りはみんな笑いながら見ていた。

底辺高校なんてこんなもの。

周りの生徒は、みんなどんどん辞めていった。僕は辞めなかった。親にそうさせて貰えなかったからだ。

先生も、生徒には興味が無くて。

適当に教えて、それだけだった。

何だか、この人は違うんだな。尻尾が見えるような気がするけれど、それはもうどうでもいい。

意識を失う。

気がつくと、包帯を巻かれて、ベッドに寝かされていた。

酷く体中が痛くて、身動きも出来ない。

きっとしばらく病院に磔だ。

多分誰も見舞いには来ないだろう。あの両親が、僕を見舞いに来るとは、とても思えない。

意識ももうろうとしていて。

数日は、起きたり眠ったりの繰り返し。

このまま死んだら、どれだけ良いだろう。

もう、この世にはいたくない。

気がつくと、横に果物の入ったバスケット。見舞いに来た人がいたのか。びっくりだ。

学校の人間では無いなと、即座に判断。

あり得ないからである。彼処の学校が、イジメを受けて失踪した僕に見舞いなんて、するはずがない。

喋れないのがもどかしい。

誰だろう、あの果物をくれたのは。

会ってみたい。

そして、お礼を言いたかった。

 

今回も酷い目に遭った。

それに、カルマは結局捕らえられなかった。どういう方法だったのか。あのたくさん現れたカルマも。

最初に撃破したカルマも。

いずれもが、霧のように消えてしまったのである。

平尾によると、確かに致命傷を与えた個体も何体かいたのに。それなのに、カルマの存在そのものが消失したとしか思えないという。

クドラクは確かに、大陸の退魔組織とやり合ってきた連中だが。

それにしても異常だ。

腕の怪我はもう治ったので、報告書だけを警視正に提出。後は帰ろうと思ったが、廊下であかねに呼び止められた。

「良くない情報が」

「立て続けだな」

「T島で爆発事故が起きました。 死者、行方不明者、五十名を超える大規模なものです」

確かにそれは、良くない。

あかねには言っていないが。T島はあのダイダラボッチがいる有力候補だ。というか、ほぼ間違いなく其処だ。

安倍晴明が仕掛けて、その結果の事か。

それとも。

「何か妖怪が目撃されたのか」

「はい。 山のような巨神が、九州の方に歩みゆく姿が」

「……そうか」

何が起きたかはわからないが。

いずれにしても、本土上陸は何があっても防がなければならないだろう。

相手の大きさが大きさだ。

既に自衛隊も出動を開始しているはず。問題は安倍晴明がどう出るか、だが。

いずれにしても、ステゴロが苦手な私に出番は無い。

「一応私は、九州に出向きます」

「お前なら心配は無いと思うが。 一応、気をつけろよ」

「はい。 師匠も」

「ん」

あかねは、随分と今回も、色々とやってくれた。

助け出された少年の周辺整理。ネグレクト同然の態度で接していた親の元には戻さず、養父母を田舎に用意。二人とも実績がある信頼出来る人物だ。

更に、少年を薬品だらけの沼に突き落とした犯人の確保。

芋づるに逮捕が進んでおり、現在六人が逮捕。内二人は悪質な主犯格と言う事で、ほぼ実刑が確定だ。

更に少年の状態から、学校側にも問題があると判断。

既に校長は首。

教師共も、半分近くが入れ替わることになるだろう事は確実である。

こういう仕事は、私に出る幕がない。

あかねのように出来る奴がいるから。

私は安心して、妖怪達の傾きを是正できるのだ。

だから可愛くなくなってしまっても。

今でも、あかねには感謝している。

「嫌な予感がします。 師匠も気をつけてください」

「そうだな」

あかねが、部下達数名とともに、九州に向かう。

私も嫌な予感はするけれど。

信頼の方が勝る。

あかねなら、きっとやり遂げられるはず。

そう思い。

私は敢えて、それ以上あかねを引き留めはしなかった。

 

                                (続)